忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 ぽっかりと夜中に目が覚めた。
 メギドの悪夢を見てしまったわけではなくて、単にぽかりと。何かのはずみで。
 横になったままキョロキョロと部屋を見回したけれど、時計も眺めてみたけれど。
 本当に真夜中、朝までは数時間もある。夜更けと言ってもいいほどの時刻。
(…変な夢でも見たのかな?)
 欠片も覚えていないけれども、意識が浮上するような夢。きっと、そう。
 部屋の中、しんと静まり返った夜気。常夜灯だけがぼんやり照らし出す部屋。



(えーっと…)
 こんな時には目が冴えてしまって眠れないから。
 眠気が再びやって来るまで、明かりを点けて本でも読もうかと思ったけれど。
 あまりワクワクしない本。続きが気になって眠れなくなる本は困るし、パタンと閉じたらそこでお別れ出来る本。
 そういった本はどれだったか…、とベッドの中で考えていて。
(なんだか…)
 何処かで感じた、という気がした。同じ空気を。
 今の自分と似たような感覚を確かに覚えた、何処かで、いつか。
(パパもママも家にいるんだけれど…)
 同じ二階の別の部屋にいると分かっているのだけれど。
 二人ともぐっすり眠っているから、何の気配も伝わって来ない。足音も、扉を開ける音も。耳を澄ませても聞こえない音。自分の息しか聞こえては来ない。
(ぼく一人しかいないみたいだ…)
 けして一人ではないのだけれども、一人だという夜。一人だと感じてしまう夜。
 こんな夜に出会った記憶がある。一人にされたわけではないのに、一人きりの夜に。



(いつ…?)
 幼い頃の出来事だろうか、と今よりもずっと小さかった頃を思い浮かべた。
 両親と一緒に眠っていたのは、幼稚園の頃までだっただろうか?
 それとも下の学校に入ってからも、暫くはそっちに居たのだろうか?
 昼間は自分の部屋で過ごして、夜は両親の部屋で眠った幼かった時代。庭に来たフクロウの声が怖くて、オバケの声に聞こえて泣いた。あれはオバケに違いないのだと両親を起こして笑われた。
 フクロウのオバケが最初に出た時、まだ両親の部屋に居たのかどうか…。
(どうだったっけ?)
 今一つハッキリしていない記憶。定かではない、フクロウのオバケの記憶。
 両親の部屋まで駆けて行ったのか、ベッドで揺り起こしただけなのか。
 それさえも曖昧になっているほど幼かった頃に、子供部屋にベッドが置かれたろうか?
 一人そちらで眠ることになって、一人だと思っていたのだろうか…?



(そうかも…)
 一人ではないけれど、一人きりの夜。
 子供時代の自分が覚えた感覚なのかも、とフクロウのオバケの鳴き声の怖さにブルッと震えた。前にあの声がメギドの悪夢を連れて来たほど、フクロウの声が怖かった。
 ハーレイのお蔭で前ほど怖くはなくなったけれど。フクロウはトトロに変わったけれど。
 きっと子供の頃の夜だ、と一人きりの部屋の静けさに自分を合わせてみた。
(小さい頃なら、もっと天井が高くて…)
 子供用のベッドも今より大きく感じていたのだろう、と想像するけれど。
 何故だか、しっくりこない感覚。
 それは違う、と。子供時代のものではない、と。
(じゃあ、いつの話…?)
 確かにこういう夜があった、と目を閉じてみたり、開いてみたり。
 パチパチと瞬きしたりもしてみた。
 そうする内に…。



(あ…!)
 思い出した、と浮かび上がった一人きりの記憶。一人ではないのに、一人の記憶。
 白い鯨の夜だった。前の自分がそう感じた。
 長くかかったシャングリラの改造が全て完成した夜に。
 ソルジャーの私室として作り上げられた青の間に一人、移った夜に。
 あの夜、確かに一人きりだった。今の自分と同じに、一人。
 白い鯨には大勢の仲間が乗っていたのに、暮らしていたのに、青の間に一人。



 青の間に移る日、ハーレイに案内されたけれども。
 移った先には全ての設備が整えられていて、部屋付きの係も何人も紹介されたけれども。
 それまでの部屋とは比べ物にならない広さの青の間。一人で住むには広すぎる部屋。
 建造する途中で何度も見に来て、ちゃんと分かっていた筈なのに。
 そういう部屋だと分かっていたのに、いざ移ってみると心細いほどに大きな部屋。移る直前まで使っていた部屋が幾つ入るのか、まるで見当もつかない青の間。
 引越しは係がやってくれたから、ブルーは指示をしていただけ。これはこちらに、それは自分で片付けるから、などと荷物の仕分けを見ていただけ。
 引越しが済めば後は一人で、それでも昼の間は良かった。
 シャングリラ中に張り巡らせていた思念の糸。部屋を移ったから、一本ずつ辿って先を確認してみたり、感度はどうかと探ってみたり。
 そうこうする内に夕食の時間、係が運んで来て奥のキッチンで仕上げてくれた。食べる間も給仕してくれ、終わったら食器を洗って片付け、「おやすみなさいませ」と帰って行った。
 やがてハーレイが一日の報告をしに訪れて、「では」と言うから。
 「おやすみなさいませ」と一礼して帰ってゆこうとするから。
「待って。こんな広い部屋にぼく一人かい?」
 もったいなさすぎるほどに広いのだけど、と広大な空間を指し示したのに。
「もちろんです。此処はソルジャーのお部屋ですから」
 他の部屋とは違うのです。どうぞご自由にお使い下さい、ソルジャーのためのお部屋ですから。
 青の間はそういう所なのだ、と誰もが承知しております。この船の者たちは一人残らず。



 それではおやすみなさいませ、と帰って行ってしまったハーレイ。
 テーブルや椅子や天蓋つきのベッドが置かれたスペースにブルーを残して、スロープを下りて。扉が開いて閉まった後には、ブルーだけしかいない空間。青の間に一人。
(明日の朝まで、ぼく一人だけ…)
 朝には朝食の用意をするために係がやって来るのだけれど。
 「何をお召し上がりになりますか?」と訊かれて答えもしたのだけれども、その係が来るまでは部屋に一人きり。誰も青の間を訪ねては来ない。
(おやすみなさい、と言われたんだし…)
 することもないし、眠るのが一番いいのだろうか、とバスルームに行った。今までの部屋のものとは違って、ゆったりと広いバスルーム。これは気に入ったから、バスタブに湯を張り、ゆっくり浸かって寛いだ時間を楽しんだ。
 それからフカフカのバスタオルで水気を拭って、パジャマに袖を通したけれど。
 バスルームの扉から外へと出れば、昨日までとは違う部屋。大きすぎる部屋。



(ぼくのためだけに、こんな部屋…)
 要らないと言ったのに、押し付けられた。ソルジャーだから、と。
 設計図の段階でも、建造中にも目を見開いたけれど、完成品は思った以上のとんでもなさで。
(何の役にも立たないんだけれど…)
 この部屋の大部分を占める巨大な水槽。ブルーのサイオンと相性がいいらしい大量の水を湛えた水槽。表向きはサイオンの補助だけれども、実は演出だと知っている。水など無くてもサイオンに影響したりはしないし、あってもサイオンは増幅されたりしないのだと。
(ただのこけおどし…)
 そう思いつつも、あちこちを歩き回ってみた。パジャマ姿で。
 昼間やっていたように、一通り。スロープの下まで一度下りてみて、上り直して。ベッドなどのあるスペースの奥に隠されたキッチンやバスルームも扉を開けては中を覗いて、入ってみて。
 そこから外へと出て来てみれば、夜も昼も変わらない照明に照らされた部屋。
 天井や水槽は青く沈んで、海の底のよう。
 ベッドやテーブルが置かれた辺りだけが、ほんのりと白く輝くだけの暗い海の底。



(独りぼっちだ…)
 この海の底に、一人きり。独りぼっちで取り残された。
 皆の思念は感じ取れるけれど。
 シャングリラ中に張り巡らせてある思念の糸も辿れるけれども、感じる孤独。
 一人だと、独りぼっちだと。
(広すぎるんだよ…)
 この部屋は、と零した溜息さえもが響いた気がした。
 大きな水槽の水面を揺らして。波紋のように、さざ波のように。
(どうしよう…)
 こんな部屋に一人。広すぎる部屋に一人きり。
 けれども誰も来てはくれないし、係が来る朝まで眠ろうとベッドに潜り込んだけれど。ベッドを上から照らす照明も消してみたけれど。
 ますます暗くなってしまった海の底。本当に海の底にいるよう。
 独りぼっちで夜の海の底、あるいは光も届かないほどの深い海の底に一人きり。これではとてもたまらない。寂しくて眠れたものではない。
(やっぱり点けよう…)
 一度は消した照明を点けた。ベッド周りの青い玉の形の明かりも灯した。
 その方がマシ。同じ海の底でも、周りが明るい分だけマシ。
 ベッドを照らし出す照明は快適に調整されているから、点いたままでも眠れるから。
 でも…。



(本当に一人だ…)
 一人きりだ、とコロンとベッドで寝返りを打った。
 上掛けを被っても訪れない眠気。却って冴えてゆく意識。
 この広大な青の間の周りに居住区は無い。仲間の思念は感じるけれども、横たわる距離。
 ハーレイの部屋もぐんと遠くなった。遠い所に行ってしまった。
 前の部屋なら、気軽に遊びに行ける所にあったのに。先日までハーレイが使っていた部屋。
 そう、ハーレイも引越しをした。一足先に、キャプテン用にと作られた部屋に。
 愛用している木の机は今も変わらないけれど、部屋の主役を務めるけれども、キャプテンだけが使う部屋。航宙日誌や蔵書を並べる棚が設けられた、落ち着いた部屋。
 引越して直ぐに覗きに行ったから知っている。どんな部屋かも、何処に在るかも。
(…ハーレイ、今は何をしているんだろう?)
 ハーレイももう眠ったろうか、とサイオンを使って覗き込んだら、航宙日誌を書いていた。木の机の前の椅子に座って、これも愛用の白い羽根ペンで。
 終わればベッドに入るのだろう。キャプテンの制服を脱いで、シャワーを浴びて。あの部屋にもバスタブが備えられているから、のんびりと浸かるかもしれない。
 バスルームから出たらパジャマを着込んで、大きなベッドへ。ハーレイの逞しい身体に見合ったサイズの広いベッドへ。



(ハーレイの部屋は普通なんだよ…)
 他の仲間たちが住む居住区の部屋よりは広いけれども、まだ普通の部屋。青の間のように巨大な水槽がありはしないし、高すぎる天井があるわけでもない。
 照明だって暖かい色。暗くて深い海の底のような、この青の間とは全く違う。
 いっそハーレイの部屋に瞬間移動で移ろうか、と考えてから。
(逆がいいかも…)
 ハーレイはあの部屋で何の不自由もしていないのだし、孤独も感じていそうにないから。
 居心地の良さそうな部屋なのだから、この青の間を味わわせるのも悪くない。
 よくもこんな部屋を押し付けてくれたと、もっと普通の部屋にしてくれれば良かったのに、と。
(うん、その方が…)
 出来てしまった部屋は仕方ないけれど、せめて意趣返しをしておきたい。青の間を作らせた犯人たちは他にもいるのだけれども、仕返しするならハーレイがいい。
(一番古い友達だしね?)
 ハーレイ自身がそう言った。アルタミラからの脱出直後に、ブルーを紹介する時に。船で出来た友人たちに紹介する時は必ず、「俺の一番古い友達だ」と。
(友達を青の間に連れて来たって、誰も文句は言わない筈だよ)
 瞬間移動で引っ張り込んだら、ハーレイも逃げられないだろう。逃れることは出来ないだろう。
 ましてパジャマでは船内を走って帰れはしないし、実行するならパジャマに着替えてから。
 航宙日誌を書き終えたハーレイがシャワーを浴びて、パジャマを着るのを待った。
 そして…。



「これは一体、何事です!?」
 瞬間移動で連れて来られて、大慌てしているパジャマのハーレイ。パジャマ姿で靴さえも履いていないハーレイ。裸足で立っているハーレイ。
 ソルジャーの衣装ではなくてパジャマだったけれど、大真面目な顔で命令した。ベッドから出て偉そうに立って、「今夜は此処に」と。自分も裸足で。
「君も今夜は此処で眠るんだよ、この青の間で」
「何故です?」
 私の部屋は他にありますし、第一、此処はソルジャーのお部屋なのですが…!
「理由を言えと言うのかい? だったら、此処は広すぎるから」
 独りぼっちになった気分がするんだ、まだこの部屋に慣れていないから。
 みんなの思念は感じ取れるけれど、今までの部屋よりもずうっと遠くて落ち着かない。
 おまけに照明が妙に暗いし、まるで海の底みたいじゃないか。
 一人きりで深い海に沈められたようで、どうにも気分が良くないんだよ。
 ぼくに合わせて調整してはあるんだろうけれど、今までの部屋と何もかもが違いすぎるんだ。
 これじゃ、たまったものじゃない。慣れない間は不眠症になってしまいそうだよ…!



 ソルジャーを神経衰弱にしたいのか、と詰め寄った。
 慣れるまでこの部屋で過ごしてくれと。このままでは眠れそうにもないと。
「し、しかし…!」
 私はキャプテンで、明日も朝食を終えたら直ぐブリッジに行かねばなりません。此処でのんびりしていられるほど、暇なわけではないのですが…!
「大丈夫。朝には君の部屋まで送り届けるから」
 パジャマで走って帰らなくても、瞬間移動で送ってあげる。ほんの一瞬だよ、ぼくにかかれば。
 明日の朝は何時に目覚ましをセットしておけばいいんだい?
 ぼくも君に合わせて起きることにするよ、目覚まし時計のアラームは何時?
「ソルジャー…!」
「ブルーでいいよ。ソルジャーは要らない」
 友達だからね、と微笑んだ。「君の一番古い友達」と。
 その友達を見捨てないで欲しいと、今夜はこの部屋に泊まって欲しいと。
「ですが、ベッドは…!」
 何処かから簡易ベッドでも運ぶと仰るのですか、ソルジャー……いえ、ブルー?
「ベッドだったら、充分広いよ」
 二人分のスペースはあると思うんだ、と天蓋つきのベッドを指差した。
 枠にミュウの紋章が刻まれたベッドを、さっきまで一人で潜っていたベッドを。



 押し問答にはなったけれども、なんだかんだでハーレイも折れた。
 パジャマ姿で船の中を走って逃げられはしないし、靴さえも履いていないのだから。
 ブルーが目覚まし時計をセットし、二人並んでベッドに横になって…。
「ハーレイ。…こうしていると脱出した直後みたいだね」
 アルタミラから、この船で。まだ改造の話さえ無かった頃だけれども。
「ああ、あの頃はたまに二人で眠っていましたね」
 今よりもずっと小さかったあなたと、私と二人で。
 思い出しますね、あの頃のことを…。



 脱出直後のシャングリラ。最初はコンスティテューションという名前だった船。
 人類が捨てて行った船に乗り込み、燃え上がり崩れるアルタミラから逃げ出した。その船の中に部屋は沢山あったから。皆に行き渡るだけの数があったから、ブルーもハーレイも自分用の部屋を貰って一人で使っていたのだけれど。
 ベッドもそれぞれの部屋にあったのだけれど、ハーレイの所にブルーが泊まりに出掛けていた。枕だけを抱えてハーレイの部屋へ、ハーレイが眠っているベッドへ。
 アルタミラの夢を見て怖かった夜に。
 人体実験の夢や、檻に閉じ込められていた頃の夢。
 そうした夢に出会った夜には一人が怖くて、ハーレイの隣に潜り込んだ。
 さほど大きなベッドでもないのに、ハーレイの身体にピッタリとくっついて、落ちないように。ハーレイも腕を回してくれた。ブルーが落っこちないように。



「ブルー、最近はもうあの夢は?」
 アルタミラの夢は見ないのですか、もうすっかり…?
「見ないね、こっちの生活の方が長いから」
 みんなと暮らし始めて長いし、そういう夢を見ているよ。いつも誰かが夢に出て来る。
 ハーレイは大抵、出て来るかな。キャプテンだったり、厨房にいたり、いろんな夢でね。
 でも、アルタミラの夢は見ないよ。見ても脱出する時の夢で、ぼくは一人ぼっちじゃないんだ。
 ハーレイと二人で走っている夢。だから怖くはないんだ、あれは。
「それは良かったです。アルタミラの夢があなたを脅かしていないのなら」
「そう思うのなら、ぼくが気持ちよく眠れるように君も協力してくれないとね」
 こんなガランとした部屋を押し付けるなんて論外だよ。
 いくら上等の部屋であっても、使う方の気持ちがついていかなきゃ意味が無い。
「そうは仰いますが、この部屋は本当にあなたのお身体に合わせた部屋で…」
「こけおどしの水槽も含めてね」
 まさか本気で作るだなんて…。
 ぼくのサイオンと水との相性、誤差の範囲内だとヒルマンたちだって知ってるくせにね…?



