シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
収穫祭が終わるとシャングリラ学園は中間試験を迎えます。でも会長さんのお蔭で1年A組は試験勉強とは無縁でした。更に特別生ともなれば成績なんかは二の次で…。中間試験は三日間。二日目の試験を終えた私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でシーフードたっぷりのグラタン風オムライスを食べていました。
「試験の時って、お昼御飯も食べて貰えるから嬉しいな♪」
自分の分をパクつきながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔です。
「今日の卵はマザー農場で貰って来たんだよ。こないだ、ブルーと一緒にお泊まりした時、農場長さんが好きなだけ貰いに来ていいよ、って言ってくれたし」
「…マザー農場ね…」
ジョミー君が溜息をつきました。
「あそこのせいで、ぼくの人生、狂っちゃったよ。…テラズ様にさえ会わなかったら…」
「テラズ様? もう落ちてこないし、いいじゃない。ねえ、ブルー?」
「ああ。ただの人形に戻ったし、魂はちゃんと成仏している筈だよ。後はジョミーが供養してやれば、喜ぶだろうと思うんだけどね」
お念仏の声は極楽浄土まで届くんだ、と会長さん。
「農場長が言ってたよ。キースのお勤めも良かったけれど、ジョミーのお勤めも見てみたい…って。頑張って高僧になって下さいね、と伝えておいてくれってさ」
「…え? そんなの言ってたっけ? 確かに握手はされたけど…」
「あの日じゃなくて、また別の日だよ」
会長さんがオムライスをスプーンで掬って。
「この間の土曜日に行って来たんだ。アルトさんとrさんを連れてね」
「「「えぇっ!?」」」
アルトちゃんとrちゃんがマザー農場に? いずれ仲間に…とは聞いていますが、もう行動を起こしましたか!?
「違う、違う。あの二人にはシャングリラ号のことは教えてないし、ぼくたちの正体も明かしてはいない。君たちも経験してきたとおり、話すとしたら冬休み頃になるだろう。…マザー農場に行ってきたのは気分転換」
「気分転換?」
なんだそれは、とキース君が尋ねると…。
「ほら、いつも逢瀬は女子寮だからね。忍び込むのも迎える方もスリル満点で素敵だけれど、たまには見咎められない場所で会うのもいいかと思ってさ。あそこの宿泊棟は快適だったし、食事もとっても美味しかったし」
「泊まったのか!?」
キース君が叫び、私たちの目が点になります。会長さんは悪びれもせずに頷きました。
「そうだけど? アルトさんとrさんの部屋は個室にして貰ったんだ。ぼくは二人が一緒の部屋でも気にしないけど、女の子ってデリケートだしね。…両手に花で楽しくやるにはまだ早すぎる」
「た、楽しくって…」
口をパクパクさせるキース君でしたが、会長さんは全く気にしていませんでした。
「楽しくの意味が分からない? 女の子の部屋へ夜中に遊びに行ったら、やることは一つしかないだろう。ふふ、農場の夜も良かったよ。前と違って余計な邪魔も入らなかったし。ね、ぶるぅ?」
「うん! テラズ様がいないと静かなんだ。ブルー、ぐっすり眠れたみたい。ぼく、ブルーが帰って来るまで起きていようと思ったんだけど、すぐ寝ちゃった。朝になったらブルーもベッドで寝てたけど」
うーん…。会長さんったら、アルトちゃん達を外泊させちゃったみたいです。しかもマザー農場でお泊まりだなんて! そりゃあ、下手にホテルなんかに連れ出すよりは人目につかないと思いますけど…。
シャングリラ・ジゴロ・ブルーな会長さんは糾弾するだけ無駄でした。マザー農場の職員さんたちにも「特別に目をかけている子」だと紹介したらしく、アルトちゃん達は二日間の農場ライフを満喫して寮に帰って行ったのだとか。そんな話、私たちは全然聞いていないんですけど~!
「アルトさん達は質問されない限り、わざわざ話しはしないと思うよ。普通はそういうものだろう?」
プライベートなことなんだし、と会長さん。二人とも外泊許可はきちんと貰ったらしいのですが、同行者の欄にはフィシスさんの名前を書いて提出していたらしいです。それを聞いたキース君が顔をしかめて。
「あんたがそう書けと言ったんだろうが、フィシスさんはそれでいいのか?」
「いいんだよ。フィシスはぼくの女神だからね、ぼくのことには寛容だ。…ぼくがハーレイと泊まると言っても、きっと微笑んで許してくれるさ」
「「「教頭先生!?」」」
「…そんなにビックリしなくても…。冗談に決まっているじゃないか。ハーレイと同じベッドで寝る趣味は無いよ。ぼくがハーレイとそういう仲になることよりは、ジョミーが高僧になることの方が現実的な話だよね。…まだまだ先の話だけれど」
ねえ? と言われてジョミー君が金色の髪を押さえます。
「やっぱりお坊さんにならなきゃダメ? ぼくもいつかはツルツルに…?」
「そうしてくれると嬉しいねえ。サイオンで誤魔化すという手もあるけれど、坊主頭は基本だし…。キースも一度は剃ったことだし、ジョミーも剃髪してみるといいよ。ぼくが綺麗に剃ってあげようか、冬休みにでも?」
「やだよ! キースだって剃っていないのに!」
「簡単に決心はつかない…か。じゃあ、キースが道場に入る時に合わせて得度するかい? 二人一緒なら心強いだろう。…キースも坊主頭には抵抗があるみたいだからね、ジョミーが道連れっていうのは名案じゃないかと思うけど」
水を向けられたキース君は「なるほど…」と深く頷いて。
「それは確かに嬉しいな。一人よりは二人の方がいい。ジョミーも今から頑張っておけば、俺みたいに大学に行かなくっても道場入りが出来る筈だ。どうだジョミー、お前が道場に入れる時まで俺も入らずに待つっていうのは」
「ぼくの将来を決めないでよ! テラズ様のせいでおかしなことになっちゃったけど、まだ諦めちゃいないんだから! それに坊主ならサムがいるだろ!」
サムが剃髪すればいいんだ、とジョミー君はビシッと指差したのですが…。
「サムはダメだよ」
会長さんがすかさず割って入りました。
「ぼくの恋人候補なんだから、並んだ時に絵にならないのは困るんだ。坊主頭なんてもっての外さ。そうだよね、サム?」
「うん。…ブルーに前から言われてるんだ。剃髪だけはいけないよ、って」
デレッとした顔で答えるサム君。ジョミー君とキース君は顔を見合わせ、それから会長さんを見て…。
「「贔屓だ!!」」
「それが何か?」
会長さんは当然という風でした。
「悔しかったら、君たちも頑張りたまえ。ぼくの心を動かせたなら、剃髪コースを逃れられるかもしれないよ?」
「それより先にお坊さんコースから逃げてやる!」
ジョミー君が叫びましたが、そう上手くいくものでしょうか。マザー農場での一件以来、会長さんに仏弟子認定されているのは事実です。朝のお勤めをしに来るように、と勧誘されたり脅されたり。今のところは「そんな朝早く起きられない」とか何とか言って逃げてますけど、いつか捕まってしまいそうな気が…。
お坊さんは嫌だ、と騒ぐジョミー君の姿はすっかり名物になってしまっていました。会長さんが乗り気なだけに、助け船を出す人もありません。サム君は同士が増えたと喜んでますし、キース君も同じでした。今日は剃髪が関係していただけに少し流れが違いましたけど、基本はやっぱり変わらなくて…。
「いいんだ、どうせ誰もブルーを止めてはくれないんだ…」
いじけてしまったジョミー君。
「ぼく、お坊さんにされちゃうんだ。パパもお祖父ちゃんもハゲてないのに、ツルツル頭になっちゃうんだ…」
「落ち着きたまえ、ジョミー。誰も今すぐとは言ってない」
君を苛めるつもりはないし、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に食後の飲み物を頼みました。
「ゆっくり考えてくれればいいよ、出家のことは。仏様の道に親しむことから始めよう、って言ってるだろう。ほら、ジュースでも飲んで気を静めて」
これもいつものパターンです。根が楽天家のジョミー君は喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプ。みんなでジュースや紅茶を飲んで雑談する内に、お坊さんの話題は何処かへ消えてしまいました。
「でね…」
明日はどうしよう、と会長さん。
「打ち上げパーティーは何を食べたい? この前は焼肉だったし、そろそろ鍋もいいかもね」
「串カツ!」
ジョミー君が元気一杯に叫び、みんな口々に意見を述べます。その最中に会長さんが言い出したことは…。
「今回はゴージャスに毟り取ろうと思ってるんだ。いつもの倍の予算でもいいよ」
「「「ゴージャス!?」」」
「うん。…最近のハーレイは熨斗袋を用意しているから、つまらなくって。この間のデザートバイキングの時はブルーが乱入して来て酷い目に遭ったし、今度はリベンジ」
「リベンジって…」
何をやらかす気だ、とキース君が尋ねると会長さんは悪戯っぽい笑みを浮かべました。
「おねだりだよ。…言葉通りのおねだりだけど?」
「…それの何処がリベンジなんだ?」
「ふふ、知りたい? じゃあ、予行演習しとこうか」
スゥッと息を深く吸い込んだ会長さんの唇が動き、そこから紡ぎ出された言葉は。
「……欲しいんだ、ハーレイ…」
吐息混じりの甘い声音に、私たちはビックリ仰天。な、なんですか、この声は!?
「…もっと…もっと、欲しいよ……ハーレイ…」
切なげに眉を寄せる会長さん。表情も普段とはまるで違って見えます。なんというか…妙に艶めかしいような…。と、そこへ突然、空気が動いて。
「やり直し!!」
「「「えぇっ!?」」」
いきなり姿を現したのは、会長さんそっくりのソルジャーでした。紫のマントを着けて部屋の中央に立っています。
「今の、最初からやり直し! 全然気持ちがこもってないっ!!」
「え、えっと…。何…?」
衝撃から立ち直った会長さんが何のことかと問いかけると、ソルジャーは優雅にソファに腰をおろして。
「まるで分かってないみたいだね。やり直し、って言ってるんだ。NGって言えば分かるかな? 大根だって言いたいんだけど」
「大根?」
「そう、大根。…大根役者」
ソルジャーはクスッと笑いました。
「今の台詞。ハーレイを落とすつもりなんだろ? 君のことだから冗談なのは百も二百も承知だけれど、ぼくとしては見ていられないな。下手くそすぎて涙が出るよ。…演技指導をしてあげよう」
「ちょっ…。ブルー、演技指導って!」
椅子ごと後ずさる会長さんにソファから立ち上がったソルジャーがゆっくりと近付きます。
「いいから、いいから。…さっきの台詞が完璧になるまで付き合おう。さあ、始めて」
「ブルーっっっ!!!」
絶叫する会長さんの腕をソルジャーがしっかりと掴み、ソファへ引き摺って行きました。並んで腰かけさせられてしまった会長さんは真っ青です。…演技指導って、いったい何?
「いいかい、君がおねだりするのはお金じゃなくってハーレイなんだ。ハーレイ自身が欲しいんだろ?」
ソルジャーは会長さんの肩に両手を乗せて妖しい笑みを浮かべます。
「さっきの演技じゃ全然ダメだね。何が欲しいのか、一言でハーレイに分からせないと。…ぼくがあんな調子で同じ台詞を言ったら、ハーレイはきっとこう言うよ。何をお持ちしましょうか…って」
お腹が空いて死にそうだとしか聞こえないし、と会長さんをなじるソルジャー。えっと、会長さんがおねだりしなくちゃいけないものは、お金じゃなくて教頭先生? それってやっぱり十八歳未満お断り…?
「そうだよ」
思考が零れてしまったらしく、ソルジャーがこちらを振り向きました。
「ブルーは色仕掛けでハーレイから毟り取ろうと思ってたのさ。…確かに君たちの世界のハーレイならば、あれで十分なのかもしれない。でも、その道の先達として下手な演技は許せないんだ。もっと迫真の演技でハーレイに迫ってくれないと…。ほら、ブルー。もう一度」
「…そ、そんなこと…言われたって…」
「その気になれない? じゃあ、その気になれるようにおまじない」
会長さんの顎を捉えたソルジャーが唇を重ねようとするのを、会長さんは必死の形相で振り払って。
「ブルー! き、君はいったい…」
「嫌だった? 前はキスしてくれたのに…。ああ、そうか。あれは交換条件だっけ」
ソルジャーは青ざめている会長さんに「ごめん」と謝ったものの、肩が笑いで震えています。
「そんなので色仕掛けなんて、百年早いと思うけどね。でも、やろうと思った以上はやり遂げたまえ。…ぼくは乗りかかった船は絶対に降りない主義なんだ。さあ、頑張って練習しようか」
気の毒な会長さんは蛇に睨まれた蛙でした。まずは表情から、と言われて四苦八苦。
「ダメだ、もっと瞳を潤ませないと。もっと、そう…欲情に濡れた感じが欲しいんだけど」
「ぼくには絶対無理だってば!」
「じゃあ、目薬」
持ってきて、と指図が飛んで「そるじゃぁ・ぶるぅ」が走ります。目薬でなんとかクリアしたか…と思ったら、鬼監督はそれでは済まず…。
「今ので少しは分かっただろう? 次は目薬無し。もっと切なく!」
厳しい指導が飛びまくるせいで、台詞の妖しさは感じられなくなってきました。私たちの感覚の方が麻痺したのかもしれません。やっとのことでオッケーが出た時、会長さんも見ていただけの私たちもすっかり疲労困憊でした。
「うん、これでなんとか見られるレベルになったかな。…ぼくのハーレイでも落とせそうだ」
満足そうに微笑んだソルジャーは壁の時計に目をやって。
「あれっ、おやつは? 今日はまだ出して貰ってないよね」
「忘れてたぁ! 取ってくるから、ちょっと待ってて」
キッチンに駆けてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、ほんの小さな子供です。お芝居の稽古みたいだ、とはしゃいでいたのは最初の内だけ。同じ台詞の繰り返しに飽きると土鍋の中に入ってしまい、ウトウト昼寝をしていましたから、おやつも忘れていたのでしょう。
「かみお~ん♪ お待たせ! 今日はサバランを作ったんだよ」
シロップたっぷりのお菓子が入った器がテーブルに運ばれてきました。疲れに効くのは甘いもの。サバランで疲労回復ですよ!
