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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

 ハーレイは「またな」と軽く手を振って帰って行った。パパとママも一緒の夕食を食べてから、ぼくの部屋でアイスティーを飲んで少し話をした後で。
 別れ際の言葉は「またな」だけで、馴染んでしまった「また明日な」ではなかったけれど。平日だって二人一緒に過ごせた夏休みは今日で終わってしまって、「また明日な」を聞ける日はきっと週末の土曜日まで来ないんだけれど…。
 学校がある平日だって、時間が取れればハーレイは家に来てくれる。だけど明日は夏休みの後の最初の日だから、忙しくて来られないだろう。もしかしたら、と望みは捨てていないんだけれど、普通はやっぱり無理だよね…。



 次にハーレイとゆっくり過ごせる休暇は冬休み。それまでの間に長い二学期が挟まってしまう。ハーレイと再会してから後の一学期よりも、冬休みの後に来てアッと言う間に終わる三学期よりも長い二学期。四ヶ月近くも続く二学期。そんなに長い間、ハーレイと二人の休暇が無いなんて…。
 考えただけで溜息が出そうになってくるけれど。
 勉強机の前に座って頬杖をついたぼくの目の前に、ハーレイの笑顔。昨日までは無かった一枚の写真。今日、ハーレイと庭で写した夏休みの記念という名のぼくも一緒に収まった写真。
 飴色をした木のフォトフレームはハーレイがプレゼントしてくれた。写真撮影だってハーレイが提案してくれた。



 ハーレイとぼくと、お揃いの木製のフォトフレーム。中の写真も同じもの。
 夕食前までは勉強机の上じゃなくって、ハーレイとお茶を飲んだりしているテーブルの上に二つ並んで置かれていた。ぼくの分と、ハーレイの分と、そっくり同じなフォトフレームが。
 その片方をハーレイが家に持って帰って、今頃は書斎の机の上か、それとも寝室に置いたのか。比べても全く見分けがつかない双子みたいなフォトフレーム。ぼくとハーレイとの大事なお揃い。
 ハーレイが写真をプリントしてくれて、フォトフレームもくれたんだけど。お互い、それぞれのフォトフレームに写真を収めて、並べて置いていたんだけれど。
 結局、ぼくたちは取り替えたんだ。
 夕食の後で、並んだ写真を眺めながら紅茶を飲んでいた時、二人とも考えていたらしい。まるで同じなフォトフレームと写真。取り替えたって区別がつきはしないし、それなのに持ち主が別々にいる。
 ぼくのフォトフレームの持ち主はぼくで、ハーレイの分は持ち主がハーレイ。
(どっちでも同じ写真とフォトフレームだよね…)
 ハーレイの分が欲しいんだけどな、と考えた、ぼく。
 同じものなら、ハーレイが写真を入れていたフォトフレームが欲しいと思った。だって、それはハーレイの持ち物なんだから。ほんの少し前に決まったものでも、ハーレイの物に違いないから。
(…ハーレイのと取り替えてくれればいいのに…)
 ぼくの大好きな褐色の手が写真を入れて、そうっと触っていたフォトフレーム。飴色の木の枠にハーレイの温もりが残っていそうで、欲しくてたまらなくなってしまって。
「…ねえ、ハーレイ…」
 取り替えて欲しいと強請ろうと口を開いたら、ハーレイが「うん?」とぼくを見詰めて。
「どうした? 俺もお前に話があるんだが、まずはお前の話からだな」
「えっ? ハーレイの話が先でいいよ。…ぼくのは我儘で、おねだりだから」
 そう答えると、ハーレイは「うーむ…」と唸った。
「弱ったな…。俺の方もお前に頼みごとでな、おまけに酷く我儘なんだが」
「ハーレイが? なんで我儘?」
 不思議だったけれど、ハーレイの頼みごとなら何でも聞きたい。叶えるかどうかはまた別の話。だって、とんでもない頼みごとだったら困るから。結婚の約束は取り消しだとか、そういうの。
「我儘でもいいから聞かせてよ、それ」
「お前の我儘を優先するが」
「でも、ぼくの我儘だって酷いんだよ。それに、おねだり…」
 どちらが先に口にするかで譲り合った末に、同時に言おうということになった。一、二の三、で声を揃えて、お互いの酷い我儘を。



 ぼくとハーレイ、テーブルを挟んで向かい合わせ。ぼくはハーレイの鳶色の瞳、ハーレイの瞳はぼくの瞳を至極真面目に覗き込んで。
「いい、ハーレイ? 一、二の…」
 三! で同時に言った。
「ハーレイのフォトフレームが欲しいんだけど!」
「お前のフォトフレームが欲しいんだが…」
 えっ。
 重なり合った声もそうだけど、その中身。ぼくたちは顔を見合わせて暫く無言で。
「……俺のフォトフレームが欲しいと言ったか?」
「…ハーレイ、ぼくのが欲しいって言った?」
 なんで、と尋ねたぼくにハーレイも「何故だ」と訊いてくるから。
「…だって、見た目はおんなじだもの…。どうせだったらハーレイのが欲しいよ…」
 此処でしっかり強請らないと、と思ったから理由をきちんと話した。ぼくの頬っぺたは少しだけ赤くなっていたかもしれない。そうしたら、ハーレイが「実は、俺もだ」と白状した。
「お前が選んだフォトフレームだし、そいつはお前の分なんだが…。お前の持ち物が欲しくてな。俺よりもずっと年下のお前に我儘を言うのは大人げないが」
「…ハーレイもなんだ……」
 ぼくと同じことを考えてくれたのが嬉しかった。
 ハーレイはぼくの持ち物が欲しくて、ぼくはハーレイのが欲しくって。
 普通の持ち物なら取り替えて持ったりは出来ないけれども、フォトフレームならそっくり同じ。それに今日の昼間に出来たばかりの持ち物なんだし、取り替えたって誰にもバレない。だから…。
「いいよ、ハーレイ。取り替えようよ」
「ああ。…お前も俺のが欲しかったんなら、利害は一致しているからな」
 ハーレイがパチンと片目を瞑って、ぼくのフォトフレームに手を伸ばした。
「だったらこいつは俺のものだな、有難く貰って帰るとしよう」
「じゃあ、ぼくはハーレイの分を貰うね」
 こっち、と自分の前に引き寄せて「今日からよろしく」とフォトフレームに声をかけた。
「ハーレイから取り上げちゃったけれども、大事にするから」
「ははっ、それじゃ俺もこいつに挨拶せんとな。…むさ苦しい家だが、よろしく頼むぞ」
 ハーレイはぼくのフォトフレームにペコリと頭を下げて挨拶してから、嬉しそうな笑顔で箱へと仕舞った。それから帰って行ったんだけれど、ぼくの一部がハーレイと一緒に連れて帰って貰えるような気がして、心が躍った。
 ぼくが行けないハーレイの家。大きくなるまで来るなと言われたハーレイの家へ、ぼくが選んだフォトフレームが一緒に帰って行くなんて…。
 幸せなぼくのフォトフレーム。ハーレイの家でうんと大切にされて、幸せに暮らすことだろう。



 ぼくが選んで写真を入れていたフォトフレームを、ハーレイが連れて帰って行った。
 ハーレイが写真を入れた方は、ぼくの家に残って双子のようなフォトフレームを見送った。
 そうやって交換されたフォトフレーム。
 ぼくとハーレイ、二人だけしか知らない秘密の、互いの持ち物。
 お揃いだっていうだけじゃなくて、自分の分は手元を離れて、お互い、相手が持っているんだ。
 なんて幸せなんだろう。
 ぼくの持ち物に見えるけれども、本当はハーレイの持ち物だったフォトフレーム。ぼくが選んだフォトフレームはハーレイが連れて帰ってくれた。
 そっくり同じなフォトフレームは見えない糸で繋がっていそうで、その糸に触れるような気分で飴色の枠に手を伸ばす。
 ぼくの机の上、ハーレイが選んだフォトフレーム。
 ハーレイが写真を入れていた。ぼくの大好きな褐色の手で、裏返して写真を入れていた…。



(…この辺かな?)
 ハーレイの手が触れていた辺りを触ってみる。滑らかに磨かれた飴色の木枠。自然の素材だから冷たくはなくて、その柔らかさと温もりがハーレイを思わせた。
 がっしりと頑丈で、ぼくよりもずっと大きな身体を持ったハーレイ。木の枠を見るまでは考えたことも無かったけれども、ハーレイは立派な大木みたいだ。どっしりと根を張り、天に聳えて枝を四方に広げた大木。雨にも風にも揺らぐことなく、その枝と葉とで沢山の命を守るんだ…。
(…うん、キャプテンだった頃のハーレイはホントに大木だよね)
 シャングリラという名の楽園を支えていた大樹。大勢のミュウたちを枝に止まらせ、茂る葉影に休ませていた。ハーレイがキャプテンだったからこそ、誰もが安心して暮らしていられた。
 ぼくが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 白いシャングリラを守っていたぼくは、ハーレイが伸ばした枝の間を吹き渡る風。皆が心地よく過ごせるようにと、清しい空気を運び続けた。禍々しいものが枝に纏わりつかぬよう。皆を脅かすものが来ぬよう、大樹の周りを巡り続けた…。
 懐かしい、白いシャングリラ。
 ハーレイと一緒に暮らしていた船。いつだってハーレイの気配が在ったし、ハーレイが必ず側に居てくれた。辛く悲しい時代だったけれど、あの船の中だけは楽園だった。
(…今は別々の家だもんね…)
 ハーレイの気配は家の中に無いし、ハーレイは側に居てくれない。
 せっかく平和な青い地球の上に生まれて来たのに、肝心のハーレイと一緒に住めないだなんて。
(でも……)
 これはハーレイの持ち物だものね、とフォトフレームの木枠を指先で撫でた。
 ハーレイの家に行ったぼくのフォトフレームと同じ姿で、飾られた写真もそっくり同じ。きっとハーレイの家にあるフォトフレームと見えない糸で繋がっている。
 それにハーレイの持ち物だったフォトフレーム。この中にハーレイの心の一部がちゃんと入っている筈なんだ。だって、ハーレイがぼくのフォトフレームを連れて帰る時、ぼくの心が飛び跳ねていたから。ハーレイの家へ一緒に行ける、と心の欠片が弾んでいたから…。



 フォトフレームの中に収まった写真。
 庭で一番大きな木の下にハーレイと二人並んで、ママが写した夏休みの記念。
 そういうことになっているけれど、本当は二人一緒の写真が欲しかったんだ。ハーレイもぼくもそう思っていて、お互い口にはしていなかったのに、ハーレイが実行に移してくれた。羽根ペンを買いに出掛けたついでに、お揃いのフォトフレームまで買って来てくれて。
 写真の中のハーレイは穏やかな笑顔。穏やかなように見えるけれども、とびきりの笑顔。最高の笑顔なんだと、ぼくには分かる。前のハーレイがこんな笑顔をしていたから。青の間でぼくと二人きりの時、こんな風に笑っていてくれたから。
 ぼくだけに見せてくれたハーレイの笑顔。ぼくだけを想っていてくれるハーレイの笑顔。それを見るのが好きだった。
 今もこの笑顔を見せてくれるけれど、まさか写真になるなんて。ハーレイが側にいない時にも、写真を見れば大好きな笑顔が見られるなんて…。
 そのハーレイの左の腕に、ギュッと両腕で抱き付いて嬉しそうなぼく。ハーレイが抱き付いてもいいと言ったから、遠慮なく抱き付いて撮らせて貰った。「あくまで憧れの先生とだぞ?」なんて念を押されたけど、ハーレイにくっついて写真が撮れた。それだけで胸がドキドキしてた。
(あっ…!)
 撮った時には幸せ一杯で全く気付いていなかったけれど、ぼくが抱き付いている左腕。
 利き腕じゃない方のハーレイの腕。
 ハーレイが「俺の利き手を封じてどうする」と注意したから、左腕に抱き付いていたんだけど。この左腕に、前のぼくの右手が最後に触れた。
 メギドに飛ぶ前、ぼくの言葉を口にすることは出来なかったから。死にに行くのだとジョミーや皆に知られるわけにはいかなかったから、ハーレイの左腕に触れて其処から思念を送っておいた。ジョミーを頼む、と。
 ぼくがハーレイに言えた言葉は、「頼んだよ、ハーレイ」。肉声ではそう伝えただけ。思念でも別れは告げられなかった。ハーレイへの想いも、「さよなら」も言えずに前のぼくは死んだ。
 ハーレイの腕に最後に触れた手。右の手に残った温もりだけを最期まで持っていたかったのに、それも失くして独りぼっちで泣きながら死んだ。
 もう会えないと、ハーレイには二度と会えないのだと…。
 メギドで冷たく凍えた右の手。ハーレイの温もりを失くした右の手。
 ハーレイの温もりを覚えていたかったのに。温もりを抱いていたかったのに…。