 他愛ないことを話している間に、いつの間にか眠ってしまっていた。
 多分、自分が先に眠った。ハーレイよりも。
 夢見心地でハーレイの声を聞いていたような気がするから。「聞いているよ」と半ば眠りながら相槌を打って、呆れられていたと思うから。
 それにハーレイが掛けてくれた上掛け。肩まですっぽり掛け直してくれた。「良い夢を」という優しい言葉も耳に届いた、眠りに落ちる前に。
 そうして一晩ぐっすり眠って目覚まし時計の音で起き出し、約束通りにハーレイを送った。瞬間移動でキャプテンの部屋まで。パジャマ姿も裸足の足も、誰にも見られないように。
 ハーレイは顔を洗ってキャプテンの制服に着替え、朝食を摂りに食堂へと。
 青の間の方にも係が食事を運んで来た。昨日注文しておいた通りのものをトレイに載せて。
 トーストを焼くのと、料理の仕上げは青の間の奥のキッチンで。
 満足のゆく朝食だったけれども、何も文句は無かったけれど。
 やはり慣れない、広い青の間。海の底に沈んでいるような孤独。それに囚われてしまう夜。



 だから、その夜もハーレイを呼んだ。パジャマに着替えてしまうのを待って、瞬間移動で。
 呼び付けられたハーレイの方は、青の間を見回し、眉間に皺を刻んだものだ。
「…またですか?」
 今夜も眠れないと仰るのですか、それで私をお呼びになったと?
「これしか仕方ないだろう。実際、眠れないんだから」
 君には分かっていないんだ。この部屋で一人で眠るというのが、どれほど寂しいことなのか。
 いずれ慣れれば、そんなことなど笑い話になるだろうけれど…。
 一人の方が良く眠れる、と思う日が来ると分かってはいるのだけれど。
 今はまだ一人じゃ無理なんだ。少しでも早く部屋に慣れるよう、君に協力して欲しい。
 君がいなくても眠れるくらいに慣れるためには日数がかかる。
 ちゃんと眠れる部屋とベッドだ、と納得するまで、ぼくの側で眠ってくれないとね。



 キャプテンがいないと眠れないソルジャーでは話にならない、とハーレイを何度呼んだことか。
 パジャマで裸足のハーレイを。
 瞬間移動でヒョイと攫って、あの青の間に慣れるまで。
 一人で眠るのに慣れる頃まで、何度も、何度も。
(そっか、あのベッド…)
 最初からハーレイと使ったのだった。青の間に移った、暮らし始めたその日から。
 ハーレイを呼んで、二人で眠った。大きなベッドで寄り添い合って。
 恋人同士ではなかったけれど。一番古い友達だと思っていたのだけれど…。
(ハーレイ、覚えているのかな…?)
 前の自分たちが恋人同士になるよりも前に、あのベッドで一緒に眠っていたこと。
 青の間を使い始めた最初の夜から、ハーレイが其処に泊まっていたこと。
(…忘れちゃってるかな、どうなのかな…)
 覚えていたら訊こう、と欠伸をした。
 明日は土曜日なのだから。ハーレイが来てくれる日なのだから。
(んー…)
 眠い、と急に襲って来た眠気。
 明かりを点けてメモを書こうとは思わなかった。眠い、と丸くなっただけ。上掛けを引っ張り、コロンと丸く。
 欠伸を漏らして、スウッと息を吸ったらもう眠っていた。メモを、と思う暇さえも無く。



 メモを書き損ねたブルーだけれど。
 書かずに眠ってしまったけれども、幸いなことに、朝、目が覚めたら、夜中の出来事を忘れずに覚えていたものだから。
 前のハーレイと青の間で初めて眠った日のことが記憶に残っていたものだから。
(これは訊かなきゃ…!)
 ハーレイも覚えているのか訊こう、と胸を弾ませて来訪を待った。
 顔を洗って朝食を食べて、部屋を掃除して、ワクワクと。
 早くハーレイが来てくれないかと、チャイムを鳴らしてくれないかと。



 待ち焦がれていたハーレイが訪れ、ブルーの部屋で二人、向かい合わせ。
 お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで、ブルーは早速、例の質問を持ち出した。
「あのね、ハーレイ…。青の間のこと、覚えてる?」
 前のぼくの部屋。ハーレイたちが勝手に大きくしちゃった部屋だよ、水槽までつけて。
「…あの部屋のことなら忘れないが?」
 誰が忘れると言うんだ、アレを。あんな部屋は二つと無いんだからな。
「部屋もそうだけど、最初の夜だよ。青の間で最初に過ごした日の夜」
「そういう話は断らせて貰うが」
 チビのお前にゃ、まだ早すぎだ。ちゃんと育ってからにするんだな。前のお前と同じ姿に。
「そっちの最初の方じゃなくって…!」
 違うんだってば、青の間そのものの最初だってば!
 前のぼくが、あの部屋に引越しした日。その日の夜の話だってば…!



 本当に本当の使い始め、と説明をした。
 白い鯨が完成した後、ソルジャーが青の間に移った日のこと。
 その日の夜からハーレイが青の間のベッドに泊まっていたよ、と。
 部屋に馴染めないソルジャーにパジャマ姿で呼ばれて、命令されて泊まっていたよ、と。
「ハーレイ、すっかり忘れちゃってる? 瞬間移動で呼んだんだけど…」
 ぼくの命令、って泊まって行くように言ったんだけど。
「…そういえば…。そういうこともあったな、俺はお前に拉致されたんだ」
 おやすみなさい、と挨拶して部屋に帰った筈だが、青の間に逆戻りしちまった。制服どころか、パジャマに裸足で。このベッドで寝ろ、と言われたっけな。
「思い出した? それから何度も呼んでいたでしょ、ぼくが青の間に慣れるまで」
「うむ。お前、遠慮なく呼んでくれるんだよなあ、俺の都合も考えずにな」
 パジャマに着替えたら一杯やるか、と思っていたって、その前に攫われちまうんだ。
 もういいだろうと、着替えは済んだと、瞬間移動でアッと言う間にな。
「その文句…。言われたっけね、何回も」
 俺の酒をどうしてくれるんだ、って。ちゃんと取り寄せてあげた筈だよ、ハーレイのお酒。
 これだよね、って瞬間移動で運んであげたよ、前のぼくは。
「そりゃまあ…なあ? そのくらいはして貰わんとな」
 俺は夜な夜な攫われてたんだ、酒くらい飲んでもいいだろうが。
 お前も安眠したかったろうが、俺だって酒を一杯やってだ、気分良く眠りたいんだからな。



「ハーレイには迷惑かけちゃったけど…。あれって、運命だと思わない?」
 青の間に引越した日の夜からだよ、その夜から一緒に眠ってたんだよ?
 恋人同士になるよりも前に、あのベッドを二人で使ってたなんて…。運命だよ、きっと。
 前のぼくたち、恋人同士になるって決まっていたんだよ、もう。
「お前、いつでも最初からだと言ってるだろうが」
 出会った時から特別なんだと、俺たちの仲は最初からだ、と。
「そうだっけね…。ハーレイはぼくの特別だっけ…」
 アルタミラで初めて出会った時から、ハーレイとは息がピッタリ合ったし…。
 ぼくに声を掛けてくれたのもハーレイだっけね、ぼくがシェルターを壊した後に。
 二人で幾つも、幾つもシェルターを開けて回ったね、仲間を助けに。
 あの時からもう始まってたんだね、ぼくとハーレイとは一緒に生きて行くんだ、って道が…。



 メギドに滅ぼされたアルタミラで。
 崩れてゆく星の炎の中で、出会って二人で必死に走った。生きようと、仲間を救い出そうと。
 飛び立った船で、二人で眠った。ブルーがアルタミラの悪夢に襲われた夜に。
 その船が白い鯨になった後にも、また二人で。
 青の間が完成してブルーが引越した夜に、大きなベッドで寄り添い合って眠った。恋人同士にはなっていなかったのに。
 そういう仲になる日が来るなど、二人ともまるで思っていなかったのに…。



「ハーレイ、やっぱり運命なのかな?」
 ぼくたちが出会って、ずうっと二人で生きていたこと。
 恋人同士じゃなかった時から、一緒のベッドで眠っていたこと…。
「うむ。今も一緒な所を見るとな」
 運命だろうさ、間違いなく。前の俺たちが出会った時から、この地球で再会したのも全部。
 そいつが運命ってヤツでなければ、運命って言葉を何処で使えばいいのやら…。
 それともお前は運命じゃなくて、腐れ縁って言われた方がいいのか?



 どうなんだ、と訊かれたから。
 「運命だよ!」と即座に返した。きっと運命に決まっているから。運命の恋人同士だから。
 青の間が出来て引越した日の夜から、同じベッドで眠った仲。
 あの部屋に慣れてハーレイの添い寝が要らなくなるまで、何度も何度もハーレイを呼んだ。
 今度は別々の家に住んでいるだけに、添い寝は無理そうなのだけど。
 いつになったら眠れるだろうか、同じベッドで。
 ハーレイの大きな身体にくっついて眠れる日はいつのことなのだろうか…。



「ねえ、ハーレイ…。今度、ハーレイと一緒に寝られるのは、いつ?」
 本物の恋人同士にならなきゃ駄目なの、前みたいに添い寝はしてくれないの?
「さあなあ…? チビのお前が嫁に来たなら、添い寝だろうな」
 それにだ、添い寝なら一度は経験済みだろうが、お前。
 メギドの夢を見ちまった夜に飛んで来ただろ、俺のベッドに瞬間移動で。
 あれっきり二度と飛んでは来ないが、あれも運命の出会いだろうさ。
 一度くらいは添い寝をさせてやろう、と神様が運んで下さったってな、あの夜だけな。
 だからだ、背伸びなんかはせずに、だ…。
 ゆっくり大きくなるんだぞ、と頭をクシャリと撫でられた。
 急がなくていいと、ゆっくりでいいと。時間はたっぷりあるのだから、と。
「うん…。うん、ハーレイ…」
 分かってるよ、と頷いた。焦らないよ、と。



 出会えたことが運命だから。
 今の生でも、ハーレイと出会えたことが運命なのだから。
 いつか一緒に眠れるだろう。
 今度も添い寝で始まったのだし、いつかは本物の恋人同士。
 ハーレイと同じ家で暮らして、ベッドも二人で同じのを使う。大きなベッドで二人で眠る。
 生まれ変わって来た青い地球の上で、今度こそ何処までも恋人同士で…。




           初めての青の間・了

※前のブルーが一人で眠るには、広すぎたのが青の間という部屋。それに慣れるまでは。
 「不眠症になりそうだから」と、前のハーレイと眠っていたようです。微笑ましいお話。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv













PR

「やはりお前か、ソルジャー・ブルー!」
(え!?)
 嫌というほど聞き覚えのある声。何度となく聞いたキースの声。
 またメギドか、とブルーは慌てたけれど。
 大嫌いで苦手なメギドの悪夢。それが来たかと、しかも夢だと自覚のある方なのか、と泣きたい気持ちになったけれども。
 「…ではないのか」と続いた声。
 場所はメギドに違いないけれど、青い光が溢れる制御室の中に居たけれど。
 「見付けたぞ」と笑顔で近付いてくるキース。その手に拳銃を構えてはいない。それにマツカを従えているし、いつものメギドの悪夢とは違う。
 何かが変だ、と自分の身体を見回してみたら、パジャマを着ていた。ソルジャーの衣装は消えてしまって、代わりにパジャマ。おまけに小さくなっている身体。十四歳の子供の身体。
(…どうなってるの?)
 確かにメギドに居るんだけれど、と目をパチクリとさせている間にキースが側までやって来た。
 背の高いキース。前の自分が会った時より遥かに高い。身体が小さくなっている分、身長の差が大きくなるから。
 自然と見上げる形になってしまい、アイスブルーの瞳の男と向き合った途端。
「ずいぶん探し回ったぞ。今度こそ結婚して貰わんとな」
「ええっ!?」
 仰天したけれども、思い出した。花嫁を探していたキース。自分に白羽の矢が立った。何故だか自分に、チビの自分に。
 危うい所で逃げ出したけれど、結婚式を挙げる途中で目覚めて夢から逃げられたけれど。
 そのキースにまたしても見付かった。探し出されて、キースは笑顔。それは満足そうな顔。
 逃げ出したいと焦ったけれども、覚めない夢。逃れられない夢の中の自分。
 「さあ、行こうか。此処は危ないからな」とキースに腕を掴まれた。
 逃げられないままで拉致されてしまった、またしてもノアへ。キースが住んでいる家へ。



(もう三度目だよ…!)
 キースが花嫁を探している夢。自分が花嫁に選ばれる夢。
 三度目なのだと分かってもいるし、夢だと自覚もあるというのに、一向に覚めてくれない悪夢。
 国家主席になるらしいキースは結婚式の準備を進めている上、機嫌の方も至極良かった。やっと花嫁を見付け出したと、結婚式を挙げて自分のものにするのだと。
 花嫁の正体が何であろうが、キースは全く気にしていない。ブルーという名前もミュウの長だということも充分に承知で、シャングリラにまで結婚式の招待状を送っていた。
 ミュウと人類がとうに和解した世界、シャングリラの皆からも出席すると届いた返事。
(三度目の正直って言うんだよね…?)
 縁起でもない、と夢から逃れようと思うけれども、覚めない夢。
 キースが住む家でマツカに世話され、結婚式に向けて流れてゆく日々。高層ビルに住むキースの家から一歩も出しては貰えない日々。
 大切にされてはいるのだけれど。一部屋貰って、何の不自由もしていないけれど…。



(今度こそ結婚させられちゃうよ…!)
 ウェディングドレスは出来たと聞いたし、結婚式当日のお楽しみだと微笑んだキース。サイズはピッタリに作らせてあるから、きっと似合うと。可愛らしいに違いないと。
(ぼく抜きで話が進んでるなんて…!)
 このまま進めば、また結婚式。今度は逃げ出せないかもしれない。キースと結婚してしまう夢。
 誓いのキスやら指輪の交換、まだハーレイともしていないのに。唇へのキスはまだハーレイから貰えないのに、夢の中でキースにキスされるなんて…。
(それだけは嫌だよ…!)
 ハーレイよりも先にキースとキス。いくら夢でも酷すぎる話。それでも覚めてくれない夢。
 いくら願っても、夢だと自分に言い聞かせても、終わりが来てはくれない夢。



(…逃げるしかないの?)
 夢から逃れられないのならば、夢の中で逃げるしかないのだろうか。何処でもいいから、何処か遠くへ。キースが見付け出せない場所へ。
(きっと、それしか…)
 方法は無い、とキースが仕事に出掛けた隙に窓から逃げようと下を覗いてみたけれど。
 とんでもない高さ。
 人の姿はまるで分からないし、車でさえも小さな記号のよう。動いてゆくから車なのだと分かるだけ。道路を次々と流れてゆくから、たまに止まったりもしているから。
 ビュウと吹き上げて来た強い風。遥か下から吹いて来た風。
(…死んじゃうかも…)
 こんな高さから飛び降りたら。この窓から外へ逃げたなら。
 とはいえ、これは夢だから。自分が見ている夢の世界の中なのだから。
 飛べるかもしれない、と懸命に窓枠をよじ登った。
「危ないですよ!」
 下りて下さい、とマツカが止める声も聞かずに窓から下へと飛んだけれども。
 飛べると信じて飛び降りたけども…。



(やっぱり飛べない…!)
 真っ直ぐに落ちてゆく身体。飛ぶどころではなくて、地面へ向かって一直線に。
(ぼく、死んじゃう…!)
 落っこちて死ぬ、とギュッと目を瞑ろうとしたら聞こえた声。自分の名前を呼んでいる声。
(まさか、ハーレイ?)
 来てくれたのか、と目を見開いたら、落ちてゆく先で両手を広げているキース。受け止めようと足を踏ん張り、「大丈夫だ!」と自信に溢れた表情。
(最悪だよ…!)
 夢の世界なら、キースも自分もきっと怪我一つしないのだろう。
 あんな高さから飛び降りた自分をキースが受け止め、しっかりと両腕で抱えるのだろう。
 「良かったな」と、「危なかったな」と。
 もう最悪なハッピーエンド。
 キースに受け止められるだなんて…、と泣きそうな気分になった所で目が覚めた。
 本物の瞼がパチリと開いて、夢の世界から逃げ出せた。
 カーテン越しに朝の光が射し込む部屋へと戻って来られた。自分のベッドがある部屋へと。



(…あんまりな夢…)
 あれは酷すぎ、とベッドの中で頭を振った。
 横になっていたら、またウトウトと眠ってしまって夢に捕まるかもしれないから。さっきの夢の続きを見たら大変だから、と起き上がってベッドの端に腰掛けることにした。
 まだ着替えるには早い時間だからパジャマのままで。
(…あの夢って、何の呪いなわけ?)
 毎回キース、と唸ったけれど。
 キースに攫われては花嫁にされてしまうんだ、と理不尽な夢に怒りをぶつけたけれど。



(…呪い?)
 呪われているのだろうか、あのキースに?
 もしかしたら、夢の世界で出会うキースが自分に呪いをかけたのだろうか?
 チビの自分を花嫁にしようと、花嫁にするのだと恐ろしい呪いを。
 花嫁にするための呪いの魔法を、この自分に。
(それでチビとか…?)
 一ミリさえも伸びてくれない背丈。どんなに頑張っても少しも伸びない背丈。
 時期が来れば伸びると、そういう時期が来ていないだけだと思っていたけれど、呪いがかかっているかもしれない。大きく育ってしまわないように。チビの姿でいるようにと。
 夢の中で出会うキースが欲しい花嫁はチビの自分で、育った姿の方ではないから。
 育ってしまえばソルジャー・ブルーで、問答無用で撃ち殺される。
(キースが欲しいの、チビのぼくだから…)
 チビの自分を手に入れようとして、育たないようにとかけられた呪い。
 そうだとしたなら、沢山食べても、ミルクを飲んでも、背丈は伸びてくれないだろう。いつまで経ってもチビのまんまで、前の自分と同じ姿にはなれないだろう。
 悪い魔法使いのキースに呪われて。
 大きくなれない呪いをかけられ、背が伸びないままで暮らすしかない。呪いのせいで。



(どうしよう…)
 本当に呪いかもしれない、という気がして来た。
 三度も夢で出会ったキース。チビの自分を花嫁にしようと目論むキース。
(呪いを解くには…)
 どうすればいいのか、と考え込んでいて、ハタと気付いた。
 呪いを解くには真実の愛。王子様のキス。
(白雪姫だって、オーロラ姫だって…)
 王子様のキスで呪いが解けた。お姫様のキスで呪いが解けるカエルの話もあった筈。
 自分はハーレイと結婚することになっているのだし、王子様はきっとハーレイだろう。キスさえ貰えれば呪いは解けて、背丈が伸びるに違いない。
 それなのに今は貰えないキス。前の自分と同じ背丈に育つまでは、と貰えないキス。
 けれども事情が事情だから。
 キスを貰わないと背丈が伸びてはくれないわけだし、呪いを解かねば背は伸びないから。
(今日は土曜日…)
 駄目で元々、ハーレイに相談しようと決めた。
 今の自分の王子様。呪いを解くためのキスが出来るのは、きっとハーレイだけなのだから。



 朝食を食べて、部屋の掃除をきちんと済ませて。
 まだか、まだかと待ち侘びていたら、チャイムの音が聞こえて来た。窓に駆け寄れば、手を振るハーレイ。大きく手を振り返して、王子様を待った。呪いを解ける王子様を。
 母がお茶とお菓子を置いて行った後、テーブルを挟んで向かい合わせに座ってから。
「あのね、ハーレイ…。呪いって信じる?」
 そう切り出したら、ハーレイは「はあ?」と鳶色の瞳を瞬かせた。
「呪いってなんだ、何の話だ?」
「呪いだよ。魔法使いとかが呪いをかけるでしょ?」
 ああいう呪い。ハーレイは存在していると思う? 呪いの魔法。
「うーむ…。俺たちは生まれ変わりなわけだし、お前には聖痕まであったからなあ…」
 呪いが無いとは言えないな。無いと言い切る自信は無いが…。
 どうしたんだ、お前。いきなり呪いの話だなんて?



