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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 夏休みに入って暫く経った、七月の末の夜のこと。今日も訪ねて来てくれていたハーレイが夕食を済ませて「また明日な」と帰って行った後、ブルーは二階の自分の部屋に戻った。
(…ハーレイ、ぼくが生まれるのを待っててくれたんだよね…)
 昼間、そういう話になった。ハーレイはブルーが母の胎内に宿る前からこの町に住んで、家まで買って貰ってブルーを待っていたのだ、と。「俺はお前に会うためにこの町に来たんだろうな」と聞かされてとても嬉しかった。
 ブルーはベッドの端に腰掛け、幸せに浸っていたのだけれど。
(あっ…!)
 ハーレイがその話をしてくれた時に座っていた椅子。自分の膝に座ったブルーを抱き締めていた時に座っていた椅子。
「そっか…。この椅子はハーレイを待ってたんだね」
 ブルーは自分の部屋に置かれた来客用の椅子を眺めた。
 其処はハーレイの指定席。ブルーの部屋を訪ねて来た時、ハーレイが必ず座っている椅子。



 ベッドを子供用から今のベッドに買い替えた時に、父と母が「これも」と買ってくれた来客用のテーブルと二脚の椅子。
 「友達が遊びに来た時に要るだろう?」と父は言ったが、たまに来てくれる友人たちとは一階のリビングで遊んでいた。ブルーの部屋は決して狭くはないのだけれど、遊び盛りの子供たちが駆け回れるほどに広くはない。
 幼い時でさえそうだったのだし、身体が大きくなってきたなら尚更だろうと思ったブルーは父に「テーブルも椅子も要らないよ」と答えたのだが、「いつか要るさ」と買われてしまった。
 今にして思えば、年頃になったブルーが恋人を家に呼んでくることを考えて買ってくれたのかもしれない。広いリビングで向かい合っても落ち着かないだろうし、客間では些か仰々しいし…。
(…そうだったのかも…)
 多分そうだ、とブルーは思った。「いつか要るさ」と父は言ったのだし、遊び友達ならそんなに遠い先でなくとも部屋に遊びに来る筈だ。今の学校に入ってからは皆、クラブなどで忙しいから、学校でしか遊べないけれど…。
 父と母が選んでくれた友達用だか、恋人用だかの来客用のテーブルと椅子。
 買って貰った当時のブルーには「子供らしくない」と思えたセットだったけれど、今はすっかり部屋に馴染んだ。掃除の度に移動させるには立派に過ぎる重さのテーブル。大きさの割にズシリとしたそれは、ハーレイとのお茶に、食事に活躍している。
 椅子も見かけより遙かに重い。木の枠に籐を張った背もたれは軽やかに見えるのに、ハーレイの広い背中もしなやかに受け止めて揺るがない。
(色がハーレイ向きなんだよね…)
 クッションの効いた厚めの座面。深緑と呼ぶには少し淡い色。若々しい苔の緑だろうか。
 父と母とが決めた色だが、今になって見れば前の生でのハーレイのマントを淡くしたような色。子供部屋にしては渋めの色なのに、ブルーは少しも嫌ではなかった。むしろその色の椅子がいいと思えた。軽やかな青などの椅子も店には沢山揃っていたのに。
 ハーレイのマントを思わせる色の椅子だったから、「これでいいよ」と言ったのだろうか。この色が欲しいと思ったのだろうか。
 そう、ハーレイが前の生の記憶など無かった頃から、マントと同じ色をした車を選んだように。



 座面がハーレイのマントの色に似た色の椅子を買って貰って、テーブルも買って。
 いつか其処に座る人が現れるのを待っていたのだ、という気がする。それと気付いていなかっただけで、ハーレイがこの町に来たのと同じようにブルーもハーレイを待っていた。
 ハーレイは隣町からこの町に来て、ブルーが生まれてくるのを待った。ブルーはハーレイが座る椅子を用意して、ハーレイと再会する日を待った。
 なんと幸せな待ち時間だったのだろう。互いに知らずに待ち続けていた運命の相手。前の生から愛し愛された恋人同士で、悲しすぎた別れを帳消しにしてなお余りある幸福の中で再び出会った。
 前の生で行きたいと焦がれた地球。青く輝く水の星に二人で生まれ変わって、其処ではもう誰もミュウを迫害しはしない。人は全てミュウで、穏やかで平和で温かな世界。それが自分たちが住む地球であって、もう誰もハーレイとブルーの間を引き裂きはしない。
(…うん、ハーレイとぼくが恋人同士だって言っても多分、大丈夫…)
 男同士でも結婚出来るし、両親も許してくれるだろう。最初は驚き、慌てふためくかもしれないけれども、その状態を通り過ぎたら、両親ならきっと許してくれる。
 ブルーが恋人を連れて来た時のために、とテーブルと椅子を買ってくれた両親だから、女の子を家に呼んでくる代わりにブルー自身が「お嫁さん」になると言っても、許してくれるに違いない。
 父は「孫が生まれたら遊んでやりたかったんだがなあ…」と残念がりそうで、母も「可愛い孫が見られないのは寂しいわねえ…」とガッカリしそうだが、それでもきっと許してくれる。
 二人とも、ブルーを本当に大切に思ってくれているから。
 ブルーがソルジャー・ブルーの生まれ変わりだと分かった時に、寂しそうだった両親だから。
 前世の記憶を取り戻したブルーが何処かへ行ってしまうのでは、と心配していたブルーの両親。決して口には出さなかったけれど、ブルーにはちゃんと分かっていた。
 その後、ブルーは何処へも行かずに家で暮らしていて、ハーレイが足繁く訪ねてくるだけ。
 両親はとても安心したことだろう。
 ブルーは前と変わらず自分たちの子で、大切な一人息子なのだと。



「…ホントはハーレイ、恋人なんだけどね?」
 とっくに恋人を家に連れて来ちゃっているんだけどな、とブルーは微笑む。
 両親は全く気付いてはいない。
 ハーレイといえば、前世でブルーの右腕だったキャプテン・ハーレイだとばかり思っている。
 それとブルーの守り役を引き受けてくれた教師の顔と、その二つしか両親は知らない。
 キャプテン・ハーレイで教師なハーレイ。
 どちらも正解で、どちらも間違い。
 本当はソルジャー・ブルーだった頃のブルーの恋人がキャプテン・ハーレイ。右腕だったことは真実だったし、周りもそうだと信じていたから今でも歴史書などにはそう書かれている。それでも前世のブルーにとっては恋人だったし、その想いは今も変わってはいない。
 聖痕現象を起こしたブルーが二度と再発させないように、と守り役に就いてくれたキャプテン・ハーレイそっくりな顔の教師が今のハーレイ。生まれ変わったキャプテン・ハーレイである事実は伏せられていて、ほんの僅かな人しか知らない。ブルーの前世の恋人だとは誰も知らない。
 キャプテン・ハーレイで教師だけれども、本当はブルーと恋人同士。
 まだキスすらも交わしていない仲であっても、前の生からの恋人同士。
 そのハーレイがブルーの部屋を訪ねて来る時に腰掛ける椅子。キャプテン・ハーレイのマントの色を淡くしたような色の座面を持った椅子。
 この椅子はきっと、ハーレイを待っていたのだろう。今よりも幼かったブルーの部屋に置かれた時から、座るべき人を待ち続けた。座面の色を濃くしたような色のマントを纏って前世のブルーを補佐し、愛したハーレイが此処にやって来る日を。



(…ハーレイのための椅子なんだよね…)
 ブルーは頬を緩めてハーレイの指定席の椅子を眺めた。
 ハーレイとの初めてのデートになった庭にあるテーブルと椅子も特別だけれど。最初はハーレイが持って来てくれたキャンプ用のテーブルと椅子だったのを、ブルーのお気に入りの場所になって間もなく父が専用のものを買って据え付けてくれた。
 庭で一番大きな木の下に置かれたテーブルと椅子。木漏れ日が射す白いテーブルと椅子は特別な場所で、ハーレイとの初めてのデートの場所なのだけれど、この部屋の椅子はもっと特別な椅子。
 ハーレイのためにだけ存在する椅子。
 買って貰った頃には、重たい椅子とテーブルは子供らしくないと思って見ていたものだ。もっと軽くてシンプルなもので充分なのに、と考えたことも何度もあった。
 それでも何故か嫌いにはならなかった椅子。
 どうしてそうだったのか、今なら分かる。いつかハーレイを迎えるために在る椅子だったから、子供らしくないと考えはしても「取り替えたい」とは思わなかった。椅子に相応しい人が来るのを待っていたから、重たい椅子でも受け入れた。
 改めて見てみれば、ハーレイのために在るような椅子。
 がっしりとしたハーレイが座っても、ビクともしないしっかりした椅子。
 ハーレイの膝の上にブルーが乗っても、二人分の体重を軽々と受け止めてくれる椅子。
 この椅子で良かった、と本当に思う。もしも子供らしく軽い椅子を選んでいたなら、ハーレイと部屋でお茶を飲んだり食事をするには頼りなかったことだろう。
 重すぎるテーブルもまた同じ。二人分のお茶やお菓子や食事の皿を並べて置いても揺らがない。
 ハーレイと二人きりの時を過ごすために誂えたかのようなテーブルと椅子。
 どちらもハーレイを待っていた。
 ハーレイが腰掛ける日を待っていた椅子はきっと、テーブルよりも一日千秋の思いで待っていたのだろう。其処に座るべき人が来るのを、ハーレイが此処に現れる日を…。



(…ふふっ)
 ハーレイのための椅子だと思うとなんだか嬉しい。
 ブルーが生まれる前からこの町に来て待っていたというハーレイのように、自分も部屋に椅子を用意して待ったのかと思うと、とても嬉しい。
 前世ではハーレイとブルーを引き裂いてしまった運命の糸が、今度は二人を結び付けるべく張り巡らされて導いてくれて、奇跡のように再会出来た。
 出会えただけでも幸せなのに、出会う前から二人して出会いの日に備えていた。そうと知らずに家を買って貰って引っ越して来たり、椅子を買って貰って部屋に置いていたり。
 互いに互いを待って、待ち続けて、ようやく出会えた運命の相手。
 まだキスさえも出来ない仲でも、いつか必ず前世でのように結ばれて共に歩み始める恋人同士。
(…今度は結婚するんだよ)
 前の生ではひた隠しにした仲を明かして、祝福されて結婚する。両親は最初は途惑いはしても、きっと許してくれるだろうから。ブルーを大切に思ってくれる両親だから、今度こそハーレイと共に歩みたい、と望めば許してくれるだろうから…。



(…結婚したい、って言う時までは内緒にしないといけないんだけど…)
 両親が腰を抜かすような事態は避けたかった。ハーレイのことは大好きだけれど、今の父と母もブルーにとっては大事な家族だ。
 ハーレイと再会してから間もない頃には「両親がいなければハーレイと一緒に暮らせたのに」と思ったりもしたが、そう考えたのは一瞬のこと。波立っていた心が落ち着いてくると、自分を思う両親の優しさに包まれ、家族が居る幸せに満たされて嬉しくなった。
 前の生では失われてしまった養父母の記憶。たとえ記憶があったとしても養父母で実の親子ではないし、目覚めの日と呼ばれた十四歳での成人検査を境に別れた後は二度と会えない。
 それに比べて今の両親は血が繋がった本物の家族。母はブルーを産んでくれたし、父と母が結婚していなかったらブルーは生まれて来ていない。おまけに成人検査などは無く、十四歳の誕生日を迎えてからもブルーは両親に庇護される子供。大切に育まれている子供。
 温かな家をくれた父と母とを悲しませたいとは思わなかった。だからハーレイと恋人同士であることは時が来るまで伏せなければ、とブルーは思う。腰を抜かして欲しくはないし、恋人であるとバレたハーレイが出入り禁止にされるのも嫌だ。
(…パパとママはぼくが大事だもんね?)
 ハーレイが可愛い息子をたぶらかしたに違いない、と両親はきっと考えるだろう。前世から恋人同士だったとブルーが泣いて訴えたところで「勘違いだ」と切り捨てられるのが関の山。ブルーが充分に大きく育って、恋や結婚が普通な年にならない限りは恋人同士だとは明かせない。



