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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(…ふむ)
 秋なんだな、とハーレイはブルーの家へと歩き始めて間もなく目を細めた。住宅街を抜けてゆく中、印象的な垣根を設けた家が一軒。
 レース細工のように繊細な葉を茂らせた蔓草、カスミ草を思わせる小さな白い花。それから丸く膨らんだ無数の丸い実、風に揺れる軽くて重さの無い実たち。
 風船カズラ。
 この家の夏のシンボルマーク。夏の間は緑一色だった実が、かなり茶色く変わって来た。中身の種が熟した印。緑から黄色へと色を変えた実や、薄い茶色になった風船や、すっかり焦げた茶色で萎んでしまった風船やら。
 まだ涼やかな緑色をしている風船カズラの蔓だけれども、秋が深まるとシーズンを終える。沢山実った風船も全て、翌年のための種を宿して萎むのだけれど。



(そういえば…)
 シャングリラでは植えていなかった風船カズラ。白い鯨には無かった蔓草。
 それが今では…。
(ブルーは多分、知らんだろうしな?)
 よし、と庭の手入れをしていた家人に声を掛け、その実を幾つか分けて貰った。淡い緑色の風船ではなく、茶色く乾いた風船を。
 まだふんわりと空気を中に閉じ込め、手のひらに乗せれば触れ合ってカサコソと鳴る風船を。
 道中で壊れてしまわないよう、透明な袋を膨らませた中に入れて貰って。
「すみません、庭仕事でお忙しいのに」
「いえいえ、楽しんで頂けると嬉しいですよ」
 好きで植えてるヤツですからね、と庭仕事をしていた主人は笑顔で返してくれた。風船カズラは一年中楽しめるものではないから冬は垣根が寂しくなるのだが、やめられないと。
 別のものに変えるつもりはないから、来年も沢山の風船が垣根に鈴なりに揺れるだろうと。



 分けて貰った風船カズラ。
 まるで重さを感じさせない袋を手にして、あちこちの庭や公園を眺めながら着いたブルーの家。
 二階のブルーの部屋に案内され、テーブルを挟んで向かい合って座り、紅茶のカップを前にして訊いた。例の袋を開け、茶色く乾いた軽い風船を一つ取り出しながら。
「ブルー、こいつを知っているか?」
「えーっと…?」
「風船カズラの実なんだが…。もっとも、こいつはすっかり乾いてしまっているがな」
「うん、知ってる。ハーレイが来るのとは反対の方に、毎年植えてる家があるから」
 乾いちゃう前は薄緑色で、コロンと丸くてホントに風船みたいだよね。
 こうして茶色に変わっちゃっても、まだまだ風船なんだけど…。風が吹いたら揺れているけど。
 ハーレイ、これをどうするの?
「植えようと思ったわけではないが…。
お前、風船カズラの種って、見たことがあるか?」
「無いけど…。ぼくの家では植えていないし、パパもママも植えようって言わないし」
 だから毎年、見てるだけだよ。
 今年も風船が沢山あるな、って。触ったりつついたりはしてるけれども、中身は知らない。



「うむ、持って来た甲斐があったってな」
 ご近所さんに頼んで貰って来たんだ、もしかしたらお前は知らないかもな、と思ってな。
「えっ?」
 ブルーはキョトンと目を丸くした。見慣れた風船カズラの実。空気を閉じ込めて膨らむ風船。
 可愛らしい実が売りの植物だと思っていたのに、種にも何か素敵な仕掛けがあるのだろうか?
「一つ、自分で開けてみろ。幾つも分けて貰ったからな」
 ほら、と差し出された茶色い風船。乾いて皺が寄った風船。
「…この中、種が一杯なの?」
「いいから、そいつを開けるといい。何処から破っても種が出て来る」
「…んーと…」
 細かい種が部屋に飛び散ってはたまらない、とブルーは紅茶のカップをテーブルに移すと、下のソーサーを受け皿代わりに風船をそうっと注意しながら破ったのだが。
「あれっ?」
 三つだけしか入っていないよ、風船の中身。
 小さな種が三つだけだよ、それに三つとも真ん中にしっかりくっついてる。
 もっと一杯、詰まってるかと思ったのに。砂粒みたいな種がドッサリかと思っていたのに…。



 風船カズラの実は三つの小部屋に分かれていた。
 三つの区画に分かれた風船、一つの小部屋に五ミリくらいの黒い種が一つ。真ん丸な種が。
 小部屋は互いにくっつき合って育つらしくて、三つの種も実の真ん中で背中合わせにくっついているのだけれど。
 風船が揺れても外れないよう、しっかりとくっついているのだけれど…。
「その種は、だ。三つだけしか入っていないが、其処から外すと…」
 ちょっと面白いことになるんだ、外してみろ。こんな種かとビックリするぞ。
「そうなの?」
「うむ。とにかく外してみるんだな」
 簡単に外れる筈だから、と言われたブルーは「ふうん?」と黒くて丸い種を一個、外してみて。
「わあっ!」
 凄い、と他の二つも外して、ソーサーに置いてまじまじと眺めた。
 真ん丸な黒い種に、くっきりと白いハートのマーク。
 風船にくっついていた種の背中の部分がハートの模様。



「この種、ハートマークがくっついてるよ!」
 凄いや、綺麗なハートの形。風船を破っただけだとハートマークだって分からないんだね。
「やっぱりお前は知らなかったか、風船カズラのハートマークを」
「うん。ハートマークがくっついた種が入ってるなんて、今の今まで知らなかったよ」
 どういう種の植物なのかも考えたことが無かったかも…。
 風船みたいな実が出来るんだし、ちょっとくらいは不思議に思ってもいいのにね。
「この模様がついてるせいなんだろうな、心臓の種って学名らしいぞ、風船カズラ」
 ハートマークだから、ハートで心臓。風船って名前はついてないんだ。
「心臓なの? 心臓よりかはハートがいいなあ、愛してます、って学名だとか」
 せっかくハートのマークなのに。
 心臓の種なんて名前じゃ、そのまんまじゃない。もっと素敵な名前を付ければ良かったのに…。



 ハートマークの種は三つだけだったから、ブルーはそうっとテーブルに置いて。
 転がらないように破った風船の中に収めて、紅茶のカップを元のソーサーの上へと戻した。
 小さくて黒い、白いハートが描かれた種。
 ハーレイがわざわざ持って来てくれて、開けてみろと勧めた風船の中から出て来たから。期待に胸を膨らませながら、向かい側に座る恋人に向かって訊いてみた。
「それで、これってプロポーズなの?」
「そう思うか?」
「だって、ハートのマークがついた種だよ、それを渡されて開けてみろって言われたよ?」
 どう考えても、これってプロポーズでしょ?
 それとも、いつかプロポーズするための練習だった?
 ハートのマークを中に隠してプレゼントなんて、ぼく、想像もしなかったよ…!



 案の定、ブルーは大喜びではしゃいでいるから。
 何処に植えようかと、来年はこれを庭に植えるのだと、ハートの種をつついているから。
 ハーレイは喉をクッと鳴らすと、小さな恋人に風船カズラの真実を教えることにした。
「その種なあ…。プロポーズに使おうってヤツもいるんだが…」
「いるんだが…って?」
 プロポーズ以外の使い道があるの、この種に?
 もしかしてハーレイ、違う意味の方で使おうと思って持って来たとか?
「そんな所だ。実はな、三つ入ってる種の一つがお前だっていう話もあってな」
 前のお前だ、ソルジャー・ブルーだ。三つの種の一つがそうだと言うらしいぞ。
「嘘!」
 なんでそういうことになるわけ、前のぼくだなんて。
 前のぼくと、この種のハートのマークは関係無いと思うけど…。
 これが入ってた風船カズラだって、前のぼくとは何の関係も無いんだけれど…!
「まあな」
 普通に考えれば無関係だな、とクックッと笑いを漏らしながら。
 ハーレイは小さな恋人を見詰めた。前の自分と風船カズラは無縁だと言い張る小さなブルーを。



「お前、烏瓜っていうのを知ってるか? 秋に赤い実が出来るヤツだが」
「知ってるけど…」
 風船カズラと同じで垣根とかに絡んでいる蔓草でしょ?
 食べられるかどうかは知らないけれど…。
「毒ってわけではないんだが…。不味いらしいし、食うヤツはいない。しかし人気のある実だぞ」
 あれの種がな、縁起物でな。わざわざ探しに出掛けようって人もいるほどだ。
「そうだったの?」
「種の形が打ち出の小槌に似ているのさ。だから財布に入れておきたくなるってわけだ」
 打ち出の小槌だ、振れば宝物が出るんだからな。財布に入れればお金が増えるという縁起物だ。
「ハーレイ、入れてる? 烏瓜の種」
「俺は其処まで欲張らんぞ」
 別のを入れているからな。烏瓜の種まで突っ込まなくても今の所は間に合っている。
「銭亀だっけね、ハーレイのお財布に入っているのは」
「うむ。だが、親父の家には打ち出の小槌が無いこともない」
「えっ?」
「親父が釣り仲間に貰った烏瓜が庭に植わっているからな」
 秋になったら勝手に実るさ、打ち出の小槌。その内に枯れて萎んで、何処かに落ちる。そういう打ち出の小槌が転がっちゃいるが、親父たちの財布には入っていないな。
「そういう意味かあ…」
 お父さんたちは打ち出の小槌も入れているのかと思っちゃったよ、お財布に。
 古いものとかが好きだと聞くから、烏瓜の種の打ち出の小槌も好きなのかなあ、って。
「まるで嫌いではないんだろうなあ、烏瓜を植えてる所をみると」
 たまに通り掛かった人に頼まれて、実をプレゼントしているらしいぞ。打ち出の小槌を知ってる人には気前よく、ってな。



 その烏瓜の種の他にも…、とハーレイはブルーに種の話をしてやった。
「梅の種には天神様って神様が入っているだとか。遠い昔の日本って国には、種を何かに見立てる文化があったわけだな」
 種が落ちれば、其処から新しい木だの草だのが生えて来る。硬いだけの塊に見えてもな。
 そういった不思議さが種ってヤツをだ、天神様とか打ち出の小槌にしたのかもしれん。その種の文化を復活させて来た人たちの中の誰かが思い付いたんだろうな、風船カズラも。
「だから、何なの? 風船カズラ」
 打ち出の小槌とは全然違うよ、ハートマークのプロポーズの実だよ?
「お前だと言ったろ、前のお前だと」
「なんで前のぼく?」
 ハートマークも風船カズラも、前のぼくは関係ないってば!
 前のぼくの服にハートマークはついてなかったし、風船カズラだって植えてなかった。あの草は何処にも無かった筈だよ、シャングリラの。



「そりゃそうだろうな、あくまで見立てているわけだしな」
 前のお前がハートマークだとも、風船カズラを植えていたとも言っちゃいないさ、その話は。
 それで一つ、訊くが。
 前のお前や俺たちのための記念墓地。あれの構造、どうなっている?
「記念墓地?」
「ノアのでも、アルテメシアのでもいい。要は配置だ、記念墓地での墓碑の場所だな」
 前のお前のが一番奥に一つだけ立ってて、別格で…。
「そうだよ、ぼくだけ独りなんだよ!」
 酷いよ、その前にあるジョミーとキースのは並んでいるのに。二人並べて作ってあるのに。
「それはともかく、それ以外の連中は俺も含めて、その他大勢って扱いだよな?」
「そうだけど…。その記念墓地がどうかした?」
「三人分だけ、特別だろう?」
 前のお前と、ジョミーとキース。
 SD体制崩壊の立役者だった二人と、其処までに至る全ての始まりだった前のお前と。
 今の世界を作った三人。その三人の心臓がこいつに入ってるってな、風船カズラの実の中に。
 なにしろ必ずハートの種が三個入っているんだし…。
 三人の英雄の心臓が入った神秘の実なんだ、風船カズラは。



「こじつけだよ!」
 そんな種だと言われても困る、とブルーは叫んだ。
 いくら英雄扱いの三人であっても、由緒正しい烏瓜の種の打ち出の小槌には敵わないと。
 死の星だった地球が蘇るほどの時が流れても、歴史と重みがまるで違うと。
「そうさ、前のお前たち三人が生きてた頃にもあったからなあ、風船カズラは」
 シャングリラじゃ育てていなかっただけで、ごくごく普通に庭に植えられていた馴染みの植物。
 だから定着しなかったってな、新しい説を唱えてみても。
「なんでハーレイが知ってるの、それを?」
 定着したってわけでもないのに、何処で聞いたの、風船カズラと前のぼくたちの話なんかを?
「烏瓜の種を調べていた時、偶然な」
 俺の記憶が戻る前の話さ、お前と出会うよりもずっと昔に何処かで読んだ。
 それっきり忘れちまってたんだが、今日になって思い出したんだ。
 おかしなもんだな、風船カズラを貰って来た家、毎日のように前を通っているんだが…。いつも沢山実がついてるな、と眺めてるんだが思い出さないままだった。
 もしかしたら神様が教えて下さったのかもなあ…。
 前のお前たちの心臓が入った実だから、この大切な風船カズラを広めなさい、とな。



「そんなの、定着しなくていいから!」
 風船カズラなんか広めなくっていいんだから、とブルーが頬を膨らませる。
 自分は全く嬉しくないのだと、三人分の心臓が入った風船カズラの実は要らないと。
「いいと思うが…。実に見事な、いいこじつけだと思うがな?」
 実際、前のお前は頑張ったんだし、そのくらいの御褒美、貰っておけ。本当に英雄なんだから。
「……ぼくとジョミーとキースが最悪」
「は?」
 怪訝そうな顔をしたハーレイに、小さなブルーは大真面目な瞳で風船カズラを示して言った。
「種が三つが最悪なんだよ。二つしか入っていなかったら、許す」
 ぼくと、ハーレイ。
 二人分の心臓が入っているなら、風船カズラの種が前のぼくでも許してあげるよ。
「それは有り得んぞ!」
 どうして前のお前と俺になるんだ、種が二つで。
 前のお前とセットで二つの種だと言うなら、其処はジョミーかフィシスじゃないのか?
 キャプテン・ハーレイは絶対に出ない。
 ジョミーか、でなけりゃミュウの女神のフィシスしか無いぞ、前のお前と二つセットの心臓は。



 無理があり過ぎる、と唸るハーレイだったけれども。
 小さな恋人は風船カズラの種をつつきながら、澄ました顔で。
「うん、誰も見立ててくれないだろうけど…。ハーレイとぼくっていうのは無理だろうけど…」
 前のぼくとジョミーとキースの三人で、風船カズラのハートの種。
 そんなヘンテコな話があるなら、二つしか種が入っていない風船カズラ。
 種が入る部屋が二つしか無い、二つだけの種の風船カズラ。
 それが前のぼくとハーレイの実だよ、探してきてよ。
 そういう形の風船カズラの実を探し出して、「これだ」ってぼくに見せてよ、ハーレイ。
「どうするつもりだ、そんなのを探して?」
 絶対に無いとは言わないが…。
 何かのはずみに三つある筈の部屋が二つになっちまった風船カズラの実があるかもしれんが…。
 それを探してどうするんだ?
「決まってるでしょ、プロポーズだよ!」
 前のぼくとハーレイが入っている実を見付けたから、って。
 ハートのマークがくっついた実をプロポーズに使う人、いるんでしょ?
 ピッタリの実だよ、種が二つの風船カズラ。前のぼくとハーレイの心臓が入った風船カズラ。