美味しいお菓子と生クリームたっぷりのココアで人心地がついた頃、口を開いたのはソルジャーでした。
「明日は打ち上げパーティーだろう? ぼくも混ぜて欲しいんだけど」
夏休み前のパーティーが楽しかったから、と言われると会長さんも断れません。
「…それで演技指導に来たってわけ? 君の分の費用も毟り取るために?」
「うーん、それもあるけどね…。正確に言うと、もう一人混ぜて欲しいんだ。ついでに、まだ何を食べるかが決まっていない段階だろう? ぼくに選択権をくれないかな」
「君が料理を決めるって?」
「………ダメかい?」
私たちを見回すソルジャー。別の世界のシャングリラ号に住むソルジャーの生活はグルメなどとは無縁です。そのソルジャーに食べたい料理があるなら、ここは譲るしかないでしょう。でも…ソルジャーって私たちの世界の料理に詳しい人でしたっけ…? 会長さんも同じことを考えていたようで。
「決めるのは別にかまわないけど、行きたい店があるって言うほど食べ歩きをしていないだろう? そりゃ…何度かは一緒に行っているけれど」
「ぼくも店のことはよく知らないんだ」
ソルジャーは素直に頷きました。
「ほら、ぶるぅが前にアルテメシアのグルメマップを貰っただろう? 来る時の参考にしたいから、って」
「そういえば…渡したっけね。あれが何か?」
「この間、借りて読んでみたんだ。そしたら信じられない料理があった。あれって本当にそうなのかな…」
自信が無い、と呟くソルジャー。信じられない料理って…まさかソルジャーが食べたい料理は、ゲテモノ料理だったりしますか? 二人分と言い出すからには「ぶるぅ」も一緒に来るのでしょうが…。
「信じられない料理って、何さ? それを食べたいって思ってる?」
「うん。…あれが本当にそうならね」
「それじゃ全然分からないよ。あれって何なのかを言ってくれないと」
痺れを切らした会長さんに、ソルジャーは珍しく言い淀んで。
「…でも、本当に自信が無いんだ。ぼくが思っているとおりの料理だったら、ぜひ食べたい。それも一人じゃなくて二人で。…もしも違うなら、選択権は要らないよ。食べに行くのもぼくだけでいい」
「ますます分からないってば! とにかく料理の名前だけでも…」
「……スッポンなんだ」
「「「は?」」」
全員の頭の上に『?』マークが出たと思います。スッポンって…亀ですよね? スッポン鍋とかスープとかで食べる、あのスッポン? それがソルジャーの食べたいもの?
「…スッポンって…」
会長さんが恐る恐るといった様子で切り出しました。
「スッポン鍋? それともスッポン尽くし? 店は色々あるけれど…確かに高級料理の部類に入る。ハーレイの懐も、とても寂しくなりそうだ。でも、なんでまたスッポンなんか…。君は食べたことがあるのかい?」
「…ぼくが知ってるスッポンだったら、多分一生食べられないよ」
「一生食べられないって…どんなスッポン?」
「亀さ。…グルメマップにはスッポンとしか書いてなくって、写真も調理済みのヤツばっかりで…。亀かどうかは分からなかった」
大真面目なソルジャーの言葉に頷くしかない私たち。スッポンといえば亀に決まっていますし、わざわざ書きはしないでしょう。会長さんは宙にグルメマップを取り出し、パラパラとページをめくってみて。
「うーん…。君の言うとおり、これだけじゃスッポンが亀かどうかは分からないね。…で、結論から言えば、ここに載ってるスッポンは全部、亀なんだけど。君の世界では絶滅したとか?」
「いや、絶滅はしていない。…していない…と思う。多分ノアには、いるんじゃないかな」
「ノア?」
「首都惑星の名前さ。ぼくの世界を統治する政府が置かれている星。何処にあるのかは知らないけれど、メンバーズエリートだとか、元老だとか…お偉方が沢山住んでいるらしい。その連中くらいしか手に入れられないのがスッポンなんだ」
なんと! ソルジャーの世界でスッポンと言えば超のつく高級食材でしたか…。会長さんも唖然としています。
「…そうなんだ…。じゃあ、究極のグルメってわけだね」
「グルメどころの騒ぎじゃないよ。そのスッポンを食べるだなんて、本当に信じられないな」
「でもスッポンは食べ物だよ?」
「…ぼくの世界じゃ薬なんだ。それも薬の材料の一つ。スッポンだけで作った薬も昔はあったと聞いているけど…今は無い。とにかく希少な生き物なのさ。生息環境が限られていて、地球ではかなり早くに絶滅したと聞いている。それが食べられるんなら、食べてみたいよ」
薬ですって? スッポンが? 言われてみれば怪しげな薬の広告なんかにスッポンが…。と、シロエ君が。
「もしかして漢方薬の材料ですか?」
「そう。漢方薬は地球に昔からある薬だってね。ぼくの世界では入手できなくなった材料が多いらしくて、データしかない薬もある。スッポンだけで作った薬もそうなんだ」
我が意を得たり、とソルジャーは嬉しそうでした。怪しげな薬ではなくて普通に漢方薬でしたか…。ソルジャーは嬉々として続けます。
「効能が素敵なんだよね。スッポン配合を謳った薬も凄そうでさ…。でも、高級以前に希少品。お偉方しか入手できない。ぼくたちの船が隠れているアルテメシアじゃ、お偉いさんが小物すぎるから輸入されることもないだろう」
「…ブルー…」
低い声を出したのは会長さん。
「その薬って、ろくでもないヤツじゃないだろうね? スッポンといえば滋養強壮、健康維持に冷え性、美肌。でも一番先に思い付くのは…」
「精力増強、夫婦円満」
ソルジャーがサラッと言い放ちました。げげっ、やっぱり怪しい薬じゃないですか! 会長さんも不機嫌な顔で。
「夫婦円満は知らないけれど、一般的には精力剤だ。それを承知で君はスッポンを食べたい、と?」
「うん。スッポン配合の薬でさえ手に入らないと思っていたのに、原料のスッポンが食べられるんだよ? まるで夢みたいな話じゃないか。あ、ぼくの世界の薬っていうのも精力剤さ。メンバーズって独身が条件のくせに、お盛んだよねえ。そんな薬が入り用だなんて」
クスクスと笑うソルジャーは壮大な勘違いをしていそうです。スッポンを食べただけでは劇的な効果は無いんじゃないかと思うんですけど…。会長さんもその点を指摘しましたが。
「いいんだ、スッポンは伝説に近いからね。食べたってだけでも心理的な効果はあるかと」
「効果って?」
怪訝そうな会長さんに、ソルジャーはクスッと笑みを零して。
「二人分、って言っただろう? もう一人はぶるぅじゃなくてハーレイなんだ」
「「「ええぇっ!?」」」
「ハーレイにスッポンを食べさせたい。だから打ち上げはスッポン料理!」
勝ち誇ったように言うソルジャーの瞳は本気の色を浮かべていました。打ち上げパーティーにスッポン料理。しかもソルジャーの世界のキャプテンまでがやって来るって、何ごとですか~!
パニックを起こした私たちでしたが、ソルジャーは譲りませんでした。どうしてもキャプテンにスッポン料理を食べさせたい、と言うのです。
「だってさ。…伝説の精力剤の原料だよ? 粉さえも手に入らないものが料理になって出てくるんだよ? そんなのを食べたら効きそうじゃないか。ハーレイったらヘタレだからね、自発的に精力剤を飲んでくれたりはしないんだ。だから食べさせようと思って…」
それに美味しいって書いてあるし、とグルメマップを示すソルジャー。根負けした会長さんが選んだお店はスッポン料理専門店でした。お店の案内を覗き込んだ私たちは料金に顔面蒼白です。
「…ブルー、ほんとにこの値段なの?」
震える声はジョミー君。一人前のお値段は、一泊二日の安いツアーなら十分お釣りがくるほどで…。
「どうせなら此処がいいだろう。何回か行って美味しいことは分かっているし、ハーレイの懐への打撃も大きい」
「ぼくもその店を見てたんだ。夢が叶って嬉しいよ。…明日はスッポンが食べられるんだね」
ソルジャーはとても幸せそうに微笑み、「じゃあね」と帰ってゆきました。えっと、えっと…明日は打ち上げパーティーで…教頭先生からお金を毟って、ソルジャーとキャプテンを連れてスッポン料理。なんだかとんでもなさそうですけど、食べに行くだけだし、平気ですよね…?
屋根裏の箱に戻されたのに、脱出してきたテラズ様。キース君の曾お祖母様の魂が宿っているのだと思っていたら、そうではなくて付喪神…。しかもジョミー君に一目惚れだなんて、本当でしょうか? 疑わしそうな目で会長さんを見る私たち。日頃の行いが行いだけに、簡単には信じられません。
「…疑われてるみたいだね。でもテラズ様は付喪神だし、ジョミーに一目惚れっていうのも本当のことさ」
「なんで…ぼく?」
ジョミー君の問いに、会長さんは肩を竦めて。
「さあね? 多分、好みに合ったんだろう。最初にジョミーの前に落ちてきたのはそのせいなんだ。存在をアピールするには、まずお近づきにならないと」
「…………」
言葉が出てこないジョミー君。私たちはテーブルに置かれたテラズ様とジョミー君を交互に見つめ、顔を見合わせては肘でつつき合っていましたが、そこへ職員さんたちがヒョッコリ顔を覗かせました。
「朝御飯の支度が出来てるけれど、もう持ってきてもいいのかしら?」
朝一番の騒ぎを聞き付けて階段を上って来た職員さんたちを「なんでもないから」と下がらせたのは会長さんです。朝食の用意が出来たら声をかけて、と頼んでましたし、様子を見にきてくれたのでしょう。
「ああ、さっきはごめん。キースの朝のお勤めも済んだし、お願いするよ」
会長さんが笑顔で応え、職員さんたちは厨房からハムや卵料理、サラダなどを運んで来ました。テーブルにお皿を置こうとすると、嫌でもテラズ様が目に入ります。配膳の手がピタリと止まって、職員さんたちは…。
「…テラズ様…?」
「もしかしてさっきの凄い騒ぎは…」
ジョミー君の顔が引き攣り、会長さんは軽くウインクしました。
「分かってくれた? またテラズ様が出たんだよ。ジョミーのことが好きなんだってさ」
「「ええっ!?」」
「ああ、勘違いしないようにね。実はテラズ様に宿ってるのはキースの曾お祖母様じゃない。古い道具とかに魂が宿る付喪神っていうヤツだけど、どうやらジョミーに惚れたらしくて…。天井裏に戻された後も諦めきれずに、夜中に頑張って出てきたみたいだ」
「…付喪神ですか…」
「放っておいてもいいんですか?」
職員さんたちは心配そうにテラズ様を眺めています。この建物の上棟式に納められた人形だけに、それが付喪神になって出歩くとなれば、気になるなんてものじゃないでしょう。
「大丈夫だと思うけどね。建物そのものの霊っていうわけじゃないし、座敷童子に近いかな。座敷童子は悪戯好きだと聞いているから、出歩くくらいは平気だろう」
それより早く食べたいんだけど、と催促をする会長さん。職員さんたちが搾りたての牛乳と焼きたてパンを配ってくれて、テラズ様を囲んでの朝の食事が始まりました。
朝食の材料はマザー農場で生産されたものばかりです。お料理が大好きな「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、これが楽しみだったようでした。
「産みたての卵って美味しいよね。時々、分けて貰うんだ。日曜日とかに」
会長さんが起き出す前に農場に来て、卵とかを貰って帰るのだとか。もちろんそれは会長さんの食卓に…。
「自分でお料理するのもいいけど、お客さんになるのも楽しいや。ブルーは滅多にお料理しないし」
「ぶるぅの方が上手だからね」
クスクスと笑う会長さんに、サム君が意外そうな表情で。
「えっ、ブルーが料理を?」
「そうだよ。いつも言ってるじゃないか、大抵のことは出来る、って。ハーレイがギックリ腰で寝込んでた時は、ぶるぅを手伝いにやらせたからね。…掃除も洗濯も全部自分でしてたけど?」
「じゃ、じゃあ…。あの時にブルーの家で出して貰った朝御飯って…」
「ぼくの手料理に決まってるだろ。ふふ、朝のお勤めに必死で気付かなかった?」
サム君は会長さんの家へ阿弥陀様を拝みに通っています。お勤めに出かけた日は御褒美に会長さんと朝御飯を食べ、一緒に登校してくるのですが…なんと手料理を御馳走になっていましたか! でもサム君は手料理だったとは気付かずに今日まで来たようで…。
「そうか…。ブルーが作ってくれてたんだ…。駄目だよな、俺…」
恋人候補も失格かも、と嘆くサム君。会長さんの手料理だったと気付かなかったショックもさることながら、大好きな会長さんが初めて作ってくれた記念すべき料理を、じっくりと味わいもせずに食べた自分が許せないということらしいです。
「あの時、何を食べたっけ? オムレツだっけ、それともスクランブルエッグ…? えっと、えっと…」
「ぶるぅ直伝のオムレツとトースト、サラダにフルーツ。…細かい所はぼくも忘れた」
「オムレツ!?」
うわぁぁ、とサム君は頭を抱えました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作るオムレツはふんわりしていて絶品です。それと変わらないレベルのオムレツを会長さんが作ってくれたというのに、記憶に無いのは無念でしょう。スクランブルエッグか目玉焼きなら少しは救われたのでしょうが…。
「せっかく…せっかくブルーが作ってくれたのに…。俺って馬鹿だ…。ぶるぅが留守にしてるんだから、朝飯が出るってことはブルーが作ったってことなんだよな…」
「何もそんなに気にしなくても…。また機会があったら作ってあげるよ」
だから頑張って朝のお勤めに通っておいで、と会長さんに優しく微笑みかけられ、サム君の頬が染まります。会長さんとの朝食の他に手料理という御褒美が加わった以上、サム君は更に気合いを入れて朝のお勤めに通うでしょう。幸せそうなサム君をキース君がジロリと睨んで。
「…朝のお勤めはとても大事なものなんだぞ。デート気分でやられたんでは…」
「いいじゃないか、キース」
会長さんが割って入りました。
「動機は何であれ、お勤めをしようと思う心が大切なんだ。テラズ様のことで騙した件は謝るよ。だからサムを苛めないでやってくれないかな」
「…テラズ様、か…。あんた、付喪神だと言っていたな。俺にはサッパリ分からないんだが、本当にこいつが動いてたのか? おまけにジョミーに惚れただなんて…」
動かないぞ、とテラズ様を指先で弾くキース君。会長さんはニッコリと笑い、サラダを頬張っているジョミー君に。
「ミルクをおかわりしないかい? それともジュースがいいのかな」
「…えっと…。オレンジジュース! こっちに回して」
「了解」
会長さんのすぐ横に牛乳やジュースを入れた容器が並んだワゴンがあります。会長さんは新しいコップを手に取り、オレンジジュースを注ぎ入れて…。
「はい」
コトン、と置いたのはテーブルの上。隣のサム君が運ぼうとして伸ばした手を遮ると、会長さんはテラズ様をトントン、と軽く叩きました。
「聞こえたかい? ジョミーはオレンジジュースが欲しいらしいよ。運んであげたら喜ぶだろうね」
「「「ええぇっ!?」」」
ピョコン、と跳ね起きたテラズ様。まさか本当に動けるんですか!?
