シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
夏休み初日はカラオケで明けてしまいました。そこから会長さんのマンションに行き、お昼過ぎまで全員爆睡。昼食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手際よくアスパラガスとホタテの冷製パスタを作ってくれて、食べ終えた所でリビングに移り…。
「さてと…」
会長さんが手帳を取り出し、柔道部三人組に合宿の日程を尋ねてから。
「やっぱり今年も一週間、と。じゃあ、この間にジョミーとサムは璃慕恩院だね」
「えぇっ!?」
ジョミー君が悲鳴を上げて。
「今年も行くの? 一週間も…?」
「決まってるだろう。この前、老師も仰ったじゃないか。君の将来も期待できそうだ…って」
「だけど!」
「文句を言うなら恵須出井寺に放り込むよ? 居士林道場、忘れてないよね?」
会長さんが口にしたのは、教頭先生が騙されて修行する羽目になった厳しい道場の名前でした。
「あそこは一ヵ月前までに要予約だけど、それは指導役のお坊さんを確保しなくちゃいけないからで…。夏休み中は道場入りを希望する人が途切れないから、一人くらいは予約無しでも押し込める。サムは璃慕恩院、ジョミーは居士林道場でどう?」
「わわっ! ぼ、ぼくも璃慕恩院でいいから! 恵須出井寺より断然いいし!」
あたふたとするジョミー君の姿に、会長さんは満足そうに。
「璃慕恩院の良さを分かってくれて嬉しいよ。今年は作法も覚えてくれると嬉しいな。一週間で出来る範囲は知れてるけどさ」
頑張って、と激励されてジョミー君はガックリ肩を落としています。璃慕恩院での夏の修行は今年で三度目。サム君は会長さんに弟子入りしただけあって修行もやる気満々ですけど、ジョミー君は未だに仏門入りを回避したくて、逃げたくて…。
「本当に猫に小判だな…」
キース君が深い溜息。
「璃慕恩院で一週間も修行できるなんて贅沢なんだぞ? お前も行ったから知ってるだろうが、素人は二泊三日が限度だ。そこを特別に延長なんだし、ブルーに感謝しないとな」
「ぼくはお坊さんなんか目指してないから有難迷惑!」
なんで毎年修行なんか…、とジョミー君は膨れっ面です。会長さんは手帳にジョミー君とサム君の修行日程を書き込み、それからカレンダーを見て。
「…えっと。みんな今月の末は暇かな?」
「「「え?」」」
「柔道部の強化合宿とジョミーたちの修行は重なってるから、それが終わった後のことさ。もしも時間が空いているなら、連れて行きたい所があって」
「「「………」」」
私たちは一様に押し黙りました。こういう流れは危険です。会長さんが主導権を握った場合はロクな結果になりはしない、と私たちは既に学習済み。何処へ行くのか知りませんけど、断固お断りしなくては!
「…すまん、俺は墓回向を手伝わないと」
キース君が真っ先に断り、ジョミー君はカレンダーを睨んでから。
「えっと…。パパと海釣りに行こうかなぁ、って言っていたのがその辺かな? まだ日程は決まってないけど」
ぼくも、私も…、と私たちは決まってもいない予定を口にしたのですが。
「…要するに全員、暇なわけだね」
会長さんは意にも介さず、カレンダーの方を指差して。
「無駄な抵抗はやめたまえ。それに今度は迷惑をかけるつもりはない。…だから一緒に旅行に行こう。27日から二泊三日だ。費用は全額、ぼくが持つから」
「「「えぇぇっ!?」」」
自分のお金は使わないのが会長さんのポリシーです。なのに全額負担ですって? いよいよもって不吉な予感。旅行って何処へ行くんでしょうか? けれど…。
「ミステリー・ツアーってことにしといてくれないかな? 当日になったらちゃんと話すよ。アルテメシア駅の中央改札前に朝の8時に集合。荷物は普通の旅行のつもりで用意して」
特に必要なものはない、と会長さんは強引に決めてしまいました。行き先不明のミステリー・ツアーは旅行会社が広告を出したりしてますけども、そういうのに参加するのかな…?
柔道部の強化合宿は夏休みに入ってすぐでした。ジョミー君とサム君も修行に行ってしまい、スウェナちゃんと私が残されましたが、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がプールなどに誘ってくれたので暇を持て余すこともなく…。ジョミー君たちが帰って来る日は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に先回りをしてお出迎えです。
「かみお~ん♪ お帰りなさい!」
大変だった? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がオムライスのお皿を並べました。ジョミー君は精進料理ばかりの日々だっただけに歓声を上げ、スプーンを握って食べ始めます。サム君は合掌して何やら唱えていますが、修行生活の名残でしょうか? 柔道部三人組の方も礼儀正しく「いただきます」。そういえば合宿、厳しいんですよね。
「みんな、旅行は覚えてる?」
明後日だよ、と会長さん。
「アルテメシア駅に集合するのを忘れないで。…来なかった場合は瞬間移動で強制的に連行するから」
切符も宿も手配したのだ、と会長さんは逃亡を許してくれませんでした。行き先はやはり話して貰えず、一緒に旅に出る「そるじゃぁ・ぶるぅ」も「秘密だもん」を繰り返すだけ。切符と宿を手配済みってことは旅行会社は無関係…?
「ツアーじゃないよ。プランを立てたのはぼくだから」
会長さんの言葉にジョミー君が。
「そうだったの? それじゃお土産とかは無し? ツアーだったら色々つくのに…」
「地元の銘菓をお持ち帰りとか、そういうのかい? 無いね」
バッサリ切り捨てる会長さん。えっと…旅行会社のツアーじゃないのにミステリー・ツアーって何でしょう? 私たちが首を傾げていると、会長さんは。
「大丈夫、明後日になれば全部分かるさ。話しておいてもいいんだけれど、それじゃ面白みが無いからね。心配しなくても悪戯とかは仕掛けてないよ。バーストは一度で沢山だ」
「「「………」」」
バーストと言えばサイオン・バースト。会長さんにからかわれたキース君がサイオン・バーストを起こして「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を吹っ飛ばしたのは去年の夏のことでした。もっとも、会長さんがキース君をバーストさせたのは計算ずくで、そのお蔭でキース君はサイオニック・ドリームを操れるようになったのですが…。
「…おい」
キース君が低い声で。
「俺のバーストを引き合いに出すってことは、誰かに何かを仕掛けるつもりか? 例えばジョミーが坊主になりたい気持ちになるとか」
「…ジョミーが坊主?」
それは考えていなかった、と会長さん。
「でも…。ちょっといいかもしれないね。ジョミーがその気になってくれたら美談だし」
「ちょ、なんでぼくが!!!」
藪蛇だよ、とジョミー君はキース君に掴みかからんばかりです。ジョミー君がお坊さんになりたい気持ちになるかもしれないミステリー・ツアーって、もしかして行き先は何処かのお寺? 二泊三日で修行とか…? 私たちは口々に尋ねましたが、答えはやっぱり「秘密」でした。それでも行くしかないんでしょうねえ…。
そして7月27日の朝8時。旅行用の荷物を提げてアルテメシア駅の中央改札前に行くと、もうジョミー君たちが来ていました。電光掲示板に表示された電車の案内を見ているようです。
「あ、おはよう!」
こっち、こっち…と手招きされて、合流して。電光掲示板をみんなと一緒に眺めましたが、会長さんが切符を予約したのがどの電車かは分かりません。そもそも東へ行くのか西へ行くのか、それとも北か、はたまた南か。謎だよね、と考え込んでいると「かみお~ん♪」と元気な声がして。
「おはよう! みんな来てたんだぁ!」
トコトコと駆けてきたのはリュックを背負った「そるじゃぁ・ぶるぅ」。その後ろから会長さんが足早に近付いてきます。
「やあ、全員ちゃんと集まったね。はい、切符」
渡された切符に私たちは仰天しました。行き先の駅名がありますけれど、これって思い切り遠いのでは?
「片道5時間以上かかるよ。だから駅弁を買っておいで」
車内販売もあるけどね、と言われた私たちは大急ぎで駅弁や飲物を買い込み、改札を通ってホームへと。滑り込んで来た特急に乗り、鉄路を真っ直ぐ北へ向かって…。目指す駅に着くのは午後2時です。
「えっと…」
走り始めた電車の中でジョミー君が口を開きました。
「なんでぼくたちしか乗っていないの? これって貸し切り?」
「そういうわけでもないんだけれど…。元々お客の少ない時期だし、他の車両に乗りたくなるようにサイオンでちょっと細工をね。前と後ろを見てきてごらん」
会長さんがクスッと笑い、ジョミー君が前後の車両を見に行って。
「前と後ろはけっこう人が乗ってたよ。…でもさ、貸し切りだったらマツカに頼めば良かったのに。いつも海に行く時にはそうしてるよね」
「…今回はぼくが費用を負担するって言っただろう? だからマツカには頼めない。それでも貸し切り状態にしたかったんだよ、ぼくたちの行き先の関係でね」
「「「???」」」
話がさっぱり見えません。ミステリー・ツアーだとは聞いてましたが、行き先に何か問題が…? 下車する駅はガニメデ地方の中心で…って、あれ? ガニメデと言えば確か…。切符を見詰める私たちに会長さんが。
「気がついた? ガニメデはフィシスが育った場所だよ。そして目的地はその駅じゃない。そこからローカル線に乗り換えて終点で降りる。…駅の名前はカンタブリア」
「「「カンタブリア?」」」
聞いたことがあるような、無かったような響きです。会長さんは「知らないかな」と笑みを浮かべて。
「カンタブリアは海沿いの小さな町なんだ。ずっとずっと昔、カンタブリアの沖にアルタミラという島があったんだけど」
「「「!!!」」」
アルタミラの方は有名でした。三百年ほど前に火山の噴火で一夜の内に消えた伝説の島。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生まれた場所だと聞いてますけど、ひょっとしてミステリー・ツアーの行き先は…。
「おい、アルタミラに行くって言うのか?」
キース君の問いに会長さんは。
「まさか。…いくらぼくでも時を飛び越える力は無いよ。アルタミラは三百年以上昔に消えた島だし、そこへは行けない。でもね…。明日はアルタミラが地上から姿を消した日なんだ」
アルタミラは7月28日の夜に海に沈んでしまったそうです。じゃあ、会長さんはその日に合わせてカンタブリアへ…? 私たちが口々に訊くと、会長さんは頷いて。
「アルタミラとカンタブリアはセットみたいなものだったんだよ。アルタミラがどんな島だったのか、少しくらいは知ってるかい?」
えっと。一晩で海に沈んだ島で、会長さんの生まれ故郷で…。その他に何かありましたっけ? 記憶の中を探っていると、キース君が。
「貿易で栄えた島らしいな。あんたがアルタミラの出身だと聞いて、少し調べてみたんだが……あまり資料が残っていない。島と一緒に吹っ飛んだのか?」
「違うよ。…アルタミラの資料は最初から作られていないんだ。正確な地図も描かれていない。大切なことは全部口伝さ」
「口伝だと? それで資料が少ないのか…。だが、そこまでして隠した理由は何だ?」
「外交政策とでも言うのかな? アルタミラは金の輸出をしてたんだけど、島に鉱山は一つも無かった。それでも大量の金が運び出されて、外国の船が沢山来てたね。…そして他の国の人たちはアルタミラから金が採れると信じてたんだ」
金山の本当の所在地を知られないよう、金はカンタブリアの港から小舟でアルタミラへ運ばれたのだ、と会長さんは語りました。いわゆる隠し金山というヤツです。
「アルタミラが沈んでから数年も経たない内に金は採れなくなってしまった。だから代わりの港は要らなくなって、カンタブリアも見かけどおりの漁港になってしまったわけさ。ただ、温泉が出るからね…。それと冬場は蟹が獲れるし、そこそこ人は来るってわけ」
なるほど。カンタブリアの名は、温泉か蟹か、どっちかのツアー広告で目にしたことがあるのかも…。アルタミラとセットだったとはビックリですけど、温泉があるなら楽しみですよね。
会長さんが行き先を伏せていたのは「その方がスリリングだから」という、ごく単純な理由でした。貸し切り状態の車内で駅弁やお菓子を食べながらアルタミラの話を沢山聞いて…。他の乗客がいると思い出話はしにくいでしょうし、サイオンで細工したのも納得です。5時間以上も電車に揺られ、乗り換えたローカル線の乗客は私たちだけ。海が見えてくるとそこが終点のカンタブリアで。
「ほら、着いたよ。忘れ物をしないようにね」
会長さんに促されて降り立ったのはホームが2つしか無い小さな駅。駅舎の前には今夜の宿のマイクロバスが来ていました。会長さんの定宿らしく、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が勝手知ったる様子で一番前に乗り込みます。バスは海沿いを走り、高台にある温泉街へと入っていって…。
「へえ…。田舎にしては大きいよね」
ジョミー君が旅館の立派な建物を見上げ、サム君が前庭の小川に手を突っ込んで。
「温泉だぜ! 湯気が立ってるとは思ったけどさ。あっ、あそこに足湯があるのか…」
「本物の源泉かけ流しだよ」
いいだろう、と会長さん。敷地内に源泉があるのだそうです。客室のお風呂も勿論、温泉。お部屋に案内されて荷物を置いて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が泊まるお部屋へ出掛けてゆくと…。
「朝からずっと電車だったし、運動がてら街に出ようよ。持ってきたお菓子も食べ飽きただろ? 温泉饅頭は今ひとつ芸が無いしね」
会長さんは鉢に盛られたお饅頭には手もつけないで部屋を出てゆきます。温泉饅頭でも別にいいのですけど、運動不足は確かでした。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に案内して貰って少し歩くのがベストでしょう。
「ずっと昔の温泉街はあっちの方にあったんだよ」
会長さんが教えてくれた場所は漁港のそばに広がる平地でした。カンタブリアの駅の近くですけど、建物は少ししかありません。駅に近い方が便利そうなのに、どうして離れた高台に? ジョミー君も同じことを考えたらしく。
「なんでこっちに移したの? 温泉が涸れたわけじゃないよね」
見下ろす先には一目で温泉と分かる水蒸気が幾筋も立ち昇っています。駅が後から出来たにしたって、道路も海沿いがメインのようですし…。温泉街って街道沿いに発展するのが王道では? 私たちの疑問に、会長さんは「確かにね」と答えてから。
「あっちにも温泉を使った施設はあるけど、宿泊施設と民家はこっちさ。…地形をよく見て考えたまえ。カンタブリアは天然の港なんだ。手を加えたのは岸壁くらいさ。アルタミラは水平線の辺りにあったんだけど、そこで火山が大噴火したらどうなると思う?」
「「「あ…」」」
頭に浮かんだ言葉は『津波』。島が丸ごと吹っ飛んだほどの爆発ですから、もちろん津波も来たでしょう。キース君が「津波か…」と呟き、会長さんが。
「それで正解。津波ですっかり流されちゃって、高台に再建したってわけさ。温泉はあちこちに湧き出してるし、少し不便でも安全な場所がいいだろう? アルタミラと違ってこっちで人死には無かったけども」
カンタブリアの人たちは噴火の音で目覚めて外に出、海の水が引いて行くのに気付いて高台に避難したそうです。お蔭で津波の被害は家や船だけで済んだのですが、アルタミラの方は誰一人として助からなくて。
「…ぼくが来たのは明日が祥月命日だから。毎年、7月28日には来るようにしてる」
「え?」
ジョミー君が首を傾げました。
「毎年って…。去年とかは来ていないよね? 去年はキースがバーストしちゃったせいで元老寺にいたし、一昨年はレンコン掘ってたし…。その前の年はマツカの山の別荘だよ」
言われてみればそうでした。7月の末に会長さんがカンタブリアまで足を運ぶ時間は無かった筈です。けれど会長さんは可笑しそうにクッと喉を鳴らして。
「ぼくを誰だと思ってるのさ? 瞬間移動はお手の物だよ。衛星軌道上から地球にだって飛べるというのに、カンタブリアまで飛べないとでも? いつも君たちが寝てる間に来ていたんだよ。ぼくの用事はすぐ済むからね」
「「「用事?」」」
「それは明日になったら教えてあげる。今はとりあえず…名物のお菓子で腹ごしらえかな」
「温泉饅頭は芸が無いとか言ってなかったか?」
キース君が突っ込みましたが、会長さんは。
「まあね。だけど温泉饅頭を買いに行くとは言っていないよ、他にも色々あるだろう? お煎餅とか」
「鉱泉煎餅か…」
温泉街には付き物だよな、と土産物屋の看板を見上げるキース君。そっか、鉱泉煎餅ですか…。あれって薄くて軽いですけど、腹ごしらえって言うほどの量を食べるとなったら何枚くらい?