「……早く大きくなりたいなあ……」
 身体だけが早く大きくなっても、年齢がついてこないことには結婚は無理。それでもハーレイに禁止されているキスは出来るようになる筈だ、とブルーは育つ日を夢見ていた。ハーレイとキスを交わして、それから、それから…。
 本物の恋人同士になれる日はいつなのだろう、と考えながらハーレイのための椅子を見た。その向かい側にある自分の椅子とを交互に眺めては溜息をついて…。
(あれっ?)
 キャプテン・ハーレイのマントの色を淡くしたような色をした座面。ハーレイの椅子と、自分の椅子と。テーブルを挟んで向かい合わせに置かれた椅子。
 よくよく二つを見比べてみれば、ハーレイの椅子の方の座面が少しへこんでいる。見比べないと分からないけれど、二つの椅子の厚みが僅かに違う。同じ椅子を二脚揃えて買ったのに…。
(……んーと……)
 二人分の体重だな、とブルーは直ぐにピンと来た。
 向かい合わせで座っている時も多いけれども、ブルーがハーレイの膝に座って甘えていることも非常に多い。そういう時にはハーレイの椅子はハーレイとブルー、二人分の体重をしっかりと受け止め、ブルーの椅子は軽い空気だけを乗せている。
 二人分の体重と、空気だけと。そんな使われ方の差が積もり積もって出て来たようだ。
(…でも、きっと…。ハーレイの体重のせいだと思うよね、ママ)
 がっしりと頑丈な身体のハーレイ。その体重はブルーの倍か、はたまたもっと重いのか。訊いてみたことは無いのだけれども、重いことだけは間違いない。
 もしも母が椅子の厚みの差に気付いたとしても、二人分の体重だとは思わないだろう。ブルーの倍ほどもあるハーレイが圧縮したと考える方が自然で、当然。
(うん、二人分だなんてバレないって!)
 大丈夫、とブルーは笑みを浮かべた。
 たっぷりと厚みのある座面のクッション。キャプテン・ハーレイのマントを淡くした色。
 ハーレイの椅子のクッションの厚みと、ブルーの椅子のそれとの違いが誰の目にも一目で分かるくらいになった頃には、今は小さな自分の身体も大きく育っているのだろうか。
 ハーレイと結婚出来るくらいに大きく育っているのだろうか…。



(…育っているといいんだけどなあ…)
 いつまでもハーレイの膝の上だと嫌だな、とブルーはクローゼットに視線を向けた。
 母に見付かって叱られないよう、鉛筆で微かに付けた印が其処に在る。
 床から百七十センチの高さに引かれた線は、ソルジャー・ブルーだった頃のブルーの背丈。その高さまで背が伸び、大きくなったらハーレイがキスを許してくれる。その日までは膝の上に乗って甘えるだけしか出来そうもなくて、ハーレイの椅子の厚みは減る一方で。
(…厚みだけ減っても悲しいだけだよ…)
 それに見合った分だけ背を伸ばしたい、とブルーは願う。椅子の厚みが減ったのならば、その分だけ背が伸びるとか…。
(でも……)
 再会してから今日までの間に明らかに減ったクッションの厚み。見比べないと分からないほどの差ではあっても、ミリ単位の差が出来ている。それに比べて背丈ときたら…。
(…一ミリも伸びていないんだよね…)
 今の学校に入った直後の身体測定で、ブルーの背丈は百五十センチ。
 ハーレイと再会してから「早く大きくなりたい」と懸命に食べてミルクも飲んで、大盛りランチまで頼んでみたのに、二度目の身体測定の結果は百五十センチちょうどという始末。一ミリすらも伸びてはいなくて、そのまま夏休みに入ってしまった。
 夏休みに伸びる子も多いと聞いたが、クローゼットに付けた印は一向に近付きそうもない。
(……そりゃあ…。大盛りランチは全然食べられなかったんだけど……)
 ハーレイに手伝って貰ったんだけど、と思い出してブルーは悲しくなった。沢山食べる運動部員たちをターゲットに据えた大盛りランチ。頼んだまでは良かったのだけれど、あまりの量に悲鳴を上げそうになっていた所へハーレイが来て代わりに綺麗に食べてくれた。
(…ハーレイ、あれだけ食べられるんだもの…。大きくて重くて当然だよね)
 そのハーレイと自分の体重を受け止めて少しへこんだハーレイの椅子。
 ハーレイの指定席だと示すへこみは嬉しかったが、ハーレイ自身の体重だけで出来たへこみなら倍ほど嬉しかっただろう。自分の小ささを思い知らせてくれる、二人分の体重で作ったへこみ。



(…その内、ハーレイの分だけになるよ)
 きっとそうだ、とブルーは自分に言い聞かせた。
 百五十センチから伸びなかった背丈が伸び始めたなら、ハーレイの膝に乗るには大きすぎると。
 その考えをハーレイが聞いていたなら、「そうか?」と笑うに違いない。
 「お前、大きくなったら本当に俺の膝には座らないのか?」と。
 前の生でソルジャー・ブルーだったブルーは、ハーレイの膝に座っていたのだが…。その状態でキスを強請っていたりもしたものなのだが、今のブルーはその頃の記憶に思い至っていない。
(ハーレイの椅子はハーレイ専用の椅子なんだものね)
 ずっとハーレイを待っていたんだもの、と少しへこんだ椅子を眺めてブルーは微笑む。
 ハーレイがこの町に来てくれたように、自分の部屋にもこの椅子があって良かった、と。
 大好きなハーレイのためだけに、ずっと前から用意されて来訪を待っていた椅子。
 この椅子がすっかりへこんだ頃には、きっとハーレイと結婚出来る。
 キャプテン・ハーレイのマントの色を少し淡くした色の座面を持った椅子。
 ハーレイのための椅子とテーブルを揃えて自分は待った。
 だからきっといつか、ハーレイと……。




         君のための椅子・了


※ブルーが買って貰った椅子とテーブル。ハーレイのために誂えたような色の椅子。
 本当にハーレイを待っていたのでしょうね、いつか現れる筈の恋人を…。

 聖痕シリーズ、4月から更新ペースが上がります。暫くは毎週月曜更新ですv
 書き下ろしショートも増えてきてます、たまに覗いてみて下さいね。
 そして、3月31日はブルー君のお誕生日。桜、咲きました~!
 ←拍手してやろう、という方がおられましたら、こちらからv

 ←書き下ろしショートは、こちらv

 ←最新の更新情報は、こちらv






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 ハーレイは実に美味しそうに食べる。
 大きな身体に見合った胸のすくような食べっぷりもさることながら、食べている時のその表情。ブルーの母が作る料理はもちろん、お菓子の類もそれは嬉しそうな顔で味わって食べる。
 幸せそうなハーレイの顔。前の生でもハーレイは食べることが好きだったろうか、と遠い記憶を遡ってみても、思い当たる節は無いのだけれど。
 今のハーレイは本当に何でも美味しそうに食べているから、見ているブルーまで幸せな気持ちになってくる。中でも特に嬉しそうに見えるのがパウンドケーキを口にする時。
 これが好物だと聞いているから、ハーレイの家を訪ねた時にも焼いて貰って持って出掛けた。
 しかし、前の生のハーレイはパウンドケーキが好きだったろうか?
 そんな記憶はブルーには無い。ハーレイが菓子を好んでいたという記憶も無い。
 シャングリラにも菓子はあったし、紅茶を淹れてのティータイムもハーレイと一緒に楽しんだ。紅茶は香り高くはなくて、菓子の材料も豊富にあったわけではない。それでも心癒されるひと時。栄養を摂るための食事とは違う、魂に栄養を与える時間。
 ハーレイと過ごすティータイムは前の生のブルーが好んだものだが、暖かく優しい時間が流れる其処に美味しそうに食べるハーレイの姿はあっただろうか?
 もちろん不味そうに食べていたわけがないし、笑みを絶やしはしなかったけれど。笑みはブルーだけに向けられたもので、今の表情とはまた違ったもの。
 食事を嬉しそうに味わって食べるハーレイは今の充実した生をそっくりそのまま表しているように思えてくるから、ブルーは好きでたまらなかった。
 美味しいものを沢山食べて頑丈な身体を作って、幸せに生きて来たハーレイ。何を食べていても嬉しそうだけれど、一番幸せそうに見えるパウンドケーキにはどんな思い入れがあるのだろう?
 今日も母が焼いたパウンドケーキを美味しそうに味わっているハーレイ。その表情を見ていたら訊きたくなった。どうしてパウンドケーキが一番なのかを。



「ねえ、ハーレイ。パウンドケーキが一番好き?」
「…パウンドケーキ?」
 唐突な質問にハーレイが怪訝そうな顔をする。
「パウンドケーキがどうかしたのか?」
「お菓子の中では一番好きなの? パウンドケーキ」
「いやまあ…。お前のお母さんが作ってくれる菓子はどれも美味いが、どうしたんだ?」
「ハーレイの顔だよ」
 ブルーはニッコリ笑ってみせた。
「パウンドケーキを食べている時が一番幸せそうなんだ。だから一番好きかと思って」
「なるほどな。…うん、お前のお母さんの菓子の中では一番かもなあ」
「やっぱりパウンドケーキなんだ…」
 当たっていた。ブルーの胸にじんわりと充足感が広がってゆく。ハーレイの一番の好物が何か、それを知ることが出来て嬉しい。
 ブルー自身は口当たりの軽いシフォンケーキの方が好きだが、ハーレイはパウンドケーキが好みだと言う。母に強請って次からはパウンドケーキばかりにしたいくらいだけれども、続きすぎたら飽きがくるかもしれないし…。
「なんでパウンドケーキなの?」
 ブルーの問いにハーレイが「ん?」と口に入れたパウンドケーキを噛み締めながら。
「…おふくろの味とそっくりなんだ。ガキの頃から食っていたのと同じ味なのさ」
 ケーキやクッキー、パイにプディング。様々な菓子を作ってくれたというハーレイの母。ブルーの母が作る菓子たちの中で、ハーレイが家で食べていた味にそっくりなものがパウンドケーキ。
「これを食べると子供の頃に戻ったような気がしてなあ…。景色まで浮かんでくるほどだ」
「景色?」
「俺がこいつを食ってた頃のリビングだとかキッチンとかさ」
 今も大して変わっていないが、と懐かしそうな瞳をするハーレイ。隣町にあるというハーレイが生まれて育った家。ハーレイの幸せな記憶と結び付いた味。
 もっと聞きたい、と願うブルーの気持ちが顔に現れていたのだろう。ハーレイは好物のケーキを口に運びながら、思い出話をしてくれた。



 ハーレイの大好きなパウンドケーキ。
 幼い頃から食べていたという、ハーレイの母が焼くパウンドケーキ。
「おふくろは色々と作ってくれたが、お前のお母さんのパウンドケーキを食った時には驚いたな。おふくろの味を此処で食えるとは思わなかった」
「そんなに似てる?」
「ああ。おふくろがコッソリ持って来たのかと思うくらいに同じ味だな、嬉しいもんだ」
 本当に美味い、とハーレイはブルーが大好きな表情でパウンドケーキをじっくりと味わう。
「…お前はまだ小さいから分からんだろうが、俺くらいの年になってくるとな、ふとしたはずみに食いたくなる味が出来てくるんだ。あれをもう一度食ってみたいとか、そういうのだな」
「その気持ち、ぼくにもちゃんと分かるよ、ハーレイ。…ハーレイの野菜スープの味」
 ブルーが寝込んでしまった時にハーレイがたまに作ってくれる。前の生でブルーのためにと青の間の小さなキッチンで作ってくれた野菜スープと同じ味。何種類もの野菜を細かく細かく刻んで、基本の調味料だけで煮込んだスープ。ハーレイ曰く、「野菜スープのシャングリラ風」。
「アレか…。そうだな、あれと似ているかもな」
「でしょ? 食べたら幸せな気持ちになれるよ、ハーレイのスープ」
「そうか。…お前はチビだが、そういえば普通のチビとはちょっと違ったな」
「チビじゃないってば!」
 抗議するブルーに「いや、チビだ」と答えを返して「チビといえば…」とハーレイは続けた。
「お前、ミーシャを知ってるよな? おふくろが飼ってた真っ白な猫だ」
「うん。写真を見せて貰ったよ」
「おふくろが材料を計る横でな、ミーシャがおねだりしていたもんだ。ミルクをくれって鳴いてるんだな、パウンドケーキにミルクは入れないのにな?」
 ケーキ作りの区別がついていなかったんだろう、とハーレイは笑った。ハーレイの母が粉や卵を用意していると足元でミャーミャー鳴いていたミーシャ。牛乳を使うケーキも沢山あるから、その一つだと思い込んでいたのだろうと。
「そういう時の俺の役目がミルクを出してやることだったさ。でないと踏んづけちまうしな」
「…踏むの?」
「おふくろがパタパタ動き回るんだぞ、その足元でおねだり攻撃だ」
「それは確かに踏んづけちゃうかも…」
 ハーレイの母と猫のミーシャと、ミルクを入れてやる子供時代のハーレイと。温かなキッチンが目に浮かぶようだ。幸せに溢れたハーレイが育った隣町の家。
 其処で焼かれたパウンドケーキ…。