 前のぼくが失くした温もりの元は、ハーレイの左腕だった。最後に触れた腕は左腕だった。
 あんなにも切ない思いで触れて、その温もりを抱いて逝こうと右の手にしっかり覚えさせた腕。この温もりがハーレイなのだと、心に刻み付けた腕。
 それなのに、ぼくは失くしてしまった。撃たれた痛みがあまりに酷くて、温もりは撃たれる度に薄れて、最後に右の瞳を撃たれた瞬間、消えてしまって失くしてしまった。
 独りぼっちになってしまって、泣きながら死んでいったぼく。
 失くしてしまったハーレイの左の腕の温もり。
 その左腕に、前よりもずうっと小さい身体になったぼくがくっついているなんて。
 前のぼくがほんの少しだけ触れて離れたあの左腕に、両腕で抱き付いているなんて…。
(……夢みたいだ……)
 前のぼくが失くした温もりの代わりに、両腕一杯分の温もり。ギュッと抱き付いたから、胸にも温もりをしっかり感じた。温かで確かなハーレイの温もり。幻ではない生の温もり。
(なんて幸せなんだろう…)
 そう思ったら涙が零れた。
 ハーレイの左腕なんだ。ぼくが両腕で抱き付いていたのは、ハーレイの左腕なんだ…。



 二人並んだ写真なんか撮れなかった、前のぼくたち。
 何処かに前のハーレイの写真は無いかと、ハーレイの写真欲しさに本屋さんで探した今のぼく。前のぼくたちが一緒に写った写真はいくらでもあったけれども、恋人同士の写真じゃなかった。
 二人一緒でも、あくまでソルジャー・ブルーとキャプテン。それが前の生でのぼくたちだった。恋人同士と一目で分かる写真など撮れず、撮れる日が来るとも思わなかった。そうして運命の日がやって来て、前のぼくは独りぼっちで泣きながら死んだ。もうハーレイには会えないのだと。
(…またハーレイと会えただなんて…)
 青い地球の上に生まれ変わって巡り会えた上に、二人一緒の写真まで撮れた。
 シャッターを切ってくれたママにも、記念写真を撮ったと報告しておいたパパにも、恋人同士の写真だということはまだ明かせないけれど、幸せな今のぼくたちの写真。
 ハーレイとお揃いで持っている写真と飴色をした木のフォトフレーム。
 ううん、お揃いって言うだけじゃなくて、このフォトフレームはハーレイのもの。誰も気付きはしないけれども、ぼくのフォトフレームはこれの代わりにハーレイの家に行ったんだ。
 ぼくはハーレイのを、ハーレイはぼくのを持っている。
 お揃いな上に、お互い、相手から貰った形のフォトフレーム。恋人の持ち物が手許に欲しくて、交換し合ったフォトフレーム。
 ハーレイの持ち物を貰ってしまった。
 大きな褐色の手が触れて写真を入れていたフォトフレーム。ハーレイの手の温もりを枠に残したフォトフレーム。大切なぼくの宝物。中の写真も、フォトフレームも…。



 ずうっとお揃いが欲しかった。ハーレイとお揃いで持っているもの。
 つい昨日まで、今日の午前中までは、お揃いはたった一つだけだった。ハーレイが先に見付けて買って教えてくれたシャングリラを収めた写真集。ぼくのお小遣いでは買えない値段の豪華版で、パパに強請って買って貰った。その写真集だけがお揃いだった。
 だけど今では、写真集ならぬ記念写真。ハーレイと二人で写した写真がフォトフレームごと双子みたいにそっくり同じで、お揃いの持ち物に加わった。
 お揃いのものも欲しかったけれど、二人一緒の写真も欲しいと夢見ていた。
 ハーレイと一緒に写った写真と、お揃いのフォトフレームと。両方の夢が一度に叶って、もっと素敵なオマケがついた。ハーレイの持ち物だったフォトフレームが、ぼくのもの。その上、ぼくのフォトフレームはハーレイの家へと貰われて行った。
(…ぼくよりも先にお嫁に行ったよ、フォトフレーム…)
 そう思うとなんだかくすぐったい。
 いつの日か、ぼくはあのフォトフレームを追い掛けるようにハーレイのお嫁さんになる。伴侶と呼ぶのかもしれないけれども、ハーレイに貰われるぼくの立場は「お嫁さん」だ。
 ハーレイは自分のお父さんとお母さんとに、ぼくと結婚するんだってことを、ちゃんと報告してくれた。庭に大きな夏ミカンの木がある隣町のハーレイが育った家。ハーレイのお母さんが作った夏ミカンのマーマレードが入った大きな瓶を、ハーレイはお父さんたちから預かって来た。
 将来、ハーレイの結婚相手になるぼくに、ってプレゼントしてくれたマーマレード。お日様の光みたいな金色が詰まった瓶はとても綺麗で、ハーレイのお父さんとお母さんの気持ちが嬉しくて。大事に食べようと思っていたのに、パパとママが先に蓋を開けて食べてて大ショック。
 それが今朝のこと、マーマレードを貰ったのは昨日。
 昨日と今日との二日間だけで、幸せが沢山降って来た。マーマレードを先に食べられてしまった悲劇はともかく、他は幸せ一杯だった。



 前の生から大好きだったハーレイと一緒に過ごした、ぼくの人生で最高の夏休み。
 その夏休みの最終日が文字通り最高の日で、二人一緒に写真を写して、お揃いのフォトフレームまで手に入れて勉強机の上。ハーレイの持ち物だったフォトフレームの中、幸せそうに笑っているぼく。ハーレイの左腕に両腕でギュッと抱き付いたぼく。
 そうだ、ハーレイに羽根ペンもプレゼント出来たんだっけ。ぼくのお小遣いで買うには高すぎる値段だったからハーレイが殆ど自分で支払ったけれど、ハーレイの誕生日プレゼント。ハーレイが前世で愛用していた羽根ペンによく似た白い羽根ペン。
 羽根ペンをハーレイの誕生日にプレゼント出来て、ハーレイのお父さんとお母さんから手作りのマーマレードを貰って、今日はハーレイと一緒に写った写真。しかもお揃いのフォトフレーム。
 思い付くだけでも最高が三つ、羽根ペンとマーマレードと、目の前の写真。
 きっと他にも色々とある。この夏休みだけで最高を幾つ体験したのか、それこそ紙にでも書いてみない限りは分からない。幸せ一杯だった夏休み。ハーレイと過ごした夏休み。
 だけど、まだまだ最高の日が幾つも幾つもやって来るんだ。
 夏休みは今日で終わりだけれども、ぼくはたったの十四歳で、まだ結婚も出来ない歳。
 結婚出来る十八歳までに最高の日が幾つあるのか、それだけでも数え切れそうになくて。
 どうしようか、と思うほどなのに、幸せはもっと増えてゆく。
 ハーレイと結婚するだけで増えるし、一緒に暮らせば毎日のように増えてゆく。
(…前のぼくは全然知らなかったよ、こんなに幸せが一杯な日が来るなんて…)
 そう思ったら、また涙が零れた。



 独りぼっちになってしまったと泣きながらメギドで死んでいった、ぼく。
 その前のぼくに教えてあげたい。
 ぼくはこんなに幸せだよ、って、ハーレイと幸せに生きてるんだよ、って。
 もう泣かなくても大丈夫だから、きっと幸せになれるから…。
 ぽたり、と机の上に落ちた一粒の涙。
 ソルジャー・ブルーだったぼくの涙だと思いたい。
 悲しい涙はもうおしまいで、幸せを見付けた涙なんだ、と。
 泣かないで、ソルジャー・ブルーだった、ぼく。
 ぼくはこんなにも幸せだから……。




            フォトフレーム・了

※ハーレイとブルーがお揃いで持っているフォトフレーム。実は交換していたのです。
 ほんの一瞬でも、お互いの持ち物だった物を交換。それだけで幸せなブルーです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv





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 週末の土曜日、いつものようにブルーの部屋で向かい合っていたハーレイとブルー。テーブルを挟んでのティータイムだったが、ブルーが「あっ」と声を上げた。
「ハーレイ、袖のボタンが取れかかってる…」
 夏休みの間は半袖で来ていたハーレイだけれど、学校が始まると長袖になった。
 前の生でキッチリとキャプテンの制服を着込んでいた記憶が無意識の内にもあったのだろうか、前世の記憶を取り戻す前から学校ではスーツ、もしくは長袖のワイシャツだったと聞いている。
 週末にブルーの家を訪ねて来るなら半袖でも一向にかまわないのに、一種のけじめ。今日だって長袖のシャツを着ているし、襟つきな上に袖口もボタンで留めるタイプ。もっとも、同じ長袖でもラフなシャツの時も多いけれども。
 その袖口のボタンが一つ、糸が緩んで取れかかっていた。ティーカップを傾けるハーレイの姿を見ていたブルーが気付く。ハーレイは「ふむ」とカップをソーサーに置いて。
「着る時は何とも無かったんだが…。何処かで引っ掛けちまったかもな。落として失くしたら後で困るし…」
 取れかけたボタンを摘んで、頼りない糸を千切ろうとする。ポケットにでも仕舞っておくつもりだろうが、ブルーは「待って」とハーレイを止めた。
「ちょっと待ってて、付け直すから」
 家庭科で使う裁縫道具が入った小さなバッグを勉強机の側の棚から持って来た。中から針と糸を取り出し、ボタンを留めている糸の色に似た色の糸を選ぶと、床にかがみ込んで縫い付け始める。
「動かないでよ、針が刺さっちゃうから」
 ボタンにしっかりと糸を通しながら、袖口の布とを何度か往復。
「ほほう…。器用なもんだな」
 感心しているハーレイの目の前でボタンを縫い付けた糸にクルクルと糸を絡めて、端を結んで。
「はい、おしまい。…どう?」
「大丈夫だな。糸の具合もちょうどいい」
 ボタン穴に通してみたハーレイが頷く間に、ブルーは裁縫道具を棚に戻して来たのだけれど。
 ハーレイは何故かブルーが縫い付けたボタンをしげしげと眺め、感慨深そうな顔だから。
「ハーレイ、ボタンがどうかした?」
「いや、しっかり上手にくっついてるなと思ってな…。前と違って」
「前?」
 ブルーはキョトンと目を丸くした。
 ハーレイのために裁縫道具を持ち出したことは一度も無かったと思うのだけど…。



 まるで記憶に無いブルーだったが、ハーレイは「前だ」と繰り返した。
「前は前でも、最近じゃないぞ? 前のお前だ」
「…前のぼく?」
 ますますもって記憶が無かった。
 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーは裁縫などはしなかった。ソルジャーの衣装は特別だから自分で手入れをすることは無いし、バスローブなども服飾部任せ。
 従って青の間に裁縫道具は置かれてはおらず、ハーレイのために使った覚えも無いのだが…。
 懸命に記憶を遡りながら考え込むブルーの姿に、ハーレイが「うーむ…」と呟いた。
「…忘れちまったのか? スカボローフェア」
「スカボローフェア?」
 聞いたこともない響きの言葉。何のことだか見当もつかない。
「補聴器の記憶装置には入れられないような記憶だし…。それに、不器用の証明だからな」
「不器用?」
 聞き覚えのないスカボローフェアも気になるけれども、不器用の証明だという不名誉さ。過去の自分にいったい何が、と訝る小さなブルーに、ハーレイは「いや、まあ…」と少し言葉を濁して。
「ある意味ではとても器用だったな、前のお前は」
 スカボローフェアだ、と重ねて言われても思い出せない。
 しきりに首を捻るブルーを相手に、ハーレイは昔語りを始めた。