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は温泉街をどんどん奥へと歩いていきます。鉱泉煎餅なんて何処で買っても同じだと思っていましたけれど、こだわりのお店があるのでしょうか? 土産物屋さんは次第に減って民家が増えてきましたが…。
「カンタブリアに来たら、やっぱり此処だね」
会長さんが立ち止まったのは古色蒼然としたお店でした。看板には今にも消えそうな『アルタミラ本舗』という文字が。ほんのり漂う甘い匂いは鉱泉煎餅とは違うような…。
「この店で作っているお菓子は一種類だけ。三百年前と同じレシピで延々と作り続けてる」
「「「三百年!?」」」
「そうさ。アルタミラのレシピを受け継いでるんだ。ね、ぶるぅ?」
「うん! このお店でしか買えないもんね♪」
暖簾をくぐる二人に続いてお店に入ると、古びたショーケースに沢山の焼き菓子が入っていました。これってパンかな、それともパイ? どちらにも見えるお菓子です。丸型が基本みたいなんですけども、大きな四角い天板で焼いてそのまま並べてあるものも…。会長さんがクルリと振り向き、私たちに。
「どれにする? 丸いのでもいいし、その大きなのを好みのサイズに切って貰ってもいいんだけれど」
そう訊かれても、初めて目にするお菓子なだけに味の見当がつきません。試食とかって無いんでしょうか? どうしたものかと悩んでいると、会長さんが「ああ、そうか」と納得した風で。
「そこのを切って貰えるかな? 一口ずつの試食サイズで」
店番のお婆さんがナイフでお菓子をカットしてくれ、爪楊枝をつけてくれました。うーん、この断面はやっぱりパイ? でも…パンのようにも見えますし…。あ、甘い。でもって後味がほんのり塩味! 表面のカラメリゼがまた美味しくて……層になった生地に挟まれている砕いたナッツも絶品です。
「どう? 気に入った?」
会長さんの問いにマツカ君が。
「クイニーアマンに似てますね。これがアルタミラのお菓子ですか?」
「うん。他にも色々あったけれども、お祝い事にはこれだった。このお菓子、アルタミラの月って名前で商標登録してるんだってさ」
あまり知られてないけれど、と会長さん。地元の人がおやつや手土産に買っていくだけで、支店なんかも無いのだそうです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は丸型のお菓子を人数分と、少し小さめにカットしたものを幾つか買って紙の袋に入れて貰って…。
「これでおやつはOKだよね。宿に帰ってゆっくり食べよう。夕食までには時間があるから」
歩き始めた会長さんは御機嫌でした。あのお菓子がお気に入りなのでしょう。…ん? さっきマツカ君はなんて言いましたっけ? クイニーアマン…。そう、確かにクイニーアマンにそっくりです。クイニーアマンにナッツは入っていませんけれど。…でもって何かが引っかかるような…?
旅館に戻った私たちは、会長さんの部屋で買ってきたお菓子を食べ始めました。会長さんのポケットマネーでお菓子を食べるのは初めてかも…。いつも教頭先生のお金を毟り取ってる人ですから! 今回の旅行費用も実はしっかり巻き上げたとか? 私の疑問が顔に出たのか、会長さんは「信用ないなぁ」と苦笑して。
「お菓子のお金も旅行費用も本当にぼくが出すんだってば。…アルタミラ絡みでハーレイからお金を毟ったんでは供養にならない。ぼくが自分で出さないとね」
「…供養? 本気で慰霊の旅だったのか?」
キース君の問いに会長さんは。
「君までぼくを疑うんだ? 明日が祥月命日だって話したのに…。ジョミーが仏の道に目覚めるような旅になるといいね、とも言った筈だよ。ぼくは本当に供養のために此処へ来た。…君たちを連れてきたのは昔話をしたい気持ちになったから…かな。今度ばかりは悪戯する気は無いんだよね」
会長さんは至極真面目でした。海の幸たっぷりの夕食の時もアルタミラの話をしてくれただけで、悪戯の気配はまるで無し。教頭先生に電話かメールで何かするかと思ったのですが、そっちの方も完全放置。ただ、フィシスさんにだけはメールを打っているようです。あれ? フィシスさんって…。あ、そうか!
「ん? どうしたんだい?」
いきなり「あっ!」と声を上げた私を会長さんが見詰め、みんなも怪訝そうな顔。私はスウェナちゃんに視線を向けて…。
「さっきのお菓子! フィシスさんの家に伝わっているアルタミラのお菓子って、あれじゃない?」
「え?」
一瞬キョトンとしたスウェナちゃんでしたが、すぐに分かってくれたようです。
「そういえば…。クイニーアマンに似たお菓子だって言ってたわよね。会長さんのお誕生日とバレンタインデーにだけ作ってる、って」
「そう、それ! フィシスさんの家ではお祝い事の時に作ってたんでしょ? 会長さんもさっきのお店でそんな話を…」
スウェナちゃんと私の会話にジョミー君が「何、何?」と割り込み、キース君たちも。フィシスさんの家に伝わるお菓子の話を耳にしたのは特別生になる前のことでした。バレンタインデーに会長さんに渡すチョコレートをフィシスさんが一緒に選んでくれて、帰り道でお茶を御馳走になって…。
「でね、その時に教えて貰ったの。フィシスさんは会長さんのために特別なお菓子を作るんだ、って。あのお菓子がそれだと思うんだけど」
「なるほどな…。あいつがわざわざ買いに行くんだ、同じ菓子でも不思議ではない」
キース君がそう言った時、会長さんが「当たり」と微笑みました。
「さっきのお菓子は女王様のパンって呼ばれてた。ナッツの女王のピスタチオが入っていただろう? ピスタチオは昔は高価な輸入品でさ…」
それでお祝い事の時しか作らなかった、と会長さんは懐かしそうに。
「ナッツ入りじゃないクイニーアマンはいつでもお店にあったんだけど、それとは別に特注するか、手間暇かけて家で作るか。女王様のパンはアルタミラのお菓子屋さんがバクラバをヒントに考案したんだ」
バクラバは薄いパイ生地を何層も重ねた間に砕いたナッツを挟んだお菓子。シロップがたっぷりかけられていて凄く甘い、と会長さんは教えてくれました。バクラバもクイニーアマンも遠い国の船がアルタミラに伝えたものなのです。
「アルタミラは豊かな島だった。海に沈んでしまうなんてね…」
あれから何年経ったんだろう、と窓の外を眺める会長さん。暗い海には漁火が幾つも灯っていました。アルタミラがこの世界から消え失せたのは三百年以上昔の7月28日の夜のこと。祥月命日の明日、会長さんは何をするのでしょうか? ジョミー君が仏の道に目覚めるかもって言ってましたし、いわゆる法要というヤツですか…?
別の世界から来たソルジャーのせいでドキドキだった期末試験も無事に終わって、今日はいよいよ終業式。去年は学校中に氷柱が並べられていて壮観でしたが、今年は何が起こるのでしょう? ジョミー君たちとバス停で待ち合わせてから学校の方まで来てみると…。
「…また狸か?」
キース君が柵と生垣の向こうを指差しました。木々の間に丸っこいシルエットが見えています。また狸か、という台詞には根拠があって、私たちが普通の1年生だった時に迎えたシャングリラ学園初の終業式の日は学校中が信楽焼の狸に埋め尽くされるという出来事が…。
「狸かな?」
ジョミー君が屈み込んで柵の間から矯めつ眇めつ。
「…狸っぽいけど、ピンク色だよ? ピンクのヤツってあったっけ?」
「メスじゃねえのか?」
そう言ったのはサム君でした。
「メスの狸もいるじゃねえかよ、ピンク色ならメスだって!」
「そっか。だったら狸で決まりだね」
納得した様子のジョミー君。今年は信楽焼の狸が再登場したみたいです。先生方のネタが尽きたのか、それとも何年か毎に同じパターンが回ってくるのか。そういえば信楽焼の狸が出たのは4年前ですし、経験者は既に全員卒業しました。私たちの一番最初の同級生は今は大学で頑張っています。
「金なら1個で銀なら5個か…」
キース君が呟き、スウェナちゃんが。
「その辺は変えてくるかもしれないわよ? 狸の色だって違うんだもの」
「なるほどな。どっちにしてもブルーが怪しい店を出すのは同じだろうが」
「「「あー…」」」
そうだったね、と溜息をつく私たち。シャングリラ学園の夏休みには変わった制度がありました。終業式で発表されるアイテムをゲットしてきた生徒は宿題が免除されるのです。アイテムは毎年変更されて、入手方法も勿論変更。『金なら1個で銀なら5個』は必要な狸の数でした。去年はおみくじ形式で氷柱の中にクジを結んだ花の枝。その当たりクジを販売するべく店を出したのが会長さんで…。
「ぼくたち、今年もお手伝いですか…」
ゲンナリした顔のシロエ君にキース君が。
「教頭室も忘れるなよ? あいつはアイテムを手に入れるために教頭先生を脅すからな」
「「「………」」」
私たちは青々と茂った枝越しに見える本館へ視線を向けました。そこには教頭室があります。今日も行くことになるのだろう、と諦め切った気持ちでトボトボと歩き、正門で門衛のおじさんたちに頭を下げて構内へ。蝉の合唱が降ってくる中、足を踏み入れた前庭には…。
「…狸…じゃない?」
「違うようだな…」
何だこれは、とジョミー君とキース君が並べられたものを見下ろしています。ピンク色のそれは耳が尖っていて狸の耳ではありません。どちらかと言えば猫ですけども、下半身安定型のコロンとした体形はちょっと狸に似ているかも?
「猫じゃないでしょうか?」
マツカ君が座り込んで陶器製の置物を検分しながら。
「狸に首輪はつかないでしょう? それにこの耳はどう見ても…」
猫ですよ、というマツカ君の意見に反対する人は皆無でした。ニッコリ笑顔を現したらしい糸のような目と愛嬌のある口と顔立ち、真っ赤な首輪。座りのいい二頭身の身体は流行りの『ゆるキャラ』を目指したのかな?
「招き猫と言うより貯金箱ですね」
シロエ君の指摘に私たちはプッと吹き出しました。猫の置物は招き猫が定番ですけど、この置物は手を両脇につけています。丸っこい外見と相まって貯金箱というのがお似合いかも。登校してくる生徒たちがズラリと並んだ猫の置物に驚いている中、私たちはピンクの猫を撫で回して。
「金を入れる穴は開いていないな」
大真面目に言ったキース君に「貯金箱なわけないし!」と口々に突っ込み、今年のアイテムは金の猫と銀の猫なのだろうと笑い合ってから教室に向かったのでした。
宿題免除アイテムが狸だった年と同じで校舎の中にも猫、猫、猫。狸の時と違っているのはどの猫も両手でヒョイと持てるサイズに統一されていることでしょうか。サイズ的にもちょっと大きめの貯金箱です。…お金を入れる穴は開いてませんが。教室の中にも置かれたピンクの猫に、「あれは何か」とクラスメイトが尋ねに来ます。
「先生が説明すると思うよ」
ジョミー君が答え、入学前から私たちの存在を知っていたという男子生徒に。
「先輩から何も聞いていないの?」
「うん。とにかく1年A組だったらツイてるんだ、って話しか…」
彼の先輩は私たちの嘗ての同級生でした。その先輩から聞かされた話は多いようですけど、宿題免除のアイテムについては何も知らないみたいです。私たちは顔を見合わせ、アイテムの話は黙秘することに決めました。せっかくのラッキーアイテムですもの、種明かししない方が嬉しいですよね。そして…。
「諸君、おはよう」
グレイブ先生が靴音も高く登場すると教卓の上にドリルやプリントをドカンと積み上げます。
「明日から楽しい夏休みだが、これは私からのプレゼントだ。二学期の始業式の日に必ず提出するように。忘れた場合は数学のドリルが1冊加算される」
「「「えぇぇっ!?」」」
「ええっ、ではない! 学生の本分は勉強だ! 試験の度に楽をしているのを忘れたか? 夏休みこそ懸命に学び、実力で満点が取れる自分を目指したまえ。…ただし…。我が校には実に嘆かわしい制度がある。私は廃止を提案し続け、去年は折衷案を採用させることに成功したが…そこまでだった」
残念だよ、とグレイブ先生。去年のおみくじ形式はグレイブ先生の発案でした。
「我が校には宿題免除の制度があるのだ。とあるアイテムを入手した生徒は宿題を全て免除される」
おおっ、と湧き立つクラス一同。グレイブ先生は舌打ちをして…。
「やはりこの制度は大人気か。去年、私が実施したものは先生方にも不評でな…。被害を蒙った生徒が今年も在学しているからと埋め合わせをすることに決定した。アイテムは例年よりも多めに出る」
何故そうなったかを説明されてクラスメイトは青ざめました。去年のおみくじは大吉ならば宿題免除、大凶だったら宿題加算。大凶の生徒が大吉の生徒を上回るという悲劇に終わった結果、グレイブ先生は職員会議で叱られたのです。
「そういうわけで今年はアイテムが増やされた。例年の十倍という異例の数だ。アイテムが何かは終業式で発表される。…せいぜい頑張ってゲットしたまえ」
私は制度に反対だが、と繰り返してからグレイブ先生は私たちを引き連れて終業式が行われる講堂へと出発しました。去年のおみくじで大吉が殆ど出なかったのは会長さんがサイオンで細工していたからなんですけど、それは私たちしか知りません。その黒幕の会長さんは宿題免除のアイテムを高額で販売する店を中庭に…。あれ?