「び、びっくりした…」
ゼイゼイと肩で息をしているジョミー君。私たちは宿泊棟が遠くに見える牧草地の端に来ていました。乳牛を飼っている牛舎があって、その隣の作業員用らしき小屋の扉を会長さんが押し開けます。
「入って。…まさかここまでは来ないだろう」
我先に中に入ると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が扉を閉めて、中から鍵をかけました。会長さんは宿泊棟の方を思念で探っているようでしたが…。
「うん、大丈夫みたいだよ。どうやら宿泊棟の外に出ることはできないらしい。…この先はどうなるか分からないけど」
「わ、分からないって…」
ジョミー君の声が震えています。
「ぼくを追っかけてくるってこと? こんな所まで?」
「…力が大きく伸びるようなら、農場だけでは済まないだろうね。いずれ学校やジョミーの家まで…」
「……そ、そんな……」
ジョミー君は真っ青でした。追いかけてくる、というのはテラズ様です。朝食のテーブルで起き上がったテラズ様は、オレンジジュースが入ったコップの周りをコトンコトンと跳ね回ったものの、手足が無いためにコップを運ぶことができません。そこでジョミー君の前まで跳ねて行くと謝るようにペコペコ身体を傾け始め、我に返ったジョミー君の悲鳴が響き渡って…。
「なんで人形が動くのさ! おまけに追っかけてくるなんて…」
朝食を放り出して逃げたジョミー君と、それを追ってきた私たち。テラズ様もジョミー君を追ってテーブルから飛び降りたのは知っていますが、その後のことは謎でした。会長さんの話では宿泊棟の玄関から外に出ることが出来ず、力尽きて床に転がっているのを職員さんが拾ったようです。
「屋根裏に戻そうか、と思念波で連絡が来たけど、どうする? 戻してもジョミーの滞在中は確実に落ちてくるだろうね。で、ジョミーを探して歩き回る、と。…それくらいなら戻さない方が平和じゃないかな」
「……そうだね……」
悔しいけれど仕方がない、とジョミー君は同意しました。会長さんは職員さんたちと思念で連絡を取り合い、テラズ様は食堂に置いておくことに決まった様子。でも、テラズ様に追いかけられるジョミー君の運命は…?
「ぼく、これからどうなっちゃうんだろう…? 付喪神だか何だか知らないけれど、ずっと追いかけ回されちゃうの? 一目惚れだなんて聞かされたって、ぼくには何にも分からないよ!」
「…まあ、今のジョミーには無理だろうね」
会長さんが小屋の中の椅子に腰かけ、私たちも他の椅子に座りました。手作りらしい木製の頑丈な椅子です。おそらく休憩用の小屋なのでしょう。会長さんはジョミー君を見つめ、腕組みをして。
「テラズ様の思考はサイオンの力では読み取れない。ベクトルがちょっと違うんだ。ぼくは高僧としての力があるから付喪神だとすぐ気付いたし、ジョミーに一目惚れをしていることにも気付いたわけさ。君はテラズ様の声を聞いたそうだけど、見つけた…っていう声だけだよね。テラズ様の心の声は聞こえない」
「聞きたくもないよ、そんなもの!」
「…聞きたくないのはかまわないけどね。相手の声が聞こえないってことは、対処の仕方が無いってことさ」
「えっ…」
息を飲んだジョミー君に、会長さんは畳みかけるように。
「君にはテラズ様の心が分からない。つまり気持ちが通じ合わない。通じない以上、迷惑だ、って叫んだところでテラズ様は分かってくれないよ。…テラズ様は君に惚れたんだ。きっと健気に追いかけてきてくれるだろうねぇ」
「で、でも…」
「今はまだ宿泊棟から出られないけど、力がついたら知らないよ。何処へだって行けるようになったら、君は立派な付喪神憑きだ。テラズ様が身の回りのことをしてくれる日も遠くはないかもしれないね」
そういう例を知っている、と会長さんは言いました。とある高僧の持ち物だった人形に魂が入り、書の手伝いをしたり、お寺の夜回りをしたりして仕えたとか。
「君もテラズ様を便利に使ってみたらどうだい? 手足が無いのが難点だけど、恋する一念でカバーするさ」
「やだよ、あんなの! 第一、ぼくの好みじゃないし…」
「好みじゃなくても一緒にいるしかないと思うよ。気持ちを伝える方法が無けりゃ、喧嘩することも出来ないしね。一方的に惚れられたまま、有意義な日々を過ごしたまえ。…大丈夫、ぼくもハーレイとは三百年以上の付き合いだ」
それじゃ、と出て行こうとする会長さんを止めたのはキース君でした。
「ちょっと待て! あんたの話を聞いた感じじゃ、テラズ様を止めるには…調伏するしかないってことか?」
「そうなるね。調伏するか、魂を抜くか。…どっちにしても坊主の出番さ」
でも、と会長さんはニヤリと笑って。
「ぼくは手を貸すつもりはないよ。ジョミーは仏の道への誘いを断ったからね、阿弥陀様を拝みに来ないか…って言ったのに。だから坊主の力を借りずに自力でなんとかしてみたまえ。…ぶるぅ、行こうか」
おやつのケーキが焼けたみたいだ、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて小屋を出て行ってしまいました。
開け放された扉から覗くと、宿泊棟の前で職員さんが手を振っています。美味しいケーキは魅力的ですが、あそこに帰るとテラズ様が…。私たち、いったいどうしたら…?
その日からテラズ様はジョミー君にベッタリでした。何をするわけでもないんですけど、ジョミー君の行く先々にコトンコトンと付いていきます。行動範囲は日増しに広がり、今は農場の中なら何処でもオッケー。バスルームまでくっついてきて、トイレ以外は常に視線を感じるのだとか…。同室のサム君は「音と姿くらいしか気にならない」と言っていますし、私たちもそれは同じです。
「うん、馴れてくると可愛いものだね」
健気なペットみたいに見える、と会長さんが微笑んだのは収穫祭の日の朝食の席。もうすぐシャングリラ学園の生徒たちが来て、農場体験とジンギスカン・パーティーのお祭り騒ぎが始まります。つまり私たちの宿泊体験は明日まで。それまでの間にジョミー君からテラズ様が離れなかったら、その時は…。
「いい雰囲気になったことだし、テラズ様とジョミーも今や公認カップルかな。ジョミーは明日には家に戻らなくっちゃいけないけれど、この調子なら一緒に暮らせるようになる日も近そうだ」
テラズ様が農場を出られないならジョミーがマザー農場に就職すればいいんだし、とニコニコ笑う会長さん。本気で言っているのでしょうか? 朝食が終わると会長さんはシャングリラ学園の生徒たちを乗せたバスを出迎えに行ってしまって、それっきりでした。
「アルトとrが目当てだろうさ。フィシスさんも来るしな」
女好きめ、とキース君が毒づきます。キース君はあれから色々な手を試したのですが、テラズ様を封じる方法はついに見付かりませんでした。
「…すまん、ジョミー…。俺にもっと力があれば、そいつをなんとか出来たんだがな」
「仕方ないよ。キースのお父さんでもお手上げだって言ったんだろう? きっと究極の秘法なんだ。…それを知ってるブルーに頼めば、坊主になれって言われちゃうんだ」
もう諦めることにした、とジョミー君は溜息をつきました。
「テラズ様がぼくの家に来たらパパもママも腰を抜かすだろうけど、ぼくがツルツル頭のお坊さんになって帰るよりかはビックリしないと思うんだよね。…ほら、夏休みに璃慕恩院の修行体験に行ったじゃないか。あの時、ママがお坊さんになるのかって心配そうにしていてさ…」
「まあ、普通はそうかもしれないな。俺の場合は坊主頭を大いに期待されてるようだが」
似合わないと思うんだがな、と呟くキース君。テラズ様はジョミー君のカップの横で楽しそうに跳ねていました。やがて農場長さんがシャングリラ学園のみんなと遊ばないのか、と聞きに来ましたが…。
「行きたいのは山々ですけど、テラズ様がくっついて来るのは確実ですし…」
マツカ君がテーブルの上を指差し、私たちは一斉に頷きます。
「うーん、すっかり懐かれてしまったねえ。うちは構わないから連れて帰ってくれてもいいよ」
「…ありがとうございます…」
力無い声のジョミー君。テラズ様はジョミー君にくっついて回り、私たちはシャングリラ学園のみんなの楽しそうな声を遠くに聞きながら宿泊棟で過ごしたのでした。
収穫祭が終わり、生徒たちを乗せたバスも帰って日が暮れてきた頃、賑やかな笑い声と共に現れたのは…。
「「「教頭先生!?」」」
農場長さんや会長さんと一緒に教頭先生が立っていました。左手にボストンバッグを提げています。
「みんな元気にやってたようだな。今夜は私も世話になるんだ」
特別生の宿泊体験最後の夜は、教頭先生がシャングリラ号のキャプテンとして泊まる慣例があるのだそうです。マザー農場とシャングリラ号が密接な関係にあるからでしょう。教頭先生は職員さんに案内されて二階へ荷物を置きに行き、すぐに私たちのいる食堂へやって来ましたが…。
「そこで跳ねてる妙なのはなんだ?」
ジョミー君が座っている椅子の周りでテラズ様が跳ねていました。さっきは視界に入ってなかったみたいです。会長さんがクスクスと笑い、ジョミー君を指差して。
「紹介するよ。彼女はジョミーの恋人なんだ。テラズ様って名前でね、この建物の上棟式で屋根裏に納められた人形が本体の付喪神。名前の由来は…」
一部始終を聞いた教頭先生はしばらくの間、笑っていました。
「テラズのナンバー・ファイブがモデルだなんて、言われなければ分からんな。私もたまに木彫りをするが、ここまで凄いものはなかなか…」
「テラズ様に失礼だよ、ハーレイ。女性の心は繊細で傷付きやすいってこと、分かってる? まあ、あんな不細工な木彫りが作れる君には言うだけ無駄だと思うけど。…ほら、これがハーレイの作品の一つ。ぶるぅを彫ろうとしたらしいんだ」
「「「ぶぶっ!!」」」
会長さんが宙に取り出したのは鏡餅のような物体でした。丸まった「そるじゃぁ・ぶるぅ」の姿を彫ったのでしょうが、どう見ても鏡餅もどきです。教頭先生がアタフタする中、彫刻はフッと消え失せました。
「ところで、ハーレイ。…シャングリラ号に人形は乗っていないだろうね? 船霊様がどうとかって言った仲間がいたのを思い出したら心配になって…。あるとしたら機関室の中か、ブリッジの近くだと思うんだけど」
「船霊様…? 人形は乗っていないと思うぞ。だが、船霊様なら機関室に」
「あるのか!?」
「いや。…祀ろうとした仲間がいたが、ゼルと喧嘩になったんだ。機関室はゼルの管轄だからな、センスが無いとかなんとか言って怒って御札を撤去していた」
その後は知らない、と教頭先生。もしかしたらゼル先生のお好みに合った御札か何かが祀られてる…のかも知れません。会長さんは頭を抱え、教頭先生に機関室のチェックを命令しました。
「いいかい、妙な人形とかがあったとしても、迂闊に近寄らないように。でないとジョミーの二の舞になる。こうなりたくはないだろう?」
「…うむ。私が付喪神を持ち帰ったら、お前に散々笑われそうだ」
「お祓いするのも高くつくよ。ぼくはタダ働きって好きじゃないんだ」
そうだろうな、と苦笑いする教頭先生。食事の用意をしてくれていた職員さんたちも笑っています。テーブルにはビーフシチューや新鮮な野菜のサラダが並び、マザー農場最後の夕食が始まりました。テラズ様はジョミー君のお皿の横でクルリクルリと回転中。明日、ジョミー君が家に帰ってしまったら…テラズ様はどうするんでしょうねえ?
