シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(今日は、ハーレイ…)
来てくれやしない、とチリッと痛んだ、ぼくの胸。
学校では顔を見られたけれども、仕事帰りに寄ってはくれない。ぼくと夕食を食べてくれない。ぼくの部屋でお茶を飲んではくれない。
制服を脱いで、おやつを食べて。いつもだったら部屋に戻ると少しドキドキしてるのに。今日はハーレイが来てくれるかも、と窓の方を見たりしてるのに。
それなのに今日は見下ろすだけ無駄な窓の外。鳴らないに決まっているチャイム。鳴ったって、それはハーレイじゃない。ご近所さんか、他のお客さん。門扉の脇についてるチャイム。
ぼくの胸がまたチリッと痛む。微かに、チリッと。
(なんで痛いの?)
ハーレイが来られないだけで。
来られないって分かっているだけで。
生まれつき身体の弱いぼくだけれども、胸が痛くなるような病気なんかは持っていないのに…。
お昼休みに食堂で耳に挟んだ会話。ランチ仲間と食事してたら聞こえて来た。ハーレイの名が。
反射的にそっちに視線を向けたら、体格のいい男子生徒のグループ。ハーレイが顧問をしている柔道部の部員たちだった。ハーレイの名前が出たって何も不思議じゃないんだけれど…。
予知能力は皆無のぼく。前のぼくの頃から殆ど無かった。
でも、ああいうのを「虫の知らせ」って言うんだろうか?
ついつい聞き耳を立ててしまった、柔道部員たちの会話の中身。ハーレイの名前の続きの話。
柔道部に入っている生徒の一人が風邪をこじらせて休んでいる、って。
様子を見がてら、ハーレイがお見舞いに行くんだ、って。
だから来られない、今日のハーレイ。お見舞いに出掛けてしまったから。
ぼくには誰だか見当もつかない、柔道部員の誰かの家。其処にお見舞いに行っちゃったから…。
(来られないって分かっているから辛いんだよ、きっと)
待つ楽しみが無くなったから。もしかしたら、って待つだけ無駄だと分かっているから。
ハーレイと幸せな時間を過ごせる可能性がゼロになったから。
普段だったら、何処かで期待している時間。その時間が最初から全く無いんだから。
(でも…)
そんな日だってまるで無いわけじゃない。
ハーレイが研修で出掛けちゃったり、柔道部の試合で他の学校とかへ行ってる時とか。こういう日は初めてって言うわけじゃなくて、ぼくは何度も経験してる。
チャイムが鳴らないと分かっている日。ハーレイが来ないと決まっている日。
(いつもは痛くならないのに…)
胸が痛んだことなんか無い。チリッと痛んだ覚えは無くて。
(どうして今日は胸が痛いの…?)
なんで、って考えても分からない。ぼくの胸がチリッと痛くなった理由。
ホントのホントに初めての症状、病気じゃないとは思うんだけど…。
症状って言い方は変かもしれないけれども、初めての痛み。チリッと痛くなったぼくの胸。
その原因が分からない。ハーレイがお見舞いに出掛けた先と同じで謎。
(いいな…)
何処に住んでるのか、どんな顔かも分からないけれど、ハーレイにお見舞いに来て貰える生徒。風邪をこじらせた柔道部員。病気はとっても気の毒だけれど、羨ましいと思っちゃうんだ。
だって、ハーレイにお見舞いに来て貰えるんだから。わざわざ家まで。
(…お見舞いだから、手ぶらじゃないよね…)
絶対、何かを持って行ってる。お見舞いに何か。
病気なんだし、男の子でも花束を貰ったりするんだろうか。それとも、クッキー?
柔道部員御用達だぞ、ってハーレイが言ってた近所のお店のお得な大袋。割れたり欠けたりしたクッキーの徳用袋をおやつに用意するんだって聞いているけど、其処の綺麗な詰め合わせとか。
「元気になったら食べてくれよ」って、クッキーの箱。
でなければ、「早く治せよ」って、元気が出そうな明るい色の花を纏めた花束。
特別なお菓子か、素敵な花束。お見舞いに持って出掛けてゆくなら、きっとその辺。
(ぼくは花束なんか一度も…)
ハーレイから貰ったことが無い。
青い地球の上で再会してから、何度も寝込んで学校を休んだりしてるのに。なのに花束を貰っていない。ただの一度も、ほんの小さな花束でさえも。
(…長いこと休んでいないから…?)
一週間も丸ごと休む、ってほどの病気はしていない。風邪をこじらせたりもしていないんだし、深刻な病気じゃないからだろうか?
だから花束も特別なお菓子も無くって、「大丈夫か?」って訪ねて来てくれるだけだとか…?
ぼくが大好きなスープを作りに。
何種類もの野菜を細かく刻んで基本の調味料だけでコトコト煮込んだスープを作りに。
(…野菜スープのシャングリラ風…)
食事なんかしたくない、って気分の時でもあれだけは喉を通るんだけれど。前のぼくもそうで、ハーレイが作るあのスープだけは食べられた、ってくらいだけれど…。
所詮は、スープ。
ぼくが病気で休んじゃっても、ハーレイは野菜スープを作りに来てくれるだけ。
(花束もお菓子も貰えないんだよ…)
途端にチリッと痛んだ胸。
どうせぼくなんか、って思った途端に。
(あれ…?)
不意に頭を掠めた記憶。
前にもこんな思いをした。確かにした、っていう気がする。
(いつ…?)
胸が痛いのなんか、初めてなのに。
こんな風にチリッと痛むことなんか、今までに無かったことなのに。
(前のぼく…?)
ソルジャー・ブルーだった頃のぼくが感じた痛みだろうか?
どうして、と記憶を探ろうとしたら思い出した。
アルテメシアだ、って。
前のぼくの胸がチリッと痛んだ、何度も何度も痛んでた場所は。
改造を終えて白い鯨に変身を遂げたシャングリラ。
宇宙のあちこちを旅して回って、雲海の星を見付けて、雲に隠れて。
いざとなったら人類の世界から物資の調達も出来るのだから、と定住を決めて暮らしていたら。
仲間たちの悲鳴を聞くようになった。
成人検査の途中で、あるいはもっと幼い時代にユニバーサルに見付かってしまった子供たち。
とても放っておけやしないし、とにかくぼくが飛び出して行った。
潜入班なんか無かった時代。悲鳴を聞く度、急いで出掛けて、助け出して…。
そうして白い鯨に迎えたミュウの子供たち。
人類の世界しか知らずに育った、広い地面の上で育った子供たち。
(ハーレイが世話をしていたんだよ)
養育部門も作られたけれど、船に慣らすために。地上とは全く違った世界に、育ての親も友達もいなくなってしまった世界に少しでも早く馴染めるように、と。
救出を始めて間もない頃は。
子供たちを育てることに船のみんなが慣れていなかった、初期の間は。
長い長い間、大人だけで構成されてた世界だから。
養父母と子供が大勢いるのが当たり前の場所から来た子供たちも、ぼくたちの方も、どうすればいいのか手探り状態。
そんな中でハーレイがせっせと積極的に動いていた。
キャプテンだから、っていうのもあっただろうけど、元々がとても面倒見のいい性格だから。
子供たちに慕われたキャプテン・ハーレイ。
おどおどしている子を肩車して歩いてやったり、ブリッジを見学させてやったり。
「どうだ、慣れたか?」なんて話をしながら、食堂で一緒に食事をしたり。
ぼくも子供たちと遊んでやったりしたんだけれども、ハーレイと二人で付くことは無かった。
お相手は一人いれば充分、ぼくが付いたらハーレイは仕事に戻ってゆく。
それとは逆にハーレイが来たら、ぼくの方はお役御免になった。
ソルジャーとキャプテン、シャングリラの頂点とも言える二人が子供の世話も無いだろう、と。一人ずつなら問題無くても、二人一緒だと「やり過ぎだ」ってことになる。
そうならないよう自然に交代、子供たちに付くのはどちらか片方。
白い鯨の中、ハーレイに世話をして貰える子供が羨ましかった。
肩車や、二人一緒の食事や、遊びの時間。
キャプテンに特別扱いされる子供が、親しく面倒を見て貰っている子供の姿が。
(まるで昔のぼくみたいだ…)
流石に肩車をして貰うには大きすぎたから、その経験は無かったけれど。
アルタミラから脱出した後、ハーレイの後ろにくっついてた、ぼく。
何処へ行くのもハーレイと一緒、ハーレイの大きな背中の後ろ。
大きな背中に守られてた、ぼく。
ソルジャーじゃなくてチビだった頃の、心も身体も育つ前のチビの頃のぼく。
いつだってハーレイが話し掛けてくれて、他の仲間たちと馴染めるようにと気を配ってくれて。
そう、今、子供たちにしているように。
シャングリラに迎え入れたばかりの子供たちにそうしているように。
(あそこはぼくの居場所だったのに…)
チリッと胸が痛む。ぼくの居場所に他の子がいると、別の子供が収まっていると。
だけど戻れない、ハーレイの後ろ。大きな背中に守られる後ろ。
奪えない、子供が立っている場所。シャングリラに来た子の安らぎの場所。
あそこはぼくの場所だったのに、と言った所で始まらない。ハーレイはキャプテンなんだから。ぼくがその場所に居なくなってから、ソルジャーになってから、もう随分と経つんだから。
だけど…。
(痛い…)
チリリと痛みを訴える胸。
子供に優しく笑い掛けてるハーレイを見ると。
遊んでやったり世話をしているハーレイを見ると、胸が痛くてたまらなくなる。
ぼくの居場所を失くしてしまったと、別の子供が其処に居ると。
「ソルジャー、どうしたの?」
何処か痛いの、って少し前から船に居る子供たちに訊かれて我に返ることも、しばしばで。
酷い時には当の子供に、ハーレイと二人で面倒を見ている子供に尋ねられたりもした。
どうかしたのと、何か考え事でもあるの、と。
まさか子供に言えやしないから、「なんでもないよ」と誤魔化したけれど。
胸が痛いなんて、羨ましいなんて言えやしなくて、穏やかに微笑み返しておいたけれども。
(ぼくが居た場所…)
帰れない場所。
もう二度と帰れはしない場所。
子供たちが来るまで忘れ去っていた、気にしていなかったハーレイの後ろ。
誰も其処には立たなかったから、すっかり忘れてしまっていた。懐かしい大きな背中の後ろ。
ハーレイの大きな背中に守られ、その後ろに居た頃の安心感と心地良さ。
(あそこはぼくの場所だったんだよ…)
ぼくだけの場所だと思っていた居場所。それを盗られた。盗られてしまった。
取り返したくても、取り返せない。
ソルジャーがそれをすべきではないし、そうでなくても、ぼくは子供じゃないんだから。
分かっているのに、ハーレイの後ろは船に慣れない子供のための場所だと分かっているのに…。
(…まただ…)
新しい子を船に連れて来る度、ぼくの胸が痛む。チリリと痛む。
ぼくの居場所を盗られてしまったと、ハーレイの大きな背中の後ろをまた盗られたと。
(…胸が痛いよ…)
その子がシャングリラに慣れてハーレイがお役御免になったら、痛まないけれど。
チリリと胸を刺してた痛みは綺麗に消えてしまうんだけれど。
でも、また直ぐに次の子供がやって来る。ハーレイの後ろに隠れる子供が、守られる子が。
(養育部門を早く充実させなきゃ…)
キャプテン自ら子供の面倒を見てやらなくても済むように。
これから船に迎え入れるだろう子供たちのためにも、より良い環境を整えなければ。一日も早く船に馴染めるよう、専門の養育スタッフたちを多く育てて配属せねば。
子供たちのためだとか、キャプテンの仕事を減らすためだとかは表向き。立派な理由に聞こえるけれども、ソルジャーの案らしく聞こえるけれども、それはあくまで表向きのこと。
本当はぼくが辛かったから。
ぼくの胸がチリッと痛んだから。
ハーレイの後ろに、ぼくの居た場所に別の子供が収まる度に。
辛くて、悲しくて、チリリと痛み続ける胸。それが嫌だから、養育部門のスタッフたちの選出と養成を急がせた。子供たちのためだと、キャプテンのためだと御立派な理由をしっかりと付けて。
養育部門がきちんと機能し始め、ハーレイが子供たちの世話から解放された後。
(ホッとしたけど…)
胸は痛まなくなったんだけれど。
ぼくの居場所を盗られてしまったと、チリリと胸を刺す痛みはすっかり無くなったんだけど。
今度はどうにも寂しくなって、子供たちの姿が見えなくなった場所を見詰めていた。
(…ぼくはあそこに立っていたのに…)
誰も居ないなら、子供たちがもう立たないのならば、ぼくがあそこに戻りたい。
ハーレイの後ろに戻りたい、って。
大きな背中に守られる場所に。安心して立っていられた場所に。
(もしかしたら…)
あれは嫉妬というものだったろうか?
居場所を盗られたと、ぼくの居場所に別の誰かが収まっていると。
だからチリリと痛んだ胸。嫉妬でチリリと痛んでいた胸。
そして今のぼくも。
ハーレイが他の生徒を大事にしてると、お見舞いに何かを持って行ったと、胸がチリリと。
そう、これは嫉妬。
ハーレイはぼくよりも他の誰かが大切なんだと、そうに違いないと訴える胸。
それは違うと思いたいのに、不安でチリリと痛み出す胸。
今のぼくは「違う」と、ハーレイは他の生徒よりもぼくが大事に決まってる、と知っているのに胸がチリッと痛くなるんだから、それを知らなかった前のぼくだと…。
ハーレイと恋人同士じゃなかった頃の前のぼくだと…。
(あれがハーレイへの恋の始まり…?)
まるで自覚は無かったけれども、嫉妬したなら、そういうこと。
胸がチリリと痛んでいたなら、そういうこと。
ハーレイの後ろに子供が立つ度、ぼくじゃない誰かが収まっているのを見る度、痛んでいた胸。嫉妬でチリリと痛んだ胸。
(子供に嫉妬…!)
よりにもよって子供相手に、と思うけれども、本当に痛くて辛かった胸。
それにハーレイがお役御免になっても、心にぽっかりと開いた穴は埋まってくれなかったし…。
ぼくの場所だと、ハーレイの後ろはぼくの居場所だと思い始めたら止まらなかった。
空いているなら戻りたくって、大きな背中に守られたくて。
気が付いたらハーレイに恋をしていた。
ハーレイの広い背中を目にする度に、振り返ってぼくを見てくれないかな、とドキドキしてた。前みたいに其処に居させて欲しいと、大きな背中で守って欲しいと。
チビだったぼくにしてくれたように、抱き締めて背中を撫でて欲しいと。
(子供のせいで恋しちゃったの?)
ハーレイの後ろを子供たちに奪われたせいで、前のぼくは恋をしたんだろうか?
