シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.07.28 奇跡の青から <4>
- 2012.07.28 奇跡の青から <3>
- 2012.07.28 奇跡の青から <2>
- 2012.07.28 奇跡の青から <1>
- 2012.07.28 奇跡の碧に…
間もなく国家騎士団の制服を纏ったマツカがリボーン職員に連れられて到着した。彼もキースの
メッセージを聞いていたらしく、少し青ざめた顔でミュウの代表たちを見回している。
「マツカ。…グランド・マザーの所へ出掛ける。ミュウの方々に失礼のないようにな」
「は、はいっ!」
最敬礼したマツカを従え、リボーン職員に先導されたキースが部屋を出てゆくのにジョミーが
続いた。ブルーがジョミーの背を追うように歩き始めるとハーレイが後ろについたのが分かる。
「…行ってくるよ。大丈夫、ハーレイも一緒だから」
長老たちに微笑みかけると、その間からトォニィが一歩前に出てジョミーを呼び止めた。
「グラン・パ! 機械の思考は読めないんだ。そいつの目的が何か知らないけど、危険
なんじゃ…」
「さっきのメッセージを見ただろう? …キースにぼくたちへの敵意は無い。ぼくたちが
戻るまでの間に皆で話し合っておくがいい。人類は、ミュウはどうすべきかと。…行こう、
キース」
ジョミーが促し、足を止めていたキースが再び歩き始めた。会談が行われていた部屋から
無機質な通路を進み、ユグドラシルの中央に出る。ブルーの思念でも探れなかった部分に
隠されていたのは地下へと降りる専用のエレベーターだった。乗り込み、降下が始まってから
かなり経っても一向に止まる気配が無い。
「…ずいぶん降りるんだな」
ジョミーが漏らした声にキースが応じた。
「このユグドラシルはマントル層にまで到達している。そこから直接エネルギーを取り出し、
地上の浄化を進めている」
「浄化だって? そんな風には見えなかったが」
「…お前たちにもそう見えるか。だが、我々はそれを信じてやってきた」
微かな揺れがエレベーターの停止を伝え、外に出てみたが其処にグランド・マザーの姿は
無かった。リボーン職員に導かれた先には不自然なまでに明るい空間。壁一面に青空と
大きな草花が描かれた広間の奥から大勢の子供たちが我先に此方へ駆け寄ってくる。
「ねえ、外に出られるの?」
「浄化は終わったの?」
口々に問われてブルーたちは言葉を失った。何故、こんな所に子供がいるのか。外とは、
浄化とは地球のことなのか…? リボーン職員に視線を向ければ明快な答えが返って来た。
「カナリアと呼ばれる子供たちです。地球の浄化が終わった暁には彼らが大地を謳歌する
予定です」
「いつなんだ、それは! この子たちの世代で浄化が終わるとでも? それとも今すぐにでも
外へ出すつもりなのか?」
ジョミーの厳しい表情と声音に子供たちは一瞬、怯えを見せたが、すぐに無邪気な笑顔に
戻った。広間を隔てた通路へと歩き出すブルーたちに「またね」と手を振り、笑い掛ける。
「カナリアか…。遙か昔に、空気に有毒なガスが含まれていないかを確かめるために
カナリアという小鳥を使っていたと聞いたことがある。その意味でカナリアと呼んで
いるのか、キース・アニアン?」
ブルーの指摘にキースもリボーン職員も答えず、やがて巨大な女神のレリーフが施された
扉の前へと案内された。扉の奥にはリボーン職員も進めないらしい。其処に入れるのは……。
「国家主席、キース・アニアン!」
≪承認。キース・アニアン≫
国家主席たる者の名乗りに耳障りなコンピューター・ボイスが響き、扉が左右にスライドする。
キースが中へと一歩を踏み出し、ブルーたちの方を振り返った。
「行くのだろう? グランド・マザーはこの下にいる」
リボーン職員だけを残して乗り込んだエレベーターは更に下へと降下してゆく。周囲は
壁面のライトを除いて一面の闇。何処まで降りるのか、何があるのか、ブルーのサイオンでも
捉えられない。その闇を眺めながらキースが呟いた。
「…愚かしいだろう、人類は。地球が浄化出来ると信じて全てをマザーに委ねた挙句にこの
有様だ。あのカナリアにしても矛盾している。仮に浄化が完了したとして、地球が彼らの
物になるなら、育英惑星で育てられた者たちの立場はどうなるのだ? 何もかもが欠陥
だらけなのだ…」
「キース! でも、あなたは人類を代表する者として…」
遮ろうとしたマツカをキースが静かに振り返る。
「私は懸命に努力してきた。人類の理想の指導者たるべく、生ずる疑問を封じ続けて生きて
来た。…だが、マザーにミュウ因子の排除の禁止とミュウの抹殺という相反するプログラムが
施されていたと知った瞬間から、歯車が狂ってきたのだろうな」
自分の心に嘘はつけない、とキースは深い溜息をついた。
「…私もまた、排除されるべきミュウの一人だ。しかしマザーは違うと言い切る。その上で
マザーは判断を私に委ねた。ミュウと交渉するも良し、焼き払うも良し…と。ならば賭けて
みようと思ったのだ。人類ではなく、新人種であるミュウの未来に」
「…あなたが……ミュウだと言うのですか…?」
マツカの瞳が大きく見開かれ、キースは低い笑いを漏らした。
「お前には信じられないだろうな。だが、そこのミュウたちは全員が知っているのではないか?
誰も驚かないのがその証拠だ。お前が皆に話したのだろう、ソルジャー・ブルー?」
「ジョミーとハーレイの二人だけにね。…君の考えが読めない以上、皆に知らせれば混乱を招く」
「それは賢明な判断だったな。ミュウが挙って私を仲間扱いしていたならば、あの会談が無事に
終わったかどうか…。人類はミュウの意見に耳を傾けはしない。…今となっては違うだろうが」
聞け、とキースが操作したのは胸に着けていた通信機だった。スピーカーに切り替えられた
それから流れて来るのは国家騎士団員たちの声。
≪…各地で戦線が崩壊していく…≫
≪戦闘を放棄した艦隊が多数…≫
≪我々はミュウに敗れたということなのか?≫
≪…そうではないだろうが…戦い続けるのは不可能だ…≫
彼らの言葉は戦いの終わりを意味していた。人類とミュウとの間に横たわっていた溝が
崩れ落ち、まさに埋まろうとしているのだ。キースが賭けたミュウの未来が開けつつある。
人類とミュウとは、キースがあのメッセージで語ったとおりに手を取り合って進化の階段を
登ってゆくことになるのだろう。
「キース。ミュウの長として君の決断に感謝する。…ありがとう」
ジョミーが頭を下げようとするのを、キースは「まだだ」と手で制した。
「礼を言うのはまだ早い。…グランド・マザーは私の意見をまだ聞いていない。決定権がマザーに
あるとは思いたくないが、グランド・マザーが存在する限りSD体制は続くのだ」
「では、グランド・マザーを……破壊するしかないというのか?」
「分からない。…マザーは私に任せると言った。私の答えは決まっている。しかし、マザーが
それを受け入れ、承認するかどうかはマザー次第だとしか答えられない。…ついて来てしまって
良かったのか? ジョミー・マーキス・シン。ソルジャー・ブルー。…そしてソルジャー・
ブルーの想い人…だったな」
キースの鋭い視線がジョミーを、ブルーを、ハーレイを射る。けれど誰の心にも後悔は
無かった。
ジョミーにはソルジャーとしての責任があり、ブルーにはジョミーを選び地球を目指した
前ソルジャーとして果たさねばならない目的がある。ブルーの命を繋ぎ続けて地球まで連れて
来たハーレイにもまた、ブルーの側を離れないという固い決意と約束とが…。
「…着くぞ。無事にマザーと折り合いがつくよう祈るがいい。…生きて地上に戻りたければ」
エレベーターが止まり、通路を抜けて辿り着いたのは円形の部屋。扉が開き、広がった光景に
ブルーたちの息が一瞬、止まった。地下とは思えない高い青空。人工的ではあるが、夢に描いた
青い地球の空そのもののように澄み、地平線まで続く緑の大地がその空の下に広がっている。
だが、そのままであれば美しいとも形容できる風景の中央にそそり立つ白い巨像と緑の大地を
埋め尽くす黒いモニュメントが禍々しい空気を地下空間いっぱいに満たしていた。
(これが……グランド・マザー……)
ブルーと時を同じくしてジョミーも掠れた声で呟く。凄まじい威圧感に押し潰されそうな中、
巨像の胸の辺りの空間に不釣り合いなほど大きな女性の目が浮かび上がり、ゆっくりと開いて
ブルーたちを遙かな高みから睥睨した。
地球の浄化と再生の名の下、SD体制を維持し続けて来た永遠の命を持つ機械の女神。
数多のミュウの血を贄として啜り、犠牲の命を貪りながらも地球を蘇らせられなかった
グランド・マザー。
明らかに人間のものとは異なる瞳がブルーたちを見下ろし、異質な声で問い掛ける。
≪キース・アニアン。結論は出たか? …ミュウの根絶は我に与えられし絶対命令。この
プログラムを変更できるのはそのために創られた完璧な人間のみ。…答えを聞こう。
人類は我を、必要や、否や?≫
「「「…キース!?」」」
この質問に答えるためにキースは此処まで降りて来たのか、とブルーたちはキースの表情を
窺う。キースはSD体制にミュウを受け入れるためのプログラムは存在しないと語っていた。
プログラムの変更とは即ち、グランド・マザーの停止を意味しているのだろう。
マザーに判断を任された時から考え続けてきたというキース。自らがミュウであることを認め、
全宇宙に向けてマザー・システムを否定するメッセージを発信した以上は、彼の答えは…。
「もういい、あなたは時代遅れのシステムだ。我々はあなたを必要としない」
≪理解不能。我は人類が造りし最後の良心である。SD体制は人類の欲望を制御し、世界に
恒久的な秩序と調和を齎した≫
「あなたが排除してきたミュウこそが次の時代を担う種族だ! 人類の進化を妨げるあなたが
良心でなどあるものか! プログラムを変更して貰おう。ミュウを根絶してはならない!」
叩き付けるようなキースの叫びの後、暫しの沈黙が地下の空間を支配した。グランド・マザーが
停止するのか、あるいはプログラムを書き換える方法があるというのか。針が落ちる音すら
聞こえそうなほどの静寂が破られたのは、巨像に至る真っ直ぐな道の両脇に並ぶ甲冑が
捧げ持つ剣たちによって。
≪…精神解析終了。キース・アニアンはミュウ化の傾向あり。これを速やかに処分すべし≫
無数の剣が甲冑から離れ、グランド・マザーに答えを告げるべく前に出ていたキース目掛けて
降り注ぐのを目にしたブルーが、ジョミーが動くよりも早く。
「キース!!!」
テレポートにも近い速さで飛び出して行ったのはマツカだった。キースを庇うように覆い
被さったマツカの背に深々と一本の剣が突き刺さるのを認め、ジョミーの全身から青い
怒りの焔が立ち昇る。
「貴様…。機械め…!」
ジョミーが地を蹴り、グランド・マザーの懐に飛び込んで行った。タイプ・ブルーのサイオンと
グランド・マザーが造り出すシールドが拮抗し、強大なエネルギーの激突に青いプラズマが
地下空間を走り抜ける。
「ハーレイ! 頼む、キースとマツカを!」
咄嗟に自分たちの周囲に張り巡らしたシールドの中でブルーは叫んだ。キースが自らを
庇って倒れたマツカの名前を呼び続けているが、マツカの意識は戻らない。そうさせた
のは……ブルー。
「此処ではマツカの手当てが出来ない。ぼくが彼の身体を凍らせた。…ぼくの力が
及ばなくなったら君が力を引き継いでくれ。そして二人のシールドを頼む。君の
力なら大丈夫だ」
「ブルー、あなたは!?」
「ソルジャーに戻る。ジョミーだけに血は流させない…!」
…頼んだよ、ハーレイ。
同じ言葉を遠い昔に口にしたような記憶がある。そういえば、あれはナスカ上空での
ことだったか、と走馬灯のように流れてゆく過去とハーレイへの想いを振り捨ててブルーは
翔んだ。
「ブルー!!!」
ハーレイの血を吐くような叫びにブルーの胸が微かに痛む。
(…ごめん、ハーレイ。…戦うことになってしまって……ごめん)
けれど、戦いはこれで最後。人類とミュウとが和解しつつある今、グランド・マザーを倒しさえ
すればSD体制は終わり、もうソルジャーは要らなくなる。そのためにジョミーと共に戦うのが
自分の最後の務めなのだ、とブルーは渦巻くプラズマの只中に向かって滑り込んで行った。
ぶつかり合うサイオンとマザーの電気エネルギーとが作り出す磁場。平衡感覚さえ狂わせる
ほどの電磁波が荒れ狂う地下の空高くブルーが舞う。
(ジョミー! ぼくも今、行く)
グランド・マザーと死闘を繰り広げるジョミーはブルーの参戦に気付いてはいない。ブルー
自身も機械のエネルギーに抗い、サイオンを高め続ける間にジョミーのことを気遣う余裕など
無くなっていった。マントル層に根差すグランド・マザーはタイプ・ブルーのサイオンをも
軽く凌駕する圧倒的な破壊力を持つ。
≪お前たちの力で勝てはしない。我は永遠。我の力は地球と共にある≫
嘲笑うグランド・マザーが放つ力に高く投げ上げられ、振り回されて地面に叩き付けられる。
その衝撃をシールドでかわし、合間に青いサイオンを炸裂させては巨像と巨大な瞳とを少しずつ
切り裂き、出来た裂け目を押し広げてゆく。あと少し。…あと少しだけの力があればグランド・
マザーを倒すことが出来る…。
『全てのミュウよ。ぼくに力を! …地の底へ。地球へ向けて…!』
ジョミーの思念が協力を求めて呼び掛けるのがブルーにも聞こえた。瞬時に意識をジョミーへと
飛ばし自分のサイオンを同調させれば、ミュウたちの思念をその身に集めた若きソルジャーが
一筋の青い光となってグランド・マザーの瞳を破魔の矢の如くに射抜き、撃ち抜く。瞳の奥に
聳え立つ白い巨像をも。
(ジョミー…!!)
