シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(え…?)
雪、とブルーが見上げたもの。まだ早すぎ、と。雪が降るには。
学校からの帰り道。家の近所のバス停で降りて、のんびり歩いていたら、ふわりと。頭の上から雪のひとひら、でも落ちて来ない。白い欠片は浮かんだまま。
何故、と真っ白な雪をよく見たら…。
(羽根…)
何かの小鳥か、それとも鳩か。柔らかそうな白い一枚、ふんわりと宙に浮いているそれ。まるで重さが無いかのように。羽根だけで飛んでいるかのように。
(流れてく…)
風は吹いてはいないけれども、空気の流れがあるのだろう。目には見えない、触れない流れ。
白い羽根はそれに乗ってゆく。ふうわり、ふうわり、流れてゆく。落ちて来ないで。
捕まえることが出来るかな、と白い欠片を追い掛けたけれど。もう少し、と伸び上がって懸命に手を伸ばしたけれど。
(残念…)
生垣の向こうに消えてしまった。ふわりと越えて、行ってしまった。
気が早すぎた雪のひとひら。本当は小鳥の羽根だけれども。
(今の、本物の雪だったら…)
是非とも捕まえたかった、と思う。不器用なサイオンでは無理なのだけれど、その分、頑張って追い掛けて。さっきよりも、もっと。
もしも、本物の今年最初の雪だったら。
一番最初に空から降って来た白い欠片なら、この手で捕まえてみたかった。
掴んだら雪は溶けてしまうから、そうっと手のひらで受け止めるように。上手い具合に、自分の方へと来てくれるように。手のひらの真ん中に、ふわりと落ちて。
捕まえたいな、と見上げる空。まだ秋の空で、雪の季節には少し早すぎ。
けれども、いつかは雪が降るから。真っ白で軽い雪が舞うから、最初のひとひらを捕まえたい。一番最初に降って来た雪、それを上手に捕まえられたら…。
(幸せな気分になれそうだものね?)
ぼくが一番、と空からの手紙を貰った気分。高い空から舞い降りた手紙。神様が作って、天使が雲の間から降らせる真っ白な雪。最初のひとひらは、天からの手紙かもしれないから。
受け取った人には幸せをどうぞ、と書かれた幸運のメッセージ。それが欲しいな、と。
雪は冷たいものだけれども、綺麗だから。
小さな右手で受け止めたって、きっと凍えはしないから。前の生の終わりに、温もりを失くして凍えた右手。ハーレイの温もりが消えてしまった手。
それが冷たいと泣きじゃくりながら死んだけれども、雪を受け止めても、右手が凍えはしないと思う。悲しい記憶が蘇る代わりに、胸が温かくなるだろう。
最初の雪のひとひらだったら、捕まえられた幸運に酔って。
手の上でそれが溶けてゆくまで、幸せな気分で見ているのだろう。辺りに雪が降っていたって、白い雪が幾つも降って来たって。
これが一番最初の一つ、と溶けてゆくのを惜しむのだろう。もう少し待って、と。
雪に手紙が書いてあるなら、それを読ませて、と。幸せの手紙の中身はなあに、と。
空から舞い降りる幸せの手紙。一番最初の雪のひとひら。
手紙を書くのは神様だろうか、それとも小さな天使だろうか、と考えていたら。
(雪の妖精…)
そっちかもね、と思った最初の雪のひとひら。幸せの手紙も素敵だけれども、妖精が乗っかっているかもしれない。一番最初に舞い降りる雪には、雪の妖精。
(雪の季節の始まりだもの…)
一緒に降りて来るかもしれない。空の上から、この地上へと。一番最初のひとひらに乗って。
雪の妖精が乗って来たなら、幸運どころか、願いを叶えてくれるかも、と広がった夢。妖精には不思議な力があるから、雪の妖精がいるのなら。
(雪の結晶って、花みたいだし…)
とても小さな氷の結晶、それが組み合わさったのが雪。色々な形の六角形が。
一つ一つが花のように見える、雪を作っている氷の結晶。六角形をした雪の花が幾つも。
花には妖精がいると聞くから、雪の花にだって、小さな妖精。
残念ながら、妖精に会ったことは一度も無いけれど。前の自分も、今の自分も。
(だけど、いるよね?)
遠い昔から伝わるのだから、出会ったことが無いというだけ。出会うチャンスが無かっただけ。
運が良ければ、きっと妖精にも会えるのだろう。花の妖精や、雪の妖精。
雪に妖精がいるのなら。六角形をした氷の花にも、妖精が住んでいるのなら。
出会いたいな、と描いた夢。雪の妖精、と。
家に帰って、制服を脱いで、母が用意してくれた美味しいおやつを食べて。
二階の自分の部屋に戻ったら、思い出した夢。帰り道に雪だと思って眺めた羽根と、雪の妖精。
真っ白な羽根は捕まえ損なったけれど、雪なら上手く掴みたい。サイオンを上手く使えない分、頑張って手を差し出して。追い掛けて、一杯に手を伸ばして。
一番最初の雪のひとひらを、妖精が乗っていそうなそれを。空から舞い降りて来た幸運を。
(雪の妖精…)
受け止めた雪から、妖精がヒョイと現れたなら。本当に乗って来たのなら。
どんな姿をしているのだろう、会ったことがない雪の妖精。雪だるまが雪の妖精だろうか?
(…雪だるまだったら、何処でも作るし…)
この地域でも、他の地域でも。雪を丸めて、目や鼻をつけて。
(地域で違ってくるんだったら…)
遠い昔に日本だった此処では、雪ウサギのような姿だろうか。お餅のように固めた雪に、南天の実で出来た真っ赤な瞳。緑色をした南天の葉っぱで、長い耳を二つくっつけて。
雪ウサギだったら、とても親しみの湧く姿。幼かった頃は、ウサギになりたいと思ったくらい。それに、今では…。
(ぼくも、ハーレイもウサギ年…)
ハーレイに教えて貰った干支。今の自分もハーレイも、干支は同じにウサギ。正真正銘ウサギのカップル、白いウサギと茶色のウサギ。
本当に自分はウサギなのだし、雪の妖精が雪ウサギならば、きっと友達になれるだろう。ウサギ同士で、仲良くなって。
雪の妖精に出会えたら。可愛らしい雪ウサギが来てくれたなら。
本当に願いが叶うかも、と更に大きく膨らんだ夢。雪の妖精と友達になったら、きっと願い事も叶えてくれる。妖精が持っている不思議な力で、アッと言う間に。
雪の妖精が乗っていそうな、一番最初の雪のひとひらに出会えたら。上手く捕まえられたなら。
(ちゃんと会えたら…)
友達になれたら、願い事はもちろん背を伸ばすこと。前の自分と同じ背丈に、ハーレイとキスが出来る背丈に。
妖精だったら、きっと簡単なこと。南天の葉っぱの耳をピクンとさせたら、叶いそうなこと。
(雪の季節は、まだだけど…)
頑張りたいな、と思ってしまう。今日の羽根は捕まえ損なったけれど、本物の雪は捕まえたい。空から落ちて来た最初のひとひら、雪の妖精を乗せた真っ白な欠片。
この冬、最初の雪が降りそうな日に、空を見上げて。
今か今かとワクワクしながら、空からの最初の手紙を探す。いつ降って来るかと、降りる先はと首を長くして。捕まえなくちゃ、と心を躍らせて準備して。
ひらりと雪が降りて来たなら、失敗しないで手のひらに、そっと。上手く手のひらの真ん中に。
そうしたらきっと、雪の妖精が出て来るのだろう。
一番最初の幸運をどうぞと、願い事は何かありますか、と。
(会いたいよね…)
雪の妖精。この冬の最初の雪のひとひら、それに乗って降りて来そうな妖精。
どんな姿をしているだろうか、雪だるまか、可愛い雪ウサギなのか。雪ウサギだったら、きっと友達になれるんだよ、と夢を描いていたら、聞こえたチャイム。
仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、訊いてみることにした。今のハーレイは、沢山のことを知っているから。キャプテンだった頃とは違う知識で、言い伝えなどにも詳しいから。
テーブルを挟んで向かい合わせで、早速、ぶつけてみた質問。
「えっと…。ハーレイ、雪の妖精、知っている?」
「雪の妖精?」
それは雪のことか、冬になったら降って来る雪。…あの白い雪の妖精ってか?
「うん。今日、学校の帰りにね…」
バスを降りてから歩いていたら、真っ白な雪が浮かんでたんだよ。空にふんわり。
あれっ、と思ったら白い鳥の羽根で、本物の雪じゃなかったんだけど…。鳩か小鳥の羽根。
捕まえられるかな、って追い掛けてみたけど、他所の家の方に行っちゃった…。生垣を越えて。
今のぼくのサイオン、少しも上手く使えないから…。頑張ってたのに、掴めなかったよ。
それでね、その時に考えたんだけど…。
もしも本物の初雪が降って来た時、一番最初の雪を上手に捕まえられたら、凄くない?
雪の妖精に出会えそうだよ、一番最初の雪に乗っかっていそうだから。
雪の季節の始まりなんだもの、この雪に乗って下へ降りて行こう、って。
だから、雪の妖精が気になっちゃって…。どんなのかな、って。
妖精の姿が知りたいんだよ、と今の物知りなハーレイに頼んだ。雪の妖精を知っているのなら、ぼくに教えて、と。
「ハーレイも見たことは無いだろうけど…。雪の妖精も、他の妖精も」
会ったことがあるなら、とっくに話してくれただろうから。こんなのに会ったぞ、って。
「なるほど、雪の妖精か…」
一番最初の雪に乗って降りて来るんだな。雪の季節が始まる時に。
「そう! 普段は空の上で暮らしているけど、冬の間だけ降りて来る妖精」
雪の結晶って、花みたいな形をしてるから…。花には妖精がいるって言うから、雪にも妖精。
真っ白な雪の花と一緒に降りて来そうでしょ、これからは雪の季節だよ、って。
雪の妖精、ウサギだといいな、と思うんだけど…。ウサギの妖精。
「ウサギ?」
なんだって雪の妖精がウサギになるんだ、白いからか?
「雪ウサギだよ、雪と南天で作るでしょ? 南天の実の目と、葉っぱの耳と」
そういう妖精だったらいいな、って思わない?
ぼくたち、ウサギのカップルだもの。ウサギ年で、白いウサギと茶色のウサギ。
だから、雪の妖精が雪ウサギだったら、仲良くなれそう。おんなじウサギなんだから。
「ははっ、お前なら友達になれそうだな。チビの頃の夢はウサギになることだったと聞くし…」
ぼくもウサギだよ、と自己紹介をしそうだな、うん。ウサギ年だから本物のウサギ、と。
それで、友達になってどうするんだ?
雪の妖精と一緒に遊ぶのか、雪が降る度に?
お前の友達が一人増えるな、と腕組みをして頷くハーレイ。冬の間だけの友達か、と。
「友達が出来るのはいいんだが…。ちゃんと暖かくして遊ばないとな」
雪が降るほど寒いわけだし、風邪を引かんように。マフラーとかも、きちんと巻いて。
「そうじゃなくって…。友達になったら、一緒に遊びもするんだろうけど…」
願い事を聞いて貰うんだよ。妖精には不思議な力があるでしょ、そういうお話、沢山あるよ。
雪の妖精でも、きっと同じだと思うから…。ぼくの願い事を叶えてくれそう。
「願い事だと?」
「そう。ぼくの背、ちっとも伸びてくれないから…」
妖精に頼めばきっと伸びるよ、前のぼくと同じ背丈になるまで。凄い速さで。
ひょっとしたら、一日で大きくなるかも、パパもママもビックリしちゃうくらいに。
「ふうむ…。妖精の力ってヤツか…」
不思議な力はあると言うなあ、昔から。色々な薬を持っていたりもするし…。背を伸ばすための薬もあるかもしれないが…。
「ホント? だったら、余計にお願いしなくちゃ!」
背が伸びる薬を分けてちょうだい、って。雪の妖精と、うんと仲良くなって。
「こら、慌てるな。あるかもしれんと言っただけだぞ、背が伸びる薬」
それにだ、雪の妖精の場合はだな…。ちょっと問題がありそうだよなあ、雪だけにな。
この地域だと、雪の妖精は恐ろしいと言われているんだが…、とハーレイは難しそうな顔。
雪の妖精と友達になるどころではない、と。
「今はどうかは分からないが…。少なくとも、此処が日本って国だった頃のは駄目だな」
一緒に遊ぼうとも思わない筈だぞ、会っちまったら。…雪の妖精。
「雪の妖精…。やっぱりいるんだね、そういうのが。だけど…」
悪い妖精なの、雪の妖精は?
日本だった頃に住んでた妖精、人間に酷いことでもするの…?
「まあ、色々ではあるんだが…。酷いことをしない場合もあるが…」
お前、雪女を知らないのか?
日本で雪の妖精と言ったら、それは雪女のことなんだが。
「雪女…」
そういえばいた、と思い出した雪女の昔話。
雪の夜に出る雪女。出会った人間に冷たい息を吹きかけ、凍らせて命を奪ってしまう。
中には違うものもいるけれど、大抵は、そういう怖い伝説。雪の恐ろしさを語るかのように。
真っ白な雪は綺麗だけれども、時として荒れて、人を、家を埋めてしまったから。
サイオンを持たなかった時代の人には、雪は危険なものだったから。
雪の妖精に会って、友達になって…、と夢見ていたのに、ハーレイに聞かされた雪女。雪の降る夜に白い着物で現れ、人を凍らせて殺してしまう雪女。
「…雪の妖精って、雪女なの?」
あれだって言うの、雪の妖精。…雪ウサギじゃなくて。
「この地域ではな。雪女のお供に、雪のウサギもいるかもしれんが…」
満月の夜には、沢山の雪の子供を連れて遊ぶと言うから、雪のウサギも連れているかもしれん。子供たちと一緒に遊べるようにな。
しかし、雪ウサギも、雪女のお供をしているわけだし…。雪の子供の遊び友達だ。雪の妖精とは少し違うな、雪の妖精は雪女だから。
つまりだ、雪の妖精に会うとなったら、雪女なわけで…。会ったらロクなことにはならん。
願い事が叶うとか、妖精の薬を貰うだとか…。雪女が相手だと、かなり難しいぞ。
「うん、分かる…。大抵は死んじゃうらしいから。…雪女に会うと」
「そういうこった。たまに、宝物を貰った人の話もあったりはするが…」
普通は凍死しちまうんだから、欲張るのはやめておくんだな。雪の妖精に会おうだなんて。
ついでに、会ったら願い事をしようだの、薬だのと…。友達程度にしておけよ。友達だったら、雪女も殺しはしないだろうしな。
まあ、当分、雪は降りそうもないが…。まだまだ先の話なんだが…。
楽しみだな、いつか雪の季節が来るのが。
「…楽しみって…。何が?」
ハーレイ、雪の妖精は雪女だ、って言ったじゃない…!
そんなのに会いたいと思っているわけ、ぼくには「ロクなことにならない」って言ったくせに!
でも、ハーレイは楽しみだなんて、どういうこと…?
雪の季節が楽しみだ、とハーレイは待ち遠しそうな顔に見えるのだけれど。この地域では、雪の妖精は雪女。恐ろしい存在だと話したくせに、ハーレイは何を楽しむのだろう?
まるで分からない、と物知りな恋人を見詰めていたら…。
「俺が楽しみにしているものか? 雪の妖精に会いたいとまでは思わんが…」
雪が降るのも、雪景色もだ。どれも楽しみだな、俺は雪を全く知らないからな。
「えっ? 知らないって…」
ハーレイは隣町で育ったんでしょ?
この町と同じで雪が降ったり、積もったりすると思うけど…。雪は何度も見てる筈だけど。
それに、ぼくが生まれる前に、この町に引越しして来たって聞いたよ。ぼくは十四年しか生きてないけど、雪は何度も見ているし…。雪だるまだって作っていたよ?
ハーレイが雪を知らない筈がないじゃない。ぼくと同じ町にいたんだから。
「確かに、今の俺にとっては、雪は馴染みのものなんだが…」
冬になったら降って来るもので、たまにドカンと積もったりもするが…。
その雪、この目で見るというのは初めてだろうが。…前の俺だと。
生まれ変わった俺の目を通して見るわけなんだが、前の俺が見る初めての雪だ。肉眼ではな。
「そうだっけ…!」
前のハーレイ、雪の中には出なかったっけ…。
シャングリラの周りにも雪は舞ったけど、船の中には、絶対、入って来られないものね…。
前の自分とハーレイが暮らした白い船。遠く遥かな時の彼方の、白い箱舟。
シャングリラが潜んだ雲海の星、アルテメシアにもあった雪景色。テラフォーミングされていた星の上では、冬になったら雪が積もった。空気がキンと冷える季節は。
シャングリラを取り巻く雲の海からも、白い雪が無数に舞い降りて行った。遥か下へと。
白い鯨の周りで幾つも巻いていた渦。風に吹かれて舞い狂った雪。白い雪たちが作った渦。
けれど、前のハーレイが目にした雪は、いつもモニター越しだった。
雪雲の中を飛んでゆく船、それの周囲の状況は、と。
船首は、船尾はどんな具合かと、映し出されてゆく映像。ハーレイはそれでしか雪を知らない。船の外へは出ていないから、肉眼で眺める雪を知らない。
前の自分は、その雪の中へ出ていたこともあったけれども。
白いシャングリラと白い雪の渦、それを何度も外から眺めていたのだけれど。
雲海の星を追われた後に、シャングリラは宇宙を長く旅した。赤いナスカに辿り着くまで。
ナスカで雪が降っていたなら、前のハーレイも見ている筈。ナスカには降らなかったのだろう。降っていたとしても、入植地にまでは届かなかった。星の極点に近い所で降っていただけで。
だからハーレイは雪を知らない。アルテメシアでは見ていないから。けれど…。
「ハーレイ、雪を見てないの? ナスカでは見なかったみたいだけれど…」
前のぼくが死んじゃった後に、何処かで見てない?
地球に行くまでに、幾つもの星に降りた筈だよ。其処で雪景色を見なかったの?
…まさか、雪が降っていたのかどうかも、ハーレイにはどうでも良かったとか…?
