シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あっ、ハーレイ!)
見付けちゃった、と喜んだブルー。飛び跳ねた心。
学校の休み時間に見付けたハーレイ、前の生から愛した恋人。学校では「ハーレイ先生」としか呼べないけれども、やっぱり心が弾んでしまう。ハーレイの姿を目にしたら。
そのハーレイは、授業に使うための資料なのだろうか、箱を抱えて運搬中。腕に紙袋まで提げているから、絶好のチャンス。
(お手伝い…!)
ハーレイと一緒に歩いてゆける、と張り切って近付いて呼び掛けた。「ハーレイ先生!」と。
「ぼくも手伝います。荷物、何処まで運ぶんですか?」
そう尋ねたら、ハーレイはチビの自分を見下ろしながら。
「おいおい…。手伝うだなんて、重いぞ、これは」
見た目よりずっと重いんだが、と「よし」と言ってはくれないハーレイ。けれど、手伝いをするチャンス。ハーレイと並んで歩いて行けるし、歩く間は話も出来る。諦めたくない、お手伝い。
「ぼく、お手伝いしたいんです」
重いんだったら、先生だって大変でしょう?
箱は無理でも、袋くらいなら、ぼく、持てますから!
「そうなのか? お前の気持ちは嬉しいんだが…」
紙ってヤツは重いんだよなあ、見掛けよりもずっと。この紙袋の中身もそうだ。
袋が頑丈に出来ているから、重い中身でもいけるってだけで…。並みの袋だと底が抜けるぞ。
持てるのか、とハーレイが渡してくれた紙袋。
大きさの割にズシリと重くて、腕がガクンと下がってしまった。片手で受け取ったものだから。これは駄目だ、と慌てて添えた手。右手に加えて左手まで。
ハーレイは一部始終を見ていたわけだし、「ほらな」と荷物を取ろうと手が伸びて来た。
「やめとけ、お前には重すぎる」
俺だと片手で提げて行けるが、お前だと両手になっちまう。重い証拠だ、重すぎるんだ。
返せ、とハーレイが箱を片手で持ったままで言うから。
「大丈夫です!」
ハーレイ先生はこれを片手に通して、両手で箱じゃないですか!
紙袋だけでも、ぼくが持ちます。そしたら箱も持ちやすいでしょう?
「そりゃまあ…。バランスは良くなるな」
なら、頼むかな、とハーレイが言ってくれたから。「やった!」と躍り上がった心。
(運んでいる間は、ハーレイと話…)
荷物くらいはなんでもないや、と両手でしっかり握り直した。重い紙袋の持ち手の部分を。握り直したら、両手にかかる重さが丁度いい感じ。これならいける、と嬉しくなった。
(途中で持てなくなっちゃったら…)
恥ずかしいもんね、と両手で提げた重たい袋。本当に見掛けより重い、と。
ハーレイと二人で歩き始めて、話題にしようと思った荷物。紙袋の中身。覗こうとしても、袋の中身が見えないから。歩きながら開けてみて覗き込めるほど、腕の力に余裕が無いから。
「ハーレイ先生、この紙袋はプリントですか?」
全部のクラスで配るプリント、これに入っているんですか?
それなら分かる、と考えた袋の重さだけれど。
「プリントじゃないぞ。資料に使う本が入っているんだ、何冊もな」
教科書はそれほど重くはないが…。そいつの中身は俺の私物で、コレクションとも言うだろう。趣味で集めた資料の本でだ、学校の図書室には無かったもんでな。
いい本ってヤツは重いんだ、と教えて貰った。図版や写真が沢山詰まった資料本。教科書だって写真は多いけれども、大勢の生徒に配るものだから、値段も安い。
けれど、ハーレイが趣味で集める本の類は、紙の質が全く別物らしい。上質な紙を使った本。
(いい本、それで重いんだ…)
シャングリラの写真集も重かったっけ、と気が付いた。ハーレイとお揃いの豪華版。お小遣いで買うには高すぎたから、父に強請って買って貰った。あの写真集もズシリと重い。
それが分かっても、学校では話題に出来ないけれど。
ハーレイと二人で歩いていたって、教師と生徒。恋人同士ではないのだから。
ちょっと残念、とガッカリした所へ掛けられた声。
「シャングリラの写真集、重いだろ?」
お前の本棚に入っているヤツ。あれもな、紙の質がいいから…。同じの、俺も持ってるしな。
「ハーレイ先生?」
思いがけないシャングリラの名前。時の彼方で、ハーレイと暮らした白い船。
「お前もアレが好きなんだよなあ、写真集、持ってるくらいだからな」
みんなの憧れの宇宙船だし、豪華版でなくても写真集を持ってる生徒はきっと多いだろう。
わざわざ豪華版を持ってるってことは、パイロットでも目指してるのか?
だったら、もっと身体を丈夫にしないとな、とハーレイの言葉は続いてゆく。パイロットになる道をゆくなら、健康な身体を作ること。まずはそこから、と。
(やっぱりね…)
普通の生徒と話すんだったら、こうなるよね、と思いながらも相槌を打って、質問も。宇宙船を動かすパイロットの知り合い、いましたよね、とか。
前の自分たちの話は出来ないけれども、幸せな会話。
パイロットになったハーレイの古い友人、その人がやっていたトレーニングとか。丈夫な身体を作るためには、運動するのが一番だとか。
重い紙袋を古典の教師が集まる準備室まで運んで届けて、其処までの道でたっぷり話せた。立ち話よりもずっと沢山、色々なことを。
紙袋をハーレイの机の上に置いたら、「助かったぞ」と御礼を言って貰えて…。
「いいか、他の生徒には内緒だぞ?」
誰か来る前に早く食っちまえ、とハーレイがくれた御饅頭。「生徒が来たらうるさいから」と。
先生たちが食べるためのおやつの箱から、一個貰えた。
(…これ、美味しい!)
蕎麦饅頭だけれど、皮も中身の餡子も絶品。他の先生たちも笑顔で見ている。ハーレイの話では人気の商品、この準備室でもよく買うらしい。それをモグモグ美味しく食べて…。
「ありがとうございました!」
ペコリと頭を下げたら、「俺の方こそ助かった。ありがとう」と声が返ったから。
得しちゃった、と教室に帰る間も弾む足取り。ハーレイと二人で並んで歩いて、色々と話して、おやつも貰えた。古典を教える先生たちのお気に入りのおやつ。
(御饅頭、美味しかったよね…)
夢中で食べてしまったけれども、包み紙をよく見れば良かった。そうすれば分かった、御饅頭の名前。作っている店も。
(ママに頼んで買って貰えるのに…)
でも、またハーレイに訊けばいい。何処のだったの、と尋ねたら教えてくれるだろう。
大好きなハーレイと沢山話せて、オマケにおやつ。荷物は重たかったのだけれど、浮き立つ心。お手伝いをした甲斐があったと、御饅頭も貰えてしまったしね、と。
御機嫌で過ごした、今日の学校。その帰り道に、ちょっぴり痛いと感じた腕。
(あれ…?)
何か変だよ、と不思議に思った。どうして腕が痛むのだろう、と。バス停で降りて、のんびりと歩いて家に帰って、着替えようと制服を脱ごうとしたら…。
(なんだか痛い…?)
肩から肘の間あたりが。手首の近くも少しだけ痛い。
なんで、と右手で左腕をさすって、次は左手で右腕を。両方の腕が同じくらいに痛くて…。
(ハーレイの荷物…!)
重い紙袋を提げて歩いたから、筋肉痛だ、と気が付いた。重い荷物など、普段は持つことが全く無いから、悲鳴を上げている筋肉。頑張りすぎた、と。
重い荷物は持たない上に、運動だって控えめな自分。
(筋肉痛になるほど、やっていないし…)
そうなる前に体育は見学、他の生徒が次の日に「痛い」と言っているのを耳にする程度。だから分かるまでに暫くかかった。これは筋肉痛なのだ、と。
自分とは無縁な体育の授業の筋肉痛。クラスのみんなが痛がっていても、自分は平気。そこまで運動するよりも前に、手を挙げて見学に回っているから。
(まだ痛くなる…?)
どうなんだろう、と心配になった、おやつの後。部屋に戻って動かしてみた腕、やっぱり痛い。上げようとしたら痛みが走るし、肩から大きく回してみても。
(筋肉痛なんて…)
経験自体が少ない上に、荷物で起こしたことがない。腕では一度もやっていなくて、遠足の後で足に来たのが数回だけ。普段よりも沢山歩いたせいで。
(足は痛くて、重かったけど…)
腕の場合は、どのくらい痛くなるのだろう?
今は痛いと思うだけなのが、動きに支障が出るだとか。腕も上げられないくらいになるとか。
(明日の朝になったら、うんと痛いとか…?)
痛すぎてベッドから起き上がれないほどに。そんなことになったら、学校に行けない。筋肉痛で欠席だなんて、ハーレイに会える学校へ行けなくなるなんて。
(ハーレイ先生でも、ハーレイなんだから…)
休みたくないよ、と心配していたら、チャイムが鳴った。仕事帰りのハーレイが母の案内で来てくれて…。お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで座るなり、微笑んだハーレイ。
「今日のお前は頑張ったな、うん」
俺の手伝い、よく頑張った。途中で投げ出したりせずに。
あの紙袋、重たかっただろう?
準備室まで運べたとはな、と褒められたのは嬉しいけれど。御礼の御饅頭まで貰ったけれども、今の自分は筋肉痛。重すぎる紙袋を提げて歩いたせいで。
「それなんだけど…」
腕が痛いよ、と訴えた。両方の腕のこの辺だけど、と。
「ほほう…。筋肉痛になったか、流石はチビだ」
もう痛いなんて、若さの証拠だな。ダテに小さいお前ではない、と。
「え?」
なんなの、若さの証拠だなんて。ぼくは両腕、痛いんだけど…。
「筋肉痛だろ? 若いほど早く来るってな」
若い内なら、動かしたその日に出ちまうもんだ。ちょっと痛いな、というのがな。
ところが、もっと年を取ったら、筋肉痛が出るのは遅い。次の日まで全く出ないヤツもいる。
「そうなの?」
ハーレイの年だと、その日には痛くならないの?
「どうだかなあ…。俺の場合は鍛えているから、今でも早く出るんじゃないか?」
そうは言っても、起こさないんだがな、俺は筋肉痛なんか。
日頃からしっかり鍛えておけばだ、筋肉は怠けやしないわけだし…。
筋肉痛ってヤツは、普段使っていない筋肉を急に動かすから、ズシリと痛みが来るってな。
お前、腕の筋肉を使ってないから、あの程度で痛くなっちまう、と。
柔道部のヤツらがアレを提げても、筋肉痛にはならないぞ。お前より長く持っていたって。
お前の腕は弱すぎだ、と言われてしまった。「だからやめておけと言ったのに」と。
「俺は重すぎると止めた筈だぞ、なのに持つから…」
途中で俺に渡せばいいのに、頑張って運んじまったから…。自業自得といった所か。
「まだ痛くなる?」
今よりも腕が痛くなるかな、腕を上げるのも辛くなっちゃう?
「当たり前じゃないか、痛み始めたトコなんだから」
明日の朝辺りが最高なんじゃないのか、その筋肉痛。いや、昼頃か…?
こればっかりは個人差だしなあ、俺にも読めはしないんだが。
「そんな…。ぼく、学校に行けなくなっちゃう…」
両腕が痛くて起き上がれなかったら、ベッドから出られないんだし…。
ママに「駄目」って言われなくても、学校、お休みになっちゃうよ…!
「そこまで酷くはならんだろうさ。うんと痛くても、腕は動くしな」
我慢してエイッと起きればいいんだ、動かしていればその内にちゃんと慣れるから。
だが、そうなるのが嫌なんだったら、今の間に薬でも塗っとけ。
家に無いのか、筋肉痛の薬。お父さんが使っているかもしれんぞ、ゴルフ、好きだろ?
あれで起こしちまうこともあるしな、塗ってる所を見たことないか?
「…分かんない…」
お薬、パパが持ってるとしても、リビングとかでは塗ってないから…。
家にあるのかどうか分からないよ、ぼくが小さかった頃がどうだったのかも分かんない…。
遠足で足が筋肉痛になったけれども、お薬、塗って貰ったかどうか…。
筋肉痛の薬が家にあるのか、本当に分からなかったから。幼かった頃にはどうしたのかも、全く思い出せないから。そう答えたら、ハーレイは「ふうむ…」と腕組みをして。
「なら、もう一度、持ってみるんだな。重たい荷物」
お前の鞄に重い本を詰めて、暫く提げて立ってればいい。部屋の中をぐるぐる歩くのもいいな。
俺の荷物を提げていた時間と同じほどだけ。
「どうして?」
重い荷物で筋肉痛だよ、なのに重い物なんか持ってどうするの…!
「筋肉痛が治ると言うんだ、同じことをすれば」
起こしちまったのと同じくらいの運動、そいつをやったら治っちまうと。
「ホント?」
本当にそれで治ってくれるの、筋肉痛?
薬を塗ったりしなくてもいいの、もう一度、重い荷物を持てば?
「少なくとも俺はそうだったが?」
ガキの頃には、それで治した。柔道や水泳でハードな練習をやった時には起こしたからな。
これじゃいかん、と運動だ。そしたら嘘のように治った。
とはいえ、こいつを半端にやったら余計に痛いが…。筋肉痛の上から筋肉痛で。
「嫌だよ、それは!」
治せるんなら、鞄、重くして持つけれど…。もっと酷くなるかもしれないだなんて!
そうなるよりかは我慢しとくよ、明日の朝にうんと痛くったって…!
ちゃんとベッドから起きられるんなら、痛くても我慢しておくから…!
「ほら見ろ、だから言ったのに…」
これは重いからやめておけ、とな。お前の腕の強さくらいは、充分、知ってる。
重い荷物を持てるようには出来ていないということも。
ん…?
そういえば、と顎に手を当てたハーレイ。「前のお前もやってたっけな」と。
「前のぼくって…。何を?」
何をやったの、前のぼくは…?
「筋肉痛の話なんだし、筋肉痛に決まってるだろう」
今のお前と全く同じに、腕の筋肉痛だったが?
「それって、いつ?」
覚えていないよ、筋肉痛だなんて。それに腕って、なんで前のぼくが…?
「アルタミラからの脱出直後の話だな。まだシャングリラじゃなかった頃だ」
そんな名前はついていなくて、とにかく船で生きていこうという時期だった。行き場所なんかがあるわけがないし、この船で生きていかないと、と。
その頃にお前が始めただろうが、船の片付け。通路とかにも積んであった荷物を整理するとか。
チビのお前がやり始めたから、俺や他のヤツらも手伝い始めて…。
前のお前は、俺が腕の力で荷物を運ぶのを見てて、サイオン抜きで挑んじまって。
それで筋肉痛を起こしたわけだな、運んだ荷物が重すぎたから。
「思い出した…!」
やっちゃったんだっけ、前のぼく…。
サイオン無しでも運べるよね、って調子に乗って運び過ぎちゃって…。
蘇って来た、遠い日の記憶。アルタミラの地獄を後にしてから、間もない頃。
前の自分は船の中を片付けようと考えた。今と同じに綺麗好きだったから、雑然と積まれた物を片付けて、通路や部屋を使いやすく、と。
それをハーレイが手伝ってくれた。最初はハーレイ一人だけ。やがて少しずつ増えた仲間たち。
(片付けるの、荷物だったから…)
此処だ、と決めた場所まで運んだ。それがあの船の備品倉庫の始まり。
どんな荷物でも、軽々と運んでゆけたサイオン。宙に浮かせて、指一本で押してゆけたほど。
けれどハーレイは、そのサイオンを使わなかった。「身体がなまる」と、ただの一度も。いつも肉体の力だけ。重い荷物でもヒョイと持ち上げて、抱えて行ったり、担いでいたり。
ある時、ハーレイが「これもだな」と床から抱え上げた大きめの荷物。まるで重さなど無いかのように。その上に更に他の荷物も積もうとするから、つい気になって訊いてみた。
「そんなに軽いの?」
もう一個持とうとしてるくらいだし、その荷物、とても軽いわけ?
「軽いってこともないんだが…。大したことはないぞ、こいつは」
気になるんだったら、ちょっと持ってみるか?
お前、いつでもサイオンだしなあ、たまには腕で持つのもいいだろ。
そう勧められて、受け取った荷物。予想していたよりもズシリと重くて、危うく床に落としそうだった。慌ててサイオンで支えたけれど。床に落としはしなかったけれど…。
「重いよ、これ!」
凄く重い、とサイオンで支えて持っていたそれを、ハーレイは「そうか?」と抱えてしまった。大した重さじゃないんだが、と。それから、上にもう一個、荷物を乗せながら。
「このくらいでないと、身体が駄目になっちまうしなあ…」
しかし、お前には重すぎた、と。チビだし、仕方ないかもしれんな。
「チビじゃなくても、充分、重いと思うけど!」
サイオンの加減で見当はつくよ、その荷物が軽いか重いかくらいは!
他のみんなだったら、絶対、持たない。サイオン無しだと、きっと持ち上げられないよ!
「そういうモンか? …まあ、そうなのかもしれないが…」
みんな、俺ほど頑丈に出来てはいないようだし、持てないと言われたらそうかもしれん。
だがなあ…。俺の場合は、こんな荷物でも持っていないと、本当に身体がなまるんだ。
ずっと鍛えていたもんだから、と妙な台詞を吐いたハーレイ。
前の自分は沢山の記憶を奪われてしまって、成長も止めていたほどだけれども、自分が置かれた環境くらいは把握していた。アルタミラでも。
それに「鍛える」という言葉も分かるし、「身体がなまる」というのも分かる。
だから、ハーレイの言葉に首を傾げた。
アルタミラでは、誰もが檻の中にいた筈。実験の時しか外に出られず、檻が世界の全てだった。上を見上げても、周りを見回しても、檻があるだけ。なんとか生きてゆける程度の。
まともに身体を動かすことさえ、上手くはいかなかった檻。狭かった独房。
あの檻の中で、どう鍛えるというのだろう?
