シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
会長さんが健康診断に出掛ける金曜日。私たちはお泊り用の荷物を持って登校しました。健康診断は夕方6時からですし、夕食を会長さんのマンションで食べてそのまま泊っていけばいい、と言われたからです。放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ。マツカ君とシロエ君は部活中でキース君はまだ大学でした。
「かみお~ん♪今日のおやつはマンゴープリン!」
健康診断の日だからヘルシーだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちが健康診断を受けるわけではないんですけど、ちょっぴり気分が引き締まります。飲み物も絞りたてのオレンジジュース。柔道部で練習中のシロエ君たちには物足りないかも…と思っていたら、二人には焼きソバを作る予定だとか。
「みんなもお腹が空きそうだったら遠慮なく言ってね。晩御飯、遅くなりそうだし」
何人分でも作っちゃうよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔です。
「ブルーを守ってもらうんだもん、焼きソバの具も豪華版なんだ♪」
「ぼくの健康診断なのに、付き合わせてごめん。…今夜はお詫びに御馳走するから」
申し訳無さそうに言う会長さんにサム君が「かまわねえって」と明るく笑って。
「俺たちで役に立てるんだったら、付き添いくらいなんでもないさ。…なぁ、ジョミー?」
「うん。あのドクター、本当に危ない人みたいだし」
教頭先生と飲み比べをした時は凄かったよね、とジョミー君。酔いが回って饒舌になったドクターときたら、伏字にするしかない卑猥な言葉を次から次へと、会長さんに投げ掛けていたんです。
「ホント、いやらしいオッサンだよな。…二度と聞きたくねえよ、あんなセリフ」
サム君が不快そうに拳を握り締めます。
「今日は大丈夫だと思いたいぜ。ただの健康診断だし」
「…どうだろうね。でも君たちが守ってくれるんだろう?…いざとなったら」
ぶるぅも入れて8対1なら安心だよね、とニッコリ微笑む会長さん。8対1。…会長さんが数に入ってないってことは、自分ではドクターに対抗できる自信が無いってことなのでしょう。ボディーガードの責任は重そうです。やがてシロエ君とマツカ君が部活を終えてやって来て、焼きソバが出来上がる頃にキース君が。
「約束どおり来てやったぞ。…なんだ、食事中か?」
「腹が減っては戦が出来ぬ、と言うからね」
会長さんが取り皿をキース君に差し出しました。
「まだ時間があるから食べるといいよ。君の柔道の腕はとても貴重な戦力なんだし」
「…おい…。素人に技をかけるのは危険だってこと、分かってるか?」
「関節技で動きを封じることも出来るだろう?投げ飛ばすのは最後の手段。文字通りの人間最終兵器」
「…俺が傷害罪で訴えられたら、あんたのせいだぞ」
キース君は苦笑しながら焼きソバとマンゴープリンを平らげ、柔道部仲間のシロエ君、マツカ君とパチンと手と手を打ち合わせて。
「とりあえず俺たち3人はドクターを取り押さえられるよう努力する。…それでダメなら…。ぶるぅ、俺が合図をしたらドクターを思い切り弾き飛ばすか、動けないよう固めてしまえ。タイプ・ブルーなんだしな」
「…うん。ブルーを守るためなんだね」
コクリと頷く「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんの実質上のボディーガードは柔道部3人組と「そるじゃぁ・ぶるぅ」で決まりみたいです。4人もいればまず大丈夫。ジョミー君や私たちの出番は無さそうですが、ドクターが不埒な行為に及ばないよう睨んでいればいいんでしょう、うん。
タクシーに分乗して着いたドクターの家はアルテメシア公園に近い高級住宅街にありました。立派な門の向こうに洒落た豪邸。診療所だという建物は歩道に面した二階建ての別棟です。かなり大きな建物でエントランスにはちょっとした植え込みまであり、知らなかったら別の家だと思ったかも。
「…えっと…。看護師さんとか、いるんだよね?」
ジョミー君が『予約制』と書かれた小さなプレートを眺めています。
「ドクター・ノルディしかいないのかと思ってたけど、ちゃんと病院みたいだし」
「開業してる日は看護師さんも来るよ。受付の人もいると思うな」
だからといって油断は禁物だけど、と会長さん。
「ぼくを診るのはノルディだからね…。看護師さんが見ている前でも平気な顔して触ってくるんだ」
うーん、さすが本物というか何というか。人目などを気にしていたら会長さんを落とせないとは思いますけど、看護師さんも大変だなぁ。きっとお給料はいいんでしょうね。私たちは会長さんを先頭にして診療所に入っていったのですが…。
「待っていましたよ、ブルー。…約束の時間ピッタリですね」
立っていたのは白衣を纏ったドクター・ノルディ。受付に人の気配はありませんでした。
「お友達を大勢お連れになったようですが…まずは御挨拶をしませんと。ようこそおいで下さいました、ソルジャー・ブルー」
ドクターは会長さんの右手を取ると、手の甲に恭しく口付けて…。
「「「!!!」」」
次の瞬間、ドクターの手が会長さんの右手をグイと引き寄せ、身体ごと腕に閉じ込めて…強引に唇を奪っていました。会長さんの目が見開かれ、赤いルビーの瞳が驚愕に揺れるのを見た私たち。不意を突かれた会長さんが逃れようともがくのをドクターの両腕は許そうとせず、逆に背中から腰へと手を滑らせながら口付けを深くしてゆきます。
「馬鹿!噛み付け、噛み付くんだ!」
キース君が叫びましたが、会長さんは肩をピクンと震わせただけで、ドクターの口付けは深く激しくなるばかり。
「くそっ…。仲間を傷付けたくはないってか?俺たちが来てなかったら終わりだぞ」
世話の焼けるヤツだ、とキース君はドクターに近づき、トントンと軽く肩を叩いて。
「悪いが、そいつを離してもらおう。…警察に突き出されたいなら話は別だが」
「……………」
不愉快そうに薄目を開けるドクター。でも会長さんを捕まえた腕は離しませんし、キスを止める気も無いようです。
「おい、本当に通報するぞ。強制わいせつ罪だっけな。…十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上七年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする」
「…………。興醒めな発言ですね。もっと情緒に富んだ言い回しをして頂きたい」
ドクターは唇を離すと苦々しげに吐き捨て、会長さんの顎を捉えて上向かせて。
「嫌でしたか、ブルー?…そうは思えませんでしたが。続けてあげてもいいのですよ?」
「………遠…慮し…ておく…」
会長さんが途切れ途切れに言葉を紡ぎ、ドクターの手を振り払いました。すかさずキース君が会長さんを奪い返すと背後に庇い、ドクターを睨み付けながら。
「さっきソルジャー・ブルーと呼んでいたな。あんたは長であっても見境無しに襲うのか?」
「…私は自分の欲望に忠実でしてね」
ふふふ、と笑うドクターの視線が会長さんに絡み付きます。
「長であろうが、年上であろうが知ったことではないのですよ。ブルーは初めて会った時からまるで変わっていませんし…私の理想そのままに美しい。みずみずしい身体も透けるような肌も、くまなく味わいたいと願っていてはいけませんか?どんな声で鳴いてくれるか、想像するだけでゾクゾクしますね」
「なるほど、立派な変態だ。だが、俺たちがついてきた以上、あんたの思惑どおりにはさせん。…さっさと健康診断とやらを済ませてもらおう」
診察室にも同行するぜ、とキース君が言い、私たちも頷きました。いきなりキスする危険人物と会長さんを二人きりになんてさせられません。ドクターはチッと舌打ちをして検査服を取ってきて。
「ボディーガードが8人ですか。ぶるぅだけだと思っていたのに、余計なオマケが7人も…。仕方ありません、健康診断を始めましょう。ブルー、いつものようにそれに着替えて」
検査服を受け取った会長さんはキース君を連れて更衣室に入っていきました。ドクターがいつ襲ってくるか分からないので用心してのことでしょう。…何事もなく済むんでしょうか、健康診断。
着替えを済ませた会長さんをドクターは上から下まで舐めるように眺め回してから、診察室へと促しました。えっと…本当に大丈夫かな?私たちもくっついて入りましたが、看護師さんの姿は見当たりません。
「私一人で十分ですよ。…その方が時間もかかって楽しめますしね」
ドクターは会長さんを椅子に座らせ、機械の代わりに聴診器を使って血圧測定。ちゃんと機械も置いてあるのに聴診器を持ち出す辺りがヤバイです。触ってやろうという意図が見え見え。…これじゃ血圧、平常より高くなっちゃうのでは…。
「…前回に比べてかなり高めのようですが…」
カルテを見ながら呟くドクター。ああ、やっぱり…。
「正しい食生活をして頂かないと困ります。ソルジャーに万一のことがあったら…」
「ちゃんと考えて作ってるもん!!」
割り込んだのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。頬を膨らませて怒っています。
「ブルーの食事はぼくが作ってるんだもん!お野菜もお肉もバランスよく出そうって気をつけてるし!!」
「あんたが原因なんだと思うぞ。そっちの機械で測定してみろ」
キース君の冷たい声をドクターはサックリ無視して、お次は採血。時間をかけて血管を探っているのは採血し易い場所を探しているのではなく、会長さんの腕の手触りを楽しんでいるだけで…。
「ちょっと痛みますよ」
返事を待たずにドクターが採血用の針をブスッと突き刺し、会長さんが顔を顰めます。い、痛そう…。今の、かなり痛そう…。
『わざとだな』
『サドっ気もあるみたいですね…』
キース君とシロエ君の思念に、ドクターがニヤリと笑いました。そっか、仲間ですもんね…。聞こえちゃったというわけです。採血を終えたドクターが針を抜いてアルコール綿をテープで貼り付け、しばらく押さえているように、と会長さんに。試験管を奥の部屋に持っていくドクターの背中を私たちは不信感に満ちた目で見ていました。
「…いつものことだよ。ぼくなら別に気にしてないし」
「分かってるんなら、なんで噛み付いてやらなかったんだ!…あんなサドなら噛み付いたって…」
キース君が会長さんに言いましたけど、会長さんは腕を押さえながら微笑んで。
「採血するのと噛むのとは違う。…君が言ってたとおりなんだよ。ぼくは仲間を傷付けたくない。もちろん、普通の人間でもね。…そりゃ…助けてくれる人が誰もいなかったら、噛み付いてたかもしれないけれど」
「…あまり俺たちをアテにするなよ?自分で逃げる方法も考えてくれ」
「努力する」
そういう会話を交わしているとドクターがニヤニヤしながら戻ってきます。
「次は心電図になりますので…。女性の方は外でお待ち頂きましょうか」
あう。スウェナちゃんと私は待合室へ出されてしまいました。心電図なんて…今度こそセクハラ天国のような気がします。でもサイオンで覗く度胸も技も持ってませんし、心配しながら待っているだけ。
「けっこう時間がかかるのね…」
「修羅場になっていなきゃいいけど…」
キース君がドクターを投げ飛ばさざるを得ない状況になったらどうしましょう?なにしろ相手がドクターだけに、後々まで尾を引きそうです。逆恨みして会長さんを今まで以上に追い掛け回すとか、脅すとか…。傷害罪で訴えられたくなければ言うことを聞け、なんて如何にもありそうな展開かも。あぁぁ、どんどん怖い考えに…。
「お待たせ。…心配かけてごめんね」
診察室の扉が開いて会長さんが出てきました。制服に着替えるために更衣室へ入るのにキース君が付き添います。ジョミー君たちの様子からして修羅場ではなかったようですが…何事も無かったわけでもないみたい。ドクターが不敵な笑みを浮べて私たちをグルリと見渡しながら。
「ぶるぅどころか、こんなに大勢ついて来るとは予想外です。おかげで貴重なチャンスを逃しましたよ。…念入りにベッドメイクをさせたのに」
やっぱりドクターは会長さんを食べる気だったのでした。ついて来て良かった…と安堵していると着替えを終えた会長さんがキース君と一緒に戻ってきて。
「ノルディ。…タクシーを呼んだし、来るまでここで待たせてもらうよ。構わないよね?」
「もちろんです。泊っていって下さっても構いませんよ…貴方だけなら」
「遠慮する」
