シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
大迷惑だったソルジャーの恩返しとやらが幕を閉じ、教頭先生と会長さんの関係はすっかり元通り。会長さんときたら、教頭先生に襲われかかったことも大して気にしていないようです。ベッドに運ばれてしまったというのに、タフだと言うか何と言うか…。
「いいじゃないか、何も起こらなかったんだしね。あの程度のことで目くじら立ててちゃ、ハーレイではとても遊べないよ。今までだって色々あっただろ?」
ねえ? と会長さんが笑っているのは放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。私たちの前には沢山のケーキが入った大きな箱が…。会長さんはそれを指差して。
「それにさ、慰謝料でこんなケーキも買える。あの明くる日には食べ歩きにも出掛けられたしね」
「「「………」」」
会長さんは恩返し騒動の翌日に私たちを連れて教頭先生の家へ押し掛け、慰謝料を毟り取ったのでした。支払わないとゼル先生に全てを話すと脅迫した上、私たち全員が目撃証人だと告げたんですから堪りません。教頭先生は顔面蒼白、言われるままに財布の中身を丸ごと献上する羽目に…。
「ああ、ハーレイの財布を気にしてるわけ? 心配しなくても毎度のことだよ、ぼくのせいで金欠になるのはね。…未来の花嫁に貢いだんだから先行投資さ」
「嫁に行く気もないくせに…」
キース君が呆れたように呟きましたが、会長さんは。
「ハーレイ自身が諦めない限り、そこはどうにもならないんだけど? この間だって言ってたじゃないか、初めての相手はぼくだと決めているってね。…本人が好きで譲らないんだ、何をされても自業自得だよ」
気の毒な教頭先生は何処までもオモチャにされる運命にあるらしいです。ソルジャーの恩返し強化月間でカードと差し入れを貰っていた間は幸せだったんでしょうけれど…。もっとも会長さんに言わせれば、オモチャの分際で幸せ気分など厚かましいそうで。
「あーあ、ブルーが勝手にやっていたとは言っても、ハーレイが幸せだったなんてねえ…。なんだか許せないと思わないかい? このぼくがハーレイを気遣って差し入れしてたと言うんだよ?」
「…たまには気遣って差し上げろ。あんたを大切に思ってらっしゃることは確かなんだ」
傍で見ていても良く分かる、とキース君は溜息まじり。けれど会長さんはフンと鼻を鳴らしただけで。
「本当に大切に思ってるんなら襲ったりしないと思うけど? いくらブルーが唆したにしても、思い切り危なかったんだ」
「魔が差すということもある。あの時はまさにそれじゃないかと」
「普段から妄想を繰り広げているからそうなるのさ。…まあ、ブルーの指導がついていたってハーレイには無理だと思うけどね」
「あんた、危なかったのか大丈夫なのか、どっちなんだ…」
疲れた口調のキース君。私たちの気持ちも同じでした。会長さんは教頭先生に無理やり……そのう、大人の時間に突入されるとは思っていないくせに、その危機だけを強調しては振りかざすから困るのです。
「そんなことを言われても…。危ない時ってあると思うよ、ハーレイだって男だもの。EDにでもならない限り、リスクはゼロとは言えないさ」
「だが、EDはお断りだと言ったじゃないか」
キース君の鋭い突っ込みに、会長さんは。
「そうなると追い掛けて来てくれないからねえ…。身を引かれたらつまらない。でも、襲われるのは趣味じゃない。…こう、ギリギリのバランスっていうのが醍醐味なんだよ。それが崩れたらアウトなわけ」
襲われたのはアウトの内だ、と言う会長さんにとっては大人の時間を巡るドタバタもゲームなのかもしれません。なにしろシャングリラ・ジゴロ・ブルーですから女性と遊ぶのは明らかにゲーム。その感覚を教頭先生との間柄にも持ち込んでいてアウトだ、セーフだとやっているとか…? 私たちがコソコソ話し合っていると。
「失礼な!」
会長さんがピシャリと遮りました。
「女性とハーレイを同列にするなんて、女性に対して失礼だよ! 謝りたまえ!」
「「「はーい…」」」
そう来たか、と渋々頷く私たち。シャングリラ学園は今日も平和です。教頭先生から毟ったお金で買ったケーキも綺麗でとっても美味しいですよね。
「ところでさ…。EDで思い出したんだけど」
会長さんが2個目のケーキにフォークを入れながら私たちを見回しました。
「今年の校外学習について、何か噂は聞いている?」
「「「え…?」」」
何故にEDで校外学習? ひょっとして今年は何処かの病院に行ってボランティアとかそういうのですか? 去年の一日修行体験も大概でしたが、ボランティアというのも楽しくないかも…。
「なんだ、やっぱり聞いてないのか。情報統制は完璧だね」
流石はシャングリラ学園、と感心している会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ねえねえ、EDって何だっけ? 校外学習、今年も水族館には行かないの? イルカさんと遊びたいのに…」
つまらないよ、と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」は水族館がお気に入りでした。私たちが普通の1年生だった頃から校外学習の行き先は水族館。そこのイルカショーのプールでイルカと遊ぶのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の大好きな時間なのですが……去年は水族館からお寺に変更されたのです。また今年も…?
「ぶるぅ、水族館に行きたいのかい?」
会長さんが尋ねると「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「うん!」と元気一杯に。
「イルカさんと遊ぶの、楽しいもん! ブルーに連れてって貰う時には握手だけしか出来ないけれど、校外学習だと一緒にショーが出来るもん!」
あれがやりたい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。水族館がお休みの日に出掛けて行ってイルカプールでジャンプなどをさせて貰うこともあるそうですが、ギャラリーがいないのがつまらないとか。普通の営業日だと子供たちに混じって握手が精一杯ですし…。会長さんは「うーん…」と考え込んで。
「水族館がダメだった時はジョミーたちに頼もうかな? そうすればギャラリーが少し増えるし」
「えっ、水族館……ダメかもしれないの?」
残念そうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会長さんは。
「まだ決まってはいないんだ。水族館がいいと主張している先生もいるしね」
「そうなんだぁ…。その先生に頑張って欲しいな♪ ぼく、お願いに行こうかなぁ?」
「いいけど、相手はハーレイだよ?」
ぼくが大金を毟った相手、と会長さんが告げるのを聞いてガックリ項垂れる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。でも、教頭先生は「そるじゃぁ・ぶるぅ」を可愛がってますから大丈夫なんじゃあ…? 私たちが口々に慰めると「そるじゃぁ・ぶるぅ」は少しやる気が出たようです。
「うん、やっぱりお願いに行ってくる! 水族館にして下さい、って!」
「そう? 水族館でなくても楽しいんじゃないかと思うけどねえ?」
何処に行くのか話してないよ、と会長さん。…えっと、病院でボランティアなんじゃあ…? それって何か楽しいですか?
「なんでボランティアってことになるのさ? ああ、EDって言ってたからか…」
一人で納得している会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「EDってなに?」と無邪気に再び問い掛けます。
「ん? ハーレイが自信喪失する病気。…だから水族館を主張ってわけでもないけどね」
えっと…。話がサッパリ見えません。どうして教頭先生が水族館を推していて、EDがどう絡むのでしょう?
「ふふ、知りたい? 情報統制中なんだけどねえ…」
だけどぼくにはお見通し、とクスッと笑う会長さん。
「結論から言えば、去年の行き先は不評だった。発案者のグレイブは「精神修養になって素晴らしかった」と自画自賛だけど、シャングリラ学園の校風には合わないと判断されたらしいんだ。それで今年は元通りに水族館へってことになりかけていたら、今度はゼルが」
「「「ゼル先生?」」」
意外な人が出てきたものです。剣道と居合の達人ですから今年は武術の道場とか? そういえば教頭先生がEDになったのはゼル先生にサイドカーに乗せられて爆走されたせいでしたっけ。教頭先生、ゼル先生のプランに反対するとは、ああ見えて根に持つタイプだとか…?
「…ハーレイがゼルに反対なのは教頭の立場からなんだ」
会長さんの意外な台詞に首を傾げる私たち。個人的な恨みで反対というのも似合いませんけど、教頭だから反対意見を唱えるというのは何なのでしょう? 教頭先生は先生側に立つのか生徒側なのか、それも今一つ分かりませんし…。どっちなんだろう、と皆で悩んでいると、会長さんが。
「もちろんハーレイは先生側だよ? 教頭なんだし先生たちを束ねる立場。…ただし悲しい中間管理職とも言えるんだよねえ、ハーレイの上には校長先生がいるし」
「そっか、校長先生がいたんだっけ…」
影が薄いから忘れていたよ、とジョミー君。なんとも失礼な話ですけど、そう言う私も忘れていました。校長先生はシャングリラ学園創立当時から校長を務めておられ、理事長先生と共に私財を投じて学園の基礎を築いたと聞かされています。ちゃんと銅像も建っているのに忘れられてしまう影の薄さは何なのでしょう?
「忘れられちゃうのも無理ないけどね。…校長先生も理事長もサイオンは標準以下でしかないし、そのせいで長老のメンバーには加わっていない。仲間内でも影が薄いんだよ」
シャングリラ号にも乗り込まないし、と会長さんが説明してくれて。
「だけど校長には違いないから、シャングリラ学園で何かあったら校長先生の責任になるってわけ。ハーレイはそうならないよう、教頭として反対した。ゼルの意見が通ってしまうと危険だからね」
「「「危険…?」」」
校外学習で危険とくれば、やはり武術の道場でしょうか。慣れない生徒が剣道や居合をするんですから事故が起こるかもしれません。怪我した生徒への謝罪と補償もさることながら、場合によっては新聞記事のネタになるとか、色々と面倒なことになりそうな…。
「そう、考え方としてはそれで合ってる。ハーレイが恐れているのは事故と学校への風当たり」
怖いよねえ、と首を竦める会長さんにシロエ君が。
「やっぱり武術の道場なんかに行くんですか? 剣道と居合の体験とか…?」
「残念でした。ぼくはEDで思い出したって言った筈だよ? 剣道や居合がEDとどう結び付くと?」
ニヤリと笑う会長さん。うーん、確かに剣道も居合もEDなんかとは無縁そうです。
「そりゃね、打ちどころが悪かったりしたらEDもアリかもしれないけどさ。普通はちょっと有り得ないよ。…だけどヒントになるのはED。…どう? 何か見当がつきそうかい?」
「…俺には無理だな」
サッパリ分からん、とキース君が早々に白旗を上げ、私たちもそれに続きました。会長さんと同じ連想が出来るようになったら、それは末期というものでしょう。会長さんは「簡単なのに…」と悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「ハーレイがEDになったのはゼルのせい! サイドカーに乗せられて爆走されたせいだけれども、全てはスピードが悪いんだよ。ハーレイは絶叫マシーンも無理だろ? つまりゼルといえばED、でもってスピード」
「…ますますもって分からんぞ」
もっと簡単にならないのか、とキース君が苦情を言えば、会長さんは。
「ゼルが持ち出した案でスピードだよ? ついでに危険も伴うんだ」
「…バイクの講習会とかじゃないだろうな?」
「君たちはともかく、1年生じゃバイクの免許は取れないよ。お試しにしても保護者から苦情が来そうだよね」
「事故と学校への風当たりと言うなら充分に該当しそうだが?」
おまけにゼル先生が好きそうだ、とキース君。けれど会長さんは「違うね」と首を左右に振って。
「ゼルが推してるのはラフティングだよ」
「「「ラフティング!?」」」
「うん。…聞いたことあるだろ、郊外の川でやってるヤツ」
スピードがあって、おまけに危険。ラフティングだと明かされてみれば実に分かりやすいヒントでしたが、教頭先生は反対の立場。校外学習、どうなるのかな…?
シャングリラ学園の情報統制はそれから後も続きました。行き先で揉めているなら生徒の意見を取り入れるために投票だとか、そんなのがあっても良さそうなのに…。数日経った放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で私たちがブツブツ言い合っていると、会長さんが。
「ちなみに、君たちは水族館? それともラフティング、どっちがいいわけ?」
「え? えっと…」
どっちだろう、とジョミー君が首を捻っています。シロエ君も考え込んでいますし、キース君だって…。水族館はお馴染みの場所になってますけど、自由行動が出来てのんびりまったり。ラフティングはスリリングな急流下り。どっちがいいかと尋ねられても、ちょっと即答しにくいかも…。と、元気な声が弾けました。
「ぼく、ラフティング!」
楽しそうだもん、と燃えているのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ブルーに教えてもらったんだ! みんなで一緒にボートを漕いで川を下っていくんでしょ? それに他にも色々あるよ、って!」
「色々って…?」
ジョミー君が尋ね、私たちもそれに便乗です。川下りってだけではないんですか? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」はエヘンと胸を張って。
「えっとね、ボートから下りて川で泳いだり出来るんだって! なんてったかなぁ……ライフジャケット? 浮き輪みたいなのを着けていくから泳がなくってもプカプカ浮けるし、ボートと一緒に流れていったり…。ぼく、そういうのがやってみたいな」
「へえ…。そんなオプションがあったんですか」
知りませんでした、とシロエ君が言うと会長さんがニッコリ笑って。
「オプションじゃなくてコースの内だよ? 川に親しむというのがコンセプトでね、あれこれ工夫してるんだ。面白そうだと思わないかい?」
「…教頭先生が来なくても…か?」
念を押したのはキース君です。スピードが苦手な教頭先生はラフティングも好きではなさそうな気が…。会長さんが教頭先生を引き摺り込んで何かやらかさないという保証は何処にもありません。ところが…。
「ハーレイは校外学習には必ず参加するんだよ。そういう決まりになっている」
「あんた、また良からぬことを考えてるな?」
キース君の鋭い指摘に、会長さんは。
「…ラフティングに関しては別に何も? たかが急流下りだろ。いくらハーレイがスピードが苦手だと言っても、急流下りくらいじゃねえ…。そりゃEDは連想したけど、それは速いって言葉からでさ」
特に何も起こらないだろうから期待はしてない、と会長さんは微笑んでいます。
「学校行事で出掛けるんだし、手出しのしようがないんだよ。…個人的に行くんだったら川に突き落とすとかも出来るけどさ」
「…だったら、あんたは水族館派か?」
「ぶるぅがラフティングを希望してるから、ラフティング。…たまには真っ当に楽しんでみるよ、校外学習。去年は修行体験でイマイチだったし、ぼくだって遊べる所を希望」
水族館よりラフティング! と会長さんも期待しているようです。教頭先生を巻き込まないのなら、ラフティングにするのがベストでしょうか? ああ、でも…選択権は私たちには無いんでしたっけ…。決めるのはあくまで先生たちで、生徒はそれに従うのみです。ラフティングがいいな、と呟き始めた私たちですが。
「…そろそろ決まるみたいだよ?」
会長さんが本館のある方角へ視線を向けて。
「ぶるぅ、中継をお願い出来るかな? 会議室のハーレイたちだ」
「オッケー!」
たちまち壁に映し出されたのはテーブルを囲む先生たち。配られた資料を前に検討中です。
「わしは断固、ラフティングじゃ! 力を合わせてボートを漕ぐ! 皆で難コースを乗り切った後の達成感は学校生活のいい思い出じゃし、人間としても成長出来よう」
ゼル先生が熱弁を揮い、頷いている先生が多数。これはラフティングに決定だな、と画面をワクワク眺めていると…。
「その件についてだが、校長の御意見も一応伺ってきた」
教頭先生の言葉に、ゼル先生がギッと怒りの形相で睨み付けて。
「なんじゃ、ハーレイ、余計な事を! 校長なんぞはただの飾りじゃ!」
「そうは言っても最終的な責任は校長に行く。水族館に行くなら往復の交通事故くらいしか危険は無いが、ラフティングとなれば話は別だ」
「で。校長はなんて言ったんだい?」
早く言いな、とブラウ先生。教頭先生は軽く咳払いすると。
「…例年、水族館と決まっていたものを敢えて変更しなくても…と。昨年の一日修行体験のように危険を伴わない場所ならともかく、ラフティングは危険すぎないか…とも仰っていた」
「なるほどねえ…。あんたと同じ意見なわけか。こいつは考え直さないとね」
「ええい、そんな必要は微塵も無いわい! 校長とハーレイが反対しようが、他の連中は賛成なんじゃ!」
ラフティングじゃ、とゼル先生は叫びましたが、最初に反対意見に賛同したのはヒルマン先生。そこから先は雪崩を打つように反対票が次から次へと…。
「では、今年の校外学習の行き先は恒例の水族館に決まりだな」
これで私も安心だ、と会議を終えて立ち上がった教頭先生、校長先生の所へ報告に行くみたいです。解散してゆく先生方の中でゼル先生だけが頭から湯気が出そうな勢いで怒っていたり…。
「……水族館になっちゃった……」
ションボリしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ラフティングに行く気満々だっただけに意気消沈しているのでしょう。まったく、教頭先生ときたら…。中間管理職は大変なのかもしれませんけど、ラフティングでいいじゃないですか~!
