シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
荒廃していた地球が青い水の星の姿を取り戻し、其処でミュウへと進化を遂げた人間たちが平和を謳歌する時代。
まだサイオンを持たない人類が多数派であった頃、虐げられていたミュウたちを守り導いた長、ソルジャー・ブルーは長い時を経て蘇った地球に生まれ変わった。
アルビノであることを除けば普通の少年として育ったブルーだったが、十四歳の誕生日を迎えて間もなく前世の記憶を取り戻す。前世での恋人、キャプテン・ハーレイとも再会を遂げ、前世では夢にも思わなかった幸せな日々を過ごしているのだけれど…。
「…どうして今まで会えなかったんだろう?」
ブルーはこの所、気になっていた疑問を口にした。
此処はブルーが両親と共に暮らしている家で、その二階にあるブルーの部屋。休日に訪ねて来てくれたハーレイと二人きりで向き合い、小さなテーブルの上には母が置いて行った紅茶とクッキー。
「どうしてって…。今もこうして会ってるじゃないか」
学校ではなかなかそうもいかんが、と返すハーレイにブルーは「ううん」と首を横に振る。
「今じゃなくって、もっと前だよ。…ぼくはこの目で見ていないけれど、ハーレイたちが辿り着いた地球はとても酷かったと何度も習った。教科書にもその頃の写真があるよ。…今みたいな星に戻るまでにかかった年数だって書いてある。その間、ぼくは何処でどうしていたんだろう、って」
幾つもある植民惑星の一つに居たのではないか、とブルーはここ数日間、考えていた。記憶が蘇る切っ掛けが無かっただけで、幾度も生まれ変わっていたのでは……と。
「もしもハーレイに会わなかったら、今度も何も知らないままで大きくなっていたのかも…。今までも何度も普通に生きてて、もしかしたら結婚して子供も居たかも…」
「…それで?」
不安そうな顔をするブルーにハーレイは先を促した。
「だとしたら凄く酷いよね、って…。今のぼくは昔と同じでハーレイが好きで、ハーレイしか好きになれないんだけど…。出会う前は何度も他の誰かを好きになってしまって、ハーレイを裏切っていたのかも……って」
シュンと項垂れるブルーだったが、その頭をハーレイがポンポンと叩く。
「それを言うならお互い様だな。俺もお前のことを忘れて、結婚して子供がいたかもしれん。だがな、そういう気がしないんだ。…お前に出会ってから、俺も何度も考えた。キャプテン・ハーレイだった俺が死んでから、お前とはすれ違い続けただけで何処かに生まれていたかもしれん、と」
しかし、とハーレイは項垂れたブルーの頬に手を添えて顔を上げさせた。
「…いくら考えても他の人生を生きて来たとは思えないんだ。お前は十四年しか生きていないから分からんだろうが、俺はお前の倍以上の長さを生きている。その人生を何度振り返ってみても、俺はお前を待ち続けたとしか考えられんし、それで全ての符号が合うんだ」
そう言ったハーレイは「よく聞けよ」と向かいに座ったブルーの瞳を覗き込んだ。
「俺の年だと結婚しているヤツも多いというのは分かるな? これでも学生時代はモテた方だし、告白されたことも何度もあった。なのに付き合おうとは思わなかったし、身を固めようとも思わなかった。…そういう気持ちになれなかったんだ。このまま一生独身だろうな、と思ってたんだぞ」
「…ホント?」
「ああ。お前に会うまではそう思っていた。それなのに…。俺の頭は今はお前で一杯だ。俺はお前に出会える日だけを待っていたんだ、自分ではそうと知らずにな。…そんな俺が他の人生を生きたとはとても思えん。俺はお前に会うためだけに生まれ変わらずに待ち続けたんだ、と信じている」
お前が再びこの世に生まれて来る時まで…、とハーレイは言った。
「もしもお前が今よりも前に生まれていたなら、俺もお前を追っただろう。年下になってしまったとしても気にしやしないさ、前のお前は俺よりも年上だったんだからな。…小さかったが」
「小さいっていうのは余計だよ! 今だって凄く気にしてるのに!」
ブルーは抗議の声を上げた。十四歳のブルーは同じ年頃の少年たちよりもかなり小さく、そうでなくてもハーレイに「前世と同じくらいに育つまでは」と恋人同士の付き合いを制限されている。キスさえもまだで、その先となれば何年かかるか考えただけでガッカリで…。
「すまん、すまん。だが、本当の事だろう? 前世のお前は年上だったし、俺が年下でも問題はない。それなのに出会えなかったんだ。…お前も多分、今が最初の生まれ変わりだ」
お前がいれば俺が追わない筈はない、とハーレイの手がブルーの手を温かく包み込む。
「だからお前は他の人生を生きて俺と離れていたりはしないし、俺もお前と離れてはいない。…お互い今まで何処に居たのかはまるで謎だが、出会うべくして出会ったんだよ」
「でも…。それならどうして今まで会えずにいたんだろう? ぼくが死んだのは遙か昔で、ハーレイだって…。そんなに長い間、ぼくはハーレイを忘れていたわけ?」
今も十四年間も忘れていたけど、とブルーの胸がツキンと痛む。
誰よりも好きで、二度と離れたくないと思う恋人。そのハーレイを十四年どころか地球が再生を遂げるほどの長い年数、忘れ去ったままで過ごしただなんて…。
「それも違うな。少なくとも、俺は違うと思う」
お前も俺も時が来るのをただひたすらに待ったんだろう、とハーレイがブルーの手を強く握った。
「お前にはお前の、俺には俺の…。前世と全く同じ姿に育つ器が必要で、そういう巡り合わせになる時が来るまで待ち続けた結果が今なんだ」
長い長い時を待つことになってしまったが…、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべてみせた。
銀色の髪に赤い瞳の、ソルジャー・ブルーの十四歳の頃に生き写しのブルー。
人並み外れて大きな身体に褐色の肌の、キャプテン・ハーレイそのままなハーレイ。
前世とそっくり同じ姿で出会うことに意味があったのだろう、とハーレイは真摯な瞳で語った。
「この器でなければ駄目だったんだ、多分。…生まれ変わって全く違う姿形になっていたとしても、俺はお前を見付けたと思うし、お前も見付けてくれたと思う。…それでもいいんだが、この姿で会えたのが嬉しかった」
お前の右手、とハーレイがブルーの手をキュッと握って、それから撫でた。
「…この手。あの時はもう少し大きかったが、この手が俺に触れて、「頼んだよ、ハーレイ」…。お前はそれしか言わなかったし、俺も言葉を返せなかった。あれが最後だと分かっていたのに」
「…だって、あの時は…!」
「分かっているさ、そうするしか道が無かったことは。…だが、俺たちは「さよなら」も言えなかったんだ。アルタミラからずっと共に過ごして、これが別れだという時に…!」
ハーレイの鳶色の瞳に光るものがあった。ブルーも切ない気持ちになる。そうだ、自分たちは互いを抱き締めることも出来ずに運命に引き裂かれ、別れの言葉も口付けさえも叶わなかった。ブルーは独りでメギドへと飛び、ハーレイはシャングリラを守らねばならず…。
最後に触れ合った時に感じた温もりだけしか、自分たちには許されなかった。
「ブルー。…もう一度だけ会いたかったと、あの後、どれほど思ったことか…! お前を独りで逝かせてしまって、俺はどれほど辛かったか…! だから、お前に会えて嬉しい。あの時に失くしたお前の姿を、もう一度この目に映せることが」
ハーレイはその鳶色の瞳に、心に刻み付けるかのようにブルーを見詰めた。そしてブルーもコクリと頷く。遠いあの日に別れた時のままのハーレイに再び出会えたからこそ、心が温かく満たされるのだと。違う姿で巡り会えても嬉しいけれど、失われた時はこの姿でしか取り戻せない。
「…ぼくもハーレイに会えて嬉しい。あの時のままのハーレイに会えて…」
ハーレイの側に帰って来られた、とブルーは懐かしい姿に頬を緩ませる。
「…ハーレイは本当に変わっていない…。何もかもあの日と変わらない。キャプテンの制服を着たら直ぐにブリッジに立てそうなほどに」
「そうだな。だが、シャングリラはもう歴史の中にしか存在しない。お前も俺も、新しい人生を生きて行くんだ。もうソルジャーもキャプテンも要らないんだからな」
「…うん。それに、ぼくたちは地球に生まれたんだものね」
ブルーが焦がれてやまなかった星、地球。
ハーレイの前世の記憶の中では無残に朽ち果てた星だったものが、今はブルーが憧れた青く美しい星として蘇っていて、その地球に二人して再び生まれた。
「ブルー。…お前は地球に生まれたかったのかもしれないな。他の星でも良かったのなら、もっと早くに俺たちは出会っていたかもしれない」
「えっ…? それじゃ、ぼくがハーレイを待たせたわけ?」
「そうなるな。…おまけに、まだまだ待たされそうだ」
まさかこんなに小さなお前に出会うとは、とハーレイは立ち上がり、ブルーの椅子の後ろに回って椅子ごとブルーを抱き締めた。
「何年、待つことになるんだか…。お前があの日の姿のままだったなら、一秒も待ちはしないんだがな」
「……キスしてもいいよ?」
「馬鹿! それは駄目だと何度言えば分かる? …それに待つのは苦痛じゃないさ」
お前は此処に居るんだからな、とハーレイの腕に力が籠もった。
「あの日はお前を止められなかった。…お前が二度と戻らないとも分かっていた。それでも見送るしかなかった時に比べれば、俺は何十年でも待てる」
しっかり食べて大きくなれよ、という決まり文句がブルーの耳を心地よく擽る。子供扱いが腹立たしいけれど、同時に嬉しくもある言葉。いつか昔の自分そっくりの姿になったら、その時には…。
「…ハーレイ。待っていて、早く大きくなるから」
「ああ、楽しみに待つとしよう。…俺たちがこの地球に生まれ変わるまでに待ち続けた長い時間を思えば、それこそアッと言う間だからな」
「うん。……そうだね」
何処に居たのかも思い出せない、前の生で引き裂かれてからの長い長い時。
でも、これからの日々は二人で一緒に時を刻んで、本物の恋人同士になって…。
(…ハーレイ。昔のままの君に会えて良かった。ぼくもこの姿に生まれて良かった…)
小さすぎたのは失敗だけど、とブルーは自分の身体に回されたハーレイの腕の温もりに酔う。
いつか必ず、この腕に、この手に、身体中を隈なく愛して貰える時が来る。
その時はきっと、今の自分に生まれたことを心から感謝するだろう。
ハーレイが「さよなら」も言えなかったと悔やみ続けた頃の自分の姿を、もう一度見せることが出来るのだから。
前の自分と似ても似つかない姿に生まれていたなら、それは不可能。だからこそ今の姿でかまわないのだし、そういう器が見付かる時まで生まれ変わらずにいたのだろうけど…。
「…でも、やっぱり……」
「どうした、ブルー?」
「最初からきちんと育った姿で会いたかったな」
だって待つのは嫌だもの、とハーレイの腕に甘えるブルーは全く分かっていなかった。椅子ごと自分を抱き締めてくれているハーレイが、今この瞬間も必死の思いで我慢し続けていることを。