走り回れはしないのに。軽い運動をするにしたって、檻はあまりにも狭すぎたのに。
目をパチクリとさせていた自分。ハーレイがいた檻は特別だったのだろうか、と。
「えっと…。鍛えたって、何処で?」
ハーレイがいた檻は広かったとか、ぼくと違って運動のために出して貰えたとか、そういうの?
でないと鍛えられないし…。あの檻は凄く狭かったから。
「俺の檻だって、他のヤツらと一緒だったが?」
身体がデカイからって、広い檻をくれるわけがないだろ、研究者どもが。たかが実験動物に。
俺はな、実験で鍛えられたんだ。この図体だからこその実験だろうな。
負荷をかけるってヤツが多かったわけだ、どの段階でサイオンを使い始めるかを調べるんだな。
「これを持ってろ」と持たされた箱が、どんどん重くなっていくとか…。
背中に何かを背負わされてだ、そいつが重くなっていくのに、そのまま立っているだとか。
そうやって鍛えられたんだ。何度もやってりゃ、耐えられる重さも増していくしな。
多分、最初から、ミュウにしてはデカくて頑丈だったということだろう。成人検査でミュウだと分かって、捕まっちまった時からな。
お蔭で、こういうデカブツになった。研究者どもに鍛え上げられて。
だから、重い荷物も軽々と持てるし、身体も丈夫に出来ている。そいつを使ってやらないと。
もったいないだろ、せっかくの身体がなまっちまって駄目になったら。
お前、知らないってことは、やっていないんだな、その手の実験。
「多分…」
やってないと思うよ、ハーレイに聞いても「あれだ」ってピンと来ないから。
ぼくでは試してないんじゃないかな、そういうのは。
覚えていないだけかもしれないけれど、と付け足しはした。ハーレイよりも長い年月、檻の中で暮らしていたのだから。何度も実験を繰り返されては、記憶を失くしていったのだから。
(ぼくは唯一のタイプ・ブルーで…)
貴重だとされた実験動物。負荷をかけるような実験よりかは、毒物などを試しそうではある。
けれども、それを始める前には、負荷の実験もあったかもしれない。自分がペシャリとへばってしまって、「話にならない」と打ち切られたとか。
(…それもありそう…)
体格のいいハーレイと、細っこい自分。実験内容は大きく異なっていた。
自分には無かった、鍛えられるチャンス。重くなってゆく荷物を抱えて立っているとか、背中に背負って立ち続けるとか。聞いただけでも辛そうな実験。
けれどハーレイは頑張って耐えて、身体を鍛えて、今は軽々と持ち上げる荷物。サイオンを一切使うことなく、腕の力だけで。自分や他の仲間たちなら、サイオンを使って運ぶのに。
それでは駄目だ、と思った自分。やはり身体も鍛えなくては、と。
だから…。
「分かった、ぼくも頑張ってみるよ」
ハーレイみたいに強くなるには、積み重ねが大切みたいだから。
「はあ?」
積み重ねって…。何をする気だ、何を頑張ってみようと言うんだ?
「荷物運びに決まっているよ」
鍛えたいからね、強くなれるように。…サイオンばかり使っていないで、腕の力も。
今は無理でも、その内にきっと、ハーレイみたいに持てるようになると思うから…。
頑張って鍛え続けていたなら、力だって強くなりそうだから。
サイオンだけが強くても駄目だ、と前の自分は考えた。肉体の力も強い方がいい、と。強い腕があれば重い荷物を持てるし、軽々と運んでゆけるのだから。
鍛えるのが一番、と張り切って持ち上げてみた床の上の荷物。腕の力だけで。
(このくらいなら…)
大丈夫だよ、とサイオンは無し。さっきまでは使っていなかった腕。
(うん、この方が…)
ずっといいかも、という気がした。今はミュウばかりの船にいるから、サイオンを当然のように使うけれども、アルタミラでは使えなかった。檻はサイオンを封じ込める仕掛けが施されていて、檻の外では首にサイオン制御リングを嵌められたから。
つまりは人類が嫌うサイオン、使わずに済むならその方がいい。サイオンが無ければ、ミュウは化け物とは呼ばれないから。ただの人間なのだから。
いつも化け物と呼ばれた自分。檻に入れられ、人間扱いされなかった自分。
(あんな力を持っているから…)
嫌われるんだ、と思ったサイオン。荷物をサイオンで運ぶ自分と、サイオンを使わずに腕の力で運ぶハーレイなら、きっとハーレイの方が人類に近い。人間らしいと思われるだろう。
(そのハーレイにも、人類は実験してたけど…)
ハーレイもミュウで実験動物だったけれど、サイオンを安易に使わない分、化け物という名から遠ざかる。サイオンに頼る自分と違って。
だから自分も人間らしく、と挑んだ荷物。腕の力でもちゃんと持てる、と。
一つ倉庫まで運び終えたら、「やれた」と覚えた達成感。「ぼくも自分の力で運べた」と。
もう嬉しくてたまらないから、次はさっきより大きな荷物。
(ちょっと重いけど…)
でも大丈夫、と抱えて運んだ。もっと大きな荷物を手にしたハーレイと一緒に。
「お前も、やれば出来るもんだな」
頑張ってるじゃないか、とハーレイが褒めてくれるから、その次はもっと大きな荷物。重くてもサイオンは使わないまま、せっせと運んだ。ぼくにも出来る、と。
倉庫まで何度も運んだ荷物。より重いのをと、大きいのを、と。これは持てない、と思う荷物は諦めて。自分の力で、腕の力だけで運べる重い荷物を選んで。
「…前のぼく、調子に乗りすぎちゃってた…」
ちゃんと運べる、って嬉しくなって、何度も何度も重たい荷物を倉庫まで…。
頑張ったのは良かったけれども、その日の内に筋肉痛になっちゃって…。
夜になったら腕が痛くて、ちょっと動かすのも辛くって…。
「思い出したか?」
今日のお前もあれと同じだ、自分じゃ持てるつもりで運んでいたってな。重い袋を。
俺が無理だと言ってやったのに、そりゃあ嬉しそうな顔だった。俺の手伝いが出来るんだから。
前のお前とまるで同じだな、調子に乗るトコが。
運ぶ途中で「もう駄目です」って俺に渡せばいいのに、準備室まで運んじまって。
「どうしよう…。前のぼく、次の日、凄く痛かったんだけど…!」
ホントに痛くて、ベッドに腕をつくのも辛くて、アルタミラに戻ったみたいな気分。
頑張って起きて食堂に行っても、腕がプルプルしちゃうから…。
スプーンもフォークも上手く持てなくて、サイオンを使って食べてたよ。サイオンで持ったよ、スプーンとフォーク。
今のぼく、サイオン、使えないのに…。うんと不器用になっちゃったのに…。
明日の朝御飯はどうすればいいの、ママに頼んで食べさせて貰って、学校はお休み?
学校に行っても、両手が上手く動かせないから…。字も書けなくって、ランチも無理で…。
そうなっちゃったら、お休みするしかないじゃない…!
「慌てるな。そりゃ、今日よりは痛いだろうが…」
朝にはかなり痛むんだろうが、お前が持ったの、紙袋を一つだけだろう?
前のお前みたいに重いのを幾つも運んじゃいないし、あそこまで酷くはならないさ。
安心していろ、今度のヤツはアレよりはマシな筈なんだから。
たかが紙袋を一個運んだだけだろうが、と慰められた。「前のお前の時よりマシだ」と。明日の朝に酷くなったとしたって、ベッドに腕をつくだけでも痛いほどではなかろう、と。
「いつものようにはいかんだろうが…。腕を庇って動くことにはなるんだろうが…」
着替えも歯磨きも出来る筈だぞ、手が震えたりはしないから。…痛むだけでな。
頑張ってしっかり動かしてやれば、その分、治りも早くなる。さっき言ったろ、同じことをしてやれば治るって。
それと同じだ、痛くても動かす方がいい。筋肉痛ってヤツは、そういうもんだ。
痛くても起きて学校に来い。…残念ながら、明日は俺を手伝うチャンスは無いが…。
必要な資料は運んじまったし、次は当分先になるだろうな。俺が両手に荷物を抱えて歩くのは。
「そっか…。同じことをして治したくっても、ハーレイのお手伝い…」
当分無いんだ、それなら二回目、やっちゃうかも…。またお手伝いして筋肉痛かも…。
「ありそうだよなあ、お前の場合」
今日のをすっかり忘れちまって、いそいそ手伝いに来るってヤツ。
その時は、俺はどうすりゃいいんだ?
「この前、酷い目に遭っただろうが」と思い出させてやるのがいいのか、手伝いを頼むか。
覚えていたなら、お前の好みの方の返事をしてやるが…?
「んーと…。痛くなっても、学校をお休みしなくていいんなら…」
お手伝い出来る方がいいかな、ぼく、頑張って運ぶから。
ハーレイと二人で荷物を運ぶの、とっても楽しかったから…。
先生と生徒の話だけしか出来なくっても、ハーレイと一緒に学校の中を歩けたし…。
それだけで充分嬉しかったし、この次もお手伝い出来るのがいいな。
筋肉痛になっちゃってもね、と腕をさすったら、「分かった」と応えてくれたハーレイ。学校で荷物を運ぶ時には、チビに手伝いを頼んでやろう、と。
「ただし、お前が持てそうな荷物の時だけだぞ?」
今日のは授業で使うヤツだし、あの程度の重さで済んでたわけで…。
柔道部の方の荷物だったら、とんでもない重さの時があるからな。飲み物がギッシリ詰まった箱とか、差し入れで届いた弁当だとか…。
ああいう荷物はお前には持てん。…持たせもしないな、落とすに決まっているからな。
「うん…。想像しただけでも重そうだから」
だけどハーレイ、今度も凄いね。前と同じで、重たい荷物を持てるんだもの。
ぼくには絶対無理な荷物も、ハーレイ、一度に運んでいそう。飲み物と一緒にお弁当とか。
「当然だろうが、何度も往復しているよりかは、一度に運んだ方がいい」
その方が手間も省けるし…。箱がデカすぎて抱えられんというならともかく、持てるんだったら運んじまうさ、一度にな。
今の俺だって鍛えてあるんだ、前の俺よりもしっかりと。実験じゃなくて、ちゃんと運動で。
だからだ、今の俺で前の俺と同じ実験をしたら、前よりも凄いデータが出るんだろうな。限界が前よりずっと上になってて、研究者どもが腰を抜かすとか。
そんな具合だから、お前ももう少し鍛えた方が…って、今度は鍛えなくてもいいか。
紙袋一つで筋肉痛だと泣きっ面になる、弱っちいお前で充分だな。
「どうして?」
鍛えろって言うんだったら分かるけど…。夏休みにも朝の体操に誘われてたから、鍛える方なら分かるんだけれど、どうして逆なの?
鍛えなくていいって、ハーレイらしくないんだけれど…。もっと鍛えろ、って言いそうだけど。
「俺としては、そう言うべきなんだろうが…」
しっかり鍛えて丈夫な身体を作るべきだ、と言ってやりたい所なんだが…。荷物だからな?
荷物を運ぶという点だったら、お前は鍛えなくていい。持てないままでかまわないんだ。
お前の荷物は、何もかも俺が持つんだから。
本物の荷物も、心の荷物も…、とハーレイがパチンと瞑った片目。「俺が持とう」と。
「今度は俺が持ってやる。お前の荷物は全部纏めて、ちゃんと抱えて運んでやるさ」
だがなあ…。本物の荷物は幾つもあっても、心の荷物は今の時代は無いかもな。
今のお前はソルジャーじゃないし、うんと平和で幸せな時代に生まれ変わって来たんだし…。
抱え込むような悩みは一つも無いかもしれん。前のお前なら、沢山抱えていたんだが…。
俺が代わりに持とうとしたって、持ってやれない重たい心の荷物ってヤツを。
しかし、今度は全部俺が持つ。お前の荷物は、何もかも全部。
「持ってくれるの?」
ハーレイがぼくの荷物を持って運んでくれるの、重たくても?
ぼくが欲張って色々詰めたら、重くなり過ぎた旅行鞄とかでも…?
「もちろんだ。お前、俺の嫁さんになるんだろうが」
嫁さんに重たい荷物を持たせるような馬鹿はいないぞ、何処を探しても。
だからお前は、鍛えなくてもいいってな。荷物は一つも、持たなくてもかまわないんだから。
これだけは持ちたい、ってヤツだけを持っていればいい。
ヒョイと取り出して読みたい本とか、お前が食べる菓子だとか。
俺と結婚した後は、お前はそういう人生だ。荷物は何でも、俺に「お願い」と持たせるだけの。
頼まれなくても俺が持つから、筋肉痛を起こすのは今の内だけだ。
重たい荷物を持たなくなったら、筋肉痛にはならないからな。
今の間しか起こせないんだから、味わっておけ、とハーレイは可笑しそうに笑っているから。
きっと本当に、そんな未来が待っているから、痛くなっても楽しもう。明日の朝には、今よりも痛くなっているらしい、この筋肉痛。紙袋を一つ運んだばかりに、起こしてしまった筋肉痛を。
(ハーレイのお手伝いは出来たんだしね?)
学校の中を一緒に歩いて、二人で荷物を運んで行った。古典の先生のための準備室まで。
運んだ御礼に、美味しい御饅頭を一つ貰って、美味しく食べて。
(あの御饅頭のお店、ハーレイに訊いてみようかな?)
それとも次にお手伝いした時、御褒美に貰って食べようか。お手伝いをしたら、筋肉痛になってしまいそうだけれど、今の間しか起こせないから。
ハーレイが荷物を全部纏めて持ってくれたら、筋肉痛にはならないから。
(痛いんだけどね…)
明日にはもっと痛そうだけれど、この痛みも今は愛おしい。
腕の痛みが、前の自分の思い出を連れて来てくれたから。前の自分も同じだった、と。
それに今度は、これが最後の筋肉痛かもしれないから。
ハーレイが荷物を全部持ってくれるようになってしまったら、筋肉痛はもう起こせない。
本物の荷物も、心の荷物も、ハーレイが持ってくれるから。
結婚した後には、何もかも全部、ハーレイが運んでくれるのだから…。
荷物と筋肉痛・了
※ハーレイの手伝いをしたせいで、筋肉痛になってしまったブルー。前のブルーも同じ経験が。
また失敗をしたわけですけど、それは今だけ。今度はハーレイが持つ荷物。心の重荷まで。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(えーっと…)
夢だったんだ、とブルーが眺めた自分の両手。土曜日の朝に、ベッドの上で。
ハーレイが来てくれる日の朝だけれども、自分が見ている両手が問題。何処から見たって子供の手。十四歳にしかならない、今の自分の。
前の自分の両手だったら、これより大きかったのに。華奢でも大人の手だったのに。
(大きくなれたと思ったのに…)
全部ぼくの夢、と零れた溜息。本当のぼくは子供のまま、と。
さっきまで見ていた夢の中の自分。パジャマを脱いで、ウキウキと服に袖を通していた。身体が大きく育ったから。前の自分とそっくり同じになったから。
いつか大きくなった時のために、と買っておいた服を取り出して、ハーレイとデートに出掛ける支度。土曜日だから、ハーレイが訪ねて来る日だから。
(デートに行ける筈だったのに…)
あの服を着て待っていたなら、ハーレイが迎えに来てくれて。二人で歩いて出掛けてゆくのか、車の助手席に乗せて貰うか。
どちらにしたって、とても素敵な時間の始まり。この家で過ごす土曜日と違って、家の外へと。何処かで食事で、お茶の時間も。ハーレイと二人で楽しむ一日。
きっと夕食も何処かのお店で食べるのだろう。「今日は一日楽しかったね」と、デートで行った場所や会話を思い出しながら。
夕食の間も、デートの続き。この店にまた来てみたいだとか、次に来る時はあれを食べるとか、そんな話だってきっと楽しい。ハーレイと二人なのだから。外で夕食なのだから。
(だって、デートをしてるんだしね?)