 それは遙か昔、白いシャングリラで暮らしていた頃。
 ハーレイとブルーが恋仲なことは秘密だったが、青の間やハーレイの部屋で逢瀬を重ねた。夜になれば勤務を終えたハーレイが青の間を訪ねて来るのが常のこと。暫し二人で紅茶を飲んだりして語らった後、ベッドに移って恋人同士の熱くて甘い時間が始まる。
 その夜もテーブルで紅茶を楽しんでいた時、ブルーがキャプテンの上着の袖口の小さなほつれに気が付いた。ほんの少し糸が出ているだけだけれども、引っ掛けたりしたら更にほつれてしまう。
 キャプテンの上着は毎日洗う類の服ではないから、ハーレイは「明日、服飾部に直させます」と言ったというのに、ブルーは「脱いで」と真顔で返した。
「今夜も二人で過ごすんだよ? せっかちな脱ぎ方をしたらほつれそうだし、明日の朝、うっかり寝過ごしたりしたらどうするんだい? 慌てて上着を羽織った拍子に引っ掛かるかも…」
 そうなったら袖口の生地が傍目にもみっともない状態。別の上着に着替えに戻れば確実に遅刻、ほつれた袖でブリッジに行けばキャプテンも案外だらしがないと評判が立つ。
「…だからね、今の間に直しておくのが一番なんだよ」
 服飾部の腕には敵わないから、仮修理。明日の勤務が終わった後で直しに出しておけばいい。
 そう言って微笑んだブルーの前には、いつの間にか裁縫道具を収めた小箱が鎮座していた。裁縫道具など青の間の何処に置いていたのか、あるいは服飾部から瞬間移動で盗み出したのか。
 どちらにせよブルーは直す気満々、針と糸とを引っ張り出した。
 しかし…。



 アルタミラを脱出した直後は裁縫だってしていたんだから、と言い張るブルーは不器用だった。針に糸を通す所までは無問題だが、通した糸が勢い余って抜けてしまったり、糸の端を留める結び目を上手く作れずに縺れたり。
 ようやっと通した糸の端を結び、準備完了となるまでにかなりかかった。
 この段階で既に危険信号。どう贔屓目に見ても、裁縫が上手いとは思えない。それでもブルーは頑張った。頑張りすぎて生地を引っ張ってしまい、余計にほつれた袖口を縫うべく努力を重ねた。
 ハーレイが脱いで預けた上着と格闘すること半時間あまり、出来上がった縫い目は不揃いな上に生地も不自然に引き攣れて皺が寄っている。
 これではどうにもなりはしないし、結局、直しに出すことになった。明日の朝はハーレイが早く起きて部屋に着替えに戻って、別の制服を着てブリッジへ。その途中で服飾部に立ち寄り、問題の上着を修理に出す。
 ただ、酷すぎる縫い目が出来た上着は服飾部の者の目に触れる。「誰が縫ったか分からなくても恥ずかしいよ!」とブルーが自分の腕の悪さを嘆くものだから、ハーレイが件の縫い目をほどいて多少はマシに見えるようにと縫い直しておいた。
 ブルーが縫って、それをハーレイがほどいて縫い直して。
 二人揃って、余計な手間。
 最初から服飾部に任せることに決めていたなら、手間も時間も全くかからなかったのに。
「すっかり時間を食っちゃったよ…。ほつれてもいいから早くベッドに行けば良かった」
「ですが、あなたが仰ったのですよ?」
 ふてくされるブルーをハーレイがせっせと宥めながらのティータイム。
 ブルーが眠れなくなってしまわないよう、紅茶は薄めで、ミルクを入れて。



「…ぼくはホントに頑張ったのに…」
 ハーレイのために精一杯頑張って縫い上げたのに、と不満そうなブルー。
 その上着は椅子の背に掛けてある。ハーレイは黒のアンダーを纏った姿で薄い紅茶を飲みつつ、不器用すぎる恋人と上着とを交互に見比べていたのだけれど。
 不意に悪戯心が頭を擡げて、まだ「頑張った」と主張しているブルーに「どうでしょうか?」と疑問を呈した。
「本当に私のためだと思っていらっしゃったなら。…とんでもない縫い目を作るどころか、縫い目の無いシャツを作れそうですが」
「なに、それ?」
 ブルーが赤い瞳を見開く。ハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「遠い昔の古い歌ですよ。スカボローフェアという歌なんです」
「…スカボローフェア?」
「ええ。SD体制よりもずっとずっと昔に栄えた町がスカボロー。…其処で開かれた市をフェアと呼んだそうです。その市の名前の歌なんですよ」
 スカボローの市に出掛ける人に頼む伝言。其処に住んでいる昔の恋人に伝えてくれ、と。
 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…。
 縫い目も針仕事も無しで亜麻のシャツを作ってくれたなら、あなたこそ私の真の恋人です、と。
 ハーレイが歌ってやった古い古い歌に、ブルーは熱心に聴き入った末に。
「縫い目も針仕事の跡も無い亜麻のシャツ? 分かった、それが作れたら正真正銘、ぼくの裁縫の腕を認めてくれるんだ?」
「は?」
 それは勘違いというものだろう、とハーレイは慌てて訂正した。
「いえ、そういった意味ではなくて…。これは恋人の真心の深さというものを…」
「恋人だからだよ、認めて欲しいよ! ぼくはハーレイの恋人なんだから!」
 もう一度歌って、とブルーは強請った。
 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム。
 不思議な響きのハーブの呪文を織り込んだような、遠い昔のスカボローフェアを。



 そしてブルーは作り上げた。
 服飾部から亜麻の布をせしめて、縫い目も針仕事の跡も無い真っ白なシャツを。
「ほら、ハーレイ。…出来たよ、君が歌ってくれたスカボローフェアに出て来るシャツ」
 ハーレイがブリッジから青の間に戻るのを待ち兼ねていたらしい、得意満面のブルー。
 真っ白なシャツはハーレイが黒のアンダーの下に着ているものにそっくり。入念にチェックしてみたけれども、本当に縫い目も針跡も無い。
 サイオンで繊維を瞬間的に溶かして、一瞬で接着したのだろうか。しかし…。
「このシャツはどうやって着るのですか、ブルー?」
 ブルー御自慢のシャツを矯めつ眇めつ眺めたものの、着られそうには思えなかった。
「えっ? ちゃんと服飾部でハーレイのシャツのサイズを調べて作ったんだけど…」
 ブルーはハーレイの身体にピッタリの筈だと言い張ったけれど。
「…そのシャツは伸縮性のある素材でしょう? この布では、ちょっと…」
 無理に被ろうとしたら破れそうです、とハーレイが困惑するとおり。
 亜麻のシャツは清潔感溢れる代物だったが、如何せん、元になったものが下着のシャツ。首元が丸く開いている他には袖口と裾しか開いていないし、アルタミラの研究所で着せられた上着ほどに余裕のあるサイズでもない。
 これを頭から被ったならば、腕を通す前にビリッと音がするだろう。音だけで済めばまだマシな方で、あっけなく裂けてしまうかもしれず…。
「着られないわけ?」
 シャツを手にして困り顔のハーレイに、ブルーが尋ねる。
「…残念ながら、そのようですが…」
 ついさっきまで得意そうだったブルーの顔色がみるみる変わった。
「それじゃ、ぼくはハーレイの本物の恋人じゃないってこと!?」
 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム。
 縫い目も針仕事の跡も無い、ブルーがやり遂げた恋人の証の亜麻のシャツ。
 サイオンという技を使ったにしても、無理難題としか思えないそれをブルーが作り上げてくれたことは嘘偽りのない真実だから。
「いいえ。…お気持ちだけで嬉しいのですよ、たとえ着ることが叶わなくても」
 ハーレイはブルーを強く抱き締め、桜色の唇が開く前に自分の唇で覆って言葉を封じた。
 古い古い歌、スカボローフェア。
 亜麻のシャツを作ってくれとは歌うけれども、それを自分が着るとは歌っていないから…。



 ブルーが作った白い亜麻のシャツは、ハーレイの部屋のクローゼットの奥に大切に仕舞われた。
 遠い昔に有り得ないものとして歌に歌われた亜麻のシャツ。
 縫い目も針仕事も無しに作り上げられた亜麻のシャツなど、誰が想像できただろう?
 ブルーが縫い上げた愛の証。
 ハーレイの本物の恋人なのだと証明したくて、針さえ使わずに縫い上げてくれた。
 裁縫さえも満足に出来ないほどの不器用なブルーが、奇跡のシャツを作ってくれた。
 縫い目も針跡も無い、真っ白な亜麻で出来たシャツ。
 身に纏うことは出来ないけれども、ハーレイのサイズにぴったりのシャツ。
 これが宝物で無いと言うなら何だろう?
 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…。
 愛おしいブルーの姿を思い浮かべて、ハーレイは真っ白な亜麻のシャツをそうっと撫でる。
 あの歌を歌いながら亜麻のシャツを撫でる。
 誰よりも愛してやまない恋人。
 銀色の髪に赤い瞳の恋人が成し遂げてくれた奇跡を、真の恋人の証のシャツを…。
 そうして大切に仕舞っていたのに、ついに一度も着られなかった。
 破れてしまうと分かっていたのもあったけれども、ブルーを失くしてしまったから。
 縫い目も針跡も無いシャツを作ってくれたブルーを、ハーレイは失くしてしまったから。
 今にして思えば、あれを着て地球に降りれば良かった。
 たとえあちこち破れたとしても、過ぎ去った時の流れで繊維が弱くなっていたとしても、地球に降りるという記念すべき日に相応しい晴れ着だったのだから…。



 その後、白い亜麻のシャツがどうなったのかは分からない。
 ハーレイが使っていた部屋はトォニィが手を触れないで残していたから、机の上に置かれた羽根ペンのように手つかずでクローゼットに仕舞われたままだった可能性もある。
 けれど、シャングリラが時の流れに連れ去られた時に、亜麻のシャツも消えてしまっただろう。もしも誰かが縫い目も針跡も無い不思議なシャツだと見抜いていたなら、残っていたかもしれないけれど。作った人が誰だったのかも分からないままに、その不思議さのゆえに宇宙遺産として。
 そう、ハーレイが彫った木彫りのナキネズミが博物館に残っているように。ミュウの多産を祈るウサギなのだと勘違いされて、宇宙遺産のウサギにされてしまったように…。



 というわけで、とハーレイは昔語りを終えた。
「思い出したか、スカボローフェアを? お前は前の俺の上着の袖口を直すどころか余計に悲惨なことにしたのと、着られないシャツを作ったというダブルショックで綺麗に忘れたみたいだが」
 どうなんだ、と問われたブルーは頬をプウッと膨らませた。
「思い出したよ、それだけキッチリ喋られちゃったら!」
「ほう…。それで、裁縫が得意な今のお前は亜麻のシャツだって作れるのか?」
 ただし、縫い目も針跡も無しだ。
 それが歌の中で出された条件なんだし、本物の恋人を気取るんだったらそれくらいはな?
 からかうようにハーレイの瞳が笑っているから、ブルーは「もうっ!」と眉を吊り上げた。
「本物の恋人同士になってないこと、ハーレイだって知ってるくせに!」
 キスも駄目だと言ってるくせに、と仏頂面になるブルー。
「ほうほう…。だったら、いつかは作るということなんだな?」
 そういうことだな、とハーレイは片目をパチンと瞑った。
「お前が言う本物の恋人同士になった時には、縫い目も針跡も無しのシャツを作ってくれるのか。…今度は着られるシャツで頼むぞ、前が開いててボタンで留められるシャツとかな」
 上等の亜麻のシャツがいい。
 それを着て街まで出掛けられるような、うんとお洒落なシャツなんかがいいと思わないか?
 お前が作った奇跡のシャツをだ、俺が着てお前が隣を歩く。うんと得意そうにしていればいい。
 スカボローフェアに出て来るシャツだぞ、縫い目も針跡も無い奇跡のシャツだ。
 頑張ってくれ、と励まされたブルーは「無理だから!」と叫んでハーレイをキッと睨み付けた。
「無理なこと、分かっているくせに! サイオンはトコトン不器用だってこと!」
 ソルジャー・ブルーだった頃ならともかく、今のブルーに奇跡のシャツは無理だった。
 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム。
 いくら呪文を唱えたところで、不器用すぎるサイオンが目覚めるわけがない。
「分かった、分かった。…今のお前には期待してないさ」
 亜麻のシャツは二人で買うとするか、とハーレイが笑う。
 いつかお揃いの亜麻のシャツ。サイズ違いの同じシャツを着て、手を繋いで街を歩くのだ、と。