 それがいいな、とブルーが言うから。
 見付けて来てよ、と小さなブルーが言うから、ハーレイは苦い顔をした。
「おいおいおい…。チビのお前には早すぎるだろうが、プロポーズは」
 探さないからな、種が二つの風船カズラ。なんで探してまで、チビのお前に渡さねばならん。
「そう言うと思った」
 ハーレイ、探してくれそうにないし。
 ぼくが小さくてチビの間は、絶対探してくれないんだ。プロポーズだってしてくれなくて。
「ふむ…。だったら、お前、こいつを育ててみるか?」
 この種を来年、庭に蒔いておけば風船カズラが生えて来る。今から蒔いておいてもいいぞ。芽が出る季節まできちんと眠って、春にヒョッコリ生えて来るから。
 芽が出て来たなら、水をやって大きく育ててやって…。
 実をドッサリとつけさせてやれば、望み通りの種が二つの実が一個くらいは出来るかもな。
 そしたらその実を俺に教えて、「あれを取って来て」と言えばいいんだ。
「やだ」
「何故だ?」
 お前が欲しがってる、種が二つの実じゃないか。
 チビのお前にプロポーズは出来んが、プロポーズごっこなら付き合ってやるぞ?
「プロポーズごっこは嬉しいんだけど…。本物のプロポーズだと、もっと嬉しいんだけど…」
 その前に、ぼくとジョミーとキースが沢山。三人分の心臓が入った実が沢山。
 二つしか種の無い風船カズラが出来るかどうかも謎なんだよ?
 出来なかったら何年育てても、ぼくとジョミーとキースの実ばかり。
 いつまで経ってもハーレイとぼくの心臓が入った実が出来なくって、腹が立つから。

「じゃあ、お前、この実は要らないんだな?」
 テーブルの上の、その種だって。
 前のお前とジョミーとキースの実だっていうだけで欲しくないんだ、と。
「腹が立つしね」
 ジョミーやキースと一緒にされても、ぼくはちっとも嬉しくないし!
 三人仲良く同じ実の中に詰まってるなんて、悪夢だよ。
 同じ実の中に部屋を作って、くっつくんなら断然、ハーレイ。部屋は二つだけあればいいんだ。
「ふうむ…。だったら、俺がプロポーズに風船カズラの実を持って来ても断るんだな?」
 プロポーズにとハートのマークの種を渡されたら、受ける場合は貰うそうだが…。
 それを大切に残しておいてだ、結婚してから新居の庭に植えるそうだが、お前は要らん、と。
 俺のプロポーズごと突っ返すんだな、ジョミーとキースがセットの実なんか要らない、ってな。
「…ど、どうしよう…」
 要らないって言ったら、そのプロポーズまで断ったことになっちゃうの?
 ひょっとしてハーレイ、プロポーズのつもりで持って来てたの、風船カズラ?
 ぼく、断ったことになってないよね、風船カズラの実のプロポーズ…?



 まさかプロポーズを断ってしまったのではないだろうか、と慌てふためく小さなブルー。
 プロポーズだったらどうしようか、と赤い瞳が揺れているから。
 不安の色を湛えているから、ハーレイは「大丈夫さ」と銀色の頭を褐色の手でポンと叩いた。
「そういうプロポーズの形はあるがだ、お前にはまだ早すぎだ、ってな」
 だから、お前は断っちゃいない。断るようにも俺は仕向けていない。
 風船カズラの実は持って来ただけだ、面白い話を思い出したから教えてやろうと思ってな。
「本当に? その実、受け取らなくてもいいの?」
「腹が立つんだろ、ウッカリ植えたら。種が三つの風船カズラがドッサリ出来たら」
 ジョミーやキースと一緒の家だと、三人分の部屋がセットだと、お前、嬉しくないんだろうが。
 今日の所は持って帰るさ、プロポーズのための実じゃないんだからな。
「持って帰るって…。ぼくの代わりに育ててくれるの?」
「ご近所さんの庭に放り込んでおく」
「えっ?」
「こいつを貰ったご近所さんの庭さ、風船カズラが大好きな家の」
 さっき教えたろ、今から蒔いても大丈夫だって。
 其処の家では種を蒔いてるわけじゃないんだ、秋に落ちた種が春に芽を出して育つんだ。垣根の所に放り込んでおけば、来年の春にちゃんと生えて来る。
 そうして夏には大きく育って、小さな緑の風船ってヤツが垣根一杯に揺れるわけだな。
 運が良ければ、お前の望み通りの実だってあるかもしれない。
 前のお前と、前の俺の心臓が入った風船カズラ。
 種が二つだけの風船が一個、何処かに混じってフワフワと揺れているかもなあ…。



「前のぼくとハーレイの心臓が入った風船カズラかあ…」
 部屋が二つしか無い風船カズラの実って、どんな形になるんだろう?
 ハーレイ、あったら直ぐに気が付く?
 もしもそういう実が混じってたら、沢山の中に一つだけでも見付け出せる…?
「そりゃまあ、なあ…。こんな話になっちまったからには、見付けた時には嬉しいだろうが…」
「ぼくたち、来年の風船カズラの実が出来る頃まで覚えてるかな?」
 今日の話を。種が二つの、部屋が二つの風船カズラは特別だってこと。
 前のぼくとハーレイの心臓が入った、素敵な風船カズラなんだってことを…。
「忘れてるだろ、何処かにデカデカと書いて張り紙でもすれば話は別だが」
「やっぱり?」
 忘れちゃうかな、そういう風船カズラの実が欲しかった、ってことも綺麗に。
 ぼくは子供だから忘れそうだし、ハーレイも色々と忙しいから忘れそうだよね…。
「うむ。お互い、明日には忘れてそうだな」
 風船カズラを何処かで見たって、前のお前とジョミーとキースの実だってことも思い出さずに。
 ハートのマークの種が入っているんだってことも、実だけ見てたら思い出さずに。
 しかしだ、種が二つしかない風船カズラの実に出会ったなら、俺は途端に思い出すだろうな。
 前のお前と俺のための実だと、二人分の心臓が入った実だと。
 お前はどうだ?
 そういう実、見付けたら思い出さないか…?
「思い出すに決まっているじゃない!」
 これをハーレイに教えなくちゃ、って目印を付けるよ、実のある所に。
 そして「取らないで下さい」って札も付けるよ、誰かが持ってってしまわないように。
 それから、風船カズラを育ててる人にちゃんとお願いするんだよ。
 この実を下さいって、この実を分けて欲しいんです、って。



 風船カズラの膨らんだ実には、一粒の種が入った部屋が三つずつ。
 一つの風船に種は三つで、ハートのマークがついた種は心臓。SD体制を倒した英雄たちを表す心臓の種が三つ入って、前のブルーと、ジョミーとキース。
 今はプロポーズにも使われる実の中に、三人の英雄の心臓があると言うのだけれど。
 ソルジャー・ブルーの生まれ変わりのブルーは不満でたまらない。
 種は二つで充分なのだと、前の自分とハーレイの心臓だけが入った実がいいのだと。種が入った部屋は二つだけ、三つ目の部屋は要りはしないし、欲しくもないと。
「ホントのホントに、種は二つでいいんだけどなあ…。風船カズラ」
「俺もお前と二人で入れる実がいいんだがな、ジョミーとキースに取られるよりはな」
「そうでしょ? 前のぼくとハーレイの部屋だけあったら充分なんだよ、風船の中」
「違いない。ジョミーとキースには出てって貰って、俺が住むとするか」
 変な形の実になっちまおうが、知ったことではないからな。
 風船カズラの実に前のお前が入っているなら、強引に俺が住み着くまでだ。
 ジョミーとキースは追い出しちまって、お前と二人で住むための部屋だけ作ってな。



 風船カズラの種が入った部屋が三つだからこそ、前のブルーとジョミーとキースなのだけれど。
 部屋が二つで種が二つでは、誰も彼らを思い出してはくれないのだけれど。
 もしもそういう実が出来たなら…、とハーレイとブルーは笑い合う。
 たとえ二人とも、今日の話を忘れ去ってしまった後であっても。
 その時には思い出すであろうと、この実が前の自分たちを表す実なのだ、と。
 二つの部屋で、二つだけの種。前のブルーとハーレイの心臓が入った風船カズラ。
 そうして二人、それを眺めて幸せに浸る。
 プロポーズはもう、とうの昔に済んだ後かもしれないけれど…。




           風船カズラ・了

※風船カズラの中には心臓が三つ。前のブルーと、ジョミーと、キース。そういうお話。
 素敵ですけど、広まらなかったみたいです。風船カズラの種についてるハートのマーク。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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(ほほう…)
 開いていた新聞を次のページへとめくったハーレイの顔が綻んだ。
 以前だったら気にも留めずにページを繰っていたであろう、ブライダル特集。広告なども挟んで数ページにわたる、ウェディングドレスや花や挙式といった華やかな記事。
 結婚式が多い季節だし、今日は休日。結婚を考えている人は是非読んでくれということだろう。
(今はまさにベストシーズンだしな?)
 人気の季節は春と秋、それにジューンブライドで知られた六月。秋の土曜日ともなれば、新聞で特集を組むだけの価値はありそうだ。
(現に俺だって気付いたわけだし…)
 休日もハーレイは普段通りの時間に起きていた。ブルーの家に出掛けるにはまだ早いから、この記事をゆっくり読む時間がある。
 そう、大きなマグカップに淹れた熱いコーヒーを楽しみながら。



(こいつはブルーには無理だろうなあ…)
 朝一番に届いている筈だけれども、ブルーの家での新聞の定位置はダイニングのテーブル。
 小さなブルーは其処で朝食を食べているのだが、テーブルにはブルーの両親も居る。新聞は父が真っ先に読んで、次が母かブルーといった所か。
 たとえ父や母が広げる新聞にこの記事をブルーが見付けたとしても。幸運にも自分が広げた時に気付いたとしても、両親の目が其処にあるのだから。
 この記事はきっと読めないだろう。小さなブルーにブライダル特集は似合わない。女の子ならば夢一杯の記事で通るが、ブルーは少年。まさか花嫁になる予定だとは言えもしないし…。
(気の毒だが、あいつにはまだ早いってな)
 こういった記事に両親の前で齧り付くには幼すぎるブルー。
 どんなに中身が気になったとしても。



(代わりに俺が読んでおいてやるさ)
 将来のための参考にな、と言い訳しつつ、あちらこちらと読み進めていたら。
(サムシング・フォーか…)
 花嫁の幸運のおまじない。結婚式の幸せのおまじない。
 何度も耳にした言葉だけれども、由来などが詳しく書かれたものには初めて出会った。それとも今までは自分には無縁な世界のものだとチラリと眺めただけだったろうか。
(確か、四種類を用意するんだったな)
 結婚式を挙げた友人たちから聞いていたから知っていた。花嫁のためのおまじない。



 今でこそ馴染みの習慣だったが、前の自分はそれに出会ったことすら無かった。
 白いシャングリラで、ブルーと暮らしたあの白い船で、恋人たちを見て来たけれど。遥かな昔にキャプテンとして結婚式に立ち会っていたのだけれども、簡素だった彼らの結婚式。
 結婚指輪すらも無かった彼らに、サムシング・フォーなどがある筈も無かった。豪華なドレスも船には無かった。
(それにだな…)
 前の自分が生きた頃には無かった習慣。サムシング・フォーそのものが無かった時代。
 マザー・システムによって消されていた文化。不要と判断され、消された文化。
 SD体制下で普及していた文化の基礎になった地域の習慣なのに。
 広い宇宙の何処へ行っても、何処の星でも同じ文化しか無かった時代の根幹に選ばれた遠い昔の地球にあった文化。サムシング・フォーは其処に根付いていたのに…。



(あの時代には要らんものだったしな?)
 血縁などまるで無かった時代。家族が作りものだった時代。
 人間は人工子宮から生まれ、養父母に育てられ、成人検査で記憶を処理され、そして結婚。
 その結婚すらも、機械によって振り分けられたコースに従い、選ぶもの。
 コースから外れたミュウには関係無かったけれども、代わりに人権が全く無かった。
(あの頃を思えば、夢のような世界に来ちまったもんだ)
 ブルーとの結婚に備えてブライダル特集を読む日が来るなど、本当に夢にも思わなかった。前の自分に教えてやったら、きっと冗談だと苦い顔をされるに違いない。
(だが、今度はブルーと結婚式を挙げるんだしな?)
 まだ十四歳にしかならないブルーが、十八歳を迎えたならば。
 背丈が百五十センチのままのブルーが、前のブルーと変わらぬ姿に育ったならば…。



 その日のために、と読むことに決めたサムシング・フォーに纏わる記事。
 花嫁になるブルーに幸運をもたらすアイテムとやらは、きちんと読んでおかねばなるまい。
(ふうむ…)
 由来はマザーグースなのか、と其処に書かれた歌詞を見詰めた。
 楽譜が無いからメロディは分からないのだけれども、短くて印象的な歌詞。
 呪文のような言葉の繰り返し。



 なにかひとつ古いもの、なにかひとつ新しいもの
 なにかひとつ借りたもの、なにかひとつ青いもの
 そして靴の中には六ペンス銀貨を



 SD体制が始まるよりも、地球が滅びへの道を歩み始めるよりも、遥かな昔に歌われた歌。
 結婚式の日に花嫁が身に着ける、幸運のお守りを挙げた歌。
 全部で四つで、サムシング・フォーだとハーレイは聞いていたのだけれど。
 歌にはオマケが付いていた。
 靴の中には六ペンス銀貨。これは初耳だ、と件の歌詞をもう一度読んで。



(六ペンス銀貨か…)
 今の地球には無いのだろうな、と記事を読んでゆけば、驚いたことにそれは今も在った。かつて作られていたという国が在ったとされる地域に、SD体制が崩壊した後に復活していた。
 商魂たくましくと言うべきか、古き良き時代の伝統を今に、と言うべきか。
(六ペンス銀貨だけがあるのか…)
 其処で流通している通貨の単位とは別に、六ペンス銀貨だけが特別に。
 なんとも変わったことをする、と思ったけれども、花嫁に幸運をもたらすための幸福のコイン。SD体制よりも遠い昔に廃止された時、反対運動があったほどだと言う。
(なかなかに歴史があるんだな、これは)
 そういったものは嫌いではない。古い習慣や物を大切にすることは、むしろ好みだ。
 この六ペンス銀貨なるものを、ブルーのために手に入れてやってもいいな、と思った瞬間。



(待てよ…?)
 靴の中には六ペンス銀貨を、と歌うまでの歌詞。
 今では広く巷に知られたサムシング・フォーとは何かを歌った歌詞。
(あいつ、そのものじゃないのか、これは?)
 今のブルーにピタリと重なる。小さなブルーを歌ったかのような、サムシング・フォー。
 何か一つ、古いもの。それは前のブルー。ソルジャー・ブルーと呼ばれたブルー。
(古いと言ったら怒るんだろうが、実際、うんと古いんだしな?)
 何か一つ、新しいもの。それが今のブルー。前のブルーと同じ姿に育つ予定の小さなブルー。
(うんうん、あいつは新品なんだ。これから育つってほどに新しいんだぞ)
 何か一つ、借りたもの。幸せな結婚生活を送る友人、知人から借りるらしいが、結婚生活を送る予定の小さなブルー。そのブルーの中に居る前のブルーからすれば、今の身体は借りたもの。
(今度は結婚するんだよ、が口癖だしな、あいつ。今の身体で)
 何か一つ、青いもの。目立たない場所に隠して身に着ける青いもの。ブルーという名前。
(あいつ、何処も青くはないというのに、ブルーって名前だ)
 ソルジャー・ブルーと同じ赤い瞳と銀髪だから、と名付けられたと聞いている。その名だけでは弱いと言うなら、サイオン・タイプがタイプ・ブルーだ。
 とことん不器用になってしまって見る機会すらも無い色だけれども、青いサイオン。
 ブルーは全て持っている。
 サムシング・フォーを挙げてゆく歌に歌われた幸運の四つの品物を、全部。