ブルーを欲望のままに貪りたい、という気持ちを抑えてハーレイは今日も優しく微笑む。
その腕の中に奇跡のように戻って来てくれた、愛してやまないブルーのために……。
二人一緒に・了
「やっぱり全然、変わらないよ…」
鏡を覗き込んだブルーは溜息をついた。鏡の向こうの自分も溜息をつくが、憂い顔と呼ぶにはあまりに幼いその顔立ち。脹れっ面とまでは言わないまでも、不満たらたらな十四歳の少年の顔が其処に映っていて。
(……育ってるかと思ったんだけどな)
念のために、とクローゼットの横に立ってみる。
「……ホントに駄目かぁ……」
母に見付かって叱られないよう、鉛筆で微かに付けた印はブルーの頭の天辺よりも二十センチほど上だった。それはブルーの前世であったソルジャー・ブルーの背の高さ。
十四歳になって間もないブルーは百五十センチしか無かったけれども、前世では百七十センチはあった。その高さまで背を伸ばすことがブルーの目標だったりする。
前世から遙かな時を経て生まれ変わった平和な星、地球。
同じく地球に生まれ変わっていた前世での恋人、ハーレイと出会い、共に記憶を取り戻したまでは良かったのだが、ハーレイはブルーの倍以上もの年を重ねた大人であった。
おまけにブルーが通う学校の教師。
かつて恋人同士だったブルーを前世と変わりなく愛し慈しみ、大切に扱ってくれるハーレイとは何度も逢瀬を重ねて来た。しかし、前世とは決定的に違う点がある。ブルーは子供で、ハーレイは大人。それゆえにキスさえしては貰えず、それ以上の仲は夢のまた夢。
「…ハーレイが言うのも分かるんだけど…」
でも、とブルーは再び鏡を覗き込む。
(子供なのは姿だけだよ、ハーレイ。…ぼくは全てを思い出したし、君と一緒に過ごした時間も覚えてる。それなのにキスさえ出来ないだなんて、悲しくてたまらないんだけれど…)
昨夜もハーレイの夢を見た。今の生ではなく、前世のハーレイ。青の間と呼ばれたブルーの部屋で愛し合う夢で、それは幸せで満ち足りた気分で目を覚ましたのに、鏡に映った自分は子供。
(…酷いよ、こんなの残酷すぎだよ…)
夢の中に居た自分の姿と変わらないほどに育たない限り、ハーレイと前世のような時間は決して持てない。ブルーはクローゼットに付けた印の方を眺めて何度目か分からない溜息をつき、諦めて朝の着替えを始めた。
そもそも前世での愛の営みを夢に見たのに、身体に何の変化も来たさない辺りがブルーの子供たる所以だったが、それにすら全く気付かないほどにブルーは幼く、無垢だった。
ハーレイはとうにそれと見抜いてキスも許さず、十四歳のブルーを壊れ物のように扱っている。その恋人の心も知らずに己の現状に不満一杯、早く大きくなりたいブルーの心と身体との間のギャップはまだまだ埋まりそうにもなかった。
「おはよう、ブルー。遅かったのね」
階下のダイニングに行くと、母が朝食の用意を整えていた。父はとっくにテーブルに着いて分厚いトーストに齧り付いている。
「どうした、朝から変な顔して? 何処か具合でも悪いのか?」
見詰めてくる父に「ううん」と答えて、ブルーは自分の席に座った。
「…パパ。背がうんと高くなるのって、いつ頃?」
「えっ? そうだな、パパはお前くらいの頃だったかなあ…。学校に入ってすぐの年には面白いくらいに伸びたもんだが」
懐かしそうに語る父は、大柄なハーレイには及ばないものの長身の部類に入るだろう。母だって決して低くはないのに、ブルーは同じ年頃の少年たちに比べると小さく、背の順で並べばクラスどころか学年中でさえも一番前だ。
「…ぼくも大きくなれるかな?」
「そりゃあ、パパとママとの子供だからな。そのままってことはないと思うぞ、伸びる時には伸びるものさ」
「…それって、いつ?」
ブルーは「もうすぐさ」という返事を期待した。けれど…。
「さあなあ、遅い子は遅いらしいしなあ…。どう思う、ママ?」
「そうねえ…。ママのクラスにも卒業間近で伸びた子がいたし、そればっかりは分からないわね」
「そ、卒業って…。そんなに先かもしれないの?」
ショックを受けたブルーだったが、両親はまるで気にしていない。個人差だから、と笑い合いながら「早く大きくなりたかったら食べることだ」と聞き飽きた台詞を口にする。
「お前はあんまり食べないからなあ…。それじゃパパみたいに大きくなれないぞ」
「そうよ、朝御飯もしっかり食べなさい。ミルクも飲むのよ」
「…分かってる…」
両親の言葉は正しかったが、ブルーが知りたいのは「いつになったら前世と同じ高さほどに背が伸びるのか」と「早く大きくなる方法」。もしかしたら卒業間近まで無理かもしれない、と聞かされた気分はドン底だった。
(……卒業って、まだまだ先なのに……)
ブルーが通う学校は義務教育の最終段階。かつてSD体制と呼ばれた時代の教育システムを引き継ぎ、十四歳で入学してから四年間を過ごす学校。一年生のブルーにとっては卒業は遙か先のことだ。それまで背が伸びないかもしれないだなんて、どうすればいいというのだろう?
すっかりしょげてしまったブルーは学校が日曜日で休みということもあって、朝食の後は自分の部屋のベッドに突っ伏していた。
(どうしよう…。これじゃハーレイの恋人どころか、また子供だって言われるよ…)
そのハーレイはブルーをきちんと恋人扱いしているのだけれど、ブルーにはそれが理解出来ない。恋人同士ならばキスは当たり前、今日の夢で見たような関わりを持つのが当然だと思い込んでいる。前世ではそういう仲であったし、それでこそ真の恋人同士と言えるのだ、と。
ブルーに決して手を出すまいと懸命に自制しているハーレイの心など知りもしないのが十四歳の子供の真骨頂。なまじ前世の記憶があるから、自分では恋の酸いも甘いも噛み分けていると頭から信じて疑わない。
自分自身の外見だけが恋の障害でハードルなのだ、と勘違いをして背を伸ばしたいと願うブルーは正真正銘お子様だった。三世紀以上も生きた前世の精神構造をそのまま引き継いだわけではなくて、今の生の記憶と融合する過程で十四歳仕様にカスタマイズされたことなど気付く筈もなく。
(…ハーレイ、ちゃんと待っててくれるかな…。ぼくの背が伸びるまで待ってくれるかな?)
それまでに結婚してしまうかも、とブルーはベッドで頭を抱える。
ついこの間も父が会社の部下の結婚式に招かれて行ったのだけれど、お土産の花嫁手作りの菓子に添えられた写真の新郎はハーレイよりもかなり若かった。学校の他の先生だって、ハーレイくらいの年の男性はほぼ全員が結婚している。
(…年を取るのは止めるって言ってくれたけど…。それでもホントの年は取るよね)
今のハーレイの年齢にプラス数年。結婚したって可笑しくはないし、むしろその方が自然だろう。ブルーが本物の恋人になれない以上は、似合いの女性を見付けて結婚ということも充分あり得る。
(どうしよう…。そうなっちゃったら、ぼくは独りになっちゃうのに…!)
そんなこと、考えたくもない。
ハーレイのいない人生なんて絶対嫌だし、ハーレイと一緒に生きてゆきたい。
なのに自分は恋人失格、ハーレイを繋ぎ止めておくだけの魅力どころか外見すらも持ってはおらず、恋人に相応しい姿がいつ手に入るのか見通しすらも立たないわけで……。
(…せっかく会えたのに、離れ離れになっちゃうなんて…)
しかもハーレイには新しい恋人、愛する妻という存在が出来てのお別れ。ハーレイは満ち足りているだろうけれど、残された自分は独りぼっちでどうやって生きていけばいいのか。
あんまりだ、と思考の泥沼に囚われてしまったブルーは部屋の扉がノックされたことにも気付かなかった。扉が何度もノックされた末に、「寝てるのかしら?」と呟いた母が「お茶の用意をしてきますから」と客人を扉の前に残して階段を下りて行ってしまったことも。
ブルーの部屋の前に立った客人。
学校へ着て行くスーツではなく、ブルーの家を訪ねて来る時の常でラフな格好をしたハーレイは扉の奥から感じる気配に苦笑していた。
前世のブルーは高い能力とソルジャーの立場ゆえに心を固く遮蔽していたが、十四歳のブルーは違う。感情が高ぶると心の中身が零れがちだ。もっとも、それを感じ取れる者はどうやらハーレイだけらしい。現にブルーの母は気付かず、寝ているものだと思ったようだし…。
「おい、ブルー。いい加減、入るぞ」
声を掛けても返事は返らず、ハーレイは鍵のかかっていない扉を開けた。ブルーがベッドに突っ伏している。枕に埋められた表情は見えず、相当に落ち込んだ雰囲気だけが漂っていて…。
「ブルー。…おい、ブルー?」
開け放った扉を再度叩いても顔を上げようとしないブルーにハーレイは半ば呆れつつ、ベッドに近寄る。ブルーの母はまだ暫くは来ないだろう。ならば…、と前世で幾度も愛撫してやったブルーの耳元に唇を寄せた。
「…ブルー。お前、そんなに俺を人でなしにしたいのか?」
「………ハ、ハーレイっ!?」
ガバッと飛び起きたブルーは文字通り耳の先まで真っ赤になった。
これが前世のブルーだったら、耳まで真っ赤に染まった後には恋人同士の睦言に傾れ込む所だけれども、生憎と今の十四歳のブルーは恥ずかしさで赤くなったに過ぎない。それが分かるから、ハーレイは必死に笑いを堪える。
「何をぐるぐる考えていた? 筒抜けだったぞ、お母さんにバレたらどうするつもりだ?」
「え? えっ、ママ、来てた?!」
「来ていたさ。寝ているのかも、とお茶の用意をしに行ったが?」
「……そ、そうなんだ……」
だったら直ぐに戻って来るね、とブルーは両手で頬を押さえる。
「ど、どうしよう…。顔、赤い? まだ赤い?」
「真っ赤だな。…安心しろ、ねぼすけの末路にありがちなことだ。涎が垂れていたとかな」
「ちょ、ハーレイ…!」
ひどい、と抗議するブルーの頭の中から先刻までのマイナス思考は綺麗サッパリ消え失せていた。ハーレイが家に来てくれたというだけで嬉しかったし、耳元で言われた言葉も嬉しい。
ハーレイはきっと結婚したりはしないだろう。ブルーが充分な背丈になるまで、その肉体の年齢を止めて待っていてくれるに違いない…。
「…ねえ、ハーレイ…」
「なんだ?」
母が紅茶と焼き菓子とを置いて立ち去った後、ブルーはハーレイをまじまじと見詰めた。
「ぼくの背って、いつになったら伸びると思う?」
「さあな…。アルタミラから後は普通に大きくなったと思うが」
「そうだよねえ? だからそろそろ伸びてもいいと思うのに、全然、ちっとも伸びないんだけど」
前の時はもっと早かった、と呟くブルーの記憶の中ではアルタミラ脱出の直後が一番の成長期。流石に一年で二十センチも伸びてはいないが、今の自分に当てはめてみれば一ヶ月に一センチ弱くらい伸びてもいい気がする。
「お前、何かを忘れていないか? アルタミラで初めて会った時のお前と今のお前は同じくらいだが、お前、あの時、十四歳か?」
「えっ……」
思わぬ問いに、ブルーは記憶を遡る。前世でアルタミラの研究施設に囚われていた自分は確かに十四歳の頃の姿だったが、その姿で何年過ごしただろう? 五年? 十年? あるいはもっと…?
