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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

5月2日は朝から青空の広がるいい天気でした。会長さんのマンション前に集合した私たちを迎えに来てくれたのはシド先生。マイクロバスで専用の空港に行き、シャトルに乗ってシャングリラ号へ。雲ひとつない空に浮かぶ巨大な船が普通の人には見えない上に人工衛星からも探せないだなんて、何度聞いてもビックリです。
「さあ、着いたぞ」
シャトルが格納庫に入るとシド先生がやって来ました。シド先生の肩書きはシャングリラ号の主任操舵士だと耳にしています。前にシャングリラ号に乗った時には姿を見かけなかったんですけど、今回はシド先生も乗り込むのだとか。シャトルの飛行中は操縦室の方に行っていたのでした。
「えっと、君たちの部屋割は…ブルー、いや…ソルジャーが決めているんだが」
「ブルーでいいよ、この子たちの前ではさ。ついておいで、案内するから」
会長さんは先頭に立ってタラップを降り、格納庫を出て居住区へ。進路相談会の時は相部屋でしたが、今回は一人一部屋でした。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は青の間です。とりあえず部屋に荷物を置いて会長さんと一緒にリニアに乗って…通路を歩いてブリッジに行くと出航準備の真っ最中。シド先生が舵を握り、船長服の教頭先生や見慣れないマントつきの服のブラウ先生やゼル先生が…。
「やあ。来たよ、ハーレイ」
いつの間にかソルジャーの衣装を身に着けていた会長さんが教頭先生に微笑みかけます。
「いつもお仕事ご苦労様。君の几帳面さには頭が下がるよ、予定を早めてまで船のチェックに励むなんてさ」
「…い、いや……」
「ぼくが来ると仕事にならないんだって? マザー農場でも噂になってた」
「そ、そんなことは…」
教頭先生は頬を赤らめましたが、会長さんは見なかったふり。
「仕事熱心なキャプテンがいると心強いね。お蔭でぼくものんびりできるし…。それじゃ行こうか。…ハーレイ」
「分かった。…シャングリラ、発進!」
何処へ、とも聞かない内にシャングリラ号は上昇してゆき、大気圏を出て地球がみるみる遠くなります。続いてワープ。緑色に発光する時空間を超えて二十光年離れた宇宙へ。この辺りがシャングリラ号の定位置なのだ、と会長さんが教えてくれました。
「特に意味はないんだけどね、あえて言うなら景色かな。展望室から眺めた時に絵になるんだ。恒星の散らばり具合が星座みたいに見えるんだよ。どうせならお馴染みの夜空に似ている場所がいいだろう?」
連れて行って貰った展望室。ここは前にも来ていますけど、星座には気付きませんでした。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が星を指差して繋いでいきます。
「あっちに見えるのがオリオン座。そのすぐ隣に北斗七星」
「七夕様もあるんだよ! ほら、こっちの星と向こうのヤツで」
なるほど、天の川っぽい星雲なんかもありました。季節感はメチャクチャながらもアルテメシアの夜空によく似ています。天の川は市街地からでは灯りが多くて見えないのですが。
「ね、こういう理由でここが定位置。さてと、この次は何処へ行きたい? 君たちのリクエストで乗った船だよ」
「「「………」」」
シャングリラ号の全体図は頭に入ってますけど、咄嗟には思い付きませんでした。私たちは乗ってみたかっただけで、見学希望ではないのです。宇宙に出られればそれで十分。みんなで顔を見合わせていると…。
「特に無いなら機関部の方へ行ってみようか。ゼルがいるから楽しいよ」
さっさと歩き出す会長さん。ゼル先生といえば昔『パルテノンの夜の帝王』と呼ばれ、今はバイク乗りとして『過激なる爆撃手』の名を持つそうですが…どういう意味で楽しいのでしょう? まあ、ブリッジで教頭先生にちょっかいを出されるよりはマシであろう、と思っておくのが無難でしょうね。

進路相談会で乗り込んだ時には入れなかった機関部の奥。ゼル先生の聖域だという区域へ会長さんは遠慮なくズカズカ踏み込みました。遥か手前に『関係者以外立ち入り禁止』の表示が出ていて、会長さんの前の扉には『立ち入り禁止区域』と警告文が書かれていますが…。
「問題ないよ、入ったら被曝するとかそんな危険はないからさ。ここは機関部の連中の溜まり場なんだ」
会長さんがパネルを操作し、扉が開くと…確かに中はごくごく普通の部屋でした。ちょっとした料理が作れそうなキッチンに居心地の良さそうなソファやテーブル、仮眠用らしきベッドまで。要するに居住空間なのです。キッチンでは今まさにゼル先生が料理の真っ最中で…。
「なんじゃ、ブルー! わしは忙しいんじゃぞ、分かるじゃろうが!」
「うん、分かる。クレープは火加減が命だからね」
「なら黙っとれ!!!」
忙しいんじゃ、とゼル先生はフライパンを4つも並べて一度にクレープを焼いています。学食の隠しメニューで『ゼル特製』と銘打ったカヌレと胡桃のタルトを食べたことがありましたけど、フライパン4つでクレープ作りとは『幻の料理長』と渾名がつくのも当然かと。う~ん、何枚焼くんでしょうか? お皿には既に沢山載っているのに…。
「…さてと。次は冷蔵庫で冷ましてからじゃな」
その前にまずは粗熱を取って、と焼き上げた大量のクレープを団扇で扇ぎ始めたゼル先生。
「で、何の用じゃ? ミルクレープなら食わせてやれんぞ、これは機関部のヤツらのおやつじゃからな」
「別におやつを強請りに来たわけじゃ…。ぶるぅの方が腕は上だし」
「ふんっ! 分かっとるわい、わざわざ嫌味を言いに来たのか?」
ムッとした顔のゼル先生を会長さんは片手で軽く制して。
「違うよ、船霊様の話を聞きに」
「「「フナダマサマ!?」」」
聞き覚えがある言葉に私たちが声を上げると、会長さんが。
「そう、船霊様。…マザー農場でテラズ様の話が出たから思い出したんだ。あそこにテラズ様があったのと同じでシャングリラ号にも船霊様があるかと思ってハーレイに調査をさせたんだけど…。どうなんだい、ゼル」
「………。何を祀ろうとわしの勝手じゃ」
「機関部はゼルの管轄だからね。…でもさ、ハーレイの報告が本当だったら見たいじゃないか、船霊様。センスの悪いお札の代わりに祀ったんだろ? このシャングリラ号のお守りとして」
「……ううむ……」
ゼル先生はクレープの山にラップをかけて冷蔵庫に入れ、椅子に座って腕組みをします。船霊様とは何のことなのか、私たちも思い出しました。新しく船を建造した時、航海の安全を祈って祀る人形やお札。テラズ様はマザー農場の宿泊棟の棟上げで祀られた人形でしたが、このシャングリラ号にも怪しいモノが…?
「…テラズ様の話は聞いておる。わしは自分のファン魂を押し付けたりはしとらんぞ」
「テラズ様は別格だよ。あそこまで行ったらいっそ見事だ。芸術と呼んでもいいかもしれない。でもシャングリラ号の船霊様は芸術品じゃないだろう?」
「御神体じゃ!」
「そうだろうけどモノを確認しておきたい。…そしたら黙って引き下がるからさ」
案内して、と会長さんはゼル先生を促します。ゼル先生が渋っていると紫のマントを翻して…。
「ダメならいいよ、ソルジャーとしての権限でやる。今、乗り組んでいる全員を集めて船霊様の見学会を盛大に開催するまでだ。…ううん、見学会じゃちょっと聞こえが悪いかな。参拝の会ということで集めよう。二礼二拍手、一礼が基本でいいのかい、ゼル?」
「な、な……なんという…。いかん、それだけはいかん! ご、御利益が…せっかくの御利益が…!」
「…御利益だって? 御神体によっては見せたらダメってこともあるけど、君が祀った…」
「わ、分かった、わしが悪かった! 案内するからしゃべらんでくれ」
この奥じゃ、とゼル先生は部屋の隅にある小さな扉を示しました。
「非常用の通路でな…。緊急時にはここからメインエンジンに駆け付けられる。機関部所属の者しか通らん場所じゃし、船霊様にはちょうどいいかと」
扉を開けて会長さんを手招きしているゼル先生。私たちは当然のように留守番だろうと思ったのですが…。
「何してるのさ、みんなおいでよ。ぶるぅも本物を見たいよね?」
「かみお~ん♪」
大喜びですっ飛んで行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ゼル先生の横をすり抜け、通路の奥へと走って行きます。きっと教頭先生の報告を知っていたのでしょう。でも私たちは? まるで無関係の私たちは…?
「いいから、いいから。…ソルジャー・ブルーのお友達だよ? 大抵の無理は通るものさ。そうだよね、ゼル?」
「…うう……」
ゼル先生は諦めたらしく、渋々ながらも頷きました。私たちは会長さんとゼル先生の後に続いて扉の向こうへ。先に入った「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな姿がかなり遠くに…。機関部って本当に広いんですねえ。

シャングリラ号の心臓とも言える機関部の通路を歩いて行くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が立ち止まっていました。
「ねえねえ、あれがそうだよね?」
見上げる先には周囲に全く溶け込んでいない木製の祠。建造当時から百年以上も経っているので黒っぽくなり古びてもいますが、シャングリラ号には不似合いです。全面ガラスの高層ビルの壁面に神棚が据えられていたらこうであろう、といった感じの違和感が…。ゼル先生は祠に深く頭を下げるとパンパンと柏手を打ちました。
「…本当に開けんといかんのか? わしは…どうも気が進まんが…」
「平気、平気。ぼくは修行を積んでるからね、神様への礼も弁えてるさ。でも開けるのはゼルに任せるよ。あ、その前に…一応、これ」
ありあわせだけど、と会長さんが宙に取り出したのは艶やかな緑の枝でした。それを「そるじゃぁ・ぶるぅ」に持たせて、今度は真っ白な和紙と鋏を出すとチョキチョキと…。
「玉串か…」
キース君が会長さんの手元を覗き込み、私たちに解説してくれます。玉串というのは神様にお参りする時の必須アイテムの一つだそうで、榊の枝と紙で作るのだとか。会長さんは切り目を入れた和紙を手際よく折って御幣を作り、さっきの枝に取り付けて…。
「これでよし」
何か作法があるのでしょうか、玉串を恭しく拝んでクルリと時計回りに廻すと祠の下のスペースに置いて柏手に礼。もう一つ同じ玉串を作り、ゼル先生に手渡して…ゼル先生が同じく礼。
「さあ、きちんと礼は尽くしたよ? 開けてもらおうか」
「…………」
ゼル先生が祠の扉をキイッと開いた次の瞬間、固唾を飲んで見守っていた私たちの目は点でした。入っていたのはお札ではなく、もちろんテラズ様でもなくて…真っ黒な色の招き猫。左の前足を上げ、右前足に持った小判に『千客万来』と書かれています。シャングリラ号って…船霊様が招き猫って、この船は客商売の船でしたか…?
「…その…。そのぅ、なんというのか…」
モゴモゴと言い訳を始めるゼル先生。
「若い者は知らんじゃろうが、黒い猫は福猫なんじゃ。魔除けと幸運の象徴じゃな。じゃから、黒い招き猫には魔除け厄除けの意味があってのう…。ついでに言うと左足で招いとる猫は金と違って人を呼ぶ。わしらの仲間が増えることを祈って特注したんじゃ」
「…特注品ねえ…」
呆れた声の会長さん。ゼル先生は肩身が狭そうに真っ白な髭を引っ張りながら。
「本当じゃぞ! これは名工が作った猫じゃ。船霊様と言えば女性と決まっておるから、ちゃんと雌猫になっておる。中に立派な鏡も納めて御神体としてお祀りして…」
「…どうして犬じゃ駄目だったのさ?」
ゼルは犬派だろ、と会長さんが突っ込みます。そういえば会長さんのサイオン中継で見せて貰ったゼル先生の家の庭には大きな犬が二頭も飼われていましたっけ。
「それとこれとは話が別じゃ! 招き猫は縁起物なんじゃ。犬の像では話にならん。…とにかく、船霊様をお祀りしてから百年以上も経っておるのにシャングリラ号は無事故なんじゃし、わしは断じて譲らんぞ!」
撤去反対、と座り込みを始めんばかりのゼル先生。会長さんは苦笑しながら祠の扉をキィッと閉めて…。
「百年も経てば御利益の方も本物だろうさ。テラズ様の例もあるしね、あっちは付喪神になっちゃったけど…。ゼルが責任を持ってお世話するなら招き猫でもぼくは構わない。ただ、センスがいいかと聞かれれば…お札の方がマシだと言わせてもらおうかな」
「じゃが、わしが撤去したお札は交通安全のお札じゃぞ! この船しか飛んでおらんというのに交通安全もクソもあるまい! 魔除け厄除け、これが一番じゃ!」
ゼル先生はパンパンと柏手を打ち、祠に向かって深く頭を下げました。
「こら、お前たちもお参りせんかい! シャングリラ号に乗ったからにはお世話になっておるのじゃからな」
「「「はーい…」」」
何が悲しくて招き猫に…という思いを殺して私たちは会長さんに言われるままに二礼二拍手一礼です。この調子ではゼル先生の家の床の間には金運の招き猫が飾ってあるに違いない、という気がしました。シャングリラ号に招き猫。…余計なことを知っちゃったかも…。