夕食が済んだら、送って貰ってお別れだけれど。その帰り道も色々話しながらで、家に着いたらキスが貰える。門扉の所で「またな」と唇にハーレイのキス。
お別れのキスには違いないけれど、きっと「おやすみ」のキスだろう。だって、「さよなら」は似合わないから。また直ぐにデートに行けるのだから。
夢の通りの自分がいたなら、そういう一日になっていた筈。土曜日なのは同じだから。
けれど、目覚めたらチビのままだった、本当の自分。少しも大きくなっていない手、パジャマもきつくなってはいない。眠る前と同じにピッタリのサイズ。
(前のぼくなら、このパジャマ、小さすぎなのに…)
きっときつくて着られない。袖もズボンも、丈が全く違うから。背丈がまるで違うのだから。
百五十センチしかない今の自分と、百七十センチだった前の自分。その差は今も縮んでいない。
夢の自分は「大きくなれた」と浮き立つ心で、デートの支度をしていたのに。その日のためにと買っていた服にワクワクと袖を通していたのに。
(あの服だって…)
持ってないよ、とベッドの上から見回した部屋。何処にも用意していない服。デート用の服など買ってはいない。着て行く服を持ってはいない。
自分はチビの子供だから。背丈が少しも伸びないから。
ハーレイと再会した日から一ミリも伸びない背丈。百五十センチで止まったまま。夏休みの間も伸びてくれなくて、育つ気配さえない自分。
すくすくと背丈が伸びていたなら、服を買ったかもしれないのに。「もう少しだよ」とデートを夢見て、早くその日が来てくれないかと。
その発想は無かったっけ、と眺めた自分が着ているパジャマ。子供の自分に丁度いいパジャマ。大きめのパジャマは持っていないし、服だって、そう。
(服もパジャマも、ぼくに合うのを買ってるし…)
成長が早い方ではないから、それで充分。ハーレイと出会う前からそうだった。季節ごとに母が買ってくれる服、それを着ていれば間に合った。小さすぎもしなくて、大きすぎもしない。
(今の学校の制服だって…)
小さくなったら買えばいいから、と今の自分に合うのを買った。制服を扱う店に行ったら、常にサイズが揃っているから。「品切れです」とは言われないから。
(大きめの服は持っていないよ…)
だから無かった、「いつか大きくなった日のために」デート用の服を用意する発想。夢の自分は買っていたのに、部屋にきちんと持っていたのに。
(あの服があれば…)
おまじないになってくれるだろうか。背丈がぐんぐん伸びるようにと、おまじない。
夢の自分は育って袖を通していたから。「デートに行ける」と、心を弾ませていたのだから。
持っていたなら、心強いに違いない。何度も眺めて、「早く着たいな」とデートを夢見て、まだ大きすぎる服をちょっぴり羽織ったりもして。
その服を着られる時が来たなら、ハーレイとデートなのだから。二人で出掛けて、食事やお茶。夕食も二人で外で食べて来て、家の前まで送って貰う。
デートの終わりは「おやすみ」のキスで、「またな」と帰ってゆくハーレイ。次のデートの日を約束して、こちらへと手を振りながら。車でも、歩いて帰るにしても。
あるといいな、と思った服。夢の自分がデートのためにと持っていたシャツ。
(普通だったけど…)
ごくごく普通の、シンプルなシャツ。薄い水色で、何処にでも売られていそうだけれど。買いに出掛けたら、見付かりそうな気もするのだけれど…。
(おまじないなら、あれでないと効果が無さそうだし…)
買うのだったら、そっくり同じの水色のシャツ。デザインも、ボタンの数も形もそっくり同じ。そういうシャツを買って来ないと、きっと効果は無いのだろう。
(だけど、あの服…)
夢の自分はどうやって用意したのだろうか。お小遣いを貯めて買ったのだろうと思うけれども、何処で買ったのかが問題。あのシャツを手に入れたお店が問題。
(一人で服なんか、買ったことない…)
服もパジャマも母が買って来るか、母と出掛けた時に選ぶか。選ぶ時だって、母が「どう?」と取り出して見せてくれたり、「どっちが好き?」と指差してくれたり。
そんな具合だから、自分一人で選んだことなど一度も無い。母が選んでいるようなもの。
(あのシャツのお店…)
まるで分からない、お店の場所。自分では買いに出掛けないから、何処か見当さえつかない。
欲しくなっても買いに行けない、おまじないになってくれそうなシャツ。夢の自分が袖を通した水色のシャツ。
買う所から夢に見ていたのならば、その店に真っ直ぐ出掛けてゆくのに。おまじない用に、あの水色のシャツを買うのに。
夢の自分が買いに出掛けた店さえ分かれば、と考えていて気が付いた。あの夢は、夢。
(予知じゃないから、夢で見たって…)
この店だった、と買いに行っても、同じシャツはきっと無いのだろう。何処かが違って、あれと同じではないのだろう。襟の形が少し違うとか、ボタンの形が違うとか。
おまじないのために必要なものは、あの夢のシャツ。あの水色のシャツでないと駄目。
(夢のシャツ、ポンと出て来ないかな…)
此処に出て来てくれないかな、と見詰めた両手。「欲しい」と願ったら出ればいいのに、と。
サイオンを使って夢の中から取り出せたらいい。あのシャツを、ヒョイと。
それが出来たら、本当に夢と同じシャツ。水色のシャツを大切に仕舞って、ハーレイとデートに行ける日を待つのに。育った時には、あれを着るのに。
(どんな季節でも、あれを着て行くよ)
夏だったとしても、長袖のシャツ。あのシャツだけでは寒い冬なら、上にセーター。
持っていたいけれど、夢の中のシャツは取り出せない。ただでも不器用すぎるサイオン、今日の服さえクローゼットから出せない有様。
ベッドの上から「今日はこのシャツ」と念じてみたって、シャツは決して出て来ない。シャツもズボンも、靴下だって、起きて手を使って出すしかない。クローゼットや引き出しから。
これじゃ駄目だ、と大きな溜息。夢のシャツなんか出せないよ、と。
仕方ないから起きて着替えて、顔も洗ってダイニングで朝食。両親も一緒の朝食だけれど、まだ残念な気分が抜けない。忘れられない、幸せだった夢。
夏ミカンの実のマーマレードを塗ったトーストを齧っても。温かなオムレツを頬張っても。
もしも自分が夢の通りに、大きく育っていたのなら…。
(この服じゃなくて、あのシャツを着てて…)
用意してあった水色のシャツ。それを着て食べていただろう朝食。もうすぐハーレイとデートに行ける、と胸を躍らせて齧るトースト。オムレツだって、きっと幸せの味。
(食べ終わったら、ハーレイを待って…)
そのハーレイが来てくれたならば、直ぐにデートに行けただろう。チャイムの音で迎えに出て。門扉の所に駆けて行ったら、「大きくなったな」と言って貰えて。
「前のぼくとホントに同じになったよ」と笑顔の自分を、「行くか」とデートに誘うハーレイ。車で行くのか、歩いてゆくのか、二人で出掛ける初めてのデート。
歩いてゆくなら、手を繋ぎ合ってバス停まで。行き先を決めてバスに乗り込んで、二人で並んで席に座って。
ハーレイの車で出掛けてゆくなら、行き先は特に決めなくてもいい。ハーレイに任せて、色々な場所へ。あちこち走って、食事もお茶も。
きっと素敵な、初めてハーレイと出掛けるデート。何もかもが新鮮で、もう最高に楽しくて。
(キスだって…)
ちゃんと唇にして貰える。約束の背丈に育ったのだから、恋人同士のキスを唇に。
そういうデートがしたかった。夢の自分が出掛けたのだろう、幸せたっぷりの初めてのデート。
チビの自分は、行けないけれど。今日もハーレイと、この家で過ごすしかないのだけれど。
朝食の後は部屋に帰って、掃除をして。
ハーレイが来るのを待っている間に、また夢のシャツを思い浮かべた。あれがあったら、と。
おまじないになってくれそうなシャツ。部屋にあったら、早く大きくなれそうなシャツ。
(でも、夢の中の物は出て来ないよね…)
いくらサイオンを使っても。自分のサイオンが不器用でなくても、夢の中身を外には出せない。夢はあくまで夢だから。夢で見た物は、現実の世界にありはしないから。
(部屋とかは、本物そっくりだけど…)
この部屋にある家具も夢には出て来たけれども、それは別。夢の自分のシャツとは違う。自分の記憶が見せているもので、現実の世界を写し取ったもの。写真や映像と似たようなもの。
けれども、欲しくてたまらないシャツは違うから。夢の世界にしか無いものだから。
(…どう頑張っても、出せないよ…)
前のぼくにだって出来やしない、と思った所で蘇った記憶。前の自分と夢のこと。
(中身、出そうとしてたんだっけ…)
夢の中身を出せはしないかと、たまに試していた自分。遠く遥かな時の彼方で。
見ていた夢の通りの物が取り出せないかと、出ては来ないかと。
(みんなが喜びそうなもの…)
それが出せたら、とサイオンで引き出そうとした夢に見たもの。あれが欲しい、と。
人類の船から奪った物資で生きていた時代なら、食料の山や物資が詰まったコンテナ。夢の中で見たそれを此処に、と床を見詰めて念じたりした。そうすれば夢から取り出せるかも、と。
白い鯨が出来上がった後も、何度か試してみたりした。船の仲間が喜びそうな物が出て来る夢を見た時は。自給自足の船の中では、手に入らない珍しい食材だとか。
前の自分が描いた夢。サイオンで何度か試してみたこと。夢の中身を取り出すこと。
(頑張ったけど…)
今日の夢は鮮明だったから、と挑んでみたって、夢の中身は出て来ない。現実に存在していないものは、運んで来ることが出来ないから。どう頑張っても、夢は夢だから。
手が届きそうに思えたとしても、夢の世界に手は突っ込めない。現実という世界からは。
(地球にだって…)
前の自分が焦がれた地球。何度も夢で見ていた星。あれが地球だ、と青い星を。
夢で地球を見ても、行けはしないと分かっていた。夢の世界に入れはしないし、現実の世界から飛び込めはしない。夢の中身を出せないのと同じ。
宇宙を駆けて地球に行く夢、それがどんなに鮮やかでも。シャングリラの外に飛んで出たなら、夢の続きでそのまま飛んで行けそうでも。
無理だと知っていた自分。夢は夢だし、現実の世界には繋がらないと。
(…だけど、形にしてみたかった…)
夢で見た物をヒョイと取り出して。食料も物資も、地球への道も。
それが出来たら、既に人ではないだろうけれど。
神の領域なのだけれども、試みた自分。サイオンで出来はしないかと。
(…色々な夢が叶うんだもの…)
本物にしてみたかった夢。現実に結び付けたかった夢。
物を取り出すのも、地球に行くのも。夢の中身を此処に出せたら、と。
そういう夢を見てたんだっけ、と遠い昔の自分を思った。今の自分が欲しいと願った夢のシャツよりも、もっと切実だった夢。それを取り出そうとしていた自分。食料や物資や、地球への道。
夢を形にするなんて無理、と思ったけれど。
前のぼくでも夢を現実には出来なかった、と考えたけれど。
(…地球…)
地球の上に生まれて来た自分。前の自分が夢に見ていた、青い地球の上に。
前の自分が生きた頃には、何処にも無かった青い水の星。地球は死の星のままだったから。前のハーレイが辿り着いた地球は、何も棲めない星だったから。
それが現実だったというのに、今の自分は青い地球の上にやって来た。ハーレイと二人で生まれ変わって、前とそっくり同じ姿でまた巡り会えた。
(ぼくはちょっぴりチビだったけど…)
ハーレイとデートに行けはしなくて、キスも出来ない子供だけれど。
いつか育てば、今朝の夢のようにハーレイとデートに出掛けてゆける。胸を躍らせて。
まるで夢のように起こった奇跡。前の自分は死んでしまったのに、メギドで命尽きたのに。右の手が凍えて、泣きじゃくりながら。ハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちで。
もうハーレイには二度と会えないと、泣きながら死んでいった後。
自分は新しい身体を貰って、ハーレイと青い地球に来られた。今の世界に。
夢よりも凄い本当の世界。今の自分が生きている現実。
(こんな凄い夢、前のぼくは…)
一度も見てはいなかった。青い地球に行く夢は見ていたけれども、これほどの夢は。
争いと言ったら喧嘩程度の平和な地球。広い宇宙の何処を探しても、軍隊も軍人も無い世界。
もう戦いは起こりはしなくて、人間は全てミュウになった世界。
血の繋がった本物の家族と暮らす時代で、成人検査もSD体制も今は歴史で教わるだけ。
そんな世界に生まれた自分。ハーレイも一緒にこの世界に来て…。
(ぼく、ハーレイと結婚できる…)
前の自分には出来なかったこと。出来ずに終わってしまった結婚。
けれど自分は十四歳の少年になって、育つ日を夢見て、結婚式の日を待ち焦がれて…。
(大きく育った夢まで見ちゃった…)
ちゃんと大きくなったから、と用意していたシャツを着る夢。ハーレイとのデートに心躍らせ、水色のシャツに袖を通す夢。今日はデート、と。
その夢で見たシャツが欲しい、と考えた自分。大きくなれるおまじないに、と。
同じシャツでないと効かないだろうし、夢の中身を取り出せないかと。
(今のぼくって、幸せすぎない…?)
青い地球の上に、ハーレイと二人。前の自分が夢見た以上に、幸せな世界にやって来た。
夢よりも幸せな現実だなんて、本当に思いもしなかった。前の自分は、ただの一度も。
幾つもの夢を描いたけれども、今の世界には敵わない。青い地球も、ハーレイと暮らす未来も。
(前のぼくでも、夢の中身は取り出せなくて…)
それでも、たまに試みたこと。白いシャングリラが出来上がった後も、取り出せないかと。
夢に出て来た地球への道が欲しくなったら、夢と現実は違うと気付いていても。
それを自分は手に入れたなんて。
前の自分が取り出したかった夢の世界を、夢に見ていた以上の今を。
考えるほどに、凄い現実。前の自分が見ていた夢より、素晴らしい世界に生きている自分。
青く蘇った地球は平和で、暖かな家に本物の両親。美味しい食事に、幸せな毎日。
(ハーレイだって、家に来てくれるんだよ…)
チビの自分を訪ねて来てくれて、今日のような土曜日はお茶に食事にと夜まで一緒。二人きりで過ごして、両親も交えての夕食の後にハーレイが「またな」と帰ってゆくまで。
そういう日々を幾つも重ねて、いつかは朝食を食べながら待つ。今朝の夢みたいに、デート用の服に袖を通して。ハーレイが来たらデートなんだ、と胸を躍らせて。
きっと必ずやって来るその日。いつになるかは分からないけれど、ハーレイを待つ日。
(やっぱり欲しいな、さっきのシャツ…)
早くその日が来てくれるように、おまじない。デートに着てゆくためのシャツ。夢の中の自分が持っていたのとそっくり同じな、水色のシャツが欲しいけれども。
(…今のぼく、とっても幸せなんだし…)
前の自分の夢よりも素敵な現実が今。其処に生まれて、其処で暮らす自分。
欲張らない方がいいのだろうか?
これ以上もっと、と夢の世界のシャツを欲しがるのは欲張りだろうか。
夢の中身は取り出せないから。現実の世界に持ってくることは出来ないから。
そうは思っても、欲しくなるシャツ。夢の中で自分が袖を通していたシャツ。大きくなれた、と胸を弾ませて、デートのためにと着ていたシャツ。
(あのシャツ、ホントに欲しいんだけど…)
そっくりのシャツを見付けたとしても、買ったシャツでは効かないだろう。現実の世界で買ったシャツには無さそうな力。夢の世界のシャツだからこそ、持っていそうな不思議な力。
ある朝、目覚めたら大きく育っている自分。デートに行ける、と喜ぶ自分を現実の世界に連れて来てくれるのは、きっとあの夢の中にあったシャツだけ。
(あれが欲しいよ…)
何処かにあったら、買いそうな自分。お小遣いで買える値段だったら、偶然それに出会ったら。あの夢のシャツだ、と大喜びで。買ったシャツでは効きそうになくても、やっぱり欲しい。
あれがあったら頼もしいのに、と考えていたら、ハーレイが訪ねて来てくれたから。テーブルを挟んで向かい合うなり、恋人に向かって訊いてみた。いつかデートに行きたい恋人。
「あのね、ハーレイ…。夢のシャツ、持ってた方がいいと思う?」
「はあ?」
なんだ、そりゃ。夢のシャツって、お前が欲しいシャツのことなのか?
欲しいんだったら、お母さんに頼めばいいだろう。こういうシャツが欲しい、とな。
「そうじゃなくって、夢で見たシャツ…」
ぼくの夢の中に出て来たシャツだよ、今朝の夢にね。
夢の中のぼくは大きくなってて、ハーレイとデートに行けるんだけど…。
その夢でぼくが着ていたシャツ。うんと幸せな気分になって。
だから夢のシャツ、とハーレイに夢の話を聞かせた。どんなに素敵な夢だったかを。
「ハーレイとデートなんだから、って夢の中でシャツを着るんだけれど…」
それね、前から買って持ってたシャツだったんだよ。
いつか大きくなった時のために、って持っていたシャツ。それをウキウキしながら着る夢。
「用意のいいヤツだな、デカいシャツを買って待っていた、と」
チビの頃から持っていたとは恐れ入る。気が早いと言うか、何と言うべきか…。
「ぼくだってそう思うけど…。デート用のシャツ、買おうとも思っていなかったけど…」
あんな素敵な夢を見ちゃったら、どうしようかって考えちゃう。
夢のシャツ、買っておいた方がいいかな、おまじないに。
早く大きくなれるかもしれないし、あれとそっくりなシャツを何処かで見付けたら。
お小遣いで買えそうな値段だったら、買って仕舞っておこうかな…?
「おいおい、そっくりのシャツを買うのか?」
その夢に出て来たシャツでないと駄目だと思うがな?
おまじないの効果があると言うなら、夢の中のシャツだと思うわけだが。
「やっぱりそう? ハーレイもそう思うんだ…」
ぼくもそういう気がするんだよ。そっくりのシャツを買っても駄目だ、って。
だけど、あのシャツ、欲しいから…。持っていたいって思うから…。
夢の中身を、ヒョイと取り出せたらいいのにね。
これが欲しいな、って掴んで引っ張り出せたなら。
あの夢のシャツがホントになったら、ぼくの前に出て来てくれたなら…。
そしたら大事に仕舞っておくのに、と今も欲しくてたまらないシャツ。夢の中で袖を通していたシャツ。あれが欲しいよ、と繰り返したら、「そういえば…」と向けられた鳶色の瞳。
「前のお前もよく言っていたな。夢の中身を出せればいいのに、と」
食料だとか、物資だとか。夢で見た物を取り出せたならば、仲間たちの役に立つのにと。
お前が物資を奪ってた頃に、そういう話をよく聞いたもんだ。流石のお前も、夢の中身を現実に出来はしなかったがな。
「うん…。それより後にも、たまに試してた」
船のみんなが喜びそうな物を夢に見た時は、出て来ないかな、って。
地球に行く夢を見ちゃった時にも、この夢がホントにならないかな、って…。
色々とやってみていたけれどね、夢はやっぱり夢だったから…。どう頑張っても、現実になってくれなかったよ、どの夢だって。
でも、それをやってた前のぼくだって、今のぼくの夢は見てないよ。
青い地球の上に生まれ変わって、ハーレイとまた出会えるなんて。
うんと平和な世界になってて、パパもママもいて、いつかはハーレイと結婚だなんて…。
夢より凄いよ、今のぼくの世界。
ホントのホントに凄すぎなんだよ、前のぼくが見ていた夢よりも凄い現実だもの。
「そいつは俺も同じだな…。今の世界ってヤツに関しては」
前の俺だって、こんな夢は見ちゃいなかった。
これが本当になってくれれば、と思う夢なら何度でも見たが、此処までじゃない。
俺が見た夢より凄い世界だ、今の俺が生きてるこの世界はな…。
夢よりも凄い現実とはな、とハーレイも頷くものだから。前のハーレイにも欲しいと思った夢があったようだから、知りたくなった。前の自分と同じように試していたのかと。
「ハーレイも夢の中身を出そうとしたの?」
前のぼくが何度も話していたから、ハーレイもやってみようとしてた?