夕食が済んでお風呂に入り、スウェナちゃんと一緒に片付けられた食堂に行くと教頭先生と農場長さん、二人の女性職員さんがキース君の夜のお勤めを見ていました。マツカ君にシロエ君、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」もいます。キース君のお勤めは管理棟の人たちの名物になり、朝のお勤めの時はいつも複数の人が見に来ていたり…。
「お念仏って効かないんだよね…」
罰当たりな言葉と共に現れたのはジョミー君でした。肩にテラズ様が乗っかっています。
「おい、ジョミー! 阿弥陀様に聞こえるぞ」
サム君が指を唇に当てましたけど、ジョミー君は更に唇を尖らせて。
「お念仏を唱えれば救われる、って璃慕恩院で教わったのに、嘘ばかりだよ。テラズ様にくっつかれてから、キースに言われて何度お念仏を唱えたと思う? だけど全然ダメじゃないか」
キース君が叩き鉦をキーンと打ち鳴らしました。ここから先はお念仏の繰り返しです。会長さんがジョミー君の方を振り向き、思念波に乗せて。
『ジョミー、お念仏を唱えたまえ。阿弥陀様に失礼なことを言っただろう』
「失礼ってなんだよ!」
ついにブチ切れたジョミー君。
「阿弥陀様が何なのさ! ぼくのお願いも聞けないくせに、偉そうな顔して大っ嫌いだよ! お念仏なんて絶対嫌だ! 阿弥陀様なんて大っ嫌いだーっ!!」
絶叫と共にジョミー君の身体が淡い光に包まれました。あの青い光は…サイオン…? キース君は全く気付かず、お念仏を唱えています。朗々と響く南無阿弥陀仏の声と叩き鉦。鉦がキィンと鳴った瞬間、食堂の床からポウッと無数の花の蕾が現れ、たちまち開いて美しい蓮が部屋一杯に。
「「「えぇっ!?」」」
しかしサイオンに包まれたジョミー君は何も見ておらず、キース君も無我の境地でした。打ち鳴らされる鉦の音とお念仏の中、紫の雲が棚引いて…御厨子に納まった阿弥陀様の手から五色の糸がスルスルと伸び、ジョミー君の左手首にクルリと巻き付き、目の眩むような金色の光がジョミー君を覆ったと思ったら…。
「…南無阿弥陀仏」
チーン、と鐘が鳴り、お勤めが終わりました。金色の光も蓮の花も見る間に消え失せ、キース君がジャラジャラと数珠を擦り合わせています。ジョミー君がハッと我に返って。
「あれ? ぼく、今…」
「おめでとう、ジョミー」
満面の笑みでやって来たのは会長さん。
「阿弥陀様に選ばれるなんて、君の素質も大したものだ。みんなの目にも見えただろう? 蓮の花が咲いて、五色の糸が阿弥陀様とジョミーを結んだ。ジョミーは阿弥陀様にお仕えする人になるんだよ。…テラズ様、残念だけど君はジョミーの修行の邪魔になる。ジョミーを思うなら身を引きたまえ」
いいね、という会長さんの声が終わらない内にゴトンと鈍い音がして…テラズ様は床に落ちていました。
「えっ?」
驚いたジョミー君が拾い上げてもテラズ様は二度と動かず、会長さんが水晶の数珠を取り出してテラズ様を撫で、口の中で何かを唱えて農場長さんを手招きすると。
「…終わったよ。もうテラズ様は動かない。元通り、ただの人形さ。明日、屋根裏に戻してくれ」
「はあ…。いったい何をなさったのです?」
「ぼくが発動させるつもりで仕掛けを撒いておいたんだけどね。まさかジョミーが自分でやるとは…。仏弟子として目覚めたらしい」
会長さんは御機嫌でした。蓮の花も五色の糸もサイオニック・ドリームの一種で、テラズ様にジョミー君を諦めさせるために仕掛けておいたみたいです。何が起きたのかを聞いたジョミー君とキース君の反応は…。
「嫌だよ、なんで阿弥陀様にお仕えしなくちゃいけないのさ!」
「そんな凄いことが起こっていたのか…。ジョミー、お前の力で仕掛けが発動したというなら、それは立派な御仏縁だ。仏の道に入るべきだぞ」
「嫌だーっ! テラズ様の方がまだマシだーっ!!!」
泣き出しそうなジョミー君でしたが、テラズ様に憑かれるよりは修行の方がマシなのでは…。そして翌朝、テラズ様は屋根裏に戻され、阿弥陀様は瞬間移動で会長さんの家に送られました。
「いやあ、昨夜の光景は本当に有難いものでしたよ」
どうぞ精進して下さい、と農場長さんがジョミー君の手を握ります。
「あなたがタイプ・ブルーだったとは…。テラズ様に惚れられたのは災難でしたが、これに懲りずにまた遊びに来て下さいね。シャングリラ号の乗員を兼ねている者も多いですから、ソルジャー候補は大歓迎です」
「ソルジャーはぼくだ。当分、譲るつもりはない」
会長さんが偉そうに言い放ちました。
「ジョミーはソルジャー候補じゃなくて、大事な高僧候補なんだよ。これからじっくり仕込みたいから、シャングリラ号には乗せたくないな。サイオンの訓練よりも今は修行を先行させる」
「…修行って…」
不安そうなジョミー君の声に、会長さんはニッコリ微笑んで。
「まずは朝のお勤めから始めようか。君が立派な高僧になればテラズ様の魂も喜ぶだろう。一目惚れした君の将来のために、テラズ様は身を引いたんだから。…そうだろう、キース?」
「一理あるな。付喪神だか何だか知らんが、お前に惚れ抜いて側にいたいのに涙を飲んで消えたんだ。生涯をかけて供養するのが正しい道だと俺は思うぞ」
会長さんとキース君。二人がかりで畳みかけられ、進退極まったジョミー君は屋根裏に向かって大声で。
「テラズさまーっ! 帰ってきてよ、テラズ様ってばーっ!!」
けれど血を吐く叫びも空しく、テラズ様は落ちてきませんでした。迎えのマイクロバスが横付けされて、私たちと教頭先生を乗せて走り出します。マザー農場での日々はテラズ様を巡る民話のような不思議体験。シャングリラ号を陰で支える仲間たちとの交流という目的からは大きく外れていたような…。まあ、ソルジャーである会長さんが満足ならば、それでいいのかもしれません。ジョミー君には気の毒ですが、ここは諦めて貰いましょうか…。
いきなり降ってきたテラズ様と呼ばれる謎の物体。キース君の読経は木魚を交えて続いています。二人の女性職員さんの内、テラズ様を握った人が天井を指差しながらおもむろに口を開きました。
「君たち、何か悪戯したの? これが勝手に落ちてくる筈はないんだけれど」
「してないよ!」
ジョミー君が叫びます。一番近い場所に落ちてきただけに、最悪にマズイ立場でした。
「ぼくがココアを飲もうとしたら、上からゴトッと落ちて来たんだ。もうちょっと横に落ちてたらカップが割れてしまったかも…」
「ぼくも見ていた。ジョミーは何もしていない」
会長さんがスプーンでココアをかき混ぜます。
「そしてぼくたちも無関係だ。…だいたい、テラズ様っていうのは何なんだい? 初めて見ると思うんだけど」
「…えっと…」
職員さんたちは顔を見合わせ、それから会長さんを見て。
「ソルジャー、ご存じなかったんですか? ここの古顔は全員知ってることなんですが」
「そう言われても…。ぼくは農場には滅多に来ないし」
「この建物と深い関係があるんですけど、ご存じないということでしたら農場長を呼びましょうか?」
「それじゃ、お願いしようかな。もうすぐキースのお経も終わる」
分かりました、と手が空いている職員さんが管理棟に内線電話をかけ始めます。キース君はキンキンと甲高い音がする叩き鉦を派手に打ち鳴らし、やおら姿勢を正してお念仏を朗々と唱え、数珠をジャラジャラ擦り合わせると深く一礼して私たちの方に向き直りました。
「…なんだ、早速ティータイムか? 雑音がするとは思っていたが、お念仏を唱えるヤツが一人もいないとは嘆かわしいな」
「雑音? そんなのを感じてる間はまだまだダメだね。無我の境地で読経しないと」
緋の衣までの道は遠いよ、と会長さん。キース君は「違いない」と苦笑してテーブルの方にやって来ましたが、そこへ農場長さんが駆け込んできて…。
「テラズ様が落ちて来たって!?」
「は?」
さっきからの騒動を知らないキース君は怪訝な顔。女性職員さんと私たちは、農場長さんとキース君に謎の物体が落ちてきた経過を改めて説明し、誓って何もやってはいないと身の潔白を主張しました。代表は無論、会長さんです。
「本当だよ。キースのお勤めが終わるまでお茶でも飲んで待っていよう、って…。ぶるぅがココアを入れたんだ。お菓子はテーブルの上に置いてあったし、ココアとカップも出ていたし…。その他の物は触っていない。もちろんサイオンも使ってないさ」
冷蔵庫にケーキが入っているのも知らなかったよ、と会長さん。
「で、その物体の正体は何? テラズ様なんて初耳だ」
「…そうですか…」
農場長さんはフウと溜息をつき、女性職員さんが手渡した謎の物体をテーブルの真ん中に丁重に安置しました。
「では、最初からお話し致しましょう。百年以上も昔のことなのですが…」
チラリと会長さんを眺め、農場長さんは椅子に腰掛けます。キース君も女性職員さんたちもテーブルを囲み、思わぬところでマザー農場の昔話が語られ始めたのでした。
マザー農場が出来たのはシャングリラ学園の創立と同じ頃。最初は学園の食堂に農作物や牛乳などを納入していたそうです。やがてシャングリラ号の建造が始まり、それに合わせて農場の規模も大きくなって、シャングリラ号の完成記念に一般の人も泊まれる施設を作ろうという話になって…。
「そして出来たのが、この建物というわけです。改装したりはしていますけど、基本は建てられた頃と殆ど変わっていませんよ。…ブルー、まさかお忘れになってしまわれたとか?」
「言われてみればそうだったかなぁ…」
「…あなたは船の方に夢中でらっしゃいましたからね。あちらには専用のお部屋もありますし」
「うん、青の間は大好きだよ」
マンションの寝室も似た雰囲気にしてあるんだ、と会長さんは微笑みます。
「それで、この建物とテラズ様とやらは何か関係があるのかい?」
「大ありです! でなきゃ走って来ませんよ。テラズ様は棟上げの時に屋根裏に納めたヤツなんですから」
「「「えっ?」」」
会長さんも私たちも目を丸くして謎の物体を見詰めました。しばらくしてから会長さんが。
「これを棟上げの時に屋根裏に…? 普通は御幣じゃないのかい? 扇なんかの飾りがついた…」
「そうです。もちろん御幣がメインなのですが、テラズ様は棟梁のこだわりでして…」
「こだわり?」
「ええ。ご相談させて頂きましたよ、あなたには。ブルーではなくソルジャーとして」
聞いてらっしゃらなかったようですね、と農場長さんは額を押さえます。
「最後まで話を聞かない内からオッケーだなんて仰って…。本当の本当にいいんですか、と何度も念を押しましたのに」
「ぼくは上棟式には出ていないから、細かい話は知らないよ。要するにテラズ様っていうのは、御幣のオマケみたいな物なんだろう」
「まあそうです。上棟式では御幣の他に鏡や櫛といった女性の七つ道具を入れた袋を納めたりするのはご存じですね? 地方によって色々と違うようですが、この建物を建てた棟梁の出身地では女性の人形を納める習慣があったそうでして…」
「ふうん、女性の人形ねえ…」
それでテラズ様を納めたのか、と会長さん。
「かなりユニークな造形だけど、女性の姿には違いない。郷土人形か何かかな?」
「違います! 本当に右から左へ聞き流してしまわれたのですね、あれほど真面目に相談したのに…。テラズ様は郷土人形なんかじゃなくて趣味ですよ。棟梁の趣味の手作り人形ですよ!」
「「「手作り人形?」」」
センス悪っ! と誰かが呟きます。そうですよねぇ…上棟式で納めるんなら、もっと綺麗なお人形とか…可愛いのとか…。棟梁になれるくらいの人なんですから、大工の腕は確かでしょう。それなら手先も器用でしょうし、その気さえあればもっとマトモな人形だって…。
「センスの問題じゃありません。テラズ様は棟梁の芸術が爆発しているだけで、それ自体は別にいいんです。問題はモデルが実在の人物だったということで…」
だからあれほど言ったのに…、と農場長さんは派手な溜息を吐き出しました。
「その人形には棟梁のファン魂が籠もっているんです。当時、絶大な人気を誇ったダンスユニットがありましてね。お寺の跡を継ぐ立場の女性ばかりで結成したから、名前がテラズ。九人のメンバーは名前を隠してナンバーで呼ばれ、棟梁はそれのナンバー・ファイブ……五番の女性が好きだったそうで」
ほら、ここに、と農場長さんがテラズ様とやらの顔のすぐ下を指差します。そこには赤で『5』という数字が。
「棟梁は自分が建てた建物にファン魂を籠めた人形を納めてみたかったんです。けれど、承知してくれる御施主様が出て来なくって…。まあ、普通は誰でも断るでしょうね。承知したのはウチだけですよ。棟梁が引退した後、そう言って御礼に来ましたから!」
あなたが適当に返事をするからこうなるんです、と嘆く農場長さんでしたが、会長さんはクスッと笑って。
「いいじゃないか、結果的に人助けになったわけだろう? テラズ様の意味はそれで分かった。正確にはテラズ・ナンバー・ファイブ様なんだね」
「ああっ、フルネームで呼ぶのはおやめ下さい! みんなテラズ様としか言わないんですよ」
人形を納めるのを見ていた仲間たちは複雑な心境だったのですから、と農場長さん。そりゃあ…棟梁のファン魂が籠もった人形なんて、誰だって遠慮したいですもんねぇ…。
テラズ様という名前の謎は解けました。けれど屋根裏に納められた人形が何故ここに? 農場長さんは会長さんの顔を窺い、天井を見て。
「何もしていないのに落ちてきたとは…。どこにも穴は見当たりませんし、建物に何か問題が起こるかもしれないという警告でしょうか?」
「そうかもしれない。基礎とかにガタが来てるとか…。業者に点検を頼むべきだろうな」
「すぐに電話をいたしましょう。テラズ様は屋根裏に戻しておきます」
よいしょ、と立ち上がった農場長さんは、テラズ様を大切そうに両手で持って出て行きました。ファン魂の発露とはいえ、今となっては上棟式に納められたお人形です。粗略には扱えないということでしょう。女性職員さんたちも昼食の用意をしてくるから、と厨房の方へ。
「…知らなかったよ、あんなのが屋根裏にあっただなんて。シャングリラ号にも何か乗っかってるかもしれないな」
誰かの趣味の人形とかが、と会長さん。
「船霊様はどうしましょう、と真面目な顔で言った仲間がいたんだよね」
「「「ふなだま…さま?」」」
「そう、船霊様。航海の安全を願ってお祀りする神様さ。どう返事したのか覚えていない。…ぼくが知らないだけでシャングリラ号にも人形が乗っているのかも…。船霊様は柱の下とか機関室に置く人形や御札のことだと聞いてるから、今度ハーレイに訊こうかな」
キャプテンだしね、と会長さんは笑っています。シャングリラ号にまで変な人形があったとしたら、それも会長さんの責任ってことでいいのでしょうか。まあ、ファン魂を籠めたがる人がそうそういるとも思えませんが…。
「ところで、キース」
さっきから黙ったままのキース君に会長さんが水を向けました。
「いつもの元気はどうしたんだい? ぼくの適当な返事のせいで妙な人形を奉納されて、シャングリラ号にまで似たようなものが乗っているかもしれないんだよ? よくソルジャーが務まるもんだ、とか突っ込んでくれなきゃ面白くない。それとも何か気になることでも…?」
ああ、と手を打つ会長さん。
「思い出したよ、テラズのこと! ずいぶん昔で忘れてたけど、ナンバー・ファイブって凄い美人で…」
「待て!」
キース君が血相を変えて会長さんを遮りましたが…。
「そう、君のお母さんにそっくりなんだ。出身地は確かアルテメシアの…」
「わーっ!!!」
言うなぁぁぁ、という叫びを他所に会長さんは続きを思念波に乗せて。
『璃募恩院と関係のあるお寺。そこまでしか聞いていなかったけど、キースの慌てっぷりから推測するに…多分、乃阿山・元老寺だね』
「「「えぇぇっ!?」」」
「うわぁーっ!!」
頭を抱えるキース君。どうやら図星だったみたいです。会長さんはクックッと必死に笑いを堪えながら。
「テラズ様が落っこちてきた理由が分かったよ。孫…じゃなくて、曾孫? 玄孫? それとも玄孫の孫くらいかな? とにかく自分の子孫の子供が来てくれたのが嬉しかった、と。お経を唱える声で気付いて、姿を見たくて落ちて来たんだ」
「そ…そうなの?」
ジョミー君が目を丸くしている間に、会長さんは内線電話で農場長さんを呼び出して。
「あのね、さっきのテラズ様の話なんだけど…」
落っこちてきた理由は別の所にあるようだ、と説明すると受話器をカチャリと置きました。
「ふふ、すごくビックリしていたよ。でも業者さんの点検はいい機会だから、近い内にお願いするってさ。で、どうする、キース? これからテラズ様を屋根裏に戻すらしいんだけど、その前に会いに行ってくる?」
「…………」
「素直じゃないね。君の御先祖様なんだよ? ほら、もう戻しに来たから行ってきたまえ」
梯子を担いだ若い男性が農場長さんと一緒に階段の方へ行くのが見えます。キース君は無言で立ち上がり、農場長さんたちを追って駆け出しました。テラズ様がキース君の御先祖様の女性だったとは…。お母さんにそっくりってことは、キース君のパパはもしかして…?
