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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

元老寺で初詣デビューをする羽目になったジョミー君とサム君は頑張りました。元日は昼食タイムを挟んだだけで残りの時間は午後三時までずっと本堂でお子様係。初詣に来た檀家さんの子供にお菓子を渡す役目です。檀家さんが途切れた時しか正座を崩せないハードさの中、なんとか二人は務め上げて……。
「あーあ、ホントに酷い目に遭っちゃった」
ジョミー君が文句を言っていますが、今日は三が日の最終日。昨日はジョミー君もサム君も家でゆっくり休んでいたのに、恨みは尽きないみたいです。いえ、サム君の方は恨みは全く無いようですけど。だって…。
「何いってんだよ、ジョミー。全部ブルーのお蔭じゃないか、まだ本山に届けも出さない内から法要だとか初詣とか…。経験は多めに積んでおいた方がいいんだぜ? この先の修行で差がつくってさ」
「どういう意味?」
「だから色々と基礎の所で。…ほら、キースなんかは生まれも育ちもお寺だろう? 子供の頃からお経も読めるし、衣も自然に着こなしてるし…。衣の畳み方一つ取っても、慣れているのと初心者とではビックリするほど違うらしいぜ。チャンスはモノにしなくちゃな」
次の機会があったらいいな、とサム君は期待している様子。会長さんと公認カップルを名乗るサム君だけに、会長さんの立派な弟子にならくては…という自覚も多分、大きいのでしょう。それに比べてジョミー君ときたら…。
「次の機会なんて要らないよ! お彼岸も棚経も御免だってば!」
「やかましい!」
怒鳴りつけたのはキース君です。
「お前には仏弟子の自覚が無いようだな。俺も偉そうなことは言えんが、そういつまでも反抗できるものでもないぞ。文句ばっかり言い続けてると、いずれブルーが実力行使に…」
「えっ、そ、それはちょっと…」
「そう思うんなら大人しくしてろ。食べ歩きの予定がお寺巡りになったらどうするんだ」
「「「………」」」
それだけは御免蒙りたい、と私たちの視線がジョミー君に集中しました。今日は会長さんが約束してくれた初詣と食べ歩きの日なのです。私たち七人グループはアルテメシア大神宮に近い地下鉄駅に集合していて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の到着待ち。去年の初詣が御利益スポット巡りにすり替わっただけに、今年はきちんと初詣を…!
「わ、分かったよ! お寺巡りはぼくも嫌だし…」
大人しくしてる、とジョミー君が誓った所へ元気一杯の声が響きました。
「かみお~ん♪ みんな、お待たせ!」
トコトコと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が走って来ます。その後ろからは会長さんが笑顔で手を振り、「遅くなってごめん」と近付いて来て。
「時間どおりのつもりだったけど、みんな早いね。食べ歩きはそんなに魅力的かな?」
「「「はーい!」」」
揃って答える私たち。なんと言っても「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお勧めコースなんですもの! でも、その前に初詣。アルテメシア大神宮に向けて出発です~。

三が日も最終日とはいえ、初詣の人気スポットであるアルテメシア大神宮は混んでいました。参道には露店がズラリと並び、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が早速買い食いしています。けれど「買い食いはお参りを済ませてから」が会長さんの方針ですから、私たちは横目で眺めるだけで拝殿へ。
「さて、今年こそしっかりお参りしなくちゃね」
会長さんがお賽銭を入れ、鈴をガラガラと鳴らして柏手を打って……私たちも真面目にお参り。もちろん絵馬も奉納しました。去年の騒ぎを覚えているのでかなりドキドキでしたけれども、今年は教頭先生の怪しげな絵馬は無いようです。チェックしていた会長さんが「よし」と大きく頷いて。
「ハーレイは去年で懲りたらしいよ。ゼルのサイドカーで爆走させたのは正解だったね。今年も絵馬は書いているけど、あの程度なら問題ないさ」
ほら、と指差された先には絵馬が鈴なり。教頭先生の絵馬は見当たりません。キョロキョロしている私たちに気付いた会長さんは。
「そうか、君たちの力では見つからないか…。こんな感じで」
サイオンで伝えてくれた映像の絵馬には達筆な文字で『心願成就』と書かれていました。会長さんとの結婚祈願もキッチリ含まれているのでしょうが、去年のような願掛けよりはまだマシというわけでしょう。今年の初詣は平穏無事に終わり、ジョミー君たちは露店でフランクフルトや串カツを買って満足そうです。
「食べ歩きに行くって分かっていても、やっぱり買わずにいられないよね」
美味しいもん、とジョミー君。食べ盛りの男の子たちには露店から漂う匂いがたまらないようで、境内を出るまでに誰もが三種類くらいは食べたでしょうか。スウェナちゃんと私は鯛焼きを買っただけでしたけれど。…さあ、この後は食べ歩き! グルメ大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何処へ連れて行ってくれるのかな?
「えっとね…。まだお昼にはちょっと早いし、ランチタイムまで色々食べながら待つのもいいよね」
座ってお話するのがいいでしょ、と路線バスに乗り込む「そるじゃぁ・ぶるぅ」。バスの中が初詣の人たちで混んでいたので、これから行く先も庶民的なお店だと思い込んでいたのですが…。
「……ここですか?」
シロエ君がポカンと口を開けています。バスを降りたのは花街で名高いパルテノン。その外れに建つ石造りのどっしりした建物が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の目的地でした。えっと……これって高級中華料理屋さんでは? お小遣い、足りそうにないんですけど…。って言うより、一品料理も無理そうですけど!
「ここの小籠包は美味しいよ! ランチタイムまでは点心なんだ♪ 早い時間から開けてくれるのが嬉しいよね」
スタスタと入って行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」。うわぁ~ん、お年玉が全額吹っ飛んじゃいそうです~! と、会長さんがパチンとウインクして。
「大丈夫だよ、スポンサーは確保する予定。ぼくが立て替えて払っておくから、好きなだけ飲み食いするといい」
「「「………」」」
スポンサーを確保ですって? なんだか嫌な予感がします。とはいえ、せっかく此処まで来ながら食べ歩きを断念するというのも悲しすぎますし、遠慮しないで食べちゃおうかな? …ジョミー君たちも気持ちは同じらしくて。
「…スポンサーって教頭先生かな?」
「どう考えてもそうでしょうね」
気の毒に…、と言い合いながらも足はしっかり店内へ。奥の個室に案内されてクッションの効いた椅子に座ると、サッとメニューが出て来ました。見た目にも素敵な点心の写真が並んでいます。私たちは歓声を上げ、それっきりスポンサーのことは綺麗サッパリ忘れてしまって…。
「でね、ランチはこれがいいと思うんだ♪」
フカヒレ姿煮コース、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が指差したのは点心をあれこれ食べまくった後。既に金額は半端じゃないことになっていると思われましたが、コース料理の料金の方も大概でした。でも…。
「フカヒレもお勧めだけど、海老のチリソースと牛肉のオイスターソース煮もいけるんだよね。三つとも入ってるのはこのコースだし、これにしようよ」
ね? とニコニコ顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちに異議がある筈もなく、そのままコース料理に雪崩れ込み…。前菜の盛り合わせから炒飯に至るまで、実に充実したお料理でした。デザートも点心メニューには載っていなかった白キクラゲとパパイヤの白ワイン蒸し。誰もが満足したのですけど。
「かみお~ん♪ 次も行こうね!」
せっかく食べ歩きに来たんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねています。…美味しいものは別腹とはいえ、そんなに食べてもいいのかな? 教頭先生の顔がチラリと頭を掠めましたが、誘惑には勝てませんでした。

そういうわけで、私たちは楽しく食べ歩き。午後はスイーツを攻略しまくり、夕食はエスニック料理のお店へ。不思議な風味の豆のスープやムール貝のピラフ詰め、スパイスの効いたシシケバブなどなど、お値段もかなりゴージャスです。デザートは甘いライスプディング!
「どう? ぶるぅのお勧め、美味しかった?」
会長さんに尋ねられるまでもなく、私たちは御機嫌でした。キース君なんかは道場での精進料理生活が長かっただけに感動の域に入ってますし…。チャイのお代わりをしながらのんびり粘って、話題も楽しくあれこれと。…ん? そういえばフィシスさんはどうしたのでしょう? 会長さん、昨日しかフリーだった日が無いような…?
「ああ、フィシスかい?」
心配ないよ、と会長さんは微笑みました。
「年末年始は元老寺に行くことに決めていたから、フィシスは旅行中なんだ。ブラウたちと一緒に温泉とグルメ。女性ばかりで旅というのも楽しいらしいね。今日は薬膳つきのエステコースだと言ってたかな?」
なるほど、フィシスさんはグルメと温泉三昧でしたか! ブラウ先生たちと一緒だったら安心ですし、会長さんが呑気に遊んでいるのも納得です。その会長さんはチャイを三杯お代わりしてからボーイさんを呼んでお会計をして…。
「それじゃスポンサーの所へ行こうか。あ、タクシーの領収書を貰うのを忘れないでね」
「「「!!!」」」
ひぃぃっ、私たちまで行くんですか? それにタクシーの領収書って……タクシー代まで払わせるとか?
「当然だろう? 大丈夫、気前よく払ってくれるよ、ぼくが年始に行くんだからさ」
あぁぁぁぁ。やっぱりスポンサーは教頭先生に違いありません。案の定、タクシー乗り場に行った会長さんがドライバーに指示した行き先は教頭先生の家の辺りで、私たちも有無を言わさず他のタクシーに乗せられて…。
「お客さん、着きましたよ」
教頭先生の家の前に横付けされたタクシーに支払ったお金は会長さんが貸してくれたもの。スウェナちゃんが領収書を受け取り、サム君、ジョミー君と私は車を降りました。後ろの車からは柔道部三人組が降り立ち、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は既にインターフォンを押しています。奥でピンポーン、とチャイムが鳴って…。
「どなたですか?」
「ぼくだけど? あけましておめでとう、ハーレイ」
会長さんが言い終えるなり玄関の扉が勢いよく開き、教頭先生が飛び出してきました。私たちの姿に気付いて少しガッカリしたようですけど、立ち直りの早さはピカイチで…。
「そうか、年始に来てくれたのか。あけましておめでとう。寒かっただろう? 遠慮しないで入ってくれ」
教頭先生は私たちをリビングに招き入れ、温かい飲み物とクッキーを出してくれました。
「晩飯はもう食べたのか? まだなら何か出前でも取るが」
お寿司やピザの宅配メニューを広げる教頭先生に、会長さんが。
「ありがとう。でも、夕食はとうに済ませたんだ。なにしろ午前中からひたすら食べているからね」
「…ひたすら…?」
「うん。キースが暮れに道場に行っていただろう? 精進料理ばかりで三週間も過ごしたキースの慰労会を兼ねて食べ歩き! ぶるぅのお気に入りの店をハシゴしてたら凄い散財になっちゃった。もちろん払ってくれるよね?」
これ、と会長さんが渡した領収書にはタクシーの分も含まれています。チェックし始めた教頭先生の眉間の皺がたちまち深くなり、それから電卓を持ってきて…。
「なんだ、これは? こんなに出したら今月の私の生活費が…」
「食費を削ればいいじゃないか。それと新年会は全部欠席だね。麻雀の会も休めばいいし、そうするのが嫌なら暮れのボーナスを使えばいい。どうせ残してあるんだろう?」
寂しい独身人生だから、と会長さんは笑っています。
「それにね、ぼくたちの食べ歩き代を支払って損はしないと思う。払ってくれるなら始業式の日に素敵な思いが出来るかも…」
「プロポーズを受けてくれるのか?」
教頭先生の瞳が輝きましたが、会長さんは。
「残念ながら、プロポーズだけは受けられないや。でも、紅白縞を届ける時に何か一品つく…かもしれない」
ニッコリ微笑む会長さん。
「その辺の相談も兼ねて来たんだよ。…今年の闇鍋はヤラセでどうかな?」
「「「ヤラセ?」」」
教頭先生も驚きましたが、私たちもビックリでした。闇鍋って三学期の始業式恒例のアレですよね? 闇鍋でヤラセって、いったい何事…?

「あれもマンネリ化してきたんだよね」
会長さんが紅茶のカップを口に運びながら言いました。
「去年は君を闇鍋メンバーから外したけれど、そうでなければ展開は大体読めるだろう? 君にとってはあの闇鍋はぼくの手料理なんだっけ? 不味くても完食しなくちゃ損だ、と真剣に思ってるんだよねえ?」
「…まあな。お前は何も作ってくれんし、そうなるとあの鍋くらいしか…」
「それが困るって言ってるんだよ。君に完食されてしまうと、闇鍋勝負は教師陣の勝ちってことになる。…生徒が勝ったら貰える筈のお年玉チケットがパアになるんだ。正直言ってそれは避けたい」
お年玉は貰ってなんぼ、と会長さんは指摘して。
「たかが学食のタダ券でもね、貰える方には嬉しいんだよ。闇鍋で教師をへこませるだけじゃ物足りないってことなのさ。…君には完食して欲しくない」
「だったら私を指名しなければいいだろう?」
「そうなるとぼくがつまらないんだ。去年の闇鍋でよく分かった。怪しい鍋は君に味見して貰わなきゃ! たとえ手料理だと思っていたって味の不味さは変わらないだろう? だから君には是非食べさせたい」
だけど完食されても困る、と繰り返した会長さんに、教頭先生が恐る恐るといった風で。
「…さっき言ってたヤラセはそれか? 私に途中でギブアップしろと?」
「そういうこと」
察しが良くて助かるよ、と会長さんはティーカップに残った紅茶をスプーンで混ぜて。
「どうせ怪しい闇鍋なんだ、ギブアップしてもおかしくないだろ? それでも沢山食べさせたいし、最後の一口だけを残してギブアップ! この八百長を受けてくれた上に、今日の食べ歩き代を出してくれたら……紅白縞に一品増やしてあげてもいいよ」
「本当か?」
身を乗り出した教頭先生に、会長さんは「正直だねえ」と苦笑して。
「一品増えるのが何になるかはサプライズ! 紅白縞が5枚から6枚に増えるだけかもしれないけれど、増えた1枚がぼくの好意だ。…どうする? ぼくの好意を受ける? それとも…」
「受けるに決まっているだろう!」
教頭先生は財布を取り出し、お札を数え始めました。それだけでは足りなかったらしく、二階の寝室まで行って大事なヘソクリだか虎の子だかも付け足して…。
「ブルー、計算してみてくれ。これで足りると思うのだが…」
「ん? えっと…」
ひい、ふう、みい…とお札を数えた会長さんは電卓を借り、領収書を「そるじゃぁ・ぶるぅ」に読み上げさせて計算します。それからキース君にもう一度電卓を叩かせ、金額に間違いがないのを確認してから。
「ありがとう、ハーレイ。君ならきっと払ってくれると信じていたよ。…お釣りは貰っておいていいよね、細かいことは言いっこなしで。大好きだよ」
げげっ、その一言は反則でしょう! 教頭先生は真っ赤になって「うむ…」と曖昧に頷いています。大金を毟り取った会長さんは「さてと」とソファから立ち上がると。
「夜も遅いし、今日はこの辺で失礼するね。この子たちは此処から直接家に送っていいだろう? じゃあ、ヤラセの話を忘れないで。…一口だけ残してギブアップだよ」
約束を守れば一品追加、と念を押した会長さんに、教頭先生は「分かっている」と答えました。
「お前からの贈り物を受け取るためなら、八百長だろうがヤラセだろうが気にしてはいられないからな。始業式を楽しみにしているぞ、ブルー」
「トランクスが1枚増えるだけかもしれないけどね? でも大切な勝負下着だ、多めに持ってて損は無いだろ?」
「ああ。…あれは私の取っておきだ」
教頭先生が会長さんから貰った紅白縞を大切にしていることは私たちも知っています。球技大会の時に履いて来て、破れそうになった紅白縞を庇ってギックリ腰になった程なのですから! トランクス1枚かもしれない贈り物に釣られてヤラセをすると約束した上、食べ歩き代も肩代わりした教頭先生、凄すぎるかも…。
『恋は盲目って言うんだよ』
会長さんが教頭先生には届かない思念波で伝えてきました。
『このおめでたさを利用しないって手はないさ。今年の闇鍋はヤラセで決まり! これから家に送ってあげるけれども、ハーレイに御礼を言わなくちゃね。ぼくと一緒に大きな声で、御馳走様…って』
そっか、会長さんが毟ったとはいえ、食べ歩いたのは私たちも同じです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生にペコリと頭を下げるのに合わせて私たちも深々とお辞儀しました。教頭先生、御馳走様~!