顔を背けて待合室のソファに座った会長さんにドクターが近づこうとするのをキース君が遮りました。
「それ以上、近づかないで貰おうか。検査は済んだし、もういいだろう」
「最近、東洋医学の研究をしていましてね。ご存じですか?…手にも色々と重要なツボがあるのですよ。タクシーを待つ間にちょっと…」
会長さんの手を取ろうとするのをシロエ君とマツカ君が盾になって防ぎ、キース君の低い声が。
「傷害罪で訴えられても構わないという気がしてきたぜ。…今度触ったら投げ飛ばすからな。ブルー、あんたに迷惑はかけん。親父とおふくろに泣いて貰うさ」
ひえぇぇ!キース君がここまで言い切るなんて、どんな騒ぎがあったのやら…。柔道部3人組とドクターが睨み合う中、やっとタクシーが到着しました。私たちは1台目の車に会長さんを最初に押し込み、2台目の最後にキース君が乗り込んでから、後をも見ずに会長さんのマンションへ。ドクターの高笑いが聞こえたように思いましたが、あれも思念波だったのでしょうか…。
会長さんの家に辿り着いた私たちが私服に着替え、ダイニングのテーブルに集合すると「そるじゃぁ・ぶるぅ」がホットプレートを用意して待ってくれていました。会長さんも制服を脱いでラフな格好をしています。
「かみお~ん♪今日はお疲れさま!…鉄板焼きにしようと思って」
家でやっても美味しいんだよ、とお肉やエビや野菜を焼きながら、スープなんかも出してくれたり。約束どおり御馳走です。会長さんを守れてよかったぁ…。スウェナちゃんと私は殆ど役に立ってませんし、診察室を出されてからは何があったかも知りませんけど。
「あの後かい?…心電図にとても手間取ったんだよ。まったく、電極の取り付けと外すのとにどれだけ時間をかけてるんだか…」
会長さんが忌々しそうに言い、キース君が顔を顰めて。
「変態野郎に苦労させられたぜ。動きを封じたら健康診断が出来なくなるし、好き放題にさせるわけにもいかないし。しかも何かっていうと、私に怪我をさせたら傷害罪になりますよ…なんてぬかしやがって。俺はああいうヤツが大嫌いなんだ」
「でも助かったよ、レントゲン室まで来てくれて…。シロエとマツカにもお礼を言わなきゃ。ぶるぅのシールドがあると言っても、気持ちいいものじゃないだろう?」
なんと柔道部3人組は放射線管理区域にまで付き添いで入っていたようです。そこまでしなくちゃいけないほどにドクターは危険だったというわけですか…。
「ノルディが強気なのはキスマークの件があるからだよ。あれに時効は無いみたいだ」
会長さんが深い溜息をつき、サム君が。
「時効が無いって…。じゃあ、いつまでも逃げ回るしかないのかよ!?」
「…そうなるね。でなきゃ、ぼくが大人しく食べられるか」
「言うなって!!」
バン!とテーブルを叩くサム君。
「冗談でも言うなよ、そんなこと!本当になっちまったらどうするんだよ!?」
「…サム…?」
「だから!…言霊って言うじゃねえか。そういうのって、言わねえ方がいいと思うぜ」
「…ごめん…」
悪かった、と会長さんが謝ります。ギャラリーを何度もやらされて分かりましたが、会長さんは『食べられてしまうかもしれないスリル』を味わって遊ぶのは好きでも、食べられたくはないんです。…なんといっても食べるの専門、女性限定というシャングリラ・ジゴロ・ブルーですから。
「なあ、キース」
サム君が真面目な顔でキース君を見つめました。
「柔道って俺でも出来るかな?」
「……?…それは…出来ないことはないと思うが…。どうしたんだ、突然」
「俺って武道はからっきしだし、ボディーガード、お前たちに任せっきりでさ。…あんなんじゃ、やっぱマズイよなぁ」
「なんだ、それで柔道なのか?実生活では全く問題ないと思うぞ」
キース君が言い、会長さんが。
「うん。ノルディには人数だけで十分な脅しになったからね」
「そうじゃなくって!!」
サム君が叫び、椅子からガタンと立ち上がって。
「俺、あんたを守りたかったんだ!…なのに見ていただけなんて!!」
えっ。サム君、いったいどうしちゃったの…?みんなの視線が集中する中、サム君は更に続けました。
「あんたが触られまくってたのに、俺には何も出来なくってさ…。またアイツが来たら…って思うと怖いんだ。あんたが攫われたりしたらどうしよう、って。だってさ…。俺…俺……」
しばらく口ごもってから思い切ったように。
「俺、あんたのことが好きなんだ!!」
「「「えぇぇっ!?」」」
私たちの目が点になり、鉄板焼きを締め括るガーリックライスを盛り付けていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」もポカンと口を開けています。サム君、なんて言いましたっけ?…会長さんが好きですって?聞き間違い…じゃないですよね?会長さんも唖然としていましたが、三百年を超える年の功なのか、立ち直りは誰よりも早くって。
「…サム……。それって、告白ってヤツ…?」
問い掛けられた言葉にサム君はみるみる真っ赤になって、俯いて椅子に腰掛けて。
「………。そうだけど……。やっぱダメだよな…」
俺の勝手な思い込みだし、と消え入りそうな声で呟くサム君。
「今、言ったこと…忘れてくれよ。あんた、そういうの嫌いだもんな。…分かってる…。分かってるけど…」
言わずにいられなかったんだ、と辛そうに唇を噛んでから、サム君はパッと顔を上げて。
「…なんてね。…あはは、冗談!…全部、冗談だってば」
明らかに無理に作った笑顔でサム君が笑い飛ばします。
「みんな、なんて顔してんだよ。…もしかして信じちまったとか?…有り得ねぇって!」
サム君は笑っていますけれども、冗談だったとは思えません。でも笑うしか無いですよね…冗談だったと片付けるしか。この状況ではそうするしか…と思った時。
「……無理しないで、サム」
会長さんが静かに立ち上がり、サム君の笑い声が止みました。
「サムの気持ちはよく分かったよ。…びっくりしたけど、嬉しいな」
「えっ?」
信じられない、という表情のサム君に会長さんは穏やかな笑みを浮べて。
「…ぼくにそっちの趣味は無いけど、好きだって言われて悪い気はしない。…無理強いしないなら好きでいてくれて構わないんだ。だから柔道なんか習いに行かずに、ぶるぅの部屋に遊びにおいでよ」
「「「……!!!」」」
思いがけない言葉にサム君も私たちも驚きましたが、会長さんは落ち着いています。
「ぼくの一番はフィシスだけれど…アルトさんたちも大切だけど、サムと付き合うのも楽しそうだ。…デートに誘うことはあっても、連れてってもらったことって無いし」
「…マジで……?」
目を丸くしているサム君に会長さんがコクリと頷いて。
「うん。…サムならノルディと違って安心だしね」
そして会長さんは私たちに向き直り、ニッコリ笑って宣言しました。
「今日から、ぼくとサムとは公認ってことでいいだろう?サムをからかったりしちゃいけないよ」
その後、温め直したガーリックライスやデザートのケーキを食べましたけど、誰もが心ここに在らず。サム君が会長さんを好きだったなんて…。しかも会長さんがサム君の想いを受け入れるなんて。会長さんが「今夜はこれで」と口にするまで、会話は途切れがちでした。
「みんな、今日は付き添ってくれてありがとう。ゆっくり休んでくれればいいから」
食べ始めた時間が遅かったので、そろそろ日付が変わる頃です。
「それじゃ、おやすみ。…いい夢を、サム」
サム君に微笑みかけて寝室に向かう会長さんを私たちは呆然と見送るばかり。サム君だけが幸せ一杯な顔でニコニコと手を振っています。えっと…今日って普通の金曜日だと思ってましたが、大安吉日だったでしょうか?サム君と会長さんというカップルが誕生するとは想定外。私たち、これからどうすれば…?
シャングリラ学園に特別生として再び入学した私たち。エッグハントが名物の新入生歓迎会や校内見学、クラブ見学といった一連の行事も終わって、今日から授業開始です。キース君、シロエ君、マツカ君はまた柔道部に入りました。放課後はもちろん今までどおり「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋が溜まり場で…。アルトちゃんとrちゃんは入学式の日だけのゲストで、それ以後はまだ来ていません。
「かみお~ん♪ブルーが待ってるよ!」
授業が終わって「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと、会長さんがゆったりとソファに座っていました。テーブルの上にはリボンがかかった箱があります。こ、この箱は…もしかして…。
「年度始めって慌しいよね。去年までは一人で行っていたから、入学式の日だったんだけど…今年はぼくも最初から1年A組ってことになってるし」
入学式以来、一度もクラスに来ていないくせに、会長さんは1年A組を自分のクラスと決めてかかっているようです。まだ部活が始まっていないキース君が大きな溜息をつきました。
「…その箱の中身は例のヤツか。新学期の度に届けるという…」
「そう。青月印の紅白縞のトランクスだよ」
新学期の初めに会長さんが教頭先生にプレゼントする紅白縞のトランクス5枚。私たちが去年の2学期から付き合わされている行事です。
「で、また俺たちを連れて行くのか?…こんなことなら午後からキャンパスに行けばよかった。博士課程の先輩たちが寺院経営について語り合う催しがあったのに…」
キース君の大学の講義が始まるのはまだ先でした。受講の登録を済ませただけで、毎日シャングリラ学園の方に来ています。それが裏目に出ちゃったみたい。キャンパスに出かけていればトランクスのお届け物には付き合わなくて済んだんです。
「つまり付き合ってくれるんだよね。ありがとう、キース」
「………!!!」
墓穴を掘ったと気付いたキース君が青ざめましたが、後の祭り。今更キャンパスに行くとも言えず、渋々頷くしかありません。会長さんはニッコリ笑って箱を抱えて立ち上がります。
「それじゃ行こうか。ハーレイが首を長くして待っているよ、きっと」
私たち7人と「そるじゃぁ・ぶるぅ」を引き連れ、会長さんは意気揚々と教頭室のある本館へ…。
重厚な扉を会長さんがノックし、「失礼します」と入ってゆくと、机で書き物をしていた教頭先生が弾かれるように顔を上げました。
「…ブルー!?」
信じられない、という表情を浮べる教頭先生。会長さんはクスクスと笑い、リボンのかかった箱を机に置いて。
「お待たせ、ハーレイ。…遅くなっちゃったけど、いつもの青月印だよ」
「………くれるのか……?」
「うん。…もしかして、持ってこないと思ってた?」
小首を傾げる会長さんに、教頭先生が頷きます。
「どうして?」
「…そ、それは……」
そう言ったきり教頭先生は黙ってしまい、頬がみるみる内に真っ赤に。会長さんは教頭先生をじっと見ながら人差し指で自分の唇をゆっくりなぞって…。
「そうだね、あれっきり会ってないものね。シャングリラからの帰りのシャトルは一緒だったけど、あそこではソルジャーとキャプテンの延長だったし…。公の立場を離れて会うのは青の間以来ってことになるんだっけ」
なんと、会長さんはシャングリラから地球に帰還した後、一度も教頭先生に会わずに過ごしてきたようです。私たちが青の間でギャラリーをさせられた夜が私的に会った最後ってことは…教頭先生と会長さんの間の時間はあれ以来、止まったままというわけで…。
「ふふ、避けられてると思ったんだ?…からかうつもりで誘ったってまだ気付かないほど馬鹿じゃないだろうし、気付いたら立場が無いもんねぇ。ぼくにキスして、ベッドの上でのしかかって…あちこちキスして触っただけに、嫌われたって仕方ない。…そうだろう?」
「……………」
「大丈夫、ぼくはそんなに心が狭くはないから。ただ、ヘタクソだな…とは思ったよ。本当にぼくを手に入れたいなら、何処かで練習すべきだね。…まあ、練習出来る根性があれば、とっくの昔に強引に押し倒しに来ただろうけど。…まったく、なんでぼくしか見えてないんだか…」
会長さんが教頭先生の手にそっと自分の手を重ねました。
「馬鹿だね、ハーレイ。ぼくなんか追っかけ続けて、振られっぱなしでオモチャにされて。…青の間に呼び出した時、もう少しだけ頑張っていれば…何が見られたか知ってるかい?ハーレイとお揃いの白黒縞。どうせならそこまで見て欲しかったな」
げげっ。白黒縞って…トランクスのことですよね?それっぽく見える特注品のサーフパンツだったとしても、教頭先生が目にするためには会長さんのズボンに手をかけなくてはいけないわけで…。確かベルトも締めてましたし、かなりハードル高そうです。それとも本気モードだったら大したことではないんでしょうか?
