シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
明日から中間試験です。会長さんのおかげで全員満点間違いなしのA組は今日も緊張感に欠けていました。もちろん私ものんびりまったり、注意散漫。休み時間にスウェナちゃんとおしゃべりしながら廊下を歩いていると…。
「あっ、ごめん!」
ドンッ、と突き当たられて転んだ私の右足首に痛みが走り、知らない男の子がペコペコ謝っています。
「大丈夫かい?…先輩が試験のヤマを教えてくれるって聞いて、急いでて…。立てる?」
平気です、と答えると男の子はもう一度謝ってから慌てて走り去りました。中間試験を実力で受けるというのは大変みたい。男の子の後姿を見送ってから立ち上がろうとした私でしたが、いたたた…。足首、捻ったかな?スウェナちゃんが手を貸してくれましたけど、これは…かなり痛いかも…。
「保健室に行った方がいいわ」
「…でも、すぐに授業が始まるし…」
「待ってて。ジョミーたちに伝言、頼んでくるから」
A組の教室に向かったスウェナちゃんはすぐに帰ってきました。一緒にいるのは会長さんです。会長さんも保健室に行こうとしているところでしょうか。
「行かないよ。明日から試験だし、今日は最後まで授業に出るつもり」
そう言って会長さんはスッとしゃがむと、私の右足首に触れました。
「捻挫だね。…動かないで、じっとしていて」
フワッと暖かいものが足首を包み込み、痛みが嘘のように引いてゆきます。会長さんの力はケガの治療にも有効ですか!
「これでいい。でも、念のために保健室に行っておいで。…スウェナ、保健室まで付き添ってあげて」
「了解!…みゆ、肩を貸すからゆっくり静かに歩いてね」
「行ってらっしゃい。エラ先生にはちゃんと言っておくから」
授業開始の鐘が鳴ったので会長さんは教室の方へ。私はスウェナちゃんの肩につかまって保健室へと歩き出しました。足首は全然痛みませんけど、ついさっきまで猛烈に痛かったのは事実です。湿布を貼ってもらうくらいはしておいた方がいいんでしょうね。
時間をかけて慎重に歩き、やっと辿り着いた保健室。スウェナちゃんが扉をノックしました。
「はぁ~い、どなた?」
「1年A組のスウェナです。みゆちゃんが捻挫しちゃったみたいで…」
カチャ、とスウェナちゃんが扉を開けると、机に向かって何かしていたまりぃ先生が慌てた様子で振り向いて。
「あ、はいはい…捻挫したのね。ちょっと待ってて」
スケッチブックらしきものを棚に乗せてから、まりぃ先生は机の横の椅子を引き寄せます。
「じゃ、ここに座ってくれるかしら。…捻挫したのはどっちの足?」
「右足です。…今は痛みはないんですけど」
「そうねぇ…特に腫れてはいないようね。だけど一応、湿布しといた方がいいと思うわ」
まりぃ先生は湿布と包帯を出し、手際よく手当てをしてくれました。お礼を言って立ち上がろうとした時です。
「キュッ、キュッ。…キュッ!?」
奇妙な鳴き声のような音が聞こえて、机の上にポテッと落ちてきたのはとても小さなゴマフアザラシ。
「あらら、いないと思っていたら…。この子、ちびゴマちゃんって言うのよ」
可愛いペットを紹介された私たち。ちびゴマちゃんを撫でてみようと差し出した手を直撃したのは、大きなスケッチブックでした。ちびゴマちゃんに当たらなくってよかったです。
「ごめんなさぁ~い!…ちびゴマちゃんを庇ってくれたのね」
「キュッ、キュッ、キュッ!」
ちびゴマちゃんも懸命にお礼を言っているみたい。よかったね、とスウェナちゃんと顔を見合わせ、落ちてきたスケッチブックを何の気なしに眺めると…。あれ?もしかしてこれ、会長さん?…開いていたページに鉛筆で描かれていたのは会長さんの肖像でした。うわぁ、とっても綺麗に描けてる…。
「まりぃ先生、絵も描くんですか?」
スウェナちゃんが尋ねると、まりぃ先生は「ヘタクソだけど」と答えます。ううん、下手だなんてとんでもない!
「他のページも見ていいですか?」
好奇心旺盛なスウェナちゃんは返事を待たずにスケッチブックをめくりましたが…。
「!!?」
「なになに?…何かいいモノあった?」
スウェナちゃんに続いて覗き込んだ私はその場に凍りつきました。ど、どうしよう…。これっていったい何?
「…あ~あ、いけない子猫ちゃんね。十八歳未満お断りの絵も入ってるのよ」
そこに鉛筆で描かれていたのは会長さんの…一糸纏わぬ上半身。それだけならまだいいんですけど、同じページに教頭先生が描かれています。柔道十段の逞しい腕が会長さんの身体を引き寄せ、二人の唇は今にも触れそうなほどに近づいていて…。その構図はどこから見てもキス寸前にしか見えません。えっと、えっと…。
「見ちゃったわね」
まりぃ先生は悪びれもせず、スケッチブックをめくりました。
「趣味で描き溜めているんだけれど、ついでに他のも見てってみる?これなんか自信作なのよ」
え。そこには横たわる会長さんの姿が描いてあります。裸身を紐で縛り上げられ、手足の自由を奪われて。…私たちはあまりのことに絶句したまま、カチンコチンに硬直中。まりぃ先生はウフンと微笑み、通勤用の大きなバッグを持ってきました。
「…勤務中だと鉛筆描きしかできないのよねえ。さすがに保健室で絵の具や筆を広げるわけにはいかないでしょう?…だから学校では湧き上がったイメージをスケッチブックにぶつけるの。で、これは!という絵ができた時には、家で頑張って仕上げるんだけど…。どお?こっちはカラーバージョン」
書類ケースから引っ張り出されたのは、真っ赤な紐で縛り上げられた会長さんの全身像。背景代わりに描き込まれた黒い蝶の絵が妖しい雰囲気を醸し出しています。まりぃ先生は得意そうな顔で彩色された絵を次々に披露し始めました。会長さんと教頭先生のキスシーンとか、二人が半裸で絡み合う絵とか…。
「どうかしら?…二人とも、こんな絵はあまり趣味じゃない?」
怪しげな絵をチラつかせながら、まりぃ先生は楽しそうです。
「同好の士が欲しいんだけど、大っぴらに募集できるものでもないし。もしも分かってもらえるんなら、一緒におしゃべりしましょうよ。…生徒会長、素敵でしょ?あんな綺麗な男の子には逞しい男も似合うのよねえ」
ほら、と差し出されたのは教頭先生に机の上で貪り食われる会長さんの絵。十八歳未満お断りの世界をドカンと見せられ、スウェナちゃんと私は真っ赤になってヘタヘタと座り込みました。まりぃ先生の危ない趣味の話は会長さんから聞いてましたが、ここまで妄想が凄かったなんて…。なんだか眩暈がしてきたみたい。スウェナちゃんも額を押さえて目を閉じています。
「…うーん、ちょっと刺激が強すぎたかしら?二人とも横になった方がいいわね」
確かに教室に戻る気力はもうありません。私たちは保健室のベッドに寝かされ、額に冷却シートを貼られました。そのまま眠ってしまったらしく、気がつくともう放課後で。ベッドの横に私たちのカバンが置かれ、まりぃ先生がスポーツドリンクのペットボトルを渡してくれます。
「お友達と生徒会長がカバンを届けに来て心配してたわ。いつものお部屋に来られるかなぁ、って言ってたけれど、行けそうかしら?」
私たちはスポーツドリンクを一気飲みして、ゆっくりとベッドを降りてみて。…うん、大丈夫みたいです。これなら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行けそう!まりぃ先生の趣味の話は美味しいオヤツを食べて忘れてしまいましょう。それでもきちんとお礼を言って保健室を出ようとすると…。
「あ、待って。これ、あなたたちが寝てる間に作ったの」
まりぃ先生が書類袋を2つ持ってきました。はい、と1つずつ渡されましたが、診断書にしては分厚いような…。