食べ歩きの翌日以降もドリームワールドに行ったりしている間に冬休みは終わり、今日はいよいよ始業式。1年A組の教室の後ろに机が増えて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の登場です。会長さんたちがやって来る日は何かが起こると学習済みのクラスメイトの期待の中で始業式が済み、始まったのはお雑煮食べ比べ大会で…。
「すげえ、会長、どうしてあんなに食べられるんだ?」
「ぶるぅの方は不思議パワーがあるとしてもなぁ…」
理解不能だ、と見守っているクラスメイトたちはとうの昔にギブアップ。なにしろシャングリラ学園のお雑煮食べ比べ大会のお雑煮はお腹にたまる白味噌仕立てで、一度に大量に食べるというのはキツイのです。それを凄い勢いでお代わりし続けているのが会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
『あれってブルーは食べてないんだよね?』
未だに騙されちゃうんだけども、とジョミー君が思念波で尋ねてきます。
『そうらしいな。俺にもサッパリ掴めないが…』
キース君が首を捻って会長さんの方を見詰め、私たちも意識を集中してみましたが、今年もカラクリは把握不可能でした。前に会長さんが説明してくれた話によると、食べたふりをしてお椀の中身を「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお椀に瞬間移動させているらしいんですけど。…つまり「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんの分も食べているわけです。
『なんにしたって底抜けですよ、ぶるぅの胃袋』
桁外れです、とシロエ君。そのスペシャルな胃袋のお蔭で「そるじゃぁ・ぶるぅ」はグルメ三昧、先日の食べ歩きの案内役を務めたほどの舌の持ち主になったんですから、底抜けだろうが特に問題は…。おっと、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が自分のお椀に蓋をしました。充分な量を食べ切ったということでしょう。そして…。
「勝者! 1年A組!」
ブラウ先生の声が会場に響き渡って、1年A組、見事に優勝。さあ、この後は闇鍋です。会長さんが教頭先生を指名し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は去年と同じくシド先生。そこに担任のグレイブ先生を加え、この三人が闇鍋の挑戦者ということになりました。
「そうか、闇鍋だったのか…」
「どおりで変なメールが来たわけだよなぁ、学校から…」
始業式前に指示されたとおり「これだ、と思う食べ物を一品」用意してきたクラスメイトたち。みんな色々な食品を持っていますが、私たち七人グループはヤラセになると知っていたので、教頭先生が苦手だという甘い食べ物で統一しました。
「この店のチョコは甘いんですよ。特別に大きいのを作らせました」
マツカ君がビッグサイズの板チョコを取り出せば、スウェナちゃんはチョコレートケーキを丸ごと一個。キース君が特大のボタモチで、シロエ君はメイプルシロップの1リットルサイズ。ジョミー君は蜂蜜の大瓶を抱えていますし、サム君はグラニュー糖を1キロです。この人たちに比べれば私の苺ジャムなんて可愛いものかと…。
「ふふ、ハーレイの苦手で統一したんだ? 素敵だね」
ぼくはこれ、と会長さんが持っているのはお好み焼き用のソースでした。それも業務用の巨大ボトルです。その隣では「そるじゃぁ・ぶるぅ」が同じく業務用のマヨネーズを…。
「ハーレイはお好み焼きがけっこう好きだし、食べる時にはマヨネーズをかけているんだよね。その大好きな味が闇鍋に化けたらどうなるかなぁ…と思ってさ。どうせヤラセなんだし、カオスな味の方がいいだろ?」
教頭先生たちは目隠しをされて会場になる校庭の隅に座っていました。グラウンドの中央では大きな鍋が煮え滾っています。今年は豚骨ベースでしたが、其処へクラスメイトが持ち寄ったクリームパンとかメンチカツとか、私たちが用意した甘い物とか、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお好み焼きセットとかが放り込まれて…。
「「「………」」」
固唾を飲んで見守っている全校生徒の前で教頭先生たちにお椀が配られ、目隠しが外され、いざ、チャレンジ! シド先生は一口で逃げ出し、グレイブ先生が二口目で逃げ出し…。それでも教頭先生は黙々とお椀の中身を食べていました。年に一度だけ食べられるという会長さんの手料理ですもの、頑張る気持ちは分からないでもありません。でも、ヤラセは? ギブアップする約束は…?
「………」
教頭先生がお箸を置いて無言で右手を上げ、ギブアップしたのは残り一口まで食べた時。1年A組は教師チームに勝利を収め、お年玉の学食のタダ券をゲットしました。クラスメイト一同、大喜びです。教頭先生、ヤラセをやり遂げちゃったんですけど、会長さんは本当に一品つけるのかな…?

「つけると言ったら本当につけるさ。騙すわけにもいかないしね」
その辺はきちんとしておかなくちゃ、と会長さんが言い切ったのは放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でした。始業式の日には教頭先生に紅白縞のトランクスを5枚、届けに行くのがお約束です。いつも付き合わされているので私たちも諦めの境地ですけど、気がかりなのは「一品つける」という件で…。
「食べ歩き代を毟り取った上に、闇鍋のヤラセ。対価にするなら何がいいかと色々考えてみたんだけれど…。やっぱりハーレイが喜ぶものが一番だとは思わないかい? きっと感激してくれるさ。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
奥の部屋から運ばれて来たのは紅白縞が5枚入ったお馴染みの箱。その上に小さめの箱が乗っかっています。どちらも同じ包装紙とリボンですけど、もしかして追加は紅白縞の6枚目? コソコソと囁き合う私たちに、会長さんは。
「いいから、さっさとついて来る! ハーレイが箱を開けてくれれば何を贈ったか分かるだろう?」
「「「はーい…」」」
トランクスのお届け行列が教頭室に辿り着いたのはそれからすぐ。会長さんが重厚な扉をノックし、「失礼します」と私たちを連れて部屋の中へと滑り込んで。
「ハーレイ、いつものヤツを届けに来たよ。それと、こっちはヤラセの御礼。食べ歩きで御馳走になった分の御礼も兼ねているんだ。…開けてみて」
「開けていいのか?」
「もちろん。説明もしなきゃいけないしね」
「「「???」」」
説明って何のことでしょう? 教頭先生も怪訝そうな顔で小さいほうの箱のリボンを解いて包装紙を取り、蓋を開けると、其処には真っ赤な布切れが。えっと……あれってハンカチか何か? それにしても派手な色ですが…。
「広げてみないと分からないよ? ほら、ハーレイ」
「………?」
布を広げた教頭先生が固まりました。それは紅白縞ならぬ真っ赤な色のトランクス。会長さんったら何を考えているんでしょうか?
「それも青月印なんだよ。紅白縞と同じメーカー」
素敵だろう、とクスクス笑う会長さん。
「健康長寿の赤パンツだってさ。生涯現役を目指すんだったら1枚は持ちたいパンツだよねえ? あ、君は生涯現役以前に童貞だっけか…」
「わ、私にこれをどうしろと…」
「履くんだよ。ぼくが贈った紅白縞を勝負パンツにしてるんだろう? だから究極の勝負パンツに赤パンツ! それを履くのは本当の意味での勝負の時さ」
分かるかい? と会長さんは教頭先生にウインクして。
「ぼくをモノにしたくて頑張ってるけど、未だにどうにもならないよねえ? 童貞生活三百年以上! ぼくをモノに出来るだけの自信がついたら赤いパンツを履けばいい。でもってぼくに囁くのさ。…今日の私は赤パンツだ、とね。そうすれば…」
話に応じないでもない…、と会長さんが耳元に顔を寄せて囁いた途端に教頭先生の鼻からツーッと赤い筋が。耳まで真っ赤に染まった教頭先生、赤いパンツを握ったままで仰向けにドターン! と倒れてしまって…。
「…あーあ、想像しただけで限界だったか。だけど、いい夢は見られそうだよね?」
究極の夢の赤パンツ、と可笑しそうに笑う会長さんに、キース君が。
「あんた、分かっててやってるだろう? あんなモノを何処で手に入れた!」
「何処って……普通にデパートの下着売り場で。赤いパンツは健康長寿って本当に書いてあったんだよ。フィシスと見つけて大笑いして、これはハーレイに贈らなくっちゃ…と思ってね。だけどいいネタが浮かばなくって、今日まで持ち越しになっていたわけ。さて、ハーレイにアレを履くだけの度胸があるかな?」
「「「………」」」
無理だろう、と誰もが心の底から思っていました。けれど会長さんは赤いパンツを回収する気は無いようで…。
「高みへのステップというのは大事なんだよ。それはジョミーとサムとの修行も同じさ。…ハーレイも高僧を目指すくらいの覚悟で頑張ったなら、赤いパンツが履けるかもしれない」
ジョミーたちが立派なお坊さんになるのが先か、ハーレイの赤いパンツが先か…、と会長さんは楽しそうです。えっと、そんな調子でいいんでしょうか? ジョミー君とサム君は仏弟子として少しずつ着実に進んでいますし、教頭先生だってもしかしたら…。
「大丈夫だよ、ヘタレだから。赤いパンツなんて絶対履けない」
テクニックを磨く機会も無いしね、と失神している教頭先生を見下ろしている会長さん。今年も初っ端から悲惨なことになりましたけど、教頭先生、本年もよろしくお願いします~!



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元老寺の除夜の鐘は午前一時まで続きました。百八回という数にこだわらず、撞きたい人は何人でもどうぞ…というのが人気の秘密。とはいえ、無制限にしておくとご近所さんに迷惑ですから、午前一時までに撞き終えられる人数までを受け入れます。墨染めの衣のジョミー君とサム君は行列の整理もお手伝いして…。
「今年も最後は会長ですか…」
シロエ君が鐘楼の方を眺めました。私たちは寒さを避けて甘酒のお接待用のテントで粘っているわけですが、会長さんが緋の衣の袖を翻し、キース君の先導で鐘楼へ向かっています。お供は今度もジョミー君とサム君。一般の人が鐘を撞き終えた後で、会長さんが締めの鐘を厳かに一回、ゴーン…と撞いて。
「えっと…。これで終わりになるのよね?」
スウェナちゃんが石油ストーブで手を温めながら言ったのですが、残念ながら終わりではありませんでした。甘酒のお鍋を掻き混ぜていたイライザさんが「次は本堂ですよ」と微笑んで。
「すぐに修正会が始まりますから。…あ、お迎えがいらしたみたい」
「やあ、お待たせ」
会長さんがテントに顔を覗かせました。
「いよいよサムとジョミーの本格的なデビューだよ。さあ、本堂の方に行こうか」
「「「はーい…」」」
数年前の修正会を思い出した私たちの声は沈んでいたと思います。あの時は正座がキツくて、とても辛かったのでした。けれど会長さんはスタスタと歩き始めていますし、キース君も「早くしろ!」と呼んでいますし、ジョミー君とサム君は大人しく本堂に向かっていますし…。
「どうやら行くしかないみたいですね」
溜息をつくシロエ君。
「マツカ先輩とぼくは正座には慣れてますけど、本堂はやっぱり緊張しますよ。それに今回は檀家さんも多いそうですし…。キース先輩に恥をかかせないよう、精一杯頑張ってお勤めしましょう」
「そうですね…。お念仏くらいは唱えた方がいいですよね」
マツカ君が応じた所へ会長さんの思念が届きました。
『ぐずぐずしない! ついでに言うと、修正会は新年を迎えて国家安泰から檀家さんの幸せまでをお祈りしようって行事だからね。せいぜい真面目に務めるように』
ひぃぃっ、そんな大層な
行事でしたか! 前に出た時は檀家さんの数も少なかったですし、一年の始まりのお勤めくらいに思ってましたが…。会長さんのクスクスと笑う気配が伝わり、更に追加が。
『付け加えるなら、坊主にとっては反省会も兼ねているのさ。一年間の過ちを振り返って反省し、新年の目標を胸に修行の成就を祈るってわけ。…だから修正会という名前になるんだ。サムとジョミーには大いに頑張って貰わないとね』
二人とも修行はこれからだから、と会長さん。サム君はともかく、ジョミー君には気の毒そうな行事でした。修行の成就なんて祈りたくもないだろうと思うのですが、法衣まで着せられた今となっては形だけでも手を合わせるしかないわけで…。
「あーあ、ジョミー先輩、完全にババを引いちゃいましたね」
シロエ君が星空を仰ぎ、マツカ君が。
「ここまで来ちゃったら仕方ないですよ。…ぼくは父と一緒に仕事をすることになってますから大丈夫ですけど、シロエ先輩は気を付けた方がいいのでは…?」
「え、何にですか?」
「…会長ですよ。もっと仏弟子を増やしたいとか、如何にも会長が言い出しそうで…」
げげっ。シロエ君はピキンと固まり、スウェナちゃんと私は吹き出しました。柔道以外にこれといった目標は無いシロエ君。会長さんにロックオンされたら逃げ切るのは多分無理でしょうねえ…。