(…あいつ、生まれながらの花嫁ってわけか)
 花嫁のための幸運のアイテムを全て揃えているブルー。
 サムシング・フォーを自分の身体で全て揃えてしまったブルー。
(前のあいつでは、そうはいかんが…。今度は全部を揃えて来たのか)
 しかも生まれた瞬間から。青いものをサイオンの色とするなら、ブルーは生まれながらの花嫁。名前にしたって両親が先に決めていたなら、やはり生まれた瞬間から「ブルー」。
(そこまで揃えて来なくってもなあ…)
 たまらなく可笑しくなって来た。
 何かと言えば「ハーレイと早く結婚したい」と口にしている小さなブルーが、自分でもそうとは気付かないまま、花嫁のための幸運のアイテムを全てその身に備えているとは。



 早速ブルーに教えてやろう、と記事を頭に叩き込んだ。
 サムシング・フォーと六ペンス銀貨のマザーグースの歌詞も覚えて、それからコーヒーをグイと飲み干し、後片付けをしてブルーの家へと。
 せっかくのニュースを忘れないよう、歩く道すがら、「サムシング・フォーだ」と繰り返す。
 今朝の新聞だと、ブライダル特集で読んだ記事だと。
 秋晴れの空の下を歩いてゆく中、小さな恋人を思い浮かべながら。



 ブルーの家に着いてチャイムを鳴らして、二階の窓辺で手を振るブルーに手を振って。ブルーの部屋で二人、向かい合って座り、ブルーの母がお茶とお菓子を置いて去った後、ハーレイは小さなブルーに訊いた。
「今朝の新聞、お前、読んだか?」
「パパが読んでいたよ、ぼくが起きてった時は」
 新聞はいつも、パパが一番。それからママかぼくが読むんだ、ぼくは少しだけ。
 学校のある日は帰ってからゆっくり読んだりするけど、お休みの日にはちょっぴりかな…。
「なるほどな。それで、今日のお前はどうしたんだ?」
「朝御飯の後でちょっとだけ見て、後は掃除をしてからハーレイが来るのを待ってたよ、部屋で」
 今朝の新聞がどうかしたの?
 大きなニュースは無かったように思うんだけど…。
 それに大事なニュースとか記事は、パパたちが「読んでおきなさい」って教えてくれるよ。
「まあ、チビのお前だと見落とすかもなあ、端から端まで見たんじゃなければ」
「何か載ってた?」
「ああ。でっかく出てたぞ、広告も込みで何ページか。うんと目を引く記事だったがなあ…」
 結婚式のシーズンだからな、ブライダル特集っていうヤツだ。
「ブライダル特集?」
「チビのお前にはまだ早すぎだがな。ドレスだの花だの、色々とな」
 お前が読んでも意味が無いだろ、そういう特集。十四歳じゃ結婚出来ません、ってな。
「意味が無いなんてことはないけれど…。でも…」
 ぼくがそういう記事を熱心に見てたら、パパとママがきっと変に思うよ。
「そうなるだろうな、なんでブライダル特集なんかを読んでるんだと訊かれるだろうな」
 だからと言って、将来のためだと答えるわけにもいかんしなあ…。
 お父さんたちの前では読めないな、あれは。



 代わりに俺がじっくり読んで来てやったぞ、とハーレイは片目を軽く瞑ってみせた。
「で、将来の夢は俺の嫁さんだと言うお前。サムシング・フォーって知っているか?」
「…サムシング・フォー…?」
 何なの、それ。結婚するのに必要なもの?
「必要と言えば必要なものだし、無くても別に困りはしないが…。幸せのためのおまじないだ」
 マザーグースっていう古い歌があってな、俺たちの住んでる地域とは別の地域の昔の歌だ。俺も存在くらいしか知らんが、そいつの一つで歌われてるのさ。
 花嫁が幸せになるための、おまじない。それがサムシング・フォーってヤツだ。
「そんなの、あるんだ?」
「俺も今日まで言葉だけしか知らなかったが…。これがな、そのままお前なんだ」
「どういう意味?」
「お前のことを歌っているのか、と驚くくらいに歌詞とお前が重なっていてな…」
 俺も本当に驚いたんだ。だから教えてやろうと思って、歌詞を丸ごと覚えて来た。
 きっとお前もビックリするぞ。
 どんな歌詞なのか、それをお前と重ねてみたらどうなるのかってことを考えたらな。



「それ、どんな歌? ハーレイ、それってどんな歌なの?」
 赤い瞳を煌めかせるブルーに、ハーレイは「メロディは無かったから歌詞だけだぞ」と説明して例の歌を聞かせてやった。サムシング・フォーを歌ったマザーグースを。
「いいか、よく聞けよ? 何か一つ、古いもの。何か一つ、新しいもの」
 何か一つ、借りたもの。何か一つ、青いもの。そして靴の中には六ペンス銀貨を。
 こういう歌になるんだが…。
 古いものは、前のお前。新しいものは、今のお前。
 借りたものは、前のお前が今のお前の身体を借りていて。…青いものはお前の名前かサイオン・カラーだ。
 どうだ、全部お前は持っていないか?
「ホントだ…。ホントに今のぼくみたいな歌詞の歌なんだね」
「そうだろう? つまりだ、今のお前は生まれながらの花嫁なのさ」
 最高の幸せを約束された花嫁ってことだな、自分の身体で全部揃えているんだからな。
 普通は結婚式に合わせて用意する筈のサムシング・フォーを。



「それ、ハーレイだと揃わない?」
 古いものは前のハーレイで、新しいものは今のハーレイ。
 ぼくと同じで揃いそうだけど、ハーレイだとサムシング・フォーは揃っていないの?
「借りたものまではお前と同じで揃うんだがな…。四つ目の青が足りないってな」
 俺の名前はブルーではないし、サイオン・タイプもグリーンだから青ってことにはならん。目の色だって鳶色なんだぞ、青は何処にも入ってないんだ。
「そっか…。生まれ変わりだと揃うってものでもないんだ、サムシング・フォー…」
「当たり前だろう、俺が揃えてどうするんだ。俺は嫁さんを貰う方でだ、なるわけじゃない」
 その俺が貰う予定の嫁さんがお前で、サムシング・フォーを体現していると来たもんだ。
 生まれた時から揃えてます、って凄い嫁さんだ、花嫁になるために生まれたような。
 多分、この地球でもお前くらいなもんだぞ、其処まで揃えて生まれたヤツは。
 つまりだ、お前は最高に祝福された花嫁だってな。
「そう思っててもいいのかな?」
「かまわないだろ、本当に全部お前の身体に揃ってるんだし」
 お前が自分で揃えているんだ、古いものから借りたものまで、青いものまで。
 結婚式のためにわざわざ揃えなくても、最初から全部持っているんだ、最高じゃないか。



 普通は買ったり借りたりするものなんだぞ、とハーレイは仕入れたての知識を披露してやった。
 古いものはともかく、新しいもの。結婚式用のドレスや、ベールや、手袋などを。
 借りるものも、花嫁姿に似合う何かを、幸せな結婚生活を送る友人たちに頼んで借りて。
 青いものは白いドレスを台無しにしないよう、ドレス用の下着に組み込んでみたり。
「何かと手間がかかるようだが、お前の場合は何もしなくても揃ってるってな」
 凄い話だろ、幸せのためのアイテムは全部持ってます、って。
 そんなお前が花嫁になったら、どんなに幸せな結婚生活が待っているんだか…。
 前の俺たちは結婚すらも出来なかったが、その分、今度は最高らしいぞ。
「そうみたいだね。サムシング・フォーを揃えると幸せになれるんだったら」
 揃えなくても持ってるんなら、うんと幸せになれるかも…。
 幸せになれるって分かってるけど、ぼくが思っているよりも、ずっと。
 ありがとう、ハーレイ、サムシング・フォーのこと、教えてくれて。
 今のぼくがそれを揃えているのかも、って素敵な所に気が付いてくれて…。



「なあに、その最高の花嫁を貰うことが出来る、幸運な男は俺だしな?」
 地球どころか宇宙全体でもお前だけしかいないと思うぞ、そんな花嫁。
 それを幸せに出来る男となったら、俺もとてつもなく幸せな結婚生活を送れるんだろうな…。
「そうに決まっているじゃない。ハーレイも最高に幸せでなくっちゃ意味無いよ」
 ぼくはハーレイと一緒に幸せになるんだから。
 ハーレイがうんと幸せでなくちゃ、ぼくは幸せにはなれないんだから…。
「ふうむ…。するとだ、その幸せな花嫁のために、後は六ペンス銀貨ってな」
 左の靴に入れるそうだぞ、踵のトコに。
 そうすりゃ幸せの総仕上げなのさ、サムシング・フォーと六ペンス銀貨。
「六ペンス銀貨って…。そんなお金が今でもあるの?」
 ずうっと昔の古い歌でしょ、マザーグースって。
 それに出て来る昔のお金が今の地球にもあるの、ハーレイ?



「俺もまさかと思ったんだが…。ちゃんとあるんだ、六ペンス銀貨」
 マザーグースが歌い継がれていた、イギリスって国が在った地域の辺りに今でもな。
 もちろんSD体制が崩壊した後に復活して来た文化の中の一つだが…。
 幸運の六ペンス銀貨ってコトで、其処で使われてるお金の単位とは上手く噛み合わないのに誰も文句を言わないってな。
「噛み合わないって、どういう風に?」
「俺たちの住んでる地域もそうだが、今じゃ何処でも十進法だろ?」
 こればっかりは統一してある方が便利だからなあ、何処の星でも数える時には十進法だ。
 その十進法でお金を作るなら、六ペンスっていうのは変だと思わないか?
「六って…。確かに使いにくそうだね、五なら分かるけど」
「使いにくいだろう? 六ペンスはイギリスが十二進法だった時代のコインなんだ」
 だから今だと使いにくいし、むしろ邪魔とも言えるんだが…。
 そいつを使ってお釣りがピッタリ貰えない、って事態になっても「足りない分はいいですよ」と端数は笑顔で諦める。少なめのお釣りを貰って済ませて御機嫌だそうだ。
 幸運のコインを使えば幸運、受け取った人と一緒に幸せになろう、って発想らしいぞ。
「其処まで凄いの、お金を使ってお釣りが足りなくてもラッキーなの?」
「コインがラッキーアイテムだからな」
 それに今では、大した価値でもないらしい。
 六ペンス銀貨が一番最初に出来た頃には、一枚あったら一週間は暮らせたそうだが…。
 そのせいで幸運のシンボルってわけさ、豊かに幸せに生きて行ける、と。
 手元にあったら嬉しくなるし、使う時にも嬉しくなる。そんな幸せのコインなんだ。



 そういうわけで…、とハーレイはブルーに微笑み掛けた。
「もしもお前が、花嫁衣装に白無垢を選ばなかったなら。ウェディングドレスで結婚するなら…」
 それでお前が欲しいと言うなら手に入れてやるさ、六ペンス銀貨。
 お前の左の靴に入れるために、サムシング・フォーのおまじないの歌の総仕上げに。
「ぼく…。そんなに欲張ってもいいのかな?」
 なんにもしてないよ、今のぼく。前のぼくみたいに頑張ってないよ?
 ハーレイのお嫁さんになるくらいしか出来そうにないのに、欲張ってもいいの…?
「前のお前が頑張ったから、今の青い地球がちゃんと在るんだろ?」
 青い地球が無事に蘇ったから、六ペンス銀貨も地球に帰って来たんだろうが。
 お前自身がサムシング・フォーを揃えているのも、前のお前が頑張った御褒美なんだろう。もう一つくらい欲張ってもいいさ。
 六ペンス銀貨の一枚くらいは「欲しい」と強請っていいと思うぞ。
「そっか…。欲張ってもかまわないんなら…」
 ちょっと欲しいかも、六ペンス銀貨。
 ウェディングドレスで結婚するなら、左の靴の中に。



「おいおい、左の靴ってだけじゃないんだぞ、踵だぞ?」
 間違えて爪先に入れるんじゃないぞ、入れる前にちゃんと確かめろよ?
 サムシング・フォーの歌は左とも踵とも歌っていないが、そういう決まりらしいから。
「うん。六ペンス銀貨を本当に靴に入れる時が来たら、ちゃんと調べる」
 右か左か、どっちの靴か。靴の何処に入れるのかも調べて入れるよ、間違えないように。
「なら、俺も心して覚えておくか。六ペンス銀貨が手に入るように」
 今も使っている辺りへ旅行する友達がいたら、土産に持って帰って貰えるようにな。
 結婚するんだとは流石に言えんが、将来に備えてと言っておくさ。
「えーっと…。お土産に貰うの、何処かで両替するんじゃないの?」
「もちろん両替出来るそうだが、相手は幸運のコインだぞ?」
 銀行へ行って、其処でジャラジャラ渡して貰ったコインじゃ、まるで有難味が無いじゃないか。
 沢山の人が使って、受け取って、また使って。
 そうやって幸せのキャッチボールをして来たコインがいいと思わないか?
「…それもそうかも…」
「断然そっちだ、同じコインなら幸せのお手伝いってヤツを沢山して来たコインだな」
 すり減ってるくらいのコインが良さそうじゃないか、大勢を幸せにして来たコイン。
 そういうコインが手に入ったならもう最高だし、そうでなくても誰かを幸せにしたコイン。旅行するヤツに頼んでおいたら、きっといいのを貰えるぞ。
 そいつの幸せな旅の思い出が詰まったコインを。



「そうだね、旅の思い出ならピカピカのコインでも幸せが一杯詰まっているね」
「うむ。銀行で両替するのとは全く違うぞ、幸せの量が」
 両替したって、すり減ったコインはあるんだろうが…。そいつはちょっとな。
「分かるよ、銀行に連れて来られた時点で止まってるものね、コインの幸せのお手伝い」
「そういうことだ。幸せのお手伝いの真っ最中です、ってコインが来るのが一番なんだ」
 次は此処で幸せをお手伝いさせて頂きます、って言ってくれるコイン。
 そんな頼もしい六ペンス銀貨を捕まえないとな、お前の靴に入れるためには。
「ハーレイ、探してくれるんだ…。期待してるよ、幸せのコイン」
「ああ。サムシング・フォーそのものな最高の花嫁を貰える時に備えてな」
 準備しておこう、とハーレイは小さなブルーに約束をした。
 前の生からの大切な恋人、青い地球の上に生まれ変わって再び出会った愛おしいブルー。
 小さなブルーが大きく育って花嫁になる日に、左の靴の踵に六ペンス銀貨。
 ブルーがウェディングドレスを着るのだったら入れてやらねば、と心に誓う。
 花嫁の幸運の総仕上げになる、幸せを届ける六ペンス銀貨。
 サムシング・フォーを生まれながらにして揃えた花嫁、愛してやまないブルーのために…。




               最高の花嫁・了

※花嫁の幸運のおまじない。サムシング・フォーを最初から揃えているのが、今のブルー。
 仕上げに欲しいのが六ペンス銀貨、最高のコインをハーレイが探してくれるのでしょうね。
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(ふうん…?)
 ちっちゃな靴だな、と思った記事。学校から帰って、おやつの時間。ダイニングで眺めた新聞に載ってた、小さな小さな赤ちゃん用の靴。
(ファーストシューズかあ…)
 ぼくが住んでいる地域には無い習慣。ファーストシューズ。
 赤ちゃんが初めて履いた靴を記念に残しておくんだって。片方じゃなくて、両足の分。



