シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
バラエティー豊かな…と言えば聞こえはいいですが、どう見てもセクシーすぎる女性用下着が詰まった箱。ソルジャーからのプレゼントの箱が机の上に置かれているのを教頭先生は呆然と眺めていました。贈り主のソルジャーは箱の中身を次々に取り出し「どうだい?」と得意げに見せびらかします。
「ぼくたちの世界じゃ、そう簡単に買い出しになんか行けないからね。楽しかったよ、あれこれ選んで買うのはさ。…あれ? じゃあハーレイはどうやって手に入れていたんだろう? ぼくに贈ってくれたヤツ…」
船から出ない筈なんだけど、とソルジャーは首を傾げました。あちらのキャプテンは船を預かる責任者なので常にシャングリラにいるのだそうです。
「もしかしたら救出部隊に頼んだのかな? それとも服飾部の連中に特注したとか…?」
恥ずかしいヤツ、とソルジャーは舌打ちしたのですが。
「つまり愛されてるってことだろ?」
会長さんが突っ込みました。
「誰かに買ってきてくれって頼み込むのも、作ってくれって頼むのも…とても度胸が要ると思うよ。どう考えても普通に使う代物じゃないし」
「甘い!」
すかさず返すソルジャー。
「ハーレイはね、ぼくとの仲がバレバレなことを知らないんだ。長老たちも他の仲間も大抵知ってることなんだけど…バレていないと思い込んでる。だから買い物をお願いするのも、特注品を発注するのも大したことではない筈だよ。…仲間の誰かが欲しがっている…ってキャプテンの立場で言うだけだから」
「「「は?」」」
声を上げたのは全員でした。なんでキャプテンという要職にある人が仲間の代理で下着の注文? それは欲しいと思ってる人が直接言うべきことなのでは…? ソルジャーはクッと笑って教頭先生を眺めました。顔を真っ赤にした教頭先生は今も硬直しています。
「…こっちのハーレイはどういう仕事をやっているのか知らないけどさ。ぼくの世界のキャプテンはとても多忙なんだよ。シャングリラに関する様々な事案がハーレイの所に持ち込まれる。船の航行に関することから、果てはトイレの改修工事の企画まで。…救出部隊の最高責任者もハーレイだ。でね、救出部隊が出る時には…」
余裕があればシャングリラの中では調達できない品物などを入手するのだ、とソルジャーは教えてくれました。救出部隊の任務はサイオンに目覚めた子供や目覚めそうな子供の救出ですが、調査のために潜入している場合も多いそうです。潜入中は普通の人間に紛れているので買い物なども出来るのだとか。
「そういう折に買ってもらう物を取りまとめるのもハーレイの仕事。仲間たちもそれを知っているから、たまに陳情があるらしい。どうしても欲しい品物がある…ってね。下着もそういうヤツの一つだとしらを切るのは簡単なのさ、物品入手の報告を受けるのもハーレイだから。…御苦労と言って受け取ってしまえば終わりなんだよ」
服飾部に特注するのも同じ理由で楽勝なのだ、と語るソルジャー。
「要するに度胸は全く必要ない。…あれはぼくへの愛じゃなくって単なるスケベ心だね」
「「「………」」」
「で、ハーレイ? 君はぼくのことをどう思う…? スケベ心でもいいんだけどさ」
教頭先生をチラリと見遣ってソルジャーは笑みを浮かべました。
「この下着を買うのは苦労したよ。ほら、ぼくはお金を持ってないだろ? ブルーに買ってもらうしかないのに、ブルーは凄く嫌がるし…。どうしてもダメならノルディに頼む、って言ってやっとオッケーしてもらった」
そりゃそうだろう、と溜息をつく私たち。あんな下着を買うと言われた会長さんがお金を出すわけないのです。しかも教頭先生にプレゼントするためとあっては頑なに拒絶しそうなのですが、エロドクターの名を持ち出されたら逆らえないのも無理はなく…。ソルジャーときたら、家出中のくせにどこまで強気に出るんだか。おまけに教頭先生で遊ぶ気満々。
「どうだい、どれが気に入った? 君のブルーは絶対に履いてくれないだろうね。でも、ぼくは別だ。正直に言ってごらんよ、履いて見せてあげるからさ」
遠慮せずに、とソルジャーは制服の襟元に手をかけます。ひぃぃっ、この場でストリップですか~!?
「ブルー!!!」
会長さんの怒鳴り声が響き、ソルジャーの手が止まりました。
「いい加減にしないと叩き出すからね! この子たちの前でストリップなんか許さないよ!」
「…ストリップ? 心外だな…。ちゃんと下着は着けるんだから、水着みたいなものじゃないか」
ねぇ? と私たちを見回すソルジャー。教頭先生は相も変わらず硬直中です。
「ぼくの水着は夏休みに披露してるんだよ? ちょっとデザインが変わるだけさ。じゃ、そういうことで」
「ブルーっ!!」
「気にしない、気にしない。…それとも君が履きたいのかい? だったら君に譲るけど」
「………!!」
真っ青になって首を横に振る会長さん。ソルジャーはクスッと笑って制服の上着をゆっくりと脱ぎ始めたのですが…。
「ま、待って下さい!」
叫んだのは教頭先生でした。
「…私はそんなつもりでは…。そんなことをなさったら、あなたの世界のキャプテンに何とお詫びをすればいいのか…」
顔を赤らめながらも懸命に説得にかかる教頭先生。けれどソルジャーは鼻で笑って。
「家出中だって言ったじゃないか。ぼくの希望は浮気なんだ。…ぼくのハーレイがショックを受けてくれれば本望さ。君もまんざらでもなさそうだし…。やっぱり身体は正直だよね」
ソルジャーの視線の先は追うまでもなく分かりました。教頭先生が私たちに背中を向けたからです。
「こ、これは……た、単なる生理的現象で…」
「…そう?」
「そうです!」
「残念。…いい機会だと思ったんだけど、出直した方が良さそうだね」
大袈裟な溜息をつくと、ソルジャーは制服の上着をきちんと直して襟元までピッタリ留めました。
「今日のところはこれで帰るよ。…話を強引に進め過ぎても何かとこじれる元になるから」
「…は?」
不審そうな顔で振り向く教頭先生。ソルジャーはニッコリ微笑んで…。
「そこの下着の話だよ。…ぼくはそれを着けた姿を是非とも君に見てもらいたい。今の遣り取り、全部ぶるぅに中継させて、ぼくのハーレイに見せていたんだ。ハーレイは凄く焦っていたよ、ぼくが本気で脱ぐんじゃないか…って。でも浮気にはまだまだ足りない。仕切り直しに期待している」
また来るから、とソルジャーはウインクしてみせました。
「じゃあ、今回は失礼するよ。…その下着、大事に預かっておいて。夜のお供には…物足りないかな、ぼくが使ったヤツじゃないしね。御希望とあれば履いてあげても…」
「い、いえ…」
結構です、と言った教頭先生が鼻をティッシュで押さえます。どうやら鼻血の危機らしいですが…。
「ティッシュなんかより下着の方が柔らかくて具合がいいんじゃないかな? ぼくの姿を思い浮かべて下着で鼻を覆うといいよ。鼻血の痕が目立たないのは黒いヤツだと思うんだけど」
「…………」
ソルジャーの余計な言葉で教頭先生の鼻の血管は呆気なく切れてしまいました。必死にティッシュを詰める姿は何回見ても間抜けです。つい見てしまう私たちを会長さんが追い立てて…。
「帰るよ、ブルーの気が変わらない内に! ほらほら、さっさと部屋から出るっ!」
「そうだってさ。またね、ハーレイ」
親しげに手を振るソルジャーの腕を会長さんが引っ張ります。教頭先生は両方の鼻にティッシュを詰めて机の横に立っていました。机の上には紅白縞のトランクスの箱と、ソルジャーが贈ったとんでもない箱。教頭先生、御迷惑かけてすみません~!
教頭室から「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻った会長さんは、シールドを解いたソルジャーを睨み付けました。
「仕切り直しってどういう意味さ? プレゼントしてからかうだけだって言ってたじゃないか!」
「…言ったかなぁ?」
忘れちゃったよ、とソファに座って大きく伸びをするソルジャー。会長さんはソルジャーを睨んだままで続けます。
「確かに言った! なのにストリップまでしようとするし、仕切り直しだなんて言い出すし…。いったい君は何を考えているんだか…」
「浮気するんだって言ってるじゃないか。君も記憶力が落ちたのかい? …ソルジャーのくせに」
「落ちてないっ!!」
柳眉を吊り上げる会長さんに、ソルジャーはすっかり冷めた『午後の紅茶』が入った湯飲みを差し出しました。
「これでも飲んで落ち着きたまえ。…気に入らない? ぶるぅ、悪いけど飲み物を…」
「かみお~ん♪」
キッチンに駆けていった「そるじゃぁ・ぶるぅ」が人数分のココアのカップを運んできます。何種類ものクッキーが盛られたお皿も。ソルジャーは私たちをソファに座らせ、得々として浮気計画を語り始めました。
「…とにかく、ぼくはハーレイに思い切り反省して貰いたいんだ。ヘタをしたらぼくを永遠に失うかも…と思わせてみたい。下着を着けてみせるくらいじゃ生ぬるいね。きちんと浮気しなくっちゃ」
「「「………」」」
私たちは答えられませんでした。きわどい下着を贈られただけで鼻血を出すような教頭先生。童貞疑惑も晴れていませんし、そんなヘタレな教頭先生とどうやって浮気するんでしょう? 絶望的だと思うんですけど…。
「君たちが考えていることは正しいよ。こっちのハーレイはとことんヘタレで浮気は望めそうもない。でも、浮気じゃなくて本気だったらどうなると思う…?」
「「「本気!?」」」
なんですか、それは? 会長さんも驚いて赤い瞳を見開いています。ソルジャーはクスクスと笑い、クッキーを齧ってココアを飲んで。
「…浮気だと思っているからハーレイは動けないんだよね。ぼくの世界のハーレイに遠慮しちゃって何も出来ない。だけど浮気じゃなかったら…? 結婚話をちらつかせたらどうなるかな?」
「…け、結婚って…」
会長さんの声が上ずり、ソルジャーは赤い瞳を煌めかせて。
「君のハーレイが夢を見ている結婚だよ。君の代わりにぼくが結婚するってこと。婚約指輪もあるみたいだし、問題ないと思うんだけど。…結婚を前提としたお付き合いなら、きっとハーレイも大胆になるさ。そうそう、夏休み明けには結婚話を回避するために君に婚約を頼んでたっけね、ハーレイは」
「…う……。で、でも…」
結婚なんて、と会長さんは渋い顔です。
「嘘だとバレるに決まってるよ。…変にハーレイを刺激しないで欲しいんだけど…。ぼくの記憶力を証明するために言わせてもらえば、ハーレイがあの指輪をぼくに贈ろうとして持って来たのは一年前の今日だったんだ。…正確には今日の日付じゃなくて、三学期の初日って意味だけれどさ」
「へえ…。一周年ってことなんだ。それはいいや」
記念日だよね、とソルジャーはとても嬉しそうです。
「君のハーレイが婚約指輪を用意してから今日で一年だとは思わなかったよ。その記念すべき日に、ぼくが結婚を申し出る。うん、最高のシチュエーションだ。よし、決めた。…今夜ハーレイに告白しよう」
「「「えぇっ!?」」」
驚愕する私たちにソルジャーは悪戯っぽく微笑んで。
「君たちも何が起こるか知りたいだろう? 家に連絡しておきたまえ、今夜は遅くなります…ってね」
「ブルー!!!」
会長さんの叫びをソルジャーはサラッと無視しました。
「十八歳未満お断りの件は覚えているから安心して。そして君たちはギャラリーってヤツだ。ブルーに何度もやられているって聞いてるよ。ハーレイからは見えない形でぼくと一緒にくればいい。…どうかな?」
どうかな、って言われても…。ソルジャーに私たちを逃がす気がないのは明白でした。頼みの綱の会長さんは苦虫を噛み潰したような顔をしています。
「…ごめん。ぼくとブルーの力に差は全く無い筈なんだけど……経験値が違いすぎるんだ。ブルーが君たちを引っ張っていくと決めた以上は逆らえない。ぶるぅの力を借りても無理だ。…本当にごめん」
深々と頭を下げられてしまい、私たちの退路は断たれました。こうなったら仕方ありません。何が起こるのか分かりませんけど、今夜は『見えないギャラリー』です。それぞれの家にメールや電話で連絡しつつ、私たちは泣きそうな気分でした。ソルジャーが教頭先生に…浮気するために告白ですって? もしも大人の時間に突入したら、私たち、無事に帰れるでしょうか…。
夕食は会長さんのマンションで「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製パエリア。急に押しかけてしまったというのに手抜きしないのは流石です。食べている間はすっかりしっかり状況を忘れていたのですが…。
「後片付けも済んだようだし、そろそろ行こうか」
ソルジャーが立ち上がり、借り物の会長さんのセーターからソルジャーの正装に着替えました。何故ソルジャーの服を…? と皆が疑問に思った所へ。
「この姿でないと説得力に欠けるんだ。…ぶるぅ、ギャラリーのみんなにシールドを張ってくれるかな? ぼくが張ってもいいんだけれど、ハーレイといい雰囲気になったら集中力が切れるかも…」
「オッケー!」
大人の話が理解不能な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は無邪気な笑顔で答えました。ソルジャーは会長さんの方に視線を向けて。
「…君はどうする? シールドで姿を消すのもいいし、ぼくと一緒に来てもいいけど」
「一緒に行く! いざとなったら身体を張って止めないと…。ハーレイが君と深い仲になるのは困るんだ!」
「身体を張って…か。ぼくと途中で入れ替わる気かい? 深い仲になるのは自分でないと嫌だってこと?」
「違う!! ハーレイが味を占めたら困るって言っているんだってば!」
それだけは嫌だ、と叫ぶ会長さんにソルジャーが「分かってるよ」と答えた次の瞬間。青い光がパアッと走って、私たちの身体が浮き上がりました。瞬間移動させられた先は…。
「ブルー!?」
リビングのソファに寝そべっていた教頭先生がガバッと身体を起こします。
「それにブルーまで…。どうなさいました?」
見えないギャラリーの私たちには気付かないまま、教頭先生は会長さんとソルジャーに歩み寄りました。ソルジャーが普段からは考えられない真剣な顔で。
「…昼間はごめん。どうしても君に謝っておきたくて…」
「あ、ああ…。あのことでしたらお気になさらず。ブルーも何かと仕掛けてきますから、馴れていますよ」
教頭先生はソルジャーの服装を見て穏やかな笑みを浮かべました。
「家出中だと伺ったので少し心配していたのですが…。お帰りになるようですね。お気をつけて」
また会いましょう、と差し出された手をソルジャーは両手でギュッと握って。
「…違うんだ、ハーレイ。帰るつもりで来たんじゃない。…この服は……君と真面目に話をしたいと思ったから…。遊びに来ているブルーではなくて、ソルジャーとして」
「……ソルジャーとして……?」
「うん」
怪訝そうな顔の教頭先生を見上げて、ソルジャーは深く頷きました。
「…君も知っているだろう? ぼくの世界がどんな所か。ぼくのハーレイは何度もぼくに逃げろと言った。君たちが暮らすこの世界に行って幸せに…と。ぼくが家出したのはそのことで喧嘩になったからだ。ぼくがいなくても平気なのか、と言ったらハーレイは平気だと言った。…ぼくがいなくても平気だなんて酷いよね」
「…それで家出を…? ですが、キャプテンはあなたを大切に思うあまりに手放そうとしておられるのでは…」
コロッと騙された教頭先生はソルジャーとキャプテンの仲を元に戻そうと試みましたが、ソルジャーは綺麗に聞き流して。
「いいんだ、ハーレイ。…それでね、ぼくも考えた。こっちの世界で生きていくことが出来るのか…って。ぼくはハーレイなしでは生きられない。だから離れることも出来ない…。そう思ってた。そしたらブルーから聞いたんだ。…君がブルーにプロポーズしてから今日で一年になるんだって?」
「え、ええ…。お恥ずかしい話ですが」
ご存じのとおり振られたんです、と苦笑している教頭先生。その手を握るソルジャーの手にグッと力が籠もりました。
「…ハーレイ。…ぼくじゃ…駄目かな?」
「は?」
眼を見開いた教頭先生をソルジャーの赤い瞳がじっと見詰めて。
「その…。ブルーの代わりに、ぼくを貰ってくれないかな…って。君が結婚してくれるんなら、ぼくはこっちの世界で生きる。ハーレイが側にいてくれるんなら寂しくないと思うんだ。…だから…ぼくを貰ってほしい」
「…ブルー…?」
思いがけない言葉に戸惑っている教頭先生の背中にソルジャーは両腕を回しました。
「ぼくはソルジャーである自分を捨てる。…君が結婚してくれるんなら、ぼくの世界には帰らない…!」
「……ブルー……」
教頭先生の頭の中は混乱しているようでした。ソルジャーに結婚話を持ちかけられても、教頭先生が愛しているのは会長さんです。けれどソルジャーを拒絶するのは死の危険と隣り合わせな世界へ追い返すのと同じこと。そしてソルジャーが平和な世界で暮らせるように結婚すれば、会長さんと瓜二つの身体が手に入るわけで…。
「…やっぱり駄目かな? 君はブルーしか愛せない…?」
「い、いえ…。そのぅ、あまりにも……急な話なものですから…」
口ごもっている教頭先生。ソルジャーはスッと教頭先生の身体から離れ、クスッと小さく笑ってみせて。
「ふふ、ぼくの命がどうこう…っていうのは反則だよね。その件は横へ置いといて…本当にブルーでなくちゃ駄目なのかい? ぼくなら君を存分に楽しませることができるんだけど…。こんな風に」
ソルジャーの肩からマントがバサリと落ちました。さっきまでとは全く違った挑発的な表情です。
「「「!!!」」」
私たちが仰天している間ににソルジャーは銀色の飾りがついた上着を脱ぎ捨て、ブーツを脱いで手袋を捨てて…。
「どう、ハーレイ? 君が見たかった姿だろう…?」
アンダーウェアまで脱いでしまったソルジャーが身に着けているのは、教頭室で見せびらかしていた真っ白なフリルひらひらの下着だけ。愛用品とは思えませんし、わざわざ履いたに決まっています。教頭先生の鼻から赤い筋がツーッと流れましたが、ソルジャーは妖艶に微笑んで。
「ハーレイ、試しに抱いてごらんよ。気に入ったなら結婚しよう。…結婚を決めるかどうかのお試しだから遠慮は無用さ。…ぼくのハーレイも文句は言わない」
「………」
呆然としている教頭先生。ですが視線はしっかり釘付けです。
「…ねえ、欲しくてたまらないんだろう? 自分に正直におなりよ、ハーレイ」
ソルジャーが教頭先生の胸に身体を預けた時。
「ブルー!!!」
絶叫と共に青い光が迸りました。げげっ、教頭先生がもう一人!? いえ、あの服装は…キャプテンの制服とあの補聴器は…。ひええ、ソルジャーの世界のキャプテン登場!?
