シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
バレンタインデーがやって来ました。今年も1年A組の教室に会長さんが現れます。朝のホームルームが始まる前に自分用のチョコを集めようという魂胆でした。会長さんは鞄を手にして、お供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大きな袋を提げていて…。
「おはよう。…嬉しいな、ぼくにくれるんだ?」
女の子たちが差し出すチョコを会長さんが袋に入れて、お礼に握手をしています。甘い言葉も忘れません。アルトちゃんとrちゃんが渡したチョコは会長さんの鞄の中に…。やっぱり二人は特別扱いらしいですね。スウェナちゃんと私のチョコも鞄に入れては貰えましたけど、それはあくまで友達として。…いえ、友達で十分ですとも! 悪戯好きな会長さんと恋をする勇気はありませんです。本命チョコは会長さんより…。
「かみお~ん♪ ぼくにくれるの!?」
大喜びでアヒルちゃんの模様がついた袋を取り出す「そるじゃぁ・ぶるぅ」。一昨年はチョコレートの滝を固めたチョコで、去年はデパートで買ったチョコ。今年は会長さんとお揃いのチョコを買ってみました。スウェナちゃんからも本命チョコです。日頃お世話になっていますし、なんといっても可愛いですし…。
「わーい、ブルーのとおんなじチョコだ! ありがとう!」
ピョンピョン飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」は宙返りまでしてくれました。選択は正しかったようです。会長さんでは気障な台詞が貰えるだけで感激してはくれませんから。ジョミー君たちにも義理チョコを渡し、シャングリラ学園恒例のバレンタインデーの交流行事はおしまいです。会長さんは学校中から押しかけて来た女の子たちのチョコをゲットして悠々と帰って行きました。そして放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと…。
「こんにちは」
「かみお~ん♪」
ソルジャーと「ぶるぅ」が揃ってソファに座っています。ソファの横には紙袋が沢山。チョコの買い出しに二人でやって来たのでしょう。テーブルには「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ったザッハ・トルテが。
「お邪魔してるよ。デパートは女の人が一杯で疲れちゃった」
そう言うソルジャーは会長さんの制服ではなくてソルジャー服です。その格好でチョコレート売り場に行って来たと…?
「そうだよ。サイオンを使えば目立たないし」
「「「サイオン?」」」
なんのこっちゃ、と首を傾げるとソルジャーは「こんな風に」とパッと着替えてしまいました。暖かそうなセーターと仕立てのいいズボン。会長さんの私物に見えますが…。
「残念でした。…着替えてなんかいないんだよ。サイオニック・ドリームでそう見えるだけ」
クックッとおかしそうに笑うソルジャー。
「ほら、キースとジョミーがいつも練習してるだろ? 坊主頭に見えるように…って。理屈はアレと同じなんだ。ブルーの服を借りて行ってもよかったんだけど、チョコの代金を貰った上に服まで借りるっていうのはねえ…」
ソルジャーが買い込んだチョコやザッハ・トルテのお金は会長さんが出したらしいのです。何かといえば教頭先生から巻き上げている会長さんが支払うだなんて、どういう風の吹き回しでしょう?
「ね、君たちもそう思うだろう? おまけにドレスもプレゼントしてくれるんだってさ。…ずいぶん気前がいい話だけど、このツケはきっとハーレイの所に回るんだろうね。かわいそうに」
「「「………」」」
まさか、と思いはしたものの…会長さんならやりかねないかも? でも、それよりも問題なのはソルジャーです。さっさとお帰り頂かないと、教頭先生に要らぬちょっかいを…。
「ん? 大丈夫だよ、今日はぼくだって忙しいから。ね、ぶるぅ?」
ソルジャーの問いに「ぶるぅ」が大きく頷いて。
「うん! 今日は特別休暇なんだよ。ハーレイのお仕事が終わったら大人の時間。だからね、ぼく、チョコを食べたら歯磨きをして、土鍋に入っていい子で寝るんだ」
「そういうこと。で、ぼくのチャイナドレスを見てくれるかな? とても素敵に出来上がったから」
セーターとズボンがパッと消え失せ、ソルジャーの身体がチャイナドレスに包まれました。身体にフィットした艶やかな紫の生地に白と銀とで孔雀の尾羽が刺繍されています。
「どう? 今度はちゃんと着替えてみたんだけども」
ドレスはとてもお似合いでした。サム君が息を飲み、キース君が。
「紫というのが上品だな。刺繍も華やかで、かといって派手というのでもなく…。ドクターのセンスよりもいいんじゃないか?」
うわぁ…なんて上手に誉めるんでしょう。ソルジャーは満足そうな笑みを浮かべて。
「ありがとう。どんな下着が合いそうかな?」
「え?」
キース君の目が点になりました。下着って…。下着って……?
「ブルー!!」
割って入ったのは会長さん。赤い瞳でソルジャーを睨み、ビシッと壁を指差して。
「そろそろ帰ってくれないかな? ドレスは見せたし満足だろ? 十八歳未満の子たちに下着のチョイスなんかさせられないよ。それは自分で考えたまえ」
「ちぇっ…。見せびらかそうと思ったのに」
唇を尖らせたソルジャー曰く、キャプテンからプレゼントされた下着コレクションがあるのだそうです。機会があったら披露したいと言うソルジャーに私たちは引き攣った愛想笑いを振り撒き、チャイナドレスを褒めまくって……やっとのことでソルジャーと「ぶるぅ」が引き揚げたのは一時間も経ってからでした。
「…あーあ、散々な目に遭っちゃった」
会長さんが肩をトントンと叩いています。ソルジャーは特別休暇とチャイナドレスでハイになっていたようでアヤシイ単語が何度も飛び出し、その度ごとに注意していた会長さんは相当疲れたのでしょう。誉め誉め作戦を展開していた私たちの顔にも疲労が滲み、元気なのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけ。
「お疲れさま~! ザッハ・トルテのおかわりあるよ? ホイップクリームたっぷりつけるね」
ホットココアと一緒に出てきた高カロリーなケーキの甘さは私たちには救世主。食べ終えて人心地ついてきた頃、会長さんもようやく調子が出てきたらしく…。
「みんな元気になったようだし、そろそろ行こうか。早く損失を埋めないと」
「「「は?」」」
キョトンとする私たちに会長さんは「分からない?」と人差し指を立ててみせて。
「ブルーのために仕立てたドレス、コストがけっこうかかってるんだ。チョコの代金も半端じゃない。ぼくが支払っておいたけれども、お金が減るのは好きじゃないしね」
「そ、それって…」
ジョミー君が口をパクパクさせます。
「も、もしかして教頭先生に払わせるとか…? ソルジャーが予言してた通りに…?」
「あれは予言と言わないよ。予想と言ってくれないかな」
言葉遣いは正確に、と会長さんは訂正を入れて。
「ハーレイはきっと払ってくれるさ、財布が空になっても…ね。ぼくのお願いなんだから」
「…あんたってヤツは…」
悪人だな、とキース君が深い溜息をつきました。
「今日が何の日か分かってるのか?」
「もちろんだよ。沢山チョコを貰っておいて忘れる筈がないだろう? …年に一度のバレンタインデーだ」
ほらこんなに、と会長さんが示す先にはチョコレートの山。きちんと仕分けされて置かれたチョコは学園中の女の子たちの夢と憧れの結晶です。…キース君は再度溜息をついて。
「よりにもよってバレンタインデーに教頭先生から毟り取る気か? もっと別の日にすればいいのに…。教頭先生は貰える方だと思っているぞ、間違いなく…な」
「そうだろうね。去年はちゃんとプレゼントしたし…。でも、大切なことを忘れてないかい? ハーレイは甘いものが苦手なんだ。チョコは有難迷惑なんだよ」
だから気にする必要はない、と会長さんは強気です。チョコが苦手な人のためにネクタイとかも宣伝してたと思うんですけど、言うだけ無駄ってものでしょうか。
「よく考えてみたまえ、キース。…ぼくは男だ。そのチョコの山が証明している。学園一の人気を誇るぼくからチョコを貰おうだなんて、厚かましいにも程があるよ。期待する方が間違ってるのさ」
だから代わりに貢がせるんだ、と会長さんは立ち上がりました。私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」もお供につくしかありません。ソルジャーを早々に追い返したかった理由はこれでしたか! もしもソルジャーがついて来ていたら、財布の中身をねだるどころじゃありませんから。
ソルジャーのために使ったお金を教頭先生に肩代わりさせようという会長さん。バレンタインデーだというのも気にせず、先頭に立って本館に行き、教頭室の重厚な扉をノックして。
「…失礼します」
机に向かっていた教頭先生の顔が一瞬輝き、会長さんの後ろの私たちを見るなりガックリ感を漂わせました。
「なんだ、お前たちか」
「ご挨拶だね、ハーレイ。みんながいるとマズイことでも? あ、そうか…。もしかしてチョコを貰えると思ってた? 去年みたいに」
「…お、おい、ブルー!」
教頭先生は真っ赤になって慌てふためき、会長さんがクスッと笑って。
「ごめん、ごめん。…去年ぼくからチョコを貰ったのは内緒だっけ。もうバレちゃったみたいだけどさ」
「…………」
しょんぼりと俯く教頭先生。そういえば去年は『見えないギャラリー』としてお供したので、教頭先生は会長さんが
一人でチョコを渡しに来たのだと信じ込んでいたのでした。あのチョコはかなり悪質でしたが…。中にメッセージ入りのカプセルがあるから、と苦手なチョコを食べさせてみたり、そのメッセージで悪戯したり。あれに比べればお金を毟り取られる方がマシと言えるかもしれません。
「ハーレイ、そんなにしょげなくっても…。今日もチョコ絡みで来たんだよ」
「そうなのか?」
教頭先生は一気に立ち直りました。おめでたいと言うか流石と言うか…。会長さんは教頭先生の机に近付き、ポケットから紙を取り出して。
「…これ。チョコレートの請求書」
「請求書? なんだ、私が払うのか? まあいいが…」
お前から貰うチョコの金なら、と請求書を見た教頭先生の顔がみるみる青ざめます。会長さんが差し出したのは何枚ものレシートだったのですから。
「おい、こんなに沢山どうするつもりだ…。私にこれを食えというのか? いくらなんでもこの量は…」
「ダメかな? 闇鍋も平気で食べてくれたし、チョコレートくらい大丈夫かな、って」
「……お前の手作りチョコなら頑張れるのだが……」
これはデパートのチョコだろう、と教頭先生は脂汗。次に会長さんが取り出したものは…。
「えっとね、こっちはチャイナドレスにかかった費用。ぶるぅが縫ったから生地代と刺繍の手間賃だけなんだけど、領収書を失くしちゃって…確かこのくらいの額だった」
「……むむぅ……」
「あのドレス、楽しんでくれたよね? ハーレイのために作ったんだよ。…もちろん払ってくれるだろう?」
会長さんはソルジャー用に作ったドレスの代金をエロドクターが誂えたドレスの分だと偽って巻き上げようとしていました。教頭先生はコロッと騙されたようで。
「そうか、ドレスの代金か…。ならば支払うべきだろうな。…それとチョコレートの代金だが…。金は払うからチョコは勘弁してくれ。私には無理だ」
「いいのかい? みんなで食べてしまっても? 限定品とか色々なんだよ」
「かまわん。胸やけするよりはいい」
苦笑しながら財布を出した教頭先生はお札を数えて会長さんに渡し、会長さんは嬉しそうに。
「ありがとう、ハーレイ。…実はね、チョコもドレスもブルーが注文したんだよ。ぼくのじゃない」
「……ブルーだと!? ちょっと待て、それはどういうことだ!」
「だからブルーの分だってば。チョコはブルーが買ったんだ。ぶるぅと一緒に食べるんだってさ、あっちのハーレイも甘いものは苦手だから。…チャイナドレスもぼくのを見て欲しいと言い出したんだよ。バレンタインデーの特別休暇に着るんだって言ってたけども…。あれ? ハーレイ…?」
教頭先生は机の上に突っ伏しています。会長さんにお金を毟り取られるのは毎度のことですが、ソルジャーの分を支払わされてショックを受けているのでしょう。燃え尽きている教頭先生の肩を会長さんが軽く叩いて。
「ハーレイ、のびてる場合じゃないよ。…今年のチョコはぼくなんだから」
「「「!!?」」」
ガバッと跳ね起きる教頭先生。私たちもビックリです。今年のチョコは会長さんって…どういう意味?
「仕事が終わったらぼくの家に来て。年に一度のバレンタインデーだし」
「……ブルー……?」
「約束だよ。プレゼントはチョコだ」
じゃあね、と教頭室を出ていく会長さん。私たちも慌てて続きました。今年のチョコが会長さんで、おまけにプレゼントだなんて、いったい何…?