目先の変わった行き先になるかと期待してしまった校外学習。水族館になったからには「そるじゃぁ・ぶるぅ」は行かないかも…と心配でしたが、翌週の朝、1年A組の一番後ろに会長さんの机が増えて。
「やあ、おはよう。今日は校外学習のお知らせが配られるからねえ」
「かみお~ん♪ イルカさんに会うのも楽しいもんね!」
みんなで行けばギャラリーも増えるし、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は前向きに考え直したようです。やがてグレイブ先生が教室に現れ、会長さんの姿に舌打ちしながらお知らせを配ると。
「諸君、校外学習もいいが、本来の学習にも身を入れるように。…先日の抜き打ちテストを採点してみたが悲惨だったぞ」
今日から補習だ、と対象者の名前を順に読み上げるグレイブ先生。呼ばれてしまったクラスメイトは縋るような眼で会長さんを見ています。抜き打ちテストは会長さんのフォローの範疇外。年度初めの実力テストと定期試験だけしか請け負わない、とキッパリ宣言しているのですが、姿があれば気になりますよねえ…。
「なんだ、ブルーを見ているのか? 諸君はブルーに頼り過ぎだ」
嘆かわしい…、とグレイブ先生は溜息をついて。
「抜き打ちテストは全部のクラスで実施してきたが、大多数が補習などという無残な結果はA組だけだ。中間試験で全員満点、堂々の学年一位に輝いたのと同じクラスとも思えんな。…校外学習の前日まで補習を行う」
「「「………」」」
楽しいお知らせの後は補習のお知らせ。教室はお通夜状態です。補習を免れたクラスメイトはほんの数人、そうなってしまうのも無理はなく…。と、会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「ぶるぅ、出番かもしれないよ? 手形パワーの」
「かみお~ん♪ どこに押したらいいの?」
「グレイブが持ってる名簿じゃないかな。でも、その前に…」
会長さんがスッと席を立ち、スタスタと教卓の方に歩いて行きます。手形パワーと聞いたグレイブ先生は補習対象者の名簿を挟んだ出席簿を両手でしっかり抱えてガードして…。
「ホームルーム中の勝手な行動は慎みたまえ! 席に戻って黙って座る!」
「…ぼくに常識が通じるとでも? 補習の発表を終礼まで待てば良かったんだよ。そしたらぼくは帰った後だし、何も問題無かったのにねえ? …みんなに頼りにされてしまうと見捨てて帰るのは良心が痛む」
どいて、とグレイブ先生を押し退けてしまった会長さんは教卓の横に姿勢よく立つと。
「校外学習の行き先は水族館! ぶるぅはイルカが大好きだから、イルカとショーをするんだよ。イルカショーの案内板に貸し切りと書かれた時間帯がある筈だ。その時間にショーを見に来て声援を送ってくれるんだったら、補習を無しにしてあげてもいい」
「ホントですか!?」
「行きます、絶対見に行きますっ!」
口々に叫ぶクラスメイトに会長さんは大満足で。
「ありがとう。ぶるぅの応援、よろしくね。…ぶるぅ、手形だ!」
「かみお~ん♪ グレイブ、名簿、ちょうだい!」
くれなかったら黒い手形を押しちゃうもんね、とニコニコ笑顔で脅迫されたグレイブ先生は慌てて名簿を渡しました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の右手から出る赤い手形はパーフェクトですが、左手から出る黒い手形を押された人はアンラッキー。グレイブ先生はとっくの昔に経験済みです。
「押しちゃった~! 補習、無しだよ!」
ピョンピョン飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」にクラスメイトは拍手喝采。きっと水族館のイルカプールでも惜しみない拍手が送られるでしょう。ラフティングがお流れになっちゃった分、「そるじゃぁ・ぶるぅ」にはショーを楽しんで欲しいです。会長さんもそう思ったから手形をサービスしたんでしょうね。
「あーあ、ホントに水族館だよ…」
ジョミー君が残念そうに校外学習のお知らせを眺めているのは放課後のこと。中継で一部始終を見ていたものの、奇跡の大逆転でラフティングの方になりはしないかと誰もが思っていたのです。しかしお知らせが出てしまった以上、水族館に決定で。
「ぶるぅはショーに出られるけれど、ぼくたちは別に何もないしね…」
「ですよね、ラフティングだったら目新しいこともあったんでしょうけど…」
水族館は見慣れてますし、とシロエ君も相槌を打っています。あーあ、行きたかったなぁ、ラフティング…。
「ぼくだってラフティングの方が良かったさ」
ぶるぅもね、と会長さんが言えば「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「イルカさんと遊ぶのも大好きだけど、ラフティングもやりたかったのに…。あんなに楽しそうなのに~!」
会長さんにラフティングの内容を聞かされて以来、夢が大きく膨らんでいたらしいです。そうは言っても決まったものは変えようがなく、水族館で我慢するしかありません。小さな子供には酷ですけども。
「…うーん…。これはハーレイに文句を言うべきだよね」
せっかくのプランをボツにしたのはハーレイだから、と会長さん。えっと……教頭先生のせいでボツになったのは確かですけど、校長先生が言い出したんじゃあ?
「ハーレイが意見を聞きに行かなかったら校長先生だってノータッチだよ。ゼルも言ったろ、お飾りだって」
責任は全てハーレイにある、と会長さんは完全に決めてかかっています。
「生徒の安全第一というのもいいけどねえ…。ぼくに言わせれば万一の時に責任を被るのを回避しただけのヘタレ根性! 他の学校は実施してるのに」
けっこう人気のコースなのだ、と会長さん。それに今まで無事故だそうで…。
「よし、決めた。ハーレイに責任を取らせよう」
「「「え?」」」
「ぶるぅをガッカリさせた責任だよ。子供の夢は大切なんだ」
夢を壊すような大人は論外、と言ってますけど、そもそも覗き見していなければラフティングなんて知らずに終わっていたのでは? こんな展開ってアリなんですか…?
恩返しするなら堂々と、と会長さんに言われてしまったソルジャーは困惑し切っているようでした。黒子に徹して表に出ないつもりでいたのに、真っ向から否定されたのですから。…とはいえ、ソルジャーが正体を隠して恩返しを続けてゆくというのは危険極まりない行為です。
「堂々と出来ない恩返しなら中止だね。…君が恩返しをすればするほど、ぼくの立場が危うくなるんだ。ハーレイは思い込んだら一直線だし」
後先考えずに突っ走るタイプ、と会長さんは大きな溜息。
「そのハーレイにメッセージカードと差し入れだって? お帰りなさいのカードだけでも勘違いするには充分なのに、おにぎりと栄養ドリンクだって?」
「おつまみもだよ。いつも覗き見しているからね、大体の好みは見当がつく」
「それが余計にマズイんだってば!」
ハーレイの思い込みに拍車がかかる、と会長さんは呻いています。
「自分の好みに合わせたものを選んでくれているんだな、って幸せ気分に浸ってそうだ。しかも普段から理想の結婚生活なんかを飽きずに妄想しているし…。頭の中ではコンビニおにぎりが手作りおにぎりに変換されたに決まってる」
「そういうものかな? だったら思い込みと勘違いを正せば恩返ししても構わないわけ?」
ぼくは御礼をしたいんだ、とソルジャーが尋ね、会長さんが。
「堂々と表に出るんならね。…とにかく、ぼくがやってると思われないようにしてくれないと」
「分かった。じゃあ、堂々とやらせて貰うよ。その方がハーレイも喜びそうだ」
「え?」
怪訝そうな顔をした会長さんに向かってソルジャーは。
「カードを添えてこっそり陰から応援するより、家に帰れば出迎えてくれる人がいるって方がいいだろう? もっとも、ぼくも忙しいから毎日は無理だ」
「ちょ、ちょっと…。出迎えって何さ?」
「出迎えと言えばお出迎え! カードの代わりに直接ぼくが「お帰りなさい」を言うんだけれど?」
これぞ究極の恩返し、とソルジャーは得意げに言い放ちました。
「こっちのハーレイの理想だろ? 帰ってきたらエプロンを着けた君が出てきて「お帰りなさい。お風呂にする? 食事にする?」って微笑むヤツが。ぼくと君とはそっくりなんだし、たとえぼくだと分かっていてもドキドキすると思うんだ。…さて、ハーレイの予定を聞きに行こうかな? 善は急げって言うからね」
「ストーップ!」
ちょっと待った、と会長さんがソルジャーの手首を引っ掴んで。
「それって出迎えるだけでは済まないんだろう? その台詞を言ってコンビニおにぎりを差し出すだけってことはないよね?」
「………。他にオプションをつけろって?」
ソルジャーはポカンとしています。えっ、まさかソルジャー、それだけで終わる気だったんですか? アヤシイ何かがつくのではなく…? 会長さんと私たちを代わる代わる見ていたソルジャーが突然笑い出して。
「なるほど、お帰りなさいのメッセージだけでは足りないんだね? お風呂にするか食事にするかを尋ねた以上は責任を持ってフォローしろってことなんだ?」
「「「!!!」」」
その瞬間に墓穴を掘ったと気が付きましたが、後の祭りというヤツです。ソルジャーはクスクス笑いながら。
「ぼくとしては恩返し強化月間中に暇を見付けて通ってきては「お帰りなさい」を言うだけのつもりだったんだけどねえ? だってほら、ぼくのハーレイとは素敵な関係が続いてるんだし、夜は二人で過ごしたいじゃないか。…だけど……その毎日も大恩人のお蔭と思えば一日くらいは奉仕すべきか…」
「い、いや…。何もそこまでしなくても…! お帰りなさいでいいと思うよ」
それで充分、と会長さんは必死です。ここでソルジャーを止めなかったら恩返しは凄い方向に行ってしまって、教頭先生の勘違いよりも恐ろしいことになりそうな…。けれどソルジャーもまた、思い込んだら一直線のタイプでした。
「決めた、ハーレイに恩を返すには素敵な関係のフォローが一番! 君との仲が進展しなくて色々と辛い思いをしてるし、ここは一肌脱がせて貰うよ。花嫁が家にいる生活ってヤツを堪能出来ればハーレイもきっと男になれるさ」
目指せ、自信に満ちた生活! とソルジャーは拳を握っています。ま、まさか教頭先生を男にするって、大人の時間のことなんですか…?