突然飛び込んできたキャプテンはソルジャーを教頭先生の胸から引き剥がし、落ちていたマントを拾って着せかけるとガバッとその場に平伏して…。
「ブルー、申し訳ありませんでした! 今後は心を尽くして頑張りますから、このような真似は…」
「我慢の限界…というわけか。いいだろう、許すことにする」
身体をマントで覆ったソルジャーがソファに腰掛け、傲然と言い放ちます。
「お前が限界に来たら送ってよこせ、とぶるぅに言ったが、乱入するのが早すぎだ。まだまだこれからだったのに」
「…そ、そんなことを言われましても…。このままいったら大変なことに…」
「だからお前はヘタレなんだ! もう少しくらい待てないのか!」
腹が立つ、とソルジャーはキャプテンを睨みました。
「ぼくの楽しみを台無しにして…。まだ一枚しか試してないのに」
は? まだ一枚って…もしかして? ソルジャーは勢いよくソファから立ち上がって。
「せっかく買った下着だよ? 履いてみたいと思うじゃないか! こっちのハーレイにも見せつけたいし、お前の限界も試したかった。どれを履いた時に飛び込んでくるか、ぼくは楽しみにしてたんだ。…でも、来てしまったものは仕方ない。中継じゃなくて直に見るんだな」
不穏な笑みを浮かべるソルジャー。
「…今から順に履き替えていく。だが、これはこっちのハーレイに贈ったもので、お前のためのものじゃない。…お前はそこで黙って見ていろ、どんな格好をしたとしてもだ!」
ソルジャーはバッとマントを投げ捨て、フリルひらひらの下着一枚で仁王立ちになりました。その足元に現れたのは教頭先生にプレゼントした下着詰め合わせセットの箱。よいしょ、と屈み込んだソルジャーはヒョウ柄の下着と紫のTバックとを手に持って…。
「さてと、どっちにしようかな? ブルー、君はどっちが似合うと思う?」
「どっちも却下だ! さっさと服を…」
「選べないって言うんだね? だったら紫にしてみよう。マントの色とお揃いだ」
勝手に決めてしまったソルジャーはTバックを広げて箱の中に置き、おもむろに白いフリルに手をかけます。ま、まさかサイオンで一瞬で履き替えるんじゃなくて、手作業で…? ひぃぃっ、ソルジャー、それ以上は…! と、転がるように走り出たのはキャプテンでした。
「ブルー!!」
勢い余って足がもつれたらしく、ドスンと重い音が響いてソルジャーはキャプテンの下敷きに。
「何するのさ!」
罵倒しまくるソルジャーでしたが、キャプテンは華奢な身体を抱え込んで…。
「…ブルー、これ以上はもう耐えられません。あなたは遊び感覚でしょうが、私にとっては拷問です。…ましてや私そっくりとはいえ、他の男に嫁ぐだなどと……冗談だとは分かっていても、この身が裂かれそうでした」
「………それで?」
不機嫌そうなソルジャーですけど、赤い瞳は怒っていません。キャプテンは更に続けました。
「お願いです。私にもう一度チャンスを下さい。…今度こそ満足して頂けるよう、休暇の残りは全力で…」
「…ぼくが感じる場所を覚えられもしないお前がか?」
「……それは…あなたに酔って溺れてしまって、それどころではなかったからです!」
ソルジャーの喉がクッと音を立て、おかしそうに笑い始めて、キャプテンの髪をクシャリと撫でて。
「よくできました。…最初からそうだと言えばいいのに、誤魔化したから怒ったんだよ。ヘタレなことはバレてるんだから隠さなくても良かったのにさ。…帰ろう、ハーレイ。ぼくの服を拾ってくれるかい?」
キャプテンが拾い集めた服をソルジャーは丁寧に身に着け、最後にマントをバサリと羽織って。
「家出は終わりだ。…後はよろしく」
フッとソルジャーとキャプテンの姿が消え失せ、残ったのは人騒がせな下着の箱。フリルひらひらの白いヤツだけはソルジャーが着けて帰ったようですが…。ポカンとしている教頭先生の前で会長さんが箱に両手を突っ込み、ヒョウ柄と紫のTバックを取り出すとヒラヒラと振って見せました。
「残念だったね、この二枚。…もうちょっとで履いて貰えたのにさ」
「い、いや…」
教頭先生は鼻にティッシュを詰めた姿で耳まで真っ赤に染まっています。
「そう? まあ、次の機会が絶対に無いとは言い切れないし、大事に取っておくといい。それにサイズはぼくと同じだ。箱一杯の下着をベッドに並べて妄想するのもいいと思うよ。紅白縞より役に立つだろ? じゃあね、おやすみ、ハーレイ、いい夢を」
パアッと青い光が溢れて、浮遊感から抜け出た時には会長さんのマンションで…。私たちはソルジャーとキャプテンの痴話喧嘩の巻き添えにされたみたいです。誰もがガックリ脱力中。元気がいいのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけでした。
「ね、ね、ブルー。あのね、これ、ブルーからプレゼントだって。…さっき、ぶるぅが送ってきたんだ」
「…ぶるぅから?」
何だろう、と箱を受け取る会長さん。箱のサイズはトランクスが入っていた箱に似ています。私たちが覗き込む中、リボンをほどいて箱を開いた会長さんは…。
「ぶるぅ、ゴミの日に出しといて! ブルーの趣味がよく分かった!!」
ヒラリと床にメッセージカードが落ちました。そこにはソルジャーが書いた綺麗な文字が…。
『青月印も良かったけれど、君にはシャングリラ印が似合うと思う。夜着と下着とセットでどうぞ』
えっ、どんなのが入ってたかって? 会長さんは広げることすらしませんでしたし、デザインの方は分かりません。会長さんの瞳の色によく似合いそうなワインレッドだったのは確かですけど、細かい部分は思い出したら負けでしょう。…ゴミに出すより教頭先生の家に送ってリサイクル……なんていうのは反則ですよね。教頭先生、闇鍋とソルジャーの下着姿と、どちらがお好みに合いましたか…?
影の生徒会室に勝手に入り込んでいたソルジャーは会長さんの制服を着ているばかりか、おやつまで食べていたようでした。テーブルの上に空になったお皿とフォークが乗っかっています。えっと…お皿に残った破片からして今日のおやつはアップルパイかな?
「残念でした。今日のはパンプキンパイ。…美味しかったよ」
ついつい三切れも食べちゃった、とソルジャーはとても満足そう。いつもは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に任せっきりで上げ膳据え膳のソルジャーですけど、誰もいなければ自分でパイを切るようです。それも三切れも…。
「…ブルー…」
会長さんの目が据わっていました。声のトーンも普段より低く、怒っているのが分かります。あああ、やっぱりキレちゃいましたよ、元から機嫌が悪かったのに…! でもソルジャーは悠然として。
「なんだい? あんまり怖い顔をすると、せっかくの美人が台無しだよ」
「同じ顔じゃないか! それよりイカサマしただろう!? しらばっくれても無駄だからね!」
は? イカサマって…何でしょう? ジョミー君たちも怪訝そうです。会長さんはソルジャーをビシッと指差し、私たちの方を振り返りました。
「さっきの闇鍋、変だっただろう? 完食できるわけがないのにハーレイは全部平らげた。おかげで君たちが貰う筈だったお年玉もパアになってしまった。分かるかい? その黒幕がブルーなんだよ!」
「「「えぇっ!?」」」
話が全く見えませんでした。ソルジャーが私たちよりも先に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入っていたのは確かですけど、それとさっきの闇鍋の間にいったいどんな関係が…?
「ぼくはブルーと賭けをしてたんだ」
イライラとした表情で会長さんはソファにドサリと腰掛け、「お茶!」と一声叫びました。ポカンと立ち尽くしていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大慌てでキッチンに走っていきます。会長さんは私たちにも座るように言い、間もなく人数分のパンプキンパイと紅茶のカップがワゴンに載せられて出て来たのですが…。
「ぶるぅ、ブルーの分はいいから」
引っ込めて、と冷たい声音の会長さん。
「…酷いな…。紅茶は自分で淹れるのが面倒だったから飲んでないんだ。パンプキンパイだってもっと食べたい」
「じゃあ、これで」
不満を述べたソルジャーの前にドンと置かれたのは『午後の紅茶』と書かれた缶紅茶でした。
「学食前の自販機から瞬間移動で貰ってきた。ちゃんとお金も入れておいたし、ホットだから十分熱い筈だよ」
「缶入りなんか美味しくないし!」
前に飲んだらイマイチだった、とソルジャーは顔を顰めます。
「そんな紅茶じゃ、シャングリラの食堂と変わらない。せっかく遊びに来てるんだからさ…地球らしく葉っぱで淹れてほしいな。香りからして全然違う」
「………誰が遊びに来てるんだって………?」
地を這うような会長さんの声に、私たちは思わず首を竦めていました。これは相当に不機嫌です。会長さんはキッチンから瞬間移動でティーカップならぬ特大の湯飲みを取り寄せ、缶紅茶の蓋をプシュッと開けると中身を無造作に注ぎ入れて。
「はい、ブルー。…君にはこれで十分だろう? 贅沢を言える立場なのかい、家出中のくせに!」
「「「家出中!??」」」
それはとんでもない言葉でした。…ソルジャーが…家出中…? シャングリラを放ってきたんですか? まさか…あちらの世界のキャプテンの願いを聞き入れ、自分が生きてきた世界を捨てて私たちの世界へ逃げてきたとか…?