『…ブルー、いないよ?』
ジョミー君が思念波を送ってきたのは中庭の脇を通る時。去年はここに机を置いて「そるじゃぁ・ぶるぅ」と出店の準備をしてたんですけど…。
『今年は場所を変えたんじゃないか?』
もっと人目につく所に、とキース君が応じた途端に。
『出店の予定はないんだけれど?』
会長さんの思念が届きました。
『あんなにアイテムを増やされたんでは店を出しても儲からない。自力でゲットできちゃうからね。…だから今年はのんびりするさ。君たちもぶるぅの部屋へおいでよ』
アイテムなんか要らないだろう、と会長さん。特別生に宿題は出ませんから、アイテムは必要ないのでした。けれどアイテム探しが終了しないと終礼の時間にならないわけで…。会長さんがアイテムの店を出さないのなら教頭室へ連れて行かれる心配なんかはありません。よーし、今年は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で終礼までの時間を潰そうっと!
「金と銀とじゃなかったんだね」
ジョミー君が大きく伸びをしています。私たちは終業式の後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入って涼んでいました。特別生を除く全校生徒は今頃アイテム探しでしょう。教頭先生が発表したアイテムはやはりピンクの猫に纏わるものでしたけれど…。
「あの猫に入っているなんてなあ…」
ビックリしたぜ、とサム君がオレンジジュースをお代わりしながら。
「だけどあんなに沢山あったら、当たりの猫を見つけ出すのが大変だよな」
「端から開ければ解決だよ。ぼくの出番は一切なし」
つまらないや、と会長さんがアイスティーのグラスを指で弾いて。
「いつもの十倍にされちゃっただろう? ぼくの店に買いに来るお客よりも自力でゲットがきっと多数さ。そんな状態で高い値段はつけられない。だからといってこの暑いのに特別価格で奉仕するのも御免だし…。今年は見送ることにした」
「でも…猫は簡単には開かないんだよ?」
マンゴー・ラッシーをかき混ぜているジョミー君。
「教頭先生が言ってたじゃないか。首輪についてる金色の鈴を七回左右に回すんだ、って。右と左の回数の組み合わせが正しい時だけ、首がパカッと外れるんでしょ?」
「そして間違っていたら数の設定はリセットだったな」
しかもランダムに切り替わる、とキース君がジョミー君の言葉を継いで。
「教頭先生は簡単に見本を開けて見せていたが、そんなに上手くいくものだろうか? 右か左かに七回だぞ。右の次が同じ右なのか、左なのか。そもそも最初は右なのか? 組み合わせの数は半端じゃないぞ」
「そも正解が分かりませんしね。全部が同じじゃないんでしょう?」
シロエ君も首を捻っています。
「ゼル先生が設定したって言ってましたし、正解の数も山ほどですよ。その正解もリセットされたら変わるとなると……これは相当大変かも」
「平気、平気」
その内に開くさ、と会長さんは呑気でした。
「ハーレイはそう言ったかもしれないけどね、あれは一応、言ってるだけ。簡単に開いちゃったんでは有難味が無いし、脅しが入っているんだよ。本当はリセットに上限がある。確か十回だったかな? その辺で数の組み合わせが何であろうと猫の頭は外れる仕掛けだ」
「「「………」」」
なーんだ、そういう仕組みでしたか…。それなら確かに会長さんの出番はありません。いくら猫の数が多いと言っても生徒も大勢いるんですから人海戦術というヤツです。当たりの猫を誰が開けるかが運なのであって、アイテム自体は制限時間内に殆ど発見されるでしょう。もしかしたら全部出ちゃうかも?
「あーあ、今年は楽勝かぁ…」
つまんないの、とジョミー君が愚痴ってますけど、アイテムゲットが大変だったら会長さんの出番です。そうなると私たちも駆り出された上、教頭室に同行させられて悪戯の片棒を担がされるのは必定で…。
「ジョミー、平和が一番なんだぞ?」
ブルーが出店をしたらどうする、とキース君に指摘されたジョミー君は。
「あっ、そうか! 今の、取り消し! 楽勝でいいよ!」
「おやおや…。ぼくも嫌われたよね」
そう言いつつも会長さんは笑っています。その隣では「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピンクの猫を撫でていました。可愛いビジュアルが気に入ったらしく、教頭先生に頼んで1個貰ってきたのだそうです。もちろんサイオンで中を確認して、アイテム入りではない猫を。
「可愛いよね、これ。中にお菓子を入れようかなぁ?」
クッキーとか、と楽しそうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会長さんが。
「そうだね。中は意外にひんやりしてるし、キャンディーなんかもいいかもしれない。分けて貰えて良かったね、ぶるぅ」
「うん! アヒルちゃんもいいけど、この猫も好き!」
御機嫌で猫の置物と向き合う「そるじゃぁ・ぶるぅ」はとても微笑ましく、私たちの気分もほのぼのです。今年の宿題免除アイテムも忘れられないものになりそう! ピンクの猫をみんなで触って「笑顔がぶるぅに似ているね」などとワイワイ賑やかに騒いでいると…。
「「「???」」」
聞き慣れないメロディが流れてきました。アイテム探しの終了時間はいつものようにベルで知らせる筈ですが…。と、会長さんがソファから立ち上がって。
「ぼくだ、どうした?」
会長さんの手には今まで一度も鳴ったことのない「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の電話の受話器。レトロな形をしていますから飾りだとばかり思っていました。けれどそうではなかったようです。会長さんは電話の向こうと真剣な口調で言葉を交わすと受話器を置いて。
「…事故だ」
「「「えっ!?」」」
アイテムゲットの途中で事故が!? 猫が爆発しちゃったとか? けれど陶器の猫ですし…。慌ただしく飛び出して行った会長さんを私たちは慌てて追い掛けました。後ろから「そるじゃぁ・ぶるぅ」もついて来ています。事故って…。まさか学校の中で事故なんて…。
『誰かバーストしちゃったとか?』
ジョミー君が送ってきた思念に私たちの背筋がゾクリとしました。シャングリラ学園に入学してから事故が起こったのは一度きり。去年の夏休みにキース君がサイオン・バーストを起こして「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を吹っ飛ばした事故。まさか、まさかね…。会長さんが駆けてゆく先は本館です。どうかバーストではありませんように、と祈るような気持ちで私たちは走るだけでした。
本館の奥に設けられた教職員用の休憩室。会長さんはそこに飛び込み、扉は開け放たれたまま。私たちはその部屋に入ったことはありません。どうしたものか、と恐る恐る部屋に近付いていくと…。
「すまん」
ゼル先生の声が中から聞こえてきました。
「…本当にすまん。わしに悪気は無かったんじゃ…」
「当然だろうね」
悪気があったら最悪だよ、と会長さんが罵っています。えっと…事故って、ゼル先生がやったんですか? 構内を自転車で威勢よく駆け抜ける姿をよく見ますけど、生徒の誰かをはねちゃったとか? 私たちが顔を見合わせていると会長さんが扉の奥からヒョイと覗いて。
「何をコソコソしてるのさ? 入っておいでよ、みんなもぶるぅも」
「し、しかし…」
事故じゃないのか? と尋ねたキース君に「事故だけどさ」と返した会長さんは。
「君たちが想像しているような事故じゃない。アイテムゲットで起こった事故には間違いないけど、被害者は生徒全員だから」
「大変じゃないか!」
キース君が叫びましたが、会長さんは苦笑して。
「まだ大事故にはなってない。その前になんとか揉み消してくれ、というわけさ。もう教師にはバレてるけども…。電話してきたのはハーレイだったし、あの電話は緊急回線だしね」
会長さんに呼び入れられた休憩室にはゼル先生の他に教頭先生、ヒルマン先生、エラ先生にブラウ先生。いわゆる長老の先生方がズラリと顔を揃えていました。テーブルを囲む先生方の下座でゼル先生が縮こまっていて、その前には不似合いなピンクの猫。
「…その猫が事故を起こしたんだよ」
フンと鼻を鳴らす会長さん。
「不具合なんてレベルじゃない。アイテムゲット開始から1時間以上も経っているのに、どうして誰も気付かないのさ? 職務怠慢としか言いようがないね」
「…いや、だから…」
教頭先生がハンカチで額の汗を拭いながら。
「今年のアイテムはゲットして即、提出するようなものではないし…。制限時間終了の時点でゲットしていた生徒の数だけ宿題免除ということで…」
「それで?」
「だからチェックしていなかった。皆、順調にアイテムをゲットしているものだと…」
「で、どうなっているか確認もせずに涼しい部屋で休憩してた、と。…事故に気付いたのは誰だったっけ?」
シドだ、とヒルマン先生が答えました。
「グラウンドの横を通ったら猫が全部そのままだったそうでね。…開けた猫をわざわざ閉めたりしないだろうから、そこにいた生徒に尋ねてみたら何度やっても開かないらしい。十回試せば開く筈だし、妙に思って挑戦させたら十回やっても開かなかった、と」
「プログラムが間違っていたってことは?」
会長さんの問いにエラ先生が。
「ありません。…これも本当なら開く筈なのです。十回試しましたから」
テーブルの上のピンクの猫をブラウ先生が掴み、頭をキュッと捻ったのですが、首は外れませんでした。さっき「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で触っていた猫は簡単にパカッと開いたんですけど…。
「ほらね、全然開かないのさ。プログラムはゼルが確認したし、これで開かない筈がない。でも開かないし…」
そこでハーレイが言ったんだよ、とブラウ先生。
「ぶるぅが1個持ってった、ってね。可愛いからって1個貰って、その場で開けて喜んでたって。だったら確かに猫は開くんだ。…だけど誰にも開けられなくて、開けられたのはぶるぅだけ。ひょっとして、とゼルを問い詰めてみたら案の定だ」
「…すまん!」
この通りじゃ、とゼル先生はペコペコ頭を下げました。
「あれだけの数の猫に細工するのは大変じゃから、そのぅ…。ちょこっと、お神酒をな…。そしたら気分が大きくなって、簡単に開けられてたまるかい、と…」
「…タイプ・イエローの馬鹿力か…」
会長さんがフウと大きな溜息をついて。
「去年の夏はキースがバースト、今年はゼルがやらかすとはね。…貸して」
猫を手に取った会長さんは苦も無くパカッと開けてしまうと。
「これは確かに大事故だよ。どの猫も絶対開けられないと保証する。…いや、そんなのを保証されても困るかな? とにかく開けられないのは間違いないね。タイプ・イエローの力は場合によってはタイプ・ブルーに匹敵する。そのサイオンでもって蓋をされたらどうにもこうにもならないさ」
今年のアイテムは該当者なし、と冷たく言い切る会長さんに先生方は揃って頭を下げて。
「そこをなんとかして欲しいのだ!」
「頼むよ、アイテムが出てこなかったら生徒たちだって困るだろ?」
「お願いです、ブルー! ゼルには責任を取らせますわ」
懇願する先生方に会長さんは。
「責任ねえ…。そんなのどうでもいいんだけれど? 問題はお神酒気分で事故を起こすような気の緩みの方。サイオンの存在はまだ公にしていない。…この学校でも力があるのはぶるぅだけってことになっているよね」
「「「も、申し訳ございません…」」」
会長さんはソルジャーの貌をしていました。先生方は真っ青になり、平謝りに謝って…。あっ、今のベルの音はもしかして…?
「…時間終了」
会長さんが短く告げて壁の時計をピシッと指します。アイテムゲットの時間は終わってしまったのでした。それじゃ猫は? 学校中に溢れ返っていたピンクの猫は? 例年の十倍の数を用意したという宿題免除のアイテムは…? ゼル先生が床にへたり込み、先生方も呆然とその場に立ち尽くす中で。
「大丈夫。猫はギリギリで幾つか開いたよ、最後まで諦めなかった粘り強い生徒に感謝したまえ」
ゆっくりと踵を返す会長さん。
「サイオンを公にできない以上、この方法しかないだろう? 最後の最後まで猫を離さなかった子たちが持っていたのを全部開いた。ただし、開けようとチャレンジしていた子たちの分の猫だけだけどね。いくらなんでも勝手に開いたらおかしいし…。アイテムが入った猫が幾つあったかは君たちが確認するといい」
ぼくが干渉するのはここまで、と会長さんが休憩室を出てゆきます。先生方は会長さんの背中に向かって深くお辞儀し、私たちは終礼に間に合うように教室に戻れと会長さんに言われ…。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生徒会室の方へ行くのと別れて歩く道にもピンクの猫が一杯でした。サイオンで開かなくなっていたとは、とんでもない事故もあるものですねえ…。
結局、宿題免除アイテムをゲットできた生徒は例年と同じくらいの数で終わったみたいです。けれど私たちのクラスにも該当者がいて、小躍りしながら『宿題免除』と書かれた紙をグレイブ先生に渡していました。例年の十倍のアイテムを用意したからいいですけども、もしも十倍じゃなかったら…。
「去年以上の大惨事だね」
該当者無し、と会長さんが繰り返したのは放課後のこと。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来ています。テーブルの上にはチーズ風味のクリーミーなアイスケーキが。ブルーベリーのソースも絶品! テーブルの真ん中にはピンクの猫が置かれていて…。
「ああいうことになってたんならアイテムの店を出せばよかった。去年以上に儲かったよ、きっと」
猫を開けられないんだから、と会長さん。でも…アイテムは数を決めて売ってませんでしたか? 他の生徒に行き渡らないといけないからとか、そういう理由で…。そこをキース君に指摘された会長さんは。
「そりゃあ、最初は限定品で売り出すさ。ぼくだってまさか事故とは思わないしね。…そして事故だと分かった時点で追加でドカンと売り出すわけ。普通は後になるほど値が下がるけど、出ないとなれば話は別だ。前売りの方が安いというのは世間一般の常識だろう?」
そう来たか、と私たちは頭を抱えました。長老の先生方にサイオンがどうのと厳しいことを言っていた人と同一人物とは思えません。最初から会長さんが出店してれば、先生方は緊急回線で連絡しなくても思念波かメールで伝えるだけで丸く収めてもらえたのでは…? 私たちがそう尋ねると。
「まあね。その場は上手く切り抜けてあげるさ、アイテムを追加で売り出すんなら儲けの方も大きいし。…だけど、事故は許してあげないよ? それなりの形で厳重注意だ。サイオンはまだ公には出来ないんだから」
そのためにぶるぅがいるんだよ、と会長さんはウインクしました。
「見ての通りの小さな子供でシャングリラ学園のマスコット。座敷童子みたいなものだと思われてるから、不思議な力を持っていたって誰も追究しないしね。サイオンを普通の人たち相手に使っていいのはぶるぅだけさ。…なのにゼルは今回、使ってしまった。だから事故だと報告されたし、緊急回線が使われたわけ」
アイテムを手に入れられる生徒がいなくなるからというだけではない、と会長さんはピンクの猫を手に取って。
「ぼくもウッカリしていたかもね。ぶるぅが欲しいと言い出した時にきちんとチェックをするべきだった。そしたらゼルのサイオンに気付いて、先回りして解除出来たんだろうに…。ぶるぅ、これを最初に開けていた時、蓋が固いと思わなかった?」
「ううん、ジャムの瓶とか、最初は全部固いものでしょ? だからそういうものなんだなぁ、って」
ちっとも不思議じゃなかったよ、とニコニコ笑顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何も分かっていませんでした。ゼル先生がやらかしたことの重大性も、それが事故だと言われる理由も。…でも、だからこその「そるじゃぁ・ぶるぅ」。サイオンという秘密の力を自由に使えて愛されて…。
「ねえねえ、明日から夏休みでしょ?」
何処か行こうよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大はしゃぎ。会長さんが「ぶるぅには敵わないね」と微笑んで。
「今夜はゼルを締め上げようかと思ってたけど、ハーレイたちに任せておこう。ソルジャーなんて堅苦しいのは御免蒙る。…それじゃ一学期も終わったことだし、カラオケにでも出掛けようか。ゼルの責任追及で手いっぱいだから多分パトロールは無いと思うよ」
オールでも絶対大丈夫、と断言されて私たちは大歓声。早速家にメールを入れて、会長さんの家に泊まると大嘘をついて…。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、大学生のキース君の三人以外は初めてのオール、朝まで歌って歌いまくって夏休み初日の日の出をみんなでキッチリ見届けますよ~!