ぼくの居場所だから返して欲しいと、その場所にぼくが収まるのだと。
まさかね、と苦笑したくなるけど、明らかに嫉妬。
胸がチリリと痛んだ嫉妬。
きっと嫉妬をするよりも前に、とっくに恋をしてたんだ。
前のぼくの居場所を作ってくれてた広い背中に、大きな背中の持ち主だったハーレイに。
ぼくが気付かなかっただけ。
恋をしてると、ハーレイが好きだと気付かずに過ごしていたというだけ。
嫉妬したせいで恋の焔に火が点いた。
まずは邪魔者を排除するべく、ぼくの居場所を奪う子供は養育部門へ。
そうやって邪魔者が居なくなったら、今度は機会を窺っていた。ハーレイの大きな背中の後ろに戻れないかと、ぼくの居場所に戻れないかと。
だけど言えなくて、言い出せなくて。
ハーレイにはとても言えやしないと黙り込んでいたら、抱え込んでいたら夢が叶った。
ぼくに恋してくれたハーレイ。
ぼくの居場所を前よりもずっと広くて暖かな場所に変えて優しく招き入れてくれたハーレイ。
後ろじゃなくって、胸の中へ。
逞しい両腕で強く抱き締めて、すっぽりと包んでくれたハーレイ…。
(うーん…)
せっかく思い出したのに。
前のハーレイとの恋の始まりを思い出したのに、今日はハーレイは来てくれない。
柔道部員の生徒の家までお見舞いに行ってしまったから。きっとクッキーか花束を持って。
そう思うと胸がチリッと痛む。嫉妬でチリリと痛みが走る。
こんな日にぼくを訪ねてくれないだなんて。
恋の始まりをぼくが思い出した日に、他の誰かの家へ出掛けて行っちゃうだなんて…。
(酷い…)
ぼくの居場所を盗られてしまった。柔道部の誰かに、顔も名前も知らない誰かに。
ハーレイの側に居る筈なのはぼくなのに、って子供たちに嫉妬していた昔のぼくみたいなことを考えていたら、チャイムの音。門扉の横にあるチャイムを誰かが鳴らしている音。
どうせご近所さんなんだ、って放っておいた。
窓から門扉の方も見ないで、勉強机に頬杖をついて仏頂面で。
そうしたら…。
「なんだ、御機嫌斜めか、今日は?」
ぼくの部屋のドアをノックしたのも、開けたのもママだと思っていたのに。
ママには違いなかったけれども、お茶とお菓子を載せたトレイを持ったママの後ろで軽く右手を上げたハーレイ。なんでハーレイ…?
ぼくはポカンと口を開けてから、目を丸くしたままでハーレイに訊いた。
「…ハーレイ、今日はお見舞いに行ったんじゃなかったの?」
「おいおい、とんだ地獄耳だな」
何処で聞いた、って笑いながらハーレイはいつもの椅子に座った。ママがテーブルに紅茶とかを並べる間に、ぼくもハーレイの向かいの椅子へと移りながら。
「お昼休みに食堂で聞いたよ、柔道部の人たちが喋っていたのを」
「ふうむ…。そいつで正解なんだがな」
確かに行っては来たんだが、って答えたハーレイは、ママが部屋から出て行った後で。
「そうそう長居が出来るか、馬鹿」
お前の家と他所様の家とをごっちゃにするな。
見舞いに行ったらお茶は出て来るが、親しい家とは違うんだからな。それに相手は病人だ。俺のせいで疲れさせてもいかんし、早めに帰るのが礼儀ってもんだ。
そういうわけでな、こっちにも回って来られたんだが、なんで機嫌が悪かったんだ…?
どうしたんだ、ってハーレイの鳶色の瞳が柔らかい笑みを浮かべているから。
何か気になるなら言えって言うから、もちろん話すことにした。
だって、元々、話したかったし…。なのにハーレイが来てくれないから膨れてたんだし。
「あのね、ハーレイ…。思い出したよ、ぼくがハーレイを好きになった切っ掛け」
「はあ?」
意表を突かれたって表情のハーレイだけど。ぼくは構わず一気に続けた。
「えーっとね…。思い出した切っ掛けはお見舞いなんだよ、ハーレイが行って来たお見舞い」
今日はハーレイ来ないんだ、って思ったら胸が痛かったんだよ、こんなの初めて。
なんでかな、って考えていたら、前のぼくもおんなじだったんだ。
それがどういう時だったのか、って思い出してみたら、シャングリラに来た子供たち。
ハーレイが世話をしていた子供たちだよ、養育部門が本格的にスタートするよりも前に。
あの子供たちに嫉妬したんだ、それが始まり。
ぼくの居場所を盗られちゃった、って、ハーレイの後ろに居るのはぼくの筈だったのに、って。
子供たちを追い払いたくて、ハーレイの後ろに戻りたくって。
気が付いたらハーレイに恋をしてたよ、もう一度あそこに戻りたい、って。
居心地の良かった所に戻りたいんだ、ってハーレイの背中を眺めてた。
ぼくに気付いて、って。
振り返ってぼくを見て欲しいよ、って…。
子供たちに嫉妬したのが恋の始まりで切っ掛けなんだ、って説明したら、ぼくが恋をした相手のハーレイの方は「なんだかなあ…」って呆れた顔になったけれども。
「お前、子供に嫉妬したのか」って笑ってるけど、悪い気はしてないようだから。
上機嫌なのがちゃんと分かるから、ぼくも尋ねてみることにした。
「ねえ、ハーレイがぼくを好きになったのは、いつ?」
「なんでそいつを話さなきゃならん」
お前が思い出話ってヤツをするのは自由だが…。俺まで付き合う義理なんかないぞ。
話さなくっちゃいけない理由は何処にも無いしな、そういった個人的なことをな。
「もしかして、思い出せないとか?」
忘れちゃったとか、ぼくが今日まで思い出しさえしなかったみたいに。
ハーレイも綺麗に忘れちゃったの、それともちゃんと覚えているのに教えるつもりは無いのか、どっち?
「さあな。何かと言えばキスだの何だのとうるさいチビに答えてもなあ…」
「ちょっとくらい…!」
いいでしょ、忘れちゃったのか、覚えてるかくらいは教えてくれても…!
「駄目だ。俺が柔道部員の見舞いに出掛けた程度で嫉妬するようなチビには教えん」
その手に乗るか、って突っぱねられた。
ぼくはただ、ハーレイがぼくを好きになってくれた切っ掛けを訊きたかっただけなのに…。
ハーレイの恋の始まりがいつか、何だったのかを知りたいと思っただけなのに…。
教えて貰えない、ハーレイのぼくへの恋の始まり。恋の切っ掛け。
ぼくの日頃の行いが悪いからだ、って鼻で笑われたけれど。
禁止されてるキスを強請って叱られてるのは本当だけど。
チビになってしまう前の、前のぼくだった頃のハーレイとの恋。本物の恋人同士だった恋。
生まれ変わっても切れずに続いた、ぼくとハーレイとの恋の絆の始まりになった大事な出来事。
ぼくの場合は子供たちへの嫉妬だった、って思い出したけど、ハーレイにだってある筈なんだ。恋の切っ掛け、恋の始まり。恋だと自覚した瞬間。
それをハーレイは覚えているのか、忘れてしまったままなのか。
どうにも気になるし、それだけでも知りたくてたまらないのに、ハーレイは教えてくれなくて。
(…忘れちゃった…?)
ぼくが思い出したのに、自分の方では思い出せないなんて言いにくいのかな、と思ったけれど。
それも思いやりっていうものの形の一つかも、って一旦、納得しかかったんだけれど。
(航宙日誌…!)
前のハーレイが残した超一級の歴史資料。キャプテン・ハーレイの航宙日誌。
ハーレイが前に話してくれた。普通の活字や文字になったものでは駄目だけれども、ハーレイの筆跡をそのまま写した日誌だったら、それを書いた時の出来事を鮮やかに思い出せると。
傍目には単なる記録に過ぎない文の向こうに、その日の自分の思いの全てが蘇るのだと。
(…ということは…)
前のハーレイの筆跡を写した出版物は研究者向けの専門書だから、とてつもない値段だと聞いたけれども。本になっていないデータベースの方にだったら誰でも無料でアクセス出来る。
現にハーレイもその方法で読んで、筆跡の魔法に気付いたんだから…。
(思い出していない筈が無いじゃない…!)
ぼくとの恋の始まりがいつか、その切っ掛けは何だったのかを。
そうした辺りの日誌を読んだと聞いた覚えも確かにあったし、ハーレイは絶対、知っている筈。なのに教えてくれないだなんて…!
「ハーレイ、ホントは覚えてるくせに…!」
思い出したよ、航宙日誌に何もかも全部書いてあるってことを!
普通の人の目には分からなくっても、ハーレイだけは色々なことを読み取れるって!
「それがどうした?」
悔しかったらお前も読めばいいだろう。データベースならタダで読めるぞ、航宙日誌。
俺の解説は付けてやらんが、頑張って読んでみるんだな。
「ハーレイのドケチ!」
恋の始まりと切っ掛けなんだよ、教えてくれてもいいじゃない!
ぼくの切っ掛けはちゃんと話したのに!
「男はそうそう喋らんものだ。そうした大事な思い出ってヤツは」
「ぼくも男だよ!」
だけど喋ったよ、ハーレイに恋をしているんだ、って気付いた時はいつだったのか!
男だけれども喋ったんだし、ハーレイだって!
「お前、男には違いないが、だ。チビだろうが」
一人前の男ってヤツはチビとは色々違うってな。
お前も大きく育った時には、菓子を食いながら恋の話なんぞはしないだろうさ。
それに相応しい時と場面があると言ってみたって、チビのお前にゃ分からんだろうなあ…。
同じ話でもうんと値打ちが変わるってもんだ、時と場面を選ぶだけでな。
「うー…」
きっとハーレイが言っていることは正解で。
お茶とお菓子をお供に語り合うより、もっと似合う時があるんだろう。それから場所も。
今のぼくには漠然としか分からないけれど。
恋人同士でそうした話を持ち出した時に値打ちが出るのは、きっと子供じゃなくなった頃…。
(今のぼくだと無理っぽいよね…)
どんなに頼んでも決して教えて貰えそうもない、ハーレイのぼくへの恋の始まり。
だけどいつかは訊き出してみせる。
ハーレイが言う「値打ちがある」って時を掴んで訊いてやるんだ。
結婚するまで無理かも、っていう気はするんだけれど…。
それでも必ず、いつかは訊く。そして答えを貰ってみせる。
ぼくのハーレイへの恋の始まりは小さな嫉妬。
ハーレイの恋の始まりは何か、ぼくへの恋の始まりは何か、いつか必ず訊かなくっちゃね…。
小さな嫉妬・了
※前のブルーが、ハーレイへの「好き」を自覚したのは、子供たちへの嫉妬から。
他にも色々あるんでしょうけど、自分の居場所を盗られたというのは大きかったかも…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
今年もシャングリラにクリスマスシーズンがやって来た。
公園には大きなクリスマスツリーで、夜には輝くイルミネーション。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はワクワク眺めて、もうドキドキで…。
(今年のプレゼントは何をお願いしようかな?)
何がいいかな、と夢見るけれども、去年のプレゼントはもう忘れていた。
毎日、毎日、悪戯三昧、それが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の楽しみ。悪戯でなければグルメ三昧、アルテメシアの街に降りては食べまくり。
ただでも長いのが「子供の一日」。
永遠の子供な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、子供のまんまで年を取らない。お蔭で一日は長いまんまで、それを使って悪戯とグルメの日々だから…。
(去年は何を貰ったんだっけ?)
ちょっと考えて、「覚えてないや」と考えるのを放棄した。そういうキャラではないものだから。考え事に向いているなら、とうの昔に悪戯小僧は卒業だろう。
けれど、覚えていることもある。「サンタクロースには、お願いできないものもある」と。
(…地球に連れてってはくれないし…)
サンタクロースの橇に一緒に乗って行けたら、地球の座標が分かるのに。
大好きなブルーを、シャングリラで地球に連れて行けるのに。
(座標設定、ぼくには分かんないけれど…)
それに「行って来た」地球の座標も、自分じゃ計算なんか出来ない。行って戻ったら、ハーレイとかに頼み込むことになるのだろう。「こう行って、こうで、こうだった」と道を説明して。
(ここでワープで、ワープアウトしたら、右とか左に行くだとか…)
そんなアバウトな言い方をしても、ピンと来るのがプロというもの。任せて安心、地球の座標は計算可能で、それが分かれば入力して座標設定で…。
(長距離ワープで、ちゃんと地球まで行けそうなのに…)
サンタクロースの橇には乗せて貰えなかった。地球の座標は今も分からないまま。
(お願いする方法、あればいいのに…)
そうは思っても、無い名案。
シャングリラの名物、クリスマスシーズンになったら出てくる「お願いツリー」を眺めても…。
(吊るすカードに書きたいものって…)
まだ無いよね、と考える。
最高のプレゼントを頼みたいけれど、思い付かないと「書けない」お願い。
クリスマスに欲しいプレゼントをカードに書いて、「お願いツリー」に吊るしておいたら、サンタクロースに届くらしい。…子供の場合は。
(大人だったら、係が集めて…)
プレゼントを届けてくれるんだよね、と「お願いツリー」は頼もしい存在。横に置かれた「何を書いてもいい」、お願い用のカードの山も。
(頼めないものもあるけれど…)
でも、とドキドキ、やっぱりワクワク。今年は何を頼もうかな、と。
去年のお願いは忘れたけれども、きっと素敵なプレゼントだった筈だから。
(こんな所で考えてるより…)
まずは行動、そうすればアイデアも湧いて来る。ただ、如何せん、悲しいことに…。
(クリスマスツリーと、お願いツリーが出ちゃったら…)
生き甲斐とも言える悪戯の方は、暫しお休み。
サンタクロースに、「いい子なんです」とアピールしないと駄目だから。
(悪い子だったら、クリスマスの朝に靴下の中を覗いても…)
入っているのは鞭だけらしい。悪い子のお尻をぶつための鞭。
それは嫌だし、このシーズンは出来ない悪戯。仕方ないからグルメ三昧、そっちに走ることになる。今年もグルメで、食べまくりながら待つクリスマス・イブ。
アルテメシアの街に降りては、あちこちの店に入りまくりで。
とにかく今年もグルメなんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はヒョイとシャングリラを飛び出した。アルテメシアの街に向かって、得意の瞬間移動でポンと。
(何を食べようかな?)
お小遣いはブルーが沢山くれるし、何を食べてもお金に困ることはない。豪華なコースを端から攻めても、高級な店をハシゴしても。
けれど、この秋からハマッているのが「皿うどん」。パリパリの麺に、あんかけにした具がたっぷり。食べている間に熱々の「あん」が麺にいい感じにしみ込んで…。
(パリッと、しっとり…)
美味しいよね、と唾をゴックン。
そろそろ本格的に冬だし、例年だったら鍋やラーメンに走るけれども…。
(一日、一度は皿うどんだもーん!)
今日は此処だ、と弾む足取りで入って行った。すっかり馴染みの店の一つに。
「らっしゃい!」
「皿うどん、五つお願いしまぁーす!」
切れないように運んで来てね、と「通」な注文。大食いだからバクバク食べるけれども、皿うどんの命は「パリッと、しっとり」。一度に五つも持って来られたら…。
(最後のお皿は、食べる頃には、しんなりしちゃって…)
麺が美味しくないんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は良く分かっていた。店の方でも心得たもので、順に運んで来てくれて…。
(やっぱり最高!)
皿うどんはパリッと、しっとりなんだよ、と食べに食べまくって、五皿目に辿り着く頃に…。
(あれ?)
あんな所に張り紙がある、と気が付いた。レジの直ぐ横に。
(アルバイト募集中…)
年末年始、と書かれた紙。「急募!」の文字も。
(えーっと…?)
皿うどんの店は年末年始に流行るのだろうか?
よく分からない、と首を捻って、「御馳走様」と食べ終えてから、レジの所で指差した。
「アルバイトって…。なんで、年末年始?」
「ああ、これかい? 今年は皿うどんがブームらしくてねえ…」
年越し蕎麦より皿うどんらしいよ、と店のオジサンが教えてくれた。「そういうお客さんが多いようだから、アルバイトを募集してるんだ」と。
年越し蕎麦の代わりに皿うどん、お正月にも皿うどん。そんなブームが来ているらしい。
(ぼくは秋から食べていたから…)
どうやらブームの最先端。グルメ冥利に尽きるというもの、御機嫌で店を後にした。
「ぼくって、見る目があったんだ!」と、皿うどんブーム到来にホクホクしながら。そうとなったら、次に入るのも…。
(皿うどん!!!)
