シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
教頭先生がお見合いをする日は今週の土曜。その話を知った翌日、私たちは寝不足の頭で登校しました。夜遅くまでメールや電話、思念波も交えて色々と話していたからです。お見合いを覗き見に行こう、と言い出した会長さんは我関せずと眠ってしまって連絡途絶。そして1年A組の教室にも会長さんの姿はありませんでした。
「ブルー、来ないね…」
ジョミー君が教室の後ろを眺めます。机が増えていないからには、会長さんは来る気も無いのでしょう。私たちは居眠りしながら授業を受けて、終礼が済むと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ急ぎました。柔道部三人組も一緒です。今日は部活は無いんでしょうか?
「教頭先生、朝練に来なかったんですよ」
そう言ったのはシロエ君。
「今週は柔道部の指導を休ませてもらう、ということなんです。教頭先生の指導が受けられないんじゃ、部活に出ても張り合いが…」
「ああ。だから俺たちも今日は休んで、昨日の話の続きをしようと」
キース君が相槌を打って、マツカ君も頷きます。教頭先生が柔道部を休む理由は、お見合いを強制されてショックを受けているからでしょうか?
「多分な。ブルーなら色々と情報を集めているだろう」
入るぞ、と先に立って壁を抜けてゆくキース君。私たちも急いで続くと…。
「かみお~ん♪ 今日はオヤツは後なんだって」
迎えてくれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんの方を向きました。会長さんはソファに座って微笑んでいます。
「ハーレイに呼ばれているんだよ。全員揃ったら教頭室へ来いってさ」
「「「えっ…」」」
教頭先生が私たち全員に用事だなんて、いったい何事? もしかして昨日の食事代のことで…? お会計は会長さんがやっていたので金額はサッパリ分かりませんけど、教頭先生の名前でツケにしたのは確かです。大目玉を食らったらどうしましょう…。
「大丈夫。食事代の件なのは間違いないけど、叱られることはない筈だ。どちらかと言えば泣きつかれる方」
「泣きつかれる…だと?」
何故、と首を傾げてからアッと息を飲むキース君。
「まさか俺たちの食事代のせいで、財布が空になったんじゃないだろうな? 返せと言われても俺は赤貧だぞ。大学との両立が精一杯で、バイトしている暇がないんだ」
「ぼくたちだってバイトしてないよ! どうしよう、お小遣い少ないのに…」
ジョミー君が叫び、私たちは真っ青です。いつも「そるじゃぁ・ぶるぅ」が色々と御馳走してくれるので飲食費こそ要りませんけど、お小遣いの額は誰もが少額。夏休みの旅行だってマツカ君がいなければ実現できっこないプランでした。みんなの視線は自然とマツカ君の方向に…。
「いいですよ。そういうことなら、ぼくがお支払いさせて頂きます」
財布を出そうとするマツカ君を止めたのは会長さんでした。
「違うんだ、マツカ。…お金で片がつく問題じゃない。教頭室へ行ってみれば分かる」
行くよ、と立ち上がる会長さん。私たちは慌てて続きました。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒です。食事代の件で教頭先生に泣きつかれる…って、何でしょう? しかもお金で片がつかない問題って…?
教頭室に着くと分厚い扉を会長さんが軽くノックし、返事を待たずにガチャリと開けて。
「失礼します」
ゾロゾロと入って行った私たち。教頭先生はいつものように羽根ペンで書きものをしていましたが…。
「おお、みんな来たか。…ブルー、私の名前で飲み食いしたのはこの連中か?」
「そうだけど?」
わわっ、やっぱり叱られるかも! 首をすくめた私たちを教頭先生はじっと眺めて。
「昨夜したたかに飲んで、帰ろうとしたら言われたんだ。お隣の分の御勘定もお願いします、とな。…何のことかと思ったのだが、ブルーのサインがしてあった。隣の部屋で何をしていた?」
「「「………」」」
覗き見だなんて言えません。心で冷や汗を流していると、会長さんがしれっとした顔で答えました。
「ハーレイが考えているとおりだよ。ぼくたち全員で覗き見してた。ね、ぶるぅ?」
「うん! えっと、えっとね…ドーテーってなぁに?」
ひゃぁぁ! なんてことを、と叫ぶ間もなく「そるじゃぁ・ぶるぅ」は更に重ねて尋ねます。
「ドーテーだからお見合いするんでしょ? それ、なぁに? ブルーに聞いたら、本人に聞くのが一番だよって言われたんだけど…」
教頭先生は頬を真っ赤に染め、続いてサーッと青ざめて…。
「…何もかも聞いていたんだな…? それもお前たち全員で…」
「うん! みんな一緒に聞いてたよ。で、ドーテーってどんなものなの?」
「……私には関係ないことだ。その話はゼルのでっち上げだ」
「えっ、ハーレイってドーテーじゃないの?」
ポカンと口を開ける「そるじゃぁ・ぶるぅ」に教頭先生は重々しく頷いてみせました。
「ああ、違う。…だから意味は教えてやれないな。どうしても気になるのなら、後でブルーに聞いてみなさい」
「そっか…。じゃあ、そうする!」
素直に信じた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。けれど私たちは疑わしい目で教頭先生を見るばかり。教頭先生は咳払いをして財布の中から一枚の紙を取り出します。
「これが昨夜の領収書だ。一番高いコースを頼んだらしいな。おまけに覗き見していたとくれば、見物料も請求できる。ぜひ支払ってもらいたい」
ひぇぇ! ゼロが並んだ領収書を見せられ、私たちは顔面蒼白。その上、見物料なんて…。マツカ君に頼るしかないじゃないですか! けれど会長さんは平然と。
「ハーレイ、言葉遣いが間違ってるよ。支払ってもらいたい、じゃなくて支払え、だろう。依頼じゃなくて命令形。それに支払いはお金じゃないよね。お金で済むならそうしたいけど…。マツカ、払ってくれるかな」
「あっ、はい!」
ポケットから財布を取り出すマツカ君に会長さんが領収書を見せ、教頭先生に向かってウインクしました。
「じゃあ、現金で清算しよう。見物料の他に慰謝料も上乗せしてくれていい。合計いくら?」
「ま、待て! 金ではなくて労働で…」
「「「労働!?」」」
とんでもない言葉に呆然とする私たち。あのゼロの数の分、どう働けと…?
「………見合いをブチ壊してもらいたい」
教頭先生は「頼む」と頭を下げ、机に頭を擦りつけるようにして言ったのでした。
「お前たちなら角が立たん。覗き見していたなら、私の窮地が分かるだろう? 昨日の食事代は私が負担する。だから見合いをブチ壊してくれ」
お見合いを…ブチ壊す? 乱入でもしろと言うのでしょうか。でも、そんなことをしたら私たちが処分されそうです。いくら未成年の団体だといっても、ホテルで騒げばつまみ出される可能性大。おまけに理事長が同席しているのに、どうしろと…? シャングリラ学園の学生だとバレたら最後、特別生でも停学とか…。
「やだね」
会長さんがプイッと顔を背けました。
「なんでぼくたちが働かなくちゃいけないのさ。食事代も見物料も慰謝料も、耳を揃えて払っておくよ。…マツカ」
「はいっ! えっと、食事代が…」
ひい、ふう…とお札を数え始めるマツカ君。教頭先生は慌てて止めに入りました。
「マツカ、財布を片付けてくれ! 働けなどと言った私が悪かった。食事はおごる。おごってやるから、私の見合いを…。お願いだ、ブルー!」
「………。命令の次はお願いかい?」
「お前たちにしか頼めないんだ。このままでは結婚させられてしまう。…覗いていたのなら知ってるだろう? 理事長の紹介となれば、そう簡単には断れない。おまけに断る理由が無い」
条件が揃いすぎている、と眉間に皺を寄せる教頭先生。
「まりぃ先生とは親しくさせて貰ってるからな…。それにサイオンこそ目覚めていないが、因子を持っているのも確かだ。私のブルーに対する気持ちも承知の上での申し出とくれば、承諾するしかないだろうが」
「相性がいいのは認めるんだ?」
会長さんの問いに、教頭先生は「うむ」と答えて俯きました。
「お前も知っているだろう? お前の写真や似顔絵を何度もプレゼントしてくれた。気前がよくて優しい人だ」
「似顔絵ねえ…。エロい絵を沢山貰ったんじゃないの?」
「………」
気まずい沈黙が流れたものの、教頭先生は気を取り直して。
「とにかく、まりぃ先生が乗り気で理事長が絡んでいるからな…。断る理由が見つからない以上、見合いをしたらトントン拍子に結婚が決まりそうなんだ。…ブルー、私はお前を忘れたくない」
「忘れなくてもいいじゃないか。まりぃ先生は承知なんだろ? 今までと何も変わらないよ」
「………。お前なら、そうかもしれないな。だが、私はお前のようにはいかない。結婚とは家庭を持つことだ。妻は大切にしてやりたいし、子供が生まれれば父親として愛情を注いでやりたいし。…本当は…ブルー、お前を嫁に貰って、ぶるぅを子供にしたかったんだが…そういうこともいつか忘れてしまうのだろう」
それが現実というものだ、と寂しそうに微笑む教頭先生。会長さんの悪戯を笑って許せる懐の広い先生ですから、いい旦那様になれるでしょう。奥さんや子供に囲まれる内に、会長さんを忘れてしまっても全く不思議はありません。
「……そうか、ハーレイがぼくを忘れちゃったら、もう悪戯ができなくなるんだ」
それは困る、と会長さんが不穏な言葉を口にしました。
「三百年も馴染んだオモチャがいなくなるのは面白くないな。…分かった、お見合いが成功しなければいいんだね? 全力でブチ壊してみるよ。まだまだ遊び足りないし」
「…オモチャというのが悲しいが…。お前にかまってもらえるのなら、オモチャでも満足すべきだろうな」
よろしく頼む、と繰り返す教頭先生に別れを告げて、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かって一直線。今日のおやつのナタデココ入り杏仁豆腐を楽しみながら、お見合い壊しのプランを練り始めたのでした。
そして土曜日、お見合い当日。私たちは会長さんのマンションに集合し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と会長さんのシールドに入ってホテル・アルテメシアへ瞬間移動。いつもの『見えないギャラリー』となってメインダイニングの個室に潜入すると、理事長とヒルマン先生、まりぃ先生、そして教頭先生がテーブルを囲んで食事中でした。
「まりぃはハーレイ先生にぞっこんでしてな」
白い髭の理事長が目を細め、まりぃ先生と教頭先生を交互に眺めて笑みを浮かべます。まりぃ先生はフェミニンなワンピースを着て、とても清楚に見えました。かぶっている猫は半端な数ではないでしょう。
「ハーレイ先生の結婚相手を探している、という話をしたら、まりぃが名乗りを上げまして…。結婚なんぞに興味は無いと思っていたのに、女心というのは分からんものです」
「いやいや、学園に来られた時から仲は良さそうに思えましたよ」
そう言ったのはヒルマン先生。
「親睦ダンスパーティーでのタンゴは実に見事でした。今から思えば運命の赤い糸というヤツですかな」
こんな調子で談笑する理事長とヒルマン先生の間で、教頭先生はカチンコチンです。まりぃ先生は教頭先生に話しかけたり、微笑みかけたりと積極的。やっぱり本当に結婚志願?
