シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
秋のお彼岸が済んでから十日ほどが経った、ある日の放課後。衣替えの時期ですけれども残暑が厳しい年もあることから今は移行期、半袖で登校も許されます。私たち七人グループは長袖、半袖が混ざっていますが、キース君は流石のキッチリ長袖。
「暫く休んで済まなかった。俺がいなかった間に何かあったか?」
「何も無かったけど? 残念ながら」
会長さんが即答しました。キース君が欠席していた三日間の間は平穏無事。特に報告事項も無くて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいつものようにお菓子の用意をしています。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい? 今日は胡桃のタルトなんだけど」
「ぼく、紅茶!」
「俺はコーヒーで頼む」
ジョミー君を筆頭に皆が注文、アッと言う間にテーブルにおやつが並びましたが。
「ちょっと待ってくれ、これもあるんだ」
キース君が紙袋から包装された箱を取り出して。
「つまらないものだが、皆で食べてくれ。俺の土産だ」
「ふうん…。本当につまらないねえ」
芸が無いよ、と身も蓋も無い会長さん。キース君のお土産の包み紙には銘菓の文字があり、旅行先だった地方の名所旧跡のイラストも入っているのですけど、モノはありふれた御饅頭。遠慮なく箱を開けた会長さんが配ってくれてケーキより先に頬張ってみても…。
「普通だよな?」
サム君がモグモグと口を動かし、シロエ君が。
「あえて言うなら蕎麦饅頭ってヤツですか? 中は漉し餡なんですね」
「何処でも売っていそうよ、これ」
包装を変えただけじゃないの、とスウェナちゃん。会長さんが「うんうん」と。
「販売者じゃなくて製造元が書いてあるのは確かだけどさ…。もっと捻りが欲しかったよね」
「やかましい! 土産物を買うのに製造元が地元のを探すのは大変なんだぞ!」
大抵の土産は販売者名だ、とキース君が反論を。
「それだと下手をすれば全国チェーンで名称が違うだけだしな。これでも俺は頑張ったんだ!」
「そうだろうけど…。別に何でも良かったんだよ、ウケ狙いでもさ」
サファリパークにも行って来たくせに、と会長さんは不満そう。ライオン饅頭だとかキリン煎餅が欲しかったんでしょうか、そんな商品が存在するかは謎ですけれど…。
キース君が出掛けた旅行は二泊三日。メインは温泉、それと周辺の観光です。ただし普通のツアーではなく、キース君の属する宗派の青年会の支部が主催の親睦旅行。つまり参加者はもれなくお坊さんだというわけで。
「坊主がサファリパークかよ…。似合わねえよな」
なんかイマイチ、とサム君が言えば、キース君が。
「…その辺もあって、じっくり土産を探せなかった。ウケ狙いは俺も考えたんだが」
「えっ、なんで?」
気にせず選べばいいじゃない、とジョミー君。
「他の人のことは知らないけどさ、キースって普通に髪の毛あるし…。旅行じゃ法衣も着てないだろうし、営業妨害じゃないと思うな」
「ですよね、墨染に袈裟のお坊さんがゾロゾロいたら問題あると思いますけど」
お葬式を連想しますし、とシロエ君も同意。でもキース君は「それが…」と口ごもって。
「サファリパークに限らず、何処でも肩身が狭かったんだ。添乗員さんが真面目な人でな」
「「「は?」」」
添乗員さんが真面目だったら何がいけないというのでしょう? 何かと遅れがちな旅のスケジュールをやりくりしながら必要な時間をたっぷり取ってくれそうですが?
「よく通る声の若い女性で、実に有能な人だった。行く先々で点呼を取って、集合時間とかもキッチリ教えてくれるんだが…。問題は点呼とかなんだ」
「それって普通じゃないですか?」
揃ってますかと訊くヤツでしょう、とシロエ君が確認すると。
「まあ、普通だが…。俺たちのグループがマズかった。どこそこの団体さんはおられますか、と大きな声で言うだろう? そこで呼ばれるのが「アルテメシア組の皆さん」なんだ」
「「「アルテメシア組?」」」
「俺たちの宗派は地方によって教区が分かれる。その中で更に地域別に細分化をして組になるんだが、元老寺はアルテメシア組に属するわけだ。その組の名前で呼ばれてみろ!」
「何かマズイわけ?」
ジョミー君の素朴な疑問に、キース君は。
「組と言ったらヤクザだろうが! おまけに殆どが坊主頭の団体だ! そうでなければ建設業でも通りそうだが、坊主頭だけはマズイんだ!」
「「「あー…」」」
ヤクザの旅行と間違われたわけか、と同情しきりな私たち。それじゃ土産物もゆっくり選んでられないでしょう。周囲の視線が突き刺さりますし、店員さんだって怯えますってば…。
お坊さんとは正反対な稼業のヤクザの団体。行く先々でアルテメシア組の名を連呼されたキース君の旅行ですけど、サファリパークは楽しめたようで。
「土産物こそ買えなかったが、面白かったのはダチョウだな」
「「「ダチョウ?」」」
「記念写真を撮れるんだ。ダチョウに乗ってな」
こんな感じで、と見せて貰った写真の中ではキース君の友人らしい私服のお坊さんがダチョウの背中に乗っていました。へえ、ダチョウって乗れるんだぁ…。
「俺も一応、乗ってみたんだぞ? まあ見てくれ」
次の写真はダチョウの背中に颯爽と跨るキース君の姿。
「オプションで乗って走れるコースもあったが、そっちは時間が足りなくてな」
走ったヤツは誰もいない、とキース君は少し残念そう。
「乗り心地はともかく、鳥の背中に乗れるだけでも面白い。それで走れるなら楽しそうだが」
「うん、本当に楽しそうだね」
乗りたいかも、と相槌を打った声は会長さんにそっくりでしたが、その声は何故か背後から。
「「「!!?」」」
「こんにちは。胡桃のタルトとキースのお土産の御饅頭だって?」
ぼくにもよろしく、と優雅に翻る紫のマント。現れたソルジャーはソファに腰掛け、早速紅茶を注文しました。
「ダチョウって何処で乗れるんだい? ぼくもチャレンジしたいんだけど」
「…乗るだけだったらダチョウ牧場があるよ」
会長さんの台詞に「えっ?」と驚く私たち。それって何処にあるんですか?
「アルテメシアのすぐ近く。車だったら半時間もあれば着く所だね」
行ってみるかい? と会長さん。
「キースも未練があるみたいだし、ブルーも行きたいと言ってるし…。どうせならダチョウレースをお願いするのもいいかもね」
「「「ダチョウレース?」」」
「グループで申し込めるんだよ。コースがあってさ、ダチョウに乗って競馬よろしく疾走するわけ。ただしダチョウは乗って走るのが難しい。鞍も手綱もついてなくって、翼の付け根をしっかり握ってしがみつくだけだと聞いてるね」
やってみたい? という問いに瞳を輝かせる男子たちとソルジャー。もちろん小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「かみお~ん♪ ぼく、乗りたい!」
ダチョウさんに乗って走るんだぁ! と拳を突き上げ、やる気満々。どうやら次のお出掛け先はダチョウ牧場になりそうですねえ…。
こうしてダチョウ牧場行きが決定しました。行楽の秋とはいえ、ダチョウ牧場はそんなに混んではいないスポット。今週末でも良かったのですが、キース君が旅行帰りとあって来週の土曜日に行くことに。早速、会長さんが電話をかけて…。
「うん、オッケー! ダチョウレースは貸し切っといた。でないと落ちた時に晒し者だし」
見物客がいた場合、と説明されて納得です。無様な姿は他人様には見られたくないもの。乗り方が難しいダチョウともなれば尚更で。
「えーっと、それって練習できるの?」
当日までに、とジョミー君が訊けば、会長さんは素っ気なく。
「自分で行ってくるならね。放課後の自主練、大いに歓迎。今度の土日も行っておいでよ」
「面倒だし! 他に行く人がいるならいいけど…」
誰か一緒に、とキョロキョロ見回すジョミー君ですが。
「ぶっつけ本番でいいじゃねえかよ。みんなそうだぜ?」
サム君が突き放し、キース君も。
「普通はぶっつけ本番だろう? 運だめしってことで俺は落ちても気にしない」
それも一興、との意見にソルジャーが。
「だよねえ、ぼくも自分の運動神経に賭けたいな。サイオンは抜きで」
一応自信はあるんだよね、とバランス感覚を自慢しています。
「ブルーも乗るだろ、サイオン抜きでね」
「うーん…。正直、ぼくは自信が無いんだけれど…。まあ、いいか」
落っこちた時はサイオンでガード、と会長さんもサイオン抜きを選択しました。これはなかなか楽しいレースが見られるかもです。えっ、自分の立場はどうしたって? スウェナちゃんと私は見学ですとも、記念撮影だけで充分満足。でもって、会長さんたちは…。
「そうだ、ハーレイも呼ぼうかな? サイオン抜きなら」
あの体格なら落っこちそうだ、とほくそ笑む会長さんに、ソルジャーが。
「それはどうかなぁ? 柔道とかで鍛えてるんだし、バランス感覚は良さそうだ。…ぼくのハーレイはどうだろう? ハーレイ同士で技を競うのもいいかもね」
「いいね、たまには健康的にスポーツなんかもお勧めするよ」
普段はロクな目的で来ないから、と会長さん。
「ちょうどスポーツの秋だしさ! こっちのハーレイは誘っておくから、君たちも二人で来るといい。ぶるぅも呼んであげたいけれどさ、悪戯がね…。ダチョウは怒ると怖いんだよ」
「そうなのかい? だったら、ぶるぅは留守番だね」
危険は回避しなくっちゃ、とソルジャーはキャプテンとの二人参加を決めました。ダチョウ牧場とレース、楽しみですよね!
その週末の日曜日。会長さんの家でピザ食べ放題のパーティーをしていた私たちの前に、いきなりソルジャーが現れて。
「ぼくにもピザ! そこのと、それと…」
誰もどうぞと言っていないのに椅子に座って好みのピザを鷲掴み。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が取り皿を持って来るよりも先に齧りついています。
「うん、美味しい! でもってダチョウも美味しいってね?」
ダチョウ牧場のメニューを覗き見したよ、とソルジャーは食い意地MAXで。
「ダチョウの卵のオムライスとか、チーズケーキとか、プリンとか! 丸ごとの目玉焼きなんかも捨て難いよねえ、もちろんダチョウステーキも! 当然、食べに行くんだろう?」
「そりゃあ、もちろん」
ダチョウレースでお腹もすくし、と会長さん。
「ハーレイを呼ぶから予算の方も心配いらない。好きなだけ食べて大満足だね」
「嬉しいなぁ。ぼくのハーレイもダチョウ料理でパワーアップだ」
「パワーアップ?」
なんでまた、と会長さんは首を傾げて。
「ダチョウ料理はヘルシーなのが売りなんだよ? 高たんぱく質、低脂肪、低カロリーってことで注目されてる食材なんだ。ダイエット志向の女性はもとより、メタボ気味な男性にもお勧めで」
「えーーーっ? 精がつくんじゃないのかい?」
そんな馬鹿な、と素っ頓狂な声を上げるソルジャー。
「だってダチョウって、絶倫だろう? 一夫多妻でヤリまくりの!」
「「「は?」」」
いったい何処からそんな話に、と誰もが顔を見合わせましたが。
「調べたんだよ、せっかくダチョウに乗るんだからね! ライブラリの資料じゃイマイチだったし、ノルディの家でパソコンを借りた。そしたらノルディが手伝ってくれて」
「…どんな風にさ? ガセ情報でも仕入れたんだろ?」
あのノルディならやりかねない、と会長さんが指摘したのをソルジャーはフンと鼻で笑って。
「甘いね、ノルディはきちんとダチョウ牧場について調べてくれたよ。…検索ワードが絶倫だったことは認めるけどさ」
でも本当に本物のダチョウ牧場のホームページが見付かったのだ、と胸を張るソルジャー。
「実はダチョウはスゴイんです、って書いてあったよ、取材に入った記者の視点で!」
「「「………」」」
どうスゴイのだ、と訊きたいような聞きたくないような。ダチョウってホントに凄いんですか?
「いやぁ、この時期で良かったよ。冬は繁殖期じゃないらしくって」
卵も産まないらしいんだよね、と話し始めたソルジャーは顔を輝かせて。
「そして繁殖期のダチョウってヤツは凄いんだ。一羽のオスにメスが二羽、三羽は当たり前! それを殆ど百発百中、有精卵の率も高いんだってさ。だから美味しい!」
「…それで? 有精卵の料理を食べてあやかりたいと?」
会長さんが突っ込みを。
「残念だったね、卵の方もヘルシーだから! 精がつくようなモノじゃないから!」
「そっちの方はいいんだよ。あやかりたいのはダチョウのパワーで、料理じゃないし!」
まあ聞きたまえ、とソルジャーの瞳がキラキラと。
「ダチョウが普通の鳥と違うのは知っている?」
「…飛べねえよな?」
サム君が真っ当な意見を述べた横から、キース君も。
「飛べない鳥なら他にもいるが、走る速さは馬並みらしいな」
「そう、馬並み! 時速七十キロまで出せるんだってさ、直線コースなら馬にも負けない」
でもそれだけじゃないんだな、とソルジャーは膝を乗り出して。
「馬並みと言えば有名な例えがあるんだってね?」
「「「は?」」」
「大事な部分が大きいこと! 男の分身で息子とも言うヤツ」
「退場!!!」
会長さんがレッドカードを突き付けましたが、ソルジャーに効果がある筈もなく。
「まだ猥談はしてないよ? ダチョウの話をしてるだけでさ」
しれっとした顔で返したソルジャー、更に続きを。
「ダチョウが他の鳥と決定的に違う部分は飛べない所じゃないんだな。飛べない鳥はダチョウの他にも沢山いるだろ? ダチョウのオスには大事な息子がついている。これが重要!」
「えっ? 鳥ってどれでも…」
交尾するよね、という後半部分をジョミー君は口にしませんでした。けれど誰もが思いは同じ。鶏にしたって有精卵を売ってるってコトは、それなりに…。
「違うよ、ダチョウと白鳥と鴨とか以外の鳥にはくっついてないんだってば! 代わりに専用の器官があってね、それを使って交尾するわけ。だからメスが合意しないと交尾は出来ない」
そんな話は初耳でした。そっか、ダチョウって他の鳥とは違うんだ…。って言うより、他の鳥の方が犬とか猫とかの動物とは違う身体の構造なんだ?
「知らなかったんだ? というわけで、ダチョウの凄さはここからなんだよ」
ぜひ聞いてくれ、とソルジャーは生き生きしていますけど。その話、聞いても大丈夫?