「…ねえ、ハーレイ。ぼく、今日もちゃんと白黒縞のを履いてきたんだ。…仕切り直しのチャンスだよ」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
教頭先生よりも先に絶叫したのは私たち7人の方でした。仕切り直しって、ひょっとして…。
「あの時、逃げて行っちゃっただろう。…もう一度…って思わないかい?もう一度最初から…二人だけで。仮眠室のベッドは十分広いし、シャワーもあるし。行こうよ、ハーレイ」
会長さんは教頭先生の手に重ねていた白い手を逞しい腕へと滑らせ、そのまま肩へ抱きつくように。
「…この部屋はぶるぅとジョミーたちに留守番をしてて貰えばいい。…みんな待っててくれるよね?」
え。待つって…まさか教頭先生と会長さんが仮眠室に行ってる間、ここで待ってろってことですか!?ギャラリーよりかはマシかもですが、でも…でも、仮眠室の中では会長さんと教頭先生が…。
「ちょっと待て!」
キース君が叫び、ジョミー君たちに合図して…仮眠室の扉の前に男の子5人が素早く立ち塞がりました。
「何を企んでいるか知らんが、行かせるか!…ここは通さん。さっさと教頭先生から離れるんだな」
「ふぅん…。人間バリケードなんだ?でも大事なことを忘れてないかい?…ぼくには扉なんか意味ないし」
ハーレイを連れて仮眠室へ瞬間移動することくらい朝飯前さ、とおかしそうに笑う会長さん。
「さあ、行こう、ハーレイ。…ぼくを…今度こそ抱きたいんだろう?…ヘタクソでも今日だけは許してあげるよ。こんなに大勢ギャラリーが居るし、恥をかきたくなければ頑張った方がいいだろうけど」
「…ギャラリー…?」
教頭先生がやっとのことで絞り出した言葉に、会長さんがクスッと笑って。
「そう、ギャラリー。…待ち時間って退屈だろう?この子たちもサイオンに目覚めたことだし、ぶるぅのサポートがあれば仮眠室の中で起こってることを見聞きするのは簡単なんだよ。…というわけだから、全力を尽くして抱いてごらん?首尾よく白黒縞まで辿り着けたら、ぼくをその気にさせられるかもね」
「……うう………」
脂汗を浮べる教頭先生。先日の青の間よりも状況は遥かに厳しいです。ベッドに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が頬杖をついているのも大概ですが、7人もの生徒が生中継で見ているとなれば、衆人環視みたいなもので…。
「どうしたのさ、ハーレイ。…飛ぶよ、時間がもったいないから」
教頭先生の肩に抱きついた会長さんの身体の周りで青いサイオンの光が揺らめいて…。
「うわぁぁぁーーーっっっ!!!」
野太い悲鳴を上げた教頭先生が会長さんの腕を振り払って逃げ出しました。人間バリケードを築いていたジョミー君とサム君の間を走り抜け、突き飛ばされた二人が床に尻餅をつくよりも早く仮眠室に飛び込んで…。バタン!ガチャリ、と内側から鍵が掛かったようです。会長さんの身体から青い光が消え、スッと扉に近づいて。
「…逃げるんだ?ハーレイのヘタレ!」
答えは返ってきませんでした。
「隅っこで蹲ってるよ。ぼくが追ってくるかと思って怯えてるんだ。本当に情けないったら…」
扉の向こうをサイオンで覗いたらしい会長さんは。
「ハーレイ、ぼくは帰るからね!次のチャンスが巡ってくるまでにヘタレを直して、テクニックも磨いておくといい。…絶対できっこないだろうけど、期待しないで待っててあげるよ。甲斐性なしの役立たず!!」
立て籠もっている教頭先生を激しく罵り、物音一つしない仮眠室の扉にクルリと背を向け、会長さんは教頭室を出て行きます。ジョミー君とサム君が痛そうに腰を擦りながら続き、私たちもゾロゾロと…。大きな机の上にはリボンのかかったトランクスの箱。教頭先生が仮眠室から怖々出てきて箱を手にするのはいつになるやら…。
影の生徒会室に戻ると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が何種類ものベルギーワッフルをお皿に乗せて持ってきました。
「出かける前に焼いたんだよ。好きなだけ食べてね♪」
会長さんの悪戯に付き合わされてゲンナリしていた私たちですが、それとこれとは話が別です。美味しいお菓子に、紅茶にコーヒー。早速ぱくついていると会長さんが。
「…今週の金曜日なんだけど…。夕方からぼくに付き合って欲しいんだ」
「「「えっ!?」」」
またギャラリーをさせられるのか、と顔がこわばる私たち。会長さんは「そうじゃないよ」とすぐに否定し、「どっちかといえばお願いかな」と小さな溜息をつきました。
「…さっきの悪戯で怒っちゃったんなら謝るから…ついて来てくれると嬉しいんだけど」
「どこに?」
尋ねたのはジョミー君。会長さんが謝罪の言葉を口にしてまで同行してくれと頼むだなんて、いったい何処へ行くのでしょうか?
「…ノルディの家…」
「「「えぇぇっ!?」」」
ノルディといえばドクター・ノルディ。会長さんを食べようと狙い続けている、とても危ないお医者さんです。そんなドクターの家へ何をしに?…まさか懲りずにからかいに…。私たちは万一の時の救助要員というわけですか?
「…救助要員じゃなくて用心棒だよ」
会長さんは何度目かの溜息をつき、紅茶で喉を潤して…。
「年に一度の健康診断に出掛けなくちゃいけないんだ。ぼくたちは特殊な人間だから、仲間であるノルディの病院にデータを管理して貰ってる。軽い風邪とかなら何処でもいいけど、大きな病気や怪我をした時は、事情を知ってる仲間の病院が一番だしね。…ノルディが院長をしてる病院、君たちも知っていると思うよ」
聞かされた名前はアルテメシアでも指折りの大きな総合病院でした。前に教頭先生がドクターはお金持ちだと言ってましたが、なるほど、あそこの院長だったらお金持ちなのは当然かも。
「…ノルディは自宅でも開業してるんだ。予約制で週に数回だけね。だから家にも設備はあるし、簡単な健康診断ならそっちで出来る。カルテも管理しやすいから、ってことで、ぼくたちの仲間はノルディの家で健康診断を受けて、詳しい検査が必要と判断されたら病院の方へ行くんだよ」
「…仲間ってことは、俺たちもか…?」
キース君の問いに会長さんは「いずれはね」と答えました。
「君たちはまだ力に目覚めたばかりだし…普通の病院で十分間に合う。実年齢と外見の差が開き始めたら、ノルディの病院を受診することになってるのさ。で、ぼくも年に一度の健康診断は欠かせない。ソルジャーともなれば、なおのことだ。…だけど…今回はどうしても気が進まなくて」
一人で行ったら何をされるか分からない、と顔を曇らせる会長さん。
「この間はハーレイが助けてくれたけれども、ノルディが諦めたとは思えないんだ。いつも健康診断の度に、ここぞとばかりに触りまくっているからね。…だからボディーガードを頼みたい。君たち全員がくっついて来たら、いくらノルディでも下手に手出しはできないだろう」
「フィシスさんに頼むか、ぶるぅを連れて行けばいいじゃありませんか」
シロエ君がそう言いましたけど。
「…フィシスには心配させたくないから頼めない。そして、ぶるぅじゃ全然ダメだ。…何も分かっていない子供なんだし、ノルディに上手く丸め込まれてニコニコ笑っていそうでさ…。言いかねないんだよ、ノルディなら。…ぼくは喜んでるんだから安心しろ、って」
げげっ。よ、喜んでるって…いったい何を!?この流れからして、答えは一つ。
「…癪だけど、ノルディは確かにテクニシャンだ。この前、うっかりつけられてしまったキスマーク…。あの時のことは今もハッキリ覚えてる。ノルディのヤツ、ダテに百戦錬磨じゃないらしい。…ぼくの弱い場所を狙ってきたよ。どうやって分かったんだろう…」
身体がビクッと震えたんだ、と会長さんは俯きました。
「ハーレイになら何度キスをされても、頭の中では余裕で笑ってられたんだけどね…。ノルディの方は全然違った。青の間でハーレイがぼくにしたようなことをノルディにされたら、ぼくは抗えないかもしれない。…多分、いいように翻弄されて…逃げ出せないんじゃないかと思う」
ひえぇぇ!それって、食べられちゃうってことですよね?…健康診断にやって来た会長さんを食べてしまうくらい、ドクターなら平気でやりそうです。それを見ている「そるじゃぁ・ぶるぅ」が『大人のお楽しみ』だと勘違いしてしまいそうなことも容易に想像がつきました。これは危険なんてものではなくて…。
「…分かってくれた?…健康診断の見学を兼ねて、一緒に来てくれるだけでいいんだ。キースとシロエ、マツカにはどうしても来て欲しい。柔道部で鍛えてるだけに腕っ節が立つからね」
「………。分かった。そういうことなら都合をつけよう」
キース君が頷きました。
「教頭室の件は忘れてやる。あんたが危ないと分かっていながら放置するのは、俺の信条に反するからな。困っている人間を見捨てるようじゃ、立派な坊主になれないし…。ボディーガードくらい、お安い御用だ。…夕方だったら午後の講義が終わってからでも間に合うだろう。何時にここへ来ればいい?」
「…約束したのは夕方の6時。だから5時過ぎまでに来てくれれば…」
ドクターの家まではタクシーで行けばいいから、と会長さん。
「みんなもぼくと来てくれるよね?…人数が多ければ多いほど安心できるし」
危険が迫っていると聞かされた以上、断るわけにはいきません。私たちはコクリと頷き、会長さんの健康診断に付き添うことになりました。スウェナちゃんと私はボディーガードなんてガラじゃないですけれど、揃って家に押しかけていけば、抑止力にはなるでしょうしね。
二十光年の彼方を航行中だったシャングリラの中で、教頭先生をからかうために青の間のベッドに誘った会長さん。傍目には危機一髪としか思えなかったあの状態でも平然としていた会長さんを、キスマーク1つで怯えさせるとはドクター・ノルディのテクニックは半端なものではなさそうで…。私たち、会長さんを無事に守れればいいんですけど、大丈夫かな?…教頭先生の方が適任なのでは…。そんな話を交わしていると。
「…ハーレイを連れて行ったら、それはそれでマズイんだ」
ボディーガードとしては有能だけど、と会長さんは苦笑いして。
「ぼくを欲しがってる二人が顔を合わせてしまうんだよ?…この間は無事に収まったけど、今度はどうなるか分からない。意気投合されてしまって、二人がかりで襲いかかられたらどうするのさ。ハーレイに押さえ込まれて、ノルディに好きに嬲られちゃったらおしまいじゃないか」
「「「!!!!!」」」
私たちの脳裏に蘇ったのは、まりぃ先生の妄想イラストでした。ドクターが登場した後、怪しげなのを沢山描いてましたっけ…。会長さんを二人がかりでオモチャにしている教頭先生とドクターの絵を。あんな世界が決して実現しない、と言い切れる根拠はありません。
「…分かったかい?だから君たちに頼むんだ。…本当に、ぼくとしたことが…」
あのキスマークさえ付けられなければ、と唇を噛む会長さんの顔を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が覗き込んで。
「ブルー…。ぼくだと役に立たないの?健康診断、ついて行くよ?」
今までの会話は理解していないようですけれど、心配でたまらないのでしょう。会長さんは銀色の小さな頭を撫でて柔らかな笑みを浮べました。
「ぶるぅにもちゃんと来てもらうよ。…役に立たないなんて思ってないさ。ただ、ぶるぅは素直ないい子だから…ノルディに騙されちゃったら大変なことになっちゃうんだ。…うまく説明できないけれど」
「…そっか…。ぼく、大人のお話、分からないしね」
納得したらしい「そるじゃぁ・ぶるぅ」は私たちに「ブルーを守ってあげて」と何度も言って、小さな手で一人一人の手をギュッと握って回ります。ドクター・ノルディの魔手から会長さんを守り、健康診断を何事もなく終わらせねば、という使命感が生まれた瞬間でした。健康診断は金曜日。…十三日でも仏滅でもない金曜日ですし、きっとなんとか…なるんじゃないかと思いたいです。
青の間の天蓋つきのベッドがよく見える場所で私たち7人は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が張ったシールドの中に立っていました。ここにいれば姿も見えず声も漏れないというわけです。会長さんはソルジャーの衣装でベッドに腰掛け、スロープを下った先の入口の方を見ていて、やがてそこから人影が…。
「お呼びでしたか、ソルジャー」
渋い声がして、近づいてくるのは教頭先生。いえ、マントつきの衣装ですからキャプテンと呼ぶべきでしょうか。
「こんな時間に御用というのは…?」
「…普通に話してくれればいい。ああ、この格好だからいけないのか」
会長さんが立ち上がって両耳を覆う記憶装置を外し、全身が青い光に包まれて…ソルジャーの衣装はシャングリラ学園の制服のシャツとズボンに変わっていました。
「これなら問題ないだろう?今のぼくはソルジャーじゃない。ただのブルーだ」
「…ソルジャー…?」
「ブルーだってば。ハーレイに用があるのはソルジャーじゃなくて、ぼくなんだよ」
そう言って会長さんは教頭先生を手招きします。怪訝な顔で近づく教頭先生との距離が縮まり、手が届くほどになった時。
「グレイブの結婚式を覚えているかい?…ミシェルが投げたブーケを持っていたぼくを、じっと見つめていたようだけど」
「…あ、ああ…。まさかソルジャー…いや、お前の所に行くとは思わなかったからな」
キャプテンの姿ではありましたけど、教頭先生はいつもの口調に戻りました。会長さんが少し不満そうに。
「それだけ?…ぼくが花嫁のブーケを持っていたのに、それだけしか考えていなかったわけ?婚約指輪を預けてあると思っていたのは記憶違いだったのかな」
「…ブルー…?」
「花嫁のブーケを貰った人が次の花嫁だっていうじゃないか。そのつもりでぼくを見ていたのかと思ったのにさ。…違うんだったら行っていいよ。それなら別に用は無いから」
さあ帰って、とスロープの先を指差す会長さん。教頭先生は困惑した様子で立っています。
「だ・か・ら。…ぼくを花嫁にしたかったわけじゃないんだろ?だったら呼んだ意味が無いんだ。ハーレイがぼくを要らないんなら」
会長さんは教頭先生にプイッと背中を向けて。
「…ブーケを貰っちゃったせいなのかな…。あれから、食わず嫌いはよくないかな…って考えるようになったんだ。でもハーレイにその気が無いなら仕方ないね。…こんな遅くに呼び出してごめん。明日は早いんだし、帰ってくれれば…」
「ブルー…。まさか、お前は…」
教頭先生が何かを言いかけ、でも言えなくて口ごもってしまったところへ会長さんが向き直りました。
「…ぼくに言わせるつもりなんだ…?抱いてくれ、って」
「…………!!」
息を飲んだ教頭先生の首に会長さんが腕を回します。
「嫌なら部屋に帰ればいい。そうでないなら…」
ぼくにキスして、と囁くような声が聞こえて、教頭先生が会長さんを抱き込むように…。
「や、やばいよ、これ!」
ジョミー君が焦っています。教頭先生は会長さんをベッドに横たわらせて何度目かのキスを交わしていました。いくら会長さんが悪戯好きでも、これは本当に危ないかも…。ヘタレの筈の教頭先生が本気モードに入っているのは誰の目から見ても明らかでした。
「ぶるぅ、俺たちをここから出せ。すぐに止めないとマジでやばい」
キース君が言う間にも大きな手が会長さんのシャツのボタンを外していって、さらけ出された白い喉元に教頭先生の唇が…。しかし「そるじゃぁ・ぶるぅ」はシールドを解かず、「大丈夫」と笑っているではありませんか!