 ハーレイの母が作るケーキと同じなのか、と思うとパウンドケーキが特別なものに思えて来た。しかしハーレイは「特別か?」と言いつつ、名残惜しそうに最後の一口を味わってから。
「なんてこったない、ごくごく単純なレシピだからな? 誰が作っても……と言いたいトコだが、どうやらそうではないらしいぞ」
 俺が焼いても何処かが違う、と聞かされたブルーは驚いた。ハーレイが料理をすることは知っていたのだが、まさか菓子まで手作りだとは…。
「おいおい、いつでも作っているわけじゃないぞ? たまにな、そういったものも作りたくなる。せっかくオーブンまで揃っているんだ、使わないとキッチンが可哀相だろうが」
 嫁さんがいない分、俺が使ってやらないと。
 ハーレイはパチンと片目を瞑った。ブルーの瞳がまん丸になる。
(え? …えっと…。お嫁さんがいないからハーレイが焼いているっていうことは…)
 …ということは、ブルーがハーレイと結婚したなら、パウンドケーキを焼くのだろうか? 母が焼くパウンドケーキがハーレイの母の味と同じ味なら、期待をされているかもしれない。ブルーもハーレイが大好きな味のパウンドケーキを焼けるであろう、と。
(…ど、どうしよう……)
 ブルーはパウンドケーキを上手に焼けるどころか、料理の腕すらも実は危うい。家庭科の授業に調理実習なるものが無ければ包丁も上手く使えなかった可能性が大だ。教えて貰ったことは無難にこなすが、レシピを見ながら作るとなると覚束ない。
(……でも……。ハーレイは期待してるかもだし、パウンドケーキ……)
 母に教わるべきだろうか、と困った顔になったブルーにハーレイは笑ってこう言った。
「ははっ、お前にパウンドケーキを焼いてくれとは言わないさ。…料理の腕も期待してないぞ? お前、ソルジャー・ブルーだった頃には何も作っていなかったしな?」
「…そうなんだけど…。ハーレイは作ってくれていたよね、野菜スープを」
 野菜スープのシャングリラ風。
 青の間のキッチンはブルーのための食事を作る場所であって、ブルーが作る場所ではなかった。今と同じ虚弱体質だったブルーに少しでも栄養のあるものを、と料理の仕上げをするための場所。遠い食堂から運ぶ間に味が落ちぬよう、食事担当のクルーが心を砕いていた場所。
 ハーレイは其処でブルーのためにと野菜のスープを作っていた。キャプテンの任務を終えた後の時間に、あるいは多忙な仕事の合間にブリッジを少しだけ留守にして。
 その頃を思い出すと胸が熱くなる。目頭も熱くなってくる。
 自分たちは今、どれほど幸せなのかと。どれほど幸せで穏やかな世界に生まれたのかと…。



 遠い前の生に思いを馳せるブルーに、ハーレイが「おい、ブルー」と声を掛けてきた。
「昔を懐かしんでいるのは分かるんだがな…。あの頃は菓子は作っていないぞ」
「そうだったっけ?」
 ハーレイなら作っていそうな気がした。
 前の生でもミュウらしからぬ丈夫な身体をしていたハーレイ。アルタミラからの脱出直後は確か調理も担当していた。ブルーは何ひとつ作れなかったけれど、ハーレイは船にあった雑多な食材を使って色々な料理を作ったものだ。
 どんな仕事でも器用にこなせる腕を見込まれ、ハーレイはキャプテンに選ばれた。船がどういう状態にあるか、必要とされる物資は何で、するべき作業はどれなのか。船の状況を把握し、適切な判断を下すためには総合的な知識が欠かせない。料理も、もちろん航宙学も。
 そういう経緯を知っていたから、菓子の類も作っていたかと思ったのに。
「お前な…。菓子が作れるくらいに落ち着いた頃には、俺はとっくにキャプテンだったが?」
「それはそうだけど…。趣味か何かで作ってないの?」
「作っていたなら、食わせない筈がないだろう? まずはそういうプレゼントからだ」
「えっ?」
 キョトンとするブルーに、ハーレイがクックッと可笑しそうに喉を鳴らした。
「お前を釣るためのプレゼントさ。甘いものには目が無かったろう?」
「ちょ、ハーレイ…!」
 ブルーの頬が赤く染まった。
 前の生でまだ結ばれてはいなかった頃に、ハーレイが何度も訪ねて来ていた。ブルーの口に合う菓子が出た日に「俺の分も食べろ」と分けてくれたり、ついでに紅茶を淹れてくれたり。他愛ない話をしながらのほんの僅かな時間だったが、ブルーにとっては心安らぐ幸せな時で…。
 思えばあの頃、自分は既にハーレイに心惹かれていたのだろう。菓子や紅茶に釣られたわけではなかったけれども、あれこれと細やかに気遣ってくれるハーレイがとても好きだった。
「思い出したか? 俺の手作りの菓子だと言ったら、一発で釣れた筈なんだがな?」
「ハーレイっ!」
 ぼくは魚じゃないってば!
 照れ隠しに叫んだブルーの頭をハーレイの大きな手がポンポンと叩いた。
「分かった、分かった。…というわけで、菓子は作っていなかったんだが…。これからは、だ」
「これから?」
 何のことだろう、と首を傾げるブルーに、ハーレイは優しく微笑みかけた。
「さっきの料理とパウンドケーキの話だ、ブルー。…お前は自信がサッパリらしいが、安心しろ。お前の代わりに俺が作ってやるから」



 ハーレイが料理をして、パウンドケーキも焼くと言う。
 それはもちろん、今現在の話などでは無いだろう。いつかブルーと共に暮らせる日が訪れたら、ハーレイが料理をするという意味。
 ブルーは驚きに目を見開いたが、ハーレイは「いいな?」と笑みを浮かべた。
「お前は俺が作った料理を美味しそうに食べてくれればいい。それだけで俺は充分なんだ」
「で、でも…。でも、ハーレイ…」
 結婚してハーレイに貰ってもらう立場がブルーなのに。男同士のカップルの場合もそう言うのかどうか分からないけれど、「お嫁さん」にあたる立場になるのがブルーなのに。
 それなのに料理をしなくていいなどと言われても…、とブルーは酷く途惑ったのだけれども。
「それでいいのさ、俺はお前が居るだけでいい。お前と暮らせるだけでいいんだ」
 それにお前が突然、料理をするなどと言い始めたなら、お前のお母さんが何と思うか…。
 お前はこんなに小さいんだから、一人暮らしに向けての準備なんだとも言えんしな?
 その上、パウンドケーキの焼き方を教わりたいとなったら怪しすぎだ。
 パウンドケーキが好物とくれば俺が真っ先に疑われる、とハーレイが笑う。
「出入り禁止にはなりたくないしな。お前は当分、大人しくしてろ」
 俺がお前を貰いに来るまでは妙な真似をして先走るな、と。



「いいか、ブルー。…お前さえいれば何も要らない」
「でも…。でも、ハーレイの好きなパウンドケーキ…」
 ハーレイの大好きな味なのに、と言い募るブルーの髪をハーレイの手がクシャリと撫でた。
「俺の好きな味か? いいんだ、お前が最高の御馳走だからな」
「えっ?」
「お前だよ、ブルー。大きく育って食べ頃になったら俺と一緒に暮らすんだろう?」
「……食べ頃?」
 訊き返した後でその意味に気付いたブルーは耳まで真っ赤になったけれども、ハーレイの表情はそれは幸せそうだった。
 嬉しそうに食事をする時の顔。大好物のパウンドケーキを美味しそうに食べている時の顔。
 あまりに幸せそうな顔だったから、ブルーは「バカッ!」と叫ぶ代わりに飲み込んだ。
 こういう顔をするハーレイが好きだ。
 大好きなパウンドケーキを食べている時でも、食事をしている時の顔でも。
 たとえ「食べ頃」とやらに育った自分を指しているのであっても、美味しいと顔じゅうで語っているから。見ている方まで幸せな気持ちに巻き込んでしまう、この表情が大好きだから…。



(……ぼく、美味しいといいんだけれど……)
 今はまだ食べ頃になっていないらしい自分の細い手足を眺めて、ブルーは少し心配になった。
 期待させておいて裏切ってしまわなければいいが、と思うけれども…。
 きっとハーレイは、今度の生では幸せそうな顔だけをしてブルーを抱いて愛するのだろう。
 何でも美味しそうに食べる今のハーレイ。
 そのハーレイに相応しく、幸せそうな顔だけをしてブルーを食べにかかるのだろう。
(…うん、きっとそうだ…)
 ブルーがハーレイの好みの味ではなかったとしても、今度の生は前とは違う。
 前の生では二人で過ごす甘い時間の合間に、切なそうな顔をするハーレイを幾度となく見た。
 それは戦いに疲れたブルーを気遣う顔であったり、もう朝なのかと短く呟く時であったり。
 どんなに幸せな時を過ごしても、切ない顔をさせてしまった。
 明日は無いかもしれなかったから。明けた夜が二人の最後の夜かもしれなかったから。
 けれど今度の生では違う。
 たとえブルーが美味しくなくても、ハーレイには明日も明後日もある。
 いつか美味しくなるのだろう、と待てる時間が今のハーレイにはたっぷりとある。
 だからハーレイはガッカリせずに食べてくれるに違いない。
 ブルーの大好きなあの表情で、幸せそうな顔だけをして。
 今のハーレイには切ない顔は要らないのだから。
 「今夜で最後なのかもしれない」。
 そんな悲しい思いを抱いて離れなくてもいいのだから。
 ハーレイと二人、繋いだ手をしっかりと握り合わせて何処までも共に歩んでゆくのだから……。




          パウンドケーキ・了


※ハーレイの母が焼くパウンドケーキと、ブルーの母のパウンドケーキは同じ味。
 ブルーも焼けるといいんですけどね、お母さんと同じ味のを。
 
 聖痕シリーズの書き下ろしショート、少しずつ増えてきております。
 増えても告知はしてませんので、たまに覗いてみて下さいねv
 そうそう、3月31日はブルー君のお誕生日です。桜、咲くかな?
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv





今年の梅雨は雨が少なく、いわゆる空梅雨っぽい感じです。真面目に登校し続けている私たちは傘が要らない日が多くて嬉しいですけど、農家の人たちは困っているかもしれません。それでもやっぱり雨の日よりかは断然、曇りか晴れの日なわけで。
「今日もいい感じに降らなかったね、帰る時間まで大丈夫かな?」
放課後の中庭でジョミー君が曇り空を仰げば、シロエ君が。
「さっき調べたら明日の予報は曇り時々晴れでしたよ。梅雨前線も下がっていますし、今日は降らないと思います」
「やったぁ! 実はさ、傘を忘れて来ちゃってさ…。降ったら送って貰うしかないなぁ、と思ってたわけ」
「誰にだ?」
俺の家は反対方向だぞ、とキース君が眉を寄せると「俺だろ」とサム君。
「スウェナもおんなじ方向だけどよ、相合傘になっちまうしさ…。消去法で俺しか残らねえよな」
「男同士の相合傘か…。そいつは俺は御免蒙る」
どのみち反対方向だが、とキース君。
「大体、今朝の予報じゃ微妙な所だったんだ。折り畳み傘くらい鞄に入れておけ」
「そりゃそうだけどさ…。ママにも入口に置いといたわよ、と言われたんだけどさ…」
靴を履いたら忘れてしまった、と頭を掻いているジョミー君に、サム君もすっかり呆れ顔。
「そこまで言われて忘れたのかよ…。もしも降っても濡れて帰れよ、でなきゃ買うとか」
「同感だ。それが嫌なら降る前に帰れ」
今すぐ帰れば大丈夫だ、とキース君が校門の方向を示し、スウェナちゃんが。
「そうね、早く帰るのが一番よ。今日はキースたちも早かったのに残念だけど」
「酷いや、なんでぼくだけ!」
降ったらブルーかぶるぅに瞬間移動送って貰う、とジョミー君に帰る気はありません。え、なんでキース君たちが今日は早いのかって? 今日は柔道部がお休みなんです。この間の日曜日に大会があって遠征したため、代休と言うか、お疲れ休み。キース君たちは大会には出ていませんが…。
大会に出ない理由は特別生だからで、試合の代わりに応援のみ。高校一年生を何度も繰り返し続けているわけですし、出場しちゃったら実力が違いすぎるんです。
「キースたちもいるのに帰ったりなんかしないもんね! 今日は絶対、ぶるぅが凄いおやつを作ってそうだし!」
帰るもんか、とジョミー君は先頭に立ってスタスタと。いっそゲリラ豪雨に降られてしまえ、とも思いましたが、そうなっちゃったら一蓮托生でしたっけ。普通に曇りでいいです、はい…。



降る、降らないと揉めながら生徒会室のある校舎に入り、生徒会室の壁の奥に隠された「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと。壁の紋章に触れて入って行けば…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
フワンと漂う甘い香り。テーブルに大きなタルトが乗っかっています。わぁっ、桃がたっぷり豪華に並んでる~!
「今日のおやつは桃のタルトにしてみたよ♪」
シーズンだもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が切り分けてくれて、焼き立てのタルトに舌鼓。うん、美味しい! 帰らないとゴネていたジョミー君も満足そうです。
「ところで、ジョミー」
会長さんの声にハッと顔を上げるジョミー君。
「えっ、なに?」
「凄いおやつがありそうだから帰らないとか言っていたけど…。これは凄いわけ?」
普通に桃のタルトだけれど、と訊かれたジョミー君は暫し悩んで。
「ママはここまで大きいのは作ってくれないからね! 凄いんじゃないかな」
「…なんだ、予知能力に目覚めたってわけじゃなかったのか…」
「「「は?」」」
予知能力って何ですか? 目を丸くする私たちに、会長さんは。
「そのまんまだよ、予知能力さ。ぼくは全く得意じゃないけど、フィシスの占いは凄いよね? あんな感じでジョミーも予知に目覚めたかと…。一応、タイプ・ブルーだし」
「えーっと…。それって、ぼくのことだよね…。このタルト、ホントにスペシャルだとか?」
食べても分からなかったけれども、とジョミー君が尋ね、私たちもコクコクと。素材が変わっていたのでしょうか? それとも焼き方が特別だとか?
「違うね、桃は桃でもタルトじゃないんだ」
「「「へ?」」」
タルトじゃないって、どう見ても桃のタルトですよ? それに「そるじゃぁ・ぶるぅ」も確かに桃のタルトだと…。
「まあ、これだけで分かれば君たちも凄いわけだけど…。ぶるぅ、持ってきて」
「オッケー!!!」
キッチンに駆けてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。凄い粉でも出てくるのかな? それともこだわりのお砂糖だったり…?