「うふ。中身は特選カラーコピー集よ。自信作のコピーを二十枚セットでプレゼント。十八歳未満お断りのも入ってるから、気に入ったらいつでも遊びに来てね。禁断の世界について先生と熱く語りましょ♪」
げげっ!なんてモノを、と思いましたが、断れる雰囲気じゃありません。私たちは書類袋をカバンに押し込み、保健室を後にしました。うーん、この書類袋、どう処分したらいいんでしょう?…燃やす以外に無さそうですけど、学校の焼却炉というのは危険すぎます。とりあえず家のベッドの下に隠して、パパとママが出かけてる日に庭でこっそり燃やそうかな…。
スウェナちゃんと私は顔を洗って気分を切り替え、書類袋のことは棚上げにして「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に行きました。みんなに「心配かけてごめんね」と謝ると、「捻挫で保健室に出かけて付き添いごと貧血で倒れるなんて…」と笑われましたが、本当のことは言えません。笑いたい人は笑わせておけばいいんです。
「かみお~ん♪二人とも、待ってたよ!今日のおやつはブラウニー。アルトが教えてくれたバナナ入りのヤツなんだ」
あらら。アルトちゃんのレシピとは驚きです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はブラウニーをお皿に乗せてフォークを添えると、欠伸をして目を擦りました。なんだかとっても眠そうですが…。
「ごめんね、さっきから凄く眠くって。みゆたちが来るまでは…って我慢してたけど、ちょっとだけ昼寝してもいい?」
私たちが頷くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は部屋の端に置かれた土鍋に入ってクルンと丸くなり、すぐに寝息が聞こえてきます。眠いのに待っててくれただなんて。バナナ入りブラウニーを食べながら、心で「遅くなってごめんね」と呟いていると。
「…遅くなった原因を見せてほしいな」
会長さんが意味ありげな微笑を浮かべてスウェナちゃんと私を見つめていました。
「まりぃ先生に貰った書類袋の処分で悩んでる内に遅くなった。…そうだろう?そして処分はまだしていない。さあ、書類を出して、ぼくたちに見せて」
うひゃああ!書類って…もしかしなくてもアレですか?まりぃ先生の特選カラーコピー集!?あんなモノ、出せるわけありません。中身は確かめていませんけれど、十八歳未満お断りの絵も入ってるって言ってましたし、そうでなくても会長さんのとんでもない絵がてんこ盛りで…。
「大丈夫、ぶるぅは眠らせた。これからは大人の時間だよ。…って、君たちは大人じゃなかったか」
クスクスクス。会長さんがおかしそうに笑い、キース君の目が鋭くなります。
「三百年以上も生きてるあんたから見れば、俺たちはヒヨコどころか卵だろうな。大人じゃない、と改めて言われると腹が立つ」
「そう?…じゃ、遠慮なく重要書類を披露しよう。みゆ、スウェナ。…書類を出して」
私たちがためらっていると、ジョミー君が私のカバンを勝手に開けてしまいました。
「書類袋って、これのことかな?」
引っ張り出された書類袋を見て会長さんが頷くと、サム君がスウェナちゃんのカバンの中から同じものを取り出します。会長さんは二つの書類袋を受け取って満足そうに眺め、テーブルの上を片付けて。
「いいかい、順番に出すからね。見やすいようにテーブルの両端に1枚ずつ置くよ。…はい、これが最初の1枚」
「「「!!!!!」」」
みんなの目が点になったのが分かりました。それは縛り上げられた会長さんの絵。赤い紐と黒い蝶に見覚えがあります。会長さんは平然として次の絵をテーブルの両端に。今度は会長さんと教頭先生のキスシーンでしたが、こんなシロモノをみんなに披露できる会長さんの神経は鋼鉄製に違いありません。絵の内容はどんどんエスカレートしていき、マツカ君が青ざめてソファに突っ伏しました。サム君は目を覆っていますし、シロエ君は口を押さえています。ジョミー君は目の焦点が合ってないみたい…。
「…これでラスト。まりぃ先生、よっぽど仲間が欲しかったんだね。みゆとスウェナも、こういう趣味の世界を齧ってみる?」
一番最後に取り出された絵は、妄想が爆発していました。スウェナちゃんと私は頭を抱え、会長さんの顔を見ることもできません。だって…だって、描かれているのは会長さんと教頭先生のとんでもない絵で…。そんな中、掠れた声を絞り出したのはキース君。
「…あんた、恥じらいっていうのはないのか…。全部あんたの絵なんだぞ?」
「三百年以上も生きているとね、案外平気になるものなんだ」
会長さんはクスクスと笑い、テーブルの上に広げていた絵を書類袋に片付けながら。
「ぼくは人生経験豊富なんだよ。お寺で修行していた時に、そっちの道で有名な人に布団部屋に連れ込まれそうになっちゃったこともあったしね」
ひえええ!そっちの道って…布団部屋って…。
「そうそう、その人、ちょっとキースに似てたっけ。…キースが三十歳くらいになったら、あんな感じになるんじゃないかな」
キース君がソファに沈みました。これで男の子は全員討ち死にです。スウェナちゃんと私がなんとか正気を保っているのは、一度見た絵が混ざっていたのと、書類袋を持ち込んでしまった責任感かな?
「ふふ。やっぱり女の子の方が強いものだね」
全部の絵を書類袋に戻して、会長さんが微笑みました。
「まりぃ先生の絵は保健室でこっそり見てるけれども、こういうのって楽しいのかな?」
スウェナちゃんと私は首を横に振るのが精一杯です。まりぃ先生には悪いですけど、この趣味はついていけません。
「そうか…。じゃあ、この書類袋は必要ないんだ」
会長さんはニッコリと笑い、「貰ってもいい?」と尋ねます。もともと処分に困っていたものですし、渡りに船…と一度は頷きかけたのですが。もしかして、もしかしなくても…会長さんにこれを渡したら、今より凄いことになるかも…。そのことに気付いた瞬間、私は凄い速さで飛び出し、会長さんから書類袋を奪い返してキッチンへ。そして2つの書類袋の中身をシンクに突っ込み、栓をして…醤油が入った一升瓶の蓋を開けると、黒い液体をドボドボと注いだのでした。ついでにストックの瓶の封も切り、一升分の醤油を一気に…。
「あーあ…。やっちゃった」
醤油の海にドップリ沈んだ二十枚セットのコピー2組。会長さんは溜息をつき、シンクの中を見下ろしました。
「…ハーレイにプレゼントしたかったけど、台無しだな。仕方ない、今回は諦めよう」
やっぱり!醤油漬けにして良かった…と思いましたけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が目を覚ましたら醤油もストックも無くなっている、と空の瓶を振り回して騒ぐでしょうか?
「当然だね。ぶるぅが目を覚ます前に買っておかないと大変だよ」
会長さんに言われた私は醤油の買出しに出かけようとしましたが。
「待ちたまえ。…右足を捻挫したんだろう?そんな足で…第一、女の子に一升瓶の醤油を2本も持たせるなんて、とんでもない。ここは男子の出番だね」
やがてジョミー君やキース君たち、男子全員が醤油の買出しに出かけていきました。買出しに行ったら、醤油漬けになった絵に関する記憶の『忘れたい部分』を消去して貰えるというのですから行きたくない筈がありません。たった2本の醤油を買うのに5人というのは多すぎますけど。ところで、スウェナちゃんと私の記憶は…?
「君たちはそのまま覚えていればいいだろう。まりぃ先生が喜ぶよ」
せっかく勧誘されたんだしね、と会長さん。…私たちの記憶はやっぱり消しては…貰えないんですか?