「ブルーからちゃんと聞いてるよ。ほら、こんなのも貰ってるし」
ね?と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出してきたのは、まりぃ先生の妄想イラストのコピーでした。
「ぼく、これを参考に動くんだ。こっちの絵みたいなことになったら土鍋を持って…って、そろそろかな?」
教頭先生が会長さんの鎖骨の辺りに口付けています。
「じゃあ、行ってくるね。シールドはきちんと張っておくから、おしゃべりしてても平気だよ。絵は覚えちゃったし、みんなで見てて」
キース君の手に妄想イラストを数枚押し付け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何処からか取り出した土鍋を担いでベッドの方へと行ってしまいました。よっこらしょ、と土鍋をベッドの傍らに置くとゴトンと重たい音がします。
「………?」
教頭先生がハッと身を起こし、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と土鍋の存在に気付きましたが…。
「…ハーレイ。どうかした…?」
胸元をはだけられた会長さんが問い掛けます。
「い、いや…。そこに、ぶるぅが…」
「ああ。…なんだ、ぶるぅか。続けて、ハーレイ」
「…し、しかし…」
「怖い夢でも見て寝に来たんだろ。…気にしないで。ぼくだけを見てて」
会長さんの腕が教頭先生の背中に回され、大きな身体を自分の上に引き寄せて…。ん?この状況は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が残していった妄想イラストの1つにそっくりです。土鍋に入ろうとしていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がベッドにトコトコ近づいていって、会長さんたちのすぐそばに頬杖をつきました。
「何してるの?」
無邪気な声にビクッと教頭先生の身体が震え、声がした方を窺って。
「ぶるぅ!?」
「…気にしないでって言った筈だよ、ハーレイ。…このまま続けて」
会長さんは顔を引き攣らせている教頭先生を甘えるような声で促します。
「ペットだと思えばいいじゃないか。それともペットの視線があると落ち着かないってタイプかな?…それじゃ気分が盛り上がるように、ぼくが脱がせてあげようか?」
会長さんの白い手が教頭先生の襟元に伸ばされるのを「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコ笑顔で見ていました。意味が全く分かっていない子供ならではの表情です。
「…ハーレイ?…そんな顔してどうしたのさ」
固まったままの教頭先生の眉間の皺を会長さんの指がツーッとなぞって。
「完全に手がお留守だよ。…ここまでぼくを煽っておいて…。ああ、もしかして焦らしてる?もっと…って言わないとダメなのかな。じゃあ、もっと。…もっと続けて…?」
赤い瞳が誘うように揺れ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」をしきりに気にする教頭先生の唇に軽く口付けて。
「…欲しいんだ、ハーレイ…。ぶるぅなんかより、ぼくだけを見てよ」
「……うう……」
教頭先生の額に脂汗が浮かび、会長さんをじっと見つめて…でも「そるじゃぁ・ぶるぅ」を無視することが出来ず、視線を向けると無垢な瞳と目が合って。興味津々で見学している小さな子供がよっぽど脅威だったのでしょう。
「…す、すまない、ブルー…」
絞り出すように言った教頭先生は会長さんから離れようとします。
「どうしたのさ、ハーレイ。…もう一度ぼくに言わせるつもり?…抱いてよ、このまま。もう離さない」
「…………!!」
スルリと回された会長さんの両腕に捕らえられ、引き寄せられかけた教頭先生が声にならない叫びを上げて身体を離し、逃げるようにベッドを降りると、凄い勢いでスロープを下って走っていって…。
「甲斐性なし!…ハーレイの馬鹿、役立たず!」
身体を起こした会長さんが罵る声が木霊する中、教頭先生は後をも見ずに青の間を飛び出して行ったのでした。残されたのはシールドを解かれた私たち7人と「そるじゃぁ・ぶるぅ」、そして土鍋と妄想イラスト。会長さんは余裕の笑みを浮べて銀色の髪をかき上げました。
「…ふふ、本気になってもヘタレだったね、ハーレイったら」
シャツのボタンを留めてゆく会長さんの白い胸には赤い痕が幾つか付けられています。
「もっと沢山からかうつもりで参考資料を用意したのに、アッと言う間に逃げてっちゃった。つまらないったらありゃしない。…ねぇ、ぶるぅ?」
「うん。…ブルー、裸にされなかったね。ぼく、1回しか訊けなかった。何してるの?って」
「シャツを脱がせ終わるまでの間に5回くらいは言ってもらう予定だったよねえ…」
二人の会話に私たちは頭を抱え、キース君が拳を握り締めて。
「あ、あんたっていうヤツは…!俺たちは十八歳未満の団体なんだぞ。よくもとんでもないことを…」
「そう?ぶるぅは何も気にしてないよ。…とんでもない、って言ってる君たちの方が心が穢れてるんだと思うな」
「なんだと?だったら俺も言わせてもらおう。あそこまでされて平気だってことは、あんた、ノルディから逃げる必要なんか無いだろう?…ノルディを見かけることがあったら、あんたの家まで連れてってやる」
「…それは勘弁して欲しいな。ハーレイだから平気なんだよ。ぶるぅがじっと見ている前じゃ何もできっこないんだからさ。これがノルディだと、そうはいかない。…何度も言っているだろう?ぼくはそっちの趣味は無いんだ。ノルディを案内してきたりしたら、君を生贄にしてさっさと逃げるよ」
「!!!」
顔面蒼白になったキース君。会長さんはおかしそうに笑い、サイオンを集めた手でシャツの皺を綺麗に伸ばしてゆきます。
「ハーレイの積年の思いがどれほどのものか試してみたけど、てんでヘタクソだね、何もかも。…自覚が無いのが痛々しい。煽られるどころか白けるだけだよ。口直しをしなきゃ収まらないな」
「「「口直し!?」」」
目を見開いた私たちに向かって、会長さんは軽くウインクしました。
「ぼくの女神に会いに行くだけさ。キスマークも上書きしてもらわなきゃ」
げげっ。キスマークの上書きって…。真っ赤になった私たちでしたが、会長さんは微笑んだだけ。
「そうそう、君たちを部屋へ送らないとね。もう遅いから瞬間移動で」
青い光が私たちを包み、フワッと身体が浮き上がって。
「それじゃ、おやすみ。…いい夢を」
浮遊感が消えると、そこは部屋の前の廊下でした。ギャラリーをさせられた疲労感がドッと押し寄せ、私たちは「おやすみなさい」の挨拶もそこそこに割り当てられた部屋の中へ。シャングリラでの最後の夜はシャワーを浴びるのが精一杯で、スウェナちゃんと話す気力も無いままベッドに倒れて終わりました。
2泊3日の進路相談会を締め括るのは二十光年を一気に飛び越えるワープと、近づいてくる青い地球。大気圏に入ったシャングリラから降りるシャトルに乗り込んだのはブラウ先生と私たち7人組だけでした。会長さんやフィシスさんたちは別の便で戻ってくるのだそうです。青い空に浮かぶシャングリラの周囲を一周してから元の空港に降下し、マイクロバスでシャングリラ学園前へ戻って解散。ブラウ先生が笑顔で手を振って…。
「明日には通知が行くからね。特別生としての就学許可書と、入学式の案内状だ」
入学式の案内状。私たちはシャングリラ学園の校門と建物を眺めて互いに頷き合いました。入学式はもうすぐです。1年前と同じように学校の門をくぐって入学式の会場へ。思えば1年前のあの日から全てが始まったんでしたっけ。会長さんのメッセージを聞いて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行って…私たち7人グループが出来て。
「もうすぐだよね、入学式」
ジョミー君が嬉しそうに言い、キース君が頷いて。
「ああ。俺の大学の入学式は別の日だから、俺も来る。受講相談会に用は無いしな。俺が取る講義は決まってるんだし」
寺を継ぐなら選り好みはしていられないんだ、とキース君は笑いました。きっと難しい講義が沢山待っているのでしょう。でも天才のキース君なら大丈夫。時間が空いたらシャングリラ学園に必ず顔を出すそうです。
「出席日数を問われなくても、俺のプライドが許さないんだ。欠席大王だなんて呼ばれてたまるか」
俺は学年トップでなきゃな、と力説するとシロエ君が。
「ぼくだって負けませんからね。今年こそ、先輩から1本取ってみせます」
「頑張れよ!」
サム君がシロエ君の肩をバンバンと叩き、「負けるんじゃないぜ」とキース君の背中を叩きます。
「おいおい、どっちの味方なんだ?」
キース君の呆れた顔にサム君はニッコリ笑って答えました。
「いいじゃないかよ、どっちだって。…俺たち、みんな友達だろ?」
「そうだね。みんな友達だもんね」
ジョミー君が輝くような笑顔で応じ、私たちは入学式での再会を固く約束してから、それぞれの家に帰ったのでした。シャングリラ学園の特別生として1年生を続けることを家族に報告するために。
そして2度目の入学式の日。また袖を通せるとは思わなかったシャングリラ学園の制服を着て、私たち7人は校門の前に集合しました。新入生たちがパパやママと一緒に次々と門をくぐってゆきます。去年は一人で来たのは私だけでしたけど、今年はジョミー君たちも一人で参加。とりあえず記念写真を撮ろう、とシャッターを押してくれそうな人を捜していると。
「あっ!…みんなどうしたの?」
声をかけてきたのはアルトちゃんとrちゃんでした。そっか、在校生も来ますものね。不思議そうに見ている二人にキース君が。
「すまん。謝恩会までして貰ったんだが、また入学することになったんだ。俺たち全員、1年生だ」
「それって、もしかして特別生?」
「ああ。…みんなに会ったら謝らなきゃな。せっかく送り出してくれたのに」
そうそう、と私たちが声を揃えると、アルトちゃんたちは笑い出しました。
「大丈夫だって!もしかしたらそうじゃないかな、って言われてたもの、みんなの間で」
「うん。どんな制度かは分からないけど、1年で卒業してった人が特別生っていうものになって学校に残ることがあるのは知ってたの。みんなで色々調べたから」
それで入学式に来たんだね、とアルトちゃんたちは頷き、rちゃんが記念写真のシャッターを押してくれました。お礼を言って入学式の会場へ向かおうとすると。