サイオンを使って出せないかどうか、試してみていた時があったの?
「いや、お前ほどのサイオンは持ってなかったし…」
お前でも無理だと聞いていたから、中身が出せると思っちゃいない。俺の力では。
夢は夢だし、手が届かないのは百も承知だ。手を伸ばしたって、届きやしない。
そうは思ったが、夢が本当になってくれればいと祈っていたな。祈りってヤツは、神様に届けるモンだろうが。…神様だったら、俺よりもずっと強い力があるんだから。
俺にとっては夢でしかなくても、神様だったら現実に出来るかもしれないからな。
「お祈りしてたって…。どんな夢なの?」
前のハーレイは何が欲しかったの、神様に何をお祈りしたの…?
「…前の俺の夢か? 時代によって色々と変わって行ったんだが…」
最後はお前と二人で地球に行くという夢だったな。そういう夢を何度も見た。
夢を見る度、叶いやしない、と思ったもんだ。
夜中に夢を見て目が覚める度に、お前の寝顔を見ながらな。…こいつは夢だ、と。
お前を抱き締めて、何度も祈った。この夢が本当になったらいい、と。
「そっか…。前のぼくの寿命…」
地球に行く前に尽きちゃうんだものね、ハーレイの夢は叶わないよね…。
ぼくと一緒に地球に行きたくても、ぼくの命が終わっちゃうから。
「…お前、何処かへ行っちまうからな」
あんなに地球を見たがってたのに、死んでしまって、誰も知らない何処かへと。
俺もお前を追い掛けて行こうと思ってはいたが、それと地球とは別の話だ。
お前に地球を見せたいじゃないか、お前が生きている間に。…お前の命がある間にな。
そう思ったから、何度も神に祈ったという。地球へ行く夢を見る度に。「ブルーを地球へ」と。
腕の中で眠る前の自分を抱き締めながら、夢が本当になればいい、と。
夢と現実は違うけれども、神ならば現実に出来そうだから。それだけの力がありそうだから。
「ハーレイのお祈り、神様が叶えてくれたのかな?」
前のぼくが地球へ行けますように、って何度も祈ってくれていたから、地球に来られた?
ハーレイが神様にお祈りしていた地球は、あの頃は無かった青い地球だから…。
お祈りの通りに青い地球が出来たら、神様がぼくを連れて来てくれた…?
ハーレイが何度もお祈りした通りに、二人一緒に。…今の地球まで。
「どうだかなあ…?」
そいつは俺にも分からないがだ、地球に来られたことは確かだ。前のお前の夢だった星に。
青くて、おまけに平和な地球。人間は誰もがミュウになっちまって、もう戦争も起こらない。
俺たちは、前の俺たちが見ていた夢よりもずっと、素晴らしい世界に来たってな。
お前がさっき言ってた通りに、夢よりも凄い現実ってヤツだ。
前の俺たちがどんなに大きな夢を見たって、今の世界には敵わんさ。
「事実は小説よりも奇なり」と言うがだ、「現実は夢よりも奇なり」ってトコか。
それほど凄い世界なんだし、お前の夢のシャツだって、だ…。
もっと素敵なシャツになって登場するんだろう、とハーレイが浮かべた優しい笑み。
夢の通りに現れる代わりに、素晴らしいシャツに変身して…、と。
「俺がプレゼントするかもしれんぞ、その夢のシャツ」
夢の中のお前は自分で買って持ってたようだが、そうじゃなくってプレゼントのシャツだ。
「プレゼント…? ハーレイがくれるの?」
ぼくの誕生日に買ってくれるとか、そういうの?
だったら、凄く嬉しいけれど…。大切に仕舞っておくんだけれど。
「誕生日だなんてケチなことは言わん。それとは別のプレゼントだな」
贈るタイミングが分からないしな、誕生日プレゼントにするのは無理だ。お前のシャツは。
俺がお前にプレゼントしてやるのは、お前が今よりかなり大きくなってからだな。
お前の背丈が前のお前に近付いて来たら、お前にシャツを贈ってやる。何処かで買って。
そいつをお前に渡してやってだ、こう言うんだ。
初めてのデートにはこれを着て来い、と。
「ホント!?」
デート用のシャツを買ってくれるの、ハーレイが?
夢の中のぼくが着ようとしてたの、ハーレイが買ってくれるって言うの…?
思いがけないハーレイの言葉。いつか大きくなった時には、ハーレイがシャツを贈ってくれる。初めてのデートに着て行くシャツを。「これを着て来い」と、買って来てくれて。
前の自分の背丈になるまで、あと少し、という日が来たら。初めてのデートの日が近付いたら。
「期待するなよ、そんな気障な真似をするかどうかは分からないからな」
デート用の服を見立てるってヤツは、自分のセンスに自信がある男のやることで…。
俺は服には詳しくなくてだ、流行ってヤツにも疎いんだから。
「ハーレイが買ってくれるんだったら、どんなシャツでも嬉しいよ」
ぼくが自分で用意するより素敵だもの。
あの夢みたいに自分で買うより、ハーレイに貰ったシャツを着る方が断然いいよ。
やっと着られる、って袖を通して、ワクワクしながらボタンを留めて。
「ほらな、夢をそのまま形にするより、現実の方がいいこともあると言っただろ?」
夢の通りなら、お前は自分で買っておいたシャツを着るんだし…。
夢の中身を取り出せたとしても、そいつはお前が買ったシャツなんだ。俺じゃなくてな。
しかしだ、夢は夢だと放っておいたら、俺からのシャツが届くかもしれん。夢よりも現実の方が良くてだ、お前は俺がプレゼントしたシャツで初めてのデートに出掛けてゆく、と。
「じゃあ、シャツ、買ってよ。気障でもいいから」
ハーレイのセンスも気にしないから、ぼくに初めてのデートで着るシャツ、ちょうだい。
水色がいいな、夢のシャツは水色のシャツだったから…。
デザインはハーレイに任せておくから、水色のシャツをぼくに買ってよ。
「その時が来たらな」
お前がちゃんと育ち始めて、前のお前の背丈に届きそうな日が近付いて来たら。
もう少しだな、と俺が思ったら、シャツをプレゼントしてやろう。…注文通りに、水色のをな。
とんでもないセンスのシャツを渡されても、そのシャツ、きちんと着て来るんだぞ?
初めてのデートに出掛ける時には、俺がお前に贈ったシャツをな。
もっとも、俺はシャツの話なんぞは忘れているかもしれないが…、と言われたけれど。
今日の日記にも書きはしないから、覚えていた方が奇跡だろうとハーレイは苦笑するけれど。
(…初めてのデートは、いつか行くしね…)
その日に着て行くシャツも、何処かにきっとある筈。水色にしても、他の色にしても。
長袖になるか、半袖になるか、上にセーターを着込むのか。その上にコートまで必要なのか。
出掛ける季節も分からなければ、シャツのデザインも今は謎。襟の形も、ボタンの数も。
(ハーレイがくれたシャツなら、最高だけど…)
とても嬉しくてドキドキだけれど、忘れられているということもある。シャツの夢を見た自分の方でも、忘れてしまってそれっきり。
夢を見たことさえ綺麗に忘れて、初めてのデートに着て行くシャツは、自分で買うかもしれないけれど。街で見掛けて、「これがいいかな」と買っておくかもしれないけれど。
(ママが買ったシャツってこともあるよね、ぼくが忘れてたら…)
ハーレイも自分も忘れていたなら、母が買って来たシャツの中から「これ」と一枚選ぶシャツ。今日のデートにはこのシャツがいいと、これを着ようと。
けれど、どういうシャツになろうと、夢より素敵な現実があると、今の自分は知っているから。
前の自分が夢に見たより、素晴らしい世界に生きているから。
(きっといつか、あの夢のシャツより、ずっと素敵なデート用のシャツ…)
それを着てハーレイと、初めてのデートに出掛けて行こう。
クローゼットの隣に立って、鉛筆で書いてある前の自分の背丈の印を確かめて。
同じになった、と大喜びして、用意してあったシャツに袖を通して。
ウキウキしながら留めてゆくボタン。
やっとハーレイとデートに行けると、このシャツを着てデートなんだよ、と…。
夢で見たシャツ・了
※夢の中でブルーが袖を通したシャツ。ハーレイとデートに行くのだから、と弾んだ心で。
けれども、シャツもデートも夢。ガッカリですけど、いつかハーレイがシャツをくれるかも。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(どうせ、ぼくには読めやしないし…)
マナー以前の問題だから、と小さなブルーがついた溜息。学校から帰って、おやつの時間に。
母が用意してくれた紅茶とケーキ。味わった後で広げた新聞、面白い記事が載っていないかと。その新聞の記事が問題、それで零れてしまった溜息。
(心を読まないのはマナーなんだけど…)
新聞で見付けた、お付き合いのコツ。友達ではなくて、恋人同士の。
そういう見出しが目に入ったから、母が通り掛かっても慌てないように、他の記事を読むふりをして読み始めたのに。ハーレイとの恋に役立つだろうと考えたのに。
(あまり参考にならないし…)
最初の印象がそれだった。意中の人と両想いになるためのコツだったから。お付き合いのコツというヤツは。好印象を与える表情だとか、話題作りとか。
最初から恋人同士では意味が無いよ、とガッカリしていたら、両想いになった後のコツ。相手と仲良くやっていくコツがあるという。「結婚してからも役に立ちます」と自信たっぷり。
そのコツならば、と飛び付いた結果が溜息だった。
(信じること、って…)
相手の心を信じるのがコツ。それが大切なことらしい。恋を壊さず、育ててゆくには。
どうなのかな、と相手の心が心配になったような時。心を読みたくなるものだけれど、読んだりしないで言葉で訊くこと。相手の気持ちを。返事を貰ったら、それを信じる。相手の言葉を。
それがコツだと書かれてあった。嘘かもしれない、と思ったとしても心は読まない。そうすれば相手の心も動くものらしい。「信じてくれた」と嬉しくなるから、言った言葉を守ろうとする。
だから言葉で、と書かれたコツ。思念波は駄目、と。
(思念波は上手く使ったつもりでも…)
相手にバレてしまうことが多いですから、という筆者の注意。心を読まれたと気付かれたなら、相手は不快になるものだから、しないようにと。
安易に心を読まないことは社会のマナーでもありますね、と念を押してもあるのだけれど…。
(ぼくは最初から読めないってば…!)
まるで読めない、他の人の心。ぼくは不器用なんだから、と肩を落とした。
サイオンタイプは前と同じにタイプ・ブルーで、本当だったら最強の筈。心だって一瞬で読める筈なのに、とことん不器用な自分のサイオン。読もうとしたって全く読めない。
恋のコツを守るにはピッタリだけれど、能力があるのと無いのとは違う。心を読む力を封印して恋を守るのは素敵だけれども、封印する以前の状態の自分。それが悲しい。
恋を育むお付き合いでも、注意されるほどの相手の心を読む力。使わないで、と。
今の時代は人間は全てミュウになったから、誰でも簡単に出来ること。心を読むこと。けれど、不器用な今の自分は…。
(出来ないんだってば…!)
それが出来たら困らないよ、と情けない気分で閉じた新聞。恋の記事にまで馬鹿にされた、と。自分は心が読めないのに、と。
二階の自分の部屋に帰って、座った勉強机の前。頬杖をついて、さっきの記事を思い返して。
(社会のマナーで、恋のコツなのに…)
やらないように、と注意されていた心を読むこと。だけど読めない、と溜息しか出ない。本当に不器用になってしまって、他の人たちのようにはいかない。
おまけに恋人のハーレイときたら、今でもタイプ・グリーンだから…。
(遮蔽はタイプ・ブルー並み…)
防御力に優れたタイプ・グリーンは心の遮蔽能力も強い。読まれないように遮蔽したなら、他の人間には読み取れない。よほど強引にこじ開けないと。
それでも前の自分なら読めた。こじ開けなくても、覗き込むだけで。
なんと言っても、今も伝説のソルジャー・ブルーだったから。最強のサイオンを誇ったから。
もっとも、力を持っていたって、滅多に読みはしなかったけれど。それが必要だと思った時しか覗いてはいない、ハーレイの心。
(いいことじゃないしね?)
恋のコツにも書かれていたけれど、相手の心を覗き見ることは。
相手が言葉にしないからには、知られたくないのが心の中身。勝手に見てもいいものではない。そうしなくては、と思う理由が確かなものでない限り。
隠していることを読み取らなければ、大変なことになりそうだとか。
前の自分がハーレイの心を読んでいたのは、そう考えた時だった。キャプテン・ハーレイが心に仕舞っていること。船の今後に関すること。
ハーレイの手には余るけれども、他の仲間を困らせたくない。そんな気持ちで黙っている時は、表情を見れば分かったから。「何かあるな」と。
だから心をそっと読み取り、「ごめん」と一言謝ってから言葉で告げた。その件は二人で考えてみようと。二人で答えが出せなかったら、ヒルマンたちにも訊いてみようと。
そういう時しか読まなかったな、と前の自分の頃を思った。誰の心でも読めたけれども、勝手に読みはしなかったっけ、と。
(ただでも嫌われる力だったし…)
ミュウの世界では当たり前にあるものだったけれど、人類は忌み嫌っていたサイオンという力。人類はそれを持たないのだから、恐れられたのも無理はない。
サイオンにも色々あった中でも、思念波が一番嫌われた。人の心を読み取る力。
「人の心を盗み見る化け物」と、「人の心を食う化け物」と。
何度ぶつけられたろうか、その言葉を。アルタミラでも、逃げ出した後も。白いシャングリラが潜んだアルテメシアでも、ユニバーサルの者たちがそう言っていた。化け物めが、と。
(仕方ないけど…)
人類はサイオンを持っていないし、きっと気味悪かったのだろう。心を読み取る思念波が。物を動かしたりする力よりも、心にスルリと入り込むそれが。
気付かない内に、読まれるから。そうされないよう防ぐ力も、人類は持っていなかった。訓練を受けた軍人ならばともかく、一般人には出来なかった遮蔽。
嫌われるわけだ、と考えたけれど。今の時代も、心を読むのはマナー違反で、恋のコツでも注意するよう記事に書かれていたけれど。
(でも、思念波…)
人類は持っていなかったそれを、マザー・システムは使っていた。ごく当たり前に。機械の力で作り出したそれで、人類の世界を支配していた。
成人検査でコンタクトするのは思念波だったし、教育ステーションのマザー・システムも同じ。心が不安定な者をコールした時は、思念波を使って入り込んだ心。中身を深く読み取るために。
(だから余計に怖がられたかな?)
前の自分たちが生きた時代のミュウたちは。面倒を見てくれるマザーではなくて、ただの人間が心を読むのだから。心の中身を、何もかも全部。
(マザーだったら、従っていればいいんだけれど…)
人類はマザー・システムを信頼していたから、教育ステーションのマザーも同じこと。養父母の代わりに育ててくれる、新しい親のようなもの。
親なのだから、心の中身を全部知られてもかまわない。心を導いてくれるのがマザー。
その導きも、彼らにとっては正しいもの。叱ったり、時には慰めたりと至れり尽くせり。
だから人類はマザーなら許す。心を読まれても、それは「いい結果」へと結び付くから。
そうは言っても、人は間違いを犯すもの。自分が優先、自分自身が一番大切。マザーだったら、その間違いを叱りはしたって、いいアドバイスをくれるけれども、ミュウだったら。
(いいようにされる、って怖かった…?)
マザーなら導いてくれる所を、悪意を持って悪い方へと追いやるだとか。抱えた悩みに解決策を与える代わりに、もっと悩みを深くするとか。
いい方へ導く力があるなら、逆も可能だということだから。ミュウとマザーは違うから。
(それに、心を見られることも…)
導く立場のマザーではない、同じ人間が見るとなったら怖かったろう。人は誰だって、隠したいことの一つや二つは持っているもの。それを勝手に盗み見られてはたまらない。
今の時代でも、心は読まないのがマナー。人類がどれほどミュウを恐れたか、分かる気がする。心を隠す術も無いのに、一方的に読まれてしまう、と。
人類がミュウを恐れた時代。思念波が何より嫌われた時代。人の心を食う化け物、と。
(だけど、前のぼく…)
記録の上では、一番最初のミュウだった筈。SD体制に入る前にも、実験室でミュウは生まれていた筈だけれど、彼らの記録は後世に残らなかったから。
最初に発見されたミュウの自分は、いつ思念波を使っただろう?
一番最初に人の心を読み取ったのは、いつだったろう?
(成人検査は…)
何が始まるのかも分からないまま、受けていた検査。前の自分の一番古い記憶。それよりも前の記憶は失くして、何も覚えていないから。
ジョミーの時代とはシステムが違った成人検査。見た目は医療チェックさながら、看護師だって立ち会っていた。前の自分も、医療チェックだと信じたのに。
(…捨てなさい、って…)
手放すように言われた自分の記憶。その一切を。地球に行くには必要ない、と。
その声に抵抗した自分。忘れたくなどなかったから。「嫌だ」と叫んで、抗った末に…。
(機械、壊した…)
気付けば砕けていた機械。無数の破片が宙に浮いていた。「殺さないで」と怯えていた看護師。それで自分がやったと分かった。「殺さないで」と、「助けて」と声が聞こえたから。
あれが最初に使ったサイオン。前の自分が。
駆け込んで来た警備員たちに撃たれた時にも、銃弾を全て受け止めたけれど。
(思念波、使っていなかった…)
銃を向けられ、言葉で訴えていた自分。「待って」と、「ぼくは何もしない」と。
もしも思念波を使っていたなら、警備員たちは頭を抱えたろうに。頭の内側で響く思念に、その動きすらも奪われて。銃を投げ出して、床に座り込んで。
そうしなかったから、前の自分は撃たれてしまった。銃弾を受け止めるのが精一杯で、力尽きて気絶した自分。其処から始まった地獄の日々。
ミュウと判断された自分は、研究所へと送り込まれた。サイオンを調べ、ミュウという生き物を研究するために。まるで実験動物のように、人間扱いされない場所へ。
(じゃあ、思念波は…?)
