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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(あっ、赤ちゃん…!)
 可愛い、とブルーが見詰めた親子連れ。学校からの帰りの路線バスで。
 母親に抱かれた赤ちゃんと、幼い娘を膝に座らせた父親と。街に出掛けた帰りなのだろう。良く見える場所に座っているから、つい見てしまう赤ちゃんの姿。
 まだ小さくて、一歳にもなっていないのだろうか。ニコニコ笑顔が可愛らしい。
(トォニィみたいな髪の毛だよ…)
 お揃いの色、と眺めた赤ちゃん。フワフワの巻き毛もトォニィのよう。
 名前はトォニィなんだろうか、と考えたけれど、違った名前。あやす母親が呼んだ名前は、全く違うものだった。トォニィとは似ても似つかない名前。
 けれど、何故だか良く似合う。「あの子はそういう名前なんだ」と。
(みんなトォニィとは限らないよね…)
 あの髪の色で、巻き毛の子供は。
 中にはトォニィもいるだろうけれど、誰もが名付けてしまったら…。トォニィだらけで、きっと困ってしまうと思う。将来、幼稚園に入った時とか、学校に行った時とかに。
(先生が名簿で呼ぶなら、大丈夫だけど…)
 そうでない時、大勢の子供の群れに向かって「トォニィ」と呼んだら、みんなが振り向く。あの髪の色の子たちが、一斉に。
 それは如何にも大変そうだし、トォニィでなくて正解だろう。赤ちゃんの名前。
 本当にトォニィを思わせるけれど。…前の自分が会ったトォニィ、あの子が赤ちゃんだった頃の姿はあんな具合、と。
(今のハーレイに見せて貰ったしね?)
 赤ん坊時代のトォニィの姿。だからそっくりだと思う。本物だったトォニィに。
 可愛いよね、と赤ちゃんを見詰めて、大満足。
 トォニィが赤ん坊だった頃には出会っていないけれども、きっとああいう風なんだよ、と。
 一人っ子で姉はいなかったけれど、両親と一緒で、可愛がられて。



 見惚れてしまっていた赤ちゃん。今は失われた赤いナスカが、平和だった時代を思いながら。
 その内に着いた、自分が降りるバス停。降りようとして席を立ったら、手を振って来た女の子。父親の膝に座った、赤ちゃんの姉。そういえば、その子はこちらを見ていた。何回も。
 挨拶しなきゃ、と「バイバイ」と手を振り返したら…。
「ソルジャー・ブルー!」
 バイバイ、と笑顔が弾けた女の子。「またね」と大きく振られた手。バスから降りても、懸命に手を振っていた。伸び上がって、こちらの方を見ながら。バスが動き出して、走り去るまで。
(…ソルジャー・ブルー…?)
 ぼくが、とポカンと見送ったバス。
 トォニィに似てる、と見ていた赤ちゃんの幼い姉には、ソルジャー・ブルーに見えていた自分。チビだけれども、確かにそっくりだから。銀色の髪も赤い瞳も、髪型だって。
(…それで何度も見てたんだ…)
 自分が弟の方を見ている間に、あの子はあの子で、「あんな所にソルジャー・ブルー」と。
 まだ幼稚園くらいの女の子なのに、「見付けちゃった」と目を丸くして。
 ほんの小さな女の子でも知っていた名前。ソルジャー・ブルーと呼ばれた前の自分の顔も。
(何処から見たって、幼稚園だよ?)
 学校に行くには小さすぎると思うんだけど、と女の子の顔を思い返したけれど。
 よく考えたら、今の自分も幼稚園の頃には知っていた。
 ソルジャー・ブルーという名前を。どういう顔をしていた人かも。
 今の自分の名前は、彼に因んだ名前。アルビノの子供に生まれて来たから、両親が付けた。遠い昔のミュウの英雄、ソルジャー・ブルーの名前を貰おうと。
 けれど、自分の名前が「ブルー」でなくても、さっきの女の子くらいの年なら、もう知っていたことだろう。ソルジャー・ブルーという人のことを。



 ミュウの時代の、青い地球の礎になった偉大なソルジャー・ブルー。
 歴史の授業では必ず習うし、学校に上がる前から何処かで聞く名前。今の時代に生まれたら。
(…大英雄だしね…)
 それにしたって有名過ぎだよ、と溜息をついて帰った家。自分の方では、赤ちゃんのトォニィにすっかり夢中だったというのに、赤ちゃんの姉が見ていたものは…。
(トォニィに似てる弟じゃなくて、ぼくの方…)
 しかもソルジャー・ブルーのつもりだったなんて、と考えてしまう、おやつの時間。母がお皿に載せてくれたケーキを食べながら。
 どうして前のぼくだけが、と。赤ちゃんのトォニィがいたというのに、と。
 トォニィそっくりの弟を自慢すればいいのに、ソルジャー・ブルーの方を見ていた女の子。赤い瞳に銀色の髪で、ただ似ているというだけのことで。
(トォニィだって、英雄だよ?)
 記念墓地にはトォニィの墓碑は無いのだけれども、ミュウの英雄には違いない。ジョミーの跡を継いだソルジャーだったし、ミュウの時代の基盤を築き上げたのだから。
 そのトォニィに似ていた弟、そっちは放ってチビの自分に夢中だった幼い女の子。
(…あの子に小さなお兄ちゃんがいて、その子がジョミーそっくりでも…)
 きっと注目を浴びたのは自分。ジョミーに似ている兄よりも、やっぱりソルジャー・ブルー。
 なんとも酷い、と思うけれども、そうなるのが目に見えている。
(トォニィじゃ駄目で、ジョミーでも駄目で…)
 キースだって、駄目に違いない。ジョミーと同じに英雄だけれど、小さなキースがお兄ちゃんで一緒にいたとしたって、女の子の目が向くのは自分。ソルジャー・ブルーにそっくりだから。
(注目されるの、前のぼくばかり…)
 後の二人のソルジャーの方も、もっと有名でいいと思うのに。
 ソルジャー・ブルーと同じくらいに、ジョミーも、それにトォニィだって。
(一応、人気はあるんだけどね…)
 写真集だって出ている二人。今の時代も人気のソルジャー、ジョミーとトォニィ。
 それなのに、なんで駄目なんだろう、と頬張ったケーキ。
 前のぼくばかり目立たなくてもいいのに、と。トォニィたちにも目を向けてよ、と。



 おやつを食べ終えて、戻った二階の自分の部屋。
 勉強机に頬杖をついて、さっきからの続きを考える。前の自分だけが目立っていること。
(校長先生の挨拶、「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」は定番だけど…)
 下の学校でも何度も聞いたし、今、通っている学校でも。入学式とか始業式の時の、お決まりの言葉。こうして学校で学ぶことが出来るのも、ソルジャー・ブルーのお蔭だから、と。
(…ミュウの時代にならなかったら、学校どころじゃないものね…)
 ミュウは人類に処分されるか、檻に入れられて実験動物にされてしまうか。学校に通うなど夢のまた夢、生きる権利さえも無かったのが前の自分たち。
 確かに前の自分は「始まりのソルジャー」だったのだろう。初代のミュウたちを乗せていた船、それを守って生きたから。守るために命も捨てたのだから。
 そうは言っても、目立ち過ぎだと思う。…こうして記憶が戻って来たら。
 前の自分の跡を継いだジョミーはとても頑張ったのだし、もっと評価をされるべき。ジョミーがしたこと、それは本当に大きくて凄いことだったから。
(SD体制を倒して、自然出産だって…)
 ジョミーが「命を作ろう」と言わなかったら、トォニィたちは生まれていない。赤いナスカで、ミュウの大地で生まれた子たち。
 彼らは揃ってタイプ・ブルーで、あの子供たちがいなかったなら…。
 ミュウが地球まで辿り着くには、長い時間がかかっただろう。ジョミーの代で行けたかどうか、それすらも分からないくらい。
 ナスカの子たちは、誰もがソルジャー級だったから。戦いを有利に進めることが出来たから。



 その子供たちが生まれた切っ掛け、「命を作ろう」というジョミーの宣言。
 完璧な管理出産の時代に、それを実行に移したジョミー。もう一度、自然出産を、と。
(トォニィだって凄いんだよ…)
 初めての自然出産児。もうそれだけで、前の自分よりも凄いと思う。
 母親の胎内で育った子供。SD体制が始まって以来、そんな子供は何処にもいなかったのに。
 そうやって子供が生まれることさえ、人間は忘れかけていたのに。
 生まれからして凄いトォニィ、誕生自体が歴史の節目。機械の時代の終焉の兆し。
(前のぼくだと、ミュウ因子を持っていただけの子供…)
 トォニィと同じタイプ・ブルーでも、全く違う。
 機械が組み合わせた交配で生まれた、偶然と言ってもいい産物。ジョミーも同じで、人工子宮で育てられた子供。あの時代は、それが普通だったけれど。
(でも、トォニィは本物の…)
 お母さんから生まれた子供なんだよ、と考えた所で気が付いた。
 帰りのバスでも「トォニィみたい」と、赤ちゃんを眺めていたけれど。その赤ちゃんより目立つ前の自分はどうなんだろう、と思ったけれど。
(…前のぼく、ちゃんと知っていたっけ…?)
 キースが人質に取ったトォニィ、あの日、格納庫で出会った時に。
 「人質を一人、解放しよう」とキースが無造作に投げた、幼いトォニィを受け止めた時に。
 トォニィがどういう子供なのか。
 どれほどの価値を持っているのか、どうやって生まれた子供なのかを、前の自分は…。



(えーっと…?)
 遠い記憶を手繰ったけれども、まるで気付いていなかった自分。
 「子供が危ない」と守っただけ。満足に動けもしない身体で飛び出しただけ。
 トォニィを庇って床に叩き付けられて、思念波も紡げなかったほど。ナキネズミのレインの力が無ければ、ブリッジに連絡も出来なかったほどに。
 それでもトォニィを腕にしっかり抱えてはいた。「早く手当てをしなければ」と。
 トォニィは酷い怪我をしていて、仮死状態。早く手術を、と祈ったけれども、たったそれだけ。腕の中にいる幼い子供が、何者なのかは知らなかった。医療班が駆け付けて来るまで、ずっと。
(だったら、いつ…?)
 いつなのだろうか、ナスカの子たちの正体に気が付いたのは?
 医療班はトォニィと自分をメディカル・ルームに搬送しただけ、彼らから何も聞いてはいない。もちろんドクター・ノルディからも。
 何も聞かされた覚えは無いというのに…。
(フィシスに会いに行った時には…)
 もう知っていた。
 赤いナスカで、あの子供たちが生まれたことを。
 自然出産で生まれたのだと、トォニィの他にも、母の胎内から生まれた子たちがいるのだと。



 けれど、全く記憶に無い。
 フィシスに会った時には知っていた子たち、彼らに会った記憶が無い。トォニィにだって、その正体を知った後には…。
(…会っていないよ?)
 それなのに何故、前の自分は、トォニィたちのことを知っていたのだろう。誰からそれを聞いていたのか、まるで記憶に残っていない。
 どうしてだろう、と考え込んでいたら、仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれた。チャイムを鳴らして、「よう」と笑顔で。
 きっとハーレイなら知っている筈、と早速、切り出したトォニィたちのこと。テーブルを挟んで向かい合わせで。
「ねえ、ハーレイ…」
「なんだ?」
「前のぼく、ナスカの子たちに会っていないよ」
 トォニィには格納庫で会ったけれども、他の子たちには。
「何を言うんだ、会っただろうが。…メギドの炎を防いだ時に」
 どの子も揃っていたじゃないか。それをジョミーに託してしまって、お前は一人きりでメギドに行っちまったんだ。
 …誰にも応援を頼みもしないで、たった一人で。
「その前だよ…!」
 まだシャングリラもナスカも無事だった頃だよ、逃げたキースが戻って来る前…。
 その時のぼくは、自然出産で生まれた子供たちのことは知っていたけど、会っていなくて…。
 SD体制始まって以来の、初めての自然出産児だなんて、とっても凄いことなのに…。
 会ってみたいと思う筈なのに、どうして会っていないんだろう?
 ぼくに話をしてくれた人は、あの子供たちに会わせようと思わなかったわけ…?
 会わせるつもりが無いんだったら、話す必要、無さそうなのに…。
「おいおい…。そんな酷いことを考える筈が無いだろう」
 本当だったら、前のお前に一番に知らせたいほどのニュースなんだぞ、トォニィのことは。
 お前が目覚めたら話したかったし、前の俺だってそのつもりで…。
 いや、待てよ…?



 そういやそうか、と翳ってしまったハーレイの顔。ほんの一瞬だったけれども。
 「結果的には、そうなっちまったのか…」と、小さな溜息を一つ零して。
「…前のお前には、報告しかしていなかったんだ。目覚めた後は」
「え?」
 目覚めた後って…。どういうこと?
「起きる前なら、話していたということさ。…眠り続けていたお前にな」
 お前の所を訪ねた時には、全部話した。カリナが身ごもった時から何度も、眠るお前の枕元で。
 ゆりかごの歌も歌ってやったろ、トォニィのための子守歌だったからな。
 …いつかお前が目覚めた時には、ゆっくり話そうと思っていた。俺がこの目で見たことを。
 もちろん、あの子供たちも紹介して。
 だが、前のお前が目覚めた時には、トォニィは重傷を負っていただろう。意識も無かった。他の子たちはナスカにいたし…。
 そんな時だったから、「実は、あの子たちは…」と報告がてら話しただけだ。
 前のお前を、ゼルたちと一緒に見舞った時に。
「…そうだったっけ…」
 ホントだ、ハーレイが言う通りだよ。
 前のぼくは自然出産のことも、子供たちのことも、聞かされただけ…。
 キースが船で起こした騒ぎや、脱出したキースを連れて逃げたミュウがいた話と一緒に…。
 それにカリナが死んじゃったことや、シャングリラの被害状況とかも…。



 すっかり忘れてしまっていた。前の自分がナスカの子たちの存在を知った時のこと。
 他の色々な報告と一緒に、自然出産の子供が七人、生まれたのだと聞いただけ。
 トォニィもそうだと知ったけれども、重傷だったから面会謝絶。会ったとしても話は出来ない。他の子供たちは、あの時には、まだナスカの自分の家にいたから…。
(ナスカ、船からでも見られる力は持っていたけど、使えなくて…)
 十五年もの長い眠りから覚めたばかりの弱った身体は、サイオンを自在に使いこなせなかった。船からナスカを見られるほどには。
 充分に回復していたのならば、どんな子たちか見られただろうに。…青の間から。
 けれど出来ずに、「そういう子たちが生まれたのだ」とだけ知った。
 SD体制始まって以来、初めての自然出産児。母の胎内から生まれた子供。ミュウという種族の未来を担う子。
(幸せに育って欲しい、って…)
 一番初めに考えたことは、それだった。
 記念すべき自然出産児の子供たちの未来に、幸多かれと。幸せな未来を掴んで欲しいと。
 会えたら彼らを祝福しようと、この目で見たいと強く願った。
 トォニィの怪我も跡形も無く治るようにと、目覚めたら話し掛けたいと。
 「はじめまして」と、「君がトォニィ?」と。
 自分に残された時間が少ないことは悟っていたのだけれども、ミュウの未来を生きる子だから。



 最初は本当にそうだった。…トォニィにも、他の子供たちにも、会って話をしたかった。
 そう思ったのに、次々と昏睡状態に陥った子たち。治療のためにと、ナスカからシャングリラに運び込まれて来た子供たち。
 それで気付いた異変の兆候。フィシスが恐れた不吉な風。…赤いナスカに死の風が吹く。
(変動の予兆なんだ、って…)
 眠り続ける子供たち。彼らの眠りが示しているのは、ナスカに訪れるだろう滅びの時。
 そう思ったから、子供たちを見舞いに出掛けなかった。
 彼らの誕生を知った時には、姿だけでも船から見たいと願ったのに。会って話したかったのに。
 今、出掛けたなら、眠る彼らを見られるのに。
(…だけど、あの子たちは…)
 次の時代を生きてゆく子たち。これから訪れる破滅を乗り越え、ミュウの未来へゆく子供たち。
 彼らはこれから生きてゆくのだ、と考えただけで竦んだ足。
 下手に会ったら、きっと泣き出すだろうから。…眠る子供たちを見ただけでも。
(ぼくの命は尽きるのに…)
 ナスカで尽きる予感がするのに、子供たちはミュウの未来を生きる。
 自分の旅は此処で終わって、青い地球へは行けないのに。青い星は夢で終わるのに。
 けれど、トォニィたちの命はこれから。
 ミュウの未来を生きて、生き抜いて、きっと地球まで行くのだろう。
 そんな彼らには、とても会えない。
 彼らの未来が羨ましすぎて、泣き出すことが分かっているから。
 その場では涙を堪えたとしても、青の間に一人、戻った途端に、涙は堰を切るだろうから。



 会えはしない、と思った子たち。自分は見られない、青い地球まで行く子供たち。
(あれって、嫉妬してたんだよね…)
 未来を生きる子供たちに。寿命が尽きる自分と違って、輝かしい未来を持つ子供たちに。
 今から思えば、我慢して会っておけば良かった。一人一人に祝福の言葉を贈るべきだった。前の自分が妬んだ子たちは、七人揃って地球には着けなかったから。
(…アルテラも、コブも、タージオンも…)
 地球を見ないで逝ってしまった。ミュウの未来を作るためにだけ、戦って暗い宇宙に散った。
 彼らにも夢があっただろうに。
 あんな時代に生まれなかったら、子供らしく生きて育ったろうに。
 今の自分が、こうして生きているように。両親に愛されて、幸せに育って来たように。
 なのに、未来が無かった彼ら。…前の自分が嫉妬した未来、それを持ってはいなかった子たち。
 ああなるのだったら、前の自分は、なんと酷いことをしたのだろう。
 「あの子供たちには未来があるから」と、嫉妬して会わなかっただなんて。
 会えば自分が辛くなるから、顔を出しさえしなかったなんて。
 本当だったら、誰よりも先に、言葉を贈るべきだったのに。
 前の自分が後継者にと選んだジョミー、彼が望んで生まれた子たち。ミュウの未来を担ってゆく七人の子供たち。
 ミュウの未来をよろしく頼むと、ジョミーと一緒にどうか地球へと、頼むべきだった子供たち。
 それをしないで、前の自分は殻の中に一人、籠っていた。
 自分は行けない地球を見る子たち、彼らには未来があるのだから、と。



 なんとも、みっともない話。…前の自分の、ソルジャー・ブルーとも思えない行動。
 どうしようかと迷ったけれども、抱えていても仕方ない。それに自分は生まれ変わりで、弱虫でチビの子供だから、と今のハーレイに打ち明けた。「ホントはね…」と。
「…前のぼく、トォニィやナスカの子たちに、会えるチャンスがあったのに…」
 話をするのは無理だったけれど、お見舞いだったら行けたのに…。
 だけど行かずに、放っておいてしまったんだよ。…あの子たちは地球に行くんだから、って。
 ぼくは見られない地球を見られる、幸せな子供たちだから、って…。
 みっともないよね、ホントに酷い…。自分のことしか考えてなくて、おまけに嫉妬…。
 あの子供たちは、揃って地球には行けなかったのに…。アルテラたちは死んじゃったのに…。
「みっともないって…。それが普通だろ?」
 人間としては、ごくごく普通の感情だ。自分よりも恵まれているヤツが、羨ましいと思うのは。
 この野郎、と思っちまうのも。
 相手が小さい子供だろうが、やっぱり考えちまうだろうが。「お前は幸せでいいよな」と。
 人間たるもの、そうでなくちゃな、いくらソルジャー・ブルーでも。
 ミュウの初代のソルジャーだろうが、人間には違いないんだから。
「…それが普通って…。本当に…?」
 今のぼくなら仕方ないけど、前のぼくはソルジャーだったんだよ?
「だからこそだな、普通な部分も持っていないと辛いじゃないか。お前自身が」
 お前も最後に人間らしく嫉妬してたか、と俺は嬉しく思っているぞ。
 何の未練も無かったみたいに、真っ直ぐに飛んでっちまったから…。
 もう戻れないと分かっていたのに、前の俺まで捨ててしまって、メギドへな。
「……ごめん……」
 ホントにごめんね、ハーレイを置いて行っちゃったこと…。独りぼっちにしちゃったこと。
 どんなに辛いか考えもせずに、ぼくの形見も残さないで…。
「謝るな。…とっくに終わったことなんだからな」
 それに、あの時は、あれが最善の道だと俺も思っていたんだし…。
 後からよくよく考えてみれば、道は他にも幾つもあった筈なんだがな。



