シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
三週間もの卒業旅行から戻った私たちはキース君の疲れが取れるのを待って、会長さんの家に遊びに出かけました。キース君のお遍路旅を労う会を会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が主催してくれるというのです。お昼前に玄関のチャイムを押すと…。
「かみお~ん♪待ってたよ!」
いつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出迎えてくれ、ダイニングに案内されました。大きなテーブルの上にはお刺身が何種類も盛られたお皿が並び、寿司飯が入ったお櫃や焼き海苔がズラリと置いてあります。会長さんがニッコリ笑って椅子を勧めながら。
「今日は手巻き寿司パーティーなんだ。キースはずっと精進潔斎していたからね、慰労会はパーッと生臭いものがいいかと思って」
「生臭くないもん」
プゥッと頬を膨らませている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ちゃんと魚市場に行って買ってきたんだし、新選だもん!」
「ぶるぅ、生臭いっていうのは匂いじゃなくて魚だからだよ。精進料理は肉も魚も使わないだろう?」
「あ、そっか。…お買い物、ブルーも一緒に行ったんだっけ」
会長さんたちは朝一番に魚や貝を選びに行って、手巻き寿司用に切り分けたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」らしいです。卵焼きやアナゴの蒲焼なんかもちゃんと揃えてありました。私たちはテーブルを囲み、まずは熱い粉茶で乾杯。
「歩き遍路の旅をやり遂げたキース・アニアンの偉業を祝して…乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
会長さんの音頭で叫んだ後は手巻き寿司パーティーの始まりでした。新鮮なネタを好きなだけ取って、カイワレや大葉も添えてクルクルと…。お醤油は「そるじゃぁ・ぶるぅ」こだわりの老舗のもので、山葵もちゃんと摩り下ろしたもの。寿司飯の味も絶品です。
「キース、本当によくやったね」
会長さんが褒めるとキース君は苦笑いして。
「あんたのお接待のおかげかもな。…来る日も来る日も俺が疲れてきた頃を見計らったように出やがって…。負けてたまるか、と踏ん張れたんだ」
「それはよかった。ぼくもお接待をした甲斐があったよ」
お茶に羊羹にお漬物に…、と指を折って数える会長さん。一日一善と称して会長さんが日課にしていたキース君への差し入れときたら、半端なものではありませんでした。わざわざバスで乗り付けて「頑張って」と渡しに行くんですけど、はた迷惑なんてレベルじゃなくて…。
「ウーロン茶の2リットル入りなんかをお接待で渡すか、普通?」
キース君が会長さんを睨んでいます。
「道中、いろんな人からお接待をして貰ったんだが、缶コーヒーとか小さなペットボトルだったぞ」
「そりゃそうだろうね。お遍路さんをもてなすんだから、負担にならないものにしないと」
「あんたのお接待は負担以外の何物でもない代物だったぜ。羊羹を一度に5本とか、タクアン6本とか持たせやがって!」
羊羹やタクアンの重みを思い出したらしく、キース君は拳を握り締めました。しかし会長さんは平然として。
「負担だって?羊羹もタクアンも役立っただろう。…宿に泊まるのに」
「…うっ…。確かに持て余した羊羹とかを宿の人に渡した時は、食事代がタダになったりしたけどな…」
「ほら、ちゃんと君の助けになったじゃないか。それに寒い日は貼るカイロだって届けたよ」
「…徳用サイズの大箱ごとな」
あれだってとても重かったんだ、と遠い目になるキース君。でも無事に八十八ヶ所を歩きとおしたんですし、会長さんの嫌がらせのようなお接待が励みになっていたんだったら結果オーライってことですよね?…そして手巻き寿司がすっかり無くなった頃、会長さんが奥の部屋から風呂敷包みを抱えてきました。
「キースがお遍路に行ってくれたおかげで、ぼくもいいものを手に入れたんだ。八十八ヶ所の御朱印を揃えた軸が8本も」
「なんだって!?」
驚いて叫ぶキース君の前に、風呂敷包みの中から次々に巻いた掛軸が出てきます。それは私たちと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が御朱印を集めて回ったもので。
「表装したら箱書きを頼みに行くんだよ。誰にお願いしようかな…」
会長さんが口にするお寺やお坊さんの名前の羅列を聞いたキース君の顔から血の気が失せていきました。
「あ、あんた…。そんな名僧に箱書きを…。いや、8本も軸を揃えたってことは、もしかして…」
「売るのに決まっているじゃないか。ツテはいっぱいあるんだよね。…マツカ、旅費を全額出してくれたけど、軸が売れたらその分は君に返すから」
おおっ!緋の衣はダテではありませんでした。最初から旅費を稼ぐつもりで掛軸を…。だったらそうだと言ってくれれば、みんな快く承知したのに。でもマツカ君は「そんな心配しないで下さい」と言いました。
「父も母も、とても喜んでいるんです。ぼくに友達が沢山できて卒業旅行に行ってきたなんて、夢みたいだって言ってますから。…お金なんか頂けません」
「そう言ってくれると思った」
会長さんは嬉しそうに微笑み、掛軸を風呂敷に戻します。
「じゃあ、これの儲けはぼくのものだ。ふふ、有意義に使わなくっちゃね。…そうだ、ハーレイから貰い損ねた指輪みたいなのを買おうかな。うん、フィシスにはルビーが似合いそうだし」
あちゃ~。やっぱり最初から不純な動機で掛軸を用意していたみたいです。キース君はガックリと肩を落として深い溜息をついていました。緋の衣を着られる会長さんが有難い掛軸を売り飛ばそうというんですから、お遍路を終えたばかりの修行僧には相当ショックが強いんでしょうね…。
キース君が衝撃から立ち直るのに半時間くらいかかりました。でも、天才肌のキース君は頭の切り替えも早くって。
「高僧というものに一瞬絶望しそうになったが、俺があんたのような坊主にならなきゃいいんだよな。反面教師として大いに参考にさせて貰うぜ」
緋の衣が許される身分になったら俺も名僧になってやる、と固く決意をしたようです。私たちは拍手喝采。キース君の未来を想像しつつ盛り上がっていると、会長さんが。
「…将来についての話題が出てきたところで、ぼくからも話があるんだけれど」
リビングへ移動するように言われ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が緑茶とお煎餅を運んできてくれました。
「ぼくが焼いたんじゃないけど美味しいよ。ブルーのお気に入りだから、よく取り寄せるんだ」
手巻き寿司の後だけに、お煎餅は嬉しいチョイスです。種類も色々で楽しそう。どれを一番に食べようかな…と迷いますよね。ジョミー君は赤っぽいのに齧り付いてから「唐辛子だった!」とお茶をガブ飲み。よ~し、私はザラメ煎餅にしようっと。
「気に入って貰えたようだね、お煎餅」
パクついている私たちを見渡して、会長さんが微笑みました。
「その調子で好きになってくれると嬉しいな。…ぼくたちの大切な船、シャングリラも」
「「「シャングリラ!?」」」
お煎餅を喉に詰めそうになったサム君とスウェナちゃんが咳き込んでいます。
「そう、シャングリラ。もうすぐ君たちを迎えにやって来る宇宙クジラさ」
会長さんは壁際の端末を操作し、窓をスクリーンに変えました。そこには宇宙クジラことシャングリラ号の画像が映っています。
「ここを見て。…ほら、シャングリラ学園の校章と同じ紋章があるだろう?」
船体に見覚えのある模様がついていました。生徒会室から「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入る時に手を触れていた赤と金色の紋章です。
「宇宙クジラがぼくたちの…シャングリラ学園の船だっていう証拠だよ。今は地球に向かって航行中だ。君たちの家に進路相談会の案内状は届いてるよね?」
コクリと頷く私たち。案内状は卒業旅行から帰った次の日に届きました。そこには集合場所と簡単な日程表が記されていて、2泊3日の予定で予備日が1日。進路が順調に決まれば3日、決まらなければ4日かかるという内容の文面です。参加中の家との直接連絡は不可で、急用ができた場合は必ず学校を通すこと…との注意も書かれていましたっけ。相談会の開催場所はシャングリラ学園が所有している合宿用の施設の1つ。
「案内状を読んだのならば、本当の行き先は秘密だと分かっている筈だ。…でも帰ったら家族に何も言わないわけにはいかないし…。指定されていた合宿用の施設、柔道部は使っていないだろう?…だから君たちは合宿所を一度も見たことが無い」
確かに名前しか知らない施設でした。何処にあるのかもよく知りません。
「今から合宿所に関するぼくの記憶を君たちに移す。…アリバイ工作は必要だから」
会長さんがスクリーンを元の窓に戻して、シャングリラ号も消え失せました。
「目を閉じて。そしてぼくに心を委ねて」
フワッと意識に入り込んできたのは合宿所までの道や道中の景色、そして建物の外観と…建物の中の様々な場所。まるで本当にそこにいるような視点で展開していく光景をどのくらい見ていたのでしょうか。
「はい、おしまい。…ぼくが春休みにあそこで過ごした時の記憶を仮想体験してもらった。これを君たちの意識の底に沈めておくから、家の人に何か聞かれた時にはちゃんと合宿所の様子を話せるよ。進路相談会そのものは実際に君たちが経験するし、上手に切り抜けてくれたまえ」
くれぐれもシャングリラ号のことは話さないように、と会長さんは何度も念を押しました。
「ぼくが君たちにしてあげられるのはここまでなんだ。後はシャングリラ号のみんなと、キャプテンであるハーレイの仕事。…ぼくの役目は君たちのサイオンをシャングリラ号に無事に乗り込むまで封じ込めるだけで、その先のことには関与できない。ただの生徒会長だしね」
「…やっぱり一緒には来て下さらないってことですか…?」
マツカ君が尋ねると、会長さんは頷いて。
「ああ。君たちの将来が決まる大切な時に、部外者はいない方がいいだろう?卒業旅行も終わったんだし、そろそろ自立したっていい頃だ。ね、ぶるぅ?」
「うん。…大丈夫、シャングリラ号はぼくも大好きな船なんだ。楽しんできてね♪」
そっか、私たちだけで行くんですね。教頭先生も一緒らしいですけど、今まで会長さんに頼りっぱなしだっただけに不安な気持ちがこみ上げてきます。ジョミー君たちも心配そう。
「…そんな顔をしなくったって、キースの遍路旅よりずっと楽だよ。日数だってグンと少ないし、てくてく歩いていくわけじゃないし。小旅行気分で行っておいで。お土産を買ったりはできないけども」
会長さんは私たちを安心させるようにウインクして。
「シャングリラ号の話はここまで。ところで、明日は何の日か知っている?」
え。明日って何かありましたっけ。シャングリラ号が来るのは三日後です。私たちは顔を見合わせましたが、心当たりはありませんでした。
「そうか、卒業しちゃったからね…。知らなくっても無理ないか。グレイブとミシェルの結婚式の日なんだよ」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
「明日の正午にメギド教会で挙式。1年A組の生徒は全員、教会の表で式が終わるのを待つそうだ。ぼくたちもお祝いに行かないかい?教え子は多いほど嬉しいだろうし。…そうそう、ちゃんと制服を着てね」
グレイブ先生の結婚式…。そういえば春休みに式を挙げると聞いた覚えがありました。お世話になった先生ですし、お祝いに行ってみたいかも…。ジョミー君たちも「行きたい」と言い、シロエ君とサム君も「数学を教わった先生だから」と行く気です。