成人検査でサイオンが覚醒したというのに、思念波を使わずに撃たれた自分。その力に気付いていなかったから。思念波を知らなかったから。
いったい何処で思念波の存在に気付いたろうか、と思うけれども分からない。覚えてはいない。研究所に送られ、何度も繰り返された実験。地獄だった日々の中でいつしか使うようになった。
実験室へと連れてゆくために、サイオンの制御リングを首に嵌めに来る研究者たち。
(嵌められる時に見えるから…)
彼らの心の中にあるもの。それを読んでは、実験の内容に震え上がった。何が起こるのか、どうされるのかが明確に分かる日もあったから。
実験の最中は制御リングを外されるから、実験室に残された残留思念も読んだ。其処で命尽きた仲間の苦悶や、断末魔の悲鳴。
思念波を使っていた自分。研究者たちの心を読んだり、残留思念を読み取ったり。
そうした記憶は残っているのに、肝心の記憶を持ってはいない。最初に思念波を使った記憶。
(忘れちゃったんだ…)
他の失くした記憶と一緒に、初めて人の心を読み取った時の記憶まで。
いつから心を読んでいたのか、読み取るようになったのか。欠片も覚えていないけれども、今も覚えていることが一つ。
思念波は人の心を読めるし、語り掛けることも出来るけれども、前の自分は…。
(読んでいただけで、話し掛けなかった…)
研究者たちにも、檻から引き出す者たちにも。ただの一度も。
そんなことをしたら、酷い目に遭うから。実験の他にも、苦痛を味わう羽目になるから。
(酷い目に遭うって知ってたんだし…)
多分、酷い目に遭ったのだろう。彼らに思念波で話し掛けて。一度か、もっと何度もなのか。
いずれにしても、前の自分は「使っては駄目だ」と知っていたから、思念波を使うのは読み取る時だけ。送りはしないで、読み取っただけ。
話し掛ける方でも使えるのに。…離れた所にいる相手にでも、メッセージを伝えられるのに。
封じていたらしい、思念波を相手に送るということ。アルタミラの研究所にいた時代には。前の自分は便利にそれを使っていたのに、不器用な自分とは違ったのに。
(初めて、思念波を送ったのって…)
いつなのだろう、と首を傾げた。失くしてしまった記憶ではなくて、今も覚えている中で。誰に思念を届けただろうか、どういう時に。
シャングリラでは使っていたから、アルタミラを脱出した後だろうか。船の仲間は、一人残らずミュウばかり。もう安全だと使い始めたか、誰かが先に使っていたか。
(おい、って思念で呼び掛けられたら…)
当然のように思念で返す。そういう風にして使い始めただろうか、あの船の中で?
(アルタミラだと、使えないしね…)
使ったら酷い目に遭わされるのだし、使う理由が見当たらない。メギドの炎に焼かれた時にも、研究者たちは逃げ出した後。ミュウだけをシェルターに閉じ込めておいて。
(逃げて行く研究者たちに呼び掛けたって…)
止まってくれるわけがない。「出して」と叫んでも、彼らが助けるわけがない。第一、思念波を思い付きさえしなかった。前の自分はシェルターの扉を両手で叩き続けただけ。
「開けろ、ぼくらが何をした!」と。「何をしたっていうんだ!」と。
思念波は使わず、肉声で。研究者たちに届く筈もない、肉体の声で。
此処から出たい、と叫び続けた自分。強い思いが本当の力を引き出した。シェルターを破壊したサイオン。閉じ込められていた仲間は我先に逃げ出し、自分は呆然としていただけ。
(何が起きたか、分からなくって…)
その場から動けなかった自分に、ハーレイが掛けてくれた声。「お前、凄いな」と。チビなのに凄い力があるな、と言われてようやく我に返った。自分がシェルターを壊したのか、と。
ハーレイは燃える地獄を見回し、他にも仲間がいるだろうと言った。同じように閉じ込められている仲間。星と一緒に焼き尽くすために、シェルターに押し込められたミュウたち。
(あの時だ…!)
思い出した、と蘇った記憶。前の自分が誰かに送った、最初の思念波。
メギドの炎に焼かれ、崩れてゆくアルタミラ。其処をハーレイと二人で走った。他の仲間たちを助けるために。幾つものシェルターを開けて回るために。
地震が起こる度に走る地割れや、崩れ落ちてくる建造物。炎も襲い掛かって来た。地獄だとしか思えない世界、一つ間違えたら自分もハーレイも命が無いかもしれない世界。
懸命に二人で走ってゆく中、何度も呼び合い、声を掛け合った。助け合うために、相手に迫った危険を知らせて回避するために。
(もちろん言葉も使ってたけど…)
それが聞き取れないような時。瓦礫が音を立てて落ちて来た時や、炎に巻かれそうな時。思念を飛ばして伝えていた。「危ない」だとか、「避けて」だとか。
「ハーレイ」と呼んで、「ブルー」と呼ばれた。互いの名前を呼び続けた。声で、思念波で。
もしかしたら、あの時、ハーレイの方も…。
(…初めて思念波を送って来た?)
前の自分がそうだったように、誰かに向かって飛ばす思念波。ハーレイも初めて使ったろうか、燃え盛る地獄を走り抜ける中で。
だとしたら、本当に運命の二人。互いに初めて思念波を送って、相手からも送り返して貰って。
出会った時から特別だった、とハーレイと何度も話したけれど。
あの時からの縁だけれども、初めて思念波を送った者同士ならば、縁は余計に深くなる。初めて思念波で呼んだ相手が、ハーレイならば。ハーレイも自分を初めて呼んでくれたなら。
(ハーレイに訊かなきゃ…)
どうだったのかを訊いてみたいな、と思っていた所へ聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、ドキドキしながら問い掛けた。
「あのね…。ハーレイが初めて思念波を使ったの、いつ?」
心を読み取る方じゃなくって、話し掛ける方で。…最初はいつなの?
「さてなあ…。そこまで俺も覚えちゃいないが、赤ん坊の時になるんだろうな」
おふくろ宛で、ミルクが欲しいと呼び掛けていたか、もう眠いだとか。
生憎と聞いていないもんでな、今じゃ普通のことだから。…よっぽど遅けりゃ話題にもなるが。
今のお前みたいに不器用なヤツが、初めて親に呼び掛けただとか。
「そうじゃなくって…!」
ぼくの言い方が間違っていたよ、「前の」って付けるの忘れてた…。
前のハーレイのことを訊いてるんだよ、初めて使ったのはいつだったのか。
どうだったの、と鳶色の瞳を見詰めた。「前のハーレイは?」と。
「前のぼくはね、ハーレイに送ったのが初めてだったよ。…覚えている分は」
アルタミラで二人で走っていたでしょ、他の仲間たちを助けるために。シェルターを開けに。
あの時、ハーレイに思念波で話し掛けてたよ。呼んだり、「危ない」って叫んだり。
…あれが前のぼくの、最初の思念波。誰かに思念を届ける方の。
もっと前にも、きっと使っていたんだろうけど…。思念波を使ったら酷い目に遭う、って知っていたから、使ったことはあったらしいけど、覚えてないから。
使った記憶は一つも無いから、ハーレイの名前を呼んだのが最初。
「そういえば…。俺もそうだったのかもしれん」
あそこじゃ、研究者どもに思念波を使ったら殴られたんだし…。
殴られるのが分かっているのに送りはしないし、前のお前に呼び掛けたのが最初だな。
しかしだ…。殴られたという記憶があるなら、お前に送ったのが初めてというわけじゃないか。
研究者どもにウッカリ送って殴り飛ばされたか、檻を管理していたヤツらの方か。人類に送ってしまったらしいな、前の俺の最初の思念波は。
「でも…。ハーレイ、覚えていないでしょ?」
誰に向かって、何を言ったか。どういう思念波を送ったのか。
「それはまあ…な」
覚えちゃいないな、俺を殴ったヤツらの顔も。研究者だったか、そうでないのかも。
「ぼくも同じだよ、言ったでしょ? 酷い目に遭うのは知っていたもの」
人類に思念波を送っちゃったら、酷い目に遭うって分かってた。だから黙っていたんだよ。
思念波はいつも、読み取る方だけ。…ぼくから送りはしないままで。
覚えている中での初めてがハーレイ、と続けた思念波の話。最初に送った相手だった、と。
「ホントだよ。…あの時、初めて使ったんだよ」
誰かに向かって呼び掛ける思念波。前のぼくが最初に呼んだ名前は、ハーレイの名前。
ハーレイもぼくと同じでしょ?
一番最初に呼んだ名前は、前のぼくの名前。…一番最初に呼び掛けた相手、前のぼくでしょ?
「そういうことなら、お前だな」
思念波だったな、と思い出せる相手は前のお前だ。研究者どもは記憶に無いし…。
前のお前を呼んでいたのが、前の俺の最初の思念波らしいな。今の俺だと、おふくろだろうが。
「やっぱり…!」
ハーレイもぼくを呼んだのが初めてだったら、とても凄いと思わない?
前のぼくは初めてハーレイを呼んで、ハーレイは初めて前のぼくを呼んで…。
一番最初に思念波を使って呼んだ名前が、ぼくはハーレイで、ハーレイはぼく。
これって凄いよ、それまでは誰も呼んでいないし、呼び掛けたことも無かったんだよ?
なのに、ハーレイと会った途端に、二人で思念波。
ぼくたち、最初から運命の二人だったんだ、っていう気がするよ。
お互いに初めての思念波を送って、初めての思念波を送って貰って。
「運命の二人か…。そうなんだろうな、あの時からお前は俺の特別だったし」
俺はお前に出会った時から、お前に捕まっちまってた。…お前が誰より大切だった。
何度もお前に言っているだろ、俺の一目惚れだったんだろう、と。
「ぼくもそうだよ、ハーレイは特別」
会った時から、ずっと特別。きっとあの時から恋をしていて、気付くのが後になっただけ。
だからね、ホントに会った時から運命の二人だったんだよ。
初めて名前を呼び合ったなんて、本当に凄く特別だもの。初めて思念波を送り合ったのも。
前のぼくの思念波、ハーレイに会うまで大切に取ってあったのかもね。
初めて呼ぶならハーレイの名前、って、誰の名前も呼ばないままで。
きっとそうだよ、とハーレイの名前を呼んだけれども、もちろん声で。今の自分は、前の自分の頃のようにはいかないから。思念波で甘く「ハーレイ」と呼び掛けたりは出来ないから。
ハーレイもそれに気が付いたようで、鳶色の瞳が細められて。
「そうか、思念波、俺に会うまで大切に取っておいてくれたのか。…前のお前は」
前の俺も取っておいたんだろうな、お前に会うまで。…前のお前に呼び掛けるまで。
そう考えると実に感動的だが、今のお前は違うってか。
思念波の扱いが下手なばかりに、俺の名前も呼べやしない、と。こういう話になったからには、思念波で呼んだらロマンチックなのにな?
俺の名前を声にしないで、思念波の方で「ハーレイ」とな。
「…分かってるなら、言わないでよ、それ…」
ぼくだって、ちょっぴり悲しいんだから。思念波で呼びたかったんだから。
「大当たりってトコか。今のお前は、思念波どころかサイオン自体が不器用と来たし」
タイプ・ブルーというのは嘘じゃないのか、と思うくらいにサッパリだ。
お母さんたちから聞いていなけりゃ、お前が勝手に言い張ってるだけだと思うだろうな。
前のお前と同じなんだ、と強調したくて、タイプ・ブルーだと主張してる、と。
実際の所はタイプ・イエローかレッドなのにだ、大嘘をついてタイプ・ブルーと。
…そうじゃないのは分かってるんだが、なんとも不思議なモンだよなあ…。
前のお前の生まれ変わりで、正真正銘、タイプ・ブルーの筈なのにな?
此処まで不器用なヤツはそうそうお目に掛かれん、とハーレイも呆れる今の自分の不器用さ。
前と同じでタイプ・ブルーなのに、思念波さえもロクに紡げないレベル。此処で「ハーレイ」と思念波で呼べたら、本当にロマンチックなのに。自分でもそう思うのに。
なんて不器用なんだろう、と俯くしかなくて、ハーレイの方は笑っていて。
「いいんじゃないのか、不器用でも。お前の力が必要無いのはいいことだしな」
お前が一人で頑張らなくても、今の時代は誰も困りはしないんだ。
もうソルジャーは要らない世界で、シャングリラだって何処にも無い。…要らないんだから。
不器用なお前でいればいいんだ、その不器用さを誇っておけ。平和な時代に生まれたからこそ、お前は不器用でいられるんだからな。タイプ・ブルーに生まれちまっても。
「うん、分かってる…。ハーレイも何度も言ってくれたし」
ぼくのサイオンが不器用なのが平和な時代の証拠だろ、って。ぼくの力を伸ばさなくても、誰も酷い目に遭わない世界。
それにサイオンが不器用だったら、恋のコツは守れるみたいだよ?
「はあ?」
恋のコツっていうのは、何の話だ?
何処からそういう話になるんだ、俺はお前のサイオンについて話してたんだが…?
不器用なサイオンがどう転んだら恋のコツだ、とハーレイの眉間に寄せられた皺。恋のコツなど俺は話していないんだが、と。
「前のお前の話なら分かる。運命の出会いで運命の恋だ、恋のコツだってあるだろう」
何がコツかはまるで謎だが、お前にとってはコツだった、とな。
しかし、サイオンが不器用となったら、そいつは前のお前じゃない。今のお前だ。
恋をするには早すぎるチビが、どう間違えたら恋のコツなんぞを守るんだ?
不器用さとどう結び付くのかも、俺には見当が付かないんだが…?
「えっとね…。今日の新聞記事…」
恋人同士のお付き合いのコツって書いてあったから、読んだんだよ。役に立ちそう、って。
そしたら、恋人同士になるにはどうすればいいかのコツの話で…。
ぼくとハーレイとは両想いだから、殆ど役に立たなくて…。
恋人同士になった後のコツも、ぼくには意味が無かったんだよ。相手を信じることだったから。
心を読んだら駄目だって。…ちゃんと言葉で訊きましょう、って。
ぼくは心を読めやしないし、このコツだけは守れるみたい…。
「お付き合いのコツって…。そんなのを読んでいたのか、お前…」
チビのくせして、背伸びしやがって。
どうせ、お母さんに見付からないよう、他の記事でも読んでいるふりで見てたんだろうが。
自分の年が分かっているのか、たったの十四歳だろ、お前?
「チビでも、ハーレイの恋人だよ! 中身は前のぼくなんだよ!」
見付けちゃったら気になるじゃない、恋のコツの記事!
ぼくが読んでもかまわないでしょ、本当に恋をしてるんだから…。お付き合いだって、ちゃんとハーレイとしてるんだから!
それに…、とグイと身体を乗り出した。「あの記事は役に立ったんだから」と。
「前のぼくが初めて、思念波を送った相手はハーレイ。そうだったんだ、って思い出したし!」
ハーレイの方も同じだった、って分かったんだし、あの記事、役に立ったんだよ!
ぼくとハーレイ、最初から運命の二人だったんだもの。初めての思念波を取っておいたくらい、出会うのを待っていたんだもの…!
「ふうむ…。役に立ったと言うかもしれんな、そういう意味では」
だがなあ…。お前の場合は、コツを守るより、破るべきだという気がするが。
その新聞には恋のコツだと書いてあっても、俺の心を読むべきかもな。
「なんで?」
恋のコツだよ、心は読んだら駄目なんだよ?
社会のマナーでもありますね、って書いてあったから、読んじゃったら駄目。
ぼくは最初から読めないけれども、恋のコツは守れそうだから…。不器用で良かった、って思うことにしたのに、なんでそのコツ、破れって言うの?
「それはだな…。もしもお前が、そのコツとやらを破ったら、だ…」
俺の心が読めるわけだし、その方がお前のためだってな。
お前に俺の心が読めたら、キスだの何だのと言わなくなるに決まってる。俺の心さえ、ちゃんと上手に読み取れたらな。
「え…?」
それってどういう意味なの、ハーレイ?
心を読んだら、どうしてぼくがキスして欲しいって言わなくなるの…?
分からないよ、と瞬きをしたら、ハーレイがパチンと瞑った片目。
「そうだろうなあ、お前、ホントにチビだしな?」
俺の心に入っているのは、お前への想いというヤツだ。この胸の中に詰まってる。
そいつを読んだら分かるわけだな、俺がどんなにお前のことを想っているか。
キスは駄目だと言っていたって、「チビのくせに」と言ったって。
俺はお前が好きでたまらなくて、お前を誰よりも愛してる。…前のお前を愛してたように。
それが分かれば、お前はすっかり満足するっていう寸法だ。
キスなんぞは大きくなった時のオマケで、オマケ無しでも充分、愛されてるってな。
「それ、読ませて…!」
お願い、ハーレイの心の中身をぼくに読ませて。
恋のコツを破っていいんだったら、破るべきだって言うのなら。
読んでみたいよ、ハーレイの手をこっちにちょうだい。手を絡めたら心、見せられるでしょ?
ハーレイが遮蔽を解いてくれたら、ぼくとサイオンを合わせてくれたら。
「そこまでサービスはしてやれないなあ、お前、チビだし」
一人前に恋のお付き合いのコツまで読んだんだったら、自分の力で読むんだな。俺の心を。
恋のコツとやらを破って心を読むのは許すが、手伝いはしない。
俺に手伝う義理は無いしな、サイオン、鍛えてくるんだな。不器用でなけりゃ、お前、アッサリ読めるだろうが。俺の心の中身くらいは。
前のお前がそうだったしなあ、まあ、頑張れ。恋のコツ、いつでも破っていいから。
「ハーレイのケチ!」
読んでもいいとか、読むべきだとか言うんだったら、見せてくれてもいいじゃない!
ハーレイの心を見せて欲しいのに、ぼくに自分で読めなんて…!