(古いけど新しい文化だよね、きっと)
 今ではすっかり昔のままに蘇っているけど、その習慣があるという地域に伝わってるけど。
 ファーストシューズを残す習慣は、SD体制の崩壊と共に復活して来た文化の一つなんだろう。いろんな地域で多様な文化を復興させて、青い地球の上に戻って来た習慣。
 だって、前のぼくが生きてた時代だったら有り得ない。
 赤ちゃんの靴を大切に取っておいたり、大人になったら渡してあげたりするなんて。
(成人検査で行ってしまったら、終わりだものね…)
 育てた子供とは其処でお別れ、新しい子供がやって来る。血の繋がっていない、次の赤ちゃん。機械が選んで届けられる子供。それを育てるのが養父母の役目。
 子供の方でも、パパやママとは成人検査を受けたらお別れ、二度と会えない。教育ステーションへと連れて行かれて、その先の進路は出来るだけ育った星とは重ならないように。
(養父母になるコースを選んだとしても、元の星には帰れないのが基本だっけね)
 それでも宇宙は広いようで狭い。人間が住んでいた星は今よりも少なかったから。
 もしかすると何処かで養父母と出会う場面もあったかもだけど、子供の方には記憶が無い。その人が自分を育てた人だと分かりはしない。成人検査で記憶を消されてしまっているから。
(親の方は消してなかったみたいだけれど…)
 ジョミーを育てた人たちは覚えていたと聞くから。ジョミーを忘れず、次に育てたレティシアという女の子がミュウと判断されてしまった時、収容所まで一緒に行ったと聞くから。
 子供を育てた親の方では、自分たちの息子や娘を忘れたりはせずに覚えていたんだ。
 でも、その子たちと出会う機会があったとしても。
 彼らの方から声を掛けたりは出来なかったろう、親として掛けてやりたい言葉は。



 ファーストシューズという温かな習慣が無かった時代。前のぼくが生きていた時代。
 だけど今では子供は本物の両親の家で育つもの。ぼくにだってパパとママがいる。とても優しいパパとママ。血が繋がった、ぼくの本当のパパとママ。
(今のぼくが初めて履いた靴は…)
 こんな風に大切に残してあるんだろうか?
 それともファーストシューズなんていう習慣が無いから、捨てられちゃった?
 どうなんだろう、と記事を覗き込んでいたら。
「あら、欲しいの?」
 ファーストシューズ、ってママがキッチンから来て微笑んだ。「欲しいの?」って訊くからには残してあったりするんだろうか、ぼくが履いてた小さな靴。
「…ぼくの靴、あるの?」
 赤ちゃんの時の。ぼくが初めて履いた靴って、今もこの家に残っているの?
「可愛かったから大切に取ってあるわよ、こんなのは知らなかったけど」
 今日の新聞を読むまで知らなかったわ、ってママも面白そうに記事を読み直してる。
 赤ちゃんが履いた、ファーストシューズ。
 造花と一緒にガラスケースの中に入れておいたり、いろんな残し方があるみたい。
 大人になったら渡してあげたり、宝物みたいに飾っておいたり。



 前のぼくの頃には無かった習慣。今の時代だから出来る、素敵な習慣。
 ぼくが住んでる地域には無いのに、ぼくが履いてたファーストシューズをママは残しておいたと言うから。嬉しくなってニコニコしてたら、ママが笑顔で。
「欲しいんだったら、ブルーのを出してあげるわよ?」
「ホント!?」
 見せてくれるの、ってぼくは喜んだのに。
「でも、この記事を読んじゃったら…。大人になるまで仕舞っておいた方が良さそうね」
 そういうものでしょ、ファーストシューズ。大人になったら渡してあげるわ。
「えーっ!」
 あんまりだ、と抗議したぼく。
 だって他所の地域の習慣なんだし、見せて貰っても問題無いと思うんだ。ちょっと見るくらい。
「嘘よ、いつでも見せてあげるわ。でもね…」
 夕食前には出したくないの、って不思議なことを口にしたママ。だから今日は駄目よ、って。
「なんで?」
「ハーレイ先生なら御存知かもね。新しい靴は夕方におろすものじゃないのよ」
「新しくないよ?」
「でも、ブルーの初めての靴でしょう?」
 とっても大切な、ファーストシューズ。
 新しい靴と同じくらいに大事な靴でしょ、夕方は駄目。また今度ね。



 知りたいのならこれよ、と見せて貰ったママの記憶。
 靴の箱の中にきちんと仕舞われた、赤ちゃん用の小さな靴。白い布の柔らかそうな靴。
 もうそれだけで満足したから、本物はまたいつか思い出した時でいいやと思った。
 明日でなくても、それこそ何年か先になっても。
 新聞の記事を閉じてしまったら、切っ掛けが無ければ思い出さないだろうファーストシューズ。
 ママだってきっと忘れるだろうし、ぼくも忘れる。
 今日の間は覚えていたって、一晩経ったら忘れてしまうと思うんだ。
 ぼくには記憶が沢山あるから。
 前のぼくの分まで受け継いでるから、記憶の海に埋もれてしまいそうなファーストシューズ。
 赤ちゃんだった今のぼくが履いていた靴、ママの記憶で見た白い靴…。



(ファーストシューズかあ…)
 部屋に戻った後、勉強机の前に座って考えた。
 前のぼくが履いたファーストシューズは、どんな色でどんな靴だったろう?
 思い出せやしないし、残してあった筈も無いんだけれど。
 前のぼくを育てた養父母たちが大事に取っておいたわけが無いから、消えてしまった靴だけど。
 それでも今のぼくには小さな靴が残っているから、ちょっぴり気になる。
 やっぱり白い靴だったろうかと、白くて可愛い靴だったかも、と。



(靴…?)
 そういえば、前のぼくには靴が無かった。
 赤ちゃんだった時じゃなくって、養父母の家で育った時でもなくって、残ってる記憶。
 成人検査を受けた所から始まる記憶。
 看護師に呼ばれて、検査用の部屋に入って行く時。ぼくは裸足で、靴なんか履いていなかった。何処で脱いだかは覚えてないけど、ぼくの足には靴が無かった。
(うん、靴を履いてた覚えは無いよ…)
 素足で歩いてた記憶しか無い。それから検査で、其処から地獄が始まった。
 成人検査に落っこちた、ぼく。ミュウだと判断されちゃった、ぼく。
 閉じ込められた檻の中では靴なんか無くて、いつも裸足で。
 実験のために引き出されたって、靴を履かせては貰えなかった。研究者たちは履いていたのに。ぼくを檻から引き出す係も、いつだって靴を履いていたのに。
 つまりは靴も要らない動物。人間じゃないから、靴なんか履かせなくても良かったんだ。



 靴を失くしてしまった、ぼく。履かせて貰えずに生きていたぼく。
 アルタミラがメギドに滅ぼされた日に、裸足で地獄を走ったけれど。燃え盛る火の中を、瓦礫の上を走ったけれども、怪我も火傷もしなかった。同じように裸足だった他の仲間も、全員。
 みんなミュウだから、サイオンの制御装置さえ外れてしまえば文字通り火事場の馬鹿力。初めてだってシールドが出来た。火傷や怪我から身を守るための。



(今のぼくだと火傷した上に、怪我なんだけどね?)
 アルタミラ並みの目に遭わない限りは、裸足で熱い瓦礫の上を走るなんて無理。足を守るための靴が無ければ走れやしない。
 だけど家では履いてない、靴。ぼくの足に今、靴は無いんだ。
 そういう文化の地域に生まれて育って来たから、家の中では脱ぐのが普通。
 夏なら裸足で、冬は靴下。お客様用にはスリッパがある。
 ハーレイの大きな足に合わせて特大のスリッパも買ってあるけど、そのハーレイは履いてたり、履いていなかったり。多分、その日の気分なんだろう。
(最初の間は履いていたけど…)
 今は履かない方が多いよね、って顔が綻ぶ。ハーレイが「お客様」じゃないって証拠。
 スリッパは客間に案内するようなお客様用で、パパとママも普段は履いてないから。
 もちろん、ぼくも。



(これが普通で気付かなかったよ…)
 靴が無いのが変だってこと。前のぼくのアルタミラの記憶に靴が無いこと。
 だから今まで忘れてた。
 綺麗に忘れてしまっていた。
 前のぼくが履いた、ファーストシューズ。
 ハーレイと一緒に履いたファーストシューズ…。



 滅びゆくアルタミラから脱出した船の中、限られた物資。食料は豊富に積んであったけど、服や靴とかは山ほど積まれてはいなかった。
 それでも着替えの分も含めて、充分な量があったんだけれど。とりあえず着るには困らない量の服に下着に、それから靴。
 ところがどっこい、チビだったぼくと飛び抜けて身体の大きいハーレイだけは、標準サイズじゃなかったんだ。みんなが次々に服だの靴だのを見付け出す中、見付からないぼくとハーレイの服。
「この箱も服だと思うんだけど…」
「そうらしいな?」
 あるといいな、って箱を端から開けて回って、やっと見付けた新しい服。アルタミラで着ていた半袖の服じゃなくって、長袖の服。それにズボンも。
 どうしても見付からなかった時には、ハーレイはみんなが脱ぎ捨ててしまったアルタミラの服を縫い合わせて作ろうかと思ったくらいで、ぼくは大きすぎる服の袖とかを畳んで着るしかないかと思ってた。
 いつまでも同じ服を着ていられないし、シャワーの後にはタオルだけ。脱いで洗濯した服が乾くまでの間、タオルを身体に巻き付けただけで待っていなくちゃいけないから。
 だけどなんとか、見付かった着替え。
 ハーレイもぼくも、「シャワーの時には洗濯だ」って急がなくても良くなった。洗濯しておいた服がちゃんとあるから、シャワーを浴びたらそれに着替えて、着ていた服を洗濯に。



 服はそうして手に入ったけど、もっと困ったのが靴だった。
 標準サイズの前後くらいしか無かった靴。子供用も無ければ、特大だって船には無かった。
 どれを履いてもぼくにはブカブカ、ハーレイの足にはきつすぎる。
 探しても靴だけは見付からなくって、考えた末に、ぼくは詰め物、ハーレイは切れ目。そうして履くしかなかった靴。余った部分に詰め物をするか、きつすぎる部分に切れ目を入れるか。
「だけど、無くても困らないしね?」
 靴なんて、ってぼくが言ったら、ハーレイも切れ目の入った靴を眺めて。
「まったくだ。今までは履いていなかったしな」
 ここまで苦労して履かなくても、だ。
 誰が文句を言うわけじゃないし、怪我をするような危ない場所でもないからなあ…。



 無理して履いてなくてもいいや、と履かなかった日も多かった。
 ぼくだけじゃなくて、ハーレイだって。
 ふと見たら靴を履いていなくて、裸足で歩いていたりした。通路も、倉庫も、何処へ行くのも。
 ぼくたちの足にピッタリの靴が無いってことは誰でも知っていたから。船のみんなが知っていたから、行儀が悪いとは誰も言わない。裸足でも平気。
 靴を履いたり、履かなかったり、その日の気分で決めていた。



 そうこうする内に、尽きそうになってしまった食料。
 飢え死にしてはたまらないから、ぼくは初めて物資を奪った。人類の船へと宇宙を飛んで。
 大きなコンテナに二つ分ものギッシリ詰まった野菜や、肉や。それが最初の戦利品。
 一度やったら、何度でも出来る。機会を狙って、人類の船を追い掛けて。
 ジャガイモ地獄だのキャベツ地獄だの、色々とやらかしてしまったけれど。
 ぼくの仕事は奪い取ることで、みんなが食べる食料を手に入れることだったんだ。



 繰り返す内に欲が出て来て、余裕だって出来る。もう一つ、って狙いたくなる。
 欲張って多めに奪った物資の中には、食料以外も混じるようになった。人類の生活必需品。
 食料と一緒に失敬して来た、服とか、靴とか。どっちも標準サイズが基本。
 そういった物資を分ける時には、公平に行き渡るよう、ハーレイが頑張っていたんだけれど。
「未だに俺のは無いようだな、靴」
「ぼくのもだよ」
 相変わらずブカブカの靴を履いていたぼくと、切れ目の入った靴のハーレイ。
 服はしょっちゅう混ざっていたけど、靴は滅多に無かったから。消耗品っていう考え方なら服の方が断然、需要が高くて、靴は服ほど必要とされていないから。
 服の数だけ靴が無いと困る、っていうわけじゃないから、靴はそれほど数が無い。服が詰まったコンテナの中に靴が一緒に詰まっていたって、服よりもずっと少なめなんだ。
 そうなってくると確率の問題、ただでも無い物があるわけがない。
 標準サイズの靴でも滅多に無いのに、ぼくやハーレイの靴があるわけがない…。



 仕方ないからブカブカか裸足、切れ目の入った靴を履くか裸足。
 そうした日々を過ごしていた中、ある日、ハーレイがぼくにこう言った。
「もしも俺のが先に見付かったら、履かずに待っててやるからな」
 お前の足にピッタリの靴が見付かるまでの間は、履かずに。
「なんで?」
「お前が一人で頑張ってるのに、お前の靴が無いんじゃなあ…」
 可哀相じゃないか、お前だけ靴が無いなんて。足にピッタリの靴を履けないだなんて…。
「じゃあ、ぼくも先に見付かったら待つよ。ハーレイの靴が見付かるまで」
「どうしてだ?」
「待っててくれる、って言うハーレイよりも先に履けないよ。ぼくの靴だけ見付かったって」
「気にしなくていいのに、そんなことくらい」
 お前、俺よりも年は上だがチビだろうが。チビはチビらしく、甘やかされておけ。
「ううん、それは嫌。ぼくはハーレイと一緒に履きたい」
 ぼく、ハーレイの一番古い友達なんでしょ?
 友達だったら、絶対一緒。片方だけが待つなんてことは変だと思うし、一緒がいい。
 ハーレイが待つなら、ぼくだって待つ。
 ぼくたちの靴がちゃんと両方見付かる時まで、ぼくは絶対、先に履かない。



 ハーレイは苦笑いしていたけれども、ぼくが言い出したら譲らないことを知ってたから。
 どっちが先に見付かったとしても、履くなら一緒。
 そんな約束が出来てしまった。
 ぼくたちは二人で、約束を交わした。
 ブカブカの靴も、切れ目の入った靴も、ピッタリの靴に履き替える時は二人一緒に。
 お互いの足にピッタリの靴が揃う時まで、先に手に入れた靴は履かずにおこうと。



 約束してから、どれくらい経った頃だっただろう?
(靴だ…!)
 いつものように物資を奪いに出掛けた船。人類が乗ってる輸送船。
 広い倉庫を透視してみたら、食料のコンテナが並んだ隣に靴ばかりを詰めたコンテナが一つ。
 本当だったら、そんな物は狙わないんだけれど。
 靴なんかを奪う余裕があるなら、食料のコンテナを余分に頂いて帰るんだけれど。
(ハーレイに靴…)
 待っててくれると言っているけど、ハーレイの足にピッタリの靴を見付けたかった。大きな足に丁度いいサイズの、ハーレイのためにあるような靴を。
 その一念。
 ぼくは普段よりも一つ多めにコンテナを奪った。靴だけを詰めた、例のコンテナを一つ。



「なんでコンテナ一杯の靴なんか奪って来たんだい?」
 ブラウに呆れられたけれども、ゼルはぼくたちの味方だった。ハーレイの喧嘩友達だから。
「いやいや、これも悪くはないぞ」
 其処のデカブツ、未だに自分の靴ってヤツが無いからな。それにブルーも。
 ブカブカの靴も切れ目入りの靴も、裸足も見慣れてしまっているが…。ピッタリの靴ってヤツが見付かるなら、そいつが一番いいじゃないか。
 これだけあれば…、とコンテナを運び込んだ格納庫でゼルたちが端から開けていく箱。こういう仕事は後の長老たちとハーレイ、彼らがメイン。
 靴であろうと、食料だろうと、主な仕分けはゼルやハーレイたちがやっていた。



 作業を見ながら、「ハーレイにピッタリの靴がありますように」と祈っていたぼく。
 ぼくの仕事は物資を奪うことで、仕分け作業は手伝わなくても良かったから。力を使って来た後だから、って外されて見学していただけ。
(ハーレイの靴…)
 あるといいな、と思ってたから、視線は自然とハーレイを追う。靴の箱を開けるハーレイを。
 箱を開けては中身を確かめ、仕分けしていたハーレイの手がピタリと止まって。
「おっ!」
 俺の靴だ、って続くのかと思ったんだけど。ハーレイは顔を上げてぼくの方を見た。
「ブルー、来てみろ」
「なあに?」
「いいから、早く」
 手招きされて行ってみたぼくに、「お前の足にピッタリじゃないのか」と差し出された靴。
 柔らかそうな革の、白い靴。
「ほら、履いてみろ。お前の足に合うと思うぞ」
「でも…」
「いいから、履けって」
「でも、約束…」
 一緒に履こうって約束したよ。靴が見付かったら、二人一緒に。
「履いてみるだけなら問題無いだろ、サイズが合うかどうか」
「だけど…」
 それって履くのと同じじゃない?
 この靴に足を入れてしまったら、それは履くってことにならない…?