「…も、もしかして…。まだまだ全然伸びないわけ? 卒業どころか、もっと先まで?!」
それは困る、と涙が溢れそうになる。
いくらハーレイが待っていてやると言ってくれても、それでは自分の心が持たない。恋人だなんて名前ばかりで、キスさえ出来ずにこのままだなんて…!
「ブルー、落ち着け」
ポロリと涙を零したブルーの頬にハーレイの温かな手が優しく触れた。
「此処はアルタミラじゃないんだ、ブルー。…お前は本物の十四歳で、家族もいるし暖かな家も飯もある。あの頃みたいに成長が止まるわけじゃない。時が来たら自然に伸びるさ、少しずつでも」
「……本当に?」
「ああ。いつかは知らんが必ず伸びる。だからしっかり飯を食うんだな」
そして大きくなるんだぞ、と大きな手でクシャクシャと頭を撫でられ、ブルーはまた少し複雑な気分が蘇ってきた。
前世でこんな風に頭を撫でられた記憶は殆ど無いのに、何かと言えば撫でられる。つまりは立派な子供扱い、やっぱり自分はハーレイからすれば恋人ですらない子供なわけで…。
「…こら! お前、何度言わせるつもりなんだ」
いきなり強く、息が止まるほどに抱き締められた。でも、ここまで。抱き締めて貰えてもキスは貰えず、背中を優しく撫でられるだけか、そっと頭を撫でられるか。
(…ほら、今だって子供扱い…)
「悪かったな!」
コツン、と頭を小突かれた。
「お前は本当に子供なんだし、それなりにしか扱わん。…だがな、俺はお前しか欲しくはないし、何十年だって待つだけの覚悟はあるさ。それだけの価値があるからな」
「…えっ?」
「お前がどんな姿に育つか、俺は覚えているんだぞ? あんな美人を俺は知らない。これから先も、お前の育った姿以外に目にすることは絶対に無い。…だから、お前も信じて待て。何を焦っているのか知らんが、お前はとっくに恋人なんだぞ」
こんな小さな子供でもな、とハーレイは豪快に笑ってみせた。
「俺の悩みを教えてやろうか? いつかお前が育った時にな、お前の両親に何て言おうかと…。どう言ってお前を貰えばいいのかと、そればっかりを考えているさ」
……昼も夜もな。
そう告げられて熱く見詰められ、ブルーの頬が真っ赤になった。
(…そうだった…。パパとママがいたんだったっけ)
本物の恋人同士になった時には、何処で過ごせばいいのだろう? ハーレイの家で一緒に暮らす? それともこの家にハーレイが…? パパとママには何て言えば…?
(駄目、ダメ、ダメーーーっ!)
どうしたらいいか分からないよ、と軽くパニック状態になる。此処で慌てふためいていることこそが子供の証明、ブルーがどんなに背伸びしてみても大人ではない確たる証拠で。
「ほら見ろ、お前は子供なんだよ。…背丈だけじゃない、いろんな意味でな。今の扱いで我慢しておけ、俺は恋人だと思っているから」
それがハッキリ分からない内は子供ってことだ、と頭を撫でられて唇を尖らせそうになったけれども、ハーレイの瞳は穏やかながらも真剣だった。そのハーレイが「待て」と言うのなら…。
「…分かった。待つよ、きちんと大きくなるまで」
沢山食べるのは苦手だけれども、ちゃんと食事してミルクも飲もう。背が伸びて昔みたいな姿になったら、ハーレイと本物の恋人同士。その日まで我慢して待たなくちゃ…。
結局のところ、ハーレイが真面目に話して聞かせても、ブルーは理解していなかった。
背丈が伸びれば大人になれる、と子供ゆえの純真無垢さで考える。
心に身体がついてゆかないだけだと信じる十四歳の一途なブルーに、ハーレイは己の欲望との戦いも含めて悩まされることになるのだけれど、それもまたハーレイにとっては至上の喜び。
甘美な悩みに苦しめられつつブルーを大切に想うハーレイと、ハーレイを慕い続けるブルーと。
生まれ変わって出会えたからこそ紡がれる恋は、蘇った地球の息吹と共に………。
大きくなりたい・了
遠い昔、荒廃し切って人間が棲めなくなった星、地球。
その地球を蘇らせるために完全な生命管理社会が築かれ、サイオンを持った新人類のミュウと、旧人類との戦いの火蓋が切って落とされた。
それはとうに遙か彼方に過ぎ去った歴史の世界で、青い水の星として蘇った地球に今は大勢のミュウたちが暮らす。旧人類はもう植民惑星にすら残ってはおらず、人間と言えばミュウを指す社会。
ブルーはそういう地球に生まれて育った。優しい両親と暮らす暖かで穏やかな日々に恵まれ、アルビノであることを除けば、ごくごく平凡な少年として。
十四歳を迎えて間もなく、前世の自分が死の直前に受けた傷痕がその身に現れ、あまりにも特異で悲劇的であった前世の記憶を取り戻すまでは……。
「…ハーレイっ…!」
自分の悲鳴で目覚めたブルーの瞳に常夜灯だけが灯った暗い部屋が映る。
(……夢だったんだ……)
腕を伸ばして明かりを点ければ、其処はいつもの自分の部屋。机の上にはノートと教科書が置かれ、学校へ提げてゆく鞄もあった。
そう、今の自分は両親と共に地球で暮らしている普通の少年。三百年以上もの長い時を生き、その仲間たちの盾となるために一人きりで戦い、宇宙に散ったミュウの長ではないのだけれど…。
「…また、あの夢…」
怖い、とブルーは身を震わせて自分の身体を抱き締めた。
忌まわしい青い光に満ちた惑星破壊兵器・メギドの制御室。其処で何発もの銃弾を受け、自らのサイオンを暴走させて巨大なメギドを道連れに死ぬ。
その夢を何度見ただろう。目が覚める度に言い知れぬ不安に襲われる。実は自分はあの時に死に、魂だけが地球へ行きたくて夢を紡いでいるのではないか。今の日々は死んだソルジャー・ブルーが見ている夢で、十四歳の自分は彼が紡ぎ出した陽炎のように儚い幻なのではないだろうか、と。
(…怖い。怖いよ、ハーレイ…。夢だよね? ぼくが見ていたメギドの方が夢なんだよね?)
そうだよね、と同意を求めたくても、応えてくれる声は無かった。
前世でブルーが愛したハーレイ。
ミュウたちの船、シャングリラのキャプテンであった彼もまた、ブルー同様に生まれ変わっていたのだけれど。ブルーの記憶が戻ると同時に彼の記憶もまた戻ったのだけれど、この生でブルーはソルジャー・ブルーではなく、ハーレイもキャプテンなどではなかった。
ブルーは学校へ通う十四歳の少年であり、ハーレイはブルーの学校の教師。ただそれだけしか接点の無い二人にとっては共に暮らすなど夢のまた夢、こうして夜中に独り目覚めても傍にハーレイの温もりは無い。
(……ハーレイ…。今すぐ君に会いたいよ。夢だと言って欲しいよ、ハーレイ…)
ハーレイの所へ飛んで行けたなら、とブルーの瞳から涙が溢れる。
会いたい。ハーレイに会いたくてたまらないのに、ハーレイの家は何ブロックも離れた先で。
(…ぼくだってタイプ・ブルーなのに…)
飛べないなんて、とブルーはポロポロと涙を零した。
ブルーのサイオン・タイプは名前そのままに、前世であったソルジャー・ブルーと同じに最強レベルと謳われるブルー。
けれど人類が全てミュウとなった社会でタイプ・ブルーの高い能力は必要が無い。攻撃力などは言わずもがなだし、得意とされる瞬間移動も私的な移動ならばともかく、登下校や出勤などの際にはルール違反とされる有様だった。
それゆえにブルーは瞬間移動をしたことがない。幼い頃から駆け回るよりも本を読んだりする方が好きで、足の速い友人たちを出し抜くための瞬間移動などブルーにはまるで必要無かった。
瞬間移動が出来ないタイプのミュウも多いから教えてくれる授業は無いし、成長の過程で自然に身に付けることをしなかったブルーにとっては雲の上の技と呼ぶに等しい。
(…ハーレイの所へ飛んでいけたら…)
一度だけ遊びに行ったことのあるハーレイが一人で暮らす家。
それまではハーレイがブルーの家を訪れ、ブルーの母がお茶を淹れたり食事を用意してくれたりと気遣ってくれるのが常だった。母の気持ちは有難かったが、ブルーは何処か落ち着かない。前世のようにハーレイと二人きりの時間を過ごしたいのに、同じ屋根の下に母がいるのだから。
そういう逢瀬が続いただけに、ハーレイの家に招かれた時は嬉しかった。誰にも邪魔をされることなく、母が来ないかとドアの方をいつも気にしていなくても済む。
すっかり舞い上がってしまったブルーは前世で失った時間を取り戻すかのようにハーレイに甘え、幸せなひと時を過ごしたのだけれど…。
「ブルー。…やはり次からは私が行こう」
帰り際にハーレイがそう告げた。
「…お前と二人きりになってしまうと抑えが利かなくなりそうだ。お前に自覚は無いかもしれんが、お前、昔とそっくりな顔をしていたぞ。…そんな表情、お前にはまだ早いんだ」
駄目だと言われるキスを強請ったわけでもないのに、どの辺りがいけなかったのか。キョトンとするブルーにハーレイは重ねてこう言ったものだ。
「自覚が無いなら、尚更だな。…お前の中身は昔と変わっていないんだろうが、お前は心も身体も子供だ。…俺はお前を大事にしたいし、それが分かるなら来るんじゃない」
それきり、ハーレイは家に呼んではくれなかった。学校のクラブ活動での教え子たちは遠慮なく遊びに行っているのに、ブルーは呼んで貰えない。いっそクラブに入ろうかとまで思い詰めたが、運動の類が不得手なブルーにハーレイが顧問を務めるクラブは些か敷居が高すぎた。
(…ハーレイ…。会いたいよ、ハーレイ…)
ハーレイならきっと、さっきの夢を「もう過ぎたことだ」「思い出すな」と何度も繰り返してくれるだろうに。…会いたい時にハーレイがいない。こんな夜中に独りで泣いていたくはないのに、飛んで行くことすら叶わない自分。
せめてタイプ・ブルーの能力どおりに瞬間移動が出来たなら。
そうしたら数ブロックの距離くらい軽く飛び越え、ハーレイの家に行けるのに。
「来てはいけない」とは言われたけれども、こんな夜は側に居て欲しい。メギドでのことは過ぎたことだと、今の生は夢でも幻でもなく、間違いなく二人で地球に居るのだと、繰り返し言って欲しいのに…。
(……ハーレイ……。側にいて抱き締めて欲しいよ、ハーレイ……)
けれど空間は越えられない。
ミュウしかいない今の世界では、ハーレイの許にだけ届く思念を紡ぐことすら難しい。瞬間移動を教える授業が無いのと同じで、その術もブルーは習わなかった。相手を定めず、ただ大声で叫ぶに等しい思念だったら数ブロックくらい離れていたって届けられるのかもしれないけれど。
(…それこそ近所迷惑だよね…)
今のような夜中でなくとも、不特定多数に届く思念を私的な目的で放つ行為は無作法とされる。誰の思念かがバレようものなら、父や母に苦情が来るかもしれず。
(……ハーレイ……)
会いたいよ、と枕に顔を埋めて半ば泣きながらブルーは再び眠りに就いた。せめて今から見る夢でくらい、ハーレイに会いたいと願い続けながら…。
ブルーが心底、会いたいと願って求めたハーレイ。
そのハーレイはブルーが夢にうなされて目覚めたことも、泣いていたことも全く知らずに自分のベッドで眠っていた。夢さえ見てはいなかったのだが、不意に意識が浮上する。
「………ん?」
ハーレイの傍らに何かが居た。子供の頃に母が飼っていた猫の温もりを思い出す。
(…また来たのか…)
自分の身体で猫を潰してしまわないよう、寝ぼけ眼で押しやろうとして気が付いた。此処まで自分が育つよりも前に猫はいなくなってしまった筈だ。では、何が…?