普通の鳥とは違っているらしいダチョウの身体。ソルジャーはエロドクターの力を借りて色々調べてきたようです。ん? エロドクター? なんだかとてつもなく嫌な予感が…。
「それでね、さっきの馬並みだけどさ…」
もうこの部分が最高で、とソルジャーは拳を握りました。
「ダチョウのアレって、サイズが半端じゃないんだよ! 首の半分はあろうかっていう特大サイズで、それを駆使してメスとガンガン交尾するわけ!」
凄いだろう、と胸を張られましても、どう返したらいいのやら。けれどソルジャーは滔々と。
「おまけにアレを持ってる所が素晴らしい。使い物になる状態であればガンガンやれるし、メスの合意は要らないってさ。つまりレイプも可能ってことで」
「その先、禁止!」
会長さんの必死の制止もソルジャーには届いていませんでした。
「自分さえ準備オッケーだったら相手を選ばずヤリまくる! それにさ、オスの準備が整っていれば人間がお手伝いもしているようだし」
「「「は?」」」
「分からないかな、ダチョウのアソコを丁重に持って、メスに突っ込んであげるわけ! そうすれば目出度く有精卵が出来るってことで、ダチョウ牧場では普通らしいよ?」
この図太さも素晴らしすぎだ、とソルジャーは感慨深げです。
「ぼくのハーレイは見られていると意気消沈だって言ってるだろう? なのにダチョウは見られるどころかお手伝いまでされてもOK! 馬並みといい、図太さといい、これにあやからずしてどうすると? そのためには食べてパワーを充填!」
精力のつく料理でなくても効果が無いとは言い切れない、と語るソルジャー。
「そしてダチョウの交尾ってヤツも本当に凄いらしいんだ。オスがね、メスにドサッと乗っかって腰を揺すってウンウンと…。それは気持ち良さそうにヤッてるんだって書いてあったし!」
この辺も夜の生活の基本、とソルジャーはパチンとウインクしました。
「気持ち良さそうに交尾する動物って、あまり聞いたことないだろう? ダチョウは実に素晴らしいよ。そんなダチョウを無事に乗りこなして、美味しい料理をしっかり食べれば御利益の方もバッチリだよねえ?」
ハーレイの中にダチョウのパワーを取り込むのだ、と燃え上がるソルジャーは、自分や会長さんや男の子たちも同じコースを歩む事実を綺麗に忘れているようです。ダチョウレースとダチョウ料理で変なパワーが身につくのなら、誰もやりたがらないと思いますけどね?
そんなこんなで思考がブっ飛んでしまったソルジャー、ダチョウのパワーを教頭先生にも伝えておきたいと言い出しました。教頭先生が会長さんに惚れ込んでいることを踏まえてです。
「ダチョウレースに参加する以上、知っておくべきだと思うんだよ」
「迷惑な! 第一、ハーレイはパワーにあやかる以前だし!」
そもそも相手がいないんだから、と会長さんは突っぱねましたが、次の瞬間、青いサイオンがパァッと走って教頭先生が私たちのいるダイニングに。
「…??? どうしたのだ?」
「やあ、ハーレイ。ちょっと伝えたいことがあってね」
ピザはすっかり食べちゃったんだけど、と舌をペロリと出すソルジャー。
「だけど話は美味しいと思うよ、聞いといて損はしないから!」
ぼくのお勧め、とダチョウの凄さを喋りまくるソルジャーと、耳まで真っ赤になった教頭先生と。鼻血レベルではないようですけど、刺激的な内容に違いはなくて。
「…というわけでね、今度の土曜日のダチョウレースは心して挑むべきだと思うよ」
何が何でもゴールイン、とソルジャーはニコリ。
「君はいわゆる攻めだろう? いや、まだ実践には至ってないけど、ブルーとヤるなら当然、君が攻めだよね? 攻めを目指すならダチョウくらいは乗りこなすべき!」
嫌がる相手にものしかかってこそ、と焚き付けるソルジャーに会長さんが眉を吊り上げて。
「のしかかられる趣味は無いけれど?」
「ご愛敬だよ、その点は! ダチョウはレイプも可能な変わり種の鳥! その勢いでいつかは嫌がる君を組み敷くのも男の甲斐性! そうだろ、ハーレイ?」
「…は、はあ…。まあ…。しかし、私は…」
「ブルーの嫌がることはしないって? それもいいけど、パワーは大切!」
まずはそこから、とソルジャーは力説しています。
「ダチョウレースで見事なゴールを披露するのも今後のための布石だよ。ダチョウは意中のメスを相手にダンスでアピールするそうだ。そんな感じでブルーに君のパワーをアピール!」
不幸にして落ちても追いかけて乗れ、と言うソルジャー。
「時速七十キロの相手を追うんだ、カッコイイなんてレベルじゃないよ? 追い付く自信が無いというなら落ちても根性でしがみつく! 背中に乗り直すのが不可能だったらダチョウを担げばいいと思うな」
ダチョウには足があるんだし、とソルジャーは斜め上な提案をかましました。
「あの長い足を肩に担いで肩車! それで疾走してゴールインするのも素晴らしいよね」
健闘を祈る、と言われた教頭先生、ダチョウパワーに圧倒されたか、はたまた妄想爆発か。ダチョウレースで会長さんにアピールする、と決意も新たにしておられますが、はてさて、結果はどうなりますやら…。
ダチョウレースに遊びしか求めていない面子と、ダチョウパワーを夢見るソルジャー夫妻と、ソルジャーに丸め込まれてレースに挑む教頭先生と。土曜日を迎えて、会長さんのマンションに集合してからマツカ君が手配してくれたマイクロバスに乗り、ダチョウ牧場に到着です。
「わぁーい、ダチョウさんが一杯だぁ~!」
何処で乗れるの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大はしゃぎ。まずは牧場を見学してから、レースに備えて腹ごしらえというコースですけど…。
「…うーん…。何処に行ったらやってるんだろう?」
ソルジャーの疑問に、会長さんが。
「ダチョウレースは一番奥に専用のコースがあるらしいよ。今日は貸し切りだし、行っても見学出来ないさ」
「それは知ってる。ダチョウレースは後でいいんだ。そうじゃなくって、肝心のアレ」
「何さ?」
「ダチョウの馬並み!」
走りじゃなくて、と言い放ったソルジャーの肩を会長さんの手がピシャリと一撃。
「いたたたた! 何するのさ!」
「君が悪いんだろ、場を弁えずに発言するから!」
「でもさあ、せっかく来たんだし…。こんなに沢山ダチョウがいるんだし、見学しないのは損だと思う。…ハーレイ、お前もそうだろう?」
見たいよねえ、と話を振られたキャプテン、頬を染めてゴホンと咳払い。
「そ、それはまあ…。凄いと話を伺いましたし」
「あの首をごらんよ、あんなに長い首の半分もあるんだよ? お前の何倍くらいだろうねえ…」
「…も、申し訳ございません…」
「いいって、いいって! 人間は人間に見合ったサイズってヤツがあるからね」
お前は大きい部類の筈だし、と嫣然と笑まれてキャプテンは真っ赤。その顔色にも負けない色をしたレッドカードを会長さんが突き付けているのに、ソルジャーは我関せずと。
「見るだけで御利益ありそうだしね? 絶対、現場を見なくっちゃ!」
馬並み、馬並み、と連呼するソルジャーが先頭に立ってキャプテンと腕を組みつつ牧場見学。私たちは恐ろしい現場に出くわさないよう祈るばかりです。…と、行く手に現れたおじさんが一人。
「見学かい? ダチョウのアソコはホントのホントに大きくてねえ…」
いきなり話し掛けられて目が点ですけど、馬並み発言が聞こえていたに違いありません。
「交尾をね、さっきもやっていたんだけど、見た?」
「えーーーっ!? 何処で?」
ソルジャーが大声を上げ、おじさんが。
「見逃したんだ? 残念だねえ」
ハッハッハ…と呵々大笑して去ってゆくおじさんは牧場のオーナーさんでした。「またその内にやり始めるから」と言われたソルジャー、それから後は右へ左へ。呪文の如く「馬並み、馬並み」と唱える姿が怖いですってば…。
ソルジャーの歩くコースが悪かったのか、ダチョウにその気が無かったのか。幸いなことに絶倫を誇るダチョウがパワーを発揮する現場には出くわさなくて済みました。そろそろ昼御飯の時間です。予約しておいた食堂に行くと、テーブルの上に大きなホットプレートが。
「何するんだろ、これ?」
ジョミー君が指差し、シロエ君が。
「…ステーキでしょうか? なんだか雰囲気イマイチですけど」
「だよなあ、ステーキも焼けるけどよ…」
焼いて鉄板に乗せて来るのがいいよな、とサム君がぼやいた所へ食堂のおばさんが大きな卵を抱えて来ました。大きいなんてものではなくて桁違い。
「はい、お待たせ~。ダチョウの目玉焼き、始めましょうね」
なんと卵を割るための道具がハンマーなどの日曜大工の世界なアイテム。分厚い殻をガンガンと割って取り除いていき、中身が見えるようになったらホットプレートの上にドロリと。超特大の目玉焼きが出来るまでの間にオムライスとステーキが出て来ました。うん、美味しい!
「いいね、これ! はい、ハーレイ。あ~ん♪」
「どうぞ、ブルー。あ~ん♪」
「「「………」」」
始まりました、バカップル。見ないようにと食事に集中、視線はホットプレートへも。固まりにくいというダチョウの卵の目玉焼きが焼けて切り分けられると、バカップルはこれまた「あ~ん♪」で、デザートのチーズケーキとプリンは甘いものが苦手なキャプテンの分までソルジャーが。
「ありがとう、ハーレイ。でもさ、ちょっとは食べてよね。あやからなくっちゃ」
「そうですね。ダチョウのパワーは凄いのでしたね」
「馬並みだしね? はい、あ~ん♪」
バカップルのやり取りを教頭先生が涎の垂れそうな顔で見ていて、会長さんに。
「…ブルー、そのぅ…。よかったら、私のケーキとプリンを…」
「くれるって? ブルー、君のぶるぅに差し入れはどう?」
ハーレイが気前よくくれるらしいよ、と会長さんはマッハの速さでソルジャーに回し、教頭先生の愛が詰まったケーキとプリンは空間を超えて「ぶるぅ」の胃袋に収まった模様。
「ぶるぅが御礼を言ってたよ。ありがとう、ハーレイ」
「い、いえ…。御礼でしたらブルーの方に…」
悄然と項垂れる教頭先生ですが。そもそも甘い食べ物は苦手なんですから、会長さんに譲った所で愛情は評価されないですよ?
昼食が終わって一休みしたら本日のハイライト、ダチョウレース。ダチョウの放牧場を抜けてゆく間もソルジャーは交尾中のダチョウを求めてキョロキョロと。ついに見付けられないままにレース場へと到着です。おおっ、ゲートもあって本格的~!
「かみお~ん♪ ダチョウさん、決めていい?」
どれに乗ろうかなぁ、と飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお目当てのダチョウを決めると、他の面々も係員の人と相談しながらダチョウ選び。教頭先生とキャプテンには一際大きな身体のダチョウが選ばれました。
「いいですか、乗る時は翼の付け根をしっかり握って下さいよ。落ちたらすぐに逃げて下さい」
でないと蹴られますからね、と係員さん。しかしソルジャーは…。
「えーっと、ハーレイ? お前じゃなくて、そっちのさ…。落ちて逃げたらカッコ悪いよ?」
「分かっております。何が何でもゴールインでしたね」
ブルーにアピールするためにも、と胸を叩いておられる教頭先生。会長さんは「やれやれ」と。
「ぼくはどうなっても知らないからね? そもそも今日は反則無しだし」
あえてサイオンと言わない会長さんに、ソルジャーも。
「そうだよ、ぼくも頑張るつもり。ダテに場数は踏んでいないさ」
まあ見ていろ、と嘯くソルジャーを筆頭に会長さんや教頭先生、男の子たちもダチョウの背中に。スウェナちゃんと私もダチョウに乗って記念撮影タイムです。それから皆のゲート入りを見届け、スウェナちゃんと私は観覧席へ。間もなく係員さんが旗を振り上げ、ゲートが開いて。
「うわぁーっ!!」
猛ダッシュのダチョウから一番最初にジョミー君が落ち、続いてサム君。柔道部三人組は頑張ったものの、マツカ君、シロエ君、キース君の順にコースに落下。会長さんとソルジャーは共に見事な走りっぷりで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がその後ろを。おおっ、ソルジャー、ゴールイン!
「やったね、勝った!」
ガッツポーズで飛び降りるソルジャーに続いて会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も走り込みましたが、教頭先生とキャプテンのダチョウはスピードの方がイマイチです。やっぱり二人とも重いですし…って、うわぁ、同時に落ちちゃったぁー!
「「「!!?」」」
転げ落ちたキャプテンはコース外に退避したのに、教頭先生はダチョウの足を両手でガッツリと。弾みで転倒したダチョウを担ぎ上げ、バタバタ暴れる足を掴んで肩車よろしくノッシノッシと…。ほ、本気ですよ、ソルジャーに唆されたとおりにダチョウを担いで歩いてますよ~!
「き、危険です! 放して下さい、ダチョウは怒ると非常に危険で!」
係員さんの絶叫も聞かずにノシノシと。会長さんのハートを射止めるためならダチョウを担いで肩車ですか、そうですか…。
早々に落ちた男の子たちや、ゴールインした会長さんたちが見守る中を教頭先生はダチョウの足をしっかり握ってゴールへと。やっぱりここは拍手でしょうか? あれっ、ゴールでダチョウを回収していた係員さんたちが逃げましたよ? なんで?
「ブルー、ゴールだ! 見てくれたか!?」
教頭先生が高らかに叫び、ダチョウを肩から地面に下ろしたその瞬間。前向きに下ろされたダチョウがクルリと教頭先生の方に向き直り、思いっきり足を蹴り上げました。ゲシッという鈍い音に合わせて『キーン!』と思念でアフレコした人がソルジャーだったか会長さんかは分かりません。
「……ぐうっ!!」
教頭先生、股間を押さえて地面に転がり、まさに悶絶。まだ蹴り付けようとするダチョウを係員さんたちが網で取り押さえ、間もなく担架が運ばれて来て。
「大丈夫ですか、すぐに救急車が来ますから!」
駐車場まで運びます、と教頭先生は抱え上げられ、担架の上に。唸っているだけの教頭先生に会長さんが冷たい一瞥。
「とんだアピールだねえ、使い物にならなくなるかもね、アレが」
「……うう……」
言葉になっていない教頭先生の心の声が零れて来ました。『それは困る!』と、切実に。
「使い物にならなくなったら大変だしねえ…。えっと、救急車を呼んだって? だったら搬送先を指定していいかな、ぼくが懇意にしている病院」
そこによろしく、と会長さんが係員さんに告げた病院はエロドクターが経営している総合病院。
「何処よりも頼れる病院なんだよ、任せて安心!」
「そうですか。では、救急隊員にそう伝えます」
とにかく早く運びませんと、と担架を担いでゆく係員さんたち。その後ろ姿を追うように、会長さんの思念波が。
『ふふ、本当に使い物にならなくなるかもねえ? ダチョウの蹴りは犬も殺すと聞いてるし…。ハーレイのアソコを潰すくらいは朝飯前だよ、それにノルディもついてるし』
『…な、なんだと…?』
教頭先生の脂汗が垂れそうな思念波が届き、会長さんが。
『ライバルはアッサリ処分かもねえ? 手間暇かけて治療するより切断手術をしてしまうとか』
『…そ、そんな…! そんなことになったら私は…!』
『困るって? ぼくは全然困らないんだな、どちらかと言えば大歓迎かも』
君が結婚出来なくなるし、と思念で嘲笑う会長さん。教頭先生、もしや本当に切断の危機? ダチョウにあやかってパワーどころか、肝心の部分が無くなりますか…?
