シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
チョコレート・フォンデュの鍋の中から砂糖細工の教頭先生人形を釣り上げてしまったジョミー君。教頭先生人形が当たった人が王様だよ、という会長さんの言葉どおりに紙製の王冠を被せられた姿は罰ゲームのように見えました。自分じゃなくて良かった…と思う反面、王様が何なのか気になります。
「…知らないかな? ガレット・デ・ロワ」
会長さんが微笑んで。
「イエス・キリストと三人の博士の話は知ってるだろう? 博士が馬小屋を訪ねたのが1月6日の公現節……エピファニーでね、その日に食べるお菓子がガレット・デ・ロワ。直訳すると王様のお菓子。パイ生地の中にアーモンドクリームがたっぷり詰まっているんだよ」
「…それが何?」
王冠を被ったジョミー君が唇を尖らせています。
「王様のお菓子だからって、それとぼくとが関係あるの?」
「大いにね。ガレット・デ・ロワは紙の王冠とセットで売られるものなんだ。お菓子の中にはフェーブっていう陶器の人形が入ってる。切り分けてみんなで食べるんだけど、自分のガレットからフェーブが出てきた人が王様になれるという仕組み。王冠を被ってみんなに祝福されるのさ。…ジョミー、君はフェーブを当てただろう?」
「…フェーブって、これ…?」
陶器じゃないよ、とジョミー君はお皿の上の教頭先生人形をフォークでコロンと転がしました。チョコレートまみれですけど全く溶けてはいないようです。
「陶器じゃなくてもフェーブってことにしといてよ。ガレット・デ・ロワはね、場所によっては新年のケーキになったりするんだ。ヴァシロピタって呼ぶ国もある。そこでは人形の代わりにコインが入るし、当たった人には幸運が来ると言われているのさ。で、今日は新年度の最初の日だからガレット・デ・ロワっぽくいこうかと」
「だから王様…?」
「そういうこと。ラッキーなんだよ、喜びたまえ」
大当たりだし、と会長さんは笑顔ですけど本当にラッキーなんでしょうか? 素敵な役目がどうとか言っていた上に、誰も王様にならなかったら強制的に指名するとか物騒なことも聞こえましたが…。疑いの眼差しを向けているのはジョミー君だけではありませんでした。でも会長さんは気にも留めずに。
「ぶるぅ、ハーレイ人形をどうしようか? お菓子作りに使うかい?」
「えっと…。使ってもいいんだけども、みんな食べるのを嫌がりそうだよ」
ハーレイだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がジョミー君のお皿の教頭先生人形をコップの水の中で揺するとチョコは綺麗に取れました。形も塗りも崩れてはおらず、釜茹でになっていたとは思えません。これを砕いてお菓子の材料に使われるのは確かにかなり嫌かもです。
「…食あたりしそうだな」
キース君が言い、シロエ君が。
「チョコの中って相当熱いと思うんですけど、溶けてないなんて…怖いですよ」
「そういえばそうね…」
何か仕掛けがあるのかしら、とスウェナちゃん。会長さんは「ご名答」と教頭先生人形をつまみ上げました。
「サイオンでちょっとコーティングをね。で、食べたい? 食べたくない? …ハーレイ人形」
「「「………」」」
私たちが顔を見合せ、揃って首を横に振ると。
「やっぱり食べたくないだろうねえ…。調子に乗って作らせたのはいいんだけれど、欲しいって人もいないだろうし…。仕方ない、ヤスに食べさせちゃおう」
「「「ヤス?」」」
誰ですか、それは? そんな名前の職員さんとかいましたっけ?
「ゼルの犬だよ」
大型犬で猛犬注意、と会長さんがパチンと指を鳴らすと頭の中に獰猛そうな犬のイメージが浮かびました。ゼル先生の家の庭の様子をサイオンで中継しているようです。
「これが一号で、あっちの陰にいるのが二号。…一号の方が甘党なんだ」
ほら、と会長さんが瞬間移動で放り込んだらしい教頭先生人形が庭にコロコロと転がって…。ヤス一号と呼ばれた犬はフンフンと匂いを嗅いでから大喜びで舐め始めました。あれでは番犬の意味をなさないのでは…? 薬とかが入っていたら一発でアウトじゃないですか~!
「一号も二号も、ぼくの匂いを知ってるからね。知らない人から貰ったものは食べないよ、うん」
とても頭がいいんだから、と会長さん。すぐに二号も近付いてきて、教頭先生人形は二匹の犬のオモチャになってしまいました。齧ってみたり、奪い合ったり…。
「これ以上は残酷な光景だからやめておこうか」
自分でやらかしておいて残酷も何も…と思いましたが、会長さんは素知らぬ顔。サイオン中継を打ち切りにすると、ジョミー君の方に向き直って。
「ハーレイ人形の処分も済んだし、次は王様の出番だね。…今日は何の日?」
「「「え?」」」
何の日って…入学式の日ですけれども、他にも何か…???
今日はシャングリラ学園の入学式。アルトちゃんとrちゃんが特別生として入学してきて、数学同好会の人たちと歓迎会に出かけていって…その他に何かあったでしょうか。思い当たる行事はありません。会長さんは大袈裟な溜息をつき、「仕方ないか」と呟くと。
「去年は違う日だったしね…。色々と事情があったから。でも、今年からは覚えておいて。入学式の日はコレなんだよ。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
奥の部屋から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が持って来たのはリボンがかかった平たい箱。こ、この箱はどう見ても…。
「そう、青月印の紅白縞が5枚。本来は入学式の日に届けていたけど、去年はハーレイとの仲がこじれていたからね。今年は婚前旅行も行ったし、いつもどおりでいいだろう」
「「「………」」」
私たちの顔がサーッと青ざめました。一泊二日の温泉旅行で起きた事件は忘れていません。会長さんに騙されて誘い出された教頭先生、散々な目に遭わされた果てに乱入してきたソルジャーに悩殺されて失神して……翌日の朝、突き付けられたのは高額の旅行費用と慰謝料を合わせた請求書。なのに教頭先生は会長さんを詰りもせずに「困ったヤツだ」と微笑んだだけで…。
「大丈夫、ハーレイは全然怒っていないから。請求書どおりに振り込んでくれたし、帰りの電車の中でも嬉しそうにしていただろう? ぼくと旅行に行けただけでも幸せだって言ってたよ。心配ない、ない」
安心して、と会長さんは涼しい顔です。
「そういえばハーレイに全額負担させればいい、って思い付いたのはジョミーだったっけ。そのジョミーが王様になったっていうのが面白いよね。ふふ、流石はタイプ・ブルーって所かな。ぼくの後継者候補としてハーレイに対する態度も学んでくれると嬉しいけども」
「あんた、後継者なんか要らんだろうが!」
キース君が突っ込みました。
「まだまだ長生きする気のくせに、ジョミーに妙なことを吹き込むな!」
「…バレちゃったか。まあ、ジョミーじゃハーレイ苛めは無理なんだけどね…。ハーレイがジョミーに惚れてないから」
残念だけど、と会長さん。そしてジョミー君に視線を移して…。
「紅白縞を届ける時に色々とサプライズがつくのは知ってるだろう? 君たちも何度も同行しているし…。実は今日のサプライズが王様なんだ」
「「「王様?」」」
私たちの声が重なり、会長さんが。
「そう、王様。…ぶるぅがウェディング・ケーキに乗せる人形を作ってた時に閃いたのさ、ハーレイ人形で王様を決めて王様ゲームをしよう…ってね」
「「「えぇっ!?」」」
とんでもない言葉に私たちは固まりました。王様ゲームって……普通に王様ゲームですよね? ジョミー君が王様ってことは、私たち、ジョミー君の命令を何でも聞かなきゃダメなんですか? 大変なことになりましたけど、王様ゲームの何処がサプライズになるんでしょう? 教頭室で王様ゲームをやったとしても、教頭先生は子供の遊びを微笑ましく見ているだけなのでは…?
「そこがいいんだ。教頭室で王様ゲーム、子供らしくていいと思うな。ジョミー、君は大当たりのクジを引いたってわけ。…王様ゲームのルールのことはみんなも知っているだろう? 教頭室でジョミーが命令書を選んで命令を下す。命令書の方は…」
「かみお~ん♪ この箱の中に入ってるよ!」
ニコニコ顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が四角い箱を抱えています。蓋に円形の穴が開けられ、そこから手を入れて中身を取り出すようですが…。
「いいかい、ジョミー。命令書はサイオンで読み取ったりは出来ない仕組みだ。元々そこまで出来ないだろうけど、念のため。…後は引いてのお楽しみさ」
君たちもね、とニッコリ微笑む会長さん。あぁぁ、命令書って何でしょう? サプライズだけに教頭先生に何か悪戯を仕掛けるようにと書かれていそうで怖いです。こんな結末だと分かっていたら、王様になった方がマシだったのに…。私たちはジョミー君の頭に載った金色の王冠を恨めしそうに眺めました。
「それじゃ行こうか。ああ、ジョミー……その王冠は外していいよ、学校の中じゃ目立つだろうし。ぶるぅの頭に被せておこう」
ちょっと大きめサイズの王冠が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな頭にポンと乗せられ、教頭室へ出発です。会長さんの手にはトランクスの箱、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手には命令書入りの四角い箱。私たちはガックリと肩を落として会長さんに続きました。ここまでドツボな気持ちになったトランクスお届け行列は初めてかも…。
入学式の日は部活もないので校内に生徒は残っていません。好奇心満載の視線を浴びることなく本館に着き、教頭室の重厚な扉の前で…。
「失礼します」
ノックをした会長さんが扉を開けると、書きものをしていた教頭先生が顔を上げました。
「来たよ、ハーレイ」
「ブルー…」
嬉しそうな顔の教頭先生。婚前旅行だと騙されてから十日も経っていないのですが、立ち直りの早さは天晴れとしか言えません。私たちがゾロゾロ入って行っても、慣れてしまったのか苦笑しただけ。会長さんはトランクスの箱を机に置くと極上の笑みを浮かべました。
「はい、いつもの青月印だよ。婚前旅行にも行った仲だし、心をこめてプレゼントするね。…婚前旅行は残念な結果に終わったけどさ」
「…う、うむ……」
咳払いをする教頭先生。会長さんはクスクスと笑い、トランクスの箱をポンと叩いて。
「そういえば今年の初めにブルーから素敵な下着を貰っただろう? ぼくとブルーにぴったりサイズのセクシー下着の詰め合わせを。…どう? あれから役に立ってる?」
うっ、と短い呻き声が上がって教頭先生がティッシュで鼻を押さえました。クスクスクス…と笑う会長さん。
「ふふ、役に立ってるみたいだね。夜のお供にいいだろう? 一人なら色々と盛り上がれるのに、どうして肝心の時に役に立たないかな、ハーレイは…。婚前旅行で失敗だなんて、慰謝料程度じゃ足りないくらいだ」
「……すまん……」
「別にいいけどね、悪戯だったし。だけどブルーが来ちゃったからさ……ハーレイ、恥の上塗りだよ? ヘタレは前からバレてたけども、婚前旅行でも役立たずっていうのは最悪じゃないか。ブルーがあっちのハーレイに話しちゃったら笑いものだよ、甲斐性なしって」
情けなくって涙が出る、と会長さんは言っていますが、もしも教頭先生に甲斐性があったとしたら婚前旅行なんかに誘い出したりしないでしょう。会長さんにはそっちの趣味は無いのですから。…なのに責め立てられて素直に謝る教頭先生、どこまでも一途で実はけっこう漢なのかも。教頭先生が謝りまくるのを堪能した後、会長さんは微笑んで。
「そのくらいでいいよ、ハーレイ。今日はおめでたい日だから許してあげる」
「…おめでたい?」
怪訝そうな顔の教頭先生。私たちも首を傾げましたが、答えはすぐに分かりました。
「もう忘れた? 入学式だよ、アルトさんとrさんの…ね。二人ともぼくのお気に入りだし、特別生になって残ってくれたのが嬉しいんだ。もっとも二人とも、ハーレイにも…ちょっと気があるみたいだけれど」
「い、いや……。違う、それは違う! 珍しかっただけなのだろう、私の服が」
教頭先生の額に汗が浮かんでいます。シャングリラ号に乗り込んだアルトちゃんとrちゃんは教頭先生のキャプテン姿に惚れ込んだらしく、それが原因で会長さんが婚前旅行を企画したのは周知の事実。なので教頭先生にとっては蒸し返したくない話題でした。会長さんは喉をクッと鳴らしておかしそうに。
「そうかな? 本当に服のせいだけなのかな…。まあ、ハーレイがモテたところで意味はあんまり無さそうだけどね…。結婚したい相手はぼくだけだろう?」
「もちろんだ!」
「その思い込みも消えないねえ…。脈無しだって言ってるのにさ。で、今日はおめでたい日だからゲームをしてもいいかな、ハーレイ?」
教頭室で、と会長さん。
「…ゲーム?」
「うん。…王様ゲームって知ってるだろう? もう王様は決まってるんだ」
「ぶるぅなのか?」
まじまじと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭の王冠を見つめる教頭先生。
「違うよ、ぶるぅは代理で王様はジョミー。…ダメかな?」
「…ほほう…。お前たちがゲームをするのか?」
「ハーレイが許してくれたらね」
嫌ならいいよ、と会長さんは思わせぶりな瞳です。教頭先生は額に指先を当てて、少し考えていましたが…。
「よし、特別に許可しよう。ここは遊びに使う部屋とは違うのだがな」
「そうこなくっちゃ。ジョミー、ほら、君が王様だよ」
会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭から冠を取ってジョミー君の頭に載せました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が抱えているのは命令書入りの四角い箱。とうとうゲームのスタートです。教頭先生、どんな命令が出るかも知らずにゴーサインを出してよかったんですか~?
悪戯好きの会長さんが書いた命令が詰まった恐ろしい箱。それを実行させられるのは私たちです。教頭先生に恨まれちゃったらどうしましょう。会長さんは惚れられてますから何をやっても平気ですけど、私たちは生徒としてしか愛されてません。場合によっては嫌われちゃうかも…。教頭先生と会長さんを交互に見ながら肘でつつき合っていると、会長さんが。
「ジョミー、命令を出してくれないかな。…これじゃゲームが始まらないよ」
「あ、そっか。じゃあ、悪いけど…」
ジョミー君は四角い箱に手を突っ込んでガサガサと中を探ったかと思うとサッと1枚を引っ張り出して広げました。その顔がみるみる蒼白になり、手が小刻みに震え出します。
「…え、えっと………えっと……」
「どうしたんだい? 遠慮しないで読みたまえ、ジョミー」
明らかに笑いを含んだ会長さんのよく通る声。ジョミー君はどんな命令を引いたのでしょう? 私たちも血の気が引いて行くのが分かりました。いったい何をさせられるのか、考えただけで身震いが…。
「……ジョミー。君が王様だろう? 命令を」
会長さんの有無を言わさぬ口調に、ジョミー君はグッと紙を握って。
「…は………ハーレイ……ハーレイは……に、にんぎょ……」
「「「人形?」」」
なんじゃそりゃ、と頭の中に思い浮かんだのは砂糖細工の教頭先生人形でした。今頃はゼル先生の家でヤス一号と二号に食べ尽くされて影も形も無いのでしょうが……アレを今更どうしろと? 復元作業をしろと言われても困るのですが、一から作れと言うのでしょうか? ジョミー君、人形をどうすればいいの…?