間もなく戻って来た「そるじゃぁ・ぶるぅ」は立派な箱を頭の上に掲げていました。いわゆる桐箱というヤツです。桐箱入りのメロンとかサクランボとかは聞きますけれども、さっきの桃ももしかして…? なんか平たい桐箱ですし…。
「かみお~ん♪ 見て、見て!」
凄いんだから、とテーブルに置かれた桐箱の蓋が開けられ、中身はズラリと並んだ桃。綺麗に整列している上に減った形跡はありません。あれっ、だったら桃のタルトは?
「ふふ、タルトの桃は普通なんだよ」
ぶるぅが選んで買ってきたから立派な桃ではあるけどね、と会長さん。
「だけど、この箱の桃は特別なんだ。ジョミーはそれを予知したのかと思ったけれど、ただのまぐれか…。ちょっと残念」
「どうせ、まぐれだし!」
サイオンだってサッパリだし、と拗ねるジョミー君を他所に、キース君が。
「見事な桃だな。…特別と言うからには銀青様へのお届け物か?」
「それもハズレ。これはぼくへのお届け物だよ、マザー農場からソルジャーへのね」
「「「ソルジャー!?」」」
ソルジャーと言えば会長さんの肩書きです。そう呼ばれることを嫌っていたんじゃなかったっけ、と思いましたし、キース君もすかさず突っ込みましたが。
「いいんだよ、この桃は役得だから」
物を貰って悪い気分になるわけがない、と会長さんは上機嫌。
「特別も特別、もうスペシャルに特別ってね。正真正銘、初物なんだよ」
「初物を食べると寿命が延びるというアレか?」
まだ延ばす気か、と溜息をつくキース君ですけど、悪気なんかはありません。あくまで冗談、あくまでジョーク。会長さんにはいつまでも元気でいて欲しい、というのが私たちの共通の思いです。
「そう、それ! やっぱり寿命は延ばさなきゃ! 三百歳を超えたからには四百歳も超えてみたいし、四百まで行ったら五百歳超えを目指したいよね」
「……ついでに生涯現役なんだな?」
「もちろんさ。シャングリラ・ジゴロ・ブルーに定年は無いよ」
目指せ、元気な五百歳! と会長さんの夢は果てしなく…。縁起担ぎに初物を、と言いたいことは分かりました。でも、この桃の何処がスペシャル?
「マザー農場って言っただろう? そこが重要」
有難い桃を拝みたまえ、と桐箱を指差す会長さん。うーん、普通に桃なんですけど…?



しげしげと桐箱入りの桃を見詰める私たち。サイズも形も皮の色までも見事に揃った白桃です。初物と謳うからには今年最初の収穫でしょうが、その段階で数を揃えるのが難しいとか? あれこれと知恵を出し合ったものの、農作物のことは良く分かりません。
「…お手上げだ。この桃の何処が特別なんだ?」
俺には分からん、とキース君が代表で口を開きました。
「農業も果物も管轄外でな…。御本尊様へのお供え物のチェックはするが」
傷んだ果物をお供えしては失礼だから、とキース君。お供えの果物、普段は旬の物を供えてあるそうですけど、本堂で法要を行う時にはグレードアップするらしいです。法事なんかだと檀家さんの懐具合に合わせてメロンになったりすることも。
「このメロンが後で揉めるんだ。親父はメロンが好物でな。…ウカウカしてると食べ頃にササッと下げて来て冷蔵庫で冷やして一人メロンだ」
あれは許せん、とキース君の眉間に皺が。
「俺だって法事を手伝うんだし、おふくろも裏方で忙しいんだぞ? なのに一人でコソコソと…。普段は包丁も持たない親父がメロンを真っ二つに切ってガツガツとな」
スプーンで掬って食っているのを見付けた時の腹立たしさと言ったら…、と拳を震わせているキース君。けれど私たちの感想の方は違いました。
「…お供え物でもバレバレなんですか、法事のランク…」
袈裟でバレるとは聞きましたが、とシロエ君が呟き、スウェナちゃんが。
「なんだかシビアねえ…。うっかり法事も頼めないわね」
「お、おい! それはだな、そこは気にせず日頃からお寺との付き合いをだな…」
必死に菩提寺との御縁を説き始めるキース君。でも、所詮は袈裟とお供え物でバレるんですよね、法事のランク? お布施が少ないとモロバレなんだ…。
「仕方ないだろう、寺も色々と物入りなんだぞ!」
お供え物で赤字を出すわけには、と言われてみればそんな気も。袈裟だって洗濯機で洗える類のモノじゃないですし、必要経費というわけですか…。
「そんなトコだね、副住職ってヤツも大変なんだよ」
アドス和尚に言われて経理も手伝ってるし、と会長さん。なるほど、メロンの値段なんかにも詳しいのかもしれません。それでも目の前の桃は管轄外で…。
「分からないかな、マザー農場からソルジャー宛のお届け物って辺りでさ」
しかも桐箱、と会長さんは箱を示しています。そういえば会長さんの家で使う野菜はマザー農場の名前が入った段ボール箱入りだったような気も…。桐箱って所が大切ですか?



特別な桃のヒントは桐箱。桐箱入りの果物イコール高価な物のイメージですけど、桃は元々高い果物。桐箱入りだってあるでしょう。うーん、やっぱり分かりませんよ…。
「みんな揃ってお手上げかぁ…。この桃は今年初めて実った桃なんだよ。品種改良を重ねて生まれた新しい木から」
「「「えっ?」」」
「新種だってば、それの初物! もう究極の初物だよね」
それをこれだけ揃えてくるのは大変で…、と会長さんは得意げに。
「何本も育てている木の中から最高の実を選んでお届け! ソルジャーだけの特権さ」
「…ソルジャーだと何度も言ってるな? すると、この桃は宇宙用か?」
きっとそうだな、とキース君が訊けば、大きく頷く会長さん。
「流石、キースは察しがいいね。シャングリラ号で美味しい桃を提供するために改良したのさ、桃はクルーに人気だし…。今までのヤツでも充分に美味しい桃が採れるけど、これは実の数も多めなんだな。ついでに糖度もググンとアップ!」
地球で育てれば更に糖度が増している筈、と会長さんはウキウキと。
「せっかくだから君たちと食べようと思ってね。食べる直前に冷やすのが美味しく食べるコツだし、こうサイオンでいい感じにさ」
「かみお~ん♪ 一人一個ずつ食べるんだよね?」
よいしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな右手が人数分の桃を取り出し、テーブルの上へ。そこに会長さんが両手をかざすと青いサイオンの光がふうわりと。
「よし、出来た! ぶるぅ、剥いてよ」
「うんっ!」
涼しげなガラスのお皿に一人分ずつ盛られる桃。食べやすいサイズに切られてフォークつき。
「「「いっただっきまーす!」」」
さあ食べるぞ、と全員がフォークを握った所で。
「ちょっと待った! ジョミーは食べながら笑うんだね」
「「「へ?」」」
なんのこっちゃ、と奇妙な命令を出した会長さんを見れば、澄ました顔で。
「初物を食べると寿命が延びると昔から言うけど、その時に「笑いながら食べる」と言う人もいる。西を向くとか東を向くとか、そこは地域で変わるようだし…。とりあえず前を向いて笑いながら食べたまえ。傘を忘れたくせに食べ物目当てでやって来たんだ、そのくらいはやって貰おうか」
「えーーーっ!!!」
ヒドイ、と叫んだジョミー君の声は私たち全員に無視されました。人生、笑ってなんぼです。他人様の笑う姿を肴に食べる初物、さぞかし寿命が延びるかと~!



「…う、うう……。食べた気がしない…」
笑いながら食べるって無理すぎる、と突っ伏しているジョミー君。喉に詰めたり咳き込んだりと、ジョミー君と初物の桃の相性は最悪だったみたいです。それを見ていた私たちだって笑いが止まらなかったんですけど、桃はとっても美味しかったですよ?
「そりゃあ、みんなは笑う合間に食べてたし! ぼくのは笑いながらだし!」
逆に寿命が縮んだ気がする、とジョミー君はまだゲホゲホと。
「縮んだって? それはいけないねえ…。もう一個、普通に食べるかい?」
もう笑わなくていいからさ、と会長さんが差し出した桃にジョミー君はマッハの速さで飛び付きました。
「食べる!」
「はいはい、分かった。他のみんなは?」
「そうだな…。今度はしっかり味わいたいな」
さっきは笑い過ぎで味わう暇が、とキース君が手を挙げ、私たちも一斉にハイ、ハイと。桃はまだたっぷりと残っています。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が桐箱から数えて出していると。
「ぼくにも一個!」
「「「!!?」」」
誰だ、とバッと振り返った先で優雅に翻る紫のマント。来ちゃいましたよ、ソルジャーが…。
「桃だってねえ? しかも寿命が延びるって?」
これは絶対食べないと、とソファにストンと腰を下ろした会長さんのそっくりさん。
「こないだノルディの家で桃を御馳走になったんだけどさ、そんな話は無かったよ」
「……ノルディの家?」
また行ったのか、と会長さんはあからさまに嫌そうな顔。しかしソルジャーがその程度で怯む筈もなく…。
「そうなんだよね。いつもは外で食事だけれどさ、たまには家もいいでしょう、って! あそこのシェフも腕がいいから美味しかったな、デザートも特別に作ってくれたし」
ピーチメルバのブルー風、とソルジャーが宙に取り出したメニューには本当にその文字がありました。ソルジャー曰く、凝った外観で美味だったそうで。
「でね、その時にノルディが言ったわけ。「桃というチョイスに私の願望が入っているのですけどねえ」って! 初物の桃を使いました、とも言っていたけど寿命の話は…」
聞いてないなぁ、と呟くソルジャー。エロドクターは如何に高価な桃を取り寄せたかを熱く語っていたようですけど、その前に願望とやらが気になります。桃を選んだら何ですって?



降って湧いた災難ならぬ空間を超えて来たソルジャーは桐箱入りの桃に期待MAX。早く冷やせ、と会長さんにせっつき、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が剥いて器に盛り付けた後はもう夢中。
「うん、美味しい! 宇宙用に開発したんだっけ? ぼくのシャングリラにも欲しいくらいだ」
こっちの植物を持って帰れる環境だったら育てたいな、とパクパクと。
「これで寿命も延びるとなったらお得だよ。そうだ、ハーレイに…」
一切れお裾分けしておこう、とフォークの先から桃が瞬時に消え失せました。空間移動でソルジャーの世界のシャングリラに届けたみたいです。
「ふふ、ハーレイの笑顔もいいねえ…。ブリッジの空気も和むってね」
「「「は?」」」
「え、笑いながら食べるんだよ、って思念を送って口の中に放り込んだのさ。律儀に笑顔でモグモグやったし、ブリッジ中が笑いの渦! キャプテンが執務中に間食なんかをしてるんだから」
甘い果物とは誰も知らない、とソルジャーは楽しげにクスクスと。
「ゼルとブラウにガムを食べたと責められてるよ。もっとバレないモノにしろ、って説教されてる真っ最中。ガムの食べかすが残ってないのも証拠隠滅だと突っ込まれちゃって…。でも、ぼくからの差し入れだろ? それを思うだけで顔が緩むし、緊張感の欠片も無いよね」
あちらのキャプテン、反省の色が無いということで責め立てられているらしいです。それでもソルジャーからの桃の差し入れが嬉しくてたまらず、幸せ一杯、高鳴る鼓動。
「甘い桃の実を食べさせられても幸せ一杯って所が凄いよ。「寿命が延びる初物だってさ」とも伝えといたし、余計かな。あれで大して甘くなければホントに最高だったんだけど…」
ハーレイにはちょっと甘過ぎたかも、とソルジャーは甘い物が苦手なキャプテンの舌を気遣っています。昔は面白がって甘い物を無理やり食べさせたりもしていたくせに、すっかりバカップルになっちゃって…。結婚とはかくも偉大なものか、と感慨深く思っていると。
「ああ、それ、それ! ハーレイに桃を送った時点で忘れてたけど、ノルディの願望!」
その話をしていなかったっけ、とソルジャーがポンと手を叩いて。
「なんで桃をチョイスしてきたら願望なんだ、と思うだろ? だから当然、訊いてみたわけ。そしたらキッチンから生の桃を持って来させてさ…。そう、こんなの」
コレみたいに綺麗な桃だったよ、と桐箱を覗き込むソルジャー。
「で、ノルディが桃をこう指差して」
「触っちゃダメ~ッ!」
パッシーン! と弾ける青いサイオン。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が頬っぺたをプウッと膨らませています。そういえば桃って触ると傷むんでしたっけ…?



