シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
シャングリラ学園に秋の始まりを告げるもの。学園祭のお知らせですけど、クラス展示とも催し物とも無関係なのが私たち。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を使ってのサイオニック・ドリームが売りになっている喫茶、『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』があるんですから。
というわけで準備を特に急ぐこともなく、まだまだ当分はのんびり、まったり。今日も土曜日とあって会長さんのマンションに集まっているわけですが…。
「ハムスター釣り!?」
それってヤバイんじゃなかったかよ、とサム君が。
「動物虐待か何か知らねえけど、やっちゃいけねえ屋台だろ?」
「そうなんだけどね…。ゲリラ的に出没するらしいよ」
警察が来たらトンズラなのだ、と会長さん。
「子供には人気の屋台だし…。逃げるリスクを背負うだけの価値はあるらしくって」
「で、それを学園祭でやろうとしたわけ?」
誰が、と尋ねるジョミー君の視線の先にキース君にシロエ君、マツカ君。いわゆる柔道部三人組というヤツです。
「俺も詳しくは知らないが…。確か後輩の知り合いだったか?」
「そうです、二年生の…。名前は伏せておきますけれど」
その二年生の友達ですよ、とシロエ君が情報通ぶりを。
「ハムスターが好きで沢山飼ってるらしいんです。それが増えすぎたらしくって…。この際、同じ悩みを抱える仲間を募って、学園祭でハムスター釣りだと」
「学校に申請したそうですけど、却下されたという話でした」
当然でしょう、とマツカ君は呆れ顔です。
「普通のお祭りでも警察が来るという代物なんです、学園祭でやろうだなんて…」
「学校の中だと治外法権のように考えがちだし、そのノリだろうな」
馬鹿者めが、とキース君も吐き捨てるように。
「大体、ハムスターを自分で飼っているなら、可哀相だとは思わんのか、そいつは」
「その辺は個人の考え方だよ」
普通の釣りとはちょっと違うし、と会長さんが言ってますけれど。ハムスター釣りはまだ見たことがありません。それって、どういう釣りなんですか?
「ああ、それはね…」
釣りは釣りなんだ、と会長さん。
「そうだよね、ぶるぅ?」
「うんっ! ハムスターいっぱいで可愛いの!」
「見たんですか!?」
シロエ君が訊くと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は無邪気な顔で。
「ブルーに頼んで一回やらせて貰ったよ!」
「「「えぇっ!?」」」
御禁制のハムスター釣りなんかを何処で?
「えっとね、何処かの夏祭り! ハムスター釣りって楽しいのかな、ってブルーに訊いたら、連れてってくれたの!」
「「「………」」」
流石、としか言えない会長さんの情報網と行動力。それでハムスター釣りって、どんなの?
「金魚すくいの水の代わりに藁が入っているんだよ。其処にハムスターが放してあってさ、餌をつけた釣り糸で釣り上げるわけ。餌に食い付いたら、パッと素早く!」
「三匹釣ったら、一匹貰えるらしいんだけど…。餌が外れたらおしまいなんだけど…」
「ぶるぅなら簡単に釣れるんだけどね、ハムスターを飼うのは大変だしねえ…」
「ブルーが持って帰れないよ、って言うから三匹目は釣らずに餌だけあげたの!」
ちゃんと食べさせてあげたんだよ、と誇らしげな「そるじゃぁ・ぶるぅ」の証言によると、餌はトウモロコシだったとか。食い付いた所を釣り上げるのが動物虐待なのかな?
「そうなるね。ハムスターは釣り上げられるように出来ていないし、弱っちゃうんだよ」
「あのね、あのね…。ブルーがそう言ったから、ぼく、ハムスターさん、逃がしてあげたの!」
「「「えっ!?」」」
逃がしたって、まさかハムスター入りの水槽だかケースだかを引っくり返したとか?
「違うよ、欲しがってる人が沢山いたの! だからハムスター、全部ブルーが買ったの!」
「「「買った!?」」」
ドケチな会長さんが露天商相手に、ぼったくり価格のハムスターを…全部?
「ぼくだって、一応、高僧だしね? 引き取り手がいる動物を見捨てて弱らせておくのはキツイし、ぶるぅが助けてやりたいんならね」
全部お買い上げ、希望者に配ってしまったと言うから凄いです。伝説の高僧、銀青様の名前はダテではなかったんですね…。
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の最強タッグ。動物虐待と噂の屋台を見物に出掛け、遊んだ上に沢山のハムスターを助け出したとは…。
「あんた、凄いな。見直したぞ」
キース君も感動している様子。
「それに比べて、ハムスター釣りを学園祭でやろうってヤツはただのクズだな」
「どうなんだろう? 好きで飼ってる人なんだしねえ、釣りのルールを変えてやったらハムスターも弱りはしないしね?」
「どういう意味だ?」
「屋台でやってるハムスター釣りは餌のトウモロコシが小さいわけ。それを大きいヤツにしておけば、ハムスターは楽々掴まってられるし、その状態なら釣り上げたって…」
「なるほどな…。元が増えすぎたハムスターの譲渡目的なら、そいつもアリか」
全部釣れたら営業終了でハムスターにも里親が出来るか、とキース君。
「そういうこと! でもねえ、ハムスター釣りは既に印象、最悪だから…。ルールを変えます、と説明したって学校としては却下だよ、うん」
「でもでも、ハムスターさん、可愛いかったよ?」
ちっちゃいのを釣るのが楽しかったよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「金魚すくいとは全然違って、チョコチョコ走って可愛いの!」
「「「うーん…」」」
言われてみれば、それは可愛いかもしれません。金魚すくいの金魚は泳いでるだけで何もしませんけど、ハムスターなら事情は別。餌をモグモグ、そしてチョコマカ走り回ったり、藁にもぐったりするのでしょう。
「…やってみたいかも…」
ちょっとだけ、とジョミー君が言い出し、シロエ君たちも。
「可愛くていいかもしれませんね?」
「次はどの辺に出そうなんだよ、ハムスター釣り」
俺もやりてえ、とサム君も乗り気。スウェナちゃんと私もやりたくなって来たのですが。
「ダメダメ、君たち、ハムスターを飼う気は無いんだろ?」
飼う気があっても全部は無理だし、と会長さん。
「ぼくは御免だよ、ぼったくり屋台のハムスターを丸ごと全部お買い上げはね。マツカが代わりに支払うにしても、二度目をやったら、後が無いから」
「「「は?」」」
後が無いって、どういう意味?
ハムスター釣りの屋台で水槽だかケースだかに入ったハムスターを全部お買い上げ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に頼まれた一度目は会長さんのお財布に大ダメージを与えたでしょうが、私たちが行ってそれをやるなら、マツカ君という頼もしい助っ人が。御曹司だけに軽く払える筈です。
なのに二度目は駄目と言われた上、後が無いなどと言われても…。
「いいかい、二度あることは三度あるんだよ」
会長さんは真面目な顔で。
「二度目もぼくが出掛けて行くだろ? どうせぶるぅがやりたがるんだし」
「そうなるだろうな」
俺たちだけではゲリラ屋台も探せないし、とキース君。
「あんたに頼って探して貰って出掛けるとなれば、ぶるぅも一緒に来たがるだろうし…」
「其処なんだよ。ぶるぅがハムスターを助けたくなって、マツカが全部買ったとする。ぶるぅは君たちも知ってるとおりに優しい子だから、三度目がある!」
またハムスターさんを助けに行くんだと言い始めるに決まっているのだ、という見解は間違ってはいないと思います。その三度目をやってしまったら…。
「そうさ、ぼくはこの先、ハムスター釣りの屋台が出る度、出掛けて全部お買い上げなんだ!」
「「「うわー…」」」
「マツカが代わりに払うにしたって、ハーレイから毟って来るにしたって、ハムスター釣りが出て来たら全部! そしてその内に!」
ぼくは立派なカモになるのだ、と会長さんの苦い顔。
「ああいう世界は情報が流れてゆくのが早い。たとえ警察とイタチごっこの屋台であっても人気はあるんだし、廃れない。其処へ毎回、全部お買い上げの凄いお客が来るとしたら?」
「下手したら増えるかもしれねえなあ…。ハムスター釣り」
サム君が呟き、「そうなるんだよ」と頷く会長さん。
「ぼくの得意技は瞬間移動で、何処で屋台を出していたって出掛けて行ける。動物愛護団体の誰かと勘違いされるのはいいとしてもね、屋台さえ出せばぼくが来て全部言い値で売れるのはね…」
「どう考えても立派なカモだな、あんた」
キース君の言葉で、会長さんが二度目とやらを嫌がった理由が分かりました。確かに後がありません。ハムスター釣りの屋台が現れる所、必ず会長さんの影が見えるというわけで…。
「そっか、ダメかあ、ハムスター釣り…」
ちょっと挑戦したかったけどな、とジョミー君。私たちだって同感です~!
やってみたかったハムスター釣り。金魚と違って、チョコマカ走り回る姿が可愛いハムスター釣り。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」のハートを射抜いたと言うのですから、きっと本当に可愛いのでしょう。
一度体験したかった、と誰もがガッカリしたのですけど。
「ふうん…? やってみたかったんだ、ハムスター釣り…」
だけどカモにはなりたくないし、と会長さんが思案中。何処かで釣らせてくれるのでしょうか? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」には内緒で私たちだけにコッソリ情報をくれるとか…?
「いや、それは…。君たちが釣りに行くんだったら、そのハムスターは見捨てたくないし…」
「マツカが買えばいいんじゃねえかよ」
それで解決、とサム君がズバリ。
「別にブルーが出てこなくっても、ちゃんと始末はつけるからよ」
「でもねえ…。ぼくにとっては心理的に二度目。そして、ぶるぅにも確実にバレる」
でもって三度目、四度目と続いてカモな人生、と会長さんはぼやいていましたが。突然、ポンと手を打って「そうだ!」と明るい声。
「そうだ、ぶるぅを釣ればいいんだ!」
「「「は?」」」
「ぶるぅ釣りだよ、可愛くないかい? うんとミニサイズのぶるぅで、こんなの」
会長さんが広げた手の上に、ハムスターサイズの小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパッと出現。手のひらの上にチョコンと座ってニコニコ笑顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「「「ぶるぅ!?」」」
どうなったのだ、と慌てましたが、「すっごーい…」と普段通りの「そるじゃぁ・ぶるぅ」がミニサイズの自分を覗き込んでいるではありませんか。
「…ぶるぅじゃ……ない……?」
「違うようだな…」
では何なのだ、とキース君がチョンと指でつつこうとしたら。
「「「あれ?」」」
指はミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」の身体を突き抜け、会長さんの手のひらに到達しちゃったみたいです。指を引っ込めたキース君の目は丸くなっていて。
「…あんたの手のひらに触ったんだが…」
「そうだろうねえ、此処には何も無いからね?」
御覧の通り、と会長さんが空いた方の手でパッと払うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のミニサイズは消え失せ、ただの手のひら。それじゃ今のは…?
「サイオニック・ドリームの応用なんだよ、核になるものがあればもっと楽勝」
こういうぶるぅを釣らないかい、と会長さんは微笑みました。
「チョコマカ走らせるトコまではちょっと無理だけど…。小さなぶるぅを釣るだけだったら、表情とか動きはいくらでも、ってね」
「本当ですか!?」
シロエ君が飛び付き、釣られる方の「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「やってみたぁーい! ぼくを釣る遊びでもやりたいよ!」
「俺も興味が出て来たな」
「ぼくだってやってみたいよ、それ!」
キース君にジョミー君、他のみんなも次々と。もちろん私も釣りたいですから、アッと言う間に決まってしまったハムスター釣りならぬ「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣り。会長さんは「よし」とリビングを出て行って…。
「はい、ぶるぅ釣りのために頑張りたまえ」
これで核になる魚を作って、と会長さんが画用紙を持って戻って来ました。
「幼稚園とかのゲームでやるだろ、磁石を使った魚釣り。あれを核にするから」
紙で作った魚に金属製のクリップをつけて、糸に結んだ磁石にくっつけて釣り上げる遊び。それがサイオニック・ドリーム発動の核になるらしいです。
「核が同じだと似たようなものしか出来ないからねえ、個性的な魚があるといいかな」
大物を作るのも良し、変なのも良し、と会長さん。
「クリップがコレで、磁石がコレ。だから挑んでも釣れないサイズも出来てしまうかもしれないけれど…。その方が手ごたえがあっていいだろ?」
「そう来たか…。つまり俺たちの手で核を作れ、と」
こいつで魚を作るんだな、とキース君が納得、会長さんは下書き用の鉛筆や彩色用の色鉛筆にクレヨンなんかも持って来ました。それからハサミも。
「みんな好きなだけ魚を作って、色を塗ってから切り抜いてよね。それにクリップを取り付けたら核の出来上がりなんだ。個性豊かなぶるぅが出来るよ」
「「「はーい!」」」
やってみよう、と私たちは画用紙を受け取り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も貰っています。言い出しっぺの会長さんも鉛筆を握ってサラサラと。よーし、サイオニック・ドリームの核になるらしい、紙で出来た魚。私も作ってみましょうか…。
会長さんが「個性的に」と言った辺りが大きかったか、元々、個性的な面子が揃っていたのか。絵に描いたような普通の魚も小さいものから大きなものまで揃いましたが、それよりも…。
「リュウグウノツカイって、普通、釣れるのかよ?」
深海魚じゃあ、とサム君が訊いた作品はキース君のもの。ヒョロリと長いリュウグウノツカイにクリップがしっかり取り付けてあります。
「サム先輩だって、タコを描いたじゃありませんか」
シロエ君の突っ込みに「タコは釣れるぜ」とサム君の反論。
「魚じゃねえけど、釣ろうと思えば釣れるって! それより何だよ、そのシーラカンス!」
「魚だと思いますけれど?」
「…魚だっけ?」
まあカニよりは魚だよね、と言うジョミー君は何故だかカニに燃えていました。松葉ガニやら毛ガニやら。どれも形がアヤシイですけど、作りたかったものは分かります。
「個性豊かにって言われたら、釣れない魚も作りたくなるわよ」
スウェナちゃんは鯨を作ってしまって、マツカ君は亀を作った様子。私もホタテガイを描いちゃいましたし、みんなのことは言えません。えっ、ホタテガイは魚じゃないだろうって? だけどあの貝、泳ぐんですもの~!
「よし、充分に個性的なのが揃ったってね」
会長さんが満足そうに作品群を眺め、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「ビニールプールはあったっけ? 小さな子供が泳ぐようなヤツ」
「えとえと…。ぼくは持ってないけど、管理人さんの所に無かったかなあ?」
夏になったら貸し出してるから、という返事。そう言えば何度も目にしていました、夏に此処へと遊びに来た時。下の駐車場にビニールプールが置かれて小さな子供たちが遊んでいるのを。
「あったね、そういうビニールプール。じゃあ、借りて来る」
会長さんの姿がフッと消え失せ、暫く経って。
「お待たせ~! シーズンじゃないから仕舞い込んでて、出して貰うのにちょっと時間が」
でも借りて来た、と空気を抜いて折り畳まれたビニールプール。空気を入れるためのポンプもセットで、私たちは交代でプールを膨らませることに。その間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお昼御飯の支度をしてくれるらしいです。
「プール、作っといてねー!」
「「「オッケー!」」」
お昼御飯を食べ終わったら、ビニールプールで「そるじゃぁ・ぶるぅ」を釣るのです。ミニサイズのうんと可愛いのを…!