「ジョミー、声が震えてる。もっとしっかり、最後まで!」
「…で、でも…」
躊躇しているジョミー君ですが、会長さんは容赦しませんでした。
「ジョミー。その命令は君が作った命令なのかい? だったら良心の呵責ってヤツで読みたくないのも無理はないけど」
「ち、違うよ! ブルーが用意してたんじゃないか!」
必死の形相で叫ぶジョミー君に、教頭先生がビクリとして。
「…何? ブルーが…?」
「うん、ぼくが」
会長さんが花のような笑顔で答えました。
「ぼくが用意を整えたんだよ、王様ゲーム。王冠も命令も全部ぼくが……ね。さあ、ジョミー…命令を。言い忘れたけど、命令を読めなかった場合は王様自身がその命令に従うんだよ。それが罰則」
げげっ。さっきまで羨ましかった王冠の輝きが一気にくすんで見えました。罰ゲームつきとは恐ろしすぎです。ジョミー君は覚悟を決めたらしくて、スウッと息を大きく吸い込んでから。
「…命令! ハーレイは人魚に変身した上、記念撮影に応じること!!」
「「「えぇぇっ!?」」」
に、人魚!? 人形じゃなくて人魚ですって? しかも教頭先生が人魚に変身だなんて、いったいどういう命令ですか~!
「……ブルー……」
上を下への大騒ぎの中、会長さんの名を呼んだのは他ならぬ教頭先生でした。
「ん? なんだい、ハーレイ。どうかした?」
小首を傾げる会長さんに、教頭先生は眉間の皺を深くしながら。
「…王様ゲームと聞いたのだが? お前たちがゲームをして遊ぶものだと思っていたから許可したのだが…?」
「だからジョミーが王様じゃないか。…何か気になる問題でも?」
「私の名前が聞こえてきたぞ」
「そうだろうね。だって、そういう命令だから」
ケロリとした顔の会長さんに罪の意識は無いようです。私たちが固唾を飲んで見守る中で会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」から命令書入りの箱を受け取り、両手で軽く振りました。カサカサと大量の紙が触れ合う音がします。
「命令は他にもあるんだよ。嫌だというなら引き直したっていいんだけどね…。どうする、ジョミー?」
「えっ…」
「君は命令を読み上げたから罰則はない。ハーレイは人魚になるのが嫌みたいだし、もう一度引いてあげるかい?」
どうする? と尋ねる会長さんにキース君が。
「お、おい…。まさか、その箱の中の命令ってヤツは…全部教頭先生に…?」
声を震わせているキース君に、会長さんは「当たり」とウインクしてみせました。
「他にも色々用意したんだ。記念撮影はどれを選んでもついてくるけど、変身の他にも色々と…ね。で、ハーレイ……人魚がお気に召さないのなら命令を変えてあげようか?」
「…お前たちのゲームじゃないのか? どうして私がやらねばならん!」
「王様ゲームって言っただけだよ。そして王様ゲームの命令ってヤツは絶対なんだ。…ぼくが悪戯するのは簡単だけど、ハーレイを油断させたくってさ…。それで王様ゲームにしてみた。王様はちゃんと公平に選んだけどね」
ジョミー君が王様に決まった経緯については会長さんは沈黙しました。教頭先生人形を釜茹でにした挙句、ゼル先生の犬に食べさせたことを明らかにするのは流石に心が痛んだのかも…?
『まさか。ウェディング・ケーキの話がバレたら、ハーレイが分不相応な夢を持つからね。それだけは断固阻止したいんだ』
私たちだけに届く思念で会長さんが伝えてきます。そんな理由じゃないかとも思いましたけど、やっぱり本当にそうでしたか…。教頭先生の方はあまりの展開に頭を抱えて机に突っ伏して唸っていたり。
「…卑怯だぞ、ブルー…」
「そう? 作戦勝ちだと言って欲しいな。ぼくとしては早くゲームをしたいんだけど、王様に命令を選び直して貰うのかい? それとも人魚のままでいい?」
会長さんはジョミー君を側に呼び寄せ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に命令入りの箱を持たせて引き直しの準備態勢に入っています。教頭先生は脂汗を拭い、掠れた声で尋ねました。
「…記念撮影がつくと聞いたが、変身の他には何があるんだ? 具体例を聞かせてほしい」
「それは反則。命令の中身は教えられない。でも、そうだねえ……参考までに言っておくなら、どれを選んでも記念撮影をするだけの価値は絶対にあるよ。保証する」
「そんなことを保証されてもな……」
困るのだが、と教頭先生。記念撮影がついてくる以上、どれを選んでもロクな命令ではなさそうです。さて、ジョミー君は新しい命令を引き直すのか、人魚のままで決行なのか…? と、会長さんが腕時計を見て。
「…ごめん、ハーレイ。…時間切れ」
「時間切れ?」
「そのまんまだよ、時間切れさ。あまり遅くなると時間に余裕がなくなるからね、制限時間を決めていたんだ。王様ゲームは君が人魚に変身ってことで決定した」
「ま、待ってくれ、ブルー!」
教頭先生の縋るような声を会長さんは無視しました。
「ジョミー、王様の命令をもう一度。大きな声でしっかり頼むよ」
「う、うん……。でも本当にいいのかな?」
「ぼくが許す。言いたまえ、ジョミー」
「…え、えっと…。教頭先生、ごめんなさい…。それじゃ読みます。…ハーレイは人魚に変身した上、記念撮影に応じること!」
王冠を被ったジョミー君の命令が教頭室に響き渡りました。教頭先生が人魚に変身。…それってサイオンでパパッと変身? それとも写真に残せるレベルの高度なサイオニック・ドリームなのかな?
「さあ、ハーレイ。王様の命令が出たよ、人魚に変身してもらおうか」
会長さんの赤い瞳が教頭先生を見据えています。教頭先生は口をパクパクとさせ、私たちをグルリと見回して。
「…無理だ…! わ、私はサイオニック・ドリームは……そのぅ…」
「得意じゃないって? そんなことを言っていいのかな?」
生徒の前だよ、と会長さんは冷たい口調。
「ハーレイ。君は知らないと思うけれども、ジョミーとキースはサイオニック・ドリームの特訓中だ。それも写真に写るレベルの高度なヤツをね。…仮にも長老でシャングリラ号のキャプテンを務める君が逃げを打つのは潔くない」
「…し、しかし……」
「出来ないものは出来ない、って? そう言ってくるんじゃないかと思って一応用意はしておいたんだ。ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パアッと青いサイオンの光が走ったかと思うとドスン! とショッキングピンクの物体が絨毯の上に落ちて来ました。とても大きな魚です。ピカピカの鱗に立派な尾びれ。あれ? でも…頭がない…? それに中身が詰まっていません。ひょっとしてコレは魚じゃなくて…?
「出してあげたよ、変身ツール」
会長さんが極上の笑みを浮かべて魚の方を指差しました。
「ハーレイのサイズに合わせて特注で作った人魚の尻尾さ。ぴったりフィットする筈だ。装着用のテープもあるけど、ぼくのサイオンでも補助できる。着けてプールで泳げるんだ」
「プールだと!? 写真撮影だけじゃないのか?」
教頭先生は真っ青でした。会長さんはクスッと笑って。
「泳げとまでは言っていないよ。だけど命令を聞かなかったらエスカレートしていくかもね。まず、これに着替えてくれなくちゃ」
はい、と会長さんが教頭先生に手渡したのは紫色のレースでした。
「なんだ、これは?」
「専用下着」
しれっと答えた会長さんは仮眠室の扉をピシッと指して。
「それを履かないと人魚の尻尾がくっつかないんだ。あっちの部屋を使っていいから履き替えてきて。ああ、人魚だから上半身は裸だよ? それを履くついでに脱ぐといい。…そうそう、もちろん下半身の方もそれ一枚で」
「…………」
教頭先生の目が点になり、レースの下着がハラリと床に落ちました。それを「そるじゃぁ・ぶるぅ」が拾って教頭先生の手に押し付けましたが、あのデザインはTバックでは…。教頭先生、あれを履かないとダメなんですか? ショッキングピンクの人魚の尻尾も大概ですけど、紫色のTバックなんて…。えっ、ちょっと待って。私たち、教頭先生が人魚に変身する前段階の紫色のTバック姿から見守ることになってるわけ~!?
ピラミッドの旅と温泉の旅。春休みを満喫した私たち七人グループは三度目の入学式の日を迎えました。もはや入学式に関してはベテランの域に達してますから、校門前に集合するのも慣れたもの。記念写真を撮っている新入生や保護者を横目に、探しているのはアルトちゃんとrちゃん。二人とも特別生として戻ってくると聞いていますし、一緒に写真を撮りたいじゃないですか。
「あっ、来た、来た!」
ジョミー君が大きく手を振る方からアルトちゃんたちがやって来ました。数学同好会のセルジュ君と並んで歩いています。そういえばセルジュ君もアルトちゃんたちと同じ寮生でしたっけ。
「おーい、こっち、こっち! みんなで記念写真を撮ろうよ!」
待ってたんだ、というジョミー君の声にアルトちゃんたちの足が速まり、再会した私たちは『入学式』と書かれた看板を囲んで記念撮影。カメラのシャッターはセルジュ君が押してくれて…。
「アルトさんたちは今年も君たちと同じクラスになる筈だ。数学同好会の貴重なメンバーをよろしく頼むよ」
「「「え?」」」
クラス発表は入学式の後ですけども、さも知っていると言わんばかりのセルジュ君。地獄耳なのか、年季の入った特別生にはフライングで名簿が公開されるのか。驚いている私たちにセルジュ君は…。
「特別生っていうのはクラスが固定しがちなんだ。大抵の特別生は同期同士で繋がりがあるし、纏めておいた方が管理しやすいらしい。ぼくの場合はジルベールとセットで1年B組。君たちは1年A組だよね。アルトさんたちは二年前からA組だったし、これからも同じクラスだと思う」
なるほど。特別生は纏めて管理というわけですか。一年目はC組だったサム君とシロエ君が去年からA組に来たのにはそんな理由が…。だったら最初からA組にいたアルトちゃんとrちゃんもA組の確率が高そうです。
「じゃあ、ぼくはこれで。…パスカル先輩に呼ばれているから」
入学式はサボって買い出し、とセルジュ君は爽やかな笑顔で立ち去りました。アルトちゃんたちの話によると今日は数学同好会主催の歓迎会があるのだとか。
「アルテメシア公園でお花見しながら宴会なの」
楽しみなんだ、とrちゃん。アルトちゃんもニコニコしています。
「特別生ってどんなものかと思ってたけど、今までとあんまり変わらないみたい。寮のお部屋も前のままだし、会長さんも親切だし…」
歓迎会をして貰っちゃった、とアルトちゃんたちは嬉しそうでした。昨日の夜にホテル・アルテメシアのメインダイニングでディナーを奢ってもらったとか。歓迎会の費用の出どころが何処か、私たちはすぐにピンと来ました。会長さんが温泉旅行で教頭先生から毟った慰謝料です。アルトちゃんたちにはとても言えません。…いえ、言っても信じてくれないでしょうが…。
「おい、そろそろ行った方がいいんじゃないか?」
入学式が始まるぞ、とキース君が腕時計を指差したので私たちは講堂へ。教頭先生が司会をする入学式は校長先生や来賓の退屈なお話に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が登場しての三本締めと相変わらずのパターンです。その最中に会長さんの思念波が…。
『居眠るな、仲間たち!』
それは私たちと同じサイオンを持つ仲間たちへの呼びかけの声。去年はアルトちゃんとrちゃんが応えましたが、今年は誰が来るのでしょう? 会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」と遊ぶ時間を共有できる人が来てくれればいいんですけど、こればっかりは分かりません。式が終わって廊下に貼り出されたクラス発表を見ると…。
「あ。またA組だ…」
セルジュが言ってたとおりだね、とジョミー君。A組には私たち七人グループ全員とアルトちゃんとrちゃんの名前がありました。『担任は見てのお楽しみ』との但し書きもお馴染みですけど、ひょっとして…? ドキドキしながら教室に行って指定された席に座っているとカツカツと聞き慣れた靴音が…。
「諸君、入学おめでとう」
ガラリと扉を開けたのは予想通りの人物でした。背筋をピンと伸ばして教卓の側に立ち、ツイと眼鏡を押し上げて…。
「私が1年A組の担任、グレイブ・マードックだ。グレイブ先生と呼んでくれたまえ。初めましての諸君も、そうでない諸君も、大いに歓迎させて頂く」
ひぃぃぃっ! またまたグレイブ先生ですか~!