「…悪いことをしちゃったかなぁ…」
ダチョウは蹴るなんて知らなかったんだよ、とソルジャーが係員さんたちがいなくなったレース場で呟きました。ダチョウレースに使われたダチョウは後で回収ということで大きな囲いに入れられています。
「犬も蹴り殺すんだって? ハーレイのアソコ、大丈夫かな…」
「私も心配でたまりません。御無事だったらいいのですが…」
やはり縫ったりするのでしょうか、とキャプテンの顔色も冴えませんけど、会長さんは他人事のようにクスクスと。
「…本人も気付いてないようだけれど、ちゃんとサイオンが発動したさ。タイプ・グリーンは流石だよ。表面はダメージ深そうだけどね、中身の方には問題ない、ない!」
「…表面って?」
ソルジャーの問いに、クスッと笑う会長さん。
「うーん、厚みはどのくらいだろ? 薄皮よりかは深い部分まで届く一撃ではあったと思う。あんな所の打ち身なんかは聞いたことがないし、やっぱり腫れたりするのかな? それともアザかな、どっちにしたって見たいと思わないけれど」
「そ、それは…。痛いのは思い切り痛そうだねえ?」
たとえ打ち身でも、と大袈裟に震えてみせるソルジャーに、会長さんは。
「当分、トイレが辛いかもね? だけど腫れたら自慢の部分の体積が増える。ノルディも大いに笑ってくれるさ、切ると脅すのもホントにアリかも」
「…じゃあ、君にアピール出来るようになるまで当分の間は入院とか?」
「どうだろう? ズボンが普通に履けない間は学校には来られないからねえ…」
全治一ヶ月か数週間か、はたまた二日か三日で復帰か、と会長さんは無責任なことを可笑しそうに喋っていましたが…。
「シッ、黙って!」
ソルジャーが人差し指を唇に当てて。
「始まりそうだよ、例の馬並み! あっちの牧場で羽をバサバサしてるだろ?」
「「「???」」」
レース場から少し離れた放牧場で一羽のダチョウが大きな翼をバタつかせていました。
「ノルディから仕入れた情報ではねえ、まずはダンスで始まるらしい。それから馬並みのアレがニュニュ~ッと出て来て、メスの上に乗ってひたすらヤる!」
見に行ってくる、とソルジャーはキャプテンの手をしっかり握って二人で走り去ってゆき…。
ヤリまくっているダチョウとやらは遠目にはサッパリ謎でした。けれどソルジャーとキャプテンは放牧場の柵に張り付き、しっかり見学しているようです。おまけに時々、頼みもしないのに歓喜の思念波が伝わってきたり…。
『凄いよ、まさに馬並みだって!』
『本当ですねえ…。あんなパワーを秘めた鳥に乗って走れた上に、料理まで…』
『だろう? おまけに現場も見られたんだし、もう最高にラッキーだよ! 今夜が楽しみ』
『私もです、ブルー。パワーが湧き上がってくる気がします』
頑張りましょう、とソルジャーの肩を抱いているキャプテン。毎度のバカップルがダチョウで更にパワーを増したようですけど、遠くの方では救急車のサイレンがピーポーと。
「…教頭先生、運ばれてったみたいだね…」
エロドクターの病院に、とジョミー君が言い、マツカ君が。
「ダチョウに蹴り飛ばされるなんて…。乗るのは面白かったんですけれど…」
「逃げなかったハーレイがバカなんだよ、うん」
ブルーの口車に乗る方が馬鹿、と会長さんは全く同情しませんでした。
「ダチョウなんかには馴染みが無い筈のブルーでさえも、あれだけ知識を仕入れてたんだよ? こっちのハーレイがダチョウの蹴りを知らなかったでは済まされない。うんと後悔すればいいさ」
そう簡単にぼくは落とせない、と嘲笑う会長さんの視線の先ではバカップルが固く抱き合っています。ダチョウのカップルは離れてますから交尾が終わったのでしょう。そして感銘を受けたバカップルが熱いキスを交わしているわけで…。
「結局、ダチョウで得をしたのはブルーかな? ダチョウレースは楽しかったけどね」
「かみお~ん♪ ハーレイが治ったら、また来ようね!」
今度はぼくが一番だもん! と純粋にレースの順位だけが気になる「そるじゃぁ・ぶるぅ」はダチョウ牧場にまた来る気です。それを聞き付けたらしいソルジャーが「ぼくも来る!」と手を振りながらこちらへと。ダチョウのパワーは表裏一体、吉だと絶倫、凶だと大怪我でよろしいですか?
変わり種の鳥・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ダチョウの話は嘘ついてません、本当にそういう鳥なんです。
乗って走れる件も本当、やってみたい方はダチョウ牧場にお出掛け下さい。
本年の更新はこれにておしまい、皆様、どうぞ良いお年を。
次回は 「第3月曜」 1月18日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、12月は、外来種のスッポンタケが欲しいソルジャーが…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
「…ハーレイっ…!」
自分の泣き声で目を覚ました。
常夜灯しか灯っていない真夜中の自室。涙に滲んだ瞳に映った夜更けの部屋が心細い。
(……まただ……)
ブルーは右手をキュッと握った。
ここ数日、毎晩メギドの悪夢を見る。前の生での、ソルジャー・ブルーだった頃の自分の最期をそっくりそのまま再現する夢。
忌まわしい青い光が溢れる場所で何発もの弾を撃ち込まれ、夢だというのに激しい痛みを堪える間に大切なものを失くしてしまう。右手に残ったハーレイの温もり。最後にハーレイの腕に触れた右の手に持っていた筈の、最期まで持っていたいと願った恋人の温もりを失くしてしまう。
その温もりさえあれば一人ではないと、一人きりで死んでゆくのではないと思っていたのに。
一人ではないと思っていたのに、ブルーは独りぼっちになる。
ハーレイの温もりを失くして凍えた右の手。冷たくなってしまった右の手。
もうハーレイと一緒ではなくて、ただ一人きりで、独りぼっちで死んでゆくだけ。その悲しさに泣きじゃくりながら、独りぼっちになってしまったと泣きじゃくりながら…。
(また…)
あの夢はもう見たくないのに。
たまに見はしても、ここまで立て続けに見てしまうことはもう長いこと無かったのに。
(…これのせいだ)
上掛けから出てしまっていたらしい右の手が冷たい。昨夜も、その前の夜もそうだった。夜中に急に冷えるのだろうか、冷たくなってしまった右手がメギドの悪夢を運んで来る。同じように手が冷たかった時の記憶がブルーの夢に忍び込んでくる。
「冷たいよ、ハーレイ…」
手が冷たいよ、と涙交じりに呟いてみても、温めてくれる手は何処にも無かった。
青い地球の上にハーレイと二人で生まれ変わって、再び巡り会うことが出来たけれども。右手が冷たいと訴える度にハーレイは大きくて温かな手で包んでくれるし、訴えなくともキュッと握ってくれたりするのに、その温かい手が此処には無い。
今、温めて欲しいのに。
メギドの悪夢で目覚めてしまった心細い闇の中だからこそ、ハーレイに温めて欲しいのに。
「…会いたいよ、ハーレイ…。独りぼっちになっちゃったよ、ぼく…」
そう、本当に独りぼっち。
家には両親も居るのだけれども、二人とも別の部屋のベッドで眠りの中。幼い子供ならベッドにもぐり込んでも可笑しくはないが、ブルーの年では「怖い夢を見たから」ともぐり込めない。前の生での恐怖を訴えたならば、両親は受け止めてくれそうだけれど…。
(…だけど心配させたくないよ…)
そう思うから独りぼっちで耐えるしかない。辛くても堪えて眠るしかない。
(ハーレイなら分かってくれるのに…)
けれどハーレイは此処には居ない。
こんな夜中にハーレイは家に来てはくれない。
せめてハーレイと話したくても、そのための思念を紡げはしない。連絡を取るには専用の機器が必要。
遠い遠い昔、SD体制が始まるよりも前の時代には、確か携帯端末と言ったか、いつでも自由に話をしたり出来る道具があったらしいが、その類の機器は今は無い。利便性と引き換えに失う物が多すぎたとかで、時の彼方に消えてしまった。
それを作らない理由は分かる。作るべきではないことも分かる。
分かっているのに、考えずにはいられない。それがあったなら、今、眠っている筈のハーレイを起こして夜明けまででも話せるのに、と。
二度と見たくないメギドの夢。
ハーレイの温もりを失くして独りぼっちで死んでゆく夢。
その夢が毎夜襲って来るのに、ハーレイは家に来てくれなかった。学校の仕事で遅くなるのか、平日の夜に訪ねてくれる日が一度も無かった。たった五日間の平日だけれど、ブルーには長い。
五日間もメギドの夢を見続け、夜毎目覚めたブルーにはあまりにも悲しくて長すぎた。
悲しくて、寂しくて、夜が来る度に独りきりで泣いたブルーには長すぎた五日間だったから。
やっとハーレイが来てくれた週末、抱き付いて、膝に座って甘えた。会えなかった五日間の分を取り戻すかのように、その間の悲しみと寂しさを癒すかのように。
初めの間は気付かなかったハーレイだったが、昼食の後も食後のお茶のカップを放って膝の上に乗って来たブルーにギュッと抱き付かれて「おかしい」と思う。
「どうした? 今日は甘えん坊だな」
問われたブルーはハーレイの服をキュッと握って。
「…右手…」
「右手?」
その言葉だけでハーレイには何が起こっているのか分かった。
ブルーが前の生の最期に失くしたという右の手に残ったハーレイの温もり。右の手が冷たいと、凍えてしまって冷たいのだと訴える時のブルーは悲しみと寂しさの只中に居る。
前の生での悲しすぎた最期の記憶に囚われてしまい、不安の中で揺らいでいる。
ハーレイは自分の胸にぴったりと身体を寄せているブルーの小さな背中を優しく撫でた。
「…右の手か…。お前、長いこと、落ち着いてたのに。…何かあったのか?」
学校で嫌なことでもあったか、と訊かれてブルーは「ううん」と首を微かに振った。
「そうじゃない。そうじゃなくって…」
ハーレイに言おうか、どうしようか。
言ってもどうにもなりはしないし、黙っていようかとも考えたけれど。
それでは却って心配させることになるかもしれない。
(…ただの夢なんだよ…)
たかが夢。
夢だけれども、ブルーにとっては恐ろしすぎるメギドの悪夢…。
打ち明けるか否か、ずいぶん迷った。
ブルーをメギドに行かせたことをハーレイは今も後悔している。
そのメギドの悪夢が自分を苛むのだ、と話したならばハーレイもきっと苦しむだろう。けれど、理由を明かさなければハーレイは悩む。何がブルーを苦しめるのかと、心を痛めるに違いない。
どうするべきかと考えた末に、ブルーはポツリと口にした。
「…ぼくの寝相が悪いだけだよ…」
「寝相?」
怪訝そうな顔のハーレイの胸に頬を擦り寄せ、右の手でキュッと縋り付く。
「…寝てる間に右手が出ちゃうと夢を見るんだ…。ぼくの右手が冷たくなる夢」
「メギドか…。もしかして毎晩なのか?」
「うん。…今週に入ってから、ずっと毎日」
打ち明けたら堰が切れたかのように涙が一粒零れて、ポロポロと続いて転がり落ちた。頬を伝う涙が止まらない。ハーレイの服が濡れてしまうと分かってはいても、止められない。
「怖いよ、ハーレイ…。怖くてたまらないんだよ…」
「泣くな、ブルー。泣くんじゃない」
俺は此処に居る。
お前は独りぼっちじゃないんだ。俺と一緒に地球に来たんだろう?
俺と幸せになるんだろうが?
何度も繰り返し耳元で言われて、背中を、頭を大きな手で撫でられて、涙が伝う度に褐色の指で頬を拭われて…。
ようやっとブルーの涙は止まって、ハーレイの胸に身体を預けた。
ハーレイが其処に確かに居ると心に刻むかのように、赤い瞳で鳶色の瞳を見上げながら。
「落ち着いたか? ブルー」
大丈夫だからな、とハーレイはブルーの小さな身体に腕を回して抱き締める。
「俺は此処に居るし、お前だってちゃんと生きているんだ。メギドはもう遠い昔のことだ」
「…うん…」
うん、と頷くブルーの怯えはそれでもハーレイに伝わって来た。
またあの夢を見るのではないかと、そして怖くて悲しくて泣く夜が襲って来るのではないかと。なんとか救ってやりたいけれども、夢まではどうしようもない。ただ…。
ブルーが悪夢を見続けるようになった原因。それが何かは見当が付くから。
「この所、夜中に急に冷えたりするからな…」
手袋をはめて寝てみたらどうだ?
そうすれば上掛けの外に出ちまっても冷たくなったりしないだろう。
「試してみる価値はあると思うぞ、何もしないよりは解決策を考えないとな?」
「…そっか、手袋…」
気が付かなかった、とブルーは笑みを浮かべた。
右手が冷えるせいで悪夢を見るなら、冷やさなければ見ずに済む。
「凄いね、ハーレイ。そんな方法、ぼくだと思い付かないよ」
打ち明けて良かった、と喜んだブルーだったけれど。
ハーレイが教えてくれた手袋は効果を発揮してくれず、悪夢は再び襲って来た。どうやら夜中に暑く感じてしまうらしくて、泣きながら目覚めれば手袋を外してしまっている。
メギドの悪夢は夜毎に訪れ、自分の泣き声で目が覚める日々。
学校帰りに来てくれたハーレイにブルーは抱き付いて甘え、離れようとはしなかった。
夕食前にブルーの部屋で過ごす時間は、母は決して部屋に来ないから。
ハーレイは「そうか、手袋でも防げんか…」とブルーの右手を温めながら辛そうに溜息をつく。
気温が落ち着いてきたら治るのだろうが、それまでの間をどうしたものか、と。
まだ暫くは落ち着きそうもないし、神経が参ってしまわねばいいが…、と。
その週末の土曜日も、ブルーは母がテーブルに紅茶とお菓子を置いて出てゆくなり、ハーレイの膝の上に座って甘え始めた。心臓の辺りに頬を寄せれば確かな鼓動が伝わって来る。何にも増して生の証を感じられる音。規則正しく脈打つ心臓の音にブルーが耳を傾けていれば。
「お前にこうしてくっつかれるのも悪い気分ではないんだが…」
ハーレイの手がブルーの銀色の頭をクシャリと撫でた。
「どうにもお前が可哀相でな」
ほら、とハーレイのもう片方の手が小さな紙の袋を差し出す。
「なに?」
キョトンとするブルーに、「開けてみろ」とハーレイが微笑んだ。
「医療用のサポーターっていうヤツだ」
「…サポーター?」
首を傾げつつブルーが開けた袋の中から指無し手袋に似たものが出て来た。包帯のように白くて薄い生地で出来たサポーター。それをハーレイが指差しながら。
「こいつは手の指を自由に動かせる。そのくせに、手のひらをしっかりガードしてくれるんだぞ。お前の右手にはめてみろ」
「右手?」
ブルーは言われるままにそれを右手にはめてみた。
(あっ…)
薄い生地なのに、手のひらをギュッと握られているような感じがする。
それに暖かい。
この感覚を知っている、とブルーは思った。懐かしくて恋しくて、温かくて優しい。
「どうだ? 手袋よりはマシそうか?」
ハーレイの手がサポーターをはめたブルーの右手をそっと包んだ。
「俺がお前の手を握る時くらいの力加減で作って貰った。そういう注文も出来るんでな」
「…そうなんだ…。ハーレイの手に似てると思ったけど、おんなじなんだ?」
「ああ。寝る時にはめてみるといい。これでお前が眠れるといいな」
医療用だから、手袋と違って通気性とかもいいからな。
寝ている間に暑くて外しはしないだろう。
「うん。…うん……」
ブルーはサポーターを何度もはめたり外したりして確かめた。外している間にハーレイが握ってくれる手の感覚と変わらないことを、全く同じ力加減であることを…。
ハーレイと二人で土曜日を過ごして、夕食はブルーの両親も一緒に食卓を囲んだ。食後のお茶をブルーの部屋で飲んだ後、ハーレイは「また明日な」と軽く手を振って帰って行って。
ハーレイの手を思わせるサポーターを貰ったブルーは、眠る前にそれを右の手にはめた。
(…ふふっ)
其処にハーレイの姿は無いのだけれども、あの大きな手に右の手を握られている感覚。
右手が冷たいと訴えた時に握ってくれる手と同じ感覚。
(…ハーレイの手だ…)
見た目にはただのサポーターだけれど、ハーレイの手が握る力を再現したもの。
ハーレイがブルーのためにと注文してくれたサポーター。
これがあれば夢を見ない気がする。
メギドの悪夢を見ずに眠れるような気がする…。
(…そうだといいな)
見ないといいな、とブルーはベッドに入って部屋の明かりを消してみた。
常夜灯だけが灯った部屋。
昨日までは怖く感じた夜の暗さが、今夜はそれほど気にならない。
(ハーレイの手があるからだよ、きっと)
右手をキュッと握ってくれているサポーター。
此処には居ないハーレイの代わりに、ブルーの右手を握ってくれるサポーター。
ハーレイが注文して作ってくれた。
ブルーのためにと、側に居られない自分の代わりにブルーの右の手を握るようにと、ハーレイが持って来てくれた。
心がじんわりと暖かくなる。幸せで涙が出そうになる。
きっと今夜は大丈夫。
今夜こそ、きっとメギドの悪夢を見なくなる…。
いつの間にか眠ってしまったブルーだったけれど、気付けばやはりメギドに居た。
夢の中のブルーは夢だと認識していないから、悲劇はまたしても繰り返す。
容赦なく撃たれ、痛みのせいで右手から消えてゆくハーレイの温もり。
(嫌だ、ハーレイっ…!)