「うーん、ハーレイには気の毒だけど…まりぃ先生はその気だね」
シールドの中で会長さんが呟きました。
「まりぃ先生が本気でないなら、お見合いを壊す必要も無いと思ったのにさ。この展開だと、ぼくらの出番になりそうだ。…帰ろう、準備しなくっちゃ」
マンションに戻った私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製のピザとパスタで腹ごしらえ。食事が済むと会長さんは部屋へ着替えに出かけて行って…。
「どうかな?」
サラサラという衣ずれの音と共に現れたのは花嫁姿の会長さん。ゼル先生とのドルフィン・ウェディングでも着ていた、お馴染みの豪華なドレスです。家事万能の「そるじゃぁ・ぶるぅ」がきちんとお手入れしているらしく、今も新品同様でした。真珠のティアラと長いベールを着けた会長さんはリビングのソファに腰掛けます。
「ハーレイ、打ち合わせ通りにタクシーでこっちへ向かっているよ。まりぃ先生には悪いけれども、ぼくのオモチャを譲る気はないし」
教頭先生は「本当にブルーの存在を許せるかどうか、自分の気持ちを確かめて欲しい」とまりぃ先生に注文をつけ、会長さんの家に連れてくることになっていました。間もなく玄関のチャイムが鳴って。
「かみお~ん♪ ブルーが待ってるよ!」
「あらぁ、ぶるぅちゃん! 今日もいい子ねぇ」
まりぃ先生の弾んだ声が近づいてきて、リビングのドアが開きます。教頭先生が「どうぞ」とドアを押さえて、まりぃ先生を中へ通した瞬間。
「ハーレイ!!」
花嫁姿の会長さんが教頭先生めがけて駆け寄り、そのまま胸に飛び込みました。
「いやだよ、ハーレイ…。ずっと、ずっと考えてた。結婚するって聞いた時から、ずっと考え続けていたんだ。本当にそれでいいのかって。今日は祝福するつもりだった。でも、できない…。やっぱりできない。ぼくはハーレイと結婚する気はないけれど…ハーレイが他の誰かと結婚するのは嫌なんだ!」
「ブルー…。それでドレスを着てくれたのか?」
戸惑いながらも会長さんをそっと抱き締める教頭先生。
「うん。ハーレイのためにウェディング・ドレスを着るのはぼくだけでいい。ハーレイに下着を買ってあげるのも、ぼく一人だけでいたいんだよ」
切ない表情をする会長さんに、まりぃ先生が怪訝そうな顔を向けました。
「…えっと。ウェディング・ドレスはともかくとして、下着っていうのは何かしら…?」
「ぼくがハーレイに贈ってる下着。今も履いてると思うんだけど…。ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
ダッと飛び出した「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生の腰の辺りにポンッと両手でタッチした途端、青い光がパァッと走って…。
「うわぁっ!!」
教頭先生のベルトがスルリと外れ、ズボンがストンとずり落ちて…。会長さんが素早く身体を離した後には、上半身だけをスーツで決めた教頭先生が紅白縞のトランクスを履き、呆然と立っていたのでした。
「……あらら……」
まりぃ先生の目が大きく見開かれ、視線の先には紅白縞。教頭先生はハッと我に返り、アタフタと床に屈み込んで。
「…と…とんだ失礼を…」
落っこちたズボンを引き上げようとしたのですけど、ズボンは床に貼りついたように動きません。会長さんがサイオンで押さえているみたい。真っ赤になって焦る教頭先生を他所に、まりぃ先生が私たちを見回します。
「…ぶるぅちゃんの悪戯かしら? それとも計画の内なのかしら?」
「「「えっ?」」」
「私、ブルーに会うために来たのよね。なのに大勢揃っているし、なんだかちょっと変じゃない? ブルーがハーレイ先生の結婚を阻止したいんなら、ブルーだけいれば済むことよ。…そうでしょ?」
「「「………」」」
まりぃ先生の言うとおりでした。私たちが此処にいるのは、花嫁姿の会長さんを見た教頭先生が不埒な真似をしでかした時に備えるためで、ボディーガードみたいなものなんです。会長さんは「ハーレイは大根役者だから」と一切の計画を教えておらず、ただマンションに呼んだだけ。これでは確かに場合によっては危険です。
「私が思うに、この計画は二段構えね。まずブルーが結婚反対を叫ぶでしょ? それで私を動揺させておいて、第二弾として幻滅作戦を繰り出すという予定だったんじゃないかしら」
ズボンと格闘中の教頭先生は何も耳に入っていないようでした。まりぃ先生の方が冷静な上、この状況を楽しんでいます。紅白縞のトランクスをまじまじと眺め、それから会長さんに微笑みかけて。
「本当にあなたのプレゼントなの? 私には理解不能なセンスだけれど、ハーレイ先生を愛してるのね」
「…え?」
「私は愛だと思うわよ。それも屈折した愛ね。自分に惚れ抜いている人に下着を贈る…。それも普通の人が見たなら笑うしかない悪趣味なのを贈るというのは、独占欲の裏返しよ。自分以外の人の前では脱いで欲しくないという願望が裏に隠されてるの」
「………」
妄想の大爆発に絶句している会長さん。サイオンの集中が途切れたらしく、床から剥がれたズボンを教頭先生が必死の形相で履いて。
「ブルー! なんてことをするんだ、女性の前で!!」
「いいんですのよ。私、全然、気にしませんわ」
ニッコリ笑うまりぃ先生。
「意外な一面が分かって嬉しいんですの。紅白縞…。それもブルーのプレゼントを大事に履いてらっしゃるなんて、心温まるお話ですわ。こんなに思い合っていらっしゃるのに、お邪魔をしてはいけませんわね」
「は?」
「お見合いの話。ハーレイ先生となら素敵な結婚生活が送れそうだと思ったんですけど、先生は結婚なさりたくないのでしょ? だからお見合いをブチ壊そうと、ブルーたちを引っ張り出した。…先生、ブルーも先生のことを愛してるんだと思いますわよ」
まりぃ先生は会長さんの歪んだ愛情とやらについて熱弁を奮い始めました。会長さんが口を挟もうとする度に「いいの、いいのよ、分かってるから」と軽くいなして、延々と自説を唱えまくったその果てに…。
「ブルーは自覚していないのが泣けますわ。でも、確かに愛は存在しますの。どなたがハーレイ先生の結婚話を言い出されたのか知りませんけど、そんな計画は滅ぼさなくては。愛し合う二人を引き裂くなんて最低です。トップバッターが私だったのは天の声。不肖まりぃが結婚計画を闇に葬って差し上げますわ!」
メラメラと炎を背負って拳を握り締めるまりぃ先生。
「ハーレイ先生、私にお任せ下さいな。ハーレイ先生とブルーのイラストを好きなだけ描ける結婚生活を夢見た私も馬鹿でしたの。ブルーにその気は無いんだと思って、ハーレイ先生の全てを堪能しながら色々描いて楽しもうと…。
けれど、両想いなら身を引きますわ。…ただ、その前にデートの続きを」
お芝居のチケットを買って下さっているんでしょ、と教頭先生の袖を引っ張ります。
「え、ええ…。お好きだと聞いたものですから」
「ブルーに雰囲気が似てるんですのよ。ハーレイ先生は女形はお好き?」
花魁姿が絶品ですの、とキャーキャーはしゃぎ立てながら、まりぃ先生は教頭先生と腕を組んで劇場に出かけていきました。…えっと、これからどうなるんでしょう…?
「…参ったな…」
花嫁姿の会長さんはソファに突っ伏して脱力中。
「どうしてあんな話になるのさ。ぼくがハーレイを好きだって…? そりゃ、からかうと楽しいけれど…」
「だから愛情の裏返しだろ」
すかさず突っ込みを入れるキース君。
「ちやほやされるのは大好きなんだし、歪んだ愛というヤツだろう。あんたが女に幻滅したら、消去法で教頭先生が一番最後に残るんじゃないか?」
「…どんな女性でもハーレイよりかはマシだと思う…」
「その格好で何を言っても説得力は全く無いぞ。何処から見ても輿入れ前の花嫁だ」
「…分かってるけど動く気もしない…」
サイオンを使う気にもなれない、という会長さんのドレスを脱がせて着替えさせたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」とサム君でした。サム君は会長さんに弟子入りしたので、手伝う義務があるのだそうです。着替えの間、スウェナちゃんと私はリビングの外に出ていましたが、着替えが済んで戻ってみるとサム君は頬を染めていました。会長さんったら、本当にサム君にだけは甘いんですから…。
「まりぃ先生、どうするのかな?」
ジョミー君が首を傾げます。
「闇に葬るとか言ってたけれど、そんなに簡単に出来るものなの?」
「…まりぃ先生ならやってのけるさ」
ようやく立ち直った会長さんが座り直して言いました。
「ハーレイには不名誉なことになるけど絶対確実、二度と縁談は持ち上がらない」
「「「???」」」
「さっきサイオンで探ったんだ。芝居を見た後、二人は夕食を食べて別れる予定になっている。でも、まりぃ先生は二人でホテルに出かけたことにする気らしいね」
「「「ホテル!?」」」
ホテルって…まりぃ先生と教頭先生が…? それってバーに行くとかじゃなくて…。
「うん。バーじゃなくって、部屋の方。そこでやることは一つだけれど、できなかったらどうなると思う?」
クスッと笑う会長さん。
「まりぃ先生は保健室の先生だから、色々と知識があるんだよね。今夜の内にヒルマンの所に報告が届く。ハーレイ
は結婚よりも先に治療しないといけません…って」
「「「治療?」」」
「そう。EDの」
「「「いーでぃー???」」」
聞き慣れない言葉にオウム返しの私たち。会長さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「男性として役に立たないっていう意味さ。それじゃ結婚できないだろ? ヒルマンたちも治療してまで結婚しろとは言わない筈だ。結婚話はこれで立ち消え」
「じゃあ、あんたへの強姦未遂は…」
キース君の問いに「未遂だからね」と会長さん。
「未遂だった以上、EDかどうかは分からないんだし問題ないよ。まりぃ先生とのお見合いをブチ壊しても次がくるだろうと思ってたけど、もう安心だ。これからもハーレイをオモチャにできる」
「つくづく歪んだ愛情だな…」
「愛じゃないっ!」
からかうのが楽しいだけなんだ、と会長さんは懸命に主張しています。確かに愛は無さそうですが、三百年以上の付き合いだけに歪んだ何かはあるのかも…。
まりぃ先生は宣言通り、教頭先生の結婚計画を闇に葬り去りました。教頭先生の所に山ほどあった結婚相談所への登録はゼル先生が全て抹消し、届いていたプロフィールも送り返してしまったようです。まりぃ先生との縁談は、まりぃ先生の方から「私にはもったいない方ですので」と断りがあったらしいのですが…。
「ブルー、お前は何か聞いていないか?」
教頭先生が私たち全員を教頭室に呼び出し、不思議そうな顔で尋ねました。
「まりぃ先生が結婚話が持ち上がらないようにしてくれたのは間違いない。それはいいんだが、どうも変でな」
「………何が?」
「ゼルたちの私を見る目が変なのだ。こう、妙に優しい眼差しというか…。ブラウには「強く生きな」と肩を叩かれたし、ヒルマンは「いつでも相談に乗るよ」と言った」
何のことだろう、と首を捻っている教頭先生。童貞の次はEDのレッテルを貼られたなんていう事実を知ったら、いったいどんな反応が…? でも会長さんは知らん顔。
「さあ?…ぼくは何も聞かされていないけど…。ぶるぅ、お前も知らないよね?」
「うん、知らない」
童貞って何? と前に叫んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」は今度は沈黙を守りました。会長さんを見ると肩が微かに震えています。きっと口止めをしておいた上で笑いを堪えているのでしょう。
「…やっぱり知っているんだな? 教えてくれ、ブルー! 気になって夜も眠れないんだ」
「大丈夫、そのうち疲れて眠れるってば。どうしても気になるんなら、まりぃ先生に直接聞くのがいいと思うよ」
新作のイラストも出来たようだし、と艶やかに微笑む会長さん。
「タイトルは『歪んだ愛』だってさ。ぼくを紅紐で縛って吊るす絵らしいね。確かに歪んだ愛情だ。…言っとくけれど、ぼくは縛られるのも吊るされるのも御免だから」
じゃあね、と踵を返す会長さんに私たちも続いて出てゆきます。教頭先生、まりぃ先生の所へ行くんでしょうか? 行ったとしてもEDのレッテルは剥がれないような気がするんですが…。まりぃ先生は歪んだ愛を守る決意でEDの噂を流したのですし、撤回したら降ってくるのは結婚話。教頭先生、二度と縁談を持ち込まれないよう、ED判定を食らっておくのが最上の策だと思いますよ~!
ゼル先生が教頭先生を呼び出したのはアルテメシアきっての花街、パルテノンにある料亭でした。花街といってもピンからキリまで。高級料亭が並ぶ華やかな街の裏へ一歩入ると怪しげな風俗店があったりしますし、私たちには馴染みの薄い場所です。会長さんが予約を入れたお店は表通りの料亭の一つ。タクシーで乗り付けたものの、女将の出迎えにちょっとアタフタ。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は馴れた様子でスタスタと入っていきますが…。
「い、いいのかな…。高そうだよ、ここ」
ジョミー君がキョロキョロと周りを見回し、マツカ君が。
「パルテノンなら普通ですよ。紹介が無いと入れないお店もありますし」
「ああ、そういう店も多いからな」
頷いたのはキース君。
「ここは親父もよく使うんだ。俺も何度か来たことがあるが、パルテノンでは普通とはいえ…俺たち全員が飲み食いした分を無断で教頭先生にツケるというのは…」
その言葉が終わる前に御座敷に通された私たち。今まで何度も教頭先生のお金で飲食してきたものの、今回ばかりは流石にマズイ気がします。だって了解を得てきたわけではないんですし。
「いいんだってば。座って、座って」
上座の座布団に陣取った会長さんが促しました。
「結婚話を断るために婚約してくれ、なんて侮辱じゃないか。請求書を見て青ざめてもらうさ」
「「「…………」」」
こういう時の会長さんには逆らうだけ無駄というものです。私たちは立派な机を囲んで座り、サム君は会長さんのお隣に。隣といえば、ゼル先生はもう来てるのでしょうか?
「ゼルたちなら先に来ているよ。ちなみに、こっち」
会長さんが指差した方は土壁でした。これでは音も聞こえませんし、覗き見どころではなさそうです。
「…何も聞こえてきませんね…」
シロエ君が机の上にあったコップを壁に当てて聞き耳を立て、首を左右に振りました。
「ああ、そんなんじゃ無理だろうね。ちゃんとサイオンを使わなきゃ」
「「「えぇっ!?」」」
絶対無理! と叫んだ所へ最初の料理が運ばれてきました。「先付だよ」と会長さん。綺麗に盛りつけられたお皿に、なんだか緊張しちゃいます。仲居さんが姿を消すまで、私たちの視線は料理と壁とを行ったり来たり。襖が閉まると会長さんがクスッと小さく笑いました。
「そろそろ始まるみたいだよ。君たちのサイオンをぼくと同調させるから…少しの間、心を空にして。いいかい、目は閉じないで…そう、そして視線をゆっくり壁に…」
ゆっくりと…壁に…? 誘われるままに眺めた先で壁がスーッと透けるように薄れ、その向こうに見えた光景は…。
「「「ヒルマン先生!?」」」
教頭先生を呼び出したのはゼル先生だと思っていたのに、ヒルマン先生も座っています。机の上には既に料理が並んでいますが、女性の姿はありません。お見合いだったら女の人もいるのでは?
「………おい」
キース君が低い低い声で。
「見合いのようには見えないぞ。あんた、騙したんじゃないだろうな?」
「…お見合いだなんて誰が言った?」
悪戯っぽい笑みを浮かべる会長さん。あれ? お見合いを覗きに来たんじゃ…?
「違うよ、ハーレイが絞られる所を見に来たんだよ。これからみっちり二人がかりで…。さあ、もう声だって聞き取れるだろう? 覗き見しながら楽しく食べよう」
確かに隣の部屋の会話が聞き取れるようになっていました。大画面のテレビを前にして食事するような感覚ですが、とりあえず先付を食べようかな…。
ゼル先生とヒルマン先生は教頭先生を下座に座らせ、お銚子も何本か出ています。ゼル先生はお酒が入って上機嫌でした。
「どうじゃ、ハーレイ。気に入った女性が少しはおったか? 男でないと駄目かと思うて、その方面も当たっておいたぞ」
「…そ…それが……その……」
首をすくめる教頭先生。ヒルマン先生が「やれやれ」と溜息をついて。
「やはりブルーしか目に入らんかね? 困ったものだ」
「まったくじゃ。挙句の果てに不祥事なんぞを起こしおって…。ブルーに本気で抵抗されたら、アバラの二、三本は折れとるぞ。いや、いっそ折られとった方が良かったかもしれん」
そうすれば目が覚めるじゃろうて、とゼル先生は自慢の髭をしごきました。
「いつまでも夢を追いかけとるから、人生が上手くいかんのじゃ。現実に目を向けんかい! ブルーはお前を見向きもせんし、ここらで真面目に考えんと…」
「私もゼルに同感だね。いつまでもブルーしか見ていないから妙な未練が残るのだよ。ブルーと結婚したいと言っているからには独身主義ではないのだろう? 最初から駄目だと切って捨てずに、色々な人と会ってはどうかね」
ヒルマン先生が相槌を打ち、結婚について持論を展開し始めます。このお二人も独身だったと思うのですが、自分たちのことは棚上げですか?