「じゃあ、決まり。ぼくもぶるぅと一緒に行くよ」
こうして会長さんと私たちはグレイブ先生の結婚式に出かけることになりました。正確には式に出るわけじゃなくて、教会から出てくるところへ祝福をしに行くんですけど、なんだかドキドキしますね。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に今日のパーティーのお礼を言って帰る道中、私たちはシャングリラ号よりも明日の結婚式のことばかりを考え続けていたのでした。
そして翌日、私たちと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はメギド教会の最寄り駅に集合してから教会へ。メギド教会はアルテメシアで一番大きな教会です。聖堂の入口は石段の上。重厚な扉はまだ閉まっていて、広い前庭には1年A組のクラスメイトをはじめ大勢の生徒が制服姿で集まっていました。アルトちゃんとrちゃんも来ています。会長さんは早速二人を口説きに…。どこまでも自分に正直なのは構いませんが、神聖な教会の庭であっても全く慎もうとしない態度は如何なものかと思います。お坊さんには教会の神様なんて関係ないとか言いそうですけど。
「あっ、もう出てくるみたいだよ!」
ジョミー君が聖堂の方を指差しました。両開きの扉がゆっくりと開き、参列者の群れがゾロゾロと出てきて扉の両側や階段に立ちます。中には手に籠を持った人たちも…。おだやかな春の日差しが降り注ぐ中、グレイブ先生とパイパー…いえ、マードックの姓を貰ったミシェル先生が腕を組んで聖堂の石段の上に現れました。白いタキシードのグレイブ先生の隣に立ったミシェル先生はワンショルダーの真っ白なマーメイドドレスに純白のベール。籠を持った人たちがライスシャワーとフラワーシャワーを浴びせ、生徒たちの歓声が響きます。
「「「グレイブせんせーい!!!」」」
「「「おめでとうございまーす!!!」」」
私たちも声を張り上げ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も大はしゃぎ。背丈が小さい「そるじゃぁ・ぶるぅ」はサム君に肩車をしてもらって懸命に拍手していました。そういえば会長さんが水泳大会の時にプールでミシェル先生の婚約指輪を拾ったのが婚約発表のきっかけでしたっけ。とうとうゴールインしたんですねぇ、グレイブ先生とミシェル先生。教会の入口や階段の辺りには教頭先生やゼル先生、まりぃ先生の姿が見えます。シャングリラ学園の先生方は全員おめかしをして式に参列したようでした。お米や花びらが降り注いだ後、ミシェル先生がブーケを高く差し上げて…。
「「「ミシェルせんせーい!!!」」」
女の子たちが一斉に叫び、ミシェル先生が立つ石段の上へ両手を向けました。ピンクの薔薇がメインのブーケが前庭に立つ私たちの方へ投げ上げられ、春の光を浴びて落ちてきます。ブーケを受け取った女性は次の花嫁になれるとか。幸せのおすそ分けを狙うみんながブーケをゲットしようと目の色を変え、スウェナちゃんと私も精一杯に手を伸ばしました。あ、届く…!と思った次の瞬間。
「……ぼく……?」
ブーケがストンと落っこちたのは、スウェナちゃんと私の後ろに立って見物していた会長さんの手の中でした。
「「「えぇぇぇぇっ!?」」」
ありえなーい!という悲鳴が渦巻き、会長さんも困った顔。「あげようか?」と言われましたが、こういうのってどうなんでしょうね?ミシェル先生がおかしそうに笑っています。隣に立つグレイブ先生も。男の子たちが爆笑する中、会長さんはブーケの譲り先を求めて手当たり次第に女の子に声を掛けました。しかし…。
「男の人が受け取っちゃったブーケでも、ちゃんと効き目があるかしら?」
「そりゃ…貰ったら次に花嫁になれるかもしれないけれど、男の人が先に手にしたブーケだし。もしかして、女性からプロポーズしないと結婚に漕ぎ付けられないことになっちゃうとか…」
「えぇぇっ!?そ、そんなの酷い!…プロポーズはして貰うものよ!自分がプロポーズしてどうするのよ~」
会長さんが受け取ってしまったブーケは『自分から告白しないと結婚できなくなる呪いのブーケ』かもしれない、という話がアッと言う間に広がってしまい、みんなは貰ってたまるものかと必死になって断ります。そういうわけでミシェル先生が投げてくれた幸せの贈り物には、結局、貰い手がつかなくて。
「…アルトさんとrさんにまで断られちゃった…」
ピンクの薔薇と白い小さな花を束ねてグリーンをあしらったブーケを手にして、会長さんが戻ってきました。
「ぼくがあげるって言っているのに誰も貰ってくれないんだよ」
「だったら、あんたが嫁に行ったらどうだ」
ニヤリと笑みを浮べるキース君。
「ブーケを貰うと次に結婚できるんだろう?…ほら、あそこで教頭先生が見ているぞ。預けっぱなしの婚約指輪を貰いさえすれば、すぐ花嫁になれるじゃないか」
教会の入口に立った教頭先生がブーケを持った会長さんを見つめています。遠目にも分かるくらいに幸せそうな顔をして…。教頭先生の頭の中では、さっき出席してきたばかりの結婚式の新郎新婦が自分自身と会長さんに置き換えられているのでしょう。
「……お断りだね」
会長さんはプイッと教会に背中を向けると、教頭先生から見えないようにブーケを隠してしまいました。
「よく考えてみたら、ここで誰かにあげなくってもよかったんだ。…持って帰ってフィシスにプレゼントすればいいんだよね。フィシスが次の花嫁になるんだったら、誰も文句は無いだろう?」
フィシスはぼくの女神なんだし、と呟いている会長さん。会長さんが貰ったブーケであっても、フィシスさんなら喜んで受け取ることでしょう。きっとそれが幸せのブーケの一番正しい使い方。呪いのブーケと忌み嫌われるより、絶対いいに決まっています。…シャングリラ・ジゴロ・ブルーに身を固める意思があるかどうかは別として。
ブーケの行き先で揉めている間にグレイブ先生とミシェル先生は階段を下りて前庭を横切り、車が止めてある木陰の方へ。祝福の声に送られ、生徒たちの間からも花びらやお米の粒が降り注いで…。
「おーい、先生たちが出発するぞ!」
「グレイブ先生、ミシェル先生、お幸せに~!!!」
グレイブ先生とミシェル先生は黒いオープンカーに乗り込み、にこやかに手を振りながら教会の敷地を出て行きました。披露宴に招かれている先生方も次々に車で出発します。教頭先生が窓越しに会長さんを名残惜しそうに見ていたことに気が付いたのは多分、私たちだけ。
「素敵な結婚式だったね」
「ブーケトスは失敗だったけどね…」
賑やかにおしゃべりしながら帰ってゆくクラスメイトたちに私たちは声をかけ、また会えたことを喜んで。アルトちゃんやrちゃんともお話をして、会長さんが持っているブーケを眺めて笑い合って。グレイブ先生の結婚式はシャングリラ学園の素敵な思い出を1つ増やしてくれました。グレイブ先生、ミシェル先生と末永くお幸せに!…マードック夫妻の新婚旅行は春休みでは慌しいので、夏休みにのんびりクルージングに行くそうです。
ソレイド八十八ヶ所、お遍路の旅…ではなく『キース君のお遍路を見守る旅』は、会長さんのマンションに近いアルテメシア公園の駐車場から始まりました。マツカ君が用意してくれたのは豪華な小型サロンバス。2人掛けのシートが8つとテーブルを三方から囲める4人掛けのシートが3つあります。冷蔵庫やお湯を沸かせるポットもついてて、テレビにカラオケセットもあって…。小さなシャンデリアもついた内装に感激しながら、運転手さんに荷物を積んでもらって乗り込んで…行き先はまず元老寺です。
「いいよなぁ、このゆったりシート」
サム君が2人掛けシートに1人で座ってグーンと大きく伸びをしました。
「ソレイドに着いたらキースはバスを降りるんだから、全部で8人になるんだろ?毎日楽々2人掛けのシートに1人で座れるって勘定だよな!」
私たち7人組と会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソレイドまでは9人ですけど、その後は1人減るんです。マツカ君の執事さんが手配してくれたバスは人数にバッチリ合っていました。さすがにプロの執事さんは気配りが行き届いていますよねえ。…バスは郊外へと走っていって、山沿いの元老寺の山門前で停車です。あれ?キース君がいない。山門から乗ってくるんだと聞いていましたが…。
「キースなら本堂で待ってるよ」
会長さんが立ち上がり、バスから降りるようにと言いました。
「昨夜、電話を貰ったんだ。キースのお父さんがぼくたちに会いたがってるから、って」
え。キース君のパパが…アドス和尚さんが私たちに?お餞別でもくれるのでしょうか。お菓子だといいな、と思いつつ本堂に入っていくと、荘厳な仏像や飾りの前の畳敷きの場所にキース君とアドス和尚が座っていました。二人とも墨染めの衣です。
「いらっしゃい。この度はせがれの修行の旅を皆さんで見守って下さるそうで…。いやあ、実に有難いことです。こんなに大勢のお友達や、位の高い方に御一緒して頂けるとは、せがれは本当に幸せ者で」
「………………」
満面の笑みのアドス和尚の隣で、キース君は仏頂面でした。アドス和尚は私たちを信じて手放しで喜んでますけど、キース君は知ってますものねぇ…言いだしっぺの緋の衣の人の正体を。
「これ、キース。お前からもきちんとお礼を言わんか!」
「…お世話になります…」
「それだけでは誠意が通じんわい!!」
キース君の背中を押してお辞儀させようとするアドス和尚を会長さんが止めました。
「いいんです。ぼくたちは卒業旅行を兼ねてるんですし」
「おお、そのように聞いております。卒業旅行に八十八ヶ所巡礼の旅とは素晴らしい。…しかも、あなた様は御卒業なさるわけでもないのに、大勢を引率されるとか。さすがに位の高いお方ともなると違いますな。せがれを宜しくお願いします」
アドス和尚はペコペコと会長さんに頭を下げて、脇の机に載せてあった本のようなものを私たち全員に配ってくれました。錦の表紙にタイトルが書かれた白い部分がありますけれど、『納経帳』って、いったい何…?中を開くとページは白紙。正確には白紙の隅っこにお寺の名前らしきものが小さく書いてあるだけです。
「せがれが世話になるお礼です。ほんの気持ちですが、卒業旅行の記念にどうぞ」
ニコニコと笑うアドス和尚。なんですか、この変なタイトルの白紙の本は!?
「お若い方はご存じないでしょうな。それは納経帳と言いまして…まあ、御朱印帳のようなもんです。八十八ヶ所を回られるなら持って行かれた方がよろしい。お寺でお参りをなさったら、納経所という所でそれをお出しなさい。お寺の御朱印を頂けますから、いい記念品になりますよ」
一種のスタンプラリーですな、とアドス和尚は笑いました。
「いや、僧籍の身でスタンプラリーなんぞと罰当たりなことを言ってはいかんのですが、お若い方にはスタンプラリーと申し上げた方が馴染みやすいかと思いましてな。それから、もう1つ…。これをお持ちになりませんと」
渡されたものは白いお札の束でした。お坊さんの絵と『奉納八十八ヶ所霊場巡拝』『同行二人』の文字がモノクロで印刷されています。よく見ると日付と住所氏名を書き込むようになってるみたい…。ただのお札じゃないようです。
みんな、お札の束を手にして怪訝な顔。
「それは納め札と言いましてな」
アドス和尚が解説をしてくれました。
「お寺にお参りなさる時には、その札を1枚ずつ納めるようになっとるのです。専用の箱が置いてありますから、そこへお入れになるといい。お参りに行かれた日付と住所氏名を書くのが正式ですが、なあに、日付なんぞは年月さえ合っておれば日の部分は吉日でかまいません。それから…」
ここが重要ですぞ、とアドス和尚は声を潜めて。
「住所は最後まできちんと書かずに町名までで止めて下さいよ。アルテメシア、とだけお書きになってもよろしい。番地まで書いてしまうと恐ろしいことになるのです」
えっ、恐ろしいことって…何が起こると!?