とんでもない展開になってしまった恩返し。ソルジャーはやる気満々ですし、会長さんは顔面蒼白。こんなことならソルジャーがコッソリ恩返しをしていた方が良かったのでは…。凍りついた時間が流れて、私たちも固まっていたのですけど。
「…今更やめてくれって言っても君は絶対聞かないだろうね?」
会長さんが口を開くと、ソルジャーが。
「もちろんさ。大恩人に身体を張って御礼が出来るチャンスだよ? 週末あたりがいいのかな…。ハーレイの都合を聞くよりサプライズの方が断然いいよね」
「…堂々とやれと言ったのはぼくだ。君が恩返しだと主張する以上、仕方がない。サプライズでも何でも好きにしたまえ。ただし! 監視はさせて貰うから」
「監視?」
「そう、監視。君がハーレイをどう扱おうと知ったことではないけれど……ハーレイの関心がぼくに向くよう煽る行為は頂けない。途中で放り出してぼくのベッドに送り込まれてはたまらないしね」
そんな事態に陥らないように監視する、と会長さんは厳しい顔で。
「君は見られていても平気なんだと君のぶるぅが言っていた。シールドの中から見てるんだったら平気以上に気にならないだろ? ハーレイは気にする以前の問題だろうし」
「ああ、まあ……それどころではないだろうねえ」
恐らくぼくの身体に夢中、とソルジャーは可笑しそうに笑っています。
「オッケー、監視つきでもいいよ。…で、そこの子たちは? 万年十八歳未満お断りだし来ないのかな?」
「連れて行くさ!」
会長さんの台詞に私たちはゲッと仰け反りましたが、ソルジャーはいとも楽しげに。
「なるほど、ボディーガードというわけか。君のシールドをブチ破る自信はあるんだけれど、これだけの人数で固められてちゃどうにもならない。…ハーレイを君の目の前に放り出すのは諦めるよ」
「そうして欲しいね。君が目指すのは恩返しであって、迷惑行為ではない筈だ」
「…ハーレイへの恩返しなんだし、君との仲を劇的に進展させるのもアリなのに…」
ちょっと残念、と呟きながらもソルジャーの頭は恩返しのプランで一杯になっているらしく。
「それじゃ週末ってことでいい? 監視の都合があるだろうから確認しとかないと…。ハーレイの家のカレンダーを見る限りでは土曜はどうやら暇そうだ」
「土曜日だね。何時に出掛けるか決定したら連絡してよ」
こっちの予定は空けておく、と会長さんは私たちの意見も聞かずに一方的に決めてしまいました。土曜日は元々空いていたので会長さんの家で食事という話があったんですけど、食事どころか監視ですって? いえ、監視という名の覗きですってぇ? えらいことになった、と顔を見合わせる私たちを他所にソルジャーは。
「じゃあ、土曜日に、ハーレイの家で。…ぼくのハーレイと週末を過ごせないのは寂しいけれど、たまには離れてみるのもいいよね」
それも恋にはスパイスの内、と軽く片眼を瞑ってみせるとソルジャーは姿を消しました。本気で恩返しをする気な上に、会長さんまで承諾するとは…。私たち、ドツボにハマッてしまったようです。万年十八歳未満お断りなのに、大人の時間の覗きにお出掛け。この週末は仮病を使って寝込むべきかも…。
お騒がせなソルジャーが帰った後は上を下への大騒ぎでした。会長さんが「恩返し禁止」の姿勢を貫いていれば、如何なソルジャーでも教頭先生の家に乗り込もうとまではしなかった筈。こっそり恩返しを続けた可能性はありますけれど、所詮はカードと差し入れなのです。
「あんた、どういうつもりなんだ!」
キース君が会長さんに食ってかかると。
「えっ、どういうって……あのとおりだけど? ブルーはハーレイの家に押し掛けるって言ってるんだし、監視しなくちゃいけないだろう? ハーレイをその気にさせといて丸投げされたらどうするのさ。…大惨事なんてレベルじゃないし!」
「断るという選択肢だってあっただろうが! あんた、最初は恩返し禁止とか言ってなかったか? 何処で話が間違ったんだ!」
考えただけで頭痛がする、と額を押さえるキース君。なのに会長さんは平然として。
「ぼくも初めは断ろうかと思ったさ。いや、断りたかったと言うべきか…。ハーレイの家で花嫁ごっこはともかくとして、その後が大変そうだったしね。…なんと言ってもブルーがその気だ」
「その分、余計にマズイだろう!」
「うーん…。マズイって気は確かにしたけど、ブルーの相手はハーレイなんだよ」
「それがどうした!」
分かり切ったことを、とキース君が怒鳴り、私たちもコクコク頷きます。ソルジャーの狙いは教頭先生を「男にする」こと。万年十八歳未満お断りの身でも意味する所は辛うじて理解出来ました。会長さん一筋に三百年以上、童貞人生まっしぐらで来た教頭先生に大人の時間を仕込もうとしてるってことで…。
「ちゃんと冷静に考えたかい? ハーレイがどういう人間なのか」
日頃の行動パターンとかを、と会長さんがニヤリと笑って。
「ハーレイと言えば鼻血、鼻血と言えばハーレイってほどにヘタレているのがハーレイなのさ。たとえブルーが誘った所で、コトに及べるわけがない。思い切り派手に鼻血を噴いてぶっ倒れるのが関の山かと」
「「「………」」」
言われてみればそうでした。いつぞやのバカップル・デートの締め括りの時も、教頭先生、湯上りの会長さんを見ただけで鼻血でダウン。勝負パンツまで履いていたのに倒れたのですし、ソルジャーが押し掛け女房の如く家に上がり込んで誘惑したって結果は見えているような…。
「ね? だから心配ないんだよ。それどころかブルーの誘い方によっては自信喪失しちゃうかも…。前にEDになった時にさ、自分から身を引くと言い出しただろう? あんな感じで落ち込んじゃったら笑えるな、と」
「………。笑うのはいいが、身を引かれたら困るとか言っていなかったか?」
オモチャはタフさが身上だとか、とキース君が指摘しましたが。
「EDになられたら困るけれども、そっちの方には行かないと思う。自分の役立たずっぷりを思い知らされて更なる努力に燃えると言うか…。まあ、努力するだけ無駄なんだけどさ」
努力したって直るものでなし、直した所で結婚の夢が叶うということも絶対無いし、と嘲笑っている会長さん。
「ハーレイが鼻血で倒れるのが先か、ブルーがブチ切れて帰るのが先か。…あっちのハーレイと円満に暮らしているって言っていただろ? 不毛な週末を過ごすよりかは帰って楽しむ方だと見たね」
ソルジャーの膨れっ面が目に浮かぶ、と会長さんは愉快そうに。
「アテが外れて文句たらたらのブルーが見られて、ハーレイの鼻血もセットでつくんだ。そう考えたら見なくちゃ損って気になった。……ただし鼻血で倒れる前のハーレイなんかを押し付けられてはたまらない。暑苦しくって迷惑なだけ! 大丈夫だとは思うけどさ」
ブルーはハーレイを仕込む気だから、と会長さん。
「でも万一ってことはある。備えあれば憂いなしって言葉もあるから、ボディーガードをよろしく頼むよ」
「結局そこに落ち着くのか…」
溜息をつくキース君。私たちには断るという選択肢はありませんでした。週末は教頭先生の家で大人の時間の覗き見です。教頭先生が早い段階で挫折することを祈っておくしかないでしょうねえ…。
ソルジャーの決意は鈍らないまま、ついに土曜日。私たちは昼前に会長さんのマンションに集合しました。サプライズを目指すソルジャーが教頭先生の家を訪問するのは夕方だそうで、それに備えて腹ごしらえです。こんなことさえ起こらなかったら普通に食事しておやつを食べて…。
「あーあ、どうしてこうなっちゃうのさ」
ジョミー君がぼやき、キース君が。
「運が悪かったと諦めるしかないだろう。俺たちだって煽ったようなものだしな…。あいつは出迎えと差し入れだけで済ますつもりでいたというのに、勘違いしたのは俺たちだ」
「でも、ぼくたちは何も言ってないし!」
「ハッキリ言ったのはブルーだとはいえ、俺たちの顔にも出ていたと思う」
うーん、と呻く私たち。ソルジャーの日頃の行いが行いだけに、余計なオマケがついてくるものと思い込んだのは仕方ありません。大変なことになった、と焦った顔をソルジャーはしっかり見ていたわけで…。
「あれって煽ったと言うんでしょうか…」
シロエ君が溜息をつきましたけど、ソルジャーの闘志に火が点いたのは確かです。教頭先生を男にするのだと決意した以上、大人の時間の実現を目指して突っ走るのは間違いなし。…あれ? でも、今日って休日なんじゃあ? 教頭先生をお出迎えなんて出来るのかな?
「そういえば…」
教頭先生もお休みだよね、とジョミー君が頷いてくれました。
「ソルジャーがやるって言ってたヤツは無理なんじゃない? 教頭先生、家にいるでしょ?」
「それなんだけどね…」
ブルーは実に上手くやった、と会長さん。
「ちゃんと手を打っているんだよ。ぼくも気になったからチェックしてたら、例のカードをハーレイの家に届けたわけ。でもって「土曜日の午後はフィットネスクラブでリフレッシュすれば?」と書き添えてあった」
「「「………」」」
流石はソルジャー、やると決めたら徹底的にやるようです。カードを貰った教頭先生はすっかりその気で、今日は午後からお出掛けの予定。プールで泳いで、それからサウナで寛いで…。
「ブルーはハーレイが帰って来る頃を見計らって家に乗り込むつもりなのさ。ぼくたちに指定してきたのもその時間だ。出迎えをしてそれから何をどうする気なのかは謎だけどね」
分かっているのは「お帰りなさい」に続くお約束の台詞だけだ、と会長さんは嘆いています。そのまま大人の時間に直行なのか、夕食くらいは挟まるのかも分からないとか。
「ぼくにも心の準備ってヤツがあるから教えてくれ、って頼んでみたけど無駄だった。カードを届けたのが分かってるなら読み取ってみればいいだろう、と笑って返されちゃったんだ。…ぼくには無理だと分かってるくせに」
会長さんとソルジャーは最強のタイプ・ブルーですけど、経験値の差が大きいのでした。数々の修羅場をくぐり抜けてきたソルジャーの方が何枚も上手。それだけにソルジャーが遮蔽してしまえば心を読むのは不可能で…。
「とにかく覚悟はしておいた方がいいだろうね。ハーレイを出迎えた後はベッドに直行という線で…。まあ、ぼくたちは見てるだけだし、モザイクの方は任せておいて」
「…本当に見ているだけで済むのか?」
キース君の疑問に、会長さんは「さあ…」と自信なさげに。
「万一、ハーレイの矛先がぼくに向くようなことになったら、君にお願いするしかないかな。遠慮なく投げ飛ばしてくれていいから」
「ボディーガードだっけな…」
承知した、と腹を括ったキース君。こういう時に頼りになるのは柔道部三人組の腕力です。
「かみお~ん♪ ブルーを守ってあげてね!」
しっかり栄養つけておいて、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が具だくさんのオムレツなどを並べてくれました。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」も行くのですけど、なにしろ子供。シールド以外はお役立ちじゃないんですよね…。
会長さんが言っていたとおり、教頭先生は昼食を終えて一休みしてからフィットネスクラブに向かったようです。それから間もなくソルジャーから「来たよ」と連絡が入り、私たちも教頭先生の家へ瞬間移動。シールドはまだ要りません。
「やあ。みんな揃っているようだね」
リビングに陣取っていたソルジャーは紫と銀の正装ではなく、いわゆる私服というヤツでした。
「どうかな、これ? ブルーのを借りようかとも思ったんだけど、ぼくが来た目的が目的だしねえ…。借りて恨まれるというのも困るし、買って来たんだ」
「…ぼくのと見た目がそっくりだけど?」
何処から見ても全く同じだ、と苦い顔をする会長さんにソルジャーは。
「そりゃそうだよ、君の行きつけの店で買ったから! クローゼットの中身は把握してるし、やっぱりハーレイを喜ばせるには見た目が一番大切だろう? 君が出迎えに来てくれたのか、と勘違いしてくれなくっちゃね」
「すぐにバレるに決まってるよ」
「でも一瞬なら誤魔化せそうだ。恩返しだもの、一瞬といえども舞い上がらせてあげたい」
カードだってそうなんだし…、と自己満足に浸っているソルジャーの辞書には「糠喜び」という単語が無いようです。教頭先生、会長さんじゃないと知ったらガッカリすると思うんですけど…。
「平気、平気! ブルーじゃないから出来るってこともあるわけだしね。あ、そろそろハーレイが帰って来るみたいだよ」
「「「!!!」」」
それはヤバイ、と顔を引き攣らせた私たちは瞬時にシールドに包まれました。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒です。教頭先生はスーパーで買い物をしてから帰宅する様子。無駄に広い家ですからシールドから出さえしなければ鉢合わせなどは有り得ません。
「そうそう、ぼくを監視するならその調子でね。…さてと、お出迎えの用意をしようか」
ソルジャーは二階へ上がってゆきます。教頭先生の寝室に入り、クローゼットの中から取り出したものはフリルひらひらの真っ白なエプロン。
「あ、あれって…」
ジョミー君が指差し、会長さんが。
「ハーレイの妄想の副産物の一つだよ。ブルーは花嫁修業に来ていた時にエプロンをしてたし、必需品だと認識したか…。さて、ハーレイがどう出るかな?」
「喜ぶに決まっているじゃないか」
自信たっぷりのソルジャーはエプロンを着け、キッチンへ。料理なんかが出来るのだろうか、と眺めているとヤカンをコンロに載せただけ。お湯を沸かすのが精一杯らしいのですけど、教頭先生、喜ぶのかな…? と、ソルジャーが玄関へ駆け出して行って。
「お帰りなさい!」
「…ブ、ブルー…?」
鍵を手にした教頭先生が呆然と立ち尽くしています。そりゃそうでしょう、鍵を開けて家に入ったらお出迎えされてしまったのですし! ソルジャーは気にせず、例の台詞を。
「食事にする? それともお風呂?」
「………。ブルーでは……ない…のか…?」
怪訝そうな顔の教頭先生に、ソルジャーはニッコリ微笑みかけて。
「あ、バレちゃった? 君には色々お世話になったし、恩返しってヤツをしたくてさ…。ブルーだと思って接してくれると嬉しいな。そのつもりで今日は押し掛け女房!」
「押し掛け女房?」
「うん。…料理は全く駄目なんだけど、コーヒーくらいは淹れられるかも…。やり方を教えてよ」
お湯は沸かしてあるからさ、とソルジャーが言い終えない内にキッチンの方からピーッとヤカンが鳴る音が…。
「あ、いけない。沸いちゃったかな」
「沸いていますよ!」
教頭先生はキッチンにダッシュし、ソルジャーが沸かしたお湯でコーヒーを淹れて差し出しながら。
「…料理には向いておられないようですね。恩返しだとか仰いましたが、いったい何の…?」
「ぼくのハーレイへのバカップル指南! あれ以来、いい雰囲気なんだよ。だからどうしても御礼をしたくて、カードとか差し入れを届けていたんだ」
「………。あなたが届けて下さったのですか? てっきりブルーがやっているものと…」
気付かなくてすみません、と教頭先生は平謝りですが。
「いいんだよ。恩返しは本来、そういうものだし…。でもね、君がブルーにケーキを届けたから、ブルーの方にバレちゃって。間違えられると迷惑だから堂々とやってくれってさ」
「は…?」
「だから、堂々と恩返し! 押し掛け女房をする件についてもブルーはちゃんと承諾済みだ。ぼくと二人で甘い一夜を過ごそうよ。いつかブルーを口説く日のために色々覚えておくといい。…大丈夫、初心者には優しくするから」
その誘い文句は間違ってるんじゃあ…、と私たちはシールドの中で激しいツッコミ。一方、教頭先生は…。
「お気持ちはとても嬉しいです。しかし、その…。私は初めての相手は絶対にブルーだと決めていまして…」
「そうなんだ? 真面目なんだね、ハーレイは。じゃあ、とりあえず添い寝だけでも」
ね? と囁かれた教頭先生、その誘惑もグッと堪えて。
「とにかく食事にしましょうか。…ブルーと結婚した時のために料理を頑張っているのですよ。作って貰うのも楽しみですが、私の手料理を食べて貰うのも夢でして…。お付き合い下さるのなら、そちらの方を」
「うーん…。恩返しに来て御馳走になるというのも何だかねえ…」
ソルジャーは渋りましたが、教頭先生はいそいそとキッチンに立って料理を始め、合間にお風呂の湯加減もチェック。出掛ける前にタイマーをセットしていたようです。
「ブルー、お風呂が沸いていますよ。よろしかったらお先にどうぞ」
甲斐甲斐しくソルジャーのお世話をしている教頭先生はとても満足そうでした。会長さんとの夢の結婚生活とやらを実行中に違いありません。大人の時間はきちんと断っておられましたし、心配しちゃって損したかも…?
「…添い寝どころか寝室も別か…」
無駄足だった、と会長さんが大きく伸びをしています。教頭先生は寝室に引き揚げ、ソルジャーも二階のゲストルームへ。私たちはシールドを張ってはいるものの、リビングですっかり寛ぎムード。
「教頭先生、喜んでたよね」
ジョミー君が二階の方へ視線をやって。
「見た目がブルーにそっくりっていうのはポイント高いっていうことかな? 別人だって分かっていても御機嫌だったし…」
「ブルーが恩返しに燃えていたのが良かったんだよ」
いつもだったら絶対に何か良からぬことが…、と会長さん。
「ハーレイがキッパリ断っていても無理やりベッドに押し掛けるとかね。…今日のでちょっと見直したかな、ブルーも、それにハーレイも」
「…教頭先生もなのか?」
なんだそれは、とキース君が尋ね、首を傾げる私たち。ソルジャーは分かりますけど、どうして其処で教頭先生?
「なんて言うのかな…。ぼくの外見に惚れてる部分も大きいのかな、と思ってたわけ。だけどブルーを前にしててもキス一つしないし、見た目で惚れたんじゃないんだなぁ…って見直した。それに理想の結婚生活ってヤツの気配りが凄い」
「なるほどな。…だったら嫁に行ったらどうだ」
「そんなつもりはないってば! 悪い相手じゃないっていうのと結婚するのとはまた別で…」
会長さんがそこまで口にした時。
「ブルー!!!」
「うわっ!?」
いきなり野太い声が響いて、会長さんは逞しい腕にガッシリ掴まれ、抱き寄せられて…。
「ハーレイ!? ちょ、なんで…!」
悲鳴を上げる会長さんはシールドの外に出されていました。教頭先生に抱き竦められ、逃れようと必死に暴れています。けれど教頭先生は頬を紅潮させ、会長さんを捕えたままで。
「お前が見直してくれたとはな…。ブルーが一部始終を見せてくれたんだ。そして此処まで瞬間移動で送ってくれた。どうだ、このまま嫁に来ないか? 今ならブルーが手順を教えてくれるそうだ」
「手順って何さ!?」
「私はお前が初めてだしな、不安もあるし自信も無い。…そこをブルーが指導してくれる」
「し、指導って…。ブルー!!」
会長さんの悲鳴が響き、ソルジャーがパジャマ姿でパッと姿を現して。
「呼んだかい? ぼくもあれこれ考えたんだ。恩返しに来て逆にお世話になるというのは心苦しい。…そしたら君が面白そうなことを言っていたから、今度こそぼくの出番かな…って。心配しなくても初心者向けの指導をするよ。大恩人には恩返し! ハーレイ、ブルーを君のベッドへ」
「ありがとうございます。…ご指導よろしくお願いします」
教頭先生が会長さんをサッと抱き上げ、私たちはパニック状態に。止めようにもシールドから出られません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」にもシールドを解くことが出来ないらしく、これはソルジャーの仕業としか…。どうするんだ、と飛び交う怒号も教頭先生には届かないようです。ああぁ、階段をスタスタ上がって行きますよ!