 俺だって選択を誤ったんだ、とハーレイは優しく慰めてくれた。「お前だけじゃない」と。
 「前のお前の嫉妬の方が、選択ミスとしては、よっぽどマシだ」と。
「…お前は子供たちに言葉を贈り損なっただけで、嫉妬も人間にはありがちだが…」
 前の俺のミスは、それどころじゃない。…前のお前を失くしちまった。
 ナスカに残ろうとした仲間たちも大勢喪ったわけで、キャプテンの判断ミスの結果だ。あの時点ではベストを尽くしたつもりでいたって、今から思えば痛恨のミスというヤツなんだから。
 アレに比べりゃ、前のお前の嫉妬くらいは可愛いモンだな。
 そういや、お前…。
 あの子たちのことは、殆ど知らんか。…今のお前が知っているだけで。
「シャングリラでは会わないままだったけれど、ちゃんと会えたよ?」
 メギドの炎を受け止めた時に、ナスカの上空で。
 いきなり成長しちゃっていたから、トォニィ以外は小さかった頃を知らないけれど…。
 それでも一人残らず会えたし、気を失ってた子供以外は声も聞けたよ。
 …ペスタチオとツェーレンは、ジョミーが連れて帰る前には、ぼくが抱えていたんだから。
「だが、その程度しか知らんだろうが。…直接はな」
 お前が知ってる、あの子たちが生まれてからのこと。トォニィも、それにアルテラたちもだな。
 色々なことを知ってる筈だが、それは知識で記憶じゃない。
 今の俺が教えてやったこととか、歴史の授業で習ったことが殆どを占めているんじゃないか?
 お前が直接目にしたものは、ほんの少ししか混ざってなくて。
「…そうなのかも…」
 トォニィだって、会ったのは二回だけだったし…。他の子たちは一回きりだし…。
「もったいないなあ、歴史的な時に生きてたのにな」
 SD体制始まって以来の、初めての自然出産児だぞ?
 前のお前が起きてさえいれば、歴史的瞬間に立ち会えたのに…。
「そうだね…」
 生きていたけど、見損ねちゃったね。…人の歴史が変わる所を。
 人間が人工子宮からじゃなくって、お母さんのお腹から生まれる時代に戻ってゆくのを…。



 前の自分は同じ時代に生きていたのに、眠っていたから何も知らない。
 ジョミーが命を作ろうと決めて、それが実行に移されたことも。自然出産の子供たちがナスカで生まれたことも。
 最初に生まれたトォニィに会っても、その特別さに気付かなかった前の自分。どういう生まれか知っていたなら、もっと大切に抱き締めたろうに。…格納庫で救助を待つ間に。
 「この子が本物の子供なのか」と、「母親の胎内から生まれた子か」と。
 身動きも出来ないほどに弱っていたって、残った力で撫でたり、頬をすり寄せたりもして。
「…前のぼく、ホントに、もったいないことしちゃったね…」
 トォニィが生まれる前から起きていたなら、とてもワクワクしたんだろうに…。
「まったくだ。あの時の賑やかだった空気を知らないなんてな」
 ナスカに入植した時以上に、船も、地上もお祭り騒ぎという有様だ。子供が生まれるんだから。
 俺たちは日々、カリナの出産を心待ちにしていたわけでだな…。
 ん?
 駄目だな、お前は知らなかった方が良かったんだな。…眠ったままで正解だった。
「知らなかった方がいいって…。何を?」
 もったいないって先に言ったの、ハーレイじゃない。なのに、知らなくていいなんて…。
「知らない方がいいことも、世の中には色々あるからな」
 トォニィが生まれた時のことだ。そいつが大いに問題で…。あれは、お前じゃ耐えられないぞ。
「耐えられないって…。何に?」
「出産の痛みというヤツだ」
 凄かったんだ、とハーレイは顔を顰めるけれど。
「何、それ…?」
「だから痛みだ、出産の時の。…トォニィが生まれて来た時のな」
 歴史の授業じゃ、其処まで教えないからなあ…。医者になるための学校だったら別だろうが。
 トォニィを産む時にカリナが味わった痛み、それが俺たちを襲ったってな。
 実は、病室にノルディが張らせた、思念波シールドが破れちまって…。



 病人や怪我人の苦痛を外の人間が共有しないようにと、ノルディが開発した技術。それが思念波シールドだった。サイオンを持つミュウは、手を打たなければ苦痛も共有してしまうから。
 カリナの出産の時にも張られたけれども、不足していたシールドの強度。ノルディが読んだ古い医学書、それに基づいて設定された数値は弱すぎた。
 自然出産が普通だった時代の人間が書いた医学書なのだし、書き手の経験で記された中身。この程度だ、と書かれた内容、ノルディも「そういうものだ」と思った。シールドを設定する時に。
 けれど、違っていた現実。自然出産が消えた時代の人間には、予測不可能だったのが痛み。
 思念波シールドは破れてしまって、皆が痛みを共有した。
 それはとんでもない苦痛というのを、ハーレイもエラも、ゼルも、ジョミーたちも。
 トォニィが無事に生まれて来るまで。…元気が産声が上がった瞬間まで。



 あれは酷かった、とハーレイはフウと大きな溜息をついた。
「お前、寝ていて良かったな。…本当にな」
 もしも、お前が食らっていたなら、残り少なかった命の焔が消し飛びかねん。
 せっかくトォニィが生まれて来たって、俺たちはソルジャー・ブルーを喪うわけで…。
「前のぼくが痛みで死んじゃうだなんて…」
 そんなに凄い痛みだったの?
 前のぼくならソルジャーだったし、アルタミラでも酷い目に遭ったし、痛みに強そう…。
 だけど、駄目なの?
「それを言うなら、前の俺やゼルだって、アルタミラからの生き残りだぞ?」
 長い年月が経ってはいたが、普通よりかは痛みってヤツに強かったかと…。
 だが、アレは駄目だ。…痛みの質が違うってな。
 いかん、思い出したら、なんだか痛くなって来た。今の俺の記憶じゃないっていうのに。
「今のハーレイでも、やっぱり痛いの?」
 柔道だったら投げられたりもするから、今度も痛みに強そうなのに…。
「言っただろうが、痛みの質が違うんだと。…そういった類の痛さとはな」
 尋常じゃないぞ、あの痛みは。
 しかしだ、今は自然出産の時代なんだし…。
 俺のおふくろも、お前のお母さんも、同じ思いをしてくれたんだな…。俺たちのために。
 カリナがトォニィを産んだ時のと、同じ痛みを味わって産んでくれたってことだ。
「そうなるよね…。ぼくもハーレイも、今は本物のママなんだから…」
 だったら、ぼくも知りたいよ。
 前のハーレイたちが共有した痛み、どんなのか、ぼくも知りたいんだけど…!
「おい、お前、今は弱虫だろうが」
 ついでにチビだし、あんなのを食らったら気絶するぞ。…聖痕でも気絶してただろうが。
「あれも痛かったから、大丈夫だよ」
 少しくらいなら、きっと平気だと思うから…。
 ハーレイが今も覚えてるんなら、ちょっとだけ…。
 ほんのちょっぴりでかまわないから、ぼくにも記憶を見せて欲しいな。



 お願い、と頼み込んで、ハーレイに絡めて貰った褐色の手。
 フィシスの地球を見ていた時と同じ要領で、前のハーレイの記憶を送って貰ったけれど…。
「いたたた…!」
「ほら見ろ!」
 言わんこっちゃない、とパッと離されたハーレイの手。「痛かったろうが」と。
「…うん、痛かった…」
 お腹がとっても、と手を当てていたら、「これからだぞ?」と笑うハーレイ。
「今のは、ほんの序の口だってな」
「…まだ酷くなるの?」
「そういうことだな。生まれるまでは、もう酷くなる一方で…」
 どんどん痛くなっていくんだが、続き、見てみるか?
 今は俺から手を離したが、もっとしっかり握ってやるから。…お前が逃げられないように。
「…見てみたい気はするけれど…。でも…」
 気絶しちゃったら、ママが困るし…。病院にだって、連れて行かれるかもしれないし。
「賢明だな。…好奇心だけで見るというのも感心しないし」
 なにしろ、俺のおふくろや、お前のお母さんも味わった痛みなんだから。
 それにカリナは、あんな痛みに耐えてトォニィを産んだんだ。…本当の命を作るためにな。
 チビのお前は、今のヤツで充分だろうと思うが…。
 いつか、俺が気絶したお前の面倒を見てやれるようになったら、味わってみるか?
 痛いとはいえ、貴重な体験には違いない。トォニィ誕生の時の記憶だからな。
 俺以外には誰も知らんし、痛みは記録出来ないんだから。
「…考えとく…」
 さっきの、とっても痛かったから…。
 もうちょっとアレが酷くなったら、本当に気絶しそうだから…。



 今のぼくは前より弱虫だもの、と肩を震わせたけれど、いつかハーレイと結婚したら。
 同じ家で二人で暮らし始めたら、その時は…。
 気絶しても面倒を見て貰えるなら、記憶の続きを見せてくれるように頼んでみようか。
 少しだけでも本当に酷く痛かったけれど、今の時代は、自然出産の時代だから。
 命はあれと全く同じに、紡がれて生まれて来るのだから。
 本来の出産の形だったのに、SD体制の時代は消えていたのが自然出産。
 カリナがそれを取り戻したから、出産は元の姿に戻った。人間が機械に統治される時代、それも自然出産児だったナスカの子たちの力のお蔭で崩壊した。
 あの子供たちがいなかったならば、出来ていないこと。ジョミーとキースの力だけでは。英雄と呼ばれる前の自分が、ソルジャー・ブルーがいただけでは。
 だからこそ、しっかり見ておきたいという気持ちがする。トォニィを産んだ時のカリナの痛み。前のハーレイたちが味わったという、苦痛の記憶を。



(本当の英雄、前のぼくじゃなくって、カリナかもね…)
 今も語られるソルジャー・ブルーなどではなくて、トォニィを生み出した母親のカリナ。
 其処から歴史が始まったから。…本当の意味でのミュウの歴史が。
 人工子宮から生まれた子供ではなくて、母親の胎内で育まれた子供。本物の子供。
 今の自分も、ハーレイもそうやって生まれて来たから、英雄はカリナかもしれない。
 人が人らしく生きてゆく世界、それを取り戻した切っ掛けの英雄。
(…英雄の座なら、いつでも譲ってあげるんだけど…)
 ジョミーやトォニィにも譲りたいけれど、カリナにだって。
 心からそう思うけれども、カリナが聞いたら断られそうな気がしないでもない。
 カリナにとっては、前の自分が、きっと英雄だろうから。
 赤いナスカへ皆を導いたソルジャー、ジョミーを連れて来た英雄。一番最初のミュウたちの長。
 そんな所だ、と思うから…。
(困っちゃう…)
 ホントに厄介、と竦めた肩。
 誰に英雄を譲ろうとしても、どうやら難しそうだから。
 けれども、今の自分は普通の子供なのだし、良かったと思う。
 ソルジャー・ブルーにそっくりなだけの、アルビノなだけの、ただのブルー。
 もう英雄でも何でもないから、ハーレイと二人で幸せに生きてゆけばいい。
 いつかハーレイと結婚式を挙げて、何処までも一緒。
 気絶したって、ハーレイが「大丈夫か?」と面倒を見てくれる、幸せな日々が来るのだから…。




             本物の子供・了


※前のブルーが格納庫でトォニィを受け止めた時は、知らなかった自然出産児だということ。
 そして報告を受けても、ナスカの子たちには会わなかったのです。彼らの未来に嫉妬をして。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









 

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(最古のペット…)
 ふうん、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 ペットは色々いるのだけれども、どの動物が一番昔から人間の側にいるか、という内容の記事。人間が地球しか知らなかった頃から、一緒に暮らしていた動物。
(猫と犬…)
 よく知られたのは、その二つ。絵や彫刻が見付かっていたのも猫と犬。今の時代も人気は高い。
 ペットとしての歴史の中では、猫に軍配が上がるという。愛玩動物だったから。ネズミの駆除もしたのだけれども、人間に可愛がられた動物。餌を貰って、家の中で人間と一緒に暮らして。
 犬は実用的な動物、元々は狩りのパートナー。獲物を追うのに便利だったし、家の番だってしてくれる。夜の間に恐ろしい動物がやって来たなら、激しく吠えて。人間に危険を知らせてくれて。
 猫か犬かのどちらかだろう、と思われがちな最古のペット。
 けれど…。
(ホラアナグマ…)
 石器時代の洞窟の中から、飼育跡が見付かったのがホラアナグマ。猫や犬よりずっと昔で、まだ人間が文字さえも持っていなかった頃に飼った動物。
 ただし、ホラアナグマは大きな動物だった。アナグマと違って、体長は三メートル近い。とうに絶滅していたらしくて、温厚だったか獰猛だったか、それは分からないそうだけれども。
 あまりにも大きいホラアナグマ。猫や犬とは比較にならない。
 だから飼育した跡があっても、ペットかどうかは分からなかった。牛や豚のように、食べようとして飼っていた可能性だって高いのだから。子供の頃から育てておいたら、沢山の肉が手に入る。
(結論は…)
 出ないままに地球が滅びておしまい。
 様々な研究をしに出掛けようにも、とても調査は出来なかった地球。
 大気は汚染され始めていたし、古い遺跡を調べたくても、調査には危険が伴ったから。



 そうやって地球は滅びてしまって、次にやって来た機械の時代。SD体制が敷かれた時代は…。
(管理社会…)
 出産さえも機械がコントロールしていたほどだし、ある意味、人間が機械のペット。
 機械が統治しやすいようにと多様な文化も消してしまって、記憶処理だって当たり前。何もかも機械の都合で決められ、人間はそれに従っただけ。機械が命令するままに生きて。
(ホントに機械のペットだよ…)
 一般社会で暮らす者たちも、軍人たちも。猫や犬とまるで変わらない。
 ネズミを駆除して生きる代わりに社会を守るか、猟犬や番犬がそうだったように、機械に反旗を翻す者を狩ったりすることを仕事にするか。…人間の姿をしていただけの猫や犬たち。
 SD体制の時代の人間たちは、そういう位置付け。彼らが気付いていなかっただけで。
 けれど機械は知っていたから、ペットの研究をされては困る。最古のペットでも、可愛がられる愛玩動物の方のペットでも。
 深く研究されてしまったら、人間も実はペットなのだと気付かれるから。
 何かのはずみで「我々もそうだ」と見破られたら、綻びが生じるSD体制。最初はほんの小さな切っ掛け、其処から穴が広がってゆく。蟻の穴から堤が崩れてゆくように。
(それで研究されないまま…)
 機械が良しとしない研究、そんなものを手掛ける学者はいない。教える学校もあるわけがない。
 ペットはペットで可愛がるだけ、深く考えたりせずに。猫でも犬でも、他の動物でも。
 そういう風に機械が仕向けていたから、途絶えてしまったペットの歴史を探る研究。技術は進歩していたのに。有毒な地球の大気の中でも、その気になったら発掘は可能だったのに。
 誰も研究しなかったせいで、最古のペットは分からないまま、地球は激しく燃え上がった。SD体制の崩壊と共に、地震と火山の噴火が起こって。
 遺跡も当然失われたから、もう不可能になった研究。何も残っていないのでは。



 分からなくなった最古のペット。猫だったのか犬か、それともホラアナグマだったのか。
 誰も答えを出せはしないし、研究だってもう出来ない。手掛かりは何処にも無いのだから。
 でも…。
(ナキネズミ?)
 思いがけない動物の名前が一番最後に載っていた。前の自分が馴染んだ動物、白いシャングリラではお馴染みだったナキネズミ。あの船の中でミュウが開発した動物。リスとネズミから。
 どうして名前が出て来るのだろう、と記事を読んだら、載せる理由は確かにあった。
 人類はともかく、ミュウの時代の最古のペットは、ナキネズミだと書かれた記事。今では人間は誰もがミュウだし、最古のペットではあるだろう。ミュウという種族が飼っていたペット。
 今は滅びた動物だけれど、遠く遥かな時の彼方で白いシャングリラで生きたナキネズミ。
 初代のミュウたちを乗せていた船で、ミュウの歴史の始まりの船で。
 そんなわけだから、ナキネズミだって最古のペットという扱いになるらしい。今の時代では。
 確かにあれが最初だったと、ミュウが飼い始めた一番古いペットだった、と。



(うーん…)
 間違ってはいないと思う、と戻った二階の自分の部屋。おやつを食べ終えて、新聞を閉じて。
 ナキネズミもペットだと言われてみれば、そうなのだろう。白いシャングリラに猫や犬などは、本物のペットはいなかったけれど。
 自給自足で生きてゆく船に、本物のペットを飼う余裕などは無かったから。
 船にネズミは出ないのだから、駆除するための猫は要らない。猟犬も番犬も、出番など無い。
 不要な生き物は乗せなかった船がシャングリラ。生き物を飼うには、様々な物が必要だから。
(幸せの青い鳥だって…)
 たった一羽の小鳥でさえも、飼えなかったのがシャングリラだった。誰も許しはしなかった。
 それがソルジャーの望みでも。前の自分の夢の小鳥で、地球への憧れを託す青い鳥でも。幸せを運ぶ鳥だというから、欲しかったのに。地球の青色を纏った鳥が。
(鳥など何の役にも立たんわ、って…)
 ゼルにバッサリと切り捨てられた青い鳥。
 同じ理屈で、蝶さえも飛んでいなかった船。花が咲いてもミツバチだけ。空を飛ぶのもミツバチだけで、鳥の影すらも無かった船。
 青い小鳥を飼えなかったから、せめてと選んだ青い毛皮のナキネズミ。
 何種類かの毛皮のナキネズミたちがいたのだけれども、「この血統を育ててゆこう」と青いのに決めた。前の自分が。
 青い小鳥は飼えないのだから、青い毛皮のナキネズミで我慢しておこう、と。



 そうやって生まれたナキネズミ。青い毛皮を持った血統のだけを繁殖させて。
 彼らは船の中を自由に歩いて、ミュウの仲間たちと思念で会話をしていたけれど。
(ナキネズミだって…)
 愛玩動物の方ではなくて、実用的なペットだろう。犬と同じで、仲間たちの役に立つペット。
 あれを開発した目的からして、そうだったから。思念波を上手く扱えない子供たちの思念を中継するよう、パートナーになって生きるようにと。
 ナキネズミは可愛らしかったけれど、撫でたりするためにいたのではない。思念波の中継をするために作り出されて、船で飼われていた動物。愛玩用ではなかったのだ、と考えたけれど。
 誰もナキネズミを愛玩用に飼ってはいなかったよね、と遠く遥かな時の彼方を思ったけれど…。
(違ったっけ…!)
 そうじゃなかった、と蘇って来た前の自分の記憶。シャングリラにいたナキネズミ。
 さっきの新聞にあった記事では、ミュウの最古のペットの動物。初代のミュウたちが飼っていたペット。愛玩動物ではなかったけれども、愛玩用のナキネズミもいた。
 ほんの初期だけ、ナキネズミという動物が生まれて間もない頃だけ。
(試作品ってわけじゃないけれど…)
 色々な色や模様の毛皮を持って生まれたナキネズミたち。交配していた血統によって、真っ白な毛皮や、黒や、ブチやら。
 飼育室のケージには何種類もいて、どれも性質は全く同じ。毛皮の色が違っただけ。前の自分が「これにしよう」と選んだ青い毛皮のとは。
 青い毛皮を持っていなかったナキネズミたちは、「青いのを育てる」と決まった時点で、飼育室から出ることになった。其処にいたって、意味が無いから。開発は終わったのだから。
 何匹もいた、青い毛皮の血統以外のナキネズミ。
 彼らは愛玩動物になった。思念波で会話が出来るペットで、希望者が部屋で飼える生き物。
 「飼いたい」と名乗りを上げたなら。「一匹欲しい」と声を上げたら。