足踏み式のポンプでせっせと空気を送り込んで膨らませ、子供用のビニールプールが完成。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってくれた秋の味覚のキノコたっぷりのピラフと、仕込んであった秋鮭と野菜のクリームシチューを平らげてから再びリビングへと。
「プールが釣り場になるからね。魚を重ならないように入れて」
会長さんの指示でリュウグウノツカイやシーラカンスが混じった魚の群れがプールの中に。どれもクリップ付き、会長さんが「試しに」と糸に縛った磁石で釣り上げてみて。
「うん、充分にいけるってね。でも、ぶるぅ釣りは難しいよ?」
「どうして?」
理屈は今のと同じでしょ、とジョミー君。けれど会長さんは「どうだかねえ…」という答え。
「今は魚がちゃんと見えてるから、何処にクリップがあるかも分かる。でもね、魚は全部ぶるぅに化けるんだ。クリップが何処か分かるかい?」
「「「あ…」」」
会長さんの手のひらに乗っていたミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」を思い出しました。会長さんの手は透けて見えはせず、小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」が居ただけ。ということは、魚にくっつけてあるクリップも…。
「そう、いくら目で見ても見えないってね!」
大物であればあるほど苦労する、と言われてしまって恨みたくなった、ヒョロリと長いリュウグウノツカイ。他にも色々と恨みたい魚が溢れてますが…。
「覚悟のほどは出来たかな?」
会長さんはクックッと笑いながら割り箸に糸を結んでいます。糸の先には小さな磁石。要は割り箸が釣竿代わりで、これは本物のハムスター釣りも同じだとか。
「はい、一人一本、釣竿をどうぞ」
「かみお~ん♪ ぼく、いっちばーん!」
元気一杯に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が割り箸を受け取り、全員の手に釣竿が行き渡った所で。
「始める前に、ハムスター釣りのお約束! 三匹釣ったら一匹貰える。だけどぶるぅはあげられないから、代わりにおやつのチケットを一枚」
持ち帰り用にも使えるよ、と会長さん。それは大いに美味しい話です。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ったお菓子を家でもおやつに食べられるなんて! 他のみんなも思いは同じという中で。
「おふくろのために頑張ってみるか」
美味い菓子を持って帰って好感度アップだ、とキース君。なるほど、アドス和尚に叱られた時に備えてイライザさんにゴマをすりますか…。
会長さん手作りの割り箸の釣竿、それに景品のおやつチケット。用意は整い、いよいよ「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りの始まりです。会長さんの青いサイオンがキラッと光って…。
「「「わあっ!!!」」」
ビニールプールに溢れていた魚は一匹残らず「そるじゃぁ・ぶるぅ」に変わっていました。ミニサイズながら、どれもこれも「そるじゃぁ・ぶるぅ」そっくり、ニコニコ笑顔でキャイキャイと。
「なんだか賑やかに笑ってますよ?」
声は小さいですけれど、とシロエ君が驚くと、会長さんは。
「そのくらいのことは出来ないとね? ソルジャーの役目はとてもとても」
「「「スゴイ…」」」
動き回りこそしませんけれども、手を振っていたり、はしゃいでいたり。バラエティー豊かな「そるじゃぁ・ぶるぅ」がプールに一杯、釣り放題で。
「よーし、釣るぞーっ!」
ジョミー君が釣り糸を投げ入れ、私たちも我先に続いたものの。
「…えーっと?」
釣れそうで釣れない「そるじゃぁ・ぶるぅ」。クリップを狙えていないのです。
「くっそお、外したーっ!」
逃げられた、とキース君が呻き、シロエ君たちも。
「本当に難しいですよ、これ…!」
「三匹どころか一匹だって無理かもなあ…」
才能ねえかも、と嘆くサム君。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も苦戦しています。
「うわぁーん、ぼくなのに釣れないのーっ!」
ぼくが釣れない、と闇雲に何度も投げ込まれる糸は全て空振り。なんとも手強い「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りですが…。
「三匹でおやつチケットだって?」
「その三匹が釣れないんだ!」
まだ一匹も釣れていない、とキース君が怒鳴り返しましたけど、今のって…?
「こんにちは。面白そうなことをやってるねえ…」
ぶるぅ釣りだって? とヒョイと覗き込んで来た会長さんのそっくりさん。紫のマントを上手に捌いてビニールプールの脇に座ると、「ぼくにも釣竿!」と会長さんの方へ右手を。
「釣るのかい?」
「おやつチケットは魅力的だしね!」
釣ってみよう、と言ってますけれど。難しいですよ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣り…。
釣れるもんか、と誰もが思った「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りへの闖入者。ところが割り箸の釣竿を握ったソルジャー、たちまち鮮やかに一匹を。
「かみお~ん♪」
可愛らしい声が上がって、ミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーの手元に飛び込みました。途端に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の姿は掻き消え、カニが一匹。
「ぼくの毛ガニだ…」
釣られちゃった、とジョミー君がポカンと眺める間に、また「かみお~ん♪」。今度はマツカ君の亀で、「二匹も!?」と騒いでいたら、またも「かみお~ん♪」。今度は普通に魚でしたが、誰が描いた魚なのかと悩むよりも前に。
「おやつチケット!」
三匹釣った、とソルジャーが手を出し、会長さんが「はい」とチケットを。
「やったね、これで持ち帰り一回分! どんどん釣らなきゃ!」
全部釣ってやる、というソルジャーの台詞はダテではなくて、四苦八苦する私たちや「そるじゃぁ・ぶるぅ」を他所にヒョイヒョイ釣っては「おやつチケット!」。
「うう…。なんであいつだけ釣れるんだ?」
「さ、さあ…。相性ってヤツじゃないですか?」
「うわぁーん、どんどん釣られちゃうようーっ!」
減って行くよう、と泣きの涙の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ビニールプールに溢れ返っていたミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」はぐんぐんと減って、見る間に数えるほどになり…。
「こうなりゃヤケだーっ!」
きっと何処かにクリップが! とキース君が投げ込んだ釣り糸を地引網よろしくズズッと引き摺り、やっと釣り上げた一匹目。その手があったか、と私たちも急いだのですが…。
「ダメダメ、慌てる乞食は貰いが少ないって言うんだろう?」
釣りをするならゆったりのんびり、とソルジャーが糸をヒョイと投げ入れ、「かみお~ん♪」と釣れるミニサイズな「そるじゃぁ・ぶるぅ」たち。
「くっそお、残りは二匹なんだ!」
あと二匹釣ればおやつチケット、と割り箸を握るキース君も、せめて一匹と願う私たちもサッパリ釣れないままにソルジャーだけがヒョイヒョイヒョイ。「かみお~ん♪」の声は其処ばかりです。とうとう最後の一匹までもが。
「「「あーーーっ!!!」」」
釣られたーっ! という叫びも空しく、釣果はソルジャーの手の中に。おやつチケット、全部ソルジャーに取られておしまいでしたよ…。
「…なんでこういうことになるわけ?」
一匹くらいは釣りたかった、とジョミー君がぼやくと、ソルジャーは。
「簡単なことだよ、クリップを狙って釣るだけってね!」
「「「クリップ!?」」」
「そうだよ、魚についてるクリップ。ぶるぅの向こうに見えているだろ?」
「「「えーーーっ!!!」」」
やられた、という気分でした。私たちにも「そるじゃぁ・ぶるぅ」にも全く見えなかったクリップ、ソルジャーの目には見えていたのです。考えてみれば会長さんよりも経験値が高い人でしたっけ。挑むだけ無駄、キース君が一匹釣っただけでもマシだったのか、と…。
「負けた…」
キース君がガックリと項垂れ、私たちも。まあ、本物の屋台のハムスター釣りなら、これくらいの勢いで負けると言うか、釣れないと言うか。仕方ないな、とは思うんですが…。
「釣れなかったなんて…」
気分だけで終わってしまったなんて、とシロエ君が零し、サム君も。
「だよなあ、せっかくプール一杯のぶるぅだったのによ…」
「楽しく釣る筈だったのに…」
トンビにアブラゲ、というジョミー君の言葉に、ソルジャーが。
「目的はおやつチケットよりも釣りだったのかい?」
「そうなんだが?」
よくも俺たちの楽しみを、とキース君。
「あんた一人に釣られちまって、俺たちはロクに釣りを楽しめなかったんだが!」
「そうなんだ…。それは何だか申し訳ないし、良かったらぼくが釣り場を提供しようか?」
「「「は?」」」
「ブルーは今ので疲れただろうし、代わりにぼくが!」
コレを核に使って良ければ、とソルジャーの手元の紙の魚が指差されました。
「それとビニールプールを借りられるんなら、極上の釣りの時間を君たちに!」
「「「本当に!?」」」
会長さんよりも経験値の高いサイオンの使い手がソルジャーです。よりリアリティーのある「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りを楽しませて貰えるに違いない、と飛び付いた私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」だったのですが…。
「…なんだい、これは?」
会長さんの冷たい声と、何と言っていいのか言葉も出ない私たちと。
「何って…。ブルー釣りだけど?」
これも悪くないと思うんだよね、と微笑むソルジャーがビニールプール一杯に作り出して来たサイオニック・ドリームの釣りの対象。それはミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」ではなく、全部ミニサイズのソルジャーでした。多分、ソルジャー。
「何処から見たって君じゃないか!」
「さあねえ、君かもしれないよ? とにかく、ブルーで!」
邪魔なマントは抜きで纏めた、とソルジャーが自慢するとおり、マント抜きでのソルジャーの正装のソルジャーだか、会長さんだかがドッサリ、ミニサイズでプールに溢れています。
「まあ釣ってみてよ、誰でもいいから!」
「「「………」」」
可愛らしい「そるじゃぁ・ぶるぅ」なら釣ってみたいですけど、これはイマイチな感じがヒシヒシと。美形ですから可愛くないとは言い切れないものの、なんだか違うという感じ。
「なんで釣らないわけ? じゃあ、キース!」
さっき一匹釣り上げた腕を見込んで君だ、とソルジャーの指名。キース君は蛇に睨まれたカエル状態、仕方なく釣り糸を垂れたのですが。
「…あんっ!」
「「「え?」」」
一匹……いえ、一人のミニサイズのブルーが身体をくねらせ、「あんっ!」と小さな甘い声。鼻にかかった声でしたけれど、今のは一体…?
「外したんだよ、クリップの場所を。はい、もう一回!」
「…嫌な予感がするんだが…」
キース君の腰が引けているのに、ソルジャーは「釣れ」の一点張り。恐る恐るといった体で下ろされた釣り糸、今度は何処に当たったものやら。
「…やぁっ!」
同じ「やあ」でも柔道とかの掛け声とは百八十度も違った甘すぎる声。ミニサイズのブルーとやらは、もしかして、もしかしなくても…。
「まあ釣ってみてよ、手を貸すからさ!」
此処を狙って、とソルジャーが手を添え、キース君が垂れた釣り糸がクンッ! と。どうやらクリップに当たったようですが、釣り上げられるミニサイズのブルーが発した声は。
「や、やあぁぁっ! い、イクっ…!」
行くって何処へ、と見回す私たちが見たものは怒り狂った会長さん。レッドカードを握ってますから、今の台詞はヤバかったんですね…?
「君はどういうセンスでこれを…!」
さっさと消せ! と会長さんは怒り心頭ですけど、ソルジャーの方は涼しい顔で。
「えっ、楽しいと思うけど? ブルー釣り!」
エロくて雰囲気バッチリなのだ、とソルジャーは威張り返りました。
「三匹釣ったら何にしようか、ぼくからキスをプレゼントとか!」
「要りませんから!」
即答したシロエ君が神様に見えた気がします。その勢いで追い返してくれ、と思ったのに。
「おや、キスだけだと不満かい? だったらストリップもオマケにサービスするけど」
「…そ、それは…」
「あ、感動しちゃった? じゃあ、キスとストリップをセットでサービス!」
頑張って三匹釣り上げてよね、とソルジャーは笑顔でシロエ君の背中をバンバンと。
「キースは残り二匹だよ。さっきのも特別にカウントするから!」
「誰が釣るか!」
「なんで?」
楽しいのに、と全く分かっていないソルジャー。私たちが釣りたかったものはミニサイズの可愛い「そるじゃぁ・ぶるぅ」。キャイキャイ、ワイワイ、賑やかに騒ぐ「そるじゃぁ・ぶるぅ」。けれども今のプールに溢れているものは…。
「「「………」」」
山のようなミニサイズのマント無しソルジャーがウインクをしたり、思わせぶりに顔を伏せたり。どちらかと言えばお色気軍団、たまに「来て」とか小さな声が。
「釣らないのかい?」
何処でも当たればイイ声が、とソルジャーが指でチョンとつつくと「あんっ!」という声。
「ぼくはブルーよりも遥かに高度なサイオニック・ドリームを操れるしね? これだけの数でもイイ声は様々、重なったりはしませんってね!」
そして釣り上げれば絶頂の声が! と得意げなソルジャー。
「ミニサイズのブルーは釣り上げられれば昇天ってことで、イッちゃうんだよ! でもって元の紙の魚に戻るんだけれど…」
「こんな猥褻物な釣堀、要らないから! グダグダ言わずに撤去したまえ!」
誰も絶対、釣りたがらない、と会長さんは柳眉を吊り上げたのですが。
「本当に?」
本当にニーズは無いと思うかい、とソルジャーがズイと乗り出しました。私たちは釣りたくありませんけど、釣りたい人がいるとでも…?
「釣らせてぼったくりで、カモなんだよ」
そういう人に心当たりは無いか、とソルジャーは指を一本立てて。
「ハムスター釣りなら、君がカモになりそうって話だけれど…。ブルー釣りだと君はカモる方! カモがネギをしょってやって来るってね!」
「…カモって、何処から?」
好奇心をそそられたらしい会長さん。ソルジャーの方はニッと笑うと。
「分からないかな、君に惚れてて、この手の声とかを毎晩妄想している誰か!」
「…まさか、ハーレイ?」
「ピンポーン♪」
大当たり! とソルジャーはビニールプールを指差しました。
「こっちの世界のハーレイを呼んで、釣らせるんだよ、有料で!」
「それでカモなのか…」
「そのとおり! 言い値で釣らせて、しかもいい感じに遊べるってね!」
だって釣るための場所なんだし…、とソルジャーの唇が笑みの形に。
「釣りには釣り竿が欠かせなくって、竿と言えば!」
「…竿?」
怪訝そうな顔の会長さんの耳に、ソルジャーがヒソヒソと耳打ちを。
「………と、こんな感じでどうだろう?」
「その話、乗った!」
このブルー釣りでボロ儲けだ、と会長さんは一気に方向転換しちゃいましたが、教頭先生をカモにする所までは分かります。でも…。
「竿って何さ?」
分かんないよ、とジョミー君が首を捻って、キース君が。
「餌じゃないか? 本物のハムスター釣りみたいに」
「ああ、何回か挑んだら磁石が外れてしまうとかですね!」
買い替え必須になるんですね、とシロエ君。
「そうだと思うぞ、ぼったくり価格で新しい竿を売り付けるんだ」
「「「うーん…」」」
その線だな、と腑に落ちたものの、カモにされてしまう教頭先生。私たちでも難しかった釣り、磁石が外れるオマケつきでは難易度ググンとアップですってば…。
そうして結託してしまった会長さんとソルジャーなだけに、間もなく教頭先生が瞬間移動で呼び寄せられて。
「な、何なのだ、これは!?」
ビニールプールを覗いて叫んだ教頭先生に、会長さんが。
「ブルー特製、サイオニック・ドリームのブルー釣りだってさ。三匹釣ったらブルーからのキスとストリップの賞品が出るらしいんだけど…。挑戦してみる?」
料金はちょっとお高くて…、と告げられた値段は強烈なもの。それは屋台の釣りの価格じゃないだろう、と思いましたが、教頭先生は「是非」と財布を取り出したから凄いです。
「これで一回分なのか?」
「うん。思う存分、釣ってくれればいいからね」
あれ? 餌が外れるまで、って言いませんでしたけれど、いいんでしょうか? 外れてから「もう一回やるなら」って凄い値段を毟るのかな?
ともあれ、教頭先生は割り箸の竿を受け取り、ビニールプールの側に座っていそいそと。下ろされた釣り糸は一匹だか一人だかのブルーの身体に当たって…。
「あんっ!」
鼻にかかった声と、くねる身体と。教頭先生、ビクンと腕を硬直させて。
「な、なんだ!?」
「ああ、それね。そういう仕様になってるんだな、何処に当たってもイイ声らしいよ。でもって、見事に釣り上げた時は「イクッ!」と叫んでいたっけねえ…」
そうだよね? と話を振られたキース君は。
「あ、ああ…。俺には正直、何のことだかサッパリ分からなかったんだが…」
「ほらね、こうして証人もいる。キースは一匹釣ったんだ。正体はキースたちが作った紙の魚だけど、釣り上げられるまでの反応だけはブルー並み!」
頑張って三匹釣ってみたまえ、と煽り立てられた教頭先生、懸命に糸を垂らして努力なさっておられるのですが…。
「やぁぁっ!」
「はい、ハズレ。まったく、何処を狙ってるんだか…」
「ホントにねえ…。ぼくをイカせるには、もっと努力が必要だってね」
でなければ竿を特製に、とソルジャーが言って、会長さんが。
「そうそう、特製の竿があったね、もれなくブルーが食い付くという!」
高いんだけどねえ…、とニヤニヤニヤ。竿って、ついにぼったくり価格の竿の出番が?
「特製の竿?」
教頭先生は惹かれたようで、会長さんがにこやかに。
「それはもう! これに食い付かなきゃブルーじゃない、って素晴らしい竿があるんだけれど」
「高いのか?」
「値段も高いし、度胸も必要。使いたいなら、こんなトコかな」
目の玉が飛び出るような値段でしたが、負けていないのが教頭先生。「ちょっと取ってくる」とソルジャーに瞬間移動で送迎して貰って、タンス預金とやらをドッカン、帯封付きの凄い札束。
「オッケー、それじゃ特製の竿の使用を許可しよう。ブルー、手伝ってあげて」
「もちろんさ! ハーレイ、ちょっと失礼するよ」
ソルジャーが教頭先生の前に屈み込んで、いきなり腰のベルトをカチャカチャと。
「な、何を…!?」
「分かってないねえ、ぼくがもれなく食い付く竿だよ? 君のココしか無いだろう!」
男のシンボルの竿で釣るのだ! とファスナーが下ろされ、私の視界にモザイクが。ソルジャーは手にしっかりと糸を握っています。
「これから膨らむことを考えると、緩めに縛っておかなきゃね。余裕を持たせてこんなもので…、って、あれっ、ハーレイ?」
「…す、すびばせん…」
教頭先生の鼻からツツーッと鼻血が。
「大丈夫かい? それでね、この竿で釣るとぼくがもれなく釣れるんだけど…」
「…た、たのしびです…」
「釣れたぼくはね、君の竿にパクリと食い付くんだな、イク前に! これぞサービス!」
「ふ、ふひつく…!?」
食い付く? と言いたかったのでしょう。そんな教頭先生に向かって、ソルジャーが。
「小さいだけにね、口も小さくて御奉仕とまでは…。でも、感触は本物だから!」
小さな口でもしっかりと! と言い終わる前に、ドッターン! と響いた教頭先生が床に倒れた物凄い音。鼻からは鼻血がブワッと噴水、大事な部分はモザイク状態。
「えーっと…。特製の竿代、これで一回分ってことでいいかな?」
「そうだね、正気を取り戻したら二回目の支払いを済ませて挑戦ってコトで」
今日は思わぬ荒稼ぎが…、と会長さんは御満悦でした。ソルジャーも今日は夜までブルー釣りを開催するようですけど、私たちは御免蒙ります。特製竿まで飛び出した今となってはエロしか残っていない釣り。「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りからブルー釣り。
「…最悪だよね?」
「最悪ですね…」
ジョミー君とシロエ君の溜息を他所に、会長さんとソルジャーは札束の山を山分け中。まだまだお札は増えるんでしょうね、教頭先生、早くカモだと気付いて下さい~!
