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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

会長さんの故郷を偲ぶ旅行に、マツカ君の海の別荘への旅。盛りだくさんだった夏休みが終わって、今日は二学期の始業式です。まだまだ蝉もしぶとく鳴いていますし、暑さの方も絶好調。校長先生からは夏休み気分を払拭するよう訓示があって、グレイブ先生も夏休みの宿題を集めた後で「だらけないように」と厳しく注意。学生の本分は勉強なのだと言われても……特別生には関係ないかな?
「かみお~ん♪ 始業式、お疲れ様!」
「やあ。相変わらず退屈な日だったようだね」
終礼が済んで影の生徒会室へ行くと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれます。夏休み中は殆ど縁の無い部屋でしたけど、授業のある日は此処が私たちの溜まり場で…。
「はい、冷製パスタ、生ハムのバジルクリームソース! しっかり栄養つけなくちゃね」
夏バテするよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。早めのお昼ご飯に私たちは大喜びで飛び付きました。クリーミーなソースにバジルの風味が効いたパスタは絶品です。
「夏バテと言えばさぁ…」
ジョミー君が思い出したように。
「大丈夫だったのかな、倒れちゃった人。ほら、納涼お化け大会の時の…」
「「「あ…」」」
すっかり忘れてましたけれども、夏休みの締め括りは納涼お化け大会でした。普通の1年生だった時に参加したきり一度も出ていなかったのですが、今年は行ってみることに。マザー農場の夏祭りでシャングリラ号に乗り込んで行くクルーの人たちに会いましたから、勤務を終えたクルーたちにも会ってみたいと思ったのです。
「彼ならピンピンしているよ?」
平気だってば、と会長さん。
「張り切りすぎちゃったみたいだね。空調の効いたシャングリラ号と、蒸し暑い墓地とは違うのにさ…。そうでなくてもサイオニック・ドリームは使い慣れていないと消耗するんだ」
「そういうものか? 俺には特に自覚は無いが」
キース君が首を傾げると、会長さんは。
「君の場合は切実だからね。坊主頭に見せかけること限定とはいえ、プロの領域に入っているよ。だけど普通に生活してるとサイオニック・ドリームの出番は無いだろ? 力加減が掴めないのは仕方ない」
納涼お化け大会で倒れてしまった人というのは、シャングリラ号での一年間の勤務を終えて地球に戻ったクルーの一人。墓地に潜んでサイオニック・ドリームを操り、やって来る生徒を脅かす役目は交替後のクルーに人気でした。私たちは裏方を務めるクルーの人たちと仲良くなって仕事ぶりを見せて貰ったのですが…。
「今年の夏は暑すぎるのよね」
スウェナちゃんがパスタにソースを絡めながら。
「夜も涼しくならないんだもの。お化け大会で脅かされる方は涼しくなれても、脅かす方は大変だわ」
「それでも裏方、人気だったよ?」
あんな仕組みだなんて知らなかった、とジョミー君。普通の1年生だった頃の私たちはサイオンもサイオニック・ドリームも知らず、本物のお化けが出たとしか思えない状況に悲鳴を上げまくっていたのです。スウェナちゃんと私は「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れていたお蔭でコースをクリア出来ましたけど、男の子たちは途中でリタイヤ。つまりそれほど怖かった、と…。
「ぼくもいつかはやってみたいな、脅かす係」
瞳を煌めかせるジョミー君に、会長さんが。
「まだそれどころじゃないだろう? サイオニック・ドリームは既に操れなくなっていると見たけど? …キースが完璧にマスターしてから一度も訓練してないし…。出来るかどうか試してごらん」
始めっ、と会長さんが手を叩きましたが、何も起こりませんでした。
「「「………」」」
私たちはジョミー君の髪に注目中。以前だったらキース君と同じく坊主頭に見せかけられた筈なのですけど、明るい金髪が光を弾いているばかり。
「…どうやらダメになったようだね」
元の木阿弥、と冷たい口調で引導を渡す会長さん。
「仏門に入る時には綺麗に頭を剃りたまえ。二度とコツを教えるつもりはないし」
「えっ、そんな…。なんでぼくだけ!? キースは上手に誤魔化してるのに!」
「ふうん? 仏弟子になる覚悟はあるんだね。嬉しいよ、ジョミー」
「ち、違うってば! 今のは言葉のアヤってヤツで…!」
そんな気は無い、と絶叫しているジョミー君の姿に笑い転げる私たち。シャングリラ学園は今日も平和でした。そう、昼食を食べ終えるまでは…。

パスタの後はのんびりしてからティータイム、とばかりに冷たい飲み物で寛いでいると、会長さんが「また忘れてるし…」と呟きました。
「新学期と言えばこの行事、って何度言ったら覚えるんだい? ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
奥の部屋から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が運んできたのはリボンがかかった平たい箱。中には何が入っているのか、嫌でも分かるというものです。せっかく今まで忘れていたのに、やはり今学期も逃げられませんか! 箱の中身は青月印の紅白縞のトランクス五枚。会長さんが教頭先生に新学期を迎える度に贈るもので…。
「その顔つきだと、思い出してくれたみたいだね。行くよ、ハーレイがお待ちかねだ」
「「「はーい…」」」
仕方なく立ち上がる私たちを引き連れ、教頭室に向かう会長さん。トランクスのお届け行列の先頭は箱を掲げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」で、私たちはそのお供です。日差しが眩しい構内を歩き、本館の奥の重厚な扉の前まで行くと…。
「失礼します」
会長さんが扉をノックし、返事を待ってガチャリと開けて。
「お待たせ、ハーレイ。いつものヤツを持ってきたよ」
青月印の紅白縞、と会長さんは箱を教頭先生の机の上に置きました。
「一学期にシルクのを1枚プレゼントしたから、期待してたかもしれないけどね…。残念ながらコットンのが5枚。君のお尻に贅沢をさせる必要はない」
「…そういうものか?」
苦い顔をする教頭先生に、会長さんはフンと鼻を鳴らして。
「不満だったら箱ごと引き取らせて貰うけど? シルクのを自分で買えばいいだろ」
「い、いや…。私にはこれは特別なもので…」
教頭先生は慌てて箱を手元に引き寄せ、押し頂くと。
「有難く頂戴させて貰おう。…お前からのプレゼントというだけで嬉しいからな」
「なるほどね。でもさ、さっきの顔は頂けないな。…こ~んなだったよ」
ね? と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の可愛い額を両手でギュッと寄せ、皺を作って。
「こんな感じで眉間に皺! そりゃ、普段から皺はあるけど、それよりずっと深かった!」
「…そうか?」
「そう! その皺、癖になってるとはいえ、年々深くなってないかい? メモを挟んでも落ちなさそうだよ」
試してみよう、と机の上からメモ用紙を取った会長さんは教頭先生の眉間の皺に押し付けてみて。
「さっきみたいにギュッと寄せて! …ほらね、やっぱり落ちないじゃないか」
「……お前……」
皺に挟まったメモがハラリと落ちて、教頭先生は世にも情けなそうな顔。
「挟めと言ったのはお前だぞ? いくら私でも普段はそこまで…」
「ううん、気が付いてないだけだって! 今更皺取りの整形をしろとは言わないけどねえ…。もっとにこやかな顔をするよう心がけたら? それだけで人生変わると思うよ。笑う門には福来る、ってね」
ほら、と会長さんが宙に取り出したのは卓上用の鏡でした。シンプルなのは私も持ってますけど、凝ったフレームの綺麗なヤツです。会長さんの趣味でしょうか?
「フィシスのをちょっと借りてきた。これをさ、こんな風に机に置いて、と…」
教頭先生から覗き込める位置に鏡を据えた会長さんは。
「コールセンターに鏡を据えてる会社があるんだってさ。お客様には笑顔で応対! それがきちんと出来てるかどうか、各自が鏡でチェックするんだ。君もそうすれば少しは皺が…。どう? 鏡に向かってスマイル、スマイル!」
「………。今一つ落ち着かんのだが…」
「そうかな? それはもしかして…鏡のせい?」
教頭先生の背後に回り込んだ会長さんが肩越しに顔を覗かせた途端、教頭先生は「うわっ!」と派手に仰け反りました。えっ、なんで? 会長さん、怖い顔とかはしてませんけど…?
「ふふ、やっぱり鏡のせいなんだ?」
クスクスクス…と笑いを漏らす会長さん。
「ぼくが鏡に映ると困る。…そうなんだろう?」
「…ご、誤解だ! 誓って何も疾しいことは…!!」
「疾しいこと…ねえ? 語るに落ちるってヤツだよ、ハーレイ。…とりあえず鏡は返しておこう。ぼくの大事な女神が穢れる」
卓上ミラーがフッと消え失せ、会長さんは眼光鋭く教頭先生を睨み付けると。
「さあ、白状して貰おうか。鏡で妄想したのは何? ぼくの姿には間違いないね。…それからこれも!」
机の抽斗から会長さんが引っ張り出したのは分厚い何かのカタログでした。それをドスンと机に投げ出し、声を荒げて。
「こっちも説明よろしく頼むよ。その子たちにも分かるようにね、ぶるぅは無理かもしれないけれど!」
子供だから、と会長さん。えっと…ぶるぅには理解不能かもしれない何かですか? そして理由が「子供だから」って、嫌な予感しかしないんですけど~!

「そのぅ…。リフォームをしようかと思って…」
教頭先生は蚊の鳴くような声で答えました。なるほど、カタログの一冊は内装とかのヤツみたいです。教頭先生の家は古くなってはいませんけれど、気分を変えたくなったのでしょうか?
「リフォームね…。それも寝室限定の、だろ?」
会長さんが指先でイライラと叩いているのはベッドのカタログ。
「しかもとってもマニアックだ。付箋までつけて買う気満々、どんな顔して行く気なんだか…」
ショールームに、と言った会長さんはカタログをバッと開きました。付箋が付けられたページに載っていたのは…。
「「「!!!」」」
「百聞は一見に如かず。この子たちにも一発で通じたみたいだね」
カタログの写真は色こそ全く違いましたが、見覚えのあるものでした。マツカ君の別荘に行った時、電車を間違えたキャプテンが泊まってしまったラブホテル。そこにあった円形ベッドというヤツです。…こんなベッド、普通に売られていたんですか? 仰天する私たちに会長さんはクスッと笑って。
「形が似てるっていうだけじゃなくて、これは回転ベッドだよ? ラブホテルに設置するのが禁止なだけで、一般向けには売られてるんだ。リクライニング機能もついている。ショールームじゃ子供に人気の品なんだよね」
「…子供?」
思わず訊き返したキース君に、会長さんは。
「うん、子供。回転するのが楽しいらしくて、回りながら本を読んだりゲームをしたり…。ぶるぅも気に入りそうなベッドだ。だけど、ぶるぅを遊ばせるために買おうってわけじゃなさそうだねえ? 残念だね、ぶるぅ」
「えっ、違うの? 回るベッドって楽しそうなのに…」
遊んでみたい、と教頭先生を見詰める「そるじゃぁ・ぶるぅ」はソルジャーがラブホテルに押し掛けていった理由をサッパリ理解していませんでした。会長さんは「ぶるぅが遊びたいってさ」と教頭先生に視線を向けて。
「子供は無邪気でいいよね、ハーレイ? ぶるぅのオモチャに買うんだったら、ぼくも文句は言わないけどさ…。実際の所はそうじゃない。回転ベッドを置くだけだったらリフォームは特に必要ないんだ。…問題はそっち。ぼくの姿が鏡に映ると心臓に悪いリフォームなんだろ?」
「…そ…それは……」
「ハッキリ言ってあげようか? やりたいリフォームは鏡張りだ、って!」
「「「鏡張り!!?」」」
私たちの声は裏返っていたと思います。鏡張りって…例のラブホテルがそうだったという壁や天井が鏡の部屋? 顔を見合わせ、肘でつつき合う私たちに会長さんは大きく頷いてみせて。
「そう、その考えで合っている。ハーレイときたら、寝室の壁と天井を鏡張りにしたくてリフォーム計画を練ってるんだよ。個人の家で鏡張りにするのは何の問題も無いからね。…つまり自宅でラブホ計画!」
「「「………」」」
ラブホがラブホテルの略だというのは分かります。鏡張りの寝室に回転ベッドって、教頭先生、正気ですか? 今のラブホテルでは作れない仕様の部屋だと聞きましたけど、そんなものを作ってどうすると…?
「…ブルーがハーレイに送った写真で目覚めたらしいよ」
会長さんは吐き捨てるように言いました。
「あの時の携帯は壊れたけれど、ハーレイの記憶には写真がしっかり残ってる。当然、ぼくにも読み取れるわけ。あれを撮ったのはあっちの世界のハーレイなのかと思ったけれど、あのハーレイもヘタレだし…。多分ブルーがサイオンで携帯を操作して写したヤツだろうね。あっちもこっちもブルーだらけ」
鏡が複雑に反射し合って山ほどソルジャーが写っていたのだ、と会長さん。しかもソルジャーは服など勿論着ていなくって…。
「ハーレイはあれを再現してみたいらしい。鏡張りの寝室にぼくを連れ込んでどうする気なのか知らないけどね。…回転ベッドもそれと同じさ。ブルーが絶賛していたせいで、ぼくが喜ぶと思ってるんだ。…そうだろ、ハーレイ?」
「………」
「沈黙は何よりの証拠ってね。確かに回転ベッドは嫌いじゃないけど…。でも、ぼくもそれに関してはレベルはぶるぅと同じなんだ」
回転するのが楽しいだけ、と会長さんはウインクしました。
「流行ってた頃に行ってたけどさ、回るベッドであれこれするのは趣味じゃなかった。だからのんびり寝転んでただけ。…いろんなタイプがあったんだよね、全盛期には。どんなベッドを置いているのか探索するのは面白かったよ。それでグレイブを陥れたこともあったっけ」
「「「えっ?」」」
「だからさ、グレイブはミシェルと付き合っていたし、そういうホテルにも行きたいわけ。何処がいいのか悩んでるのが分かったからね、意識の下にちょっと情報を…。で、回転しながら天井近くまで昇っていくベッドを置いてるホテルを紹介したのさ。…グレイブ、高所恐怖症だろ?」
グレイブ先生がどうなったのかは容易に想像がつきました。回転ベッド、恐るべしです。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」は遊園地のアトラクションみたいに受け止めたらしく…。
「そんなのがあるの? ハーレイ、買うんだったら天井まで昇っていくベッドがいいなぁ、とっても楽しそうだもん!」
乗り物みたい、と叫ぶ「そるじゃぁ・ぶるぅ」は本当に何も分かっていませんでした。鏡張りだってミラーハウス感覚に決まっています。教頭先生のリフォーム計画、ラブホどころか遊園地では…?