「…あのね。もしかしたら、また同じクラスになるかも」
アルトちゃんたちは「私たちも1年生だし」と恥ずかしそうに笑っています。
「えっ、なんで!?…テストは満点だったのに」
疑問をぶつけるジョミー君。スウェナちゃんと私は肘で突っつき合い、思念波を使ってコッソリと…。
『もしかして会長さんのせい?』
『とうとう学校にバレちゃったとか?』
退学まではいかないまでも留年になってしまったとか…、と秘かにやり取りしている所へアルトちゃんたちが。
「私たちにも分からないの。でも、もう一度1年生なんだって」
「卒業してないし、入学式の案内は来てないんだけど…クラス発表があるから出るようにって言われちゃって」
だから一番後ろで見るつもりだ、と二人は去ってゆきました。グレイブ先生のクラスの生徒が成績が悪くて留年なんて有り得ません。私たちは額を寄せ合い、悩んだ挙句に会長さんのせいだという結論に達しました。そういう理由ならアルトちゃんたちが自ら語るわけがないですし…いかにもありそうな話ですし。
「教頭先生の次はアルトとrか…」
キース君が溜息をつき、私たちもシャングリラ号での事件を思い返して深い溜息。あそこまでやった会長さんなら、アルトちゃんたちに良からぬことをしでかすくらい平気でしょう。夢を見せるだけだと言ってましたが、どこまで信じていいものやら…。
「そろそろ会場に入りませんか?」
マツカ君が腕時計を見て言いました。
「もうすぐ始まる時間ですよ」
会場の外に人影は殆どありません。私たちは急いで講堂に入り、並んで座ったのでした。壇上には先生方の姿が。ゼル先生にブラウ先生に…。シャングリラ号のことは夢だったのかも、と思えてきます。機関長と航海長をしている二人をブリッジで何度も見かけたのに。でも何よりも信じられないのは、やはり教頭先生でした。スーツ姿で入学式の司会をしている人が、シャングリラ号を指揮するキャプテンだなんて。
校歌に続いて校長先生の挨拶が済むと、男の先生が二人掛かりで大きな土鍋を運んできました。蓋が取られて現れたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。学園のマスコットで幸運を招くと紹介されて、御利益に与る三本締め。その後は来賓の挨拶が続き、退屈でウトウトしてきた時。
『目を覚ませ、仲間たち』
響いたのは会長さんの思念波でした。そういえば入学式でメッセージを送って仲間を捜すと聞きましたっけ。私たちが去年この声に導かれて集まったように、今年も誰か来るのでしょうか。仲間が増えても「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ行っていいのか、私たちはお役御免になるのか…。なんだかちょっと不安です。式が終わるとクラス発表。廊下に張られた名簿を見ると…。
「「「えぇぇっ!?」」」
私たちは思わず叫びました。7人ともA組に名前があります。去年はサム君とシロエ君が別だったのに、みんな揃って1年A組。
「ブラック・リストってヤツでしょうか…」
シロエ君が小声で呟き、キース君が。
「まとめて監視しようってか?…上等だ。この分では今年もアイツが来るぜ」
「…来るだろうね…」
ジョミー君が相槌を打ち、私たちは会長さんの顔を思い浮かべて苦笑い。まさか校内で教頭先生を誘惑しようとはしないでしょうが…って、前言撤回。教頭室は無法地帯に近い状態でしたっけ。特別生はなかなか気苦労が多そうです。1年A組の教室に行くと、アルトちゃんとrちゃんがいて。
「本当に同じクラスになっちゃった…」
二人から「よろしくね」と微笑みかけられ、私たちは思わず思念波で会話。
『どうなってんだ、このクラスって?』
『きっとブラック・リストですよ』
『『『そんなぁ~!!!』』』
そこへ教室の扉がガラリと開き、カツカツカツ…と靴音も高く現れたのは新婚のグレイブ先生でした。
「諸君、入学おめでとう。私が担任のグレイブ・マードックだ。グレイブ先生と呼んでくれたまえ」
ひえぇぇ!まさかここまで因縁のクラスになるなんて…。
『やかましい!』
それは初めて聞いたグレイブ先生の思念。
『諸君の担任を押し付けられた私の身にもなってみたまえ。泣きたいのは私の方なのだぞ!』
えっ、と周囲を見回しましたが、思念波の対象は当然私たち7人だけ。
「私の担当は数学だ。挨拶代わりに実力テストをさせて貰おう。これを前から順に後ろへ」
悲鳴が上がり、数学の問題用紙が回ってきました。そういえば去年の入学式でも実力テストをされましたっけ。ど、どうしよう…。会長さんの手助けに慣れてしまって、実力でテストに挑むことなんか忘れてたのに。ああ、アルトちゃんたちみたいに「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形パワーを詰めたストラップがあれば…。でなきゃ「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手形を押しに来てくれるとか!
「…1年A組って、ここだよね?」
カラリと教室の扉が開いて、女の子たちの黄色い悲鳴が上がりました。銀色の髪に赤い瞳、スラリとした細身の超絶美形の会長さんが微笑みながら立っています。
「遅れちゃった。…ああ、今から実力テストなんだ?ぼくの名はブルー。この学園の生徒会長だけど、今年は1年A組に混ぜて貰おうと思ってね。…グレイブ、ぼくの机が無いからちょっと借りるよ」
教卓の椅子に腰を下ろした会長さん。実力テストがどうなったかは…言うまでもないと思います。
入学初日のホームルームを終えたグレイブ先生が出て行った後、会長さんは質問攻め。みんな会長さんの力は知りませんから、単なる興味や好奇心です。生徒会長が1年生のクラスに混ざろうだなんて、誰が聞いても不思議ですもの。騒ぎが落ち着き、クラスメイトが帰った後で会長さんが。
「それじゃ行こうか、ぶるぅの部屋へ。今日は入学祝いのケーキを焼くって張り切ってたよ」
やったぁ!今日も「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ行けます。お役御免でなくて良かったぁ…。みんなで生徒会室へ行くと、扉の前にアルトちゃんとrちゃんが。
「あ、あの…。入学式の時に声が聞こえたような気がして…」
「生徒会室の前で待ってるように、って…」
「「「えぇぇっ!?」」」」
驚いていると会長さんが生徒会室の扉をカチャリと開いて。
「アルトさんとrさん。…ようこそ、影の生徒会室へ。おいで、ぶるぅの部屋を紹介しよう」
私たちはキョトンとしているアルトちゃんたちを連れ、壁の紋章に触れて奥に入ります。
「かみお~ん♪待ってたよ!今日はお客様が二人だね!」
出迎えてくれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がイチゴをたっぷり使った大きなケーキをテーブルの上に運んできました。アルトちゃんとrちゃん…。お客様って、どういう意味?仲間とはまた違うのかな…?
『アルトさんたちは少し時間がかかりそうなんだ』
会長さんの思念が聞こえましたが、アルトちゃんたちは無反応。
『まりぃ先生と同じで因子を持ってはいるんだけれど…君たちのようにいかなくて。だから留年させてみた。ぶるぅの部屋に自分の力で入れるようにならないと。まりぃ先生もアルトさんたちも、因子が目覚めるまで気長に待つよ。夢でお付き合いしながらね』
クスクスクス。楽しそうに笑う会長さんはシャングリラ・ジゴロ・ブルーの顔でした。
「それじゃ今日はゲストも交えて賑やかにいこう。新しい年度に乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
フレッシュジュースのグラスをカチンと合わせて、楽しい宴の始まりです。謝恩会の日のブラウ先生の言葉がフッと頭を掠めました。「あんたたちは学校が合ってるのかもしれないねぇ」って。楽しみにしているよ、と言ってましたけど、学校に残るのを期待してくれていたのかな?グレイブ先生、ゼル先生…みんな素敵な先生ばかり。ヘタレな教頭先生だって、生徒には優しい先生で…そしてシャングリラ号のキャプテンで。
『みんな、学校に残ってくれてありがとう。新しい特別生を歓迎するよ』
会長さんから届いた思念に私たちは大きく頷きました。シャングリラ学園1年、特別生。私たちの新しい学校生活は、今、始まったばかりです。シャングリラ学園がいつまでも変わりませんように。宇宙船シャングリラ号が箱舟になる日が来ませんように。きっと…きっと、大丈夫。シャングリラ学園、万歳!
※ここまで読んで下さった方、お疲れ様でした!
実は「番外編」へと続くんですよね、このお話は…。キース君が副住職になるまで。
あまつさえ、遥か未来の世界で「完結」したとか、しないとか。
一度は完結したんですけど、何故だか、今も絶賛連載中です。
番外編の目次はこちら→番外編タイトル一覧
思いがけないティータイムを終えるとカップやマドレーヌの籠は綺麗に消え失せてしまいました。厨房へ返したんだ、と会長さんがベッドに腰かけて微笑みます。シャングリラには大きな食堂もあるようでした。ブラウ先生がベッドの横に立ち、私たちは床に座ったままで進路相談会の再開です。最初の発言はブラウ先生。
「さて、あんたたちの今後だけどね。ソルジャーは各自の意思に任せる、と仰せなんだ。…進学するも良し、就職してみるも良し。シャングリラ学園のコネを使えば今からでも十分間に合うよ。もちろん浪人して受験してみたり、自分で就職先を探すのもオッケーだ。…ただ、お薦めの進路ってヤツがあってさ。あんたたち、また1年生をやらないかい?」
「「「は!?」」」
「シャングリラ学園の特別生として1年生にならないか、って言ってるんだよ。そうだね、ソルジャー?」
「うん」
会長さんが頷いて。
「話したことがあるだろう?学校に残ることも可能だ、って。もちろん学費は一切要らない。君たちは年を取らなくなってしまったんだし、急いで社会に出るよりその方がいいとぼくは思う。何年か経って自信がついてから他の道に行きたくなったら、その時にまた考えればいいんだしね。…そうそう、キース。君も在籍しないかい?」
「俺が!?…もう入学式の日も決まっているし、学費だってとっくに納めたんだ」
お坊さんの勉強が出来る大学への進学が決定しているキース君。シャングリラ学園に在籍するのは無理なのでは…?