「ああ、ゼルたちは構わないんだ」
私たちの疑問を読み取ったらしい会長さんが前菜の八幡巻をお箸でつまんで言いました。
「ゼルもヒルマンも独身だけど、パートナーはいるんだよね。エラもブラウもそれなりに…。結婚しないのは独身人生が気楽だからっていうことらしいよ」
「だったら教頭先生に結婚しろと説教するのは大きなお世話ってヤツなんじゃないか?」
キース君が尋ねましたが、会長さんは微笑んで…。
「ううん、全然。ハーレイは事情が事情だからね」
「でも結婚って…。簡単にいくとは思えないわ」
スウェナちゃんが首を傾げます。
「私たち、普通の人とは違うでしょう? ゼル先生が申し込んでた結婚相談所って有名な所ばかりだけれど、私たちみたいな人ばかりを扱う専門コースもあるのかしら?」
あ。それは失念してました。普段サイオンを意識して使わないので忘れがちですが、私たちは年を取りません。うっかり普通の人と恋に落ちたらどうなるんでしょう?
「専門コースなんかあるわけないよ。ぼくたちは特別に扱われているわけじゃないしね」
事も無げに答える会長さん。
「ただサイオンがあって寿命が長い、ってだけで問題もなく生活してる。普通の人に恋をしたって大丈夫。そのいい例がぼくとフィシスだ。ね、ぶるぅ?」
「うん!」
元気一杯に右手を挙げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そういえばフィシスさんはサイオンを最初から持っていたわけではない、と聞きましたっけ。会長さんが一目惚れして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に頼んで赤い手形を押してもらって、自分の仲間にしたんです。スウェナちゃんたちのサイオンだって、入学式の日に赤い手形で…。
「なるほどな。俺たちみたいにぶるぅの手形を押してしまえばいいわけか」
キース君が頷き、壁の向こうを眺めながら。
「…つまり教頭先生の気に入る相手がありさえすれば、結婚に障害は無いわけだ。しかし、自分たちは気楽な独身人生のくせに、教頭先生には結婚しろって…。相当に無理があると思うが」
「そう言うだけの理由があるのさ。覗き見してれば分かると思うな。あ、ほら、次の料理が来たよ」
お吸物とお刺身のお皿が運ばれて来ました。ゼル先生たちのお部屋の方は、お料理よりもお酒優先みたいです。またお銚子が追加されましたが、教頭先生は盃がさっぱり進みません。やっぱり話題のせいなのでしょうね。
「いいかね、ハーレイ」
ヒルマン先生が教頭先生にお銚子を勧め、自分の盃にもトクトク注いで。
「ブルーを追って三百年だよ。いくら一途に思い詰めても不毛すぎると思うのだが」
「そうじゃ、そうじゃ! しかもブルーは女たらしで好き放題にやっとるのじゃぞ。在校生にも手を出しとるし、いい加減に諦めて他を見んかい!」
あらら。アルトちゃんとrちゃんの件、学校にバレているようです。それとも他にも何人か…? 会長さんに非難の目を向ける私たちでしたが、当の本人は平然と…。
「ぼくの女好きは有名だしね。いちいち表沙汰にしてたら、相手の子たちが困るだろう? シャングリラ学園では男女の深い仲がバレると退学なんだよ。だけどソルジャーのぼくを退学になんて出来っこないし、男の方がお咎め無し
で女の子だけが退学なんて、どう考えても不公平じゃないか」
「あんた、どこまで悪人なんだ」
キース君が睨み付けても会長さんは動じません。
「悪人、ぼくは大いに結構。でなきゃシャングリラ・ジゴロ・ブルーの名が泣く」
「「「………」」」
これだから、と溜息をつく私たち。お刺身の次は夏野菜の煮物にスープジュレをかけたものでした。仲居さんは私たちが隣の部屋を覗き見していることには気付きません。もちろん教頭先生たちも。壁の向こうでヒルマン先生が軽く溜息をつきました。
「ハーレイ、君が一向に諦めないから、ブルーの魅力がどれほどのものか、実は調べてみたのだよ。私やゼルには理解できない妖しい色香でもあるのか、とね」
「…調べた…?」
教頭先生が顔を強張らせ、私たちも「えっ」と息を飲みます。会長さんったら、知らない間に呼び出しを受けていたのでしょうか。それに調べるって、どうやって? まさかエロドクターが協力を…?
「ああ、誤解しないよう言っておこう。ブルーを調べたわけじゃない」
ヒルマン先生の言葉に、教頭先生と私たちは胸を撫で下ろしました。
「蛇の道はヘビ、と言うだろう。ノルディに尋ねることも考えたのだが、ノルディもブルーにぞっこんだからね。冷静な分析は難しそうだ、と判断した。そこでボナールを呼んだのだよ」
ボナール…って、数学同好会のボナール先輩のことでしょうか? そっちの趣味があるとは知りませんでした。会長さんは可笑しそうに。
「なんだ、噂を知らないんだね。ボナールは君たちと同じ特別生だけど、在籍年数は百年を超える。グレイブと同期みたいなものかな。そして筋金入りの美少年好き。永遠の恋人は欠席大王のジルベールだと言ってるくせに、一方的な片想い。…ジルベールの方が振り向かないんだ」
教頭先生の報われなさを思い出してしまうプロフィールです。でも教頭先生とは決定的な違いがある、と会長さんは指摘しました。
「ボナールは気に入った子を寮に引っ張り込んでは、よろしくやって楽しんでるよ。ジルベールにベタ惚れしてても、それとこれとは別らしい。だけどハーレイは遊び相手もいないんだよね」
言われてみれば教頭先生は美少年はおろか、女っ気すらも無さそうです。会長さんに愛想を尽かされないよう、自重しているのかもしれません。隣の部屋ではヒルマン先生が続きを話し始めていました。
「ボナールにブルーをどう思う、と尋ねてみたら即答だった。あれはダメです、と断言したよ。その手の趣味の持ち主ならば誰もが惚れそうな外見なのだが、脈無しなのも分かるらしいね。アタックするのは余程の馬鹿か、恋に不馴れなヤツだろう…と」
「わしも聞いておった。ハーレイ、遥か年下の生徒ごときに馬鹿と言われてどうするんじゃ!」
「…………」
教頭先生の背中が小さく縮こまります。ゼル先生が「飲め!」とお酒を注ぎました。
「いいか、馬鹿ならばまだマシじゃわい。しかしお前は恋に馴れとらんヤツなんじゃ! わしが知らんと思っておるのか? お前はまるで経験が無い。それこそお子様レベルじゃろうが!」
お子様レベル? もしかしなくても教頭先生、恋愛経験ゼロだとか…?
とにかく飲め、と教頭先生に盃を押しつけるゼル先生とヒルマン先生。ゼル先生が「うひひひ」と下卑た笑いを漏らして。
「ハーレイ、お前、ブルーに惚れ込んだせいで、まだ誰一人として付き合ったことがないじゃろう? 男も女も見向きもせずにブルーを追って三百年。これではいかんとわしは思うぞ。のう、ヒルマン?」
「ああ。男の方はともかくとして、女性の一人も知らないのでは…。いや、知人がいないという意味じゃないよ。俗に言うところの、その…なんというか…」
「ええい、じれったい! そういうのはズバッと言わんかい! 三百年以上も生きてきとって、その図体で…童貞じゃとは、情けなさすぎて涙も出んわ!」
「「「!!!」」」
教頭先生が…なんですって? 下品を通り越した驚愕の内容に、私たちは食べかけの鮎や田楽をお箸からポトリと取り落としました。いくらなんでもそんなことが…。いえ、何かといえば鼻血を出している教頭先生、そうであっても不思議では…。
「やっぱり君たちも驚くよねぇ」
笑いを堪えながら教頭先生の方を指差す会長さん。
「でも本当のことなんだ。ハーレイは誰とも経験なし。経験値ゼロっていうヤツさ。文字通りお子様レベルなわけ。パートナーを作って楽しむ甲斐性も持っていないんだから、結婚しろってことじゃないかな」
「……そうなのか……」
キース君が呆然とした顔で呟き、壁の向こうではゼル先生が。
「ほれ見ろ、何も言えんじゃろう! 強姦未遂で謹慎を食らったのは何故じゃと思う? 日頃から溜まっておるからじゃ! そういうのは他で発散しとかんかい! 柔道くらいでは足りんのじゃ!」
「まったくゼルの言うとおりだよ。色々とそういう店もあるのに…」
「……教師が…そんな店に行くのは……」
しどろもどろの教頭先生。そういうお店って…えっと…このお店の近くの路地裏とかにある、その手のお店のことですよね? 顔を見合わせる私たちに「大当たり」と会長さんが頷きました。確かに先生方が出入りするのはまずそうですが、ゼル先生は実に堂々としたもので…。
「いちいち気にしてられるかい! 生徒の父兄と顔を合わせようが、向こうも同じ穴のムジナじゃぞ。お互いに見ないふりをするのが礼儀なんじゃ。わしの若い頃はパルテノンの夜の帝王と呼ばれたもんじゃが、お前ときたら三百年も…。その図体は飾り物か!?」
情けない、と盃を傾けるゼル先生。パルテノンの夜の帝王だなんて、凄い武勇伝を聞いちゃったような気がします。会長さんは今度も「嘘じゃないよ」と微笑みました。
「ゼルはけっこうモテたんだ。そして目標は生涯現役。…ハーレイ、圧倒的に形勢不利だな」
ゼル先生は教頭先生を罵倒しまくり、その間に私たちは焼玉葱のスープ煮からメインディッシュらしき牛ステーキに移っています。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお墨付きだけに、確かに美味しいお料理でした。隣の部屋のお皿は手つかずのままで下げられるものも多いんですけど。
「ゼル、そのくらいで許してやりたまえ」
肝心の話が流れてしまう、とヒルマン先生が割って入りました。
「…ハーレイ、私も考えたのだがね。君のようなタイプに風俗店は向かないだろう。しかし今のままでは、また不祥事を起こさないとも限らない。発散できる相手を作るべきだよ。だが、割り切って付き合えるパートナーを持つというのも君には少し荷が重そうだし…。どうかね、きちんと手順を踏んでみるのは」
「………?」
意味が分からない、という表情の教頭先生。ヒルマン先生は咳払いをして。
「さっきから何度も話したように、君には結婚が向いている。結婚相談所に頼るのもいいが、昔ながらの口利きという方法も…。お見合いをしてみないかね? いや、ぜひとも一度してみるべきだ」
お見合いですって? 教頭先生が童貞だった、と知った衝撃があまりに大きく、お見合いの話など忘れ去っていた私たち。結婚相談所に申し込みをしたのがゼル先生なら、口利き担当がヒルマン先生…? 強姦未遂事件が会長さんの狂言だと知らない先生方は既に暴走し始めています。…まさか本気でお見合いを?
「ハーレイ、これはチャンスなのだよ」
ヒルマン先生が身を乗り出して、教頭先生の盃にお酒を注ぎました。
「君が…そのぅ、誰とも付き合わずに過ごしてきた理由は、ブルーだろう。…ブルー以外の誰かと付き合う、あるいは誰かと遊んだ後ではブルーに愛を語る資格は無いと、そう考えていないかね?」
「……まぁ…そうだが……」
盃に視線を落としてボソボソと呟く教頭先生。ヒルマン先生は大きく頷き、「飲みたまえ」と微笑んで。
「ハーレイ、その考えが間違いだ。君は一途にブルーを想い続けて、よそ見もせずに三百年だが…ブルーの方はどうだった? フィシスという相手が出来た今でも女好きの性分は直らない。ブルーはそういう人間だ。万が一、君の想いを受け入れたとしても、君の過去をほじくり返してとやかく言いはしないだろう。だから安心して気の合う相手を探すといい」
それにはお見合いが一番だ、とヒルマン先生は自信満々でした。
「ハーレイ、素晴らしい人を見つけて身を固めたまえ。なあに、結婚したって浮気はできる。浮気は男の甲斐性だ。もしもブルーが振り向いたなら、存分に浮気すればいい。しかしボナールの分析によれば、ブルーは追っても無駄だそうだし…。君が幸せを掴む早道は結婚にあると私は思うね」
「そうじゃ、そうじゃ! 結婚すればブルーのことなぞ、憑き物が落ちたようにコロッと忘れてしまうわい。行け、ハーレイ! 見事結婚に持ち込むんじゃ!」
応援しとるぞ、とゼル先生が手酌で盃を飲み干して。
「ハーレイの未来に乾杯ーっ! シャングリラ・ジゴロ・ブルーを追い越せーっ!」
うーん、ゼル先生、かなり出来上がってきています。ヒルマン先生が困ったような笑顔を向けて。
「ブルーを追い越せとまでは言わないがね…。結婚すれば誰はばかることなく、欲求不満を解消できる。ゼルの言うとおり、ブルーのことを忘れられるかもしれないよ。…そうでなくても、これは非常に条件のいい縁談だ」
縁談! やはりヒルマン先生には手持ちの牌があったようです。私たちはいつの間にか酢の物も食べ終え、止椀と御飯、香の物が机に並んでいました。みんな御椀やお箸を持った手をピタリと止めて、聞き耳を立てているのが分かります。ヒルマン先生、どんな縁談を調達してきたというのでしょう?