 もう開発は終わったから、と飼育室から出されたナキネズミたち。白や茶色や、黒やブチやら、個性豊かな毛皮を纏っていた彼ら。
 どのナキネズミも、希望者が端から引き取って行ったのだけれど…。
(凄い人気で…)
 希望者がとても多かった。なんと言っても、ペットを飼うことが出来るのだから。
 おまけに、毛皮の色こそ様々だけれど、思念波で会話が出来る動物。猫や犬とは全く違って。
 きちんと世話さえしてやったならば、一緒に暮らせる小さな友達。まるで人間の友達みたいに、色々な話が出来る友達。…少し言葉がたどたどしくても。人間とは姿が違っていても。
 ナキネズミがどういう動物なのかは、とうに誰もが知っていた。開発中だった段階で。
 それを一匹貰えるのだから、大勢の仲間が「欲しい」と名乗り出たナキネズミ。配れる数より、遥かに多い人数が。ナキネズミの数を軽く上回るほどの仲間たちが。
(…あれって、クジ引きだったっけ…?)
 誰がナキネズミを貰うことにするか、決めるクジ引き。希望者たちは全員、クジを引く。それに当たれば一匹貰えて、ペットが飼えるという仕組み。
(白とか、茶色とかだって…)
 最初からクジに書いておいたら、恨みっこなし。どのナキネズミが当たっても。
 クジ引きと言えば、薔薇の花びらから作られたジャムもクジ引きだった。少しだけしか作れないジャム、全員にはとても行き渡らない。いつもクジ引き、ブリッジの仲間も引いていたクジ。
 ナキネズミが当たるクジ引きの方が、薔薇のジャムより先だったことは間違いないけれど。
(…シャングリラで何かを決めるんだものね?)
 投票で決めたわけでないなら、クジ引きをする方だろう。ナキネズミが欲しい仲間はクジ引き。
 そうだった筈、と思うけれども…。



(ナキネズミ希望の仲間のクジ引き…)
 きっと賑やかだっただろうに、そのクジ引きが記憶に無い。
 クジ引き会場の光景はもちろん、いつやったのかも、まるで全く。…ほんの小さな欠片さえも。
 当たったと喜ぶ仲間たちの顔も、貰ったナキネズミを抱いて帰ってゆく姿も。
(でも、ナキネズミ…)
 青い毛皮のナキネズミ以外は、仲間たちのペットになった筈。
 飼っていた仲間は確かにいた。白や茶色や、ブチの毛皮のナキネズミたちを。
 公園で遊ばせている姿をよく見掛けたし、肩に乗っけていた仲間だって。ずっと後にジョミーがそうしたように。「仲良しなんだ」と一目で分かる微笑ましさ。
 けれど、そうなる前の過程がスッポリ抜け落ちてしまった記憶。あのナキネズミたちの配り方。希望者たちでクジを引いたか、それとも他の方法だったか。
(ナキネズミ、どうやって配ったの?)
 大人数だった希望者たちは、様々な毛皮のナキネズミたちをどんな方法で分けたのだろう。皆で公平にクジ引きしたのか、もっといい方法があったのか。
 いくら考えても思い出せない。ナキネズミを分けた方法が。それをしていた会場さえも。



 ホントに忘れてしまったみたい、と遠い記憶を探っている間に、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、訊いてみようと考えた。
 前のハーレイはキャプテンなのだし、船のことには詳しい筈。ナキネズミを配った方法だって、きっと覚えているだろうから。
 まずナキネズミの話をしないと…、と持ち出した最古のペットの話題。
「あのね、ハーレイ…。一番古いペットは何か知ってる?」
 人間が最初に飼い始めたペット。…今はペットも色々いるけど。
「猫だろ、でなきゃ犬だよな。どっちも長い歴史があったと聞いてるし…」
 他にも「これじゃないか」と名前が挙がった動物はいたが、結局、結論は出なかった。
 研究が進んで答えが出るよりも前に、地球が滅びてしまったからな。
「そうなんだけど…。ハーレイが言ってる通りだけれど…」
 今日の新聞で読んだんだけどね、ナキネズミが一緒に載ってたよ。あれも最古のペットだって。
「はあ? ナキネズミが最古のペットって…」
 どうすりゃそういうことになるんだ、あれは新しい生き物だぞ?
 前の俺たちの船でリスとネズミから作ったわけで…。
 最新のペットだと言うなら分かるが、最古のペットと言われてもなあ…。
「ぼくもビックリしたけれど…。でも、本当に最古のペットだったよ」
 人間のペットとしては新しいけど、ミュウが飼い始めた最初のペット。だから一番古いんだよ。
 ミュウにとっては最古のペットで、それまではミュウがいないんだから。
「なるほどなあ…。一番最初のミュウが飼ってりゃ、そうなるな」
 あのナキネズミが最古のペットか、面白い話もあるもんだ。だが、違いないな、その説で。
 ミュウの最古のペットとなったら、ナキネズミということになるよな…。



 新しく作った動物でもな、と愉快そうに笑っているハーレイ。「あれが最古か」と。
 ナキネズミの記憶は充分に戻って来ただろうから、「それでね…」と疑問をぶつけてみた。
「あのナキネズミ、どうやって配ったんだっけ?」
「…配る?」
 なんのことだ、とハーレイは怪訝そうな顔。「あれは配っていたんじゃないが」と。
 思念波の扱いが下手な子供たちのパートナーとして、一匹ずつ渡す仕組みだったぞ、と。
「それは青い毛皮のナキネズミでしょ?」
 ジョミーに渡したレインと同じで、そのために育てていたナキネズミ。
 あれに決まる前に、色々なのがいたじゃない。…試作品って言っていいかは分かんないけど…。白や茶色や、ブチの毛皮のナキネズミたち。
 青い毛皮の血統を育てると決まった後には、あのナキネズミたちを配った筈だよ。
 欲しい仲間にあげようとしたら、希望者の方が多くって…。分けてあげられるナキネズミより。
 ナキネズミの数が足りなかったから、あれはクジ引きで分けたんだった?
 毛皮の色も一緒にクジに書いておいて、当たった人が貰って行った…?
「おいおい、相手はナキネズミだぞ?」
 動物とはいえ、思念波で会話が出来るんだ。薔薇のジャムとは違うってな。
 きちんと個性を持ってるんだし、自分で考えたりもする。それをクジ引きで分けるだなんて…。
 いくら公平でも、そいつは酷いというモンだ。…ナキネズミは物じゃないんだから。
「じゃあ、どうやったの?」
 クジ引きは駄目で、物じゃないって言うのなら。
 どうやって分けたの、ナキネズミの数より希望者の方がずっと多かったのに…。
「ん? 簡単なことだ、お見合いだ」
「お見合い…?」
 えーっと、それってどういう意味?
 お見合いって、いったい何をするわけ…?



 なあに、と首を傾げた言葉。「お見合い」そのものが分からない。初めて耳にしたのだから。
 今の自分は知らない言葉で、前の自分も恐らくは知らなかった筈。知っていたなら、お見合いでピンと来るだろうから。「そうやって配ったんだっけ」と。
 「お見合い」と口にしたハーレイの方も、「ありゃ?」と顎に手をやって…。
「…そうか、お見合い、古典の授業じゃ出て来ないよなあ…」
 もっと昔の話ならするが、お見合いの時代は話の肝ってわけじゃないしな、お見合いが。
 古典ってほどだし、昔のことだ。ずっと昔の日本にあった結婚のためのシステムだな。
 この人と結婚してみないか、という顔合わせが「お見合い」だったんだ。先に写真とかは貰っていたらしいがな。…どういう人かが分かるように。
 しかし会うのは初めてってわけで、「この人となら、やっていけそうだ」と考えたら、そういう返事をする。両方がそう思っていたなら、結婚に向けて話が進んで行くんだな。
 逆に断られてしまった時には、それっきりだ。相手に嫌だと言われちまったら駄目だろうが。
「…なんだか凄いね、恋をするかどうかを決めるために会うの?」
 そのためだけに会うわけなんでしょ、一目惚れでもしない限りは大恋愛は難しそう…。
 今みたいにミュウじゃない時代だから、ちょっと会っただけで本当のことは分からないのに…。
 第一印象が最悪の人でも、ホントは相性ピッタリってことも、ありそうなのに。
「そりゃあるだろうな、珍しいことじゃなかっただろう」
 断っちまった相手が実は最高の恋人ってケースは、きっと山ほどあっただろうさ。
 それでも、俺が授業で話したみたいに、手紙の交換だけで相手が決まった時代よりかはマシだ。
 ちゃんと顔を見て話が出来るし、どういう人かを自分の目で確かめられるんだから。
「それはそうだけど…。手紙の時代よりマシだけど…」
 だけど、やっぱり嬉しくないよ。そのやり方だと、運命の相手に出会うの、難しそうだから…。
 会えていたって、ウッカリ断っちゃいそうだから…。



 恋をするには向いてないよ、と思った「お見合い」。運命の相手に一目惚れとは限らないから。
 最初は派手に喧嘩をしたって、後で惹かれる恋だって多い筈だから。
 お見合いが何かは分かったけれども、問題はナキネズミの配り方。ナキネズミと結婚するような仲間はいなくて、ペットを欲しがっていただけで…。
「…ハーレイ、ナキネズミのお見合いって、なに?」
 ナキネズミと結婚するんじゃないのに、お見合いをしてどうするの?
 お見合いの意味が無さそうだけれど、あのナキネズミたち、そうやって配っていたんだよね…?
「そのままの意味だ、文字通りにお見合いというヤツだ」
 お互いの相性を確かめるってな、その人間とナキネズミが仲良く暮らしていけるかどうか。
 簡単なことだろ、ナキネズミは喋れるんだから。…思念波を使えば、誰とでもな。
 希望者は順に、ナキネズミたちと面会なんだ。毛皮の色にこだわらないなら、全部とでもな。
 そして選ぶのは人間ではなくて、ナキネズミたちの方だったんだぞ、と言われてみれば…。
「思い出した…!」
 ホントにお見合いだったっけ…。毛皮の色にこだわった仲間も、そうでない人も。
 ナキネズミが中で待っている部屋に入るんだっけね、ちょっぴり緊張している顔で…。



 お見合いという言葉が相応しかった、ペットのナキネズミの配り方。一緒に暮らす相手を選んでいたのは、実はナキネズミの方だった。数が少なくて、希望者の方が多かったから。
 お見合い用の部屋で待つナキネズミが一匹、其処へ一人ずつ入って行った仲間たち。
 部屋の中では記録係も待っていた。ナキネズミの飼育を担当していた仲間で、彼らが点数を記録する。お見合いを終えた仲間が出て行った後で、その仲間につけられた点数を。
 ナキネズミが決めていた点数。入って来た仲間と思念で話して、今の人間はこの点数、と。
「誰がナキネズミをペットに貰うか、あの点数で決まったんだっけ…?」
 一番点数が高かった人が、ナキネズミを貰えたんだっけ…?
「いや。…それだと本物のお見合いと同じで、失敗しちまうこともあるだろ?」
 さっき、お前も言っただろうが。第一印象が最悪のヤツが、相性ピッタリってこともあるしな。
 ナキネズミのお見合いだって同じだ、一度だけで決めてしまうよりかは、ゆっくりと…。
 時間はたっぷりあったわけだし、点数の高いヤツらを集めて、お試し期間だ。
 ナキネズミは順番に泊まり歩いていたのさ、候補になった仲間たちの部屋を幾つもな。
 何回も回って決めるヤツもいれば、一回目で決めたナキネズミもいた。
 この人間が気に入ったから、一緒に暮らしてゆくんだとな。
「そうだっけね…」
 一生、人間と暮らしてゆくんだものね。相性のいい人が、断然いいに決まっているし…。
 みんないい人ばかりの船でも、性格とか好みは色々だから…。
「うむ。俺とゼルだと全く違うし、ヒルマンとでも違ってくるんだし…」
 ナキネズミに一人選べと言ったら、ヤツらの好みが出るんだろう。俺は断られてゼルだとか。
 その辺はきちんとしてやらないとな、ナキネズミたちが幸せに生きていけるように。
 交配のリストから外れたヤツらで、カップルも作れないんだから。



 青い毛皮のナキネズミ以外は、増やさない。白いシャングリラで決まった方針。青い毛皮を持つ血統を育ててゆこう、と前の自分が言った時から。
 他の血統はもう不要なのだし、繁殖させても無駄になるだけ。餌や飼育の手間がかかるだけ。
 子孫を増やす必要は無い、と教えられていたから、ナキネズミたちは素直に従った。
 自分とは違う毛皮を持つ仲間同士より、人間と一緒に生きてゆく道。それを行こうと。
 そうやって青い毛皮以外のナキネズミたちは、いつしか消えていったのだけれど…。
「ナキネズミ…。ちょっと可哀相だったかな…」
 可哀相なことをしちゃったのかな、前のぼく…。
「何故だ?」
 あいつらは充分に幸せだったぞ、自分好みの飼い主を見付けて、一緒に暮らして。
「でも…。カップルも作れないんだよ?」
 子供が生まれちゃうから駄目、って教えられちゃって。
 いくら幸せでも、同じナキネズミと恋も出来ずに、人間と暮らしていくだけなんて…。
「それはそうだが、ヤツらにその気があったなら…」
 カップルを作ろうと思っていたなら、俺たちが止めても無駄だぞ、無駄。
 恋はそういうモンだろうが。周りが止めても、どんなに障害だらけの恋でも、突っ走るってな。
「そう…なのかな?」
「分かっちゃいないな、恋ってヤツが」
 ナキネズミのことだと思っているから、そういう間抜けなことを言うんだ。
 お前自身で考えてみろ。
 もしもお前がナキネズミだったら、どういう風になっちまうかを。



 ちょっと置き換えてみるんだな、とハーレイが指差した自分の顔。「お前もだが」と。
「よく聞けよ? …前の俺がナキネズミだったとしよう。色は茶色でも何でもいいが」
 そしてお前もナキネズミなんだ、俺が茶色なら、お前は白ってトコかもな。
 カップルになるのは駄目だ、と教えられていたって、公園とかで俺に会ったらどうする?
 白い毛皮のナキネズミのお前が、茶色い毛皮のナキネズミの俺に会っちまったら。
「決まってるじゃない、恋をするよ…!」
 会った途端に大好きになるし、ハーレイで胸が一杯になるよ。人間じゃなくてナキネズミでも。
「ほらな、俺だって全く同じだ。ナキネズミのお前に一目惚れだな」
 惚れちまったら、お前に会いたくなるじゃないか。
 公園に行けば会えるんだろうし、飼い主に何かと理由を付けては、公園に行こうと考える。
 きっとお前が来るだろうしな、何度も公園に通っていたら。
「ぼくも…!」
 同じだよ、ぼくも公園に行くよ。…飼い主に頼んでハーレイに会いに。
 その内に時間が分かって来るから、おんなじ時間に散歩して貰って、ハーレイとデート。
 飼い主同士が話している間に、ハーレイと遊んで、お喋りをして…。
「分かったか?」
 そうやって仲良くなっちまってみろ、どんどん一緒にいたくなるもんだ。
 公園で会うだけじゃ物足りなくなって、もっと他にも会えるチャンスを作りたくなるぞ。
「そうなっちゃうかも…」
 頑張っちゃうかも、ハーレイに会いに行きたくなって。
 飼い主の人と一緒でなくても、船の中は自由に歩けるもんね…?
 ナキネズミは勝手に歩いちゃ駄目、って決まりは何処にも無かったんだし…。
 部屋からも好きに出られた筈で、と思い出したナキネズミの知能。ボタンを押せば扉は開く。
 自分で扉を開けられるのなら、きっと部屋だって抜け出すだろう。
 散歩の時間以外の時でも、ハーレイに会おうとするのだろう。
 一緒に過ごして、ハーレイとカップルになりたくて。
 ハーレイからもプロポーズされて、きっと幸せ一杯で…。



 そうなったならば、もう言い付けには従えない。いくら決められていたことでも。
 人間と一緒に生きるペットになった時点で、そうするようにと教え込まれていても。
「ぼく、ハーレイに恋をしちゃったら、決まりがあっても守れないよ…!」
 カップルは駄目、って言われていたって、我慢出来っこないんだから…!
 オス同士だから子供は絶対生まれないけど、でも、カップルは駄目なんだろうし…。
「駄目だろうなあ、カップル希望の他のヤツらの手前もあるから」
 許して貰えそうにはなくても、俺だって、とても我慢は出来ん。…お前に恋をしちまったら。
 お前もそうだろ、決まりがあっても俺とカップルになりたくなる。
 だからこそ例に出したんだ。…俺たちの立場で考えてみろ、と。
 これが本物のナキネズミにしても同じだ、同じ。恋をしたならカップルはいたな。
 どんなに人間が禁止したって、あいつらの恋は止められん。
 なまじ思念波が使えるだけに、ソルジャーに直訴するだとか…。
 青の間に二匹でコッソリ入って、「どうしても結婚したいんです」と訴えるとかな。
「…そんなのが来たら、前のぼく、その恋、許してしまいそうだよ…」
 まだハーレイとは恋人同士じゃなかったけれども、真剣なのは分かるもの。
 ヒルマンやエラと喧嘩になっても、「許してあげて」って頼みそうだよ。
「ほら見ろ、お前が許可を出したら、めでたくカップル成立ってな」
 充分に恋は出来たってわけだ、ソルジャーも味方をしてくれるんだし…。
 それでもカップルがいなかったのは、ヤツらにその気が無かったというだけのことだな。
「どうしてなのかな?」
 恋をしようと思っていたなら、出来たのに…。なんでカップル、いなかったのかな?
「きっと満足だったんだろう。人間と暮らしてゆくのがな」
 自分で選んだパートナーの人間なんだし、最高に気の合う相手ではある。…人間なだけで。
 その人間から餌を貰って、おやつも貰って、ついでに仕事は何も無いってな。
 青い毛皮に生まれていたなら、子供たちのサポートをするって役目があるんだが…。
「…仕事は何もしなくて良くって、御飯とおやつを貰って暮らして…」
 後は遊んでいればいいって、本当にペットそのものだね。愛玩動物の方のペットだよ、それ。
「そのようだなあ…」
 最古のペットはダテじゃないなあ、ナキネズミ。…愛玩用のも立派にいたわけだな。



 恋をしようと考えたならば、カップルにもなれたナキネズミ。青い毛皮を持っていなくても。
 白や茶色やブチの毛皮で、自分とは全く違う毛皮の持ち主とでも。
 けれども、恋をしなかった彼ら。パートナーの人間と一緒に暮らして、いつの間にやら、船から消えたナキネズミ。真っ白なのも、茶色のも。ブチも、真っ黒な毛皮のも。
 それでもきっと、彼らは幸せだったのだろう。
 恋をしてカップルを作らなくても、一匹の子孫も残さずに消えてしまっても。
「ねえ、ハーレイ…。あのナキネズミたち、きっと幸せだったよね?」
 生きてた印は何も残らなかったけど…。
 ナキネズミは青い毛皮なんだ、って誰もが思い込んじゃったけれど。
 白とか茶色だったナキネズミの子供、一匹も生まれないままになっちゃったから…。
「なあに、恋をしようって方もそうだが、子孫の方にもこだわる必要は無いからな」
 欲しいと思えば作っただろうし、思わなければ要らないってことだ。
 ついでに、俺とお前が恋をしたって子孫は出来ん。…お前、子供は産めないんだから。
「そうだね…。ぼく、男だから、子供は無理…」
 欲しいと思うことも無いけど、でも、恋人は絶対、欲しいよ。
 ハーレイがいない人生だなんて、寂しすぎて考えられないもの。
「其処の所が、あのナキネズミたちとの大きな違いだな」
 恋人を欲しがるという所。カップルで生きたいと思う所だ。
 だが、あいつらが恋をしていたら…。前のお前が、恋を許してやっていたなら…。
「ナキネズミ、青い毛皮のだけじゃなかったね…」
 仕事をしているナキネズミは青い毛皮だろうけど、そうじゃないのも何匹もいたよ。
 白とかブチとか、茶色だとか。
 好きに恋してカップルになって、生まれる子供も毛皮の色は色々だもの。