御禁制の釣り・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ハムスター釣りの話が発端になって、みんなで楽しく「ぶるぅ」釣り。素敵な発想。
なのにソルジャーが考案したのは、最悪すぎる釣り。教頭先生、カモにされてますよね。
これが2018年ラストの更新ですけど、「ぶるぅ」お誕生日記念創作もUPしています。
来年も懲りずに続けますので、どうぞよろしく。それでは皆様、良いお年を。
次回は 「第3月曜」 1月21日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、12月は、キース君から賠償金を毟り取ろうとしてまして…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
今年もクリスマスシーズンがやって来た。
アルテメシアの街は華やぎ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の心も弾む。クリスマス・ツリーにイルミネーション、美味しそうな御馳走だって沢山。もちろん、様々なデザートだって。
(あれも、これも美味しそう! 今日は此処で食べて、明日はあっちで!)
一年で一番楽しいんだよ、とシャングリラを飛び出しては、グルメ三昧の日々だけれども。
(…えーっと…?)
ある日、出掛けようとしていた所で、子供たちの声が耳に入った。ヒルマンの授業に急ぐ子たちで、普段なら全く興味は無い。「勉強なんか!」と。
ところが、その日は少し違った。「うんと昔の話だってさ!」と聞こえて来たから。
(……昔って?)
いつのことかな、と耳を傾けると、「人間が地球にいた頃なんだよね!」という言葉。なんでも、その時代の地球についての話らしくて、俄かに興味が湧いて来た。
(ブルーが好きそうな話なのかも…!)
偉大なミュウの長、ソルジャー・ブルー。
彼の知識は膨大なのだし、今日のヒルマンの授業の中身も、きちんと知っているだろう。けれど、子供の自分は知らない。きっと知っておいて損は無いから…。
(お出掛けは後にして、話を聞こうっと!)
それがいいや、と子供たちの後を追い掛けた。教室に入ると、ヒルマンは…。
「おや、珍しいお客様だね。地球の話を聞きたいのかな?」
「うんっ!」
元気よく答えたら、一番前の席を用意してくれた。「此処なら、授業に退屈したって、他の子たちの邪魔をしないで出られるからね」と。
ワクワクする内に授業が始まり、ヒルマンは前のボードに「私有財産」と書いた。
「これは個人の持ち物のことで、今の時代も無いことはない。ただし…」
ミュウと人類では事情が違うね、とヒルマンが浮かべた微笑。
「もっとも、シャングリラにいるミュウに限るのだが…。財産は全く個人の自由だ」
自分で独り占めしておくも良し、誰かに譲り渡すのも良し、という説明。
(…当たり前だよね?)
ぼくだって、そうしてるもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は考えた。いつもブルーがくれるお小遣いは、私有財産と言うのだろう。それを使って食べ歩きをして、ブルーに御土産を買うこともある。そうしたものだと思っていたのに、ヒルマンは「ところが、人類の世界では違うのだよ」と重々しく髭を引っ張った。
「知っての通り、人類の世界はマザー・システムが統治している。ある程度の自由は、もちろん存在しているが…。次の世代には譲れないね」
「「「えっ?」」」
子供たちは、一斉にどよめいた。
このシャングリラでは、財産は受け継がれるのが当たり前。
遥か昔にアルタミラから脱出した者たちの中には、とうに寿命が尽きた者もいる。彼らが遺した多様なものは、今の時代も船のあちこちで生かされてていた。
「ずっと昔に、誰それが造った便利な機械」だの、「この木を植えた人の名前はね…」といった具合に。
だから「次の世代が貰えて当然」と思っているのに、人類の世界は違うらしい。
ヒルマンは一つ咳払いをして、「しっかりと覚えておきたまえ」と言った。
「人類たちは、子供さえも次々に取り替えるのだよ? 次の世代という概念は無いね」
死んだらそれで終わりなのだよ、という結論。財産は全て回収されて、ものによっては再利用。そう出来ないものは処分されてしまって、何一つ、残らないらしい。
そう、暮らしていた家さえも。…お気に入りだった部屋も、丹精込めた庭だって。
(……そうだったんだ……)
なんだか酷いね、と教室を出た「そるじゃぁ・ぶるぅ」は考え込んだ。
残りの授業はどうでもいいから、アルテメシアの街に降りて来たけれど、賑わう街も、結局の所、誰のものでもないらしい。強いて言うなら、機械のもの。
(大きなクリスマス・ツリーを買っても、持ち主の人が死んじゃったら…)
それまでのことで、受け継がれることは無いのだろう。シャングリラならば、欲しい人は大勢いるのだろうに。「私が貰う!」「いや、俺だ!」と喧嘩だって起こるかもしれない。
(…ブルーがいつも、「SD体制は酷いんだよ」って言っているけれど…)
ホントのホントに酷いみたい、と首を振り振り、気分を変えようと店に入った。こういう時には、美味しいものを食べるに限る。
(んーと、んーと…)
どれにしようかな、とメニューを広げて、『地球のクリスマス』と謳ったコースに決めた。クリスマスには少し早いけれども、クリスマスの御馳走をドッサリ揃えた豪華セット。
(ターキーもあるし、他にも色々…)
前菜からしてうんとゴージャス、大満足で食べている内に、ふと閃いた。
(…サンタさんって、地球から来るんだよね? 地球に住んでて…)
それもSD体制が始まるよりも、ずうっと前から…、と赤い衣装のサンタクロースを思い出す。ついて行ったら地球の座標が分かるかも、と今までに何度も挑戦した。
(罠で捕まえたら、ただの酔っぱらいになっちゃったこともあったし…)
トナカイの橇で逃げられたことも、失敗談として記憶に刻まれている。
サンタクロースは、地球の座標を教えてくれない。青い地球に焦れ続けるブルーを、地球まで連れて行ってもくれない。
でも…。
(サンタさんは地球に住んでるんだし、地球の上に家とか土地を持ってるんだよ!)
今の時代でも昔のままで…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は確信した。代替わりしないから「受け継ぐ人がいない」だけのこと。サンタクロースの私有財産は、昔から、ずっと地球にある。
サンタクロースがその気になったら、もしかしたら、譲って貰えるのかも…!
さて、シャングリラのクリスマスシーズンと言えば、公園に飾られる大きなツリーと、それとは別の『お願いツリー』。
お願いツリーは小さめのツリーで、誰もが欲しいプレゼントを書いたカードを吊るして、クリスマスを待つ。お願いしたのが子供の場合は、クリスマスイブの夜にコッソリ配られるプレゼント。大人の場合は、意中の男女のカードを探して、プレゼントする人も多いイベント。
シャングリラに戻った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、早速、お願いカードを書いた。
「ぼくにサンタさんの土地を分けて下さい。ちょっぴりでいいです」と。
(…ホントはブルーにあげて欲しいんだけど、大人にプレゼントはくれないって…)
何度もブルーに聞かされたから、「自分が貰う」ことにした。
貰ってしまえば、後はどうとでもなる。人類とミュウとは私有財産とやらの仕組みが違うし、ヒルマンの話では、遠い昔には「贈与」という仕組みもあったらしい。
(生きてる間に、あげたい人に譲れるんだよ!)
だから、サンタクロースに貰った土地も、そうすればいい。右から左にブルーに譲れば、きっと喜んでくれるだろう。
(地球の座標は分からなくっても、地球にブルーの土地があるなら…)
ブルーの夢は少しだけでも叶うだろうし、いつかその土地を見たいと思えば、生きる気力も湧いてくる筈。
「ぼくは地球まで行けそうにないよ」が口癖だけれど、そんな風には言わなくなって。
「ぶるぅに貰った土地を見るまで、絶対に死ぬわけにはいかないね」と、前向きになって。
(これで完璧!)
もう最高のお願いだもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御満悦だった。
サンタクロースの土地を分けて貰うだけなら、断わられることは無いだろう。地球の座標は教えなくても構わないのだし、「君にあげるよ」と約束をするだけだから。
(お庭の端っこでも、トナカイの小屋の隅っこでも…)
何処でもいいや、と夢は広がる。猫の額ほどの土地にしたって、地球には違いないのだから。
こうしてカードを吊るしたツリー。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はドキドキしながらクリスマスを待っていたのだけれども、ある日、ブルーに呼び出された。いつものように青の間に。
「かみお~ん♪ なあに?」
おやつ、くれるの? と飛び込んで行ったら、勧められた炬燵。向かい合わせでチョコンと座って、お饅頭とお茶は貰えたものの…。
「ぶるぅ、サンタさんへのお願いだけどね…。土地を貰ってどうするんだい?」
ブルーの問いに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はエヘンと胸を張った。
「サンタさんの土地は、地球にあるでしょ? 貰って、ブルーにプレゼントするの!」
「…プレゼント?」
「そう! 大人はプレゼントを貰えないでしょ、ぼくが貰って、それからブルーに!」
ヒルマンは「贈与」って言っていたよ、と大得意で披露した知識。サンタクロースの土地の一部を分けて貰えれば、ブルーも地球の土地が持てる、と。
「そうなのかい…? だけど、ぶるぅ…。ぶるぅのお小遣いでは足りないと思うよ」
このシャングリラを売っても無理かも…、とブルーは困った顔付きになった。
「えっ、お金? なんでお金が沢山要るの?」
貰うんだからプレゼントでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は驚いたのだけれども…。
「ヒルマンの授業では、そこまで話していなかったんだね。ずっとずっと昔、人間が地球で暮らしていた頃にはね…」
土地は売買するものだったんだよ、とブルーは解説してくれた。誰かにタダで譲るにしても、土地の値打ちに見合った額の税金を納めなければならない。今も地球で暮らすサンタクロースの土地については、そのシステムが健在だろう、と。
「だからね、ぶるぅ。サンタクロースの土地を貰うには、税金が必要になるんだよ。地球は人類の聖地なんだし、ぶるぅの手のひらくらいの土地でも、凄い値打ちで…」
税金はシャングリラより高いかもね、とブルーが零した深い溜息。「とても無理だ」と。
かてて加えて、その税金を払えたとしても、更にブルーに譲るとなれば…。
「譲るためにも、また税金が要るの!?」
「…そっちの方は、ぼくが支払うことになるんだけどね…」
それだけ払う羽目になったら、もう間違いなく破産するよ、とブルーの苦悩は深かった。破産したのでは地球に行けないから、お願いカードは取り下げるべき、と。
(……いい考えだと思ったのに……)
今年も失敗、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はションボリと肩を落として、お願いカードを外しに出掛けた。サンタクロースの土地は貰えず、ブルーに譲ることも出来ない。
(お金が山ほど必要だなんて…)
知らなかったよ、とガッカリだけれど、土地が欲しくても貰えないなら、地球を目指すしかないだろう。ブルーが焦がれてやまない星を。
本当に本物の地球を探して、いつかは座標を手に入れて。
ブルーが力尽きてしまわない内に、頑張って、遠い地球までの道を一緒に突き進んで。
(…ということは、今年のお願い事は…)
もうクリスマスまでは日数も無いし、「頭が良くなりますように」と新しいカードに記入した。悪戯をやめるつもりはゼロでも、優秀な頭脳がありさえすれば…。
(ぼくだって、地球の座標くらいは…!)
きっと割り出してみせるもんね、と野望は大きい。
暇さえあったら悪戯ばかりで、グルメ三昧の「船一番のクソガキ」でも。
下手くそなカラオケを披露しまくり、船中に迷惑をかけまくっては、皆に逃げられていても。
(頑張るんだもん…!)
ブルーのために、と誓う心は本物だった。
誰よりも好きなブルーのためなら、年に一度のクリスマスでさえ、「ブルーのための」願い事を書く子供だから。
「サンタさんの土地を分けて下さい」と、本気で願ったほどなのだから…。
そして訪れたクリスマス・イブ。
今年もハーレイがサンタクロースに扮して、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋にプレゼントを届けに行った。長老たちからのプレゼントの他に、ブルーからも…。
「ハーレイ、今年もよろしく頼むよ」
「はい。…これはカラオケマイクですか?」
サイズからして…、とハーレイが首を傾げた包み。クリスマスらしく綺麗にラッピングされている箱は、それらしい形だったから。
「ご名答。でも、ただのカラオケマイクじゃないよ? 首都惑星ノアの限定品だ」
「それはまた…。えらくゴージャスな代物ですね」
悪戯小僧には勿体ないような、とハーレイは包みを眺め回している。けれどブルーはクスッと笑って、「もっとゴージャスな代物かもね」とウインクをした。
「とても稀少な金属を使った部品があって…。今の所は、パルテノンの者しか買えない」
「なんと…! いったい、どうやって、そのようなモノを!?」
「ぼくはこれでもソルジャーだよ? お取り寄せくらいは、ごく簡単なことなんだ」
代金の方も支払っておいたし、帳尻は合う、と微笑んだブルー。「地球の土地にかかる贈与税に比べれば、マイクくらいは安いものだよ」と。
「贈与税ですか…。ぶるぅは今年もやってくれましたね、凄い願い事を…」
「あれには、ぼくも驚いた。地球の土地なら、トナカイの小屋の隅でも欲しいけれどね」
偽の証文でも貰っておいたら、ぶるぅは喜んだだろうに…、とブルーは睫毛を伏せた。
「ならば、そうなさればよろしかったのに…。ゼルあたりが張り切って捏造しますよ」
「いいや、それでは駄目なんだ。ぼくは、ぶるぅを騙したくない」
あれでいいんだ、と大きく頷き、「罪滅ぼしにカラオケマイクなんだよ」とブルーは笑んだ。せっかく考えてくれたアイデアを無にしたからには、せめて気持ち良く歌える時間を、と。
「はあ…。船の仲間たちには災難でしょうね、このマイクは…」
御自慢の逸品ともなれば、さぞかし何度もリサイタルが…、とキャプテン・ハーレイの悩みは尽きない。そうは言っても、ブルーの望みも断われないし…。
「悪いね、ハーレイ。仲間たちには、心からすまなく思っていると伝えてくれたまえ」
「はい、ソルジャー…」
それでは行って参ります、とサンタクロースは出発した。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が眠る部屋へと、大きな白い袋を担いで。
クリスマスの朝、土鍋で目覚めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は歓声を上げた。
今年も贈り物がドッサリ、中でも一番はカラオケマイク。ブルーがくれたとは思わないから、サンタクロースだと頭からすっかり信じ込んで…。
「うわぁ…! 限定品って書いてある! これで歌えば、きっと頭が良くなるんだよ!」
パルテノンってエリート集団らしいもんね、と飛び跳ねる。ミュウの敵には違いないけれど、とても頭のいい人類だけしか入れないことくらいは知っていた。
「頑張って歌って、歌いまくって、うんと賢くならなくっちゃ…!」
そして頑張って地球の座標を見付けるんだよ、と張り切っていたら、届いた思念。
『ぶるぅ、お誕生日おめでとう。今年もお祝いしなくちゃね』
公園でみんなが待っているよ、とソルジャー・ブルーからの優しい言葉。
「わぁーい! あのね、カラオケマイクを貰ったの! 歌ってもいい!?」
『…そ、それは…。みんなに訊いてみないと…』
ブルーの思念は戸惑ったけれど、そこへ大勢の思念が一斉に木霊した。
『ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ! リクエスト曲は、バースデーソング!!』
みんなで歌えば怖くない、というオマケつきだったけれど、それは最高の誕生日プレゼント。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」は貰ったばかりのマイクを手にして駆け出した。公園へと。
瞬間移動をするのも忘れて、懸命に走って、息を切らせて…。
「やあ、ぶるぅ。来たね、バースデーケーキは今年も特大だよ」
ほらね、とブルーが運び込ませた、大勢の仲間たちが御神輿のように担ぐ特大ケーキ。
大勢の仲間たちとケーキの周りを囲んで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は熱唱した。
誰よりも好きなブルーも一緒に、限定品のカラオケマイクで、バースデーソングを。きっといつかは地球の座標を、ブルーのために手に入れようと。
悪戯をやめる気はないけれども、カラオケに励んで優秀な子供にならなくちゃ、と。
ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今年もお誕生日、おめでとう!