「さっきの話は忘れて下さい」と繰り返すシロエ君に曖昧な返事をしながら向かった本堂には、お正月らしく五色の幕が。檀家さんたちが次々と入ってゆきます。私たちも靴を脱ぎ、階段を上がって中を覗くと、なんと椅子席ではありませんか! これはラッキー、と小躍りしそうになったのに。
「お前たちはあっちだ」
入口に立っていたキース君が指差したのは座布団がズラリと並んだ場所。えっ、椅子席ではないんですか? キース君は「当然だろう」と冷たい顔です。
「今年は檀家さんが大勢来て下さるから椅子席を用意しただけだ。足の悪いお年寄りには正座はキツイ。普段の法事とかでも椅子席を置いているんだぞ? だが、お前たちは正座だな」
若いんだから真面目にやれ、と言われてしまってスウェナちゃんと私は涙目でした。せめて正座用の補助椅子を…、と思ったんですけど、私たちの席には用意されておらず。
「悪いが、親父の方針なんだ。檀家さんでもないお前たちには厳しくやれと言われたんでな。…じゃあ、俺は行くぞ」
キース君は本堂の奥に入ってしまいました。仕方なく座布団に正座していると、お数珠を手にした檀家さんたちで椅子席も正座用の座布団の方も満員に…。これはなかなか壮観です。前に参加した修正会の時は檀家さんなんて数えるほどしかいなかったように記憶してますし、キース君が住職の資格を取った効果は凄いかも…。
「あ。サム先輩が出て来ましたよ」
シロエ君の視線の先に墨染めの衣のサム君が。続いてジョミー君が本堂の奥から出てきて、御本尊様の前で深く一礼。キース君の厳しい特訓の成果か、そこそこ形になっています。それから二人は脇に退き、お経本が置かれた机を前にして座りました。続いて鐘がカーンと鳴って、キース君とアドス和尚と会長さんが現れて…。
『あら。会長さんがお経を読むの?』
スウェナちゃんが思念波で尋ねてきました。緋色の衣の会長さんが御本尊様の正面に座り、深々とお辞儀しています。前の時はアドス和尚が主役を務めていたのですが…。
『スペシャル・サービスだって言ってたよ?』
「「「!!?」」」
いつの間にか私たちの隣に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がチョコンと正座していました。座布団が一枚余っていると思っていたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」用でしたか!
『あのね、キースのために檀家さんが大勢来るから、サービスだって! ブルーがやると法要の格って言ったかなぁ…? それが上がるし、サムとジョミーもデビューするしね。ブルー、サムたちのお師僧さんでしょ?』
うわー…。新年早々、抹香臭い展開です。とはいえ、会長さんが法要をするのを見るのは初めてでした。お経を唱えたり、御自慢の緋の衣とやらを見せびらかすのは何度も目にしてきましたけれど、本格的なのは一度も見せてくれなくて…。まあ、そんな機会が無かったと言えばそれまでですが。
『『『……本当にお坊さんなんだ……』』』
流れるような所作でお経が書かれた巻物やお経本を扱い、鐘と木魚を叩き続ける会長さん。もちろん読経する声は淀みなく…。檀家さんたちの方を窺ってみると、有難そうに合掌しながら涙を流している人もいます。うーん、スペシャル・サービス、恐るべし。キース君の値打ちも修正会で一段とアップするに違いありません。
『ね、凄いでしょ? ブルー、お経が上手なんだよ』
高僧だしね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。アドス和尚とキース君も一緒に読経していましたが、サム君とジョミー君は合掌しているだけでした。それでも本堂で華麗なるデビューを果たしたことには違いなく…。来年は此処にシロエ君が混ざっていなければいいが、と心配ですけど、こればっかりはまるで読めませんよねえ?

修正会が終わって檀家さんたちを見送った後は庫裏に移って慰労会ならぬ新年会。正座で痺れた足の痛みも吹っ飛ぶ御馳走がズラリと並んでいます。キース君とアドス和尚は法衣でしたが、会長さんとサム君、ジョミー君たちは私服に戻って寛ぎモード。
「やっと終わったー!」
肩が凝った、とジョミー君が首をコキコキと鳴らし、サム君も腕を伸ばして万歳のポーズでストレッチ中。流石のサム君も本物の法要は緊張しちゃったみたいです。けれど会長さんは高僧だけあって、あれだけのお経を読んだ後でも普段と全く変わりなく…。
「ぶるぅ、そっちのサラダを取ってくれるかな? それとローストチキンも頼むよ」
「オッケー!」
美味しそうだもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は自分のお皿にも取り分けています。イライザさんがお給仕を申し出たのですけど、会長さんは「好きにやるから」と笑顔で辞退し、新年会は無礼講に…。そんな中でも会長さんはアドス和尚に御礼を言うのを忘れません。
「色々と無理を言って悪かったね。不肖の弟子を除夜の鐘と修正会なんかに出させてくれてありがとう。…二人とも、まだ正式な届けも出していないのにさ」
「いえいえ、とんでもございません。私どもの方こそ、修正会をお勤め頂いて、なんと御礼を申したらよいか…。これで倅も檀家さんの覚えがグンとめでたくなりますでしょう。いやいや、本当にありがたいことで…」
アドス和尚とイライザさんは会長さんに何度も感謝の言葉を述べて、キース君にも頭を下げさせて…。会長さんの緋色の衣パワーは絶大でした。サム君とジョミー君も檀家さんたちにガッツリ覚えられたに決まっています。今回で味をしめた会長さんが調子に乗らなきゃいいんですけど…。
「ん? なんだって? ぼくがどうかした?」
鮭のマリネを頬張っていた会長さんに振り返られて、私は思わず飛び上がりそうになりました。ヤバイ、ヤバイです! これ以上考えたら読まれちゃう~!
「おやおや、軽くパニックなのかい? シロエがどうかしたのかな?」
ぎゃー!!! 読まれた、読まれちゃいましたよ! ごめん、シロエ君…。本当にごめん…。
「ふうん? キーワードはどうやらシロエらしいねえ…。さてと、ぼくが調子に乗ったらどうなるんだい? シロエ」
「え? …え、えっとですね…」
今度はシロエ君がパニックでした。なにしろ頭がいい人ですから、私の様子と会長さんの今の言葉で状況を把握したみたいです。シロエ君は何と返事をするのでしょう? 返事しなくても相手はタイプ・ブルーの会長さんだけに、アッサリ心を読まれてしまって終わりでしょうけど。
「そ、そのぅ……。次は危なかったりするのかなぁ…と…。マツカは安全圏みたいですし…」
「はあ?」
怪訝そうな顔の会長さんに、シロエ君は覚悟を決めたようです。グッと拳を握り締めると、一息に。
「ですから、次はぼくの番になるのかな、と! サム先輩もジョミー先輩もデビューを果たしてしまいましたし、新しい仏弟子候補にロックオンされるのはぼくじゃないかと…!」
血を吐くような叫びが元老寺の広い座敷に響き渡りました。

「「「………」」」
シンと静まり返った空気。…言っちゃった…。言い切りましたよ、シロエ君! キース君がポカンと口を開け、サム君とジョミー君も唖然呆然としています。シロエ君、ごめんね、私が余計なことを考えちゃったりしなければ…。と、会長さんがプッと吹き出し、可笑しそうに笑い転げながら。
「そうか、そういう話になってたわけか…。ぼくが新しい仏弟子をねえ?」
「笑い事じゃあないですよ!」
ぼくには人生の一大事です、とシロエ君が食ってかかりましたが。
「おやおや、出家したいのかい? そういうことなら改めて相談に乗るけれど?」
まだクスクスと笑い続けている会長さん。
「生憎、ぼくの直弟子は只今満員御礼でね。まだ本山にも届け出てないし、これからじっくり仕込まなくっちゃいけないんだ。…その後でよければ弟子にしてもいいけど、待ち時間が何年になるか見当がまるでつかないなぁ…。急ぐんだったら他を紹介するよ」
「………他?」
「うん。璃慕恩院の老師に誰か探してもらってもいいし、ぼくの知り合いのツテもある。…どんな師僧が好みなのかな? 厳しいタイプか、穏やかな人か。それに住まいの問題もあるね」
会長さんは指を折って。
「とりあえずアルテメシアから通える範囲で入門するなら、すぐに受け入れてくれそうな人は五人くらいって所かな。無理を言えば二人くらいは増えるかと…。アルテメシアにこだわらないなら受け入れ先はもっと増えるよ」
「ちょ、ちょっと…。通える範囲とかって何なんですか!」
「だから、お師僧さんの住んでる所。…得度するのは簡単だけど、その後のことが重要なんだよ。キースみたいに大学に行くか、お師僧さんのお寺で修行を積んでから研修会で単位を貰うか、どっちかでないと伝宗伝戒道場に行けない仕組みでねえ…。せっかく出家するんだったら、やっぱり住職にならないと」
それでこそ一人前の坊主だ、と会長さんは畳みかけます。
「つまり、坊主が弟子を取るには相当な覚悟が要るんだよ。弟子が一人前になるまで指導しなくちゃいけないわけだし、もちろん学問だけじゃいけない。生き方全般その他諸々、まるごと面倒みなくっちゃ。…今のところ、ぼくはジョミーとサムとで手一杯なんだ」
特にジョミーは手が掛かる、と深い溜息をついた会長さんは。
「…で、どうする? 順番待ち? それとも他の誰かに弟子入りする?」
「け、けっこうですっ!!!」
シロエ君は即答しました。
「ぼくは出家は考えてません! 今のまんまで充分です!」
「なんだ、残念」
徳の高い知り合いが沢山いるのに…、と会長さんは笑ってますけど、本気じゃないのは見て取れました。良かったぁ…。シロエ君、出家コースは回避です。その分、サム君とジョミー君とが頑張ることになるのでしょうが、これ以上お坊さんが増えるというのも困りますから、まずはめでたし、めでたしですよね。

シロエ君の出家話で大いに盛り上がった新年会は午前三時にお開きとなり、私たちは宿坊の部屋に戻りました。これから徹夜で騒いで初日の出を拝むつもりでしたが、送って来てくれたキース君が。
「サムとジョミーは徹夜しないで寝た方がいいぞ。檀家さんの前で居眠りされたら大変だからな」
「「え?」」
二人はキョトンとしています。私たちもキース君の言葉の意味が掴めず、首を傾げてしまったのですが。
「さっき親父が言ったんだ。二人とも檀家さんには披露済みだし、除夜の鐘にも修正会にも出たし、次は初詣デビューだぞ、とな」
「「「初詣デビュー?」」」
「そうだ。元日には檀家さんが初詣に来る。それをお迎えして挨拶するのも寺の重要な行事なんだ。本堂に座ってお相手するんだが、去年までは俺がお子様係だった。それをサムとジョミーに頼もうか…と」
「「「お子様係?」」」
なんですか、それは? 初詣に来た子供の遊び相手でもするのかな? キース君は「お子様係じゃ通じないか」と苦笑して。
「初詣に来て下さった檀家さんの子供にお菓子を渡すのがお子様係だ。俺がやっても構わないんだが、せっかく人手があるんだから……と親父が、な。檀家さんにも顔を覚えて貰えるわけだし、やった方がいいぞ」
「えっと…」
ジョミー君が恐る恐るといった風で。
「それってやっぱり衣なわけ? あれを着なくちゃダメなわけ?」
「当然だろう。あれは坊主の正装だ!」
キース君が力説すると、会長さんがその横から。
「アドス和尚は気が利くね。初詣デビューまでOKだなんて、ホントに懐が深い人だよ。…せっかくの御好意だ、サムもジョミーもお受けしたまえ。…ところで、キース」
「なんだ?」
「ジョミーたちが初詣デビューをしている間、ぼくたちも引き続き滞在していていいのかな? 弟子がきちんと仕事をこなしているかは気になるからねえ…。ああ、食事とかのことは気にせずに」
ピザか何かの出前でも取るよ、と会長さんは言ったのですが、キース君は。
「そっちの方も心配無用だ。親父もおふくろもごゆっくりどうぞと言っていた。飯は手伝いの人が作るし、のんびり過ごしていってくれ。……俺は本堂で座りっ放しになるから、あんたの相手は出来ないがな」
「手配済みとは嬉しいね。それじゃゆっくりさせて貰うよ。サムとジョミーはお子様係を頑張りたまえ。これは師僧としての命令」
拒否権無し、とピシャリと言うと、会長さんは「消灯だ」と時計を示して。
「他のみんなが騒いでいたらサムもジョミーも寝られない。元老寺の檀家さんの前で弟子が居眠りしたらみっともないし、アドス和尚にも迷惑がかかる。さっさと布団に入るんだね。初日の出には間に合うように起こしてあげるよ、ぼくもぶるぅも早起きするのは得意だからさ」
「「「はーい…」」」
徹夜する気満々だった私たちはスゴスゴと与えられた部屋に引き揚げました。同じ初詣ならお寺なんかより神社の方がいいんですけど…。アルテメシア大神宮みたいに露店が並んで賑やかなヤツがいいんですけど、今年の初詣は元老寺の御本尊様にお参りですか、そうですか…。

電気を消して布団を被ってからもスウェナちゃんと私は小声でブツブツと文句。本当だったら初日の出を拝んで、朝ご飯を食べたら元老寺とはサヨナラだった筈なのです。初詣に来た檀家さんの応対をするキース君を残してアルテメシアの繁華街に出て、「そるじゃぁ・ぶるぅ」お勧めコースで食べ歩きの予定だったのに…。
「でもね…」
スウェナちゃんが声を潜めて言いました。
「会長さんは最初から全部、計算済みだったんじゃないかしら? キースはついこの間まで道場で修行してたのよ。お祝いの宴会とクリスマスの仕切り直しはしたけれど……食べ歩きなんてやっていないし、キースが行きたがりそうなイベントでしょ? それをキース抜きでやると思う?」
「うーん、言われてみればそうかも…。じゃあ、食べ歩きはリベンジのチャンスがあるのかなぁ?」
「そうだといいわね。ぶるぅのお勧めは外れたことがないものね…」
期待しときましょ、と囁くスウェナちゃん。それから暫く話している内に瞼が重くなり、暖かい布団をすっぽり被って……次に聞こえたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声でした。
「かみお~ん♪ あけましておめでとう! 起床、起床ーっ!!!」
廊下を走る足音がパタパタと響き、窓の障子がうっすら明るくなっています。そうだ、初日の出を拝まなきゃ! 大急ぎで顔を洗って身支度をして飛び出して行くと、耳が千切れるような寒さで…。でもジョミー君たちも会長さんも、キース君一家も山門に集合していました。昇る朝日に両手を合わせて、お辞儀をすれば心もスッキリ。今年もいい年になりますように、とお願いの方も抜かりなしです。
「さあさあ、お雑煮の用意が出来ていますよ」
おせちも沢山召し上がってね、とイライザさん。私たちは歓声を上げ、庫裏のお座敷で熱々のお雑煮と豪華おせちを頂きました。でも、その後は…。
「さあ、お勤めに参りますぞ」
うわーん、新年早々、アドス和尚のお勤め攻撃! そりゃあ年明けすぐから修正会なんかもやっちゃいましたし、今更お勤めの一つや二つ…って、えっ、サム君とジョミー君は法衣を着なくちゃいけないんですか?
「当たり前だろうが」
キース君が冷たく言い放ちました。
「今、何時だと思っている? お勤めが済んだ頃には檀家さんが初詣に来るんだぞ? ブルーは最初から初詣の席に出る気も無いから、そのままで問題ないんだが…。サムとジョミーはお子様係をやるんだろう? 着替えに戻る暇は無い。分かったらさっさと着替えてこいっ!」
昨日のお作法の鬼コーチさながら、朱扇でビシッと襖を示すキース君。そう、キース君とアドス和尚は初日の出を拝みに出てきた時から衣なのです。イライザさんも、もちろん着物。考えてみればアドス和尚とイライザさんの洋服姿って一度も見たこと無いですよねえ…。