「ハーレイ!」
絶叫も空しく、寝室に運び込まれてベッドに下ろされた会長さん。教頭先生はソルジャーを指導係と心得てますから、見られていても全く平気。ソルジャーが「まずはキスから」と言った所で。
「ちょっと待った!」
会長さんが圧し掛かって来る教頭先生を押し戻して。
「満足させる自信はあるんだろうね? 指導係がついた以上はヌカロクでないと許さないから!」
「…い、いや、それは…」
教頭先生の額に脂汗が浮かび、ソルジャーの顔が青ざめて。
「い、いきなりそれは無理じゃないかな…。どう考えても上級者向け…」
絶対無理、と二人が揃って呻いた瞬間、ソルジャーの力が弱まったらしく、「かみお~ん♪」の雄叫びと共に私たちは青いサイオンに包まれました。やった、会長さんを連れて脱出成功! マンションに逃げ帰ってへたり込んだ私たちですが、ヌカロクって何のことなのかな? 未だに謎の言葉です。
「ああ、あれかい? ハーレイがヘタレる魔法の呪文と思えばいいよ」
ブルーもヌカロクが絡むと苦労してるし、と会長さん。魔法の呪文が功を奏して逃げ出せたものの、教頭先生はどうなったやら…。
「えっ、ハーレイ? ぼくに逃げられて落ち込み中。とんだ恩返しもあったものだね」
やらない方がよっぽどマシだ、と会長さんは毒づいています。ソルジャーはキャプテンと過ごすべく自分の世界に帰ってしまい、教頭先生は哀れ一人寝。鶴の恩返しは鶴に逃げられて終わりですけど、あれってこういう筋でしたっけ…? でもまあ、会長さんが無事なんですから「めでたし、めでたし」でいいんでしょうねえ?
終礼が済んでクラスメイトたちが家へ部活へと散って行った後、私たち七人グループは1年A組の教室に残ったままでした。グレイブ先生の置き土産の教頭先生からの伝言とやらが足を教室に縫い止めています。いえ、伝言はそういう内容では無かったのですが。
「…ブルー、来ないね…」
返事も無いよ、とジョミー君が呟きます。私たちは会長さんに思念波を送ってみたのですけど、答えは返って来ませんでした。もちろんメールにも返信は無し。そういう時は大抵、会長さんの方から出向いてくるか、何らかの動きがあるものですけど…。
「もしかすると先に行ったのかもしれませんよ?」
シロエ君の言葉にアッと息を飲む私たち。その可能性がありましたっけ。なんといっても伝言は…。
「教頭室まで来るように……だしな。行ったかもしれん」
大いに有り得る、とキース君。柔道部所属のキース君たちはともかく、私たちは教頭室にはあまり馴染みがありません。行く時は必ず会長さんが一緒ですから、教頭室と聞けば会長さんの顔が頭に浮かぶほどです。そんな教頭室への呼び出しとあれば、会長さんは確かに一足お先に行っていそうで…。
「あいつだけ先に行ったとしたら、ロクなことにはならないぞ」
キース君に言われるまでもなく、私たちの思いは全く同じ。悪戯好きの会長さんを自ら召喚してしまったら、教頭先生、何をされても抵抗できない立場です。これは急いだ方がいいかも…。
「もう手遅れかもしれませんけどね」
「シロエ! 言霊と言うから黙っておけ!」
行くぞ、と駆け出したキース君を追い掛ける形で私たちは走り出しました。いつもは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋から教頭室のある本館へ向かっているため、今日のルートはなんだか新鮮。その分、妙に緊張感も高まるのですが、教頭先生、どうか御無事で…! 祈るような気持ちで本館に飛び込み、走りの方はそこでストップ。
「くそっ、走るのは禁止だからな…」
キース君が『走るな』の注意書きに舌打ちしながら早足で歩き、私たちも叱られない程度のスピードで教頭室を目指します。そうそう、あそこの重厚な扉! 現時点では飛び出してくる人影は無く、会長さんが来ていたとしても騒ぎは起こっていなさそう。静かに現在進行中かもしれませんけど。
「…みんな、心の準備はいいか?」
扉の前でキース君が振り向き、私たちが無言で頷いて。
「失礼します」
会長さんがしているように軽く扉をノックしたキース君に「入りなさい」と教頭先生の声。扉を開けて入って行くと…。あれっ? 会長さんは? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」は?
「なんだ、どうしたんだ?」
キョロキョロと部屋を見回す私たちに教頭先生の視線も釣られて移動。ということは……会長さんの到着はまだ? 私たちが先に着いちゃいましたか? 教頭先生は部屋を一通り見渡してから。
「何か気になるものでもあったか? 虫などは入っていないようだが…。そうだ、呼び出してすまなかったな。実はお前たちに頼みたいことが…」
「「「えっ?」」」
私たちに頼みごとですか? いったい何を、と思う間もなく教頭先生は書き物をしていた机から立ち、奥の仮眠室へ。まさか其処に会長さんが隠れているというオチとか? 引っ張り出して連れ帰ってくれとか、そういう依頼が来るのだろうか、と私たちが顔を見合わせていると。
「…すまないが、これを届けてもらいたい」
教頭先生が持って来たのはアルテメシアでも指折りのケーキ屋さんの紙袋でした。
「私は甘い物は苦手だからな、今一つ良く分からないので売れ筋のを詰めて貰ってきた。ブルーが一人で食べるのも良し、ぶるぅと分けて食べるのも良し。…とにかく頼む」
「あ、あのう…」
口を挟んだのはキース君です。
「それをブルーに届けるんですか? 俺たちが?」
「ぶるぅの部屋は教師は立ち入り禁止だろう? だからと言って呼び出したのでは感謝の印にならないし…。お前たちは毎日行っているから、ついでに頼んでも大丈夫かと…」
「届けるのは別に構いませんが……それでわざわざ呼び出しを?」
「うむ。でないと届けそびれるからな。いつも終礼が終わった後は一直線だと聞いているぞ」
私たちは配達係でしたか! ケーキが部屋まで届くとなれば会長さんが来ない筈です。余計な心配をして損をした、とケーキの袋を謹んで預かる私たち。キース君が代表で受け取り、教頭先生は「メッセージカードを添えてあるから」と特に伝言を頼むでもなく…。
「なあんだ、ケーキの宅配便かあ…」
お使いの御礼に1個欲しいな、とジョミー君が紙袋を覗き込んだのは廊下に出てから。袋の中には大きな箱が入っています。一人1個なら全員で食べても問題なさそうなサイズでした。どうしていきなりケーキなのかは謎ですけども、こんなお使いもたまにはいいかな?
大きなケーキの袋を提げて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと、案の定、会長さんが待ちかねたように。
「やあ。ハーレイからの預かり物は?」
「これだ。やっぱり知ってたんだな」
キース君が差し出した袋を受け取った会長さんは早速、中から箱を引っ張り出して。
「ぶるぅ、みんなに飲み物を淹れてあげて。お茶にしようよ」
「オッケー!」
すぐに紅茶やコーヒーが揃い、お皿とフォークも出て来ます。会長さんが箱を開けると美味しそうなケーキが何種類も詰め込まれていて、思わず唾を飲み込んでみたり…。
「どれが食べたい? 重なった時はジャンケンだね。あ、でも…優先権はぼくにあるのかな?」
「そうだと思うぞ、あんたに届けるようにと仰っていたし…」
キース君の答えを聞いた会長さんは「じゃあ、これ」とカシスのムースケーキをお皿に載せて、残りは私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が分けることに。それでもケーキは余りますから、希望者がお代わりと決まったのですが。
「ちょっと待った!」
いきなり部屋の空気が揺れて紫のマントが翻りました。言わずと知れたソルジャー登場。ケーキに釣られてやって来たのか、と私たちはゲンナリです。
「えっとね…。そのシブーストにしようかな? だけどフランボワーズのムースも捨て難いし…。最初から貰っておいてもいいよね、お代わりの分」
ここに載せて、と厚かましくお皿まで手にしていたり…。テーブルのお皿は減ってませんから、キッチンの棚から瞬間移動で失敬してきたものでしょう。どうしてこうも鼻が利くんだか、と溜息をつきたい気分でしたが。
「どうしたのさ? 2個貰っても数は全然問題ないだろ? 第一、これは本来ぼくのケーキだ」
「「「は?」」」
どういう理屈でそうなるんですか? ケーキの箱は教頭先生から会長さんへのお届けもので、私たちが預かってきたのです。ソルジャーが立ち入る隙は何処にも無いと思いますけど? 会長さんも呆れた顔で。
「君がケーキに目が無いことは知っているけど、妙な主張をしなくても…。これを貰ったのはぼくなんだから」
「それが間違っているんだってば!」
ソルジャーは譲ろうとしませんでした。
「メッセージカードがついてる筈だよ、ハーレイからの。カードを見ればすぐ分かるって!」
「カード? そういえば何か入っていたね」
床に捨ててあった袋の中から封筒を取り出す会長さん。キース君が「すまん」と頭を下げて。
「教頭先生がメッセージカードを添えておいたと仰っていた。ウッカリ伝え忘れていたんだ。申し訳ない」
「…ハーレイには申し訳ないかもしれないけどさ、ぼくはカードは気にしないよ」
ケーキに意義があるんだし、と封筒に入っていたカードを開いた会長さんですが。
「えっと…。なんだろう、これ? 日頃の気遣いに感謝をこめて…って、何の冗談?」
「「「気遣い!?」」」
何ですか、それは? 会長さんが教頭先生に気遣いって……そんなの覚えがありませんけど?
「だからぼくのケーキだって言ってるだろう?」
ソルジャーが胸を張りました。
「色々お世話になったからねえ、感謝をこめて恩返し強化月間なんだ」
「「「恩返し!??」」」
私たちの声が揃って引っくり返り、会長さんは目が点です。恩返し強化月間って、なに? まさかソルジャーが教頭先生に恩返しをしてたりするのでしょうか? 恩返しって、鶴が助けられた御礼に機を織ったりするヤツのことで合っているのか、それとも他に何らかの意味が…?
「…恩返し強化月間って何さ?」
辛うじて声を絞り出したのは会長さんでした。
「感謝をこめてとか言っていたけど、誰が誰に恩返し? そもそも恩返しってどういう意味?」
「知らないかなぁ、恩返し。SD体制よりもずっと昔の伝説が色々残っているよ。亀を助けたら竜宮城に連れてってくれるってヤツとか、君たちの世界にもあるだろう?」
あらら、本当に文字通りの恩返しというヤツなんですか? でも、なんで…? 会長さんも其処が気になるらしく。
「分かった、鶴が機を織るという類のアレだね。で、その恩返しが何だって?」
「ぼくが恩返しをしてるんだよ。こっちの世界のハーレイのお蔭で、ぼくのハーレイが最近けっこういい感じなんだ。バカップルごっこで覚えたシチュエーションを生かしてくれる時もある。…通路なんかでいきなり抱き締められてキスされちゃうと燃えるものだね」
「「「………」」」
そりゃまた随分積極的な…。ソルジャーとキャプテンの仲はバレバレだとは聞いていますが、バレていないと思い込んでいるらしいのがキャプテンです。それだけに二人の仲を知られないよう努力していると聞いているのに、なんと通路でキスですか!
「バカップルは周りが見えないものだ、っていう教えをアレンジしているみたいだよ。人がいないことを確認済みでやってるんだと分かってはいても、公共の場で仕掛けられるとグッとくるんだ」
「…ふうん…。そりゃ良かったねえ、お幸せに」
会長さんの顔には「さっさと帰れ」とデカデカと書いてありました。ソルジャーがアヤシイ話を始めない内に放り出そうという魂胆でしょう。けれどソルジャーは気にも留めずに。
「ハーレイはぼくとノルディの結婚式もどきで真剣に危機感を覚えたらしい。こっちの世界で現地妻なんかを作られちゃったら自分の立場が無いだろう? なんと言ってもノルディはテクニシャンが売りなわけだし、ぼくがそっちに溺れないという保証は無い」
夜な夜なノルディを引っ張り込むというのもアリだ、とニヤニヤ笑っているソルジャー。
「ぼくがこっちの世界に来るより、ノルディを呼ぶ方が遙かに楽だろ? ベッドで楽しく過ごすだけだし、後腐れも無いし…。そうならないよう努力しているのさ、ハーレイは。あの時、チャペルで叫んだとおりに」
えっと。キャプテンが叫んだ台詞といえば…。顔を見合わせる私たちに向かってソルジャーは。
「そう、一生満足させてみせます、って言い切ったヤツ。…なかなか頑張っていると思うよ。マンネリに陥ったらマズイからだろうね、四十八手にも挑戦中! 前は薬を飲まされた時しか絶対挑戦しなかったくせに」
「………ブルー。言いたいことはよく分かったから、ケーキを持って帰りたまえ」
会長さんが深い溜息をつき、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に視線を向けると。
「ぶるぅ、お客様のお帰りだ。持ち帰り用の箱を用意して」
「はぁーい!」
けれど、駆け出そうとした「そるじゃぁ・ぶるぅ」のマントをソルジャーがハッシと引っ掴んで。
「ケーキは此処で食べるからいいよ。ああ、でも、そうだね…。ぼくのぶるぅが青の間で留守番をしてくれているから、1個届けてあげようかな? 小さな箱は?」
「分かった、1個だけ入るサイズのだね!」
大人の話がサッパリ分からない「そるじゃぁ・ぶるぅ」は小さな紙箱を持って戻ってきました。ソルジャーはケーキの箱を覗き込み、「これがいいかな」とモンブランを指差して。
「ぶるぅはボリューム第一なんだ。ぼくは上手に入れられないからお願いするよ」
「うん!」
いそいそとモンブランを箱詰めしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。詰め終わると箱を閉じ、綺麗にラッピングしています。ソルジャーは満足そうにそれを眺めて、空間を越えて「ぶるぅ」にお届け。…つまりソルジャーは居座ったままというわけで…。
「まだ恩返しのことを全く話してないだろう? 謎が多いと思うんだけどねえ、このケーキとか、最近のハーレイの様子とか」
そう言いながらソルジャーはシブーストを一口頬張りました。
「日頃の気遣いに感謝をこめて…、ってカードに書いてあるのは何故なのか。ブルー、君はハーレイに気遣いなんかしていない。ついでに球技大会の日にも言われた筈だよ、お前のお蔭で頑張れた…ってね」
「「「あ…」」」
その言葉には確かに覚えがあります。御礼参りが終わった後で、教頭先生が会長さんに向かってそんなことを…。御礼参りに指名されたことへの感謝なのかと思ってましたが、違うんですか?