そしていつかは、大好きなブルーと、きっと地球まで…。
サンタと財産・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございました。
管理人の創作の原点だった「ぶるぅ」、いなくなってから、もう1年以上。
それでも2007年11月末に出会って以来の、大好きで忘れられないキャラです。
いなくなっても、お誕生日だったクリスマスには「お誕生日記念創作」。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、12歳のお誕生日、おめでとう!
2007年のクリスマスがお誕生日で、満1歳でした。だから今年は12歳ですv
※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)
「これからの季節もお勧めだぞ」
留鳥ってヤツを狙うなら、ってハーレイの雑談。巣箱の話。
授業中に生徒が退屈してきたら、絶妙のタイミングで色々な話をするんだけれども、今日の話は小鳥の巣箱。古典とはまるで関係ないけど、みんな瞳を輝かせてる。
巣箱を掛けるのにいい場所だとか、時期だとか。渡りをしないで一年中住んでる留鳥だったら、冬の間から巣を作る場所の下見をするから、今の時期もお勧めなんだって。夏に来る小鳥のために掛けてやるなら、春がいい。夏鳥と言っても巣作りが夏、春の終わりには来るものだから。
それと、巣箱に欠かせないもの。蛇除けの工夫。蛇に卵を盗られないように。
「蛇は卵が好物だからな、これは気を付けてやらんといかんぞ」
せっかくの幸運が逃げて行っちまう、って話すから。
卵が幸運のシンボルなのかと考えたけれど、そうじゃなかった。幸せを運んで来るのは鳥の巣の方。庭に小鳥が巣作りをすると、幸運がやって来るんだって。
ずうっと昔の風水っていうヤツ、中国から来て日本でも都を作る時とかに取り入れた思想。その風水だと、庭で小鳥が巣作りをすると吉兆になる。いいことが起こるという前触れ。
「風水の都は分かっているよな?」と話は古典の世界に戻った。四神相応の場所に造られた都、それが平安京なんだぞ、って。玄武に青龍、朱雀と白虎。ハーレイは凄く話が上手い。居眠ってる生徒は誰もいないし、授業をするのに丁度いい雰囲気になったから。
四神相応の都なんかより、ぼくの頭に残った巣箱。小鳥のために作ってやる家。
(巣箱…)
ハーレイの雑談の中身からして、ハーレイも掛けていたみたい。隣町の家に住んでた頃に。庭に夏ミカンの大きな木がある、お父さんとお母さんが暮らしてる家で。
そのせいかどうか、心に残ってしまった巣箱。学校が終わってバスで帰って、バス停から家まで歩く途中の家の庭には巣箱は無かった。裏庭とかにあるかもしれないけれども、ぼくが歩いて帰る道から見える庭には、ただの一つも。
(やっぱり無いよね…)
あったらとっくに気付いてると思う、庭を見るのは好きだから。花も木も、それに来ている鳥や虫たちも。小鳥のための巣箱なんかは、きっと最高に気に入るだろうし…。
(巣箱、あったらいいのにな…)
ハーレイも掛けていたっていうのが大切なところ。風水の吉兆なんかよりも。
本物の巣箱を見てみたいのに、何処の家にも巣箱は無いから、ちょっぴり残念。ぼくの好奇心は巣箱で一杯、だけど何処にも無い巣箱。本物に出会えない巣箱。
でも…。
家に着いて、門扉を開けて入った庭。あそこに巣箱があったらいいのに、って見上げた木の上。庭で一番大きな木。白いテーブルと椅子の上に枝を広げている木。
きっと巣箱が似合いそう、って下から順に見ていった枝。何処に掛けるのが一番だろう、って。
そうしたら…。
(あれ…?)
あったような気がする、あそこに巣箱。どの枝なのかは分からないけれど、巣箱が一つ。小鳥のために作ってある家、お洒落なのが。真っ白なのが。
そういう巣箱が枝にチョコンと、幹から枝が伸びる所に一つ乗っかっていたような…。
だけど、どの枝かが思い出せない。本当に巣箱があったかどうかも。
もしかしたら、ぼくの家じゃなくって、他所の家の庭で見たかもしれない。巣箱だな、って。
どうにも思い出せない巣箱。ぼくの家だったか、そうじゃないのか。
真っ白な巣箱は覚えているのに、お洒落だったってことは覚えているのに…。
(巣箱、本当にあったっけ…?)
だんだん自信が無くなってきたから、おやつの時間にママに訊いたら、やっぱりあった。
ぼくが今よりずっと小さくて、幼稚園に通っていた頃に。ぼくの記憶にあった通りに、庭で一番大きな木の枝に、パパが作ってくれた巣箱が一つ。
「ママ、その巣箱、うんとお洒落な巣箱だよね?」
お洒落でも鳥は入ったの?
小鳥はちゃんと入ってくれたの、お洒落な巣箱でも気にしないで。
「来ていたわよ。何度も覗いて、下見をして…。それから中に巣を作って」
でも、お洒落って…。パパが作ったのよ、巣箱の作り方を調べて。
普通の巣箱だったわよ、って答えたママ。お洒落なんかじゃなさそうだけど、って。
「…どんな巣箱?」
「こんなのよ」
手を出して、ってママが思念で見せてくれた記憶、絡めた手を通してぼくの頭に流れ込んで来た記憶。庭で一番大きな木の幹、枝の上に置かれて掛けてあった巣箱。ごくごく普通の木の巣箱。
そういえばこういう巣箱だっけ、って思い出した。自然の木目が温かそうな巣箱。
丸い穴から小鳥が外をキョロキョロ見ている記憶もあった。飛び立つ所も、戻る所も。
それを見ていたママの目を通して。小鳥を見守る、ママの優しい気持ちと一緒に。
ありがとう、って御礼を言って部屋に戻ったけれど。
ぼくの記憶に残ってた通り、庭で一番大きなあの木に巣箱は掛かっていたんだけれど。
(真っ白じゃなかった…)
お洒落で真っ白な巣箱じゃなかった、ぼくの家の木にあった巣箱は。
ぼくの記憶と違った巣箱。真っ白な巣箱はご近所さんの家のだっただろうか?
今では巣箱を掛けてないけど、ぼくが小さかった頃は掛けていたとか…。
(でも、真っ白でも、鳥って入るの…?)
ハーレイは色については話さなかったし、お洒落な白でも入るんだろうとは思うけど。そういう記憶なんだから。真っ白に塗られた、お洒落な巣箱。小鳥のために作られた家。
だけど、ぼくの家の巣箱じゃない。パパが作った巣箱は普通で、木目がそのまま。
小さかった頃は、ご近所さんの家にも何度も遊びに行ったけど。ママと行ったり、一人で歩いて出掛けたり。おやつを貰って、庭で遊んだりもしていたけれど…。
(巣箱を眺めに、しょっちゅう通っていたんなら…)
もっとハッキリしていそうなのに、巣箱の記憶も、何処の家の庭で見ていたのかも。
ママだって「お洒落な巣箱」と聞いたら思い出しそうなのに。ぼくが気に入って何処かの家まで見に出掛けてた、って。
真っ白な巣箱があった家。お洒落な巣箱を掛けていた家。あれは何処だったんだろう?
(あの巣箱を見て、ぼくの家にも巣箱だったの…?)
パパに強請って作って貰って、庭で一番大きな木に巣箱。ぼくも小鳥の家が欲しい、って。
そうなんだろうか、と思ったけれど。
小さい頃なら、何度も眺めに通う間に、自分の家にも巣箱を欲しがりそうだけど…。
それはともかく、ぼくが巣箱を見ていた家。真っ白な巣箱が掛けてあった木。
何処だったのかがホントに気になる、ぼくの記憶に残ってる巣箱。
(んーと…)
首が痛くなるほど見上げたっていう記憶は無い。巣箱は大抵、高い所にありそうだけど。ママの記憶で見せて貰った、ぼくの家の巣箱も上の方の枝に乗っけてあった。
低めの場所に掛かってたとしても、幼稚園くらいだった頃のぼくなら…。
(見えにくいよね?)
きっと遠くて見えにくいんだ、目が悪いことはなくっても。子供の背はうんと低いんだから。
小鳥が出入りをしていたとしても、巣箱から顔を覗かせていても。
なのに飽きずに眺めていたぼく。
双眼鏡なんかは持っていないのに、巣箱だってきっと、高い所にあっただろうに。
(何の鳥だっけ…?)
ぼくが見上げていた鳥は。お洒落な巣箱に住んでいた鳥は。
それが何だか思い出せたら、色々と思い出せそうだから。巣箱のあった家のこととか、通ってた頃の弾んだ心も鮮やかに蘇りそうな気持ちがするから、頑張っていたら。
どんな鳥だったか思い出そうと記憶をせっせと手繰り寄せていたら、ハーレイの言葉が浮かんで来た。巣箱の雑談をしていた時の。
幸せを運んで来るんだぞ、って。庭に巣を作ってくれる鳥は。巣箱に入ってくれる小鳥は。
(そうだ、青い鳥…!)
幸せを運ぶ、青い鳥。それが入っていた、あの巣箱には。真っ白でお洒落な巣箱には。
ぼくは青い鳥を眺めに通っていた。幸せを運ぶ青い小鳥を。
青い小鳥が住んでる巣箱を見上げに、お洒落な巣箱があった家まで。
やっと見付かった、小さな手掛かり。ぼくが見ていた青い鳥。
(オオルリかな?)
青い小鳥ならオオルリだろうか、ぼくの家に来た青い鳥。
ぼくがおやつを食べていた時、ダイニングの窓にぶつかった小鳥。怪我はしなかったけど、暫く飛べずに羽根を膨らませて立っていた。ビックリしちゃって、真ん丸になって。
お医者さんに連れて行かなくちゃ、って思っていた所へハーレイが来たんだ、あの時は。
ハーレイがいつもより早く来てくれるっていう幸せをぼくにくれた鳥。ぼくの幸せの青い鳥。
オオルリだな、ってハーレイが名前を教えてくれた鳥。
青い小鳥はオオルリくらいしか見たことがないし、巣箱の小鳥もきっとそうだと思ったけれど。
オオルリはいつの季節の鳥なんだろう、と調べかけたけれど。
巣作りをする時期が分かれば、もっと色々思い出せると考えたけれど…。
(ちょっと待って…!)
違う気がする、ぼくじゃない、って。
青い小鳥を眺めていたのは、お洒落な巣箱を見上げていたのは、ぼくじゃないんだ、って。
幼稚園の頃の小さなぼくとは違うぼく。ご近所さんの家で遊んでいたのとは違うぼく。
(前のぼく…?)
ぼくじゃないなら、前のぼくしかいないんだけど。その他にぼくはいないんだけど。
でも、シャングリラに小鳥はいなかった。白い鯨に空を飛ぶ鳥はいなかった。
船の中だけが全ての世界で、小鳥は役に立たないから。蝶と同じで目を楽しませるだけ、そんな生き物は飼えなかった船。自給自足の日々を送る船に、余計な生き物は乗せておけない。
卵を産んでくれる鶏だけしかいなかった白いシャングリラ。
巣箱なんかは必要無かった。それに入る鳥はいないから。巣を作る小鳥はいなかったから。
(だけど、巣箱…)
真っ白に塗られたお洒落な巣箱は確かにあったし、青い鳥だ、っていう記憶。
巣箱に住んでた青い鳥。ぼくの記憶はそうなっている。前のぼくの遠い遥かな記憶の中では。
青い鳥なんて、シャングリラには一羽もいなかったのに。
前のぼくが欲しくて、飼いたいと願った青い鳥。幸せを運ぶ、地球と同じ青い羽根を持った鳥。でも、シャングリラの中では飼えない。青い小鳥は何の役にも立たないから。
青い小鳥が飼えなかったから、代わりにナキネズミだったのに…、って思った途端。
どの血統のナキネズミを育てるか、って話が出た時、青い毛皮のを選んだっけ、って青い小鳥とナキネズミの繋がりを頭に思い浮かべた途端。
(そうだ、ナキネズミ…!)
お洒落な巣箱は青いナキネズミのために掛けたんだった。真っ白な巣箱の正体はそれ。
前のぼくがナキネズミに入って欲しくて、巣箱を掛けようと思い付いた。
ナキネズミは小鳥じゃないんだけれども、気分だけでも青い鳥、って。
木に掛けた巣箱に住んでいたなら、青い小鳥を見ているような気持ちになれそうだ、って。
前のぼくが巣箱を掛けたがった時にはみんなが笑った、ナキネズミが入るわけがないと。巣箱を作るだけ時間の無駄だと、それこそ文字通りに無駄骨だと。
長老たちを集めた会議の席で遠慮なく笑い飛ばされた。ゼルもヒルマンも、ブラウもエラも。
傑作すぎると笑い転げたゼルにブラウに、困ったような顔で笑ったヒルマンとエラ。
「リスなら巣箱もあるのだがね…」
飼う時にもケージに巣箱をセットするし、と髭を引っ張っていたヒルマン。
ナキネズミを開発する段階で飼っていたリスも、巣箱で眠っていたのだから、と。リスの巣箱は小鳥用の巣箱と共通点も多いのだがね、と。
遠い昔の地球の上では、小鳥用にと掛けた巣箱にリスが入って住み着くケースも珍しくなくて、リスは巣箱が好きらしいことは確かだけれど。
「ナキネズミは違うんじゃないのかい?」
見た目からしてまるで違うよ、と笑ったブラウ。大きさだって違うじゃないかと。
それにナキネズミは巣箱で暮らしていないし、巣箱が欲しいと言って来たことも一度も無いと。
「そうじゃな、ヤツらは現状に大いに満足しておるわい」
巣箱が欲しいと言いもせんわ、とゼルも呆れ顔で。エラも「聞いてはいませんね」と頭を振っていた。ナキネズミからそういう要望は無いと、ナキネズミと暮らす子供たちからも巣箱が欲しいと聞いたことは無いと。
もう散々に笑われたけれど、笑い物になってしまったけれど。
ナキネズミのために巣箱だなんてと、誰もが可笑しそうだったけれど。
たった一人だけ、穏やかに微笑んで聞いていたのがハーレイだった。それは変だと笑う代わりに浮かべていた笑み、みんなと違って意見を述べもしなかった。ナキネズミに巣箱は必要無いとも、きっと入りはしないだろうとも。
ハーレイ以外の四人が笑ってくれたけれども、それでも掛けてみたかった巣箱。
青い小鳥を飼ってる気分で、ナキネズミに住んで欲しかった巣箱。
地球が滅びるよりも前の時代は、小鳥用の巣箱にリスが入ったとヒルマンに聞いてしまったから余計に諦め切れない。ナキネズミはリスとネズミを元にして開発された生き物だったんだから。
リスよりはかなり大きいけれど。小鳥よりも遥かに大きいけれど。
それでも巣箱…、とデータベースで資料を調べた、リスが入ったという例を。ヒルマンが話した通りに幾つも出て来た、小さな巣箱から大きなものまで。
フクロウ用なんていう巣箱もあって、それにもリスが住んでいたから。フクロウは身体の大きい鳥で、ナキネズミでも充分に入れそうな巣箱で暮らしていたから。
これは使えそうだと思ったぼく。ナキネズミだって巣箱に入るだろうと。
フクロウ用の巣箱があったと言うなら、その中にリスが住んでいたのなら。
リスの血を引くナキネズミだって、巣箱は嫌いじゃないかもしれない。ゼルたちは笑ってくれたけれども、ぼくの夢は現実になるかもしれない。
青い鳥の代わりにナキネズミ。ぼくが思い描いた通りの景色を、白いシャングリラで。
そう思ったから、ハーレイに頼んで巣箱を作って貰った。木彫りじゃなくて悪いんだけど、と。
「いいえ、木の扱いなら慣れていますからね」
木彫りの評判は相変わらずですし、実用品以外はまるで駄目だと言われていますが…。
実用品ならお任せ下さい、巣箱だったら木彫りよりもずっと簡単ですよ。
削る必要があるのは入口の所だけですし、他の部分は板の寸法を測って切るだけですし…。
組み立てる方も釘さえ打てれば、子供だって作れそうなものですからね。
ハーレイは気軽に引き受けてくれた、ナキネズミのための巣箱作りを。
キャプテンの仕事が終わった後の自由時間に板を切ったり、削ったりして作ってくれた巣箱。
それを真っ白に塗って貰った、シャングリラの白に。
青い小鳥が住む家にするなら、その色がいいと思ったから。楽園という名の船の色が。
そうして巣箱が出来上がったら、「本気だったのか」と呆れてしまったブラウたち。ハーレイと二人で巣箱を見せに行ったら、長老たちの休憩用の部屋へ運んで披露したら。
「まさか本気でやらかすとはのう…」
わしは入らんと思うんじゃが、とゼルが唸って、ブラウも「入りっこないよ」と肩を竦めた。
ヒルマンもエラも「無理だと思う」と言ったけれども、巣箱は出来てしまったから。
真っ白に塗られたお洒落な巣箱が出来ていたから、シャングリラの色をした巣箱なら…、と絵を描いてくれた、フェニックスの羽根のミュウの紋章を。金と赤との羽根の模様を。
エラが器用に、出入り口の上に。
ハーレイが丸く滑らかに削って仕上げた、巣箱の出入り口にミュウの紋章。
巣箱はぐんとお洒落になった。真っ白な色も素敵だけれども、紋章までついているんだから。
完成した巣箱は、ハーレイが公園の木に梯子を架けて取り付けてくれた。
ぼくと二人で掛ける木を選んで、「此処でいいですか?」って枝に乗っけて、幹に固定して。
とても絵になる場所に掛けた巣箱、青い鳥に相応しいお洒落な巣箱。
毎日、毎日、公園まで覗きに出掛けてゆくのに、ナキネズミは入ってくれなくて。
ぼくの自慢の真っ白な巣箱は、いつまで経っても空家のままで。
「ハーレイ、あの巣箱、やっぱり駄目かな…」
ゼルたちが笑い飛ばした通りに、ナキネズミに巣箱は無理だったかな?