桃を触ろうとしたソルジャーに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はおかんむり。
「あのね、食べる時しか触っちゃダメなの! 傷んじゃうから!」
「し、知らなかった…。だってノルディは触っていたし…」
こんな感じで、と手を伸ばしかけたソルジャーから「そるじゃぁ・ぶるぅ」が桐箱を抱えて遠ざけ、触れないように蓋をしようとするのを「ちょっと待って」と会長さん。
「なんだか嫌な予感がするから、この際、きちんと聞いとこう。…ノルディの願望が何だって? この桃で教えて貰おうか。ぼくがサイオンで傷まないようにガードしておく」
ほら、と会長さんがテーブルに一個だけ置いた桃はサイオンで表面がガードされている模様。ソルジャーは「分かった」とスッと右手を出して。
「ノルディは言ったよ、これは何かに似ていませんか、って。生憎とぼくには分からなくってね…。だって、どう見ても桃だろう? 似ているも何も、まるっきり思い付かなくて」
「それで?」
早く、と会長さんが先を促し、ソルジャーの指先が桃に触れ…。
「ノルディがさ、「分かりませんか?」と触ってみせて指でツツーッとね」
この部分を、とソルジャーの白い指がツツーッとなぞった桃の割れ目。私たちは首を傾げましたが、会長さんの頬が見る間に真っ赤に。
「も、もういいっ! もう分かった!」
「本当かい? それでさ、ノルディが言うには、ノルディが本当に食べてみたいのは君らしいよ? ぼくは結婚しちゃったからねえ、前みたいなわけにはいかないし…。でも、気が向いた時に食べさせてくれると嬉しいです、って気持ちをこめてのデザートが桃」
要するに君のお尻だよね、とソルジャーは桃を撫で撫で撫で。そっか、そういう意味だったんだ…。それでデザートにピーチメルバのブルー風か、と私たちは納得、会長さんはズーンと激しく落ち込み中。サイオンに影響しないんでしょうか?
「早い話が、ノルディは一度は突っ込みたいっていうメッセージをデザートに托して寄越したわけだよ、君の柔らかな桃にグッサリ!」
この辺に、とソルジャーが押し込んだ指が初物の桃の割れ目の端にグッサリと。
「「「あーーーっ!!!」」」
「…ご、ごめん……。ガード、緩んでしまってたんだ?」
本当にごめん、と謝りつつもソルジャーは指先を左右にグイグイグイ。
「やっぱり初物は優しく拡げて欲しいよね? そういうテクニックならノルディにお任せ!」
一度食べられてみないかい、と会長さんに微笑みかけたソルジャーですが。
「退場!!!」
その桃を持って今すぐ出て行け、と会長さんが大爆発。今の発言、マズすぎですよね…。



桃を会長さんのお尻に譬えたソルジャー。いえ、元々はエロドクターが始めた譬えのようですけれど、誰が言おうが結果は同じ。よりにもよってエロドクターに「食べたい」と言われ、ソルジャーからは「食べられてみたら」などと言われた会長さんは怒り心頭。
「よくも初物を傷めた上に、気持ち悪いことをベラベラと! 君が食べられてくればいいだろ、ノルディがダメなら君の世界のハーレイに!」
「うーん…。ぼくは食べられて当たり前だし……」
今更どうにも、とソルジャーは退場せずに居座っています。
「それに初物でもないからねえ? もう散々に食べ尽くされたよ、ハーレイにさ」
前も後ろも、と言われましても何のことやら意味不明です。会長さんがレッドカードをぶつけましたし、ヤバイ内容だとは分かるんですけど…。
「退場だってば、君の居場所はもう無いし!」
「そう言わずにさ。なんかこう…。何か無いかな、初物の桃で…」
丸齧りしたら思い付くかな、と自分の指が刺さった桃を皮ごと齧ろうとしたソルジャーですが。
「あっ、そうだ! 究極の初物があったじゃないか!」
初物のダブル、と何か閃いたらしいソルジャー。
「でも、その前に…。桃って温まっても傷むんだよね?」
「…もう傷んでると思うけど…」
思いっ切り、と会長さんが指摘し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大真面目に。
「傷んじゃうよぅ、食べるんだったら早く食べてね? 食べないんだったらシロップ煮にして…」
「あっ、シロップ煮は勿体ない! 美味しい桃だし、ここは生食!」
キィン! と青いサイオンが桃を包んで、一気に冷却。ソルジャーは「はい」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手渡して。
「剥いてよ、ぼくが食べるから」
「うんっ! だけど他のは触らないでね」
桃はとってもデリケートなの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は素直に剥き剥き。親切に切ってソルジャーのお皿に一切れずつ入れ、それをソルジャーがポイポイと口に。ああ、せっかくの初物が…。マザー農場の新種に実った最高の初物が勿体ないことに…。
「え、食べてるんだからいいだろう? すぐに食べたし、味は落ちてないよ」
多分ね、と言いつつフォークで刺しては口の中へと。このソルジャーに本当に味が分かるのかどうか、甚だ疑問ではありますが…。



こうしてソルジャーも二個目の桃を完食。そう、一個目の時はいませんでしたし、二個目です。それを考えれば私たちと同じ数だけ食べたのですから特に問題は無いような…。ただ、桃の扱いが最悪だったというだけで。
「美味しかった―! そうだよ、ぼくも君たちと同じで二個食べただけ!」
だから四の五の言わないで、とソルジャーは桃の果汁が付いていた指先を舌でペロリと。
「でもって、究極の初物だけどさ。初物を食べるのに相応しい人物を思い付いたよ、それだと初物のダブルになるんだ」
「「「???」」」
初物のダブルって何でしょう? 如何にも有難そうですが…。
「分からないかな、こっちのハーレイ! 初めての相手はブルーだけって決めているよね、そのハーレイがブルーを食べれば初物同士でダブルだってば!」
「お断りだよ!」
何故ハーレイに食べられなくてはいけないのだ、と会長さんは拳をブルブルと。
「ノルディも嫌だしハーレイも嫌だ! 大体、食べられたいなんて思ってないから!」
「…それは残念。初物のダブルで凄く寿命が延びそうなのに」
「だったら君が食べればいいだろ!」
ハーレイだけなら好きにしろ、と柳眉を吊り上げる会長さん。
「ぼくは絶対ご免だけどね、初物にこだわりたいならハーレイを食べてもかまわない。ただし許すのは食べる方だよ、食べられる方は許可しない!」
そっちだとぼくのリスクが上がる、と会長さんは厳しい声で。
「君がハーレイに食べられちゃったら、ハーレイは童貞喪失だ。開き直った上に経験値も上げたハーレイなんかに押し倒されるのは最悪すぎる。やるなら君が食べる方!」
「…それって、ぼくに襲えと言ってる?」
「そうだけど? 君のハーレイとそっくり同じのハーレイに突っ込む度胸があるなら、褐色の桃を食べてきたまえ。もちろんハーレイは初物だから!」
げげっ。なんてことを言い出すんですか、会長さん…! 私たちにはイマイチ分かっていませんけれども、ソルジャーに教頭先生を食べてしまえと唆していることは火を見るよりも明らかです。
「褐色の桃ねえ…。そりゃあ絶対、初物だろうね、褐色の桃も。…童貞なんだし」
「あんなのを食べたがる人はいないよ!」
いるわけがない、と怒鳴る会長さんに、ソルジャーはチッチッと指を左右に振って。
「それはどうだか…。蓼食う虫も好き好きだからさ、中にはそういう趣味の人も……ね。ぼくは違うけど、食べて食べられないことはない!」
褐色の桃にいざチャレンジ! とソルジャーは燃え上がってしまいました。初物を食べて寿命を延ばす魂胆なのか、単に食べたいだけなのか。どちらにしても理解不能な世界ですってば~!



マザー農場からのお届け物に端を発した初物騒動。白桃ならぬ褐色の桃、すなわち教頭先生のお尻を食べようと狙い定めてしまったソルジャーを止められる人はいませんでした。そもそも煽ったのが会長さんです、私たち如きでは手も足も…。
「じゃあ、明日の夜に食べに来てみるよ。土曜日だしね」
君たちもおいでよ、とソルジャーは心浮き立つ様子。
「見事食べたら拍手喝采! それにダメでも土曜の夜だし、帰ればぼくのハーレイがいるさ」
「…そっちは食べられる方のくせにさ」
それに初物でもないと思う、と会長さんが突っ込みを入れれば、ソルジャーは。
「うん。初物を食べる方は上手く行けばの話だからねえ、失敗した時は仕方ない。褐色の桃を食べ損なったらハーレイに慰めて貰うんだよ。土曜の夜の基本はヌカロク!」
ハーレイの方もそのつもりだし、とソルジャーは自慢していますけれど、未だにヌカロクは謎の言葉です。ソルジャーが喜ぶ大人の時間の内容なのだ、と漠然と掴んでいるだけで…。
「それじゃ、また明日! 行く時はちゃんと声を掛けるから!」
御馳走様~! とソルジャーが姿を消した直後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「あーーーっ!! 一個、減ってる!」
慌てて覗き込んだ桐箱の中身を数えてみると、一人二個ずつ食べた数より余分に一個、減っていました。初物にこだわっていたソルジャーが持って帰ったに違いありません。褐色の桃だけでは足りないのか、と会長さんが怒っていると。
『かみお~ん♪ 桃、美味しかったぁ~!』
一口でペロリと食べちゃった、と届いた思念は大食漢の「ぶるぅ」のもの。ソルジャー、「ぶるぅ」にも初物を食べさせたかったのか、と少し見直す私たちに「ぶるぅ」は「うんっ!」と元気に思念を送って寄越しました。
『種も飲み込んじゃったんだけど…。えとえと、お腹から桃が生えるってホント?』
『『『は?』』』
『ブルーが笑って言ってたの! 来年はお前のお腹の上で桃が採れるよ、って!』
そしたら食べ放題だよね、と食い気満々の「ぶるぅ」はソルジャーに似たらしいです。お腹から桃が生えて来ちゃったら食べるどころじゃなさそうですけど、あの「ぶるぅ」なら食べるかも…。でもってソルジャー、「ぶるぅ」が飲み込んだ種が排出されたら栽培しようとしていたりして?



そうこうする内に来ました、土曜日。自分の家から拉致されるよりは、と会長さんの家に集まっていた私たちの前に、夕方になってからソルジャーが。
「こんばんは……には少し早いかな? この間は桃、ありがとう。ぶるぅが一口で食べたお蔭で種は一応、手に入れた。あっちの世界のアルテメシアから持ち帰ったってことで検査中だよ」
問題無ければ育てるんだ、とソルジャーは自家製の桃を夢見ています。マザー農場で作った桃がお役に立つなら幸いですけど、褐色の桃は…?
「もちろん、そっちが今日の目的! ぼくのハーレイと仕切り直しになるケースも考えて早めに…ね。こっちのハーレイはちょうどお風呂に入っているし」
もうすぐ食べ頃、とソルジャーは私たちを見回して。
「寝室に隠れててくれるかな? シールドはブルーとぶるぅでいいだろ、モザイク係も」
「かみお~ん♪ みんなでお出掛けだね!」
わぁーい! と飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何が何だか分かってはおらず、会長さんも野次馬根性。私たちは抵抗の声を上げる暇も無く瞬間移動で運ばれてしまい…。
「ふふ、来た、来た。行ってくるね~!」
食べてやる、とソルジャーがシールドから出てゆき、寝室に入って来た教頭先生と鉢合わせ。バスローブ姿の教頭先生、声も出ないほどビックリ仰天でらっしゃいますが。
「こんばんは、ハーレイ。実はね、君にお願いがあって」
「…は、はあ……」
「君のさ、此処に用事があるんだけどね」
バスローブの上からソルジャーの手が教頭先生のお尻をサワサワと。教頭先生、耳まで赤く染めつつ、それでも必死に。
「お、お気持ちは嬉しいのですが…。私は初めての相手はブルーだと決めておりまして…」
「分かってる。だからそっちの初めてじゃなくて、こっちのね」
初物を是非欲しいんだけど、とバスローブの下に手を突っ込まれた教頭先生がギャーッと悲鳴を。
「そ、そっちは…! わ、私にはそっちの趣味は全く…!」
「ぼくは初物を食べたいんだよ。ケチついてないで食べさせてってば、こっちなら別にかまわないだろう?」
将来に向けての勉強にもなるし、と反則技のサイオンでベッドに押し倒されて裸に剥かれた教頭先生に圧し掛かるソルジャー。これは本気でヤバそうです。教頭先生はバタバタと暴れ、ギャーギャー喚いておられましたが…。