此処に決めた、と飛び込んだ店にも、やっぱり張り紙。「アルバイト募集中」で、年末年始で、おまけに「急募!」。
(ぼくって、凄い…!)
グルメ三昧が長いけれども、これほどのブームの先駆けとなれば鼻高々。アルテメシアの皿うどんの店なら、端から顔が利くのだから。
その日は一日、端から回った。皿うどんの店を、あっちも、こっちも。
美味しかった、と戻った夜のシャングリラ。
(お腹一杯…)
ちょっと運動、と公園に行けば、クリスマスツリーが輝いている。小さめのお願いツリーの方もライトアップで、葉っぱやカードがキラキラと。
(サンタさんに何をお願いしようかなあ…)
皿うどんは自分で買えるものね、と思った所で閃いたこと。
(そうだ、アルバイト!)
いきなり流行った皿うどんの店は、アルバイト募集中だった。忙しくなりそうな年末年始に備えて、何処の店にも「急募!」の文字。
(あれって、子供のアルバイトも…)
出来たかどうかは知らないけれども、「とても忙しい人」なら心当たりがある。
只今ブームの皿うどんではなくて、ずっと昔から「忙しい人」。それもクリスマスに。
(……サンタさん……)
広い宇宙を、たった一日で回るサンタクロース。トナカイの橇で、一人きりで。
(ずうっと昔は、地球だけ回れば良かったけれど…)
今では宇宙の全てが対象。育英都市がありさえすれば。
(テラフォーミングが進んでいったら、育英都市も増えるしね?)
きっとサンタクロースは、目の回るような忙しさ。あっちへこっちへ走り回って。
なにしろ人類の住む都市ばかりか…。
(いくらアルテメシアの上空にあるって言っても…)
シャングリラにまでやって来るのだし、もう本当に忙しいのに違いない。そういう状態にいる人のことを、ヒルマンは確か…。
(猫の手も借りたいって言うんだっけ…?)
シャングリラに猫はいないけれども、「役に立たない」ことなら分かる。猫の手なんか。
それに比べたら、自分の方が、きっとよっぽど…。
(役に立つよね?)
それだ、とウキウキ、お願いツリーに吊るすカードを手に取った。「今年はコレ!」と。
カードにお願い事を書いたら、吊るすだけ。「ぼくって、とっても頭がいい!」と自画自賛で。
「これで地球まで行けるもんね」と御機嫌で。
そしてピョンピョン、スキップしながら立ち去ったけれど…。
「…ソルジャー。今年のぶるぅの願い事ですが…」
ご存じでしょうか、とキャプテン・ハーレイが青の間を訪れた。それから何日も経たない内に。
青の間の主のソルジャー・ブルーは、炬燵に入ったスタイルのままで頷いた。
「知っているよ。…それで、君はミカンより、塩煎餅だっけね」
どうぞ、と菓子鉢が差し出され、「頂きます」と炬燵に入ったハーレイ。塩煎餅を手に、ほうじ茶なんかも啜るけれども、今の問題は其処ではなくて。
「ぶるぅは、アルバイトを希望しておりますが…」
それもサンタクロースのです、とハーレイが眉間に寄せた皺。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお願いツリーに吊るしたカードには、こう書かれていた。
「来年は、ぼくをアルバイトに雇って下さい」。
子供らしい字で、デカデカと。漢字なんかは欠片もなくて。
「そのようだね…。皿うどんの店で火が点いたようだ」
「は? 皿うどんですか?」
なんでまた、とハーレイはブームに乗り遅れていた。シャングリラから出ないキャプテンなのだし、当然と言ったら当然だけれど。
「…人類のニュースにも目を通したまえ。今は皿うどんがブームなんだよ」
年越し蕎麦も、新年もソレで行くらしい、とソルジャー・ブルーは流石の知識。ついでに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が見ていた、「アルバイト募集」の張り紙のことも知っていた。
それのせいで思い付いたらしい、とアイデア源を。
「なんと…。しかし、あのようなことを頼まれましても…」
サンタクロースは私ですが、とハーレイは自分の顔を指差す。「あんな、とんでもないアルバイトなどは要りません」と、「本物のサンタクロースも断るでしょう」とも。
「それはまあ…。そうなるだろうと思うんだけどね…」
でも、本人が納得しないと駄目だろう、とソルジャー・ブルーは可笑しそうで…。
その夜、グルメ三昧から戻った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、大好きなブルーに呼び出された。
「直ぐにおいで」と思念で、青の間まで。
「かみお~ん♪ 呼んだ?」
おやつくれるの、と瞬間移動で飛び込んで行って、クルクル回って着地をしたら…。
「お饅頭ならあるけどね?」
「わぁーい!」
いっただっきまーす! と蕎麦饅頭にガブリと齧り付き、パクパク、モグモグ。もっと、もっとと包み紙を剥いでは頬張っていると…。
「ぶるぅ、サンタクロースにアルバイトを申し込みたいんだって?」
ブルーが訊くから、「うんっ!」と元気に頷いた。
「サンタさんは、とっても忙しいんでしょ? クリスマスには!」
「そう思うけど…。アルバイトをして、どうするんだい?」
「アルバイトだったら、地球に行けるの! お手伝いしに!」
プレゼントの用意から手伝えるもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胸を張った。とても多忙なサンタクロースは、きっとアルバイトが欲しい筈。
(でも、サンタさんがアルバイトを募集したくても…)
皿うどんの店みたいに、張り紙をする場所が何処にも無い。広い宇宙を探しても。
だから欲しくても雇えないのがアルバイト。
名乗り出たなら、きっと来年は採用される筈だから。
「なるほどね…。サンタクロースも喜びそうだとは思うけど…」
無理じゃないかな、とブルーが言うから、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキョトンとして。
「なんで? アルバイトするのは来年だよ?」
来年のクリスマス前に、シャングリラに来て、連れてってくれれば間に合うよ、と自慢の説を披露した。雇われるのは来年なのだし、問題なんかは無さそうだから。
「それはそうかもしれないけれど…。でも、ぶるぅ…」
ぶるぅは何処の学校を卒業したのかな、というブルーの質問。「今、通っている学校は?」と。
「えっ、学校…?」
行ってないけど、と答えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
ヒルマンが教える教室にさえも行かない始末で、人類の世界にしかない学校の方は更に無縁で。
その学校が、アルバイトするのと何か関係があるのだろうか…?
「やっぱり、ぶるぅは知らなかったんだね。…アルバイトは子供も出来るけど…」
通っている学校が無いと駄目だよ、とブルーは言った。
学校が出してくれるアルバイトの許可証、それを渡さないと店では雇って貰えない仕組み。皿うどんの店のアルバイトもそうだし、何処の店でも同じこと。
だから、もちろん、サンタクロースも…。
「アルバイトの許可証を、持っていないと駄目なの?」
目が真ん丸になった「そるじゃぁ・ぶるぅ」。学校に行っていない以上は、許可証なんかは貰えないから。
「多分、サンタクロースもそうだよ。それに、ぶるぅはまだ小さいし…」
学校の許可も下りないだろうね、とブルーはフウと溜息をついた。「いいアイデアだし、サンタクロースも喜びそうだけど、ぶるぅには無理だ」と。
「そんな…。それじゃ、アルバイトは出来ないの?」
「無理だと思うよ。サンタクロースが困らないように、お願い事を変えた方がいい」
皿うどんを山ほど頼んでもいいし、お菓子を山ほど注文してもいいね、とブルーがくれたアドバイス。そのアドバイスは嬉しいけれども、せっかく浮かんだアイデアの方は…。
(…サンタさん、雇ってくれないんだ…)
地球でアルバイトは無理みたい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の夢は今年も砕けた。
正確に言うなら来年の夢で、来年のクリスマス前に「地球でアルバイトをする」ことで…。
(…地球の座標が手に入るのに…)
駄目なんだ、とガッカリしたって無理なものは無理。
アルバイトのためだけに学校に行っても、小さすぎるから許可証は貰えないのだから。
かくして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお願い事は書き換えられた。
それは平凡で、無難なものに。
「来年もグルメブームの最先端を走れますように」という、可愛いものに。
「ソルジャー、あれも如何なものかと思われますが…」
私にはとても無理ですよ、とハーレイが愚痴る青の間の炬燵。塩煎餅を齧りながら。
「無理だろうねえ、皿うどんのブームが来ていたことも知らないようでは…」
あの願い事はとても叶えられないサンタクロースだ、とソルジャー・ブルーはクックッと笑う。それは可笑しそうに、楽しそうに。
「笑い事ではありませんが…!」
「いいんだよ。どうせ、ぶるぅは直ぐに忘れるから」
来年のグルメブームなんかより、目先のプレゼントだからね、という意見は正しい。何処も全く間違っていないし、ハーレイの方も納得で…。
「では、クリスマス・イブは、普通にプレゼントでよろしいのですか?」
「それ以外に何があるんだい? 君がサンタクロースを務めてくれれば充分だよ」
ぶるぅには何を贈ろうかな、と思案しているソルジャー・ブルー。「皿うどんかな?」などと。
「皿うどんですか…。あれは、出来立てが命なのでは?」
麺がパリッと、しっとりでは…、とハーレイも知識を仕入れたらしい皿うどん。「麺がすっかり湿ってからでは、駄目だそうですが」と。
「君も勉強したようだね。うん、パリッと、しっとりが美味しいんだよ」
こんな具合に…、とブルーが何処かに思念を飛ばして…。
「そ、ソルジャー!?」
炬燵の上にホカッと出て来た皿うどん。熱々の湯気を立てているのが、二皿も。
「ぶるぅだよ。ちょうど、皿うどんの店にいたものだから…」
出前をお願いしてみたよ、とブルーが勧める皿うどん。「君も本物を知りたまえ」と、割り箸なんかも添えてあるのを。
「はっ、はい! お相伴させて頂きます!」
ソルジャーとキャプテンは割り箸をパキンと割って、皿うどんを早速食べ始めた。あんかけの具がたっぷりと乗って、パリッと、しっとり、そういう麺が美味しいのを。
食べ終えた後には、ソルジャー・ブルーが空のお皿にお金を入れて、瞬間移動で店に返して。
そんなこんなで「そるじゃぁ・ぶるぅ」はグルメ三昧、皿うどん三昧の日々。
やがてクリスマス・イブがやって来て…。
(…今夜はサンタさんが来てくれるんだよ…!)
来年もグルメブームの最先端を突っ走れますように、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がワクワク吊るした靴下。「グルメブームの最先端」なんぞが、靴下に入るわけもないのに。
いったい何を期待しているのか、もう本当に小さな子供の行動は謎。
「ハーレイ、ぶるぅは眠ったようだから…」
よろしく頼むよ、とソルジャー・ブルーがハーレイに渡したプレゼントの包み。
「ソルジャー、これは?」
「皿うどんは流石にどうかと思うし、ぶるぅ専用のマイ箸だよ」
ちゃんと名前も入れて貰った、というのがマイ箸セット。その日の気分で選べるようにと、重さや長さや、材質色々。もちろん色も、細工の方も。
「はあ…。マイ箸セットですか…」
「グルメブームの最先端を行くんだったら、必需品だと思うけれどね?」
来年も言っているようだったら、銀のカトラリーでも贈ろうかな、とソルジャー・ブルーは至極真面目な顔。「極めるんなら、ぼくも力を貸さないとね?」と。
「マイ箸セットの次は、銀のカトラリーだと仰いますか!?」
銀は高価だと聞いておりますが、とハーレイは目を剥いているのだけれど。
「いけないかい? このシャングリラの維持費なんかは、誰が稼いでいるのかな?」
とんでもない額になるんだけどね、とソルジャー・ブルーは涼しい顔。
「そ、それは…。ソルジャーが当てて下さる、宝くじが主な現金収入で…!」
「分かっているなら、それでいい。ぶるぅに銀のカトラリーくらいは…」
プレゼントしたっていいだろう、とソルジャー・ブルーは太っ腹だった。もっとも、既にマイ箸の時点で「べらぼうな」値段らしいのだけれど。
(今どき貴重な象牙の箸も、グルメには欠かせないからね?)
銀の箸も要るし、金の箸だって必要なんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」には甘いのがブルー。
なんと言っても「もう一人の自分」と思うくらいに溺愛中。
ずっと前から、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が青の間に現れてスヤスヤ寝ていた、あのクリスマスの朝の出会いから、ずっと。
「ソルジャーは、ぶるぅに甘くていらっしゃる」と、ハーレイは首を振り振り、青の間を出た。
今年もこれからサンタクロースで、キャプテンの部屋で着替えから。
トレードマークの白い髭をつけ、赤いサンタクロースの服を着込んで、プレゼントを入れる白い大きな袋の中に…。
(これがエラからで、こっちがブラウで…)
ゼルにヒルマン、と詰めてゆくのがプレゼント。毎年恒例、こういう流れ。
(…私のが、これで…)
そしてソルジャーからのマイ箸セット、と順に詰め込み、他にも色々。
悪戯小僧な「そるじゃぁ・ぶるぅ」を恐れる傍ら、シャングリラの面子も「可愛い」と思いもするものだから。「プレゼントを貰った」と喜ぶ顔は可愛いから、と匿名で色々届いたりもする。
(年々、数が増えてゆくのは、人望なのか…?)
あいつに人望があるだろうか、と考えてみて、「ソルジャーの方だな」と結論付けた。
船の誰もが敬愛しているソルジャー・ブルー。そのソルジャーが可愛がっているわけなのだし、悪戯小僧でも人気だろう、と。
(ぶるぅに付け届けをする方が…)
ソルジャー相手にするよりも敷居が低いからな、と納得中。本当にそうかは、ともかくとして。
日頃、悪戯されまくりだから、ハーレイがつける点数は辛め。激辛と言ってもいいくらいに。
(さて、行くとするか…)
これも仕事だ、と袋を担いで、夜の通路を歩いてゆく。
出会った仲間に「お疲れ様です」と労われながら、サンタクロースのコスプレで。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に着いたら、そうっと扉を開けて入って…。
(よしよし、今年は罠などは無いな)
エライ目に遭った年もあるし、とホッとしながら、マイ箸セットを大きな靴下に押し込んだ。これがメインのプレゼントだから、当然のこと。
(他のは、こっちに…)
並べておくか、と絵になるように飾るハーレイ。
なんだかんだで、彼もやっぱり「甘かった」。つける点数は激辛とはいえ、ベッドで寝ている「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、可愛い子供の姿だから。
こうしてクリスマス・イブの夜は更け、次の日の朝がやって来て…。
「クリスマスだあ!」
サンタさん、来てくれたかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は飛び起きた。靴下を見れば、其処から覗いたプレゼント。綺麗な紙でラッピングされて、素敵なリボンがかかったものが。
それに床にも包みが山ほど、どれから開けようか迷うけれども…。
(やっぱり、靴下に入ったヤツだよね?)
悪い子だったら、鞭が入るのが靴下だもの、と靴下の中のを引っ張り出した。
中身は何かとドキドキワクワク、リボンをほどいて、包装紙を勢いよく引っぺがして…。
「わあっ…!!」
パカッと開けた箱の中には、お箸が幾つも。
どれにも「そるじゃぁ・ぶるぅ」と名前が刻まれ、立派な「マイ箸」。
それに、グルメだから分かる。並みの箸ではないことが。象牙や金は分からなくても、漆や象嵌の細工なんかもサッパリでも。
(凄いお箸が、全部ぼくので…)
もう早速に使わなくてはいけないだろう。今がブームの皿うどんの店で、これを端から。
年末年始は皿うどん三昧、年越し蕎麦もアルテメシアで食べてみるのもオツかもしれない。
(シャングリラでブルーと食べるのもいいけど…)
いやいや、此処は出掛けて出前もいい。
一番美味しい店で頼んで、青の間までヒョイと瞬間移動をさせて…。
(ブルーと一緒に、皿うどんで年越し…)
それもいいよね、と広がる夢。
マイ箸がこんなに沢山あったら、来年もきっと、この皿うどんブームみたいに…。
(最先端を突っ走れるもーん!)