いいアイデアだと思ったけれども、未だに入ってくれないし…。中を覗く姿も一度も見ないし、せっかく作って貰ったけれども、無駄骨になってしまったかな…?
「それはまあ…。無理もないでしょう、公園にはナキネズミがいませんからね」
一匹も住んではいませんよ。住んでいないものは巣箱に入りはしません。何かのはずみに興味を引かれて覗き込みはしても、恐らくそれっきりでしょう。
「そういえば…」
よく見掛けるから忘れていたよ。
ナキネズミは公園にいるものなんだと思っていたけど、あれは住んではいないんだっけね…。
ブリッジが見える広い公園。お洒落な巣箱を掛けた場所。
公園に行けばナキネズミの姿はあるんだけれども、其処に住んでるわけじゃなかった。他の場所から来ていただけ。子供たちのお供で公園まで。
ナキネズミは思念波を上手く扱えない子供たちをサポートするために作った生き物、子供たちと一緒に暮らすのが仕事。ナキネズミを必要とする子に一人一匹、その子の部屋がナキネズミの家。
だから公園まで遊びに来たって、子供と一緒に帰ってゆく。自分が暮らしている部屋に。
そんなナキネズミが巣箱を見たって、住もうと思うわけがない。
ぼくが見ていない間に入口から中に入ったとしても、遊び場所だと考えるだけ。一休みするのにいい場所があったと思ったとしても、住んではくれない。自分の家は別にあるんだから。
失敗だった、ぼくの考え。ナキネズミには必要無かった巣箱。
それじゃ入らない、って溜息をついた、ナキネズミは住んでくれないと。ナキネズミ用の巣箱は無駄だったんだ、って肩を落としたら。
「大丈夫でしょう、場所を変えれば入りますよ」
ブリッジから何度か見掛けましたからね、ナキネズミが巣箱を覗いているのを。
入る所を見てはいませんが、嫌いではないと思います。ですから、巣箱の場所を変えれば入ると私は考えますが…。
「変えるって…。何処へ?」
「農場ですよ。暇なナキネズミはあそこで暮らしていますからね」
子供たちのサポートをしていない時は、ナキネズミは農場に住んでいるでしょう?
牛小屋にいたり、飼料置き場に入り込んでいたり、自分好みの場所を見付けて勝手気ままに。
一匹くらいはきっといますよ、巣箱を気に入るナキネズミも。
巣箱はそっちへ移してみましょう、ナキネズミが住んでいる所へ。
ハーレイは公園の木にまた梯子を架けて登って、巣箱を外して農場の方に移してくれた。農場に植えてあった木を端から調べて回って、此処にしましょう、って。
収穫の時以外は手のかからない木を一本選んで、その木に梯子を架けて登って。
何の木だったかは忘れたけれども、大きかった木。頑丈な幹にお洒落な巣箱が取り付けられた。真っ白なシャングリラの色の巣箱が、ミュウの紋章つきの巣箱が。
次の日に様子を見に行ってみたら、もうナキネズミが巣箱の中を覗いてた。ぼくが下から見てる間に、どんな具合かと出たり入ったりし始めた。大きなフサフサの尻尾を揺らして。
ナキネズミの尻尾が巣箱の中へと消えて行ったり、入口から顔を覗かせて外を見回してみたり。巣箱を見付けたそのナキネズミは、お洒落な巣箱が気に入ったようで。
邪魔をしないよう、そうっと帰って、また次の日に出掛けて行ったら、ナキネズミは一匹増えていた。昨日のナキネズミのお嫁さんが来てた、白い巣箱に。
(それで住み着いて…)
フクロウ用の巣箱だったから、お嫁さんも一緒に充分入れた。お洒落な巣箱はナキネズミが住む家になってくれて、前のぼくは満足したんだった。
青い鳥の巣箱がシャングリラに出来たと、青い鳥が巣箱で暮らしていると。
本当は青い鳥じゃなくって、青い毛皮のナキネズミが住んでいたんだけれど…。お洒落な巣箱の住人はナキネズミの夫婦だったけど。
(ハーレイのお蔭…)
ナキネズミ用の巣箱作りも、ナキネズミがちゃんと巣箱に入ってくれたのも。
ゼルもヒルマンも、ブラウもエラも「無理だ」と笑ったナキネズミの巣箱。巣箱なんかに入りはしないと皆が言ったのに、ハーレイは無理だと言いもしなくて、笑いもしなくて。
巣箱まで作って、木に取り付けてくれて、前のぼくの自己満足に付き合ってくれた。青い小鳥を飼いたかったぼくの、ナキネズミ用の巣箱なんていう無茶な思い付きに。
ハーレイが手伝ってくれたお蔭で叶った夢。前のぼくの夢。
ナキネズミが見事に住み着いた巣箱は、もう笑われはしなかった。ゼルもブラウも農場にあった巣箱を見上げて、「次は子供の出番だ」なんて話をしていた。きっとその内に可愛いナキネズミの子供が生まれて、巣箱から顔を出すんだろうと。外へ出て来る日が楽しみだと。
真っ白でお洒落な巣箱に住んでたナキネズミ。前のぼくの夢の青い鳥。
ハーレイのお蔭で飼うことが出来た、青い鳥の巣箱を何度も何度も眺めにゆけた。ナキネズミの子供も無事に生まれて、巣箱を見上げたら小さいのが外を見てたりもした。
とても幸せだった、ぼく。青い鳥の巣箱が此処にあるんだ、って。
(御礼、言わなきゃ…)
あの巣箱の御礼を、ハーレイに。
前のぼくはもちろん御礼を言ったけれども、今のぼくからも。巣箱のことを思い出したからには御礼を言いたい、今のハーレイに。あの時は巣箱をありがとう、って。
そう思っていたら、チャイムが鳴って。仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。
ぼくの部屋で二人、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合わせで、笑顔を向けた。
「あのね…。思い出したよ、ハーレイの巣箱」
ハーレイが作った巣箱のことをね、今日の雑談のお蔭で思い出せたよ。
「はあ?」
なんでお前が俺の巣箱を知っているんだ、今の家では作っていないぞ。親父の家で暮らしていた頃に作って掛けはしたがだ、その話、お前にしていたか?
俺は話した覚えなんか無いが、何かのついでに話したっけか…?
「ううん、今のハーレイの巣箱じゃないよ。前のハーレイだよ」
ハーレイが作って掛けてくれたよ、ナキネズミの巣箱。
ゼルたちは笑い転げたけれども、ハーレイだけは笑わなくって…。フクロウ用の大きなサイズの巣箱を作って、真っ白に塗ってくれたんだよ。
「ああ、あれなあ…!」
あったな、ナキネズミの巣箱。やたらお洒落で、ミュウの紋章まで描いてあったのが。
最初は公園の木に取り付けたっけな、あそこにナキネズミは一匹も住んでいなかったのにな?
前のお前が「入ってくれない」ってガッカリしていて、農場の木に取り付け直して。
そしたら直ぐに住み着いたんだったな、ナキネズミが二匹。可愛い子供まで生まれちまって。
「あの巣箱…。嬉しかったんだよ、ありがとう」
青い鳥を飼ってる気分になれたよ、ナキネズミの巣箱はハーレイのお蔭。
ハーレイが作って掛けてくれなきゃ、ぼくは巣箱を持てなかったし…。青い鳥を飼う夢はきっと叶わなかったよ。ナキネズミだったけど、あれは青い鳥。前のぼくの青い鳥だったんだよ。
「いや…。そんなに礼を言ってくれなくても…」
俺も充分、楽しんだしなあ、あの巣箱作り。俺の木彫りは評判がいいとは言い難かったが、あの巣箱は皆に褒められたしな?
洒落た巣箱も作れるんじゃないか、と辛口のブラウにまで言って貰えたし…。
いい思い出ってヤツだ、ナキネズミの巣箱。ちゃんとナキネズミも住んでたからな。
今度はいいのか、ってハーレイに訊かれた。俺の巣箱は要らないのか、って。
「…巣箱?」
またハーレイが作ってくれるの、前みたいに?
「うむ。青い鳥、今ならいけるかもしれんぞ」
巣箱を作って掛けておいたら、青い鳥が入ってくれるかもしれん。
「ホント!?」
本当に本物の青い鳥なの、青い鳥が巣箱に住んでくれるの…?
「運が良けりゃな。前に見ただろ、俺と一緒に青い鳥を。オオルリってヤツを」
あのオオルリも巣箱の中に巣を作るんだ。何処に巣を作ろうかと探している時に、上手い具合に巣箱に出会えりゃ、いいものがあったと中に入って。
ただなあ、山の中で暮らすことが多い鳥だしな…。オオルリだけを狙って巣箱を掛けにゆくなら山の中ってことになっちまうんだが。
「山の中って…。それじゃ滅多に見に行けないよ、入ってくれても」
家の庭だとオオルリは無理かな、巣箱を掛けても来てはくれない?
「まるで駄目ではないかもしれんな」
お前の家でガラスにぶつかっていたし、住宅街でも気にしないオオルリもいるかもしれん。緑と餌とが充分にあれば、生きてゆくのに困りはしないし…。
まずは巣箱を掛けることだな、オオルリに来て欲しければな。
巣箱さえあったら鳥が入るさ、って。オオルリでなくても、青い鳥とは違っても。
「お前の家でも入ってたんだろ、あそこの木に巣箱があった頃には?」
白い巣箱ではなかったようだが、お前のお父さんが作った巣箱。
「うん。普通の巣箱だったけど…」
ママの記憶で見せて貰ったよ、住んでた小鳥が飛んでゆくのを。巣箱に帰ってくる所も。
「ほらな、そんな具合で巣箱を掛ければ小鳥はやって来るもんだ」
今度は本物の鳥に入って貰って、幸せの鳥といこうじゃないか。
今日の授業で話してやったろ、庭で鳥が巣を作るというのは吉兆だ、とな。
青い鳥でなくても幸せが来るんだ、巣箱に小鳥が住んでくれれば。
前のお前の願い通りに青い鳥が巣箱に入ってくれれば最高なんだが、さて、どうなるか…。
巣箱が好きで住宅街も好きなオオルリ、飛んで来てくれるといいんだがな。
俺が巣箱をまた作ってやる、って片目を瞑ってくれたハーレイ。
今のハーレイは木彫りをやっていないけど、前のハーレイが作ってくれた巣箱みたいにお洒落な巣箱を。シャングリラと同じに真っ白な巣箱を、もう一度。
「…ねえ、白い巣箱でも鳥は入ってくれるよね?」
ナキネズミじゃなくって、本物の小鳥。…白は駄目だってことはないよね?
「その点は全く心配要らんな、真っ白な巣箱も売られてるからな」
真っ白どころか、赤とか青とか。そりゃあカラフルで洒落た巣箱が売られてるってな。
つまりは鳥は入るってことだ、白い巣箱でも、赤でも青でも。
「じゃあ、前と同じで真っ白がいいな」
シャングリラの白に塗ろうよ、巣箱。ハーレイが真っ白に塗ってくれたら、絵はぼくが描くよ。
「絵というと…。エラが描いてたあの紋章か」
前の俺たちのミュウの紋章なんだな、今度はお前が描いてくれる、と。
そいつが出来たら、巣箱を掛ける木を二人で選んで、俺が梯子を架けるわけだな。
「此処でいいか」って、お前に訊いて。
鳥が住みやすそうな場所で、俺たちからもよく見える場所。そこに巣箱を掛けに登る、と。
オオルリが入ってくれるといいな、ってハーレイも本物の青い鳥を期待してくれているから。
ぼくも本物の青い鳥が住んでる巣箱を何度も見上げたいから、いつかは巣箱。
お洒落な巣箱を青い地球の上で木の上に掛けよう、ハーレイと二人で暮らす家で。
幸せが来るという庭の鳥の巣、それを巣箱で青い鳥に作って欲しいから。
前のぼくが見ていた真っ白な巣箱、ミュウの紋章つきのお洒落な巣箱。
結婚したらそれを二人で作って、青い鳥を待とう。
青い鳥でなくても、幸せの鳥がきっとやって来る、ナキネズミじゃなくて本物の鳥。
ハーレイと二人で巣箱を見上げて、幸せな日々。
本物の地球に来られたんだと、今度こそ何処までも二人一緒に行けるんだから、と…。
青い鳥の巣箱・了
※前のブルーが欲しがった巣箱。シャングリラに小鳥はいなくても、気分だけでも、と。
そして巣箱に入ってくれたナキネズミ。今度は地球の木に、本物の鳥が入る巣箱を。
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(え…?)
何、とブルーは足を止めた。思わず握った階段の手摺。
学校から戻って二階の部屋へと上がる途中で、何の前触れもなく覚えた違和感。
(なんなの…?)
どうしたのだろう、と考えたけれど、分からない。躓いたり滑ったりしたわけではなくて、足を傷めたわけでもなくて。爪先でトンと階段を軽く蹴ってみたけれど、足に異常は無さそうで。
どちらかと言えば、気分の問題。
階段を上りたくない気分で、このまま立ち止まってしまいたいような…。
(身体の具合…?)
体調が悪くなる前触れかもしれない、今は体力を使いたくないと。階段を上るより静かに座っていた方がいいと、此処で腰掛けている方がいいと訴える身体。
それくらいしか思い付かない理由。きっとそうだという気もするけれど。
(…でも、こんな所に座っていても…)
階段は座り心地のいい椅子とは違うし、身体も冷やしてしまいそうだから。却って悪化しそうな体調、同じ座るなら自分の部屋まで行った方がいい。椅子もベッドもある部屋まで。
(部屋で一休み…)
暫く大人しくしていよう、と残りの階段をゆっくり上った。
まだ違和感を覚えたままで。上りたくないと思う気持ちを抱えたままで。
階段の上まで上り切ったら、違和感は綺麗に無くなったから。
二階の廊下に着いた途端に消えてしまったから、原因は間違いなく階段だったわけで。
(やっぱり、身体…)
身体が悲鳴を上げたのかもしれない、此処で休憩していたいと。階段など上りたくないと。
そうだとしたら、それは嬉しくない兆候で。
今の間にきちんと落ち着かせないと、寝込んでしまう結果を招かないとも限らない。気付かずに溜めてしまった疲労は、突然、爆発するものだから。夜にはなんともなかった身体が、次の朝には全く言うことを聞いてくれなくて、ベッドから出られないことも多いから。
(体育の授業が悪かった…?)
さほど日射しも強くなかったし、たまには普通の子と同じように…、と挑んだサッカー。木陰で休む代わりに走った、足が速くはないけれど。ボールも上手く蹴れないけれど。
それでも楽しかったサッカー、夢中になって過ごした時間。体育の先生に「少し休みなさい」と注意されるまで走り回った、太陽の下で。
あのサッカーのせいかもしれない、自分では分からないけれど。体調を崩すほどの負担をかけたつもりは少しも無いのだけれども、疲れる理由があったとしたならサッカーくらい。
気を付けなくては、これ以上、疲れないように。身体に負担をかけないように。
部屋で制服を脱いで着替えて、椅子に座って一休み。今すぐにだって動けるけれども、さっきの違和感が心配だから。知らずに疲れを溜めていそうだから、念のために。
時計を眺めて、五分ほど椅子で時間を過ごして、おやつを食べにまた一階へ。階段を下りて。
(気を付けなくちゃ…)
ふらついたりしたら大変だもの、と手摺を握って慎重に。一足、一足、踏み締めながら。
幸い、下りる時には何も起こらず、一階に着いたら、もう安心で。
(…栄養補給…)
おやつは食事ではないけれど。栄養バランスの取れたものとは違うけれども、それでも幾らかの栄養は摂れる。甘い砂糖は疲れが取れるし、小麦粉やクリームもエネルギーに変わる。紅茶だって身体に水分をくれる、知らない間に抜けてしまった水分を補給してくれる。
(おやつを食べたら、きっと良くなるよ)
サッカーで使った分のエネルギーと、身体から抜けた水分と。それが少しは戻るだろうから。
おやつも馬鹿に出来ないのだから、と頬張ったケーキをしっかりと噛んだ、噛めば消化が早まるから。エネルギーに変わるまでの時間が短くなるから。
紅茶もおかわりをして水分補給をしようと努めた、自覚は無くても水分不足かもしれないから。
栄養なのだ、と意識しながら食べ終えたおやつ。身体に効いてくれるだろうと。
キッチンの母に空になったお皿やカップを返して、「御馳走様」と部屋を目指した。あの階段を上って二階へ。今度はきっと大丈夫、と思うけれども、ゆっくり、ゆっくり。
そうしたら…。
(あ…!)
