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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

「やっぱり全然、変わらないよ…」
 鏡を覗き込んだブルーは溜息をついた。鏡の向こうの自分も溜息をつくが、憂い顔と呼ぶにはあまりに幼いその顔立ち。脹れっ面とまでは言わないまでも、不満たらたらな十四歳の少年の顔が其処に映っていて。
(……育ってるかと思ったんだけどな)
 念のために、とクローゼットの横に立ってみる。
「……ホントに駄目かぁ……」
 母に見付かって叱られないよう、鉛筆で微かに付けた印はブルーの頭の天辺よりも二十センチほど上だった。それはブルーの前世であったソルジャー・ブルーの背の高さ。
 十四歳になって間もないブルーは百五十センチしか無かったけれども、前世では百七十センチはあった。その高さまで背を伸ばすことがブルーの目標だったりする。



 前世から遙かな時を経て生まれ変わった平和な星、地球。
 同じく地球に生まれ変わっていた前世での恋人、ハーレイと出会い、共に記憶を取り戻したまでは良かったのだが、ハーレイはブルーの倍以上もの年を重ねた大人であった。
 おまけにブルーが通う学校の教師。
 かつて恋人同士だったブルーを前世と変わりなく愛し慈しみ、大切に扱ってくれるハーレイとは何度も逢瀬を重ねて来た。しかし、前世とは決定的に違う点がある。ブルーは子供で、ハーレイは大人。それゆえにキスさえしては貰えず、それ以上の仲は夢のまた夢。
「…ハーレイが言うのも分かるんだけど…」
 でも、とブルーは再び鏡を覗き込む。
(子供なのは姿だけだよ、ハーレイ。…ぼくは全てを思い出したし、君と一緒に過ごした時間も覚えてる。それなのにキスさえ出来ないだなんて、悲しくてたまらないんだけれど…)
 昨夜もハーレイの夢を見た。今の生ではなく、前世のハーレイ。青の間と呼ばれたブルーの部屋で愛し合う夢で、それは幸せで満ち足りた気分で目を覚ましたのに、鏡に映った自分は子供。
(…酷いよ、こんなの残酷すぎだよ…)
 夢の中に居た自分の姿と変わらないほどに育たない限り、ハーレイと前世のような時間は決して持てない。ブルーはクローゼットに付けた印の方を眺めて何度目か分からない溜息をつき、諦めて朝の着替えを始めた。
 そもそも前世での愛の営みを夢に見たのに、身体に何の変化も来たさない辺りがブルーの子供たる所以だったが、それにすら全く気付かないほどにブルーは幼く、無垢だった。
 ハーレイはとうにそれと見抜いてキスも許さず、十四歳のブルーを壊れ物のように扱っている。その恋人の心も知らずに己の現状に不満一杯、早く大きくなりたいブルーの心と身体との間のギャップはまだまだ埋まりそうにもなかった。



「おはよう、ブルー。遅かったのね」
 階下のダイニングに行くと、母が朝食の用意を整えていた。父はとっくにテーブルに着いて分厚いトーストに齧り付いている。
「どうした、朝から変な顔して? 何処か具合でも悪いのか?」
 見詰めてくる父に「ううん」と答えて、ブルーは自分の席に座った。
「…パパ。背がうんと高くなるのって、いつ頃?」
「えっ? そうだな、パパはお前くらいの頃だったかなあ…。学校に入ってすぐの年には面白いくらいに伸びたもんだが」
 懐かしそうに語る父は、大柄なハーレイには及ばないものの長身の部類に入るだろう。母だって決して低くはないのに、ブルーは同じ年頃の少年たちに比べると小さく、背の順で並べばクラスどころか学年中でさえも一番前だ。
「…ぼくも大きくなれるかな?」
「そりゃあ、パパとママとの子供だからな。そのままってことはないと思うぞ、伸びる時には伸びるものさ」
「…それって、いつ?」
 ブルーは「もうすぐさ」という返事を期待した。けれど…。
「さあなあ、遅い子は遅いらしいしなあ…。どう思う、ママ?」
「そうねえ…。ママのクラスにも卒業間近で伸びた子がいたし、そればっかりは分からないわね」
「そ、卒業って…。そんなに先かもしれないの?」
 ショックを受けたブルーだったが、両親はまるで気にしていない。個人差だから、と笑い合いながら「早く大きくなりたかったら食べることだ」と聞き飽きた台詞を口にする。
「お前はあんまり食べないからなあ…。それじゃパパみたいに大きくなれないぞ」
「そうよ、朝御飯もしっかり食べなさい。ミルクも飲むのよ」
「…分かってる…」
 両親の言葉は正しかったが、ブルーが知りたいのは「いつになったら前世と同じ高さほどに背が伸びるのか」と「早く大きくなる方法」。もしかしたら卒業間近まで無理かもしれない、と聞かされた気分はドン底だった。
(……卒業って、まだまだ先なのに……)
 ブルーが通う学校は義務教育の最終段階。かつてSD体制と呼ばれた時代の教育システムを引き継ぎ、十四歳で入学してから四年間を過ごす学校。一年生のブルーにとっては卒業は遙か先のことだ。それまで背が伸びないかもしれないだなんて、どうすればいいというのだろう?


 
 すっかりしょげてしまったブルーは学校が日曜日で休みということもあって、朝食の後は自分の部屋のベッドに突っ伏していた。
(どうしよう…。これじゃハーレイの恋人どころか、また子供だって言われるよ…)
 そのハーレイはブルーをきちんと恋人扱いしているのだけれど、ブルーにはそれが理解出来ない。恋人同士ならばキスは当たり前、今日の夢で見たような関わりを持つのが当然だと思い込んでいる。前世ではそういう仲であったし、それでこそ真の恋人同士と言えるのだ、と。
 ブルーに決して手を出すまいと懸命に自制しているハーレイの心など知りもしないのが十四歳の子供の真骨頂。なまじ前世の記憶があるから、自分では恋の酸いも甘いも噛み分けていると頭から信じて疑わない。
 自分自身の外見だけが恋の障害でハードルなのだ、と勘違いをして背を伸ばしたいと願うブルーは正真正銘お子様だった。三世紀以上も生きた前世の精神構造をそのまま引き継いだわけではなくて、今の生の記憶と融合する過程で十四歳仕様にカスタマイズされたことなど気付く筈もなく。
(…ハーレイ、ちゃんと待っててくれるかな…。ぼくの背が伸びるまで待ってくれるかな?)
 それまでに結婚してしまうかも、とブルーはベッドで頭を抱える。
 ついこの間も父が会社の部下の結婚式に招かれて行ったのだけれど、お土産の花嫁手作りの菓子に添えられた写真の新郎はハーレイよりもかなり若かった。学校の他の先生だって、ハーレイくらいの年の男性はほぼ全員が結婚している。
(…年を取るのは止めるって言ってくれたけど…。それでもホントの年は取るよね)
 今のハーレイの年齢にプラス数年。結婚したって可笑しくはないし、むしろその方が自然だろう。ブルーが本物の恋人になれない以上は、似合いの女性を見付けて結婚ということも充分あり得る。
(どうしよう…。そうなっちゃったら、ぼくは独りになっちゃうのに…!)
 そんなこと、考えたくもない。
 ハーレイのいない人生なんて絶対嫌だし、ハーレイと一緒に生きてゆきたい。
 なのに自分は恋人失格、ハーレイを繋ぎ止めておくだけの魅力どころか外見すらも持ってはおらず、恋人に相応しい姿がいつ手に入るのか見通しすらも立たないわけで……。
(…せっかく会えたのに、離れ離れになっちゃうなんて…)
 しかもハーレイには新しい恋人、愛する妻という存在が出来てのお別れ。ハーレイは満ち足りているだろうけれど、残された自分は独りぼっちでどうやって生きていけばいいのか。
 あんまりだ、と思考の泥沼に囚われてしまったブルーは部屋の扉がノックされたことにも気付かなかった。扉が何度もノックされた末に、「寝てるのかしら?」と呟いた母が「お茶の用意をしてきますから」と客人を扉の前に残して階段を下りて行ってしまったことも。



 ブルーの部屋の前に立った客人。
 学校へ着て行くスーツではなく、ブルーの家を訪ねて来る時の常でラフな格好をしたハーレイは扉の奥から感じる気配に苦笑していた。
 前世のブルーは高い能力とソルジャーの立場ゆえに心を固く遮蔽していたが、十四歳のブルーは違う。感情が高ぶると心の中身が零れがちだ。もっとも、それを感じ取れる者はどうやらハーレイだけらしい。現にブルーの母は気付かず、寝ているものだと思ったようだし…。
「おい、ブルー。いい加減、入るぞ」
 声を掛けても返事は返らず、ハーレイは鍵のかかっていない扉を開けた。ブルーがベッドに突っ伏している。枕に埋められた表情は見えず、相当に落ち込んだ雰囲気だけが漂っていて…。
「ブルー。…おい、ブルー?」
 開け放った扉を再度叩いても顔を上げようとしないブルーにハーレイは半ば呆れつつ、ベッドに近寄る。ブルーの母はまだ暫くは来ないだろう。ならば…、と前世で幾度も愛撫してやったブルーの耳元に唇を寄せた。
「…ブルー。お前、そんなに俺を人でなしにしたいのか?」
「………ハ、ハーレイっ!?」
 ガバッと飛び起きたブルーは文字通り耳の先まで真っ赤になった。
 これが前世のブルーだったら、耳まで真っ赤に染まった後には恋人同士の睦言に傾れ込む所だけれども、生憎と今の十四歳のブルーは恥ずかしさで赤くなったに過ぎない。それが分かるから、ハーレイは必死に笑いを堪える。
「何をぐるぐる考えていた? 筒抜けだったぞ、お母さんにバレたらどうするつもりだ?」
「え? えっ、ママ、来てた?!」
「来ていたさ。寝ているのかも、とお茶の用意をしに行ったが?」
「……そ、そうなんだ……」
 だったら直ぐに戻って来るね、とブルーは両手で頬を押さえる。
「ど、どうしよう…。顔、赤い? まだ赤い?」
「真っ赤だな。…安心しろ、ねぼすけの末路にありがちなことだ。涎が垂れていたとかな」
「ちょ、ハーレイ…!」
 ひどい、と抗議するブルーの頭の中から先刻までのマイナス思考は綺麗サッパリ消え失せていた。ハーレイが家に来てくれたというだけで嬉しかったし、耳元で言われた言葉も嬉しい。
 ハーレイはきっと結婚したりはしないだろう。ブルーが充分な背丈になるまで、その肉体の年齢を止めて待っていてくれるに違いない…。



「…ねえ、ハーレイ…」
「なんだ?」
 母が紅茶と焼き菓子とを置いて立ち去った後、ブルーはハーレイをまじまじと見詰めた。
「ぼくの背って、いつになったら伸びると思う?」
「さあな…。アルタミラから後は普通に大きくなったと思うが」
「そうだよねえ? だからそろそろ伸びてもいいと思うのに、全然、ちっとも伸びないんだけど」
 前の時はもっと早かった、と呟くブルーの記憶の中ではアルタミラ脱出の直後が一番の成長期。流石に一年で二十センチも伸びてはいないが、今の自分に当てはめてみれば一ヶ月に一センチ弱くらい伸びてもいい気がする。
「お前、何かを忘れていないか? アルタミラで初めて会った時のお前と今のお前は同じくらいだが、お前、あの時、十四歳か?」
「えっ……」
 思わぬ問いに、ブルーは記憶を遡る。前世でアルタミラの研究施設に囚われていた自分は確かに十四歳の頃の姿だったが、その姿で何年過ごしただろう? 五年? 十年? あるいはもっと…?
「…も、もしかして…。まだまだ全然伸びないわけ? 卒業どころか、もっと先まで?!」
 それは困る、と涙が溢れそうになる。
 いくらハーレイが待っていてやると言ってくれても、それでは自分の心が持たない。恋人だなんて名前ばかりで、キスさえ出来ずにこのままだなんて…!
「ブルー、落ち着け」
 ポロリと涙を零したブルーの頬にハーレイの温かな手が優しく触れた。
「此処はアルタミラじゃないんだ、ブルー。…お前は本物の十四歳で、家族もいるし暖かな家も飯もある。あの頃みたいに成長が止まるわけじゃない。時が来たら自然に伸びるさ、少しずつでも」
「……本当に?」
「ああ。いつかは知らんが必ず伸びる。だからしっかり飯を食うんだな」
 そして大きくなるんだぞ、と大きな手でクシャクシャと頭を撫でられ、ブルーはまた少し複雑な気分が蘇ってきた。
 前世でこんな風に頭を撫でられた記憶は殆ど無いのに、何かと言えば撫でられる。つまりは立派な子供扱い、やっぱり自分はハーレイからすれば恋人ですらない子供なわけで…。



「…こら! お前、何度言わせるつもりなんだ」
 いきなり強く、息が止まるほどに抱き締められた。でも、ここまで。抱き締めて貰えてもキスは貰えず、背中を優しく撫でられるだけか、そっと頭を撫でられるか。
(…ほら、今だって子供扱い…)
「悪かったな!」
 コツン、と頭を小突かれた。
「お前は本当に子供なんだし、それなりにしか扱わん。…だがな、俺はお前しか欲しくはないし、何十年だって待つだけの覚悟はあるさ。それだけの価値があるからな」
「…えっ?」
「お前がどんな姿に育つか、俺は覚えているんだぞ? あんな美人を俺は知らない。これから先も、お前の育った姿以外に目にすることは絶対に無い。…だから、お前も信じて待て。何を焦っているのか知らんが、お前はとっくに恋人なんだぞ」
 こんな小さな子供でもな、とハーレイは豪快に笑ってみせた。
「俺の悩みを教えてやろうか? いつかお前が育った時にな、お前の両親に何て言おうかと…。どう言ってお前を貰えばいいのかと、そればっかりを考えているさ」
 ……昼も夜もな。
 そう告げられて熱く見詰められ、ブルーの頬が真っ赤になった。
(…そうだった…。パパとママがいたんだったっけ)
 本物の恋人同士になった時には、何処で過ごせばいいのだろう? ハーレイの家で一緒に暮らす? それともこの家にハーレイが…? パパとママには何て言えば…?
(駄目、ダメ、ダメーーーっ!)
 どうしたらいいか分からないよ、と軽くパニック状態になる。此処で慌てふためいていることこそが子供の証明、ブルーがどんなに背伸びしてみても大人ではない確たる証拠で。
「ほら見ろ、お前は子供なんだよ。…背丈だけじゃない、いろんな意味でな。今の扱いで我慢しておけ、俺は恋人だと思っているから」
 それがハッキリ分からない内は子供ってことだ、と頭を撫でられて唇を尖らせそうになったけれども、ハーレイの瞳は穏やかながらも真剣だった。そのハーレイが「待て」と言うのなら…。
「…分かった。待つよ、きちんと大きくなるまで」
 沢山食べるのは苦手だけれども、ちゃんと食事してミルクも飲もう。背が伸びて昔みたいな姿になったら、ハーレイと本物の恋人同士。その日まで我慢して待たなくちゃ…。