(ぼくはハーレイのが欲しかったのに…)
 ハーレイのための靴が欲しくて、靴ばかり詰まったコンテナを持って帰って来たのに。
 でも、ハーレイは履けと勧めてくれるから。試すだけでいいと、何度も勧めてくれるから…。
 履かないと申し訳ないだろうか、と躊躇っていたら。
「ちょいと、ハーレイ!」
 コレはアンタ向けじゃないのかい、ってブラウの声。
 蓋を開けたままで持って来た箱の中、ピカピカに光る茶色の革靴。とても大きなサイズの革靴。
「ほほう、ハーレイのサイズだな、これは」
 ヒルマンが頷いて、ゼルが「明らかにデカブツ用って感じの靴だ」と言ったけれども。「独活の大木にはピッタリじゃないか」なんて悪口めいたことも聞こえたんだけど、どうでも良かった。
 デカブツでも、独活の大木でもいい。
 ハーレイ用の靴が見付かったんなら、細かいことなんか気にしない。
「そうだよ、ハーレイの靴だよ、これ!」
 ちゃんと見付かったよ、ハーレイの靴も。
 ぼくの靴しか無かったんじゃなくて、ハーレイの靴も入っていたよ…!



 ハーレイにピッタリ合いそうな茶色の革靴と、ぼくの足に合いそうな白い革靴。
 靴に書いてあるサイズの数字は何の参考にもならなかったけど、合うだろうことは目で分かる。どちらも履こうとしている人間の足に似合いのサイズの靴なのだと。
「よし、履いてみるか。お前も履けよ」
「うん」
 ハーレイの前に、箱から出した茶色のピカピカの革靴。ぼくの前には白い柔らかそうな革靴。
 掛け声をかけていたかどうかは忘れてしまったんだけど。
 二人揃って、どっちの足から履いたんだっけ?
 多分、利き足。だから右足。
 同時に足を入れて、もう片方の足にも履いてみて。ハーレイがぼくの足を眺めて顔を綻ばせた。
「ピッタリじゃないか、お前の足に」
「ハーレイのもね」
 凄いね、まるで作って貰ったみたい。
 ハーレイの足にピッタリ合ってる、小さすぎもしないし、大きくもないよ。



 やっと履けた、ぼくたちにピッタリの靴。詰め物も切れ目も要らない靴。
 待つことも、待たされることも無かった。お互いの足にピッタリの靴は、同じコンテナに入ってやって来た。茶色の革靴と、白い革靴。ハーレイの靴と、ぼくの靴。
「良かったな、ブルー。約束通りに同時に履けたぞ、俺たちの靴」
「約束していたからかもね?」
 一緒に履こう、って。どっちが先に手に入れたとしても、待ってて同時に履くんだって。
「違いないな。約束した甲斐があったってな」
 お蔭で同時に手に入った、と。これで俺たちも合わない靴とはサヨナラだってな。
「そうだね、合わない靴も裸足も、さよなら。みんなみたいに足にピッタリの靴を履けるよ」
「自慢しに行くか? ついに手に入れたぞ、って」
「仕分けが済んだら?」
「ああ、急いで済ませることにするかな」
 ハーレイは仕事に戻ろうとしたんだけれども、ブラウが「此処はいいよ」って言ってくれた。
 「せっかくの靴だ、見せに行って来な」って、「ブルーの靴がやっと来たんだからね」って。
「…すまんな、それじゃ行ってくる」
「ブルー、履き心地をうんと楽しんで来るんだよ」
「ありがとう、ブラウ! それにみんなも!」
 ブラウたちに御礼を言った後、ハーレイと二人、新しい靴が嬉しくて。ようやく手に入れた靴が嬉しくて、用も無いのに船の中をあちこち散歩した。船のみんなに見せて回った。
 ぼくたちの足にピッタリの靴を、白い革靴とピカピカの茶色の革靴を…。



(あれが初めての靴だったんだ…)
 前のぼくの遠い記憶の中、初めての自分の足に合う靴。ピッタリの靴。
 だけど大人だったハーレイと違って、ぼくは成長していったから。背丈が伸びたら足のサイズも変わってゆくから、白くて柔らかかった革靴はホントのホントにファーストシューズ。
 擦り切れる前にきつくなってしまって、また次の靴がやって来た。標準サイズの靴になるまで、何足か別の靴を履いてた。どんな靴だったかは生憎と覚えていないけれども、最初の靴しかぼくの記憶には無いけれど。
(最初の靴は白かったんだよ)
 柔らかい革の白い靴。前のぼくが履いたファーストシューズ。
 ママに見せて貰った記憶の中の靴も、白かった。今のぼくが履いたファーストシューズ。ほんの小さな赤ちゃんの頃に、初めて履いた白い靴。
 あれは布だし形も全然違うけれども、前のぼくも今のぼくも、ファーストシューズは白かった。
(…だとすると…)
 今のハーレイのファーストシューズは茶色だったろうか?
 青い地球の上に生まれ変わって来たハーレイ。
 そのハーレイが初めて履いた小さな靴も、前のハーレイと同じ茶色の靴だったんだろうか…。



 知りたいな、って考えていたら、チャイムの音。窓に駆け寄って見下ろしてみたら、庭を隔てた門扉の向こうでハーレイがぼくに手を振っていた。
 チャンス到来、ぼくの部屋でお茶とお菓子が乗っかったテーブルを挟んで向かい合うなり、例の疑問をぶつけてみる。
「ねえ、ハーレイ。ファーストシューズは茶色だった?」
「はあ?」
 目を丸くしたハーレイだけれど、説明したら直ぐに思い出してくれて。
「ああ、前の俺たちが一緒に履いてた靴だな」
「うん。前のぼくたちが履いたファーストシューズ」
 だってそうでしょ、ホントに初めて履いた靴だよ、自分専用の。
 足に合わない靴じゃなくって、自分の足にピッタリ合った靴。
 ファーストシューズだと思うんだけどな、それよりも前に履いてた靴の記憶が無いんだもの。
 足にピッタリの靴を履いてた記憶は全く残っていないんだもの…。



「なるほどなあ…。あれが前の俺たちのファーストシューズというわけか」
 悪くないな、ってハーレイは笑顔になった。ぼくが大好きでたまらない笑顔。
「だが、生憎と今の俺のファーストシューズは知らんな、家には多分、あるんだろうがな」
 親父たちは物を大事にするから。
 俺がガキの頃に作った工作とかもだ、全部きちんと箱に仕舞って残してあるしな。
「だったら、靴も残っているよね、きっと。今のハーレイが赤ちゃんの時に履いた靴」
 ファーストシューズって呼んでるかどうかは知らないけれども、初めての靴。
 茶色だったらビックリだよね。
「そうだな、凄い偶然だな」
 しかし、茶色じゃないかという気がして来たぞ。
 お前のファーストシューズとやらが白かったのなら、俺のは茶色の靴なんじゃないか?
 形はまるで違うんだろうが、前の俺と同じで茶色だってな。



 茶色かもしれない、ってハーレイの鳶色の瞳が柔らかくなる。ぼくのファーストシューズの色が白なら、自分のはきっと茶色だろうって。
 茶色だといいな、とぼくだって思う。小さな茶色の靴が残っているならいいな、って。
「ハーレイのファーストシューズが残っているなら、いつか見たいけど…」
 そうだ、夕方に新しい靴をおろすと何故いけないの?
 ママがそう言って出してくれなかったんだよ、ぼくが履いてたファーストシューズ。
 ハーレイ先生ならどうして駄目なのか御存知かもね、って。
「ああ、それはな…」
 本来は夕方じゃなくて夜だったんだが、夕方だとか午後だとか。
 とにかく新しい履物をおろすなら午前中だ、っていう考え方だな、ずっと昔の日本って国の。
 其処では夜に新しい履物を履いて玄関から出るのは、棺桶に入った死人だけだった。
 そのせいで同じことをすると死んでしまうと考えていたわけだ。
 だから駄目なんだ、夕方に新しい靴をおろすことはな。
「死んじゃうの?」
「そういう風に言われていた、ってだけのことだな、前の俺たちの頃には無かったろうが」
 SD体制の崩壊と一緒に戻って来た文化のオマケなのさ。
「オバケとかと同じ?」
「そういうことだ」
 靴の裏に墨を塗ったら履けるんだぞ、ってハーレイはぼくに教えてくれた。
 どうしても夕方や夜に新しい靴をおろしたい時のおまじない。
 ママはそれを知っているのかな?
 知っていたなら、ぼくの小さな白い靴。出して見せてくれていたよね、きっと。
 靴の裏に墨をキュッとつければ、夜だって新しい靴を履けるんだから…。



 ママがおまじないを知らなかったせいで、見せて貰えなかったぼくのファーストシューズ。
 白くてちっちゃな布の靴。前のぼくのファーストシューズと同じ色をした白い靴。
 いつかハーレイと結婚したら。
 ハーレイのファーストシューズが残っているなら、もしも茶色の靴だったなら。
 ぼくのと並べて飾ってみようか、造花とかをつけてケースに入れて。
 前のぼくたちが一緒に履いたファーストシューズとお揃いなんだと、白と茶色の靴なんだと…。




            最初の靴・了

※前のハーレイとブルーが履いた、初めての足にピッタリの靴。他の仲間よりずっと遅れて。
 「一緒に履こう」と約束した通り、ちゃんと一緒に履けたのです。幸せだった散歩。
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「こらっ!」
 誰だ、とハーレイの注意が飛んだ。
 授業中の教室に派手に響いたコインの音。何枚ものコインが落っこちて床に散らばった音。
 動かぬ証拠が床に幾つも散っているのだし、逃げ隠れは出来ない、その近辺に居るだろう犯人。ブルーも含めて、教室中の生徒が凍り付く中で。
「…すみません…」
 やっちゃいました、と立ち上がった一人の男子生徒が謝った。
 昼食に食べたい一品を買える予算があるかどうかと財布の中をコッソリ覗いて、手を滑らせて。慌てて掴もうと握ったはずみに引っ掛けたのだと、財布が破れてしまったのだと。
 破れてしまった、コインを入れるための場所。底だか横だかがビリッと破れて、落ちてしまった中身のコイン。



「俺の授業中に昼飯の算段をしてたのか?」
 いい度胸だ、とハーレイはフンと鼻で笑った。
「だが、食うことも大切だしな? しっかりと食って身体を作る。それを否定はせん」
「…すみませんでした…」
「かまわんさ。要はお前の財布が空になっちまうだけだからな」
 拾って良し、とハーレイは言ったけれども。
 財布の中身が空になるとは穏やかではない。没収だろうか、とザワめく教室で、ハーレイが前のボードに書いた文字。
 大きく三文字、「秋財布」と。
「秋財布?」
 ヒソヒソどころか、今度はどよめき。今の季節は確かに秋だが、秋の財布がどうしたのだろう?
 没収と関係するのだろうか、と訝る声やら、まるで分からないと首を捻るやら。
「分からんだろうな、これだけではな。しかし…」
 ボードに新たに書かれた文字。秋財布の下に書かれた文字。
 伸びやかなハーレイの文字で三文字、「空財布」と。



 書き加えた三文字をハーレイは褐色の指で指し示した。
「そらさいふ、なんて読むんじゃないぞ。読み方はあきだ、あきさいふだ」
 空いちまった財布。つまり、空っぽの財布の意味だな。
 秋に買った財布は空になるんだ、うんと昔のこの辺り…。日本って島国にあった言い伝えだ。
 俺が財布を没収せずとも、今、飛び散ったコインの持ち主。そいつの財布は空になるのさ。
 破っちまったのなら、財布を買わんといかんしな?
 この季節に買えば秋財布だから、もれなく空っぽになっちまうってな。
「…そ、そんな…」
 コインを拾い集めた生徒が怯えた声を上げたけれども、ハーレイはまるで取り合おうとせずに。
「ついでに言霊ってヤツは何度も教えてあるな?」
 言葉には力が宿るってヤツだ。俺が空財布だと言ったからには空財布だぞ。
 お前が買うだろう、新しい財布。たちまち中身が尽きてしまって、立派な空財布になるってな。
「ハーレイ先生!」
 縋るような目をする男子生徒に、ハーレイはクルリと背中を向けた。
「知らんな、せいぜい泣いていろ。でなけりゃ、そいつを修理してでも使うんだな」
 授業に戻る、と消される文字たち。
 秋財布、それに空財布。



 ハーレイがかけた恐ろしい呪いに教室中の生徒が震え上がった授業が終わって、昼休み。
 食堂に出掛けたブルーがランチ仲間と戻ってくると、例の男子が懸命に財布を縫っていた。針に糸を通して、応急措置なのか、それとも本格的な修復作業か。
 家庭科の授業は無い日だったから、何処かのクラスで借りた道具で。
 空財布になってはたまらない、と真剣に戦う男子生徒。
 財布の買い替えは回避したいと、秋財布だけは買いたくないと。



(怖いよ…)
 空財布なんて怖すぎだよ、とブルーはその日の帰りのバスで財布を眺めた。バスの乗車賃は先に纏めて払ってあるから、財布は要らない。とはいえ、今日は財布が気になる。
(今の財布は大丈夫だけど…)
 入学前に買って貰った財布。まだ肌寒かった頃に買って貰った、自分の財布。当分の間は新しい財布に買い替えなくても良さそうだけれど。
 いつか買うなら秋になる前に早めに買って貰わなければ、と「秋財布」を頭に叩き込んだ。
 秋に財布を買ってはいけない。必要になっても、冬まで我慢。空財布になる秋が終わって、次の季節が訪れるまで。