地下空間を揺るがす爆発が起こり、グランド・マザーは二人のソルジャーとミュウたちの
エネルギーの前に屈した。空からの光もプラズマも全て消え失せ、漆黒の闇が訪れる。その中に
灯る淡い光はジョミーとブルーが纏う青いサイオンと、激しい戦いの最中も消えることがなかった
ハーレイのシールドを示す碧と。
≪…この力。破滅の力。力は欲望により解放される。我…欲望を制御し…世界に秩序と…≫
崩れ落ちた機械が発する音声は急速に乱れ、やがて沈黙していった。
終わった。…ついに終わったのだ、長い戦いが。そして…。
(…ハーレイ…。ありがとう、ハーレイ…。君のお蔭で戦うことが出来た。…ソルジャーの務めを
果たすことが出来た…)
先に地表に降りたジョミーがハーレイたちの元へ駆けてゆくのが見える。消耗してはいるの
だろうが、流石に健康で若い身体は疲れを知らない。
『ハーレイ…。ごめん、ぼくの身体では走れないよ。もう少し待っていてくれるかい…?』
『ブルー、御無事で…! どうぞ、ごゆっくりお戻り下さい』
待っていますよ、と返すハーレイの隣ではジョミーがマツカの身体に手を翳していた。この地下
深くから地上に脱出するまでの間、仮死状態が解けないように力を注いでいるのだろう。
(良かった…。これで皆で揃って地上に帰れる。誰も欠けずに済んだんだ…)
疲労で崩れそうになる足で瓦礫に覆われた地面を踏みしめながらハーレイたちの所へと歩いて
ゆく。シールドを解いたハーレイがブルーの微かな足音に気付き、振り返って微笑むと迎える
ために立ち上がった。
「おかえりなさい。ブルー…」
ああ…。帰って来た。ぼくは生きて……また生き延びて、ハーレイの所へ帰ることが出来た…。
涙が溢れそうになるのを堪えて懐かしい温もりに身を委ねようとしたブルーの意識を、
冷やかな殺意が不意に掠めた。
「危ない、ジョミー!」
グランド・マザーの残骸から放たれた一本の剣。
真っ直ぐに飛んだ剣が貫こうとした若きミュウの長を、ブルーは残された渾身の力で
突き飛ばす。脇腹に鈍い衝撃と熱く鋭い痛みとが走り、ハーレイの絶叫が地下空間の
暗闇に響き渡った。
「ブルー!!!」
(……ごめん。ごめん、ハーレイ……)
夢を見ているような気がした。唇から血が溢れ、身体がゆっくりと……酷くゆっくりと
倒れてゆく。こんな筈ではなかったのに。…ハーレイを最後の最後で悲しませるつもりなど
なかったのに。
本当に…ごめん。
ハーレイ…。ぼくは君と一緒に帰りたかったよ……。ごめん…。
ハーレイが一杯に伸ばした腕に抱き止められたブルーは自分の命が消えてゆくのを感じていた。
グランド・マザーとの戦いで力を使い果たした身体に時間はいくらも残されていない。右の
脇腹から流れる鮮血と共に残り僅かな命までもが砂粒のように零れ落ちてゆく。
(ハーレイ…)
愛する者の名を呼ぼうとした口から溢れ出したものは血の色の泡。もうハーレイに声すら
届けられない。
『…ごめん…』
薄れかける意識を懸命に繋ぎ止め、ブルーは最期の思念を紡いだ。
『……ごめん、ハーレイ……。でも……約束は守ったから…。君の…腕の届かない所で、死んで
いったりはしないから……』
「ブルー! 生きて下さい、ブルー!」
ハーレイの歪んだ泣き顔がブルーの霞んだ瞳に映る。けれどブルーを生かし続けて来た
ハーレイの祈りは弱り切った身体を満たす代わりに傷口から虚しく流れ去るばかり。もう
この身体は限界なのだ、とブルーはハーレイを切ない思いで見詰めた。
ハーレイの腕の中に戻れて良かった。…最期に見るものがハーレイの姿で本当に良かった。
出来ることなら泣き顔ではなく、微笑んでいて欲しかったけれど。でも、そんな我儘は
言えないから…。
(……ありがとう、ハーレイ……。ついてきてくれて……)
最期の想いを届けようとして果たせず、一粒の涙を零して重い瞼が閉じてゆく。これで終わり。
呆気ない幕切れだったけれども、ハーレイと交わした約束だけは……。
『ブルー!!』
ハーレイのそれとは違う強い思念がブルーを揺さぶり、消えかけた命の底で弾けた。
『ここで諦めてどうするんです! 生きるのでしょう、ブルー、あなたは!!』
(…ジョミー? 君…なのか? ……ぼくは…もう……)
『自分で生きるのは無理かもしれない。でも、ぼくがあなたを死なせません! この傷口さえ
閉じてしまえば、あなたの命は消えない筈だ!!』
キィン、と剣が砕け散る音を聞いた気がした。ジョミーの一途な、直向きなサイオンが
流れ込んでくる。遠い日にアルテメシアの上空から落ちてゆく自分の身体に送り込まれたものと
同じ、熱い思いが…。
『ブルー、あなたが望んだ地球です。見届けて下さい、地球が、ミュウと人類が何処へゆくのか。
生きて未来を見届けるのでしょう、ソルジャー・ブルー!!』
(…ジョミー…)
ブルーは意識しなかったのに、閉じていた瞼が自然に開いた。驚きに揺れる赤い瞳をジョミーの
深い緑の瞳が覗き込む。
「傷口だけを凍らせました。本当は仮死状態にするべきでしょうが、あなたはそれを望まないと
思いましたから。…脱出します。此処はもうすぐ崩れ落ちてしまう」
ハーレイ、と若き指導者は傍らに控えていたキャプテンを呼んだ。
「ブルーを頼む。今までどおりに祈ればいい。それでブルーは生き延びられる。傷の手当ては
此処を脱出してからだ」
「分かりました。…ブルー、痛むかもしれませんが、上に着くまで暫く我慢していて下さい」
逞しい腕がブルーの身体を抱き上げる。ブルーは思念で「うん」と頷き、ハーレイの腕の中から
地下の空間を見渡した。ジョミーが見届けろと言っていた未来。新しい地球の未来が、今、胎動を
始めている。
(…ぼくは未来を見られるのか…。ハーレイと一緒に、地球の未来を)
もう無いものと思っていた命が再び満ちてゆくのが分かった。それはハーレイの心からの祈り。
ブルーの命をひたすらに守り、生かそうと願い続けるハーレイの祈り。
『…ごめん、ハーレイ…。ぼくがいては動きづらいだろうに』
「そうお思いなら、気をしっかりとお持ち下さい。気を失ってしまわれれば重くなります」
私の事なら大丈夫ですよ、と返してくれる声が嬉しい。そして、今度こそ消えると思った命が
まだ未来へと繋がっていて、ハーレイと共にこの地の底から出てゆけることが…。
グランド・マザーの制御を失った大地は鳴動していた。揺れる度に地下空洞の天井が崩れ、
落ちて来た岩が次から次へと行く手を塞ぐ。
怪我人を伴って歩くことも覚束ない道をゆくのはハーレイ一人だけではなかった。背を血に
染めて意識を失くしたマツカを背負い、キースがジョミーのすぐ後を進む。キースの周囲に
張られたシールドの色は、マツカの碧とは異なるイエロー。それこそがキースがミュウである証。
落下してくる岩をシールドで防ぎつつ歩むキースの後ろに続くのはハーレイ。防御に優れた
タイプ・グリーンだけに、キースの力では防ぎ切れないと判断した場合はサイオンの補助を
惜しまない。
先頭をゆくジョミーは立ちはだかる岩を破壊し、あるいは抜け道を求めて岩壁を砕いては上へ、
上へと向かっていた。
「…キース。君の飲み込みが早くて助かった。シールドを張るのは初めてだろう?」
通路を塞いでいた巨岩を少しずらして通り抜けられる隙間を確保したジョミーが振り返って
訊くと、キースが不敵な笑みを浮かべる。
「当然だ。ミュウの力を使える立場にはいなかったからな。…だが、私を誰だと思っている?
メンバーズの戦闘訓練を受けてきた身だ、使えない力など持ってはいない」
「なるほどね…。流石に大した自信だ。しかし、これは…」
どうしたものか、と首を捻ったジョミーの視線の先には完全に崩落した通路があった。
グランド・マザーが据えられていた地下空洞と地上を繋ぐのは専用のエレベーターと非常用の
脱出通路のみ。エレベーターが使えない今は階段とスロープで構成された通路を行くしか
ないのだが…。
「この上が崩れ落ちている。通れる隙間も作れそうにない。…テレポートでなら抜けて
いけるが、今のぼくでは一人を連れて飛ぶのが限度だ。一人ずつ運ぶ間に大きな地震が
起こったりしたら…」
「なら、怪我人から先に運べばいいだろう」
キースの意見にジョミーは首を左右に振った。
「それは出来ない。運んだ先で怪我人がどうやって身を守る? 次の一人を運ぶまでの
時間が危険すぎる。最初にハーレイを移動させれば向こうでのシールドは完璧だろうが、
今度はこっちが…」
「私だけでは心許ないということか…」
そうだろうな、とキースが唇を噛む。キースのシールドは此処までは保ったが、ハーレイの
補助があってこそだ。キース一人の身を守るだけでも場合によっては危ういというのに、
ブルーとマツカまで守り抜くことは難しい。そして地震は間断なく襲い、今も小規模な
揺れが続いていた。
ブルーはハーレイの腕に抱かれたまま、辛うじて使えるサイオンで周囲の空間を探ってみる。
崩壊した通路の先までは見えず、かなりの距離が崩れ落ちてしまっているらしい。更に
自分たちがいる辺りの天井にも亀裂が走っており、次の揺れで其処が崩れれば果たして
脱出できるかどうか…。
『…ジョミー…。ハーレイを連れて先に飛ぶんだ』
体力の消耗を避けるため、ブルーは思念で呼び掛けた。
『ぼくの力でも少しの間ならシールドを張れる。…その間にキースとマツカを向こうへ』
「ブルー! それは……今のあなたにそんなことは…!」
『このままでは誰も助からない。…だから最善の道を行くんだ、ジョミー。…それにハーレイも』
行って、とハーレイの心に直接語りかければ、出来ないと思念が返ってくる。
『…出来ません、ブルー…。もしもあなたに何かあったら…!』
『此処までぼくが生きているのが奇跡だろう? これ以上はもう望まない。ぼく一人のために
全員を巻き添えにしたくないんだ。…こんな地球へと皆を導いたぼくに、それ以上の罪を
重ねさせようというのかい?』
行くんだ、と強く思念を送ってハーレイの腕に手を掛けた。ハーレイが自分を置いて
行けないのならば、その手から逃れてしまうまで。…自分さえいなければ、少なくとも
キースやマツカたちは…。
「…分かりました。ブルー、私が先に行きます。いいですか、力は最小限に留めるのですよ」
苦渋の決断を下したハーレイはブルーを通路の端にそっと下ろすと、傷に響かないように
横たえた。キースを呼び、その脇に座らせる。
「キース。ブルーはこのお身体です。あなたとマツカの身は、出来るだけあなたの力で
守って下さい」
「言われなくても分かっている。早く行け、でないとまた崩れるぞ」
キースのシールドがマツカとブルーをも包み込むのを確認したジョミーは、ハーレイを連れて
テレポートした。間もなく戻り、今度はマツカを。次はキースを。
(それでいい、ジョミー)
ジョミーとキースが消えるのを認めた瞬間、突き上げるような揺れが襲った。すかさず張った
シールドの上に天井が崩れ落ちてくる。ジョミーが戻るまで持ち堪えねば、と思いはしたが、
予想を上回る重量の岩にブルーのシールドは軋み、サイオンも急速に失われてゆく。
最後に残った者がキースだったらシールドを保つことが出来ただろうか、と浮かんだ考えを
ブルーは即座に打ち消した。
シールドを使うのは初めてだと言っていたキースが無事でいられる保証は無い。それに人類は
国家主席たるキースの力を必要としているだろう。グランド・マザーを失った人類を導いて
行けるのはミュウの前ソルジャーなどではなくて、あくまで人類であったキースだ。
(…ぼくは間違っていなかったと思う。…でも……)
ハーレイ。…君との約束を果たせなかった。
ごめん。此処まで連れて来てくれたのに……一緒に帰ることが出来なくて……ごめん。
ぼくの分まで地球の未来を生きて見届けてくれるかい?
(……ハーレイ……)
巨大な岩の直撃を受けたシールドが微塵に砕け散ってゆく。
(…ハーレイ…。ごめん……)
ぼくは先に行って待っているから。君は全てを見届けてから、遠い未来にぼくの所へ…。
ユグドラシルの内部は基本的にはテレポートで抜けてゆくことが出来る。グランド・マザーの
居場所たる地下はその限りではないが…。しかし、国家主席の部屋の周囲にはグランド・マザーの
力の一部が及んでいた。其処に至る最後の一区画だけは自分の足で歩くしかない。
だが、警備兵は眠らせてゆくつもりで来たというのに、一人もいないのはどうしたわけか。
(…罠か? だとしても……。いや、そうだとしたら余計に引き返すわけにはいかない)
ミュウに害意のある者を放ってはおけない、と唇を引き結び、ひと際大きな扉の前に立つと、
それは微かな音を立てて開いた。照明を落とした部屋の向こうに取られた窓から射し込む
光は……宇宙から見た残月ではなく、真円の月。地球の衛星が赤く濁った大気を通して
屍と化した高層建築群を煌々と照らし出している。
その月を窓際で仰ぐ国家主席は背後を振り向きもしなかった。
「…やはり来たか。ソルジャー・ブルー」
分かっていた、と言わんばかりの言葉と警備兵の不在と。訝るブルーの心を読んだかの
ように。
「お前が来ると思っていたからな。無粋な兵たちは遠ざけておいた。…メギドから生きて
戻れる程の男だ、来ないわけがない」
ゆっくりと向き直ったキースの唇の端が吊り上げられた。
「それは違う。…ぼくはメギドで死ぬ筈だった。地球にも来られる筈がなかった。此処まで
来られたのはジョミーの力だ」
相対しながらキースの心に入り込めないかと探ってみるが、ブルーが現れたことにすら
驚かない男は隙など見せない。
「ほう…。では、あいつがメギドから救ったのか。あの戦闘の最中に大した余裕があった
ものだな」
「…ジョミーではない」
「そういえば他にも何人かいたか、タイプ・ブルーが。…まあいい、お前は何処まで知って
いる? 私の所に来たということは何か目的がある筈だ。見抜いたのか、私の正体を?」
「…マザーが創り出した生命体。君の心を覗いた時に見えたイメージはフィシスのものと
同じだった。フィシスも君と同じ生まれだ。…その君がミュウをどうするつもりか、それを
探りに来たんだが」
隙が無いなら正面から突破するまでだ、とブルーは敢えて真実を口にしてみた。しかし
キースは低く笑うと、「分からないか?」と挑むような視線を向ける。
「そう簡単に心を読ませはしないからな…。オリジンといえども気付かないのも無理はない。
だが、そんなことではミュウの仲間をまた失うぞ、ソルジャー・ブルー」
「あのミュウのことか? 君の側にいるタイプ・グリーンの」
「ユグドラシルにいるミュウがマツカだけだと思うのか? お前たちはミュウだけで固まって
いるから気付かないのかもしれないな。…ミュウはいくらでも増やすことが出来る。人類もまた、
ミュウに変化する」
「知っている。…ぼくがフィシスをミュウにした。だが、このユグドラシルの中に他にも
ミュウが?」
信じられない、とブルーは赤い瞳を見開いた。ユグドラシルを探った時に見付けたミュウは、
キースがマツカと呼んだタイプ・グリーンの一人だけだ。長い年月、アルテメシアで仲間の思念を
見付け出しては救出してきた自分のサイオンがミュウの存在を見落とす筈がないのだが…。
「なるほど、あの女がミュウになったのはお前のせいか。…私の母親が世話になったようだな。
親子揃ってミュウになるとは、マザーにも計算外だっただろうが」
「君が…ミュウだと…? 馬鹿な……」
予想だにしなかった事を告げられ、ブルーは目の前の男を見据える。固い心理防壁は微動だに
せず、キースの心は今も読めない。本当にキースがミュウだというのか? これも罠では
ないのだろうか?
「信じられないか、私の言葉が? 我々は様々な実験をしてきた。その過程で分かったことは、
ミュウと人類を一緒にしておけば人類はミュウに変わるという事実だ。お前たちは人類に
向かって常に意識下で働きかける。自分と同じように変革しろ…と。そして人類はミュウに
なってしまう」
「……そんなことが……」
「あるわけがない、と言いたいのか? だが、これは本当のことなのだ。若い者ほど変化は
早い。幼い子供ならば一週間もあれば変化する。そして私ほどの訓練を受けた者であっても、
逃れることは不可能だったようだ。私を創る元になった遺伝子データの持ち主もミュウに
なっていたのは運命の皮肉と言うべきか…」
キースは深い溜息をついた。
「グランド・マザーは私にミュウ化の傾向は無いと断じている。しかし自分が何者なのかにも
気付かないほど私は愚かではない。…マザー・システムにミュウ因子を取り除くシステムは
無いが、生まれて来たミュウは抹殺する。その矛盾したシステムが認めた指導者がミュウでは
何かと都合が悪いのだろうな」
「…では、君は……」
「私がミュウをどうするつもりかは、今は言えない。お前がミュウの指導者であれば、明かして
いたかもしれないが…。でなければ私をミュウと見抜くか。それが出来なかった者に多くを語る
つもりはない」
帰るがいい、と再び背を向けたキースが送って寄越したものは……思念。
『私をミュウに変えたのはマツカだ。…マツカに自覚は全く無いが、彼を側に置いていたのが
原因なのだと思っている。もっとも、マツカも私がミュウだとは未だに知りはしないのだがな』
そう簡単に読ませるものか、と笑う思念は正しくミュウのそれだった。人類が心を読まれる
ままに任せるものとは根本的に性質が違う。
『キース…。君は本当に……』
『分かったのなら、せいぜい努力するがいい。マツカと私、少なくとも二人の仲間を失くさない
よう気を付けることだ。…明日の会談が楽しみだな。お前は体調が優れないと聞いた。よく
眠っておけ、ソルジャー・ブルー』
こんな夜中にウロウロするな、と言い捨てたキースは二度と振り返りはしなかった。心も
完璧に閉ざされ、僅かな感情すらも漏れてはこない。しかし、キースがミュウであるなら、
明日の会談がブルーたちにとって不利な展開になったとしても希望は残る。
「…君を信じよう、キース・アニアン。ぼくからも一つ、明かしておく。…メギドから
ぼくを救い出したのはハーレイだ。タイプ・ブルーなどではない。…マツカと同じタイプ・
グリーンだ」
「マツカと同じ…? その程度の力でメギドから救い出しただと? モビー・ディックは
ジルベスター・セブンに在った筈だ。それとも別の船で近くに潜んでいたというのか?」
背を向けたままのキースの表情は見えなかったが、驚いているのは間違いない。何処までを
話しておくべきか、とブルーは一瞬、迷ってから。
「…ぼくはマツカのサイオンを見てハーレイを思い出したんだ。ハーレイを呼ばずには
いられなかった。…その思念を受け止めたハーレイがジョミーのサイオンを無意識に操り、
ぼくをメギドから連れ戻した。ナスカの上空にいたシャングリラ………君たちの言う
モビー・ディックの中に居ながら」
「キャプテンゆえの責任感というヤツか。命拾いをしたわけだな。…お前の捨て身の戦いぶりに
敬意を表した私にすれば、なんとも残念な結末だが」
「そうだったのか? それは御期待に添えなくて申し訳ないことをした。では、更に失望して
貰おうか。…ハーレイがぼくを救い出したのはキャプテンとしての行動ではない。…ぼくを
助けたかった、ただそれだけだ。ぼくがハーレイの何であるかは御想像にお任せしておく」
「なんだと!?」
それ以上を話すつもりはなかった。頭脳明晰なマザーの申し子ならば考えた末に答えに
辿り着くだろう。踵を返して部屋を出てゆき、テレポートで抜けられる地点まで歩く途中で
微かなキースの思念を拾った。確固たる信念に基づき、動こうとする者の強い意志。
(…あの時の…。だが、あれの中身は何なのだ…?)