出来ないってことを知っているくせに、ハーレイ、ホントにケチなんだから…!
酷すぎるよ、とプンスカ膨れて怒ったけれども、膨れっ面になったけれども。
ハーレイの場合は、心を読んでもいいらしい。恋のコツでは禁止なのに。新聞にはそう書かれていた上、社会のマナーも心を読まないことなのに。
誰もがミュウになった世界でも。…思念波が普通になった今でも。
(でも、ぼくだって…)
ハーレイにだったら、心の中身を読まれたとしても、きっと怒りはしないから。
読んだハーレイが、「よくも」と腹を立てるような中身も、自分の心にありはしないから。
(ハーレイだって、きっとおんなじ…)
心を読め、と言うくらいだから、ハーレイの心には自分への想い。愛している、と。
その想いが一杯に詰まっているから、ハーレイは心を読まれてもいい。それに、自分も。
(…ぼくたち、運命の二人だものね?)
初めての思念波で互いの名前を呼び合ったくらいの、運命の二人。
出会った時からずっと一緒、と溢れる幸せ。
一度は離れてしまったけれども、前の自分たちの恋は悲しく終わったけれど。
今の自分たちは恋のコツさえ要らない二人で、マナー違反をしたって壊れはしない恋。
互いの心を読んでみたって、恋は壊れはしないから。
きっと想いが強くなるだけで、前よりも、もっと好きになる恋。
前の自分たちの恋の続きを、幸せに生きてゆくのだから。
青い地球の上で、いつまでも。手を繋ぎ合って、何処までも歩いてゆくのだから…。
恋と思念波・了
※相手の心を読まないのが、今の時代のお付き合いのコツ。恋人が何を考えているのかは。
けれど、ブルーとハーレイの場合は、読んでしまっても大丈夫。互いを想う気持ちで一杯。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園、今日も平和に事も無し。残暑も終わって秋の気配で、これからがいい季節です。学校に行くのも、週末に遊ぶのも暑さ寒さを気にしなくて済むのが春と秋。ついでに秋は収穫祭やら学園祭やらと学校行事の方も充実、楽しい季節なわけですが。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
授業、お疲れ様! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれた放課後。甘い匂いはスイートポテトで、お料理大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけにタルト仕立ての凝ったもの。紅茶やコーヒーなんかも出て来て、いざティータイムとなったのですけど。
「うーん…」
何故か考え込んでいる会長さん。心配事でもあるのでしょうか?
「おい。今日はこれといった発表なんかは無かったんだが…」
これから出るのか、とキース君。
「先生方が会議中だとか、プリントを印刷中だとか…。如何にもありそうな話ではあるが」
「そうですねえ…。秋だけに気が抜けませんよね」
先生方が何をやらかすやら…、とシロエ君も。
「ウチの学校、やたらとノリがいいですし…。ハロウィンが公式行事になるとか、そういう線も」
「それを言うなら運動会じゃねえのか?」
ウチにはねえぜ、とサム君の指摘。シャングリラ学園には球技大会と水泳大会があるのですけど、ありそうで無いのが運動会。どういうわけだか存在しなくて、私たちも経験していません。
「運動会かあ…。あるかもね」
どうせぼくたちのクラスが勝つんだけれど、とジョミー君。それはそうでしょう、1年A組は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお蔭で無敵。球技大会も水泳大会も負け知らずだけに、運動会だって頂きだろう、と思いましたが。
「…運動会の話じゃないんだな、これが」
ついでに学校行事でもない、と会長さんが口を開いて。
「現時点ではまるで関係無いんだよ。…これから先は分からないけど」
「「「は?」」」
「なにしろ情報をゲットしたばかりで、ぼくにも整理が出来ていなくて」
きちんと整理がついた段階で何か閃いたら使えるかも、と会長さんの台詞は意味不明。
「何なんだ、それは」
明らかに先生絡みと見たが…、とキース君の読み。私たちが授業に出ている間は暇にしているのが会長さんです。職員室でも覗きましたか、サイオンで?
会長さんがゲットしたての情報とやら。先生方の秘密会議を盗み聞きしたか、はたまた文書を発見したか。そういうクチだと踏んだのですけど…。
「違うよ、先生は全く関係無くて…。ついでに学校とも無関係だね、いや、待てよ…」
全く無関係でもないか、と顎に手を当てる会長さん。
「やたらと気合が入っていたっけ、この学校…。バレンタインデーは」
「「「バレンタインデー!?」」」
それって二月じゃなかったですか? 今は残暑が終わったばかりで、二月なんかは遥かに先です。キース君の家で除夜の鐘を撞かないと来ない新年、その新年に入ってからなのでは…。
「そうだよ、二月のヤツだけど?」
チョコレートの贈答をしない生徒は礼法室で説教だよね、と会長さんはシャングリラ学園のバレンタインデーのおさらいを。お説教どころか反省文の提出まであるバレンタインデー、校内はチョコが飛び交います。雰囲気を盛り上げるために温室の噴水がチョコレートの滝に変わったり…。
「あのバレンタインデーがどうかしたのか、今から話題にするほどに」
水面下で何か動きがあるのか、とキース君が訊けば、答えはノー。
「先生も学校も無関係だと言った筈だよ、ぼくがゲットした情報は外部のヤツで」
「「「外部?」」」
「うん。…暇だったからさ、適当にあれこれ調べていたら引っ掛かったんだ」
バレンタインデーとも思えないものが、と会長さんは紅茶を一口飲んで。
「…イケメンショコラ隊っていうのをどう思う?」
「「「イケメン…?」」」
なんですか、そのイケメンだかショコラだかいうものは?
「そのまんまの意味だよ、イケメンとショコラ。バレンタインデー用のチョコを売り出すために作られたヤツで、一時期、存在したらしい。デパートの特設売り場にね」
「…イケメンがチョコを販売するのか?」
そういう仕組みか、とキース君が質問、会長さんは「まあね」と答えて。
「趣旨としてはそれで合ってるんだけど…。イケメンを揃えてチョコの販売、それは間違いないんだけれど…」
「他にも何かあるんですか?」
ショコラ隊だけに変身するとか、とシロエ君。なるほど、変身まではいかなくっても、ショータイムとかがあったかもです。チョコレート売り場でファッションショーとか、そういうの…。
会長さんが暇つぶしに仕入れた昔の情報、イケメンショコラ隊。バレンタインデーのチョコの販売促進用らしいですし、ショーをするのかと思ったら。
「変身ショーなら理解できるよ、ぼくでもね」
ファッションショーでもまだ納得だ、と会長さんは額を指でトンと叩いて。
「イケメンで釣ってチョコを販売、それ自体はまだ理解の範疇。…同じチョコレートを買いに行くなら、不愛想な店員さんから買うよりイケメンだろうし」
「…まあな」
分からんでもない、とキース君。
「自分の本命が誰であろうが、チョコレートを買いに出掛けるからには気持ち良く買い物したいだろうしな…。まして本命チョコともなったら高価なものだし」
「そうですよね…。貰う男性は少し複雑かもしれませんけど、イケメンから買ったか、不愛想な店員さんから買ったかなんかは絶対、分からないわけですし」
ぼくたちみたいにサイオンが無ければ…、とシロエ君も。
「サイオンがあっても、そんなトコまで突っ込みませんよ。そういう男は嫌われますよ」
「だよなあ、俺だって最低限の礼儀としてそこは言わねえぜ」
俺に彼女はいねえけどよ、とサム君が会長さんの方をチラリと。サム君が惚れている相手は会長さんで、今でも公認カップルです。朝のお勤めがデート代わりの清く正しいお付き合い。
「男ってヤツは細かいことを言っちゃダメだぜ、おまけにチョコレートを貰ったんならよ」
「ぼくも賛成。貰えたんなら、イケメンを狙って買いに行ってても許すよ、ぼくは」
イケメンが販売しているコーナーを目指してまっしぐらでも、とジョミー君も言ったのですけど。
「…そこまでだったら、ぼくだって許容範囲だよ」
理解の範疇内でもある、と会長さん。
「女性はイケメンに弱いものだし、ぼくだって顔が売りだしねえ? でもさ…。そのチョコレートの販売をしてるイケメンとさ…。撮影会っていうのはどう思う?」
「「「撮影会?」」」
まさかイケメン販売員と写真が撮れるってヤツでしたか、それ?
「そうなんだよ! しかもツーショットで、注文に応じて顎クイ、壁ドン」
「「「ええっ!?」」」
顎クイっていうのは顎クイですよね、一時期流行っていた言葉。壁ドンも同じく流行りましたが、それってチョコレートを渡したい人と撮りたいショットじゃないですか…?
顎クイに壁ドン、好きな人がいるなら憧れのシチュエーションだったと思います。バレンタインデーにはチョコを抱えて片想いの相手なんかに突撃、顎クイに壁ドンな仲になれるよう努力するものだと信じてましたが…?
「ぼくだってそうだよ、そっちの方だと思ってたってば!」
自分用の御褒美チョコが如何に流行ろうとも、バレンタインデーの趣旨はブレないものだと信じていた、と会長さんはブツブツと。
「でもねえ、イケメンショコラ隊は確かに存在したんだよ! 存在した間は大人気で!」
整理券が出る有様だったのだ、と聞いてビックリ、呆れるしかない私たち。
「…会長、それって、本命の立場はどうなるんです…?」
「知らないよ、ぼくは! それこそ知らぬが仏ってヤツじゃないかな」
自分が貰ったチョコレートの裏に隠された歴史、と会長さん。
「いいのを貰った、と喜んでいても、その裏側にはイケメン販売員とのツーショット撮影会が隠れているわけで、しかもイケメンショコラ隊は普通の販売員でもないわけで…」
チョコの販売に直接携わるわけではなかったらしい、というのがイケメンショコラ隊。撮影会の他にもショコラコンシェルジュとかいうお役目があって、お勧めのチョコを女性に解説。山ほど売られるチョコの中から選ぶべきチョコの相談に乗っていたというのが驚きです。
「だったら、アレか? 選ぶ段階からイケメン任せのチョコになるのか?」
そして撮影会を経て男性の手に渡るのか、とキース君が唖然とした表情。
「…俺がそいつを貰ったとしたら、非常に複雑な気分なんだが…」
「ぼくも同じです、キース先輩」
そんな裏事情は一生知りたくありません、とシロエ君も。会長さんは「ほらね」と頭を振って。
「いろんな意味で有り得ないんだよ、貰う方の男にとってはさ…。イケメンショコラ隊」
「迷惑以外の何物でもないと俺は思うが」
俺ならば断固排除する、とキース君が言い、ジョミー君が。
「ぼくだって徹底排除だよ! そんなバレンタインデーのチョコ、間違ってるし!」
「ぼくも間違いだと思いたいけど、本当にあったというのがねえ…。うちの学校でこれを導入したなら、絶対、血を見ると思うんだけどね?」
バレンタインデーに賭けている学校だけに…、と会長さん。
「間違いないな。あんたにチョコの相談に出掛ける女子が殺到するだろうしな」
そして撮影会なんだ、とキース君。もしもバレンタインデーに会長さんがイケメンショコラ隊をやっていたなら、オチは絶対、それですってば…。
何かが間違ったバレンタインデーのチョコレート選び、デパートの特設売り場にいたというイケメンショコラ隊。しかも話はそれだけで終わらなくって。
「…デパートの外でも活動していたらしいんだよねえ…」
販売期間中はイケメンの居場所をネットで流していたらしい、と会長さんはお手上げのポーズ。イケメンが出没するスポットの情報を毎日発信、そこへ行けばイケメンと会える仕組みになっていたとか。もちろん話題はチョコレート限定、ショコラコンシェルジュだったそうですけれど…。
「それって一種のデートじゃないの?」
それっぽいけど、とスウェナちゃん。
「狙って出掛けて会えるわけでしょ、話題がチョコレート限定なだけで」
「そうなるねえ…。もう本当に呆れるしかないヤツなんだけれど、世の中、信じられないよ」
いくらぼくでも女性不信になりそうだ、と会長さんは言うのですけど。
「どうなんだか…。あんたの場合は、イケメンショコラ隊の方になれそうだからな」
キース君がさっきの話の続きを持ち出して。
「しかもだ、本命に贈る筈のチョコを何処かで貰っていそうだぞ。デパートの外でも会えたと言うなら、そういう時にな」
「ありそうですよね、会長だったら…」
ちゃっかり本命になっていそうです、とシロエ君が賛成、他の男の子たちも口々に。
「ブルーだったら出来そうだぜ、それ。気付けば自分のお勧めチョコを貰っていたとか」
「分かるよ、せっせと相談に乗っていたチョコが自分に来るんだ」
「…きっとそういう線ですね…」
マツカ君までが頷いてしまい、会長さんは。
「えーっ、そうかなあ? 本来の趣旨から外れちゃうけど、くれるんだったら貰うけどね」
でも、うちの学校だと説教だろう、と溜息が一つ。
「他の男子の立場がない、って呼び出されて説教されるんだよ。礼法室で」
「…チョコレートの贈答をしない生徒が呼ばれる場所だと思ったが?」
礼法室、とキース君が言いましたけれど、会長さんは「駄目だろうね」と。
「チョコの相談に乗るだけだったら、お説教は無さそうだけど…。学校中のチョコを一人占めしそうな勢いだったら、事前に呼び出し」
「「「うーん…」」」
それはそうかもしれません。会長さんが一人勝ちするイベントなんかは、学園祭の人気投票だけで充分間に合っていますもんねえ…。
私たちの学校では使えそうにないイケメンショコラ隊。面白いものがあったらしい、と話の種にしかなりません。会長さんが礼法室でお説教を食らうバレンタインデーでは、どうにもこうにも使えない上、他の男子も迷惑ですし…。
「…あんたが使えるかどうかも謎だと言ってたわけだな、これは」
まるで使えないな、とキース君が話を纏めにかかりました。来年のバレンタインデーを待つまでもなく、イケメンショコラ隊は使えもしないと。
「うんうん、ブルーが説教ではよ…」
嬉しくねえし、とサム君も結論付けたのですけど。
「…ちょっと待った!」
使えるかも、と会長さんが声を上げました。えーっと、説教されたいんですか?
「そうじゃなくって! 今年の学園祭に向かって!」
「「「学園祭?」」」
学園祭でチョコなんか売ってましたっけ、柔道部が「そるじゃぁ・ぶるぅ」秘伝の焼きそばを売り物にしているくらいですから、何処かのクラブが売っているかもしれませんが…。
「違うよ、他所のクラブのためじゃなくって、ぼくたちのための販売促進!」
「「「へ?」」」
私たちが学園祭で売るものと言えば、会長さんお得意のサイオニック・ドリームと相場が決まっています。毎年恒例、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を舞台にドリンクなどとセットで販売中。その名も『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』、一番人気の喫茶店だけに販売促進しなくても…。
「売り込まなくても長蛇の列って? それはそうだけどさ…」
プラスアルファが欲しいじゃないか、と会長さん。
「ほら、年によって色々あるだろ、サイオニック・ドリームの中身も変えるし」
ドリンクメニューが変わる年も…、と言われてみればそうですけれども、販売促進は必要無いと思います。開場と同時にズラリ行列、チラシも要らないほどなんですし…。
「だからこそだよ、たまにはイベント! イケメンを揃えて!」
「「「イケメン?」」」
「これだけいるだろ、イケメンな面子」
クールなのから三枚目まで…、と会長さんは男子を順に指差しました。
「サムだってけっこう人気な筈だよ、気のいい頼れる三枚目、ってね。イケメン並みに!」
サムがタイプな女子も多い、との指摘は間違っていませんけれど。バレンタインデーに貰うチョコレートも多いサム君ですけど、男子たちを使って何をすると…?
いつの頃かは分からないものの、バレンタインデーの販売促進にデパートが作ったイケメンショコラ隊なる代物。会長さんは其処から閃いたらしく、学園祭でイベントだなどと言い出して…。
「事前の盛り上げも悪くはないと思うんだよねえ、ぶるぅの空飛ぶ絨毯はね」
イケメンを使ってやってみよう! と会長さん。
「名付けてイケメンドリーム隊!」
「「「…ドリーム隊?」」」
なんじゃそりゃ、と私たちにはサッパリでしたが、会長さんの頭の中には既にビジョンがある様子。イケメンドリーム隊とやらの。
「イケメンショコラ隊がチョコを売るなら、イケメンドリーム隊はドリームなんだよ、サイオニック・ドリーム!」
サイオニック・ドリームの名前は出さないけれど…、とサイオンの存在を伏せる所は例年と同じ。
「あくまでぶるぅの不思議パワーだけど、夢を売るのは本当だしねえ?」
「それはまあ…。そうなんだが…」
バーチャル体験が売りではあるが、とキース君。
「だが、俺たちが何をするんだ? 俺はサイオニック・ドリームを使えはするがだ、坊主頭に見せかけるだけが精一杯なレベルなんだが…」
それでは販売促進どころか逆効果だ、と冷静な意見。キース君も人気が高いですけど、坊主頭になった場合も人気かどうかは微妙です。副住職だと知られてはいても、坊主頭を目撃した生徒はありません。ずうっと昔に学園祭で坊主喫茶をやったとはいえ、あの時の生徒は卒業済みで…。
「だよねえ、キースでも坊主頭が完璧ってだけで、ぼくたちになると…」
坊主頭も怪しいんだよね、とジョミー君が頭に手を。いつかは訪れる坊主ライフに備えて自主トレが必須な立場のくせに、ロクに練習をしないジョミー君。坊主頭なサイオニック・ドリームは持続可能なレベルに達してもいませんでした。
サイオニック・ドリーム必須のジョミー君ですらそういう有様、他の男子はサイオニック・ドリームに挑んだことすら皆無な状態。イケメンドリーム隊は無理そうですよ?
「誰が君たちにサイオニック・ドリームを売れって言った?」
あれはぶるぅの限定商品、と会長さんが切り返しました。
「誰でも楽々売れるんだったら、商売上がったりってね! 君たちは宣伝するだけなんだよ」
「「「宣伝?」」」
いったい何を宣伝するのだ、と顔を見合わせる男子たち。『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』は宣伝しなくても口コミで人気、宣伝なんかは必要性が全く無さそうですが…?