グレイブ先生は出席を取った後、私たち七人グループとアルトちゃんたちを立たせて「特別生だ」とクラス全員に紹介しました。
「我がシャングリラ学園の特別生は様々な点で一般生徒と異なっている。まず出席の義務がない。試験の点数も問われない。…いいかね、この連中を見習っていると諸君の未来は真っ暗だ。彼らは置物のようなモノだと思って気にしないように」
「「「…………」」」
クラスメイトの視線が私たちに集中しています。なんとも酷い言われようですが、確かに私たちを真似ていたのではロクな結果にならないかも。会長さんに誘われて授業中に堂々と抜け出したこともありましたし…。グレイブ先生は私たちを着席させると「さて」と教卓に手をついて。
「私の担当は数学だ。まずは諸君への挨拶代りに実力テストを実施する」
「「「えぇぇっ!?」」」
悲鳴とブーイングの嵐の中で問題用紙が裏向けに配られ、グレイブ先生がストップウォッチを手にした時。
「ごめん、ごめん。…遅刻しちゃった」
カラリと後ろの扉が開いて会長さんが入って来ました。銀色の髪に赤い瞳で超絶美形の会長さん。初対面のクラスメイトは上を下への大騒ぎに…。
「静粛に!!!」
バン! とグレイブ先生が出席簿で教卓を叩き、一瞬クラスが鎮まった間に会長さんはスタスタとグレイブ先生の前まで行ってパチンとウインク。
「今から実力テストだって? ぼくの机が見当たらないから教卓と君の椅子を借りるよ」
「あっ、こらっ! そこは私の…」
監督用の、とグレイブ先生が椅子を押さえるよりも早く、会長さんはストンと座ってしまいました。
「はじめまして、1年A組のみんな。…ぼくは生徒会長をしているブルー。入試の時に会った人もいるかもしれないね。で、ぼくは本当は3年生で、おまけに特別生なんだけど……君たちのクラスに混ぜてくれるなら、1年生の間の全てのテストで満点を取らせてあげることができる」
「…満点?」
「満点だって…?」
漣のように広がってゆく声に会長さんは満足そうに微笑んで。
「そう、満点。…そるじゃぁ・ぶるぅを覚えてるかい? 入学式で土鍋に入って出てきただろう、この学園のマスコット。ぼくはぶるぅと呼んでいるけど、ぶるぅには不思議な力があるっていう説明は聞いたよね? テストで満点を取らせるくらいは簡単なんだ。ぼくをこのクラスに入れてくれれば、ぶるぅの御利益があるってわけ」
どうする? と尋ねる会長さんにクラスメイトたちは顔を見合わせ、それから私たちの方を見て…。
「今の話って本当なわけ?」
「そるじゃぁ・ぶるぅってそんなに凄い御利益が…?」
口々に質問された私たちは素直に頷き、クラスメイトたちはガッツポーズ。目指せ、満点一年間! 会長さんは全員一致で1年A組に迎え入れられ、グレイブ先生の椅子と教卓で実力テストを受け始めました。さてと、私も答えを書かなくちゃ。答えは会長さんがいつもどおりに意識の下に……って、あれ? 今年の問題は何の捻りもないみたい。
前は見ただけでクラッとしそうなヤツだったのに、グレイブ先生、あまり時間が無かったのかな…?
「試験終了! 後ろから順に集めるように」
解答用紙を回収したグレイブ先生は明日からの行事予定などを淡々と話し、終礼をして立ち去りました。会長さんはクラスメイトたちにワッと囲まれ、実力テストの件でお礼を言われています。
「問題を見た時はもうダメだって思いましたけど、スラスラ答えが書けちゃって…。あれがそるじゃぁ・ぶるぅの力ですか?」
「感激しました! 数学、とっても苦手なんです。白紙で出したことも多かったのに、今日のは全部書けました!」
会長さんに感謝しまくるクラスメイト。みんなの心をガッチリ掴んだ会長さんは今年も1年A組に居座るようです。まあ、滅多に姿を見せないんですし、さほど被害はないんですけどね……私たち七人を除いては。あぁぁ、またも受難の一年間が…。
クラスメイトの質問攻めから解放された会長さんと私たち七人グループは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かいました。アルトちゃんとrちゃんは迎えに来たボナール先輩たちとアルテメシア公園へお花見に。今夜はオールでカラオケだとか聞こえてきましたけれど、寮の門限は夜の8時では…?
「特別生には門限はないよ」
大丈夫、と会長さんが微笑んでいます。そして生徒会室の壁の紋章に触れ、先頭に立って壁の向こうへ…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日は新年度のスペシャルケーキ、と胸を張る「そるじゃぁ・ぶるぅ」の横には立派なウェディング・ケーキがありました。スペシャルには違いないですけども、ウェディング・ケーキっていったい何故に…?
「えっとね、ハーレイとブルーの婚前旅行があったでしょ? ぼく、婚前旅行って何なのか知らなかったんだけど、ぶるぅが教えてくれたんだ。結婚式の前に行くんだよ、って。…でも、婚前旅行、失敗しちゃったみたいだし……結婚式は無さそうだから…。ウェディング・ケーキ、一度作ってみたかったんだ」
「そういうこと。ぶるぅは言い出したら最後、聞かないからね」
苦笑交じりの会長さん。
「だから、とことんこだわってみた。ほら、てっぺんの人形を見て」
「「「…………」」」
豪華なケーキの塔の一番上に乗っていたのは砂糖細工らしき新郎新婦の像でした。白いタキシードの新郎の肌は褐色、真っ白なドレスを纏った花嫁の瞳は鮮やかな赤。この色彩はどう見ても…。
「もちろんハーレイとぼくがモデルさ。…ただし…」
ケーキカットはこうやるんだ、とケーキナイフを持ってきた会長さんが一番上の段を一刀両断。仲良く並んだ新郎新婦の像の間を引き裂くようにド真ん中からザックリと…。
「はい、おしまい。ぼくとハーレイが結婚だなんて、どう転んでもあり得ない。…で、ハーレイ人形はこうなるわけ」
会長さんが宙に取り出したのは鍋でした。この部屋で何度か食べたチョコレート・フォンデュ用のフォンデュ鍋。テーブルの中央には専用コンロが出現していて、鍋の中にはいい感じに溶けたチョコレート。鍋をコンロにセットした会長さんは教頭先生を模した人形を摘み上げて…。
「釜茹での刑」
ポチャン、とチョコレートの中に落ちた人形は沈んでいって二度と浮かんできませんでした。会長さんが鍋をかき混ぜ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がフルーツやビスケットを盛ったお皿を運んできます。
「今日のおやつはチョコレート・フォンデュとウェディング・ケーキ! いっぱい食べてね」
そ、そんなことを言われても……教頭先生人形は? 釜茹でになったその先は? お砂糖ってチョコに溶けるんでしょうか? 溶けるとしても短時間では難しそうです。チョコを絡めた時に教頭先生人形がくっついてきたらどうしましょう…。
「ああ、ハーレイ人形が当たった人は今日の王様。素敵な役目を進呈するから頑張ってみてよ」
そう言いながら会長さんが専用フォークにイチゴを刺して鍋に突っ込み、上手にチョコを絡めています。それを口に運んでニッコリ笑うと…。
「うん、美味しい。ハーレイが釜茹でにされている横で楽しく食べるというのがいいんだ。…誰も食べないなら一人で食べて王様も勝手に任命するけど、それでいい?」
げげっ。強制的に指名されるのは避けたいです。私たちは一斉にフォークを握り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が切り分けてくれるウェディング・ケーキと交互に食べ始めました。えっ、そんなに食べても平気なのかって? 今日は入学式しか無かったですし、時間はちょうどお昼時。お昼御飯の代わりですからケーキもチョコもドンと来い、です。
フォンデュ鍋に入ったチョコは一向に減りませんでした。みんな少しずつしか絡めようとせず、どちらかと言えばウェディング・ケーキをメインに食べているのですから。
「おい。教頭先生人形はいいとして…」
あまり良くもないが、と断ってからキース君が尋ねました。
「あんたの人形はどうする気だ? 家に飾っておくつもりなのか?」
「ううん、使い道は一応決めてあるんだ。…プレゼント」
「「「プレゼント!??」
プレゼントって…いったい誰に? 私たちの視線はごくごく自然にサム君に集中していきます。会長さんと公認カップルのサム君だったら喜んで貰って帰りそう。もちろん食べるためではなくて、ケースに入れて飾って眺めて…。それもいいかもしれません。しかし…。
「…サムか……。それは考えてなかったなぁ…」
会長さんはサム君を見詰め、「欲しい?」と真顔で尋ねました。
「欲しいんだったらあげてもいいよ。ぶるぅにケースを買ってこさせようか?」
「え? えっと……欲しいのは欲しいけど……誰かにあげる気だったんじゃあ…」
モゴモゴと呟くサム君に、会長さんは「まあね」と悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「でもサムの方がいいかもしれない。サムなら絶対食べないだろうし、大切にしてくれるだろうし…。よし、決めた。ぼくの人形はサムにあげるよ。ぶるぅ、ケースを買ってきて」
「オッケー!」
行ってくるね、と飛び出していった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は5分もしない内に透明なケースを抱えて帰って来ました。会長さん人形はケースに入れられ、瞬間移動でサム君の部屋へ。持って帰る途中で壊してしまって悲しい思いをしないようにとの気遣いだったみたいです。サム君は大喜びで何度もお礼を言っていますが…。
「本当は誰にあげようと思っていたの?」
ジョミー君の質問に会長さんが。
「ブルーだよ」
「「「えぇっ!?」」」
ソルジャーの甘いもの好きは私たちもよく知っています。でも、会長さんの形の砂糖細工なんかをプレゼントされて喜ぶでしょうか、ソルジャーが…?
「…喜ばないとは思うけどね。嫌がらせだから」
嫌がらせ? 砂糖細工の会長さんの人形をプレゼントするのが嫌がらせって、どういう意味…?
「ブルーがぼくの家に遊びに来るとうるさいんだよ、一度くらい味見させろって。…ぼくを食べたくてたまらないらしい。だから代わりに食べさせようと思ってたんだ。じっくり味わって食べればいいし」
「「「………」」」
それは『食べる』の意味が違うのでは…と気付く程度には私たちもスレてきています。会長さん人形はソルジャーの胃袋に収まるよりも、サム君の家で家宝になるのがお似合いですし幸せでしょう。釜茹での刑の真っ最中な教頭先生人形の方はお気の毒としか言えませんけど。
教頭先生人形を釣り上げないよう気を付けながらチョコを絡める私たち。チョコがたっぷり入っていた間は良かったのですが、次第に量が減ってきて……たまにコツンと嫌な手応えがあったりします。砂糖細工の教頭先生、やはり溶けてはいないみたい。シロエ君がフォークを握った右手をビクッと震わせ、それからホッと溜息をついてチョコつきバナナを引き上げながら。
「そういえば……今年は誰も来ませんね。去年はアルトさんたちが来てたのに」
あ。ウェディング・ケーキとチョコレート・フォンデュで頭が一杯になって忘れてましたが、今日は新しい仲間が来る日でした。会長さんが入学式でメッセージを送りましたし、因子が目覚めた新入生が「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を目指して集まってくる筈なのです。教頭先生人形なんかを使ってゲームしててもいいんでしょうか?
「…いいんだよ。フィシスの予言通りだから」
会長さんが微笑みました。
「今年は一人も来ないらしい。そういう予言は聞いてたけどね……メッセージを流すのは入学式の行事に組み込まれてるし、ソルジャーとして実行しないわけにはいかない。出席している先生たちもあのメッセージを聞き取ることが出来るだろう? だからサボリは許されないんだ」
「毎年、何人か入学してくるんじゃないんですか? ぼくたちの仲間」
シロエ君の問いに会長さんは静かに首を左右に振って。
「いつもいるとは限らない。…それに仲間はシャングリラ学園に必ず来るってわけでもない。他の学校に入学したり、社会に出てから突然因子に目覚めたり…色々なケースがあるんだよ。そういう仲間を探し出すのもぼくの役目になっている。地球上の全ての場所に届く思念波はタイプ・ブルーにしか操れないし」
「…そうなんだ…」
大変だね、とジョミー君が言い、サム君が。
「だったらジョミーも頑張ってくれよ。お前もタイプ・ブルーなんだろ? 早くブルーを手伝ってやれよ」
「無理! ぼくって全然才能無いし!!」
坊主頭の危機も去ってないのに、とジョミー君は嘆いています。相変わらずキース君と二人で「坊主頭に見せかける訓練」を続けているのに、全く進歩がないのでした。キース君は5分間ほどなら坊主頭の状態を保てるのですが、ジョミー君ときたら1分間も持ちません。これではいつか会長さんに本当に髪の毛を剃られてしまうかも…。
「ジョミー、君は集中力が足りないんだよ」
あーあ、今日も始まっちゃいましたよ……会長さんのお説教。
「それと根性の問題だね。キースは今年の秋に一度目の修行道場が迫っているから必死なんだ。秋までにサイオニック・ドリームをマスターできなきゃ自慢の髪が五分刈りになるし…。君にもそういう切羽詰まった事情が出来たら努力する気になれるかな? 強引に得度する日を決めちゃうとか?」
「ぼくはお坊さんにはならないってば!」
不毛な争いは日常茶飯事。私たちは黙々とケーキを頬張り、チョコを絡めて知らんぷりです。とにかく教頭先生人形を釣り上げないことが最重要な問題で…。ん? 問題? そういえば実力テストの問題がやたら簡単に思えましたが…。
「えっと…。今日の実力テスト、変じゃなかった?」
私が口を開くとマツカ君が「そういえば」と応じてくれました。
「グレイブ先生にしては内容が単純すぎましたね。去年はもっと意地悪な問題が多かったですが…」
「だよな。俺にも分かる問題だなんてビックリしたぜ」
サム君が同意し、スウェナちゃんが。
「私も楽勝だったのよ。…グレイブ先生、今年はサービスしてくれたとか?」
そうかもしれない、とサービスに至った理由を詮索していると…。
「ぼくには去年と同じレベルに見えましたよ?」
シロエ君が割り込み、キース君も「最初の年から変わっていない」と言い出したではありませんか。
「グレイブ先生の出題傾向はだいたい分かる。年度始めの実力テストの場合は特に……な」
中学校で習った数学を総決算して捻ったものだ、とキース君は断言しました。
「応用問題そのものだぜ。これだけのことを習ったんなら解ける筈だ、というヤツだ。数学が得意でなければ気付かないかもしれないが…。まあ、俺たちも三年目だし、苦手な数学も多少は得意になったってことか? お前たちも」
「そうかあ? 俺、自慢じゃないけど復習も予習もサボリっぱなし」
だってブルーがいるもんな、とサム君が手放しで誉め讃えた時。
「…それでも実力はついてる筈だよ」
会長さんが私たちの方を振り向き、ジョミー君を手で制して。
「ジョミー、大事な話だから君も聞きたまえ。坊主頭の話はまた今度だ。…で、今日のテストが簡単だったか…という話だよね? 結論から言えば簡単ではない。グレイブは真剣に問題を作ってきたし、サービス問題も混じっていない。簡単に見えたというだけなんだ、君たちにはね」
「「「えっ?」」」
会長さんの言葉の意味が分かりません。簡単じゃない問題が簡単に見えるって…どういうこと? 会長さんが意識下に流してくれる情報量が今までよりも増えたとか…?