あまりのことに私たちの表情は硬くなっていたのだと思います。突然ソルジャーがおかしそうに笑い出し、会長さんがハッと息を飲んで。
「違う、違う! ブルーが家出中っていうのは一時的なことで…お試しでぼくたちの世界に亡命中とか、そういう風なものでもなくて! 転がり込んで来ただけなんだよ、一昨日の夜に! ぼくがフィシスと……そのぅ…」
「ベッドインしようとしてた時にね」
悪びれもせずにバラすソルジャー。私たちが耳まで赤くなっている間に会長さんは慌てふためき、ソルジャーの前にティーカップがコトリと置かれました。パンプキンパイが載ったお皿もです。
「もうそれ以上は言わなくていいっ! …とにかくブルーはぼくの都合も考えないで一方的に押しかけてきて、当分の間ここに泊まるって…。ぶるぅはシャングリラに置いてきたらしい」
「万が一ってこともあるからね。三分間しか保たないとはいえ、ぶるぅだってタイプ・ブルーだ。ぼくが駆け付けるまでの間くらいはシャングリラを余裕で守れるさ」
心強い留守番なんだ、とソルジャーは紅茶のカップを傾けます。
「書き置きもぶるぅに預けてきたし、後はハーレイが反省するまでこっちでのんびり暮らすってわけ」
「「「……???」」」
あちらのキャプテンが反省…ですって? ソルジャーとキャプテンは相思相愛、ちょっとキャプテンがヘタレですけど仲はとっても良かった筈です。もしかして喧嘩でもしましたか…? それともキャプテンが何かヘマでも…? 私たちの顔一杯に『?』マークが出ていたらしく、ソルジャーはクッと喉を鳴らして。
「どうしよう、ブルー? この子たちは家出の理由を知りたそうだ。話しちゃっても構わないかな」
「……十八歳未満お断りな話は禁止。常識で許される範囲内でだけ答えたまえ」
会長さんは腕組みをしてソルジャーに睨みを効かせています。家出の原因は大人の時間と何か関係あるのでしょうか…? ソルジャーは軽く咳払いをして紅茶のカップを受け皿に置くと、指先で縁を弾きました。
「…話すと長くなるんだけどね。クリスマスにぼくがフェイクタトゥーを入れて貰ったのを覚えているかい?」
私たちはコクリと頷きました。ソルジャーが教頭先生を呼び出して背中に薔薇や蝶を描かせたことは記憶に新しい事件です。描いて貰ったお返しに…とソルジャーに筆で染料を塗られた教頭先生が失神して床に倒れたのも。
「あのタトゥーは役に立ったんだよ。最初ハーレイは気が付かなくて―――それを聞いても分かるだろう? ぼくの背中まで手が回らないほど、ハーレイは余裕がないんだってこと。…終わった後はバスルームに連れてってくれるんだけどね、その時にやっと気付いたのさ」
凄い剣幕で叱られたよ、とソルジャーはクスクス笑っています。
「なんてことをするんですか、って眉間の皺が三倍に増えた。染み一つない肌だったのに…とか、消すのはとても大変なのに…とか嘆かれちゃうと心が痛むね。たとえ本物でも皮膚を移植すれば消えるんだけど、ソルジャーという立場にいると不要不急の手術は出来ない。…つまり本物の刺青だったら消してる暇はないってことだ」
「「「………」」」
「だからハーレイは泣きそうだった。偽物だよ、と教えてやったらへたり込んださ。で、何のためにそんなものを…と聞いてきたから答えてやって、それからは君たちの想像どおり」
フェイクタトゥーが一週間ほど経って消え失せるまで、ソルジャーは存分に大人の時間を楽しんでいたらしいです。でも問題はその後のことで…。
「…ミュウは記憶に優れているんだ。君たちも記憶力はいいんじゃないかな」
「え? えっと…」
ソルジャーの問いに私たちは顔を見合わせ、キース君とシロエ君以外は曖昧な言葉を返しました。試験の度に会長さんのお世話になっているんですから、記憶力がいい筈ありません。ソルジャーは「ふぅん?」と首を傾げて。
「そうか、サイオンが完全に活性化してはいないのか…。とにかくミュウは記憶したことをそう簡単には忘れない。ハーレイもそうだと思ってた。キャプテンを任せるくらいだからね、並みのミュウより凄いと信じていたんだけれど…。ぼくはハーレイという男を買い被ってしまっていたらしい」
情けない、と深い溜息を吐き出すソルジャー。
「ほら、新年になっただろう? シャングリラでもニューイヤー・パーティーとか色々とイベントが多くてさ。ハーレイと二人きりで楽しむための特別休暇は一昨日までお預けになってたんだよ。ようやく取れた今年初めての休暇なんだから、ぼくがどれほど期待してたか分かるだろう?」
あまり分かりたくありませんでしたが、否定するとロクでもない目に遭わされそうです。黙り込んでいるのを肯定の意味だと取ったソルジャーは立て板に水の勢いで続けました。
「ハーレイはいそいそと青の間にやって来た。そして二人で熱くなれると思ってたのに…背中を愛してくれないんだよ! もちろんぼくは促した。ハーレイもそれに従ってくれた。そこまでは上手くいっていたのさ。なのに……なのにハーレイときたら、肝心のぼくが感じる場所を綺麗サッパリ忘れてたんだ!!」
侮辱するにも程がある、とソルジャーは眉を吊り上げて…。
「フェイクタトゥーがあった間は確かに愛してくれていたのに…消えてしまったら感じる所が分からなくなってしまったなんて、覚える努力をしてなかったってことだろう!? 記憶力がいい筈なのに忘れるなんて最低だよ。誠意も愛も無いって証拠だ。そんな男の欲望なんかに付き合ってやる義務はない!」
それでシャングリラを飛び出してきた、と拳を握り締めるソルジャー。特別休暇の期間中は帰らないのだと息巻いています。…家出の理由はよく分かりました。でも闇鍋の結果とソルジャーの家出の関係は? 会長さんはイカサマだとか賭けがどうとか言ってましたが、これじゃ全然分かりませんよ~!
あちらのキャプテンに書き置きを残してソルジャーは家出を敢行中。家出中のソルジャーの様子は留守番の「ぶるぅ」がキャプテンに時々中継するのだそうです。キャプテンはソルジャーの不在を誰にも明かせず、青の間で一人しょんぼりしながら、それを見ているとかいないとか…。
「反省しろ、って書いてきたからね…。たっぷり反省して貰わないと。ぼくをどれだけ必要としてるか、嫌と言うほど思い知らせてやるつもりなんだ」
ソルジャーは紅茶を一気に飲み干し、会長さんの方を見ました。
「とりあえず、ぼくは君との賭けに勝利を収めた。約束通りにさせてもらうよ」
「イカサマだろ! この部屋にいてもハーレイの身体を操るくらいは朝飯前の筈なんだ。ぼくにだって出来る。人を操ることはしたくないから、滅多に力を使わないけど」
人差し指の先に青いサイオンの光を灯してみせる会長さん。どうやら二人は教頭先生が闇鍋を完食できるかどうかの賭けをしていたみたいです。
「イカサマなんかしやしないさ。…ただ、ぼくには結果が見えてたからね…。だから賭けようって提案したし、乗ったのは君だ。誓って言うけど、ぼくに予知能力は無い」
ソルジャーの言葉に会長さんは赤い瞳を燃え上がらせて。
「大嘘つき! 予知能力が無いんだったら、なんで結果が分かるのさ! 公平に…って君が言うから、ぼくはフィシスに相談してない。自分を信じて賭けをしたのに、負ける筈のない条件で負けた。原因は二つしか考えられない。君が予知能力を隠しているか、でなければハーレイを操ったかだ」
「…本当に君はおめでたいね。全く気付いていないってわけだ。致命的なミスを犯したことに」
「えっ…?」
鼻で笑われた会長さんの瞳が大きく見開かれます。致命的なミスって何でしょう…? ソルジャーは勝ち誇ったような笑みを浮かべて空のティーカップを示しました。
「いいかい、これが鍋だとする。いろんな食べ物が放り込まれて凄まじいことになってるけれど、今の段階では例の缶詰も青いゼリーも入っていない。…この鍋から掬って食べるんだったら、君のハーレイがどこまで保ったか…。多分、早々にギブアップだ」
「だったら!」
もっと凄いことになっていたモノを食べられるわけがないじゃないか、と会長さんは怒り出します。私たちもそう思ったのですが、ソルジャーはカップの中に角砂糖を一個ポトンと入れて。
「これがシュールストレミングだ。君のぶるぅが缶詰を開けていたんだからね、入れさせたのは君だと馬鹿でも分かる。しかも匂いが凄いんだろう? 実際、嗅いでみて後悔したよ。…それからこれがゼリーってとこかな」
ソルジャーがティーポットから紅茶を注ぐと角砂糖はすぐに溶け始めました。
「あんな恐ろしい色になるんだ、皆が黙っている筈がない。実際、悲鳴が上がっていたし…有り得ない色に変わったことは目隠ししてても耳が教えてくれるだろう。そしてゼリーを入れたのが誰か、ハーレイには分かっていたと思うよ。あれだけ君を想っていれば気配や足音で気が付くものさ」
「…そ、そうかな…」
ストーカーじゃあるまいし、と会長さんは言ったのですが、ソルジャーは譲りませんでした。
「おまけにぶるぅも一緒だった。子供は一人しかいないんだから、鈴を付けて歩いているようなものだろう? 鍋の色を青くしたのは君だ。…酷い匂いにしたのも…ね」
ソルジャーは角砂糖入りの紅茶をスプーンでかき混ぜ、すっかり溶けたのを確認してから…。
「それまでの鍋は何が何だか分からなかった。だけど最終的に出来上がった鍋は君の努力の集大成。酷い匂いで凄い色でも、匂いも色も鍋の隅々にまで行き渡ってる。どこを取っても何を掬っても、君の手が加わっているっていうわけさ。…言わば手料理みたいなものかな」
「「「……手料理……」」」
恐ろしい例えに私たちも会長さんも、ただ呆然とするばかり。ソルジャーは紅茶を口に含むと「うん、美味しい」と微笑みました。
「やっぱり地球の紅茶はいいね。…君のハーレイも似たようなことを思った筈だ。たとえゲテモノ料理であっても、愛する君が心をこめて作ってくれた料理なんだよ? 次の機会があるかどうかも分からないんだし、残さないよう努力しなくちゃ」
「……そんなことって……」
青ざめている会長さんにソルジャーはパチンとウインクして。
「それだけ君を愛しているのさ、君の世界のハーレイは。…羨ましいな、ぼくなんか家出中なのに」
あてられちゃうよ、と笑うソルジャー。会長さんは作戦ミスを認めざるを得ない状況でした。教頭先生が恐怖の闇鍋を完食したのが会長さんへの愛ゆえだとは、なんとも凄い話です。ソルジャーとの賭けに負けてしまった会長さんには、罰ゲームとかがあるのでしょうか…?
「…さてと。イカサマの疑いが晴れたからには、約束を守ってくれるんだろうね?」
散々文句を言われたんだし…とソルジャーが会長さんを見詰めます。
「…そ、それは……仕方ないけど…」
会長さんが答えると、ソルジャーはニッコリ笑って空中に箱を取り出しました。綺麗にラッピングされてリボンがかかった平たい箱。なんだか嫌な予感がしてきたような…。
「ふふ、新学期恒例のお届け物が下着だなんて…君も罪作りなことをする」
「「「!!!」」」
私たちの脳裏に紅白縞のトランクスの画像が蘇ります。新学期を迎えるごとに青月印の紅白縞を五枚。それが会長さんから教頭先生へのプレゼントですが、もしや今回はソルジャーがそれを手渡す役を…? あの箱はどう見ても会長さんが買っているのと同じデパートのものですし…。けれどソルジャーは会長さんに「君の分は?」と促しました。
「早く行こうよ。約束通り、ぼくはハーレイの部屋に着くまでシールドを張って姿を隠す。…これを受け取った時のハーレイの顔が楽しみだな」
「…悪趣味だって思うけど…」
ブツブツと呟きながら会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に平たい箱を持って来させます。いつもの包装紙に綺麗なリボン。…ん? どうして箱が二つも…? ソルジャーも教頭先生にトランクスを贈るつもりでしょうか?
「まあね」
ソルジャーは悪戯っぽく微笑みました。
「ぼくの様子はぶるぅを通して中継できるって言っただろう? ハーレイには悔しがってもらうさ、ぼくがこっちのハーレイに下着をプレゼントする所を見せて…ね。ブルーとの賭けに勝ったらプレゼントしに行く約束をしてた。自慢するような話じゃないけど、ぼくはハーレイに下着を贈ったことがないんだ。…どちらかと言えば贈られる方」
女性用らしき下着や夜着を貰ってしまった経験がある、と語るソルジャー。どんな代物を受け取ったのか非常に気になる所でしたが、ストップをかけたのは会長さんです。
「十八歳未満の子供相手に余計な話はしなくていいっ!」
「それを言うなら君の方こそ、今まで色々やってるくせにさ」
「ぼくのは全部悪戯だ。君と違ってノーマルだから」
しれっとしている会長さんに私たちは額を押さえ、今日の受難を覚悟しました。トランクスを届けに行って無事に済んだ例がありません。おまけに今回はソルジャーというオマケつき。何かが起こるに決まっています。会長さんとソルジャーはそれぞれの箱を抱えて立ち上がりました。
「…ブルー、くれぐれも言っておくけど、この子たちは全員お子様だから…」
「分かってるってば。でも君のハーレイの反応までは責任持てないって言わせてもらうよ」
「……ハーレイだしね……」
その件については諦めている、と溜息をつく会長さん。私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は行列を組んで会長さんの後ろに続き、教頭室へと出発しました。ソルジャーはシールドで姿を隠して会長さんの隣あたりにいるようです。あああ、トランクスのお届け物が二人前。紅白縞が十枚だなんて、悪夢だとしか思えませんよぅ~!