「ほらね、やっぱり分かってないし! 話は最後まで聞くものだよ」
ソルジャーはゆったりとソファに腰掛け、リラックスモード。お帰りになる気は無いようです。恩返し強化月間とやらについて語り終えるまで、ケーキを食べつつ此処でのんびり過ごす気ですね…。
歓迎とは程遠いムードの私たちを他所に、ソルジャーは意気揚々と。
「恩返しってヤツは押し付けになってはダメなんだよね。こう、控えめにこっそりと! 竜宮城くらいのレベルになったら派手にやっても値打ちがあるけど、王道は鶴の恩返しとか笠地蔵とか…。秘すれば花って言うんだっけ?」
とにかく目立つとアウトなんだ、と自説を展開するソルジャー。
「恩返しをさせて頂いてます、と主張したんじゃ恩着せがましくて興醒めだろう? だから黒子に徹したわけ」
「「「黒子?」」」
「そう、黒子。幸い、ぼくとブルーは筆跡まで完璧に瓜二つだしね。ブルーの名前でカードを書いては、あれこれ差し入れしていたんだよ」
「なんだって!?」
会長さんが聞き咎めましたが、ソルジャーの話は途切れずに。
「いつも覗き見してるんだけど、教師ってけっこう大変じゃないか。しかもハーレイは教頭だから雑務も沢山あるだろう? なのに仕事で疲れて家に帰っても、迎えてくれる人はいないよね」
それは教頭先生が会長さんにこだわるからで…、と溜息をつく私たち。縁談が持ち上がったこともあったのですし、教頭先生さえその気になれば迎えてくれる奥さんは居た筈です。好きでやってる独身生活、放っておいても無問題! なのにソルジャーは「ダメダメ」と人差し指を左右に振って。
「普段だったらぼくも知らんぷりだけど、ハーレイのお蔭で自分が幸せたっぷりなんだよ? 大恩人が帰宅する度に真っ暗な玄関先で溜息をつくのを見ないふりっていうのはねえ…。それで恩返しをすることにした。お帰りなさいのメッセージカード」
「お帰りなさい? なんなのさ、それ…」
あまり聞きたくないけれど、と眉を顰める会長さんに、ソルジャーは「そのまんまだってば」と笑みを浮かべて。
「ハーレイの家のポストに入れておいたんだ。『お帰りなさい、いつもお仕事お疲れさま』って書いて差出人はブルー」
「ちょ、ちょっと…! それだと君だと分からないし!」
ぼくと間違えられちゃうよ、と真っ青な顔の会長さん。
「ブルーの名前でカードというのは、ブルーとだけ? どっちのブルーとも書き添えずに?」
「決まってるじゃないか。…さっきからの話をよく聞いてた? 恩返しってヤツは控えめに! ぼくがやってるって見え見えだったら押し付けになってしまうんだよ」
「じゃあ、名前を書かなきゃいいじゃないか!」
「それだと恩返しにならないんだ。…ハーレイが喜んでくれないからね」
名前も書かずに「お帰りなさい」のカードを贈れば一つ間違えるとストーカー、と言われてみればその通りかも…。ストーカーとまで行かなくっても気味が悪いかもしれません。ソルジャーは「ね、そうだろう?」と私たちを見回して。
「そりゃあ、ハーレイは教師だからさ、教え子からのカードだって線もゼロではないかもしれないけれど…。どうせなら貰って嬉しい差出人! ブルーが労ってくれたと思えば疲れも一気に吹っ飛ぶよ。現に吹っ飛んじゃったしね」
「「「………」」」
残業を終えて帰宅してきた教頭先生、いつもの習慣でポストを開けてダイレクトメールなどを取り出し、玄関へ。門灯は暗くなると自動的に点灯するそうですが、家の中まではそういう仕組みにしていないので真っ暗です。誰もいない家の鍵を開け、明かりを点けて…。
「炊飯器だけはセットしていくらしいんだよ。その日はおかずを作る気力も無かった上にスーパーに寄るだけの余力も無かった。レトルトカレーで済ますつもりでキッチンに行ってさ、ポストの中身をテーブルに置いた所でメッセージカードに気がついたわけ」
自分の世界から覗き見していたソルジャーによると、カードを見付けた教頭先生は何度も繰り返し確認してからカードにキスをし、その場で万歳したのだとか。
「しかも思いっ切り疲れ果てていたから、夕食の後でお風呂に入ってそのまま寝ようとしていたくせに……予定変更で熱いシャワーでリフレッシュ! でもってきちんと部屋着を着込んで、おかずに味噌汁、サラダも作って夕食なんだよ。テーブルの上にカードを飾って缶ビールを開けて乾杯してた」
それは凄い、と私たちは思わず感動。会長さんから「お疲れさま」と労いのカードを貰っただけでパワーがチャージされるんですか! そこまで惚れ込んでいたなんて…。
「正直、ぼくもビックリしたよ。あそこまで喜ばれるとは思わなかった。でも恩返しした甲斐があったな、って実感できたし、その路線で続けることにしたわけ」
手応えを感じたソルジャーはメッセージカードをポストに入れる代わりにキッチンのテーブルに置くようになり、コンビニおにぎりとか、おつまみに良さそうな柿の種なども添えるようになって…。
「球技大会の前の夜には栄養ドリンクを差し入れたんだ。…ハーレイが「お前のお蔭で頑張れた」って言っていたのはドリンク剤への御礼なんだよ」
「…じゃ、じゃあ……日頃の気遣いに感謝をこめて、っていうこのケーキは……」
愕然としている会長さんに、ソルジャーはパチンとウインクすると。
「ぼくのケーキだって言ったじゃないか。あれこれ届けて労っていたぼくへの感謝の気持ちなのさ。ハーレイは君がやったんだと思い込んでるから君の所に届いただけで。…でも恩返しってそういうものだし、ぼくは全然気にしない。みんなも食べてよ」
遠慮しないで、と言われても……本当に食べていいのでしょうか? 食べたらソルジャーに恩返ししなくちゃならなくなるとか、そういう展開じゃないでしょうね? 不信感丸出しの私たちですけど、ソルジャーは。
「警戒しなくても平気だってば。恩返し強化月間はぼくが勝手にやってることだ。ハーレイが喜んでくれればそれで満足! 君たちに何かしろとは言わないよ」
気遣い無用、と微笑まれると断れないのもまた事実。えーい、気にせず食べちゃいますか!
こうして教頭先生が用意したケーキは私たちの胃袋に収まりました。ソルジャーが自分の世界に送ったモンブランも「ぶるぅ」が一口でペロリと食べたようです。教頭先生は会長さんが食べてくれたと思い込んでいるのでしょうけれど…。
「いいじゃないか、君たちに届けてくれるようにと頼んだ時点でお裾分けの方も計算済みだよ」
ハーレイだもの、とソルジャーが断言します。
「ブルーが気遣ってくれるっていうだけで嬉しくて嬉しくて堪らないんだ。そのブルーが大事にしている友達の分までケーキを買うのは当然だろう? 試験の打ち上げパーティーだってその精神で毎回御馳走してるじゃないか」
ああ、なるほど。そう考えれば私たちにもケーキを食べる権利はあります。本当はソルジャーが貰うべきケーキであったとしても、贈られたのは会長さんだったわけですし…。それに善行をした人とは別の誰かが御礼を貰ってしまうケースというのも昔話にはありがちですよね。人魚姫とか…って、あれは童話でしたっけ。
「そうだよ、ぼくのポジションは人魚姫さ。まさにそんな感じ」
私たちの会話を聞いていたソルジャーが我が意を得たりと頷きました。
「せっせと労いのカードを書いて、あれこれ頑張って差し入れしても全く気付いて貰えない。でもってブルーが代わりに御礼を言って貰って、こうしてケーキを贈られる……と。恩返しってそういうものだよ」
「それで文句を言わないだなんて、なんだか裏がありそうだけど…」
疑心暗鬼な会長さん。それをソルジャーは笑い飛ばして。
「無い無い、今回は裏なんて無いよ。本当に感謝してるんだ。…ぼくのハーレイは根がヘタレだから、その内に元の木阿弥だとは思うけど……今の所はパートナーとして文句なし! こんなに幸せでいいのかな、って思っちゃうから恩返しなんだ。幸せは還元しないとね」
「…君がそれでいいなら恩返し強化月間でもいいけどさ…。勘違いされてるぼくの立場は? こっちのハーレイだってヘタレだけどね、ブライダルフェアの例もある。舞い上がっちゃってプロポーズされるとか、御礼代わりにってデートの誘いが来るとか、そうなっちゃったらどうしろと?」
おっと、その心配がありましたか! 教頭先生は会長さんが気遣ってくれていると信じてケーキを寄越したのですし、恩返し強化月間がこのまま続くようなら更なる御礼が来そうです。それもグレードアップして…。
「あ、そうか。…そこまで考えてなかったよ」
悪びれもせずに答えるソルジャーに会長さんは頭を抱え、私たちも額を押さえました。密かに恩返しは美談ですけど、問題なのは教頭先生の勘違い。ソルジャーが幸せのお裾分けだか還元セールだかに燃えている内に、教頭先生の頭の中では「会長さんに気遣ってもらえる自分」が大きく育っていそうです。
「……考えていなかったって……君は人の迷惑を顧みないで恩返しとやらをしてたわけ? 今はケーキで済んでいるけど、この先、何が起こるやら…。フォローする気が無いんだったら恩返しはすぐに中止して!」
これ以上ハーレイに近付くな、と会長さんはソルジャーにビシッと指を突き付けて。
「いいかい、ハーレイは本気でぼくに惚れているんだ。勘違いして暴走されたらツケが回ってくるのはぼくだ! 今なら単なる気まぐれでした、でカタがつく。ぼくが適当にあしらっとくから恩返し禁止!」
「うーん…。恩返し禁止? ぼくはこんなに幸せなのに、恩返しをしちゃいけないのかい?」
ハーレイは大恩人なのに、とソルジャーは納得がいかない様子です。恩返しをしたい気持ちも分からないではないですけれど、ソルジャーが頑張って恩返しとやらを重ねてゆけば教頭先生の勘違いの方も積もり積もって雪だるま式に膨らんでいくのは確実でした。
「禁止と言ったら絶対禁止! ぼくが迷惑!」
「でもハーレイには恩があるんだ。ぼくは恩返しをしたいんだよ」
「だったらコソコソ隠れていないで表に出たらいいだろう!」
鶴の恩返しじゃないんだから、と会長さん。
「正体がバレたら二度とハーレイの前に出て行けないってわけじゃなし…。恩返しなら堂々と!」
「堂々と…?」
それじゃ恩返しにならないような…、とソルジャーは腕組みをして悩んでいます。だったら中止の方向で! それが一番の上策ですよ~!
シャングリラ学園に中間試験の季節がやって来ました。私たちは慣れっこですけど、1年A組のクラスメイトには初の経験。教室の一番後ろに机が増えて会長さんが登場し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーだと解説しながら全員の意識の下に試験問題の正解を流し込むというお決まりのパターンの展開です。
「なんか試験って楽勝だった?」
「いつもの抜き打ちテストの方が難しいような気がするぜ」
不思議パワーは本当に凄い、とクラスメイトは大感激。しかも満点が約束されているとあって、会長さんの机の上には「そるじゃぁ・ぶるぅ」への貢物が山盛りに。試験最終日には貢物は抱え切れない程の量になったのですが、それが一瞬の内に瞬間移動で消え失せたのでクラスメイトはまたまたビックリ。
「か、会長…。お菓子とか何処へ行ったんですか?」
「ああ、ぶるぅが貰っていったんだよ。これも不思議パワーの内の一つさ。ありがとう、って伝えてくれって」
会長さんがウインクすると感謝の拍手が沸き起こりました。最終日の試験も1年A組は絶好調! 誰もが明るい笑顔です。終礼が済むとグレイブ先生の注意も聞かずに打ち上げをしにダッシュで下校。教室に残された私たちも「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かって移動しながら。
「今日の打ち上げ、やっぱり焼肉?」
ジョミー君の質問に会長さんがコクリと頷いて。
「あそこのお店は美味しいしね。君たちもお気に入りだろう? この間もみんなで出掛けたし」
「うん。せっかく金券を使うんだから、あそこがいいって思ったんだよ」
金券というのはGWにシャングリラ号で貰ったヤツです。会長さんを筆頭とするソルジャー・チームと教頭先生たちの長老チームの二手に分かれて三日間争い、勝利を収めて手に入れたもの。ソルジャーの名前で発行されているのですけど、地球に戻って手続きを取れば色々な場所で使えるのでした。
「あの金券は便利だろ? 大きな声では言えないけどね」
シャングリラ号の存在自体が極秘だから、と会長さん。えっ、その名前を校内で出して大丈夫かって? もう生徒会室まで来ちゃってますから問題なし。私たちは壁の紋章に触れて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の中へと移動しました。
「かみお~ん♪ 試験、お疲れさま!」
元気一杯の声が迎えてくれて、すぐに出てくるウェルカム・ドリンク。みんなの好みに合わせた飲み物が置かれ、それから焼き立ての手作りピザが数種類。
「やっぱりお腹が空いてるでしょ? 焼肉の前にも食べなくっちゃね」
「「「いっただっきまーす!」」」
私たちは早速食べ始め、アッと言う間にピザのお皿は綺麗に空に。その後は…。
「じゃあ、出掛けようか」
立ち上がったのは会長さん。でも行き先は焼肉店でもバス停でもなく、中庭の向こうの本館で…。これも定期試験のお約束の一つでした。ゾロゾロと本館に入り、目指すは教頭室の重厚な扉。会長さんが軽くノックして。
「失礼します」
ガチャリと扉を開けると教頭先生の穏やかな笑顔が待っています。
「来たか。今日も多めに入れておいたぞ」
教頭先生は机の引き出しを開けて立派な熨斗袋を会長さんに手渡すと。
「沢山食べてくるといい。…変な遠慮は要らないからな」
「…遠慮?」
会長さんが首を傾げました。
「遠慮したことなんてあったっけ? いつも楽しくやっているけど…」
「そうか、それなら別にいいんだ。私が好きでしていることだし、余計な気遣いは無用だぞ」
「………? 言ってる意味が分からないけど、気遣い無用は嬉しいね。じゃあ、遠慮なく貰って行くよ」
軽く手を振る会長さんに「気をつけてな」と目を細めている教頭先生。ずっと前には打ち上げパーティーの度に会長さんがあの手この手で悪戯を仕掛けて費用を毟っていたのですけど、最近は至極平和です。熨斗袋を貰ってそれでおしまい。騒動に巻き込まれずに済むというのはいいことですよね。
焼肉店で食べて騒いで、数日経つと1年A組の一番後ろに再び会長さんの机が出現。今度は「そるじゃぁ・ぶるぅ」も来ています。ということは…。
「諸君、おはよう」
靴音も高く入ってきたグレイブ先生が出席を取り、ツイと眼鏡を押し上げて。
「やはりブルーが来ているな。…諸君は全く知らないだろうが、ブルーは無類のお祭り好きだ。試験以外で来ている時はイベントがあると思っておけば間違いない」
「「「イベント?」」」
クラスメイトたちは怪訝な顔。グレイブ先生はプリントを配り始めました。
「健康診断のお知らせだ。ただし、ブルーの目当ては健康診断などではない。…その後に球技大会がある」
球技大会は来週だ、とグレイブ先生。
「我が校の球技大会はハードなのでな、健康診断は欠かせない。ブルーは球技大会に参加したくてお知らせを貰いに来ているわけだ」
「かみお~ん♪ ぼくも忘れないでね!」
ぼくだって参加するんだから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が声を張り上げ、グレイブ先生は「分かっている」と不機嫌そうに。
「ぶるぅは女子の部に参加だったな。今年も頑張るつもりだろうが、他の諸君はほどほどにしておきたまえ。私は一位が好きだと常に言っているが、球技大会についてはその限りではない」
一位にこだわる必要は無い、とグレイブ先生が言った途端に「質問です!」と手を上げたのは会長さん。
「ブルーか…。なんだ?」
「念のために確認するけど、君は一位が好きだよね? この間の中間試験もA組が学年一位を獲得したから大喜びだった筈だろう? 球技大会だって立派な競技だ。どうして一位を目指さないのかな?」
会長さんの指摘にクラスメイトがざわめいています。特別生の私たちは理由を知っているのですけど、入学して間もない1年生がそんなことを知る筈も無く…。グレイブ先生は「静粛に!」と注意してから。
「学生の本分は勉強だ。球技大会は体力を激しく消耗させる。脳味噌に栄養が回らなくなって勉学に支障が出ると困るのはクラスの諸君ではないかと思うのだが?」
なるほど、グレイブ先生、正論で真っ向勝負ですか! けれど会長さんは平然と。
「その件だったら特に問題ないだろう? ぼくとぶるぅがいるんだよ。みんなを消耗させちゃう前に簡単に勝ちを収められるし、心配無用。要らないと言っても一位は頂く。…それも学園一位の座をね」
おおっ、とどよめくクラスメイトたち。学園一位とくれば無理もないでしょう。上級生のクラス相手に勝つというのは普通だったらまず不可能です。会長さんはニッコリ笑って。
「グレイブは話す気が無いようだから、代わりにぼくが説明しよう。学園一位には副賞がある。どんな中身かは当日までに耳にすることもあるかもね。とても楽しいイベントだから期待しててよ。ついでに、ぼくとぶるぅが仲間入りをする件もよろしく」
「「「はーい!」」」
教室の主役は完全に会長さんでした。グレイブ先生は苦虫を噛み潰したような顔つきで健康診断に関する注意を行い、ブツブツと口の中で文句を言いつつ朝のホームルームを終える羽目に。学園一位の副賞が何かはその日の内に知れ渡ってしまい、誰もが球技大会に燃えています。
「学園一位を獲得したら御礼参りが出来るんだってな」
「聞いた、聞いた! クラス担任の他にもう一人、先生を指名できるって」
そう、御礼参りとは文字通りの御礼参りでした。シャングリラ学園の球技大会はドッジボールの勝ち抜き戦。学園一位になると先生チームと戦う権利が貰えるのですが、先生チームは内野が二人で外野が一人。内野に入った先生相手にボールをぶつけまくれるというのが御礼参りの名の由来です。
「会長、学園一位を取れるって言ってたもんなあ…。腕が鳴るぜ」
「俺たちだって頑張らないとな!」
自主練しようぜ、と盛り上がっている男子もいます。火付け役になった会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は朝のホームルームが終わるとサボリとばかりに消えてしまってそれっきりですけど、二人のインパクトは思い切り大。健康診断の日に登場したら貢物の山が出来上がるかも…?