夜の闇の中、手探りでその生き物を判別するべく触れようとした矢先にそれが身じろぐ。
「……ハーレイ……」
会いたいよ、と涙交じりの声が微かに聞こえた。
(ブルー?!)
何故、とハーレイは仰天した。恐る恐る伸ばした指先に感じる柔らかく滑らかな頬の感触。前世で何度も触れて口付けた、愛おしいブルーの頬そのままで。
(…ど、どうしてブルーが此処に居るんだ!?)
いつの間に、と慌てふためく心に届いたブルーの思い。前世の彼なら有り得なかった、遮蔽されていない心から溢れて流れ出す記憶。
メギドでの出来事を夢に見てしまい、怯えてハーレイを呼んでいた。会いたいと願い、それが叶わぬ悲しみに泣き濡れながら眠りに就いて、恐らくは……。
(……無意識の内に飛んだのか…。誰が教えたわけでもないのに……)
前世のブルーは自由自在に飛ぶことが出来た。その記憶が助けたのかもしれない。とにかくブルーは眠っている間に、自分のベッドからハーレイが眠るベッドへと空間を越えて来たわけで。
「……弱ったな……」
ハーレイはボソリと呟いた。
ブルーが考えているよりもずっと、ハーレイはブルーに惹かれている。かつてハーレイと恋人同士の時を持つようになった頃よりも、今のブルーは幼く、か弱い。それなのにブルーを求めてしまう。既に手に入れているブルーの心と共に、その身体をも愛し、思う存分、貪りたくなる。
しかしブルーの心はともかく、身体にはまだ求める行為は早過ぎた。前世と同じくらいに育つまでは、と懸命に自制し、家にも決して訪ねて来るなとあれほどに念を押したのに…!
「……ハーレイ……」
ブルーが瞼を閉ざしたままで、ハーレイの腕に縋り付いてきた。求める温もりを見出したからか、そのままスルリと懐にもぐり込み、後は穏やかな寝息が聞こえてくるだけ。
(…おい、ブルー! 襲われたいのか!)
無防備すぎるブルーの姿にハーレイは恐慌状態だったが、それをブルーが知る筈もない。その夜、すやすやと眠り続けるブルーとは逆に、ハーレイは夜明けまでまんじりともせずに己の欲望と戦うことを余儀なくされた。
うっかり眠ってしまったが最後、何をしでかすか分からない。なにしろ前世の自分とブルーは身も心も結ばれた恋人同士で、ブルーの身体の弱い所も隅々までも、指が、この手が、あますことなく記憶し、覚えているのだから。
翌朝、ハーレイのベッドで目覚めたブルーは「あれ?」と周囲を見回してから、蕩けそうな笑みを浮かべて言った。
「…おはよう、ハーレイ。もしかして、気が付いて来てくれた…?」
「違う、来たのはお前の方だ。…お前がいるのは俺のベッドで、この家は俺の家なんだが…」
その瞬間のブルーの笑顔を、ハーレイはきっと生涯、忘れることは出来ないだろう。喜びに満ちて輝くような眩しく、そして美しい笑顔。
「ハーレイ…!」
ブルーはハーレイが徹夜で己と戦い続けたことも知らずに抱き付き、その胸に頬を擦り寄せた。
「良かった、あれは夢じゃなかった。…メギドの夢を見たんだ、昨夜。とても怖くて、ハーレイにとても会いたくて…。会いたくて、どうしても会いたくて…。そうしたら側にハーレイがいた」
しがみ付いたら温かかった、とブルーはハーレイの胸に甘える。
「…ぼくは飛べないと思っていたけど、飛べたんだ。もう今度から夢を見たって怖くない。…ハーレイの所に来てもいいよね、飛べるんだから」
「……あ、ああ……。そうだな、お前は飛べるんだしな…」
怖い夢を見たらいつでも来い、とブルーの倍以上の年を重ねた大人の貫録を示してやりつつ、ハーレイは秘かにうろたえていた。
前世でのブルーの能力の高さからして、二度目、三度目は確実にあるだろう。その度に蛇の生殺しなのか、と天を仰ぎたい気持ちになる。
おまけに今日の、この状況。幸い土曜日で学校の方は休みだったが、ブルーの両親に何と説明するべきか…。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが恋仲だったという事実など誰一人として知りはしないし、何ゆえにブルーが此処へ来たかを話すことはとても難しそうだ。
「…ハーレイ? どうしたの、何か迷惑だった?」
「い、いや…。今日は学校は休みだったな、と思ってな」
朝飯にするか? と尋ねるとブルーは嬉しそうにコクリと頷いた。年相応なその表情にハーレイは心で苦笑する。身体が中身についていかない、誰よりも愛おしくて大切な恋人。手を出さないよう我慢するのは拷問だったが、それもブルーに再び出会えたがゆえの甘く切ない茨の檻で。
「よし、お前のために腕を奮うとするか。これでも料理は得意なんだぞ」
沢山食べて大きくなれよ、とブルーの銀色の髪を右手でクシャクシャと撫でてベッドから降りる。
(…まずはブルーの家に連絡しておかないとな。朝飯が済んだら送って行くか)
考えながら歩き始めたハーレイの腕にブルーがギュッと抱き付いてきた。何処までも無自覚で、それでいて立派な恋人のつもりの十四歳のブルー。当分はギャップに悩まされることになりそうだ、と溜息をつきながらもハーレイもまた、心地よい幸せに酔いしれていた……。
君の許へと・了
「あっ…!」
ツキン、と右目の奥が痛んだ。反射的に右手で押さえる。瞳から熱いものが溢れ出して細く白い指を濡らし、そしてポタリと…。
「……まただ……」
どうして、とブルーは広げていたノートに落ちた雫を呆然と眺める。
透明な涙の雫ではなく、ブルー自身の瞳の色を溶かしたような鮮血の赤。指についた雫を舐めると鉄錆を思わせる味がした。それは紛れもなく血液そのもの。
けれど鏡を覗き込んでみても瞳にも瞼にも傷一つ無い。涙の代わりに流れたかの如く、赤い血が滴り落ちたというだけのことで。
(…ぼくは一体、どうしたんだろう…)
こんなことは今まで無かったのに、と白いノートを汚した血の染みを見詰めていると声が聞こえた。
「ブルー! パパが帰ったから食事にしましょう!」
「うん、今、行く!」
言えない。両親に話したら、きっと心配するに違いない。目から血の涙が出るなんて…。
怪我をしているわけではないし、ついこの間までは何ともなかった。
そうでなくても進学したばかりで何かと慌ただしい毎日なのだし、病院になんか行っていられない。洗面所に駆け込んで手と頬を染めた血を洗い流すと、ブルーは両親の待つ階下へと下りて行った。
遠い昔には人が棲めないほどに荒廃していたと聞く水の星、地球。その地球にブルーが生を享けてから、今年で早くも十四年になる。
優しい両親との満ち足りた日々に何の不満も無く生きて来たのに、それは突然やって来た。
目の奥に走る不快な痛みと、涙のように零れる鮮血。
最初は怪我をしたのかと驚き慌て、パニックに近い状態で鏡を覗いた。しかし何処にも傷は見当たらず、一筋の血が流れ落ちた後は特に何事も起こらない。それ以上の出血が続くわけでなく、視界も全く普段と変わらず、問題があるとは思えなかった。
「…大丈夫だよね?」
自分自身に言い聞かせるように呟き、放っておいたのが一ヶ月ばかり前のこと。進学してすぐの忙しさに紛れて翌日には忘れていたのだけれど、それは何度か繰り返された。今日ので多分、五回目くらいになるのだろうか。
それでも目には傷一つ無いし、見えにくくなるわけでもないし…。
「ブルー? 何処か具合が悪いのかい?」
テーブルに着いていた父が新聞を置いて声を掛けて来た。
「ううん、なんでもない」
「それならいいが…。お前は身体が丈夫ではないし、勉強もあまり根を詰めてはいけないよ」
「そうよ、ブルー。無理のしすぎは良くないわよ」
今日は早めにお休みなさい、と母が優しく微笑みながら料理の皿をテーブルに置いた。
「ほら、ブルーの好きなカリフラワーのポタージュよ。だから、お肉もちゃんと食べなさい」
「…うん」
食の細いブルーのために、と母は色々と工夫を凝らしてくれる。父も何かと気遣ってくれるし、こんな二人に「血の涙が出る」などと言おうものなら大騒ぎになってしまうだろう。
ノートの染みは鼻血でも出たことにしておこう、とブルーは思う。
(鼻血だったら普通だしね)
そうそう誰もが出すわけではないが、そう珍しいことでもない。血の涙よりは自然だし…。
(…パパとママが見ている時に出ませんように…)
言い訳が出来ない状況は困る。そんな事態になりませんように、と祈りながらスープを掬って口に運んだ。野菜の甘みが母のように優しい味わいのスープ。肉料理もブルーが好きな部類のハンバーグだ。
(きちんと食べて栄養をつけたら、血の涙なんて出なくなるかな?)