 ソルジャー・ブルーがサイオンで作った奇跡の真っ白な亜麻のシャツ。
 縫い目も針跡も見当たりはしない、真の恋人の証のシャツ。
 ハーレイは今のブルーに作れはしないと笑った上に、夜までブルーの家で過ごして夕食を食べ、「また明日な」と手を振って帰って行ったのだけれど。
 その夜、お風呂に入ってパジャマを着た後、勉強机の前に座ってウンウンと唸る小さなブルー。机の上には白い亜麻のハンカチ。母の部屋から失敬してきた。特に飾りもついていないし、消えていたって母は気付きはしないだろう。
(…前のぼく、どうやってくっつけたんだろう…)
 三角形に二つ折りにしたハンカチの山の天辺同士をくっつけたいのに、くっつかない。
 どう頑張っても手掛かりさえも見付からないし、ハンカチは広げればアッと言う間に真っ四角。
(…ハンカチだってくっつかないんじゃ、シャツなんかくっつけられないよ…)
 どうやるんだろ、と睨み付けても、手で撫で擦ってもどうにもならない。
 ハーレイが歌ってくれた古い歌。
 前の生でもハーレイが歌った、スカボローフェアという名の古い歌。
 印象的だった繰り返し何度も歌われる言葉。無理難題を吹っかける合間に、何度も、何度も。
(パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…)
 順に唱えられるハーブの名前は、そこだけを聞くとまるで魔法の呪文だけれど。
 そんなハーブの魔法をかけてシャツを作ったわけがない。
 前のブルーはソルジャー・ブルーで、ミュウの長。
 魔法使いではなかったのだし、ハーブの呪文は効かないと思う。
(…でも、ハーレイのために作ってみたいよ、縫い目も針の跡も無い亜麻のシャツ…)
 ブルーは真剣に悩み続ける。
 ハーレイに真の恋人の証を贈った前の自分に引けを取らない亜麻のシャツを作る方法のことで。
 そんなシャツを作ることが出来ても、袖口のほころびすらも上手く直せなかった恋人よりかは、器用にボタンをつけ直してくれる恋人の方が素敵な伴侶になれそうなのだが…。
 其処に気付かず、全く分かっていない辺りが夢見るお子様たる所以。
 ハーレイもきっと、縫い目の無いシャツを差し出されるより、日常の些細な繕い物などをこなすブルーの姿にいたく感激するのだろうけど。
 そうした日々を手に入れる前に、まずは結婚せねばならない。
 ブルーが縫い目の無いシャツを作るのが先か、結婚が先か。それは神様が決めてくれること…。




          スカボローフェア・了

※ハーレイが歌うスカボローフェア。歌の通りのシャツを作ったソルジャー・ブルー。
 奇跡のシャツもいいんですけど、裁縫が上手な今のブルーも充分素敵な恋人ですよね。
 スカボローフェアを御存知ない方は、こちら→スカボローフェア
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 シャングリラを収めた写真集。ぼくのお小遣いでは買えなかったから、パパに強請った豪華版。同じものをハーレイが先に買っていて教えてくれた、お揃いで持っている写真集。
 前は唯一のお揃いだったけど、今はハーレイと写した写真が勉強机に飾ってある。夏休み最後の日に二人並んで庭で写して、お揃いのフォトフレームに入れたもの。飴色をした木のフレームはハーレイが選んで買って来てくれて、それもお揃い。
 ハーレイの左腕にギュッと抱き付いて幸せそうに笑っているぼく。ハーレイもとびきりの笑顔の写真。夏休みの記念写真ということになっているけど、本当は二人一緒の写真が欲しかったんだ。この写真を飾って以来、勉強机の値打ちがグンと上がった。
 其処でシャングリラの写真集を眺める時間が好き。懐かしい船内も、優美な白い船体も。
 ぼくが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 宇宙空間や人の住む惑星、明るい恒星なんかを背景に浮かぶシャングリラの写真が沢山。今まで何の気なしに見ていたけれども、今頃になって気が付いた。この本には青い地球が無い。



 教科書には普通に載っている地球。青い海に覆われた水の星。歴史の教科書ならSD体制の頃の荒廃した地球の写真もあるけど、それはあくまで参考資料。
 地球が青い星に蘇ってから長い長い時が流れているし、今では人が住んでいる地域も沢山ある。過去の過ちを繰り返さないよう、最先端の技術を生かして地球の環境を維持している。
 そんな時代だから、何処でも当たり前に見かける青い地球の写真や映像。珍しいものでも何でもないから、幼い頃から馴染んでいた。地球は青くて、暗い宇宙にぽっかりと浮かぶ水の星。
 シャングリラの写真集の中でも見かけたように思っていたのに…。
(…これ、地球じゃないよ…)
 同じように海があるだけの別の惑星。テラフォーミングされて作り上げられた人工の海。
 なんとなく地球のような気がしていたから、ページの下に小さく書かれた説明文は見なかった。
 考えてみれば、シャングリラが宇宙を飛んでいた頃には青い地球なんて何処にも無かった。まだ再生の真っ最中で、地殻変動が激しくて宇宙船なんかは降りられなかった。
 その地球の側を飛ぶ白いシャングリラも写真集には写っていたけど、他のページには青い地球があると思い込んでいた。
 シャングリラは地球が蘇るよりもずっと昔に、時の流れに連れ去られたのに…。



(…青い地球かあ…)
 地球に焦がれて、いつか行きたいと願い続けたソルジャー・ブルーだったぼく。
 ぼくの命はナスカで尽きると悟った時にも、「地球を見たかった」と独り呟いたほどに。
 肉眼で青い地球を見たくて、その青い地球に行きたくて…。きっといつかは、とフィシスが抱く地球を見ていた。寿命の残りが少なくなっても、それでも何処かで夢を見ていた。
 結局、地球には行けないままで死んでしまった前のぼく。
 もっとも、メギドで最期を迎えた時には地球なんて忘れていたけれど。最期まで持っていたいと願ったハーレイの温もりを失くした悲しみと、仲間たちへの思いしか残っていなかったけれど。
(ぼく、地球の上にいるんだけどな…)
 あまりに悲しすぎた前の生の後、ぼくは蘇った青い地球の上に生まれて来た。すっかり馴染んだ地球という星。毎日のニュースも天気予報も、ぼくを取り巻く全てが青い地球のもの。
 それなのに、ぼくはフィシスの映像で見ていたような青い地球を一度も肉眼で見たことがない。
 宇宙船で何処へだって行ける時代だけれど、小さかったぼくは宇宙船で旅をするには弱すぎた。ほんの近くにある月や火星に出掛けたとしても、行き先で熱を出すのに決まっているから。
 同じ地球の上で遠くに住んでいる親戚やお祖父ちゃん、お祖母ちゃんの家に行っても旅の疲れで寝込んでしまって、何処へも遊びに行けなかったくらいに弱かったから。
 弱すぎたぼくは地球一周の遊覧飛行もしたことがない。ぼくは青い地球を見たことがない…。



 今の学校に入学する前、パパに「丈夫になったら、夏休みに遊覧飛行に連れて行ってやろう」と言われて楽しみにしてた。
 義務教育の最後の学校。丈夫になれるかどうかはともかく、連れて貰えそうだと考えた。初めて出掛ける宇宙船の発着場に、初めて見る宇宙。地球を一周してくるだけでも、ぼくにとっては一大イベント。一日も早く入学したくて、夏休みがとても待ち遠しくて…。
 ところが、入学したぼくを待っていたのは右の目からの謎の出血。不安の中でもパパとママには隠さなくちゃ、と焦っている間にあっさりとバレて、次に起こったのが聖痕現象。前の生の最期に負った銃創からの大量出血。
 それと同時にソルジャー・ブルーの記憶が戻って、ハーレイに会った。前の生でのぼくの恋人、キャプテン・ハーレイが生まれ変わって来たハーレイ。
 そのハーレイに再会できた喜びと幸せとが大きすぎたから、旅行に出掛けることなんか忘れた。学校に行けば先生の顔のハーレイに会えて、家だと恋人の顔をしたハーレイに甘えて、抱き付く。
 今の今まで思い出しもしなかったパパとの約束。地球一周の遊覧飛行。夏休みはとうに終わってしまって、ずっとハーレイと過ごしていた。会えない日だってあったけれども、大抵は一緒。
 キスさえ許してくれない上に、自分の家にも来てはいけないと叱るハーレイ。
 だけど膝の上には乗っけてくれるし、頬と額ならキスしてくれる。抱き締めたりもしてくれる。夜には帰ってしまうけれども、それでも一日、あるいは半日、ハーレイと一緒だった夏休み。
 地球一周の遊覧飛行より、ハーレイがいい。ハーレイと過ごした夏休みの方がずっといい。
 でも…。
 そのハーレイは青い地球を見に行ったことがあるのかな?
 キャプテン・ハーレイはぼくが死んだ後、シャングリラを地球まで運んで行ったのだけれど。
 青くなかった地球の上に降りて、その地の底で死んだのだけれど。
 今、住んでいる青い地球。この青い星を宇宙船から眺めたことがあるのかな…。



 ぼくはハーレイから旅行の話を一度も聞いたことがない。海や山でのキャンプや合宿、そうした話題はたまに出るけれど、いわゆる旅の話は出ない。
 つまりはハーレイも宇宙旅行なんて出掛けたことが無いんだろう、と考えながら、ぼくの部屋で二人で過ごす土曜日に尋ねてみた。二人と言っても、もちろんママがお茶やお菓子を届けに何度も出入りするけれど。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイは地球を見たことがある?」
 テーブルを挟んで向かい合わせ。ハーレイは「地球?」と訊き返した。
「うん。宇宙から見た、青い地球だよ」
 きっと「いや」と答えると思っていたのに、「ああ」と即答。
「もちろんあるぞ。…実にいいもんだな、青い地球は」
「えっ……」
 ぼくは心底、落胆した顔をしたんだと思う。
 一度も見たことがない青い地球。前の生から焦がれ続けた青い地球。
 それをハーレイが一足お先に見ていただなんて。
 …そりゃあ、ハーレイは前の死に絶えた地球だってちゃんと見ているんだけど、でも……。
 ぼくの顔がよほど悲しそうに見えたんだろう。ハーレイは酷くうろたえた。
「お、おい、ブルー…。まさか、お前は見たことが無いのか?」
 ハーレイが悪いわけじゃないのに、慌てふためいた上に困り顔。
 死の星だった地球も、青い地球も肉眼で見たことがあるハーレイ。
 青い地球を見たのがいつだったのかは分からないけれど、前の生の記憶を取り戻した時の感動はひとしおだったろうと思ってしまう。
 分かっているけど、涙が溢れそうになる。ぼくが一度も見たことのない青い地球。