中間試験が迫ってきたので、今日から部活はお休みです。1年A組にはいつものように会長さんの机が増えていました。会長さんはアルトちゃんとrちゃんに話しかけ、またプレゼントを渡しています。今日の贈り物は可愛いポーチ。既製品だと思っていたら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお手製でした。
「お守り、いつも持ち歩いてくれてるだろう?…これに入れたらいいかと思って」
この前はお守りを入れておく小物入れをプレゼントしてましたけど、今度は持ち歩き用のアイテム登場。つまり二人はあのお守りを大事にしていて、寮では机の引き出しか何処かに大切にしまい込み、出歩く時は忘れずに持って出かけているわけで。会長さんがそれを知ってるってことは、お守りは多分、活用されているのでしょう。アルトちゃんたちはポーチを手にして大感激。
「喜んでもらえて嬉しいな。ぶるぅに頼んだ甲斐があったよ」
でも最後の仕上げはぼくがしたんだ、という殺し文句にアルトちゃんたちの目はすっかりハート。仕上げといっても大したことはしていないのに決まっていますが、効果の方は絶大です。フィシスさんに聞いた『シャングリラ・ジゴロ・ブルー』という名が頭の隅を掠めました。…まぁ、いいか…アルトちゃんたちが幸せならば。そんな元気な会長さんは三時間目の半ばで保健室に行き、終礼まで戻ってきませんでした。
放課後は柔道部の三人も一緒に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ直行。今日のおやつは栗のタルトです。美味しく食べていつものようにおしゃべりを…と思ったところでサム君がカバンを開け、教科書とノートを取り出しました。
「あれ?サム、そんなもの出してどうするの?」
「…ジョミーと違ってヤバイんだよ。俺、今回は追試の射程圏内」
歴史に数学、その他もろもろ。サム君の一学期の成績表が私たちとは真逆の意味で凄かったことを知ってしまった瞬間でした。C組にいるサム君は会長さんの恩恵を受けているA組と違って実力で試験に臨んだ結果、悲惨なことになったようです。同じC組でもシロエ君は呑気にタルトをおかわりしていますけど。
「よかったらサムにも試験の答えを教えようか?」
会長さんの提案にサム君はガバッと顔を上げました。
「なにっ!?…そんなことが出来るのかよ?」
「うん」
「じゃあ、なんで今まで…。俺、一学期は赤点スレスレだったのに!」
「…だって、頼まれなかったから」
会長さんはクスッと笑って紅茶を一口。
「頼みに来ないから、実力で勝負するつもりだと思ったんだよ。現にキースがそうだから。…ジョミーたちと同じA組だけど、キースはぼくが意識下に流す答えを完全に遮断しているのさ」
「「「ええぇっ!?」」」
じゃあ、キース君は正真正銘、全科目満点というわけです。あれ?…なんでキース君まで驚いてるの?
「…俺のは実力だったのか…」
力が抜けたような顔で呟くキース君。
「てっきり、あんたの力だとばかり…。だから、このままではダメ人間になると思って毎晩必死に勉強を…」
「必死に勉強、大いにけっこう。今度の中間試験もぼくの出番はなさそうだね。…ぼくの思念が入り込む隙が無いほど集中できる君の将来が楽しみだ」
なんと、キース君は自分の実力に全く気付いていなかったみたい。家で勉強していたんなら、気が付きそうなものですが…。問題集とかやったんでしょうし。
「そこがキースのいいところさ。決して自分を甘やかさない。…まぁ、本当のところを言えば…お寺の勉強と二足の草鞋で必死だったせいもあるんだろうけど」
「お寺、お寺と楽しそうに言うな!」
「…楽しいじゃないか。最近は休みの日には月参りにも行ってるようだし」
月参り!?…それって檀家を回ってお経を読むというアレですか?
「そうだよ。毎月、月命日の日に回るんだ。休みの日に法事をする家が多いから、キースの家では月命日が休日と重なった月は月参りを休みにしてもらっていたみたいだけれど…今はお父さんが法事をやって、キースが月参りに行くんだよね」
「……余計なことをベラベラと……」
「いいのかい?…緋の衣に逆らったら後が怖いよ、お寺の世界は」
キース君はウッと息を詰まらせ、黙り込んでしまいました。お寺のことはよく知りませんけど、きっと究極の階級社会なのでしょう。ついでに封建社会なのかも。…それにしても、あのキース君が月参り。夏休みに元老寺で見た墨染めの衣は今でもハッキリ覚えています。キース君が月参りやお寺の勉強をするようになったのは会長さんのおかげですから、お父さんたちはとっても感謝しているでしょうね。
「…で、サムは回答の横流しを希望、と。全科目?」
「お願いします!」
サム君が両手を合わせて会長さんを拝んでいます。
「了解。…シロエは?」
「あ、ぼくは実力で勝負しますから。キース先輩が実力だったと分かった以上、ぼく、絶対に負けられません!」
闘志を燃やしているシロエ君は物凄く嬉しそうでした。キース君をライバル視しているだけに、キース君の点数はとても気になるところでしょう。なにしろ入学前からの目標だった『キース君から一本取る』という柔道の方も、まだ果たせてないみたいですし。
「へへ、これで試験対策はバッチリだぜ…、と♪」
追試の恐怖から解放されたサム君は大喜びで教科書とノートを片付けました。あとは楽しいおしゃべりタイム。キース君のお寺ライフを皆でからかったりしている内に…。
「…あんた、俺を苛めて楽しいか?」
キース君がとうとうブチ切れ、会長さんをジト目で睨んで。
「緋の衣だかなんだか知らんが、あんた自身のことはどうなんだ」
「ぼく自身?」
「ああ。前から疑問に思っていたことを、この際、はっきり聞かせてもらおう。…いつも教頭先生をきわどいネタでからかってるよな?本当のところ、いったいどこまでの関係なんだ」
ひえぇぇ、なんて聞きにくいことを!…これだから天才がキレると怖いんです。
「どこまでって…何が?」
「具体的に言えというのか!?」
「うん♪」
会長さんは負けていませんでした。キース君は一瞬ひるみましたが、すぐに「そるじゃぁ・ぶるぅ」を指差して。
「…ダメだ、あそこに1歳児がいる。こんな所で話せるか!」
「ああ、ぶるぅ?…ぶるぅなら心配いらないよ。1歳の子供に何が分かると?…ほらほら、遠慮しないで言ってみて。…何がどこまでか言ってくれないと分からないし」
言葉にしなくても読み取れるくせに、会長さんは完璧に苛めモードです。どうなるのかとハラハラしている私たち。キース君はしばらく迷って、何度か口を開いて閉じて…とうとう大声で叫びました。
「要するに!…できてるのか、できてないのかってことだ!!」
「…できてるよ?」
「「「!!!!!」」」
あまりのことに私たちは驚いて声も出ませんでした。できてる、って…教頭先生と会長さんが…?
「うん。担任と生徒ってことで、正式な関係ができてるけれど…何をそんなに驚いてるのさ」
「……そうじゃなくて……」
呆然としている私たちより先に立ち直ったキース君。今度こそ、と覚悟を決めているのが分かります。
「ええい、こうなったらキッパリ言ってやる!…この間、俺たちに教頭先生の夢を共有させたよな?要するに、あの夢よりも先の段階へ進んだことがあるのか、無いのか。どうだ、これならいいだろう!」
たとえ子供が聞いていてもな、とキース君は続けました。確かに…すごく名案です。
「なるほど。ぶるぅに配慮してくれた、というわけか」
会長さんは艶然と笑みを浮かべて「そるじゃぁ・ぶるぅ」を手招きすると。
「ねぇ、ぶるぅ?…ぼくとハーレイって、一緒に寝たことあったっけ?」
「…んーと…。多分…無いと思うけど、ブルー、たまに夜中にいなくなるよね」
「こらぁ!子供を巻き込むな!!」
キース君の怒声が響くのを無視して、会長さんは…。
「じゃあ、キスは?…ぼくとハーレイはキスしてたっけ?」
「…知らないよ。っていうか、ぼくは見たことないや」
それがどうしたの?と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。小さな頭の中に浮かんでいるキスという単語は、お子様向きのキスでしょう。ホッペにチュウとか、おでこにチュウとか、よくてせいぜい手の甲にキス…。
「今のを聞いてくれたかい?…つまり、そういう関係ってこと」
会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の柔らかな頬にチュッとキスをして微笑みました。
「…ぼくとハーレイの間には何も無い。あの夢よりも先の段階どころか、夢の入り口にすら辿り着けてないのが実情なんだよ、残念ながら」
だってハーレイはヘタレだからね、とおかしそうに笑う会長さん。この間の教頭先生の夢の中身を考えてみても、どうやら嘘ではなさそうです。
「そうか…。やっぱり何もないのか。教頭先生を疑ったりして悪かった」
キース君が言うと、マツカ君とシロエ君が頷きました。二人とも、あの夢を見せられて以来、気になっていたらしいのです。教頭先生と会長さんは深い関係じゃないのか、って。
「ハーレイはそうなりたいと思っているよ。だから特製パイでスペシャルな夢をプレゼントしたのに、夢でさえモノに出来なかっただなんて…情けないったらありゃしない」
「…トランクス見て鼻血だったもんね…」
ジョミー君がボソリと呟きました。白黒縞のトランクス…もとい、トランクスと見せかけた海水パンツの会長さんを見た教頭先生が鼻血を出したのは二学期の初め。もしも深い関係だったら、あの程度で鼻血なんかを出しているわけがないのです。
「その割には妙な度胸あるよな。…ほら、ジョミーが着せられた服とかさ」
サム君が言うと、会長さんはクスクスと笑い出しました。
「ああ、あれね…。ベビードールは凄かったよね。でも、あれは背中を後押ししている黒幕がいたりするんだけども」
「「「黒幕!?」」」
ヘタレだという教頭先生にベビードールはミスマッチ。後押ししている人がいるとなれば納得ですが、いったい誰がそんなことを?