不意に蘇って来た記憶。
こうして階段を上った、何処かで。
こんな風にゆっくりと階段を上った、確かに自分が。
遠く遥かな記憶の彼方で、今の自分とは違う自分が。ソルジャー・ブルーだった前の自分が。
(何処で…?)
いったい何処で上ったのだろう、今と同じに階段などを。
家に帰って直ぐに上った時に感じた違和感、「上りたくない」という気分。あの時の気分は前の自分のものだった。上りたくない気持ちを抱えて上った、白いシャングリラの中の何処かで。
それが何処だか思い出せない、一足、一足、上ってみても。
あの階段が何処にあったか、どうして「上りたくない」と思いながら上っていたのかも。
思い出せないまま、階段の上まで着いたから。
上りたくない気分が
前の自分のものだったのなら、体調不良を心配しなくても良さそうだから。部屋に戻って本棚から出した写真集。白いシャングリラの姿を収めた豪華版。
ハーレイとお揃いのそれを勉強机の上で広げて、パラパラとページをめくってみて。
(階段…)
シャングリラの中で階段といえば、思い付くのは非常階段くらいなもの。巨大な白い鯨の中では階段は不向きな移動手段で、別の階層へ行くなら専用の乗り物を使うのが普通。
それに段差の代わりにスロープ、足が不自由な仲間もいたから。車椅子でも移動しやすいよう、緩やかなスロープが設けられていた。
シャングリラは階段の多い船ではなかった、目に付く所に階段は殆ど無かった筈で。
例外は天体の間と公園くらいで、その階段は写真集にも載っているけれど。
(何処なんだろう…)
前の自分が上っていた階段。
上りたくない気分を抱えて上った階段は何処にあったろう…?
天体の間の階段は違う気がする、この美しい部屋ではないと。
公園にあった階段も違う、皆の憩いの場だった公園、そこの階段でもないと。
けれども自分は、前の自分は確かに上った、「上りたくない」という気持ちを抱えて。それでも階段を上るしかなくて、たった一人で上っていた。
(ぼくが一人だと…)
余計に場所が限られてくる。白い鯨でソルジャーが何処かへ行くとなったら、大抵は誰かが付き従った。ハーレイや、他の仲間やら。
一人で歩いてゆく時といえば私的な外出、行き先はフィシスの所だったり、公園だったり。
そうした時には心は弾んでいるものだったし、階段を上りたくない気分になるとは思えなくて。
いったい何処で一人だったかと、青の間に階段は無かった筈だし、と考えていて…。
(違う…!)
思い出した、と遠い記憶の中からぽっかりと浮かび上がって来た階段。
青の間にあった、階段が一つ。あの部屋はスロープが印象的だったけれど、それとは全く違った場所に。スロープの代わりの非常階段などとは違って、まるで違った目的のために。
青の間を常に満たしていた水、それを湛えた貯水槽。其処へと下りるための階段が一つ、部屋の一番奥の所にひっそりと在った。
貯水槽のメンテナンス用の階段、係の者しか使わなかった階段だけれど。実用本位で飾りなども無くて、二人も並べば一杯になりそうなほどの幅しか無かったけれど。
(あれを下りてた…)
前の自分が。
青の間の一番奥に出掛けて、貯水槽へと続く階段を。
誰もいない時に、ただ一人きりで。
メンテナンスや貯水槽の視察をするのではなくて、隠れたい時に。深い悲しみに心を満たされ、泣きたい気持ちに囚われた時に。
青の間のベッドや椅子でも泣いたけれども、それだけではとても足りない時には階段を下りた。自分しか抱えられない悲しみ、自分であるがゆえの悲しみ。
それが心を塞いだ時には、あの階段を下りていた。此処なら自分一人きりだと、誰も来ないと。誰も自分を見付けはしないし、閉じ籠もっていても許されそうだと。
(ぼくの寿命が尽きてしまうって…)
それが分かってから、何度あの階段を下りただろう。何度、その下に隠れただろう。
一番下の段に座って、俯いて泣いた。
其処から見える暗い水面を、静まり返った水の面を見下ろして泣いた。
焦がれ続けた地球には行けない、辿り着けずに死んでしまうと。自分の命はもうすぐ終わると、それを止める術などありはしないと。
自分の命が尽きてしまうことも悲しいけれども、ミュウの未来はどうなるのか。シャングリラは何処へ向かうというのか、自分が死んでしまったならば。
後継者としてジョミーを見出した後も、本当にそれで上手くいくのかと、幼すぎるソルジャーに皆が従ってくれるだろうかと尽きなかった悩み。自分の寿命がもっとあれば、と。
(みんなの前ではとても言えない…)
自分の心が揺れているなど、悲しみに満ちているなどと。
皆の前では弱さを見せるわけにはいかない、船に不安が広がるから。けして悲しみを知られてはならない、自分の心の中だけに留めておかなければ。
だから階段を下りて、隠れて。部屋付きの係の気配がしたら上った、長老たちが来た時にも。
階段を上り、何気ない風で、さも奥にいたと言わんばかりに出て行った。
いつもと変わらない表情に戻り、悲しみも涙も拭い去って。
階段を上ってゆく時に「強い自分」に切り替えていたから、誰も気付きはしなかった。青の間の奥で前の自分が泣いていたことも、階段を下りていたことも。
気付いていた人間はたった一人だけ、その一人だけしか知らなかった。
(…前のハーレイだけ…)
青の間を訪ねて来たのがハーレイの時だけは上がらなかった。階段を上ってゆかなかった。一番下の段に座って、水面を見下ろして動かずにいたら、上から下りて来たハーレイ。
「やはり此処でしたか」とだけ、声を掛けて。
そうして隣に腰を下ろした、何も訊かずに。黙って側に寄り沿ってくれた。
ハーレイが階段を下りて来る度、二人、何度も、何度も座った、あの階段に。水を覗いて座っていた。狭い階段に二人並んで。
ハーレイと二人で座る時には、要らなかった言葉。思念もまるで必要無かった。
言わずとも、わざわざ伝えなくとも、ハーレイは分かってくれていたから。悲しみに満たされてしまった心を、どうしようもない悲しみのことを。
ただ寄り添っていてくれたハーレイ、その温もりだけで充分だった。一人ではないと、悲しみを分かち合ってくれる恋人が直ぐ側にいると、そう思うだけで。考えるだけで。
溢れ出しそうな悲しみをハーレイにぶつけてしまわなくても、ハーレイは全て受け止めてくれているのだからと。
黙って二人で座り続けて、時にはハーレイに抱き締めて貰って、キスを一つ。
それだけで良かった、何の言葉も慰めも要りはしなかった。
ハーレイがいてくれるだけで。隣に座っていてくれるだけで、二人で水面を見ているだけで。
そうして心が落ち着いた後で、立ち上がって階段を上っていった。元の部屋へと。
ハーレイは後から上って来た。
二度と下りる気にならないようにと、笑顔を向けて。
けして言葉にはしなかったけれど、「大丈夫ですよ」と、「私がお側におりますから」と。
(あの階段…)
青の間の奥にあった階段、前の自分が下りた階段。
それを上る時の気持ちを思い出したのだった、あの違和感は。今の自分の家だけれども、階段を上る途中だったから。何のはずみか蘇った記憶、こうして階段を上っていた、と。
上りたくない気分の時の自分の心。
まだ悲しみは癒えていないのに、ソルジャーの顔で上に戻らねばならない時の。
(ハーレイが来た時は…)
階段の一番下の段に二人、並んで座って過ごした時は。
上る時には悲しくなかった、胸も痛くはなりはしなくて、晴れやかな気分で上っていった。上に戻ろうと、部屋にゆこうと。もう大丈夫だと、こんな所にいなくても、と。
階段を下へと下りてゆく時は悲しかったのに、辛かったのに。
自分の居場所は其処にしか無いと、其処に隠れて涙するより他に道は無いと思っていたのに。
ハーレイが来てくれるだけで悲しみが癒えていった階段。
黙って二人で座っているだけで、何もしないで二人で水面を見ているだけで。
(ハーレイ、覚えているのかな…?)
あの階段のことを。前の自分と並んで座った、青の間の奥の階段のことを。
自分はすっかり忘れていたから、ハーレイも忘れてしまったろうか。あそこに階段が一つあったことも、二人並んで腰掛けたことも。一番下の段に座って、暗い水面を見ていたことも。
どうなんだろう、と考えていたら、来客を知らせるチャイムが鳴って。
仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、訊こうと思った。階段のことを。
母がお茶とお菓子を置いて行ってくれたテーブルを挟んで、向かい合わせ。
直ぐに訊いてもいいのだけれども、もったいないような気もするから。あの階段に二人で座った思い出はとても大切だから。
少し回り道をしようと思った、ハーレイが覚えていないなら。自分と同じに忘れたのなら、他の階段の話からだ、と。だから…。
「ハーレイ、階段、覚えてる?」
シャングリラにあった階段のこと。ハーレイは今でも覚えている…?
「怪談だと?」
幽霊の話は記憶に無いが、と首を捻っているハーレイ。幽霊でなければ何だったろう、と。怖い話は無かったように思うが、妖怪の類でも出ただろうかと。
「そうじゃなくって…!」
階段が違うよ、上ったり下りたりする階段!
シャングリラの階段、忘れちゃった…?
「そっちの方か…。その階段もあまり無かったぞ」
天体の間と公園の他には、階段らしい階段は作っていなかった筈だが…?
「うん、非常階段くらいしかね」
あれにも一つも写っていない、と勉強机の上に置かれたシャングリラの写真集を指差した。
でも階段はあったんだよ、と。天体の間と公園の他にも、とても大切な階段が一つ、と。
「大切な階段って…。そんなの、あったか?」
あの船は基本はスロープだったぞ、乗り物が使えなくなった時にも足の悪いヤツらが不自由なく移動出来るようにな。非常階段は作業用のヤツで、作業員くらいしか使わなかったが…。
キャプテンの俺が知らない階段、シャングリラには無いと思うがな?
「あったよ、とても大事な階段」
君との思い出の階段なんだよ、ぼくには宝物みたいな階段。
「…何処にだ?」
「青の間」
あそこにあった、と口にしてみたら、息を飲んだハーレイ。
吸い込んだ息の音が聞こえたくらいに、鳶色の瞳が大きく見開かれたほどに。
きっとハーレイは思い当たったに違いないから。あの階段だと気付いたろうから。
「覚えてた?」
ぼくが言ってる階段のこと。青の間の奥にあった階段。
「…今、思い出した」
忘れちまっていたが、青の間と言われたら思い出した。あそこの奥に階段があって…。
お前が泣いてた、とハーレイの顔が辛そうに歪む。
あの階段ではいつもお前が泣いていたんだ、と。
「泣いていないよ」
ハーレイが隣に座ってくれてた時には、ぼくは泣いたりしなかったよ。一人きりの時には泣いていたけど、ハーレイと二人の時には泣いていないよ。
「確かに泣いてはいなかったが…。泣き顔をしてはいなかったんだが…」
お前の心が泣いていたんだ、とても悲しいと。悲しくて辛くて、どうしようもないと。
「…そうかもね…」
ハーレイには伝わっていただろうしね、ぼくの心が。
声にも思念にもしてはいなくても、ハーレイは分かってくれてたし…。
ハーレイが「泣いていた」って言うなら、ぼくはいつでもあの階段で泣いていたんだろうね…。
寿命が尽きると知るより前にも、辛かった時や悲しい時。
あの階段をよく下りていた。誰にも言えない、ぶつけられない思いを抱えて。
一番下の段に座って俯いていたら、水面を見詰めてじっとしていたら。
部屋付きの係も長老たちも来ない時には、ハーレイが何度も付き合ってくれた。まるで最初から知っていたように、階段を下りてゆくのを何処かから見て、急いでやって来たかのように。
そう、ハーレイはあの階段に自分が下りてゆくことを、下りそうな時を見抜いていた。そうだと気付いて部屋に来てくれた、階段を下りて来てくれた。
黙って隣に座るためだけに、二人並んで水面を眺めるためだけに。
アルタミラから一緒だった仲間を病気で亡くした日の夜も。
救い出せなかったミュウの子供がいた時も。
一人きりで泣いていた前の自分の隣に、気付けばハーレイの姿があった。涙は止まって、二人で並んで腰掛けていた。あの階段の一番下の段に、黙って水面を見下ろしながら。
「お前、いつでもあの階段で…」
一人で下りては泣いていたんだ、誰にも打ち明けようともせずに。
全部一人で抱え込んじまって、あそこに座って一人きりで。俺が行くまで、ずっと一人で…。
「部屋でも泣いていたけどね?」
ハーレイの前ではいつも泣いていたよ、何度も泣いてしまっていたよ。
泣いていいんだって分かっていたから、ハーレイの前では泣いていたよ。
…あの階段を下りていた時は、ハーレイが側にいなかった時。悲しくて辛くて我慢出来なくて、でもハーレイはいなくって…。
そういう時に下りて泣いてたんだよ、あそこなら誰も来ないから。
誰か来たなら直ぐに分かるし、急いで上れば気付かれないし…。
前のぼくの秘密の隠れ場所だったよ、あの階段の一番下は。
そしてハーレイとの思い出の場所。あそこでハーレイと並んで座って、水を眺めて…。そういう思い出、数え切れないほどあったのに…。ハーレイと何度も座ったのに…。
今日まで忘れてしまっていた、と打ち明けたら。
どうして思い出さなかったのだろう、と自分の記憶に出来ていた穴を嘆いたら…。
「忘れていたっていいんじゃないか?」
少なくとも俺は責めはしないな、お前が忘れちまっていたこと。
俺も忘れていたっていうのもあるがだ、お前が綺麗に忘れていたのが嬉しくもあるな、階段ごと抜け落ちちまっていたのが。
「…なんで?」
薄情だとは思わないわけ、ハーレイはいつも付き合って座ってくれていたのに…。
黙って隣にいてくれたのに、それをすっかり忘れてたんだよ、ぼくときたら。
「それでいいんだ、何も覚えていないくらいで丁度いいだろ」
あの階段でのお前の思い出、悲しかったことや辛かったことしか無いんだろうが。
一人きりで泣くしかないって時しか下りてないんだ、前のお前は、あの階段を。悲しい時だけの隠れ場所なんかを後生大事に覚えておく必要は無いってな。
悲しいことは忘れちまうに限るさ、生まれ変わってまで抱え込んで覚えておかなくても。
前のお前が泣いた記憶まで、しっかり抱えていなくてもいい。忘れていいんだ、そんなのはな。
水に流すと言うだろうが、とハーレイが片目を瞑ってみせる。
前のお前の悲しみは全部、水が持って行ってくれたんだろう、と。
階段の一番下に座っていつも見ていた、青の間の水が。
「…そうなのかな?」
あの水が持って行ってくれたから忘れちゃってたのかな、階段のこと。あの階段を下りていったことも、ハーレイと二人で座ってたことも。
「そう思っておけ、あの水も役に立ったんだと」
前のお前には散々苦情を言われたが…。こんなデカイ貯水槽つきの部屋なんて、と何度も文句を言われたもんだが、あの水が役に立ったってな。
前のお前が生きてる間は何の役にも立たなかったが、死んじまった後に出番が来たんだ。
あの階段と、階段で泣いてたお前の悲しみ。全部纏めて持ってっちまった、文字通り水に流して綺麗サッパリ消したってことだ。
「うん…」
そうだったのかもね、あの水はホントに何の役にも立たなかったけど…。
前のぼくのサイオンが水と相性が良かったから、って増幅装置なんだと思われてたけど…。
本当はただの演出でしかなくて、ソルジャーの部屋らしく見せるための仕掛けみたいなもので。
あの水には何の意味も無いんだから、って思っていたけど、水だったから水に流せたのかな…?
こけおどしだった青の間の水。何の役目も果たさなかった貯水槽。
メンテナンス用の階段まで設けられていたのに、あの水はそこに在ったというだけ。広い部屋を満たしていたというだけ。
けれど、あの水は悲しみを持って行ってくれたのだろうか?
前の自分が一人で抱えた、あの水を見ながら涙していた悲しみを流してくれたのだろうか…?
「多分な」
俺が勝手にそう思うだけだが、そのくらいの役には立たんとな?
最後まで無駄だと言われ続けて終わるよりかは、前のお前の悲しみや涙。そいつを抱えて消えてこそだろ、水なんだからな。
「そっか…」
本当にそうかもしれないね。
ずうっと前のぼくの側にあった水だし、ホントに最後に役に立ったかもしれないね。前のぼくが死んだら、あの水が見ていた悲しい記憶を水に流してくれたのかもね…。
悲しかった時や、辛かった時。一人で抱えて泣くしかない時。
何度となく下りた階段だけれど、一番下に独り座って水を見ていた場所なのだけれど。
十五年もの長い眠りから覚めて、たった一人でメギドへ向かって飛び立つ前。青の間で過ごしていた筈だけれど、階段を下りた記憶は無い。水を眺めていた記憶も。
ハーレイにそれを話したら…。
「…その記憶。水が持って行ってくれたんじゃないか?」
「え…?」
どういう意味なの、ぼくは階段を下りたっていうの?