「違う、違う。…そうじゃなくって、君たちの知識が増えてるんだよ。一年目よりも二年目、二年目よりも三年目。ぼくは君たちのクラスを常に学年1位にしてきたけれど、勉強しないでも満点が取れると分かってしまえば誰も勉強しないだろう? そのままで進級したらどうなると思う?」
授業についていけなくなるよ、と会長さんは笑いました。
「ぼくと一緒に行動している君たちはいいけど、他の子たちは進級するよね。2年生になった途端に落第だなんて悲惨じゃないか。だから定期試験の度に、解答と一緒に必要な知識も意識の下に植え込むようにしてたんだ。…その積み重ねが芽を出したのが今日の実力テストなのさ」
「…それじゃ簡単だったんじゃなくて……俺の実力が上がったわけ?」
サム君がポカンとしています。会長さんは笑顔で頷き、私たちは会長さんの力の凄さを改めて思い知らされました。クラス全員にテストの答えを教えるだけでも大変そうなのに、更に知識のフォローまで…。そういえば去年、2年生に進級していった元1年A組のクラスメイトたちは今は全員3年生。一人も落第していません。1年生をやっていた間、遊び呆けていた筈なのに…。
「…ブルーって…」
感動した様子のジョミー君は坊主頭を巡る攻防戦をすっかり忘れたようでした。
「ブルーって、ちゃんとみんなのことまで考えてたんだ…。やっぱり生徒会長なんだね、いつも無茶苦茶やってるけどさ」
「ありがとう、ジョミー。誉め言葉だと受け取っておくよ、多少引っかかる部分もあるけど」
嬉しそうな会長さんにキース君が。
「正直、俺も驚いている。あんたは満点を取らせるだけだと思っていた。それじゃ力がつかないだろう、と心の底では非難していた。2年生に進級してから大変な目に遭うんじゃないかと…。言われてみれば嘆き節は一度も聞かなかったな、2年生になった連中からは」
ヤツらも今年は3年生か…と感慨深げなキース君。私たちと一緒にシャングリラ学園に合格した友達は3年生になっているのに、私たちはまだ1年生。来年みんなが卒業しても1年生のままなんです。
「…不思議だよねえ、特別生って。去年だけでも色々なことが分かったけれど、ぼくたち、まだまだヒヨコだし…知らないことも多いのかな? 三百年ほど生きないと無理?」
ジョミー君が会長さんの顔を見ながらフォークに刺したマシュマロにチョコを絡めて…。
「「「あっ!!!」」」
引き上げられたジョミー君のフォークの先に余計な物がついていました。煮詰まってきたチョコにまみれた砂糖細工の……教頭先生のお人形。
「かみお~ん♪ 王様、ジョミーだね!」
パァン! とクラッカーが鳴り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が金色の紙で作った王冠を奥の部屋から運んできます。
「…王様? ぼく、王様になっちゃったの?」
呆然としているジョミー君の頭に会長さんが金色の冠を載せて。
「おめでとう、君が王様だ。さて、ハーレイの人形は…」
どうしようかな、とチョコレートまみれの人形を宙に浮かべる会長さん。えっと、王様って何なんですか? ジョミー君はこれからどうなるのでしょう。ウェディング・ケーキはすっかり無くなり、フォンデュの具もそろそろ終わりですけど、そんな所で教頭先生人形を釣り上げる人が出るなんて…。ジョミー君、油断してたのですね。注意してれば避けられたのに…。王様が何かは知りませんけど、ジョミー陛下に栄光あれ~!
※こちらは2009年8月1日に「ハーレイの日」企画で書きました。
後書きは当時のものですが、笑ってお許し頂ければ…。
シャングリラ学園教頭、ハーレイの朝は早い。授業のある平日はもちろんのこと、夏休み中といえどもそれは同じだ。目覚めて一番最初にすることは―――。
「おはよう、ブルー」
枕の下から取り出した写真にキスを贈る。ラミネート加工を施したそれはシャングリラ学園生徒会長、ブルーの写真。ブルーはハーレイが担任している唯一の生徒で、どのクラスにも属さない。学園の創立時から三百年以上も在籍しており、シャングリラ・ジゴロ・ブルーと呼ばれるほどの女好き。だがハーレイはブルーに心底惚れていた。
「ブルー、今日は天気がいいぞ。…お前に会えそうな予感がするな」
そう言いながらパジャマを脱いで着替えを済ませ、顔を洗って髭を剃り…丁寧に髪を撫でつける。
「よし。飯を食ってゆっくり出れば丁度いい時間になりそうだ」
夜の間に洗っておいた洗濯物をきちんと干すと、冷蔵庫から卵を出して朝食の支度。一人暮らしが長いハーレイだが、家事は決して手抜きをしない。いつかブルーと結婚したい、と大それた夢を見ているからだ。ブルーの側には家事万能の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が影のようにピタリとくっついている。結婚しても一緒についてくるだろう。その時に自分が無能だったら、ブルーが愛想を尽かすではないか。
「ふむ。今日も綺麗に焼けたな」
会心の出来の出し巻き卵を皿に盛りつけ、昆布と鰹で出汁を取った味噌汁の味を確かめる。焼きたてのアジの干物も食卓に並べ、炊き上がった御飯を茶碗に移して…。
「いただきます」
誰もいなくても合掌するのは、やはりブルーとの結婚生活に備えてのことだ。日頃から習慣づけておかないことには新婚早々幻滅されてしまうに違いない。ブルーは気紛れで悪戯好きだが、修行を積んだ高僧でもある。礼儀作法にはうるさそうだ、とハーレイは勝手に決め付けていた。教頭室を訪ねてくる時、ブルーは必ずノックしてから「失礼します」と入ってくる。その後で何をやらかすとしても、挨拶だけは欠かさないのだ。
「…今日は大したニュースもないな…」
テーブルの端に置いていた新聞に目をやり、手に取った。特に惹かれる記事もなかったが、新聞片手に黙々と出し巻きを頬張り、味噌汁の椀を持とうとして。
「いかん、いかん。…やってしまった。新聞を読みながら食べるというのは妻に嫌われる原因だったな」
妻もいないくせにハーレイは慌てて新聞を置き、「すまん」と深く頭を下げる。相手は心の中のブルーだ。ブルーの写真は此処には無いが、あれば写真の前まで行って詫びの言葉を言っただろう。…それほどブルーに惚れているのに、ブルーの態度は常に冷たい。
「…一度くらい振り向いてほしいものだが…。いや、今日こそチャンスがあるかもしれん」
朝食の片付けを済ませたハーレイは鏡を覗いて服装をチェックし、買い物に行く時に使う布製の大きなバッグを取って来る。靴を履き、一人住まいには大きすぎる家を出て向かった先は……朝市だった。
アルテメシア公園には土日になると朝市が立つ。近隣の農家から運ばれてきた新鮮な野菜や漬物が売りだ。シャングリラ学園と密接な関係を持つマザー農場の出店もある。そして何よりも…アルテメシア公園に近いマンションの最上階にはブルーが住んでいるのだった。朝市に行けばかなりの確率でブルーと顔を合わせられるし、そこではブルーも悪戯を一切仕掛けてこない。
「キャプテン! 今日はトマトがお買い得ですよ」
威勢良く声をかけてきたのはマザー農場の若者だ。朝市に来る人々はシャングリラ号など知りはしないので、キャプテンと呼ばれても問題はない。草野球チームのキャプテンかもしれないし、ハーレイの体格からすればフットボールということもある。
「…トマトか。確かに美味そうだな」
「そうでしょう? 玉葱と一緒にマリネにしても美味しいですし、冷やしたポタージュも夏向きです」
どうぞ、とポタージュのレシピを渡されたのを読んでいると。
「かみお~ん♪」
元気のいい声が耳に入った。ブルーと暮らしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」独特の挨拶だ。慌てて視線を下に向けると小さな身体の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が買い物籠を抱えて見上げている。
「おはよう、ハーレイ。…トマトを買うの?」
「ああ、おはよう。トマトは…どうしようかと考え中だ」
独り者には多すぎるからな、とトマトが入った大きなビニール袋に溜息をつく。お買い得なのは確かなのだが、こんなに買っても仕方がない。煮詰めてソースに…と考えてみても、料理に凝りたいわけではないし…。
「そっか、ハーレイ、一人だもんね」
無邪気な言葉がグサッと心に突き刺さった。独身生活を続けているのは誰のせいだと思っているのだ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は? ブルーが嫁に来てくれさえすれば一人暮らしにはオサラバなのに。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」は三百年以上も生きているのに幼い子供のままだった。独身男の哀愁なんぞを理解するとは思えない。
「…ハーレイ? どうしちゃったの?」
首を傾げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」の罪のない瞳に汚れた心を見透かされたようで、ハーレイは慌てて取り繕った。
「あ、いや…なんでもないんだ。ぶるぅはトマトを買いに来たのか?」
「ん~とね、他にも色々欲しいんだけど…持てるかなぁ?」
トウモロコシにカボチャ、それからキュウリ…と指折り数える「そるじゃぁ・ぶるぅ」。どう考えても子供の身体で持てる量ではなさそうだった。
「一人なのか? …ブルーはどうした」
「えっとね、ブルー、よく寝てたから…起こしちゃったら可哀想でしょ?」
朝御飯を作って置いてきたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胸を張る。実に立派な心がけだが、ハーレイとしては、正直あんまり嬉しくない。ブルーに会えるかもしれない…というのが朝市のお楽しみなのだから。…いや待て、ものは考えようだ。
「そうか、一人か…。それだけ持つのは大変そうだな」
「うん、いっぺんに買うのは無理みたい。…えっと…向こうのベンチに置こうかな?」
あそこなら木の陰で見えにくいよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は指差した。多分買った物をベンチに纏めておいて、瞬間移動で一気に運ぶつもりだろう。ブルーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はタイプ・ブルーと呼ばれ、最強のサイオン……俗に言う超能力を持っていた。そのサイオンの力を使えば瞬間移動など朝飯前だ。…しかし。
「ぶるぅ、ジョギングしている人も多いぞ? 見つかって驚かれたら大変だからサイオンは使わない方がいい」
「え? 大丈夫だよ、いつもやってるもん」
「いつもはそうかもしれないが…。何のために私がいるんだ? 貸しなさい、家まで運んでやろう」
荷物持ちという大義名分があればブルーの家まで行くことができる。…玄関先で追い返されても、ブルーの顔を一目見られればラッキー・デーだ。夏休みに入ってからというもの、ブルーに会える機会といったら朝市くらいしかないのだから。ハーレイの下心に気付いていない「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそうにピョコンと頭を下げた。
「ありがとう! でもハーレイのお買い物は? トマト買うんじゃなかったの?」
「いいんだ、朝市には散歩も兼ねて来ているからな。で、トマトの他には何を買うんだ?」
上機嫌になったハーレイは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の買い物に付き合い、山と積み上がった野菜をマザー農場の若者に貰った空き箱に詰めて、いそいそとブルーの家へ向かった。
「かみお~ん♪ ブルー、起きてる?」
ガチャリと玄関の扉を開けて大声を出す「そるじゃぁ・ぶるぅ」。奥からブルーの返事が聞こえた。それだけでハーレイの心が浮き立つ。軽やかな足音が近付いてきて…。
「おかえり、ぶるぅ」
現れたブルーは襟元が開いた薄い水色のパジャマを着ていた。これは最高にツイている、とハーレイはゴクリと唾を飲む。ブルーのパジャマ姿など滅多に拝めるものではない。しかも鎖骨が覗いているのがいいではないか。結婚すれば毎日のように…いやいや、パジャマどころかもっと素敵なあれやこれやを…。
「……エプロンとか?」
ブルーの言葉にハーレイは素直に頷いた。
「……エプロンの前に裸がつく?」
更に勢いよく頷くハーレイ。頭の中は既に妄想モードだ。その質問をしたのが誰だったのかも全く気付いていなかった。
「………そうなんだ………」
空気が凍結しそうな声が聞こえて、赤い瞳が目に入る。ハーレイを睨むブルーの瞳は軽蔑の色に溢れていた。そこでハッタと我に返ったが、もう遅い。
「ハーレイのスケベ!! 裸エプロンが何さ、パジャマだけでもお釣りがくるよ!!」
「す、すまん…! そ、そんなつもりじゃ…」
慌てふためくハーレイをブルーは冷たい視線で眺めて。
「いいけどね。ぶるぅの買い物を手伝ってやってくれたんだろう? ご苦労さま」
ありがとう、と野菜が詰まった大きな箱を受け取るためにブルーが腕を伸ばしてきたが、未来の花嫁に重量物を持たせたりしたら男がすたる。
「やめておけ、かなり重いんだから。…何処に置くんだ、キッチンか?」
「…スケベなことを考える男を家に上げるような馬鹿はいないよ」
青い光が走ったかと思うと野菜の箱は消えていた。瞬間移動でアッサリと運び去られたらしい。空っぽになった両手を下げるのも忘れ、そのままポカンと突っ立っていると…。
「その手で何をするつもり? 痴漢行為はお断りだな」
「い、いや……。そ、そういうわけでは…!」
ハーレイは両手をビシッと両脇につけて直立不動の姿勢を取った。せっかくブルーに会えたというのに痴漢にされてはたまらない。しかしブルーはキョトンとしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見下ろして。
「…ぶるぅ、お客様のお帰りだ。お見送りして」
「うん! ハーレイ、今日はありがとう! 助かっちゃった」
またね、と手を振る「そるじゃぁ・ぶるぅ」をブルーが玄関の奥に引っ張り込んで、扉がバタンと無情に閉まる。何も入っていない自分用の買い物袋を提げたハーレイは未練がましく閉まった扉を見詰めていたが、不穏な気配を感じた気がしてエレベーターに近い非常口へと身を潜めた。途端にバン! と扉が開いて。
「ぶるぅ、塩!」
「えっ?」
「いいから塩を持っておいで。壺ごとだ」
パジャマ姿のブルーが上薬のかかった茶色の壺を抱えて扉から顔を覗かせた。
「…まだハーレイの匂いがする。朝っぱらから痴漢だなんて最悪だよ! まったく、なんでハーレイなんか…」