リフォームのカタログを前に項垂れている教頭先生。会長さんには喜んで貰えず、期待に溢れた目で見ているのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」なのですから。会長さんは呆れたように溜息をつき、「皺!」と教頭先生の眉間を指差して。
「また皺が深くなってるし! 妄想するのは勝手だけどね、リフォームしたらぼくが来るとでも思ってる? そういうリフォームは君みたいなヘタレには敷居が高いって知っていた?」
もれなく自分も映るんだよ、と会長さんは指摘しました。
「回転ベッドは置いとくとして、鏡張り! ぼくが沢山映れば嬉しいだろうけど、君の姿だって映るんだ。ブルーが送って寄越した写真はブルーしか映らないようにしてあっただけさ。…自分が映りまくった鏡があっても出来そうなわけ? 何もなくてもヘタレな君が…?」
「………」
教頭先生の眉間の皺が一層深くなりました。会長さんはクッと笑って「無理だろうね」と可笑しそうに。
「でもさ、せっかくだからリフォームするのもいいかもしれない。鏡張りにすれば普段から自分を客観的に見られるし…。たとえば、これ」
紅白縞が入った箱をポンポンと叩く会長さん。
「寝室というのは着替える場所だ。君がどういう順番で服を着るのか知らないけどね、だらしない格好をしてれば一発で鏡に映るから! お風呂上がりにトランクス一枚でうろつくタイプは好きじゃないんだ。自分の家だと思ってリラックスしてやっているのは知ってるんだよ? 百年の恋も醒めるってヤツだ」
そもそも恋はしてないけれど、と会長さんは冷たい笑み。
「それに抱き枕もあったっけね。印刷されたぼくを相手に色々やっているのも映るよ? きっと空しくなるだろうねえ、一人で何をやってるのか…って」
そこで会長さんは「ああ」と両手を打ち合わせて。
「相手がいないから空しいわけだ。リフォームが出来たら、あっちのブルーを呼べばいい。どうせ呼んだってオモチャにされるだけだろうけど、そこそこ遊んでくれると思うよ。…なにしろ、ぶるぅのパパだしねえ?」
え。ぶるぅのパパって……それって確か……。青ざめる私たちに、会長さんは。
「そうさ、ブルーはハーレイ相手に突っ込むことが出来るわけ。せっかくのラブホ計画なんだし、ブルーと楽しく過ごせばいい。鏡張りも回転ベッドも経験済みのブルーだからこそ、色々教えてくれるかも…。ぼくを招待するのは実地で知識を入れてからだね。…名案だろう?」
「…し、しかし……。あのブルーは……」
「危険って自覚はあるわけだ? あの時の記憶は消していないし、下手をすれば自分がヤられる方だってことは分かってるもんねえ…。それじゃ知識の仕入れ方を変える? 鑑賞しながらお勉強」
「「「鑑賞?」」」
なんじゃそりゃ、と誰もが思ったのですが…。
「ブルーに部屋を貸すんだよ」
会長さんは事も無げに言い放ちました。
「鏡張りと回転ベッドが気に入ったって言ってたし…。青の間に導入したいらしいじゃないか。でも実際には不可能だろうし、君がそういう部屋を作れば喜んでハーレイと泊まりに来るよ。君は隠しカメラでも仕掛けて二人を観察すればいい。下手なアダルト番組なんかより刺激的でいいと思うけどな」
勉強にもなって一石二鳥、と会長さんは得意そうです。
「そうだ、マジックミラーの方がいいかも! クローゼットの扉をマジックミラーに取り換えるのはどうだろう? えっと…。そうそう、これだね」
カタログをめくった会長さんが見つけ出したのはマジックミラーのページでした。本来は間仕切りなんかに使うようですが、特注すれば扉などにも加工できます。部屋の側からは鏡に見えて、クローゼットの中から覗けば透明なガラスになる仕組み。…つまり覗き用の部屋を作るというわけですか…。
「ブルーなら覗かれていても平気だよ。あっちのハーレイはダメだろうけど、覗かれてるってバレさえしなけりゃ大丈夫だし…。よし、決まった。鏡張りと回転ベッドのリフォーム、許可しよう。ブルーもきっと喜ぶだろうし、ぶるぅは回転ベッドで遊んでみたいらしいしね」
天井まで昇るタイプとなると…、とカタログに書かれたオプションをチェックしている会長さん。教頭先生の自宅の寝室をラブホ化計画、会長さん主導でゴーサインですか?

最初の間は教頭先生は思い切り腰が引けていました。クローゼットにマジックミラーはマズイと思ったらしいのです。けれど会長さんに「知識を仕入れるチャンスだから」と強く言われて、だんだんその気になってきたようで…。
「私がきちんと知識をつけたら、お前が嫁に来てくれるのか?」
「さあね? その時の気分によるかな。だけど知識は仕入れておいて損はしないよ、ヘタレも直しておかないと…。クローゼットの中で鼻血と戦いながら頑張るといい」
ティッシュを箱ごと抱えて隠れること、と会長さんにそそのかされた教頭先生、素直にコクコク頷いています。そして会長さんと一緒に回転ベッドや専用のマットレスなどを選び、後は実行に移すだけ。予算の方も教頭先生のキャプテン貯金からドカンと出すことが決定して…。
「うん、完璧。これでブルーも大喜びだ。マジックミラーはブルーには教えていいんだよね?」
「そうだな。流石に黙って覗きをするのはどうも…。お前から伝えておいてくれ」
「了解」
会長さんはニッコリ綺麗に微笑んで。
「それじゃ改装計画ってことで、長老会議を招集しなくちゃ」
「「「長老会議!?」」」
なんですか、それは? 長老会議と言えばサイオンや仲間に関する重要な事を決定するための機関では? 何故に教頭先生の私的なリフォームに長老会議…?
「え、だって。…キャプテンとソルジャーが共同で練った計画だよ? しかもキャプテンの私邸の改装。これが重要事項ではないと?」
とても重要だと思うんだけど、と会長さんは大真面目な顔。
「ぼくとハーレイが企画した以上、仲間の福利厚生にも役立てないとね。…天井まで昇る回転ベッドと鏡張りの部屋はどう考えても娯楽用だ。あっちの世界のブルーだけでなく、希望する仲間に貸し出してこそのキャプテンだろう? まさか私物化しないよね?」
そんな心の狭いこと、と瞳を向けられた教頭先生はウッと詰まって。
「こ………こ、公共のスペースという扱いなのか?」
「もちろん。君が出資して仲間の娯楽に役立てるなんて素敵じゃないか。昔あのタイプのベッドで大失敗をしたグレイブなんかが喜ぶかもね、リベンジのチャンスがやって来た…って」
高所恐怖症を克服しようと頑張ってるし、と会長さんは内線電話に手を伸ばすと。
「とりあえず会議は明日でいいかな、今日はエラが早めに帰るみたいだし。…招集してから書類を作って、提出して…と。あ、もしもし、ゼル?」
「ブルー!!!」
教頭先生が凄い勢いで受話器を引ったくり、電話の向こうのゼル先生に。
「すまない、ブルーが悪戯を…。そ、そうじゃない、私は何も…。い、いや、だから…。待ってくれ、ゼル!」
ツーッツーッと響く、切れてしまった電話の音。会長さんがトランクス入りの箱を手に取り、「武士の情け」と肩目を瞑って。
「君の家に送ってあげるよ、この箱だけはね。ぼくがプレゼントしてると知れると何かとマズイし…。後は自分で頑張って」
さあ逃げるよ、と会長さんは踵を返して教頭室を飛び出しました。私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も慌てて続き、廊下を少し走った所で反対側から駆けつけてきたゼル先生と出くわして…。
「どうしたんじゃ、ブルー! ハーレイの部屋で何があった?」
「新学期の挨拶に行ったら、寝室をリフォームしたい、って色々相談をされたんだ。ジョミーたちがいるから大丈夫だと思っていたのに、どんどん危ない方向に…」
「危ないじゃと?」
「うん。鏡張りの部屋がどうとか、マジックミラーにしようとか…。おまけに回転ベッドまで買うって言い出して…。ぶるぅが遊ぶためのベッドだと勘違いしたのも悪かったんだろうね」
ゼル先生の顔がみるみる憤怒の形相に変わり。
「鏡張りに回転ベッドじゃと!? おのれハーレイ、血迷ったか! 安心せい、ブルー、しっかり締め上げておくからな!」
任せておけ、と凄い勢いで教頭室に駆け込んで行くゼル先生を会長さんはペロリと舌を出して見送ると…。
「これでハーレイの妄想は終わり。カタログとかは目につくように広げといたし、思い切り絞られて懲りるといいよ。…なにが鏡張りに回転ベッドさ、扱えもしないヘタレのくせに」
「えぇっ、遊べるお部屋は作れないの?」
残念、と名残惜しそうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて帰ってゆく私たちの後ろで聞こえた悲鳴とドタバタ逃げ回る激しい足音。教頭先生、とんでもない目に遭ってらっしゃるみたいです。新学期早々、お気の毒としか言えませんけど、トランクスの箱が発見されなかっただけでもマシと思って下さいね~!



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休暇を取って別荘ライフに合流することが決まったキャプテン。電車で旅をしてみたいとかで、アルテメシアから一人でやって来る予定です。小さな子供でも電車や飛行機で一人旅をしている御時世、特に心配は要らないでしょう。休暇の始まりは別荘ライフも残り二泊三日という日の朝。
「おはよう」
ソルジャーが朝食を摂りに一階の食堂に現れました。後ろに「ぶるぅ」もくっついています。
「ハーレイは休暇中の引き継ぎを済ませてこっちに来たよ。せっかくだからバスにも乗るって言うんでね…。こっちのハーレイの家の近くまで送っておいた」
「バスですか?」
教頭先生が首を捻って。
「あそこのバス停は少々分かりにくいんです。いや、場所がどうこうと言うんじゃなくて、路線の方が…。同じアルテメシア行きのバスでも直通のバスと迂回して行くバスとがあって、かかる時間が違うんですよ。路線図を見て下されば分かるのですが…」
「へえ…。そんなことになっていたんだ?」
どれでも乗れると思っていたよ、とソルジャーがオレンジジュースに手を伸ばして。
「アルテメシア駅に行くバスに乗ればいいんだとだけ言っといたけど、説明不足だったかな? だけど普通は確認するよね、初めて乗ろうってバスだもんね。キャプテンたる者、慎重でないと」
そこがハーレイの長所で短所、とソルジャーはパンケーキを切り分けています。
「大胆さってヤツも時には必要だと思わないかい? あらゆる面で慎重すぎるとヘタレになってしまうんだよね。本人も胃薬が手放せないし、ぼくも何かと物足りなくて…」
「ストップ!」
そこまで、と会長さんが止めに入りました。
「朝っぱらからアヤシイ話は困るんだよ。夜は勝手にすればいいから、せめて昼間は健全に!」
「分かったってば。…ハーレイも楽しく旅をしていることだし、ぼくも思い切り遊んでおこう。どうせ昼過ぎまで着かないんだから、今日もお昼はバーベキューかな?」
「そうだね。昨日は食材調達係が遠泳に行ってて留守だったから、海の幸がイマイチ充実してなくて…。やっぱり採れたてのサザエにアワビ!」
頑張って、と教頭先生に微笑みかける会長さん。教頭先生は「任せておけ」と御機嫌です。会長さんに貢ぐためなら何度でも潜る気なのでしょう。素潜りはキース君とシロエ君も随分得意になりましたから、今日の食材は大いに期待できそうでした。
「よし、今日は魚も獲ってみるか」
教頭先生がキース君たちに視線を向けて。
「この間、要領を教えただろう? みんなに食べて貰うためにも色々捕まえてみないとな」
「いいですね!」
即答したのはシロエ君。
「この前は逃げられましたけれども、今日は絶対捕まえます!」
「え、なに、何? 何に逃げられたって?」
ジョミー君が好奇心満々で尋ねると…。
「イカですよ」
「えっ、イカ? 教頭先生とキースが捕まえていたと思ったけどな」
「ですから、ぼくは逃げられたんです! ジョミー先輩、知ってましたか? イカって自分の姿の形に墨を吐き出して逃げるんですよ」
驚きました、と語るシロエ君の顔は悔しそうです。この調子なら今日はイカや魚を沢山獲ってくれるかも…。お料理大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」は食堂の人に色々注文していました。藻塩に岩塩、お塩だけでも沢山種類があるようです。
「あのね、新鮮なお魚だったらお塩だけでも美味しいんだよ! せっかくだから食べ比べなくちゃ♪」
ハーブ入りのオイルもいいよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。今日のビーチにも美味しい香りが漂いそう! キャプテンが到着してもバーベキューパーティーは続行かな?

明るい日差しの海で泳いで、ビーチで遊んでバーベキュー。どうしてもイセエビが食べたくなった「そるじゃぁ・ぶるぅ」が反則技のサイオンで何処かの海から捕まえてきたのには全員が拍手喝采でした。獲れたてのイセエビを豪快に焼いて食べるだなんて楽しすぎです。そんなこんなで時間はアッと言う間に過ぎて…。
「あれ?」
ソルジャーがふと思い出したように。
「今、何時だっけ?」
「えっと…?」
誰も腕時計なんか付けていません。会長さんがパラソルの下に置いていた荷物から携帯を出して。
「3時5分前。そろそろおやつの時間かな? カキ氷もいいけど、ソフトクリームも捨て難いかも…」
どちらのおやつも別荘の人に頼んで届けて貰うのは同じ。マツカ君が「何にします?」と注文取りを始めましたが…。
「おかしいなぁ…」
ソルジャーが別荘の方を見ながら首を傾げて。
「とっくの昔に着いてる頃だと思うんだ。駅にタクシーが無かったのかな?」
「「「あ…」」」
今の今まで忘れていました。キャプテンが一人で乗った電車が到着している筈なのです。駅に着くのが1時半。そして駅から別荘までは車でそれほどかからない距離で…。
「えっと…。迎えの車を出しましょうか?」
マツカ君が言いましたけれど、ソルジャーは。
「連絡も無いし、放っておこう。こういう時に使うようにって携帯を渡してあるんだからね。タクシーが来るまでボーッと突っ立って待ってればいいさ、ヘタレを直すいい機会だ」
この暑さだし、と笑うソルジャー。
「シャングリラの中じゃ夏の暑さは味わえない。そりゃあ昔は人体実験とか色々あったし、とんでもない暑さの部屋にも入れられたけどさ…。それもすっかり昔の話。快適な温度調整に慣れたハーレイには暑さと戦ってもらおうか」
過酷だった時代の話をサラリと済ませて、ソルジャーはソフトクリームを注文しました。今日のお勧めはブルーベリーとホワイトチョコ。ソルジャーは迷わずダブルです。会長さんはホワイトチョコで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」はミルク味のカキ氷にホワイトチョコのクリームをトッピングして貰うことに。
「それ、いいね!」
ぼくもそれ、とジョミー君が手を挙げ、スウェナちゃんと私も便乗しました。キース君たちは何にすべきか迷っています。「この際だから全部混ぜたら?」とは会長さんの爆弾発言。
「綺麗に盛り付けたパフェみたいに見えるカキ氷をね、スプーンでグチャグチャに混ぜて食べようって国もあるんだよ。…冗談じゃなくて本当だってば! パッピンスって言うんだけども」
「「「パッピンス?」」」
「そう。君たちも好きなビビンバの国のカキ氷さ。ビビンバだって思い切り混ぜて食べるよね? それとおんなじ」
「「「………」」」
凄い食文化もあったものだ、と呆然とする私たちの頭からキャプテンの件はストンと抜け落ちてしまいました。誰がパッピンスに挑戦するかで男の子たちがジャンケンになり、負けてしまったのはキース君です。
「頑張れー!!!」
「もっと混ぜて、もっと混ぜて!!!」
豪華に盛られた三種類のクリームにパイナップルやイチゴのスライス。ベースはミルク味のカキ氷という代物を、キース君はスプーンでヤケクソになってかき混ぜ中。どう見ても食べ物というより残飯ですけど、あれを食べるのは酷でしょうねえ…。
「おい、どうしたんだ? 意外にいけるぞ」
食わず嫌いは良くなかったな、と口にするキース君に背中を向けて私たちは自分のアイスやカキ氷に集中していました。だって、見た目は大切です。かき混ぜられたパッピンスを食べてる人なんか見たら、食欲、一気に落ちますってば…。