 結局のところ、ハーレイが真面目に話して聞かせても、ブルーは理解していなかった。
 背丈が伸びれば大人になれる、と子供ゆえの純真無垢さで考える。
 心に身体がついてゆかないだけだと信じる十四歳の一途なブルーに、ハーレイは己の欲望との戦いも含めて悩まされることになるのだけれど、それもまたハーレイにとっては至上の喜び。
 甘美な悩みに苦しめられつつブルーを大切に想うハーレイと、ハーレイを慕い続けるブルーと。
 生まれ変わって出会えたからこそ紡がれる恋は、蘇った地球の息吹と共に………。




           大きくなりたい・了










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 遠い昔、荒廃し切って人間が棲めなくなった星、地球。
 その地球を蘇らせるために完全な生命管理社会が築かれ、サイオンを持った新人類のミュウと、旧人類との戦いの火蓋が切って落とされた。
 それはとうに遙か彼方に過ぎ去った歴史の世界で、青い水の星として蘇った地球に今は大勢のミュウたちが暮らす。旧人類はもう植民惑星にすら残ってはおらず、人間と言えばミュウを指す社会。
 ブルーはそういう地球に生まれて育った。優しい両親と暮らす暖かで穏やかな日々に恵まれ、アルビノであることを除けば、ごくごく平凡な少年として。
 十四歳を迎えて間もなく、前世の自分が死の直前に受けた傷痕がその身に現れ、あまりにも特異で悲劇的であった前世の記憶を取り戻すまでは……。



「…ハーレイっ…!」
 自分の悲鳴で目覚めたブルーの瞳に常夜灯だけが灯った暗い部屋が映る。
(……夢だったんだ……)
 腕を伸ばして明かりを点ければ、其処はいつもの自分の部屋。机の上にはノートと教科書が置かれ、学校へ提げてゆく鞄もあった。
 そう、今の自分は両親と共に地球で暮らしている普通の少年。三百年以上もの長い時を生き、その仲間たちの盾となるために一人きりで戦い、宇宙に散ったミュウの長ではないのだけれど…。
「…また、あの夢…」
 怖い、とブルーは身を震わせて自分の身体を抱き締めた。
 忌まわしい青い光に満ちた惑星破壊兵器・メギドの制御室。其処で何発もの銃弾を受け、自らのサイオンを暴走させて巨大なメギドを道連れに死ぬ。
 その夢を何度見ただろう。目が覚める度に言い知れぬ不安に襲われる。実は自分はあの時に死に、魂だけが地球へ行きたくて夢を紡いでいるのではないか。今の日々は死んだソルジャー・ブルーが見ている夢で、十四歳の自分は彼が紡ぎ出した陽炎のように儚い幻なのではないだろうか、と。
(…怖い。怖いよ、ハーレイ…。夢だよね? ぼくが見ていたメギドの方が夢なんだよね?)
 そうだよね、と同意を求めたくても、応えてくれる声は無かった。
 前世でブルーが愛したハーレイ。
 ミュウたちの船、シャングリラのキャプテンであった彼もまた、ブルー同様に生まれ変わっていたのだけれど。ブルーの記憶が戻ると同時に彼の記憶もまた戻ったのだけれど、この生でブルーはソルジャー・ブルーではなく、ハーレイもキャプテンなどではなかった。
 ブルーは学校へ通う十四歳の少年であり、ハーレイはブルーの学校の教師。ただそれだけしか接点の無い二人にとっては共に暮らすなど夢のまた夢、こうして夜中に独り目覚めても傍にハーレイの温もりは無い。
(……ハーレイ…。今すぐ君に会いたいよ。夢だと言って欲しいよ、ハーレイ…)
 ハーレイの所へ飛んで行けたなら、とブルーの瞳から涙が溢れる。
 会いたい。ハーレイに会いたくてたまらないのに、ハーレイの家は何ブロックも離れた先で。
(…ぼくだってタイプ・ブルーなのに…)
 飛べないなんて、とブルーはポロポロと涙を零した。



 ブルーのサイオン・タイプは名前そのままに、前世であったソルジャー・ブルーと同じに最強レベルと謳われるブルー。
 けれど人類が全てミュウとなった社会でタイプ・ブルーの高い能力は必要が無い。攻撃力などは言わずもがなだし、得意とされる瞬間移動も私的な移動ならばともかく、登下校や出勤などの際にはルール違反とされる有様だった。
 それゆえにブルーは瞬間移動をしたことがない。幼い頃から駆け回るよりも本を読んだりする方が好きで、足の速い友人たちを出し抜くための瞬間移動などブルーにはまるで必要無かった。
 瞬間移動が出来ないタイプのミュウも多いから教えてくれる授業は無いし、成長の過程で自然に身に付けることをしなかったブルーにとっては雲の上の技と呼ぶに等しい。
(…ハーレイの所へ飛んでいけたら…)
 一度だけ遊びに行ったことのあるハーレイが一人で暮らす家。
 それまではハーレイがブルーの家を訪れ、ブルーの母がお茶を淹れたり食事を用意してくれたりと気遣ってくれるのが常だった。母の気持ちは有難かったが、ブルーは何処か落ち着かない。前世のようにハーレイと二人きりの時間を過ごしたいのに、同じ屋根の下に母がいるのだから。
 そういう逢瀬が続いただけに、ハーレイの家に招かれた時は嬉しかった。誰にも邪魔をされることなく、母が来ないかとドアの方をいつも気にしていなくても済む。
 すっかり舞い上がってしまったブルーは前世で失った時間を取り戻すかのようにハーレイに甘え、幸せなひと時を過ごしたのだけれど…。
「ブルー。…やはり次からは私が行こう」
 帰り際にハーレイがそう告げた。
「…お前と二人きりになってしまうと抑えが利かなくなりそうだ。お前に自覚は無いかもしれんが、お前、昔とそっくりな顔をしていたぞ。…そんな表情、お前にはまだ早いんだ」
 駄目だと言われるキスを強請ったわけでもないのに、どの辺りがいけなかったのか。キョトンとするブルーにハーレイは重ねてこう言ったものだ。
「自覚が無いなら、尚更だな。…お前の中身は昔と変わっていないんだろうが、お前は心も身体も子供だ。…俺はお前を大事にしたいし、それが分かるなら来るんじゃない」
 それきり、ハーレイは家に呼んではくれなかった。学校のクラブ活動での教え子たちは遠慮なく遊びに行っているのに、ブルーは呼んで貰えない。いっそクラブに入ろうかとまで思い詰めたが、運動の類が不得手なブルーにハーレイが顧問を務めるクラブは些か敷居が高すぎた。



(…ハーレイ…。会いたいよ、ハーレイ…)
 ハーレイならきっと、さっきの夢を「もう過ぎたことだ」「思い出すな」と何度も繰り返してくれるだろうに。…会いたい時にハーレイがいない。こんな夜中に独りで泣いていたくはないのに、飛んで行くことすら叶わない自分。
 せめてタイプ・ブルーの能力どおりに瞬間移動が出来たなら。
 そうしたら数ブロックの距離くらい軽く飛び越え、ハーレイの家に行けるのに。
 「来てはいけない」とは言われたけれども、こんな夜は側に居て欲しい。メギドでのことは過ぎたことだと、今の生は夢でも幻でもなく、間違いなく二人で地球に居るのだと、繰り返し言って欲しいのに…。
(……ハーレイ……。側にいて抱き締めて欲しいよ、ハーレイ……)
 けれど空間は越えられない。
 ミュウしかいない今の世界では、ハーレイの許にだけ届く思念を紡ぐことすら難しい。瞬間移動を教える授業が無いのと同じで、その術もブルーは習わなかった。相手を定めず、ただ大声で叫ぶに等しい思念だったら数ブロックくらい離れていたって届けられるのかもしれないけれど。
(…それこそ近所迷惑だよね…)
 今のような夜中でなくとも、不特定多数に届く思念を私的な目的で放つ行為は無作法とされる。誰の思念かがバレようものなら、父や母に苦情が来るかもしれず。
(……ハーレイ……)
 会いたいよ、と枕に顔を埋めて半ば泣きながらブルーは再び眠りに就いた。せめて今から見る夢でくらい、ハーレイに会いたいと願い続けながら…。



 ブルーが心底、会いたいと願って求めたハーレイ。
 そのハーレイはブルーが夢にうなされて目覚めたことも、泣いていたことも全く知らずに自分のベッドで眠っていた。夢さえ見てはいなかったのだが、不意に意識が浮上する。
「………ん?」
 ハーレイの傍らに何かが居た。子供の頃に母が飼っていた猫の温もりを思い出す。
(…また来たのか…)
 自分の身体で猫を潰してしまわないよう、寝ぼけ眼で押しやろうとして気が付いた。此処まで自分が育つよりも前に猫はいなくなってしまった筈だ。では、何が…?
 夜の闇の中、手探りでその生き物を判別するべく触れようとした矢先にそれが身じろぐ。
「……ハーレイ……」
 会いたいよ、と涙交じりの声が微かに聞こえた。
(ブルー?!)
 何故、とハーレイは仰天した。恐る恐る伸ばした指先に感じる柔らかく滑らかな頬の感触。前世で何度も触れて口付けた、愛おしいブルーの頬そのままで。
(…ど、どうしてブルーが此処に居るんだ!?)
 いつの間に、と慌てふためく心に届いたブルーの思い。前世の彼なら有り得なかった、遮蔽されていない心から溢れて流れ出す記憶。
 メギドでの出来事を夢に見てしまい、怯えてハーレイを呼んでいた。会いたいと願い、それが叶わぬ悲しみに泣き濡れながら眠りに就いて、恐らくは……。
(……無意識の内に飛んだのか…。誰が教えたわけでもないのに……)
 前世のブルーは自由自在に飛ぶことが出来た。その記憶が助けたのかもしれない。とにかくブルーは眠っている間に、自分のベッドからハーレイが眠るベッドへと空間を越えて来たわけで。
「……弱ったな……」
 ハーレイはボソリと呟いた。
 ブルーが考えているよりもずっと、ハーレイはブルーに惹かれている。かつてハーレイと恋人同士の時を持つようになった頃よりも、今のブルーは幼く、か弱い。それなのにブルーを求めてしまう。既に手に入れているブルーの心と共に、その身体をも愛し、思う存分、貪りたくなる。
 しかしブルーの心はともかく、身体にはまだ求める行為は早過ぎた。前世と同じくらいに育つまでは、と懸命に自制し、家にも決して訪ねて来るなとあれほどに念を押したのに…!



「……ハーレイ……」
 ブルーが瞼を閉ざしたままで、ハーレイの腕に縋り付いてきた。求める温もりを見出したからか、そのままスルリと懐にもぐり込み、後は穏やかな寝息が聞こえてくるだけ。
(…おい、ブルー! 襲われたいのか!)
 無防備すぎるブルーの姿にハーレイは恐慌状態だったが、それをブルーが知る筈もない。その夜、すやすやと眠り続けるブルーとは逆に、ハーレイは夜明けまでまんじりともせずに己の欲望と戦うことを余儀なくされた。
 うっかり眠ってしまったが最後、何をしでかすか分からない。なにしろ前世の自分とブルーは身も心も結ばれた恋人同士で、ブルーの身体の弱い所も隅々までも、指が、この手が、あますことなく記憶し、覚えているのだから。



 翌朝、ハーレイのベッドで目覚めたブルーは「あれ?」と周囲を見回してから、蕩けそうな笑みを浮かべて言った。
「…おはよう、ハーレイ。もしかして、気が付いて来てくれた…?」
「違う、来たのはお前の方だ。…お前がいるのは俺のベッドで、この家は俺の家なんだが…」
 その瞬間のブルーの笑顔を、ハーレイはきっと生涯、忘れることは出来ないだろう。喜びに満ちて輝くような眩しく、そして美しい笑顔。
「ハーレイ…!」
 ブルーはハーレイが徹夜で己と戦い続けたことも知らずに抱き付き、その胸に頬を擦り寄せた。
「良かった、あれは夢じゃなかった。…メギドの夢を見たんだ、昨夜。とても怖くて、ハーレイにとても会いたくて…。会いたくて、どうしても会いたくて…。そうしたら側にハーレイがいた」
 しがみ付いたら温かかった、とブルーはハーレイの胸に甘える。
「…ぼくは飛べないと思っていたけど、飛べたんだ。もう今度から夢を見たって怖くない。…ハーレイの所に来てもいいよね、飛べるんだから」
「……あ、ああ……。そうだな、お前は飛べるんだしな…」
 怖い夢を見たらいつでも来い、とブルーの倍以上の年を重ねた大人の貫録を示してやりつつ、ハーレイは秘かにうろたえていた。
 前世でのブルーの能力の高さからして、二度目、三度目は確実にあるだろう。その度に蛇の生殺しなのか、と天を仰ぎたい気持ちになる。
 おまけに今日の、この状況。幸い土曜日で学校の方は休みだったが、ブルーの両親に何と説明するべきか…。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが恋仲だったという事実など誰一人として知りはしないし、何ゆえにブルーが此処へ来たかを話すことはとても難しそうだ。
「…ハーレイ? どうしたの、何か迷惑だった?」
「い、いや…。今日は学校は休みだったな、と思ってな」
 朝飯にするか? と尋ねるとブルーは嬉しそうにコクリと頷いた。年相応なその表情にハーレイは心で苦笑する。身体が中身についていかない、誰よりも愛おしくて大切な恋人。手を出さないよう我慢するのは拷問だったが、それもブルーに再び出会えたがゆえの甘く切ない茨の檻で。
「よし、お前のために腕を奮うとするか。これでも料理は得意なんだぞ」
 沢山食べて大きくなれよ、とブルーの銀色の髪を右手でクシャクシャと撫でてベッドから降りる。
(…まずはブルーの家に連絡しておかないとな。朝飯が済んだら送って行くか)
 考えながら歩き始めたハーレイの腕にブルーがギュッと抱き付いてきた。何処までも無自覚で、それでいて立派な恋人のつもりの十四歳のブルー。当分はギャップに悩まされることになりそうだ、と溜息をつきながらもハーレイもまた、心地よい幸せに酔いしれていた……。