 様々な色や模様の毛皮のナキネズミたちが住んでいる船。ナキネズミのカップルが何組も住んでいるだろう船。
 白いシャングリラは、そういう船でも良かったかもしれない。前の自分は、きっとナキネズミの恋を許していただろうから。けして「駄目だ」とは言わなかったと思うから。
 そうやって増えたナキネズミたちの餌が要るなら、必要な分を作らせて。
 元は自分たちが開発していた生き物なのだし、冷たく見捨てはしなかっただろう。二度と子供が生まれないよう、手術をさせろと言いもしないで。
 けれど、色々な毛皮のナキネズミたちは恋をしなくて、それっきり。
 彼らの子孫は生まれないまま、ナキネズミは青い毛皮になった。青い毛皮の血統だけが、子孫を増やしていったから。飼育係が育てていたのは、青い毛皮のものだけだから。
「…ぼくなら絶対、ハーレイに恋をするけれど…」
 ハーレイがいなくちゃ寂しくて生きていけないけれども、ナキネズミ…。
 どうして恋をしなかったんだろ、ペットになってたナキネズミたちは?
 人間と暮らして満足してても、何処かで恋に落ちそうなのに…。
「そいつも説明は出来るってな。俺とお前がナキネズミなら、というヤツで」
 お前がナキネズミで、人間と一緒に暮らしてて…。
 公園に行けば他のナキネズミにも会えるわけだが、そのナキネズミの中にだな…。
 俺がいなかったら、お前はどうする?
 ナキネズミは何匹もいるというのに、俺とは違うナキネズミしかいなかったとしたら…?
 それでも、お前は恋をするのか?
 俺は何処にもいないわけだが、お前、どうする…?
「…ハーレイがいないなら、恋はしないよ」
 恋をする必要、無いんだもの。…だって、ハーレイはいないんだから。
「俺の方でもそうだってな。お前というナキネズミがいないなら、恋はしないんだ」
 そしてシャングリラのナキネズミどもは、そうだったのさ。
 恋をしたいと思うナキネズミが何処にもいなくて、恋はしないで終わっちまった、と。



 運命の相手に出会わなかったから、恋も無しだ、と言われたから納得した理由。
 白や茶色やブチのナキネズミたちが、船から消えてしまった理由。
 運命の相手がいなかったのなら、恋だってきっと生まれない。カップルも、彼らの子孫たちも。
 そういうことなら、前の自分も今の自分も、最高に幸せなのだろう。
 ナキネズミ同士でも恋に落ちるほど、駄目だと教えられていたってカップルになるだろう二人。
 ハーレイという運命の相手と出会って、二人で生まれ変わって、また巡り会えて、恋人同士。
 前の自分たちの恋の続きを、これからも一緒に生きてゆくから。
 青い地球の上で、いつまでも幸せに生きるのだから。
 ハーレイと二人で、手を繋ぎ合って。
 今度こそ決して手を離さないで、結婚して、何処までも幸せな道を…。




            最古のペット・了


※ミュウの時代の最古のペットは、ナキネズミ。そして実際、ペットだったのもいたのです。
 けれども、恋をしないで終わった彼ら。運命の相手がいないのだったら、恋はしませんよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








(ペンギンのカップル…)
 雛もいるね、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 ダイニングのテーブルで広げた新聞、可愛らしいペンギンが並んでいた。此処からは遠い地域の動物園にいる、名物ペンギン。人気者で子育て上手なカップル。
 仲良く寄り添う二羽の足元、よちよち歩きだろう雛。なんとも微笑ましい写真。
(ふうん…?)
 ペンギンのことは良く知らないけれど、というのが正直な所。姿は分かりやすいけれども、生態などには詳しくない。ペンギンだよね、と思うだけ。
(寒い所に住んでるペンギンばかりじゃ…)
 ないらしい、と父に教わった程度。「氷の国だと思っていたら、大間違いだぞ?」と。
 ペンギンの中には、サボテンの生える所で暮らす種類もいるのだと聞いた。氷ではなくて、熱い砂地が大好きなのが。
 そういう所のペンギンだったら、飼育するのに特別な部屋は全く要らない。この地域の動物園で飼おうというなら、屋根さえあれば屋外だって。
(氷の国から、サボテンの生える所までって…)
 極端すぎるよ、と言えばいいのか、逞しいのか。ペンギンという名前の種族。
 このペンギンはどちらなのかも分からない。写真に氷は写っていないし、屋外なのだと見分けがつくような物も景色も何も無いから。
 氷の国のペンギンなのか、暖かい場所のペンギンなのか。
 そのくらいは書いて欲しいよね、と改めて見詰めたペンギンのカップル。可愛い雛つき。
 ヒゲペンギンだなんて言われても…、と捻った首。いったい何処のペンギンだろう、と。



 生息地が分からないペンギン。氷の国のペンギンだろうか、ヒゲペンギンは?
(ゼルにヒルマン…)
 ヒゲと言ったら、あの二人だよ、と遥かな時の彼方を思う。前の自分の仲間たち。髭を生やしていた二人。今でも直ぐに浮かぶくらいに。
 けれど、ヒゲペンギンというのは種類なのだし、髭とついてもメスだっている。ヒゲペンギンが全部オスだったならば、たちまち絶滅するのだから。
 髭のあるメスのペンギンも…、と記事を読み進めて驚いた。
(え!?)
 ニールとロイ。
 そういう名前のペンギンのカップル、名物ペンギンと書かれた二羽。左がロイで、右にいるのがニールだと解説してあった。「とても仲のいいカップルです」と。
(男みたいな名前だけど…)
 ニールもロイも、男性の名前だと思う。普通に聞いたら、そういう感じ。
 だから、どちらかは男っぽい名前のメスだろうか、と考えた。ニールか、もしかしたら、ロイ。鳥には雌雄の区別がつきにくい種類も多いものだ、と聞いているから。
 馴染みの深い鶏だって、ヒヨコの間はオスかメスかが分かりにくいもの。ヒゲペンギンの場合も同じで、オスのつもりでロイと名付けたら、メスだったとか。オスのニールがメスだったとか。
(猫で間違えた友達もいたし…)
 生まれた子猫たちに名前を付けて大失敗。男の子なのに、女の子だった失敗談。
 ニールとロイもきっとそうだ、と考えたのに。
 ペンギンのプロの飼育係も、間違えて名前を付けたのだろうと、クスッと小さく笑ったのに。



(……嘘……)
 間違えたんじゃなかったんだ、とポカンと眺めた新聞記事。もう一度、写真を確かめたほどに。
 驚いたことに、ニールとロイはオス同士。正真正銘、どちらもオス。
 けれども、二羽で暮らしている所に、他のメスたちを入れてやっても、知らん顔。そんな鳥などいないかのように、お互いしか目に入らない。ニールも、ロイも。
 いつも一緒に仲良く巣作り、とはいえオスだから生まれない卵。それを承知で、他のカップルがやって来る。オスとメスとのカップルだけれど、子育てする気が無いペンギンが。
 そういうカップルが置いて行った卵、ニールとロイは大喜び。預かった卵でも、自分たちの卵。温めてやれば雛が孵るし、子供を育てられるのだから。
 巣作りをした甲斐があった、と交代で温める卵。雛が孵ったら、きちんと世話する。餌を運んで食べさせてやって、一人前の大人になるまで。
 だから人気者のニールとロイ。動物園でも一番の子育て上手なカップル。
 オス同士でも、メスには見向きもしない二羽でも。
(…ペンギンだよ…?)
 人間同士ならばともかく、相手はペンギン。自然の中で生きてゆく動物。子孫を増やして。
 動物園で暮らすペンギンなのだし、自然界とは違うのだろうか?
 ニールとロイはそれでいいの、と読み進めた記事には「色々あります」と記されていた。
 実は多いらしい、オス同士でカップルになってしまう鳥。ヒゲペンギン以外の種類の鳥だって。動物園ではなくて、自然の中で暮らす鳥たちでも。
 一生、添い遂げる鳥だった時は、後からメスを加えてやってもオス同士のまま。もうカップルは決まっているから、生涯、二羽で生きるのだから。
 たまたまオスが多かった年に生まれた鳥なら、そうなるらしい。翌年にメスが余っていたって、取り替えないらしい自分の相手。
 オス同士では雛が生まれなくても。巣作りをしても、意味が無くても。



 ビックリした、と丸くなった目。ニールとロイは特別なペンギンなどではなかった。
 たまたま動物園にいたから、注目を浴びているというだけ。もしも自然の中にいたなら、普通に生活してゆくのだろう。やっぱり同じに、他のカップルの卵を預かって孵してやって。
(うーん…)
 鳥の世界にもオス同士のカップルがいるなんて、と戻った二階の自分の部屋。
 勉強机の上に頬杖をついて、思い返した新聞記事。ペンギンでなくても、オス同士でカップルになることが多いらしい鳥。種類は様々、一生、添い遂げる鳥だって。
 どういう鳥で起こり得るのか、あの記事には書かれていなかったけれど…。
(鶴は…?)
 丹頂鶴はどうなんだろう、と頭に浮かんだ美しい鳥。この地域のずっと北の方に棲む丹頂鶴。
 あれも一生、添い遂げる鳥。湿原の神という意味の名前を持っている鳥、サルルンカムイ。遠い昔のアイヌの言葉で。
 前に新聞で読んで、悲しくなった。つがいの丹頂鶴の愛の深さに、前の自分たちが重なって。
(パートナーの鶴が死んじゃっても…)
 その側を離れずにいるという鶴。死骸を狙うキツネやカラスを追い払いながら。
 すっかり骨になってしまっても、まだ離れないで守り続ける。雨で流されたり、雪の下に隠れて見えなくなってしまうまで。相手の身体が消える時まで。
 そうなってから、やっと何処かへ飛んでゆくという丹頂鶴。新しいパートナーを探して。
(…前のぼくの身体、メギドで無くなっちゃったから…)
 シャングリラに戻りはしなかった身体。漆黒の宇宙に消えてしまって。
 もしも身体が残っていたなら、ハーレイはそれを守れたのに。魂は飛び去ってしまっていても。語り掛けても、声が返りはしなくても。
 そう思ったから、悲しかった鶴。
 前のハーレイには、守りたくても守る身体が無かったから。きっと守りたかっただろうに、と。
 それをハーレイに尋ねてみたら、本当にその通りだった。地球に着くまで守っただろう、と。
 もう動かなくなった身体を、保存するための柩に入れて。青の間に置いて、何度も通って。



 ハーレイと二人、鶴の姿に重ねた前の自分たち。
 前のハーレイを置いて行った自分と、置き去りにされたハーレイと。身体だけでも、ハーレイの許に残っていたなら、幾らかは救いになった筈。
 魂はもう戻らなくても、死んだ身体でも、寄り添うことは出来るのだから。
 手を握ることも、そっと口付けをすることも。
 パートナーを失くした丹頂鶴が、いつまでも側を離れないように。骨になっても、離れずに守り続けるように。
(きっとオス同士のカップルでも…)
 かまわないのだろう、と今になって思う丹頂鶴。湿原の神、サルルンカムイ。
 あの話をハーレイとしていた時には、其処まで思っていなかったけれど。鳥の世界では、オスとメスとがカップルなのだと考えていたし、鶴たちの愛の深さについて二人で語り合っただけ。
 鶴のように共に生きてゆこうと、今度こそ二人、離れはしないと。
(…鶴の舞…)
 雪解けの前に、鶴たちは雪原で舞うという。
 一生を共に生きる相手を見付け出すために、翼を広げて、鳴き交わして。
 とうに相手がいる鶴たちは、愛の絆を確かめるように。
 パートナーを探して舞う鶴たちは、若い鶴ばかり。これから共に生きる相手を求めて、初めての舞を舞う若い鶴たち。
 その中に混じって、パートナーを失くした鶴も舞うらしい。相手を失くして、たった一羽で。
 共に生きようと誓った相手は、もういないから。…身体さえも消えてしまったから。
 そういう悲しい鶴が舞う舞。
 愛を確かめ合うカップルたちの中で、新しい世代の鶴たちの中で、寂しく舞を舞い続ける。もう戻ってはこない相手を求めるように。本当だったら二羽で舞う筈の舞を、たった一羽で。
(…ぼくとハーレイも、離れちゃったら、そういう鶴になっちゃうよ…)
 独りぼっちで、悲しい舞を舞う鶴に。共に舞う相手は、もういないから。
 けれど、今度はハーレイと共に生きてゆく。死ぬ時も二人、何処までも一緒。
 そう約束を交わしているから、残されて一羽で舞わなくてもいい。
 お互い、悲しい舞は舞わない、という話で終わってしまったけれど。丹頂鶴よりもずっと、強い絆を育んでゆこうと、見詰め合って終わりだったのだけれど…。



 丹頂鶴も同じかどうかはともかく、オス同士でつがいになるという鳥。カップルになって、共に生きるオスたちは珍しくない。
 新聞に載っていたヒゲペンギンのニールとロイが、子供まで育てているように。
(ハーレイも、ぼくも…)
 人間の世界では珍しいけれど、鳥の世界なら、普通のカップル。周りの鳥たちも気にしない。
 そういうものだと考えているし、平気で卵も預けてゆく。「お願いします」と、産み落として。自分たちは子育てに向いていないから、孵して育ててやって下さい、と。
(巣作りも無駄にはならないんだよね…)
 自分たちの子供は生まれなくても、誰かが卵を置いてゆくから。きちんと温めて孵してやって、一人前になるまで育てる雛。餌を運んで、面倒を見て。
 おまけに、生きる場所によっては人気者。ニールとロイみたいに、新聞にも載って。
 きっとSD体制の時代だった頃も、人気者の鳥になれただろう。オス同士でも、子育てが上手い仲良しカップル。動物園で巣作りをして、他のカップルの卵を孵して。
(…前のぼくたち、鳥に生まれた方が良かった?)
 ミュウに生まれて酷い目に遭うより、ハーレイと二人。
 鳥なのだから二羽だけれども、頑張って二人でせっせと巣作り。オス同士でも、鳥の仲間たちは全く変だと思いはしない。鳥の世界では珍しくないことだから。
 そうやって巣が出来上がったら、誰かが卵を預けに来ないか、二人で待つ。巣はあるのだから、次は卵、と。早く卵を温めたいと、雛が孵ったら育ててやろうと。
 その内に預かる誰かの卵。子育てに向かないカップルの卵。
 ハーレイと交代で温めてやって、きちんと孵して、二人で育てて…。



(うんと幸せだったかも…)
 ミュウになるより、動物園で人気者の鳥。オス同士でも子育て上手だから。
 SD体制の時代でもきっと、幸せに生きられただろうカップル。そっちの方が良かったかな、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、問い掛けた。
 お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで、向かい合わせで。
「あのね、ヒゲペンギンって知ってる?」
 ペンギンの仲間なんだけど…。そういう名前の種類のペンギン。
「はあ?」
 なんだ、そいつは有名なのか?
 ヒゲペンギンというのは初めて聞いたが、何か変わったことでもするのか、そのペンギンは?
「やっぱり知らない?」
「すまん、ペンギンには詳しくないしな」
 この地域に棲んでる鳥じゃないから、そうそうお目にかかれんし…。どうも馴染みが薄いんだ。
 しかし髭とは、まるでゼルだか、ヒルマンなんだか…。そのヒゲペンギン。
「ニールとロイだよ」
 ゼルやヒルマンじゃなくって、ニール。…それからロイ。
「なんだそりゃ?」
 そういう名前がついているのか、何処のペンギンかは知らないが…。ニールとロイだと?
「うん、ペンギンの名物カップル」
 此処じゃなくって、遠い地域の動物園にいるんだけれど…。
 ニールとロイって名前なんだよ、オス同士のカップルなんだって。だけど、子育て上手で人気。
 ちゃんと巣を作って、他のカップルの卵を孵して、雛を育てているんだよ。



 でも珍しいことじゃないんだって、と話して聞かせた新聞記事。オス同士のカップルは普通だという鳥たちの世界。動物園でなくても、自然界でも。
 一生、添い遂げる鳥でも同じ、と言ったら「うーむ…」と唸っているハーレイ。鳥の世界では、そうだったのかと。
「…後からメスを入れてやっても、オス同士のカップルは壊れないんだな?」
 とうに相手は決まっているから、そのままでいいということか…。
 オス同士だと子孫は生まれないのに、他のカップルの卵を孵して育てたりもする、と。
「それ、ハーレイも知らなかった?」
 今のぼくより年上なのに…。色々なことを知っているのに。
「おいおい、何でも知ってるんだと思うなよ?」
 サッパリ分からんことも多いぞ、畑違いというヤツだ。そういう分野も多いんだから。
「そうかもだけど…。ハーレイ、鳥には詳しいから…」
 青い鳥が窓にぶつかった時も、オオルリだって直ぐに教えてくれたし…。
 ツバメが海を渡る時には、群れじゃなくって一羽ずつで飛ぶのも知っていたでしょ?
「それとこれとは、話が全く違うってな。オオルリやツバメはどうか知らんが…」
 鳥の世界じゃ、オス同士のカップルが普通だってか?
 しかも一生、同じカップルで暮らす鳥でも、一度オス同士でカップルになっちまったら、後からメスがやって来たって、見向きもしないと来たもんだ。
 比翼の鳥って言葉があるほどなんだし、夫婦なんだと思っていたが…。
 オスとメスとのカップルばかりで、オス同士のカップルがいたとしたって、珍しいのかと…。
「比翼の鳥は比翼の鳥だよ、いつも一緒に飛ぶんでしょ?」
 オス同士でも、一生、添い遂げるんだから。…メスが来たって、そっちの方には行かないで。
 前にハーレイと鶴の話をしたじゃない。一生、相手を変えないっていう丹頂鶴。
 パートナーの鶴が死んじゃった時も、死体がすっかり消えてしまうまで側を離れない鳥。
 あの鶴にだって、オス同士のカップル、いそうな感じ…。記事には書いてなかったけれど。
「いるかもなあ…」
 オス同士のカップルが壊れないなら、丹頂鶴の世界にもいるかもしれん。
 よくよく観察してみたら驚くかもなあ、「あのカップルはオス同士だぞ」とな。



 丹頂鶴の生態に詳しい人なら、きっと答えも知ってるだろうが、とハーレイは顎に手を当てた。
 「俺たちからすれば意外なんだが、普通なのかもしれないな」と。
 なにしろ鳥の世界の中では、珍しくないのがオス同士のカップル。一生、添い遂げるのが普通の鳥でも。丹頂鶴も、そのタイプの鳥。
「なんとも不思議な感じだなあ…。前にお前と話してた時は、まるで思いもしなかった」
 前の俺たちに鶴を重ねてはいたが、オス同士のカップルは俺たちくらいなモンだろうと…。
 きっと他にはいないだろうと思っていたのに、実は珍しくもなかったってか。
 丹頂鶴がそういう鳥とは限らないがな。
「でしょ? 鳥の世界では普通なんだよ、オス同士でカップルになってても」
 だからね…。前のぼくたちも、鳥同士だったら、とても幸せだったかな、って…。
「鳥同士?」
 前の俺たちって、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイがか?
「そうだよ、名前は全然違っていたかもだけど」
 鳥なんだもの、ソルジャーとかキャプテンって呼ばれることは無いものね。
 ブルーとハーレイって名前でもなくて、それこそニールとロイだとか…。
 あっ、あそこ…。鳩!



