忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 学校から帰ってみたら、おやつにと買ってあったドーナツ。ママが作ってくれるお菓子も大好きだけれど、たまに買って貰えるドーナツも好き。
(んーと…)
 着替えはとっくに済ませていたから、ダイニングのテーブルに置かれた箱をいそいそと開けた。何が入っているのかな、と覗き込んだら種類は色々。
(どれにしようかな?)
 クリームが入っているのも美味しそうだし、チョコレートがかかったのにも心を惹かれる。
 だけど、一度に沢山は食べられない、ぼく。ドーナツを幾つも食べてしまったら夕食が入らないことは明らか。
(一個だけだよね…)
 その一個をどれにするかで悩むのが恒例だけども、いきなり「これだ!」と閃いた一個。
 ごくごく普通のプレーンなドーナツ、チョコレートもクリームもついていない上に、平凡な形。それでも「これ!」と思ってしまった。
(うん、シャングリラのドーナツなんだよ)
 懐かしいな、と箱から出してお皿に乗っけた。ホットココアも用意して、椅子へと座る。ママはキッチンで何かしているから、一人でゆっくり。思い出に浸るには丁度いい時間。
(そう、この味!)
 ドーナツを齧ったら笑みが零れた。
 前のぼくも同じ味のを食べていたっけと、こんなドーナツだったっけ、と。



 遥かな昔にソルジャー・ブルーだった、ぼく。
 今では伝説の英雄だけれど、その英雄がドーナツだなんて、と誰も信じてくれそうにないけど。でも本当に食べていたんだし、好きでもあった。何の飾りも無いドーナツが。
(そんなことまで歴史に残ってないものね)
 シャングリラの食堂で作っていた食事のメニューやレシピも残ってないんじゃないかな、もしも残ってたら本が出されていそうだもの。シャングリラは最高に有名な宇宙船だし、遊園地に行けばシャングリラの形の遊具が人気。そのシャングリラのレシピ本なら、絶対に売れる。
(レシピのあちこちに「合成のものが無ければ天然のもので構いません」って注意書きが書かれていたって売れるよ)
 ソルジャー・ブルーが、ソルジャー・シンが食べていたものを食べたい人は多いだろう。それが豪華なものでなくても、ある種の憧れ。
(レストランとかの企画で再現したなら、人気が出そう…)
 行列が出来たり、予約で埋まってしまったり。そう考えたら可笑しくなった。
(前のぼくは夢にも思わなかったよ、シャングリラの料理が人気メニューになるかもなんて)
 ぼくが食べてるドーナツだって、「ソルジャー・ブルーのお気に入りだった」って発表されたら飛ぶように売れてゆくかもしれない。
 平凡なプレーンの、「他のドーナツを買ったついでに」買われるであろう素朴なドーナツ。
 ソルジャー・ブルーがシャングリラで食べていた、おやつのドーナツ…。



 リングの形に纏めた生地を揚げただけのドーナツは、白いシャングリラでは子供たちのおやつの定番だった。シンプルだけれど飽きが来ないし、材料だって揃えやすいから。
 それに子供たちの服だって汚れたりしない。ドーナツの欠片が零れて落ちても、手でパンパンと軽くはたけばおしまい。ジャムや溶けたチョコレートみたいに染みにはならない。
 そういった理由でドーナツは定番、子供たちにも人気のお菓子。お行儀よくフォークで切ったりしなくてもガブリと齧れて、手に持ったままで公園にだって出掛けてゆけた。
(…基本は子供たちのための部屋で食べる、って決まりだったけどね)
 前のぼくがドーナツを食べていた場所も、子供たちが集まるための部屋。
 ぼくは最高齢な上にソルジャーだったけれど、保育部や養育部の食堂でよく食べた。子供たちの遊び相手をするのが前のぼくの仕事だったから。
 ソルジャーの力が必要な場面はシャングリラの中では滅多に無くって、前のぼくには仕事が無い日が多すぎた。青の間でのんびりしてては気が咎めるから、あちこち手伝いに出掛けてみたけど。
 機関部に行けば案内係がついてしまって、仕事の邪魔にしかならなかった。農園も同じ。
 掃除でもしようかと考えたけれど、これまた「とんでもありません!」と断られた。ぼく専用の青の間でさえも、「自分でやるよ」と何度言っても掃除係がやって来る始末。
 厨房なんかは行ったら試食係どころか特別メニューが出て来そうだから、此処も論外。
 何か仕事は無いのだろうか、と考えた末に辿り着いた場所が保育部と養育部だった。子供たちはソルジャーが遊び相手でも恐縮したりはしないし、却って喜ぶ。係のクルーは空き時間が出来る。その時間を他の仕事に回せる。
 思わぬ所で見付かった仕事。前のぼくが見付けたピッタリの仕事。
 出掛けて行ったらおやつも出るから、子供たちと一緒に和やかに食べた。其処で何度も出て来たドーナツ。子供たちが好きなだけ食べられるように、と人数分よりも多いドーナツ。



 揚げ立てのドーナツを子供たちと食べて、また遊んで。
 時々、余ったドーナツを包んで貰って持って帰った。「青の間で食べるよ」と笑顔で言って。
 ぼくにドーナツをくれたクルーたちは、ぼくの夜食かおやつだと信じていただろうけど、真相は少し違っていた。前のぼくも食べていたんだけれども、もう一人。
(誰も気付いていなかったよ、うん)
 実はハーレイに御馳走していた。キャプテンの仕事を終えてから青の間を訪ねるハーレイに。
 もちろん、訪ねて来るだけじゃない。ぼくのベッドに泊まってゆく、大切な大切なぼくの恋人。
 そのハーレイに「今日はドーナツを貰って来たよ」と、お皿に乗っけて差し出した。
 ドーナツは大人にも人気のおやつで、食堂に行けば食べられたのに行かなかった前のハーレイ。「私にドーナツは似合いませんから」と、気にして行かなかったから。
 エラもブラウも、それにゼルだって食べに出掛けていたのに、大きな身体には似合わないからと言って、食べないドーナツ。
 決してドーナツを食べないハーレイ。それを知っていたから、青の間でドーナツ。
 揚げ立ての美味しさはもう無かったけど、「ほら」とドーナツを渡していた。



 「似合わないから」と食堂では食べなかったくせに、ハーレイが大好きだったドーナツ。
 「ドーナツがあるよ」と差し出せば顔が綻んでいた。子供みたいな笑顔になった。
 ドーナツは美味しかったから。
 冷めてしまっても優しくて甘い、パンとは違った膨らんだお菓子。
 前のぼくもハーレイも、ドーナツがとても好きだった。他のお菓子とは比べられない、不思議な味わい。ドーナツでなくちゃ、と舌が、心が喜ぶドーナツ。
 幸せな思い出が山ほど詰まっている気がした。
 どうしても思い出せなかったけれど、ぼくにもハーレイにも無理だったけれど。
 アルタミラで機械に奪われた記憶は取り戻せなくて、幸せな思い出は行方不明になったまま。
 それでも幸せの正体の見当はついた。前のぼくたちを育ててくれていた、血が繋がってはいない養父母。優しかっただろう、顔も姿も忘れてしまったパパとママ。
 そのパパやママに買って貰って食べていたとか、一緒にドーナツを齧っていたとか。そういった記憶だったんだろう、とドーナツを食べる度に思った。
 ハーレイと二人、「美味しいね」と冷めたドーナツに齧り付きながら。



 どんな思い出があったんだろうね、とハーレイと語り合ったりもした。
 幸せの味がするドーナツ。舌が、心が喜ぶドーナツ。
「あなたは駄々をこねていそうですね。あのドーナツを買って欲しいと」
 店の前とか、ショーケースを覗き込みながらとか。
 買ってくれるまで動かないよ、と膨れる姿が目に浮かびそうです。
 ハーレイがそんなことを言うから、「そう見えるかい?」と尋ねてみたら。
「ええ。あなたはとても我儘な子供だったという気がしますよ、そういう点では」
 普段は両親の言いつけを守る良い子で、とても大人しい子なのでしょうが。
 我儘も言ったりしないのでしょうが、他の人が聞いたら笑い出しそうなつまらない何か。
 ドーナツが欲しいとか、あのキャンディーが食べたいだとか。
 そんな小さな、ささやかな何か。
 そういったことで駄々をこねては、望みを叶えて嬉しそうだっただろうと思うんですよ。
「…そうなのかな?」
「どうでしょう?」
 こればっかりは分かりませんね、とハーレイは笑っていたんだけれど…。



 前のハーレイのカンは当たっていたかもしれない。
 好き嫌いの無いぼくだけれども、買って欲しいとパパやママに強請ることはあるから。
 今では「この頃、ドーナツ、食べていないよ」といった風に遠回しに強請ってみたりするけど、小さい頃にはそうじゃなかった。
 欲しいと思ったら「買って来てよ」と注文してたし、街へ出掛けた時にも強請った。ドーナツを売っているから買ってと、あのドーナツが欲しいのだと。
 ドーナツに限らず、他のものでも「買って」と駄々をこねていた。
 ママが「晩御飯を食べられなくなってしまうわよ?」と困った顔をしたって、欲しいと思ったら足を踏ん張って動こうとしなかったクレープの屋台や、アイスクリーム。
 パパが「お前じゃ食べ切れないぞ?」と止めても「欲しい!」と叫んで買って貰った、目の前で焼き上がるトウモロコシ。
(…トウモロコシは半分も食べられなくって挫折してたんだよ)
 残りはパパに食べて貰って、それでも夕食が入らなかった失敗が何度あっただろう。クレープやアイスクリームも同じで、ドーナツでも何度も失敗をした。
 懲りずに駄々をこねていた、ぼく。小さかった頃の、ぼくの我儘。
(今はあそこまでやってはいないよ)
 シャングリラの写真集をパパに強請ったけれども、「買って」と駄々をこねてはいない。
 パパが「しょうがないな」と呆れ顔をするまで、ソファの前で踏ん張っていたわけじゃない。
 前のぼくには敵わないけれど、今のぼくも我慢を覚えたから。
 駄々をこねずに「お願い」することとかも、ちゃんと覚えた子供だから…。



(…ふふっ、ドーナツ…)
 懐かしい記憶を拾い上げたな、って考えながら美味しく食べた。幸せの味がするドーナツ。前のぼくが大好きだったドーナツ。
 そうしたら、仕事帰りのハーレイがぼくの家に寄ってくれたから。
 夕食の後のお茶をぼくの部屋で飲みながら、ドーナツの話をすることにした。
「ねえ、ハーレイ。前のハーレイのカンって当たっていたね」
「何の話だ?」
 怪訝そうな顔をするハーレイに「おやつ」と答えた。
「今日のおやつ、ドーナツだったんだよ」
「…それで?」
「ずうっと昔にハーレイが言ったよ、ぼくはドーナツで駄々をこねそうだ、って」
 今のぼくじゃなくって、前のぼく。
 ドーナツが欲しいとお店の前とかで駄々をこねる姿が見えるようだ、って。
「思い出したのか? その頃のことを?」
 ハーレイの目が丸くなったから、「ううん」と首を横に振る。
 残念だけれど、前のぼくが生きてた間にも戻らなかった記憶は永遠に戻っては来ないだろう。
「今のぼくだよ、前のぼくの記憶までは無理」
「…ということは…。駄々をこねたのか、お前」
 ドーナツが欲しいと強請って、店の前で足を踏ん張ったのか?
 買ってくれるまで動かないからと、お母さんたちを困らせてたのか?
「うん…。ドーナツだとか、他にも色々…」
 クレープもアイスクリームもママに強請ったし、パパにだって…。
 うんと駄々をこねて買って貰ったけど、食べ切れないとか、後で御飯が入らないとか。
 何度も何度も失敗したのに、懲りないで駄々をこねてたよ。
 前のハーレイが言ったとおりに、ぼく、我儘な子供だったよ…。



「ふむ…」
 前の俺のカンが当たっていたか、とハーレイは腕組みをして頷いたけれど。
「まあ、あれだ。我儘を言えて、駄々を何度もこねられた、っていうことは、だ」
 お父さんたちに可愛がられている証拠だな。
 可愛い一人息子が駄々をこねるから、結果がどうなるか見えていたって許してくれる。
 食べ切れないのも、飯が入らなくなってしまうのも、可愛いから許してくれたのさ。
「うん。…そうでなきゃ、ダメって叱られて終わりになっちゃうものね」
 パパもママも困った顔はしたけど、怒らなかったよ。
 「しょうがないな」とか「仕方ないわね」とか。
 いつだってちゃんと買ってくれたよ、ぼくが欲しかったドーナツやお菓子。
 それでね…。
「ぼく、もしかして、って思ったんだ。前のぼくもそうやっていたんだろうか、って」
 仕方ないわね、って許して貰ってドーナツを食べていたのかな?
 そういう幸せが詰まってたのかな、可愛がって貰ったんだっていう記憶。
「そりゃそうだろう。前のお前も今と同じに可愛がられて育ったんだ」
「…そう思う?」
「当たり前だ。こんな可愛い子供がいればな、可愛がらずにはいられないさ」
 十四歳のお前でもこうだ、もっと小さければ可愛かったに決まってる。
 前のお前の養父母たちは十四歳を迎えるまでのお前しか知らんが、きっと可愛い子だった筈だ。
 自慢の可愛い息子だったさ、血が繋がってはいなくてもな。



「でも…。目と髪の色が全然違うよ?」
 違うよ、とぼくは自分の頭を指差した。
 前のぼくが成人検査を受ける前には、髪の毛の色は金色だった。ジョミーみたいに輝くような金ではなかったけれども、銀色じゃない。何処から見たって金色の髪。
 それに青かった瞳の色。前のぼくの名前は瞳の色から名付けたのかな、と何度も思った。記憶は戻って来なかったけれど、青い瞳だから「ブルー」なのかと。
 今のぼくとは色が違った、前のぼく。
 色がすっかり違っていたって、可愛いと思ってくれたんだろうか?
「目と髪の色か…。確かに印象は変わってくるかもしれんがな…」
 だが、そいつはうんと些細なことだ。
 お前という中身の方が大事で、可愛がられたのは中身の方だ。
 姿も全部ひっくるめて可愛がるのが親ってヤツだし、前のお前の姿も可愛いと思っただろうな。
 こんな可愛い子供はいないと、自分たちの子供が一番なんだと。
 いいか、冷静に考えてみろよ?
 可愛いだなんて言えそうもないガキだった今の俺だが、親父たちは可愛がってくれたんだ。
 見た目なんかは関係ないんだ、そう思わないか?
「そっか…。前のハーレイのお父さんたちも、きっとそうだね」
「そうだったんだろうな、ドーナツも買ってくれたんだろう」
 欲しいんだったら仕方ないな、と前の俺の親父は笑っただろうな。
 おふくろも「仕方ないわね」と笑って買ってくれてただろう。
 …生憎と忘れちまったが…。
 思い出したくても、幸せの味のドーナツだとしか感じられなくなっちまったがな…。



 おふくろも親父もデータだけしか無いんだよな、とハーレイは寂しそうだった。
 アルテメシアを落とした時に、テラズ・ナンバー・ファイブから引き出した膨大なデータ。その中には前のぼくたちの養父母の写真もあった。育った家の記録もあった。
 ぼくも今のハーレイに記憶を見せて貰ったから、前のパパとママの写真は知ってる。でも、写真だけ。動く姿も声も無いから、パパとママだと実感出来ない。
 その点はハーレイもまるで同じで、消された記憶は戻らないから、知らない人の写真を見るのと変わらない。
 前のぼくもハーレイも、パパとママとを奪われた。機械にすっかり消されてしまった。
 残ったものは舌が、身体が忘れなかったドーナツの味の記憶だけ。
 幸せがたっぷり詰まっていたんだと、舌が覚えていた記憶だけ…。