前のぼくが死んでしまった後のハーレイ、抜け殻みたいになってたらしいし…。
「安心しろ。…魂はとっくに死んでいたがな、そこまで酷い状態じゃない」
たまには笑うこともあったし、周りのことはちゃんと見ていた。…キャプテンだからな。
お前が言う通り、ありこちの星に降りてはいたが…。
生憎と、雪が降っている星には出くわしていない。雪のシーズンじゃなかったんだな。
季節は色々と変わるからなあ、その星系にある恒星の気分次第で。
今の地球だって、暖かい冬があるかと思えば、やたらと寒い冬だってある。それと同じだ。
雪が降る筈の星に降りても、宙港があるような大都市にまで降らなかったら見られない。
そんなモンだろ、地球にしたって。
常夏が売りの地域もあるしな、雪なんか一度も降ってません、という。
どういう所に雪を降らせるか、そいつは恒星の気分次第で、惑星が周っている軌道次第だ。
前の俺が地球に着くまでの間に降りた星では、雪を一度も見てないし…。
シーズンを逃しちまったんだろう、と思うわけだが、其処までのデータはチェックしてないな。
ひょっとしたら、俺たちの滞在中に、何処かで降ったのかもしれないが…。
雪が降ったから見に行こう、と出掛けたヤツらの話は知らんし、雪の季節ではないと思うぞ。
雪見の旅をしていたわけじゃないから、見落としただけかもしれないが、とハーレイが浮かべた苦笑い。何処かの星で、雪は降ったかもしれないと。
「気象のチェックは、必要な場所しかしていないからな…。キャプテンはな」
だから、見たヤツはいるかもしれん。雪を見物に出掛けるんじゃなくて、たまたまな。
この星で集める物資はこれだ、と指示を出したら、色々な場所に散ってたわけだし…。その先で雪を眺めてたヤツも、中にはいたかもしれないってことだ。
しかし、雪見に行ったヤツらはいないし、俺も雪には出会っていない。ただの一度も。
前の俺が知っていた雪は、アルテメシアで見た分だけだ。…船の周りのを、モニター越しにな。
「そうだったんだ…。ハーレイ、最後まで雪を知らないままで…」
肉眼では一度も見ないまんまで、地球まで行ってしまったんだね。
アルテメシアで隠れてた間に、雪は何度も降ったのに…。幾つもの冬を越していたのに。
「…前のお前は見てたっけな。船の周りに舞っていた雪も、アルテメシアに雪が降るのも」
雪が積もってる中に出て行ったことも何度もあったし、珍しいモンでもなかったか…。
冬になったら雪が降るのも、特に寒い日は積もるというのも。
「うん…。だけど、そんなに長くは出てはいないよ」
雪を見たいから外に出よう、って思うくらいに我儘じゃないし。…船の仲間は出られないから。
外に出る用事があった時にね、積もっていたら見ていただけ。
これが雪だな、って触ったりして。…シャングリラの中には降らないよね、って。
わざわざ雪を見るためだけには、外へ出掛けはしなかったけれど。
アルテメシアに潜んでいた歳月は長かったから、何度も雪を眺めていた。雪が降る中に立ってもいた。空を見上げて、舞い降りて来る雪を手のひらで受けたりもして。
降り積もった雪を踏みしめて歩きもした。足跡が残るのもかまわずに。
そんな場所まで、人類は足を踏み入れたりはしなかったから。…雪の季節に、星の外れへは。
前の自分は何度も雪を見たのに、雪をサクサクと踏んで歩きもしたというのに…。
「ハーレイ、知らないままだったんだ…。本物の雪を」
そんなの、夢にも思わなかった。…ぼくは気付きもしなかったよ。
前のハーレイは、肉眼で雪を見なかったなんて。…最後まで見ないままだったなんて…。
「気にするな。お前のせいってわけじゃないしな、前の俺が雪を知らんのは」
たまたま運が悪かったのか、俺にその気が無かっただけか。
どっちにしたって、雪とは御縁が無かったってこった。前の俺はな。
今の俺には馴染みなんだが…。ガキの頃には、デカイ雪だるまも作ってたんだが。
そうは言っても、新しい目で見たいじゃないか。
これが雪かと、モニター越しにしか見たことがなかった前の俺の目で。…前の俺の視点で。
きっと新鮮だろうと思うわけだな、去年までのと同じ雪でも。
「それは分かるよ、ぼくもおんなじ」
前のぼくだと、雪を楽しむ余裕までは多分、無かったと思う。…見てはいたって。
雪が積もった上を歩いていたって、「どうせ人類は気付かないから」って考えてたもの。
それでも、いざとなったら消そうと思ってた。…ぼくの足跡。もしも人類が来そうだったら。
雪を巻き上げたら一瞬で消せるし、つむじ風を作り出すんだよ。サイオンで。
自然の風が吹いたように見せて、ぼくが歩いた後の雪を全部、混ぜてしまって。
…そういったことを考えてるのと、何も考えないで済む今とは違うよ。
降って来る雪を見るのにしたって、きっと全然違うんだよ…。
前の自分が降る雪の中で空を見上げる時、いつも何処かにシャングリラがあった。その場所から遠く離れていたって、空には白い鯨があるもの。雪を降らせる雲に包まれて。
けしてシャングリラを忘れなかったし、其処へ戻らねばと見上げていた。降る雪の向こうを。
(…今は、シャングリラはもう無いんだから…)
前の自分が守った船。ハーレイが舵を握っていた船。ミュウの世界を乗せた箱舟。
白いシャングリラは役目を終えて、時の彼方に消え去って行った。今の空の上に、もう守るべき船は無い。ソルジャーの役目も負ってはいない。
(…ただのチビになった、ぼくがいるだけ…)
アルテメシアではなくて、青い地球の上に。前の自分が焦がれ続けた水の星の上に。
今の自分が見上げる雪は、地球に降る雪。前の自分が生きた頃には、死の星だった地球の上に。青く蘇った星の上に降る、真っ白な雪。遥か上の空から、後から、後から。
その雪を降らせる空へ向かって飛んでゆく力は、持っていないけれど。雪が渦巻く中を飛んでは行けないけれども、今は飛べなくてもかまわない世界。
雪の空を駆けて戻るべき船は、何処にも浮かんでいないのだから。戻らなくてもいいのだから。
(…いつまでだって、見てていいんだよ…)
降りしきる雪を。一面に降って、辺りを真っ白に染めてゆく雪を。
冷えた木々の枝先や葉から白くなっていって、その内に地面にも積もってゆく。下がった気温で冷えてしまったら、地面の熱が奪われたなら。
そうして、しんしんと雪が全てを覆ってゆく。見渡す限りの白い世界が広がってゆく。
落ちてくる雪の一つ一つは、小さくて軽いものなのに。小鳥の羽根を雪だと見間違えたほどに、軽くて儚いものなのに。
けれど、幾つも降って来たなら、雪は町だってすっぽりと覆う。庭を、垣根を、家々の屋根を、すっかり白く染めてしまって。道路まで白く埋めてしまって。
遠い昔には、雪女が来ると恐れられたほどの地球に降る雪。何もかも白く覆い尽くす雪…。
怖い雪女に会いたくはないし、風邪も引きたくないのだけれども、突っ立っていたい。空の上に守るべき船が無い地球で、ソルジャーの務めが消え失せた地球で。
いつまでも、降りしきる雪の中に。積もってゆく雪を眺めていたい。
そうハーレイに話したら…。
「無茶なヤツだな、お前、シールドも張れないくせに…。前と違って」
アッと言う間に凍えちまうぞ、雪女に出くわさなくてもな。そして風邪だって引いちまう、と。
その日の夜にはベッドの住人になっていそうだが、お前、やりかねないからなあ…。
雪見をしたい気持ちは、俺にも分かる。…俺だって、同じ気分だからな。
初めての雪を思う存分堪能するなら、ボーッと立ってるのが一番なんだ。庭の真ん中に。
どうやら、俺とお前の考えは一致しているようだし…。雪、俺と見るか?
俺と一緒に積もるのを見るか、お前が見ていたい地球に降る雪。
「ハーレイと?」
いいの、ハーレイ、付き合ってくれるの?
ぼくは雪が積もるのを見ていたいだけで、きっとぼんやりしてるんだけど…。
「かまわんさ。お前、冬でも庭でお茶だと言っていただろ。…あそこの白いテーブルと椅子で」
お茶が冷めないようにポットに被せるティーコジーだとか、そんな物まで用意して。
「言ったけど…。冬の間は店じまいなんて嫌だから」
「お茶もいいがだ、そいつは抜きで二人で雪見だ」
雪が積もりそうな時に俺が来たなら、一緒に庭で見ようじゃないか。ド真ん中でな。
お前がすっかり凍えちまわないように、俺がサイオンで包んでやるから。
「ホント!?」
ハーレイのシールドで包んでくれるの、ぼくはシールド出来ないから…。
タイプ・ブルーって名前ばかりで、サイオン、とことん不器用になってしまったから…。
本当にいいの、と念を押したら、ハーレイは「任せておけ」と微笑んでくれた。
「俺が一緒に外へ出るなら、お母さんたちも許してくれるだろう?」
お前が一人で庭へ出ようとしてるんだったら、追い掛けて来て止めそうだが…。
でなきゃデッカイ傘を持たせて、直ぐに戻れと言い聞かせるとか。
しかし、俺と一緒なら大丈夫だぞ。タイプ・ブルー並みのシールドを張ってやれるんだから。
そいつの中に入っていればだ、お前は雪に濡れもしないし、風邪も引かんし。
「シールドの中に入るんだったら、くっついていても大丈夫だね!」
ぼくがハーレイに抱き付いていても、ハーレイがぼくを抱き締めていても。
その方がシールドを張りやすいものね、二人分なら。
「…そうなるな。離れていたんじゃ、張りにくいからな」
夏休みにお前と記念写真を写した時と同じだ、堂々とくっついていられるぞ。
お母さんたちが窓から見てても、俺は頼もしい守り役にしか見えないんだからな。チビのお前をシールドに入れて、我儘を聞いてやってる、と。
きっと恐縮されちまうんだぞ、「ハーレイ先生、すみません」とな。
俺はお前と一緒に雪を眺めてるだけで、前の俺には出来なかったことをしてるのに…。
ボーッと突っ立って雪を見たいな、という望みを叶えているだけなのにな。
お前のお母さんたちには申し訳ないが、とハーレイは苦笑しているけれど。
「お母さんたちが見ている前で、くっついてデートとは酷い教師だな」と唇を歪めるけれども、雪見だと言ったなら二人で出られるだろう。真っ白な雪が降りしきる庭に。
しんしんと雪が積もってゆく庭で、キスは出来なくても、ハーレイの腕の中にいられる。まるで恋人同士みたいに、抱き付いて、あるいは抱き締めて貰って。
「ふふっ、ハーレイと雪の中でデート…」
雪の妖精がお願いを叶えてくれたみたいだよね、ハーレイと一緒。
二人くっついて雪を見ていられて、どんどん真っ白に積もっていくのをボーッと眺めて。
「…雪の妖精は多分、雪女ってヤツで、お前が会いたがってた雪ウサギではないんだが?」
それに、最初に降って来た雪を捕まえたわけでもなさそうだしな。
お前の背丈は伸びやしないし、チビのままだと思うんだが…?
「でも、ハーレイとデートだよ! ちゃんとくっついて!」
キスは出来ないけど、ハーレイとくっついて二人きりでデート。雪を見ながら。
…前のぼくは本物の雪を見ていたけれども、ハーレイと一緒には見ていないから…。
今度、初めて見るんだよ。ハーレイと二人で眺める雪は。
そう思ったら、とても楽しみ。…ハーレイと二人きりで見る雪、前のぼくにも初めてだから。
「俺の楽しみも一つ増えたな、お前と一緒に見られるんだから」
一人で突っ立って見るのもいいが、お前と二人で見られるとなれば値打ちがグンと増すってな。
前の俺が一度も見ていない雪を、今度はお前と一緒に地球で見られるんだ、と。
「庭で二人で見るのもいいけど、この部屋の窓からも見ようね、雪」
きっと綺麗だよ、空から落ちて来て、窓の下へと落ちていくから。
シャングリラでハーレイがモニター越しに見ていた雪を、今度は窓のガラス越しに見ようよ。
雪雲の中とは違うけれども、その分、雪がずうっと綺麗に見える筈だよ、昼間も、夜も。
「それはかまわないが…。俺にくっつくのは部屋では駄目だぞ」
部屋の中じゃシールドは要らないわけだし、わざわざくっつかなくてもな…?
「普段と同じ程度だったら、いいじゃない!」
やっぱりくっついていたいもの。外が寒い分、くっつきたいもの…!
いいでしょ、と駄々をこねてやったら、ハーレイは「仕方ないな」といった顔。
きっと部屋でもくっつけるだろう、ハーレイの膝の上に座って、甘えて。いつものように。
窓の向こうの雪を見ながら、すっかり白くなった庭を見ながら。
庭が雪景色に変わる前には、二人で庭に立って眺める。辺りを真っ白に染めてゆく雪を、後から後から降って来る雪を。
いつか冷え込む冬の季節が、白い雪を連れて来たならば。
一番最初に舞い降りて来た雪のひとひら、それが雪の妖精を乗せて来たならば。
(…前のぼくたちが見ていない雪…)
ハーレイと二人で見上げる初めての雪を、幸せの中で眺めよう。
前の自分たちには出来なかったことを、青い地球の上で、ただ幸せに。
降ってくる真っ白な雪を眺める、ただそれだけのことだけれども。
前のハーレイは見られなかった雪を、前の自分はハーレイと一緒に見ていない雪を、降って来る雪を二人で見よう。
庭の真ん中で、二人、ぴったりとくっついて。
「綺麗だよね」と降る雪を見上げて、いつまでも二人。
庭がすっかり白くなるまで。
雪女が子供や雪ウサギを連れて遊びに来そうなくらいに、しんしんと雪が降り積もるまで…。
雪を見るなら・了
※前のブルーは見ていた雪。けれど、前のハーレイは雪を肉眼では見ていなかったのです。
今度は二人で眺めることが出来る雪。ハーレイのシールドの中に入って、降り積もるのを…。
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(んーと…)
見られてるな、と小さなブルーが気配を感じたバスの中。学校からの帰りに、いつも乗るバス。お気に入りの席に座っていたら、後ろの方から感じる視線。誰か見てる、と。
(誰…?)
この路線バスは、近所の人が乗っていることも多いから。それなら挨拶しなくっちゃ、と視線の方を振り返ってみたら、年配の夫婦。遠い所で暮らす祖父母たち、そのくらいの年。
まるで見覚えのない顔だけれど、こちらに向けられたにこやかな笑み。
明らかに自分を見ていると分かる、優しい光を湛えた瞳。自分の孫がいるかのように。
何故、とキョトンと目を丸くしたら、手を振ってくれた二人。幼い子供ではないというのに。
(そういえば…)
学校の近くでバスに乗り込んだ時、先から乗っていた夫婦。乗り込む自分を見ていたのだった、嬉しそうな顔で。知り合いの子が乗って来たかのように。
(子供好きの人は多いから…)
その時は気にしていなかった。誰かと重ねているのだろう、と。あの子だったらこんな風、と。
けれど、そうではないらしい夫婦。
知り合いでもない年配の人に、無邪気に手を振れる年でもないから、「こんにちは」という声の代わりに返した会釈。途端に弾けた二人の笑顔。また手を振ってくれた、知らない人たち。
もういいよ、と合図をしてくれたから、元の通りに座ったけれど。後ろは向いていないけど。
(久しぶりに会っちゃった…)
ソルジャー・ブルーが大好きな人、と分かった年配の夫婦の正体。前の自分のファンの人たち。たまに、こういう人たちに出会う。バスの中だったり、買い物に出掛けた先だったり。
(…そっくりだものね?)
少年だった頃のソルジャー・ブルーに。今の時代にも伝わっている、アルタミラ時代に撮られた写真。成人検査を受けた時のまま、成長を止めていた姿。十四歳のままで。
チビの自分はそれにそっくり、おまけに本物、と可笑しくなった。
ソルジャー・ブルーの大ファンらしい、あの夫婦には内緒だけれど。生まれ変わって来た本物のソルジャー・ブルー。サイオンは全く駄目だけれども、とても本物には見えないけれど。
バスを降りる時にペコリと頭を下げたら、また手を振ってくれた人たち。「さよなら」と笑顔、バスが発車してからも、見えなくなってしまうまで。
初対面の子で、何処の子供かも分からないのに。名前も知らない、他所の子なのに。
(こういう孫が欲しいんだろうな…)
あんなに嬉しそうだったのだし、きっと欲しいに違いない。ああいう孫がいたらいいな、と。
(お祖父ちゃんたちだって、喜んでるし…)
祖父母たちの自慢の、小さな自分。成績優秀な孫でなくても、可愛がられたことは請け合い。
ソルジャー・ブルーにそっくりな子だと、素敵な孫が生まれて来たと。
生まれた時から、名前は「ブルー」。アルビノの子供だったから。伝説の英雄と同じアルビノ、両親が迷わず名付けた名前。
祖父母たちも「小さなソルジャー・ブルーが来てくれた」と、喜んで抱っこしていたらしい。
ソルジャー・ブルーの赤ん坊の頃の、写真は残っていないのに。同じかどうか分からないのに。
けれども、期待通りに育った自分。アルタミラ時代のソルジャー・ブルーに瓜二つ。
そうなったお蔭で、大喜びなのが祖父母たち。
きっと将来も本物そっくり、と。ソルジャー・ブルーにそっくりの孫と一緒に歩けると。一緒に食事だって出来るし、のんびりお茶を飲むことだって、と。
ただでも孫は可愛いらしいのに、その孫がソルジャー・ブルーにそっくり。
楽しみにしている祖父母たち。いつかソルジャー・ブルーと食事する日を、賑やかにテーブルを囲める時を。
さっきの夫婦が手を振っていた理由はよく分かる、と考えながら帰った家。生まれ変わった今の自分が暮らしている家。血の繋がった両親と一緒に。
今も人気のソルジャー・ブルー。遠い昔に世界を、地球を救った英雄。
その英雄にそっくりな孫が欲しい人たちは多いだろう。バスで出会った夫婦のように。瓜二つの孫でも嬉しいのだから、それが自分たちの子供となったら…。
もっと欲しいだろう、ソルジャー・ブルー。自分たちの手で育てられる子。生まれたら直ぐに、自分たちの家にソルジャー・ブルーがやって来る。ほやほやの、ちっちゃな赤ん坊が。
ミルクを飲ませて、あやして、寝かせて、ソルジャー・ブルーを育ててゆける。そういう子供が生まれたら。自分たちの息子に生まれて来たら。
(ちっちゃい頃から…)
両親の友達に羨ましがられた、自分の姿。ブルーという名で、アルビノの自分。
小さなソルジャー・ブルーといつも一緒だなんて、と両親を羨んでいた人たち。こういう子供が生まれて来たなら、もう可愛くてたまらないのに、と。
(ママたちも、おんなじ気持ちだったし…)
ブルーと名付けるほどなのだから、物心ついた頃から、ソルジャー・ブルーと同じ髪型。もっと小さな子供だった頃も、髪型はやっぱりソルジャー・ブルー。
他の髪型は、一度も試してみたことがない。美容室の人たちだって、勧めもしない。
(ぼくも慣れてるしね?)
この髪型で、と覗いた部屋の壁に掛かっている鏡。小さい頃から見慣れた顔と、髪型と。
ただ、自分でも、まさか本当にソルジャー・ブルーだとは夢にも思っていなかったけれど。
学校で必ず教わる英雄、その生まれ変わりが自分だなんて。
似てるだけだと思ってたっけ、とクスッと笑って制服を脱いで。それから、おやつを食べようと出掛けたダイニング。階段を下りて、母が用意をしてくれているテーブルへ。
美味しいケーキは母の手作り、熱い紅茶もコクリと飲んでいるのだけれど。
(ぼくがおやつを食べていたって、きっと見物…)
少年の姿のソルジャー・ブルーが、おやつを食べている姿。そう見えるのだし、見物したい人は大勢いるのだろう。ケーキを口に入れる所や、紅茶を飲んでいる所。
ソルジャー・ブルーだ、とバスで出会った夫婦みたいに、大喜びで。
きっと何人もいるに違いない。窓の向こうの庭から中を覗けたら、と夢見る人が。
前の自分のファンの人たち。ソルジャー・ブルーにそっくりな自分を、眺めてみたいと思う人。
(動物みたい…?)