何が流行っても、最先端を行きたいもの。グルメを極めて、「通」と呼ばれて。
皿うどんの店ではまさしく「通」だし、ブームの前から「通」で通っていたのだから。
(皿うどん、食べに行かなくちゃ…!)
朝が一番早いお店は何処だっけ、と他のプレゼントを開けるのも忘れかかっていたら…。
『ぶるぅ? 何か忘れていないかい?』
皿うどんのお店もいいけれど…、と大好きなブルーの思念が届いて、我に返った。
「あっ、いけない! サンタさんのプレゼント、他にも一杯…」
これも、こっちも…、と端から開けては大歓声。
ハーレイたちから贈られたものも、船の仲間が贈ったものも。どれもサンタクロースからだと、信じて疑いもしないのだけれど。
『ぶるぅ、プレゼントもいいけれど…。クリスマスは何の日だったっけ?』
「え? えっと…。サンタさんがプレゼントをくれる日で…」
『それはクリスマス・イブだろう? クリスマスは…?』
ぼくは前に、ぶるぅを貰った気がするけどね、というブルーの声で気が付いた。
大好きなブルーと初めて出会った日は…。
「そっか、今日は、ぼくの誕生日!」
『やっと思い出したみたいだね? ケーキも用意したんだけれど…』
皿うどんの方がいいのかな、とブルーの思念が笑っている。
「公園に特大のケーキを運ぶそうだよ」と、「でも、皿うどんの方がいいかな?」と。
「ううん、ケーキの方がいい!」
でもね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は青の間に瞬間移動した。
マイ箸セットをしっかり握って、「これを貰ったよ!」と報告するために。
「見て、見て、ブルー! 来年もグルメブームの最先端を突っ走れそう!」
「良かったね、ぶるぅ。お願いをちゃんと聞いて貰えて」
いつかは地球にも行けるかもね、とブルーに頭を撫でて貰って、もう御機嫌。そのブルーと一緒に青の間を出て、公園まで二人で出掛けて行ったら…。
「「「ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ!!!」」」
パアン! と幾つものクラッカーが弾けて、厨房のスタッフたちが特大のケーキを運んで来た。
まるでお神輿を担ぐみたいに、何人もで大きな台の上に乗せて。
「わあっ、ケーキだ!」
「ぶるぅが一人で食べていいんだよ、マイ箸ではちょっと無理そうだけどね」
「んとんと…。お箸でも、食べられるかも!」
どのお箸で食べればいいのかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は悩み始めて、その間にも賑やかにパーティーの支度が整ってゆく。
クリスマスは毎年、こうだから。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」の誕生日を祝う行事は、船に定着しつつあるから。
「ソルジャー、皿うどんも用意させておりますので…」
アルテメシアの本場の味には敵いませんが、と笑顔のキャプテン・ハーレイ。
「ソルジャーに本物を御馳走になりましたから、私も勉強いたしました」と。
アルテメシアに派遣している潜入班員たちから情報ゲットで、厨房のスタッフたちが毎日研究。それを端からキャプテンが試食、「ここが違う」とダメ出しをして。
「ぶるぅ、皿うどんも出て来るよ。お箸はそっちで使うといい」
「うん、ブルーにも貸してあげるね。お箸、一杯あるんだもの!」
お誕生日だあ! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。マイ箸セットの箱を抱えて。
それは嬉しそうにあっちへピョンピョン、こっちへピョンピョン、弾ける笑顔で。
悪戯小僧な「そるじゃぁ・ぶるぅ」、本日をもって満十歳。
ケーキをお箸で食べたがるくらいの永遠の子供で、中身はまだまだ十歳には届かないけれど。
ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。十歳のお誕生日、おめでとう!
グルメの最先端・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございます。
悪戯小僧な「ぶるぅ」との出会いは、2007年の11月の末でした。
葵アルト様のクリスマス企画用のペットで、その愛らしさに射貫かれたハート。
期間限定BBSに「ぶるぅ」のお話をせっせと投稿、それが管理人の初創作。
気付けば9年経っていました、今や「最後の」現役アニテラ書き…なのかも。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」に出会わなかったら、ROM専で終わっていたんでしょうに。
創作人生の原点になった、悪戯小僧の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
年に一回、お誕生日は祝ってあげなきゃ駄目ですよね。
クリスマス企画の中で「満1歳」を迎えましたから、今年で10歳になるんです。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、10歳のお誕生日、おめでとう!
※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)
←悪戯小僧な「ぶるぅ」のお話は、こちらからv
(ふうん…)
学校から帰って、おやつの時間。広げた新聞に大きく載ってるオモチャの広告。ぼくより小さな子供向けだから、ぬいぐるみも沢山あるんだけれど。一番人気はナキネズミだって。
青い毛皮のナキネズミ。本物そっくり、可愛く出来てるぬいぐるみ。
(喋るんだ…)
思念波じゃなくて、普通の音声。「こんにちは」とか、買った子供に付けて貰った名前とかを。本当の会話は出来なくっても、ナキネズミを飼っているような気分になれるだろう。
そういう仕組みのぬいぐるみ。可愛がってね、って書かれた広告。幼稚園くらいの年の男の子が肩に乗っけた写真もセット。なんとジョミーの格好で。幼稚園児のソルジャー・シン。
(広告に載るだけあって似てるよ)
まさかジョミーの生まれ変わりじゃないだろうけど、よく似てる。金髪に緑の瞳の子供。明るい笑顔もジョミーみたいで、子供用サイズのソルジャーの衣装も肩のナキネズミも似合ってる。そのナキネズミはぬいぐるみだけど、生きたナキネズミじゃないんだけれど。
(やっぱりジョミーのイメージなんだ…)
ぬいぐるみと一緒にチビっ子のジョミーなモデルを載せてあるくらい、ナキネズミのイメージはジョミーと繋がる。ナキネズミと言えばソルジャー・シンだと、ジョミーなのだと。
(レインだものね…)
ジョミーの肩に乗ってたレインは、人類の世界に出てった最初のナキネズミだから。前のぼくが指示して地上に降ろして、アタラクシアの動物園に送り込んだから。
情報操作をしてレインを送り込むまでは、人類の世界にナキネズミなんかはいなかった。
(宇宙の珍獣って言われてたっけね)
動物園でも人気を集めたレインだったけど、今でも一番有名なナキネズミはあのレイン。
ジョミーとトォニィ、二代のソルジャーがペットにしていた。ジョミーが地球で死んだ後にも、トォニィに可愛がられて長生きしたって伝えられてる。
(…でも、ナキネズミはもういないんだよ…)
ナキネズミは絶滅してしまった。今のぼくが生まれて来るよりも前に、ずっと昔に。繁殖能力が衰えていって、宇宙から静かに姿を消した。
地球が蘇るのと引き換えみたいに滅びてしまったナキネズミ。
最後の一匹だったオスが死んじゃって、それっきり二度と生きたナキネズミは見られなかった。
だけど今でも人気が高いナキネズミ。
本物を見た人はもういないのに。データだけしか残ってないのに。
(見た目が可愛らしいしね?)
それにジョミーとトォニィのペット。英雄だったジョミーと、その後継者のトォニィのペット。人気を呼ぶには充分な要素で、おまけに唯一、思念波が使えた動物だった。
(人間と自由に喋れる動物なんて、今でも存在しないんだし…)
サイオンを使っても、機嫌の良し悪しが分かる程度で、会話なんかは全く不可能。それが現状。
だから人間と話が出来たっていうナキネズミは人気者なんだ。
前のぼくたちが創り出した動物だけれど、ジョミーに渡そうと人類の世界に降ろしたけれど。
でも、元々は…。
(ジョミーに渡すつもりじゃなかった…)
部屋に戻ってから、またナキネズミのことを思い出す。勉強机の前に座って。
ジョミーのためにとナキネズミが存在したってわけじゃなかった。
そうしようと思って創り出した動物なんかじゃなかった。人類の世界に降ろす予定も無かった。
ナキネズミは元々、ミュウのためにと創った生き物。
思念波を使ったコミュニケーションが苦手なタイプの、ミュウの能力を補助するために。
(…もしかして、それって今のぼく?)
サイオンの扱いがとことん不器用なぼく。タイプ・ブルーのくせに、ぶきっちょなぼく。
思念波が基本じゃない世界だから、何も困っていないけど。会話は言葉で、っていう世界だから助かってるけど、もしも思念波での会話が必須だったら、たちまち困ってしまうぼく。
意思の疎通が出来やしないし、身振り手振りで話すしかない。
(そんなことになったら、ナキネズミがいないと喋れないよ…)
前のぼくは思念波を自由自在に扱えたけれど、一度だけレインにお世話になった。ナスカ上空でキースがフィシスを人質に取って逃げて行った時。トォニィが仮死状態になっていた時。
ぼくは長い眠りから覚めたばかりで、キースと対峙するのが精一杯で。
(キースが投げたトォニィを受け止めちゃったら、もう体力が残ってなかった…)
トォニィを抱えて倒れてたぼくに駆け寄って来たレイン。「ブルー、大丈夫?」って。
あの時の有難さは今でもハッキリ覚えてる。
思念波さえ送れない状態だったぼくを、レインがサポートしてくれたから。ぼくの思念波を遠いブリッジまで送り届けてくれたから。
(…あの時は考えてる余裕も無かったけれど…)
今なら分かる。ナキネズミの凄さと、その有難さ。
ナキネズミを貰ったミュウの子供たちが、どれほど嬉しかったのかが。
前のぼくたちがアルテメシアを隠れ場所に選んで、ミュウの子たちを保護するようになって。
ユニバーサルに目を付けられたり、追われたりした子をシャングリラに連れて来たんだけれど。
言葉での会話は問題無いのに、上手く喋れない子供たちがいた。
思念を上手に紡げない子たち。ミュウの特徴で便利な思念波を扱い切れない子供たち。思念波が使えれば一瞬の内に伝達可能な様々なことを、そう簡単には伝えられない子供たち。
もちろん言葉で会話することが基本だったから、それでもかまわないんだけれど。
上手く伝わらないばかりに喧嘩になったり泣き出しちゃったり、そういうことがよくあった。
ある日、ブラウが言い出したこと。
「別に困りはしないんだけどねえ、あたしたちは。言葉があれば充分なんだし」
時間をかけて気長に付き合ってやれば、言いたいこともちゃんと分かるんだからね。
だけど、あの子たちが可哀相じゃないか。
相手が大人なら辛抱強く話を聞いてくれても、子供同士じゃそうなる前に我慢の限界だよ?
思念波さえ使えりゃ、そういった喧嘩も無くなるのにさ。
「うむ。せっかくミュウに生まれたのにのう…」
大いに損をしておるな、とゼルが頷いて、エラも気にしていたみたいで。
「導き手があれば上手く伝達出来るのですが…。私も何度かそういう場面に出会いましたし」
手伝って思念を伝えてやって。それで喧嘩が直ぐに終わるとか、泣き止むだとか…。
「しかし、四六時中、誰かが付くというわけにもいかないものだし…」
それは無理だ、と髭を引っ張って考え込んだヒルマン。
長老たちが集まる会議の席で交わされた話。
思念で上手く話せない子供たちを補助する中継係がいればいいのに、と。
「思念波の増幅装置はどうだろうか?」
ハーレイの提案に、たちまちブラウが噛み付いた。
「あんた、機械をつけられたいのかい? どんな形にせよ、自分の身体に機械ってヤツを?」
そいつは賛成できないね。あたしだったら御免蒙るよ。補聴器くらいだったらともかく。
「子供たちには心の傷でもあるだろうしね、機械というものは」
機械に追われて来たのだから、とヒルマンも言った。
ユニバーサルに発見されて怖い思いをした子供たちには、いくら便利でも機械は駄目だと。
「人間がついてやるのが一番なんじゃが…」
わしが機関長でなければ、纏めて面倒を見てやるんじゃがのう…。
「私もついていてやりたいのですが、常についてはいられないのが実情ですし…」
けれど増幅装置には賛成出来ません、とエラもハーレイの案を否定した。
子供たちには機械ではなく、もっと温かみのあるものを。
思念波を増幅できる仕組みで、親しみやすいものを与えたいのだ、と。
人間が常につくのではなく、増幅装置をつけるわけでもなく。
ならば何だ、ということになって、エラの口から控えめに零れ出た言葉。
「…ペットが使えればいいのですが…」
「ペットじゃと?」
それはいわゆる犬とか猫とか、そういった類の動物かのう?
「ええ、ペットです。人に寄り添い、人の心を癒す生き物。そういうペットを使えれば、と」
「シャングリラにおらんぞ、そんなものは」
犬も猫も乗っておらんわい。第一、動物に思念波なんぞは無いじゃろうが。
「…ですから、そんな能力を持ったペットを作れませんか?」
どうでしょう、ヒルマン。可能性は全く無いのでしょうか?
「ふうむ…。生き物を一から作るのか…」
「それは無理というものじゃろう。皆目見当もつかんわい」
「手を加えたらどうなんだい?」
元からいる動物をちょいと弄れば出来ないのかい、と前向きだったブラウ。
「わしらが動物実験をか?」
アルタミラで散々、えらい目に遭ったわしらが動物相手に似たようなことをするのはのう…。
「あたしもそうは思うんだけどさ、人間様の方が優先だよ」
こっちも生きるか死ぬかって身だし、神様も許して下さるさ。どうだい、ヒルマン?
「…そうかもしれんな…」
我々の特徴はサイオンだ。
思念波を上手く操れるかどうかは、種の存続に関わるものかもしれないし…。
綺麗ごとを言うより、やるべきなのかもしれないな。そういう動物を創り出すことを。
おおよその意見が纏まった所で、ハーレイがぼくに訊いて来た。
「ソルジャーはどう思われますか?」
思念波の中継が可能な生き物を作る。それをペットとして子供たちに与えるという件について。
開発の過程で死んでしまう動物も必然的に出て来るだろうと思われますが…。
「必要ならば、それも仕方のないことだろう。ぼくたちが受けた人体実験とは目的が違う」
殺すためではなくて、生かすための力を生み出す過程での死であれば。
ただし、回避出来るに越したことはないし、細心の注意を払って扱ってやって欲しいけど…。
やってみよう、と決断した、ぼく。
思念波の中継が出来る動物の開発を進めてみよう、と。
ミュウの子供はミュウらしく。
思念波を使うための手助けをしてくれるペットがつくなら心強い、と。
そうして始まったペットにするための動物の選定。
何をベースに開発するかを会議の時に聞かされたぼくは驚いた。
「ネズミだって?」
それがベースになるのかい?
ペットにするなら犬か猫だと思っていたのに、どうしてネズミを選んだんだい?