 ちょっぴり悲しくなったけれども、ぼくはぼく。
 今のぼくにはパパとママがいて、ハーレイにもお父さんとお母さんがいる。
 十四歳の誕生日を迎えた後にも別れなくてよくて、おまけに本物のパパとママ。前と違って血が繋がったパパとママとで、我儘だって聞いてくれるから。
 駄々をこねたって許してくれてたパパとママだから、ハーレイにも訊いてみることにした。
「ねえ、ハーレイ。…今のハーレイも、ドーナツ、強請った?」
「ドーナツだけじゃない、お前と同じだ」
 もっとも、クレープだのアイスクリームだのって菓子よりも主に食い物だったが。
 ホットドッグとか、ハンバーガーだとか。
 ハンバーガーは大人でも食い切れないようなサイズのを強請って失敗してたな、俺の場合は。
「…それって、とってもハーレイらしいね…」
「この身体だしな?」
 あれこれ強請って失敗した分も、栄養はキッチリ摂れてたようだ。
 食った分だけ大きく育って、今の俺が此処に居るってわけだ。
 もしかしたら前の俺ってヤツもだ、食い物の方が主だったかもしれないなあ…。
 食い物を目指して突っ走る前の小さかった頃がドーナツとかな。



「ふふっ、そうかもしれないね」
 ハーレイだったらありそうだな、って思ってしまった。
 うんと小さくてヨチヨチ歩きの頃がドーナツで、学校に行くような年になったら食べ物専門。
 それでもドーナツは強請ってたよね、と考える。
 幸せの記憶をたっぷりと中に詰め込むためには、何度も食べなきゃいけないから。
 そのドーナツは今のハーレイにとってはどうなんだろう、と浮かんだ疑問。
 前と同じで好きなんだろうか、それとも普通のおやつだろうか?
 訊いてみなくちゃ、とぶつけてみた。
「ハーレイ、今でもドーナツは好き?」
「もちろんだ。ガキの頃の幸せな記憶ってヤツだな、たまに無性に食いたくなる」
 そして今度は堂々と食える。
 前の俺みたいに、お前が取っておいてくれたドーナツをコッソリ食わなくてもな。
「…なんで?」
「クラブのガキどもの御相伴だ」
 運動すると腹が減るからな。
 学校でドーナツを食うようなことは滅多に無いが、だ。
 他所へ出掛けて行った時にはよく食ってるなあ、その辺の店でドカンと買ってな。
「ああ…!」
「代金が俺の財布から出て行くことも多いんだがなあ、楽しいもんだな」
 堂々とドーナツを食えるってのは。
 前の俺がどうやって食っていたのかを思い出したら、楽しさも更に増すってもんだ。



「…前のハーレイも堂々と食べれば良かったのに…」
 食堂で食べたら揚げ立てなんだよ?
 揚げ立てはやっぱり美味しかったよ、保育部とかにも揚げ立てのドーナツが届いてたもの。
「前のお前の場合と違って、ガキが一緒にくっついていない。無理がありすぎだ」
 俺が保育部だの養育部だのに出掛けていたなら、食えたんだろうが…。
 ドーナツ目当てで出掛けられるか、そいつも相当みっともないぞ。
「大丈夫だったと思うけどなあ、ハーレイが食堂で食べていたって」
 誰も笑ったりしなかったと思うよ、似合わなくても。
 みんなドーナツが好きだったんだから、幸せの味がしたんだよ。
 それを食べたくて来ているんだ、って分かるから誰も笑いはしないよ。
「…そうだったのかもしれないが…」
 そうかもしれんが、俺は前のお前と一緒に二人で食うのが良かった。
 青の間でコッソリとドーナツを食って、幸せの味を噛み締めるのが良かったな…。
「ホント?」
「いたたまれない気持ちで食うより、断然、そっちだ」
 前のお前の笑顔もつくしな、幸せの味のドーナツにはな。
 二人で食うから美味さが増すんだ、幸せの味もググンとな。



「そっか、そういうものなんだ…」
 ハーレイがそれで良かったと言うなら、青の間でコッソリはいいんだけれど。
 こっそりドーナツの方はいいんだけれども、今度はドーナツ、どうするんだろう?
「ねえ、ハーレイ。…今度もドーナツ、ぼくと一緒に食べるんだよね?」
 何処で食べるの?
 買ってきて家でコッソリ食べるの、ぼくと食べる時にはクラブの生徒は一緒じゃないよ?
「ふむ…。いっそ店に出掛けて堂々と食うか?」
 店で食うための席もあるだろ、あそこで食ったら揚げ立てが食える。
 飲み物なんかも買ってのんびりするんだ、腹具合を見ながらドーナツ追加で。
「ふふっ、二人でドーナツでデート?」
「ああ。ついでにテイクアウトもしてな」
 持って帰って家でゆっくり食おうじゃないか。
 青の間で食ってたドーナツの思い出を語り合ってだ、コッソリじゃなくて堂々とな。
 お前の家の庭にある、テーブルと椅子。
 ああいった場所で食べるのもいいし、庭が見える窓際に座るのもいい。
 今度は誰に見られていたって、俺たちは二人一緒に居るのが当たり前の仲になるんだからな。



 いつか一緒にドーナツを食おう、ってハーレイは笑顔で約束をして帰って行った。
 ドーナツを売ってるお店に二人で出掛けて、お店のテーブルで揚げ立てのドーナツ。手を繋いで出掛けて、二人でドーナツ。
 もう入らない、ってくらいに食べたらテイクアウトのドーナツを買う。
 二人で箱を提げて帰って、家でのんびりドーナツを食べる。
 幸せの味がたっぷり詰まったプレーンを沢山、沢山買うのもいい。美味しそうなドーナツを色々選んで詰め合わせて貰って帰るのもいい。
(だけど一番はプレーンだよね、きっと)
 シャングリラで食べていたドーナツ。
 幸せの味だと、思い出せないけど幸せが詰まったドーナツなのだと噛み締めた味。
 あのドーナツがきっと一番、一生忘れられない幸せの味のドーナツだと思う。
(でも…。ハーレイと一緒に食べるようになったら、幸せのドーナツも増えるかな?)
 お店に行った時の幸せ気分を反映するとか、思い出のドーナツが出来るとか。
 初めて二人で出掛ける時に一個しか買わないだなんて有り得ないから、その時の分は全部記念のドーナツになる。初めて買った記念のドーナツ。
(…うん、その時に買って食べた分は思い出のドーナツだよ)
 どれを買おうか迷って、買って。思い出のドーナツがプレーンの他にも幾つか増える。
(きっと他にもまだまだ増えるよ)
 絶対増える、と確信した。
 今度はうんと幸せな気分が増えそうなドーナツ。
 ハーレイが来てくれる時のおやつに、ママはドーナツを買ってはこないから…。
 思い出のドーナツを増やしてゆくのは、結婚した後のお楽しみ。
 それともママに頼んでみようか、一度ドーナツを買ってほしい、と。
 買って貰うなら、プレーンは絶対。
 それが幸せのドーナツの始まりだもの…。




          ドーナツ・了

※前のハーレイとブルーの気に入りのおやつだった、ドーナツ。記憶を失くしてしまっても。
 きっと幸せな思い出があった筈のドーナツ、今度も幸せの味になるのでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






PR

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv




ポカポカと暖かく、穏やかな春。桜は八重桜へと移りましたが、今年の春はゆったりとお花見を楽しむことが出来ました。今日は土曜日、せっかくだからと八重桜が多い公園へお出掛け。ソルジャーとキャプテン、「ぶるぅ」も一緒にお弁当を食べてお花見をして…。
「やっぱりいいねえ、地球の桜は。夜桜が無いのが残念だけど」
そっちがあったら夜の部も…、とソルジャーは八重桜に未練たっぷり。公園はライトアップをしていないため、日が傾いてきた頃にお花見の方はお開きで。
「仕方ないだろ、やってないものは。それに君のハーレイは仕事をサボッて来てたんだよね?」
会長さんが指摘したとおり、キャプテンは休暇を取っていませんでした。普通の桜でお花見した時に特別休暇を取りましたから、続けて取ることは難しいらしく。
「そこなんだよねえ…。それさえ無ければ晩御飯も一緒に食べられたのに」
そっちも残念、とソルジャーが焼肉をつついています。キャプテンは仮病を使ってブリッジから逃げ、こちらの世界に来ていた次第。お花見が終わると「ぶるぅ」の力でシャングリラに帰ってしまいました。「ぶるぅ」は再び戻ってくるかと思ったのですが…。
「ぶるぅかい? 戻って来たけど他へ行ったよ」
「「「え?」」」
いったい何処へ行ったのだ、と尋ねてみれば。
「お花見をしていた間に目をつけた店があったらしくて…。今はお好み焼きを山ほど食べてる」
「それって、お金はどうなるのさ!」
会長さんが突っ込み、シロエ君たちも。
「まさか食い逃げするんじゃないでしょうね!」
「それしかねえだろ、あいつ財布は持ってねえだろうし」
「こっちのぶるぅと間違われることはないと思うが…。いや、待て!」
ツケにされて払う羽目になるとか、とキース君。それはマズイ、と顔を見合わせていると。
「無い無い、それは絶対無いってば!」
保証するよ、とソルジャーが太鼓判。
「ぼくに思念波で訊いてきたんだ、財布を持って行ってもいいか、って。貸してもいいけど、それだとお金が減るだろう? だから「こっちのノルディに貰っておいで」と」
「「「…エ、エロドクター…」」」
「何か問題でも? ノルディは大喜びで札束を渡していたようだけどねえ? あなたのブルーにどうぞよろしく、と」
袖の下か、と私たちは揃ってドッと脱力。エロドクターときたら、ソルジャーとの楽しいデートのためなら「ぶるぅ」の胃袋も買収しますか、そうですか…。



二ヶ所に分かれた夜の部の宴会。私たちは焼肉パーティー、「ぶるぅ」はお好み焼きの店。大食漢の「ぶるぅ」も交えての焼肉となれば戦場ですけど、そうでなければ至って平和で。
「んとんと…。昼間の公園、映ってるかなぁ?」
テレビカメラが来ていたもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がテレビの電源を。おおっ、ちょうどローカルニュースの終盤、八重桜が満開の公園が映っています。
「すっごーい! 桜いっぱい!」
ぼくたちも映っていないかなぁ? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はテレビの前に張り付きましたが、映像は私たちのレジャーシートの端を掠めて桜のアップになってしまいました。これってシールドしていたと言うか、サイオンで撮影お断りの結果とか?
「……映ってなかった……」
録画しようと思ってたのに、とガックリしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。あれっ、だったら映る可能性もあったってこと? ソルジャーやキャプテン、「ぶるぅ」がいても?
「そりゃあ、映る時には映るよねえ…」
その辺はドンと任せておいて、とソルジャーが。
「こっちの世界にもすっかり慣れたし、テレビカメラくらいは平気だよ。たとえ隠し撮りをされていようと映像はバッチリ誤魔化せるしね。…ぶるぅ、残念だったね、映ってなくて」
「…残念だよう…。お花見弁当も映ってるかと思ったのにー!」
自信作のお弁当だったのに、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が肩を落とす間にニュースは終わって次の番組が。『生き物ふしぎ発見』のタイトルが映り、そこでテレビは消されるものかと思ったら。
「わぁっ、可愛い! ネズミさんだぁ!」
これも見るー! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の落ち込み気分が一気に浮上。さっきのガックリを見ているだけに、可愛いネズミで和むんだったらテレビはつけておくべきでしょう。
「ぶるぅ、焼肉はどうするんだい?」
会長さんが訊くと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ笑顔で。
「焼けてる音と匂いで分かるよ、焼き加減! ぼくの分はちゃんと自分で焼くから!」
これと、これと…、とお肉や野菜をホットプレートにヒョイヒョイと乗せて、視線はテレビの画面へと。本当に可愛いネズミです。それに…。
「ぶるぅが好きなら見せておいてやろう。いつも御馳走になっているしな」
キース君の言葉に頷く私たち。凝ったお料理だと困りますけど、焼肉くらいなら「そるじゃぁ・ぶるぅ」に任せなくても大丈夫。たまには食べながらテレビ観賞するのもいいですよね!



焼肉パーティーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の指南抜きでも何とかなるもの。ソルジャーの分のお肉や野菜が焼け焦げる事故は多発しましたが、知ったことではありません。自分の面倒は自分で見ろ、と横目で流して自分の分をジュウジュウと…。
「ちょ、ちょっと!」
いきなりソルジャーが声を上げても、「また焦がしたか」と華麗にスル―。
「大変だってば、これは物凄いニュースだってば!」
「…何が?」
特上の肉を焦がしたのかい、と会長さん。今夜はマザー農場の幻の肉と名高いお肉もたっぷり。それを焦がすとは許し難い、と私たちも睨み付けましたが。
「違うよ、テレビの方なんだよ!」
「ニュースの時間は終わっただろう!」
嘘をつくな、と会長さんが怒鳴り、ソルジャーがそれに負けない声で。
「本当に凄いニュースだってば! ぶるぅも見てたし!」
「…ぶるぅ、テロップでも流れたのかい?」
ニュース速報、と訊いた会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキョトンとした顔。
「やってなかったよ? ネズミさんが走り回ってただけだもん」
「ほらね、やっぱり大嘘じゃないか」
白々しい、と会長さんは一刀両断。けれどソルジャーは怯みもせずに。
「走り回るネズミがニュースなんだよ! ぶるぅが分かってないだけで!」
「「「…ネズミ?」」」
そんなモノがどうニュースなのだ、とテレビに視線を向けてみると。
「「「???」」」
コロンと横たわる小さなネズミ。そして男性の声で流れるナレーション。
「…こうしてキアシアンテキヌスの雄は、その生涯を終えるのである」
え? ネズミが死んだらニュースだなんて、何か変です。それだけでも充分『?』マークなのに、更に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の悲鳴が。
「ああっ、ネズミさん、死んじゃったぁー!」
ソルジャーの方も呆然として。
「…嘘だろう? 何もそこまで頑張らなくても…」
死んでしまったら元も子も、と妙な台詞が出て来た所でテロップが。『十二時間』って、なに? いったい何が十二時間で、ネズミの死骸は何なんですか~!