頑張って今日は多めに食べよう、と決心をしてもブルーの食事のスピードは遅い。先に食べ終えた父が「まだ食べてるのか」と苦笑する。
「でも、沢山食べるのはいいことだな。細っこいままだと、ますますそっくりになってしまうぞ。…なあ、ママ?」
「そうねえ、ホントに似て来たわよねえ…。今日もお隣の奥さんに言われたの。お宅のブルー君、ソルジャー・ブルーの昔の写真にそっくりよねえ、って」
その瞬間、ブルーの右目の奥がズキンと痛んだ。
「ブルー!?」
「ど、どうしたの、ブルー?」
サラダを食べていたフォークを取り落とし、右目を押さえたブルーの指の間から零れる鮮血。母が悲鳴を上げ、父が慌てて立ち上がった。もう言い逃れは許されない。ブルーは父の車に乗せられ、病院へ行く羽目になってしまった。
頭部スキャンに全身スキャン。眼球は特に詳細に調べられ、採血などの検査もされた。けれど何処にも異常は見られないらしく、褐色の肌の男性医師が首を傾げる。
「こんなことは前からありましたか?」
尋ねられたブルーは黙っていたが、母に「どうなの?」と促されて仕方なく俯き加減で答える。
「……今日で五回目くらいです」
両親が息を飲むのが分かった。…だから言いたくなかったのに。
「五回目ですか。…最初はいつ頃?」
「…ひと月ほど前…」
ブルーの答えに母が「知らなかったわ」と悲しそうな声を上げ、両手で顔を覆う。
「私、母親失格ね。…子供の病気にも気付かないなんて」
「ごめんなさい、ママ…。言ったら心配すると思って」
謝るブルーに父が母の肩を抱きながら言った。
「その方がよほど心配だよ。…それで先生、ブルーの目は?」
「分かりません。こんな症状は初めて見ます。…ブルー君、何か前兆のようなものはありますか? 頭が痛むとか、目が霞むとか」
「…ありません。今日も別に…」
そこまで口にしてから、ふと思い出した。目の奥が痛み出す前に耳にした言葉。そう、母は確かに「ソルジャー・ブルー」と…。
「…え、えっと…。関係ないかもしれませんが…」
口ごもるブルーに、医師は「些細なことでも話して下さい」と穏やかに言った。
「心当たりがあるのでしょう? 何がありましたか?」
「……ソルジャー・ブルー。そう聞いた途端に目の奥がズキッと痛んだんです。…食事の前にも同じように血が出て、その時にノートに書こうとしたのもその名前でした」
「…ソルジャー・ブルー…。ミュウの初代の長の名前ですね。歴史の授業ではよく出て来ますが、以前は大丈夫だったのですね?」
「はい…」
本当に前は大丈夫だった。幼い頃から何度も聞いたし、学校で習うのも初めてではない。なのに何故。そういえば最初に血を流した日は、今の学校でその名を教わった初日のことで…。
「……ソルジャー・ブルーねえ……」
医師は首を捻りながら、ブルーの姿を上から下まで眺め回した。
「…言われてみれば君はそっくりですねえ、歴史書の彼に」
赤い瞳に銀色の髪。両親はごくごく普通の外見だったが、ブルーは生まれつき色素を欠いて生まれたアルビノだった。遙か昔のミュウの初代の長、ソルジャー・ブルーとは其処が異なる。
ソルジャー・ブルーは昔の世界で行われていた成人検査が切っ掛けでアルビノになったと伝わっているが、ブルーの名前は彼にちなんで名付けられた。今の時代、人類は全員がミュウであり、それゆえに心を読むのも隠すのも当たり前のように誰でも出来る。
「それで、ブルー君のサイオン・タイプは?」
医師の質問に父が答えた。
「ブルーです。…ソルジャー・ブルーの時代ならともかく、特に珍しくもないですが」
「なるほど、サイオン・タイプまでソルジャー・ブルーと同じですか…。私は医者ですから、あまり変わったことを言いたくはないのですけれど…。聖痕というものを御存知ですか?」
ブルーにとっては初めて聞く単語。しかし両親は知っていたようだ。ソルジャー・ブルーが生きた時代よりも昔、神の受難の傷痕をその身に写し取り、血を流した人々がいたという。
「…ソルジャー・ブルーの最期がどうであったかは誰も知りません。惑星破壊兵器、メギドと共に散ったことしか今に伝わってはいませんが…。その前に銃撃を受けたという説がありますね。…ブルー君は彼が受けた傷を再現しているのかも…」
「…まさか!」
ブルーは即座に否定した。
「ぼく、その話は習っていません! 銃撃なんていう説はまだ誰からも…」
「そうですか? ですが、ソルジャー・ブルーと無関係とも思えないのですよ。症状が初めて出たのが十四歳になった直後ですね? …ソルジャー・ブルーがアルビノとなり、ミュウの力が覚醒したのと同じ年です。私は生まれ変わりを信じているわけではありませんが…」
もしかしたら、と医師は「異常なし」のデータが並んだブルーのカルテに目をやった。
「ブルー君はソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれませんよ? そうそう、私の従兄弟に面白いのがいましてね。キャプテン・ハーレイにそっくりなんです」
苗字までちゃんとハーレイなんです、と笑う医師の名札にブルーは初めて気が付いた。医師の苗字も同じくハーレイ。自分がソルジャー・ブルーとそっくりなように、ミュウの船のキャプテンとして教科書に載っているハーレイにそっくりな人も居るのか…。
「そのハーレイですが…。近々、ブルー君が通っている学校に教師として行くことになっています。会った途端に目から血の涙が流れるようなら、ブルー君は本当にソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれませんね。残念ながら、私の従兄弟はキャプテン・ハーレイではないそうですが」
その言葉にブルーはホッと安堵の吐息をついた。血の涙だけでも気味が悪いのに、生まれ変わりだなどと言われても…。自分は普通の十四歳の子供で、伝説の戦士とは違うのだから。
異常なしと診断されたブルーは観察入院もせずに済み、両親と家に帰ることが出来た。しかし、次に同じ症状が出たらまた病院に行かねばならない。両親にも「二度と隠さないように」と強く言われたし、我慢するしかないのだが…。
(…もう起こらないといいんだけどな…)
そう願っていることが効いたのだろうか。ソルジャー・ブルーに関する時代の授業は無事に終わって、平穏な日々が戻ってきた。彼の名を聞いても血の涙は出ない。生まれ変わりだの聖痕だのと聞かされて少し怖かったけれど、再発しなければ大丈夫。あれはたまたま、ほんの偶然。
(そうだよね? ソルジャー・ブルーの生まれ変わりだなんて有り得ないよ)
ぼくはぼく、と読みかけの本を机に置いたまま、考え事をしていると。
「おい、ブルー! 新しい先生が来るらしいぜ」
「えっ?」
クラスメイトの声でブルーはハッと我に返った。
「なんだよ、聞いていなかったのかよ? 古典の先生、変わるんだってよ。年度初めに来る予定だったのが遅れたらしくて、なんか今日から」
「…ふうん? なんで遅れてたんだろ」
「前の学校で欠員が出てさ、引き止められてたみたいだぜ? 宿題出さねえ先生だといいな」
今の先生は宿題多すぎ、とクラスメイトが嘆いた所で授業開始のチャイムが鳴った。それと同時に教室に現れた褐色の肌の新任教師に、ブルーの胸がドクリと脈打つ。
(ハーレイ…!)
教科書で見たキャプテン・ハーレイにそっくりな彼。
何故「キャプテン」の呼称を抜かしたのかも分からない内に、右目の奥がズキンと痛んだ。
「お、おい、ブルー!?」
どうしたんだよ、と叫ぶクラスメイトの声は酷く遠くて、肩が、脇腹が、目の奥が痛い。絹を裂くような女子たちの悲鳴が聞こえる。床に倒れたブルー自身は知らなかったが、右目だけでなく両肩と左の脇腹からも血が溢れ出して制服の白いシャツを赤く染めていて…。
「どうしたんだ! おい、しっかりしろ!」
駆け寄って来た教師がブルーを抱え起こした、その瞬間。
(……ハーレイ?!)
(…ブルー?!)
触れ合った部分から流れ込み、交差する夥しい記憶。
そうだ、ぼくはこの手を知っている。そしてハーレイも、ぼくを知っている……。
授業は自習となり、ブルーは駆け込んで来た救急隊員たちに担架に乗せられ、ハーレイに付き添われて先日の病院へと搬送された。検査結果は全て異常なし、身体にも傷は見当たらない。それでも出血が多かったからと点滴を打たれ、それが終わるまで帰れないのだが…。
「…ハーレイ先生は?」
ブルーは病院に駆け付けてきた母に尋ねた。
「さっき学校へお帰りになったわ」
「……そうなんだ……」
ブルーの胸がツキンと痛む。
ハーレイ。やっと会えたのに…。ぼくは全てを思い出したし、君も思い出してくれたのに……。
「どうしたの、ブルー? ハーレイ先生がどうかしたの?」
「…ごめんなさい、ママ…」
ブルーは儚げな笑みを浮かべた。
「……ぼく、思い出してしまったんだよ。…ぼくはソルジャー・ブルーだったみたいだ。あの傷、ぼくが昔に撃たれた時のと同じ…」
「…そ、そんな……」
そんなことが、と声を詰まらせる母にブルーは懸命に詫びる。
「ごめんなさい。…ママの子供なのに、ごめんなさい…。でも、本当のことだから…」
「……それじゃ、まさかハーレイ先生も…?」
「うん…。先生はキャプテン・ハーレイだった……」
ごめんね、ママ。先生はキャプテン・ハーレイっていうだけじゃない。
ぼくの……。ううん、ソルジャー・ブルーの大切な……。
(……ハーレイ……)
自分の唇に指先で触れる。
覚えている。こんなにも君を覚えている。…君の唇も、温かい手も、身体中が君を覚えている。
…会いたいよ、ハーレイ。すぐに、今すぐに君に会いたい。
ハーレイ、ぼくは帰ってきたから。君のいる世界に帰ってきたから…。
点滴が終わり、会社を早退してきた父の車で家に戻ったブルーは大事を取って寝かされた。
今の生の記憶と、その前の……ソルジャー・ブルーの膨大な記憶。それらを融合させるためには有難い時間だったけれども、大切なものが欠けていた。
ハーレイがいない。…全てを思い出す切っ掛けになったハーレイが側に居てくれない…。
「会いたいよ、ハーレイ…」
もう何度目になるのだろう。涙で枕を濡らしながら小さな声で呟いた時、寝室のドアが軽く叩かれた。
「ブルー? ハーレイ先生が来て下さったわよ」
どうぞ、と母がドアを開け、懐かしい姿が現れた。記憶の中の彼と違ってキャプテンの制服を纏ってはおらず、教師としてのスーツ姿だけれども、忘れようもない彼の人の姿。
どうして自分は忘れていたのか。忘れ去ったままで十四年も生きて来られたのか…。
恐る恐る上掛けの下から差し出した手を、褐色の手が強く握ってくれた。
ああ、ハーレイ。
君の手だ。君の温かい手だ……。
「ママ……」
少しの間だけ、二人きりにさせて。
ブルーの言葉に母は頷き、「お茶の用意をしてくるわね」と部屋を出て階段を下りて行った。その足音が遠ざかるのを確認してからブルーは微笑む。
「……ただいま、ハーレイ。帰って来たよ」
「ブルー! ブルー、どうしてあんな…! もう心臓が止まるかと…!」
「ごめん。あの傷が思い出させてくれたんだ…」
「あんな酷い傷を、いったい何処で…! どうしてあんな姿になるまで…!」
行かせるのではなかった、とハーレイが何度も繰り返す。ブルーをメギドに行かせるべきではなかったのだ、と。
「…いいんだよ。あの時はぼくがそう決めた。…でも……」
今度は君と離れたくない。
そう言ったブルーの身体をハーレイがベッドから抱き起こし、両腕で強く抱き締める。その腕をブルーは覚えていた。前の生では幾度となくこうして抱き締められて、そして……。
「……ハーレイ?」
パッとハーレイの身体が離れて、扉が小さくノックされる。紅茶とクッキーを運んで来た母の何処となく寂しげな表情。
そうだ、母は自分たちの過去を全く知らない。ソルジャー・ブルーのことも、キャプテン・ハーレイのことも歴史に記された部分しか知らず、また知りようもなかったのだ…。
こうしてブルーは思い出した。
かつて自分が何者であったのか、何を思い、誰を愛したのかを。
ブルーの身体を染めた血が贄であったかのように、ハーレイの記憶も蘇った。ブルーの右目の奥は二度と痛まず、血が頬を伝うこともない。
けれど……。
「…ハーレイ…」
「駄目だ。ブルー、お前はまだ子供だ」
キスを強請ろうとして断られた。
あれからハーレイはブルーの家をしばしば訪ねて来てくれる。その度に自分の部屋に通して、母がお茶を置いて立ち去るとすぐに広い胸に甘え、優しい腕に抱き締められて幸せなひと時を過ごすのだけれど。
魂に刻まれた前世とは違い、ブルーは十四歳になったばかりの子供で、ハーレイは倍以上もの年を重ねた大人だった。
「…子供、子供って、そればっかり…」
「だが、本当のことだろう? …安心しろ、ちゃんと待っていてやるから」
ハーレイの手がブルーの銀色の髪を愛おしげに撫でた。
「……ホント?」
「本当だ。お前が充分に大きくなるまで気長に待つさ。…俺だって待つのは辛いんだがな」
でも、教え子に手を出すわけにはいかんだろうが。
「ふふっ、そう……かもしれないね」
ハーレイ、いつまで待てばいい? 来年? 再来年? それとも、もっと…?