通路を引き返して部屋に戻るとゼル先生は生クリームを泡立て、冷蔵庫からクレープを出してジャムとクリームを塗っては重ねていきます。私たちには食べさせないと言われているのに、会長さんは何故居座っているのでしょう? 第一、もうすぐお昼御飯の時間じゃないかと思うんですけど…。
「ねえ、ゼル」
黙々と作業しているゼル先生に会長さんが声をかけました。
「この子たちは船霊様を見ちゃったんだ。…まさか正体が招き猫とは知らないクルーも多いだろう? 機関部の連中には常識だろうし、口止めもしているんだろうけど……この子たちは? ぼくはソルジャーとして情けないからしゃべらないけど、ジョミーやキースはどうだろうねえ」
「…なんじゃと?」
ゼル先生が振り返ります。
「しゃべらないって保証は無いね、と言ったんだよ。ぶるぅがしゃべっても子供だから信じる者は少ない。でも、この子たちは子供といえども大きめだしさ。…特別生として仲間と触れ合う機会もあるし、口止めした方がいいんじゃないかと」
「…クレープか? やむを得ん、少し待っておれ。機関部のヤツらには別のおやつを作るとしよう」
「ううん、そうじゃなくて。…別の好奇心を満たしてあげれば船霊様のことは忘れるよ、きっと」
「好奇心?」
怪訝そうなゼル先生。私たちも同様でした。あの招き猫を帳消しにするほど気になる何かってありましたっけ? シャングリラ号に来られただけで満足なのに、興味をそそられる対象なんかは全く思い付きません。みんなで首を傾げていると、会長さんがクスッと小さく笑いました。
「ふふ、君たちが知りたいものは自分でもきっと分かってないさ。でもこう言えば分かるかい? …長老だけが持っているもの。ぼくの手作りで限定品。だけどハーレイは持ってない」
「「「…???」」」
ますます意味が分かりません。長老の先生方は謎が多くて全貌が掴めていないのです。ゼル先生が着ているマントつきの衣装が長老のシャングリラ号での制服らしいのは分かりますけど、同じ長老でも教頭先生は船長だからか全くデザインが違ってますし…。ん? 長老だけの限定品で教頭先生は持ってないって……この衣装?
「あ、違う、違う。…なんでそっちの方に行くかな…」
誰もが同じことを考えたらしく、会長さんは衣装ではないと否定しました。
「ぼくも裁縫は出来るけどさ…。ソルジャーが部下の衣装を縫うのかい? デザインっていうなら分かるけどね。…まあ、たまに似たようなことをするから間違うのかな? ハーレイの人魚の尻尾とか」
「「「人魚の尻尾!?」」」
ショッキングピンクの人魚の尻尾。教頭先生が会長さんに着けさせられて写真を撮られた悪趣味な尻尾は会長さんの発案です。特注品だと聞いてましたが、この言い方ではデザインしたのは間違いなく会長さんでしょう。乙女ちっくなヒラヒラ尾びれも、ショッキングピンクという似合わない色も。
「…人魚の尻尾で思い出すことはないのかい? 君たちも撮影会に頑張って協力しただろう。その成果を全部は見ていない…と思うんだけどね、ぼくとしては」
「…成果…?」
鸚鵡返しに言うジョミー君。私も首を捻りました。撮影会で撮った写真はジルナイトとやらで出来た人魚像になり、花祭りで悪戯に使われています。ドクター・ノルディが絡んだ事件もありましたけど、他にも何かあるのでしょうか? 会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は瞬間移動で神出鬼没、どんなことでも出来そうですが…。
「そうか、やっぱり忘れちゃったか」
クスクスクス…と笑いを零し、会長さんはゼル先生に向き直りました。
「ゼル、船霊様を口止めするなら最適のヤツがあるみたいだよ。…持って来てるだろう、人魚姫の本。あれを回覧させればいいのさ」
「「「人魚姫!?」」」
ここに至って私たちはようやく思い出したのでした。花祭りの時に会長さんが長老の先生方に手渡していた包みの中身。特製の人魚姫絵本と聞かされたアレを、ゼル先生がここに持って来ていると…? でも写真集なら会長さんの家で見ましたけれど…まだ何か?

「…わしは根に持つタイプなんじゃ」
ミルクレープを完成させたゼル先生はラップをかけて冷蔵庫に入れ、私たちにはマフィンを配ってくれました。昨日の内に作っておいて持ち込んだものらしいです。
「アルトとrの進路相談会で受けた侮辱は忘れておらん。パルテノンの夜の帝王と呼ばれたわしが……いや、今の言葉は忘れてくれ。とにかく若い頃にはモテたわしがじゃ、まるで注目されんとは…。ブルーがモテるのは当然じゃから許せるんじゃが、ハーレイが注目を浴びたというのが納得できん」
寂しい独身男のくせに、とゼル先生は毒づいています。
「エラとブラウはアルトたちの年頃にはよくある気の迷いじゃと言うんじゃがな…。それにしてもじゃ、ハーレイのヤツめ、わざわざ写真まで渡しおって! 裏側に携帯の番号を書いとったんではないじゃろうな」
「それはないよ。…ハーレイに浮気の度胸は無いし、元々ぼくしか見えていないし」
ぼく一筋の大馬鹿だから、と会長さんが嘲笑するとゼル先生は「違いない」と頷いて。
「まあ、モテるつもりは無かったのかもしれんがのう…。モテ期じゃったのは間違いないんじゃ。それが許せん。あれがきっかけで女性クルーがファンクラブを作ったという噂も聞いた。…自然解散したらしいがのう」
「そりゃそうだよ。元々ぼくのファンクラブのメンバーだったのが流れただけだし、時間が経ったら正気に返るのは常識だろ?」
自信満々の会長さん。…自分も直後は自信喪失していたくせに、今はすっかり元通りです。アルトちゃんたちの寮にも忍んで行っているのでしょう。ゼル先生はそこまで回復していない様子。
「…わしのファンクラブは消滅してから長いからのう…。もっと髪の毛に気を付けておくべきじゃった。精力だけではどうにもこうにも…。いや! いやいやいや、わしは何にも言ってはおらんぞ」
咳払いをして誤魔化してますが、ゼル先生は今もパルテノン辺りで活躍なさってらっしゃるに違いありません。わざとらしい咳をしながらゼル先生が部屋の奥から取ってきたのは紙袋。
「…人魚姫じゃ」
ほれ、とゼル先生は紙袋から淡いピンクの表紙の本を出しました。大きさと厚さは子供向けの絵本にピッタリですけど、この本が…会長さん特製の人魚姫絵本…? 見せてもらった写真集とは別物です。
「わしがこれをシャングリラ号に持ってきたのはな…。ハーレイの目につかん所でコッソリ回して恥をかかせてやるためなんじゃ! まずは機関部の連中からじゃと思っておったが、その前に披露するのも良かろう。いいな、これを見せてやるから船霊様のことは口外無用じゃ」
「「「………」」」
それは甘美な誘惑でした。シャングリラ号の船霊様が黒い招き猫だと知ってしまったことを黙っておくのは簡単です。話したいとも思いませんし、話したかったら私たち七人グループと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の内輪で済ませばいいだけのこと。口止め料なんか要らないのですが、でも…絵本はちょっと見たいかも…。見たら後悔するかもですけど、好奇心をくすぐられるのは確かです。
「こんなチャンスは二度とはないよ」
会長さんが囁きました。
「この本は本当に限定品で逸品なんだ。ぼくもぶるぅも持ってない。時間が無かったからではなくて、気持ち悪いモノを家に置きたくなかったからね。ブラウとエラとヒルマンも同じ本を持ってはいるけど、特別生に見せてくれるかどうか…。次のチャンスがあったとしても五十年くらい先じゃないかな」
五十年!!! 今、目の前に出された絵本に次に会えるのは五十年先。もしかしたらそれまでに処分されちゃって見られないかもしれません。私たちはゴクリと生唾を飲み、ゼル先生はそれを見逃したりはしませんでした。

褐色の肌とショッキングピンクの尻尾を持った人魚姫のロマンティックな恋と冒険のドキドキ絵本。正確には背景などを合成して作られた写真に文章が添えられた代物でしたが、爆笑した挙句に涙が出るほど笑い転げて転がって…。会長さんのセンスに感嘆しながら私たちはゼル先生に何度もお礼を言いました。
「いやいや、わしもスカッとしたわい! これに比べたら招き猫なぞ屁でもなかろう?」
「そうですね…。こんな絵本になっていたなんて夢にも思いませんでした」
シロエ君がゼル先生とガッチリと握手しています。いつぞやの爆弾解体以来、シロエ君はゼル先生に可愛がられているのでした。私たちは船霊様を目撃したことを誰にも話さないと誓い、ゼル先生の聖域を後に機関部の外へ。
「…ね、ゼルの所に行って良かっただろう? 楽しいよって予告したよね」
会長さんは得意そうです。船霊様を見せたかったのか、人魚姫絵本が目当てだったのかは謎ですけれど、面白かったのは確かでした。船霊様はともかく、ゼル先生があんな絵本を持ちこんだからには、教頭先生には受難の旅になりそうです。まあ、本人が気付かないなら問題ないかもしれませんけど。
「ハーレイはおめでたいから気が付かないよ、あれを回覧されていてもね。流石にブリッジで読もうって人はいないし、陰でコッソリ回っていくのさ。…ぼくも作った甲斐があった」
ここまで尾を引く事件になるとは全然思ってなかったけれど、と言っている割に罪の意識は無さそうです。それから私たちは食堂に行って昼食を食べ、午後は公園や家畜飼育部、農場なんかを遊び回って、サイオンキャノンもちょっと撃たせてもらったり。シャングリラ号に来て良かったな、と誰もが笑顔全開です。
「…でね、明日はぼくたちが摘んできたヨモギで草餅を作ろうと思うんだ」
全員参加の餅つき大会、と会長さんがニコニコ顔で口にしたのは夕食に行った食堂でした。
「みんなにはちゃんと知らせてあるし、楽しみにしている人も多いようだよ。どうせだからパーッと派手にやっちゃいたいよね、景品なんかもつけたりしてさ」
「「「景品?」」」
「そう、景品。一等賞は何がいいかな…」
シャングリラ号の中で用意出来る物でスペシャルな物、と会長さんの瞳が輝いています。まさかゼル先生から例の絵本を巻き上げてきて景品に……なんて極悪なことはしないでしょうが、絶対ないとは言い切れません。そうでなくても食堂のあちこちでヒソヒソ話をしている人が…。その人たちの視線は決まってブリッジの方角に向いてるのです。どうか景品が普通の品物でありますように、と私たちは心から祈りました。…でも、あの絵本、凄かったな…。




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春、真っ盛り。もうすぐ大型連休です。シャングリラ学園もお休みになりますし、今年は何処で遊ぼうか…と放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は賑やかでした。ドリームワールドもいいですけれど、混雑するに決まっています。もちろん電車も込み合っていることでしょう。
「あーあ、穴場ってないのかなぁ?」
悩んじゃうよ、とジョミー君。さっきから案はあれこれ出ていますけど、どれも決め手に欠けています。
「人の少ない所かい?」
会長さんがテーブルのお皿に手を伸ばしながら尋ねました。今日のおやつは様々な味のブッセの取り合わせ。アーモンドクリームにバタークリーム、ハスカップなんていう変わり種まで混ざっていたり…。
「うん、混んでいたんじゃ遊べないしね。行列もパス」
それで近い場所なら最高、とジョミー君は無理難題を並べ立てます。いくら会長さんが物知りであっても、こればっかりは難しいんじゃあ…?
「…人が少なくて行列もパスで、アルテメシアから近い場所…ね。心当たりがないこともないよ」
「えっ、ホント? そこって楽しい?」
「楽しいんじゃないかな、趣味と実益を兼ねてるし…。申し込んであげようか?」
携帯を取り出した会長さんですが、申し込みって…何でしょう? 予約が必要な所なのかな? ジョミー君もそれが気になったようで…。
「ちょっと待ってよ。それってどこ? ホテルか何か?」
「宿泊施設みたいなものさ。今ならもれなく写経と座禅体験がついてくる」
ぶるぅも入れて九人で、と通話ボタンを押しかけた会長さんを遮ったのはジョミー君の絶叫でした。
「嫌だ! やめてよ、なんで修行なんか!!!」
「いい機会だと思うんだけどね? 璃慕恩院の修行体験には去年の夏に参加したけど、恵須出井寺は初めてだろう? 璃慕恩院と違って座禅が出来るし、将来に向けて違う宗派も齧っておいたら勉強になるよ。キースにも参考になると思うし」
「恵須出井寺か…。確かに俺も興味はあるな」
いいかもしれん、とキース君。ジョミー君は真っ青です。
「なんでキースまで行きたがるのさ! ぼくは絶対反対だからね! サムもそうだろ?」
「俺? 俺はブルーが一緒だったら何処でもいいし、修行も別に嫌いじゃないけど? 今朝も阿弥陀様を拝んできたし」
ブルーの家で、と相好を崩すサム君の仏弟子修行は順調でした。会長さんから剃髪禁止と言われているのでサム君は坊主頭の危機とは無縁。それだけに出家コースもまるで抵抗がないのです。この調子では私たち全員、恵須出井寺で修行でしょうか? ああ、ジョミー君さえ余計なことを言い出さなければこんなことには…。
「いくら穴場でも修行は嫌だよ! ブルーが修行したお寺なんだろ? あの厳しいって評判の!」
「覚えていてくれて嬉しいよ、ジョミー。大丈夫、素人さん向けの宿泊体験講座だからさ、そんなに厳しいことはないから」
「だからお寺は嫌だってば! お坊さんになんかなりたくもないし、巻き込まれるのはもう嫌だ!」
「そうかな? 坊主頭に見せかける訓練だってしているだろう。君は未来の高僧なんだよ」
一歩も譲らない会長さんにジョミー君はどんどん追い詰められて…。
「分かったよ、行けばいいんだろ! でもその講座、子供向けってわけじゃないよね? 大人の人が多いんだよね?」
「多いというより大人が殆ど。この時期、子供はいないと思う。子供向けのコースが夏にあるから」
夏休みの自然観察を兼ねて、と会長さんは答えました。恵須出井寺はアルテメシア郊外に聳える山の上。自然が豊かに残っているのでバードウォッチングなどに人気です。子供向けコースはそういう立地条件を生かしたもので、林間学校に使われることもあるのだとか。
「やっぱり子供はいないんだ…」
ジョミー君がボソリと呟き、それからキッと顔を上げて。
「行くよ、行くから大人の付き添いをつけて! 教頭先生が引率で来てくれるんなら参加する!」
「「「教頭先生!?」」」
なんですか、その条件は? 柔道部三人組の誰かが言い出したんなら気にしませんが、ジョミー君って教頭先生を特に尊敬してましたっけ? ゼル先生やヒルマン先生の方がお年を召した外見だけにお寺にも押しが利きそうです。単に付き添いが欲しいだけならグレイブ先生でも構わないんじゃあ…?