サッパリ意味が不明のテレビ番組。今度はお母さんネズミと沢山の子ネズミ。ナレーションは「この子供たちの中の雄もまた、その父親と同じ生涯を送る」と流れています。…あれっ? テレビのネズミのファミリー、お父さんネズミが欠けているような…?
「…うーん…。これはこれで何とかなるんだろうか…」
しかし死ぬまで頑張らなくても、とソルジャーが再び謎の台詞を。
「でもまあ、ぼくは子供を産むわけじゃなし…。死ぬ前に止めればいいんだよね、多分」
「「「は?」」」
日頃から「ぶるぅ」のママの座をキャプテンと押し付け合っているソルジャー。子供を産むという言葉は禁句の筈ですけれども、いったい何が言いたいんでしょう?
「いや、ちょっと…。このネズミの雄は凄いな、と思ったんだけど、まさか死ぬとは」
「どう凄くって、なんで死ぬのさ?」
分からないよ、と会長さんが首を捻って、テレビの方にはエンディング曲が流れてスタッフ名がズラズラと。これは再放送でも見ない限りは理解不能かもしれません。それとも録画?
「ぶるぅ、今のは録画してた?」
ソルジャーの問いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は首を左右に。
「してないよ?」
「そうなんだ…。名前はバッチリ覚えてるから、まあいいかな」
フクロネズミ、と呟くソルジャー。今のってフクロネズミでしたか! 舌を噛みそうな長ったらしい名前だったと思いましたが…。
「キアシアンテキヌスだったらさっきのネズミ! フクロネズミの一種らしいよ。他にも何種類か似たようなヤツがいるらしくって」
実にパワフルなネズミなのだ、とソルジャーが肉を焼きながら。
「ぶるぅが言ったろ、走り回っていただけだ、って。その時間が実に十二時間! 早回しで流してたからチョコマカチョコマカ、場合によっては十四時間も」
「…走り続けるわけ?」
ジョミー君が疑問をぶっつけ、キース君が。
「それは死んでも不思議ではないな…。マラソン選手じゃあるまいし」
「甘いね、走ってるだけじゃないんだってば! もう飛びっきりのビッグニュース!」
こんな生き物が地球に居たとは、とソルジャーは感動の面持ちで。
「走る目的はひたすらセックス!!!」
「「「えぇっ?!」」」
なんじゃそりゃ、と私たちはポカンと口を開けました。も、もしかしてネズミながらも大人の時間を十二時間? 挙句の果てにコロリと死ぬとか、まさか、まさかね……。



「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「可愛い!」と見始めた小さなネズミを撮った番組。フクロネズミと言うからには有袋類ってヤツでしょうけど、走りまくって十二時間だか十四時間だか。走るだけでも驚きなのに、その目的が大人の時間って…。
「本当だってば、本当にヤッていたんだってば!」
ぶるぅは分かってないかもだけど、と言うソルジャー。
「発情期が来たら、一度に沢山の雌と十二時間から十四時間も交尾をしまくるらしいんだよ。実際、映像が流れてた。パワフルだなぁ、とビックリしたからビッグニュースだと言ったんだけど」
そんなパワーはハーレイにも無い、とグッと拳を握るソルジャー。
「もう絶倫としか言いようがないし、薬か何かに使えないかと思ってさ…。叫んだ時にはそのつもりだった。だけど死んじゃう理由を聞いたら、考えがちょっと変わったんだよ」
「やめとこうって?」
それが吉だね、と会長さん。
「何も死ぬまでやらなくていいし、そんな生き物を薬に使ったらロクな結果になりそうもない。君も困るだろ、ハーレイが死んでしまったら?」
「そこなんだよねえ…。死ぬ所まで行かない程度に留めておけばいいのかなぁ…って」
「やっぱり薬にする気じゃないか!」
どう考えが変わったというのだ、と会長さんは非難の視線。私たちも呆れ果てたのですけど。
「そうじゃなくって! どうして死ぬのか、君たちは聞いていなかっただろう?」
「聞いていないね。そもそも君が騒いでいたから」
テレビのナレーションどころでは、とバッサリ切り捨てる会長さん。
「それにネズミに興味も無いしさ、ヤリ過ぎで死んでも痛くも痒くも」
「そう、ヤリ過ぎ! まさにヤリ過ぎで死ぬらしいんだよ」
まあ聞きたまえ、とソルジャーが座り直した時には焼肉パーティーも終盤で。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が刻んだニンニクなどを炒めてガーリックライスを作っています。小さな子供の頭の中から可愛いネズミは消えたようですが、ソルジャーの方はネズミに夢中。
「あのネズミはねえ、交尾に没頭しすぎるあまりにテストステロンという男性ホルモンのレベルが高くなる。これが引き金になってストレスホルモンが増加しまくり、カスケード効果とやらで体内組織が破壊された上、免疫系が崩壊するわけ」
「「「………???」」」
ソルジャーの語りは専門的すぎて全くピンと来ませんでした。ホルモンはともかくカスケード効果と言われましても、カスタードクリームとは違うんですよね?



「あーあ、全然通じてないし…」
何処がカスタードクリームなのだ、とソルジャーは天井を仰いで深い溜息。その間にガーリックライスがお皿に盛られて紅茶やコーヒーも登場です。お好み焼きを食べに出掛けた「ぶるぅ」はどうなったかな?
「えっ、ぶるぅ? 先に帰ったよ、お持ち帰り用のお好み焼きを山ほど抱えて」
食べたら後は寝るだけだろうし、後はぼくとハーレイとでゆっくりと…、と微笑むソルジャー。
「ネズミの話も伝えなくっちゃね。筋力と体内組織の限りを尽くして持てるエネルギーを使い切るまで交尾三昧!」
ああ、なるほど。その言い方なら分かります。ヤリ過ぎで死ぬってそういう意味かぁ…。
「自分の子孫を確実に残すために死に物狂いで交尾するよう、進化を遂げたらしいんだよね。素晴らしいじゃないか、子育てなんかは我関せずとセックスに特化した進化! お蔭でぼくの考え方も変わったんだよ、そっちの方へと」
「「「は?」」」
今度こそ意味が掴めません。ソルジャーの考えがどう変わったと?
「薬に使うのもいいかもしれない。でも、そういうのに頼る前にさ、ハーレイを進化させちゃった方が確実なんじゃないかってね」
「「「…進化?」」」
進化って……そんな簡単なことですか? 何世代もかけて変わるんじゃあ?
「うん。本物の進化だったら時間もかかるし、とてもじゃないけど間に合わない。ぼくが言うのはハーレイの気持ちの進化かな? 今のハーレイは仕事が優先、ぼくとの時間は二の次だ。そこをセックス優先に!」
ゲッ、と息を飲む私たち。それっていったい…?
「分からないかな、一にセックス、二にセックス! とにかく仕事よりセックス優先、ブリッジにいようが会議中だろうが、ぼくに会ったらセックスあるのみ!」
「…そ、それは……」
どう考えても無理だろう、と会長さんが掠れた声を絞り出しました。
「君のハーレイ、究極のヘタレじゃなかったっけ? 人目がある場所じゃ無理とか何とか」
「見られていると意気消沈って話かい? それも含めてセックスに特化! ブリッジとかでは無理だと言うなら青の間専用に進化させるさ」
この際、キャプテンの職は他の誰かに譲るとか…、とソルジャーの口から恐ろしい言葉が。
「青の間でハーレイを飼うのもいいねえ、ぼくのお相手専用に! それこそ究極の進化だよ。薬に頼るより進化させるのが最高だってば!」
努力あるのみ! とソルジャーの赤い瞳が爛々と。キャプテンはどうなってしまうのでしょう? でもまあ、ソルジャーの世界で進化させるなら私たちには無関係ですよね?



ヤリまくった果てに死んでしまうらしいフクロネズミ。可愛い姿が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の気を引いたばかりに焼肉パーティーのバックグラウンドに凄すぎる番組が流れたようです。その内容に感化されてしまったソルジャー、勢い込んで自分の世界に帰りましたが…。
「…あの後、結局、どうなったわけ?」
もうすぐ一週間になるんだけれど、とジョミー君。今日は金曜、あの日が土曜日でしたっけ…。
「どうなったのかな? ぼくも知らない」
あれからブルーの姿を見ない、と会長さん。
「あっちの世界を覗くつもりにもなれないし…。なにしろブルーの目的がアレだ」
「ロクな結果になりそうにないな」
知りたくもない、とキース君がぼやいて、マツカ君が。
「…大丈夫なんでしょうか、そのぅ…」
「あっちの世界のハーレイかい?」
それは心配なんだけどね、と会長さんも顔を曇らせています。
「最悪、キャプテンを解任されて幽閉されているかもねえ…。ブルーはやると言ったらやるから」
「ですよね、ぼくも心配です」
あちらの世界のシャングリラ号も、とシロエ君がフウと吐息をついた所へ。
「ヤると言ってもヤれない時にはヤれないんだよ!」
「「「!!?」」」
会長さんそっくりの声が響いてユラリと揺れる背後の空間。紫のマントがフワリと翻り、其処にソルジャーが立っていました。
「ぶるぅ、ぼくのおやつもあるのかな?」
「かみお~ん♪ 今日はイチゴたっぷりのチーズケーキだよ!」
チーズケーキの上にイチゴがドッサリ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」御自慢のケーキがソルジャーの分まで。紅茶も淹れられ、ソルジャーはソファにゆったりと。
「うん、美味しい! 煮詰まってる時には甘いものがいいね」
「えとえと…。ジャムでも作ってるの?」
煮詰める時には火加減が大切、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がアドバイス。ソルジャーは頷いていますけれども、ジャム作りの趣味なんてありましたっけ?
「んー…。煮詰まってるのはぼくの頭で、どうしようかと悩んでたけど、火加減ねえ…。そこは確かに大切かもだよ、遠ざけすぎてもダメなんだよね」
「「「???」」」
本当にジャムを煮てたとか? お鍋を火から遠ざけすぎてもジャムは上手に出来ませんしね?



遠ざけすぎてもダメな火加減。キャプテンを進化させる話は放置でジャム作りに凝っていたのでしょうか? ソルジャーの行動は読めないだけにジャムもアリか、と思いましたが。
「…ジャムはジャムでもミルクジャムかな、いい感じに出来たら美味しいよね」
「退場!!」
レッドカードを突き付けている会長さん。どうしてミルクジャムの話なんかで退場に?
「ああ、それはね…。原材料のミルクの方だよ、牛じゃなくってぼくの」
「退場だってば!」
サッサと出て行け、と会長さんが怒鳴り付けても、ソルジャーの方は何処吹く風で。
「ぼくのハーレイから採れるアレがね、ミルクに似てないこともないな、と」
「「「………」」」
来たか、と身構える私たち。ソルジャーの日頃の猥談三昧のせいで「アレ」と言われれば嫌な予感がビビッと走るというわけです。あまつさえキャプテンの名前が出たとあっては、もう間違いなく猥談で…。
「とにかく問題はミルクなんだよ。ジャムを作ろうにもミルクが無いとね…。火加減の大切さは流石に身にしみて分かってきたかな」
「「「火加減?」」」
本気でジャムで火加減なのか、と頭の中で『?』マークが乱舞。猥談だったと思うのですけど、その一方ではジャム作りですか?
「…ジャムを作るにはミルクと言ったと思うけど? どうやら火から遠ざけすぎたらしくて、肝心のミルクが失速気味でさ」
「君はいったい何をしたわけ?」
レッドカードをちらつかせながらの会長さんの問いに、ソルジャーは。
「…セックスに特化するよう進化しろ、とハーレイに発破をかけたんだけど…。ブリッジどころか公園でもダメ、サッパリ話にならなくて…。青の間に引っ張り込んでから今日で三日目」
なのにミルクを出さなくなっちゃってねえ、とソルジャーは困ったように首を振りました。
「こんな所でヤッてる場合じゃないとか何とか…。ハーレイもセックスは嫌いじゃないとは思うんだけど…。ブリッジから引き離しちゃったのがマズかったかも」
仕事が気になって勃たないのだろう、とソルジャー、溜息。
「ぶるぅに言われて気が付いた。遠ざけちゃったらダメなんだよ。ハーレイの居場所はブリッジだからさ、戻せばきっとパワフルに! でもねえ…」
それだと別の理由で勃たなくなるし、と悩みは相当に深いようです。しかしソルジャー、キャプテンを青の間に閉じ込めていたとは恐るべし。進化のためなら手段を選ばず即実行。この調子ではキャプテンが進化を遂げる時まで、あの手この手で頑張るのでは…。



キャプテンを青の間に幽閉してまで進化させようとしたソルジャー。進化と言えば聞こえが良くても、その実態はフクロネズミの雄に倣えというもので。
「セックスに特化した人生を送りたくないとは思えないんだよねえ、ハーレイも…。だってヤッてればいいだけだよ? シャングリラならぼくが守るし、どうしてもと言うなら新しいキャプテンを任命するって手もアリだ」
ソルジャーときたら、さっき火加減どうこうでキャプテンはブリッジに置いておかねばと言っていたくせに、この始末。キャプテンをクビにしてまで青の間に…ですか?
「だってさ、仕方ないだろう? ブリッジだと人目があるんだよ。ぼくが姿を見せたとしても、ヤるとなったら色々と…。そこで周囲をキッパリ無視してヤれるトコまで進化できたら最高だけども、あのハーレイには無理そうだしねえ…」
ブリッジでヤれるキャラならキャプテンを解任しなくても済むんだけれど、と言うソルジャー。けれどキャプテンには無理な話で、クビにして青の間に閉じ込める以外、フクロネズミの雄並みの生き方は期待できないとか。
「それは失敗したんだろう? 火から遠ざけすぎたとかでさ」
さっき聞いた、と会長さんが鋭い指摘。
「どっちにしたって無理なんだよ。閉じ込めてもダメ、君が出向いて行ってもダメ。…現状維持で我慢したまえ、君のハーレイはフクロネズミじゃないんだから!」
「だけど諦め切れないんだよ! あんな小さいネズミなんかが十二時間だか十四時間だか! ヤリすぎて死ねとは言わないけれども、死に物狂いには憧れるんだよ!」
そこまでの勢いでヤらせたい、とソルジャーも負けていませんでした。
「ハーレイだって仕事があるからセーブするんだし、人目があるから勃たないんだし…。そういう要素を取っ払ったら一直線! それを思うと諦め切れない!」
なんとしてでもセックスに特化したハーレイを、とソルジャーの夢は果てしなく。
「そういうハーレイが実現したらね、ぼくのサイオンも今よりもグッと高まるかも…。するとシャングリラの防御力が上がる。攻撃の方は言わずもがなさ」
「それなら君のシャングリラで相談したら? そういう方向で検討したいからキャプテンの代理を探して欲しい、とか」
こっちじゃ対応しかねるからね、と会長さん。
「そりゃあ、ハーレイはこっちにも居るよ? でもね、ぼくが君の代わりにソルジャーを引き受けてもシャングリラが危険になるのと同じで、ハーレイも君のハーレイの代わりは不可能!」
君のシャングリラが危ないだけ、と冷たく言い放った会長さんに私たちは思わず拍手喝采。その調子で論破して下さいです、ソルジャーのアヤシイ進化論!



「……こっちのハーレイを代理にねえ…」
その発想は無かったな、とソルジャーが呟き、背筋に悪寒が走りました。ジョミー君たちも顔が引き攣ってますし、会長さんなどはもう真っ青で。
「…い、今のはホントに正論だからね! ハーレイに代理は務まらないよ!」
連れて行くだけ無理、無茶、無駄! と会長さんが叫ぶと、ソルジャーも首をコックリと。
「それはぼくにも分かってる。ぼくと君とで経験値が違い過ぎるのと同じで、ハーレイ同士でも差があり過ぎる。…こっちのハーレイを連れて帰って代理をさせようとは思わないさ」
それくらいなら「ぶるぅ」の方が、と返すソルジャー。えっ、「ぶるぅ」? まさか「ぶるぅ」がキャプテンの代理をしてるんですか?
「代理と言うより影武者かな? ぶるぅはパワー全開だと三分間しか持たないけれど、それ以外ならタイプ・ブルー並みのサイオンを自由自在に使えるからねえ…。おやつを増やそうと提案したら簡単に釣れて、キャプテンのシートに座っているさ」
「「「…か、影武者…」」」
「そう! サイオニック・ドリームでハーレイそのものの外見を保ち、命令とかもそれなりに! たまに思念波で「どうやるの?」と訊いてくるけど、今の所は問題なし!」
操舵の方もサイオンで可能、と不敵な笑みを浮かべるソルジャー。
「というわけでね、ハーレイの代理は今は充分間に合っている。…お蔭でこっちのハーレイという貴重な存在を忘れ果ててた」
もしかしなくても使えそうだ、とソルジャーの唇に微笑みが。
「ハーレイをブリッジに戻すしかないかと思ってたけど、ブリッジじゃハーレイは全く勃たない。それじゃ使えないし、青の間に閉じ込めておいても勃たないし…。どうすればいいか煮詰まってたわけ。そうだ、こっちのハーレイだよ!」
ちょっと借りてもいいだろうか、とソルジャーは赤い瞳を煌めかせて。
「ぼくのハーレイがブリッジだとか公園だとかでヤれない理由は周囲の視線! ヤッてます、という姿を見られたが最後、意気消沈で萎えちゃうんだよ。ぶるぅの覗きもダメなんだけれど、気付いていない間はヤれる。ここが肝心!」
周囲に気付かれなければいいのだ、とカッ飛んだ案が飛び出しました。
「ぼくとハーレイがヤッていてもさ、誰も気付かなきゃいいわけだろう? ぼくはシールドで姿を消せる。ぼくさえ見えなきゃハーレイがせっせとヤッていたって無問題!」
誰も好奇の視線を向けない、とソルジャーは自信満々です。
「ただね、ハーレイのアレの辺りをどう誤魔化すか…。ぼくのシールドでカバー出来ると言ったところでハーレイはイマイチ信用しないし、心許ない気分だろうし…」
その辺をこっちの世界でキチンと検討しておきたい、と言われましても、いったい何を…?