「いいんだってば。在籍する、と言ってくれれば1年生に籍を置いておく。学校の空き時間とか講義の無い日にフラッと来ればいいんだよ。特別生は出席日数は問われないから。…知らないかな、1年B組の欠席大王。ジルベールって名前の男の子だけど」
「「「あっ!!」」」
私たちは思わず声を上げました。滅多に登校して来ない絶滅危惧種と噂の高い美少年がB組にいると聞いています。会ったことは無いですけれど、確か名前がジルベール…。
「彼は特別生なんだ。同じB組のセルジュって子と同期でね。セルジュは真面目に登校するのに、ジルベールの方は出てこないことで有名で。…そう、二人ともぼくたちの仲間なのさ。特別生はシャングリラ学園に何人もいる。フィシスもリオも特別生だ。だから君たちも特別生になって1年生をやらないか、ってこと」
シャングリラ学園で1年生をもう一度…。そういえば前に会長さんが言ってましたっけ。1年生を百年くらいやってみれば…とかいう怪しいことを。百年やるかどうかはともかく、もう一度という提案は私には魅力的でした。進学も就職もピンときませんし、なによりシャングリラ学園で過ごした1年間はとても素敵なものだったのです。また1年生をやりたいです、と言おうとした時、マツカ君が。
「あの…。学校に残らないか、っていうお話は嬉しいですし、そうしたいです。でも…ぼくの将来って、どうなりますか?父の事業を継いでいかないと会社の人たちが困るでしょうし…。父はお前の人生だから好きにしろ、って言いましたけど」
「…お父さんの仕事を継ぎたい、か…。本当に強くなったね、マツカ」
柔道部に入ったおかげかな、と会長さん。入学したての頃、スタンガンや催涙スプレーを持ち歩いていたマツカ君はいつの間にか責任感の強い人間に成長していました。私と同い年なのに、ちゃんと将来のことを考えて…。
「シャングリラ学園にいても会社経営の勉強と両立するのは可能だよ。…というより、むしろそうした方がいい。君は年を取らない人間だ。普通の人の何倍もの年月を老けないままで社長稼業を続けていこうと思うんだったら、まずノウハウを学びたまえ。校長先生がいい先例だ。三百年以上も校長をやっている話は知られているけど、誰も化け物だなんて言わないだろう?」
「…あ…。そうですね…。会長さんの言うとおりです…」
そこまで考えていませんでした、とマツカ君は素直に言って。
「じゃあ、ぼく、学校に残らせて頂きます。えっと…手続きとかはよく分かりませんけど、お願いします」
「了解。マツカは在籍、と。ブラウ、よろしく頼むよ」
会長さんが宙に書類とペンを取り出し、ブラウ先生に手渡します。
「よーし、進路決定第一号だね。…他のみんなはどうするんだい?」
サラサラと何か記入しながらブラウ先生が尋ねました。えっと、えっと…。よーし、私も思い切って!
「「「残ります!!!」」」
えっ、と見回すとジョミー君、サム君、スウェナちゃんが一斉に手を挙げていたのでした。
「…シロエは?」
会長さんが黙り込んでいるシロエ君に水を向けます。シロエ君には柔道の他に特に目標は無かったような…。
「キース先輩次第です。ぼく、先輩に負けたくないっていう一心でシャングリラ学園に入学したのに、あっさり卒業になってしまって…。おまけに先輩はお坊さんになるって言いますし。これじゃ勝負にならないですよ。もしも先輩が残るというなら残って勝負をつけたいですし、進学するっていうんだったら…どうしようかな?」
「…俺を基準にしやがって…」
フゥ、とキース君が溜息をつきました。
「仕方ないな。トリで進路を決めたかったが、話が進まないのは好かん。…俺も残らせてもらうことにする。何百年も寺を守るとなると、知っておきたいことも沢山あるしな。新しい学校と二足の草鞋でろくに登校しないかもしれんが、また1年生をやることにするさ。…教頭先生の柔道の指導にも未練があるし」
「やったあ!じゃあ、また先輩と技を競えますね」
シロエ君の顔がパッと輝いて。
「ぼくも学校に残ります。…いえ、残らせて下さい!!」
「分かった」
会長さんがニッコリ笑い、ブラウ先生が記入した書類を受け取って確認してからサインをします。
「それじゃ君たち全員、シャングリラ学園の特別生として1年生になることを認めよう。…これで進路相談会はおしまい。後はシャングリラで宇宙の旅を楽しみたまえ」
お腹が空いただろうし食堂へ…、と言われてやっと気がつきました。朝ご飯の後、口にしたのはさっきのマドレーヌと紅茶だけ。みんなのお腹がグーッと鳴って、進路相談会は笑い声と共に無事に終了したのでした。
ソルジャーの衣装を着けた会長さんが私たちを連れて食堂に入っていくと、聞き覚えのある大きな声が。
「ブルー!…みんな、こっち、こっち!!」
公園が見える窓際の席で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手を振っています。まさかシャングリラに来ていただなんて!ブラウ先生はブリッジに行ってしまいましたから、ここにいるのは会長さんと私たち7人グループだけ。食事の時間から外れているので他の人の姿もありません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に呼ばれるままにテーブルに座りましたけど…。えっと、食事ってどうするのかな?
「基本はセルフサービスだよ」
会長さんが教えてくれました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が全員分の水のグラスをお盆に載せてきて配ってくれます。
セルフサービスなら食事を取りに行かないとダメですよね。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に運ばせるのは悪いですし。
「…基本は、って言っただろう?」
立ち上がりかけた私たちを会長さんが引き止めて。
「時間外だし、シャングリラでの初めての食事でもあるし…今回だけは特別なんだ。ほらね」
白い調理服の男の人がワゴンを押してやって来ました。テーブルの上に並べられたのは煮込みハンバーグにスープにサラダに…。
「全部ぶるぅが作ったんだよ。食材もちゃんと持ち込んで。ね、ぶるぅ?」
「うん!…シャングリラの食堂でお料理するの、久しぶりだから楽しかったぁ♪」
お代わりもあるよ、と言われて食べ始めると、いつもどおりとても美味しくて…。でも夕食からは他の乗組員の人たちと同じ日替わり定食になるそうです。それは会長さんの意向でした。
「やろうと思えば別メニューにも出来るんだけどね。せっかく来たんだし、シャングリラの食事を体験するのもいいだろう?味気ないものじゃないから大丈夫」
船の中では自給自足が原則なんだ、と農園などが存在することを聞かされビックリ仰天。家畜なんかも飼育されていて、船自体が1つの小さな世界なのです。
「名前負けしたんじゃ情けないと思って頑張ったんだ。シャングリラの名前どおりの、ぼくたちの理想郷になるように。…前に言ったとおり、今のところ出番は無さそうだけど」
そうでした。シャングリラ号は箱舟として建造されたと聞きましたっけ。でもサイオンに目覚めたわりに、今までと比べて何の変化もないような…。ジョミー君たちに尋ねてみると同じ意見が返ってきました。私たちってサイオンの才能が無いんでしょうか?
「違うよ。それが普通なんだ。思念波もサイオンも日常生活では全く必要が無い。…意識して初めて使える、っていうのが理想かな。君たちはもうそのレベル。今は要らないと自分で判断しているわけさ」
なるほど。じゃあ、普通の人と変わらない生活が出来るんですね。年を取らないということを除けば、あまり問題は無さそうです。シャングリラ号に来るまでは、かなり気がかりだったんですけど。
「あまり心配しないことだね。力は徐々に伸びることもあるし、その時はちゃんとフォローするから。…3人目のタイプ・ブルーがどんな風に成長するのか楽しみだな」
「「「タイプ・ブルー!?」」」
私たちは思わず叫んでいました。3人目のタイプ・ブルーって、いったい誰!?
「…ジョミーだよ」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
ジョミー君も含めた全員が驚愕に目を見開きましたが、会長さんはクスッと笑って。
「ジョミーは間違いなくタイプ・ブルーだ。…でも力がどこまで伸びてゆくのか、その時期がいつかは分からない。もしかしたら百年くらいは今のままかもしれないね」
「…そうなんだ…」
残念、と呟くジョミー君。会長さんみたいに瞬間移動とかを自在にしたかったらしいのですが、こればっかりは仕方ないですよねぇ。
食堂を出た私たちは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に案内されてシャングリラ号の見学に出かけました。展望室からは無数の星が見えます。ここが地球から二十光年も離れているだなんて…。不意にキース君が会長さんに。
「あちこち見て回って思ったんだが、あんたの部屋…。青の間と言ったな?あれはいったい何なんだ。他にああいう部屋は無かった。あんたは一人であそこを使って何をしている?」
「別に何も…。ぼくはあそこに居ればいいんだ。ただそれだけ。…でも、留守にしてても問題はない」
会長さんはキース君の勘の鋭さを褒め、青の間が持つ意味を教えてくれました。
「あの部屋は、ぼくのサイオンを増幅させる。多少消耗していたとしても、あそこにいればシャングリラ全体にシールドをかけるくらいのことは出来るんだ。シャングリラと仲間たちを守るソルジャーに…戦士としてのぼくに必要な部屋が青の間なのさ」
シャングリラと同じで戦士の出番も無いんだけどね、と会長さんはウインクして。
「ぼくの部屋には招待したから、フィシスの部屋に案内しよう。…前に言っただろう?フィシスの部屋はぜひ見てほしい、って」
えっ。その言葉は確かに覚えています。でもフィシスさんのお部屋がシャングリラに?…アルテメシアの会長さんのお家のゲストルームの1つじゃなくて?
「アルテメシアの家にはフィシス専用の部屋なんか無いよ。…ぼくの寝室がちゃんとあるのに、別の部屋を用意してどうするのさ」
「「「!!!」」」
し、寝室…。今、寝室って言いましたか?フィシスさんが会長さんの寝室に…って、それじゃやっぱり会長さんとフィシスさんは…。
「フィシスはぼくの女神なんだ。女神にはそばにいて欲しいものだろ?」
しれっと言った会長さんは呆然とする私たちを展望室から連れ出し、エレベーターや通路を使って別の区画へ。青の間と同じくらいの大きな扉を抜けた先には大理石でしつらえられた立派な部屋がありました。印象的な階段と、プラネタリウムの投影機。相当に広い空間です。そして階段を滑るように下りてきたのは…。
「ようこそ、ソルジャー」
フィシスさんが薄紫のドレス姿で微笑んでいます。ドレスの裾は床に届く丈で、袖の端も床に届きそう。まるで本物の女神様みたい…。みんなも同じことを考えているのが分かりました。これがサイオンの力なのかな?
「…女神みたいに見えるって?」
会長さんがニッコリ笑ってフィシスさんの手を取りました。
「当然じゃないか。ソルジャーの隣に立つのに相応しい服をデザインするよう頼んだ時に、ぼくが注文をつけたんだ。女神らしく見える服にしてくれ…って。ほらね、こうして並ぶと映える衣装だと思わないかい?」
えっと…。要するに、会長さんの衣装と引き立て合うようデザインしたってわけですか。徹底した溺愛ぶりですけれど、この部屋もそういう意図で造られた部屋なんでしょうか?
「ここは最初からあったんだよ。青の間と同じでシャングリラが出来た時からね。…プラネタリウムがあるから天体の間と呼ばれてきた。フィシスに出会って、青の間に負けない部屋をあげたくて…思いついたのが此処だったんだ」
フィシスも気に入ってくれたしね、と会長さんが言うとフィシスさんが頷きます。
「…とても静かで落ち着くのです。…ブルー……いえ、ソルジャーがこの部屋を下さるとおっしゃった時は驚きましたけれど」
今ではシャングリラに来るのが楽しみに思えるほど大好きな場所になりました、とフィシスさん。会長さんもフィシスさんもシャングリラには滅多に来ないらしいのですが、数少ない滞在期間のためだけにこんなお部屋を贈るだなんて凄すぎます。青の間と釣り合うものを…という考えで選ぶあたりが流石というか、なんというか。ドレスのデザインといい、天体の間といい、フィシスさんは会長さんにとって何処までも特別な人なんですね…。
フィシスさんのお部屋でお茶を御馳走になり、それから居住区に連れて行ってもらって、部屋で休憩。会長さんは私たちが迷わないようシャングリラの全体図をサイオンを使って一瞬で教え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒に青の間に帰ってしまいました。2泊3日の進路相談会はまだ1日目ですが、進路が決まるとすることもなくて…。夕食を食堂で食べてしまった後は暇に任せて7人で艦内の散歩です。
「暇だよねえ…」
ジョミー君が言い、誰かの部屋でトランプでも…という話に。でも、トランプなんかありましたっけ?進路相談会にはおよそ不要なアイテムです。案の定、誰もトランプは持っていませんでした。仕方なくジョミー君とサム君の部屋で雑談をしている内に少しずつ眠くなってきて。朝から驚きの連続ばかりで目が冴え返っていましたけれど、シャングリラでの時計が午前0時過ぎともなれば疲れが出てきて瞼も重くなってきます。おやすみなさい、と部屋に戻ってシャワーを浴びて、ベッドに入って朝までグッスリ…。
「うーん、よく寝たぁ…」
起き上がって伸びをしているところへジョミー君たちが起きた気配が届きました。きっとこれもサイオンです。身支度をしてスウェナちゃんと他の部屋のチャイムを鳴らし、みんな揃って食堂へ。朝は定食ではなくバイキングでした。お揃いの制服を着た人たちがあちこちで談笑しています。その人たちがいなくなるまで食堂で粘り、またまた暇に任せて艦内見学。ブリッジを覗いたり、展望室から宇宙を見たり…。そしてお昼の定食を食べ、食堂で粘った後はまた艦内の見学です。
「結局、歩き回ってただけだったよな」
サム君が夜の定食を頬張りながら公園の方を眺めました。
「シャングリラの中で行ける所は全部見たけど、なんか不毛な一日だったぜ。こんなに暇だと分かっていたら、ゲームとか持って来たのになぁ…」
それは私たちも同意見でした。シャングリラの中はすっかり覚えましたが、もっと有意義に時間を使いたかったという気がします。ソルジャーである会長さんは仕方ないとして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」ならちょっとくらい遊びに来てくれたって…。
『ふぅん、そんなに暇だったんだ?』
不意に会長さんの思念が聞こえました。
『シャングリラを知って欲しかったから、あえて何も言わずに覚えるまで見学させたんだけど…。悪かったかな』
そっか、無駄に時間を潰したわけではなかったんですね。それならいいか、と私たちが顔を見合わせて苦笑した時。
『退屈させてしまったようだし、今夜はお詫びにトランプ大会。後で青の間へ遊びにおいで』
お誘いの言葉を断る理由はありません。よーし、今夜は遊べそうですよ!