「…ぼくね、呪われてるみたい」
「呪うって…。誰にだ?」
 誰がお前を呪うと言うんだ、こんな平和な今の世界で?
 勘違いっていうヤツじゃないのか、たまたま偶然が重なっただけで。
「でも…。呪ってるのはキースなんだよ」
「キースだと!?」
 何故だ、とハーレイに真顔で訊かれたから。
 「お前、キースを嫌ってはいないだろうが」とキース嫌いのハーレイに尋ねられたから。
「…それとこれとは別問題だと思う…」
 ぼくがキースを嫌ってなくても、嫌っていても。
 キースの方では全く関係ないんじゃないかな、呪いをかけてる相手は今のぼくだから。
 前のぼくとは無関係な所で目を付けて呪っているだけだから…。
「サッパリ話が分からないんだが、何処からキースが出て来たんだ?」
 それにどうして呪いになるんだ、俺に分かるように説明してくれ。
 俺の嫌いなキースの名前が山ほど出ようが、そこは我慢して聞いてやるから。



「えーっと…。ぼく、また夢を見たんだよ。結婚式の」
 キースと結婚させられちゃう夢。キースがぼくをお嫁さんにしようと企んでる夢。
「ああ、あのシリーズの三回目か」
 確か三回目になる筈だよなあ、お前が俺に喋っていない分があるなら知らんが。
「あれってシリーズだったわけ?」
「聞かされてるだけの俺にしてみればな。…八つ当たりもされるが」
 で、今度は何をやらかしたんだ?
 今度の夢では、お前、どういう目に遭ったんだ…?
「聞いてよ、ハーレイ! 酷いんだよ…!」
 いつもと同じで始まりはメギド。ぼくはまたキースに捕まっちゃって…。
 こうだ、と夢の話を全部聞かせた。
 危うい所で目が覚めたけれど、夢の中の自分が考えたような三度目の正直ではなさそうだと。
 結婚式場に行かなかったから、カウントされないに違いないと。



「…それで?」
 目が覚めたんなら充分じゃないかと思うがなあ…。三度目が来たって、所詮は夢だろ?
 どうしてそいつが呪いになるんだ、しかもキースの呪いだなんて。
「目が覚めてから気が付いたんだよ、これはキースの呪いだって」
 呪われてるんだよ、あのキースに。今まで気付いていなかったけれど…。
「どんな呪いだ?」
 夢を見るように呪われてるのか、結婚式のシリーズを最後まで見ろと。
 キースと結婚式を挙げるまでは何度でも見るっていうのか、そのシリーズを?
「ううん、そっちの方がマシ。もっと深刻な問題なんだよ」
「深刻って…。どんな具合にだ?」
「ぼくの背丈が伸びない呪い…」
「なんだそりゃ?」
 お前の背丈って、伸びないようにと呪ったら何か得をするのか、そのキースは?
「大きくなったら、お嫁さんには出来ないしね?」
 育っちゃったらソルジャー・ブルーで、キースは撃つ方に行っちゃうから…。
 チビのぼくでないと、お嫁さんには出来ないんだよ。だから大きくならないように。前のぼくと同じに育たないように、キースが呪いをかけているんだ。
 ぼくがいつまでも、チビのまんまでいるように。育たないように…。
「あのなあ…。お前、まだ寝ぼけてはいないだろうな?」
 背丈が伸びない呪いをかけられたってか、あのキースに?
 前のお前を撃ったキースが、今度は魔法使いになって戻って来たってか…?



 キースがどうすれば魔法使いになるというのだ、と呆れるハーレイ。
 いくらなんでも有り得ない、と。
「お前、冷静に考えてみろよ? お前の聖痕は不思議ではあるが、魔法とは違う」
 生まれ変わりだって魔法じゃないんだ、神様がやって下さったことだ。
 奇跡が存在することは俺も認めはするがだ、魔法となったら信じ難いな。
 おまけにキースが魔法使いになるなどと…。あいつだったら、魔法よりも現実重視だろうが。
 そういうタイプだ、キースってヤツは。
 魔法を習いに出掛けるキースなんぞは全く想像出来んぞ、俺は。
「だけどぼくの背、伸びないし…。ちっとも伸びてくれないし…」
「それは確かだが…」
 だからと言って呪いと結び付けるのはどうかと思うが…。個人差ってヤツもあるからな。
「でも…。試してみる価値はありそうなんだよ」
「何をだ?」
「キースの呪いを解く方法」
 ぼくの背丈が伸びない呪いは、これで解けると思うから…。
 もしも呪いがかかっていたなら、これを試せば背だって伸びようになると思うんだけどな。
「その方法をキースが喋ったのか?」
 呪いかどうかも分からないのに、夢の中で何かを言ったのか、キース?
「ううん、王道」
 大抵の呪いはこれで解けるよ、間違いないよ。
 だからキースの呪いだってきっと、この方法で解けると思うけど…。



 呪いを解くにはハーレイの協力が必要なんだよ、とブルーは説明した。
 眠りの呪いもカエルの呪いも王子様やお姫様のキスで解けると、呪いを解くにはキスなのだと。
「だからお願い、協力して!」
 ぼくにかかった呪いを解いてよ、キースの呪いを。
「俺にどうしろと?」
 何をすればいいんだ、俺の協力とやらいうヤツ。
「ハーレイだって分かってるでしょ、呪いはキスで解けるんだよ?」
 ぼくにキスしてくれたら解ける筈だよ、キースにかけられてしまった呪い。
 お願い、ハーレイ。ぼくにキスして。
「ふうむ…。やはりそういうことになるのか」
 仕方ないなあ、呪いを解くにはキスしかないんだ、ってことになったら。
 要は呪いを解けばいいんだな、俺がキスして。



 よし、と椅子から立ち上がったハーレイ。
 ブルーの方へとやって来たから、瞳を閉じて待っていたのに。
 王子様が唇にキスをくれる、とワクワクしながら待っていたのに、額にキスを落とされたから。
「それじゃ駄目だよ!」
 呪いが解けない、と文句を言った。
 額ではなくて唇にキスだと、呪いを解くキスは唇にしてくれなくては、と。
 なのに…。
「解かなくていいだろ、そんな呪いは」
 キスだと言うから一応、キスはしてやったが…。唇へのキスにはまだ早いしな?
 何度も言ったな、前のお前と同じ背丈になるまではキスはしてやらない、と。
「だけど…! その背丈になれない呪いがかかってるんだよ、今のぼくには…!」
 どんなに頑張ってミルクを飲んでもチビのままだよ、呪いなんだから。
 それをハーレイが解いてくれなきゃ、ぼくの背丈はいつまで経っても伸びないんだけど…!
「解かなくてもいいと言っている。背丈の伸びない呪いってヤツは」
「なんで?」
 ハーレイはぼくがチビでもいいの?
 チビのまんまでキスも出来ないようなのがいいの、ねえ、ハーレイ?
「…チビのお前も俺は好きだし、ゆっくり大きくなれとも何度も言っているがな…?」
 急がなくていいんだ、背を伸ばそうと。のんびり育てばいいのさ、お前は。
 チビなのは呪いなんかじゃない。現実問題としてキースがいない。
「えっ…?」
「何処にもキースはいないじゃないか。…違うのか?」
 俺もお前も、一度もキースに会ってはいない。だから呪いも存在しない。
 キースがいたなら、考えてやる。呪いなのかもしれない、とな。



 お前の夢の中だけの話だろうが、とキスをアッサリ断られてしまった。
 そんな呪いなどありはしないと、あるわけがないと。
 存在していないキースが呪いをかけることなど有り得ないのだし、呪い自体が存在しないと。
 自分の椅子に戻ったハーレイ。キスは済んだと、額へのキスで充分だと。
「でも、ぼくの背…。ホントに一ミリも伸びていないよ、ハーレイと会った五月から…!」
 呪いじゃなければ何だって言うの、ぼくの背、絶対、呪われてるよ…!
「そう言われてもだ、呪いを解くにはキスなんだろうが。唇へのキス」
 本当に呪いがかかっているなら、俺も真面目にキスしてやるが…。
 今の時点じゃ、お前が一人で思い込んでるってだけで、呪いが解けるって方法もそうだ。呪いの解き方はキスだけじゃなくて色々とあるぞ? 本当にキスで解けるのかどうか…。
 結婚出来る年になっても呪われていたら、考えてもいい。
 お前がチビのままで十八歳の誕生日ってヤツが来てしまったなら、その時はキスをしてやろう。
 俺のキスで呪いが解けるかもしれんし、チビのままだと嫁に貰うにも色々と問題があるからな。
「そんな…!」
 十八歳になるまで駄目だって言うの、キスは無し?
 ぼくにかかった呪いを解いてはくれないの?
 キースが呪いをかけているのに、チビのぼくと結婚しようと思って呪っているのに…!



 このままじゃキースと結婚で…、と叫んだら。
 次に夢を見たら三度目の正直で結婚式を挙げてしまうかもしれないのに、と訴えたら。
「当面の問題は、そっちだろうが。お前が見ている夢のシリーズ」
 背丈が伸びない方じゃなくて、と指摘された。
 夢で何度も会っているキースの方が問題なのだ、と。
 メギドの悪夢とは全く別の夢のシリーズ、そちらではキースは小さなブルーを花嫁にするべく、虎視眈々と狙っている。メギドまで探しにやって来る。
 逃げても逃げても追い掛けて来るし、高層ビルから飛び降りたブルーを受け止めようと両の手を大きく広げるほど。受け止められると自信を持って。受け止めてみせると両手を広げて。
 どうやらキースは小さなブルーが心底欲しくて、花嫁にしようと夢の世界で待っているから。
 ブルーに呪いをかけたキースがいるのだとしたら、夢の中。
 かけられた呪いは背丈が伸びない呪いではなくて、ブルーが花嫁になる呪い。夢の中でキースの花嫁になるという呪い。
 キースはそれをかけたのだろう、とハーレイは言った。夢の世界に住むキースが。



「そうかも…。それでシリーズになっちゃうのかも…」
 ぼくがキースのお嫁さんになるまで、あの夢、続いていくのかも…。
 もしかしたら、結婚しちゃった後までも続くシリーズなのかな?
 キースが呪っているんだとしたら、夢の世界でぼくに呪いをかけたんだったら。
「その可能性もゼロではないな」
 俺が思うに、そのシリーズ。
 本当は呪いなんかではなくて、お前がキースを嫌っていないせいで見てるんだろうが…。
 本当のキースはいいヤツだったと、友達になりたかったと思っている心が、夢の中だと間違った方に行ってしまって結婚シリーズになるんだろうが…。
 呪いなんだと思いたいなら、夢の世界のキースの呪いってことでも別にかまわん。
 でもって、そっちの呪いはだな…。



 夢の世界の俺に解いて貰え、と突き放された。
 ブルーが見ている夢の世界に居るだろうハーレイ、そのハーレイのキスで解ける、と。
「それ、絶対に無理だから!」
 あの夢のシリーズ、ハーレイはぼくを祝福してたり、神父さんの格好で結婚式場の祭壇の前で、式を挙げようと待ち構えていたりするんだから!
 ぼくにキスして呪いを解くどころか、ぼくがキースとキスする方へと仕向けるんだもの!
 その内にホントにキースとキスだよ、祭壇の前で誓いのキス…!
「…そうは言うがな、そのシリーズの俺はそうかもしれんが…」
 お前の夢の世界ってヤツの全体を見ればどうなんだ?
 他にも俺は出て来る筈だぞ、まるで全く出てこないことは無さそうだと俺は思うがな…?
「ハーレイの夢は見るけれど…。よく見るんだけど…」
 呪いを解いて、って夢の中でどうやって頼めばいいの?
 あのシリーズ以外の夢を見ている時には、キースのシリーズ、忘れてるのに…!
 ハーレイのキスなんか貰えやしないよ、どう頑張っても無理だってば…!
「本当か? …要はキスだろ、呪いを解くには俺からのキス」
 お前、夢の世界では俺と一度もキスしてないのか?
 ただの一度もキスしていない、なんてことは絶対に無い筈だがな…?
 それともチビになったお前は夢も見ないのか、前の俺と過ごしていた頃の夢は?
 青の間でも、俺の部屋でも、何度も何度もキスしてやったが、そういう夢は一切見ないのか?
 どうなんだ、うん?
 チビのお前が見る俺の夢は健全なお子様仕様ってヤツで、キスの一つも無いってか…?



「うっ…」
 言葉に詰まってしまったブルー。
 みるみる耳まで真っ赤に染まって、もうアタフタとするしか無かった。
 前のハーレイと過ごしている夢を見たら、キスを交わすのは当たり前のこと。青の間だったり、前のハーレイの部屋であったり、場所は変わりはするけれど。
 キスを交わして、それから、それから…。
 小さなブルーには許されていない、それは甘くて幸せな時間。本物の恋人同士ならではの時間。愛を交わして、互いに溶け合う。幸せに溶けて、ただ酔いしれて…。
 目覚めた後にも温もりが、熱さが残っている夢。前のハーレイの熱が身体に残っている夢。
 キスは幾つも、幾つも貰った。唇どころか、身体中に。
 ハーレイのキスを貰っていない場所を探す方が難しいほどに。
 そんな場所は一つも無かったから。前の自分は身体中にキスを貰ったのだから…。



「…ふむ。やっぱり山ほど貰ってるんだな、俺からのキス」
 その顔を見れば一目で分かる、とハーレイが唇の端を笑みの形に吊り上げた。
 隠しても無駄だと、隠すだけ無駄だと。
「……そうだけど……」
 仕方なく答えたら、ピンと額を弾かれた。指先で軽く。
「ほらな、お前の呪いの件。…キスで呪いが解けるのなら、だ…」
 俺は充分、協力している。夢の世界の俺が贈ってるキスで呪いも簡単に解けるだろうさ。
 ただし、キースの夢のシリーズの俺は、協力どころじゃなさそうだがな。
 生憎と俺が見ている夢じゃないから、そればっかりはどうにも出来ん。
 お前が自分で頑張って逃げるか、夢の中でキースを引っぱたくか。
 こっぴどく振ればキースも懲りるんだろうが、お前、どうやら、振ってないしな?
 大人しく捕まって閉じ込められてる辺り、まるでキースを嫌いってわけじゃないんだろう。
 夢の中だけに間違った方向に行っちまうんだなあ、お前がキースに持ってる感情。
 嫌っていないと、友達になれたに違いないと思っているせいで結婚シリーズになっちまう、と。
 そのシリーズ、俺も今後が楽しみではある。
 お前がキースを振って終わるか、めでたく結婚しちまうのか、とな。



 結婚式を挙げてしまったら慰めてやるから、と笑われた。
 そうなった時は、結婚祝いにケーキくらいは買ってやろうと。
 土産にケーキを持って来ようと、家の近くに美味いケーキ屋もあるのだから、と。
「酷い! お祝いにケーキだなんて!」
 それだと、あの夢のハーレイとちっとも変わらないじゃない!
 「おめでとうございます」って祝福をしたり、神父さんの格好で祭壇の前に立ってたり…。
 ぼくがキースと結婚するのを喜んでるのが、あのシリーズのハーレイなんだよ?
 お祝いにケーキを買って来るなら、あのハーレイと全く同じなんだけど…!
「だが、お前。ケーキの類は大好きだろうが」
 美味いのを買ってやろうと言うんだ、そこは喜んで受け取るべきだと思うがな?
 甘い物を食ったら、幸せな気持ちになるからなあ…。
 夢でキースと結婚しちまって、ガックリ来ているお前でも、だ。美味いケーキで立ち直れるさ。俺のお勧めのケーキってヤツを、祝いにと買って来てやるんだからな?
 どんなのが好みだ、旬のケーキか? それとも店の定番品か?
「うー…」
 ケーキはとっても気になるけれども、旬のも定番のも食べたいけれど!
 キースとの結婚祝いだなんて!
 ぼくをキースと結婚させない道を選んではくれないんだ?
 夢の世界のキースが呪いをかけたんだとしても、ハーレイ、解いてはくれないんだね…?