「黒幕は…まりぃ先生だよ。保健室のね」
「「「まりぃ先生!!?」」」
信じられない名前を聞いて私たちは腰が抜けそうでした。まりぃ先生といえば会長さん専用の特別室を用意して…会長さんと「あ~んなことや、こ~んなこと」をしている夢で酔っ払ってる筈なのですが。
「うん。それはそうなんだけど、まりぃ先生、ちょっと危ない趣味もあるんだ。腐女子って言うんだったっけ?…ぼくを見てると妖しい妄想が浮かび上がってくるらしいんだよ。ぼくと遊ぶのとは全く別の次元でね」
そんな趣味を持つまりぃ先生と教頭先生が出会ったのが不幸の始まりだったんだ、と会長さん。この春、シャングリラ学園に着任したばかりのまりぃ先生は、親睦ダンスパーティーでタンゴを踊ってくれるパートナーを募集していた時に教頭先生と会ったらしいのです。二人の息の合ったタンゴはリアルタイムでは見逃したので録画で見て感動したのですが…。
「タンゴの稽古で保健室に通っている間に色々と話をしてたようだね。すっかり仲良くなってしまってさ…。教頭先生が隠し持っていたぼくのウェディング・ドレスの等身大写真があったろう?あれを作ったのはまりぃ先生なんだ」
ひえええ!…教頭先生の趣味を承知の上で、あんな写真を作って引き渡すような人だったら…ベビードール事件の黒幕というのも頷けます。きっと教頭先生をうまいこと煽ったのでしょう。
「…まりぃ先生は学校に内緒で夜着ショップのオーナーをしているんだよ」
夜着ショップ!?…それって、パジャマとかのお店ではなくて…?
「実用性よりお色気重視のショップなのさ。完全に趣味の店なんだけど、ハーレイに店のチラシを渡してその気にさせたらしいんだ。…その手の店って、並んでるものを見ているだけで正気を失うみたいだね」
だからヘタレでもベビードールを買えたんだよ、と会長さん。メッセージカードも購入した時に勢いで書いて、そのまま前後の見境を無くしてプレゼントしたのが青いベビードール。…勢いで買ったものの、ヘタレな気性が頭をもたげて渡し損ねたのが赤いベビードール。…うーん、気の毒な話かも…。
「そんなわけだから、ぼくとハーレイは清い仲。御期待に添えなくて悪かったかな?」
私たちは首を激しく左右に振りました。どうせ会長さんはこれからも教頭先生をオモチャにするに決まってますし、何の関係も無いと分かれば安心して見ていられるというものです。しかし、等身大ウェディング・ドレス写真とベビードール事件の黒幕がまりぃ先生だったとは!…ところで『腐女子』って、なんなのでしょうね?
収穫祭があった週の金曜日。放課後、いつものようにジョミー君たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと甘い匂いがしていました。アップルパイに違いありません。
「かみお~ん♪今日は丸ごとリンゴのアップルパイを作ってみたよ!」
マザー農場で貰ってきたリンゴとバターを使ったんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。オーブンの中から取り出されたのは丸ごとのリンゴをパイ皮で包んだ美味しそうなアップルパイでした。キース君たちはまだ柔道部ですけど、一足お先にいただきまぁ~す!フォークを持ってパクついていると、会長さんが尋ねました。
「どう、美味しい?」
「「「美味しい!!!」」」
「それはよかった。ぶるぅ、パイ皮も上出来だよ」
褒められた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそうな笑みを浮かべて、次はミートパイを焼くのだと言っています。
「キースたちが来る頃に焼き上がるようにしようと思って。まだちょっと早いよね」
私たちはおしゃべりを始め、そうこうする内に時計を眺めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がオーブンを温めて冷蔵庫からミートパイを取り出し、天板の上へ。大きなパイが2つと…一人前くらいのサイズの小さなパイが1つ。なんだか変わった取り合わせですが、小さなパイは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の夜食なのかな?
「違うよ、あれはプレゼント用」
会長さんが答え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が天板をオーブンに入れながら。
「うん、プレゼントにするんだって。アップルパイは好きじゃなさそうなんだよね」
だからミートパイにしたんだもん、と言ってオーブンのタイマーをセットしています。プレゼントって…フィシスさんにあげるのでしょうか。アップルパイよりミートパイだなんて、ちょっとイメージ狂いますけど。
「フィシスに贈るんならアップルパイさ。…これはハーレイにプレゼント」
「「「教頭先生!?」」」
とんでもなく嫌な予感がします。もしかしなくても、キース君たちが来てミートパイを食べ終わったら、私たち、教頭室へ連れて行かれてしまうのかも…。ジョミー君たちと顔を見合わせていると、会長さんが極上の笑みを浮かべました。
「察しがよくて助かるよ。…せっかくの特製ミートパイだし、出来立てを食べて欲しいからね。ハーレイは甘いお菓子は好きじゃないんだ」
なるほど、それでミートパイですか。いったい何を企んでいるのやら…。
「イヤだな、今日は本当にスーパースペシャルなプレゼントをあげようと思ってるのに。いつも苛めてばかりじゃ可哀相だし」
会長さんはクスクス笑ってオーブンの方を見ています。
「ハーレイにあげるパイは本当の本当に特別なんだ。ちゃんと実験済みだしね」
「「「実験!?」」」
実験ですって?…いったい何を、どうやって?
「…パイのフィリング。いいものが入っているんだよ。食べると素敵な夢が見られる。フィシスが被験者になってくれたよ」
ひえええ!何をやったのか知りませんけど、フィシスさん、人体実験を引き受けるなんて…やっぱり入籍済みなんでしょうか。そういえば会長さんの家にフィシスさんのお部屋がある、って聞きましたっけ。
「ぼくがフィシスを女神と呼んでいるのと同じで、フィシスにとってもぼくは特別。だから頼みを聞いてくれたんだ。ぶるぅじゃ試せないからね」
さすがの会長さんも1歳児相手に人体実験はあんまりだと思ったみたいです。え、違う?
「…ぶるぅは力が強すぎるからダメなんだよ。フィシスくらいがちょうどいいのさ」
なんだか不穏な話ですけど、特製ミートパイの中には何が…?