ユグドラシルを探っていた時、誰もいない部屋で話すキースを目にした。何をしているのかと
気になったそれは、メッセージの収録であったらしい。キースはそのデータを何処かへ送信
するべく机の上の端末を操作している。
だが、内容も誰に向けてのメッセージなのかも読み取ることが出来なかった。ミュウと化した
ことを明かしてもなお、キースは心を読ませない。
(キースが我々のことを前向きに考えてくれていればいいのだが…。人類側の代表としてでは
なくて、一人のミュウとして冷静な判断を下してくれるよう祈るしかない…)
最悪のシナリオとしては、キースが自らのミュウ化を明かすと共に自分とマツカの処分という
道を選ぶ可能性もゼロではなかった。
『…キース…。何を考えている…?』
そっと送った思念に対する応えは無い。ブルーは後にしてきた部屋の方角へチラと視線を
走らせてから、ハーレイが眠る部屋に向かってテレポートで瞬時に空間を抜けた。
戻った部屋は暗く、閉ざされたカーテンは満月の光も通さない。それとも月は見えない位置に
あるのだろうか、と埒もないことを考えながらクローゼットの扉を音を立てないように注意して
開く。マントを肩から外そうとした手が後ろから不意に掴まれた。
「…ブルー。何処へ行っておられたのですか?」
「ハーレイ? …君には敵わないな…。これから出掛けようとしていたんだよ」
少しだけね、と誤魔化そうとして強い力で捕えられる。
「嘘を仰られては困ります。お身体がこんなに冷えておられるのに…。正直にお話し頂け
ませんか? ベッドを抜け出して、いったい何処へ…? 話して下さらないのなら私にも
考えがありますが」
そう言いながらハーレイはブルーのマントを外し、上着を脱がせてクローゼットに片付けて
ゆく。
「アンダーも着替えて頂きます。夜着では流石にお出掛けもお出来にならないでしょうし」
これを、と強引に押し付けられたのはブルーのための夜着だった。
「大人しく着替えて下さらないなら、私がお手伝いいたします。…あなたの肌を目にして
心静かにいられる自信は今は全くございませんが…。抜け出そうなどとお思いになれぬように
するには、何が一番かは分かっておられる筈ですね、ブルー?」
顎を捉えられ、口付けられる。ただ触れるだけの口付けだったが、ハーレイが何を
言わんとしているのかはそれで充分に伝わった。拒否すればブルーを抱き、心身ともに
融け合わせてから遮蔽を外すと脅しているのだ。そうされたくなければ自分で着替え、
行き先も素直に話すように…と。
以前のブルーなら、そんな脅しは通用しない。けれどハーレイの祈りと願いで生かされて
いる今の身体は、その命を繋ぐ力の主の前では簡単に同調し、遮蔽も脆く崩れてしまう。
ハーレイがそれをしたことは一度も無いが、そのくらいは互いに理解していた。
「…ごめん。ちゃんと着替えて話すから…。君には叱られそうだけれども」
「悪いことをしたという自覚はおありのようですね。…では、あちらでお待ちしております」
ハーレイがベッドに腰掛けて背中を向ける。その間にブルーはアンダーを脱ぎ、夜着に
着替えてからハーレイの隣に腰を下ろした。
「…いつ気付いたんだい、ぼくが部屋から抜け出した…って」
「恐らく、すぐだと思いますが…。まだ温もりが残っていました」
本当に困ったことをなさる方だ、とハーレイはブルーの身体を抱き寄せ、ベッドに入る
ようにと促す。ブルーは逆らわずにハーレイと共に横になり、逞しい腕に頭を乗せた。
「何から話せばいいんだろう…。ぼくの心を読んで貰った方が早いと思うけど、これだけは
言葉で言うべきだろうね。…キースの所に行っていたんだ」
「なんですって!?」
ハーレイは酷く驚き、ブルーの身体を折れんばかりに抱き締めた。
「よく……。よく、御無事で……。どうして、お一人でそんな所へ…。キースはあなたを
殺そうとした男ですよ? 今の状況では殺されることは無かったにしても、それでも
危険な所でしょうに…」
「そうだね…。それは分かってた。だけど……行かずにはいられなかったし、今では
行って良かったと思う。君には謝るしかないんだけれど…。黙って危ないことをして
しまってごめん」
後はぼくの心を読んで…、とブルーはハーレイに心を明け渡す。キースとの会話、見て
来たことの全て。ハーレイが息を飲み、ブルーの身体を抱き込んだ腕に力が籠る。
「…まさか…。まさか、キースがミュウだったとは…。ミュウと居るだけで人類がミュウに
変化してしまうとは…」
「ぼくも本当に驚いたよ。…でも間違いなく、キースはミュウだ。それをキースがどう考えて
行動するかは分からない。仲間を失わないように気を付けろ、と言っていたから生き残る意思は
あるんじゃないかと思わないでもないんだけれど…」
彼の心は分からない、とブルーはハーレイの胸に頬を擦り寄せた。
「マザー・システムは矛盾しているとキースは言った。そのシステムを彼はどうしたいのか…。
明日には全てが分かる筈だけど、地球でさえもこの有様だ。…確かな未来など在りはしないと
いう気もするよ」
「それでも……ソルジャーに戻ろうと仰るのですね、あなたは」
「ハーレイ!?」
弾かれたように顔を上げたブルーをハーレイが引き戻し、その腕の中に閉じ込める。
「…先ほど見えてしまったのです、あなたの心が。…ソルジャーにお戻りになることを止めは
しません。けれど、グランド・マザーの下へ行かれるのなら必ず私もお連れ下さい。それだけが
私の命をお使いになる条件です。…お分かりですね? あなたの命は私が差し上げたものなの
ですから」
「駄目だ、ハーレイ! 危険すぎる」
「だからこそ…です。私の腕が届かない所であなたを喪うのは二度と御免です」
それだけは約束して下さい、と強く請われたブルーは頷かざるを得なかった。ハーレイを
危険な目に遭わせたくはない。なのに、その一方で嬉しいとも思ってしまう自分がいる。
もう二度と……ハーレイの側を離れたくはない…。
「ブルー。私のことなら気になさらなくていいのですよ。あなたは約束して下さいましたね、
メギドから戻ってきた時に。…私の腕が、心が届かない場所で一人逝ったりは決してしない…と。
その約束を果たして頂くために私がついてゆくだけですから」
今は安心して眠って下さい、とハーレイはブルーの銀の髪を撫でた。
「朝食は部屋に運んで頂くように言っておきます。ですからごゆっくりお休み下さい。
…いいですか、お疲れになったお身体では何もお出来にならないのですよ。充分に
眠って頂かないと…」
「…うん…。心配ばかりかけて、本当に…ごめん…」
勝手なことばかりして、無茶ばかりして…ごめん。何度も声で、思念で謝りながらブルーは
眠りに落ちていった。傍らにはハーレイの優しい温もり。この腕が…ハーレイの心が側にいて
くれるなら、どんな相手にも向かっていける。一人きりで戦うしかなかったメギドとは比較に
ならない力を誇るグランド・マザーであろうとも………きっと。
会談の日の朝、ブルーが目覚めたのは太陽が高く昇ってから。閉ざされたカーテンが地球の
景色を遮っていたが、ブルーはハーレイに頼んでそれを開けさせ、荒れ果てた大地と朽ちた
廃墟を静かに見詰める。
「…会談の結果がどう転ぶかは分からないけれど…。こんな星でも来て良かった、と思える
方向に行って欲しいな…」
ブルーの呟きに隣に立っていたハーレイが頷き、肩に手を置いた。
「そうですね…。しかし、まだどうなるかは分かりません。場合によっては戦うおつもり
なのでしょう? 朝食をしっかり召し上がって下さい。あまり時間がございませんし…。
ジョミーには会談の前に寄ってくれるようにと言っておきました」
「ジョミーに?」
「はい。キースのことをお話しになるかもしれない、と思いましたので…。そのおつもりが
無いのでしたら、朝の挨拶だけでよろしいでしょう」
「いや…。ありがとう、ハーレイ。ジョミーも多分怒るだろうけど、伝えておくべき情報だしね。
会談に向かう途中で思念で送るつもりでいたんだ」
時間が取れるとは思わなかったし…、とブルーはハーレイの心配りに感謝していた。
キースがミュウと化していた事実は仲間たち全員に明かすには時期尚早だ。トォニィも重要な
戦力とはいえ、ミュウの未来を左右しかねない判断を委ねられるほどの経験を積んではいない。
伝えるならばジョミーだけに、と思っていたのをハーレイは感じ取ってくれたのだろう。
そのハーレイはテーブルを挟んだ向かい側に座り、ブルーに窓の向こうの地球を意識させまいと
他愛ない会話を交えたりしながら朝食を摂り、細々と世話を焼いてくれている。トーストに
バターを塗りつけるくらい、大した手間ではないというのに。
「この地球が青い星だったなら…。きっと幸せな朝だったろうね…」
「私にはこれで充分です。あなたが生きていて下さるだけで本当に幸せなのですよ。…約束は
守って頂きます。何処までも私をお連れ下さい」
「…分かってる…。それが君の望みだと言うのならば」
決して一人で行きはしない、と誓えば、ハーレイは満足そうな笑みを湛えてブルーの右手を
強く握った。
二人が朝食を終えて間もなくジョミーの思念が来室を告げ、入って来たのは若き指導者。
朝食の席に現れなかったブルーの体調を気遣った彼は、そのブルーから知らされた昨夜の
出来事に息を詰めた。
「キースがミュウだと言うのですか…。だとすれば、今日の会談は…」
「そう。実質上、代表者はミュウ同士だということになる。キースが自分のミュウ化を誰にも
明かしていない以上は、人類とミュウとの会談だが…。だから、君も慎重に動いて欲しい」
「そうですね…。人類側の反感を買わないように気を付けます。キースの決断次第によっては
退却も視野に入れておきましょう。敵の懐の中に居たというのに、ぼくも些か甘過ぎたようです」
ぼくが行動するべきでした、と詫びてジョミーが部屋を出てゆく。会談の時間が迫っていた。
ブルーはハーレイを見上げ、背伸びして唇に軽く口付けて。
「行こう、ハーレイ。…これからミュウの未来が決まる」
「ええ。…あなたは御自分のお心のままに動いて下さい。私はあなたについてゆくだけです」
これだけは絶対に譲れません、とブルーの細い身体を力の限りに抱き締めてから、ハーレイは
先に立って通路へと繋がる扉を開いた。恋人同士でいられる時間は終わったのだ。甘い時間を
生きて再び持てるのかどうか、ブルーにも先は分からない。
(…でも、ハーレイが来てくれる…。今度は一人きりじゃないんだ、ぼくは)
一人きりで戦ったメギドでも沈められたのだから、必要とあらばグランド・マザーをも倒して
みせる。其処で自分は命尽きようとも、ミュウたちの未来を切り開くために…。
人類側の代表団との会談の席。現れたのは国家主席たるキースと八人のリボーン職員だった。
席に着き、口火を切ったのはキース。
「ミュウが此処まで辿り着いたことと、圧倒的な戦力は認めざるを得ないと言えるだろう。
だが、我々にミュウを受け入れる用意は無い。ミュウは何処までも異端なのだ」
自らもまたミュウだというのに、キースの発言はミュウに対する否定そのもの。たまらず
ハーレイが口を開いた。
「それがあなた方自身の意志なら我々も考えよう。しかし、コンピューターの意志は
受け入れない!」
「マザーを否定するのですか!」
すかさず上がったリボーン職員の声が合図であったかのように、会談の席は相反する発言の
応酬となった。
しかしキースは黙したままで動かない。ジョミーも動かず、ブルーも自ら動くことはしない。
「マザー・システムを否定するなら誰が地球を再生すると!?」
「再生じゃと? この地球の何処が!」
会談はマザー・システムとSD体制の是非を巡って平行線を辿り、ついにジョミーが声を
発した。
「そんなにもSD体制が人類にとって大切ならば、遠くの星に我々は去ってもいい。生まれて
来るミュウの存在を認め、我らの許に送り届けてくれるならば」
「それは出来ない!」
キースが即答し、ジョミーが切り返す。
「何故、出来ない!?」
「我らの尊厳に関わるからだ!」
返された答えに会談の場にどよめきと緊張が走った。予想だにしない発言だったらしく、
リボーン職員たちの間に困惑が広がる。
「…どういう意味ですか、閣下!」
「ミュウが我々の尊厳にどう関わると?」
動揺するのはミュウもまた同じ。人類の尊厳と急に言われても、人類がミュウ化する事実を
知らない仲間たちには意味が全く掴めないだろう。
人類とミュウ、双方の混乱を制するかの如くキースが右手を上げ、その動きにつれてテーブルの
上に複数のスクリーンが前触れもなく迫り出した。
「質問の答えは今から全宇宙規模で放送される。私が自由アルテメシア放送のスウェナ・
ダールトンに託したデータだ。人類側の放送システムには弾かれてしまう内容だからな。
…よく見るがいい」
「閣下!?」
「何を放送するというんじゃ!」
リボーン職員やミュウたちの声はスクリーンに映し出された女性のアナウンスによって
中断され、続いて始まったキースのメッセージに誰もが食い入るように見入った。
(…キース…。昨日、君が収録していたメッセージがこれか。君は全てを明らかにしようと
いうのか、マザー・システムに逆らってまで…)
スクリーンの中のキースは衝撃的な内容を表情を変えることなく話し続ける。一個人としての
話だと前置きしつつもミュウは進化の必然だと説き、マザー・システムの欠陥をも。
≪SD体制にミュウを受け入れるためのシステムは存在しない。プログラムは完璧ではないのだ。
マザーに全てを委ねていられる時代は終わった≫
静まり返った室内にキースのメッセージだけが響いていた。
≪だが、諸君。ミュウという種は寛容だ。我々人類を劣等種として蔑みはしない。共に進化の
階段を登るべく、手を差し出すのがミュウに備わった特徴なのだ。手を取り合うか、頑なに
旧人種の殻に籠って生きるか。…これからは一人々々が、何をすべきかを考えて行動せよ≫
そう告げてキースの姿が画面から消える。同時にスクリーンも元の場所へと収納されてゆき、
あちこちからキースへの声が上がった。
「か、閣下…。今の放送は…」
「あたしたちが進化の必然だって? だったらあんたはどうするのさ!」
「そうです、閣下! この会談をどうすれば…」
キースは薄く笑って人類側の代表たちを見詰める。
「自分で考えて行動せよ、と言った筈だが? …私はグランド・マザーの所に行く。お前も
来るか? ジョミー・マーキス・シン」
「勿論だ! ミュウを抹殺し続けてきた機械をこの目で見ずに帰れるとでも?」
ジョミーが立ち上がり、キースの随行員として一人のリボーン職員がついた。その機を逃さず、
ブルーも進み出る。
「ぼくも行く。…ミュウの長として長い年月、ぼくはマザー・システムと戦ってきた。その要を
一目見ておきたい。そして…」
「私がブルーに同行することをどうか許して頂きたい。詳しい説明は省略するが、ブルーの命は
私から離れると危うくなる。体調が優れないと言っていたのはそのためだ」
ハーレイの申し出にキースは頷き、リボーン職員たちが異を唱えた。ミュウの方の数が
多すぎると。
「なるほどな。…では、私の随行員を一人増やそう。マツカを此処に呼んで来るように」
ジルベスター・セブン以来の側近の名に安堵の空気が広がってゆく。そのマツカもまた
ミュウであると知ったら、彼らはどんな顔をするのだろう?