猫とか、小鳥とか、そういうペットに似た感覚。
眺めていたいし、出来れば欲しい。何をしていても可愛いから、と。おやつのケーキを頬張っていても、紅茶のカップを傾けていても。
自分で言うのも変だけれども、「可愛い」と誰もが言ってくれるから、そうなのだろう。
可愛らしいから、見ていたいもの。少年の姿のソルジャー・ブルー。
(大きくなったら、今度はカッコいいから、って…)
写真集が何冊も作られるほどのソルジャー・ブルー。小さな子供も憧れる英雄。
育った時には、ソルジャー・ブルーそのものの姿になってしまうから、やっぱり見物される筈。
「ソルジャー・ブルーだ」と、前の自分のファンたちに。
散歩していても、食料品の買い出し中でも、きっと自分を追っている視線。伝説の英雄が歩いていたなら、こんな具合、と。キャベツやトマトを買いに来たなら、こんな感じ、と。
一生、見物されそうだけれど。何処へ出掛けても、視線が追って来そうだけれど。
それでもいいや、と思ってしまう。一生、見物されていたって。
今の姿が大切だから。前の自分とそっくりに育つ、この身体が大切なのだから。可愛がられたいわけではなくて、カッコいいと言われたいわけでもなくて…。
自分では別にどうでもいいこと。自分の姿がどうであろうが、自惚れたいとも思わないから。
けれど、どうしても必要な身体。見物したがる人が大勢いそうな身体。
(ハーレイには、この姿でないと…)
前の生から愛した恋人、青い地球の上で再び巡り会えた人。
そのハーレイは、前の自分を失くしてしまった。遠く遥かな時の彼方で、「さよなら」のキスも交わせないままで。
だから、ハーレイには前の自分と同じ姿を返してあげたい。いつか大きく育った時に。失くした時と同じ姿を、前のハーレイが失くしてしまったソルジャー・ブルーと同じ姿を。
もしも自分が猫や小鳥に生まれていたなら、ハーレイを悲しませてしまうから。
再会した時、「俺のブルーだ」と喜びはしても、きっと心の何処かでガッカリするに違いない。人の姿で会いたかったと、失くした通りの姿で戻って来て欲しかった、と。
それに、寿命も短いから。猫や小鳥だと、またハーレイは自分を失くしてしまうから。
二人で幸せに生きてゆくには、必要な身体。前の自分とそっくり同じに育つ身体が欠かせない。
一生、見物される身体でも。「ソルジャー・ブルーだ」と視線を集めてしまっても。
おやつを食べ終えて、戻った部屋。座った勉強机の前。頬杖をついてハーレイを想う。また巡り会えた、恋人のことを。生まれ変わって、この地球の上で。
(ぼくが、どんな姿でも好きになるって…)
ハーレイは何度も言ってくれたけれど、この姿が一番に決まっている。前の自分と同じ姿が。
「どんな姿でも好きになるさ」と言ったハーレイも、この姿の自分に巡り会えたことを喜んだ。前とそっくり同じ自分に出会えたことを。
それに自分も、この姿がいいと思っている。注目を集めてしまう姿でも。
(猫や小鳥に生まれていたら…)
ハーレイの家で飼って貰えて、いつも一緒にいられるようでも、そうはいかない。
仕事に出掛けるハーレイについて行けないことは、人間だって同じだけれども、他の時。
ハーレイが街などに出ようという時、ケージに入れて貰ってついて行けても、ペットが入れない場所もあるから。行き先がそういう所だったら、家で留守番するしかない。一人、ポツンと。
ハーレイがベッドで眠る時だって、猫は一緒に入れて貰えても、小鳥だと無理。しなやかな猫の身体と違って、小さくて脆い小鳥の身体。
きっと潰れてしまうから。ハーレイが寝返りを打ったはずみに、下敷きになって。
(御飯を食べる時だって…)
猫や小鳥は、ハーレイと同じ御飯をテーブルで食べられない。少しくらいなら分けて貰えても、身体に毒にならない程度。
ペットも一緒に食事をどうぞ、という謳い文句のお店で食べても、ハーレイとは違うメニューになってしまうだろう。猫や小鳥にピッタリの食事、それが自分に届くのだから。
(やっぱり、今の身体でなくちゃ…)
猫や小鳥の身体は駄目だし、人間に生まれて来るのだったら、前とそっくり同じがいい。自分もそうだし、ハーレイだって。
だから見物されても平気、と思ったけれど。一生、見世物でもかまわないや、と考えたけれど。
(あれ…?)
こうして覚悟を決めるよりも前、もっと小さくて幼かった頃。
本当に小さかった頃から、見物されても平気だった自分。両親と一緒に出掛けた先で、知らない人たちに囲まれたって。「小さなソルジャー・ブルー」を見たい人が大勢、寄って来たって。
ちやほやされるのが好きだったろうか、幼かった自分は?
誰もが「可愛い」と褒めてくれるのだし、それが大好きだったのだろうか…?
(…そうでもないよね?)
どちらかと言えば、はにかみ屋だった幼い自分。「お名前は?」と訊かれた時は、もじもじ。
胸を張って「ブルー」と答える代わりに、「えっと…」と尻込みしていたくらい。
けれど、逃げたりしなかった。いつもニコニコしていた自分。元気に名前を名乗れなくても。
(公園でも、遊園地でも、お店とかでも…)
小さなソルジャー・ブルーがお目当ての人たちに囲まれていても、それがちょっぴり恥ずかしい時も、嫌がらなかった幼い自分。名前を訊かれて、もじもじしても。両親に促されて「ブルー」と名乗った途端に、ワッと歓声が上がっても。
そうなって更に人が増えても、「早く帰ろうよ」とは言わなかった。
却ってキョロキョロすることもあった、誰が自分を見ているのかと。どんな人たちがいるのか、眺め回していた。自分を囲んでいる人の群れを、其処に新たに増えてゆく人を。
今から思えば不思議な話。はにかみ屋で、名前も直ぐには名乗れなかったほどなのに。
(なんで平気だったの…?)
大勢の人たちに取り囲まれても、それが知らない人ばかりでも。いつも、何処でも。
両親の後ろに隠れていたって、興味津々で眺めた自分。ぼくを見ているのはだあれ、と。知っている人がいるといいな、と。
知り合いだったら、とっくに声を掛けられているに決まっているのに。「ブルー君」と。自分で名前を名乗らなくても、ちゃんと名前を呼んで貰えて。
けれども、誰かを探していた。周りに人が寄って来たなら、いつだって。
(来ないかな、って…)
この人たちの中にいるといいな、と思った誰か。来てくれるかな、と。
でも、誰を?
幼い自分は誰を探していたのだろうか、自分を囲んでいる人の中に。知らない人たちが集まって来るのに、いったい誰を探すのだろう?
知り合いだったら探さなくても…、と考えたけれど。
(誰か、待ってた…?)
まさか、と思い浮かんだハーレイの顔。前の生から愛した人。
もしかしたら、と。
幼かった自分は、ハーレイを待っていたのだろうか、と。
(ぼく、ハーレイを探していたの…?)
大勢の人たちが寄って来るなら、その中にいるかもしれないと。いるといいな、と探した誰か。
それはハーレイだったのだろうか、前の自分の記憶は戻っていなかったのに。
記憶が戻っていないからには、会っても分かる筈がないのに。
ハーレイが側に来てくれていても。「名前は?」と尋ねてくれたとしても。
(だけど…)
他には思い当たらない。ハーレイの他には、誰一人として。
幼い自分が探しそうな人。知り合いでもないのに、待っていた誰か。大勢の人に囲まれる中で、逃げ出しもせずに、ニコニコとして。恥ずかしいのに、両親の後ろに隠れながらでも。
その人が姿を現さないかと、来てくれないかと待っていた人。顔も知らない、何処かの誰か。
ハーレイを探していたのだろうか、幼かった自分は。
いつの間にか、探さなくなったけれども。探したことさえ、すっかり忘れていたけれど。
(見付からなくって、諦めちゃった…?)
だとしたら、ずいぶん薄情な話。
いつ諦めたかは謎だけれども、前の生から愛し続けた人を探すのをやめてしまった。ハーレイがいないか、見回すことを。来てくれないかと、待っていることを。
諦めたならば、もう探せないのに。探すことをやめたら、出会えないのに。
どんなに愛した人であっても、探さなければ出会えない。諦めてしまえばそれで終わりで、次のチャンスは来ないのに。
けれど、探すのを諦めた自分。来てくれないかと待つのをやめてしまった自分。
ハーレイはもう来ないんだから、と考えたのか、探すだけ無駄だと投げ出したのか。幼い自分は探すのをやめて、それっきり。飽きっぽいのは、子供にありがちなことだけれども…。
(諦めちゃうなんて、酷いよね?)
もしも探すのをやめなかったら、もっと早くに出会えていたかもしれないのに。記憶は戻らないままだったとしても、「この人だよ」と見付け出して。
出会えていたなら、惹かれる理由は分からなくても、お気に入りの人になっていたろう。公園に行ったら会える人だ、と勇んで出掛けてゆくだとか。会ったら遊んで貰えるだとか。
(…記憶が無くても、きっと知り合い…)
ハーレイが公園に来る日を教えて貰って、一緒にお弁当を広げたりして。仲良くなったら、家に呼ばれたり、ハーレイが遊びに来てくれたりして。
(失敗しちゃった…)
もう少し頑張って探せば良かった。諦めたりせずに、待つのをやめずに。
ハーレイにも悪いことをしちゃった、と謝りたい気分。自分のせいで会い損なったと、頑張って探すべきだったと。
後悔しきりだった所へ、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、母がお茶とお菓子を置いて去るなり、自分の罪を打ち明けた。
「あのね…。ぼく、ハーレイを諦めたみたい」
諦めちゃったみたいなんだよ、ハーレイのこと…。
「はあ? 俺を諦めるって…。諦めるも何も、現に今だって…」
そうか、ついにキッパリ諦めたんだな、キスをすること。いいことだ、うん。
チビのお前にキスは早いし、諦めた方がいいに決まってる。そのまま当分諦めておけよ、俺からキスを貰える日まで。
「そうじゃなくって…! キスは諦めていないから…!」
諦められるわけがないじゃない。ハーレイに会っても、ちっともキスしてくれないんだから…。
ぼくが諦めたのは今じゃなくって、子供の頃だよ。本当に小さかった頃。
知らない人たちに囲まれた時は、ぼく、いつだってキョロキョロしてた…。顔も知らない誰かを待っていたんだよ。来てくれないかな、って見回しながら。
きっとハーレイを探してたんだよ、この人たちの中にいないかな、って。
他に探しそうな人は誰もいないから、ぼくが探していたのはハーレイ。
だけど、探すの、諦めちゃった…。
いつやめたのかは覚えてないけど、もう探さなくなっちゃった。…ハーレイのことを。
探してたことも、すっかり忘れてしまってて…。あんなにハーレイを待っていたのに…。
ごめんね、とハーレイに謝った。探すのを諦めちゃってごめん、と。
「…ぼくが諦めずに頑張っていたら、もっと早くに会えたのに…」
記憶は戻って来ないままでも、友達になれたかもしれないのに。…ハーレイと、ぼく。
「そいつは無理ってモンだろう。いくらお前が探していたって」
諦めないで頑張り続けていたって、お前は俺を見付けられない。どう頑張っても。
「…なんで?」
探してたら、きっと見付けられるよ。ハーレイが来てくれていたなら。
ぼくがキョロキョロしていた時はね、周りに大勢人がいたから…。ハーレイだって覗くと思う。
あんなに人が集まってるなんて、いったい何があるんだろう、って。
「それはそうかもしれないが…。ついでに周りの騒ぎってヤツも聞こえるわけだし…」
小さなソルジャー・ブルーがいるらしい、と分かれば覗きに行っただろうな。
見てみたいじゃないか、チビの可愛いソルジャー・ブルーを。
生憎、そういう現場に出会った覚えは無いから、探すだけ無駄だ、というのは別にして、だ…。
俺がお前を見に出掛けたって、お前、俺の顔なんか知らないだろうが。
キャプテン・ハーレイの写真を見たって、まるで反応しなかったんだと前に聞いたぞ。
知ってる顔だ、と思いもしなくて、歴史の授業で教わる重要人物の一人ってだけで。
「ハーレイを探してたようなチビの頃には、写真、見ていないと思うけど…」
前のぼくの方なら知っていたけど、ハーレイの写真は知らないと思うよ。
勉強するには早すぎるんだし、ママたちも教えていないと思う。ソルジャー・ブルーは、ぼくに似ている人だから、って何度も教えてくれたけど。
「なるほど。その頃だったら、俺の写真に反応したかもしれない、と…」
だが、本当に俺を探していたか?
お前がせっせと探していたのは、本当に俺の姿ってヤツか…?
褐色の肌の男を探していたと言うなら別なんだが、と尋ねられてみたら。
具体的には無かった目標。人を探していたのは確かだけれども、その人の特徴は何も無かった。肌の色はもちろん、髪の色も、瞳の色だって。
そればかりか、探している人は男性だとも、女性だとも。
幼かった自分は、知らない誰かを探していただけ。待っていただけ、来てくれないかと。
「…ぼく、ハーレイを探してたわけじゃなかったの?」
誰でもよくって、優しくてお菓子をくれそうな人とか、そんなのだったの…?
「いや、探してはいたんだろうが…。お前は頑張っていたんだろうが…」
それが誰だか、きっと分かっていなかったんだな。探す相手が、誰なのかが。
「誰か分かっていないのに…。それでも探して、待ってるなんて…」
そんなことって、あるのかな?
ハーレイを探しているんだってことも分かってないのに、探すだなんて…。
「あるかもしれん。…子供には不思議な力があると言うからな」
特に小さな子供には。お前が誰かを探し続けていたような年の子供なら。
「ぼくのサイオン、小さい頃から駄目だったよ?」
赤ちゃんの時から不器用すぎて、ママはとっても大変だったみたいだから。
「だが、七歳までは神の内だと言うからな」
「なに、それ?」
「ずっと昔の言い伝えだ。…人間が地球しか知らなかった頃の」
この辺りが日本だった頃には、そう言ったんだ。七歳までは神の内だと。
遠い昔に、神のものだと言われた子供。
七歳になるまでは、人間よりも神の世界に近い所に住んでいるもの。神の力に守られて。
「だから子供には、不思議な力が宿るもんだ、と言われてた」
お前にだって、そういう力があったかもしれん。七歳になる前のお前なら。
「でも…。それだと、神様が違うでしょ?」
ぼくに聖痕をくれた神様は、前のぼくたちが生きていた頃の神様なんだと思うけど…。
日本に住んでた神様じゃなくて、ずっと教会に住んでる神様。
「あっちの方でも、小さな子供は天使だっていう扱いだろうが」
無垢な子供には天使がついているもんだ、って。
大人にだって、守護の天使は必ずついているんだが…。それが見えるのは子供だけだ、と。
どっちにしたって、子供ってヤツは、サイオンとは別に不思議な力があるようだから…。
お前も、気付いていたのかもな。その力のせいで。
「何に…?」
誰を探しているのかも分かってないのに、何に気付くの?
ハーレイを探し出すための手掛かりだって、ぼくは一つも知らなかったのに…。
「俺を探すと言うよりも…。何のために生まれて来たのかってことだな」
お前が気付いていたとしたなら、それなんだろう。
今のお前が何をするために、この地球の上に生まれて来たかを知っていたんだ。
「…ハーレイに会いに来たんだ、ってこと?」
ハーレイが誰かは分かってなくても、ハーレイのために生まれたんだ、って…?
「ああ。全く記憶が無かったとしても」
誰かに会うために生まれて来たんだ、と気付いていたから、お前は誰かを探してた。
それが誰だか分からなくても、来てくれるのを待っていたんだな。…小さかった頃は。
待ちくたびれて、諦めちまったみたいだが…。探すのもやめてしまったようだが。
お前は頑張っていたんだろう、と聞かされたら、ふと思い付いたこと。
自分が誰かを探していた頃、はにかみ屋だったのに、逃げもしないでニコニコ笑っていたこと。
どうして平気でいられたのかが不思議だったけれど、ハーレイを探していたのなら…。
「そっか…。それで、見られてても平気だったのかな?」
ぼくが探していたのは、ハーレイだから。…何も覚えていなくっても。
「見られてても…って、何のことだ?」
取り囲まれてたって話は聞いたが、そのことか?
小さなソルジャー・ブルーがいるとなったら、そりゃあ大勢、集まるだろうし…。
「そう。何処へ行っても目立っちゃうんだよ、小さなソルジャー・ブルーだから」
今だって、気付かれちゃったら同じ。ソルジャー・ブルーが大好きな人に。
普段はそれほど目立たなくても、ソルジャー・ブルーのファンだと駄目。見付かっちゃう。
そして見物されちゃうんだよ、何をしてても。ソルジャー・ブルーにそっくりだから。
小さかった頃もそうだったけれど、恥ずかしかったのに、平気だった…。見られていても。
どうしてだろう、って思ってたけど、探していたのがハーレイだったら、平気な筈だよ。
ハーレイに見付けて貰うためには、この姿でないと駄目なんだもの。
前のぼくと同じで、ソルジャー・ブルー。…でないとハーレイ、来てくれないもの…。
「そういうわけでもないんだが…。お前が何に生まれていたって、必ず見付け出すんだが…」
すまん、見付けてやれなかったな。お前が俺を探してた内に。
公園で会っていたかもしれないのになあ、周りに人が集まっていない時になら。
「ハーレイは子供じゃなかったんだし、仕方がないよ。…ぼくを探そうとも思わないもの」
七歳はとっくに過ぎていたでしょ、天使が見えるような子供の年も。
不思議な力は貰えやしないよ、ぼくを探そう、って思い付く力。
それに予知能力だって、前のハーレイの時から無いし…。ぼくに会えるっていう予感も無い筈。
「違いないな。…不思議な力は貰えない上に、予知能力も無し、と」
現にお前に出会った日だって、普通に出勤したんだし…。
宝物を見付ける夢も見なかったし、こんな俺では、お前を探しに行けやしないな。…残念だが。
早くに出会い損なっちまった、とハーレイが浮かべた苦笑い。せっかく探してくれたのに、と。
けれども、ハーレイと再会した日に、記憶を戻してくれた聖痕。あんな奇跡が起こるのだから、その聖痕が現れる日までは、きっと出会えはしなかった。
街の何処かですれ違っていても、公園でジョギング中のハーレイに懸命に手を振ったとしても。一瞬だけの出会いに終わって、生まれはしなかっただろう縁。知り合いにさえもなれないままで。
(…ぼくがどんなに探していたって、あの中にハーレイがいてくれたって…)
この年になるまで、会えない運命になっていたのだろう、とは思うけれども。
幼い自分が嫌ではなかった、この姿。ソルジャー・ブルーにそっくりの姿。
人が大勢集まって来ても、取り囲まれても、逃げる代わりに、いつも探していたハーレイ。
自分が探し求めているのは、誰かも知らずに。待っている人が誰かも知らずに。
恥ずかしくても、両親の後ろに隠れてしまっても、知らない人たちを見回していた。ハーレイが来てはくれないかと。ハーレイを見付けられないかと。
(…ぼくが探すのをやめちゃったのは、不思議な力が無くなったから…?)