「…こないだのベニテングダケ」
会長さんはサラッと答え、詳しい話はキース君たちが来てからだ…と言ったのでした。
ミートパイが焼きあがるのと殆ど同時に部活を終えたキース君たちがやって来ます。熱々を切り分けたのをお皿に入れてもらいましたが、これって大丈夫なんでしょうか?天板が違うとはいえ、怪しいパイと一緒にオーブンで焼かれたパイなんですけど。
「安心したまえ」
会長さんがミートパイをフォークで切って口に運びました。
「成分が拡散するような心配はないよ。その辺もちゃんとチェックしてある」
「…このパイが何か問題なのか?」
食べようとしない私たちを見てキース君が尋ねると…。
「問題なのは、あっちのパイ。君たちの分はごくごく普通のミートパイさ。ぶるぅの力作なんだし、食べてくれないとぶるぅが傷つく」
「うん。せっかく頑張って作ったのに…。食べてくれないの?」
うるうるした目で見つめられては、食べないわけにはいきません。それに…。
「食べ終わったら詳しい事情を説明するよ。大丈夫、とても美味しいパイだから」
会長さんがニコニコ笑って見ています。お皿の上はすっかり空っぽ。ここは信じて食べるしか…って、ホントに美味しい!この際、ベニテングダケでも構わないかも。美味しいものには毒がある、という言葉を思い出しながらすっかり食べてしまいました。他のみんなも満足そうです。
「…食べ終わったみたいだね。ちゃんと普通のパイだっただろ?」
「じゃあ、あっちのは何なんだ」
キース君が指差したパイは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がラッピングしようとしているところ。
「ハーレイのために作ったパイ。おんなじミートパイだけど…このあいだ採ってきたベニテングダケが混ざってるんだ」
「なんだと!?」
キース君をはじめ、柔道部三人組はビックリ仰天。会長さんはフィシスさんで試したという実験の話を始めました。
「食べると幻覚が見えるキノコだってことは言ったよね。ちょっと細工したら、食べた人間の思い通りの夢が見られるようになった。…フィシスはとっても喜んでいたし、ハーレイにも夢をプレゼントしようと思って」
夢?…わざわざキノコなんか使わなくっても、会長さんなら自由自在に夢を見せることが出来るのでは?まりぃ先生やアルトちゃんたちにそういうことをしてるんですから。
「それはもちろん簡単だけど…。それじゃあんまり意味がないんだ。ぼくの力を使ったんでは意外性に欠けると思わないかい?…一服盛る、という行為がスリリングで楽しいんだよ」
水色のレースペーパーと青いリボンでラッピングされた小さなパイ。会長さんはそれを手に取り、立ち上がりました。
「それじゃ教頭室に行こうか。ハーレイ、喜んでくれるといいな」
ベニテングダケ入りのとても怪しいミートパイに即効性があるのかどうか、私たちには分かりません。渡して帰るだけなら平和でいいんですけれど…きっと食べろと言うんでしょうね、会長さんのことですもの。
教頭室にゾロゾロ入っていくと、教頭先生は「またか」という顔を向けました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」までいるんですから、ろくなことが起こりそうにないメンツに見えるのは確かです。
「ハーレイ、今日は差し入れを持ってきたんだ」
会長さんがパイの包みを差し出して。
「今日も柔道部を指導しただろ?お腹が空いているかと思って、ぶるぅ特製ミートパイ」
「ほう…」
教頭先生がリボンをほどくと、美味しそうな匂いが立ち昇りました。
「うまそうだな。後でゆっくりいただこう」
「今、食べて」
あ、やっぱり。会長さんは凄く綺麗に微笑んでいます。
「このパイ、ぶるぅの自信作なんだ。感想を直接聞いてみたくてうずうずしてると思うんだけど。ね、ぶるぅ?」
「うん!ぼく、いろいろ工夫したんだよ。ブルーたちは美味しいって言ってくれたけど、大人の人だとどうなのかなあ、って」
「なるほど、大人の感想か。…ふむ」
教頭先生はパイを手に取り、一口齧って頬を緩めて。
「これは…。このパイは確かに美味いな。ビールにもよく合いそうだ」
「学内は飲酒禁止だけどね」
会長さんが肩を竦めると教頭先生は「違いない」と笑い、ビールが無いのが残念だ…と言いながら全部平らげてしまいました。どうやら即効性は無いようだ、と私たちが安心しかかった時。
「…いかんな、間食をすると眠くなる。仕事が沢山あるんだが…」
ふわぁ、と欠伸をする教頭先生。立て続けに欠伸をした後、教頭先生は机に突っ伏し、気持ちよくイビキをかき始めたのです。
「ふふ。…作戦成功」
会長さんは会心の笑みを浮かべて教頭先生の額に手を当て、私たちの方を振り返って。
「ハーレイが見ている夢を君たちに中継してあげよう。みんな、ぼくに心を委ねて」
要りません!と返事する前に視界が霞んで足元が揺らぎ、宙に浮いたような感覚が…。でも、そう思ったのは一瞬だけ。足が地に着くと、そこはさっきと何も変わらない平和な教頭室でした。会長さんが近づいてきて私の顔を覗き込みます。
「眠くなっちゃったみたいだね。あっちの部屋で横になる?」
え。今、なんて?あっちの部屋って、いったい何処?…会長さんは奥の仮眠室に続く扉を指差しました。
「大丈夫、他のみんなは帰したよ。半時間ほど昼寝したら?ぼくが起こしてあげるから」
そ、そんな…。確かにクラッとしましたけれど、昼寝が必要なほどじゃありません。それに教頭先生の仮眠室をお借りするなんて厚かましいにも程があります。でも会長さんは先に立って扉を開き、私を手招きしていました。気遣うような表情に否とは言えず、心配させてはいけないと思い仮眠室への扉をくぐると…。
「…ねえ、ハーレイ」
会長さんが仮眠室の大きなベッドに座って呼びかけました。
「この前は驚かせちゃって、悪いことしたと思ってる。…婚約指輪のことなんだけど…。もし、本当にぼくが婚約指輪を貰うとしたら。…君から貰えたら嬉しいな…って」
ドキン、と私の心臓が音を立てて跳ね上がります。ひょっとして…ハーレイって私のことですか!?鼓動がものすごく早まってゆく中、会長さんの赤い瞳が切なそうに何度か瞬いて。
「ずっと…ずっと想ってたんだ、ハーレイのこと。でも…ぼくは生徒で、ハーレイはぼくの担任で。…やっぱりいけないことなんだよね?ハーレイのそばに…誰よりも近くにいたいだなんて」
ドクン、と心臓が脈打ちました。やばい。私、教頭先生と完全にシンクロしているみたいです。会長さんは思いつめたような顔で両手を差し出し、揺れる瞳で見上げながら。
「…だけど、もう我慢できないんだ。…限界なんだ…。もしも、ぼくを想ってくれるなら。ぼくは退学になってもいいから…何が起こっても耐えられるから…。ぼくと一緒に一線を越えて?…もう、生徒ではいられないよ…」
会長さんの白い指が制服のワイシャツの襟元に触れ、ボタンをそっと外してゆきます。白い喉元が…鎖骨が覗いて、私の心臓は破裂しそう。なんでこんな目に、と思いながらも頭の芯まで熱くなってきて、三つ目のボタンが外されたのを目にした瞬間、私の意識は真っ白にはじけてしまいました。もうダメ、何も考えられない…。
「はい、おしまい。…みんな目を開けて」
会長さんの声が遠くで聞こえ、手を叩く音が響きます。目を開けるとそこは教頭室で、仮眠室もベッドも見当たりません。…あれ?私、今まで何をして…?
「ハーレイの夢に取り込まれていたんだよ」
まだぼんやりした頭を振って見回してみると、ジョミー君たちが同じようにキョロキョロしていました。教頭先生は机に突っ伏したままで大きなイビキをかいています。
「…ハーレイったら、夢の中で感極まって倒れちゃったんだ。今は思い切り深い意識の底。これじゃ続きは見られそうもないね」
クスクスクス。会長さんは教頭先生の額を指先で軽くつついて、眉間の皺をなぞりました。
「ぼくを手に入れたいって熱望してたし、期待に応えて特製パイを開発したのに…。予想以上にヘタレだったよ。どの辺りで君たちとの同調を切るか、悩んでたぼくが馬鹿みたいだ。あの結末じゃあ、有害指定云々以前じゃないか」
「…ゆうがいしてい?」
キョトンとした声は「そるじゃぁ・ぶるぅ」。トコトコと部屋中を歩き回って私たちの顔を順番に眺め、それから教頭先生の寝顔を覗き、会長さんをじっと見上げて。
「ねえ、ブルー。ぼくも今の夢、覗いてたけど…なんでハーレイ倒れちゃったの?…ドキドキしすぎたのは分かったけども、ハーレイって心臓、弱かったっけ?」
「…心臓というより度胸の問題」
会長さんはおかしそうに笑い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の髪をクシャクシャとかき回しました。
「ぼくの相手をするには三百年早いっていうことさ。特製パイの後遺症で鼻血を出さなきゃいいけどね…目が覚めた後で。それじゃハーレイ、いい夢を…って、もう無理かな」
そして教頭先生の羽ペンでメモ用紙に『お疲れ様。奥でゆっくり休むといいよ』と書いてサインをすると、会長さんは私たちを促し、眠りこけている教頭先生を放置して部屋から出て行ったのでした。
「…結局、あの夢はあんたの仕業じゃないわけか」
影の生徒会室に戻って紅茶を飲みながら、会長さんに質問したのはキース君。
「うん。ハーレイの願望というか、妄想というか…。どんな夢を見るのか興味あったけど、夢の中でもハードルを超えられなかったみたいだね」
「ハードルってなぁに?…ハーレイはブルーに何をしたいの?」
またまた無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会長さんは。
「ぼくと結婚したいんだってさ。…どうする、ぶるぅ?ぼくがハーレイの所にお嫁に行ってしまったら?」
「ついていくよ」
ためらいもせずに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は即答しました。
「ブルーの代わりにお料理も掃除洗濯も全部するから、お嫁さんに行くなら連れてって」
「分かった、分かった。…でもハーレイがアレじゃあね…」
会長さんは思い出し笑いをしながら、私たちを見渡しました。
「年齢制限必須の夢を見せてあげられなくて残念だったな。で、ハーレイになってみた気分はどうだった?」
「「「最悪です!!!」」」
教頭先生と同調しちゃって、会長さんとの怪しげな時間を疑似体験をさせられてしまった私たち。ベニテングダケが招いた悪夢はしばらく消えそうもありません。もしも教頭先生が夢の中でダウンしていなかったら、もっととんでもないことに?教頭先生には悪いですけど、私たちの心の平穏のためにも永遠のヘタレでいて下さい…。
薪拾いに行った生徒会長さんがベニテングダケを持ち帰ってから後、私たちはドキドキでした。なんといっても幻覚を起こすキノコです。何が起こるかと心配している間に週末になり、そして週明け。アッという間に収穫祭の日になりました。週末以外は毎日放課後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に行っていましたが、ベニテングダケは見ていません。あれからいったいどうなったのかな?