ブリッジで大人の時間をやらかすために教頭先生を借りたいソルジャー。どうする気なのか分かりませんけど、思い付いたら一直線なのがソルジャーで。
「ハーレイ、明日は土曜日だから休みだよね? 少々鼻血を噴いたくらいじゃ死なないだろうし、ちょっと貸してよ」
「何をするかによるんだけれど!」
ロクでもないコトなら貸さないからね、と会長さん。貸すも貸さないも、教頭先生は会長さんの所有物ではないわけですが……って言うだけ無駄かな? キース君たちも遠い目つきになっていますし、貸し出されるのも最早時間の問題かもです。
「何をって…。強いて言うならモデルかなぁ?」
「「「モデル?」」」
「そう、モデル。ぼくとヤッているのがバレないように船長服を調整したい」
「「「は?」」」
ソルジャーの発想は斜め上というヤツでした。鼻血がどうこうと言ってましたし、そもそもブリッジで大人の時間を過ごすために借りたいという話でしたし、てっきりもっとアヤシイ事かと…。
「鼻血は噴くと思うんだよねえ、こっちのハーレイ、童貞だから。…ぼくにピッタリ密着されてさ、アレを取り出せとか言われちゃったら確実に噴くと」
「船長服を調整するって言ったじゃないか!」
話が違う、と声を荒げる会長さんに向かって、ソルジャーは。
「だから調整するんだよ。ぼくの腰がこの位置だったらアレはどの辺で、船長服はどんな風に捲れて皺が寄るかとかそういう部分を」
服の仕立て具合を微調整とか、バレないように素材を少し変えるとか…、と熱弁を奮うソルジャーですけど。
「…君って裁縫は出来たんだっけ?」
会長さんの問いにソルジャーはウッと息を詰まらせ、目を白黒と。
「そ、そうか…。服を改造するとなったら必然的に裁縫も…」
「出来ないんだったら貸し出せないねえ、ハーレイは」
諦めたまえ、と会長さんが勝ち誇った顔で高笑いしそうになった時。
「えっと、えっとね…。ぼく、お裁縫は得意だよ?」
何を縫うの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の無邪気な瞳がキラキラと。ソルジャーは歓声を上げて「そるじゃぁ・ぶるぅ」を強く抱き締め、会長さんは思い切りテーブルにめり込みました。
「やったね、今夜は船長服の改造だ!」
君の家でやらせて貰っていいよね、というソルジャーの喜びに溢れた声がやたら遠くに聞こえます。私たちの人生、終わったでしょうか? ついでに教頭先生も…。



ヤリまくって死ぬフクロネズミの番組を見たのと同じダイニングで夕食会。お裁縫の時間が控えているから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製ハヤシオムライスでお手軽に。私たちは強引にお泊まり会へと巻き込まれてしまい、今夜は家に帰れません。
「…まあ、その方がいいかもしれんな…」
この先の展開を思えばな、とキース君が嘆き、私たちの気分もドン底です。お手軽夕食でもスープや
サラダやデザートなんかでお腹一杯、そちらは文句は無いのですけど…。
「そろそろですよね…」
シロエ君が壁の時計を眺めると同時にピンポーン♪ と玄関チャイムの音が。
「かみお~ん♪ ハーレイが来たよ!」
お出迎えに行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が弾む足取りで教頭先生を案内してきて、私たちは揃ってリビングへ。そこにはソルジャーが自分の世界から空間を超えて運んだ船長服が何着も。
「…なんだ、これは? 言ってくれたら持って来たのに」
わざわざ運んでくれなくても、と教頭先生が言うと、ソルジャーが。
「あっ、それね…。君のじゃないんだ、ぼくのハーレイのクローゼットから失敬してきた」
「は?」
怪訝そうな教頭先生にソルジャーは極上の笑みを浮かべてみせて。
「ちょっとね、君に協力して欲しいんだよ。実はとある生き物に触発されてね、ぼくのハーレイを進化させようと頑張っている最中なんだ」
「…生き物…ですか?」
「うん。キアシアンテキヌスって言ったかな? フクロネズミの一種なんだけど、それの雄がね、もうヤるためにだけ生まれて来たような素晴らしさでさ」
「…何をです?」
教頭先生の疑問はもっともでした。あの番組を見ていなければ普通はこういう反応かと…。
「何って、男のロマンだよ! そのネズミ、こーんなに小さいのにさ」
ソルジャーは自分の手のひらにスッポリ収まりそうなフクロネズミのサイズを示してニッコリと。
「なんと! 十二時間だか十四時間だか、死に物狂いで交尾しまくった挙句にポックリと…ね。まさにセックスするためだけに生まれてくるわけ!」
「……セ、セックス……」
童貞人生まっしぐらの教頭先生は既に鼻血の危機でした。そこへソルジャーが船長服を指差して。
「ぼくのハーレイにもセックスに特化した進化ってヤツを遂げて欲しくて、そのために服を改造しようと思ってるんだ。改造にあたって君の協力が欲しい」
まずは船長服に着替えて、と頼まれた教頭先生がブッ倒れずに済んだ理由は、事態が飲み込めていなかったからだと思われます。素直に着替えて、まずはソファへと促されて。



「此処に座ってくれるかな? そう、シャングリラのキャプテンのシートのつもりで」
「…こうでしょうか?」
「うん、上出来!」
さて、とソルジャーが教頭先生にチラリと視線を。
「ぼくはブリッジでもヤリたいんだけど、ぼくのハーレイ、見られているとダメなタイプだからねえ…。ぼくはシールドで姿を隠してヤることになる。ハーレイのアソコもシールドでカバー! でもねえ、心許ない気分だろうから、船長服にも工夫をね」
ちょっと失礼、とソルジャーの手が教頭先生の股間へと。
「んーと…。ぼくが座るとしたら、こうかな」
ひと撫でした後、ソルジャーは教頭先生の膝の上にストンと腰を下ろして、私たちに。
「どう? 本番だとこれでハーレイのファスナー全開! 上着とかでカバー出来そうかな?」
「「「………」」」
知ったことか、と沈黙を守る私たち。しかし良い子の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大人の時間が分からない上に根っから本物のお子様で。
「えとえと…。上着が変になると思うの、ズボンの前が開くんでしょ?」
「全開だねえ、こんな感じで」
ソルジャーがクルリと身体の向きを変え、教頭先生と向き合う形で膝の方へと少し後退。足の上にしっかり跨ったままでズボンのファスナーをツツーッと開けたからたまりません。
「…うっ…!」
教頭先生が派手に鼻血を噴き、キース君が素早くティッシュの箱を。
「す、すまん…」
ティッシュを鼻に詰めておられる間にソルジャーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の方は。
「これが全開状態だけどさ、上着、ダメかな?」
「上着のファスナー、下から開かなくなってるし…。この辺とかが引っ張れちゃうよ」
「それじゃ、どうすれば自然に見えるわけ?」
「下からも開くように改造しとけば、勝手に開くから皺は寄らないと思うんだけど…」
大真面目なお裁縫の話が繰り広げられる股間前。教頭先生は必死に鼻血を堪えて試練に耐え抜き、お次は操舵中を想定するとかでリビングの真ん中に立たされて。
「今度はハーレイにも少し協力して貰わないと…。いいかい、ぼくは此処に立つから、こう、後ろからグッと抱き寄せて突っ込むつもりで!」
思いっ切り、とソルジャーが付け足す前に鼻血の噴水MAX、ティッシュは吹っ飛び、ブワッと鼻血が噴き出して……。



「…使えないじゃないか、こっちのハーレイ!」
全然ダメだ、と罵倒されても教頭先生の意識は遠い世界へと旅立ったまま。それでも服の改造を諦めないのがソルジャーの凄い所です。
「仕方ないなぁ…。そこの柔道部三人組! ハーレイを立たせて動かしてくれる?」
腰の辺りはぼくがサイオンで操るから、と顎で使われ、キース君たちは操舵中とやらのキャプテンの立ち位置などを再現する羽目に陥りました。
「そうそう、そんな感じでね。そこでストップ! ぶるぅ、服の皺とかはどうなってるかな?」
「座ってる時ほど変じゃないけど、やっぱり上着のファスナーかなぁ…」
そこの改造は絶対要るよ、という「そるじゃぁ・ぶるぅ」の意見が通って、キャプテンの船長服はソルジャーが持ち込んだ全ての上着に改造が施されました。下からも上からも開くファスナー、それも滑らかな滑りが売りで。
「うんっ、これで綺麗に見えると思うの♪」
試してみる? という「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声で教頭先生は気を失ったまま、またもモデルにさせられて…。ソファに座って合格マークで、立った姿勢でもOKが。
「ありがとう! みんなの協力で服は完璧、後は本人の根性あるのみ!」
青の間に閉じ込められて暮らすのが嫌ならブリッジで! とブチ上げて帰って行ったソルジャー、キャプテンの進化に壮大な夢を抱いてますけど…。
「…大丈夫なわけ?」
ジョミー君の疑問に、会長さんが。
「さあねえ…。死に物狂いがどうなるかはともかく、ブリッジはねえ…。船長服を改造したって動きでバレると思うんだ。それくらいなら青の間で幽閉生活を選びそうだよ、あっちのハーレイ」
「「「そ、それじゃあ…」」」
シャングリラは当分キャプテン無しでの航行が続くみたいです。ソルジャーが飽きて放り出すまでキャプテンは青の間でフクロネズミの雄並みの努力を重ねつつ、ブリッジの心配もして胃がキリキリと痛みそう。…ほ、本当に大丈夫かなぁ…。
「このハーレイほどヘタレてないから強く生きるよ、死なない程度に」
こっちのハーレイはヤリもしないで死んでるし、と失神している教頭先生をゲシッと蹴飛ばす会長さん。ヤリまくって死ぬか、ヤらずに死ぬか。フクロネズミの雄だった場合、どちらが本望なのでしょう? キャプテンと教頭先生のどちらが幸せな人生なのか、ネズミに訊いてみたいかも…?




         特化する進化・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 フクロネズミのキアシアンテキヌスは、捏造じゃないです、本当にいる動物です。
 交尾のために走るオスの話も、まるっと真実。進化の世界は神秘ですねえ…。
 シャングリラ学園、来月は普通に更新です。いわゆる月イチ。
 次回は 「第3月曜」 5月16日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、4月は、ソルジャー夫妻をキース君に丸投げしようという方向。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv








 ハーレイの家から歩いて行ける食料品店。ハーレイでなくても、女子供でも楽に歩ける近さ。
 以前は気が向くままに出掛けて覗いたり、散歩がてらに立ち寄ったりと頻繁に出掛けた店だったけれど。この春から事情はガラリと変わった。正確に言えば五月の初旬、勤務先の学校が変わってから後。
 其処で出会った十四歳の小さなブルー。前世で愛した大切な恋人の生まれ変わり。
 幸運にもブルーの家を頻繁に訪ねることを許され、それがハーレイの表向きの役目ということになった。休日はもちろん、学校のある日も仕事が早く終われば立ち寄る。
 そういう生活が始まって以来、買い出しはブルーの家に出掛けない日に済ませておくのが習慣。今日も行かねば、と帰宅してガレージに車を入れたハーレイは着替えて家を出た。
 仕事は早めに終わったけれども、ブルーの家には昨日も行った。そうそう毎日行けはしないし、今日は買い物。



(…あいつなら来いと言うんだろうが…)
 昨夜、「また今度な」と手を振った時に「また来てね!」と叫んだ恋人。今日の放課後、学校の廊下ですれ違った時にも期待に満ちた瞳をしていた。家に来てくれるといいな、という瞳。
 ブルーの両親もハーレイの来訪を待っているだろうが、流石に悪いという気がする。一家団欒の夕食の席に余計な一人。しかも食欲旺盛なハーレイのための食事はいつも大盛り。
(結婚してたら毎日だって行けるんだろうが…)
 食事が一緒でも普通なんだが、と考えてから浮かんだ苦笑い。
(それでは同居と変わらないじゃないか)
 毎日夕食をブルーの両親と共に食べるとなったら、同居とさほど変わらない。食事の後で自分の家に帰ってゆくのか、部屋に帰ってゆくかの違い。
(…ブルーがそうしたいと言い出したならば、同居もいいがな)
 言わないだろうな、と小さな恋人を思い描いた。
 事あるごとに「早くハーレイと結婚したいよ」と訴えて来る小さなブルー。早くハーレイを独占したいと、両親に取られたくないと。
 そんなブルーが両親との同居や、毎日一緒の食事の時間を望むとはとても思えない。
(うんうん、あいつは俺にベッタリくっつきたいんだ)
 食事の時間も、それ以外の時も。
 ハーレイさえ居ればそれでいいのだと、満足そうな顔が目に浮かぶようだ。
 小さな小さな、幼い恋人。十四歳にしかならない、小さなブルー…。



 子供らしい我儘を炸裂させるのも得意になってしまったブルー。
 ソルジャー・ブルーだった頃にもハーレイにだけは甘えたものだが、今は両親にも甘え放題。
 そういう姿も気に入っていた。
 ソルジャーの重荷を背負っていなければ本来こうかと、これが本当のブルーなのかと。
 今度は甘えさせてやりたいと思う。
 前の生では叶わなかった分、甘えさせて、我儘も沢山言わせて。
 そんなブルーを守ってゆこうと、今度こそ自分が守るのだと。



(さて、と…)
 買わねばならない物は何だったか…、と考えを切り替えて歩いてゆく。
 家にある食材は一通りチェックを済ませて来たから、あれと、これと…、と。他にも目に付いた品があったら買うのもいい。
 新鮮さが命の刺身だとか、早めの調理が旨味を引き立てる野菜だとか。
 何を作って食べるのもいい、気楽な自分一人の食卓。今夜の献立もまだ決めてはいない。買った食材の種類次第で何にするかを考えればいい。
(ブルーと一緒に飯を食うのも楽しいんだが、両親付きはなあ…)
 昼食はブルーの部屋で二人で食べることが多かったけれど、夕食は両親も一緒の食卓。ブルーの相手ばかりでは大変だろう、と気遣ってくれるブルーの両親。大人同士で話したいだろうと、心を配ってくれるブルーの両親。
 平日に訪ねて行った時にはブルーが食卓の王様だったし、ハーレイを独占していたけれど。王様ではなくて王子様だろうか、自分が話題の中心なのだと、それが当然だと笑顔のブルー。
 ハーレイの名を連発するブルーを両親は温かく見守っていたし、居心地はけして悪くなかった。
 ただ、ブルーの両親が考えているような「キャプテン・ハーレイ」ではない自分。
 ソルジャー・ブルーの右腕だったと伝わるだけではない自分。
(…実はブルーの恋人だなんて、夢にも思っていないだろうしなあ…)
 たまに後ろめたい気分になったりするから、一人きりの食卓も気楽でいい。
 気の向くままに料理を作って、のんびりと時間を過ごしながら。