「ネズミは船が沈む時には逃げると言われているらしくてね」
ヒルマンがネズミを選んだ理由を話した。
遠い昔に人が地球の海を船で航海していた時代。ネズミは沈没しそうな船から逃げてしまうと、沈む船にはネズミがいないと船乗りたちが語り伝えていたらしい。
実際、そうしたケースも多くて、ネズミは船の沈没を予知できるのだと信じられていた、と。
「なるほど…。ネズミには予知能力があるかもしれない、と…」
「そうさ、サイオンが期待出来そうじゃないか」
言い伝えになるほどなんだから、とブラウがパチンと片目を瞑った。
「だけど外見ってヤツがちょいとね。ネズミじゃ誰が見たって可愛いってわけにも…」
「そこでリスなんじゃ、同じネズミの仲間じゃからな」
見た目は全く別物なんじゃが、まるで縁が無いわけでもないからのう…。
ネズミにリスの要素を付け加えるんじゃ、とゼルが言うから。
「掛け合わせるのかい、リスとネズミを?」
「遺伝子レベルで触ることになるね」
そのままでは交配出来ないから、とヒルマンが説明してくれた。
ネズミとリスとの遺伝子を弄って、交配可能な状態にして。それを掛け合わせてベースの動物を創り上げると、その過程で思念波を使えそうな個体が出来たら能力を伸ばす方へと進むと。
新しい動物を創り出すなんて、ぼくは門外漢だから。
どうやってそれを実現するのか、細かいことはヒルマンたちに任せておいたんだけれど。
人間さえも人工子宮で育てていた時代はダテじゃなかった。
データベースにあった膨大な情報を元に、出来上がってしまったナキネズミたち。
そういう名前じゃなかったけれど。名前はついていなかったけれど、後のナキネズミ。
耳が大きくて、ふさふさの尻尾のシャングリラ生まれの新しい生き物。
アルテメシアから潜入班が調達して来た、ネズミやリスをベースに創り上げられたナキネズミ。
ある日、ハーレイが青の間へ定時報告にやって来て。
「ソルジャー。例の動物ですが、ほぼ出来ました。後は血統を選ぶだけだと」
並行して何匹も育てましたので、見た目は実に様々です。基本の姿は同じですが。
「ふうん…?」
「ヒルマンたちが明日、見に来て頂きたいと言っております」
今はまだ実験室で育てておりますが…。
どの血統を選ぶかが決まれば、それ以外の個体は希望者に配るということです。
ハーレイの案内で、次の日に出掛けた実験室。其処は立派な飼育用の部屋になっていた。
広いケージに一匹ずつ入った、色々な色や模様の毛皮を纏ったリスみたいな動物。
リスよりは大きくて小さめの猫と言うべきだろうか、そういう生き物。
ヒルマンに全部同じだと説明された。毛皮の色や模様が違っているだけで、どれも同じだと。
この中から一つの血統を選んで、それを育てると。
集まっていた長老たち。ブラウがぼくに視線を向けて。
「これはソルジャーが選ぶべきだよ、どれにするのか」
「いいのかい?」
ぼくの独断なんかで決めてもかまわないのかい、苦労して開発した生き物なのに。
「ソルジャーがお決めになるべきです。ミュウの未来を担う生き物になるのですから」
選んで下さい、とエラに背中を押された。ソルジャーのぼくが選ぶべきだ、と。
「じゃあ…」
どれにしようかと見回したケージ。その中に見付けた、青い色の毛皮。
(青い鳥…!)
飼いたいと願って「役に立たない」と却下されてしまった青い鳥。飼えなかった幸せの青い鳥。幸せを運ぶ青い鳥と同じ青い色をしたその艶やかな毛皮に惹かれた。
それに、いつか行きたい青い水の星。地球もまた青い星だから。
「この子にしよう」
青い毛皮の、この子を育てていくことにしよう。
対になる子は…。ああ、向こうのケージにいる子かな?
同じ青だね、青い毛皮の子を育てたい。地球と同じ青を纏った子をね…。
ぼくが選んだ、青い毛皮のナキネズミ。
他のナキネズミは希望者に配られ、ペットになった。
まだ思念波は弱かったから、子供たちの補助には使えない。だからペットが欲しいと名乗り出た大人の希望者たちに。いろんな色や模様のナキネズミたちは、其処で一代限りで終わった。寿命もまだまだ短かったし、そんなに長くはいなかった。
青い毛皮のナキネズミの方は繁殖用に回され、最初のつがいが産んだ子供たちは遺伝子レベルで操作をされて、それから交配。近親交配で血が濃くなってしまわないように。
そうやって何度も交配されて思念波もどんどん強くなっていって、ついに完成したんだけれど。
青い毛皮の、思念波で人間と会話が出来たり、中継出来たりするナキネズミが完成したけど。
(…ナキネズミって名前、何処でついたっけ?)
ヒルマンたちは何と呼んでいたのか、それも忘れてしまった、ぼく。
だけど最初から
ナキネズミだった筈が無い。ネズミとリスとを掛け合わせて出来たわけだから。実験段階からナキネズミなんて呼ばないだろうし、そもそも最初はネズミとリス。
(どの辺からナキネズミになったのかな…?)
ぼくは実験室には行かなかったから、ヒルマンたちが名付けていたんだろうか?
どれにしますか、と訊かれた時にはナキネズミって名前だっただろうか…?
(…どうだったんだろう…)
思い出せない、と考えていたら、ハーレイが仕事帰りに寄ってくれたから。
ぼくは早速、訊くことにした。ナキネズミは誰が名付けたのかを。
「…ナキネズミだと?」
ぼくの部屋で二人、テーブルを挟んで向かい合わせ。ハーレイは怪訝そうな顔をした。
「ナキネズミがどうかしたのか、今日は?」
「えっと…。ぬいぐるみの広告に載っていたから、色々と思い出したんだけど…」
あの名前、誰が付けたっけ?
レインじゃなくって、ナキネズミ。ナキネズミっていう名前は誰が付けたか覚えてる?
「お前なあ…。忘れちまったのか、あれは投票で決まったろうが」
「そうだった?」
投票なんかで決めたっけ?
「シャングリラじゃ基本は投票だぞ」
船の名前も、前のお前のソルジャーっていう呼び名にしても。
ナキネズミだって投票だ。記念すべき新しい生き物なんだぞ、誰かが勝手に決めてどうする。
「そうだったっけ…」
思い出して来たよ、その投票。
飼育室に投票箱が置いてあったね、投票用紙は一人に一枚ずつ配られて。
お披露目されたナキネズミ。完成品の青い毛皮のナキネズミ。
船のみんなが飼育室まで足を運んで、じっくり考えて投票をした。もちろん、ぼくも。
だけど自分がなんて書いたか思い出せない。
もしかしたら白紙を入れていたかもしれない。船のみんなに任せよう、って。
あの時点ではまだ名前が無かったナキネズミたち。青い毛皮のナキネズミたち。
ペットになって可愛がられてた、違う毛皮のナキネズミたちはとうに名前があったんだけど…。飼い主が好きに名付けた名前で呼ばれて、船の中を走っていたんだけれど。
お披露目されたナキネズミたちは先入観が入らないよう、「ネズミ」という名で呼ばれてた。
シャングリラで創り出された新しいネズミだと、外にはいない生き物なのだと。
飼育係が「ネズミ」と呼ぶから、みんなネズミだと考える。ネズミなんだと思い込む。
それでキューキュー鳴いていたから、付いた名前がナキネズミだった。
圧倒的多数でナキネズミ。
ケージには思念波シールドが施されていたから、キューキューとしか聞こえなかったんだ。
もしも思念波を交わせていたなら、もっと別の名前が付いていたかも…。
それとも思念波で語り合う内容は人それぞれだから、てんでばらばらで纏まらなかった?
自分にはこう思えるんです、って船のみんなが自己主張。
それこそペットに名付けるみたいに、人間並みの名前ばかりが出揃ってたかも…。
(思念波シールドとネズミって呼び名のお蔭なんだね、ナキネズミの名前…)
もめずに決まって良かったけれども、ネズミって名前。
何処から見てもネズミの姿じゃないのに、飼育係が呼んでいた「ネズミ」。それも謎だ、と気になって来たからハーレイに疑問をぶつけてみた。
「ナキネズミの名前が決まる前だけど…。あれって、どうしてネズミだっけ?」
なんでネズミって呼ばれてたのかな、飼育係に。ヒルマンたちもそう呼んでいた?
「うむ。実験に関わっていたヤツらはもれなくネズミだったな、あれの呼び方」
俺も途中から不思議に思って、一度訊いてみたことがあるんだ。
どう見てもリスのように見えるが、どうしてネズミと呼ぶんだ、ってな。
「それで教えて貰えたの?」
「ああ。実験動物の基本はネズミだ、と大真面目な顔で返されたぞ」
リスを使った実験は無いが、ネズミの方ならごくごく普通にあるものだから、と。
それでネズミと呼び始めたから、外見がすっかり別物になってもネズミなんだと言われたな。
「じゃあ、実験動物の基本がネズミじゃなくってリスの方だったら…」
「当然、リスと呼んでただろうな」
「そしたら、投票…。ナキネズミって名前にならなかった?」
「俺が思うに、ナキリスってトコか」
キューキュー鳴くのは同じなんだし、リスかネズミかの違いだけだ。ナキリスだな。
「ナキリスって…。なんだか語呂が悪くない?」
「そいつに慣れれば、どうとでもなっていたんじゃないか?」
俺たちはナキネズミだと思っているから語呂が悪いと感じるだけで。
最初からナキリスって名前だったら、それに馴染んで呼んでいただろうと思うがな…?
そうやって出来た、ナキネズミ。
ナキリスって名前にならずに済んだナキネズミたち。
今のぼくみたいにサイオンが不器用な子供が来たなら、サポートについた。
「好きな名前を付ければいい」と渡されたけれど、けっこう寿命が長いから。ベテランになると「自分の名前はこれなんだ」って主張するのもいたりした。この名前で呼べと、他のは嫌だと。
それを思うと、ジョミーに渡したナキネズミ。「お前」なんて名前で納得したのが可笑しすぎ。若い子を選んで送り出したから当然名前は無かったけれども、「お前」だなんて。
ナスカで「レイン」って名前が付くまで、トォニィよりも後に名付けられるまで「お前」という名前で過ごしてたなんて、のんびりと言うか大物と言うか…。
ともあれ、ナキネズミの仕事は不器用な子供のサポート係。思念波を中継する係。
自分がサポートすることに決まった子供が、思念波の扱いが上手になるまで。
上手になったらお役御免で、家畜飼育部でのびのびと暮らす。
次の仕事がやって来るまで、ナキネズミ専用の快適な小屋を拠点にして。
「ねえ、ハーレイ。ナキネズミ、普段は普通の動物だったよね…?」
思念波でプカルの実を強請ったりはしていたけれども、人間よりも動物に近かったよね?
「文字通りネズミみたいなヤツらだったな、牛の背中を駆け回っていたり」
でかい動物が好きだったんだろうな、牛とは仲が良かったぞ。
「自分の小屋に帰る代わりに、牛小屋の中で寝てたりね…」
「それで踏まれたりもしないんだからな、友好関係を築いていたってわけだ」
牛には思念波は通じないんだし、そこは動物同士だろう。
思念波で人間と自由に話せるにしても、やはり動物には違いない。家畜飼育部の方がヤツらには向いていたかもしれんな、気を遣わなくていいってな。
「あははっ、そうかもしれないね」
人間と一緒だったら、好きな時間に好きな所へは行けないし…。
レインみたいなのが例外なんだね、トォニィの代までソルジャーのペットだったんだから。
シャングリラの中で創り出して育てたナキネズミだけれど。
外へ出すつもりは全く無くって、シャングリラに来た不器用な子たちのサポートをして貰おうと育てていたんだけれど。
ジョミーのサイオンが潜在していて表に出ないから、引き出すためにと地上に降ろした。情報を操作し、新種の動物、宇宙の珍獣という謳い文句で。
ジョミーをシャングリラに迎えた後は、お決まりのコースの筈だったのに。ジョミーが思念波を操れるようになったら、お役御免で家畜飼育部の小屋に帰ってゆく筈だったのに。
そのままジョミーのペットになってしまって、トォニィに継がれて、うんと有名なナキネズミになってしまったレイン。
今でもジョミーの格好をした子の肩に乗っけたぬいぐるみの広告が刷られるほどに。
喋るぬいぐるみが一番人気になるほどに。
あそこまでナキネズミを有名にするつもりは全く無かったんだけど…。
シャングリラの中だけで終わる生き物の筈だったんだけど…。
ナキネズミという生き物を作ろうと思った時には夢にも思わなかった展開。
死の星だった地球が蘇るほどの時が流れても、未だに人気のナキネズミ。
「ナキネズミって、今でもぬいぐるみの定番だよね」
やっぱり可愛く作ったからかな、ネズミだけじゃ駄目だって、リスまで入れて。
あの時にネズミだけにしてたら、此処まで人気にならなかったかな?
いくらジョミーが肩に乗せてても、ジョミーとトォニィのペットになっても。
「うむ。やはり見た目は大切だろう。ナキネズミは元々、ペットなんだしな」
ついでに、レインよりももっと有名なナキネズミってヤツもいるんだが…。宇宙遺産の。
「あれはウサギだと思われてるでしょ!」
前のハーレイの下手くそな木彫り。宇宙遺産はナキネズミじゃなくってウサギなんだからね!
ハーレイが訂正しない限りはウサギで、一番有名なナキネズミはレインなんだってば!
誰も知らない、宇宙遺産のナキネズミ。
キャプテン・ハーレイが彫った木彫りのウサギだと信じられているナキネズミ。
博物館の収蔵庫の奥に仕舞われ、百年に一度しか本物を見られるチャンスは無いんだ。
百年に一度の特別公開、行列が博物館を取り巻くと噂の宇宙遺産の木彫りのウサギ。
だけどホントは、レインよりももっと有名になったナキネズミ。
ウサギってことになっているけど、あれが宇宙で一番有名。
今の所はぼくとハーレイ、二人だけが知ってる、宇宙で一番、有名になったナキネズミ。
五十年後の特別公開の時は、ハーレイと一緒に見に行くんだよ。
手を繋いで二人、展示ケースの直ぐ前に立って。
そうして二人で喧嘩するんだ、「ウサギだ」「いやいや、ナキネズミだ」って、傍から見てたら馬鹿みたいなことで。
もちろんホントの喧嘩じゃなくって、そういうお遊び。
「ウサギだ」「いやいや、ナキネズミだ」って…。
ナキネズミ・了
※思念波が上手く使えないミュウの子供のために、と開発されたのがナキネズミ。
前のブルーの好みで「青い毛皮」になり、名前は投票で決まったのです。今の時代も人気者。
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(何故だ?)
ハーレイは角を曲がるなり、首を捻った。秋晴れの土曜日、家から歩いて五分足らずの場所。
今からブルーの家に行くのだし、寄ろうというわけではないのだけれど。そんな予定は最初から全く無かったけれども、食料品店の前に行列。いつも馴染みの食料品店。
(特売だったか?)
チラシは読んで来なかったし…、と眺めた店から鉢を抱えた人が出て来た。食料品入りの鉢ではなくて植木鉢。買い込んだ食料品の袋の他に植木鉢が一つ。大切そうに両腕で持って。
(今日だったのか…)
「菊の懸崖作りをプレゼント!」と謳ったチラシに見覚えがあった。先日、確かに入っていた。この店の名物、年に一度の恒例行事。それが目当てで行列が出来たというわけだ。
店の前のスペースにズラリと並べられた鉢。色とりどりの懸崖作りの菊は実に目を引く。どれにしようかと品定め中の客や、早く整理券を貰って買い物を、と行列に加わってゆく人やら。
(綺麗なんだが、貰ってもなあ…)
今なら充分、貰えそうだけれど。花の色をあれこれ選ぶ余裕もありそうだけれど。
(俺が貰ったら、後は確実におふくろの菊になっちまうしな?)