「お寺には良からぬ輩が訪れることもございましてな。納め札の箱から中身を持ち去り、住所氏名を元に個人情報を入手する。…そうなりますと、皆さんの御宅に墓地や墓石のダイレクトメールが嫌と言うほど届くことに…」
げげっ。それは嫌すぎます。住所はアルテメシアまでで止めておかないと…。っていうか、なんでこんなお札まで持っていかないとダメなんですか~!!
「そうそう、あとはお経の本ですが…偉い方が御一緒ですし、こちらはコピーでよろしいでしょう」
般若心経が書かれた紙を1人1枚ずつ貰ってしまい、なんだか頭痛がしてきました。もしかしなくても八十八のお寺を回るのには般若心経が必須ですか?
「ああ、お経は特にお唱えになる必要は…。まあ、寺によっては唱えてこないと御朱印を押さないとゴネる所もありますのでな、その時はこれが役に立ちます」
ひぇぇぇ!…そんなお寺に出くわした時は会長さんに代表で唱えてもらえばいいですよね?なんといっても本職ですし、言いだしっぺの物好きですし!…そんなこんなで妙なアイテムを入手し、私たちはキース君を連れてマイクロバスに戻ることに。が、庫裏に入ったキース君が出てくると…。
「うわぁ…。マジかよ、その格好…」
サム君が言うのも無理ありません。キース君は托鉢をするお坊さんのように網代笠を頭にかぶり、手には『同行二人』と書かれた白木の杖を持っていました。で、背中には…墨染めの衣にはまるでミスマッチのバックパック。色が黒いのが救いと言えば救いでしょうか。そして首から托鉢用の黒い布袋を提げ、袋には白抜きで『元老寺』の文字。
うーん、キース君の本気は分かりますけど、そんな格好で一緒にバスに乗るんですかぁ?
私たちを乗せたサロンバスは高速道路をひたすら走って、ソレイドへ。途中のサービスエリアで昼ご飯を食べようと食堂に入り、みんな好きなものを注文します。私は軽めにピラフでしたが、ジョミー君たちは豚カツ定食や焼肉定食を頼みました。キース君は早くも精進モードに入っているのか、きつねうどん定食。全員の注文が揃った所で…。
「「「いただきまーす!!!」」」
一斉に食べ始めた横でブツブツブツ…と低い声が。キース君がきつねうどん定食に向かって合掌しています。
「…一滴の水にも天地の恵みを感じ、一粒の米にも万民の労苦を思い…」
はぁ!?ど、どうしたんですか、キース君!?
「ありがたくいただきます」
深々と頭を下げてから、キース君は割り箸を割って食べ始めました。い、今の呪文っていったい何事?
「じきじさほう、って言うんだよ」
会長さんがカレーライスを食べる手を止め、キース君を見て笑っています。
「食事の作法って書くんだけどね、八十八ヶ所を回るお遍路さんが食事の前に唱える言葉。まだソレイドにも着いてないのに恐れ入ったな」
「ひょっとして、ぼくたちも唱えなくっちゃいけないの?」
憐れな声を上げたのはジョミー君。会長さんは「まさか」と即答しました。
「キースは遍路旅かもしれないけれど、ぼくたちはスタンプラリーだよ。食事の度にあんなの唱えるなんて面倒じゃないか」
これが高僧のセリフでしょうか?…でもスタンプラリーどころか物見遊山気分で出てきた私たちですし、これくらいでちょうどいいのかも。食事の後はバスの中で食べるお菓子を買い込み、目指すはソレイド八十八ヶ所。午後のおやつの時間になる頃、やっと最初のお寺に到着です。
「ここが一番最初のお寺ですか…」
シロエ君が『一番霊場』と書かれた山門を眺めている横でキース君は山門に一礼しています。
「世話になったな、マツカ。おかげでソレイドまで無事に辿り着けた」
バスに乗せてもらったお礼を言って、バックパックを背負ったキース君が境内に入っていきました。ここから先はキース君は徒歩、私たちはバス移動。あんまり距離が開いてしまうと見守る意味が無くなるから、という会長さんの鶴の一声で、お互いにメールで連絡を取り合うことになっています。私たちはキース君から離れすぎない場所に宿泊しながら見物する…というわけですね。
「行っちゃった…」
ジョミー君が墨染めの衣に網代笠のキース君の後姿に呟きました。白木の杖をついて行きましたけど、これから3週間もかかる道のりをキース君は歩きとおせるでしょうか?じっと見送っていると会長さんが。
「スニーカーに履き替えるつもりのようだし、大丈夫だよ」
「「「スニーカー?」」」
お坊さんの衣にスニーカー。バックパック以上のミスマッチでは?
「履き慣れてない草履じゃ無理だ。3週間も歩くんだから」
ふぅん、と私たちは境内の奥を覗き込みます。キース君はまだ戻ってきません。きっと真面目にお経を上げているのでしょう。そうこうする内にキース君が杖をつきながら出てきました。
「なんだ?…お前たち、まだ居たのか」
「ご挨拶だね。心配だから待っててあげたんじゃないか」
会長さんが言うのをサラッと無視して、キース君は門前の空き地に腰を下ろすとバックパックからスニーカーを取り出します。うわぁ、会長さんが言ってたとおり!本当に履き替えるんだ…。
「それじゃ、俺はもう行くぞ。今日中に宿坊のある寺まで辿り着かないと」
キース君は地図を片手に、さっさと行ってしまいました。墨染めの後姿がすっかり見えなくなったのを見届けてから、会長さんがニッコリ笑って。
「ぼくらもスタンプラリーを始めよう。バスに戻って納経帳を持ってこなきゃね」
「納め札は…?」
シロエ君の言葉を聞くまで、納め札のことは忘却の彼方。アドス和尚に貰ったものの、まだ日付も名前も書いていません。今から書かないとダメなんでしょうか?
「白紙でも別にいいと思うよ」
会長さんの言葉を聞いて「よし、白紙だ!」と思ったのですが。
「…でも、あれって裏側にお願い事を書いてもいいんだよね。心願成就とか、無病息災とか」
「お願い事…。縁結びでもいいのかしら?」
スウェナちゃんが尋ねると、会長さんは「女の子のお願い事の定番だね」と微笑んで…。
「特に相手がいないんだったら良縁祈願、誰かいるなら具体的に書くのもいいかな」
「…分かったわ。良縁祈願ね」
そう言ったスウェナちゃんはバスに戻るなり納め札を書き始めました。日付と住所氏名を書いて、サッと裏返してサラサラと何か書き込んでいます。良縁祈願だけではないみたい。お願い事…。これは私も書かなきゃ損かも!ふと気がつくと、みんな真剣に納め札の裏にお願い事を書いているではありませんか。恐るべし、ソレイド八十八ヶ所。来てしまったら最後、お参りせずにはいられないのかもしれません。
納め札を書き終え、納経帳を手にしてバスを降りようとすると、会長さんが「ちょっと待って」と呼び止めました。
自分のボストンバッグを開けて取り出したのは掛軸みたいな巻物です。
「これを持ってって欲しいんだ。1人1本」
「「「え?」」」
訝しむ私たちに巻物を持たせた会長さんが言い出したことは…。
「御朱印を押して貰うための掛軸なんだよ。八十八ヶ所の御朱印を全て集めるのは大変だから値打ちがある。これを表装して、有名なお坊さんに箱書きを…掛軸の箱にお墨付きとかを書いてもらうことなんだけど…その箱書きをつけて貰えば更に高値がつくんだよね」
「…もしかして…売るんですか?」
掛軸を持ったシロエ君の問いに、会長さんは「決まってるじゃないか」と答えます。
「ぼくの知り合いには名の知れた高僧が多いんだ。箱書きくらい菓子折だけで頼めるよ。チャンスはしっかり掴まないと」
「自分で持っていけよ、掛軸くらい。でなきゃ、ぶるぅに持たせるとか」
サム君が口を尖らせると。
「出来るんだったらそうするさ。…でも、1人で何本も持って行くのは反則なんだ。納経帳と掛軸を1つずつでないと、販売目的だと警戒される」
「…売るつもりのくせに…」
ジョミー君がボソリと言いましたけど、会長さんは聞こえないふり。
「掛軸の分の御朱印代はぼくが出すから、今日から八十八ヶ所分の御朱印集めをよろしく頼むよ。はい、ここの分」
御朱印代まで手渡されたら断れません。こうして私たちは高僧にあるまじき行為の片棒を担がされることになったのでした。納経帳と掛軸を抱え、納め札を持ってバスを降りると山門前で記念撮影。それから本堂へ行き、備え付けの箱に納め札を入れ、お経も上げずに納経所と書かれた建物へ。
「お願いします」
会長さんが納経帳と掛軸を差し出し、御朱印代を支払っています。なるほど、こういうものなのか…と納得した私たちも納経帳と掛軸に御朱印を押して貰いました。スタンプラリーの始まりです。バスに戻って次のお寺へ向かう途中で休憩していたキース君を追い越すと…。
「あっ、バナナ食べてる!」
食べ物に目ざとい「そるじゃぁ・ぶるぅ」の大きな声が。キース君はベンチに座ってバナナを食べていましたけれど、途中で買ってきたんでしょうか?キース君、わざわざ買うほどバナナ大好きでしたっけ…?
「お接待か…」
面白い、と会長さんが振り返って後ろを見ています。
「これは使えるかもしれないな。…えっと…冷蔵庫に何かあったっけ?」
キース君の姿が遠ざかる中、会長さんは冷蔵庫を開けてジュースの入ったペットボトルを取り出しました。1リットル入りの大きなヤツです。
「よし。これをキースにプレゼントしよう。…あ、この辺に駐車場ってありそうかな」
運転手さんが「次のお寺はまだ先ですよ」と言いましたけど、会長さんは「構わないから」と道路沿いの駐車場にバスを止めさせてしまいました。キース君が通りかかるまで此処で待つんだと言っています。
「君たちはバスで待っていたまえ。キースが来たら、ぼくが行く」
やがて墨染めの衣に網代笠のキース君が歩いてくると、会長さんはペットボトルを持ってバスから降りて…。路上で顔を合わせたキース君と会長さんは押し問答をしているようです。が、キース君が渋々ペットボトルを受け取り、会長さんに白いお札を手渡しました。そして二人はお辞儀を交わし、キース君は重たいペットボトルを持て余すように再び歩き始めます。いったい何があったんでしょう?