「これは理事長直々の紹介でね」
理事長という言葉に顔を引き攣らせる教頭先生。シャングリラ号のキャプテンを務める教頭先生は本来、ソルジャーである会長さんに次いで二番目に偉い立場の筈なんですが、その肩書きはシャングリラ学園の中では役に立たないようでした。会長さんが生徒会長として先生方に指導される立場なのと同じで、教頭先生の上には校長先生や理事長が…というわけです。その理事長の紹介となれば、無視したら最後お給料とかにも響きそうで…。
「……理事長からか……」
苦渋に満ちた声の教頭先生に、ヒルマン先生はニッコリ笑って。
「ああ、理事長だ。気に入らなければ会った後で断ればいいが、悪い話ではないと思うよ。実に気立てのいいお嬢さんでね」
「…そう言われても困るのだが…」
「話は最後まで聞きたまえ。あちら様は君のブルーへの想いを承知で、お会いしたいとおっしゃっている」
「「「えぇっ!??」」」
教頭先生と私たちの叫びは同時でした。ヒルマン先生は驚き慌てる教頭先生に盃を勧め、その隣からゼル先生が。
「いい人じゃぞ! 結婚してもブルーを想い続けてかまわない、と言っとるんじゃからな。こんな良縁はそうそう無いわい。会うんじゃ、ハーレイ! 会って結婚に漕ぎ付けるんじゃ!」
「……しかし……」
「ええい、じれったい! 知らん人ではないというに!」
ゼル先生が机をバン! と叩きました。
「ヒルマン、さっさと言わんかい! もったいつけても仕方なかろう!」
「うむ。…実はな…」
ヒルマン先生が鞄から見合い写真と釣書を取り出し、教頭先生に差し出しながら。
「お相手というのは保健室のまりぃ先生なのだよ」
「「「!!!」」」
とんでもない名前に私たちは御椀をひっくり返すところでした。
「君とは去年の親睦ダンスパーティーでタンゴのパートナーを組んで以来の付き合いだというから、親しみが持てる相手だろう。ブルーのことを知っていたのは驚きだったが…」
本当にいい話だと思う、と繰り返すヒルマン先生と、「ハーレイの前途を祝して乾杯!」と叫んでは盃を重ねるゼル先生。まだまだ盛り上がりそうな隣の部屋を他所に、私たちの前にはデザートの果物のお皿が並びました。
「…教頭先生とお見合いだなんて…。まりぃ先生、本気なのかな?」
ジョミー君の疑問に、会長さんが。
「本気だよ。少なくとも、お見合いをしようって程度には」
「…少なくとも…? なんだ、それは」
キース君が不審そうに眉を寄せます。
「うん、だからね…。お見合いする気は満々だけど、本当に結婚したいのかどうか分からない。ゼルがハーレイを呼び出す、って話を聞いてサイオンで探ってみたら、まりぃ先生の件に行きついた。でも、まりぃ先生の心が読めないんだ。お見合いを控えてハイになってて、心の中がハートマークで埋まっちゃってる」
そして隣の部屋の中では…。
「というわけで、ハーレイ」
姿勢を正したヒルマン先生が改まった口調で言いました。
「今週の土曜日にホテル・アルテメシアに席を設けた。まずは会うだけ会ってみたまえ。私と理事長も同席するが、食事の後は二人で過ごしてみればいい。映画に行くも良し、芝居も良し。…そうそう、まりぃ先生は今評判の女形の舞台が好きらしいね」
「…そこまで話が決まっているのか…」
「ああ。君が来なければ、私と理事長、まりぃ先生の三人でランチだ。後でどうなっても私は知らんよ」
突き放すようなヒルマン先生の言葉にゼル先生が「減俸じゃ!」と囃し立てます。進退極まった教頭先生はお銚子を掴み、ヤケ酒を呷り始めました。会長さんは楽しそうに見ていましたが…。
「ふふ、独身最後の夜じゃあるまいし、あんなに飲まなくってもいいのにね。そろそろ、ぼくらはお開きにしよう。サイオン中継はこれでおしまい」
スゥッと壁が視界を閉ざし、隣の部屋が見えなくなります。会長さんは私たちに「土曜日だよ」と言いました。
「ハーレイのお見合い、やっぱり覗き見しなくっちゃ。今度の土曜日、空けておくこと。今日はすっかり遅くなったし、表へ出たら瞬間移動で家まで送るよ。…お見合い見物、楽しみだな。あのハーレイがどうするか…」
気の毒な教頭先生の名前で食事代をツケにした会長さんは、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒に私たちを一人ずつ家に送ってくれました。女の子優先でスウェナちゃんの次に送り出された私ですけど…なんだか色々ありすぎちゃって、今夜はロクに眠れないかも~!
埋蔵金探しに別荘ライフと楽しかった夏休みが終わりました。今日からいよいよ二学期です。1年A組の教室に行くと、教室のあちこちで皆が夏の思い出話や完成しなかった宿題の言い訳対策をワイワイ語り合っていて、とても賑やか。特別生の私たちは宿題免除になっているので、宿題なんかやってませんが。
「おはよう! 今日はブルーは来ないのかな?」
ジョミー君が教室の一番後ろを眺めます。会長さんがA組に来る日はそこに机が増えるのでした。
「来ないんじゃないか? 机が無いし。…ということは、抜き打ちテストも無いってことだな」
面白くない、とキース君。テストの類が大好きなのは大学生になった今も変わりません。大学はまだ夏休みの最中だそうで、久しぶりの学校生活に期待していたようでした。
「グレイブ先生、夏休みは殆ど留守だったんだぜ? 抜き打ちテストなんか用意してるわけないって!」
「ハネムーン代わりのクルージングですからね。いくら先生でも無粋な仕事を持ち込んだりはしないでしょうし」
サム君とシロエ君が言っているとおり、グレイブ先生は夏休みの大部分をミシェル先生とのクルージングに費やしていました。その間は直接連絡や質問は不可。おかげで宿題が仕上がらなかった気の毒な人もけっこういます。まぁ、そういう人は情状酌量されるでしょうけど…。やがてカツカツと聞き慣れた靴音が響いてきて。
「諸君、おはよう。有意義な夏休みを過ごしたものと期待しているぞ」
現れたグレイブ先生は驚くほど日焼けしていました。集中する視線に、先生はニヤッと笑ってみせて。
「気になるか? 船のデッキで過ごした結果だ。諸君も勉学にいそしみ、真面目に人生の階段を登って行けば優雅なバカンスが出来る身分になるだろう。クルージングは素晴らしかった」
始業式の後のホームルームは、特別生の私たちも二年目にして初めて聞いたグレイブ先生の独演会。クルージング中の船での日々や、寄港した土地の風土に名物、現地の人との交流などの話は普段の先生からは想像もつかない面白いもので、全く退屈しませんでした。宿題の提出時間になっても先生はいつもより寛容で…。
「なに、今日までに出来なかった? では一週間の猶予を与えよう。その間に提出しに来るように」
阿鼻叫喚を免れた人たちは大喜びです。こんな調子で終礼も済み、私たち特別生は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かって出発しました。生徒会室に着いて入ろうとすると、いつもの壁の紋章の上に張り紙が。子供っぽい字は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が書いたのに違いありません。
「お客様が来ています。ちょっと待ってね…?」
朗読したのはジョミー君でした。こんな張り紙は初めてです。お客様って誰でしょう?
「とにかく待てってことなんだろう。…そこに麦茶と水羊羹が」
キース君が指差した先の机に人数分のコップとお菓子が置かれていました。生徒会室には一応ちゃんと会議用のテーブルと椅子があるので、私たちはそこに座ってティータイム。
「どのくらい待てばいいのかしら?」
「ちょっとと書いてあるんですから、一時間も待たされることはないでしょうけど…」
スウェナちゃんとマツカ君の会話が終らない内に、壁の向こうから会長さんが姿を現わし、続いてアルトちゃんとrちゃんが。お客様ってこの二人…?
「今日から新学期だし、呼んでおくのもいいかと思って。どうだい、まだ壁には何も見えないかい?」
張り紙を外した会長さんが壁の紋章を指差しましたが、アルトちゃんたちは首を傾げるばかりでした。会長さんはクスッと笑って、二人に「お土産」とピンクの紙でラッピングされた包みを渡します。
「ぶるぅの特製ビスケットだよ。アイスクリームを挟んで食べると美味しいんだ。壁の紋章が見えるようになったら、いつでも遊びに来てほしいな」
またね、と手を振る会長さんはシャングリラ・ジゴロ・ブルーの名に相応しい甘い微笑みを浮かべていました。
お客様を見送った私たちが「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入ると…。
「かみお~ん♪ 今日はフルーツパフェなんだ。アルトさんたちにも出したんだよ!」
手際よく人数分のパフェが盛られて運ばれてきます。会長さんの話によるとアルトちゃんたちが先に到着することになるよう、私たちを教室に踏み止まらせていたそうですが、言われるまで気付きませんでした。意識下に働きかける力が強い会長さんならではの技なのでしょう。
「わざわざ呼んで雑談だけか? まだサイオンは無いようだし…」
キース君が尋ねると、会長さんはクスッと笑って。
「他に何をするんだい? ぶるぅもいるのに口説くわけにはいかないよ。それはまた夜のお楽しみ」
「ちょっ…。夜って、あんた、本当に手を出してるんじゃないだろうな!?」
「どうだろうね? 退学にならないように気を付けてるし、ぼくたちの仲には口出し無用」
うーん、アヤシイ感じがします。夢を見せるだけだと聞いてましたが、会長さんが璃慕恩院の偉いお坊さんも認める女たらしだと知った今では、どこまで本当か分かりません。いつの間にか一線を越えていたとしても不思議はないかも…。でもアルトちゃんたちは最初から夢だと思っていないんですし、深く考えるだけ時間の無駄だという気もします。会長さんが真相を語ってくれるわけがないんですから。
「アルトさんたちって可愛いよね。仲間になっても君たちとは別に扱おう、って決めたんだ。友達扱いしちゃ申し訳ないし、恋人らしく付き合わないと。サムみたいに個人的に会うのもいいかな」
「「「えっ!?」」」
思いがけない言葉に私たちはビックリ仰天。会長さんとサム君が個人的に…って、もしかしてデートしたんですか?
サム君を見ると、少し照れた顔をしています。
「今日は一緒に登校したんだ。朝、バスの中や校門の外でサムに会った人はいないだろ?」
「そういえば…」
同じ路線のバスを使っているジョミー君が反応しました。
「いつもだと同じバスなんだよね。今日は見かけなかったし、ぼくより後で教室に来たし、遅い方のバスかと思ったんだけど」
「残念でした。サムは始発のバスでぼくの家に来て、朝御飯を食べてから瞬間移動でこの部屋に…。何故かって? 朝の礼拝をしに来たのさ。埋蔵金探しで見つけた阿弥陀様を拝みにね。今日からぼくがお勤めを教えるんだよ」
ニッコリ笑う会長さん。なんとサム君は会長さんに弟子入りをしたというのです。
「毎日通うのは大変だから、最初は週に一回くらいでいこうと思う。慣れてきたら回数を増やして、その気があれば出家もいいね。とりあえず礼拝に来た日は一緒に食事して登校するっていうのが御褒美。ジョミーもどうだい?」
「え? …ええっ!? ぼ、ぼくは阿弥陀様を拝む気は…」
「そう? じゃあ、当分はサムと二人で健全な朝のデートができそうだ。阿弥陀様の前では邪心も消える。サムとぼくとの素敵な時間さ」
サムの側にいると癒されるんだ、と会長さんは幸せそうに言いました。うーん、やっぱりペット感覚? でもサム君は会長さんにベタ惚れですし、阿弥陀様の前で朝の勤行をするのが日課になっても喜んで精進しそうです。変わったデートもあるものだ、と私たちは苦笑するしかありませんでした。
フルーツパフェを食べながらの一番の話題は教頭先生のお風呂オモチャ。会長さんによると教頭先生はソルジャーに貰ったお風呂オモチャを大切にしていて、専用の湯桶まで買ったらしいです。
「それがね、ヒノキの最高級品なんだ。お風呂オモチャを入れて浮かべて楽しんでる。オモチャを取り出して浮かべる時が至福の時間みたいだよ。コツンと身体に当たったりすると、頬っぺたが赤く染まっちゃうんだから」
ブルーを連想するんだろう、と苦笑いする会長さん。
「ヘタレ直しの修行に行った時の記憶が蘇ってくるのかもしれないね。お風呂の中で一人で盛り上がってることもある。…まぁ、ぼくに言い寄ってくるんじゃないから実害はないし、ふやけるまで浸かっていてもいいんだけどさ」
でも、と会長さんは立ち上がりました。
「新学期が始まったからには挨拶をしておかないと。食べ終わったんなら、そろそろ行こうか」
どこへ? と尋ねる前に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が奥の部屋からプレゼント包装された平たい箱を運んできます。これって、もしかしなくても…。
「新学期の度に新品を五枚。そう、紅白縞のトランクスだ」
「またあれか…」
キース君が露骨な溜息をつき、「そうだった」と呟いて。
「あんたに聞こうと思ってたんだ。今まで何度も教頭先生のトランクスを見る機会があったが、いつも紅白縞だった。柔道部の合宿で見た時もだ。…教頭先生はあんたがプレゼントしたトランクスしか履かないのか?」
「違うよ。柔道部の指導をした日は学校でもシャワーを浴びてるんだし、そこで当然、履き替える。バレエのレッスン場に出かけた時も履き替えてるね」
「「「バレエ!?」」」
「うん。かるた大会の余興でやらせたバレエ、謝恩会でグレードアップしただろう? 覚えてるかな、四羽の白鳥。グレイブとミシェルは今もペアを組んでレッスンしてるし、ゼルも健康に良さそうだからと続けてる。三人もの仲間に誘われちゃったら断れなくて、ハーレイもたまにレッスンするんだ」
ひぇぇ! 先生方がバレエの稽古を続けていたとは知りませんでした。新婚ほやほやのグレイブ先生たちはともかく、教頭先生とゼル先生まで…。
「バレエのレッスンはトランクスでは無理らしくって、それなりのヤツに履き替えてる。だけど終わってシャワーを浴びたら、即、トランクス。履き慣れたものがいいらしいね。…そんな調子だから、ぼくがプレゼントした5枚だけでは足りないよ。ぼくのプレゼントは『とっておき』で、普段の分は自分で買うのさ」
「「「とっておき!?」」」
「そう、とっておき。勝負下着みたいなものかな。…だからヘタレ直しの修行でブルーに会いに行った時も履いてたね。今日も履いていると思うよ、ぼくが来るって決まってる日だし」
「「「…………」」」
紅白縞は教頭先生のお好みだったらしいです。会長さんのプレゼントの他にも自分で買っているなんて…。
「だってさ、ぼくとお揃いなんだよ? ハーレイはそう信じてる。メーカーがちゃんと分かってる以上、いつだって紅白縞を履いていたいと思ってるわけ。青月印の紅白縞を…ね」
ぼくは黒白縞も青白縞も御免だけど、とニッコリ笑う会長さん。こんな人に騙されて紅白縞を履き続けている教頭先生が気の毒になってきましたよ…。けれど会長さんは意にも介さず、トランクスの箱を持って微笑んで。
「キースの疑問も解けたことだし、お届けものに出発しよう。ハーレイが首を長くして待ってる筈だ。君たちも一緒に行くんだよ。ボディーガードが必要だ。相手はお風呂オモチャでトリップできる危険なセクハラ教師だからね」
だったらやめておけばいいのに、と心で突っ込む私たち。けれど声に出す勇気は誰も持ち合わせていませんでした。会長さんを先頭に壁を抜け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も連れてトランクスを届けに行く行列は…何度経験しても気恥ずかしさが抜けません。行列のメインが紅白縞のトランクスだというのが悪いんでしょうね。
中庭を横切り、本館に入って教頭室へ。会長さんが扉をノックし、いつものように「失礼します」と入ってゆきました。私たちも続いてゾロゾロと…。
「ハーレイ、いつものプレゼントを届けに来たよ。青月印の紅白縞を五枚」
はい、と差し出された箱を教頭先生は笑顔で受け取り、大切そうに机に置いて。
「いつもすまんな。…今日は私もプレゼントを用意してあるんだ」
「へえ…。珍しいね。美味しい物でも見つけたのかな?」
好奇心いっぱいの会長さんが引出しを覗き込もうと近づいた時、教頭先生の逞しい手が会長さんの左手を掴んでグッと引き寄せたからたまりません。
「―――!!!」
バランスを崩した会長さんは教頭先生の胸にドンとぶつかり、そのまましっかり捕まえられて…。
「何するのさ!!」
教頭先生を突き飛ばすように必死で逃れた会長さんは赤い瞳を怒りに燃え上がらせました。
「こんなプレゼント、受け取れないよ! 前にハッキリ断ったのに!!」
左手の薬指にルビーの指輪が嵌められています。それは教頭先生が贈って突き返された、お給料の三ヶ月分の婚約指輪。会長さんが受け取るわけがないというのに、教頭先生、お風呂オモチャで正気を失くしてしまいましたか…?