花が咲いている間は簡単な世話で済むのだろうが、咲き終わった後。来年も綺麗に咲かせてやるだけの世話が出来そうにない。隣町の実家に鉢ごと届けてプレゼントするしかないだろう。
(咲き終わったヤツでも喜ばれるとは思うんだが…)
母は庭仕事が好きなタイプだし、父も同じだ。鉢を渡したなら、来年の今頃には実に見事な懸崖作りの菊が咲きそうだとは思うのだが…。
(どうするかな…)
さて、と考えた所で頭に浮かんだ恋人。これから訪ねる予定の恋人。
鉢を貰って小さなブルーにプレゼントしたら、とても喜ばれそうな気がするけれど。
「今日の土産だ」と抱えて行ったら、弾けるような笑顔になるだろうけれど。
「貰っていいの?」と大喜びで鉢を受け取り、何処に置こうかと思案しながら今日の所は自分の部屋で夜まで愛でて。
それから鉢の置き場所を決めて、毎朝、毎日、飽きずに眺めて…。
(喜び過ぎだ!)
せっせと世話をするブルーの姿が目に浮かぶようだ。
水をやったり、咲き終わった花を摘んでやったり、それは小まめに来る日も来る日も。菊の花の育て方まで調べて、最後の花が萎んだ後もきちんと面倒を見て冬越しのための支度をして…。
そう、ブルーならそうするだろう。
この菊の花は貰ったのだと、恋人から花を貰ったと。
(うん、あいつなら間違いなく…)
食料品店で買い物のついでに貰ったオマケだ、と説明したって花は花。しかも立派な懸崖作りの菊と来た。それを貰おうと行列が出来ているほどに。
(大人でもこの有様だしな?)
小さなブルーは飛び上がって喜ぶことだろう。素敵な花を貰ってしまった、と。
たかが野の花でも贈ってやったら狂喜乱舞に違いない恋人。道端で見付けた花を一輪だけ摘んで持って行っても嬉しそうに受け取ると分かっているから、こんな見事な鉢を贈るにはまだ早い。
(もう少し大きく育ってからだな)
野の花ではなくて薔薇の花束を贈ったとしても似合うくらいの年頃に。そういう姿になるまでは菊の懸崖作りは早すぎる、と結論付けた。
けれど…。
(前の俺たちは懸崖作りなんて知らないしな?)
今日の話題にすることにしよう、と店の前にあったチラシだけを取った。先着順にプレゼントと書かれ、菊の鉢が大きく載ったチラシを。
ブルーの家に着き、テーブルを挟んで向かい合わせに座って「ほら」とチラシを見せれば、手に取った恋人はそれを読むなり。
「ハーレイ、間に合わなかったの?」
「はあ?」
何のことか、と思う間もなく、小さなブルーは「これ!」と菊の写真を指差した。
「ぼくにくれるつもりだったんでしょ? でも…」
ハーレイ、菊の鉢、持って来ていないものね。
先着順って書いてあるから、並びに行くのが遅かったの?
「誰が並ぶか!」
チラシを見せただけでこの有様だし、貰って来なくて正解だった、とハーレイは思う。花の鉢をプレゼントするために並んでくれたに違いない、と考えるような恋人だから。しかも並んでくれたことへの礼よりも先に「間に合わなかったの?」と問う幼さだから。
この恋人に花を贈るには早すぎる、と苦笑しながら。
「まだまだ鉢はあったんだがなあ、俺が通り掛かった時にはな」
選び放題ってくらいにあったぞ、いろんな色をした菊の鉢がな。
「じゃあ、なんで!」
どうして貰ってくれなかったの、持ってくるには重すぎたとか…?
「お前、喜び過ぎるからだ。こいつは年相応の花じゃないのさ、もっと大きく育たないとな」
チビのお前には野の花くらいが丁度いいって所だ、うん。
「酷い!」
貰えた筈なのにチラシだけなんて!
チビに贈るにはもったいない、って貰わずに通り過ぎちゃったなんて…!
あんまりだ、と不満そうな恋人にハーレイは「そう怒るな」と片目を瞑ってみせた。
「いずれ貰えるだろ、いつかはな。今年は駄目でも」
「なに、それ…」
「菊のプレゼントはあの店の名物の一つだからだ。毎年、今頃の時期にやってる」
これから先も続くんだろうし、お前にも似合う年になったら貰えばいいさ。
結婚するか、婚約するか。それ以降のお楽しみってトコだな。
「えーっ!」
そんなに先の話だなんて、とブルーは頬を膨らませたけれど。
暫く膨れていたのだけれども、その顔が不意に綻んで。ふわりと花が開くように笑んで。
「…もしかして、予告?」
ねえ、そうだったの、それでチラシを持って来てくれた?
いつかこういうのを貰えるぞ、って。結婚したら毎年、秋にはこれが貰えるんだぞ、って。
「そういうつもりで持って来たわけでもないんだが…」
「それじゃ、どうして?」
なんでチラシだけ持って来たの?
贈ってくれるつもりも無くって、予告でもなくて、どうしてチラシを持って来るの…?
「それなんだがな…。前のお前、こんなのは知らないだろうが」
菊の懸崖作りなんていうもの。知らなかったと思わないか?
「…うん…。言われてみれば…」
今じゃ当たり前に秋になったら見かけるけれども、菊の花なんかは無かったね。
菊の花が無いのに、懸崖作りの菊なんか何処にもあるわけないよね…。
シャングリラには菊というものが無かった。白い鯨の公園に菊の花は無かった。
それに菊の花があったとしても、こうした細工の文化が無かった。本来ならば真っ直ぐに上へと伸びる筈の茎を手間暇をかけて懸崖作りに仕立てて、愛でる文化が。
前の自分たちが生きた時代はそういう時代。画一化された文化しか無かった時代。
ブルーはチラシの菊をしみじみと見詰め、「綺麗だよね」と呟いた。
「こんなに綺麗な菊が買い物のオマケでついてくるなんて…」
前のぼくたちが聞いたらビックリするよね、花だけで売られていそうなのに。
シャングリラでは見かけなかった花だし、うんと高いと思いそうだよね、懸崖作り。
「まあな。それに気付いたら驚くだろう、とチラシを貰って来たんだが…」
しかしだ、今はいい時代だが…。菊にとっては悲しい時代になったもんだな。
「なんで?」
こうやって大勢の人に見て貰えるんだし、「いい時代になった」の間違いじゃないの?
「誰もがミュウでは意味が無いんだ、菊の存在意義ってヤツが」
もっとも、そいつも前の俺たちが生きてた頃には消されてた文化なんだがな。
「どういうこと?」
菊って何か特別な花なの、持ってるといいことが起こるとか?
うんと縁起のいい花だったとか、そういった何かがあったの、ハーレイ…?
SD体制の時代には無かった、多様な文化。
菊の懸崖作りもそうだけれども、菊の存在意義なるものまで消えたと言うから。消されていたとハーレイが言うから、ブルーは首を傾げて尋ねた。それは何かと、どういうものかと。
古典の教師をしている恋人は古い文化に詳しいから。遠い昔にこの地域にあった日本という名の小さな島国。其処の文化の一つであろう、と恋人の答えが返るのを待てば。
「桃の節句と、端午の節句。むろん七夕も知ってるな?」
「うん。…端午の節句の授業の時には休んでいたから、ハーレイの授業、聞き損ねたけど…」
聖痕のせいで休んでしまって、柏餅も粽も食べ損ねたけど…。
「七草粥を食べるっていうヤツはどうだ?」
「知ってるよ。ママが毎年作ってくれるよ、七草粥。食べると元気に過ごせるのよ、って」
「七草粥の日と桃の節句と端午の節句と、それに七夕。これで四つになるわけだが…」
五節句と言ってな、実はもう一つ特別な行事をする日があるんだが。
「そうなの? 五つ目だなんて、聞いたこともないよ?」
「ほらな」
それ自体が影が薄すぎるんだ。
いくら消された文化にしたって、こういう時代でなければなあ…。
きっと定着出来たんだろうに、時代ってヤツに合わなかったのさ、その五つ目は。
「それって、何の日?」
「重陽と言ってな、もう過ぎたが九月九日だ」
九月九日は菊の節句だ、菊が主役の節句なんだ。
「知らないよ?」
「枕草子にもあるくらいだが。…枕草子の名前くらいは知ってるだろう?」
古典の授業じゃ必ず教える。それも知らないとは言わないだろうな?
「名前だけなら…。だけど中身は読んでいないよ」
前のぼくが少し読んでいたかも…。ライブラリーで古い本を読むのが好きだったから。
でも、菊の節句。そういうのを見た覚えは無いけど…。それに重陽の節句の方も。
ソルジャー・ブルーだった頃のブルーは遠い昔の本も色々読んでいた。けれども記憶の海の底に沈んだか、それとも出会わなかったのか。菊の節句も重陽の節句も覚えてはいない。記憶に無い。
そんなブルーに、ハーレイは重陽の節句なるものを教えてやった。
「菊の節句と言っただろう? 菊は不老長寿の薬になると信じられていてな、その節句だ」
不老長寿と、若返りと。それを祈るための行事だったんだ。
「…みんなミュウだと要らないね、それ…」
年は好きな所で止めてしまえるし、寿命だって最初からうんと長いし。
「うむ。まったく意味が無くなっちまった、だから菊には悲しい時代だと言ったのさ」
もっとも、SD体制が始まるよりもずうっと昔。
既に消えかかっていたという話だなあ、重陽の節句。
菊に不老長寿の力が無いと分かっちまったせいで影が薄れて、他の四つに負けちまった。
「…不老長寿はお薬か何かなんだろうけど…。若返りだなんて、なんだか凄いね」
それもお薬だったりするの?
菊の花を食べたり飲んだりするの?
「ん? 若返りの方は面白いんだぞ、ただの薬とは違うんだ」
重陽の節句の前の日の内に、菊の花に綿を被せておくのさ。そうすると其処に夜露がつくだろ?
次の日の朝、露で湿った綿で顔とかを拭いたら若返るんだと思われていた。
菊の着せ綿っていう名前があってな、今じゃ意味の無いものだよなあ…。
若返りの方法だという菊の着せ綿。ブルーは「ふうん…」と聞き入っていたのだけれども、ふと思い付いて問い掛けた。
「ねえ、ハーレイ。…もしも、その方法が効いていたなら。本当に若返りの方法だったら…」
ミュウは怖がられなかったのかな?
年を取らない化け物だ、って怖がられずに済んでいたのかな…?
「おいおい、年を取らないってこともそうだが、怖がられた理由は他にあるだろ」
「サイオンの方かあ…」
心を読む、って嫌われたっけね。他の力も怖がられたけれど、それが一番だったっけ。
年を取らない方は実害は無いと言ったら無いし…。
そうだ、キース!
「キースがどうした?」
「マツカがいたでしょ、キースの側には。マツカはミュウで、キースは人類」
どんどん年の差が開いていった、って言われてるじゃない。残っている写真を見てもそうだよ。
「そのようだな。前の俺はマツカを直接知らんが」
トォニィが失敗して殺しちまった、っていう話くらいしか知らなかったが…。後はナスカだな、キースを助けにやって来たミュウがマツカだった、とトォニィの件で知った程度か。
「もしもキースが重陽の節句を知っていたなら。せっせと着せ綿、やっていたかな?」
菊にそういう力は無い、って分かっていたって、若返れるかもしれないと。
何もしないよりかは少しでも、って努力したかな、マツカとの年の差が開かないように。
「そんな男か?」
そういう男か、あのキースが?
「マツカが気味悪がられないためなら頑張りそうだよ。たとえ言い伝えに過ぎなくっても」
だってマツカは、ミュウは本当に年を取らないし、サイオンは精神の力だもの。
信じさえすれば効くかもしれない、って菊の着せ綿。
「…キースってヤツはお前を撃った男なんだが」
もっとも、俺は今のお前に聞くまで知らなかったが…。そのせいであいつを殴り損ねちまった。知っていたなら殴り飛ばしたぞ、地球で会った時に。
「あの頃のキースは仕方がないよ」
ぼくを撃った頃にはSD体制に忠実な男だったから。
自分が信じるもののためには命を懸けるのがキースだったし、仕方ないんだ。
でもね…。
その後のキース。それから後のキースだったら、きっと優しい。
マツカを守ってやれるんなら、って菊の着せ綿だってしたと思うよ、知っていたらね。
キースはすっかり変わっちゃったから、マツカのお蔭だと思ってる。
それとシロエかな。シロエが暴いたキースの出生の秘密。真実を知らされたことで揺らいだ心。
「前の俺には知りようも無かったことばかりだがな、どれも」
マツカを側に置いていた件も、トォニィからの伝聞だしな。
誤って殺してしまった負い目の分だけ、キースはマツカに優しかったとトォニィが思い込んだという可能性を捨て切れなかった。マツカはキースに利用されていただけなんだ、とな。
「だけど今では常識だよ?」
キースがマツカをどう扱ったか、シロエがどういう役目を負ったか。
「ああ。スウェナに託されたメッセージってヤツの続きでな」
前の俺は見られずに死んじまったが。知らないままで死んだんだが…。
キースが死んだら公開されるという条件だったメッセージ。
スウェナ・ダールトンにキースが託した二つ目の公的メッセージ。
其処で全てが明かされていた。
キースがマツカを大切な部下として、一人の人間として扱っていたということ。ミュウの能力を買ったのではなく、一個人として自らの側に置いたということ。
それからシロエ。
ステーション時代にシロエが探り当てた秘密を自分が知るのが遅すぎたことを悔やんだキース。もっと早くに知っていればと、悔やみながら生きた後半生。
そういった思いが語られたそれは、来たるべきミュウの時代へのメッセージでもあった。人類はミュウへと進化するのだと、それを恐れることなどは無いと。
もしもキースが生き残ったならば、自分自身で語ったであろうメッセージ。
それは叶わず、画面の向こうのキースの遺言が全宇宙に中継されたのだけども…。
二つ目のメッセージが在ったがゆえに、キースという英雄の評価は更に上がった。
ミュウと人類との最初の架け橋、共存できることを身を以って示した指導者だった、と。
もちろん学校でもそう教わるから、今のブルーはキースのその後を知っているわけで。
「ぼくが習った、すっかり変わった後のキースだったら、きっと…」
菊の着せ綿を知っていたなら、気分だけでも。
これで若返れればマツカとの差が開かないかも、と重陽の度に菊の花に綿を被せていそうだよ。夜露で湿った綿で顔を拭いて、若返らないかと試しそうだよ…。
「皺だけだったら整形手術で消せたんだがな?」
かなり若返ると思うんだがなあ、皺さえ消してしまったならな。
「そういう男じゃないよ、キースは」
まして自分の生まれを知った後では、皺を消すための手術だなんて…。
自然に任せて年老いていって、その自然が許してくれるのならば。その範囲でだけ若返ろう、と菊の着せ綿だよ、年に一度だけ。
「確かにな…」
そうなんだろうな、キースが若さを保ちたいと願っていたのなら。
技術が生み出した手術なんぞより、自然が持ってる力の方へと行っただろうなあ…。あまりにも普通じゃない生まれだっただけに、頼るなら自然の力になっただろうな。
お前の言うとおり、効きはしないと分かっていたって菊の着せ綿。
整形手術よりも菊の着せ綿だな、キースがマツカを守るためにと若返りを願っていたならな…。
キースとマツカが生きた時代には重陽の節句も菊の着せ綿も無くて、マツカはトォニィが放ったサイオンからキースを庇って死んで。
キースもまた地球の地の底で逝った。ジョミーと共にグランド・マザーを、SD体制を根幹から倒して逝ってしまった。
ブルーにとっては前の自分を撃った男に違いないけれど、彼のその後を知っているから。学校で教わって知っているから、キースを亡くしたことが惜しくて。
「キース…。ジョミーと二人で長生きをして欲しかったのに…」
メッセージなんかを遺すんじゃなくて、生き残って語って欲しかったのに…。
スウェナ・ダールトンにインタビューされて、大勢の人から質問を受けて。
ミュウと人類とは兄弟なんだと、自分もマツカと一緒に生きたと強く語って欲しかったのに…。
もちろんジョミーとも友達になって、サムのこととかを思い出しながら二人で長生き。
「それだと地球が蘇らんぞ?」
死の星のままになったんじゃないか、あんな荒療治は出来ないからな。
「やっぱり無理かな?」
「ジョミーとキースが生き残るってことは、地球は燃え上がらなかったってことだ。そんな形でも今の姿に戻っていたとはとても思えん」
派手にあちこち燃えて、壊れて。全てが入れ替わっちまったからこそ、青い地球へと蘇った。
ジョミーもキースも、前の俺やゼルやブラウたちも。
言わば人柱みたいなもんだな、死の星だった地球が蘇るための。
「…そんな人柱、本当に必要だったのかな?」
人柱っていうのは生贄のことでしょ、地球はホントにそんなものが必要だったのかな?