「ふふ、善行を積むっていいことだよね」
バスに戻った会長さんは満足そうに頷きました。
「お遍路さんに施しをするのを、お接待って言うんだよ。お接待のお礼は納め札だ。ほら、ここにキースの名前が」
お礼の札だから願い事は書いてないけど、と見せびらかします。
「さっきのバナナもお接待で貰ったものだったのさ。次のお寺が宿坊だけど、まだかなりあるし…1リットルのペットボトルは重いだろうねぇ。でも、お接待の品物を捨てるなんてこと、高僧を目指すキースには出来っこない。頑張って飲むか、重さに耐えるか…。どっちにしてもキツイと思うよ」
「…あれって炭酸入りでしたよね…」
心配そうな声のマツカ君。そっか、炭酸入りだったんだ…。それじゃ普通のジュースに比べて飲むのに苦労しますよね。会長さんったらそれを承知で重たいペットボトルを無理矢理に…。どおりで押し問答になってたわけです。会長さんはバスを出させて、キース君を追い抜きながら。
「せっかく八十八ヶ所の旅に来たんだし、一日一善を心がけよう。頑張っているキースに1日1回お接待だ」
ひえぇぇ!これから毎日、キース君に余計な荷物を持たせることにしたみたい。こんな高僧に見込まれるなんて、キース君のお遍路の旅は厳しいものになりそうです。
それからの日々は私たちはバスで楽々スタンプラリー、キース君は黙々と歩く修行の旅。マツカ君が執事さんと連絡を取って手配してくれるホテルや旅館に宿泊しながら、道を外れて観光したり食べ歩いたりと私たちは旅を満喫していました。キース君の方は宿坊や安宿に泊まり、時には托鉢なんかもしながら雪や雨の日も一日も休まず、ひたすら次のお寺へと…。
「キースは今日も宿坊なんだね」
温泉が自慢の旅館で豪華な夕食を楽しんでいると、ジョミー君のケータイにキース君からの連絡メールが。今夜の宿にやっと辿り着いたみたいです。会長さんが大量のミカンが詰まった袋をお接待に持っていかなかったら、もっと早い時間に着けたでしょうに。しかも今日の宿だという宿坊はかなり古びたものでした。私たちは一足お先にスタンプ…いえ、御朱印を貰ってきたので知っています。
「あそこ、エアコン無さそうだったぜ」
サム君の指摘に私たちは身震いしました。今日は寒の戻りで雪模様。こんな寒い日に陽が落ちてからエアコン無しの宿坊だなんて、私たちには耐えられません。そんな会話を交わしていると会長さんが。
「それでこそ修行の遍路旅なのさ。君たちも何処かで宿坊に泊まってみるかい?夜と朝に勤行があるから、お寺ライフを楽しめるよ」
結構です!と声を揃えて断り、翌日からもホテルに旅館に…。長旅ですけど、マツカ君の家の執事さんが手配してくれる宿はいつも快適で、クリーニングも気軽に頼めて着替えの心配も要りません。バスはもちろんゆったりシート。スタンプラリーも順調に進み、会長さんに頼まれた掛軸の御朱印も次々に埋まっていきます。お経を上げないと御朱印を押してやらない、と言われたお寺では会長さんが代表で般若心経を。
「明日で八十八ヶ所目に辿り着けそうだね」
会長さんがそう言ったのは出発してから二十一日目の夜でした。来る日も来る日も会長さんから傍迷惑なお接待を貰いながらも、キース君は予定よりも一日だけの遅れでゴールインしようとしています。
「正直、あそこまで頑張るとは思わなかったよ。途中でぼくたちのバスに乗り込んでくるかと期待してたのに」
八十八ヶ所目のお寺でキース君の到着を待ち、みんな揃って最後の御朱印を貰いに行こう、と会長さんは言いました。キース君は今夜はお遍路さん専用の宿に泊まっているとメールを寄越しています。明日は朝早くから歩き始めて、お昼前には最後のお寺に着けそうだ、って。そして翌日、八十八ヶ所目のお寺の駐車場にバスを止めさせ、道路を見ていた私たちの前に墨染めの衣のキース君が杖をつきながら姿を見せたのでした。
「「「キース!!!」」」
ジョミー君たちが駆け寄っていき、ちょっとやつれたキース君を囲んで山門の方にやって来ます。会長さんも今日はお接待をしようとはせず、先頭に立って本堂へ。私たちはキース君が万感の思いを込めて唱える般若心経を聞き、お願い事を書いた最後の納め札もきちんと箱に入れて納経帳の最後のページに御朱印を押して貰いました。もちろん預かっている会長さんの掛軸の方にも御朱印を…。
私たちの卒業旅行はソレイド八十八ヶ所を回るスタンプラリー。最後のお寺でキース君も一緒に記念撮影をして、みんなでバスに乗り込んで…3週間と1日の旅はもうすぐ終わりです。アルテメシアに戻って家に帰ったら、ゆっくり休んでまた会おう、と会長さんが言いました。シャングリラ学園の春休みが始まってシャングリラ号が迎えに来るまで、まだ何日か残っています。卒業旅行の思い出話で盛り上がる余裕はありそうですよ!
会長さんの家に午前十時。そう約束した私たちはシャングリラ学園の校門前に集合しました。日曜日なので門は閉まっています。部活などで登校する生徒は別の所の通用門から入りますから、誰も通っていかなくて…。卒業したんだ、という実感がやっと浮かんできたような。
「ぼくたち、これからどうなるんだろ?」
ジョミー君が校門の正面に建つ本館をじっと眺めています。
「学校に残ることも出来るよ、なんて言われてたけど…そんな話も無いもんね」
「卒業しても分からねえことばかりだよな」
サム君が相槌を打つと、キース君が。
「大切な話って、それなんじゃないか?わざわざ俺たちを呼び出すんだし」
「「「えぇぇっ!?」」」
会長さんが私たちの今後のことを教えてくれる…?先生方じゃなくて会長さんが…?
「…まさか…。先輩、それは有り得ないですよ。だって生徒会長じゃないですか。…先生じゃなくて」
「シロエ、本当にそう思うのか?あいつがただの生徒会長だ…って」
「そ、そりゃ…二人しかいないタイプ・ブルーだって言ってましたけど…」
「最強の力を持つタイプ・ブルーで、シャングリラ学園創立以来の生徒なんだ。グレイブ先生よりも年上なんだし、恐らくかなりの信用があるんじゃないかと俺は思うな。俺たちの件を学校側から一任されてても不思議じゃない」
大真面目なキース君でしたけれど、会長さんの悪戯やお騒がせに散々付き合ってきた私たちには全然ピンと来ませんでした。学校から信頼されるどころか、ブラックリストに載っていそうです。
「お前、考えすぎだって」
サム君がキース君の背中をバン!と叩きました。
「そりゃあ、サイオンの話くらいは出るだろうけど…俺たちの進路ってヤツはシャングリラ号で決まるんだろ?」
「…それはそうだが…」
「とにかく家に行ってみようぜ。…今日も昼飯、出るんだろうな♪」
私たちはバス停に向かい、バスの中では無難に卒業式や謝恩会の話を交わして、アルテメシア公園近くのバス停で下車。会長さんが住むマンションはすぐそこです。
エレベーターで最上階に着き、玄関のチャイムを押すと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出てきました。
「かみお~ん♪リビングでブルーが待ってるよ。入って、入って!」
お邪魔します、と広いリビングに行くと会長さんが私たちをソファに座らせて…。
「約束の時間ピッタリだね。頼もしいな、仲間として。…ぶるぅ、お茶の用意を頼むよ」
「おっけぇ~」
みんなの好みに応じて紅茶とコーヒー、それにフィナンシェがテーブルの上に並びます。うん、この雰囲気では大切な話と言ってもさほど重大ではないでしょう。会長さんに勧められるままにお茶を飲み、談笑していると。
「…さて、君たちは卒業したってわけだけど。どう?…サイオンは使えるようになったかい?」
「「「えっ!?」」」
私たちはポカンとしてから、慌てて意識を集中しました。えっと、えっと…サイオンってどう使うんだっけ。っていうか、どうすれば心が読めるんだっけ…?と、とにかく会長さんの心を読めばいいのかな?…うーっ、私って才能無いかも…。
「ふふ。…全員、挫折」
会長さんのクスクス笑いが聞こえ、みんなの深い溜息が…。
「いいんだよ、それで。まだ使えなくて当然なんだ。とはいえ、みんなのサイオンはかなりハッキリしてきてる。集中されると押さえ込むのに前よりもずっと力が要るな」
「…まだ俺たちの力を封じ込めているのか?」
キース君が尋ねると、会長さんは即座に頷きました。
「君たちのサイオンは十分に使いこなせるレベルになっているんだけどね…。シャングリラ号に乗り込むまでは封じておくのが決まりなんだ。まぁ、単なる節目ってことだけど…シャングリラ号への乗船は」
「「「節目?」」」
「そう、節目。…通過儀礼と言ってもいいかな。シャングリラ号が無かった頃は卒業式を終えた時点でサイオンが表に出るようにしてた。でも、今はシャングリラ号という船があるから、それに乗り込む方が卒業式よりも遥かに劇的じゃないか。だからシャングリラ号が迎えに来るまで、ぼくは君たちの力を封じる」
会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が淹れた紅茶を一口飲んで。
「…シャングリラ号は普通の人には知られていない宇宙船だ。君たちが乗り込むことは家の人にも言わないで欲しい。もっとも、話したところで信じてもらえる筈も無いから特に問題ないんだけどね…。君たちの正気が疑われちゃうっていうだけで」
宇宙人に攫われて宇宙旅行をしてきました、っていうトンデモ話と同レベルだろ、と会長さんは真顔です。
「シャングリラ号が出来て百年以上経つけど、まだ宇宙人には出会ってないな。普通の人間を乗船させたこともない。なのに宇宙人の船でよその星に行ってきました…って人がいるから面白いよね。そういう人がどう思われてるか、君たちだって知ってるだろう?」
ううっ。確かにそういう体験をしたという人がテレビに出たりしています。変な人だな、とか大嘘つきとか思ってましたが、もしもシャングリラ号のことを普通の人に話したら…私たちも同類認定ですか!
「…しゃべったら変人扱いなんだ…」
ジョミー君が言い、私たちは一気に不安になってしまいました。シャングリラ号が迎えに来ることばかり考えていましたけれど、パパやママに何と言い訳したら…。それとも乗り込むのはほんの半日くらいで、朝に出かけたら夜には家に帰れるのかな?心配していると会長さんが。
「君たちがシャングリラ号に乗り込む期間は、家の人には進路相談会だと通知される。特別に卒業することになってしまった生徒の適性を見極め、フォローするための合宿期間。ごまかす手伝いを学校がやってくれるんだから、自分からボロを出さないように気をつけて」
安心してシャングリラ号に行っておいで、と会長さんはウインクします。
「とても大きな宇宙船だよ。…あとは見てのお楽しみかな」
「…あんたは一緒に来ないのか?」
キース君の問いに、会長さんは「決めていない」と答えました。
「気が向けば行くし、向かなかったら行かないし。…君たちのサイオンを抑える必要がなくなるんだから、家でのんびり昼寝もいいよね」
そっか…会長さんは来てくれるかどうか分からないんですね。私たちだけで大丈夫かな?