賑やかに遊びまくった私たちがキャプテンのことを思い出したのは夕方になってからでした。別荘の方へと引き揚げてくると、出迎えてくれた執事さんが「お客様の御到着は遅れるのですか?」と尋ねたのです。
「「「え…?」」」
「予定の時間にお見えになりませんでしたから、もしやタクシーが無いのでは…、と迎えを出させて頂きました。ですが、駅には誰もおいでにならなかった、と運転手が…」
「……着いてないわけ……?」
まさか、と顔色を変えるソルジャー。慌てた様子で携帯電話を取り出しましたが、不在着信は無いようです。もちろんメールが来る筈もなく…。
「どうしたんだろう? 何かあったなら電話してくると思うんだけど…」
「ブルー、落ち着いて」
会長さんが声をかけました。
「此処で騒いでても仕方ない。とにかく中へ。…話はそれから」
私たちはお風呂に入るように言われ、会長さんはソルジャーと教頭先生、それに「ぶるぅ」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて二階の広間へ。…まさかキャプテンが行方不明になるなんて…。電車に乗り遅れてしまったとかならいいんだけれど、と心配です。大慌てでお風呂に入って広間に急ぐと、会長さんたちもお風呂と着替えを済ませた後で。
「…乗り越しちゃったらしいよ、電車を」
会長さんが苦笑しています。
「ほら、海の景色が綺麗だろう? この辺りはずっと海が見えるし、見とれてる内に時間が経っていたらしい」
「まったく…。ヘタレを通り越して馬鹿だって気がしてきたよ」
あそこまで間抜けとは思わなかった、とソルジャーが携帯を弄りながら。
「ブルーに言われて電話したのに出ないしさ…。いっそ思念で、って思った所でやっと出たんだ。精進弁当とお酒でリラックスしたのも悪かったんだろうね。電車の中で見事に爆睡。…それで言うことがさ、此処は何処でしょう? と来た日にはさ…」
「まだ乗ってたわけ?」
ポカンと口を開けるジョミー君。私たちが乗ってきた電車の終着駅は遙か彼方です。もしかしてキャプテン、終点まで乗って行っちゃいましたか…? ソルジャーは「乗ってるんだよ、今もまだ」と溜息をついて。
「とにかく降りろって言ったんだけど、どうやら終点まで降りられる駅が無いらしい。迎えに行こうかとも思ったけれど、これも修行の内かもね。自力でこっち行きの電車を探して来て貰うさ。流石にタクシーは無くなるだろうし、駅までは車を出すしかないけど」
「えっと…」
マツカ君が電車のダイヤを検索しながら。
「こっち方面へ向かう最後の特急に間に合う時間には到着しますね。乗車賃の方は大丈夫ですか?」
「ちゃんと多めに渡してある。後は自力で頑張るだけだね」
ヘタレ克服、とソルジャーは携帯をソファへと放り投げました。
「よほどの困難に直面するまで連絡は不可と言っといた。だから電話がかかってくるのは駅に到着する頃さ。今度こそ一人旅を無事に完結させて欲しいな。まったく、子供じゃないんだから…。ねえ、ぶるぅ?」
「ハーレイ、時々失敗するよねえ…。キャプテンの仕事は完璧だけど」
「そっちの方で失敗されたら大惨事だ。どうしてキャプテンは務まってるのに、ぼくの恋人としてはダメなのかなぁ?」
それはソルジャーが多くを要求し過ぎなんじゃあ…、と誰もが思ったようですけども、口に出す人はいませんでした。とにかくキャプテンの到着時間は予定よりかなり遅れそうです。夕食にも無論、間に合いません。でも無事は確認されましたから、後は着くのを待つだけですよね。

ゲストが増えることを見越して別荘のシェフが腕を揮った豪華な夕食は私たちの胃袋に収まりました。キャプテンの分だった料理は大食漢の「ぶるぅ」がペロリと平らげ、無駄になってしまうこともなく…。食事が済むといつもの広間でキャプテンの話題に花が咲きます。
「今頃はどの辺にいるのかな?」
「二つ手前くらいの駅だと思うぞ、ほら、此処に」
ジョミー君とキース君がパソコン画面の時刻表などを検証しながら。
「駅弁もいいのが買えてるといいね、絶対お腹が空くだろうし」
「あそこの駅だと…ふく飯か。ふく寿司もそこそこ美味いと聞いたな」
「…ふく? それって何?」
「知らないのか? ふくというのはフグのことだが」
ああ、フグでしたか! キース君が検索して見せてくれた画面にはフグの絵が描かれたお弁当が。この世界に疎いキャプテンがフグ弁当を買えたのかどうかは分かりませんけど、お弁当は買っているでしょう。そしてソルジャーが待つ別荘があるこの駅へ向けて鉄路を走っている筈です。それから間もなく、ソファの上でソルジャーの携帯が鳴って…。
「来た、来た。もうちょっと後になるかと思ったけれども、ギリギリまでは待てなかったか」
ヘタレだけに心細いんだろう、と言いつつソルジャーは思い切り長く放置してから。
「…ぼくだ。…え? どうしたって?」
ソルジャーの声が厳しいものに変わりました。到着を知らせる電話じゃないのでしょうか? 何か車内でトラブルでも…? と、ソルジャーがマツカ君に視線を向けて。
「妙な駅に着いたと言っているんだ。…ハーレイはまた間違えたのかい?」
「…妙な駅…ですか? 駅名は?」
「ちょっと待って。ハーレイ、駅の名前はなんて? 分かった、とにかく訊いてみる」
此処らしい、と告げられた駅名はまるで聞き覚えの無いものでした。けれど会長さんとマツカ君が二人して顔を見合わせて。
「それってド田舎…」
「ローカル線の乗り替え駅ですよ!」
山地のド真ん中ですよ、と青ざめているマツカ君。
「まさか降りちゃったんですか? こんな時間じゃ次の電車は…。それにそこから此処への直通電車は日に一本しか…」
「…要するにまたしても間違えたわけだね、ハーレイは」
ソルジャーは電話の向こうのキャプテンと喧嘩腰でやり取りしてから振り向いて。
「最初から間違えて乗ったみたいだ。ホームを確認しなかったらしい。…それに暗いから窓の外にも注意してなくて、様子がおかしいから慌てて降りた、と」
慣れないキャプテンは駅のホームの案内板を中途半端に見ていたようです。恐らく隣のホームから発車する電車に誤って乗ってしまったのでしょう。会長さんがド田舎と呼んだ駅ではキャプテンの乗ってきた電車が実質上の終電でした。
「…それでこれからどうするって? ふうん? まあ、ぼくはどうでもいいけどね…。この代償は高くつくよ? せっかくの休暇を一日無駄にしたわけだから。うん、うん…。じゃあ、また明日」
電話を切ったソルジャーはフウと大きな溜息をついて。
「迎えに来てくれって言うかと思えば、ホテルがあるから泊まります…だってさ。郷に入りては郷に従えとは言ったけれども、TPOってものがあるだろう! ぼくに寂しく一人寝しろって? 地球の夜に期待してたのに…」
せっかく手配したダブルベッド、とソルジャーはブツブツ文句を言っています。そんなソルジャーには気の毒でしたが、目の毒としか言いようのない大人の時間もどきを繰り広げられなくて済んだのは有難いかもしれません。まあ、その分、明日は凄そうですけど…。と、再びソルジャーの携帯が鳴り始めました。
「今度は何さ? おやすみの電話だったらキレてやる!」
勢いよく電話に出たソルジャーが「はぁ?」と間抜けな声を上げて。
「それはちょっと…。ぼくにも全然分からないや。地球にはそんなホテルがあるわけ?」
聞いたこともない、とソルジャーは私たちをグルリと見渡すと。
「フロントに人がいないと言っているんだ。人の気配はあるらしいけど、呼んでも誰も出てこない…って」
「営業してないってことじゃないのか?」
キース君が冷静に突っ込みましたが。
「ううん、営業中らしい。空き室あります、って表示もあるって。なのにフロントは空っぽで…。え、なんて? ああ、それで選ぶのかもしれないね。…選べた? 了解。…そうか、最先端の形式なのかも…。それじゃ、おやすみ」
今度こそ二度とかけてくるな、と携帯をソファに叩きつけるソルジャー。とりあえずキャプテンのホテルは確保できたようです。これで今夜は一安心…、と。

キャプテンと休暇を過ごす当てが外れたソルジャーは怒り心頭でした。マツカ君に明日の電車を検索させて、間違いなくそれに乗れるようメモを書いています。
「メールが使えたら問題ないのに、ハーレイときたら…。このくらいの反則、許されるよね? ぼくがこのメモを送りつけても迎えに来いとは言わないんだろうな、どうしようもなく気が利かないし…。明日の夜はたっぷりサービスして貰わなくっちゃ気が済まないや」
末尾に大きく『ハーレイの馬鹿!』と書き添えたメモを仕上げたソルジャーは内容に誤りが無いかを私たちに確認させながら。
「こんな間抜けにホテルだなんて勿体無いよね、野宿で充分って気がするけども…。この暑さなら風邪を引く心配もないし、駅のベンチで寝させりゃよかった」
「…それは駅員さんに追い出されるよ」
大真面目に答える会長さん。ソルジャーはフンと鼻を鳴らして「勿体無い」と繰り返しました。
「よりにもよって全部オートのホテルなんだよ? パネルで部屋を選ぶんだってさ。部屋を選んでボタンを押したら、横にあったエレベーターの扉が開いたらしい。…フロントに人がいなくても全部自動で済む仕掛け。きっと最先端だよね」
「「「…???」」」
そんな変わった仕組みのホテルは耳にしたことがありません。どんな小さなホテルであってもフロントに人はいるもので…。旅館のフロントも同じです。民宿とかは別ですけども、そもフロントが無いですし…。あれ? 会長さん、どうかしましたか? 額を押さえているようですが…?
「…ブルー? 何処か具合でも…って、そうか! あれがそうだったのか、なるほどね…」
クスクスクス…とソルジャーが可笑しそうに笑い出しました。
「ふふ、ハーレイがチェックインしたのは普通のホテルじゃないんだってさ。ぼくも流石に知らなかったよ、ノルディと行っておけばよかったかな? 誘われたことはあるんだけどねえ、ラブホテル」
「「「ラブホテル!?」」」
「そういうこと。こっちのハーレイは縁が無いから知らないようだね。…だけどブルーは経験済み、と。ぼくがノルディに聞いた話じゃ、下手なホテルより充実したのが最近の流行りらしいけど…。昔の方が趣きがあって楽しめたってね? 今じゃ作れないタイプの部屋があるとか…」
そんな話をされた所で私たちにはサッパリです。けれどソルジャーはさっきのメモをギュッと握って意識を集中しているようで…。
「やった、当たりだ! 流石ハーレイ」
「「「は?」」」
「鏡張りだよ、ノルディが言ってた伝説の部屋! 田舎に行けば残ってますよ、と聞いていたから探ってみたら…。凄いや、壁も天井も全部鏡がビッシリと…。これはもう押し掛けて行くしかないよね、ほら、こんな感じ」
有無を言わさず送り込まれた映像の中ではキャプテンが所在なさげに座っていました。椅子ではなくてショッキングピンクの大きなベッドで、円形ベッドとでも言うのでしょうか? 何処が頭やら足許なのやら、見当もつかないベッドです。天井と壁は全面鏡で、キャプテンとベッドがあちこちに映り込んでいて…。
「あのベッド、多分、回転するよ。これもノルディに聞いたんだけど、何十年か前に法律で禁止になるまで鏡張りの部屋と回転ベッドはラブホテルの定番だったんだってさ。今じゃ根性で改装し続けてるホテルか、地方の寂れたホテルくらいにしか残ってないっていう話。…その伝説のホテルが出たか…」
怪我の功名、と唇に笑みを浮かべた次の瞬間、ソルジャーの姿は消えていました。もちろんメモも残っていません。ついでにソルジャーの携帯電話も…。
「ねえねえ、ラブホテルってどういうホテル?」
初めて聞くよ、と不思議そうな「ぶるぅ」に会長さんが「大人の時間の専用ホテル」と答えているのがとても遠くに聞こえます。万年十八歳未満お断りでもラブホテルという単語くらいは知っていました。そっか、そういう仕組みでチェックインする場所なんですねえ…って、そんなことを覚えてどうしろと?