「おい。今年のチョコって何の話だ?」
キース君が問いかけたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に帰ってからでした。そろそろ下校時間が近づいています。会長さんはニッコリ笑って。
「続きはぼくの家で話さないかい? 晩御飯を御馳走するからさ。そのつもりで用意してきたんだ」
ぶるぅ特製ビーフストロガノフにボルシチに…と語る会長さんには逆らえそうもありません。それに「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお料理は美味しいですし…。私たちは早速家に連絡しました。会長さんの家に遊びに行くから遅くなる、と。それが済むと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の力で瞬間移動。着いた先は会長さんの家のリビングです。
「かみお~ん♪ ハーレイが来るのが六時半頃だから晩御飯は早めにするね」
いそいそと飲み物を用意してくれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちはソファに落ち着き、キース君が。
「さっきの話を聞かせてくれ。…俺には今年のチョコがあんただという風に聞こえたんだが」
「ああ、間違ってないと思うよ。今年のチョコはぼくだと言ったし」
会長さんは優雅に紅茶のカップを傾けました。
「バレンタインデーに相応しいプレゼントじゃないかと自信を持ってる。ハーレイだって喜ぶ筈さ」
「ま、まさか…」
不安そうに口を開いたのはサム君でした。
「ブルー、まさか教頭先生に……チョコの代わりに…」
「食べられるつもりじゃないのか、って?」
コクコクと頷くサム君に、会長さんは「まさか」と軽くウインクして。
「そんな趣味はないし、食べられてあげるほど気前もよくない。でも食べたい気分にはなるだろうねえ…。いや、甘いものは苦手なんだし食べたくないかな?」
「「「???」」」
話が全然見えてきません。会長さんがパチンと指を鳴らすと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が豪華なパンフレットを持って来ました。シャンデリアが輝くお城のような部屋をバックに書かれた文字は…。
「「「チョコレート・スパ!?」」」
「そう。ぶるぅにザッハ・トルテを作らせていて思い出したんだ。あのトルテで有名なホテルでやってたっけ…って。チョコレートを使った全身エステのコースだよ。終わった後も二日間ほど身体から甘い香りがするらしい。だから…」
「…教頭先生にやらせるんですか?」
シロエ君が恐る恐る尋ね、会長さんは豪華パンフを開いて見せて。
「うん。せっかくだから本場のがいいと思ってさ…。昨日、瞬間移動で行ってきた。いろんな国から人が来るから各国語のパンフが揃っていたよ。パンフを貰って、必要なものを揃えて貰って…ついでに技もサイオンでちょっと、ね。技以外はちゃんとお金を払ってきたから安心したまえ」
会長さんは得意げでした。そういえばソルジャーのお給料はとても高いんでしたっけ。教頭先生にたかってばかりいるので、ついつい忘れがちですが…。そして教頭先生にエステティシャンの技を仕込んだのも会長さんです。
「そういうわけで、今年はぼくがチョコになるのさ。文字通りチョコレートまみれだからね、バレンタインデーには最適だろう?」
パンフレットには全身にチョコを塗りたくられた女性の写真が載っていました。利用者の四割強は男性だとも書かれています。…うーん、それなら問題ないかな? 私たちはパンフを回し読みして興味津々。早めの夕食を食べる間も話題はもっぱらチョコレート・スパ。夕食の後はリビングで「そるじゃぁ・ぶるぅ」がエステ用のローションなどを揃え始めて、間もなく玄関のチャイムが鳴って。
「かみお~ん♪ ブルーが待ってるよ!」
リビングに現れた教頭先生は私たちを見て肩を落としました。この状況では会長さんとの甘い時間なんかは望めそうもないからです。きっと半端なく期待しながら来たのでしょうが…。
「…ブルー……。今年のチョコはお前だと言っていなかったか…?」
微かな望みを繋ぐかのように声を絞り出す教頭先生。会長さんは艶然と微笑み、教頭先生を手招きして。
「そうだよ。ほら、見てごらんよ、このパンフ。…ぼくの身体にチョコレートをたっぷり塗れるだなんて夢のようだと思わないかい? 次からチョコの香りを嗅ぐ度、ぼくの手触りを思い出せる。…素敵だろう?」
教頭先生がウッと短く呻きました。どうやら鼻血の危機らしいです。けれど会長さんは容赦なくサイオンでチョコレート・スパの技を流し込み、ひらひらと片手を振ってみせて。
「バレンタインデーのプレゼントだよ。ぼくはお風呂に入ってくるから、上がったらエステの方をよろしく。ハーレイもチョコの甘い香りに存分に酔ってみるといい」
じゃあ、とバスルームに向かう会長さん。お風呂にもチョコレート・アロマの蒸気が満たしてあるのだそうです。うーん、どこまで凝ってるんだか…。
教頭先生は会長さんの家に常備されているエステ専用の服に着替えて手持無沙汰に立っていました。会長さんはのんびりバスタイム。と、廊下の方で言い争うような声が聞こえて…。
「狡い!!」
叫びながらリビングに飛び込んで来たのはバスローブ姿の会長さん。…えっ、その後ろにもバスローブを着た会長さん…?
「ブルー!!」
後から入って来た方の会長さんが「狡い」と叫んだ方の腕をガシッと掴みました。
「チョコレート・スパはぼく専用! ブルーは特別休暇中だろ!?」
げげっ。何故ソルジャーがこんな時間に…?
「特別休暇は今夜から! ぶるぅは寝ちゃったし、シャワーを浴びてハーレイが来るのを待っている間、暇だったから覗き見したら……楽しそうなことをやってるじゃないか。二日間も身体からチョコの香りが漂うなんて、絶対ぼくにピッタリだってば!」
休暇中は身体ごとハーレイのためのチョコになるのだ、とソルジャーは主張しています。とは言うものの、チョコレート・スパは二時間近くかかるんですから、二人分となれば夜中までかかってしまうかも…? しかし教頭先生はプロでした。
「…お二人とも同時に…というのは難しいですが、時間差でやってみましょうか。ブルー…ええ、そちらの…チョコの香りがしていないブルーは今からお風呂に。その間にブルーのマッサージを」
「ぼくにもやってくれるのかい? ありがとう、ハーレイ。…後でたっぷりサービスするよ」
何やら不穏な言葉を残してソルジャーはバスルームに行ってしまいました。会長さんは下着だけになって用意してあったベッドに寝そべり、カカオクリームと胡桃バターを調合したピーリング剤で全身マッサージ。その後、シャワーで洗い流す間に…今度はソルジャーが全身マッサージ。ところがここで問題が…。
「ぼくは下着は無しでやりたい!」
前にエステを頼んだ時もそうだったから、とソルジャーは全く譲りません。せっかく見学していたというのに、スウェナちゃんと私は出て行かざるを得ませんでした。ダイニングで「そるじゃぁ・ぶるぅ」が紅茶を淹れてくれましたけど、チョコレート・スパを見たかったなぁ…。
「あのね、シャワーの次はパックなんだよ」
私たちが気落ちしないよう、説明してくれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。カカオ・バターとチョコレート製のパック剤を全身に塗って、ナイロンラップを巻き付けて…その間にチョコレート・ローションで顔のお手入れ。そして再び洗い流して、今度はチョコレート・アロマオイルで全身をマッサージ。最後はチョコレート・ローションで仕上げなのだそうです。
「本当に甘い香りがするのね」
スウェナちゃんがウットリ呟きました。サイオンで中継できない代わりに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が香りを運んでくれています。チョコレートそのものの匂いですけど、食べても甘くはないのだとか。ということは「そるじゃぁ・ぶるぅ」は食べてみた…のかな?
「ブルーが甘くないんだって言っていたからホントかなぁ、って…。舐めたら全然甘くなくって、匂いだけだって分かったんだ。あんなに美味しそうなのにね。…あっ、終わったみたい」
もういいよ、と言われてリビングに戻るとバスローブ姿の会長さんとソルジャーがソファに腰掛けて談笑中。その足元には教頭先生が倒れ伏しています。
「サービスだよ、サービス」
会長さんが裸足の爪先で教頭先生をつつきました。
「バレンタインデーだしね、仕上げのローションが終わる瞬間に意識のブロックを解いたんだ。プロ根性が消し飛んだわけ」
本来ならばソルジャーの方が後なのですが、会長さんが順番を入れ替えて自分を最後にしたらしく…。会長さんの肌の手触りを直に感じた教頭先生が立ち直るまでに二十分ほどかかったでしょうか。柔道部三人組が額に冷たいおしぼりを乗せたり、冷たい水を飲ませたり。教頭先生、ご愁傷様です…。
チョコレートの香りの会長さんの素肌という凄いプレゼントを貰ってしまった教頭先生の鼻血が止まり、着替えを済ませて帰り支度を始めた頃。
「あっ、ハーレイ……ちょっと待って」
声をかけたのはバスローブ姿のソルジャーでした。
「お礼をするのを忘れてた。この姿をぜひ見て貰わなきゃ」
言うなりパッとチャイナドレスに着替えます。
「これの代金は君が支払ってくれたようだし、ぼくで良ければお相手するよ? 特別休暇が終わってからね。ブルーとそっくり同じ身体を一度くらいは味わってみたら? なんならチョコの香りを纏ってもいい」
挑発的な目のソルジャーに教頭先生はたじたじとして。
「い、いえ…。わ、私にはそんな大それたことは…」
「そう? あ、君のブルーでなくっちゃダメなのかもね、君は純情みたいだし…。それじゃ、ぼくからもバレンタインデーの特別サービス。君のハートを鷲掴みにするブルーの姿を見せてあげよう」
キラッと青い光が走った次の瞬間、教頭先生は鼻血を噴いて失神しました。ドスンという音が響くと同時にソルジャーの姿が消え失せ、声がどこからか聞こえてきて…。
「ハーレイにサイオニック・ドリームを見せた。ブルー、ハーレイは君のあられもない姿を見てしまったかもしれないよ。望みの服装に見えるように調整しておいたけど、服を着ているとは限らないしさ。ドレスだったか下着だったか、それとも何も着ていなかったか…。目を覚ましたら尋ねてごらん」
またね、と楽しげな笑いを残してソルジャーは帰ってしまいました。教頭先生は会長さんのどんな姿を見たのでしょうか…?
「……知りたくもない……」
会長さんが呻きました。そりゃそうでしょう、教頭先生の願望なんか知りたくないに決まっています。なのに…。
「ねえ、ブルー。どうしてさっきエプロン着てたの?」
ツンツンと会長さんのバスローブの袖を引っ張ったのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「あんなエプロン持ってたっけ? 白くてフリルが沢山ついてて…。それに裸でエプロンなんて、お行儀悪いと思うんだけど」
「「「………」」」
最強のサイオンを持つタイプ・ブルーの「そるじゃぁ・ぶるぅ」は無邪気な瞳でソルジャーが仕掛けたサイオニック・ドリームをしっかり目撃したのでした。教頭先生の望みは裸エプロンだったようです。控えめなのか大胆なのか、理解に苦しむ所ですが…。
「ブルーのせいで酷いバレンタインデーになっちゃった。チョコの香りで鼻血を出すようになったら楽しいな、と思って遊んでたのに…エプロンだって!? その記憶だけは消してやる!」
会長さんは失神している教頭先生の記憶の中から裸エプロンを綺麗に消去し、瞬間移動で家へと送り返しました。私たちも順番に家に送って貰いましたが、チョコレート・スパの甘い香りはそれから二日間ほど会長さんの周囲に漂っていて、まるでチョコレートの国の王子様。…ソルジャーはといえば寝ぼけた「ぶるぅ」にチョコと間違えて足を思い切り齧られたらしいのですが、そのくらいの罰は当たって当然…? 教頭先生がチョコを好きになったか嫌いなままか、そっちの方も気になります~!
生徒会の資金稼ぎに入学試験の問題のコピーを高額で売る会長さん。そのためには問題を入手しなくてはならないのですが、これには裏技がありました。試験問題を管理している教頭先生に耳掃除をしてあげて、お礼にコピーを貰うのです。去年『見えないギャラリー』としてお供した私たちは知っていました。今年もきっと……と思ったばかりに思念が零れてしまったらしく。
「…だから、耳掃除って何なのさ?」
言えないんなら読んじゃうよ、とソルジャーが私たちをグルリと見渡します。いくらソルジャーでも会長さんの心は読めないでしょうが、私たちの考えを読み取るくらいは朝飯前。第一、どうすれば思考を読まれないようブロック出来るのかも分かっていないヒヨッコですし!
「…かなり怪しいネタみたいだね。みんなが混乱してるのが分かる。…ブルー、君が絡んでいるのは確かだ。さて、どうする? 白状するか、ぼくが読み取るのを放っておくか…。どっちがいい?」
ゆっくり待ってもいいんだけれど、とソルジャーは紅茶のお代わりをカップに注ぎました。
「急いでいるのは分かってるんだ。ここでのんびりお茶をしていれば嫌でも動かざるを得ないだろうねえ…。何もしなくても耳掃除の意味が明らかになる。じっくり待たせて貰おうかな」
「…………」
会長さんは複雑な顔でソルジャーを見詰め、私たちは顔面蒼白です。耳掃除という言葉がバレたのは私たちのせいなんですから。ソルジャーは悠然とザッハ・トルテを食べ終え、居座るつもり満々でした。こうしている間にも時間はどんどん流れていきます。教頭先生が帰ってしまえば問題ゲットは大失敗? それとも入試直前までは仕切り直しのチャンスがあるとか…?