「当然だろうが。夢の世界でかけられた呪いは俺の管轄ではないってな」
 仮に呪いがかかってたとしても、解くのは夢の世界の俺だ。
 そっちの俺からは充分な数のキスを贈っているようだしなあ、呪いもいずれは解ける筈だぞ。
 どんなにお前が呪われてたって、夢でキースと結婚したって。
 俺からのキスはやれないな。チビの間はキスはしないと、してやらないと決めたんだしな?
「酷いよ、ハーレイ! ぼくはホントに呪われてるかもしれないのに…!」
 キースと結婚する呪い。チビのまんまで、背が伸びないようにされちゃう呪い。
「さっきから言っているだろう。背丈が伸びない呪いってヤツは有り得ないし、だ」
 キースと結婚しちまう夢にしたって、お前の心の問題だってな。
 そんな呪いは何処にも無いんだ、俺に解いてやる義理は無い。
 俺からのキスは、お前が大きくなるまでは駄目だ。
 前のお前とそっくり同じ背丈になったら、そういう姿に育ったなら。
 嫌と言うほどプレゼントするさ、俺からのキスを唇にな。



 欲しければ早く大きくなれ、とキスをすげなく断られた。
 呪いが解けるかもしれないキスを。王子様からの魔法のキスを。
 前と同じに大きく育てば、あの夢のシリーズも見なくなるだろうと言われたけれど。
 キースのことなど思い出している暇も無いほど、幸せにしてやるとハーレイは約束したけれど。
(三度目の正直…)
 あのシリーズでキースと本当に結婚してしまったら。
 そんな日が来たなら、呪いを解こうという気になってくれるだろうか?
 キスを贈って呪いを解こうと、例の夢から、背丈の伸びない呪いから自分を解き放とうと。
 でも…。
(きっと無理…)
 結婚してしまう夢を見たなら、お祝いにケーキをプレゼントしようと言い出したようなハーレイだから。旬のケーキか定番のケーキか、どっちがいいかと訊くほどだから。
(…呪いなんて、きっと無いんだ、ホントに…)
 キースの呪いかとも思ったけれども、ハーレイの方がきっと正しい。
 背丈の伸びない呪いなどは無くて、大きくなるまでハーレイのキスは貰えない。唇へのキスは。
 仕方ないから、背を伸ばそう。
 少しでも早くハーレイからキスが貰えるように。唇へのキスが貰えるように。
 どうすれば背丈が伸びてくれるか、まるで見当もつかないけれど。
 まずは毎朝、欠かさないミルク。それとしっかり食べること。
 いつかはきっと、背だって伸びる。前の自分と同じ背丈に、ハーレイとキスが出来る背丈に…。




          王子様のキス・了

※ブルーが見てしまった、キースとの結婚式の夢。もう三度目で、シリーズとも呼べるほど。
 こんな夢を見る呪いを解くには、王子様のキスだと思ったのに…。甘くなかったですね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









 土曜日の朝と言うには少し遅い時刻、ブルーの家へと歩いて向かう途中。
 ハーレイの鼻腔をくすぐった美味しそうな匂い。何処からなのか、と探さなくても目に入った。いつも出掛ける食料品店の表に露店が一つ。フライドポテトを揚げている露店。
 もう子供たちが買おうとしている。頬張っている子供もいる。
 朝食は済ませて来たのだろうに。土曜日なのだし、普段よりも遅めの朝食だろうに。
(おやつってヤツは別腹なんだな)
 大きなサイズを注文している子供の姿が可愛らしい。食べ切れるのだろうか、あんなに沢山。
(食い切れなくても、昼飯前までかかって食っても満足なんだろうとは思うがなあ…)
 イモは揚げ立てに限るんだが、と苦笑した。フライドポテトは揚げ立てが美味い、と。
 ホクホクの揚げ立てにパラリと塩を振ったばかりのをつまむのがいい。まだ熱い内に、冷めない間にすっかり食べてしまうのがいい。
 フライドポテトは揚げ立てが一番、冷めてしまっては風味が落ちる。熱い間に食べ切れる分だけ揚げてこそだと、食べてこそだと思うけれども。
(小さいサイズで買ってる子供がいないってのがなあ…)
 目先の美味さに囚われるんだな、と足を止めて微笑ましく見守った。幼かった頃の自分も大きなサイズを買っただろうか。冷めても食べていたのだろうか…。



(俺のことだし、デカイのを買っても食い切れたような気もするんだが…)
 温かい内に、ペロリと全部。記憶に無いほど幼い頃なら、冷めてしまったとか、食べ切れないで家に持って帰ったとか、そうした事態も起こっていたかもしれないけれど。
(フライドポテトなあ…)
 そういえば、前はよく食べていた。もう子供ではなくなった後に。今の家で暮らし始めた後に。
 ビールのつまみに、フライドポテトに合いそうな酒を飲む時のつまみに、カラリと揚げて。
 枝豆を茹でるのと似た感覚で、フライドポテト。適当な大きさのジャガイモを選んで、薄い皮を剥いたらスティック状に切って。
 油を熱して揚げる間も、酒を、ビールをお供に何本かつまみ食い。口の中を火傷しそうな熱さの揚げ立てを一本ヒョイとつまんで、モグモグと。揚げている内から至福の時間。
 全部揚げたら皿に移して、ダイニングに、あるいは書斎に運んで食べていた。ビールを飲んでは何本かつまみ、酒を飲んでは何本かつまんで、冷めない間に、美味しい間に。



(あいつと会うようになって…)
 小さなブルーの家に出掛けて過ごすようになって、そういったことも忘れていた。一人暮らしの楽しみ方を、醍醐味を忘れたと言うべきか。
 酒もビールも飲むのだけれども、ジャガイモの皮を剥く所から始めるフライドポテトは御無沙汰していた。もっと手早く作れるものやら、チーズやナッツに座を奪われてしまって久しい。
 久しぶりに嗅いだ揚げ立ての匂いに、食べたい気持ちが掠めるけれど。
 酒は無くとも、フライドポテトだけで充分に満足出来そうだけれど。
(…食いながら行くか?)
 揚げ立てを買って、道々、齧りながら。ホクホクの味を楽しみながら。
 それもいいな、という気がした。いい年をした大人がフライドポテトを食べながらの散歩、手にした袋から一本出しては頬張りながらの愉快な道中。
 ブルーはなんと言うだろう?
 「フライドポテトを食いながら歩いて来たんだぞ」と話してやったら、「本当に?」と赤い瞳が丸くなるのか、「いいな…」と羨ましそうな顔をするのか。
 子供ならば大抵、大好物のフライドポテト。きっとブルーも好きだろうから。
(いっそ、あいつにも…)
 買って行ってやるか、と露店を眺めた。揚げ立ての匂いを漂わせる露店。
 ブルーの家まで持ってゆくなら少し冷めるが、温め直して貰ったならば、と思った所で。



(そうだ、イモ…!)
 ジャガイモだった、と遠い記憶が蘇って来た。イモだと、フライドポテトだったと。
 前のブルーがまだソルジャーでは無かった頃。ただ単純にリーダーと呼ばれるようになるよりも前の、今と変わらない姿の少年だったブルー。人類の船から食料や物資を奪っていたブルー。
 その頃のブルーは前の自分に懐いていたから。よく厨房に来ていたから。
 手が空いている時にブルーが顔を出したら、ジャガイモを揚げてやっていた。皮を剥いて切って油でカラリと。塩をパラリと振りかけて。
 前のブルーが来ると尋ねていた。「食べるか?」と。
 フライドポテトを食べたくないかと、食べたいのならば揚げてやるぞ、と。
(これは買わんと…)
 買わなければ、とフライドポテトの露店に向かった。
 単なる酒のつまみではなかったフライドポテト。前の自分の思い出の味。前のブルーの思い出が詰まったフライドポテト。今の今まで、思い出しさえしなかったけれど。
 こうなれば買ってゆくしかあるまい、歩く途中で冷めてもいいから。
 露店の前に立って「二つ」と頼んだ。小さなサイズで二つ頼むと、持ち帰り用に包んでくれと。
 本当だったら、ブルーの目の前で自分で揚げてやりたいけれど。
 そうしたい人が買ってゆくために、後は揚げるだけのイモも売られているのだけれど。
(…揚げるのは簡単なんだがなあ…)
 ブルーの家のキッチンで二人きりとはいかないから。
 それでは思い出話が出来ない、とイモを揚げるのは諦めた。
 シャングリラの頃の思い出です、と話せばキッチンを借りられるだろうし、イモを揚げるくらい手料理の内にも入らないから、その点は問題無いのだけれど。
 ブルーの母への遠慮は必要無いのだけれど…。



 冷めにくいよう、包んで貰ったフライドポテト。提げられる小さな紙の袋もついて来た。
 袋を提げてブルーの家へと向かう途中も心が弾んだ。
 思い出したと、フライドポテトの記憶を見事に拾い上げた、と。
 生垣に囲まれたブルーの家に着いて、門扉の脇のチャイムを鳴らして。開けに来たブルーの母に事情を話して、冷めて来ているだろうフライドポテトを温め直して欲しいと頼んだ。
 シャングリラで食べていたんです、と言えばそれだけで通じたから。
 「キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーの思い出のフライドポテトですのね」と納得して貰えたから、「よろしくお願いします」とフライドポテトが入った袋を手渡した。
 量はそんなに多くないけれど、フライドポテトも一種のおやつには違いないから。
 「お菓子の量も調節して下さい」と付け加えるのを忘れなかった。
 小さなブルーが食べ過ぎてしまわないように。昼食が入らなくならないように。



 二階の窓から手を振っていた、ブルーの部屋に案内されて。
 テーブルを挟んで向かい合うなり、ブルーはハーレイの周りをキョロキョロと見回した。
「ハーレイ、荷物は?」
 もう一つあった小さな袋はどうしたの、と問われたから。
「見てたのか? 目ざといヤツだな」
「うん、お土産かと思ったんだけど…。何かお土産。でも…」
 お菓子はママのお菓子だよね、とテーブルの上を見詰めるブルー。ケーキ皿には口当たりの軽いシフォンケーキが載っているけれど、小さなブルーは気付いていない。小さめなことに。
 フライドポテトの量の分だけ、ケーキのサイズが小さいことに。
 お茶もお菓子も揃っているから、余計に気付かないのだろう。もう一品あるということに。
 だから…。
「まあ、待ってろ。荷物のことなら直ぐに分かるさ」
「えっ?」
 あれって、やっぱりお土産だった? 何かくれるの、ねえ、ハーレイ?
「いいから、暫く俺と喋りながら待つんだな」
 またお母さんが来る筈だから、と言ってやればブルーは待ち遠しげに扉の方ばかり見ている。
 目の前に恋人がいるというのに、扉が恋人であるかのように。
(俺は扉に嫉妬はせんが…)
 この辺りはやはり子供だな、と面白く観察してしまう。
 注意せずとも恋人同士の会話などせずに、「ママ、まだかな?」と扉の向こうに夢中だから。



 やがて階段を上がる足音が聞こえて、扉が軽くノックされて。
「ハーレイ先生、お待たせしました」
 温まりましたわ、揚げ立てには敵いませんけれど…。
「すみません…! お手数をおかけしまして」
「どういたしまして」
 お役に立てて良かったですわ、とブルーの母が置いて行った二つの皿。その上に盛られて湯気を立てている、ホカホカの細く切られたジャガイモ。油でカラリと揚げられたイモ。
「…フライドポテト…?」
 どうして、とブルーが訊いてくるから。
 ずいぶん変わったお土産だけど、と温め直されたフライドポテトを眺めているから。
「好きだったろ、お前?」
 フライドポテト。温め直してもけっこういけるぞ、熱い間は。
「好きだけど…。小さい頃から、揚げ立てを何度も買って貰ったけど…」
 ママだってたまに揚げてくれるし、美味しいんだけど。…ハーレイにそういう話、したっけ?
「いや、お前はお前でも前のお前だ。好きだったろうが」
「前のぼく?」
 案の定、キョトンとしているブルー。自分と同じで忘れてしまっているのだろう。あの船の中で食べていたことを、前の自分が揚げていたことを。
 そうなるのも無理も無いとは思う。
 フライドポテトを揚げていた頃は、お互いにキャプテンでもソルジャーでもなかったから。前の自分がキャプテンになってしまった後には、もう揚げたりはしなかったから。
 ブルーが厨房に遊びに来ることも、前の自分が厨房に立つことも無かったのだから…。



 けれども、思い出して欲しいフライドポテト。前のブルーとの思い出の味。
 一本つまんで、「覚えていないか?」とブルーに尋ねた。
「こいつを、だ。よく揚げてやったぞ、前の俺がな」
 前のお前が厨房に来たら、「食うか?」と訊いては、ジャガイモを剥いて。
「ああ…! ハーレイのフライドポテト…!」
 思い出したよ、揚げてくれてた。ぼくのおやつに、ってフライドポテトを何度も、何度も。
「そうだ、そいつだ。…生憎と俺が揚げたんじゃなくて、買って来ただけだが…」
 おまけに揚げ立てじゃなくて、温め直したヤツなんだが…。
 まあ、食ってみろ。フライドポテトは温かい間が美味いんだからな。
「前のハーレイもそう言っていたね、揚げ立てを食べるのが美味いんだぞ、って」
 火傷するくらい熱いのもうんと美味しいから、って揚げてる間にも分けてくれたよ。まだ全部を揚げたわけじゃないのに、「ほら」って、つまんで。
「冷めると美味くないからな、イモは」
 特にフライドポテトってヤツは。
 揚げたばかりのホクホクしたのを食ってこそだな、こいつはな。
 …おっと、こいつもなかなかいけるぞ、お前のお母さん、上手く温め直してくれたんだなあ…。



 シャングリラで食ってたあの味だ、とハーレイはフライドポテトを頬張った。小さなブルーも。
 白い鯨ではなかったシャングリラで食べた、フライドポテト。熱々の揚げ立て。
 その誕生はジャガイモ地獄だった頃。
 前のブルーが奪った食料の大部分をジャガイモが占めた、ジャガイモ地獄。
 地球が滅びてしまうよりも前の遥かな昔は、ジャガイモを主食にしていた地域もあったという。ジャガイモだらけでも大丈夫な筈だと、何とかなると努力したハーレイと厨房の者たち。
 ありとあらゆるジャガイモ料理を作ったけれど。
 ブルーが調達して来た食料を無駄にしないようにと、頑張ったけれど。
「今日もジャガイモか…。もう飽きたな」
「まったくだよ。たまにはジャガイモ抜きの食事を食べたいねえ…」
 そんな台詞ばかりが流れる中。食事の時間が訪れる度に聞こえて来る中。
 意外なことに、好評だったフライドポテト。
 単純に切って揚げただけのもので、味付けも振った塩だけなのに。
 ジャガイモそのものの料理だというのに、何故だか、皆に好まれた。誰も文句を言わなかった。
 そうと分かってからは、フライドポテトを添えることにした。
 ジャガイモだらけの料理に一品、フライドポテト。それを食べる時だけは誰もが笑顔で、不平も不満も無かったから。熱い間にと、皆が一番に食べていたから。



 あまりに不思議なフライドポテト。添えるだけで笑顔を引き出す食べ物。
 ジャガイモ地獄の日々の中でも、「美味い!」と喜ばれて好かれたフライドポテト。
 何か理由があるのだろうか、とヒルマンがデータベースで調べた結果。
「例のフライドポテトなんだが…。子供の頃に食べたようだね」
 どうやら、そういう食べ物らしい。家でも作りはするのだが…。どちらかと言えば家の外。
 それを専門に揚げている店で買うのが多いようだ。遊園地などの露店でね。
「なるほどねえ…! あれは遊園地の味だったのかい」
 まるで覚えちゃいないんだけどさ、遊園地にも行った筈だしねえ…。楽しかったに違いないね。
 その時に食べたものだったんだ、と舌が覚えていたってことだね、フライドポテト。
 分かった、とブラウがポンと手を打ち、たちまち広がったフライドポテトの由来なるもの。
 思い出の味か、とシャングリラ中の皆が納得した。
 失くしてしまった楽しい記憶と結び付いているらしいフライドポテト。
 それで飽きないのかと、これだけは美味しく食べられるのか、と。



 ジャガイモ地獄の中、どんな料理でも黙々と食べていたブルー。
 文句の一つも言わずに何でも食べたけれども、フライドポテトが特別な所は皆と同じで。
 食堂でハーレイと並んで食事しながら、添えられた揚げ立てのフライドポテトを頬張りながら。
「ねえ、ハーレイ」
「ん?」
「ぼくのフライドポテトの思い出、どんな思い出だったんだろう?」
 なんにも思い出せないけれども、これを食べると幸せな気持ちになるんだよね…。
 美味しいなあ、って思うんだ。美味しかったな、って、また食べたいな、って。
 何処で食べたのかな、遊園地かな? それともパパかママに強請って何処かの露店?
「さあなあ…」
 何処だったんだろうな、ヒルマンの話じゃフライドポテトの露店は多かったらしいしな?
 公園にもあれば、街角にだって。何処でも子供が主役でな。
「ハーレイの思い出も気になるよね。フライドポテトとセットの思い出」
「まあな。だが、思い出の場所が何処であれ、だ…」
 俺はお前よりもデカイのを買って食っていたのに違いないさ、と笑って言った。
 フライドポテトを買う時に選ぶ、自分の胃袋に見合ったサイズ。
 この身体だから、と。子供の頃にも大きかったに違いないと。
「そうかも…!」
 きっとハーレイ、一番大きなサイズだね。大人の人が買って行くような。
「お前は一番小さいのかもな」
 今だって食が細いんだしなあ、デカイのを買っちゃいないだろう。
 でなきゃ、食えると強請ってデカイのを買って、最後までは食べ切れなかったとかな。
 それだって、いい思い出だ。残りはお前の養父母が食べてくれたんだろうし、うんと愛されてた時代の素敵な思い出なんだ。残念ながら、俺たちは全部失くしちまったわけなんだがな…。



 誰もが喜んだフライドポテト。
 記憶は失くしても、舌に残っていた露店の味。幸せな思い出を閉じ込めた味。
 ジャガイモを切って揚げただけなのに、塩を振りかけただけなのに。
 厨房の責任者だったハーレイにとっては、忘れられない食べ物となったフライドポテト。まるで魔法のように思えて、ジャガイモを見る度に思い出したものだ。その調理法を。
 だからジャガイモ地獄が終わった後にも、たまにブルーに揚げてやった。
 手が空いている時にブルーが来たなら、「食べるか?」と訊いて「うん」と答えが返ったら。
 ジャガイモの皮を剥いてトントンと切って、熱した油でジュウジュウと揚げて。揚げる間にも、早く揚がった分をブルーに「熱いぞ」と渡してやっていた。
 軽く塩を振って、「これがホントの揚げ立てってヤツだ」と、「火傷するなよ」と。
 揚げ終わったら、塩をパラリと振りかけて皿に盛り、熱々のをブルーと二人で食べた。カラリと揚がったホクホクのフライドポテトを二人で。
 齧りながら、何かを思い出さないかと期待もしていた。この味が引き金になって何かを、と。
 失くした子供時代の記憶。フライドポテトが大好きな理由。
 お互い、記憶は一つも戻りはしなかったけれど。欠片さえ戻って来なかったけれど。
 何度も何度も、揚げ立てのフライドポテトを二人一緒に頬張った。
 「熱い間が美味いんだから」と、あの船にあった厨房で。
 幸せだった、前のブルーとの思い出。
 フライドポテトに纏わる記憶はブルーとの思い出になってしまった。あの頃に追っていた記憶の欠片を探すのではなくて、前のブルーと結び付いてしまったフライドポテト。
 二人で食べていたフライドポテト…。