一人旅で大失敗をしたキャプテンでしたが、ソルジャーとの地球での特別休暇は結果的には大当たり。別荘から瞬間移動で消えたソルジャーが戻ってきたのは翌日の朝で、何食わぬ顔でいつもの食堂に現れて。
「おはよう。ハーレイは昼前に駅に着くから」
今度こそ間違えない筈だ、と言うソルジャーはキャプテンに電車の時間や出発するホームを書きつけた昨夜のメモを渡したそうです。
「ハーレイの馬鹿って書いてた部分は消したよ。だってさ、ハーレイが電車を間違えて乗らなかったら普通にダブルベッドの夜だしねえ? 鏡張りの部屋も凄かったけど、回転ベッドも良かったなぁ…。青の間に採用したいくらいだ」
どちらもね、と満足し切った顔のソルジャー。
「あんなホテルを見つけちゃったら連泊しないのは勿体無い! と思ったけれど、あそこは海が見えないんだ。思い切り山の中だしさ…。だから今夜は此処で過ごすよ、地球での休暇は海が無いとね」
水の星を満喫しなくては、と言ったソルジャーでしたが、昨夜うっかり楽しみすぎて海には入れないのだと嘆いています。
「…一昨年と同じだよ。痕をつけるな、って注意するのを忘れてた。注意してても無駄だったかもしれないけどさ…。鏡張りって興奮するんだ。あっちにもこっちにもハーレイとぼくが映ってる。肌の色が違うってことは分かってたけど、あんな風に見えるものなんだ…って」
「ブルー!!!」
会長さんが声を荒げましたが、ソルジャーは全く気にしていません。今度は回転ベッドの魅力について語りたいらしく、赤い瞳を煌めかせる姿にキース君が深い溜息をついて。
「…悪いが、俺たちには難しすぎて分からないんだ。そういう話はブルーにしてくれ。…行くぞ、今日も浜辺でバーベキューだ」
「かみお~ん♪ イセエビ、焼こうね!」
美味しかったもん、と飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて私たちは食堂を後にしました。残っているのは会長さんとソルジャーと「ぶるぅ」、それにソルジャーに引き止められた教頭先生。部屋に戻って水着に着替え、ビーチへ向かおうとしていた所で食堂の方から執事さんの声が…。
「教頭先生、倒れちゃった?」
ジョミー君が言い、キース君が。
「鼻血がどうとか聞こえてくるしな…。今日のバーベキューの食材調達は俺とシロエにかかってくるのか…」
「腕の見せ所ですよ、キース先輩! キャプテンが着くまでに沢山獲って、教頭先生に褒めて頂きましょう!」
今日こそイカを捕まえます、とシロエ君は気合が入っていました。教頭先生に素潜りの腕を認めて貰おうと頑張った二人は魚も貝も、念願のイカも捕まえてきて…。
「うん、美味しい! やっぱり地球の休暇は海だね」
ソルジャーが水着姿のキャプテンに焼きたてのサザエを勧めています。海に入れないソルジャーはシャツを着込んでいましたけれど、御機嫌の方は上々でした。キャプテンが別荘に到着した時も玄関まで迎えに行ったのです。
「ハーレイ、初めての一人旅、お疲れ様。素敵なホテルに連れてってくれたし、遅刻の件は不問にしとくよ。…だけど海に入れないのは残念だよね…。休暇は明日で終わりになるのに、それまでに痕は消えないだろうし」
「…すみません、ブルー…。海を楽しみにしてらっしゃったのに」
「うん。ハーレイと海で泳ぎたいな、って思ってた。…海かぁ…。もっと泳いでおけば良かったなぁ…」
来年の夏まで機会は無さそう、とソルジャーはジョミー君たちが海に入ってゆくのを羨ましそうに見ていましたが。
「…そうだ、ボートだ! 昨日、ブルーとそういう話をしてたんだよね。ボートだったら海に出られる。こっちのハーレイが交代要員がいてくれたなら…って言ったんだっけ」
そうだよね? と水を向けられた教頭先生は。
「この人数で!? それはあまりに無茶なのでは…。あなたとブルーと、ぶるぅが二人。それにスウェナとみゆで6人、漕ぎ手が二人で合計8人…。どうしても、と仰るのなら4人乗りのボートを2隻ですね。あなたのハーレイが漕げるのならば……ですが」
「漕いでもらうさ。遅刻の件は不問にするけど、海に入れない方は諦め切れない。…マツカ、ボートを手配してくれる? ハーレイは漕ぎ方を習っておいて」
サイオンでね、とソルジャーは片目を瞑りました。
「携帯電話しか使えないのも楽しかったし、とっても役に立ったけど…。やっぱりミュウには思念波が馴染む。あの携帯は思い出の品に取っておくのが一番さ」
沢山写真も撮ったしね、と自慢するソルジャーの携帯にどんな画像が入っているのか、知りたくもありませんでした。鏡張りの部屋や回転ベッドを撮りまくったに決まっています。スウェナちゃんと私が頬を赤らめて俯いていると、ソルジャーは「やっぱり分かる?」と微笑んで。
「ノルディにも記念に一枚送っておいたよ。すぐに返信してきた所が凄いよね。…私の知識がお役に立って光栄です、って。メールも出来ないハーレイなんかとは雲泥の差だ。あ、こっちのハーレイは使えるんだっけ」
君にも一枚あげようか? と訊かれて教頭先生は大慌て。
「け、けっこうです! それより、ボートの用意が出来たようですよ。行きましょうか」
「そう? 残念」
せっかく素敵な写真なのにねえ、とソルジャーが携帯をコッソリ操作するのをスウェナちゃんと私は確かに見ました。教頭先生が漕いでくれるボートに乗り込んだのはスウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。キャプテンのボートにはソルジャーと会長さんと「ぶるぅ」が乗って海に出て…。
「おーい、こっちだよー!」
ジョミー君が泳ぎながら手を振っています。男の子たちが遠泳していたコースは相当に距離のあるものでした。別荘ライフは明日の午前中まで。この一週間、毎日遊んで騒ぎまくって…。
「ふむ。サイオンで伝えた程度であれだけ漕げれば立派なものだな」
教頭先生がキャプテンの腕前に感心しています。ボートの上では会長さんとソルジャーが口論してましたけど、昨日の今日ではそれも当然。どうせ理解不能な言葉の応酬だろう、と対岸の火事を眺めてボート遊びを楽しんで…。教頭先生が鼻血で派手にぶっ倒れたのは別荘ライフ最後の夜でした。はずみで吹っ飛んで壊れてしまった携帯電話にどんな画像が届いたのかは、ソルジャーしか知らないみたいですよ~!



マザー農場の夏祭りが済むと今度は海への旅行でした。ソルジャーと「ぶるぅ」が来ませんように、との願いも空しく、アルテメシア駅の集合場所には会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に連れられた二人が当然のように現れて…。
「おはよう。今年もよろしく頼むよ」
「かみお~ん♪ よろしくね!」
ガックリ肩を落とした私たちの前にやって来たのは教頭先生。
「すまん、すまん、私が最後か。…まだ時間には余裕があると思ったのだが」
「その考えは甘いよ、ハーレイ」
会長さんが突き放すように。
「今は旅行に人気のシーズン! もちろん駅弁も大人気だ。目当てのお弁当を買い逃しちゃったら悲しいよねえ、誰だって。…と、言うわけで…」
財布、と会長さんは教頭先生を指差しました。
「遅刻のお詫びに全員分のお弁当と飲み物代を負担すること! さあ、売り切れない内に買いに行こうか」
「「わーい!!」」
歓声を上げて駆け出したのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」です。私たちも会長さんに促されて駅弁売り場へ。
「思い切り高いのを頼むといいよ。ほら、ステーキ弁当なんかが美味しそうだ」
「で、でも…」
ジョミー君が遠慮し、キース君は幕の内弁当を注文しようとしたのですが。
「えっと、ステーキ弁当を7個。…みゆとスウェナもそれでいいよね?」
会長さんは勝手に決めてしまいました。い、いいんでしょうか、ステーキ弁当…。ファミレスのランチが2回ほど食べられそうな値段ですけど! ん? 7個? なんだか数が合わないような…。
「はい、君たちの分」
お弁当が入った袋を受け取るように言われた時点で気が付きました。会長さんたちの分が無いのです。教頭先生は既に格安のお弁当の方を向いてますから構わないとして、会長さんやソルジャーは? 売り場で一番高かったのはステーキ弁当なんですが…。
「ん? ああ、ぼくたちの分のお弁当?」
会長さんはニコッと笑って売り場の女性に。
「予約していたブルーだけども」
特製弁当4人前、と会長さんが告げた店の名前は有名な高級料亭でした。店員さんが奥から運んできたのは店名と紋が入った風呂敷包み。あそこって駅弁、あったんですか!? 仰天している私たちの間でマツカ君が。
「注文に応じて作るんですよ、行楽弁当みたいなものですね」
「流石マツカは詳しいね。君の分も頼めばよかったかな?」
風呂敷包みを受け取りながら尋ねる会長さんに、マツカ君は慌てて手を振って。
「い、いえ、ぼくは…! 普通のお弁当で充分です…」
申し訳ないですし、と教頭先生を見遣るマツカ君。教頭先生は見るからに不安そうな顔で店員さんに向き合うと。
「…そこの一番安い弁当を一つ。それと…」
飲み物は? と訊かれた私たちはペットボトルのお茶を注文しました。けれど会長さんとソルジャーは…。
「あれがけっこう美味しいんだよ」
「なるほどね。このお弁当にも合うのかな?」
「もちろん。ねえ、ハーレイ? 君はお酒が好きだったよね? 未成年の代わりによろしく」
お勧めはあれ、と会長さんが示す銘酒の小瓶を2本も買う羽目になった教頭先生。特製弁当と違って値札がきちんとついていますが、飲み物にしては高すぎです。どうなるんだろう、とドキドキの私たちの前で教頭先生は自分用のお茶と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」が選んだ飲み物を注文し…。
「これで全部だな? では、会計を頼めるだろうか」
「ありがとうございます!」
店員さんが計算を終えて示した価格はそれは素晴らしいものでした。財布を取り出し、苦々しい顔で支払いを済ませる教頭先生。その後ろでは会長さんが満足そうに微笑んでいます。先日のカンタブリアへの旅で私たちの旅費を負担してくれた人と同一人物とは思えませんけど、やっぱり会長さんはこうでなければ…という気もしました。ついに私も末期でしょうか?

例年どおりマツカ君が貸し切ってくれた電車の車内は気分も快適。ワイワイ騒いで、お昼前にはお弁当を広げて…。会長さんたちの特製弁当は二段重ねで、蒔絵が施された漆塗りの器に入っています。器も相当高いのでしょう。教頭先生、初っ端からお気の毒としか…。
「いいんだってば、覚悟の上だろ?」
会長さんが格安弁当な教頭先生の手元を覗き込んで。
「ぼくと一緒に旅するからには、物入りなのは当然だよねえ? いくらマツカの別荘行きでも、出来る範囲は大人が負担しなくっちゃ。…ありがとう、ハーレイ、お弁当もお酒も美味しいよ」
「そうか…。それならいい」
穏やかな笑みを浮かべる教頭先生の懐の深さは流石でした。豪華弁当もお酒も自分のお腹には入らないのに、会長さんのためなら許せますか! ソルジャーと「ぶるぅ」の分まで払わされてもオッケーですか…。
「愛されてるねえ、相変わらず」
ソルジャーが銘酒の小瓶を傾けて。
「ハーレイと一緒に旅行っていいよね、ぼくには無縁な世界だし…。一昨年の夏に一晩だけ君のハーレイが入れ替わってくれたけど、あの時は本当に幸せだったな」
「「「………」」」
私たちは言葉に詰まりました。好き放題に見えるソルジャーですけど、本当はそうではありません。自分の世界に戻れば厳しい現実が待っていますし、この瞬間だって異常があったら戻れるようにと意識の一部を常に研ぎ澄ましているわけで…。そんなソルジャーとキャプテンが揃って旅行をするというのは夢のまた夢。
「またハーレイとこっちの世界で過ごしたいね、って…あれから何度も話してたんだ。ひょっとしたら、この夏はそれが実現するかもしれない」
「「「えぇっ!?」」」
「まだ確定じゃないんだけども…。今、ぼくたちの世界は平穏でね。ハーレイも特別休暇を取れる可能性が出てきたんだよ。それでさ…」
マツカ、とソルジャーは呼び掛けました。
「君の別荘、途中から一人増えても大丈夫かな? そこのハーレイそっくりの人が」
「え? ええ…。人数は問題ありませんけど…」
「大丈夫、見た目の方なら操作は出来る。もう一人ゲストが増えた、というだけの認識で深く追求させないようにするのは得意さ。じゃあ、ハーレイを呼んでもいいんだね?」
「かまいませんよ」
任せて下さい、と頷くマツカ君。私たちは「ダメーッ!」と叫びかけたのですけど、ソルジャーとキャプテンが揃って私たちの世界で過ごせる機会は少ないのでした。何か騒ぎが起こるかも…、なんて曖昧な理由で潰してしまうのは人でなしというものです。
「無事に休暇が取れるといいね」
会長さんが微笑み、教頭先生がソルジャーに柔らかい視線を向けて。
「私もお祈りしてますよ。…休暇は長く取れそうですか?」
「ぼくとハーレイの二人となると二泊三日が限度かな。…残念だけどそれが限界」
ぶるぅがもう少し使えればねえ…、とソルジャーは溜息をつきました。
「サイオン全開だと3分間しか持たないだろう? ぼくの代わりに置いておくには心許ない。まあ、だからこそ一緒に出て来ちゃっても誰も文句を言わないんだけど」
「どうせ3分間だもん! 子供だから仕方ないんだもん!」
プウッと膨れてしまった「ぶるぅ」の頬をソルジャーが指でピンと弾いて。
「分かってるってば。いてくれるだけで助かってるよ、だからそんなに膨れない! ほら、お酒」
「かみお~ん♪」
待ってましたとばかりに銘酒の小瓶を引っ手繰った「ぶるぅ」でしたが。
「………。ブルー、これって空っぽだよ?」
「香りだけでも嬉しいだろう? 地球のお酒は格別だよね」
「ひどーい!!!」
お~ん、と泣き出した「ぶるぅ」に会長さんが少し残っていた自分のお酒を渡しています。私たちを乗せた電車は順調に走り、お昼過ぎにマツカ君の別荘の最寄りの駅に到着しました。迎えのマイクロバスに乗り込み、海沿いの豪華な別荘へ。今年もお世話になりますよ~!

お馴染みの執事さんが出迎えてくれた別荘で私たちが最初にしたのは部屋割のチェック。去年は教頭先生にダブルベッドの部屋が割り当てられてしまい、最終日に大荒れしたのです。幸い、今年はマツカ君が手配をしてくれたようで教頭先生の部屋は普通でした。
「なんだ、つまらない…」
そう言ったのは勿論ソルジャー。
「今年も絶対ダブルベッドだと思ったのにさ。…ブルーだって期待していたんだろ?」
「…まあね」
君とは全く違う意味で、と会長さん。
「去年は君に引っ掻き回されて散々だったし、今年はリベンジしようかと…。押し掛けてオモチャにしようと思っていたのに、これじゃダメだね」
「…来てくれないのか?」
教頭先生の残念そうな声音に会長さんは。
「オモチャにするって宣言されても来てほしいわけ? だったら意地でも来てあげないよ、それはそれでオモチャになるもんね。…毎日ぼくと顔を合わせて、寝るのも同じ屋根の下。なのに何一つ起こらない! 無視し続けるのも楽しいものさ」
「いいね、それ。だったらぼくも放っておこう」
寂しく一人で寝てるといいよ、とソルジャーが横から割り込みました。
「ぼくのハーレイが無事に休暇をゲット出来たら、思い切り見せつけてあげるから。…知ってるんだよ、君がぼくの写真をオカズにしていることくらいはね。あわよくば…とも思ってるだろう? 残念でした、今回は一切手出ししないよ」
ヘタレ直しの手伝いもしない、と言い切るソルジャー。私たちは躍り上がらんばかりでした。会長さんが教頭先生を旅のお供に指名して以来、今年はどんな大惨事が…と誰もが気が気じゃなかったのです。しかもソルジャーと「ぶるぅ」がいるんですから、どう転んでも騒ぎになるのは間違いないと覚悟していて…。
「良かった、今年は平穏そうだ」
しみじみ呟くキース君。去年は教頭先生とダブルベッドで相部屋にされ、最後の夜にソルジャーの悪戯でバニーちゃんの衣装を着せられた上で教頭先生にセクハラまがいの濃厚な接触をされたのです。教頭先生はキース君を会長さんだと勘違いしていたみたいですけど。
「…すまん、去年は迷惑をかけた」
申し訳なさそうに頭を下げる教頭先生に、キース君は「気にしてません」と笑顔で返して。
「そこのブルーが悪いというのは分かってますから! きっと今年は大丈夫ですよ」
「……そうだな……」
歯切れの悪い教頭先生の心の中は会長さんへの未練で一杯でした。どうしてそんなことが分かるのかって? これだけ心が零れていれば、サイオンのレベルがヒヨコ程度の私たちでも感じ取れますって!