本堂でのお勤めは暖房がまだ効いていなかったせいで身体がけっこう冷えました。それでもコートは禁止です。お線香の香りが漂い、やっと暖かい空気が満ちてきた頃にはお勤め終了。痺れた足を擦っていると、キース君がサム君とジョミー君に「おい、手伝え」と声をかけています。三人は本堂の奥の方に消えて…。
「「「えぇっ!?」」」
キース君たちが運んできた物に私たちは目が点でした。コタツ櫓にコタツ布団。三人は御本尊様に失礼にならない辺りにコタツを設置し、周りに座布団を敷いています。ほ、本堂にコタツって…。これって、なに?
「見て分からんのか? 初詣用だ」
此処が親父で、此処が俺…、と座布団を指差すキース君。次は座机が運び込まれて、コタツの隣に据えられました。それからコタツの上にお屠蘇が置かれ、小さな陶器の杯がチョコンと。座机の脇には大量のお菓子。お饅頭やお煎餅といったものではなく、子供が好きそうなスナック菓子です。
「親父と俺はコタツで檀家さんのお相手をする。サムとジョミーはそっちに控えろ。子供さんが来たらお菓子を渡すのを忘れんようにな」
それと檀家さんには丁寧にお辞儀を、と指導しているキース君。アドス和尚は腕組みをしながら頷いています。そっか、もうすぐ初詣が始まるんだ…。
「そういうこと」
会長さんがニッコリ微笑みました。
「ぼくたちは邪魔になるから宿坊の方へ戻っていよう。イライザさんがおやつを用意してくれてるよ。…じゃあ、サムとジョミーは頑張ってね」
バイバイ、と軽く手を振る会長さんにサム君が「おう!」と元気よく答え、ジョミー君は肩を落としています。その肩にキース君の朱扇がピシッと叩き込まれて、背筋を伸ばすジョミー君。なんとも先行き不安ですけど、初詣デビューですから檀家さんたちに恥を晒さないようにして貰わないと…。
「大丈夫だよ、きちんと飴を与えておいたし」
会長さんがウインクしたのは宿坊の広間に戻ってから。
「今日の初詣デビューが上手くいったら、日を改めてぶるぅのお勧め食べ歩きコース! アルテメシア大神宮への初詣もセットでついてくる。去年は散々な初詣だったけど、今年はどうやら大丈夫そうだ」
ハーレイも懲りたみたいだし…、とクスッと笑う会長さん。去年の初詣は教頭先生が会長さんとの結婚祈願の願掛けをしまくったせいで妙な展開になったのでした。けれど今年も元老寺なんかに来ちゃったせいで変な流れになっているような…?
「お寺で元日を迎えたからには初詣デビューもアリだろう? おや、始まったようだ。ぶるぅ、頼むよ」
「オッケー!」
壁に現れた中継画面。本堂を訪れたお爺さんをアドス和尚がコタツに招き、キース君がお屠蘇を注いでいます。一緒に来ていたお孫さんにはサム君が笑顔でスナック菓子を…。ジョミー君も姿勢よく座っていますし、飴玉効果はバッチリといった所でしょうか。
「あんな感じで午後の三時頃まで初詣かな? サムもジョミーもいい経験が出来そうだ。檀家さんの初詣は世間話や人生相談も兼ねているからねえ…。机上の学問も大切だけど、一番いいのは現場なんだよ」
この調子でいつかはお盆の棚経も! と会長さんは燃えていました。駆け出しのお坊さんは年齢とは無関係に『小僧さん』になるのだそうで、サム君もジョミー君も小僧さん。
「棚経にお供するのが作法を覚える早道かな? アドス和尚につくのがいいか、キースについて行くのがいいか…。うん、どっちにも小僧さん一人がお供につくのがオシャレかも…。ジョミーはキースにつけるべきだと思うかい?」
まだまだ先の話だけどね、と言いつつも会長さんは楽しそうでした。初詣デビューまで果たしてしまったサム君とジョミー君が棚経に出るのは何年先になるのでしょう? それまでの間にも事あるごとに抹香臭くなりそうですけど、お坊さんがこれ以上増えることだけは無いというのは嬉しいかも…。シロエ君もマツカ君も、今の調子で出家コースに巻き込まれないよう逃げおおせてね~!



先生方からのお歳暮、『お願いチケット』を使い終わって一日経って…今日は早くも大晦日です。昨日はジョミー君たちも家で大掃除の手伝いに追われてましたし、私も漏れなく大掃除。ママが「明日は総仕上げよ!」と言ってましたから、今日も夕方まで大掃除かな? 早く日が暮れるといいんだけど、と眠い目を擦りながら起きて行くと。
「ソルジャーから電話があったわよ?」
ママがフレンチトーストを焼きながら振り向きました。
「キース君の家へ除夜の鐘を撞きに行くのは聞いていたけど、それは夕方からだったでしょう? ソルジャーがね、午前中に元老寺まで来て下さい…って。それと今夜は元老寺の宿坊に泊めて下さるらしいわよ」
「え? それ、ホント?」
「とにかく早めに用意をしてね。元老寺まではパパが車で送るらしいし…。あ、パパ! 送ってったきり逃げ出さないでよ、大掃除って言うとすぐにサボリたがるんだから!」
パパが生返事をしています。会長さんのお誘いは本当らしく、朝食を食べている間にジョミー君たちから確認の思念が送られてきました。全員の家に電話がかかったみたいです。キース君とも連絡を取り、集合時間は午前十時に決定し…。急いで用意しなくっちゃ! お泊まり用の荷物を持ってパパの車で元老寺に着くと、山門の石段下にジョミー君たちが集合済みで。
「おはよう! 急に泊まりって何なんだろうね?」
首を傾げるジョミー君。会長さんの意図は分かっていませんでした。キース君からも「とにかく来い」としか聞いてませんし、宿坊に行けばいいのかな? と、山門にキース君が姿を現して。
「何をしている、十時集合と言っただろうが!」
「「「………」」」
キース君は墨染めの衣に坊主頭。えっと……自慢の長髪は? 道場はとっくに終わりましたし、先日のパーティーの時は普通の髪型でしたけど? 私たちの遠慮ない視線に気付いたキース君は。
「此処を何処だと思っている? 俺の家だぞ、親父が何かとうるさいんだ! 住職の資格も取ったし、卒業したら副住職になると決まっているからな…。もうこれからは坊主頭でいいだろう、と!」
あちゃ~…。キース君が「会長さんから貰ったカツラ」と誤魔化して自前の髪に戻れる時間は自分の部屋にいる時だけになってしまったらしいです。心から気の毒に思いましたが、私たちがどうこう出来る問題ではなく…。
「分かったか! だったら俺の足を引っ張らないよう気を付けてくれ。…特にジョミーだ」
「えっ、ぼく?」
「他に誰がいるというんだ? お前とサムは檀家さんにもお披露目済みだし、見苦しい真似はしないようにな。…おっと、こんな所で話していると檀家さんの目に留まりかねない。中に入るぞ」
山門の向こうに消えるキース君。私たちは揃って山門をくぐり、境内を横切って宿坊へ連れて行かれました。元老寺の宿坊は年末年始は休業ですけど、私たちのために特別に開けてくれたそうです。そういえば、こういう特別扱いって特別生になって一年目の大晦日にもあったような…?
「ふん、今頃になって思い出したか」
キース君が以前のケースをヒソヒソ語り合う私たちに向かって呆れ顔で。
「そこまで見事に忘れるとはな…。その調子だとブルーのことも綺麗サッパリ忘却の彼方か? ブルーとぶるぅはとっくの昔に来ているんだが」
「「「えぇっ!?」」」
「おふくろが庫裏でもてなしている。だが、お前たちも無事に着いたことだし、この先は俺の仕事だな。…荷物を置いたら一緒に来い」
行くぞ、と庫裏に繋がる渡り廊下を指差すキース君。私たちは大慌てで指定された部屋に荷物を放り込み、キース君の後ろに続きました。まさか会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が一足先に来ていようとは…。このお泊まり会、ただでは済まない予感がします。大晦日まで波乱になるとは夢にも思っていませんでしたよ~!

アルテメシアは年末寒波で厳しい冷え込み。元老寺の宿坊と庫裏は部屋こそ暖房が効いてますけど、廊下はけっこう冷えるものです。部屋にコートを置いてきたのを後悔しながら案内された先は立派な座敷。『南無阿弥陀仏』の軸が掛かった床の間を背にした会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が着物姿のイライザさんと和やかに談笑していましたが…。
「やあ、みんな来たね」
笑顔で手を振る会長さんは、イライザさんに。
「キースが来たから、こっちはいいよ。今日は忙しいんだろう? ぼくたちは好きにやらせて貰うし」
「ありがとうございます。ろくにおもてなしも出来なくて申し訳ないのですけれど…」
失礼します、と深く一礼したイライザさんは、私たちにも会釈してから廊下へと出てゆきました。入れ替わりに座敷に入ると会長さんが手招きして。
「こっち、こっち。ほら、机の上にお菓子もあるしね」
「かみお~ん♪ 美味しいお饅頭だよ? こないだのケーキもとっても美味しかったけど!」
あ。このお座敷ってキース君が道場を終えた日にお祝いをした部屋じゃないですか! あの時は隣の部屋との間の襖なんかを外してしまって大きな広間になっていたので印象がガラリと違いますけど、床の間の飾りに覚えがあります。お祝いの宴では床の間の前に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお誕生日用の巨大ケーキが置かれてましたが…。
「ふふ、ここはキースのお祝いに使った部屋さ。あの日はサムとジョミーのお披露目もしたし、そういう意味でも此処がいいかと思ってね」
「「「???」」」
「今夜は除夜の鐘撞きがあるし、年が明けたら修正会もある」
「「「シュショウエ…?」」」
「ぼくが除夜の鐘を撞きに来た年にみんなで出たのを忘れたのかい? 新年最初のお勤めだよ。熱心な檀家さんは毎年来てるし、今度の修正会はキースが一人前になって初めての行事になるからねえ…。檀家さんが大勢来るらしいんだ。デビューには丁度いいだろう?」
ああ、なるほど。キース君がお坊さんとして正式にデビューするのに相応しい場所というわけですか! それで私たちも呼ばれたのだな、と素直に納得したのですけど、会長さんの言葉はまだ終わってはいませんでした。
「…そういうわけだから、サムとジョミーは此処でみっちり特訓だね」
「「えっ!?」」
サム君とジョミー君が同時に声を上げ、私たちも仰天しました。何が一体「そういうわけ」? それに特訓って何をすると?
「元老寺デビューに向けて特訓! 除夜の鐘撞きのお手伝いが前哨戦で、修正会ではお坊さんの卵として頑張る姿を見て貰うんだ。…そうは言っても修正会で読むようなお経はサムにも教えていないしね…。サイオンで教えるというのもアレだし、一応形だけってことで」
お経本を前にして合掌しているだけでいい、と会長さんは続けました。
「ただし本堂に座るからには、お坊さんらしくしておかないと。立ち居振る舞いにも作法があるんだ。全部はとても覚えられないし、檀家さんもそこまで見ないだろう。合掌さえ形になればそれでいいかな」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
ジョミー君が必死の形相で会長さんを遮って。
「なんでそういう話になるわけ? ぼくが得度させられたことはパパにもママにも言っていないし、急にそんなこと言われても…」
「じゃあ、御両親の了解を得ればいいのかい?」
携帯電話をポケットから取り出す会長さん。
「君は内緒にしたいようだし、黙っておいてあげたんだけどね…。ソルジャーとして御両親の承諾を得ようかな? お坊さんとして本格的に仕込みたいから、元老寺デビューに賛成してくれ…って」
「うわーっ、やめてーっ!!!」
それだけはやめて、とジョミー君は涙目でした。シャングリラ・プロジェクトで仲間になった私たちのパパとママはソルジャーの命令となれば承諾するのは間違いなし。ジョミー君の元老寺デビューの話なんかもアッサリ通るに決まってるわけで、そうなってしまえば会長さんの思惑通りにお坊さん修行の人生が…。
「やめてあげてもいいけどさ。…ちゃんと真面目にデビューするなら」
「します、しますってば! デビューでもお手伝いでも何でもやらせて頂きます~!」
土下座せんばかりのジョミー君に、会長さんは満足そうに。
「よし。…それじゃキースの出番だね。あ、その前にサムとジョミーにプレゼントだ。ぶるぅ、出してあげて」
「オッケー!」
脇に置いてあった風呂敷包みを「そるじゃぁ・ぶるぅ」が二人の前に運びました。結び目を解いた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が取り出したものは…。
「「「うわぁ…」」」
きちんと畳まれた墨染めの衣、その上に輪袈裟。それに真っ白な着物に足袋に…。要するにお坊さんの衣装一式が出てきたわけです。会長さんはサム君とジョミー君にニッコリ明るく微笑みかけて。
「二人とも、それに着替えてきたまえ。学園祭の時に練習したから着られるだろう? 坊主カフェで…ね」
キース君がズイと進み出ました。
「着替えはこっちだ。座敷は更衣室ではないからな」
早くしろ、と急き立てられてジョミー君は泣きそうです。お坊さんの衣装までついてくるとは夢にも思わなかったのでしょう。サム君の方は心得たもので法衣を抱えていそいそと…。会長さんとの公認カップルを名乗り、朝のお勤めをしに会長さんの家に行くのがデート代わりのサム君ですから、デビューするのが嬉しいんでしょうね。