「とにかく返す!」
抜き取った指輪を会長さんが放り投げようとするよりも早く、土下座したのは教頭先生。
「受け取ってくれ、ブルー! 頼む!」
「……何の真似?」
ポカンとしている会長さんと私たちの前で、教頭先生は絨毯に頭を擦りつけて。
「私と婚約してほしい。結婚はお前が卒業してからでいいんだ」
「…ハーレイ…? もしかして派手に暑気あたり? 頭、煮えてる?」
「いいや、私は至って正気だ。無理を承知で頼んでいる」
顔を上げた教頭先生は思い詰めたような表情で会長さんを見詰めました。
「…婚約してくれるだけでいい。お前は卒業する気は無いのだろう? だから結婚は卒業してからでいい、と言ったんだ。つまり…その…結婚してくれとは言っていない」
「………???」
「それは…結婚してくれるなら嬉しいが…無理だと分かっているからな。頼む、婚約者になってくれないか」
「独身を馬鹿にされでもしたってわけ?」
会長さんの言葉に教頭先生の肩がビクッと震えます。図星だったみたいですけど、それで婚約しようだなんて凄い短絡思考なのでは…。けれど教頭先生は大真面目でした。
「馬鹿にされたというわけではない。…正確に言うなら罵倒された。いつまでも身を固めないから、お前への強姦未遂で謹慎処分を受けるような羽目になるのだ、と。結婚すれば邪な考えなど起こさないだろうと言われてな…」
「……誰に?」
教頭先生は答える代わりに立ち上がり、机の引き出しを開けました。
「久しぶりに教頭室に来たら、これが山積みになっていた。…どれもこれも紹介者はゼルだ」
バサッと放り出されたものは結婚相談所の名前が入った封筒の山。封が切られているので顔写真やプロフィール付きの書類が覗いているものも…。これっていったい何事ですか!?
「へえ…。もう入会申し込みは済んでるんだね」
興味津々で書類の一つを手に取ったのは、他ならぬ会長さんでした。ルビーの指輪は机の上に置かれてしまい、教頭先生が悲しそうな目で眺めています。
「ブルー、本当に婚約だけでいいんだが…」
「何を馬鹿なこと言ってるのさ。こんなに沢山プロフィールがあれば、気に入る人があるかもしれない。ちゃんと全部に目を通したかい? ぼくなんかを追っかけてるより、結婚した方が絶対いいって! 女性はとても素敵だよ。ぼくもフィシスに出会って人生がずっと充実したし」
「…私はお前しか考えられないんだ」
「ぼく? それって女性よりも男が好きだってこと? だったらこっちの方はどうかなぁ」
会長さんが山と積まれた中から薄紫の封筒を選び出します。そこには『マニアックなあなたに』という大きな文字が躍っていました。
「ゼルも分かっているじゃないか。ほら、同性婚専門の会社だってさ。登録されたデータに合わせて色々選んでくれたみたいだ。詳しい情報は今の段階じゃ分からないようにしてあるんだね。この名前も本名かどうかは不明ってことか。…あっ、この人なんか良さそうだよ。ねえ?」
見てごらん、と会長さんが私たちの所に持ってきたプロフィールには赤茶色の髭をたくわえた逞しいオッサン…いえ、おじ様の写真がついています。このオッサ…いいえ、おじ様の何処が教頭先生に相応しいと?
「名前はグレッグ。趣味は格闘技と剣術。酒と女と美少年に目がありませんが、どうぞよろしく…って素直な所が好感が持てる」
「酒はともかく、女ってあたりが間違ってないか? 同性婚専門の会社だろう」
正直な感想を述べるキース君。シロエ君も首を捻りながら。
「美少年と書いてありますしね…。教頭先生とは合わないんじゃないかと思いますけど」
「そうかなぁ? 案外、同好の士で上手くいきそうに思えるけど。美少年好きで格闘技が趣味だしさ。会ってみたら? ハーレイ」
教頭先生は渋々プロフィールに目を通してから「ダメだ」とキッパリ言い切りました。
「会ったとしても結婚などは考えられんが、意気投合して友人になる可能性はゼロではない。そうなればお前が危険なんだ。目をつけられたら大変だぞ」
「ぼくのことなんか考えなくてもいいんだってば! でもさ、友達になる可能性があるってことは…データマッチングがいい線いってる証拠だよね。友達から始めるのは王道だし。…この会社からは他にも色々来ているよ。誰か選んで会えばいいのに」
会長さんが面白がっているのは明らかでした。他の封筒の中身も引っ張り出して私たちに回してきます。マニアックな会社からのプロフィールが五人分。まっとうな結婚相談所からの女性のプロフィールは…三十人分はあったでしょうか。お見合いパーティーの案内状も混ざってますし、ゼル先生の本気度はかなり高そうです。
「お願いだ、ブルー。ゼルの暴走を止めてくれ」
ワイワイ騒いでいる私たちを遮って、教頭先生が会長さんに頭を下げました。
「この中から決めろとまでは言われていないが、結婚を考えるようにと言われたんだ。今夜はその件で呼び出されている。気に入った人があったかどうか報告しろと厳命された。無ければ無いで次があるからと電話で脅しをかけられてな…。だから婚約してほしい。そうすれば…」
「お断りだね」
会長さんはピシャリと撥ねつけ、結婚相談所からの書類の山を教頭先生の机に戻して。
「縁談を断るために婚約しようだなんて最低だよ。ぼくと結婚したいって言うならともかく、結婚はしなくていいから婚約だけって、馬鹿にするにも程がある。ぼくへの気持ちはその程度なんだ。…よく分かった」
「ちっ…違う、ブルー、誤解だ! 私は本当にお前だけを…。お前しか考えられないから縁談を全て円満に断ろうと…!」
「何か言ってるみたいだけれど、帰ろうか。トランクスは届けたんだし、もういいよね」
クルリと踵を返す会長さん。教頭先生は必死に言い訳していましたが、馬耳東風というヤツです。全員が廊下に出ると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が全体重をかけて扉を閉ざし、気の毒な教頭先生は取り残されてしまったのでした。
お届けものを終えて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻った私たちは堰を切ったように話し始めて上を下への大騒ぎ。教頭先生が結婚だなんて、本当に実現するんでしょうか? 教頭室からの帰り道では人目があるので触れずに帰って来ましたけれど、これはとんでもない事件です。
「あんた、この話を知っていたのか?」
キース君の問いに、会長さんは首を左右に振りました。
「ううん、初耳。知っていたならもっと楽しい趣向を考えてるさ。…ぼくも縁談を持って行くとか」
「それは確かにそうかもな…って、あんた、縁談なんか何処で探してこようっていうんだ」
「一声かければ簡単だよ。坊主は顔が広いのさ。君だって知っているだろう?」
ふふふ、と笑う会長さんは見るからに自信たっぷりでした。
「お寺にはいろんな人が来るじゃないか。政財界とも繋がりがあるし、その気になればハーレイを逆玉に乗せることだって可能なんだ。…ちょっと探してみようかな」
「可哀相だよ、教頭先生」
ジョミー君が言い、サム君が。
「だよなあ…。ブルーに縁談を持ちかけられたら、断れないかもしれないし。断ったら嫌われちゃうんじゃないか、って思ってそのまま結婚しちゃうかも…」
「それは相手の人にも悪いわ。そうでしょ、みんな?」
スウェナちゃんの言葉にコクリと頷く私たち。会長さんは「冗談だよ」と微笑んで…。
「ぼくが縁談を持って行ったら、その展開になりかねないんだよね。なにしろ相手はハーレイだから。それに比べるとゼルはまだまだ罪が軽い方かな。勝手に結婚相談所に登録したっていうのが凄いけど」
「個人情報も何もあったもんじゃないな…」
呆れ果てた様子のキース君に会長さんはクスッと笑いました。
「大丈夫、君たちの個人情報は厳重に管理されてるさ。ゼルの暴走は長年の付き合いがあるハーレイを落ち着かせようとの善意からで…決して悪意は無いんだよ。他にも色々と手を打ったようだ」
他にも? 他にも色々って…ゼル先生はいったい何を?
「ハーレイが今夜はゼルの呼び出しがあるって言ってただろう? 送られてきてたプロフィールの中に気に入った人が無ければ次を考えてる…って。どうやらお見合いらしいんだよね」
「「「お見合い!?」」」
お見合いパーティーじゃなくて、いきなり本物のお見合いですか? まさか今夜? 蜂の巣をつついたような私たちのパニックぶりを会長さんは笑って眺めていましたが…。
「そうだ、みんなで見に行こうか。今ならゼルが頼んだ部屋の隣が押さえられる」
「「「えぇっ!?」」」
「うん、楽しいんじゃないかと思うよ。美味しいものを食べながら覗き見。ぶるぅも外で食べたいよね?」
会長さんが口にしたお店は聞いたことがある料亭でした。私たちが返事をする前に会長さんは電話をかけてお座敷を押さえてしまったようです。えっと…本気で覗き見をしに行くんですか…?
「ちゃんと予約をしといたよ。食事代はツケが効くから心配ない。…もちろんハーレイの名前でね」
「「「鬼!!」」」
思わず叫んだ私たちでしたが、会長さんは平然と…。
「ハーレイだって、ぼくを利用しようとしてたじゃないか。縁談よけに婚約だって? 冗談じゃない。ぼくを馬鹿にした罪は重いんだ。九人分の飲食代を負担したくらいじゃ償えないさ。みんな、家に連絡しておくんだよ、今夜は遅くなります…って」
ゼル先生が教頭先生を呼び出した部屋の隣で宴会をすることになった私たち。料亭なんて初めてですし、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「そこのお店は美味しいよ」と太鼓判を押しているので楽しみですが、隣の部屋が気になります。新学期早々、とんでもない展開になっちゃいました。教頭先生、大丈夫かな…。
無事に到着したマツカ君の家の海辺の別荘。今日から男の子たちの「顔だけ日焼け」状態を解消するべく一週間の別荘ライフです。ゲストルームに荷物を置いたら早速、水着に着替えてプライベート・ビーチへお出かけすることに決まりました。スウェナちゃんと私が玄関に行くと、もう全員揃っていましたが…。
「お揃いの水着なの?」
スウェナちゃんが二人の「そるじゃぁ・ぶるぅ」に尋ねます。全く同じデザインの海水パンツは色違いになっていましたけれど、どっちが私たちの世界の「そるじゃぁ・ぶるぅ」?