ソルジャーがキャプテンと押し付け合っている「ぶるぅ」のママの座。不毛なパパ・ママ戦争ですけど、いきなり火の粉が降って来ました。ソルジャーがパパの座を獲得するべく「ぶるぅ」に向かって提案したのは、キャプテンと過ごす大人の時間に『攻め』の立場になることで…。
「よし。それじゃこっちの世界のハーレイに突っ込むことにするから」
それなら離婚しなくて済む、とソルジャーは軽くウインクして。
「ぼくのハーレイが傷つかなければ全然問題ないわけだしね。お前もその方が安心だろう?」
「うん! ママが決まるのは嬉しいけれど、ママしかいなくなるのは嫌だよ。名前も服も変えたくないし…」
こっちの世界のハーレイ相手でかまわないや、と頷く「ぶるぅ」。…ちょ、ちょっと待って! 勝手に話を進めてますけど、教頭先生はどうなっちゃうの? 私たちは硬直していましたが、やっとのことで我に返ったらしい会長さんが。
「ストップ! それはないだろ、論点が完全にズレてるじゃないか」
「どこが?」
ソルジャーは怪訝そうな顔をしています。
「ズレていないよ、君だってさっき言ったじゃないか。パパになりたいなら名実ともにそうしろって」
「君の世界のハーレイ相手にパパになれって言ったんだよ! なんでこっちのハーレイに…」
「離婚になると困るからさ」
決まってるだろ、とソルジャーは「ぶるぅ」に視線を向けて。
「ぶるぅは離婚されるのは嫌みたいだし、ぼくだって嫌だ。ハーレイはパートナーとしては最高なんだよ、色々と難点は多いけれども」
「最高なのは君が受け身の時だろう! 違うんだったら君のハーレイで試せばいいんだ、それが出来ないなら君がぶるぅのママだってば!」
「…どっちがママかで揉めた挙句に離婚というのは悲しいじゃないか」
ねえ? と私たちを見回すソルジャー。
「ぶるぅは小さな子供なんだ。まだまだ親が恋しい年だよ。そんな子供がいるというのに、つまならいことで離婚するのは可哀想だろ?」
「…まあな…」
キース君がうっかり応じてしまい、ソルジャーは我が意を得たりとばかりに…。
「ほらね、だから離婚は回避しなくちゃ! だけどぶるぅはママが欲しいし、ぼくはママにはなりたくないし…。こうなると方法は一つしかない。こっちの世界のハーレイ相手にパパだと証明するしかないのさ」
「わーい!」
躍り上がったのは「ぶるぅ」でした。
「ぼくのママが決まるんだぁ! ホントはブルーがママだった方が嬉しいけれど、どっちがママかハッキリするならハーレイがママでもかまわないや!」
ママが出来るの嬉しいもん、と「ぶるぅ」はピョンピョン跳ねています。イメージに合わないママであっても、パパが二人よりいいのかな? ママは欲しかったみたいですし…。って、いけない、流されてしまう所でしたよ! キャプテンをママの座に据えるためには、まずは教頭先生を…。
「却下!!!」
会長さんが叫びました。
「なんでハーレイを巻き込むのさ! ぶるぅのパパとママを決めるんだろ? 君たちの間の問題じゃないか!」
「だから離婚の危機なんだって何度言ったら分かるんだい?」
肩を竦めてみせるソルジャー。
「ぼくがハーレイをヤってしまったら離婚の危機だと言ってるんだよ。だけどこっちのハーレイだったらヤっちゃっても何も問題ないよね。…それとも君が困るとか?」
「えっ…」
返答に窮する会長さんにソルジャーは。
「困るわけないと思うけどな。君にとっても渡りに船だろ? ぼくにヤられたら君のハーレイも目が覚めるかもしれないよ。結婚したいと言わなくなるかも」
いいことだよね、とソルジャーは笑みを浮かべています。
「君にハーレイと結婚する気は無いし、応えようとも思っていない。だったらこの際、スッキリさせればいいじゃないか。…それとも熱く想われてるのが快感なのかな? だとすると君も本当はハーレイのことが…」
「違う!」
「それなら放っておけばいい。ハーレイが君から離れていったら万々歳だろ」
これで決まり、と片目を瞑ってみせるソルジャー。
「君はハーレイから逃れられるし、ぼくはパパの座が手に入る。さてと…。決行するのはいつがいいかな、今すぐっていうのはマズイよね? 試験中はハーレイも忙しそうだし、期末試験が終わってからか…。そうだ、いつも最終日は打ち上げパーティーをしてるんだっけ、君のハーレイにお金を出させて」
「…そうだけど…?」
「それじゃ、その日にしておこう。ぼくとぶるぅも打ち上げパーティーに混ぜてもらって、その後で…。パーティー会場は君に任せる。…ぶるぅ、楽しみにしておいで。もうすぐママが決まるから」
じゃあね、と言うなりソルジャーは「ぶるぅ」と一緒に姿を消してしまいました。えっと……帰っちゃったんですか? 私たち、これからどうすれば…?
「……大変なことになっちゃった……」
会長さんが呟いたのは、かなり時間が経ってから。あまりのことに思考が停止していたようです。
「あれってブルーは本気だよね? 冗談だったと思うかい?」
「…残念ながら本気だろうな」
思いっきり、とキース君。
「ぶるぅの親の座で争っていたとは知らなかったが、あいつがママ役に甘んじるとは思えない。そのママの座から逃げるためなら無茶なことでもやらかすだろうさ」
「それで教頭先生なわけ?」
ジョミー君がフウと溜息をついて。
「確かにキャプテンそっくりだけど、どうなるんだろ? …それに打ち上げパーティーは?」
「…お前…」
キース君が呆れ果てた顔で。
「この状況で打ち上げパーティーの心配か? 今はそれどころじゃないだろうが!」
「だって…」
仕方ないじゃん、とジョミー君は唇を尖らせました。
「ぼくたちに何が出来るのさ? ソルジャーの世界に殴り込みなんか出来やしないし、思念波だって届かないし…。それにソルジャーが教頭先生に何かする時は蚊帳の外だよ、ぼくたち全員。…だって力で勝てると思う?」
シールドの中に閉じ込められるのが関の山、とジョミー君は諦観しています。それは確かに当たっていました。ソルジャーと同じタイプ・ブルーの会長さんでも経験値の差で敵いませんし、ソルジャーがこうと決めたからには覆すことなんて出来っこなくて…。
「「「………」」」
沈黙が部屋と私たちを覆い、誰もがどんより暗い顔。期末試験中は安全ですけど、最終日にはソルジャーが再びやって来ます。でもって打ち上げパーティーに同席した上、その後、教頭先生を…。
「…どうしよう…。ハーレイに相談した方がいいのかな?」
会長さんが途方に暮れた様子で言うとキース君が。
「なんて言う気だ? 逃げて下さいって言った所で多分無駄だぞ、逃げ切れるような相手じゃない。ドアもシールドも通用しないし…」
「そうだよね…。ハーレイを一人にしたら確実にブルーにやられちゃうよね…」
考え込んでいる会長さん。教頭先生がどうなってしまうのか、私たちには読めませんでした。もしもソルジャーにヤられてしまったら、教頭先生の会長さんに対する想いは消えるのでしょうか? それはそれで平和なようにも思えますけど、会長さんの大事なオモチャがなくなりそうな気もします。
「…ハーレイがブルーにヤられちゃったら、どうなると思う? ぼくを怖がって近付かないとか?」
会長さんの問いに私たちは困惑しました。大人の心理はよく分かりません。ただ、あちらの世界のキャプテンの場合、ソルジャーにヤられちゃったら離婚の危機だと言ってましたし、やっぱり教頭先生も…?
「うーん、ED再発は有り得るかもね」
私たちの心を読み取ったらしい会長さんが首を捻って。
「そうなるとハーレイは身を引きそうだし、ぼくはオモチャに逃げられてしまう。治療しようにも原因がアレじゃ大変そうだ。自信回復して貰うにはそれなりの手段が必要だから…。まあ、サイオニック・ドリームでいいんだけどね」
「…ブルー、それっって…」
サム君が震える声で尋ねました。
「サイオニック・ドリームって……まさか……」
「そのまさかだよ。自信回復にはぼくを食べさせるしかないだろう?」
「「「!!!」」」
パニックに陥った私たちに、会長さんは。
「ただ、問題はハーレイのヘタレ加減にあるんだよね。サイオニック・ドリームで食べさせるのはブルーで十分なんだけれども、ハーレイは究極のヘタレだからさ…。夢の中でも完食できない可能性大。それじゃ自信回復には繋がらないし、無論EDも治らない。…つまりハーレイがヤられちゃったら、ぼくのオモチャがなくなるわけだ」
困るよね、と会長さんは腕組みをして。
「不本意だけど、ハーレイを守り抜くしかないか…。打ち上げパーティーまでに何か方法を考えなくちゃ。もっとも相手はあのブルーだから、勝てなかった時には諦めるしかないんだけどね」
「ぶるぅを丸めこむのはどうだ?」
キース君が口を開きました。
「証明しなくていいんだったら教頭先生は関係ないぞ? あいつのママはキャプテンってことで納得させれば済む問題だ。食べ物でなんとかならないのか?」
「…それは話がループするだけだよ」
会長さんが顔を顰めて。
「こうなった原因を忘れたのかい? 君たちのママの料理談義が発端なんだよ。いくらぶるぅが食いしん坊でも食べ物はタブー」
「「「………」」」
そうだった、と天井を仰ぐ私たち。この問題はそう簡単には解決しそうにありません。万年十八歳未満お断りの頭で出せる知恵など知れていますし、会長さんに任せておくしかないのかな…?
翌日からソルジャーの名前は禁句になってしまいました。その日の分の試験が終わると「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集まって昼食に雑談、ティータイム。試験期間中の長い放課後が過ぎてゆく中、誰も話題を蒸し返せないまま、とうとう打ち上げパーティーの日が…。
「例の話、どうなっているんでしょうね?」
シロエ君が声を潜めたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ向かう途中の中庭。カッと照りつける夏の日差しに重い話題は似合いません。本当だったらこれから楽しく打ち上げパーティーだったのに…。
「ブルーが何か策を講じたと思いたいぜ」
そう祈る、とキース君。
「ダメだった時は覚悟するしかないだろうな。…間違えるなよ、一番の被害者は俺たちじゃない。教頭先生はあの場にはいらっしゃらなかったし、今だって何もご存じない筈だ」
『そうでもないよ?』
飛び込んで来た思念は会長さんのものでした。
『ハーレイにも話はつけてあるんだ。外は暑いし、早くおいでよ』
ぶるぅの部屋に、と続く思念波に私たちは顔を見合わせ、足を速めて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと…。会長さんは解決策を考えついてくれたのでしょうか? 教頭先生に話をつけたと言っていたからにはそうですよね?
「やあ。…いつも来るのが遅いよねえ」
会長さんがソファに腰掛けて冷たいジュースを飲んでいます。
「ぼくは終礼には出てないけれど、試験は一緒に受けてたんだよ? 君たちがなかなか来てくれないと退屈になってしまうじゃないか」
「…仕方ないだろう、ここでは話せないこともあるんだ」
言い返したキース君に会長さんはニヤリと笑って。
「今日の打ち上げパーティーのこととか? …ふふ、会場はもう決まってるんだ。ブルーが押し掛けてきても平気な所で、少々騒いでも問題ない場所! それじゃ行こうか」
またか、と私たちは遠い目になりました。定期試験の打ち上げパーティーは教頭先生がスポンサーです。出掛ける前には教頭室へ行って熨斗袋に入ったお金を貰ってくるのが恒例で…って、あれ? 会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の身体から青いサイオンが…?
「飛ぶよ、ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パァァッと青い光が溢れてフワリと身体が宙に浮き…。ストンと降り立った先は教頭室ではありませんでした。見慣れた庭と二階建ての家。これってもしかしなくても…。キョロキョロしている間に会長さんがポケットから取り出した鍵で玄関の扉を開け放って。
「入りたまえ。打ち上げパーティーの会場はここだ」
「「「えぇっ!?」」」
「ハーレイを一人にしないためには最高の場所だと思わないかい?」
そこは教頭先生の家。よりにもよってソルジャーに狙われている教頭先生の家へ押し掛けるとはビックリです。しかも鍵を開けていたってことは教頭先生、お留守ですよね…?
「ハーレイはまだ学校だよ。でも打ち上げパーティーの開始時間は教えてあるから、それまでにはちゃんと帰ってくる。ブルーの方もそれに合わせて来るんじゃないかと思うけどな」
ぶるぅもね、と付け足す会長さん。教頭先生、会長さんからどんな話を聞いたんでしょう? 騙されてらっしゃらなければいいが、と祈るような気持ちで私たちは中に入りました。お留守ですけど、お邪魔しまぁ~す!
勝手に上がり込んだ私たちはリビングを占拠しクーラーを入れて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飲み物を用意してくれて…。その内にチャイムが鳴り、ケータリングのパーティー料理の到着です。夏野菜のジュレや色とりどりのテリーヌ、中華チマキにサイコロステーキ、何種類ものカレーなんかも。
「ぶるぅが選んだメニューなんだよ」
美味しそうだろ、と会長さん。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手際よく料理を並べ終わるのを見計らったようにリビングの空気がユラリと揺れて…。
「こんにちは」
「かみお~ん♪」
現れたのはソルジャーと「ぶるぅ」。食い意地の張った「ぶるぅ」がテーブルに突進しようとするのをソルジャーが首根っこを掴んで引き戻すと。
「こら! お前のママが決まる日くらいは行儀よくしないと放り出す! 放り出されたら覗き見するのも不可能になるが?」
「うわぁ~ん、ごめんなさーい! お行儀よくするから放り出さないで!」
「分かればいい。…こっちのハーレイが帰ってきたら挨拶するのも忘れないように」
「はーい!」
ソルジャーと「ぶるぅ」のやり取りに私たちは頭を抱えました。やはりソルジャーは教頭先生を食べる気なのです。そして「ぶるぅ」は決定的瞬間を見届けるために来たわけで…。教頭先生は事情をご存じの上で会場を提供して下さったのでしょうか?