「…うーん、ダテに古典の教師をやってはいなかったか…」
ああいうオチとは、と会長さんが自宅のリビングで大きく伸びを。私たちは瞬間移動で戻ったばかりで、ソルジャーだけが足りません。教頭先生の家へ置いてきたのかって? いいえ、とっくに自分の世界にお帰りで…。
「んとんと…。終わり初物だっけ?」
初めて聞いたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。初物狙いのソルジャーに向かって教頭先生が絶叫した言葉が「終わり初物」というヤツでした。曰く、「あなたの世界のハーレイこそ、立派な終わり初物だと思いますが!」。
「…旬を過ぎてから成熟したヤツのことを言うんだったか?」
俺も初耳だが、とキース君が確認すると、会長さんは。
「そうだよ、そう呼んで珍重される。でもってハーレイが叫んだとおり、あっちのハーレイはそれだろうねえ…」
「結婚した時点で旬が終わっています、って必死に叫んでらっしゃいましたね」
確かに結婚はゴールでしょうけど、とシロエ君。
「いいんじゃねえか? それで納得して帰ったんだしよ、あっちの世界に初物を食べに」
終わり初物でも初物だよな、とサム君が言えば、マツカ君が。
「そっちも寿命が延びるんでしょうか?」
「さあね」
そこまでは保証の限りではない、と会長さんが宙に目を凝らして。
「…少なくともこっちのハーレイの寿命は延びたね、終わり初物なあっちのハーレイに助けられたって感じかな? お風呂に入り直してホッと一息、丁寧にお尻を洗っているさ。命拾いした褐色の桃を」
「「「………」」」
ソルジャーが何処まで何をやらかしたのかは、モザイクサービスのお蔭で謎だらけ。ソルジャーがダメにしかかった白桃みたいな事態になったか、はたまた撫でられただけで済んだか、どっちでしょう? どちらにしても災難ですけど…。
「災難だって? あの程度で済んだら幸運だよ、うん」
もっと酷い目に遭っていれば、と会長さんは悔しそう。二度と会長さんの前に出られないほどの恥ずかしい目に遭わされてしまえば良かったのにとか言ってますけど、元凶のソルジャーは終わり初物を召し上がっている頃でしょう。ソルジャー、寿命は伸びそうですか? 末永くお元気で地球を目指して下さいね~!




       初物が欲しい・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 教頭先生受難の巻ですが、ソルジャーが召し上がった終わり初物はソルジャー受け。
 受けであっても「自分が食べる方」だと認識するのがソルジャーです。
 
 シャングリラ学園シリーズは4月2日に本編の連載開始から7周年を迎えます。
 7周年記念の御挨拶を兼ねまして、4月は月に2回の更新です。
 次回は 「第1月曜」 4月6日の更新となります、よろしくです~!


毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、3月もドクツルタケことイングリッドさんを引き摺り中…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv








「…ブルーの家に寄るには少し遅いか…」
 仕事を終えて学校の駐車場へと向かう途中でハーレイは腕の時計を眺めた。
 あと一ヶ月ほどで夏至になる季節。日暮れが遅いからまだ明るかったが、ブルーの家では夕食の支度を始めているだろう。ハーレイが行けばブルーの母は必ず夕食を御馳走してくれる。なによりブルーがハーレイと一緒に食べたがるのだ。
(…今から行ったら予定が狂ってしまうだろうしな…)
 途中から一人分を追加することが難しいメニューも多い。自分で料理をするハーレイにはそれが分かるし、ブルーの母に迷惑をかけるわけにはいかなかった。ブルーが強請れば、彼女は一人分の料理を別に作ってでもハーレイを歓待するだろう。
 ブルーの家へ出掛けてゆくには遅すぎる時間。さりとて真っ直ぐ家に帰るには早過ぎた。以前のハーレイなら早く帰っても凝った料理にチャレンジするなど有意義な時間を過ごしたのだが、最近それが苦手になった。
 一人で過ごすには広すぎる家。
 ブルーと劇的な再会を遂げて前世の記憶を取り戻して以来、ふとした折に孤独を感じる。自分の隣に居るべき存在、前世で愛したソルジャー・ブルー。その生まれ変わりのブルーがいない。前の生で常に姿を追い続けていたブルーがいない、と思ってしまう。
 思いはブルーの許へと飛んで、側に居ない温もりを求めてしまう。
 まだ十四歳にしかならないブルーを側に置くことは出来なかったし、不可能なのだと分かってはいても無性にブルーが欲しくなる。前の生で失くしてしまったブルーが欲しい、と。
 前世で心に負った傷は深く、ブルーを喪ってから自分が死を迎えるまでの間に苦しみ続けた辛い記憶がハーレイを今も苛んでいた。
 どうしてブルーの手を離したのか、メギドへ行かせてしまったのかと。
 ブルーは地球に生まれ変わってハーレイの許に戻ったけれども、未だ共には暮らせない。逢瀬を重ねても別れは来るし、縋るような目をするブルーと離れて一人住まいの家に帰るしかない。
 小さなブルーは別れを酷く悲しがったが、ハーレイもそれは同じであった。
 目の前に愛おしいブルーが居るのに、連れて帰ってやれない辛さ。離れ難さがよく分かるだけに身を切られるような思いを隠して優しく微笑む。「ブルー、またな」と。



 ブルーのいない家で早めの夕食を摂るのも何処か寂しい。ブルーと共に暮らしていたなら、早く勤務が終わった時には満ち足りた時間を過ごせるだろうに。
(…どうするかな…)
 車の運転席に乗り込んだ後、シートに背を預けて暫し考えを巡らせた。その辺りを少しドライブするか、ジムに寄って軽く泳いで帰るか。それとも…、と選択肢を幾つも挙げてみていて。
「そうか、今から行くにはピッタリだな」
 前世の記憶を取り戻してから行ってみたいと思っていた場所。ハーレイは車のエンジンをかけ、町の中心部へと走らせた。駐車場に停め、側のビルへと向かう。前の生の記憶を持ったハーレイが初めて足を踏み入れる書店。以前から馴染みの店であったが、今日の目的はまるで違った。



 昔から見慣れた入口をくぐり、以前だったら覗いたであろう棚を横目に店内を歩く。
 真っ直ぐに歴史関連のコーナーを目指し、目的の写真集を手に取る前にぐるりと見渡して眩暈を覚えた。ズラリと並んだ前世の自分の航宙日誌。かなりのスペースを占めているそれは手軽な文庫版から、ハーレイ自身が書いた文字をそのまま写した研究者向けの高価なものまで。
(…改めて見ると頭痛がするな…)
 今や超一級の歴史資料となってしまった航宙日誌。後進の標になればと記しはしたが、こうなるとは思いもしなかった…。
 苦笑しながら目当ての写真集を開き、何枚かの写真を確認してから購入を決める。値は張るが、ブルーも喜びそうなそれ。ミュウたちを乗せた白い楽園、シャングリラを収めた写真集。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 シャングリラは過ぎ去った時の流れが連れ去ってしまい、もはや何処にも残ってはいない。
 けれど写真は豊富に残されていたし、この本もそれを収めた一つだ。ブルーと共に過ごした船の写真が欲しい、と思って直ぐに情報を集め、これが良さそうだと判断していた。それでも買うなら実物を見て、と考えていたから今日が絶好の購入日和。
(…うん、ブルーにもこれを教えてやろう)
 子供のブルーが自分で買うには高すぎるのだが、大人だったら充分に買える。ブルーの前の生が何であったかを知るブルーの両親なら、強請られれば喜んで買うだろう。彼らにとってはブルーは大切な一人息子で、目に入れても痛くないほどの可愛がりようはハーレイもよく知っていた。
(ブルーは見た目も可愛いからな)
 特に今は、と十四歳の小さなブルーを思い浮かべて微笑んだ。
 前の生で愛したソルジャー・ブルーは気高く美しかったが、今のブルーは愛らしい。ハーレイに甘える仕草も、その面立ちも目を細めずにはいられないほどで。
(ブルーか…)
 視線を棚の方へと戻す。写真集を集めて並べた棚にはブルーの名前も沢山あった。



 ソルジャー・ブルーの名前を冠した写真集の群れ。
 ミュウの初代の長、伝説のタイプ・ブルー・オリジンであった事実もさることながら、ブルーは他を圧倒するその美貌ゆえに今も絶大な人気を誇る。ジョミーやキースよりも数多いブルー個人の写真集たち。それだけニーズがあるのだろうし、売れ筋の本でもあるのだろうが…。
(…人気俳優並みだな、これは)
 明らかにビジュアルに重きを置いたと思しき写真集が並んだ中に、ふと目を惹かれた一冊の本。タイトルは『追憶』、その副題がソルジャー・ブルー。
(追憶か…)
 ハーレイはそれを手に取ってみた。
 此処に並ぶような写真集たちを出版できるほどにブルーの写真はあっただろうか?
 ブルーがメギドへと飛び去った後に、ハーレイ自身もブルーの写真を何度も探した。もう永遠に戻ってはこない愛しい者を探し求めて、シャングリラのデータベースをくまなく探った。けれども其処に残されたものは戦闘の記録の映像だったり、ブリッジに立つブルーだったり。
 何処を探してもハーレイの愛したブルーは居なくて、ソルジャー・ブルーの映像ばかりで。今の生で目にした写真の中でも、一個人としてのブルーの表情を見た覚えは無い。
 案の定、ソルジャー・ブルーであったブルーばかりを集めて編まれた写真集。
 しかしブルーは記憶にあるままに気高く凛々しく、また美しく…。
 青の間で昏睡状態に近い状態であった時でさえブルーの美貌は損なわれはせず、儚さも加わって天の御使いのような雰囲気を醸し出していた。
 これほどまでに美しかったか、とハーレイは改めて彼の人を想う。
 次の世代を自分に託して飛び去ってしまった前世の恋人。
 喪ってしまった悲しみの内に自分の生は終わったけれども、遙かな時を経た今になっても一枚の写真が自分の心を固く捕えて離さないほどに、彼の人は美しかったのかと…。



(…買うか)
 アルタミラ時代の写真が無いのが気に入った。
 普通は必ず入っている。もっとも、それはハーレイ自身が遠い少年時代に憧れのヒーローとしてソルジャー・ブルーを見ていた頃の記憶であって、昨今は入っていない写真集の方が主流なのかもしれないが…。とはいえ、ブルーにとっては苦痛でしかなかった時代の写真が無いのはいい。
(これはなかなか…)
 良心的な、と捲っていた手がピタリと止まった。
 最後の章へと移る前に挟まれた一枚のページ。そこに禍々しいメギドの写真。
(…まさか)
 震える指で捲った先に、ハーレイの知らないブルーが居た。
 人類軍の艦船がひしめく中を、青い尾を曳いて宇宙空間を飛翔してゆくブルー。
 ハーレイが初めて目にする写真。
(…これ以上は…)
 此処ではとても見られない。此処でページを繰る勇気は無い。
 けれど自分は見なくてはならない。
 恐らくはブルーの、前世のブルーの生が終わった瞬間までをも捉えたであろう写真たちを。
 ハーレイはその一冊をシャングリラの写真集に重ね、黙ってレジへと差し出した。



 帰宅して、部屋の明かりを点けて。ハーレイは先に夕食を作り、機械的に胃へと流し込んだ。
 明日も学校へ行かねばならない。顧問を務める柔道部の指導もあるし、自分の授業時間もある。身体にダメージを与えないよう、栄養だけはしっかりと摂った。
 それから早いシャワーを浴びてパジャマを着ると書斎へと向かう。もうパジャマ一枚でも冷える季節ではないし、夜更かしをしても大丈夫だろう。
 机に置いてあった袋の中から二冊の本を取り出した。シャングリラの写真を収めたものと、前の生で愛したソルジャー・ブルーの『追憶』という名の写真集と。
 自分の記憶には全く無かったメギドへと飛ぶブルーの写真。その先の写真もきっとある筈だ。
 見なくてはならない。けれど、直ぐに見るだけの勇気が自分には無い。
 気持ちだけでも落ち付けようと、シャングリラの写真集を先に見ることにした。
 大判の写真集のページを捲ってゆけば、思った通りに懐かしいそれ。
 自分が舵を握っていた船。ブルーと共に暮らしていた船。
 其処にブルーは居なかったけれど、青の間を収めた写真に心が少し癒された。
 青の間のベッドで長く伏せっていたブルー。
 最後の力を振り絞るようにメギドへ飛んで行ってしまったけれども、ブルーは前の生で焦がれた地球に生まれ変わって帰って来た。
 十四歳の幼いブルーがこの地球の上で生きている。
 ブルーは帰って来てくれたのだ、と自らに強く言い聞かせてから、ハーレイは表紙に『追憶』と書かれたソルジャー・ブルーの写真集をそっと手に取った。