失くしたくない、とブルーは心の中で叫んでいるのに、シールドで弾を防いでいるのに。
「これで終わりだ!」
キースの勝ち誇った声と同時に発射された弾がシールドを貫き、右の瞳に走った激痛。真っ赤に塗り潰された視界と激しい喪失感。
それが何処から来るものなのかを考えている余裕は無かった。
止めなければ。何としてもメギドを止めなければ…!
サイオンを自ら暴走させてバースト状態に持って行った後は、死を待つだけ。
地球の男は逃がしてしまったけれども、メギドは遠からず崩壊する。
(ジョミー…! みんなを頼む)
これでいい。自分の役目は終わったのだ、と安堵した途端に思い出した。
ハーレイの温もりを失くしてしまった。
右の手に確かに持っていた筈の、失くしたくないと叫んでいた筈のハーレイの温もり。
(…あの時に失くした…)
視界が真っ赤に塗り潰された時に感じた喪失感。あの時に温もりを失くしてしまった…。
「…ハーレイっ…!」
嫌だ、とブルーは叫んだ。
「嫌だ、ハーレイ…! ハーレイっ…!」
独りぼっちで逝きたくない。こんな所で独りぼっちで死んでしまうなんて…!
「ハーレイっ…!」
もう会えない。二度と会えない。
あの温もりさえ失くさなかったら、ハーレイと一緒だったのに。
一緒に死ぬというわけではなくても、何処までも一緒に居られたのに…。
「…ハーレイっ…!」
無駄だと分かっていても泣き叫ぶことは止められなくて。
もう終わりだと、これで全てが終わりなのだと泣きじゃくるブルーの右手を誰かが強く握った。
(えっ…?)
此処には自分しか居ない筈なのに、と右側を見れば。
「ハーレイ…?」
忘れようもない褐色の肌の恋人。
居る筈がないハーレイが微笑みながらブルーの右手を握っていた。
ブルー、と名前を呼ばれた気がした。
「ハーレイっ…!」
どうして此処へ、と問う前にハーレイの姿は消えてしまったけれども、右の手に残された確かな温もり。失くしてしまった筈の温もり。
(…ハーレイが届けに来てくれたんだ…)
どうやってシャングリラから来られたのかは分からないけれど、ハーレイは此処に来てくれた。
思念体でも、幻であってもかまわない。
ハーレイが此処まで温もりを届けに来てくれた、それだけが分かっていればいい…。
(…温かい…)
こんなにも温かかったのか、と遠くシャングリラに居る恋人を想う。
あの手はこんなにも温かかったかと、こんなにも優しく強かったのか…、と。
(…ハーレイ…。ぼくは一人じゃないよ)
君が来てくれたから一人じゃないよ、とブルーの瞳から涙が零れた。
悲しみが流す涙ではなくて、幸せから溢れ出す涙。
独りぼっちで死ななくてもいい。
ハーレイが来てくれたから、もう一人ではない。
(…ありがとう、ハーレイ…。これでもう独りぼっちじゃないよ)
いつまでも、何処までも一緒だから。
君がくれたこの温もりを抱いて、ぼくは幸せに眠れるから。
ありがとう、ハーレイ。
君といつまでも一緒だから…。
(ハーレイ…?)
右の手に戻って来た温もりを大切に抱いて、いつ眠ったのか。
目覚めれば、自分の部屋に居た。青の間ではなくて、地球の上に在る十四歳の自分の部屋。
(…ハーレイ…?)
悪夢だったけれど、泣きながら目覚めずに済んだ夢。
ハーレイの温もりが戻って来た夢。
何故、と夢の中で温もりが戻った右手をそうっと持ち上げてみて。
(……サポーター……)
暗くてよくは見えないけれども、その手にはめられた白くて薄い生地のサポーター。
ハーレイがくれた、ハーレイが手を握ってくれる力を再現したというサポーター。
(…これが届けに来てくれたんだ…)
ハーレイを連れて来てくれたんだ、とブルーはサポーターをはめた右手に頬ずりをした。
失くした筈の温もりを届けにメギドまで来てくれたハーレイ。
そのハーレイを連れて来てくれたサポーター。
あれは夢でも幻でもなく、本当に本物のハーレイだった。
ハーレイの想いを、ハーレイの気持ちを届けるために形を取って現れたハーレイの心。
それを運ぶ役目を託されたものが、このサポーター。
ブルーのためにとハーレイが注文して作ってくれたサポーター…。
(…これのお蔭でハーレイに会えたよ、メギドの夢で)
ハーレイは温もりを置いて行っただけで消えてしまったけれども、泣かずに済んだ。
優しくて温かい温もりが戻って来たから、泣かないで済んだ。
(幸せだったから泣いちゃった分は、泣いた内には入らないよね?)
悲しみではなく、幸せで瞳から零れた涙。
ハーレイの温もりを抱いて、幸せなままで永遠の眠りに就く夢。
そんな夢は今までに一度も見たことが無い。
メギドの悪夢が幸せの中で終わったことなど、ただの一度も無かったのに…。
(これのお蔭だよ)
ハーレイが来たよ、とブルーはベッドの中で微笑む。
サポーターをはめた右手を何度も撫でながら、柔らかな頬を擦り寄せながら…。
そうして知らぬ間に眠ってしまって、目を覚ましたら朝だった。
ハーレイが訪ねて来てくれる日曜日の朝。
ブルーの右手を朝までしっかり守っていてくれたサポーターをくれた、ハーレイが来る日。
苛まれ続けた悪夢が途切れたお蔭だろうか、朝からとても気分が良くて。
ブルーは張り切って部屋を掃除し、ハーレイが訪ねて来るのを待った。今か今かと部屋の窓から庭の生垣の向こうに見える通りを見下ろし、見付けた影に大きく手を振る。
もうサポーターは外したけれども、夢の中でハーレイが握ってくれた右手を。
やがて母に案内されたハーレイがブルーの部屋を訪れ、お茶とお菓子が載ったテーブルを挟んで二人で向かい合いながら、ブルーは笑顔で報告した。
「ハーレイ、サポーター、ありがとう! ぼくの夢の中にハーレイが来たよ」
「メギドの夢にか?」
「うんっ!」
嬉しそうに答えるブルーに、ハーレイが「そうか」と頷いて尋ねる。
「…それで、俺はお前を救えたのか? お前をメギドから助けられたか?」
「ううん、そこまでは無理だったけど…。でも嬉しかった」
ハーレイの温もりが戻って来たよ。
ぼくが失くしたのを、ハーレイがちゃんと届けに来てくれたよ。
だから、独りぼっちで死ななくて済んだ。
ハーレイがくれた温もりをちゃんと抱き締めて、幸せなままで眠ったんだよ…。
「そうか…。あれを渡した甲斐があったな、お前の心だけでも救えたんなら」
本当は身体ごと助けたかったが、と話すハーレイに、ブルーは「ううん」と首を横に振る。
「あれで充分、幸せだったよ。ハーレイと一緒なんだ、って嬉しかったよ」
ハーレイがサポーターをくれたからだよ、と褐色の手をキュッと握った。
この手と同じように出来たサポーターだから夢の中まで温もりを届けてくれたのだ、と。
「だから幸せ。ハーレイの温もりがあったら、ぼくは幸せ」
「そうなのか? だが、俺はお前を助けてやりたいんだ。…現実では何も出来なかった分、せめて夢の中でくらいはメギドからお前を助け出したい」
いつか必ず助けてやるさ、とハーレイの手がブルーの手を強く握り返した。
「あのサポーターでお前の心を救えたんなら、いつかはきっと身体ごと助けられるさ」
「…どうやって?」
「ん? 実に単純で簡単なことだ。今はまだ使えない方法だがな」
俺の手の偽物でそれだけの効果があったんだ。本物の手だと、どうなると思う?
「ゆっくりでいいから、大きくなれ。前のお前と変わらない姿になるんだ、ブルー」
そうしたら、お前と一緒に眠れる。
同じベッドで眠ることが出来る。
そうなったなら。
一緒に眠るようになったら、俺がお前の手を握ってやるから。
俺は必ずお前を助ける。
決してメギドで死なせやしないさ、夢の中でも守ってやるから。
だから大きくなれ、ブルー。
俺がお前を夢の中でも守れるように。ゆっくりと幸せに、前の分まで幸せに育て。
いいな、幸せにゆっくりと…、だぞ?
なあ、ブルー……。
温かい右手・了
※メギドの悪夢に来てくれたハーレイ。そして届けてくれた温もり。
きっといつかは、夢の中で守って貰える日が来るのでしょう。二人で暮らし始めたら…。
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もうすぐクリスマスなんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がワクワク見上げたもの。
シャングリラの公園に聳え立つ大きなクリスマスツリー、とっくに済んだ点灯式。毎晩、綺麗にライトアップされるツリーだけれども、今は昼間だから飾りだけ。
それでも充分に華やかなツリー。天辺には星が煌めいているし、オーナメントも盛りだくさん。見ているだけで心が弾む光景、人類が住む都市にも負けてはいない。
(ブルーにもツリー、ちゃんとプレゼントしたもんね!)
今年もうんと綺麗なヤツを、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大好きなブルーを思い浮かべる。青の間に似合うツリーを買うのも楽しみの一つ。このシーズンの。
あの部屋は昼間も暗いのだから、クリスマスツリーの光がよく映える。自分の部屋に置いておくより、断然、青の間の方がいい。ブルーも喜んでくれるから。
(えーっと、今日は、と…)
何を食べようかな、と瞬間移動で外の世界へと飛び出した。クリスマスツリーは堪能したから、次は人類の世界でクリスマス気分、と。
アルテメシアの街にヒョイと降り立ち、あちこちの店を覗き込む。おろしリンゴが入ったホットレモネードも美味しそうだし、クリスマス期間限定のケーキなんかもいい。
今日はデザートを食べまくりたい気分で、甘くて幸せになれる食べ物をお腹一杯。
(ちゃんと食べたよ、って言えばブルーは叱らないもんね?)
御飯よりお菓子が多めでもね、とクリスマスの飾りが溢れる街を歩いていたら…。
「ママ、サンタさんはステーションにも来てくれるの?」
耳に入った子供の声。十歳くらいの男の子。母親と一緒に歩いているから、今日は学校が早めに終わったのだろう。
(ステーションって…?)
なんだっけ、と首を捻った所で、男の子の母が笑顔で答えた。
「そうねえ…。いい子にしてれば来るかしら? でも…」
目覚めの日が来たら、大人の仲間入りでしょう?
大人になっても、サンタクロースが来る方がいいの?
多分、普通の大人の人には来ないわよ。だから、立派な大人になりたかったら…。
サンタクロースは卒業かしら、と聞かされた男の子の方は…。
「そっか、大人になるんだっけね! じゃあ、サンタクロースが来なくなったら立派な大人?」
「ええ、そうよ。ステーションだと、色々な人がいるわよ、きっと」
サンタクロースが来る人もいれば、来ない人だって。
もしかしたら、サンタクロースが来ている間は、ステーションを卒業できないのかしら?
ママの周りにはいなかったけれど、そういう人もいるのかしらねえ…。
「卒業できないって…。そんなの嫌だよ!」
それじゃ大人になれないんだから、地球に行くことも出来ないよね?
地球に行けるの、大人だけでしょ?
ぼく、そんなのは困るから…。ステーションには来て欲しくないかも…。
「あらあら、今からそんな心配しなくても…」
大丈夫よ、誰でもちゃんと大人になれる筈だから。
ステーションで頑張って勉強したなら、サンタクロースも来なくなるわよ。
だけど子供の間は、いい子の家にはサンタクロース、と微笑んだ母親。
「今年もいい子にしていましょうね」と、「でないとプレゼントが貰えないわよ?」と。
「やだ、困る!」
プレゼントは欲しいよ、えっと、今年は…。
これとあれと…、と欲張りなお願いを並べ立てながら、歩き去って行った男の子。クリスマスに欲しいと思うプレゼントを幾つも挙げて。
(んーと…?)
ぼくは今年は何にしようかな、と思い浮かべた「お願いツリー」。クリスマスツリーとは別に、ツリーがあるのがシャングリラ。
大人の所にサンタクロースは来てくれないから、代わりにみんなで贈り合う。そのための注文を書いて吊るすのが「お願いツリー」で、子供の場合は…。
(サンタクロースが注文を見に来てくれるんだよ)
今までに幾つも叶えて貰った、クリスマスの素敵なプレゼント。だから今年も、と算段を始めるサンタクロースへのリクエスト。
此処にしようかな、と入った店のテーブルで。ケーキを端から注文しまくり、飲み物も幾つも。胃袋に限界が無いのが自慢で、いくらでも入るものだから。
(こういうお店を注文できたらいいのにね…)
サンタクロースに、と思うけれども、それは流石に無理だろう。もっと他に、とリクエストする品を考える内に…。
(さっきの子供…)
ステーションにもサンタクロースは来てくれるのか、と尋ねた子供。今から思えば、あれは教育ステーションのこと。人類の世界では、目覚めの日が来ると…。
(みんな行くんだっけ…)
よく分からないけれど、成人検査というものを受けて。
シャングリラで暮らすミュウとは相性が悪い検査だけれども、人類だったらパス出来る。検査が済んだら大人の世界へ一歩前進、教育ステーションへと旅立つわけで。
(サンタクロースは、其処にも行くけど…)
いつまでもサンタクロースが来ている子供は、其処を卒業できないらしい。大人ではなくて子供だから。サンタクロースは子供の所に来るのだから。
(…それじゃ、サンタさんは…)
大人になったら来ないんだよね、と今頃になってようやく気付いた。シャングリラにあるお願いツリーは、プレゼントが欲しい大人のためでもあったんだっけ、と。
(ぼくは毎年…)
プレゼントを貰っているけれど、と指折り数えた、今までに迎えたクリスマス。生まれた年から貰い続けて、今度のクリスマスで九歳の自分。
(みんなとは少し違うから…)
一歳の誕生日だった、初めてのクリスマスの朝もよく覚えている。今の姿と変わらなかったし、赤ん坊ではなかったから。けれど、よくよく考えてみれば…。
(最初の頃に、お願いツリーで一緒だった子…)
さっきの男の子と同じくらいの年だった子供は、とうに育って十四歳を過ぎていた。あの子も、この子も、と頭に浮かんだサンタクロースが来なくなった子。
シャングリラに成人検査は無いのだけれども、人類と同じで十四歳で変わる教育。ヒルマンが教える子供のための授業は終了、専門の教師に習うようになる。その子が将来やりたい職業、それに合わせて選ぶ先生。
(そっちのコースに移ってった子は…)
サンタクロースがくれるプレゼントの対象外。欲しいプレゼントはコレ、と書いてあるカードをお願いツリーに吊るしておいても、サンタクロースは来ないのだった。
(クリスマスの日に、係の人から貰ってる…)
その子が欲しかったプレゼントを。もっと大きな大人たちと一緒の扱いになって、「君の分」と係が渡しているプレゼント。十四歳になった子供にサンタクロースは来ないから。
(…シャングリラ、人類の世界より厳しいの…?)