「君たちが乗る時、シャングリラ号にはハーレイがキャプテンとして乗船する。船の中で何かあったらハーレイに相談すればいい。キャプテンだから一番偉いし、多少の無理も聞いてくれるよ」
「…じゃあ、キャプテンって呼ぶんですか?」
おずおずと言ったのはマツカ君。
「そうだね…。キャプテンと呼ぶのが正式だけど、君たちは体験乗船扱いだから…いつもどおりでいいんじゃないかな。ブリッジクルーを指揮するハーレイが教頭先生と呼ばれているのは見ものだろうし」
クスクスクス。職場体験みたいで面白いかもね、と会長さんは楽しそうです。
「シャングリラ号が君たちを迎えにやって来るのは、学校が休みになってハーレイの手が空いてからだよ。3月末のことになる。まだ何週間も先のことだし、暇な間に卒業旅行なんかどうだろう?…そっちなら、ぼくも一緒に行きたいな」
卒業旅行!!…シャングリラ号がいつ来るのかを知らなかったので、卒業旅行なんか思いも寄りませんでした。みんなの瞳が輝いています。
「うん、みんな元気な顔になったね。じゃあ、お昼ご飯を食べようか。…ぶるぅが用意してくれてるよ」
知らない間に時計はお昼を過ぎていました。キッチンの方からいい匂いが…。私たちは会長さんに連れられてダイニングへと大移動です。
「かみお~ん♪大事なお話、終わった?」
お誕生日にプレゼントしたアヒルのアップリケつきのエプロンを着けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコ笑顔でお出迎え。テーブルにつくとすぐに金属製のお鍋が運ばれてきました。
「今日はシーフードのブイヤベースだよ!卒業のお祝いに奮発して伊勢海老も入れちゃったんだ」
ご飯はサフランライスだからね、とサラダも一緒に並べられて。一人用のブイヤベースのお鍋の中には縦半分に切った伊勢海老が気前よくドカンと入っています。うわぁ、とっても美味しそう!
「「「いっただっきまーす!!!」」」
豪華ブイヤベースに舌鼓を打ちながら、話題は卒業旅行のことに。
「ずいぶん長いお休みだよね。…うーん、お金があったら外国旅行ができるんだけどな」
アルバイトをしておけばよかった、とジョミー君。
「マツカ、自家用ジェットとか無いのかよ?」
サム君が聞くとマツカ君は「ありますよ」と答えました。
「皆さんが御希望だったら、いつでも用意させますけれど…長距離には向いていませんよ。飛行機をチャーターした方が絶対いいと思います。で、いったい何処へ行くんですか?ホテルや通訳も手配しないと…」
「ピラミッド!」
叫んだのはシロエ君でした。
「ぼく、ピラミッドが見たかったんです。こう、なんかロマンがありませんか?あと、王家の谷とか大神殿とか…」
「私もピラミッド見てみたいわ。砂漠だしラクダもいるのよね?」
乗ってみたかったの、とスウェナちゃん。ピラミッドかぁ…。いいかも…。
「この時期ならそんなに暑くないよ」
会長さんが割り込みました。
「3月はベストシーズンなんだ。場所によっては寒いくらいだけど、別に野宿をするわけじゃないし」
「…まるで見てきたような口ぶりだな」
キース君が突っ込むと会長さんはニコッと笑って。
「見てきたよ?…ピラミッド観光は基本じゃないか。三百年も生徒会長をやってるんだし、春休みは何回あったと思ってるのさ。それにぼくとぶるぅは渡航費用は要らないんだよね。行こうと思えば何処だって自分の力で移動できるし」
言われてみれば、衛星軌道上までチョコレートを詰めた箱を送れるような会長さんです。お金を払って飛行機や船に乗らなくたって、外国くらい簡単に行けてしまうのでしょう。羨ましいな、と思った時。
「…本当に観光旅行なのか?」
キース君が真剣な目で会長さんを見つめました。
「たった今、初めて気が付いたんだが…俺たちみたいな人間がいるのはこの国だけじゃないかもしれない。あんたが他の国へ行くのは、仲間を見つけるためじゃないのか?」
「………さすがだよ、キース…」
会長さんは溜息をつき、「鋭いね」と呟いて。
「そう。最初は確かにそうだった。でも今は違う。…言っただろう?ぼくの力はどんどん強くなっていった、って。二百年以上前から、ぼくは地球上の全ての場所へ思念波のメッセージを送れるようになっているんだ。家から出なくても仲間は探せる。…でもね…誰も応えてくれないんだよ。不思議だね。ぼくたちの仲間はこの国でしか見つからない」
人種が違うせいなのかな、と語る会長さんは少しだけ寂しそうでした。
「いつかは他の国にも仲間が生まれてくるだろうとは思うけど…。それまで生きていられるかな?」
「……よく言うぜ。殺しても死にそうにないくせに」
一瞬、沈黙が落ちかかったのを打ち払ったのはキース君。
「あんた、死ぬ予定なんか無さそうだもんな。いつかは死ぬとか言い続けながら、その実、不老不死だったりして」
「…確かにね…。ぼくがいつかは死ぬだろうと思っている根拠はゼルなんだ。会った時は若かったのに、あんなに見事に老けちゃったから…ぼくの命もいつかは尽きると思ったっていうわけなんだけど。そのゼルはあの姿で二百年以上も生きちゃってるし、だんだん死ねる自信が無くなってきたよ」
「ちょっ、死ねる自信って…」
ジョミー君が吹き出しました。
「何それ!普通は生きる自信って言うんだよねえ、そういう場合」
違いない、と私たちは涙が出るほど笑いました。会長さんなら不老不死でもちっとも不思議じゃありません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」もお腹を抱えて笑っています。いくら卵から生まれたとはいえ、会長さんと同じくらい長い年月を過ごしてきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が笑うんですもの…会長さんの寿命はきっと遥か先まであるのでしょう。
大笑いしながら食事を終えて、お皿を洗って片付けて。リビングに戻ってお茶を飲みながら卒業旅行の相談です。
「じゃあ、ピラミッドでいいのかな?」
ジョミー君がまとめにかかり、お次は旅行日程を…と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が持ってきたカレンダーをみんなで覗き込んだのですが。
「あ、俺はパス」
キース君が突然言いました。
「旅行はみんなで行ってきてくれ」
「「「えぇぇっ!?」」」
私たちはビックリ仰天。そういえばキース君は行き先を決める時にも何も言ってませんでしたっけ。
「キース、金欠?…でも、お小遣いしか要らないよ?」
ジョミー君が尋ねます。お金が無いのはマツカ君以外…いえ、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」もお金は持っていそうですから、それ以外は全員共通で。アルバイトをしている時間も無いのでマツカ君の好意に甘えて交通費と宿泊費、それに食費もまるっとお世話になる予定でした。
「…すみません、キース…。ぼく、出すぎた真似をしちゃいましたか?」
プライドに障ったのかとマツカ君が謝ると。
「いや、全然。本当なら俺も行きたいんだが、野暮用でな。…三週間以上も休みがあるんだし、ここで済ませておくのがいいんだ」
「…ふうん…?」
みんなが首を傾げます。野暮用って、元老寺の用事でしょうか?春のお彼岸っていうのもありますよねえ。
「それってお寺と関係あるわけ?」
「まあな」
ジョミー君の質問にキース君はニッと笑って。
「せっかくだから八十八ヶ所に行ってくる」
「「「八十八ヶ所!?」」」
私たちの素っ頓狂な声が広いリビングに響きました。は、八十八ヶ所って…もしかしなくても『ソレイド八十八ヶ所』のこと!?お遍路さんとかいうヤツですか…?
「知らないのか?…ソレイド地方にある八十八の寺を順番に回る巡礼の旅だ。歩くと早くて二十一日、遅ければもっと日数がかかる」
キース君の説明を聞いたジョミー君がヒクッと頬を引き攣らせて…。
「そ、それって…お遍路さんのこと?」
「知ってるじゃないか。…坊主が遍路に行って何が悪い。一度は回っておきたいからな、体力に自信がある内に。最近はバスツアーの遍路も多いが、坊主たる者、やっぱり自分の足で歩かないと」
親父も歩いて回ったんだ、と言うキース君はお遍路に出る気満々でした。3週間もかかる所を一人でテクテク歩こうだなんて凄すぎます。それも卒業旅行を蹴って。
「いいじゃないか、キース。よく決意したね」
会長さんがパチパチと手を叩きました。
「歩き遍路は大変だけど、やり遂げると自分に自信がつくって言うし。…ぼくは虚弱体質だから歩いて回ったことは無いんだ。ぶるぅと二人で瞬間移動で回っただけだよ」
「そうか、あんたも行ったのか…」
「うん。だからキースも頑張って。最近は趣味で歩いている人も多いらしいけど、君は衣で歩くのかい?」
「そのつもりだ。どうせ行くなら坊主らしくして行きたいし」
キース君はお坊さんの格好をしてお遍路に行くつもりらしいです。じゃあ、私たちはキース君とは別行動でピラミッドへ卒業旅行に出発ですね。えっと…何日間くらい行くのかな?
「キース、出発するのはいつだい?」
会長さんはまだキース君に構っています。緋の衣を着られるという高僧だけに、私たちには分からない次元で通じるものがあるのかも…、と放っておいて日程を練っていたんですけど。
「決めた」
突然、会長さんが私たちの輪に入ってきました。えっ、日程は会長さんの意見が優先ですか?
「ピラミッドはまた今度にしよう。せっかくの卒業旅行なんだし、思い出に残る旅がいいじゃないか」
「えっ…?」
なんだか嫌な予感がします。まさか、まさかと思いますけど…。
「卒業旅行の行き先はソレイド八十八ヶ所だ。キースの修行を見届ける旅」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
「と、いうわけで…。マツカ、みんながゆったり乗れるマイクロバスと宿の手配を頼めるかな?あ、キースの宿は要らないよ。修行の旅に豪華ホテルは不要だからね」
「ちょっと待て!!!」
キース君が必死の形相で会長さんの袖を掴みます。
「あんた、いったい何を考えてるんだ!俺の修行を邪魔して楽しいか!?」
「楽しいに決まっているだろう?…煩悩まみれのギャラリーがいても、気にせず黙々と歩き続ける…。それでこそ修行の旅ってものだよ」
会長さんは悪戯っぽい笑みを浮べて私たちの卒業旅行を勝手に決めてしまいました。ソレイド八十八ヶ所だなんて、いったい何処のお年寄りですか…?
「違う、違う。…ぼくたちの旅はキースを見守る旅なんだ。ピラミッドはいつでも行けるけれども、キースの巡礼の旅はそうそう見られるものじゃないしね」
なるほど、面白いかもしれません。それに私たちが歩くわけではないですし。
「畜生、なんでこうなるんだ…」
会長さんのマンションを出てバス停へ向かう途中でキース君はブツブツ言っていました。キース君と私たちが旅に出るのは明後日。キース君以外は先に集合してマイクロバスで元老寺に行き、キース君をピックアップしてソレイドへ向かう予定です。
「いいじゃないかよ。ソレイドまでの交通費が浮くんだからさ」
サム君がキース君の肩を叩いて励ましました。
「それよりも頑張って歩けよな!俺たち、陰ながら応援してるぜ」
「…応援なんか要らないんだが…」
哀愁の二文字を背中に背負ってキース君はガックリと肩を落としています。とんでもない行き先になりましたけど、卒業旅行は嬉しいですよね。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も行くんですから、きっと素敵な道中に…。ソレイド八十八ヶ所の旅、キース君も頑張って~!