 書店では最初の一枚だけで挫けてしまった最後の章。
 それはハーレイが思ったとおりに人類軍が撮影していた映像から起こしたブルーの最期。
 青く輝くサイオンの尾を曳き、宇宙空間を駆けてゆくブルー。自らの身を融かしながら長い尾を曳く彗星さながらの、ブルーの命の最後の輝き。
 哀しいほどに澄んだ命の青。地球よりも美しいとまで思ってしまう青を纏ってブルーが飛ぶ。
 漆黒の宇宙空間を飛翔し、メギドに辿り着き、その装甲をサイオンで破った後に消え失せた姿。メギドの内部に入り込んだブルーを捉えた写真は一枚も無い。メギドの中にも監視カメラは幾つも在ったのだろうが、それらが捉えたブルーの姿はメギドと共に宇宙に消えた。だから…。
(この時、ブルーは…)
 爆発の兆しが見えるメギドから離脱してゆく赤い戦艦。人類軍の旗艦、エンデュミオン。
 この時、ブルーはメギドの中で生きていたのか、既に息絶えてしまっていたのか。
 ハーレイの温もりを失くしてしまった、とブルーは言った。
 右の手が冷たくて、独りぼっちになってしまったと。
 小さなブルーの身体を染めた夥しい鮮血と同じ傷を負い、右の瞳まで撃たれた痛みのあまりに、ブルーはメギドで独りきりになった。
 最期まで覚えていたいと願ったハーレイの温もりを失くし、右手が冷たく凍えてしまった。
 ハーレイの温もりさえも失くして、独りぼっちで。
 縋る者さえいない所で、ブルーは泣きながら逝ってしまった。右の手が凍えて冷たいと泣いても誰も来ない場所で、ハーレイも今の今まで見たことも無かった暗い宇宙で…。
(ブルー…。お前は、こんな所で逝ったのか…。独りきりで逝ってしまったのか…)
 人類軍が撮っていた映像に残された、メギドの爆発。
 ハーレイが愛したブルーの身体を巻き込み、忌まわしいメギドは宇宙に沈んだ。
 最後に写った青い閃光。
 たった一人で泣きじゃくりながら、この爆炎の中でブルーは逝った。
 ブルーがいつまで生きていたのかは定かではないが、この瞬間にはもう居なかったのだ…。



(ブルー…!)
 ハーレイの瞳から堪え切れない涙が零れた。
 ブルーを守ると誓ったのに。
 守ってやると誓いを立て続けたのに、ハーレイは何ひとつ出来なかった。
 行こうとするブルーを引き止めることも、飛び立ったブルーを追い掛けることも。
 青い光の尾を曳いて飛ぶブルーの最後の飛翔すらをも、ハーレイは見てはいなかった。
(…ブルー、お前は…。お前は、たった一人で飛んで……)
 一人きりでメギドへと飛んで行ったブルー。
 そしてハーレイの居ない所で、ハーレイが己の命ある間に目にすることすら一度も無かった光景の中でブルーは逝った。
 どうして追わなかったのか。……どうして追えなかったのか。
 生ある間に何度自問し、幾度涙したことだろう。
 喪ったもののその大きさに、別れの言葉すらも交わすことなく逝ってしまったブルーの姿に。



「ブルー…っ!」
 気付けば声を上げて泣いていた。
 前の生の自分が眠れぬ夜にそうしたとおりに、ブルーを失くした悲しみの中で。
 もういない。
 ブルーは何処にもいない。
 自分が追い掛けなかったから。
 その手を掴んで引き止めることも、共に逝くこともしなかったから…。
「ブルー…。ブルー……っ!」
 どうして逝った、と慟哭してもブルーは決して帰ってはこない。
 メギドと共に散ってしまった。暗い宇宙に消えてしまった。
 その瞬間を捉えた写真が残酷な真実を突き付けてくる。
 ブルーはいない。
 二度と帰っては来ないのだ、と。



「ブルー…っ!!」
 泣きながら拳を打ちつけた机。
 そこからドサリと音を立てて床に落ちた本。ハーレイは床に濡れた目をやり、其処に見付けた。
 白く輝く優美な船。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 その船は此処に在るのではなく、買って来た写真集の中。
 シャングリラは流れ去った時が連れ去り、もはや何処にも残ってはいない。
 在りし日を今に伝える写真が編まれて自分の手元に在るだけであって…。
(……そうだ)
 ハーレイはようやく我に返ると、写真集を拾って机の上に置いた。
 白いシャングリラが表紙を飾った大きな本をパラパラと捲り、パタリと閉じた。
 今はもう無い、ブルーが命を捨てて守ったシャングリラ。
 自分は時を越えたのだった。
 信じられないことだけれども、奇跡のように長い長い時を飛び越えて来た。
 ブルーを喪った悲しみの中で嘆き続けた生は終わって、青い地球の上にハーレイは居る。
 同じ地球の上に、この同じ町にブルーが居る。
 このシャングリラの写真集のことを教えてやろうとハーレイが思った、十四歳の小さなブルーが生まれ変わって愛らしい姿で生きているのだ。
 それは夢でも幻でもなく、儚く消えてしまいもしない。
 今度こそ守ると誓ったブルー。
 幼く無垢な十四歳のブルーがハーレイを慕い、「好きだよ」と何度も繰り返して言う。
 前の生で愛したブルーと変わらぬ強さでハーレイを想う小さなブルー。
 違うのはただ、その身体だけ。
 身体に合わせて年相応に幼く無邪気な、その心だけ……。



「ブルー……」
 ハーレイはほうっと吐息をついた。いつの間にか夜が更け、もう少ししたら日付が変わる。
(…ブルー。明日はお前に会いに行こう)
 仕事を早く終わらせてからブルーの家まで出掛けよう、と決心した。
 学校に行けばブルーが欠席していない限り、その愛らしい姿を見られる。「ハーレイ先生!」と自分を呼ぶ声も聞ける。けれど、学校で顔を合わせるだけでは、ブルーが居るという実感が無い。つい先刻まで自分を呪縛していた前世の記憶を拭い去るだけの確かさが無い。
 小さなブルーを強く抱き締め、その温もりを確かめること。
 今のブルーは幼すぎるから口付けすらも叶わないのだが、せめて抱き締めて確かめたい。
 自分が愛したブルーは間違いなく此処に生きていると。
 生まれ変わって地球の上に居て、同じ町に住んでいるのだと…。



 そして次の日、勤務を終えたハーレイはブルーの家へと急いだ。来客用のスペースに車を停めている間にブルーの母が気付いて門扉を開けに来る。ブルーも二階の自分の部屋の窓から見たのか、下りて来て玄関の扉を開けた。
 制服姿ではない小さなブルーが「ハーレイ!」とそれは嬉しそうに微笑んで。
「来てくれたの?」
 晩御飯、食べて行ってくれるよね、と顔を輝かせるブルーに「ああ」と答えた。
「もちろん今日はそのつもりだ。お前に見せたいものもあるしな」
「なあに?」
「いい写真集を見付けたんだ」
 これだ、とシャングリラの写真集を入れた袋を示せば「写真集?」と赤い瞳が丸くなる。
「ああ。ちょっと高いが、懐かしい写真が沢山あるぞ」
「何の写真?」
「シャングリラさ」
 お前の部屋でゆっくり見るか、と袋を渡すと「うんっ!」とブルーは自室の方へと駆け出した。階段をパタパタと上り、「ハーレイ、早く!」と手を振るブルー。
「分かった、分かった。直ぐに行くさ」
 返事を返して、ブルーの母に急な来訪を詫びてから二階へと上る。
 夕食の前に訪れた時でも、ブルーの母はお茶とお菓子とを必ず届けに来るのだけれども、普段のように「おかわりは如何ですか?」と上がっては来ない。夕食の支度が整うまではブルーと二人でゆっくり過ごせる。
(…今日は思い切り甘やかしてやろう)
 ブルーを膝の上に座らせて、二人で写真集を見て。
 懐かしくてたまらない写真に出会ったら、写真集の出番は其処までだ。
 後はブルーを抱き締める。
 奇跡のように生まれ変わって戻って来てくれた愛しい者を。
 あの日、ブルーが冷たいと泣いた右の手を握って温めてやりながら、その温もりを確かめる。
 ブルーは此処に生きていると。
 この青い地球の上に生まれ変わって、今度こそ共に生き、今度こそ守り抜くのだと。
 今度こそブルーを離さない。今度こそブルーを離しはしない。
 飛び去る背中を見送ったりは決してしないと自らに固く誓いを立てる。
 自分の命はブルーのもの。今度こそブルーと共に生き、その手を決して離しはしないと……。




       慟哭の追憶・了


※シャングリラの写真集と一緒にハーレイが買った、ソルジャー・ブルーの写真集。
 辛い思い出が蘇る一冊ですけど、大切に持ち続けることでしょう。

 ハレブル別館の拍手御礼ショートショートの再録場所が出来ました。
 聖痕シリーズの書き下ろしショート置き場を兼ねております、よろしくですv
 拍手頂けると管理人の「やる気」が出ます。気に入って頂けたみたいだな、ってね。
 ←拍手頂けると嬉しい、拍手部屋。御礼ショートショート付きですv

 ←過去のショートと書き下ろしショートは、こちらv







 ハーレイの車。
 学校では教師専用の駐車場に置いてあるから、ブルーにはどれがそうなのか分からなかった。
 実は一度だけハーレイはブルーの家に車でやって来たのだが、それは二人が再会した日。学校で大量出血を起こして救急搬送されたブルーが帰宅した後、勤務を終えたハーレイが夜に訪れた。
 一刻も早くブルーの許へと急ぐハーレイは、夜の町を走って辿り着いた家の来客用のスペースに車を停めてブルーの部屋へ。
 ハーレイの来訪を待ち侘びていたブルーは再会を果たした恋人の腕に抱き締められ、僅かな時を共に過ごして、ハーレイは帰って行ってしまった。
 今の生では一緒に暮らすことも叶わず、一夜の逢瀬さえ叶わない。
 それがあまりにも寂しくて悲しかったから。ハーレイを玄関まで見送りたくても、昼間の大量の出血のせいで母に止められ、ブルーを気遣うハーレイもそれを許さなかった。
 だからブルーは二階の自分の部屋の窓からハーレイの車が去ってゆくのを見ていただけで、頬を伝う涙に濡れた瞳が捉えたものは滲んだ車のライトだけ。門灯や街灯が教えてくれる車体の色など見てはいないし、遠ざかってゆくテールライトに泣き濡れていただけだった。
 その後、週末に再び訪ねて来たハーレイは路線バスだったのか、運動を兼ねて歩いて来たのか。どちらにせよ車に乗ってはおらず、ブルーがハーレイの車を目にするまでには暫くかかった。
 ブルーの家を訪ねる時に雨が降っていれば、ハーレイは車でやって来る。週末ごとに会うようになってから、初めての雨の日。ハーレイはどうやって来るのだろうかと二階の窓から庭と表通りを見下ろして待っていたブルーは、走ってきた一台の車を見るなり思った。
 「ハーレイの車だ」と。
 運転席が見えたわけでもないのに、そうだと確信したブルー。
 車はブルーが見ている前でゆっくりと駐車スペースに入って、其処に停まって。運転席のドアが開くと待ち焦がれた恋人が現れ、雨を遮る傘を広げた。
 これがブルーとハーレイの車との本当の出会いで、如何にもハーレイらしい車だとブルーは胸を高鳴らせたものだ。いつかハーレイの隣に乗りたい。そしてドライブをしてみたい、と。
 残念なことにドライブどころかハーレイの家にすら行けなくなってしまったのだけれど、車には乗せて貰ったことがある。ほんの一度きり、夢のようだった短いドライブ。
 前の生でメギドを破壊した時の悪夢に襲われた夜に、無意識の内にハーレイの家へと瞬間移動をしていたブルー。目を覚ましたらハーレイのベッドの上に居て、朝食を食べさせて貰って、家まで車で送って貰った。
 運のいいことに土曜日だったから、ハーレイはそのままブルーの家で過ごしてくれて。
 朝一番にハーレイからの連絡を受けた両親は酷く恐縮していたけれども、ブルーにとっては幸せ一杯だった素敵な土曜日。ハーレイの車に初めて乗った日。



 それっきりハーレイの車に乗せては貰えず、乗れる機会も来そうにはない。
 ブルーの憧れのハーレイの車。休日に乗って来ることは滅多に無いし、乗って来ても雨が邪魔をして車体の色はくすんでしまう。
 仕事が早めに終わったからと学校帰りに寄ってくれる時は車だったが、これまた夜の暗さに邪魔され、車の色ははっきりしない。
 学校の駐車場に停まっているのを目にしたことは何度もあるのに、「ハーレイの車だ」と考えただけで胸が一杯、その色まではきちんと認識しなかったらしく…。
(あっ!)
 夏休みに入って、カラリと爽やかに晴れた日の朝。
 ハーレイが乗って来た車を窓から眺めて、ブルーの心臓がドキリと跳ねた。
 雨でもないのにハーレイは車。それは特別な時間が始まる合図。車のトランクからキャンプ用のテーブルと椅子が引っ張り出されて、庭で一番大きな木の下に据え付けられる。
 一番最初は六月の日曜日、ハーレイと二人、向かい合って過ごした木漏れ日の中。
 父や母からも見える場所だからハーレイの膝に座ったりすることは出来なかったが、デートだと言われて嬉しくなった。木の下のテーブルと椅子はハーレイとの初めてのデートの場所。夏休みが始まるとハーレイは早速再現してくれ、今日で二度目だ。
(…ふふっ)
 ブルーは車が停まるのを待って階段を駆け下り、「ハーレイ!」と叫んで庭へと飛び出した。
「おはよう、ブルー! 持って来てやったぞ、ちょっと待ってろ!」
 母が開けに行った門の向こうでハーレイが車のトランクを開けている。折り畳み式のテーブルを下ろし、抱えて庭の木の下へ。広げて設置し、安定を確かめ、お次は椅子で。
(…魔法みたいだ…)
 トランクから出て来るテーブルと椅子。二つ目の椅子が庭に置かれたらデートの準備完了、母が運んでくるアイスティーやお菓子でゆっくりと…。
(今日は何かな、ママのお菓子)
 そんなことを考えながら椅子を運び出すハーレイを見ていて、ふと車の色に目を留めた。
 落ち着いた深い緑色の車。
 前の生でハーレイが着けていたマントそのままの色。
 何故その色なのかは考えもせずに「ハーレイの色」だと思ったものだが、こうして夏の光の下で眺めていると、緑色がとても気になってきた。
 ハーレイはいつからこの色の車に乗っているのだろう?
 前の生の記憶など全く無かった筈だというのに、「ハーレイの色」なのは偶然だろうか?