法衣に着替えた二人がキース君に連れられて戻って来ると、会長さんは頭の天辺から足の爪先まで視線を何度も往復させてチェックして…。
「うん、着付けの方は及第点かな。…キース、君が手伝ったんだろう?」
「もちろんだ。サムだけだったら見ていられるが、ジョミーの方は心許ない。あんな着方じゃすぐに崩れる。…まったく、学園祭で覚えたことは右から左へ抜けたのか?」
「だって!」
覚える気なんかなかったし、と膨れっ面のジョミー君ですが、会長さんは。
「そう言われてもねえ…。あの時点で君は得度を済ませてたんだし、少しは自覚を持たないと。…でないと法衣を着て貰う機会をドカンと増やすよ? アドス和尚は協力的だし…。あ、噂をすれば」
ドスドスドス…と重たい足音が近付いてきて襖がカラリと開きました。
「御挨拶が遅くなりまして…。倅がお世話になっております」
廊下に平伏しているアドス和尚を会長さんが招き入れて。
「どうだい、サムとジョミーの出来は? 修正会に出して貰えそうかな?」
「それはもう…。銀青様の仰せでしたら喜んで」
「銀青の名では呼ばないでくれって何度も言ったと思うけど? でも、せっかく呼んでくれたんだから、銀青として君にお願いがある」
会長さんは改まった顔できちんと正座し、アドス和尚を見据えると。
「他でもない、キースの髪型の件でちょっと…ね。坊主頭を続けるようにと言ったんだって?」
「はい。春には大学を出て副住職になるわけですし、そうなりますと坊主頭にしませんと。それまでの間だけ髪を伸ばしてもロクな長さにはなりますまい。でしたらスッキリ坊主頭を続ける方がよろしいかと…。檀家さんの目もございますしな」
「それなんだけどさ。…キースに剃髪の義務は無いよね、今の本山の方針で行くと。大学で必要な単位を取得してから伝宗伝戒道場に入った場合は普通よりも一段階上の位が取れる。そうでない人は位が上がるまで坊主頭を続ける義務があるけど、キースはそれに該当しない」
「…はあ…。まあ、そういうことになっておりますなぁ…」
渋々頷くアドス和尚。そっか、キース君には坊主頭にしておく義務は無いんですね。会長さんはクッと喉を鳴らしてアドス和尚に。
「随分前にも話しただろう? 無理強いするのは良くないよ。キースが自分から坊主頭を希望だったら問題ないけど、そうじゃない。…それに剃髪義務も無いのに、坊主頭にさせるのかい? 形に囚われるのも煩悩の内だ。檀家さんへの見栄を気にしちゃ仏弟子失格」
広い心を持たなくちゃ、と滾々と諭す会長さん。
「第一、ぼくの髪を御覧よ。璃慕恩院までキースの出迎えに行った時だって剃っていないし、ぼくは長年このスタイルだ。…この髪型だと有難くないと思うわけ? だったら銀青様と呼んだりせずに呼び捨てにすればいいじゃないか」
「そ、そのような恐れ多いことは…!」
「だったら君は何に敬意を払ってるんだい? 今は衣も着ていないから見た目は普通の高校生だよ?」
「どのような姿をしておいででも、銀青様は銀青様ですし…」
アドス和尚が大きな身体を縮めるようにして言い訳すると、会長さんは「そこなんだよね」と微笑んで。
「今、どんな姿をしていても…って言っただろう? キースだって同じことさ。坊主頭でも長髪のままでも、キースの人となりは変わらない。…坊主頭でないと副住職としての値打ちが無いとか、威厳が無いとか思うんだったら、それは間違い。キースに人望と実力があれば長髪でも務まると思うけどねえ?」
「そんなものでしょうか…」
「形ばかりに囚われていては物の本質を見失う。…君自身が坊主頭に誇りを持つのは良いことだけど、その価値観を押し付けるのは頂けないな。…今夜の除夜の鐘撞きと明日の修正会、キースにカツラを被らせるのはどうだろう? ぼくもこの髪で出るんだからね、檀家さんに文句は言わせないよ」
会長さんは銀色の髪を指差すと。
「この髪でキースの露払いをする。髪の毛は急には伸びないからね、今夜はカツラで間に合わすとして…。いずれは自前の髪の毛で! お盆までには綺麗に伸びるさ。あの長髪がキースのスタイルってことで許してやって欲しいんだ。…それが銀青としてのお願い」
「………。承知いたしました…。お教え、心に留めておきます。心から許せる境地に至るまでには年数が掛かるかと存じますが…」
「それでいい。腹を立てないのも修行の一つだ、大いに努力してくれたまえ。…というわけだから、キース」
すぐにカツラを被っておいで、と会長さんに言われてキース君はポカンとしていましたが。
「…聞こえなかった? お父さんは長髪を許可してくれたよ。お父さんの気が変わらない内に既成事実を作るんだね。…ほら、カツラを」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
キース君は畳に額を擦り付け、大急ぎでお座敷を出てゆきました。暫く経って戻って来た時にはカツラではなく自慢の長髪。坊主頭の方がサイオニック・ドリームだったことを全く知らないアドス和尚は…。
「そういえば銀青様が下さったカツラでしたな、倅のは。…仕方ございません、これも修行と思って耐えます。キース、銀青様に感謝するのじゃぞ。そしてしっかりお手伝いをな」
では、と深く頭を下げたアドス和尚は除夜の鐘と修正会の準備に行ってしまって、残されたのは法衣のサム君、ジョミー君、そして目出度く長髪に戻ったキース君と私たち。キース君は会長さんに何度も御礼を言っていますが、ジョミー君たちはどうなるのでしょう? お坊さんスタイルで何をしろと…?

「さてと…。キースの未来はこれで安泰。トレードマークは長髪だね。ぼくと並ぶと映えそうだろう? 今のままではダメだけどさ」
衣の色に差があり過ぎる、と会長さんは笑いました。
「早く緋の衣になってくれると嬉しいな。サムとジョミーも期待してるけど、長髪ってほどの長さは無いし…。ぼくとセットで目立つんだったらキースが一番! あ、サム、これは外見だけの問題だから気にしないで。さっきアドス和尚にも言ってただろう、形に囚われちゃいけない…ってね」
会長さんはサム君へのフォローも忘れません。流石は公認カップルです。けれど元老寺でのデビューについては譲れない面があるようで…。
「見た目も一応、大切なんだよ。姿形の問題じゃなくて礼儀作法は重要だ。お坊さんとしてやっていくためには尊敬される立ち居振る舞いが出来ないとね…。今からそれを頑張って貰う。さっきも言ってた合掌の稽古。これが案外、大変なのさ。…そうだよね、キース?」
「ああ。…俺も親父に厳しくしごかれた。大学から行った研修会では在家出身のヤツらが泣かされてたな」
「それじゃ経験者に任せるよ。君はもう弟子を取ってもいい身なんだし、サムとジョミーを様になるよう指導したまえ」
「いいのか? 俺は手抜きはしない主義だが」
ビシバシいくぞ、とキース君に問われた会長さんは。
「それでオッケー。とにかく合掌を徹底的にね。あれが坊主の基本だからさ」
「承知した」
ジョミー君が「ひぃっ!」と悲鳴を上げましたけど、会長さんは涼しい顔。そしてサム君はやる気満々です。やがてサム君とジョミー君は『南無阿弥陀仏』の掛け軸の前に正座させられ、合掌するよう促されて…。
「いいか、とにかくお念仏だ。声が嗄れるまでやれとは言わん。声は少々小さくてもいい、続けることが肝心なんだ。それと合掌! 掌はピタリと合わせておけよ」
始めっ、とキース君が号令を掛け、二人はお念仏を唱え始めました。それから間もなくイライザさんが「頑張ってらっしゃるわね」と顔を覗かせ、昼食タイム。ここで一旦休憩です。キース君のヘアスタイルが元に戻ったことを喜びながらワイワイ賑やかに御飯を食べて、それが終わるとサム君とジョミー君はまたお念仏。
「ジョミー! もぞもぞ動くんじゃない、正座を崩すな!」
キース君がジョミー君の足を扇子でピシャリと叩き、ジョミー君の背筋がピンと伸びます。サム君の方は朝のお勤めに通っているだけあって慣れたもの。キース君も「直さなくても大丈夫だな」なんて言っていますが、対照的なのがジョミー君で…。あ、またキース君がイライラと扇子を握ってますよ!
「しごきの必須アイテムなんだよ」
会長さんが言い終える前に、キース君は合掌しているジョミー君の両手の間にズボッ! と閉じた扇子を突っ込みました。
「また掌が開いてる! 掌をピッタリ合わせておけ、と何度言ったら分かるんだ!」
「だ、だって…。正座してるから足が痛くて、手まで集中できないよ!」
「言い訳は要らん! 背筋を伸ばしてお念仏だ! それが出来んのでは修正会に出せん!」
ピシャリ、とジョミー君の肩や背中を扇子で叩くキース君。赤い骨の扇子は朱扇と言ってお坊さんがいつも持っているそうなのですが、会長さんに言わせれば「しごきに必須」のアイテムらしく…。サム君はともかく、ジョミー君にはトラウマになりそうな扇子です。ジョミー君、除夜の鐘までにお坊さんらしくなれるのかな?

鬼コーチと化したキース君に朱扇で叩かれ、掌の間に突っ込まれ…。ついでに足も痺れまくったようですけども、日がとっぷりと暮れる頃にはジョミー君の合掌もなんとか形になりました。サム君は更に一歩進んで立ち方、歩き方などの特訓を受け、会長さんに褒めて貰って嬉しそうです。
「うん、これで修正会はバッチリだね。サムはなかなか筋がいいよ」
それに比べてジョミーときたら…、と会長さんは呆れ顔。
「あんなレベルじゃお彼岸の手伝いなんかは出来そうもないし、不肖の弟子にも程がある。璃慕恩院の修行体験ツアーだけではダメなのかな? やっぱり本格的に研修を受けさせた方がいいのかなぁ…」
「そうだな。あれなら徹底的に教えて貰える」
いいかもしれん、とキース君が応じ、サム君が。
「えっ、研修って…研修会かよ? あれって必要な講義の単位が無いとダメなんじゃあ…」
「残念ながらそうなんだよね」
そこが問題、と会長さん。
「ぼくのコネでゴリ押しできないこともないけど、弟子のレベルを問われてるのも同然だしねえ…。サムならともかく、ジョミーはキツイ。ぼくも生き恥はかきたくないし、キースにお願いするしかないか…」
「形に囚われるとか、そういう以前の問題だしな」
キース君が深い溜息をついて。
「分かった。副住職になったら、折を見てウチでも修行させよう。あんたの家での朝のお勤めにも出ないそうだし、もっと本格的なのをやらせてやる。御本尊様の前でキッチリとな」
「え…。ぼくに此処まで来いってこと!?」
「決まってるだろう。それが嫌ならブルーの家で頑張ることだな、サムは嬉しくないかもしれんが」
朝のデートが無くなるし…、とキース君は言いましたけど、サム君は「ブルーが喜ぶのなら気にしないぜ」とニコニコ顔。
「ジョミー、俺と一緒に頑張ろうぜ! まずは除夜の鐘と修正会だよな」
「だから、なんでそういうことになるのさ~!」
ジョミー君の叫びはサラッと無視され、早めの夕食が済むと年越しの準備が本格化。除夜の鐘を撞きに来る人のために甘酒のお接待もあったりしますし、イライザさんもお手伝いのおばさんたちも大忙しです。サム君とジョミー君はキース君に連れられて本堂へ行ってしまいました。今年最後のお勤めだとか。えっと…。会長さんは行かなくってもいいのかな?
「ぼくは除夜の鐘撞きからでいいんだよ。いくら高僧でも出ずっぱりでは値打ちが無い。ぼくの出番は除夜の鐘の百八回目と、撞き終わりだけさ。前に来た時もそうだっただろう?」
言われてみればそうでした。会長さんが元老寺の除夜の鐘に招待された時、撞いていたのは古い年を送る百八回目と、回数無制限で撞ける元老寺の除夜の鐘の締め括り。あの夜はキース君の法名をイライザさんがアッサリとバラして凄い騒ぎになりましたっけ。あれから二年の月日が流れて、キース君は立派なお坊さんに。今夜デビューするジョミー君とサム君が一人前のお坊さんになる日はまだまだ先になりそうですが…。
「キースも此処まで頑張ったんだ。百年もあればジョミーだってきっとなんとかなるさ」
なることを希望、と会長さん。やがて夜が更けてくると境内には除夜の鐘目当ての人が並び始めて、私たちも例年どおりその行列に加わりましたが、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は関係者向けのテントに行くので別行動です。それに毎年一緒に並んだサム君とジョミー君も今夜は墨染めの衣で関係者席で…。
「ぼくたち、年を取らないって言われてますけど……しっかり時は流れてますよね」
シロエ君が冴え冴えとした冬の夜空を見上げました。
「年が明けて春になったら、キース先輩、副住職になれるんですよ? 初めてみんなで此処に来た時は、お坊さんなんか絶対嫌だって言っていたのが嘘みたいです」
「そうね…。あの頃は特別生でもなかったのよね、私たち」
スウェナちゃんが応じ、マツカ君が。
「毎年みんなで此処に来られるっていうのが凄いですよ。特別生にならなかったら進路もバラバラだったでしょうし…。ぼくは会長に感謝してます。きっと誰よりもぼくたちのことを考えてくれる人でしょうから」
キースの髪型のことだって…、と続けるマツカ君。会長さんはいつも好き放題に見えますけれど、大切な局面では必ずフォローしてくれます。高僧ゆえなのか、ソルジャーとしての使命感なのか、それは分かりませんけれど…。寒さに震えながら行列して除夜の鐘を撞き、甘酒のお接待のテントに入って間もなく、隣の関係者用テントから緋の衣を纏った会長さんが鐘楼の方へ向かいました。
「「「あ…」」」
二年前の除夜の鐘で会長さんのお供に付いたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。しかし今夜はキース君が先導役なのは同じでしたが、ジョミー君とサム君が墨染めの衣で会長さんのお供をしています。鐘楼に上がった会長さんが撞木の綱を握り、百八回目の鐘が厳かに夜気を震わせて…。新しい年が明けました。あけましておめでとうございます。ジョミー君、サム君、元老寺デビューおめでとう!



キース君の寝言に端を発した「同じ言葉を繰り返させて癖にする」案。お願いチケットが有効な間は教頭先生がそれしか言えないようにしてしまおうというのですけど、提案したのがソルジャーだけに用心せずにはいられません。どうせロクでもない言葉であろう、と誰もが予想していました。けれど…。
「……喜んで……?」
ソルジャーの言葉を鸚鵡返しに口にしたのは会長さんです。
「まさかと思うけど、それなのかい? 君が思い付いた名台詞って…?」
「もちろんさ。なかなか素敵な言葉だろう?」
得意げな笑みを浮かべるソルジャー。
「何を言われても、ハイ、喜んで! 注文取りにはもってこいだと思うけどねえ?」
「…やっぱり元ネタはアレなんだ…」
会長さんが頭を抱え、私たちもようやく何処で「喜んで!」という声を聞いたか思い出しつつありました。チェーン店の居酒屋さんです。未成年の私たちですが、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はそんなことにはお構いなし。居酒屋メニューが食べたくなれば引っ張って行かれることも度々で…。でもソルジャーと一緒に出掛けた記憶は無いんですけど…? 首を傾げる私たちに、会長さんが。
「ブルーは何度も行ってるんだよ。ぼくの家に泊まりに来たら居酒屋は必須みたいでさ…。君たちが一緒じゃお酒はあまり飲めないだろう? だからお供はぼくとぶるぅで」
「そういうこと。地球のお酒は美味しいからねえ…。やっぱり水がいいのかな? ぼくの世界じゃ超のつく高級品みたいなヤツを居酒屋価格で思う存分飲めるというのは嬉しいよ。ブルーにも遠慮しなくて済むし」
「ふうん? ノルディに高いワインをたかっているのも君だよね? …まあいいけどさ」
どうやらソルジャーは私たちの世界のお酒に目が無いようです。エロドクターと食事に行くのも案外お酒が目当てかも…? そんなソルジャーが居酒屋チェーンで覚えた台詞が「喜んで!」で…。
「絶対いいと思うんだよ」
ソルジャーは改めて力説しました。
「何を言われても「喜んで!」。繰り返していれば洗脳される。とんでもないことを命令されても「喜んで!」と答えた後では従うしかないし、そうでなくても『お願いチケット』はお願いを聞いて貰えるものなんだろう?」
「…常識の範囲内で、と書いてあるけど?」
会長さんはチケットを取り出し、裏の注意書きを示しながら。
「風紀の乱れに繋がるものや、社会通念上どうかと思われることには従いません…とも書いてある。判断するのは対象にされた教師だそうだよ。つまりハーレイが決めることだ」
「だったら、やっぱり例の台詞で縛りをかけておかなくちゃ! 従えません、と言われる前に「喜んで!」と言わせておけばバッチリだってば」
「…君のチケットじゃないんだよ? ぼくたちが使うヤツなんだから、妙な命令をされてはねえ…。パーティーの裏方がいなくなるじゃないか」
難色を示す会長さんに、ソルジャーは。
「でも面白いと思わないかい? 何を頼まれても「喜んで!」と言ってくれるんだよ? 君が嫌ならぼくは大人しくゲストしてるし、君が遊べばいいじゃないか」
「……うーん……?」
考え込んでいた会長さんですが、根っからの悪戯好きだけに「教頭先生で遊びたい」気持ちを抑えつけるのは無理だったらしく。
「やってみようかな、そのアイデア。…ハーレイの口癖が「喜んで!」になったら楽しそうだ。せっかく家事を溜めたことだし、喜んで働いて貰おうか」
返事は爽やかに元気よく、と会長さんはやる気でした。教頭先生、無理難題を押し付けられなきゃいいのですけど、ソルジャーが大人しくしていると言った以上は大丈夫…かな?