こうして球技大会は開幕前から耳目を集め、健康診断も話題の的に。女子の部に入る「そるじゃぁ・ぶるぅ」が女子と一緒に健康診断を受けるというだけでもクラスメイトは興味津々だったのですが、会長さんの方は更に色々と驚きの連続だったからです。
「えっと…。会長は体操服じゃないんですか?」
男子の一人が尋ねたのは健康診断に出掛ける前。体操服で受診するよう言われていたのに、会長さんだけは病院で出てくるような水色の検査服を着ています。紐で結ぶだけのバスローブみたいな形のヤツで、いつも健康診断にはコレなのですけど、今のクラスメイトたちは初めて目にするわけでしたっけ…。
「ああ、これかい? ぼくは別枠扱いだからね、検査用の服も別枠らしいよ」
「「「別枠?」」」
「うん。このクラスの健康診断が全部終わってから呼ばれるんじゃないかな、多分、今日も」
会長さんの予言は的中しました。健康診断はまずは女子から。保健室では、まりぃ先生が待ち構えていて…。
「あらあ、ぶるぅちゃん、いらっしゃい!」
待ってたのよ、と大喜びのまりぃ先生。まりぃ先生の趣味は男子生徒へのセクハラまがいの接触です。その一方で幼児体型の「そるじゃぁ・ぶるぅ」を触りまくるのも大好きらしく、いつも持ち場を放り出しては保健室の奥へと連れ込むのでした。そこにあるのは立派なベッドとバスルームを備えた特別室。
「ぶるぅちゃん、今日もセクハラしてあげるわね」
「わーい! せくはら大好き!」
歓声を上げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がまりぃ先生と一緒に向かった先はベッドではなくバスルーム。まりぃ先生とお風呂に入る「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピカピカのホカホカになって戻って来るまでベッドルームで待っているのがスウェナちゃんと私のお役目でした。え、健康診断はどうなっているのかって? それは…。
「やっぱりヒルマン先生なのねえ…」
お決まりだけど、とスウェナちゃん。まりぃ先生はセクハラ・タイムに突入する前に内線でヒルマン先生を呼び出し、健康診断の代役を頼むのです。ヒルマン先生は医師免許も持っておいでですから何の問題もありません。ただ、毎回それをやらかしていても大丈夫なのはコネ…なのかな?
「1年A組の健康診断って言うと消えちゃうものねえ、まりぃ先生…。言い訳はしてるけど、毎回毎回、生徒が気分が悪くなりました…って無理があるわよ」
それも毎回同じ生徒だ、とスウェナちゃんが溜息をついています。そう、まりぃ先生はスウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」を気分の悪い生徒に仕立てて、付き添いが必要だからと特別室へ引っ込むのが常。しかも引き籠りは一度では済まず、お次は会長さんを特別室に連れ込んで…。
「ヒルマン先生も本当に人がいいんだから…。絶対気付いていると思うの、ホントは遊んでいるだけだ…って」
元ジャーナリスト志望のカンよ、とスウェナちゃんが保健室に続く扉を見詰めました。
「でもって、まりぃ先生が野放しなのは理事長の親戚だからよ、きっと。何をやっても許されるんだわ」
会長さんの検査服だって、とスウェナちゃんは鋭い指摘。あの検査服は会長さんの担任である教頭先生の所に届けられると聞いていますし、まりぃ先生が一枚噛んでいるのは確実でしょう。それより何より、この部屋が…。
「そうよね、まりぃ先生が作らせたのよねえ、特別室って。…着任したての保健室の先生なんかに出来ることではないわね、普通…」
コネって怖い、とスウェナちゃんと私はブルッと身体を震わせました。まりぃ先生、そんな会話になっていたとは全く知らずに「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れてバスルームから出てくると。
「はい、今日のセクハラタイムはおしまい。ぶるぅちゃん、気持ち良かったかしら?」
「うんっ!」
「先生もよ。ぷにぷにのほやほや、最高だわぁ。次は生徒会長を呼んできてね」
あの子は虚弱体質だからキッチリ健康診断をしておかないと、と言われましても…。先生、それって本当ですか? 喉まで出かかった言葉をグッと飲み込み、スウェナちゃんと私は「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて1年A組に戻りました。健康診断はヒルマン先生の代打でサクサクと進んだらしくて受けていないのは会長さんだけ。
「ぼくの番かい? じゃあ、行ってくるよ」
戻ってくる予定は無いからね、と会長さんが出て行ってしまうと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も山のように貰った貢物を抱えて帰ってしまい、残されたクラスメイトたちはザワザワと。
「まりぃ先生、生徒会長だけは特別扱い?」
「そうらしいぜ。俺が先輩に聞いた話じゃ、保健室の奥に特別室っていうのがあってさ…」
「え、保健室の先生と生徒会長のイ・ケ・ナ・イ時間? マジで?」
あちゃ~、長年やってる間にしっかり噂になっていますよ! イケナイ時間は存在します、と暴露したくなるじゃありませんか。実態は会長さんがサイオニック・ドリームでまりぃ先生に大人の時間な夢を見せてるだけなんですけど……その間に特別室のベッドで昼寝をしているだけなんですけど、イケナイ時間には違いありません。
だって堂々とサボリですから! とはいえ、会長さん相手には言うだけ無駄かな…。
球技大会の日は1年A組、朝も早くから絶好調。私たちが登校してみると自主練習を終えたクラスメイトたちが次々にグラウンドから戻ってきます。
「あーあ、もうグラウンドは使用禁止だってよ」
「仕方ねえよ、コートの準備があるんだろ。ギリギリまで使わせてくれたんだしさ、良しとしようぜ」
学園一位を取ってやる、と燃え上がっている所へ会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がやって来ました。
「かみお~ん♪」
「やあ、おはよう。みんなホントに熱心だねえ。そんなに勝ちたい?」
「「「はいっ!」」」
「当然、御礼参りが目当てだろうね。…グレイブだろ? あれだけ派手に抜き打ちテストを繰り返していれば恨まれるか…」
自業自得、と会長さんはニヤリと笑って。
「もう一人指名出来るっていう権利なんだけど…。その権利、ぼくに譲ってくれるかな?」
あーあ、今年もこうですか…。クラスメイトたちは揃って快諾、教頭先生に御礼参りフラグが立ったわけで。朝のホームルームに現れたグレイブ先生も覚悟を決めているようです。
「諸君、おはよう。私から言うことは何も無い。…全力を尽くして戦うように」
「「「はーい!!!」」」
威勢よく返事した1年A組、グラウンドに出ての第一戦に見事に勝利。これは男子の部でしたけども、応援に行った女子生徒たちも手に汗握る名勝負でした。なにしろ相手チームは一つもアウトを取ることが出来なかったのですから! シャングリラ学園の球技大会のドッジボールは「どちらかの内野が空になるまで」戦うルールなんですけどねえ…。
「生徒会長、凄いよな!」
「おう。俺たちがカバーし切れなかった所を一人で走り回ってたもんな」
まるで分身の術だった、と感動している男子たち。それは応援していた女子の方でも同様で…。
「さっきあっちに居たと思ったら、アッと言う間に移動してるなんて…。よっぽど足が速いのよね」
「運動神経が半端じゃないのよ。でも……大丈夫かしら、ちょっと心配」
会長さんは試合が終わると救護テントに行ってしまって簡易ベッドで休憩中です。虚弱体質だと本人がアピールしていただけに、心配する女子も数多く…。でも、それ、問題ないですから! あの程度のことでダウンするほどヤワな人ではないですから! 分身の術かと見まごうほどの鮮やかなプレイは無論、サイオン。
「ブルー、今年も頑張るよねえ…」
ジョミー君が救護テントに視線を向ければ、キース君が。
「目指すは御礼参りだぜ? それにあいつは息をするようにサイオンを扱ってやがるからな…。俺たちが同じことをやろうとしたらヘトヘトだろうが、多分、全く消耗してない」
救護テントはパフォーマンスだ、というキース君の言葉を待つまでもなく、テントからシド先生が飛び出してゆくのが見えました。そして「そるじゃぁ・ぶるぅ」が羨ましそうに。
「いいなぁ…。ブルー、疲れてお腹がペコペコだからハンバーガーを食べるんだって! ぼくも試合が済んだらシドに頼みに行こうっと♪」
走り回るとお腹が減るもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんが本当に消耗したのだったらハンバーガーなどと我儘を言える余裕は無いでしょう。お使いに走って行ったシド先生の次の任務は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の注文でハンバーガーを買うことなのか、はたまた会長さんの追加注文か…。さあ、次は女子の部、一戦目!
「かみお~ん♪ 任せといてね!」
自分の前のボールだけ見てて、と胸を張っていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は小さな身体で広いコートを縦横無尽に走り抜けます。ボールを素早く受け止めては投げ、飛び上がって掴み取っては投げ…。会長さん以上に目立つ姿は相手チームには脅威だったでしょう。
「やったー!」
最後の一人をアウトにするなり「そるじゃぁ・ぶるぅ」は救護テントにまっしぐら。クラスメイトは会長さんとの作戦会議だと思っていますが、ハンバーガーが欲しいだけなんですよね。シド先生、お使い、ご苦労様です…。
ハンバーガーやお菓子やケーキで英気を養いまくった会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は素晴らしい戦果を上げました。1年A組、負け知らず! 学年一位を勝ち取った後は2年、3年の一位のチームと男女別に対戦し、共に学園一位を獲得。表彰式には会長さんが代表で出て、そこで副賞の発表が。
「シャングリラ学園名物、御礼参りの時間だよ!」
ブラウ先生がマイクを握って。
「1年A組、どの先生を指名する?」
会長さんがスッと指差したのはジャージ姿の教頭先生。
「教頭先生を指名させて頂きます!」
ワッと湧き立つ全校生徒。2年生と3年生は既にパターンを知っていますし、1年生にも聞いたことのある生徒が多い筈。知らなかった生徒は生徒で、体格のいい教頭先生に御礼参りと聞いて興奮気味です。そんな中でブラウ先生が1年A組にコートに入るように指示し、先生チームもコートへと。外野はお馴染みシド先生。
「試合開始!」
ホイッスルが鳴り、会長さんが教頭先生の頭めがけて思い切りボールを投げ付けました。御礼参りではアウトを取られない頭を狙うのがお約束です。ただしミスして身体に当たっても先生チームはアウトにはならず、ひたすらコートを逃げ回るのみ。私たちのクラスの方は普通にアウトになりますが…。
「「「頑張れー!!!」」」
全校生徒の応援を受けて1年A組は先生チームにボールをボコボコ。日頃から抜き打ちテストや実力テストで恨まれているグレイブ先生にヒットした時は拍手まで起こる有様です。教頭先生は恨みを買ってはいないのですけど、会長さんが面白がって集中的に狙っているため、クラスメイトからも攻撃されて。
「試合終了!」
制限時間の終わりを告げるホイッスルが鳴った時にはグレイブ先生も教頭先生もボロボロでした。すぐに救護テントから顔を冷やすための冷却シートや氷嚢が運ばれ、スポーツドリンクも差し入れられます。そんな先生方を見物しようと生徒たちが集まり始め、私たちも野次馬根性丸出しで近付いて行ったのですが。
「…ブルーか」
教頭先生が少し腫れた頬を冷やしながら会長さんに微笑みかけたからビックリです。片想い歴三百年以上、散々な目に遭わされ続けてそれでも諦め切れなくて…。御礼参りでボコボコにされても会長さんを好きな気持ちに変わりはないというアピールの微笑みなんでしょうねえ。…しかし。
「ありがとう、ブルー」
「「「は?」」」
なんのこっちゃ、と会長さんも私たちも首を傾げて怪訝な顔。ありがとう…って、いったい何が? 御礼参りで指名してくれて感謝しているとか、そういう意味? 中身こそ凄まじい御礼参りですが、会長さんとの貴重な触れ合いタイムには違いないですし…。
「お前のお蔭で頑張れた。…本当にありがとう」
「「「???」」」
今度こそ意味がサッパリでした。会長さんはポカンと口を開け、それから「うーん…」と額を押さえて。
「ハーレイ、打ちどころでも悪かった?」
「いや。私は至って正気だが…。感謝の気持ちを伝えておきたいと思っただけだ」
気にするな、と教頭先生は穏やかな笑みを浮かべています。やはり御礼参りに指名されたことへの感謝でしょうか? 会長さんの関心が他の先生に移っちゃったら触れ合いタイムは無しですもんね。
『…教頭先生ってマゾなのかな?』
ジョミー君の思念波が届き、クスクス笑い出す私たち。
『否定し切れん部分はあるな』
同意の思念波はキース君。会長さんからも『そうだよねえ』と肯定の思念が。顔を冷やしている教頭先生には聞こえていないみたいです。私たちのサイオンの扱いもその程度には上達したわけで…。えっ、なんですって?
『違うよ、ぼくがブロックしてるんだ』
ハーレイたちに聞こえちゃったら大変だしね、と会長さんに言われて私たちはガックリと肩を落としました。サイオンはまだまだヒヨコのレベルでしたか…。先生たちと御礼参り以外で互角に渡り合えるようになるのは何年くらい先なんでしょうねえ?
こうして球技大会が幕を閉じ、翌日の朝のホームルームに登場したグレイブ先生の顔は元通り。御礼参りは「恨みっこなし」が鉄則ですから話が蒸し返されることもなく、平和な一日の始まりです。私たちはのんびり授業を受けて、学食でランチを食べて、午後の授業が済むと終礼。放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋が待ってますからワクワクです。ところが今日はいつもと違いました。
「そこの特別生、七人組!」
グレイブ先生の声でハッと前を見る私たち。な、何かマズイことでもやったでしょうか? 頭の中は今日のおやつのことで一杯になっていましたけれど、それが顔にも出てたとか…?