言うなり塩を派手にブチ撒き、これでもか…とサンダル履きの足で踏み躙って。
「ぼくとしたことが、油断した。ぶるぅ、今度からハーレイがついてきた時は言うんだよ」
「はーい!」
「荷物持ちには役に立つから、こき使うのはかまわない。いいね」
上手に使いまくるんだよ、と教えながらブルーは扉を閉めた。どうやらハーレイは下僕になり下がってしまったらしい。おまけに塩まで撒かれるとは…。しかし。
(怒った顔も綺麗だな。…パジャマ姿もしっかり見たし、今日はなかなかツイている)
朝食を食べながら見た新聞の今日の運勢を思い返して、ハーレイは非常に御機嫌だった。下僕だの塩だのでへこんでいてはブルーの相手は務まらない。こんな日は宝くじを買うのもいいな、と鼻歌交じりにエレベーターに乗り、ブルーの家を後にする。朝市では何も買えなかったが、ブルーに会えれば満足だ。帰ったらのんびりシャワーを浴びて、ブルーのパジャマ姿をオカズにして…、と良からぬ妄想を繰り広げながらハーレイは楽しく家路についた。
朝市ならぬ近所のスーパー横の宝くじ売り場で買ってみたスクラッチくじは当たりだった。ブルーと二人で豪華ディナーに行けそうだ、とハーレイの夢が大きく膨らむ。誘った所で断られるか、当選金を巻き上げられるのがオチという現実は見えてはいない。なんといってもラッキー・デーだ。
「ただいま、ブルー」
帰宅するなり寝室に行ってブルーの写真にキスをする。さっきブルーに塩を撒かれたことは何の障害にもならなかった。写真の中のブルーは魂まで蕩けそうな笑顔でハーレイの方を見ているのだから。それからバスルームでたっぷり楽しみ、サッパリとした服に着替えてラッキー・デーを確認しようと壁に下がったカレンダーを見ると…。
「しまった、今日から八月だったか。めくるのをすっかり忘れていたな」
カレンダーは七月のままだった。そこにはこんな今月の言葉が書かれている。
『貪る人は貧しく 施す人は豊かに生きる』
ふむ、とハーレイは納得した。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の荷物を持ってやったらブルーに会えた。これが施しと豊かさというヤツだろう。そして幸運にも出会えたブルーの姿に舞い上がってしまい、あれこれ妄想しまくっていたら叩き出されて塩を撒かれた。まさに貪る人は貧しく……だ。では八月の言葉は何だ? 勢い込んでめくってみれば…。
『浄土は心のふるさと』
どうしろと、とハーレイは深く溜息をついた。このカレンダーはブルーが属する宗派の総本山が発行している。きっとブルーも同じカレンダーを使っているに違いない、という思い込みから買うようになって何年くらい経っただろうか? 普段は普通の教訓などだが、たまに抹香臭い言葉が出るのが玉に瑕だ。
「八月一日、土曜日…か。四緑仏滅、つちのえとら…だな」
更に『八朔』と書いてあった。朔は朔日、一日を指す。今日は八月の一日なのだし、八朔なのは当然だろう。何か意味がある日のようにも思えたのだが、急には思い出せなかった。
「ラッキー・デーが一日というのは縁起がいい。仏滅は見なかったことにしておこう」
ブルーさえいれば人生バラ色のハーレイにとって、こんないい日は気分もいい。昼食は何にするかな…、と冷蔵庫の中身を確かめていると不意に玄関のチャイムが鳴った。宅配便か何かだろうか? インターフォンで確認もせずにハーレイは扉を開けたのだが…。
「!!?」
庭を挟んだ門扉の向こうに立っている筈の訪問客は、すぐ目の前に立っていた。どうやって、と聞くまでもない。この来訪者には門扉どころか扉も意味をなさないのだから。
「こんにちは、ハーレイ」
さっきはどうも、と風呂敷包みを両手で抱えたブルーが言った。パジャマではなく眩しいくらいに白いシャツを着て制服のズボンを履いている。
「一人でハーレイの家に行っちゃいけない…って言われてるから玄関先で失礼するよ。これ、いつもお世話になってる御礼」
「…御礼?」
「うん。ビックリして叩き出しちゃったけど、後でカレンダーを見たら八朔だった。…お中元とは別の意味でね、日頃お世話になっている人に贈り物をして挨拶する日。だから悪いことをしたと思って…。ハーレイはぼくの担任なのに」
言われてみれば…、と八朔の意味を思い出す。ブルーから贈り物を貰えるなんて、叩き出されてみるものだ。あの時、お礼を言われていたらそこで終わっていたのだから。
「ぶるぅの荷物を持ってくれたのに、お茶も出さずに本当にごめん。…受け取ってもらえるかな?」
風呂敷の中から出てきた箱をハーレイは大感激で受け取った。ブルーは回れ右をして帰っていったが、細かいことはどうでもいい。あのブルーから…贈り物。やっぱり今日はラッキー・デーだ。
「八朔か…。確かにそんな習慣が残っている所もあると聞いたな。ブルーは寺とも付き合いが深いし、坊主の世界では常識になっているのだろう」
うんうん、とハーレイは一人頷く。坊主の世界ではなく花街に色濃く残る習慣なのだが、そういう所に縁のないハーレイに気付けと言う方が無理な話だ。ブルーが置いていった箱は渋い包装紙に包まれていて、中身は何か分からない。はやる心を抑えて開けると薄い包みが入っている。その下にも何か詰まっているようだ。まずは、と取り出した包みの中から出てきたものは団扇だった。
「……これは……」
どうしたものか、とハーレイは団扇を裏返してみる。
「むむぅ…」
他に言葉が出てこなかった。紺色の団扇の表側には金色の文字で般若心経。裏側には銀色で妙な模様が描かれている。逆さになった釜の絵の下に般若のお面、その下は…人間の腹か? 額の皺を深くしながら謎の暗号を追っていく内に突然ハタと合点がいった。絵般若心経というヤツらしい。般若心経が覚えられないと悩む人々のために絵に描いて教える経文と聞くが、こっちの方が難解なような…。
「こんな団扇を貰っても……」
困るのだが、と団扇の下に詰められていた品を見ようと薄紙をめくり、ハーレイはウッと仰け反った。入っていたのは浴衣用の生地の反物。白地に紺のありがちな配色はともかくとして、どうして模様が絵般若心経になっているのだ…! 総本山発行のカレンダーを使ってはいても、ハーレイは熱心な仏教徒というわけではない。なのに何故…。きちんと巻かれた反物を持ち上げてみると、白い封筒が一緒に出てきた。ブルーが書いた手紙らしい。
「…ブルーから…?」
これは嬉しいサプライズだった。ブルーは綺麗な字を書くのだが、悲しいことに年賀状しか寄越さない。私的な手紙はごくたまにしか貰えはしないし、それも大抵は悪戯絡みで…。しかし今回は悪戯ではなく、きっと真面目な手紙だろう。面妖な品といえども贈り物を持って来たのだから。心臓がドキドキと脈打ち始める。手紙を開いて読み進めると鼓動は更に速くなった。
「そうか、お揃いの生地なのか…。団扇もブルーとお揃いなのだな。これは早速仕立てなければ…」
手紙には『シャングリラ学園の納涼お化け大会はお揃いの浴衣と団扇にしたいね』と素晴らしい提案が書かれていた。ブルーの浴衣と同じ生地だと知らされた今は絵般若心経も気にならない。浴衣に合う帯も買わなくては。おまけに手紙の結びの言葉は…。
『デジタルの時計を見ていて素敵なことに気が付いたんだ。8月1日ってハーレイの日になっているんだね。ほら、0801って書くだろう? 最初のゼロは放っておいて、801。ハチ、レイ、イチでハーレイと読める。だからハーレイの日って呼んでもいいかな?』
もちろんだ、とハーレイは相好を崩して呟く。
「ハーレイの日か…。ブルーも可愛いことを言う。…私のためにあるような日だな。どおりでツイていたわけだ」
カレンダーを眺め、太字のペンを手に取った。やはり記念日は書かねばなるまい。今日の日付の横の空欄にデカデカと大きな文字で書き込む。『ハーレイの日』と。教師らしく赤い花丸で囲み、ハーレイは大いに満足した。8月1日はハーレイの日。今夜は赤飯もいいかもしれない。そしてビールで祝杯といこう。
ブルーとの結婚を夢見るハーレイの独身生活、三百年余。最高にツイていたハーレイの日の8月1日は夢見の方も最高だった。ブルーとお揃いの浴衣を纏って花火大会を見に行く夢。金魚すくいに綿飴に…と、はしゃぐブルーはとても可愛く、それから二人で家に帰ってシャワーを浴びて…。
幸せな夢の余韻に浸りまくって夏休みを過ごしていたハーレイが奈落の底に転落するのは『納涼お化け大会』の日の夜のこと。仕立て上がった絵般若心経浴衣でキメて、帯に般若心経団扇を挟んで会場に行ったハーレイはブラウやゼルに爆笑されてしまったのだ。ブラウは会場の隅の方にいたブルーの姿を指差した。
「ハーレイ、あんた、騙されたのさ。ブルーの浴衣は秋草だよ。ほら、紺の地色に桔梗と萩と…。女物じゃないかと思うんだけど、似合ってるだろ?」
団扇も秋草模様だった。隣には金魚の子供浴衣の「そるじゃぁ・ぶるぅ」がくっついている。
「……ははは……。そうか、騙されたのか…」
身体からガクリと力が抜けた。さらば、最高のラッキー・デー。さらば、良き思い出のハーレイの日…。
「ハーレイの日じゃと!?」
なんじゃそれは、とゼルが目をむき、ブラウがハーレイを問い詰める。そして教職員たちに散々笑われた末にハーレイの日は伝説となった。8月1日が巡ってくる度、ハーレイの家の郵便ポストには仲間たちからのカードが届く。
『ハーレイの日、おめでとう』
祝いの言葉が書かれたカードの山をハーレイは泣き笑いしながら眺めるしかない。一番凝ったカードを寄越すのがブルーだというのが救いだろうか。今年は飛び出すメロディーカードだ。
「…ブルー、お前のせいでハーレイの日が定着したぞ。いつかお前を嫁に貰ったら思い知らせてやるからな。私のためにあるような日だ、妻として存分に祝ってもらわないと…」
もちろんエプロンは外せないな、とハーレイは分不相応な夢を見る。そのエプロンが災いの元だったことを彼は完全に忘れていた。……8月1日はハーレイの日。きっと今年こそラッキー・デーだ。
※このお話はシャングリラ学園シリーズですが、本編でも番外編でもなく、
外伝というヤツでございます。
今後の学園生活に「ハーレイの日」は出てきません。
でも、もしかしたらブルーや先生たちは毎年やっているのかも…?
シャングリラ学園は不思議一杯の学校ですから!
そして暦をお持ちの方は、ちょこっと調べてみて下さい。
8月1日が土曜日で「四緑仏滅、つちのえとら」なのは今年です(笑)
ピラミッド旅行の後はごくごく普通の春休みでした。元老寺の手伝いに忙しいキース君もたまに抜け出して来て、ドリームワールドにカラオケに…と過ごしている内にシャングリラ号がアルトちゃんとrちゃんを迎えに来たようです。会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」とフィシスさんを連れて出かけて行ってしまいました。
「んーと…。あの辺だって聞いてたけども、見えないね」
ジョミー君が空を指差したのは会長さんのマンションに近いアルテメシア公園の芝生の上。まだ風は少し冷たいですけど、私たちはシャングリラ号を見送りたくて朝から集まっていたのです。会長さんの話では、アルトちゃんたちを乗せたシャングリラ号は公園の遥か上空を通過していく筈でした。
「…時間は合っているんだがな」
キース君が腕時計を確認して。
「あっちの方からこう横切って行くんだろう? やはり俺たちのサイオンよりもステルス・デバイスが上だってことか。ブルーも運が良ければ見られるとしか言わなかったし…」
「そうですね。ジョミー先輩にも見えないんなら無理っぽいかも…」
シロエ君が残念そうに呟いた時、マツカ君が声を上げました。
「あっ、あそこ! あれじゃないですか?」
青空の遥か高い所を飛んで行くのは間違いなくシャングリラ号でした。普通の人の目にも、人工衛星などからも見えないステルス・デバイスに守られた船。それが見えるのはサイオンを持った仲間だけです。私たちは手を振りたくなる気持ちを押さえて空を見上げていましたが…。
「「「あっ!?」」」
バサバサバサ、と鳩の群れが舞い、シャングリラ号を隠してしまって…降って来たのは会長さんの苦笑交じりの思念の声。
『見送ってくれるのは嬉しいけどね、何もない空を見ている団体というのは間抜けだよ? 鳩に餌でもやりたまえ。向こうのベンチでお爺さんが注目しているようだ』
「「「え?」」」
ベンチを振り返ると犬を連れたお爺さんが不審そうに私たちを見詰めています。ううっ、私たちUFOでも探してるように見えたんでしょうか? 空を仰ぐとシャングリラ号はもうありません。仕方なく買ってきていた菓子パンを鳩に食べさせ、お爺さんが立ち去ってからトボトボと歩き始める私たち。
「…行っちゃったね…」
ジョミー君が寂しそうに言い、サム君が。
「俺たちも行きたかったのになあ…。新しい仲間の進路相談の時は正規の乗組員しか乗れないだなんて」
「仕方ないわよ、アルトちゃんたちの大事な相談会だもの」
部外者はご遠慮下さいってヤツね、とスウェナちゃんが肩を竦めました。
「それより、シャングリラ号が帰って来たら温泉旅行よ! 会長さんお薦めの温泉宿って楽しみじゃない?」
「ああ。あのブルーが何度も泊まりに行くんだろう? なかなかに期待できそうだ」
キース君に言われるまでもなく、温泉旅行は楽しみでした。ソルジャーはファラオの呪いを発動させかかった罰で参加を断られてしまいましたし、今度こそ平穏な旅と温泉ライフを満喫です。出発の日はシャングリラ号が帰還してから二日おいて、という予定。会長さんにもソルジャーとしての用事が色々あるのでしょう。
シャングリラ号での進路相談会は2泊3日の計画通りに終了しました。会長さんから「帰って来たよ」とメールがあって、温泉旅行も確定に。当日の朝、私たちはワクワクしながらアルテメシア駅の改札前に行ったのですが…。
「かみお~ん♪ こっち、こっち!」
リュックを背負った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が元気一杯に手を振っています。
「みんな、お弁当は買ってきた? まだだったら早く買ってきてね。はい、切符」
全員の切符を配ってくれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」はちゃんと駅弁を持っていました。私たちも買いに行きましたけど、会長さんはどこでしょう? 駅弁売り場には見当たりません。改札前に戻って来ても「そるじゃぁ・ぶるぅ」が立っているだけ。
「お弁当、買えた? じゃあ、ついて来てね。こっちだよ」
先頭に立って改札をくぐる「そるじゃぁ・ぶるぅ」に連れて行かれた先にはお座敷列車が停まっていました。温泉気分を盛り上げるために貸し切り予約をしてあるのだ、と会長さんから聞いていますが、でも、肝心の会長さんは…?