(…こんな考えがバレたら、あいつは怒るな)
 四六時中ベッタリくっついての暮らしも気にしないどころか、それを熱望する小さな恋人。
 結婚したなら買い物に行くのも二人一緒になるのだろう。
 軽く歩いて行ける距離でも、必ず一緒。
(あいつが寝込んだら、俺は買い物禁止になっちまうのか?)
 買い物の代わりに看病よろしく外出禁止を仰せつかって世話だろうか、と可笑しくなった。
 ブルーだったら言いかねないなと、買い物に出掛ける暇があったら側に居てくれと。
(そうして野菜スープを作らされる羽目になるんだな)
 家にある野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んで。
 野菜スープのシャングリラ風が出来上がったならば、ブルーのベッドに運んで行って…。



 その、野菜。
 いつもの食料品店に足を踏み入れると、実に豊富な品揃え。
(シャングリラでは出来なかった贅沢だよなあ、季節外れの野菜も山ほどなんてな)
 今が旬ではない野菜も多い。けれども、どれも食べれば美味しい。地球の光と水と土とが育てた野菜は、露地物でなくても豊かな味わい。
(これと、これと…)
 こいつも美味い、と店の入口で手に取った買い物用の籠に入れてゆく。野菜のコーナーを巡った後は肉類を選んで、それから魚や貝の売り場へ。
(うん、今日もいいのが入っているな)
 魚介類が水揚げされる港から毎日入荷する海の幸。海が荒れた時には品数が減るが、今日は色々揃っている。どれにするかな、と覗き込んで、好みの品を選んで、籠へと。
 もしもブルーが一緒に居たなら、どんな買い物になるのだろうか、と選びつつ考えたりもして。
(好き嫌いが無いのが俺たちの売りだが、それでも何か言いそうだよな?)
 この魚を焼いて食べるのがいいとか、こっちを買って煮付けだとか。
 タコを買って今日は刺身で食べて、明日はタコ焼きを作って食べたいだとか。
 我儘も言うだろう、生まれ変わって来たブルー。
 ソルジャー・ブルーだった頃とは違って、我慢が基本ではないブルー…。



 今はまだ小さな恋人の未来の姿を想像しながら、店内をぐるりと一回りして。
 買いそびれた物は無いかと確認してから会計を済ませ、買った品物を詰めた袋を提げて出ようとしていた所で、後ろに女性。両手に提げている、重そうな荷物。
「お先にどうぞ」
 自動ドアではあったけれども、扉の幅には限りがあるから、女性優先。社会の一員になって間もない頃からのハーレイの習慣。大先輩だった紳士な教師がやっていたのを見て以来。
 女性は笑顔で会釈してドアを通って行った。



(…ふむ…)
 荷物を提げて店の外へとドアをくぐって、ふと考えた。
 ブルーと暮らすようになったら、こうした時にはやはりブルーが優先だろう。ブルーの手に何も荷物が無くとも、先に通してやらねばと思う。
 けれど…。
(今度はあいつが先ではないのか)
 先に扉を通らせてやっても、ブルーは出てすぐの場所で自分が来るのを待っていそうだ、という確信。先に歩いて行ったりしないで、笑顔で待っているのだろうと。
(…前はあいつが先だったのに)
 ハーレイの前を行くのがソルジャー・ブルーだった頃のブルーの歩き方。
 常にハーレイを後ろに従え、シャングリラの中を歩いて行った。視察の時も、それ以外の時も、ハーレイと共に歩く時にはソルジャー・ブルーが先だった。



 しかし、今度の小さなブルー。
 自分と一緒に青い地球の上へと生まれ変わった小さなブルー。
 将来、大きく育ったとしても。
 ソルジャー・ブルーと同じ背丈に育って自分と一緒に暮らす日々が来ても、きっとブルーは…。
(あいつは俺より先には行かない)
 二人で買い物に出掛けたとしても、ブルーが歩く場所は隣か、後ろか。
 自分よりも前を歩きはしない、と小さなブルーを思い浮かべる。
(…あいつが俺より先に行くのは…)
 ブルーの家を訪ねると「早く!」と先に立って自分の部屋へ駆けて行ったりするのだけれども、ハーレイが帰る段になったら決して先には行ったりしない。先に階段を下りてはゆかない。
 庭にある白いテーブルと椅子で過ごして、家へと戻る時にも同じで、先には行かない。
(…そうだ、今のあいつは俺の後ろからついてくるんだ)
 でなければ、隣。手を繋いだりはしないけれども、隣に並んで歩いていた。
 学校で出会って話しながら廊下や校庭を歩く時にも隣か、後ろか。
(絶対に前を歩きはしないな、今のあいつは)
 あまりにもそれが普通だったから、気が付かなかった。
 前の生では必ず前を歩いていた筈のソルジャー・ブルー。
 ハーレイが後ろに付き従うのが常だった筈のソルジャー・ブルー…。



(…いつからだった?)
 いつからブルーは自分の前を行くようになったのだろうか、と遥かな昔の記憶を手繰った。
 最初はそうではなかった筈。アルタミラから脱出した直後はそうではなかった。
 いつ変わったのか、と考える間に、家の前まで辿り着く。
(…前のあいつか…)
 玄関の鍵を開け、提げて来た荷物を注意して置いた。
 卵を割ったりしないように。ぶつけると傷みやすくなる品物に衝撃を与えないように。
 そうした品々をキッチンへ運び、所定の位置に片付けながら夕食の献立を考える。
 新鮮な刺身を買って来たから、それに合うものを。
 味噌汁にするか、澄まし汁にするか。
 野菜の料理は何にしようか、他に作って食べたいものは…。



 ふむ、と献立と手順とを決めて、料理の支度にかかったけれど。
(いつからだった…?)
 意識は再び、前のブルーへと引き戻された。
 いつから自分よりも先に行くのが常になったかと、いつからそのように変わったのかと。
(…あの頃は俺の後ろにいたな)
 前の自分がキャプテンではなく、調理を担当していた頃。食材の管理が上手だからと献立作りも任されてしまい、船にある食料で作れそうなものをと色々と工夫を凝らした日々。
 調理担当の者は他にも何人もいたが、陣頭指揮はハーレイだった。今日の昼食はこれで、夕食はこれ。明日の朝食にこれを作って、その次は…、と在庫を睨んで計画を立てて。
 そうやって鍋やフライパンと戦っていた頃、「何が出来るの?」と興味津々でハーレイの仕事を覗きに来ていた小さなブルー。
 身体が小さかっただけで年はハーレイよりも上だったけれど、まだハーレイの後ろにいた。船の中を二人で歩く時には後ろから来たし、前を歩きはしなかった。
 脱出直後の小さかったブルー。
 ハーレイを手伝ってジャガイモの皮を剥いたりしていた、小さなブルー。



(あいつが食料を奪いに行っていた頃も、俺の後ろに…)
 船にあった食料が底を尽いた後、ブルーはたった一人のタイプ・ブルーとして食料を奪いに出るようになった。人類の船が近くを通れば、とにかく何かを奪いに出掛けた。
 選ぶ余裕などありはしないから、キャベツだらけとか、ジャガイモだらけだとか。偏った食材と格闘するのがハーレイの仕事で、ブルーは食材の調達係。
 食料の他にも必要な物資をブルーが奪って、ハーレイがそれを調整しながら分配していた。皆に公平に行き渡るように、必要とする者たちの手に渡るように。
 ブルーの力が無ければ生きていけない日々だったけれど、ブルーが歩く場所はハーレイの後ろ。
 シャングリラと名付けた船全体の面倒を見るようになっていた、ハーレイの後ろ。



(…俺がキャプテンになった頃には、まだ…)
 後ろだった、と思ってから「違う」と気が付いた。
 まだソルジャーの尊称こそ無かったけれども、リーダーと目され始めたブルー。
 もう後ろにはいなかった。
 ハーレイが後ろを歩かなかっただけで、ブルーは後ろにはいなかった。
 リーダーの自分が幼子のようにハーレイの後ろをついて歩いては駄目であろうと判断したのか、はたまたキャプテンの仕事の邪魔は出来ないと考えたのか。
 いずれにしても自分の後ろにはもういなかったし、ついて歩きもしなかった。



(俺があいつの後ろを歩き始めたのがソルジャー以降か…)
 ソルジャーと呼ばれ、紫のマントや白と銀の上着を身に着けるようになっていたブルー。
 背丈も伸びて、小さなブルーではなくなっていた。気高く美しく育ったブルー。
 シャングリラの改造もすっかり終わって、白い鯨が完成していた。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 巨大な船となったシャングリラの中を視察して回ったソルジャー・ブルー。
 船内を隈なく歩くブルーにキャプテンとして付き従った。
 そうやって自分が後ろになった、と思い出す。
 視察以外で通路や居住区などを歩く時にも、ブルーはソルジャー。
 誰もが認めるミュウたちの長。
 キャプテンが前を歩けはしない。ソルジャーよりも前を歩けはしない。
 その必要が無い限りは。
 先に立って案内する必要が生じない限り、ハーレイはブルーの後ろを歩いた。



(あいつの方が偉かったからな…)
 キャプテンよりも遥かに上の立場であったソルジャー。
 シャングリラの航路も、仲間たちの命も、ブルー無しでは続きはしない。キャプテンはそれらを握ってはいても、ただ「預かっている」というだけのこと。
 守る力も戦う力も持ってはいないし、いざという時はブルーに頼るしかない。ソルジャーだった前のブルーしか、そういう力は持たなかった。
 だからキャプテンの地位がソルジャーの次でも、天と地ほどの開きがあった。
 ハーレイはそれを自覚していたから、ブルーの後ろを歩き続けた。
 けれどシャングリラの中、誰も周りにいない通路をハーレイが一人で歩いていた時、瞬間移動で背後に現れ、いきなり抱き付いて来たブルー。
 後ろから抱き付き、キスを強請ってきたブルー。
 何度もそういう場面があった。
 ブルーはいつも唇に笑みを浮かべていたから、悪戯なのだと思っていた。
 自分の驚く顔が見たくて不意打ちをしてくるのだろうと、恋人同士ならではの悪戯だろうと。
 何度もブルーが起こした悪戯。
 白いシャングリラで起こした悪戯。
 けれど、もしかしたら。
 悪戯なのだと前の自分は思ったけれども、もしかしたら…。



(…あいつは俺の後ろに居たかったんだろうか?)
 前を行くより、本当は後ろに居たかったのだろうか。
 否応なく前を行っていただけで、前のブルーも後ろについて来たかったのだろうか…。
 今のブルーが後ろを歩きたがるように。
 小さなブルーがハーレイの後ろについてくるように、前のブルーも。
 ソルジャーだったブルーも、もしもハーレイが許したならば。
 後ろを歩いていたのだろうか、と遠い昔に思いを馳せた。
 シャングリラの中を歩いてゆく時、ブルーの居場所が違ったならば、と。



(…もしも、ブルーが俺の後ろを歩いていたら…)
 そう出来ていたら、と考える。
 自分の後ろが定位置のブルー。常に後ろについてくるブルー。
(前のあいつがそうだったなら…)
 ハーレイの後ろに居たがるブルーは、メギドへと飛んで行ったのだろうか?
 たった一人で死が待つメギドへ、そんなブルーは飛べたのだろうか?
(…それでもあいつは飛んだんだろうが…)
 きっと不安な目をしただろう、とハーレイは思う。
 自分に託した言葉は「頼んだよ」と一方的に告げた遺言だったと思いはするが、その時の瞳。
 見上げる瞳が違っただろう。
 笑みさえ湛えていたように見えた瞳の代わりに、縋るような目をしただろう。
 一人で行かねばならないけれども、前を歩いてくれる背中が欲しいと。
 その背を追いかけて歩きたいのだと、ハーレイの背中があればいいのにと。



(…そうして俺が追いかけていたな)
 キャプテンの務めをブリッジの長老たちに託して、シャングリラの舵をシドに託して。
 格納庫に走って、ギブリに乗った。ブルーを追いかけてメギドへと飛んだ。
 人類軍の攻撃を躱して飛ぶだけの腕はあったと思う。そうでなければシャングリラのキャプテンなど務まりはしない。巨大な船を動かせはしない。
 砲撃を躱し、ギブリをメギドに降ろすことも出来た。中へ入り込むことも恐らく出来た。
 その後は兵士たちの攻撃をシールドで防いで、ブルーを追うだけ。ブルーが通ったであろう道を探して、追いかけて彼に追い付くことだけ。
(俺なら追えた筈なんだ…)
 きっとブルーがキースに遭遇するよりも前に追い付けた。追い付いて共にメギドを壊せた。
 ブルーは「何故来た」と怒鳴って怒っただろうが、その一方で泣いたと思う。
 緊張の糸が緩んで泣いたであろう、と。
 前を歩いてくれる背中が出来たと、ハーレイが前を歩いてくれる、と…。



(…俺は間違えていたんだろうか…)
 歩く場所を、と思ったけれど。
 互いの立場を考えたならば、その順番はあり得ない。
 ソルジャーだったブルーが歩くべき場所はハーレイの前で、キャプテンの位置はブルーの後ろ。
 入れ替えることなど出来はしないし、シャングリラに居た頃は仕方が無かった。
 けれど、ブルーの本当の望み。
 ソルジャーだった頃のブルーの本当の望み。
(あいつも気付いてはいなかったんだろうが…)
 自分の後ろをきっと歩きたかったのだろう、と思ってしまう。
 育ってもなお、ハーレイよりも遥かに小さな身体をしていたブルー。
 華奢で細かったソルジャー・ブルー。
 ハーレイが前を歩いていたなら、ブルーの身体は広い背中にすっぽりと隠れていただろう。
 自分の背を追いかけていたかったろう、とアルタミラから脱出した直後のブルーを思った。
 「何が出来るの?」と鍋を、フライパンを覗き込んでいた、小さかったブルー。
 自分の後ろをついて歩いていた、ジャガイモの皮むきをしていたブルー…。



 本当は後ろを歩いていたかったのだ、と今頃になって気付いたけれど。
(…それ以上に俺の隣を歩きたがるんだろうな、今度はな)
 きっとそうだな、と出来上がった料理を手際よく器に盛り付けた。
 野菜の煮物は深めの鉢に。
 刺身だけでは物足りないから、と作ったアサリの酒蒸しは汁の量に見合った深さの皿に。
 味噌汁を注いで、刺身は活きの良さが映える器に移してテーブルに置いた。
(これでよし、と)
 炊き上がった白米を茶碗に盛って、椅子へと座る。
 ブルーの家でも今頃は夕食の時間だろう。
 小さなブルーは心の中では不満たらたら、「ハーレイが来てくれなかったよ」と膨れっ面をしていそうだけれども、そうそう顔には出さないと思う。
 ハーレイが本当は前の生からの恋人なのだと両親に知られてしまわないよう、不平不満は小さな胸の奥に押し込め、愛らしい顔でチョコンと座っていることだろう。