              君の許へと・了





「あっ…!」
 ツキン、と右目の奥が痛んだ。反射的に右手で押さえる。瞳から熱いものが溢れ出して細く白い指を濡らし、そしてポタリと…。
「……まただ……」
 どうして、とブルーは広げていたノートに落ちた雫を呆然と眺める。
 透明な涙の雫ではなく、ブルー自身の瞳の色を溶かしたような鮮血の赤。指についた雫を舐めると鉄錆を思わせる味がした。それは紛れもなく血液そのもの。
 けれど鏡を覗き込んでみても瞳にも瞼にも傷一つ無い。涙の代わりに流れたかの如く、赤い血が滴り落ちたというだけのことで。
(…ぼくは一体、どうしたんだろう…)
 こんなことは今まで無かったのに、と白いノートを汚した血の染みを見詰めていると声が聞こえた。
「ブルー! パパが帰ったから食事にしましょう!」
「うん、今、行く!」
 言えない。両親に話したら、きっと心配するに違いない。目から血の涙が出るなんて…。
 怪我をしているわけではないし、ついこの間までは何ともなかった。
 そうでなくても進学したばかりで何かと慌ただしい毎日なのだし、病院になんか行っていられない。洗面所に駆け込んで手と頬を染めた血を洗い流すと、ブルーは両親の待つ階下へと下りて行った。



 遠い昔には人が棲めないほどに荒廃していたと聞く水の星、地球。その地球にブルーが生を享けてから、今年で早くも十四年になる。
 優しい両親との満ち足りた日々に何の不満も無く生きて来たのに、それは突然やって来た。
 目の奥に走る不快な痛みと、涙のように零れる鮮血。
 最初は怪我をしたのかと驚き慌て、パニックに近い状態で鏡を覗いた。しかし何処にも傷は見当たらず、一筋の血が流れ落ちた後は特に何事も起こらない。それ以上の出血が続くわけでなく、視界も全く普段と変わらず、問題があるとは思えなかった。
「…大丈夫だよね?」
 自分自身に言い聞かせるように呟き、放っておいたのが一ヶ月ばかり前のこと。進学してすぐの忙しさに紛れて翌日には忘れていたのだけれど、それは何度か繰り返された。今日ので多分、五回目くらいになるのだろうか。
 それでも目には傷一つ無いし、見えにくくなるわけでもないし…。



「ブルー? 何処か具合が悪いのかい?」
 テーブルに着いていた父が新聞を置いて声を掛けて来た。
「ううん、なんでもない」
「それならいいが…。お前は身体が丈夫ではないし、勉強もあまり根を詰めてはいけないよ」
「そうよ、ブルー。無理のしすぎは良くないわよ」
 今日は早めにお休みなさい、と母が優しく微笑みながら料理の皿をテーブルに置いた。
「ほら、ブルーの好きなカリフラワーのポタージュよ。だから、お肉もちゃんと食べなさい」
「…うん」
 食の細いブルーのために、と母は色々と工夫を凝らしてくれる。父も何かと気遣ってくれるし、こんな二人に「血の涙が出る」などと言おうものなら大騒ぎになってしまうだろう。
ノートの染みは鼻血でも出たことにしておこう、とブルーは思う。
(鼻血だったら普通だしね)
 そうそう誰もが出すわけではないが、そう珍しいことでもない。血の涙よりは自然だし…。
(…パパとママが見ている時に出ませんように…)
 言い訳が出来ない状況は困る。そんな事態になりませんように、と祈りながらスープを掬って口に運んだ。野菜の甘みが母のように優しい味わいのスープ。肉料理もブルーが好きな部類のハンバーグだ。
(きちんと食べて栄養をつけたら、血の涙なんて出なくなるかな?)
 頑張って今日は多めに食べよう、と決心をしてもブルーの食事のスピードは遅い。先に食べ終えた父が「まだ食べてるのか」と苦笑する。
「でも、沢山食べるのはいいことだな。細っこいままだと、ますますそっくりになってしまうぞ。…なあ、ママ?」
「そうねえ、ホントに似て来たわよねえ…。今日もお隣の奥さんに言われたの。お宅のブルー君、ソルジャー・ブルーの昔の写真にそっくりよねえ、って」
 その瞬間、ブルーの右目の奥がズキンと痛んだ。
「ブルー!?」
「ど、どうしたの、ブルー?」
 サラダを食べていたフォークを取り落とし、右目を押さえたブルーの指の間から零れる鮮血。母が悲鳴を上げ、父が慌てて立ち上がった。もう言い逃れは許されない。ブルーは父の車に乗せられ、病院へ行く羽目になってしまった。



 頭部スキャンに全身スキャン。眼球は特に詳細に調べられ、採血などの検査もされた。けれど何処にも異常は見られないらしく、褐色の肌の男性医師が首を傾げる。
「こんなことは前からありましたか?」
 尋ねられたブルーは黙っていたが、母に「どうなの?」と促されて仕方なく俯き加減で答える。
「……今日で五回目くらいです」
 両親が息を飲むのが分かった。…だから言いたくなかったのに。
「五回目ですか。…最初はいつ頃?」
「…ひと月ほど前…」
 ブルーの答えに母が「知らなかったわ」と悲しそうな声を上げ、両手で顔を覆う。
「私、母親失格ね。…子供の病気にも気付かないなんて」
「ごめんなさい、ママ…。言ったら心配すると思って」
 謝るブルーに父が母の肩を抱きながら言った。
「その方がよほど心配だよ。…それで先生、ブルーの目は?」
「分かりません。こんな症状は初めて見ます。…ブルー君、何か前兆のようなものはありますか? 頭が痛むとか、目が霞むとか」
「…ありません。今日も別に…」
 そこまで口にしてから、ふと思い出した。目の奥が痛み出す前に耳にした言葉。そう、母は確かに「ソルジャー・ブルー」と…。
「…え、えっと…。関係ないかもしれませんが…」
 口ごもるブルーに、医師は「些細なことでも話して下さい」と穏やかに言った。
「心当たりがあるのでしょう? 何がありましたか?」
「……ソルジャー・ブルー。そう聞いた途端に目の奥がズキッと痛んだんです。…食事の前にも同じように血が出て、その時にノートに書こうとしたのもその名前でした」
「…ソルジャー・ブルー…。ミュウの初代の長の名前ですね。歴史の授業ではよく出て来ますが、以前は大丈夫だったのですね?」
「はい…」
 本当に前は大丈夫だった。幼い頃から何度も聞いたし、学校で習うのも初めてではない。なのに何故。そういえば最初に血を流した日は、今の学校でその名を教わった初日のことで…。
「……ソルジャー・ブルーねえ……」
 医師は首を捻りながら、ブルーの姿を上から下まで眺め回した。
「…言われてみれば君はそっくりですねえ、歴史書の彼に」



 赤い瞳に銀色の髪。両親はごくごく普通の外見だったが、ブルーは生まれつき色素を欠いて生まれたアルビノだった。遙か昔のミュウの初代の長、ソルジャー・ブルーとは其処が異なる。
 ソルジャー・ブルーは昔の世界で行われていた成人検査が切っ掛けでアルビノになったと伝わっているが、ブルーの名前は彼にちなんで名付けられた。今の時代、人類は全員がミュウであり、それゆえに心を読むのも隠すのも当たり前のように誰でも出来る。
「それで、ブルー君のサイオン・タイプは?」
 医師の質問に父が答えた。
「ブルーです。…ソルジャー・ブルーの時代ならともかく、特に珍しくもないですが」
「なるほど、サイオン・タイプまでソルジャー・ブルーと同じですか…。私は医者ですから、あまり変わったことを言いたくはないのですけれど…。聖痕というものを御存知ですか?」
 ブルーにとっては初めて聞く単語。しかし両親は知っていたようだ。ソルジャー・ブルーが生きた時代よりも昔、神の受難の傷痕をその身に写し取り、血を流した人々がいたという。
「…ソルジャー・ブルーの最期がどうであったかは誰も知りません。惑星破壊兵器、メギドと共に散ったことしか今に伝わってはいませんが…。その前に銃撃を受けたという説がありますね。…ブルー君は彼が受けた傷を再現しているのかも…」
「…まさか!」
 ブルーは即座に否定した。
「ぼく、その話は習っていません! 銃撃なんていう説はまだ誰からも…」
「そうですか? ですが、ソルジャー・ブルーと無関係とも思えないのですよ。症状が初めて出たのが十四歳になった直後ですね? …ソルジャー・ブルーがアルビノとなり、ミュウの力が覚醒したのと同じ年です。私は生まれ変わりを信じているわけではありませんが…」
 もしかしたら、と医師は「異常なし」のデータが並んだブルーのカルテに目をやった。
「ブルー君はソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれませんよ? そうそう、私の従兄弟に面白いのがいましてね。キャプテン・ハーレイにそっくりなんです」
 苗字までちゃんとハーレイなんです、と笑う医師の名札にブルーは初めて気が付いた。医師の苗字も同じくハーレイ。自分がソルジャー・ブルーとそっくりなように、ミュウの船のキャプテンとして教科書に載っているハーレイにそっくりな人も居るのか…。
「そのハーレイですが…。近々、ブルー君が通っている学校に教師として行くことになっています。会った途端に目から血の涙が流れるようなら、ブルー君は本当にソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれませんね。残念ながら、私の従兄弟はキャプテン・ハーレイではないそうですが」
 その言葉にブルーはホッと安堵の吐息をついた。血の涙だけでも気味が悪いのに、生まれ変わりだなどと言われても…。自分は普通の十四歳の子供で、伝説の戦士とは違うのだから。



 異常なしと診断されたブルーは観察入院もせずに済み、両親と家に帰ることが出来た。しかし、次に同じ症状が出たらまた病院に行かねばならない。両親にも「二度と隠さないように」と強く言われたし、我慢するしかないのだが…。
(…もう起こらないといいんだけどな…)
 そう願っていることが効いたのだろうか。ソルジャー・ブルーに関する時代の授業は無事に終わって、平穏な日々が戻ってきた。彼の名を聞いても血の涙は出ない。生まれ変わりだの聖痕だのと聞かされて少し怖かったけれど、再発しなければ大丈夫。あれはたまたま、ほんの偶然。
(そうだよね? ソルジャー・ブルーの生まれ変わりだなんて有り得ないよ)
 ぼくはぼく、と読みかけの本を机に置いたまま、考え事をしていると。
「おい、ブルー! 新しい先生が来るらしいぜ」
「えっ?」
 クラスメイトの声でブルーはハッと我に返った。
「なんだよ、聞いていなかったのかよ? 古典の先生、変わるんだってよ。年度初めに来る予定だったのが遅れたらしくて、なんか今日から」
「…ふうん? なんで遅れてたんだろ」
「前の学校で欠員が出てさ、引き止められてたみたいだぜ? 宿題出さねえ先生だといいな」
 今の先生は宿題多すぎ、とクラスメイトが嘆いた所で授業開始のチャイムが鳴った。それと同時に教室に現れた褐色の肌の新任教師に、ブルーの胸がドクリと脈打つ。
(ハーレイ…!)
 教科書で見たキャプテン・ハーレイにそっくりな彼。
 何故「キャプテン」の呼称を抜かしたのかも分からない内に、右目の奥がズキンと痛んだ。
「お、おい、ブルー!?」
 どうしたんだよ、と叫ぶクラスメイトの声は酷く遠くて、肩が、脇腹が、目の奥が痛い。絹を裂くような女子たちの悲鳴が聞こえる。床に倒れたブルー自身は知らなかったが、右目だけでなく両肩と左の脇腹からも血が溢れ出して制服の白いシャツを赤く染めていて…。
「どうしたんだ! おい、しっかりしろ!」
 駆け寄って来た教師がブルーを抱え起こした、その瞬間。
(……ハーレイ?!)
(…ブルー?!)
 触れ合った部分から流れ込み、交差する夥しい記憶。
 そうだ、ぼくはこの手を知っている。そしてハーレイも、ぼくを知っている……。