「ブルー、後から来るんだって。大事な用事が出来たから…って」
許してあげて、と頭を下げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「えっ、そんな…。用事なら仕方ないですよ」
マツカ君が優しく微笑み、キース君が。
「すまんな、それで切符を届けて引率までしてくれたのか…。ぶるぅ、子供は気を遣わなくていいんだぞ? ほら、座れ。ちょっと早いが昼飯にしよう。…で、シャングリラ号は楽しかったか?」
「うん!」
嬉しそうにお弁当を広げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちも駅弁の包みを開けて、話題は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が体験してきたシャングリラ号での三日間。
「あのね、ハーレイと公園で鬼ごっこして遊んだんだよ。何回もポーンって投げてもらえて楽しかったぁ!」
教頭先生は約束をきちんと守ったようです。その現場をぜひ見たかった、と悔しがっていると…。
「ハーレイってやっぱり人気なんだね」
なんでだろう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が首を傾げました。えっ、野次馬根性は人気にカウントされますか? …それに「やっぱり」ってどういう意味? なんだか話が噛み合ってません。
「おい、ぶるぅ」
聞き咎めたのはキース君でした。
「人気って…なんだ? アルトさんたちが何かやらかしたのか、シャングリラ号で?」
「うん…。ブルーがちょっと自信喪失」
「「「えぇっ!?」」」
会長さんが自信喪失って、いったい何が…? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」は海老フライを一口齧って。
「ブルーのソルジャー服は学園祭で見せびらかすから、アルトさんたちも知ってるよね。だけどハーレイの船長服は一度も見せていないでしょ? アルトさんたち、ブリッジでハーレイを見てキャーキャー騒ぎ出しちゃって…。それでブルーが自信喪失」
アルトちゃんたちは教頭先生と記念写真を撮りたがったらしいです。会長さんのソルジャー服は学園祭で撮り放題ですし、ツーショットを頼んでいるのも目撃しました。でも教頭先生の船長服はシャングリラ号での限定品。それを撮りたいアルトちゃんたちの気持ちも分からないではありませんけど…。
「あいつが自信喪失とはな…」
見てみたかった気がするぜ、とキース君が意地悪な笑みを浮かべています。アルトちゃんたちの進路相談会は会長さんにとってはドツボな結果に終わったのかも。それもたまにはいい薬だと思いましたが…。
「ブルー、温泉で憂さ晴らしするって言ってたよ」
「「「!!!」」」
無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」の言葉に私たちは固まりました。キース君の顔も笑みの形で凍っていたり…。温泉で骨休めだと聞いていたから大喜びでやって来たのに、憂さ晴らしって何ですか? 私たち、無事に帰れますか~? 泣きそうな気分を乗せたお座敷列車が駅のホームに滑り込みます。もう後戻りはできません。会長さんが来るまでの間に温泉だけでも楽しみますか…。
会長さんお薦めの温泉宿は駅から迎えのマイクロバスに乗って山道を走った先でした。いわゆる秘湯というヤツですけど、建物はとても立派です。知る人ぞ知る高級旅館で料理も定評があるのだとか。会長さんの定宿の一つで、そのコネで今日は貸し切りになっていました。
「かみお~ん♪ また来たよ!」
玄関で迎えてくれた女将と握手している「そるじゃぁ・ぶるぅ」。女将は私たちにも愛想よく挨拶してくれて…。
「いらっしゃいませ。ブルー様はお連れの方と後からお越しになるんですって?」
「「「はぁ!?」」」
その瞬間、私たちは目が点になっていたと思います。お連れの方って……それって誰?
「フィシス様かと思いましたら、担任の先生でらっしゃるとか。皆様も学校のお友達だと伺ってますし、クラブか何かの旅行ですの?」
いいですわねえ、と笑顔の女将に私たちは返す言葉がありませんでした。頭の中は既に真っ白。シャングリラ号で教頭先生にお株を奪われた会長さんの復讐劇が温泉で…? 風情のある部屋に案内されて荷物を置いても心は此処に在らずです。誰からともなく集まった先は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が泊まる部屋。
「…考えてみたら最初からおかしかったんだ」
部屋付きの露天風呂を見遣ってキース君がチッと舌打ちしました。
「いくらコネがあるといっても宿を貸し切るには金が要る。おまけにお座敷列車も貸し切りときた。かかる費用は半端じゃないぞ。…あのドケチが金を払うからには裏があるってことを読むべきだった」
「「「………」」」
誰も反論できません。会長さんはソルジャーとして高額な収入を得ているくせに、打ち上げパーティーの費用を教頭先生から巻き上げてみたり、旅の費用をマツカ君に丸投げしたりとケチなのでした。その会長さんが私たちを温泉旅行に招待だなんて、「タダより高いものはない」の典型であっても不思議はなくて…。
「ぶるぅ、お前、口止めされていたのか? 教頭先生が来るというのを」
キース君の問いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は頷いて。
「えっとね、ブルー、最初はハーレイを呼んでオモチャにするって言ってたんだよ。…だけど、シャングリラ号から帰って来てから仕返しだって言い出して…。なんだったっけ、コンゼンリョコウだったっけ…?」
「「「婚前旅行!?」」」
あまりにも不穏な言葉に頭を抱える私たち。会長さんの憂さ晴らしって、またまたアヤシイ何かですか? 十八歳未満お断りの大人の世界が炸裂ですか…?
『それで正解』
響いてきたのは会長さんの思念波でした。
『今からハーレイと電車に乗るんだ。夕食までにはそっちに着くから、温泉でゆっくりしておいで。でね…』
会長さんは一方的に指示を下すと思念波を切ってしまいました。何も知らない教頭先生と仲良く電車に乗ったのでしょう。二人きりで婚前旅行だと世にも恐ろしい大嘘をついて。
「…ぼくたち、ホントにやらなきゃダメ…?」
ジョミー君の声には泣きが入っていました。
「逆らったら後が怖いと思うぞ。正直、俺もやりたくはないが…」
キース君も深くめり込み、サム君はすっかり傷心モード。
「…ブルーが婚前旅行だなんて…。嘘だってのは分かってるけど、分かってるけど…。なんで教頭先生なんだよ!」
私たちの心はズタボロでした。この温泉は傷によく効くらしいのですけど、心の傷にも有効でしょうか? いえ、今の心の傷が癒えても、会長さんが到着したら傷は再びザックリと…。
「かみお~ん♪ お風呂、行こうよ! 大浴場の露天風呂って景色がよくて最高なんだ♪」
婚前旅行の意味も知らない「そるじゃぁ・ぶるぅ」がウキウキ浴衣を用意しています。
「風呂に入るか…。あいつが来たら俺たちに自由はないからな」
キース君が立ち上がり、私たちもそれに続きました。鬼の居ぬ間に何とやら。せっかくここまで来たんですから、温泉くらいは堪能しないと~!
ドン底気分で入ったものの、温泉は滑らかないいお湯でした。浴衣に着替えて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻り、お饅頭や持ってきたお菓子を食べている内に時間は過ぎて……日がとっぷりと暮れてきた頃。
『今、着いた。タイミングは合図するから宜しくね。部屋は君たちの続きなんだ』
会長さんからの思念が届き、廊下を移動する微かな音が。一番奥の部屋に向かうようです。館内案内図で確認すると他の部屋とは間取りが違う特別室らしき大きな部屋。サム君はもう涙目です。
「ブルー、教頭先生と何してるんだろ…。婚前旅行だって言ったからにはキスしたりとか…」
『どうだろうね? 来て確かめてみればいい』
頼んだとおりにやるんだよ、と会長さんの思念が囁きました。私たちは肩を落として部屋を出ようとしたのですが。
『ダメダメ、それじゃお通夜みたいだ。もっと明るく、にこやかでないと』
ぶるぅの顔を見習いたまえ、と言われてみれば「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。会長さんが来たのが嬉しいのでしょう。三百歳を越えてはいても中身は小さな子供ですから、私たちを引率してくるのは心細かったかもしれません。よし、お手本はこの笑顔! 備え付けの鏡を覗いた私たちは互いに頷き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」を先頭にして会長さんたちの部屋へ向かいました。
「かみお~ん♪」
入口の扉をカラリと開けて中へ入った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が襖を大きく開け放ちます。そこには会長さんと教頭先生が並んで座っていましたけれど、二人の脇には浴衣があって…。
「ぶるぅ!?」
ギョッとした顔の教頭先生。続いて登場した私たちの姿に呆然と口を開けていますが…。
「「「婚前旅行、おめでとうございます!」」」
私たちは控えの間にきちんと正座し、一斉に頭を下げました。何が悲しくてこんな台詞を口にしなくちゃいけないんでしょう? 会長さんが満足そうに頷き、教頭先生の肩を叩いて。
「ほら、ハーレイ。みんなが祝福してくれてるよ。…君には内緒にしてたんだけど、彼らは立会人なんだ。ハーレイと結婚したら本当に幸せになれるのかどうか、正直、ぼくには自信がない。だから婚前旅行で相性を試そうと思ってさ…。で、第三者にも冷静な目で君を採点して貰おうと」
「……採点……?」
教頭先生の掠れた声をサラッと無視した会長さんは、自分の旅行鞄の中から大きな封筒を取り出しました。
「はい、ぶるぅ。みんなに1つずつ配ってあげて」
「オッケー!」
封筒の中身はクリップボードに留め付けられた会長さん自作の採点表とボールペン。それが全員に行き渡った所で会長さんが教頭先生の手を取って…。
「じゃあ、まずはお風呂に入ろうか。部屋付きの露天風呂っていいよね、二人きりで寛いで入れるし」
「ま、待ってくれ、ブルー! 二人きりって……そこの子たちは?」
正座したままの私たちの手にはクリップボードとボールペン。会長さんは喉をクッと鳴らして。
「立会人だって言っただろう? もう採点は始まってるよ。気にしていないで入ろう、ハーレイ」
セーターとシャツを脱ぎ捨てた会長さんが浴衣を羽織り、露天風呂の方に歩いていきます。浴槽の側で浴衣とズボンを床に落とすと、残ったものは黒白縞のトランクス。いえ、多分いつぞやのHURLEY製だとかいうサーフパンツだと思うのですが、とにかくそれしか着けていません。
「…お先に、ハーレイ」
サイオンで舞い上がらせた浴衣をカーテン代わりに黒白縞を脱ぎ、かかり湯をした会長さんは露天風呂にトプンと浸かりました。採点表には『お風呂』の項目が一番最初に書かれています。会長さんへの気遣いはどうか…だの、入浴マナーは合格か…だのと。会長さんが誘っているのに応じなかった教頭先生。これは気遣いゼロでしょうか?
「1個目のとこ…。マイナスかな?」
ジョミー君がボールペンをクルリと回し、サム君が。
「どう考えてもマイナスだぜ!」
ふむ、と私たちは気遣いポイントのマイナスの欄に揃ってチェックを入れました。焦ったのは教頭先生です。
「おい、本当に採点するのか? どういう基準になっているんだ?」
「プラスとマイナス、どちらともいえない……の三項目です」
キース君が始めた説明は会長さんの指示どおり。やりたくないと言ってはいても、やると決めたら揺るがないのがキース君の強さでした。
「今のマイナス評価は入浴前のブルーに対する気遣いについて。…旅が終わってプラスの評価が多かった場合、結婚を前提としたお付き合いになると聞いています。具体的な数値で言えば、全員の評価を集計した上で八割を超えた場合です。それ以下の時は残念ながら、結婚の話は無かった事に…」
「無かった事になるというのか!?」
血相を変えた教頭先生はキース君の返事も待たずに走って行ってしまいました。着ていた服と紅白縞のトランクスを大急ぎで脱ぎ、かかり湯も忘れて湯船の中へ。会長さんのゲンナリした顔を見るまでもなく入浴マナーはマイナスです。…えっと、この調子でずっと採点ですか? お風呂に食事に……『床入り』だなんて書かれてますけど、床入りっていったい何なんですか~!