卒業式が終わった日の夜、私は寝付けませんでした。一緒に卒業したジョミー君たちのパパやママも揃っての食事はお洒落なレストランを貸切にした賑やかなもので、二次会はパパたちと別れてカラオケや喫茶店をハシゴしながら渡り歩いて、晩御飯も食べてから家に帰ってきたんですけど…。
「どうなるんだろう、明日から…」
卒業したら全て分かるさ、と会長さんから聞いていたのに未だに何も分かりません。1年A組とC組のみんなが企画してくれた謝恩会の日程のおかげで、土曜日まではシャングリラ号が来ないと判明しただけです。土曜日は明後日ですから明日は何をして過ごしましょうか?ジョミー君たちと遊びに行くか、家でゴロゴロしているか…。どうしようかな、と悩んでいる内にいつの間にか寝てしまっていました。目を覚ましたらもうお昼過ぎで。
「うーん…。こんな時間から出かけても仕方ないかな」
結局、家でのんびり過ごすことに。今頃、1年A組のみんなは授業を受けているんですよね。ちょっと不思議な気がします。ジョミー君たちからメールが来たり、スウェナちゃんと電話でおしゃべりしたり…一日はアッと言う間でした。明日はもう一度シャングリラ学園の門をくぐれます。会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」にも会いたいなぁ…。
翌日のお昼前、私たち7人組は制服を着て校門の前に集合しました。卒業したのに制服っていうのは変ですけれど、出迎えてくれるA組とC組のみんなは制服ですし、何より会場が学校ですし!食堂を目指して歩く途中で会ったのはブラウ先生。
「おや、制服を着て来たんだね?偉い、偉い。…私服で来たって良かったのにさ」
真面目で結構、とウインクしながら。
「あんたたちは学校が合ってるのかもしれないねぇ。シャングリラ学園、好きなのかい?」
「「「はい!」」」
「そうか。…じゃ、楽しみにしているよ」
何を?と聞き返す前にブラウ先生は行ってしまいました。もしかして私たち、とんでもない場所に来ちゃったとか?卒業式で着ぐるみを着せたり、コスプレさせたり…と派手にやってくれたのが1年A組とC組です。その人たちが企画してくれた謝恩会。…無事に済まないような気がしてきました。
「楽しみにしてるって言ったよね…」
ジョミー君が不安そうな顔で呟きます。
「ああ、言った。…またゴジラを着せられるんじゃないだろうな?」
「…そうかも…」
キース君の言葉に同意したのはシロエ君。
「ぼくたち、あの格好でみんなと写真を撮ってませんよね。今日、記念撮影が待っているんじゃないでしょうか」
「ええっ!?そ、そういや写真とか撮ってないよな…」
またメーテルになるのかよ、とサム君がガックリ項垂れました。じゃ、じゃあ…私はダースベイダー!?うわぁ、帰りたくなってきたかも…。そこへワッとみんなの声がして。
「いた、いた!遅いぞ、お前たち!」
「どこで道草食ってんだよ。早く、早く!!」
待ってたんだぜ、と取り囲まれて食堂に行くと盛大な拍手が響きます。
「「「卒業おめでとう!!!」」」
歓声を上げるみんなの前にはサンドイッチやオードブルセット、いろんなピザに大皿に盛られた何種類ものスパゲッティなどが並んでいました。ケーキやお菓子も沢山あります。いくら学校の食堂とはいえ、これだけ揃えたら費用はかなり高そうで…。何も考えずに来ましたけれど、こういう時って招待されたらお金が要るんでしたっけ?
「今日のパーティーは生徒会がスポンサーだよ」
聞き慣れた声が聞こえて、奥の方から会長さんが現れました。
「クラスメイトのために謝恩会をやりたいっていう話を聞いて、全面的に協力することになったんだ。そういう時に役に立たなきゃ生徒会の名が廃るだろう?」
生徒会から出席するのは予算の都合で一人だけどね、と笑っていますが本当だとは思えません。真面目なリオさんやフィシスさんを外しておいて、またまたロクでもないことを…。
「ぼくしかいないと不安なんだ?…それじゃ、ぶるぅを呼んでやろう」
会長さんが指をパチンと鳴らすと。
「かみお~ん!!」
クルッと宙返りして「そるじゃぁ・ぶるぅ」が食堂の床に降り立ちました。そして入り口の方からは先生方が入ってきます。どうやら無事に謝恩会を始められそうだ、と思った時。
「最初に記念撮影しなきゃな」
ドキッとする言葉と共に運び込まれるゴジラにガメラにダースベイダー。や、やっぱりそれを着るんですか~!!
「今日は更衣室が無いから、食堂の人の休憩室を借りるんだ。入れ替えで先に女子から行けよ」
「ちょ、ちょっと…ちょっと待って!」
スウェナちゃんと私の叫びはアッサリ無視され、アルトちゃんとrちゃん、それに何人かの女子に引っ張られるようにして休憩室へ。うわーん、またダースベイダーにされちゃったぁ!…心で大泣きしながら食堂に戻ると拍手喝采。今度はジョミー君たちが休憩室に強制連行されて行きます。
「イヤだ、写真に残るのはイヤだーっ!!」
絶叫しているのはシロエ君。いつもの丁寧な口調は消し飛び、腕を振り回して抵抗するのをC組の男子がズルズルと引きずっていって休憩室の扉の向こうへ…。そういえばシロエ君とサム君の仮装は顔が隠せないんでしたっけ。でもシロエ君は鉄郎なんだし、メーテルのサム君よりかはマシじゃないかと思うんですが。…そうこうする内にゴジラが出てきて、トトロにガメラにメーテルに…最後は大きな帽子を目深にかぶったシロエ君。
「よーし、全員揃ったな?まずはクラスごとに1枚撮ろうぜ」
記念撮影はグレイブ先生を真ん中にして私たちが最前列。後ろに並んだみんなと一緒に写して、次はC組がゼル先生とサム君たちを真ん中にしてパシャリと1枚。それから2つのクラス全員と先生方も入った大きな記念写真を撮ってもらって…。
「それじゃ最後は顔の見えるヤツな。マスクと被り物は取ってくれよ」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
か、顔の見えるヤツって…そんな殺生な!顔が見えないから救われてたのに、この格好で顔だけ出したら悲劇ですよぅ。キース君たちも動きません。と、青い光がパァッと散って、私のマスクやゴジラの着ぐるみの頭の部分がパカッと外れてしまったんです。
「ぶるぅ、上出来」
会長さんがニコッと微笑み、私たちはA組のみんなに押さえ込まれて記念撮影することに…。でも本当に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の仕業でしょうか?記念撮影用スマイルの後で「そるじゃぁ・ぶるぅ」をジト目で睨むと、プルプルと首を振っています。…うーん、やっぱり会長さんが下手人か…。そうだろうとは思いましたが。
笑いと涙の記念撮影は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も加わった1年A組の集合写真で終わりました。会長さんはアルトちゃんとrちゃんの間に立って「両手に花って、このことだよね」と殺し文句を忘れません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は最前列でゴジラのキース君に抱っこしてもらって上機嫌。子供って怪獣が好きですものね。…私たちが制服に着替えて戻ると、そこからは普通のパーティーで。
「なぁなぁ、キース。…坊主になるって本当かよ?」
「知らねぇぞ~。うっかり頭を剃ったら最後、二度と毛が生えてこなかったりして…」
「老けないんだもんな。髪の毛も伸びなくなるかもな~」
男の子たちがキース君を囲んで脅しています。キース君がピザを片手に会長さんを振り返りました。
「…おい…。こいつらの言ってることは本当か?」
「まさか。ぼくもぶるぅも髪は伸びるし、爪だってちゃんと伸びるけど?」
でなきゃケガをしたって治らないじゃないか、とおかしそうに笑う会長さん。
「ほら見ろ!大丈夫だって言われたぞ!!…お前ら、よくも…」
「落ち着け、キース。どうせ髪の毛は要らねぇじゃないか、坊主なんだし」
「そうそう。それとも髪に未練があるとか…」
「うるさーいっっっ!!!」
怒鳴りながらもキース君は笑っています。ジョミー君やサム君たちも、そして私も…いっぱい笑って、食べて、おしゃべりをして。先生方の存在なんてすっかり忘れて騒いでいると…。
「諸君、そろそろ時間なのだが」
グレイブ先生が咳払いをして言いました。
「花束贈呈に食堂は不向きだ。集会室へ移動したまえ」
「「「はーい!!!」」」
あらかじめ決まっていたのでしょう。私たち以外のみんなが答え、食堂の外へ出て行きます。花束贈呈って、なに?
「謝恩会といえば花束だよ」
会長さんがキョトンとしていた私たちに教えてくれました。
「先生方にお礼をするのが本物の謝恩会だろう?…君たちのはちょっと…いや、かなり型破りな謝恩会だから、花束贈呈くらいはしておこうって決めたらしいね」
主催が在校生だなんてメチャクチャじゃないか、と言われてみればその通りかも。じゃあ、私たちが花束を…?
「そうだよ。ちゃんとみんなが用意している。集会室の方へ行こうか」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が歩き出し、私たちは集会室へ。1学年全員が入れる数の座席と舞台を備えた大きな部屋です。そこで私たちは花束を受け取り、舞台にはグレイブ先生とゼル先生が。
「それでは卒業生からの花束贈呈を行います」
さっきキース君をからかっていた男子の一人がよそゆきの声で言い、私たちは立派な花束を抱えて先生の所へ行きました。「ありがとうございました」と挨拶をして花束をグレイブ先生に渡し、下で見ている先生方にもお辞儀して…。割れるような拍手に送られ、私たちが舞台を下りるとクラス代表による閉会の辞です。
「これで1年A組とC組による合同謝恩会を終わります。…先生方、どうもありがとうございました!」
「「「ありがとうございました!!!」」」
みんなと一緒に声を張り上げてお礼を言って、先生方に頭を下げて。ああ、今度こそお別れなんですね…1年A組とシャングリラ学園。と、思ったら…。
「諸君、待ちたまえ」
グレイブ先生が立ち上がりかけていた生徒たちを止めました。
「卒業していくクラスメイトのために、よくこれだけのことをしてくれた。私は諸君を誇りに思う。他の先生方もそうおっしゃっている。そこで、我々から諸君に感謝の気持ちを贈りたい。しばらく席で待っているように」
スルスルと舞台の幕が下りてゆきます。感謝の気持ちって何でしょうね?
「おい、こんなのって聞いてたか?」
「知らないぞ。…ゼル先生とグレイブ先生で何をする気だ?」
みんなが騒ぎ始めました。誰も知らなかったみたいです。サプライズってヤツでしょうけど、ゼル先生とグレイブ先生が二人で出来ることって、まるで見当がつきません。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が期待に満ちた目をしていますから、きっととてつもないことが…。
「ゼルは剣道七段なんだよ」
会長さんが言いました。えっ、ゼル先生が剣道を?…剣道部の顧問をしていることは知っていましたが、有段者だというのは初耳です。
「居合道の方は八段だ。昔は剣道部を指導してたんだけど、あの頑固さが災いしてね…。徹底的にしごくものだから、部員がどんどん減っちゃって。仕方なく退いて顧問になったってわけ」
「へえ…。じゃあ、居合をやってくれるのかな?」
ジョミー君が舞台の方を見ました。
「グレイブ先生が投げたリンゴを空中でズバッと切って見せるとか」
「なるほど。…それなら確かに準備が要るな」
着物でないと刀が映えないし、とキース君。もしかしたらチョンマゲのカツラもかぶってくれるかもしれません。グレイブ先生も着流しとかで出るのでしょうか。時代劇みたいでかっこいいかも…。
「サムライ・ショーをするんだってよ」
「ゼル先生が居合の達人だなんて知らなかったな」
年は取っても腕は確かというわけか、と意外な事実にみんなの期待は盛り上がります。剣舞もあるかもしれないぞ、なんて言っている人もありますし。…やがて舞台の前に進み出たのはブラウ先生。
「みんな、今日は謝恩会を開いてくれてありがとうよ。これからグレイブとゼルからのお礼の催しが始まるけども、協力してくれるハーレイ、そしてグレイブの婚約者のミシェルにも盛大な拍手を!」
歓声が上がり、拍手が鳴り響きました。サムライ・ショーは思った以上に華やかなものになりそうです。ブラウ先生は更に続けて。
「さあ、開幕だ。四羽の白鳥の御登場だよ!!」
「「「えぇぇっ!?」」」
よ、四羽の白鳥って…、と騒然となった私たちの前で舞台の幕が上がりました。そこには確かに…白鳥が4羽。サムライ・ショーじゃなかったんですか!?