「何を慌てているのかな? 諸君にとっては終礼も退屈なほどワンパターンだと分かってはいるが、やはり心は此処に在らず…か。まあいい、呼ばれたことには気付いたのだから良しとしておく」
「「「………」」」
この展開はマズイです。何か重要なお知らせでも聞き逃してしまったのかな? …と、グレイブ先生が唇を笑みの形に吊り上げて。
「安心したまえ、諸君へのお知らせはこれからだ。…教頭先生から御伝言を預かっている」
「「「えっ?」」」
教頭先生からの伝言ですって? 会長さんに何か伝えることでも…? なにしろ「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は教師は立ち入り禁止ですし…って、ええっ?
「以上だ。分かったな?」
グレイブ先生は一方的に伝言を告げると終礼を終え、さっさと立ち去ってしまいました。訊き返す暇も与えずに…です。
「な、なんだったの? あの伝言って…」
分かんないよ、とジョミー君が問えば、サム君が。
「俺にだって分かんねえよ! キース、お前は心当たりは?」
「…無い…。俺やシロエやマツカというなら分からないでもないんだが…。柔道部の方の用事だということもあるしな」
だが分からん、とキース君も頭を抱えています。教頭先生からの伝言は私たち全員宛でした。七人揃ってどうしろと? 会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」もこの伝言を聞いたのでしょうか? グレイブ先生、質問の時間を残しておいて欲しかったです~!
岩盤に押し潰される衝撃が来るまでの時間は酷く長かった。砕けたシールドの欠片が青い光の
粒に変わるのを赤い瞳でぼんやりと見ながらハーレイを想う。今度こそハーレイは泣くだろう
けれど。…でも、キースたちを守って無事に地上へ戻って欲しい。地球の未来を見届けて
欲しい…。
「ブルー!!!」
視界に青い光が溢れ、ブルーをまさに押し潰さんとしていた岩が粉々に弾け飛んだ。現れたのは
ジョミーではなく、オレンジ色の瞳のトォニィ。
「間に合った…。飛ぶよ、ブルー!」
燃えるような髪を持つ青年の腕に抱えられ、一瞬の後にはジョミーたちが待つ地下通路へと移動
していた。
トォニィはブルーを両腕で抱いたままでジョミーに向かって叫ぶ。
「グラン・パ、上の方も崩れ始めてる! 歩いていたんじゃ間に合わない。ぼくとグラン・パの
力で飛ぼう。何度かに分ければ上に出られる!」
ぼくはそうやって降りて来た、というトォニィの提案にジョミーが頷き、ハーレイがブルーを
腕に抱き取った。そんな中でジョミーが「すみません」とブルーに謝る。
「あなたを迎えに飛ぼうとしました。…そこへ地震が起こってしまって、目標を定められなく
なった。もしもトォニィが来てくれなかったら…。本当にすみませんでした」
『…君が謝る必要はない。あそこに残ると言ったのは、ぼくだ。…君が地震の中で飛べない程に
消耗したのはグランド・マザーのせいだろう? …気に病むな、ジョミー。それよりも、上へ』
「はい…!」
行きましょう、とジョミーとトォニィがハーレイとキースを挟んで向かい合った。ハーレイの
腕の中にはブルー。キースの腕にはマツカ。二人のタイプ・ブルーが力を合わせれば、その
サイオンは相乗される。テレポートを重ねて上へ、上へと飛んでゆく間、ハーレイはブルーを
しっかりと抱いて離さない。
『ブルー…。今度こそ駄目かと思いましたよ。…ソルジャーとしての御判断も結構ですが、もう
おしまいにして下さい。私の心臓が保ちません』
『…ぼくを生かしている分を削れば大丈夫だろう?』
『何度も申し上げた筈ですが…。あなたが生きていらっしゃることこそが、私の生きている
意味です。…ですから生きて下さい、ブルー』
シャングリラに帰ったらすぐに手当てを、とハーレイは言うが、痛みはそれほど感じなかった。
傷口を凍らせられていることもあったが、それ以上に精神的なものが大きい。一つ判断を誤れば
皆を巻き添えにしかねない状況だけに、気をしっかりと保たねばならぬ。…そう、地の底から
脱出するまでは。
「グラン・パ! 上に誰か居る!」
「なんだって?」
何処だ、と問い返しながらもジョミーはトォニィと共にブルーたちを連れてテレポートする。
ぽっかりと開けた空間は薄暗かったが、そそり立つ扉と女神のレリーフに見覚えがあった。
カナリアと呼ばれる子供たちがいたフロアだ。
「ゼル!? それに…ヒルマンたちか?」
「「「ソルジャー!?」」」
ジョミーの呼び掛けに応えた声は長老たちのもの。絶え間ない地震で壁がひび割れ、落下物が
散乱する暗い広間に彼らは居た。
「こんな所で何をしているんだ! 崩れるぞ!」
「…ソルジャーたちを探して此処まで降りて来たんじゃが…」
「先へ進めなくなっちまってさ。でも、あんたたちが無事で良かったよ。…と、無事ってわけでも
ないようだね」
ブルーの傷と気を失っているマツカに気付いたブラウに、ブルーは声を出す代わりに思念で
尋ねた。
『…此処に子供たちがいなかったか? それとも脱出した後だったか…』
「あの子たちならシャングリラに送り届けました。…それにフィシスも」
ヒルマンが穏やかな瞳で高い天井を仰ぐ。
「こんな所に子供がいたのには驚きましたが、見殺しには出来ませんでしょう。私たちの力を
合わせればそのくらいは…。ただ、私たちが戻るのはもう無理なようです」
来た道は塞がってしまいましたし、とヒルマンが指差す先には崩れ落ちた通路。此処はまだ
地上までの中間地点に過ぎず、脱出不可能と悟った彼らは子供たちと年若いフィシスを優先して
逃がしたのだろう。
「ソルジャー、あなたは逃げるんじゃ。勿論、ソルジャー・ブルーもですぞ」
「ハーレイ、あんたも行くんだよ。ブルーはあんたがいなけりゃ生きられないし、シャングリラ
にはキャプテンが必要だからね」
行きな、とブラウが明るく笑い、ヒルマンやエラたちも声を揃えた。ミュウと人類の未来の
ためにも自分たちを捨て、ジョミーやキースたちが生き残って皆を導くべきだと。
「ほらほら、何をグズグズしてるんだい? 早く逃げないと崩れちまうよ。…そこの大将も上で
お供が待っているんだ」
ブラウが大将と呼んだのは他ならぬキースのことだった。
「あんただよ、国家主席様。…人類にはシールドなんて器用なことは出来ないからねえ、よろしく
頼むと言われたんだ。探しに行くなら閣下も是非…って。シャトルが出られるギリギリまでは
待ってるってさ」
「…では……会談は無事に終わったのだな?」
キースの問いにゼルがフフンと余裕の笑みを浮かべる。
「当然じゃろう。…まったく、あんなメッセージを流したくせに無責任に出ていきおって…。
お前の部下たちは気の毒じゃったぞ、右往左往というヤツじゃ。あちこちの星で暴動が起こるわ、
軍人どもは戦いを放棄するわで後始末に頭を痛めておったわい」
早く戻って手伝ってやれ、と促したゼルの目が不審そうに細められた。
「…なんじゃ? この感覚は…。もしやミュウではあるまいな? お前はミュウを連れて
おるのか?」
「連れているとも。マツカはミュウだ。…そして私自身も…ミュウらしいな」
唇の端を吊り上げたキースの身体からサイオンのイエローが立ち昇る。長老たちは息を飲み、
其処へジョミーが今に至るまでの経過の全てを思念で伝えた上で畳み掛けた。
「分かるな、これからが大切なんだ。逃げるなら誰一人欠けてはならない」
「ソルジャー! 無茶を仰られては困りますな」
どうぞお早く、とヒルマンがブルーたちから離れて退き、ブラウたちも壁際に下がろうと
したが。
『アルテラ! タージオン、ペスタチオ、みんな、手を貸せ!』
トォニィの強大な思念が遙か上へと向かって放たれ、ナスカの子供たちの青いサイオンが
シャングリラからユグドラシルの地下深くへと飛び込んで来た。そのサイオンに巻き上げられる
ようにゼルが、ブラウが、ヒルマンとエラの姿が消えてゆく。
「「「ソルジャー…!!!」」」
「先に戻っていろ! ぼくたちもキースを送り届けたら戻る!」
行け! とジョミーがシャングリラが浮かぶ宇宙へと思念を送り、ブルーたちの方を振り
返った。
「ぼくたちも行こう。…急ぐぞ、ユグドラシルが崩れてしまったらシャトルが飛べない」
「グラン・パ、シャングリラからもシャトルが出てる!」
アルテラに聞いた、と告げるトォニィに、ハーレイが満足そうな微笑みを見せた。
「シドが決断を下したか…。地球を離れる代わりに人命救助の道を選ぶとは、いいキャプテンに
なるだろうな」
「まだキャプテンは君だろう? 行くぞ、トォニィ!」
ジョミーのサイオンがトォニィのそれと重なり、ブルーたちを連れてユグドラシルの上を
目指して飛ぶ。点在する空間から空間へと、地震と地鳴りの間隙を縫って。
そうやって辿り着いた地上は激しい揺れと地割れからの噴火に見舞われ、ブルーとハーレイに
とってはアルタミラの惨劇を思い起こさせる熱く燃え盛る大気の中を何基ものシャトルが
上昇してゆく。地球にいた人類たちは皆、無事に脱出できただろうか?
ユグドラシルの地上部は壁や通路のあちこちが裂け、照明すらも落ちた内部に人影は無い。
辛うじて外部からの有毒ガスだけはまだ入り込んでおらず、地震の度に縦に横にと揺れる通路を
格納庫へと進んでゆくと。
「アニアン閣下!」
キースの側近の一人だった浅黒い肌の国家騎士団員の青年が、一基だけ残っていたシャトルの
中から駆け出して来た。
「閣下、御無事で…! マツカは!?」
「大丈夫だ、まだ死んではいない。私を庇って怪我をした。…そこのミュウたちが応急処置を
してくれたのだ。私を此処まで連れて来てくれたのも彼らだ」
キースの言葉に青年はジョミーたちに最敬礼をし、続いて深々と頭を下げた。国家騎士団と
言えば軍人の中でもエリート中のエリート。その騎士団員がミュウに対して礼を取るという
行為が新しい時代の始まりを示していた。
「ありがとうございました! …閣下、此処はもう危険です。ユグドラシルにいた者たちは
脱出しました。我々も早く!」
「ああ、急がねばな。…世話になった、ジョミー。ソルジャー・ブルー。…そしてトォニィ。
それにキャプテンも……。礼を言う」
また会おう、とマツカを抱いたまま会釈し、キースはシャトルへと乗り込んで行った。既に
準備が整っていたシャトルは滑るように離陸しようとしたが、その瞬間にユグドラシルが大きく
揺れる。天井に激突しかかったシャトルを間一髪で支え、燃える空へと解き放ったのは
ジョミーとトォニィのサイオンだった。
『…すまない、最後まで世話をかけたな。お前たちも早く逃げてくれ』
キースから届いた思念波にジョミーが遠ざかるシャトルへと手を振り、ブルーたちの方を
振り向く。
「ぼくたちが最後らしいです。…帰りましょう、シャングリラへ。もう地球で出来ることは
何もありません」
『…そうだね、ジョミー。…こんな星へ行けと頼んですまなかった』
「ブルー、これからが新しい時代ですよ。ミュウにとっても、地球にとっても。…見届けて
下さい、あなたのその目で」
帰りますよ、と強い意志を秘めたジョミーの瞳が大気圏内に降下してきていたシャングリラを
見上げ、最後のテレポートがブルーたちを展望室へと運んだ。
ガラス張りの窓からユグドラシルが沈み、崩れ落ちてゆくのが見える。地球に寄生していた
SD体制の象徴たる忌まわしい毒キノコが宿主の怒りに触れ、毟り取られて踏み躙られ、
地の底へと葬り去られる姿が…。
『…ハーレイ……。地球が……燃える…』
アルタミラみたいに、と思念で呟くブルーを両腕で抱いたまま、ハーレイも窓の外を見詰めて
いた。
「そうですね…。けれど、私は地球は再生すると信じています。あなたに青い地球を見て頂ける
日が必ず来ると信じていますよ…」
あなたが生きて下さったように、とハーレイの思念がブルーの心に囁き掛けた。
『ソルジャーに戻ると仰った時、私は覚悟を決めていました。…あなたに万一のことがあったら、
私も生きて戻りはすまい……と。ですが、私たちはシャングリラに戻ってきたでしょう?
青い地球にもきっと行けます。あなたが生きて下されば……きっと……』
そのためにも早く傷の手当てをなさらなければ、とハーレイに促され、ジョミーが思念を
飛ばしてドクターと医局の者たちを呼び寄せても、ブルーは赤々と燃え上がる地球から視線を
離そうとはしなかった。
長い年月、焦がれ続けた青い水の星………地球。
この星がいつか元の姿を取り戻す日が来るのだろうか、と地表を流れる灼熱の溶岩と
マグマが噴き出す無数の地割れとを眺め続ける。ドクターに打たれた麻酔のために意識が
薄れ始めても………地球を。
重傷を負ったブルーの手術はメギドから帰還した時ほどに長くは掛からなかった。傷は深いとは
いえ一ヶ所だけであったし、ジョミーが取った処置とハーレイが注ぎ込んだ命が体力の消耗を
防いでいたために回復も早い。ブルーが意識を取り戻した時、最初に瞳に映ったものは…。
「…ハー…レイ…?」
「はい。ずっとお側にいましたよ、ブルー…」
見覚えのあるメディカル・ルームのベッドの脇にハーレイが優しい笑みを湛えて腰掛けている。
「……地球は……どうなった…? 人類…と…ミュウは…?」
「キースとマツカを救ったのがミュウだと公表されたお蔭で一気に距離が縮まりました。あの後、
すぐに人類側の旗艦ゼウスの艦長でマードックと名乗る人物がシャングリラに表敬訪問を…。
私が船内を案内しましたが、友好的な男でしたよ。…ナスカでの戦いの直後に残存ミュウの
掃討命令を無視したそうです」
人類側も好戦的な者ばかりでは無かったのですね、とハーレイはそっとブルーの手を取った。
「あちこちの惑星で起こったという暴動も、全てマザー・システムの破壊が目的でした。
施設に収容されていたミュウは自由になり、人類と共に暮らし始めているとのことです。
人類のミュウ化も既に報告が入っております。…これは機密扱いだったそうですが、
国家騎士団員の中にも少し前から潜在ミュウが」
「…それもマツカのせい…なのかな…?」
「恐らくは。…けれど他にも事例があるようですから、ミュウ因子を持った者がいたの
でしょうね」
これからはミュウの時代ですよ、と微笑むハーレイにブルーも笑みを返す。地球は青くは
なかったけれども、幾つもの星がミュウが踏みしめられる大地になったのだ。SD体制は
過去のものとなり、ミュウは頸木から解放された。
地球を目指せと約束の場所として掲げ続けた自分の罪はこれで少しは軽くなるだろうか?