高級旅館での豪華な夕食。浴衣に着替えた会長さんと教頭先生の部屋に私たちの分も運ばれ、食事中にもしっかり採点。会長さんは挨拶に来た女将にぬかりなく…。
「実はゲームをしてるんだ。ぼくの先生の成績表をつけてるところ。…この宿は改めて評価するまでもなく最高だしね。今日の料理も美味しいよ」
「まあ、ありがとうございます。ごゆっくりなさって下さいませね」
深くお辞儀して出て行く女将。採点表は仲居さんが見ていましたから、女将も心配だったでしょう。宿の評価じゃないのか…って。この気配りは流石ですけど、教頭先生への気遣いなんかは限りなくゼロな会長さん。食事が終わり、奥の部屋に二組の布団が敷かれたのを見て悪戯っぽく微笑みながら。
「ここから先が重要なんだ。床入りって書いてあるだろう? 結婚生活において夜の営みは必要不可欠。しっかり採点してくれたまえ。…とはいえ、君たちには理解しにくいだろうし、簡単な方法にしておいた。そこだけ○か×かになってる」
「「「………」」」
床入りの項目は確かに○×式でした。非常に分かりやすいんですけど、問題はこの書かれ方です。『合体は成功したか』に○か×かで答えるってことは、私たち、見てなきゃダメなんでしょうか。合体って…合体って…あまりにも直接的だと思うんですけど~! 「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいるというのに、シールドに入れとも言われません。
『当然だろう。採点係の視線に意味がある。見えないギャラリーじゃダメなのさ』
思念波を送ってきた会長さんは教頭先生に肩を寄せて…。
「ハーレイ、床入りの時間だよ。ぼくを楽しませてくれるんだろう? 婚前旅行に来たんだものねえ」
「…い、いや、私は……。それにぶるぅとその子たちが…!」
真っ青になった教頭先生を意にも介さず、会長さんは布団の上に座りました。
「採点係は必要なんだよ。それに評価は○×式だ。君のテクニックは問われない。ぼくとの合体に成功すれば○、失敗すれば×がつく。…もちろんチャレンジしなければ×さ。どうする、ハーレイ?」
「…………」
教頭先生は気の毒なほど脂汗を流し、拳を握り締めたり浴衣の袖で汗を拭ったり。会長さんは布団に身体を横たえ、誘うように浴衣の胸元をはだけてみたりしていましたが…。
「…すまん、ブルー…」
声を絞り出した教頭先生がガバッと畳に土下座しました。
「すまん、私には出来そうもない。お前に恥をかかせてもいかんし、始める前にやめておく。ここの評価が×になったら総合評価で八割超えは無理なのだろうが……こんなに大勢が見ていたのではどうにもこうにもならんのだ!」
「…やっとヘタレを認めたか…」
身体を起こした会長さんが冷たい視線を向けています。
「それでいいんだよ、分相応って言葉があるだろ? 婚前旅行なんて千年早い。これは最初から罠なんだ。ぼくの見せ場を奪った罰さ」
「…見せ場…?」
「そう、見せ場。シャングリラ号でアルトさんたちに船長服を絶賛されていただろう? 撮影に応じられないからって、地球で撮った写真を渡していたっけね。クルーの交流会で写したヤツをさ。…ソルジャーのぼくを差し置いて目立とうだなんて、どう考えても厚かましいよ!」
それは完全に八つ当たりでした。なのに教頭先生はオロオロと謝り、会長さんの機嫌を取ろうと必死に努力しています。無駄じゃないか、と私たちがウンザリ気分でいると…。
「…いいお湯だねえ」
リラックスしきった声が露天風呂の方から聞こえてきました。ギョッとして視線を向けると同時に間の襖がカラリと開いて。
「お邪魔してるよ」
露天風呂の縁に腕をもたせかけ、白い顔がこちらを見ています。銀色の髪に赤い瞳の会長さんのソックリさんが湯煙の中にゆったりと…。
「温泉くらい入らせてもらっていいだろう? ぼくの出番もありそうだしね。…ハーレイ、ぼくは恥をかいても気にしないから君の評価に協力しよう」
言い終えるなりソルジャーはザバッと湯船から上がり、タオルだけを腰に巻いた姿でスタスタと部屋に入ってきました。滴っていたお湯はサイオンで瞬時に乾いたようです。唖然としている教頭先生の前を横切り、ソルジャーは会長さんの腕を引っ張って…。
「交代するよ。君も採点に回るといい。…君のハーレイの素質を見極めるチャンスじゃないかと思うけどな。さあ、ハーレイ……二人で朝まで頑張ってみよう。一度くらいは○がつくかもしれないだろう? …来て」
ねえ? と布団に横たわったソルジャーの肌は温泉で温まってほんのり桜色。腰のタオルはバスタオルならぬ宿の小さなタオルです。教頭先生がウッと短く呻いて鼻からツーッと赤い筋が。そしてそのままドターン! と仰向けに倒れ、二度と復活しませんでした。
「…ダメだね、あれは。まだまだ修行が必要と見た」
浴衣姿のソルジャーが私たちのクリップボードを集めて×印をせっせと書き込んでいます。
「婚前旅行だなんて楽しそうなことをやり始めたから、進展するかと思ったら……触りもせずに失神か。もっと鍛えてやらなくちゃ」
「余計なことはしなくていいっ!」
柳眉を吊り上げる会長さんにソルジャーはクスッと笑みを零して。
「じゃあ、温泉と豪華な食事。宿の情報は操作するから、ぼくも逗留させて欲しいな。君たちは1泊で帰るんだろう? ぼくは君のふりをして暫く滞在させてもらうよ、ぶるぅも呼んで三日間ほど。今は安全な時期だからね」
「…うぅ…。その条件を飲まなかったら?」
「そこのハーレイをぼくの世界に連れて帰って三日間ほど強化合宿。…どっちがいい?」
会長さんの答えは聞くまでもありませんでした。温泉三昧の権利を手に入れたソルジャーは上機嫌で帰ってしまい、会長さんは不機嫌です。教頭先生に仕返しするという目的は達成しましたけれど、ソルジャーと「ぶるぅ」の宿泊料で大事なお金が飛ぶんですから。
「…それ、教頭先生に払ってもらえばいいんじゃないの?」
とんでもないことを口にしたのはジョミー君でした。
「教頭先生、貯金が沢山あるんでしょ? ブルーのためなら喜んで払うと思うんだけどな」
あぁぁ。特別生として一年間を過ごす間にジョミー君もすっかり会長さんの流儀に馴染んだようです。いえ、私だってチラッとそんな考えが…。素晴らしい提案に会長さんの顔が輝きました。
「凄いよ、ジョミー。その手でいけば全部ハーレイに丸投げできる。…婚前旅行が大失敗で恥をかかされちゃったんだからね。ハーレイの評価はどうなってる?」
採点表をチェックした会長さんは満足そうに頷いて。
「よし、どう転んでも挽回できない点数だ。結婚の話はもちろん無しだし、こういう場合は慰謝料を請求しても許されるよね。旅行費用と慰謝料と…。ふふ、アルトさんたちの歓迎会の費用を出しても十分お釣りが…」
「「「アルトさん!?」」」
私たちの声が重なりました。歓迎会っていうことは…アルトちゃんたちはシャングリラ学園に特別生として来るのでしょうか? それとも仲間としての歓迎会?
「特別生だよ。君たちと同じ1年生。ああ、でも…ぼくの大事なレディーたちだし、君たちとは区別しなくっちゃ。品性下劣だと思われるのはぼくだって御免蒙りたい」
「ちょ、誰が品性下劣だって!?」
全部あんたのせいだろう、とキース君が食ってかかります。サム君が会長さんの弁護に回り、シロエ君がキース君の肩を持ち…それから後はすったもんだの大騒ぎ。倒れたままの教頭先生、これでも意識が戻りません。まあ、気付いたら最後、物凄い額のお金を要求されて目の玉が飛び出ることでしょうから、朝まで倒れていた方が…。ひとしきり口論が続いた後で会長さんがコホンと咳払い。
「この件は横に置いといて…。もうすぐ三度目の1年生になるわけだけど、これから先もぼくに付き合ってくれるかい? 悪戯しても友達がいなきゃ張り合いがない。それとも嫌になったかな、ぼくが…?」
だったら好きにしていいよ、と視線を逸らす会長さん。その横顔は少し寂しそうに見え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が心配そうに私たちの顔を見ています。えっと…散々な目に遭わされ続けて、明日の朝には教頭先生を酷い目に遭わせる片棒を担ぐわけですけども、会長さんたちと過ごした日々は楽しい思い出に溢れていました。きっとこの先もドキドキワクワクするようなことが…。
「ブルー! 俺、絶対ブルーについていくから!」
サム君の力強い宣言に釣られるように私も右手を上げていました。俺も、ぼくも、と賛成の声が重なります。特別生も4月になったら二年目で……それでもやっぱり1年生で。不思議一杯のシャングリラ学園、まだまだ奥が深そうです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」にくっついていけば新しいことが分かるかな? 分かるといいな、色々なこと。シャングリラ学園、また来年度もよろしくです~!
王家の谷は川の西岸にありました。まずはホテルで昼食を摂り、観光バスに乗り込んで…フェリーで川を渡るのですが、早い話が渡し船です。観光客だけでなく地元の人や土産物売りも乗っかっていて、会長さんが「バスの外には出ないように」と厳命しました。川風が気持ちよさそうのなのに何故なんでしょう?
「…買い物をしたいんだったら止めないけどね」
好きにしたまえ、と会長さんが指差す先では観光客の人が土産物売りのオジサンたちと商談中です。
「船の上は逃げ場がないんだよ。商談のように見えてはいても、あれは完全に相手のペース。向こう岸に着くまでの間に必ず何か買う羽目になる。で、行くのかい?」
「「「………」」」
パピルスの複製やスカラベ、織物に香水瓶。いつかは買いたいお土産ですけど、ぼったくり価格は御免でした。ピラミッド観光でバカ高い布きれを買わされて以来、私たちはとても慎重です。
「ほらね、土産物売りは懲りてるだろう? ああいうものはしっかりしたお店で買わなくちゃ。ホテルショップなんか高いように思えるけれど、それだけ品質がしっかりしてるっていうことだから。…でなけりゃ市場できちんと値切る! 観光客は甘く見られがちだし」
いいカモにされた過去を持っているだけに、逆らう気にもなれません。やがてフェリーは対岸に着き、有名な巨像や葬祭殿を観光してからバスはいよいよ王家の谷へ。まずはファラオの呪いで知られた墓です。
「…なんかずいぶん小さいね」
ジョミー君が周囲を見回しながら言いました。駐車場からずいぶん歩いてきましたけれど、王家の谷というだけあってファラオや王妃の墓が幾つも口を開けています。でも、どれも入口の大きさは似たりよったり、大した規模ではないような…。
「盗掘防止が目的だからね、悪目立ちする墓は作らないさ」
そう答えたのは会長さん。
「ピラミッドの時代とは違うんだよ。こう見えても中はけっこう広い。…この墓は小さい方だけれどね」
先に立って地下への階段を降りていく会長さんに続いて中に入ってみると、壁画が描かれた通路の先にピラミッドの中とは比べ物にならない小さな部屋がありました。柵越しに見下ろせる場所には柩を収めたケースがあって…。
「あの中にミイラがあるんだよな?」
サム君がゴクリと唾を飲み込み、ソルジャーが。
「他の墓のミイラは博物館にあるんだってね。このミイラだけがここにあるのは例の呪いのせいなんだろう?」
「そういうこと」
会長さんが静かに両手を合わせてブツブツと何か呟いています。ファラオ相手にお経なんかが効くんでしょうか?
「言葉の力は凄いんだよ。原典に近いお経は絶大な力を持っている。…ほら、ぶるぅが飛び出してきた掛軸を封印するのに使った光明真言を覚えてるかい? あれを唱えると亡者が喜ぶと言われている。今、ぼくが唱えてたヤツなんだけど…君たちも一緒にやってみる?」
教えてあげるよ、と微笑む会長さんですが、私たちは首を横に振りました。キース君とサム君だけが神妙に柩に両手を合わせています。サム君の修行は順調に進んでいるようですね。
「…ブルーが拝んでいたってことは、やっぱりファラオの呪いって…あるの?」
ジョミー君の問いに会長さんは「まあね」と答えました。
「ジョミー、君は尋ねる相手を間違えたんだよ。ブルーの世界は確かに遥か未来の世界で、科学も進んでいるけれど……この世界とは別物だ。ぼくたちの世界の出来事の結末をブルーに教えて貰おうだなんて甘いのさ」
「…でも…」
唇を尖らせるジョミー君ですが、会長さんは大真面目でした。
「いいかい、君の考えが正しいのなら、ぼくたちの未来はどうなると思う? SD体制に突入したらお尋ね者だよ、ぼくたちは。…そうならないよう、ぼくは努力してきた。だから未来は共通じゃない。ブルーには悪い気もするけどさ……瓜二つの姿形のくせに気楽に遊んでばかりだからね」
「いいよ、ぼくなら気にしない。遊びに来られるだけで十分」
ソルジャーがニッコリと笑い、ファラオの柩を眺めました。
「あれが呪いのミイラってわけか…。特に感じるものもないけど、本当に呪われているのかい?」
「呪いの力は失われてる。だからミイラをここに置いておく必要はないんだよね。…でも、そんなこと…誰も信じやしないだろう? ロマンだと思って放っておくさ」
さあ次に行こう、と会長さんは歩き出します。ファラオの呪いを解明しようなんて考えていた私たちがバカでした。三百年以上も生きてきている会長さんなら、呪い騒ぎをリアルタイムで見聞きしていた筈なんです。この様子では呪いの正体も知っていそうですけど、教えてなんかくれないでしょうね…。
それから私たちは幾つもの王墓に入りました。観光客には非公開の墓も含まれていて、マツカ君の強力なコネに感謝しながら見学三昧。王家の谷って本当にお墓ばかりです。おまけに緑が全然なくて暑いといったらありません。
「2リットルを一気飲みか…」
信じられんな、とキース君が空になったペットボトルを振りました。ペットボトル持参で観光したのに、バスに戻るなり私たちがやらかしたことは冷えたジュースの一気飲み。しかも2リットル入りのボトルです。相当に空気が乾いていたのでしょう。川を渡ってホテルに戻ってもティールームで紅茶にハーブティー。そんなこんなで日は暮れて…。
「今日は沢山見学したけど、未発見のお墓ってあるのかしら?」
スウェナちゃんが夕食の席で夢見る口調で言いました。
「そういうお墓を探し出せたら素敵よねえ…。ジャーナリストとして発掘作業に同行したいわ」
「呪われてるかもしれないですよ?」
シロエ君が突っ込みましたが、スウェナちゃんは気にしていません。
「そうなったら腕の見せ所よ! 呪いの正体は何か、次に呪われるのは誰なのか! いい記事になると思わない?」
「週刊誌か?」
キース君の言葉は禁句だったようで、スウェナちゃんはブチ切れました。
「失礼ね! 私が目指すのは新聞記者なの! スポーツ新聞でも地方紙でもなくて全国紙!!!」
「…一流の、ね…。でもさ…」
無理だと思うよ、とジョミー君。
「だってさ……ぼくたちって年を取らないわけだし、今の外見で新聞記者は難しそうだよ。取材に行っても相手にされないと思うけどな。…それともスウェナだけ頑張って大人になるの? ぼくたちは成長できないんだって前にブルーが言っていたのに?」
スウェナちゃんはグッと詰まりました。私たちは仲良し七人グループです。仲間が高校一年生をやっているのに一人だけ社会人サイズに成長するのは、かなり勇気が要りそうな気が…。しかも努力も必要かもです。そこへソルジャーが口を挟みました。
「いいんじゃないかな? ぼくの世界もそうなんだけど、こっちの世界の長老たちも外見年齢の差が大きいよね。スウェナだけが大人になって他のみんなが子供のままでも、きっと仲良くやっていけるさ」
「…それって……私だけオバサンになるってことじゃない…」
あんまりだわ、と打ちのめされるスウェナちゃん。けれどソルジャーが言うのは正論でした。ジャーナリストになりたかったらスウェナちゃんは年を取るしかなさそうです。…そして数分後、スウェナちゃんはキッパリと夢を捨てました。
「いいのよ、夢は叶わないから夢なのよ! どうしても新聞を作りたくなったらシャングリラ学園でスクープを取るわ。そしてシャングリラ号で壁新聞として発表するの!」
「「「…壁新聞…」」」