「俺が思うに、あの頃、既にお前はだな…」
 お前に俺がフライドポテトを揚げてやっていた頃。
 俺としては友達に振舞うつもりでせっせと揚げてたんだが、そいつは俺の勘違いってヤツで。
 実はお前は、とっくの昔に…。
「ハーレイの特別だった、って言うの?」
 まだ恋人ではなかったけれども、ハーレイにとっては特別な何か。友達じゃなくて。
「そういう気持ちがしないでもない」
 お前のために揚げてやろう、ってジャガイモの皮を剥き始めたら気分が弾んでいたしな。うんと美味いのを食わせてやろうと、今日も揚げ立てを御馳走しようと張り切っていた。
 お前の記憶が戻るといいなと、こいつで戻るといいんだが…、とな。
「ぼくはいつでも言ってるよ。会った時から特別だよ、って」
 アルタミラでハーレイと初めて出会った時から、特別。
 ハーレイはぼくの特別なんだよ、って何度も言ったよ、最初からだよ、って。
「そうだっけな…。俺にとってもお前は特別だったんだろうな」
 お前以外の誰かが来たって、フライドポテトを食わせてやろうとは思わなかったし。
 ゼルが長居をしていた時にも、ヒルマンが覗きに来てくれた時も。
 一度も揚げてはやらなかったなあ、フライドポテト。
 食ってみるか、って試作品を食わせた思い出ってヤツは星の数ほどあるんだがな。



 前のブルーにしか揚げてやらなかったフライドポテト。
 もう充分にブルーは特別だったのだろう。前の自分がそうだと気付いていなかっただけで。
「フライドポテトなあ…。お前にしか揚げてやらなかった、ってトコで気付けば良かったな」
 俺はお前を特別扱いしてるんだ、ってことに気付けば、その他にだって。
 あれこれと色々あったかもしれんな、お前が特別だった証拠が。
 そいつを知ってりゃ、もっと早くにお前に打ち明けていたかもしれん。お前が好きだと、恋人になってくれないか、と。
 ところがどっこい、俺ときたら恋だと気付くまでに何年かかったんだか…。
 シャングリラが白い鯨になっても、まだ友達だと思ってた。つくづく馬鹿だな、鈍いヤツだ。
 フライドポテトのことだけに限らず…、と苦笑いしながら小さなブルーと二人でつまんだ。
 まだホクホクとしているフライドポテトを。揚げ立ての味に近いものを。
 ハーレイが揚げたわけではないけれど。
 揚げ立てでもなくて、持って来る間に冷めてしまって、温め直されたものだけれども。
 それでもフライドポテトだから。
 前の自分たちが食べたフライドポテトと、まるで違うというわけではないから…。



「またハーレイに揚げて欲しいな、フライドポテト」
 お土産でも嬉しいんだけど…。ハーレイの揚げ立て、食べたかったな。
「そいつは俺も、一応、考えてはみたんだがなあ…」
 フライドポテトの露店を見ていて記憶が戻った時に、とハーレイは食料品店の側で巡らせていた考えを思い返して頭を振った。
 揚げればフライドポテトになるイモを買おうと思えば買うことは出来た。そういう商品も扱っていたから、「揚げていない物を」と頼めば済んだ。
 皮を剥かれて切られていたイモ。露店に山と積んであったジャガイモ。計って貰って生のイモを買えば、そういうイモを買いさえすれば。
 小さなブルーが見ている前で揚げてやることが出来ただろう。キッチンを借りて。
 ブルーが寝込んでしまった時には野菜スープを作っているキッチン。何度も借りて使っていた。
 フライドポテトを揚げるくらいは手料理というわけでもないから、ブルーの母を恐縮させる心配だって無かっただろう。
 シャングリラでの思い出の料理だと、それを再現してみたいのだ、と言えば分かって貰えた筈。
 快く貸して貰えただろうキッチン、揚げるための鍋も、それに油も。
 けれど…。



「俺がキッチンで揚げていたなら、その場で思い出話が出来んぞ」
 そこが問題だし、イモを揚げるのは諦めたんだ。揚げてないイモもあったんだがなあ、ちゃんとフライドポテト用に切ってあるイモ。家で揚げようって人は量り売りをして貰えたんだが。
「思い出話って…。大丈夫だったんじゃないの、ママがいたって、パパも覗きに来てたって」
 本当に前のハーレイが揚げていたんだから。ジャガイモの皮を剥くってトコから始めて。
 そういう話を二人でしてても、パパもママも変には思わないよ?
 シャングリラの昔話の一つなんだ、って聞いてるだけだと思うんだけど…。
「それは確かにそうなんだが…。揚げてたってことだけで話が済めばいいんだが」
 もっと色々話したくなっちまった時に困るじゃないか。そう思ったから揚げるのはやめにした。
 現にお前が俺の特別だった、って話が出て来てしまったろうが。
 お父さんやお母さんの前でその手の話は出来ないぞ。後で、ってことにするしかないんだ。
「…そっか、後からになっちゃうんだ…」
 フライドポテトを揚げ終わって部屋に行くまで話が出来ないんだね。
 思い出した、っていうものがあっても、キッチンだったら黙っているしかないものね…。
「そういうことだ。思い出して直ぐに話せるっていうのと、後まで黙っておくのは違うぞ」
 忘れちまいはしないだろうがだ、新鮮な驚きが消えちまう。
 あれはこういうことだったのかと、後で忘れずに話さなければ、と何度も頭で繰り返す内にな。



 そうなったのでは感慨が薄れちまう、とフライドポテトを揚げることを断念した理由をブルーに説明したら。こんなわけでやめておいたのだ、と説いてやったら。
「じゃあ、今度揚げてよ、フライドポテト」
 思い出話はたっぷりしたから、前のぼくがハーレイの特別だったフライドポテトを揚げてよ。
 ぼくにだけ揚げてくれてたんだな、って噛み締めながら眺めることにするから。
 前のぼくの頃に戻ったつもりで、ハーレイが揚げるの、見ているから。
 ジャガイモの皮から剥いてくれなくても、フライドポテト用のを揚げてくれればいいから。
 お願い、とブルーに頼まれたけれど。強請られたけれど。
「もうお母さんに話しちまったからなあ、フライドポテトの思い出ってヤツ」
 全部を喋ったわけじゃないがだ、フライドポテトを持って来た理由は話しちまった。
 そいつを今度は揚げるとなったら、そこまで大事な食べ物なのか、と興味を持たれてしまうぞ、きっと。どんな思い出か知りたいだろうし、話してくれとも言われるだろう。
 無理やり聞こうってほどに強引じゃなくても、一緒に夕食を食ってる時とか。
 前のお前に揚げてやってた、お前が俺の特別だった、っていう思い出。
 そうそう披露したくはないなあ、特別だったと気付いちまった今ではな。



 またいつかな、と言い逃れたら。
 興味を持たれないくらいに時間が経つか、揚げても妙だと思われないようなタイミング。そんな機会が訪れたなら…、と逃げを打ったら、ブルーは残念そうにしていたけれど。
 フライドポテトを揚げる姿は見られないのか、と肩を落としていたのだけれど。
「…結婚したら揚げてくれる?」
 ハーレイと結婚した後だったら、フライドポテトを揚げてくれる…?
「もちろんだ。露店で売ってるイモを買ってくるようなケチな真似はしないぞ、一から作る」
 前の俺が何度もやってたみたいに、ジャガイモの皮を剥くトコからだな。
 うんと美味いのを揚げてやるから、それを楽しみに待っていろ。揚げてる途中で味見ってヤツも前と同じにつけてやるから。「火傷するなよ」って渡してたヤツな。
「ホント!?」
「うむ。誰にも遠慮しないで二人きりで暮らせる家なんだしな?」
 キッチンも有効に使いたいじゃないか、フライドポテトも楽しくいこう。
 前の俺たちは何の記憶も思い出すことは出来なかったが、だ…。
 今度の俺たちはきっと色々思い出せるぞ、今、思い出した分よりも沢山、フライドポテトの思い出ってヤツを。
 前のお前と俺とで食べてたフライドポテトだ、山ほど思い出が詰まっているさ。
 俺が揚げて、お前が横からつまんで。
 そうする間にも次から次へと懐かしい記憶が戻るんじゃないか、お前も、俺もな。



 そして今のお前のフライドポテトの思い出はどんな具合なんだ、と訊いてみる。
 何か楽しい思い出はあるかと、今度はちゃんと思い出せるかと。
「うんっ! えっとね、遊園地でママに買って貰って、いっぱい食べて…」
 食べ切れなくって、持って帰って食べたいな、って思ってたのに。
 パパが「冷めると美味しくないぞ」って、「パパが食べておこう」って食べちゃった…。
 何度もそういう目に遭ったけれど、フライドポテトを買う時には欲張っちゃうんだよ。
 食べ切れないに決まっているから小さいのにしなさい、って言われても駄目。一番小さいヤツにしておきなさい、ってママが言っても、パパが言っても、もっと大きいの。
 流石に、一番大きいのが欲しいとまでは欲張らなかったけどね。
「うーむ…。お前らしいと言えば、お前らしいな」
 妙な所で頑固だからなあ、前のお前とそっくりで。
 うんうん、デカいフライドポテトか。お前の腹には入り切らんな、まして今よりチビではな。



 聞かせて貰ったブルーの幸せな思い出。今のブルーの思い出の中のフライドポテト。
 遊園地で「欲しい」と駄々をこねる姿が見えるような気がした。今よりもずっと小さなブルーが足を踏ん張り、大きいのがいいとフライドポテトの露店の前で。
 きっと他でもやったのだろう。遊園地でなくても、フライドポテトの美味しそうな匂いが漂って来たら。揚げている露店に出会ったら。
「お前、今度はフライドポテトの思い出を山ほど持っていそうだが…」
 そういう幸せな思い出を増やして行こうな、フライドポテトの他にもな。
 前の俺たちがフライドポテトで幸せな気持ちになっていたように、幸せを運んでくれる思い出。
「うんっ! ハーレイと二人で沢山思い出を作らなくっちゃね」
 幸せな思い出を沢山、沢山。
 思い出すだけで幸せになれるものを沢山、ハーレイと二人で見付けようね。
「ああ、食い物に限ったことじゃなくてな」
 その辺を散歩して、買い物に行って。ドライブや旅行や、前の俺たちがやってないことを端から経験していくとしよう。幸せな思い出を増やすためにな。



 偶然出会った、フライドポテトの露店が運んで来てくれた記憶。
 前の自分が持っていた記憶。
 ブルーのためにだけフライドポテトを揚げていたのだと、ブルーは特別だったのだ、と。
 いつか、結婚したならば。
 またブルーのためにフライドポテトを揚げよう、ジャガイモの皮を剥く所から始めて。
 揚げながらブルーに「熱いぞ」と揚げ立てを渡してやって、キッチンで二人。
 前の思い出を拾い集めながら、今の思い出を語りながら。
 フライドポテトの思い出だけでも、きっと一度で語り尽くせはしないだろう。
 だから何度も、何度も揚げる。
 ブルーのためにフライドポテトを、揚げ立てが美味しいカラリと揚がった思い出の味を…。




           フライドポテト・了

※シャングリラでハーレイが揚げていたフライドポテト。前のブルーが来た時にだけ。
 その頃から、きっとブルーは特別だったのでしょう。わざわざ作ってあげたいくらいに。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




除夜の鐘も初詣も三が日も済み、冬休みも残り数日ですが。私たちは今日ものんびりまったり、会長さんの家で過ごしていました。お正月っぽい料理も飽きる頃だと今日のお昼は牡蠣とホウレンソウのグラタンなどなど。美味しく食べつつ、ワイワイガヤガヤ。
「教頭先生、今年もおせちを沢山用意してたとか?」
ジョミー君の問いに、会長さんが。
「決まってるだろう、用意してない筈がない。和洋中とドッサリ揃えていたよ」
「そうか、今年も無駄になったか…」
申し訳ないことをしたな、とキース君。教頭先生は私たちが年始回りに出掛けることを見越して例年、おせちを用意していらっしゃいます。役に立つ年もあればハズレ年あり、ハズレの年が圧倒的に多め。
「別に無駄にはなってないからいいじゃないか」
今年もしっかり有効活用、と会長さんに罪の意識は全く無し。私たちが行かなかった年のおせちはシャングリラ号のクルーに振る舞われると聞いています。シャングリラ号自体は宇宙でお正月を迎えてますから、交代要員で地球にいる現役クルーの皆さん用で…。
「いいかい、おせちの大盤振る舞いでハーレイの人気は高いんだよ? 問題ない、ない」
「そうだろうか…」
「そうだってば! おせちが残らなかった年には不名誉な噂も立っているしね」
金欠だということになるのだ、と会長さんは冷たい笑み。
「豪華おせちのパーティー無しだろ、そういう噂が立って当然! 新年早々麻雀で大負けしたとか、年末から負けが込んでいるとか、ロクなことにはならないんだってば」
ゆえに今年は名誉な年になったであろう、という話。そういうことなら別にいいかな…、と笑い合っていたら。
「新年早々、楽しそうだねえ…」
「「「!!?」」」
いきなり背後で聞こえた声。もしや、この声は…!
揃ってバッと振り返った先で優雅に翻る紫のマント。来たか、と思うよりも先に挨拶が。
「えーっと、あけましておめでとうかな?」
今年もよろしく、と出ました、ソルジャー。平和な冬休みは終わったかな…?



新年の挨拶をされたからには返すのが礼儀。仕方なく「あけましておめでとうございます」と返せば、「ハーレイからも今年もよろしく、って」とソルジャーからの伝言が。
「ハーレイは今日はちょっと抜けられなくってねえ…」
「今日はパーティーでも何でもないから!」
来なくていい、と会長さん。けれどソルジャーは澄ました顔で。
「用が用だし、ハーレイも居た方が良かったと言うか、居るべきというか…」
「「「は?」」」
「その前に、ぼくも昼御飯!」
其処のグラタンとか…、という注文に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンへと。おかわり用だったらしいグラタンが間もなく焼き上がり、スープなども出て来てソルジャーは早速パクパクと。
「うん、美味しい! ニューイヤーのパーティーでも色々食べたけれども、やっぱり地球には敵わないねえ…」
「それで用事って何なのさ?」
会長さんが訊くと「食べてから!」という返事。まずは食事が優先なのか、と私たちも食事を続行しました。食卓の話題はソルジャーの世界のニューイヤーパーティーやら、私たちの年末年始やら。和やかに食べて話している内に用事などすっかり忘れ果ててしまい…。
「「「御馳走様でしたー!」」」
美味しかったあ! と合掌すれば、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパパッと手早くお片付け。リビングに移動し、食後のお茶を兼ねた飲み物とお菓子なんかがテーブルに。
「かみお~ん♪ ブルーもゆっくりしていってね!」
「うん、もちろん。最初からそのつもりだしね、ぼくは」
それにササッと済むような用でもないし…、と言われて思い出した用件とやら。
「ちょ、ちょっと待って。ホントに用があったのかい?」
言葉の綾ってヤツじゃなくて、と会長さんが尋ねると「そうだけど?」という返事。
「ちゃんと言ったよ、ハーレイからもよろしくと!」
「何なのさ、それ!」
「これ!」
ドンッ! とテーブルの上に置かれたバスケット。そういえば来た時に提げてたような…?



リビングのテーブルに籐製のバスケット。ソルジャーの持ち物にしては変ですけれども、現れた時に持っていたのをチラッと見かけた気がします。食事中は床に置いていたのか、はたまた先にリビング辺りに瞬間移動で飛ばしたか。
どちらにしても一瞬しか目にしなかった筈のバスケットがしっかり、ドッカリ。小さな子供が提げると丁度くらいのサイズの品で、お菓子なんかも詰めて売られるサイズです。キャプテンからも「よろしく」だったらお遣い物の一種でしょうか?
「えーっと…。これが何か?」
くれるのかい? と会長さんが口にした途端。
「貰ってくれる?」
「えっ?」
「いや、君が貰ってくれるんだったら万事解決、ぼくのハーレイも喜ぶってね」
「なんだって?」
解決って何さ、と会長さん。
「いわゆる貢物だとか? これを貰ったら君たちのために何かしなくちゃいけないとか?」
「うーん…。貢物とは違うんだけど…。まあ、お願いには違いないかな」
「「「お願い?」」」
「そう、お願い」
とにかく見てくれ、とソルジャーはバスケットの留金をパチンと外しました。
「「「………」」」
鬼が出るか蛇が出るか、はたまたオバケか。つづらの中から大量のオバケは『舌切り雀』の欲張り婆さんの末路だったか、と記憶しています。あれは大きなつづらですから、こんな小さなバスケットとなれば宝物を希望なんですが…。
誰もが息を詰めて見守る中で、バスケットの蓋がパカリと開いて。
「要は問題はコレなんだよ」
「「「へ?」」」
なんで、とバスケットの中身に視線が釘付けの私たち。其処にはクッションみたいなものが詰められ、その上にコロンと卵が一個。鶏の卵サイズの青い卵がコロンと一個…。
「ま、まさか、これって…」
「「「ぶるぅの卵?!」」」
会長さんの言葉に続いて叫んだ私たちですが。なんで「ぶるぅ」の卵なんかが?



鶏の卵サイズの青い卵は見慣れたと言うか、お馴染みと言うか。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が得意としている変身技で、新入生歓迎のエッグハントでは必ず化けます。そういった変身技とは別に、六年に一度の孵化イベント。卵に戻ってゼロ歳からやり直すという大切な節目の行事も…。
「えとえと…」
その「そるじゃぁ・ぶるぅ」がバスケットの中身を覗き込んで。
「ぶるぅ、卵になれたっけ?」
「「「さあ…?」」」
そうとしか答えられませんでした。ソルジャーの世界に住む「そるじゃぁ・ぶるぅ」のそっくりさんが「ぶるぅ」です。悪戯小僧の大食漢ですが、卵に化けられるかどうかは知りません。
「ぶるぅ、卵になっちゃったの? こないだ誕生日パーティーしたばかりなのに…」
ねえ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の顔には不安が一杯。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も「ぶるぅ」も誕生日はクリスマスですし、その日あたりにパーティーが恒例。去年の暮れにはクリスマス当日に盛大に祝い、クリスマスイブにもパーティーで盛り上がっていたのですが…。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」は六年に一度卵に戻って、子供にリセット。ちゃんと記憶は引き継ぐくせに、永遠のお子様コースです。卵になってから孵化までの日数は早い時にはたったの一日だったりしますが、「ぶるぅ」の方はどうなのでしょう?
「ねえねえ、ぶるぅは卵になったらどうなるの? いつ出てくるの?」
「さあねえ…? 生憎、ぼくにも分からないねえ…」
実は用とはその件で、とソルジャーは卵を指差しました。
「ニューイヤーのイベントが終わった後でね、青の間で発見したんだよ、これを」
「「「発見?」」」
「いつものコースさ、ぼくの青の間は散らかり放題! 今日あたりお掃除部隊が突入するから、ってハーレイが頑張って片付けをしてて…。ほら、恥ずかしいモノとかが落ちてたら困るし」
大人の時間のアイテムとかね、と悪びれもせずに言われましても。
「そんなモノくらい片付けたまえ!」
みっともない、と怒鳴る会長さん。
「そういうモノをね、散らかしておこうっていう神経が全然分からないけど!」
「え、だって。盛り上がってる最中に片付けるなんて不可能じゃないか」
だから適当にその辺に…、と解説されても困ります。つまりはキャプテン、変なモノがゴミに紛れていないか、頑張って掃除をしてたんですね…?