「こらっ、子供がそういう話をするもんじゃない!」
コツン、と頭を小突かれる。
ああ、本当にいつまで待てばいいんだろう。いつになったら昔みたいに本物の恋人同士になれるんだろう? だけど、こういう時間さえもが愛おしい…。
「ねえ、ハーレイ…。君の身体の時間は止めて待っててくれるんだよね?」
「そのつもりだ。でないと釣り合いが取れなくなるしな」
だから頑張って沢山食べろ。
そう言うハーレイに「うん」と返して厚い胸に頬を擦り寄せる。
今はまだ、こうして甘えるだけしか出来ないけれど。母が「お茶のお代わりは如何?」と来はしないかと、ドアを気にしながらの逢瀬だけれど。
でも、ハーレイ。君にもう一度会えて良かった。
ぼくはもう何処へも行かないから。二度と君から離れないから、いつまでもぼくの側に居て…。
分かるかい、ハーレイ? 今、ぼくがどれだけ幸せなのか………。
聖痕・了
地球を目指して星の海を渡るミュウたちの白い船、シャングリラ。
人類軍がモビー・ディック……『白い鯨』と呼ぶ優美な船体に秘められた戦闘能力は大きく、
それをサポートするナスカの子たちのタイプ・ブルーのサイオンの下、地球への道は今や確実に
拓けつつあった。
「まだだ。もっと引き付けてから一斉射撃!」
人類軍の一大艦隊を前にキャプテン・ハーレイの指示が飛ぶ。
「右舷前方、攻撃、来ます!」
「グラン・パ!」
「頼む、トォニィ!」
着弾前に爆発してゆく幾つものミサイル、四散し消滅するレーザー。ソルジャー・シンの
陣頭指揮に従うナスカの子たちと、ハーレイに従うブリッジ・クルーと。
「サイオン・キャノン、発射!」
光の筋が敵艦隊へと吸い込まれてゆき、数ヶ所で起きた大爆発と、続く誘爆の連鎖の後に
もう敵艦の姿は見えない。これほどの大艦隊に遭遇することは以前は滅多に無かったのだが、
この一ヶ月ほどで急激に増えた。
シャングリラを侮れないと知った人類側も必死になっているのだろう。
「やりましたね、ソルジャー!」
「ああ。みんな、よく頑張ってくれた。ありがとう」
ソルジャー・シンの労いの声に歓声が上がり、続いてハーレイからの訓示を兼ねた重々しい
言葉が緩んだ空気を引き締める。それがいつもの光景だった。しかし…。
「「「キャプテン!?」」」
立っていたハーレイの身体がグラリと傾ぎ、そのまま床にくずおれる。ルリの悲鳴がブリッジを
劈き、エラとブラウが倒れたハーレイに駆け寄った。肩を揺すり、手首を握っても何の反応も
返らない。
「ドクターを呼べ!」
医療チームもだ、とソルジャー・シンが叫び、先ほどまでとは違う緊張と慌ただしさとが
ブリッジの上を覆っていった。
「……ハーレイ?」
不意に呼ばれたような気がして、ブルーは青の間を見回してみる。戦闘があったことは
承知していたが、今のブルーはソルジャーではない。ソルジャー・シンからの要請があるか、
或いはナスカの子たちの危機でも察知しない限り、戦線には出ないと決めていた。
『…ハーレイ…?』
終わったのか、と思念波で呼び掛けてみたが応えは無い。恐らく戦闘の結果を踏まえて今後の
進路や作戦などを皆と検討しているのだろう。そういう時に思念を送っても返事が無いのは
いつものことだ。分かっていたのに…、と苦笑する。
(駄目だな…。ハーレイの邪魔をしてはいけない、と分かっているのに)
ついうっかりと忘れてしまう。ソルジャーだった頃は決してこんな風に気安く呼んでみたりは
しなかったのに、退いて青の間に引き籠ってから弱くなった…、とブルーは腰掛けていたベッドの
傍らに視線をやった。そこに置かれたもう一つのベッド。
(……ハーレイ……)
ベッドの主の名を心の中で呼んで、そっとシーツを指先で撫でる。
ずいぶん遠い昔に思える、この手でメギドを沈めた日。あの日、奇跡にも似た形で救われて
以来、ブルーの傍らには常にハーレイが居た。
夜も自分の部屋には戻らず、ブルーの病室に詰めたハーレイ。そのハーレイの祈りがブルーの
命を繋いでいる、と知ったソルジャー・シンたちが、このベッドを青の間に運び込んだ。
ハーレイがいつもブルーを見守りながら眠れるように…、と。
(……でも……)
形だけのベッドになっているよね、とブルーの頬がうっすらと染まる。
ハーレイが自分のベッドを使っていた時期は確かにあったが、それはブルーがまだ本調子では
なかった頃。ブルーの容体が安定してからは、ハーレイはブルーを抱き締めて眠った。
初めの間は文字通りただ腕の中にそっと閉じ込めるだけ。それが恋人同士の営みへと
変わったのはいつだったろう。ブルーの身体が弱り始めて以来、絶えて無かった熱い時間を
取り戻すように幾度も幾度も身体を重ねた。そうして、今は…。
(…ハーレイ、無理をしていないかい? 君が死んだように眠っている日が増えているように
思うのだけど…)
ハーレイが青の間に戻る時間が日毎に遅くなってゆく。独りで夕食を終えて先にベッドに
入っているブルーの唇に口付けを落とし、シャワーを浴びて…。ベッドに潜り込んでブルーを
抱き寄せ、二言、三言を交わしたかと思うと、もう深い眠りに落ちている。
そんな日が長く続いていた。ハーレイの温もりを感じられればブルーはそれで充分だったし、
抱いて欲しいと強請るつもりも無い。けれど、ハーレイの疲労の色が濃くなってゆくのが、
ただ心配で堪らなかった。
無理をしすぎていないだろうか。休むようにと言うべきだろうか、と逡巡する内に扉が開く
気配を感じる。今日は早めに帰れたのか、と顔を上げたブルーの視線が凍り付き、ガクガクと
身体が震え始めた。
嘘だろう、ハーレイ…。君に呼ばれたと思ったのに……!
「大丈夫です、ソルジャー。落ち着いて下さい」
そう言ってくれた声は耳に馴染んだものではなくて、肩に置かれた手もドクターのもの。
ブルーが帰りを待ち焦がれていた褐色の身体は隣のベッドに横たわっていた。力が抜けたように
立ち上がれないでいるブルーの目の前で、ハーレイの腕に繋がれた点滴のチューブに滴がポタリと
落ちる。
「一通り検査を致しましたが、特に異常は見られません。連日、無理をしておられたようで…。
いわゆる過労と思われます。明日には意識が戻るでしょうが、当分は安静にして頂きます」
ソルジャー・シンも了承しておられます、とドクターは言った。
「ソルジャー・シンも御存知ない時間まで仕事をなさっておられたとか。もっと早くに気付く
べきだった、と長老方も反省しきりでいらっしゃいます。ソルジャー、あなたにお任せしても
よろしいでしょうか?」
「えっ?」
「心身の安静が第一ですので、三日間ほどは面会謝絶にすべきであると考えます。ソルジャー・
シンや長老の皆様方がお越しになれば仕事が頭を掠めるでしょうし…。私と医療スタッフ以外は
立ち入り禁止にしたいのですが」
ドクター・ノルディが何を求めているのか、ブルーはようやく理解した。ハーレイを看ていて
貰えないか、と言われているのだ。否と答えるわけがない。自分一人では心許ないが、ドクターと
医療スタッフも来てくれるのならば…。
「かまわないよ。どうせ一線を退いた身だ、こんな時くらいしか役に立てない」
「いえ、そんなことは…。ソルジャー、ありがとうございます」
キャプテンのお身体なら御心配は要りませんから、とノルディは点滴のパックとチューブを
チェックし、交換の時間にはメディカル・ルームからスタッフを寄越すと約束した。
「もちろん、キャプテンの分の食事も運ばせます。明日の朝には様子を見に寄りますから、
夜間のことはスタッフに任せてお休み下さい」
そう告げられて初めて夜であることに気が付いた。戦闘が始まる直前に軽い夕食を摂ったの
だったか…、と思い当たる。人類軍からの攻撃には昼も夜も無い。このところ、ハーレイは
夜中に飛び起きてブリッジに走ってゆくことも度々で…。
倒れるほどに疲れていたのか、とハーレイの頬に手を伸ばす。触れた肌からは何の思念も
感じず、疲れの酷さと眠りの深さが察せられた。
「それでは、失礼いたします。ソルジャーもお疲れになりませんよう」
ドクターが一礼して去って行った後も、ブルーは長い間、ハーレイの頬の辺りをそっと
擦り続けた。
少し伸び始めたらしい髭がチクチクと当たる。いつもシャワーのついでに剃っていたのか、と、
余計な手間を取らせていたことを悔いつつ、その気遣いが嬉しくて。
(ハーレイ…。暫くはぼくが世話をするから、ゆっくり休んで)
もう二度と無理をするんじゃないよ、と補聴器が外された耳元に唇を寄せて囁き掛ける。
こんな非常時に、とは思うけれども、ハーレイと二人きりの時間が三日間。ハーレイの目が
覚めたら、久しぶりにゆっくり話をして…、と心躍る時に思いを馳せながらブルーは自分の
ベッドに戻った。
ハーレイの腕と温もりが感じられないことは寂しかったが、独りで眠るには広すぎるベッドの
柔らかさは身体に心地良い。大きな枕に頭を凭せ掛けて間もなく、ハーレイの昏倒に驚きすぎた
心はゆるゆると眠りに誘われていった。
明日、目を覚ましたらハーレイはもう起きているのだろうか? 起きていなければ寝顔を
見ながらゆっくり待とう、と夢の狭間にブルーは揺蕩う。それから食事を運んで貰って、
ハーレイがベッドから起き上がれないようならフォークやスプーンで口まで運んで…。
ハーレイは何と言うだろう? 頬を赤らめて「自分で出来ますよ」と膨れそうだ…。
(………!??)
ザァッ、と激しい風が吹き付け、渦を巻いた。目を閉じ、顔を庇ったブルーが瞼を開くと、
其処は青の間よりも遙かに眩い光が満ちた空間で。
「やはりお前か。ソルジャー・ブルー!」
あの男が……黒髪の地球の男が銃口をこちらに向けていた。まさか、此処は…。
「此処まで生身でやって来るとは…。まさしく化け物だ。だが、此処までだ。残念だが、
メギドはもう止められない!」
銃口が火を噴き、右肩に衝撃と痛みとが走る。止めなければ。メギドを止めなければ…!
容赦なく撃ち込まれる弾丸に堪らず床に膝を付きつつ、反撃のチャンスとタイミングを計る。
残されたサイオンを極限まで高め、メギドと共にあの男をも…。
「これで終わりだ!」
視界の半分が真っ赤に塗り潰された次の瞬間、サイオンを床へと叩き付けた。暴走した青い
光の輪が広がってゆき、地球の男を飲み込もうとする直前に。
「キース…!!!」
飛び込んで来た人影が背後から地球の男を抱えるようにして消え去った。
鮮やかな碧のサイオン・カラー。
今の男は…ミュウだった……のか…? それならば。地球の男の傍らにすら、ミュウが
生き延びるだけの余地があるならば。
(ジョミー! …みんなを頼む!)