「……約束の日は初日だけなんだ」
溜息をつく会長さん。ソルジャーは興味をそそられたようで。
「約束? 耳掃除と関係あるのかい?」
「…ぶるぅのストラップ作りを見ていただろう? 入試対策グッズだというのも知ってるよね。グッズとは別に試験問題のコピーを販売してるんだ。コピーを売るには問題を手に入れないと話にならない。…試験問題の管理はハーレイの仕事。耳掃除は……ハーレイから試験問題を仕入れる対価」
「………」
聞き出した答えにソルジャーは首を傾げました。
「仕入れるって……。問題くらいサイオンでなんとかなるだろう? 作った人の心を読むとか、君のハーレイが保管してるのを覗き見するとか」
「…うん、出来る。出来るんだけど……遊び心というのかな。ハーレイに悪事の片棒を担がせるのが楽しいんだよね。最高責任者が問題を横流しだなんて顰蹙モノだ。それも生徒の色香に迷って…となれば最悪だしさ」
だから耳掃除、と会長さんは完全に開き直ったみたいです。
「試験問題が手元に揃うとハーレイはすぐにコピーを取るんだ。その日の内にぼくが出かけて膝枕で耳掃除をすればコピーが貰える。そういう約束。…初日にぼくが現れなければコピーは焼却されるわけ。ハーレイは試験問題を流したという罪の意識を負わない代わりに、耳掃除を泣き泣き諦めるんだ」
「……膝枕で耳掃除ね……」
ソルジャーはクックッとさもおかしそうに笑い始めて。
「それが最大限のサービスなんだ? 君にしては上出来だけど、耳掃除くらいで試験問題を流すだなんて…本当に君のハーレイは甘いというかヘタレというか…。で、これからハーレイの所へ行くわけか。ぼくも一緒に行ってみたいな」
「ぼく一人でという約束なんだよ」
会長さんは即座に撥ねつけましたが、ソルジャーはひるみませんでした。
「シールドから出ないんだったらいいだろう? この子たちも去年は一緒に行ってたみたいだし…。そうだ、みんなで見学しようよ。ぼくが手出しをしようとしたら、この子たちに殴らせたっていいからさ」
「……本当に……?」
「うん。遠慮なく殴ってくれてかまわない。柔道だっけ、あれで投げられても文句は言わないって約束する」
ね? とソルジャーは柔道部三人組に微笑みかけます。会長さんは諦めたように。
「…分かった。何かやらかしたらキースに一発殴って貰う。頼んだよ、キース」
「ああ。場合によってはタコ殴り…でいいな」
物騒なキース君の台詞に、ソルジャーは軽く肩をすくめて。
「お手柔らかにお願いするよ。…何もしないけどさ」
タコ殴りは嫌だからね、と大袈裟に怖がってみせるソルジャー。本当に大人しくしているのかどうか疑わしい所でしたけれども、教頭先生が帰宅しない内に出発しないといけません。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のシールドに入り、ソルジャーもシールドを張りました。借り物の制服ではなくソルジャー服のままでしたから、何もしないと信じたいです…。
本館の教頭室に着くと、会長さんは廊下に人影が無いのを確かめてから扉をそっと押し開けます。私たちとソルジャーが素早く滑り込むのと会長さんが声をかけたのは同時でした。
「…来たよ、ハーレイ」
書きものをしていた教頭先生が弾かれたように顔を上げて。
「ブルー…?」
「遅くなってごめん。…もう来ないかと思ってた?」
「…ああ。もしかしたら来ないのかも…と」
「馬鹿だね、ハーレイ。そんなことが今までにあったかい? そりゃあ…面白半分にわざと来なかった年はあったけれども、あの時の落ち込みようは凄かったから、二度とやらないって決めたんだ」
会長さんは教頭先生の机に近付き、椅子のすぐ脇に立ちました。
「言ってるだろう、ハーレイのことは大好きだ…って。結婚はしてあげられないけど、年に一度の耳掃除くらいはしてあげる。その代わり…」
「いつもの試験問題だな? 今年もちゃんとコピーしてある」
金庫の中に、と指差す教頭先生。
「ありがとう。今年も当然…先払いだよね? 行こう」
「…ブルー…」
立ち上がった教頭先生は会長さんの肩を抱くようにして仮眠室へ向かいます。仮眠室には大きなベッド。去年の会長さんはすぐにベッドに上がったのですが、今年はちょっと違いました。
「ハーレイ、特別サービスだよ。…ほら」
青いサイオンの光が走って、会長さんの制服がワインレッドのチャイナドレスに。エロドクターが誂えてきたあのドレスです。足はもちろん素足でした。深いスリットから白い足を覗かせてベッドの真ん中に座った会長さんの姿に教頭先生は頬を赤らめ、ボーッと見惚れていましたが…。
「どうしたのさ、ハーレイ? 早く来ないと帰っちゃうよ?」
「……あ、ああ……」
教頭先生は上着を脱いで椅子にかけるとベッドに上がり、ネクタイを緩めて会長さんの膝枕で横になりました。会長さんが宙に竹製の耳かきを取り出し、馴れた手つきで耳掃除を始めます。去年も見ていた光景ですけど、今年はチャイナドレスのせいでお色気が一気に増したような…。教頭先生は気持ちよさそうに目を閉じていて、気分は多分パラダイス。
「はい、ハーレイ。…反対側も」
会長さんに促されてゴロンと身体の向きを変える教頭先生。丁寧な耳掃除が終わって耳かきが消え失せても、教頭先生は横になったままでした。そして会長さんも黙って座っていたのですが…。
「何するのさ!」
パシッ! と会長さんが教頭先生の手を叩きました。教頭先生ったら、スリットから覗く会長さんの白い太腿を手探りで触ろうとしたんです。会長さんの身体が青く発光したかと思うとチャイナドレスは消え失せてしまい、元の制服に戻っていて。
「油断も隙もありゃしない。せっかくサービスしてあげたのに」
「……お前がサービスだと言っていたから…触るぐらいはいいのかと……」
残念そうに目を開ける教頭先生。でも膝枕から降りるつもりはないようです。会長さんはクスッと笑うと。
「ヘタレのくせに、耳掃除の日だけは大胆になるみたいだね。触ったってなんにもならないよ? ぼくを怒らせるのが関の山さ。…もっとテクニックを磨いてきたら話は別かもしれないけれど」
「…私にはお前しか見えないのだが…」
「じゃあ、そのまま我慢してるんだね。でなきゃブルーを口説き落として練習するか」
「ブルーだと? 確かにお前にそっくりだが……中身が全く違うからな」
お前の方がずっと可愛い、と教頭先生は身体を起こして会長さんを見詰めました。
「私が嫁に欲しいと思っているのはお前だけだ。…いつか真剣に考えてほしい」
「……暇があったらね」
すげなく断る会長さんを教頭先生はギュッと両腕で抱き締めて。
「…少しだけ、このままでいさせてくれ。…もう少しだけ…」
やがて名残惜しそうに身体を離すとベッドから降り、仮眠室を出て教頭室の金庫から試験問題のコピーを取り出す教頭先生。
「持って行け。…今日は来てくれて嬉しかった」
「お人好しだね、ハーレイ。試験問題の横流しがバレたら謹慎処分じゃ済まないだろうに」
「…お前が喜んでくれるんだったら謹慎処分でも何でも受けるぞ。だから…」
結婚してくれ、というプロポーズの言葉はサックリと無視されました。会長さんは問題を確認すると花のようにニッコリ笑って。
「またね、ハーレイ。…来年もよろしく」
軽く手を振って教頭室を出て行く会長さんに、私たちも急いで続きました。ソルジャーが何もやらかさなくって助かりましたよ、今回は…。
影の生徒会室こと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻ってシールドを解くなり、不機嫌になったのはソルジャーでした。ソファにドサッと腰を下ろすと苛立たしげに舌打ちをして。
「…ブルーの方がずっと可愛いってどういう意味さ! ぼくは可愛くないとでも!?」
「「「………」」」
当然だろう、と思ったものの口に出せない私たち。会長さんも悪戯好きですけれど、ソルジャーのは度を超えてます。何度となく巻き込まれてきた教頭先生が気付かない筈がないわけで…。当然ながら会長さんの方がずっと可愛く見えるでしょう。ブツブツと文句を言うソルジャーにココアを差し出し、パウンドケーキのお皿を渡す「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ごめんね、ハーレイ、正直だから…。はい、これ。今日のお夜食用に焼いたケーキだけど」
「いいのかい?」
「うん。…あのね、怒ってると美味しいって気持ちが減るんだよ」
「なるほど。…ぶるぅの方がハーレイよりも気配り上手ってことなのかな」
ソルジャーの御機嫌はたちまち直り、美味しそうにパウンドケーキを食べ始めます。私たちの分までは…無いみたいですね。会長さんはゲットしてきた試験問題をせっせとコピーしていましたが、それを見ていたソルジャーは…。
「…ブルー、さっき君が着ていた服だけど」
「え?」
振り返った会長さんに、ソルジャーはパチンとウインクして。
「ワインレッドのドレスのことさ。…あれって何処で買えるんだい? ぼくも欲しいな」
「……あれが?」
信じられない、という表情の会長さんですが、ソルジャーの方は大真面目です。
「わざわざ着替えをしたくらいだし、セクシーな服だっていう認識は君の頭にもあるんだろう? あのスリットがとてもいいよね。あれを着て、うんとセクシーな下着を着けたらハーレイを悩殺できそうだ。ノーパンっていうのもいいかもしれない。…何処で見付けてきたのさ、ブルー?」
「…えっ…。え、えっと……あれは……」
会長さんは必死に言い訳を考えていたのですけど…。
「ノルディがプレゼントしたんだよ」
あっさりと真実を暴露したのは無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」でした。
「あのね、こないだブルーとデートした時にね、これに着替えて下さい…って持って来たの」
「…デート?」
ソルジャーの瞳が輝き、会長さんが頭を抱えます。しかし時既に遅し。ソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」を上手く丸めこんで一瞬の内にサイオンで情報を得てしまいました。
「ふうん…。そんなに楽しいデートをしてたってわけか。ぼくもノルディにドレスを作って貰おうかな?」
「却下! ぶるぅ、作ってあげられるよね? ブルーの好みで作ってあげて」
会長さんに言われた「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔で。
「分かった! ブルー、どんな色のドレスがいいの? 刺繍は業者さんに注文するから何でもいいよ」
パパッと宙に現れたのは色とりどりの生地の見本にカタログに…。ソルジャーは早速カタログをめくり、生地見本をあれこれ眺めています。試験問題のコピーが終わって少し経った頃、ソルジャー用のドレスが決まりました。マントの色と同じ紫に白と銀糸で孔雀の羽根を刺繍するのだとか。出来上がりは二月の二週目頃。
「刺繍に時間がかかっちゃうんだ」
縫うのは簡単なんだけど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が謝ります。ソルジャーは「かまわないよ」と小さな銀色の頭を撫でて。
「その頃ならバレンタインデーのチョコをついでに取りに来られるしね。えっと…頼んでおいた分は、と…」
「これとこれ、それから…これ。それと…」
会長さんが冊子に付けた付箋をチェックするのを見たソルジャーは満足そうに。
「うん、それで全部。…よろしく頼むよ。じゃあ、バレンタインデー頃に取りに来るから」
紫のマントがフワッと靡いたかと思うとソルジャーの姿は消えていました。チャイナドレスにチョコレートに…。嫌な予感がするのは気のせいでしょうか?
「……ブルーのことは忘れておこう……」
試験問題のコピーを揃えながら溜息をつく会長さん。
「なんだか今日はドッと疲れた。ハーレイなんかにサービスするんじゃなかったな。セクハラされかかるし、ブルーはチャイナドレスを欲しがるし…。あのドレスってそんなに男心をくすぐるんだろうか…」
「あんた自身はどうなんだ」
キース君が尋ねました。
「フィシスさんに着せたいと思うか? 着て貰ったら嬉しいか?」
「え? そりゃあもう…。フィシスはとても似合うんだよ。なんといってもスタイルがいいし、スリットから足が覗く所がたまらないよね」
フィシスさんとチャイナドレスの魅力について滔々と語り始めた会長さんにキース君が。
「とどのつまりはそういうことだ。…女性向きのドレスだとは思うが、惚れてさえいれば男が着てもときめくんだろう。俺には理解不可能だがな」
「ぼくだって理解できないさ! なのにノルディもハーレイも…。おまけにブルーまで欲しがるなんて!」
一生分かりたくはない、と苦悩している会長さんを横目で見ながら私たちは帰り支度を始めました。もうとっぷりと日が暮れています。正門は閉まってしまったでしょうし、特別生の特権を使って教職員用の門から出るしかないでしょうねえ…。
入学試験の期間中、私たちはお休みでした。影の生徒会室に出入りしているだけにお手伝いがあるのかと思ったのですが、合格ストラップに『パンドラの箱』、試験問題のコピーといった重要な品物を売り捌くには年季が足りなさすぎるのだそうです。売り子は今年も会長さんとフィシスさん、リオさんの三人だけで、しっかりガッツリ稼いだようで…。
「今年も飛ぶように売れたんだよ」
試験休みが明けた日の放課後、会長さんは上機嫌でした。パンドラの箱は…注文を全部こなした人は今年も現れなかったのだとか。注文メモについて尋ねてみたら、そうハードでもなかったんですが…。
「お好み焼きを買ってくるくらい普通だよね?」
ジョミー君が首を傾げます。
「いや、全種類っていうのがキツかったんじゃないか?」
なあ、とサム君。
「そうですよねえ…。あそこの売りは豊富なメニューで、50種類を超えてたかと」
全部買ったら破産ですよ、とシロエ君が言ったのですが会長さんは平然として。
「その代わり店長に挑戦っていう特別コースがあるだろう? 一人で15種類以上を食べたら全額タダにします…ってヤツ。試しに買えばよかったんだ。箱には1枚ずつしか入らないんだし、入れてみればすぐに分かった筈だよ。お皿を残して自動的に消滅するのが」
「いや、普通なら諦めるだろう」
消えるなんて思うものか、とキース君が言い、スウェナちゃんが。
「でも説明を受けるんでしょ? ぶるぅがメモを入れるんだ…って。だったら試してみる価値があるじゃない!」
「ぼくもそうだと思います。ぶるぅが不思議な力を持っているんだってことも説明されて買うんですから」
試しもしないなんて勿体無いです、とマツカ君。入学したての頃は気弱だったマツカ君もずいぶん強くなりました。これも柔道部のお蔭ですね。…パンドラの箱に入れられたメモは他にも色々。
「ラーメンに肉まんに…。今年もアイスキャンデーなのか。みゆの時にもあった気がするぞ」
キース君の言うとおりでした。アイスは私も買いましたとも! もしかして…「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお気に入りかな?
「大当たり~!」
あそこのアイスは美味しいんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそう。アイスキャンデーを全種類という注文は叶えてもらったみたいです。会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の意見も入れて注文メモを書くらしいことは分かりました。けれどお好み焼きを50種類だなんて無茶なことを書いてしまうのは…会長さんが悪戯好きなせいでしょう。ん? 悪戯といえば…先生方がしていた賭けは?
「ああ、賭けか」
今年は大荒れに荒れたようだ、と会長さんは笑っています。入学試験の初日に試験問題を売りに現れた会長さんを見た先生方の大多数は「問題は偽物に決まっている」と主張し、買った生徒をサイオンで追跡することになったのだとか。
「普段はそんなことはしないくせにね。よっぽど信じられなかったんだろう、ぼくが問題を売っていたのが。…結局、問題を買った生徒が全員好成績を収めたことで決着がついた。…負けた連中はぼくを恨んでいる…かもしれない」
「恨まれてるんですか?」
マツカ君の心配そうな顔に会長さんは「まさか」と微笑んで。
「娯楽だよ、娯楽……あの賭けは、ね。勝った連中がお祝いにパーッと奢ってたから心配いらない。どっちかといえば、ぼくの神経が疑われている方なのかな? ハーレイにセクハラされても全身エステで立ち直った上、例年どおりに試験問題ゲットだからさ」
心臓に毛が生えてると言われちゃった、と苦笑している会長さん。ゼル先生が言ったらしいです。そういえば会長さんが問題をゲットできない方に大金を賭けてましたっけ。つくづく賑やかな学校ですよねえ…。こうして入試シーズンも終わり、明日からはバレンタインデーを控えた特別期間の始まり、始まり~。
バレンタインデー前のシャングリラ学園名物といえばチョコレートの滝。温室の噴水がチョコレートに変わり、ミカンやバナナをコーティングして遊べるのです。もちろん器に取って固めても良し! バレンタインデー当日にチョコレートのやり取りをしないと礼法室でお説教という訓示は今年も出されました。でも友チョコで逃げ切れるので特に問題ありません。ジョミー君たちものんびりしています。
「かみお~ん♪ あのね、昨日ブルーが遊びに来てね…」
放課後、いつものように壁を抜けて影の生徒会室へ行くと、キルシュトルテを切り分けながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーの名を口にしました。げげっ、チャイナドレスが出来上がる頃まで来ないと聞いていましたが…。
「ううん、ブルー、来ないだなんて言わなかったよ。ドレスが出来たら取りに来るって言ってただけで、昨日はぶるぅと一緒に来てくれたんだ♪」
楽しかったぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。どうやらソルジャーはバレンタインデーの限定品のチョコやケーキがきちんと予約できたかどうかを確認しに来たみたいです。あちらの世界のキャプテンも甘いものは苦手だと聞いていますから、全部ソルジャーと「ぶるぅ」が食べてしまうのでしょうが…。
「でね、ブルーがみんなによろしくって。チャイナドレスを見せたいらしいよ、バレンタインデーの前の日までには出来上がるから」
「…俺たちが見ても意味ないだろう?」
キース君が言うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はプウッと頬を膨らませて。
「ひどいや、意味がないなんて…。ぼく、頑張って作るのに! きっとブルーに似合う筈だよ、綺麗な生地と刺繍だもの」
「すまん、すまん。…そういえばぶるぅが縫うんだったな」
申し訳ない、と頭を下げるキース君。私たちはソルジャーのチャイナドレス姿を拝まなくてはいけないようです。ソルジャーはバレンタインデーの放課後にやって来るとの話でした。予約していたチョコやケーキをデパートで受け取り、自分の世界に送り届けてからゆっくりと…。
「ブルーは人の迷惑なんか全然考えてないからね」
会長さんが毒づきました。
「バレンタインデーはぼくも忙しいのに…。みんながチョコを持ってきてくれるし、仕分けするのが大変なんだ。お返しを何にするかで振り分けないとね」
えっ、振り分け? 本命チョコしか貰わないのに振り分けですか? チョコの値段に応じて分類するとか…? スウェナちゃんと顔を見合わせていると、会長さんはクスッと笑って。
「違う、違う。…チョコの値段で振り分けだなんて、そんな不誠実なことはしないよ。振り分けるのは本気の度合いに応じて…かな。心をこめて贈られたチョコと、ダメ元でいいや…って気分のチョコとを一緒にするのは良くないし。だから振り分け」
「おい。その話には無理があるぞ」
キース君が突っ込みました。
「俺は去年に見てたんだ。ぶるぅに大きな袋を持たせてチョコを集めに回ってただろう? 貰ったチョコは全部袋に入れてた筈だ。みゆやアルトが渡したチョコは鞄の中に入れたくせにな。…袋の中身は瞬間移動させていた。振り分けだなんて大嘘じゃないか」
「…嘘じゃないよ。瞬間移動をやっていたのはぶるぅだけれど、袋に入れる時に思念波で合図していたんだ。これは一番、こっちは二番…って移動先をね」
なんと! シャングリラ・ジゴロ・ブルーの名前はダテではありませんでした。ホワイトデーに会長さんが配っていた品物は全部同じに見えましたけど、添えられたメッセージカードの文章が何通りかあったらしいのです。おまけにサインは全部直筆。…うーん、どこまでマメなんだか…。
「そういうわけで、ぼくはとっても忙しいんだ。ブルーのチャイナドレスが出来上がろうが、そっちまで手が回らない」
放課後は暇だと思うのですが、会長さんはソルジャーの相手をしたい気分ではなさそうでした。こういう場合に貧乏クジを引かされるのは私たちです。とにかく誉めればいいんでしょうか?