怪しげな案が練られている間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパンケーキとソーセージを焼き、スープとサラダもダイニングのテーブルに並びました。卵料理の注文を取った「そるじゃぁ・ぶるぅ」はスクランブルエッグやオムレツを仕上げ、アヒルちゃんパジャマに着替えてきて…。
「フライパンとか放ってきたけど、いいんだよね? もうすぐハーレイ来るもんね」
「うん。今日のハーレイは何でも喜んでやってくれる筈だよ、そう決まったし。お願いチケットは全員に使う権利があるから、ぶるぅもジョミーたちも大いに使ってくれたまえ」
えっと。頷いちゃってもいいんでしょうか? 会長さんが「返事は?」と私たち全員を見詰めています。
「喜んで!」
景気良く返事したのはジョミー君でした。私たちはプッと吹き出し、それもいいかな、と笑い合ってから。
「「「喜んで!!!」」」
「いい返事だよね。ハーレイにもそんな調子で大いに頑張って貰わなくちゃ」
掃除に洗濯、皿洗い…と指折り数える会長さん。リビングには布団が敷きっ放しになっていますし、キース君が使ったゲストルームも放置のままです。教頭先生、到着したら掃除が最初のお仕事でしょうか? と、ピンポーンとチャイムの音が響いて。
「かみお~ん♪」
飛び出して行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生を連れて戻って来ました。外は寒かったらしく、教頭先生は厚手のコートを手にしています。
「十時からというので少し早めに来たのだが…。ぶるぅは今日はアヒルなんだな」
「可愛いだろう? ただ、あの格好で家事をするのは無理があってね…。そうでなくても今日はぶるぅの誕生日とクリスマスの仕切り直しになってるからさ、裏方をお願いしようってわけ」
会長さんの言葉に教頭先生は「分かっている」と頷いて。
「そのつもりでちゃんと用意してきた。コートは玄関に掛けておこうかと思ったのだが、あそこはゲスト用だしな…」
「心得てるね。使用人がゲスト用のコート掛けを使うのは頂けない。君の居場所はキッチンだ。ゲストルームが勿体無いよ」
会長さんがビシッとキッチンの方を指差し、教頭先生はコートを抱えて消えました。それから間もなく伝わって来たのは動揺の思念。教頭先生、キッチンに山と積み上げられたお皿やお鍋を見つけたに違いありません。それでも会長さんは涼しい顔でパンケーキを頬張り、ソルジャーも我関せずとサラダを口に運んでいます。やがてダイニングの扉がキィッと開いて…。
「さて、十時だ。まずはキッチンの片付けからか?」
「「「!!!」」」
入って来た教頭先生の姿に私たちは思い切り目を剥いていました。さっきはセーターとズボンだったと思うのですが、その上に着込んでいるのは白い割烹着。頭にはバンダナならぬ三角巾で、こちらも同じく真っ白です。なんですか、この格好は? 板前さんとは違うようですし、お手伝いさんのつもりでしょうか?
「…おかしいか? 合宿で使うものなのだが…」
「「「合宿…?」」」
それって柔道部とかの合宿ですか? キース君たち柔道部三人組に視線を移すと、慌ててそっぽを向かれました。会長さんがクスクス笑いながら。
「ふふ、キースたちには藪蛇だったね。柔道部の合宿では料理もキッチリ仕込まれるから、当番になったら割烹着! ハーレイは衛生面にも厳しいんだ。髪の毛が料理に入らないよう、三角巾も必要不可欠。でもって指導役のハーレイ自身も手本を示すために同じ格好で監督するのさ」
合宿始めの数日間は…、と会長さん。そっか、キース君たちも合宿になると割烹着と三角巾で調理場に…。ちょっと想像できませんけど。
「おい」
私たちが凝視しているとキース君が不快そうに。
「…断っておくが、料理当番は下級生の仕事なんだ。俺たちも一年生の時はやったが、特別生になったら免除になった。いつまで経っても一年生から進級しないわけだしな。…まさか万年、料理当番ともいかないだろうが」
「そうなの?」
でも…、とジョミー君が教頭先生の方を眺めて。
「教頭先生は毎年これでしょ? キースは心が痛まないんだ?」
「うっ…。そ、それはだな…」
「指導役とはそうしたものだ。私は全く気にならないが?」
衛生第一、と教頭先生が穏やかな笑みを浮かべています。
「キッチンが不衛生なことになっているな。どうせ私に仕事をさせようと昨夜から放置したのだろうが、もう片付けてもいいだろう?」
「そうだねえ…」
会長さんが首を捻って。
「でも、その前にリビングかな? 布団が敷きっ放しなんだ。それと、お願いの一つ目をよろしく。チケットの有効期間中、返事は全て「喜んで」に統一して貰う」
「…なんだと?」
「聞こえなかった? 喜んで、って言ったんだよ。居酒屋でよくやってるじゃないか。何を言われても「喜んで!」。…口にしていいのはそれだけだ」
「ま、待て! それでは細かい意思の伝達が…」
目を白黒とさせる教頭先生でしたが、会長さんは容赦なく。
「意思の疎通は要らないのさ。君は何でも「喜んで!」と答えればそれでオッケー。それ以外のことを口にした時は罰ゲームだよ」
「…罰ゲーム?」
「そう。まずセーターを脱いで貰おうかな? 次がワイシャツで、その次がベルト? とにかく1枚ずつ脱いで貰うから」
会長さんの言葉に教頭先生は真っ青になり、ソルジャーが楽しげに手を叩いて。
「いいね、それ。失敗が続けば最終的に裸エプロンか…。そうならないよう頑張りたまえ。ぼくは大いに期待してるけど」
「…うう…。ブルー、本当にそうなるのか?」
「くどい。とにかく今から午後三時まで! 返事は、ハーレイ?」
「よ、喜んで!」
教頭先生は直立不動で叫びました。罰ゲームまでついちゃいましたが、今から午後の三時まで。「喜んで」としか答えられない教頭先生、無事に仕事が出来るのでしょうか…?

「まずはリビングの片付けをお願いしたいんだ」
会長さんが白い割烹着に三角巾の教頭先生の前で『お願いチケット』をヒラヒラさせます。
「それと一番端のゲストルームでキースが寝てたし、そっちの方もお願いするよ。リビングの布団は和室で乾燥機をかけてから納戸に入れて。…シーツと布団カバーと枕カバーは洗濯して、糊つけしてからアイロンかけを」
「この天気にか!?」
教頭先生が驚くのも無理はありません。窓の外は雪が降っていました。風花なんてレベルではなく、本格的な雪模様です。こんな天気にシーツや布団カバーを洗濯したって乾かないのではと思うのですが…。
「ハーレイ。…セーターを脱いでくれるかな?」
「なに?」
「ワイシャツもだね」
「お、おい…!」
矢継ぎ早な会長さんの言葉に教頭先生は慌てふためき、ソルジャーがクスクス笑いながら。
「今のでベルトも消えたかな? 君の返事は「喜んで!」だよ。…もう忘れた?」
「うっ…。よ、喜んで…」
悄然と割烹着を脱ぎにかかった教頭先生ですが、制止したのは会長さんです。
「ちょっと待った! こんなスピードで脱がれたんでは余興にならない。今のは警告ってことで無しにしておく。ただし次は無いからそのつもりで。…返事は?」
「喜んで!」
「よし、合格。で、お願いの続きだけども…。シーツとか布団カバーは家の中で干すのは無理がある。晴れた日でもベランダが一杯になってしまうし、そういう大物は地下に専用のランドリーと乾燥スペースがあるんだよ。そっちに運んで乾かしてからアイロンかけだ」
場所は此処、と思念で伝達したらしい会長さんに、教頭先生は「喜んで」と答え、出て行こうとするその背中に。
「さっきみたいな失敗を続けていたら、布団カバーを回収するまでに裸エプロンになっちゃうからね? そうなったとしても許しはしないし、その格好で地下まで行って取って来て貰う。…覚悟しといて」
「喜んで…」
泣きが入った声を残して仕事に向かう教頭先生。「喜んで」の威力は絶大でした。たとえ裸エプロン姿になったとしても、教頭先生は地下のランドリーまで下りて行かなくてはならないのです。嫌だと叫ぶことは許されませんし、「喜んで」と泣きの涙で出掛けるしか…。まあ、「喜んで」以外の言葉を言わなきゃ大丈夫という話もありますけど。
「ね、なかなかに楽しいだろう?」
ソルジャーが会長さんに笑い掛け、二人はサイオンでリビングの様子を窺って…。
「うん、いいね。ブツブツ文句を言ってるのかと思ったけれど、自分で自分を洗脳中って所かな」
こんな感じ、と会長さんが思念で私たちに伝えてきたのは布団を片付けている教頭先生の作業風景。せっせとカバーを外して積み上げ、布団も畳んで運びやすいように纏めていますが、掛け声の代わりに繰り返しているのは「喜んで」です。「よいしょ」の代わりに「喜んで!」。これって何処かで聞かされたような…?
「行住座臥にも念仏の行。…よいしょの代わりにお念仏、ってね」
会長さんがニヤリと笑いました。
「キースは三日でお念仏が身体に染みついたけど、ハーレイの方はどうだろう? 「よいしょ」の代わりに「喜んで」、と頑張ってるのは評価できるな。よほど裸エプロンが嫌らしい。割烹着まで用意したのに、そういうオチではキツイだろうしねえ…」
「普通は裸エプロンなんか避けたいだろう? 君はやらせているけどさ」
既に何度か、とソルジャーが言い、会長さんは。
「だけどハーレイ、何度やられても懲りないんだよ。惚れた弱みと言うのかな? でも、それなりに学習はしてるらしくって…。今日は裏方をお願いしたから、変な格好をさせられる前にと自衛に出た」
「「「えっ?」」」
「あの割烹着と三角巾さ。あれならキースたち以外には笑いが取れるし、使用人らしく見えるしね。ぼくがメイド服とかを用意してたら「自前の服がありますから」と断るつもりだったみたいだよ」
「「「………」」」
あれは捨て身の衣装でしたか! せっかく其処まで用心したのに、罰ゲームを食らえば裸エプロンならぬ裸割烹着にされてしまうとは…。そうならないよう「喜んで」を唱え続ける教頭先生は天晴れでした。シーツや布団カバーを抱え上げ、ランドリーに向かうにも「喜んで」。和室に運び込んで並べた布団に乾燥機をセットするにも「喜んで」…。
「ハーレイ、次はダイニングとキッチンの方を頼むよ、お昼になったらパーティー料理が届くんだ」
忙しく廊下を往復している教頭先生に、会長さんが声を掛けると。
「喜んで!」
掃除機を手にした教頭先生はテキパキとリビングの椅子やテーブルを整え、私たちの居場所を作りました。ダイニングから移動するのを見計らって朝食のお皿をキッチンへ運び、せっせと洗っているようです。お気の毒としか言えませんけど、『お願いチケット』で裏方を引き受けた以上、頑張って頂くしかないですよね…。

一人暮らしが長い教頭先生、家事はベテランの域に達しています。それでも十人分の布団やお皿を片付けた上に掃除するのは大変らしく、パーティー料理が届いた時間にはキッチンでお皿洗いの真っ最中。チャイムの音で会長さんがマンションの入口のロックを解除し、それから玄関のチャイムが鳴って…。
「ハーレイ、料理が届いたみたいだけど!」
「喜んで!」
会長さんがキッチンに向かって声を張り上げ、教頭先生が駆けて来ました。
「じゃあ、玄関で受け取ってくれるかい? それからダイニングで見栄えするようセッティングを…ね」
「喜んで!」
勢いよく飛び出して行った教頭先生はケータリングの業者が差し出す伝票にハンコを頼まれ、そのままの調子で「喜んで」と応じています。私たちは吹き出してしまいましたが、教頭先生は大真面目でした。業者さんも変だとは思わなかったようで、パーティー料理が入ったケースを次から次へと運び入れて…。
「へえ…。けっこう綺麗に出来てるじゃないか」
ダイニングのテーブルをチェックした会長さんが感嘆の声を上げましたけど、教頭先生は「喜んで」と椅子を引いて会長さんを座らせただけ。うーん、洗脳の効果があったようです。以前だったら絶対ここで「そうか?」と嬉しそうに答えて墓穴を掘った筈なんですが…。
「ターキーのソースはこれだったっけ? クランベリーとグレービーで頼んであったと思うんだけど」
「喜んで!」
ソース入れを二つ、サッと押し出す教頭先生。心得たもので、ソース入れの脇には業者さんがソースを入れてきた器についていたらしい札がきちんと添えてあります。会長さんはウッと詰まって、それから大皿に載ったローストターキーを指差して。
「三切れほど切って。ソース、ぼくの好みは分かるよね?」
「喜んで!」
げっ。教頭先生、会長さんの好みのソースを知っているのでしょうか? 仮に知っていたとしたって、この流れでは…。
『そうさ、どっちのソースを選んでもハズレ。…セーターくらいは是非とも脱いで欲しいじゃないか』
会長さんの思念が届き、私たちは額を押さえました。悪戯好きの会長さんは罰ゲームをやらせたくなったのです。ソースの説明で「喜んで」以外の言葉を言わせるつもりが失敗したので、今度は好みのソースを選ばせようというわけですが…。
「…えっと…」
会長さんの前にはお皿が二枚置かれていました。どちらにも切り分けられたターキーが載せられ、片方のお皿にはクランベリーソース、もう片方にはグレービーソース。教頭先生は会長さんの脇に控えて、不要なお皿を下げられるよう隙なくスタンバイしています。キース君がプッと吹き出し、ソルジャーがさも可笑しそうに。
「どうやら君の負けみたいだねえ? 手を伸ばした方のソースが君の好みというわけだ。要らない方はハーレイにサッと下げられて終わりなのさ。…ハーレイ、ぼくはどっちも食べてみたいし、残った方をくれるかな?」
「喜んで!」
「…分かったよ、ぼくの負けだよ、ハーレイ。…クランベリーソースで」
「喜んで!」
教頭先生はクランベリーソースのターキーのお皿を会長さんの食べやすい位置にセットし、グレービーソースの方をソルジャーの前に運ぶとテーブルの端まで移動して待機。後は会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」が好き放題に料理の取り分けを頼み、私たちも促されるままに便乗して…。
「ハーレイ、そろそろシーツが乾いたと思うんだ。取り込んできてアイロンかけを…ね。こっちは好きにやってるから」
「喜んで!」
そそくさとランドリーへ向かう教頭先生の足取りは軽快でした。会長さんの罰ゲームに引っ掛かることなく頑張り続けて、時計は二時を回っています。洗濯物の片付けが終わる頃には三時になるでしょうし、お願いチケットの効き目はそこで終了。
「あーあ…。あそこまで洗脳されやすいとは思わなかったよ。掃除洗濯の合間にブツブツ唱えてただけのことはある。あれじゃ寝言も「喜んで!」かもね。…つまらないなぁ、失敗すると思ったのに」
不満そうな会長さんは山のような洗濯物を抱えた教頭先生が戻って来た所へ労いの言葉をかけ、アイロンかけが終わって時間があったら一緒に料理を食べるように…と言ったのですが。
「喜んで!」
満面の笑みの教頭先生はそれ以外は口にしませんでした。いつもだったら「いいのか?」くらいは言っただろうと思うのですけど…。もっと遠慮したんじゃないかとも思うんですけど、「喜んで」の洗脳、恐るべし…。