「ご想像にお任せするよ」
A組の教室に来ている会長さんは元気そうです。会長さんの机には「そるじゃぁ・ぶるぅ」がちゃっかり腰をおろしていました。収穫祭についてこようと思っているに決まっています。そこへグレイブ先生が…。
「諸君、おはよう。出欠を取ったらバスの方へ…。ん?また余計なのが混ざっているな」
「余計じゃないもん!ぼくだって1年A組だもん!」
ちゃんと水泳大会に出場したしね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言い返しました。
「だが、薪拾いには来ていないだろう?…働かざる者、食うべからず。収穫祭に参加する権利は無い」
「ひどいや!…ぼく、水泳大会で一生懸命頑張ったのに。生徒じゃないのに頑張ったんだよ?」
泣きそうな顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんが小さな頭を優しく撫でて。
「…グレイブ。ぶるぅが水泳大会でA組女子にならなかったら、A組は学園1位を取れていないと思うんだ。ぶるぅはぼくと違って生徒じゃない。おまけに1歳の子供なんだ。そんな子供に労働をさせた対価を、君はぶるぅに支払ったのかい?」
「…労働?…対価…?」
「そう、労働。水泳はハードなスポーツだよ?ぶるぅは女子リレーと『水中おはじき拾い』でとても健闘したんだけども、現時点ではタダ働きだ。働いていないから収穫祭に連れて行かない、と言うんだったら水泳大会のバイト料をぶるぅに支払ってくれたまえ」
グレイブ先生はグッと言葉に詰まり、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は晴れて収穫祭に参加できることになったのでした。みんな揃ってバスに乗り込み、マザー農場へ出発です。お昼ご飯はジンギスカンが待ってますよ~!
バスを連ねて着いた農場はとっても広くていい景色。果樹園に牧場、広大な畑。見学したり体験したり、好きなことをして過ごせるそうです。私たち7人グループは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒に農場を回り始めました。一番最初は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の希望でリンゴ畑です。
「これこれ!このリンゴがアップルパイに一番いいんだよ。今度みんなにも作ってあげるね」
たわわに実ったリンゴを見上げて「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそう。次は牧場でバター作りを見学したり、体験させてもらったり。牛の乳搾りなんかもやってみました。そうこうする内にお昼になって、集合して広場でジンギスカン。木のテーブルと椅子が広場に沢山用意されています。…あれ?会長さん、いったい何処へ?…十人は座れるテーブルの周りに陣取ったのに、会長さんが抜け出そうとしていました。
「…届け物。すぐに戻ってくるから」
そう言った会長さんの右手の中で小さな緑が揺れています。
「四葉のクローバーだよ、さっき見つけた。2本あるんだ」
2本?…なんだか不吉な予感が…。会長さんが向かった先では数学同好会のメンバーが木製のテーブルを囲んでジンギスカンを始めていました。アルトちゃんとrちゃんの姿も見えます。会長さんは二人に声をかけ、四葉のクローバーを1本ずつ渡して何か話をしているみたい。
「待っていたら日が暮れてしまうぞ。始めないか?」
キース君がそう言った時。
「その方がいいと思いますわ」
現れたのはフィシスさんでした。
「私も混ぜて下さらない?全学年で遊べることって珍しいですし、今日はゆっくりおしゃべりしたくて」
「えっ、本当に!?」
サム君が叫び、大急ぎで空いている椅子を取ってきました。ちゃっかりと自分の隣に並べています。フィシスさんが座ったのを合図に私たちはジンギスカンを始めることに。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が子供用の椅子に座って野菜やお肉を焼く順番を指図し、これがけっこううるさかったり…。
「あっ、あっ、ダメだよ、お肉は真ん中!野菜は周りにちゃんと揃えて並べなきゃ」
テーブルの三ヶ所にあるジンギスカン鍋に目を光らせる様子は鍋奉行でしかありません。そして会長さんはいつの間にか数学同好会のメンバーに混ざってジンギスカンのテーブルに…。
「ブルーは戻ってきませんわ」
「「「えっ?」」」
フィシスさんに言われてよく見てみると、会長さんったら、アルトちゃんとrちゃんの間の椅子に座って楽しそうに歓談しています。私たちの存在なんか綺麗サッパリ忘れてるみたい。
「四葉のクローバーを摘んでいる時から見てましたけど、やっぱりあっちに行ってしまって…。同じ2本なら、みゆとスウェナにあげればいいのに」
「えっ…。私なんかよりアルトちゃんたちの方が…」
「そうよ、アルトちゃんたち、絶対、喜んでいると思うわ」
四葉のクローバーは私たちよりアルトちゃんたちが貰った方が値打ちがある…と思ったのですが、フィシスさんは溜息をつきました。
「…あなたたちがそれでいいなら構いませんけど。ああ、あれだからシャングリラ・ジゴロ・ブルーだなんて言われるのですわ…」
「「「シャングリラ・ジゴロ・ブルー!?」」」
私たちは思わず叫んでいました。会長さんはそこまで女たらしだというのでしょうか。
「ええ。…陰でひそかに呼ばれています。ブルーも知っているのですけど、怒るどころか面白がって…。アルトさんとrさん、このままいくと来年あたり…」
えっ、来年?…来年あたり何が起こると?…まさか、まさか…シャングリラ・ジゴロ・ブルーという渾名が渾名だけに、アルトちゃんとrちゃんは本当に手を出されちゃうとか!?…私たちが青ざめていると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が怒った声を上げました。
「お肉、焦げてる!よそ見してるんなら食べちゃうからね!!」
ヒョイ、ヒョイ、ヒョイ…とお肉が宙に浮かんで「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手にした紙皿の上へ。
「あっ、このやろっ!!返せ!」
我に返って割り箸を振り上げたのはサム君です。でも「そるじゃぁ・ぶるぅ」は知らん顔。
「やだも~ん!」
両手でお皿を傾けるなり、山盛りになっていたお肉を一口で食べてしまったのでした。
「う~ん、最高!ちょっと焦げてたけど、やっぱり一気に食べると美味しいや♪」
「…そりゃ良かったな…」
キース君がボソリと呟きます。そう、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は子供ですから楽しく食べていられますけど、今、私たちが気になってるのはフィシスさんが言った「来年」のこと。アルトちゃんたち、来年あたり会長さんに何かをされるかもしれないのです。でも、私たちの心配をよそに、フィシスさんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒になって鍋奉行を始めたではありませんか。
「次のお肉を入れる前に野菜を食べた方がいいですわ。今が美味しいと思いますもの」
「そうだよ。ぐずぐずしてると、またぼくが全部食べちゃうからね!」
モヤシにアスパラ、タマネギ、人参…。反射的にお皿に取って食べ始めてから自己嫌悪。野菜はともかく、アルトちゃんとrちゃんの運命は…?
「大丈夫ですわ」
フィシスさんがクスッと笑いました。
「来年あたり、私たちの仲間になるんじゃないかしら…と言いたかっただけですもの」
「「「仲間!?」」」
私たちの声が見事に重なりましたが、広場はガヤガヤ大騒ぎなので、他のテーブルには届かなかったみたいです。
「ええ。…ブルーがあれだけ熱心に口説いているということは…多分、因子を目覚めさせようとしているのですわ。そうでなくても二人とも数学同好会ですし、影響を受けている筈です」
そこまで話して、フィシスさんはまたジンギスカンを仕切り始めました。これ以上は教えて貰えないということなんでしょうか?仲間に、因子に…そして数学同好会。なんだかとっても気になりますけど…。
「やあ、お待たせ」
会長さんが戻ってきたのは最後のお肉がいい具合に焼けてきた頃でした。美味しそうだね、と言いながら椅子に座った会長さんのためにフィシスさんがササッとお肉を取り分けます。あああ、そのお肉は私が狙ってたのに~!