 授業は自習となり、ブルーは駆け込んで来た救急隊員たちに担架に乗せられ、ハーレイに付き添われて先日の病院へと搬送された。検査結果は全て異常なし、身体にも傷は見当たらない。それでも出血が多かったからと点滴を打たれ、それが終わるまで帰れないのだが…。
「…ハーレイ先生は?」
 ブルーは病院に駆け付けてきた母に尋ねた。
「さっき学校へお帰りになったわ」
「……そうなんだ……」
 ブルーの胸がツキンと痛む。
 ハーレイ。やっと会えたのに…。ぼくは全てを思い出したし、君も思い出してくれたのに……。
「どうしたの、ブルー? ハーレイ先生がどうかしたの?」
「…ごめんなさい、ママ…」
 ブルーは儚げな笑みを浮かべた。
「……ぼく、思い出してしまったんだよ。…ぼくはソルジャー・ブルーだったみたいだ。あの傷、ぼくが昔に撃たれた時のと同じ…」
「…そ、そんな……」
 そんなことが、と声を詰まらせる母にブルーは懸命に詫びる。
「ごめんなさい。…ママの子供なのに、ごめんなさい…。でも、本当のことだから…」
「……それじゃ、まさかハーレイ先生も…?」
「うん…。先生はキャプテン・ハーレイだった……」
 ごめんね、ママ。先生はキャプテン・ハーレイっていうだけじゃない。
 ぼくの……。ううん、ソルジャー・ブルーの大切な……。
(……ハーレイ……)
 自分の唇に指先で触れる。
 覚えている。こんなにも君を覚えている。…君の唇も、温かい手も、身体中が君を覚えている。
 …会いたいよ、ハーレイ。すぐに、今すぐに君に会いたい。
 ハーレイ、ぼくは帰ってきたから。君のいる世界に帰ってきたから…。



 点滴が終わり、会社を早退してきた父の車で家に戻ったブルーは大事を取って寝かされた。
 今の生の記憶と、その前の……ソルジャー・ブルーの膨大な記憶。それらを融合させるためには有難い時間だったけれども、大切なものが欠けていた。
 ハーレイがいない。…全てを思い出す切っ掛けになったハーレイが側に居てくれない…。
「会いたいよ、ハーレイ…」
 もう何度目になるのだろう。涙で枕を濡らしながら小さな声で呟いた時、寝室のドアが軽く叩かれた。
「ブルー? ハーレイ先生が来て下さったわよ」
 どうぞ、と母がドアを開け、懐かしい姿が現れた。記憶の中の彼と違ってキャプテンの制服を纏ってはおらず、教師としてのスーツ姿だけれども、忘れようもない彼の人の姿。
 どうして自分は忘れていたのか。忘れ去ったままで十四年も生きて来られたのか…。
 恐る恐る上掛けの下から差し出した手を、褐色の手が強く握ってくれた。
 ああ、ハーレイ。
 君の手だ。君の温かい手だ……。
「ママ……」
 少しの間だけ、二人きりにさせて。
 ブルーの言葉に母は頷き、「お茶の用意をしてくるわね」と部屋を出て階段を下りて行った。その足音が遠ざかるのを確認してからブルーは微笑む。
「……ただいま、ハーレイ。帰って来たよ」
「ブルー! ブルー、どうしてあんな…! もう心臓が止まるかと…!」
「ごめん。あの傷が思い出させてくれたんだ…」
「あんな酷い傷を、いったい何処で…! どうしてあんな姿になるまで…!」
 行かせるのではなかった、とハーレイが何度も繰り返す。ブルーをメギドに行かせるべきではなかったのだ、と。
「…いいんだよ。あの時はぼくがそう決めた。…でも……」
 今度は君と離れたくない。
 そう言ったブルーの身体をハーレイがベッドから抱き起こし、両腕で強く抱き締める。その腕をブルーは覚えていた。前の生では幾度となくこうして抱き締められて、そして……。
「……ハーレイ?」
 パッとハーレイの身体が離れて、扉が小さくノックされる。紅茶とクッキーを運んで来た母の何処となく寂しげな表情。
 そうだ、母は自分たちの過去を全く知らない。ソルジャー・ブルーのことも、キャプテン・ハーレイのことも歴史に記された部分しか知らず、また知りようもなかったのだ…。



 こうしてブルーは思い出した。
 かつて自分が何者であったのか、何を思い、誰を愛したのかを。
 ブルーの身体を染めた血が贄であったかのように、ハーレイの記憶も蘇った。ブルーの右目の奥は二度と痛まず、血が頬を伝うこともない。
 けれど……。
「…ハーレイ…」
「駄目だ。ブルー、お前はまだ子供だ」
 キスを強請ろうとして断られた。
 あれからハーレイはブルーの家をしばしば訪ねて来てくれる。その度に自分の部屋に通して、母がお茶を置いて立ち去るとすぐに広い胸に甘え、優しい腕に抱き締められて幸せなひと時を過ごすのだけれど。
 魂に刻まれた前世とは違い、ブルーは十四歳になったばかりの子供で、ハーレイは倍以上もの年を重ねた大人だった。
「…子供、子供って、そればっかり…」
「だが、本当のことだろう? …安心しろ、ちゃんと待っていてやるから」
 ハーレイの手がブルーの銀色の髪を愛おしげに撫でた。
「……ホント?」
「本当だ。お前が充分に大きくなるまで気長に待つさ。…俺だって待つのは辛いんだがな」
 でも、教え子に手を出すわけにはいかんだろうが。
「ふふっ、そう……かもしれないね」
 ハーレイ、いつまで待てばいい? 来年? 再来年? それとも、もっと…?
「こらっ、子供がそういう話をするもんじゃない!」
 コツン、と頭を小突かれる。
 ああ、本当にいつまで待てばいいんだろう。いつになったら昔みたいに本物の恋人同士になれるんだろう? だけど、こういう時間さえもが愛おしい…。
「ねえ、ハーレイ…。君の身体の時間は止めて待っててくれるんだよね?」
「そのつもりだ。でないと釣り合いが取れなくなるしな」
 だから頑張って沢山食べろ。
 そう言うハーレイに「うん」と返して厚い胸に頬を擦り寄せる。
 今はまだ、こうして甘えるだけしか出来ないけれど。母が「お茶のお代わりは如何?」と来はしないかと、ドアを気にしながらの逢瀬だけれど。
 でも、ハーレイ。君にもう一度会えて良かった。
 ぼくはもう何処へも行かないから。二度と君から離れないから、いつまでもぼくの側に居て…。
 分かるかい、ハーレイ? 今、ぼくがどれだけ幸せなのか………。




              聖痕・了





 地球を目指して星の海を渡るミュウたちの白い船、シャングリラ。
 人類軍がモビー・ディック……『白い鯨』と呼ぶ優美な船体に秘められた戦闘能力は大きく、
それをサポートするナスカの子たちのタイプ・ブルーのサイオンの下、地球への道は今や確実に
拓けつつあった。


「まだだ。もっと引き付けてから一斉射撃!」
 人類軍の一大艦隊を前にキャプテン・ハーレイの指示が飛ぶ。
「右舷前方、攻撃、来ます!」
「グラン・パ!」
「頼む、トォニィ!」
 着弾前に爆発してゆく幾つものミサイル、四散し消滅するレーザー。ソルジャー・シンの
陣頭指揮に従うナスカの子たちと、ハーレイに従うブリッジ・クルーと。
「サイオン・キャノン、発射!」
 光の筋が敵艦隊へと吸い込まれてゆき、数ヶ所で起きた大爆発と、続く誘爆の連鎖の後に
もう敵艦の姿は見えない。これほどの大艦隊に遭遇することは以前は滅多に無かったのだが、
この一ヶ月ほどで急激に増えた。
 シャングリラを侮れないと知った人類側も必死になっているのだろう。


「やりましたね、ソルジャー!」
「ああ。みんな、よく頑張ってくれた。ありがとう」
 ソルジャー・シンの労いの声に歓声が上がり、続いてハーレイからの訓示を兼ねた重々しい
言葉が緩んだ空気を引き締める。それがいつもの光景だった。しかし…。
「「「キャプテン!?」」」
立っていたハーレイの身体がグラリと傾ぎ、そのまま床にくずおれる。ルリの悲鳴がブリッジを
劈き、エラとブラウが倒れたハーレイに駆け寄った。肩を揺すり、手首を握っても何の反応も
返らない。
「ドクターを呼べ!」
 医療チームもだ、とソルジャー・シンが叫び、先ほどまでとは違う緊張と慌ただしさとが
ブリッジの上を覆っていった。

 

 


「……ハーレイ?」
 不意に呼ばれたような気がして、ブルーは青の間を見回してみる。戦闘があったことは
承知していたが、今のブルーはソルジャーではない。ソルジャー・シンからの要請があるか、
或いはナスカの子たちの危機でも察知しない限り、戦線には出ないと決めていた。
『…ハーレイ…?』
 終わったのか、と思念波で呼び掛けてみたが応えは無い。恐らく戦闘の結果を踏まえて今後の
進路や作戦などを皆と検討しているのだろう。そういう時に思念を送っても返事が無いのは
いつものことだ。分かっていたのに…、と苦笑する。
(駄目だな…。ハーレイの邪魔をしてはいけない、と分かっているのに)
 ついうっかりと忘れてしまう。ソルジャーだった頃は決してこんな風に気安く呼んでみたりは
しなかったのに、退いて青の間に引き籠ってから弱くなった…、とブルーは腰掛けていたベッドの
傍らに視線をやった。そこに置かれたもう一つのベッド。


(……ハーレイ……)
 ベッドの主の名を心の中で呼んで、そっとシーツを指先で撫でる。
 ずいぶん遠い昔に思える、この手でメギドを沈めた日。あの日、奇跡にも似た形で救われて
以来、ブルーの傍らには常にハーレイが居た。
 夜も自分の部屋には戻らず、ブルーの病室に詰めたハーレイ。そのハーレイの祈りがブルーの
命を繋いでいる、と知ったソルジャー・シンたちが、このベッドを青の間に運び込んだ。
 ハーレイがいつもブルーを見守りながら眠れるように…、と。
(……でも……)
 形だけのベッドになっているよね、とブルーの頬がうっすらと染まる。
 ハーレイが自分のベッドを使っていた時期は確かにあったが、それはブルーがまだ本調子では
なかった頃。ブルーの容体が安定してからは、ハーレイはブルーを抱き締めて眠った。
 初めの間は文字通りただ腕の中にそっと閉じ込めるだけ。それが恋人同士の営みへと
変わったのはいつだったろう。ブルーの身体が弱り始めて以来、絶えて無かった熱い時間を
取り戻すように幾度も幾度も身体を重ねた。そうして、今は…。


(…ハーレイ、無理をしていないかい? 君が死んだように眠っている日が増えているように
思うのだけど…)
 ハーレイが青の間に戻る時間が日毎に遅くなってゆく。独りで夕食を終えて先にベッドに
入っているブルーの唇に口付けを落とし、シャワーを浴びて…。ベッドに潜り込んでブルーを
抱き寄せ、二言、三言を交わしたかと思うと、もう深い眠りに落ちている。
 そんな日が長く続いていた。ハーレイの温もりを感じられればブルーはそれで充分だったし、
抱いて欲しいと強請るつもりも無い。けれど、ハーレイの疲労の色が濃くなってゆくのが、
ただ心配で堪らなかった。
 無理をしすぎていないだろうか。休むようにと言うべきだろうか、と逡巡する内に扉が開く
気配を感じる。今日は早めに帰れたのか、と顔を上げたブルーの視線が凍り付き、ガクガクと
身体が震え始めた。
 嘘だろう、ハーレイ…。君に呼ばれたと思ったのに……!

 

 


「大丈夫です、ソルジャー。落ち着いて下さい」
 そう言ってくれた声は耳に馴染んだものではなくて、肩に置かれた手もドクターのもの。
ブルーが帰りを待ち焦がれていた褐色の身体は隣のベッドに横たわっていた。力が抜けたように
立ち上がれないでいるブルーの目の前で、ハーレイの腕に繋がれた点滴のチューブに滴がポタリと
落ちる。
「一通り検査を致しましたが、特に異常は見られません。連日、無理をしておられたようで…。
いわゆる過労と思われます。明日には意識が戻るでしょうが、当分は安静にして頂きます」
 ソルジャー・シンも了承しておられます、とドクターは言った。


「ソルジャー・シンも御存知ない時間まで仕事をなさっておられたとか。もっと早くに気付く
べきだった、と長老方も反省しきりでいらっしゃいます。ソルジャー、あなたにお任せしても
よろしいでしょうか?」
「えっ?」
「心身の安静が第一ですので、三日間ほどは面会謝絶にすべきであると考えます。ソルジャー・
シンや長老の皆様方がお越しになれば仕事が頭を掠めるでしょうし…。私と医療スタッフ以外は
立ち入り禁止にしたいのですが」
 ドクター・ノルディが何を求めているのか、ブルーはようやく理解した。ハーレイを看ていて
貰えないか、と言われているのだ。否と答えるわけがない。自分一人では心許ないが、ドクターと
医療スタッフも来てくれるのならば…。


「かまわないよ。どうせ一線を退いた身だ、こんな時くらいしか役に立てない」
「いえ、そんなことは…。ソルジャー、ありがとうございます」
 キャプテンのお身体なら御心配は要りませんから、とノルディは点滴のパックとチューブを
チェックし、交換の時間にはメディカル・ルームからスタッフを寄越すと約束した。
「もちろん、キャプテンの分の食事も運ばせます。明日の朝には様子を見に寄りますから、
夜間のことはスタッフに任せてお休み下さい」
 そう告げられて初めて夜であることに気が付いた。戦闘が始まる直前に軽い夕食を摂ったの
だったか…、と思い当たる。人類軍からの攻撃には昼も夜も無い。このところ、ハーレイは
夜中に飛び起きてブリッジに走ってゆくことも度々で…。
 倒れるほどに疲れていたのか、とハーレイの頬に手を伸ばす。触れた肌からは何の思念も
感じず、疲れの酷さと眠りの深さが察せられた。


「それでは、失礼いたします。ソルジャーもお疲れになりませんよう」
 ドクターが一礼して去って行った後も、ブルーは長い間、ハーレイの頬の辺りをそっと
擦り続けた。
少し伸び始めたらしい髭がチクチクと当たる。いつもシャワーのついでに剃っていたのか、と、
余計な手間を取らせていたことを悔いつつ、その気遣いが嬉しくて。
(ハーレイ…。暫くはぼくが世話をするから、ゆっくり休んで)
 もう二度と無理をするんじゃないよ、と補聴器が外された耳元に唇を寄せて囁き掛ける。
こんな非常時に、とは思うけれども、ハーレイと二人きりの時間が三日間。ハーレイの目が
覚めたら、久しぶりにゆっくり話をして…、と心躍る時に思いを馳せながらブルーは自分の
ベッドに戻った。