(…すまんな、行ってやれなくて)
 だが、毎日は行けないからな、と小さな恋人に心で詫びた。
 自分の後ろを歩くのが好きな、いずれは隣を歩きたがりそうな小さなブルーに。
(前のお前も本当は、きっと…)
 後ろを歩きたかったのだろうと思うし、隣も歩きたかっただろう。
 ハーレイと並んで前も後ろもなく、手を繋いで歩いてみたかっただろう。
 けれどもソルジャーとキャプテンだった前の生では、並んで歩けはしなかった。
 恋人同士であったことさえ、誰にも明かせはしなかった…。



 今の生でも、まだ手を繋いで並んで歩けはしない。
 ブルーの両親がハーレイがブルーの恋人なのだと知らない間は、歩けはしない。
(…当分は俺の後ろだな、うん)
 小さなブルーはハーレイの後ろを歩いて満足しているし、手を繋ぎたいとも言っては来ない。
 しかし隣に並んで歩いてゆくことを、いつかブルーが覚えたならば。
 其処がブルーの定位置だろう。
 ハーレイの隣に立って腕を絡めて、あるいは手をしっかりと握り合わせて。
(そうか、今度は後ろですらないのか)
 隣なんだな、とハーレイは小さなブルーを想った。
 小さな恋人の背丈が前のブルーと同じに伸びて、気高く美しく育ったならば。
 二人一緒に歩く時には、どちらが前でも後ろでもない。
 あえてどちらかが前に立つなら、其処はハーレイ。
 ブルーを先に通してやるためにドアを開けてやり、先に通ったブルーは其処で止まって待つ。
 ハーレイがやって来るまで待つ。
 そうして二人、並んで歩く。
 ついさっきまでがそうだったように、二人並んで歩いてゆく…。



(…歩く順番からして変わってくるのか…)
 今度はまるで違うんだな、とハーレイの唇に笑みが浮かんだ。
 買い物に出掛ける時も二人一緒に、手を繋いで。
 そう考えてはいたのだけれども、前の生との明確な違いを認識してはいなかった。
 歩く順番が変わってくるとは、まったく気付いていなかった。
 前の生ではブルーが前を行き、ハーレイが後ろ。
 変えることなど出来はしなかった、ソルジャーの、そしてキャプテンの場所。
 けれど今度は並んで歩ける。
 二人仲良く、手を繋いで並んで歩いてゆける。
 それがどれほど幸せなことか、今まで以上に分かった気がする。
 前の生では叶わなかったと、今度は並んで歩けるのだと。
(…早くあいつと一緒に歩きたいもんだな)
 ついでに食事も二人なんだな、とハーレイは刺身を頬張った。
(食事も一緒で、歩くのも一緒か…)
 今度は二人で並んで歩こう。
 買い物でも、近所への散歩でもいい。
 前も後ろも順番も無くて、二人並んでの幸せな道を…。




           歩きたい場所・了

※並んで歩くことは出来なかった、キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルー。
 今度は並んで歩くことが出来るのです。手を繋いで。その日が来るのがとても楽しみ。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






「うーん…」
 なんだか変、と夜の夜中に目が覚めた。
 ベッドの感じがいつもと違う。寝心地が違うって言うのかな?
(なんで?)
 どうして、と思ったぼくの頭の下、無くなってる枕。ぼくのお気に入りの大きな枕。ふんわりと頭を受け止めてくれる筈の枕が消えちゃってる。
 あれっ、と手さぐりで探しても無い。少なくとも頭の近くには無い。
(何処…?)
 ゴソゴソしてたら目が冴えちゃうよ、と目を瞑ったままで探すけれども、無いみたい。
 こういった時に前のぼくなら簡単に解決出来たのに。
 わざわざベッドを探らなくても、枕、って考えたらちゃんと出て来た。前のぼくの得意技だった瞬間移動で何処からか、パッと。
 だから全然困らなかったし、目も冴えないで眠り直せた。大きな枕に頭を預けて、起きる時間が来るまでの間、眠りの世界に戻ってゆけた。



(…寝相は悪くはなかったんだけどね?)
 前のぼくの寝相は良かったと思う。今のぼくみたいに枕が消えたりはしなかったと思う。寝てる間に上掛けを蹴飛ばしてしまうことも無かったと思うんだけど…。
(……でも……)
 青の間で一緒に眠ったハーレイが起きて行った後。
 枕が頭の下に無いこともあった。頭の下はシーツということがあった。
 そんな時には瞬間移動でヒョイと戻して、頭の下に入れた。前のぼくが使っていた大きな枕を。今のぼくの枕よりも大きかった、青の間のベッドに見合った枕を。
 あれほどに大きな枕が行方不明になるってことは…。
(…悪かったっけ?)
 前のぼくの寝相。
 悪かったなんて自覚はゼロだし、寝ていた間は、枕はきちんと頭の下に…。



 いつだって頭の下に在ったと記憶している枕。
 それがどうして消えたんだろう、と考え始めたぼくの意識はとっくに冴えていたけれど。眠気は飛んでしまっていたけど、気になる前のぼくのこと。
 眠っている間中、前のぼくの頭を支えていた枕。
 ハーレイが起きて行った後には消えてたってことは、犯人はハーレイだったんだろうか?
 同じベッドで眠ったのだし、起き出す時にウッカリ触って何処かへ動かしてしまっていたとか。あれだけ大きい身体なんだもの、腕に引っ掛けただけで枕は動いてしまうと思う。足でも同じ。
(…うん、ハーレイが犯人なのかも…)
 腕とかで連れて行っちゃったんだよ、と連れ去られた枕と犯人の腕を思い浮かべた。逞しかった褐色の腕。あの逞しい腕に引っ掛けられたら、大きな枕でもひとたまりも無かったことだろう。
(持って行っちゃったなら、元に戻してくれればいいのに)
 頭の下に入れてくれればいいのに、と気配りの足りない前のハーレイに文句を言いたくなった。
 だけど大抵は枕は頭の下にあったし、きっと忙しかったりしたんだろう。前のぼくの枕の面倒を見ていられないほど、急いで起きなきゃ駄目だったとか。



(…朝一番にブリッジに行ってた日もあったしね?)
 朝食は青の間でハーレイと一緒に。
 それがソルジャーとしてのぼくの習慣で、キャプテンだったハーレイの仕事。様々な報告などをしながら会食をするのだと誰もが信じていた。二人分の朝食を用意する係も居た。
 その朝食の時間よりも前に、キャプテンの制服を纏ってブリッジに出掛けたハーレイ。緊急事態とかではなかったけれども、打ち合わせだとか、夜勤のクルーからの引き継ぎだとか。
 そうした時には急いでいたから、ぼくに「おはよう」のキスもしないで出掛けて行った。ぼくの方でも分かっていたから、「ああ、出掛けたな」と気付いた時でも起きはしないでベッドの中。
 大きな枕に頭を預けて、上掛けをすっぽり被り直して。
(そういえば…)
 ハーレイが出掛けた後、ヒョイと直していた枕。
 急ぎの用事で早く起きて行った日が多かったかな、と思い出す。でも…。
(…普通の日だって、消えてなかった?)
 ぼくはもう少し眠りたいのに、「朝ですよ」って起こす前のハーレイ。啄むようなキスを何度も落として起こしたハーレイ。「もうちょっと…」と駄々をこねた、ぼく。ハーレイが溜息をついてベッドから出ても、「もう少しだけ」と寝ようとしたぼく。
 どうせバスルームは一つしか無いし、ハーレイがシャワーを浴びて身支度を整えるまでは眠ったままでもかまわないから、と眠り直した。
 何処かに行ってしまった枕を探して、頭の下にヒョイと戻して。



(暇があった時にも消えてたなんて…!)
 ぼくの枕を連れ去るだなんて、しかも放って知らんぷりだなんて、酷い恋人だと詰りたくなる。ウッカリ動かしてしまったんなら、元に戻せと怒りたくなる。
(普段は戻してくれたんだろうけど、こういうのって…)
 一事が万事。
 忘れ果ててシャワーに出掛けるなんて心配りが足りなさすぎだ、と頬をプウッと膨らませた。
 犯人は此処には居ないけれども、いつか文句を言ってやろうと。
(今度やったら絶交なんだよ)
 一日ハーレイと口を利かないとか、そういうの。
 前と違って今度は結婚するんだから。うんと大事にして貰わなきゃ、と思うから。
 ぼくの枕を行方不明にしてしまう酷い恋人は論外、おまけに今のぼくは枕をヒョイと戻せない。今みたいに意識が冴えてしまって眠れなくなるし、それでは困る。
(忘れないで枕を入れておいてよ)
 今度は絶対、と考えた所で「あれっ?」と思った。
 忘れずに入れておいて欲しい枕と、枕が連れ去られてしまう前。
 感触が違ったような気がする。前のぼくの頭の下にあった枕の感触。柔らかい枕と、硬いのと。枕を二つ持っていたのだろうか、と遠い記憶を探ろうとして。
(違った…!)
 一晩中、前のぼくの頭を支えていた枕。硬かった枕。
 あの枕は枕なんかじゃなくて。
(…前のハーレイの腕だったんだ…)
 どおりで朝には消えていた筈。
 ハーレイが本物の枕を代わりに置いてくれたんだろう。
 たまに忘れて枕が無い時、ぼくが自分で探していた。瞬間移動でヒョイと探して置いた…。



(…いつもハーレイの腕だったんだよ、夜の間は)
 いつ目が覚めても、ハーレイの腕がぼくの頭を支えていた。ぼくの頭の下にあった。
 一晩中、前のぼくの頭を支えて眠っていたハーレイ。ぼくを抱き締めて眠ったハーレイ。ぼくの頭が腕に乗っかったままで一晩だなんて、ハーレイは重たくなかったんだろうか?
(…えーっと…)
 訊いてみたことがあったっけ、と思い出した。
 ハーレイと結ばれて、同じベッドで眠るようになって。ハーレイの腕が枕代わりになっていると気付いて、何度か訊いた。
 こんなことをして腕が痺れないかと、重くないのかと。
 ヒトの頭が重いことくらい、前のぼくはちゃんと知っていたから。
 五キロくらいはあるんだってこと、充分に承知していたから。



 きっと重いに違いない、と心配しながら尋ねたのに。
「私の宝物ですからね」と笑ったハーレイ。
 宝物は重いほど価値がありますから、と。
 シャングリラは宝物と縁が全く無かったけれども、金や宝石。そういったものはとても重いし、金の塊は見た目よりもずっと重いものだと。
「ずっしりと重いそうですよ。ほんのこのくらいの大きさでも」
 生憎と手に取ったことはありませんが、とハーレイが金塊の大きさを手で示したから。
 前のぼくの頭なんかより遥かに小さなものだったから。
「…重いのかい? ぼくの頭は」
「いいえ」
 ハーレイは笑顔でそう答えた。「いいえ」なら、つまり軽いということ。宝物は重いほど価値があるなら、ぼくの頭は…。
「じゃあ、軽いのなら宝物の価値が…」
 宝物としては失格だろう、と項垂れたぼくに、「まさか」と直ぐに返したハーレイ。
「この世の中には軽い宝物だってありますからね」
「…どんな?」
「それは色々ありますよ」
 今の時代には何がそうかは分かりませんが…。
 遠い昔には、同じ重さの金よりも高い値段で取引された。そんな品物も沢山あったそうです。
「ああ…。香料とかだね、本で読んだよ」
「そういうものなら、軽くても宝物ですよ」
 重い宝物の金よりも軽い。
 それなのに値段は金よりも高い、うんと軽くて価値の高い宝物ですとも。



 重いほど価値がある宝物。ずっしりと重い、金や宝石。
 その一方で、金よりもずっと軽いものでも宝物。金よりも高い宝物。
 どちらも宝物だと言うなら、ぼくの頭はどうなんだろう、と余計に気になるものだから。
「…ねえ、ハーレイ。ぼくの頭は重いのかい?」
 それとも軽い?
 君は一晩中、ぼくの頭を腕に乗っけているけれど。
 重いのかい、それとも軽いのかな?
「さあ…?」
 どちらでしょうね、とハーレイは微笑んだだけで答えてくれなかったけど。
 重かったのかな、前のぼくの頭。
 それともハーレイの逞しい腕なら軽かった?
 五キロという重さは見当がつくし、ぼくには軽いと思えないけれど。
 サイオンでとてつもない重量の物体を運ぶことが出来た前のぼくでも、自分の腕を使うのならば五キロは「軽い」とは言えない重さ。スプーンを持ったりするのとは違う。
 五キロはそういう重さなのだ、と思うけれども。
 でも、いつだって前のぼくの頭の下にはハーレイの腕。
 夜中に目覚めても、朝の微睡みの中でも、ハーレイがベッドに居てくれた間はハーレイの腕…。



(…今のぼくなら前より軽いと思うんだけど…)
 小さい分だけ、頭だってきっと軽いと思う。
 キロ単位で違うかどうかは分からないけれど、絶対に前のぼくよりも軽い。ハーレイが腕を枕に貸してくれたら、「これは軽いな」と気付く筈。
 でも試してはくれないよね、と悲しくなった。
 ぼくの頭が重いか軽いか、ハーレイに言っても試してくれない。
 今のぼくはハーレイと同じベッドで眠れないから。
 腕を枕に借りるどころか、キスさえ許して貰えないんだから。
(軽い宝物も試して欲しいのに…)
 腕に乗っけて楽なのかどうか、軽い頭も試して欲しいと思うのに。
 せっかく今なら軽い頭を持っているのに、試してくれさえしないだなんて。
 腕を枕に貸すぼくの頭は、前とおんなじ重さでなければいけないだなんて…。



 残念だよ、と思ったけれど。
 今のぼくの軽くて小さな頭も腕に乗っけてみて欲しいよ、と思うけれども。
(でも、どうだろう…?)
 ぼくの小さな頭を乗せるには、ハーレイの腕の枕は太くて大きすぎかもしれない。
 あの腕を借りて枕にするのに丁度いいサイズが、前のぼくの頭だったかもしれない。
 ハーレイの腕にピッタリの頭。あの腕の枕にピッタリの頭。
(…うーん…)
 何かと言えばハーレイに言われる、「大きくなれよ」って、お決まりの台詞。
 「しっかり食べて大きくなれよ」とか、「ゆっくりでいいから大きくなれ」とか。
 大きくなれ、っていう言葉の中には頭のサイズも入っているのかな?
 今は小さい、ぼくの頭。前のぼくより軽い筈の頭。
 この頭も小さすぎてダメかもしれない。
 前のぼくの頭がいいのかもしれない。
 重たくっても、ハーレイが腕に乗っけておくには丁度いいとか…。



 どうなんだろう、と知りたくてたまらない頭の重さ。
 ハーレイが「私の宝物ですからね」と笑っていたぼくの頭の重さ。
 重たかったのか、軽かったのか。
 どう思っていて、ハーレイの腕には丁度良かったのか、そうではないのか。
 とても知りたくてたまらないのに。
 重かったならば「今のぼくの頭は軽いよ?」って言ってみたいし、軽かったのなら大きくなった後も安心して枕に出来るんだけど…。
 前のぼくが毎晩借りてたみたいに、頼もしくて硬い腕の枕を。
(…ハーレイ、絶対、教えてくれないんだよ)
 訊いてみたって、教えてくれない。「知らんな」って言われるか、無視されるか。
 前のぼくだって宝物の話で誤魔化されて終わっていたんだから。
 重いか軽いか、教えてくれなかったんだから。
 今のぼくに教えてくれっこない。
 腕の枕を貸す必要も無い、小さなぼくには教えてくれない…。