「早い話がそういうことだよ。でもってコレを見付け出した…、と」
ゴミに紛れて落ちていたのだ、とソルジャーは指で卵をつつきました。
「君はぶるぅが消えていたって気が付かないわけ!?」
「そこまで酷くはないつもりだけど?」
「ゴミに紛れていたんだろう!」
そんな状態になるまで気付かないなんて、と会長さんは怒りを通り越して呆れた様子で。
「保護者失格にも程があるんだよ、これがぶるぅの親だなんて…」
「ぼくとハーレイ、どっちがママかは未だに決着がついてないしね」
親の責任と言われても困る、とソルジャーはいけしゃあしゃあと。
「その辺もあって、こっちの世界に相談に…ね」
「いつ孵化するのか訊きたいとか?」
「えっと…」
「孵化のタイミングは外からじゃ絶対分からないから!」
会長さんの言葉に私たちも揃って頷きました。ずうっと昔に初めて卵に戻った時。クリスマスに孵化させてあげないと、とソルジャーたちまで動員して泊まり込みで見守っていましたけれども、会長さんのお手製の検卵器で覗いても何も分からなかったのです。
「それはぼくだって覚えているよ。中身はぼんやりしていただけで…。何も無いな、と思っていたのに次の日に孵ったんだっけね」
「知ってるんなら、君も黙って待っていたまえ!」
「でもねえ…。ぼくの世界のぶるぅの卵は全く事情が違うものだから」
どうなるんだか、とソルジャー、溜息。
「なにしろ基本が石なんだってば。指先くらいの白い石が変化を遂げて卵になる。だから殻だって石で出来てるし、こっちのぶるぅの卵みたいに光で透かして見られないんだ」
「だけど見かけの問題だけだろ?」
「その後も違う。こっちのぶるぅは孵化する直前も同じサイズのままだよね? ぼくの方のぶるぅは卵がぐんぐん大きくなるから」
最終的にはこのくらい、と示されたサイズは両手で抱えるくらいの大きさ。それはデカイ、と思うと同時に、そこまで育つのに何日かかるか首を捻る羽目に陥りました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」みたいに一日で育つこともあるのか、はたまた何日もかかるのか、どっち…?



「ぶるぅは一年かかったからねえ…」
クリスマスから次のクリスマスまでだ、とソルジャーは卵を指先でチョンチョンと。
「こっちのぶるぅは早けりゃ一日コースだよね?」
「そうだけど…。ぶるぅも最初に生まれて来た時は一年ほどかかったよ、孵化するまでに」
それで「ぶるぅ」は? と会長さん。
「卵に戻ってるって話は聞いたことが無いから、けっこう早いと思うんだけど?」
「早いも何も、一度も卵に戻っていない!」
だから全く分からないのだ、とソルジャーは胸を張りました。
「この卵がどのくらいで孵化するかなんて、ぼくにもハーレイにも全くの謎!」
「だったら、ぼくにも分からないってば!」
訊かれても困る、と会長さん。
「その辺は黙って待つしか無いねえ、孵化するまで。育ってくると言うんだったら、それで大体分からないかい? 孵化しそうな時期」
「面倒なんだよ、温めるのが! こっちのぶるぅは温めなくても孵化するらしいけど、ぼくの方のは…」
「………。温めたんだっけね、君とハーレイが」
それで未だに揉めていたっけか、と会長さんは頭を振って。
「御愁傷様としか言いようがないけど、そういうことなら孵化するまでは温めるんだね」
「ぼくとハーレイの大人の時間はどうなるんだい!?」
「元から気にしていないじゃないか!」
そのせいで凄いのが生まれただろう、と会長さん。「ぶるぅ」はソルジャーとキャプテンが大人の時間を繰り広げるベッドで一年間も温められた挙句に、胎教のせいか物凄い「おませ」。今も平気で大人の時間を覗き見している子供です。
「あんなのが生まれた勢いなんだし、どうせ普段から見られてるんだし? 孵化するまでの間も今までと同じでかまわないだろうと思うけど?」
「ぶるぅだったらそうするよ!」
「「「は?」」」
ソルジャー、なんて言いました? これは「ぶるぅ」の卵なのでは…?



「ぶるぅ」だったら大人の時間もお構いなしがソルジャーの流儀。しかし話が何処か変です。「ぶるぅ」だったらそうするのだ、って、この卵…。
「もしかして…。ぶるぅの卵じゃないのかい、これは?」
会長さんが目を丸くすれば、、ソルジャーは。
「残念ながら…。いくらぼくでも、ぶるぅがいなけりゃ気が付くよ、うん。ニューイヤーのイベント期間中はぶるぅもテンションが上がっているから、悪戯多めで」
シャングリラの何処かで騒ぎが起こる、という話。すると「ぶるぅ」が卵に戻ったとしても、ゴミに埋もれるほどの長い間は放置されないと言うか、流石に探し回るとか…?
「そういうことだね、姿を隠して超ド級の悪戯なんかを計画してたら大変だしね?」
「じゃあ、これは…」
「ズバリ言うなら、第二のぶるぅ!」
「「「ええっ!?」」」
まさかの二個目の「ぶるぅ」の卵? 悪戯小僧が更に増えると…?
「ぶるぅそっくりのが生まれて来るのか、大人しいのが生まれて来るかは謎なんだ。とにかく、ぶるぅの弟か妹が入ってるんだよ、この卵には」
「「「うーん…」」」
想定外としか言えない、この展開。「ぶるぅ」だけでも大概なのに、卵が二個目。「ぶるぅ」のママすら決まってないのに、卵が二個目…。
「どうするんだい、これ…」
一年間温めて孵すんだよね? と会長さんが訊くと、ソルジャーは。
「それで相談に来たんだってば、今後のことで!」
「胎教だったら、君たちのやり方はお勧めしないよ」
ぶるぅが増えるよ、と会長さん。
「弟か妹かは知らないけれども、孵化した後には覗きが二人になると思うね」
「……やっぱり?」
「ぶるぅで身をもって知ってるだろう! 絶対、ああなる!」
「そうなんだ…?」
それは非常に困るのだ、とソルジャーはバスケットの中の卵をチョンとつついて溜息再び。
「君たちにも何度も言っているとおり、ぼくのハーレイは見られていると意気消沈で…」
ぶるぅだけでも大変なのに…、と嘆くんだったら、今度はきちんと対処してみれば?



おませな「ぶるぅ」に悩まされているというソルジャー夫妻。「ぶるぅ」の件で懲りたのであれば、二個目の卵は慎重に温めて孵化させるのがベストでしょう。とんでもない胎教などは論外、身を慎んで温めてやれば「そるじゃぁ・ぶるぅ」みたいな良い子が生まれるかも…。
「禁欲生活あるのみだね」
会長さんがビシッと言い放ちました。
「孵化するまでに一年間なら、一年間! しっかり禁欲、そして良い子を孵化させるんだ」
「…いい子に育ってくれないと困る。困るんだけれど、禁欲も困る」
一年間も我慢できない、とソルジャーの本音。
「ぼくのハーレイだって同じなんだよ、だからよろしくと!」
「何をよろしく?」
温め方ならもう言った、と会長さん。
「君たちだって分かってるんだろ、それしかないっていうことは! 悪戯小僧を増やさないためにはキッチリ禁欲、増えていいなら好きにしたまえ」
「増えるのも禁欲も困るんだよ!」
だけど卵は来てしまったし、とソルジャー、ブツブツ。
「ぼくもハーレイも必死にあれこれ考えたんだよ、最悪、捨てるというのもアリかと」
「捨てるだって!?」
会長さんが叫び、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も真っ青な顔で。
「ダメダメダメ~ッ! 捨てちゃダメだよ、死んじゃうよう!」
「…だろうね、放り出したらね」
だから捨てるのは断念した、とソルジャーはいとも残念そうに。
「捨てるのが一番早いんだけどね、解決策としては」
「殺生の罪はどうかと思うが…」
キース君が呟き、会長さんも。
「感心しないね、捨てるコースは」
「そうだろう? 仕方ないから考えた末に、ちょっといい方法が見付かったわけで」
「それについてぼくに相談したいと?」
「そのとおり!」
話が早い、とソルジャーは嬉しそうですけれど。いい方法とは何なのでしょう?



ゴミの中から発見されたという二個目の「ぶるぅ」の卵とやら。捨ててしまおうとまで考えたらしいソルジャー夫妻が見付けた「いい方法」とは…、と誰もが拳を握っています。相談に来たと言うのですから、場合によってはトバッチリとか、と警戒していれば。
「こっちの世界には居るよね、カッコウ」
「「「格好?」」」
格好をつけて禁欲を装い、その実、裏では…、という流れでしょうか?
「バレバレだろうと思うけどねえ、格好だけつけても君たちの本音は」
胎教を甘く見るんじゃない、と会長さんの厳しい視線。けれど…。
「違う、違う、そっちの格好じゃなくて…。鳥のカッコウ」
「ああ、あれか…」
いるね、と会長さんが頷き、キース君も。
「今の季節は鳴いていないが、俺の家の裏の山でもよく聞く声だな」
「それ、それ! そのカッコウがいいんじゃないかと…」
「どんな風に?」
会長さんの問いに、ソルジャーは。
「カッコウで卵の話なんだよ、分からないかな? ズバリ、托卵!」
「「「托卵?」」」
「カッコウって鳥は自分で卵を孵す代わりに他の鳥の巣に産んで行くんだろう? でもって卵を孵して貰って、世話もさせてさ」
「そうだけど…。って、君はまさか!」
その托卵を、と会長さんがブルブルと震える指で示したバスケット。
「相談と言えば聞こえはいいけど、ぼくたちに卵を預けようとか!?」
「ピンポーン♪」
大正解! と明るい声のソルジャー。
「ハーレイも賛成してくれていてね。それが最高の方法ですね、と」
「だ、誰に托卵…?」
「えっ? ぼくとしては誰でも気にしないけど?」
当番を決めて回してくれても…、とソルジャーはサラリと言ってくれましたが、ぶるぅの卵は回覧板とは違いますから~!



「「「……卵……」」」
どうするんだ、と顔を見合わせる私たち。こんな卵を押し付けられても困ります。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の卵みたいに孵化が早くて鶏の卵サイズだったら、一万歩譲って回り持ちで世話も出来るでしょうが…。
「これは育つと言ったよね?」
会長さんが確認をすれば、「うん」という返事。
「最終的にはこのくらいだねえ…」
両手で示された大きなサイズに、そんな卵はとても回せないと思いました。バスケットに収まるサイズどころか、登山用のリュックか長期旅行用のバックパックが必要なサイズ。でなければ巨大風呂敷に包んで背中に背負うしかありません。
「順番に回すのは無理だよ、それ…」
ジョミー君が言って、サム君も。
「絶対無理だぜ、そんなデカイの学校に持っては来られねえよ」
「ですよね、会長かぶるぅが瞬間移動で運んでくれるんなら別ですけれど…」
シロエ君の意見に、スウェナちゃんが「シーッ!」と。
「解決策を喋ってどうするのよ!」
「そ、そうでした…」
「なるほど、ブルーが運んでくれるなら回すのもアリ、と」
それでもいいよ、とソルジャーは笑顔。
「ぼくたちでは面倒を見られないから、君たちにお願いしたいわけだし…。回してくれても親が増えるだけで、特にグレたりはしないと思うな」
要は覗きをしない子が育てば無問題だ、という話。おませでなければ他は問わない、と極論を述べるソルジャーはバスケットの中身を預ける気満々、押し付けて逃げて帰る気満々。
「とにかく、ぼくのハーレイからも是非よろしくと!」
「よろしくされても困るから!」
「困らないだろ、上手く行ったら刷り込みも出来るよ」
孵化した時に当番だった人が親になれるかも、と無責任発言をされましても。「ぶるぅ」の弟だか妹だかの親になりたい奇特な誰かが、この中にいるとは思えませんが…?



「…生みの親より育ての親か…」
そうは言うが、とキース君。
「あんた、そうなっても構わないのか? たとえば俺が親認定とか?」
「いいねえ、君がママなんだね」
とてもいい子が育ちそうだ、とソルジャーはキース君を見詰めて「うん、うん」と。
「ぼくとハーレイの極楽往生を日々、祈ってくれている君がママねえ…。親思いのいい子になると思うよ、間違っても覗きなんかはしないだろうね」
それどころかアイテムをプレゼントしてくれるかも…、とウットリした顔。
「ぶるぅは悪戯と大食いばかりでロクに役には立たないんだけど、親思いの弟か妹の方は大人の時間に役立ちそうなアイテムを探して来てくれるかもね?」
「俺はその手の胎教はせんぞ! 他のヤツらも絶対にしない!」
「ああ、そっち方面には期待してないよ。ぶるぅが色々教えると思うよ、お兄ちゃんとして」
だけど覗きは覚えない良い子、と都合よく解釈しているソルジャー。
「誰が親でも良い子だろうけど、キースが一番いいかもねえ…」
「お断りだ!」
「じゃあ、君たちはぶるぅが増えても構わないわけ?」
「「「うっ…」」」
悪戯小僧が二人になるのか、と誰もが絶句。「ぶるぅ」のせいで散々な目に遭わされたことは一度や二度ではありません。二人に増えたらパワーアップもさることながら、出没回数も増えるでしょう。平和な時間はガンガン削られ、戻ってくる可能性は限りなくゼロ。
「……それは困りますね……」
マツカ君が呟き、ジョミー君が。
「困るなんていうレベルじゃなくって、最悪だし!」
遠慮したいし、という気持ちは全員の心に共通でした。「ぶるぅ」を増殖させたくなければ、ソルジャー夫妻の最悪すぎる胎教を止めるしかないのですけれど。そうしたいなら、もれなく托卵。ソルジャー夫妻の思惑通りに、預かって温めるしか選べる道は無さそうですけど~!



ソルジャーが持ち込んで来た二つ目らしき「ぶるぅ」の卵。そもそも何が孵るのだろう、と見詰めていると、「多分、ぶるぅにそっくりの弟」とソルジャーの声。
「こっちのぶるぅも、ぼくのぶるぅもこういう卵から孵ったしね? ぶるぅの妹って線は無いんじゃないかと思ってる。ぶるぅそっくりの弟だな、って」
「「「はあ…」」」
「きっと可愛い子供だよ? 上手く育てばこっちのぶるぅと同じになるよ」
親次第だよ、とソルジャーは言っていますけど…。
「どうなんだか」
この親にしてこの子ありだ、と会長さん。
「血は争えないって言葉もあってね。自然出産が無い君の世界じゃ死語だろうけど、けっこう当たる。ついでに君は托卵しようとしてるしね?」
「いけないかい? 実際、ぼくもハーレイも卵の面倒を見ている暇は…」
「ぶるぅの時と条件は変わってなさそうだけど? それはともかく、君が言う托卵。カッコウが預けて回った卵から孵った子供はカッコウなんだよ」
親と全く同じなのだ、と会長さんは指摘しました。
「孵化して最初にやらかすことはね、他の卵を捨てること! でないと面倒見て貰えないしね、親鳥にね」
「…それはデータベースで見たけれど…」
「卵を預けようって親も親なら子供も子供! 自分だけがドドーンと巣に居座ってさ、お人好しの親鳥が世話をするんだ。だけど育った子供は親鳥の人の好さを受け継ぎもしないね」
メスだった場合はいずれは托卵に出掛けてゆくのだ、と説かれる自然の摂理。確かにカッコウの子供はカッコウであって、そうでなければ種族が続いてゆきません。
「早い話が、こうやって君が卵を手にした時点で中身は決まっているかもしれない。誰が孵しても、大食漢の悪戯小僧にしかならないかもねえ?」
「「「うわー…」」」
卵を順番に回して、せっせと温めて。悪戯小僧の誕生を食い止めるべく身体を張った挙句に、孵化した子供は悪戯小僧なオチですか!