「うん、誉めてあげればいいと思うよ。バレンタインデーの休暇を取るって言っていたから、ドレスを披露したら急いで帰ってしまうだろうし…。ぶるぅにお土産のザッハ・トルテも焼かせておこう。そうすればきっと追い払えるさ」
巻き込まれるのはお断りだ、と会長さんは渋い顔です。巻き込まれるって…いったい何に?
「チャイナドレスだよ、チャイナドレス。…またハーレイにちょっかい出されたら面倒だろう? ブルーときたら何かとハーレイで遊びたがるから…。追っ払うのが一番なんだ」
言われてみればそうでした。ソルジャーといえばトラブルメーカー。チャイナドレスなんかを着てしまったらいったい何をしでかすか…。バレンタインデーにソルジャーが来たら、とにかく誉める! 誉めてお帰り頂くことが任務なのだ、と私たちは誓い合いました。任務遂行のために頑張ります~!
学園1位の副賞で教頭先生とグレイブ先生がフラダンスなどを披露してくれた水中かるた大会。先輩たちのリクエストだった花魁の舞よりもフラダンスの方がウケたせいもあって、最近のグレイブ先生は…。
「諸君、ア~ロハ~!」
出ました、今日も派手派手アロハシャツ。授業が始まるまでにはスーツに着替えてしまいますけど、朝のホームルーム限定サービスです。暖房がよく効いてますから全然寒くはないのだとか。先生はテキパキと出席を取って。
「来週は我が学園の入試がある。入試期間中は学校は休みで部活もない。不要不急の登校は控え、家で勉学に励みたまえ。…そろそろ下見に来ている者もいる。学園の品位を落とさないよう、言動に十分気を付けるように」
分かったな、と念を押されてホームルームは終了でした。そういえば受験シーズンです。去年の今頃は私たちは先の進路も決まらず、なんとも不安でしたっけ。それに比べて今度卒業の筈のアルトちゃんとrちゃんが落ち着いてるのは、会長さんがきめ細かくフォローしているせいでしょうか? 私たちに質問をしに来るわけでもないですし…。どうなんだろう、と疑問を抱えつつ、放課後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと。
「かみお~ん♪ いらっしゃい! 今日はフルーツグラタンだよ」
すぐ出来るからね、とキッチンに駆けていく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。いつものテーブルの横に小さなテーブルが置かれていて、その上に天然石のビーズを入れた器が幾つか並んでいました。会長さんがニッコリ笑って。
「よし、キースたちもちゃんと来たね。柔道部の方に行くかと思ったけれど」
「あんたが呼び付けたんだろうが!」
キース君が言うとおりでした。朝のホームルームの後で「そるじゃぁ・ぶるぅ」がおつかいにやって来たのです。終礼が済んだら全員揃って来るように…との会長さんの伝言を持って。何か用事があるのでしょうか? 当の会長さんは悪びれもせずに微笑んでいます。
「呼び付けたって…別に必ずとは言わなかったよ。いつものように柔道部に行ってくれても構わなかった」
「なんだと!?」
ならば部活に…とキース君は踵を返そうとしたのですが。
「いいのかい? 生徒会の秘密の一部を見せてあげようと思ったのにさ」
意味深な言葉にキース君だけでなく私たち全員が好奇心の塊と化しました。生徒会の秘密って…もう充分に知ってるのでは? それとも他にまだ何か?
「うん、もう充分に知ってるだろうね。だけど手形は知らないだろう? ストラップは去年教えたけれど」
今日は手形を押す日だよ、と会長さんは天然石のビーズを指差しています。シャングリラ学園の受験シーズンにだけ売り捌かれる天然石のストラップ。0点のテストも満点になるという「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形パワーが詰まった必勝合格アイテムです。…手形はしばらく見ていませんし、これは確かに興味あるかも…。
「今から押すのか?」
キース君が尋ねると会長さんは「ほらね」とウインクしてみせました。
「呼んであげてよかっただろう? おやつが済んだら作業にかかる。まずはティータイム」
「フルーツグラタン、出来上がったよ!」
ワゴンを押してくる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今日のおやつも美味しそうです。あ、でもその前に聞きたいことが…。
「ん? なんだい、何か質問でも?」
会長さんに視線を向けられ、私はストレートに尋ねました。
「あの…。アルトちゃんとrちゃんのことなんですけど、会長さんがフォローしてらっしゃるんですよね? 二人とも妙に落ち着いてるんで、私たちの時と違うなぁ…って」
「ああ、そんなことか。あの二人なら心配いらない。…もちろんぼくも大切なレディとして遇しているし、ソルジャーとしてもフォローしてるけど…仲間の力が大きいかな。二人とも数学同好会だろう? あそこは特別生の溜まり場だ。あの二人以外は全員特別生だし、あそこに在籍している間に自然と心構えができる」
因子があっても無くてもね…、と会長さんは自信たっぷり。過去に数学同好会に1年以上在籍した生徒はもれなく特別生になったのだそうです。
「特別生養成用の同好会か?」
キース君の問いに会長さんは首を横に振って。
「ううん、単なる偶然ってヤツ。ただ、1年も在籍してると仲間意識が生まれるからね…。普通に卒業して別れていくのが寂しくなってくるらしい。そこでぶるぅの出番なのさ。ね、ぶるぅ?」
「うん! 手形を押した人、何人もいるよ。でも…」
口ごもっている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。何か問題があるのでしょうか? 会長さんがクッと喉を鳴らして。
「ぶるぅの手形で仲間になっても数学同好会を辞めちゃうケースが多いんだ。卒業してシャングリラ号の乗員志願とか、理由は色々。…だから数学同好会は常に存亡の危機なんだよ」
なるほど。グレイブ先生が熱心に勧誘していたわけです。アルトちゃんたちは辞めない方だといいんですけど…。
カスタードクリームに洋酒が効いたフルーツグラタンを食べてしまうとクッキーが盛られたお皿が出てきました。好みの飲み物とセットで楽しんでいればいいようですが…。
「ごめんね、飲み物のお代わりは自分で淹れて。ぼくは今からお仕事なんだ」
ポットの中身が足りなくなったらキッチンでお願い、と言って「そるじゃぁ・ぶるぅ」は腕まくりします。ん? 腕まくり? 手形を押すなら手のひらが出ていればいいのでは…。
「えっとね、気分の問題かな? 売り物にする手形なんだし、真剣に押しておかないと買ってくれた人に失礼でしょ?」
「そういうこと。こっちは明星の井戸のお水さ」
会長さんが宙に取り出したのは真新しい木の手桶でした。たっぷりと水が入っています。
「ちょっ……明星の井戸って!」
キース君が目をむいたので私たちも思い出しました。明星の井戸といえば璃慕恩院の奥の院にあり、限られた人しか汲めないという有難いお水。ソルジャーの世界の「ぶるぅ」が掛軸の中から飛び出して来た時、異次元との扉になっていた掛軸を封印するのに会長さんがその水を使ってましたっけ。会長さんの正体が伝説の高僧の銀青様だと分かった今では不思議でも何でもないんですけど…。
「うわぁっ、何をする!」
悲鳴を上げるキース君の前で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手桶の中に両手を突っ込み、パシャパシャと洗い始めます。会長さんは平然として。
「清めの水だよ、究極の…ね。お寺や神社にお参りする前に手を清めるのと同じ理屈さ。ぼったくり価格で販売するんだ、有難さも組み込んでおきたいじゃないか。何の根拠もなく風水お守りを謳ったんでは心が痛む」
「そ、それは……それはそうかもしれないが…」
歯切れの悪いキース君。明星の井戸のお水って高いのでしょうか? 会長さんは笑みを浮かべて。
「高いなんてレベルじゃないよ。お金を沢山払ったからって手に入る水じゃないんだからね。魔除けになるとか万病に効くとか言われてるけど、璃慕恩院に知り合いがいないとどうにもならない。…コネをお金で買おうとしても門前払いを食わされるだけだ」
「「「…………」」」
そんなに有難い水だとは知りませんでした。しかも万病に効くというのはゴージャスかも。奇跡の水ってヤツでしょうけど、本当にちゃんと効くのかな?
「効くんだよ、これが。…自然治癒力が高まるせいじゃないかと思ってるけど、治った例が沢山ある」
得意そうな会長さんをキース君が横目で眺めて。
「その水が手桶に一杯分も…。これだけあれば檀家さんに…」
「配れるとでも言うのかい? 君の手柄にしないんだったら分けてあげるよ、今夜にでも。で、病人は?」
「……今のところは一人もいない……」
「じゃあ却下」
アッサリと言う会長さん。
「まあ、本当に欲しいという人が出たらいつでも言って。ぼくも一応、高僧だし…。代金を取ろうだなんて言いはしないさ。でも今回はお断りだね。必要もないのに配っていいようなモノじゃないんだ、このお水は」
その割に風水お守りに使おうとしていませんか……という言葉を私たちは必死の思いで飲み込みました。両手を清めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は新品のタオルで水気を拭くと、天然石のビーズが置かれたテーブルについて。
「よいしょっと…」
ビーズを1個左手に取り、右の手のひらをその上に重ねて…ペタン! 水晶のビーズに変化は全くありませんでしたが、それを空のお皿にコロンと入れます。
「はい、1個。見た目は普通のビーズでしょ?」
だけど手形のパワー入り、とニコニコ顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。作業はテンポよく続いていって、最後のビーズに手形パワーがこめられたのは校門が閉まる少しだけ前のことでした。
「後はストラップを作るだけだよ。今晩から作り始めるんだ!」
疲れた様子もない「そるじゃぁ・ぶるぅ」と、見ていただけの会長さんに別れを告げて私たちは部屋を出ました。うーん、手形パワーはいつ見ても不思議…。
翌日の放課後はストラップ作り。部活を休んできた柔道部三人組と私たちも手伝いを申し出ましたが…。
「ダメだよ、それはぶるぅの仕事」
そう言った会長さんはクーラーボックスを手配してきたみたいです。クーラーボックスは入試の時に『パンドラの箱』と名付けて売られ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が注文を書いた紙が中から次々出てくる仕組み。その注文を全部こなせば補欠合格という奇跡が起こる…筈なんですが。
「やっぱり今年もパンドラの箱に付き合える人はいないだろうね」
去年も一人もいなかった、と会長さんが溜息をつきます。
「お遊びアイテムではあるんだけどさ…。ハードルを低くした方がいいのかな? 注文を全部クリアしろとは言わないけれど、せめて3つはこなしてほしいと思うんだよね」
えっ。お遊びアイテムですって、あの箱が? 自慢じゃないですけど『パンドラの箱』の注文を全てこなした私です。苦労の甲斐あって補欠合格できたというのに、今更ハードルを下げるだなんて…。いえ、その前にお遊びアイテムって…?
「…そのまんまの意味だよ。お遊びアイテム」
赤い瞳が楽しそうにキラキラ輝いています。もしかして…私、遊ばれましたか?
「うーん、遊ばれてないと言えば嘘になるけど……補欠合格は出来ただろう? あの箱の注文を全部こなしたら、ぶるぅが書類に手形を押して補欠合格になるんだと去年教えてあげたよね。だから効果に間違いはない。お遊びなのは注文メモさ」
「…注文メモ…?」
「そう。あのメモ、本当に全部ぶるぅが書いたと思ってた? 書いたのは確かにぶるぅだけれど、注文の方は原案者がいることもある。…正確に言えば殆どのメモは原案つきかな」
「そ、それって…」
まさか…。まさかとは思いますけど、私が一昨年に頑張ってこなした注文は…もしかして…?
「言いだしっぺはぼくなんだよ。一番最後の注文メモも…ね」
げげっ。あの恥ずかしくも情けなかった一番最後の注文が…あれの発案者が会長さん?
「ごめん、ごめん。…まさかやるとは思わなかったし」
苦笑している会長さん。みんなが私を見ています。私が『パンドラの箱』で補欠合格したのは知られていますが、注文メモの中身を話したことは一度もありませんでした。
「なに、なに? 最後の注文って何だったの?」
ジョミー君が興味津々で問いかけ、スゥエナちゃんが。
「そういえば私も聞いたことないわ。他の注文も知りたいかも…」
「俺も! 俺も興味ある!」
ブルーが出した注文だろう、とサム君までが乗り気です。柔道部三人組も口に出しては言わないものの、聞きたがっているのは明らかでした。もうこうなったら開き直って喋っちゃえ!