このメギドだけは壊して逝くから。
ミュウたちの生きられる場所を探して、君たちは地球へ…。
(…ハーレイ、君もどうか無事で…。ぼくの分まで、地球をその目で…)
でも、ハーレイ…。もう一度だけ会いたかったよ、君の碧が見たかった。さっきのミュウを
見て思い出したんだ。ぼくだけの懐かしい、暖かく輝く碧の光を…。
どうか最後に一目だけでも、と願った思いは叶わなかった。漆黒の奈落に囚われ、闇の底へと
引き摺り込まれる。もう会えない。自分は此処で闇黒に飲まれて、たった一人で…。
「ハーレイ…っ!!!」
伸ばした手が空を切り、ブルーは底知れぬ冥暗の獄へと投げ出された。
落ちる。落ちてゆくのだ、永遠に。会えなかった想い人の名を呼び続けながら、永劫の時を
泣き叫びながら、果てしなく何処までも、光すら届かぬ真の闇の中を……。
「ハーレイ! …ハーレイっ…!!」
自分の泣き声で目が覚めた。落下は止まり、ベッドの天蓋が上の方に見える。
(……此処は……)
青の間なのか、とホッと安堵し、全ては夢であったと悟った。けれどいつもなら抱き締めて
くれる腕が無い。
「恐ろしい夢を見たのでしょう」と、「大丈夫ですよ」と頬を優しく撫でてくれる手も、
温かな口付けをくれる唇も…。
「……ハーレイ…?」
もうブリッジに行ったのか、と身体を起こし、傍らのベッドに気付いて血の気が引いた。点滴の
チューブに繋がれ、死んだように眠っているハーレイ。点滴パックが満杯に近い状態だから、
寝ている間に医療スタッフが交換をしに来たのだろう。
昨夜、過労で倒れたハーレイは多分、あれから一度も目覚めてはいない。目覚めたのなら
思念でブルーを呼ぶ筈だ。ブルーがどれほど心配したかは分かる筈だし、「ご心配をお掛けして
すみません」と一言必ず告げてくれる。
(…このせいかな……)
酷い夢だった、とブルーは前髪を掻き上げた。
メギドの悪夢は今でもたまにブルーを苛む。けれど最後には碧の光がブルーを包み込み、
ハーレイの許へと運んでくれるのが常だった。いつもハーレイが気付いて目覚め、夢が
恐ろしい方へと向かわないように優しく起こしてくれるのだから。
その誘導が無いとこうなるのか、と身体を震わせたブルーの心にフッと不吉な翳が差す。
体力の限界に達したハーレイ。
ブルーをメギドから救い出して以来、その命の灯を決して消すまいと祈り続けてくれる
ハーレイ。彼の祈りだけで生かされていることは自覚していたし、無上の幸せでもあった。
ただ、心の片隅に蟠っている疑問が一つだけ。
ブルーの命を繋いでいるものは本当にハーレイの祈りだろうか? 祈りではなく、その祈りに
托されて流し込まれるハーレイの命で自分は生きているのではないか…。
人の血を吸って永遠の命を得ていたという伝説の中の吸血鬼。彼らのように自分もハーレイの
命を啜り、削り取りながら今も生き永らえているのではないか…。
それを一度だけ口にした時、ハーレイは豪快に笑い飛ばした。そんな器用なことは出来は
しないし、仮にそうなら自分はとっくの昔に死んでいますよ、と。
(そうでしょう、ブルー…、と、君は言ったね。本当ならば老衰で死んでいた筈のぼくを、
あれだけの傷を負って死にかけたぼくを今の状態まで戻すためには命が幾つあったとしても
足りないと…。でも……。君とぼくとが思った以上に、君の寿命は長かったのかもしれないよ…)
限界が来たんじゃないのかい、とブルーはポツリと呟いた。
「過労だとノルディは言ったけれども、本当はぼくのせいかもしれない。君の命を削り続けて、
とうとう限界に近付いたのかも…。そうだとしたら、もういいよ」
これ以上はもう祈らないで、とブルーは眠り続けるハーレイの唇に口付ける。
「君はシャングリラのキャプテンだ。ぼくよりもずっと、ミュウのみんなが必要としている
人間なんだよ。…だから、君の命は君のためだけに…。ぼくは充分に生きたから」
メギドから連れ戻してくれてありがとう、とハーレイの手に額をつけて礼を言ったものの、
先刻の悪夢が蘇って来た。充分すぎるほど生きたけれども、またハーレイと離れて逝くのか…。
「ハーレイ…。せめて最期は手を握っていてくれるかい…? 戦闘の真っ只中だったとしても、
ぼくの側に居て手を握っていて欲しいんだ。それがぼくからの最後のお願い。…君の手があれば、
きっと最後まで幸せなままで旅立てるから…」
ちょっと我儘すぎるだろうか、と微笑むブルーの瞳に涙の粒が盛り上がる。
逝きたくはない。まだ逝きたくはないのだけれど、ハーレイ、君の命は受け取れないよ…。
もうこれ以上、ハーレイの命は貰えない。
ブルーは決意を固めはしたが、それをハーレイにどう告げたものか。
二度と祈るな、と言おうものならハーレイは意地でも祈り続けることだろう。彼の命の灯が
燃え尽きるその瞬間まで、ブルーを決して離しはすまいと…。
ハーレイの祈りを拒絶する術はブルーには無く、望まれるがままに生き続けるだけ。強引に
それを断とうとするなら、自分自身を害するしかない。ブルーが自ら命を絶てばハーレイの命は
守れるだろうが、ハーレイの心はどれほど傷つき血を流すことか…。
「…ハーレイ…。ぼくはどうすればいい? どうすれば君の命を守れる…?」
分からないよ、とブルーの中で答えの出ない問いが廻り続ける。
ハーレイのベッドの傍らを離れ、自分のベッドに仰向けに転がって見えない答えを探し続ける。
誰かに相談すべきだろうか? ソルジャー・シンならハーレイの祈りを強制的に遮断し、ブルーの
命を絶てるだろうか?
(…でも……。そうすれば君が困るよね、ジョミー…)
ぼくを殺せと言うのも同じ、とブルーは両手で顔を覆った。
アルテメシアでサイオンに目覚めたばかりのジョミーが自分を生かしたことがある。今の
ハーレイのように祈りと願いの力だけで。
あれもジョミーの命によるものだったら、自分の命を一度は注いで生かしたブルーを殺せる
だろうか? たとえゆっくりと衰え死んでゆくのだとしても、ブルーの命を消せるだろうか…。
ましてトォニィやナスカの子たちには頼めない。あの幼さで人の命を絶ち続けるのは戦場だけで
沢山だ。同じ船で生き、共に暮らしているブルーの命を子供ゆえの純粋な使命感だけで絶てたと
しても、いつか成長した暁には心の傷となりそうで…。
(…ハーレイ…。ぼくは死ねないよ…。死ねないけれど、死ななきゃならない。君のためには
死ぬしかないんだ。でも方法が見付からないよ……)
ヒルマンなら何か分かるだろうか、と教授と呼ばれるシャングリラの碩学を思い浮かべる。
あるいは過去の歴史に詳しいエラあたりか。しかし、誰に相談しに行くにしても…。
「三日間、頼むと言われたっけ…」
ハーレイは三日間、面会謝絶だ。その間の看病を引き受けた以上、青の間を抜け出すわけには
いかない。ましてハーレイに自分の決意を見抜かれたりすれば、ただでも過労で倒れた身体に
更なる負担がかかってしまう。
「…あと三日だけ、夢を見るのがいいのかな…」
三日くらいなら誤差の範囲か、とブルーは無理やり結論付けた。ハーレイに心を
読まれないよう、思考ごと遮蔽し封じると決める。自分自身でも思い出せない記憶の奥底に
決意を閉じ込め、解き放つ時は三日の後。
ソルジャー・シンか、長老たちか。彼らの内の誰かが青の間を訪れるまで心の底へ、と
ブルーは思考の一部に固く鍵を掛けた。
ブルー自身も忘れてしまった命への疑問。
翌朝、何も知らずに目覚めたブルーは傍らにハーレイの温もりが無いことに驚き、隣のベッドで
独り眠っている想い人を見付けて昨夜の騒ぎを思い出した。
「まだ目が覚めてはいないんだよね…」
ベッドから起き出し、ハーレイのベッドに腰掛ける。心なしか少し窪んだ頬へと手を
滑らせれば、昨日感じた髭の感触が思い起こされて。
「…また伸びてる…」
そっと辿ってみた髭の生えた辺りは昨夜よりも強くその存在を主張していた。それが生命力の
証に思えて、ふっと頬が緩む。点滴のパックはさっき交換されたばかりのようだが、ハーレイが
目覚めればきっと食事も摂れるだろう。しかし、髭は自分で剃ることが出来るのだろうか?