いや、それよりも前にキース自身がミュウなのだ。それをメッセージで明かさなかったのは
恐らくパニックを避けるため。既にミュウと化した国家主席の言葉を受け入れることは難しい。
だが、メッセージを聞かされた後に国家主席がミュウ化したなら、人類からミュウへと変化する
ことを人類は恐れはしないだろうから…。
ユグドラシルの内部、格納庫に隣接した広間に人類側の代表たちが待っていた。握手も
交わせぬ距離を隔てて互いに向き合う、その距離こそがミュウと人類の間に横たわる溝だ。
ミュウの長として毅然と立つジョミーと、国家主席になったキースと。ナスカ以来の再会
だったが、感情を見せない二人の間に音も無く散るのは冷たい火花。張り詰めた空気の中、
ミュウの代表たちへと移されたキースの視線がブルーの姿に僅かに揺らぐ。
(…気付いたか、ぼくに。キース・アニアン。…殺した筈のぼくを見付けた気分はどうだ?)
かつてシャングリラで対峙した時のようにキースの心を読もうとしたが、以前よりも更に
強固になった心理防壁はブルーの侵入を許さなかった。ブルーを見詰めるキースの唇に薄い
笑みが浮かぶ。その意味すらも今のブルーには掴めない。
(あの男…。何を考えている? グランド・マザーに最も近しいあの男から情報を得るのが
得策だろうが…。敵の懐に飛び込んだからには、出来るだけ多くの情報を得ねば)
まだ若いジョミーは其処まで考えが及んでいないのが分かる。トォニィも同じだ。地球に
至る道を力で勝ち取り切り開いたように、この先もまた真っ直ぐに前へ突き進むのみという
強い意志。それこそが彼らの武器であるから否定はしないが、敵陣の真っ只中という状況は
利用して然るべきだろう。
ジョミーたちが動かないなら代わりに自分が情報を集め、万一に備えておかなければ…、と
キースの背後を固める国家騎士団の面々の顔を頭に叩き込もうとした時。
(あの時のミュウだ…!)
強い気を放つ者たちの間にひっそりと隠れるようにして立っていたから、今の今まで
気付かなかった。
メギドの制御室へキースを救いに駆け込んで来た一人のミュウ。ほんの一瞬だけの出会い
だったが、ハーレイと同じ碧のサイオンを纏った彼の姿はブルーの心に焼き付いている。
彼のサイオンの色がハーレイのそれを思わせたから、ブルーは最期に恋人を呼んだ。
ハーレイへの想いをソルジャーとして捨て、ジョミーにミュウの全てを託して散る筈だった
ブルーの命。けれど意識が消える間際にハーレイの名を呼び、叶うものならば会いたかったと
願ったことが奇跡を起こした。
ハーレイに救われ、生き延びたブルー。なのに、奇跡の切っ掛けとなったミュウの瞳に
驚きの色は見られない。恐らく自分がそうしたように、ブルーもまた自力で脱出したと
頭から信じているのだろう。
(タイプ・グリーンの身でテレポートまでやってのけたミュウだ、そう考えるのが自然
だろうが…。その彼が此処にいるとなると…)
ブルーは思念を届ける相手を注意深く絞り、ジョミーとハーレイにだけ囁きかけた。
『彼だ。…ぼくが話した、あのミュウが此処に』
『『彼が!?』』
同時に返して来た二人に心の奥で頷き返す。
『今もキースの側にいたとは…。いくら探しても行方が全く分からない筈だ。国家主席の
側近ではね』
淡い色の瞳のミュウをジョミーたちは注視しなかった。そうすることで彼の身に危険が
及びはしないか、と気遣い、敢えて知らないふりを装う。国家騎士団の制服のミュウも
ブルーたちに思念を送ってはこない。
(…地球の中枢にまで連れて来たのなら、キースはミュウの存在を認めているということに
なる。サイオンを利用しているだけだとしても、価値が無ければ側には置かない。…完全
否定ではないわけだ)
希望の光が見えた気がした。地球を統べるSD体制の要、グランド・マザーの意向は
ともかく、人類の代表たる国家主席にはミュウへの理解があるかもしれない。単に便利な
道具としての使い道であったとしても、キースは一人のミュウを手許に置いて側近として
いるのだから。
(キースの心を探らなければ…。ミュウをどのように思っているのか、グランド・マザーの
目的は何か。…焦らずに待てば機会はある)
その機を逃さずキースの心に入り込むまで、とブルーは密かに決意を固めた。
会談は明朝、十時から。
「それまでは部屋でお休み下さい。お一人ずつ、個室を用意させて頂きました」
そう告げた国家騎士団員にジョミーが強い口調で異を唱えた。
「その条件は受け入れられない。…こちらには一人、体調の優れない者がいる。一人きりに
させてはおけない。二人用の部屋が無いなら、そのように使える部屋の用意を」
「ジョミー! ぼくなら大丈夫だ」
体調の悪い者とは誰を指すのか理解したブルーはそれを止めたが、聞き入れられる筈も無い。
メギドからハーレイによって連れ戻されて以来、ブルーが眠りに落ちる時には必ず傍らに
ハーレイが居た。
ブルーの命を繋ぎ続ける恋人としてミュウの誰もが認める存在。そのハーレイとブルーの
部屋を分かつことなど、ジョミーには考えられないのだ。
リボーンの職員が呼び付けられて指示を与えられ、駆け出してゆく。
(…一人の方が都合が良かったんだが…。無理を言えば却って怪しまれるか…)
仕方が無い、と微かな溜息をついたブルーをキースの瞳が見据えていた。
「ほほう…。タイプ・ブルー・オリジンはお加減が良くなかったのか。それは色々と失礼を
した。…では、明朝」
皮肉な笑みを湛えたキースが踵を返し、騎士団員たちを従えて退室するのをトォニィが
睨み付けている。ナスカでキースに刺された上に母までも失った過去を持つだけに、思う所が
あるのだろう。ブルーに投げ掛けられた言葉であっても、自分に対するそれであるように
聞こえていたに違いない。
(キース。実に色々とやってくれたよ、君という男は。…ぼくはともかく、トォニィやナスカで
死んでいった多くの仲間たちに…。だが、必要ならば恨みは忘れよう。全ては君の心次第だ…)
ナスカの惨劇を齎した男とはいえ、ミュウとの和解を受け入れてくれるのならば禍根は此処で
断たねばならない。その可能性があるのか否かを探るためには一人きりの部屋が好都合だったと
思うのに…。
「お待たせして申し訳ございません。お部屋の用意が整いました」
どうぞこちらへ、と戻って来たリボーン職員が先に立ってユグドラシルの奥の通路へと向かう。
ブルーたちが案内されたのは大きく取られた窓から地球の大地を望む部屋。皆それぞれの部屋に
入ってゆき、ブルーもハーレイと共に与えられた場所に足を踏み入れた。
背後で扉が閉まる音がし、正面に設けられた窓の向こうには荒れ果てた砂漠と朽ちた高層建築の
群れ。うっすらと赤く染まる大気はどれほどの毒素を含んでいるのか…。
「ブルー。あなたは御覧にならない方が…」
カーテンを引こうとするハーレイを止め、ブルーは窓の外に広がる惨い現実を赤い瞳で
見下ろした。青い海と澄んだ空を持つ水の星だった母なる地球。その地球が病んだ時、再生の
ために人類の変革をも辞さぬ覚悟でSD体制を敷いたというのに、どうして地球は死に絶えた
星のままなのか…。
「…ハーレイ…。人類は間違っていたんだと思う。こんな地球ならSD体制には意味が無い。
…でも、間違いを犯したという点では、人類もぼくも同罪だ。地球は青いと……地球へ
還ろうと言い続けた結果がこれなのだから。ぼくは大嘘つきだったんだよ…」
ソルジャーだなんてお笑い種だ、と唇を噛むブルーの身体をハーレイの腕が背後から強く
抱き締める。
「いいえ…。ブルー、あなたも騙されていただけです。…地球は素晴らしい所なのだ、と
言い続けたのは人類とマザー・システムです。あなたはそれを信じただけで、あなたに
罪などありはしません」
こんな景色は忘れて下さい、とハーレイはブルーを胸に抱き込み、片手を伸ばして
カーテンを閉めた。
「ジョミーも言っていた筈です。未来は築けると…。私たちが地球へ来た目的は物見遊山では
ありません。どんなに荒れた星であろうと、地球であるだけで充分なのです…」
青い星は確かに見たかったですが、というハーレイの言葉にブルーは身体を強張らせたが、
その背を大きくて温かな手が宥めるように撫で、耳元で熱い声が囁く。
「私には地球よりも大切に思っている青があるということを御存知でしょう? あなたですよ、
ブルー…。私が地球を目指していたのは地球があなたの夢だったからです。あなたに青い地球を
見て欲しかった。けれど、私自身が欲しかった青は、地球ではなくて……あなたでしたよ」
あなたがいれば青い星など要りません、とハーレイはブルーの髪を無骨な指で優しく梳いた。
「…こんな星は忘れてお休み下さい。酷く疲れておいでの筈です。…大丈夫ですよ、誰かが
来たら私が起こして差し上げますから」
抱き上げられてベッドに運ばれ、横たえられる。そっと毛布をかけるハーレイにブルーは
小さく頷き、銀色の睫毛を静かに閉ざした。
目を閉じたブルーを見守るようにハーレイのサイオンが傍らに寄り添う。ベッドの脇に置かれた
椅子に腰を下ろしているのだろう。ブルーの眠りを守ろうとする恋人を欺くのは不本意だったが、
今が絶好のチャンスだった。ハーレイのサイオンの横をすり抜け、意識を深く、ユグドラシルの
内部へと広げてゆく。
国家騎士団員やリボーン職員の居室はすぐに分かった。警備の兵士たちの配置を探って
見付け出した国家主席の居室にはあのミュウがおり、キースの前にコーヒーが入ったカップを
差し出している。
(側近の中でも最も近しいというわけか…。害意を持つ者に飲食の世話はさせられない。それを
ミュウに任せていながら、その一方でミュウを抹殺し続けるとは…。この男の心が分からない…)
コーヒーに口を付けるタイミングを見計らって心理防壁をくぐり抜けようとしたが、あっさりと
弾き返された。遠く離れた場所から送った思念でさえも通さないとは、フィシスと同じ生まれだけ
あってマザーに完璧に創り上げられ、鍛え抜かれているのだろう。
そのマザー・システムを束ねる巨大コンピューターがグランド・マザー。地球に在るという
それを探してユグドラシルの中を隈なく廻ったが、ある地点から更に下層へと降りようとした
思念を分厚い壁に阻まれた。
物理的にも厚い壁なのか、そうではないのか。それすらもブルーには掴めない。
(グランド・マザーはこの下か…。これ以上先へ進めないなら、やはりキースを狙うしかない)
離れていても隙を見せない恐ろしい男。彼の真意を読み取りたければ直に向き合うより他に
無かった。近付くのなら警備が手薄になる深夜。ハーレイに気取られないように部屋を抜け出し、
あの男の部屋に入り込む…。
事を抜かりなく進めるために予め手順を決めておこう、と意識を一旦身体に戻し、再度キースの
部屋へと向かった。どの区間ならテレポートで抜けてゆけるのか。自らの足で進むしかないのは
どれだけの距離か…。
そうやって意識を滑り込ませた部屋の中ではキースが何かを話していた。しかし。
(…誰もいない…?)
真剣な表情で話し続ける国家主席の視線の先には誰一人おらず、あのミュウの姿も
見当たらない。端末を通して指示を下しているのだろうか? だとすれば…何を?
ミュウの命運に関わる事なら絶対に聞いておかねばならぬ、と思念と意識を研ぎ澄まそうと
集中しかけた所でブルーは不意に肩を揺さぶられ、自分の身体に引き戻された。
「ブルー? …ブルー、私が分かりますか…?」
ハーレイがブルーの肩に手を添え、心配そうに覗き込んでいる。
「…すみません、何度か声を掛けたのですが…。深く眠っておられるのかとも思いましたが、
あなたの心が此処には無いように感じられて……もしや地球を見に行かれたのでは、と…。
それならばお止めしなくては、と…」
いつの間に声を掛けられたのか、探索に夢中で全く気付いていなかった。意識だけ抜け出して
何をしていたのかがハーレイに知れれば、密かに部屋を抜け出すどころではない。
ハーレイのサイオン・タイプはグリーン。防御を得意とする彼の力は、ブルーの意識も身体も
部屋ごと固く封じて閉じ込め、出られないようにしてしまうことも可能だ。そしてハーレイは
ブルーの身を深く案じるがゆえに、間違いなくその道を選ぶだろう。
今、悟られるわけにはいかない。ハーレイに捕まるわけにはいかない…。
「…すまない、ハーレイ。心配をかけてしまったね…。ほんの少しと思っていたけど、
深く眠ってしまったようだ。…やはり疲れていたんだろう。大丈夫、地球を見ていた
わけじゃない」
本当に眠っていただけだから、と微笑んでみせるとハーレイの瞳が気遣わしげに
細められた。
「では、もう少しお休みになられますか? 眠っておられたのを無理に起こしてしまい
ましたし…。皆は夕食に向かいましたが、あなたの分は部屋に運んで貰いましょうか?