ハーレイが言う七歳を過ぎてしまって、天使が見える無垢な子供の時代も終わって。
そのせいかどうか、探すのをやめてしまったけれど。
自分でも全く気付かない内に、諦めてしまったらしいけれども…。
それでも会えた、とテーブルを挟んだ向こう側に座る恋人を見詰める。褐色の肌に鳶色の瞳で、金色の髪のハーレイを。
幼かった自分が知らなかった特徴、探していた人はハーレイなんだ、と。
「ぼく、ハーレイを探すのをやめちゃったけど…」
諦めちゃった上に、探してたことも忘れていたけど…。やっと会えたね。今までかかって。
おんなじ町で暮らしていたのに、聖痕が出るまで会えないままで…。
だけど会えたよ、ぼくが探していたハーレイに。…誰かも知らずに探したんだけど。
ハーレイの特徴も知らないくせして、頑張ったつもりだったんだけど…。
「うむ。やっと会えたな、お互いにな」
前のお前を失くしちまってから、ずいぶん時間がかかったもんだ。今のお前が生まれてからも。
とはいえ、俺はお前を探していなかったんだがな…。やっと会えたと言う資格は無いか。
すまん、探してやれなくて。お前は頑張って探していたのに、俺の方は何も知らないままで…。
どうしようもなく駄目な恋人だな、探すことさえしなかったなんて。
諦めたお前よりずっと酷いぞ、最初から探していないんだから。
だが…。
探していなかった分まで、これからはずっと一緒だしな、とハーレイがパチンと瞑った片目。
もう見付けたから、離さないと。探し損なったけれど、見付けたから、と。
「お前はちゃんと帰って来たしな、俺の所に」
しかも探してくれていたんだ、俺がいないかと、うんとチビの頃に。
そんなお前にやっと会えたから、二度とお前を離しはしないさ。お前は俺のブルーなんだから。
今度こそ、俺だけのものなんだから…。
「そうだよ、ぼくはハーレイのために生まれて来たんだから」
今のぼくの身体、ハーレイのための姿なんだよ、一番喜んで貰える姿。
大きくなったら、前のぼくと同じになる身体。…ハーレイが失くしたぼくの姿に。
ちゃんと今のぼくに生まれて来たよ。猫でも、小鳥でもなくて。ハーレイが一番好きな姿で…。
それに頑張ってハーレイを探してたんだし、御褒美のキス、と強請ったけれど。
「よし、御褒美だな? よく頑張った」と、額に貰ってしまったキス。
欲しかった唇へのキスではなくて。
それが悔しい気もするけれども、額へのキスでもかまわない。
この姿だから、額に落として貰えるキス。
もしも小鳥の姿だったら、額どころか、頭にキスを貰うのだろう。小鳥の額は小さいから。
それに、ハーレイと幸せな恋の続きを生きてゆくなら、この姿でないと駄目なのだから。
前のハーレイが失くしてしまった前の自分にそっくりな姿が、きっと一番だろうから。
そう思うから、今は額へのキスでいい。
チビの身体でも、いつか大きく育つから。
前の自分とそっくりになって、誰が見たってソルジャー・ブルーに瓜二つ。
そしてハーレイと二人で歩こう、見世物になってしまっても。
ソルジャー・ブルーが食料品の買い出しに来たならこんな風だと、注目を集めてしまっても。
今の自分は、ハーレイのために生まれたから。
小さい頃には、ずっとハーレイを探し続けていたのだから…。
探していた人・了
※幼かった頃のブルーが、探していた人。それが誰かも分からないまま、探したのはハーレイ。
いつの間にか探すのをやめてしまっても、出会えたのです。幼かった日に探し続けた人に。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園、桜満開の中で新年度スタート。私たちは毎度の1年A組、年度始めの校内見学やクラブ見学、新入生歓迎パーティーなんかも一段落して、ソルジャー夫妻や「ぶるぅ」たちとの桜見物も終了です。明日は久しぶりに会長さんの家でのんびりという予定なんですが。
「…すまん、明日だが…」
俺は午後からの参加になる、とキース君が言い出した放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。急な予定でも入ったんでしょうか、昨日までは聞いていませんでしたよ?
「キース先輩、法事ですか?」
「いきなり法事はねえだろうが!」
アレは予約が要るんだぜ、とキース君の代わりにサム君が。
「元老寺の本堂でやるにしたって、檀家さんの家に行くにしたって、法事ってヤツは予約だしよ」
でないと住職が捕まらねえし、という話。法事は週末になりがちですから、早い者勝ちらしいです。先に予約を入れた人の勝ち、後から行っても思い通りの日時は取りにくいものだそうで。
「だから飛び込みで法事だけはねえよ、どっちかって言えば葬式じゃねえか?」
「「「あー…」」」
それは仕方ない、と私たちは頷きました。お葬式なら待ったなしです、つまり今夜はお通夜ということ。キース君も早めに帰って準備なんだな、と思いましたが。
「誰が葬式だと言った!」
「えっ、でも…。キース先輩、急な用事じゃあ…」
それ以外に思い付きません、とシロエ君。
「それともお父さんの代理で法事に行くことになったんですか? お父さんが腰を痛めたとか」
「…ありがちな話だが、それでもない。檀家さん絡みではあるんだがな」
「えーっと…?」
シロエ君が首を捻って、私たちも同じ。檀家さん絡みなら抹香臭い用事ばかりだと思うんですけど、法事でもお葬式でもないなら、どういう用事…?
「バイトではないな、親父が無料で引き受けたからな」
「「「は?」」」
「昨日の夕方、檀家さんが頼みに来たらしい。俺を貸してくれ、と」
「「「へ?」」」
貸してくれって、キース君を借りてどうするのでしょう。お坊さんの出前って、やっぱり法事かお葬式しか思い付きませんが、それだと無料は有り得ませんよね…?
「…文字通り、俺は貸し出されるんだ。ついでに坊主の仕事ではない」
まるで全く無関係だ、とキース君はフウと溜息を。
「俺の見た目を買われたらしい。…テレビ映りが良さそうだとかで」
「「「テレビ!?」」」
なんですか、テレビ映りって? キース君、何かの番組に出るの?
「…明日の昼過ぎだ、全国ネットで出る羽目になった」
「「「えーーーっ!!!」」」
いったいどんな番組に、と仰天した私たちですが。この国のあちこちを回る番組、今週はアルテメシアの近辺から毎日生中継。それのスポットの一つが檀家さんの家らしくって。
「…でも、お坊さんの仕事じゃないなら何なんです?」
どうしてキース先輩が、とシロエ君の疑問。
「檀家さんの家族のふりをするとか、そういう系の出演ですか?」
「まあな。一種のヤラセだ、檀家さんの家族は前から旅行の予定だったとかでトンズラなんだ」
テレビ出演より海外旅行、とキース君。
「お得なプランがあったか何かで、キャンセルしたくはないらしい。…明日の朝イチの飛行機で出るし、テレビに出ている暇は無い。それで俺なんだ、檀家さんが思い付いたのが!」
いつも親父とお茶を飲んでは喋っているし…、というアドス和尚のお友達らしき檀家さん。自分一人で出演するより、見栄えのする若者を一名募集で、キース君にブスリと白羽の矢が。
「…キース先輩、どういう場面で出るんですか?」
「多分、最初から最後までだろう」
「「「出ずっぱり!?」」」
「恐らくな。…檀家さんが取材を受けている間は映らないかもしれないが…」
それ以外は映りっ放しだろう、と頭を振っているキース君。
「救いは土曜日だということだけだな、俺の同業者は大抵、忙しくしているからな」
生中継を見ている暇があったら法事か法事の準備だか…、とキース君が気にしているものは同じ業界の友達とやらの視線に違いありません。あまり見られたくないんだ、それ…。
「当然だろうが、ヤラセだぞ?」
あんな番組に出ていたな、とツッコミが入るとキツイものが…、と言ってますけど、ホントにどういうヤラセ出演なんでしょう?
「気になるんだったら、テレビを見てくれ。明日の昼にな」
録画したってかまわないぞ、と私たちには開き直りの境地らしいです。明日のお昼の番組かあ…。
キース君が何をするのか分からないまま、迎えた土曜日。会長さんの家へ行こうと集合したバス停にキース君の姿は当然無くって、会長さんの家へ行ってもいるわけがなくて。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日はキースがテレビの日! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「お昼の番組、とっても楽しみ! みんなで見ようね!」
「それなんだけど…」
行き先は謎? とジョミー君が会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に尋ねました。リビングで出された午前のおやつは桜のロールケーキなんですけれども、桜クリームの中に鏤められた桜餡。まるでベリーが入ってるみたい、ちょっと素敵なお菓子です。
「えとえと…。キースが出掛ける所?」
「そう、それ!」
ぶるぅとブルーは分かるんじゃあ…、というジョミー君の指摘はもっともでした。キース君の心を読み取ってたとか、サイオンで居場所を追跡中とか…。
「あのね、ミステリーってことになってるの!」
その方が断然面白いから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「調べてもいいけど、アッとビックリするのがいいね、ってブルーも言うし…」
「そうなんだよね」
開けてビックリ玉手箱、というのも楽しいサプライズだよ、と会長さんが。
「せっかく全国中継なんだし、何処で出るのか楽しく待とうよ」
「それじゃ、全然、調べてないわけ?」
「まるで手つかずで放置だけど?」
ぼくもぶるぅも、と会長さん。
「キースを借りようって言うくらいだから、人手は必要なんだろうけど…」
果たしてキースは何に登場するのやら、と本当に調べていない様子で。
「あの番組って、どういう所が映るんだっけ?」
昼時だけに料理コーナーがあるのは知っているけど、とジョミー君が挙げれば、シロエ君が。
「色々ですよ、取材に出掛けた地域で話題のスポットなんかも…」
「そうなってくると分かんねえなあ…」
料理コーナーじゃねえとは思うけどよ、というサム君の意見。けれども蓋を開けるまでは謎、キース君、割烹着姿で出て来たりして…?
お昼御飯はテレビを見ながらということに。キース君が何処で映るか分かりませんから、手元がお留守でも食べやすいようにと「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製ふわとろオムライスです。スプーンで食べつつ待っている内に、噂の番組が始まりましたが…。
「…まだ出ませんね、キース…」
「料理のコーナーではなかったですね」
調理中の所にいませんでしたし、とマツカ君とシロエ君が交わす言葉通り、自信作の料理を制作中の面々の中にキース君の顔はありませんでした。料理が出来たらまた映りますが、その時だけのエキストラとも思えませんし…。
画面の向こうでは複数のリポーターさんが現地中継、いろんな場所へとカメラが移動。今度は農家にお邪魔するとか言っていますが…。
「「「ええっ!?」」」
出た! と揃った私たちの声。キース君が墨染の衣の代わりに作業服を着て立っていました、ツナギじゃなくって農作業用の。隣にはキース君を借りたと噂の檀家さんらしき男性が。
「こちら、これからの季節に何かと話題の畑にお邪魔しています」
リポーターさんが紹介、広い畑が映りましたが、他にも作業中の人が大勢。どうしてキース君が駆り出されたか謎なんですけど…。
「あそこで作業をしてらっしゃる人に伺ってみましょう、こんにちはーっ!」
こんにちは、と振り向くだろうと思った相手は黙々と作業中でした。リポーターさんが「お邪魔してまーす!」と叫んでも全く手を止めませんし、あの人、耳が遠いとか?
「はい、実はあそこの人たち、皆さん、案山子なんですねーっ!」
「「「案山子!?」」」
そういえば噂を聞いたことがあります、本物の人間そっくりの案山子を並べ立ててる畑があると。本当に効果があるのかどうかは今となっては謎らしいですが、始めた人が凝りに凝りまくり、パッと見ただけじゃ、どれが人だか案山子だか…、というのがコレ?
リポーターさんは案山子作りを始めた経緯を紹介し始め、男性が笑顔で応えています。
「いやあ、家族にも凝りすぎだと言われているんですがねえ…」
「でも、息子さんもこうしてお手伝いをなさっているわけですね?」
「手伝いと言いますか、まあ、なんと言うか…。本来の仕事はしてくれてますね」
案山子は抜きで、と男性が笑い、キース君は向けられたマイクに「ノータッチです」とぶっきらぼうに。うーん、なかなかの役者です。テレビ映りもいいですよね!
案山子な農家の取材が終わると、キース君の出番も終わりましたが。その番組を見終わった後の私たちは案山子の話題で花が咲くことに。
「…親父さんの趣味の案山子の取材じゃ、そりゃあ旅行が優先だよなあ…」
自分の出番がねえもんな、とサム君が言えば、ジョミー君が。
「だけど、あの案山子、凄くない? ちゃんとポーズもつけてあるしさ」
「凝ってますよね、効き目があるかは置いておくとしても」
少なくとも人間は驚きますよ、とシロエ君。
「道を訊こうと声を掛ける人もあるって言ってたじゃないですか。今の番組」
「どっちかと言うと、人間向けの案山子かもねえ…」
ビックリさせるという意味ではね、と会長さんも賛成です。
「案山子は驚かせてなんぼなんだし、あそこの案山子は人間用だよ」
「「「うーん…」」」
何か使い方を間違ってないか、と思わないでもないんですけど、さっきの農家の人の趣味なら今更どうにもならないでしょう。少なくともテレビに取り上げられたわけで、その点だけは評価できますけれど…。
「全国中継ですもんねえ…。人間向けの話題ですね」
会長の言う通り人間用の案山子ですよ、とシロエ君が言った所で、会長さんが。
「…待てよ? 案山子で人間用なんだ…?」
「会長、どうかしましたか?」
「…いや、使えるかと一瞬、思ったんだけど…」
難しいかな、と呟いた所へキース君からの思念波が。もう終わったから今から行く、と。
「かみお~ん♪ キースのお迎え、する?」
「そうだね、人の少ない所に移動するよう伝えよう」
そうすれば瞬間移動が可能で移動時間が短縮できるし、と会長さんが思念波を飛ばし、間もなく玄関のチャイムがピンポーン♪ と。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が開けに出掛けて…。
「キースが来たよーっ!」
「すまん、遅くなった。…昼飯を御馳走になっていたんでな」
「テレビ出演、お疲れ様ーっ! 座って、座って!」
コーヒーだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今日のヒーローが到着しました、ヤラセ取材の気分とか色々訊かなくっちゃー!
キース君のテレビ出演、お昼御飯を御馳走になった以外は、全くのタダ働きだったらしいです。作業服まで着て出ていたのに、タダですか…。
「親父が引き受けてしまった以上は、俺にはどうにも出来ないからな…」
飯が食えただけマシだと思おう、とキース君。
「最悪、案山子のメンテの手伝いも覚悟してたし、それが無かっただけまだマシだ」
「「「メンテ?」」」
「けっこう大変だと聞いているからな、あの案山子どものメンテナンスは」
服の着せ替えとか、顔とかの色の塗り直しとか…、と出ました、案山子を維持しておくために必須の作業。カメラの前でそれをするのかと思って出掛けたみたいです。
「俺は取材に答えるだけで済んだわけだし、ラッキーだったと思っておこう。案山子のメンテは坊主の仕事の範疇外だ」
「そうだろうねえ…」
まるで無関係な仕事だからね、と会長さんが相槌を打って。
「おまけにあの案山子、動物用には効いてるかどうか謎らしいしね?」
「そこなんだよなあ、もはや檀家さんの趣味の世界だ」
写真撮影に来る愛好家向けにますます凝ってゆくようだ、という話。作物を荒らす動物相手の戦いは放ってウケ狙い。次はどういうアイデアで驚かせようか、と頑張っているらしくって。
「本当に人間用の案山子ですね、それ…」
シロエ君が呆れ、ジョミー君が。
「案山子の道から外れていない? ビックリしたって、逆に人間が寄ってくるんじゃあ…」
案山子は来させないのが役目、と言われてみればそうでした。鳥やイノシシに「人間がいるぞ」と思わせるための道具の筈です。近寄らせないように立っているのに、人間を呼び集めるような案山子は外道だとしか…。
「ぼくもそう思う。使えるかな、と思ったのはホントに一瞬だけだったしね」
案山子は駄目だ、と会長さん。何に使うつもりだったんでしょう?
「えっ? 人間用の案山子だよね、って話になっていたから、そういう案山子」
「「「は?」」」
「これさえ置いたら特定の人間を追い払えるとか、そういうのだよ」
若干一名、案山子で追い払いたい人間が…、と説明されたらピンと来ました。何かと言えば湧いて出るのが異世界からのお客様。トラブルメーカーのソルジャー除けに案山子ですね?
「ブルーを案山子で追い払えたらねえ…」
いいんだけどね、と会長さんはブツブツと。
「だけど人間用の案山子は逆に人間を呼び込むようだし、そこはブルーでも同じだよ、きっと」
ドン引きするような案山子を置いてもビックリするのは最初だけ…、と深い溜息。
「案山子と分かれば興味津々、それを眺めに来るってね! どんな案山子を作ってもさ」
「…あいつがドン引きって、どんな案山子だ?」
サッパリ想像がつかないんだが、とキース君。私だって思い浮かびません。なまじのことでは驚きませんよ、あのソルジャーは?
「そこはやっぱり、ハーレイを使うべきだよね。こんなのは嫌だ、と思うようなの」
ハーレイそっくりの案山子でドン引き、と会長さんは恐ろしい例を挙げ始めました。姿形はそっくりに作って、案山子を着せ替え。ソルジャーがとても耐えられないようなメルヘンチックなドレス姿やメイドな衣装で、顔にはメイク。
「そんな案山子をリビングにドカンと置いておけばさ、ドン引きするかと思ったんだけど…」
耐え切れずに逃げて帰るとか…、と。
「でも、考えてみたら案山子だし…。怖いもの見たさでやって来るとか、逆にメイクをし始めるだとか、着せ替え用の服を買って来るとか…。結果的に逆に引き寄せそうで…」
「その線だろうな、間違いなく」
ドン引きしている時期が過ぎたら遊び始めるだろう、とキース君も会長さんと同意見でした。他のみんなも首をコクコク、ソルジャーに案山子を突き付けたら最後、遊びに来る回数が増えるだけだと思います。
「ほらね、君たちもそう思うだろ?」
だから使えない、と会長さん。
「ブルーに格好の遊び道具を与えるだけでさ、追い払うことは出来ないんだよ」
「遊ぶでしょうねえ、きっと嬉々として」
メイクに着せ替え、とシロエ君も。
「キース先輩がやりたくなかったメンテっていうヤツに凝りまくりますよ、そんな案山子を置いておいたら」
「だよねえ、絶対、訪問回数増えまくりだよ」
毎日来るんじゃなかろうか、とジョミー君だって。
「着せ替え人形の感覚で来るよ、今度はこんなのにしてみよう、って!」
そして楽しい遊び道具を提供する羽目になるだけだ、というソルジャー用の案山子。末路は最初から見えていますし、作らないのが吉ですってば…。
人間をビックリさせることは出来ても、逆に呼び込む人間用の案山子。追い払えないようなものは案山子と呼べないのでは、と笑い合っていたら。
「こんにちはーっ!」
いきなりユラリと揺れた空間、紫のマントのソルジャー登場。もしや案山子の話を聞かれたのでは、と身構えた私たちですけれど。
「キースがテレビに出たんだってねえ! どんな感じで?」
生憎と見そびれたものだから…、と珍しい台詞が。四六時中と言っていいほど覗き見ばかりのソルジャーのくせに、昨日から分かっていたテレビ出演を何故に…?
「えっ、この格好を見たら分からない? ついさっきまで会議をやってたんだよ、昼御飯つきで延々とね!」
年寄りは話が長くていけない、と自分の年は見事に棚上げ、ソルジャーの世界の長老たちを年寄り呼ばわりしています。ゼル先生とかヒルマン先生のそっくりさんがいるんですよね?
「そうそう、ホントに瓜二つ! その連中がうるさくてねえ…」
テレビを見逃してしまったのだ、と残念そうに。
「もしかして、録画してたとか? それなら是非とも見たいんだけど!」
「んとんと…。キースが可哀相かな、って録画するのはやめにしてたし…」
残ってないの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。再放送も無いんだよ、と。
「えーっ!? それじゃ、誰かの記憶でいいから!」
せっかくのキースの晴れ舞台、と頼まれましたし、中身も変ではなかったですから…。
「分かったよ。ぶるぅ、記憶を見せてあげて」
「オッケー!」
はい! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が小さな右手を差し出し、ソルジャーがその手をキュッと握って「よろしく」と。記憶の伝達は一瞬ですから、ソルジャーは直ぐに手を離してしまって。
「…そうか、農家の息子さん役ねえ…。ご苦労様、キース」
「いや、それほどでも…」
「なかなかに楽しい番組だったよ、案山子というのも面白かったし…」
ところで、と言葉を切ったソルジャー。
「人間用の案山子が気になるんだけど? ぼくを引き寄せる案山子がどうとか」
「「「ええっ!?」」」
ヤバイ、と私たちは青ざめました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が伝えた番組の記憶、余計なものまでついてましたか…?