サイオニック・ドリームの言葉も、サイオニック・ドリームも抜きで宣伝活動をするらしいイケメンドリーム隊。会長さんの考えは謎だ、と誰もが考え込みましたけれど。
「分からないかな、ヒントはイケメンショコラ隊だよ。ショコラコンシェルジュっていうのも言った筈だよ、チョコレートの相談に乗るってヤツをね」
「それは確かに聞きましたけれど…。ぼくたちと何の関係があると?」
シロエ君の問いに、会長さんは。
「ズバリそのもの! ショコラならぬドリームコンシェルジュ!」
「「「はあ?」」」
ショコラコンシェルジュの流れからして、ドリームコンシェルジュは夢の相談に乗るのでしょうけど、サイオニック・ドリームの相談って…?
「簡単なことだよ、どれを買うべきかを教えてあげればいいってね!」
毎年、大勢が悩んでいるじゃないか、と会長さん。
「なにしろ、ぶるぅの空飛ぶ絨毯は大人気だしね、そうそう何度も入れやしないし…。全部の夢を買えない以上は、ご要望に応えてピッタリの夢をご案内だよ!」
「そうか、それなら需要があるかもしれんな」
悩んでいるヤツは少なくないし、とキース君が相槌を打って、マツカ君も。
「そういう人は多いですよね…。メニューは先に渡しますけど…」
「入る直前まで決まってない人、かなりの確率でいますよね、ええ」
その場の勢いで決めている人、とシロエ君。
「どれにしようか迷った挙句に、入ってから周りの雰囲気ってヤツで選ぶ人は珍しくないですよ」
「そうだろう? そういった人のためにイケメンドリーム隊がお手伝いをね!」
事前に相談に乗ってあげるだけでお役に立てる、という会長さんの案はもっともなもの。バーチャルな旅を体験出来るのがサイオニック・ドリームの売りなんですから、その人が一番行きたい所へ案内出来ればベストです。でも、学園祭の真っ只中ではそうもいかないのが現実で。
「…会長の言う通り、きめ細かなフォローがあったら嬉しいでしょうね…」
事前の案内、とシロエ君が頷き、ジョミー君も。
「学園祭が始まってからだと、ぼくたちは接客で大忙しだし…。スウェナたちも案内係で手一杯だし、問い合わせに応じられる人って無いよね…」
「そこなんだよ。例年、体験者の話を参考に選ぶくらいが精一杯ってトコだから…」
今年は前情報を出してみよう、と会長さん。サイオニック・ドリームのメニューが決まればイケメンドリーム隊を結成、校内にバラ撒くらしいですよ…?
かくして決まったイケメンドリーム隊とやら。例年だったら売り物のサイオニック・ドリームを何にするかとか、喫茶のメニューや値段なんかを決めるだけで後は当日待ちですけれど。
「えーっと、明日から活動開始なんですよね?」
月曜日から、とシロエ君が会長さんに確認しています。イケメンドリーム隊が決定した日から時が流れて、今は学園祭の準備がたけなわ、校内に広がるお祭り気分。そんな中で私たちも『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』のメニューなどを決め、イケメンドリーム隊のデビューは明日。
「とりあえず、俺たちは相談係で良かったんだな?」
他には無いな、とキース君がドリームコンシェルジュ向けの資料をめくりながら訊くと。
「せっかくだからね、オプションもつけておいたけど?」
「「「オプション?」」」
なんだ、と男子の視線が会長さんへと一気に集中。それは私も聞いていません、オプションって何のことでしょう?
「覚えてないかい、イケメンドリーム隊の元ネタはイケメンショコラ隊だということを! でもって、本家の方の一番の売りは撮影会で!」
顎クイと壁ドンもオッケーだというツーショット、と会長さんは澄ました顔で言ってのけました。
「君たちの場合は活動場所が学校だしねえ、懐かしの顎クイや壁ドンとまではいかないけどさ…。健全なヤツしか無理だけれどさ、売るならやっぱりツーショットもね!」
先着順で無料撮影会を実施、と勝手に流されていたらしい前情報。まさか、と会長さんの家の端末を起動してみんなで覗き込んでみると…。
「うわあ、マジかよ、俺は先着二十名様かよ、明日のノルマが!」
しかも整理券が全部出てしまってる、とサム君が慌てて、ジョミー君も。
「…ぼくも整理券、完売って言うか、品切れって言うか…」
「ぼくもですよ! 会長、これってどういうことです!?」
何の話も聞いてませんが、とシロエ君が食って掛かっても、会長さんは涼しい顔で。
「サービス、サービス! 平気だってば、整理券を持った子に声を掛けられたら、ツーショット! ご注文に応じてクールな顔から笑顔まで! それがイケメンドリーム隊!」
撮影の後はドリームコンシェルジュに徹するべし、と会長さん。
「整理券を持っていない子でも、相談に来た子はお客様だしね? きちんと対応、相談に乗る!」
それでこそイケメンドリーム隊だ、と会長さんの考えは微塵も揺るがず、整理券は連日、端末を通じて一定数が出る仕組みのようです。サイオニック・ドリームの相談に加えてツーショットまでとは、もう頑張って下さいとしか…。
翌日からキース君たち男子五人は大忙しの日々が始まりました。ツーショットが撮れる整理券は朝のホームルームが始まる前から有効、休み時間ももれなく有効。放課後の部活開始の直前までが期限とあって、廊下を歩けば捕まる日々で。
「くっそお…。夢の相談の方も多いが、ツーショットの方も馬鹿にならんぞ」
しかも注文が細かくて…、とキース君が嘆く放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。ツーショットの撮影、表情はもちろん、背景が指定出来たのです。ゆえに中庭から校門前まで至る所が撮影スポット、撮影のために少し出るくらいは門衛さんも黙認なだけに…。
「多いんだよねえ、校門前の子…」
在学記念ってことだろうか、とジョミー君も。卒業式でもないというのに「シャングリラ学園」と書かれた門柱の脇が大人気だとか。他にもグラウンドだとか、体育館とか、人それぞれで。
「場所の移動がキツイんですけど、移動中も仕事時間ですしね…」
移動しながら夢の相談、とシロエ君。移動時間で終わらなければ撮影会の後も相談継続、休み時間は壊滅状態に近いのが今の男子たち。
「…せめて昼飯、ゆっくり食いてえ…」
食堂にいても客が来るしよ、とサム君も相当にお疲れ気味です。食べている間は流石に仕事は入りませんけど、如何にも時間待ちといった感じの女子生徒が遠巻きに見ているわけで…。
「落ち着きませんよね、食事中でも」
早く食べて仕事を始めなくてはと思いますし、とマツカ君。この状況で実は一番タフな人材、それがこのマツカ君でした。御曹司なだけに初対面の人との会食だとかが多い人生、仕事となったら食事も仕事の一部だったのが強かったらしく。
「…マツカ、俺はお前を心の底から尊敬するぞ」
ある意味、坊主の俺よりも修行が出来ているな、とキース君も認めるマツカ君の強さ。今日も仕事をサクサクこなして、撮影会のノルマも誰よりも早く達成した上、時間いっぱいまで夢の相談に乗っていたという凄さです。
「かみお~ん♪ マツカだけだもんね、男の子の相談も受け付けてるの!」
余裕たっぷりの証拠だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そう、他の男子はイケメンドリーム隊だけあって女子生徒だけの御用達と化していましたが、マツカ君だけは話が別で。撮影会をこなす間にも「ちょっといいかな?」と男子の相談受付中。
「マツカは誰にでも丁寧だしねえ、声を掛けやすいっていうのもあるよね」
他のみんなもマツカを目標に頑張りたまえ、と会長さんが発破をかけてますけど、他の男子には多分、無理。キース君でも無理なんですから、御曹司の能力、恐るべし…。
そんなこんなで幕を開けた今年の学園祭。会長さんが思い付いたイケメンドリーム隊の宣伝効果は非常に大きく、例年以上に長蛇の列が出来ました。その割に大きな混乱も無くて、メニューを決める生徒も余裕の子が多かった印象で…。
「みんな、お疲れ様~っ!」
今夜は打ち上げパーティーだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねています。後夜祭も終わって喫茶の設備の回収などは業者さんにお任せ、それに明日は土曜日でお休みですし…。
「それじゃ、予定通りにぼくの家でいいね?」
泊まりってことで、と会長さんが確認、私たちは揃って大歓声。このために今日はお泊まり用の荷物を持参で登校、男子は喫茶の接客を頑張り、スウェナちゃんと私は案内係で…。
「疲れはしたが、今年は充実の学園祭という気分だったな」
前準備なんかは例年無いに等しいからな、とキース君。イケメンドリーム隊として活動しまくったキツかった日々も、いい思い出になりつつあるようです。みんなで「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の中をチェックし、業者さんへの連絡メモを会長さんが壁にペタリと貼り付けて。
「はい、終了。ぶるぅ、帰るよ」
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
パアアッと迸った青いサイオン、ふわりと身体が浮いたかと思うと会長さんの家に着いていました。打ち上げは焼き肉パーティーです。もう早速に始めよう、とゲストルームで制服から私服に着替えを済ませてダイニングに行くと。
「こんばんはーっ!」
「「「!!?」」」
遊びに来たよ、と紫のマントのソルジャーが。学園祭の準備期間にも何度か姿を見てましたけれど、打ち上げパーティーに呼んだ覚えはありません。学園祭とはまるで無関係、そんな人に割り込んで来られても…、と誰もが露骨に嫌な顔をしたと思うのですが。
「イケメンドリーム隊、お疲れ様! 凄い活躍だったよねえ…」
これはぼくからの差し入れで…、とソルジャーが保冷剤入りと思しき大きな箱を。
「「「差し入れ?」」」
「焼き肉パーティーをするんだろう? いい肉を買って来たんだけれど…」
ノルディお勧めの店の最高のヤツ、と出された箱を「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパカリと開けて。
「すっごーい! ホントに最高のお肉!」
こんなに沢山! と見せられた肉の量と質とに、私たちはアッサリ陥落しました。食材持参なら乱入も歓迎、差し入れがあるなら先にそう言って下さいよ~!
ソルジャーも私服に着替えての焼き肉パーティーは大いに盛り上がり、話題はやっぱりイケメンドリーム隊の活躍についてだったのですが。
「あれは本当に凄かったよ。君たちの活動にヒントを得てねえ、実はぼくも…」
「「「え?」」」
ソルジャー、何かをやったのでしょうか。自分の世界のシャングリラでイケメンを集めてイベントだとか、そういうのを…?
「イベントには違いないけれど…。ぼくの世界でやったんじゃないよ?」
ぼくのシャングリラでイケメン選びをするのはちょっと…、と言うソルジャー。閉じた世界だけに顔の良し悪しでランク付けはマズイ、と指導者ならではの発想ですけど、それなら何処で何をやったというのでしょう?
「もちろん、こっちの世界でだよ! それも最高のイケメンを使って!」
「「「…最高?」」」
最高ランクのイケメンなんかを集めて何をやらかしたのだ、と首を捻った私たちですけれど。
「集めていないよ、使っただけだよ、この顔を!」
このぼくの顔、と自分の顔に向かって人差し指を。超絶美形な会長さんと瓜二つですし、イケメンには違いないですが…。最高ランクの顔なんでしょうが、その顔で何を…?
「え、この顔が最高のイケメンに見える人間が二人ほどいるだろ、こっちの世界は!」
ノルディとハーレイ、とソルジャーが挙げた名前はエロドクターと教頭先生。まさかその二人を相手にイケメンを売りに何かやらかしましたか…?
「そうだよ、名付けてイケメンデート隊!」
「「「デート隊!?」」」
それはどういうものなのだ、と怖くて訊けない私たち。けれどソルジャーは得々として。
「君たちがドリームコンシェルジュをやっていたのと同じで、ぼくのはデートコンシェルジュ! どんなデートがお好みなのか、と聞きながらプランを立ててあげてね!」
「き、君はまさか…」
ノルディやハーレイの好みのデートに付き合ったのか、と会長さんの声が震えましたが。
「ううん、相談に乗るだけだってば! 後は向こうにお任せなんだよ」
本当にそういうデートコースを組んでくるなら、場合によっては…、という答え。
「ぼくも一応、結婚している身だからねえ? 譲れない部分もあるわけでさ」
そういったことも踏まえて相談に乗っているんだけれど、と笑顔のソルジャー。だったらデートはしてないんですかね、エロドクターはともかく、教頭先生なんかとは…?
思わぬ所へ飛び火していたイケメンドリーム隊の結成。ソルジャーが勝手にイケメンデート隊を作って動いていたとは夢にも思いませんでした。差し入れを持って出て来る筈です、ヒントになったイケメンドリーム隊への御礼に肉まで持って。
「それはもちろん、御礼をするのは基本だし…。色々とアイデアを貰ったからには!」
今の所はまだデートには至っていないのだ、とソルジャーは胸を張りました。
「この手のものは焦らしてなんぼ! 相談に乗るのとデートとは別!」
ノルディのランチやディナーのお誘いは受けるけれど、とソルジャーならではの行動基準が凄すぎます。それもデートの内なんじゃあ…?
「違うね、ノルディの理想のデートはもっと中身が濃いものだからね!」
最低限でもキスは必須で…、とパチンとウインクするソルジャー。
「そうした雰囲気に持って行けそうなデートコースは、と訊いてくるからアドバイス! デートコンシェルジュはそういう仕事!」
ハーレイの方はランチのお誘いも出来ない段階、とニッコリと。
「あれは駄目だね、ぼくを相手にブルーの方とのデートの練習に持って行こうとしてるから…。毎回アドバイスするんだけどねえ、下心が見え見えのお誘いってヤツは失敗するよ、と」
「ああ、下心ね…」
ハーレイだったらそうだろうねえ、と会長さん。
「それじゃ、君の方はハーレイの妄想とも言うべき夢のデートコースを延々と聞かされ続けているっていうわけかい? なんとも不毛な話だけれど」
「そうでもないよ? 相談に乗るのはハーレイの家で、それなりにお菓子も出るからね」
タダ働きはしていないのだ、と流石はソルジャー。エロドクターの相談に乗る時もランチやディナーを御馳走になっているのだとかで。
「…あんた、俺たちとは違うようだな」
俺たちは謝礼は貰っていない、とキース君が苦い顔を。
「俺もマツカも他の連中も、あくまでボランティアのタダ働きだ! 一緒にしないで貰いたい!」
「タダっていうのを強調するなら、ぼくは君たちよりも頑張ってるけど?」
それこそタダで、とソルジャーはフンと鼻を鳴らして。
「イケメンドリーム隊に貰ったヒントはきちんと生かす! イケメンデート隊も写真撮影のサービス付きだよ、ツーショットの!」
「「「ええっ!?」」」
まさかまさかのツーショット。ソルジャー、そんなの付けたんですか…?
ソルジャーが一人で活動中のイケメンデート隊とやら。ツーショット写真のサービス付きで、キース君たちよりも頑張っているということは…。
「決まってるじゃないか、君たちよりもグッと接近! 元祖イケメンショコラ隊みたいに!」
ちゃんと調べた、とソルジャーは「顎クイ」と「壁ドン」をチェック済みでした。今は死語だと思うんですけど、調べれば何処からか出て来るようです。
「ノルディにもハーレイにも売り込んだんだよ、顎クイに壁ドン!」
デートの相談に乗ったついでにツーショット、とニコニコニコ。
「ノルディは毎回、どっちかを撮ろうとするんだけれど…。ハーレイの方は全然ダメだね」
将来に向けての練習にすらもなっていない、とソルジャーはバッサリ切り捨てました。
「でもねえ、ぼくもイケメンデート隊として活動を始めたからには頑張らなくちゃ!」
「……何を?」
おっかなびっくり尋ねた会長さんですが。
「それは当然、デートコンシェルジュの仕事ってヤツ! ノルディの方はさ、ぼくの好みに合ったデートに誘ってくれればいいんだけれど…。目指すはこっちのハーレイだよ!」
君が喜びそうなデートコースを思い付くよう指導するから、とソルジャーは思い切り燃え上がっていました。会長さんと教頭先生のデートに向かって協力あるのみ、と。
「でもって、デートに漕ぎ着けたからには、キスだってして欲しいしねえ…! 肝心の所でヘタレないよう、ぼくと何度もツーショットを撮って練習を!」
顎クイと壁ドンを決められるように、とソルジャーがブチ上げ、会長さんが。
「迷惑だから!!」
その活動を今すぐやめろ、と怒鳴りましたが、ソルジャーは我関せずで。
「別にいいだろ、このぼくがタダで働くと言っているんだからさ!」
「中身がとっても迷惑なんだよ、イケメンドリーム隊なら害は無いけど!」
「それなんだけどさ…。本家本元のイケメンショコラ隊の方だと、ちょっと問題ありそうだって君も悩んでいたじゃないか!」
それの親戚だと思っておいて、とケロリとしているイケメンデート隊なソルジャー。えっと、イケメンショコラ隊だと、バレンタインデーに本命の人がいるのに道を踏み外しそうな感じでしたし、ソルジャーのイケメンデート隊も…?