私も御一緒いたしますから」
知らない間にかなりの時間が経過していたようだった。夕食は皆が揃う席。ブルーが
地球へと降りた目的の一つを其処で果たしてこなければならぬ。
この星へ皆を導いたことを詫び、自らが犯した過ちを曝け出さねばならぬ…。
「いいよ、具合が悪いわけではないし…。それに皆に謝らなくてはいけない。…そうだろう、
ハーレイ? ぼくはまだ謝っていないんだ。地球へ還ろうと言ったことをね。…行こう」
身体を起こしてベッドから降りたブルーをハーレイの腕が強く抱き締め、顔を上げさせて
唇を重ねた。軽く触れ合うだけの口付け。そこからハーレイの深い思いが流れ込む。
『ブルー…。そんなに思い詰めないで下さい。…本当にあなたのせいではないのですから。
地球は青いと騙されていたのは、人類にしても同じでしょうに…。皆も分かっている筈です。
あなたには何の責任も無い、と…』
それでもあなたは詫びるのでしょうね、とハーレイはブルーの頬を大きな手で包む。
「…あなたがそういう方だと分かっているから、心配せずにはおれないのです。御自分の
ことは常に後回しで、皆のことばかり考えて…。私がどんなに守ろうとしても、すり抜けて
行ってしまわれる…」
もっと御自分を大切に、と説くハーレイに、ブルーは遮蔽をかけた心の奥底で詫びた。
こんなにも自分を大切に思い、全ての危険から遠ざけたいと願い続けるハーレイを裏切り、
またソルジャーとして動こうとしている。
ごめん、と決して届かない声で謝り、ハーレイと並んで部屋を出た。自分が何をしようと
しているのかはジョミーたちにも決して知られるわけにはいかない。動くのはハーレイが、
ミュウの皆たちが寝静まってから。
その前にブルーが為すべきことは、死の星だった地球へと皆を導いた前ソルジャーとして
詫びること。青い水の星が何処にも無かった事実は覆しようがないのだから…。
遅れて着いた夕食の席で皆は和やかに談笑していた。その部屋に窓は無く、荒廃した地球の
風景は見えない。ブルーはホッとすると同時に、まだ現実から逃れようとする己の弱さを
叱咤する。外はもう暮れているのだろうが、たとえ夜の帳に包まれようとも地球が死の星な
事実は変わらないのだ。
遅くなったことを謝りながら、ハーレイと並んでテーブルに着くと。
「あたしたちも偉くなったもんだねえ」
ブラウが軽いウインクを寄越し、楽しげな声を投げ掛けてきた。
「ご覧よ、人類のお歴々がミュウに御馳走してくれるんだよ? アルタミラじゃあ食事も
満足に食べた覚えが無いっていうのに、コース料理ときたもんだ。おまけに遅れて来た
連中には温め直しのサービスってね」
皆がメインディッシュに移っている中、ブルーとハーレイの前には前菜と温かいスープが
運ばれてくる。SD体制から弾き出されたミュウにとっては信じられない光景だった。人類が
ミュウを客人として遇するなど…。
若いジョミーやトォニィはともかく、迫害を受けた過去を持つ長老たちには感慨深いものが
あるだろう。
「本当に地球まで来たんじゃのう…。途方もなく長い道のりじゃったが」
とにかく辿り着いたんじゃ、と語るゼルの言葉の裏に潜んだ喪失感。それは誰の心の底にも
等しく蹲り、蟠る思い。この地球が夢に見続けた青い水の星でさえあれば……と。
「……すまない……」
ブルーは立ち上がり、沈痛な面持ちで頭を下げた。皆の視線が集まるのを痛いほどに
感じつつ、乾きそうになる喉の奥から懸命に声を絞り出す。
「…ぼくを信じてついて来てくれた皆と、ジョミーに従ってくれた皆とに心から詫びる。
…見ての通り、この地球は死の星だった。それを母なる青い星だと……還るべき場所だと
言ったのはぼくだ。本当の地球の姿に、皆、傷ついたことだろう。……こんな星へと導いた
ことを、ぼくは謝らなくてはいけない」
「いいえ、ブルー! あなたのせいでは…!」
ジョミーが即座に否定し、長老たちも皆、ブルーが詫びる必要は無いと口々に言い募った。
地球をこのような姿にしたのは人類であり、偽りのイメージを流布したのもまた人類と
マザー・システムなのだと。しかし…。
「…過去は変えられなくても未来は築ける。ジョミーが言った通りだと思うし、それは
正しい。…だが、地球を夢見て死んでいった仲間たちには過去が全てだ。詫びられる
ものなら彼らに詫びたい。…ぼくが地球にこだわらなければ、ナスカは今でも在ったかも
しれないと思わないか?」
「まさか! キースに発見された時からナスカはもう…」
捨てるしかない星でした、とジョミーが返す。
「第一、地球に来なければSD体制は壊せない。ブルー、あなたにもそれは分かって
いるのでしょうに」
「そうだけれども…。しかし、ナスカを拠点に勢力を広げる道も在ったんだ。より慎重に
隠れ棲んで…ね。そう出来なかったのは長老たちが地球へ行かねばと唱え続けていたから
だろう? そう仕向けたのは他ならぬぼくだ。…十五年間眠ったままでも、ぼくの思いが
長老たちを…ミュウの未来を呪縛した」
その結末がこの星だ、とブルーは皆の瞳を正面から見詰めた。
「踏みしめる大地だったナスカを失い、多くの仲間を喪った末に辿り着いた地球はとても
住めるような星じゃなかった。来なければならなかった星といえども、失ったものが
多すぎる。…地球へ還ろうと言い続けたぼくを憎んでくれ。…道の半ばで命を落とした
仲間たちの嘆きと涙の分まで…」
恨み、憎んで、決して許さないでくれ…。心の底からそう思った。自分が犯した罪は
それほどに重く、死んでいった者たちは怨嗟の声すら届けることが出来ないのだから。
けれど心優しく繊細なミュウたちに憎しみの感情はそぐわない。エラが涙ぐみ、ゼルたちから
伝わってくるのは自責の念と深い戸惑い。自分たちもまた地球に対して夢を見過ぎたのでは、と
後悔に揺れ動く心が見える。そんなつもりではなかったのに…、とブルーが口を開こうとした時。
「なんでブルーが悪いんだよ!」
声を上げたのはトォニィだった。
「地球が青くなかったからって、なんでブルーが謝るんだよ! こんな星にしたのは人類
じゃないか! ぼくたちの敵が死の星にしたのに、ブルーに責任があるわけがない!」
オレンジ色の瞳を持つ新しい世代のミュウは、若者ゆえの純粋さでもってブルーに食って
かかってきた。
「ぼくたちはミュウのために戦ってきたんだ、その先に地球があっただけだ! 地球が
どんな星なのかなんて、ぼくは気にしていなかった。地球に着いたら戦いが終わる、
それだけの場所だろ、地球って星は!」
だから謝るな、と叫ぶトォニィには地球を恋い慕う感情は無い。SD体制の下、
人工子宮から生まれたブルーたちと違って、地球への憧れを機械によって植え付けられた
わけではないから。だからこそ鋭く地球の現状を見抜き、ミュウが進むべき道をもしっかりと
見据えているのだろうか…。
「そうじゃ、トォニィの言う通りじゃ。…まずは戦いを終わらせんとのう」
ゼルが頷き、ハーレイがブルーの肩を抱くようにして椅子に座らせる。ジョミーも、そして
長老たちもブルーを責める代わりに食事に戻り、明日の会談について話し始めた。
失望しか与えてくれなかった地球だからこそ、変えてゆかねばならないのだと。
熱を帯びてゆく会話に加わりながら、ブルーは赦された己の罪の深さを改めて思い、SD体制の
打破を心に誓った。自分を赦した皆のためにも、ミュウの未来を拓かねばならぬ。ハーレイが
くれた命を散らすことになってしまったとしても、青くなかった地球の代わりに、希望に満ちた
約束の地を…。
「…ブルー。その格好でお休みになるのですか?」
食事を終えて戻った部屋でハーレイが驚いた顔をする。彼はバスルームから出て来たばかりで
備え付けのバスローブを纏っていたが、先にシャワーを済ませたブルーはソルジャーの衣装を
着けて自分のベッドに腰掛けていたのだ。
「可笑しいかい? 此処は敵陣の中だしね…。ソルジャーとしては当然の備えじゃないかと
思ったけれど」
「あなたはソルジャーの称号をお持ちなだけでしょう? 今のソルジャーはジョミーです。
…そのジョミーも今はマントも上着も脱いで寛いでいるようですが」
ソルジャーだけに余裕ですね、と微笑みながらハーレイがブルーのマントに手を掛けた。
「とにかくこれは脱いで下さい。上着も……それにブーツも手袋もです。落ち着かないと
仰るのならアンダーだけは大目に見ますよ」
本当は夜着をお召しになって欲しいのですが、と溜息をつかれて仕方なくアンダーウェアだけの
姿になる間にハーレイは持参したパジャマに着替えていた。ベッドは二つ置かれているのに、
躊躇いもなくブルーのベッドに近付く。
「大きいベッドで良かったですね。これならあなたを離さずに済みます」
口付けて腕を回してくるハーレイの身体を押し戻そうとすると、強い力で抱き締められた。
「御心配なく。今夜は何もしませんよ。…もう長いこと、独りでお休みになられたことは
ないでしょう? ましてやこんな地球での夜にお一人では…。側にいますから、どうぞ
安心してお休み下さい」
それが困るんだ、とは言えるわけもなく、ブルーはハーレイの胸に閉じ込められたままで
ベッドに横たわることになった。ハーレイの匂いと温もりに包まれ、ゆっくりと背を撫でられる。
「ブルー…。青い地球は今も私の中にあります。私の地球は青いままです。…ブルー、あなたが
焦がれた地球だからですよ。あなたを連れてゆこうと誓った地球は青く輝く星でなくては…」
御覧下さい、と遮蔽を解いたハーレイの心の中に青い水の星が浮かんでいた。遠い昔に
フィシスの記憶の地球を取り込み、約束の場所として心に刻み付けたのだろう。フィシスの
映像のように近付いてゆくことは出来はしないが、ハーレイが抱く地球もまた……悲しいほどに
美しかった。
(…ああ……。君はこんなにも……)
ぼくを連れてゆきたいと願っていたのか、とブルーの頬に一筋の涙が零れる。シャングリラの
キャプテンになった時からの夢だった、とハーレイは地球を前にして語っていた。その地球が
無残な星になり果てた後も、ハーレイは自分を気遣ってくれる。今もブルーの夢を守り続けようと
懸命に心を砕いてくれる…。
『おやすみなさい、ブルー…。あなただけの青い地球を見ながら……。あなたの地球は此処に
あります。あなたが夢見た青い水の星は、いつまでも私の心の中に……』
夢を見ていていいのですよ、とハーレイの思念が囁きながらブルーを眠りへと導いてゆく。
その誘いに乗るふりをして暖かな胸に抱かれ、ハーレイに意識を添わせて青い地球の夢に
揺惚いつつも、ブルーはソルジャーとしての自分を呼び覚ましていた。
(もう少し……。もう少し深く…。もっと深く……)
ハーレイの思念と意識を気取られないよう慎重に絡め取り、逆に眠りの淵へ導く。ブルーを
抱き締めて青い地球を望む宇宙に浮かんでいる夢。それがハーレイの心からの願いだというのが
辛く悲しい。…あんな現実を見せられてもなお、ハーレイはブルーのためにと青い地球を夢見て
くれるのか…。
(…ごめん。そこまで想ってくれるのに……。ごめん、君を騙して抜け出そうだなんて…。
でも、行かなくてはいけないんだよ。ジョミーもトォニィも寝てしまったから、ぼくにしか
出来ないことなんだ…)
そうっとハーレイの腕を外して身体を起こし、寝息が途切れないことを確認すると、額に
手を置いて暗示を与えた。自分はハーレイの腕の中で変わらず深く眠っている、と。
ベッドから滑り降り、ハーレイがクローゼットに片付けていた上着や手袋、マントなどを
着ければ、暗い室内にソルジャーとしての自分の姿が浮かび上がる。目指すのは探っておいた
国家主席、キース・アニアンの部屋。青いサイオンの光を纏うと、ブルーは迷わずテレポートで
通り抜けられる区画を一気に飛び越えていった。
青い水の星、地球へ還る。
それはミュウたちの悲願であり、ブルーの見果てぬ夢だった。
いつかその目で地球を見たいと望み続けて、もう叶わぬと諦めたのは遠く離れたアルテメシアの
雲海の中。
後継者としてジョミーを見出し、ミュウの未来と地球への思いを託して消えようとしていた
ブルーの命はジョミーの強い願いによって繋ぎ止められ、赤い星、ナスカまで生き延びた。
ミュウたちに暫しの安らぎと踏みしめる大地を齎した星が人類軍の放った地獄の劫火に
焼き払われた時、自らの身と引き換えにメギドを沈め、永遠の眠りにつこうとしたブルーを
今度はハーレイが救い出す。
ソルジャー・シンのサイオンを無意識に操ってまでブルーを救ったハーレイの祈りがブルーを
生かし、消えかけていた命に新たな息吹を吹き込み、少しずつ力を蘇らせる……。
ブルーの命を繋ぐ祈りは、ハーレイの想い。愛しい者の手を二度と離さず、青い地球まで共に
行くのだとハーレイはブルーに幾度となく誓い、身体ごと抱き締めて耳元で熱く囁きかけた。
行きましょう、地球へ……と。
首都星ノアを無抵抗の内に制圧し、地球を擁するソル太陽系へ。
あのアルタミラが在ったガニメデを衛星としていたジュピター上空での戦いを経て……ついに
地球への道は開けた。ミュウたちの母船、シャングリラに響くソルジャー・シンの力強い
メッセージがブルーの心に染み透ってゆく。
「シャングリラの諸君。そしてミュウのみんな。人類側は遂に交渉に応じた」
今日までの道のりはブルーがソルジャーとしてミュウたちを導き、気が遠くなるような歳月を
かけて渡った星の海よりも長く果てしなく、険しく厳しいものだった。けれど主だった者たちを
誰一人として失うことなくシャングリラは此処まで辿り着き、人類たちが聖地と崇める地球に
向かって飛ぼうとしている。
「交渉に赴くため、シャングリラは最後のワープを行う。我々は遂に地球を、この目で
確かめられる距離にまで到達する」
ブリッジの中央に立ち、朗々と語るソルジャー・シンの背をブルーはハーレイと共に見ていた。
他艦のキャプテンとなったゼルとブラウ、エラの三人もスクリーンを通してメッセージに
聞き入り、ソルジャー・シンの背後に控えるブルーに温かな眼差しを向ける。
メギドから生還した後、ブルーが戦場に立つことは二度と無かった。ハーレイの祈りによって
生かされているだけの命でソルジャーを名乗ることなど出来ない。未来を拓くのに相応しいのは
生命力に満ち、自らの力で光り輝く太陽を思わせる年若き戦士、ジョミーだけだ。
ソルジャーはジョミーただ一人だから、と一線を退いたブルーの読みに誤りは無く、ジョミーの
意志と決断力は戦いを優位に進め続けた。ジョミーを慕う七人のナスカの子供たち。タイプ・
ブルーの彼らは、一人々々の力がブルーのそれに匹敵しており、窮地に陥っても切り抜けるだけの
判断力をも兼ね備えていた。
今のシャングリラとミュウたちにとって、ブルーは必要欠くべからざる存在ではない。ブルーの
思いは次の世代に確かに受け継がれ、彼らは自分たちの力と意志とで地球の喉元に歩み寄る。
それがブルーには嬉しかった。未来は若く新しい世代のものであり、ハーレイの祈りに
縋らなければ生きてゆけない自分はとうに過去のものだ。地球はミュウたちの約束の場所。青い
水の星に降り立つ命は次の世代へと繋がってゆく、未来ある者たちでなければならない。
其処へとミュウたちを導く長は、未だ遠い距離を隔てて在る星、地球を緑の瞳で見据えた。
「地球に、言葉通り交渉のテーブルが待っているのか、それとも最後の抵抗があるのか。何が
あるか、ぼくにも分からない。…それでも飛ぼう。地球へ!」
ブルーの視界に、ソルジャー・シンの真紅のマントが鮮やかに翻り。
「全艦、ワープ!」
シャングリラの船体と長老たちの船とが緑色の亜空間へと吸い込まれてゆく。ワープアウトが
完了した時、其処には月が在る筈だ。太古の昔から地球の周囲を巡り続けてきた孤独な衛星。
荒涼とした死の星の彼方にやがて現れるであろう母なる地球へと、ブルーは夢と思いを馳せる。
雲海の星アルテメシアで、赤いナスカで、その目で見ることは叶いはしないと諦めざるを
得なかった星。
そこへ向かう船に自分が生きて乗っていることは奇跡以外の何物でもない。死ぬ筈だった
自分を救い出し、今なお命を繋ぎ止めているハーレイの手をそっと握れば、温かく逞しい
褐色の手が力強く握り返してきた。ハーレイの熱く優しい想いがブルーを包み込み、思念が
心に呼び掛けてくる。
『行きましょう、ブルー。…地球へ』
あなたが焦がれ続けた、あの青い星へ。
ブルーへの愛おしさを隠そうともしないハーレイの想いに応えるように、ほんの少しだけ
身体を寄せた。腕が僅かに触れ合うほどでしかなかったけれど、それでも充分に想いは伝わる。
此処がブリッジでなく展望室であったなら…、と惜しむ気持ちが心を微かに掠めてゆくのを、
ブルーは軽く瞬きをして振り払った。
ブリッジの者たちもシャングリラの皆も、長老たちの船に乗っている者も、ブルーとハーレイを
結ぶ絆が何であるかを知ってはいるが、地球を目指そうという重大な局面に恋人同士の時は
持てない。前ソルジャーでもキャプテンでもなく、二人とも普通のミュウだったなら、青い水の
星を前に口付けを交わし、抱き合って喜び合えただろうに…。
ワープアウトする瞬間を今か、今かとブルーはハーレイの手の温もりを感じながら待ち続ける。