会長さんとソルジャーは宣言通りに過ごしました。教頭先生は色っぽい意味では見事に無視され、完全に便利屋扱いです。ビーチへ行く時の荷物持ちやら、海辺でのバーベキュー用の食材調達。素潜り名人の教頭先生、ソルジャーが「アワビが食べたい」と言えばアワビを、会長さんが「サザエ!」と言えばサザエを採りに何度も海へと。それでも嬉しそうに出掛けてゆくのが健気と言うか何と言うか…。
「ふふ、今日も充実してたよね」
夕食を終えた会長さんが大きく伸びをしています。私たちは別荘の二階の広間でのんびりゆったり過ごしていました。教頭先生は美味しそうにビールを飲んでいますし、テーブルの上にはお菓子がたっぷり。男の子たちは更にピザまで頼んでいたり…。今日は教頭先生の先導で遠泳に行っていましたから。
「ぼくたちもボートで一緒に行けばよかったかな? ずいぶん遠くまで行ったようだし」
待ってる間が退屈だった、と会長さん。スウェナちゃんと私、それにソルジャーと「ぶるぅ」、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は遠泳は遠慮したのでした。かき氷を食べたりトウモロコシを焼いたりしてましたけど、食材調達係がいないとバーベキューの楽しさは半減で…。
「そのボートって誰が漕ぐのさ? ぶるぅたちには絶対無理だし、女の子にも漕がせられないよ」
ぼくも絶対御免だからね、とソルジャーが口を尖らせ、会長さんが。
「そうか、漕がなきゃいけないんだよね…。これだけの人数がいたらぼくだって嫌だ。待ってて正解。…誰かさんと違って肉体労働は向いていないし」
意味ありげな視線の先にいた教頭先生が苦笑しながら。
「なんだ、ボートに乗りたいのか? だったらいつでも漕いでやるぞ」
「ふうん? それじゃ今日の遠泳コースをボートで辿って貰おうかなぁ? ブルーもぶるぅも、スウェナたちも乗せて。…ハーレイの力なら漕げるんじゃないの?」
「やってやれないことはないが…。交代要員が欲しいところだな」
「じゃあ、ジョミーたちを泳がせといてさ。…ハーレイがへばったら交替で漕いで貰うとか?」
ジョミー君たちの顔が青ざめ、「無理、無理!」と両手で×印を作っています。遠泳の途中でボートに上がって漕ぎ手と交替なんて無茶としか言いようがありません。そんな案が通ったら大変とばかりにキース君も「俺にも無理です!」と叫んでいますし、ボートは諦めさせなくちゃ!
「…ん?」
騒ぎになりかけた広間でソルジャーが首を傾げました。明らかに意識が別方向に向いてるようです。ボート騒動は瞬時に収まり、会長さんが。
「ブルー? どうかした?」
「あ、ごめん。…今、ハーレイの手が空いたんで打ち合わせをね。明日から休暇が取れるらしい。予定通りの二泊三日で、ぼくたちの滞在最終日まで」
「「「!!!」」」
ついにキャプテン登場ですか! 息を飲む私たちの中からマツカ君が。
「よかったですね。…それじゃ早速、お部屋の手配をさせますから」
「ダブルベッドでお願いしたいな、せっかくだから。…ぼくの部屋は今までどおりで。ぶるぅが好きに使うからね」
「分かりました。御到着は何時頃でしょう? ひょっとして直接、この別荘へ?」
そうですよね、とマツカ君。ソルジャーやキャプテンは時空を越えてやって来るので、瞬間移動みたいなものです。キャプテンもビーチか何処かへ直接姿を現すのでしょう。ところが…。
「ああ、それだけどね」
ソルジャーは楽しそうに瞳を煌めかせて。
「ハーレイも旅をしてみたいらしい。一昨年に帰りだけ乗った電車が忘れられないみたいでさ…。可能だったらアルテメシアから電車に乗って一人で此処まで来たいそうだよ」
「なるほどねえ…」
初めての一人旅か、と会長さんが教頭先生の方を見遣って。
「聞いたかい、ハーレイ? こっちの世界で一人で電車に乗りたいらしいよ、君も協力してあげたら? あっちのハーレイに君の服を貸すのは当然だけど、旅をするなら荷物も要るよね。貸す予定の服を教えてくれたらぼくが荷物に纏めるからさ」
「…そうだな、手ぶらで旅というのは寂しいな。私も協力することにしよう」
「いいのかい?」
ソルジャーは嬉しげに会長さんと教頭先生を交互に見詰め、それからパチンと指を鳴らすと。
「「「!!?」」」
青い光がパァッと溢れて出現したのはキャプテンでした。えっと…。いきなり来ちゃったんですか? 一人旅がどうとかいうのは話をしていただけなんですか?

「こんばんは。突然お邪魔して申し訳ございません」
深々とお辞儀したキャプテンの休暇は、まだ始まってはいませんでした。今日の勤務が終わって自室に引き揚げた所だそうで、明日の朝に休暇中の指示をしてから特別休暇に入るのだとか。
「私が電車に乗りたいと申しましたら、ブルーが打ち合わせに来るようにと…。電車というのはそんなに難しい乗り物ですか?」
「え? 別に難しくは…。ねえ?」
ジョミー君が首を捻り、キース君が。
「行き先を決めて切符さえ買えば、子供一人でも乗れますよ。そちらの世界には無いんですか?」
「いえ、同じような乗り物はありますが…。ブルー、打ち合わせは不要なのでは?」
「お金」
ソルジャーが鋭く指摘しました。
「君はお金を持ってるのかい? 切符を買うにはこちらの世界のお金が必要。駅までは迎えを頼むとしてもね、アルテメシアから此処までの乗車賃が要るんだよ」
「…そうでした…。すみません、電車は諦めます。あまり御迷惑をおかけするわけには…」
滞在費だけでもマツカ君の丸抱えですから、キャプテンの言葉は尤もでした。けれど。
「お金ならぼくが持ってるんだよ」
ほらね、とソルジャーが宙に取り出したのは何枚かのお札。慌てて財布を探る教頭先生に、ソルジャーは軽くウインクして。
「盗っちゃいないよ、これはヘソクリ。色々と便利に用立ててくれるお金持ちの知り合いは持つものだよね」
「「ま、まさか…」」
教頭先生と会長さんの声が重なり、ニヤリと笑ってみせるソルジャー。
「そのまさかさ。ノルディはね、ぼくが食事に付き合ってあげるとお小遣いをたっぷりくれるんだ。余った分を持って帰って貯めておいたら、電車代くらい軽く出せるわけ。だけど財布は持ってない」
特に必要無かったから、と説明するソルジャーに教頭先生が。
「でしたら財布はお貸ししますよ。服なども今日の間に渡しましょうか?」
「それもあってハーレイを呼んだんだよね。荷物一式渡しておいたら、明日はアルテメシアの駅に移動させれば完了だし…。ハーレイ、こっちのハーレイに借りたい物をお願いすれば? ブルーが纏めてくれるそうだよ」
自分のペースで話を進めるソルジャーでしたが、財布や着替えや旅行鞄など、キャプテンの一人旅に必要なグッズはそれから間もなく揃いました。キャプテンは荷物を抱えて一旦自分の世界に帰り、明日、ソルジャーにアルテメシア駅まで送って貰うことに…。
「それだけあったらお弁当なんかも買えるだろう? 駅に着いたらタクシーがあるし、迎えの車は要らないよね。その方が気楽でいいと思うな」
「ありがとうございます…」
感極まった様子のキャプテンに、更にソルジャーが渡したものは。
「はい、これ。一人旅にはこれも必須だ」
「「「………」」」
今度こそ私たちは目が点でした。ヘソクリは理解の範疇でしたが、なんでソルジャーが携帯を持ってるんですか! まるで必要ないものなのに…。
「ノルディにおねだりしちゃったのさ。休暇を取れそうなことが分かった時点で、ハーレイと色々話をしてて…。電車に乗りたいようだったから、それなら携帯が必要だろうと」
「思念波で充分だと思うけど?」
会長さんの冷たい口調に、ソルジャーは「分かってないね」と肩を竦めて。
「君たちだって普段は思念波を使わないだろ? 君やぶるぅは使ってるかもしれないけれど、そこの子たちは使っていない。もちろん君のハーレイも…だ。郷に入りては郷に従え。…一人旅の間くらいは普通の連絡手段を使わなきゃ」
そしてソルジャーは自分用だというキャプテンのとペアの携帯を取り出し、使い方のレクチャーを始めたのですが…。キャプテンはメールをマスターすることが出来ませんでした。不器用すぎて文字が打てないのです。通話専用となった携帯を持たされたキャプテンは自分の世界に帰って行って…。

「お部屋の手配をしておきましたよ」
マツカ君が戻ってきました。キャプテンが帰ってすぐに執事さんの所へ行って、明日から増えるゲストについて話をしてきたみたいです。それから私たちはキャプテンが乗る予定の電車のダイヤを確認したり、用意周到なソルジャーの態度を突っ込んだり。
「なんで携帯までねだってくるのさ、ノルディなんかに!」
会長さんが詰ると教頭先生が。
「私に仰って下されば用意させて頂きましたのに…。安い買い物とは申しませんが、ブルーの身の安全を考え合わせるとそれくらいのことは…」
「ああ、ノルディはブルーに御執心だからねえ。お蔭でぼくも美味しい思いが出来るんだけど」
婚約指輪も貰っちゃったし、とソルジャーはニヤニヤしています。
「現地妻募集の時に貰ったアレね、やっぱり値打ち物だったよ。ぼくの世界で鑑定に出したら凄い値段がついたんだ。売っちゃおうかと思ったけれど、いつか切実に困った時に売ろうかなぁ、って。…地球産の宝石は本当に希少価値なのさ」
しかも非加熱のピジョン・ブラッド、とソルジャーが自慢している指輪はエロドクターからプレゼントされたものでした。元々はドクターが会長さんのために買った指輪でしたが、今はソルジャーが持っています。
「ノルディは本当に気前がいいし、後腐れのない付き合いが出来て気に入ってるんだ。ハーレイとぼくとで使いたい、って言っているのに嫉妬もせずに携帯を買ってくれたしねえ…。なかなか出来ないことだと思うよ」
「遊び人っていうのはそんなものだよ!」
会長さんが柳眉を吊り上げ声を荒げても、教頭先生が溜息をついても、ソルジャーの耳には入っていません。明日から始まるキャプテンとの休暇で頭が一杯になっているようで…。
「駅弁はどれがお勧めだと思う? やっぱりステーキ弁当かなあ? 特製お弁当は今からじゃ手配が間に合わないよね」
「…あれは三日以上前までに要予約!」
不機嫌そうな会長さんがピシャリとはね付け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えっとね、ステーキ弁当もいいけど、精進弁当も美味しいんだよ! ステーキはそっちの世界にもあるでしょ? 精進弁当は無いんじゃない?」
「ベジタリアン用のお弁当かい?」
「えっと……お寺で出てくるお料理でね、お肉とかを使ってないのに栄養があるの! お坊さんの修行って厳しいんだけど、このお料理を食べれば乗り切れるんだよ」
「ふうん? じゃあ、食べたらヘタレも直るかな? 修行用の料理と聞いたら見逃せないね。こっちの世界でも夜は存分に楽しみたいし…。早速連絡しておこう。どんなビジュアル?」
よし、とキャプテンに思念で連絡しているソルジャー。荷物一式と携帯電話を持ったキャプテンは精進弁当を買って電車に乗ることになりそうです。
「…キャプテンが乗る電車って、ぼくたちが乗ったのと同じだよね?」
お昼過ぎに着くヤツ、とジョミー君が言い、サム君が。
「だよな。俺たちがゆっくりしてられるのって、明日の昼までってことになるのか?」
「逆にのんびり出来るようになるかもしれませんよ? ソルジャーが静かになってくれれば」
希望的観測というヤツですけども、とシロエ君。
「キャプテンと部屋に籠ってくれれば万々歳だな」
キース君の言葉に会長さんが。
「…そっちには期待していない。ハーレイが来たら見せつけるって宣言してたのを忘れたのかい? あからさまにイチャつかれるか、アヤシイ台詞を吐きまくるか…。とにかく!」
会長さんはソルジャーにビシッと指を突き付けました。
「マツカにダブルベッドの手配をさせたりしていたけどね、その程度で止めて貰おうか。この子たちは万年十八歳未満お断りだって前から何度も言ってるだろう! 君たちの休暇には協力するから、ぼくたちに迷惑をかけないように努力して。…ただし、ハーレイはどうでもいい」
「了解」
ソルジャーは大きく頷いて。
「ハーレイ以外に配慮しとけばいいんだね? それじゃ明日からよろしく頼むよ、ぼくのハーレイが増えるから。ぶるぅ、お前もいい子にすること!」
「分かった、大人の時間なんだね!」
無邪気に答える「ぶるぅ」の声に私たちは床にめり込みました。教頭先生も溜息をつきつつ、眉間の皺を揉んでいます。キャプテンの一人旅が無事に終わったら大人の時間の始まりですか? 見ざる聞かざるで知らないふりをしていられればいいんですけど…。おっと、その前に一人旅! キャプテン、電車に乗り遅れないで下さいね~!



会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生まれた伝説の島、アルタミラ。その島が火山の噴火で海に沈んだ日に行われる灯籠流しに参加した私たちの旅はいつもと全く別物でした。二泊三日も会長さんと一緒にいたのに、なんの騒ぎも悪戯も無し。こんなことは一度も無かっただけに、すっかり調子が狂ってしまって…。
「本当にこれでいいのかな?」
ジョミー君が首を傾げたのは旅から数日経った朝。私たちは会長さんのマンションに近いバス停に集まり、キース君に注目しています。キース君の手には袱紗包みが。
「一応、親父に確認してみた。子供が出すなら十分だろうと言っていたぞ」
「そっか、それなら安心だよね」
袱紗包みの中身は『御本尊前』と書かれた熨斗袋。旅の費用を会長さんに負担してもらっただけに、何か御礼を…と相談した末にこういう結果に落ち着きました。お小遣いを出し合ってなんとか工面したお札が一枚。本当は三枚にしたかったのですが、夏休みはこれからが本番だと思うと思い切った額は出せません。二枚という案も出ましたけれど、まあ一枚でいいんじゃないかと…。
「じゃあ、行くか」
キース君を先頭にして私たちはマンションに向かい、入口のロックを開けて貰ってエレベーターで最上階へ。玄関のチャイムを鳴らすまでもなく扉が中から開けられて…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「おはよう。時間どおりだね」
出迎えてくれた会長さんにキース君が袱紗包みを差し出しました。
「この間は世話になった。…少ないんだが、俺たちの気持ちだ」
「え? 気を遣ってもらわなくても…」
「そういうわけにはいかんだろう。阿弥陀様の前にお供えしてくれ」
「お参りに来てくれるだけで良かったのにさ。それも言い出したのは君たちだったし」
要らないよ、と押し返す会長さんにキース君は強引に熨斗袋を押し付け、それから私たちは中に入って阿弥陀様のある和室へと。会長さんの家族の人たちに改めてお参りさせて欲しい、と申し入れたらこういうことになったのでした。
「見ての通り、位牌の類は無いんだけどね。そういうのは全部お任せしてある」
和室には阿弥陀様の御厨子や仏具がありましたけど、言われてみれば御位牌は一つも置かれていません。会長さんの家族の人には戒名とかは無いのかな? キース君が代表で尋ねると、会長さんは。
「この前に行ったカンタブリアの称念寺を覚えているだろう? アルタミラを一番最初に供養しておられた御住職が戒名をつけて下さった。位牌も作って下さったんで、そのままお世話になっているのさ」
「それで回向料を届けていたのか…」
「まあね。島に住んでた他の人の縁者も今は一人も残ってないから…全員の分をお願いするわけ」
称念寺はアルタミラで亡くなった人の御位牌を幾つか預かっているのだそうです。そうだったのか、と改めてしんみりしていると。
「ほら、お参りに来てくれたんだろう? 早く済ませて食事にしよう」
ぶるぅが朝粥を用意してるよ、と促されて私たちは阿弥陀様の前に座りました。お経はキース君とサム君に任せておいて、唱和したのはお念仏だけ。それでも会長さんは嬉しかったようで…。
「ありがとう。ぼくの家族も喜ぶよ。カンタブリアに連れて行ったのは間違ってなかったみたいだね」
「…すっかり調子が狂ったけどな」
キース君の遠慮のない言葉を会長さんはサラッと右から左に流し、ダイニングの方へと歩いていきます。朝粥って言ってましたし、食事としてはハズレかも…と思ったのですが。
「本格的じゃないですか!」
マツカ君が驚きの声を上げました。えっ、なになに? お粥だけではないようですけど、何が凄いの?
「えっと…。父と何度か行ったんですけど、有名な老舗料亭のメニューですよ」
それだけを食べに朝早くから出掛ける人があるんです、とマツカ君。そのメニューをそっくり再現したらしい「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意そうです。炊き合わせや蒸し魚、白和えなどが並んでいる中、一番の目玉は二つに切られた卵だとか。
「美味しい!」
「半熟でもないし、固ゆでってわけでもないね。その中間…?」
「これが朝粥の名物なんです。作るのは難しいらしいんですけど…」
凄いですね、とマツカ君が手放しで褒めています。本当に美味しい卵でした。お粥の方もいい味ですし、こんな朝食、たまにはいいかも…。