 今日のハーレイの授業は実に怖かった、と家に帰っておやつを食べ終えた後にも考えていたら。
 空財布なる言霊が飛び出した瞬間を思い出していたら、チャイムの音。
 呪いをかけた張本人が、大好きなハーレイが庭を隔てた門扉の向こうで手を振っていた。
 そのハーレイと二人、自分の部屋で向かい合わせに座った後。母が置いて行った紅茶とお菓子が乗ったテーブルを挟み、ブルーは例の呪いを口にした。
「ハーレイ、財布…」
「ん?」
「今日の授業だよ。ぼくも気を付けるよ、秋のお財布」
 お財布を買うなら、夏か冬かに買うことにする。
「はあ?」
 何故だ、とハーレイに問われたから。
「秋に買ったら駄目なんでしょ? 空っぽになる空財布になってしまうから…」
 だからね、壊れる前に夏に買っておくとか。壊れかけても大事に使って冬まで待つか。



「なるほどなあ…」
 そいつは立派な心掛けだが、とハーレイは頷き、尋ねて来た。
「お前が持ってる今の財布は、入学の時に買って貰ったのか?」
「うん。下の学校と違って、お昼御飯を買わなきゃいけないから」
 これから学校に持って行かなきゃいけないものね、ってママが買ってくれたよ。
「なら、最高に縁起がいいってな。お前の財布はいい財布なんだ」
「なんで?」
「秋財布の逆で、春財布さ。春って季節と、財布がパンパンに膨らむ、張るって意味とで」
 春財布はお金が増える財布だ。もう入りません、ってくらいにお金が貯まるのが春財布だな。
「…でも、寒かったよ?」
 お財布を買って貰った時は。ぼくの誕生日もまだ来てなくって、雪だって…。
 三月は春かもしれないけれども、雪が降ってたら冬なんじゃないの?
「そこは心配要らないってな。授業で旧暦、教えただろう?」
 二月の三日が節分で季節の分かれ目になる。次の日が立春、それからは春だ。
 雪が降ろうが凍っていようが、しっかり春だというわけだな。三月だったら充分に春だ。
「そうなんだ…!」
 春財布なんだね、ぼくの今のお財布。
 寒い季節に買って貰ったけど、ちゃんと春財布になってるんだね…。



 自分の財布は最高の財布の春財布なのだ、とブルーは秋財布の怖さも忘れて嬉しくなった。
 いい財布だと褒めて貰えたように思えて気分も最高。
 そんなブルーに、ハーレイが「財布といえば…」と紅茶のカップを傾けた。
「俺も今では財布を買うなら絶対に春だ、と春に買うが、だ」
 前の俺たちには財布は関係無かったってな。春財布も、それに秋財布も。
 シャングリラでは誰も財布なんかを持っちゃいなかったし、第一、金が無かったからな。
「そうだったね」
 お金が無いって言葉を聞いたら、今のぼくだと金欠なのかと思っちゃうけど…。
 シャングリラはお金の要らない世界で、どんな物でも人類から奪って来てたか、作っていたか。
 船の中で必要なものは何でも、係に頼めば手に入ったし…。お金を払って買わなくっても。
 必要無いから、人類からもお金は一度も奪わなかったしね。
「たまに紛れていたけどな。前のお前が奪った物資に、人類が使っていた金が」
「混ざっていたけど…」
 使っていないよ、ああいうお金は。
 アルテメシアに辿り着いてから、人類の世界に潜入班を送り込むこともあったけど…。そういう時にもお金は一切、使わせてないし。
「ああいったものは足が付くからな。あくまでサイオン、それが鉄則だったっけな」
 潜入中に物資を手に入れるにも、サイオンで情報を操作してタダで手に入れる。
 金は払ったと思い込ませて、痕跡は一切残しません、ってな。



「前のぼくが奪った物資に紛れてたお金、ハーレイ、大事に残していたけど…」
 使えないけどお金だから、って捨てずに全部残していたけど、結局、役には立たなかったね。
 アルテメシアに落ち着いた後も、使わないままになったんだから。
「そうでもないぞ?」
「えっ?」
 何故、とブルーは驚いた。前のハーレイが大切に保管していた人類の通貨。それらの出番は一度たりとも無かった筈ではなかったのか、と。
「前のお前には関係無かった話なんだが、知りたいか?」
「…もしかして、ぼくが死んじゃった後?」
「そうだ」
 前のお前がいなくなっちまった後の話だ、それでもお前、知りたいのか?
「聞きたい!」
 もしもお金を使ったんなら、どう使ったのか知りたいよ。
 何処で使ったのか、あのお金で何が買えたのか。ハーレイ、あれで何を買ったの?
 そんなに凄いものは買えないだろうけど、何を買ったのか聞きたいよ…。



 前のブルーが人類から奪っていた物資。たまに人類が使う通貨が混ざっていた。
 様々なコインや紙幣の類。それらをハーレイは専用の金庫に収めていたのだけれども、ブルーの命があった間に使われることは一度も無かった。
 その後も使われないままで終わっただろうと思っていたのに、そうでもないと言われたから。
 何処かで出番があったようだから、ブルーは興味津々で訊いた。
 それを使って何を買ったか、前の自分がいなくなった後、どう使ったのかと。



「あれなあ…。あれは大いに役に立ったんだ、アルテメシアで」
 前の俺たちが最初に落とした星だ、とハーレイはブルーに微笑み掛けた。
「勝ってアルテメシアを手に入れはしたが、人類の社会で金の無いミュウはどうすればいい?」
「奪えないよね…。そんなことをしたら略奪者になってしまうもの」
「そうだろう? 略奪だけは絶対、やってはいけない。だが、俺たちには金が無かった」
 山ほど物資があると言うのに、それを買う金を俺たちは持っていなかったんだ。
 ジョミーは供出させろと言った。勝ったのだから当然の権利なのだと。
 物資はそれでもかまわないんだが…。そうするのが正しい方法なんだが、問題は船の仲間だな。
 シャングリラはアタラクシアの上空に停泊してたが、下には地面が見えるだろうが。手に入れた星の大地ってヤツが。
 そうなってくると、降りてみたいと言うヤツも出る。それにトォニィたちなら簡単に出られる。
 降りて散歩をするだけならいいが、それで済まないのが人間ってヤツだ。
「だろうね、色々なお店があるし…。公園に行けばお菓子を売っていたりもするし」
「うむ。そこでタダで寄越せと言おうものならトラブルだしな?」
 ミュウはやっぱり恐ろしいのだと、金を払わずに持って行かれたと怖がられちまう。
 それは避けたい。しかしジョミーに進言したらだ、「通貨も供出させるべきだ」と来たもんだ。
「お金まで?」
「ジョミーだからなあ…」
 あいつ、前のお前が死んじまった後は、人が変わったようになってたからな。
 歴史の本にも書いてあるだろ、ソルジャー・シンが如何に厳しい指導者だったか。



 通貨も供出させればいい、と冷たい笑みを浮かべたというジョミー。
 けれどハーレイは賛同出来ずに、「考えておきます」と答えを保留し、退出してから。
「思い出したんだ、金庫に仕舞った金があったな、と。あれが使えるかもしれないな、と」
 使えるようなら船にある金を使い果たしてから、ジョミーが言ってた供出だな。
 その方がいい、と調べさせたら、だ。あの金にはプレミアがついていたんだ。
「なんでプレミア?」
「マザー・システムは物価も統制していた。当然、通貨も管理していたわけで…」
 古くなったコインや紙幣は計画的に回収されて、新しいものと入れ替えてゆく。それが鉄則だ。
 マザー・システムが統治する世界じゃ、何百年も前の通貨は流通してない。同じコインや紙幣に見えても、全部新しいものなのさ。
 シャングリラで保管していたような金は、博物館とかに参考資料が幾らか残っていただけだ。
「じゃあ、前のぼくたちが残しておいたお金って…」
「とんでもない値段で売れたってわけさ」
「アルテメシアで!?」
 ミュウに征服された星だよ、頼りにしていたマザー・システムを壊されちゃったんだよ?
 それなのに古いお金を買ってくれたの、アルテメシアの何処かのお店が?
「ああ。人間ってヤツは逞しいよな、征服されたってちゃんと商売するってな」
 信じてた社会の仕組みがブチ壊されても、世界が丸ごと変わっちまっても。
 それでも食わなきゃ生きて行けんし、そのためには稼がなきゃ食えないよな?



 お蔭で…、とハーレイは片目をパチンと瞑った。
「俺たちは真っ当な手段で金を手に入れ、無事に買い物に行けたってわけだ」
 もっとも、ジョミーは供出にこだわっていたんだが…。
 金を手に入れたと報告したって、「そうか」と短く答えただけだった。それどころか、次に調達するべき物資。そいつのリストを俺に作れと、供出の期限はこの日までだと表情一つ変えずにな。
 買うつもりなんかはまるで無かった。供出させろの一点張りだ。
「相当、キツかったみたいだしね…。その頃のジョミー」
「別人だったな、本来のジョミーを知ってた俺の目から見ても」
 仲間を束ねるソルジャーがそれじゃ、船の中だってピリピリしてくる。張り詰めた空気が流れているんだ、いつだって。
 ミュウは本来、繊細だしな?
 そうした緊張が長く続くと神経をやられて参っちまう。
 だからだ、俺たちが落とした星では出来るだけ自由にさせてやったさ、船のヤツらを。
 トォニィたちも含めて、外に出たいと言うヤツら。
 出掛けたいなら出歩いていいと、気晴らしに飯でも食って来いとな。



「あのお金で?」
 高く売れたっていうお金で御飯を食べに行ったの、トォニィたちも?
 征服した星で供出させたお金じゃなくて?
「そうさ、正真正銘、俺たちの金だ。…まあ、元々は前のお前が奪った物資の一部なんだが」
 捨てずにきちんと取っておいたから、立派なお金に化けました、ってな。
 外へ出たいと希望するヤツらには金額を決めて配っておいた。
 決められた自由時間だったが、それでも配られた金を握って出掛けて行ったな、嬉しそうに。
 しかし初めてのお買い物ってヤツだ、使い道はなかなかに面白かったぞ。
 前のお前を失くしちまって抜け殻みたいだった俺でさえもだ、報告で笑ってしまったもんだ。
「そうなの?」
 報告を聞いて笑えるだなんて、みんなは何を買ってたの?
「何にするんだ、って呆れるようなものから、使い道の無さそうなものまでな」
 シャングリラの何処で乗るつもりなんだ、と悩むしかない自転車だとか。
 自転車はまだマシな方だな、車を買いたいって言い出したヤツらに比べれば。
「車って…。それ、お小遣いで買える値段だったの?」
「掘り出し物を見付けたんだとか言ってたらしいぞ、何人かで組めば買えたらしいんだが…」
 乗って走りたい気持ちは分かるが、また次の星へ、それに地球へと向かうんだしな?
 シャングリラに車を乗せては行けんと笑いながら却下したもんだ。
 行く先々で車を降ろしてドライブ出来るほど暇じゃないしな、おまけに車は燃料が要る。自転車みたいに人間の力で走るんだったら、少しは譲歩してやったんだが。
「なんだか凄いね、車だなんて」
「ジョミーの耳には入れてないがな、あいつが知ったら怒鳴り散らして説教だ」
 たるんでいると、そんなことで地球を目指せるかと。
 だが、そういった息抜きってヤツもミュウには必要だったんだ。
 ジョミーみたいにタフな神経、他のヤツらは持ってはいない。地球までの道を戦い続けて進んでゆくなら、せめて戦いの無い時くらいは休ませてやらんと駄目だってな。



 自転車に車、それが男性陣が買おうとしたものの中でも傑作なもの。
 女性の場合は、船では制服と決まっているのに、着る場所の無い服や帽子や靴や。腕一杯に買い込んで帰ったという話を聞く度、ハーレイは笑っていたという。
 ミュウもなかなかに強いものだと、逞しく生きられるものらしいと。
 そうした愉快な報告を聞いて、最後に必ず返した言葉。辺りを見回し、告げていた言葉。
 「ソルジャー・シンには言わなくていい」。
 キャプテンの自分の耳に入ればそれで充分だと、多忙なソルジャーを煩わせなくてもいいと。
 けれども、それは表向きのこと。
 本当は「ジョミーの耳には入れてはならない」という思いから出た、大切な言葉。
 地球を目指して戦いだけに明け暮れるジョミーは、そうした小さな平和を望んでいないから。
 余暇に費やす時間があったら、楽しみを見付ける時間があったら、それを振り捨てて前へ進めと言いそうなジョミー。実際、そうしていたジョミー。
 ジョミーだからこそ出来ることだと告げた所で、ジョミーは決して納得しないし理解もしない。
 分かっていたから、ハーレイは全てを自分の胸に収めた。
 仲間たちが僅かな自由時間に地上へと降りて、買い物や外食をしていたことを。



「…ハーレイ、頑張ってくれたんだ…。みんなのために…」
 シャングリラを地球まで運ぶだけじゃなくて、船のみんなが疲れ切ってしまわないように。
 戦いばかりで楽しいことなんて何一つ無い、って日が続かないようにしてくれたんだ…。
「まあな。お前を失くして参っちまってた分、そういう気配りだけは出来たのかもなあ…」
 船のヤツらが、俺みたいな抜け殻にならないように。
 神経をすっかりやられちまって、それでも機械的に戦い続けるだけの人形にならないように。
 そんな思いは確かにあったな、俺の二の舞はさせたくないと。
「やっぱりハーレイはキャプテンなんだね、どんな時でも。船のみんなを守ったんだね…」
 ぼくはジョミーを頼むとしか言わなかったのに。
 シャングリラのみんなまで、ちゃんと守って。そうやって地球まで行ったんだね…。
「小遣いを用立てて、ジョミーに内緒で遊ばせてやってただけなんだがな」
 ジョミーも薄々、気付いていたとは思うんだが…。
 切り替えが上手く行ってるんなら、と多分、黙認していたんだろう。無駄な反感を招くよりかは利口だからな。内心、腹を立てていたって、そいつもエネルギーに変えて前へと進みそうだろう?
「うん。…その頃のジョミーをぼくは知らないけど、ジョミーはいつだって前向きだよ」
「いやいや、あれで引きこもってた時期もあったんだがな? しかし基本は前向きなヤツだ」
 ともかく、ジョミーが頭ごなしに「駄目だ」と禁止しなかったから。
 ノアを落とす頃には「いつかは地球で買い物をしよう」と楽しみにしていたようなんだが…。



「地球で買い物って…。お金、そんなに沢山あったんだ?」
 前のハーレイが貯めていたお金が化けたお金って、地球に着く頃にも残ってたんだ…。
「ジョミーが供出にこだわったお蔭で、使い道が全く無かったからな」
 地球に向かう頃にはゼルとブラウとエラも船を持っていたが、あれも供出させた船だし…。
 人類との戦いに必要な物資は全て供出品で賄うというのがジョミーの方針だったんだ。
 食料も、シャングリラやゼルたちの船に必要なものも。
 全く金を使ってないんだ、仲間たちの分の小遣いくらいは地球に着くまで充分、持ったさ。
「でも、地球は…。前のハーレイたちが着いた頃の地球は…」
「買い物どころか、降りるだけでも命が危ない有毒の死の星でした、というオチだったな」
 その上、どうにか落としたと言っていいのかどうか…。
 グランド・マザーとマザー・システムを壊しはしたがだ、俺の命まで終わっちまった。船に居たヤツらには驚きの幕切れっていうヤツだよなあ、ジョミーも死んじまったんだしな。
 まあ、俺にとっては万々歳な最期だったが…。買い物がしたかったわけでもないし。
「どうして其処で万々歳なの?」
「お前の所へ行けるだろ?」
 地球までは行った、ジョミーも支えた。
 胸を張ってお前に会いに行けるし、もうこれ以上は独りぼっちで生きなくってもいいってな。
「そっか…」
 ぼくとハーレイ、会えたんだよね?
 だから二人で地球まで来られたんだよね、今の青い地球に。
「そりゃそうだろうさ、でなきゃこうして一緒に居ないと思うぞ」
 今のお前の部屋で、こうして。向かい合わせで座るためには、まずはお前に出会わないとな。