『まさか』
思念の主は会長さん。けれど…。
「いけない、ブルーには思念波なんかは筒抜けだっけ」
内緒話は無理だった、と苦笑いする会長さん。
「どうせブルーは覗き見してたと思うんだけどね…。ハーレイには打ち上げパーティーの会場に家を貸してくれとだけ言ったんだ。ブルーとぶるぅが来たがってるから下手な店では寛げない、とね」
「…あんたの家でやればいいとは言われなかったか?」
キース君の冷静な突っ込みに会長さんは。
「言われなかったよ? 賑やかなのは好きらしい。それにさ、ぼくを自分の家に招待できるチャンスじゃないか。嫌なんて言うわけがない。…自分で播いた種なんだから、しっかり刈り取って貰わないとね」
「ふふ、君も話が分かるじゃないか」
そう言ったのはソルジャーでした。
「ぼくまで引っ張り込んだからには何が起こっても自己責任って言いたいんだろう? だけど君のハーレイにとっても悪い話じゃないと思うよ。…ぼくと楽しくやれるんだから」
「「「………」」」
ぼくに楽しくやられる、の間違いだろう、とソルジャーを睨み付けた所でガレージの方で車の音が。教頭先生が帰ってきたようです。早速迎えに飛び出して行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お留守の間に家を占領され、あまつさえソルジャーに食べられる予定になっているとは、教頭先生、お気の毒としか…。
スーツの上着を脱いでネクタイを外した教頭先生を囲んでパーティーは大いに盛り上がりました。最初はジュースだけでしたけども、教頭先生が秘蔵のお酒を持ち出してきて会長さんに勧め、それをソルジャーが横から掠めて…。いいんでしょうか、お酒まで飲んでしまっても? ソルジャーの思う壺なのでは…?
『甘いね』
こっちのハーレイはザルだから、とソルジャーの思念が届きます。
『そんな相手に秘密兵器! 効果はとっくに実証済みさ』
「「「え?」」」
思わず声に出した私たちの前でソルジャーが小さな瓶を宙に取り出しました。中には赤い液体が入っています。
「どうかな、ハーレイ? ぼくの世界のカクテルだけど、君はカクテルは飲まないクチ?」
「あなたの世界のカクテルですか? それは珍しいものですね」
頂きます、と教頭先生が差し出したグラスにソルジャーが瓶の中身を注ぎ、教頭先生が一気に飲んで。
「…御馳走様でした。甘かったですが、なかなかに…」
「美味しいだろ?」
ニッコリと綺麗に笑うソルジャー。
「しかも美味しいだけじゃないんだ。即効性でね、すぐに効果が表れるのさ。…どう? 欲しくないかい、このぼくが?」
「…………」
教頭先生の息が荒くなってきていました。ひょっとしてあれは…あの液体は…前にソルジャーが会長さんに差し入れていた催淫剤? 教頭先生がヘタレ直しの修行に行った直後に「ぶるぅ」が届けに来たハート形の箱に詰められたヤツ。会長さんが教頭先生に飲ませてしまって大惨事になった強力な…。
『そう、それ。ぼくのハーレイには効かないけれど、こっちのハーレイにはよく効くんだよね』
ソルジャーは教頭先生の首に腕を絡ませ、耳元に囁きかけました。
「ぼくとベッドに行こうよ、ハーレイ。大丈夫、優しくしてあげるからさ。…ぶるぅ、ぼくがパパだって証拠を見においで」
「うん!」
フッと三人の姿が消え失せ、顔色を失くす私たち。
「まずい、俺たちも行くぞ!」
キース君が二階の寝室に向かって走り出そうとした時です。何の前触れもなく空間が歪み、ドサリと何か重たいものが…。
「「「キャプテン!?」」」
そこには船長服に補聴器をつけたキャプテンの姿がありました。床に腰を打ちつけたようですけども、低く呻きながら起き上がって…。
「ここは? …ブルーはどちらに?」
私たちは揃って二階を指差し、キース君が「こっちです!」と案内しようとしたのですが。
「ちょっと待って。そのままじゃ駄目だ」
会長さんがキャプテンを引き止め、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキャプテンの袖を引っ張って。
「えっと、あのぅ…。ごめんね、ぶるぅみたいに上手に運んであげられなくって」
初めてだから、と謝る「そるじゃぁ・ぶるぅ」。キャプテンをこちらの世界へ呼び寄せたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」だったみたいです。すると最初から会長さんは全て計算済みで…? 会長さんは私たちに「うん」と頷き、先に行くよう促しました。
「事情を説明したらすぐに行くから! まだ大丈夫だと思うけど!」
「任せとけ!」
いざとなったら投げ飛ばす、と駆け出したキース君に私たちも続きました。あちらのキャプテンが来てくれた以上、教頭先生は助かりますよね? 催淫剤を飲まされてたって、EDの危機にはなりませんよね…?
「失礼します!」
バァン! と扉を開け放ったキース君に向けられたのはソルジャーの赤い瞳でした。
「…無粋だねえ…。これからゆっくり楽しみたいのに、もう割り込んで来たのかい? ぶるぅ、その連中を食い止めて」
「かみお~ん♪」
途端に私たちの足は寝室の床に吸いつき、そこから一歩も動けません。ソルジャーは教頭先生を横たわらせたベッドに乗り上げ、「ぶるぅ」が期待に瞳を輝かせています。
「…もっと力を抜いて、ハーレイ。慣らさないと君が辛いだけだよ」
「で、ですが…」
「気に入らない? そうだろうねえ、君には不本意な形だろうし? …だけど薬の効果を抜くにはイくのが一番! 優しくするから大人しくしてて」
ソルジャーは本気で教頭先生を食べる気でした。十八歳未満お断り、とばかりに私たちの視界にモザイクをかけているのがその証拠。教頭先生は薬のせいで力が入らず、どうにもならない様子です。会長さんは何をしてるのでしょう? このままでは教頭先生は…。
「駄目だ、優しくしてられないな。余計なお客が来たようだ。…ごめん、ハーレイ」
「「「!!!」」」
時間が無い、と言ったソルジャーが教頭先生の足を大きく開かせ、身体を進めようとした時のこと。
「お待ち下さい!!」
転げ込んで来た人影がガバッとその場に土下座して…。
「ソルジャー、申し訳ございませんでした! どうか…、どうかお静まりを…」
「…お前までぼくの邪魔をするのか?」
振り返ったソルジャーがその場に凍り付きました。そこへ会長さんがスッと近付き、教頭先生の腕に何かを注射して…。
「ハーレイ、中和剤を打ったから。…ある所にはあるものだねえ。あっちじゃセットで売ってるそうだよ」
すぐに効くから、と会長さんは教頭先生の乱れた服を整えて…。
「ブルー、いつまでそうしているんだい? 君の面倒までは見てあげないよ、それとも君のハーレイに頼むのかな?」
土下座しているキャプテンを会長さんが見下ろしています。ソルジャーはぎこちない手つきで服を直すと、引き攣った声で。
「…ハーレイ…。そ、その格好は何の真似だ…?」
「ぶるぅのママです!」
そう言い切ったキャプテンの大きな身体を包んでいるのはシャングリラ号の女性クルーの制服でした。視覚の暴力としか言えない姿に「ぶるぅ」も固まってしまっています。
「ぶるぅ、私がお前のママだ。…お前がママを捜しているのは知っていたのに、隠そうとしてすまなかった。これで分かってくれただろうか?」
「えっと…。じゃあ、ブルーがパパで合ってるの?」
「そうだ。お前のパパはブルーで、私がママだ。この格好は皆に見せられないから、ずっと黙っていたのだが…」
おいで、と呼ばれた「ぶるぅ」は「ママ!」と叫んで勢いよくキャプテンに飛び付きました。
「わーい、ママだぁ、本物のママだぁ! 抱っこして、ハーレイ、ぎゅってして~!」
大喜びの「ぶるぅ」はキャプテンのゴツさも、女性クルーの服の似合わなさもどうでもよくなったようでした。そんなにママが欲しかったのか、と微笑ましく見守る私たち。教頭先生も会長さんから今までの経緯を聞かされ、催淫剤の効果が切れたこともあって「良かったな、ぶるぅ」と穏やかな笑みを浮かべています。ついに決まった「ぶるぅ」のママ。…キャプテンの女性クルー姿は御愛嬌ってことでいいですよね?
「本当にお前がぶるぅのママでいいんだな?」
言い訳は二度と通らないが、と勝ち誇った顔でキャプテンを見詰めるソルジャー。
「その服、こっちの世界のぶるぅが頑張って作ったようだけど…。なかなか上手に出来てるじゃないか。そんな姿を見せられちゃったら誰でもママだと納得するよね。さてと、ぶるぅのママも目出度く決まったんだし、せっかくだからママらしくしてもらおうか」
「…は…?」
怪訝そうなキャプテンにソルジャーは悪戯っぽい瞳を向けると。
「お前がぶるぅのママなんだろう? パパだと証明していた途中で止められちゃったから不完全燃焼なんだよ、今のぼくはね。…ママを相手に続きをしないと収まりそうもないんだけども」
早く帰ってベッドに行こう、とソルジャーの身体から青いサイオンが立ち昇ったかと思うと、ソルジャーもキャプテンも「ぶるぅ」の姿も消えていました。…ひょっとしてソルジャー、本気でキャプテンをママ役に…?
「…脅しただけだと思うけど?」
そうに決まってる、と会長さんが伸びをしています。
「あっちのハーレイを相手に出来るんだったら最初から騒ぎにならないよ。…ハーレイ、とんだ災難だったね。今日の記憶は消したいかい?」
「…いや…。薬のせいかハッキリしないし、消したいとまでは思わんな」
「それはなにより。だったらパーティーの続きをしようか、ピザとパスタの出前でも取って」
会長さんの案に私たちは大歓声。お料理はまだ残ってますけど、仕切り直しといきたいです。試験は無事に終わりましたし、「ぶるぅ」のママもやっと決まったわけですし…。
「ああ、それだけどね」
リビングに戻った会長さんが出前の注文を取り纏めながら溜息をついて。
「ぶるぅのママはあれで決定じゃないと思うよ、今日の所はああいう形に落ち着いたけど」
「「「は?」」」
「だからさ、ぶるぅのママは確定してはいないんだ。元々いないと言ってもいい。今回の騒ぎの間にできる範囲で調べてみたけど、これという決め手が無いんだよ。…ぶるぅはこの先も悩むと思うし、ママの座の押し付け合いだって続くと思う。…つくづく不毛な争いだよね」
ブルーがママでいいじゃないか、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に出前の電話をかけさせながら。
「自分の立場を認めた方がブルーのためだと思わないかい? そうすれば全て上手くいく。あっちのハーレイがヘタレだろうが、ブルーの押しが強くなければ全然問題ないんだよ。…まずはママの立場を認めることから! 素直になったら万事解決!」
夫婦円満の秘訣だよね、と会長さん。あのソルジャーがママの立場を認めるとはとても思えませんが…。だからこその騒ぎだったと思うんですけど、その辺のことはどうすれば…?
「分かるわけないだろ、そんなこと」
そもそもぼくとは立場が違う、と会長さんは教頭先生を指差して。
「こんなのを相手にヤろうとする趣味はぼくには無いし! プロポーズだって断ってるし、ブルーの気持ちは分からないよ。ぶるぅだって同じさ、パパもママも欲しがったことは一度も無いしね。ね、ぶるぅ?」
「えっと…。いないから欲しいと思わないけど、ハーレイがパパになってくれたら嬉しいよ?」
「……ぶるぅ……」
ズーンと落ち込む会長さんを見て教頭先生が笑っています。酷い目に遭わされかけた教頭先生、いつか会長さんと結婚出来たりするのでしょうか? それよりも先に「ぶるぅ」のママが決まるかな? どちらもとても難しそうだ、と私たちは溜息をつきました。難しくっても構いませんから、二度と周りを巻き込まないで下さいです~!
ソルジャーと一緒に遊びに来た「ぶるぅ」にママはいません。卵を温めて孵化させるのは普通は親の役目でしょうが、「ぶるぅ」の場合はそれがソルジャーとキャプテンでした。ですから「ぶるぅ」は「ぼくにはパパが二人いるんだ!」が自慢の種。けれど本当はママがいるんじゃないか、と密かに思っているようです。
「だって…。ぼくだってママが欲しくなったりするんだもん。抱っこしてぎゅってしてもらったりとか…。ママって優しいものなんだよね? アタラクシアの街に行ったら優しそうなママが沢山いるよ」
アタラクシアというのはソルジャーの世界のシャングリラが潜む惑星にある街でした。惑星の名はアルテメシアで私たちが住む町の名前と同じです。惑星の方のアルテメシアは育英都市と呼ばれ、人工子宮で子供を作るSD体制下では、養父母として教育を受けたカップルが赤ちゃんを預かって一定の年齢になるまで育てる場所。
「優しそうなママ…か」
会長さんが「ぶるぅ」の言葉を受けて。
「そっちの世界のアルテメシアは子育て専門の星なんだろう? だったらママは優しいだろうし、そういう風に教育されているんだろうけど…。本物のママには色々あるよ」
「えっ?」
キョトンとしている「ぶるぅ」に向かって会長さんは続けました。
「ぼくたちの世界じゃ子供はママから生まれるわけで、それが本物のママってものさ。そして本物のママは特別な教育を受けてママになってるわけじゃない。だからいろんなタイプがあって、優しいだけとは限らないね」
「虐待なんていうのもあるしな…」
口を挟んだのはキース君です。
「ギャクタイ…? それって、なあに?」
キース君は首を傾げる「ぶるぅ」を見詰めて。
「悲しいことだが、この世界には母親になるための教育が無い。子供を生んだら誰でもママだ。…そして生まれてきた子供が好きになれない母親もいる。そういう母親が自分の子供に暴力をふるうのが虐待だな」
暴力の形は様々だが、とキース君は幾つか具体例を挙げ、「ぶるぅ」は「嘘…」と目を真ん丸くしています。
「それ、本当の話なの? ママが子供を殴ったりするの?」
「本当だ。最悪のケースだと子供が殺されてしまうこともある。…そうなる前に助け出して母親の代わりに育てる施設もあるんだぞ。俺の大学を経営している寺はそれに力を入れてるな」
学生ボランティアで手伝いに行ったことがある、とキース君は「ぶるぅ」に証言しました。
「だからブルーがさっき言ったように、ママは優しいとは限らないんだ。まあ、優しいママが基本だが」
「……そうなんだ……」
夢が壊れてしまったのでしょうか、「ぶるぅ」は俯いてじっとカップを見詰めています。可哀想なことをしたかな、と私たちはキース君の言葉に相槌を打っていたことを少し後悔したのですが。
「そっか…。ママは優しいだけじゃないんだ…」
いいこと聞いた、と「ぶるぅ」は顔を上げました。
「やっぱりぼくにもママがいるんだ! ハーレイがパパでブルーがママだよ!」
「「「はぁ!?」」」
どうしたらそんな結論になるのでしょうか? キース君と会長さんは一般論を話しただけだと思うのですけど…。ポカンとしている私たちを他所に「ぶるぅ」はソルジャーを指差して。
「ねえねえ、ブルーがママだよね? ハーレイは何処から見てもパパそのものだし、ママがいるとしたらブルーじゃないかと思ってたんだ。優しくないママもいるんだったらブルーがママでしょ、そうだよね?」
「「「………」」」
妙な話になってきた、と頭痛を覚えた私たちですが、ソルジャーは。
「…残念だけれど、それは違うね。何度も言っているだろう? ママがいるとしたらハーレイだよ、って。ママの形が色々あるならハーレイがママでも問題ないさ」
「やっぱりハーレイがぼくのママなの?」
「うん」
これは本当、と告げるソルジャーに会長さんが不快そうに。
「…嘘を教えるのは感心しないな。ママがいるんなら明らかに君だ」
逃げ口上は許さない、と会長さんは大真面目です。
「パパとママでは立ち位置が全く違うんだ。そしてブルーの立場はママさ。いいかい、ぶるぅ。難しいけどよく聞いて」
始まったのは保健体育の授業でした。子供が生まれるためにはパパとママがいないと駄目で、その過程を花に例えると…。これって「ぶるぅ」に分かるのかな? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」は居眠りしかけていますけど…?