 飛んで来たよ、と見付けた鳩。窓の向こうに、つがいの鳩。
 庭の木の枝に並んで止まって、仲が良さそうなカップルだけれど…。
「あれもオス同士かもしれないよ?」
 だって鳥だし、鳩の世界でもオス同士のカップル、普通なのかもしれないもの。
「鳩は見た目じゃ分からんからなあ、どれがオスだか、メスなんだか」
 オス同士が普通の世界だったら、そういうカップルかもしれん。巣を作っていても、卵を温めていても、まるで区別がつかんだろう。…他のカップルの卵だなんて、誰も夢にも思わないしな。
 しかし、どうして前の俺たちの話になるんだ?
 鶴の話をしていたからか、ああいう風に生きたかったのか…?
「そうじゃなくって…。あの時代だと、鶴だって、きっと動物園にいただろうしね」
 今みたいに自由に飛んではいなくて、保護して貰って、安全に生きていたと思うよ。動物園で。
 その動物園、決められたスペースはあるだろうけど、同じ檻でもミュウより立派。
 あんな狭苦しい檻じゃなくって、運動するための場所だってあるよ。
 鶴でも、他の色々な鳥でも、オス同士のカップルは人気者だよ、動物園なら。子育てが上手で、仲良しカップル。…ヒゲペンギンのニールとロイみたいに。
 動物園の鳥でなくても、オス同士のカップル、鳥の世界では普通でしょ?
 恋人同士だってことを隠さなくても平気なんだよ、何処で暮らしていたとしたって。
 シャングリラの中では、誰にも言えなかったけど…。
 最後まで秘密にするしかなくって、「さよなら」のキスも出来ないままで…。
「其処か、前の俺たちが鳥同士だったら、と考えた理由…」
 誰にも隠す必要は無くて、動物園なら人気者にもなれていて…。
 ミュウじゃないから追われもしないし、酷い人体実験なんかも一切無いっていうことか…。



 確かに幸せだったかもな、とハーレイも見ている鳩のカップル。枝に止まった、つがいの鳩。
 羽繕いをしてやったりもして、仲睦まじくて、本当に微笑ましいカップル。一休みしたら、また何処かへと飛んでゆくのだろう。離れないで、二羽で。
「きっと幸せだったと思うよ、前のぼくたち…」
 ミュウじゃなくて、鳥に生まれていたら。動物園の鳥でも、外で暮らしている鳥でも。
 今の地球みたいに沢山の自然は無いだろうけど、動物園でなくても、きっと安全。
 天敵がいたって、ミュウに生まれるより、ずっと安全な時代だったよ。
 ミュウだと、ホントに殺されるしかなかったから。…檻に入れられて酷い実験だとか。
 でもね、鳥だと、追い掛けられても頑張って逃げればいいんだし…。
 人間だって、鳥が追われていることに気が付いた時は、助けようとしてくれるでしょ?
「まあな…。人類も基本は、優しい生き物ってヤツには違いなかった」
 平和に暮らして、友達を作って、助け合って生きていたからな。
 ミュウの子供を通報していた養父母にしても、そういう子供じゃなかったら…。ごくごく普通の子供だったら、きちんと世話して可愛がってた。機械が教えた通りにな。
 キースみたいな軍人でなけりゃ、殺すことなんて考えやしない。人間はもちろん、動物だって。
 鳥が天敵に追われていたなら、皆、助けようとしただろう。それこそ大勢、集まって来て。
「ほらね、鳥の方がミュウより安全な時代だったんだよ」
 ミュウは見付かったら撃ち殺されておしまいだけれど、鳥を撃つ人は誰もいないよ?
 追い掛けられてる鳥を助けようとして、オモチャの銃を撃つ子供とかはいるんだろうけれど…。
 前のぼくたちが生きてた時代は、そういう時代。
 だから、前のハーレイとぼくも、鳥に生まれていたら幸せ。
 人類に殺されかけたりすることはないし、狭い檻に閉じ込められもしないし…。



 きっと幸せに生きてゆけたよ、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。前の生から愛したハーレイ。
 けれど、恋人同士だったことは、誰にも言えはしなかった。最後の別れを告げる時さえ、キスも出来ずに終わった二人。…ミュウに生まれてしまったから。鳥には生まれ損なったから。
「鳥のハーレイと二人だったら、絶対、幸せだった筈だよ」
 二人じゃなくて、二羽だけど…。それでも鳥の目から見たなら、二人でしょ?
 おんなじ姿の鳥同士だから、やっぱり二人。…オス同士でも、鳥の世界だったら普通。
 一生、一緒に生きてゆく鳥で、ハーレイとカップルになるんだよ。一目で好きになっちゃって。
 いつもハーレイと二人で暮らして、巣だって頑張って一緒に作って…。
 そういうの、素敵だと思わない?
 あそこにいる鳩も、本当にオス同士かも…。幸せそうだよ、ああいう風に暮らせていたら。
 前のぼくたちが、ミュウじゃなくて鳥に生まれていたら…。
「それはそうかもしれないが…。幸せに生きてゆけたんだろうが…」
 お前、本当にそれで良かったのか?
 前のお前と前の俺とが、ミュウじゃなくて鳥のカップルだったら…。
 オス同士のカップルが普通の世界で、俺もお前も一目惚れして、一緒に生きてゆけたなら。



 幸せなのは間違いないだろう、とハーレイも認めた鳥たちの世界。SD体制の時代でも。
 ミュウのように追われて狩られはしないし、人類だって守ってくれる。天敵に襲われそうな姿を見たなら、大人も子供も助けようとしてくれる筈。「鳥が危ない」と大騒ぎして。
 そういう平和な世界で暮らして、場合によっては人気者。動物園で脚光を浴びる名物カップル、「オス同士なのに、子育て上手な鳥たちがいる」と。
 二人一緒に巣作りをして、他のカップルの卵を孵したりもして生きてゆく日々。寿命の長い鳥もいるから、人類と変わらない年月だって共に生きられるのだけれど…。
「いいか、幸せ一杯の人生だったとしても…。鳥なんだが、此処は人生ってことにしておこう」
 前のお前も、前の俺だって、大満足の人生を生きて、死ぬ時も一緒だったとしても…。
 心臓が同時に止まるくらいに、仲のいいカップルだったとしても。
 その時限りのカップルってことになっていたかもしれないぞ?
 うんと幸せに生きて死んでいっても、それっきりでな。
「…それっきりって?」
 その時限りのカップルだなんて、どういうことなの…?
「俺たちみたいに、生まれ変わりはしないってことだ。…こんな風には」
 前とそっくり同じ姿に生まれもしないし、前の自分が誰だったのかも思い出さない。
 記憶を持ってはいないわけだな、今の俺たちとは全く違って。
 それじゃ、会っても分からんだろうが。俺もお前も、お互いに何一つ覚えていないんだから。
「なんで…?」
 どうしてそういうことになってしまうの、鳥でも、ぼくとハーレイだよ?
 運命の恋人同士なんだし、生まれ変わっても、きっと分かるよ。…ハーレイも、ぼくも。
「お前なあ…。忘れちまったのか、お前の聖痕を…?」
 今のお前が持っているヤツだ。俺は一度しか見てはいないが…。
 そいつがお前に現れるまで、俺もお前も、前の自分が誰だったのかを全く知らなかったんだぞ?
 俺は散々、「キャプテン・ハーレイの生まれ変わりか?」と訊かれたモンだが、笑ってた。
 他人の空似だと思い込んでいたし、前のお前の写真を見たって、何も思いはしなかった。
 こういう顔の人がいたなら好きになるとか、そんなことさえ、一度も考えなかったってな。



 あの聖痕が現れなければ、俺もお前も記憶は戻っていない筈だ、という指摘。
 それまでは前世のことなど忘れて、全く違う人生を生きていた二人。ハーレイは今のハーレイの人生だけしか見てはいなくて、ソルジャー・ブルーだったチビの自分も。
「俺が思うに、きっと聖痕に意味があったんだろう」
 あの傷がお前に現れたこと。…お前が聖痕を持っていたこと。
 前のお前がメギドで撃たれた時の傷だろ、あの聖痕は。…傷そのものは何も残っちゃいないが、同じ場所から血が噴き出した。前のお前が撃たれた通りに。
 そういう傷を負ったお前の生まれ変わりだ、と分かる印が聖痕なんだ。
 だから、お前も俺も気付いた。今のお前は誰なのか。…それを知っている自分は誰か、と。
 そして記憶が戻ったわけだな、自分が誰かが分かったから。
「そうだけど…。聖痕が無ければ、ぼくたちの記憶は戻っていないの?」
 ハーレイに会っても何も思い出せないままなの、あの聖痕が無かったら…?
「多分な。現に、聖痕が俺たちの記憶を戻してくれたんだから」
 その聖痕を、誰がお前に刻んだのかが問題だ。…今のお前の身体にな。
 前のお前は、命と引き換えに未来を作った。シャングリラを守って、ミュウの未来を。
 お前がメギドを沈めなかったら、今の平和なミュウの時代も、青い地球もありはしないんだ。
 いつかは出来ていたとしたって、きっと遥かに長い時間がかかっただろう。…実際の歴史より、ずっと長くて気の遠くなるような時間がな。
 そいつを短縮したのがお前で、だからこそ今も英雄なんだ。…ソルジャー・ブルーは。
 お前だからこそ、俺と一緒に此処まで来られた。聖痕を持って、生まれ変わって。
 俺はそうだと思ってる。神様が奇跡を起こしたんだと、それがお前の聖痕なんだと。
 お前も聖痕は奇跡だと思っているだろう?
 だがな…。



 ただの鳥だと、そんな奇跡は起こりやしない、と真っ直ぐに見詰めてくる鳶色の瞳。
 どんなに人気者の鳥のカップルでも、SD体制の時代に注目を浴びていた鳥だとしても、と。
「…鳥は鳥だというだけに過ぎん。未来を変える力などは持っていないんだからな」
 だから、前の俺たちが鳥のカップルに生まれていたなら、その時限りの仲ってことだ。
 鳥のお前は、聖痕を貰えやしないだろうが。
 世界の役に立ってはいないし、神様が奇跡を起こす理由が無いからな。…ただの鳥では。
 聖痕が無けりゃ、俺もお前も、前の俺たちの記憶を思い出すことは無い。
 鳥として幸せに生きて死んだら、次に巡り会うことがあっても、もう覚えてはいないんだ。同じお前に出会えたとしても、もう一度恋に落ちたとしても。
「そんな…。ハーレイもぼくも、忘れてしまうの?」
 二人で一緒に生きていたのに、とても幸せだったのに…。
 オス同士でも二人で巣作りをして、他のカップルの卵を温めて孵して、雛を育てて…。
「酷なようだが、そうなるだろうが」
 鳥だった時は、俺たちに奇跡は起こらない。…聖痕が現れる前の俺たちと同じ状態だ。
 お互いに何も覚えていなくて、出会っても何も思い出さない。
 恋に落ちても、今のお前と今の俺とがいるだけだ。…ただの教師と教え子のな。
 前と同じに幸せに生きてはゆけるんだろうが、巣作りしたことも、卵を温めていたことも…。
 一緒に孵した雛のことさえ、思い出すことはないわけだな。
 神様が奇跡を起こさなかったら、記憶は戻りはしないんだから。



 それでも鳥が良かったのか、と訊かれたら、否。鳥が良かったとは、とても言えない。
 ハーレイと一緒に生まれ変わっても、恋に落ちても、それがハーレイだと気付かないなら。
 新しい人生を二人で幸せに生きてゆけても、前の生のことを忘れてしまっているのなら。
 鳥のカップルに生まれていたなら、聖痕を貰うことは出来ない。前の記憶は戻りはしない。どう頑張っても、鳥は鳥だから。…世界を、未来を変える力を持たないから。
「…鳥に生まれてたら、うんと幸せだっただろうと思うけど…」
 ハーレイと幸せに生きて行けたと思うけど…。
 だけど、やっぱり人間でいい。…ミュウに生まれた前のぼくでいいよ。
 生きてゆくのが辛い人生でも、アルタミラで酷い目に遭わされても。…何度も何度も死にそうになって、死んだほうがマシだと思ったくらいの地獄でも。
 やっと逃げ出しても、幸せになれても、ハーレイとは秘密の恋人同士で…。
 さよならのキスも出来ずに別れて、独りぼっちで死んじゃっても。
 それでも、こうしてハーレイに会える人生が断然いいよ。…どんな目に遭っても、辛くっても。
 鳥に生まれてたら、もっと幸せに生きていられたとしても。
「俺も全く同感だ。前のお前を失くしちまって、辛かったが…」
 魂は死んでしまったような気持ちで、地球までの道を生きたわけだが…。
 それでも頑張って生きただけあって、もう一度、お前と青い地球で巡り会えたしな?
 お前の辛さには敵いやしないが、俺だって苦労はしてたんだ。鳥に生まれてれば楽だったのに。本当に鳥のカップルだったら、ずいぶんと楽な人生で…。
 ありゃ…?



 消えちまったな、とハーレイが眺めた窓の外。
鳩のカップルはもういなかった。
 いつの間に姿を消していたのか、止まっていた枝さえ揺れてはいない。きっと二人で話していた間に、何処かへ飛んで行ったのだろう。二羽で仲良く翼を広げて。
「…鳩のカップル、行っちゃったね…」
 たっぷり休んで満足したから、次の所へ行っちゃったかな。…公園だとか、でなきゃ自分の巣に戻ったとか。
「そうなんだろうな、あそこじゃ餌も多くはないし…」
 もっと沢山食える場所を目指して行っちまったか、巣に帰ったか。
 二羽で揃って来ていたんだし、巣には卵は無いだろうがな。卵があるなら、片方は残って温めてやらんと駄目なんだから。
「卵…。あの鳩、やっぱりオス同士かな?」
 巣は作ったから、誰か卵を産んでおいてね、って二人で遊びに出てたとか…?
 「お願いします」って言いにくい鳩のカップルでも、留守の時なら勝手に卵を置いて行けるし。
 帰ったら卵があるといいね、って言いながら帰って行くのかな…?
「さてなあ…?」
 その辺の事情は俺にも分からん、どうやって卵を預かるのかは。
 第一、あれがオス同士のカップルだったのかどうか、それも分からなかったんだが…?
「んーと…。オス同士だったら、ヒルマンとゼル?」
 さっきのカップル、ずっと昔はヒルマンとゼルって名前だったとか…?
「…それだけは無いだろ、ヒルマンたちだぞ?」
 あいつらが恋人同士だったとは、俺は全く聞いたことすら無いんだが…?
「そうだよね…」
 ヒルマンとゼルなら、隠す必要は無いんだし…。堂々と恋人宣言したよね、恋をしてたら。
 みんなの前でキスなんかもして、手だって繋いで歩いてるよね…。



 鳩のカップルがオス同士でも、ヒルマンとゼルのわけがないよね、と目をやった外。
 ハーレイも「当たり前だろうが」と笑って見ている、鳩のカップルがいた辺りの木の枝。
 きっとヒゲペンギンの名物カップル、ニールとロイも、ヒルマンとゼルではないだろう。彼らが鳥に生まれ変わって、カップルになってはいない筈。
 白いシャングリラでは多分、前の自分たちだけだった。男同士のカップルは。
 だから隠すしかなかったけれど。…鳥の世界では当たり前でも、人の世界では普通ではなかった男同士のカップルで恋をしていたから。
 その上、ソルジャーとキャプテンだった二人。
 シャングリラの命運を左右しかねない二人だったから、余計に隠し通したけれど。
 今度は恋を隠さなくても済む世界だから、二人、幸せに生きてゆく。
 鳥に生まれた方が良かったかも、とは少しも考えないで。
 いつか結婚出来る時が来たなら、ハーレイと同じ家で暮らして。
 前の生からの恋の続きを、前よりもずっと幸せな生を。
 いつまでも、何処までも、手を繋ぎ合って、生まれ変わって来た、この地球の上で…。




          つがいの鳥・了


※鳥の世界では珍しくない、雄同士のカップル。SD体制の時代でも、鳥だったなら安全。
 ミュウよりも幸せに暮らせそうですけど、前の生の記憶がある、今の人生を貰える方が幸せ。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv







(あれ…?)
 なんだかいつもと感じが違う、とブルーが立ち止まった場所。学校からの帰り道。
 バス停から家まで歩く途中で、普段と全く同じ道筋。其処にあるのは見慣れた生垣の家なのに。学校がある日は毎日通るし、今朝も通っていった筈。その時は感じなかった違和感。
(えーっと…?)
 この家の人は…、と住人の名前を確認しようと眺めたポストで気が付いた。門扉の隣にポストがつけてあるのだけれど…。
(変わっちゃってる…!)
 ポストに書かれた名前は同じ。幼い頃から知っている名前で、この家に住む御主人と奥さん。
 それは変わっていないのだけれど、ポストのデザインと色がすっかり。見慣れたポストは消えてしまって、違うポストがくっついていた。
(このせいなんだ…)
 家に比べれば小さいポスト。生垣のアクセントのように。
 だからポストの前に立つまで気付かなかった。小さな箱の存在に。郵便や新聞などを飲み込み、雨や風から守る箱。
 あると分かったら、前に見ていた箱との違いは…。
(大きいよね?)
 しげしげと見詰めた新しいポスト。まるで変わってしまったデザイン。前のポストは、ごくごく平凡だったと思う。特に目を引くものでもなくて。
 けれど今のは、小さな家の形のポスト。屋根の部分が蓋なのだろう。カラフルに塗られて、窓や玄関扉まで。オモチャの家かと思うくらいに。
 こんなに違うと、別の人が住んでいるかのよう。書かれた名前は同じなのに。会った時には挨拶している、顔馴染みの御主人と奥さんなのに。



 変身を遂げた郵便受け。門扉の隣の小さなポスト。家の印象が変わったくらいに、意外なほどの存在感。家の形をしているとはいえ、本物の家とは比較にならないミニサイズなのに。
 ポストでこんなに変わるなんて、と生垣や家全体を見回してから、また見たポスト。カラフルで可愛い小さな家。
(御主人の趣味かな?)
 それとも奥さんの方だろうか、と考え込んでいたら、出て来た御主人。庭の手入れをしに、家の裏からクルリと回って。
「ブルー君?」
 今、帰りかい、と穏やかな笑顔。
「こんにちは! えっと…」
 訊いていいのかな、と迷ったポスト。どう切り出せば…、と出て来ない言葉。そうしたら…。
「ポストだろう?」
 すっかり変身したからねえ、と可笑しそうに近付いて来た御主人。ポストの側まで。
 生垣越しにポストの屋根を触って、「こう開けるんだよ」と上げてくれた蓋。やっぱりパカリと屋根が開く仕掛け。窓と玄関はただの飾りで、そちらの方は開かないらしい。
 けれど、飾りの窓と玄関。それも開きそうに見えるくらいに、きちんと作り込まれたポスト。
 御主人の話では、遠い地域に住む娘さんからのプレゼント。結婚して、其処に引越して行った。その娘さんが子供たちと一緒に選んだポスト。
 「素敵なポストを見付けたから」と届けられた箱。お孫さんが描いた絵や手紙もついて。