「……一番最初は商店街のタコ焼きだったの」
「「「タコ焼き!?」」」
「うん。それを箱に入れろって書いてあったから自転車に乗って家を出て…。タコ焼きを買って箱に入れて、蓋を開けたらタコ焼きの代わりにまたメモがあって、今度はアイスキャンデーで…」
「えっ、あの店のを全種類ですか!?」
それは大変でしたよね、とシロエ君。ええ、金銭的にも自転車の走行距離も大いに大変でしたとも。アルテメシアの市街地を縦横無尽に走り回った私の体験談に誰もが同情してくれました。足は疲れるし、お財布の中身はどんどん減るし…泣きたいほどの心境でしたが、奇跡を目指して走ったんです。
「…それで最後は何が出たんだ?」
キース君の質問に私は拳を握り締めて。
「駅前の…銭湯の男湯の脱衣場に……この箱を置いてね、って…」
「「「男湯!?」」」
全員の声が引っくり返り、スウェナちゃんが目をまん丸にしています。
「………それで…置きに行ったの?」
「…パパのコートと帽子を借りて、マスクとサングラスで顔を隠して…」
ボソボソと答えた私に「凄いです!」と驚嘆の声を上げたのはマツカ君でした。
「生半可な決心じゃ出来ませんよ。合格ストラップを買った人より価値ある合格じゃないですか」
「同感だ」
根性がある、とキース君が頷いています。笑われるかと思っていたのに、報われた気分になってきました。でも「そるじゃぁ・ぶるぅ」に注文メモを書かせた会長さんは笑いながら。
「自分で置きに行けとは書かせなかったよ? 時間指定もしてなかったし、お父さんに頼めばよかったのにさ」
「それじゃ反則じゃないですか!」
抗議の声を上げた私でしたが、会長さんは「そうかなぁ?」と涼しい顔。
「お父さんに頼むにしても、理由を話すかデッチ上げるか…。なんにせよ君は苦労する。どう言い抜けるか楽しみにしてたら、正面突破しちゃっただろう。ぶるぅは感激していたけどね、愛がなくっちゃ出来ない…って」
「「「愛?」」」
お風呂グッズを抱えて『パンドラの箱』から飛び出した「そるじゃぁ・ぶるぅ」が男湯に走って行った話はバカ受けでした。みんなが笑い転げています。…ああ、あのメモを書かせたのが会長さんだったなんて…。考えてみれば入学したての頃に「ぶるぅは悪戯好きだ」と会長さんに聞かされましたが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が悪戯したのは最初の間だけだったような…。
「なんだ、今頃気付いたんだ?」
赤い瞳が私を見詰め、それからみんなを見渡して。
「…ひょっとして全員、騙されてたかな? 悪戯好きなのはぶるぅじゃなくて、ぼくの方。ジョミーが食べたクレープ冷麺も原案はぼく。ぶるぅが自分でやったのは親睦ダンスパーティーのウェディング・ドレス事件くらいだよ。あれにはぼくもビックリしたけど、みゆとスウェナの提案だって?」
「「えぇっ!?」」
スウェナちゃんと私は必死に言い訳を並べました。会長さんにドレスが似合いそうだと思っていたら「そるじゃぁ・ぶるぅ」が面白がってカタログを持ってきたということ。カタログを見てる内に脱線しちゃって、ジョミー君たちに似合いそうなドレスを二人で選んでしまったこと…。あぁぁ、男の子たちの視線が冷たい~!
「「…ごめんなさい…」」
頭を下げたスウェナちゃんと私を男の子たちは笑って許してくれました。友情って有難いものですよねえ。それに比べて会長さんときたら!
「いいんだ、ぼくの悪戯好きは先生方も公認だしね。秘かに賭けをやってるくらいさ」
「「「賭け?」」」
なんですか、先生方が秘かに賭けって? もしかしなくても会長さんの悪戯をネタに賭け事を…? でも悪戯って…数ある中のどれのこと? どの悪戯にも教頭先生が絡んでるような気がしますけど、教頭先生は賭けに参加していないのでしょうか…。
「賭けはね…。年に1回なんだ。他の時期にはやってない」
ぼくの悪戯は気紛れだから、と会長さんは微笑みました。
「毎年、入学試験が近づいてくると賭けの話が持ち出される。ただしハーレイは除外されてて、賭けの存在自体を知らないと思う。…みんなバレないようにしてるし、心は読まないのが礼儀だからね」
やはり教頭先生は蚊帳の外でした。入試の前に会長さんが必ずやる悪戯で、教頭先生が絡んでいるもの…。そんな悪戯ありましたっけ?
「…正確には悪戯とは言わないかな。生徒会の資金稼ぎの一環だから」
「「「え?」」」
入試の時期の生徒会の資金稼ぎは合格グッズの販売です。風水パワーを冠した「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形ストラップに、『パンドラの箱』と名付けたクーラーボックス。どちらも教頭先生はまるで関係ありません。えっと……えっと…? と、キース君がハッと顔を上げて。
「試験問題の漏洩か!? あれが先生方にバレてるのか?」
「ご名答」
よくできました、と会長さんはパチパチと手を叩いています。去年、私たちは『見えないギャラリー』としてシールドに入り、会長さんが試験問題のコピーを入手するのを見ていました。教頭室に出かけた会長さんは教頭先生に膝枕で耳掃除をしてあげて…その代償に試験問題を…。
「ハーレイが試験問題を流しているのを先生方はお見通しさ。全部の問題を最終的に保管するのはハーレイだし……それのコピーが売られてる以上、流出したのはバレバレだろう? で、試験問題が流出するかどうかで賭けをしている。今年は流出しない方に賭けてる人が多いようだね」
セクハラとか色々あったから…と会長さんは先生方が作ったらしい表を空中に取り出しました。
「ゼルの引出しから拝借してきた。ほらね、ここに賭け金が…」
「「「…………」」」
賭け金の額はピンからキリまで、賭けている人も先生だけではなく職員さんまで。ブラウ先生が大きな額を賭けているのは素直に納得できますけれど、エラ先生は意外でした。付き合いにしては金額がちょっと凄すぎるような…。
「エラはね、案外ノリがいいんだ。年に一度の娯楽だからって毎年ポンと大きく賭ける。実は麻雀も強いんだよ」
先生方がやる麻雀大会では上位の常連、と会長さんが教えてくれます。私たちが順番に回し読みした後、表はゼル先生の引出しに瞬間移動で戻されて…。
「どう? 今ので何か気付かなかった?」
え。私たちは互いに顔を見合わせたものの、気付いたことはありませんでした。首を横に振ると会長さんはおかしそうに笑い始めます。
「ふふ、全然気付いていないんだ? ぼくは賭けの表を盗み出していたんだよ? バレないようにコピーすることも可能だった。ということは……試験問題くらいハーレイに頼まなくても盗み出せるし、コピーも取れる」
「「「!!!」」」
そうでした。会長さんなら教頭先生に頼らなくても問題ゲットは朝飯前です。なのにどうして教頭先生の所まで…?
「ハーレイの所に行くのはね……悪戯だって言っただろう? ハーレイをたぶらかして試験問題を手に入れるのが楽しいんだ。盗もうだなんて思っちゃいないよ、もう長年の伝統だから。…そしてゼルたちも全て承知だ」
とんでもない伝統もあったものだ、と私たちは溜息をつきました。会長さんに「教頭先生の家に一人では行くな」と厳重に注意するかと思えば、その会長さんが色仕掛けで試験問題を漏洩させているのを許している上に賭けごとだなんて。
「いいんだってば、娯楽だからさ。…それにゼルたちは色仕掛けだとは思っていない。ハーレイがぼくに悪戯された挙句に問題を脅し取られると信じてるんだ。…だから今年は流出しない方に賭けてる人が多いんだよ。セクハラとかで懲りているから、わざわざ悪戯しには行かないだろう…って。さて、君たちはどっちに賭ける?」
ニッコリと笑う会長さん。
「今年のぼくはどっちかな? 入試問題をゲットしに行くか、行かずに資金源を諦めるか。賭けをするなら今の内だよ、明日には答えが出るんだからさ」
試験問題が教頭室の金庫に揃うのは明日らしいです。会長さんは表を作ってくれましたけど、どっちに賭けても負けそうな気が…。お小遣いもあまり無いですし…。結局、誰も賭けませんでした。先生方の賭けの結果は入試当日に会長さんが試験問題を売るかどうかで決まるのだとか。はてさて、今年はどっちでしょうね…?
翌日、私たちはドキドキしながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入っていきました。会長さんは今年も教頭室に行くのでしょうか? 柔道部三人組も一緒です。教頭先生は入試問題のチェックのために部活の指導を休んだらしく、そんな日は柔道部に行く意味がないのだとか。
「かみお~ん♪」
元気に挨拶してくれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」はストラップをせっせと作っています。しかし…。
「こんにちは」
お邪魔してるよ、と挨拶したのは会長さんに瓜二つの顔のソルジャーでした。会長さんの制服ではなくソルジャーの正装でソファに腰掛け、ストラップを手にして眺めています。
「これ、いいね。試験に落ちないお守りだって? ぼくもぶるぅも、こういう力は真似できないな。手形っていうのも見せてもらったけど…どういう理屈になってるんだろう?」
分からないや、と言うソルジャーの前には赤い手形と黒い手形が押された紙がありました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の右手から出る赤い手形はパーフェクト。左手の黒い手形はダメ印。両方が押された紙だと効果は相殺されちゃいますから、見本に押して見せたのでしょう。私たちが揃ったので「そるじゃぁ・ぶるぅ」はザッハ・トルテを切り分けてくれましたが…。
「あっ、これ、これ!」
嬉しそうな声を上げるソルジャー。
「このケーキも手に入れたいんだよね。要予約って書いてあったから来たんだよ。…これと、これと…」
取り出したのはデパートのバレンタインデー特設売り場の小冊子。すっかり忘れていましたけれど、もうすぐ予約が始まります。スイーツに目が無いソルジャーだけに目ざとく見つけてきたのでしょう。
「ふうん、どれ?」
冊子を覗き込んだ会長さんが素早く付箋を貼リ付けて。
「了解。予約受付開始と同時に行ってくるよ。出遅れないから大丈夫。限定品もちゃんと買えるさ」
「…………。何か隠しているだろう?」
疑いに満ちた目でソルジャーが会長さんを見、会長さんは慌てたように。
「ううん、何も隠してないけれど? それよりザッハ・トルテ、ぶるぅが作るのは絶品なんだ。予約する分と食べ比べるならバレンタインデーに合わせてまた作らせても…」
「やっぱり怪しい。…チョコレートの代金を誰が支払うのかも訊かない上に、バレンタインデーに合わせてザッハ・トルテを作らせるって? 絶対、何か隠してる。ぼくを早く追い返したくてたまらないように見えるけれども、そんなに急いで何をする気…?」
うわ。流石ソルジャー、とっても読みが鋭いです。会長さんが急いでいるとしたら……それは教頭室へ試験問題を貰いに行くため。のんびりお茶をしている間に教頭先生が帰っちゃったら耳掃除どころじゃありませんから!
「…………耳掃除って何さ?」
ソルジャーが首を傾げました。会長さんが額を押さえ、私たちは両手で口を押さえます。よ、よかった……耳かきのことを考えたのが私だけじゃなくて全員で…。って、そんな場合じゃないのかな? みんなでバラせば怖くない…で済みそうな話じゃないですよね、これ。…ど、どうしよう、ソルジャーにバレた!?
全身の筋肉痛に加えて疲労が激しく蓄積されたエロドクター。それでも夕食を終えると会長さんの肩にしっかり腕を回してスイートルームに引き上げてきました。その執念は流石としか…。私たちの食事はとっくに済んで、お皿もテーブルも片付いています。隣室の模様は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が中継をしていましたが…。
「…ブルー。お楽しみはこれからですよ」
エロドクターがニヤリと笑いました。
「まずはバスルームに行きましょうか。あなたもサッパリしたいでしょう? さあ」
そう言って会長さんの手を取り、バスルームへと促します。どうやら一緒に入るつもりのようで、会長さんの顔が引き攣りました。
「ちょ、ちょっと待って! お風呂なら一人で入れるから!」
「…あなたはそうかもしれませんがね。私は年寄りなんですよ。介助して下さって当然ではないかと思いますが…。背中を流したり、他にも色々」
年配者呼ばわりしたでしょう、と意地の悪い笑みを浮かべるドクター。
「それにバスルームはなかなか楽しい場所ですよ? バスタブの中で…というのも燃えるものです」
「…………。生憎、ぼくは初心者なんだ。慣れないことは御免蒙る。湯あたりするのも嫌だしね」
なんとか切り返した会長さんに、ドクターはチッと舌打ちをして。
「では、慣れてから…ということにしておきましょう。一から教えて差し上げますよ、まずはベッドでゆっくりと…ね。二人の夜はこれからですし、あなたが慣れたらバスルームの方で楽しみましょうか。で、どうします? 先にシャワーを浴びますか? それともベッドへ…?」
「…ぼくはシャワーを浴びたいな。今日はたっぷり遊んだから」
「時間稼ぎというわけですか…。いいでしょう、私はあっちの部屋でシャワーを浴びます。その方が時間に無駄がない。スイートルームはこういう時に便利ですね」
部屋が沢山ありますから、とドクターは得意顔でした。言われてみれば私たちの部屋にもバスルームは複数あったりします。ドクターがそこまで計算してスイートルームを予約したのなら天晴れとしか…。会長さんは不機嫌そうにバスルームに向かおうとしたのですが。
「お待ちなさい。…シャワーを浴びたら着るものはこれを」
ドクターがラッピングされた箱を会長さんに渡します。
「せっかくですから私好みの装いをして頂きたい。バスローブというのもそそられますが、そちらはバスルームでのお楽しみの後でよろしいでしょう。…いいですね、これを着るのも利子の内です」
「…利子は支払ったと思うんだけど…?」
「デートだけで私を満足させられるとでも…? 一年間も待ったのですから期待の方も膨らむんです」
「……………」
憮然としている会長さんの手にチュッと口付けるエロドクター。
「ふふ、相変わらず滑らかな肌をしておいでですね。では、また後で…」
ドクターは悠然と別室に向かい、会長さんも箱を抱えてバスルームへ。私たちが見ている中継画面は今は無人のリビングです。この後いったいどうなるのでしょう? 救出に向かうのだったら早い内がいいと思うんですが…。と、口を開いたのはキース君。
「ぶるぅ、今の間に隣の部屋に入り込めるか? この様子だと待機していた方が良さそうだ。ノルディのヤツめ、身体のダメージは大きいくせに全く口が減らんからな。油断してたらどうなるか…」
「隣の部屋に? えっと…シールドで隠れて、だよね?」
大丈夫だよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちは急いで一ヶ所に集まり、青いサイオンに包まれて…フワッと身体が浮き上がったと思う間もなく隣の部屋に移っていました。広いリビングの隅っこの方に隠れていると、やって来たのはエロドクター。バスローブだけを羽織っています。
「まだですか、ブルー? いつまでも待たせていると着替えを手伝いに行きますよ?」
「『お断りだ!!!』」
思念波と声が同時に響き、バスルームに通じる扉がカチャリと開いて。
「「「!!!」」」
現れた会長さんの姿に私たちは目をむきました。え、えっと…。足首まで届くワインレッドの艶やかな生地に、足の付け根まで入った深いスリット。ソルジャーの正装に似た立襟と、身体に隙間なくフィットしたライン…。これってチャイナドレスとか言いませんか? 独特の飾りボタンと華やかな刺繍はどう見ても…。
「お似合いですよ、ブルー。…ネグリジェとどちらにしようか迷いましたが、あなたのサイズを知っているからには誂えたドレスの方がいいでしょう? おいでなさい」
エロドクターは会長さんの腰に腕を回してグッと引き寄せ、筋肉痛をものともせずにベッドルームへ。…ヤバいです、これは相当にヤバかったりして~!?