 

 


 ハーレイの腕と温もりが感じられないことは寂しかったが、独りで眠るには広すぎるベッドの
柔らかさは身体に心地良い。大きな枕に頭を凭せ掛けて間もなく、ハーレイの昏倒に驚きすぎた
心はゆるゆると眠りに誘われていった。
 明日、目を覚ましたらハーレイはもう起きているのだろうか? 起きていなければ寝顔を
見ながらゆっくり待とう、と夢の狭間にブルーは揺蕩う。それから食事を運んで貰って、
ハーレイがベッドから起き上がれないようならフォークやスプーンで口まで運んで…。
 ハーレイは何と言うだろう? 頬を赤らめて「自分で出来ますよ」と膨れそうだ…。


(………!??)
 ザァッ、と激しい風が吹き付け、渦を巻いた。目を閉じ、顔を庇ったブルーが瞼を開くと、
其処は青の間よりも遙かに眩い光が満ちた空間で。
「やはりお前か。ソルジャー・ブルー!」
 あの男が……黒髪の地球の男が銃口をこちらに向けていた。まさか、此処は…。
「此処まで生身でやって来るとは…。まさしく化け物だ。だが、此処までだ。残念だが、
メギドはもう止められない!」
 銃口が火を噴き、右肩に衝撃と痛みとが走る。止めなければ。メギドを止めなければ…!
 容赦なく撃ち込まれる弾丸に堪らず床に膝を付きつつ、反撃のチャンスとタイミングを計る。
残されたサイオンを極限まで高め、メギドと共にあの男をも…。


「これで終わりだ!」
 視界の半分が真っ赤に塗り潰された次の瞬間、サイオンを床へと叩き付けた。暴走した青い
光の輪が広がってゆき、地球の男を飲み込もうとする直前に。
「キース…!!!」
 飛び込んで来た人影が背後から地球の男を抱えるようにして消え去った。
 鮮やかな碧のサイオン・カラー。
 今の男は…ミュウだった……のか…? それならば。地球の男の傍らにすら、ミュウが
生き延びるだけの余地があるならば。
(ジョミー! …みんなを頼む!)
 このメギドだけは壊して逝くから。
 ミュウたちの生きられる場所を探して、君たちは地球へ…。


(…ハーレイ、君もどうか無事で…。ぼくの分まで、地球をその目で…)
 でも、ハーレイ…。もう一度だけ会いたかったよ、君の碧が見たかった。さっきのミュウを
見て思い出したんだ。ぼくだけの懐かしい、暖かく輝く碧の光を…。
 どうか最後に一目だけでも、と願った思いは叶わなかった。漆黒の奈落に囚われ、闇の底へと
引き摺り込まれる。もう会えない。自分は此処で闇黒に飲まれて、たった一人で…。
「ハーレイ…っ!!!」
 伸ばした手が空を切り、ブルーは底知れぬ冥暗の獄へと投げ出された。
 落ちる。落ちてゆくのだ、永遠に。会えなかった想い人の名を呼び続けながら、永劫の時を
泣き叫びながら、果てしなく何処までも、光すら届かぬ真の闇の中を……。

 

 


「ハーレイ! …ハーレイっ…!!」
 自分の泣き声で目が覚めた。落下は止まり、ベッドの天蓋が上の方に見える。
(……此処は……)
 青の間なのか、とホッと安堵し、全ては夢であったと悟った。けれどいつもなら抱き締めて
くれる腕が無い。
 「恐ろしい夢を見たのでしょう」と、「大丈夫ですよ」と頬を優しく撫でてくれる手も、
温かな口付けをくれる唇も…。


「……ハーレイ…?」
 もうブリッジに行ったのか、と身体を起こし、傍らのベッドに気付いて血の気が引いた。点滴の
チューブに繋がれ、死んだように眠っているハーレイ。点滴パックが満杯に近い状態だから、
寝ている間に医療スタッフが交換をしに来たのだろう。
 昨夜、過労で倒れたハーレイは多分、あれから一度も目覚めてはいない。目覚めたのなら
思念でブルーを呼ぶ筈だ。ブルーがどれほど心配したかは分かる筈だし、「ご心配をお掛けして
すみません」と一言必ず告げてくれる。


(…このせいかな……)
 酷い夢だった、とブルーは前髪を掻き上げた。
 メギドの悪夢は今でもたまにブルーを苛む。けれど最後には碧の光がブルーを包み込み、
ハーレイの許へと運んでくれるのが常だった。いつもハーレイが気付いて目覚め、夢が
恐ろしい方へと向かわないように優しく起こしてくれるのだから。
 その誘導が無いとこうなるのか、と身体を震わせたブルーの心にフッと不吉な翳が差す。
 体力の限界に達したハーレイ。
 ブルーをメギドから救い出して以来、その命の灯を決して消すまいと祈り続けてくれる
ハーレイ。彼の祈りだけで生かされていることは自覚していたし、無上の幸せでもあった。
 ただ、心の片隅に蟠っている疑問が一つだけ。


 ブルーの命を繋いでいるものは本当にハーレイの祈りだろうか? 祈りではなく、その祈りに
托されて流し込まれるハーレイの命で自分は生きているのではないか…。
 人の血を吸って永遠の命を得ていたという伝説の中の吸血鬼。彼らのように自分もハーレイの
命を啜り、削り取りながら今も生き永らえているのではないか…。
 それを一度だけ口にした時、ハーレイは豪快に笑い飛ばした。そんな器用なことは出来は
しないし、仮にそうなら自分はとっくの昔に死んでいますよ、と。
(そうでしょう、ブルー…、と、君は言ったね。本当ならば老衰で死んでいた筈のぼくを、
あれだけの傷を負って死にかけたぼくを今の状態まで戻すためには命が幾つあったとしても
足りないと…。でも……。君とぼくとが思った以上に、君の寿命は長かったのかもしれないよ…)


 限界が来たんじゃないのかい、とブルーはポツリと呟いた。
「過労だとノルディは言ったけれども、本当はぼくのせいかもしれない。君の命を削り続けて、
とうとう限界に近付いたのかも…。そうだとしたら、もういいよ」
 これ以上はもう祈らないで、とブルーは眠り続けるハーレイの唇に口付ける。
「君はシャングリラのキャプテンだ。ぼくよりもずっと、ミュウのみんなが必要としている
人間なんだよ。…だから、君の命は君のためだけに…。ぼくは充分に生きたから」
 メギドから連れ戻してくれてありがとう、とハーレイの手に額をつけて礼を言ったものの、
先刻の悪夢が蘇って来た。充分すぎるほど生きたけれども、またハーレイと離れて逝くのか…。


「ハーレイ…。せめて最期は手を握っていてくれるかい…? 戦闘の真っ只中だったとしても、
ぼくの側に居て手を握っていて欲しいんだ。それがぼくからの最後のお願い。…君の手があれば、
きっと最後まで幸せなままで旅立てるから…」
 ちょっと我儘すぎるだろうか、と微笑むブルーの瞳に涙の粒が盛り上がる。
 逝きたくはない。まだ逝きたくはないのだけれど、ハーレイ、君の命は受け取れないよ…。

 

 


 もうこれ以上、ハーレイの命は貰えない。
 ブルーは決意を固めはしたが、それをハーレイにどう告げたものか。
 二度と祈るな、と言おうものならハーレイは意地でも祈り続けることだろう。彼の命の灯が
燃え尽きるその瞬間まで、ブルーを決して離しはすまいと…。
 ハーレイの祈りを拒絶する術はブルーには無く、望まれるがままに生き続けるだけ。強引に
それを断とうとするなら、自分自身を害するしかない。ブルーが自ら命を絶てばハーレイの命は
守れるだろうが、ハーレイの心はどれほど傷つき血を流すことか…。


「…ハーレイ…。ぼくはどうすればいい? どうすれば君の命を守れる…?」
 分からないよ、とブルーの中で答えの出ない問いが廻り続ける。
 ハーレイのベッドの傍らを離れ、自分のベッドに仰向けに転がって見えない答えを探し続ける。
誰かに相談すべきだろうか? ソルジャー・シンならハーレイの祈りを強制的に遮断し、ブルーの
命を絶てるだろうか?
(…でも……。そうすれば君が困るよね、ジョミー…)
 ぼくを殺せと言うのも同じ、とブルーは両手で顔を覆った。


 アルテメシアでサイオンに目覚めたばかりのジョミーが自分を生かしたことがある。今の
ハーレイのように祈りと願いの力だけで。
 あれもジョミーの命によるものだったら、自分の命を一度は注いで生かしたブルーを殺せる
だろうか? たとえゆっくりと衰え死んでゆくのだとしても、ブルーの命を消せるだろうか…。
 ましてトォニィやナスカの子たちには頼めない。あの幼さで人の命を絶ち続けるのは戦場だけで
沢山だ。同じ船で生き、共に暮らしているブルーの命を子供ゆえの純粋な使命感だけで絶てたと
しても、いつか成長した暁には心の傷となりそうで…。


(…ハーレイ…。ぼくは死ねないよ…。死ねないけれど、死ななきゃならない。君のためには
死ぬしかないんだ。でも方法が見付からないよ……)
 ヒルマンなら何か分かるだろうか、と教授と呼ばれるシャングリラの碩学を思い浮かべる。
あるいは過去の歴史に詳しいエラあたりか。しかし、誰に相談しに行くにしても…。
 「三日間、頼むと言われたっけ…」
 ハーレイは三日間、面会謝絶だ。その間の看病を引き受けた以上、青の間を抜け出すわけには
いかない。ましてハーレイに自分の決意を見抜かれたりすれば、ただでも過労で倒れた身体に
更なる負担がかかってしまう。


「…あと三日だけ、夢を見るのがいいのかな…」
 三日くらいなら誤差の範囲か、とブルーは無理やり結論付けた。ハーレイに心を
読まれないよう、思考ごと遮蔽し封じると決める。自分自身でも思い出せない記憶の奥底に
決意を閉じ込め、解き放つ時は三日の後。
 ソルジャー・シンか、長老たちか。彼らの内の誰かが青の間を訪れるまで心の底へ、と
ブルーは思考の一部に固く鍵を掛けた。

 

 


 ブルー自身も忘れてしまった命への疑問。
 翌朝、何も知らずに目覚めたブルーは傍らにハーレイの温もりが無いことに驚き、隣のベッドで
独り眠っている想い人を見付けて昨夜の騒ぎを思い出した。
「まだ目が覚めてはいないんだよね…」
 ベッドから起き出し、ハーレイのベッドに腰掛ける。心なしか少し窪んだ頬へと手を
滑らせれば、昨日感じた髭の感触が思い起こされて。
「…また伸びてる…」
 そっと辿ってみた髭の生えた辺りは昨夜よりも強くその存在を主張していた。それが生命力の
証に思えて、ふっと頬が緩む。点滴のパックはさっき交換されたばかりのようだが、ハーレイが
目覚めればきっと食事も摂れるだろう。しかし、髭は自分で剃ることが出来るのだろうか?


(…食事はぼくが食べさせてあげられそうだけれど、髭はどうかな…)
 どうやって剃るのか分からないよ、とブルーは頭を悩ませる。着替えや身体を拭くのと同じで
医療スタッフに任せるべきか、この機会に挑戦してみるか。
(えーっと…。とりあえず、やり方を知らないことにはね…)
 少しだけ心を読んでもいいかな、とハーレイの寝顔を覗き込んだ時。
「……謹んで遠慮させて頂きますよ」
 切り傷も剃刀負けも御免です、と口にしながらハーレイがゆっくりと目を開けた。
「あなたはいったい、何をなさる気で…。………???」
 ハーレイの鳶色の瞳がブルーの顔と点滴パックと、自分の腕に刺さったチューブとを何度も
何度も見比べる。自分の身に何が起こっているのか、まるで分かっていない様子にブルーは
クスッと笑みを浮かべた。


「君は働き過ぎなんだよ。過労だってさ、昨日ブリッジで倒れたそうだ」
「で、では…。今のシャングリラはどうなって…」
 起き上がろうとするハーレイの肩をブルーの腕が押さえ付ける。
「急に動いちゃ駄目だろう! 点滴のチューブが外れてしまうよ、それにドクターに叱られる」
「…ドクター?」
「三日間、面会謝絶だと言っていた。ドクターと医療スタッフしか来ない。君の世話はぼくに
お願いします、と一任されたから任せておいて」
 食事を運んで貰う前に髭を剃ってみてもいいだろう、と茶目っ気たっぷりに微笑むブルーに
ハーレイは青ざめ、自分で剃れると逃げを打つ。攻防戦の末、ハーレイは点滴の台を
引き摺るようにしてバスルームへと歩いてゆき…。


「ふうん…。そうやって剃るんだ、髭って」
 興味津々で背後から鏡を覗き込むブルーに、ハーレイは剃刀を使いながら。
「シェーバーを使っている者たちも多いですよ」
「…シェーバーって?」
「いわゆる自動の髭剃り機ですね」
 私の好みではありませんが、と返されたブルーの胸がじんわりと少し熱くなる。
 まだハーレイについて知らない部分があるようだ。知れて嬉しい、と思うと同時にもっと
知りたい、と思いが募る。ハーレイのことをもっと幾つも、一緒に生きてゆく中で幾つも、
幾つも…。

 

 


 医療スタッフに三度の食事を運んで貰って、朝と夜とにドクターの診察。点滴のパックも
三日目の朝には外され、ブルーとハーレイはそれは穏やかな面会謝絶の期間を二人で過ごした。
 ハーレイが多忙を極めて以来、絶えて無かった二人だけの長くてゆったりとした時間。
 他愛もない話をしたり、ハーレイの髭を剃りたがるブルーと揉めたり、同じテーブルで
食事を摂ったりと、まるで蜜月であるかのように。