食事の後はリビングに移って夏休みの過ごし方の計画。まだまだ休みは続くのですから、少なくとも海には行かなくては! 今年もマツカ君が別荘を用意してくれるのです。
「ああ、それだけどね」
会長さんが手帳を広げて。
「今年もブルーが来るんだってさ。…断ったらノルディの別荘に泊まりに行くって脅してきたし、ブルーとぶるぅは確実に来るよ」
「「「………」」」
「ただし希望が無いこともない。ぼくたちが行く日程に合わせてブルーの休暇が取れなかったらおしまいだ。…多分無理だと思うけどさ」
希望の日にちを言ってたから、と会長さんが挙げてきたのは来週からの一週間。残念なことに誰もが暇な時期でした。断る口実が無いのです。これは諦めるしかない、と別荘行きはそこに決定。早速マツカ君が執事さんに電話をかけようとした所へ。
「あ、ハーレイもお願いしたいんだ」
ニッコリ笑う会長さん。
「毎年、なんだかんだでハーレイも行っているだろう? だからいないと物足りなくて…。一応、ハーレイにも訊いてはみたんだ。ブルーとぶるぅが一緒に来るけど、それでも今年も来たいかい、って。…そしたら、あれだけ散々な目に遭ってるくせに来たいらしいよ」
懲りないねえ、と会長さんは笑っていますが、教頭先生は会長さん一筋三百年以上。会長さんと旅行に行ける機会を見逃すわけがありません。教頭先生とソルジャーが揃うとなると心配ですけど、先日の旅が平穏だったツケが回ってきたと思っておくしかないでしょう。
「それじゃ海に行くのはその日だとして…」
会長さんはマツカ君が手配を終えるのを待って切り出しました。
「その前に夏祭りに行くのはどうかな? マザー農場でやるんだけども」
「「「マザー農場?」」」
そんなお祭りは初耳でした。シャングリラ学園と密接な関係のあるマザー農場ですが、普段は広く一般の人を受け入れています。夏祭りなんかをやってるとしたら話題になりそうですけども…。
「ああ、お祭りと言っても内輪なんだよ。前に話さなかったっけ? シャングリラ号の大規模な乗員交替は夏休み中にあるんだってこと」
「「「???」」」
「忘れちゃった? 君たちが入学した年の納涼お化け大会で脅かしてたのが、交替を終えて戻ったクルー。そんな話を教えたことがある筈だよ」
そう聞いて思い出しました。納涼お化け大会はサイオニック・ドリームなどで様々な仕掛けが施されていて、半端ではなく怖かったのです。当時の私たちはサイオンという言葉も知らない頃でしたから、ただただ不気味でしたっけ。後になって聞けば、脅かす役目は宇宙での勤務を終えたクルーに人気だという話で…。
「思い出した? それでね、乗員交替はもうすぐなんだ。勤務期間は基本が一年。その間に何度か地球に戻りはするけど、長期滞在は出来ないし…。つまり乗り込むクルーの送別会かな、夏祭りは」
露店なんかも出るんだよ、と会長さんが取り出したのはチケットの束。
「これはソルジャーとしてのぼくが配るチケット。乗り込むクルーと関係者向けに作っているんだ。露店とかが全部タダになる。功労者にも配ってるから、はい、君たちに」
「「「え?」」」
「さっきお供えをくれただろう? その御礼さ」
海老で鯛を釣るとはこのことでしょうか? お供えした金額は頭割にすると微々たるもの。露店のタコ焼きを3皿も買えばゼロになります。露店が全部タダになるチケットの方が絶対高いと思うんですが…。いいのかな、と顔を見合わせていると。
「いいんだってば、ぼくがあげるって言うんだしね。その代わり、もう少しだけ思い出話に付き合ってもらうことになるけど」
夏祭りに行くなら予備知識は必須、と会長さんは微笑みました。
「シャングリラ号のクルーの送別会だよ? 仲間のことを全く知らずに参加してると恥をかくかも…。そうでなくてもソルジャーの友達ってことで注目されているからね」
クスクスクス…と笑う会長さん。えっと、思い出話って…? アルタミラの他にもまだ色々とあるんですか?

ソファに座り直した私たちに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が冷たい飲み物とカラフルなゼリーを運んできました。花の形のゼリーですけど、中身がムースになっています。色によって味が違うのだそうで、早速始まるジャンケン勝負。ううっ、負けた…。欲しかった薔薇のはスウェナちゃんに持っていかれました。
「ぶるぅのお菓子は大人気だね」
会長さんがウインクして。
「思い出話はぶるぅのことから始めよう。ぼくの一番最初の仲間で、シャングリラ学園のマスコット。そして最強のタイプ・ブルー…。ぶるぅは今年何歳になるか知っている?」
「え、えっと…」
即答できた人はいませんでした。お誕生日パーティーには何度も出てますけれど、ケーキの蝋燭はいつも1本だからです。キース君が指を折って数え、天井を仰いで数え直して。
「…記憶違いでなければ5歳…じゃないかと…」
「うん、正解」
よくできました、と会長さん。
「ぶるぅは今年のクリスマスで5歳。…毎年1歳だと主張してるけど、卵から孵って5年目になるのは事実なんだ。それから、これは覚えてる? ぶるぅは決して6歳にならないっていう話」
「「「あ…」」」
そっちは何度も聞いています。卵から生まれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は6歳の誕生日を迎える前に卵に戻り、また0歳からやり直す、と。今年で5歳になるということは、来年のクリスマスまでに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は卵に戻ってしまうのでした。そうなると何が起こるんでしょう…? 心配になった私たちに、会長さんは。
「記憶は全部引き継がれるから問題ない。それは分かるよね? ただ、ぶるぅが暫くいなくなる。ぼくは思念で会話できるけど、君たちはちょっと無理かもしれない」
「ごめんね、卵の中って思念が届きにくくって…」
普段はそうでもないんだけど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。青い卵に化けた姿は今までに何度か目にしています。その時は普通の生徒にも届くレベルの思念波を使っていましたけれど、本格的な卵になると違うのかな…?
「えっとね、最初は眠くなるんだよ」
眠くて仕方なくなるのだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は教えてくれました。眠気に逆らえなくなると卵になって、フィシスさんが作ったクッションの上で孵化するまで眠っているのだそうです。フィシスさんの前はエラ先生が作っていたというクッションは会長さんの思念が残り易いらしく、安心して眠っていられるとか…。
「ぼくね、卵に戻るとお誕生日が変わるんだ。ずっとそうだったし、それでいいやと思ってたけど…。次のお誕生日もクリスマスがいいな、って」
みんなと楽しく遊べるもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニッコリ笑って。
「だから頑張るね、クリスマスの朝に間に合うように! 眠くなるのも我慢するんだ♪」
「そういうことに決めたらしいよ」
会長さんの言葉を聞くなり、キース君が。
「決めたって…。ぶるぅの意思でなんとかなるのか? 簡単にどうこう出来るんだったら誕生日が統一されていそうだが」
「…普通ならね。だけどぶるぅは子供なんだ」
大人の考えは通用しない、と会長さんは人差し指を立ててみせると。
「今までは誕生日にしたい日が無かった。この期間だけは卵になれない、という時があっただけで…。卒業式と入学式にはぶるぅがいないといけないからね、そこさえ外せば良かったんだよ。だからぶるぅは気紛れに卵に戻ってやり直してた。でも今回は…違うんだってさ」
「あのね、クリスマス・パーティーの次の日がお誕生日でしょ? みんなお祝いしに来てくれるし、この日が一番良さそうだなぁ…って。ブルー、クリスマスの朝は絶対起こしてね!」
「「「起こす!?」」」
そんなことが可能なのか、と私たちは驚きましたが、会長さんは孵化する時の目覚まし役を引き受けることもあるそうで…。
「ぶるぅがクリスマスには起きると言うならそうするまでさ。たとえ卵に戻ったのがイブの夜でもね」
「「「イブ?」」」
それってまさかクリスマス・イブではないでしょうね? いくらなんでも一夜で孵化するとは思えませんし…。けれど会長さんはチッチッと指を左右に振って。
「ぶるぅが卵に戻るのは大人になりたくないからさ。…6歳になれば学校に行くし、ぶるぅにとってはそれは子供じゃないらしい。6歳までにリセットしたくて卵に戻っているだけだからね、思い切り深く眠ってしまえば一晩で孵化してもいいんだってば」
「「「……一晩……」」」
呆然とする私たち。短くても一ヵ月くらいは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会えなくなるのだと思っていたのに、最短の場合は一晩ですか! ホッとしたような、馬鹿にされたような、なんとも複雑な気分です。でもでも、これは仲間の間ではきっと常識なのでしょう。今まで全く知らなかっただけに、会長さんに感謝しなくっちゃ!

「ぶるぅが初めて卵に戻ったのは二人で旅をしていた時でね」
あの時はとても驚いたよ、と会長さんは語り始めました。アルタミラを失くした会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は宿屋に住み込んで働きながらお金を貯めて、それから二人で旅に出て…。そんなある夜、「眠くなっちゃった」と寝床に入った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は青い卵に。
「…話しかけても返事しないし、何処から見ても卵だし…。アルタミラでぶるぅの卵が孵化するまでにはかなりかかった。だから長く待たないと駄目なんだろう、と思うと涙が出てね…。だって、今度こそ一人ぼっちじゃないか。ぶるぅの卵が孵るまでは、さ」
会長さんは旅を続ける気力も失くして泣きながら眠ってしまったそうです。ところが翌朝、卵は見事にパカッと割れて。
「おはよう、ブルー、って言うんだよ。どうしたの、って心配そうに訊かれて泣いていることに気がついた。あの時、ぼくは決意したんだ。ぶるぅと二人も気楽でいいけど、仲間がいるなら探さなきゃ…って」
それからの会長さんは宿に泊まる度に思念波を方向を定めずに送り、仲間を集めようと頑張って…。
「最初に呼び掛けに応えてくれたのがハーレイだった。…思念波でぼくたちの宿を伝えて、次の日に来てくれるよう頼んだんだよ。ぶるぅと二人でワクワクしながら待ってたっけね。そうだよね、ぶるぅ?」
「うん! ブルーが友達が来るよ、って教えてくれたから楽しみで…。どんな人かなぁ、って色々お話してたんだ」
え。友達? 仲間じゃなくって友達ですか? 凄く若そうな感じですけど、教頭先生、昔は私たちとあまり変わらなかったとか? そりゃあ…最初から今の外見なわけがないですが…。私たちは教頭先生の少年時代を懸命に想像してみました。でも…。
「普通は想像つかないよねえ?」
ぼくにも無理、と会長さんが必死に笑いを堪えながら。
「ぼくたちも誤解していたんだよ。仲間はきっと同い年くらいで、同じ力を持ってるだろう…って。だってさ、ぼくもぶるぅも力は同じで、二人とも年を取らないし…。それが普通だと思うじゃないか」
「……違ったわけ?」
ジョミー君の問いに、会長さんは。
「宿の食堂で待っていたのに入ってくるのは大人ばかりで、夕方になってもぼくの仲間は現れない。おかしいね、って話をしていて、朝からずっと居座ってる人に気がついた。ウドンとか天丼とかをお代わりしながら粘ってるんだ。待ち合わせするには変な場所だし、もしかして…と思念を送ったら振り向いた」
「それが教頭先生ですか?」
シロエ君が言い、会長さんが。
「…残念ながらそうだったんだよ。そりゃ今よりは若かったけど、どこから見ても立派な大人さ。声を掛けたら真っ赤になって、ガチガチに緊張しちゃってね。…かなり後になってからやっと気付いた。あの瞬間に一目惚れしたらしい」
「「「………」」」
「ハーレイは外見どおりの年上だった。だけどサイオンは遙かに弱くて、もちろん瞬間移動も出来ない。それでも仲間探しの旅をするなら一緒に行く、と言ってくれたし、大人がいれば用心棒になるからね。…そして三人での旅が始まったわけ」
そこにゼル先生が加わったのは数年後。ゼル先生は教頭先生より少し年上で、身体の弱い弟さんがいたので出会ってすぐに旅に誘ったら「今は行けない」と断られたとか。その後、旅先に「弟が危篤になった」と手紙が届いて、大急ぎでゼル先生の家を訪ねると…。
「…ぼくたちが駆けつけた時、ゼルの弟は……ハンスって名前だったんだけど、もう口も利けない状態で…。ゼルは大声で泣いていた。目を開けてくれ、頼む、ってね。そしたらぶるぅが可哀想だって泣きだして……力を分けてあげたいよう、って」
「だって可哀想だったんだもん…。ゼルに言いたいことがあるのに声が出ない、って心で泣いてたんだもん…。だから力をあげられるかな、って触ったんだよ。そしたら…」
小さな手がハンスさんの身体に触れた瞬間、青い光が溢れたそうです。一瞬浮かんだ赤い手形が吸い込まれるように消え失せた時、ハンスさんは目を開けて若き日のゼル先生に「俺はいいから兄貴は旅に行ってくれ」と言い、眠るように息を引き取ったとか。
「それがぶるぅの最初の手形。…ハンスの葬儀を終えたゼルが旅の仲間に加わった後、ヒルマンやエラやブラウに会って……アルテメシアまで来たんだよ。そろそろ腰を落ち着けようって話になって、家を借りてさ。ぼくとぶるぅ以外は大人だったし、稼ぐには塾でも開こうかって」
「…それがシャングリラ学園になったわけか」
キース君の言葉に、会長さんは頷いて。
「みんなサイオンを持ってるからね、専門知識を仕入れてくるのはお手の物だろ? いい先生がいるって評判になって、生徒も増えて…。そんな頃に校長と知り合った。校長のサイオンは遅咲きだったし、理事長もそうだ。二人ともアルテメシアの有力者でさ、私財をポンと寄付してくれて、シャングリラ学園が出来たわけ」
それから後はトントン拍子、と会長さんは微笑みました。学校は順調に大きくなって仲間の数も少しずつ増え、特別生なんて制度も出来て、その裏でシャングリラ号まで建造して…。マザー農場はシャングリラ学園で使う食材を調達するためと、仲間たちの就職場所とを兼ねて作られた施設だそうです。