割に合わねえ、とサム君がぼやいて、キース君が頭を抱えて。ジョミー君は天井を仰いでいますし、シロエ君とマツカ君は半ば呆然。スウェナちゃんと私は言わずもがなです。
「……最悪だな……」
キース君がようやっと絞り出した声に頷くだけで精一杯。こんな卵は御免蒙る、と放り出したいくらいですけど、そうなれば卵は死んでしまうわけで…。
「もう一度訊くけど…」
会長さんがソルジャーの瞳をまじっと見詰めて。
「本当に君たちは温めるつもりは無いのかい? まるで全然?」
「うん、全然!」
忙しいから、とソルジャーはしれっとした表情。
「ぶるぅの時と条件は変わってなさそうだ、って君は言うけど、全然違ってしまっているから! あの頃のぼくたちは夫婦じゃないしね、結婚なんかはしていなかった」
「「「………」」」
やべえ、と誰が言ったやら。ソルジャーが言う通り、「ぶるぅ」の卵を孵化させた時は結婚前の段階です。だって私たちの世界に一番最初にやって来たのは「ぶるぅ」でしたし、ソルジャーの結婚には私たちだって立ち合いましたし…。
「というわけでね、大人の時間は夫婦の時間に進化したわけ! 夫婦円満の秘訣はセックス!」
これが無ければ夫婦じゃない、とソルジャーは威張り返りました。
「ぶるぅの卵を温めた頃は大喧嘩をして口を利かないとか、ごくごく普通にあったしね? 今ではそういう事態になったら、即、セックスして仲直りってね!」
あの頃よりもずっと大人の時間に重きを置いた生活なのだ、と開き直りと言おうか居直りと言うか。要は卵を温めているような暇があったら大人の時間で、とても多忙だと言いたいらしく。
「ぼくたちは毎日忙しいから、卵なんかとても温められない。禁欲どころの騒ぎじゃなくって、もう最初っから無理な注文!」
今頃になって卵を貰っても困るのだ、と卵をくれたらしいサンタクロースにまで文句を言い出す始末。こんな無責任な親に卵を渡したサンタクロースも見る目があるのか、まるで無いのか。
「子はかすがい、って言うんだけどねえ…」
夫婦の絆を深めるためのプレゼントだと思うんだけどね、という会長さんの意見もスルーされてしまい、ただ「迷惑」の一点張り。まったく、どうして二個目の卵を授かることになったんだか…。



卵を温める気なんか毛頭無いらしいソルジャー夫妻。胎教が云々言い出す以前に、二個目の卵が邪魔だったのに決まっています。ゆえにキャプテンからの「よろしく」、ソルジャーが持参したバスケット。預かってくれ、と決めてかかって押し付けにやって来たわけで…。
「そうそう、ぶるぅは凄く楽しみにしてるから! 弟か妹が生まれるから、って!」
だから頼むよ、とズイと押し出されたバスケット。
「ぶるぅの悲しそうな顔は見たくないしね、卵は孵りませんでした、なんていう結末はね」
「だったら君たちが頑張るべきだろ!」
会長さんが怒鳴りましたが、ソルジャーは。
「ダメダメ、ぼくたちが夫婦仲良くしていることもね、ぶるぅは嬉しく思っているしね?」
卵を温めるのに忙しくなって夫婦の仲が悪くなったら本末転倒、とカッ飛んだ自説。
「夫婦円満と、ぶるぅの弟か妹と! 両立させるには托卵あるのみ!」
誰でもいいから温めてくれ、と押しの一手で、引き下がる気などさらさら無くて…。
「ホントに誰でもいいんだってば、誰の家で孵化して親認定で刷り込みされても文句は言わない」
ぼくたちは育ての親で充分、と酷い言いよう。
「実の親は誰か、ってコトになったら、其処はハーレイとぼくなんだけれど…。生まれた子供が間違えていても、ぼくたちはまるで気にしないから!」
本当のママの所へ行ってきます、と出て行かれたって構わないのだ、という身勝手さ。
「…本当のママって…」
「ぼくたちの中の誰かでしょうねえ…」
運が悪かった誰かですよ、とシロエ君。自分が当番に当たった時に卵が孵った不幸な誰か。その人が「ぶるぅ」の恐らくは弟であろう子供のパパだかママだか、刷り込みされて本当の親。
「「「…嫌すぎる…」」」
カッコウの子供はカッコウという説が当たれば、悪戯小僧。外れた場合は良い子かもですが、そうなった場合は本当の親と認定された人は慕われそうです。単独で遊びに来てくれるんなら歓迎ですけど、もれなく「ぶるぅ」も付いて来そうで…。
「どう転んでも、こっちで悪戯…」
「そうなるぞ…」
殺生な、と泣けど叫べど、卵は温めてやらないと死んでしまって殺生の罪。なんでこうなる、と恨みたくなるソルジャーの世界のサンタクロース。いくら「子はかすがい」でも、無責任な親に二個目の卵はプレゼントしなくて良かったんですよ!



将来的に悪戯されるのを覚悟で卵を温めるか、見捨てて殺すか。選ぶまでもなく答えは見えていて、もはや退路は断たれたかのように思えましたが。
「かみお~ん♪ 卵、一人いれば温められるんだよね?」
預けるってことは一人だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ぶるぅも前に言ってたし! 基本はブルーが温めてたけど、たまにハーレイが温めたって!」
「…そうだけど?」
だから順番、と答えるソルジャー。
「これだけの人数が揃ってるんだし、順番に回してくれればそれでオッケー!」
「えとえと…。それならハーレイの家が良くない?」
「「「は?」」」
なんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に視線が集中。そのお子様はニコニコとして。
「えっとね、卵から出て来た時にね…。本当のパパたちと全然別の顔の人がいるより、おんなじ顔をした人の方がいいって思うんだけど…」
「そういえば、こっちにもハーレイがいたねえ…」
「でしょ? ハーレイに頼めばいいと思うよ、卵もそっちの方が良さそう!」
孵ったらちゃんとパパかママの顔だよ、と無邪気な意見。私たちは「よっしゃあ!」と心の中でガッツポーズでしたが、顔には出さずに。
「うんうん、ぶるぅの言う通りだよな。知らねえ顔より、知った顔がいいよな」
「こっちが本当のパパなんですよ、って聞かされた時の衝撃が和らぎそうですよね!」
口々に利点を論っていれば、ソルジャーは。
「…其処はパパじゃなくってママだね。卵を温めるのはママの役目でいいんだよ、うん」
よし! とソルジャーはバスケットの青い卵に向かって。
「とりあえずママの所に行こうか、きっと温めてくれると思うよ、こっちのハーレイ」
なんと言ってもブルーそっくりのぼくからの頼み、と自信満々。
「おまけにハーレイがママだってことになったら、ぶるぅのママだって自動的にハーレイに決定しそうだしねえ? ぶるぅ、素晴らしい意見をありがとう!」
「んと、んと…。ぼくは卵の気持ちを考えただけで…」
「危うく間違える所だったよ、預け先! 托卵は正しく預けないとね」
変な親鳥に預けたら逆に卵を捨てられるそうだし…、とソルジャーはバスケットの蓋をパタンと閉めると、それを持って姿を消しました。行先は教頭先生のお宅でしょうけど、卵、どうなるかな…。



托卵の危機が去ってホッと一息、教頭先生の家の監視は会長さんのお仕事で。サイオンで覗き見していた結果、教頭先生は大喜びでバスケットを預かり、引き受けてしまわれたらしくって。
「うーん…。ハーレイは長期休暇に入るらしいね」
「「「は?」」」
「こんなに上手に子育てしました、ってアピールするわけ、このぼくに! 卵が孵化するまでは休職、理由はこれから考えるらしい」
一年間ほどハーレイで遊ぶのはちょっと無理かも…、と会長さん。
「でもまあ、遊び方は色々あるしね? 産休だか育児休暇だか…。お見舞いってことで遊びに行ったらいいんだよ、うん。例の卵が割れたりしない程度にね」
「「「………」」」
どう遊ぶのかは考えたくもありませんでしたが、例の卵の親と認定されるよりかは会長さんに付き合う方がマシ。それでいいや、と私たちは思考を放棄しました。



そうして数日後に迎えた新学期。学校に教頭先生の姿は無くって、恒例の闇鍋大会が平穏無事に終わるという珍事。もちろん1年A組が勝利を収めたわけですけれども、指名しようにも教頭先生がいなくては…。えっ、誰が代わりの犠牲者かって? それは言わぬが花ってもので。
新学期のお約束、紅白縞のトランクスを五枚は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生のお宅まで一人で届けに出掛けました。教頭先生は「すまんな」と笑っておられたそうです、ベッドの中で。
「…ホントに真面目に温めてるんだ…」
一年かあ…、とジョミー君。教頭先生は食事も簡単なもので済ませて卵に全てを賭けているとか。
「挙句に悪戯小僧なオチなんですよね、孵った卵は」
「さあな…。良い子の可能性もゼロではない」
その辺の事情を御存知ないというのがな…、とキース君が溜息を。教頭先生は美味しい話だけを聞かされ、御自分の都合のいいように解釈なさって卵の世話に懸命で。それもいいか、と放り投げておいて、一週間ほど経った頃のこと。
「「「孵化しない!?」」」
素っ頓狂な悲鳴が放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に木霊しました。
「…うん。ぼくもハーレイも今日まで綺麗に騙されててさ…」
こっちのハーレイになんて言おう、と苦悩のソルジャーに、会長さんが「さあね」と冷たく。
「潔く謝って、お詫びにデートでもしてくれば?」
「…それしかないかな…」
「君が自分で温めてればね、もっと早くに分かったんだよ!」
「……そうらしいね……」
どうしようか、と嘆くソルジャーが教頭先生に預けた卵は無精卵どころか真っ赤な偽物。悪戯小僧の「ぶるぅ」が何処かで見付けた石の卵で、ソルジャー夫妻に温めさせて笑うつもりで置いて行ったもので…。
「……教頭先生の長期休暇は?」
三学期はまるっと休むって届けが出てるんだよね、とジョミー君。
「その先の分も出した筈だよ、キャプテンの仕事も全部ひっくるめて一年分ほど」
自業自得と言うんだけども、と会長さん。一年分もの長期休暇を取った直後に撤回だなんて、信用の失墜、間違いなしです。しかも卵は孵らない上、何もかもが「ぶるぅ」の悪戯で…。



「…ぼくたちが預かるべきだった?」
「後悔先に立たずと言います、ジョミー先輩」
なるようにしかならないでしょう、とシロエ君。ソルジャーは教頭先生の所へお詫びに行くための手土産について「そるじゃぁ・ぶるぅ」に相談中で。
「…やっぱり、ぼくのハーレイも一緒にお詫びに行くべきなのかな?」
「えとえと…。ブルー、どうなの?」
「誠意を示すなら夫婦揃って行くべきだろうけど、君がどういうお詫びをしたいか、それにもよるよね」
お詫びにデートなら一人で行くべし、と会長さん。
「早めのお詫びがいいと思うよ、ぶるぅの悪戯でした、って」
「…このぼくも焼きが回ったのかなあ、騙されたなんて…」
あまりの展開に「ぶるぅ」を叱るタイミングも逃してしまったらしいソルジャー。こっちの世界まで巻き添えにしてくれた悪戯小僧が増殖しないことは嬉しいですけど、偽物の卵。私たちが順番に回す道さえ選んでいたなら、教頭先生の長期休暇は無かった筈で…。
「…俺たちも謝りに行くべきだろうか?」
「ややこしくなるからブルーだけでいいよ」
放っておこう、と会長さんは知らん顔。教頭先生の信用失墜、ソルジャーが預けた偽物の卵。諸悪の根源は「ぶるぅ」だったか、托卵を目論んだソルジャー夫妻か。教頭先生、真実を知っても強く生き抜いて下さいね~!




            迷惑すぎる卵・了

※新年あけましておめでとうございます。
 シャングリラ学園、本年もよろしくお願いいたします。
 ソルジャーが持ち込んだ青い石の卵、「ぶるぅ」の悪戯で良かったですよね。
 教頭先生には気の毒でしたけど、本物だったら「ぶるぅ」の弟か妹の誕生ですから。
 シャングリラ学園番外編は、今年もこんな調子で続いてゆきます。
 次回は 「第3月曜」 2月19日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、1月は、雪の元老寺でのお寺ライフから。お寺という場所は…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv










(えーっと…)
 学校の帰り、ブルーが乗り込んだバス。学校の側のバス停から。
 お気に入りの席が空いていたから座ったけれど。窓の外を眺めていたのだけれど、次のバス停で乗り込んで来た親子連れ。父親と、小さな男の子。
 幼稚園くらいに見える男の子と、若い父親。ブルーの父より若々しい見た目。
 今の時代は人間はみんな、ミュウだから。好みの姿で自分の年を止めてしまえるから、若くても外見どおりの年とは限らない。あの子の父親だって、そうかもしれない。
 でも…。
(見た目通りの年だったら…)
 並んで席に座った親子。子供がせがんで、始めた手遊び。ブルーの席からよく見える。笑い合う声も聞こえて来る。それは微笑ましい光景。仲の良い親子。
(年の差、ぼくとハーレイよりも…)
 小さいのだろうか、もしかしたら?
 あの男の子くらいの年頃だった自分が、何処かでハーレイと出会っていて。
 知り合いになって、並んでバスに乗っていたなら、周りの人にはどう見えたろうか?
 男の子が五歳だったとしたなら…、と指を折ってみて。
(ハーレイ、二十八歳か二十九歳なんだ…)
 今のハーレイのその頃の姿は知らないけれども、前のハーレイならアルタミラで出会って一緒に居たから想像がつく。どんな外見だったのかが。
 そのハーレイが五歳の自分とバスの座席に二人並んで座っていたら…。



(もしかしなくても、お父さんと子供?)
 きっと、そうとしか見えないだろう。親子にしか見て貰えないだろう。
 肌の色がまるで違うと言っても、ブルーはアルビノなのだから。褐色の肌の父親の子でも、何の不思議もありはしないし、「アルビノなんだな」と思われるだけ。
 顔立ちが少しも似ていなくても、ハーレイと二人で乗っているのだし、「母親の方に似た子」と誰もが受け止め、それでおしまい。ハーレイと誰かの間の子供。ハーレイの息子。
(…ハーレイの子供になっちゃうだなんて…)
 そう勘違いされちゃうなんて、と親子連れの乗客をポカンと見詰めた。そうなるのか、と。
 ハーレイにチビと言われる理由がよく分かった。
 背丈の問題だけではなかった。
 足りない年齢、大きすぎる年の差。父親と子供で通る年の差。
 ハーレイから見れば、自分は明らかにチビなのだろう。背丈だけではなくて、年齢までが。



(前のぼくなら、年では負けていなかったのに…!)
 負けていないどころか遥かに年上、それを知ったハーレイが目を剥いたくらい。「お前、俺より年上だったのか…」と。
 ただ、アルタミラの研究所の檻で生きていた間、身体も心も成長を止めてしまっていたから。
 檻の中でも成長していたハーレイからすればチビではあった。外見そのまま、成人検査を受けた時のまま、十四歳の子供。
 だからハーレイも最初は気付かなかった。ブルーの方が年上だとは。
 生まれた年がSD暦の何年なのかを口にするまで、年上のつもりだったハーレイ。知った後でも態度は変わりはしなかったけれど。中身は子供なのだから、と優しく接してくれたけれども。
(だけど、ぼくの方がずっと年上…)
 その点に関しては今よりも有利。ハーレイにチビと言わせはしない。
 年上だったせいで、前のハーレイよりも遥かに先に寿命を迎えてしまったけれど。
 死んでしまうのだと、ハーレイと離れて死の世界へ連れて行かれてしまうと泣いたけれども。
 それさえ除けば、特に問題があったわけでもない。前の自分がハーレイよりも年上だったことは何の障害にもならなかった。友達になるにも、恋をするにも。
 けれど…。



(今のぼくだと、ああなっちゃうんだ…)
 幼い頃に出会っていたなら、二人一緒にバスに乗ったら、何処から見たって立派な親子。父親と子供、そんな風にしか見て貰えない。
 ブルーの方がずっと年下だから。ハーレイがずっと年上だから。
 下手をすれば、今の年であっても。今の自分がハーレイと二人でバスに乗っても。並んで座席に腰掛けていたら、父親と子供に見えるかもしれない。親子で何処かへ出掛けるのだな、と。
(うーん…)
 育ったならば少しはマシだろうか?
 親子なのだ、と思われない程度に年の差は縮まってくれるだろうか?
 ハーレイはもう外見の年を止めているのだし、後は自分が育つだけ。外見の差も縮まるだけ。
 前の自分が年を止めたのと同じ姿で成長を止めようと思っているから、多分、十八歳くらいか。結婚出来る年になる頃、その辺りで止める予定の成長。
(ハーレイとぼくは、二十四歳違うんだから…)
 出会った五月には二十三歳違ったけれども、ハーレイの誕生日が来て二十四歳違いになった。
 十八歳で年を止めるなら、ハーレイとの年の差は二十歳。単純に計算するならば。



(お父さんと子供でも…)
 通らないこともなさそうだった。
 結婚出来るようになる年は十八歳。結婚して直ぐに子供が出来たら、そのくらいの年の差。
 若い父親と、その息子。ハーレイと自分の年齢の差は親子と言ってもおかしくはない。
(じゃあ、ハーレイと二人で出掛けたら…)
 親子に見られてしまうのだろうか、何処へ行っても?
 バスで並んで座っていたって、二人で食事をしていたって。
 ちゃんと結婚しているのに。恋人同士でデートの途中で、バスに乗ったりしているのに。
(…お父さんと子供…)
 あんまりだ、とグルグル考えていたら、いつものバス停を通り過ぎそうになって。
 慌てて「降ります!」と叫んで前へと走った。鞄を抱えて、降りる方のドアへ。



 失敗しちゃった、とバスを降りたら、窓から手を振っている子供。さっきの子供。
 振り返してやったら、父親の方も手を振ってくれた。手を振る親子を乗せて走って行ったバス。見えなくなるまで手を振り返して、バス停から家へと歩き始めて。
(仲良し親子…)
 あの二人は何処へ行くのだろう?
 家へ帰るのか、それとも遊びに出掛けてゆくのか。
 明らかに親子だと分かる二人だったけれど、あれが自分とハーレイだったら…。
(結婚した後でも仲良し親子?)
 もしかしたら分かって貰えないかもしれない。恋人同士で並んでいたって。
 恋の経験を持つ大人はともかく、子供には。
 さっきの子のように幼い子供には、親子なのだと思われるかもしれない。親子でバスに揺られているのだと、親子で出掛ける途中なのだと。
(ハーレイと結婚してるのに…!)
 親子だなんて、とショックだったけれど、それが現実。
 今の年ならどう見ても親子、育った後でも危うい年の差。十八歳と三十八歳。
 それ以上はもう縮められない。
 自分の姿が前とは変わってしまうから。前の自分よりも育ってしまって、前のハーレイが愛した姿を見せられなくなってしまうから…。



(なんだか酷い…)
 トボトボと歩いて家に帰って、着替えを済ませて。
 おやつを食べながら母に訊いてみた。何気ない風を装いながら。
「ねえ、ママ…。ハーレイ先生とぼく、並んでいたら親子に見える?」
 それとも友達同士になるかな、どっちだと思う?
「親子じゃないの? 知らない人が見た時でしょう?」
「やっぱり、親子に見えちゃうの?」
「当たり前でしょ、パパとハーレイ先生、いくつ違うと思っているの?」
 年はそんなに変わらないこと、ブルーだって知っているでしょう?
 ハーレイ先生とブルーは似ていないけど、親子に見えるか、友達同士か、っていうんだったら、答えは親子ね。そういう年の差。
 パパのお友達が家に遊びに来たことは何度もあるけど、ブルーのお友達にはなってないでしょ?
 ブルーは遊んで貰っていたけど、お友達とは違うものね?
 ハーレイ先生でも、何も知らない人から見ればおんなじなのよ。
 パパのお友達と遊んでいます、っていう風になるか、似てない親子か、親戚くらいね。
 友達同士だと思うような人は、誰もいないんじゃないのかしら…。
 本当はお友達だけれども、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイだったからでしょ?