下りていたことをすっかり忘れてるだけで、本当はあそこに座っていたの…?
「そうじゃないかという気がするな。…お前が下りていたんだとしたら」
もしもお前が、あの時、下りていたのなら。
あの階段を下りて座っていたなら、どれほど泣いていたことか…。
お前は全てを知っていたんだしな、もうすぐ死ぬことも、俺が追い掛けてはいけないことも。
もちろん地球だって見られないままで、たった一人で死んじまうんだ。
そういったことを一人で抱えて、お前があそこで泣いていたなら。
お前の隣に俺は座りに行けなかったし、お前は本当に独りぼっちで泣いて、泣きじゃくって…。
どのくらい泣いていたかは知らんが、俺が下りて行ってやれなかった分まで、代わりに水が見ていただろう。泣いていたお前を、お前の抱えた悲しみと涙を。
そいつを最後に全部あの水が持って行って水に流した、だからお前は覚えていない。今のお前に生まれ変わる時に、その記憶を持っては来なかったんだな。
本当を言えば、下りていないのが一番なんだが、と言われたけれど。
下りたかもしれない、あんな時だから。
三百年以上もの長い時を生きて、青の間が出来てからも長い長い時を其処で過ごして、その間に何度あの階段を下りたことだろう。
辛かった時に、悲しい時に。たった一人で階段を下りて、水面を眺めて座った自分。
その人生がもうすぐ終わるという時、それも一人きりで死んでゆくのだと悟っていた時、下りてゆかない筈がない。
辛く苦しい心を抱えて。ハーレイとの別れを思って張り裂けそうな心を抱いて、あの階段を。
きっと自分は階段を下りた、一番下の段に座っていた。水面を見詰めて、一人きりで。
この階段でも独りなのだと、ハーレイは忙しくて持ち場を離れられないからと。
そうしてどのくらい座っていたのか、あの水を一人、眺めていたのか。
立ち上がった自分は階段を上り、ブリッジへ向かったのだろう。最後の言葉をハーレイに託して飛び立つために。永遠の別れを告げにゆくために。
けれど、何処にも無い記憶。
確かに階段を下りただろうに、欠片すらも見当たらない記憶。ほんの僅かな痕跡さえも。
「…ぼく、本当に忘れちゃったのかな?」
あの階段を下りていたのに、下りていたこと、すっかり忘れてしまったのかな…?
水が何もかも流してしまって、下りた記憶も、あそこで泣いてた時の記憶も…。
「それだと俺は嬉しいがな」
お前が下りていたんだったら、その記憶が無いのが俺は嬉しい。悲しい記憶はもう要らんしな。
メギドで凍えちまった右手の分だけで充分だろうが、それ以上は無い方がいい。
お前の記憶を消しちまったのが水だとしたなら、あの部屋は最後にお前の役に立ったんだ。青の間はただのこけおどしだったが、水の方は前のお前を守った。
最後に階段に座ったお前は独りぼっちで、俺はいなくて。
その俺の代わりに水が頑張った、お前が泣いてた記憶ごとすっかり流しちまってな。
「…ハーレイの代わりに水だったの?」
ハーレイが隣に座ってくれる代わりに、水が綺麗に消してくれたの、前のぼくの記憶。
最後にとっても悲しかったのを、思い出せないように流しちゃったの…?
「お前が忘れたんだとしたらな」
あの階段を最後に下りていったのに、何も覚えていないなら。
欠片も思い出せずにいるなら、あの水が流してくれたってことだな、悲しかった記憶。
もう思い出さなくてもかまわないから、と手招きされて、ハーレイの膝の上に座らされて。
強い両腕で抱き締められた。広い胸へと抱き込まれて。
あの階段のことは忘れておけ、と。
思い出しても悲しいだけだ、と。
「いいな、あの階段には悲しい記憶しか無いんだからな」
前のお前は泣く時だけしか下りちゃいないし、あんな階段のことは忘れておくのが一番だ。
間違ってもメギドへ行く前の記憶を探すんじゃないぞ、あの階段を下りたかどうかなんてな。
「でも、階段…。ハーレイのことは思い出したよ」
ハーレイが一緒に座ってくれていたってこと。ぼくの隣に、いつも黙って。
二人で並んで水を見てたよ、あの思い出はとても大切なんだよ。
「おいおい、お前は泣いてたんだぞ?」
俺が隣に座ってた時も、お前の心は泣いていたんだ。だから俺は黙って座っていたのに…。
前のお前の悲しい記憶とセットの思い出だろうに、それでも大切なのか、お前は?
「大切だよ。…だって、ハーレイから優しい思い出を貰ったもの」
黙って隣に座っててくれて、ぼくが落ち着くまで側にいてくれて。
階段を上ろうっていう気分になるまで、何も言わずについててくれたよ。
だから、あの階段は大切なんだよ、ハーレイと一緒に座った階段。二人で座った階段だもの…。
いつも階段を下りて来てくれた、優しいハーレイ。並んで座ってくれたハーレイ。
そのハーレイが思い出すなと言うのだから。思い出さなくていいと言うのだから。
メギドへと向かう前のことはもう、考えない方がいいのだろう。
あの日、階段を下りたのかどうか、其処に座っていたのかどうかは。
青の間の水が持って行って流してくれた悲しみ、それはもう思い出さない方がいいのだろう。
遠く遥かな昔の悲しみは流れ、こうして地球に来たのだから。
青い地球の上に生まれ変わって、幸せに生きてゆけるのだから。
ハーレイと二人、手を繋ぎ合って、何処までも二人。
もう階段には悲しみを抱えて座らなくてもいいのだから。
いつか二人で座る時には、幸せの中で。
階段に並んで腰を下ろして、お弁当だとか、ソフトクリームだとか。
きっとそういう風になるから、二人で並んで座る階段は幸せな場所に変わるのだから…。
下りた階段・了
※青の間の奥にあった、貯水槽へと下りる階段。前のブルーが泣くための場所だったのです。
けれどメギドに向かう前には、下りた記憶が全く無いまま。水が悲しみを消したのかも。
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(ほう…!)
珍しいな、とハーレイが目を留めたイチゴの山。
ブルーの家には寄れなかった仕事帰りの日。いつもの食料品店だけれど、今の時期に露地もののイチゴとは、と。普通は春がシーズンだから。
しかも果物のコーナーではなくて特設売り場。色々な店が出店してくる売り場で、特産品などがよく置かれている。このイチゴもきっと、何処かの名産。時期外れなのが売りなのだろう。
(石垣イチゴ…)
そう書いてあった、売り場に置かれた小さな看板に。
石垣イチゴとは何だろうかと思ったけれども、「石垣で育てるイチゴです」という謳い文句も。石垣と言われても意味が分からないものの、真っ赤に熟れて美味しそうではある。まるで宝石。
綺麗なものだ、と覗き込んでしまった、ブルーの瞳の色だから。瑞々しい赤は自然の恵みで命の輝き、小さくて愛らしい恋人の瞳のようだから。
熟したイチゴの赤に惹かれて佇んでいたら、店員に声を掛けられた。「如何ですか?」と。
食料品店の店員ではなくて、イチゴと一緒にやって来た店員、このイチゴが育った場所から出張して来たという。イチゴは毎朝届くけれども、自分は出店期間中は町に滞在していると。
「この時期のは珍しいんですよ」
通常は一月から五月がシーズンなんです、との説明。やはりイチゴは春のものだった、一月とは妙に早いけれども。温暖な地域で作っているなら、一月もシーズンになるのだろうか。
それでも季節は五月頃まで、イチゴの品種を変えて今の時期に収穫しているらしい。やっている農家は多くない、とも。
それで興味を持った所へ「風邪の予防にいいですよ」という店員の言葉、ビタミン豊富でミカンよりもいいという話だから。五粒も食べれば一日分になると聞かされたから。
(ブルーに…)
風邪を引きやすい、小さなブルー。前と同じに弱く生まれてしまったブルー。
隣町の実家で母が作っている金柑の甘煮を届けてやったり、風邪の予防に気を配ってやっているブルーだから。
イチゴもいいか、と考えた。明日は土曜日でブルーの家に出掛けてゆくから、土産にいい。新鮮だし、粒も大きいし…。何より露地もの、イチゴは春がシーズンなのに。
「一つ下さい」
赤いイチゴが盛られたパックを一つ買ったら、「どうぞ」とパンフレットもついて来た。それに店員の「メロンよりも甘いイチゴですよ」という言葉も。
他にも食料品を買い込み、家に帰って。
真っ赤なイチゴが傷まないよう、一番に冷蔵庫に大切に仕舞って、夕食の支度。買って来た魚を焼いている間に、味噌汁に野菜の煮物なども。炊き立ての御飯でゆっくりと食べて、寛いで。
片付けが済んだら熱いコーヒー、愛用のマグカップにたっぷりと淹れた。
(パンフレットも読んでおくかな)
せっかく貰ったのだから、と石垣イチゴのパンフレットとマグカップを手にして向かった書斎。机の前に座ってコーヒーを一口、パンフレットを開いてみたら。
(ふうむ…)
売り場に「石垣で育てるイチゴです」と書かれていたのが謎だったけれど、本当に石垣を使って栽培しているイチゴだった。石垣を使うから「石垣イチゴ」。そういうイチゴの育て方。
栽培風景の写真と説明、それから石垣イチゴの歴史。
(由緒あるイチゴだったのか…)
知らなかった、と呟いた。石垣イチゴの名前も、歴史も。
なんとも古い、石垣イチゴが歩んで来た道。前の自分など比較にならない古さの石垣イチゴ。
SD体制が始まるよりも遥かな昔の日本で生まれた栽培方法、一部の地域で行われていた。日本全体ではなくて、ほんの一部で。
あの店員も言っていた独特の甘さで人気を博したけれども、やがて廃れた。
地球が滅びてしまったから。イチゴを育てられる土が無くなり、水も汚染され、石垣でイチゴを育てられる場所は何処にも無くなってしまったから。
その上、小さな島国、日本。SD体制の時代に文化は継がれず、石垣イチゴも消えてしまった。今は復活しているけれども、立派に作られてパンフレットまであるけれど。
(石垣イチゴなあ…)
イチゴは畑のものなんだが、と熱いコーヒーを口にしながら考えていて。
石垣イチゴは初めて聞いたと、日本の文化は奥が深いと、かつて日本があったこの地域の歴史を思い浮かべていて。
石垣イチゴが生まれた頃には日本の風景はどうだったろうかと、自然も豊かだったろうかと遠い昔に思いを馳せていたのだけれど。
(一月からイチゴだったとはなあ…)
冬の最中に甘いイチゴが栽培出来たのが強みだったという石垣イチゴ。偶然だったとも、工夫を凝らした結果だったとも伝わるけれども、石垣に植えたイチゴは冬でも実をつけたという。温室を設けてやらずとも。
太陽の光で温まった石垣、その温かさがイチゴを育てた。輻射熱で甘いイチゴが実った、それが石垣イチゴの始まり。
だから今でも一月からがシーズン、普通のイチゴのシーズンと同じ五月まで採れる石垣イチゴ。今日、買ったイチゴはそれの変わり種で、秋に実るように育てた品種だったけれど。
ともあれ、石垣で育てるイチゴ。
畑ではなくて石垣でイチゴ、誰の発想だったのだろう。どう考えても、イチゴは畑に植えるのが普通だろうに。でなければ鉢やプランター。平たい所で育てるもの。
パンフレットには石垣の写真が載っているけれど、そこにイチゴがズラリと植わって、赤い実をつけているのだけれど。
実に変わった風景だと思う石垣イチゴが実った畑。いや、石垣を畑と呼ぶのかどうか。イチゴを栽培しているからには畑に含まれそうだけれども、畑のイメージとは全く違う。
(畑と言ったら、やっぱり平地…)
斜面に畑を作っている場所でも、段差を設けて平らな地面を確保するのが常識で。石垣なんぞは聞いたことも無いと、石垣イチゴが初めてなんだ、とコーヒーのカップを傾けていたけれど。
(ん…?)
何故だか何処かで見たような気がする、石垣にイチゴ。
赤いイチゴが実った石垣、それを目にしていたような記憶。パンフレットの写真そのままに赤いイチゴが石垣に実っている光景を。
(…親父たちと出掛けて行ったのか…?)
幼い頃に、と思ったけれども、石垣イチゴは今も一部の地域のみでの栽培。そういう地域に家族旅行で出掛けたという記憶は無い。
イチゴ狩りには何度か行ったけれども、石垣でイチゴを摘んだだろうか?
自分が忘れてしまっているだけで、両親と旅行に行ったのだろうか?
旅をした場所が何処かも分からないほどに幼かった頃、石垣イチゴに出会ったろうか…?
(石垣でイチゴ…)
確かに見たんだ、と遠い記憶を振り返っていたら、どうにもおかしい。
赤いイチゴと石垣の記憶は少しずつ鮮やかになって来たけれど、視点が違う。石垣を眺めている視点の高さが、石垣に向かった自分の目の高さが。
幼い子供の背丈では、こうはならないような…、という視点から見ている石垣、赤いイチゴと。
(…何故だ?)
少なくとも学校に上がってからは行っていない筈だ、と断言出来る。イチゴ狩りの季節に両親と旅に出掛けた地域は全部挙げられるし、石垣イチゴが採れる場所とは重ならないから。
記憶にある視点で眺められる背丈になった頃ともなれば論外、もう絶対に行ってはいない。
そうなってくると父に背負われて眺めていたのか、あるいは石垣イチゴの産地でなくても、同じ方法で栽培していたイチゴ農園があったのか。
(何処で見たんだ…?)
しかもどうやって、と妙な記憶を手繰っていたら。
子供らしくない視点の高さで眺めた筈の石垣イチゴを懸命に探り続けていたら…。
(シャングリラか…!)
とんでもない記憶が蘇って来た、あまりにも意外すぎる記憶が。
キャプテン・ハーレイだった頃の記憶が、前の自分が舵を握った白いシャングリラの思い出が。
あの船にあった、石垣イチゴが。白い鯨になったシャングリラに。
畑とは別に、ヒルマンの趣味で。
調べ物が好きで博識だった、好奇心もまた旺盛だったヒルマンの趣味の産物として。
元は人類のものだった船を改造して生まれた、巨大な白いシャングリラ。
完全な自給自足の暮らしが軌道に乗って皆に余裕が生まれて来た頃、ヒルマンが会議の席でこう言い出した。ゼルとブラウとエラ、それにブルーとキャプテンだった前の自分が集った席で。
「石垣イチゴを作ってみようと思うのだがね」
どうだろうか、という提案。石垣イチゴなど、誰も聞いたことが無かったから。
「なんだい、それは?」
イチゴの種類というヤツかい、と返したブラウ。そういう種類のイチゴがあるのかと、木イチゴなどといったベリーの一種なのかと。
「いいや、そうではなくてだね…。全く普通のイチゴなのだが…」
甘いそうだよ、普通よりも、とヒルマンが話した石垣イチゴ。
データベースで見付けたのだという、遠い昔の栽培方法。それも広い地球の上でたった一ヶ所、日本という国の一部分だけで行われていた方法で。
石垣イチゴは石垣に植える、畑ではなくて。石垣の石と石との間に植えてゆくのが石垣イチゴ。石垣の輻射熱で甘く美味しい実が出来るらしく、ヒルマンはそれを試してみたくて。
「石垣じゃと? …畑ならまだ分かるんじゃが…」
どうしてイチゴが石垣なんじゃ、とゼルが首を捻り、皆も同様だったけれども。
ヒルマンが「これが証拠でだね…」と出して来たデータ、石垣イチゴは本当にあった。遠い昔の地球の上に。小さな島国の一部の地域に。
「このように石垣に植えるわけだし、石垣は傾斜しているし…」
畑ほど広い場所は取らないのが石垣イチゴでだね…。農場の端でやってみたいと思うわけだよ、上手く出来れば儲けものだからね。
農場の端の方は、壁があるというだけだったから。
その壁の一部に沿って石垣を作るというから、止める理由は誰にも無かった。空いたスペースの有効活用、その一環で良かろうと。
石垣イチゴを作ると決まれば、面白がって手伝った者も少なくなかった。石垣を積む機会などは公園を除けば全く無かったわけだし、その石垣が畑になると言うのだから。
白いシャングリラの中に積まれた石垣、本物の石を採掘して来て、ヒルマンの指図で。イチゴが傷んでしまわないよう、石を滑らかに加工して、きちんと組み合わせて。
そうして出来上がった石垣の畑、石垣を畑と呼べるかどうかは意見が分かれたけれども、作物を植えるからには畑だろうと唱える者も多かった。
その石垣の隙間に植え付けられたイチゴの苗。畑のイチゴと同じ苗を植えた筈なのに…。
(美味かったんだ、あれが)
太陽の光を模した照明、それが作物を育てた農場。照明の当たり具合も畑と石垣でさほど違いがある筈もなくて、水やりや肥料も石垣の方に特に工夫を凝らしたわけでもなかったのに。
石垣で実ったイチゴはヒルマンが「甘いそうだよ」と言った通りに甘かった。畑のイチゴよりも遥かに甘くて、まるで魔法のイチゴのように。
味見してみて皆が驚いた、どう考えても石垣よりかは畑の方がイチゴに良さそうなのに、と。
石垣の隙間から生えたイチゴは、如何にも窮屈そうだったのに。畑でのびのびと育ちたいように見えていたのに、美味しく実った石垣イチゴ。畑のイチゴよりも甘い実をつけた石垣イチゴ。
(前のあいつに届けさせたら…)
とても美味しいイチゴだから、と大ぶりのものを器に盛って青の間のブルーに届けたけれど。
前の自分が「如何ですか?」と感想を聞きに出掛けて行ったら、イチゴは全く減っていなくて。
「美味しかったよ」と微笑んだブルー、「味見はしたから、ぼくはいいよ」と。
一粒貰えばもう充分だと、残りのイチゴは子供たちのおやつに持って行って、と。
石垣イチゴの栽培はそれからも長く続いたけれども、収穫の度に「ソルジャーに」と見事な実が幾つも届けられたけれど、その殆どはいつも「子供たちに」とブルーが譲った。
「甘いイチゴは子供たちが食べるべきだよ」と笑んでいたブルー。「子供たちは甘いものが好きだし、イチゴも甘いほど喜ぶだろう?」と。
いくら届けても、何度届けても、ブルーが食べたのはほんの少しだけ。いつも味見だけ。
「美味しいイチゴは子供たちに」と。「子供たちは船の宝物だから」と。
白いシャングリラの農場の端に積まれた石垣、其処で実った石垣イチゴ。
本当に甘くて美味しいイチゴで、畑のイチゴより素晴らしいと評判だったけれども、ヒルマンは常に笑っていたものだ。「私の腕前のせいではないよ」と、「これは石垣の魔法なのだよ」と。
そうして、こうも付け加えていた、「地球の太陽で作ればもっと甘くて美味しいだろうね」と。
太陽を模した照明ではなくて、本当に本物の地球の太陽。
母なる地球の命を育む太陽の光、それを浴びれば石垣イチゴはもっと美味しくなるだろうと。
(それだったのか…!)