「そう、キースのお父さんは婿養子なんだ。テラズを結成していた御先祖様もお坊さんと結婚した。いずれ婿養子を迎えて寺を継がなきゃ、っていう立場の女性がストレス解消のために踊っていたのがテラズなんだよ」
美人揃いでダンスもプロ級だったけどね、と会長さん。
「テラズのナンバー・ファイブっていえば、一番ファンが多かったかな。キースのお母さんも美人だろう? あの人にそっくりの美人だったのに、それを人形にしたのがテラズ様とは…。芸術ってサッパリ分からないや」
あんな不細工な顔じゃないよ、と会長さんは不満そうです。妙な人形が屋根裏に納められている件については、特に気にしてないみたい。それくらいのことで文句を言ってちゃソルジャーは務まらないのかもしれませんけど、納められたことにも気付いてなかったソルジャーというのは問題有りかも…。
昼食はカレーライスでした。農場長さんたちと一緒に屋根裏に登らせてもらったというキース君も帰ってきて、みんなで食事。屋根裏には太い立派な梁が何本も通っていたそうです。そこの太い柱の一つに御幣が祀られ、テラズ様は隣に置かれた木箱の中に入れてきたとか…。
「えっ、あれって箱に入ってたわけ?」
ジョミー君がスプーンで天井を指しました。
「すり抜けてきたのは天井だけかと思ってたけど、箱まで抜けてきちゃったんだ…。よっぽどキースを見たかったんだね」
「…そうらしいな…」
非常識な、とキース君。
「俺の声が聞こえたからって、納められた場所を抜けてくるのはどうかと思うぞ。それじゃ守護神失格だ」
建物を守る目的以外で持ち場を離れるべきではない、と苦い顔のキース君に会長さんが。
「御先祖様を悪く言うものじゃないよ。それよりも出会えた御縁を喜びたまえ。…君のお母さんを見た時、誰かに似てると思ったけれど…テラズのナンバー・ファイブとはね。とてもダンスが上手だったよ。ね、ぶるぅ?」
「えっと…そうだっけ? ぼく、テラズのダンスは覚えてないや。だって、つまらなかったんだもん」
着ぐるみショーの方がいい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は子供らしいことを言っています。でもテラズの舞台は百年も昔。うっかり忘れてしまいがちですけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんより十数年後に卵から生まれ、三百年以上も子供の姿で生き続けているんでしたっけ。六年ごとに卵に戻って、孵化し直して、また六年…。そんな「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見守ってきたのがマザー農場の仲間たちです。
「カレーライスのおかわりはいかが?」
女性職員さんがニコニコ顔で男の子たちのお皿にカレーを盛り付け、スウェナちゃんと私にはデザートのプリン。
「テラズ様にはビックリしたわ。…あなたのお祖母様がテラズ・ナンバー・ファイブですって?」
「…祖母じゃなくって曾祖母です」
「あら、ごめんなさい! そうねぇ、百年も前ですものね」
農場暮らしは時間の感覚が鈍ってダメね、と自分の頭をコツンと叩く職員さん。見た目は三十代ですけれど、管理棟の平均年齢は二百歳を超えると会長さんが言ってましたし、二百歳くらいかもしれません。もう一人の職員さんも似たり寄ったりの外見です。二人ともテラズをよく覚えていて、夕食の時には管理棟のコレクションから選んだという音楽を聴かせてくれました。
「これこれ、この曲がテラズの十八番よ!」
「息がピタリと合ってたのよねぇ。惚れ惚れするようなダンスだったわ」
ライブラリーに映像も残ってる筈よ、と職員さんたち。明日は一緒に探しましょう、と熱意溢れる瞳です。でもキース君は…。
「…探さなくていいです。俺の決意が鈍りますから」
「「決意?」」
なあに、それ? と職員さん。
「俺、実は坊主になりたくなくて…両親に反抗してたんです。その頃、両親に何か言われる度に曾祖母とテラズのことを引き合いに出して、俺もやりたいようにやる、って…」
「あら。今は仏様まで持って来るほど熱心に修行してるのに…。分かったわ、テラズの話は終わりにしましょう」
テラズ様のお蔭で懐かしい話が出来て楽しかった、と職員さんたちは笑顔でした。キース君の御先祖様の意外な過去は私たちにとっても格好のネタで、シロエ君なんかは…。
「先輩も大学でバンドを組んだらどうですか? お坊さんですし、ボーズとか。音響機器メーカーの名前みたいでカッコいいですよ」
「その名のバンドは俺の先輩がやっている。…あと、ライバルのソーズもな」
「「「そうず???」」」
「坊主の位だ。僧の都と書いてソウズと読むんだ」
両方ともライブハウスで派手にやってるらしいです。そのライブハウスの名前が祇園精舎で、ライブとセットで説法会もあるのだとか。お坊さんの世界って意外に奥が深いんですねぇ…。
夕食が済むとキース君は夜のお勤めを始めました。またテラズ様が落っこちてきたらどうしよう、と私たちはドキドキです。けれど何事も起こらないまま読経は終わり、それから後はお風呂に入って、また食堂に集まってワイワイと…。ふと窓の向こうの管理棟を見ると、灯りが消えて真っ暗でした。
「農場は朝が早いからね」
就寝時間も早いんだ、と会長さんが窓のカーテンを閉めに行きます。
「ぼくたちも規則正しい生活とやらをしてみようか。たまには早く寝るのもいいだろ?」
いつもなら起きている時間でしたが、郷に入りては郷に従え。私たちは二階の部屋に帰っておとなしく寝ることにしました。灯りを消してスウェナちゃんとしばらく話していたものの、引き込まれるように夢の中。そこへコトリ、と微かな音が…。
(???)
また何処かでコトン、と小さな音。耳を澄ますと、また…コトン。階段の方から聞こえてきますが、これってやっぱり夢なのかなぁ? あ、また…コトン。音はだんだん近づいてきます。まるで階段を上ってるみたい…。コトン、コトリ、コトン。トン、トン…。階段を上り切って、今度は廊下? コトリ、コトリ…。
(止まった…)
カチャ、カチャ、と金属が触れ合う音がします。あの音はひょっとして鍵穴の…? と、キィィッと扉が軋んで……コトン、コトリ、コトン。音が部屋の中に入って来ました。これって夢? それとも現実? 恐る恐る目を開けて床の方を見ると光が一筋。廊下の光が差し込んでいるってことは、扉が開いているわけで…。扉は寝る前に確かに鍵をかけてた筈で…。
(夢だ、夢に決まってる! テラズ様が落ちてきたりしたから、興奮しちゃって変な夢を…)
コトン、コトリ、トン、コトリ…。奇妙な音は部屋をぐるりと一周すると、扉の向こうに消えました。キィッと音がして部屋は再び真っ暗に。コトン、コトン、コトン……カチャ、カチャ。キィィッ。隣の部屋の扉でしょうか? 隣は誰の部屋だったかな、と考えながら眠りに落ちていって…。
「うわぁぁぁっ!!!」
凄まじい悲鳴が響き渡ったのは太陽が燦々と輝く朝でした。ドタドタドタ…と廊下を走る足音が二人分。
「なんだよ、これ!」
「待てよ、ジョミー! 落ち着けってば!」
バン、バン、と扉を激しく叩く音が聞こえて、怒鳴り声が。
「開けろ! 開けろよ、キース!」
いったい何の騒ぎでしょう? スウェナちゃんも眠そうに目を擦っています。二人で扉から廊下を覗くと、ジョミー君がパジャマのままでキース君たちの部屋の扉を叩いていました。その横ではサム君が同じくパジャマ姿でオロオロと…。
「開けろってば!」
ドンッ! とジョミー君が扉を蹴飛ばし、扉がキィッと中から開いて。
「……朝っぱらからうるさいヤツだ」
身支度を整えたキース君が不機嫌そうな顔を覗かせます。
「着替えもせずに何をやってる? どけ、俺は朝のお勤めがあるんだからな」
「お勤めが何さ!」
ジョミー君が声を張り上げました。
「迷子になった御先祖様も探せないくせに、ろくな坊主になれっこないよ! これってキースの曾祖母さんだろ!」
グイ、とジョミー君が突き出した手に握られたものはテラズ様。夜明けと共にまた出ましたか…?
「…それで喧嘩になったってわけだ」
会長さんの前にバツが悪そうに座っているのはキース君とジョミー君でした。廊下で取っ組み合いをしそうになった二人をサム君とマツカ君が止め、シロエ君は会長さんを呼びに走ったというわけです。会長さんはとっくに起きていたらしく、キース君に朝のお勤めをさせて、ジョミー君には着替えをさせて…今は食堂で事情聴取の真っ最中。
「要するに、テラズ様が何故かジョミーの部屋にあった…と」
「部屋じゃなくって枕元だよ。おまけに声が聞こえたんだ」
「声?」
「うん。夢だったかもしれないけれど、見つけた…って」
その前にコトン、コトンと何かが近付いてくる音を確かに聞いた、とジョミー君は言いました。
「あの音はきっとテラズ様だよ。テラズ様がキースを探してたんだ。で、真っ暗だったから、ぼくとキースを間違えて…」
「その音ならぼくも聞きましたよ」
手を挙げたのはシロエ君。
「夜中に入ってきたみたいです。扉がキィッと開く音がして、それから部屋中をコトリ、コトリと…。夢だと思ってたんですけども」
「そういえば…」
ぼくも聞きました、とマツカ君が頷きます。続いてスウェナちゃんが手を挙げ、そして私とサム君も…。
「なんだ、殆ど全員じゃないか」
会長さんが呆れた様子でキース君を眺め、「君は?」と訊くと。
「…ネズミかな、と…。よく考えたら、ネズミにしては妙に硬そうな足音だったが」
「なるほどね。ぼくとぶるぅも変な音を聞いた。ついでに音の正体も見た。そうだね、ぶるぅ?」
「うん! ジョミーの部屋で止まっちゃったから、ぼくのお部屋には来てないけれど…テラズ様が跳ねてたよ。コトン、コトン、って一生懸命」
「「「ひぃぃっ!!」」」
思わず絶叫しちゃったものの、テラズ様はキース君の曾お祖母様です。しまった…と思った瞬間、シロエ君がパッと頭を下げて。
「すみません! つい、動転しちゃって…。先輩の曾お祖母様なのに失礼しました!」
「い、いや…。謝ってもらうようなことでは…。しかし、何故…」
どうして歩き回るんだ、とキース君が呻くように言った時。
「それはキースのせいではないよ」
会長さんがテーブルに置かれたテラズ様を指先で弾きました。
「ついでに言うなら、キースの曾お祖母様とテラズ様とは別物だ。テラズ様はテラズ様。早い話が付喪神さ」
「「「つくもがみ…?」」」
「そう。歳月を経た道具なんかが化けるヤツ。…ぼくは昨日から気付いてたけど、テラズ様の由来が傑作すぎて愉快だったから黙っていることに決めたんだ」
「なんだって…?」
キース君が眉を寄せ、拳をグッと握り締めて。
「…あんたってヤツは…! 俺は本当に曾お祖母様だと思ったんだぞ! 俺だけじゃない、農場長さんも職員さんも、みんなコロッと騙されて…」
「騙されたねえ」
のんびりと答える会長さん。
「でも、バレたんだからいいじゃないか。これから後が問題だけど」
「後…?」
「うん。実に困った話だけれど、テラズ様はジョミーに一目惚れらしい」
「「「ええぇっ!?」」」
全員の声が見事に揃って裏返りました。一目惚れ…。テラズ様がジョミー君に一目惚れ…。それって、どういう意味なんですか~!?
今年もシャングリラ学園に収穫祭の季節がやって来ました。おっと、その前に恒例の薪拾いがあります。収穫祭を主催してくれるマザー農場の冬の暖房用に薪を集める大事な労働。グレイブ先生が日程を発表した朝、教室の後ろには当然のように会長さんの机がありました。
「では諸君、薪拾いは明後日だ。服装はジャージ、弁当持参で来るように。それから、特別生の諸君」
ん? 私たちに何か用事があるのでしょうか。
「諸君はマザー農場に泊まり込んで収穫祭の準備を手伝うことになっている。詳しいことは放課後、改めて説明するから終礼の後も残っていたまえ」
「「「えっ?」」」
「えっ、ではない。はい、と元気よく返事をしないか!」
「「「はいっ!!」
よろしい、と満足そうに笑ってグレイブ先生は出てゆきました。会長さんもガタンと立ち上がります。
「じゃ、ぼくもこれで。…終礼までには戻ってくるよ」
今日は古典の授業は無いし、とサボリまっしぐらの会長さんを止められる人はありません。会長さんが授業に出るか出ないかは、教頭先生の授業の有無にかかっているとハッキリ分かっているんですから。
「収穫祭の準備って、何?」
ジョミー君の素朴な疑問に、キース君が腕組みをします。
「なんだろうな? 去年は食って遊んだだけだし、特に準備が必要だとは思えんが」
「そうよねえ。マザー農場って普段からジンギスカンとかやっているもの」
人手が要るとは思えないわ、とスウェナちゃん。答えを知っていそうな会長さんは逃げちゃいましたし、終礼を待つしかないわけで…。会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて戻ってきたのは本当に終礼の直前でした。グレイブ先生が「ぶるぅもか…」と舌打ちをして。
「まあいい、特別生と後ろの二人。…後で私について来い」
終礼が済むと、グレイブ先生は鞄を持った私たちを連れて会議室のある建物の方に向かいました。てっきり数学科の準備室に行くんだとばかり思ってましたが…。小会議室の扉をノックするグレイブ先生。
「あいよ、開いてるよ」
入りな、と顔を覗かせたのは意外な事にブラウ先生でした。ヒルマン先生も中にいます。
「御苦労だったね、グレイブ。入りたまえ」
グレイブ先生と私たちは会議室に入り、示された椅子に腰掛けました。これから此処でいったい何が…?
「収穫祭は知っているね」
温厚な笑顔のヒルマン先生がゆったりと口を開きます。
「君たちも去年体験したろう? とても和やかな催しだ。特別生になった生徒は最初の年に収穫祭の裏方をすることになっている。…今年はブルーとぶるぅも来ているようだが、目的は物見遊山かね?」
「もちろん」
会長さんが悪びれもせずに答えました。ヒルマン先生が苦笑し、グレイブ先生は「私の指導が至りませんで…」と小さくなります。その肩をブラウ先生がバンと叩いて。
「気にするこたぁ無いさ。ブルーはいつもこうなんだから」
ソルジャーだしね、と豪快に笑うブラウ先生。…ソルジャーって…その肩書きが学校で出てくることは無い筈です。
顔を見合わせる私たちにブラウ先生がウインクしました。
「よーし、なかなかカンがいい。それじゃ本題に入ろうかねぇ。頼むよ、ヒルマン」
本題? 本題って…収穫祭の話じゃなかったんですか?