「とにかく、そういうわけだから…」
授業を終えた会長さんはソルジャーに視線を向けました。
「ブルーの立場はママに近いね。ただ、性別が男性だからママそのものではないけれど」
真剣に話を聞いていた「ぶるぅ」はコクリと大きく頷いて。
「うん、分かった。ブルーがぼくのママなんだね!」
わーい! と歓声を上げた「ぶるぅ」の頭をゴツンと叩いたのはソルジャーです。
「ママじゃないって何度言ったら分かるんだ! ママはハーレイ!!!」
「でも…。ブルーはママの役なんだもん…」
さっきしっかり教わったよ、と「ぶるぅ」は会長さんの授業を復唱しました。
「ハーレイの役はパパなんだから、ブルーがママになるわけでしょ? パパが二人だってブルーは言うけど、二人ともパパだとおかしいよ! ブルーがやってる大人の時間はパパとママでないと無理だもん」
パパ同士だと繋がらないよ、と「ぶるぅ」は思い切り爆弾発言。えっと、繋がるって……授業の中身や私たちの乏しい知識からしても、その表現が指し示すものは…。
「「「………」」」
私たちは耳まで真っ赤になってしまいました。けれどソルジャーは平然と。
「そうかな? パパ同士でも繋がってるよ、お前が気付いてないだけだ。ぼくとハーレイが入れ換わってることがあるだろう? 普段はぼくが下だけれども、ハーレイが下のこともある。…違うかい?」
え。なんの話ですか、下がどうこうって? 私たちは首を捻りましたが「ぶるぅ」はすぐに分かったらしく。
「ブルーが上の時だよね…。ハーレイが下になってるね」
「だろう? ぼくとハーレイが入れ換わってもOKなのが二人ともパパだという証拠さ。さっきのブルーの話を聞いたら、ぼくがママだと勘違いするのも無理はない。でもね…」
ママは下になるものなんだ、とソルジャーは真顔で指摘しました。
「ハーレイが下になっている時はハーレイがママというわけさ。二人ともママになれるんだから、お前のママはハーレイってことでいいだろう」
「そうなの? ちょっと残念…。ハーレイはママらしくないんだもん」
ゴツすぎるよう、と嘆きながらも「ぶるぅ」は納得したようです。でも…本当にそれで正解なんでしょうか? 上だの下だのと今一つよく分かりませんけど、何かが間違っているような…? そして案の定、会長さんが。
「改変しないでくれないかな? ぼくはきちんと講義したのに、間違った知識を教え込もうなんて最低だよ。どうしてもパパになりたいんなら、名実ともにそうすれば?」
冷たい口調で言い放たれて、ソルジャーは「うーん…」と腕組みしています。
「名実ともにパパというのは、ぼくにハーレイの立場に立てと? ハーレイを派手に押し倒せと?」
「やり方は好きにすればいいさ。押し倒そうが一服盛って意識が無いのを弄ぼうが、そんなのは知ったことじゃない。とにかく君のハーレイが受け身になればいいんだよ。ママと呼ぶのはそれからだ」
「「「………」」」
ようやく会長さんとソルジャーの会話が意味する所が分かってきました。まりぃ先生がいつも妄想している『受け』と『攻め』について論じているのです。ソルジャーは『受け』でキャプテンが『攻め』。それは周知の事実ですけど、「ぶるぅ」が頭を悩ませているパパママ論争に終止符を打ってキャプテンをママと定めたいなら、ソルジャーが『攻め』にならないと…。
「……困ったな……」
ソルジャーは心底困り果てた様子で自分の髪を引っ張りながら。
「ぼくがぶるぅのママというのは耐えられない。…あんなヘタレがパパと呼ばれて、ぼくがママ? 情けなくって涙が出るよ。ハーレイをママにしておきたいのに、君が余計なことを言うから、ぶるぅは疑り始めてる。ぼくをパパとして認めさせるにはハーレイとやらなきゃいけないわけか…」
「嫌ならやめておけばいい」
会長さんは涼しい顔です。
「どうしてもやれとは言っていないし? 君のぶるぅは渋々ながらも納得してるし、ゴリ押しするのは君の自由さ。ただし、ぼくたちは君をパパとは認めないけど」
きちんと正しい性教育、と会長さんは私たちを見渡しました。
「ね、君たちが万年十八歳未満お断りでも大体のことは分かるだろ? ブルーの立場はパパだと思う? それともママ? これだ、と思う方に手を挙げて。…はい、パパじゃないかと思う人は?」
手を挙げる人は誰もいません。
「じゃあ、ママだと思っている人は?」
私たちは横目でソルジャーを眺め、会長さんにジロリと睨まれて…。えーい、後は野となれ山となれです!
「ほらね、誰が考えてもママなんだよ」
勝ち誇っている会長さん。一方、ママだと決め付けられたソルジャーは…。
「そう来たか…。ぶるぅ、お前はどう思う? やっぱりぼくがママなのかい?」
「ママがいるならブルーがいいなぁ…。ハーレイはちょっと…」
イメージと全く違うんだもん、と「ぶるぅ」は何処までも正直でした。
「ママはエプロンが似合うものでしょ? それに服だって女の人の服だよね。…ハーレイ、船長服は似合ってるけど、女の人の制服は…」
おえっ、とソルジャーが呻きました。
「ぶるぅ、それは視覚の暴力だ。…エプロンだけで十分だろう」
「…でも…。シャングリラのみんなは制服だよ?」
ソルジャーと船長と長老以外は、と続ける「ぶるぅ」。私たちの脳裏にシャングリラ号のクルーの制服が浮かびました。もしかしてデザイン、おんなじですか?
「「…同じだよ」」
同時に答えるソルジャーと会長さん。うげえっ、と悶絶するのは今度は私たちでした。ぴったりフィットでミニスカートにタイツを履いたようなのが女性クルーの制服です。教頭先生そっくりのキャプテンがあの制服を着るかと思うと、もう、どうしたらいいのやら…。
「…だから形にはこだわらなくっていいんだってば!」
冷静に、とソルジャーが私たちの思考が暴走するのを遮りました。
「あの制服はぼくがママでも御免だよ。…ぶるぅ、イメージにばかり囚われていると本当のことが見えなくなる。どんなに似合わない姿形でもハーレイがママだ」
「じゃあ、ママだって証明してよ」
証拠を見せて、と「ぶるぅ」はソルジャーを真っ直ぐ見詰めて。
「こっちのブルーはブルーがママだって言ってるよ? 他のみんなもブルーがママだって答えたし…。ブルー、本当はママなんでしょ? 違うんだったらパパらしくしてよ」
ハーレイとやればいいんだよね、と「ぶるぅ」は先刻ソルジャーが言った言葉を蒸し返しました。
「ぼく、おとなしく見てるから! ハーレイが嫌がるんだったらシールド張って隠れてるから、えっと…なんだっけ? ハーレイを押し倒すんだっけ? いつもハーレイがやってることをブルーがすればいいんでしょ?」
本物のパパなら簡単だよね、と「ぶるぅ」はワクワクしている様子。卵の中にいた間に容赦なく『大人の時間』の胎教を受けてしまったおませな「ぶるぅ」は覗きに抵抗がありません。以前、教頭先生がヘタレ直しの修行をしたいと言い出した時は教頭先生と一緒にソルジャーとキャプテンのベッドインを覗き見していたそうですし…。
「……ぶるぅ……」
ソルジャーは頭を抱えてしまいました。好奇心旺盛なのが「ぶるぅ」です。しかも本当のママが誰なのか分かるときては、覗き見をしない筈もなく…。そしてソルジャーが普段通りに大人の時間を過ごしたとしたら、その場でママに決定するのは火を見るよりも明らかでした。
「…ママはハーレイにしておきたいのに、証拠を見せろと言われても…。やってしまったらハーレイは二度と立ち直れそうにないし、そうなるとぼくが欲求不満に…」
「へえ…」
会長さんが意地悪そうな笑みを浮かべて。
「じゃあ、やることは出来るんだ? あのハーレイを相手にねえ…」
驚いた、と大袈裟に肩を竦めてみせる会長さん。
「ぼくなら御免蒙るよ。ぼくは押し倒すのは慣れているけど、可愛くて柔らかい女性が専門。あんなゴツイのには全く食指が動かない。…無理して食べたら食中毒を起こしそうだ」
「その辺のところはぼくも同じさ。だけどママの座をハーレイに押し付けることが出来るんだったら、やってやれないことはない。…でもハーレイがどうなるか…」
ああ見えて結構繊細なんだ、とソルジャーは溜息をついています。
「胃薬を手放せないくらいの心配性でヘタレだからねえ…。それでもなんとか頑張ってるのが現状だ。ここでウッカリぼくにヤられたら、ぼく相手には勃たなくなるかも…」
直接的な表現でしたが、言いたいことは分かりました。そりゃそうでしょう、ソルジャー相手に『受け』をやらされたら、キャプテンは心に深手を負いそうです。心因性のEDなるものが存在するのは教頭先生が証明してましたから、キャプテンだってEDになる可能性が…。
「やっぱりダメ?」
出来ないんでしょ、と「ぶるぅ」が決めてかかります。
「ほらね、ブルーがママなんだよ! だからパパにはなれないんだよね」
「なれるって言っているだろう!」
「出来ないんならなれないよ。本物のパパなら出来るもん! ブルーが教えてくれたもん」
突っ込む方がパパで突っ込まれる方がママだもん、と子供ならではの無邪気さでもって言い切る「ぶるぅ」。
「ブルーが上になってる時でも、突っ込んでるのはハーレイだよね? それくらい、ちゃんと見てたら分かるもん!」
「「「………」」」
見てたのか、と私たちはテーブルにめり込みそうになりました。えっと…キャプテンが下でも突っ込まれているのがソルジャーってことは…。
「騎乗位ってヤツさ、まりぃ先生が描いてただろう」
サラッと告げる会長さん。ひいぃっ、やっぱりソレでしたか! まりぃ先生の妄想イラストでしか知らない世界ですけど、ソルジャー、また随分と積極的な…。そして「ぶるぅ」の方はと言えば、偉そうにエヘンと胸を張って。
「もう騙されたりしないもん! 証拠が無いならブルーがママで決まりだもんね。ありがとう、ブルー、教えてくれて」
会長さんにペコリと頭を下げた「ぶるぅ」は心底嬉しそうでした。ようやくママが誰だか分かったのですし、大喜びするのは当然でしょう。けれどソルジャーが「ぶるぅ」のママとは…。キャプテンよりかは似合ってますけど、本当にこれで良かったのかな…?