 この青い地球に生まれて来るよりも前に、何処で出会って何処に居たのかは分からないが…、とハーレイは鳶色の瞳でブルーを見詰めた。前の生から愛し続けた、愛おしい人を。
「俺たちは二人で青い地球に来て、いつかは一緒に暮らすってわけだ」
 だが、前のお前は買い物も出来ずに逝っちまって。
 前の俺も買い物には行かずに終わっちまったし、今度は二人で買い物をせんとな。
 せっかくの地球だ、二人であれこれ買い物ってヤツをしようじゃないか。
「春に買ったお財布を持って出掛けて?」
「うむ。秋は御免だ、秋財布はな」
 秋って季節も好きなんだがなあ、秋財布はいかん。あれだけは駄目だ。
 お前の誕生日に結婚出来るんだったら、結婚記念に春財布も買って贈るんだがな。
「ホント?」
「その頃に俺が忘れていなきゃな」
 しかしだ、お前が春財布を買いそびれたままで結婚しちまっても心配要らんぞ。
 春財布をお前が持ってなくても、安心して買い物していいんだ。
「どうして?」
「俺の財布から支払うからさ。俺はいつだって春財布だ。財布は春に買っているんだ」
 任せておけ、とハーレイは豪快に笑う。
 今度は二人で買い物に行こうと、前の生では出来ずに終わった買い物なるものに。
 前の自分たちが生きた頃には不可能だった、地球での買い物。
 青い地球の上で買い物をしようと、日々の生活に必要なものから、旅の思い出の土産物まで。
 沢山の幸せなものを買おうと、春財布を持って二人一緒に…。




           秋財布・了

※前のハーレイが残しておいた、奪った物資に紛れた通貨。なんと高値で売れたのです。
 お蔭で買い物に行けたミュウたち。地球を目指しての戦いの中でも、少しは息抜き。
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 今日はお休み。学校に行かなくていい日だけれども、いつも通りの時間に起きた、ぼく。
 朝御飯にミルクと焼きたてのトースト、ハーレイのお母さんのマーマレードをたっぷりつけて。
 ハーレイが来てくれる日だって分かっているから、とってもワクワクしてるんだ。
 何を話そうか、今日はどんな話が聞けるんだろう、って。
(…ハーレイ、何を聞かせてくれるかな?)
 普段の生活の話でもいいし、思い出話もぼくは大好き。柔道に水泳と活発な子供時代を過ごしたハーレイの思い出は、生まれつき身体の弱いぼくにとっては冒険みたいだったりするから。
(早くハーレイ、来てくれないかな…)
 欲を言うなら、お休みの日には朝御飯だってハーレイと一緒に食べたいんだけど…。
 パパとママも「どうぞ」って何度も誘っているのに、遠慮してるって言うのかな?
 「伺います」とは答えてくれないハーレイ。いつだって断ってしまうハーレイ。
 だから夏休みに「一緒に夜明けを見てみたいよ」って強請った時に、朝日を見た後、朝露が光る庭の白いテーブルと椅子で食べたくらいで、ハーレイとの朝御飯は夢のまた夢。
 まだまだ当分、実現してくれそうにない、ハーレイと食べる朝御飯。



 食べ終えた後で部屋に帰って、掃除をして。ハーレイを待ちながら、ちょっぴり溜息。
(…朝御飯、昔は一緒に食べてたんだけどな…)
 白いシャングリラで暮らしていた頃。本物の恋人同士だった前のハーレイと、前のぼく。
 朝の食事はハーレイと一緒。毎朝、青の間でハーレイと一緒の朝御飯。
 夜は一緒のベッドで眠って、朝の食事も二人一緒で。
 あの頃がいいな、って思ったりする。朝御飯の時間はうんと幸せだったよね、って。
 今みたいに青い地球の上にはいなくて、シャングリラの中が世界の全てだったけど。ハーレイのお母さんのマーマレードなんていう素敵な食べ物も無かったけれど。



(最初からハーレイと一緒だったよ、朝御飯…)
 恋人同士じゃなかった頃から。出会ったばかりの、アルタミラを脱出した直後から。
 ハーレイが「俺の一番古い友達だ」って仲間たちに紹介してくれた、ぼく。
 アルタミラがメギドに滅ぼされた日に、同じシェルターに閉じ込められて出会っただけなのに。二人で幾つものシェルターを開けて仲間を逃がしたけれども、初めての出会いだったのに。
(ハーレイ、ぼくを大事にしてくれてたしね…)
 ぼくの方がホントは年上なんだ、って知ったハーレイはビックリしたけど。
 見た目どおりに心も身体も子供だったぼくを、気遣って、連れて歩いてくれて。食事はいつでもハーレイと一緒。脱出した日に最初に食べた食事の非常食から、ハーレイと一緒。
 非常食と言っても、アルタミラで餌しか食べてなかった前のぼくたちには御馳走だった。包みを開ければ温まる料理と、ふんわり柔らかく膨らむパンと。
 とても美味しくて、自由になったと皆が実感した、船で一番最初の食事。



 暫くの間は、非常食の食事が続いたけれど。
 開けるだけで食べられる非常食が尽きてしまうよりも前に、ハーレイが料理を作り始めてた。
 きっと精神がタフだったんだろう、非常食が充分にあった頃から倉庫に入って調べてた。どんな食料が置いてあるのか、それを使って何が作れるかもデータベースを調べたりして。
 だから順調に普通の食事が食べられるようになったんだけど。
 みんなも今日はどんな料理かと、楽しみに待つようになっていたんだけれど…。
 幸せな毎日の食事の裏側で、ハーレイを手伝って料理する人が増えていってた、その裏側で。
 誰も知らない、恐ろしいことが始まってたんだ。
 ぼくもその日まで全く知らずに、考えもしないで過ごしてたことが。



 ある日、夕食の後で、ぼくの部屋を訪ねて来たハーレイ。
 ハーレイは後片付けをしなくていいから、「ちょっといいか?」って声を掛けられて、部屋まで一緒に帰ったんだけど。お喋りしながら、二人並んで通路を歩いて。
 だから普通に食後の時間を過ごすだけだと思っていたのに、ぼくの部屋で向かい合わせで座った途端に、ハーレイの眉間に微かな皺。あの頃は癖になっていなくて、無かった皺。
 とても大きな溜息をついて、ハーレイはポロリと零したんだ。
「弱ったな…」
「どうしたの?」
 ハーレイが弱音を吐くなんて珍しいから、キョトンと首を傾げたぼく。ハーレイは「ああ…」と曖昧な返事をしてから、思い切ったようにこう言った。
「どう考えても、あと一ヶ月だ」
「何が?」
「倉庫の中身だ。…そこまでしか食料が残っていない」
「えっ?」
 まさか、とぼくは息を飲んだけど、ハーレイは「一ヶ月分なんだ」と繰り返した。
 倉庫にはもうそれだけしか残っていないと、非常食を全部使っても、一ヶ月分しか無いのだと。



「此処まで持ったのが奇跡と言えば奇跡なんだが…」
 この船は輸送船ってわけでもないのに、食料をたっぷり積み込んであった。
 アルタミラから何処かへ出港予定だった船が、メギド騒ぎで放棄されちまったって所だろうな。
 この船のヤツらは他の船に移って逃げてったんだ。逃げ足の速そうな他の船でな。
 こいつは客船ってヤツじゃないがだ、大勢が乗れる船だってことは分かるだろ?
 何処か遠い星まで寄港しないで飛んで行く予定だったんだろう。
 だから食料を山ほど積み込んであった。しかし…。



 足りないんだ、って頭を抱えるハーレイと一緒に食料品が積まれた倉庫に行ってみた。非常食の残りも詰め込まれた場所。
 ぼくの目には沢山に映るけれども、ハーレイの説明を聞くとそうじゃない。一日に消える食材の量と、倉庫に置かれている箱と。
 毎日どんどん減っていった末に、非常食を混ぜてみんなに出しても、残りは本当に一ヶ月分。
 其処で全ての食料が尽きる。調理されて料理になる食材も、開けるだけで食べられる非常食も。



 食料はあと一ヶ月で無くなるのだ、と倉庫で肩を竦めたハーレイ。それからぼくの部屋まで戻る間は無言で歩いて、ドアを閉めたら、ハーレイがドアに大きな背中を預けて。
「…俺たちも此処までっていうことかもな。皆には言えんが」
「此処まで?」
「後は餓死するしかないってこった」
 それしか無いな、ってドアから離れて、ぼくを促して倉庫に行く前みたいに向かい合って座った二つの椅子。ぼくたちの間には小さなテーブル。お茶もお菓子も載っていないテーブル。
 あの頃はまだ個人の部屋には、そういう物資は無かったから。
「さて、どうするかな…」
 この先、いったいどうしたものか、とハーレイはテーブルを指先でトンと叩いた。
「節約しながら食い延ばしていくか、ドカンと豪華に最後の晩餐と洒落込むべきか…」
「最後の晩餐?」
「知らないか? そういう一種のたとえ話さ」
 神様が人間の姿で地上に下りておられた時にな、弟子たちと最後に食べた食事だ、最後の晩餐というヤツは。
 それに因んで、自分の人生最後の食事。最後になるなら何を食おうか、って話だな。何も記憶に残っちゃいないが、成人検査を受ける前の俺はそういう話をしてたんだろう。友達なんかと。
 ブルー、お前は何を食べたい?
 つまらない飯を最後に食べるか、うんと豪華に食ってみたいか。



「…終わるしかないの? 最後の晩餐になってしまうの?」
「どう考えてもそれしかあるまい。食料はもう一ヶ月分しか残ってないんだ」
 食い尽くしたら其処で終わりになる。
 飯も食料も天から降っては来ないからな…、って、死んだら行き先は天国なんだが。
「…ヒルマンたちには?」
「まだ言っていない。あいつらだったら上手くパニックを鎮めそうだし、いずれはな…」
 いつかは言わなきゃならんことだが、まだ暫くは皆を普通に過ごさせてやりたいじゃないか。
 せっかく船も落ち着いたんだ。片付けも済んで、居心地のいい船になったしな。
「…でも、ハーレイ…。あと一ヶ月だ、って一人で悩むの?」
「その覚悟だが…。誰かに聞いて欲しかったんだろうな、だからお前だ」
 チビではあるがだ、船の中では最年長だ。すまんな、ブルー。俺の悩みに巻き込んじまって。
 だが、俺だって人間だしな?
 弱くなっちまう時もあるのさ、今日みたいにな。



 ゆっくり眠れよ、ってハーレイは手を振って部屋を出て行ったけれど。
 その夜、ぼくは眠れなかった。
 あと一ヶ月で終わりが来る。食料が尽きて、終わりになる。
 ハーレイはいつ、ヒルマンたちに話すんだろう?
 そして、ぼくたちはどうなるんだろう…?
 やっとの思いで逃げて来たのに、食べるものが無くなって死んじゃうだなんて。
 暗い宇宙で飢えて死ぬしか無いなんて。
 地獄だったアルタミラでも餌はあったのに。飢え死にだけはしなかったのに…。



(そういう実験をされてた仲間はいたかもだけど…)
 ミュウは食べなくても平気かどうか。
 そんな実験なら、ぼくも受けてた。餌も飲み水も全く与えられずに、何日間も放っておかれた。檻に鏡は無かったけれども、日に日に細くなっていく腕。やせ衰えて力が抜けてゆく足。
 ぼくは貴重なタイプ・ブルーだから、死んでしまう前に終わった実験。中断された悪魔の実験。
 だけど…。
(あれで死んじゃった仲間もいたかもしれない)
 代わりは幾らでもいた、タイプ・グリーンやイエローといった仲間たち。
 彼らを相手に条件を変えては、死んでしまうまで実験を続けていたかもしれない。研究者たちはミュウを人だと思っていなかったから。実験動物だと思っていたから。
(…ホントにそういう仲間がいたかも…)
 餌も水も貰えず、やせ衰えて息絶えてしまったかもしれない仲間たち。
 飢え死にだなんて、そうやって皆が、船の仲間たちが死んでゆくなんて。
 ハーレイまでそうなって死んじゃうだなんて…。



(ハーレイ…)
 なんとなく、だけど。
 ハーレイはぼくに最後の食事をくれそうな気がした。
 節約した果ての質素なものでも、うんと豪華な最後の晩餐とやらだったとしても。どんな中身の食事であっても、「お前が食べろ」って。「俺の分はお前にやるから」って。
 ブラウたちだって、きっと分けてくれる。一部か、下手をすればハーレイみたいに全部を。
 「チビは食べな」って、「あたしたちはこれ以上、育たないからね」って。



 そうして食事を分けて貰ったら、ぼくは最後に残るんだろうか。
 みんなが死んでしまった後の船で生きて、最後に飢え死にするんだろうか…。
(そんなの嫌だ…)
 ぼくが死ぬのはみんなと同じ道を辿るだけだからかまわないけど、ぼくのためにみんなが食事を譲って死んじゃうなんて。
 自分の食事をぼくに食べさせて、ぼくよりも先に死んじゃうだなんて。
(絶対に嫌だ…!)
 だけど、食料は一ヶ月分だけ。本当に残り一ヶ月分だけ。
 どうしても終わりがやって来る。最後の時が、飢え死にする時がやって来る。
(…せっかく自由になれたのに…)
 船を手に入れて、自由になって。個室を貰って、船の中を綺麗に片付けて。
 これからだ、って時にプツリと終わる人生。終わるしかない、ぼくたちの命。
 食べ物はもう無いんだから。あと一ヶ月で無くなってしまって、何も食べられないんだから。
(これで終わりなんて…)
 全てが終わってしまうだなんて。
 ハーレイやゼルたちと笑い合う時間も、みんなで囲んだ食卓も、全部。



 考えただけで恐ろしくなる、ぼくたちに残された生きられる時間。あと一ヶ月。たった一ヶ月。
 きっとハーレイはこんな思いをもっと前からしていたんだろう。
 食材の残りをチェックする度に、何が作れるかと倉庫の中身を調べに出掛けてゆく度に。
 耳に残ってる、ハーレイの言葉。ぼくに言ってた、現実を思い知らされる言葉。
「食料は天から降って来ないしな?」
 その通りで天から降っては来ない。それは分かってる。
 どんなに欲しいと祈り続けたって、決して降っては来ない食料。もしも天から降って来るなら、とうの昔に倉庫に届いているだろう。これで生きろと、これを食べて皆で生き延びてくれと。
 けれど食料は倉庫に届いてはくれず、減ってゆくだけ。食べた分だけ、減ってゆくだけ。
 そして終わりがやって来る。
 最後の食事を皆で食べ終えて、飢え死にを待つだけの終わりの時が。
 ハーレイが、ブラウたちが「食べろ」とぼくに食事を譲りそうな日が…。