(ハーレイの腕の枕…)
 一晩中、前のぼくの頭を支えていてくれた腕。太くて逞しい褐色の腕。
 絶対に逃げていかない枕。
 前のぼくの寝相がどうだったとしても、逃げて行きはしなかった頼もしい枕。
 いつだって、前のぼくの頭の下にきちんと在った。
 ハーレイが起きて行ったら無くなったけれど、代わりに普通の枕が貰えた。ハーレイがウッカリ忘れない限り、急いでいて忘れてしまわない限り、腕の代わりに普通の枕を置いて貰えた…。



(…ぼくの枕は?)
 普通の枕を思い浮かべるまで忘れちゃってた、今のぼくの枕。行方不明になっちゃった枕。
 すっかり忘れてしまっていたけど、身体の周りを探って、見付けて。
(…蹴飛ばしちゃってた?)
 ベッドから落っこちかけていたのを腕を伸ばして引っ張り戻した。
 これで良し、と頭の下に入れた所で、違和感。
 お気に入りの枕だというのに、違和感。
(…ハーレイの腕と全然違うよ…)
 あの腕がいい。ハーレイの腕の枕が断然、いい。
 少しでも近づけようと思って、枕を二つに折ってみたって、違う。
 丸めてみたって、全然違う。
 枕は、枕。
 今日まで何とも思わなかったし、柔らかすぎるなんて思いもしない。頭がふわりと沈む感じも、頭を支える力加減も、ぼくにピッタリだったのに。
 とても眠りやすいと思っていたのに、頼りなさすぎる大きな枕。
 大きいばかりで、役に立たない。
 ぼくの頭を受け止めるには役に立たない、見掛け倒しの大きな枕…。



(…あのハーレイの腕がいいのに)
 あの腕がとても良かったのに、と溜息をついた。
 前のぼくがとても好きだった枕。安心して眠っていられた枕。
 ハーレイが側に居てくれるのだと、ぼくのために腕を枕に貸してくれていると…。
 寝心地としては、実際、どうだったのかは分からないけれど。
 前のぼくがぐっすり眠れるようにと計算し尽くされていた青の間のベッド専用の枕と、どっちが前のぼくの頭に合っていたかは分からないけれど。
 好きだった枕はハーレイの腕。前のハーレイが貸してくれた腕。
 ハーレイもきっと分かってくれていたんだろう。
 ぼくが好きな枕は自分の腕だと、ベッドとセットの専用の枕よりも好きなのだと。
 だから重たくても、ぼくの頭を乗せるために腕。
 前のぼくの頭が重たくっても、腕に乗っけて眠ってくれた。
 重たいだなんて一度も言わずに、一晩中、枕に貸してくれていた…。



(でも…)
 ハーレイの逞しい腕には、前のぼくの頭は軽かったかもしれない。
 ぼくが「重いだろうな」と勝手に思ってただけで、ハーレイには重くなかったかもしれない。
(…どうだったんだろう?)
 分からないや、と誤魔化されてしまった答えを思う。
 重くても軽くても宝物だと、どちらも宝物に違いないのだと。
 軽かったのか、逆に重かったのか。
 前のハーレイが教えてくれなかった、前のぼくの頭の本当の重さ。
 ハーレイがどんな風に感じていたのか、聞けないままで終わった重さ…。



(…今のハーレイだと、どうなるんだろう?)
 今のハーレイも、前のハーレイと見た目は全く同じ。
 がっしりとした大きな身体も、逞しい腕も前のハーレイと全く同じ。
 だけど前よりも、もっともっと鍛え上げた腕。
 見た目には前と変わらないけれど、鍛え方がまるで違う腕。
 前のハーレイは体調管理に気を付けていたし、体力や筋力が衰えないように運動することも日課ではあった。シャングリラがうんと狭かった頃も、出来る範囲で運動していた。
 それでも運動はキャプテンの仕事じゃないから、あくまで健康維持のため。身体を鍛えるのとは全然違うし、人と競えるレベルじゃなかった。ミュウにしては頑丈だったというだけ。
 けれども、今のハーレイは違う。運動が好きで、柔道も水泳も、大会に出たり記録を出したり。今だって指導が出来る腕前、ジョギングだって凄い距離を走っていくことが出来る。
 選手をやってる人にも負けない、鍛え上げられたハーレイの身体。
 力強く水を掻いて泳げて、柔道だと相手を軽々と投げてしまえる腕。筋肉の強さが前とは違う。そんな腕をぼくに枕代わりに貸してみたなら、どうなるだろう?
(…前より軽いって思うかもね?)
 それとも同じ?
 ぼくはぼくだから、感じる重さも前とおんなじ?
 ハーレイは今度も「宝物だ」と言って思ってくれるんだろうし、宝物なら前とおんなじ?
 どうなんだろう、と凄く気になる。
 だけど前のぼくでも教えて貰えずに終わった答え。
 今度だって絶対教えてくれやしないし、今の小さなぼくだと訊くだけ無駄なことだし…。



 とても知りたい、ハーレイの答え。
 ぼくの頭が重いか軽いか、知りたくてたまらないハーレイの腕が感じる重さ。
(…今度の目標にしようかな?)
 せっかく二人で生まれ変わって来たんだもの、と考える。
 ハーレイの腕には重いか、軽いか。
 訊き出してみるのもいいかもしれない。
 普段は絶対無理だろうけど、ハーレイが寝ぼけている時だったら訊けるかもしれない。
(今のハーレイはキャプテンじゃないものね?)
 キャプテンだった頃のハーレイは時間厳守で、いつだって目覚まし時計をセットしていた。青の間に泊まる時だって同じ。
 ベッドに入る前には、前のぼくも好きだったアナログ式の置時計のアラームを必ず確認してた。次の日の朝、それが鳴ったら、起きて身支度。
 ぼくが枕にしていた腕もベッドから出て行っちゃうから、代わりに枕を置いてってくれた。
 たまに忘れるとか、急いでいてウッカリしてたとか。そういう時には枕が無かった。
 時間通りに律儀に動いたキャプテンだけれど、今度は違う。今のハーレイはただの先生。
 何の用事も無い休みの日にまで目覚まし時計をセットしたりはしないだろう。
 朝寝坊だってするかもしれない、寝坊したって何の問題も無いんだから。



 ぼくとベッドで恋人同士の幸せな夜を一緒に過ごして、それから眠って。
 もちろん、ぼくはハーレイの腕を枕に貸して貰って、目覚ましもかけずに二人で眠って。
 次の日の朝、運良くぼくが先に起きたら、まだ眠っているハーレイに小声で訊いてみるんだ。
 しっかりと腕を枕にしたまま、「重い?」って。
 「ぼくの頭、ハーレイの腕に乗っかってるけど、これって重い?」って。
 重いと答えが返って来たなら、きっと嬉しい。
 重たくても支えてくれていたんだ、って、ずうっと支えてくれてたんだ、って。
 腕が重くても、乗っかってるのが宝物だから。
 ぼくの頭はハーレイの宝物なんだ、って胸がじんわり熱くなると思う。
 もしかしたら、ぼくは泣くかもしれない。涙が一粒、ポロリと零れて落ちるかもしれない。
 幸せすぎて、とても嬉しくて。
 ハーレイの宝物だと言って貰えたと、嬉しすぎて涙が出るかもしれない。
 逆に「軽い」と返って来たって、ぼくはやっぱり嬉しくなる。
 軽いものは扱いが大変だから。
 ぼくの枕が行方不明になったみたいに、軽かったら何処かへ失くしてしまう。
 その「軽いもの」を一晩中、しっかりと腕に乗せてくれているなら、失くさないよう気を付けてくれているってことだから。
 とても大事に、何処かへ失くしてしまわないように、そうっと、そうっと。
 そんな風に扱ってくれているんだと分かったらきっと、ぼくは嬉しくて、幸せで泣く。
 幸せな涙がポロリと零れて、ハーレイの腕の枕に落ちる…。



(…どっちなのかな?)
 ハーレイが自分の腕に感じる、ぼくの頭の本当の重さ。
 重いのかな?
 それとも、軽いのかな?
 今度こそ答えを訊き出さなくちゃ。
 キャプテンじゃなくなったハーレイが寝ぼけてポロッとホントのことを言うまで、何回も訊いて頑張って。
 そのために早起きになるかもしれない、今度のぼく。
 ハーレイよりも早く起きようと、空が白くなったらパチリと目を覚ます癖がつくかも…。
(頑張らなくちゃね、前のぼくが聞けなかった答えを聞くためだもんね?)
 だけどハーレイも負けずに早起きするかもしれない。
 ぼくに喋ってたまるものか、って頑張って起きて、早起き競争になるかもしれない。
(でも、負けないしね?)
 時間はたっぷりあるんだから。
 前のぼくたちと違って目覚ましの要らない朝が沢山、のんびりと過ごせる朝が沢山。
 そんな幸せな世界に生まれて、頑張れないなんて有り得ない。
 ぼくは絶対、ハーレイに勝つ。
 勝って答えを訊き出さなくっちゃ、ぼくの頭は重いか、軽いか。



(よし、頑張る!)
 今度の目標はこれだ、と決めた。
 まずはハーレイと二人で眠れる背丈に育って、結婚しなくちゃいけないんだけど…。
 早く訊きたい、ハーレイの答え。
(ぼくの頭、重いか、軽いのか、どっち?)
 そして早くハーレイの腕の枕が欲しいよ、こんな枕じゃ頼りないから。
 お気に入りの枕が、ちょっぴり寂しい。
 ぼくの本当のお気に入りの枕は、何ブロックも離れた場所にあるから。
 ハーレイの身体にくっついたそれは、ハーレイの家のベッドでぐっすり眠っている筈だから…。




         お気に入りの枕・了

※前のブルーのお気に入りだった、ハーレイの腕という枕。いつも頭の下にあったもの。
 ハーレイが「重い頭だ」と思っていたのか、軽かったのか。気になりますよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv





(えーっと…)
 何なんだろう、とブルーはテーブルに置かれたものをまじまじと眺めた。ブルーの部屋の窓際、ハーレイと向かい合わせで座る場所。
 ハーレイが訪ねて来るとお茶とお菓子や、昼食などの器が鎮座するのが普通だけれど。
 母が運んで来た緑茶。それにお煎餅が盛られた菓子鉢。
 緑茶とお煎餅は特に不思議ではないが、どうしたわけだか、その他に空のお茶椀が二つ。一つはブルーが使っているもので、もう一つの茶碗は来客用。
 お箸も二組、おまけに御杓文字。
(なんでお茶碗?)
 お煎餅を食べるのに要りはしないし、お箸も同様。御杓文字だって。
 何が起きたというのだろう、と見詰めていると、ハーレイが「これだ、これ」と提げて来ていた紙の袋を持ち上げてみせた。
「此処へ来る途中で買って来たんだ」
 まあ食ってみろ、と出て来る包み。四角い箱だけれど、包装されていては中身が分からない。
 箱の感じからしてお菓子だろうか、と考えていたら。



「…お赤飯?」
 何かのお祝いだったっけ、とブルーは赤い瞳を見開いた。
 遠い昔にハーレイと暮らしたシャングリラにお赤飯は無かったけれども、生まれ変わってからは馴染みのもの。ブルーとハーレイが住んでいる地域では、お祝い事の時に炊かれるお赤飯。
「祝いってわけじゃないんだが…」
 通りかかったら、出来上がった所だったんだ。
 此処のは栗がたっぷりでな。元から塩味がついているから、塩を振りかけなくてもいい。
 その塩加減がまた絶妙なんだ。
 「美味いんだぞ」と勧めるハーレイ。
 祝い事でなくてもたまに食べたくなるのだと。
「でも、ぼく…。さっき、朝御飯…」
「食べたトコだってか?」
 それくらい、俺にも分かっているさ。
 昼飯用にと買って来たんだが、出来立てのヤツも味見してみろ。
 まだ温かいから、とびきり美味い。温め直すより、断然、こっちが美味いんだ。
「…ふうん?」
 それなら少し食べようかな、とブルーは思った。
 ハーレイお気に入りの味というのも、是非味わってみたかったから。



「よし、それじゃ味見といこうじゃないか」
 ハーレイが赤飯の包みを開けると、ありがちなパックなどとは違って薄い木で作られた箱が出て来た。いわゆる折箱。それだけでも店のこだわりが分かる。
 折箱の蓋が取られると、ぎっしりと詰まった栗赤飯。南天の葉もきちんと添えてあった。
 本物だぞ、というハーレイの言葉通りに、作り物ではない艶やかな本物の南天の葉。
「この辺りもおふくろのこだわりに似ていてな」
「え?」
「俺のおふくろだ。赤飯を炊いて折箱とかに詰める時には、南天の葉っぱを添えるんだ」
 庭の南天の葉を採って来てな。
 南天は難を転じると言うから縁起がいい。そしてお裾分けだと配るわけだな。
「へえ…!」
「祝い事でなくても作ってるなあ、好きなんだろうな?」
 しかも炊くと言っても実際には蒸して作るんだ。こういった店と同じでな。
 だから此処のは同じ味なんだ、おふくろが作る赤飯の味だ。
 こういう味だ、とハーレイが杓文字で茶碗に入れてくれた栗赤飯をブルーは早速味わってみた。口に入れると、ほんのり塩味。
「美味しい…!」
「そうだろ、此処のは本物だからな」
 赤飯を専門に扱う店は何処もそうだが、とハーレイも自分の分を頬張る。
 他のお弁当などと一緒に店頭に並ぶものは些か違うものだと、色の付け方からして違うのだと。



「色の付け方? …お赤飯って赤い御飯でしょ?」
 これも赤いよ、とブルーは指差したけれど。
「どうだかな? 如何にも赤って感じがしないか、くすんでいなくて」
「…そうかも…」
 言われてみれば御飯粒の赤に透明感があるようにも見えた。透き通ってはいないが、艶々と光る御飯粒。普通はもう少し暗めの赤だったかな、という気がする。
「この赤色はどうやってつけるか知ってるか?」
「小豆の色でしょ?」
 赤い豆だもの、あの色だよ。
 お赤飯を炊いてる間に、小豆の色が移るんだよ。
「違うぞ、こいつはキビガラというヤツを使っているんだ」
「キビガラ?」
「キビっていう穀物の一種だな。そいつの実の殻を煮出すと赤い水が出来るから、その水に糯米を浸けておく。そうやって赤くするわけだ」
 キビガラを使わないと本物の赤飯の色にはならん。着色料なんかは論外だな、うん。
 もちろん、おふくろもキビガラ派だぞ。



 ブルーはお赤飯をほんの少しと、栗を一個が限界だったけれど。
 栗赤飯を持ち込んだハーレイの方は、軽くとはいえ茶碗に一杯を盛り付けていて。
「この赤飯に入ってる栗もだ、こうして鮮やかな黄色にするには秘訣があるんだ」
 ちゃんと自然の素材だぞ。クチナシの花は知ってるだろう?
「クチナシ?」
 強い香りがする白い花ならブルーも知っていた。
 しかしクチナシは白い花だし、何処から黄色になるのだろう?
 キビガラとやらのように煮るのだろうか、と尋ねてみたら。
「煮るっていうのは間違ってないが、花じゃない」
 花が咲いた後に出来る実だ。
 白い花からはまるで想像出来ないだろうが、あの花の実から綺麗な黄色が出て来る。
 おふくろはサツマイモを煮る時なんかにも使うぞ、美味そうな黄色になるからな。
「…黄色って、サフランだけじゃないんだ…」
「おっ、サフランは知ってたか?」
「ママが使うもの、サフランライスとかパエリアだとか」
 サフランの花の雌しべだよね、とブルーは母が常備している乾燥したものを思い浮かべた。
 赤い糸のようにも見えるサフラン。
 赤いのに黄色い色が出るのか、と幼い頃には不思議だった。