『ゼルだって身体能力は高い、と言っただけだよ』
会長さんの思念が届きました。向かって左からゼル先生、パイパー先生、グレイブ先生、教頭先生。真っ白なチュチュとタイツに白いトウシューズ、頭に羽飾りとティアラを着けた4羽の白鳥たちがサッと手を組み、チャイコフスキーの『白鳥の湖』からの有名な『四羽の白鳥の踊り』の曲が流れ始めて…。
「「「わはははははは!!!」」」
それはいつぞやの『白鳥の湖』を遥かに超える見ものでした。本来なら身長の揃った4人で踊るところを身長差のある4人が組んで…しかもパイパー先生以外は全員男なんですから。ゼル先生の禿げた頭の羽飾りとティアラは何でくっつけられているのかな?とても軽やかとは言えない踊りですけど、インパクトだけは十分です。いや、どっちかといえば破壊力かも…。踊りを終えた先生方に拍手をしつつ、私たちの笑いは止まりません。
「「「アンコール!アンコール!!」」」
お辞儀を繰り返す白鳥たちに拍手を送り続けていると、教頭先生だけがスッと後ろに下がりました。そしてトウシューズの爪先で立ち、始めたのは連続回転。まさか三十二回転のグラン・フェッテを再び、ですか…?
「「「おぉぉぉっ!!」」」
教頭先生の連続回転は格段に上達しています。軸足は殆ど動くことなく、足も高く上がって二十、二十一…と見事な技を披露し続け、みんながそれに合わせて手拍子を打ち…三十、三十一、三十二!ピタリと止まってポーズを決めた教頭先生に送られた拍手は半端なものではありませんでした。
「「「ブラボー!!!」」」
口笛と歓声が渦巻く中で舞台の幕が静かに下りて、ブラウ先生が出てきます。
「今日のバレエは1年A組とC組のみんなへの贈り物だ。これからも卒業した仲間との友情を大切にしてやっておくれ。グレイブたちが笑える出し物を選んだ理由はそれなんだからね。一生、この日を忘れないでいて欲しい…って」
「「「はーい!!!」」」
忘れたくても忘れられません、という誰かの声にドッと広がる大爆笑。確かにこれだけのモノを見てしまっては、シャングリラ学園の思い出と共にいつまでも覚えていそうです。泣かせる演出よりも笑える演出。グレイブ先生、考えましたねぇ…。
「諸君、四羽の白鳥は気に入ったかな?」
スーツに着替えたグレイブ先生がゼル先生や教頭先生、パイパー先生と並んで舞台に現れ、笑い転げるみんなを静めて閉会の挨拶をしてくれました。私たちは先生方やA組とC組のみんなに校門の所まで見送ってもらい、お辞儀をしてから手を振って。
「「「さようなら!」」」
ありがとう、と何度も後ろを振り返りながら通いなれた道を最寄の駅へと並んで歩いて行ったのでした。
「ぶるぅのお部屋、行けなかったね…」
ジョミー君はちょっぴり寂しそう。それは私も同じです。もう一度行けるかも、と期待していたのに入り口にすら行けないままで帰って行くしかないなんて。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」には会えましたけど、殆ど話もしていませんし…。後ろ髪を引かれる思いで駅へ向う途中、人通りの無いところを歩いていると青い光に包まれました。
「「「!!???」」」
フワッと浮き上がるような瞬間移動の感覚があり、私たちが立っていたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋の中。
「かみお~ん♪みんな、また会えたね」
「ようこそ、ぶるぅとぼくの秘密の部屋へ」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいつものように呼びかけてくれ、マフィンと紅茶がテーブルの上に。促されるままにソファに座ると、会長さんが「美味しいよ、ぶるぅの特製マフィン」と勧めてくれます。
「君たちに話があるんだけれど、喫茶店とかじゃダメなんだ。…だからね、明日、ぼくたちの家に来てほしくって」
「だったら後でメールをくれれば…」
キース君が言うと会長さんは柔らかな笑みを浮べました。
「ぶるぅの部屋に行きたいな、っていう心の声が昨日からずっと聞こえてた。だから朝からマフィンを焼いて待ってたんだよ。連れて来ようと思っていたのに、送り出されてしまったから…。メールの方が良かったかな?」
いいえ、と答える私たち。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来られた上に、明日は会長さんのマンションへ…?
「うん。大切な話だからね、ぼくの家でした方がいい。明日の午前十時頃に来てくれるってことで構わないかい?」
私たちが頷くと会長さんは「それじゃ大事な話は明日に」と微笑み、お茶の時間が始まりました。話題はさっきの四羽の白鳥。グレイブ先生たちはカルタ大会の時の『白鳥の湖』と同じ要領でバレエを覚えたらしいです。高齢に見えるゼル先生が踊れた理由は剣道と居合で鍛えた身体があったからこそ。…じゃあ、格段に上達した三十二回転を披露した教頭先生は…?
「ハーレイは真面目で努力家なんだ。やると決めたら何があっても諦めないし、どんな苦労も厭わない。謝恩会でバレエを上演すると決まった時から頑張って練習していたんだよ。…ぼくがプレゼントしたレオタードが役に立ってたみたいだね。トウシューズは履き潰してしまって取り寄せていたのを知ってるけれど」
クスクスクス。こっそりサイオンで覗き見していたらしい会長さんは楽しそう。
「三十二回転、凄かっただろう?あれをこなそうという責任感と忍耐力がハーレイのいい所なんだ。だからシャングリラのキャプテンをしてる。…ただ、その長所が裏目に出ると…何度振られても懲りずに三百年も片想いすることになるんだけどね」
ふふふ、と笑う会長さん。私たちは美味しいマフィンの残りをお土産に貰って「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に別れを告げました。明日は会長さんの家に集合です。大切な話というのが気になりますけど、謝恩会、とても楽しかったな。1年A組のみんな、見送ってくれた先生方…。今日の思い出は一生忘れませんからね~!
繰上げホワイトデーの翌々日は卒業式前日。1年A組のみんなと過ごせるのは今日が最後です。アルトちゃんやrちゃんと会長さんの話ができるのも今日限り。そんな朝、教室に来たグレイブ先生が。
「諸君、明日はA組の生徒が5人も卒業してしまう。諸君からの要望もあったし、今日の私の授業時間は特別にホームルームとしよう。いわばA組一同によるお別れ会だ。大いに楽しんでくれたまえ。ただし、他のクラスの迷惑にならん程度にな」
「「「はーい!」」」
みんなが元気に返事しています。お別れ会をして貰えるなんて夢にも思いませんでした。ジョミー君たちも驚いています。そして4時間目の数学の時間はホームルームに変わりました。グレイブ先生がポケットマネーで買ってくれたというジュースが配られ、さあ、乾杯…という時です。
「ぼくも仲間に入っていいかな?」
教室の扉が開いてやって来たのは会長さん。手にはしっかり私たちと同じグラスを持っていました。グラスは食堂からの借り物ですし、途中で調達してきたのでしょう。
「ブルーか…」
グレイブ先生がニッと笑って「いいだろう」と答えます。
「だが、お前の分の机はどうする?…今日は全員揃っているし、席は1つも空いていないぞ」
「分かってる。だから空けてよ」
「は?」
「グレイブの椅子にぼくが座るんだ。君は授業の時は立ってるんだし、空けてくれればいいじゃないか。…ぼくは虚弱体質だから長時間は立っていられないしね」
さあ立って、とグレイブ先生を椅子から追い立て、会長さんは奪った椅子に腰かけました。いつも教室の一番後ろにいた会長さんが、今日は一番前の席。それも教卓というヤツです。グレイブ先生は仕方なさそうに教卓の横に立つしかありませんでした。会長さんのグラスにジュースが注がれ、今度こそ。
「諸君、卒業していく5人の前途を祝して…乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
隣り合った席の子たちとグラスをカチンと合わせ、その後はおしゃべりに花が咲きます。
「なあ、卒業したら年を取らなくなるんだって?」
「うんうん、生徒会長みたいに、ずーっと今のままだって聞いたぜ」
なんと、みんなは私たちが年を取らないことを知っていました。卒業する生徒の名前が発表された後、図書館で調べたり先生方に尋ねたりして、情報を集めてきたのだそうです。
「グレイブ先生もずーっと昔の卒業アルバムから変わってなくてビックリだったな。校長先生が三百年以上も校長をやってる話は有名だけど、他の先生もそうだったなんてさ」
「でもゼル先生とか、古いアルバムでも年寄りだったし。…もしかして年を取らなくなる時期って、かなり個人差あるんでないの?」
ジョミーだけ先に禿げるとか、キースが一人だけ白髪で髭の爺になるとか…、とワイワイ騒ぐクラスメイトは私たちが特殊な人間になってしまうことを全く気にしていませんでした。なんだか嬉しくなっちゃいます。おまけにお別れ会まで開いてくれて、みんな名残を惜しんでくれて…。1年A組のことは卒業しても一生忘れないでしょう。
誰もが話を聞きたがるので、私たち5人はいつの間にか教室の一番前に会長さんの椅子を囲んで立っていました。ジュースのグラスはとっくに空です。
「ところでさ。…卒業式の服は用意したわけ?」
「「「え?」」」
リーダー格の男の子に聞かれて、私たちは顔を見合わせました。卒業式って制服を着るんじゃないのでしょうか?
「あーあ、やっぱり。制服で出る気だったんだ…」
「制服だと不都合なことがあるのか?」
キース君が問い返します。
「いや、制服でもいいんだけどさ。…お前たちは特別だから卒業証書は壇上で一人ずつ手渡しだろう?3年生は男子と女子の代表だけが壇に上がるんだぜ。でもって毎年、趣向を凝らした仮装で登場するのが伝統らしい」
へえ…。そんな話は初耳でした。卒業した後のことが気になるあまり、卒業式には関心を持ってなかったんです。
「せっかく壇に上がれるっていうのに、制服じゃ面白みに欠けるじゃないか。…先に思いついたのはC組のヤツらだったんだけどな」
えっ、ちょっと待って。3年生の代表さんが仮装で、私たちが制服だと面白みが無いってどういう意味?
「C組からは二人卒業するだろう?それで仮装させようって話になって、衣装を用意したんだってさ。銀河鉄道999の」
「「「は?」」」
「ほら、有名なあのセリフ。私はメーテル、永遠の時の流れを旅する女…って。年を取らないんならピッタリじゃないか。ちょうど二人いるからメーテルと鉄郎になってもらうって言ってたぜ」
とてつもなく嫌な予感がしてきました。サム君とシロエ君が妙な仮装で卒業式に出るってことは…。
「だから俺たちも用意したんだ、衣装を5種類。まりぃ先生にお前たちの服のサイズを教えてもらって、誰がどれを着ることになってもジャストサイズでいけるようにレンタル衣装を確保してある」
さあ、選べ!!という声を合図に運び込まれる5種類の衣装。
「「「えぇぇぇっ!?」」」
みんなが用意してくれていたのは凄まじい服ばかりでした。赤い彗星のシャアにダースベイダー、トトロの着ぐるみ。おまけにゴジラとガメラだなんて…!でもクラスのみんなは涼しい顔。
「どうだ、いいだろう?…素顔が分からないのがポイントだ。壇上では顔を出してもいいし、隠したままでもいいらしいぞ。どれにする?」
全員お揃いっていうのはダメだぜ、と言われましたが、こんなもの着たくありませんよう…。
「スウェナは赤い彗星がいいね」
会長さんがニッコリ笑って言いました。
「どうせ君たちは選べないだろうし、ぼくが全員の分を決めてあげるよ。…A組のみんなもそれでいいかな?」
「「「いいでーす!!」」」
みんなの明るい声が響いて、会長さんは私たちの衣装を次々と勝手に決めてしまいます。もしかして、このためにやって来たんですか…?