(でも…)
 ぼくたちのために残された食料は、たった一ヶ月分しか無いんだけれど。
 食料は天から降って来なくて、減る一方しか無いんだけれど。一ヶ月で尽きてしまうんだけど。
(飢えて死ぬのは、ぼくたちだけ…)
 この宇宙では大勢の人類が食事をしていて、今この瞬間にだって余った食事をドッサリと捨てているかもしれない。まだ充分に食べられる料理を、余ったからと惜しげもなく。
(…余った食事でいいんだよ…)
 それがあったら、宇宙のあちこちで余って捨てられる食事があったとしたら…。
 ぼくたちは死なずに生き延びられる。飢え死にしないで、ちゃんと命を繋いでゆける。この船のみんなが生き延びるためには、ほんの小さな町で廃棄物にされる余った食事で充分なのに。
 星一つ分なんて欲しいと言わない。星の上の都市の区画の中の、そのまた小さな一区画。其処で余って捨てられる食事を貰うことが出来れば、皆が生き延びられるのに。
(本当に残り物でいいのに…)
 死なずに済むなら、飢えて死なずに済むと言うなら、残り物だって貰いに出掛ける。
 だけど、貰いに行く方法が…。
 何処かの星まで残った食事を貰いに出掛ける方法が無い。
 だって、ぼくたちはミュウだから。ミュウを乗せた船が降りられる星は何処にも無い。
 降りられないなら、残り物だって貰えやしない。貰いに行けやしない…。



 宇宙には余った食事があるのに、飢えて死ぬしかないぼくたち。
 残り物さえ貰いに行けずに、一ヶ月後には最後の食事を済ませるしかない運命のぼくたち。
 天から食料は降って来なくて、残り物さえ貰えないままで。
 食べ物が溢れている筈の宇宙で、ぼくたちだけがやせ衰えて死んでゆくなんて…。
(…待って)
 余った食事がある筈の宇宙。この船を取り巻く宇宙空間。漆黒の闇に浮かんだ瞬かない星。
(…宇宙空間って…)
 アルタミラで受けた人体実験。強化ガラスの檻で受けさせられた実験。
 檻の向こうは真空の宇宙だと放り込まれた。放射線が飛び交う、絶対零度の死の空間だと。抵抗なんかは出来る筈も無く、これで死ぬんだと思ったのに。
 ぼくは生きてた。死なずに生きてた。
 どうやったのかは分からないけれど、恐れおののく研究者たちを中から見てた。
 だから、ぼくなら外へ出られる。この船の外へ。



(…御飯、貰いに行けるんだろうか?)
 宇宙の何処かで余った食事を、みんなのために。船の仲間に食べて貰うために。
 下さいと言ってもミュウに分けてはくれないけれども、食事の残りを捨てていそうな所に行って貰って来られたら。捨てたものなら、無くなっていても人類だって気にしない。
(何処かの星へ…)
 人類が住んでいる星へ、と思ったけれども、危険すぎる。
 ぼく一人だけが降りるのだとしても、船ごと星に近付いて行けば見付かってしまう。
(…御飯…)
 他に食事をしていそうな場所。御飯が余っていそうな場所。
 星みたいに警備が厳重じゃなくて、でも人類が食事をしていて…。
(そうだ、船…!)
 ぼくたちが乗ってる船みたいなのが、沢山宇宙を飛んでいる。人類を、彼らの食料を乗せて。
 それに近付けたら、きっと食事が、残り物じゃなくて本物の食料が手に入るだろう。




(…ぼくなら行ける)
 船さえ見付かれば、宇宙を駆けて。多分、宇宙空間を飛んでゆくことが出来る筈。
 宇宙どころか船の中でだって、飛んだ経験は無いんだけれど。アルタミラでも飛べるかどうかの実験なんかは無かったけれども、飛べると思った。ぼくは飛べる、と。
 食料がまだ一ヶ月分も残っている今の間なら、ぼくの体力は充分に持つ。
(…どうやって奪う?)
 船を壊してしまおうか?
 全体じゃなくて、食料を積んでいる部分。其処を見付けて外壁を壊せば、中身は外へ流れ出す。真空の宇宙へ吸い出されるから、それを奪って逃げればいい。
(外壁が壊れたら、原因が何かを調べるよりも先に修理の筈だよ)
 まさか人間が宇宙を飛んで来るとは思わないだろうし、攻撃どころじゃないだろう。船の修理を急いでいる間に、食料を持って逃げるんだ。
 そうすればこの船のみんなが助かる。誰も飢え死にしないで済む。
 決めた、とぼくは決意を固めた。
 駄目で元々、死ぬよりはマシ。飢えて死ぬよりはずっとマシだから、やってみようと。



 次の日の夜、ぼくは夕食の後でハーレイの部屋まで一緒に行って。
 「どうした?」って椅子を勧めてくれたハーレイに向かって頼み込んだ。
「ハーレイ、お願い。船を探して」
「船?」
「うん、人類の船。何でもいいから」
 船が見付かったら、ぼくが食料を奪ってくるから。船なら積んでいるでしょ、食料。
「お前がか!?」
「大丈夫、ぼくなら宇宙でも平気。それに飛べるよ」
 遠い所へでも飛んで行けるよ、ハーレイたちは船で待ってて。
「…しかし…」
「飢え死にするより絶対マシだよ。ヒルマンたちに言ってよ、船を探して、って」
 お願い、と懸命に訴えたぼく。
 今まではレーダーに機影が映る度に逃げていたけれど。見付からないようにと隠れたけれども、次に来た船。どんな船でも食料は必ず積んでいるから、それを探して、とぼくは頼んだ。
 船を見付けたら距離を保って逃げていてくれと、ぼくは必ず帰ってくるから、と。



「ブルー、本気か?」
 お前、本気で言っているのか、そんな無茶なこと。食料を奪って来ようだなんて。
「うん。だって、ハーレイ…。ぼくに食事をくれそうだから」
「食事?」
 怪訝そうなハーレイに、ぼくは「最後の晩餐…」と昨夜習ったばかりの言葉を返した。
「ハーレイはぼくに、最後の食事をくれそうな気がするんだよ」
「なんで分かった?」
 俺は一言も言っちゃいないのに、お前、心を読んだのか?
「ほらね。心なんか勝手に読みはしないけど、ホントにそういう気がしたんだよ」
 最後の食事を貰っちゃったら、ハーレイが先にいなくなっちゃう。ぼくに食事を譲った分だけ、先に。なのにハーレイの分を貰っちゃったぼくは、みんなよりも長く生きるんだ。
 余計に沢山食べた分だけ、みんなが飢え死にしちゃった後も。この船の中に独りぼっちで。
 ぼくは独りで残るのは嫌だ。だから行ってくる。食料を奪いに飛んで行ってくる。
 ハーレイが止めたら、それはぼくに独りきりで生き残って泣いてろって言うのと同じなんだよ。
 ぼくをそんな目に遭わせたくないなら、ヒルマンたちに言って。
 船を探してって、次に人類の船を見付けたら、逃げないでぼくに知らせてって。



 根負けしたのか、賭けてみる気になったのか。
 ハーレイはヒルマンや、ブリッジに出入りしているブラウたちに相談してくれた。食料の残りが尽きそうなことと、ぼくが奪いに出掛けることを。
 そうして許可は得られたけれども、食料は少しずつ減ってゆくから。
 食べた分だけ、使った分だけ減ってゆくから、ぼくは毎日、気が気じゃなかった。倉庫を覗いて残りを数えて、ハーレイに訊いて。まだ大丈夫かと、毎晩、訊いて。
 このまま船が一隻も来なかったら…、と心配になってきた頃にレーダーが捉えた人類の船。
 ブリッジに居たゼルとブラウから「見付けた」と思念が飛んで来た船。
 部屋に居たぼくは「行かなきゃ」と通路に飛び出したんだ。
 船は多分、客船か輸送船。人類軍の船では無さそうだから、と飛んでいる位置も教えてくれた。
 急いで見付けて、とにかく食料。何でもいいから、食べる物を奪って来なくっちゃ…!



 ハッチに向かって走るつもりが、気が付いたら宇宙に浮かんでた。
 駆けてゆく筈の通路もハッチも飛ばしてしまって、船の外の宇宙にぽっかりと。
(えっ?)
 それがぼくの初めての瞬間移動。自分でも全く知らなかった力。
 ぼくたちが乗っている船の姿を初めて宇宙で外側から見た。アルタミラから脱出する時は大きく頼もしい船に見えたけれども、やっぱり大きい。
 みんなの命を乗せている船。ハーレイにゼルに、他にも沢山、守りたい仲間が乗っている船。
(待ってて、みんな…!)
 この船のみんなが死んでしまうなんて、飢え死にだなんて、とんでもないから。
 外側からこうして船を眺めたら、一層強く思ったから。
 ぼくは真っ直ぐに目標へと飛んだ。ゼルたちに教えられた方向、人類の船がいる方向へ。



(あれだ…!)
 最初は光の点だった船。見る間に近付いて、ぼくたちの船と変わらないほどの大きさになった。窓が多いから、きっと客船。食料は充分に積んでいる筈。
(…倉庫…)
 船の構造には詳しくないけど、窓の無い部分の何処かだろう、と見当を付けて透視してみて。
 見付けた倉庫と、食料が詰まった大きなコンテナ。あれが欲しい、と思ったコンテナ。
 途端に、それは魔法みたいにぼくの目の前に浮かんでた。
 ぼくが狙ったコンテナの一つ。欲しいと願った、コンテナの一つ。
(これだけあれば…!)
 暫くは飢えずに凌げると思う。でも、念のためにもう一個。
 次の機会がいつになるかが分からないから、もう一個くらい貰っておいてもかまわない。人類の船は食料が消えたと大騒ぎになってしまうだろうけど、補給すれば済む問題だから。何処かの星で補給するとか、通信を飛ばして輸送船から分けて貰うとか。
(ぼくたちと違って、飢え死にしたりはしないんだものね)
 貰っておくよ、と奪った大きなコンテナが二つ。中にぎっしり食料の山。
 後は力なんかは要らなかった。
 みんなの所へ持って帰るんだ、って強く思うだけで軽々運べた。二つのコンテナはぼくの後から勝手について来て、ぼくとおんなじ速さで飛んだ。
 そうして真っ暗な宇宙を駆けて行った先に見えた、まだシャングリラじゃなかった船。名前すら付けていなかった船。だけど、みんなが乗っている船。みんなの命を乗せている船。
(間に合ったよ!)
 コンテナに二つ分もの食料。これで飢えない。終わりは来ない。
 ぼくはコンテナごと、格納庫の中へと飛び込んだ。飛び出した時と全く同じに、ハッチも通路も通ることなく。



 船に戻った、と思念を飛ばしたら格納庫に駆けて来たハーレイ。
 ぼくもコンテナもレーダーに映りはしなかったから、ブリッジから肉眼で見付けたゼルたちも。
「ハーレイ、盗ったよ!」
 コンテナに二つ、人類の船に載ってた食料。
 中身は沢山の野菜と肉とかなんだよ、他にも色々!
 それでね…、と戦利品を説明しようと得意だったぼくを抱き締めて、泣いたハーレイ。
 無事で良かったと、帰って来てくれて良かったと。
「本当に心配したんだぞ、ブルー…!」
 お前、レーダーに映らないから。何処へ行ったのかも分からないから。
 帰ってくる時も全く手掛かりが無くて、ちゃんと俺たちの船を追って来られるのか心配で…。
 お前だけが先に死んじまったらどうしようかと、本当に気が気じゃなかったんだ…!



 それから後は奪ってばかりの日々だったけれど。
 最初の一度でコツを掴んでしまっていたから、もう幾らでも奪えたんだけど…。
(たまに失敗しちゃうんだよね)
 とにかくコンテナ、って奪ってくるから、やたらジャガイモだらけとか。キャベツばかりが多い時とか、偏ることが何度もあった。
 ハーレイが苦労して料理をしていたジャガイモ地獄や、キャベツ地獄や。
 ゆっくり中身を品定め出来たら、あの手の失敗は無かったと思う。
 だけど、ハーレイが心配するから。早く戻らないと心配するから、奪う速さが最優先。品定めをしている時間があったら、一秒でも早く船に帰ること。
(…半分はハーレイのせいだったかもね、ジャガイモ地獄)
 キャベツ地獄も…、と考えていたら。



「おい、ブルー?」
「あっ、ハーレイ!」
 いきなり聞こえた、ハーレイの声。ママの案内でぼくの部屋に来た、今のハーレイ。
 おはよう、とぼくは身体ごと振り向いて笑顔で応えた。
 ハーレイのことを考えていたよと、最初に食料を奪った時のことなんだよ、と。
 ママが「あらあら…」って笑ってる。「楽しそうね」って、「ブルーの思い出話なのね」って。
 お茶とお菓子をテーブルに置いてってくれたママ。
 飢え死にしそうだった危機の話だとは思ってないよね、そういう思い出なんだけど…。
 今のぼくには想像もつかない、恐ろしかった思い出話だけれど。
 でも、思い出になってしまったから。
 前のぼくの記憶の一つに過ぎない思い出だから、今、話すのならお茶とお菓子が似合うんだ。
 ハーレイと二人、向かい合わせで紅茶のカップを傾けながら。



「あれなあ…。俺は本当に生きた心地もしなかったんだ」
 やれやれ、って頭を振ってるハーレイ。
 ぼくが船から飛び出してった後、戻って来るまで怖くて怖くてたまらなかったと。
 二度と戻って来ないんじゃないかと、ぼくがあのまま戻らなかったらどうしようかと。
「大丈夫だって言っといたのに」
 ぼくなら宇宙空間でも平気なんだ、って何度も説明しておいたのに…。
「お前に教えるべきじゃなかったと真剣に後悔したんだぞ。食料の残りがもう無いって」
 あんな無茶をやらかすと分かっていたなら、俺は決して教えなかったな。
「だけど、そのお蔭で生き延びられたよ、前のぼくたち」
 最後の食事だか、晩餐だか。
 それをハーレイから貰った後だと手遅れなんだし、食料が減って弱ってからでも駄目だった。
 あのタイミングで聞いていたから間に合ったんだよ、船を探すのも、奪いに行くのも。
「そうだな、実際、そうなんだが…」
 もう食料が尽きちまうんだ、って皆に言うしかない時だったら、既に手遅れだったんだろうが。
 俺だってそうだと分かっちゃいるが、だ。
 それでも未だに後悔してるな、チビだったお前に俺の悩みをぶつけちまったこと。



 すまん、とハーレイが謝るから。もう時効だよ、と笑った、ぼく。
 とっくの昔に時効なんだと、前のぼくの時から時効だったと。
「そうでしょ、ハーレイ? ぼくは嫌だと言った筈だよ、独りぼっちで船に残るの」
 ハーレイの最後の食事を分けて貰って、一番最後に飢え死にするなんて絶対嫌だ、って。
「それはそうだが…。前のお前も自分が決めたと何度も言ってはいたんだが…」
 お前にウッカリ言っちまったのは前の俺だし、チビのお前には重すぎだよな。
 食料の残りがもう無いだなんて、あと一ヶ月で無くなるだなんて。
 お蔭でみんなの命が助かったにしても、チビだったお前に無理をさせたのは俺なんだ。
 前はお前に散々、世話になっちまったから。
 食い物のせいで悩ませた上に、その後も長いこと、お前が奪った食料で生きていたんだから。
 その分、今度は嫌というほど食わせてやるさ。
 俺が作る料理も、二人で何処かへ食べに出掛ける料理ってヤツも。
「うん、ハーレイ。御飯、沢山食べに行こうね」
 結婚したら沢山食べに行こうね、そして家でも食べ切れないほど。
 ぼくは沢山食べられないけど、それでも沢山。
 ハーレイと二人で、幸せな御飯。
 だって今度は、間違ったって飢え死になんかしない、青い地球の上にいるんだから…。




         残された食料・了

※アルタミラから脱出したブルーたちが直面した危機。あと1ヶ月で尽きる食料。
 最後の食事を譲ってくれそうなハーレイたちを救ったのが、前のブルーの略奪の始まり。
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