教育ステーションの方なら、子供によっては来てくれるらしいサンタクロース。いつまでも来てくれるようなら、ステーションを卒業できないけれど。
(だけど、そっちの方が良くない?)
十四歳になった途端に、来なくなってしまうシャングリラよりは。
やっぱりミュウの船だからかな、と溜息をついて「おかわり!」とケーキの注文をした。人類の世界は、シャングリラよりも恵まれているらしいから。
前から薄々思ったけれども、サンタクロースの方でも、人類は恵まれていたのか、と。
(ケーキも山ほど食べられるんだし…)
人類はなんて幸せだろう、と羨ましい気分。ミュウより優遇されてるよね、と。
十四歳を過ぎてもサンタクロースにプレゼントを貰える人類はいいな、と考えながら瞬間移動で戻った船。散々おやつを食べまくった後で、クリスマスツリーが見える所へと。
(プレゼント、何を貰おうかなあ?)
今年は何を注文しようか、と大きなツリーを見上げていたら、ハタと気付いた。もうすぐ九歳になる自分。クリスマスの朝が来たら九歳。
(十四歳から九歳を引くと…)
五歳、と出て来た引き算の答え。
(あと五回しか貰えないの?)
サンタクロースからのプレゼントは、と腰が抜けるほどビックリした。それから慌てて、小さな指を一本、二本と折ってみて。
(十四歳になった子供は、サンタクロースが来ないんだから…)
クリスマスの日に十四歳を迎える自分は、その日もギリギリ、なんとかプレゼントを貰えそうな感じ。サンタクロースがプレゼントを配る夜には十四歳になっていないから。
(でも…)
十四歳になったその日で打ち止めらしいプレゼント。次の年からは、もう…。
(お願いツリーに頼むしかないの?)
そうなったのでは、凄いお願い事は出来ない。プレゼントをくれるのはシャングリラに住む仲間たちだし、スペシャルなことを頼んでも無理。
(劇場でリサイタルをやりたいです、って書いて吊るしても…)
「ぶるぅの歌は勘弁だな」とカードを破って捨てる仲間が見えた気がした。誰もに迷惑がられる自分のカラオケ、それに歌声。きっとカードは見なかったことにされるだろう。
(そうなっちゃったら、お揃いのヤツ…)
望み通りのプレゼントを手に入れられない仲間もいるのがシャングリラ。そういう人には、係が揃いのプレゼントを配る。今年はこれ、と色々な物をラッピングして。
自分もそうなってしまうのだろうか、十四歳になった後には?
人類の世界だったら、サンタクロースは教育ステーションまで来てくれるけれど…。
(シャングリラは無理…)
十四歳でキッチリおしまい、残り五回のプレゼント。何度数えても十四から九を引いた答えは五だったから。今年のクリスマスが来たら九歳になるのだから。
たったの五回、と溜息をついたサンタクロースからのプレゼント。生まれた年から何度も貰って来たのに、一歳から貰い続けて来たのに、もうすぐおしまい。たった五回で。
(九回の半分よりかは多いけど…)
けれど九回には全然足りない、これから貰えるプレゼント。ほんの五回しか無いのだから。五回貰えばそれで終わりで、次の年からは…。
(お願いツリー…)
願い事を書いて吊るしてみたって、「ぶるぅだからな」と破り捨てそうな仲間たち。いつも悪戯ばかりするから、余計に破られるかもしれない。リサイタルをしたいと書かなくても。
(他の子だったら、聞いて貰えそうなお願い事でも…)
ぶるぅだから、と破られて終わりになりそうなカード。クリスマスの日に貰えるものは、頼んだ品物が手に入らなかった仲間たちのための、お揃いのヤツ。
(…そんなの嫌だよ…)
あと五回だけでおしまいなんて、と涙が出そうなサンタクロースからのプレゼント。もっと色々欲しいのに。十四歳になった後にも、サンタクロースに来て欲しいのに。
(人類だったら、教育ステーションまで行ってあげるくせに…)
シャングリラは駄目って酷いんだけど、と文句を言っても始まらない。サンタクロースは、元は人類のために橇を走らせていたのだから。SD体制が始まるよりもずっと前から。
(ミュウの船にも寄ってくれるだけマシなんだよね…)
十四歳でおしまいとはいえ、ちゃんとシャングリラに来てくれるのがサンタクロース。ミュウの船なんかは知らないよ、と無視はしないで、きちんと橇で。
(トナカイの橇で宇宙を走って…)
来てくれるのだし、文句は言えない。トナカイの橇も、サンタクロースも、ちゃんと見たから。追い掛けようとしていた年やら、捕まえようとした年やらに。
(サンタさん、ホントに凄いんだけど…)
地球に行く夢は叶えてくれないけれども、他の願い事は叶えてくれた。とても頼もしくて頼りになるのがサンタクロースで、どんな奇跡でも起こせそうなのに。
(あと五回だけ…)
残りは五回、と泣きそうな気分。五回だけしかお願い事が出来ないなんて、と。
衝撃の事実に気が付いた日から、せっせと考えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。残りは五回しかない願い事の数、何を頼めばいいのだろう。今度頼めば、残りは四回。
(その次に頼んだら、残りは三回…)
どんどん願い事の残りは減って、十四歳になったらゼロ。後はお願いツリーしかない。そんなの嫌だ、と叫んでみたって、人類の世界とミュウの船とは違うから。
(十四歳になったら、もう来てくれない…)
いくら自分が子供のままでも、十四歳は十四歳。今が八歳なのと同じで、誕生日が来たら増える年の数。十四歳になったらプレゼントは来ない、サンタクロースからの。此処はシャングリラで、人類のための教育ステーションのようにはいかない。
(ぼくが小さくても、十四歳になったらおしまい…)
誕生日が来ちゃったら駄目なんだよ、と思った所で閃いた。それは素晴らしいアイデアが。
(そうだ、誕生日…!)
年の数がどんどん増えてゆくのは、誕生日が来てしまうから。誕生日が来る度に一つ増えるのが年の数。今年で九歳、来年は十歳、そうやって増えて十四歳になるわけだから…。
(誕生日が消えてなくなっちゃったら、来年も八歳…)
九歳ではなくて八歳のままで次のクリスマス、と嬉しくなった。願い事の残りは減らないまま。たったの五回には違いなくても、それより減らない。
(十四歳にならなかったら、サンタクロースは来てくれるんだし…)
これに限る、と思い付いたのがスペシャルすぎる願い事。サンタクロースなら、きっと願い事を叶えてくれる。地球に行くより簡単なのだし、相手はサンタクロースだから。
(これにしようっと…!)
決めたんだもん、と部屋を飛び出した。目指すは例のお願いツリー。瞬間移動で行くのも忘れてパタパタ走って、辿り着いて。
(カード、カード、っと…!)
側に置かれている専用のカード、それを一枚引っ掴んで…。
(これで良し、っと!)
精一杯の字で読みやすく書いたお願い事。クリスマスにはこれを下さい、と。
それをお願いツリーに吊るして、大満足で何度も眺めて、引き揚げた。これでサンタクロースが叶えてくれると、凄いプレゼントを貰うんだから、と。
お願いツリーでサンタクロースに願い事をして得意満面、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はワクワクと帰って行ったのだけれど。自分の素晴らしいアイデアに酔っていたのだけれど…。
「ぶるぅは今年も派手に来たねえ…」
どうするつもりなんだろう、とソルジャー・ブルーがついた溜息。青の間の冬の風物詩の炬燵に入って、向かいに座ったキャプテンにミカンを勧めながら。
「さあ…。ヤツの発想は、この私にも分かりかねます」
ですが本当にコレですから、とハーレイが差し出したカードの写し。本物はまだお願いツリーに吊るされたままで、クリスマス・イブの直前に回収されるのだけれど…。
「うーん…。ぶるぅの頭を覗いた方がいいんだろうねえ?」
「他に方法は無いかと思われますが?」
それとも此処に呼びますか、とハーレイの指がトントンと叩くお願い事。カードに書き殴られた願い事の写し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお願い事はこうだった。
「ぼくの誕生日を消して下さい」。
どう考えても変な願い事で、誕生日が消えたら困るのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」だろうに。
「…誕生日が消えたら、バースデーケーキも無さそうだけどね?」
「ええ、御馳走もありませんとも。誕生日パーティーも消え失せますが…」
今年は地味にやりたいだとか、とハーレイの眉間の皺が深くなる。地味にやっても、いいことは何も無さそうですが、と。
「同感だよ。…その分、何処かで別のお祝いをしたいんだろうか?」
「誕生日を別の日に振り替えですか…?」
クリスマスとセットなのが気に入らなくなって来たのでしょうか、とハーレイも悩む妙な注文。誕生日を消したら何が起こるのか、どう素晴らしいのかが謎だから。
「振り替えねえ…。夏に誕生日を祝って貰って、アイスケーキでも食べたいのかな?」
超特大のアイスケーキ、とブルーも考え込む有様。そういうことなら、船の設定温度を変えれば今でも充分出来そうだけれど、と。
「アイスケーキですか…。他に誕生日を移動させるメリットがありますか?」
「ぶるぅだからねえ…」
ちょっと覗いてみた方がいいね、とブルーが飛ばしてみた思念。誕生日を消して下さいと願った理由は何かと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭の中を覗こうと。そして…。
「かみお~ん♪ 呼んだ?」
何かくれるの? と青の間に瞬間移動して来た「そるじゃぁ・ぶるぅ」。おやつかな、と期待に胸を膨らませたのに、ブルーが「座って」と指差す炬燵。上にはミカンくらいしか無い。ついでにハーレイも帰った後だし、「なあに?」と炬燵に入ったら。
「ぶるぅ、計算の問題だけど…。十四から九を引いたら、幾つ?」
ギョッとさせられた、その質問。何度も自分で数えた数字。十四歳から九歳を引くと…、と。
「んーと…。五だけど…」
「よく出来ました。それで、ぶるぅは何歳なのかな?」
「えっと、えっとね、もうすぐ九歳!」
「そうだね、クリスマスが九歳の誕生日だと思うんだけど…。誕生日、要らないんだって?」
御馳走もケーキもパーティーもかな、と訊かれて真ん丸になってしまった目。そこは全く考えに入っていなかったから。
(嘘…。お誕生日が消えちゃったら…)
八歳のままだ、と喜んだけれど、誕生日が消えればバースデーケーキも消えるのだった。山ほどある筈の御馳走も消えるし、誕生日パーティーも消えてしまうわけで…。
(ぼく、お願い事、間違えちゃった?)
焦るけれども、誕生日が来るというのも困る。来てしまったら九歳になって、次の年には十歳になって、たった五回しかサンタクロースのプレゼントを貰えないままで…。
(十四歳になっちゃうんだよ…!)
人類の世界とは違うシャングリラは、十四歳になったらサンタクロースが来てくれない。それは困るし、十四歳になるわけにはいかない。
(誕生日、サンタクロースに消して貰わないと…)
困るんだけれど、と思うけれども、バースデーケーキも御馳走も、パーティーも誕生日と一緒に消えてしまうというから、どうしたものか。
(ケーキとかは残したままで誕生日だけ…)
消せないかな、と考えてみても、誕生日だからバースデーケーキや御馳走、パーティーなんかがセットになってついてくるもの。
その誕生日を消さなかったら、十四歳になってしまって、サンタクロースは…。
サンタクロースと誕生日と御馳走、バースデーケーキを秤にかけて悩んでいたら。どうするのがいいか、小さな頭を悩ませていたら、「計算を間違えているよ」と声がした。
「ぶるぅ、十四から九を引くのはいいんだけれど…。その計算は合ってるけれどね」
今度のクリスマスで九歳なんだし、引くのは九じゃないんだよ。そこは八だね。
サンタクロースがくれる贈り物、残り五回というのは間違いだけど?
九歳の今年も入れて六回、とブルーは指を順番に折った。「九歳の年と、十歳と…」と。確かにブルーと数え直したら、残りは六回あるらしい。だったら、今年の誕生日は…。
(オマケなんだし、消さなくてもいいかな?)
五回なんだと思っていたから、オマケの一回、と前向きになった「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
サンタクロースが来なくなるのは困るけれども、誕生日だって欲しいから。バースデーケーキも御馳走も。パーティーだって、やっぱり欲しいし…。
「誕生日を消して下さい、とお願いするのはやめるかい?」
ぼくはどっちでもかまわないけどね、とブルーが言うから。
「えとえと…。今年のは消さなくってもいいけど、来年からのは…」
消して貰わなくちゃ、と答えたのに。
「ふうん…? まあいいけどね、厨房のみんなも楽が出来るから」
超特大のバースデーケーキも御馳走も作らなくていいし、きっと大喜びだろうけど…。
でもね、ぶるぅ。シャングリラが人類の世界と違っていたって、サンタクロースは来るんだよ。
ちゃんと本物の子供がいたら、その子の所へ。
年が幾つになっていたって、サンタクロースは来てくれる。十四歳を超えていてもね。
「えっ、ホント!?」
ホントなの、ブルー!?
でもでも、ぼくの知っている子は、みんな十四歳になったらサンタクロースが来なくって…。
クリスマスの日に係の人からプレゼントを貰っているんだけれど…。
「それは大人になろうとしている子供だからだよ」
ぶるぅみたいに悪戯とグルメだけで充分、っていう世界で満足できない子供たち。
大きくなったら素敵なことがありそうだよね、と思って大人を目指し始めて、サンタクロースを卒業したんだ。みんな、自分でそう決めたんだよ。
だからね、ぶるぅがサンタクロースに来て欲しい内は、ずっと来てくれるよ、サンタクロース。
他の子供たちにプレゼントを配るついでもあるから、何年でもね。
三百年だって来てくれる、と大好きなブルーに教えて貰った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は喜んだ。もう誕生日を消さなくていい、と飛んだり跳ねたり、それは大喜びしたのだけれど。
「…ソルジャー、例のお願いカードですが…」
ヤツは見事に忘れましたね、とハーレイが呟いたクリスマス・イブの夜。サンタクロースの服に身を包んで、これから「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋までプレゼントを背負って配達に。
「忘れたままになっちゃったねえ…。喜び過ぎて」
誕生日を消して欲しいというのがプレゼントになっているわけで…、とブルーは笑う。
せっかくサンタクロースに頼んだのだし、聞いて貰えるのが一番だよね、と。
「ですが、本当に大丈夫ですか? そんなプレゼントで…」
怒って暴れないでしょうか、と悪戯小僧を恐れるキャプテンに「これ」とブルーが渡した封筒。
「サンタクロースからの手紙だよ。これを一緒に置いて来ればいい」
他のプレゼントとセットでね。そうすれば、ぶるぅは暴れるどころか喜ぶから。
「はあ…。では、行ってまいります」
今年は罠も無さそうですし、と大きな袋に長老たちからのプレゼントを詰めて、ハーレイは夜の通路に出て行った。毎年恒例、キャプテンのサンタクロース便。
次の日の朝、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「クリスマスだーっ!」と勇んで飛び起きたけれど。
「あれ…?」
ひい、ふう、みい…、と数えたプレゼントの数。いつもの年より一つ足りない。
(ゼルがケチッたかな?)