「ねえねえ、ママって呼んでもいい?」
ママだもんね、と「ぶるぅ」はソルジャーに纏わりついたり飛び跳ねたり。そんな「ぶるぅ」を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が羨ましそうに眺めています。
「いいなぁ、ぶるぅはパパとママがいるんだ…。ぼくにはどっちもいないんだけどな」
「ぶるぅもママが欲しいのかい?」
会長さんが尋ねると「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「いなくてもいいけど、ハーレイがパパになってくれたらいいのになぁ、って思っちゃうよね。…だけどブルーが嫌がるし…」
「悪いけど、ハーレイと結婚するのは御免だから! ぶるぅのパパには良さそうだけど」
面倒見もいいし、子供の相手も上手だし…、と会長さん。教頭先生の夢は会長さんと結婚して「そるじゃぁ・ぶるぅ」を自分の子供にすることです。それに下心の有無はともかく「そるじゃぁ・ぶるぅ」を可愛がっているのも事実でした。シャングリラ号の公園で見かけたハードな鬼ごっこなんかが最たるもので…。
「……結婚ねえ……」
ソルジャーは遠い目をしていましたが、不意に何かが閃いたようで。
「そうだ! その手があったじゃないか。…ぶるぅ、証拠を見たいと言うなら見せてもいい」
ただし、と「ぶるぅ」の肩に手を置くソルジャー。
「ぼくがパパだとハッキリしたら、お前はパパを失うかもね」
「「「は?」」」
パパを失うってどういう意味? 二人いたパパが一人になるってことですか? 「ぶるぅ」も同じように考えたらしく、「かまわないよ」と答えたのですが。
「そうか…。かまわないならいいだろう。ついでに名前も変えて貰うが」
「「「名前?」」」
話が見えなくなってきました。「ぶるぅ」も首を傾げています。ソルジャーはクスッと笑って意地悪そうに。
「早い話が離婚の危機さ。ハーレイがぼくにヤられたショックで勃たなくなっても、ぼくが大人しく我慢していると思うかい? 役立たずのパートナーなんかはお断りだよ」
幸い相手に不自由はしない、とソルジャーは自信満々でした。
「こう見えてもぼくはモテるんだ。誘いをかけたら乗ってきそうな人は大勢いるから、さっさとそっちに乗り換える。ハーレイはお役御免で捨てられるんだよ、コブつきでね」
これがコブ、とソルジャーは「ぶるぅ」を指差して。
「こんな悪ガキがくっついてたんじゃ新しい相手も困るだろう? 離婚ついでにハーレイに押し付けてサッパリするのが一番さ。…ぶるぅ、ぼくが言ってる意味は分かるね?」
「えっ…。えっと……。えっと、もしかして、ぼくも捨てられちゃうの? ハーレイと一緒に?」
「そういうこと。ハーレイがママなんだから問題ないだろ、普通よりもずっと恵まれている」
お前はとても幸運だ、と続けるソルジャー。
「育英都市で養父母が離婚した時は、子供は新しい養父母の所に行くんだよ。もちろん記憶を処理されてね。…子供にはパパとママが揃っていないとダメだ、とSD体制では決められている。でもミュウはSD体制の規則に縛られないし、親が一人でも問題ないのさ。…お前も記憶を弄られずに済む」
良かったね、とソルジャーは「ぶるぅ」に笑い掛けました。
「月に一度くらいだったら青の間に来たって許してあげるよ、たまにはパパにも会いたいだろう? だけど普段はハーレイの部屋で暮らすんだ。ぼくとの縁が切れる以上は名前もきちんと変えないとね。…ハーレイの子供なんだし、それっぽく」
こんなのかな、とソルジャーが口にした名前は「きゃぷてん・はあれぃ」。だったらやっぱり「ぶるぅ」のママはソルジャーでは? だって「ぶるぅ」のフルネームは「そるじゃぁ・ぶるぅ」なのですし…。
「サンタクロースが勝手に決めてしまってたんだよ」
ざわめいている私たちにソルジャーがピシャリと告げました。
「そもそもぼく宛のプレゼントなんだし、その名前でも可笑しくないだろ? だけどハーレイが育てるんなら話は別だね。けじめはしっかりつけないと」
もちろん服も変えるのだ、とソルジャーは更に付け加えます。今の「ぶるぅ」は「そるじゃぁ・ぶるぅ」と同じでソルジャーの正装に似た服ですけど、それをキャプテンの船長服風に変えさせるとか…。
「これを機会にハッキリさせておかないとね。ぼくとハーレイがお前の親だとシャングリラ中が認めているのに、ハーレイときたら、ぼくとの仲すらバレていないと思ってる。…特別休暇を何度も一緒に取ってるんだし、馬鹿でも分かることなのにねえ?」
鈍いと言うにも程がある、とソルジャーは忌々しげに舌打ちをして。
「ハーレイがお前のママなんだというお披露目も兼ねて、お前の名前と服を変えよう。…それでもいいならパパの証拠を見せてもいいが」
「「「………」」」
えらいことになった、と私たちは声も出ませんでした。ソルジャーとキャプテンが離婚の危機で、「ぶるぅ」の名前と服装が変わる? ママの立ち位置から逃れるためならソルジャーはそこまでするんですか…?
難題を突き付けられた「ぶるぅ」は悩み始めました。ママが誰かは非常に気になるようなのですが、追及するとソルジャーがキレて離婚の危機。下手をすればパパが二人どころかママしかいない状態になり、そのママはゴツいキャプテンで…。
「……どうしよう……」
ブルーがママだと思うんだけど、と「ぶるぅ」は今にも泣きそうな顔。
「ねえ、ホントはブルーがママなんじゃないの? これってギャクタイって言うんじゃないの…?」
覚えたての言葉を使って「ぶるぅ」は泣き落としにかかりましたが。
「残念だけど、虐待するパパもいるんだよ。…そうだね、ブルー? それにキースも」
「確かにね…」
「ああ。父親が虐待しているケースも珍しくないな」
二人がかりで肯定されては「ぶるぅ」も反論できません。ソルジャーが自分がパパだと言い張る以上はキャプテンがママだと思っておくのが多分ベストなチョイスでしょう。けれど「ぶるぅ」は今一つ納得できないわけで…。
「……ブルーがパパだって証明されたら絶対に離婚?」
どうなるの、と「ぶるぅ」が縋るような瞳でソルジャーのマントを引っ張りました。
「ブルーがパパでも離婚しないなら、ハーレイがママでも我慢する…。やっぱりママは欲しいもん。ブルーがママだと嬉しいけれど、ブルー、ママにはならないんだよね?」
「もちろんだ。間違ってもママになる気はない。…だからママじゃないことを証明するのはかまわないさ。もっともそれを証明したら、もれなく離婚になると思うが」
「……そっか……」
やっぱり離婚しちゃうんだ、と「ぶるぅ」は俯いて深い溜息。もう諦めた方がいいだろう、と私たちは思ったのですが。
「ぶるぅ」
ソルジャーの唇に笑みが浮かんでいます。
「一つだけ道が無いこともない。ぼくがパパだと証明できて、ハーレイとも離婚せずに済む道」
「えっ、ホント?」
「本当だ。…要はハーレイに突っ込みさえすればいいんだろ?」
ひぃぃっ、なんて直接的な! 私たちは揃ってドン引きでしたが、ソルジャーは全く気にせずに。
「お前がそれでハーレイをママと認めるんならやってやる。…どうなんだ、ぶるぅ?」
「…んーと……。えっとね、ホントに離婚はしない? ぼくの名前も変えなくていい?」
「離婚しない以上、名前も服も変えなくていい。ハーレイがママに決まるだけだ」
「そっか! じゃあ、それでいい。…だけどホントにハーレイがママ?」
似合わないよう、と呻く「ぶるぅ」にソルジャーは。
「文句を言うなら離婚してもいいが?」
「うわーん、言わない! 言わないから離婚しないでよう!」
「ぼくだって離婚したくはないさ。…ハーレイがヘタレでも気に入ってるしね。だけど突っ込まれっぱなしじゃ、お前にママだと言われるし…。ここは一発、頑張るまでだ。ハーレイに突っ込めたらパパなんだな?」
身も蓋も無い表現を重ねた挙句にソルジャーはニヤリと笑いました。
「…こっちの世界にもハーレイはいる。見た目も名前もそっくりなんだし、あれもハーレイには違いない。…どうする、ぶるぅ? こっちのハーレイに突っ込めたなら認めるか?」
「………。そうだね、見た目はおんなじだね……」
離婚しないならそれでいいや、と「ぶるぅ」は大きく頷きましたが、私たちはそれを遠い世界の出来事のようにポカンと見ているだけでした。ソルジャーはなんて言いましたっけ? こっちの世界にもキャプテンがいて、そのキャプテンに突っ込めたならソルジャーが「ぶるぅ」のパパに決定で…。って、えぇぇっ!? それってもしかして教頭先生? ソルジャーが教頭先生に突っ込むだなんて、衝突って意味ではないですよねえ…?
校外学習が終わると間もなく期末試験のシーズンでした。セミも鳴き始める暑い7月、しかも月曜日から金曜日までの五日間。けれど1年A組は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーこと会長さんのサイオンのお蔭で勉強しなくても全員満点間違いなしとあって緊張感の欠片も無かったり…。
「暇だよねえ…」
ジョミー君が呟いたのは試験初日の放課後のこと。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集まって今日のおやつが出来てくるのを待っています。
「おい、暇というのは失礼じゃないか?」
注意したのはキース君。
「ぶるぅは特製パフェを作ってくれているんだぞ? 黙って待つのが礼儀だろう」
「あ、ごめん。そういうつもりじゃ…。暇っていうのは退屈だって意味なんだけど」
やたら放課後の時間が長いし、とジョミー君は小さな溜息。試験期間中は午前中のみで下校になるのが恒例です。試験勉強とは無縁の私たちには半日以上の自由時間があるわけですが、ここで校則という名の壁が…。シャングリラ学園では定期試験中に繁華街やゲームセンターなどに行くのは禁止でした。えっ、特別生は例外じゃないかって? ところがどっこい、特別生でもダメなものはダメ。
「なんで半日も時間があるのに遊びに行ったらいけないのさ? そりゃ、外はとっても暑いけど…」
「かみお~ん♪」
ジョミー君の不満を遮るように元気な声が響きました。
「出来たよ、特製マンゴーパフェ!」
ワゴンを押してきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見るなり上がる大歓声。テーブルの上に並べられてゆくパフェには黄色い薔薇が乗っかっています。それはマンゴーの果肉をスライスして花弁にした薔薇で、一つの器に二輪の薔薇が華やかに…。
「あのね、下にはキャラメルアイス! それとサクサクのパイも入れてみたよ。ソースはこっち。かけなくても美味しいけれど、試してみてね」
マンゴーとラズベリーだという特製ソースが別の器に入っていました。ジョミー君はさっきまでの文句も忘れて早速スプーンを握っています。会長さんが苦笑しながらマンゴーの花弁をフォークでつついて。
「ジョミー、校則には一応理由があるんだよ。試験期間中は勉強に集中しないといけないだろう? だから遊びに行くのは禁止。…特別生は普段から色々と優遇されているからねえ…。数少ない試験期間くらいは他の生徒と同じ規則を適用しようってことなんだけど」
「「「え?」」」
それは全く知りませんでした。漠然と『禁止』だと思っていたんですけど…。会長さんはクスクスと笑い、「呑気だねえ」と呆れた顔で。
「特別生も三年目になるんじゃなかったっけ? いつも真面目に守っているから、知ってるんだと思っていたよ。そういえば改めて教えたことはなかったか…。生徒手帳にも書いてないしね」
「生徒手帳自体が特製じゃないよ」
みんなと同じ、とジョミー君。私たちの生徒手帳は普通の生徒と全く同じものなのです。特別生ゆえの出席免除などは特別生になった時に貰った薄い冊子に書かれていただけで、そこには細かい規則の類は特に載ってはいませんでした。特別生の心得だって習った覚えは皆無です。
「特別生は特別なんだよ、いろんな意味でね」
会長さんが微笑んで。
「わざわざ文書で伝えなくても思念波があるし、先輩から口伝で教わることもある。…そういうわけで試験期間中の心構えは覚えておいて。外出しての遊びは禁止! とはいえ、一般生徒もコッソリ遊びに行っているから完全にアウトってわけじゃないけど…。でも、パトロール中の先生方に発見されたら生徒手帳は没収だよ」
「「「!!!」」」
それは困る、と私たちは顔を引き攣らせました。生徒手帳没収は校則違反の証です。もちろんパパやママたちに知れたら…。
「そりゃあ、こってり絞られるだろうね。だから試験期間中は…」
「ちょっとくらい暇でも我慢します…」
ジョミー君が肩を落としてマンゴーの花弁を見詰めています。美味しいおやつや「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋という素敵な溜まり場があるんですから、贅沢を言ってはいけませんよね。
「そういえば君たち、校則違反の経験は?」
会長さんに尋ねられて私たちは顔を見合わせました。えっと…私はありませんけど、ジョミー君たちは?
「普通の一年生だった時にサムと遅くまでカラオケを…」
あれって校則違反だよね、とジョミー君に問われてサム君が。
「どうなんだろう? 土曜日だったし、先生も見回りに来なかったし…。それに遅くなったのは時計を見るのを忘れたからだろ」
二人は新しく入った曲の選曲に夢中になって夜の10時頃まで歌い続けていたようです。校則では生徒だけでのカラオケは夜8時までと決まっていました。つまり明白な校則違反。先生方が来なかったのはパトロールの日じゃなかったか、その日の見回り範囲内ではなかったからかのどちらかでしょう。
「お前たち…」
キース君がハアと溜息をつきました。
「見つかっていたら確実に生徒手帳は没収だぞ。取り上げられたら大変なんだぜ、親のハンコが要るからな」
「「「ハンコ?」」」
なんですか、それは? キョトンとしている私たちにキース君は顔を顰めて。
「そんなことも知らないのか? 没収された生徒手帳を取り戻すには事務局へ行かなきゃいけないんだ。そこで専用の用紙を貰って始末書を書いて、所定の欄に親のハンコを…。そうだな、ブルー?」
「うん。ハンコだけじゃなくて署名も必須。それを生活指導の先生宛に提出しないと生徒手帳は返ってこない。…ついでに言うと、うちの学校ではサイオンで署名とハンコをチェックするから代筆とかは効かないよ。一般生徒は何故バレるのかと戦々恐々、バレた後では親にハンコを貰うのも一苦労さ」
始末書がもう一枚分増えているから、と会長さんは楽しそうです。増えた始末書というのは親の署名とハンコを捏造したことを詫びる書面で、そりゃ親だって怒るでしょう。私がやったらパパもママもハンコなんか押してくれそうにありません。ジョミー君とサム君は校則違反をやらかした過去があるだけに真っ青でした。
「…生徒手帳って持っていないとマズイんだっけ?」
ジョミー君の問いにキース君が。
「マズイもなにも、没収されてから一週間以内に始末書を提出しないと親に連絡が行くんだぞ? そしたら親が呼ばれて個人面談。生徒手帳は担任の先生経由で親に返されてしまうんだ。…その後はどうなるか馬鹿でも想像できるだろう?」
「「「………」」」
それはコワイ、と私たちは一様に押し黙りました。始末書にハンコと署名を貰うだけでも難関なのに、個人面談まで行ってしまったら…。果たしてパパとママは生徒手帳をちゃんと返してくれるでしょうか? 雷が落ちるのは絶対間違いありません。キース君だとアドス和尚に丸坊主にされてしまうかも…。
「だからキースは詳しいんだよ」
会長さんがクックッと可笑しそうに笑っています。
「生徒手帳を没収されたら坊主頭の危機だからねえ…。そうだよね、キース?」
「違う!」
憮然としているキース君。
「俺は柔道部の先輩たちから教わったんだ。あそこは教頭先生の方針で特に風紀に厳しいからな、校則は徹底的に叩き込まれる。覚えるまで何度も復唱なんだぞ。…そうだな、シロエ? それにマツカも」
「「はいっ!」」
でも罰則は習いませんよ、とシロエ君が付け加えて。
「ぼくも破ったらどうなるのかまでは初耳でした。柔道部では校則違反は一週間の部活禁止で、最悪は退部ですからねえ…。そもそも破ろうって人がいません。…キース先輩、地獄耳ですね」
「…規則がある以上、罰則も知っておかねばな。俺は法学部を目指していたんだぞ」
「「「あー…」」」
忘れてた、と全員が浮かべた曖昧な笑みにキース君は頭を抱え、会長さんが必死に笑いを堪えています。
「キースといえばお坊さんしか浮かばないもんねえ、今となっては。…思えば遠くに来たよね、キース?」
「空しくなるから言わないでくれ。…俺が自分で選んだ道だし、後悔はしていないんだがな…」
「だけど坊主頭は嫌、と。…つまり今でも生徒手帳を没収されると非常に困る」
お父さんに叱られて即、坊主! と会長さんがキース君の頭を指差しました。私たちはドッと笑い転げましたが、会長さんは「君たちだって」とクルリと全員を見渡して。
「キースみたいに外見の危機ではないだろうけど、お父さんたちのハンコを貰うのは厳しいよ? だから校則は守らないとね。いくら君たちの御両親の意識の下に介入するのが朝飯前でも、校則違反の後始末をしてあげるのは高くつく」
一件につきこのくらい、と会長さんが立てた指の数に目をむく私たち。これって指一本あたりゼロが幾つ?