奇妙な条件を出したジョミー君は探るような目で会長さんを見ていました。会長さんの方は複雑そうです。
「ダメかな、ブルー? 教頭先生が付き添いなのは?」
色々やらかしてきたもんねえ、と今までの悪戯を指折り数えるジョミー君。
「教頭先生は絶対に断ってくる筈なんだ。ぼくたちを連れて悪戯されに出かけるなんて、絶対嫌に決まってるもの」
なるほど。ジョミー君、今日は冴えてます。窮地に立たされたせいで脳味噌がフルに回転したのでしょうか? 教頭先生を指名したのにはそんな理由が…。
「甘いんじゃないか?」
水を差したのはキース君でした。
「どっちかと言えばその逆だ。ブルーと一緒に堂々と出掛けられるんだぞ? しかも泊まりで。むしろ嬉々としてついてくるんじゃないかと思うが」
「ぼくもそっちの方だと思うよ」
ハーレイだもの、と艶やかに微笑む会長さん。
「しかもジョミーの指名となれば喜ぶだろうね、自分の理解者が出来たと派手に勘違いして。…でも……困ったな。ジョミー、本当にハーレイでなきゃダメなのかい?」
「……えっと……」
せっかくの名案が裏目に出たのでジョミー君は元気がありません。どう転んでも修行体験に行くしかないとなっては仕方ないかもしれませんけど。
「…ジョミー?」
重ねて尋ねる会長さん。
「ハーレイでなきゃダメって言うなら、残念だけど今回は…」
「修行なんだろ、分かってるよ! え? 残念って…?」
怪訝そうなジョミー君に、会長さんは大きな溜息を一つ吐き出して。
「ハーレイは都合がつかないんだよ。せっかくのチャンスだったのに…。まあいいや、修行体験講座はいつでもあるしね」
「「「え…?」」」
会長さんが引き下がるとは誰も思っていませんでした。予想外の展開です。座禅つき宿泊講座から逃げられたのは嬉しいですけど、会長さんの頼みなら二つ返事で承諾しそうな教頭先生が今回は話を受けないだなんて…俄かには信じられません。都合が悪くても不義理をしても、それこそ地球の裏側からでも飛んできそうな気がするんですが…。
「…地球の裏側くらいだったら都合もつくってものなんだけど」
今回ばかりは流石に無理だ、と会長さんは悔しげです。
「地球の裏側って…」
もしかして、と声を上げたのはシロエ君。
「シャングリラ号で宇宙ですか? 教頭先生、長期出張なさるんですか?」
「当たりだよ。長期出張とまではいかないけどさ、二泊三日で船内視察みたいなものかな」
ぼくはのんびり留守番だけど、と会長さんは呑気そう。ソルジャーの肩書きは本当に飾りらしいです。大勢のクルーが乗っているのに教頭先生に任せっきりとは、いい御身分と言うべきでしょうか。別の世界から遊びにやって来るソルジャーの方は文字通り戦士として身体を張って生きているのに…。
「いいんだよ、ブルーはブルー、ぼくはぼく。それはブルーもそう言っている。ぼくを羨んだりはしないってね。とにかくハーレイは出張だから修行体験はまた今度。…他に穴場といえば何処かなあ…」
記憶を検索している会長さんにジョミー君が。
「…シャングリラ号には乗れないの? 教頭先生が行くんだったら、ついでに乗せてもらえないかな」
「「「シャングリラ号!?」」」
一度だけ乗った白い巨大な宇宙船。春休みにアルトちゃんとrちゃんを乗せて飛んで行くのを見送ったのが最後です。私たちも乗せてほしいと頼んだのですが、進路相談会の時には正規のクルーしか乗せないからと断られました。そのシャングリラ号に乗りたいだなんて、難しいのではないでしょうか。…乗れるものなら乗りたいですけど。
「…乗りたいのかい?」
会長さんの問いに私たちは即座に頷きました。
「そうか、君たちがシャングリラ号に…ね。いいよ、話を通しておこう」
「「「え!?」」」
そんなに簡単にオッケーしちゃっていいんですか!? けれど会長さんは「任せといて」と微笑んで。
「ぼくはこれでもソルジャーだよ? シャングリラに乗れば大歓迎を受ける立場だ。そのソルジャーと御友人の御一行様が歓迎されないわけがない。よし、今度の連休はシャングリラ号で二泊三日の旅に出ようか」
「やったあ!」
ジョミー君が拳を突き上げてはしゃいでいます。座禅と写経の修行体験が転じてシャングリラ号での宇宙の旅に。これは楽しくなりそうですし、ジョミー君に感謝しなくちゃ!

シャングリラ号への乗船許可は次の日にはもう出ていました。船長である教頭先生の耳にも入ったことでしょう。会長さんが乗船中に悪戯しなければいいんですけど…。いつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でキャラメルタルトを食べつつ、話題は自然とシャングリラ号に。
「…前から疑問に思ってたんだが…」
切り出したのはキース君です。
「あの船はどうやって造ったんだ? 資金源はもう分かったが、建造場所とか」
「無人島で造ってた。人工衛星どころか飛行船だって無かった頃だし、空からは絶対発見されない。海の方は常に見張りを置いて、近づいてきそうな船があったらサイオニック・ドリームで即、撃退」
幽霊船の噂が立っちゃったけど、と会長さんは笑いました。
「おかげで近づく船がなくなってくれて助かった。建造するのに普通の人の手を借りたことは話しただろう? みんな記憶を消しちゃったから、覚えてる人はいないんだけどね。でも手間賃は払ったよ? 記憶を書き換えて出稼ぎで得た給料だと信じ込ませたんだ。あの時代はそういう人が多かったから」
「植民地とかの時代ですしね」
分かります、とマツカ君。その時代なら人手集めも簡単だったことでしょう。腕のいい職人さんとかも今よりずっと多そうですし。
「…建造場所はそれでいいとして、技術の方は? 造り手の腕の問題じゃなくて、ワープも可能な宇宙船なんか誰がどうやって設計したんだ? こないだの…確かジルナイトと言ったな、あれがサイオンをよく通すとか、そういう研究は誰が何処で…?」
キース君が繰り出した質問に私たちは息を飲みました。シャングリラ号の性能に感心こそすれ、それを生み出した人が誰なのかまでは考えたことがなかったからです。…飛行船も無かった時代に空どころか宇宙へ飛び出せる船、時空間までも飛び越える船を考案したのは誰なんでしょう? 博識なヒルマン先生でしょうか?
「…シャングリラ号はぼくの船だよ」
「「「???」」」
会長さんの答えは答えになっていませんでした。シャングリラ号の持ち主はソルジャーである会長さんかもしれませんけど、私たちが今知りたいのは持ち主ではなく設計者です。
「ぼくの船だって言っただろう? 設計したのはぼくなんだ」
「「「えぇっ!?」」」
私たちの声は裏返っていたと思います。会長さんがあのシャングリラ号を…? 三百年以上も生きた高僧だとしか聞いてませんが、まさかの理系だったとは…。シロエ君などは口をパクパクさせていました。メカいじりが趣味なシロエ君だけにレベルの違いに度肝を抜かれているのでしょう。会長さんはクスクスと笑い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でて。
「ね、ぶるぅでも描けるよね? シャングリラ号の設計図」
「ん~と…。どこの? ブリッジ? それとも機関部?」
「「「ぶるぅ!?」」」
負けた…とシロエ君がテーブルに突っ伏し、キース君は唖然呆然。私たちは驚愕するばかりですが「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔で。
「みんなも描けるようになると思うよ、ブルーに習えば簡単だもん! 長老のみんなも描けるしね」
え? ええっ? それっていったいどういう意味…? 頭の中が混乱してきた私たちに会長さんがパチンとウインクしました。
「サイオンだよ。…今はまだ教えられないけれど、いつか必要になったら教える。サイオンは一瞬の内に情報を伝えられるだろう? その要領で主だった人にはシャングリラ号の構造を全部教えてあるんだ。万一の時に備えて…ね」
「…それじゃやっぱりシャングリラ号の設計者は…」
シロエ君の問いに会長さんは静かに頷いて。
「ぼくだ。船体も機関部もワープ・ドライブも…君たちが乗ったシャトルも含めた全てをぼくが設計した」
「「「………」」」
誰も言葉が出ませんでした。悪戯ばかりの会長さんがそんなに凄い人だったなんて…。ソルジャーと呼ばれ、仲間の人たちが尊敬するのも当然です。
「…でもね…」
沈黙を破ったのは会長さんの少し憂いを帯びた声。
「本当はぼくじゃないと思うよ。前からそういう気はしてたけど、ブルーに会って…ブルーの世界のシャングリラに行って確信した。ぼくはシャングリラ号を一から設計したんじゃなくて、設計図を丸ごと拝借したんだ」
「えっ…。どういう意味ですか?」
目を丸くするシロエ君。会長さんは唇に微かな笑みを浮かべて…。
「ぼくは宇宙に飛び出せる船が欲しかった。それは本当。もしも化け物扱いされたら地上には住める場所が無い。逃げるなら空だ、と思ったんだ。空よりも彼方へ逃げ出せるならもっといい…と。でも方法が分からなかった。どうすればいいのか悩んでいた時、シャングリラ号が頭に浮かんだ」
白くて優美な船だったのだ、と会長さんは語りました。
「シャングリラ学園の紋章がついた綺麗な船でね、それが宇宙を飛んでいたんだ。この船が欲しい、と強く願った。これさえあれば宇宙に行ける…と。そしたら設計図とかが頭の中に広がって…それに従って建造したのがシャングリラ号さ。ぼくが見たのはきっとブルーの世界のシャングリラ。設計図はブルーがくれたんだろう」
本人に自覚は無かったけどね、と視線を宙に向ける会長さん。ソルジャーが私たちの世界を時々覗き見しているように、会長さんにもソルジャーの世界が見えるのでしょう。すぐに目をそらしてしまいましたし、きっと辛い現実を見たのでしょうが…。

シャングリラ号の設計図の出どころが何処であっても設計したのは会長さん。この世界ではそうなのですし、ソルジャーの世界の存在を知っている人もごく僅かです。いえ、会長さんが設計図を描いた頃には別の世界にシャングリラ号が存在するとは会長さん本人も知らなかったわけで…。
「よく造る気になったもんだな…。動くかどうかも分からない船を」
キース君が言うと、会長さんは。
「細かい部分まで全部まとめて設計図を貰っていたからね。…最初はシャトルを造ってみたんだ。これが見事に飛んだお蔭でシャングリラ本体に取りかかれた。ワープ・ドライブとかの仕組みについてはゼルやヒルマンと何度も検討を重ねたよ。実際に使えるかどうか、危険はないか…。ステルス・デバイスも全て含めて」
「その設計図をあっちのブルーがくれたってわけか」
「多分。…でもブルーに訊いても首を傾げるばかりでさ。教えた覚えは無いって言うけど、細かい部分までそっくりだから…偶然世界が繋がったんじゃないかと思うんだ。あっちのぶるぅが掛軸の中から飛び出してきた時みたいに」
「ああ、あれな…」
世話をかけた、と頭を下げるキース君。異次元に繋がる扉が隠されていた『月下仙境』の掛軸は今も元老寺にあるのだそうです。封印したから大丈夫だと持ち込んだ人に言っても引き取って貰えなかったのだとか。
「あんた、引き取る気はないか? ブルーとの出会いの掛軸だぜ」
「う~ん…。あんまり部屋に似合わないしね…」
「そうだろうとは思ったが…。気が変わったら言ってくれ」
蔵で大切に保管しておく、とキース君は大真面目でした。虫干しもするとか言ってますけど、会長さんがあの掛軸を引き取る日なんて来るのでしょうか? 骨董に興味は無さそうですし、これがホントのお蔵入り…? シャングリラ号の設計図がお蔵入りしなくて良かったです。会長さんに人望が無ければシャトルすらも造れなかったでしょうし。
「ふふ、これでも一応ソルジャーだしね? ブルーには敵わないけどさ。で、シャングリラ号に乗る時だけど、お土産を持っていかないかい?」
「「「お土産?」」」
「うん、手土産。ほら、こどもの日が近いだろう? 端午の節句だし柏餅とか粽とか」
「かみお~ん♪ 美味しいお店、知ってるよ! ぼくが作ってもいいし、買ってもいいよね」
作りたての方がいいのかなぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が悩み出します。シャングリラのクルーって何人いるんでしたっけ? 買っていった方が楽なのでは…。
「もちろん買うさ、柏餅と粽はね。ぶるぅ一人で全員分を作るとなったら大変だ。その他に心のこもった一品があればいいな、と思って言ってみた。…草餅なんかどうだろう?」
「えっ? 草餅も手間がかかると思うけど…」
大変なのよ、とスウェナちゃん。会長さんは「分かってるさ」と頷いて。
「手土産にするのは新鮮なヨモギ。他の材料はシャングリラ号の中で調達できるし、乗り込む時に運んでもいい。臼と杵も揃っているから餅つき大会にしようかなって」
「あの船、臼まで乗っかってるのか?」
ビックリだぜ、とサム君が言うと会長さんはニッコリ微笑んで。
「色々と娯楽は必要だから、お正月前には餅つき大会。餅つき機では楽しくないし、公園で賑やかに餅をつくのさ。草餅はきっと喜ばれるよ、ヨモギは船内で栽培してはいないからね。シャングリラ号に乗る前の日にみんなでヨモギを摘みに行こうか、マザー農場へ」
あそこは間違いなく無農薬だ、と会長さん。ヨモギはあちこちに生えてますけど、言われてみれば農薬が…。マザー農場なら安心です。シャングリラ号へはヨモギを持ってお出かけということに決まりました。