会長さんの思い出話はスケールの大きなものでした。シャングリラ学園創立秘話と言ってもいいような話です。ちなみにゼル先生の弟さんを一時的に持ち直させたという「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形パワーは、会長さんのサイオンと同じで次第にパワーアップしていって……今では因子の無い人にサイオンを与えることが可能なレベル。
「だけどやっぱり子供なんだよ」
無邪気なものさ、と会長さんが笑っています。思い出話から数日が経ち、私たちはマザー農場で夕方から開催される夏祭り会場に来ていました。チケットが無くても顔パスだという「そるじゃぁ・ぶるぅ」は金魚すくいに綿飴に…、とお祭り気分を満喫中。
「かみお~ん♪ あっちにグレイブがいるよ!」
トコトコと駆けてきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が指差す先には浴衣姿のグレイブ先生とミシェル先生。どうやら射的をしているようです。今日のマザー農場は夕方以降は仲間だけしか入れませんし、先生たちがいてもおかしくないかも…。二人とも射的の達人みたいですね。
「あれってサイオン使ってるよね?」
ジョミー君がグレイブ先生たちの腕前を見ながら言ったのですが。
「使用禁止に決まってるだろう」
会長さんがアッサリ否定しました。
「いくらクルーの送別会でも、サイオンのレベルは色々だから仲間内でも使用は禁止。グレイブたちの腕は本物さ。大学時代に射撃をやっていたらしい」
「「「………」」」
グレイブ先生夫妻の意外な特技に私たちはビックリ仰天。会長さんの思い出話も衝撃でしたが、仲間しかいない場所というのも意外な発見があるものです。粋な浴衣で金魚すくいに興じるエラ先生とか! 生ビールのジョッキを掲げて乾杯中の人たちはシャングリラ号に乗り込んで行くメンバーだとかで、会長さんもその輪に引っ張り込まれて…。
「やっぱりブルーってソルジャーなんだね…」
しみじみと呟くジョミー君に、キース君が。
「そのようだな。…あいつが高僧でソルジャーだなんて、何度言われても目にしていても、さっぱりピンとこなかったんだが……ちょっと見直す気になった。悪戯してない時のあいつは俺たちには想像もつかない程の重荷を背負っているのかもしれん。アルタミラにしても、シャングリラ学園のことにしても…」
「そうだよなあ…」
寂しげな声はサム君でした。
「俺、ブルーに色々よくしてもらって、すっかり舞い上がっていたけどさ…。俺にブルーの恋人なんかを名乗る資格があるのかな? 公認カップルって冗談なんじゃあ…」
「大丈夫ですってば、サム先輩は!」
きちんと贔屓されていますし、とシロエ君が背中を叩きました。
「資格が無いならとっくの昔にオモチャにされてると思いますよ。将来有望だとかそういうことも絶対言ってはくれないでしょうし…。って、そういえば…」
シロエ君は首を捻って。
「ここってマザー農場ですよね? ジョミー先輩、来ちゃってよかったんですか? 会長がテラズ様のことを思い出したらおしまいなんじゃあ…」
「げっ!」
やばい、と叫んだジョミー君。テラズ様というのはマザー農場の宿泊棟の屋根裏に納められた上棟式の人形でした。付喪神になっていたのを会長さんが鎮めたのですが、このテラズ様、何故かジョミー君に惚れてしまって、ジョミー君が仏門に入る妨げにならないよう成仏したという因縁があり…。
「ど、どうしよう…。ぶるぅに頼んで家へ送って貰おうかな? 逃げるが勝ちって言うもんね…」
キョロキョロと見回すジョミー君ですが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は露店巡りを終えてグルメ三昧しに行ったのか姿が見えませんでした。宿泊棟の食堂でバイキングをやっているのです。宿泊棟に行けば「そるじゃぁ・ぶるぅ」は捕まるでしょうが、そこにはもれなくテラズ様が…。
「やばい、やばいよ、宿泊棟には行けないし…。ブルーがあっちで盛り上がっててくれれば安心だけど…」
会長さんは今期に乗り込むクルーに囲まれて私たちを忘れているようです。もう一押し、と縋るような瞳のジョミー君が発見したのは遅れてやって来た教頭先生。ジョミー君はキャプテンの制服で颯爽と歩く教頭先生を捕まえて…。
「えっと、ブルーはあそこです! お願いします!」
「…何をだ?」
「とにかく頑張って欲しいんです!!!」
「………? よく分からないが、努力しよう。ブルーに会えるのは嬉しいしな」
支離滅裂なジョミー君に背中を押された教頭先生が会長さんに熱烈なプロポーズをしたのは数分後のこと。怒り心頭の会長さんがジョミー君を引き摺って宿泊棟に向かったのは当然の結果でした。…ジョミー君、今日の所はテラズ様のためにお念仏を唱えさせられるだけで済みましたけど、いつかは絶対、仏門行きですよね…。



昔、沖合にアルタミラがあったという町、カンタブリア。温泉旅館での一夜が明けると海の幸がふんだんに使われた朝食が並び、会長さんや男の子たちは朝風呂にも入ってきたとかで温泉気分を満喫しているみたい。二泊三日の旅行ですから、今日はゆっくり観光かな? あまり見る場所、無さそうですけど。
「朝ご飯が済んだら出掛けるからね」
会長さんの言葉に頷く私たち。今回の旅のスポンサーは会長さんですし、そうでなくてもカンタブリアの名所なんかはサッパリです。朝食を終えて宿の外に出ると、雲ひとつない夏空でした。
「泳ぎたくなるお天気だよね」
ジョミー君が水着を持って来るべきだったとぼやいています。けれど会長さんはクスッと笑って。
「海水浴の予定は無いから、水着の用意とは言わなかったよ? この辺りには海水浴場が少ないんだ。広い砂浜が無いんだよね。地元の人が泳ぐ程度の小さいのしか…。それに今日は地元の人は海に入らない日になってるし」
漁もお休み、と言われて漁港の方を見下ろしてみると漁船が停泊しています。漁火漁の船は夜しか出漁しないとしても、海があるからには夜の漁だけではないでしょう。確かに休漁日っぽいですけども、休漁日だと海に入るのも禁止ですか?
「漁業権とかの関係かな。海に潜って貝を採るのも漁の内さ」
会長さんに言われて納得しかけた私たちですが。
「…ふふ、君たちは実に素直でいいね。今日は何の日か、もう忘れちゃった? 7月28日だけは海に入るなって言われてるんだよ、三百年ほど昔から…ね」
「「「あ…」」」
今日はアルタミラが海に沈んでしまった日。その日に海に入るのが禁じられているということは…。
「そう、海に入るとアルタミラで亡くなった人たちの霊に引っ張り込まれる。船の場合も同じことさ。だから地元の人は漁に出ないし、アルタミラがあった辺りの漁業権はカンタブリアの漁協が押さえているからね…。今夜は漁火も見えない筈だよ、他の地区の船も来ないから」
「それであんたが供養に来たのか?」
キース君の問いに、会長さんは「まあね」と曖昧な笑みを浮かべて。
「本当の所は引っ張り込むような霊はいないよ、とっくの昔に。だけどアルタミラの記憶が消えてしまうのは悲しいじゃないか。だから地元の人が自粛してくれる間は甘えておくのもいいかなぁ…って。これから行くのもそういう所」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は温泉街を奥へと向かい、完全に民家ばかりになっても更に奥へと歩いていきます。裏山に突き当たりそうになった所で道は山沿いに折れ、家は無くなってしまいました。いったい何処へ、と私たちが小声で話し合っていると…。
「ほら、見えてきた。あそこだよ」
温泉街よりも一段高くなった海を見晴らせる場所に建っていたのはお寺でした。観光寺院には見えませんけど、そこそこ立派な佇まいです。山門には『称念寺』と書かれた看板が掛けられていて、キース君が。
「ここも俺たちと同じ宗派か?」
「うん。この名前だと分かりやすいよね。100%とは言えないけどさ」
称念という言葉には『南無阿弥陀仏と唱える』との意味があるのだそうです。璃慕恩院は南無阿弥陀仏のお寺ですから、称念寺を名乗るお寺は会長さんやキース君と同じ宗派の確率が高いらしいんですけど、南無阿弥陀仏と唱える宗派は他にもあって…。
「あそこの開祖は璃慕恩院で修行したんだよ。だからあっちもお念仏なんだ」
かなり毛色が違うけどね、と会長さん。
「とにかく、ぼくは璃慕恩院。この称念寺も璃慕恩院。アルタミラが栄えていた頃から此処にあった。…来てごらん」
会長さんに連れられて入った境内の一角に見上げるような自然石の石碑がありました。歳月を経た石ならではの風格があり、表面に大きく彫られているのは『アルタミラ供養塔』の文字。いつの間にか「そるじゃぁ・ぶるぅ」が白百合の花束を抱えていて…。
「はい、ブルー」
「ありがとう」
花束を受け取った会長さんは供養塔の前にそれを供えて両手を合わせ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も小さな両手を合わせています。キース君とサム君も神妙な顔で合掌中。私たちも慌てて拝みました。えっと…南無阿弥陀仏でいいんですよね?

会長さんが供養塔に向かって唱えたのはお念仏だけではありませんでした。長くて難解なお経でしたが、キース君が淀みなく唱和したのは流石というか…。読経を終えた会長さんは百合の花束を指差して。
「フィシスが用意してくれたんだよ。ぶるぅはそれを取り寄せただけさ」
「「「え?」」」
「暑い時期だし、朝一番に仕入れた花が最高だよね。カンタブリアにも花屋はあるけど、フィシスが引き受けてくれるならその方がいい。なんと言ってもぼくの女神だ」
アルタミラの記憶も持っているから、と会長さんは得意そうです。フィシスさんは先祖のものらしいアルタミラの記憶を受け継いでいて、それを会長さんに見せてあげることが出来るのでした。だからこそ会長さんはガニメデ地方の何処かの町に生まれたフィシスさんをシャングリラ学園に連れてきたわけで…。
「おい」
キース君が会長さんに尋ねました。
「供養の旅に連れてくるのは本当に俺たちで良かったのか? フィシスさんとか、長老の先生方とか、相応しい人がいるだろうに」
「みんな何度か来てるんだよ。…君たちはぼくの初めてのクラスメイトだってハーレイたちも言ってるだろう? 友達には見せておきたいじゃないか、ぼくの故郷を」
海に沈んでしまった島だけどね、と水平線の彼方を見詰める会長さん。この供養塔にお参りするのが今回の旅の目的でしょうか? これなら確かに夜の間に瞬間移動で来れば済むことです。花束を供えて、お経を上げて…。でも、お寺の人は誰がやっているのか知ってるのかな?
「次はあっち」
私の疑問を読み取ったように会長さんが庫裏を指差しました。
「御挨拶をしておかないとね。ぼくの用事はこっちなんだ。花束よりもずっと大切」
そう言った会長さんの手には袱紗包みが。スタスタと庫裏まで歩いて行って声をかけると、白い髭の老僧が法衣を纏って現れて。
「これはこれは…。昼間においでになるのは何年ぶりになりますかのう?」
「いつも夜中に邪魔してごめんよ。今年は上手く時間が取れた。後ろの連中はぼくの友達」
「ほほう…。それでは、お仲間ですかな?」
「うん。そうでなければ連れて来ないよ」
事情を知っているらしい老僧に、会長さんは袱紗包みから厚い熨斗袋を取り出すと。
「今年も宜しくお願いするね。…いつも供養塔を守ってくれてありがとう」
「いえいえ、当然のことをしているまでで…。このようなお気遣いは御無用ですのに」
「ぼくにとっても当然のことさ。続けられる間は届けに来るよ」
「私どもも頑張ってお守りさせて頂きます。せがれと孫は夜の準備に出ておりまして…」
御挨拶も出来ませんで、と恐縮している老僧に、会長さんは「かまわないよ」と微笑みかけて。
「畏まられると困っちゃうな。一番最初にお世話になったのはぼくの方だし、その時の御恩は忘れてないし…。アルタミラの供養を続けてくれるお寺があるのも嬉しいからね」
ありがとう、と頭を下げた会長さんは、老僧が「どうぞ中へ」と言うのも聞かずにクルリと踵を返しました。
「ぼくの用事はこれでおしまい。…暑い最中にウロウロすると疲れちゃうから帰ろうか」
庫裏を離れた会長さんは、もう一度アルタミラ供養塔に手を合わせてからお寺の門を出てゆきます。此処へ来た目的はさっきの熨斗袋だったようですけども、あれの中身って、やっぱりお金…? 温泉街へと戻る途中で私たちがヒソヒソ話し合っていると。
「お金の話はしないで欲しいな、回向を頼んだだけだから。…ぼくがわざわざ頼まなくても、お寺の行事になってるけどね」
毎年7月28日の夜にアルタミラ供養の法要が執り行われているのだそうです。
「ぼくも昔はそんな行事は知らなかったよ。…ぶるぅと二人きりになってしまって、食べていくのが精一杯で。お金を貯めて旅に出てから、命日に合わせてカンタブリアに来てみたら…さっきのお寺の当時の御住職が供養の船を出していたんだ」
後でゆっくり話してあげる、という会長さんが帰り道に立ち寄ったのは昨日のお菓子の店でした。私たちも今は由来を知っているので、また食べられるのは大歓迎。会長さんに勧められるままに丸い形のと、好みのサイズに切り分けるのとを買って貰って、いざ宿へ。…夏の海に来て海水浴が無しというのは残念ですけど、アルタミラが沈んだ日だというなら遠慮するのが筋ですよね。