俺が買って来たイチゴはヒルマンが夢見た地球のイチゴだったか、と今日の出会いに感謝した。
いいものを買った、と顔が綻ぶ。
買った時にはまるで気付いていなかったけれど、石垣イチゴという言葉も忘れていたけれど。
石垣イチゴとは何のことかと思ったけれども、遠い昔に出会っていた。白い鯨で、前のブルーと暮らした船で。
シャングリラで見ていた石垣イチゴが地球の上にあった、本物の石垣イチゴになって。遠い昔に石垣イチゴが作られていた日本が在った場所で、本物の地球の太陽を浴びて。
(あいつ、覚えているんだろうか…?)
ブルーは今でも覚えているのだろうか、シャングリラにあった甘いイチゴを。
農場の端の石垣で実った石垣イチゴを、あの特別なイチゴのことを…?
次の日、石垣イチゴのパックを紙袋に入れて提げ、ブルーの家に出掛けて行って。
生垣に囲まれた家の門扉の脇のチャイムを鳴らして、現れたブルーの母に石垣イチゴのパックを手渡した。「午前のお茶に添えて頂けますか」と。
そうは言ったものの、イチゴだから。どういった形で出て来るだろうかと、イチゴに合うお茶はあったろうかと考えていたら、ブルーの部屋に届けられたお茶はフルーツティーで。
石垣イチゴが盛られた器と、シフォンケーキと、ガラスのポットにフルーツティー。オレンジにリンゴ、ブドウやキウイ。カットされたフルーツに茶葉を加えて、熱い湯を注ぎ入れたもの。
(なるほどなあ…)
これならイチゴにピッタリだな、と眺めていたら、ブルーがイチゴの器を指して。
「イチゴって…。これ、お土産?」
シフォンケーキはママが焼いてたし、このイチゴ、ハーレイのお土産だよね?
「ああ、美味そうなイチゴだったからな」
昨日、いつもの店で見付けたんだ。風邪の予防にいいそうだぞ。「メロンよりも甘いですよ」と言っていたから、土産にするかと思ったんだが…。
「ふうん…? メロンよりも?」
なんだか凄そうなイチゴだけれど…。どうかな、ホントに甘いのかな…?
一粒口に運んだブルーは「甘い!」と瞳を輝かせた。赤く熟れたイチゴにも似た瞳を。
ハーレイも「どれ」と一つ頬張り、その美味しさに心で大きく頷く。「あのイチゴだ」と。白いシャングリラで食べていたイチゴ、ヒルマンの石垣イチゴがもっと甘くなった、と。
小さなブルーが「ホントに甘いよ!」と喜んでいるから、パンフレットを見せてやった。持って来ていた石垣イチゴのパンフレットを。
「石垣イチゴ…?」
えーっと…。そういう種類のイチゴじゃないんだ、石垣で育てるイチゴなんだ…?
「そうだ、お前は覚えていないか?」
こういうイチゴ。石垣から生えてるイチゴってヤツを?
「石垣って…。ぼく、イチゴ狩りには行ったけど…」
パパとママにも連れてって貰ったし、幼稚園からも行ったんだけど…。
イチゴは畑に生えてたよ?
石垣に生えてるイチゴなんかは見たこともないし、畑に座って摘んだだけだよ?
こんなイチゴに見覚えは無い、とブルーが言うから。
立ったままでイチゴを摘んだ覚えも全く無い、とパンフレットの写真を見詰めているから。
「…やっぱりお前も忘れちまったか…。俺も忘れていたんだがな」
石垣イチゴって書いてあっても、何のことかと思ったほどだ。馴染みのイチゴだったのにな。
「えっ?」
どういう意味なの、石垣イチゴって有名なイチゴ?
このパンフレットだと、此処に書いてある場所でしか作ってなさそうだけど…?
「今の地球だとそうなるんだが…。前の俺たちなら知っていたんだ」
知っていたどころか、食っていたぞ。あのシャングリラで石垣イチゴを。
「…シャングリラで?」
石垣イチゴなんかがあったっけ?
ずっと昔の日本でやっていた栽培方法です、って書いてあるんだけど、石垣イチゴ…。
信じられない、という顔のブルーだけれど。
無理もないとは思うけれども、自分は思い出したから。昨夜、記憶が蘇ったから。石垣イチゴは確かにあったと知っているから、「ヒルマンのだ」と話してやった。
農場の端で作っていたが、と。石垣を積み上げて石垣イチゴを、と。
「うんと甘くて美味かったんだが、思い出せないか?」
畑で作ったイチゴより甘いと評判だったが…。ヒルマンがやってた石垣イチゴ。
「ああ…! あったね、そういえば…!」
前のぼくに、って大きい実ばかり選んで届けてくれたよ、採れる度に。
とっても甘くて美味しかったけど、ぼくばかり食べちゃ悪いから…。子供たちが喜ぶに決まっているから、いつも持ってって貰ったんだっけ…。子供たちに分けてあげて、って。
「そうだ、そいつだ」
あれがヒルマンの石垣イチゴだ、仕組みはこいつと変わらんようだな。
シャングリラの方が一足お先に作っていたらしいぞ、石垣イチゴ。
「うん…。思い出したらビックリしちゃった」
消えちゃっていた作り方でも、イチゴの苗は同じだったから作れたんだね、石垣イチゴ。
石垣だけあったら出来るんだものね、イチゴの苗はあったんだから。
あの石垣イチゴの本物がこれになるんだね、と艶やかなイチゴを赤い瞳がまじまじと見る。
まさか本物に出会えるなんてと、今の地球の上に石垣イチゴがあるなんて、と。
「うむ。俺も本当に驚いたんだが…。最初の間は今の俺の記憶かと思ったもんだ」
ガキの頃に出掛けたイチゴ狩りの記憶だと思ってたんだが、目の高さが違ったんだよなあ…。
そりゃそうだろうな、前の俺とガキの頃の俺とじゃ、頭いくつ分、背が違うんだか…。
「ふふっ、そうだね。でも、そのせいで分かったんだね」
シャングリラに石垣イチゴがあったってことも、ヒルマンが作っていたことも。
ぼくはすっかり忘れちゃってて、「シャングリラだ」って言われても思い出せなかったのに…。
「普通はそうだろ、今の地球の文化がシャングリラにあったとは誰も思わん」
農場にあった石垣イチゴの記録の方もどうなったやら…。
資料として何処かに残っていたって、石垣イチゴだとはまず気付かれないぞ。石垣イチゴ作りをやってる農家の人が資料を見たなら、ピンと来るかもしれないがな。
「そうかもね…」
石垣イチゴは此処にしか無いってパンフレットにも書かれているし…。
ずうっと昔にシャングリラで作っていたなんてことは、よっぽどでないと気が付かないよね…。
前の自分たちが食べていたというのに、忘れ去っていた石垣イチゴ。白いシャングリラの農場の端でヒルマンが作っていた石垣イチゴ。それは甘くて美味しかったけれど、畑で作ったイチゴより遥かに甘かったけれど。
「…やはり本物には敵わんな。ヒルマンのよりもずっと甘いぞ、このイチゴは」
メロンよりも甘いと言っていたのはダテじゃないなあ、実に美味いってな。
「ホントだよね。ヒルマンのイチゴも美味しかったけど…」
甘いイチゴだと思っていたけど、このイチゴには勝てないね。うんと甘いもの、このイチゴ。
おんなじ石垣イチゴだけれども、やっぱり地球のイチゴだからかな…?
「ヒルマンも何度も言ってただろうが、地球で作ればもっと甘いと」
地球の上で石垣イチゴを育てて、本物の地球の太陽の光を浴びさせてやれば。
そいつで温まった石垣で作ってやったとしたなら、もっと甘くて美味いイチゴが出来るってな。
「ヒルマン、正しかったんだね」
石垣イチゴを作ろうだなんて思い付いただけあって、分かってたんだね。
シャングリラで作っても美味しいけれども、地球で作ったらもっと美味しい、って。
「地球の太陽と、地球の上で積み上げた石垣だからな」
シャングリラの中とは比較にならんさ、人工の照明と本物の太陽じゃ全く違う。石垣はそれほど変わらんとしても、太陽のエネルギーが凄いからなあ…。まるで変わってくるんだろうな。
同じ野菜でも地球のは美味いと、今の俺たちは知ってるんだし…。
石垣イチゴだって同じことだな、ヒルマンの予言は大当たりだ。とびきり美味い石垣イチゴで。
前のお前が食わなかった分まで食べるといい、と促してやった。
石垣イチゴはこれから先にもいくらでも食べることが出来るのだから、と。
「俺が持って来た分はこれで終わりだが、俺たちは地球に来たんだしな?」
嫌というほど食うことが出来るぞ、石垣イチゴ。
遠く離れた他所の地域で作ってるんなら、そう簡単には食えないが…。
同じ地域で採れるからには、気を付けていれば食べ放題だ。取り寄せて貰うことも出来るし。
「でも、シーズン…。石垣イチゴのシーズンじゃないよ、今の季節は」
此処にも一月から五月って書いてあるんだし…。
今だと食べ放題ってほどには無いんじゃないかな、石垣イチゴ。
「時期外れではあるな、買う時にもそう聞いたしな」
品種を変えて作っているから、この季節に採れると言ってたな。やってる農家は少ないらしい。普通は一月から五月なんだという話だから、今の季節に食べ放題とはいかないかもなあ…。
シーズンではないらしい石垣イチゴ。
けれども甘くて、美味しいから。それにシャングリラでも作っていた石垣イチゴだから。
この甘いイチゴを追い掛けたくなる、ブルーと二人で来た地球の上で。
「いつかはイチゴ狩りに行くのもいいかもしれんな」
今は無理だが、お前と二人で出掛けられるようになったらな。
「イチゴ狩り?」
石垣イチゴでもイチゴ狩りに行けるの、畑とは違うみたいだけれど…。
「書いてあるだろ、そのパンフレットに。イチゴ狩りの季節」
シーズン中ならやっています、と書いてあるからには、イチゴ狩りが出来る所があるわけだ。
ただし、お前が知っているようなイチゴ狩りとはまるで違うな、石垣イチゴは山だしな?
山の斜面を利用して石垣を作っているってことはだ、ヒルマンのヤツのようにはいかんぞ。
シャングリラの石垣イチゴは壁沿いに作ってあったからなあ、平らな床を歩いてゆけばイチゴが摘めたが、本物の石垣イチゴは山だ。坂を登らないとイチゴは摘めんな、山だからな。
ちょっと傾斜がキツそうだが…、とパンフレットの写真を指差した。
石垣イチゴの栽培風景を遠くから写した写真。山の斜面に幾つも石垣、段差が幾つも。
小さなブルーは「んーと…」と写真を眺めながら。
「休みながらだったら、登れるかな?」
歩いて登るしかなさそうな場所だし、休み休みで。ちょっと摘んだら、休憩して。
「なんなら俺が背負ってやろうか?」
お前が大きく育った後でも、それほど重くはないからな。歩けないなら背負ってやるが…?
「イチゴ狩りで?」
それじゃイチゴが摘めないじゃない!
ハーレイの背中に背負われていたら、ぼくの手、イチゴに届かないよ?
大きな背中に邪魔をされちゃって、イチゴが摘めそうにないんだけれど…!
「それもそうか…。だったら、石垣と石垣との間。其処を背負って登ってやろう」
石垣の一つ一つは平らに据えてありそうだから、そこでイチゴを摘んでだな…。
もう一つ上の石垣のを摘みに行こうと言うなら、俺が背負って運んでやる、と。一段登ったら、お前を下ろして、二人で摘んで。また登るんなら、お前を背負って。
そういうのはどうだ、登る時だけ俺の背中で。
「うん、それならいいかも…!」
ぼくもイチゴを自分で摘めるし、登る時は休んでいられるし…。
そういう風にしてくれるんなら、石垣イチゴでも疲れずに摘みに行けるよね…!
行ってみたいよ、と小さなブルーは乗り気だから。
シャングリラの頃よりも甘く美味しくなった石垣イチゴを摘みに行きたいようだから。
いつかブルーと出掛けてゆこうか、このパンフレットに書かれている場所までイチゴ狩りに。
山の斜面を登る自信が無さそうなブルーを背中に背負って、石垣イチゴが実る斜面を登って。
遠い昔にヒルマンが「きっと地球ならもっと甘くなる」と語っていた石垣イチゴを摘みに。青い地球の上に積まれた石垣と、本物の地球の太陽と。それが育てた石垣イチゴを。
「ねえ、ハーレイ。この石垣イチゴ、ヒルマンに…」
届けたいな、とブルーが甘い果実を見ているから。
前の自分たちが食べた頃より、甘くなった地球の石垣イチゴを届けたいのだと、赤い瞳を遥かな昔の白いシャングリラに向けているから。
「俺たちが食ったら届くだろうさ、ヒルマンにもな」
きっと美味いと喜んでくれるぞ、これが本物の地球の石垣イチゴなのか、と。
でもって自慢をしてくれるかもな、「地球で作れば、本当に甘くなっただろう?」と。私の説は正しかったと、地球で証明して貰えたと。
もしかしたら、ヒルマンも、もう食ったかもな、地球の石垣イチゴ。
俺たちよりも先に地球に生まれて、石垣イチゴを栽培してるかどうかを調べて。
遠い地域に住んでいたって、ヒルマンだったらきっとやって来るぞ。本物の石垣イチゴがあると分かれば、美味いかどうかを確認しにな。
「ヒルマンだったら、やりそうだよね」
シャングリラの頃の味と比べて、納得して帰って行くんだよ。美味しかった、って。
「ついでに他にも色々と食って帰るかもなあ、ヒルマンだしな?」
きっと石垣イチゴだけでは済まんぞ、この地域の文化ってヤツを下調べするに決まってるんだ。前の俺たちが生きた頃には無かった食い物、あれこれ試して帰るんだろうなあ…。
ヒルマンが地球に生まれたかどうかは分からないけれど。
本物の地球の石垣イチゴを食べたかどうかも謎だけれども、懐かしい白いシャングリラ。農場の端で石垣イチゴが育っていた船、遠く遥かな時の彼方に消えた船。
そのシャングリラに呼び掛けるように、ブルーと二人、窓の外の青い空を見上げた。
本物の石垣イチゴのある地球に来たと、本物の地球の石垣イチゴはとても甘いと。
いつかは二人でイチゴ狩りに行こう、山の斜面の石垣で育つ本物の石垣イチゴを食べに。
地球の太陽と石垣の熱と、それで育った甘いイチゴを。
もしもブルーが疲れそうなら、背中に背負って山を登ろう、イチゴを摘みにゆくために。
そうして二人、笑い合いながら、甘いイチゴを摘んで食べよう。
そんな幸せな休日もいい。ブルーと二人で、石垣イチゴを摘んでは、互いに微笑み合って…。
石垣イチゴ・了
※甘くて美味しい石垣イチゴ。今は、地球の日本だった場所で作られているのですけれど…。
前のブルーたちが生きた頃には、シャングリラの農場にあったのです。懐かしい味。
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