シャングリラ号に乗るのは5月2日。その前日に私たちはマザー農場にお邪魔し、ヨモギをたっぷり摘ませて貰って昼食は仲間が集まる管理棟の食堂へ。去年の秋、収穫祭のお手伝いという名目で滞在したのは宿泊用の建物でしたが、今日は一般の人も泊まっているので管理棟です。えっ、平日なのに学校は…って? 特別生は出席日数を問われませんから平気ですってば。
「いらっしゃい。久しぶりですね」
外見は初老の農場長さんが迎えてくれます。管理棟の職員さんたちは平均年齢二百歳以上。会長さんをソルジャーと呼ばず、普通にブルーと呼べるくらいに年季が入った仲間でした。
「今日はヨモギ摘みにお越しだそうで…。ああ、ずいぶん沢山採れましたね。シャングリラ号にお持ちになるとか」
「うん、草餅を作ろうと思ってさ。柏餅と粽も持って行くんだ」
「皆が喜びますでしょう。で、シャングリラ号はもう地球ですか?」
「衛星軌道を回ってる。ハーレイは一足先に出発したよ」
予定では明日からだったのにね、と会長さんは窓の外の空を見上げました。
「ああいうのを仕事の虫って言うのかな。ぼくたちと同じシャトルで行けばいいのに、何を急いでいるんだか…」
「きっと気が散るからですよ。ブルーのことが気になって」
農場長さんの言葉に職員さんたちが頷いています。教頭先生が会長さんにベタ惚れなこと、ここでもバレているのでしょうか? カレーライスを食べる手が止まってしまった私たちに向かって会長さんが。
「ハーレイがぼくに惚れてることなら大抵の仲間は知ってるよ。お酒が入るとすぐに言うしね」
「そうなんですよ」
この間も…と職員さんの一人が笑いながら。
「元クルーの飲み会がありましてね。うちからも何人か行ったんですけど、やっぱりブルーを嫁に欲しいと何度も話しておられまして…」
「あーあ、すぐに調子に乗るんだから。そのくせ全く甲斐性がない。プロポーズなんて千年早いよ」
みっともないね、と会長さん。
「ぼくと一緒に船に乗ったら仕事がまともに出来ないって? そんなのでぼくと結婚したら仕事どころじゃなくなるだろうに…。それとも結婚退職かな? 船長が寿退職だなんて、後世に残るお笑い種だ」
「…そういえば…」
飲み会に参加したという職員さんが人差し指を顎に当てました。
「抱き枕がどうとか仰っておられましたっけ。ああいうのはオーダーできるのか、とか」
「…抱き枕?」
不審そうな目の会長さん。職員さんは別の職員さんたちも交えて記憶を辿り、一所懸命に手繰り寄せて。
「思い出しました、抱き枕ですよ! オーダー出来る筈だと答えた誰かがおりまして…。そしたら写真を元に作れるのかどうか、と色々尋ねておられました。ブルーの写真で抱き枕を作るつもりでおいでじゃないかと」
「「「………」」」
抱き枕といえば癒しグッズ。それを会長さんの写真を元に作ろうだなんて、教頭先生ならやりかねないな…と溜息をつく私たち。会長さんは無言で何か考えているようでしたが…。
「ありがとう、大いに参考になった。その抱き枕、発注も出来てないけどね」
「「「えっ?」」」
そんなことまで分かるのですか、と農場長さんが驚いています。
「簡単さ。ハーレイの家に残った思念を読み取った。買おうか買うまいか、散々迷って悩んでいるよ。一杯ひっかけて酔った勢いで発注しちゃえばいいのにさ。…妙な所で生真面目なんだよ、ハーレイは」
「だからこそのキャプテンなのでは?」
「そうとも言うね。…御馳走様、今日のカレーも美味しかった」
椅子を引いて立ち上がる会長さんの胸中は読めませんでした。食事の後は農場長さんとシャングリラ号に積み込む野菜などのリストをチェックし、ソルジャーらしく淡々と仕事をこなしています。私たちは職員さんたちとテラズ様の思い出話に花を咲かせて大笑い。
「あらあら、ジョミー君はてっきりお坊さんになったと思ってたのに…。まだだったのね?」
「ぼく、絶対になりませんから! あれはブルーの罠だったんです!」
「そう言うな、ジョミー。俺には御仏縁だと思えたぞ。お前は絶対出家すべきだ」
応援するぞ、とキース君が言い、サム君が笑顔でジョミー君の肩を叩いて…。
「嫌だぁぁーっ!!!」
ジョミー君が絶叫した時、会長さんがやって来ました。
「賑やかだねえ…。騒がしいと思っていたらテラズ様の話なんだ? せっかくだから少し拝んでいこうか。お十念でいいだろう。キース、サム」
会長さんの一声でサッと二人が両手を合わせ、会長さんと声を揃えて朗々とお念仏を唱え始めます。一回、二回…。
「「「…南無阿弥陀仏」」」
十回目のお念仏を唱え終わると三人はテラズ様が納められている宿泊棟の屋根裏に向かって深々と頭を下げました。ジョミー君はツンと顔を背けて知らんぷり。そりゃあ…この三人に巻き込まれたら仏弟子街道まっしぐらですが。
「ふくれていないで帰るよ、ジョミー。ヨモギはシャトルに運んでもらえるように手配したから」
明日はぼくのマンションの前に集合、と会長さんが微笑んでいます。農場のマイクロバスに乗せて貰って帰る道中、車内はとても和やかでした。いよいよシャングリラ号で宇宙の旅へ。…抱き枕の件がちょっと気になりますけど……いいえ、かなり気になりますけど、これって多分気のせいですよね…?




会長さんの追跡を振り切ってエロドクターの写真を撮りに出掛けたソルジャー。翌日の放課後、私たちは戦々恐々として「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入りました。会長さんがショックを受けて沈没していなければいいんですけど…。ソルジャーが単独行動を取った場合はロクな結果になりませんから。
「かみお~ん♪ 今日のおやつは桜のシフォンケーキだよ!」
マザー農場で生みたて卵を貰ったから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔です。そういえばソルジャーが朝食にホットケーキをリクエストしてて、そのために卵を貰いに行くとか聞きましたっけ。この様子では昨夜は何事もなかった…のかな?
「…なかったんだと思いたいね」
ソファに座っていた会長さんがフウと吐息をつきました。
「ぼくは結局、ブルーの行動を把握することが出来なかった。夜遅くにフラッと帰ってくるなり、おやつを寄越せと言い出して……ぶるぅがフルーツサンドを作ったんだ。そしたらお皿を持ってプリンターのある部屋に籠っちゃってさ。出て来た時にはカメラのデータは消されていたし、プリントアウトされた写真も見てない」
「じゃあ、写真は…?」
恐る恐る尋ねたジョミー君に、会長さんは。
「撮って来たらしいよ。見てみるかい、と言われたけれど…ノルディの写真なんか見たくもないし」
白衣かスーツ姿ならともかく、と会長さんは仏頂面です。ドクターの手足をサイオンで呪縛できる人形を作るためには素肌の露出が必要不可欠。腕と足をむき出しにしたドクターの写真なんて会長さんが見たくないのは無理ありません。
「…自己顕示欲丸出しの写真なんだと思うんだよね」
会長さんは嫌悪感に溢れた顔で言いました。
「ノルディはジムで鍛えてるから身体に自信を持っている。手足の写真を撮らせて欲しい、なんて言われたら大喜びでポーズをとるよ。…どんな人形が出来上がるのか知らないけれど、呪縛はキースに任せようかな」
「俺!?」
驚いて自分を指差すキース君。
「そう。君が適任じゃないかと思って…。今後はともかく、健康診断の結果を聞きに行く時はボディーガードに委ねておくのが一番だ。ぼくが不埒な真似をされそうになったら、即、呪縛」
「ちょっ……ちょっと待て! 俺のサイオンはまだ不安定だぞ? 坊主頭のサイオニック・ドリームも十分にキープしきれない状態なのに、そんな高度な…」
「大丈夫。花祭りの時と同じだよ。ぼくがサイオンで仕掛けをするから、君はノルディの像を押さえればいい。手とか足とかをギュッと掴むだけで効果を発揮できると思う」
それでダメなら殴るだけだ、と会長さん。
「像を殴れば確実にダメージを与えられる。気絶するか、激しい痛みで座り込むか…。それとも藁人形風の方がいい? 痛覚とシンクロさせて針でつつけば大ダメージっていう仕掛けを施しておくのがいいかな?」
「い、いや…。普通でいい! とにかく押さえればいいんだな? 分かった、なんとかやってみよう。人形を上手く使えなかったら俺が自力で投げ飛ばすだけだ。それだけの覚悟は出来ている」
キース君は決意を固めたようです。ソルジャーがどんな人形を作ってくるのか謎ですけども、効果抜群な人形だったらエロドクターの脅威が減るかも…?

それから平凡な日々が流れてアッという間に水曜日。会長さんが診断結果を聞きに行く日です。授業を終えた私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集まり、腹ごしらえと称してお好み焼きを食べ始めました。そこへユラリと空気が揺れて…。
「こんにちは」
紫のマントを翻してソルジャーが優雅に近付いてきます。
「今日はお好み焼きなんだ? ぼくは海老入りのヤツがいいな」
「かみお~ん♪ 海老入りだね!」
早速焼き始める「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソファに腰を下ろしたソルジャーの手には四角い箱がありました。大きさからして中身はきっとドクターの…。ゴクリと唾を飲み込む私たちをソルジャーの赤い瞳が見渡して。
「…うん、ノルディの人形が入ってる。でも……。ごめん、ブルー」
「「「えっ?」」」
ソルジャーの謝罪なんて耳にしたのは初めてでした。すまなそうに頭を下げるソルジャーの顔は真面目そのもの。いったい何を謝ることが…? 少し間を置いて会長さんが。
「…ごめんって……何さ?」
「だから、ごめん。…ノルディの人形、作ってあげるって言ったよね。だけど失敗しちゃったんだ。人形はここに持って来たけど…」
箱をテーブルに乗せるソルジャー。
「この人形、全然効果が無いんだよ。君に教わったとおりにしたのにダメだった。やっぱり修行を積んでいないと無理ってことかな…」
「効果って…。試したのかい? ぼくに無断で?」
会長さんの問いにソルジャーは謝罪の言葉を重ねてから。
「だって気になってしまうじゃないか。上手く出来たのかどうなのか…って。ごめん、期待させといて失敗だなんて」
「いいよ、あったらいいなと思っただけの人形だしね。でもいつの間に実験したのさ? こっちに来たなら寄ってくれればよかったのに。ぶるぅはお客様が大好きだから。ねえ、ぶるぅ?」
「うん! ぼくも遊びに来てほしかったな、ぶるぅと一緒に」
「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ。…でも実験はこっちの世界でやったんじゃない。ぼくの世界で試してみたんだ」
見事に失敗しちゃったけどね、と箱を眺めるソルジャーに向かって会長さんが。
「君の世界って…。まさかそっちのノルディを使って実験を?」
「そう。仕事の虫で澄ました顔をしているけども、実はスキモノだったりして…と気になっていたものだから…。こっちのノルディは淫乱だしさ。だけど全く効果なし」
「「「………」」」
ソルジャーが何をやらかしたのか、知りたいとも思いませんでした。けれど会長さんは立ち直りも早く、ソルジャーの前から箱を素早く引っ手繰って。
「キース、ノルディの人形は君に預ける。さあ、これを…」
箱の蓋を取った会長さんがそのままの姿勢で凍り付いてしまい、クスクスクス…とソルジャーの笑いが零れます。
「失敗作でも良しとしておくよ、君にはウケたようだしね。ぼくの力作、いい出来だろう?」
青いサイオンの光に包まれたドクターの像が箱の中からフワリと出てきてテーブルの上に鎮座しました。教頭先生の人魚像と同じくらいの縮小サイズみたいですけど、会長さんが読んだ通りに自信満々のポージング。しかも一糸纏わぬ姿だなんて、会長さんが硬直するのも当然と言えば当然かも…。
「ふふ、ぼくが写真を撮りに行ったらノルディが自分で言ったんだ。どうせ比較するなら全身くまなく比べませんか…って。ポーズも自分でとってくれたし、有難く沢山写真を撮らせて貰ったわけ。…この後かい? もちろんベッドに誘われたからサービスしようかと思ったけれど…。ぼくがサービスされちゃった」
「「「サービス!?」」」
エロドクターのサービスだなんて想像したくもありません。会長さんの動揺は激しく、ソルジャーがクッと喉を鳴らして。
「そうか、失敗作じゃなかったのか…。この人形は使えるんだ? こっちのノルディ限定で」
「―――!!!」
会長さんが息を飲み、掠れた声で。
「…ど、どうしてそれを…」
「君が仰天している間に遮蔽が弱くなってたからね、ちょっと心を読ませて貰った。キースに預けるって言った辺りでどうも怪しいと思ったんだ。…この人形はモデルになった人間にしか効かないんだね。姿形が瓜二つでも、ぼくの世界のノルディじゃダメだというわけか」
「…………」
「せっかく仕組みが分かったんだ。キースに預けておくのは惜しい。この人形はぼくが使うよ、今日だけね。次からは君の好きにするといい」
言い終えるなりソルジャーの手の中にドクターの像が瞬間移動で出現しました。
「それじゃノルディの所に行こうか。そろそろ時間なんだろう? 心配しなくても君の身は守るさ、そのために作った人形だから」
ほら早く、と像を手にしたまま会長さんの制服にサイオンでパッと着替えるソルジャー。壁の時計は確かに約束の時間に近付いています。私たちは冷めかけていたお好み焼きを大急ぎで食べ、みんなで校門へ向かいました。タクシーに分乗して行先はドクターの自宅に接した診療所。ソルジャーがドクターの人形を手にしているのは吉と出るのか、それとも大凶…?

診療所には今日もドクターだけしかいませんでした。ドクターはソルジャーを目ざとく見つけて両手を広げ、「先日はどうも」と嬉しそうな笑み。
「如何でしたか? あなたの世界のノルディとの違いは見つかりましたか?」
「そうだねえ…。なにしろ脱いでくれないからね、入浴中に盗み見するしかないものだから……まだなんとも」
「同じ私とも思えませんね。無粋な男だ。あなたに誘われて脱がない男などいないでしょうに」
呆れたものです、と首を振るドクターとソルジャーの間に何があったのかは聞くだけ野暮というものでしょう。しかもソルジャーは例の人形を何処かに隠してしまったらしく、ドクターは何も気付いていません。ドクターが次に矛先を向けたのは勿論会長さんでした。
「ブルー、先日の健康診断の結果ですが…。どうぞ診察室へお越し下さい。よろしければお一人で」
「お断りだよ。今日も全員、付き添いなんだ」
年寄りには付き添いが要るからね、と私たちをお供に診察室に入る会長さん。ドクターは会長さんを椅子に座らせ、あれこれ結果を説明してから…。
「残念ながら今回も異常はありませんでした。また一年間あなたを診察できないと思うと寂しいですよ。…あなたは虚弱体質ですから、もっと頻繁に来て下さってもよろしいのに…」
「ごめんだね。君に診察されるよりかは家で寝ている方がマシ。ぶるぅにお粥を作ってもらって静養するさ」
プイと顔を背ける会長さんに、ドクターがハタと思い出したように。
「静養といえば、小耳に挟んだのですが…。全身エステに凝ってらっしゃるというのは本当ですか?」
「へえ…。地獄耳とは知らなかったな。あれはホントに気持ちがいいよ。生き返ったような気分になれる」
会長さんは今も機会がある度に教頭先生を呼び出して全身エステを受けています。チョコレート・スパの時には私たちも居合わせましたが、その他にも色々やっているようで…。長老の先生方も教頭先生にエステを頼んだりしていますから、ドクターの耳に入ったのでしょう。案の定、ドクターは苦い顔つきになって。
「…エステティシャンはハーレイなのだと怪しい噂を聞きましたが…?」
「怪しい? どこが? 腕前はいいし、長老のみんなも頼んでいるし……出張エステとしては高級な部類に入ると思うよ。なんなら君も頼んでみる? はい、チラシ」
宙に取り出されたのはチラシならぬ立派なリーフレット。いつの間にやら定番として広まっているみたいです。ドクターはリーフレットを受け取り、ザッと目を通してフフンと鼻を鳴らしました。
「なるほど、すっかりプロ気取りですか…。いや、失礼、副業なだけでプロなのですね。ここに書いてあるのが本当ならば、エステティシャンとしてのテクニックはあなたが仕込まれたそうですし」
「そうさ、ぼくがハーレイに技を仕込んだ。だから安心して任せられるし、気に入ってるんだ。おかげで体調を崩すこともなくなったね。マッサージで血行が良くなるらしい。…君の出番はもう無さそうだ」
ぼくは健康、と微笑む会長さんにドクターは「本当ですか?」と疑わしそう。
「本当だってば。疲れ気味だな、と思った時には即、エステ。マッサージを受けてウトウトしてると疲れも取れるし、身体もすっかり元通りさ。君も試してみればいい」
「そうですか…。ですが、エステは医療行為ではありませんよ? 私の方が絶対に腕が確かです。ハーレイがあなたに全身エステを施している、と聞いた時から実は特訓しましてね…。鍼灸に整体、カイロプラクティック。本物の医者の立場で極めてきました。今ならマッサージを特別にサービスいたしますよ」
「「「………」」」
エロドクターのマッサージ。いくら本物のお医者さんと言っても下心が嫌と言うほどありそうです。会長さんも私たちも変質者を見るような視線でしたが、ソルジャーだけは。
「腕は確かだよ、保証する。ぼくもサービスして貰ったんだ。…身体が蕩けそうなほど気持ち良かった」
え。サービスって…。それじゃ先週の夜にソルジャーがドクターにして貰ったというサービスは…?
「マッサージさ。君たちは派手に勘違いしてたけれども、ノルディがぼくにしてくれたのはマッサージ。これが本当に気持ちよくてね、お礼にサービスしようと思っていたのに寝ちゃってさ…。ごめんよ、ノルディ」
「いえいえ。お楽しみはまたの機会に…。あなたも急いでおいででしたし」
お気になさらず、とドクターは余裕たっぷりでした。ソルジャーの方なら会長さんと違ってモノに出来そうだと考えている証拠です。実際、あちらの世界まで押しかけたこともあったくらいの行動派。あの時は返り討ちに遭いましたけど、全く懲りていませんし…。そんなドクターの今日のターゲットはソルジャーではなく会長さん。
「ブルー、今のを聞きましたか? ハーレイのエステもよろしいですが、たまには医者のマッサージも…。骨格などが知らない間に歪むことだってあるのですよ。さあ、こちらへ。念入りにマッサージして差し上げます」
ドクターがカーテンを開けると、診察用のベッドの代わりにエステサロンの広告などで見る専用ベッドがありました。会長さんも実は家に一台持っていたりします。もちろんエステに使うためで…。
「どうしました、ブルー? ああ、服は脱いで下さいね。エステで慣れておいででしょうが」
「………」
顔を引き攣らせている会長さん。どう考えても安全なわけがありません。ドクターが鼻の下を伸ばし、会長さんの腕を掴んだ時。
「ぐわっ!!!」
会長さんの足許に蹲るドクター。なんだか苦しそうですけども、ドクターの身にいったい何が…?