青い地球を夢見て死んでいった者たちに少しは顔向け出来るだろうか…。
「ブルー? …まだ苦しんでおられるのですか、地球の姿に?」
ハーレイはブルーの命を繋ぎ続けているだけはあって、心の動きにも敏感だった。
否定しようかと一瞬迷ったが、ブルーは頷いて銀色の睫毛を悲しげに伏せる。
地球を……見たかった。朽ち果てた姿でも紅蓮の焔に包まれた姿でもなく、青く輝く水の星を。
地球に降りた日の夜にハーレイが見せてくれた、彼の心の中に在る青い星。自分とハーレイの
命が尽きる時にはあの青い地球へ行けるのだろうか? 地球を夢見て斃れた仲間たちも皆、
青い地球に辿り着けただろうか…。
「ブルー…。あなたが焦がれておられた青い地球まで、お連れ出来るかもしれません。
夢ではなくて、このシャングリラで。…ヒルマンも人類側の学者たちも皆、その可能性を
語っていますよ」
「……まさか……」
そんなことが、と目を瞠るブルーにハーレイは小さなスクリーンを開いてみせた。
「御覧下さい。あなたが眠っておいでになった数日間の間の地球です」
時間を縮めて再生される映像の地球は噴き上げるマグマに深く切り裂かれ、地表を覆うのは
燃える溶岩。どんな生物も棲めぬであろう海が煮え滾る岩の熱で干上がり、豪雨となって地上に
降り注ぐ。ブルーが見た地球が死の星ならば、この地球は地獄と言うべきだろうか。
「グランド・マザーは人類の留まる場所としてユグドラシルを維持していたようです。
マントル層にまで達してはいても、それを動かしはしなかった。…けれど今の地球は文字通り
地の底から動き始めています。汚染された大地を地下深く引き込み、新しい大地を生み出そうと
しているのですよ」
「…そういえば……最初の生命が生まれた頃の地球はこんな風だった、という説があったかな…」
「ええ。まるでその時代に戻ったようだ、とヒルマンたちは言っています。この速さで地殻の
破壊と再生が進むようなら、落ち着いた頃にテラフォーミングを施してやれば青い地球へと戻るの
ではないか…と。我々にも要請が来ていますよ。ナスカでの経験を地球に生かさないか、と」
ナスカは人類が見捨てた惑星だった。それを草花の育つ星にしたミュウの力が地球の再生に
有効ではないか、と人類側の学者たちは考えたらしい。既にヒルマンと連絡を取り合い、情報
交換が始まっているようだ。
「ナスカか…。ぼくは一度も降りなかったけれど、あの星と地球が繋がるのなら……死んでいった
仲間たちも喜ぶだろうか? そうなってくれれば…ぼくも嬉しい…」
「ジョミーが話していましたよ。ナスカで最初に根付いた植物を植えてみようかと。…ブルー、
あなたも御存知の植物です。あなたが改良なさった豆があったでしょう? あれがナスカで
最初に根付きました」
「…あの豆が…? あの豆を……地球へ…?」
「はい。生命力がとても強いですから、緑化には有効な植物です。それに植物は酸素を作り出し
ますし…。人類側の学者も興味を示しているそうです」
「……そんなつもりで作ったわけではないんだけれど……」
食料が乏しかった時代にシャングリラの中でも簡単に育てられる食物を、とサイオンを
使って改良したのがハーレイが言う豆だった。環境が改善されるにつれて忘れ去られたものと
思っていたが、その豆がナスカの大地で育てられ、今度は地球の再生のために使われようと
しているとは…。
「ブルー。…長生きはしてみるものでしょう? もうソルジャーに戻られる必要も無いの
ですから、生きて下さい。私がこの船で青い地球へとお連れする日まで」
約束ですよ、と強く握られた手をブルーはまだあまり力の入らない手で握り返した。
……約束するよ、ハーレイ。
君が連れて行ってくれると言うなら、青い水の星に還れる時まで生きていよう。でも……。
「…ハーレイ…。生きているのは地球に着くまででいいのかい?」
ハーレイがハッと息を飲み、慌てて叫んだ。
「いいえ! いいえ、ブルー…。その先まで。ずっとずっと遙かな未来まで、私と生きて
頂きます!」
青くなり、すぐに耳まで真っ赤に染まったハーレイの顔がとても可笑しくて、ブルーは
フフッと小さく笑った。
分かっているよ、ハーレイ。
君と一緒に、遠い未来まで……。
シャングリラは揺れ動く地球とソル太陽系を離れ、アルテメシアへと戻っていった。地上で
暮らしたいと願った者たちを降ろし、その後は……SD体制下で首都星と呼ばれていたノアへ。
ジョミーはミュウの長として人類側の代表であるキースと共に新しい体制を創り出すために
奔走していたが、住居とする場所はシャングリラだった。かつて人類軍がモビー・ディックと
名付けた白い巨艦はミュウの自由の象徴となり、見学希望者が後を絶たない。
人類の過半数がミュウ化した時点でキースが自身とマツカのミュウ化を明らかにする声明を
出すと、頑強にミュウとの接触を拒んでいた者たちも一気に軟化し、人類の進化は加速してゆく。
「ブルー」
務めを終えて戻ったジョミーがハーレイを伴い、青の間へと入って来た。
「この調子だと、あと半年も経たない内に全員がミュウになりそうですよ。自然出産をする
人たちも増えています。地球の地殻変動は続いていますが、大きな地震は減ってきましたね。
…調査船からの報告では汚染物質は既に地表には全く残っていないそうです」
「凄いね、人は…。それに地球も…」
「ええ。思った以上の速さで時代は変わり続けていますよ。…それなのに、あなたは相変わらず
……ですね。楽な服をいくら届けさせても、着替える気にはなれませんか…」
ジョミーが深い溜息をつく。彼の服装はノアの統治機関での勤務用ですらなく、慣れ親しんだ
家で寛いだひと時を過ごすのに相応しいラフで着心地の良いものだった。しかし、対するブルーは
頑なに、白と銀の上着に紫のマントというソルジャーの衣装しか着ようとはしない。
「これはぼくへの戒めなんだよ。青い地球へ還り着くのだと繰り返し唱え続けた以上は、その
地球へ皆が行ける時まで、ぼくの務めは終わらない。ぼくを信じてついて来てくれた仲間たちを
皆、地球へ連れて行ってやらなければ」
「もうソルジャーは必要ないんですけどね…。でも、あなたが地球を目指さなかったら何も
始まりはしなかった。誰もがそれを認めていますし、キースたちも理解してくれています。
…ですから、地球が再生したら………ブルー、あなたが最初に降りるんですよ」
「……ぼくが……?」
俄かには信じられない言葉に、ブルーは赤い瞳を零れ落ちそうなほどに見開いた。ジョミーが
頷き、キャプテンの制服を纏ったハーレイをブルーが腰掛けるベッドの方へと押し遣る。
「今日の重要な議題の一つが地球のテラフォーミングの件でした。地殻変動が落ち着き始めた
地域については開始するという方針です。…それでキースと休憩時間に話をしていて、
テラフォーミングが成功したら最初にあなたを降ろすべきだ…と。勿論、ハーレイと
一緒にですが」
「何故、ぼくを…」
「それが最良だからですよ。誰だって一番最初に地球へ降りたいに決まっています。
下手をすれば争いになりかねない。…けれど、あなたなら誰も文句は言えないんです。あなたが
降りて、その後は公平に抽選にでもしようかと…。ぼくとキースは多分、二番手で降りることには
なるのでしょうが」
楽しみに待っていて下さい、とジョミーは明るい笑顔を見せた。
「あなたが改良したという豆もテラフォーミングに使います。生命力の強さでは飛び抜けた
ものがあるらしいので…。緑に覆われた地球で咲いている姿を見たいでしょう? 安定し始めたら
成長の早い植物を育てますからね、恐らく三十年も経てば人が降りても問題ないレベルまで自然が
回復するかと」
たったの三十年ですよ、と告げてジョミーが出て行った後、ハーレイがブルーの隣に座って
その肩を抱く。
「…ブルー、お聞きになったでしょう? あなたを青い地球までお連れ出来ます。三百年以上も
生きてこられたあなたにとって、三十年は長くはない筈です。私もお側におりますから…」
「キャプテンとして、ジョミーの補佐役として色々と多忙みたいだけれど?」
「す、すみません…! 確かに夜まで戻らない日が多いですね…。ゼルたちに任せてもっと時間を
取るようにします。せめて昼食は御一緒に…」
「いいよ、今のままで」
クスッと笑ってブルーはハーレイの大きな身体に凭れかかった。
「ぼくの力はもう必要とされていない。…だから君の力が役に立つなら、ぼくの分まで存分に
動いてくれればいいよ。ぼくが自分の力で生きていられる身体だったら、ジョミーの力にも
なれただろうに…。それだけが少し悔しいかな。君に生かして貰っている身で、こんなことを
言うのは我儘だけれど」
「ブルー…。あなたは充分に力を持っておいでですよ。でなければ地球が蘇った暁に最初に降りて
頂くことなど、誰も考えたりはしません。…いいですか、あなたが全ての始まりなのです。
キースたちは今はいい意味でオリジンと呼んでいますよ、あなたのことを」
御自分を卑下なさらぬように…、と温かい手で頬を撫でられ、ハーレイの唇が寄せられる。
「行きましょう、ブルー。いつか蘇る青い地球まで、このシャングリラで」
「…うん……。行こう、ハーレイ。ぼくたちの約束の場所だった星へ…」
口付けを交わす間にハーレイが今も心に抱き続ける青い水の星の幻が見えた。ハーレイの地球に
引き寄せられるように、ブルーも自らの心の遮蔽を解いてゆく。
身体を、心を融け合わせて過ごす至福の時。互いを求め合う夜を幾重にも重ね、身体も心をも
結び合わせて………いつの日か………地球へ。
グランド・マザーとユグドラシルを地の底深く葬った地球は廃墟と化した高層建築群をも
飲み込み、溶岩と共に新たな大地を送り出した。強酸性の海は蒸発し、雨となって降り注いでは
再び気化され、その繰り返しが水と大気から毒素を取り去り、青い海と空が蘇る。
其処から先は人間たちの腕の見せ所だった。
幾つもの惑星を人が棲める場所としてテラフォーミングしてきた技術を惜しみなく投じ、
海には微生物や海棲藻類、それらを糧とする生き物たちを。大地には数多の草木を茂らせ、
其処を宿とする生命たちを…。
死の星だった地球が胎動を始めた時、学者たちが予言していたとおりに青い水の星は再生を
遂げた。人の手が二度と母なる星を損なわないよう、定住は認めないというのが皆の一致した
見解だったが、許可を得た者が短期間だけ滞在することは許される。
その青い星へ一番最初に降り立つことを全ての人間が認め、心の底から祝福したのがミュウの
先の長、ソルジャー・ブルー。彼が青い地球を約束の地として示したからこそ、地球は古えの姿を
取り戻せたのだと。
「ブルー。もうすぐ地球が見えます」
ハーレイがシャングリラのブリッジでブルーの肩を抱き、スクリーンに映る月の彼方を指差す。
まだ人類との戦いの只中に居た頃、同じ言葉を思念波で聞いた。あの時はこうして二人で
寄り添うことも出来ず、ただ手を握り合って立っていただけ。
そして月の向こうから現れた地球は…。
「………地球だ………」
ブルーの瞳から涙が零れて頬を伝った。
遠い日に見た赤黒い残月と化した地球と同じ星とはとても思えぬ、何処までも青く美しい星。
白く渦巻く雲を纏わせ、緑の大地をその身に鏤めた一粒の真珠。
気が遠くなるほどの長い歳月と、戦いの日々と……。幾つもの奇跡がブルーの命を繋ぎ止め
続け、ついに此処まで還って来た。何度となく諦め、見られぬと涙し、最後には夢をも
打ち砕かれてしまった青い星。何処にも存在しなかった筈の青く輝く母なる地球へ、
ブルーは生きて還って来たのだ。
シャングリラが地球へと降下してゆく。
地表の七割を占めると言われる真っ青な海が近付いて来る。これほどの豊かな水を持つ星は
未だに一つも見つかっていない。この大海原こそが水の星、地球である証。
「ブルー、シャトルを降ろします。ハーレイと一緒に格納庫へ」
久しぶりにソルジャーの衣装を纏ったジョミーの言葉に、ブルーは首を左右に振った。
「…要らないよ。此処からならハーレイと一緒にテレポートで飛べる。地球の大気を守るためにも
シャトルは出さない方がいい」
「それを言われると、ぼくたちの立場が無いんですけどね…。ぼくはともかく、キースやマツカや
長老たちは飛べないんですよ」
ジョミーたちはブルーが降り立った後、少し経ってから第二陣として降りて来ることが
決まっていた。あの日、地球の運命を変えた勇気ある者たちとして、文句無しに選ばれ、皆、
シャングリラに乗っている。キースとマツカはシャングリラに続いて降下予定のゼウスの
シャトルに。
「君たちは構わないだろう? きちんと計算されて選ばれた人数とシャトルなのだから。
…使わないのは、ぼくの我儘だ。シャトルの中から出るのではなくて、地球の大気に直に
飛び込みたいだけなんだよ」
だから帰りは君たちのシャトルに乗せて貰うさ、と微笑んでブルーはハーレイの手を握った。
「飛ぶよ、ハーレイ。…行こう、地球へ」
「ブルー? しかし、お身体が…!」
皆まで言わせず、ブルーはサイオンを発動させた。
一瞬の後に、濃すぎるほどに感じる大気と身体中を押し包む湿気とに抱き止められる。
焦がれ続けた星、地球の清らかな大気。足許には緑の草に覆われた大地が広がり、少し先には
豊かな森と水平線まで続く海とが…。
吹き抜ける風にそよぐ草に混じって淡い桃色の花が揺れていた。遠い昔にブルーが作り出し、
シャングリラの中で育てていた豆。その花が夢にまで見た地球の大地に咲いているとは、自分は
どれほど幸運なのか。
そしてハーレイと二人きりで青い地球へ最初に降り立つことを許されるとは、どれほど恵まれて
いるのだろうか…。
「…ハーレイ…。本当に……地球だ。君が連れて来てくれたんだ…」
「いえ、私は……。私には此処まで飛ぶ力は…」
「違うよ、ハーレイ。ぼくの命も、ぼくのサイオンも…君がいなければ無いものだろう?
君がぼくを生かしてくれたし、地球まで連れて来てくれた。…ぼくは約束を果たせたんだよ、
君のお蔭で」
ブルーは高く澄み切った空を仰いだ。シャングリラは白く小さな点にしか見えない。
あの船で青い地球へ行こうとミュウの仲間たちに初めて語ったのはいつだったか…。その約束は
死の星だった地球に覆され、紆余曲折を経てやっと叶った。これで青い星へと皆を導ける。
喪われた命にも、これから地球を目指す者にも、幻ではない青い水の星を…。
「ありがとう、ハーレイ…。やっとソルジャーの務めを果たせた。君には心配ばかり掛けて
きたけど、今度こそ、ただのブルーに戻るよ。だから…」
ジョミーたちが地球へ降りて来たら。
みんなと一緒に地球で過ごしてシャングリラへ戻ったら、君がソルジャーの衣装を脱がせて
くれるかい…?
「…ブルー…。ええ、ブルー…!」
感極まったように声を詰まらせるハーレイの逞しい腕に抱き締められて、ブルーは銀色の睫毛を
伏せた。地球の風が頬を撫でてゆく。爽やかな風は馨しく心地良く感じられたが、それよりも
ハーレイの変わらぬ温もりと厚くて広い胸とが嬉しい。
ミュウたちを導くソルジャーとして焦がれ、還りたかったのは母なる地球。けれど、一人の
人間として帰りたかった場所はハーレイの腕の中だった。
メギドで命尽きようとしていた時も、この地球でグランド・マザーと戦った時も。
ソルジャーとしての務めの重さと青い地球までの道の遠さに押し潰されそうになって涙していた、
辛く苦しかった日々の中でも…。
「帰ろう、ハーレイ。蘇った地球から、ぼくたちの船へ…」
青く輝く奇跡の星から、ぼくたちが共に暮らした船へと。君と渡ってきた星の海へと…。
君と一緒なら、ぼくは何処まででも行くことが出来る。
この青い星を遠く離れて、今度こそ………君と二人で歩く未来へ。
ぼくはもうソルジャー・ブルーじゃない。
青い地球の呪縛から解き放たれた、君一人だけのブルーだから。
此処まで連れて来てくれた君のためだけに、これからのぼくは生きてゆくから…。
………愛してる………。
ハーレイ……。
奇跡の青から・了
以下、作者メッセージです。「読んでやろう」という方はどうぞ。