「ぶるぅのせいではないんだけどねえ…」
ちょっと引っ掛かったものだから、とソルジャーは唇に笑みを浮かべて。
「案山子、案山子、と妙にはしゃいだ心がね。何なのかな、と軽く探ったら人間用の案山子が出て来て、ぼくを引き寄せるって話の欠片が」
この先は君たちに尋ねた方が得るものが多そうだと思うから、とソルジャーの読み。つまりは話せという意味です。話さなかったらどうなるかと言うと…。
「当然、強引に聞き出すってね!」
聞き出せない時は心を読むまで、と脅し文句が。これは全面降伏しかなく、洗いざらいを喋らされる羽目に陥って…。
「…そういう意味かあ、人間用の案山子って…」
確かに逆に引き付けるだろうね、とソルジャーはアッサリ認めました。そんな案山子が置いてあったら何度でも来ると、着せ替え作業も頑張ると。
「最初はドン引きかもだけど…。案山子と分かれば怖くはないしね、やっぱり大いに遊ばなくっちゃ! ハーレイの人形なんだから!」
しかも等身大、と遊ぶ気満々、溜息をつく私たち。ソルジャー用にと案山子を置いてもこうなるのだ、と改めて証明されたのですが。
「…待ってよ? ハーレイなんだよね?」
その案山子、と訊かれました。さっきから何度も言ってますけど、ソルジャー用ならハーレイ案山子になりますよ? ドン引きして貰わないと駄目なんですから…。
「ハーレイかあ…。でもって、人間用の案山子はビックリさせても逆に人間を引き付ける、と…」
これは使える、と会長さんとは逆の台詞が。それはそうでしょう、ソルジャーは案山子で遊ぶつもりで、ハーレイ案山子を設置したが最後、頻繁に遊びに来るつもりですし…。
「そうじゃなくって! ぼくが言うのは案山子の効果!」
人間を引き付ける人間用の案山子がポイント、とソルジャーは指を一本立てました。
「最初はビックリ、でも、その後は寄って来るんだろう? これを使わずにどうすると?」
「……何に?」
会長さんがおっかなびっくり訊き返すと。
「もちろん、ぼくのハーレイに!」
「「「キャプテン!?」」」
キャプテン相手に案山子なんかをどうするのだ、と思いましたが、ソルジャーの思考は常に斜め上という傾向が。分からなくって当然ですよね、案山子の使い道とやら…。
人間を追い払う代わりに引き寄せてしまう人間用の案山子。それをキャプテンに使いたい、と言い出したソルジャーは大真面目で。
「…ぼくとハーレイ、結婚してから円満な毎日なんだけど…。欲を言えばもっと、頻繁に青の間に来て欲しいわけ! 勤務中でも!」
そのために案山子を置いてみたい、と赤い瞳に真剣な光。
「仕事の合間に寄って行くこともあるんだよ。少し時間が出来ましたので、って。…でも、そんなことは滅多に無くて…。大抵、仕事の報告だよね」
キャプテンの任務でやって来るのだ、と言うソルジャーによると、キャプテンが昼間に青の間に現れる場合は九割以上が仕事絡み。キスの一つも貰えないそうで、なんともつまらないらしく。
「そういうハーレイを引き寄せるために、ここは案山子で!」
「…どう使うわけ?」
案山子の役目はあくまでドン引き、と会長さん。
「君のハーレイがドン引きしちゃって、その後は足繁く通ってくるって、どんな案山子さ?」
君がポーズを取っている方が早いんじゃあ…、と会長さんは半ばヤケクソ。
「悩殺ポーズをキメていればね、その方がよっぽど釣れそうだけど?」
「それはとっくにやってるよ!」
なのに効果が見られないのだ、と超特大の溜息が。
「仕事モードの時のハーレイ、何をやっても無駄なんだってば! 脱いで見せても!」
失礼します、と出て行ってしまって終わりなのだ、と嘆くソルジャーですけど、お仕事中なら無理もないでしょう。ソルジャーの誘惑に引っ掛かったら仕事どころじゃないですし…。
「仕事、仕事、って言うけどさ! どうでもいい仕事もあるわけでさ!」
トイレの故障はどうでもいいだろ、とソルジャーは愚痴り始めました。船を纏め上げるのがキャプテンの仕事、ついでに几帳面な性格だったらしくって。
「上がって来た報告、端から見ないと気が済まないんだ! そして現場に行っちゃうことも多くって…。トイレの修理に立ち会っていても、正直、意味が無いんだけれど!」
そんな所に行く暇があったら青の間で一発やっていけば、と強烈な台詞。ソルジャーは基本が暇な毎日、昼間といえどもベッドでキャプテンと過ごしたいようで。
「ぼくはトイレに負けてるんだよ、優先順位で! トイレの故障に!」
それに勝つためにも案山子の出番、と言ってますけど、ソルジャーの悩殺ポーズも効かないキャプテン相手に、どんな案山子を置くつもりでしょう…?
「ハーレイに決まっているだろう!」
ドン引き用の案山子なら、とソルジャーはキッパリ。でもでも、キャプテンを脅かすための案山子がキャプテンだなんて、何か間違ってはいませんか…?
「間違っていないよ、ドン引きさせるならハーレイの案山子なんだってば!」
ただし、こっちのハーレイの協力が必要、という話。そりゃそうでしょうね、キャプテンの協力で作った案山子なら、キャプテンは何もかもお見通しですし…。
「そうなんだよ! こっちのハーレイで凄い案山子を作らなくっちゃ!」
ぼくのハーレイもドン引きの案山子、と主張するからには、私たちが話題にしていたような案山子でしょうか? ドレスやらメイドの服を着せ付け、メイクしちゃった案山子とか…。
「ううん、メイクは要らないね。素顔で勝負!」
それから服も要らないのだ、と妙な台詞が飛び出しました。それって、裸という意味ですか?
「決まってるだろう! ドン引きな案山子を作るんだから!」
大切なのはポーズなのだ、とグッと拳を握るソルジャー。
「キースが出ていた番組の案山子も、いろんなポーズをしてたじゃないか! 畑仕事の!」
「…それはそうだけど…。でも…」
ドン引きするようなポーズって何さ、と会長さんも理解出来ないようです。ソルジャーは「分かってないねえ…」と呆れ顔で。
「裸のハーレイ案山子だよ? ポーズはもちろん、ヤッてる最中!」
「「「ええっ!?」」」
どんなポーズだ、と思いましたが、ソルジャーの方は得々として。
「何通りほど作ればいいのかなあ…。キースが出ていた番組の農家の人じゃないけど、凝りたい気持ちはよく分かるよ!」
基本のだけでも幾つもあるし…、とニコニコと。
「案山子で効果が見られるようなら、うんと沢山揃えてもいいね。四十八手を全部とか!」
「「「…しじゅう…?」」」
それって相撲の決まり手でしょうか、四十八手と言ったら相撲。力士のポーズを取った案山子を揃えるのかと思ったら。
「違うね、相撲は無関係! 大人の時間の決まり手の方で!」
ノルディにあれこれ教えて貰ってハーレイと二人で実践中、とソルジャーは高らかに言い放ちました。四十八通りもあるらしい決まり手なるもの、それの案山子を作りたい、と。
「いいかい、人間用の案山子はドン引きの後で引き付けるもの!」
ハーレイもきっとドン引きした後、引き付けられるに違いない…、と踏んでいるソルジャー。青の間にハーレイ案山子を置いたら足繁く通ってくれるであろう、と。
「勤務時間中でも通ってくれてさ、トイレの故障は後回し! ぼくと一発!」
なにしろ案山子があるんだからね、とソルジャーは自信に溢れていました。大人の時間の決まり手のポーズを取った案山子が置かれていたなら、キャプテンは熱心に通う筈だと。
「だってさ、案山子はぼくとヤろうとしているわけでさ…。きっと気分が落ち着かないよ!」
案山子なんだと分かってはいても、ついつい足を運びたくなる、と言うソルジャー。
「案山子がぼくを襲うなんてことは無いわけだけれど、ぼくのベッドにドカンと案山子! もう絶対に落ち着かなくって、案山子を放り出して代わりに自分がベッドにね!」
勤務時間中でもハーレイが釣れる、とソルジャーの発想は良からぬもので。キャプテンの仕事はどうなるんでしょうか、滞ってしまって大変だとか…。
「それは無い、無い! 案山子を置く時はTPOを考えるから!」
ハーレイが覗きに来たって案山子が無い時もあるであろう、と真の意味でのソルジャーらしい考えも一応持ってはいる模様。キャプテンが仕事を放棄してしまっても大丈夫な時しか案山子は置かないみたいです。
「…どうかな、ぼくのハーレイ案山子は?」
「好きにすれば?」
ぼくたちに実害が無いんだったら、と会長さん。
「その案山子ってヤツは君の世界でしか使わないんだろ、君のハーレイを釣るんだから」
「そうだよ、ぼくの青の間専用! …作ってもいい?」
こっちのハーレイをちょっと借りてもいいだろうか、とお願い目線。
「案山子を作るにはモデルが要るしね、四十八手を全部作るにしたって、まずは基本の一つから! ぼくを押し倒してコトに及ぼうってポーズで一つ目!」
「はいはい、分かった。勝手に頼んで作る分には止めないよ」
「ありがとう! それじゃ早速…」
君の協力もお願いしたい、とソルジャーは膝を乗り出しました。
「…ぼく?」
「そう! 君でないとハーレイはヤる気が出ないし!」
ポーズをつけるために協力を…、と言われた会長さんは即座に突っぱね、たちまちギャーギャー大喧嘩。会長さんが協力するわけないですってば、そんなモノ…。
ソルジャーが作ろうとしたハーレイ案山子。会長さんの協力は得られそうにないと悟ったソルジャー、それでも諦め切れないらしく。
「…ぼくが勝手に作るんだったらいいんだね?」
「お好きにどうぞ。四十八手をズラリ揃えようが、ぼくは一切、関知しないから!」
その後の効果も保証しない、と会長さんは冷たい表情。キャプテンに案山子の効果が無くても、責任は一切負わないから、と。
「…分かったよ。そういうことなら、君の協力は無理そうだから…」
ぶるぅ! とソルジャーが宙に向かって一声、「かみお~ん♪」とクルクル宙返りしながら現れた「ぶるぅ」。悪戯小僧の大食漢です。
「なあに? おやつくれるの、それとも御飯!?」
「どっちも後で食べ放題! その前にひと仕事してくれたらね」
ほら、とソルジャーが何処からかカメラを取り出しました。見慣れない形ですけれど…?
「ああ、これはねえ…。ぼくたちの世界の立体カメラ! 立体画像が撮れるんだよ!」
これでハーレイのポーズを撮影、と満面の笑顔。
「後はぼくのシャングリラでハーレイ案山子を作るだけ! 画像を元に!」
「また時間外労働させる気かい!?」
会長さんが突っ込みましたが、ソルジャーは。
「基本だってば、そういうのはね! データ操作と記憶の消去も!」
セットものだ、と涼しい顔のソルジャーに「ぶるぅ」が「写真を撮るの?」と。
「ねえねえ、何を撮ったらいいの? 何を作るの?」
「ハーレイ案山子を作るんだよ! 青の間のベッドに置くためのね!」
人間用の案山子はこういうもので…、というソルジャーの説明を聞いた「ぶるぅ」は大喜びで。
「楽しそうーっ! お手伝いすればいいんだね!」
「大正解! ぼくを相手にこっちのハーレイがポーズを取ったら、そのカメラで!」
「分かった、写真を沢山撮るよ!」
早く案山子が出来ないかなあ! と「ぶるぅ」が飛び跳ね、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ぶるぅ、お仕事しに行くの?」
「うんっ! ブルーのお手伝いだよ、ぶるぅも見たい?」
「見たいーっ!」
一緒に行くんだ! と言い出した「そるじゃぁ・ぶるぅ」を私たちは必死に止めました。行かれたら最後、私たちだって巻き添えです。「みんなでお出掛け」が好きなんですから~!
やっとの思いで「そるじゃぁ・ぶるぅ」を踏み止まらせることは出来たものの。
「…くっそお、見ないと駄目なのか…」
強制的に中継なのか、とキース君が毒づき、ジョミー君が。
「一緒に行かずに済んだだけマシだよ、見てればいいっていうだけだしね…」
出来れば見たくはないんだけれど、と言い終わらない内にリビングの壁に中継画面がパッと。
「こちら、現地からお送りしてまーす!」
ソルジャーが例の番組のリポーターよろしく手を振り、画面の向こうは教頭先生の家でした。瞬間移動で飛び出して行ったソルジャーと「ぶるぅ」のコンビ、中継は「ぶるぅ」がやってます。ソルジャーは私服に着替えてお出掛け、教頭先生の家のチャイムをピンポーン♪ と。
「はい?」
「ぼくだけど!」
それだけで通じた教頭先生、玄関の扉をガチャリと開けて。
「こんにちは。…どうなさいました、本日は?」
「君に折り入ってお願いがね…。実は案山子を作りたくってさ」
中でゆっくり話をしよう、と上がり込んだソルジャー、アッと言う間に教頭先生を丸め込んでしまって、めでたく撮影会な運びに。
「…脱げばいいのですか?」
「そう、全部! ブルーには内緒にしておくからさ」
もう気持ち良く全部脱いで! とソルジャーが煽り、教頭先生はいそいそと。
「…ポーズを教えて下さるとか…?」
「うん。ぼくは脱がないけど、こんな感じで横になるから…」
一発ヤるつもりで来てみよう! とソルジャーが横たわった寝室のベッド。教頭先生、普段のヘタレは何処へやら…、といった感じでベッドに上がり込むと。
「…こうですか?」
「それじゃ駄目だね、もうちょっと、こう…。うん、そんな感じ」
そこで腰の運動をすればバッチリで…、とソルジャーが素っ裸の教頭先生に指示を出していて、「ぶるぅ」は中継をしつつシールドの中から写真をパシャパシャ撮っているようです。
「いいねえ、グッと来るってね! その腰遣いなら、ブルーもきっと!」
「…惚れてくれるでしょうか?」
「いけると思うよ、ちゃんとベッドに誘えればね!」
それじゃこの次はポーズを変えて…、とモザイクだらけの撮影会。教頭先生、ソルジャーと二人きりだからこそヘタレないのか、案山子作りのお手伝いだからヘタレないのか、どっちでしょう?
「やったね、データをゲットってね!」
後は案山子を作るだけだ、と瞬間移動で戻ったソルジャー。「ぶるぅ」はカメラを持って一足お先に帰ったようです。ソルジャーは御褒美にお弁当とお菓子を山ほど買って帰るそうですけれど。
「…まさか写真が撮れるだなんて…」
ハーレイの鼻血はどうなったのだ、と会長さんが仏頂面。教頭先生、あの後ポーズを二回も変えていたのに鼻血無し。帰るソルジャーにも笑顔で手を振っていましたし…。
「ああ、あれね。…今はこうだけど?」
ソルジャーがパチンと指を鳴らすと、再び現れた中継画面。其処では紅白縞だけを履いた教頭先生が鼻血まみれで床に仰向けに倒れていました。
「「「…え…?」」」
なんで、と驚いた会長さんと私たちですが。
「ハーレイの鼻血スイッチを切っておいたんだよ、今日のぼくには崇高な目的があったからねえ! 倒れられたら元も子も無いし、チョチョイとね!」
とても高度なサイオンの使い方なんだけど、と胸を張るソルジャー。
「案山子のためなら頑張るよ! …四十八手を全部揃えられるかは謎だけど…」
鼻血体質が酷すぎるから、と言いつつ、当初の目的は果たしたわけで。
「それじゃ、帰って案山子作り! 上手くいったら報告するねーっ!」
青の間に置くハーレイ案山子、とソルジャーはウキウキ帰ってゆきました。そして…。
「…効いたらしいな、例の案山子は」
考えたくもないんだが…、とキース君がぼやいた一週間後の土曜日のこと。ソルジャーはあれから一度だけしか来ていません。案山子の自慢に現れただけで、それっきり姿が見えなくて。
「…人間用の案山子の効果は抜群だったらしいですしね…」
キャプテンをドン引きさせて見事にゲットだそうで、とシロエ君。
「あんなポーズの案山子なんかが効くというのが理解不能ですよ、ぼくは!」
「押しのけたいって気持ちになるらしいよね…」
謎だけどさ、とジョミー君が零した所へ「こんにちはーっ!」とソルジャーが。
「先週は素敵な案山子のアイデア、ありがとう! もうハーレイが凄くって!」
しょっちゅう青の間に来てくれるんだ、とソルジャーは御満悦でした。
「案山子を置いた甲斐があったよ、三つのポーズを入れ替えで置いているんだよ!」
でもって目指すはコンプリート! と広げられた紙。会長さんが「退場!」と叫び、紙には一面のモザイクが。
「何をするかな、これから指導に行くんだよ! ハーレイの家へ!」
四十八手のポーズの案山子を揃えるんだから、という台詞からして、紙には四十八手とやらが描かれているに違いありません。
「目指せ、案山子のコンプリート! 今日もぶるぅと二人で楽しく!」
撮影会だ、とソルジャーの姿がパッと掻き消え、会長さんが。
「…いいんだけどねえ、ぼくには実害が無いようだしね?」
鼻血スイッチとやらを切らない限りは永遠のヘタレなんだから、と開き直りの会長さん。キャプテンを引き寄せると噂の人間用の案山子、コンプリートは出来るんでしょうか?
「…無理だと思うが」
「ぼくもです」
幾つ目でソルジャーの夢が破れるだろうか、と始まりました、トトカルチョ。私は今日で轟沈に賭けたんですけど、勝てるでしょうか。教頭先生、鼻血よろしくお願いします~!