 母にまで言われてしまった親子。友達同士よりかは親子。
 そういうことになってしまうのか、と部屋に戻って考え込んだ。勉強机に頬杖をついて。
 これはマズイと、ハーレイとバスには乗れないと。
 二人並んで乗っていたなら、さながら今日の親子連れ。父親と子供にされてしまう。恋人同士で乗っているのに、デートに出掛ける途中なのに。
(…出掛けるんなら車だよね?)
 車だったら、きっと安心。
 ハーレイが運転して、自分は助手席。これならデートだ、と思ったけれど。
(…お母さん抜きのドライブに見える?)
 助手席に乗るべき母親は留守番をしていて、息子が助手席に座っているように見えるだろうか。父親と息子だけでの外出はさして珍しくもないのだし…。例えば釣りとか、山登りとか。

(…車でもやっぱり間違えられちゃう?)
 それでも車には二人きり。他の乗客はいないわけだし、そうそう人目につかないだろう。信号で止まっても覗き込むような人はいないし、親子連れだと思われはしない。
 車の方が安心だよね、と考えたけれど。
(じゃあ、バスには…)
 乗れないのだろうか、仲良し親子と勘違いされたくないのなら。
 ハーレイと二人、バスの座席に並んでゆくことは無理なのだろうか?
 何処かへ行こうと、今日はバスだと乗り込むことは。



(でも、ハーレイの車があるしね?)
 バスは駄目でも車があるから、と思ったけれども、問題が一つ。
 運転するのはハーレイなのだし、自分の方を向いて話しては貰えない。バスに乗っていた親子のように遊びも出来ない。
 ハーレイと手遊びをしたいわけではないけれど。手を繋げればそれで充分だけれど。
 それが出来ないのが、ハーレイの運転する車。
 ハーレイの目は前を見詰めていなければ駄目だし、両手はハンドルに持ってゆかれる。車を操る方が優先、鳶色の目も大きな両手も、ブルーの相手をしてはくれない。
(バスだったら…)
 座席に二人、並んで座れる。並んで好きなだけ話が出来るし、手だって繋げる。ハーレイの肩にもたれて乗っても行ける。
 眠くなったらもたれて、眠って、「そろそろ着くぞ」と起こして貰える。
(だけど、ハーレイと仲良し親子…)
 誤解されそうなバスの中。
 恋人同士だとは思って貰えず、親子なのだと間違えられそうなバスの中。



 ハーレイと乗るなら車か、バスか。
 いったいどちらがいいのだろう、と悩んでいたらチャイムが鳴って。
 仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから、早速、訊いてみることにした。母が運んで来たお茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで、向かい合わせで。
「えーっと…。ハーレイ、車かバスかどっちがいい?」
「はあ?」
 何の前置きもなく投げ掛けた質問、ハーレイに通じるわけがない。意図に気付いて貰えない。
 返って来た答えは「バスは運転出来んからなあ…」という的外れなもの、バスを運転するための免許は持っていないというハーレイ。
「バスはな、免許が別なんだ。普通の車よりも大きいからな」
 シャングリラよりはずっと小さいが…、とハーレイは白い鯨を持ち出した。あの船も動かすには資格が必要だったが自分は持っていなかったと。しかし今ではそういうわけにもいかないと。
 無免許では運転出来ない世界。ブルーが乗りたくてもバスを運転してはやれない、と大真面目な顔で言われたから。
「ううん、ハーレイが運転するんじゃなくって…」
 運転手さんが運転するバス。ぼくが学校へ行くのに乗ってるようなバスのことなんだけど…。



 こうなんだよ、と最初から順を追って話した。
 バスの中で出会った親子連れのこと、それに母との会話のこと。自分があれこれ考えたことも。
 ハーレイと二人でバスに乗ったら親子連れだと思われそうだと、車の方がいいだろうか、と。
 車にハーレイを取られてしまうけれども、恋人同士ならば車だろうか、と。
「うーむ…。確かに車を運転するなら、お前がお留守になっちまうが…」
 運転しながら横は向けんし、ハンドルから手を離すわけにもいかんしなあ…。
 しかしバスだと親子連れだと思われちまう、と言われりゃそういう気もするし…。
「ハーレイも車の方がいい? バスよりも車」
 覗き込まないと、誰が乗ってるのか分かりにくいし、間違われにくいと思うんだけど…。
 だけど車はハーレイの手と目を持ってっちゃうし…。手を繋いだりも出来ないし…。
「なるほどなあ…。バスだと俺の目も手も、お前の相手だけをしていられるか…」
 いつかはお前と二人でドライブに行こう、と楽しみにしてたが、バスと来たか。
 俺はバスなんぞは、まるで考えてはいなかったんだが…。



 そいつもいいな、とハーレイが微笑む。
 バスでゆく旅も、なかなかに面白いものなのだ、と。
「…バスの旅?」
 それって路線バスじゃなくって、観光バスで行く旅行のこと?
 学校の遠足とかで乗るようなバスで旅行をするの?
「行ったこと、ないか? バスで旅行は」
 色々なヤツがあるんだがなあ、お前は遠足でしか乗ってないのか、観光バスは?
「うん…。バスでなくても、普通の旅行は疲れちゃうから行ったことがないよ」
 いつも両親が計画を立てた旅行だった、と説明した。
 生まれつき身体が弱いブルーは、祖父母に会いに遠い地域へ出掛けただけでも熱を出したから。決まったスケジュールで旅をするなど難しそうだ、と何処へ行くにもツアーは無し。
 初めてのツアーになる筈だったのが父が約束してくれた宇宙から地球を眺められる旅で、本当は夏休みに行く予定だった。けれども出会ってしまったハーレイ。再会した前の生からの恋人。
 そのハーレイと一緒にいたくて、過ごしたくて。
 夏休みのツアーは父に頼みもしなかった。行きたいと言うのも忘れていた。
 だから知らない、バスの旅どころかツアーなるもの。
 観光バスには学校の行事で乗って行っただけで、それすらも休みがちだった、と。



「そうだったのか…。しかしだ、宇宙旅行をしようって程度には少し丈夫になったんだな?」
 夏休みに予定があったのなら、と訊かれたから。
「うん。…パパが短い旅行だったら行けそうだな、って言ってくれたし…」
 地球を見る旅は宇宙船に乗って行くだけで、あちこち見て回るわけじゃないしね。疲れた時には部屋で休めるから、ちょうど良さそうだ、ってパパとママが…。
 大丈夫だったら、もっと他にも旅行をしよう、って話になっていたんだよ。
「ふうむ…。それなら、まずは俺の車でドライブってトコから始めてバスの旅だな」
 車の方が小回りが利くし、いつでも休憩出来るんだが…、とハーレイは車の利点を挙げた。二人きりだから好きな時間に行って帰って来られるけれども、便利なものではあるけれど。
 バスでなければ行けない場所も存在していて、其処に行くならバスの旅だと。



「…それって、何処なの?」
 車だと駄目でバスならいいって、どういう場所なの、ねえ、ハーレイ?
「自然を大切にしている場所だな、高い山にある高原とかな」
 他の地域だとライオンなんかが住んでいる場所を走ったりもする。地球の上だけでも幾つくらい存在してるんだかなあ、そういう所。
 この地域で野生のライオンを見るのは無理だが、高原に行けば雷鳥がいるぞ。
「雷鳥? あれに会えるの?」
「普通は山を登って行かなきゃ会えないが…、だ。バスの旅なら高原まで運んでくれるしな」
 後はハイキングの気分で歩けば、雷鳥に会える。運が良ければヒナを何羽も連れたヤツにな。
「ヒナを何羽も? 行列してるの、雷鳥のヒナが?」
「そうさ、親鳥の後ろについて行くんだ、小さいのが何羽もヨチヨチとな」
 見てみたいだろ、そういうの。高山植物だって沢山あるぞ。自然ってヤツがたっぷりなんだ。
 だから人間が大勢で押し寄せないよう、車は禁止でバスだけってな。
 どうだ、バスの旅、行ってみたい気がしてきたか?
「うんっ!」
 雷鳥のヒナの行列に会ってみたいよ。それで大丈夫だったら、もっと他にも。ライオンとかにも会ってみたいし、いろんな所へ行ってみたいな、ハーレイと。



「よし。バスの旅なら二人並んで座って行けるし…」
 それから、お前の夢の宇宙旅行。約束したろう、いつか宇宙から地球を見ようと。
 あれも並んで座るシートだぞ、観光バスとは違うがな。
「そういえば…」
 宇宙船のシート、そうなってるね。ぼくは乗ったことがないけれど…。
「なあに、いつかは乗ることになるんだ、俺と一緒に」
 宇宙船でも観光バスでも、きっとカップルに見て貰えるさ、とハーレイは極めて楽観的で。
「どうしてそうだと言い切れるの?」
「ん? それはだな…。なにしろ俺がお前に惚れてるからなあ、そのせいだな」
 二人並んで座ったからには、お前の肩とか抱いてるだろうし。
 そんな具合でくっついていれば、恋人同士だと一目で分かるだろうが。
「でも…。仲のいい親子とか友達だったら…」
「肩は組むってか?」
「うん」
 そういうのと間違えられるんじゃないの? ぼくとハーレイ、男同士のカップルだもの。
 恋人同士だって思うよりも先に、親子か友達。
 そんな組み合わせと勘違いされて、最悪、ハーレイとぼくは親子なんだよ、仲良しの親子。



 どうにも心配でたまらない、世間の勘違い。
 せっかく恋人同士で並んで座っているのに、友達どころかハーレイと親子。
 それは嫌だ、と思うからこそ、バスに乗るのは諦めようかと悩んでいたのにバスの旅。ついでに宇宙船の旅。どちらも親子と間違えられる危険と隣り合わせだ、とブルーが訴え掛けたら。
「だったら、キスだな。こいつで間違いなく恋人同士だ」
 頬っぺたや額にキスするんじゃないぞ、今はまだ禁止しているキスだ。これなら誰でも分かってくれるさ、恋人同士なんだとな。
「…やっていいの、人前でキスなんか?」
 頬っぺたとかなら普通だけど…。親子とかでもやっているけど、そんなキスをしても大丈夫?
「周りに大人しかいなかったらな」
 子供が見てたら流石にマズイが、大人だったら見ないふりをしててくれると思うぞ。
「見ないふりって…。それって、とっても恥ずかしいんだけど…!」
 キスをしてるの見えてるんでしょ、だけど見てないふりだなんて…!
 逆に注目してるんじゃないの、あそこの二人はキスをしてるな、って…!
「それはそうだが、親子でいいのか?」
 俺と親子のままでいいのか、勘違いされて、お前が俺の息子ってことで。
「親子は困るよ!」
「ならば、ベッタリといこうじゃないか」
 恥ずかしがってなんかいないで、堂々とキスだ。周りが注目していようとな。



 前のお前の憧れだろう、とハーレイは片目を瞑ってみせた。
 憧れていたと、何度も口にしていたと。
「…前のぼくって…。何に?」
「忘れちまったか? お前が教えてくれたんだが…。こういう言葉を見付けた、とな」
 バカップル、と紡がれた言葉。
 馬鹿とカップルとを組み合わせた造語、前のブルーが見付け出した遠い昔の呼び方。周りに人が大勢いようが、ベッタリくっついた恋人たちをそう呼んだという。バカップル、と。
「ハーレイっ…!」
 たちまち思い出した遠い記憶に、ブルーは真っ赤になってしまった。耳の先まで。
 バカップルという言葉を見付けて、それがなんとも幸せそうに思えたから。前の自分たちの仲は誰にも内緒で、決して明かせなかったから。
 羨ましかったバカップル。真似てみたい、と憧れた。バカップルと呼ばれた恋人たちに。
 気分だけでも、とハーレイを巻き込んで青の間でやっていたバカップルごっこ。
 ブリッジでの勤務を終えたハーレイに大きな綿菓子を一個持って来させて、二人で食べた。同じ綿菓子を間に挟んで、それぞれの側から食べて進んで、最後にはキス。
 そんな遊びを何度もしていた。バカップルだと、バカップルならではの食べ方なのだ、と。



「お前、俺にもやらせてたろうが、バカップルの真似」
 綿菓子の食い方、前にも土産に持って来てやって話したよな…?
 今度は誰にも遠慮しないでバカップルになれるし、キスしてもいいと思うんだが…。
 そういうのは嫌か、人前でキス。
 親子連れと間違われている方がいいか、バカップルだと思われるよりも…?
「ううん…。親子連れよりバカップルだよ」
 ちょっぴり恥ずかしいけれど…。ううん、とっても恥ずかしいけれど、バカップルがいい。
 ハーレイと恋人同士なんだ、って分かって貰える方がずっといいよ、間違えられてるよりも。
 ちゃんと結婚してるのに親子だと思われていたんじゃ、あんまりだもの。
「まあな。…しかしだ、俺に言わせれば…、だ」
 別にキスまでしなくたってだ、ベッタリくっついていれば充分、分かって貰えそうだがな…?
 お前、まるっきり忘れちまっているみたいなんだが、結婚指輪。
 前の俺たちには無かった指輪が今度はあるんだ、それで大抵、気付くんじゃないか?
 小さな子供は分からんだろうが、お前くらいの年になったら知ってるだろうが。
 左手の薬指に嵌まった指輪は何の意味だか、揃いの指輪を嵌めていたならカップルだな、と。



「…そっか、指輪…」
 すっかり忘れてしまっていた。まるで気付きもしなかった。
 前の自分たちには縁が無かったものだから。嵌めてみたくても、嵌められなかった二人だから。
 それに白いシャングリラに結婚指輪は無くて、誰も嵌めてはいなかったから…。
「ほらな、忘れていたんだろうが。…いや、知らないと言うべきか…」
 今度は指輪が必須なんだぞ、結婚式を挙げる時には。
 お互いに指輪を交換しなくちゃ、結婚式を挙げる意味が無いってな。俺がお前の左手に嵌めて、お前が俺の左手に嵌めて。
 …そうして揃いの指輪が出来るってわけだ、左手の薬指に俺たちの結婚指輪。
 お前は完全に忘れただろうし、こいつも思い出しておけ。…シャングリラ・リング。
「…シャングリラ・リング?」
 なんだったっけ…。えーっと…。ああ、思い出した!
 シャングリラで出来た指輪だった、とブルーは叫んだ。白いシャングリラの指輪だっけ、と。
 遠い昔にトォニィが決めて、役目を終えたシャングリラ。
 その船体の一部だった金属が今も残っているという。結婚を決めたカップルのために、そこから作られるシャングリラ・リング。年に一回、決まった数だけ、抽選で。
 それをハーレイと申し込もうと決めたのだった。白いシャングリラの指輪を、と。
「お前、やっぱり忘れていたな? そして、俺はだ…」
 約束した通り、ちゃんと覚えていたぞ?
 貰えるといいな、シャングリラ・リング。同じ結婚指輪なら断然、そいつだよなあ…。



 当たるかどうかは運次第だけども、出来るならば嵌めたいシャングリラ・リング。
 それが駄目でも、左手の薬指には結婚指輪。揃いの指輪。
 親子連れなら嵌めてはいないし、友達同士でも嵌めてはいない。
 ハーレイの言う通り、わざわざキスなど交わすまでも無く、恋人同士だと指輪が周りに知らせてくれる。結婚式を挙げた二人なのだと、カップルなのだと。
 けれども二人でバスに乗るなら、宇宙船に乗ってゆくのなら。
 二人並んで座席に座ってゆくのだったら、バカップルの旅もいいかもしれない。
 前の自分が憧れていたバカップル。綿菓子を食べて遊んだバカップルごっこ。
 今度は結婚出来るのだから。結婚して旅をしているのだから。
 親子ではないと、恋人同士の二人なのだと、結婚指輪を嵌めていたってバカップル。
 恥ずかしい気持ちはあるのだけれども、周りに人がいても、キスを交わして。



 「バカップルもいいね」と小さな声で頬を染めながら呟いたら。
 そんなのもいいね、と鳶色の瞳を見上げたら…。
「うむ。俺もたまには運転しないで触りたいしな、お前にな」
 ちゃんと顔を見て話が出来てだ、両手も空いているのがいいな。
 バカップルとまではいかなくっても、並んで座って出掛けたいもんだ。運転席と助手席に別れて乗るんじゃなくって、本当に並べる席に座って。
「それじゃ、最初は…」
 二人並んで座って行くだけでいいの、結婚指輪を左手に嵌めて。
 そういうのを何度かやって慣れたら、いつかバカップルになってみるとか…?
「俺のお勧めはそいつだな。まずは普通のバスでデートと洒落込んでみるか?」
 結婚指輪を嵌めていたなら、親子連れだと間違えられることも無さそうだしなあ…。
 それでも誰かが間違えてたなら、二人で手でも繋いでみるか。



 バスの旅への練習も兼ねて、普通のバスでの外出から。
 いきなり旅行に出掛けるのではなくて買い物くらい、と誘われたから。
 行ってみようか、そういうデートに。
 ハーレイと二人、お揃いの結婚指輪を左手の薬指に嵌めて街まで買い物に。
 行き先は特に何処とも決めずに、あちこち回って、買い物とデート。
 親子連れだと間違えられないかどうか、路線バスの座席に二人で並んで座って。
(うん、結婚指輪を嵌めていたなら、大丈夫!)
 きっと恋人同士だと分かって貰える、と思うけれども、こればっかりは分からない。
 ハーレイとの年の差は大きいのだから、親子でも通りそうなのだから。
 周りを時々窺いながらの、路線バスでの二人掛けのシート。
 其処にハーレイと並んで座って、デート。
 もしも親子連れだと間違えられそうな気配がしたなら、ハーレイにベッタリ甘えてみよう。
 バカップルはちょっぴり恥ずかしいから、もたれかかって、手を繋いで。
 「肩を抱いて」と強請ってみるとか、それくらいがきっと限界だろうけれども…。




           バスで並んで・了

※ハーレイと乗るなら、バスか車か。考え込んだブルーですけど、提案されたバスでの旅。
 きっと素敵な旅になる筈。前のブルーが憧れていた、バカップルの夢も実現できそうですね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]