それともハーレイが悪戯の罰に取りやめたかな、とラッピングされた箱を何度も数える内に…。
「あーーーっ!!!」
プレゼントの注文に失敗したんだ、と思い出したのが例のお願いカード。誕生日は消さなくても大丈夫だから、とブルーに教えて貰って大喜びして、それっきり…。
(書き直しに行くの、忘れちゃってた…)
それで無いのだ、と気付いたサンタクロースからのプレゼント。サンタクロースは願いを叶えてくれたのだから、それがプレゼント。つまりは消えた誕生日。
(ケーキも、御馳走も、パーティーも…)
全部自分で消しちゃったんだ、とブワッと涙が溢れた所へ届いた思念。ブルーからの。
『どうしたんだい、ぶるぅ?』
「あのね、誕生日が消えちゃった! お願いカードを書き直すのを忘れたから!」
サンタクロースが消しちゃったんだよ、ぼくの誕生日、クリスマスプレゼントで消えて…。
バースデーケーキも御馳走も無しで、プレゼントも無し、と泣き叫んだら。
『おやおや…。だけど、パーティーの用意は出来てるよ? おかしいねえ…。あっ?』
ぶるぅ、手紙が落ちてないかい? プレゼントの横に。
サンタクロースからの手紙じゃないかな、開けて読んでごらん。
「手紙…?」
本当だ、と見落としていた封筒を拾って開けたら、こう書いてあった。サンタクロースから。
「誕生日はね、消せないんだよ、ぶるぅ君。そんな悪戯をしたら、私が神様に叱られるよ」
でも、プレゼントを配るのが私の仕事だからね。どうしようかと考えて…。
君が悪戯小僧なことは知っているから、今年はプレゼントをあげないことに決めたんだ。
悪い子には鞭を置いて行くのが約束だけれど、鞭は無しでね。
来年は鞭を貰わないよう、ちゃんといい子にするんだよ。…悪戯小僧のぶるぅ君へ。
サンタクロースより、と終わっていた手紙。すると、今年のプレゼントは…。
『無いみたいだね、ぶるぅ。…残念だけれど、その方が良かったんじゃないのかい?』
誕生日は消えなかったから、というブルーの思念に「うんっ!」と返して万歳したら。
「お誕生日だあ!」と躍り上がったら、一斉に届いた仲間たちの思念。
『『『ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ!!!』』』
九歳のお誕生日おめでとう、と幾つもの拍手がシャングリラ中に湧き起こる。それに、いつもの年と同じに、超特大のバースデーケーキも御馳走も用意されているようで…。
『ぶるぅ、ぼくと一緒に公園に行こう。パーティーをしなきゃ』
パーティーには主役がいないとね、と大好きなブルーに誘われたから。
「良かったぁ…。消えてなかった、ぼくの誕生日…」
プレゼントは貰えなかったけど、お誕生日は残っていたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は急いで駆け出した。瞬間移動をするのも忘れて、青の間へ。大好きなブルーとパーティーだよ、と。
クリスマスプレゼントを貰わなかったことが、今年は最高のクリスマスプレゼント。
誕生日は消えてしまわなかったから、今年もみんなに祝って貰える誕生日。
生まれた時からずっと子供で、これからも子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。来年も、その次も、そのまた次も。三百年でも、ずっと子供で、サンタクロースが来てくれる子供。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、本日をもって満九歳。
悪戯は少しもやみそうもなくて、これからもグルメ三昧で好き放題の子供だけれど。
ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。九歳のお誕生日、おめでとう!
困った誕生日・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、お読み下さって感謝です。
悪戯小僧な彼との出会いは、2007年の11月末。
葵アルト様のクリスマス企画で出会って、せっせと彼の話を捏造。BBSで。
その投稿が初創作だった管理人。気付けば8年経っていました、アッと言う間に。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」と出会わなかったら、読み手で終わっただろう人生。
BBS投稿からシャン学が生まれ、流れ流れて、とうとう此処まで。
原点になった、悪戯小僧の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
年に一回、お誕生日は祝ってあげなきゃ駄目でしょう。
クリスマス企画の中で満1歳を迎えましたから、今年9歳になるんです。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、9歳のお誕生日、おめでとう!
※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)
←悪戯っ子な「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお話v
朝御飯のテーブルに目玉焼き。
でなければオムレツとかスクランブルエッグ。
朝食には欠かせない卵。ぼくはトーストやホットケーキだけでお腹いっぱいになってしまって、食べ切れない時もあるけれど…。パパに「食べてよ」ってお皿ごと渡すことも多いんだけれど。
それでも朝御飯の席の卵料理は当たり前のように毎朝あるもので、無い時の方が珍しい。
好き嫌いが全く無いぼくだから、お腹が一杯にならない限りは目玉焼きも半熟玉子も、もちろん他の卵料理も出されたものは綺麗に食べる。
ハーレイと再会してからは、前よりも頑張って食べるようになった。だって卵は栄養たっぷり。早く大きくなれますように、と背丈を伸ばすためのミルクと同じで祈りをこめて食べてるのに…。
(…全然、大きくなれないんだよね)
一向に伸びる気配も見せない、百五十センチのままのぼくの身長。
ハーレイと会った春とおんなじ、一ミリさえも伸びてはいない。とっくに秋になってるのに…。
草木がすくすくと育つ若葉の季節も、太陽の光が溢れてた夏も、ぼくの背丈には関係無かった。これから冬へと向かってゆくのに、ぼくの背丈はどうなるんだろう?
ただでも冬場はあまり背丈が伸びないと聞くし、ぼくの経験上も、そう。よく伸びる季節は春と夏。劇的に伸びた経験は無いけど、その時期が一番伸びる時期。
(……もう駄目かも……)
今年は伸びてくれないのかも、と悲しくなるけど、諦めない。
背が伸びないとハーレイとキスも出来ないから。
前のぼくと同じ背丈の百七十センチにならない限りは、ハーレイとキスが出来ないから…。
一所懸命に努力してるのに、食べた効果が背丈に反映されない小さなぼく。
学校から帰って、クローゼットに付けた印を見上げて溜息をついた。床から百七十センチの所に鉛筆で微かに引いた線。前の生でのぼくの背丈を示す線。
ドキドキしながら線を引いた頃は、そこまでの距離は日が経つにつれて短くなってゆくものだと信じていた。毎日は無理でも毎月ごとに少しずつ差が縮まるんだと思っていた。
(…まさか一ミリも伸びないだなんて…)
どうしてこうなっちゃったんだろう。
頑張って食べて、ミルクも飲んで、神様にお祈りもしてるのに。
早く大きくなれますように、ってお祈りするのを忘れた日なんか一度も無いのに伸びない背丈。
(…ハーレイは今のぼくも好きだって言ってくれるけど…)
大好きなハーレイは、小さなぼくが「可愛い」とお気に入りだけど。
「急がないでゆっくり大きくなれよ」とも言ってくれるけど、ハーレイにはきっと分からない。ぼくがどんなに悲しんでいるか、背が伸びないことが悲しくてたまらないのか分からない。
ハーレイはとっくに立派な大人で、いつだって余裕たっぷりだから。
大きな身体に見合った心はとても広くて、ぼくがどんなに八つ当たりしても「うんうん、お前の気持ちは分かった」って苦笑しながら受け止めてくれる。
大人で心も広いハーレイ。ぼくと違って、余裕がいっぱい。
ぼくの背丈が伸びないくらいはハーレイにとっては些細なことで、いつも言ってる「俺は何十年だって待てるさ」っていうのも多分、本当。ぼくの背が伸びてキスが出来るようになって、本物の恋人同士になれる時まで何十年だってハーレイは待てる。
でも、ぼくの方はそうはいかない。
ハーレイと違って大人の余裕も広い心も、小さなぼくは持っていないから。
(…持ってるつもりでいたんだけどな…)
前のぼくの三百年以上もの記憶があるから、大人なんだと何度も思った。ハーレイにだってそう主張した。だけど流石に何ヵ月も経てば自分でも分かる。ぼくはやっぱり子供なんだと。
(早く大きくなりたいのに…)
背丈も、子供になってしまったらしい心も。
そのためには食べて背丈を伸ばすしかなくて、近道なんかはありそうにない。毎日のミルクと、食事をしっかり。それしか無いって分かってるけど…。
悩んでいたって仕方ないから、宿題を済ませて気晴らしに本を読むことにした。その内に薄暗くなってきて、じきに真っ暗。パパが仕事から帰って来る夜。ガレージにパパの車が入って、ママが呼ぶ声が聞こえて来た。「ブルー、御飯よ!」って。
階段を下りてダイニングに行ったら、夕食は卵を沢山使った具だくさんのオムレツがメイン。
ママがお皿に取り分けてくれた分を全部食べようと頑張ったけれど、ジャガイモやソーセージがいっぱい入ったオムレツはとても食べ切れなくて。
「なんだ、ブルー。また残すのか?」
パパに訊かれたから「うん…」と答えたら、「寄越せ」と自分のお皿に移し替えるパパ。ぼくが残したオムレツをペロリと平らげて、ママにおかわりまで頼んでる。凄い、と感心するしかない。パパの背がハーレイとあまり変わらないのも当然だよね、と思ってしまう。
ぼくもパパみたいに食べることが出来たら、背だってきっと伸びるのに…。
羨ましそうに眺めるぼくに、パパは「お前はもっと食べないとな」とウインクした。
「でないと大きくなれない上に、料理だってもったいないぞ。パパが食べるから残りはしないが、そうでなければ食べ残しはゴミになるだろう?」
「…うん……」
パパのお決まりの台詞だけれども、何かが心に引っ掛かった。
心の何処かに、クイッと何かが。
(…何だったのかな?)
引っ掛かったものは何だったろう、と食事の後で部屋に帰って考えていて。
(あっ…!)
パパが言ってた「もったいない」だと気が付いた。
今日の夕食の具だくさんのオムレツ。ぼくが残してしまった卵を沢山使ったオムレツ。なんとも思っていなかった上に、卵は朝御飯のテーブルの定番だから特に気にしていなかったけれど。
(シャングリラでは卵が貴重品だった時代があったんだっけ…)
パパの「もったいない」という言葉と、具だくさんのオムレツが運んで来た記憶。
遠い遠い昔に、ぼくが暮らしていたシャングリラ。
ぼくが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
虐げられていたミュウたちを乗せた、あの頃のぼくの世界の全て…。
この間、風邪を引いてしまったぼくにハーレイが野菜スープを作ってくれた。
いつもの「野菜スープのシャングリラ風」は何種類もの野菜を細かく刻んで基本の調味料だけでコトコト煮込んだスープだけれども、それにとろみをつけて卵を落とした特別なスープ。
ハーレイ曰く、野菜スープのシャングリラ風の風邪引きスペシャル。
とろみのあるスープに細い糸みたいな溶き卵。
卵が贅沢に丸々一個。
今のぼくたちにとっては卵はごくごく普通の食材、贅沢なんかじゃないんだけれど。
ぼくたちがシャングリラで暮らしていた頃、ハーレイが初めて卵入りのスープを作った時代には卵は貴重な食材だった。
そう、卵の入った野菜スープはぼくだけのための特別なメニュー。
ソルジャーだったから貰えた卵。
ただ一人きりの戦えるミュウだったから貰えた卵。
貴重品の卵を野菜スープに丸々一個…。
前のぼくが卵入りの野菜スープをハーレイに初めて作って貰った頃。
シャングリラでは栄養価の高い卵は貴重品で大切、一人で一個なんかは食べられなかった。目玉焼きでもオムレツでも一人分に卵が半個あったら上等な方。
身体の大きいハーレイなんかは卵一個の半分なんかじゃ全然足りなかっただろう。他にも食べるものはあったから、お腹が空くわけじゃないんだけれど…。
卵が一人に一個の半分。
地獄としか呼べないアルタミラの研究所に居た時ですら、餌の卵は一人に一個あったのに。
そのアルタミラを脱出した直後は卵があった。脱出に使ったシャングリラの前身だった船の中に保存食の卵が積み込まれていた。
いわゆる卵って言うんじゃなくって、フリーズドライ?