教頭室の扉の前に到着するとソルジャーはシールドを解きました。廊下に人影が無かったからです。会長さんが扉をノックし、「失礼します」と入って行って…私たちもゾロゾロと。あれ? なんだか香ばしい匂い…。
「こんにちは、ハーレイ。口直しかい?」
「まあな。あれを食った後、夕食まで何も食わずにいるのは正直きつい」
教頭先生の机の上には空になった鰻重の器が乗っかっています。学食にはないメニューですから、教職員と特別生専用のラウンジからの出前でしょう。
「ブルーの愛が詰まってはいても、食べ物の域を超えてたからねえ」
クスクスクス…と笑うソルジャー。教頭先生はソルジャーを眺め、「どうして此処に?」と不思議そうです。
「それがね、ちょっと訳ありで。ぼくの世界で何かあったわけではないんだけれど」
心配無用、と微笑んでみせてソルジャーは教頭先生に。
「闇鍋を食べる所をぶるぅの部屋から見ていたよ。あんなゲテモノを完食だなんて、本当にブルーが好きなんだ? 愛する人が作ってくれたら不味い料理も美味しく思えるらしいけど」
「ええ。ブルーが悪戯で作ったとはいえ、食べ残したらきっと後悔します。ブルーの手料理を食べるというのは私の夢の一つですから」
強烈な匂いと色を作り出したのが会長さんだと教頭先生はやはり気付いていました。ついでに会長さんの手料理を食べた経験は一度も無いようです。…いえ、あるのかもしれませんけど、会長さんをお嫁さんにして毎日手料理を食べたいものだと壮大な夢を描いているとか…? ソルジャーは「ほらね」と会長さんに片目を瞑ってみせました。
「ぼくが言ったとおりだっただろう? 口直しに鰻重を食べてはいても、ハーレイの気分はパラダイスなんだ。もっと盛り上げてあげなくっちゃ。プレゼントを持って来たんだろう?」
「う、うん…」
会長さんは複雑な顔でトランクスが入った箱を教頭先生の机に置いて。
「いつもの青月印が五枚。紅白縞で良かったんだよね、新作も沢山出ていたけれど」
「すまんな。…これが届かない内は新学期を迎えた気がしない」
紅白縞も気に入っている、と教頭先生は穏やかな笑みを浮かべました。
「お前とお揃いなのだろう? お前が新作に乗り換えたんなら話は別だが、そうでないならこれがいい」
お人好しの教頭先生はまだ騙されているようです。会長さんは黒白縞も青白縞も履いたりしない筈なんですけど。そこへソルジャーが進み出てきて、持っていた箱を差し出して。
「これはぼくからのプレゼント。…開けてみて?」
「は…?」
両手で受け取った教頭先生が怪訝そうに首を捻ります。
「いいから、いいから。きっと気に入ると思うんだ。紅白縞よりオシャレだしね」
「…………下着ですか?」
「うん。ダメかな、ぼくのプレゼントは受け取れない?」
「そういうわけでは…。いや、しかし…」
流石にちょっと、と教頭先生は箱をソルジャーの方へ押し戻しました。
「ブルーと一緒にお買いになったものなのでしょうが、渡す相手をお間違えでは? あなたの世界のキャプテンが今の光景をご覧になったら、さぞ衝撃を受けられるかと…。キャプテン用に同じものを買っておられるとしても、私に贈るのはよくありません」
「よくないからプレゼントしてるんじゃないか」
ソルジャーは唇を尖らせ、教頭先生に箱を押し付けながら。
「家出中だと言っただろう? 実はハーレイのせいなんだ。ぼくは静かに怒っているのさ、浮気をしたくなるほどに…ね」
「「「浮気!?」」」
成り行きを見守っていた私たちの声が引っくり返りました。教頭先生も驚いています。ソルジャーは教頭先生に箱を開けるようにと言いましたけれど、この状況で教頭先生が開けられるわけがありません。ただでさえもヘタレなだけに口をパクパクさせるばかりで身体は見事に硬直中です。
「…相変わらずのヘタレっぷりだね。ぼくの浮気に付き合いたいとか思わないわけ? 君の大事なブルーと同じ身体に同じ顔だよ? 君さえよければブルーの家に泊まるのをやめて、君のベッドに引っ越ししてもいいんだけれど」
「………」
教頭先生の顔がみるみる真っ赤になっていきます。会長さんそっくりのソルジャーに浮気だのベッドに引っ越しだのと言われたのでは、たまったものではないでしょう。身体は固まってしまってますけど、脳味噌はきっとトロトロです。下手をすれば鼻血がツーッと垂れるかも…。でもソルジャーは全くお構いなしでした。
「何も言ってはくれないんだ? それとも感極まって言葉も出ない? だったらプレゼントを貰ってくれてもいいと思うな。恥ずかしくて開けられないみたいだし、代わりにぼくが開けてあげよう」
ソルジャーは教頭先生の手から箱を取り返すと机に置いてリボンをほどき、包装紙を剥いで…。
「ほら、ぼくからのプレゼント。…どれが一番好みなのかな?」
「「「!!!」」」
箱の蓋が取られた瞬間、私たちの目が点になりました。中身は紅白の縞ではなくて色とりどりの布の洪水。これはいったい何なのでしょう?
「どうだい? スタンダードなところで白。…王道のレースとフリルだけれど」
ソルジャーが箱の中から取り出したものはフリルひらひらの物体でした。乙女チックなレースの下着を教頭先生に贈ってどうしろと…? 紅白縞も悪趣味ですがフリルとレースには及びません。あんなモノが教頭先生の逞しい腰に…。おええっ、と誰かの思念が伝わってきます。うう、私だって吐きそうかも…。
「…違うんだな、これが」
楽しげな声がしてソルジャーがフリルの塊を両手でパッと広げました。…あれ? 教頭先生が履くにはサイズが小さいような…? いえ、あの手のヤツは思いもよらない伸縮性があるのが常でしたっけ。広げられるとフリルが余計に悪目立ちします。ソルジャー、お願いですからそんな視覚の暴力は…って、えぇぇっ!?
「ぼくが履くんだ」
信じられない言葉がソルジャーの唇から零れました。
「ハーレイ、君はどれがいい? 好みのヤツを履いてあげるよ、せっかくだから楽しまなくちゃね」
Tバックにヒョウ柄、レースも色々…とソルジャーの手が箱の中身をかき混ぜています。全部ソルジャー用ですか? それを教頭先生にプレゼントしてどうする気ですか、この家出中のソルジャーは~!?
元老寺で新年を迎えた私たちのその後は平穏でした。三が日の間はキース君は元老寺の本堂で初詣に来る檀家さんのお相手でしたから、三が日が済んでからみんなでアルテメシア大神宮へ初詣に。会長さんも誘ったのですけれど、フィシスさんとデートだとかで断られました。そんなこんなで冬休みも終わり、今日は三学期の始業式です。1年A組の教室に行くと…。
「おはよう」
「かみお~ん♪」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教室の一番後ろに増えた机に座っています。会長さんが椅子で「そるじゃぁ・ぶるぅ」は机の縁に腰掛けて元気よく手を振っていました。すぐ側にアルトちゃんとrちゃんの姿もあって、新年早々またプレゼントを貰ったみたい。会長さんは二人に微笑みかけて席から立つと、私たちの方にやって来ます。ええ、ジョミー君たちはとっくに登校していたのでした。
「みんな、例のモノは持ってきてくれただろうね?」
「もちろんだぜ!」
サム君が答え、キース君が自分の鞄の中から四角い箱を取ってきます。
「持っては来たが、これは何だ? 開けるなと注意されてもな…。中身くらいは教えておくのが礼儀だろう」
「そうかなぁ? 新年恒例イベント用だって分かってるんだし、特に説明しなくても…。食べ物なのは確かだよ」
「…それはそうだが…」
言い淀んでいるキース君。シャングリラ学園の新年恒例行事は『お雑煮食べ比べ大会』でした。男女別に学園1位が決められ、1位のクラスは先生を一人指名できます。その先生を待っているのは恐怖の闇鍋。1位のクラスの生徒が持ち寄った食べ物が全て放り込まれた闇鍋を食べねばならない決まりです。去年、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が持ち込んだのは『くさや』とドリアン。そんな会長さんが昨夜、私たち全員に『持参する食べ物』を瞬間移動で送って寄越してきたのでした。
「それ、みんなに同じものを送ったんだけどさ。素人が開けると危険なんだ」
会長さんは真顔です。
「「「危険?」」」
「そう、危険。見事1位を獲得したら、ぶるぅが鍋に入れに行くから預けてやって」
え。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に任せなくてはいけないくらい危険な物って…本当に食べ物なんでしょうか。キース君が手にしているのと同じ箱を私も鞄に入れてますけど、中身は生きたサソリだとか…?
「サソリですか…」
有り得ます、とシロエ君。
「揚げると美味しいらしいですよ、小エビみたいで。でもサソリにしては重かったような…」
「ああ。これにギッシリ詰まっているなら話は別だが、それだと既に死んでいる筈だ」
窒息してしまう、とキース君が箱を眺めています。
「冬眠中の毒蛇かもしれんな。小さくても猛毒の毒蛇がいるし、毒蛇料理も存在するし…」
「それって鍋に入れたら危ないんじゃあ…」
ジョミー君が首を傾げましたが、キース君は。
「だからぶるぅに任せるんじゃないか? 毒抜きも簡単にやりそうだ」
「毒蛇料理はしたことないよ?」
ゲテモノだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が割り込みました。
「えっとね、それは蛇じゃなくって…」
「ぶるぅ」
会長さんにジロリと睨み付けられ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はビクンとして。
「あっ、いけない! 内緒、1位を取るまで内緒だったっけ! ごめんね、今は言えないや」
「…よくできました。そういうわけで、知りたかったら1位を目指して頑張るんだね。お雑煮食べ比べ、健闘したまえ」
ニッコリ笑う会長さん。うーん、危険な食べ物って何…?
毒蛇を除いた危険な食品について悩んでいる間に登場したのはグレイブ先生。
「諸君、あけましておめでとう。…やはりブルーが来ているのか…」
溜息をついて出席を取り、クラスを引率して始業式の会場へ。卒業を控えた三年生への訓示の間にアルトちゃんとrちゃんを見ると、二人は肘でつつき合いながら複雑な顔をしていました。去年の私たちと同じでアルトちゃんたちも特別に卒業するようです。やっぱり来年からは二人とも特別生になるんですねえ…。一通りの行事が済むと教頭先生がマイクを握って。
「では、これから新年恒例お雑煮食べ比べ大会を開催する。全員、体育館へ移動するように」
ワッと歓声が上がり、体育館へ移動していくと司会は今年もブラウ先生。「一番沢山食べた生徒が在籍するクラスが学園1位」のルールも去年と同じでした。男子の部と女子の部に分かれますから、1年A組は男子に会長さん、女子に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が加わります。
「いいかい、制限時間は二十分だ。それじゃ1年生、テーブルについて!」
はじめ! の合図と共に白味噌仕立ての甘い御雑煮との戦闘開始。経験していてもヘビーな味に変わりは無くて、私たちは早々にリタイヤしました。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は平然と食べ続けています。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は底なし胃袋、会長さんはサイオニック・ドリームの応用で「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお椀に自分の分を転送中。終了の合図までに積まれたお椀は半端な量ではありませんでした。そんな記録を破れる人がいるわけもなく…。
「よーし、今年の優勝は男子も女子も1年A組! 優勝祝いのお楽しみ会はグランドでやる。1年A組の生徒は用意してきた食べ物を持って集合だよ」
ブラウ先生の指示で私たちは教室にとって返しました。学校からは一昨日に「これだ、と思う食べ物を一品持参するように」と謎のメールが来ただけですけど、クラスメイトの中には闇鍋をやると知っていた人もいるようです。キース君たちの柔道部と違って、軽いノリのクラブなんかは先輩から情報が入るんでしょうね。
「俺はクリームパンなんだ」
「シュークリームも凄いと聞いたぜ」
怪しげな…いえいえ、食べ物としてはまっとうなモノを鞄から出す人がいるかと思えば、去年の私たちみたいにお歳暮の残り物を持ってきた人もありました。私たちは…会長さんから送られてきた謎の箱です。黒幕の会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は机の下から大きな保冷ボックスを引っ張り出して…。
「それじゃ行こうか。今年は豚骨らしいんだよね」
「「「トンコツ?」」」
「うん。去年は味噌仕立てだっただろう? ぼくとぶるぅが入れたヤツのせいで凄い匂いになったのがウケて、より悪臭になりがちな出汁をベースにしようと決まったみたいだ」
どこのクラスが優勝してもね、と会長さんは楽しそうです。お祭り好きな学校なのは知ってましたが、最初から悪臭狙いで出汁を作っていいのでしょうか? 誰が闇鍋を食べる羽目になるのか分からないのに…。
「先生方は平気だよ。ほら、ギブアップの制度があるだろ? 食べられそうもないモノが出来た場合はギブアップすれば済むことだから、ブラウが大いに煽ったらしい。自分は食べる気ゼロのくせにね」
どうせ被害者は決まっているも同然だし…、と唇を舐める会長さん。そうでした。会長さんが1年A組に頻繁に出現しているからには闇鍋だって狙うに決まっているのです。ならば犠牲者も容易に想像がつくわけで…。教頭先生は確定ですし、担任のグレイブ先生と…他に誰か一人。去年はゼル先生が指名されましたけど、今年は誰が…? グランドに行くとブラウ先生が威勢良く声を張り上げました。
「さあ、1年A組の登場だ! 優勝記念に男子と女子は先生を一人ずつ指名しておくれ。さあ、誰にする?」
会長さんはクラスメイトに自分と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に指名権をくれるように頼むと、サッと手を挙げて。
「男子は教頭先生を指名させて頂きます!」
続いて「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピョンピョン飛び跳ねてはしゃぎながら。
「ぼくはシド! 去年ゼルにしたから、今年はシド!」
うわぁ…。シド先生の顔が青ざめています。実はシャングリラ号の主任操舵士だと聞いていますが、普段は爽やかなスポーツマン。こんなイベントに巻き込まれるとはなんと不運な…。ブラウ先生がククッと笑って。
「よし! ハーレイとシド、それと1年A組担任のグレイブ! 以上三名に決定だ。では1年A組の健闘を讃えて、新年恒例、闇鍋開始! みんな持ってきた食べ物をあそこの鍋に入れるんだよ」
グランドの中央には大きな鍋が置かれていました。煮え滾っているのは会長さんが言っていたとおり豚骨スープ。今のところはいい匂いです。教頭先生とグレイブ先生、シド先生は逃げ出せないように周囲を固められ、悄然として立っていますが…。
「ブラウ先生!」
会長さんが叫びました。
「なんだい? 何か質問でも?」
「ううん、注文があるんだけど…。今年は最初から目隠しルールにしたいなぁ、って。誰が何を入れたのか分からない方が面白そうだし、恨まれることもなさそうだし…」
「なるほど、それも一理あるねえ…」
どうしようか、と先生方と相談したブラウ先生は…。
「オッケー、目隠しをさせておこう。…うん、用意ができたみたいだね。それじゃ食べ物を入れとくれ」
教頭先生たちはキッチリ目隠しされていました。男子生徒が飛び出して行って次々に食品を投げ入れています。カップ麺の中身やレトルトカレーや、他にも色々。女子もあれこれ入れてますけど、アルトちゃんとrちゃんは食べやすいサイズに切った大根と山芋を放り込んだではありませんか。去年の惨事を知っているだけに、普通の具材を選びましたか…。
「違うよ、あれは二人の心遣い」
私たちが持ってきた箱を回収しながら会長さんが言いました。
「二人ともハーレイの隠れファンなんだ。こうなるだろうと分かっていたから、健胃作用のある食べ物を選んだらしいね。…まあ、焼け石に水だけどさ」
さて、と箱を開ける会長さん。出てきたものは保冷剤と缶詰です。重かった理由が分かりました。缶詰の数は全部で七個。えっと…これで何をすると…?
「…あ、あの…。その缶詰はもしかして…」
マツカ君の声が震えています。缶詰に書かれた文字はアルファベットに似ていましたが、読んでも意味が分かりません。でもマツカ君には心当たりがあるようでした。会長さんがポケットから缶切りを取り出し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手渡して。
「頼んだよ、ぶるぅ。…気をつけて」
「かみお~ん♪」
七個の缶詰を抱えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大鍋の方へ走ってゆきます。既に魔女の薬と化している鍋から少し離れた地面に座った「そるじゃぁ・ぶるぅ」の身体が青く発光しました。シールドです。身体の表面だけを覆うシールドですが、そんなのを張っていったい何を…?
「…いろんな意味で遮断しないとヤバイんだよね、あの缶詰」
腕組みをしている会長さんにマツカ君が。
「それじゃやっぱり…」
「君の考えで正解だよ。あれはシュールストレミングだ」
「「「…シュール…???」」」
超現実的な…なんですって? 聞いたこともない単語に私たちが首を捻った瞬間、プシューッという音がしました。そこへ冷たい北風がゴオッと吹きつけ、風下にいた生徒たちが…。
「「「ぐわぁぁぁ!」」」
凄まじい悲鳴が上がり、「臭い、臭い」と誰もが鼻を押さえています。風上では「そるじゃぁ・ぶるぅ」が缶詰をキコキコと開けていますが、ひょっとしてあの缶詰が…?