自分の命は地球に着くまで保たないのだ、と悟っていた頃、地球を見たくて手を絡めたのは
ハーレイではなくフィシスだった。彼女がその身の奥深く宿す青い真珠へと星々の海を渡る
記憶に、どれほど心を奪われたことか。銀河系からソル太陽系へ……幾つもの惑星の脇を
通り過ぎ、月の彼方に浮かぶ地球へと。
幾度も諦め、瞳に映すことが叶わぬ悲しみを胸に押し込めて涙を零した水の星。絡めた手と
手の間に揺蕩う儚い幻でしかなかった地球が、もうすぐ本物の海と大地を携え、質量を伴った
星になる。
フィシスのか弱い手とは異なるハーレイの大きく温かな手が、一層それを実感させた。亜空間を
越えた先に見えて来る地球は数多の生き物の生命を懐に抱いて何処までも青く、美しく、それで
いて確かな存在感を持って輝いていることだろう。
『…ありがとう、ハーレイ…。君のお蔭で此処まで来られた。君が連れて来てくれたんだ…』
君と一緒に地球へ行ける、と語りかける思念にブルーはハーレイへの抑え切れない想いを
乗せた。地球を見られることも嬉しいけれど、生きて君の側にいられることこそが何にも増して
嬉しいのだ……と。
戦いの場から離れたブルーはソルジャーの称号で呼ばれはしても、その実、既にソルジャー
ではない。戦士として戦場に赴く代わりに、戦いで心身に傷を負った者たちの心を自らの心に
呼び寄せて癒し、英気とサイオンを取り戻させるのがブルーの唯一の役目であった。
そのくらいのことはまだ出来るから、と言ったブルーにハーレイは苦い顔をしたものだったが、
戦いが続く中で何一つせず、ただ守られて生きることなど耐えられはしない。そうやって
引き受けた役目とはいえ、傷ついたミュウたちの嘆きや痛みを全て引き受け、昇華させるのは
ブルーの心の負担となって音も無く深く降り積もってゆく。
遠い昔からミュウという種族の苦しみを背負い、ソルジャーとして歩み続けてきたブルーは、
傷も痛みも独りで抱え込み、誰にも見せようとしなかった。人知れず流されるブルーの赤い血と
涙とに気付き、その孤独をも鋭く見抜いて側に寄り添い、癒そうとしたのが若き日のハーレイ。
いつしかブルーもハーレイにだけは弱さを隠さなくなり、身も心をも彼に委ねて束の間の
安らぎを得るようになり……。
そのハーレイが今のブルーを独り放っておく筈が無い。キャプテンの激務を果たしながらも
青の間でブルーを優しく抱き締めて眠り、時には心まで一つに融け合うほどに激しく求め合い、
ブルーの心を苛む痛みを温もりと熱とで跡形も無く溶かし、温かな想いを満たして傷痕を癒す。
何も言わずともハーレイが側にいてくれることが、どれほど嬉しく心強かったか。ハーレイに
救われ、生きて欲しいと望まれるままに生きてきた日々がどれほど幸せなものだったか…。
かつてブルーはソルジャーとして生き、ミュウたちの盾となって散ろうとした。その選択が
誤っていたとは思いもしないが、ハーレイの願いと祈りによって生かされる内に、望まれて
生きる喜びを知った。
ブルーの命も、心も身体も、ハーレイがこの世に繋ぎ止め、絶え間なく力を注いでいる。
愛し、愛されて共に生き続け、地球までの道を手を取り合って歩んで来た。
『ハーレイ…。ありがとう、此処まで連れて来てくれて…』
縋り付く代わりに心を添わせてハーレイへの想いを滑り込ませれば、繋いだ手を通して
ハーレイの心が流れ込む。
『もうすぐです。…もうすぐ、青い地球が見えます。あなたに地球をお見せするのが
夢でした。ずっと……ずっと遠い昔から…。シャングリラのキャプテンになった時から、
この船であなたを地球まで連れてゆこうと…』
その夢が叶う時が来ました、とブルーの手を握ってスクリーンを見上げるハーレイの
思念は喜びの涙に濡れていた。ブルーが求めてやまなかった星へ、シャングリラはついに
辿り着くのだ…と。
地球への思慕はブルーだけでなく、誰もが心に抱いている。けれどブルーが誰よりも地球に
焦がれて、其処へ還りたいと願った理由は皆とは違っていた……かもしれない。
銀河の海に浮かぶ一粒の真珠、青く輝く奇跡の星。
母なる地球を恋い慕う思いは誰の心にも焼けつくような渇望として刻まれ、それゆえに人は
地球を求める。人類もミュウも命ある限り、ただひたすらに地球に憧れ、かの星に行きたいと
願い続ける。青い水の星は地球の他に無く、まさしく夢の星だったから。
しかしブルーが夢見た地球は美しいだけの星ではなかった。遙かな昔から生命を育み、人という
種を生み出した地球。かの星ならば人から生まれた異端のミュウをも、自らが産んだ命の子として
懐に包み、その大地へと降り立つことを許し、慈母の愛で受け入れてくれるのではないか。
踏みしめる大地を持たないミュウが還れる唯一の故郷、それが地球だとブルーは信じた。
だからこそ焦がれ、その目で見たいと願い続けて、次の世代にも思いを託した。いつの日か必ず
青い地球へ……と。
「ワープアウト完了!」
亜空間を抜けた先には予想した通りに月が在った。フィシスの記憶で幾度となく見た、
クレーターに覆われた生命の無い星。ほの白い弧を描く地平の向こうに、神秘の青を湛えた
地球がもうすぐ覗く…。
(還って来たんだ、地球へ…。ぼくたちの……ミュウの、約束の場所へ…)
熱いものが瞳から溢れそうになるのを、ブルーは空いた方の手を握って堪えた。戦いはまだ
終わってはいない。本当の意味で地球に還れるのは、地球で我が物顔に振舞う人類たちが
ミュウの存在を認めた時だ。
それでも自分は此処まで来た。もう還れないと諦めていた地球まで、生き永らえて還って
来た…。
『…ハーレイ…。…今日まで生きていられて良かった…』
ずっとこの日を夢に見ていた、と告げようとしたブルーの瞳が地球の影を捉え、月の彼方に
ゆっくりと母なる星が姿を現す。青く澄み切った命の星。この目で見たいと焦がれ続けた
奇跡の青が光を失い、暗く不吉な翳りを帯びて其処に在るのを、ブルーは零れ落ちそうに
見開いた瞳で見詰めた。
「……これは……」
ジョミーの声が酷く遠くに聞こえ、ブルーの手を握ったハーレイの手に力が籠る。
「なんだ、あれは!」
ハーレイの叫びと握り締められた手の痛みとが、飛びかけていた意識をスクリーンに映る
現実へと引き戻した。巨大なスクリーンの中央に映し出された、あの星が………地球。
(……嘘だ……)
初めは夜の半球を見たのだと思った。太陽の強い光を浴びねば、如何に水に覆われた星と
言えども地球は輝くことは出来ない。しかし太陽の光の届かない場所は暗い宇宙の闇に融け込み、
地球は細い残月となって浮かんでいる。
それは月よりも惨たらしく穢れ、生命の欠片を宿すことすら適わないと知れる無残に朽ちて
腐った星。澄んだ大気と青く輝く海の代わりに、命あるものの呼吸を阻む毒素と乾き切った
砂漠に覆われた星……。
「……あれが…地球だというのか……」
呻くように掠れた声音はジョミーだった。ブルーの思いを継ぎ、ついに地球まで辿り着いた
戦士。
見る影もなく錆び、赤茶けた星が地球である事実を未だ誰もが飲み込めていない。けれど、
フィシスの地球を飽きることなく眺め続けて来たブルーには分かる。あれが本当の地球なのだと。
(…ぼくは……道を誤ったのか)
こんな星へ皆を導いたのか、と唇を噛み締め、赤黒く濁った残月を見上げるブルーは自らの
過ちを激しく悔いた。ミュウを受け入れてくれると信じた青い水の星は何処にも在りは
しなかったのだ。
分析担当のクルーが次々に報告するデータは残酷なもの。そして、赤い残月が浮かぶ座標は
間違いなく地球のそれだった。ジョミーが堪え切れずに叫び声を上げ、長老たちは涙し、
スクリーンの向こうでゼルが呟く。
「…わしらは、こんなもののために…犠牲を払ってきたのか…」
ゼルもジョミーも長老たちも、ブルーを責めはしないだろう。否、ブルーに罪があろう
などとは、微塵も思っていはしない。しかしゼルの口から零れたその言葉こそが真実だった。
こんなもののために、犠牲を払って此処まで来た。そうさせたのは……ブルー。
(……ぼくが地球へと向かわせた…。皆も、ジョミーも、ぼくが地球へと向かわせたんだ…)
焦がれ続けた地球が死の星だった衝撃よりも、己の罪深さが恐ろしかった。自分が地球を
求めなければ、他の道がきっと在ったのだろう。ジョミーがナスカを見出したように、
ミュウを包み込み受け入れてくれる星は地球でなくとも良かったのだ。
自分が地球に焦がれたばかりにミュウが進むべき道を誤り、多くの犠牲を払った果てに
死に絶えた星へと導いてしまった。取り返しのつかない愚かしい選択をしたのは他ならぬ自分。
此処へ至る道を託そうとジョミーを選び、その人生をも踏み躙った。
こんな結末を目にするために生き延びたのか、と悲しみと絶望がブルーの心を覆ってゆく。
生きてその罪を見届けよとばかりに、神は自分を生かしたのか……と。
ブルーの人生はアルタミラを脱出して間もない頃から絶望と悲しみの只中にあり、いつかそれを
越えて還り着きたいと願った星が地球だった。まさか、その地球が更なる絶望と深い悲しみとを
ブルーの心に齎そうとは…。還るべき場所として地球を示した道が誤りだったとは…。
絶望が心を覆い尽くした時、人は涙を流すことすら出来なくなる。ブルーは赤黒い残月から
目を離せないまま、自らが犯した罪をも見詰め続けるより他は無かった。ジョミーのように
絶叫することも、長老たちのように涙することも、彼らを地球へ向かわせたブルーにだけは
決して許されはしないのだから。
「ブルー!!」
強い力で肩を揺さぶられ、ハーレイの鳶色の瞳がブルーの瞳を覗き込んだ。
「大丈夫ですか、ブルー!?」
ブルーの視界から赤い地球が消え、恋人の眼差しと温かな腕が絶望の淵に囚われていた心を
引き戻す。
「…ブルー、申し訳ありません…。あれが……あのような星が地球だったとは…。あなたが
焦がれておられた星が、無残に変わり果てていようとは…」
もっと調べておくべきでした、とハーレイはブルーを抱き締めて詫びるが、罪があるのは
自分の方だ。青く輝く地球に行くのだ、と繰り返し説いてミュウの皆に壮大な夢を抱かせ、
還るべき場所だと信じ込ませた。そんな星は存在しなかったのに…。
「…ハーレイ、君のせいじゃない。悪いのは…」
ぼくだ、と胸の奥から絞り出そうとした時、ブルーのそれよりも圧倒的なサイオンが
シャングリラに満ちてゆくのを感じた。スクリーンの地球を食い入るように仰いでいた
ジョミーがブリッジのクルーやブルーたちの方を振り向き、確かな決意を秘めた声と
面持ちで静かに告げる。
「だが、行こう。地球へ」
ブルーが選んだ後継者。
強引に託されたミュウの未来に青い地球は無く、病み果てた残月があるばかりなのに、
その瞳には些かの迷いも無かった。
「過去は変えられなくても未来は築ける筈だ。ぼくらと人類の間に横たわるSD体制を打破
するために」
(…ジョミー…。行ってくれるのか……。あんな地球でも、君は行こうと言ってくれるのか)
約束の場所が無かった以上、何と責められても仕方がないと覚悟していた。ジョミーが
自分を責めることはないと分かってはいても、ミュウたちを地球へと歩ませてしまった罪を
裁いて欲しかった。
けれどジョミーの緑の瞳は地球の先にあるものを見据えている。目指すべきものは全ての
ミュウたちの還り着く故郷。人類に追われ狩られる種ではなくなり、安住の地へと降り立たねば
ならぬ。それを阻み続けるSD体制の要は地球。
だからこそ地球を目指して来たのに、いつの間にか夢だけが膨らんでいた。ミュウを受け入れて
くれる母なる星に違いないと心から信じ、その懐に還ってゆく日を思い描いて焦がれてきた。
地球に行くには人類との間に出来てしまった溝を埋めるか、戦いに勝つか、二つに一つの道しか
無いと分かっていながら、ただ憧れて夢見ていたとは、自分はどれほど愚かなのか…。
SD体制を打破するために向かうべき場所が地球であるなら、青く輝く星でなくとも行かねば
ならない。
辿り着いた地球の姿に失望しながらも僅かな時間で真実を見抜き、新たな道へと踏み出そうと
するジョミーの強さが誇らしかった。地球の幻影に囚われていた自分などより、彼こそが余程、
ソルジャーの名に相応しい。
(ジョミー…。君こそが真のソルジャーだ。…この状況でも先に進める君だからこそ、その名の
通りに戦士なんだ)
ハーレイの腕の中、微かな微笑みを浮かべたブルーに、ジョミーはスクリーンに映った赤黒い
大気と砂漠の星を指し示した。
「行きましょう、地球へ」と。
未だ再生していない事実を伏せられ、聖地と呼ばれて崇められる地球。
ミュウを聖地に踏み込ませまいとばかりに人類側の大艦隊が待ち受けていたが、どの艦からも
攻撃は無かった。今までの戦いで人類側は数多の艦隊を失っている。ここに集うのが恐らく
最後の艦隊。この艦隊が宇宙に沈めば、もはや人類には戦う術など無いのだろう。
「…まだこれだけは残っている、と誇示してきたか。…地球を前にして負けはしないが」
シャングリラのブリッジでジョミーが呟けば、人類側の旗艦と思しき大型艦から発進した一基の
シャトルが地球へと降下していった。死の星に降りて何をするのか、と訝る内に国家主席キース・
アニアンからのメッセージが入る。話し合いのために地球へ降りて来いと。
宇宙から見える地球には生命の欠片もありはしないが、会談の場所として指定されたのは地球
再生機構リボーン総本部、ユグドラシル。再生機構と銘打つからには、人類は地球の再生を諦めて
放棄したわけではないらしい。
「危険じゃ、ソルジャー。やつらは何を考えておるか…」
ゼルが自らの船からスクリーン越しに反対を唱え、騙し討ちや罠を恐れる声は他にもあった。
だが、話し合いを拒否するのならば眼前の艦隊と戦うしかない。人類側の最後の守りを殲滅
したとして、ミュウへの消えない憎しみの他に何が残るというのだろう。
「人類が本当に話し合うつもりか、聞く耳など持ちはしないのか。…彼らの真意を知ろうと
するなら、地球に行くしか方法はない。…それに戦力なら我々が上だ」
ジョミーは地球へと降りる決断を下し、船の指揮権をシドに委ねた。万一の時には残って
いる仲間の安全だけを考えろ、と。ミュウの未来を賭けて会談に向かうジョミーに同行するのは
長老たちとトォニィ、フィシス、それに……ブルー。
「…ブルー。本当に地球へ降りるのですか?」
格納庫へと向かう途中で気遣わしげに問い掛けて来たハーレイに、ブルーは硬い表情で頷いて
みせる。
「…地球を目指せと言ったのはぼくだ。青い星ではなかったからと目を逸らして済むような
話ではない。…どんな星なのか、何があるのか。…地球を示したソルジャーとして、見届け
なくてはいけないだろう」
「……ですが…。あなたが一番ショックを受けておられるのでは…」
「だからだよ、ハーレイ。あんな星へと皆を導いてしまった責任がある。生き永らえて地球に
着いたからには、地球は青いと嘘をついた事を皆に詫びねばならないんだ。…船に残れば
機会を逃す」
行こう、とマントを翻したブルーをハーレイが引き寄せ、一瞬だけ強く抱き締めた。
『…あなたのせいではありません。どうか…御自分を責めないで下さい』
決して無理はなさらぬように、と思念で伝えてハーレイの身体が離れてゆく。その優しさが
嬉しかったが、自分が犯した罪を思えば温もりに甘えてはいられない。生きて地球まで
辿り着いた仲間たちには詫びようもある。しかし、地球を夢見て死んでいった者には詫びる
術が無く、その上、死ぬ筈だった運命を覆してまで生きているのが罪深い自分だ。
(…ハーレイ…。誰が許すと言ってくれても、死んでいった仲間たちには謝りようが
無いんだよ…。青い地球へ行けると信じたからこそ、皆、歯を食いしばって理不尽な
運命に耐えていたのに)
SD体制を倒さなければ、と声高に叫んだ記憶はブルーには無い。ただ「地球へ行こう」と
呼び掛けただけ。夢の星を見たいと焦がれ続けて、その日を思い描いていただけ…。
(…現実を目にしてしまった以上、ぼくは責任を果たすしかない。どんな星でも、ぼくたちは
地球を手に入れる。SD体制を倒し、ミュウの居場所を……踏みしめる大地を手に入れるために)
青い水の星……約束の場所だった地球の代わりにミュウが大地を踏みしめる星は、地球を手に
入れてから探せばいい。SD体制さえ壊してしまえば、何処ででもミュウは暮らしていける。
ノアでも、アルテメシアでも……いくらでも星はあるのだから。
(この星が……地球)
シャングリラを離れ、地球へと向かうシャトルの窓からブルーは瞳を逸らすことなく過酷な
現実をその胸に刻みつけてゆく。
噴き上げる瘴気で濁った大気の底に何処までも広がる棄てられた高層建築群。人類が地球を
離れて何百年も経つというのに、解体され浄化されるどころか未だに屍を晒したままで何の策も
講じられてはいない。ブルーたちが信じ込んでいた偽の情報では、SD体制の開始から百年後には
帰還者が降り立った筈なのに。
(…これが本当の地球の姿か…。ぼくたちを拒み、排斥し続けて来たグランド・マザーは地球の
現状を維持するだけで精一杯で、再生する力は無いというのか…?)