人間と案山子・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
キース君のテレビ出演が切っ掛けで、ソルジャーが考案したキャプテン用の案山子。
なんとも凄い案山子ですけど、ちゃんと効果があるようです。教頭先生、美味しい役かも。
次回は 「第3月曜」 11月16日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、10月は行楽と食欲の秋で、松茸山にお出掛けすることに。
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(制御室…)
急がなくては、と辺りを見回したブルー。早く行かないと、メギドの炎がシャングリラを襲う。一度目の攻撃は受け止められたけれど、二度目が来たらもう防げない。
自分だけでは無理だ、と思った第一波。ジョミーが、トォニィたちが来てくれたから助かった。急成長して仲間を守った子供たち。彼らは力尽きてしまっていたから…。
(もう誰も…)
シールドを張れる仲間はいないだろう。ジョミーの力も、相当に削られている筈だから。
そう考えたから、此処まで来た。たった一人で、このメギドまで。地獄の劫火を滅ぼすために。自分の命と引き換えにして。
けれど、シャングリラからメギドまでの距離。ジルベスター・セブンとジルベスター・エイト、二つの惑星の間を飛んだ。ジルベスター・エイトまで辿り着いたら、展開されていた人類軍の船。
メギドを目指す自分を撃ち落とそうと、何度レーザーが放たれたことか。それを躱して飛んで、飛び続けて。…ようやっとメギドに着いたけれども。
奪われてしまっていた体力。それにサイオン。余計な力は使えなかった。制御室を破壊するのに必要な力、それが無ければ来た意味が無い。
だから出来なかった瞬間移動。メギドの制御室まで飛ぶこと。
十五年もの長い眠りから覚めて間もない身体な上に、残り僅かになった寿命。生きていることが不思議なくらいに、もう残されていない生命力。メギドの制御室へと一気に飛んだら、それだけで力尽きるだろう。肝心のシステムを破壊出来ずに、床へと倒れ込んでしまって。
それを防ぐには、自分の足で歩くしかない。制御室の在り処は透視出来るから、その場所まで。
サイオンの使用は最低限に留め、自分の二本の足で進んで。
装甲を破るのに使ったサイオン、力が抜けてゆくのを感じた。人類軍が誇る最終兵器は、堅固な城塞だったから。そうして中へと入り込んだら、直ぐに通路があったのだけれど。
(…制御室までに、何層あるのか…)
幾つの床を抜けてゆかねばならないのか。抜けたその先で、どれだけの距離を歩くのか。
考えただけで気が遠くなりそうな、制御室へと向かう道のり。それを歩いてゆかねばならない、出来るだけサイオンを使わずに。床と壁とを壊す時しか、サイオンを使ってはならない。
(…あの先へ…)
二層、三層と抜けて来たけれど、まだまだ長く続いてゆく道。遥か彼方に見えている扉、其処も単なる目印の一つ。扉の先は行き止まりだから、床を壊して下の層へと。
辿り着いても、終点にはなってくれない扉。制御室に行くには、もっと下まで。もっと遠くへ。
とにかく進んでゆかなければ、と歩くけれども、ふらつく足。よろけて壁についてしまう手。
息はとっくに荒くなっていて、文字通り肩で息をするよう。
とても苦しくて、歩くだけでも辛くて、倒れてしまいそうで。
(ハーレイ…)
誰か、と心で呼び掛けてみても、返ってくる筈もない仲間たちの声。
このメギドには、ミュウは一人もいないから。たった一人で来たのだから。
懸命に前へ進むけれども、よろけて足元が危うい身体。壁にもたれては、整える息。
(…ハーレイ…)
こんな時には支えてくれた、あの手が無い。「ソルジャー」と呼ばねばならない時でも、支えてくれていたハーレイ。「これもキャプテンの役目ですから」と。
シャングリラの通路で、視察先などでよろめいた時は、いつも。「無理をなさらないで」と。
恋人同士なことを知られないよう、キャプテンの貌をしていたハーレイ。けれど、ソルジャーを支えるふりをしながら、あの手で支えていてくれた。逞しい筋肉を纏った腕で。
なのに、苦しくてたまらない今。誰かに支えていて欲しい今。
誰も此処へは来てくれないから、一人で歩いてゆくしかない。床に倒れてしまいそうでも。
(ぼくが選んだ…)
こうすることを。
シャングリラから遠く離れたメギドで、一人きりで死んでゆくことを。
それは覚悟の上だったけれど、ハーレイに最後の言葉も残して来たけれど。
(こんなに苦しいことだったなんて…)
思わなかった、と壁に預けた背中。先を急ぐけれど、息を整えねば、と。無理をしすぎて此処で倒れたら、全てが終わってしまうのだから。
(支えてくれる手が、無いというだけで…)
なんと苦しくて長い道のりなのか。まだ遠い扉、其処は終点ではないというのに。
制御室の場所はまだずっと先で、此処まで来た距離の比ではないのに。
何処まで続くのか、この苦しくてたまらない道は。早く終わりが来て欲しい道は。道が終われば自分の命も終わるけれども、それを「早く」と願うほどの辛さ。歩くことが苦痛なのだから。
(…シャングリラでも、歩けなくて…)
倒れたのだった、と思い出した、キースと対峙した時。
捕虜の逃亡や、錯乱状態だったカリナのサイオン・バースト。大混乱だった船の中では、一人も気付きはしなかった。自分が眠りから覚めたことにも、格納庫へ向かっていることにも。
あの時もふらつく足で歩いて、何度も倒れてしまった通路。ハーレイが来てくれなかったから。支えてくれる手が無かったから。
それと同じに、今も一人きり。果てが無さそうに思える道をただ一人、よろめきながら。
(でも、みんなを…)
白いシャングリラを守るためには、歩くしかない。此処で倒れるわけにはいかない。
どんなに苦しくて辛い道でも、自分の足で。一人きりで。
(ハーレイ…)
君の手が此処にあったなら、と支えてくれる手を思ったけれど。
ハーレイがいてくれるわけがない。
もう二度と生きて会えはしないのだから、その道を自分が選んだから。
メギドは自分が止めてみせると。命と引き換えに破壊しようと、此処まで飛んで来たのだから。
そうは思っても、辛すぎる道。苦しいだけの道をたった一人で、死へと向かって歩いてゆく。
歩くより他に道は無いから。余計なサイオンは使えないから、長い長い道を。
(行かないと…)
ぼくがみんなを守らないと、と背を預けていた壁を離れて、歩き始めた所で目が覚めた。
ぽっかりと、自分のベッドの上で。…青の間ではなくて、今の自分の子供部屋で。
(……夢……)
囀っている小鳥たちの声。白いシャングリラにはいなかった小鳥。
カーテンの隙間から射している光、土曜日の朝だと教えてくれる地球の太陽。
そうだったっけ、とソルジャー・ブルーからチビの自分に戻った。ぼくは今のぼく、と。
さっきまで自分が歩いていたのは、前の自分が歩いた道。遠い昔に、あのメギドで。
(…いつもの夢と違ったよ…)
何度も襲われたメギドの悪夢。青い光が満ちる制御室で、たった一人で死んでゆく夢。
撃たれた痛みでハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちだと泣きじゃくりながら。
右手が冷たく凍える夢も辛いけれども、今日の夢も悲しい、と零れた涙。
死へと向かって歩いてゆくのに、誰も支えてくれはしない道。苦しくて、とても辛いのに。
(…早く死んじゃいたい、って思うくらいに苦しかったよ…)
なのにちっとも終わらないんだ、と前の自分と重なった心。果てが無いように思えた道。
たった一人で歩く途中に、何度終わりを願っただろう。早く全てを終わらせたいと。一人きりで歩く道が辛くて、とても苦しくて。
(…忘れちゃってた…)
すっかり忘れていた記憶。早く、と死が待つ場所に着くのを願ったくらいに辛かったのに。
涙ぐみそうな思いをしたのに、自分は忘れてしまっていた。
あの後のことが辛すぎて。やっと辿り着いた制御室の中で、悲しすぎる死が待っていたから。
夢だったんだよね、とホッとした今の自分の部屋。両親がくれた、小さなお城。
(ぼくの家…)
パパもママもいてくれる家、と胸に溢れる温かさ。一人きりで歩かなくてもいいから。苦しくて辛い長い道のり、あの道はもう過去のものなのだから。
顔を洗って、着替えも済ませて、噛み締めて食べた朝御飯。幸せだよ、と。
(今のぼく、ホントに幸せ一杯…)
トーストだって食べられるし、と大きく口を開いて齧った。口一杯に。いつもは少しずつ齧ってゆくのに、まるで食べ盛りの友達たちのように。
「あら、どうしたの?」
今日はお腹が空いているの、と尋ねた母。そんなに大きく齧るなんて、と。
「前のぼくの夢、見ちゃったから…。今のぼくは此処にちゃんといるよね、って」
トーストだって本物だよ、って口一杯に頬張っちゃった。
だって、メギドの夢だったから…。
「…痛かったのね? ブルー、血だらけになっちゃったものね」
痛かったでしょう、と顔を曇らせる母は知っている。聖痕と同じ傷を負わされたことを。
「ううん、それじゃなくて、独りぼっち…」
メギドの中を歩いてたんだよ、制御室まで行かなくちゃ、って。制御室、とても遠いのに…。
うんと長い道を歩いて行くのに、ぼくは独りぼっち。メギドに仲間はいなかったから…。
身体が辛くてフラフラなのに、誰も支えて助けてくれない夢だった、と話したら。
「…そうだったのか…。可哀相にな」
栄養、しっかりつけておかないと。頑張って歩いて行けるようにな。
今のお前は元気に歩けよ、と父が分けてくれたソーセージ。「これも食べてな」と。
ポンとお皿に引越しして来たソーセージ。一気に戻れた幸せな現実。
ソーセージは有難迷惑だけれど。朝から沢山入らないのに、貰っちゃった、と。パパは酷い、と仕方なくフォークで刺して齧ったら、その父が「偉いぞ」と笑顔になって。
「栄養もつけなきゃいけないが…。お前が頑張って歩いて行く時には、だ…」
パパもママも一緒に歩いてやるぞ。お前を独りぼっちにしたりはしないさ。
よろけて倒れそうになったら、パパが支えて歩くわけだな。もちろん、ママも。
「ええ、そうよ。ブルーが倒れないように」
何処でも一緒に行ってあげるわ、メギドでもね。
「メギドって…。ママも死んじゃうよ、メギドなんかに行っちゃったら…!」
逃げる方法、無いんだから。…メギドを壊したら、巻き添えになってしまうんだから。
「だけど、ブルーが行くんでしょう? ちゃんと歩けもしないのに」
ママは行くわよ、ブルーと一緒に。一人で行かせられないもの。
「パパもそうだな、お前はパパの子なんだから。メギドだからって、逃げやしないぞ」
お前が行くと言うんだったら、パパも一緒に行かないと。お前が倒れてしまわないように。
フラフラなんだし、ただでも弱くてチビなんだから。
「…パパもママも来てくれるんだ…。メギドなんかでも…」
「当たり前でしょ、何処の家でもそうよね、パパ?」
「誰だってそう言うだろうなあ、子供を独りぼっちにさせるような親はいないぞ、ブルー」
今の時代は本物の家族なんだから、と父の手でクシャリと撫でられた頭。何処でも一緒に歩いてやるさ、と。
「ありがとう、パパ! ママも、ありがとう…!」
ぼく、本当に幸せだよ。一緒に歩いて貰えるだなんて、ぼくはホントに幸せ一杯…。
両親に御礼を言って、幸せな気分で食べた朝食。父が分けてくれたソーセージの分、食べ過ぎた気分はするけれど。
でも幸せ、と部屋に帰って、勉強机の前にチョコンと座った。
(パパとママ、ぼくと歩いてくれるって…)
一緒に歩いて支えてくれる父と母。きっと本当に来てくれるのだろう、メギドの中を歩いてゆく時でも。辿り着いた先には、死が待つとしても。
そう言ってくれた両親は頼もしいけれど、もっと一緒に来て欲しい人は…。
(ハーレイ…)
絶対に来ては貰えない人。メギドには来てくれない人。
ハーレイが来ると言ってくれても、自分は止めねばならないから。メギドの中では、どうしてもソルジャーになってしまうから。
(パパとママなら、来てくれたら、とても嬉しいけれど…)
ハーレイは無理だと分かっている。生きて戻れない、あの道を一緒に歩けはしない、と。
もしもハーレイを連れて行ったら、シャングリラはキャプテンを失うから。ハーレイ抜きでは、船は地球まで行けないから。
だから駄目だ、と首を横に振るしかない恋人。
今日は訪ねて来てくれるけれど、あの辛かった道を一緒に歩けはしないハーレイ…。
パパとママは歩いてくれるのに、と悲しい気持ちを拭えないままで、ハーレイを迎えてしまった部屋。いつもの土曜日と変わらないのに、あの夢を忘れていなかったから。
母がお茶とお菓子をテーブルに置いて去ってゆくなり、大きな身体にギュッと抱き付いていた。自分の椅子は放ってしまって、ハーレイの膝の上に座って。
「なんだ、どうした?」
甘えん坊だな、今日のお前は。…土曜日だからって、甘えすぎじゃないか?
「…夢を見たんだよ。だからハーレイにくっつきたくて…」
ちょっとだけ、こうしていてもいいでしょ。ハーレイの側にいたいんだから。
「夢って、メギドか?」
見ちまったのか、あの時の夢。俺にくっつきたがるなら、メギドの夢しか無さそうだが…。
「そうだけど…。メギドの夢だったんだけど…」
いつもの夢と違ったんだよ、独りぼっちで歩いて行く夢。
制御室まで行かなくっちゃ、ってメギドの中を歩いて行くんだけれど…。とても遠くて、途中の道がとても長くて…。
ぼくの身体は弱っているから、足はフラフラで、息だって切れてしまってて…。
苦しくて辛くて、それでも一人で歩くしかなくて…。
メギドには誰もいないんだものね、ぼくを支えて一緒に歩いてくれる人は、誰も…。
とても悲しい夢だったんだよ、と訴えた。苦しくて辛い道を歩いているのに、ぼくは一人、と。
「こんなに苦しいだなんて思わなかった、って考えてるんだよ。…夢の中のぼく」
早く終わって欲しいくらいで、だけど終わりはずうっと先で。
道の終わりに着いた時には、死ぬんだって分かっているくせに…。それでも早く着きたい、って思っているんだよ。
苦しい思いをしながら歩き続けるより、終わっちゃった方が楽なんだから。
「…妙に生々しい夢だな、それは。…本当にあったことなのか?」
前のお前がそう思ったのか、メギドの中を歩きながら…?
「うん…。ぼくもすっかり忘れてたけど…」
最後に起こったことの方がずっと、悲しくて辛くて苦しかったから…。
もうハーレイには会えないんだ、って泣きじゃくりながら死んじゃったから。
歩いてた時のことなんかは思い出しもしないよ、何もかも失くしちゃったんだもの。
ハーレイの温もりを失くしてしまって、もう本当に独りぼっちで、それっきりだから…。
「そうだったのか…。前のお前は、独りぼっちで歩いていたのか…」
メギドの制御室に着くまでの間に、お前が歩いて行った距離。
相当なもんだぞ、メギドのデカさは桁外れだからな。
ただでも長い道だというのに、よろけながら歩いて行っただなんて…。
その時間、きっと長かったよな…。一分や二分で着くわけがないしな、制御室には。
「時間なんか覚えていないけど…。それに時計も無かったから」
でも…。夢の中でぼくが見たのと、おんなじ。
今は記憶がハッキリしてるし、夢のせいで長かったんじゃないんだな、って分かっているよ。
本当に長い道だったんだよ、サイオンは出来るだけ残しておかなきゃいけなかったから。
床や壁は壊さなきゃ前に進めないけど、他は歩いて行かなくちゃ…。
瞬間移動で一気に飛んでしまったら、ぼくのサイオン、それで無くなってしまうから…。
制御室を壊す力が無くなっちゃうから、瞬間移動は無理だったんだよ…。
前の自分がメギドで歩いた、苦しくて、とても長かった道。早く終わりを、と願うくらいに。
辿り着けば死ぬと分かっていたのに、道の終わりを待ち望んだほどに。
支えてくれる人は、誰一人としていなかったから。一人きりで歩くしかなかったから。
「…長かったんだよ、ホントのホントに。歩いても、歩いても終わらなくって…」
何度もよろけて、急がなくちゃ、って思っていたけど休憩もして。
ほんのちょっぴりだったけれども、壁にもたれて一休みしてた。倒れちゃったら駄目だから。
倒れるよりかは、一休みの方がマシだもの。…休んだら、また歩き出せるから。
「やっぱり俺も行くべきだったな、お前を支えに」
よろけちまったら、手を差し出して。俺に掴まって歩けるようにと、腕だって貸して。
いざとなったら抱き上げて歩くっていう手もあるしな、シャングリラでもやっていたろうが。
お前の具合が悪くなったら、俺が青の間まで運んだもんだ。…いろんな場所から。
「それは駄目だよ。…ハーレイはメギドに来ちゃ駄目なんだよ」
ハーレイがいなくなってしまったら、誰がシャングリラを地球まで運ぶの?
誰がジョミーを支えるって言うの、ぼくを支えるよりジョミーの方が大切なんだよ。
死んでしまうぼくを支えていたって、何の役にも立たないんだから。…ジョミーを支えて、地球まで行ってくれなくちゃ駄目。
…パパとママに夢の話をしたらね、ぼくと一緒に歩いてくれるって言ったけど…。
二人とも、ぼくを支えてメギドの中でも歩いてあげる、って言ってくれたんだけど…。
パパとママは一緒に来てもいいけど、ハーレイは駄目。
別の役目があるんだから。…ハーレイにしか出来ないことなんだから…。
来て貰うならパパとママだよ、とハーレイを止めた。本当は誰よりも来て欲しい人を。メギドで思い浮かべた人を。絶対に駄目、と。
「…ハーレイの役目は、シャングリラを地球まで運ぶこと。…ジョミーを支えてあげること」
前のぼくも、ハーレイにジョミーを頼んで行ったよ。ぼくと一緒に来るなんて、駄目。
「だが、そう思ってしまうじゃないか。お前がどんな思いをしたのか、それを知ったら」
俺の温もりを失くして独りぼっちになるよりも前から、お前は一人だったんだろうが。
メギドの中でよろけていたって、誰も支えてくれやしなくて。
そいつを聞いたら、俺も行くべきだったと思う。お前を支えて、一緒に歩いてやるために。
おまけに、お前のお父さんたちも、そうするんだと言ったとなると…。
俺が行かないわけにはいかんな。前のお前がよろけた時には、俺が支えていたんだから。
「だけど、キャプテンは来ちゃ駄目なんだよ、メギドには」
キャプテンの役目は、シャングリラを守ることなんだから。メギドを沈めに行くんじゃなくて。
どうせ死ぬんだって分かり切ってる、前のソルジャーを支えに行くことじゃなくて…。
夢の中でも、絶対に、駄目。
ぼくを助けて逃げる夢ならかまわないけど、一緒に死んじゃう夢なんか駄目。
だから一緒に歩いちゃ駄目だよ、ぼくがメギドでよろけていたって。…独りぼっちで苦しそうに歩いていたとしたって。
「分かっちゃいるがな…」
前の俺が正しい選択をしたということは。…俺にとっては間違いだったが。
俺はお前を追うべきだったと今も思うが、キャプテンがそれをするべきではない。
そうしていたなら、シャングリラが無事に地球まで行けたか、俺にも自信が無いからな。
お前が言う通り、俺は行っては駄目なんだろう。前のお前を支えたくても、メギドには。
船に残って、最後まで指揮を執り続ける。それがキャプテンなんだろうがな…。
しかし…、と苦しそうな顔のハーレイ。
そんな思いまでさせていたのかと、苦しくて辛い道を一人で歩かせたのか、と。
「…お前がメギドに着いてからの話は、俺は殆ど知らないからな…」
お前、喋りはしないから。…俺もわざわざ訊きはしないし、本当に何も知らなかった。
早く終わりがくればいいのに、と思いながら歩いていたなんて…。独りぼっちで歩いたなんて。
「大丈夫、直ぐに忘れちゃうから」
夢を見たせいで、今はハッキリ覚えているけど…。今日まで一度も思い出さなかったもの。
ハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちになっちゃった方が辛かったから…。
右手が冷たくなっちゃった方が、ずっと悲しくて辛かったんだし、それが最後の記憶だから…。
「そうかもしれんが、辛い思い出を、もっと辛くて悲しい思い出で消すというのもなあ…」
いい思い出で消えてしまうのならいいが、辛い思い出のお蔭で忘れられるだなんて…。
「平気だってば。今日まで、そうやって消えていたんだから」
ぼくは平気だよ、きっと明日には忘れてるから。
もしも覚えていたとしたって、とっくに終わったことなんだもの。…ずっと昔に。
「だが、お前…。こうして甘えているじゃないか」
俺にくっついていたい気分で、抱き付いて、膝に乗っかって。
最近はずいぶん減っていたのに、俺に会うなり抱き付くだなんて…。その夢のせいだろ、一人で歩いていたっていう。…俺が一緒なら良かったのに、と思わなかったか?
「…ほんの少しね。夢の中でも、前のぼくも」
でも、駄目だって分かっているから…。一人でも頑張って歩いて行かなきゃ。
ハーレイに甘えたい気分になるのも、今日だけだよ。いきなり思い出しちゃったから。
「そうは言われても…」
俺だって、辛くなっちまう。前のお前がどんな気持ちで、一人で歩いていたのかと思うと…。
歩いてた道が長かったんなら、辛い時間も苦しい時間も、その道の分だけあったんだから。
お前に何かしてやりたかった、とハーレイは背中を撫でてくれるけれど、戻れない過去。
あの日へと時を戻せはしなくて、やり直すことは出来はしなくて。
それに、戻れても、ハーレイにメギドには来て貰えない。ミュウの未来が危うくなるから。
今の自分も分かっているから、夢の世界でもメギドに連れては行けないハーレイ。
辛くて苦しかった道を歩く夢に、来てくれるのは両親だけ。「頑張れよ」と支えてくれる父と、手を握ってくれる優しい母と。
ハーレイは決して、来てはくれない。夢の中でも、あの長い道を歩く時には。
(悲しかったけど、仕方ないもの…)
支えて欲しいのにハーレイがいない、と思ったメギド。
夢の中の自分も考えたけれど、前の自分も変わらなかった。あの手が欲しい、とハーレイの手に縋りたいのを堪えて歩いた。
自分が選んだ道なのだから、と。一人で歩いてゆくしかないと。
それでも苦しくて悲しかった、とハーレイの身体に抱き付いていたら。広くて逞しい胸に、頬をすり寄せて甘えていたら…。
「ふうむ…。前のお前には何もしてやれなかったんだが…」
今となっては、もうどうしようもないんだが。…お前、やっぱり可哀相だしな…。
よし、今はまだ少し早すぎるんだが、楽しみに待っているといい。
お前のお父さんたちに負けてはいられないからな、俺だって。お前の恋人なんだから。
「待つって…。何を?」
早すぎるって、いったい何を待っていればいいの?