 そういうわけで、御主人が取り付けた新しいポスト。前のポストは外してしまって。
「あっちの地域だと、こういうのが普通らしいんだけどね。娘が言うには」
 家の形は当たり前だそうだよ、他にも色々あるらしくって…。車なんかの形のも。
 せっかく送ってくれたんだから、と付けてみたけれど、この家には、どうも…。
 前のポストの方がいいような、と御主人は何処か心配そうだから。
「似合っていると思うけど…」
 このポストも、と触ってみたポスト。窓と玄関はホントに飾りだ、と。
「そうかい? これも似合うかい?」
「ホントはちょっとビックリしたけど…。気が付いた時は」
 いつもと感じが違ったから。…なんでだろう、って立ち止まっちゃった。この家の前で。
「そうだろうねえ、ポストは家の顔だから」
 家の感じも変わると思うよ、これが変わってしまっただけでね。
「え…?」
 家の顔って…。家の形のポストだから、っていう意味じゃないよね?
 キョトンとしたら、「まあね」とポストの屋根をつついた御主人。
「普通は玄関のことを言うんだけどね。…家の顔と言えば」
 ただ、この辺りだと、どの家も生垣ばかりだし…。庭もあるから、玄関は道を通る人の目には、直ぐに飛び込んでは来ないだろう?
 だからポストが顔なんだよ。こういう人が住んでいます、といった所かな。
「そっか…!」
 分かった、と顔を輝かせたら、御主人はポストを指差した。
「私はこんな顔になったらしいよ、この家の顔はこうだから。…なんだかねえ…」
「ハンサムだと思う!」
 とても素敵なポストだもの。まるで本物の家みたいで。
「ありがとう、ちょっと自信がついたよ。…このポストとも仲良くやっていけそうだ」
 実は恥ずかしかったものでね、と照れた御主人。「前のポストは地味だったのに」と。
 とはいえ、今日からはこういう顔だし、どうぞよろしく、と。



 カラフルなポストの家と別れて、自分の家まで帰って来て。
(ポストって、家の顔なんだ…)
 まじまじと眺めた、門扉の横にあるポスト。ごくありふれた形のポストで、さっきの小さな家の形のポストのようにはいかないけれど。パッと人目を引きはしないけれど…。
(でも、お隣のとは違うしね?)
 何処の家のも似たようなポスト、それでも何処か違うもの。大きさや素材や、塗ってある色で。家の前からグルリと見渡せる範囲に、そっくり同じポストは無い。ただの一つも。
 さっきの御主人が言った通りに、ポストは家の顔なのだろう。郵便物を届けてくれる人も、新聞配達をしている人も、この顔を見ながら入れるのだろう。「此処は、こういう顔の家だ」と。
 そうなってくると…。
(ハーレイが見てるの、ぼくの顔なの?)
 いつもハーレイが鳴らすチャイムも、ポストと同じに門扉の側。きっとポストも見ている筈。
 「ブルーの顔だな」と眺めているのか、それとも父か、あるいは母の顔なのか。
(…どの顔なわけ?)
 ポストには父と母の名前と、自分の名前。誰の顔でも良さそうだけれど、家の顔なら家族全員が揃うのだろうか?
(家の形のポストは、おじさんの顔だって言ってたし…)
 ならば、このポストも父の顔になるのか、悩ましい所。父らしいと言えば父らしいポスト。母の顔にも思えたりするし、なんとも謎なポストの正体。
 家の顔なのは確からしいけれど、いったい誰の顔なのかが。



 考え込みながら暫く見詰めて、門扉を開けて入った庭。本物の家の顔らしい玄関、其処を通って家の中へと。自分の部屋で着替えを済ませて、おやつを食べにダイニングに行くと…。
「ブルー、家の前で何をしてたの?」
 直ぐに入らずに立っていたでしょ、と母に訊かれた。何処かの窓から見ていたのだろう。
「ポストを見てた…」
「あら。郵便、来てた?」
 お買い物の帰りに、持って入って来たんだけれど…。あれから後にまた来たのかしら?
 それとも取り忘れた分があったかしら、と母が見ている庭の方。ポストがある辺り。
「見てただけだよ、ポストは家の顔だから」
「家の顔…?」
 ポストがそうなの、と怪訝そうな母。きっと玄関がそうだと思っているだろうから…。
「あのね…。ホントは玄関のことらしいんだけど…」
 今日の帰りに聞いたんだよ。ママも知ってるでしょ、あそこの家。
 ポストが違うのに変わっちゃってて、おじさんが「この家の顔なんだよ」って…。
 玄関は道から見えないけれども、ポストは何処も見えるから…。家の顔がポストなんだって。



 そう言ってたよ、と説明したら、「そういう意味ね」と微笑んだ母。「確かにそうね」と。
「道を通っていくだけの人なら、玄関よりもポストの方だわ」
 庭とかも見て歩くけれども、住んでいる人の名前はポストに書いてあるんだし…。
 家の顔になるわね、ポストだって。…玄関だけじゃなくて。
「そうでしょ? それでね…」
 うちのポストは、パパの顔になるの?
 それともママなの、うちのポストはどっちなの…?
「どっちって…。どうして?」
「ポストが変わっちゃってた家のおじさん、あのポストが自分の顔だって…」
 今日からこういう顔になるから、よろしく、って言っていたんだけれど…。
「それはたまたま、おじさんの方に会っちゃったからよ」
 おばさんも一緒の時に会ったら、二人分の顔ってことになるわよ。…きっと、そう。
 家の顔でしょ、おじさんもおばさんも、そのポストから分かる顔ってことね。
 うちだと、パパやママはもちろん、ブルーの顔も入るのよ。ポストの顔に。
「…ホント?」
 ぼくの名前も書いてあるけど、あのポスト、ぼくの顔にもなるの…?
「ええ、そうよ。家の顔だから、みんなの顔よ」
 パパもママもブルーも、ああいう顔ね。ポストが家の顔になるなら。
 ポストを見た人には分かるわけね、と母に教えられて、「なるほど」と納得したポスト。家族の顔は全部ポストが代表してくれて、父も母も自分も、あのポストの顔。
 特に変わったポストでなくても、ポストは家の顔だから。どの家のも、何処か違っているから。



 おやつを食べ終えて部屋に戻って、また考えてみたポストのこと。勉強机に頬杖をついて。
 門扉の脇にある小さなポストに、父や母の他に自分の顔もあるのなら…。
(ハーレイは、ぼくの顔だって見てるんだ…)
 あそこに立って待っている間に、あのポストに。チャイムを鳴らしてから、母が迎えに出てゆくまでに。ほんの少しの間だけれども、ポストを見たなら、其処にはチビの自分の顔も…。
(見えるんだよね?)
 そう思ったら、ポストを磨いてあげたい気分。柔らかな布でキュッキュッと。
 もっと素敵になるように。ポストと一緒に素敵な自分を、ハーレイに見て貰えるように。
 そのハーレイの家のポストは、どういう形だっただろう?
(えーっと…?)
 一度だけ遊びに出掛けた時に、ドキドキしながら鳴らしたチャイム。門扉の所にポストもあった筈だから、と記憶を辿って思い出してみて…。
(ハーレイらしいよ)
 一人暮らしなのに、沢山入りそうだったポスト。家族が大勢暮らしていても。
 きっと教師をやっているから、郵便物が多いのだろう。書類がギッシリ詰まった大きな封筒も。そういった物がはみ出さないよう、新聞だって奥まで入るようにと大きめのポスト。
 ハーレイならば、そうするだろう。後から困ってしまわないよう、余裕たっぷりにしておいて。
 人柄が滲み出ているハーレイのポスト。
 本当にポストは家の顔なんだね、と考えたけれど…。



(…家の顔…?)
 不意に浮かんだシャングリラ。遠く遥かな時の彼方で、前の自分が生きていた船。
 あの船にポストはあっただろうか?
 船に乗っていた仲間たちにとっては、シャングリラが家のようなもの。そのシャングリラには、ポストなんかは…。
(あるわけないよね…)
 ミュウに郵便は届かないから、シャングリラにポストを作っても無駄。家の顔ならぬ、船の顔になるポストは無かった。
 そして船の中でも無かった郵便。仲間同士で手紙を遣り取りするためのシステムは無くて、郵便配達は無かった船。だから個人の部屋にだって…。
(…ポスト、要らない…)
 届く郵便物が無いなら、作る必要が無いポスト。仲間たちの顔のポストは要らない。それぞれの部屋はあったけれども、部屋の顔になるポストは無かったと思う。
 居住区を思い浮かべてみたって、無かったポスト。通路にドアが並んでいただけ。
(それじゃ、招待状とかは…?)
 ソルジャー主催の食事会には、欠かせなかったものが招待状。エラが考案した仰々しいもの。
 出席者には招待状を出したわけだし、何処かに届けられた筈。それは何処に届いたのだろう?
 首を捻って考えたけれど、招待状を届けに行ってはいない。誰が配ったかも覚えていない。
(ぼくが貰った招待状は…)
 薔薇のジャムを作っていた女性たちからの招待状。白いシャングリラに咲いていた薔薇、それを使って香り高いジャムが作られていた。量が少ないから、希望者はクジ引きだったけれども。
 前の自分はクジを引かずに一瓶貰って、ジャムが出来る度にお茶会に招待されていた。ジャムを作る女性たちだけの内輪のお茶会、其処に招かれて行っていたものの…。
(招待状を持って来たのは、部屋付きの係…)
 ソルジャーだった自分はポストを覗いていないし、青の間にポストは無かった筈。あったなら、何度も覗いてみたろう。ソルジャーは暇だったのだから。
 何か届いていないだろうか、と覗きに行くには格好の場所が郵便受け。



 青の間には無かった、と言い切れるポスト。其処に招待状が届けられたら、係よりも先に覗きに出掛ける。何も届いていない時でも、きっと何度も覗いてみる。
(…暇だったものね?)
 部屋付きの係は常に控えているわけではないし、ポストを覗くのは格好の暇つぶし。あの部屋にポストがあったとしたなら、入口しか考えられないから。長いスロープを下りて行った先の。
(あそこまで歩いて行って、覗いて…)
 ポストに何か入っていたなら、ウキウキと手にして戻るのだろう。空だったとしても、この次は何かあるといいな、と考えながら戻ってゆく。もしもポストがあったなら。
(…覗くだけでも楽しいしね?)
 入口から離れたベッドからでも、サイオンで中は覗けるけれど。そうはしないで、歩いてゆく。これも大事な仕事とばかりに、部屋付きの係に任せはしないで。
(でも、覗いてはいないんだから…)
 青の間には存在しなかったポスト。覗きたくても、無かったポスト。前の自分の部屋の顔。
 ならば、他の仲間たちの部屋はどうだったろう?
 ポストを目にした覚えが全く無い居住区。どの部屋も全部、揃いの扉。通路にズラリと。
 其処に暮らす仲間たちに出された、ソルジャー主催の食事会への招待状。誰の部屋にもポストが無いなら、招待状は何処に届いたのだろう?
 確かにエラが印刷させていたし、御大層な封筒まであったのに。



 まるで分からない、招待状の届け方。ポストがあったら、其処に入れれば済むけれど…。
 いくら記憶を手繰り寄せてみても、見た覚えが無いポストというもの。今の時代なら、ポストは家の顔なのに。何処の家の前にもあるものなのに。
(まさか、手渡ししてたとか…?)
 白いシャングリラの仲間たちの部屋に、ポストは無かったのだから。…それでも招待状を出していたなら、出席する仲間に直接渡すしか無さそうな感じ。配る係が「どうぞ」と捕まえて。
 それだと目立ちそうだけれども、ソルジャー主催の食事会なら、いいのだろうか。
(…エラが強調していたものね、招待されるのは名誉なことだ、って…)
 他の仲間たちも見ている所で招待状を渡していたなら、余計に名誉な感じではある。招待された仲間は嬉しいだろうし、目にした仲間も「いつかは自分も」と励みに考えたりもして。
(やっぱり、手渡し…?)
 そうだったかな、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが来てくれたから、早速訊いてみることにした。今日もハーレイが見ていただろう、家のポストを思い浮かべて。
「あのね、ハーレイ…。シャングリラにポストは無かったよね?」
「はあ?」
 ポストだって、と丸くなった鳶色の瞳。「ポストというのは郵便ポストか?」と。
「郵便受けだよ、何処の家にもポストはあるでしょ?」
 ハーレイの家にも、ぼくの家にも。
 今日ね、ご近所さんが「ポストは家の顔だから」って言っていたんだよ。
 ぼくの家だと、パパとママとぼくの顔になってて、ハーレイの家だとハーレイの顔。
 でも、シャングリラだと、ポストはあった…?
 居住区の部屋には、仲間たちが住んでいたけれど…。ポスト、無かったような気がして…。
「家の顔か…。言われてみれば、ポストはそういう感じだな」
 住んでいる人の個性が出てくる代物ではある。似たようなポストでも色が違うとか。
 だが、シャングリラには、郵便というシステムそのものが無かったからな…。



 今の時代とは事情が違うぞ、とハーレイが口にする通り。前の自分の記憶でも同じ。
 シャングリラに郵便が無かったからには、きっとポストも無かっただろう。そんな船の中で何か届けるとしたら、さっき自分が考えたように…。
「…だったら、招待状は手渡しだった…?」
 ソルジャー主催の食事会には、招待状があったでしょ?
 エラが立派なのを印刷してたし、封筒だって…。あれは他の仲間も見ている前で渡してた?
 みんなの部屋にポストが無かったんなら、そういうことになっちゃうよね…?
「まさか。招待状なら、きちんと部屋に届けていたさ」
 そうでなければ変だろう。いったい何処で渡すと言うんだ、仕事場だとか食堂か?
 ただのメモならそれでもいいが、ソルジャーからの招待状だぞ?
 そいつを食堂だの、機関部だので渡すだなんて…。ソルジャーの威厳が台無しだろうが。
 エラが絶対に許しやしないぞ、「なんということをするのです!」とな。
「招待状、部屋に届けてたんだ…」
 いそうな時間に、部屋の扉をノックして?
 そういえばチャイムもついていたかな、居住区の部屋は。
「おいおい、其処まで面倒なことをしなくても…。あの部屋にだって、一応は…」
 郵便受けはあったんだ。其処に入れておけば、住人が留守でも届くってな。
「あったの、郵便受けなんか…?」
 シャングリラには郵便、無かったのに…。招待状を入れるためにだけ、作ってたとか?
「そうじゃない。郵便受けという名前がついてもいなかった」
 ただの書類の差し入れ口だな、俺の部屋にもあっただろうが。
 作っておかんと不便じゃないか。いろんな部署での会議とかもあるし、先に資料を配るとか…。
 そういった時に突っ込んでおくための場所があってだ、招待状も其処に配ったわけだな。



 部屋の住人が戻って来るまで待てるもんか、と言われてみれば確かにあった郵便受け。そういう名前は無かったけれども、留守の間にも、書類などを部屋に入れられるようにと作られたもの。
 キャプテンの部屋の扉の内側、時々、書類が入っていた。束になっていたり、一枚だったり。
(…ハーレイが部屋にいる時だって…)
 急ぎではない書類だったら、其処からコトンと入れられたもの。キャプテンの仕事は、ブリッジだけではなかったから。部屋に持ち帰って片付ける仕事や、航宙日誌を書くことだって。
 ハーレイの部屋で仕事が終わるのを待っている間に、何か書類が届いた時。「何か来たよ?」と覗きに出掛けて、「ほら」とハーレイに渡したりもした。時にはメモを読み上げたりも。
(…うん、メモだって入ってた…)
 都合のいい時間に連絡を、と書かれたメモやら、他にも色々。
 遠い記憶が蘇るけれど、やはり無かったという記憶。キャプテンの部屋には、郵便受けと呼べるものが備わっていたのだけれど…。
「…それ、青の間には無かったよ?」
 前のぼくの部屋には、郵便受けは…。あったら覗きに行った筈だし、無かったと思う…。
「お前の場合は必要無いしな、そんな仕組みは」
 ソルジャーなんだぞ、用があったら直接出向いて話をするのが礼儀ってもんだ。
 書類にしたって、渡すんだったら部屋付きの係を通さないと…。
 ソルジャーが自分で届いてるかどうかを調べに出掛けて、それを読むなんて言語道断だってな。
 エラが聞いたら、思いっ切り顔を顰めるぞ。「ソルジャーのお手を煩わせるなど、いったい何を考えているのです!」って声が何処かから聞こえて来ないか、そりゃあ物凄い剣幕でな。
 しかし、青の間には必要無くても、仲間たちの部屋には必要だった。郵便受けの親戚がな。
「だけど、それ…。家の顔にはならないね…」
 書類の差し入れ口っていうだけなんだし、何処の部屋でも同じだよ。個性はゼロ。
 扉の脇についてただけでしょ、幅も形もそっくりのが。…一番便利なサイズのヤツが。
「そもそも家じゃないからな」
 中に住んでる人間はいても、あれを家とは呼びにくいよなあ…。
 それぞれの城には違いなくても、我が家と言えるレベルにまでは達していなかったから。



 ただの部屋だ、とハーレイが指摘する通り。居住区の部屋は家とは違った。
 キャプテンなどの部屋を除けば、どの部屋も全く同じ構造。間取りはもちろん、内装でさえも。
 あの時代でも、人類が暮らす世界だったら、自由に変更出来たのに。同じ高層ビルにあっても、個人の好みで内装も間取りも変えられたのに。
 けれど、シャングリラでは不可能だった。自給自足で生きてゆく船では、個人の自由にならないことも多かったから。これが最適な構造なのだ、と決められた部屋は変えられない。
 個人で変更出来た範囲は、家具とそれを置く場所くらい。他は全く同じ部屋。
「…シャングリラ、なんだか寂しい船だね…」
 どの部屋も、まるで同じだなんて。…住んでいる人が違うだけなんて…。
 ポストを家の顔にしたくても、どの部屋も同じじゃ無理だよね。同じ部屋しか無いんだから。
「そうだな…。同じ部屋がズラリと並んでたんだし、病院みたいな感じだが…」
 考えようによってはホテルにもなる。そっちならそれほど寂しくないぞ。
「ホテル?」
「うむ。似たような部屋が並ぶだろうが、ホテルってトコも」
 豪華ホテルだと、そうでもないがな。…全部の部屋が違う内装になっていたりして。
 しかし、一般的なヤツなら、同じフロアならどの部屋も似たり寄ったりだ。…そうだろう?
 それにシャングリラには、スイートルームもあったわけだし…。其処もホテルと同じだな。
「スイートルームって?」
 あったっけ、そんな立派な部屋が?
 キャプテンの部屋とか、長老の部屋なら大きかったけど…。あれのことなの?
「そんなケチくさいヤツじゃなくって、もうとびきりのスイートルームだ」
 お前やフィシスの部屋だな、うん。…普通の仲間の部屋だったら、幾つ入ることやら…。
「あの部屋、そういう扱いになるの?」
「当然だろうが、特大だぞ?」
 青の間にしても、天体の間にしても、とてつもない広さを誇ってたわけで…。
 あれがスイートルームでなければ、なんだっていう話になるぞ。…ホテルならな。
「…スイートルーム…」
 うんと高くて豪華な部屋のことだよね、それ?
 立派なホテルとか豪華客船にあって、他の部屋とは桁違いの広さと設備がある部屋で…。



 青の間はスイートルームだったのだ、と聞かされた途端に、こけおどしだった無駄に広い部屋が立派な部屋に思えて来た。まるでフィシスの部屋のように。
 ハーレイが言うスイートルームは、フィシスの部屋の方でも同じ。天体の間の奥にあった部屋。
 天体の間は皆が集まるホールを兼ねていたのだけれども、普段は基本的には無人。其処を自由に使っていたのがフィシスで、フィシスの居間のようなもの。
 フィシスの部屋に住みたかった女性は、きっと大勢いただろう。天体の間に置かれたテーブルと椅子でお茶を楽しんだり、広い部屋をゆったり散歩してみたり。
(フィシスみたいなドレスは無くても、うんと贅沢な気分だよね…?)
 同じお茶でも、居住区の部屋で飲むより断然いい。お姫様になった気分になれる部屋。
 フィシスの部屋が女性の憧れだったら、青の間で暮らしたかった男性も多かっただろうか…?
 そちらもスイートルームなのだし、とハーレイに尋ねてみたのだけれど。
「えっとね…。前のぼくの部屋、欲しかった仲間が大勢いたかな?」
 青の間で暮らせたら素敵だよね、って思っていた男の人たち、多かったのかな…?
「お前の部屋か…。誰もいなかったんじゃないのか?」
 一度も調べてみたことは無いが、そんな仲間はいないと思うぞ。
「いないって…。青の間、スイートルームなんだよ?」
 フィシスの天体の間と同じなんだし、シャングリラの中のスイートルーム。うんと広くて。
 青の間はどうか知らないけれども、フィシスの部屋には、憧れてた女の人、多い筈だよ。
 あそこを一人で好きに使えて、お茶だってゆっくり飲めるんだから…!
「そっちは大勢いただろう。調べなくても想像がつく」
 だがな、青の間だと多分ゼロだな。…暮らしたがるヤツは誰もいなかったと思うんだが…?
「青の間の何処がいけないの?」
 フィシスの部屋と同じで広いよ、明るくないのが嫌われるのかな…?
「違うな、責任つきって所だ」
「責任…?」
 なんなの、それ…。責任つきって、どういうこと?
「その通りの意味だ。…青の間は誰の部屋なんだ?」
 あそこに住んだら、ソルジャーなんだぞ。シャングリラを守ってゆかなきゃならん。
 フィシスの方なら、ちょっとくらい夢も見られるが…。ソルジャーはなあ…。