白い巨大宇宙船の中に壁新聞。シュールな光景を想像した私たちはポカンと口を開け、ソルジャーがおかしそうに笑っています。会長さんが頭を抱えているのはスクープされそうな日頃の行いを思い返しているせいでしょう。夕食は和やかに終わり、翌日は大神殿の見学に、帆かけ舟でのクルーズに…。旅は順調に続き、川の上流の遺跡群も堪能してから私たちはピラミッドの街に戻りました。
「かみお~ん♪ ピラミッド、今日も楽しかったね!」
御機嫌で飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。帰国を明日に控えた日の昼間は買い物、夜はピラミッドで音と光のショー見物。ピラミッドの滑り台が気に入った「そるじゃぁ・ぶるぅ」はショーの時間中、赤や緑にライトアップされるピラミッドを滑りまくっていたのでした。ホテルに帰った私たちはスイートルームの広いリビングでグータラと…。
「けっこうアッと言う間でしたね」
マツカ君が言い、ソルジャーが。
「そうかな? ぼくはこんなに長いことシャングリラを離れていられて幸せだったよ。途中で戻る羽目になるかな、と思っていたから余計に…ね。ハーレイはとっくの昔に特別休暇を返上しちゃったみたいだけれど。…ぼくと二人で引きこもりっ放しって、平和な時しか出来ないんだから続行しとけばいいのにさ」
ありゃりゃ。あちらのキャプテンは既に通常勤務でしたか…。ソルジャーは更に言葉を続けて。
「ハーレイはね、特別休暇が長引いちゃうと、からかわれると思ったらしい。でも…ぼくが姿を現さない以上、結果は同じだと思わないかい? ぼくが青の間から一歩も出られないほどハードな夜が毎日続いているってわけで…」
「ストップ!」
会長さんが割り込みました。
「その先を続けたら叩き出すよ。十八歳未満の団体だって言ってるだろう!」
「冷たいね。…じゃあ、黙るから代わりに観光させて欲しいな。旅の記念に最後に一ヶ所。とっておきの場所がある筈だ」
スッと人差し指を立てるソルジャーに、首を傾げる会長さん。
「とっておきって…?」
「…王家の谷さ。スウェナが未発見の墓はないのかって言ったよね。あの時、君の思考が一瞬、揺れた。君の遮蔽は完璧だけど、ぼくにはチラッと見えたんだ。…未発見の王家の墓を知ってるだろう?」
「「「えぇぇっ!?」」」
会長さんが未発見の墓を知ってるですって!? そんな馬鹿な…と思ったのですが。
「バレてたか…。でも、アレはダメだよ。ね、ぶるぅ?」
「うん。やめといた方がいいと思う」
怖いんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。えっと…「そるじゃぁ・ぶるぅ」も知ってるんですか? 私たちの視線を受けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」はコクリと大きく頷きました。
「あのね、入口まではブルーと一緒に行ったんだけど…入ったのはブルーだけなんだ。危ない場所だから来ちゃダメだって言われたんだよ。えっと…コブラの巣だったっけ?」
「サソリもいた。…そういうわけで、あそこは駄目だ」
コブラにサソリと来ましたか…。それは勘弁願いたいです。ところがソルジャーは動じもせずに。
「シールドを張れば全て解決するだろう? せっかくだから見て帰りたい。ここから王家の谷まで全員を連れて飛んでもいいけど、ダメだと言うならぼくだけでも…」
「本当の本当に危険なんだよ。…ダメだと言ったらダメだってば!」
二人は押し問答を始めましたが、会長さんに譲る気持ちは無いようです。…と、突然パァッと青い光が迸って。
「ブルー!?」
サム君の悲鳴が響きました。…会長さんが何処にもいません。ついでにソルジャーも見当たりません。
「ま、まさか…今の光は…」
キース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の肩をガシッと掴んで。
「ぶるぅ、ブルーは何処へ行った!? ブルーの世界へ連れて行かれたのか!?」
「…えっとね、ブルーが来ちゃダメって…。王家の谷にいるみたい」
「「「王家の谷!?」」」
会長さんは物見高いソルジャーに王家の谷へ連れて行かれてしまったようです。ソルジャーのお目当てはコブラとサソリが生息している未発見の王墓でしょう。実力行使に出られた以上、ソルジャーが満足するまで会長さんは帰れそうもありません。私たちは溜息をつき、テーブルの上のお菓子を食べ始めました。最後の晩に会長さんを拉致するなんて、ソルジャーはやっぱりトラブルメーカー…。
夜も更けてきたスイートルームで「そるじゃぁ・ぶるぅ」が語ってくれた所によると、会長さんが王家の谷で未発見の墓に出くわしたのはシャングリラ号が建造される前のこと。資金作りに埋蔵金を掘っていた時代らしいです。当時は発掘されていない墓が沢山あって、会長さんはそれを目当てに何度も通っていたのだとか。
「あのね、その頃は今みたいに法律が厳しくなかったから…古い物を高く買ってくれる人が沢山いたんだ。あ、でも盗んだわけじゃないよ? お墓の持ち主にきちんと訊いて、持ってっていいって言われた物を貰ってきてた」
「も、持ち主って…?」
まさかファラオのことじゃないよね、と唇を震わせるジョミー君に「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔で。
「ファラオだよ? でなきゃ王妃様とか偉い人とか…。ぼくは全然ダメなんだけど、ブルーはそういう人と色々お話できちゃうんだ。お坊さんって凄いよね。…サムも出来るようになるかもしれないんでしょ? ブルーが期待してるもん」
ひぃぃっ! ファラオの霊とお話って…心霊特集みたいになってきました。会長さんがサム君には素質があると見込んでいるのはこれですか…。でも、お墓から副葬品を持ち出すのを許してくれるなんて、ファラオって凄く太っ腹かも? そういう話をしていると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ファラオがくれたのは壺とかだよ? 黄金や宝石はくれないんだ。でもね、壺でも凄く昔の物だから…とっても高く売れたんだって」
「…おい。壺とかはファラオの生活必需品だろう?」
キース君が首を捻りました。
「死後の世界で生きていた時と同じレベルで暮らせるように、と色々用意をしたと聞いたが…。いくらお経を読んでくれても、手放したんでは困るんじゃないか?」
なるほど。言われてみれば副葬品にはそういう意味があったかもです。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「大丈夫!」と胸を張って。
「壺とかは多めに入ってるから、余ってる分を貰うんだ。それに長い間、拝んでくれる人もいなかった仏様だしね…。お経のお礼にくれちゃうこともあったみたい」
「「「お経?」」」
「うん! ブルーが王家の谷で言ってたでしょ? お経は凄い力を持っている…って。きちんと拝んで礼を尽くせばファラオの呪いも平気らしいよ」
「「「え?」」」
ファラオの呪いも平気って……それじゃ呪いは祟りですか? 心霊現象の強烈なヤツってわけですか? 口々に尋ねる私たちに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はヒソヒソ声で。
「そうなんだって。ブルーと一緒に来ていた時にね、このお墓はやめておこうって言われたんだ。拝むのに時間がかかりすぎるから面倒だ…って。それを他の国の人が見付けて掘ったらファラオの呪いになっちゃった」
「「「えぇぇっ!?」」」
「シーッ! ブルーも責任感じてるんだし、大きな声を出さないでよお…。あの時に拝んでおけば良かったって後から何度も言ってたもの。ファラオの呪いが止まらないから、最後は拝みに行ったんだもの…」
本当だよ、と語る「そるじゃぁ・ぶるぅ」は真剣でした。そういえば王家の谷で会長さんが「呪いの力は失われている」と言いましたっけ。会長さん自身が関わったのなら、明言するのは当然でしょう。
「うーん、呪いの正体は祟りだなんて…」
呻き声を上げるジョミー君。
「これじゃ発表できないよ。せっかく謎が解けたのにさ…」
「まあ待て。俺たちのサイオンと同じで今は公にできないだけで、遠い未来にはなんとかなるかもしれないぞ」
諦めるな、とキース君がジョミー君の肩を叩きます。キース君もお坊さんとして修行を積んだら、ファラオの呪いを封じられるような力がついたりするんでしょうか? それはそれでちょっと興味があるかも…。サム君はファラオの霊と話せる素質があるそうですし、ジョミー君は会長さんに高僧候補と見込まれてますし……いつか大成した三人と一緒にピラミッドの国を旅したい気が…。
「そうだ! キース先輩たちが高僧になったら、この国を回ってみませんか?」
シロエ君も同じ考えに至ったようです。
「観光旅行とは違う視点で素敵な旅ができそうです。マツカ先輩に頼んでおけば王家の谷で護摩を焚くとか派手なパフォーマンスもできますし! 歴代のファラオを供養する旅。きっと楽しくなるんじゃないかと…」
「あのな、シロエ」
キース君がドスの効いた声で。
「俺たちの宗派は基本的には護摩は焚かない。おかしな夢を勝手に語るな」
「す、すみません、キース先輩…」
ごめんなさい、とシロエ君が頭を下げた所へ…。
「「ただいま」」
パッと姿を現したのは会長さんとソルジャーでした。ソルジャーは楽しそうにしていますけど、会長さんはゲッソリした顔。
「行ってきたよ、王家の谷! あんな墓があるのを黙ってるなんて、ブルーも人が悪いよね」
未盗掘の素晴らしい王墓だった、とソルジャーは右手を差し出しました。
「ほら、これが証拠のスカラベだけど……博物館で見たヤツよりも細工が凝ってると思わないかい?」
黄金と瑠璃色の石で飾られたスカラベは実に見事な逸品でしたが。
「ブルー! あんなに触るなって言ったのに!」
会長さんが激怒した次の瞬間、明かりがフッと消えてしまって真っ暗闇になりました。街の灯もまるで見えません。これってもしかして停電ですか? 市内まるっと大停電に…?
自分の手も見えない闇に包まれ、私たちはパニック寸前でした。サイオンで周囲を見る高等技術は持ってませんし、懐中電灯も無いですし…。と、闇の中から不気味な声が響いてきました。
「…………」
「「「えっ?」」」
それは聞き覚えのない謎の言語で、私たちには意味不明。誰が喋っているのでしょうか? 会長さん? それともソルジャー?
「……………」
再び謎の言葉が響いたかと思うと、聞き慣れた声が。
「王の眠りを妨げる者に死の翼触れるべし。…そう言ってるけど、どうしようか?」
青いサイオンの光を纏った会長さんが闇に浮かび上がり、何処からか取り出した数珠をジャラッと鳴らすと…。
「「「ひぃぃっ!!!」」」
不気味な声がしていた辺りに現れ出たのは白い人影。博物館でさんざん見てきたファラオそっくりの姿です。ファラオが出てきて死の翼って……それって非常にマズイのでは?
「うん、まずい。全部ブルーの責任だけどね」
会長さんがサポートしてくれたらしく、闇の中でも互いの姿が見られるようになりました。お化けが苦手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は丸くなって震えていますし、他のみんなも顔面蒼白。ソルジャーだけが苦笑しながら手の中のスカラベを指差して…。
「ひょっとしてコレがまずかったのかい? ちょっと借りてきただけなんだけどな。みんなに見せたら返しておこうと思っていたのに、死の翼とは大袈裟だねえ」
「君は会話ができないくせに! 借りるにしたって手続きってモノが必要なんだよ。そうでなくても気難しいファラオで、入れて貰うのが精一杯の場所なのにさ…。だからぶるぅにはコブラの巣だって言っといたのに、君がどうしてもってゴネるから!」
二人も入るのは大変なんだ、と会長さんは赤い瞳を燃え上がらせて怒っています。念入りに読経して許可を貰ったらしいのですが、そんな厄介なファラオの墓からスカラベなんぞを持ち出したとはソルジャーも大胆不敵と言うか…。そのソルジャーは肩をすくめてスカラベを眺め、ポイッと放り投げました。
「分かったよ、返せばいいんだろう?」
スカラベはフッと宙で消え失せ、どうやら墓に戻ったようです。それを追ってファラオの影が出て行き、部屋の明かりがパパッと点いて街の灯もすっかり元通りに…。よ、良かったぁ…ファラオが退散してくれて…って、会長さん? その格好はいったい何ごと…?
「王家の谷まで行ってくる。かなり怒らせちゃったからねえ…。いつか発掘隊が入った時にマズイことになると困るから…。ブルー、君も一緒に来て謝りたまえ。正座していれば十分だ」
諸悪の根源は君なんだから、とソルジャーの腕を掴んだ会長さんは緋色の衣を着けていました。瞬間移動で取り寄せてきたみたいです。ついでにお経の本が大量に…。
「お、おい…」
キース君が山と積まれたお経本を見回して。
「大般若法要をやるつもりか? あんた一人で…?」
「仕方ないだろう。手伝いを頼みたい所だけれど、ホントに頑固なファラオなんだ。ブルーは素人だから役に立たないし、お経本はサイオンで操るしかない」
朝までにはちゃんと戻るから、と会長さんはソルジャーを連れて王家の谷へ。えっと…大般若法要って何なのでしょう? 私たちの視線がキース君に集中します。キース君は咳払いをして、お経本が積まれていた辺りを示しました。
「さっきのは大般若経といって六百巻ある。全部読むと絶大な御利益があるというんだが…声に出して読むのはまず無理だ。だから普通は転読する」
「「「テンドク…?」」」
「ああ。作法に則ってパラパラとめくるだけなんだがな、それでも人海戦術に近い。それを一人でやろうだなんて、流石ブルーというべきか…。あいつの正体が銀青様だと知った時には絶望したが、やっと納得できた気がする」
たった一人でファラオの呪いを封じることが出来るんだからな、とキース君は感動していました。そして明け方、帰ってきた会長さんが尊敬の眼差しで迎えられたことは言うまでもありません。えっ、ソルジャーはどうだったかって? 足が痺れたとかで不機嫌でしたけど、自業自得ってこのことですよね。
原因不明の大停電は新聞記事のトップを飾ってしまいました。その新聞を記念に買ってピラミッドの国にさようなら。自家用ジェットでまた快適な空の旅です。
「あーあ、酷い目に遭っちゃった。…一人大般若は疲れるんだよ」
ソファに寝転がった会長さんの手足や背中を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が懸命にマッサージしています。その昔、例のファラオの呪いを鎮めた時も一人で大般若経を転読したのだ、と会長さんは教えてくれました。
「あの時は昨夜より大変だった。ミイラが運び込まれた先でコッソリやらなきゃいけなかったし…。シールドの中でやっていたんだ、誰にも見つからないようにしてね」
「…じゃあ、昨夜はホントに危機一髪? 死の翼って言ってたし…」
有名なファラオの呪いと同じだよね、と尋ねるジョミー君に会長さんはコクリと頷いて。
「そうさ。ファラオが最初に呪うのはブルー。次が旅仲間の君たちだ。…だけどブルーはタイプ・ブルーだから、呪い殺される前にファラオの霊を砕くだろうね。ただし、それをやられるとミイラは粉々、貴重な文化遺産がパアだ。まるく収まってよかったよ、うん」
骨休めに温泉にでも行きたいな…、と伸びをしている会長さん。春休みはまだ残っていますし、温泉の旅も素敵かも。あ、でも…会長さんはソルジャーとしてシャングリラ号に乗らなきゃいけないんでしたっけ。
「うん、アルトさんたちの進路指導をしなくっちゃ。それが済んだら温泉旅行に行ってみようか、ブルーは抜きで。…ファラオの呪いの罰ってヤツだ」
「えぇっ!?」
あんまりだ、と騒ぐソルジャーに同情する人はいませんでした。呪いの巻き添えを食らいそうになったんですから当然です。ピラミッドの国の旅は楽しく幕を閉じ、ソルジャーは会長さんのマンションから自分の世界へ帰りました。私たちは明日から普通の春休み。キース君は月参りとお彼岸の準備に追われる日々の始まりです。温泉旅行は果たして実現するのでしょうか? 行けるといいな、みんなで温泉…。