 シュンと俯いて、滲みかけた涙をグイと拭って。小さい声でボソボソと言った。
「…今の学校に入って、丈夫になったら連れてってもらう約束だったんだよ…。夏休みに…」
「夏休み?」
「うん…。でも、ハーレイのことばかり考えてる内に、夏休みが終わってしまってた…」
「ははっ、そうか! そうだったのか」
 ハーレイの大きな手が伸びて来て、ぼくの頭をクシャクシャと撫でた。
「じゃあ、連れてって貰えばいいじゃないか。冬休みにでも」
 少しは丈夫になっただろうが、という指摘は嘘じゃない。今の学校でも欠席や早退が多いぼく。けれど、前の学校の頃に比べれば自分でもマシになったと思う。
 もっとも、本当に丈夫になったかどうかは少し怪しい。学校に行けばハーレイが居るから、顔を見たくて登校している。休みたくないから体調管理に注意した結果、欠席も早退も減っただけ。
 そんなぼくだから、冬休みの過ごし方は考えるまでもなく決まっていた。ハーレイに会える日は二人で過ごして、ぼくの部屋で話して、昼食や夕食を一緒に食べて。
 その頃はすっかり寒くなっているから、庭で一番大きな木の下に据えた白いテーブルと椅子でのティータイムや食事は無理だろうけど、ぼくの部屋で二人で居られれば充分。
 平日だってハーレイと過ごせる貴重な休みを、旅行で無駄に費やすなんて…!
 だからハーレイに訊いてみた。答えは分かっているんだけれど。
「…旅行、ハーレイも一緒に来てくれる?」
「はあ? なんでそうなる。第一、お父さんとお母さんに何て言うんだ?」
 予想通りの言葉だったから、驚かない。
「…だよね、やっぱり。それじゃ、行かない。行かなくていい」
 冬休みもハーレイ、来てくれるよね? ぼくが家に居たら。
「それはそうだが…。もちろん来られる日には来るつもりだが、お前…」
 いいのか、とハーレイの顔が曇った。
「お前、一度も地球を見たことが無いんだろう? あんなに見たかった地球じゃないのか、ずっと前から。…今のお前よりもずっと前から、地球を見たいと行ってたくせに…」
「いいんだよ」
 平気、とぼくは微笑んだ。
「地球の上にいるから、いいんだよ。それで充分。此処は地球だもの」
 前のぼくが焦がれ続けた青い地球。
 その地球でぼくは暮らしている。青い姿は見られないけれど、間違いなく地球の上だから。



 いつかこの目で見たかった地球。ソルジャー・ブルーだったぼくが肉眼で捉えたかった地球。
 地球を見るどころか、その座標さえも掴めない内にメギドで死んでしまったぼく。
 それなのに、ぼくは地球まで来た。
 ソルジャー・ブルーが死んだ頃には死の星だった地球が青く蘇った、その地球の上に。
 本当にそれだけで充分だったし、おまけに青い地球の上にはハーレイまで居る。
 メギドで失くしてしまった温もり。
 最後にハーレイの腕に触れた右手に残った温もり。それを失くしたのに、ハーレイに会えた。
「ハーレイ、ぼくはホントにこれでいいんだ。青い地球は見られなくていい。だって、地球よりもハーレイの方がいいんだもの。…ハーレイと一緒に居たいんだもの…」
 冬休みもずっと家にいるよ、と本当の気持ちをぼくは伝えたのに、ハーレイは…。
「…それは光栄だが…。しかし……」
 浮かない顔をしているハーレイ。
 どうやらハーレイが青い地球をその目で見たのは一度だけではないらしい。遊覧飛行か、友達と月や火星に旅行でもしたか。はたまた、ぼくに手作りのマーマレードをくれたお母さんたちと家族旅行で宇宙に出掛けて行ったのか…。
 そうしたことを考えていたら、「本当に綺麗なんだがなあ…」とハーレイはしみじみ呟いた。
「前の記憶を取り戻してからは、余計に綺麗だと思うようになった。あれから後には宇宙からまだ見てはいないが、いいもんだ。…まさかお前が見ていないとは…」
 前のお前の夢だったのにな、青い地球は。
 誰よりも地球に行きたがっていて、フィシスまで連れて来たのになあ…。
「そうだね。…君は最後まで誰にも言わずにおいてくれたね、フィシスのこと」
 無から生まれた生命体だった、ミュウですら無かった地球を抱く女神。フィシスの出生の秘密はハーレイだけにしか明かさなかった。ハーレイは最後まで秘密を黙っておいてくれたから、今でも公になってはいない。
 トォニィだけは気付いていたともハーレイの口から聞かされたけれど、トォニィもナスカの子にすら話さず、記録を残しもしなかった。
 きっとハーレイの思いに気付いていたのだろう。ぼくが何故フィシスを連れて来たのか、大切に守ろうとしていたのかを。
(…ぼくとハーレイが恋人同士だったことはバレていないと思いたいけど…)
 その辺りはちょっと分からない。あの幼さでキースの危険さを見抜いた子だから、もしかしたら気付いていたのかな?
 だとしたら、かなり恥ずかしい。シャングリラ中の誰にもバレてはいなかったのに…。



 遙か昔の、ぼくたちの秘めごと。
 まだ地球なんて見えもしなかった頃から愛して、いつまでも共にと願ったハーレイ。
 一度はぼくがその手を離したけれども、奇跡のように再会を果たして、今では青い地球の上。
 もう充分に幸せだったし、青い地球なんか見られなくていいと思っていたのに。
「そうだ、お前が見ていない地球」
 ハーレイがポンと手を打った。
「ブルー、俺たちの初めての旅行は青い地球を見に出掛けるか?」
「えっ?」
「いわゆる新婚旅行ってヤツだ。その頃にはお前も、もっと丈夫になるだろうしな」
 身体が育てば少しくらいは丈夫になるさ、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「前のお前も弱くはあったが、今のお前よりは幾らかマシだった。…それにお前もチビの頃よりは丈夫になっているんだろう? 夏休みに旅行の計画があったんならな」
「うん、多分…。休んでばかりってわけじゃないしね」
「それなら旅行もきっと行けるさ。なあに、旅先で具合が悪くなったら面倒見てやる。キッチンを借りてスープを作ってもいいぞ、野菜スープのシャングリラ風だ」
「あははっ、なんだか変な野菜が入っていそう」
 ぼくは思わず吹き出した。この地球でさえも、野菜の種類は沢山ある。好き嫌いが無いぼくでも美味しいのかどうか悩んでしまう野菜も珍しくない。宇宙規模なら何が出るやら…。
「こらっ、いくら俺でも病人相手に冒険はせんぞ。…しかしだ、うんとゴージャスに遠くの星まで旅に出るのも悪くはないな。俺の休みが取れるようなら」
 いっそ三週間くらい出掛けてみるか、とハーレイは提案してくれたけど。
「ううん、ぼくは青い地球だけ見られればいいよ」
 前の生から焦がれた地球。
 見たくてたまらなかった地球。
 記憶が戻った今だからこそ、思う存分、地球だけを見たい。
 宇宙なら飽きるほどに見て来たから。今の生では見ていないけれど、前に沢山見ているから。
 それにメギドへ飛んだ時にも、ぼくは宇宙をたった一人で駆けていたから…。



「ほほう…。地球を見るだけでいいのか、お前」
 欲が無いな、と頭をクシャリと撫でられた。
「それじゃ一周遊覧飛行のゆったりとしたヤツに出掛けてゆくか。一周と言いつつ何周もするぞ、長いコースだと一週間ほどの滞在型だ」
 一番眺めのいい部屋に乗ろう。
 シャングリラの展望室みたいなのがついた部屋が評判の客船なんかもあるらしいからな。
「展望室? 貸し切りなの、それ?」
 部屋だと聞いてビックリしたけど、ハーレイは「当然じゃないか」と笑っている。
「部屋についてる展望室だぞ、貸し切りに決まっているだろう」
「ぼく、それがいいな」
 その部屋がいいな、と強請ってみた。料金は高いと思うけれども、遠い星へのゴージャスな旅に比べれば安いと思う。それに…。
「青い地球を見たら、きっとハーレイとキスがしたくなるから」
 他に誰もいない展望室がくっついている部屋がいい。
 ちょっぴり頬を赤らめながら、そう言ってみたら。
「よし、キスだな? そうなると是非とも、その部屋を予約しないとな。ところで、だ…」
 その先はしなくてもかまわないのか?
 鳶色の瞳がぼくの瞳を覗き込む。その奥に揺れる熱い焔がハーレイの想い。
 ハーレイ曰く、心も身体も幼すぎるぼくの前では懸命に抑えているらしい想い。それでも時々、こんな風に垣間見えると心が躍るし、心臓もドキンと跳ね上がるけれど。
「…地球次第かな?」
 その先はきっと地球次第だよ、とぼくは高鳴る胸の鼓動を懸命に鎮めながら返した。
「青い地球を見た時に、うんと幸せになりたくなったら、その先もお願い」
「なるほどな。…ベッドルームからも地球が見えるか、その辺も調べて部屋を取るとするか」
「うん、そうして。…約束だよ、いつか二人で地球一周の遊覧飛行」
 ぼくとハーレイは指切りをして約束した。新婚旅行は地球一周の遊覧飛行。展望室が貸し切りの部屋に泊まって、青い地球を見ながらキスを交わして、それから、それから…。



(…うん、青い地球を初めて見るのがハーレイと二人だなんて最高だよね)
 しかもハーレイとの新婚旅行。ベッドルームからも地球が見える部屋だと一層素敵だと思う。
 でもきっと、ぼくはキスだけで満足してしまうんだろう。
 前の生から焦がれ続けた青い地球を前にして、大好きなハーレイと抱き合ってキス。
 それからハーレイと二人で地球を見るんだ。
 前のぼくが行きたくて、とうとう辿り着けなかった地球。
 其処へぼくたちは生まれ変わって、目の前に輝く青い星の上で生きているんだ…。
 いつまでも、いつまでも、ハーレイに肩を抱いて貰って、飽きずに青い地球を眺める。
 ぼくはやっと地球を見られた、って。
 あの地球の上に、生まれたんだ……って。
 そしてハーレイと暮らしてゆく。青い地球の上で、二人、いつまでも手を繋ぎ合って……。




         見ていない地球・了

※青い地球の上に生まれ変わったのに、宇宙から見た地球を知らないブルー。
 いつかハーレイと二人で見られる時には、感動で一杯なのでしょう。やっと見られた、と…。
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 背が伸びるようにと祈りをこめて、毎日飲んでいるミルク。毎朝と、それに学校から帰った後のおやつの時間。おやつの時は紅茶の方が多いけれども、ミルクが合いそうだったらミルクにする。ホットでも冷たいミルクでもいい。
 こんなに頑張って飲んでいるのに、一向に伸びてくれない背丈。
 ぼくの身長はハーレイと再会した時の百五十センチから全く変わらない。一ミリだって伸びてはくれない。夏休みの間に伸びてくれるかと期待したけど、駄目だった。
 部屋のクローゼットに鉛筆で微かにつけた床から百七十センチの高さの印。ソルジャー・ブルーだった頃の前のぼくの背丈。そこまで育たないと大好きなハーレイとキスさえ出来ない。
(…今度こそ伸びてくれますように…)
 冬休みはまだずっと先だし、それまでには伸びると思いたい。百七十センチには届かなくても、望みが見えてくるだけでいい。一ミリすらも育たないよりは、一センチでも伸びる方がいい。
 背を伸ばすためには、やっぱりミルク。それが一番効くみたいだから、今日も学校から戻るなり鞄を置いて、手を洗って。着替えを済ませて、ママにおやつは何か訊いてみた。
「ホットケーキよ。直ぐ焼けるから、メイプルシロップとバターを出してね」
「うんっ!」
 ホットケーキならミルクにぴったり。ママに頼まれたバターとかを揃えるついでに、ぼく専用のマグカップも出した。朝は冷たいミルクを飲んだし、おやつはホットミルクがいい。ミルクパンに注げばママが温めてくれる。
 冷蔵庫から出したミルクの大きな瓶からミルクパンに中身を注ごうとして、瓶に描かれた緑色のマークに気が付いた。メーカーのシンボルマークの四つ葉のマーク。幸せの四つ葉のクローバー。
(そういえば四つ葉だったっけ…)
 見慣れていたから、今まで気に留めていなかったけれど。
「ブルー? どうかしたの?」
「ううん、四つ葉のクローバーだな、と思って見てた」
「そうだわねえ…。ママも子供の頃によく探したわよ、ブルーは探してなかったかしら?」
「うん…」
 一度も探したことはない。
 ママは「そういえば、男の子は探していなかったわね」と笑っていたけれど。
 …ホントは探したことがあったんだ。今のぼくじゃなくて、前のぼくが。