 これは後から知れた事実だが、キャプテンの疲労回復を妨げぬよう、ソルジャー・シンは
地球への進攻を一時中止し、フィシスの占いなども取り入れて人類軍のいない宙域を選んで
航行していたらしい。その甲斐あって、面会謝絶は四日目の朝に無事に解かれて。
「なんだい、思ったよりも元気にしてるんじゃないか」
 つくづくタフな男だねえ、と朝食後にブラウが訪れた。
 それは蜜月の終わりの合図。心の底深く秘められた鍵が外れて、遮蔽が解ける。
(……そうだった……)
 三日間だけの夢だったのだ、とブルーの胸の奥に冷たい氷の塊が出来た。
 ハーレイの命を削り続けて生きて来た自分。この忌まわしい命をどうやって絶つか、誰に
相談するべきなのか。ブラウは多分、適役ではない…。


「…ブルー? どうなさいました?」
 お顔の色が、とハーレイが心配そうに尋ね、ブラウがブルーの顔を覗き込んで。
「アレだね、看病疲れだろ。ハーレイ、あんた、色々我儘言ったね」
「いや、私は…」
「違うんだ、ブラウ。…そうじゃない」
 ハーレイは何も、と止めに入ったブルーの肩をブラウはポンと軽く叩いた。
「こんなデカイのの世話を三日もお疲れさま。…だけどアンタが元気そうにしてて良かったよ。
ハーレイが引っくり返った時には共倒れかと焦ったからねえ…」
「…共倒れ?」
 怪訝そうに訊き返すブルーに「そうですよ」と答えを返した人物は、朝の診察のために
入室してきたノルディだった。


「キャプテンがあなたの命を繋いでいることは疑いようのない事実です。ただ、それがどういう
形なのかが分からなかった。キャプテンは祈りだけだと仰いましたが…」
「正直、自分の命を分けているんじゃないかと誰もが心配していたわけさ」
 ブラウの言葉にブルーはギクリと自分の胸元に手を当てる。
 告げるまでも無く知られてしまった。それにハーレイも聞いている。これでは、自分は…。
「何をビクビクしてるんだい? はは~ん、さてはアンタも心配してたね?」
「…ブラウ…。頼む、ハーレイの前でその話は……」
 しないでくれ、と縋るようにブルーはノルディに視線を送った。面会謝絶が解けたばかりの
ハーレイに心労を与えてはまずい。日を改めて、と思念と瞳で哀願したが。


「ソルジャー、どうか御心配なく。…今回の騒ぎで分かりましたよ、キャプテンのお話が
正しいようです。もしも本当に命を分けておられるのならば、あなたも倒れておられた筈です」
「…そ、それは…。幾らかはストックがあっただろうし…」
 それで倒れずにいられただけだ、とブルーは声を絞り出す。けれどノルディは首を横に振った。
「お言葉ですが、命をストックするというのは恐らく無理かと思われます。仮に可能だったと
しても三日もの間、キャプテンが不調でおられたとなると影響が出ます。ですが、あなたは
普段と変わらず健康な状態でいらっしゃいましたし…。祈りで間違いなさそうですね」
「そういうことだよ、だから心配無用ってね。命を削ってるわけじゃないんだ、このデカブツは
長生きしそうだし、うんと長生きさせて貰いな」
 百年くらいは軽い、軽い、とブラウは声を立てて笑った。ハーレイは顔を真っ赤に染めつつ、
ブルーに優しく微笑みかける。


「…そんな御心配をお掛けしていたとは…。ブルー、申し訳ありません。お詫びに一度くらい
でしたら、私の髭を剃って下さっても…」
「おや、なんだい? 髭って何さ?」
 面白そうだねえ、とブラウが話に首を突っ込み、「剃っちまいな」とブルーを唆し…。やがて
訪れたソルジャー・シンや他の長老たちも交えて髭剃りは時ならぬ娯楽となった。
 誰もがブルーの命のことを気遣いつつも口に出来ずに秘めていた分、何の心配も無いと分かった
反動はシャングリラの船体をも揺るがしそうな笑いの渦へと広がっていって…。

 

 


「…ブルー、いささか痛むのですが…」
 やはり遠慮しておくべきでした、とハーレイが顎に手を滑らせる。面会謝絶は解けは
したものの、キャプテンはまだ当分は安静ということになっていた。
「構わないと言ったのは君だろう? 剃刀負けにはこれだ、とノルディも言ったし」
 塗ってあげるよ、とブルーは軟膏のケースを手に取り、中身を指先に掬い取る。
「ほら、じっとして動かない! 明日の朝にはきっと治るさ」
「いたたたた…。本当に髭剃りは二度と勘弁願いますよ」
「うん。ぼくには向いていないみたいだし…。自分で剃るのが一番だよね」
 でも疲れた日は剃らなくていい、とブルーはしっかり釘を刺した。
「シャワーだって次の日の朝で構わないんだよ、ぼくは全く気にしないから」
「…ですが、あなたと同じベッドで休むのですし…。休養期間が終わりましたら」
 それまでは別のベッドですが、と言うハーレイの手をブルーの白い手がギュッと握った。


「それなんだけど…。ドクターが診察に来る前に起きて移動でいいんじゃないかな」
「…ブルー?」
「君の命を削っているんじゃないかと怖かったんだ。君が倒れて、そうだと思った。君の側には
もう居られない、死ぬしかないと思っていたんだよ…」
 でも怖かった、とブルーはハーレイの胸に縋り付く。
「どうやって死ねばいいかも分からなかったし、君と離れるのも怖かった。君が最後まで手を
握っていてくれるなら…、とも思ったけれど……ずっと君の側に居たいとも思った」
 どれも選べなかったんだ、と訴え掛けるブルーの心からハーレイの中に思いの全てが流れ込んで
いった。命を繋ぐ祈りを捧げ続ける絆を通して逆流したと言うべきか…。


 自ら命を絶つことすらをも考えたほどに思い詰めていたブルーの深い嘆きと悲しみ。
 ハーレイの命を守るためだけに死にたいと願い、それでもハーレイの側に居たいと……最後まで
手を握って欲しい、と涙を零して心を固く封じたブルー。
 倒れたハーレイに余計な心痛をかけまいとして、辛い思いを、答えの出ない問いを心の奥底に
沈め閉じ込め、その封印が解ける瞬間まで柔らかく微笑み続けたブルー…。


 ハーレイは声も出せなかった。あまりの痛みに、その健気さに心が張り裂けそうになる。
 これほどの苦しみを負わせたのか、と。
 ただ守りたいとひたすらに願い、どんな苦痛も悪夢でさえも近付かせまいと大切にしてきた
つもりのブルーを、これほどまでに苦しめたのか……と。
 今度こそブルーを離しはすまい。
 二度とブルーを悲しませないよう、苦しめぬよう、華奢な身体を守らなければ…。ハーレイの
腕に力が籠もる。ブルーをその胸に閉じ込めるように。
「……ハーレイ……?」
「ブルー、あなたの仰せのままに……」
 ドクターが来る前に起きて移動を致しましょう、とハーレイはブルーを強く抱き締めた。
側に居たいと望むブルーが求めているであろう確かな温もり。ブルーが味わった悲しみと流した
涙の代わりと呼ぶにはあまりにもささやかなものだけれども、せめて腕の中で休ませたいと…。

 

 


 ハーレイと離れて逝かねばならぬ、と一度は決意したベッドの上でブルーは想い人の体温と
匂いに包まれる。
「……温かい……」
 君の身体は温かい、と胸に頬を擦り寄せるブルーの背をハーレイの手が優しく撫でる。
「…ブルー、申し訳ありません…。もう長いこと、ただ添い寝するだけの夜ばかりで…。それも
私が先に眠るなど、さぞかしお寂しかったでしょうに……」
 もう少し身体を気遣います、とハーレイはブルーに口付けた。
「すみません…。今はこれだけが精一杯で……。あなたが嫌だと仰るほどにお身体に私を
刻み付けられるよう、頑張って体力を取り戻しますよ」
「…そんなこと……。そんなのは無くてもいいんだよ。……ぼくは長い間、君を待たせた。
メギドから戻って来た後もそうだし、その前は十数年も待たせ続けて眠ったままで…」


 だから今度はぼくが待つよ、とブルーはハーレイに口付けを返す。触れるだけの口付けを
何度も、何度も、想いをこめて唇に、頬に、まだ痛むらしい剃り跡の傷を労わるように。
「君がすっかり元気になるまで、一緒に眠れるだけでいい…。明日はドクターが来る前に
ぼくが起こすよ、だから安心してゆっくり眠って……」
「…ブルー、あなたこそ…。辛い想いをなさったのです、今夜はどうぞ良い夢を…」
 明日の朝はごゆっくりお休み下さい、とハーレイは自分で起きると言い張った。互いに相手の
身体を気遣い、自分が起こす、と約束し合いながら、二人して眠りに落ちてゆく。
 先に眠ったのはハーレイだったか、それともブルーだったのか。
 固く抱き合い、寄り添い合ったままで眠り続ける恋人たちは気付かない。
 部屋を訪れたドクターが一つ溜息をついて、首を振りながら出て行ったことに。

 

 


 キャプテン・ハーレイ、過労につき当分は青の間で静養とする。
 入室する者は事前にドクターの許可を得るよう、との告知がシャングリラ全艦に流された。
 ソルジャー・シンや長老たちもその例外ではないらしい。
 そんな告知が出されたとも知らず、ハーレイとブルーは眠り続ける。
 二人が共に目覚めた時にはブルーの心を引き裂いた痛みも、ハーレイの顎の剃刀負けも
きっと癒えていることだろう。互いの温もりは何にも勝る特効薬で、それを上回るものは
無いのだから。
 地球への道は長く険しいけれども、二人は地球の夢を見る。
 青い星に二人で降りてゆく夢。
 夢はいつの日か、遠い未来に奇跡となって青い地球の上で叶う筈……。








                   奇跡の狭間で・了


  ≪作者メッセージ≫

  ハレブル別館にお越し下さってありがとうございました!


  『奇跡の狭間で』は、『奇跡の碧に…』と『奇跡の青から』の間の何処かが
  舞台になっているお話です。特に何話の辺りとは決めてませんねえ…。
  地球の座標は掴んだものの、まだまだ遠い宇宙を旅していた頃です。


  昨年の『奇跡の青から』でブルー生存EDを書き上げたくせに、いざ7月が
  近付いてくると「何かせずにはいられない」という損な性分。
  「ウチのブルーは生きてます!」と再確認&主張するために書いてみました、
  奇跡シリーズな『奇跡の狭間で』。


  ブルーを生かしているものが何であるかもハッキリさせておきたいですしね。
  ハーレイの命を貰っているわけではありませんから、御安心を。
  祈りという奇跡で生きているブルー。
  祈りを捧げ続けるハーレイ。
  そんな二人が青い地球まで星の海を渡ってゆくのです。


  青い地球の上に降り立つことが出来たブルーは、幸せに生きているでしょう。
  ハーレイと二人で穏やかな日々を、文字通り「ただのブルー」として。

  
  今年も「運命の17話」の放映日、7月28日が巡って来ました。
  アニテラでは叶わなかった未来だからこそ、ブルーを青い地球の大地の上へ。
  一連の『奇跡』シリーズは、そのためだけに存在します。


  ハーレイとブルー、二人の幸せな未来を祈りつつ…。
  7月28日ですから、黙祷。

 


        2013年7月28日(日)、アニテラ17話放映から6周年。





 岩盤に押し潰される衝撃が来るまでの時間は酷く長かった。砕けたシールドの欠片が青い光の
粒に変わるのを赤い瞳でぼんやりと見ながらハーレイを想う。今度こそハーレイは泣くだろう
けれど。…でも、キースたちを守って無事に地上へ戻って欲しい。地球の未来を見届けて
欲しい…。


「ブルー!!!」
 視界に青い光が溢れ、ブルーをまさに押し潰さんとしていた岩が粉々に弾け飛んだ。現れたのは
ジョミーではなく、オレンジ色の瞳のトォニィ。
「間に合った…。飛ぶよ、ブルー!」
 燃えるような髪を持つ青年の腕に抱えられ、一瞬の後にはジョミーたちが待つ地下通路へと移動
していた。
 トォニィはブルーを両腕で抱いたままでジョミーに向かって叫ぶ。


「グラン・パ、上の方も崩れ始めてる! 歩いていたんじゃ間に合わない。ぼくとグラン・パの
力で飛ぼう。何度かに分ければ上に出られる!」
 ぼくはそうやって降りて来た、というトォニィの提案にジョミーが頷き、ハーレイがブルーを
腕に抱き取った。そんな中でジョミーが「すみません」とブルーに謝る。
「あなたを迎えに飛ぼうとしました。…そこへ地震が起こってしまって、目標を定められなく
なった。もしもトォニィが来てくれなかったら…。本当にすみませんでした」
『…君が謝る必要はない。あそこに残ると言ったのは、ぼくだ。…君が地震の中で飛べない程に
消耗したのはグランド・マザーのせいだろう? …気に病むな、ジョミー。それよりも、上へ』
「はい…!」


 行きましょう、とジョミーとトォニィがハーレイとキースを挟んで向かい合った。ハーレイの
腕の中にはブルー。キースの腕にはマツカ。二人のタイプ・ブルーが力を合わせれば、その
サイオンは相乗される。テレポートを重ねて上へ、上へと飛んでゆく間、ハーレイはブルーを
しっかりと抱いて離さない。


『ブルー…。今度こそ駄目かと思いましたよ。…ソルジャーとしての御判断も結構ですが、もう
おしまいにして下さい。私の心臓が保ちません』
『…ぼくを生かしている分を削れば大丈夫だろう?』
『何度も申し上げた筈ですが…。あなたが生きていらっしゃることこそが、私の生きている
意味です。…ですから生きて下さい、ブルー』
 シャングリラに帰ったらすぐに手当てを、とハーレイは言うが、痛みはそれほど感じなかった。
傷口を凍らせられていることもあったが、それ以上に精神的なものが大きい。一つ判断を誤れば
皆を巻き添えにしかねない状況だけに、気をしっかりと保たねばならぬ。…そう、地の底から
脱出するまでは。