「サフランなあ…。昔はとてつもなく高かったそうだぞ、金よりもな」
「そうだったの?」
 あんなものが、とブルーは驚いたのだが、「本当だとも」と答えが返る。
「同じ重さの金よりも高い時代があったという話だ」
 SD体制よりもずっと昔だ、今はそこまで高くはないがな。
「そうなんだ…。キビガラだとか、クチナシだとか。いろんな自然の着色剤があるんだね」
「ああ。自然の色はいいぞ、自然と共に生きてるっていう感じがするからな」
 中にはユニークなのもある。ツユクサなんかは面白いぞ。
「青いんでしょ?」
「ただ青いっていうだけじゃない。染物の下描きに使える優れものだ」
 下絵を描いた後で布を蒸すとか、水に浸けるとか。
 それで下描きが綺麗に消えちまうそうだ、ちゃんと青色で描いたのにな?
「消えちゃうんだ…」
 凄い、とブルーは感心した。
 SD体制よりもずっと昔の時代に、今、ブルーたちが住んでいる地域にあった小さな島国。その国で染物の下描きに使われたというツユクサの文化も今では復活しているらしい。
 キビガラで染めるお赤飯が復活したのと同じで、日本らしさを楽しんでいる地域の文化…。



 昔の人の知恵はなんと素晴らしいものだろうか、とブルーは呟く。
 シャングリラにはそうした自然の着色剤は何も無かったと、全て合成のものだったと。
「そういう発想、前のぼくには全然無かったよ…」
「俺もだが…。シャングリラにも木とか草はあったし、前の俺たちが頑張っていれば草木染とかは出来たかもなあ…」
 タマネギの皮でだって染物は出来る。
 データベースで色々調べて工夫してれば、自然の染料が作れたかもな。
「それで制服なんかも作れたのかな?」
「出来たかもしれんが、お前のマントがとびきり高そうな感じだな」
「なんで?」
 どうしてマント、とブルーが訊くと「紫だからさ」とハーレイは答えた。
「紫ってヤツはSD体制よりもずっと昔は高貴な人しか着られなかった。何故だか分かるか?」
 染めるのが高くつくからだ。簡単に作れる色なら高くはならん。
 日本じゃ草の根っこで染めたが、貝で染めてた地域もあったそうだ。
「貝!?」
 ブルーはビックリ仰天した。
 どうやって染めるのかは分からなかったが、シャングリラで貝は飼育していなかったから。
「…それ、シャングリラじゃ無理そうだね…」
「無理だな、マントを染めるためだけに貝を飼うなんぞはな」
 草の根っこにしてもそうだぞ、野菜ってわけじゃないからな。
 食えもしないのに育てられるか、シャングリラの中じゃ植える場所に限りがあるってもんだ。
 それでも紫草……そういう名前の草だったんだが、そいつを育ててマントを染めたら。
 ソルジャーだけが使える色だな、とびきり高貴な色だったってな。



「うーん…」
 ブルーだけしか使えない紫。
 前の自分はソルジャーだったけれど、その地位を示す色を特別に作らせるほど偉くはなかったとブルーは思う。他の仲間たちと同じでも一向に構わなかったし、それでいいとも思っていた。
 けれども纏っていたソルジャーの衣装。前のハーレイのキャプテンの制服などと同じく、立場を表すための服装。区別が出来ればそれで充分、紫のマントにこだわらなくても…。
「ねえ、ハーレイ。自然の素材で服を染めてたら、地味だったかな?」
 服の形でしか区別出来なかったかな、ぼくとか、前のハーレイとか。
 マントを着けているのがぼくとか、その程度の違いしか無かったかな?
「いやいや、色なら沢山あったさ。昔の日本じゃ色の組み合わせの決まりもあった、と俺の授業で教えただろう?」
 この話をした日は色付きの紙のセットが飛ぶように売れる、と言ってた昔の人のラブレターさ。
 あれこれと紙の色を選んで、花を添えて出してた手紙だな。
「あったね、そういう手紙の話」
「思い出したか? あの時は手紙の話だけだが、服の色にも決まりがあったのさ」
 この色とこの色を重ねて、こういう花を表します、とか。
 同じ花でも咲き始めの頃と盛りの頃とで色を変えます、とか、こだわったわけだ。
「そこまでしてたの!?」
「他にも季節に合わせて色々とな。秋の紅葉とか、冬の氷とか」
 もちろん自然素材の色だぞ、合成の染料なんかは無かった時代だ。
 それだけバラエティー豊かに染めていたんだ、地味どころかうんと華やかだったさ。



 遥かな昔には自然の染料だけで様々な色があったと言うから。
 シャングリラの中でも同じことが出来たかもしれない、とブルーは考えた。
「そっか…。だったら、シャングリラでも沢山の色を作れていたかも…」
「努力してれば出来たかもなあ、前のお前の苦労が増えるが」
 あの頃のシャングリラにあった植物だけでは全然足りなかっただろうしな。
「苗を調達しろってことだね、草とか、木とかの」
「そういうことだ。色を染める以外にも役に立つ植物と言ったら紅花とかか」
「紅花って油を採るんじゃないの?」
 食用油として有名だったから、それしか知らなかったブルーだけれど。
「あれは本来、染料だ。紅花という名前があるくらいだから、赤色だな」
 ジョミーのマントを染めるんだったら紅花になるか…。
 もっとも染料は油と違って簡単には出来ん。
 油は種を搾れば出来るが、染料の材料は花びらなんだ。
 そいつを摘んで、うんと手間暇をかけて赤い染料が出来上がる。
 サフランと同じで高価だったそうだ、沢山の花からほんのちょっぴりしか採れないからな。



「紅花から赤が採れるんだったら、お赤飯も出来る?」
 ジョミーのマントみたいに鮮やかな赤だ、とハーレイに訊かされて、そう思ったのに。
 「油はともかく、染料の方は食用じゃない」と笑われた。
 食べても害は無いのだろうが、お赤飯を染めるには高価に過ぎると。復活してきた文化の一つで今も作られてはいるのだけれども、手間がかかる分、値段も張ると。
「紅花の赤で赤飯を染めたら高いだろうなあ、色は鮮やかかもしれんがな」
「キビガラだったらうんと安いの?」
「そりゃなあ、キビの実の殻だしな?」
 本来は捨てるような部分だ、高くなるわけがないだろう。
「キビガラでも充分綺麗だしね」
 それに美味しい。
 キビガラの味かどうかは知らないけれども、美味しいお赤飯だったよ。
「おっ、そうか?」
 お前、少ししか食わなかったから心配だったが…。
 そうか、美味いか。
 俺のおふくろもキビガラ派で、作り方はコレと同じだからな。
 楽しみにしてろよ、いずれ食わせてやるからな。



 きっと張り切って作るだろう、とハーレイはブルーに微笑みかけた。
「うんと沢山作ると思うぞ、お前を連れて行ったらな」
 親父と二人で糯米を蒸して、ドッサリだ。
 栗の季節なら栗もたっぷり入れるだろうなあ、クチナシで染めて。
「…ぼく、そんなに沢山食べられないよ?」
 お茶碗に一杯くらいだと思うよ、二杯は無理。
 沢山作らなくてもいいって言っておいてよ、お母さんたちに。
「お前が食うかどうかはともかく、配って回らんといけないからなあ…」
「えっ?」
 どうして配るの、と驚くブルーに、ハーレイがパチンと片目を瞑る。
「俺が未来の嫁さんを連れて行くんだぞ?」
 目出度いじゃないか、親父とおふくろにしたら。
 これを祝わずにどうするんだっていうことになるだろ、幸せな気分をお裾分けしなきゃな。
 そりゃもう沢山の赤飯を作って、隣近所に配って回るだろうさ。
 ちゃんと庭の南天の葉っぱも添えてな。
 マーマレードを配っている範囲に配りに行くのは確実だな、うん。



「そうなるわけ!?」
 ブルーの頬が真っ赤に染まった。
 いつか隣町にあるハーレイの両親の家に出掛けて行ったら、作られるというお赤飯。
 おめでたいからと隣近所に配られるらしい、南天の葉を添えたお赤飯…。
 嬉しいけれども、恥ずかしい。
 ハーレイのお嫁さんになれることはとても嬉しいのだけど、お赤飯を配られてしまうだなんて。
「…それじゃ、ハーレイが結婚すること、アッと言う間にご近所さんに…」
「広がるだろうなあ、お前が俺の家でのんびり赤飯を食ってる間に」
 ついでにお前を見たいって人も多いと思うぞ。
 俺がガキだった頃から馴染みのご近所さんたちだ。
 どんな嫁さんを貰うことにしたのか、見ようと集まってくるかもな?
「…そうなっちゃうの?」
「生垣越しに中を覗いている人がいたらだ、庭に出て手を振ってやるといい」
 とびきりの笑顔で手を振ればいいさ、向こうさんだって手を振ってくれる。
 なんたって俺の未来の嫁さんだからな。
「手を振るだけでいいの? ご挨拶じゃなくて?」
「そこまで堅苦しいことは要らんさ、昔の地球じゃないんだからな」
 俺が嫁さんを貰う、それだけのことだ。
 挨拶はいずれ道とかで会った時でいいのさ、ペコリと頭を下げるだけでな。



 ずっと昔は挨拶も大変だったらしいが、とハーレイはSD体制よりも遥かな昔の習慣をブルーに教えてくれた。
 近所や親戚の家を回って結婚の報告をしていたものだと、菓子折りなども持って行ったのだと。
「何を持って行くかは、同じ日本でも場所によって違ったという話だが…」
 その時の作法も色々なんだが、とにかく面倒なものだったんだ。
 お前がそういう挨拶を是非やりたい、と言うんだったら調べてやらないこともない。
 親父もおふくろも昔の習慣とかが好きだし、喜んで協力してくれるだろう。
 お前、そういった挨拶をして回りたいか?
「それ、ハーレイも一緒に来てくれるの?」
「お前が行きたいんだったら止めはしないし、必要とあらば一緒に行くが?」
「えーっと…」
 それって、ちょっぴり恥ずかしくない?
 ぼくがハーレイのお嫁さんです、って顔を見せに出掛けて行くんでしょ?
 お嫁さんだったら、ホントに本物の恋人同士…。



 前の生ではハーレイと結ばれていたブルーだったけれど、今はキスすら出来ない仲。
 晴れて本物の恋人同士となり、それを公表できる機会が結婚。
 そういう仲になったんです、と隣近所に挨拶をしに行ける度胸はブルーには全く無かった。
 ところが結婚相手となるハーレイの方は澄ましたもので。
「恥ずかしいだと? 俺はお前をあちこち自慢して回れるんだから、何ともないが?」
「平気なの!?」
 どうしよう、とブルーは耳の先まで真っ赤になった。
 挨拶は出掛けなくてもかまわないとして、ハーレイの母が作って配るというお赤飯。隣町にある家を訪ねたら、「ハーレイがお嫁さんを貰うから」と配られるらしいお赤飯。
 お赤飯を貰った人たちはブルーがハーレイと何をするのか、当然、知っているわけで。
 ハーレイがどういう相手とそれをするのか、ブルーの顔を見に来るわけで…。
(…ど、どうしよう…)
 恥ずかしすぎる、と俯くブルーに、ハーレイがクックッと喉を鳴らして。
「その調子だと挨拶回りは無理だな、おふくろの赤飯に期待しておけ」
 ご近所さんにドカンと配ってくれるさ、うちの息子が今度結婚するんです、とな。
 キビガラで沢山の糯米を染めて、庭の南天の葉っぱを添えて。
「もしかして、初めて行ったらそれなの!?」
 悲鳴にも似たブルーの声に、ハーレイはプッと吹き出した。
「まさか。最初は遊びに行けばいいのさ、普通にな」
 そして親父と釣りに行くとか、キャンプ場に遊びに出掛けるとか。
「…良かったあ…」
 ホントに良かった、とブルーは安堵したのだけれども。



「良かった、か…。いつまでそう言っているものやら…」
 今年いっぱい持つかどうか、とハーレイが難しい顔をしてみせるものだから。
 「なんで?」と首を傾げたブルーに、笑いを含んだ答えが返った。
「俺が思うに、じきに変わるぞ、お前の台詞」
 早く赤飯、と俺にせっつくんだ。
 親父とおふくろの家に早く連れて行けと、そして赤飯を配って貰うんだと。
 お前の夢は結婚だろうが、その前に赤飯を配らないとな?
「そ、そっか…」
 じゃあ、お赤飯! とブルーは叫んだ。
 早くお赤飯を配って欲しいと、ハーレイの母にキビガラで染めるお赤飯を作って欲しいと。
 専門の店と同じように蒸して作った、絶妙な塩加減のお赤飯。栗の季節ならばクチナシで染めた黄色い栗がたっぷりと入るお赤飯。
 庭にある南天の葉っぱを添えて、折箱に詰めて配って欲しい。
 今度ハーレイが結婚するのだと、おめでたいからお赤飯を沢山作ったのだ、と。



「ふむ…。この赤飯はまさしくおふくろの味なわけだが」
 そして本格派の赤飯なんだが、とハーレイはテーブルに置かれた折箱を指差した。
「俺はとりあえず軽く一杯食ったが、お前は少ししか食ってないしな?」
 お前のお母さんに昼もこれにします、と言っておいたから、昼飯には温め直してくれるだろう。「お赤飯にピッタリのおかずを作りますわね」とも言っていたなあ、お母さんは。
 何を作ってくれるのか知らんが、一つそいつで前祝いといくか?
 いずれお前が俺の家に来て、おふくろが赤飯を配りに行く日の前祝いだ。
「気が早すぎだよ!」
 何年先の話になるわけ、とブルーは頬を膨らませたけれど。
 いつかはハーレイの母がキビガラで染めた糯米を蒸して、お赤飯をドッサリ作ってくれる。
 ハーレイがブルーを嫁に貰うのだと、お祝いなのだと隣近所に配ってくれる。
 その日が来たなら、ハーレイとの結婚はもうすぐそこ。
 今はまだチラリとも見えない何年も先の話だけれども、ハーレイと結婚して一緒に暮らせる。
 百五十センチしかない自分の背が伸び、百七十センチになったなら。
 ソルジャー・ブルーだった前の自分と同じ背丈になったなら…。



(それと、結婚出来る年だよ)
 十四歳の小さな自分が十八歳の誕生日を迎えたら結婚出来る年。
 背が伸びて、十八歳になったらハーレイと結婚することが出来る。
(…お赤飯、早く配って欲しいな…)
 キビガラで染めたお赤飯。
 ハーレイが買って来てくれたお赤飯と同じ味がする、南天の葉を添えたお赤飯。
(もうちょっとだけ食べてみようかな?)
 ほんの少し、と杓文字で掬って、自分の茶碗に二口分ほど入れてみた。
 箸で口へと運んでみれば、ほんのりと感じる優しい塩味。
 本物はいつになるのか分からないけれど、これがハーレイの母の味かとブルーは思う。
 早く配りたいような、恥ずかしいような、と頬をちょっぴり桜色に染めて……。




         お赤飯・了

※いつかハーレイと結婚する時は、配られるらしいお赤飯。ハーレイの母が炊いたのが。
 今は恥ずかしがるブルーですけど、その時が来たら、幸せ一杯の筈ですよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv





Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]