「俺がお前にしてやれることさ。前のお前に出来なかった分、今のお前に」
前のお前がメギドで一人で歩いていた分。前の俺がお前を、一人で歩かせちまった分。
お前の隣で支えてやれなかった分を、幸せな所で今のお前に返してやろう。うんと幸せな気分になって、独りぼっちで歩いた辛さを忘れられるように。幸せなんだ、と思えるように。
これは俺にしか出来ないことだし、お前のお父さんたちには決して負けないってな。
「幸せな所って…。何処で?」
「まだまだ先だな、俺とお前の結婚式ってヤツだから」
少し早すぎると言っただろうが。お前はチビだし、結婚出来る歳にもなっていないし。
「結婚式の時に、何かするわけ?」
「定番と言えば定番なんだが…。お前、抱き上げて欲しいんだろうが」
俺に抱き上げて貰って、記念写真を撮りたいと言っていなかったか?
お姫様抱っこというヤツで。あのポーズで俺と写真を撮るのが夢なんだ、とな。
「そうだけど…?」
ママたちも写真を飾っているから、やっぱりあれを撮りたいよね、って…。
だけど、白無垢だと抱き上げる写真は無いみたいだから、ちょっぴり悩んでいるんだよ。
白無垢にしたら、ああいう写真は無理なんでしょ?
ウェディングドレスでないと駄目かな、って思うけれども、白無垢だって…。
幸せ一杯の結婚式の写真。両親の記念写真を眺めて、憧れたポーズ。いつかはぼくも、と。
けれど、白無垢を花嫁衣装に選んだ時には、撮れないらしいのが、あのポーズの写真。白無垢も素敵だと思っているのに、ああいう写真が撮れないのなら…、と頭を悩ませている問題。
白無垢はハーレイの母が着たと聞くから、着てみたいのに。
「そいつだ、お前の憧れの写真。…それを必ず撮らせてやろう。結婚式の日に」
前のお前を一人で歩かせちまったからなあ、その時の分をお前に返そう。
結婚式の時は、俺がお前を抱き上げて歩く。支える代わりに、ヒョイと抱き上げて。
ほんの短い距離なんだろうが、幸せな気分を味わってくれ。俺の嫁さんになったんだ、とな。
お前が白無垢を選んだとしても、俺がしっかり抱え上げてやる。
「…ホント? 白無垢でも、あの写真、撮ってもいいの?」
駄目なんだって思っていたけど、あのポーズで記念写真を撮れるの?
「心配は要らん。俺がお前を抱き上げるんだし、カメラマンがちゃんと撮ってくれるさ」
普通はしないポーズなんだが、と思っていたって、プロなんだから。
きっと最高の写真が撮れるぞ、幸せ一杯のお前の笑顔。白無垢でも、ウェディングドレスでも。
俺がきちんと抱いててやるから、何枚でも写して貰うといい。
でもって、それから後はずっと、だ…。
もう一人では歩かなくてもいいだろうが、と笑ったハーレイ。「俺がいるんだから」と。
「支えるどころか、ずっと一緒だ。どんな時でも、どんな所でも」
お前を一人で歩かせやしない、絶対にな。お前が一人で歩きたいなら、止めはしないが。
「結婚したら、ずっとハーレイと一緒?」
ぼくが歩く時は、いつもハーレイが一緒に歩いてくれるの、何処へ行く時も?
「流石に仕事の間は無理だが、それ以外の時は一緒だな」
そういうもんだろ、結婚式を挙げるんだから。
お前は俺の嫁さんになって、二人で暮らしていくんだし…。前よりもずっと幸せになれるぞ。
俺はお前を支え放題だし、抱き上げて歩いていたっていい。何処へ行くにも。
シャングリラだと、支え放題とはいかなかったしなあ…。キャプテンの仕事の範囲でしか。
前のお前に付きっ切りというのは無理だった。…俺の居場所はブリッジだったし。
「そうだっけね…」
視察の途中でよろけた時とか、具合が悪くなっちゃったとか…。そういう時だけ。
寝込んじゃってても、支えに来てはくれなかったよね。仕事が終わらない内は。
「そうだったろう?」
しかし、今度は堂々と恋人同士だからなあ、いくらでもお前を支えてやれる。
お前が一人で息を切らして、苦しい思いで歩くことはないんだ。俺が必ず支えるから。
まあ、それ以前に、そんな目にお前を遭わせはしないが…。
のんびり歩いていればいいんだし、息なんか切れはしないんだがな。
お前のペースでゆっくり歩こう、とハーレイは微笑んでくれたけれども、ふと思ったこと。前の自分がメギドで歩いた、あの長い距離。
一人だったから、とても辛くて苦しかったけれど、二人だったらどうなるだろう、と。もちろんメギドは御免だけれども、幸せな今。いつかハーレイと二人で歩ける時だったなら…、と。
(もっと長くて厳しい道でも、幸せかも…)
メギドでは普通の通路だったけれど、足を取られるような厄介な道。足がすっぽり沈んでしまう深い雪とか、ツルツルと滑る凍った道。
(おまけに風邪まで引いてるとか…)
熱っぽい頭で、コンコンと咳をしている時でも、二人なら幸せかもしれない。もう帰りたい、と思う代わりに、もっと先まで、と強請るとか。
ハーレイに「帰ろう」と手を引かれても。「連れて戻るぞ」と抱き上げられても。
メギドの時には、早く終わって欲しかったのに。辛くて苦しいだけの道など、最後に待っているものが死でも、早く終われと願ったのに。
(雪道で、風邪でも、もっと先まで…)
行きたいとハーレイに強請るのだろうか、「まだ行きたいよ」と。もっと二人で歩こうと。
風邪を引いていて、苦しいのに。足が靴ごと雪に埋まるのに。
そう思ったから、ハーレイに訊いてみることにした。最高の場所が見付かったから。雪が沢山、ありそうな場所。風邪を引くかもしれない場所。
「あのね…。ハーレイと二人で歩きたい時に、ぼくが息切れしててもいい?」
風邪を引いてて、熱も咳も出てて、歩こうとしたらフラフラのぼく。
ハーレイ、ぼくを支えてくれる?
前のぼくをメギドで支えられなかった分まで、うんと長い道を歩いてくれる…?
「風邪を引いて熱って…。そんな状態で歩きたいのか、お前は?」
しかも俺とって、デートなのか、それは?
「うん。…旅行中だと、また別の日に、って言ったって無理な時があるでしょ?」
三日間しかいられないのに、ぼくの風邪、治らないだとか…。だけど、どうしても見たいとか。
サトウカエデの森を見たいよ、雪の季節に行こうって約束してたよね?
その時にぼくが風邪を引いたら、雪の森で、支えて歩いてくれる…?
「熱が出ていて、咳までしてて…。それでも雪の森に出掛けてデートだってか?」
「駄目? 本物のサトウカエデの森を見るのは、前のぼくの夢の一つだけれど…」
メイプルシロップが採れる季節に、ハーレイ、行こうって言ってくれたよ。
「…分かった、そういうことならな。お前を支えて歩いてやろう」
「もっと先まで、って頼んでもいい? ハーレイが帰ろうって言い出したって」
まだ見たいんだ、って我儘、言ってみたいな。フラフラでも、雪で歩きにくくても。
「任せておけ。支えてもいいし、いざとなったら俺が抱き上げて歩いてやるから」
サトウカエデの森なら、いくらでも歩いてやるさ。ヨロヨロしてるお前と一緒に。
同じようによろけていたって、行き先がメギドの制御室だと、ついて行けないらしいからな。
その分、余計に頑張らないと。メギドは夢でも駄目らしいしなあ…。
「パパとママは来てくれるんだけどね」
でも、ハーレイは絶対に駄目。…メギドの中では、キャプテンだから。
「お前のお父さんたちは行くというのに、行けないのが俺だというのがな…」
サトウカエデの森で頑張るとするか、お父さんたちに負けないように。
お前がどんなに我儘だろうが、倒れそうでも「行くんだ」と言っていようがな。
俺が支えて行ってやる、とハーレイに約束して貰えたから。
抱き上げて運んでもくれるそうだから、いつか幸せに無理をしようか。
前の自分がメギドで一人で歩いた道より、もっと長くて歩きにくい道をハーレイと二人。
息が切れても、熱や咳で身体がとても辛くても、ハーレイと一緒。
足元が雪で歩きにくくても、ハーレイにしっかり支えて貰って、サトウカエデの森の中を。
もっと先へと、もっと歩こうと。
「行きたい」と強請って、支えて貰って、きっと幸せに歩いてゆける。
一人で歩く道ではないから。
ハーレイが隣で支えてくれるし、いざとなったら、抱き上げて運んでくれるのだから…。
一人だった道・了
※前のブルーがメギドの中で歩いた道。瞬間移動は使えないだけに、一人きりでよろけながら。
けれど、今度は、もっと長い道になっても、ハーレイが支えてくれるのです。雪の中でも。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(わあっ…!)
懐かしい、とブルーの目を引き付けたもの。学校から帰って、おやつを食べに来たダイニング。ふと見たテーブルの上にアルバム、見覚えのある表紙の一冊。
(幼稚園の…)
卒園記念に貰ったアルバム。表紙は幼稚園でつけて貰ったけれども、アルバムにしてくれたのも幼稚園の先生たちだけど。
(ぼくも作った…)
頑張ったっけ、と思い出が蘇ってくるアルバムの中身。先生に「はい」と貰った画用紙、それに絵を描いたり、みんなお揃いのアルバム用紙に写真を貼ったり。
半分ほどは自分で作った手作り品。この世に一冊、そう言ったっていいくらい。
(そうそう、こんな絵!)
描いたんだよ、と浮かび上がってくるクレヨンを握った自分の姿。もっと上手に、と一所懸命。誰よりも上手く描きたくて。卒園記念になるのだから。
頑張ったぼく、とパラリ、パラリと順にページをめくっていたら…。
「懐かしいでしょ?」
ブルーのアルバム、と母がダイニングに入って来た。おやつのケーキや紅茶のカップ、ポットも載せたトレイを手にして。
「このアルバム…。ママが出して来たの?」
「ええ、そうよ。他のアルバムを取りに行ったら、あったから」
きっとブルーも喜ぶと思って…。普段はアルバム、わざわざ探しに行かないでしょう。
せっかくだから、ハーレイ先生にも見て頂く?
「えっ?」
ハーレイって…。幼稚園のアルバム、ハーレイに見せるの?
それはちょっと、と絶句してしまった、開いたばかりのアルバムのページ。先生が作ってくれたページで、将来の夢を書くページ。「おおきくなったら、なりたいもの」という見出し。
絵を描いた子もいたのだろうけれど、幼稚園児だった頃の自分は…。
(…書いちゃった…)
たどたどしい字で「ウサギ」と書かれた、将来の夢。クレヨンで描いたウサギの絵まで。
(まだ諦めていなかったんだ…)
この頃には、と恥ずかしい気持ちになる「ウサギ」。幼かった頃の自分の夢。ウサギになったら元気一杯、と夢を見ていた。野原を自由に走ってゆけるし、弱い身体が元気になるよ、と。
ウサギになるには、まず友達にならなくては、とウサギの小屋を覗いていた。幼稚園に行く度、覗き込んでは「ぼくもウサギになりたいな」と。
両親にも夢を語ったけれども、人間はウサギになれないから。気付いた時に諦めた夢。ウサギは無理、と。
(ウサギのこと、ハーレイも知っているんだけれど…)
知ってくれていて、「お前がウサギになるんだったら、俺もウサギだ」と言ってくれたけれど、それはそれ。「小さい頃の夢だったんだよ」と話をするのと、こうして証拠があるのとは違う。
(本気だったのか、って笑われちゃうよ…)
卒園アルバムにも書くほどなのか、と可笑しそうに眺めるハーレイの姿が目に浮かぶよう。
「笑うつもりは全く無いぞ」と言っていたって、揺れているだろうハーレイの肩。懸命に笑いを堪えているのが分かる肩。そうでなければ、遠慮しないで大笑いするか。
ハーレイにはとても見せられない、とパタリと閉じた記念アルバム。「ウサギ」と夢が書かれたページ。これは秘密にしなければ。見せるだなんて、とんでもない。
「こんなの、駄目だよ。恥ずかしいもの」
絵とか、字とかが下手くそなのは、子供だから仕方ないけれど…。みんな同じだと思うけど。
「あら、そう? ウサギさんになるっていう夢、可愛いらしいのに」
小さかったから見られた、素敵な夢よ。今のブルーは、ウサギだなんて思わないでしょ?
それに、ハーレイ先生には内緒でも…。いつかは誰かが見ると思うわよ、ブルーのアルバム。
「見るって…。誰が?」
「ブルーのお嫁さんには渡さないとね、「見て下さい」って」
「え?」
お嫁さんって…。ぼくのお嫁さんには見せるものなの、このアルバムを?
「当たり前でしょ、ブルーのお嫁さんなのよ?」
ちゃんと見せなきゃ、と微笑んだ母。一緒に暮らす人なんだもの、と。
「そういうものなの? …アルバム、見せなきゃいけないの?」
「いけないっていうのとは少し違うわ。見せたら、自分も見せて貰うのよ」
どちらが先っていう決まりは無いわね、お互いに見せ合うものよ、アルバム。だって、思い出が一杯でしょう。こういう風に育ちました、って。
「ママも、パパのを見たりした?」
「色々見たわよ、幼稚園のも、学校のも。…家族写真のアルバムもね」
「…ママのは? ママのアルバム、パパも知ってるの?」
「よく知ってるわよ、この家に持って来たんだもの」
ブルーのアルバムとかと一緒に仕舞ってあるから、何度もパパと一緒に見たわね。幼稚園のも、他のアルバムも。
「アルバム…。お嫁さんに行く時は、持って行くものなの?」
「もちろんよ。パパだって自分のを持って来てるわよ、大切な思い出なんだから」
結婚して二人で暮らすんだったら、お互い、持って来なくっちゃ。赤ちゃんの時の写真だって。
だからブルーのアルバムも誰かが見るわね、と楽しそうにページをめくっていた母。
「将来の夢はウサギさんね」と、例のページを何度も広げて、他のページも懐かしそうに。
その時は、それで終わったけれど。「絶対に見せないでよ?」と念を押したから、ハーレイには見せずに済みそうだけれど。
おやつの後で部屋に帰って、座った勉強机の前。大変なことになっちゃった、と。
(ぼく、お嫁さんは貰わないけれど…)
ハーレイのお嫁さんになるのだけれども、お嫁さんはアルバムを持って行くもの。一緒に暮らす結婚相手と、それを開いて見るために。母だって持って来たのだから。
幼稚園のも、他のアルバムも、持ってお嫁に行くのなら。そういうものなら、「ウサギ」という夢が大きく書かれた、自分の卒園記念アルバムも…。
(ハーレイが見るんだ…!)
今日はなんとか隠しおおせても、きっといつかは。
結婚する時に持って行くなら、ハーレイが見るだろう卒園記念に作ったアルバム。他にも持って行くわけなのだし、アルバムは全部見られてしまう。生まれて直ぐの写真から、全部。
(恥ずかしすぎるよ…!)
ウサギのアルバムも恥ずかしいけど、と思わず抱えてしまった頭。
あのとんでもない夢の他にも、まだ色々とあるのだろう。アルバムに仕舞って忘れてしまった、今から思えば恥ずかしい夢。下の学校でも、何度もアルバム作りをしたから。
写真の方だって、きっとドッサリ。覚えていない写真が沢山。変な顔のとか、悪戯中とか。
(女の子の格好はしていないだろうけど…)
そういう友達のアルバムを目にした記憶が幾つも。仮装だったり、お姉さんのスカートを履いた所をパシャリと撮られた写真だったり。
「カッコ悪いけど、剥がしたら叱られるんだよなあ…」と頭を掻いた友達。剥がして捨てたら、きっとゲンコツでは済まないから、などと。
自分にもありそうな恥ずかしい写真。覚えていない分、余計に厄介な写真。「ウサギ」と書いた卒園記念アルバムのことを、すっかり忘れていたように。
(お嫁に行く時は、アルバムを持って行くなんて…)
将来の夢がウサギだった証拠や、顔から火が出そうな写真やら。全部纏めて持ってゆくらしい、いつかハーレイと結婚する時。
アルバムなんかは無かったことにしておこうか、とも思うけれども。
(…ママが荷物に入れちゃうよね?)
持って行かない、と置いてあるのに、「入れ忘れてるわ」と親切に。アルバム用の箱を作って、丁寧に詰めて、箱の外には「アルバム」の文字。一目で中身が分かるようにと。
(どうしよう…)
ハーレイに全部見られちゃうよ、と嘆いていたら、聞こえたチャイム。仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれたから、もう本当に落ち着かない。ハーレイのせいで悩んでいたのだから。
(本当に全部、見られるんだよね…?)
出来れば見ないで欲しいんだけど、と向かいに座ったハーレイをチラリ、チラリと見る内に。
「俺の顔に何かついているのか?」
ケーキの欠片でもくっついてるか、とハーレイがグイと拭った唇。
「そうじゃないけど…」
ドキリと跳ねてしまった心臓。そんなにハーレイを見ていたろうか、と。
「ふむ…。お前、やたらと焦っていないか?」
「なんで分かるの!?」
飛び上がるほどビックリしたら、鳶色の瞳に可笑しそうな色。
「図星か…。そんなに驚かなくても、取って食ったりはしないが、俺は」
頭からバリバリ食いはしないぞ、人食い鬼じゃないんだから。
もっと育って美味そうになったら、優しく食べてやるんだけどな。
チビの間はミルク臭くて…、と普段だったら嬉しい冗談。今日はちょっぴり恋人扱い、と幸せな気分になれるけれども、今は大きな問題が一つ。
ハーレイが「食べ頃だな」と思ってくれたら、自分はお嫁に行くのだから。見せたくないよ、と隠しておきたいアルバムが詰まった箱と一緒に。
どうしよう、と恥ずかしい気持ちが膨らむ一方、穴があったら入りたいくらい。アルバムを全部抱えて入って、蓋をパタンと閉めたいくらい。
「…重症だな。とびきりの言葉をプレゼントしても、お前、喋りもしないんだから」
で、何を焦っているんだ、お前。…俺が来た時には、もう焦っていたみたいだが。
「えっと、アルバム…」
「アルバム?」
それは写真を貼るアルバムのことか、なんでアルバムで焦るんだ?
「ママが、結婚する時には持って行くものよ、って…」
赤ちゃんの時からのアルバムを全部、持って行くんだって言ったんだけど…。
ママもパパも、この家に持って来たんだから、って…。
「普通はそうだな、大事なアルバムは持って行くもんだ」
元の家は直ぐそこなんです、っていう時は置いて行く人も少なくないが…。見たくなった時に、見たい分だけ選んで運べばいいことだからな。最初から持って行かなくても。
そのアルバムがどうしたんだ?
「恥ずかしいじゃない、アルバムを持って行くなんて!」
自分じゃ覚えていないくらいに、小さい頃のもあるんだよ?
こんな写真は恥ずかしいよ、って思う写真も入っているのに、それだって全部…。
あんまりだよね、って思ってたんだよ、ぼくもお嫁に行くんだから…!