グレイブ先生がスクリーンを用意し、地図が投影されました。えっと…この地図はアルテメシア…?
「いいかね、ここが学校だ。マザー農場はここになる」
点線で囲まれた部分がそうだ、とヒルマン先生。酪農や農業を手広くやっているマザー農場はかなり広いのが分かります。グレイブ先生が機械を操作するとマザー農場の端に青い点が浮かび、そこから道を辿るかのように青い線がぐんぐん延びて行って…。ブラウ先生が私たちの方を向きました。
「どうだい、この道、覚えてるかい? 春にシャングリラ号へ出掛けた時に…」
「「「あぁっ!?」」」
そういえば…。進路相談会だと言われてブラウ先生と一緒に向かった宇宙クジラことシャングリラ号。そこまでの往復に使ったシャトルの発着場はシャングリラ学園の私有地でしたが、今から思えば私有地のゲートに着くまでにマザー農場の脇を通っていきましたっけ。
「思い出してくれたみたいだね。シャングリラ学園所有の空港が、ここ。提携しているマザー農場が…ここ。繋がりが無いわけないだろう? ヒルマン、説明の方を頼むよ」
「ああ。…君たちはシャングリラ号で三日間ほど過ごしたわけだが、もちろん農園も見学したね?」
「「「はい…」」」
「けっこう。シャングリラ号は宇宙船だけに、食料は自給自足が原則だ。地球に戻ってきた時に保存食や嗜好品を積み込むものの、食材は可能な限り船内で賄うことになっている。…マザー農場はそのためのサポートセンターになっているのだよ」
野菜の品種改良や栽培技術の開発、家畜の繁殖・交配などが主な仕事だ、とヒルマン先生は言いました。
「もちろん表向きは普通の農場と変わらない。収益事業として一般公開もされてはいるが、農場で働いているのは我々の仲間ばかりでね。仲間だけで構成された集団の生活を見るのも楽しいだろうと、特別生の一年目はマザー農場での宿泊体験がある。収穫祭の裏方というのは建前だよ」
「手っ取り早く言えば合宿だね。仲間と暮らして、ついでにシャングリラ号をサポートしている農場の実態も見て貰う。これが気に入ってマザー農場に就職した子も多いんだ。そうだね、グレイブ?」
ブラウ先生がニッコリ笑います。
「え、ええ…。私の後輩にもそういうケースがありましたね」
お前たちはどうか知らんが、と眼鏡を押し上げるグレイブ先生。
「とにかく薪拾いの次の日からマザー農場に泊まり込んでもらうことになる。収穫祭の日もそのまま泊まりだ。家に帰れるのは後片付けを済ませた後だな。各自、そのつもりで荷物を用意するように」
なんと! 収穫祭の裏方ではなく合宿でしたか。マザー農場がシャングリラ号と繋がっていたとは驚きです。でも会長さんはソルジャーとして来るのではなく、遊び目的みたいですけど…。
「先生、質問があるのですが」
キース君が手を上げました。おやっ、という顔のヒルマン先生。
「どうしたね? 何か納得のいかないことでも?」
「いえ、そうではなくて…。マザー農場から大学に行ってもいいですか? 朝の間だけでいいんです」
「朝だけ?」
「はい。実は法務基礎の…朝のお勤めが集中期間に入っているので、できるだけ出席するようにと」
本山からのお達しなんです、と頭を下げるキース君。先生たちは顔を見合わせ、ヒルマン先生が髭を撫でながら「ふむ」と頷いて。
「いいだろう、特別に許可しよう。ただし農場の人たちに迷惑をかけてはいかん。送り迎えをすると言ってくれても、公共の交通機関を使って自分で往復するのだよ」
「はい! ありがとうございます」
キース君が返事した時、黙って聞いていた会長さんが「待って」と割って入りました。
「せっかくの合宿中に大学へ行くのは頂けないな。ぼくが本山に連絡するから、お勤めは農場でやりたまえ」
「え?」
怪訝な顔のキース君。会長さんは微笑んで…。
「ぼくが何者かは知ってるだろう? 合宿中の君の勤行は毎朝ぼくが指導する、と本山に言えば問題ない。むしろ評価が上がるくらいだ。なんといっても伝説の高僧だからね。そうだろう、ヒルマン、ブラウ? それにグレイブも」
これで決定、と会長さんはケータイを取り出して誰かに電話しています。相手は璃慕恩院の人みたいですし、夏休みに会った一番偉いお坊さんかな…?
「はい、ちゃんと頼んでおいたよ、キースのこと。本山から大学に電話してくれるそうだ。よかったね」
「………」
キース君の顔は複雑でした。それから持ち物が書かれた紙を貰って、会議室を出て「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと。話題はもちろん合宿のこと。会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」もマザー農場に泊まるのは久しぶりで、最後に泊まったのはフィシスさんが特別生になった時なんだそうです。
「じゃあ、フィシスさんも農場のお手伝いをしたんですか?」
シロエ君がガナッシュケーキを頬張りながら尋ねました。柔道部三人組、今日の部活は遅くなったのでパスだとか。教頭先生の直接指導が目当ての特別生ですし、パスしても主将に怒られることはないんですって。
「フィシスはぼくの女神だよ? いくらお遊び程度と言っても、仕事なんかをさせるとでも?」
バカバカしい、と会長さん。
「生徒会の仕事はさせてるじゃないか」
キース君が突っ込みましたが、会長さんは涼しい顔で。
「あれはいいんだ。フィシスがぼくの役に立ちたい、って望んでしていることだから。それに実務は殆どリオだよ。有能な書記がいるっていうのは心強いね」
「…あんた、生徒会の仕事をしたことあるのか?」
「入試問題の横流しはやっているじゃないか。あれはぼくにしかできないんだ。問題を管理してるのはハーレイだからね。…後、大事なのは人気取りかな。全校生徒の人望を集めておかないと」
入試問題の横流し…。頭を抱える私たちですが、会長さんは気にしていませんでした。
「そんなことより、合宿中の話だけれど。キースの朝のお勤めを監督するのは構わないとして、問題は仏様なんだ。マザー農場にはお仏壇が無い。お勤めをするには仏様が必須だし…。どうだい、サム? 君が拝んでいる阿弥陀様をキースに貸してあげてくれないかな?」
「阿弥陀様って、あの黄金の?」
「そう。ちゃんと御厨子も誂えてあるし、合宿の間だけ…ね。それともキースが自分で用意する?」
「………」
キース君は顎に手を当て、考え込んでいましたが…。
「俺の家にも阿弥陀様は何体かあるが、大きいしな…。サムの阿弥陀様を貸してもらうか。かまわないか、サム?」
「ああ、いいぜ。それに俺だけの阿弥陀様ってわけでもないし」
ジョミーにも拝む権利はあるんだもんな、と大真面目なサム君に、ジョミー君が震え上がって。
「ち、違うってば! ぼくは阿弥陀様なんかに用事はないよ。ブルーが勝手に決めたんじゃないか!」
「ぼくはジョミーを買ってるんだよ。タイプ・ブルーの君なら、修行すればきっと名僧に…」
「いやだーっっっ!!!」
すったもんだの言い争いの末、キース君はサム君専用の阿弥陀様を借りることになりました。阿弥陀様に失礼がないよう、マザー農場へは会長さんが瞬間移動で運ぶことに。農場の人が全員サイオンを持つ仲間だっていうのは、こういう時に便利です。
「マザー農場は楽しいよ。君たちは去年のジンギスカンしか知らないけれど、食事がとても美味しいんだ。仲間のみんなも親切だしね、きっと素敵な合宿になる。ね、ぶるぅ?」
「うん! ぼくも楽しみ。お料理、手伝わせてもらおうかな? お客さんになっちゃおうかな? 悩んじゃうよ~」
ワクワクしちゃう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は目を輝かせて持ち物が書かれた紙を見ています。
「ぼく、去年は薪拾いに行かなかったけど、今年は頑張って拾うのもいいね。拾った薪はブルーに持ってもらえばいいんだもん!」
薪拾い用の袋は「そるじゃぁ・ぶるぅ」にはサイズが大きすぎるのです。会長さんが「持ってあげるよ」と言うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜び。今年は薪拾いも賑やかかも…。
アルテメシア公園の裏山での薪拾いは平穏無事に終わりました。去年は会長さんが幻覚を起こすキノコのベニテングダケを集めてましたけど、今回は怪しい動きは全く無し。運搬用の丈夫なトートバッグに薪を集めていただけです。小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」も立派な薪を沢山拾って会長さんに運んでもらって大満足。お昼は温かい具だくさんのシチューを保温鍋に入れて出してくれましたし…。そして翌朝。
「おはよう。みんな早いね」
校庭に集まっていた私たちの前に会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が現れました。会長さんはボストンバッグ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は背中のリュックに荷物を詰めているようです。校庭には全校生徒が拾った薪が山と積まれていて、もうすぐマザー農場の人がトラックで取りに来る筈でした。私たちを運んでくれるマイクロバスも一緒に来る事になっていますけど、薪は私たちがトラックの荷台に積むのでしょうか?
「おはよう! みんな揃っているな」
爽やかな声がしてラフな服装のシド先生がやって来ました。後ろには教頭先生の姿もあります。普段の開門時間より一時間も早いんですし、見送りなんて無いんだとばかり思ってましたが…行先が行先だけに学校行事より重要なのかもしれません。間もなく三台のトラックが校庭に入ってきて…。
「おはようございます。マザー農場から薪を取りに伺いました」
トラックから若い男性が二人ずつ降り、教頭先生とシド先生に挨拶をします。そして会長さんに向き直って…。
「ソルジャー、御無沙汰しております。今日は農場にお越し頂けるそうで…」
「ブルーでいい。いつも言っているだろう?」
「しかし…」
特別生もお連れですし、と言う人たちに会長さんは「ぼくは引率の先生じゃないよ」と片目を瞑ってみせました。
「この子たちは友達なんだ。ぼくをソルジャー扱いするなら、もう一人特別扱いして貰わないと。なにしろタイプ・ブルーだからね、その一人は」
「……ぶるぅですか?」
「違う、違う。誰とは言わないけれど、この子たちの中にタイプ・ブルーが一人いるのさ。ぼくの身に何か起こった時にはソルジャーになってもおかしくない。…でも特別生一年目の子にペコペコしたくはないだろう?」
「いえ、それは…ご命令とあらば」
最敬礼する六人に会長さんは「やれやれ」と大袈裟に肩をすくめて。
「シャングリラ号で過ごした時間が長い連中はこれだから…。ご命令も何もありゃしないよ。どうしても、って言うなら命令しよう。ぼくを特別扱いしないこと。…ソルジャーってヤツは肩が凝るんだ」
「「は、はいっ!!」」
「もっと自然に。でないと悪戯させてもらうよ、腕によりをかけて」
「そ、それは…」
勘弁して下さい、と叫ぶお兄さんたち。会長さんの悪戯好きはマザー農場でも知られてるとか…? ともかく妙な脅しのお蔭で、それ以後はソルジャー扱いがなくなりました。お兄さんたちはシド先生と親しいらしく、陽気に笑い合いながら一緒に薪を荷台に積み込んでいます。教頭先生はスーツですから手伝いません。
「ふむ…。順調だな」
ブルーの手伝いは要らないようだ、と作業を見守る教頭先生。
「そうだね。ぼくの出番は無さそうだ。…ハーレイ、わざわざ見送りに来たのはジョミーたちのため? それとも、ぼくのためだって自惚れててもいいのかな?」
「…馬鹿!」
皆に聞こえる、と教頭先生は頬を赤らめています。そっか、本当なら見送りはシド先生だけだったというわけですね。教頭先生、会長さんを見送りたくて早めに学校に来たのでしょう。会長さんのスクール水着のアルバムを二種類も作っていても、やっぱり純情なんですねぇ…。やがて薪の積み込みが終わり、私たちは校門で待機していたマザー牧場のマイクロバスへ。
「ソルジャー、お待ちしておりました」
「ぼく、その呼び方は好きじゃないんだ。なんか責任重大そうでさ」
またしても運転手のお兄さんと会長さんの攻防戦が繰り広げられ、会長さんの圧勝です。特別生の一人だと主張する会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて乗り込み、私たち七人が乗るとマイクロバスは発車しました。後ろには薪を積んだトラックが続き、教頭先生とシド先生が手を振っています。いよいよマザー農場へ出発ですよ!