 憧れるどころの騒ぎじゃないぞ、とハーレイは重々しく瞬きをした。
 フィシスならばミュウの女神というだけ、未来が読めれば充分な存在とも言える。そういう力を持っていたなら、誰でもなれそうな女神がフィシス。天体の間で暮らせる女性。
 タロットカードで未来を読み取り、それを告げれば良かったフィシス。告げた未来にフィシスは何の責任も無い。嵐が来ようが、災いだろうが、それを避けるのはフィシスの仕事ではない。
 だから誰でも夢を見られる。フィシスのように暮らせたら、と。
 けれど、ソルジャーはそうではない、と語るハーレイ。白いシャングリラを、仲間たちの未来を守ってゆくのがソルジャーの役目。青の間に住むなら、その仕事までがついて来る。
 居住区の部屋で暮らしていたなら、守って貰う方だったのに、ガラリと変わってしまう生活。
 守られる者から、守る者へと。
 導かれる立場から、導く者へと。
 ソルジャーはそういう存在だから。青の間を居室にするのだったら、ソルジャーとして生きねばならないから。



 そうだろうが、と真っ直ぐに見詰めるハーレイ。「違うのか?」と。
「責任ってヤツが重すぎるってな、ソルジャーの方は」
 フィシスだったら、責任はうんと軽いんだがなあ…。未来さえ読めりゃいいんだから。
 だがソルジャーだと、そうはいかない。未来さえ変えていかなきゃならん。…前のお前がやったみたいに、自分を犠牲にすることになっても。
 お前がメギドに行っちまう前から、誰だって承知していただろうさ。ソルジャーが背負っている責任ってヤツも、それがどれほど重いものかも。
 青の間に住めば、もれなくそれがついてくる。…誰も住みたがらないな、そんな部屋には。
 どんなに広くて立派だろうが、住み心地が良さそうに見えていようが。
「…青の間、スイートルームなのに…」
 嫌われちゃうわけ、少しも人気が無いってわけ…?
 フィシスの部屋なら住みたい人が大勢いるのに、青の間はゼロになっちゃうだなんて…。
「当たり前だろうが。ウッカリ其処に入ったが最後、とんでもない責任を背負うんだから」
 値段が高すぎて泊まれないような、豪華ホテルのスイートルームの方がまだマシだ。
 そっちだったら、コツコツ貯めれば泊まれる日だって来るからな。泊まる値打ちも充分にある。
 責任つきの青の間よりかは、誰だってそっちを選ぶだろうさ。
「そういうものなの?」
 青の間だって、スイートルームみたいなものなのに…。他の部屋とは違うのに。
「個性の無い居住区の部屋にいたなら、守って貰える立場だからな」
 間取りや内装を変えられなくても、住めば都というヤツだ。ミュウの楽園には違いない。其処に住んでりゃ、人類の手から一応は逃れられるんだから。
 せっかく気楽な部屋があるのに、責任つきの部屋に移りたいか?
 それも船全体を守る立場のソルジャーなんかを、やりたいヤツはいないだろうな。
 というわけでだ、青の間という名前のスイートルームは、誰一人、希望しないってな。
 フィシスの部屋なら大人気でも、青の間の方は予約どころか問い合わせも来ない状態だろうさ。
「うーん…」
 問い合わせる人もゼロってわけなの、青の間だと…?
 予約したい人だって誰もいなくて、泊まりたい人は一人もいないんだ…?



 なんとも酷い、と頭を抱えたくなった青の間。喜ばれないらしいスイートルーム。無駄に広くて立派だった部屋は、本当に役立たずで誰も欲しがらなかった部屋。
 スイートルームでもその有様か、と溜息を零していたのだけれど。
「…お前の部屋はスイートルームだったが…。とびきり上等の部屋だったんだが…」
 他の部屋にも個性はあったぞ。…青の間ほどではなかったがな。
「個性って…。何処に?」
「部屋の顔だな、家の顔とも言えるかもしれん」
 どの部屋にもあった郵便受けだ。…そういう名前じゃなかったんだが。
「無いって言っていたじゃない!」
 ただの部屋だって言ったの、ハーレイだよ?
 何処も同じで、郵便受けだって全部おんなじ。部屋の顔も何も、あるわけがないよ…!
「それがだ、少しはあったってな。…誰の部屋にも」
 中には全くこだわらないヤツもいたが、そうでなければ、ささやかな工夫はあったんだ。
 同じような扉が並ぶわけだし、此処が自分の部屋なんだ、という主張だな。
 郵便受けの所に、ネームプレートをつけているヤツが多かった。…番号の他に。
 ネームプレートをつけるって所で、まずは個性の表れだろうが。
 そのプレートの文字の書き方、それに凝ってるヤツもいた。こだわりのサインをしてみるとか。
 他にも色々、自分ならではの工夫だな。
 ちょっとした飾りをくっつけてみたり、絵をあしらったり、出来る範囲で。



 覚えていないか、と尋ねられたら、ぼんやりと浮かんで来た記憶。
 白いシャングリラの居住区の部屋と、扉の横のネームプレート。書かれた名前を確認する前に、住人が分かる部屋が幾つもあった。プレートの色とか、添えられた飾りやイラストなどで。
 女性だけではなくて、男性でも。舵輪の飾りをあしらった者や、他にも様々。
「…あったね、色々なネームプレートが…」
 シャングリラでも、ポストは家の顔だったわけ?
 家じゃなくって部屋だったけれど、それでも其処に住んでる仲間の顔だったんだ…?
「そうなるな。お前の部屋には、肝心のポストが無かったんだが…」
 住んでいます、っていうネームプレートにこだわりたくても、ポストが無いと…。
 残念だったな、前のお前は。…部屋はあっても、家の顔を貰い損なったんだな。
「そうだよ、おまけに喜ばれないスイートルームだったよ!」
 うんと広い部屋なんかを押し付けられてて、それなのにポストは無しなんだよ…!
「気持ちは分かるが、そう怒るな」
 今度は俺と同じポストを持てるだろうが。
 まだまだ先だが、俺と一緒に暮らす時には、俺たちの家の顔のポストなんだぞ?
 俺とお前の名前を書いてだ、家の前にそいつを取り付けるわけで…。
「本当だ…!」
 ハーレイとぼくの顔になるんだね、家の顔のポスト。
 今のポストから、二人用のポストに変えちゃっていいの?
「もちろんだ。こういう話にならなくてもだ、お前の好みを訊かんとなあ…」
 どういうポストを選びたいのか、まずは其処から考えないと…。
 個性溢れるポストがいいとか、地味でもいいから使い勝手のいいのだとかな。



 俺たちの家に相応しいポストにしようじゃないか、とハーレイがパチンと瞑った片目。
 「前のお前は、ポストを持ってなかったしな?」と。
 せっかく言って貰えたのだし、いつかハーレイと結婚する時は、ポストも二人で選んでみよう。
 どんなポストが売られているのか、それを調べて、あれこれ探して。
 今日の帰りに見掛けた家のポストみたいに、イメージがガラリと変わってもいい。
 ハーレイと二人で暮らし始めたら、ハーレイらしい顔をしている今のポストから、二人の顔に。
 ポストは家の顔だから。
 ハーレイと自分の顔になるのが、二人で暮らす家の前にあるポストなのだから…。




           家とポストと・了


※シャングリラには無かった、郵便ポスト。家の顔ですけど、工夫した人もいた郵便受け。
 船の中でも、個性が出ていたネームプレート。今度は、ブルーも郵便ポストを持てるのです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








(んーと…)
 気持ち良さそう、とブルーが眺めた新聞の写真。学校から帰って、おやつの時間に。
 青い海辺で、ヤシの木に架かったハンモック。大きな二本のヤシの木の幹、それの間に。両方の端を幹に結んで、架け渡して。
 写真を撮るためだからだろうか、誰も乗ってはいないけれども…。
(乗ってみたいな…)
 このハンモックに。此処からは遠い南の地域の、海辺に架かった白いハンモック。
 きっと気持ちがいいのだろう。上に寝転んでも、座るようにして乗っかっても。
 ゆらゆらと揺れて、まるで青い空に浮いているようで。ハンモックではなくて、見えない空気に支えられて。
 前の自分は飛べたけれども、それとは違う感覚だろう。自分の力で浮いているより、こうやって浮ける方がいい。ハンモックの上に乗っかって。青い海と空を眺めながら。
 写真に写った広い海も空も、南国の青をしているから。
 もう本当に真っ青な空と、目が覚めるように青い海。前の自分が焦がれた青より、地球の青より濃い青色。澄んだ青色、海も空も。
(こういう青空…)
 それに海だって、自分は知らない。写真や映像で知っているだけ。
 こういった空や海がある場所、南の地域に旅をしたことが一度も無いから。
(前のぼくだって…)
 知らない青空、濃い青の海。場所によってはサンゴ礁があって、緑色にも見える海。
 白いシャングリラが長く潜んだ、アルテメシアには無かった南国の景色。一面の雲海に覆われた星は、テラフォーミングされた星だったけれど…。
(…ヤシの木が普通にあるような場所は…)
 何処にも無かったのだった。
 南国の植生が似合う場所には、築かれなかった育英都市。アタラクシアもエネルゲイアも、ごくありふれた気候だったから。人間が暮らすのに丁度いい気温の、標準的な。



 前の自分が生きた時代は、それが普通の都市だった筈。
 テラフォーミング中の星を除けば、何処の星でも似たり寄ったり。人間が生きてゆければ充分、多彩な気候を作り出すより、標準型の都市がいい。その方が何かと便利だから。
(…育英都市だと、そうなっちゃうよね?)
 どの子供たちも同じ環境、それで育てるのが一番いい。教育はもちろん、暮らす場所だって。
 生まれ育った環境によって、人は変わってゆくものだから。南国育ちの子供だったら、大らかな子に。寒さが厳しい場所で育てば、辛抱強い頑張り屋。
 そういう傾向があると聞くから、あの時代ならば差が出ないようにしていただろう。育英都市を設けるのならば、アルテメシアのような気候の場所にしようと。
(大人が暮らしている星だったら…)
 酷寒の星もあったと思う。資源の採掘用などで。
 暑すぎる星も、同じ理由で存在していただろうとは思う。
 けれど、こういう南国の景色。ヤシの木にハンモックを吊るしたりして、楽しめる場所は…。
(何処かにあった…?)
 娯楽のためにと、標準型ではない気候にした都市。南国風に整えられた環境。
 あの時代にもあったのだろうか、人間がのんびり生きられる場所。其処に子供の影が無くても、大人たちが人生を満喫してゆける場所。
 ヤシの木にハンモックを架けて。青い海と空を眺めて、風に吹かれて。



 暖かい星なら出来ただろうか、と考えてみた南国風の都市。
 資源の採掘や軍事拠点に使わないなら、育英都市も作らないなら、可能かもしれないヤシの木が育つ暖かな場所。此処なら出来る、と海を作って、整備していって。
 余裕が無い星だと出来ないよね、と前の自分が生きた時代の宇宙を思い浮かべていたら…。
(ノア…!)
 ふと思い出した、首都惑星ノア。人類の最初の入植地。
 地球を思わせる青い星だったけれど、白い輪が「違う」と告げていた。地球には無かった、白い色の輪。あれは氷で出来ていたのか、それとも白い岩だったのか。
 肉眼で見たことは無かったけれども、前の自分も知っていた星。あそこには、確か…。
(あったと思う…)
 ヤシの木が生えている海辺。そういう記憶。
 あった筈だ、と言い切れるけれど、どうして知っているのだろう?
 ノアの知識は持っていたものの、南国風の景色まで。海辺に生えていた筈のヤシの木、濃い青の空と海までを。
(…ソルジャーとして必要なの?)
 その知識は、と問い掛けた時の彼方にいた自分。ソルジャー・ブルーだった自分。
 地球ならともかく、ノアのヤシの木や海辺の景色。
 同じノアでも、パルテノンに纏わる情報だったら、まだ分かるけれど。パルテノンがヤシの木に囲まれていたなら、青い海辺にあったのなら。
 そう思うけれど、まるで引っ掛からないパルテノンのこと。
 ヤシの木があった景色の辺りに、人類の最高機関は無かったらしい。少しも繋がらない記憶。
 パルテノンとは別だったと分かる、ノアの海辺に生えたヤシの木。



(なんで…?)
 どうしてヤシの木が出て来ちゃうわけ、と戻った二階の自分の部屋。…新聞を閉じて。
 あの新聞が始まりだよね、と座った勉強机の前。海辺のヤシの木とハンモック。
(…前のぼく、なんでヤシの木なんか…)
 知っていたの、と不思議でたまらない。
 首都惑星だったノアの知識は必要だとしても、ヤシの木を知っていた理由。ノアにはヤシの木が生える海辺があるのだ、と。
 役に立ちそうもない知識なのに、前の自分は覚えていた。何処かで目にしただけだったならば、直ぐに忘れてしまったろうに。膨大な記憶の海に沈んで、それきりになって。
 なのに忘れずに、今でも思い出せるなら…。
(ハンモックに乗りたかったとか…?)
 記憶にあるのはヤシの木だけれど、其処に吊るしたハンモック。それに揺られて、青い空と海を見たかったとか。…今の自分が写真を眺めて、「乗ってみたいな」と思ったように。
 まさかね、と否定しかけたけれども、可能性としては…。
(ゼロじゃないかな?)
 白いシャングリラで生きる間に、色々な夢を描いていたのが自分だから。
 焦がれ続けた、青い地球に。
 いつか地球まで辿り着いたら、あれもこれもと描いた夢。青い地球でやりたかったこと。
 もしかしたら、ヤシの木の記憶も、その中の一つ。ヤシの木と、その幹に吊るすハンモックと。
 ノアにはヤシの木があるのだと知って、「いいな」と思って抱いた夢。
 きっと地球にもあるだろうから、ヤシの木にハンモックを吊るしたいと。
 アルテメシアでは見られない青の海と空とを、ハンモックに揺られながら楽しむ。青い地球まで辿り着けたと、こんな景色も見られるのだと。



 前の自分が憧れそうな夢。地球の海辺で、ヤシの木に吊るすハンモック。
 寝転んで乗ったり、座って乗ったり、それは素敵に違いないから。南国の青い空と海とを、風に揺られて心ゆくまで。…ハンモックがゆらゆら揺れる間に、ウトウトと眠ったりもして。
(そうなのかも…?)
 本当にハンモックだったのかな、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれたから、もう早速に切り出した。テーブルを挟んで向かい合うなり。
「あのね、前のぼく…。ヤシが好きだった?」
 好きだったのかな、今でも思い出せるほど。…今のぼくになっても、忘れないほど。
「はあ?」
 ヤシってなんだ、と見開かれた瞳。鳶色の瞳が、「何事なんだ」と。
「ヤシの木だってば、暖かい所に行けばあるでしょ」
 それにハンモックを吊るしたりもするよね、海の側に生えてるヤシの木だったら。
「あるなあ、ヤシの木も、そいつに吊るすハンモックも」
 南の方だと名物ってヤツだ、旅の案内でも定番だ。のんびり過ごしてみませんか、とな。
 しかし、どうして前のお前になるんだ?
 ヤシが好きだったか、と俺に訊くなんて、何処からヤシになったと言うんだ。
「えっと…。ヤシの木とハンモックの写真…」
 新聞に載ってて、今のぼくでも、こういう景色は見てないよ、て思ったんだけど…。
 前のぼくも知ってるわけがないけど、それなのに…。
 覚えてたんだよ、前のぼくが。ノアのヤシの木、知ってたんだよ。ノアにあった、って。
 だから、ハンモックに憧れたかな、って…。
 ヤシの木だけだと、「そういう木だな」で終わりそうだけれど、ハンモックがあれば話は別。
 いつか地球まで辿り着いたら、海辺で乗ってみたいよね、って思っていそう。
「なるほどなあ…」
 それでヤシだと言い出したのか。ヤシの木と、吊るすハンモックと。



 ヤシな、と大きく頷くハーレイ。「確かにお前の夢ではあった」と。
「ついでに、お前が考えた通り、ハンモックもセットになってたな」
 前のお前の夢の中では、ヤシの木と言えばハンモックだ。そいつを吊るして楽しもうと。
「やっぱり、そう?」
 それでノアのも知ってたのかな、あそこにヤシの木が生えていたこと。
 前のぼくは肉眼でノアを見ていないけれど、ちゃんと覚えているんだよ。ノアの景色を。
 データベースの情報だろうね、ヤシの木が生えている海辺。
 きっと地球にもあるだろうから、早く本物のヤシの木を地球で見たいよね、って…。
「最終的には、そういう夢になっていたんだが…。逆だ、逆」
 前のお前が考えた順番、逆だってな。
「逆?」
 どういう意味なの、逆だなんて。…考えた順番が逆って、なに?
「そのままの意味だ、文字通りに逆というヤツだ」
 地球よりも先に、ノアのヤシの木があったんだ。白い鯨を作る時にな。
「え…?」
 ノアが先だなんて、それにシャングリラの改造って…。ヤシの木は何処で出て来るの?
 前のぼくの夢、なんでシャングリラに繋がってるの?
「覚えていないか、いろんな公園、作ったろうが」
 ミュウの楽園にするんだから、とデカイ公園の他にも幾つも。…居住区の中に。
 ヤシの木とハンモックも、その時にあった話だな。
 南国風って案が出たんだ、会議の席で。言い出したのはゼルとブラウだ、そいつがいいと。
「そうだっけね…!」
 思い出したよ、ノアのヤシの木。あの二人が写真を持って来たっけ…。



 シャングリラを改造しようという時、何度も開かれた様々な会議。大人数での会議はもちろん、長老の四人とソルジャーとキャプテンだけの会議も。
 南国風の公園の案は、長老たちが集まる席で出て来た。六人だけの小さな会議で。
 ブラウとゼルが欲しがったもの。船に作ろうと考えた公園。
 ヤシの木を植えて、それにハンモックを吊るす。二本のヤシの間に架け渡してもいいし、一本のヤシの幹に吊るす方法も。
 「ノアではこうだ」と、資料の写真を出して来た二人。珍しくヒルマンとエラではなくて。
「楽しそうだと思わないかい、こういうのもさ」
 海は無いけど、ヤシを植えることは出来るじゃないか、というのがブラウの提案。
「その海もじゃ、本物は無理でも映像という手があるからのう…」
 上手い具合に投影したなら、海辺の気分を出せるじゃろう。波の音も流してやればいいんじゃ。
 シャングリラの中に南国風の公園なんじゃぞ、まさに楽園というヤツじゃ。
 夢じゃ、ロマンじゃ!
 現にノアでは、こうやって実現しておるわい、とゼルが指差したヤシの木の写真。ハンモックが吊るされ、その向こうには青い海と空。
 ノアの海は人工とはいえ、本物の海。シャングリラで海は不可能だけれど、映像技術で補うと。
 公園を幾つも作るわけだし、一つくらいはこういう公園も、と。