「あっ、ごめん。ぼくのお皿に入っちゃったけど、それでいいなら…」
会長さんの白い手が素早く動いて、私のお皿に焼きたてのお肉が置かれました。お礼を言って齧り付いてから気付いたのですが、このお肉、会長さんが自分のお箸で…。ということは、もしかしなくても…間接キッス!?
「みゆ、どうしたの?…顔が真っ赤よ」
スウェナちゃんに言われて耳まで赤く染まった私を会長さんが楽しそうに見つめています。赤い瞳から目が離せなくなって困っていると、微笑みながらウインクされて。うーん、私、もうダメかも…。
「ブルー、悪戯が過ぎますわ。仲間をからかって楽しいんですの?」
「そりゃもう」
フィシスさんと会長さんの会話を遠くに聞きながら、私はやっとのことでコップを手に取り、冷たい水を喉へと流し込んだのですが…。
「フィシス、君だってさっき言ってたじゃないか。ぼくはシャングリラ・ジゴロ・ブルーだからね」
げほっ!!…私は激しく咳き込み、スウェナちゃんに背中をさすってもらう羽目になりました。その間に私の分のジンギスカンは「そるじゃぁ・ぶるぅ」にすっかり食べられてしまい、更に涙を飲むことに…。
「で、フィシス。…どこまで話をしたんだい?」
ジンギスカン鍋が片付けられたテーブルに座った私たちを前に切り出したのは会長さん。
「来年あたり、アルトさんとrさんも私たちの仲間になるかもしれない…という所までですわ」
「上出来だ。それ以上はまだ急いで教える必要は無いし」
会長さんはクスクスと笑い、数学同好会のメンバーが座っているテーブルを眺めています。
「…あのメンバーとジンギスカンをするのも楽しかったよ。アルトさんとrさんも、いつか仲間になってくれると嬉しいな。…フィシス、君が来た頃を覚えているかい?」
「ええ。…熱心な口説きっぷりでしたわ」
「そうさ、どうしても君が欲しかったんだ。ぼくのフィシス。…ぼくの女神」
会長さんはフィシスさんの手を取り、手の甲にそっと口付けました。とてもキマッているんですけど、見ている方は気恥ずかしいなんてモノじゃありません。固まってしまった私たちを他所に、はしゃいでいるのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「あのね、ブルー、凄かったんだよ!一生懸命プレゼントして、デートして。ぼく、何回もお手伝いしたんだ。プレゼントを選んだり、フィシスの好きなお菓子を作ったり。ブルーが幸せになれますように、って、お星様にもお願いしたのは内緒だからね」
「内緒って…。今、聞こえたんじゃないか?」
キース君の冷静な突っ込みに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はサーッと青ざめてしまいましたが。
「ぶるぅ、お星様に頼んでくれたのかい?…それじゃ、お礼を言わなきゃね。おかげでフィシスと一緒にいられるようになったんだから。…ありがとう、ぶるぅ。大好きだよ」
チュッ、と頬っぺたにキスしてもらった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は真っ赤になって、照れ隠しに「かみお~ん♪」と歌い出します。えっと…会長さんとフィシスさんの関係は…やっぱり既に入籍済みとか…?私たち7人の一致した疑問を読み取ったらしい会長さんは。
「前にも言ったと思うんだけどね。…女神は俗世とは無関係だよ」
結局、謎は謎のままで終わり、ジンギスカンをやっていたグループも食べ終えた組から農場の方へ散ってゆきます。
「さあ、ぼくたちもそろそろ行こうか。午後はサツマイモ掘りとかができるんだってさ」
会長さんに促された私たちはテーブルを離れ、畑の方に向かったのでした。スッパリ気分転換をして芋掘りに燃えるのもよさそうです。
マザー農場での収穫祭は沢山のリンゴや農作物を貰ってバスに積み込み、農場の人たちにお礼を言って終わりました。貰った作物はシャングリラ学園の食堂で使われることになるそうです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は特別に分けてもらったバターやリンゴを持っていますし、近い内に私たちのオヤツになるのでしょう。今日は分からないことが一杯増えましたけど、謎解きをしてもらえる日がくるまでは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で遊んでいるしかないみたい。美味しいオヤツが待っているだけに、たまにはダイエットも必要かな…?
水泳大会からしばらく経って、グレイブ先生とパイパー先生の婚約発表で盛り上がっていたA組もようやく落ち着きを見せてきました。そんなある朝、登校すると…教室の後ろに机が一つ増えています。そこにはもちろん会長さんが。また何か起ころうとしているのでしょうか?
「…ちょっとね、楽しそうな匂いがしたから。あ、アルトさんとrさんが来た」
楽しそうな匂いって何ですか、と尋ねる前に会長さんはアルトちゃんたちの方に行ってしまいました。楽しそうに何か話しています。それから机に戻ってカバンの中から可愛い包みを二つ取り出し、アルトちゃんとrちゃんに渡しに行って…。また「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手作りおやつかと思ったのですが、アルトちゃんたちが包みを開けると、出てきたのは綺麗な小物入れ。
「この間、街で見つけたんだ。お守り袋を入れておくのにいいかと思って」
会長さんの声が聞こえてきます。アルトちゃんたちは顔を赤らめ、小さな声で何か言っていますが、さすがに聞こえてきませんでした。お守り袋っていえば…やっぱりアレしかありませんよね。会長さんは今も頻繁に女子寮に通っているものと思われます。まぁ、学校にバレてないんならいいんですけど。溜息をついているとグレイブ先生がやって来ました。
「諸君、おはよう。…ん?またブルーが来ているのか。まったく油断も隙もないな」
先生はフンと鼻を鳴らして。
「行事に目ざといブルーがいるから、何か起こると期待している者も多いだろう。そのとおりだ。来週、収穫祭が開催される」
収穫祭?…シャングリラ学園の敷地は広いですけど、畑なんて見たことありません。当然、田んぼも無いですし…いったい何を収穫すると?みんなも顔を見合わせています。
「なるほど。ブルーに頼りっぱなしのカボチャ頭な諸君であっても、有り得ない行事だということくらいは分かったようだな。シャングリラ学園には田畑もビニールハウスも無い。よって収穫するものも存在しないが、収穫祭はちゃんとあるのだ。我が学園と提携しているマザー農場が主催してくれる」
なんと!マザー農場といえば農業に酪農と手広くやっているので有名です。もしかしてそこで遊び放題、食べ放題?ジンギスカンとかもありましたっけ。クラス中がザワザワする中、グレイブ先生は咳払い。
「…そういうわけで、来週はマザー農場で収穫祭だ。だが!…働かざる者、食うべからず。汗一つ流していない諸君が収穫祭に行ったところで、有難味は全く無いだろう。よって、その前に労働がある。明後日、弁当持参で薪拾いをしてもらおう。拾った薪はマザー農場の冬の暖房に活用される」
「「「ええぇっ!?」」」
思わぬ展開にブーイングの声が上がりましたけど、決定が覆るはずがありません。なるほど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が来てないわけです。小さな身体で薪拾いは大変そう。でも収穫祭にはちゃっかり姿を見せるのでしょうね。
薪拾いの日は朝から見事な快晴でした。ジャージに着替え、全校揃ってアルテメシア公園まで歩いて行って、裏山一帯で薪を拾うことになったのですが…渡されたのは四十センチ四方くらいの丈夫な布製トートバッグ。一人あたりのノルマはトートバッグに一杯分です。これってけっこう重くなりそう…。
「嵩張りそうな枝を選んで詰め込んでいけばいいんだよ」
会長さんが裏技を教えてくれました。
「でもジョミーたちは真面目に太い枝を拾った方がいいかもね。この日のために間伐材を切り揃えて置いてくれてるみたいだし…。それが丸々残っていたんじゃ、学校のメンツが丸潰れだろ?」
「うへえ…。そんなの置いといてくれなくていいのに」
「暖房用の薪集めだろう?細い枝ばかりじゃ意味ないさ」
そう言いながら会長さんはさっさと林に入っていきます。この山は柔道部の逆肝試しの時に来ましたっけ。あの時は真っ暗で不気味でしたけど、今日は明るくていい感じ。薪拾いっていうのも楽しいかも。私はスウェナちゃんと一緒に山の中に入り、会長さんに教わったとおり嵩張りそうな枝を見つけてはトートバッグに詰め込みました。うんうん、これなら楽勝です。お昼までにバッグは一杯になり、見晴らしのいい場所を見つけて座っていると。
「…ねえ。あそこに見えるの、会長さんよね?」
スウェナちゃんが下の方を指差しました。ジャージの生徒があちこちに点在していますけど、輝くような銀髪といえば会長さんしかありません。会長さんはトートバッグも持たずに何か探しているようです。
「落し物でもしたのかな?」
「あ、そうかも…。手伝った方がいいかしら?」
私たちはトートバッグを持って斜面を降りていきました。落ち葉に足を取られそう。こんな所で落し物をしたら、探すのはなかなか大変かも…。ズルズルと滑りながら近づいていくと、気付いた会長さんが手を振っています。
「どうしたんだい、二人とも?…薪は拾えたみたいだけれど」
「会長さんこそ、どうしたんですか?」
そばまで行って話しかけると。
「ぼく?…薪は集め終わったからね、ちょっと探し物をしてるんだ」
「…探し物?落し物じゃないんですか?」
「探し物だよ。興味があるなら手伝ってみる?」
会長さんは私たちのトートバッグを「貸して」と手に取り、次の瞬間、バッグは消えてしまいました。公園の集合場所に瞬間移動で送ったんだよ、と会長さん。両手が空いた私たちはお弁当の入ったリュックを背中に、探し物のお手伝いです。
「…探しているのはキノコなんだ」
キノコ?…この山、マツタケとかが出るのでしょうか。マツタケ狩りはもっと別の山だと思ってましたが…。
「違う、違う。そんなのじゃなくて…。あ、やっとあった!」
屈み込んだ会長さんが手に取ったのは毒々しい真っ赤な色のキノコでした。どう見ても毒キノコにしか見えないそれを会長さんはジャージのポケットから出したスーパーの袋に入れて満足そうです。
「これを探していたんだよ。…ジョミーたちにも頼んであるけど、戦力は多い方がいいしね」
「…そ、それって…」
スウェナちゃんが顔を引き攣らせ、袋の中身を指差しました。
「毒キノコだったんじゃないかしら?この間から新聞に度々記事が載っているのよ、キノコ狩りのシーズンだから。確か似たような写真が毒キノコのリストに…」
ジャーナリスト志望のスウェナちゃんは新聞記事をよくチェックしています。じゃあ、真っ赤なキノコはやっぱり本物の毒キノコ…?