夕食を終えて部屋でしばらく休憩してから青の間に行くと、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が待っていました。
「かみお~ん♪昼間は放っておいてごめんね。ブルーがそうしろって言ったんだ」
「ごめん、ごめん。…でもシャングリラには馴染めただろう?君たちのための船でもあるし、しっかり見ておいて欲しかったんだ。次に乗れるのはいつか分からないしね」
そう言いながら会長さんがトランプを取り出し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がシャッフルします。まずは定番のババ抜きから。…サイオンに目覚めたとはいえ、会長さんに「サイオンによる覗き見禁止」と厳命されると今までと何も変わりません。ババ抜きの次は大富豪。大貧民とも言いましたっけ。盛り上がる中、キース君が会長さんをまじまじと見て。
「…あんた、なんで生徒会長なんかをやってるんだ?…ソルジャーは俺たちの長なんだろう。教頭先生たちより上の立場にいる筈なのに、教え子だなんて変じゃないか」
「いいんだってば。…ぼくが望んだことだから」
会長さんがスッとカードを出すと、「パス!」という悲鳴が響きます。
「ぼくは確かにソルジャーだ。タイプ・ブルーで、皆を守るだけの力があるから、自然とそういうことになった。でも、長の責任は重いんだよ。ぼくたちの未来も何もかも…一人で背負っていくなんてこと、いくらタイプ・ブルーであっても酷なことだと思わないかい?」
みんなが次々にパスしてしまい、会長さんは新しいカードを1枚出しました。
「だから条件を出したんだ。…もしも普通の人間たちから迫害されるような時が来たなら、ぼくは文字通りソルジャーとして…戦士として皆を全力で守る。その代わり、それまでは長の務めを皆で分担して欲しい、って。ハーレイたちは分かってくれたよ。それどころか自分たちが教師になって、ぼくを生徒にしてくれた。シャングリラ学園が存在する限り、ぼくは生徒として先生たちに守られる側。生徒会長をしてはいるけど、長の立場にはいないんだ」
だからノルディに狙われたりもするんだけどね、と会長さんは笑いました。トランプ大会は延々と続き、ド貧民になってしまった「そるじゃぁ・ぶるぅ」が拗ねちゃったりもしましたが…。
「あ、もうこんな時間なのか」
会長さんが声を上げたのは日付が変わる少し前。夢中になって時間が経つのを忘れていました。明日はシャングリラで地球に戻る日。ちょうどゲームもキリのいい所になっていましたし、そろそろ部屋に帰らなきゃ…。カードを箱に入れ、会長さんに手渡すと。
「ありがとう。トランプ大会、楽しかったよ。…ところで、この後なんだけど。もうすぐお客様が来る。…ぼくはギャラリーが欲しいんだよね」
「「「えぇぇっ!?」」」
ギャラリーって…ギャラリーって、なに!?会長さんがこの単語を口にした場合、ろくなことにはなりません。もしかしてトランプ大会に誘われたのは罠でしたか?
「暇つぶしをさせてあげたんだから拒否権は無いよ。ぶるぅ、シールドを」
「かみお~ん!!」
雄叫びと共に張られるシールド。青の間の天蓋つきベッドのすぐそばで『見えないギャラリー』にされてしまった私たちの悲鳴は誰にも聞こえませんでした。もうすぐ来るというお客様。誰なのか言われなくても分かったような気がします。なんで地球から二十光年も離れた所に来てまでギャラリーをやらなきゃダメなんですか~!
いよいよ進路相談会の日がやって来ました。2泊3日で予備日が1日。合宿所へ行くのだと思い込んでいるパパとママに「行ってきます」と挨拶をして、目指すはシャングリラ学園です。集合時間よりちょっと早めに着いたのですが、ジョミー君もシロエ君も…みんなお泊り用の荷物を持って校門前に揃っていました。ブラウ先生がラフなパンツスーツで立っています。足元にはスポーティーなボストンバッグ。
「よーし、全員揃ったね。今日の引率は私なんだ。グレイブは新婚さんだし、ゼルは大事な用事があるし。担任の先生がいないのはちょっと不安かもしれないけれど、世話係はちゃんと引き受けたから大船に乗った気持ちでいておくれ。…って、行き先は本物の大船か」
あはは、と明るく笑ったブラウ先生に引率されて乗り込んだのはマイクロバス。運転手さんはシャングリラ学園でよく見かけていた男の職員さんでした。バスはアルテメシアの郊外に向かい、山の奥へと入ってゆきます。
「ここから先はシャングリラ学園の土地なんだ」
警備員が立つゲートを通り過ぎる時、ブラウ先生が教えてくれました。
「野外研修とかで使ってることもあるけどね…。本当の使い道はアレさ」
山に囲まれた開けた場所に舗装された区画があります。セスナ機やヘリコプターが止められていて、自家用の空港らしいと分かりました。そして建物も何棟か。こんな所に空港が…。
「表向きは学校所有の小さな空港。でも、ただの空港じゃないんだよ。…あんな飛行機、見たことあるかい?」
滑走路に止まっていたのは見慣れない形の飛行機でした。軍用機のことは全然知りませんけど、ああいう形のもあるのかな…。
「知らねえなあ…。俺、飛行機にはけっこう詳しいんだけど」
サム君が首を捻っています。ジョミー君やキース君も心当りが無いようでした。マイクロバスは滑走路に横付けされて、私たちは荷物を提げてその飛行機の方向へ。もしかして、これは飛行機じゃなくて…。
「宇宙空間でも飛べるシャトルなのさ、これは」
ブラウ先生が小型飛行機くらいのサイズの機体を見上げ、「乗りな」とスロープを先頭に立って上ってゆきます。やっぱりこれでシャングリラ号へ行くみたい。私たちはキョロキョロしながら乗り込みました。えっと…普通に窓や座席があるんですねぇ。通路を挟んで1人掛けのシートが並び、丸い窓から外が見えます。
「荷物は足元に置いといていいよ。それからシートベルトをつけとくれ」
見たところ飛行機とあまり変わらないような機体が滑走を始め、轟音と共に飛び立って…空港はアッという間に遥か彼方へ。かなりの速度らしいですけど、乗り心地は飛行機と変わりません。なので緊張感は全くありませんでした。雲の上へ出て更に高度が上がっていっても空は変わらず青いままでしたし、飛行機に乗って旅をするのと同じ感覚だったのです。そう、その船が現れるまでは。
「…見えてきたよ。あれがあたしたちの船、シャングリラだ」
キラッと光った白い点のようなものが見る間にぐんぐん大きくなって…。
「…宇宙クジラ…」
スウェナちゃんが呟きました。それはまさしく青空に浮かぶ巨大な白鯨。会長さんにスクリーンで何度か見せてもらったシャングリラ号が迫ってきます。
「乗っちまったら外側は見られないから、ちょいと一周していくよ。よく見ておきな」
ブラウ先生に言われるまでもなく、私たちの目はシャングリラ号に釘付けでした。本当にとても大きな船です。こんなサイズの乗り物っていうのは普通に存在するんでしょうか?空母とかは大きいって聞きますけれど…。
「これだけの規模の飛行機や船は無いってことになっている。…シャングリラの存在は普通の人には全く知られてないからね」
私たちがシャングリラ号の大きさについて騒いでいるとブラウ先生が言いました。
「ついでに言えば、ここに浮かんでいるけどさ…。もっと上にある人工衛星から観測してもシャングリラは見えていないんだ。あたしたちが乗ってるコレもレーダーには捕捉されてない。難しい説明は省いとくけど、ステルス・デバイスってヤツのおかげだよ」
シャングリラ学園の校章と同じ赤と金色の紋章がついたシャングリラ号の周りを一周してから、巨大なアーチの下をくぐって滑るように甲板らしき所へ降りてゆきます。その先にあったのは驚くほど広い格納庫。
「さあ、シャングリラに御到着だよ。…荷物を持って見学っていうのも間抜けだし…まずは部屋の方へ案内しようかねえ」
シャングリラ号に降り立った私たちは驚きをとっくに通り越してしまい、すっかりハイになっていました。凄い、凄いと連発しながら移動用の電車みたいなもの…多分電車ではないのでしょうが…に乗り込み、居住区だよ、と言われた場所で電車を降りて。広い通路を歩いていくと扉が幾つも並んでいます。
「はい、あんた達の部屋はこの3つだよ。女の子に1つ、男子に2つ。男子の部屋割りは好きにしな。3人部屋はこっちの部屋さ」
廊下で待っているから荷物を置いたら出ておいで、と言われてスウェナちゃんと入った部屋はホテルと変わりませんでした。ベッドが2つに、テーブルと椅子に…。うーん、本当にここって宇宙船の中?眠ったまんまで連れて来られたら気付かないかもしれません。
「えっと…。私たち、本当に宇宙クジラに来ちゃったのよね?」
「うん。凄いものを一杯見すぎて、何がなんだか分からないけど…」
ビックリすることばかりだよね、とスウェナちゃんと話をしながら荷物を置いて廊下に戻ると、ブラウ先生が。
「どうだい?船の中とは思えないだろ。なんたって、あたしたちの自慢の船だからねえ」
公園だってあるんだよ、と案内された所は確かに公園でした。広い芝生に緑の木々。…でも、その奥の方に浮かんでいるように見える建造物はいったい何…?
「あれがシャングリラのブリッジさ。この船はあそこで指揮している。…おいで、キャプテンがお待ちかねだ」
「「「キャプテン!?」」」
き、キャプテンって…教頭先生のことですよね?そういえば会長さんが言ってましたっけ。シャングリラ号に行ったら教頭先生を頼るように、って。教頭先生、一足先に乗り込んでたんだ…。ブラウ先生に先導されて連れて行かれたブリッジとやらには本当に教頭先生が立っていました。見慣れたスーツ姿ではなく、薄茶色に金の模様をあしらった服。なんだか見覚えのある模様のような気がしますけど、なんだっけ…。でも私たちの目を引いたのは金の肩飾りと、胸元の赤い石が2つくっついた房つきの金色の飾り紐…そして短い緑のマント。ここがシャングリラ号の中でなかったら、仮装だと思ったことでしょう。
「シャングリラへようこそ、諸君。私が船長のウィリアム・ハーレイだ」
いかめしい顔つきでそう名乗ってから、教頭先生はクッと笑っていつもの教頭先生の表情に。
「…ははは、今更格好をつけても始まらんか。ゼル先生もそこにいるぞ」
「「「え?」」」
緊張して気付いていませんでしたが、確かに見慣れた禿げ頭が。スッポリと身体を覆う長いマントを着ています。
「えっ、とは何じゃ、失礼な!ちゃんと挨拶せんかい、行儀の悪い」
「「「す、すみません!」」」
ペコペコと頭を下げる私たちの姿にクスクスと笑う声があちこちから…。見回してみるとブリッジの随所にお揃いの服を着た男女がいました。レーダーや通信を担当する人たちだ、とブラウ先生が説明してくれます。
「ゼルはシャングリラの機関長だよ。ハーレイと一緒で滅多に現場に来ないけどね。そして、あたしは…」
ストン、とブリッジ中央の円形部分に設けられた椅子の1つにパンツスーツで腰かけて。
「これでも航海長なのさ。ホントはゼルと揃いの服があるんだけれど、今日のところはこのままでいいだろ」
ゼル先生が機関長でブラウ先生が航海長!?…ポカンとしている私たちを他所に教頭先生…いえ、キャプテンが舵を握った若い男性に言いました。
「これで全員揃ったな。大気圏内航行装備。上げ舵!」
は?…こ、この船って舵輪で操縦するんですかぁ!?…なんて呆気に取られて眺めていると。
「その辺に適当に座っときな。ま、立ったままでも大して問題ないけどね…性能のいい船だから」
ブラウ先生の言葉に私たちは一箇所に固まり、膝を抱えて座りました。その間に次々と指示が出されて、カウントダウンが始まって…。
「シャングリラ、発進!!」
教頭先生の号令がブリッジに響き、動き出した船は青い大気圏を抜けて真っ暗な宇宙空間へ。円形の巨大スクリーンに映し出された地球がどんどん小さくなっていくのを私たちは声も出せずに見ているだけです。
「じきに月より遠くへ行くよ」
ブラウ先生がスクリーンを指差しました。
「そこまで行ったら一気にワープだ。…あんたたちの進路相談会は二十光年先で始まるのさ」
えっ、ワープ!?…いきなりそこまでやりますか…って、もう教頭先生がゼル先生に「ワープドライブを温めておいてくれ」なんて言ってますし。えっと、えっと…。私たちが座ったまま顔を見合わせている内に再びカウントダウンが始まり、シャングリラ号はワープイン。SF小説でよくあるような衝撃も不快感も無いですけれど、このまま二十光年先へ…?しかもその先で進路相談会って、どれだけスケール大きいんですか~!!