「どうだかな…」
それは分からないが、人柱として役に立ったと思っておくのが精神衛生上はいいってな。
前のお前を失くしちまって早く死にたかった俺はともかく、他のヤツらはまだまだ生きるつもりだったと思うからなあ…。
いくら覚悟をしていたとしても、ジョミーもキースも、生き残った方が自分が役立つってことは百も承知だったと思わないか?
「…そうだね…」
死にたい人なんてそうそういないね、普通は生きたいものだよね…。
ハーレイが言うように人柱だって思っておいたら、死んじゃった人でも救われるよね…。
地球が蘇るための人柱。
ジョミーもキースも、地球の地の底で死んだ長老たちも人柱なのだ、と言われればそういう気もしてくる。ただ死んでいったというわけではなく、青い地球が彼らを欲したのだと。
ならば彼らもハーレイのように地球に還って来たのだろうか?
青い地球の上で生きただろうか、とブルーは思いを巡らせたけれど、そうした記録は残されてはいない。生まれ変わった彼らの記録は何処にも無い。
けれど…。
「ハーレイ、もしかしたらジョミーやキースも地球に生まれ変わって来てたのかな?」
ぼくたちみたいに地球の上で生きて、前の自分の話は何もしないで楽しんでたかな?
「さてなあ…。そいつはどうなんだかな?」
それは本人にしか分からんさ。前の記憶を忘れ去ったままで一生を終えることもあるだろうし。俺はたまたまお前に会ったし、それで記憶が戻ったんだがな。
「…たまたまなの?」
「いや、会うべくして会ったんだろうが…。出会い自体は偶然みたいなものだっただろう?」
「うん。ぼくも学校でハーレイに会うとは思わなかったよ」
メギドで独りぼっちで死んで。
もうハーレイには会えないんだ、って泣きながら死んで、次に会ったら学校だったなんて。
右の手が冷たい、って泣きじゃくったぼくが、学校の生徒だっただなんて…。
「その点は俺も同じだな。死んだらお前に会えると思って死んだ筈なのに、お前が居たさ」
チビになっちまって、制服を着て。
俺が赴任して来た学校の教室にチビのお前が居るなんてことは、本当に夢にも思わなかったな。
だからだ、ジョミーたちだって。
きっと何処かで平和に生きたさ、青い地球ってヤツを満喫してな。
自分が誰かを思い出すことは無かったとしても、うんと楽しい人生をな…。
ゼルも、ブラウも。ヒルマンもエラも青い地球にきっと来ただろう、とハーレイは語る。
地球が蘇ってからの長い歳月の内に、もしかしたら一度どころか二度、三度と。
「とにかく青い地球が戻って来て、だ。人間はもれなくミュウになっちまったし…」
五節句って文化が復活してみても、菊の節句の意味も出番も無くなったってな。
不老長寿の薬の菊酒とかも要らなきゃ、若返りの着せ綿も要らないんだしな。
「今は菊って、懸崖作りのプレゼントくらいでしか出て来ないかな?」
好きで育ててる人はいるけど、欲しい人が多いのって、これくらい?
「そうなるなあ…。品評会に出してやるぞ、ってくらいに熱心な愛好家はともかくとして…」
普通の人が菊を目当てに行列となれば、この手のイベントくらいじゃないか?
わざわざ鉢植えを買ってまで世話をするのは面倒だが、だ。
こんな風に買い物のオマケにつくなら貰って来ようと、家に飾っておこうとな。
「平和だね…。不老長寿も若返りも無しで、買い物のオマケ…」
「うむ。元はそういう花だったってことも、菊の節句も忘れ去られているぞ」
俺も授業で触れてないしな、言った所で真面目に聞いてくれそうもないし…。
不老長寿が当たり前ではどうしようもないな、重陽の節句。
今の世の中では重陽の節句はまるで重みが無さすぎる、とハーレイは笑う。
小さなブルーが口にしたように、キースが若返りを願って着せ綿をしそうな昔はともかく…。
そのブルーは例のチラシをしげしげと眺め、恒例行事なことをハーレイに確認してから。
「懸崖作りの菊、結婚したら此処へ貰いに行ってもいい?」
この鉢、重いかもしれないけれど…。重すぎたら、ハーレイ、持ってくれる?
「ああ、持ってやるさ。お安い御用だ」
お前のと、俺のと、一鉢ずつな。
「一鉢ずつって…。欲張っていいの?」
そんなに貰ってしまってもいいの、この鉢?
「もちろんだ。買い物をしたら貰えるんだし、一軒に一個とは決まってないしな」
夫婦で貰いに出掛けるんです、って家も多いぞ。
こいつが開催された次の日に通ると二つ並べて飾ってある家がけっこうあるんだ、毎年な。
「そうなんだ…。だったら二つ貰ってもいいよね、ぼくの分とハーレイの分と一つずつ」
じゃあ、何色にしようかな?
同じ色のを二つがいいかな、それともまるで違う色のを並べておくのが綺麗かな…?
「気の早いヤツだな、今から色を考えるのか?」
「えっ、だって。毎年あるなら早めに決めておいたって…」
別にいいでしょ、その時に慌てなくても済むし。
お店の前でどれにしようか悩んでる内に、欲しい色のが無くなっちゃうかもしれないし…!
だから早めに決めておくのだ、とチラシを手にして捕らぬ狸の皮算用。
そんな恋人も可愛いと思う。
まだ菊の鉢をプレゼントするには幼すぎるけれど、愛おしくてたまらない小さなブルー。
いつかは二人で、菊を二鉢。
買い物に出掛けて行列に並んで、懸崖作りの菊を二鉢。
持って帰って、家に飾って。
そうして仲良く菊を愛でよう。ミュウの時代にはもう出番が無い、不老長寿と若返りの花を…。
重陽の菊・了
※かつては不老長寿を願った重陽の節句と、菊の着せ綿。今はどちらも要らない時代。
思わぬことから、キースとマツカが話題になりましたけど…。ブルーの狙いは懸崖作りの菊。
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(えっ?)
ブルーは思わず振り返った。
そして微笑む。
(いいもの、見ちゃった…!)
昼休みではなくて、普通の休み時間。授業と授業の合間の時間。
外の空気を吸いに行こうと出て来た渡り廊下の脇を走って行った、それ。
(ハーレイが自転車…!)
少し離れた奥の校舎に何か用事が出来たのだろう。急いで行かねばならない用が。
走り去ってゆく後姿。マントは靡いていないけれども。
キャプテンの制服と違ってスーツなのだし、マントなどありはしないのだけれど。前の生ならばきっとマントが、濃い緑色のマントが靡いていたのだろうに…。
ちょっと残念、と自転車が消えて行った方向を名残惜しげに眺めていて。
(…あれっ?)
不意に蘇ってきた記憶。欠片だけが戻って来た記憶。
遠い昔の、遥かな昔の前の自分の記憶の欠片。
何処かで確かに目にしたと思う。
マントを靡かせ、自転車で走るキャプテンを。キャプテン・ハーレイの後姿を。
(いつ…?)
あの記憶はいつのものだったろう。自転車に乗ったハーレイの背中を何処で見たろう?
休み時間が終わってしまって、教室に戻っても其処から先が思い出せない。蘇って来ない。次の授業が始まった時は、気分を切り替えられたのに。
(何処で…?)
昼休み前の授業時間はハーレイが受け持つ古典だった。ハーレイの顔を見れば気になってしまう自転車の記憶。キャプテン・ハーレイの背中の記憶。マントを靡かせ、自転車に乗っていた背中の記憶が思い出せなくて、懸命に記憶を手繰る内に。
「ブルー君!」
気付けば当てられてしまっていた。きっと続きの音読だろう、と先刻まで耳が拾っていた箇所の続きを慌てて読み始めたら。
「読めとは誰も言っていないが? この文章の解釈は、という質問だったが」
ついでに君の頭の時計は五分ほど遅れているようだ、とハーレイに鼻で笑われた。音読しかけた箇所はとうに過ぎていて、其処よりも先の箇所についての質問だったらしい。
「…すみません…」
「まあいい、君が答えるべき質問は…」
此処だ、と質問し直された上に、途惑いながらも正解を返した筈なのに何かを書かれた。教師が書き込む授業の記録に、褐色の指が何かを書いた。マイナスの評価を書き込まれた可能性が大。
(…やっちゃった…)
ハーレイの授業でマイナス評価。かなり落ち込んでいるというのに、授業の後のランチタイム。友人たちは、いつものランチ仲間は大いに笑い飛ばしてくれた。
ブルーにとっては痛恨のミスを、大好きなハーレイの前で冒してしまった大失態を。
普段のブルーが優等生だけに、こういう時にはクラスメイトに愉快な話題を提供してしまうのが辛い所で、どんな言い訳も通りはしなくて「それが普通だ」と笑われるだけ。たまには派手に失敗してみろと、もっと失敗したっていいと。
(…ハーレイの授業で失敗したからショックなのに…!)
けれど、ハーレイ以外の教師の授業も同じこと。マイナス評価は出来れば御免蒙りたいから。
(だけど自転車のことは忘れたくないし…)
せっかく掴んだ記憶の欠片。自転車に乗ったキャプテン・ハーレイ。
あまりにも有り得なさすぎる記憶だったから、前の自分が夢で見たのかもしれないけれど…。
(…でも、気になるしね?)
何としてでも掴みたい記憶。しっかりと手繰り寄せたい記憶。
うっかり失くしてしまわないよう、授業中に手繰ろうとしてまた失敗をやらかさないようにと、メモに書いておくことにした。「ハーレイの自転車」とだけ、簡潔に。
それを鞄に突っ込んでおいて…。
流石にメモまで書いておいたら、午後からの授業と帰り道のバスで消えた記憶も戻って来た。
家に帰って制服を脱いで、おやつの前にと開けた鞄にメモを見付けて。
(…ハーレイの自転車…)
確かに自分は見たのだと思う。マントを靡かせて自転車で走るハーレイを。
(でも、何処で…?)
おやつを食べながら考え続けて、食べ終えて部屋に戻って来てもまだ分からない。記憶の尻尾が掴めない。自転車を走らせるキャプテン・ハーレイ。その背に靡いていたマント。
(何処で自転車…?)
あれはやっぱり、前の自分が夢の中で見た幻だったのだろうか?
白いシャングリラに自転車なんかは、無かったように思うのだけれど…。
一向に戻って来ない記憶を追い掛けていたら、来客を知らせるチャイムが鳴って。ブルーの頭を悩ませ続ける張本人がやって来た。
もっとも、キャプテン・ハーレイではなく、今のハーレイなのだけれども。
そのハーレイはブルーの部屋でテーブルを挟んで向かい合うなり、こう訊いて来た。
「おい。今日のお前は何をボケてた?」
俺の授業中によそ見どころか、考え事とは恐れ入った。で、原因は何なんだ?
「…自転車…」
「はあ?」
ブルーがボソリと呟いた言葉に、ハーレイは鳶色の目を見開いて。
「お前、自転車通学に切り替えるのか?」
そいつは大きな問題だな、うん。お前の頭が一杯になるのも仕方ないかもな、自転車ではな。
「無理だから!」
自転車通学なんか出来っこないよ。学校はうんと遠いんだから!
「だろうな、やめておいた方がいいぞ。これから寒くなる季節なんだし」
やるなら来年の春からにしておけ、どうしても自転車で通いたいなら。
「ぼくはそんなこと、言っていないよ!」
自転車が気になっただけなんだから、とブルーは叫んだ。
乗りたいと考えたわけではないのだと、自転車そのものが気になるだけだと。
「自転車だと…?」
ハーレイは首を傾げたけれども、さほど間を置かずに自転車なるものに思い至ったようで。
「そう言えば、お前、今日、廊下に居たか?」
休み時間に渡り廊下に。俺が自転車で走っていた時。
「うん。見たよ、ハーレイが自転車で奥の方へと走って行くのを」
振り返って見てたよ、珍しいな、って。なんで自転車なんだろう、って。
「まあなあ、自分の足で走ればいい距離なんだが…。急ぎすぎるとスーツが汗まみれにな」
だから自転車だ、たまに乗ってはいるんだが…。お前、見たこと無かったのか…。
「無いよ、初めて見たんだよ」
いいもの見ちゃった、って思ったんだけど。自転車のハーレイ、初めてだから。
「ふむ…。それで、お前の自転車は何なんだ? お前の頭に詰まっていた自転車っていうヤツは」
「…その自転車…」
「俺か?」
お前、俺が自転車に乗っていただけで頭がすっかりお留守になるのか?
「違うよ、そういうわけじゃなくって!」
ハーレイを見てたら思い出したんだよ、キャプテンの制服で走ってたな、って。
自転車に乗って走っていたな、って思うんだけれど、いつだったのか全然思い出せない…。
何処で見たのかも分からないのだ、というブルーの言葉にハーレイの方も怪訝そうに。
「キャプテンの俺がか?」
前の俺が自転車だったと言うのか、そんな記憶か?
「うん。…もしかしたら夢だったのかな、って気もするけれど…」
今のぼくじゃなくって、前のぼく。前のぼくが見ていた夢なのかな、とも思うけど…。
「ふうむ…。キャプテン・ハーレイが自転車なあ…」
それは全く有り得ないが、とハーレイの考えもブルーと同じだったから。
やはり夢かと、前の自分が夢に見たのかと、納得しかけたブルーだけども。
「待てよ、あの時か!」
「えっ?」
いきなりハーレイが声を上げたから、ブルーの瞳は真ん丸になった。
あの時とは何のことだろう?
そういう夢を見ていたのだ、と前の自分がハーレイに話していたのだろうか?