「シュールストレミングというのは世界一臭い缶詰さ」
会長さんが涼しい顔で解説します。
「中身はニシンの塩漬けなんだ。発酵中に缶に詰めるから中で発酵が進行してね、缶を開けると猛烈な匂いがするらしい。ついでに汁も噴き出しちゃうし、だから危険だって言ったんだよ。保冷剤を一緒に入れてあったのは爆発するのを防ぐためで…」
「「「爆発!?」」」
「うん。空輸中に気圧が下がると爆発するって話だけれど、発酵が進み過ぎても缶が膨れるらしくって。膨れたくらいじゃ爆発しないとは思うんだけどね…。万一っていうこともあるから保冷剤。でも怖いのはサイオンかな」
下手にサイオンを使われた方が恐ろしい、と会長さんは思ったようです。開けるなと注意されたのはそのためでした。
「箱を開けてみて謎の缶詰が入っていたら気になるだろう? キースはネットで調べそうだけど、ジョミーあたりはサイオンで中身を覗き見したくならないかい? そんな能力はまだ無いくせにさ」
「…う……。そうかも…」
ジョミー君が呻き、サム君が「俺もやりそう…」と呟きます。
「そうだろう? サイオンは便利だけれど両刃の剣だ。使いようによっては爆発くらい簡単に…。あ、サイオンに関する話は他の人には聞かれないように細工したから安心して。…で、あの缶詰」
キコキコキコ。青い光に覆われた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は噴き出す液体をシールドで弾き、六個目の缶詰を開けていました。グランドのあちこちで生徒が鼻を押さえていますが、1年A組は全員無事。会長さんがシールドを張っているものと思われます。
「あれって半端なく臭いそうだよ。この際だから、ちょっと体験してみたいよね」
「「「えぇぇっ!?」」」
遠慮します、と叫ぼうとした次の瞬間。
「「「おえぇぇぇ!!!」」」
ものすごい臭気が私たちの鼻を襲いました。この匂いは…下水? それとも汚水? 人間が食べるものとは思えません。どちらかと言えば排泄物です。あぁぁ、目の前が暗くなりそう…。
「なるほど…。ドブ川を煮詰めたような匂いだって聞いたとおりだ。納得した」
満足そうな会長さんの微笑みと共に臭気はフッと消え失せて。
「A組のみんな、ぶるぅの力に感謝したまえ。…ぶるぅが防いでくれているから、ぼくたちは無事でいられるんだ」
でなけりゃ今頃あのとおりだよ、と会長さんが指差す方では全校生徒が鼻を押さえたり摘んだり。
「でも、そろそろ助けてあげないと…。恨まれちゃったら大変だしね。ぶるぅ、ハーレイたち以外にシールドを」
「かみお~ん!!!」
プシューッと七個目の缶詰から液体が勢いよく噴き出しましたが、悲鳴は上がりませんでした。臭気は綺麗に消えたようです。ん? そうでもないのかな…? 目隠しをされた教頭先生とグレイブ先生、シド先生が両手で鼻を覆っています。闇鍋を食べる先生方はシールド効果の対象外になっていたのでした。それに気付いた全校生徒は拍手喝采。なまじ悪臭を体験しただけに、喉元過ぎれば…というヤツです。
「入れてきたよ、ブルー!」
空き缶を大鍋の近くに放ったらかして「そるじゃぁ・ぶるぅ」が戻って来ました。片付け上手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」が缶を放置ということは…缶から悪臭がするのでしょう。気の毒な教頭先生たちは鍋と空き缶、両方からの匂いに耐えて闇鍋を食べねばならない羽目に…。
「ありがとう、ぶるぅ。匂いは平気だったかい?」
会長さんの労いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は元気一杯。
「うん! 大丈夫、匂いも汁もくっつかないように注意してたし、平気、平気!」
「よかったね。…本当に凄い匂いだったよ、ちょっと体験してみたけどさ」
「そうなんだ…。えっと…?」
好奇心旺盛な子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は自分の周囲のシールドを一瞬だけ解いてしまったらしく、ウッと呻いてパタリと地面に倒れました。
「……くひゃい……」
臭い、と言ったつもりでしょうが、可哀相に呂律が回っていません。けれど立ち直りは早くって…。ムクリと起き上がった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大きな保冷ボックスの蓋を開けます。
「今度はぼくたちの番だよね? ブルー、どっちにする?」
よいしょ、と中から取り出したのは二個の金属製の大きな器。あの焼き型はケーキでしょうか、それともクグロフ…? 世界一臭い缶詰に比べればケーキなんて、と顔を見合わせる私たち。今回の悪役はシュールストレミングの運び屋をさせられた私たちですか、そうですか…。
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が一個ずつ抱えた器は、ケーキにしては重そうでした。アルミ箔を被せてあるのでどんなケーキか分かりません。ドライフルーツがみっしり詰まったヘビーなヤツとか…?
「これはケーキじゃないんだよ。対闇鍋の最終兵器さ」
「「「最終兵器?」」」
私たちとクラスメイトが覗き込む中、会長さんはもったいぶってカウントダウンを始めました。
「いいかい? 十、九、八、七…」
五まで数えてアルミ箔の端に手を掛けて。
「三、二、一……。はい、ぶるぅ特製ブルーハワイ・ゼリー!」
「「「は?」」」
現れたのは真っ青な色のゼリーでした。大きなケーキ型とクグロフ型の縁までビッチリ入っています。これの何処が闇鍋用の最終兵器…?
「見てれば分かるよ。ぶるぅ、行こうか」
特大のゼリーを抱えた会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は悪臭を放つ大鍋――私たちはもう悪臭を感じませんが――の所まで行き、ゼリーをドボンと投げ込みます。グツグツと煮える豚骨ベースの出汁に青いゼリーがたちまち溶けて、出汁はみるみる青色に…。それは出汁とも思えぬ不気味さでした。青いゼリーは綺麗でしたが、青い色をした出汁なんて…。全校生徒が凍りつく中、ブラウ先生が。
「1年A組、闇鍋は準備完了かい?」
「そうだねえ…」
会長さんがクラスメイトを見回してから頷いて。
「うん、具は全部入ったみたいだよ。始めてくれていいと思う」
「よーし! それじゃシャングリラ学園、新年恒例の闇鍋ルールの説明だ。ハーレイ、グレイブ、シドは改めてよっく聞いときな。各自、お椀に一杯ずつ掬う。掬った分は完食すること。…これは無理だと思った場合はギブアップだけど、全く食べずにギブアップするのは認められない。最低、三口。食べずに逃げるヤツが出てきた時は残った者が責任を持ってその分を食べる。…いいね?」
「「「………」」」
教頭先生たちが無言で拳を握り締めます。あの悪臭を今も嗅いでいるなら、鍋への恐怖は大きいでしょう。ブラウ先生は更に続けて。
「もしも全員がギブアップしたら、1年A組の生徒全員にお年玉のプレゼントだ。食堂の無料パスを一週間分!」
大歓声が上がりました。先生方がギブアップすれば無料パス。嬉しくないわけがありません。1年A組以外の生徒も、大鍋の中身の恐ろしさに固唾を飲んで見守っています。やがて教頭先生たちは大鍋を囲むように座らされ、目隠ししたままでおたまを持たされ、それぞれお椀に一杯ずつ…。不幸なことにお椀は白い陶器でした。目隠しを外した先生方は湯気の立つ青い汁を見るなり顔面蒼白。
「…青は食欲減退色さ」
得意そうな会長さん。
「「「…ゲンタイショク…?」」」
それってどういう意味なんでしょう?
「青い色の食べ物は自然界には殆ど存在しない。ソーダアイスとかブルーハワイは涼しい気分になれるからね、平気で食べられるものなんだけど…青い色の温かい食べ物なんてゾッとするだろ? あそこの闇鍋みたいにさ。…脳は青色を本能的に毒物と認識するように出来ている。危険回避のための信号」
「…あれって毒…?」
ジョミー君が大鍋の方を指差します。会長さんはクスッと笑って。
「まさか。ブルーハワイ・ゼリーだって言っただろ? ただの合成着色料だし、食べても身体に問題はない。ついでにシュールストレミング…。悪臭も脳に危険を知らせる。腐ってますよ、と警告するわけ。色と匂いのダブルパンチを克服できるか楽しみだな」
「…あんた、去年より悪質だな…」
キース君が言いましたけど、会長さんはクスッと笑っただけでした。全校生徒がドキドキしながら教頭先生たちを見ています。と、シド先生が立ち上がって。
「…ぎ……ギブアップします! 俺、無理です!」
一口も食べずに走り去ったシド先生の後を追うようにグレイブ先生が逃げ出しました。こちらのお椀も手つかずです。ということは…教頭先生、三人分のノルマを食べ切らないとギブアップ不可…? 色と匂いで「食べられません」と自己主張する恐ろしいモノを三口分で三人前…。誰もがダメだと思いました。ところが…。
「うおぉぉぉぉっ!!!」
一声叫んだ教頭先生はお椀の中身をガツガツと食べ始めたではありませんか。あの具は…多分アルトちゃんたちの大根です。お次はベーコンみたいですね。続いて青い汁を一気に飲み干し、シド先生の分のお椀を掴んでガツガツガツ。溶けかかったクリームパンと青い汁をお腹に収め、残るはグレイブ先生の分。これにはシュールストレミングの缶から出てきたニシンの塩漬けも入ってましたが、教頭先生は息もつかずに完食でした。
「…………」
無言で箸をきちんと揃えて「ごちそうさま」と合掌をする教頭先生。次の瞬間、グランド中に割れんばかりの拍手が起こり、教頭先生コールが響きます。教頭先生は左手で口を押さえながらも右手を高く上げ、大歓声に送られて悠然とグランドを出ていきました。残されたのは青い汁を湛えた大きな鍋。…1年A組、お年玉も貰えず完敗です…。
「どうしてあんなことになるのさ!」
終礼が終わって「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ向かう道中、会長さんは不機嫌でした。
「吐き気がしそうな青いスープに、あの匂いだよ? 激マズな具まで入っていたのに、完食しちゃって余裕の合掌。去年はくさやとドリアンだけでギブアップしてたヘタレなんかに、食べられるわけがないじゃないか!」
「そうですよね…。去年も酷い匂いでしたけど、今年ほどではなかったですよね」
シロエ君も不思議そうです。シロエ君だけではありません。誰もが疑問を抱いていました。去年の教頭先生は自分の分と、一口で逃げ出したゼル先生とグレイブ先生のノルマの残りの計七口でギブアップ。しかもその場にへたり込んでしまい、まりぃ先生からペットボトルの水を貰っていたと記憶しています。
「あんなハーレイ、有り得ないよ。絶対、正気のハーレイじゃない。…君たちも変だと思ってるだろ?」
そう言いながら会長さんは生徒会室の壁の紋章に触れ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の中へ。私たちも順番に足を踏み入れたのですけれど…。
「こんにちは」
ゆったりとソファに座っていたのは会長さん。いえ、会長さんがもう一人いるということは…ソファに座っているのはソルジャーです。ソルジャーは会長さんの制服を着て、襟元の校章だけを外していました。制服を借りる時の約束事で、これで区別をつけるのです。ソルジャーは立ち上がり、私たちに手を差し出して…。
「あけましておめでとう。今年もよろしく」
にこやかに微笑まれると場が和みます。私たちは新年の挨拶と握手を交わしましたが、会長さんはプイッとそっぽを向いたまま。挨拶する気もないようですけど、ソルジャーはいつから此処に居たんでしょう? 勝手に制服を引っ張り出して着替えまでしているお客様。ただでさえも機嫌が悪い会長さんがブチ切れちゃったりしませんように…。
どっしりとしたアドス和尚の大学時代の渾名はクリームちゃん。「ちゃん」付けはイライザさんだけだと聞きましたけど、なんとも凄い渾名です。お坊さんとしての名前で漢字二文字の法名ってヤツがアイスだったからクリームだなんて…。呆然としている私たちを他所に会長さんが微笑みます。
「遊び心に溢れてるだろ? アイスクリームなんてセンスいいよね」
「私も可愛いなって思ったんですのよ。…なのに身体はガッシリしてて…その辺りのギャップに惹かれましたの」
イライザさんの言葉にアドス和尚は照れ笑い。
「いやいや…。わしも驚きましたわい。新入生の中でもピカイチの美女が手作りの菓子をくれましてな。何の冗談かと思いましたが、イライザは至って本気だったようで…」
「色々と調べましたもの。お坊さんっていうだけじゃ駄目ですものね、元老寺を継いで下さる方でないと。そしたらお寺の三男坊で実家のお寺はお兄さんが継いでるらしい、って耳にして…。これはアタックするしかないわ、と」
頑張りました、とイライザさん。
「いきなりウチのお寺を継いで下さい、なんて言えないでしょう? 普通にデートして、半年ぐらい経った頃でしたかしら…。お寺の一人娘なんです、と打ち明けたらとっても喜ばれちゃって」
「何処かの寺へ婿養子に入るのが夢でしたからな。…そういう話が無かった時は就職しようと思ってまして、教員免許を目指してました。ここへ来られたのは御仏縁で…」
有難いことです、とアドス和尚が床の間に掛かった南無阿弥陀仏の掛軸に手を合わせます。うーん、これもラブロマンスって言うんでしょうねえ…。と、シロエ君が急に真面目な顔で。
「え、えっと…。おばさまはお父さんからお寺を継げって厳しく言われてたんですよね? でも…ぼく、この前、聞いちゃったんです。キース先輩の曾お祖母様のこと。…それって、おばさまの…お祖母様なんじゃ…?」
「あらあら、曾お祖母ちゃんの話ってことは…テラズかしら?」
「はい。伝説のダンス・ユニットだって聞きましたけど、おばさまのお祖母様は…その…おばさまがお寺を継ぐっていう件については何も仰らなかったんですか? テラズ・ナンバー・ファイブって名前で踊っておられたみたいですから、進歩的な考えをお持ちだったんじゃないのかと…」
「積極的に攻めていけ、って言われたわねえ…。尼さんになりたくないんだったら、まずは自分を売り込めって。アピールする相手が増えれば増えるほどいい牌が来るって言われたんだけど…曾お祖母ちゃんほどの勇気は無かったのよ」
尼さんになるのは嫌だったけど、とイライザさんは溜息をつきました。
「だってね、私、運動神経ゼロですもの。ダンスなんて絶対に無理! …曾お祖母ちゃんはテラズの御縁でお婿さんをゲットしたっていうのに、私は手作り菓子だったのよねえ…」
「曾祖母さんの血はキースが継いだなぁ…。わしも柔道は子供の頃からやっておったが、キースと違って優勝なんぞはしとらんし…。運動神経の良さは曾祖母さんから継いだとみえる。おまけに強情な所まで似てしまいおった」
「……親父……」
余計なことを、とキース君の声が低くなりましたが、アドス和尚は聞いていません。
「坊主なんか絶対嫌だ、俺はやりたいようにやる…と反抗しまくった次は坊主頭は嫌だ、嫌だ…と。坊主が坊主頭にしないでどうするんだと思うのですが、全く聞く耳を持たないようで」
「キースの自由にさせてやれ…って言っただろう」
会長さんが割り込みました。
「無理強いするのはよくないよ。強情なのは修行の時に役に立つ。人に弱みを見せたがらない性格なんだし、誰よりも頑張って修行する筈さ。広い心で見てやるといい。…アドス和尚だって元老寺に来た頃は先代とかに温かく見守ってもらったんだろ?」