そしてチケットの制限時間が残り十分となった段階で教頭先生はパーティーのテーブルにやって来ました。割烹着と三角巾が少々場違いですが、この格好でパーティーに…? 私たちの視線を浴びた会長さんが「取っていいよ」と言うと、教頭先生は「喜んで!」と割烹着を脱ぎ、三角巾も畳んでしまって…。
「ハーレイ、今日は裏方、ご苦労様。ぶるぅもアヒルちゃんパジャマを満喫できたし、いいパーティーになったと思う。まだまだ料理も残ってるから、食べてってくれていいけれど……三時まではチケットが有効だからね?」
「喜んで!」
会長さんに御礼を言う代わりに「喜んで!」と返した教頭先生。全く御礼になってませんが、洗脳効果はバッチリです。割烹着を脱いでしまった今となっては裸エプロンも無いのでしょうし、私たちもちょっと拍子抜け。…いやいや、元々パーティーの裏方をお願いするという平和利用が目的だったんでしたっけ。これで平穏に終わるんですから、良しとするのが一番です。
「教頭先生、これもどうぞ」
キース君たちがお勧め料理を取り分けて渡し、時間はゆったり流れていって……十分間はアッと言う間。あと数秒で三時になる、という時です。
「時間延長してもいいかな? 君にしか頼めないことがあるんで、一時間だけ」
声を上げたのはソルジャーでした。私たちは「えぇっ!?」と叫びましたが、教頭先生は威勢よく。
「喜んで!」
「ありがとう」
ソルジャーがニッコリ微笑んだのと、壁の時計が三時を指したのはほぼ同時。…まさかの延長戦ですか? そんな姑息な手を使ってまで、ソルジャーは何をやりたいと? いえ、その前に延長戦は果たして有効…?
「ブルー!!!」
会長さんが柳眉を吊り上げ、ソルジャーに食ってかかりました。
「時間延長ってどういうつもりさ!? お願いチケットには三時までって…!」
「だから延長したんじゃないか。君が自分で言っただろう? そのチケットは君たちのもので、ぼくには使う権利が無い…って。仕方ないから大人しくしてた。今から一時間はぼくのものだ。ハーレイは確かにいいと言ったよ、ねえ、ハーレイ?」
「喜んで!」
言ってしまってから教頭先生は慌てて口を押さえましたが、時既に遅しというヤツです。ソルジャーは唇を舌先でゆっくりと舐め、値踏みするような目で教頭先生を見詰めながら。
「喜んで、って言ってくれたし、遠慮しないで頼んじゃおうかな? ハーレイ、君は柔軟性には自信がある?」
「…一応は…」
「セーター、脱いで」
ビシリと短く告げるソルジャー。教頭先生が固まっていると「手伝おうか?」と妖しい瞳で。
「時間延長なら「喜んで」としか言っちゃいけないと思うんだ。罰ゲームの方も当然有効。…もちろん脱いでくれるよね?」
「…よ……喜んで…」
教頭先生は蛇に睨まれた蛙に等しく、脱がざるを得ない状況に。会長さんが止めに入ってもソルジャーは聞く耳を持っていません。
「ぼくがゲットした時間延長で、罰ゲーム権もぼくに移ったと思うけど? 第一、ぼくの提案なんだよ、「喜んで!」って台詞はね。…君は充分楽しんだんだし、お裾分けしてくれていいだろう?」
「そ、それは……時と場合によると……」
「大丈夫、ごく簡単なことだから! これをね、予行演習しておきたくてさ…。ぼくのハーレイはヘタレてるから、選べないだろうと思うんだ。身体が柔らかくないと無理なのもあるし、どんな感じか絡みだけでも…」
ね? とソルジャーが宙に取り出したのは何かが描かれた極彩色の紙でした。
「ハーレイにも悪い話じゃないと思うよ。将来、きっと役に立つ。もちろん答えは「喜んで!」しか無いわけだけど」
ソルジャーが教頭先生に紙を広げて見せていると。
「お待ち下さい!!!」
いきなり空間がグニャリと歪み、現れたのはキャプテンです。な、なんでキャプテンが来るんですか~!
「ぶるぅが先程、これでいいのかと訊きに来まして…。そのゲーム、私が引き継ぎます! 喜んでとしか申しませんから、どうか私に御命令を…」
「ふうん? じゃあ、早速今から始めるけど? 本当に後悔しないんだろうね?」
「喜んで!!」
即答したキャプテンにソルジャーは極彩色の紙を突き付け、ニッコリと。
「ノルディに貰った四十八手というヤツなんだ。姫初めに楽しまれては如何ですか、と言ってたねえ…」
「…姫初め?」
「上着を脱いで貰おうか。…お前のことだから失敗続きは目に見えている。パンツまで脱がされてしまうのが先か、目ぼしい四十八手を見つけて雪崩れ込むのが先になるか…。続きはあっちに帰ってからだ」
「…よ、喜んで…???」
ソルジャーは狐に抓まれたような顔のキャプテンの腕を掴むと、私たちにパチンとウインクしました。
「ありがとう、パーティー、楽しかったよ。思いがけずハーレイも飛び込んできたし、こっちのハーレイはお役御免だ。次に会うのは来年かな? 良いお年を」
じゃあね、とソルジャーとキャプテンは消え失せ、残された私たちですが…。あれ? 教頭先生、鼻血ですか? 会長さんも心なしか顔が赤いような…?
「えっと…」
ジョミー君が首を捻って。
「姫初めって何のことなの? 四十八手は確か相撲の決まり手だよね? なんだかサッパリ分からないけど、お願いチケットはソルジャーの役に立ったわけ?」
あ、それは私も知りたいです! 姫初めとか、四十八手とか、誰か説明してくれないかな…。と、会長さんが教頭先生を振り返って。
「ハーレイ、ここは君に任せた。教師らしく生徒に解説したまえ、ブルーが残した謎の言葉を」
「喜んで! …って、おい、ブルー! お前、教師に何をやらせる!」
あらら。教育上良くない話でしょうか? もしかして大人の時間の専門用語…? それならそれでいいですけども、「喜んで!」の縛りの恐ろしさだけはバッチリ分かった私たち。ソルジャーに縛りをかけられてしまったキャプテンの今後が心配です。行住座臥にも念仏の行ならぬ「喜んで!」。キャプテン、ブリッジでウッカリ言わなきゃいいんですけど…。
「さあねえ…。キースの寝言の例もあるから、絶対無事とは言い切れないなぁ。まあ、こっちのハーレイで余計なことを試されなくって良かったよ。後は野となれ山となれ…ってね」
お願いチケットはこれでおしまい、と会長さんが教頭先生に使用済みのを渡しています。教頭先生、裏にサインしながら「喜んで!」と言ってしまって頭を掻いて笑っていたり…。午前十時から午後三時まで言わされ続けて染みついたらしい「喜んで!」。これから同じ運命を辿るキャプテンはどうなるのでしょう? 姫初めだとか四十八手だとか、どっちも楽しいことなのかな? 喜んで出来るものならいいな、と思いますけど、会長さんも教頭先生も教えてくれないみたいですから、キャプテンの御無事をお祈りしてます…。



道場の寒さで霜焼けになってしまったキース君は、お泊まり会で初の一人部屋を希望でした。理由は言えないらしいのですが、そこへ現れたのがソルジャーです。霜焼けの特効薬を届けに来たとかで、好意を有難く頂くかどうかが難しいところ。なにしろ相手はソルジャーですし…。
「それ、本当に効くのかい?」
会長さんの質問に、ソルジャーは「当然だろう」と答えると。
「偽薬なんか持ってこないよ。思い切り恩を売っておかないと明日のパーティーに出られないしね?」
「「「………」」」
やっぱりそれが目当てだったか、と私たちは額を押さえました。ソルジャーは無類のイベント好きです。自分の世界でもシャングリラ中を巻き込んで色々やっているそうですから、パーティーと聞けば参加したくなるのでしょう。去年も一昨年も一緒にクリスマス・パーティーをしましたし…。
「ぼくが来ると何か不都合でも? 料理は多めに注文してたと思ったけどな。そうだよね、ブルー?」
「……君のために増やしたわけではないんだけれど? 食べ盛りの子たちが揃っているんだ、余裕を持たせておくのは常識」
「そんなものかな? でもね、本当にこれは効くんだよ」
ソルジャーは軟膏入りのチューブを弄びながら。
「キースの道場は余程寒かったみたいだね。建物の中にいるのに霜焼けだなんて、どんな修行をしたんだい? こっちの世界も暖房とかの設備はきちんとあるんだろうに」
ぼくの世界ほどには進んでないけど、と言うソルジャーにキース君が。
「設備があっても使えないんだ! いや、使わせて貰えないと言うべきか…。道場で甘えは許されない。どんなに寒くても暖房は無しだ。ただ、今年は寒波が強かったから、手まで霜焼けなヤツが続出で…」
俺もそうだが、と両手を差し出すキース君。その手はいつもより指が太めで、暖房で血行が良くなったせいか痒くてたまらないのだそうです。逆に冷えると痛みが酷くて…。
「手が霜焼けになってしまうと、道場での修行に支障が出る。掃除なんかは全く斟酌してくれないが、お勤めの方が問題でな。…お経本を持って本堂までの長い廊下を歩く間に、手指が痺れて取り落とすヤツが何人も出た。吹きっ晒しの廊下だったから、寒風がモロに吹き付けるんだ」
璃慕恩院の廊下や渡り廊下は先日見て来たばかりです。最後のお勤めに向かうキース君の手が真っ赤になっていましたっけ。あんな環境では霜焼けの痛みでお経本を落とすのも無理はありません。しかし…。
「坊主がお経本を床に落とすなど、本来あってはならないことだ。おまけに落としたお経本をウッカリ踏んだヤツまでいてな。もちろん罰礼をやらされるんだが、そんなヤツらが続出しては御本尊様に申し訳が立たん。…そういうわけで、お経本の落下を防ごうと手火鉢の使用が許可された」
「なんだい、それは?」
首を傾げたのはソルジャーです。火鉢は私たちの世界でも滅多にお目にかかれませんから、ソルジャーは知らなくて当然でした。会長さんが「こんなのだよ」と思念でイメージを伝えたようで…。
「ああ、なるほど。随分と原始的な暖房だけど、それでも無いよりマシなんだろうね?」
「使用時間は厳しく制限されていたがな。火鉢は一度火を熾したら炭さえマメに継ぎ足していれば一日中でも使えるんだ。ただし、俺たちの場合はお勤めの前に手を炙るだけ! 時間になったら部屋の中に火鉢を運んでくれるが、それ以外の時は火鉢は廊下に出されていた」
何の役にも立ちはしない、とキース君は顔を顰めました。修行仲間は「火鉢でアルテメシアの空気を温めている」と陰口を叩いていたようです。それでも火鉢が用意されただけマシというもので…。
「本来、道場で暖房は一切禁止だ。お経本を踏むような失礼が無ければ手火鉢も出ては来なかっただろう。…だがな、お勤めの前だけ手を温めていいと言われても…。一時的に血行が良くなるだけで冷えたら元の木阿弥だ。お蔭で未だに痛いし痒いし、足は真っ赤に腫れてるし…」
「だから薬を分けてあげると言ったじゃないか」
これ、とチューブを示すソルジャー。
「効き目の方は保証付きだよ。アルタミラの研究施設で何度もお世話になったしねえ」
「「「は?」」」
「人体実験をされていたって話しただろう? 高温の部屋に放り込まれたり、とてつもなく寒いケージに入れられたりさ。…で、実験を続けるためには治療もしなくちゃいけないわけで…。低温でダメージを受けた皮膚にはコレが一番! ぼくの身体で治験した分、色々改良されたのさ」
これでも一応人間だし、とソルジャーは笑顔だったりします。悲惨な過去を語っているのに…。
「薬の効果を確認するのに動物実験だけではちょっとね…。その点、ミュウなら遠慮しないで人体実験できるしさ。極寒の惑星で資源を採掘したりするから、ぼくたちの世界に霜焼けの薬は必須なんだよ。ついでにミュウは虚弱体質が多い。そんなミュウでも一晩で治る特効薬!」
ぼくの身体で証明済み、とソルジャーはキース君にチューブを手渡しました。
「とりあえず今、塗ってみたら? 君の身体は健康そうだし、痒みが収まるのも早いと思う。数時間あれば綺麗に治るさ、お風呂に入ったら塗り直さないといけないけどね」
「………。俺がこれを貰ってしまうと、あんたがパーティーに来るわけだよな?」
「心配しなくても、薬は口実。来てしまったからにはパーティーが終わるまで居座るよ。君が薬を突き返したって帰るつもりは無いってわけ。…それとも君たちはSD体制下で迫害されているぼくを追い出すとでも? パーティーに出たいと言ってるのに?」
「「「………」」」
ソルジャーの言葉は『お願い』ではなくて脅しでした。人体実験やSD体制の話を持ち出されると断れる人はいないのです。明日のパーティー、大荒れにならなきゃいいんですけど…。

会長さんの家に居座る権利を得たソルジャーは早速おやつを食べ始めました。夜食用に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作っておいたリンゴのクラフティです。服の方も会長さんのを勝手に借りて着替えていますし、こうなったらもう諦めるしか…。
「どうだい、キース? 霜焼けの具合は」
「あ、ああ…。随分マシになったな。礼を言う」
頭を下げるキース君。ソルジャーが持参した薬の効果は抜群らしく、私たちの世界の薬では引かなかった痒みが消えて、腫れだって引いてきています。手なんかすっかり元通りですし、腫れ上がっていた足も今では「少しだけ腫れている」程度。
「ほらね、効果があっただろう? これで一人部屋にする必要は無いと思うけどな」
「え? い、いや、それは…」
「霜焼けが治っても一人部屋かい? その調子なら寝るまでに治りそうだけど…。多分、一時間もかからないよ。まだ寝る予定はないんだろ?」
健康で頑丈な身体は治りも早い、と感心しているソルジャーによると、この薬は即効性が売りだそうです。ソルジャーの世界で『ミュウ』と呼ばれるサイオンを持った仲間は虚弱な人が多いので治癒には一晩かかりますけど、普通の人間なら数時間。つまりキース君でも数時間あれば充分なわけで…。
「布団に入る前には治るし、いつもの相部屋でいいじゃないか。霜焼けが完治するまで一人部屋を希望だったよね?」
「…それはだな…。確かに霜焼けが治るまでとは言ったんだが…」
口籠っているキース君に、会長さんが。
「物事を正確に伝えないから、困ったことになるんだよ。道場での体験を引き摺ってる間は相部屋は無理だとスッパリ言えばいいのにさ。…理由もきちんと説明してね」
「…………」
キース君は応えませんでした。代わりにソルジャーがクスクス笑いながら。
「そんな話もしてたっけね。相部屋だと何かが起こるんだっけ? ぜひ聞きたいな、君と相部屋になると恐ろしいことになるかもしれない…っていう面白そうな話の真相をさ」
「…霜焼けの薬は感謝している。だが、俺は一人部屋に隔離されるべきなんだ。同室になったヤツに迷惑をかけてしまってからでは遅い。誰だって安眠したいだろう?」
「言えないってわけか。…だったら一人部屋も相部屋も無しというのはどうだろう? リビングは広いし、全員ここで雑魚寝ってことで! この際だから女子も一緒にしちゃおうよ。間に何かを置けばいいだろ」
こんなのとか、とソルジャーが瞬間移動で取り寄せたのは和室にあった大きな屏風。会長さんと親交のある名僧たちが詠んだ和歌の貼り雑ぜ屏風です。ソルジャーはそれをリビングに設置し、「これでOK」と頷いて。
「こうしておけば間仕切りになる。後は布団を運べばバッチリ! どう思う、ブルー?」
「うーん…。悪い案ではない……かもね。キースと相部屋になる楽しさは分かち合った方がいいかもしれない。ついでに此処で雑魚寝となったら、お客様用の布団を出してこなくっちゃ。ベッド用のを転用したんじゃ寝心地が悪いし、この人数が使った布団をハーレイ一人で片付けするのは重労働だ」
よし、と会長さんは指を鳴らしました。
「ブルーの案に乗ることにする。今夜は全員、キースと相部屋! クラフティを食べ終えたら布団を運ぶよ。お客さんに備えて和室用の布団も二十組ほどあるからね」
「ちょっと待て! お、俺の立場は…」
キース君が叫びましたが、会長さんはニッコリ笑って。
「決まってるだろう、掃除係さ。さっきから掃除に燃えてたんだし、布団を運ぶ前にリビングの床を綺麗にね。此処に布団を敷くとなったら、やっぱり掃除をしておかないと…。布団を汚すと大変なんだ。カバーを外して洗ったくらいじゃ落ちない汚れもあるからさ」
よろしくね、と肩を叩かれたキース君は逆らう気力も失せたようです。そんなキース君と相部屋になると何が起こるのか分かりませんが、全員揃って相部屋というのは初体験。間仕切りの屏風もあることですし、今夜は眠りに落ちてしまうまでワイワイ賑やかに騒ごうかな?