「あのね、朝から一緒に買いに行ったの! ね、ぶるぅ?」
「うん! ブルーも色々買ったんだ。ぼくたち、海で泳ぐの初めてだから」
ほらね、と「ぶるぅ」が指差した先で大きなトートバッグを提げているのがソルジャーみたい。会長さんとソルジャーも色違いの海水パンツときましたか…。しかもパーカーはお揃いですし、なんだか混乱してきそうです。
「大丈夫だよ。海で泳ぐ気満々なのがブルーで、ぼくは昼寝をするつもりだから」
会長さんが軽くウインクしてみせました。
「そういうわけで、ブルーの相手はお願いするね。サイオンを使わずに潜ってみたいって言っているから、シュノーケルとか教えてあげて」
「「「えぇっ!?」」」
シュノーケルと足ヒレを持っていたのは男の子全員。去年は二泊三日でしたし、海の様子も知らなかったので普通に海水浴でしたけど、今年は潜る気だったようです。
「…ぼくに教えるのはイヤってこと?」
「そ、そうじゃなくて…」
ジョミー君がしどろもどろになり、キース君が。
「いきなりシュノーケルだなんて言い出されても…。そもそも泳ぎは出来るのか? 潜れる場所は少し遠いぜ」
あそこなんだ、と示した場所は海に突き出した岬の岩場。浜辺からだと数百メートルありそうです。ソルジャーはニッコリ余裕の笑みを浮かべて。
「たまに青の間で泳いでる。あのくらいなら多分大丈夫だと思うけど?」
「…多分ときたか…。仕方ない、ゴムボートも用意していこう。あったな、マツカ?」
「はい! すぐに支度をさせますね」
マツカ君が玄関先にいた執事さんに頼み、ゴムボートは後から浜辺に運んでもらえることになりました。
「大丈夫だって言ってるのに…」
ソルジャーは少し不満そうですが、キース君は頑として譲りませんでした。
「ダメだ! 海で泳ぐのは初めてだと聞かされた以上、念には念を入れないと。海を甘く見てはいけないと教頭先生にも言われたからな」
「教頭先生? …ハーレイも去年此処に来たとは聞いていたけど…」
「俺たちに古式泳法を教えてくれた。いわば師匠だ。俺の柔道の師匠でもあるし、教えは守る必要がある」
「ふぅん…。ハーレイがそう言ったんなら従おうかな。じゃあ、初心者だけど、みんなよろしく」
そう言って微笑むソルジャーを囲むようにして、私たちは浜辺に向かいました。ちゃんとパラソルと椅子が幾つか用意されていますが、日焼けが目的の男の子たちには無用の長物になりそうですね。
パラソルの下に荷物を置くと、男の子たちとソルジャーは早速海へ。シュノーケルの練習の前にひと泳ぎするみたいです。浮き輪を持った「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」も大はしゃぎで一緒に泳いでいました。スウェナちゃんと私は途中までついていったものの、足がつかなくなった辺りで怖くなって引き返し、浅めの場所を行ったり来たり。もちろん日焼け対策はバッチリですとも! 会長さんはパラソルの下に置かれた真っ白な椅子でお昼寝でした。
「半時間ほど休憩するぞ」
キース君がそう言いながら戻ってきたのは一時間ほど経った頃。後ろにソルジャーたちが続いています。水泳部隊を仕切る役目はキース君になったのかな? 確かに男の子たちの中では一番運動神経が良さそうですし、大学生でもありますし…。私たちが浜辺に上がると、賑やかな気配のせいか会長さんが目を覚ましました。
「やあ、お帰り。休むんなら日陰に入ればいいのに」
「やだよ! ぼくたち日焼けしに来たんだから!」
ジョミー君が叫び、男の子たちは浜辺でゴロゴロ。私とスウェナちゃんはパラソルの下に座り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」は波打ち際で遊んでいます。そしてソルジャーは…。
「紫外線っていうんだっけ? 肌にあんまり良くないらしいね。地球の太陽は魅力的だけど、日陰に入った方がいいかな」
銀色の髪をかき上げながら会長さんと同じパラソルに入り、トートバッグからスポーツドリンクを取り出して一気飲み。初日から馴染んでいるようですけど、サイオンで情報を教えてもらったのかな? そんなソルジャーの横で会長さんが自分の荷物から絵葉書とペンを取り出しました。
「なんだい、それは?」
「絵葉書だよ。ぼくの可愛い恋人たちが待ってるからね、潮の香りと海風の中で書いてあげたくて」
げげっ。もしかしなくてもアルトちゃんとrちゃん用の絵葉書ですか? 会長さんはソルジャーが覗き込んでいるのも気にせず、サラサラとペンを走らせています。
「埋蔵金探しに行ってたことは内緒だったんだ。その間は消印でバレないように、家に帰った時にフィシスに頼んで投函してもらっていたんだけれど…もう終わったから教えちゃおうと思ってさ」
「…消印? 投函…?」
「あ、ごめん。君の世界には無い制度かな? 郵便物には最初に扱った場所を示すスタンプが押される決まりになっててね…。アルテメシアだけでも中央とか西とか色々あるんだ。それを見れば何処で出した手紙かすぐ分かる。だから埋蔵金探しをしていた場所から出すと、いつもの場所にいないってことがバレちゃうんだよ。投函っていうのは郵便物をポストに入れることさ」
別荘の人に頼んで出してもらおう、と会長さんが書き上げた絵葉書は埋蔵金探しの最終日に蓮池で撮った集合写真でした。胴長を着た男の子たちがレンコンを抱え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が黄金の阿弥陀様を持っています。会長さんも私たちも最高の笑顔の一枚ですし、アルトちゃんたちにもウケるでしょう。
「どれどれ? …実は埋蔵金を探しに行っていました。これは現地で採れたレンコンと黄金の阿弥陀様です…って、嘘つきな上に不実だね」
ソルジャーが文面の一部を朗読してから会長さんに責めるような目を向けました。
「砂金のことは書かないんだ? それに恋人に出す手紙とも思えない。ただの挨拶状じゃないか」
「埋蔵金はシャングリラに送っちゃうから、シャングリラの存在を知らない人に教えるわけにはいかないよ。それと愛の言葉を書いてないのは、家族の人に見つかっちゃうとマズイから。ぼくたちの学校は男女の深い交際がバレると退学になってしまうんだ」
「文字通り秘密の愛人ってわけか。その情熱を君のハーレイにも向けてあげればいいのにさ」
「いやだね。…ほら、休憩は終わりみたいだよ。キースが呼んでる。…シュノーケルを教えてもらうんだろう?」
早く行かないと置き去りだよ、と会長さんはソルジャーを海へと送り出しました。ゴムボートも用意されていますし、練習が上手くいったらそのまま岩場へ行くのでしょう。「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」は砂のお城作りに夢中です。別荘ライフは一日目からとても充実していました。
昼間は海でたっぷり遊んで、夜は美味しい御飯を食べてボードゲームにトランプ大会。四日目の夜は近くの村で盆踊りと夜店があって、浴衣姿でお出かけも…。みんなで金魚すくいに興じた結果、一番上手だったのはソルジャーでした。サイオンは使ってないそうですが、文字通りの戦士だけあって勘がいいのかもしれません。
「この金魚。ぼくの世界に持って帰れないのが残念だな…」
大きな水槽に放した戦利品の金魚を見ながら、ソルジャーが溜息をつきました。
「なんで? ごちゃ混ぜになっちゃってるけど、色と模様で分かる金魚も沢山いるし…分からないのは数で分ければいいと思うよ」
ジョミー君の言葉にソルジャーは「駄目なんだ」と首を横に振って。
「別の世界から持ち帰った生き物を飼育するとなると、ぼく一人だけの問題じゃない。こっちの世界では大丈夫でも、ぼくの世界には壊滅的な被害を及ぼすウイルスを持っているかもしれないからね」
真剣な面持ちのソルジャーに、会長さんが頷きました。
「…ウイルスか…。ぼくの世界でも他の国から生き物を持ち込む時には検査が必要だったりするな」
「君もソルジャーなら分かるだろう? シャングリラは閉じられた世界なんだ。ぼくの我儘を通すわけにはいかないよ。養殖中の魚が全滅したら大打撃だ。貴重なタンパク源なのに」
なるほど…。たかが金魚でも生き物ですから検疫が要るというわけですか。ソルジャーと「ぶるぅ」が私たちの世界に出入りしていることはキャプテンしか知らない秘密なんですし、金魚の検疫は無理そうです。
「可愛い魚なんだけどね…。ぼくの分の金魚はみんなで分けて」
そういうわけでソルジャーがすくった金魚は私たちのものになりました。更に水槽よりも池の方が長生きするという話になって、金魚は纏めて元老寺の池に放すことに。私たちが別荘を引き払った後、専門の業者さんがキース君の家へ運んでくれるのです。
「うちは放生会はやっていないんだがな…」
キース君が苦笑し、サム君が。
「ホウジョウエ…? それってなんだ?」
「日々の食事で魚や動物等の命をいただく事に感謝して、池に魚を放す儀式だ。それ専門の池を持ってる寺もある。わざわざ金魚を運んで来て池に放すんだから、親父が勘違いをしそうな気が…」
「いいじゃないか、キース。勘違い、大いに結構だよ」
爽やか笑顔の会長さんがキース君の肩を叩きました。
「この際、放生会をやっておきたまえ。お父さんは手順をご存じだろうし、これから毎年やるといい」
「ちょっ…。他人事だと思って楽しそうに!」
「他人事なのは事実だろう? なんなら一筆書いてあげようか、お父さんに。住職を目指す君の決意表明として、新たに放生会を始めることになった…って」
「やめてくれーっっっ!!!」
悲鳴を上げるキース君は、まだまだ住職への覚悟が足りないようです。住職になるには道場入りが必須。それには剃髪が絶対条件なんでしたっけ…。
楽しい日々はあっという間に過ぎ、明日は帰るという日の昼下がり。男の子たちは望みどおりに見事に日焼けし、もう充分と日陰で昼寝をしていました。ソルジャーは浮き輪を着けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」を連れて岩場まで泳ぎ、潜って遊んできたのですが…。
「ブルー、ちょっといい?」
浜辺に上がって身体を拭いたソルジャーが会長さんの頬を両手で包み込みました。
「………!!!」
「あ、違う、違う。キスしようってわけじゃないってば」
引き攣った顔の会長さんの頬をソルジャーは何度か撫でて、それから自分の頬を撫でて。
「…うーん、やっぱり…ガサガサかな?」
肌が荒れているような感じがする、と言うソルジャーの頬に会長さんが触れ、自分の頬に触れてみて…。
「荒れちゃったね。海水はけっこうキツイんだよ。日焼けはしてないみたいだけれど、日焼け止めも肌荒れの原因になるし…海は何かとトラブルの元」
「知らなかった…。まあ、ハーレイは鈍いから触っても気付かないかな。そのうち元に戻るだろうし」
「ハーレイ!?」
会長さんの顔が赤くなり、聞いていたスウェナちゃんと私も言葉の意味に思い至って耳まで真っ赤に。ソルジャーの肌に向こうの世界のキャプテンが触れるというのは偶然とかではありません。明らかに目的があり、その先は…。会長さんはソルジャーから視線を逸らして水平線を見ていましたが、赤い瞳が不意にキラリと輝きました。
「ブルー。…その肌、元に戻るよ。ハーレイはその道のプロだから」
「えっ?」
「ほら、前に話をしただろう? エステティシャンの技術を植え付けた、って。お風呂オモチャをプレゼントした御礼に頑張って磨いて貰えばいい。全身エステでピカピカにね」
そして会長さんはマツカ君を呼び、色々と打ち合わせてから自分のケータイを取り出して…。
「もしもし、ハーレイ? 今、マツカの別荘に来ているんだ。それでね…」
これでオッケー、とニッコリ笑う会長さん。ジョミー君たちも集まってきて聞き耳を立てていたので、悲鳴に似た叫びが上がります。
「「「教頭先生を此処へ!?」」」
「うん。ブルーの肌が荒れちゃったから、帰る前に全身エステを受けておくのがいいと思って」
しれっと答える会長さんに砂浜は上を下への大騒ぎ。いくら教頭先生がプロだといっても、ソルジャー相手のエステとなれば大惨事かもしれません。エステの最中はプロ根性で平気でしょうけど、後の鼻血で失血死とか…。けれど全ては決定済みで、教頭先生は夕方に到着するのです。おまけにマツカ君の家の別荘にはエステ専用のお部屋があって、執事さんはエステに使う品を揃えに使用人さんを街へ走らせた後。
「平気だってば、ただのエステだし。ブルーには頼む権利もあるしね」
お風呂オモチャの御礼代わりさ、と言われてしまうと誰も反論できませんでした。ソルジャーは懲りずに海へ泳ぎに行っちゃいましたし、後は野となれ山となれです。
夏の遅い陽が暮れ始める頃、教頭先生がタクシーで別荘に到着しました。去年は会長さんの悪戯でストリーキングをさせられてしまった先生ですけど、執事さんと普通に会話を交わしています。この落ち着きはやっぱり大人。会長さんとソルジャーが二人並んでクスクス笑いを漏らしていても、教頭先生は穏やかに微笑んだだけでした。みんなで夕食を済ませた後は…。
「じゃあ、エステを受けに行ってくるね。ブルーから話は聞いていたけど、体験できるとは思わなかったな」
「とても気持ちがいいんだよ。今日のコースはハーレイのお薦め。肌荒れに効果抜群だってさ」
ソルジャーと会長さんが立ち上がり、執事さんが「こちらでございます」と二人を案内してゆきました。教頭先生は一足先に行っていますし、すぐにエステを始めるのでしょう。会長さんは付き添いかな、と思っていた私たちですが…。
「後はハーレイに任せてきたよ。ブルーは初めてだからオイル選びとか手伝ったけど、ぼくと好みが似ていて笑っちゃった」
食堂に戻ってきた会長さんは御機嫌でした。エステには二時間半もかかるそうですし、私たちはいつも夕食後に遊ぶ広間で別荘ライフ最後の夜を楽しむことに決定です。そこには金魚すくいで捕った金魚たちが泳ぐ水槽があり、お菓子や飲み物も揃っていました。ワイワイ騒いで盛り上がっていると、「失礼します」と声がして。
「ご注文の品が届きました。こちらへお持ち致しましょうか」
ドアをノックして入ってきたのは執事さん。注文の品って、誰が何を?
「ありがとう。…そうだね、一時間ほど後で持ってきてくれると嬉しいな」
会長さんが答え、執事さんは「かしこまりました」と頭を下げて出てゆきます。えっと…一時間といえばソルジャーのエステが終わる頃ですが、スペシャル・ドリンクか何かでしょうか?
「ブルーにね、ちょっとプレゼントなんだ。ぼくからってわけじゃないけれど」
「「「???」」」
謎の言葉に首を傾げる私たち。会長さんはクスッと笑い、何を注文したのか話すつもりは無さそうでした。代わりに教えてくれたのは…。
「ブルーって度胸があるんだよ。下着なしでエステを受けるってさ」
「「「えぇっ!?」」」
「ぼくには無理。絶対、無理。…ハーレイ、極楽気分だろうね。あ、エステの最中はプロだったっけ。後からドッとくると思うよ、鼻血は間違いないと思うな」
そう言いながら会長さんはサイオンで覗き見したようです。
「うん、本当に何も着てない。今は海藻パック中。最後の仕上げがフラワーバスとトリートメントで、しっとり肌になる筈なんだ。ハーレイも自信たっぷりだったし」
施術中はプロ中のプロと化す教頭先生。ソルジャーの肌荒れを解消すべく奮闘中なのはいいですけれど、全て終わったら倒れてしまうかもしれません。どうなるんだろう、と話している間に時間が過ぎて広間の扉が開きました。
「ただいま。身体中、艶々にして貰ったよ」
頬をほんのりと上気させたソルジャーが浴衣姿で現れます。後ろにはラフな格好の教頭先生が続いていますが、案の定、鼻をティッシュで押さえて真っ赤な顔。マツカ君の別荘という場所柄、倒れるわけにはいかないと気合を入れているようでした。ソルジャーはソファに座ると満足そうに伸びをし、会長さんを呼んで頬の手触りを比べてみて。
「ふふ、ぼくの方がしっとりしてる。こんなに効くとは思わなかったな」
「そうだろう? ハーレイの腕は確かなんだよ」
会長さんがそう言った時、ノックの音が聞こえました。そういえば約束の時間です。会長さんが扉を開けると、執事さんが黒い布をかけた箱を運び込んで扉のすぐ横に置いて。
「今は静かにしております。…布をどけると騒ぎますので、お気をつけて」
「ありがとう。無理を言ってすまなかったね」
「いいえ。皆様、どうぞごゆっくり」
執事さんは深々とお辞儀して立ち去り、残されたのは大きな箱。それを教頭先生が持ち上げ、ソルジャーが座っているソファの足許に置きました。鼻血は止まったみたいです。
「ソルジャー、先日は素敵な贈り物をありがとうございました。大切にさせて頂きます。何か御礼を…と思っておりましたら、あなたが欲しがってらっしゃるものをブルーが教えてくれまして…。急いで手配いたしました。お納め頂ければ嬉しいです」
「なんだろう? 布を取ってもかまわないかな?」
「ぜひ」
教頭先生が答え、ソルジャーが布をパッと外すと…。
「コケコッコー!!!」
けたたましい雄叫びが響きました。ケージの中身は茶色の雄鶏。これって…ソルジャーに雄鶏をプレゼントって、教頭先生、意味が分かっているのでしょうか?