とにかく保存食用の乾燥卵で、殻なんか無くて。お湯で戻して料理をしていた。それなりに卵の味がしたから、そこそこ使える食品だった。
だけど保存食の卵を使い切った後は、卵は一気に貴重品になった。
鶏さえいれば卵はいくらでも産み落とされるから、何処の惑星でも簡単に自給自足が出来るし、新鮮な卵が手に入る。他の惑星から輸入しなくても済む、食料品の中の優等生。
そんな卵を大量に乗せた輸送船なんかが宇宙を飛んでいるわけがない。
ぼくがせっせと奪い取っていた食料の中に卵を積み込んだコンテナや箱などは無くて、保存食の卵も保管場所が違うから滅多に奪って来られない。
まさか卵が食べられなくなるなんて、誰も思っていなかった。
アルタミラの研究所に居た時代でさえ、餌に卵があったのだから。
食べたくても食べられない卵。貴重品になってしまった卵。
そんな中、ぼくが食料を奪いに出た時、どういうわけだか大量の卵を手に入れたことがあって。
誰もが大喜びで卵を食べた。保存用の卵は作れなかったから、せっせと食べた。
もう食べ飽きたと笑い合いつつ、それでも卵料理のバリエーションがいくらでもあった。食料の在庫を管理していたハーレイがメニューの選定を頑張り、厨房にだって立っていた。
だけど卵はいつか無くなる。
奪って来たって、じきに無くなる。
どうしても卵が欲しいなら…。栄養価が高くて調理法も多い卵を手に入れたいなら、鶏を育てて産ませるしかない。
けれど、鶏をどうやって育てればいいのか。
鶏を飼うためのスペースが要るし、餌だって要る。環境も整えてやらないと…。
出来はしないと皆が思った。卵なんかは無理だと思った。
でも、問題は鶏だけじゃなかった。
食料も物資も今は人類から奪っているけど、それが出来るのはぼく一人だけ。奪いに行くための船だって無い。
シャングリラと名付けた船の格納庫には救命艇とシャトルだけしか無かった。武装している船が無ければ、奪った後に逃げることさえ出来ない。
つまりは、ぼくが倒れてしまえば食料も物資も補給不可能。
そういう面でも非常に弱いし、人類から奪った物でしか生きられないなら、そんな種族に未来は無い。シャングリラなんていう御大層な名前の船に住んでいたって、名前だけ。正真正銘の楽園に住みたかったら、シャングリラを本物の楽園に造り替えてゆくしかない。
奪う生活から、自給自足の生活へ。
人類が持っている物資に頼らず、ぼくたちだけの力で生きてゆける世界を創り出すこと。それが出来て初めてミュウは一つの種族になれる。
ただの理想だ、と言う者は一人もいなかった。
きっと誰もが心の底ではとうに分かっていたのだろう。自分たちの足で立たねばならぬと、今のままでは駄目なのだと。
そうして正式にキャプテンが選ばれ、ぼくはソルジャーと呼ばれる立場になった。
ハーレイの指揮の下、衣食住の全てを自分たちで賄える船を目指して改造が始まる。住む場所は元からの船室があったけれども、それも将来、人数が増えることを見越して改装を。
服も一から作り出せるように、設備などを整えてゆかねばならない。
そして何よりも肝心の食料。スペースの限られた船内に農場を設け、まずは簡単に栽培が出来て収穫量の多い野菜を植えた。上手くいったら別の野菜を、それが採れたらまた別のものを。
野菜の収穫のサイクルが出来て、シャングリラの中だけでパンが焼けるようになった頃。
船の改造もずいぶん進んで、皆に余裕が出来てきた。
自分たち以外の生き物が船に乗っていたって、気に障らないだけの心の余裕が出来た。そういう余裕が無い環境では船で家畜はとても飼えない。
そろそろ良かろう、とハーレイやゼルたちと話し合いをして、ぼくは鶏を奪いに出掛けた。鶏を飼っていそうな大型の船を探して、つがいで五組。全部で十羽。
ようやっと手に入れた十羽の鶏。つがいが五組。
卵を産んだ時には食べたかったけれど、みんながグッと我慢した。
鶏を育てて増やさないことには、卵は無くなってしまうから。雛を育てないといけないから。
卵が孵って雛が育って、一人前のシャングリラ生まれの鶏のつがいが何組も出来た。
近親交配にならないように気を付けて、頑張って世話をして。
シャングリラで育った鶏たちが卵を産むようになった。ついに食べてもいい卵が出来た。
それでも次の世代を育てなくては、と全部を食べたりはしなかった。
一週間に一個くらいなら、二個くらいなら…、と少しずつ増えていった食べるための卵。
皆で分けたら一人に一個は行き渡らなくて、二人で目玉焼きが一つだったり、オムレツが二人で一個だったり。
そんな貴重な卵の中からハーレイが一個貰って来てくれた。
寝込んでしまったぼくに飲ませる野菜スープに入れるためにと、丸々一個。
二人で一個の卵だった時代に、贅沢に丸々一個の卵…。
(…あのスープ、とっても美味しかったっけ…)
野菜を煮込んだだけの素朴なスープも好きだったけれど、とろみをつけて溶き卵を入れてあったスープも大好きだった。とても力がつきそうな気がした。
今では「風邪引きスペシャル」という名前になってしまった卵入りのスープ。
ハーレイが作ってくれる「野菜スープのシャングリラ風」よりも豪華な卵入りのスープ。
あの頃にはとても贅沢だった、卵を丸ごと一個も入れて作った野菜のスープ…。
(…そういえば…)
ぼくのためにと貴重品の卵を一個貰ってくれたハーレイ。
そのハーレイはいつ、一個の卵を食べたんだろう?
シャングリラ産の卵をハーレイが一人で丸ごと一個、口にしたのはいつなんだろう…?
(…いつだったのかな?)
ぼくの記憶には全く無い。
ハーレイは身体が大きいんだから、早い時期だとは思うけれども…。
初めの間は贅沢品だったシャングリラ産の鶏の卵。
ぼくが丸ごと一個を野菜スープに入れて貰っていた頃、他のみんなは二人で一個。もっと少ない日もあったろう。
シャングリラ産の鶏の卵を一番最初に丸ごと一個食べられた幸運な人間は、前のぼく。
そのぼくに卵を貰ってくれたハーレイは、いつ一個の卵を食べられたのかが気になったから。
次にハーレイが来てくれた時に訊こうと思ってメモを貼っておいた。
ハーレイとお茶を飲むテーブルの上にペタリと「卵」と書いたメモ用紙。
卵の文字は卵型の枠線でぐるっと囲んだ。
こうしておけば忘れないだろうし、ハーレイだって気付くだろうし…。
メモを貼った次の日、仕事帰りのハーレイが車で訪ねて来てくれた。夕食が出来るまでの時間をぼくの部屋で過ごすから、ママが部屋まで案内して来て、テーブルにお茶を置こうとして。
「あらっ、卵? なあに、このメモ」
「うん、ハーレイに訊こうと思って。シャングリラに居た頃の卵の話」
「ああ、シャングリラね」
きっと楽しいお話なのね、とママは紅茶とクッキーを置くと「ごゆっくりどうぞ」とハーレイに軽く頭を下げて出て行った。
ママもパパも、ぼくたちの前の生の話に基本的には立ち入らない。ぼくやハーレイが夕食の席で話す時には興味津々で聞いているけれど、それ以外の時は自分たちから話題にはしない。
ぼくとハーレイへの気遣いなんだと思うけれども、ちょっぴり申し訳ない気分。
だって、ママたちがキャプテン・ハーレイだと信じているハーレイは、本当はキャプテンである前にぼくの恋人。ソルジャー・ブルーだった頃のぼくの恋人。
おまけに今も恋人同士で、本物の恋人同士じゃないだけ。キスさえ出来ない関係なだけ。
ごめんね、ママ。
ぼく、ママとパパに内緒で恋人と会っているんだよ。
卵の話も、ハーレイがぼくの恋人でなかったなら、メモを貼るほどの話じゃないかも…。
ぼくの頭は卵からズレた方向へ行ってたみたいで、ハーレイに「おい」と声を掛けられた。
「なんだ、このメモは? 卵って、なんだ」
「えーっと…」
咄嗟に考えが纏まらなくって、「んーと、えーっと…」と繰り返してから、やっとのことで。
「ハーレイ、シャングリラで育った鶏の卵、初めて一個食べたのはいつ?」
「卵?」
「うん、卵。ぼくのスープに入れるために一個貰って来てくれたよね?」
あの頃は、一人一個は食べられない時代だったから…。
ぼくのために一個貰って来てくれたハーレイが丸ごと一個を食べられたのはいつなのかな、って思ったから…。
「俺か? 俺は最後に決まってるだろう」
「最後?」
それって、どういう意味だろう?
キョトンとするぼくに、ハーレイは「最後と言ったら最後だろうが」と返して来た。
「卵の数が少しずつ増えて、みんなが一個ずつ食べられる時代が来てからだ。全員が一個ずつ卵を貰ったのを確認してから、俺の分を貰いに行ったんだ」
だから最後だ、とハーレイが微笑む。
俺が一番最後なんだ、と。
思いもよらなかったハーレイの答え。
一番身体が大きかったハーレイはもっと早くに貰ったものだと思っていた。
どうしてそういうことになったのか、本当に分からなかったから。
「なんで? …なんでハーレイが一番最後?」
尋ねたぼくに、鳶色の瞳が片方パチンと閉じられて。
「キャプテンだったからさ」
そうでなければ食えたんだろうが…。
この身体だから、うんと早めに食えたんだろうと思うがな。
現にみんなも食えと何度も言ってくれたが、キャプテンだしな?
「キャプテンってヤツは船のみんなが快適に過ごせるようにと気を配るもんだ。そのキャプテンが先に食ったら駄目だろう?」
最後の最後でいいんだ、俺は。
みんなに卵が行き渡ったのを見届けて初めて、食える立場がキャプテンなんだ。
「そうだったんだ…」
ぼくの知らなかったハーレイの世界。
キャプテンとして色々と気を配っていたことは知っているけれど、卵までとは思わなかった。
メモを貼っておいて良かったと思う。卵の話を訊いて良かったと思う。
責任感の強いハーレイ。
前のぼくが好きだったキャプテン・ハーレイ。
最後まで卵を食べずにいたほど、シャングリラのみんなを大切に考えていたハーレイ…。
シャングリラ産の鶏の卵。
贅沢品だった頃の卵を最初に一人で一個食べられたのが前のぼく。ハーレイが最後まで食べずに我慢していたってことは…。
「ねえ、ハーレイ。それじゃ卵を一個丸ごと食べたの、ぼくが最初でハーレイが最後?」
「そうなるな」
「…ふふっ、シャングリラの卵事情の最初と最後はぼくたちなんだね」
ぼくはなんだか嬉しくなった。
ハーレイの責任感の強さを物語るエピソードを聞けたことも嬉しいけれども、卵が一人一個ずつ行き渡るまでの時間の最初と最後がぼくとハーレイ。最初がぼくで、最後がハーレイ。
本当に嬉しくてたまらない。そんな所でもハーレイとぼくがしっかり繋がっていたことが。
だからハーレイに訊いてみる。一番最後まで待って一個の卵を口にしたと語ったハーレイに。
「ハーレイ、今も卵は好き?」
「好きだな、前に一番最後まで食えなかったせいではないと思うが…」
卵料理は実に美味い、とハーレイが穏やかに微笑むから。
「今は山ほど食べられるね、卵」
「そうだな、好きな数だけ食い放題だな、それも地球で育った鶏の卵だ」
うんと美味い卵を食いに行こうか、と鳶色の瞳が煌めいた。
「いつか二人で、俺の車で」
「ホント!?」
「ああ。平飼いの鶏の卵が美味い農場があってな、オムレツやケーキが食べられるんだぞ」
「行きたい!」
連れて行って、と頼んだら「よし」と褐色の小指が伸びて来た。
「大きくなったら連れてってやろう。しっかり食べて大きくなれよ」
「うんっ!」
約束だよ、と小指を絡めたぼくに、ハーレイは友達と出掛けたという農場の話をしてくれた。
なだらかな丘で沢山の鶏を放し飼い。鶏たちは好きに歩いて餌をついばんで、黄身がこんもりと盛り上がった卵を産むという。地球の太陽を浴びて育った鶏の卵。
(…きっとシャングリラの卵の何百倍も何千倍も美味しいんだよ)
それをハーレイと一緒に、ハーレイの車で食べに行く。
シャングリラ産の鶏の卵を丸ごと一個食べるのを一番最後まで我慢していたハーレイと。
そのハーレイが好きなだけ卵料理を食べる姿を見ていたら、きっと幸せな気持ちになれる。
ぼくたちは二人で地球に来たんだと、美味しい卵を幾つ食べてもいいのだと…。
(…だけど、ぼく…。オムレツとかケーキとか、そんなに沢山食べられるかな?)
ちょっぴり心配になったけれども、ハーレイがいるから大丈夫。
食べ切れなかった分はきっとハーレイが綺麗に平らげてくれるから。
うん、食べたいメニューは全部注文したっていいよね?
ねえ、ハーレイ…?
贅沢だった卵・了
※シャングリラでは贅沢品だった時期があった卵。鶏がいないと卵は難しかったのです。
こういう前世の記憶のお蔭で、地球の卵も美味しく食べられるんですね。うんと贅沢に。
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暑いという言葉をすっかり聞かなくなった秋。残暑も終わって爽やかな秋晴れの土曜日のこと。ブルーは朝から部屋の掃除を済ませてハーレイが来るのを待っていた。
天気のいい日はハーレイは徒歩。まだか、まだかと二階の窓から見下ろしていた生垣の向こうの通りに颯爽と歩くハーレイの姿。大きく手を振れば、窓を見上げて振り返してくれる。
(…ふふっ)
今日もいい日になりそうだ、と母が門扉を開けに出掛けてハーレイを部屋まで案内してくるのを待った。庭のテーブルでお茶もいいけれど、今の季節は午後でも充分、外でお茶に出来る。だから午前中は自分の部屋でいい。ハーレイと向かい合わせで座って、ゆっくりと。
母がハーレイを連れて来てくれて、テーブルの上にお茶とお菓子と。部屋の扉が外からパタンと閉められ、母の足音が階段を下りて消えたら二人きりの時間。軽い足音がトントンと階段を下りてゆく間、聞き耳を立てるのがブルーの習慣。
ハーレイと微笑み交わしながら耳を澄ます時も、赤い瞳は恋人をじっと見詰めている。前の生で運命に引き裂かれてしまった記憶があるから、どんな時でもハーレイの姿を見ていたい。
もっとも、何度もこうして会っている内に、余裕も出来てはきたのだけれど。ハーレイが居ても窓の外の何かに気を取られたり、目の前のお菓子に夢中になったりもするのだけれど。
それでも二人きりの時間の始まりは見詰めることから。
今日のハーレイはどんな風だろうか、と表情を眺めたり、服装を見たり。其処でブルーはハタと気付いた。
(あっ……)
ハーレイが着ているラフなシャツの袖。
窓から手を振っていた時は全く意識していなかった。学校では普通に見かける格好だから。
夏休みが終わって学校が再開された時から、ハーレイは長袖のワイシャツだった。半袖の教師も少なくないのに、長袖を着て、ボタンも襟元まできちんと留めて。
思えば夏休みに入るまでの暑い間もハーレイのワイシャツは長袖だったし、ボタンも全部留めていた。ブルーの家を訪れる時には半袖のシャツを着ていたのだから、学校で着る長袖はハーレイの流儀。教師たるもの、服装も隙の無いように。恐らく、そういう考えなのだろう。
前の生でもキャプテンの制服を常にカッチリと着込んでいた。長老たちだけの寛いだ席では他の者たちがマントを外すこともよくあったけれど、ハーレイは上着を脱がなかった。その頃の記憶が意識の底に在るのだろうか、とブルーに思わせた夏の間のハーレイの長袖。
そのワイシャツではないが、長袖のシャツがハーレイの腕を覆っていた。半袖のシャツから外に出ていた褐色の腕が、逞しい腕が見えなくなってしまった…。
夏休みの間中、半袖姿を見慣れていたハーレイ。
それが学校が始まった途端、学校では夏休み前と同じ長袖のワイシャツになってしまったから。「暑くないの?」と尋ねてみたら「柔道着に半袖なんかは無いぞ」と涼しげな答えが返った。
それでもブルーの家を訪ねて来る時は半袖だったから、やはり暑いものは暑いのだろう。そんな暑さでも学校では長袖で通すハーレイを「ハーレイらしい」と思ったものだ。
キャプテンだった頃と変わっていないと、前のハーレイと同じハーレイなのだ、と。
そのハーレイがついにプライベートでも長袖になってしまった事実。
ブルー自身はとうに長袖になっていたけれど、ハーレイの腕が全く見えないことは悲しい。
すっかり見慣れた、筋肉を纏ったガッシリした腕。細っこいブルーの腕とはまるで太さが異なる腕。ハーレイの動きに合わせて筋が動いて、時には筋肉が盛り上がっていた。
夏休みの最後の日に二人で写した記念写真。
庭で一番大きな木の下で、ハーレイの腕に両腕でギュッと抱き付いて撮った。
あの時の感触をブルーは今でも忘れられない。
逞しかったハーレイの腕。弾力があるのに、同時に硬くて頼もしさを感じた強い腕。
写真は大切に机の上に飾ってあったし、写真のハーレイは変わらず半袖。
なのに目の前のハーレイは違う。あの腕は長袖に隠れてしまって、手しか見えない…。
母の足音が聞こえなくなった後も、ブルーはハーレイの腕に見入ったまま。
言葉の一つも口にしないから、ハーレイが不審そうに「どうした?」と訊いた。その声で現実に引き戻されたブルーは、ハーレイの腕を見ながらポツリと呟く。
「…ハーレイの袖…」
「ん?」
一瞬、意味を掴みかねたハーレイだったが、直ぐに「ああ」と思い当たって。
「長袖のことか。…流石にこういう季節になったら半袖はな」
ジョギングにでも行くならともかく、とハーレイはブルーに言ったのだけれど。
ブルーは「うん」と頷く代わりに、違う言葉を紡ぎ出した。
「……腕が見えない」
「そりゃ見えんだろう、長袖だぞ?」
「なんだか寂しい!」
そう叫ぶなり、ブルーが立ち上がる。テーブルの横をぐるりと回って移動し、ハーレイの椅子の所まで行くと、恋人の膝の上に座って腕を掴んだ。
まずは右腕。両手でしっかり捕まえておいて、袖をグイグイとまくってゆく。
「お、おい…」
何をするんだ、と慌てるハーレイを無視してグイグイまくって、肘の辺りまでまくり上げると、次は左の腕を捕えた。そちらの袖も肘までまくって、「よし!」と満足そうな笑顔をみせる。
「この部屋の中は暖かいから、これでいいよ」
こうしていてよ、とブルーは自分がまくり上げた袖から覗いた腕をポンと叩いた。
(ハーレイの腕が戻って来たよ)
半袖と違って肘から先しか見えないけれども、ハーレイの腕。
褐色の肌の下にしっかり筋肉をつけた、鍛え上げられたハーレイの腕。
それを再び見られることをブルーは喜び、大満足で自分の椅子へと戻った。しかし…。
「お前なあ…」
変わるもんだな、とハーレイに感慨深げに言われてキョトンとする。
「何が?」
「お前だ、お前」
ハーレイはブルーと視線を合わせた。鳶色の瞳の奥に宿った悪戯っぽく輝く光。宿した煌めきを隠そうともせずに、笑みまで浮かべてブルーに問う。
「俺が初めて半袖のシャツで此処に来た時、お前は俺に何て言ったんだ?」
「えっ?」
ブルーは答えを返せなかった。質問の意味は理解できるが、何の記憶も残ってはいない。初めてハーレイが半袖で来た日がいつだったのかも覚えていないし、何があったのかも分からない。
(…えーっと…。夏休みよりも前だったのは確かだけれど…)
其処から先が思い出せない。その日に何があったのだろう、と懸命に記憶を遡ってみても欠片も出て来ず、「うーん…」と顎に手を当てる小さなブルー。
本当に覚えていないらしいブルーの姿に、ハーレイはクックッと喉を鳴らして。
「忘れちまったか? 「デリカシーに欠けているってば!」と叫んだぞ、お前」
「あっ…!」
その言葉を耳にして鮮やかに蘇る記憶。
(そ、そうだったっけ…!)