 ヤシの木を植えて、ハンモック。遊び心が溢れる公園。映像の海が広がる公園。
 南国風に整えるのだし、制服では暑いほどの場所。きっと楽しい公園になる、と二人は言った。
「制服なんかは脱いじまってさ、のんびりするのに良さそうだよ」
 あたしたちだって、とてもマントは着てられないね。制服抜きの公園ってのも素敵じゃないか。
 それにヤシの実は食べられるって話だよ、とヤシの木の写真をつついたブラウ。写真の中では、実などは実っていなかったけれど。
「ヤシの木にも色々あるそうじゃぞ」
 食えるヤツならナツメヤシにココヤシ、他にも美味いのがあるかもしれん。
 ヤシもそうじゃし、南国風の気温に調整するなら、他の植物も育てられるでな、とゼルも語ったヤシの木の魅力。実が食べられる所もいいんじゃ、と。
 二人はヤシの木を推したけれども…。
「ヤシの実か…。それは全員に行き渡るのかね?」
 ナツメヤシにしても、ココヤシにしても、とヒルマンが述べた自分の意見。船の仲間たちに実を配れないなら、私は賛成出来ないが、と。
「そうですよ。でなければ不公平なことになります」
 たった一つの公園でしか、ヤシの実が採れないというのなら。…皆に配る分が採れないのなら。
 美味しい実ならば、貰えない者から不満が出ます。貰えないとはどういうことか、と。
 私も賛成出来ません、とエラもヒルマンと同じ考え。
 実をつける木を育てるのならば、皆に等しく行き渡るだけの数を育ててゆくべきだ、と。
 農場ほどには大規模でなくても、何処の公園でも実をつける木たち。
 南国風の公園でしか育たないヤシは、皆が平等に実を食べられないなら、許可出来ないと。



 居住区に作る小さな公園の一つ、植えられるヤシの木は多くはない。一番広くなりそうな場所を選んだとしても、皆に行き渡るだけの実など採れない。どう考えても不可能なこと。
 ゼルとブラウは顔を見合わせ、二人で相談し合ってから。
「それなら、眺めるだけのはどうじゃ」
 ヤシの実は食えなくてもいいじゃろう。美味い実がなる木しか植えないわけではないし…。
 南国風の景色を演出するために、ヤシの木を植えてやればいいんじゃ。
 それでどうじゃ、とゼルは方針を切り替えた。公園のヤシの木は観賞用だ、と。
「あたしもそれでいいと思うよ、ヤシの木は充分、使えるからね」
 ハンモックを吊るせば、ゆったり海辺の気分ってヤツだ。映像で出来た海でもね。
 そういう公園、一つくらいはあったって…、とブラウも諦めなかったけれど。
「映像の海は確かに素敵でしょうが…。ハンモックの方が問題です」
 皆が平等に使えるのですか、それを使いたいと思った時に?
 順番待ちをしている間に、休憩時間が終わるようではいけませんよ、とエラが顰めた眉。
 公園は憩いの場所になるのだし、皆が満足出来ないと…、と。
「難しいだろうと思うがね…。ヤシの木の数には限りがあるから」
 ハンモックは幾つも吊るせないよ、とヒルマンも乗り気にならなかった。ヤシの木と映像の海がある公園、それは人気が高くなるに決まっているのだから。ハンモックだって、乗りたがる仲間が列を作って並ぶだろうから。
 「どう思うかね?」とヒルマンが意見を尋ねたハーレイ。キャプテンの考え方はどうだ、と。
「…キャプテンとしては、それは賛成出来かねます」
 争いの種にはならないでしょうが、やはり不満は燻るかと…。その公園で遊び損ねた者の間で。
 いずれは飽きて順番待ちの列が無くなるとしても、それまでの期間が厄介です。
 ソルジャーはどう思われますか?
 魅力的ではあるのですが、とハーレイに問われた南国風の公園。ヤシの木とハンモック、それに映像の海が売り物になるという公園。
「…素敵だろうとは思うけれども、不平等な公園というのもね…」
 公園の趣旨から外れているような気がするよ。作るからには、やっぱり皆が楽しめないと…。



 良くないだろう、と前の自分も退けた。南国風の公園を作るという案を。
 他の仲間たちに諮るまでもなく、反対多数で通らなかった、ヤシの木とハンモックがある公園。映像の海を投影しようと、ゼルとブラウが言った公園。
 けれど、白い鯨が出来上がった後に…。
(海辺にヤシの木…)
 それにハンモック、とデータベースで改めて調べてみた情報。ふと思い付いて。
 出て来た写真と映像たち。一気に惹き付けられた風景。
 ゼルとブラウがこだわった理由はこれだったのか、と真っ青な海に目を奪われた。青い空にも。
 アルテメシアには無い色の青。空も、海の青も。
 その青を背にして並ぶヤシの木、其処に架かったハンモック。吹き渡る風が見える気がした。
 青く煌めく海を渡って、ヤシの梢の葉を鳴らして。吊るされたハンモックを揺すっていって。
(…乗っかってる人の写真もあって…)
 一人で寝転んでいる人もいれば、二人並んで腰掛ける人も。本を読んでいる人だって。
 見るからに気持ち良さそうだった、ノアの海辺のハンモック。ヤシの木陰も、白い砂浜も。
(きっと、地球なら…)
 地表の七割が海の地球なら、このノアよりも広い海辺があるのだろう。
 ヤシの木が並ぶ砂浜を一日歩いたとしても、まだまだ先が続くのだろう。砂浜も海辺も、ヤシの木だって。二日歩いても、三日歩いても、青い海辺も空も砂浜も、その果てがまるで見えなくて。
 きっとそうだ、と思った地球。
 南国風の公園どころか、歩いても果てが見えない海辺。何処まで行っても続くヤシの木、砂浜も青く透き通る海も。濃い青色が眩しい空も。
 それを見たい、と食い入るように眺めた映像。それから写真。ノアの海辺に生えたヤシの木。
 まずはノアまで、そして青い地球へ。
 白いシャングリラで宇宙を旅して、ミュウの存在を人類に認めさせて。
 いつか地球まで辿り着いたら、ヤシの木がある広い海辺で、ハンモックに。濃い青色をした空を見上げて、南国の青に染まった海が奏でる波の音を聴いて。



(あれで行きたくなっちゃって…)
 前のハーレイとの夢に追加した。地球に着いたら、やりたいことの一つとして。
 ヤシの木がある海辺に出掛けて、ハンモックに揺られて過ごすこと。南国の風を味わうこと。
 友達同士だった頃から、地球でやろうと決めていた。恋人同士になった後にも。
 ハンモックに乗るなら二人でもいいし、並べて吊られたハンモックに乗って過ごすのもいい。
 どちらでも、きっと素敵だから。語らいながら風に揺られて、真っ青な空と海を眺めて。
 鮮やかに蘇って来た記憶。前の自分が夢に見たこと。
「そっか、前のぼくの夢だったんだ…」
 ヤシの木と、それにハンモック。地球にもあるよね、って思い込んでて…。
 あの頃の地球には、青い海なんか無かったのに。…ヤシの木だって、何処にも無かったのに…。
 ノアにあったから、とても素敵に見えたから…。
 いつかハーレイと地球に着いたら、ハンモックに乗ろうと思っていたんだっけ…。
「元々はゼルとブラウの夢なんだがな」
 あいつらが夢を見ていなかったら、前のお前はどうだったんだか…。
 公園の案にもアッサリ反対していたからなあ、お前だけでは思い付かなかったかもしれないな。
 ゼルとブラウは遊び心の塊だったが、前のお前は違ったし…。
 わざわざノアのデータを調べて、ヤシの木とハンモックを見付けたかどうか、怪しいモンだ。
「そうかもね…」
 ヤシの木のことは本で知っていたけど、ハンモックは知らなかったかも…。
 知っていたって、ヤシの木に吊るすことまでは多分、知らないよ。興味津々で調べないから。
 シャングリラの中だと、ハンモックの出番は無いんだもの。
 あったとしたなら、何かの理由でベッドが足りなくなっちゃった時。床で寝るのも難しい、ってことになったら、ハンモック、吊るすだろうけれど…。
「シャングリラでやるなら、そいつだろうなあ…」
 まるで大昔の船みたいだな、実際、使っていたらしいしな?
 船室がうんと狭い船だと、人数分のベッドが置けないから。下っ端はコレだ、とハンモック。
 偉いヤツらは、もちろんベッドで寝ていたんだが。



 船長だったら船長室だ、と教えて貰った遠い昔の船のこと。まだ帆船の時代だった頃。それより後の時代になっても、使われていたハンモック。狭い船では。
 シャングリラでは出番が無くて良かった、とホッと安堵の息をついたら…。
「船はともかく、今のお前はどうなんだ?」
 ハンモック、と鳶色の瞳に見詰められた。そいつの出番はありそうか、と。
「えっ…?」
 出番って…。ぼくの部屋には、ちゃんとベッドが置いてあるから…。
 きっと出番は無いと思うよ、この部屋が駄目でも、ゲストルームにベッドがあるしね。
「そうじゃなくてだな…。寝床に使う話とは別だ、前のお前の夢の話だ」
 今のお前も、ハンモック、乗ってみたいのか?
 新聞で見たと言っていただろ、ヤシの木に吊るしてあるヤツを。
 今の地球にはちゃんとあるんだ、前のお前が夢に見た通りのハンモックがな。
 お前もそいつに乗ってみたいか、と訊いているんだが…。
「えーっと…。気持ち良さそうだと思うけど…」
 乗ってみたいな、って思っていたけれど…。前のぼくの夢を忘れていても。
 あれに乗っていたら、青い空に飛んで行けそうだから。
 今のぼくは空を飛べないけれども、ハンモックに乗ったら空に浮けるよ。ハンモックに揺られて空を見てたら、きっと本当に飛んでる気分。風だって周りを吹いていくでしょ?
 それにね、前のぼくの夢を思い出したから…。
 本当にあれに乗ってみたいよ、ぼくだけじゃなくて、ハーレイと。
 前のぼくがやりたかったみたいに、ハーレイと二人で、ヤシの木に吊るしたハンモック。
 同じハンモックに乗ったっていいし、隣同士で吊るしてあるのに乗るのもいいよね。



 今のぼくだって乗りたいみたい、とハーレイに話したハンモック。真っ青な空と海がある場所、ヤシの木が何本も並ぶ海辺で。南国の青が広がる中で。
「前のぼくの夢、今なら叶いそうだから…」
 本物の地球のヤシの木もあるし、ハンモックだって吊るしてあるんだから。
「今のお前も乗りたいわけだな、前のお前と全く同じに」
 なら、いつか行くか?
 今は無理だが、お前が大きく育ったら。…俺と結婚して、旅に行けるようになったなら。
「連れてってくれるの?」
 ヤシの木がある所へ、ハンモックに乗りに…?
 ハーレイと二人で乗りに行けるの、ヤシの木に吊るしたハンモックに…?
「もちろんだ。前のお前の夢は叶えると約束しただろ、地球でやろうとしていた夢は」
 思い出したなら、端から全部。…旅に出るのも、何をするのも。
 今のお前の夢でもあるなら、叶えないわけがないってな。お安い御用というヤツだ。
 ハンモック、乗りに行こうじゃないか。前のお前の夢を叶えるのに、ピッタリの場所へ。
 ああいう場所は山ほどあるしな、お前が好きに選ぶといい。何処へ行くかは。
「…幾つもあるんだ、ヤシの木にハンモックを吊るしてる場所…」
 地球は広いものね、海があってヤシの木が生えている場所も、きっと沢山。
 何処にしようか迷っちゃうかも、あんまり沢山ありすぎて…。
「そうなるだろうな、前の俺たちが生きた頃とは違うんだから」
 あの時代だと、前のお前の夢が叶う場所は、ノアくらいだったことだろう。他の星だと、多分、余裕が無かったろうさ。ヤシの木が自然に育つ海辺を作れるほどには。
 しかし今なら、そういう星も少なくないぞ。テラフォーミングの技術が進んでいるからな。
 そして地球だと、御覧の通りというわけだ。
 前のお前が夢見た通りに、すっかり青い水の星だしな?
 暖かい南の方に行ったら、海辺にヤシの木は珍しくもないという寸法だ。ハンモックを吊るして昼寝も出来れば、のんびり本も読めるってな。
 行列を作って並ばなくても、好きな所に吊るして貰って。それこそ朝から晩までだって。



 星空の下で乗っているヤツもいるわけで…、とハーレイが話してくれた、ハンモック事情。青い海と空が夜の色に染まって、降るような星が瞬く頃にも、ヤシの木にハンモックはあるらしい。
 其処で眠りたい人もいるから、星空を見たい人もいるから。
「ハンモック、夜も乗れるんだ…。昼間だけじゃなくて…」
 そんなの、思いもしなかったよ。前のぼくも、今のぼくだって。
 星を見るのも素敵だろうね、波の音が良く聞こえそう。…昼間よりも、ずっと。
 ハーレイはヤシの木、見たことがある?
 植物園の温室とかじゃなくって、本当に海辺に生えているヤシ。
「もちろん、あるぞ。…ハンモックにも乗ってるが?」
 船でのベッド代わりじゃなくてだ、ヤシの木に吊るしてあるヤツに。
「…ハーレイ、先に乗っちゃったんだ…」
 ぼくと乗ろうね、って約束したのに、先に一人で…。
 約束したのは前のぼくだから、今のぼくとは違うんだけど…。
「すまん、あの時はまだ、お前のことを思い出してはいなかったから…」
 ヤシの木がある所まで来たら、コレだよな、と何も考えずに乗っちまった。一緒に行ってた連中とな。一人に一つで、そりゃあのんびりと…。
 お前との約束、覚えていたなら、「俺は乗らない」と別行動にしたんだが…。
 一人で海に泳ぎに行くとか、サイクリングに出掛けるだとか。
「…分かってるけど、ちょっと残念…」
 ハーレイと一緒に乗りたかったよ、青い地球でハンモックに乗る時は。
 二人一緒にドキドキしながら、どんな感じか、ヤシの木とハンモックを何度も眺めて。
「俺もだな…。なんだって、先に一人で乗っちまったんだか…」
 お前と一緒に俺もワクワクしたかった。こいつは初めて乗るモンだが、と。
 船なら嫌と言うほど乗ったが、ヤシの木に吊るしたハンモックなぞは前の俺だって知らないし。
 初めて乗るなら、お前と乗りたかったのに…。それが最高だったのに…。
 とんだ失敗をしちまった。記憶さえ戻っていたならなあ…。
 お前とはまだ出会ってなくても、俺にはお前がいたんだってことに気付いていたら…。
 これじゃ、お前と出掛けて行っても、感動ってヤツが少なめで…。そうだ!



 ハンモックは先に乗っちまったが…、とハーレイが浮かべた楽しそうな笑み。
 「ヤシの木の方なら、愉快なヤツが残っているぞ」と。
「とびきりのヤツだ、今の時代の地球ならではだな」
 サルにヤシの実を採って貰わないか、という提案。それなら俺も初めてだから、と。
「…サル?」
 サルって何なの、ヤシの実を採るなら、動物のサルのことだよね…?
「そのサルさ。そういう文化を復活させてる地域があるんだ」
 人間が地球しか知らなかった時代に、サルを使ってヤシの実を採っていたんだな。木に登るのはサルの得意技だし、人間がやるより早いから。
 其処へ出掛けて、「お願いします」と注文をしたら、サルに命令してくれるんだ。ヤシの木から実を採って来い、とな。
 すると目の前で、サルがヤシの木に登っていって、だ…。ちゃんと実を抱えて戻って来る。
 その実を「どうぞ」と渡して貰って、俺たちが頂戴するわけだ。
 ココヤシだからな、中のジュースを美味しく飲む、と。
 サルの飼い主が、殻を割ってストローを刺してくれるから。
「面白そう…!」
 それは食べられるヤシの実なんだね、ゼルとブラウが公園に植えようと思っていたヤシ。
 船のみんなに行き渡らないから、駄目だって言われちゃったヤシ…。
「そうなるな。だが、俺たちが旅で出掛ける先なら、ヤシの実だってドッサリだ」
 なにしろ本物の地球だからなあ、ヤシの木も山ほどあるってな。…もちろん、実だって。
 俺とお前がおかわりしたって、ヤシの実は減りもしないんだろう。ヤシだらけだから。
「それなら、何度も頼めるね。また見たいから、ってサルにヤシの実」
 喉が渇いたよ、って思う度に注文してたって。…他にもお客さんが大勢いたって。
「大丈夫だろうな、其処ならヤシの実は珍しくもないモノなんだから」
 この話は俺の教師仲間から聞いたんだ。其処へ行くなら、是非やって来い、と。
 俺は話を聞いただけだし、この目で見てはいないから…。



 お前とヤシの木を見に行く時には、其処にしよう、と勧めてくれたハーレイ。
 その場所も海辺で、見渡す限りにヤシの木が続いているそうだから。白く輝く砂浜だって。
「ハーレイ、其処って、ハンモックもあるよね?」
 ヤシの木に吊るしたハンモック。…それに乗るのも大切なんだよ、約束だから。
 前のぼくたちだった頃から、地球に着いたら、二人で乗ろうっていう約束…。
「あるに決まっているだろう。でなきゃ、お前を誘わないってな」
 ちゃんと聞いたから間違いはない。俺に教えてくれたヤツだって、ハンモックに乗ってのんびり過ごしていたそうだ。それこそ朝から晩までな。
 ついでに海辺にコテージがあって、其処に泊まれる。窓の下は直ぐに海なんだ。
 泊まった部屋から泳ぎに行けるのが売りらしいから、俺が潜りに出掛けて行ったら、美味い魚も獲れるってな。頼めばそいつを料理してくれると聞いてるが…?
「ホント!?」
 なんだか凄いね、ハンモックに乗れるだけじゃないんだ…。
 サルがヤシの実を採って来てくれて、中のジュースをストローで飲めて…。
 それに魚も獲れちゃうんだね、泊まってる部屋から潜りに出掛けて。
「うむ。なかなかにいいと思わんか? …ハンモックはウッカリ乗っちまったが…」
 お前のことを覚えていなくて、俺だけ先に乗って失敗したんだが…。
 その分、しっかり埋め合わせってヤツをしないとな。今の俺に出来る限りのことを。
 せっかく二人で地球に来たんだ、前の俺は死の星だった地球しか見られなかったが…。
 お前はそれすら見られなかったが、今じゃ立派な本物の青い地球だしな?
 ハンモックにも乗りに行かなきゃいかんし、他にも約束は山ほどだ。
 お前と地球まで来られたからには、どれも端から叶えてやるのが俺の役目というヤツだよな。



 今を大いに楽しまないと、とハーレイが約束してくれたから。
 青い地球まで二人で来たから、いつかヤシの木を見に出掛けよう。
 前の自分が憧れた景色を、真っ青な空と海を従えて、すっくと伸びている本物のヤシを。
 南国の海辺でヤシの木を仰いで、夢だったハンモックにも二人で乗ろう。
 ハーレイと同じのに揺られてもいいし、隣同士のハンモックだって。
 濃い青の空と海を眺めて、星が降る夜に乗るのもいい。風に揺られるハンモックに。
 そうやって二人、のんびりと過ごす。
 喉が渇いたら、サルが採って来てくれたヤシの実の中のジュースを飲んで。
 ハーレイがコテージから海に潜って、「美味そうだぞ」と獲った魚を二人で食べて。
(きっと、幸せ…)
 二人で乗ろう、と約束していたハンモック。
 先にハーレイが一人で乗ってしまったけれども、そのくらいはきっと小さなこと。
 本物の地球に来られた幸せ、その大きさに比べたら。
 前の自分が夢に見ていた、青い水の星でハーレイと二人で生きる幸せ。
 それを大いに楽しんでゆこう、ハーレイがそう言ってくれたから。
 いつかは二人でハンモックに乗って、ヤシの木を見上げられるのだから…。




            ヤシの木の夢・了


※前のブルーの夢の一つだった、地球でハンモックに乗るということ。ヤシの木に吊るして。
 ハーレイは記憶が戻る前に乗ってしまいましたけど、そのお蔭で増えた、幸せな未来の約束。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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