「もちろん、お札は最高額さ。…女子の場合はレディース割引で三割引きになるけどね」
「ちょ…。それって暴利!」
「いや、それで済むなら俺の場合は頼みたいがな」
そもそも破らなければ必要ないが、と言いつつキース君は大真面目です。
「月参りでお経を長めに上げると御布施の他に御茶代をくれる家が何軒かある。それを軒並み絨毯爆撃」
「へえ…」
ジョミー君がからかうように。
「坊主頭の危機脱出にお坊さんの仕事をこなしてくるんだ? だったら坊主でいいじゃない」
頭の方も、とツルツル頭を撫でるゼスチャーをされたキース君が「やかましい!」と一喝して。
「お前だってブルーの意向一つで坊主頭の危機だよな。どうする、生徒手帳を没収された時にブルーが一言付け加えたら? 反省の意を示すためには坊主頭が一番です、とかな。…なんと言ってもブルーは一応ソルジャーなんだぜ」
仲間内では最高権力者、と告げられた言葉にジョミー君は顔面蒼白。
「うっわー…。パパとママなら信じちゃいそう…」
「な? だから校則は守っておくのが一番だ」
悪いことは言わん、というキース君の真剣な口調は他人事ではありませんでした。誰の家でもパパやママのハンコはそう簡単には貰えません。校則、しっかり守らなくっちゃ…。
食べた気がしなかったマンゴーパフェは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお代わりを作ってくれました。いつもより放課後が長い上、お昼はサンドイッチで軽く済ませてましたし、パフェのお代わりは大歓迎です。もっとも「そるじゃぁ・ぶるぅ」は他のデザートを作ろうと思っていたようですが…。
「冷たいものが続くよりかはクレープとかがいいのかなぁ、って。でもマンゴーパフェ、ウケて良かったぁ!」
「キャラメルアイスにパイがよく合うんだよな」
サム君が絶賛し、スウェナちゃんと私はマンゴーの薔薇がお気に入り。お代わりには薔薇を一輪余計に乗っけてもらいました。さあ食べるぞ、と皆でスプーンを手にした時。
「かみお~ん♪」
「それ、ぼくたちも貰えるかな?」
ユラリと部屋の空気が揺れて、現れたのはソルジャーと「ぶるぅ」。二人の視線はマンゴーパフェに釘付けです。さては覗き見してましたか? 私たちの咎めるような視線にソルジャーと「ぶるぅ」は互いに顔を見合わせて。
「だって…ねえ?」
「うん、美味しそうだったし! だけどブルーが我慢しなさいって言っていたから我慢したけど、お代わりなんかが出て来ちゃったし!」
ぼくも食べたい、と「ぶるぅ」は涎が垂れそうな顔。会長さんは「やれやれ」と肩を竦めて「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「ぶるぅ、二人の分をお願いできるかな? あ、ぶるぅのは大盛りで」
「オッケー!」
キッチンに駆けてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」にソルジャーが。
「ぶるぅの分はバケツサイズでね! 薔薇はなくてもいいと思うよ、とにかく食べたいだけだから」
「うん!」
分かった、と返事した割に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってきたのは特大サイズの見事なパフェ。ソルジャーの分は普通ですけど「ぶるぅ」のはフルーツポンチに使う器にたっぷりと盛られ、黄色の薔薇が咲き乱れています。
「わぁーい! いっただっきまぁーす!」
大喜びの「ぶるぅ」は毎度のことながら凄い食欲。スプーンの代わりにおたまで掬ってバクバクと…。先に食べ始めていた私たちが追い越されそうな勢いです。ソルジャーは「美味しいね」とマンゴーの薔薇を食べながら。
「この芸術性はなかなかだよね、今度うちのゼルに作ってもらおうかな? こんな感じで、って言えば大丈夫そうだ。ケーキにくっついてるクリームの薔薇と作り方の理屈は同じだろう?」
「そうだよ」
割と簡単、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が自分のパフェの薔薇を分解してみせて。
「だけど豪華に見えるでしょ? これ覚えとくと便利なんだよ、スモークサーモンで作ればオードブルになるし、お刺身を盛り付ける時にも応用できるし! みんなも家でやってみる?」
「ママの料理は食べる方がいいな」
即答したのはジョミー君でした。
「ぼくは食べるの専門だしね! それにママの料理は美味しいんだ」
ぶるぅみたいに何でも来いではないけれど、と言うジョミー君のママはポトフが得意らしいです。じっくりコトコト煮込んだものを寒い夜に食べるのが最高だとか。今の季節はスパイスの効いたカレーなんかがジョミー君のお気に入り。
「そうか、カレーか…。俺の家では滅多に出ないな」
残念そうなキース君。
「なんと言っても寺だからなあ、強い匂いはダメなんだ。まさかカレーの匂いをさせて月参りってわけにはいかないだろう? 友引の前日で次の日に月参りが無い時だけだな」
友引の日はお葬式が出来ないので前日にお通夜は入りません。そのタイミングを狙ってイライザさんが年に数回作ってくれるカレーがキース君の好きな『おふくろの味』の一つでした。滅多に食べられない分、美化されているかもしれないとの注釈つきです。それから私たちはああだこうだと自分のママの得意料理を語り始めて…。
「ぼくのパパもたまに作るんですよね」
男の料理、と言ったシロエ君のママの得意料理はブラウニー。それは料理じゃなくてお菓子だろう、とサム君が突っ込みましたが、ブラウニーはシロエ君の幼稚園時代からの大好物で決して譲れないみたいです。ガンプラが趣味なシロエ君のパパの料理はブイヤベース。魚市場で買ってきた魚介類をブツ切りにして豪快に…。
「これが案外いけるんですよ。元々は漁師が売れない魚を鍋で煮ていたものらしいですし、大雑把なのが合ってるのかもしれません」
調味料とかも適当だというシロエ君のパパのブイヤベースは入る魚もパパ次第。これだと思えばイケスで泳いでいた天然の鯛でも放り込んでしまうのが味の秘密かも…?
「天然の鯛ならいい味出るんだろうなあ…」
今度試してみようかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が呟いています。会長さんは「それはハーレイに買わせなくちゃね」と物騒なことを言っていますが、本当に実行されたとしても教頭先生のお腹には入らないんでしょうねえ…。
「ん? 決まってるじゃないか、なんでハーレイに御馳走しなくちゃいけないのさ」
食卓は家族で囲むもの、と澄ました顔の会長さん。ただし友達は例外なので、私たちは天然の鯛のブイヤベースにありつけるかもしれないそうです。と、不意に「ぶるぅ」が口を開いて。
「…ねえ。ぼくのママの得意な料理って何?」
「「「は?」」」
全員がポカンと口を開けました。「ぶるぅ」のママって誰でしたっけ? 得意な料理云々以前に「ぶるぅ」のママが謎なんですが…?
ソルジャーの世界に住んでいる「ぶるぅ」は卵から生まれたと聞いています。それは「そるじゃぁ・ぶるぅ」も同じ。けれど決定的な違いがあって、6年に一度は卵に戻って0歳からやり直す「そるじゃぁ・ぶるぅ」の卵は温めなくても孵化するもの。一方、「ぶるぅ」の方はと言えば…。
「ぼくってさあ…」
特大のマンゴーパフェをとっくに食べ終えた「ぶるぅ」の視線はソルジャーの方を向いていました。
「卵を温めて孵してくれたの、ブルーとハーレイだったよね? 他には誰もいなかったよね?」
「ああ、そうだが?」
当然のように頷くソルジャー。
「サンタクロースがくれたクリスマス・プレゼントの卵からお前が生まれた。温めたのはぼくとハーレイ。…ぼくはハーレイ以外の誰かをベッドに入れたりしないからね」
「…だよねえ?」
やっぱりブルーとハーレイだった、と「ぶるぅ」は満足した様子。
「じゃあ、もう一度、聞いてもいいよね? ぼくのママの得意な料理は?」
「「「はあ?」」」
今度こそ私たちは目が点でした。「ぶるぅ」の卵を温めたのはソルジャーとキャプテンの二人です。ですから「ぶるぅ」は「ぼくにはパパが二人いるんだ!」と自慢していたと思うのですが、ママって誰のことなのでしょう? サンタクロースに卵を託した人なんでしょうか? SD体制という特殊な世界で「ぶるぅ」を創った誰かがいるとか…?
「ねえねえ、だからママの得意な料理って何?」
好奇心に瞳を輝かせる「ぶるぅ」は心底知りたがっているようです。でも、ソルジャーは答えを知っているのかな? 卵を託した人の話はまだ聞いたことがないんですけど…。
「ほら、ぶるぅが知りたがってるよ?」
早く答えてあげないと、と後押ししたのは会長さん。
「子供の疑問には責任を持って答えなくちゃね。…そうだろ、ママ?」
「「「ママ!!?」」」
私たちの声が引っくり返り、ソルジャーが思い切り不機嫌な顔で。
「…………ママじゃない」
ひぃぃっ、そういう展開ですか!? ソルジャーが「ぶるぅ」のママなんですか? 私たちは肘でつつき合い、顔を見合わせて衝撃の事実を確認しました。そっか、ソルジャーが……「ぶるぅ」のママ……。
「……ママじゃないって言ってるだろう!」
勝手に話を進めるな、とソルジャーは会長さんをギロリと睨み、「ぶるぅ」の頭に右手を乗せて。
「ぶるぅ、正直に答えるんだ。…お前のママというのは誰だ?」
「え? えぇっ? えっと……」
「…ん?」
口籠っている「ぶるぅ」にソルジャーが冷たい笑みを浮かべてみせると「ぶるぅ」はビクンと震え上がって。
「……いない……のかな?」
「もっと正確に!」
曖昧な答えは許さない、とソルジャーの瞳が「ぶるぅ」をしっかり見据えています。小さな「ぶるぅ」は更に小さく縮こまるようにして消え入りそうな声で答えました。
「……ママは………いないよ」
「よくできました」
それで良し、とソルジャーは「ぶるぅ」の銀色の頭をポフッと叩いて。
「お前のママは存在しない。もちろん得意料理もない。…残念ながら、それが真実」
「「「………」」」
しょんぼりと俯いている「ぶるぅ」の姿に私たちの胸がチクリと痛みました。ママがいない「ぶるぅ」の前でママの得意料理の話に花を咲かせたのは悪かったでしょうか? でも…ママがいないのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」も同じですし、その「そるじゃぁ・ぶるぅ」は話の輪に入ってワイワイ一緒に騒いでましたし…。
「いいんだよ、気にする必要は無い」
暗くなってしまった私たちにソルジャーがクスッと笑いを漏らしました。
「君たちはちっとも悪くないのさ、あれはぶるぅの作戦だしね」
「「「作戦?」」」
「そう、作戦」
だから全く無問題、とソルジャーは「ぶるぅ」の額を指でピンと弾いて。
「これで何度目になるのかな、ぶるぅ? そう簡単には釣られないよ」
ダテにソルジャーをやってはいない、とソルジャーはふんぞり返っています。
「ぼくを引っ掛けるには十年早い。それとも百年……いや、二百年? どっちにしたってお前には無理だ」
年季も経験値も圧倒的に違い過ぎる、と言われた「ぶるぅ」は膨れっ面。何やら失敗しちゃったみたいですけど、いったい何の作戦だったの…?
「…ぶるぅはね…」
マンゴーパフェの器は片付けられて、ソルジャーが紅茶を飲みながら横目で「ぶるぅ」をチラチラと。
「まだ納得していないんだよ」
「何を?」
会長さんが尋ねました。相変わらず「ぶるぅ」は膨れています。ソルジャーはそんな「ぶるぅ」の髪をクシャリと撫でてから。
「…ママがいないということをさ。もしかしたらいるんじゃないかと思ってるんだ」
「だって…。いないんだろう?」
クリスマスに届いたプレゼントだろう、と会長さん。
「うん。ぼくも贈り主が誰かは全く知らないし、心当たりも全然無い。確かなことは卵を貰ったってことと、一年間温めていたら次のクリスマスにぶるぅにピッタリのサイズの服が届いたことだけなんだ」
服の贈り主も未だに不明、とソルジャーは軽く首を傾げて。
「やっぱりサンタクロースがくれたんだろうね、あれだけ捜しても誰だか分からないんだし…。ぼくのサイオンでも見つからないんじゃサンタクロースだと思うしかない。サンタクロースはぼくたちとは別の時間を生きているって言うからねえ…」
昔の地球のデータにそういう話があったのだ、とソルジャーは教えてくれました。私たちの世界とソルジャーの世界の地球は同じ名前の星系にあって、惑星の名前も並びも同じだとか。サンタクロースが地球の全ての子供にプレゼントを一日で配るためには、地球から冥王星まで十日間で到達できる速さが要るのだそうです。
「あ、その話なら聞いたことがあります」
マツカ君が相槌を打って。
「その速さでサンタクロースが地球上を飛び回った場合、何かに衝突したら大惨事になってしまうんですよね。そんな事故は起こったことがないから、サンタクロースは別の時間で生きている…って」
「そうなんだよ。別の時間を生きているんじゃ、いくらぼくでも捕捉できない。ぶるぅの卵はサンタクロースがくれたんだ。…でね、ぶるぅは卵から孵ったらパパとママに会えると信じてた」
卵を割って出てきた「ぶるぅ」の最初の言葉は「かみお~ん♪ 初めまして、パパ、ママ!」だったとか。けれどその場に居たのはソルジャーとキャプテンの二人だけ。ソルジャーに「どっちがパパなんだい?」と訊かれた「ぶるぅ」はキャプテンを指差して「パパ!」と答えたものの、ソルジャーを「ママ」とは呼べなくて…。
「あの日から……つまり生まれた時から、ぶるぅはずっと悩んでる。ママは本当にいないのか? パパが二人でそれでいいのか、やっぱりママはいるんじゃないか、と」
「…それで?」
会長さんが先を促し、ソルジャーは。
「ぶるぅは疑っているんだよ。パパが二人というのは嘘で、ぼくかハーレイか、どちらかが本当はママなんじゃないのか…、とね。事実、ぼくとハーレイの間では何度もママの座の押し付け合いが起きている。ハーレイがママに決まりかけたこともあった」
「「「………」」」
不毛な言い争いを思い浮かべた私たちの間に微妙な空気が流れました。そしてソルジャーは…。
「だから、ぶるぅは事あるごとに本当のママを探し出そうと仕掛けてくるんだ。さっきの料理談義もそれなのさ。ぼくが素直に得意料理を答えていたなら、ぼくがママ。…そうだろ、ぶるぅ?」
コクリと頷く「ぶるぅ」にソルジャーはフンと鼻を鳴らして。
「答えやしないよ、そもそも得意料理が無いし! まあ、それ以前にぼくはママではないんだけども」
そこが一番重要だから、と言い切るソルジャーに頭痛を覚える私たち。ひょっとしてママたちの得意料理を披露したせいでドツボにはまってしまいましたか? ソルジャーとキャプテンのパパ・ママ戦争に巻き込まれたりはしないでしょうね…?