声も出せないドクターの両手が押さえていたのは股間でした。身体を丸めているので見えませんけど、顔も歪んでいるのでは…。驚愕している私たちの前にソルジャーが取り出したのは例のドクター人形です。
「ブルーが言ったとおりだね。…こっちのノルディには効果抜群」
「何をしたのさ!?」
声を荒げる会長さんに、ソルジャーは肩を竦めてみせて。
「キースの代わりに君を守っただけだけど? まあ、キースなら腕を押さえて終わりだったかもしれないけどさ。本当に効くのかどうかも疑問だったし、一撃で効く必殺技を」
こうやって、とソルジャーの指先がドクター人形のデリケートな部分を弾いた瞬間、ドクターは白目をむいて悶絶しました。ぶっ倒れているドクターに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が近付いて…。
「ノルディ、気絶しちゃったみたいだよ? おしぼり用意した方がいい?」
「どうだろう? アンモニアか何かないのかな。病院だしね」
気付けに一発、と棚を探ろうとするソルジャーに会長さんが厳しい顔で。
「守ってくれたのは感謝するけど、やり過ぎだ! ただ封じれば充分なのに、気絶させるなんて!」
「…ふうん…。ノルディの肩を持つんだ? この程度で懲りるようなタマじゃないから放っておけばいいのにさ」
「だからって…。ぼくも一応、ソルジャーなんだよ? 仲間を傷付けるのは不本意だ!」
会長さんが叫んだ所で床の上のドクターがピクリと動いて…。
「…その……言葉だけ…で…」
不敵な笑みを浮かべたドクターが顔を上げ、痛そうに身体を起こしながら。
「その言葉だけで…嬉しいですよ、ブルー…。あなたの…愛が…感じられます…」
いたたたた、と呻きつつもドクターは椅子に座って会長さんを見詰めました。
「ブルー、私を愛して下さっていたのですね。たとえソルジャーとしての愛であっても、いずれ私が変えてみせます。ええ、私の心に溢れる愛で」
「…そ、それは……そうじゃなくて……」
引き気味の会長さんの肩をソルジャーがポンと叩きました。
「ほら、ぼくが言ったとおりだろう? あんなのじゃ懲りやしないって。この人形の威力を見せ付けておいた方がいい。そしたら君に手を出せないかも」
ソルジャーの言葉にドクターが眉間に皺を寄せて。
「…人形ですって?」
「そう、人形。これなんだけど、見ていたら何か思い出さない?」
目の前に突きつけられた全裸の人形にドクターは驚きの声を上げました。
「こ、これは…。先日写真を撮りに来られた時の…。あの写真を元にこの人形を…?」
「うん。あの時ぼくが急いで帰ったのはプリントアウトするためでね。そういう事情がない時だったらマッサージのお礼に一発や二発、付き合ってあげてもよかったんだけど…。ぼくはブルーと違うから」
ヌカロクだって大歓迎、と意味不明な言葉を付け足したソルジャーは、ドクター人形をツーッと撫でて。
「どう? 今、身体がゾクッとしなかった?」
「え、ええ…確かに…。その人形は何なのですか?」
「ブルーに作り方を教えて貰った身代わり人形。君の身体とシンクロさせて色々なことが出来るらしいよ。ブルーは君のイヤラシイ手足を封じたかったみたいだけどね、例えばこんな使い方も…」
ソルジャーの舌がペロリと人形を舐め、ドクターが艶っぽい声を漏らします。
「やっぱり感じてくれるんだ? じゃあもっと…」
「ブルーっ!!!」
血相を変えて怒鳴る会長さん。ソルジャーはつまらなそうに唇を尖らせ、渋々といった様子でドクター人形を舐めるのをやめました。
「うーん、楽しいと思うんだけどな…。ノルディだって喜んでたし、もっと遊んでみたいのに…」
「ぼくと君とは身体のパーツが同じなんだ! ノルディがもっと高望みをするようになったらどうするのさ! 追いかけ回されるだけでも迷惑なのに、奉仕しろなんて言われた日には…」
「ブルー。君の後ろに十八歳未満の子たちが一杯」
「…うっ……」
会長さんが詰まっています。何か問題発言があったのでしょうか? 私たちは顔を見合せましたが、心当たりはありませんでした。ソルジャーは愉快そうに笑っています。
「奉仕の内容が問題なんだよ、君たちは知らなくていいんだけどさ。で、ブルー…。君と同じ身体のパーツがダメだと言うなら、他の身体ならいいのかな?」
「えっ?」
「こんなのもあったな、と思ったんだよ。…ほらね」
パアッと青い光が走って、空中に出現したのは教頭先生の人魚像。ドクター人形の先輩格の人形ですが、ソルジャーはこれをどうすると…?
「ねえ、ノルディ。…こっちはハーレイの人形なんだ。事情があって下半身が人魚になってるけどさ。どう思う?」
「…不細工な人魚もいたものです。なんとも悪趣味な人形ですね」
「悪趣味…ね。作ったのはブルーなんだけど」
ドクターはたちまち血相を変えて。
「……!! も、申し訳ありません、ブルー…。あなたの趣味を疑うなど…」
「別に。実物も悪趣味だったし」
尻尾はショッキング・ピンクだったんだ、と会長さんが言い終わらない内に再び光った青いサイオン。
「「「教頭先生!?」」」
帰宅して寛いでいたのでしょう。ラフな格好の教頭先生がポカンとした顔で立っていました。人魚像のモデルを召喚したのはどう考えてもソルジャーです。ドクター人形と教頭先生人魚の像が揃うと恐ろしいことが起こるとか…?


「こんばんは、ハーレイ。…婚前旅行以来かな?」
ソルジャーの台詞に教頭先生の顔が真っ赤に染まり、ドクターが聞き咎めました。
「なんですって? 婚前旅行?」
「そうだよ。ブルーが企画したんだ。ぼくは途中で参加してね、おかげで温泉三昧の日々」
また行きたいな、と言うソルジャーにドクターは必死に食い下がり、事の顛末を聞き出すと…。
「ははは、実にハーレイらしい話です。私なら満点どころか婚前旅行を新婚旅行に切り替える自信がありますよ」
「だろうね。そんなハーレイに相応しいのがこの像だ。…下半身が無いからこうやっても…」
ピシッと指で人魚像の股間あたりを弾くソルジャー。教頭先生は所在なげに立っているだけです。
「ほらね、ハーレイは痛がりもしない。これが君の像の場合だとさっきみたいに大変な事になるってわけさ」
「なるほど…。身代わり人形でさえ大事な部分がついていない、と。これでは本当に役立たずですね」
勝ち誇ったように笑うドクターに、ソルジャーは「そうでもないんだ」と呟いて。
「覚えてるかな? ぼくがトンズランスの検査に来た時、君とハーレイに薬を飲ませてベッドで仲良くしろって言ったのを」
「「「!!!」」」
綺麗に忘れ果てていた私たちですが、一気に思い出しました。ソルジャーが二人に強力な精力剤を飲ませて放置して逃げた事件です。ドクターはベッドで、教頭先生はトイレで、それぞれ薬が切れるまで不毛な作業に励んでいたとか…。ソルジャーはクスッと笑って二つの人形を手に取りました。
「今日こそ仲良くしてもらおうかな。こんな感じで」
教頭先生人魚の像でドクターの像をゴシゴシと擦り始めるソルジャー。
「ふふ、ハーレイの感じる所は知ってるし…。どう? ノルディも熱くなってきたかな?」
「「…うっ……」」
ドクターと教頭先生の息が次第に荒くなります。私たちは呆然としていましたが、我に返ったのは会長さんで。
「ブルー!!!」
恐らくサイオンを使ったのでしょう、凄い勢いでソルジャーの懐に飛び込み、二つの像を奪い取ると…。
「ごめん、ハーレイ! なんでもないから今の忘れて!」
青い光が迸り、教頭先生は消えていました。会長さんは肩で息をしながらソルジャーをキッと睨み付けて。
「ハーレイの記憶は消去した。ノルディはともかく、ハーレイはああいうことに慣れてないから…」
「悪い遊びはやめてくれ、って? 愛してるんじゃないか、ハーレイのこと」
「違う! 刺激されると矛先がぼくに向くから困るんだって言っただろう! ノルディは発散する場所があるけど、ハーレイは何もないんだからさ!」
「…そうだっけね……」
忘れてたよ、と素直に謝るソルジャー。会長さんは教頭先生の像を瞬間移動で家に帰すと、もう一体の像をドクターの前に突きつけて。
「これの効力は分かったよね? ぼくに手を出そうとしたら使わせて貰う。苦痛を与えることもできるし、こうやって…」
ドクターの身体が強張り、会長さんが像の胴体を握っています。
「身体の動きを封じることも出来るんだ。これに懲りたらぼくには二度と手を出さないこと。キスマークもマッサージもお断りだ!」
じゃあね、と会長さんはドクターに背を向け、私たちを引き連れて診療所を後にしたのでした。タクシーを呼ぶのも面倒だったらしく「そるじゃぁ・ぶるぅ」の力も借りて瞬間移動で一気に家まで…。


「あーあ、ブルーのせいで酷い目に遭った」
信用したぼくが馬鹿だったよ、と会長さんは愚痴っています。けれどソルジャーは馬耳東風。
「そうかな? ちゃんとエロドクターから守ってあげたし、身代わり人形も作ったし…。言っておくけど、ぼくが写真を撮って作らなかったらあの人形は無いんだからね」
ドクター人形は布に包まれ、収納棚の奥に放り込まれてしまっていました。教頭先生人魚の方は棚に置かれているのですけど…。私たちは健康診断の打ち上げで焼肉パーティーの真っ最中です。エロドクターの診療所とは当分縁が切れる筈。会長さんがキスマークをネタに脅されていた頃と違って、追われる理由もないですし…。
「いいのかい、身代わり人形を片付けちゃって? ノルディが来るかもしれないよ」
ソルジャーの問いに会長さんは。
「来たら速攻で取り出してやる! 君がもう少しマシな人形を作ってくれたら置いておけたかもしれないのに…。いくらなんでもアレはちょっと」
「指で弾くだけで気絶するほどダメージを与えられるんだからいいじゃないか。傑作中の傑作だよ、うん」
我ながら上出来、とソルジャーは自画自賛しています。そして焼肉を頬張りながら言った言葉は…。
「あの人形ってなかなかいいね。ぼくもハーレイのを作ろうかな」
「「「え?」」」
そんなもの必要ないのでは…と思ったのは多分全員です。ソルジャーとあちらのキャプテンは両想いですし、身代わり人形の出番はありません。
「…あるんだな、これが」
ソルジャーの瞳が悪戯っぽく輝きました。
「休暇を取ってほしくなった時に使うんだよ。ぼくが青の間でハーレイの人形に指とか舌で色々と…ね。そしたら身体の芯からムズムズしてきてブリッジに居づらくなると思わないかい? まさかトイレで処理するわけにもいかないだろうし……処理しちゃったら再チャレンジ。よし、今度写真を撮らせて貰おう」
騙して撮ればオッケーだ、とソルジャーはあれこれポーズを考えています。元はといえば会長さんの健康診断に端を発した身代わり人形、とんでもない使われ方をされた挙句に別の世界に飛び火しそうな勢いですけど、ソルジャーは本当に作る気でしょうか? もしもキャプテン人形が作られたなら……キャプテン、許して下さいです~!