 ホットケーキを食べて、ホットミルクも飲んで。
 二階の自分の部屋に帰った後、勉強机の前に座って頬杖をついた。机の上にはハーレイの写真。夏休みの最後の日にハーレイと並んで写した記念写真。飴色をした木のフォトフレームに収まったそれを眺めながら前の生に思いを馳せる。
(…クローバーかあ…)
 白い花を幾つも咲かせるクローバー。
 シャングリラのブリッジが見える公園は芝生の部分が多かったけれど、クローバーが生えている所もあった。花が咲いている時期が長いから、子供たちに人気だったクローバー。白い花を摘んで花束にしたり、花冠にしたり。
 花壇の花は勝手に摘んだら叱られるけども、クローバーは沢山摘んでも叱られないから、遊びの時間の人気者。閉ざされた世界のシャングリラの中でも、野原に出掛けた気分になれる。
 子供たちが遊んでいる時に公園へ行くと、よく花冠を被せてくれた。子供たちはソルジャー相手でも遠慮しないし、憧れのヒーローでもあったらしくて。
「私が先に作ったのよ!」
「ずるいや、ぼくも作ってたのに!」
 誰が花冠をぼくに被せるかで、いつも始まる小さな争い。ぼくは笑ってしゃがみ込んだ。
「幾つあっても大歓迎だよ、花冠」
「ホント!?」
 子供たちが被せてくれたクローバーの花冠。多い時には五つも六つも。それを被ってブリッジに寄ると、ハーレイたちが「大人気ですね」と笑うものだから、「お裾分けだよ」と被せてやった。
 もちろんハーレイだけじゃなくって、ゼルの頭にも花冠。それは和やかな光景だったから、若いクルーも笑いはしないし、ゼルだって普段よりも柔らかな顔で照れていたっけ。



 花冠をくれた子供たちから、四つ葉のクローバーを貰うこともあった。
「はい、ソルジャー! 幸せの四つ葉のクローバー!」
 ヒルマン先生から習ったんだよ、と得意そうだった子供たち。一緒に探そうとよく誘われた。
「えっとね、この辺で見付けたの!」
「ぼくはこの前、ここだったよ」
 先を争って四つ葉があった場所を教えてくれるのだけれど、一つも見付けられなかったぼく。
 四つ葉のクローバーを「あった!」と高々と差し上げる手は、いつだって小さな子供の手。
「ソルジャー、こっち!」
「きっと、こっちにあると思うの!」
 絶対あるから、と励まされて頑張っても見付ける前に子供たちがヒルマンに呼ばれてしまうか、ぼくがハーレイたちに呼ばれてしまうか。見付けられずに時間切れ。
 ちょっぴり悔しくて、ハーレイが暇そうにしている時に「キャプテンは公園も把握すべきだ」と理由をつけては呼び出してきて何度も探した。子供たちがいない時間に、クローバーを真剣に探すソルジャーとキャプテンの図はブリッジから見たら間抜けな光景だったかもしれない。
 でも、ぼくとハーレイが恋人同士だとは誰も気付いていなかったから、傍目には「負けず嫌いなソルジャーに駆り出されて公園で働くキャプテン」と映っていただろう。
 そうやってハーレイと二人で懸命に探しても駄目だった。
 四つ葉のクローバーは一本も姿を見せてくれなくて、かき分けても普通のクローバーばかり。
 なのに、その同じ場所で子供たちはちゃんと見付けて来るんだ。ぼくとハーレイが見付からずに引き揚げた次の日なんかに「ソルジャー、あげる!」って。



 それがあまりにも不思議だったけど、はしゃぎながら公園を走る子供たちを見ていたらストンと納得できた。
 今は小さな子供たちだけれど、いずれは育って一人前の大人になる。アルタミラからの脱出組のぼくやハーレイより、ずっと先まで生きるであろう子供たち。あの子たちがミュウの未来を担う。
 未来を担う子供たちだから、四つ葉のクローバーを見付けられるんだと思った。
 これから花開く幸せな未来を、掴み切れないほどの幸運を示す四つ葉のクローバー。たっぷりと未来のある子供たちだから、幾つでも見付けられるのだと。
 けれど…。
 今から思うと、ぼくとハーレイだから四つ葉のクローバーは無かったのかもしれない。
 愛し、愛されて、幸せに暮らす恋人同士だったのだけれど。ぼくたちはシャングリラでこの上もなく幸せに暮らしていたつもりだけど、最後の最後で悲しすぎる別れがやって来た。
 結婚して祝福されるどころか、残酷な運命に引き裂かれてそれっきりだった。
 独りぼっちでメギドで死んでいった、ぼく。
 一人残されて悲しみと孤独に苛まれながら、死に絶えた地球まで行って生を終えたハーレイ。
 ぼくたちには四つ葉のクローバーに相応しい幸せな未来が待ってはいなかった。
 ハッピーエンドが無い二人だから、いくら探しても見付からなかったのかもしれない。
 どんなに探しても、何度探しても、見付けられなかった四つ葉のクローバー。
 幸運の印のあの四つ葉には、もしかしたら、幸せな結婚の意味もあったのだろうか。
 ぼくとハーレイと、結婚して幸せなハッピーエンド。
 それが無かったから、四つ葉のクローバーはついに見付からなかったのかも…。



 今のぼくの家の庭にもクローバーが生えている。放っておくと増えすぎるから、とパパとママが広がらないように抜いたり刈り込んだりしているけれども、一人前の庭のアクセント。可愛い白い花を咲かせて、葉っぱも青々としているし…。
 小さい頃から庭で遊んで、クローバーの花もよく摘んだ。ママが花冠を編んでくれたり、摘んだ花を束ねてコップに挿して、テーブルに飾ったりもした。
 四つ葉のクローバーを見付けると幸せになれると幼稚園の時から知っていたけれど、そういえば探したことがない。自分の家の庭にクローバーがあって、花を摘んで遊んでいたというのに。
(…もしかすると…)
 ぼくは憶えていたのかもしれない。
 あの頃はぼくの前世なんて知らなかったし、ソルジャー・ブルーの記憶も無かったけれど。
 それでも何処かで四つ葉のクローバーのことを憶えていたかもしれない。
 自分には見付けられない、って。
(…今のぼくだと、どうなんだろう?)
 窓の外はまだ充分に明るかったから、階段を降りて玄関から庭に出てみた。ママがキッチンで夕食の支度をしながら「あら、散歩?」って訊くから、「違うよ、庭」って返してドアを開けて。よく腰掛ける木の下の白い椅子には寄らずに、クローバーの花が咲いている場所に座り込んだ。
 重なり合って生えている葉を端の方から手で分けてゆく。
(…あるかな?)
 おやつの時に見た牛乳瓶のマークの四つ葉。ぼくが探している幸運の四つ葉。
 普通の葉っぱは幾つもある。三枚セットのクローバーの葉っぱ。四つ葉だと思っても三枚の葉が二本絡み合っているだけだったり、見間違いだったりとシャングリラで何度も目にした光景。
(…やっぱりダメかなあ…)
 でも、と考え直して辛抱強く探してみる。
 今のぼくは幸せなんだから。前のぼくと違って、結婚して幸せになるんだから…。
 ハッピーエンドになるんだから、とハーレイの顔を思い浮かべながら探った場所に。
「あった!」
 一本の四つ葉のクローバー。それも大きな葉っぱの四つ葉。シャングリラでは見なかった立派な四つ葉のクローバー。
(うわあ…。こんな大きな四つ葉って、見たことないよ)
 きっと幸せになれる、と思った。だって、大きな四つ葉のクローバー。幸せもきっと桁違い。
 初めて見付けた四つ葉のクローバー。
 採らずにそっと残しておいた。他の葉っぱに紛れ込ませて、何処に在ったか分からないように。
 初めて見付けた、ぼくだけの幸せ。ぼくのための四つ葉のクローバー…。



 ソルジャー・ブルーだったぼくが何度探しても、見付からなかった幸運の四つ葉のクローバー。
 キャプテンだったハーレイを動員したって見付からなかった幸運の四つ葉。
 それをようやく見付けられた。クローバーが沢山ある野原ではなくて、ぼくの家の庭で。
 今度こそ幸せになれる気がした。
 幸せになれるに決まっているけど、神様が証拠をくれたみたいで嬉しかった。
 だから週末の土曜日、来てくれたハーレイに尋ねてみた。
「ねえ、ハーレイ。四つ葉のクローバー、覚えてる?」
「…四つ葉?」
「シャングリラの公園でよく探したよ。どうしても見付からなかったけれど」
「ああ、あれな…」
 不思議だったな、とテーブルを挟んで向かいに座ったハーレイが紅茶のカップを傾ける。
「俺とお前でいくら探しても見付からないのに、同じ場所で見付かるんだよなあ…。何日も経った後ならともかく、次の日なんかにアッサリとな。…子供の方が注意力があったんだろうな」
「それなんだけど…。ぼくとハーレイだから駄目だったんじゃないのかな、って」
「なんだ、それは」
 怪訝そうな顔をするハーレイに、ぼくは話した。
 幸せな未来が約束されていなかったから、ぼくたちは四つ葉のクローバーに出会えずに終わってしまったんじゃないか、と。
 いくら探しても見付からなかったのは、幸せになれない未来を暗示していたんじゃないか、と。
「おいおい、相手はクローバーだぞ? フィシスならともかく、クローバーが予言をするか?」
 喋りもしないしサイオンも無いぞ、とハーレイは苦笑したのだけれど。
「でも、ハーレイ…。ぼくは四つ葉を見付けたんだよ」
 とても大きな、立派な四つ葉。シャングリラじゃ見たこともなかった大きな四つ葉。
 思い立って直ぐに探した、ぼくの家の庭で。
 長い間探したように思っていたけど、ほんの十分ほどだったよ?
「ホントだよ。それまで一度も四つ葉なんて探したことが無かったけれど…」
 もしかして憶えていたのかな、とシャングリラでの四つ葉探しの話を繰り返してみる。
 どんなに探しても見付けられないと思っていたから、庭にクローバーが生えていたって四つ葉を探さなかったのかも、と。
「だけど、今度は見付かったんだ。…幸せになれる、って言われたみたいで嬉しかったよ」
 だから採らずに残しておいた。
 せっかくの幸せの四つ葉だもの。庭で元気に生えてて欲しいよ…。



「なるほどなあ…。前は駄目だったが、今度はこの家の庭で見付かったんだな?」
 ふむ、とハーレイは腕組みをした。
「そんなに簡単に見付かったんなら、お前の言う通りかもしれないな。前の俺たちは幸せとは逆の方向へと行っちまったが、今度はそうなる筈がないしな…」
 クローバーでも予言をするのか。
 フィシスの予言と違って分かりにくいが、前の俺たちの未来を言い当てていたか…。
「もう少し分かり易ければなあ…。そうしたら不幸を避けられたかもしれないのにな」
 残念だ、と呟いたハーレイが「そうだ」とポンと手を打った。
「クローバーなら、俺の家の庭にも生えてたな。何処かから種が飛んで来たらしい」
 だが、俺だってお前と同じだ。四つ葉なんぞは一度も探したことがない。
 俺は男だし、その手の趣味は無いんだとばかり思っていたが…。
 きっと憶えていたんだろう。探しても見付けられない、と。見付かるわけがないと。
「よし、帰ったら探してみよう。今日はお前の家で晩飯だし、明日の朝、一番で探してみるさ」
「そうしてみてよ。今度はきっと見付かると思う」
 ぼくは見付かると確信していた。
 前の生では二人揃って見付けられなかった幸せの四つ葉。
 だけど今度はハーレイだって見付けられるし、ハーレイの家の庭にも絶対、ある筈。
 立派な四つ葉のクローバーが。
 シャングリラでは見なかったような、大きな四つ葉のクローバーが。
「でも、ハーレイ…」
「ん? どうした、ブルー?」
「えっとね、もしも四つ葉が見付かっても…」
 採らないでそうっとしておいてあげて。
 それはハーレイの幸せだから。
 ハーレイの幸せを見守ってくれる、幸せの四つ葉のクローバーだから…。