市街地を抜け、牧草地や畑や果樹園が広がるマザー農場の門をくぐると、去年の収穫祭でジンギスカンをやった広場が見えます。マイクロバスとトラックの列は更に奥へ進み、立派な山小屋風の建物が建っている場所で停まりました。木造ですけど、かなり大きな建物です。車が停まると男女合わせて二十人ほどが現れて…。
「「「ようこそ、マザー農場へ!」」」
楽しんでいって下さいね、と笑顔いっぱいの人たちは会長さんを特別扱いしませんでした。みんなサイオンを持つ仲間だけあって、外見と実年齢が一致していないみたいです。
「ここの人たちはぼくをソルジャーとは呼ばないよ。管理棟の平均年齢は二百歳を超えているもんね」
会長さんがニッコリ笑うと、男性陣から「それは女性に失礼でしょう!」とすかさず突っ込みが入ります。女性陣は黄色い悲鳴を上げてますから、ここでも会長さんは大人気だということでしょう。なんといってもシャングリラ・ジゴロ・ブルーです。口説かれた人が混じっていても何の不思議もないわけで…。
「ブルーが御一緒ですし、説明は必要ないでしょうか? 宿舎はあちらになりますが…」
農場長だと自己紹介した初老の男性が指差したのは管理棟の隣の二階建ての木造建築。こちらもやっぱり山小屋風です。
「農場体験用の宿泊施設さ」
会長さんが説明役を引き継ぎました。
「普段は一般のお客さんたちを受け入れてるけど、合宿中はぼくたちの貸し切り。部屋数は十分にあるし、お風呂も各部屋についてるよ。食事は一階の食堂で。…暖炉があって、薪はそこで使うんだ。管理棟でも使うけどね」
「ホントに暖房用だったんだ…」
ジョミー君の言葉に職員さんたちがワッと笑って。
「全館が薪ってわけじゃないですよ」
「暖炉のある部屋で使うんです。薪ストーブも使いますけど、普通のストーブもありますから!」
要するに薪は「農場らしさ」を演出するアイテムだったみたいです。いまどき薪で暖房だなんて、変わってるなと思ってましたが…。
「じゃあ、部屋の方に行ってもいいかな? 薪運びは後で手伝うよ」
会長さんの言葉に農場長さんが微笑んで。
「薪は皆で運んでおきます。ゆっくり寛いで下されば…」
「そう? じゃあ、一つお願いがあるんだけれど。食堂に私物を置いてもかまわないかな?」
「私物…?」
「うん。彼に必要なものなんだよね」
指差されたのはキース君でした。
「彼はお坊さんの卵で、毎朝、阿弥陀様を拝むのが日課。だから仏像を置きたくて」
「なるほど…。宿泊用の部屋には置けそうな棚が無いですね。仏様には向いていないというわけですか」
「そうなんだ。ぼくも坊主の端くれだから、やっぱりきちんとしておきたいし」
「合宿中も毎朝お勤めとは…。お坊さんになるのも大変ですねえ」
頑張って、と農場長さんがキース君の肩を叩きました。
「食堂は自由に使って下さい。ここの連中は早起きですから、朝のお勤めに参加するかもしれませんね」
では、と管理棟に引き上げていく職員さんたち。思念波で会話はしませんでしたが、仲間だと実感できているのはサイオンのせいかもしれません。
宿舎には女性が二人ついてきました。部屋を割り振り、食事時間などを教えてくれて「用があれば一階の管理室にいるから」と親切です。全員、部屋は二階でスウェナちゃんと私は階段に一番近い部屋。柔道部三人組で一部屋、ジョミー君とサム君で一部屋、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」で一部屋。荷物を置いて一階に降りると…。
「この上でいいのかい、キース?」
食堂で会長さんが作りつけの戸棚を指差しています。戸棚の高さは暖炉くらい。会長さんの横では立派な厨子が宙に浮いていて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手には錦の布が…。阿弥陀様の設置場所を相談している様子です。私たちが覗き込むと、キース君が声をかけてきました。
「サムを呼んできてくれないか? 俺たちは此処でいいと思うが、あいつの阿弥陀様だしな」
「「はーい!!」」
急いで戻ると、みんな揃って階段を降りてくる所でした。食堂に入ってきたサム君たちは宙に浮いた厨子にまずビックリし、それからサム君が置き場所の説明を聞いて承諾し…。
「ぶるぅ、ここでいいんだってさ。布を敷いて」
「オッケ~♪」
棚の上に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が赤い錦を広げ、その上に厨子が置かれます。キース君がポケットから小さな容器を出し、手のひらの上でひと振りすると、たちまち周りが抹香臭く…。あれって七味入れじゃないですよねぇ?
「塗香だよ」
会長さんが笑いました。
「「「ずこう?」」」
「身を清めるための香の粉末。あれを手に塗るか、お焼香するか、手を洗うか。…仏様に触れる前の必須条件」
そうなんだ…、と呟く私たちの前でキース君は厨子に一礼し、恭しく扉を開けました。中には黄金の阿弥陀様。埋蔵金を掘りに行って見つけた阿弥陀様です。キース君は会長さんが宙に取り出すお線香立てや蝋燭立てを棚にセットし、鐘や木魚も揃えてもらって、食堂の椅子を引っ張ってきて…数珠をまさぐり、鐘をチーン、と。
「お経を読むのに半時間はかかるよ。あっちでお茶でも飲んでいようか」
会長さんが言い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が備え付けのカップにココアを入れてくれました。テーブルの上には焼き菓子が盛られた器もあります。キース君を放ってくつろいでいると…。
「うわっ!」
ジョミー君が仰け反り、ゴトン!と鈍い音が。
「な、なに? いきなり上から…」
天井を見上げるジョミー君のカップの横に奇妙な物が落ちていました。長さ二十センチほどの雫型の黒い物体です。コロコロと左右に揺れてますけど、こんなものが一体どこから?
「なんだろう、これ? 天井に吊るしてあったのかな?」
ジョミー君が黒い物体をコロンと裏返すと…。
「「「ぎゃっ!」」」
黒一色だと思った物体の裏側には女性の顔がありました。角ばった白い顔はなんとも奇妙で、赤い目は左右がアンバランス。人形みたいなモノでしょうか? それともコケシ? 誰もが絶句している所に、さっきの女性職員さん二人が入って来ました。
「お経の声が聞こえてきたから来てみたの。いい声してると思うわよ」
「で、君たちはお茶ってわけね」
冷蔵庫の中にケーキもあるのよ、と近付いてきた二人の足がピタリと止まって。
「そ、それは…」
「そこにあるのは…」
二人の視線は奇妙な顔の物体に釘付けになり、同時にバッと駆け寄ると…。
「「テラズさまっ!?」」
叫んで掴み上げ、逆さにしたり裏返したりと仔細に検分しています。
「「「てらず…さま…???」」」
なんじゃそりゃ、と首を傾げる私たち。この物体の名前でしょうか? 我関せずと読経を続けるキース君の声が朗々と響く中、二人の職員さんは私たちをグルリと見回しました。私たち、何かマズイことでもやらかしましたか? 謎の物体は勝手に落ちてきたんですけど、私たちのせいにされちゃってますか~!?
会長さんのマンションに来てから早くも二時間。陽が暮れてきたというのに、エロドクターと一緒に消えてしまったソルジャーの行方は杳として知れませんでした。最初の内はショックで呆然としていた会長さんも、流石に普段の調子を取り戻して不機嫌そうに時計を気にしています。
「…ぶるぅ、ブルーはまだ何も言ってこないのかい?」
「うん。ハーレイに帰りは遅くなるよ、って言っていたから、まだまだ平気じゃないのかなぁ?」
のんびりとした声で答える「ぶるぅ」。
「晩御飯、御馳走してくれるんでしょ? ぼく、楽しみにしてるんだ」
「……晩御飯ね……」
会長さんはフゥと溜息をつき、リビングで「ぶるぅ」や「そるじゃぁ・ぶるぅ」とトランプをしていた私たちに向かって尋ねました。
「せっかく君たちも来てくれたんだし、ゴージャスなのを御馳走したいところなんだけど…ゴージャスでなくてもかまわないかな? 思い切り普段通りでも?」
「「「え?」」」
普段通りの食事といっても「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作る食事はいつも美味しくて絶品です。わざわざ念を押されなくても、文句を言う人はいないでしょうに…。
「それがね…。本当に何の捻りもないメニューなんだ。ブルーが学食気分で食事したいって言ったから」
「なんで学食?」
ジョミー君の問いに会長さんは肩をすくめて。
「…こないだのゼル特製のせいさ。ブルー、けっこう気に入ったらしい。それで学食に興味が出てきて、学食の人気メニューを食べてみたいって言うんだよ。でも、ぼくと入れ替わるのはもう御免だし、ぶるぅにメニューだけ再現してもらって今日の夕食にしよう、って…」
「なんだ、学食の定食か」
キース君がニッと笑いました。
「同じ定食でも、ぶるぅが作れば味が違うかもしれないな。俺はそいつで構わないぜ」
「俺も! 急に押しかけてきちゃったんだし、御馳走なんてどうでもいいや」
それよりもブルーが心配だ、とサム君が会長さんを眺めます。この場合、ブルーというのはソルジャーでしょうか?
「ブルーのヤツ、いったい何処へ行ったんだろう? ブルーに迷惑かけたりしたら許さないぜ」
「無理無理、勝てっこありませんよ」
シロエ君がズバッとキツイ言葉を口にしました。
「言葉で敵う相手じゃないし、おまけにタイプ・ブルーなんです。殴りかかっても無駄ですってば。…それに、あなたは殴れるんですか? ブルーと同じ顔をした人を」
「…うう…。それは…。でも、本当にブルーを困らせたら…一発くらい…」
グッと拳を握るサム君に、会長さんが柔らかく微笑んで。
「その気持ちだけで嬉しいよ、サム。…だけどブルーを殴っちゃいけない。ぼくに弟子入りしたんだろう? 立派なお坊さんを目指すんだったら、暴力は控えた方がいい。慈悲の心は大切なんだ」
「…でも…」
「慈悲っていうのをひらたく言えば、いつくしみと思いやり。他の人に安らぎを与え、悩みや苦しみに同情して解決してあげようと努力するのが慈悲の実践。殴ったりしたら安らぎどころか、苦痛を与えてしまうだろう? だからブルーを殴るなんてことは仏様の教えに反するのさ」
暴力反対、と会長さんが言った時です。玄関のチャイムが鳴って、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が走って行って…。
「かみお~ん♪ お帰りなさい! みんなリビングで待ってるよ!」
「ただいま。…まだ門限ってわけじゃないよね?」
大きな花束を抱えたソルジャーはとても御機嫌でした。綺麗にラッピングされた真紅の薔薇の花束です。贈り主はどう考えてもエロドクターしかいないでしょうねぇ…。
「どう? 素敵な花束だろう。帰りに買ってくれたんだ。わざわざ花屋に寄ってくれてさ」
ドクターの車で送って貰って帰って来たというソルジャーは花束を大切そうにソファの一つに置きました。
「シャングリラでも花は栽培しているけれど、ハーレイは度胸が無いからね…。こんな花束、一度も貰ったことがない。ぼくにプレゼントするんだって言えば、好きなだけ切って貰えるだろうに」
「うん、ハーレイってヘタレだもんね」
相槌を打った「ぶるぅ」もおかしそうに笑っています。あちらのキャプテンはソルジャーと両想いですが、ヘタレは教頭先生の専売特許ではないようでした。会長さんは花束を不快そうに眺め、それからソルジャーに視線を移して。
「その紙袋は? それもノルディからのプレゼント?」
「これ? これはプレゼントとは違うんだ」
ソルジャーは提げていた紙袋を得意げに掲げて見せました。
「ぼくの労働の対価だよ。見る?」
ほら、と取り出して広げられたものは…。
「「「!!!」」」
私たちの目は点になってしまっていたと思います。ソルジャーが手にしているのは紺色の女子用スクール水着でした。ゼッケンこそついていませんけれど、シャングリラ学園指定の見慣れたヤツです。そう、この間、会長さんが教頭室で着ていた水着と同型の…。会長さんがワナワナと震えだし、信じられないといった表情で。
「…ブルー…。そ、それはいったい…」
「ん? 見てのとおりの水着だよ。ノルディに買って貰ったんだ」
「「「えぇっ!?」」」
私たちの声は完全に引っくり返ってしまいました。エロドクターが何故に水着を…。しかも労働の対価だなんて、ソルジャーは何をしてきたんですか! 会長さんの顔が引き攣る様子をソルジャーは面白そうに見ています。
「ノルディに買って貰ったっていうのがダメなのかい? でも、ぼくはこっちの世界で使えるお金を持っていないし…ブルーに買って貰おうとしたら使い道を言わなくちゃいけないし。使い道を言ったら絶対ダメだって断るだろう? ぼくのハーレイに水着姿を見せたいなんて、君は断るに決まってる」
「……見せるだけではないだろうしね……」
憮然として答える会長さんに、ソルジャーは喉の奥でクッと笑って。
「ご名答。君の水着姿がとても煽情的だったから、ぼくも着てみたくなったんだ。ハーレイに見せたら喜んでくれると思うんだよね。いつもと違った刺激的な時間が過ごせそうだし、そのためには水着を手に入れないと…。ぼくの世界にもあるのかな、と一応探してはいたんだけどさ」
見付ける前にエロドクターに会ったんだ、とソルジャーは得意そうに言いました。
「お金持ちだって分かっているし、好みも分かっているからね…。ブルーのふりをして挨拶しながら思念で尋ねてみたんだよ。水着を買ってくれるんだったら、少し付き合ってもいいけれど…って」
「つ、付き合うって…」
青ざめる会長さんにかまわず、ソルジャーは戦利品の水着を見せびらかします。
「水着って聞いただけでノルディったら目の色を変えちゃってさ。仲間と出かける予定はあっさりキャンセル。それから二人でタクシーに乗って…。どんな水着だ、って聞かれて答えたら大喜びで行先を決めて、ちゃんとお店に連れてってくれた」
「…まさか学校のすぐ近くの…?」
会長さんの声は震えていました。学校指定の水着を扱っているお店にソルジャーとドクターが出かけたのなら、会長さんの立場はマズイなんてものじゃありません。水泳大会用の水着を買いに行くのが嫌でスウェナちゃんと私を代理に立てたのに、瓜二つのソルジャーに出かけられては、顔を知っている店員さんなら明らかに変態扱いで…。
「ううん、ノルディが別の店にしておこう、って。アルテメシアには同じ水着を使ってる学校が沢山あるんだってね。ここならブルーが来ることはない、とか言ってたよ。んーと…場所はよく知らないけれど…」
ソルジャーが口にした店名は聞き覚えのないものでした。とはいえ、そこでサイズを測って女子用を…? 私たちの頭の中では『変態』の二文字がグルグル回っています。
「サイズなんか測ってないよ」
思考を読まれたのか、考えが零れ放題だったのか。ホッと息をついた所へ、ソルジャーがニッコリ微笑んで。
「ブルーのデータはノルディの頭に全部入っているんだってさ。迷いもせずに水着を選んで、ちゃんとお金を払ってくれた。店員さんはぼくが着るとは夢にも思っていないだろうね」
「「「………」」」
会長さんのサイズはエロドクターの頭の中…。エロドクターはもちろん派手に妄想したでしょう。ソルジャーが欲しがっている水着ですし、欲しがるからには着るわけで…。も、もしかしてソルジャーは…エロドクターに水着姿を…? 労働の対価とか付き合うだとか、アヤシイことを言ってましたけど…。
呆然としている私たちの前でソルジャーは水着を丁寧に畳み、紙袋に入れて花束の横に置きました。
「ふふ、いいものが手に入った。今夜はハーレイと楽しめそうだ。本物を目にしちゃったら仏頂面はできないさ」
仏頂面…? あちらのキャプテンはヘタレ以前にカタブツですか? それに本物って…どういうこと?