昼食は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお気に入りだという宿のレストランの鉄板焼き。新鮮なアワビやホタテがとても美味しく、カンタブリアに来た目的を思わず忘れてしまいそう! 会長さんもアルタミラの話ではなく普通の話題をしてますし…。けれど、食事を終えて会長さんの部屋に集まった所でキース君が。
「人目も無いから、もういいだろう。…あんたが届けた回向料は半端じゃなかったと思うがな。俺たちの旅の費用も出してると言うし、そこまでする理由を知りたいんだが」
「…回向料はお世話になっているから。旅の費用を負担したのは、思い出話をしたかったからさ。…ぼくがどうして仏の道に足を踏み入れることになったのか……とかね」
「「「えぇっ!?」」」
回向料はともかく、会長さんが出家したことに理由があるとは驚きでした。単に面白そうだったから、なんて言っていたのに、実は動機があったんですか? 顔を見合わせる私たちに、会長さんは苦笑しながら。
「もう話してもいい頃だろう? いくらサイオンが使えるとはいえ、生半可な覚悟で修行は出来ない。キースが住職の位を取るための道場入りも迫っているし、そろそろ話しておかないとね。それに…」
アルタミラを知って貰いたかった、と会長さんは続けました。
「ぼくとぶるぅがアルタミラを失くしてから、何年くらい後のことだったかな…。まだハーレイとは出会ってなくて、二人で旅を続けてた。一度アルタミラの跡に行ってみようかって話になって、どうせなら7月28日に…と思ってさ。その頃にカンタブリアに来たら、7月28日だけは船は出せないって言われたんだよ」
「船を沈められるんですよね?」
シロエ君が窓の外の海に視線をやって。
「それって作り話でしょう? もし本当なら、話題の心霊スポットですよ」
「…今も続いているならね」
会長さんの答えに私たちは仰天しました。まさか本当に幽霊が? 海に出た船は本当に沈められたとか…?
「沈められた船は多かったんだ。7月28日に限らず、アルタミラがあった辺りで網を入れた船が沈むわけ。漁をしていた船じゃなくって財宝目当ての船なんだけど」
アルタミラは豊かな島でしたから、金銀財宝が引っ掛かるかも、と考えた不届き者がいたのだそうです。船の漕ぎ手にカンタブリアの人が雇われていたことも多く、そのためにアルタミラが沈んだ7月28日だけは漁に出ても駄目だと言われ始めて…。
「ぼくもぶるぅもビックリしたよ。それが本当なら、尚のこと…アルタミラへ行かなきゃいけないじゃないか。船を沈めるってことは島の住人が成仏してない証拠だしね。船が駄目なら瞬間移動で、とも考えた。だけどアルタミラに行って、何が出来る? お念仏くらいは唱えられるけど、それでなんとか出来るのか…って」
会長さんがカンタブリアの宿で悩んでいた時、耳にしたのが一隻だけ出航するという噂。さっき行ってきた称念寺の住職を乗せた供養の船が7月28日の夜に港を出るというのです。
「当時の御住職はアルタミラが沈んで以来、毎年、船を出していたのさ。君たちも供養塔を見ただろう? あれを建立したのもその人。…それを聞いて、ぼくは急いでお寺に行った。ぶるぅと一緒に船に乗せて貰えませんか…って頼みにね」
アルタミラの生き残りだと語った会長さんの願いを住職は快く聞き入れてくれ、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は夜に出航した船で沖合へ。住職がお経を上げ、乗り組んだ人たちが幾つもの灯籠を海に浮かべてゆくのを会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は静かに見ていたそうなのですが…。
「お経を唱え終わった御住職が、ぼくたちを振り向いて言ったんだ。…おいでになっていますよ、とね」
「「「は?」」」
「ぼくにもぶるぅにも見えなかったけど、両親たちの霊が来ていたらしい。あの噴火から逃れていたとは思わなくって、ぼくたちのことが心配で……それが心残りになって成仏できずにいたんだってさ。無事に会えたからもういいんだ、って喜んでるって言われてもね…。見えないだなんて悲しいじゃないか」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は住職が示す辺りを必死に探したらしいのですけど、家族の姿は見えないまま。住職に促されてお念仏を唱えた時に、微かな光が空に向かって昇ってゆくのを目にしただけで…。
「お浄土に旅立って行かれましたよ、と言われて無性に涙が出た。どうして会えなかったんだろう…って。ぼくにもそういう力があったら、最後に姿を見られたのにね。声だってきっと聞けたと思う。それが悔しくて悲しくてさ…。サイオンなんか役に立たない、あんな力が欲しい…って」
そう思ったのが最初かな、と会長さんは深い溜息をつきました。
「それからも何度かアルタミラ供養の船に乗ったよ。御住職は毎年、何人もの霊を成仏させているようだった。自分の命がある間に全部の霊をお浄土へ送って差し上げなければ、と口癖のように言っておられてね…。だけど相変わらず、ぼくには何も見えなくて。…これはサイオンの問題じゃないな、と確信した」
その頃には既にシャングリラ学園の基礎が出来つつあって、サイオンを持った仲間も集まり始めていたそうです。けれど死んだ人の霊が見える仲間は一人もおらず、会長さんの力も年々強くなっていたのに霊は一つも見えはせず…。
「だから御住職に尋ねたんだよ。その力は生まれつきですか…って。そしたら修行を積んだお蔭だと教えて下さって、アルタミラの供養をしたいのだったら喜んで力になりますよ…とも仰った。結局、ぼくが悩んでる間に、アルタミラの人たちは全部成仏しちゃったけども」
出遅れちゃった、と肩を竦める会長さん。アルタミラ供養の船が出ることはなくなり、港で行われる法要と灯籠流しがそれに代わったそうなのですが、家族の霊をその目で見送れなかったことと住職の言葉は会長さんの心の中に消えずにずっと残っていて…。
「御住職が隠居なさった時にやっと決心がついたんだ。あの力をぼくも身に付けよう…って。サイオンだけでは補えないものがこの世にあるってことだろう? 手に入れればきっと役に立つ。そう思ったから御住職に頼んで、仏門に入ることにした」
そうやって今のぼくがいるわけ、と会長さんは微笑みました。
「家族の霊も、アルタミラの御近所さんの霊も送ってあげられなかったけれど…。あの世で幸せに暮らして欲しいし、そのためには供養しないとね。だから毎年、回向料だけは届けに来るんだ」
自分で回向に出向くのが一番だけど、と会長さんは言っていますが、私たちと夏休みを満喫してればそれは出来ない相談でしょう。夏休みの方を取るのが如何にもと言うか、なんと言うか…。会長さんらしいと言ってしまえばそれまでですけど。

思いもよらない会長さんの出家の動機に私たちは暫く無言でした。そんなに深い理由があるとは誰も想像しなかったでしょう。キース君ですら腕組みをして難しい顔。
「…あんた、なんで今まで黙っていたんだ」
俺だって誤解していたんだぞ、とキース君は食ってかかりました。
「銀青様の話は残っているがな、何故仏門に入られたのかは今もハッキリしていないんだぞ? お寺に御縁のある人だった、ということだけしか分からない。だから、あんたが面白そうだったから修行してみたら高僧になれた、と言っていたのを本気で信じてしまったじゃないか!」
「それだと何か不都合でも?」
会長さんの問いに、キース君は。
「大いにある! サイオンさえ強かったら簡単に高僧になれるんだな、と俺は思っていたんだぞ! 残念ながら俺はタイプ・イエローらしいが、場合によってはタイプ・ブルーを凌ぐ力が出せるというから思い切り期待してたのに…。あんたのさっきの話からして、サイオンと修行は関係ないと?」
「全く無いとは言わないよ。修行でズルをしたこともあるし、何よりも髪の毛を誤魔化すのがね…。ぼくは一度も坊主頭にしたことがないと言っただろう?」
ねえ? と私たちを見回す会長さん。その話は何度も耳にしています。女の子を口説くのに髪の毛はポイントが高いとか何とか、色々と…。うんうん、と頷いているとキース君が。
「それくらいのことは俺でも分かる! カナリアさんの道場入りでは役に立ったし、サイオンは確かに便利なものだ。だが、その程度のものなのか? 仏の道を極める上では俺も親父も同じ立場か!?」
「君の父上は仲間になったと思ったけどな」
会長さんの鋭い指摘に、キース君はグッと詰まって。
「し、しかし…! 親父は思念波も操れないし、俺の方が断然有利なのかと…。もしかして、俺よりも先に出家している親父の方が高僧になるのは早いのか!?」
「順番から言えばそうなるねえ…」
のんびりした口調の会長さん。
「お寺の世界は年功序列。よほど優れた部分が無ければ大抜擢とかは無いわけだし? 君のお父さんも頑張ってるし、順調に位が上がっていけば君よりも先に緋の衣だ」
「…くっそぉ…。俺が親父に負けるのか?!」
「勝ち負けの問題じゃなくて、そういうものだと言ってるんだよ。ただし、君の努力次第で流れは大きく変わるだろうね。ぼくという大先達もいるんだからさ、がむしゃらに修行してみたら? 丸坊主になって頑張ってみれば凄い成果が出る……かもしれない」
「憶測で話を進めるなぁ!」
騙されないぞ、とキース君は眉を吊り上げています。けれど会長さんが高僧なのは疑いようもない真実で…。
「ぼくの言葉を信じるも良し、信じないも良し。坊主頭の件はともかく、努力は大いに関係するよ。後は本人の素質かな…。その点で言えば君よりもサムに分があるね。なんと言っても霊感有りだ」
会長さんに視線を向けられたサム君は…。
「そ、そりゃあ…。見えちゃったことはあるけど、見ようと思って見えるモノでもないわけで…。ど、どうなのかな? 修行したら見えるようになるのかな…」
「多分ぼくよりは早いと思うよ。キースと一緒に…って言うのは無理だし、ジョミーと一緒に本格的に修行してみる? キースはスタートが早かったしね」
お寺の息子だったから、と会長さん。サム君が今から努力したってキース君には追いつけません。でも、それは住職の資格を得るまでの話。そこから先は努力次第で…。
「どうだい、ジョミー? サムと高僧を目指すかい?」
会長さんに話を振られてジョミー君は震え上がりました。
「い、嫌だってば、お坊さんなんて! …ぼくは普通でいいんだから! 供養する人も特にいないし!」
「そりゃあ、直接はいないだろうねえ…。御両親も御健在だし、シャングリラ・プロジェクトに賛成して下さった今となっては君と一緒に長生きだし。でもね、世の中には色々と…。それに君はタイプ・ブルーで、素質はあると思うんだけどな」
「絶対イヤだーっ!!!」
アルタミラなんて知ったことか、とジョミー君は真っ青です。この流れでいくと会長さんのペースに巻き込まれて危険な道へと進まされるのは明白でした。今日は7月28日、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の故郷が海に消えた日で…。会長さんの思い出話にほだされていると、仏門行きになってしまう可能性が高いんですよね。

ジョミー君はアルタミラから伝わったお菓子をおやつに食べる間も「仏門入りは嫌だ」と騒いでいました。会長さんも「仕方ないね」と諦め切った様子です。キース君はサイオンが修行に役立たないと知ってショックを受けていましたけれど、会長さんが仏門を志した理由が真っ当なものだと分かったことは嬉しいようで…。
「灯籠流しは今でもやっているんだな。あんたは行くのか?」
フロントで貰ったというチラシを見ているキース君。アルタミラの供養から始まった灯籠流しはいつの頃からかカンタブリアの先祖供養の意味合いも兼ねて港で行われるようになったそうです。二千もの灯籠を流すというので見物に行く宿泊客も多く、この旅館からもマイクロバスでの送迎が…。
「せっかく7月28日に来たんだしね。もちろん行こうと思っているよ。…実は送迎も頼んであるんだ」
この宿を予約した時からね、と会長さんはウインクして。
「観光客が飛び入りで灯籠を頼むのは禁止だけれど、予め頼んでおけば流せる仕組み。なんと言っても先祖供養だ。だから人数分、お願いしてある」
「「「えぇっ!?」」」
「本当は……ぼくの家族に見せたいんだよね、ぼくと一緒に灯籠を流してくれる友達が沢山できました…って。そりゃ、ぼくだって高僧だしさ…。わざわざ灯籠なんか流さなくても、ちゃんと報告済みなんだけど…」
でもね、と会長さんは窓越しに海を眺めながら。
「アルタミラが海に沈んだ日だから、特別なことをしたいじゃないか。フィシスがシャングリラ学園に来てくれた時にはフィシスを連れて来たんだよ。…フィシスはそれからも何度も来てるし、ハーレイだって…長老のゼルたちとセットではあるけど何度か来てる。ぼくの家族に会わせたい人を連れて来る所なんだよ、此処は」
「「「………」」」
そう言われると誰も断れませんでした。さっきまで大騒ぎしていたジョミー君ですら、しんみりとした顔をしています。そんなこんなで、夕食を終えた私たちは暗くなった宿の前から貸し切りのマイクロバスに乗り込んで…。
「かみお~ん♪ こっち、こっち!」
港に着くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が岸壁にある灯籠の受付場所へ連れて行ってくれました。会長さんが頼んだ灯籠を受け取って一基ずつ私たちに渡してくれます。蝋燭が灯った灯籠には『先祖供養』の文字と、何やら難しい謎の記号が。
「ああ、それか?」
キース君が首を捻っている私たちに。
「梵字だな。卒塔婆とかに書いてあるだろう? これはキリーク、阿弥陀如来を指す文字だ」
「ふうん…南無阿弥陀仏の代わりなわけ?」
灯籠を検分しているジョミー君に、会長さんが満足そうに。
「身も蓋もない言い方だけど、そんなとこかな。君も分かってきているようで嬉しいよ。…シーッ、こんな所で大声で喚かないように」
注目の的になっちゃうよ、と注意されてジョミー君はゴクリと声を飲み込みましたが、「お坊さんなんて嫌だ!」と叫びたかったに違いありません。とはいえ、会長さんに託された灯籠の重みは誰もが感じ取っていて…。

「これって、ちゃんと届くんでしょうか?」
シロエ君が揺らめく蝋燭の焔を見詰め、マツカ君が。
「ええ、多分…。そうですよね、キース?」
「…お浄土に、だよな? 届くものだと言われている。そうでなければ俺たち坊主の意味が無い」
ブルーの家族に届けるとなると大仕事だが、とキース君。
「なにしろ戒名も謎だからな…。迷子探しをするようなものだ。それでも確実に届けてこその坊主なんだが、俺にはそこまで出来る自信が無いし…。今日の所は本職の力に頼るとするさ。あっちで読経が始まるようだぞ」
昼間に訪ねた称念寺の老僧と、その息子さんとお孫さんらしきお坊さんたちが岸壁に設えられた祭壇で厳かにお経を読み始めました。それを合図に灯籠が次々に海へと浮かべられてゆきます。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一基ずつ抱えていた灯籠を海に下ろして…。
「ほら、君たちも。…ぼくの家族にって思ってくれるのなら、アルタミラはあっち」
会長さんは真っ暗な海の彼方を指差しました。昨夜は沢山あった漁火が一つも見あたりません。本当に海に出てはいけない日だったのだ、と私たちは改めて思い知らされ、海に消えた島を思いながら。
「「「………」」」
浮かべた灯籠に両手を合わせて、そっと心で『南無阿弥陀仏』と唱えましたが、正式には十回でしたっけ? キース君とサム君が小声で唱えているのを聞くとそうみたいです。スウェナちゃんやマツカ君、シロエ君、あんなに文句を言い続けていたジョミー君も静かに両手を合わせていました。
「…ありがとう。ぼくの家族も喜ぶと思う」
きっと届くよ、と会長さんが柔らかい笑みを浮かべてみせて。
「ぶるぅ、みんなが浮かべてくれた灯籠をアルタミラまで運ぼうか。こんなに沢山浮かんでいるんだ、少しくらい減っても分からないさ」
「そうだね! 今日は波も無いもん、沖でもきっと大丈夫だね」
そんな言葉が交わされた次の瞬間、私が浮かべた灯籠がフッと海の上から消え失せて…他のみんなの灯籠も。
『…ごらん、あそこに浮かんでるから。…あれがアルタミラのあった場所』
会長さんの思念と一緒に遙か沖合に揺れる九つの灯籠がフワリと脳裏を掠めてゆきます。それは会長さんがサイオンで中継してくれたもの。私たちの力では捉えられない、遠い遠い距離を越えてきた光。
『みんなを連れて来られて良かった。ぼくとぶるぅが生まれた島はもう無いけれど、ぼくの家族に紹介できて良かったよ。…会いに来てくれてありがとう。やっぱり直接会わせたいしね』
それには今夜、この場所でないと…、と続く会長さんの思念に、灯籠の灯が滲みました。スウェナちゃんもそっと涙を拭っています。会長さんに言われるままに軽い気持ちで来たミステリー・ツアーの最後の夜は灯籠流し。明日はアルテメシアに戻りますけど、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生まれた島の名前がいつまでも残りますように…。小さな小さな港町のこと、決して忘れはしませんからね~!



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