サイオンの伝導効率がいいジルナイトとやらを使って作られた教頭先生人魚の像。作り方は会長さんしか知りません。その会長さんが手に入れたいのはエロドクターことドクター・ノルディの人形でした。恒例の健康診断に備えて悪戯防止にドクターを呪縛してしまいたいらしいのですが…。
「ノルディの人形が欲しいんだろう?」
ソルジャーが会長さんに探るような視線を向けました。
「ぼくに作り方を教えてくれればいいんだよ。君には作りたくない深い事情があると見た。…ハーレイの人形は作ったくせに、ノルディのは無理だと言うんだから」
「………」
「難しい…ってわけはないよね。もっと複雑で深刻な理由だ。…ひょっとして、接触しなくちゃ作れないとか? 直接ノルディのサイズを測って、覚えた感触を元に正確無比に縮小してから作るのかな?」
あ。そういえば会長さんは教頭先生を人魚にした時、尻尾をペタペタ触っていました。あれが制作に必須だとしたら、ドクターの人形を作る為にはドクターに触れるしかありません。会長さんを食べたくてたまらないドクターなんかを触りに行ったら、下手をすればそのまま返り討ちに…。またキスマークをつけられてしまえば振り出しに戻ってしまうのですから。
「図星? それとも他にまだある?」
「…別に触らなくても作れる」
会長さんがテーブルの上に投げ出したのは一冊の写真集でした。人魚の姿でポーズを決めた教頭先生の写真が沢山…。私たちが協力させられた撮影会の成果ですけど、長老の先生方に配っただけでなく自分用まであったんですか! ソルジャーは写真集をパラパラとめくり、載せられた写真と装丁のセンスを絶賛してから。
「それで、この写真集がどうしたって? ノルディも写真集を作れるほどに熟知しないとダメって意味かい?」
「違う。これを作る過程で撮りまくった写真が要るんだよ」
写真の束がバサリとテーブルに置かれ、会長さんが選り分けています。
「これと、これと…それからこれ。えっと、他にも…」
全部でこれだけ、と並べられたのは教頭先生人魚の像とそっくり同じポーズの写真。後ろ姿や正面や…様々な角度から撮られたもので、私たちの脳裏に撮影会の記憶が蘇りました。有名な人魚姫の像に似せたポーズだと聞いてましたし、何枚も撮るのはそのせいだろうと思ったんですが…。
「ジョミーたちは覚えているだろう? 花祭りはゼルが来てから思い付いたっていうことを…ね。この写真はハーレイの像を作るのに必要だった。記憶だけでは正確に再現できないものだし、大雑把な像では効力を発揮させるのは難しいから」
「…本当に?」
ソルジャーが首を傾げました。
「適当でいいって気もするけどね、だって人形なんだろう? あのハーレイの像にしたってサイオンで細工をしていない時は何の効果も無いんだからさ」
「そっくりの姿だってことに意義があるんだ。本人の縮小版の人形だから、モデルになった相手に影響を及ぼすことが可能なのさ。…つまり正確さが命なわけ。でもノルディだと…」
絶対に無理、と会長さんは項垂れています。エロドクターの写真くらいは誰でも撮れそうな気がしますけど、写真嫌いか何かなのかな? 隠し撮りではいろんな角度で写してくるのは不可能ですしね…。

「分かった。まずはノルディの写真なんだね。そこから先は?」
ポンと手を打ったソルジャーはやる気満々でした。前段階の写真が無理だと会長さんが言っているのに、聞いていたんだかいないんだか…。会長さんは呆れた顔でソルジャーを見詰め、並べた写真から1枚を取って。
「写真と自分の記憶を合わせて相手の姿を正確に…正確無比に頭の中に再現する。それを適当なサイズに縮小したのをサイオンで形作って原型にして……型を取って材料をそこに流し込むだけ」
「なんだ、簡単なことじゃないか。それならぼくでも作れそうだ。オッケー、君の代わりに作ってあげるよ、あのドクターの人形を…ね。そうだ、ぼくのハーレイのも作ろうかな?」
楽しめそうだ、と唇に笑みを刻むソルジャーに会長さんが。
「それは君の自由だけどさ…。ノルディの人形、作るのはきっと難しいよ。なにしろ写真撮影が無理だ」
ああ、やっぱり…! ドクターは写真が嫌いでしたか。しかしソルジャーも負けてはいません。
「写真を撮るのが無理だって? シールドがあれば済むことだろう。カメラを貸してよ、行ってくるから」
「一つのポーズでいろんな角度って言った筈だよ。隠し撮りの限界ってヤツだ。君もぼくも普通の人間より遥かに速く動けるけどね、カメラの性能がついていかない。シャッター速度が遅すぎる」
「だったら正面突破で行くさ。ぼくはノルディに貸しがあるんだ」
ソルジャーはフフンと鼻を鳴らして。
「ずいぶん前にスクール水着の写真を撮らせてあげたからね。たとえノルディが写真嫌いでも、文句を言われる筋合いはないよ」
「「「………」」」
すっかり忘れ果てていたスクール水着とソルジャーの事件。あれを貸しだと言うのだったら嫌々ながらも撮影に応じてくれそうです。けれど会長さんは浮かない顔。
「……ノルディは写真嫌いじゃないよ。ただ、スーツや白衣じゃダメなんだ」
「「「えっ?」」」
ソルジャーと私たちの声が重なりました。会長さんは溜息をつき、教頭先生の像を指差して…。
「あの像とハーレイがシンクロするのは上半身だけ。…ブルーも知らなかっただろう?」
「知ってるよ。下半身が無いから残念だなって思ったし…」
「それは見た目の問題だよね。君が悪戯したい部分がついてないっていうことだけ。…でも本当にあの像は上半身しか役立たないんだ。下半身は人魚の尻尾で覆われてるから、ハーレイと繋がりようがない。ぼくの言う意味が分かるかい…?」
「…もしかして…皮膚が露出している部分だけしかシンクロしない…?」
まさかね、と言うソルジャーに会長さんは憂い顔で。
「そうなんだよ。さっき話に出てきた陰陽道っていうヤツだったら人形に名前を書いただけでも全身に効力を及ぼすんだけどさ…。サイオンでの細工じゃ無理みたいだ。ぼくも花祭りで初めて気が付いた。あの像の下半身にチョコをかけられた時はハーレイは全く平気だったし」
「そうなんですか?」
シロエ君が驚き、キース君が。
「悪戯の張本人だけに細かく観察してたってわけか…。俺たちは教頭先生に気を取られてたしな」
「ずいぶん苦しそうだったものねえ…」
チョコって甘くて美味しいのに、とスウェナちゃん。デザートが大好きなソルジャーは「ぼくも同感」と微笑みながら。
「そうか、あのチョコ攻撃、下半身には効かなかったのか…。意外とあの像、ガードが堅いね」
「うん。だけど上半身には有効だったし、みんな頭からチョコをかけてたし…。チョコが下の方まで流れていったらハーレイの苦悶がマシになるってことに気が付かなければ、今も知らないままだと思うよ」
会長さんとソルジャーはサイオン談義を始めました。話がズレている気もしますけど、エロドクターの人形なんかは忘れ去られた方が吉かも…。

教頭先生の像と教頭先生の舌がシンクロした件について会長さんたちは面白そうにあれこれ話していましたけれど、思念波が精一杯の私たちにはサッパリ謎な内容でした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に解説を頼んでみたものの、子供だけにやはり要領を得ず…。
「ごめんね、難しい話は分からないんだ。瞬間移動もブルーが前に説明してくれたけど、出来るのと分かるのとは違うみたい」
済まなそうに謝る「そるじゃぁ・ぶるぅ」にジョミー君が明るい笑顔で。
「だよね、そういうもんだよね! ぼくもサッカー得意だけどさ、物理は全然分からないもんね!」
「おい、自慢するようなことなのか、それは…?」
キース君が額を押さえていますが、物理が苦手でもサッカーボールを蹴るのに支障は無いですよねえ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」にサイオンの理屈が分からないのも無理ありません。まだまだヒヨコの私たちが会長さんたちの会話を理解できないのも当然で…。
「ねえ、聞いてるかい?」
いきなりソルジャーに話を振られて、私たちは大慌て。
「なんだ、やっぱり聞いていなかったのか。ブルーが思い切り不機嫌なのに、君たちは楽しそうだから…」
「「「え?」」」
知らない間に険悪な空気が流れています。会長さんが猫だったなら、全身の毛が逆立っていることでしょう。ソルジャー、何をやらかしたんだか…。
「言ってみただけなのに本気で怒り出しちゃってさ。ホントに頭が固いよね」
「固くないっ! 君が柔らかすぎるんだ!」
「…柔軟な発想と言って欲しいな」
柳に風と受け流すソルジャー。
「ぼくは思ったままを言ったまでだよ。舌とシンクロさせられるなら他の部分も可能だよね…って」
「「「???」」」
「だからさ、舌じゃなくって下ともシンクロさせられるだろ? ハーレイのとっても大事な部分。男の急所で男のシンボル」
「ブルーっ!!!」
会長さんがテーブルを引っくり返しそうな勢いで怒鳴り、ソルジャーをギッと睨み付けて。
「絶対やらせないからね! ぼくそっくりの手と指を使ってハーレイのを…なんて冗談じゃない!」
「いいじゃないか、君が自分でやるわけじゃなし。…手が嫌だったら舌でもいいよ、きっとハーレイは極楽気分だ。ぼくは口でイかせるのも得意だからね」
「!!!」
声も出せない会長さん。ソルジャーはニヤリと笑って唇を舌でペロリと舐めましたが…。
「冗談だよ、冗談。君の許可もないのにやらないさ。…約束しただろ、君のハーレイを下手に刺激はしないって。それでノルディの人形だけど、どうするんだい?」
よかった、話が元に戻ったようです。もしもソルジャーが暴走してたら、今頃、教頭先生は…。ソルジャーはニヤニヤ笑っています。この調子ではエロドクターの人形の方は完全にオモチャにされそうですが…?

「あーあ、なんだかドッと疲れた気がする…」
会長さんはソルジャーが帰った途端にソファに突っ伏し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が蒸しタオルを運んで来ました。
サム君と二人がかりでマッサージもして、回復したのは半時間後。
「…こんなんじゃ健康診断に引っ掛かるかもね。当日までは安静にしよう」
「水曜だったか?」
キース君の問いに会長さんは。
「うん。ノルディの都合で毎年曜日が変わるんだ。付き合いが忙しいらしくてさ…。ぼくなんか忘れてくれればいいのに」
「でも人形で封じるんでしょ?」
大丈夫だよ、とジョミー君。ソルジャーはドクターの人形を作ると約束をして帰ったのでした。けれど会長さんは遠い目をして。
「ああ、あれね…。あんまりアテにはしていないんだ。それに元になる写真を撮るのは健康診断に行く日だし…。どっちかといえば心配かな」
「そうだよなあ…」
心配なのはよく分かるぜ、とサム君が納得しています。ソルジャーは何かと騒ぎの元になりがちですし、写真撮影は放っておいてエロドクターにちょっかいとか…。
「とにかく、そういうわけだから……頼りになるのは結局君たちだけなんだ。よろしく頼むよ、去年みたいに」
「おう! 任せとけって」
サム君が胸を叩き、柔道部三人組もグッと拳を握っています。ジョミー君とスウェナちゃん、そして私も腕に覚えはありませんけど、いるというだけで抑止力にはなるでしょう。いざとなったら警察に電話? それとも教頭先生に…?
「別にゼルでもいいんだよ?」
これが連絡先、と会長さんが携帯電話の番号を教えてくれました。
「ぼくがノルディに襲われてる、と言えばすぐにバイクで駆けつけてくれる。自慢の名刀を引っさげて…ね」
「「「バイク!?」」」
「あれ、知らなかった? ゼルはバイクに凝ってるんだ。黒いレザーのライダースーツにフルフェイスのヘルメット、それに自慢の大型バイク。よくツーリングにも出かけているよ。ちょっと知られたライダーなのさ」
「「「………」」」
剣道七段、居合道八段なのは知ってましたが、バイク乗りだとは知りませんでした。外見がアレなのでフルフェイスのヘルメットを被り、大型バイクでツーリング…?
「うん、ライダーとしては超一流。バイクレースに出ることもあるし、ついた渾名が…」
「「「過激なる爆撃手!?」」」
激しい渾名もあったものです。ゼル先生って『パルテノンの夜の帝王』だとか威張ってましたが、他にも異名がありましたか…。
「難コースでもエンジン全開、フルスロットルで突っ込んでいく命知らずってことらしいよ。追い越されたバイクが事故っていようと、絶対後ろを振り返らない」
えっと。ゼル先生の凄さは分かりました。電話をしたら即、バイクで…ってことは教頭先生よりも機動力がありそうですけど、引っさげてくる名刀って…?
「もちろん真剣。ノルディを一刀両断してくれるさ」
それは流石にまずいんじゃあ……と私たちの顔色が変わります。ヘタレであっても教頭先生の方が穏便に事を収めてくれるでしょう。
「うーん、やっぱり? 叩き切るぞと脅された方が大人しくなると思うんだけどね…。第一、ハーレイを呼んだらノルディと組んでぼくを食べるかもしれないんだよ?」
「それだけは無いな」
キース君が即答しました。
「俺たちの今までの経験からして、教頭先生は安全だ。あんたとサシの時なら知らんが、俺たちがいれば手は出せん。エロドクターが煽っても無駄だ」
うんうん、と首を縦に振る私たち。会長さんはチッと舌打ちしていましたけど、ゼル先生なんて怖くて呼び出しできませんよう~!

それからはソルジャーが出没することもなく、水曜日の放課後を迎えました。会長さんは健康診断に備えて少しは節制するかと思えば、いつもどおりにサボリの日々。大学とシャングリラ学園の両方に通うキース君の言では不健康極まりない怠惰な生活というヤツです。
「いいんだよ、ぼくは年寄りだから」
そうは言っても骨も内臓も元気印なのは誰もが知っていることで…。三百歳を超えているという事実さえなければ、健康診断なんか微塵も必要ないのでした。ついでにソルジャーの肩書きがなければ健康診断もまるっとサボってしまうのでしょうが…。
「仕方ないよ、ソルジャーのお役目の一つだし。…今年も血圧は高いんだろうな」
去年はエロドクターに無理やりディープキスをかまされ、会長さんの血圧は高めになってしまったのでした。
「安心しろ。今年は俺も遠慮なくヤツをぶっ飛ばす」
あいつのやり口はよく分かったし、とキース君。
「この一年で学んだぜ。いちいち気配りしてられるか! あんたがキスマークをつけられたりしたら終わりだろう? そうなる前に投げ飛ばしてやる」
シロエ君とマツカ君も頼もしい顔をしています。サム君も柔道部三人組に負けず劣らず、闘志を漲らせているのが分かりました。公認カップルの面目躍如な展開になるのか、平和に健康診断が済むか…。足りない面子はあと一人。やがて時計が午後五時を指して…。
「こんにちは。みんな揃っているようだね」
フワリと紫のマントが翻り、ソルジャーが姿を現しました。
「約束通り来てあげたよ。ブルー、カメラの用意はしてくれたかい?」
「もちろん」
はい、と会長さんが渡したカメラをソルジャーはきちんと確認してから制服を借りて着替えます。うーん、いつ見ても会長さんと瓜二つ…。
「このまま入れ替わって健康診断を受けようか? で、君が代わりに写真を撮る…と」
「断る! ぼくの健康診断なんだし、君のデータじゃ仲間に顔向けできないよ。それに…」
言い淀む会長さんにソルジャーがクスッと笑いを零して。
「君じゃノルディの写真は撮れない……か。できるだけ皮膚の露出を多く、だものね。白衣を脱いでくれなんて言ったが最後、君を抱えてベッドに直行されるだろうし」
「………」
「ぼくも色々考えたんだ。どうすれば最適な写真が撮れるかを。君が封じたいのはノルディの手足で、それも手先や足先じゃない。腕は丸ごと、足もできれば丸ごとだろう。…まあ任せてよ、いいのを撮るから。一週間後には像をきちんと完成させる」
大船に乗った気持ちでいて、とソルジャーは自信満々でした。名案を思い付いたのでしょう。
「で、肝心の写真は君がプリントしてくれるのかい? それともぼくが? どっちもでいいけど、ぼくのシャングリラに対応しているプリンターはないよ」
そもそもカメラの仕組みが違う、とソルジャーは手の中のそれを弄っています。会長さんは暫し考えてから。
「君がプリントしてくれるかな? ノルディの写真なんか見たくもないし、そんなデータがあるのも嫌だ。今夜は泊まってくれていいから、プリントしてからデータを消して」
「そうこなくっちゃ。じゃあ、ぶるぅのご飯が食べられるね。朝はホットケーキがいいな、ホイップクリームにチョコレートソース」
「かみお~ん♪ マザー農場で生みたて卵をもらってくるね!」
お客様だぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜び。おもてなし大好きですから今夜も御馳走してくれるのですけど、私たちは明日が学校なのでお泊まりしません。ちょっぴり寂しかったのでしょうね。