「グラン・パ! 上に誰か居る!」
「なんだって?」
 何処だ、と問い返しながらもジョミーはトォニィと共にブルーたちを連れてテレポートする。
ぽっかりと開けた空間は薄暗かったが、そそり立つ扉と女神のレリーフに見覚えがあった。
カナリアと呼ばれる子供たちがいたフロアだ。
「ゼル!? それに…ヒルマンたちか?」
「「「ソルジャー!?」」」
 ジョミーの呼び掛けに応えた声は長老たちのもの。絶え間ない地震で壁がひび割れ、落下物が
散乱する暗い広間に彼らは居た。


「こんな所で何をしているんだ! 崩れるぞ!」
「…ソルジャーたちを探して此処まで降りて来たんじゃが…」
「先へ進めなくなっちまってさ。でも、あんたたちが無事で良かったよ。…と、無事ってわけでも
ないようだね」
 ブルーの傷と気を失っているマツカに気付いたブラウに、ブルーは声を出す代わりに思念で
尋ねた。
『…此処に子供たちがいなかったか? それとも脱出した後だったか…』
「あの子たちならシャングリラに送り届けました。…それにフィシスも」
 ヒルマンが穏やかな瞳で高い天井を仰ぐ。
「こんな所に子供がいたのには驚きましたが、見殺しには出来ませんでしょう。私たちの力を
合わせればそのくらいは…。ただ、私たちが戻るのはもう無理なようです」


 来た道は塞がってしまいましたし、とヒルマンが指差す先には崩れ落ちた通路。此処はまだ
地上までの中間地点に過ぎず、脱出不可能と悟った彼らは子供たちと年若いフィシスを優先して
逃がしたのだろう。
「ソルジャー、あなたは逃げるんじゃ。勿論、ソルジャー・ブルーもですぞ」
「ハーレイ、あんたも行くんだよ。ブルーはあんたがいなけりゃ生きられないし、シャングリラ
にはキャプテンが必要だからね」
 行きな、とブラウが明るく笑い、ヒルマンやエラたちも声を揃えた。ミュウと人類の未来の
ためにも自分たちを捨て、ジョミーやキースたちが生き残って皆を導くべきだと。

 

 

 

「ほらほら、何をグズグズしてるんだい? 早く逃げないと崩れちまうよ。…そこの大将も上で
お供が待っているんだ」
 ブラウが大将と呼んだのは他ならぬキースのことだった。
「あんただよ、国家主席様。…人類にはシールドなんて器用なことは出来ないからねえ、よろしく
頼むと言われたんだ。探しに行くなら閣下も是非…って。シャトルが出られるギリギリまでは
待ってるってさ」
「…では……会談は無事に終わったのだな?」
 キースの問いにゼルがフフンと余裕の笑みを浮かべる。
「当然じゃろう。…まったく、あんなメッセージを流したくせに無責任に出ていきおって…。
お前の部下たちは気の毒じゃったぞ、右往左往というヤツじゃ。あちこちの星で暴動が起こるわ、
軍人どもは戦いを放棄するわで後始末に頭を痛めておったわい」
 早く戻って手伝ってやれ、と促したゼルの目が不審そうに細められた。


「…なんじゃ? この感覚は…。もしやミュウではあるまいな? お前はミュウを連れて
おるのか?」
「連れているとも。マツカはミュウだ。…そして私自身も…ミュウらしいな」
 唇の端を吊り上げたキースの身体からサイオンのイエローが立ち昇る。長老たちは息を飲み、
其処へジョミーが今に至るまでの経過の全てを思念で伝えた上で畳み掛けた。
「分かるな、これからが大切なんだ。逃げるなら誰一人欠けてはならない」
「ソルジャー! 無茶を仰られては困りますな」
 どうぞお早く、とヒルマンがブルーたちから離れて退き、ブラウたちも壁際に下がろうと
したが。


『アルテラ! タージオン、ペスタチオ、みんな、手を貸せ!』
 トォニィの強大な思念が遙か上へと向かって放たれ、ナスカの子供たちの青いサイオンが
シャングリラからユグドラシルの地下深くへと飛び込んで来た。そのサイオンに巻き上げられる
ようにゼルが、ブラウが、ヒルマンとエラの姿が消えてゆく。
「「「ソルジャー…!!!」」」
「先に戻っていろ! ぼくたちもキースを送り届けたら戻る!」
 行け! とジョミーがシャングリラが浮かぶ宇宙へと思念を送り、ブルーたちの方を振り
返った。
「ぼくたちも行こう。…急ぐぞ、ユグドラシルが崩れてしまったらシャトルが飛べない」
「グラン・パ、シャングリラからもシャトルが出てる!」
 アルテラに聞いた、と告げるトォニィに、ハーレイが満足そうな微笑みを見せた。
「シドが決断を下したか…。地球を離れる代わりに人命救助の道を選ぶとは、いいキャプテンに
なるだろうな」
「まだキャプテンは君だろう? 行くぞ、トォニィ!」


 ジョミーのサイオンがトォニィのそれと重なり、ブルーたちを連れてユグドラシルの上を
目指して飛ぶ。点在する空間から空間へと、地震と地鳴りの間隙を縫って。
 そうやって辿り着いた地上は激しい揺れと地割れからの噴火に見舞われ、ブルーとハーレイに
とってはアルタミラの惨劇を思い起こさせる熱く燃え盛る大気の中を何基ものシャトルが
上昇してゆく。地球にいた人類たちは皆、無事に脱出できただろうか?

 

 

 

 ユグドラシルの地上部は壁や通路のあちこちが裂け、照明すらも落ちた内部に人影は無い。
辛うじて外部からの有毒ガスだけはまだ入り込んでおらず、地震の度に縦に横にと揺れる通路を
格納庫へと進んでゆくと。
「アニアン閣下!」
 キースの側近の一人だった浅黒い肌の国家騎士団員の青年が、一基だけ残っていたシャトルの
中から駆け出して来た。
「閣下、御無事で…! マツカは!?」
「大丈夫だ、まだ死んではいない。私を庇って怪我をした。…そこのミュウたちが応急処置を
してくれたのだ。私を此処まで連れて来てくれたのも彼らだ」


 キースの言葉に青年はジョミーたちに最敬礼をし、続いて深々と頭を下げた。国家騎士団と
言えば軍人の中でもエリート中のエリート。その騎士団員がミュウに対して礼を取るという
行為が新しい時代の始まりを示していた。
「ありがとうございました! …閣下、此処はもう危険です。ユグドラシルにいた者たちは
脱出しました。我々も早く!」
「ああ、急がねばな。…世話になった、ジョミー。ソルジャー・ブルー。…そしてトォニィ。
それにキャプテンも……。礼を言う」
 また会おう、とマツカを抱いたまま会釈し、キースはシャトルへと乗り込んで行った。既に
準備が整っていたシャトルは滑るように離陸しようとしたが、その瞬間にユグドラシルが大きく
揺れる。天井に激突しかかったシャトルを間一髪で支え、燃える空へと解き放ったのは
ジョミーとトォニィのサイオンだった。


『…すまない、最後まで世話をかけたな。お前たちも早く逃げてくれ』
 キースから届いた思念波にジョミーが遠ざかるシャトルへと手を振り、ブルーたちの方を
振り向く。
「ぼくたちが最後らしいです。…帰りましょう、シャングリラへ。もう地球で出来ることは
何もありません」
『…そうだね、ジョミー。…こんな星へ行けと頼んですまなかった』
「ブルー、これからが新しい時代ですよ。ミュウにとっても、地球にとっても。…見届けて
下さい、あなたのその目で」
 帰りますよ、と強い意志を秘めたジョミーの瞳が大気圏内に降下してきていたシャングリラを
見上げ、最後のテレポートがブルーたちを展望室へと運んだ。
 ガラス張りの窓からユグドラシルが沈み、崩れ落ちてゆくのが見える。地球に寄生していた
SD体制の象徴たる忌まわしい毒キノコが宿主の怒りに触れ、毟り取られて踏み躙られ、
地の底へと葬り去られる姿が…。


『…ハーレイ……。地球が……燃える…』
 アルタミラみたいに、と思念で呟くブルーを両腕で抱いたまま、ハーレイも窓の外を見詰めて
いた。
「そうですね…。けれど、私は地球は再生すると信じています。あなたに青い地球を見て頂ける
日が必ず来ると信じていますよ…」
 あなたが生きて下さったように、とハーレイの思念がブルーの心に囁き掛けた。
『ソルジャーに戻ると仰った時、私は覚悟を決めていました。…あなたに万一のことがあったら、
私も生きて戻りはすまい……と。ですが、私たちはシャングリラに戻ってきたでしょう?
青い地球にもきっと行けます。あなたが生きて下されば……きっと……』


 そのためにも早く傷の手当てをなさらなければ、とハーレイに促され、ジョミーが思念を
飛ばしてドクターと医局の者たちを呼び寄せても、ブルーは赤々と燃え上がる地球から視線を
離そうとはしなかった。
 長い年月、焦がれ続けた青い水の星………地球。
 この星がいつか元の姿を取り戻す日が来るのだろうか、と地表を流れる灼熱の溶岩と
マグマが噴き出す無数の地割れとを眺め続ける。ドクターに打たれた麻酔のために意識が
薄れ始めても………地球を。

 

 

 

 重傷を負ったブルーの手術はメギドから帰還した時ほどに長くは掛からなかった。傷は深いとは
いえ一ヶ所だけであったし、ジョミーが取った処置とハーレイが注ぎ込んだ命が体力の消耗を
防いでいたために回復も早い。ブルーが意識を取り戻した時、最初に瞳に映ったものは…。
「…ハー…レイ…?」
「はい。ずっとお側にいましたよ、ブルー…」
 見覚えのあるメディカル・ルームのベッドの脇にハーレイが優しい笑みを湛えて腰掛けている。
「……地球は……どうなった…? 人類…と…ミュウは…?」
「キースとマツカを救ったのがミュウだと公表されたお蔭で一気に距離が縮まりました。あの後、
すぐに人類側の旗艦ゼウスの艦長でマードックと名乗る人物がシャングリラに表敬訪問を…。
私が船内を案内しましたが、友好的な男でしたよ。…ナスカでの戦いの直後に残存ミュウの
掃討命令を無視したそうです」
 人類側も好戦的な者ばかりでは無かったのですね、とハーレイはそっとブルーの手を取った。


「あちこちの惑星で起こったという暴動も、全てマザー・システムの破壊が目的でした。
施設に収容されていたミュウは自由になり、人類と共に暮らし始めているとのことです。
人類のミュウ化も既に報告が入っております。…これは機密扱いだったそうですが、
国家騎士団員の中にも少し前から潜在ミュウが」
「…それもマツカのせい…なのかな…?」
「恐らくは。…けれど他にも事例があるようですから、ミュウ因子を持った者がいたの
でしょうね」


 これからはミュウの時代ですよ、と微笑むハーレイにブルーも笑みを返す。地球は青くは
なかったけれども、幾つもの星がミュウが踏みしめられる大地になったのだ。SD体制は
過去のものとなり、ミュウは頸木から解放された。
 地球を目指せと約束の場所として掲げ続けた自分の罪はこれで少しは軽くなるだろうか?
青い地球を夢見て死んでいった者たちに少しは顔向け出来るだろうか…。


「ブルー? …まだ苦しんでおられるのですか、地球の姿に?」
 ハーレイはブルーの命を繋ぎ続けているだけはあって、心の動きにも敏感だった。
否定しようかと一瞬迷ったが、ブルーは頷いて銀色の睫毛を悲しげに伏せる。
地球を……見たかった。朽ち果てた姿でも紅蓮の焔に包まれた姿でもなく、青く輝く水の星を。
 地球に降りた日の夜にハーレイが見せてくれた、彼の心の中に在る青い星。自分とハーレイの
命が尽きる時にはあの青い地球へ行けるのだろうか? 地球を夢見て斃れた仲間たちも皆、
青い地球に辿り着けただろうか…。


「ブルー…。あなたが焦がれておられた青い地球まで、お連れ出来るかもしれません。
夢ではなくて、このシャングリラで。…ヒルマンも人類側の学者たちも皆、その可能性を
語っていますよ」
「……まさか……」
 そんなことが、と目を瞠るブルーにハーレイは小さなスクリーンを開いてみせた。
「御覧下さい。あなたが眠っておいでになった数日間の間の地球です」
 時間を縮めて再生される映像の地球は噴き上げるマグマに深く切り裂かれ、地表を覆うのは
燃える溶岩。どんな生物も棲めぬであろう海が煮え滾る岩の熱で干上がり、豪雨となって地上に
降り注ぐ。ブルーが見た地球が死の星ならば、この地球は地獄と言うべきだろうか。


「グランド・マザーは人類の留まる場所としてユグドラシルを維持していたようです。
マントル層にまで達してはいても、それを動かしはしなかった。…けれど今の地球は文字通り
地の底から動き始めています。汚染された大地を地下深く引き込み、新しい大地を生み出そうと
しているのですよ」
「…そういえば……最初の生命が生まれた頃の地球はこんな風だった、という説があったかな…」
「ええ。まるでその時代に戻ったようだ、とヒルマンたちは言っています。この速さで地殻の
破壊と再生が進むようなら、落ち着いた頃にテラフォーミングを施してやれば青い地球へと戻るの
ではないか…と。我々にも要請が来ていますよ。ナスカでの経験を地球に生かさないか、と」


 ナスカは人類が見捨てた惑星だった。それを草花の育つ星にしたミュウの力が地球の再生に
有効ではないか、と人類側の学者たちは考えたらしい。既にヒルマンと連絡を取り合い、情報
交換が始まっているようだ。


「ナスカか…。ぼくは一度も降りなかったけれど、あの星と地球が繋がるのなら……死んでいった
仲間たちも喜ぶだろうか? そうなってくれれば…ぼくも嬉しい…」
「ジョミーが話していましたよ。ナスカで最初に根付いた植物を植えてみようかと。…ブルー、
あなたも御存知の植物です。あなたが改良なさった豆があったでしょう? あれがナスカで
最初に根付きました」
「…あの豆が…? あの豆を……地球へ…?」
「はい。生命力がとても強いですから、緑化には有効な植物です。それに植物は酸素を作り出し
ますし…。人類側の学者も興味を示しているそうです」
「……そんなつもりで作ったわけではないんだけれど……」
 食料が乏しかった時代にシャングリラの中でも簡単に育てられる食物を、とサイオンを
使って改良したのがハーレイが言う豆だった。環境が改善されるにつれて忘れ去られたものと
思っていたが、その豆がナスカの大地で育てられ、今度は地球の再生のために使われようと
しているとは…。