前の生では愛し合う時しか見ることが無かったハーレイの腕。褐色の皮膚に覆われた逞しい腕。それを惜しげもなく晒すハーレイの半袖姿に頬が熱くなり、なのに全く気付きもしないで両の手で頬に触れて来た恋人に文句を言わずにはいられなくなって…。
(…八つ当たりしちゃったんだよ、ハーレイに…!)
ブルーは耳まで真っ赤になった。
あの日、確かにハーレイに向かって言い放ったのだ。
さっきハーレイが言ったとおりに、「デリカシーに欠けているってば!」と。
恥ずかしさのあまり俯くしかないブルーを前にして、ハーレイは余裕の腕組みをした。
「思い出したか? …俺に言わせれば、お前の方がよほどデリカシーに欠けているがな? よくも俺の服を脱がせやがって」
コレだコレ、とハーレイが袖をまくられた両方の腕を腕組みをしたまま軽く叩いてみせるから。ブルーは真っ赤に染まった顔で、消え入りそうな声で言い返した。
「……脱がせてないよ……」
ハーレイの服を脱がせた覚えなど無い。
腕が見たくて両方の袖をまくり上げただけで、断じて服を脱がせてはいない。
言いがかりだ、と抗議したいけれども、まだ恥ずかしくて滑らかに喋れそうもない。
もの言いたげにモゴモゴと唇だけを動かすブルーを、ハーレイが楽しそうに観察しながら。
「ふうむ、脱がせてないってか? まあ、脱がせ方としては間違ってるな。こんなやり方では全く脱がせられない」
俺の脱がせ方、覚えているだろ?
袖はまくり上げるんじゃなくて肩から抜くんだ。
前のお前の服の場合は、まずファスナーを下げてだな…。
「…あ、あれは…!」
もちろんブルーも覚えていた。
白地に銀の模様があったソルジャーの上着も、黒いアンダーも褐色の手がファスナーを下げて、それから胸と肩とを露わにされて…。
(ダメダメダメ~~~っ!)
考えただけで恥ずかしすぎる。
自分はハーレイのシャツの袖をまくり上げただけで、脱がそうなどとは考えていない。
それなのに服の脱がせ方など、わざわざ話してくれなくたって…!
茹でダコのようになってしまったブルー。
元の顔色に戻るまでにはかなりかかって、その間中、ハーレイはずっと笑っていたのだけれど。
ようやくブルーが落ち着いた頃に、「なあ、ブルー」と優しく微笑みかけた。
「デリカシーに欠けることではあるが、だ。…だが、俺としては嬉しくもある」
この袖まくり、と肘まで見える左腕を同じ状態の右腕の指先でトントンと叩き。
「お前が俺の腕に馴染んでくれていたことと、見えなくて寂しいと思ってくれたことと…な」
光栄だな、と笑顔のハーレイ。
そこまでこの腕を気に入ってくれてとても嬉しいと、鍛え上げておいた甲斐があったと。
「しかしだ。今日みたいな普段着の時ならかまわないんだが、学校帰りにワイシャツで来た日には絶対にやってくれるなよ?」
皺になったら厄介なんだ。
ワイシャツは俺の仕事着だからな。
「…ハーレイ、自分でプレスしてるの?」
ブルーは驚いて目を丸くした。
今の時代はワイシャツのプレスは全自動。ブルーの父でもそうなのだけれど、専用のハンガーに掛けてセットしておけば襟まで綺麗に仕上がる。洗うのだって機械任せで、よほどこだわりのある人くらいしか自分でプレスしたりはしない。専門のクリーニング店だってあるし…。
ハーレイはこだわるタイプだったのか、とシャツをまじまじと見詰めていれば。
「いや、俺は放り込むだけなんだが…。後は機械の仕事なんだが、俺はきちんとしたい口でな」
皺だらけのままで突っ込みたくない。
目についた皺は出来るだけ伸ばして、それから入れたいタイプなんだ。
「ハーレイ、それって…。キャプテンだった頃と同じだね」
「そうだな、全く変わっていないな。…言われてみれば」
専用の係がちゃんといたのに、キャプテンの制服を自分でプレスしようとしていたハーレイ。
何度も泊まりに行っていたから、ブルーも鮮明に覚えている。
(やっぱりハーレイはハーレイなんだ…)
そういうことなら、ワイシャツの袖をグイグイまくって皺だらけにしてはいけないだろう。
普段着だったらかまわないとは言われたけれども、それは自分の我儘だから。
ハーレイが長袖を着る季節になったからには、また慣れるしか…。
褐色の逞しいハーレイの腕。
肘から先だけしか見えていなくても、充分に強そうなハーレイの腕。
それを見られるのは今日でおしまいなのか、とブルーは名残惜しげに眺めながら。
「…そっか…。ハーレイの腕と暫くお別れなんだ……」
「俺は腕まくりでも気にはしないが、半袖の服が見たけりゃ来年の夏まで待ってることだな」
「夏…!?」
ついこの間、終わったばかりの夏という季節。
次に半袖の夏が巡ってくるまで、いったい何ヵ月あるというのか。
愕然としたブルーは「長すぎるよ、それ…!」と嘆きの声を上げたが、ハーレイの方は。
「長いって…。今日のシャツはまだ薄い方だが、今にもっと生地が分厚くなるぞ。…それに上から服だって着る。そうなったら袖はそう簡単にはまくれないな」
袖をまくっても上着の袖が被さってくるとか、そういう季節がやって来るさ。
秋の次には冬が来るだろうが。
「そうだよね…。その内に、キャプテンの制服を着てた頃みたいになっちゃうんだね…」
ブルーは残念でたまらなかった。
恋人同士として愛し合う夜にしかハーレイの腕を見られなかった頃。
半袖の服を着たハーレイは何処にも居なくて、キャプテンの制服ばかりだった頃。
けれど、その頃でも夜になったら見ることが出来た。
自分を抱き締めてくれる逞しい腕を、褐色の肌に覆われた筋肉が盛り上がるハーレイの腕を…。
(……来年まで見られないなんて……)
あの腕を来年まで見られないなんて、と肘から先だけを無理やり袖から引っ張り出してしまった褐色の腕をブルーは見詰める。
もう袖をグイグイとまくることはすまい、と決心したけれど、やっぱり寂しい。
今日で見納めになるのかと思うと、本当に寂しくてたまらなくなる。
(…ハーレイの腕…)
もっと見ていたい。
もっともっと触れて、もっと触って、腕の硬さを確かめてみたい。
前の生では毎晩のように触れて眺めて、抱き締めて貰った腕だから。
いつだって自分の直ぐ側にあって、それがどんなに力強いかを身体中が知っていた腕だから…。
その腕がもう見られなくなる。
来年の夏まで、また半袖の季節が来るまで見られなくなる…。
しょんぼりと項垂れるブルーの頭を、ハーレイの手が伸びて来てクシャクシャと撫でた。
「おいおい、そんなに名残りを惜しまなくても、あと数年の辛抱だろうが」
結婚したら見放題だぞ、俺の腕くらい。
半袖の季節を待たなくっても、年がら年中、見放題だろうが。
前と違って夜に限ったことでもないしな、俺たちの仲を隠さなくてもいいからな?
家に鍵さえかけておけばだ、真昼間だって見ていいんだぞ?
「…真昼間…?」
ハーレイの言葉をオウム返しに訊き返してから、ブルーの顔はまたしても真っ赤に染まった。
昼日中からハーレイと二人、恋人同士で愛し合う時間を持つなんて…!
前の生では全く考えられなかったことだけれども、確かに今なら不可能ではない。
それは恥ずかしくもあり、また嬉しくもあったのだけれど、それはそれ。
今よりもずっと未来の話で、今のブルーには夢物語。
ハーレイとキスさえ交わすことが出来ない、背丈が百五十センチしかないブルーにとっては夢のまた夢。
だからブルーは悲しくなる。
ハーレイの腕との別れを思って、寂しくて悲しくてたまらなくなる…。
「どうした、ブルー? 俺と結婚するんだろうが? でもって腕も見放題だぞ」
な? とハーレイが頭を撫でてくれるから。
寂しい気持ちを訴えたくて、ブルーは赤い瞳を揺らして見上げる。
「…そうだけど…。そうなんだけど……」
だけど、それまでは待つしかないもの。
次の半袖の季節が来るまで、ハーレイの腕は見られないもの…。
「うん? そりゃまあ、そういうことにはなるんだが…。結婚するまではそうなんだが…」
だが、とハーレイは片目をパチンと瞑ってみせた。
「そうしょげるな。来年の夏くらい、直ぐにやって来るさ」
うんと幸せに暮らしていればな、アッと言う間に日が経つもんだ。
楽しい時間は直ぐに過ぎると言うだろう?
それと同じだ、じきに来年の夏になる。
お前、充分に幸せだろうが。前のお前の時と違って、幸せ一杯の毎日だろうが?
違うのか、ブルー…?
ハーレイに穏やかに諭されたけれど、ブルーにはピンと来なかった。
毎日が幸せで溢れた今。
前の生とはまるで違って、幸せだけで出来ているような暖かく、そしてまろやかな時間。
それはブルーをふうわりと包み、ゆっくりとゆったりと流れてゆく。
今日の続きにはまた明日があって、明日が来ることが当たり前の平和な世界。
シャングリラの中だけが世界の全てだった頃と違って、明日が来ないことを恐れることなど全く必要ない世界。
そんな世界に生まれて来たから、充分すぎるほどに豊かな時間はとても長くて、果ての見えない大河のよう。二十四時間の一日でさえも、前の生での一ヶ月とも一年だとも感じるくらいに。
三百年以上もの長い時を生きた前の自分が刻んだ時より、十四歳の自分の方が長く生きたと思うくらいに…。
だからブルーは首を傾げる。
「そうなのかな? ぼくにはうんと長かったけど…」
ハーレイに会ってから今日までの長さ。
うんと幸せだったけれども、全然、短くないんだけれど…。
幸せすぎると時間って長く感じるものだよ。
前のぼくが生きてた間の幸せな時間を全部合わせても、ハーレイと会ってからの分の半分くらいしか無かったような気がするよ…。
「ふうむ…。幸せすぎると時間が長いか」
ハーレイは「うむ」と頷くと、ブルーの大好きな笑顔になった。
「なら、幸せをうんと楽しんでおけ。毎日が長いのはいいことだ、うん」
前のお前の分まで楽しめ。
三百年以上も生きたお前が幸せだった分の倍以上をもう味わったのなら、何十倍も何百倍も。
そうやって幸せに生きていたなら、人生、うんと値打ちが出るしな。
だから幸せな時間を楽しんで生きろ。
「俺の腕なんかにこだわらずに……な」
そう囁かれて、ブルーは即座に「やだ!」と叫んだ。
「ハーレイの腕だって幸せの内だよ、見られたのも幸せの内なんだってば!」
大好きな腕だもの、こだわりたいよ。
好きなだけ見られた今日までの時間も幸せだったし、来年の半袖も楽しみなんだよ!
絶対こだわる、とブルーが小さな拳を握ると、ハーレイが「うーむ…」と難しい顔で。
「お前、とことん変わったなあ…。確かに言われた筈なんだが?」
デリカシーに欠けている、と、お前の声で。
夏の初めの話だったと記憶しているが、記憶違いか?
「その話は無し! もう時効!」
時効なんだから、とブルーは懸命に主張する。長い時間が流れ去ったから、もう時効だと。
「お前にとっては長かったのかもしれないが…。生憎と年寄りは時間が経つのが早くてな」
二十四歳も年上の俺にとっては一瞬だったし、時効どころか昨日ぐらいの感覚だな。
「酷い!」
ハーレイ、酷い、とブルーは声を張り上げたけれど、時効は成立しなかった。
十四歳の小さなブルーの倍以上もの年を重ねた恋人は可笑しそうに笑い続けるだけ。
デリカシーに欠けると怒っていたブルーも変わったものだと、人間、変われば変わるものだと。
「うー…」
膨れっ面になってしまったブルー。
それでもハーレイの逞しい腕を、ブルーがまくり上げた袖から覗いた褐色の腕を見ないで過ごすことは出来ない。今日で見納め、来年の夏まで見られない腕。
(…ハーレイ、意地悪なんだから…!)
まだ笑っている恋人を睨むと、「おっ、もうおしまいにしていいのか?」と折角まくっておいた袖を元に戻そうとするふりをするから、そうそう睨むわけにもいかない。
睨みたいけれど、睨めない。
それに笑われても、時効ではないと笑いの種にされても、褐色の肌をしたハーレイが好きだ。
ハーレイも、ハーレイの褐色の腕も、何もかもが好きでたまらない。
だから笑われても、苛められても、ハーレイをじっと見ていたい。
今日で見納めになる逞しい腕はもちろん、笑い続ける意地悪な恋人のハーレイの顔も。
そしてまた、ハーレイに笑われる。
デリカシーに欠けると叫んだブルーも、本当に変われば変わるものだと……。
秋に着る物・了
※ハーレイの服の袖をせっせとまくったブルー。腕が見たくて頑張る所が可愛いですよね。
なのにハーレイには笑われる所が可哀相と言うか…。いじらしいと思うんですけれど。
「デリカシーに欠ける」と叫ぶお話は、第26弾の『夏に着る物』です。
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