ベッドルームには大きくて立派なベッドがありました。ドクターは会長さんをベッドの縁に腰掛けさせて…。
「初心者だとか仰いましたね。ええ、そうでしょうとも…。いつもハーレイを煙に巻いて遊んでらっしゃいますが、あなたは男とは経験が無い。そのくらいは一目で分かりますよ。ですが、それも今夜でおしまいです。みっちり仕込んで差し上げますとも」
「…付き合うのは今夜だけだと言った筈だよ」
会長さんがドクターを睨みましたが。
「さあ、どうでしょうね? あなたの方が私無しではいられなくなる…ということもありますよ。ハーレイの悔しがる顔が見えるようです。私にあなたを掻っ攫われて…ね」
言うなりドクターは会長さんをベッドに押し倒し、唇を深く重ねたのですが…会長さんは全く抵抗しませんでした。前にドクターの家で襲われた時もそうでしたけど、抗えないと言うべきか。ドクターのテクニックに翻弄されて逆らう意思さえ無くなるのだと会長さんに聞きましたっけ。
「キース、やばいよ!」
ジョミー君がシールドの中で叫びます。
「と、止めなくちゃ…。ドクターを止めないとブルーが危ない!」
「分かってる。…だが俺たちが乱入するのは最後の手段だ。下手に乱入してしまったら借金を返す計画が…」
「そりゃそうだけど! でも…でも、ブルーが…」
騒ぎ立てるジョミー君の隣では、サム君が拳を震わせて耐えていました。
「くっそぉ…。殴りたい、今すぐ殴ってやりたいぜ! だけど…俺が出て行ったらまた利子が…」
ドクターは唇を離すとカニ攻撃で傷めつけられた震える指でドレスのボタンに手をかけます。襟元のボタンが外され、白い首筋が覗いても…会長さんは目尻をほんのりと染めて微かに身体を震わせただけ。魂が抜けているのでしょう。
「もう待てませんよ、キース先輩!」
シロエ君が絶叫しました。
「乱入しましょう、このままじゃ会長がエロドクターに…」
「…うう……。畜生、あいつの思考さえ読めればな…。限界が近いのかどうか、それさえ分かれば…」
唇を噛むキース君。会長さんは胸元をはだけられ、エロドクターが筋肉痛に顔を顰めながらも白い身体を撫で回したり口付けたり。もう危険なんてものじゃありません。乱入するしか道はない…と誰もが思ったのですが。
「えっとね、真っ白になってるみたい」
「「「は?」」」
無邪気な声の主は「そるじゃぁ・ぶるぅ」でした。ベッドの上で起こっている惨事を全く理解していないだけに、冷静に観察していたようです。首を傾げて私たちの顔を見上げながら…。
「あのね、ブルー、頭の中が真っ白だよ。限界ってブルーのことだよね? とっくに突破しちゃってるけど」
「…限界突破…。いや、そうじゃなくて!」
キース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の肩をガシッと掴んで。
「ぶるぅ、お前ならエロ……いや、ノルディの思考が読める筈だな!? 細かいことはどうでもいいからヤツの心を読んでくれ。ノルディはまだまだ余裕があるのか? それとも疲れて限界なのか?」
「…えっ? えっと…。なんだか凄く楽しそう。甘くて眩暈がしそうだとか…いい匂いだとか…。変なの、お菓子なんか食べてないのに」
それは会長さんの味だろう…と頭を抱える私たち。何も知らない「そるじゃぁ・ぶるぅ」は意味不明なアヤシイ言葉も含めてドクターの思考を次々と語り、会長さんは上半身を完全に脱がされた上にスリットから手を入れられて…。
「ダメだ、行くぞ!」
キース君が拳を握り締めて踏み出そうとした時、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「…うーん、天国……」
次の瞬間、ドクターの身体がガクリと崩れ落ちました。会長さんの胸元に顔を埋めて動きません。喋り続けていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」もピタリと黙って、1分、2分……。
「寝ちゃったみたい」
夢を見てるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「…えっとね……なんだか変な夢だよ、ノルディとブルーが…」
「読まなくていいっ!!!」
キース君がガバッと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の両眼を塞ぎ、シロエ君が耳を押さえます。私たちもベッドと「そるじゃぁ・ぶるぅ」との間に割って入って余計な物を遮断しました。エロドクターの妄想が爆発している恐ろしい夢を子供に見せてはいけませんから。
それからどのくらい経ったでしょうか。シールドの中で騒いでいた私たちの耳に聞こえてきたのは…。
「……重い……。ノルディをどけてくれないかな?」
「「「ブルー!?」」」
サム君が、キース君が…ジョミー君が声を上げました。会長さんがベッドから手招きしています。
「もうシールドは要らないよ。ノルディは朝まで目覚めやしない。疲れ切ってグッスリだ。…作戦成功」
だからどけて、と会長さんは身体の上のエロドクターをさも邪魔そうに指差しましたが。
「…そのまま耐えてろ」
気の毒だがな、と溜息をつくキース君。
「その格好で朝まで耐えてこそ説得力があるってもんだ。…あんたの上で爆睡したという証拠になる」
「…そりゃそうだけど……。ノルディ、けっこう重いんだよ」
会長さんはブツブツ文句を言っています。喉元過ぎれば何とやら…。食べられてしまうことを思えば、エロドクターの体重なんて問題じゃないと思うんですけど。会長さんの白い肌には赤い花びらのようなキスマークが幾つも散らされ、それをつけられた記憶は定かではないと言うんですから、本当に危機一髪でした。会長さんは溜息をついて。
「…悔しいけれどノルディのテクニックは確かだったよ。指を傷めた上に筋肉痛で腕も満足に動かせないのに、キスだけでぼくを追い詰めるなんて…。舌も傷めつけておくべきだったな」
「そこまでやったら日を改められていたと思うぞ」
キース君が言い、サム君が。
「ブルーが無事でよかったぜ。俺、心配で心配で…。エロドクターを殴りたいけど、それをやったら俺たちの計画がバレちゃうし…」
「気持ちだけで嬉しいよ、サム。ノルディは…このまま放っておくしかないか」
重たいけれど、と苦笑している会長さん。朝まで下敷きにされていたのでは身体が痺れてしまうかも…。私たちは会長さんとエロドクターをベッドに残して「そるじゃぁ・ぶるぅ」の瞬間移動で隣の部屋に帰りました。万一の場合に備えて男の子たちが交代で寝ずの番をしましたけれど、ドクターは朝まで爆睡で…。
「……最低だね、ノルディ」
ルームサービスの朝食を食べていた私たちは会長さんの思念を合図に再び中継を見ています。目覚めたばかりのエロドクターをチャイナドレスの会長さんが詰っていました。もちろんボタンをきちんと留めて、皺もサイオンで伸ばしみたい。
「今まで沢山の女の子と付き合ったけれど……デートでどんなに疲れ果てても途中で寝るなんて失礼な真似はしたことがないよ。散々ぼくを口説いてたくせに結果がこれか…。君にとっては遊びの相手というわけだ。真剣だったら寝ないだろうし」
「誤解です! 私は本気であなたのことを…」
「うん、本気でぼくの身体だけを愛している…ってことなんだろうね。とにかく約束の一晩は過ぎた。これで借金は返したよ。あのネタでは二度と脅せないから、そのつもりでいてくれたまえ。…それじゃ」
さよなら、と会長さんの姿が消えて。
「ただいま。…心配かけてごめん。みんなのお蔭で無事だったよ」
部屋の中央に現れた会長さんはチャイナドレスのままでした。どうして着替えていないんでしょう? 私たちの視線に会長さんはクスッと笑って。
「あ、これ? せっかくだからサムに見せたいと思ってさ。…ノルディが誂えるくらいなんだし、サムならグッとくるかなぁ…って。どうかな、サム? 似合ってる?」
「……う、うん……」
似合ってる、というサム君の言葉は口の中でモゴモゴと消えました。ついでに耳まで真っ赤です。会長さんはチャイナドレスが気に入ったのか、チェックアウトの時間になるまで着替えようとはしませんでした。エロドクターに散々な目に遭わされたのとドレスとは別モノらしいです。このタフさこそが会長さんの真骨頂かも。
「…ノルディはとっくに引き払ったよ」
元の服に戻った会長さんがニッコリ笑って言いました。
「だから堂々とチェックアウトしても安心さ。さあ、帰ろうか。お昼はぼくの家で慰労会にしよう」
何が食べたい? と尋ねる会長さんは元気一杯、素敵な笑顔。エロドクターは自分の家で身体中に湿布を貼って落ち込んでいるという話でしたが、知ったことではないですよねえ?
会長さんを襲った危難が去って、また学校が始まって…木曜日は学園を挙げての『かるた大会』。今年も温水プールで百人一首の下の句が書かれた取り札の奪い合いです。1年A組はクラス対抗試合を勝ち抜き、学年1位のクラスが戦う首位決定戦を勝ち抜いて…。
「学園1位! 1年A組!」
司会のブラウ先生の声がプールサイドに響きました。学園1位の副賞は…クラス担任と指名された先生とが演じる寸劇。グレイブ先生が『かるた大会』の開催を告げた時にはクラスメイトは副賞を知らなかったんですけども…。
「やった、1位だ!」
「これで先輩たちにも顔が立つな!」
あちこちで肩を叩き合って喜ぶ男子たち。女子も小躍りしています。私たちが喋ったわけではなくて、アルトちゃんとrちゃんが喋ってしまったわけでもなくて…。クラス全員が副賞の中身を知っているのは先輩たちのせいでした。先輩というのは去年の1年生と2年生。私たちの卒業を祝って送りだしてくれ、今も学園にいる生徒。その人たちが入れ替わり立ち替わり「1位を目指せ」と激励に来ていたのです。
「「「A組! A組!!」」」
プールサイドから高らかに上がるA組コール。誰もが思い切り期待していました。去年はグレイブ先生と教頭先生が爆笑モノのバレエを披露しましたが、さて、今年は…? クラスを優勝に導いたのは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の見事な連携。寸劇に出る先生の指名権を会長さんに委ねることは競技前から決定済みです。
「さあさあ、かるた大会は終わりだよ!」
早く着替えな、とブラウ先生が皆を促しています。表彰式はA組コールの中で終了しており、職員さんが片付けをしに出てきましたが、誰もがこの後の催しを知っているのでドキドキワクワク。ブラウ先生が苦笑しながらマイクを握り直しました。
「終わりだって言っているのに聞いてない子は放って行くよ? この後、会場は講堂へ移る。講堂の中は水着禁止だ。いいかい、さっさと着替えること! そして1年A組の代表は先生を一人指名しておくれ!」
ワッとプールサイドが湧き立ち、会長さんが手を挙げます。
「1年A組は教頭先生を指名させて頂きます!」
シナリオどおりの進行でした。先輩たちが希望したのは教頭先生を指名すること。それと、もう一つ…。
「オッケー! ハーレイ、御指名だよ」
ブラウ先生が教頭先生に向かってウインクしてから。
「さて、副賞は指名された先生とクラス担任による寸劇だ。希望の演目があった場合はご注文にも応じることになっている。1年A組、希望はあるかい?」
またしても大歓声が上がりました。先輩たちの期待を一身に背負った会長さんがブラウ先生の側まで行ってコソコソ耳打ちしています。ブラウ先生は去年同様、散々笑い転げた挙句に…。
「よーし、今年も面白いことになりそうだ。見たい生徒は全員着替え! 1年A組には講堂の一番前の特等席を用意するから思う存分楽しんどくれ!」
「「「はーい!!!」」」
1年A組だけでなく、全校生徒が返事しました。ハードな水中かるた大会の疲れも吹っ飛ぶ勢いです。着替えのために飛び出していく皆は足取りも軽く、それは私たち1年A組も同様で…。
「やりましたね、1位!」
会長さんに声をかける人もいれば、取り札を頑張って運んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でている人もいます。
エロドクターに振り回されたのは遠い日々。会長さんは御機嫌でした。だって教頭先生が…。いえいえ、それは舞台の幕が上がってからのお楽しみです。
「…本当にあれでいいのかしら…」
更衣室で着替えているとスウェナちゃんが声をかけてきました。
「会長さんは平気だって言ってるけれど、みんなの期待を裏切るのよ? …多分」
「うーん…。裏切ってないと言えば嘘になるけど、半分くらいは応えてるんだし…いいんじゃないかな?」
でも本当は少し心配だったりします。先輩たちの希望の演目を会長さんは実現する気満々ですし、抜かりなく準備もしたのですが…なんといっても会長さん。おまけにエロドクターに付き纏われたせいで溜まったストレスを発散しようと考えたから大変で…って、この話は内緒でしたっけ。講堂に着くとジョミー君たちが最前列から呼んでいます。
「おーい、こっち、こっち! 席、取っといたよ!」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は最前列の真ん中に座っていました。私たちはその両側です。全校生徒が着席しても舞台の幕は下りたまま。まだリハーサル中なのでしょう。去年と違って舞台からは全く音が聞こえてきません。ブラウ先生がマイク片手に登場すると客席が一気にざわめいて。
「こら、静かに! その様子じゃあバレてるようだが、今年の演目を発表するよ。…ハーレイとグレイブ、二人の花魁の舞踊ショーだ!」
「待ってましたーっ!!!」
あちこちから景気のいい声が飛びます。先輩たちの注文はコレ。学園祭で教頭先生が披露していた花魁道中が人気を博して、こういう結果になったのでした。グレイブ先生は道連れです。…ただし会長さんが聞き届けたのは…ストレス解消で半分だけ。ブラウ先生がマイクを握って。
「始める前に断っておこう。花魁といえば白塗りだけどね、ブルー…いや、生徒会長からの注文がついてメイクは口紅だけなんだ。ハーレイの肌の色とグレイブの眼鏡を生かしたいらしい」
「「「ええぇっ!?」」」
ひどい、とブーイングの嵐が巻き起こりました。ほーら、言わんこっちゃない…。ブラウ先生は負けじと声を張り上げます。
「それと花魁の衣装は重くて舞に向いてないから黒子がつくよ。衣装を整えるために必要だからと生徒会長が言ってきた。黒子は職員さんたちだからね、幕が上がったら盛大な拍手で迎えてあげとくれ! 返事は!?」
「「「はーい…」」」
逆らったら舞踊ショー自体が吹っ飛びそうだと思ったものか、ブーイングはピタリと止みました。スピーカーから琴と三味線の音が流れて幕がスルスル上がっていきます。舞台中央にスポットライトがパッと当たって。
「いよっ、学園一っ!!!」
威勢のいい掛け声はシド先生。それを合図に拍手が起こり、同時に笑いも広がっていたり…。華やかな花魁の衣装と鬘を着けた教頭先生とグレイブ先生はどこから見ても仮装大会。白塗りメイクをしていない顔に真っ赤な口紅だけを塗りたくられると、なんとも凄い破壊力です。グレイブ先生は眼鏡が光ってますし…。
「「「わははははは!!!」」」
さっきのブーイングが嘘だったように二人の姿は大ウケでした。会長さんが自信たっぷりだったのも頷けます。教頭先生とグレイブ先生は黒子を従えて舞い始めました。袖を翻してゆったりと…玄人はだしの艶やかさで。
とんでもないメイクも帳消しになりそうな美しい舞。黒子の職員さんたちが袖や裾に気を配りながら忙しく舞台を駆け回ります。先輩たちは笑えるネタとして注文した事実をすっかり忘れて二人の舞に見入っていました。…と、いきなり音楽がプツリと途切れ、続いて流れ出したのは…。