会談の場所となるユグドラシルは地球再生機構の総本部。だが再生機構と冠しておきながら、
世界樹の名を持つ巨大な構造物は自らの役目を果たしているとは思えなかった。何本もの線で
地表と繋がってはいるものの、その周囲すらも浄化されてはいはしない。
(地球を再生出来ないのなら、どうしてミュウを退けたんだ…。SD体制は地球の再生の
ためのシステムなのだと聞いていたのに…。そのシステムにそぐわないからと多くのミュウが
殺されたのに……それなのに地球は……)
流された数多のミュウたちの血は何の意味も持っていなかった。その血が地球の浄化のための
供物、生贄であったのならば、まだ一欠片の救いを其処に見出すことも出来ただろう。しかし
肝心の地球がこの有様では、殺されていったミュウたちの命は何ゆえに握り潰されたのか…。
SD体制に利点など無い。根幹に据えた地球の再生すら出来ぬシステムに存在意義など
有りはしない。人類を管理し、飼い馴らすだけのコンピューターに人が従ってどうするのだ。
機械の方こそ人の意に従うべきなのに…。
ミュウを排除するシステムにしても同じこと。人類がミュウを抹殺しようとするのではない。
機械がそれを命じてきた。SD体制を維持するために、システムに相応しくないミュウの処分を。
もしも人類が自分たちの意志で行動していたならば、それでもミュウは消されただろうか?
最初は相容れぬ異端とされても、歩み寄る道が自然に生まれ、いつしか手を取り合えて
いたのではないか…。
(SD体制を終わらせなければ…。話し合いで解決出来ないのなら、力ずくで破壊するまでだ。
でなければ地球は手に入らない。…ミュウの居場所も見付かりはしない。そのために……
ぼくたちは地球まで来た)
話し合うことで道が開けるのか、それとも戦いが待っているのか。戦うとしたら相手は
上空の人類統合軍の艦隊ではなく、ユグドラシルに詰める国家騎士団員たちでもない。
(グランド・マザー…。マザー・システムのメインともなれば、どれほどの力を持って
いるのか…)
ブルーが対峙したことがあるのは末端のテラズ・ナンバーだけだった。ジョミーは戦いの中で
幾つものテラズ・ナンバーを葬ってきたが、たった一人でグランド・マザーに立ち向かうのは
無謀だろう。トォニィやナスカの子供たちが共に戦うことになるなら、その時は自分も戦線に
立つ。
(…すまない、ハーレイ…。皆は来るなと言うだろうけど、今度ばかりは譲れない。地球を
目指したソルジャーとして、SD体制だけは破壊しないと…。生きて此処まで来た以上はね。
…君が生かしてくれた命を無駄にしたくはないんだよ…)
でも、君にとっては無駄遣いの最たるものになるのだろうね…、とブルーは通路を隔てて
座るハーレイの方を密かに見遣った。厳しい顔でユグドラシルを見据えるハーレイはブルーの
眼差しに気付いてはいない。
(…ごめん。もしも、ぼくが戦いで死んでしまったら……君が悲しむのは分かってる。
ぼくだって君と一緒に生きていたくないわけじゃない…。…だけど、ぼくは今でも
ソルジャーなんだ。戦いの場を離れて久しいけれど………ぼくが地球へ行こうと言い出した
ことが、この戦いの始まりだから…)
戦わないわけにはいかないんだ、と心で詫びて、ブルーは窓の外へと視線を戻した。間近に
迫ったユグドラシルは雲を貫くほどの高さで禍々しく聳え立っている。
「世界樹と言うより、まるで巨大な毒キノコのようじゃな」
ゼルの的を射た皮肉に唇に苦い笑みが浮かんだ。病んだ地球に寄生し、人類とミュウの双方に
毒素を含んだ胞子をばら撒き続ける毒キノコ。マザー・システムを何かに譬えるならば、まさに
それだと言えるだろう。
地球をも蝕むこの忌まわしい菌類を滅ぼし、ミュウの未来を切り開く。その先に地球の未来も
あれば…、とブルーは幻のままに儚く消えた青い水の星を赤かった地球の記憶にそっと重ねた。
※2011年7月28日に葵アルト様のサイトでUPして頂いた作品です。
続編『奇跡の青から』も宜しくお願いいたします。
「ソルジャーは? ソルジャー・ブルーはいらっしゃらないのか?」
メギドの劫火がナスカを襲ってから暫く後。ハーレイは混乱が落ち着いてきたブリッジを
ブラウたちに任せ、メディカル・ルームを訪れていた。
かつてアルタミラで見た忌まわしい炎がナスカ上空で四散したのは九人のタイプ・ブルーの
シールドがそれを未然に防いだためで、最初にシールドを張ったのはブルー。そのシールドを
強化するべく飛び立ったのがソルジャー・シンとナスカで生まれた七人の子供たちだった。
しかし成長を早めてサイオンを使った子供たちの多くは意識を失い、メディカル・ルームに
収容されたとの連絡が先刻ブリッジに入っている。恐らくブルーも搬送された者たちの中に
含まれているのだろう、とハーレイは足早に其処へ急いだのだが…。
「ソルジャー・ブルーはおいでになってらっしゃいません」
ノルディの答えにハーレイの心臓が凍りついた。ベッドにも、医療用カプセルの中にも
ブルーはいない。
治療する手を休めることなくノルディが報告してくる内容によれば、子供たちを此処に運び
込んだのはソルジャー・シンで、ブルーの姿は無かったらしい。また、ソルジャー・シンは再び
ナスカに向かったとも。
では、ブルーは? ブルーは何処に…?
『ジョミーはまだ若い。君たちが支え、助けてやってくれ』
ブルーはハーレイにだけそう言い残すと、ソルジャー・シンと共にナスカへ降りるシャトルに
乗り込んで行った。あの時、不吉な予感を覚えなかったと言えば嘘になる。けれどハーレイは
それがブルーとの別れになるとは微塵も思っていなかったのだ。
今もなおソルジャーであり続けようとするブルーの目的は、一人でも多くの仲間をナスカから
脱出させること。その結果として命を縮めることになるかもしれない、と覚悟した上での言葉で
あろうと受け止めたから、出てゆくブルーを止めなかった。
どんなに傷つき、弱り果てようともブルーは必ず戻って来る。そうだと確信していたからこそ
メディカル・ルームに駆け付けたのに、ブルーは何処にいるのだろう?
衰弱し切った彼の身体では、メギドの炎を受け止めるのが精一杯だった筈なのに…。
ブルーの姿が見えはしないかと、うろたえ、せわしなく視線を走らせるハーレイの背後から
声がかかった。
「ソルジャー・ブルーはメギドに行ったよ」
「!?」
振り返った先に立っていたのはオレンジ色の髪と瞳の子供。これはトォニィ? トォニィ
なのか? そしてブルーはメギドに行ってしまったと? 自分たちを置いて、たった
一人で…?
嘘だ。そんなことがあるわけがない。ブルーはきっと、ジョミーと一緒にまだナスカに……。
それから何処をどう歩いたのかすら、ハーレイには思い出せなかった。
…ブルーがいない。何があっても守ると誓った、誰よりも大切な……出来るなら腕の中に永遠に
閉じ込めておきたいとも思った、この世の何よりも愛しい者が。
トォニィの言葉を裏付けるように、ブルーの気配を感じない。呼び掛けても返事が返っては
来ない。ブルーが今もナスカにいるなら、その存在と強い思念とが此処に届かない筈がない…。
本当に行ってしまったのだ。仲間たちが脱出するための時間を稼ぐべく、ナスカに狙いを定める
メギドに向かって。
それが何を意味しているのか、考えるまでもなく答えは一つだけしか無かった。
ブルーはメギドから戻れはしない。もうシャングリラにも帰っては来ない。
(ブルー…! どうして行ってしまったのですか!)
血を吐くような叫びがハーレイの胸に木霊する。
力尽きて倒れたブルーを看取ることになるかもしれないという漠然とした不安はあったが、
いなくなるとは想像もしていなかった。
こんな形で自分の腕からすり抜け、手の届かない場所へ行ってしまうとは夢にも思って
いなかったものを…。
ブルーには二度と触れられない。抱き締めることも、その手を握ることも叶わないまま、自分は
ブルーを失うのだ…。
ナスカからの脱出は惑星崩壊の兆しの中で継続しており、ブリッジは緊迫した空気に包まれて
いる。生き残った者たちを収容し終えたら、ワープして人類の追撃を振り切るしかない。
ソルジャー・シンの命が下れば即座にナスカを離れられるよう、ハーレイはシャングリラの
舵を握った。
真に握りたいと望んでいるのは舵輪などではないというのに。この手を伸ばして掴めるもの
なら、ブルーの腕をこそ強く握って胸に抱き寄せ、何処へも行かせはしないというのに…。
(……ハーレイ!?)
メギドの制御室に入り込んでいたブルーは、信じられない思いで残された左の瞳を見開いた。
サイオンを使いすぎた身体に何発もの銃弾を容赦なく撃ち込まれ、右の瞳ももう見えはしない。
最後に残った力を破壊のエネルギーに変えた瞬間、狭くなった視界に飛び込んで来たのは懐かしい
碧の光だった。
タイプ・グリーンのミュウだけが持つサイオン・カラー。そう、ハーレイのサイオンの色だ。
(……何故……)
どうして此処へ、と思う間もなく碧は空間の狭間に消え失せ、ブルー自身が起こしたサイオン・
バーストの青い光が制御室を覆い尽くして膨れ上がってゆく。その中でブルーは確かに見た。
ハーレイと同じ色のサイオンを纏った一人のミュウが、自分を撃った地球の男を背後から抱え、
テレポートしていったのを。
テレポートは並外れたサイオンを持つタイプ・ブルーだけにしか出来ない、空間を越えて
移動する技。今の今までそう思っていた。…だが、あのミュウはそれを目の前でやって
のけたのだ。
キース、と声の限りに叫んでいたミュウ。ブルーが仲間を守るためだけに此処へ来たように、
あのミュウもまた地球の男を…。強い思いはサイオンの限界をも超え、その能力を超えた力を
引き出すことが出来るのか…。
(逃がしてしまった…。あの男を)
キース・アニアンを取り逃がした。自分の命と引き換えに葬り去ろうと思った地球の男を。
彼を此処から救い出したミュウと彼とが、どういう関係なのかは分からない。だが、あの男が
生きている限り、ミュウはまたしても全滅の危機に追い込まれてしまうことだろう。だから。
(ジョミー! みんなを頼む)
このメギドだけは壊して逝くから。…ジョミー、シャングリラを……仲間たちを。…そして…。
(………ハーレイ…)
どうか無事で。さっきの光が君でなくて良かった。君が来てくれたのかと思ったけれど、
君には生き延びて欲しいんだ。
君は生きて…地球をその目で…。
ああ……暖かい。君のサイオンの碧が見える。この碧色の光に抱かれてぼくは眠ろう…。
「キャプテン!」
シャングリラのブリッジに立つハーレイの背後でジョミー…いや、ソルジャー・シンの声が
響いた。
「ソルジャー!?」
ナスカからテレポートしてきたソルジャー・シンが間を置かずに叫ぶ。
「ワープ!」
その指示に従い、ハーレイは迷いなく舵を大きく切った。白い船体の先に拡がる亜空間の奥へ
シャングリラが滑るように吸い込まれてゆき、ナスカの在る時空から切り離される。
シャングリラとナスカを結んでいた糸が消える間際に、ハーレイの心を貫いていった切ない
『想い』。それはブルーの最期の願い。
『……ハーレイ…。どうか無事で…』
(ブルー!?)
ナスカへ降りる彼を見送ってから後、一度も捉えられなかったブルーの思念。逃げろと……
逃げて生き延びてくれと、ブルーはハーレイに伝えてきた。もう意識すら保てないブルーの心の
遮蔽が外れて、碧色の光がその奥底で微かに揺らめく。
自分自身のサイオンと同じ碧が見えた瞬間、ハーレイの中で何かが弾けた。
それからどのくらいの時が経ったのか…。ワープアウトしたシャングリラには深い悲しみと
嘆きが満ち溢れ、啜り泣く声が途切れない。
多くの仲間を、ブルーを喪い、誰もが呆然と立ちつくすだけで、これから何処へ行くべき
なのかを指し示す者の姿さえ無い。
「ブルー…」
ハーレイの頬に堪え切れない涙が伝う。誰よりも愛し、守り抜きたいと願っていた者を守れ
なかった。最期まで自分を想ってくれたブルーを、たった一人で逝かせてしまった。
あの時、自分も声の限りにブルーの名を叫んだ気がするのに。ブルーをシャングリラに連れ
戻してくれと、ジョミーに向かって絶叫したと思ったのに……。
全ては幻に過ぎなかった。
ジョミーは……ソルジャー・シンはワープアウトする直前に倒れ、今はメディカル・ルームに
いる。ナスカでサイオンを使い過ぎたがゆえの一種の過労と言える症状。そんな状態にあった
ソルジャー・シンにブルーを救うことが出来る筈もなく、また、そのような願いをソルジャー
相手に叩き付けられる筈も無かった。
我を失って取り乱したのかと我が身を振り返り、苦い後悔に苛まれたが、周囲の者たちの心の
表面を軽くサイオンで探ってみても、そんな形跡は微塵も無い。それにキャプテンである自分が
恐慌状態に陥ったなら、ブリッジの雰囲気はもっと騒然としているだろう。
(…ブルー…。申し訳ありません。…あなたを失った瞬間でさえ、私はキャプテンとして冷静に
立っていたようです。ですから今は……今は少しくらい、あなたを想うことを許して下さい…)
溢れる涙を拭おうともせず、ハーレイは永遠に失ってしまったブルーを想ってただ唇を噛み
締めていた。
メディカル・ルームから戻ったソルジャー・シンがアルテメシアに向けて出発すると宣言した
のは、その日の内。ハーレイはブリッジで航路設定の指揮を執り、今後についての打ち合わせを
終え、シャングリラの舵をシドに任せて自分の部屋へと引き揚げた。
キャプテンゆえの責任感のみで動いていた身体は鉛のように重く、酷く疲れ果て、歩くことすら
おぼつかない。
船内で一人きりになってしまうと嫌でも思い知らされる。
この船の中にブルーはいない。いくら呼んでも戻ってはこない。ブルーの命が潰えた場所すら、
探すことさえ叶わないほど遙か彼方に離れて遠い…。
(ブルー……)
どうして行かせてしまったのか。一人逝かせると分かっていたなら、何と罵られ謗られ
ようとも、船から出したりしなかったものを。…追い掛け、この両腕に閉じ込めてでも、
シャングリラに留めておいたものを…。
後悔してもし切れぬ思いに胸を押し潰されながら扉を開き、暗い室内に足を踏み入れる。灯りを
点ける気にすらなれず、足許に淡く灯った非常灯に導かれるままに暗がりの奥の寝台へ向かう。
何度、この部屋でブルーと夜を過ごしただろう? 幾度、互いの身体を重ねて熱い想いを
交わしただろう…。
ふらつく足で寝台に倒れ込もうとしたハーレイの瞳がシーツの上に信じられないものを
見付けた。
ぐったりと力なく投げ出された、折れそうに細く華奢な手と足。闇の中に仄白くぼんやりと
浮かぶ、血の気の失せた蒼白な顔と乱れて広がる銀色の髪…。
「ブルー!?」
その姿を見誤るわけがなかった。慌てて点けたベッドサイドの灯りに血まみれの姿が照らし
出される。どれほどの攻撃に晒されたのか、その整った白い顔にも、細い身体にもどす黒い血が
べったりとこびりついている。
「ブルー!!!」
思わず腕を取り、氷のようなその冷たさにハーレイの背筋がゾクリと冷えたが、仮死状態だと
すぐに分かった。身体のあちこちに受けた深い傷から大量の血が流れ出すのを、凍った身体が
防いでいる。ブルーの命は消えてはいない。
(すぐに手当てを…!)