「雄鶏…だね。もちろん貰うよ、喜んで」
ソルジャーは満面の笑顔でケージを覗き込み、教頭先生も嬉しそうですが、突然パァッと青い光が部屋に溢れて…。
「「「えぇっ!!?」」」
教頭先生がもう一人。いえ、あの服は…マントのついた制服姿は、まさかソルジャーの世界のキャプテン…?
「…ソルジャー…?」
急に現れた教頭先生のそっくりさんはキョロキョロと周囲を見回してから、ソルジャーに視線を向けました。
「私は自分の部屋にいた筈ですが…何故ここに?」
「自分に嫉妬しただろう? こっちのハーレイがぼくの身体を触りまくって、プロポーズして…それをぼくが受け入れた。ぼくが思念で中継するのを歯噛みしながら見ていたよね。そろそろ我慢の限界の筈だ」
「お分かりになっているなら、どうして見せたりなさったのですか。知らなかったら嫉妬など…」
言い争いを始めた二人に、教頭先生が困惑しきった表情で。
「すみません…。エステがお気に障ったのなら、お詫びします。ですが、プロポーズは覚えがありません。何か勘違いをなさってらっしゃるのでは?」
「ハーレイ」
割って入ったのは会長さん。
「雄鶏をプレゼントするのは男から男への求愛なんだ。古代ギリシャの習慣だよ。ぼくがブルーにそれを教えた。で、ブルーが雄鶏を欲しがってるというのは二人で考えた計略で…。エステとセットで中継すれば、あっちのハーレイが嫉妬に燃えて殴り込みたいと思うだろう? その瞬間にこっちの世界へ引っ張り込もうと…」
「では、私たちは…」
「「はめられた、と?」」
教頭先生とキャプテンの声が重なりました。何の為に、と尋ねる二人にソルジャーが。
「…お前に地球を見せたかった。ほんの少しの時間でいいから、二人で地球で過ごしたかった。明日はシャングリラに帰るから…その前に。ほら、暗くてよくは見えないけれど、窓の向こうが地球の海。日の出が凄く綺麗なんだ。お前も見たいと思わないか?」
「ですが…シャングリラを留守にするわけには」
「大丈夫、当分は何も起こらない。明日は二人揃って休暇を取っても平気なくらいに」
「しかし…こちらの皆様にご迷惑では…」
キャプテンの言葉にアッと息を飲む私たち。教頭先生が二人に増えたら流石に言い訳できません。けれどソルジャーは微笑んで。
「夜明けを見たら送り返すよ。それなら問題ないだろう? ぼくのベッドで眠ればいいし」
朝まで二人で一緒にいたい、というソルジャーの思い。それを後押しするように…。
「ならば私になってみては?」
教頭先生が言いました。
「ブルー、私を家に送ってくれないか? そうすれば私が二人になることはないし、夜明けどころかアルテメシアに帰り着くまで一緒にいられると思うのだが」
「いい案だね。ダテに三百年以上も片想いしてないっていうわけか。…どうする、ブルー? 君のハーレイと一緒に過ごして、アルテメシアまで旅をする? もちろん君が良ければ…だけど」
会長さんと教頭先生の提案に、ソルジャーは赤い瞳を見開いて。
「…本当に? 本当にハーレイと…アルテメシアまで一緒にいても…?」
「うん。君のハーレイはこっちの世界に決して来ようとしなかった。次は無いかもしれないんだし」
「そうです。この機会に地球の空気を満喫されては…」
ソルジャーは暫く考えを巡らせてから、キャプテンの顔を窺って。
「ぼくは明日まで休暇中。皆はお前と過ごしていると思ってる筈だ。その最終日にお前が無断欠勤しても、スタミナ切れでダウンしたんだと判断されて終わりだろう。…シャングリラはぼくがサイオンで監視するから、お前も一緒にこっちの世界に…」
「…ソルジャー…」
返事を渋るキャプテンをソルジャーの赤い瞳が見詰めます。二人揃ってシャングリラを離れる計画にソルジャーは完全に乗り気でした。どうなることかと息をひそめて見守る内に、キャプテンは静かに頷いて。
「来てしまったのも何かの縁でしょう。お世話になります」
「決まりだね。ハーレイ、お前の荷物を貸してあげてくれないか? アルテメシアまで運んでもらう代わりに」
「ええ。着替えなどはサイズも同じですから、どうぞ御自由に」
教頭先生は笑顔で答え、それから間もなく会長さんの青いサイオンの光に包まれて家に帰ってゆきました。
海の別荘の最後の夜は、ソルジャーが教頭先生…いえ、キャプテンの部屋に泊まったみたいです。翌日、ソルジャーはキャプテンも泳いでいるというのに海に入りませんでした。悪びれもせずに「痕をつけるな、って言うのを忘れたんだ」と微笑んだソルジャーは、帰りの電車でもキャプテンと並んで座って幸せそうで…。
「あれってハネムーンみたいなもの?」
「多分ね。ハーレイの夢を実現したらああいう風になるんだろう。ぼくは絶対ごめんだけれど」
ジョミー君と会長さんの会話と重なるように「ぶるぅ」のイビキが聞こえます。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も今にも瞼がくっつきそう。一週間の別荘ライフは充実していて、私もなんだかウトウトと…。えっ、雄鶏はどうなったかって? ソルジャーの世界に生き物を送るわけにはいきませんから、私たちの世界のシャングリラ号に送るんです。今はケージに入って電車の中。いずれ繁殖用の鶏として、埋蔵金の箱と一緒にシャングリラ号へ…。
「ねえ、ハーレイ。地球もなかなかいいものだろう?」
「そうですね。あなたをこちらへ逃がしたい気持ちが前よりも強くなりました」
このまま私だけを元の世界に…、というキャプテンの声。ソルジャーは聞き入れないでしょう。電車がアルテメシアの駅に着いたら、ソルジャーたちともお別れです。窓の外は海から田園地帯に変わり、真っ青な空に白い雲。アルテメシアの駅に着くまで、幸せな時間はまだたっぷりと…。ソルジャーもキャプテンも、そして「ぶるぅ」も、このまま地球に住めたら素敵なのに、と考えながら私は眠ってしまいました。神様、いつかソルジャーたちも憧れの地球へ着けますように…。
大いに盛り上がった慰労会の締め括りはデザートでした。ココナッツミルク入りの揚げ菓子やココナッツのケーキなどエスニック風味たっぷりです。それに見た目もとっても綺麗! 甘い物が大好きなソルジャーの口にも合ったようでした。それにしてもソルジャーと「ぶるぅ」、いつまで居座るつもりなんでしょう?
「ぼくたちがいては駄目なのかい?」
赤い瞳がこっちを向きます。私は慌てて首を左右に振りました。
「ふうん?…どうやら他のみんなも同じことを考えてるみたいだね。早く帰ってくれないかな、って」
「えっ? い、いや…そんなことは…」
会長さんが答えましたが、ソルジャーは容赦しませんでした。
「君もおんなじ意見だろう? 君はともかく、他の子たちが考えてることは簡単に読める。ぼくたちが帰らないと計画が立てられないっていうわけか。…明日から海辺の別荘暮らし。とても楽しい計画だよねぇ?」
「それは…ジョミーが日焼けしたいと…」
「なるほど。で、ぼくたちがいるとマズイってわけだ」
ソルジャーはココナッツミルクの餡で飾った一口大のゼリーを摘んで私たちをグルッと見渡しました。
「「「…………」」」
「ふふ、図星。ぶるぅ、ぼくたちお邪魔らしいよ」
え。ソルジャー、それは間違いです。確かに別荘行きの計画はソルジャーたちのいない所で…と思いましたけど、迷惑だからとかそんなのじゃなくて、ソルジャーに悪いと思ったからで…。
「悪い? ぼくに? どうしてそういうことになるのさ」
全員が同じ考えだったらしく、私たちは会長さんを見詰め、会長さんは大きな溜息をついて。
「…言葉にしなきゃいけないのかい? 答えはとっくに知ってるだろうに…。ここは君の生きている世界と違いすぎる。ぼくたちの能天気な日々を見せつけるような計画、君の前では話しにくいよ」
「そうかな? ぼくは全然気にしないけど。ぶるぅ、お前もそうだよね?」
「うん! で、どんなお話? 何の計画?」
ソルジャーと「ぶるぅ」は無敵の笑顔を向けてきました。けれど、やっぱり別荘ライフのお話なんて出来ません。ソルジャーにとっては平和な世界でさえ手の届かない代物なのに、その上、リゾートライフなんて…。私たちは何度も顔を見合わせ、会長さんを縋るような目で見て、会長さんはキュッと拳を握り締めて。
「…無理だよ、ブルー…。そんな無神経なこと、ぼくには出来ない」
「じゃあ、ぼくも一緒に行きたいと言ったら?」
「「「は!?」」」
「言葉通りだよ。ぼくとぶるぅも海の別荘に行きたいと言ったらどうなるのかな?」
「「「えぇぇっ!?」」」
それは思いもよらない発言でした。ソルジャーと「ぶるぅ」が一緒に海の別荘へ…って、そんなことが出来るんだったら、最初から悩みはしないんです。でも、どう考えても不可能ですよねえ?
「…ブルー…」
さっきよりも深刻な表情で会長さんが口を開きました。
「言いにくいんだけど、別荘行きは一日や二日で済まないんだ。一週間くらいは滞在することになるだろう。そんなに長くシャングリラを離れるなんて君には出来ない。…それとも君は一泊できれば満足なのか…? マツカ、別荘の方はぼくとぶるぅが二人ずついても平気かい?」
「それは問題ありません。お客様が誰であろうと、詮索するような者はいませんから」
「じゃあ、その方面は大丈夫だね。…ブルー、君が短期間でもいいのなら…」
「一日だけって誰が言った?」
ソルジャーの唇に不思議な笑みが浮かんでいます。悪戯が上手くいって大笑いしたいのを無理に抑えているような…笑いを噛み殺しているような。
「ぼくは一緒に行きたいと言ったんだ。一日だなんて言ってない」
「二日くらいは平気だとか…?」
「一緒に行くって言っただろう。一週間でも二週間でも、君たちと同じだけ行ってみたいな。…邪魔だっていうなら一日で我慢するけれど」
「一週間!?」
会長さんはポカンと口を開け、ソルジャーがクスクスと笑い出しました。
「ブルー、遮蔽が崩れているよ。…ぼくがシャングリラを捨てる気なのかと思ってるんだ? まぁ、それでも構わないんだけどね。実際、そうしろって言われているし」
「…シャングリラを…捨てる…?」
「そう。この世界に住み着いて二度と戻って来なければいい、と何度も進言されている」
「…誰に…?」
「決まってるじゃないか」
信じられない、という表情の会長さんを見つめるソルジャーの瞳は笑っていませんでした。
「シャングリラを…ぼくの世界を捨てろだなんて、ぼくに言えるのは一人しかいない。この世界のことを知っているのも、ぶるぅの他には一人しかいない。…分かるだろう?」
「…まさか……キャプテン…?」
「そのとおり。ハーレイはぼくがシャングリラに戻ると、いつも複雑な顔をする。実際に表情が変わるわけではないけれど…瞳の色で分かるんだ。ぼくが戻ってきたのを喜ぶ顔と、戻らないで欲しかったという顔。…本音は嬉しい筈なのに、いつも少しだけ悲しそうに見える。…どうしてか君に分かるかい?」
難しいかもね、とソルジャーは首を傾げてみせました。
「ハーレイはぼくを逃がしたいんだ。あの世界に…シャングリラにいれば、ぼくは戦いに出るしかない。タイプ・ブルーはぼくとぶるぅだけで、ぶるぅは三分間しか力が続かないんじゃあ…戦えるのはぼくだけだろう? 今までは怪我で済んできたけど、もしかしたら…。ハーレイはそれを恐れている。そこへ君たちが現れたのさ」
「…それじゃ、君は……これを機会に…?」
「逃げ出すわけがないだろう? だから分かってないって言うんだ。シャングリラも大切だけど、何よりシャングリラにはハーレイがいる。ハーレイと別れて生き延びたって何の意味も無いよ。だから…ぼくは必ず帰る。ハーレイのいる所がぼくの生きていける世界だから」
でも、とソルジャーは一息ついて。
「シャングリラを捨てろって言ったほどなんだから、ハーレイにも自信はあるんだろう。ぼくがいなくなってもキャプテンとして船を守っていくことは可能だ、と。…二度と戻ってこないことに比べたら、一週間や二週間くらい留守をするのは大した問題じゃないと思うな。ね、ぶるぅ?」
「そうだね! ダメって言われたら、家出しちゃえばいいんだもんね♪」
ソルジャーと「ぶるぅ」は自信満々で長期休暇を取る気でした。向こうの世界のキャプテンがソルジャーを大事に思っているのをいいことにして、こっちの世界でバカンスだなんて…そんな勝手が通るのでしょうか?
「大丈夫。安定した日が続いているし、ぼくだって定時報告くらいは聞きに帰るさ。駄目なようなら家出してくる。
それとも、ぼくたちと一緒に別荘に行くのは嫌なのかい?」
私たちは揃って首を横に振りました。ソルジャーに逆らうのは会長さんに逆らうのよりも恐ろしいかもしれません。
会長さんが承知するなら、その決断に従うだけです。会長さんは少し考えていましたが…。
「分かった。マツカ、悪いけど二人余計にお世話になるよ」
「はい! その人数で手配しますね」
ケータイを取り出し、執事さんを呼び出すマツカ君。あれこれと指図している様子をソルジャーが興味深そうに眺めていました。有能な執事さんとマツカ君のコンビネーションで、別荘ライフを巡るあれやこれやはアッという間に決定です。明日のお昼に別荘の最寄り駅へ着ける電車も手配済み。
「ありがとう、マツカ。集合はアルテメシア駅の改札でいいね」
会長さんが待ち合わせ場所を決め、ソルジャーと「ぶるぅ」は会長さんと一緒に改札前に来ることに…。本当に休暇を取ってくるのか、家出してくるのか、どっちでしょう?