「それはまあ…そうですが。先代にも曾祖母さ……いえ、先々代の大黒様にも可愛がって頂きまして」
「ほら、入り婿だった君でもそうだ。キースは実の息子だよ? 厳しくするだけじゃ伸びないってことを覚えておいた方がいい。…焦る気持ちは分かるけどね、住職を継ぐって言い出しただけでも進歩じゃないか」
「そうですな。あなたが遊びに来て下さったお蔭で決心をしてくれたんでしたな…」
緋の衣を着けた会長さんに対抗心を燃やし、住職を目指すと決めたキース君。坊主頭の件はともかく、緋の衣を許された高僧になりたいことは確かですから…ドロップアウトはしないでしょう。回り道はするかもしれませんけど。
話は和やかに続きました。アドス和尚は大学を卒業してから一年間の厳しい修行に行って、それからイライザさんと結婚したのだそうです。
「厳しいって…?」
首を傾げたのはジョミー君。
「ブルー、楽だって言わなかったっけ? だから厳しい修行がしたくて恵須出井寺に行ったんだ…って」
「興味を持ってくれたのかい? 嬉しいな、ジョミーもやってみる気になった?」
ニッコリ笑う会長さんに、ジョミー君は震え上がって。
「ち、違うってば! そうじゃなくって、変だな…って。話が違うって思っただけで!」
「残念。…でも覚えててくれたんだね。なかなか将来有望かも…」
「勝手に決められるのは御免だよ! お坊さんになんかならないからね、絶対に!」
ジョミー君の必死の叫びを会長さんはサラッと無視して、私たちをぐるりと見渡しました。
「君たちも変だと気付いたかな? 璃慕恩院の修行は楽な筈ではないのかって」
「「「………」」」
首を左右に振る私たち。アイスちゃんだか、クリームちゃんだか…アドス和尚の過去に驚いたせいで、会長さんの修行のことなどすっかり忘れていたのです。そんな中でも覚えていたとは、ジョミー君って素質があるかも…。
「ほらね、ジョミー。みんな気付いてなかったようだよ。君は修行に関心あり…、と。覚えておこう」
「忘れていいっ!」
「そう言わずに…。本山の修行体験ツアーにも行ったことだし、敏感なのも無理はない。で、君の疑問はもっともだ。ぼくは修行は楽だと言ったし、アドス和尚は厳しいと言った。…璃慕恩院にもそれなりに厳しいコースはあるんだよね。だけど自分で選べるんだ」
要らないと思ったらしなくても済む、と会長さんは言いました。
「そこが恵須出井寺との違いかな。あっちは修行の途中で逃げ帰ったら二度と寺には戻れない。住職の資格が取れなくなるのさ。…璃慕恩院はそこまで厳しくはないし、修行期間も短いね。アドス和尚が行ったコースはそれとは別モノ。修行を積みたい人だけが行く道場だ。来る日も来る日もお念仏だよ。おまけに外部との連絡は禁止」
「「「………」」」
「運動できるのは掃除の時だけ。他の時間はお念仏か読経か、勉強か…。恵須出井寺みたいな荒行は無いけど、厳しいことは間違いない。アドス和尚が行ったってことは、いずれキースも行くかもね」
うわぁ…。キース君なら行きかねませんけど、一年間も会えなくなるのは寂しいような気がします。いざとなったら会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手伝ってもらってコッソリ面会可能でしょうが…。
「そうだ、キースが行くんだったらジョミーとサムも一緒にどうだい? 人数制限は特にないから問題ないし」
「嫌だってば!」
即座に断るジョミー君の横でサム君が。
「俺は別に行ってもいいけど…。でも…一年かぁ…」
会長さんの顔を見つめるサム君の考えはすぐに分かりました。アドス和尚とイライザさんがいるので口にしないだけで、大好きな会長さんと会えなくなるのが辛いのに違いありません。会長さんも気が付いたようで…。
「君たちが揃って修行に行くなら、ぼくが面会に行ってあげるよ。ぼくは何処へでも顔を出せるし、差し入れしたって問題はない。本当は差し入れ厳禁だけどさ」
ペロリと舌を出す会長さん。
「なんなら高飛びも手伝おうか? 修行中の連中がコッソリ抜け出して遊んでるのはよくある話だ。それがバレたら大惨事だけど、ぼくと一緒なら大丈夫。ぼくが連れ出したって言えば通るからね」
「おお…」
アドス和尚が会長さんを伏し拝みました。
「ありがとうございます! せがれはクソ真面目な所がございまして…。やはり人並みに羽目を外すことも覚えませんと、檀家さんの相談ごとにも上手に対応できないのではと心配いたしておりました。せがれが修行に行きます時には、よろしくお導き下さいませ」
「任せといてよ。緋色の衣はダテじゃないさ」
大船に乗った気持ちでいて、と請け合う会長さんにアドス和尚は大感激。キース君、まだ住職の資格もないのに先の予定まで決められちゃって、引き返す道は無さそうです。順調に行けば今年の秋には髪を短く切っての修行で、来年の暮れには剃髪で…。えっと…本当に大丈夫かな…?
クリームちゃんなアドス和尚は御機嫌でした。キース君と一緒に修行してくれそうな人が二人も現れた上に、会長さんのサポートまで約束されたのですから嬉しくなって当然です。否定し続けるジョミー君にも愛想をふりまき、サム君には仏門の素晴らしさを説き…。イライザさんも二人にせっせと食べ物やジュースを勧めてますし!
「キースをよろしくお願いしますね」
美人のイライザさんにそう言われては、ジョミー君も怒鳴れません。なんとか話題を逸らそうとしたジョミー君は…。
「そうだ! アイスっていうの、本名ですか?」
「お坊さんにとっては本名ですわね。…きっとあなたも素敵な名前がもらえましてよ。銀青様がお付けになるのでしょう?」
「ぼくは弟子入りしてません! それより、本当にアイスなんですか? クリームちゃんって聞いた後では冗談にしか聞こえないんですけど…」
よくぞ聞いてくれました! みんな思いは同じらしくて、アドス和尚に視線が集中しています。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も好奇心に瞳を輝かせて。
「ねえねえ、ホントにアイスなの? ぼく、アイスクリームは大好きだよ♪」
「…そのアイスとは違うんですがなあ…」
アドス和尚が苦笑しながら坊主頭に手をやりました。
「わしの名前は親父がつけてくれたんです。アドスの名前を活かしたものを…、と思ったんですな。埃という漢字に須弥山の須と書きます。須弥山は仏教では世界の中心に聳えておる山のことでして…数ならぬ人の身といえども須弥山の埃くらいにはなってみせろ、との親父の願いがこもっております」
「「「………」」」
分かったような、分からないような。顔を見合わせていた私たちに会長さんが教えてくれました。
「須弥山は人間が辿り着ける場所ではないよ。ぼくたちの住む世界と須弥山の間には幾重もの山や海があるんだと言われてる。そして太陽と月は須弥山の周りを回っているんだ」
げげっ。それはスケールでかすぎるかも…。その須弥山の埃だなんて、ちょっとやそっとの修行では…。
「須弥山の埃になるっていうのが大変なことは分かっただろう? アイスだからって笑えないのさ。もちろんアドス和尚も名前に誇りを持っている。…あ、今のはシャレじゃないからね」
「…すげえ名前…」
呟いたのはサム君です。仏門に入ってもいいかな、と思ってるだけに羨ましいのかもしれません。クリームちゃんという渾名に親しみを覚えた私たちですが、アイスの意味は深すぎました。
「そっか…。アイスって、アイスクリームじゃなかったんだ…」
言いだしっぺのジョミー君は悔しそう。仏門から話題を逸らしたつもりが、思い切り仏教世界のド真ん中まで突っ込んでいってしまったのですから。
「じゃあ、キースは?」
ヤケクソになったらしいジョミー君が繰り出したのは禁断の質問というヤツでした。
「キースの名前は何なんですか!?」
「馬鹿野郎!」
聞くな、と叫ぶキース君。いつも必死に隠し続けて、会長さんに何度も「ばらす」と脅しをかけられてきた名前をそう簡単に明かされたのでは、キース君も浮かばれないでしょう。ところが…。
「キュースですわ」
イライザさんがアッサリ答えました。
「「「キュース?」」」
「ええ。元々の名前とそっくりでしょう?」
コロコロと笑うイライザさん。キース君は頭を抱えていますが、キュースの何処がいけないと…? ごくごく普通な感じです。特に何にも思いつきませんし、隠す必要はなかったんじゃあ…?
「ええと…。それって、どんな漢字を書くんですか?」
ガッカリ感が滲み出た顔で質問を投げるジョミー君。ここまで来たら全部聞くぞ、と思ったに違いありません。
「休むという字に須弥山の須ですな」
須の字はわしと同じです、とアドス和尚が答えました。
「わしは須弥山の埃が限界ですが、せがれには須弥山で休めるくらいの器になって欲しいと思いまして…。わしのように妙な渾名がついても困る、と候補も絞り込みました。自信を持ってつけたというのに、せがれときたら…」
どうしても名乗りたがらんのです、とアドス和尚は深い溜息。須弥山で休むなんていう壮大な名前をキース君はどうして隠すんでしょう? 名前負けとかそういうレベルの問題なのかもしれませんが…。
「ね、君たちだっていい法名だと思うだろう?」
会長さんに改めて言われなくても、いい法名に決まっています。キース君、何が嫌なのかな…?
宴会は午前三時を回った頃にお開きになりました。朝の六時には山門を開けておかなくてはならないそうで、九時からは本堂でアドス和尚が初詣に来る檀家さんたちを迎えるのだとか。キース君も私たちが帰った後は同席することが決まっています。この初詣のために坊主頭にされる所だったキース君を会長さんが助けたというのが意外ですけど。
「ブルーなら剃らせる方だと思ったけどなあ…」
ジョミー君の言葉にマツカ君が。
「そうですよね? ぼくたち、それを阻止するために呼ばれたのに…」
私たちは宿坊の中の会長さんに割り当てられた部屋に来ていました。二間続きの立派な部屋で、控えの間なんかもあったりして…。会長さんは立派な布団の上に寝そべり、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はもう一組の布団の上でウトウトと。子供ですから眠いのでしょう。キース君は庫裏の自分の部屋に帰っています。
「ぼくってそんなに信用ないかな? いくらなんでも本当に坊主頭にはしやしないよ」
恨まれてしまう、と会長さん。
「アドス和尚はキースの頭を剃り上げようとしていたんだ。馴れない間は自分で剃るのは難しい上に、キースが自分で剃るわけがないし。…そりゃ、そういう時でもサイオニック・ドリームで誤魔化すことは出来るけどさ…。面倒じゃないか。何日間も坊主頭のフォローをしなくちゃいけないんだよ? それくらいなら阻止する方が楽でいい」
「…面倒かどうかで決めたんですか?」
呆れた声のシロエ君。会長さんは「どうだろうね?」と微笑んで。
「強制されて坊主になるんじゃ意味がない。須弥山で休む境地にはとてもとても…。で、君たちは初日の出を拝むのかい? 元老寺の山門からだと綺麗に見えると思うんだけど」
「んーと…。今から寝るよりは徹夜がいいよね」
ジョミー君の提案に賛成した私たちですが…。
「じゃあ、君たちは勝手に徹夜したまえ。ぼくは寝るよ。…大丈夫、年寄りは朝が早いんだ。それじゃ、おやすみ」
言うなり会長さんは布団を被って寝てしまいました。すぐに寝息が聞こえてきます。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も爆睡中ですし、ここで徹夜は悪いかも…。私たちはジョミー君とサム君の部屋に移って雑談やテレビで時間を潰し、空が明るくなってきた頃に玄関先へ移動しました。
「やあ、おはよう」
「かみお~ん♪」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が爽やかに声をかけてきます。
「君たち、顔は洗ったんだろうね? 歯磨きは?」
「「「え?」」」
「えっ、じゃない。初日の出を拝みに行くんだろう? 身を清めるのは最低限の礼儀ってものさ」
「「「すみません~!」」」
大慌てで洗顔を済ませて戻るとキース君が来ていました。うわぁ、朝からバッチリ墨染の衣…。それからみんなで山門に行って、凍えるような寒さの中で石段の一番上から眺めた初日の出は神々しいほどの美しさでした。会長さんとキース君はきちんと両手を合わせています。なるほど、拝むものなんですねぇ…。気付けば後ろにアドス和尚とイライザさんも。
「皆さん、あけましておめでとうございます」
アドス和尚の挨拶に、一気に気分はお元日。私たちも声を揃えて挨拶をして、それが済むと宿坊の食堂に案内されました。キース君は一緒でしたが、アドス和尚は初詣の準備を整えに本堂へ。食堂には御雑煮とおせちが用意されています。イライザさんが配ってくれた湯飲みの中には、梅干しと結び昆布が入ったお茶。お正月のお茶、大福茶です。酸っぱいですけど、縁起ものですし飲まなくちゃ…。
「おかわりは普通のお茶がいいかしら?」
イライザさんの好意に私たちは素直に頷き、会長さんだけが「このままでいいよ」と答えました。
「無病息災のお茶だからね、これをおかわりしなくっちゃ。それより、初詣の準備の方はアドス和尚だけでいいのかい? お茶のおかわりだけ運んでくれれば、後は勝手にやっとくけれど」
「あら…。申し訳ございません。では、お言葉に甘えまして…。あ、お片付けは後でお手伝いの人が来てくれますから、放っておいて下さいね」
そしてイライザさんはお茶のおかわりが入った大きな土瓶と人数分の新しい湯飲みを運んでくると、忙しそうに行ってしまったのでした。会長さんの大福茶ですか? それは梅干しと結び昆布が残った湯飲みに普通のお茶を注げばいいようですよ。
元老寺の元日の行事は初詣客の応対です。アドス和尚が本堂に座って檀家さんをお迎えし、お屠蘇を勧めたり、子供連れの人にはお菓子を渡したりするそうですけど、キース君は食堂に残って私たちとお話し中。
「俺の仕事はブルーの相手が最優先だ。…親父からそう言われているし、坊主頭の危機から救ってくれたし…丁重にもてなしをさせて頂く」
キース君は会長さんの湯飲みに土瓶のお茶を恭しく注ぎ入れ、私たちには土瓶と湯飲みを指差して。
「おかわりはそこだ。自分で好きに淹れてくれ」
うっ。私たちはセルフサービスですか…。キース君に呼ばれたお客様なのに、会長さんとは身分の違いがあるようです。仕方なく土瓶の取っ手を握ったところへ「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッと出てきて。
「任せといて! はい、順番に回してね」
手際よく注がれたお茶を手渡しで順に送っていると、会長さんが声をかけてきました。
「ぶるぅ、大きな土瓶だけど重くないかい? お前がやるんならイライザさんに頼んで急須を…」
「平気だよ? もっと重たいお鍋も使ってるもん!」
「でも…急須の方がいいんじゃないかな」
「平気、平気! ほら、もうおしまい」
これで全部、と得意そうに胸を張る「そるじゃぁ・ぶるぅ」。いつもながら頼もしい家事上手です。…あれ? キース君、どうしたの? なんだか顔色が悪いみたい…。でも会長さんは気付かない風で。
「やっぱり急須と替えてもらおう。…キース、悪いけどこれを急須に…」
頼むよ、と土瓶を持ち上げる会長さん。
「ぶるぅには大きすぎるんだ。小さい身体には急須が一番」
「…分かった…」
キース君は土瓶を持って出てゆきました。なんだか足取りが重そうです。代わりに行くべきだったでしょうか…?