けれどハーレイの口から出て来た言葉は。
「シャングリラのコミューターが故障した時だ」
「コミューター?」
それは巨大な白い鯨の中を走っていた乗り物。決められた軌道を走った乗り物。
あまりにも大きな船だったから、移動手段として導入された。ランチと呼んでいた小さな車両。それが船内の何ヶ所かで停まり、人を乗せたり下ろしたり。
ブルーの記憶では、完成してから暫くの間は…。
「何度かあったよ、コミューターの故障。シャングリラの改造が済んで直ぐの間は」
止まっちゃったり、乗ってた仲間がランチごと閉じ込められちゃったりとか。
「そいつだ、そういった時に自転車を出したぞ」
「自転車…?」
ブルーの記憶とは結び付かない、コミューターと自転車。まるで別物の二つの乗り物。
「忘れちまったか、前のお前が奪った物資に紛れて、自転車ってヤツも何台か…」
それを前の俺が取っておいてだ、時々、ゼルが倉庫でメンテを…。
「ああ…!」
ホントだ、シャングリラにあったね、自転車。備品倉庫の奥に仕舞ってあったっけね…。
二人揃って綺麗に忘れ果てていた。
そんな乗り物を、自転車なるものをシャングリラに載せていたことを。
ハーレイの目が懐かしそうに細められる。
「シャングリラがすっかりデカくなっちまって、コミューターを作りはしたが、だ」
「よく故障したっけね、あのコミューター…」
止まっちゃいましたとか、閉じ込められましただとか。そういう連絡、よく飛んでたね。
「最初の間だけだがな。だが、アレが止まって移動手段が無くなっていても…」
キャプテンってヤツは用があったら船の端から端までだって行かねばならん。
急ぎだったら走らにゃならんが、キャプテンの制服を汗まみれにするってわけにもなあ…。
威厳が台無しになっちまうからな。
「今日のハーレイとおんなじだね。走ったらスーツが汗まみれだから、って」
「うむ。それで自転車を倉庫から引っ張り出したんだ。思い出したぞ」
こいつさえあれば早く走れる筈だと、汗だってさほどかかずに済むとな。だが…。
「まずは練習からだったっけね」
あの自転車。出して直ぐには乗れなかったよね、ハーレイでも。
「うむ。成人検査よりも前には間違いなく乗っていたんだろうが…」
ブランクってヤツが長すぎたってな。身体の大きさもガキの頃とはまるで違うし…。
俺とゼルとで練習だっけな、ゼルもコミューターが止まったとなりゃあ現場行きだからな。他のヤツらに任せちゃおけんと、原因を調べて改良せねば、と。
「もっと若けりゃ楽だったのに、ってゼル、言ってたね…」
「ああ。ついでにデカブツの自転車なんぞは支えられん、とな」
それで俺ばかりがババを引くんだ。同じ自転車の練習でもな。
「ゼルのはハーレイが支えていたけど、ハーレイのはね…」
「誰も支えてくれなかったしな、後ろを押さえてくれるヤツさえいなかったぞ」
自転車の後部を押さえてくれるだけでも助かったのに、と嘆くハーレイ。そうすればハンドルを取られてよろめいたとしても倒れはしないと、そうなる前に姿勢を立て直せたと。
ゼルとハーレイ、二人の練習は格好の見もので、ブラウが囃しに出て来たりもした。
とても無理だと、乗れはしないと遠巻きに見ていた者たちもいたが。
「乗れるようになった時には嬉しかったな、あれは」
実に頼もしい相棒だった、とハーレイは懐かしそうな笑顔で。
「だろうね、颯爽と走ってたものね。ハーレイも、ゼルも」
コミューターが故障する度に見たのだった、とブルーは時の彼方に流れ去った光景を思い出す。
白い鯨を、シャングリラの中を走った自転車。
濃い緑色のマントを靡かせ、自転車で走るキャプテンを。キャプテン・ハーレイの後姿を。
(うん、ぼくはホントに見ていたんだよ…)
夢の中ではなく、現実で。現実の世界で自転車に乗っていたキャプテンを。
もっとも、コミューターが安定した後。
ゼルたちの改良が功を奏して、メンテナンス以外ではもう動かなくなることは無くなった頃。
自転車は役目を終えたとばかりに、全て壊れてしまったのだけれど。
ハーレイたちが便利に使っているからと他の何人かが乗っていたものも含めて、全部。
それきり二度と作られもせずに、補充もされなかったのだけれど…。
(リオなんかは自転車、現地調達組だしね)
ジョミーを一旦船に迎えた後、アタラクシアへ戻した時。リオはジョミーを自転車に乗せて二人乗りをして走っていた。草原を、道路を、自由自在に。
けれど自転車はリオが地上で入手したもの。それに自転車に乗る練習すらしていない。
アルテメシアへの潜入班で自転車に乗っていた者たちは、元から乗れた者だけだから。子供時代から自在に乗りこなしていて、自転車さえあれば直ぐに走れた者だけだから。
ゆえにシャングリラに自転車は無くて、ブルーもハーレイも忘れていた。
自転車がシャングリラに在った時代を、ハーレイが、ゼルが自転車に乗って走った時代を。
一度思い出すと、記憶は溢れて来るもので。
切っ掛けをしっかり掴んでしまえば、鮮やかに蘇って来るもので。
ハーレイは小さなブルーが学校で見付けた記憶の欠片に感謝しながら、昔を語った。
「あれでなかなか難しいんだぞ、シャングリラの中を走るのは」
学校の中を走るのとはわけが違うさ、自転車なんぞは全く想定していないからな。
「スリップするしね?」
シャングリラの通路。人が歩くのと、運搬用の車両くらいしか…。運搬用の車はシャングリラに合わせて開発された車だったし、自転車のタイヤとは違うものね。
「うむ。自転車で走るとあの通路が、だ。雪道と言うか、アイスバーンと言うか…」
「ハーレイ、雪道、走ったの?」
「今の俺がな」
お前が行ってる学校の生徒くらいだった頃には走っていたさ。
車の免許が取れてから後は、そういう無茶はしなかったがな。雪道を走るなら車の方がマシだ。安定もいいし、それ専門のタイヤってヤツもあるからな。
「その雪道。…シャングリラの中と比べて、どうだった?」
「当時の俺にはキャプテンの頃の記憶なんてものは無かったが…」
雪道の方が危険だな、うん。シャングリラのツルツルの通路よりもな。
「転んじゃった?」
「ああ。派手に転んだらスニーカーとズボンに見事に穴がな」
転んで、滑って。道路にはザラザラしている部分もあるから、其処で擦り切れちまったんだ。
あるだろ、滑り止めを作ってある部分。あそこのザラザラに持って行かれちまった。
俺のお気に入りのスニーカーとズボンを連れ去られちまって、二つともゴミになっちまったさ。
「そ、そっか…。シャングリラでは…」
大丈夫だった?
キャプテンの制服の靴とズボンは無事だった…?
「穴が開くなんてことにはなってない。キャプテンがそれだと大間抜けだぞ」
まあ、スピードも出さないからな。そうそう派手には転ばないさ。
「スピードって…。ハーレイ、雪道でスピード出してたの?」
「度胸試しというヤツでな。何処までスピードを上げて走れるかと、せっせとペダルを」
「うわあ…」
自分でやってて転んじゃったんだ?
避けようのない事故じゃなくって、スピードの出し過ぎで滑っちゃったの?
「そうなるな。アッと思ったら、もうハンドルを取られてたってな」
「誰も見ていなくて良かったね、それ」
それとも誰かに見付かっちゃった?
学校の友達とか、友達のお母さんだとか。でなきゃハーレイのご近所さん。
「いや。有難いことに誰も居なかったな」
穴の開いた靴とズボンで家に帰る道でも、誰にも会わずに済んだのさ。
雪がドッサリ降った休日の朝だし、みんな暖かい家の中でゆっくりしてました、ってことだ。
凍った雪道で派手に転んだという今のハーレイ。ブルーと似たような年頃のハーレイ。
転んだ時にはどういう顔をしていたろうか、と想像しかけたブルーの頭に浮かんだ光景。少年の頃のハーレイではなく、今のハーレイの姿でもなく。
「そういえば、キャプテンだった時のハーレイ…」
シャングリラの通路で転んでなかった?
コミューターが止まって自転車で通路を走っていた時、滑ってベシャッと転んでなかった…?
「お前、俺が転んだのを見ていたのか?」
「転んだ後をね。転んじゃった、って気配だけをね、青の間で感じ取ったんだけど…」
「本当か?」
それにしては描写がやたらと具体的だぞ、ベシャッとだなんてどうして分かる?
転んだ後なら俺が通路に倒れているだけだと思うがな…?
「…転ぶトコからホントは見てた…」
おっと、っていう思念を拾っちゃったから、何かと思って。
そしたらハーレイが転ぶ所で、自転車ごとベシャッと通路に突っ込んでったよ。
「なんで止めない!」
前のお前だったらサイオンで充分、止められたろうが!
それこそ自転車ごとでも止められた筈だぞ、俺がすっかり転んじまう前に。
「つい、見ちゃってた…」
珍しいな、って。自転車にはもう慣れた筈なのに転んじゃったよ、って。
「見世物じゃないぞ!」
「ごめん…!」
だけど誰にも喋っていないよ、前のぼく。キャプテンが転ぶのを見たなんてことは。
「当たり前だろうが…!」
ソルジャーがベラベラ喋ってどうする、キャプテンの恥を。
お前は笑って終わりかもしれんが、俺は当分、ブラウたちに笑いものにされるんだ…!
キャプテンの威厳も何もあったものではない、とハーレイは渋面を作る。
広いシャングリラの中を全力疾走すると制服が汗まみれになってしまうから、と選んだ自転車。威厳を保つために乗って走っていた自転車。
それで転んだと、練習以外の時に転んだと知れてしまえば、誰もが笑いを堪えるだろう。
自転車で走るキャプテンを見たなら、キャプテンが自転車でやって来たなら。
いくら急ぎの用があるのだと分かっていたって、つい笑わずにはいられない。このキャプテンが転んだのかと、転んだ時の様子はどうだったのかと。
それに噂には尾鰭がつく。
転んだというだけでは噂は終わらず、雪だるまのように膨らんでゆく。
下手をしたなら、シャングリラに自転車が在ったことを綺麗に忘れる代わりに、生まれ変わった後までも忘れない情けない記憶。赤っ恥の記憶になったかもしれず、それを思うと恐ろしい。
よくぞ人前では転ばなかったと、前のブルーが黙っていてくれて助かった、とハーレイは小さな恋人を見ながら胸を撫で下ろした。
今のブルーだったら些か危ない。珍しいものを目にした喜びでポロッと喋ってしまいかねない。
子供ゆえの純真無垢さと無邪気さでもって、「今日、ハーレイが転ぶのを見たよ」と。
「自転車で転ぶハーレイを見たよ」と、帰宅するなり母に報告してしまうとか…。
それは勘弁願いたい、と小さなブルーを見詰めていたら。
そうならないよう、気を付けて走ることにしようと考えていたら、ブルーの方でもこう言った。
「前のハーレイが転んじゃうトコ、止めなかったことは謝るけれど…」
止めずに見物しちゃってたことは謝るけれど。ごめんなさい、って謝るけれど…。
だけど、今度はホントに止められないから。
ぼくのサイオン、とことん不器用になっちゃってるから、今度はホントに止められないよ?
学校でハーレイが転びそうになっても、ぼく、見ているしかないんだからね…?
「分かっているさ。今のお前に期待はしてない」
止めてくれるとも思っちゃいないぞ、だから自分で気を付けるまでだ。
お前に家でウキウキしながら報告されてはたまらんからな。俺が自転車で転んでいた、と。
お父さんやお母さんに報告されたら赤っ恥だし、転ばないよう気を付けて走る。
ところで、だ…。
お前、自転車には乗れるのか?
自転車通学とか、そんなのじゃなくて。自転車には一応、乗れるのか、お前…?
「えーっと…?」
何を問われたのか分からなくて。ハーレイの問いの意図が分からなくて、ブルーは途惑う。
自分が自転車に乗れるかどうかが、何故、問題になるのだろう?
ハーレイが乗っていた自転車の話を二人でしていた筈なのに…。
「乗れるのか、と訊いているんだ」
お前、身体が弱いから。自転車なんてものとは縁が無いかもしれんがな…。
「…ちょっとくらいなら…」
ほんの少しなら乗れると思うよ、下の学校の時に自転車教室があったから。
乗れない子供でも乗れるように、って教えに来てくれたよ、ボランティアのおじさんたちが。
支えて貰って走ったりしたし、一人で走るのも少しだけ…。
それを毎年やっていたから、乗るくらいだったら多分、出来るよ。
自転車教室、年に何度もやっていたしね。
学校を休みがちだったブルーだけれども、自転車教室の機会は沢山あったから。
自分専用の自転車を買って欲しいと思うほどには上達しなかったけれども、乗ることは出来た。自転車に乗ってなんとかバランスが取れる程度には。
ハーレイは「ふうむ…」と腕組みをすると。
「自転車の腕前、その程度か…。だが、嫌いではないんだな?」
「うん。乗れたらいいな、って思うけれども、沢山走ったら疲れちゃうしね…」
だから自転車は持っていないよ、ぼくの自転車。もちろん自転車通学も無理。
ハーレイみたいに颯爽と自転車で走って行けたら、きっと気分がいいんだろうけど…。
「なるほどなあ…。お前が乗りたいと思うんだったら、サイクリングにでも出掛けるか?」
「サイクリング…?」
そんなの無理だよ、ぼくは少ししか乗れないし…。ほんのちょっぴりしか走れないし。
ハーレイと一緒にサイクリングなんて、絶対、置き去りにされちゃうから!
それにすっかり疲れてしまって、自転車だって自分で乗っては帰れないよ…。
「そんなトコだろうな、お前じゃな。前のお前みたいに瞬間移動も出来ないし…」
しかしだ、そういうお前にピッタリの自転車ってヤツがあるんだぞ。
そいつで二人で走らないか?
「…どんな自転車?」
「二人乗り用の自転車っていうのがあるのさ、後ろに乗るってわけじゃなくって二人で一台」
「えっ…?」
二人で一台って、どういう意味?
後ろに乗るのを二人乗りって言うんじゃないの…?
「そのまんまの意味だ、一台の自転車に二人分のサドルとペダルがついているんだ」
タンデム自転車って呼ばれているなあ、二人どころかもっと人数が多いのもある。
二人で漕ぐから、そりゃあスピードが出るらしい。
ついでに、きちんとバランスを取って乗りさえ出来るなら。落っこちないようにサドルに座っていられるんなら、後ろに乗ったヤツはペダルを漕がなくっても自転車はちゃんと走るんだ。
だから、お前が俺の後ろに乗れるなら。
俺がペダルを漕いでやるから、サイクリングと洒落込まないか?
いつかタンデム自転車を買って。
「…ホント?」
そんな自転車、本当にあるの?
ぼく、漕がなくても
ハーレイと一緒にサイクリングに出掛けられるの…?
「ああ。ちゃんとバランスが取れるんだったら、もうそれだけで充分だってな」
それに俺が言ってるタンデム自転車。
実在してるし、たまに走ってるヤツらを見かけるぞ、郊外へ行けば。
夫婦とか、恋人同士とか。そんな組み合わせのヤツらが多いな、二人乗りだしな?
俺とお前なら丁度いいだろ、まさに俺たちのために存在するような自転車じゃないか。
「そうかも…。その自転車、乗ってみたいかも…」
「良さそうだろ? タンデム自転車でサイクリングだ」
お前は気が向いた時だけペダルを踏めばいいのさ、俺の後ろで。
乗ってるだけなら疲れないだろ、バランスさえきちんと取れるんならな。
「うん。…多分、ぼくなら大丈夫。自転車教室で何度も教えて貰ったから」
タンデム自転車っていうヤツだったら、ハーレイと一緒にサイクリングに行けるんだよね?
二人乗り用の自転車だったら…。
一台の自転車にサドルとペダルが二つずつ。二人で乗るためのタンデム自転車。
実物をまだ見たことは無いし、想像するしかないのだけれど。
その自転車なら、ハーレイの後ろに乗った自分は漕がなくても走ってゆけると言うから。
気が向いた時だけペダルを踏んで走ってゆけばいいと言うから。
いつかハーレイに漕いで貰って走るのもいいな、とブルーは思う。
二台で走れば置き去りにされてしまいそうだけれど、その自転車なら大丈夫だから。
疲れずに何処までも気持ちよく走ってゆけそうだから。
車でドライブも素敵だけれども、たまには自転車。
ハーレイが漕いでくれるタンデム自転車に乗って、郊外を巡るサイクリングロードを二人で…。
自転車・了
※自転車で走っていたキャプテン・ハーレイ。改造直後だったシャングリラの中で。
今は当たり前になった自転車、いつかブルーとタンデム自転車で走ってゆくのも素敵です。
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