「ブルーの水着写真を撮った日にね…」
誰もが同じ疑問を持っていたのか、ソルジャーが口を開きます。
「定時報告に来たハーレイに訊いたんだ。ブルーの水着姿を見てきたけれど、お前もぼくの水着姿を見たいかい、って。そしたら青の間で水泳でもなさるおつもりですか、とつれなくて。…おまけに床を水浸しにするのは困ります、だって。そうだよね、ぶるぅ?」
「うん。ハーレイ、いつもブルーが散らかした床の掃除をしてるもんねぇ…」
「とにかく、ハーレイは水着に興味を示さなかった。…ぼくも思念で画像を送ろうとまでは思わなかった。そんな手間をかけるよりかは、実物を見せてやるのが効果的だ。いつもと違うシチュエーションだとヘタレでも燃えてくれるだろうし」
水着を手に入れられて良かった、とソルジャーは満足そうですが…。
「…ブルー…。ちょっと聞くけど、労働って?」
会長さんの目は完全に据わっていました。
「ノルディのヤツに水着を買わせて、それから何を付き合ったわけ? ずいぶん帰りが遅かったよね」
「無粋なことを聞くんだね。…まぁいいけど」
ソルジャーはソファに腰掛け、焦らすように大きく伸びをしてから。
「ノルディに頼まれて写真のモデル。水着を欲しがった理由を聞くから、ブルーが着たのを見たって答えたら案の定、見たいって言い出してさ。でもブルーの水着姿は絶対無理だし、ぼくに着てくれって言うんだよね。ついでに写真も撮っていいか、って。…こっちのハーレイより遥かに積極的で貪欲だ」
「「「………」」」
教頭先生は会長さんの水着写真を撮ろうとは思いもしませんでしたっけ。それでソルジャーが代わりに撮るという傍迷惑な行為に及んだわけですが…エロドクターは最初から写真を希望でしたか。しかもソルジャーはそれに応えてきたのですから、とんでもない写真を色々撮られていそうです。会長さんは額を押さえて「やられた…」と呻くように呟きました。
「よりにもよってノルディの前で水着なんか…。本当にモデルだけで済んだんだろうね?」
「帰るのが遅いって言いたいわけ? あの水着、洗濯済みなんだ。使用人の女の人がちゃんと洗って乾かしてくれた。待ってる間に口説かれたけど、水着写真で十分だろうって突っぱねたよ。…ブルー相手では撮れそうもないショットを沢山撮らせてあげたし」
こんな感じ、と思念で伝えられてきたソルジャーの姿はエロドクターの視点でした。ソファやら床やら、あちこちでポーズを取るソルジャー。ベッドで撮ったものまであります。しかし何より凄かったのは、肩紐を片方ずらすどころか水着で覆われた部分は腰のあたりだけ、というヤツで…。
「ブルーっ!!!」
真っ赤になった会長さんが激怒するのをソルジャーは涼しい顔で受け流しました。
「どうしたのさ? あの格好の何処が問題だって? 水着って普通はああいうのだろ、ぼくも君も男なんだから」
「…そ、それは……。それは…そうだけど…」
やり過ぎだ、と嘆く会長さん。けれどソルジャーは意にも介さず、薔薇の花束を手に取って。
「いいじゃないか、あれ以上のことはしてないし。でもエロドクターは流石だね。気が変わったらおいでなさい、って花束を買ってくれたんだ。この薔薇の花を散らしたベッドで楽しいことをしませんか…って。誘い文句としては最高だよ。早速活用させて貰おう、今夜ハーレイと青の間で。…だけど…」
まずは食事、とソルジャーは笑顔を向けました。
「学食の人気メニューをぶるぅが作ってくれるんだよね? どんなのかな?」
あぁぁ、ソルジャーときたら、会長さんに申し訳ないとは毛ほども思っていないようです。念願のスクール水着とオマケの薔薇の花束までゲットしてきて上機嫌ですが、会長さんはソファに沈没していました。
ソルジャーと「ぶるぅ」が加わった会長さんの家での夕食会。いえ、正確には私たちの方が後から決まったゲストです。なのでお手伝いしようと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に申し出たものの、いつものように「一人で平気!」と元気に言われ、リビングで座って待つだけでした。ソルジャーはエロドクターの家での撮影会の様子を楽しそうに話し、会長さんは溜息の連続です。
「…ブルー、次から欲しいものが出来たらぼくに頼んでくれないかな。その方が心臓に良さそうだ」
「そうかな? じゃあ、こんなのも買ってくれるわけ?」
「!!!」
会長さんがソファからズルッと滑り落ちそうになりました。
「ど、どこで…。そんな情報、いったい何処から…」
「エロドクターの頭の中に山ほど入っていたけれど? あ、紅紐はリボンで代用できるかな? だけど他のは難しそうだ。欲しいって言ったら買ってくれる?」
「断る!!」
柳眉を吊り上げる会長さん。エロドクターの頭の中には何が詰まっていたのでしょう? どうせロクでもないモノでしょうが…十八歳未満お断りの映像かな? 興味津々の私たちに会長さんは「覗き見禁止」と釘を刺して。
「ブルー、この子たちにその情報を流したりしたら本気で怒るよ。…もう十分に怒ってるけど、より酷いことになるからね!」
覚悟しといて、と指先に青いサイオンの光を浮かべます。
「ほら、やっぱり買ってくれないじゃないか。…ノルディなら買ってくれると思うよ、ぼくが欲しいと言いさえすればね。君がハーレイを財布代わりにしているみたいに、ぼくもノルディを財布に任命しようかな」
「ブルー!!」
「冗談だよ。…君のハーレイは見返りを要求しないけれども、ノルディはかなり強欲そうだ。利子がつくとか何とか言って理不尽なことをさせそうだろ?」
身体を売る気は全然無いし、と笑いを含んだ声のソルジャー。この調子なら売る気はなくても、大人の時間を楽しみに行ってしまうかも…。なんといっても前科一犯。ソルジャーの世界に出かけたドクターを手玉に取って遊んだ事件は今でも忘れられません。あの時は大変な騒ぎでしたが…。
「かみお~ん♪ ご飯、できたよ!」
ダイニングに来てね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が顔を覗かせました。今日の夕食はソルジャーのリクエストで学食の人気メニューです。ソルジャーも頼みごとをするんだったら、こういう罪の無いものにすれば何の問題も起こらないのに…。
ダイニングに入ってゆくと香ばしい匂いがしていました。テーブルにズラリと並んでいるのは…。
「わぁ、カツ丼だ!」
ジョミー君が声を上げ、マツカ君が。
「人気メニューのランキングではいつも上位に入ってますね」
「豚カツ定食とどっちにしようか悩んだんだけど、ブルーがカツ丼の方が学生らしくていいだろう、って。豚カツはちゃんと揚げたてだよ! お味噌汁が欲しい人は言ってね」
学食だとお味噌汁は別料金だし、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が注文を取りに回ります。大食漢の「ぶるぅ」の席にはカツ丼を特盛りにした土鍋がドカンと置かれていました。そして会長さんが恩着せがましく…。
「ブルー、君は夕食抜きの刑にしたい所だけれど、君のリクエストだからやめておく。ぼくの慈悲の心に感謝したまえ。ついでに慈悲を思い出させたサムにも感謝してほしいな」
「サムに…?」
「ぼくの代わりに心配したり怒ったり…。サムは君の行動次第によっては殴ろうとまで思ったらしいよ。とりあえず食事の前に、君の勝手な行動について謝罪の言葉がほしいんだけど」
会長さんが促しましたが、ソルジャーはクスッと笑っただけでした。
「謝るって? ぼくが? この世界での悪戯は大目に見てもらえるんだと思ったけれど…?」
「「「………」」」
やっぱり、と溜息をつく私たち。会長さんには気の毒ですが、ソルジャーが謝るなんて絶対に有り得ないでしょう。
腹を立てるだけ労力の無駄というものです。そんなことより晩御飯ですよ!
「「「いただきまーす!」」」
カツ丼は卵フワフワ、カツの衣はサクサクで…中のお肉がとっても柔らか。料理上手の「そるじゃぁ・ぶるぅ」の腕は確かで、学食のカツ丼よりもずっと美味しく出来ていました。ソルジャーは嬉しそうに食べていますし、「ぶるぅ」はガツガツと豪快に…。男の子たちがお代わりをして楽しい時間が過ぎてゆく内に、会長さんの怒りも解けたみたいです。
「ブルー、デザートも食べて帰るよね? 学食にデザートメニューは無いけど」
「無いのかい? それじゃ、こないだのゼル特製は?」
「あれは幻の隠しメニューさ。ここは学食じゃないからデザートがあるよ。ブルーはデザート大好きだものね」
「うん。…お菓子ばかり食べて、ってよくハーレイに叱られる」
あちらの世界ではソルジャーは食が細いのだとか。その分を「ぶるぅ」が食べているのかもしれません。夕食が終わると「そるじゃぁ・ぶるぅ」がテーブルを片付け、注文を取り始めました。
「えっとね、アイスクリームとフルーツ蜜豆、どっちがいい? フルーツパフェも作れるよ」
アイスだ、パフェだ、蜜豆だ…と乱れ飛ぶ注文を聞き終えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンに消え、やがてワゴンを押してきて…。
「お待たせ~! はい、蜜豆。ジョミーがアイスで、シロエがパフェで、ぶるぅもパフェで…」
全部配り終わったテーブルの上で、ソルジャーの前だけが空白でした。
「あれ? ぼくの分は?」
「ごめんね、ちょっと時間がかかるんだ」
そう言いながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」は自分の席でフルーツパフェを食べ始めます。ソルジャーが何を注文したかは知りませんけど、他のが全て出来ているのに一人分だけ後回しなんて…。もしかして「デザートおあずけ」が会長さん流の復讐だとか?
「…食べていけって誘ったくせに出さないだなんて! これはぼくへの嫌がらせかい?」
不満そうなソルジャーに会長さんが微笑みかけて。
「まさか。君には特製のデザートを御馳走しようと思っているよ? ただ、一度冷ましてから持って来るんで、少し時間がかかるんだよね」
「「「は?」」」
一度冷ましてから…? 私たちは首を傾げました。注文を取っていた中にそんなデザートはありません。冷やし固めるデザートの種類は多いですけど、いったいどんなスペシャルが…?
みんながデザートを食べ終えた後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が空いた器を片付けに行き、お盆を手にして戻って来ました。
「かみお~ん♪ 今日のスペシャル、豚かつパフェだよ!」
ドンッ! とソルジャーの前に置かれたものは、フルーツパフェの器の縁に切り分けた豚カツを何枚も突き刺したような代物でした。豚カツで縁取りされたフルーツパフェ、と表現すればいいのでしょうか。
「揚げたての豚カツだとアイスが融けるし、ちょっと待ってて貰ったんだ。一度作ってみたかったけど、ゲテモノだから諦めてたら…ブルーが作っていいよ、って」
「…ゲテモノ…」
愕然とするソルジャーに会長さんが勝ち誇った顔で。
「そう決めつけたものでもないよ? ぼくたちが卒業旅行で回ったソレイド地方の、とある地域の名物でね。ぶるぅはテレビで見て作りたがっていたし、君に出してみることにした。ノルディなんかを誘った罰だ。食べ終わるまで帰さないから、そのつもりで」
「「「うわぁ……」」」
あまりにも凄い復讐に、私たちは震え上がりました。会長さんは深く静かに怒り狂っていたようです。
「あ、君のぶるぅに食べさせるのはダメだからね。君が食べなくちゃ意味がない。いいかい、それの食べ方は…」
まずトンカツを持って、アイスとフルーツを一緒に乗せて、生クリームもつけて…とレクチャーを始める会長さん。聞くだに恐ろしい食べ方ですが、食べ切らないとソルジャーは…。と、サイオンの青い光がパァッと散って。
「しまった!」
会長さんが叫び、私たちもソルジャーは逃げたものだと思いました。ところが…。
「逃げないよ。要はぼくが食べればいいんだろう? …ハーレイ」
こちらへ、とソルジャーに腕を引かれて入れ替わりに椅子に腰掛けたのは船長服の教頭先生。いえ、補聴器をしていますから…この人はソルジャーの世界のキャプテン!?
「ハーレイ、これを食べないとぼくは帰して貰えないそうだ。理由は説明したとおり。頑張って食べてくれたまえ」
「は、はい…」
サイオンで説明を受けたらしいキャプテンが豚カツを一切れ手に取ります。
「ブルー! 代理は認めないよ!」
会長さんが叫びましたが、ソルジャーは平然とした顔で。
「ハーレイとぼくは一心同体なんだよね。だからハーレイはぼくでもある。…認めないって言うんだったら、一心同体ぶりを証明するよ。君のベッドを拝借して…ね」
「………」
「沈黙ってことは代理を認めてくれるんだ? ハーレイは甘いものが苦手だけれど、ぼくのためなら食べてくれる。そうだよね? 早く済ませて帰ろう、ハーレイ。御褒美はちゃんと用意してあるし」
スクール水着と薔薇いっぱいのベッドだよ、とソルジャーは甘く囁きましたが、キャプテンの方はそれどころではありません。眉間に皺を寄せ、苦悶の表情で豚かつパフェを食べるキャプテン。大盛りのパフェはすぐに無くなり、青い光が部屋を覆って…。
「じゃあね、今日は楽しかったよ。また来るから」
さよなら、という声が届いて、ソルジャーの姿は光の向こうに消えました。キャプテンと「ぶるぅ」の姿も消えて、リビングにあった薔薇の花束とスクール水着入りの紙袋も…。
「…逃げられたな」
キース君が苦笑し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は残念そう。豚かつパフェの感想を聞きたかったらしいのです。会長さんも悔しそうに宙を見つめていましたが…。
「よし、決めた」
「「「えっ?」」」
「ぼくもハーレイに豚かつパフェを食べさせよう。ぼくを好きだって言うんだったら、食べてくれると思うんだよね。そしたらパフェの感想が聞けるし、水着の写真の仕返しもできる。一石二鳥だと思わないかい?」
パァァッと青い光が走って、現れたのは教頭先生。手には食べかけの親子丼とお箸を持っています。
「こんばんは、ハーレイ。食べて欲しいものがあるんだけれど」
ニコニコと笑う会長さんを止められる人はいませんでした。それどころかソルジャーが来ていたと聞いた教頭先生がうっかり笑みを浮かべたばかりに、一杯の予定だった豚かつパフェが三杯に増殖することに…。
「ブルーの名前を聞いた途端にイヤラシイ顔をしただろう? ぼくの写真で美味しい思いをしたんだったら、豚かつパフェも美味しく食べてくれなくちゃ。甘いものは苦手だなんて言わせないよ」
丸飲みせずに味わって、とクスクス笑う会長さん。教頭先生はアイスと生クリームまみれの豚カツを口に運んで呻き声を上げ、パフェの部分をスプーンで掬い…。
「頼む、これ以上は勘弁してくれ…!」
「まだ一杯目の半分じゃないか。リピーターも多い名物らしいし、三杯食べたら病みつきになるかもしれないよ。ぜひ感想を聞きたいな。ね、ぶるぅ?」
「うん! 食べ終わったら教えてね。お料理雑誌に投稿するんだ」
レポート用紙を持った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は好奇心の塊でした。ゼル先生の特製お菓子からデザート・バイキングに進み、締め括りが豚かつパフェなんて…誰が想像できたでしょう? 巻き込まれてしまった教頭先生、完食するしかありません。ソルジャーとキャプテンは水着と薔薇の甘い時間を過ごしに帰っていったというのに、教頭先生には甘いパフェ。同じパフェを食べたキャプテンが貰う御褒美のことは、知らない方が幸せですよね…。