「いいんだよ。甘やかしてやる必要はない。同類嫌悪に陥っているだけだから」
「「「同類嫌悪?」」」
「そう。…分かるかい? キュースが急須を取りに行った」
「「「ああっ!」」」
アクセントが全く違っていたので誰もが気付いていませんでした。キュースと急須。キース君の法名には恐ろしい落とし穴があったのです。アドス和尚とイライザさんは気付いているのか、いないのか…。どうなんだろう、と騒いでいるとキース君がお湯がたっぷり入ったポットと急須を持って戻って来ました。襖がカラリと開いた瞬間、私たちは一斉に吹き出していて…。
「しゃべったな、ブルー!!!」
キース君の怒声が食堂に響き渡ります。申し訳ないとは思っていても、笑いのツボにハマッたものはそう簡単には抜けません。急須を手にしたキース君。キュースが急須を持ってるわけで、急須がキュースの手の中に…。あああ、もうダメ、笑い死ぬかも~! 笑いすぎておかしくなった喉を潤そうと湯飲みを持てば、またまた急須を連想しますし…。
「いい加減にしないと片付けるぞ!」
怒鳴りながら湯飲みを回収しようとするキース君の衣の袖を会長さんがハッシと掴みました。
「こらこら、そんなに怒らない。頭から湯気が出てしまうよ?」
「俺の名前はヤカンじゃないっ!!!」
「じゃあ、土瓶? それとも茶瓶? …もっと捻って茶っ葉とか? 急須と茶っ葉はセット物だよね」
「勝手にどんどん捻り出すなぁぁっ!!!」
キース君には悪いですけど、笑うなと言うだけ無駄ってものです。土瓶に茶瓶、キース君の自己申告ではヤカンも急須の連想ゲームに入ってるみたい。アドス和尚の「クリームちゃん」より惨いかも…。声が嗄れるまで笑って笑って、キース君は頭を抱えて呻くしかなかったのでした。
「…だから言いたくなかったんだ…」
やっとのことで笑いが鎮まった後、キース君は仏頂面で私たちを睨み付けました。
「お前たちなら絶対ネタにすると思って黙ってたのに、おふくろのヤツ…」
「勘違いをしちゃいけないよ、キース」
注意したのは会長さん。
「あの時点では誰も反応しなかった。お母さんは訊かれたことに答えただけだし、お父さんだって名付けた理由を話してくれたじゃないか。この子たちも全員、素晴らしい名前だと思ってたんだ。…急須のことに気付くまではね」
「………。つまりあんたが悪いってわけか」
ドスのきいた声に、会長さんは肩を小さく竦めてみせて。
「どうだろう? 急須、急須と連発したのはわざとだけれど、隠していてもいつか誰かに気付かれるよ? 陰でコソコソ笑われるより、パアッと派手にバラされた方が傷が浅いと思うんだけどな」
「…そうきたか…。実際、俺も怒りのやり場がなくて困ってるんだ。親父とおふくろは急須を見せても無反応だし、俺の法名と急須の繋がりに気付いていない可能性もある。だとしたら…騒ぎ立てても気の毒だしな。…仕方ない、バレてしまったことは諦めよう。その代わり…」
ビシッと私たちを指差すキース君。
「俺の名前はあくまでキースだ。法名の方で呼ぶんじゃないぞ。…呼びたいヤツは覚悟しておけ」
「やれやれ、物騒な話だねえ…」
会長さんが苦笑しながら右の手のひらに青いサイオンの光を浮かべました。
「それじゃ早速…。はい、キュース」
「なんだと!?」
「一応、覚悟はしてるんだけどね? これ、お年玉」
「お年玉…?」
不審そうなキース君に渡されたのは、会長さんがサイオンで宙に取り出した包み。リボンで綺麗にラッピングされた手のひらサイズの箱みたいです。
「開けてみて。これからの君に必要なものだ」
「……???」
ガサガサと包みを開けて中身を取り出すキース君。高級そうな箱の中から出てきたものは…銀色に輝く円形の綺麗なコンパクトミラー。四葉のクローバーが彫り込まれていて、どこから見ても女性用です。
「なんだこれは!?」
「…魔法の鏡。君の真実の姿が映る」
「また馬鹿なことを…」
コンパクトをパカッと開けた瞬間、キース君の顔が凍りました。どうやら声も出ないようです。
「どうだい? 新年初の坊主頭はいいものだろう」
会長さんはニッコリ笑って。
「アドス和尚にはああ言ったけど、君の将来のためを思えば…やっぱり馴れが大切だよね。そのコンパクトに映った君はいつでも坊主頭に見える。笑顔、泣き顔、困り顔…いろんな時に開けてみたまえ。その内に坊主頭も悪くないかと思える時が来る…かもしれない」
「…………」
「ぶるぅと二人で力を合わせて作ってあげた鏡だよ? 一万回くらい使える筈だ。期限切れになったらチャージするから持ってきて。四葉のクローバーの模様にしたのは幸運のお守りっていう意味で…。そうそう、ジョミーも欲しいかい? 欲しいんだったらお年玉に…」
「要らないってば!!!」
逃げ腰になるジョミー君を他所に、キース君は固まったままでした。手には魔法のコンパクト。法名の秘密をバラされた上に怪しい鏡を押し付けられて、踏んだり蹴ったりの元旦です。私たちも会長さんも、もうすぐ家に帰るんですけど…キース君、お見送りしてくれるかな? このままバッタリ倒れてしまって寝込むなんてことはないですよね? 今年も賑やかな年になりそうです。初笑いのネタにしちゃってホントにごめんね、キース君…。
除夜の鐘を撞きにきた人の列はキース君が言っていた通り午前一時まで続きました。いったい何回鐘が鳴ったのか、テントの中の私たちにも分かりません。一番最後に並んだ人が撞き終わった後、会長さんが鐘に向かって両手を合わせ、一礼してからゴーンと鳴らして…年越しの行事は無事に終了。甘酒のお接待もおしまいです。会長さんが私たちのテントにやって来て…。
「寒かっただろう? お疲れ様。じゃあ、本堂の方に行こうか」
え? 本堂って…宿坊に帰るんじゃないんですか?
「まだ修正会があるんだよ。君たちも一緒にお参りしたまえ」
「「「シュショウエ?」」」
「新しい年を迎えて、社会の平安と人々の幸福を願う今年最初の法要のことさ。熱心な檀家さんも参加する」
さあ、と有無を言わさぬ口調の会長さん。キース君も「参加してくれて当然」という顔で頷いてますし、アドス和尚は本堂の方に行っちゃいましたし…もう諦めるしかないでしょう。私たちの新年はお線香の煙と共に始まりました。鐘や木魚が打ち鳴らされて、本堂に響く読経の声。会長さんも真面目にお経を唱えています。厳かな修正会は一時間も続き、やっと解放された時には足が痺れて立てませんでした。
「いたたたたた…」
ジョミー君が足を擦っています。でもシロエ君とマツカ君、それにサム君は平然として。
「柔道では礼儀作法を重んじますしね。正座くらいは常識ですよ」
「ぼくは茶道も習ってますので…」
「俺もブルーの家で週に一度は座ってるしな。初めの頃に苦労したから、家でも座る練習してるぜ」
うーん、やっぱり日頃の鍛練が必要みたい。スウェナちゃんと私は転ばないよう注意しながら立ち上がりました。修正会に参加していた檀家さんたちは既に出口に向かっています。アドス和尚と会長さん、「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにキース君は座ったまま。私たちは一般の人が帰るまで本堂の出口付近で待って、それからキース君に連れられて宿坊に戻ったのでした。
「おふくろが食事を用意してるから、先に食堂へ行っといてくれ。俺は庫裏で着替えてくる」
キース君が出てゆくと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も部屋に着替えに行きました。先に食堂へ…とは言われましたけど、気おくれして玄関付近にたむろしている間に会長さんはすっかり普段着に。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はいつものソルジャー服のミニチュア版です。
「おやおや、こんな所にいたのかい? 食堂で待っていればいいのに」
精進料理じゃないみたいだよ、と会長さん。
「宿坊って言ってもね…。最近じゃ肉も魚もオッケー、お酒だって用意している所が多いんだ。時代に合わせて変化するものさ。元老寺だって同じだよ」
「えっ? でも、去年の夏も今日のお昼も精進料理だったんだけど」
ジョミー君の問いに会長さんはクスッと笑って。
「去年…いや、もう一昨年か。あの夏休みは修行体験、今日のお昼はこけおどし。…君たちはアドス和尚にハメられたんだよ」
「「「えぇぇっ!?」」」
ひどい、と叫ぶ私たち。前の夏休みのお寺ライフは演出されたものでしたか…。
「貴重な体験が出来たんだからいいじゃないか。ここの宿坊は璃慕恩院にお参りするお客さんが多いんだ。璃慕恩院にも宿坊はあるけど、街から離れているからね…。こっちの方が何かと便利で、けっこう繁盛しているんだよ」
なるほど。お手伝いの人を何人も雇っている理由が分かりました。会長さんが言うには、普通のお客さんは掃除も朝晩のお勤めも参加しないでいいのだそうです。単に「お寺に泊まる」というだけ。もちろん食事は肉も魚も、それにお酒も…。
「ぼくたち、騙されちゃったんですね」
やられました、とシロエ君。キース君とは先輩後輩の付き合いですけど、宿坊の内部事情までは知らなかったらしいです。非日常体験という会長さんの言葉に乗せられ、抹香臭くなってしまった一昨年の夏休み。今回も順調に抹香臭くなりつつあるものの、もしかして…?
「とりあえず今夜は普通のおもてなしさ。未成年だからお酒は無理だけどね」
会長さんについて食堂の方へ歩いて行くと、美味しそうな匂いがしてきました。精進料理では考えられない香りです。夕食が早かったせいでお腹はペコペコ。これは期待しちゃっていいかも~!
食堂ではイライザさんが待っていました。
「みなさん、お疲れ様でした。お腹が空いてらっしゃるでしょう? たくさん召しあがって下さいね」
幅の狭い机を幾つかくっつけて並べ、大きな机にしてあります。その上にはお寿司やピザやフライドチキン、サイコロステーキなんかも乗っかっていて、何種類かのサラダが山盛り。正座スタイルは変わりませんけど、このノリならば足を崩しても平気そうです。
「なんじゃ、まだお座り頂いていなかったのか」
ドスドスドス…とアドス和尚が作務衣姿で入って来ました。後ろにはセーターを着たキース君が続いています。アドス和尚は会長さんを上座に据えようとしましたが…。
「いいじゃないか、適当で。それに色々と話もしたいし、キースはそこで…お父さんとお母さんはここがいいかな。他のみんなは好きな所でいいと思うよ」
そういうわけで私たちは好みの場所に座布団を置き、楽しく食事を始めました。もちろんジュース飲み放題です。ワイワイと騒いでいると、アドス和尚がいきなりコホンと咳払いをして。
「キース、楽しい正月になって嬉しいだろう。友達と一緒に年を越せたし、どうだ、思い切って頭を剃っては? 檀家さんにアピールするのも重要だぞ」
「…えっ…」
一気に青ざめるキース君。私たちも青ざめましたが、アドス和尚は御機嫌でした。
「お前も知っておるだろう。三が日は檀家さんが初詣に来る。本堂でお迎えするのは住職の大事な務めの一つで、お前は次の住職だ。お前が寺を継ぐと決心したんで檀家さんは期待しとるぞ。大学生になったことだし、今年はきちんと頭を剃って檀家さんをお迎えしろ」
「で、でも…。俺はまだ住職の位が無いし…」
「そんなことは分かっとる。だがな、檀家さんは坊主というだけで安心なさるものなんだぞ。同じ墨染の衣を着ても、有髪と剃髪とでは有難味が全然違うと思わんか、キース」
「……うう……」
グウの音も出ないキース君を他所に、ジョミー君が首を傾げました。
「…ウハツって、なに?」
「髪の毛があるっていう意味だよ」
有る髪と書く、と会長さんが説明してから自分の髪を指差して。
「盛り上がってるところを悪いけどさ。…アドス和尚の説からいくと、ぼくは有難味がないってことかな?」
「え。…あ、ああっ、これは失礼を…!」
アドス和尚は蛙のように平たくなって会長さんに謝りまくり、イライザさんも一緒になって謝ります。会長さんは苦笑しながら「気にしないで」と二人を座り直させ、銀色の髪を引っ張って。
「…ぼくはね、修行時代と剃髪必須の期間だけしか剃ってないんだ。それでも今じゃ緋の衣さ。坊主の価値は外見で決まるものじゃない。大切なのは中身なんだよ。キースもいつかは剃髪しなきゃいけないけれど、その時期だって押しつけるのは良くないと思う」
順調に行けば来年の暮れには道場入りで剃髪だけど、と残酷な現実を口にしつつも会長さんは大真面目でした。
「キースは今も剃髪に抵抗があるようだ。剃髪を受け入れられる心境にならない間は、道場に行っても無駄かもしれない。短く切るのさえ嫌みたいだし、この秋の修行道場だってどうなるか…。でもね、大切なのはキース自身の心なんだよ。キースが自分で決めるんでなけりゃ、道は決して開けやしない」
「…そういうものでございますか…」
アドス和尚の寂しそうな声に、会長さんは深く頷いて。
「そういうこと。仏の道に進みたい、仏様の教えを受け入れたい、と心の底から思うようになれば、髪を下ろそうと考える筈さ。修行には邪魔なものだからね。…一通りの修行を済ませた後で有髪に戻るのも一つの選択。雑事に心乱されない境地を目指すんだったら有髪を選ぶのもいいと思うよ」
「せがれにはまだまだ先の話のようですが…」
「まあね。元老寺を継ぐには住職の位がを貰わないといけないし、そのための道場入りには剃髪しないといけないし。…越えなきゃいけない壁は高いけど、キースならきっと越えられるさ。自分から乗り越えようという気構えになるまで、無理強いしない方がいい。強制されて坊主になっても、外見だけでは意味がないんだ」
人を救うのが仕事だからね、と会長さんは微笑みました。
「自分の中に迷いがあるのに、人を導けると思うかい? キースを立派なお坊さんにしたいんだったら、迷いが消えるまで暖かく見守ってあげたまえ。…そうは言っても檀家さんの手前もあるし、一日も早く形だけでも…と思う気持ちは分かるけどね」
「はあ…。分かったような気がいたします。せがれの器も考えませんで、身なりばかりにこだわっていたとは…私もまだまだ未熟者で」
アドス和尚は会長さんに丸めこまれたようでした。キース君はホッとした顔をしています。会長さんのせいで剃髪させられてしまうかも…と私たちを助っ人に招集したのに、剃髪だと言いだしたのはアドス和尚で、それを止めたのが会長さんとは…。キース君、会長さんに大きな借りが出来たみたいですけど、高僧としての見解ですし、世俗とは無縁で貸し借りなんて関係ないかな?