『当然じゃないか』
私たちにしか聞こえない思念で会長さんが伝えてきました。
『楽しい衣装選びを見逃すわけがないだろう?…晴れ舞台を楽しみにしているよ』
ひえぇぇ!や、やっぱり明日はこの服ですか!一世一代の卒業式はとんでもないことになりそうです。ジョミー君たちも顔面蒼白。卒業式に来てくれるパパとママが卒倒しちゃわないよう、ちゃんと説明しておかなくちゃ…。
シャングリラ学園での最後の授業の後、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ遊びに行きました。このお部屋とも多分お別れです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は沢山のケーキやお菓子でおもてなしをしてくれ、「また来てね♪」と小さな手を振ってくれましたけど、それはお別れの挨拶の定番で…。
「お別れじゃないよ?…また会えるよ」
泣きそうになった私の顔を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が覗き込みます。
「だって、ぼくたち、仲間だもの。だから絶対、会えるってば」
「…うん…」
会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」とはこれから先も会えるでしょう。でもシャングリラ学園の生徒という立場で私たち7人グループがここに集まるのは今日が最後です。卒業後の進路も分かりませんし、みんなバラバラになっちゃうのかも…。
「おやおや。卒業もしない内から泣くのかい?」
クスクスと会長さんが笑い出しました。
「ぶるぅの部屋は消えやしないよ。卒業しても溜まり場にしていいんだからね」
またおいで、とウインクされましたけど、そんなチャンスがあるのかな?…あるといいな、と祈るような気持ちで私たちは影の生徒会室と呼ばれる部屋に別れを告げたのでした。
卒業式の日は朝から快晴。入学式は一人で来ちゃった私ですけど、今日はパパとママも一緒です。校門の前でジョミー君たちと待ち合わせをして、みんなで集合写真を撮って…パパたちは講堂の保護者席へ。私たちは別行動で講堂の方へ向かいましたが、あの人だかりはなんでしょう?校長先生の銅像がある辺りですよね。
「うーん、今年はこう来たか…」
「毎年、誰がやってんだろうな?」
生徒のみんなが囲んでいたのは校長先生の銅像でした。普段は威厳のある銅像ですけど、この変貌ぶりはいったい何事?派手な紅白縞の服を着せられ、頭にも紅白縞のトンガリ帽子。首から太鼓がぶら下がっていて、銅像の手には太鼓のバチが…。この格好って何処かで見たような…と思ったら。
『ペセトラ名物・くいだおれ太郎』
でかでかと文字が書かれた紙が銅像の台座に貼られていました。『シャングリラ学園・校長像』という銘板を隠す形でベッタリと…。像の周りで写真を撮ったり騒いだりしている生徒たちの話によると、この銅像は卒業式の度に変身しているらしいのです。去年は水戸黄門の像だったとか。
「おい…。この無駄に達筆な文字。見覚えがあると思わないか?」
キース君が小声で言いました。上質の紙に躍る『くいだおれ太郎』という毛筆の文字は確かに凄く見事です。墨の痕も黒々として、いかにも丁寧に書きました…っていう感じ。…ん?墨と筆とで丁寧に…?頭の中にフラッシュバックしたのは、立派な硯で墨を磨っていた会長さん。教頭先生に贈る紅白縞のトランクスを入れる熨斗袋の表書きのためだけに、やたらと手間をかけてましたっけ。
「…まさか、これ…」
ジョミー君が口をパクパクさせ、シロエ君が。
「会長さんの仕業…でしょうか?」
「多分な。この珍妙な服を作ったのはぶるぅだろう」
キース君の言葉に私たちは溜息をつき、くいだおれ人形と化した校長先生の像を見上げました。くいだおれ人形、正式名称『くいだおれ太郎』。ペセトラではちょっと知られたお店の看板人形です。食い倒れだけに「そるじゃぁ・ぶるぅ」がチョイスしたのか、はたまた会長さんの趣味なのか。…どっちにしてもお騒がせです。卒業式に来た父兄の人も見ていくんですし、こんなことしてていいんでしょうか?シャングリラ学園、つくづく懐が深すぎるような…。
校長先生の像をバックに記念写真を撮った私たちは講堂に入りました。1年A組とC組の生徒が待ち構えていて、更衣室に借りているという部屋へ引っ張って行かれて着替えです。この服だけは着たくなかった、と全身で訴えながら7人揃って卒業式の会場へ。私たちの席は3年生代表と並んで一番前の列でした。
「これより卒業式を行います」
教頭先生の渋い声が響き、壇上にはスーツ姿の先生方が。グレイブ先生、ブラウ先生、ゼル先生…。まりぃ先生も今日はカッチリとしたスーツです。校歌斉唱に続いて校長先生や来賓の挨拶があり、いよいよ卒業証書授与。まず3年生の代表二人が呼ばれました。壇上に上がってゆくのはチョンマゲ姿にキンキラキンの羽織袴のお侍と花魁です。花魁は素敵ですけど、キンキラキンの羽織袴って時代劇の悪代官にしか見えません。もっと渋い着物にすればよかったのに、と思いましたが…。
「テーマは、そちも悪よのぅ…だっけ?」
「よいではないか、じゃなかったか?」
3年生がヒソヒソと交わす会話で納得です。計算ずくっていうわけですね。…悪代官と花魁が校長先生から卒業証書を受け取って戻ってくると、今度は私たちの番。司会はもちろん教頭先生。
「続いて、特別生に卒業証書を授与します。1年A組、キース・アニアン」
立ち上がったのはゴジラでした。歩きにくそうに階段を上り、深々とお辞儀をして卒業証書を受け取ります。重い尻尾を引きずりながら降りてくるゴジラと入れ違いに上っていくのはガメラになったジョミー君。会場のあちこちでフラッシュが光り、ウケているのが分かりました。続いてマツカ君のトトロが登壇すると「可愛い~!」と女の子の声が上がったり。
「スウェナ・ダールトン!」
赤い彗星のシャアが颯爽と現れ、凄い拍手が鳴り響きます。わーん、次はとうとう私の番…。ダースベイダーのヘルメットとマスクはとても重くて、うっとおしくて。赤い彗星の方が楽だったよね、と会長さんを恨みながらも卒業証書を受け取りました。仮装の方に気をとられすぎて、一生一度の大事な場面で何の感慨も無かったというのは残念極まりないのですが。
「1年C組、サム・ヒューストン!」
黒い帽子に黒い服、長い金髪カツラの大柄なメーテルが壇に上がると、講堂中が爆笑しました。続いて現れたシロエ君の鉄郎とセットものだと分かった瞬間、笑いは拍手に変わります。脈絡が無かったA組よりもストーリー性があるのがポイントでしょうか。…でも、A組はあれでいいんです。5人組をテーマにされていたなら、特撮ヒーローか女の子向けの美少女戦士をやらされたかもしれませんから。
「以上で卒業証書の授与を終了いたします」
教頭先生が告げ、在校生からの送辞は永遠の3年生の会長さんが読み上げました。悪代官が答辞を読むと3年生の女の子たちがすすり泣く声が聞こえてきます。式を締め括る歌が流れる頃には、しゃくり上げる先輩も大勢いましたが…私は未だに卒業の意味がピンと来なくて、なんだか他人事のよう。この先の進路すら分からないせいか、特殊な人間になってしまうことが心に引っかかっているせいなのか…。
「これをもちまして卒業式をお開きとさせて頂きますが、最後に我が学園のマスコット、そるじゃぁ・ぶるぅが登場します。卒業する諸君の前途を祝して三本締めをいたしましょう」
壇上に土鍋が運ばれてきて、中から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出てきました。そういえば入学式でも三本締めがありましたっけ。校長先生が進み出て…。
「卒業生の皆さん、そるじゃぁ・ぶるぅとの三本締めには赤い手形の御利益があると言われています。皆さんの進む道がパーフェクトなものとなるよう、さあ、御一緒に。ヨーッ…」
「シャシャシャン、 シャシャシャン、 シャシャシャン 、シャン」
「ヨー、 シャシャシャン 、シャシャシャン、 シャシャシャン 、シャン」
「ヨー 、シャシャシャン、 シャシャシャン、 シャシャシャン、 シャン」
壇上の先生方と「そるじゃぁ・ぶるぅ」、そして会場中の人が景気よく両手を打って卒業式は終わりました。さようなら、1年A組のみんな。たった1年しかいられなかったけど、ありがとう…素敵で不思議なシャングリラ学園。
3年生はこの後、ホテルの宴会場に移って謝恩会でした。でも私たちは1年生ですし謝恩会なんかありません。代わりに7人組の全員と付き添いの家族で食事をすることが決まっています。会場はマツカ君のパパが手配してくれているので、制服に着替え終わった私たちが待ち合わせ場所の校門へ行こうと講堂を出ると…。
「ヨッ、かっこよかったぜ、みんな!」
ワッと声がして1年A組のクラスメイトが駆け寄ってきました。サム君とシロエ君はC組の子たちに囲まれています。
「お前たち、謝恩会に出られないだろ?だからさ、みんなで決めたんだ。A組とC組全員で謝恩会を開こうって」
「「「謝恩会!?」」」
思わぬ言葉に私たちは驚きました。謝恩会って卒業生がするものでは…。キース君がみんなにそう言いましたが。
「いいって、いいって!固いことは言いっこなし。今日の衣装と同じで前から計画してたんだしさ」
「先生方も了解済みだよ。今度の土曜日、来てくれるよな?」
「絶対、来てね!待ってるから!!」
我先に叫ぶみんなの中にはアルトちゃんとrちゃんも混ざっています。私たちのために謝恩会をしてくれるなんて、夢にも思っていませんでした。しかもA組とC組の生徒が合同で…。授業に支障が出ないようにと土曜日になったらしいです。出費を抑えるために会場はホテルやレストランではなくシャングリラ学園の食堂だとか。
「いいか、必ず7人揃って来てくれよ!先生方も呼ぶんだから」
「そうそう。旅行とかに出かけるにしても、ちょっと先延ばしに…って、それはマズイか」
キャンセル料を取られるよな、という声で一気に広がる不安そうな顔。
「いや。旅行の計画は誰も無いよな?」
キース君が私たちに尋ね、土曜日が空いていることを確認してから。
「大丈夫だ。せっかく計画してくれたんだし、俺は喜んで参加させてもらう。…みんなはどうだ?」
「「「行く!!!」」」
否と言う筈がありません。もう一度みんなに会えるんですもの。
「やったぁ、決まりだぜ!それじゃ、土曜な。時間とかはまた連絡するよ」
「待ってるね~!!」
賑やかな声に送られ、卒業証書を大事に持って私たちはパパやママの待つ校門へ歩いていきました。先生方の許可が下りているのなら、土曜日にはまだシャングリラ号は来ないのです。謝恩会に来たら会長さんにも会えるでしょうか?「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に寄って遊ぶ時間もあると嬉しいな。…卒業式は終わりましたけど、シャングリラ学園にまた来られるなんて…。土曜日までみんな元気でいてね~!