「ああ、毒キノコには間違いないね、ベニテングダケって言うんだよ」
会長さんがニコッと笑いました。
「…だけど死んじゃうほどの毒ではないし、そんなに怖がらなくっても…。神経毒で幻覚が見えたりしちゃうんだ。マジックマッシュルームとはちょっと違うけど」
「そ、そんなもの集めてどうするんですか!?」
「…ひ・み・つ」
人差し指を唇に当てて、会長さんが微笑みます。
「毒キノコを触るのはイヤっていうなら、見つけた時に呼んでくれればいいからね。ぼくが採るんなら平気だろ?」
うーん、そういう問題でしょうか?だけどキノコは気になります。キノコ探しをお手伝いしたら、秘密も教えてもらえるのかな?
「もちろんだよ」
会長さんの笑顔に負けて、スウェナちゃんと私はベニテングダケ探しを始めました。なかなか見つからない内にお弁当の時間になって、会長さんがいつもの『頭の中に響く声』でジョミー君たちを呼び集めます。
「その辺の開けた所がいいかな?ちょうど切り株も幾つかあるし」
みんな揃って腰を下ろすと、風もないのにいきなり木の葉が舞い上がって。
「かみお~ん♪」
クルクルクル、と回転しながら現れたのは風呂敷包みを抱えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」だったのでした。
「ブルー、お待たせ!お弁当とお味噌汁だよ」
風呂敷包みの中から出てきたものは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の分らしいお弁当と、大きな重箱。更に人数分のお碗を取り出し、小さなお鍋からおたまで中身を注ぎ始めたんですけれど…。
「山の中で熱々のお味噌汁って贅沢だよね。イワシのつみれ汁、沢山あるから」
9人分のお味噌汁を注ぎ分けても、お鍋から湯気が上がっています。このお鍋、何処かの空間に繋がってるの?
「お味噌汁?…ぼくのお部屋のお鍋の中から転送してるよ。せっかくのお弁当だし、お味噌汁は熱い方がいいもん」
イワシのつみれ汁の他にも、重箱の中はに旬の食材をたっぷり使ったおかずが一杯。私たちが薪拾いをしている間、頑張って作ったに違いありません。デザートもあるよ、と手作り栗饅頭まで出てきました。
「ほんとはキノコたっぷりのお味噌汁を作りたかったんだけど…」
ブルーが変なキノコを集めてるしね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「キノコ汁だと嬉しくないでしょ?」
「…さすがに今は遠慮したいな」
キース君が答え、私たちも頷きました。ベニテングダケを探してる時にキノコを食べたら、食中毒になりそうな気が…。
「そんなにイヤかな、ベニテングダケ」
会長さんが栗饅頭を食べながら袋を覗き込んでいます。ジョミー君たちが何本か採ってきたので中身は少し増えていました。ひい、ふう、みい…と数えた会長さんは楽しそうな顔でスーパーの袋を地面に置いて。
「今で8本。十本は欲しいところだけれど、みんなの頑張り次第だね」
「…そんなの集めて何するのさ?」
ジョミー君が私たちと同じことを尋ねましたが、どうせ答えは「秘密」だろう…と思った時です。
「好奇心を満足させたいんだよ」
会長さんが拾った枝で袋をつつきながら言いました。え?…もしかして教えてくれるんですか?
「キノコ集めを手伝ってくれてるんだし、教えないわけにはいかないさ。…ベニテングダケを食べると幻覚が見えるっていうからね…。ちょっと試してみたいんだ」
「「「ええぇっ!?」」」
私たちはビックリ仰天。まさか会長さんが食べるだなんて、いくらなんでもあんまりです。
「やめとけ、頼むからやめてくれ!」
「そうだよ、大変なことになるかも…」
キース君もジョミー君も顔色を変えて会長さんに詰め寄りました。シロエ君やサム君たちも思いとどまるように必死の説得。でも会長さんはニコッと笑って。
「…大丈夫、ダテに三百年以上も生きてないから。ね、ぶるぅ?」
「うん!ブルーなら絶対大丈夫だよ。ぼくも頑張ってお手伝いするし♪」
「まさかお前が料理するのか!?」
キース君の叫びに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔で頷きました。
「もちろん!…ぼく、お料理は大好きだしね。初めての食材ってドキドキしない?」
もしかして試食する気でしょうか。それだけはなんとしても止めないと!でもその前に会長さんが…。
「ぶるぅ、料理するのは任せるけれど、試食なんかしちゃいけないよ。お前は子供なんだから」
「そうなの?…なんだかつまんないけど…ブルーが言うなら仕方ないね」
それから「そるじゃぁ・ぶるぅ」は空になった重箱やお碗、お鍋を片付けた風呂敷包みを抱え、瞬間移動で部屋に帰っていきました。お弁当もデザートも食べたし、キノコ探しを頑張らなくっちゃ。
薪拾いの終了時間まで7人グループで探しまくって、新しく見つかったベニテングダケは4本でした。合計十二本の赤いキノコを入れた袋を、会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に送ったみたいです。それから各自、トートバッグに詰めた薪をシャングリラ学園まで持って帰って、校庭の指定の場所に積み上げて。
「みんな、今日はよく頑張ってくれた」
教頭先生が薪の山を眺め、慰労の言葉をかけてくれました。
「これだけの量の薪があればマザー農場の人たちも喜ぶだろう。だが、農場の人の仕事に比べれば、薪拾いなどほんんの遊びだ。収穫祭に行ったら大歓迎して下さるのだが、感謝の心を忘れないように」
「「「はーい!!!」」」
全校生徒が元気に返事し、あとは教室で終礼をして下校です。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に行ってみると、例のキノコがお皿の上に盛られていました。ソファに座った会長さんが目を輝かせてベニテングダケを見ています。
「…まさか、本気で食べるとか…?」
こわごわ尋ねたのはジョミー君。会長さんは余裕たっぷりの笑みを浮かべてキノコをそっと撫でました。
「本気だよ。…幻覚キノコがどれほどのものか、興味ある」
「…やめるつもりは…?」
「ないね」
キッパリと言った会長さん。私たちはもう祈ることしか出来ないようです。三百歳を超えても好奇心旺盛なのはいいんですけど、幻覚を起こすキノコなんかに手を出すなんて…。どうかとんでもないことになりませんように!いつお守りで呼び出されるかも分からないんですし、食べない方が身のためじゃないかと思うんですが…。