「さあね。それはハーレイ次第かな。明日、楽しみにしているよ」
ばいばい、と手を振ってソルジャーと「ぶるぅ」は自分たちの世界に帰っていきました。私たちも旅行の用意があるので解散です。去年よりも面子が増えた別荘ライフ、何事もなければいいんですけど…。
次の日、大きなボストンバッグを提げてアルテメシア駅の改札に行くと、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」御一行様以外は全員集合していました。うーん、もう1本早いバスにした方が良かったでしょうか。
「気にすることないわよ。集合時間はまだだもの。それに、みんなが早く来ている原因は…」
スウェナちゃんがニコッと笑って。
「ズバリ野次馬根性よ! マツカは責任者だから違うかもしれないけれど、他は全員そうだと思うわ。本当にソルジャーが現れるかどうか、気になって仕方ないんでしょう? もちろん私もその一人」
「俺は野次馬根性じゃないぜ! ブルーのことが心配で…」
反論したのはサム君です。
「だってさ。ソルジャー…じゃなかった、あっちのブルーって変な趣味が…。別荘行きにかこつけてブルーの家に泊まり込んで、おかしなことをしてたらどうしよう…って…」
「そういうサムもブルーのことが好きなくせに」
変なの、とジョミー君。
「そうだ! ブルーはガード固いけど、ソル…ううん、あっちのブルーならいけるんじゃないの? 別荘に泊まってる間に口説いてみれば?」
「…えっ……」
サム君の頬は真っ赤になってしまいました。今までのソルジャーの言動からして、お試しでキスくらいは簡単にして貰えそうです。そりゃサム君も、ちょっと妄想しちゃうでしょうねぇ…実行するかどうかは別として。
「サムにはハードルが高いと思うぞ。俺たち全員がソルジャーって呼んでいるのに、頑固にブルーと呼び続けているほどクソ真面目だし」
絶対無理だ、とキース君が笑い、私たちも思わず頷きます。呼び分けるのが大変なので、いつの間にか定着してしまった『ソルジャー』という呼び名。最近でこそサム君も使ってしまうことが多いですけど、気付くと必ず『ブルー』と名前を言い直すのでした。理由を尋ねると「もう一人のブルーなんだし、ちゃんと名前を呼びたいじゃないか」と返され、納得したようなしないような…。
「で、本当に来ると思いますか?」
シロエ君が入口の方を眺め、マツカ君が。
「変更があるとは聞いてませんし、来るんじゃないかと思いますが…。別荘の方には今年のお客様は双子だから、と言ってあります」
「「「双子!?」」」
「他に理由が見つかりますか? あんなにそっくりな人たちですよ。おまけにブルーは黙ってても人目を引くんです。ぶるぅは子供だからまだいいとして、ブルーの方は…。話題に花が咲かない内に先手を打っておかないと」
マツカ君、凄い! 流石は未来の経営者です。きちんと根回ししてあるなんて…。それにしても、ソルジャーは本気でシャングリラを留守にする気でしょうか? ダメなら家出だなんて恐ろしいことを言っていましたが…。
「かみお~ん♪」
聞き慣れた声が響き渡って、駆けて来たのはリュックを背負った「そるじゃぁ・ぶるぅ」。その後ろには、お揃いのリュックを背負った「ぶるぅ」の姿が…って、どっちが「ぶるぅ」?
「こっち、こっち! お弁当を買えるの、こっちだよ!」
先に走ってきた小さな姿がお店の方へ向かいました。駅の構内を知ってるってことは、そっちが「そるじゃぁ・ぶるぅ」ですね。そして「ぶるぅ」がいるからには…。
「やあ。みんな早くから来ていたんだね」
ボストンバッグを持った会長さんがソルジャーと並んで立っていました。うぅっ、この二人も区別がつきません。シャツの襟が少し違いますから、ここで認識しておかないと…。
「君たちはお弁当、買ったのかい? まだなら一緒に買いに行こうよ」
「うん。お薦めのお弁当があれば教えて」
なるほど、お弁当の種類を知らない方がソルジャー…ですか。私たちは違いを頭に叩き込みながら駅弁を買いに行きました。山ほどの駅弁を抱えた「ぶるぅ」の姿を笑いながら改札を通り、電車に乗って…。車両の中は貸し切りです。マツカ君、もしかして買い占めましたか…? 私たちの質問に、マツカ君は笑って答えませんでした。
「あのね、電車で旅行する時は駅弁が楽しみの一つなんだよ」
電車が走り出すと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が得意そうに説明し始めました。
「時間がある時は必ず買って食べるんだ。そこの場所の名物が入ってるのも沢山あるし、同じ名前のお弁当でも作ってるお店によって中身が違うから面白くって」
「駅のお店にもいっぱいあったね。どれにしようか迷っちゃったぁ♪」
そう言う「ぶるぅ」が座っている横には駅弁がドカンと積まれています。幕の内に懐石弁当、ステーキ弁当、海老フライ弁当、おまけに璃慕恩院ご用達の精進料理弁当まで…。もしかして全部の種類を買っちゃったとか?
「うん」
返事をしたのは会長さん。
「ずいぶん迷っていたからね。乗り遅れたら困ると思って、好きなだけ買っていいよって言ったら、こうなった」
「どのお弁当も美味しそうだったんだもん」
いっただっきまーす、と叫んだ「ぶるぅ」は割り箸を手に駅弁を食べ始めました。確かに駅弁は旅の楽しみの一つですけど、「ぶるぅ」を見ていると駅弁の方がメインのように思えてきます。窓の外なんか見ていませんし!
「ぶるぅ、海が見えてきたら教えてあげるよ。それまで食べていればいいから」
「うん!」
会長さんの言葉に頷く「ぶるぅ」。その間もお箸は止まりません。その姿を見ながら会長さんが。
「ちょっと早いけど、ぼくたちも食べる?」
「そうだね。このお弁当、まだ温かいし」
相槌を打ったソルジャーが持っていたのは鶏飯でした。えっと…誰のお薦めだったんでしょう? みんなが取り出したお弁当を見回しましたが、鶏飯は誰も持っていません。ひょっとして会長さんのお気に入りかな?
「鶏飯はぼくが選んだんだよ。みんなのお薦めより面白そうだし」
ソルジャーはクスッ笑って包み紙を開け、御飯の上に乗っかっている煮込んだ鶏を指差して…。
「この鶏肉。…お店のこだわりの鶏だってさ、地鶏の雄鶏。地鶏っていうのが地球ならではだし、雄鶏っていうのが最高じゃないか。ブルー、一口食べてみる?」
はい、とお箸で上手に摘んで会長さんの方に差し出しましたが、会長さんはキッとソルジャーを睨み付けて。
「遠慮しておく! その手には乗せられないからね」
「残念。…貰ってくれるかと思ったのに」
美味しいよ、と頬張ってみせるソルジャーの瞳に悪戯っぽい色が浮かんでいます。鶏飯の何処がいけないんでしょう…って、もしかして…雄鶏? 昨日、雄鶏をプレゼントするのはプロポーズだとかいう話を会長さんがしていましたが…。
「ブルーは雄鶏の話が気に入ったんだよ」
会長さんが深い溜息をつきました。
「今の鶏肉をぼくが受け取っていたら、それをネタにして迫る気だった。…違うかい?」
「…まあね」
鶏飯を食べながらソルジャーがニヤリと笑います。
「せっかく一緒に旅行するのに、ぼくのプロポーズを受けてくれてもいいじゃないか。食わず嫌いはよくないよ。君の身体はよく知ってるし、この機会にちょっと試してみても…」
「断る! 君の方こそ、昨夜プロポーズされたばかりのくせに、浮気している場合じゃないと思うけど」
「「「プロポーズ!??」」」
私たちの声が引っくり返りました。ソルジャーがプロポーズされたって…いったい誰に…? 仰天している私たちを他所に、ソルジャーは鶏飯をつつきながら。
「ぼくにプロポーズしようって人が何人もいると思うかい? ハーレイとぼくとの仲は暗黙の了解事項だよ。なのにプロポーズしにくる人がいるなら、是非とも御目にかかりたいな」
「でもプロポーズされたって…」
恐る恐る質問したのはジョミー君。タイプ・ブルーの度胸でしょうか? ソルジャーはクスクスと笑い、鶏肉をお箸で摘み上げました。
「これが大事な鍵なんだよ。ぼくにプロポーズをしたのはハーレイ。…正確にはプロポーズさせたんだけどね」
「「「えぇっ!?」」」
またしても雄鶏ですか! 雄鶏ネタが気に入ったらしいソルジャーですが、いったい何をやらかしたと…?
駅弁を食べながらのおしゃべりは電車の旅の楽しみの一つ。けれど話題は恐ろしい方向に転がっているようでした。わざわざ鶏飯を選んだほどのソルジャーが、昨夜キャプテンにプロポーズさせた鍵は雄鶏らしいです。会長さん曰く、雄鶏をプレゼントするっていうのは男同士の関係におけるプロポーズで…。
「せっかく素敵な地球の習慣を聞いたんだからね」
ソルジャーは瞳を輝かせました。
「やっぱり体験したいじゃないか。ぼくとハーレイは深い仲だけど、結婚しているわけじゃない。ブルーがお遊びでゼルと結婚式を挙げた話をハーレイに聞かせてみたのにさ……結婚しようとは言われなかった。シャングリラには結婚してるカップルだっているというのに、不公平だと思わないかい?」
「…まず第一に、男同士。おまけにソルジャーとキャプテンの結婚だなんて、難しそうだと思うけど」
口を挟んだ会長さんに、ソルジャーは人差し指を左右に振って。
「SD体制のいい所はね…結婚しても子供を作る社会じゃないって所かな。子供を作る必要がないから同性婚にも寛容だ。男同士というのは全く障害にならないんだよ。ソルジャーとキャプテンの結婚について言うなら、祝福されるだけだと思う。長と船長が結婚すれば、シャングリラは今まで以上に安定するし」
「…本当に…?」
疑わしそうな会長さん。けれどソルジャーは自信満々で答えました。
「当り前だろう? ソルジャーの役目はさほどでもないけど、キャプテンはとても多忙なんだ。ぼくと会えない日だって多い。報告は思念だけでおしまいってこともあるんだよ。だけど結婚したら同居だよね。ほんの僅かな時間だけでも共有できるし、そうなれば細かな所に目を配る余裕ができるかな…って」
もっともらしい説を唱えるソルジャー。それはそうかもしれませんが…。
「だから、ぼくの望みはハーレイと結婚することなんだ。なのに決してプロポーズしてはくれなくて……「愛してます」って言われるだけで。この際、体験したかったんだよ。ハーレイからのプロポーズを」
「…まさかと思うが、雄鶏をプレゼントさせたのか…?」
キース君の問いにソルジャーは大きく頷きました。
「うん。昨日、ぼくの世界に帰ってみたらハーレイはまだブリッジにいた。夜は青の間に来るっていうから、思念で直接伝えたんだ。家畜飼育部で雄鶏を調達してきて欲しい、ってね。もちろん理由を聞かれたけれど、調べ物だと誤魔化した。ついでに誰にも知られないよう、こっそり持ち出してくるように…って」
「真に受けたキャプテンはそれを実行したんだよ」
会長さんは全てを知っているようでした。ソルジャーは思い出し笑いをしながら鶏飯を食べ終え、「御馳走様」と包み直して片付けて。
「ハーレイは大真面目に雄鶏を運んで来たよ。もう笑うしかないんだけれど、仕事を終えた後で監視カメラとかをチェックしながら家畜飼育部に忍び込んで…無事に雄鶏を一羽、盗み出した。でも雄鶏って大きな声で鳴くだろう? 運ぶ途中で鳴いたらバレるし、麻酔剤を吸入させてさ。それを上着の中に隠して、誰とも会わない通路を選んでコソコソと…」
シャングリラ号の構造は私たちの世界もソルジャーの世界も同じです。気の毒なキャプテンが雄鶏を盗み出して運ぶ様子は容易に想像できました。家畜飼育部と青の間の間はかなり離れていた筈ですし、キャプテンはさぞ心臓と胃が痛かったでしょう。
「やっとのことで雄鶏を届けに来たハーレイは「どうぞ」とぼくに差し出した。貰ってもいいのか、と尋ねたら「お望みの雄鶏ですから」と渡してくれたよ。ハーレイが何も知らないと分かっていても嬉しかったな。苦労して手に入れた雄鶏をぼくにくれたんだしね」
「…意味は言わないままだったの?」
ジョミー君が尋ねると、ソルジャーは「まさか」と微笑んで。
「受け取ってすぐに教えたよ。こっちの世界のずっと昔の習慣で…男から男へのプロポーズだ、って。怒られるかと思ったけれど、ハーレイは照れてこう言った。「私たちの世界では失われてしまった文化ですね」と。…その後かい? 雄鶏はぼくが家畜飼育部のケージに送って、後はベッドで二人きりさ。ぶるぅは土鍋で寝ていたし」
とても幸せな夜だったんだ、とソルジャーは夢見るような瞳を窓へ向けました。キャプテンと両想いなのに結婚できず、プロポーズもされたことがなかったなんて…。ソルジャーが会長さんを羨ましがる理由が分かったような気がします。世の中、うまくいかないものなんですね。
窓の外に海が見えてくる頃、「ぶるぅ」は山ほど買い込んだ駅弁を食べ終えて「海だ!」とはしゃぎ始めました。まだまだ残暑も厳しいですから、海で泳ぐにはもってこいです。駅には迎えのマイクロバスが待っている筈。今年もプライベートビーチで遊び放題の日々ですが…。
「結局、休暇は取れたのか?」
キース君が駅弁の空箱をゴミ袋に纏めながら言いました。休暇…。そういえば、ソルジャーが休暇を取ってきたのかどうかは聞いていません。もしかして、雄鶏プロポーズで全てをなし崩しにして荷物を纏めて出てきたとか…?
「ああ、休暇ね。ハーレイには今朝、言ったんだ。ぼくがいなくても大丈夫か、って。なんとかします、と答えてくれた。一応、サイオンで連絡が取れるようにはしてきたよ。定時報告は要らないそうだ。せっかく自由に過ごせるんだから、シャングリラのことは忘れろってさ」
ぶるぅと一緒にバカンスだ、とソルジャーはニッコリ笑いました。電車が駅に滑り込みます。私たちは荷物を持ってホームに降り立ち、ソルジャーと「ぶるぅ」は微かに潮の香りが混じった空気を嬉しそうに吸い込んで…。マイクロバスに乗って海辺を走り、マツカ君の家の別荘に着くと、いよいよバカンスの始まりです。レンコン掘りに費やしてしまった夏をここで一気に取り戻さなくちゃ。
「連れて来てもらえて良かったね、ぶるぅ」
「うん! 凄いや、地球の海で遊べるなんて! ぼく、何をして遊ぼうかな?」
ソルジャーと「ぶるぅ」も御満悦。別荘の人たちは二組の『双子』を驚きもせずに迎えてくれて、部屋に案内してくれました。今年の海の別荘はソルジャーたちが増えて賑やかですけど、その分、きっと楽しいですよね!