「アルバムつきだと恥ずかしい、ってか…。それで嫁に行く相手の俺を見てた、と」
見られちまう、と焦っていたんだろうが、いいことじゃないか。素晴らしいことだ。
「何が?」
「今の俺たちだから出来ることだぞ、アルバムは困る、と焦るってヤツ」
お前が焦る気持ちも分かるが、それは幸せなことなんだ。…今だからこそだぞ、そのアルバム。
前の俺たちは持っていたか、と訊かれたアルバム。卒園記念や、赤ん坊の頃からの写真が山ほど詰まっているアルバム。
今の自分は何冊も持っているけれど。記憶から消えたアルバムの数も多そうだけれど。
「…前のぼく…。アルバムなんかは無かったね…」
それに記憶も無くなっちゃってた、子供の頃の。…育ててくれた人たちの顔も、育った家も…。学校も友達も、何もかも全部。
今のぼくだと忘れてるだけで、切っ掛けがあれば思い出せるけど…。前のぼくだと、全然駄目。成人検査と人体実験で、全部消されてしまったから。
「それだけじゃないだろ、あの時代だと無理だったんだ。子供時代のアルバムってのは」
ミュウじゃなくても、普通に育って成人検査をパスした子でも。
成人検査を受けた後には全部処分だ、そうだったろうが。
子供時代の記憶ってヤツは、機械が消して上手く書き換えていたんだから。
違うのか、と言われた通り。前の自分たちが生きていたのは、そういう時代。子供時代の沢山の思い出、それが詰まったアルバムを持った大人は一人もいなかった。人類が暮らす世界には。
「…そっか、ジョミーがお母さんと一緒に見てたアルバム…」
目覚めの日の前に、懐かしそうに見ていたけれど…。ジョミー、持ってはいなかったよね。
ジョミーの子供の頃のアルバム、シャングリラには無かったんだっけ…。
「無くなってただろ、ジョミーが家に帰った時には」
前のお前が「帰っていい」と言ってやった後、ジョミーは真っ直ぐ帰ったが…。
もうあの時には無かった筈だぞ、俺はこの目で見ちゃいないがな。
「うん、無かった。アルバムも、家族写真が入った写真立ても全部…」
ユニバーサルから専門の職員が送り込まれて、処分しちゃった後だったよ。
あの時代は、何処の家でも同じ。…次の子供を育てる人だと、前の子供の思い出は処分。
次に来る子が、不思議だと思わないように。「この人、だあれ?」って訊かないように…。
血縁関係の無い親子だけしかなかった時代。養父母が愛情を注ぐ子供は、原則として一人だけ。
十四歳まで育て上げたら、新しい子供が貰えたけれど。養父母はそれでかまわないけれど、次の子供は「前の子供」のことを知らない方がいい。親の愛情を信じられなくなるから。
新しい子供が何も疑問を抱かないよう、消されてしまった「前の子供」の痕跡。アルバムやら、家族写真やら。子供部屋の中身も含めて、全部。
「ほらな、人類でも持てなかったんだ。子供時代のアルバムは」
普通に暮らしていた人類は誰も、アルバムを持っちゃいなかった。自分の成長記録の分は。
おまけに記憶も曖昧なんだぞ、成人検査で消されちまって。
前の俺たちほどではなくても、親の顔とかはハッキリ覚えてなかったようだし…。
子供時代のアルバム以前に、そいつの中身の記憶が無かった。漠然とした記憶が残っただけだ。
アルバムに写真を貼っていこうにも、貼るべき写真が無かったんだな。頭の中にも。
「じゃあ、今は…。アルバムを持ってる今のぼくたちは…」
とても凄いんだね、前のぼくたちが生きた時代に比べたら。…アルバムが幾つもあるんだから。
「幸せすぎる時代だろうが。記憶は一つも失くしちゃいないし、子供時代のアルバムもある」
自分じゃすっかり忘れていたって、アルバムを見れば思い出せるんだ。
赤ん坊の頃は流石に無理でも、もう少し大きくなった頃なら。
写真を撮った場所は何処だったかとか、このオモチャがお気に入りだったとか。
アルバムってヤツは宝箱だな、思い出の宝庫。懐かしい思い出が山ほど詰まっているんだから。
その宝箱を持っている上に…、とハーレイが指差した自分の頭。この中にも、と。
「俺たちの場合は、此処にも秘密の宝箱が入っているってな。デカイのが一個」
前の俺たちの分まで持っているだろ、記憶をドッサリ。普段は忘れちまっているが…。
一人で二人分の人生の記憶だ、こいつは凄い。生憎と、前のアルバムは持っちゃいないがな。
「そうだね、前のぼくたちの分は、子供時代が無いけれど…」
成人検査よりも前の記憶は、何も残っていないんだけど。
あの時代の普通の子供たちより、ずっと酷い目に遭ったから。…何も残らなかったから…。
「それでも、余分に持ってるじゃないか。前の俺たちはこう生きた、とな」
普通の人だとそうはいかんぞ、生まれてくる前の記憶なんぞは無いんだから。
今のが全てで、今の人生の分だけだ。頭の中にある、記憶のアルバムっていうヤツも。
ところが、俺たちはもう一人分、持っている。前のお前や、前の俺が生きた人生の分の記憶を。
そいつをヒョイと思い出しては、今のと比べられるんだ。此処が違うと、此処も違うと。
うんと幸せな今の人生を、何倍も楽しめるというわけだな。前の人生が不幸だった分だけ。
「不幸って…。前も幸せだったよ、ぼくは」
辛いことも沢山あったけれども、前もやっぱり幸せだった。
不幸だったか、幸せだったか、どっちなのかと訊かれた時には、幸せだったって答えるよ。
やせ我慢じゃなくて、ホントに幸せだったから。
だってね…。
ハーレイと一緒だったから、とニッコリ笑った。だから幸せ、と想いをこめて。
辛い人生だったけれども、ハーレイと会えた前の生。
前の自分が生きていたから、前のハーレイとも巡り会えた。出会って、同じ船で暮らして、恋が芽生えて、キスを交わして。…長い長い時を二人で生きた。幸せな時を二人で過ごした。
白いシャングリラの中が全ての世界でも。誰にも恋を明かせなくても。
「前のぼくはとても幸せだったよ、ハーレイに会えて、ハーレイと一緒」
ハーレイに会う前は辛かったけれど、それよりも後はずっと幸せ。
どんなに悲しいことがあっても、ハーレイがいてくれたから。…いつでも一緒だったから。
最後は離れてしまったけれども、またハーレイと会えたでしょ?
だからホントに幸せなんだよ、前のぼく。今の幸せは、前のぼくがいたお蔭だから。
「なるほどなあ…。前のお前とのことに関しちゃ、確かに幸せだけだったな。前の俺だって」
あのシャングリラで幸せだった、と思う記憶には、前のお前がいるもんだ。何処かに、必ず。
俺も幸せな人生だったが、残念なことに、アルバムが無いな。
子供時代の分じゃなくてだ、前のお前との思い出の分。そいつの写真を貼ったアルバム。
頭の中にはアルバムがあるが、手に取って見られるヤツが無いんだ。
「無いね、前のぼくと前のハーレイの思い出が詰まったアルバム…」
写真集なら出てるんだけどな、あれはアルバムとは言えないし…。
自分で写真を貼ったヤツじゃないし、スナップ写真や記念写真とは違う写真だし…。
「それもそうだが、写真集、前のお前のばかりじゃないか」
前の俺のは出ていないんだよな、欲しがるヤツが無いからなんだが…。
キャプテン・ハーレイの写真集なんか、出したって売れやしないんだが。
「ぼくは悔しいよ、前のハーレイの写真集が出ていないこと!」
もしも出てたら、お小遣いをはたいて買っちゃうのに…。
カッコいいキャプテン・ハーレイの写真、アルバムでなくても欲しいのに…!
アルバムが無かった前の自分たち。子供時代のアルバムは無くて、恋人同士のアルバムも。前のハーレイと恋をしたのに、そのアルバムは残っていない。アルバムは存在しなかったから。
けれど、前の自分たちも幸せに生きた。不幸な時代だったけれども、恋人同士で生きた時間は。
恋人同士になるよりも前も、二人一緒なら幸せだった。アルタミラで出会った時から、ずっと。二人一緒にいた時は、いつも。
最後は悲しい別れだったけれど、それも今へと繋がったから。幸せな恋の続きが始まったから、きっと幸せだったのだろう。あの悲しかった別れでさえも、今の幸せへの旅立ちならば。
「前のぼくたちのアルバム、欲しかったな…」
いろんな所で、二人で写真。青の間もいいし、公園だって。…展望室も、ブリッジとかも。
ハーレイと二人で写したかったよ、いろんな写真を。
恋人同士になる前の分も、沢山あったら良かったのにね…。
ハーレイが厨房で料理をしていて、ぼくが隣で見ているのとか。二人でジャガイモの皮を剥いているのとか、他にも色々。
思い出は山ほど残っているのに、それの写真が無いなんて…。アルバムに貼っておきたい大切な写真、一枚も残っていないだなんて…。
「お前なあ…。どう考えても無理だろうが。前の俺たちのアルバムなんて」
前のお前の公式な写真でさえも無かったんだぞ、シャングリラには。
今は有名なヤツがあるがだ、前の俺はアレを知らないってな。あれを撮るためにポーズをつける前のお前も、写真を写したカメラマンも。…知っているだろ、真正面を向いた前のお前の写真。
「あるね、前のぼくの写真集にも入っていたよ」
アレが表紙になっているヤツも、ホントに沢山あったっけ…。いつの写真か知らないけれど。
でも、前のハーレイの写真集は一冊も無くて、なんだかホントに悲しい気分。
ハーレイの写真集があったら、アルバムの真似が出来るのに…。
写真集を買って来て、お気に入りのを切り取って貼れば、それっぽいのが出来そうなのに…。
前のぼくの写真集も買って切り取って、一緒に貼って。
いい感じにサイズとかが合ったら、お揃いの枠で囲んだりして、ハートも描いて…。
ホントに残念、と前のハーレイの写真集が無いことを嘆いたら。前の自分たちの恋のアルバムは作れやしない、と零していたら。
「仕方ないだろう、前の俺の写真集を作ろうってヤツがいないんだから」
売れそうもない本は無理だからなあ、文句を言ってもしょうがない。
前の俺たちのアルバムが無いのも、今更どうしようもない。時間を戻して作れやしないし、前の俺たちに戻ったとしたら、写真どころじゃないんだから。…アルバムもな。
その分、今度は作れるぞ。誰にも遠慮は要らないわけだし、写真は何処でも撮り放題だ。
アルバムだって山ほど作れる、ハートも山ほど描いたっていいし。
一番最初に作るアルバムは、結婚式のアルバムだろうな。花嫁姿のお前が主役の。
「ウェディングドレスか、白無垢だよね。…どっちにするかは決めてないけど…」
ハーレイの写真も沢山欲しいよ、結婚式のアルバムだもの。うんとカッコいいハーレイが沢山。
二人一緒のも山ほど写して、後で選ぶのに困るくらいに写真が一杯。どれを貼ろうか、って。
「悩むんだろうなあ、どの写真のお前も綺麗だろうし…」
とても選べん、と全部纏めて貼っちまうかもな、分厚いアルバムを買って来て。
「そうかも…。ぼくもハーレイの写真、全部貼ろうとしそうだから…」
この写真もいいし、こっちもいいね、って迷って選べそうにないから。
最初のアルバムは写真選びに困りそうだけど、その後もいっぱい作りたいね。ハーレイとぼくの写真のアルバム、前のぼくたちのアルバムが無かった分まで。
「もちろんだ。家でも沢山写すんだろうが、あちこち出掛けて写さないとな」
旅行もそうだし、親父たちと釣りに行くのもいいし…。
親父たちの家でも色々撮れるぞ、夏ミカンの実でマーマレードを作る時とか。
あの木の下でも写真を撮ろう、と提案された夏ミカンの木。隣町で暮らすハーレイの両親、その家の庭の目印だという大きな木。夏ミカンがドッサリ実る季節や、花の季節に。
(…最初に撮れるの、いつなのかな?)
黄色い実が山ほど実っているのか、白い花が沢山咲いているのか。それとも小さな緑色の実が、幾つも下がっている頃なのか。
早く写真を撮りたいよね、とハーレイと並んで木の下に立つ日を夢見ていたら…。
「アルバム作りを始めるからには、前のアルバムも見ようじゃないか。お前と二人で」
俺はコーヒーでも淹れて。…お前は紅茶か、ココアでも飲んで。
「前のアルバムって…。前のぼくたちの写真集?」
ハーレイの写真集は無いから、前のぼくので、ハーレイが沢山写っているヤツ?
あれ、ぼくは好きじゃないんだけれど…。
このハーレイは素敵だよね、って思う写真は、前のぼくとセットなんだから。
ハーレイを盗られちゃった気がして、腹が立って買わなかったんだよ。これは嫌い、って。
あんな写真集が欲しいの、ハーレイ?
ぼくが大きく育った後なら、今みたいに腹は立たないのかもしれないけれど…。
「いや、それじゃなくて…。前というのは、今の俺たちの前って話で」
今の俺たちの昔のアルバム。子供時代からのアルバムってヤツだな、幾つもあるだろ?
お前もそいつを持ってくるんだし、二人でゆっくり見るのもいいぞ。
こんな時代もあったんだよな、って笑って、思い出話をして。
「子供時代のアルバムって…」
ハーレイ、見たいの、ぼくのアルバム?
お嫁に行く時に持って行ったら、ハーレイ、それを見るって言うの?
酷い、と叫んだのだけど。悲鳴を上げてしまったけれども、ニヤリと笑みを浮かべたハーレイ。余裕たっぷり、腕組みをして。
「ほほう…。俺のアルバム、見たくないのか?」
子供時代のアルバムってヤツは、俺だって持っているわけだ。…今の俺はな。
前にミーシャの写真を探して見せてやったぞ、おふくろが飼ってた白い猫のミーシャ。
俺の子供時代のアルバムの写真、お前はそれしか知らない筈だが…。
他には何も見せちゃいないし、ミーシャの写真に俺は写っていなかったしな。
「そういえば…。ミーシャは見せて貰ったけれど…」
ハーレイの写真は見たことがないよ、ミーシャが家にいた頃の写真。
ねえ、ハーレイのアルバム、どんな写真が入っているの?
子供時代のハーレイが沢山写っているよね、釣りの写真も、柔道の写真も入ってる…?
「さてなあ…? そいつは見てのお楽しみってな」
しかしだ、お前が見せてくれんというのに、俺だけがお前に見せるのか?
どうぞ遠慮なく御覧下さい、と俺のアルバムを公開するのか、お前のは内緒らしいのに?
そいつは不公平ってモンだぞ、そう思わないか?
お前はアルバムを見られるのが嫌で、出来れば持たずに嫁に来たいわけで…。
そうするのは別にかまわないんだが、俺のだけ見せろと言われても…。
俺のアルバムを見たいのならば、お前も持って来ないとな、とハーレイがパチンと瞑った片目。
不公平なのは良くないからな、と。
「それって、交換条件ってこと?」
ハーレイのアルバムを見せて欲しかったら、ぼくのアルバムも見せろってこと…?
結婚する時にはちゃんと持って行って、ハーレイに全部、見て貰うわけ…?
「さっきも言ったが、持って来なくてもいいんだぞ。お前が嫌なら」
嫌だと言うのを無理にとは言わん、誰にだって秘密はあるもんだ。前の俺たちだって、最後まで隠し通したからなあ、恋人同士だったことをな。
だから、お前がアルバムを一生秘密にするのもいい。俺には見せん、と隠したままでも。
その代わりに、だ…。俺のアルバムも隠しておく。
俺が仕事に行ってる間にコソコソ見られないように、きちんと秘密の場所を作って。
「えーっ!?」
見せてくれないの、ハーレイのを?
隠してしまうの、ぼくが絶対見られないように…?
ハーレイの子供時代の写真、とっても見たいのに…。いろんな写真を見てみたいのに!
幼稚園の卒園記念アルバムとかもあるでしょ、それも見たいよ。
でも、見たいのなら、ぼくのを持って行かなくちゃ駄目…?
赤ちゃんの頃からのアルバムだとか、幼稚園の卒園記念アルバム…。
「当然だよなあ、俺のを見ようとしているのなら」
秘密にするなら、お互い、一生、見せずに過ごす。お前も、俺も。
見てみたいのなら、自分のアルバムも「どうぞ」と出すのが常識だろうが。
俺にだって秘密はあってもいいんだ、お前が秘密を持ちたいのなら。
いいな、俺のアルバムを見たいんだったら、お前もきちんと持って来い。
どうやら幼稚園の卒園記念アルバムってヤツを、隠しておきたいみたいだが…。そいつも一緒に持って来るんだぞ、俺の幼稚園時代のアルバムを見せろと言うのなら。
どんな秘密が隠れているのか知らないが…、とスウッと細められた鳶色の瞳。卒園記念アルバムとやらで、お前は何をやったんだか、と。
「楽しみにしてるぞ、お前の秘密。…嫁に来るまでに、覚悟を決めておくんだな」
幼稚園の卒園記念アルバム、それを一番に見ようじゃないか。俺のも家にあるからな。
だがな、お前が出さなかったら、俺のも秘密の場所に突っ込む。
前のお前なら、一瞬で在り処が分かっただろうが、今のお前じゃ無理だしな?
何処に隠すかな、屋根裏にするか、庭にデッカイ穴でも掘るか…。鍵付きの頑丈な箱も何処かで買って来て。鍵は隠すより俺が持つのが一番だ、うん。
そうやっておけばコソ泥が出ても安心だしな、と一人で頷いているハーレイ。秘密を持つなら、対策の方も万全に、と。
アルバムを隠すつもりでいるハーレイ。もしも自分が、アルバムを秘密にしたならば。
結婚する時に持たずに行ったら、ハーレイのアルバムは鍵がかかった箱の中。屋根裏か庭で発見できても、肝心の鍵が開けられない。鍵はハーレイが持って出掛けてゆくのだから。
自分のアルバムを恥ずかしがったら、見られないらしいハーレイのアルバム。
子供時代のハーレイが山ほど詰まっているのも、幼かった頃の夢が書かれていそうな、幼稚園の卒園記念アルバムも。
それが見たいなら、自分もアルバムを見せるしかない。将来の夢が「ウサギ」と書かれた、あの恥ずかしいアルバムも。とんでもない写真が潜んでいそうな、小さかった頃のアルバムも。
(…どうしたらいいの…?)
見せたら絶対、笑われるのに、とハーレイを睨みたいけれど。
前の自分は、こんな幸せな悩みは持っていなかった。
アルバムなどは無かったから。子供時代はこうだったから、と披露しようにも、そのアルバムが無かったから。それに、よくよく考えてみれば…。
(前のぼく、ハーレイと最初から一緒…)
アルタミラの地獄で出会った時から、二人一緒にあの船で生きた。それまでの記憶は、消されて持っていなかった。前の自分も、前のハーレイも、お互いに無かった子供時代。
そんな記憶は無かったから。見せ合おうにも、記憶もアルバムも無かったから。
けれども、今は持っている過去。今のハーレイも、今の自分も、子供時代の記憶やアルバム。
思い出が山ほど、記憶も山ほど。それが詰まったアルバムだって。
(ぼくの知らない、ハーレイの写真を見たいなら…)
アルバムを持ってお嫁に行く。母や父がアルバムをこの家に持って来たように。
そしてハーレイと二人で広げる、「ぼくのはね…」と、「俺のヤツは…」と。
見せるのはとても恥ずかしいけれど、二人で見せ合ったら、きっと…。
(恥ずかしさだって、きっと減るよね?)
余裕たっぷりのハーレイにだって、変な写真がありそうだから。可笑しすぎる将来の夢だって。
思い切って自分も持って行こうか、さっきの卒園記念アルバムを。小さかった頃のアルバムも。
今の自分は、まだ恥ずかしくて、ハーレイに見せられないけれど。
将来の夢は「ウサギ」と書かれた、アルバムは隠しておきたいけれど。
それでも、あれを持って行こうか、いつかお嫁に行く時は。
いつかはハーレイに、自分を丸ごと貰ってもらうのが今の夢だから。
丸ごと貰ってもらうのだったら、秘密だってきっと、ハーレイのものになるのだから…。
秘密のアルバム・了
※ブルーの卒園記念アルバム。将来の夢がウサギなだけに、ハーレイには秘密にしたいのに…。
ハーレイのアルバムを見るためには、自分も見せるしかないのです。でも、それも幸せ。
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