震える指で通信画面を開くとメディカル・ルームのノルディを呼び出し、医療チームを派遣して
くれと怒鳴り付けるように叫んでいた。
慌てていたため、ブルーの名前を告げるのも忘れ、とにかく早くと急き立てたのだが、優秀な
医師は怪我人の状態について幾つか質問を投げかけただけで、すぐに向かうと通信を切った。
今頃は既に長い通路を懸命に走っているだろう。
生きている。ブルーが生きて……この部屋にいる。ハーレイは呼吸すら止めて横たわっている
ブルーの傍らで声を押し殺して泣き続けていた。
駆け付けた医療チームはブルーを見るなり声を失くした。驚いたことも大きいだろうが、
明らかに瀕死の重傷と知れるブルーの外見から受けたその衝撃も、また大きい。
しかし彼らは手際良く応急措置を施し、ノルディが矢継ぎ早に指示を飛ばして手術の準備を
整えながらブリッジの長老たちに緊急連絡を入れる。
ソルジャー・ブルー、帰還。
思いがけない知らせにシャングリラ中に広がってゆく安堵と歓喜の思念の漣。テレポートして
現れたソルジャー・シンですら、大粒の涙を零していた。
やがてブルーはストレッチャーでメディカル・ルームに運ばれてゆき、ハーレイとソルジャー・
シンだけが残される。ここから先はノルディたちの腕に任せるしかない。ブルーの命を繋ぎ止める
ための手術は何時間もかかることだろう。
「…ハーレイ。…ブルーを連れ戻してくれてありがとう」
「ソルジャー…?」
ソルジャー・シンがポツリと口にした意外な言葉に、ハーレイは瞳を見開いた。ソルジャー・
シンは何と言った? 自分がブルーを連れ戻した? …違う。そんなことが出来る筈がない。
第一、自分はずっとブリッジで舵を握っていたではないか。
それなのに、ソルジャー・シンはハーレイに真っ直ぐ視線を向ける。ありがとう、と。
「君がいなければ、ぼくたちはブルーを失っていた。…連れ戻してくれと言っただろう?
ナスカで、ぼくに」
「…えっ?」
あれは夢だと思っていた。混乱の極みの中で自ら紡いだ白昼夢だと。まさか自分は本当に…?
ソルジャー・シンに、ブルーをメギドから連れ戻してくれと懇願したのか…?
「思い切り頭を引っぱたかれたような感じだったよ。あそこに、メギドにブルーが居る。連れ
戻してくれ、ジョミー! とね。それから後はどうなったのか、ぼくにも全く分からない。
…意識を乗っ取られたとでも言うのかな? 君はぼくのサイオンをその意思で支配し、勝手に
使ってブルーを此処まで運んだんだ」
「わ、私には……そんな力は…」
「でも、そうとしか思えないだろう? ぼくはブルーを運んではいない。おまけに意識を失くして
倒れた。ドクターはサイオンの使い過ぎだと言っていたけれど、そこまで使った覚えは無いんだ。
…だけど、ブルーを運んだのなら納得がいく。あれだけの距離を一気に跳ぶのは…とても力を
消耗するから」
淡々と語るソルジャー・シンには結論が見えているようだった。ブルーを救いたいと願う
ハーレイの強い意思の力がタイプ・ブルーの力を凌駕したと。重傷を負ったブルーを仮死状態に
して大量出血を防いでいたのも、ハーレイが無意識にやったことだと。
「ハーレイ。ぼくはこれから忙しくなる。…ブルーにまで手が回らない。君もキャプテンとして
多忙なことは分かっているけど、ブルーを頼むよ」
君の………大事な人なんだろう?
ソルジャー・シンは踵を返してハーレイの部屋を出て行った。ハーレイはふらふらとベッドに
腰掛け、ブルーの体重で窪んだシーツをゆっくりと撫ぜる。
(…知られてしまいましたよ、ブルー…。私があなたに抱く想いを。…私の部屋などに運んで
しまってすみません…。けれど、本当に私がそれをやったのでしょうか? ソルジャー・シンを
操るなどと…)
その実感はまるで無かった。だが、ソルジャー・シンがそう言うのならそれが真実なのだろう。
タイプ・ブルーの力を借りるなど、未だ想像もつかないけども。
それでも、それが事実だとしたら…。
自分はブルーを守れたのだ。今はまだ予断を許さない状態とはいえ、ブルーは戻って来たの
だから。
ノルディたちの長時間に渡る努力と手腕が功を奏して、ブルーの手術は成功した。
銃弾は全て摘出されたが、粉砕された右の瞳は移植再生手術以外に元通りに治す方法が無い。
その手術に耐えられるだけの体力がブルーには無い、と告げるノルディに、ハーレイは拳を白く
なるほど握り締めたが、ブルーが生きているだけで充分なのだ、と懸命に自分に言い聞かせた。
体力を使い果たしたブルーの意識が戻るまでには一ヶ月以上の月日を要し、ハーレイはその
病室に毎日足を運んで、眠り続けるブルーの姿を確認しては祈るようにその手に額をつける。
夜も自分の部屋には戻らず、傍らの簡易ベッドで眠りにつく。
そんな日々を重ね、ブルーの眠りを見守り続けて……ついにその日はやって来た。ブルーが
ジョミーに託した補聴器はこの時に備えて元の持ち主の許へと戻り、その姿はソルジャーの衣装を
着けていないだけで以前と殆ど変わりはしない。
ノルディに呼び出され、ベッドの脇に控えるハーレイの目の前で銀色の睫毛がゆっくりと……
上がる。
(……ハー…レイ……?)
ブルーの唇が形作った自分の名前に、ハーレイは痩せた白い手を強く握った。
「…ブルー、私は此処にいます。…あなたは戻って来たのですよ」
「…………」
片方だけになってしまった赤い瞳がハーレイを見詰め、確かめるように瞬きをして。
『…やっぱり君のサイオンだった…』
伝わって来たブルーの思念に、ハーレイは怪訝な顔をする。何のことを言っているのだろう?
『…ぼくは碧の光を見たんだ。…あのミュウがまた来たのかと思った。でも…ぼくを呼んだのは
君の声だった』
それが限界だったのだろう。ブルーは再び眠りに落ちてゆき、ハーレイはブルーが語った言葉を
思い返してみる。あのミュウというのは誰のことか。この船にいる仲間のことなら、ブルーは
名前で呼ぶ筈なのに…?
ブルーの目覚めは途切れ途切れで、いつその命が消えてしまうかとハーレイは不安で堪ら
なかった。しかしブルーは目覚める度に少しずつ力を取り戻してゆき、ある日、ハーレイに
微笑みかける。
「…ハーレイ…。あまり無理はしなくていいから。ぼくは眠っている時の方が多い」
「何のことです?」
「力だよ。いつもぼくを呼んでいるだろう? 生きてくれ…と。その声が届くと身体に力が満ちて
ゆくんだ。…あれはジョミーにしか出来ないのだと、ぼくは信じていたんだけどね…?」
ふわりと笑ったブルーの思念が、アルテメシアで起きた出来事をハーレイに余すことなく伝えて
くる。サイオンも力も尽きて落ちてゆくブルーの身体をその腕で捉え、「生きて」と願った
ジョミーの思いが自分を生かし続けたのだ……と。
「君にも出来るとは思わなかった。…ぼくが今、生きていられるのは君が願ってくれている
から…。でも、君だって忙しい身だ。ぼくにばかり構っていてはいけないよ」
差し伸べられた手がハーレイの頬に優しく触れる。
「行って。…ぼくはまた眠るから…」
「ブルー?」
すうっ、とブルーの意識が沈んでゆく。眠るまでの間だけ、側にいて…と微かな囁きだけを
残して。
自分の願いがブルーの命を繋いでいると知ったハーレイは、それまで以上にブルーの傍に居る
ようにした。激務の合間を縫って病室を見舞い、夜はブルーの病室で休む。体調が落ち着いた
ブルーが青の間に戻れば、ハーレイの寝台も共に青の間に移された。ソルジャー・シンの命令に
よって。
「…ジョミーは全部知ってるんだね」
勤務を終えて青の間に入ったハーレイを、ブルーの穏やかな笑顔が迎えた。
「君がぼくを生かしていることだけじゃなくて、ぼくたちのことは……全部。さっきジョミーが
教えてくれたよ。恋人を救い出してくれ、とソルジャーを怒鳴り付けたキャプテンの話を」
「私は怒鳴り付けたわけでは…!」
抗議するハーレイに、ブルーが白い指を自分の唇に当てる。
「ほら、怒鳴った。そんな風にジョミーも怒鳴られたんだろうね。…でも…君のサイオンに
包まれた時は嬉しかった。死ぬ間際に見る夢だとばかり思っていたけど、それでも…」
一人ぼっちで死ぬんじゃないんだ、と感じられただけで嬉しかった。
そう呟いて儚く微笑むブルーをハーレイは強く抱き締める。もう二度とこの腕を離しはしない、
とブルーの身体に刻み込むように。
「…苦しいよ、ハーレイ…」
「もっと。…もっと、生きて下さい。いくらでも祈り続けますから。どんなに疲れ果てた時でも、
あなたを想っていますから…」
あなたがまだ弱り切っていなかった頃のように。身も心をも重ね続けて過ごした頃のように、
あなたが力を取り戻すまで…。
そう告げると、ブルーはクスッと小さく笑った。
「…欲張りだね、ハーレイ…。ぼくにそこまで望むのかい…?」
「あなたは望んでらっしゃらないのですか?」
「………。君は……狡い」
フイと顔を背けたブルーの顎を捉えて口付ける。今はまだ、ただ唇に触れるだけ。けれどそう
遠くない日に恋人同士の口付けを交わせる時が来るだろう。
それは願望ではなく、確信だった。ブルーはもっと元気になれる。自分が強く望みさえすれば。
失われてしまった右の瞳も、再生手術の準備が進められていた。ブルーがこの船に戻った
時には、それは不可能だとノルディが判断を下していたし、ハーレイもまた断腸の思いで
その宣告を受け入れたのに。
ブルーの身体は順調に回復し続けていて、じきに元通りになるだろう。片方しかない瞳を見る
度に胸を締め付けられるような思いをするのも、あと少しだけ。
守れなかった自分の不甲斐なさを詫びる度に、ブルーは「ぼくを連れ戻してくれたじゃないか」
と柔らかな笑みを返すのだったが、閉ざされたままの右の瞳がハーレイを映すことは決して
無かった。
それこそが自分の罪な気がして、ハーレイの胸は数え切れないほどの痛みを何度ズキリと
覚えたことか…。
そしてブルーの美しい一対の瞳が蘇る。
麻酔から醒めた紅玉の瞳に映る己の姿に、ハーレイはまた涙ぐんだ。全ての傷が癒えた
ブルーの身体に、もう忌まわしい痕跡は無い。メギドでの惨劇は塗り替えられて、遠い過去の
ものとなったのだ。
ブルーを喪ったと思ったあの日から今日まで、いったい何度泣いただろうか。
けれど、そんな日々ももうすぐ終わる。ブルーの容体は安定していて、生命が危うくなる
ような兆候は無い。その双眸が戻ったからには、次は健康を取り戻せばいい。もう一度、身体を
重ねられるほどに。互いの熱い鼓動と息とを分け合い、心まで一つに溶け合えるほどに…。
「ハーレイ…。君はまた泣いているのかい?」
二つの紅玉が静かに瞬く。
「君がそんなに泣き虫だったとは知らなかったよ」
「…私が泣くのは可笑しいですか? では、泣き顔はこれで最後にしておきます。
その代わり……生きて下さいますね? 私を残して……私の腕が、心が届かない場所で一人
逝ったりはなさいませんね…?」
そう念を押すハーレイに、ブルーは困ったような笑みを浮かべた。
「…届いたじゃないか。腕も、心も」
だから、ぼくはシャングリラに戻って来たんだろう…? 君がジョミーに願ったから。
ジョミーのサイオンを支配してまで、ぼくを連れ戻したいと願ったから…。
「あなたの声が聞こえたからですよ。そして碧の光が見えたと思った。…何度も言っている
でしょう? あの時、あなたも私も奇跡を願った。私はあなたを連れ戻したかったし、あなたは
私に会いたかった。…違いますか?」
「そう……かもしれない」
地球の男を救い出して行った碧の光が羨ましかった。ハーレイが此処に来たのだろうか、と
見誤ったほどのタイプ・グリーン。あのミュウが起こした能力の限界を超える奇跡に、思わず
自分も縋りたくなった。叶うのならばもう一度だけ、自分だけの碧に会いたかった……と。
「……ハーレイ…」
ブルーは両腕を伸ばし、ハーレイはそれを受け止めた。華奢な身体をベッドから起こし、
その腕の中に抱き締める。今はまだこうして抱き締めるだけ。ブルーの体力が完全に戻って
くるまでは…。
ハーレイの温もりに包まれ、夢見るように瞳を閉じたブルーが消え入りそうな声で囁いた。
「ねえ、ハーレイ…。あの時、あのミュウに出会わなかったら、ぼくは此処には戻れなかった。
君の心を引き寄せる程に、会いたいと願わなかっただろうから。……あのミュウは……今、
幸せなのかな…?」
地球の男との戦いは今も続いている。しかし碧のサイオンを持ったミュウの消息は杳として
知れない。生きているのか、実験体として処分されたか、それすらも全く定かではない。
それでも…。
「…ブルー…。ジョミーには全て話してあります。あの男の傍にミュウがいたことも、私が
ジョミーの力を使った切っ掛けがそのミュウが放った碧の光であったことも。……もしも、
あのミュウに出会えたならば…」
悪いようにはならないでしょう、とハーレイはブルーの銀色の髪を愛しげに梳いた。
「あちら側にもミュウがいるなら、対話の糸口になるかもしれない。…あなたが戻ってこられた
ように、奇跡は起こせるものなのですから」
地球を目指して進撃を続けるシャングリラの中で、ブルーはハーレイに守られて生きる。
ハーレイはすっかり過保護になってしまって、ブルーが青の間から外へ出る時には傍らを
決して離れはしない。
「……ハーレイ。もうジョミーだけでなくて、シャングリラ中に知られてしまったみたい
だけれど…?」
ぼくたちがどういう関係なのか、とベッドの上で苦笑するブルーにハーレイは深く口付けた。
「…まだですよ」
唇を離したハーレイが熱を帯びた瞳でブルーを見詰める。
「皆が思っているような繋がりは、まだ持つことが出来ないでしょう? もっと……もっと
元気になって頂かなくては。でなければ…」
私が生きている意味がありません。
あなたが生きていることこそが、私の生きる意味なのですから…。
「…本当に君は欲張りだよね。でも…」
此処に戻ってこられて良かった。…君の腕の中に戻れて良かった…。
そう繰り返すブルーを腕に閉じ込め、ハーレイは今一度、奇跡を願う。願わくば、ブルーが
自分を置いて逝ってしまうことが無いように…。自分がブルーを残して先に逝くことも
無いように、と。
逝くのならブルーを連れて逝きたい。ブルーが逝ってしまうのならば、どうか自分の
命も共に…。
それはシャングリラのキャプテンとして、多分、持ってはいけない願い。この船はまだ戦いの
只中にあり、その果ても見えはしないというのに。
だから、ブルーを置いては逝かない。ブルーにも置いて逝かせはしない。
強い想いは奇跡を起こす。…この戦いを越えて、いつか平和を掴み取るまで……ブルーが
焦がれた青い水の星に辿り着くまで、ブルーを決して離しはしない。
今、腕の中にいる愛しい者を守り抜くためなら幾度でも奇跡を起こしてみせる。タイプ・
グリーンのサイオンにかけて。
あの日、ブルーがその目で捉え、自分の心に送って寄越した奇跡の碧の色に誓って…。
行きましょう、ブルー。
二度とこの手を離しませんから………地球へ。
奇跡の碧に…・了