剃髪の危機を免れたキース君は嬉しそうでした。一方、論破されたアドス和尚は…。
「お教え、心に留めておきます。…しかし私も修行の足りぬ身、せがれの長髪を目にする度にムカムカするのは事実でしてな。それに比べて、同じ有髪でも貴方のお姿を拝見しますと自然と頭が下がります。せがれから三百年以上も生きておられる、と聞いておりますし、いつぞやは掛軸の件で大変お世話になりまして…」
「ああ、そういう話もあったねえ。あれは愉快な掛軸だった」
会長さんがニッコリと笑い、私たちも思い出しました。アドス和尚が檀家さんから預かったという「いわくつき」の掛軸、『月下仙境』。そこに描かれた月の中から「ぶるぅ」が飛び出して来たんでしたっけ。しかしアドス和尚は怪訝な顔。
「…愉快とは…。あの掛軸がどうかいたしましたか? 明星の井戸のお水で書いて頂いた光明真言のお蔭で、もう化け物は出てこない…と、せがれが申しておりましたが」
「うん。実は、あれの御縁で素敵な友達が出来たんだよ。三百年以上生きたぼくでも思いもよらない友達が…ね」
「………。魑魅魍魎の類ですかな?」
「いや、化け物ってわけじゃないけど。…でも、あの掛軸と出会わなかったら会うこともなかった友達だ。ぼくに任せてくれて感謝してるよ」
別の世界から来たソルジャーについて話すのかな? と思いましたが、会長さんは語りませんでした。アドス和尚も首を捻って「はあ…」と言うより他はなく。
「私のような凡人などでは一生会えそうにありませんな。もっと修行に励みませんと…。ところで、明星の井戸と聞いた時から気になっていたことがございまして。…それを直接お聞きしたくて、お招きさせて頂きました」
「なんだい?」
どうぞ、と先を促す会長さんに、アドス和尚は姿勢を改めて。
「…明星の井戸は璃慕恩院の奥の院にあり、高僧の中でも入れる方は少ないのだと聞いております。そこのお水が手に入る上に、銀色の髪でお名前がブルー。おまけに三百年以上も生きておられるとなると、どうしても…。そのぅ、とある御方が思い浮かびまして…。もしや、あなたは銀青様では…?」
「あーあ、とうとうバレちゃったか」
「やはり…! これ、キース、イライザ、お辞儀をせんか!」
深々とお辞儀するアドス和尚に、会長さんは困ったように溜息をついて言いました。
「いいんだってば、ただのブルーで。それにキースはもう知ってるよ、ぼくが銀青だったってこと。…銀青の名前は記録から消えて百年以上も経っている。その銀青が今も生きていると知っている人はごく少数だ。何百年も姿が変わらず、時々姿を現す謎の高僧の噂は流れていると聞くけどね」
「…私も修行中に耳にしました。まさか、その高僧が銀青様とは…。しかも我が家に来て下さるとは、なんとも有難いお話で…」
「だから、特別扱いは要らないってば。そういうのはあまり好きじゃないんだ。緋の衣には誇りがあるけど、銀青の名はどうでもいいのさ。…キースの友達で、何故か高僧。その辺にしといてくれないかな」
ぼくは人生を楽しみたいし、と会長さんはアドス和尚に釘を刺します。
「いいかい、ぼくの正体は他言無用だ。でないとキースを苛めるよ? 知らないふりをしててくれれば、キースの役に立つこともある。…取引としては悪くないんじゃないかな、ぼくは本山に顔が利くから」
「分かりました。そう仰るなら、気付かなかったことにいたします。…ですので、せがれをどうぞよろしく」
「そんなにお辞儀しなくっても…。今までどおりの調子で頼むよ、でないと肩が凝りそうだ」
ねえ? と私たちにウインクしてみせる会長さん。私たちは一斉に頷き、アドス和尚はイライザさんと顔を見合わせてから、照れたように笑い出したのでした。
正体は会長さんだという伝説の高僧、銀青様。アドス和尚とキース君、イライザさんはどんな人だかよく知っているようなのですが、私たちにはサッパリです。お坊さんの名前なんてエラ先生の歴史で習った幾つかの宗派の開祖くらいしか知りません。…うーん、とっても気になります…。
「銀青様って、偉いんですか?」
ズバリ切り出したのはサム君でした。会長さんに弟子入りしているだけに、好奇心を抑えきれないみたい。アドス和尚は「それはもう…」と言ってしまってから会長さんの顔色を窺い、不機嫌でないことを確認して。
「皆さんご存じないようですし、少しお話ししておきますか。色々と教えなども残しておられるのですが、そちらは素人さんにお聞かせするにはちょっと難しすぎますな。…修行時代の逸話くらいがちょうどいいかと」
よろしいですか、と尋ねられた会長さんはクスッと小さく笑いました。
「いいけどね。誰も信じてくれそうにないよ」
「そうでしょうな。…実際、私も信じられない気持ちです。あの伝説の銀青様が、お元日からフライドチキンを美味しそうに食べてらっしゃるなんて…」
「人生を楽しみたいって言ったじゃないか。だから銀青の公式記録をキッチリ途絶えさせたんだ。死んだと思われてる方が暮らしやすいし」
精進料理なんて御免だよ、とサイコロステーキを頬張る会長さん。アドス和尚は「同感ですな」とフライドチキンに齧り付きながら、愉快そうに話し始めました。
「…銀青様の凄い所は、本来ならば必要のない修行をなさったことでして。元老寺が南無阿弥陀仏なのはご存じでしょう。璃慕恩院の教えも南無阿弥陀仏の一語に尽きます。ですが、開祖の上人様は別のお寺で長年修行をなさっておられました。…これは歴史では習いませんかな?」
「知りませんでした…」
マツカ君が素直に答えます。開祖だけなら授業で習っているのですが。
「学校ならそんな所でしょう。その上人様が修行なさったお寺というのが、恵須出井寺です」
「…エスデイデラ…」
棒読みで呟いたのはジョミー君でした。恵須出井寺はアルテメシアの郊外に聳える一番高い山の頂上にあって、昔は山法師と呼ばれる僧兵で有名だったお寺です。卒業旅行で回ったソレイド八十八ヶ所を開いたお大師様と喧嘩別れした人を開祖と仰ぎ、千日回峰という荒行なんかで知られていたり…。
「へえ…。あの人、千日回峰とかもやったのかぁ…」
感心しているサム君に、アドス和尚が。
「上人様は千日回峰はやっておられませんよ。ですが、恵須出井寺の修行は厳しいんです。そこで修行を積んだ末に、普通の人々を救う道を求めて山を降りられ、南無阿弥陀仏をお教えになった。…銀青様はその上人様と同じ修行を志されて、恵須出井寺まで行かれたんですな」
「「「えぇっ!?」」」
あのグータラな会長さんが…わざわざ厳しい修行をしに?
「修行だけでも大変なものだと思うのですが、当時はもっと大変でした。璃慕恩院と恵須出井寺は宗派が違いますからな…。璃慕恩院で出家なさった銀青様が修行したいと申し出られても、そう簡単には通りません。十日間に亘る問答の末に、ようやく許可が出たのだそうで」
今は試験に通れば誰でも修行できるシステムですが、とアドス和尚は言いました。
「銀青様は恵須出井寺で二年も修行なさって、璃慕恩院に戻られたのです。皆さんはご存じないでしょうが、恵須出井寺では、こう…印を結んで御真言を唱える他に、座禅なんかもやるんですな。つまり仏教の有名どころの要素を押さえている。その辺りも銀青様が入門なさった理由だったと聞いております」
「まあね。…色々と興味があったから」
会長さんは否定しませんでした。と、いうことは…。本当に二年も修行三昧、荒行三昧…?
「起床は午前一時だったよ。一番厳しかった修行の時は」
「「「一時!?」」」
「うん。起きたらすぐに水をかぶって、お経を唱えながら山道を歩いて、仏様にお供えする水を汲みに行くんだ。帰ってきたら午前二時から朝の五時まで座禅をやって、それから護摩の焚き方とか印の結び方とか、とにかく寝るまで勉強しかない」
「「「…………」」」
サラッと言ってのけてますけど、聞いただけで気絶しそうな凄まじいハードスケジュールです。いくらサイオンが…最強のタイプ・ブルーのサイオンがあっても、これではどうにもならないのでは…。
『水をかぶる時はシールドしてた』
私たちにだけ伝わる思念波を送ってよこして、会長さんが微笑みました。
「アドス和尚は感激しているようだけど…ぼくにとっては修行も興味の延長線上。璃慕恩院の修行は楽だって言われているんだよね。それは昔も今も同じさ。だから厳しい修行をやってみたいと思ったわけ。せっかくだから極めたいじゃないか」
「お言葉ですが、誰にでも出来るものではございませんぞ。せがれでも無理かと存じます」
アドス和尚の言葉に必死で頷くキース君。うかつに何か言ったりしたら、会長さんが修行したのと同じ道へ送り込まれそうな気がしたのでしょう。会長さんは「そうだろうね」と笑みを浮かべて。
「…ぼくみたいな修行をやってみろとは言わないよ。でも、気が向いてチャレンジするなら助言はするさ。キースに限らず、ジョミーでも…そしてサムでも、やりたくなったらいつでも言って」
「「「!!!」」」
凄い勢いで首を横に振るキース君たち。アドス和尚はサム君を見詰め、「ほほう…」と息を漏らしました。
「あなたも仏門を目指しておられるのですな。せがれも心強いことでしょう。いや、シャングリラ学園にお世話になって本当によかったと思いますなぁ…」
うんうん、と感慨深げなアドス和尚。サム君はともかくジョミー君は仏門なんか全く目指していないのですが、どんどんヤバイ方に向かって話が転がって行ってるような…?
銀青様こと会長さんの過去の偉業は認めざるを得ませんでした。サイオンで多少ズルをしてても、やり遂げたことは確かです。アドス和尚が語ってくれる恵須出井寺と璃慕恩院の修行メニューに耳を傾けていると…。
「ぼくのことばかり話していないで、元老寺の話もしてほしいな」
会長さんがニコニコ顔で割り込みました。
「この子たちも元老寺には興味津々なんだよ。…キースの法名限定だけどさ」
「さようですか…。キース、まだ友達には教えてないのか?」
「………」
沈黙しているキース君。法名というのはキース君のお坊さんとしての名前です。漢字二文字で、分かっているのは『ス』という音が入ることだけ。アドス和尚は苦笑いをし、イライザさんがコロコロと笑って。
「駄目ですよ、キース。お友達に尋ねられたら、ちゃんと答えるものでしょう?」
「…それは…」
「あなた、大学でもキースのままで通しているの?」
「…え、ええ…」
しどろもどろのキース君。優しそうなお母さんですけど、それだけに逆らいにくいのかな…。でも大学で名前がキースじゃダメなんでしょうか? お坊さんを育てる大学ですし、そういうこともあるのかも…。
「大学で使う名前は、別にどっちでもいいんだよ」
会長さんが言いました。
「法名を使う学生もいるし、そうでない人も沢山いる。…キースのお父さんはどうだったのかな?」
「もちろん法名でしたのよ」
ニッコリ微笑むイライザさん。
「私、キースと同じ大学でしたの。一人娘でしたし、お坊さんと結婚できなかったら尼さんになって寺を継げ…って父に言われて焦ってましたわ」
なんと! この美人のお母さんが尼さんになるかどうかの瀬戸際に…? イライザさんはキース君の肩をポンと叩いて。
「尼さんに比べたら、お坊さんなんて大したことではないでしょう? でもキースったら嫌だ、嫌だ…って言うんですのよ。お坊さんの勉強は始めたものの、坊主頭は嫌なんですって」
仕方ない子ね、と溜息をつくイライザさんですが、キース君が可愛くて仕方ないのは分かります。キース君だって「おふくろは俺に甘い」と言ってましたし。
「…でもね、きっとなんとかなりますわ。銀青様…いえ、素晴らしい先輩にお会い出来たのが運のいい証拠。私だってもう駄目だ、と諦めてたのにクリームちゃんに会えたんですもの」
「「「クリームちゃん???」」」
クリームちゃんって…なんですか、それ? 誰もがポカンとしている中で、イライザさんは…。
「もちろん主人のことですわ。法名だったと言いましたでしょ?」
え。会長さんが言っていたことが本当ならば、アドス和尚の法名は『ス』の字が入っている筈です。クリームちゃんだと、どう転んでも『ス』の字は入り込めません。私たち、会長さんに騙されましたか…?
「母さん。…クリームちゃんって渾名の方だろ」
おふくろは親父にぞっこんだから、とキース君が額を押さえました。
「みんな呆れているじゃないか。頼むから早く訂正してくれ」
「あらあら、私、うっかりしてて…。ごめんなさいね、クリームちゃんは大学でついた渾名ですの」
「ちゃん付けはお前だけだったろうが」
アドス和尚が恥ずかしそうにイライザさんを見ています。
「そうだったかしら? 初めて聞いた時は意味がさっぱり分からなくって、坊主頭なのにヘアクリームを使ってるのかと思いましたわ」
大学時代に剃髪していたアドス和尚。どおりでキース君の長髪に我慢ならないわけですが…クリームって、なに?
「アイスクリームの略なんですって」
おかしいでしょ、とイライザさんは口元を押さえて笑いました。
「最初は法名だったらしいんですけど、途中で誰かが渾名をつけて…私が出会った時にはクリーム。法名がアイスだからクリームだなんて、本当にお茶目な話ですわね」
「「「アイス!?」」」
確かに『ス』の字が入っています。…アドス和尚の法名はアイス? でもってアイスがアイスクリームで、アイスクリームがクリームちゃんで…。キース君が必死に隠す法名ってヤツも、ネタにされそうな名前ですか~?