 分かった、とハーレイはぼくに約束をして。
 夕食まで一日一緒に過ごして、「また明日な」と手を振って家に帰って行った。そして次の日、ハーレイはとびっきりの笑顔で報告してくれたんだ。
 ママがお茶とお菓子をテーブルに置いて行った後で、ぼくと向かい合わせに座って。
「あったぞ、ブルー。俺の家の庭にも、でっかい四つ葉のクローバーがな」
 ほら、とハーレイの手が伸びて来て、ぼくの右手に重なった。伝わって来る庭のイメージ。緑の芝生の一角に生えたクローバーの中に、立派な四つ葉。まだ朝露を纏っている。ハーレイ、本当に朝一番に探してくれたんだ…。
「な? 大きな四つ葉だっただろう? お前が見付けたのも同じくらいか?」
「うん。ハーレイ、朝早くから探してくれたんだね」
「そりゃあ、お前との約束だしな? それにだ、クローバーの予言も気になるじゃないか」
 今度は幸せになれるのかどうか、一刻も早く確かめたくなる。
「前は探すだけ無駄って感じがしたがなあ…。今度はお互い、庭にあるのか」
「そうみたい。だから幸せになれるよ、きっと」
「当たり前だろうが」
 絶対、お前を幸せにしてやる。今よりももっと、ずっと幸せにしてみせるからな。
 クローバーの予言はもう無いんだから、とハーレイの手がぼくの頭をクシャリと撫でた。
「前の俺たちには無理だったんだろうが、今度は幸せになれるんだ。まだ結婚もしていない内から四つ葉のクローバーがお互いの家にあるんだぞ? これで幸せになれなくてどうする」
「ふふっ、そうかもしれないね」
 前のぼくたちは本物の恋人同士だったというのに、四つ葉のクローバーに出会えなかった。
 それなのに、キスさえ出来ない今のぼくたちの家の庭に立派な四つ葉のクローバー。二人一緒に暮らすどころか別々の家に住んでいるのに、ちゃんと四つ葉のクローバー…。
「ねえ、ハーレイ。…離れ離れで暮らしているのに、家に四つ葉があるんでしょ? いつか一緒に住むようになったら庭にドッサリ四つ葉なのかな?」
「…ドッサリか? そいつは有難味が無いような気もするが…」
 それもいいかもな、とハーレイは「うん」と頷いた。



「よし。前の俺たちが見付けられなかった分の四つ葉を二人で探すか」
 探すまでもなくドッサリなんだが、とハーレイの顔にぼくの大好きな笑み。
「一つ見付けたら、幸せが一つだ。二つなら二つ、三つなら三つ」
「幸せの四つ葉がドッサリだよ?」
「分かっているさ。お前をドッサリ幸せにしてやればいいんだろう?」
 もちろん俺も幸せになれる、とハーレイはぼくの右手をキュッと握ってくれた。
 メギドで冷たく凍えた右の手。
 最期まで持っていたかったハーレイの温もりを失くしてしまって、冷たく凍えたぼくの右の手。
「お前がこの手が冷たかったことを二度と思い出せないくらいに温めてやるさ、俺の身体で」
「えっ…?」
「お前の念願の本物の恋人同士だ。冷たいどころか熱いだろうな、うん」
「ちょ、ちょっと…!」
 ぼくは真っ赤になったけれども、二人一緒に暮らすってことは本当に本物の恋人同士。
 その頃には幸せが前の生では想像すらも出来なかったほどに沢山、沢山、降って来るんだ…。
「ブルー、分かるか? 俺はな、お前が幸せだったら幸せなのさ」
 前の俺もそうだし、今の俺もそうだ、とハーレイの鳶色の瞳がぼくの瞳を覗き込む。
「庭にドッサリの四つ葉のクローバーの分、うんと幸せにならんとな? お前も、俺も」
「うん。…うん、ハーレイ…」
「結婚したら庭で二人で四つ葉のクローバーを探してみよう。きっと沢山見付かるぞ」
「ドッサリ山ほど、きっと数え切れないくらいだね…」
 前のぼくたちがいくら探しても、見付からなかった幸せの四つ葉のクローバー。
 今度は幾つでも、いつでも見付けられるだろう。
 見付かった数だけ、見付かる数だけ、ぼくたちはいくらでも幸せになれる。
 だって、ハーレイと二人一緒だから。
 手を繋いで何処までも歩いて行くんだ、四つ葉のクローバーがドッサリ生えている道を…。




           幸せのクローバー・了

※ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイには、見付けられなかった四つ葉のクローバー。
 なんとも不思議な話ですけど、今度の二人は見付けました。きっと幸せになれますよね。
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 生徒の心を掴む喋り方と、絶妙な話の進め方。ハーレイの古典の授業は人気だけれども、今日の教室はちょっと違った。理由は簡単、入ってきて直ぐのハーレイの言葉だ。
「この間、出した宿題のプリントを返す。なかなかに酷い出来だったな。夏休みの暑さで脳味噌をよく煮出せたか? まるで中身が残っていないと言わんばかりだったぞ」
 特に酷かった者は次の授業で再提出だ、という宣告に教室中に悲鳴が渦巻く。けれどハーレイは容赦しないで順に名前を呼び、宿題のプリントを返していった。項垂れるクラスメイトが多くて、ぼくも緊張してしまったけど。
(…良かったあ…)
 プリントの右上に「大変よくできました」と桜の花の中に書かれた赤いスタンプ。SD体制よりずっと昔に、ぼくたちが住んでいる地域にあった小さな島国、日本の古い文化の一つ。ハーレイのお気に入りのスタンプ。他にも「よくできました」とか「がんばりましょう」とかがある。
 ぼくはいつだってパーフェクトの印の「大変よくできました」のスタンプ。押して貰えて御機嫌だったけれど、授業が終わって休み時間が始まった途端。
「おーい、ブルー! お前、宿題、完璧だろ?」
「写させてくれよ、やり直すよりも絶対、早いし!」
「ランチの後でいいからさ!」
 友達が一斉に駆け寄って来て、そういう約束になってしまった。昼休みに揃って食堂に行って、ランチを食べたら教室に戻って宿題プリントを書き写す集まり。言い出した友達の他にも何人もが来て、熱心にぼくの答えを写している。暇だから皆のプリントを眺めていて…。
(…あれっ?)
 みんなのプリントにハーレイの文字。間違えた箇所に色々と書き込んであるのが分かった。
(注意書きなんだ…)
 ぼくのプリントには書いて貰ったことが無い。間違えないから「大変よく出来ました」と右上に桜のスタンプが一つ、それと幾つもの丸印だけ。
(…いいな…)
 羨ましいな、と注意書きが書かれた友達のプリントを見て回った。「がんばりましょう」の赤いスタンプはともかく、注意書きの中身は様々だ。間違えた内容が違うのだから、それは当然。
(ホントにいいな…)
 注意とはいえ、一人一人に宛てたメッセージ。ハーレイが書いたメッセージ…。



 家に帰って勉強机の前に座っても、ぼくは忘れていなかった。ハーレイの文字が沢山書かれた、「がんばりましょう」のスタンプつきの宿題プリント。羨ましくてたまらない。
(…ぼくは一度も貰ってないのに…)
 注意書きなんか一度も書いて貰っていない。ぼくは授業中に教室の前のボードに書かれる文字の他にはハーレイの字を見られない。
 それだけじゃなくて、普段のハーレイ。ぼくと恋人同士だと言ってくれるけれども、ハーレイは手紙をくれたことがない。ぼく宛てのメッセージなんか、ホントに一度も見ていない。
(…ぼくもハーレイが書いてくれた字が欲しいのに…)
 ハーレイはぼくの字を宿題でたっぷり見ているというのに、ぼくはハーレイの字を見られない。恋人なのに字を見られなくて、メッセージも貰えない悲惨なぼく。「がんばりましょう」と書いたスタンプを押されてしまった友達は沢山の注意書きを貰っているのに。
(……がんばりましょう、と押されるくらいに間違えたら書いて貰えるのかな?)
 間違えた箇所に、注意書き。ぼくに宛ててのハーレイからのメッセージ。
(色々と書いてくれそうだよね?)
 欲しくなったら、もう止まらなくて。ハーレイが書いたメッセージが欲しくて、機会を待った。
 例の宿題の再提出の日に、「脳味噌がちゃんと戻って来たかの確認だ」と配られた新しい宿題のプリント。大切に家に持って帰って、チャンス到来とばかりに素っ頓狂な答えを書いた。提出した後はワクワクしながら返って来るのを待っていたのに。
(…えっ?)
 待望の「がんばりましょう」が押されたプリントは山ほどのバツ印と「?」マークで埋まって、ハーレイが書いたものはたったそれだけ。注意書きなんて何処にも無かった。
(……そんなあ……)
 欲しいと思ったハーレイの字とぼくに宛ててのメッセージ。だけど「がんばりましょう」の赤いスタンプを貰っただけ。酷すぎる評価がついただけ。
 おまけに、その日にハーレイが来て。
 平日に来てくれることも多いのだけれど、パパやママも一緒の夕食の後に、二階のぼくの部屋で怖い顔をして睨まれた。



「なんで俺が怖い顔をしてるか分かっているな?」
 テーブルを挟んで向かい合わせ。いつもだったら恋人同士で過ごす甘い時間が、今日はどうやら先生と生徒。ハーレイは苦い顔つきで言った。
「今日の授業で返した宿題。…お前、トップから転落したいのか?」
 全部バツ印はお前だけだ、と褐色の指がテーブルをコツコツと叩く。
「なんでああいう真似をした? 分からないから「?」マークを書いておいたが」
「…だって…。ハーレイの字が欲しかったんだもの…」
 シュンと俯いて、ぼくは答えた。
「いつも丸印とスタンプだけだし、注意書きを書いて欲しくって…。ぼく宛の、何か…」
 ぼくに宛ててのメッセージ。それが欲しかった、と白状したのに、ハーレイの顔は厳しくて。
「実に不純な動機だな。…言っておくが、繰り返しやっても無駄だぞ。理由を聞いた以上は絶対に書かん。本当にミスをやらかした時は書くかもしれんが」
 ついでにお前の御両親にも不真面目だと報告させて貰おう。
 そう脅かすから、ぼくは唇を尖らせた。
「酷いよ! ハーレイ、手紙だって一度もくれてないのに!」
「いつか書いてやるさ。お前が欲しそうなラブレターとか…。気長に待ってろ、人生、長いぞ」
「今、欲しいんだよ! ハーレイの字が!」
 ぼく宛のメッセージも欲しいけれども、字だって欲しい。だからハーレイに言い返した。
「ハーレイはぼくの字、いつも沢山見てるのに! 宿題で!」
「…不公平だってか?」
「そうだよ!」
 ぼくばかり書いて、書いて貰えなくて。「よく出来ました」のスタンプだけ。悔しすぎるから、せっせと文句を言い続けた。そうしたら…。
「なるほどな。…じゃあ、俺に宿題を出してみろ。それなら俺の字が見られるだろうが」
「そっか、宿題!」
 ハーレイの提案に飛び付いた、ぼく。
 なんて素晴らしいアイデアだろう。ぼくがハーレイに宿題を出せば、答えを書いて貰えるという仕組み。ハーレイの字が沢山見られて、宿題の答えでも全部、ぼく宛て。
「分かった、宿題、作ってみる!」
「まあ、頑張れ。うんと楽しみに待っててやるさ」
 いつでもドカンと出してみろ、とハーレイは軽く手を振って帰って行った。あの大きな手が書く沢山の文字。それを見たければ、ハーレイに宿題を出さないと…。