 早速訊いてみなければ、と思ったブルーはテーブルの上にアイスティーと露を浮かべたガラスのポットと、お菓子が揃うのを待ち兼ねたように切り出した。母はもう家に入っている。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイの車、いつからあの色?」
「車?」
「うん。キャプテンのマントと同じ緑だけど、最初からなの?」
「そうだな、最初からあの色だったな」
 今の車じゃなかったんだが、とハーレイは庭の向こうの車の方へと目をやった。
「俺には似合っていないか、アレは?」
「ううん、ハーレイの車だと直ぐに分かった。…初めて見た時」
「俺のマントの色だったからか?」
「……多分」
 ブルーもハーレイの車を改めて見詰める。どうして最初に「ハーレイの車だ」と確信したのか、自分でも分からないけれど。…今にして思えばハーレイが言う通り車体の色のせいだろう。
 遠い昔に馴染んでいた色。大抵はハーレイがブルーを真正面から、あるいは背中から抱き締めていたから、ハーレイの背中を追い掛けた記憶はあまり無い。それでもブリッジでいつも見ていた。その大きな背に後ろから抱き付き、縋りたい衝動をこらえていた。
 ブリッジを出る時もブルーが先に立ち、ハーレイは後ろ。シャングリラの通路に人影が無い時の抱擁は背後からであり、そういう時にはどれほどの幸せに包まれたことか。それが欲しくて何度かハーレイの背中を追った。青の間から背後に瞬間移動し、不意に飛びついてキスを強請った。
 そんな時に目にしたハーレイのマント。ソルジャー・ブルーだった頃のブルーの身体でさえ腕を一杯に伸ばして抱き付いていた広い背中と、目の前を覆い尽くした緑と。
 あの懐かしい緑を忘れはしない。忘れるなんて、出来る筈もない。
 ハーレイの緑。
 キャプテンだったハーレイの背に翻っていたマントの緑…。



 深い緑色の車に二人して暫し見入っていた後、ハーレイがアイスティーに浮かぶ氷をストローで軽く揺らして音を立てながら。
「この色しかない、と思ったんだよなあ…」
 渋すぎる色だと皆に言われたが、今じゃ年相応になっただろう?
 問われたブルーは「渋すぎるかなあ?」と首を傾げたが、最初に車を買ったのが教師になった年だと聞いて納得した。その頃のハーレイは恐らく、前の生でアルタミラで出会った時よりも若い。深い緑色は褐色の肌には良く似合うけれど、若い青年の色ではない。
 どちらかと言えば明るい色が似合う年齢。黄色なんかでも似合いそうだ、と鮮やかな黄色の車を思い浮かべてみた、その瞬間に。
(…そうだ、白…!)
 ハーレイが運転するなら黄色よりも遙かに相応しい色がある。
 前の生でハーレイが舵を握っていた船。ブルーが守った楽園という名の美しい船。
 そう思ったから尋ねてみた。
「白は考えなかったの? …シャングリラの白」
「…白か? 白もな、勧められたんだがな…。嫌いってわけじゃなかったんだが、何故だかな…」
 惹かれたが気が乗らなかった、とハーレイは答えた。
「どうしてだか俺にも分からなかったが、今なら分かる。…次に買うなら白がいいなと思うんだ。お前を隣に乗せて走るなら、断然白の車がいい。何故だか分かるか?」
「え? …白はシャングリラの色だから?」
「そうだ。シャングリラにはお前が乗っていないとな。…俺が一人で乗っていたって意味がない。お前がいなくなったシャングリラは寂しすぎたんだ。好きな船だったが、好きじゃなかった」
 その記憶が何処かにあったのかもな、と鳶色の瞳がブルーを見詰める。
「俺は何もかも忘れちまってたが、それでも何処か前の好みと似ているもんだ。白い車に惹かれた俺は多分、シャングリラを見ていたんだろう。…だが、俺の隣にお前はいなかった。お前のいないシャングリラが嫌で、俺は緑に決めたんだろうな」
「……ごめん……」
 ぼくがメギドに行っちゃったから、とブルーはキュッと唇を噛んだ。
 前の生の最期に、ハーレイの温もりを失くした右の手が冷たいと独りで泣きながら死んだ。もうハーレイには二度と会えないのだと、泣きながら死んでいったソルジャー・ブルーだった自分。
 けれどハーレイはどうだったろう?
 自分は死んでしまって終わりだったけれど、残されたハーレイはどれほどに辛く苦しかったか。
 生まれ変わってさえ白い車を選べなかったほど、ハーレイの胸は悲しみで一杯だったのか…。



「……ごめん、ハーレイ…。ぼくのせいで……」
 ポロリと涙が零れそうになる。ハーレイと再会してからの日々でも、自分の想いだけで一杯で。右の手が冷たいと訴えはしても、置いて逝ったハーレイの胸の内までは思い至っていなかった。
 記憶を全く失くしていてさえ、白い車を避けたハーレイ。
 惹かれたけれども、気が乗らないと別の色の車を選んだハーレイ。
 そのハーレイが今では白い車に乗りたいと言う。ブルーを乗せるなら白い車だと。
 こんなにも強く自分を想い続けてきてくれたハーレイに、自分は何を返せるのだろう?
 まだ十四歳にしかならない小さな自分が、何を返せると言うのだろう…。
「馬鹿、そんな昔の話で泣くヤツがあるか。…お前は帰って来たんだろ? 俺の所に」
 泣くな、とハーレイが手を伸ばして指先でブルーの涙を拭った。
「お前のお母さんから丸見えなんだぞ、俺が泣かせたかと思われるじゃないか」
「…ごめん。ごめん、ハーレイ、ホントにごめん……」
ブルーの涙は止まらなくなった。ハーレイが優しすぎるから。優しすぎて胸が痛くなるから。
「だから泣くなと…。いいな、お前はいつか俺の運転する車に乗るんだ。乗せてやるから」
 楽しいことだけを考えるんだ、とハーレイはブルーの銀の髪を撫でた。
「そうすれば涙もじきに止まるさ。お前は俺の車で出掛けてゆくんだ、いろんな所へ」
 …分かるか、ブルー?
 俺が動かすというのはシャングリラと何も変わりはしないが、お前は守らなくてもいいんだ。
 ただ乗っかっていればいいのさ、のんびり景色を眺めたりしてな。
「俺の家から帰る時だってそうだっただろう? ん?」
 お前が飛んで来ちまった時さ、とクシャリと前髪を掻き上げられて。
「ドキドキしてたし、のんびりなんかしてられないよ!」
 ハーレイの車。初めて乗せて貰ったハーレイが運転する車。
 胸の鼓動がハーレイの耳に届かないかと心配になった、ブルーの家までの短いドライブ。
 それを思い出して叫んだブルーに、「よし」とハーレイが笑顔を見せた。
「止まったじゃないか、お前の涙。…もう泣くなよ?」
 穏やかに微笑んでハーレイは夢を語り始める。
 いつの日か自分の車にブルーを乗せて、二人でドライブする時のことを。



 いいか、ブルー。
 今度乗る時はドキドキしないで、のんびり俺の隣に乗ってろ。
 そして俺に強請ってくれればいい。
 「あれが食べたい」「此処で止めて」と、好き勝手に言ってくれればいい。
 ……シャングリラはお前の指示で動いたが、お前のために動いていたわけじゃなかった。
 俺が舵を握って動かしていたが、俺のために動いたわけでもなかった。
 だがな、俺の車は違うんだ。
 俺の車はお前と俺とのためだけに動いて、何処へでも走ってくれるんだ。
 俺とお前で行き先を決めて、お前は我儘を言えばいい。
 「もっと遠くへ」でも、「もう帰りたい」でも、何でも自由に言っていいんだ。
 俺はお前の願いどおりに運転をするし、車だって俺の言うことを聞いて走ってくれる。
 ハンドルを切れば曲がってくれるし、何処へだって俺たちを運んでくれる。
 お前と俺とを乗せるためだけに在る、そんな車で走って行くんだ、俺たちは。
 だから今度はそういう白い車が欲しいという気がするな。
 ……俺たちのためだけのシャングリラが。



 次の車は白に決めた、とハーレイはブルーに言ったのだけれど。
 ブルーは今の緑色の車も好きだった。
 キャプテンだった頃のハーレイのマントと同じ色をした、深い緑色のハーレイの車。
 一目で「ハーレイの車だ」と分かって、乗せて欲しいと憧れた車。
「ぼくは今のままの緑でもいいな。…この色の車に初めて乗せて貰ったから。ハーレイのすぐ横でドキドキしながら町を走って、ぼくの家まで乗って来たのがこの色だから」
「…そうか? 俺はシャングリラの白も捨て難いんだがな…」
 お前を乗せるなら断然白だ、とハーレイが先刻と同じ言葉を繰り返す。
「俺たちが乗るなら白だろう? シャングリラといえば白だったしな」
「白もいいけど、ぼくはハーレイのマントの色も好きだよ」
 どっちでもいいな、とブルーはガレージに停まったハーレイの車の方を見た。
 今と変わらない深い緑色も、とてもハーレイらしくて良く似合う。
 ハーレイがかつて惹かれたけれども買わなかったという白も、自分たちには似合うように思う。
 白か、それとも深い緑色か。
 シャングリラの白と、ハーレイのマントの色の緑と。
 どちらも好きで懐かしい色。二人で暮らした白い船の色と、大好きな背中に在った緑と。
 似た色同士なら選べるけれども、こうも違うと選べない。
 ハーレイもまた、同じ思いを抱いたようで。
「白か、緑か…。その時が来たら二人で決めるとするか。こいつもまだまだ現役だろうしな」
「そうだね、ハーレイは車も大事にしてそうだものね」
「おっ、分かるか? 俺としてはだ、こいつに向こう五年くらいは乗る予定なんだ」
 お前が十九歳になる頃までか、とハーレイはにこやかな笑みを浮かべた。
「そうなると俺たちの最初のドライブの時はこいつになるかな」
「うん。ぼくも、もう一度あれに乗りたいよ」
「ははっ、そうか! 少ししか乗っていなかったしな?」
「ほんの少しだよ、ハーレイの家から此処までだよ!」
 路線バスだと遠く感じる、何ブロックも離れたハーレイの家。
 しかし車に乗って走ればアッと言う間に着いてしまって、ブルーが普通の服ではなくてパジャマ姿であったことすら気付いた人はいなかっただろう。
 そんな短いドライブだったけれど、ブルーにとっては夢の時間で。
 きっといつかはハーレイと本当のドライブに出掛けるのだと、ガレージの車を何度も眺めた。
 ハーレイの車。深い緑色で、最初のドライブにも連れて行ってくれる予定のハーレイの車…。



(…早くハーレイの隣に座ってドライブしたいな…)
 最初のドライブは何処にするかな。
 ハーレイはそう言って笑ったものだが、夏休みの終わりに、ブルーには一つの目標が出来た。
 いつかハーレイが運転する車の助手席に乗って、ブルーは隣の町に行く。
 庭に夏ミカンの大きな木がある、隣町のハーレイが育った家。
 ブルーは其処まで出掛けてゆく。
 ハーレイの父と母とが暮らす家まで、自分たちの子が一人増えたと言ってくれた優しい人たちに会いに…。




       ハーレイの車・了


※ハーレイが乗っている緑色の車。ブルーとの最初のドライブはきっとこの車ですね。
 そしていつかは、シャングリラの色をした白い車に二人で乗るのです。
 二人だけのために走るシャングリラで、いろんな所へ…。

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