「ブルー。…長生きはしてみるものでしょう? もうソルジャーに戻られる必要も無いの
ですから、生きて下さい。私がこの船で青い地球へとお連れする日まで」
 約束ですよ、と強く握られた手をブルーはまだあまり力の入らない手で握り返した。
 ……約束するよ、ハーレイ。
 君が連れて行ってくれると言うなら、青い水の星に還れる時まで生きていよう。でも……。
「…ハーレイ…。生きているのは地球に着くまででいいのかい?」
 ハーレイがハッと息を飲み、慌てて叫んだ。
「いいえ! いいえ、ブルー…。その先まで。ずっとずっと遙かな未来まで、私と生きて
頂きます!」
 青くなり、すぐに耳まで真っ赤に染まったハーレイの顔がとても可笑しくて、ブルーは
フフッと小さく笑った。
 分かっているよ、ハーレイ。
 君と一緒に、遠い未来まで……。

 

 

 

 シャングリラは揺れ動く地球とソル太陽系を離れ、アルテメシアへと戻っていった。地上で
暮らしたいと願った者たちを降ろし、その後は……SD体制下で首都星と呼ばれていたノアへ。


 ジョミーはミュウの長として人類側の代表であるキースと共に新しい体制を創り出すために
奔走していたが、住居とする場所はシャングリラだった。かつて人類軍がモビー・ディックと
名付けた白い巨艦はミュウの自由の象徴となり、見学希望者が後を絶たない。
 人類の過半数がミュウ化した時点でキースが自身とマツカのミュウ化を明らかにする声明を
出すと、頑強にミュウとの接触を拒んでいた者たちも一気に軟化し、人類の進化は加速してゆく。


「ブルー」
 務めを終えて戻ったジョミーがハーレイを伴い、青の間へと入って来た。
「この調子だと、あと半年も経たない内に全員がミュウになりそうですよ。自然出産をする
人たちも増えています。地球の地殻変動は続いていますが、大きな地震は減ってきましたね。
…調査船からの報告では汚染物質は既に地表には全く残っていないそうです」
「凄いね、人は…。それに地球も…」
「ええ。思った以上の速さで時代は変わり続けていますよ。…それなのに、あなたは相変わらず
……ですね。楽な服をいくら届けさせても、着替える気にはなれませんか…」
 ジョミーが深い溜息をつく。彼の服装はノアの統治機関での勤務用ですらなく、慣れ親しんだ
家で寛いだひと時を過ごすのに相応しいラフで着心地の良いものだった。しかし、対するブルーは
頑なに、白と銀の上着に紫のマントというソルジャーの衣装しか着ようとはしない。


「これはぼくへの戒めなんだよ。青い地球へ還り着くのだと繰り返し唱え続けた以上は、その
地球へ皆が行ける時まで、ぼくの務めは終わらない。ぼくを信じてついて来てくれた仲間たちを
皆、地球へ連れて行ってやらなければ」
「もうソルジャーは必要ないんですけどね…。でも、あなたが地球を目指さなかったら何も
始まりはしなかった。誰もがそれを認めていますし、キースたちも理解してくれています。
…ですから、地球が再生したら………ブルー、あなたが最初に降りるんですよ」
「……ぼくが……?」
 俄かには信じられない言葉に、ブルーは赤い瞳を零れ落ちそうなほどに見開いた。ジョミーが
頷き、キャプテンの制服を纏ったハーレイをブルーが腰掛けるベッドの方へと押し遣る。


「今日の重要な議題の一つが地球のテラフォーミングの件でした。地殻変動が落ち着き始めた
地域については開始するという方針です。…それでキースと休憩時間に話をしていて、
テラフォーミングが成功したら最初にあなたを降ろすべきだ…と。勿論、ハーレイと
一緒にですが」
「何故、ぼくを…」
「それが最良だからですよ。誰だって一番最初に地球へ降りたいに決まっています。
下手をすれば争いになりかねない。…けれど、あなたなら誰も文句は言えないんです。あなたが
降りて、その後は公平に抽選にでもしようかと…。ぼくとキースは多分、二番手で降りることには
なるのでしょうが」


 楽しみに待っていて下さい、とジョミーは明るい笑顔を見せた。
「あなたが改良したという豆もテラフォーミングに使います。生命力の強さでは飛び抜けた
ものがあるらしいので…。緑に覆われた地球で咲いている姿を見たいでしょう? 安定し始めたら
成長の早い植物を育てますからね、恐らく三十年も経てば人が降りても問題ないレベルまで自然が
回復するかと」
 たったの三十年ですよ、と告げてジョミーが出て行った後、ハーレイがブルーの隣に座って
その肩を抱く。


「…ブルー、お聞きになったでしょう? あなたを青い地球までお連れ出来ます。三百年以上も
生きてこられたあなたにとって、三十年は長くはない筈です。私もお側におりますから…」
「キャプテンとして、ジョミーの補佐役として色々と多忙みたいだけれど?」
「す、すみません…! 確かに夜まで戻らない日が多いですね…。ゼルたちに任せてもっと時間を
取るようにします。せめて昼食は御一緒に…」
「いいよ、今のままで」
 クスッと笑ってブルーはハーレイの大きな身体に凭れかかった。


「ぼくの力はもう必要とされていない。…だから君の力が役に立つなら、ぼくの分まで存分に
動いてくれればいいよ。ぼくが自分の力で生きていられる身体だったら、ジョミーの力にも
なれただろうに…。それだけが少し悔しいかな。君に生かして貰っている身で、こんなことを
言うのは我儘だけれど」
「ブルー…。あなたは充分に力を持っておいでですよ。でなければ地球が蘇った暁に最初に降りて
頂くことなど、誰も考えたりはしません。…いいですか、あなたが全ての始まりなのです。
キースたちは今はいい意味でオリジンと呼んでいますよ、あなたのことを」


 御自分を卑下なさらぬように…、と温かい手で頬を撫でられ、ハーレイの唇が寄せられる。
「行きましょう、ブルー。いつか蘇る青い地球まで、このシャングリラで」
「…うん……。行こう、ハーレイ。ぼくたちの約束の場所だった星へ…」
 口付けを交わす間にハーレイが今も心に抱き続ける青い水の星の幻が見えた。ハーレイの地球に
引き寄せられるように、ブルーも自らの心の遮蔽を解いてゆく。
 身体を、心を融け合わせて過ごす至福の時。互いを求め合う夜を幾重にも重ね、身体も心をも
結び合わせて………いつの日か………地球へ。

 

 

 

 グランド・マザーとユグドラシルを地の底深く葬った地球は廃墟と化した高層建築群をも
飲み込み、溶岩と共に新たな大地を送り出した。強酸性の海は蒸発し、雨となって降り注いでは
再び気化され、その繰り返しが水と大気から毒素を取り去り、青い海と空が蘇る。


 其処から先は人間たちの腕の見せ所だった。
 幾つもの惑星を人が棲める場所としてテラフォーミングしてきた技術を惜しみなく投じ、
海には微生物や海棲藻類、それらを糧とする生き物たちを。大地には数多の草木を茂らせ、
其処を宿とする生命たちを…。


 死の星だった地球が胎動を始めた時、学者たちが予言していたとおりに青い水の星は再生を
遂げた。人の手が二度と母なる星を損なわないよう、定住は認めないというのが皆の一致した
見解だったが、許可を得た者が短期間だけ滞在することは許される。
 その青い星へ一番最初に降り立つことを全ての人間が認め、心の底から祝福したのがミュウの
先の長、ソルジャー・ブルー。彼が青い地球を約束の地として示したからこそ、地球は古えの姿を
取り戻せたのだと。


「ブルー。もうすぐ地球が見えます」
 ハーレイがシャングリラのブリッジでブルーの肩を抱き、スクリーンに映る月の彼方を指差す。
 まだ人類との戦いの只中に居た頃、同じ言葉を思念波で聞いた。あの時はこうして二人で
寄り添うことも出来ず、ただ手を握り合って立っていただけ。
 そして月の向こうから現れた地球は…。


「………地球だ………」
 ブルーの瞳から涙が零れて頬を伝った。
 遠い日に見た赤黒い残月と化した地球と同じ星とはとても思えぬ、何処までも青く美しい星。
白く渦巻く雲を纏わせ、緑の大地をその身に鏤めた一粒の真珠。
 気が遠くなるほどの長い歳月と、戦いの日々と……。幾つもの奇跡がブルーの命を繋ぎ止め
続け、ついに此処まで還って来た。何度となく諦め、見られぬと涙し、最後には夢をも
打ち砕かれてしまった青い星。何処にも存在しなかった筈の青く輝く母なる地球へ、
ブルーは生きて還って来たのだ。


 シャングリラが地球へと降下してゆく。
 地表の七割を占めると言われる真っ青な海が近付いて来る。これほどの豊かな水を持つ星は
未だに一つも見つかっていない。この大海原こそが水の星、地球である証。


「ブルー、シャトルを降ろします。ハーレイと一緒に格納庫へ」
 久しぶりにソルジャーの衣装を纏ったジョミーの言葉に、ブルーは首を左右に振った。
「…要らないよ。此処からならハーレイと一緒にテレポートで飛べる。地球の大気を守るためにも
シャトルは出さない方がいい」
「それを言われると、ぼくたちの立場が無いんですけどね…。ぼくはともかく、キースやマツカや
長老たちは飛べないんですよ」
 ジョミーたちはブルーが降り立った後、少し経ってから第二陣として降りて来ることが
決まっていた。あの日、地球の運命を変えた勇気ある者たちとして、文句無しに選ばれ、皆、
シャングリラに乗っている。キースとマツカはシャングリラに続いて降下予定のゼウスの
シャトルに。


「君たちは構わないだろう? きちんと計算されて選ばれた人数とシャトルなのだから。
…使わないのは、ぼくの我儘だ。シャトルの中から出るのではなくて、地球の大気に直に
飛び込みたいだけなんだよ」
 だから帰りは君たちのシャトルに乗せて貰うさ、と微笑んでブルーはハーレイの手を握った。
「飛ぶよ、ハーレイ。…行こう、地球へ」
「ブルー? しかし、お身体が…!」
 皆まで言わせず、ブルーはサイオンを発動させた。
 一瞬の後に、濃すぎるほどに感じる大気と身体中を押し包む湿気とに抱き止められる。
 焦がれ続けた星、地球の清らかな大気。足許には緑の草に覆われた大地が広がり、少し先には
豊かな森と水平線まで続く海とが…。

 

 

 

 吹き抜ける風にそよぐ草に混じって淡い桃色の花が揺れていた。遠い昔にブルーが作り出し、
シャングリラの中で育てていた豆。その花が夢にまで見た地球の大地に咲いているとは、自分は
どれほど幸運なのか。
 そしてハーレイと二人きりで青い地球へ最初に降り立つことを許されるとは、どれほど恵まれて
いるのだろうか…。


「…ハーレイ…。本当に……地球だ。君が連れて来てくれたんだ…」
「いえ、私は……。私には此処まで飛ぶ力は…」
「違うよ、ハーレイ。ぼくの命も、ぼくのサイオンも…君がいなければ無いものだろう?
君がぼくを生かしてくれたし、地球まで連れて来てくれた。…ぼくは約束を果たせたんだよ、
君のお蔭で」
 ブルーは高く澄み切った空を仰いだ。シャングリラは白く小さな点にしか見えない。
 あの船で青い地球へ行こうとミュウの仲間たちに初めて語ったのはいつだったか…。その約束は
死の星だった地球に覆され、紆余曲折を経てやっと叶った。これで青い星へと皆を導ける。
喪われた命にも、これから地球を目指す者にも、幻ではない青い水の星を…。


「ありがとう、ハーレイ…。やっとソルジャーの務めを果たせた。君には心配ばかり掛けて
きたけど、今度こそ、ただのブルーに戻るよ。だから…」
 ジョミーたちが地球へ降りて来たら。
 みんなと一緒に地球で過ごしてシャングリラへ戻ったら、君がソルジャーの衣装を脱がせて
くれるかい…?
「…ブルー…。ええ、ブルー…!」
 感極まったように声を詰まらせるハーレイの逞しい腕に抱き締められて、ブルーは銀色の睫毛を
伏せた。地球の風が頬を撫でてゆく。爽やかな風は馨しく心地良く感じられたが、それよりも
ハーレイの変わらぬ温もりと厚くて広い胸とが嬉しい。


 ミュウたちを導くソルジャーとして焦がれ、還りたかったのは母なる地球。けれど、一人の
人間として帰りたかった場所はハーレイの腕の中だった。
 メギドで命尽きようとしていた時も、この地球でグランド・マザーと戦った時も。
ソルジャーとしての務めの重さと青い地球までの道の遠さに押し潰されそうになって涙していた、
辛く苦しかった日々の中でも…。


「帰ろう、ハーレイ。蘇った地球から、ぼくたちの船へ…」
 青く輝く奇跡の星から、ぼくたちが共に暮らした船へと。君と渡ってきた星の海へと…。
 君と一緒なら、ぼくは何処まででも行くことが出来る。
 この青い星を遠く離れて、今度こそ………君と二人で歩く未来へ。

 

 ぼくはもうソルジャー・ブルーじゃない。
 青い地球の呪縛から解き放たれた、君一人だけのブルーだから。
 此処まで連れて来てくれた君のためだけに、これからのぼくは生きてゆくから…。
 ………愛してる………。
 ハーレイ……。

 

 

 

 

               奇跡の青から・了


    以下、作者メッセージです。「読んでやろう」という方はどうぞ。

····· 作者メッセージ

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