 ハーレイの字が早く見たいから、ぼくは宿題作りを頑張ることにした。土曜日に渡せば日曜日に提出してくれるだろう。日曜日が駄目でも、その週の内にきっと貰える。
(んーと…。どんなのにしようかな?)
 古典の先生のハーレイに古典の宿題。先生に出すなら、教科書からだと簡単すぎだ。
 だけど、ぼくはハーレイに教わる立場で。クラスどころか学年トップの成績だけれど、そんなに古典に詳しくはない。ソルジャー・ブルーだった頃の記憶を遡っても、古典の世界は範疇外。
(…そんなの、シャングリラを守るのには必要無かったもんね…)
 SD体制よりも古い昔の物語を読むのが好きだったソルジャー・ブルー。でも、読むだけで勉強なんかはしていない。あくまで自己流、文法なんかは感覚だけで流していた。
(どうしよう…)
 データベースにある試験問題を丸写しというのも考えたけれど、それじゃズルすぎ。自分の頭で考えなくちゃ、と精一杯に背伸びをして。
(…うん、このくらいだったら大丈夫!)
 遙かに過ぎ去った遠い昔の日本にあった物語。「祇園精舎の鐘の声」で始まる部分を前のぼくが何度も読んでいた。「盛者必衰の理を表す」だの「驕れる人も久しからず」だのと綴られる文が、「人類だけが栄える世界が永遠に続くわけではない」という意味に読めるから、好きだった。
 諸行無常がどうとか、こうとか。祇園精舎も沙羅双樹の花も今のぼくにはピンと来ないけれど、文章の意味は大体分かる。
(これに籠められた作者の心情を答えなさい、と…)
 他にも文法とかを幾つか。
 出来上がった宿題をきちんと活字でプリントに仕上げて、ぼくは土曜日が来るのを待った。



 ほんの数日でも首を長くして待った土曜日が来て。
 頑張って作った宿題プリントをハーレイに渡すと「ほう…。平家物語とは頑張ったな」と褒めてくれたから嬉しくなった。丸写しした試験問題だと、この感覚は得られない。
 土曜日はハーレイと一緒に過ごして、宿題プリントは「また明日な」と微笑むハーレイの家へと連れ帰られた。
(明日はハーレイの字を貰えるよ)
 ハーレイは今日の内に宿題をするとぼくに約束して帰ったし、難しい問題も出してはいない。
 欲しくてたまらないハーレイの書いた字が、明日、ぼくの家にやって来る。
 ぼく宛のメッセージとは違うけれども、ハーレイが書いた字。大好きなハーレイの手がせっせと書いた沢山の文字…。



 目覚ましが鳴る前にワクワクして目覚めた日曜日。
 ぼくの部屋に来てくれたハーレイは、ママがお茶とお菓子をテーブルに置いて出てゆくと直ぐに宿題を提出してくれた。ぼくが作った宿題プリントにハーレイが書いた答えがびっしり。
「ほら、ブルー。お前が採点してくれるんだろ?」
「うんっ!」
 お茶のカップやお菓子のお皿を端の方に寄せて、ハーレイの宿題のチェックを始めた。
(…凄いや…)
 流石、ハーレイ。
 ぼくが考えた答えよりもずっと難しいことが書いてある。言葉の選び方だって、ぼくより大人。ぼくだとこんな風には書けない。もちろん答えは全部正解、完全無欠の凄い解答。
 それが全部ハーレイの字でしっかり書かれて、もうそれだけで胸が高鳴る。
(ハーレイの字だ…。こんなに沢山)
 笑みが零れそうになるのを抑えて、先生になった気分で採点。「大変よくできました」の文字の桜のスタンプは無いから、赤いペンで大きな丸印をつけた。丸の周りにもクルクルと幾つもの丸を書いて、花丸。
 桜の花の形の「大変よくできました」シリーズのスタンプがお気に入りのハーレイは、こういう花丸が好きそうだから。花丸も日本という島国の文化だったと前の学校で聞いていたから。
「はい、ハーレイ! 大変よくできました、ってスタンプの代わりに花丸だからね!」
「ほほう、奮発してくれたんだな」
 ハーレイはぼくの大好きな笑顔で、花丸がついたプリントを手に持って眺めた後で。
「よし、この宿題プリントはお前にやろう。宿題は俺が持って帰るのが本当だがな」
「ホント!?」
 ぼくは歓声を上げていた。
 ハーレイが言うまで忘れていたけど、宿題プリントは宿題を出された人のもの。提出するけど、返ってくるもの。ぼくの勉強机の引き出しには「大変よくできました」のスタンプが押された宿題プリントが何枚も入っている。
 そういう仕組みをウッカリ忘れてしまっていたのに、ハーレイの字がびっしり並んだプリントを貰えることになって。
 大喜びでハーレイがくれた宿題の文字を眺めていたら…。



「どうだ、ブルー。お望みの俺の文字とやらを貰って満足したか?」
 ハーレイが鳶色の瞳で覗き込んで訊くから、「うん」と素直に頷いた。
「こんなに沢山、ハーレイの字だよ? 嬉しくならないわけがないよ」
「そうか、そいつは良かったな。お前が考えた宿題なんだし、俺も全力で解かせて貰った」
 お前には少し難しすぎたかもな、と言われて「ちょっとだけね」と背伸びしてみる。ハーレイの答えは今のぼくには難解な言葉もあったのだけれど、前のぼくには分かるから。
「難しかったけど、ちゃんと分かるよ。ぼくはぼくだけど、前のぼくも、ぼく」
「…お前ならではの反則技だな」
 ハーレイがクックッと肩を小さく揺すった。
「しかしだ、まさか本物の宿題が来るとは思わなかったぞ」
「え?」
 宿題は宿題だと思うんだけど。
 だから頑張ってSD体制よりも古い時代の物語を使ったんだけど…。
 キョトンとするぼくの目の前で、ハーレイは可笑しそうに笑い続けながら。
「宿題を出せとは言ったがな…。うんうん、まだまだ子供だな」
 そう言われても分からない。「どういう意味?」と、ぼくは尋ねた。
「ぼく、宿題を間違えた? 本物の宿題じゃダメだったの?」
「いや、ダメだとは言わないが…。如何にもお前らしいんだがな」
 しかしだ。俺は古典の宿題を出せとは言わなかったぞ?
 宿題としか言っていないんだ。どんな宿題を俺に出すかは自由に選べた筈なんだがな?
「で、でも…。ハーレイ、古典の先生なんだし、数学とかだと困らない?」
「義務教育のお前に出せる範囲だろう? そうそう困りはせんと思うが、そうじゃなくてだ」
 いいか、とハーレイは人差し指を立ててみせた。
「宿題は勉強ばかりとは限らんぞ? お前だって色々とやっただろうが、工作だとか料理だとか」
「…やったけど…」
 今の学校ではやってないけど、前の学校の夏休みの宿題で工作もしたし、料理もやった。料理と言ってもママと一緒にお菓子作りとか、簡単な炒め物だとか。工作はキットを使ったオルゴールや小物入れの類で、どの宿題も文字は少ししか書いてはいない。
「工作も料理も、作った感想くらいしか書かなかったよ? そんな宿題、ハーレイに出しても…」
 肝心の字が貰えないよ、と訴えた。ぼくが欲しいのは沢山の文字で、それが貰える宿題でないと出す意味が全く無くなるのだ、と。



 ハーレイの字が欲しくて宿題を出した。宿題を出したら答えを書くとハーレイが約束したから、字を貰うために宿題プリントを作った。うんと頑張って作った、ぼくの宿題。
 それなのに、何処がいけないんだろう?
 ハーレイの瞳は笑っている。悪戯っぽい光を湛えて笑っている。
 まだまだ子供だなんて言っていたけど、それと宿題は何か関係あるのかな…?
 もう本当に分からないから、ぼくは降参することにした。
「ハーレイ、どんな宿題なの? ぼくはどういう宿題を出せば良かったの?」
「ん? …いいかどうかはともかくとしてだ、勉強でも料理でも工作でもなくて…」
 ぼくの何処が好き? とか、プロポーズするなら何処がいい? とか。
 そんな宿題でも良かったんだぞ。
 ハーレイがパチンと片目を瞑って、ぼくは「あっ…!」と叫んで口を開けただけ。
 続く言葉は出て来なくって、水から揚がった魚みたいに口をパクパク開けたり閉めたり。
 思い付きさえしなかったけれど、ハーレイが言うのも確かに宿題。ぼくが問題を出して、答えはハーレイが考えて書く。それだって立派な宿題になる。
 どうして気付かなかったんだろう。ハーレイの気持ちを訊けば良かった。宿題を出して、ぼくが欲しかったハーレイの字で気持ちを綴って貰えば良かった。
(…ぼくにキスしたくなるのはどんな時か、とか…)
 バカバカ、どうしようもない大バカのぼく。
 頭をポカポカ叩きたい気分になっているのに、ハーレイは余裕しゃくしゃくで。
「その手の宿題が来るかと心配していたんだが、普通で良かった。宿題は今後も大歓迎だぞ」
 大いに古典の勉強をしろ、と古典の先生の顔をする恋人。褐色の腕をゆったりと組む。
「いいか。宿題を出すなら、古典か他の教科にしておけ。いつでも喜んで答えてやろう」
 ただし、勉強以外の宿題を出しても、それを宿題とは認めてやらん。
 そいつはお前のオリジナルじゃなくて、俺がヒントを出しちまったしな?
 データベースから試験問題を引っ張り出して来て「自分で作りました」と言うのと変わらん。
 そういう宿題を寄越して来たって、俺は答えてやらないからな。
「…………」
 悔しいけれど、反論出来ない。
 ハーレイが言ったような素敵な宿題、ぼくは考え付かなかったし、とっくに手遅れ。ハーレイに貰ったヒントを使って作り上げても、オリジナルじゃないから却下なんだ…。



 どうやら失敗したらしい、ぼく。
 ハーレイは可笑しそうに笑っているけど、脹れっ面になるしかなかった。
(…ラブレターみたいな答えが貰える最高のチャンスだったのに…!)
 ぼくときたら、真面目に本物の宿題を作ってしまって、ハーレイに出来栄えを褒められただけ。
 それじゃ古典の課外授業と変わりはしないし、胸がときめくような答えも貰えはしない。
(…でも、ハーレイの字は貰えたものね?)
 ぼくが花丸を書いたプリントに、びっしり書かれたハーレイの文字。
 当分はプリントを見る度に頬っぺたをプウッと膨らませながら、それでも嬉しくなるんだろう。
 だって、大好きなハーレイが書いてくれた字が沢山、沢山、あるんだから。
 教室の前のボードに書かれているのを見ていただけのハーレイの文字。
 それがプリントに沢山並んで、ぼくだけの大切な宝物。
(……だけど……)
 どうせなら、羽根ペンで書いて、って言えば良かった。
 ハーレイの誕生日に贈った白い羽根ペン。ぼくのお小遣いで買うには高すぎたから、ハーレイと二人で買った羽根ペン。前の生のハーレイが愛用していて、ハーレイも欲しいと思った羽根ペン。
(…あの羽根ペンで書いたハーレイの字が見たかったな…)
 それも失敗しちゃったよ。
 ハーレイが言う通り、子供のぼく。まだまだ考えが足りなさすぎる。
(こんな調子じゃ、ラブレターなんて、いつ貰えるの?)
 人生、長いぞ、とハーレイは簡単に言ってくれたから。
 ハーレイの書いた字は貰えたけれども、今のぼくはラブレターを貰えそうもない。
 だけど、いつかは貰ってやる。
 まだ笑っているハーレイからきっと、ぼくへの想いを熱く綴った長いラブレターを貰うんだ。
 その時はきっと、白い羽根ペンで書いた文字。
 きっと羽根ペンで書いてくれるよ、ぼくの大好きなハーレイだもの…。




             宿題・了

※ハーレイが書いた字が欲しい、と努力したブルーですけれど…。頑張り方を間違えた模様。
 やっぱり大人には敵わないオチ、子供ならではの可愛い失敗かも…?
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