(…食事はぼくが食べさせてあげられそうだけれど、髭はどうかな…)
どうやって剃るのか分からないよ、とブルーは頭を悩ませる。着替えや身体を拭くのと同じで
医療スタッフに任せるべきか、この機会に挑戦してみるか。
(えーっと…。とりあえず、やり方を知らないことにはね…)
少しだけ心を読んでもいいかな、とハーレイの寝顔を覗き込んだ時。
「……謹んで遠慮させて頂きますよ」
切り傷も剃刀負けも御免です、と口にしながらハーレイがゆっくりと目を開けた。
「あなたはいったい、何をなさる気で…。………???」
ハーレイの鳶色の瞳がブルーの顔と点滴パックと、自分の腕に刺さったチューブとを何度も
何度も見比べる。自分の身に何が起こっているのか、まるで分かっていない様子にブルーは
クスッと笑みを浮かべた。
「君は働き過ぎなんだよ。過労だってさ、昨日ブリッジで倒れたそうだ」
「で、では…。今のシャングリラはどうなって…」
起き上がろうとするハーレイの肩をブルーの腕が押さえ付ける。
「急に動いちゃ駄目だろう! 点滴のチューブが外れてしまうよ、それにドクターに叱られる」
「…ドクター?」
「三日間、面会謝絶だと言っていた。ドクターと医療スタッフしか来ない。君の世話はぼくに
お願いします、と一任されたから任せておいて」
食事を運んで貰う前に髭を剃ってみてもいいだろう、と茶目っ気たっぷりに微笑むブルーに
ハーレイは青ざめ、自分で剃れると逃げを打つ。攻防戦の末、ハーレイは点滴の台を
引き摺るようにしてバスルームへと歩いてゆき…。
「ふうん…。そうやって剃るんだ、髭って」
興味津々で背後から鏡を覗き込むブルーに、ハーレイは剃刀を使いながら。
「シェーバーを使っている者たちも多いですよ」
「…シェーバーって?」
「いわゆる自動の髭剃り機ですね」
私の好みではありませんが、と返されたブルーの胸がじんわりと少し熱くなる。
まだハーレイについて知らない部分があるようだ。知れて嬉しい、と思うと同時にもっと
知りたい、と思いが募る。ハーレイのことをもっと幾つも、一緒に生きてゆく中で幾つも、
幾つも…。
医療スタッフに三度の食事を運んで貰って、朝と夜とにドクターの診察。点滴のパックも
三日目の朝には外され、ブルーとハーレイはそれは穏やかな面会謝絶の期間を二人で過ごした。
ハーレイが多忙を極めて以来、絶えて無かった二人だけの長くてゆったりとした時間。
他愛もない話をしたり、ハーレイの髭を剃りたがるブルーと揉めたり、同じテーブルで
食事を摂ったりと、まるで蜜月であるかのように。
これは後から知れた事実だが、キャプテンの疲労回復を妨げぬよう、ソルジャー・シンは
地球への進攻を一時中止し、フィシスの占いなども取り入れて人類軍のいない宙域を選んで
航行していたらしい。その甲斐あって、面会謝絶は四日目の朝に無事に解かれて。
「なんだい、思ったよりも元気にしてるんじゃないか」
つくづくタフな男だねえ、と朝食後にブラウが訪れた。
それは蜜月の終わりの合図。心の底深く秘められた鍵が外れて、遮蔽が解ける。
(……そうだった……)
三日間だけの夢だったのだ、とブルーの胸の奥に冷たい氷の塊が出来た。
ハーレイの命を削り続けて生きて来た自分。この忌まわしい命をどうやって絶つか、誰に
相談するべきなのか。ブラウは多分、適役ではない…。
「…ブルー? どうなさいました?」
お顔の色が、とハーレイが心配そうに尋ね、ブラウがブルーの顔を覗き込んで。
「アレだね、看病疲れだろ。ハーレイ、あんた、色々我儘言ったね」
「いや、私は…」
「違うんだ、ブラウ。…そうじゃない」
ハーレイは何も、と止めに入ったブルーの肩をブラウはポンと軽く叩いた。
「こんなデカイのの世話を三日もお疲れさま。…だけどアンタが元気そうにしてて良かったよ。
ハーレイが引っくり返った時には共倒れかと焦ったからねえ…」
「…共倒れ?」
怪訝そうに訊き返すブルーに「そうですよ」と答えを返した人物は、朝の診察のために
入室してきたノルディだった。
「キャプテンがあなたの命を繋いでいることは疑いようのない事実です。ただ、それがどういう
形なのかが分からなかった。キャプテンは祈りだけだと仰いましたが…」
「正直、自分の命を分けているんじゃないかと誰もが心配していたわけさ」
ブラウの言葉にブルーはギクリと自分の胸元に手を当てる。
告げるまでも無く知られてしまった。それにハーレイも聞いている。これでは、自分は…。
「何をビクビクしてるんだい? はは~ん、さてはアンタも心配してたね?」
「…ブラウ…。頼む、ハーレイの前でその話は……」
しないでくれ、と縋るようにブルーはノルディに視線を送った。面会謝絶が解けたばかりの
ハーレイに心労を与えてはまずい。日を改めて、と思念と瞳で哀願したが。
「ソルジャー、どうか御心配なく。…今回の騒ぎで分かりましたよ、キャプテンのお話が
正しいようです。もしも本当に命を分けておられるのならば、あなたも倒れておられた筈です」
「…そ、それは…。幾らかはストックがあっただろうし…」
それで倒れずにいられただけだ、とブルーは声を絞り出す。けれどノルディは首を横に振った。
「お言葉ですが、命をストックするというのは恐らく無理かと思われます。仮に可能だったと
しても三日もの間、キャプテンが不調でおられたとなると影響が出ます。ですが、あなたは
普段と変わらず健康な状態でいらっしゃいましたし…。祈りで間違いなさそうですね」
「そういうことだよ、だから心配無用ってね。命を削ってるわけじゃないんだ、このデカブツは
長生きしそうだし、うんと長生きさせて貰いな」
百年くらいは軽い、軽い、とブラウは声を立てて笑った。ハーレイは顔を真っ赤に染めつつ、
ブルーに優しく微笑みかける。
「…そんな御心配をお掛けしていたとは…。ブルー、申し訳ありません。お詫びに一度くらい
でしたら、私の髭を剃って下さっても…」
「おや、なんだい? 髭って何さ?」
面白そうだねえ、とブラウが話に首を突っ込み、「剃っちまいな」とブルーを唆し…。やがて
訪れたソルジャー・シンや他の長老たちも交えて髭剃りは時ならぬ娯楽となった。
誰もがブルーの命のことを気遣いつつも口に出来ずに秘めていた分、何の心配も無いと分かった
反動はシャングリラの船体をも揺るがしそうな笑いの渦へと広がっていって…。
「…ブルー、いささか痛むのですが…」
やはり遠慮しておくべきでした、とハーレイが顎に手を滑らせる。面会謝絶は解けは
したものの、キャプテンはまだ当分は安静ということになっていた。
「構わないと言ったのは君だろう? 剃刀負けにはこれだ、とノルディも言ったし」
塗ってあげるよ、とブルーは軟膏のケースを手に取り、中身を指先に掬い取る。
「ほら、じっとして動かない! 明日の朝にはきっと治るさ」
「いたたたた…。本当に髭剃りは二度と勘弁願いますよ」
「うん。ぼくには向いていないみたいだし…。自分で剃るのが一番だよね」
でも疲れた日は剃らなくていい、とブルーはしっかり釘を刺した。
「シャワーだって次の日の朝で構わないんだよ、ぼくは全く気にしないから」
「…ですが、あなたと同じベッドで休むのですし…。休養期間が終わりましたら」
それまでは別のベッドですが、と言うハーレイの手をブルーの白い手がギュッと握った。
「それなんだけど…。ドクターが診察に来る前に起きて移動でいいんじゃないかな」
「…ブルー?」
「君の命を削っているんじゃないかと怖かったんだ。君が倒れて、そうだと思った。君の側には
もう居られない、死ぬしかないと思っていたんだよ…」
でも怖かった、とブルーはハーレイの胸に縋り付く。
「どうやって死ねばいいかも分からなかったし、君と離れるのも怖かった。君が最後まで手を
握っていてくれるなら…、とも思ったけれど……ずっと君の側に居たいとも思った」
どれも選べなかったんだ、と訴え掛けるブルーの心からハーレイの中に思いの全てが流れ込んで
いった。命を繋ぐ祈りを捧げ続ける絆を通して逆流したと言うべきか…。
自ら命を絶つことすらをも考えたほどに思い詰めていたブルーの深い嘆きと悲しみ。
ハーレイの命を守るためだけに死にたいと願い、それでもハーレイの側に居たいと……最後まで
手を握って欲しい、と涙を零して心を固く封じたブルー。
倒れたハーレイに余計な心痛をかけまいとして、辛い思いを、答えの出ない問いを心の奥底に
沈め閉じ込め、その封印が解ける瞬間まで柔らかく微笑み続けたブルー…。
ハーレイは声も出せなかった。あまりの痛みに、その健気さに心が張り裂けそうになる。
これほどの苦しみを負わせたのか、と。
ただ守りたいとひたすらに願い、どんな苦痛も悪夢でさえも近付かせまいと大切にしてきた
つもりのブルーを、これほどまでに苦しめたのか……と。
今度こそブルーを離しはすまい。
二度とブルーを悲しませないよう、苦しめぬよう、華奢な身体を守らなければ…。ハーレイの
腕に力が籠もる。ブルーをその胸に閉じ込めるように。
「……ハーレイ……?」
「ブルー、あなたの仰せのままに……」
ドクターが来る前に起きて移動を致しましょう、とハーレイはブルーを強く抱き締めた。
側に居たいと望むブルーが求めているであろう確かな温もり。ブルーが味わった悲しみと流した
涙の代わりと呼ぶにはあまりにもささやかなものだけれども、せめて腕の中で休ませたいと…。
ハーレイと離れて逝かねばならぬ、と一度は決意したベッドの上でブルーは想い人の体温と
匂いに包まれる。
「……温かい……」
君の身体は温かい、と胸に頬を擦り寄せるブルーの背をハーレイの手が優しく撫でる。
「…ブルー、申し訳ありません…。もう長いこと、ただ添い寝するだけの夜ばかりで…。それも
私が先に眠るなど、さぞかしお寂しかったでしょうに……」
もう少し身体を気遣います、とハーレイはブルーに口付けた。
「すみません…。今はこれだけが精一杯で……。あなたが嫌だと仰るほどにお身体に私を
刻み付けられるよう、頑張って体力を取り戻しますよ」
「…そんなこと……。そんなのは無くてもいいんだよ。……ぼくは長い間、君を待たせた。
メギドから戻って来た後もそうだし、その前は十数年も待たせ続けて眠ったままで…」
だから今度はぼくが待つよ、とブルーはハーレイに口付けを返す。触れるだけの口付けを
何度も、何度も、想いをこめて唇に、頬に、まだ痛むらしい剃り跡の傷を労わるように。
「君がすっかり元気になるまで、一緒に眠れるだけでいい…。明日はドクターが来る前に
ぼくが起こすよ、だから安心してゆっくり眠って……」
「…ブルー、あなたこそ…。辛い想いをなさったのです、今夜はどうぞ良い夢を…」
明日の朝はごゆっくりお休み下さい、とハーレイは自分で起きると言い張った。互いに相手の
身体を気遣い、自分が起こす、と約束し合いながら、二人して眠りに落ちてゆく。
先に眠ったのはハーレイだったか、それともブルーだったのか。
固く抱き合い、寄り添い合ったままで眠り続ける恋人たちは気付かない。
部屋を訪れたドクターが一つ溜息をついて、首を振りながら出て行ったことに。
キャプテン・ハーレイ、過労につき当分は青の間で静養とする。
入室する者は事前にドクターの許可を得るよう、との告知がシャングリラ全艦に流された。
ソルジャー・シンや長老たちもその例外ではないらしい。
そんな告知が出されたとも知らず、ハーレイとブルーは眠り続ける。
二人が共に目覚めた時にはブルーの心を引き裂いた痛みも、ハーレイの顎の剃刀負けも
きっと癒えていることだろう。互いの温もりは何にも勝る特効薬で、それを上回るものは
無いのだから。
地球への道は長く険しいけれども、二人は地球の夢を見る。
青い星に二人で降りてゆく夢。
夢はいつの日か、遠い未来に奇跡となって青い地球の上で叶う筈……。
奇跡の狭間で・了
≪作者メッセージ≫
ハレブル別館にお越し下さってありがとうございました!
『奇跡の狭間で』は、『奇跡の碧に…』と『奇跡の青から』の間の何処かが
舞台になっているお話です。特に何話の辺りとは決めてませんねえ…。
地球の座標は掴んだものの、まだまだ遠い宇宙を旅していた頃です。
昨年の『奇跡の青から』でブルー生存EDを書き上げたくせに、いざ7月が
近付いてくると「何かせずにはいられない」という損な性分。
「ウチのブルーは生きてます!」と再確認&主張するために書いてみました、
奇跡シリーズな『奇跡の狭間で』。
ブルーを生かしているものが何であるかもハッキリさせておきたいですしね。
ハーレイの命を貰っているわけではありませんから、御安心を。
祈りという奇跡で生きているブルー。
祈りを捧げ続けるハーレイ。
そんな二人が青い地球まで星の海を渡ってゆくのです。
青い地球の上に降り立つことが出来たブルーは、幸せに生きているでしょう。
ハーレイと二人で穏やかな日々を、文字通り「ただのブルー」として。
今年も「運命の17話」の放映日、7月28日が巡って来ました。
アニテラでは叶わなかった未来だからこそ、ブルーを青い地球の大地の上へ。
一連の『奇跡』シリーズは、そのためだけに存在します。
ハーレイとブルー、二人の幸せな未来を祈りつつ…。
7月28日ですから、黙祷。
2013年7月28日(日)、アニテラ17話放映から6周年。