校門を出てタクシーに分乗し、着いた先はお馴染みのドクター・ノルディの自宅兼診療所。豪邸とは別棟になった診療所の中には今日もドクターしかいませんでした。受付の人も看護師さんも、会長さんの健康診断の日は出勤しないのが恒例なのだそうです。
「お待ちしておりましたよ、ブルー。…予約はお一人と伺いましたが、追加ですか?」
そちらのブルーも、とソルジャーに視線を向けるドクター。そっくり同じ制服なのに会長さんとソルジャーを間違えないのは流石です。ドクターはツカツカと会長さんに歩み寄ると…。
「いつぞやのデート以来ですね。あの時は大変失礼しました。名誉挽回させて頂けますか?」
右手を取って手の甲に口付けようとした途端にサム君が。
「要らねえよ!」
会長さんの手首を掴んでグイと引き戻し、殺気立った目でドクターをキッと睨んでいます。
「おやおや…。去年のヒヨコが今年は実力行使ですか。するとそちらの皆さんも…傷害罪で訴えられても構わないというお覚悟で?」
小馬鹿にした調子の声にシロエ君が身構えるのをキース君が制しました。
「待て、挑発に乗ってどうする。…俺たちは確かにその覚悟だが、追い出されては元も子もない。今は大人しく様子を見るんだ」
「「「………」」」
緊張感が漂う中で会長さんがソルジャーの方を振り向いて。
「どうする、ブルー? 君も健康診断を受ける? それとも見ているだけにする?」
「君の世界の健康診断…ね。興味はあるけど、ぼくはそれよりもノルディの方が興味深くて」
「…私ですか…?」
不審そうに眉を寄せるドクターにソルジャーはカメラを取り出してみせて。
「ぼくの世界にも君そっくりの男がいるのは知ってるだろう? 彼との違いが気になってね…。今日は写真を撮らせて欲しくてカメラを持って来たんだよ。帰ったら写真を見比べるんだ」
「ほほう…。そんなに違うのですか?」
「違うね。彼は男に興味がないし、女にだって興味があるのかどうか…。とにかく仕事一筋なのさ。君にはちょっと考えられない?」
遊び好きだと知っているソルジャーの質問に、ドクターはフッと不敵な笑み。
「仕事の虫にはなれませんね。…それで健康診断は?」
「遠慮しとくよ。君もブルーの身体を触りまくれたら満足だろう? ぼくは見学させて貰うさ」
「ボディーガードが増えましたか…」
つまりません、と呟くドクター。それでも会長さんが検査服に着替えてくると俄然やる気になり、聴診器を使っての血圧測定に、わざと痛くしていそうな採血に…と趣味全開。心電図から後はスウェナちゃんと私は追い出されたので分かりませんが、見学してきたソルジャーによると明らかにセクハラだったそうです。
「…それでは結果は来週の水曜日ということで」
必ず聞きにいらして下さい、と慇懃に告げるドクターは不満そう。会長さんに触りまくることは出来たものの、ソルジャーという強力なボディーガードがついてきたせいで今一つ楽しめなかったのでしょう。会長さんも去年みたいに怯えた顔ではありません。
「じゃあ水曜日に。世話をかけたね。…帰るよ、みんな。ほら、サムもいつまでも怒ってないで」
元の制服に着替える前に会長さんが呼んでおいたタクシーが来ています。車が来るのを待っている間にエロドクターに絡まれるのは御免だという意思がありありと…。扉を開けて外へ出て行く私たちを背後からドクターが呼び止めました。
「お待ち下さい。…お帰りになってしまうのですか?」
「それ、誰に言っているんだい?」
不快そうに振り返る会長さんにドクターは大袈裟に肩を竦めて。
「あなたではなくてブルーにですよ。私の写真を撮りたいと仰っていたと思うのですが…」
「…ああ……。そうだっけね。どうする、ブルー? ぼくの家でみんなで夕食だけど」
「そっちがいいな。ノルディよりずっと魅力的だ」
デザートもつくんだよね、とソルジャーは先に立ってタクシーに乗り込みます。あれっ、写真は? 落胆した様子のエロドクターを残して私たちは診療所を後にしたのでした。

夕食のメインは海の幸の包み焼き。デザートのフォンダンショコラを美味しく食べて、リビングで雑談でも…と移動を開始した時です。
「そろそろいいかな。ノルディも夕食を終えたようだし」
ソルジャーが何処からかカメラを取り出しました。瞳が楽しげに輝いています。
「健康診断の続きじゃ撮影会には生ぬるい気がしたんだよね。もっとこう、それらしい時間が欲しいんだ」
「…生ぬるい?」
会長さんが聞き咎めると、ソルジャーは「そう」と笑みを浮かべて。
「ぼくは撮影をしに来たんだよ? 自分自身が納得できる写真を撮らなきゃ気が済まない。…写真集とまではいかないけれど、像を作るには最高だと言える写真をモノにしなくちゃ」
「べ、別にそこまで極めなくても…。適当でいいよ、適当なので。ノルディの手足さえ写っていれば」
「ぼくの腕に不満があるとでも? 帰りは多分遅くなるから、その子たちは家に帰した方が…」
行ってくるね、とニッコリ笑ってソルジャーは消えてしまいました。会長さんはサイオンで追跡を試みましたが、例によって不可能らしく…。
「ダメだ、ブルーもノルディも見えない。ちゃんと写真を撮ってくれればいいんだけれど…なんだか不安になってきた。約束は守ってくれると思いたいな」
「…守らなかったら?」
キース君の問いに会長さんは「さあ?」と首を傾げて。
「ノルディの人形が手に入らなくても特に困りはしないんだよね。あればいいな、と思っただけだし。…だからブルーが写真を撮ってこなくても構わない。ノルディの人形が手に入らないのは残念だけどさ。…それよりも心配なのはブルーの悪戯」
「…悪戯な…」
そっちの方が問題だな、とキース君。ソルジャーは私たちが帰宅する時間になっても帰っては来ず、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瞬間移動で家の玄関まで送ってくれることに。
「おやすみ。みんな、今日はありがとう」
「また来てね~!」
青い光に包まれて私たちは家に帰りました。ソルジャーは何をしてるのでしょう? エロドクターの方の無事を祈ったウッカリ者は私だけではない筈です。どうか何事も起こらないまま、明日の太陽が昇りますように…。




校内見学日とクラブ見学日が済み、無事に授業がスタートしました。今年も私たち七人グループとアルトちゃん、rちゃんを担任することになったグレイブ先生も今のところは御機嫌です。悪戯者の会長さんが出てこない限り、平穏な日々が続くのですから。私たちも放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に通う日々。
「アルトさんたち、今年は来ないね」
去年は入学式の後に来てたのに、とジョミー君が首を傾げると。
「…君たちとは待遇を別にするって言っただろう」
会長さんが澄ました顔でシフォンケーキを頬張っています。
「ぼくの悪戯好きはバレてるけども、ハーレイにトランクスを届けているのは内緒にしたい。他にも色々と隠しておきたい面があるのさ、男としてはね」
「本気で愛人扱いする気なのか!? 坊主のくせに罰当たりな…」
キース君が詰りましたが、会長さんは余裕でした。
「罰当たり? じゃあ、君に聞くけど、パルテノンの高級クラブや料亭なんかのお得意さんにお坊さんが多いのはどういうわけかな? 璃母恩院よりも厳しい筈の恵須出井寺だって上得意だ。きちんと修行を積んでさえいれば、後ろ指を指される筋合いはないよ」
「……それはそうだが…」
春休みに会長さんがファラオの呪いを封じて以来、キース君は修行の面ではまるで頭が上がりません。まだ口の中でモゴモゴ言いつつ、負けを認めたみたいです。でも、そっか……アルトちゃんたちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に遊びに来ないんだ…。
「遊びに来てたよ? クラブ見学の日に」
特製クレープを御馳走したんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそう。
「二人とも、ちゃんとサイオンを使えるようになったから…壁の紋章が見えるんだよね。だからブルーが思念波で呼んで、ぼくも一緒におしゃべりしてた」
「「「………」」」
それは全く知りませんでした。クラブ見学の日も放課後はここに来ましたけれど、見学時間中は柔道部でキース君たちが勧誘活動をやっているのを見てたのです。柔道十段の教頭先生目当てに入学してきた人はもちろん、見学中の人にも今年から豚汁を配っていたり…。合宿の名物なんだそうです、特製豚汁。
「君たちが留守にしていたからね、鬼の居ぬ間になんとやら…さ」
会長さんはフフンと鼻で笑いました。
「できる男は幾つもの顔を使い分ける。アルトさんたちにもリラックスして過ごして欲しいし、専用のカップを買おうと思ってるんだ。もちろん二人の好みを聞いて。…食器の管理はぶるぅだからね、君たちの目には触れない場所に置いてもらって大事にしよう」
「「………」」
顔を見合わせたのはスウェナちゃんと私。女の子扱いして貰っているつもりでしたが、私たち、二人とも格下でしたか…。
「ん? 君たちも愛人希望? だったらジョミーたちとは別になるけど、それでもいい?」
ぼくは大いに歓迎だけど、と微笑んでみせる会長さんは超絶美形。女の子なら誰でも憧れます。でも…愛人希望かと尋ねられたら、そこまではちょっと…。
「ふふ、みゆもスウェナも万年十八歳未満お断り…だっけね。みんなとセットで遊んでいたまえ、背伸びしないのが一番だよ。君たちにはそれが似合ってるんだ」
出ました、女殺しの魅惑の笑み。スウェナちゃんと私が頬を染めている間に話は別の方へと行ってしまって、今度の土曜日は会長さんの家に招かれることに。
「みんなでおいでよ、お花見をしたばかりだけどさ」
歓迎するよ、と会長さん。「そるじゃぁ・ぶるぅ」もニコニコ顔です。アルトちゃんたちのように特別扱いも素敵ですけれど、やっぱりみんな揃ってこそ…かな?

土曜日のお昼前、私たちは会長さんのマンションにお邪魔しました。何種類ものピザが並んで壮観です。あれこれ選んで食べまくってからリビングの方に移動すると…。
「なんだ、まだ片付けていないのか?」
キース君が目を留めたのは棚の上に置かれた人魚像。鈍い金色に輝くそれは教頭先生を象った逞しい像で…。
「ああ、あれね。何か使い道がないかと思って、しばらくは置いておくつもり」
「…またチョコか? 教頭先生、相当にダメージが大きかったみたいだぞ」
溜息をつくキース君。花祭りと称して溶かしたチョコを浴びせまくられた人魚の像は、どういう仕掛けか分かりませんが教頭先生の舌にチョコの甘さをダイレクトに伝えるものだったのです。甘いものが苦手な教頭先生は倒れてしまい、翌日の柔道部の朝練に出て来なかったらしいのですが…。
「ダメージねえ…。ハーレイが倒れた本当の原因は甘さじゃなくってチョコのイメージの方なんだよ? ぼくの身体を連想しちゃったハーレイが悪い」
ぼくは全然悪くない、と主張している会長さん。人魚の仮装をさせた挙句に像を作ってオモチャにするなんて、誰が聞いても悪戯なのに…悪戯は罪じゃないのでしょうか? と、棚の前に行って像を見ていたシロエ君が。
「これって何で出来てるんですか? 今は触ってもいいんでしょうか?」
「ああ、いいよ。ハーレイと常にシンクロしているわけではないし。…それが気になる?」
好きなだけどうぞ、と会長さんは人魚像を掴んでテーブルの上に持って来ました。
「シロエは機械弄りが好きなんだっけね。だから仕組みを知りたいのかな?」
「ええ、まあ……。そんなところです」
「興味を持つのはいいことだよ。そう簡単には壊れないから、叩いてみてもかまわない」
会長さんのお許しを貰ったシロエ君は像を手に取り、重さを確かめ、表面を撫でたり指先で軽く弾いたり。隅から隅まで調べたものの、得られるところが無かったようで…。
「駄目です、全くのお手上げですよ。…金属製だとは思いますけど、どうやって教頭先生の味覚とシンクロしたのか分かりません。仕掛けは何も見当たりませんし」
ゴトリ、と像をテーブルに戻すシロエ君。
「そうなのか? そう言われると俺も気になる」
メカは専門外だがな、とキース君が像を持ち上げ、コンコンと軽く叩いてみて。
「この音からすると中までキッチリ詰まっているな。空洞だったら内側に呪符の類を入れるってこともあるんだが」
「「「ジュフ?」」」
聞き慣れない単語に首を捻ると、キース君は「お札だ」と説明してくれました。
「呪文なんかを書き付けた紙を呪符と呼ぶ。効果は呪文によって自在に変わるし、守ることも呪うことも出来ると聞くぞ。…素人が書いたものでは効果は無いが、ブルーくらいの高僧だったら十分だ。そういう仕掛けかと思ってみたが、それも違うか…」
降参だ、と像を戻して両手を上げるキース君。私たちも像を順番に手渡ししながら見てみましたが、金属らしい重さを確認できただけです。
「どうだった? やっぱり誰にも分からない?」
会長さんの問いに、私たちは素直に頷く以外にありませんでした。会長さんはテーブルに置かれた像の頭をチョンとつついて。
「素材に秘密があるんだよ。これは普通の合金じゃない。ぼくたちの…シャングリラ号には必要だけど、この地球上で生活するにはさして意味のない配合かな、うん」
「「「え?」」」
「シャングリラ号のブリッジを覚えているだろう? サイオンキャノンの発射装置は?」
「あ!」
シロエ君が声を上げました。
「ホントだ、あれと同じ色です! 興味があったんでよく覚えてます。…あれって特殊鋼か何かですか?」
「まあね。サイオンキャノンの試射も見せたけど、サイオンキャノンはその名のとおりサイオンを利用したシステムだ。そのためにはサイオンを伝えやすい素材を使わないと…。他のセクションでも使われてるよ、この合金は。要になっているのはね…」
「……ジルナイト鉱石」
「「「!!?」」」
答えを言ったのは私たちの中の誰でもなくて、もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」でもなくて…。
「こんにちは。温泉旅行は楽しかったね」
紫のマントをフワリと翻してソルジャーがリビングに立っていました。い、いつから話を聞いてたんですか? それに何しに来たんですか~!?