「そういうこと! 多少の問題は大いにオッケー、楽しんで貰えればいいってね!」
とりあえずイケメンドリーム隊は役に立ったようだし、それにあやかって役立つイケメンデート隊だ、と思い込んでしまっているソルジャー。打ち上げパーティーに出て来たからにはやる気満々なんでしょうから、放っておくしかありません。
「…どうします?」
「俺が知るか!」
俺たちの仕事は今日で終わった、とキース君たちも投げていました。会長さんには気の毒ですけど、イケメンショコラ隊を見付けて来たのも、イケメンドリーム隊を結成したのも会長さん。自業自得ということで放置でいいんですかね、ここのイケメンデート隊…。
「うん、ぼくは放置でかまわないよ? コツコツ一人で努力するしね!」
キースたちを見習って頑張らなくちゃ、と燃えまくっているソルジャーの目標は、お役立ちだったマツカ君だということです。マツカ君がソルジャーの目標になる日が来るなんて…。
「世の中、マジで分かんねえよな…」
「ぼくにも全然分からないよ…」
もう謎だらけでいいんじゃないかな、とサム君とジョミー君が頷き合って、会長さんはまだギャーギャーと騒ぎ続けています。ソルジャーに言うだけ無駄じゃないですかね、馬の耳に念仏みたいなもので。
「…念仏くらいは唱えてやるがな…」
タダだからな、とキース君が唱えるお念仏。イケメンデート隊には全く効かないでしょうが、ここは気持ちで一応、唱えておきましょう。会長さんに被害が及ぶ前にソルジャーが活動に飽きてイケメンデート隊をやめますように。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。
イケメン様々・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
生徒会長がヒントにしていた、イケメンショコラ隊。実は本当に存在しました、数年前に。
それのお蔭で、多忙だった男子たち。おまけにソルジャーまでが便乗、凄い企画かも…。
2020年の更新は、これが最終ですけど、「ぶるぅ」お誕生日記念創作の方もよろしく。
まさかのコロナで大変だった2020年。来年は良い年になるといいんですけどねえ…。
次回は 「第3月曜」 1月18日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、12月はクリスマスが大問題。ソルジャーたちが来るわけで…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
今年もシャングリラに、クリスマス・シーズンがやって来た。ブリッジの見える広い公園には、大きなツリーが飾られている。それとセットで出現するのが、小さめの「お願いツリー」だ。
(…今年は何をお願いしようかな?)
サンタさんの所に届くんだもんね、と「お願いツリー」を見上げる子供が一人。言わずと知れた「そるじゃぁ・ぶるぅ」で、シャングリラきっての悪戯小僧。年がら年中、あっちこっちで悪戯を繰り広げているけれど…。
(クリスマスの前は、いい子にして悪戯しないもんね!)
でないと、プレゼントが貰えないから、と子供なりに、きちんと心得ている。悪戯をするような悪い子供の所に、サンタクロースは素敵なプレゼントを届けはしない。代わりに貰えるのは、鞭が一本。クリスマスの朝、靴下の中に、鞭を見付けたくなかったら…。
(いい子にしないとダメなんだってば!)
だから、クリスマスが済むまでは…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も悪戯は我慢。シャングリラに平和が訪れる季節、それがクリスマス・シーズンでもある。なにしろ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の悪戯と来たら、船の誰もが「出来れば、避けたい」代物だから。
(…んーと、えーっと…)
サンタさんに何を頼もうかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が見詰める「お願いツリー」は、船の名物。クリスマスツリーよりも小さいモミの木、けれど人気は大きなツリーに劣らない。ツリーの側に置かれたカードに、欲しいプレゼントを書いて吊るしておけば…。
(クリスマスまでに、サンタさんの所に届いて…)
サンタクロースが用意してくれて、クリスマスの朝、届いているという仕組み。小さな子供には夢のツリーで、大人たちだって負けてはいない。
(…大人の所には、サンタさんが来てくれないから…)
意中の人のカードを探して、プレゼントを用意する若者たちや、友達のカードを探している者、他にも色々。とにかく「お願いツリー」にカードを吊るせば、欲しいプレゼントがやって来る。
(何がいいかな?)
よく考えてお願いしないと、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は船の散歩に出ることにした。頼むべき物を決める切っ掛け、それが見付かるかもしれないから。
船の通路を跳ねてゆく間、擦れ違った何人もの仲間たち。彼らはチラリと視線を寄越して、瞳に安堵の光を浮かべる。普段だったら緊張するか、そそくさと逃げてゆくものなのに。
(悪戯しないの、知ってるもんね…)
これは、ちょっぴりつまんないかも、と思うけれども、仕方ない。悪戯する子に、プレゼントは届きはしないから。プレゼントの代わりに鞭が一本、そんなクリスマスは嫌だから。
(…でも、つまんなーい!)
つまみ食いだって出来ないし…、と溜息を零して、ハタと気付いた。この時間なら、ヒルマンが小さな子供たちに…。
(お話を聞かせている筈だから、おやつがあるかも…!)
集中力が切れやすいのが、幼い子供。ヒルマンもよく知っているから、おやつを用意することも多い。子供たちが飽きて来たなら、おやつを配って休憩時間。
(よーし…!)
ぼくだって、小さな子供だもーん! と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は駆け出した。クリスマスの朝に卵から生まれて、もう何年も経つのだけれども、少しも育ちはしないから。ヒルマンが教える学校にだって、通わなくてもいいのだから。
(子供なんだし、おやつがあったら…)
お話を聞いたら、貰えるんだよ、とウキウキしながら、ヒルマンの所を覗いたら…。
(やってる、やってる…!)
ちょうどいいや、と部屋に飛び込み、子供たちに混ざってチョコンと座った。ヒルマンの横には籠が置かれて、ラッピングされたクッキーの袋が入っていたから。
「おや、ぶるぅ。…お話を聞きに来たのかい?」
いい子だね、とヒルマンは穏やかな笑みを浮かべた。
「今日のお話は、魔法のランプだ。ずうっと昔の、地球のお話だよ」
よく聞いて、色々考えてみなさい、と、ヒルマンは既に話してしまった部分のあらすじを教えてくれた。願い事が叶うランプがあって、それを手に入れるお話だよ、と。
(ふうん…?)
お願いツリーの他にも、願い事が叶うものがあるんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はパチパチと目を瞬かせた。そんな素敵なものがあるなら…。
(…サンタさんにお願いしたいかも!)
しっかり聞こう、とヒルマンの物語に耳を傾けることにした。魔法のランプと聞いたけれども、どんな仕組みのランプだろう、と。サンタクロースに頼む価値があるか、よく聞かなくては。
「ヒルマン先生、楽しかったぁ!」
「また、お話を聞かせてねー!」
クッキーも、とっても美味しかったよ、と子供たちが手を振って帰ってゆく。ヒルマンは優しい笑顔で見送り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に視線を向けた。
「どうだったね、ぶるぅ? 魔法のランプのお話は?」
「うんっ、とっても素敵だったよ!」
凄く参考になっちゃった! と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は顔を輝かせて元気に答えた。本当にとても参考になったし、サンタクロースに頼むプレゼントも決まったから。
「ほほう…。参考になったと言うなら、大いに勉強出来たのだね?」
「そう! ありがとう、いいこと教えてくれて! さようならーっ!」
じゃあね! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び出して行った後、ヒルマンは「はて…?」と首を傾げた。怪訝そうな表情になって。
(…参考になったというのはともかく、いいことを教えただろうか、私は?)
願い事が叶う魔法のランプの話なんだが…、とヒルマンの頭に渦巻く疑問。魔法のランプで叶う願い事は、三つだけ。それを上手に扱えないから、願い事をするのは難しい。
(迂闊に使ってしまっても…)
三つ目の願いが済んだ後では、もう取り消しは出来ないもの。だから「何事も、よく考えて」と教訓を込めて話したつもり。けれど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の、あの口ぶりでは…。
(…教訓が頭に入ったようには、思えないのだがね…?)
では、いいこととは何なのだろう、とヒルマンは頭を悩ませたけれど、それの答えは直ぐに姿を現した。ヒルマンの与り知らない所で、形になって。
「ぼくに魔法のランプを下さい」と書かれたカードが、お願いツリーに吊るされて。
(…これでよし、っと!)
今年のお願い事は、これに決まり! と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は満足だった。無事に魔法のランプを貰ったら、願い事が三つも叶うのだから。
(魔法のランプを擦ったら…)
中からランプの精が出て来て、叶えてくれる願い事。どんなことでも、なんと、三つも。
(…ブルーと一緒に、地球に連れてってよ、って…)
お願いしたなら、ブルーの夢がアッと言う間に叶う。そしたら、残りのお願い事は…。
(二つもあるから、何でも出来ちゃう!)
最高だよね、と大満足で眺めるカード。「今年は最高のクリスマスだよ!」と。
(…サンタさんに、どんなにお願いしたって…)
地球には連れてってくれないものね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、部屋に戻って考える。何度頼んでも、その夢は叶いはしなかった。大好きなブルーと、地球に行きたいのに。
(だけど、魔法のランプなら…)
ランプの精は、どんな願いも叶えるのだから、大丈夫。ブルーに憧れの地球を見せられて、青い地球で楽しく過ごせるだろう。グルメに観光、買い物だって。
(ホントに最高…!)
ヒルマンの所に行って良かったぁ! と大喜びな「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけれども、その夜、青の間に、キャプテン・ハーレイが眉間に皺を深く刻んで現れた。「ソルジャー、お話が…」と。
「おや、ハーレイ。こんな時間に、どうしたんだい?」
いつも遅くまで御苦労様、とソルジャー・ブルーは炬燵に入って出迎えた。今の季節は、それが青の間の定番の家具になっているから。
「はあ、それが…。実は、ぶるぅが……」
やらかしました、とハーレイは勧められるままに炬燵に入って、溜息をついた。
「ぶるぅが? この季節には、悪戯はしない筈だけれどね? あ、ミカンはどうだい?」
「ありがとうございます、いただきます。…ぶるぅの件ですが、悪戯ではなくて…」
こんなものを書いて寄越しました、とハーレイが差し出したものは、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「お願いツリー」に吊るしておいたカードだった。「ぼくに魔法のランプを下さい」と。
「魔法のランプ…? これはまた…。ランプというのは、あの物語のランプかな?」
願い事が三つ叶うという…、とソルジャー・ブルーが傾げた首。「ぶるぅは、あの物語を知っていたかな」と、「ぼくは教えていないけれども」と。
「ヤツが図書室で読書をするとも思えませんしね。ですが、その件は、裏が取れております」
「そうなのかい?」
「はい。このカードを見付けて悩んでいたら、ヒルマンが通りかかりまして…」
子供たちに聞かせたらしいですよ、とハーレイはミカンを一房、口に放り込んだ。「その時に、ぶるぅも物語を聞いて、とても参考になったと言ったそうです」と、苦虫を噛み潰したように。
「なるほどね…。ということは、今年の、ぶるぅのお願い事は…」
「正真正銘、三つの願い事が叶う、魔法のランプですね」
どうしたものだか…、とハーレイは頭痛がするようだけれど、ブルーは「ぼくに任せたまえ」と微笑んだ。「ぶるぅは、じきに諦めるから」と、「大丈夫だよ」と。
サンタクロースに魔法のランプをお願いしよう、と決めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、浮き立つ心で土鍋の寝床に入ろうとしていた。「今夜は、いい夢が見られそう!」と。其処へ…。
『ぶるぅ、青の間に来てくれるかい?』
大好きなブルーの思念が届いたから、「はぁーい!」と返事して、瞬間移動。
「どうしたの、ブルー? おやつ、くれるの?」
青の間にはハーレイもいたのだけれども、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は気にしない。キャプテンの仕事は実に多いから、青の間にいたって不思議ではない。
「おやつねえ…。そうだね、ミカンなら沢山あるけれど…」
甘くて美味しいミカンだよ、と差し出しながら、ブルーは、炬燵の上の例のカードを指差した。
「ぶるぅ、お前のお願いカードなんだけど…。魔法のランプを、どうするんだい?」
「貰って、使うの!」
とっても凄いランプだもん! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胸を張った。
「願い事が三つも叶うんだって! サンタさんより、ずっと頼りになるんだから!」
「サンタクロースよりも…? 何をお願いする気なんだい?」
「ブルーと一緒に、地球に行けますように、って!」
そしたら二人で地球に行けるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大得意。「地球に行けたら、色々しようね」と、「グルメも、観光も、お買い物も!」と。
「それは頼もしい話だね、ぶるぅ。ランプの精に、お願いしてくれるのかな?」
「そうだよ、サンタさんだと、地球には連れてって貰えないけど、ランプの精なら大丈夫!」
今年のクリスマスは地球で観光出来ちゃうかも! と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の夢は広がる。クリスマスの朝にランプが届けば、その日の内に地球に行けるし、地球でクリスマス、と。
青い地球で綺麗なクリスマスツリーを幾つも眺めて、御馳走だって美味しいものが沢山ある筈。なんと言っても年に一度のお祭りなのだし、地球のクリスマスなら、素晴らしいものに違いない。
いい考えだと思っていたのに、ブルーは「あのね…」と顔を曇らせ、首を静かに左右に振った。一緒に喜んでくれる代わりに、「ぼくの言うことを、よく聞いてごらん」と、諭すように。
「地球に行けるのは素敵だけれども、その後のことを考えなくてはいけないよ、ぶるぅ」
「後のことって…。お願い事は、まだ二つもあるよ?」
「そうだけれどね…。地球に出掛けて、帰りはどうやって帰るんだい?」
「え、えーっと…? ランプの精にお願いして…」
それで帰れるでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が答えを返すと、ブルーは「すると、願い事は残り一つになっちゃうよ」と指を折ってみせた。「あと一つしか、残っていないんだ」と。
「そうかも…。でも、一つあれば…」
「一つなんかは、アッと言う間に、ウッカリ使ってしまうものだよ。地球から帰って来て、船に着くだろう? そこで、「楽しかったぁ、また行きたいな」と言ったなら…?」
「あーっ!」
もう一度、地球に行っちゃうんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は真っ青になった。ランプの精は願いを叶えて、地球に連れて行ってくれるだろう。けれども、それで願い事を三つ叶えてしまったことになるから、ランプの精は、いなくなる。シャングリラに帰る方法は無くて、それっきり。
「そっかぁ…。どんなに地球が素敵な場所でも…」
「帰れなくなったら、大変だろう? それに、二度目に行ってしまう時は、ぶるぅだけ行って、ぼくは行けないかもしれないんだよ? ブルーと一緒に、とは願っていないだろう?」
「やだよ、そんなの、絶対に嫌ーっ!!!」
ブルーがいなくて、ぼくだけ、地球に独りぼっちだなんて、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は悲鳴を上げた。「そんなことになったら、どうすればいいの」と、「そんなの、嫌だぁ!」と。
「分かったかい? 魔法のランプは危険なんだよ。この願い事は、やめた方がいいね」
失敗してからでは遅いんだから、とブルーは優しく言い聞かせた。「分かるだろう?」と。
「分かった、やめとく…。魔法のランプは、いいお願いだと思ったけれど…」
もっと普通のものにするね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は肩を落として、貰ったミカンを大事に抱えて、歩いてトボトボ出て行った。瞬間移動をするのも忘れて。
「ほらね、解決しただろう?」
これで心配は要らないよ、とブルーはハーレイに微笑み掛けた。「魔法のランプは、怖いことが分かったんだから」と。
「そうですね。実に鮮やかなお手並みでしたが、ヤツが少々、可哀想な気も…」
「うん。ぼくのためにと、毎年、考えてくれているからねえ…」
地球に行くための方法をね、とブルーも気の毒に思うのだけれど、どうすることも出来ない夢。地球の座標が分からない限り、シャングリラは地球には向かえない。それに、ブルーも。
「魔法のランプと来ましたか…」
「いい方法には違いないけどね、サンタクロースに頼むよりかは」
でも、扱いが難しすぎるよ、とブルーも苦笑する魔法のランプ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に使いこなせる筈もないから、「お願いツリー」には、新しいカードが吊るされた。
「ステージ映えする土鍋を下さい」と。
書いて吊るした「そるじゃぁ・ぶるぅ」は気持ちをすっかり切り替え、リサイタルに向けて夢を描いている。「土鍋に入って登場したら、きっと思い切り盛り上がるよね!」と。
(どんな土鍋が貰えるかな? スモークが出るとか、ライトがピカピカ光るとか…)
すっごく楽しみ! と船中を跳ねて回って、クリスマスを待って、いよいよクリスマスイブ。
「では、ソルジャー、行って参ります」
「頼んだよ、ハーレイ。ゼルの力作を落とさないようにね」
「ええ。落として割ったら、ぶるぅばかりか、ゼルにも殺されかねませんから」
ステージ映えする特製土鍋ですからね、と大きな包みを抱えて、サンタクロースの衣装を着けたハーレイが今年も出発した。他にも山ほどプレゼントを詰め込んだ袋を背負って、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が寝ている部屋へと。
(…よしよし、今年も罠を仕掛けたりはしていないな)
昔は散々な目に遭ったものだ、と懐かしく思い出しながら、ハーレイはプレゼントを床に並べてゆく。ゼル特製のステージ映えする土鍋や、長老やブルー、他の仲間たちからのプレゼントを。
そして、クリスマスの日の朝が来て…。
「わぁーい、ホントに凄い土鍋を貰えちゃったぁ!」
こっちのボタンでスモークが出て、こっちのボタンは…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が説明書に夢中になっていると…。
『『『ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ!!!』』』
船の仲間たちから思念が届いて、大好きなブルーからも思念波が。
『ぶるぅ、誕生日おめでとう。公園でケーキと、みんなが待っているからね』
「分かったぁ! すぐに行くねーっ!」
ステージじゃないけど、特製土鍋を披露しなくちゃ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は土鍋に入って瞬間移動で飛んでゆく。ブルーが、仲間たちが待つ公園へと。
魔法のランプは諦めたけれど、ステージ映えする土鍋があって、きっと最高のクリスマス。
ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今年も、誕生日おめでとう!!!
ツリーと願い事・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございます。
管理人の創作の原点だった「ぶるぅ」、いなくなってから、もう3年が経ってしまいました。
2007年11月末に出会って、夢中で始めた初の創作。今でも、大好きな悪戯小僧です。
いい子の「ぶるぅ」は現役ですけど、悪戯小僧にも、クリスマスには「お誕生日記念創作」。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、14歳のお誕生日、おめでとう!
2007年のクリスマスに、満1歳を迎えましたから、今年で、なんと14歳!
シャングリラ暮らしでなければ、目覚めの日で、成人検査だったのかも…?
そして、魔法のランプのお話、実は、ハレブルの方にもあるんです。前世ネタの一つ。
興味のある方は、そちらも覗いてみて下さいv
※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)
※ハレブルの方の『魔法のランプ』は、第403弾。URL、置いておきます。