夜食が済んだ後、私たちは一旦ゲストルームに引き揚げました。各部屋にバスルームがついているので、ゆったり入ってパジャマに着替え。その間にキース君がリビングを掃除し、会長さんが瞬間移動で布団を運んでいる筈です。スウェナちゃんと私がフィシスさんのガウンを羽織ってリビングに戻ると、ズラリと布団が敷かれていて…。
「かみお~ん♪ みゆとスウェナはこっちだからね! ぼくも一緒だよ」
こっちこっち、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が呼んでいます。アヒルちゃんパジャマは明日のために取っておくのだそうで、今は普通の子供パジャマ。土鍋の代わりに子供布団が屏風の横に延べてありました。
「ブルーがね、女の子の方にいてあげなさい…って。人数が多い方が楽しいでしょ?」
それはそうかもしれません。スウェナちゃんと二人きりより、三人の方が面白そう。男子の方はソルジャーも入れて七人ですし、人数の差があり過ぎですもの。…こうして寝場所は分かれたものの、眠くなるまでは男子のスペースに出掛けて行って雑談したりトランプをしたり。最後は枕投げまで始まって…。
「やれやれ、屏風をサイオンでガードする羽目になるとはねえ…」
派手だったよね、と会長さん。男子のスペースの布団は踏みまくられてグチャグチャでした。それをなんとか寝られる程度に整え直し、部屋中に飛んだ枕を拾い集めて、消灯時間。スウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が屏風で仕切ったスペースに戻ると、誰からともなく「おやすみ」の声が上がって電気が消され…。
(…………)
ぐおーっ、と早速イビキが聞こえてきます。これって「そるじゃぁ・ぶるぅ」でしょうね。子供のくせにイビキのボリュームは一人前。あっちのイビキはサム君かな? まだ喋ってるのは会長さんとソルジャーで…。んーと……んーと……。ダメだ、眠いや…。
(……あれ……?)
どのくらい眠っていたのか、ふと目を覚ますと部屋の中はまだ真っ暗でした。何か聞こえたと思ったんですけど、気のせいかな? 闇を揺らす音はイビキだけです。夢だったのかも、と瞼を閉じると。
「…………ブ……」
(……?)
「ブ、………ブ……」
あれれ? やっぱり誰か起きてる? 
「…ナ…………ブ、…ム………ブ…」
これは誰かの寝言でしょうか? 歌のように聞こえないことも…。
「………ブ、…ム……ダブ、ナムアミダブ…」
え。ナムアミダブって…お念仏!? なんで夜中にお念仏が? 会長さんの家に『出る』という噂は聞きませんけど、もしかしなくても出るんですか? これって心霊現象ですか? 低くブツブツと繰り返される南無阿弥陀仏はなんとも不気味で、私は頭から布団を被りました。それでも聞こえるお念仏。
(ど、どうしよう…。このまま寝ちゃったら祟られるよね? 聞いただけでも祟られちゃうとか? 悪霊退散の呪文とかってあったっけ?)
キース君に習っておくべきだった、とガタガタ震える私でしたが南無阿弥陀仏は止みません。ふと気がつくとスウェナちゃんも隣で震えている様子。スウェナちゃんばかりか「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
(うわぁぁん、これって夢じゃないんだ! 出るって話をしてくれていたら、リビングなんかで寝なかったのに~!)
けれど後悔先に立たず。地縛霊だか悪霊なんだか知りませんけど、伝説の高僧である会長さんの家に出る霊となれば半端なものではないでしょう。弱い霊ならとっくの昔に会長さんが成仏させてる筈ですし…。
(会長さん、起きてくれないかな? サム君も霊感あるって話なんだし、こんな時くらい起きてくれても…。キース君だって一人前のお坊さんになったんだから、起きたっていいと思うんだけど~!)
パニックに陥りそうな私と、震えまくっているスウェナちゃんたち。南無阿弥陀仏の声は今や朗々とリビングに響いています。もうダメかも…。私たち全員、祟られちゃうかも…。だ、誰か…。誰か、助けて~!
「喝!!!」
会長さんの気合が迸り、ピタリと止まったお念仏。そして代わりに…。
「いたたた…。くっそぉ、いきなり何しやがる…」
「…御挨拶だね、キース・アニアン」
部屋に煌々と電気が灯って、おっかなびっくり屏風の陰から顔を出してみると会長さんがスックと立っていました。足元にはキース君が転がっており、痛そうに肩を押さえて呻いています。ジョミー君たちは布団の上に起き上がっていて青ざめた顔をしていますから、お念仏の声を聞いたのでしょう。…で、霊は? お念仏をしていた霊は…?
「南無阿弥陀仏なら退治したよ」
会長さんが軽く両手をはたきながら。
「さて、ブルー? 狸寝入りはやめたまえ。…君の提案で雑魚寝にしたら、こういう結果になったんだけど?」
「…君だって承知していたくせに」
面倒そうに布団から出てきたソルジャーはクックッと喉の奥で笑っています。
「キースが一人部屋を希望だってこと、言い出したのは君だよねえ? 君は最初から知っていたんだ。キースには寝言でお念仏を唱える癖がついている…ってね」
「「「キース!!?」」」
「「キース君?」」
男の子たちと女子組の叫びが重なりました。あのお念仏はキース君? どうして寝言でお念仏を…?

「………すまん」
本当にすまん、とキース君は布団の上で土下座を繰り返しました。お念仏の声を心霊現象だと勘違いしたのは会長さんとソルジャーを除く全員で、その誰もが怖い思いをしたのですから土下座は当然の成り行きです。暗闇に流れるお念仏なんて、知らずに聞いたら怪談以外の何ものでもなく…。
「キースってさぁ…」
ジョミー君がシロエ君の顔を見詰めて。
「前から寝言はアレなわけ? シロエは付き合い、長いんだよね?」
「あんなの、ぼくも初めてですよ! ですから先輩だとは気が付かなくて、てっきり霊が出たんだとばかり…。マツカ先輩も知りませんよね?」
「…少なくとも、ぼくが相部屋の時は一度も聞いていませんね。柔道部の合宿の時にも無かったですし…。そもそも、キースが寝言だなんて全く記憶に無いんですけど」
いつも静かな寝息だけです、とマツカ君とシロエ君は証言しました。ジョミー君とサム君も、キース君との相部屋の時に寝言の記憶は無いそうです。それほど静かに寝ている人が今日に限ってお念仏とは…。
「だから一人部屋にしておいてくれと言ったのに…」
「理由を説明しないからだよ。予めちゃんと申告してれば同じことをやったとしても退治されてはいないだろうに」
怖がる人がいないんだから、と会長さんがキース君を冷たい瞳で見下ろして。
「霜焼けの次は青アザになってしまうかもね? 手加減はしたつもりだけれど、肩に一発お見舞いしたから。…きちんと全てを打ち明けていたら、揺すって起こしてあげたのに」
会長さんはキース君に手刀を食らわせたのでした。キース君は痛みで飛び起き、私たちを震え上がらせたお念仏の声も同時に止んだというわけです。
「こうなった以上、隠しておいても無駄だよ、キース。みんなは生きた心地もしなかったんだし、人騒がせな寝言に至った原因ってヤツを明らかにするのが筋だろうね。…でないと誰も納得しないさ」
さあ早く、と急き立てられたキース君は観念したように口を開きました。
「………。あれは道場の後遺症で……」
「「「後遺症?」」」
「そうなんだ。あの道場には俺と同じような状態に陥ったヤツが沢山いた。ブルーがそれに気付いていたのは経験者だからか、覗き見をしていたせいかは知らないが…。とにかく道場で三週間も修行してると寝言まで念仏になるらしい。寝言を言う癖が無かったヤツでも、寝ている間に南無阿弥陀仏だ」
そんなことってあるのでしょうか? 現実に耳にしたこととはいえ、今一つ信じられない思いで私たちが顔を見合わせていると。
「キースの言うことは本当だよ」
割り込んだのは会長さんです。
「行住座臥にも念仏の行、という言葉があってね」
「「「ギョウジュウザガ…?」」」
なんですか、それは? きっと専門用語でしょうが…。
「歩いている時も、立っている時も、座っていても眠っていても、どんな時でもお念仏! これがぼくたちの宗派の開祖のお言葉。修行を積んだお坊さんになると、「よいしょ」の代わりに「南無阿弥陀仏」の境地なんだ。ぼくはそこまで抹香臭くなりたくないから、適当に手を抜いているんだけどさ」
でないと女性にモテないし、と余計な一言を付け加えながら会長さんは続けました。
「とにかく道場ではその精神を徹底的に叩き込まれる。来る日も来る日も念仏三昧、ただひたすらにお念仏だ。要領のいい人はクチパクで済ませていたりするけど、真面目な人は声が嗄れてもお念仏! もちろんキースも大真面目だった。そうやって南無阿弥陀仏を続けていると、三日目頃からアヤシイ寝言が…。そうだよね、キース?」
「…初めて自分の寝言で目が覚めた時は仰天したな。なにしろ南無阿弥陀仏だし…。おまけに大広間のあっちこっちで念仏を唱える声がするんだ。どいつもこいつも熟睡しながら念仏だぞ? あれは一種の洗脳に近い」
キース君たちは百数十人が同じ大広間で寝起きしていたらしいのですが、その中のかなりの人数が夜な夜な寝言でお念仏。毎日々々、一心不乱に唱え続けた結果でしょう。そんな道場を終えた今でも、キース君は寝言でお念仏を唱える癖が抜けなくて…。
「…三学期が始まる頃には流石に元に戻るだろうと…。霜焼けも治るのに時間がかかりそうだし、霜焼けが治ったら相部屋にするつもりだったんだ。…夜中に念仏を聞かされて喜ぶヤツがいると思うか? 気味の悪い夢を見るかもしれんし、目が覚めたって騒音なんだぞ」
大音量だからな、と項垂れているキース君。あのお念仏は寝言とは思えないほどの大きな声にまでなったのですから、騒音の内に入るでしょう。でも、それ以前にアレは怖かったです。ソルジャーが雑魚寝だなんて言い出さなければ朝まで安眠出来たのに…。
「とにかく俺が悪かった。またやらかしたら申し訳ないし、別の部屋で一人で寝ることにする」
しおしおと去ってゆくキース君を引き止める人はいませんでした。雑魚寝の提案者だったソルジャーも我関せずと布団の中。そういえばソルジャーは騒ぎを起こすのが好きだったっけ、と今更ながらに気付きましたが、背筋が寒くなる体験ってヤツは夏場にお願いしたかったです…。

翌朝、私たちが起き出したのは朝の九時過ぎ。キース君の寝言騒ぎで少々寝不足気味でしたけど、十時に教頭先生が来るというので会長さんに起こされたのです。
「おはよう。ハーレイが来るまでに着替えくらいはしておかなくちゃね? あ、布団はそのまま放っておいて。片付けはハーレイがするんだからさ」
仕事は多ければ多いほどいい、という悪魔の笑みで脳味噌が一気に覚醒しました。午前十時から午後三時まで有効だという『お願いチケット』。今日はチケットを行使する日で、教頭先生が私たちのパーティーの裏方で…。
「かみお~ん♪ おはよう、キース! 霜焼け、治った?」
「ああ。痒みも痛みも無くなった」
ゲストルームから身支度を整えて出てきたキース君はソルジャーに特効薬の御礼を言って深々と頭を下げています。お念仏な寝言で遊ばれたのに御礼というのは礼儀正しいキース君ならではの美点でした。そんな姿にソルジャーは「敵わないね」と苦笑して。
「改めて御礼を言われてしまうと、謝らざるを得ないじゃないか。…君で遊んで悪かったよ。だけど大いに参考になった。同じ言葉を繰り返していると癖になるのは使えそうだ」
「「「は?」」」
「口癖になってしまうんだろう? これは応用が利くと思うね。ぼくのハーレイはヘタレてるから、愛の言葉もロクに言ってはくれないんだけど…強制的に繰り返させたら癖になるんじゃないのかな。ブリッジクルーとかの前でもポロッと言ったら最高だよ」
「「「………」」」
それは流石にマズイんじゃあ……と私たちは一様に押し黙りました。ソルジャーとキャプテンの仲はとっくにバレバレらしいですけど、ブリッジで愛の言葉を言わせるというのはシャングリラ号の士気に関わりそうです。そういう遊びは青の間かキャプテンの部屋かに留めておくのが一番では…?
「黙ってるってことは賛成できないって意味なのかな? 楽しそうだと思うんだけど…。だったらこっちのハーレイはどう? これから来るって話なんだし、遊ばせてもらっても問題ないよね?」
ぼくもパーティーのゲストなんだし、とソルジャーは胸を張っています。えっと、そういう展開ですか? お願いチケットは私たちが根性でゲットしたもので、ソルジャーは関係ないんですけど…。教頭先生で遊ぶにしたって、お願いチケットの範囲内でしか遊べないんじゃないかと思うんですけど~!
「名案を思い付いたんだよ。お念仏みたいに単純明快、これを使えばハーレイで遊び放題になる名台詞! お願いチケットが使える間はハーレイはこれしか言えないという縛りをかけたら素敵じゃないかと」
聞きたいだろう? と微笑むソルジャーに会長さんが。
「…危ない台詞じゃないだろうね? その手の言葉はお断りだよ。それを承知の上でだったら聞きたいな」
「喜んで」
ゴクリと唾を飲む私たち。さて、教頭先生に言わせたい台詞とは何なのでしょう? ソルジャーはニヤニヤしています。え? もしかしなくても今のがソレ…? そういえば威勢よく「喜んで!」と響き渡る声を何処かで耳にしたような…?




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