ワープアウトした先は特に何も無い空間でした。2泊3日の間、シャングリラ号は目標を定めずに宇宙を航行するらしいです。ブリッジがすっかり落ち着いたところでブラウ先生が立ち上がりました。
「さてと、シャングリラの性能も堪能してもらったことだし、進路相談会をしようかねぇ。ついておいで」
「「「は、はいっ!」」」
ボーッとスクリーンを眺めていた私たちは教頭先生やブリッジクルーの人たちにお辞儀をしてからブラウ先生を追いかけます。今度は何処へ行くのでしょうか?
「進路相談の前に、まずサイオンを目覚めさせないと。…あんたたち、まだ使えないだろ?」
「「「え?」」」
私たちのサイオンはシャングリラ号に乗り込む時まで封じておく、と会長さんが言っていました。もうシャングリラの中にいるのですし、地球は二十光年の彼方。封印はとっくに解けている筈ですが…。
「えっ、じゃない。…どうだい、使えそうかい、サイオンは?」
「「「…………」」」
ブラウ先生の心を読もうとしても何の手応えもありませんでした。私たちのサイオンは使いこなせるレベルに達している、と会長さんに聞いていたのに、いったい何故?
「ほらね、やっぱり使えないじゃないか。進路相談会をするには、サイオンが目覚めていないと駄目なんだ。あんたたちの封印を解いてもらわなきゃどうにもならない」
「で、でも…」
サイオンを封じた会長さんとは二十光年も離れています。どうやって、と質問すると。
「会場へ行けば解いてくれるさ。…ソルジャーがね」
「「「ソルジャー!?」」」
誰なんですか、ソルジャーって?
「あたしたちの長のことだよ。ソルジャーってのは、ハーレイがキャプテンなのと同じで肩書きみたいなものかねぇ…。意味はそのまんま」
「…戦士ってことか…」
キース君が呟くと、ブラウ先生は「うんうん」と相槌を打って。
「まぁ、実際に戦ったことは一度もないし、ソルジャーって呼んでるだけで誰も本当に戦士だなんて思っちゃいない。ただ、いざとなったら戦えるだけの力を持っているのは確かさ」
ふぅん、と頷く私たち。戦士という名で呼ばれるほどの力があるなら、封印も解いて貰えるでしょう。でも長だっていうことは…キャプテンをやってる教頭先生より偉いんですよね?…だ、大丈夫かな、私たち。サイオンとやらを持った仲間の中では一番の新米のヒヨッコで…しかもサイオンが目覚めてないならヒヨコどころか卵かも。学校だって1年で卒業しちゃいましたから、目上の人に対する礼儀作法もてんで自信がありません。失礼があったらどうしましょう?
「あ、あの…」
シロエ君が口を開きました。
「これからソルジャーにお会いするんですよね?ぼくたち、なんて御挨拶したら…」
「そんなに緊張しなくったって、取って食ったりしやしないよ。いつもどおりにしてればいいんだ」
「…でも…」
「あんたたちのことはソルジャーもちゃんと御承知だから安心しな」
そう言ってブラウ先生は通路をどんどん先へ歩いて行って…大きな扉の前でようやく立ち止まりました。
「この先が青の間。ソルジャーの部屋で、進路相談会の会場さ」
「「「えぇぇっ!?」」」
長だというソルジャーのお部屋が進路相談会の会場だなんてビックリです。ひょっとして私たちの進路はソルジャーの一存で決まるとか…?いかにもありそうな展開だけに、私たちは立ち止まったまま不安そうに視線を交し合っていましたが…。
「こらこら、ぐずぐずしてるんじゃないよ。奥でソルジャーがお待ちかねだ」
ブラウ先生が扉を開くと、中は深海を思わせる神秘的な青い空間でした。青白い光がボウッと灯ったとてつもなく広い大きな部屋。スロープのような通路を上がってゆくブラウ先生に続いていくと、通路の脇が水面であると分かります。青の間には大量の水が湛えられ、スロープの先には天蓋のついたベッドだけがポツンと置かれた円形の場所が見えていました。ベッドに腰かけていた人影がゆっくりと立ち上がって…。
「やあ。やっと会えたね」
紫のマントを纏ったソルジャーと呼ばれる人が近づいてきます。聞き慣れた声に銀色の髪。も、もしかしてソルジャーって…。
「ふふ。そんなに驚いた?…それともソルジャーの正体にガッカリしちゃったのかな」
地球に残った筈の会長さんが微笑みながら立っていました。
「…ま、まさか…。まさか、あんたがソルジャーだなんて…」
キース君の掠れた声は私たち全員の心の叫びでした。
「残念ながら、そうなんだよ。長を引き受けた覚えもないのに、なし崩しにそういうことになっちゃって。…ぼくが君たちの長、ソルジャー・ブルー。シャングリラでのぼくの呼び名だ」
「「「ソルジャー・ブルー!?」」」
その名を聞くなり思い浮かんだのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。何の気なしに呼んでましたけど、あの名前は…。
「そうだよ、ぶるぅの名前と同じ。ソルジャーに祭り上げられちゃって、癪だったから…ぶるぅのこともソルジャーと呼ばせることに決めたのさ。おかげでぼくよりもぶるぅの方がフルネームで呼ばれる機会が多い」
我ながらいいアイデアだった、とクスクス笑う会長さん。この悪戯好きな人が私たちの長のソルジャーだなんて、いくらなんでもあんまりなような…。
騙されているんじゃなかろうか、と私たちは会長さんの姿をまじまじと眺めました。紫のマントに白と銀の上着、黒いアンダーという格好は学園祭の仮装で会長さんが着ていた衣装。上着についた銀の模様は教頭先生のキャプテン服の模様とそっくりで…。どおりで教頭先生の服を見た時、見覚えがある気がしたわけです。それに「そるじゃぁ・ぶるぅ」の服のデザインに瓜二つ。ソルジャーの衣装の縮小版を「そるじゃぁ・ぶるぅ」の普段着にした上、本物を学園祭で着ていたのか…と思うと頭痛がしそうですけど、一つだけ増えているアイテムが…。
「ああ、これ?」
私たちの視線に気付いた会長さんが耳元に手をやりました。両耳を白いヘッドフォンのようなものが覆っています。
「…補聴器だよ。三百年以上も生きている年寄りだから、最近、耳が遠いんだ」
大嘘つき!と心の中で突っ込む私たち。会長さんの耳は余計なことまで聞き取ってきて人の揚げ足を取りまくりです。難聴なわけがありません。
「…バレちゃったか…」
会長さんはクスッと笑い、でもヘッドフォンはつけたまま。
「補聴器っていうのは嘘だけれども、必要なものではあるんだよね。これは一種の記憶装置。ぼくに万一のことがあった時には後継者の手に渡される。…ぼくたちが…ぼくたちの仲間が生きていくために、どういう策を用いればいいか。参考例は多ければ多いほどいいだろう?そのためにぼくの記憶を残す。シャングリラを訪ねる度に、ぼくの記憶を記録してるんだ」
普段は面倒だからやってない、という会長さん。ソルジャーとしてシャングリラに滞在する時に纏めて記録するのだそうです。ろくでもない記憶の数々は無かったことになっているんでしょうね。耳を覆った記憶装置を見ていてハッと気が付きました。もっと単純な形のものを「そるじゃぁ・ぶるぅ」が普段から着けていることに。ファッションなのかと思ってましたが、あれもソルジャーの衣装の真似でしたか…。
「ぶるぅのは記憶装置の機能は無いよ。ただの飾りさ。…ところで、ぼくが本物のソルジャーだってこと、ちゃんと信じてくれたかな?…分かってくれたんなら君たちの進路相談会を始めようかと思うんだけど」
えっと…。会長さんが最強の力を持つタイプ・ブルーだとは聞いています。ソルジャーは戦士の意味だというんですから、最強の会長さんがソルジャーになるのは当然といえば当然かも。もう一人のタイプ・ブルーの「そるじゃぁ・ぶるぅ」はほんの小さな子供ですから、長は務まらないでしょう。じゃあ、会長さんは正真正銘の長でソルジャーというわけで…、と考え込んでいるとブラウ先生が。
「じれったいねぇ、時間がもったいないじゃないか。…予備日まで使うつもりなのかい、ソルジャー?」
「いや。春休みが減るからそれは避けたい」
会長さんは即座に答え、「ねえ?」と同意を求めてきました。
「それじゃ春休みを減らさないために、進路相談会を進めていこう。まずは君たちのサイオンを目覚めさせなくちゃ。解放する、と言った方が正しいかな。うん、これでいい。…使えるようになった筈だよ」
えっ、こんな一瞬でサイオンが?…と思う間もなく。
『君たちは既にコントロールする力を身につけているから、急激な変化は起こらない。心を読むのも、読まれないように遮蔽するのも、呼吸するように無意識の内にやっているのさ』
会長さんの思念が聞こえ、意識がクリアになったような感覚を覚えました。
『せっかくだからサイオンを少し使って貰おうかな。これを持って』
空中にマドレーヌが…お菓子のマドレーヌが7個現れ、私たちの手の中に1個ずつ。
「ぶるぅが焼いたマドレーヌだよ」
思念波から普通の声に切り替えた会長さんは楽しそうです。
「それをね…サイオンで宙に浮べてごらん。持ち上がれ、と思って意識を集中するんだ」
「…持ち上げる…?」
ジョミー君が半信半疑といった様子でマドレーヌをじっと見つめます。キース君は真剣な顔でマドレーヌを睨みつけていました。よーし、私もやってみようっと。意識をマドレーヌに集中して…。うわぁ、美味しそうな焼き色です。このままパクッと齧りたいな、と思考がちょっとズレた瞬間、マドレーヌはフワッと浮き上がって…。
「……!!」
なんともお行儀の悪いことに、私は全く手を使わずにマドレーヌを口にくわえてしまったではありませんか。しっとりとした食感と味が広がりますけど…いいんでしょうか、こんなことで!?あぁぁ、ジョミー君たちはちゃんと空中に浮べてますよ。私ったら、思い切り恥を晒したかも…。慌ててマドレーヌを掴んで口から引き離し、齧った跡が残ったそれを持て余すようにしていると…。
「上出来、上出来」
会長さんがパチパチと拍手して微笑みました。
「みんな上手に出来たじゃないか。それを食べる間、ちょっと休憩。紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
そして会長さんは瞬間移動でマドレーヌが沢山入った籠と飲み物を取り寄せ、私たちとブラウ先生に順番に配ってくれたのでした。ソルジャーが会長さんだと知って驚愕しましたけれど、いかにも威厳のある長っぽい人が現れるよりは気楽でいいですよねえ。ベッドしか無い部屋の床に座って「そるじゃぁ・ぶるぅ」お手製のマドレーヌを頬張っているとホッとします。ここが地球から二十光年も離れた場所にいる宇宙船の中だってこと、うっかり忘れてしまいそうですよ?