「「「えぇぇっ!?」」」
大音響のハワイアン・メロディー、『アロハオエ』。花魁の舞踊ショーには不似合いすぎる音楽です。皆が呆気にとられる間に、目にも止まらぬ動きをしたのは黒子さんたち。教頭先生とグレイブ先生の帯がスルスルと解かれ、花魁の衣装と鬘がパッと外れて。
「「「!!!!!」」」
二人は裸の胸にココナッツで出来た大きな丸いブラジャーを着け、腰には緑の葉っぱを編んだティーリーフスカート…いわゆる『腰みの』。当然、手足もむき出しです。首からオレンジのレイが下げられ、髪には真っ赤なハイビスカスが…。その格好で腰をくねらせ、音楽に合わせて踊り出したからたまりません。
「「「ぶわははははは!!!」」」
講堂中が爆笑に包まれ、ブラウ先生が必死に笑いを堪えながら。
「ここから先はフラダンスだよ。拍手が多けりゃアンコールもある。どうだい、みんな気に入ったかい?」
割れんばかりの拍手が起こり、教頭先生とグレイブ先生はしなやかに腕を、腰を大きく振ってフラダンスを優雅に踊っています。ええ、腕前は最高でした。花魁の舞もこのフラダンスも、達人のコツをサイオンでまるっとコピーしたもの。リハーサルを数回すれば、あとは身体能力の問題だけで…。
「ふふ、思った以上の出来だよね」
会長さんが舞台を見上げて満足そうに頷きました。
「ハーレイもグレイブもバレエをキッチリ身につけてるし、かなりやれると踏んでたけれど…アマチュアの域を超えてるかな」
去年の『かるた大会』の副賞でバレエを踊らされた教頭先生とグレイブ先生。謝恩会ではゼル先生とミシェル先生も加わって『四羽の白鳥』を披露してくれたのですが、その後も先生方はバレエのレッスンを続けています。しかし踊りが上手であっても、この傑作なコスチュームは…。
「…ぶるぅが頑張って作ったんだよ」
「「「は?」」」
会長さんの謎の言葉に私たちは首を傾げました。花魁の衣装は面倒だから業者に発注するとか言っていたのに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が何を作ったと? あの丸っこいココナッツ・ブラ? ココナッツをぶった切って刳り抜いただけの黒光りするブラジャーは笑えるものがありますが…。
「違う、違う。腰みのを編んでくれたんだ。ウエストが普通サイズの女性で必要な葉っぱが120枚。だったらハーレイは何枚だろうね? 葉っぱの芯を抜いて茎を削って…1枚ずつ編んで。初心者は丸一日もかかるそうだよ。ぶるぅは1時間ちょっとで作り上げた。熟練者並みの器用さってこと」
力作だよ、と笑う会長さん。先輩たちからリクエストされた花魁の舞をフラダンスに変えてしまった悪人ですが、怒っている生徒は誰もいません。花魁からフラダンサーへの早変りは実に見事でしたし、白塗りメイクが無かった理由も今となっては明白です。フラダンスには真っ赤な口紅しか塗っていない顔が映えるってもので…。
「…ウケていますね…」
シロエ君が呟き、キース君が。
「ウケるだろうさ、フラダンスだぜ? ブルー、アンコールは何回までだ?」
「ブラウに訊いたら制限時間は無いってさ。でも、適当な所で撮影タイムに切り替わるんだ。あ、ほら…ブラウが出てきた」
ブラウ先生が記念撮影の希望者を募集し始めました。フラガール姿の教頭先生とグレイブ先生を囲んでの思い出のショット。1年A組はもちろん全員参加です。みんな笑顔でハイ、ポーズ! と、その瞬間に会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の衣装がパッと変わってビックリ仰天。
「かみお~ん♪」
ポーズをキメている「そるじゃぁ・ぶるぅ」はミニサイズの腰みのを着けて、ココナッツ・ブラはありませんけどオレンジのレイ、髪には真っ赤なハイビスカス。教頭先生たちとお揃いです。会長さんはワインレッドのチャイナドレスに刺繍入りの黒い繻子の靴を履き、白い羽扇まで持っていたからたまりません。記念撮影は大幅な時間延長となり、写真屋さんも大忙しで…。
「楽しかったね、かるた大会!」
いつもの服に戻った「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピョンピョン飛び跳ねて喜んでいます。会長さんはチャイナドレスのままでした。これで終礼に出る気でしょうか? エロドクター所縁の品を着用するほど復活したのは嬉しいですけど、もしかして…フラダンスはストレス解消ではなく、ただの悪戯? なんだかとってもありそうな話。教頭先生、グレイブ先生、今日はありがとうございました~!
エロドクターにデートを申し込まれた会長さん。デートの後にはドクターと二人きりで大人の時間を過ごさなくてはいけないのですが、キース君は嫌がっている会長さんに申し込みを受けるようにと進言しました。蛇のようにしつこいドクターに借りを作るとロクなことにならない、というのです。
「いいか、ブルー。ドクターに会ったら約束するんだ。付き合うのは一晩だけだ、とな。その一晩をどう使おうとドクターの勝手というわけだが…寝てしまった場合は仕切り直しのチャンスは無い。だから爆睡させて逃げ切るんだ。同じベッドで一晩耐えてろ」
「……ノルディと……?」
ブルッと肩を震わせる会長さんにキース君は。
「修行だと思って耐えるんだな。思い切り爆睡してるようなら抜け出してもいいかもしれないが…朝にはちゃんとベッドに戻れよ」
「…本当にそんなに上手くいくかな…?」
「それは保証できん。いざとなったら投げ飛ばすって手もあるだろう? あんたは教頭先生だって投げたんだからな、護身術とやらで」
「……ノルディはテクニシャンだって言った筈だよ。実際、キスされただけで身動きできなくなっちゃったし…」
危険すぎる、と会長さんは渋い顔です。けれど借りを返さない限りは利子は膨らむ一方で…。キース君は腕組みをして考え込んでいましたが。
「そうか! 俺たちがボディーガードにつけばいいんだ。それなら万一の場合も対処できる」
閃いた、と言うキース君に会長さんは首を横に振って。
「…ノルディは二人きりで、と言っている。君たちがついてきたって叩き出されるのが関の山だ」
「あんた、大事なことを忘れていないか? いつも俺たちを見えないギャラリーにして遊んでるだろう? ぶるぅに頼めばバレないように潜入出来るし、いざという時は助けられるさ」
それは素晴らしい案でした。もっとも私たちの方も大人の時間なデートコースに巻き込まれてしまうわけですが…会長さんの身の安全には代えられません。会長さんも今度は納得したようで…。
「分かった…。ノルディの申し出を受けてみるよ。確かに逃げ回ったところで借金がかさむ一方だし…清算した方がいいんだろうね。みんなにも迷惑をかけてしまうけど、土曜日はよろしくお願いするよ」
「ああ、気にせずに任せとけって」
キース君が親指を立ててニッと笑い、私たちは土曜日は会長さんのマンションにお泊まりすることになりました。でも本当の行先は…。
「ブルー、エロドクターの思考は読めるか? 俺たちの待機場所を決めるためにも、夜は何処へ行こうと考えてるのか分かった方が有難いんだが」
キース君の問いに会長さんは嫌そうに顔を顰めながらも瞳を閉じて少し集中していたようです。しかし…。
「駄目だ…。ノルディの心の中は土曜日については妄想だらけで、見ているだけでムカムカしてくる。ノルディの家ではなさそうだけど、ただ漠然とホテルとしか…。ラブホテルの線は無さそうだけどね」
高級なのが好みだから、と吐き捨てるように言う会長さん。うーん、行先は謎ですか…。まあ、ラブホテルでないならいいでしょう。十八歳未満の子供の団体がラブホテルの中に潜入するのは如何なものかと思われますし。…しかも「そるじゃぁ・ぶるぅ」つきです。それから私たちはあれこれとプランを練り始めました。ドクターが疲れ果てるデートコースって何があるかな…?
晴天を祈り続けた運命の土曜日は朝から見事な快晴でした。かなり風が冷たいですが、子供は風の子、元気な子。こんな天気を待っていた私たちは会長さんのマンションに行き、お泊まり用の荷物を置いてから揃ってアルテメシア公園の入口へ。ドクターは…高級そうなコートを着込んで余裕たっぷりに待っていました。
「ブルー、来て下さって嬉しいですよ。お友達もお揃いのようですし…まずは昼食といきましょうか。何か食べたいものなどは…? 無ければ馴染みの店にお連れしますよ」
どうぞ皆さんもご一緒に、とドクターが提案したのはアルテメシアでも最高級と評判の高いレストラン。お金持ちだけあって太っ腹です。けれど会長さんの返答は…。
「ぼくはカニが食べたいな。ほら、カニは今が美味しい時期だから…。カニすきなんかいいかなぁ、って」
「カニですか。いいでしょう、すぐそこに店もありますし」
先に立って歩き出すドクターの背中に私たちはガッツポーズ。そうとも知らないドクターはすぐに振り返って会長さんを手招きしました。
「そうそう、忘れるところでした。デートですからね…。ブルー、ほら…腕を」
「分かったよ。恋人らしくしろってことだろ?」
ブツブツ文句を言いながらも会長さんはドクターが差し出した腕に自分の腕をからませます。それを見ていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ふうん…。フィシスとデートしてる時とは違うみたい。ブルーが掴まる方なんだ? ドクターとデートするのを嫌がってたのは、いつもみたいにいかないからかな? 好みが違うって言ってたし…」
「早い話がそんなとこだな」
そう答えたのはキース君。子供らしい発想にほのぼのとした空気が広がりますが、のんびりしている暇はありません。公園前の通り沿いにあるカニ料理店に入った私たちは広い御座敷に通されました。もちろん会長さんとドクターも同じ部屋です。ドクターは人数分のカニすきコースを注文してから私たちを見回して。
「ブルーが緊張し切ってしまうとデートを楽しめませんからね…。あなたたちは刺身のツマのようなものです。ブルーのリラックスした姿を満喫するための添え物ですから、私とブルーのデートの時間を大いに盛り上げて下さいよ。ブルーが笑顔でいてくれるなら、あなたたちの遊興費は全額負担いたしますとも」
好きなだけ食べて遊んで下さい、とドクターは下心たっぷりの顔をしていました。そうこなくっちゃ、と心で頷く私たち。間もなく沢山のカニが運ばれてきます。戦闘開始の合図でした。誰もが無言になりがちな料理……それがカニ。エロドクターにトークの時間を与えないよう選択された究極のメニュー。そんな中、ポツリと会長さんが。
「…やっぱりカニはぶるぅに限るね…」
「なんですって?」
聞き咎めたドクターに会長さんはカニの身をほじる手を休めて。
「カニを食べたいって思ったけれど、こんなに面倒だったなんて…。いつもはぶるぅがカニをほじってくれるんだ。ぼくは食べているだけで済むんだよね。でも……デートの最中にぶるぅに頼むのは気が引けるし…」
もう食べるのをやめようかな、と呟く会長さんのガラ入れには空になったカニの足が一本だけ。いくらなんでも少なすぎです。ドクターも私たちも「そるじゃぁ・ぶるぅ」も遥かに沢山食べているのに…。当然ドクターも同じ考えに至りました。
「それだけしか食べていないのですか? …私としたことがウッカリしていました。ぶるぅに任せたのでは確かにデートが台無しですし、私がほじって差し上げましょう。遠慮なく食べたいものを言って下さい」
ドクターの申し出に会長さんは嬉しそうに顔を輝かせると。
「いいのかい? じゃあ、そこの爪と…その足と。でね、その次に食べたいヤツが…」
水を得た魚のようにカニを食べまくる会長さん。実はかなりの量が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の器に転送されていたりするんですけど、ドクターは気付きませんでした。会長さんの御機嫌を取ろうと一所懸命にカニをほじって、追加注文されたカニもほじって……相当に疲れたんじゃないかと思います。でもドクターは満足そうに。
「ブルー、沢山食べて下さいましたね。話をする時間があまり取れなかったのが残念ですが、あなたには栄養をつけておいて頂かないと…。今夜はそう簡単に寝てもらっては困りますから」
舌なめずりをするドクターがどんな夜を夢見ているかは分かりませんが、ロクなものではなさそうです。けれど食事を済ませて店を出る時、お会計をするドクターの指は…。
「やったね、キースの計算どおり!」
会長さんの肩に腕を回して先を行くドクターから少し離れて歩きながら、ジョミー君がクスッと笑いました。
「やっぱり毛ガニが効いたのかなあ? それとも花咲きガニの方なのかな?」
「…それと大量のカニほじりとのコンボだろう」
指先が痛そうだった上に震えていたぜ、とキース君。
「専門は外科だと聞いていたから手先は器用な筈なんだ。持久力もあると思うが、メスを持つのとカニとは違う。おまけに毛ガニと花咲きガニは力を入れてほじろうとすると皮膚にダメージを食らうからな。…よくやった、ぶるぅ」
「わーい、ぼく、役に立てたんだ? 良かったぁ…」
ニコニコ顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」に割り当てられた役目は「カニの身が殻から外れにくくなるように」サイオンで力をかけることでした。そんなこととは知らないドクター、通常の十倍以上の努力をしながらカニをほじっていたわけです。おまけに会長さんがほじらせた量は半端ではなく、ドクター自慢の器用な指はかなり損なわれた勘定で…。
「これで指は封じられたというわけですか」
流石は先輩、とシロエ君。カニ料理を食べに行くというのはキース君の発案でした。エロドクターのテクニックとやらは指が思い通りに動かなくなると相当に落ちる筈だ、と会長さんが言ったことから出て来たのがカニ。ついでにあんまり喋らなくても済みますし。…とりあえず妨害工作第一弾は成功です。
お腹一杯になった私たちが次に繰り出した作戦は…。
「ブルー、俺たち、腹ごなしの運動がてらボートに乗ろうと思うんだ」
エロドクターに肩を抱かれた会長さんに追いついてそう言ったのはサム君でした。
「ホントはブルーと乗りたいんだけど、そういうわけにはいかないし…。ブルーはドクターと他の所に行くんだろ? また後でメールするから、合流場所を教えてくれよな」
じゃあ、と名残惜しそうな顔のサム君。…サム君が会長さんに恋をしていることをドクターは先刻ご承知です。春の健康診断の時にドクターの魔手から会長さんを守ろうとシールドまで張ってみせたサム君。あの時、ドクターはサム君の恋は本物じゃないと看破しましたが、実はどっこい、サム君の恋は本物で…。その後のサム君の様子からして百戦錬磨のドクターが気付いていない筈はないのでした。
「…ブルーと乗りたいだとは厚かましい。今はデートの最中なのに、気を利かせたらどうですか」
案の定、ドクターは不機嫌そうにサム君を睨み付けましたが。
「ボートに乗るんだ? 楽しそうだね」
会長さんが花のような笑みを浮かべました。
「ちょっと風が冷たいけれど、お天気もいいし…。冬の最中にボートっていうのは若さの特権ってヤツだよね。ぶるぅも一緒に行くんだろう? 羨ましいな、ぼくたちはこれから美術館なんだ。…年配向けのデートコースの定番さ」
つまらないけどまた後で、と手を振ってみせる会長さん。私たちは元気よく手を振り返すとアルテメシア公園の奥に向かって駆け出しました。目指すはボート遊びができる池。美術館はその池がよく見える位置に建っています。会長さんが年配向けのデートコースと口にしたことでドクターはカチンときたでしょうか?