空いているソファに腰を下ろしたソルジャーの前に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が急いで紅茶を運んできます。私たちにも飲み物が配られ、ダックワーズを盛ったお皿も…。
「これがハーレイの人魚像か。本物を見ると実に傑作」
花祭りの騒動を覗き見していたというソルジャーは人魚の像を撫で回したり、持ち上げてみたり。
「いいね、これ。…ぼくもこういうのを作ろうかな? モデルに逃げられそうだけれども」
「これが見たくて来たのかい?」
迷惑そうな会長さんに、ソルジャーは「ううん」と首を横に振って。
「像の素材でみんなが頭を悩ませてたから、正解を言いに。…それと、ぶるぅのおやつかな。いつも美味しくてハズレが無いし」
「お誉めに与ってどうも。…で、ジルナイト鉱石って?」
会長さんの言葉にソルジャーはキョトンとした顔で。
「え? サイオンの伝導効率を高めるために混ぜると言ったらジルナイトだろう? それとも、こっちじゃ別のものかな?」
こんなのだけど、とソルジャーが会長さんに思念で情報を伝えているようです。会長さんは納得した様子で「なるほど」と呟き、私たちに。
「じゃあ、ジルナイトってことにしておこう。ぼくが言いたかったものとジルナイトとは同じだから」
「ジルナイト!? そんな鉱石ありましたっけ?」
シロエ君が突っ込み、キース君が。
「俺も初耳だ。他の惑星で採れるのか?」
「…まさか。シャングリラ号は地球で造った船だよ? 材料を採りに他の星まで行ったと思う? 言っておくけど、生身で宇宙空間に出て行けるのはタイプ・ブルーのぼくとぶるぅしかいないんだからね。そこまでしないと造れない船なら諦めてるさ」
そうだろう? と会長さん。言われてみればそのとおりですが、キース君たちも知らないような稀少な鉱石がシャングリラ号の要ですか…? 会長さんは疑問だらけの私たちを見回して。
「ぼくたちの世界では別の名前で呼ばれてる。そして珍しいものでもない。…ただ、サイオンが知られてないから地球上では意味がないだけだ。君たちには『サイオンを伝えてくれる鉱石』と説明しようと思ってたけど、ちょうどいい別名が出てきたからね…。ジルナイトってことで納得しといて」
本当の名前はシャングリラ号のクルーにならないと教えられないのだ、と会長さんは真顔でした。そういう理由ならジルナイトでもいいですけども、それが入った合金製の教頭先生人魚の像の仕掛けの方は…? サイオンを伝えやすい素材で出来ているから、あんな悪戯が出来たんですか? 口々に尋ねる私たちに、会長さんはニッコリ笑って。
「そういうこと。ぼくのサイオンで表面を覆って、ハーレイの身体の方にもぼくのサイオンを侵入させて…味覚と直結させたってわけ。その要領で色々できるよ」
「…うん、本当に色々と…ね」
相槌を打ったのはソルジャーでした。
「上手に使えばコレだけでハーレイを昇天させるのも可能かな」
「「「昇天!?」」」
冗談ごとではない恐ろしい単語に、私たちは顔面蒼白。ま、まさか…この像に釘を打ったら教頭先生はお亡くなりに…? それって藁人形と同レベルでは? いくらなんでも丑の刻参りはあんまりでは…?
「丑の刻参り? なんだい、それは」
今度はソルジャーが首を傾げる番でした。流石にSD体制が敷かれたソルジャーの世界に丑の刻参りは無いようです。でも似たものはあるんですよね? 呪いの人形は確かブードゥーでしたっけ? ジルナイトみたいに名前は違えど、きっと呪いの人形が…。

丑の刻参りの説明を会長さんから聞いたソルジャーはプッと吹き出し、散々笑い転げました。もしかして私たち、藁人形で人が殺せると信じ込んでいる非科学的な人間だと思われてますか? ソルジャーの世界にだって、呪いの人形はあるというのに…。鰯の頭も信心からです。しかし…。
「ごめん、ごめん。つい……おかしくってさ」
涙まで出てきちゃった、と指で目尻を拭ったソルジャーは不満一杯の私たちに謝ってから。
「丑の刻参りにブードゥーだっけ? ぼくの世界にそういう類の迷信は無い。SD体制以前の古い本を読んで、その気になってやっている人は存在するのかもしれないけれど…。呪いで人は殺せない。あくまで普通の人間には…ね」
「「「???」」」
「ミュウはサイオンで人を殺せる。それを望むミュウはいないというのに、その能力を持つというだけで恐れられるし、抹殺される。…この話は暗くなるから置いといて……さっきの君たちの反応だけどさ。昇天の意味を間違えてるよ」
「「「は?」」」
ソルジャーの世界の話で沈んだ気分になりかかっていた私たちですが、ソルジャーの瞳は悪戯っぽく輝いています。昇天の意味って、ひょっとして…お亡くなりという意味ではなくて、エロドクターがよく口にする口説き文句の中のアレ…? ジョミー君たちも思い当たったのか、頬がちょっぴり赤くなっています。
「やっと分かったみたいだね。そう、ぼくが言ったのはそっちの方さ。でも、この人形は残念なことに人魚になっているものだから…」
ツツーッと指で教頭先生の像の首から下を辿るソルジャー。
「肝心の部分が無いんだよねえ。…もっとも、あのハーレイなら上半身だけで十分だって気もするけれど。ちょっと試してみようかな」
「却下!!!」
会長さんの雷が落ち、青い光がソルジャーの指をパシッと弾き飛ばしました。教頭先生の像はシールドに包まれ、青く発光しています。
「いたたた…。なんだ、結局、ハーレイのことが好きなんじゃないか。…ぼくに触らせたくないほどに」
「違う! ハーレイが妙な気分になったら一番にぼくが困るんだ! 家に電話がかかってきたり、熱烈なラブレターを送ってきたり…。本当にムラムラしちゃった時は最悪なんだよ、プレゼントを送って寄越すから」
「…プレゼント? 何を?」
「こういうヤツ!!!」
バサリとソルジャーの膝の上に落ちて来たのは青い布きれの塊でした。
「………???」
両手で広げてみたソルジャーの目が点になり、ジョミー君がウッと仰け反り、私たちの脳裏に一昨年の夏がフラッシュバック。…それは超ミニ丈で青いスケスケの……ベビードールではありませんか! 教頭先生が「これを着たあなたを見てみたい」というカードをつけて会長さんに贈り、会長さんがそのままジョミー君に回して着せてしまった因縁の…。
「…これを……君のハーレイが…?」
有り得ない、と一蹴するソルジャーに、会長さんは大きな溜息をついて。
「それがあるんだよ、十年に一度あるか無いかの御乱心ってヤツが。…分かったらハーレイを刺激するのはやめてほしいな。あの人形のせいで昇天なんかしちゃった日には、絶対ロクでもないことに…」
「なるほどねえ…。そういうわけなら手を引こう。珍しいものも拝めたしさ」
一世一代のプレゼントか……とベビードールを矯めつ眇めつ眺めるソルジャー。会長さんったら、まだあんなものを残していたとは驚きです。まりぃ先生が言っているように歪んだ愛でもあるのでしょうか? ソルジャーもそれを指摘しましたが、答えは実に明快でした。
「何が愛だって? バカバカしい。…脅しのネタに置いてあるだけだよ。これを学校に提出したらハーレイの立場はどうなると思う? 証拠品は大事にしておかなきゃね、場合によってはお金にもなるし」
「「「………」」」
まだまだ毟り足りないのか、と頭痛を覚える私たち。ソルジャーもガッカリしたようですけど、この性格こそが会長さん。三百年の筋金入りは多分直りはしないでしょう。

ベビードールが片付けられると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が何種類ものケーキやスコーン、サンドイッチを運んで来ました。会長さんの家でのアフタヌーンティーは久しぶりです。ソルジャーのお目当てはこれだったらしく、「ぶるぅ」の分を持ち帰り用に詰めて貰って上機嫌。美味しいお菓子に舌鼓を打っていると…。
「…身代わりを立てるっていうのはマズイよね…」
唐突な会長さんの台詞に全員の手が止まります。身代わりって…誰の? そして何の? 矢継ぎ早に質問を浴びせるソルジャーと私たちに、会長さんは苦笑しながら。
「いいんだ、どう考えても無茶だから。…第一、ソルジャーの立場では許されるわけがないんだし」
「…だから何のさ?」
言ってみたまえ、とソルジャーが畳み掛けると、会長さんは少し逡巡していましたが…。
「………。年に一度の健康診断」
「「「健康診断?」」」
ソルジャーは怪訝な顔でしたけど、私たちにはすぐ分かりました。去年、サム君が会長さんをエロドクターから守ろうと必死になっていたヤツです。もう一年になるんですか…。会長さんはソルジャーとしての自分に健康診断の受診が義務付けられている事情を話し、逃げられないのだと語ってから。
「…ノルディがぼくに御執心なのは知ってるだろう? 去年の借りは返したけれど、またキスマークをつけられちゃったら大変だ。それで今年もボディーガードを頼むつもりでキースたちを呼んだんだけど…。君が乱入したってわけ」
「それじゃ身代わりって言っていたのは…ぼくのことかい?」
「うん。君はノルディも平気だからね、代わりに行って貰おうかなあ、って思ったんだよ。…だけど…必要なのはぼくの健康診断だ。ぼくの代わりがいない以上は、ぼく自身が受けておかないと…」
万一の時に困るから、と珍しく殊勝な会長さん。日頃の行いからはとても想像できませんけど、ソルジャーとしての自覚はあるようです。三百歳を超えているだけに健康管理は大切でしょう。それでも気乗りしないというのは行き先がドクター・ノルディの所だからで…。
「あーあ、ハーレイの人形じゃなくてノルディの人形が作れたらなあ…」
「「「は?」」」
会長さんの真意が掴めません。ドクターの人形なんかがあったとしたらどうするんですか? 会長さんは棚の上の教頭先生の像を見遣り、私たちの方に視線を戻して。
「キースが言っていただろう? 呪符を使えば色々出来る…、って。あの時に頭を掠めていったんだよね、陰陽道の人形が」
「「「ヒトガタ?」」」
えっと。人形と書くヒトガタですか? 漫画や映画で陰陽師が呪文を唱えて紙の人形に人間の身代わりをさせる話を見ましたけれど、あれなんでしょうか…?
「そう、ヒトガタ。字は人形と同じなんだ。キースの言葉で思い浮かんだのは人形をぼくの身代わりに立てることだったけどさ…。今、考えてるのは別のこと。ノルディの身代わり人形が欲しいなぁ、って。それでノルディを呪縛しとけば不埒な真似は出来ないだろうと」
「あんた、陰陽道の心得まであったのか!?」
仰天しているキース君。会長さんは「少しだけね」と微笑みました。
「でも本当に齧っただけだし、身代わり人形までは作れない。陰陽道の技では…ね。だけどハーレイの人形と同じ方法だったら、ぼくにも作ることは可能だ。そういう人形があればいいのに…」
「作ってしまえばいいじゃない」
ジョミー君が何のためらいもなく言い放ちました。
「教頭先生はオモチャにされたら可哀想だけど、エロドクターならいいと思うな。ブルーを追っかけ回してるだけで、ちっとも大事にしていないもの」
「おう! ジョミーが言ってる通りだぜ!」
拳を握って叫ぶサム君。会長さんが大好きなだけに、エロドクターへの嫌悪感も半端じゃないのです。
「あいつ、何かって言えばブルーに悪さをしようとするし……作っとけよ、その人形。絶対それがいいと思うぜ」
「俺もそう思う。…作るべきだな」
まるで同情の余地はない、とキース君も断言します。シロエ君もマツカ君も、スウェナちゃんも私も賛成でした。あのドクターを封じるための人形があれば、安心して生活できそうですから。…ソルジャーも乗り気になり、作ってしまえと言ったのですけど。
「……それが出来たら苦労はしないよ」
無理なんだ、と悔しげに唇を噛む会長さん。
「さっき言っただろう、陰陽道は少しだけしか齧っていない…って。そんなレベルじゃノルディの人形は作れやしない。絶対的に力不足だ」
もっと極めておくべきだった、と項垂れている会長さん。いいアイデアだと思ったのですが、作れないんじゃダメなのかなあ…。ん? あれ? さっき作れるって言ってたような…? それとも私の聞き間違い…?

エロドクターを封じられるかもしれない身代わり人形。作り出そうと盛り上がったのに、不可能と知って落胆したのは私だけではありませんでした。サム君などは歯軋りをしてキース君に詰め寄っています。
「おい、お前の知り合いにプロの陰陽師はいないのかよ! 坊主って顔が広いんだろ!」
「そんなこと俺に言われても…。ブルーの方が人脈もあるし、なんといっても高僧だし…そっちのツテが確かだって! なあ、ブルー?」
「ん…? あ、そうだね…。そうかもしれないね…」
煮え切らない様子の会長さん。自分の身を守るアイテムに関する問題なのに、心ここに在らずと言った感です。視線も何処か定まりませんし、気になることでもあるのでしょうか…?
「……ブルー。ぼくは記憶力に自信があるんだけどね」
こっちを向いて、とソルジャーが会長さんに声をかけました。会長さんは一瞬ビクッと肩を震わせ、すぐに普段の顔に戻って。
「あ、ああ、ごめん。ちょっと考え事をしていて…」
「考え事ねえ…。ノルディのことだろ? …もう一度言うよ。ぼくは記憶力には自信がある。ついでに、この補聴器は記憶装置を兼ねているんだ。ブルー、君はノルディの人形を作れると言ったと思うんだけど、ぼくの記憶は間違ってるかい?」
「…………」
否定はしない会長さん。それは無言の肯定でした。ソルジャーも私も作れると聞いたドクターの人形が作れないことになったのは何故…? ジョミー君たちも記憶を遡って確認したのか、肘でつつきあって顔を見合せています。ソルジャーが重ねて問い掛けました。
「ハーレイの人形と同じ方法で作れると確かに聞いたんだよ。なのに君は別の方法を持ち出して来て、力不足で無理だと言う。…片方は可能で片方は不可能。この矛盾はどこから来るんだろうね? ノルディの人形を作りたくないんだとしか思えないけど…?」
「………」
「でも君は人形が欲しいと言った。…その人形、ぼくが作ってあげようか?」
「えっ?」
俯きかかっていた顔を弾かれたように上げた会長さんに、ソルジャーはクスクスと笑い出しました。
「やっぱりぼくでも作れるらしいね。…やり方は? 教えてくれれば作ってみるよ。ハーレイの人形で遊びたいって言ったら止められちゃったし、代わりにノルディで遊んでみたい。ぼくは人形遊びが出来て、君はノルディの人形を手に入れる。…ね、悪くない取引だろう?」
げげっ。エロドクターとソルジャーといえば何かとお騒がせな組み合わせですが、これから一体どうなるのでしょう? 会長さん、許可を出すのでしょうか? それに人形の作り方は…? この胸騒ぎは気のせいなんだと思いたいですけど、嫌な予感が治まりません~! 

 

 

 

 

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