「ふふふ、さっきのドクターの顔!」
シロエ君が笑い出したのは会長さんたちから見えない場所まで一気に走った後でした。この先は木立の中をゆっくり歩いて、池に着いたらボートに乗って…という計画です。
「ええ、明らかに怒ってましたよ。露骨な表情はしてませんけど」
その辺りは大人ならではですね、とマツカ君。若者だの年配だのと会長さんが口にした言葉はドクターの神経を派手に逆なでしたようです。キース君がフッと小さく笑って。
「…あの様子なら引っかかってくれると思うぜ、多分…な。駄目でもブルーが上手くやるさ。さあ、俺たちはボート遊びだ」
「私、ちゃんと貼るカイロを用意して来たのよ。みんなも要る?」
スウェナちゃんがバッグから出したカイロを有難く受け取ったのはジョミー君とサム君、それに私。柔道部三人組は鍛えているので要らないと言い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は服の素材が耐熱・耐寒仕様なのだとか。辿り着いた池にボートは沢山ありましたけど、乗っている人はいませんでした。そりゃそうでしょう、まだ一月の上旬ですから。
「じゃあ予定通りに4隻でいくか」
キース君の指示に従って私たちは二人一組でボートに乗り込みました。ジョミー君とサム君で1隻。キース君のボートにスウェナちゃん。シロエ君のボートに私で、マツカ君のボートに「そるじゃぁ・ぶるぅ」。漕ぎ手は柔道部三人組と…ジョミー君とサム君は交代制です。一列になって池の真ん中に漕ぎ出し、ゆったりと円を描いて回っていると…。
「あっ、ブルーだ!」
指差したのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。池のほとりで会長さんが大きく手を振り、ドクターと並んで見物しています。このまま美術館へ行かれてしまったら作戦失敗。キース君たちはさも楽しそうにボートを操り、スウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんの方に向かって手を振ってみたり、両手で丸を作ってみたりと「気持ちいいよ」とアピールし続け…。
「よし、かかった!」
ニヤリと笑うキース君。会長さんがボート乗り場に出てきて、ドクターがボートの料金を支払っているようです。池におびき出したらこっちのもの。
「ぶるぅ、今度もしっかり頼むぞ」
「かみお~ん!!!」
キース君の声に雄叫びで応えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」の今度の役目は…。
「…やっぱり若いって凄いよねえ…」
進む速さが全然違うよ、と会長さんがドクターの漕ぐボートから声をかけてきました。ドクターのボートが池の真ん中に来るまでには相当な時間がかかったのです。漕ぐのが下手だというわけではなく、オールが物凄く重かった筈。「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで水の抵抗を五倍に上げていたのでした。もちろん今も。それを承知で会長さんは…。
「君たちが楽しそうだったから、ぼくも乗りたいって言ったんだけど…。年寄りの冷や水ってこのことなのかな。こんなに進むのが遅いんだもの、君たちのボートと競争なんかは無理だろうね。せっかくだから速さを競いたかったのに…。そうだ、君たちで競争する? ボート乗り場まで帰る速さを競うんだ」
「おう、いいぜ!」
元気よく応じたのはサム君です。
「ジョミー、漕ぐのは俺に任せてくれよ。ブルーにいいとこ見せたいんだ! キースたちには負けないぜ」
「なんだと!? シロエ、マツカ、柔道部の意地を見せてやれ!」
キース君が「行くぞ!」と先頭を切って漕ぎ始めました。ただし速度は…ゆっくりです。全力で漕いでいるように見せて、実は…ゆっくり。シロエ君とマツカ君も同じでした。その横をサム君のボートが悠々と追い越し、会長さんがサム君に声援を送り始めます。
「頑張って、サム! その速さなら余裕で一位さ!」
デートの最中に恋敵を応援されたドクターはすぐにブチ切れました。会長さんに向かって怒る代わりにサム君への敵愾心をボウボウに燃やし、猛然とボートを漕いで必死に追いかけてきています。けれど水の抵抗はしっかり五倍。私たちのボートは怪しまれない程度に速度を落とし、嘲笑うように僅差で進んで…。
「やったー!!」
一位だぜ、とサム君が拳を突き上げ、ジョミー君がパチパチと拍手。遅れてゴールインしたキース君たちもサム君の健闘を称えて拍手し、乗っていただけの私たちも「凄い」と拍手喝采です。会長さんを乗せたドクターのボートはゴールの手前で引き離されて、かなり遅れてのゴールインでした。
「…うーん、ノルディには無理があったかなあ…」
肩で息をしているドクターを眺めて会長さんが首を傾げます。
「ぼくより百歳近く若いんだから、まだまだいけると思ったけれど…肉体年齢と実年齢は別ってことか。あんなに距離が開いちゃうなんて、なんだかちょっと悔しいな。…リベンジしたくなってきたよ」
「「「リベンジ?」」」
シナリオ通りの展開でしたが、私たちは素直に驚いてみせて…。
「そう、リベンジ」
会長さんが指差す先には白鳥のペダルボートがありました。
「あれで競争しないかい? ボートは腕で勝負だけれど、今度は足で…さ。二人で漕ぐからさっきと結果が違うかも。…もちろん君たちがよければ…だけどね」
「その勝負、乗った!」
思う所だ、とキース君が受けて立ち、私たちもワイワイはしゃいで「勝負しよう」と盛り上がり…。会長さんはドクターを赤い瞳でチラリと見遣って。
「…ねえ、ノルディ。ぼくと一緒に雪辱戦をしてくれないかな? 負けっぱなしじゃ悲しいじゃないか。せっかくデートに出てきたのにさ……若い連中にボロ負けだなんて」
「……今度はサムを応援したりはしないでしょうね?」
腕の筋肉を揉みほぐしながら顔を顰めているドクターに、会長さんはとても綺麗に微笑んで。
「やらないよ。だって今度はぼくも勝負をするんだからさ。…ペダルボートは二人で漕がなきゃ進まないからね。で、どうする? やらないんなら年寄りらしく美術館に…」
「やりますとも!」
ドクターは憤然と言い放ちました。会長さんはそんなドクターを上手に宥めにかかります。
「そんなに怒らなくっても…。不本意ながらペダルボートは恋人同士で乗るってケースも多いんだよね。今日のデートの記念にすれば? ぼくとの共同作業だなんて、二度と機会は無いと思うな」
「…………。そういうことなら頑張りましょう。あの憎たらしい小僧めに今度こそ勝ってやらなければ!」
闘魂に火が点いたドクターは早速ペダルボートのレンタル料を私たちの分まで支払い、正々堂々と勝負しようと申し出たのですが…。
「…大丈夫かい? 足がふらついているようだけど…」
会長さんと一緒に乗ったドクターを襲ったものは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンによる通常の十倍のペダルへの負荷。軽やかにペダルを漕ぐ会長さんの手前、「重い」と言えるわけもなく……懸命に漕いで結果は4位。ビリになったのはマツカ君と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の組み合わせでした。
「くっ…。子供にしか勝てなかったとは…」
歯噛みしているドクターの隣で会長さんは必死に笑いを噛み殺しています。最下位が「そるじゃぁ・ぶるぅ」組なのはヤラセでもなんでもない…ように見えますけれど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はサイオンが使えますから子供といえども大人並み。本当のところは怪しまれないように勝ちを譲っただけなのでした。岸に上がったドクターの足は明らかに力が入らないようで…。
「ノルディ。まさかと思うけど…筋肉痛とか起こしてる?」
会長さんの問いにドクターは即座に「いいえ」と答えました。
「普段は車で移動してますからね。馴れない動きはどうも苦手で…。さて、次は何処へ行きましょうか? 美術館は年寄り向けでつまらないとか聞こえましたが…?」
「年配向けって言ったんだよ。でも、そうだねえ…。選べるんなら美術館より絶叫マシンの方がいいかな。ドリームワールドに新しいアトラクションが出来たんだ。まだ乗ってないし、ぜひ乗りたい」
「……今度はドリームワールドですか……」
苦虫を噛み潰したような表情のドクターに会長さんは顔を曇らせて…。
「駄目かな? お子様向けのデートコースは趣味に合わない? 嫌だって言うなら美術館でもいいけれど」
「いえ、行きましょう。ただしバスではなくてタクシーですよ? あなたには私と二人きりで乗って頂きます」
「…車内での痴漢行為はお断りだからね」
「痴漢行為ではありません。愛の証と言って下さい」
ドクターはスケベ根性丸出しでした。私たちはタクシー乗り場に向かい、分乗してドリームワールドへ。会長さんは車内で太腿を撫で回されたらしいのですが、忍の一字で耐えたとか。借金を返さないと利子が膨らむだけですもの。
ドリームワールドで遊びまくって、冬の短い日が暮れて…。私たちはドクターに追い払われてしまいました。夕食から先は会長さんとドクターの二人だけの世界が始まるのです。けれどタイプ・ブルーな会長さんが大人しくしているわけがなく…。
『…行先はホテル・アルテメシア。部屋は最上階のスイートだってさ』
会長さんがドクターに連れられてタクシーに乗り込んだ直後に思念波が全員に伝わりました。ドクターもサイオンを持っているのに、傍受されずに送れる所が会長さんの凄さです。
「やっぱりホテル・アルテメシアか…。高級志向のあいつらしいぜ」
キース君が苦笑する横でケータイを取り出すマツカ君。執事さんに電話を入れて何やら話していましたが…。
「オッケーです。隣の部屋を押さえました。とりあえず荷物を取りに帰りましょうか?」
「荷物は運んであげられるよ?」
そう言ったのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「そんなことよりブルーが心配。…ドクターに攫われちゃったんでしょ?」
子供なりに事態を理解しつつあるようです。追っかけなくちゃ、と慌て始めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」を落ち着かせてから私たちは荷物を瞬間移動で取り寄せて貰い、タクシーでホテル・アルテメシアに着きました。その頃には会長さんからの二度目の思念が届いていて…。
『今はレストランで食事中。ノルディったら筋肉痛で腕も足も痛むみたいだよ。ついでに指の感覚も鈍ってる。カニ作戦は大当たりだった。…ぶるぅに隠してもらって見に来る? それとも中継してもらう?』
愉快でたまらない、という感情が伝わってきます。豪華なスイート・ルームに案内された私たちは見物に行くか中継にするかで悩みましたが。
「触らぬ神に祟りなし…って言いますよ?」
ここは中継で、とシロエ君。それもそうかもしれません。お腹も減って来ましたし…。
「ルームサービスを頼みましょうか? 中継を見ながら食べられますよ」
マツカ君の言葉で夕食はルームサービスに決定しました。人が何度も出入りするのは面倒なので、コースではなく好みの料理を適当に。ステーキやらフカひれラーメンやら、てんでバラバラな注文でしたが一度に届くのが一流ホテルならではです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はグルメなくせにお子様ランチ。
「ここのお子様ランチは美味しいんだよ? えっと…中継を始めてもいい?」
私たちが頷くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はハンバーグを頬張りながら大きな窓を指差しました。
「あそこに映すね。…えっとね、ブルーが心配かけてごめんね…って。攫われちゃったのかと思ったけれど、酷い目には遭ってないみたい」
映し出された会長さんはドクターと向かい合わせに座り、ナイフとフォークを優雅に使ってお食事中。対するドクターの手つきは妙にぎこちなく、手元も少し震えています。
『見てくれているみたいだね。…ずいぶん酷い有様だろう? さっきはワインのグラスを床に落として割ったんだよ。筋肉痛に加えて疲労。ドリームワールドで遊びまくったのがトドメを刺したって所かな』
クスクスクス…と会長さんの笑う思念が届きました。私たちと会長さんにあちらこちらと引っ張り回され、疲労困憊のエロドクター。デートは食事でおしまいで…残るは大人の時間のみ。会長さんは逃げ切れるのか、救助部隊の突入か。夜はいよいよこれからです…。