シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
青の間の天蓋つきのベッドがよく見える場所で私たち7人は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が張ったシールドの中に立っていました。ここにいれば姿も見えず声も漏れないというわけです。会長さんはソルジャーの衣装でベッドに腰掛け、スロープを下った先の入口の方を見ていて、やがてそこから人影が…。
「お呼びでしたか、ソルジャー」
渋い声がして、近づいてくるのは教頭先生。いえ、マントつきの衣装ですからキャプテンと呼ぶべきでしょうか。
「こんな時間に御用というのは…?」
「…普通に話してくれればいい。ああ、この格好だからいけないのか」
会長さんが立ち上がって両耳を覆う記憶装置を外し、全身が青い光に包まれて…ソルジャーの衣装はシャングリラ学園の制服のシャツとズボンに変わっていました。
「これなら問題ないだろう?今のぼくはソルジャーじゃない。ただのブルーだ」
「…ソルジャー…?」
「ブルーだってば。ハーレイに用があるのはソルジャーじゃなくて、ぼくなんだよ」
そう言って会長さんは教頭先生を手招きします。怪訝な顔で近づく教頭先生との距離が縮まり、手が届くほどになった時。
「グレイブの結婚式を覚えているかい?…ミシェルが投げたブーケを持っていたぼくを、じっと見つめていたようだけど」
「…あ、ああ…。まさかソルジャー…いや、お前の所に行くとは思わなかったからな」
キャプテンの姿ではありましたけど、教頭先生はいつもの口調に戻りました。会長さんが少し不満そうに。
「それだけ?…ぼくが花嫁のブーケを持っていたのに、それだけしか考えていなかったわけ?婚約指輪を預けてあると思っていたのは記憶違いだったのかな」
「…ブルー…?」
「花嫁のブーケを貰った人が次の花嫁だっていうじゃないか。そのつもりでぼくを見ていたのかと思ったのにさ。…違うんだったら行っていいよ。それなら別に用は無いから」
さあ帰って、とスロープの先を指差す会長さん。教頭先生は困惑した様子で立っています。
「だ・か・ら。…ぼくを花嫁にしたかったわけじゃないんだろ?だったら呼んだ意味が無いんだ。ハーレイがぼくを要らないんなら」
会長さんは教頭先生にプイッと背中を向けて。
「…ブーケを貰っちゃったせいなのかな…。あれから、食わず嫌いはよくないかな…って考えるようになったんだ。でもハーレイにその気が無いなら仕方ないね。…こんな遅くに呼び出してごめん。明日は早いんだし、帰ってくれれば…」
「ブルー…。まさか、お前は…」
教頭先生が何かを言いかけ、でも言えなくて口ごもってしまったところへ会長さんが向き直りました。
「…ぼくに言わせるつもりなんだ…?抱いてくれ、って」
「…………!!」
息を飲んだ教頭先生の首に会長さんが腕を回します。
「嫌なら部屋に帰ればいい。そうでないなら…」
ぼくにキスして、と囁くような声が聞こえて、教頭先生が会長さんを抱き込むように…。
「や、やばいよ、これ!」
ジョミー君が焦っています。教頭先生は会長さんをベッドに横たわらせて何度目かのキスを交わしていました。いくら会長さんが悪戯好きでも、これは本当に危ないかも…。ヘタレの筈の教頭先生が本気モードに入っているのは誰の目から見ても明らかでした。
「ぶるぅ、俺たちをここから出せ。すぐに止めないとマジでやばい」
キース君が言う間にも大きな手が会長さんのシャツのボタンを外していって、さらけ出された白い喉元に教頭先生の唇が…。しかし「そるじゃぁ・ぶるぅ」はシールドを解かず、「大丈夫」と笑っているではありませんか!
「ブルーからちゃんと聞いてるよ。ほら、こんなのも貰ってるし」
ね?と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出してきたのは、まりぃ先生の妄想イラストのコピーでした。
「ぼく、これを参考に動くんだ。こっちの絵みたいなことになったら土鍋を持って…って、そろそろかな?」
教頭先生が会長さんの鎖骨の辺りに口付けています。
「じゃあ、行ってくるね。シールドはきちんと張っておくから、おしゃべりしてても平気だよ。絵は覚えちゃったし、みんなで見てて」
キース君の手に妄想イラストを数枚押し付け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何処からか取り出した土鍋を担いでベッドの方へと行ってしまいました。よっこらしょ、と土鍋をベッドの傍らに置くとゴトンと重たい音がします。
「………?」
教頭先生がハッと身を起こし、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と土鍋の存在に気付きましたが…。
「…ハーレイ。どうかした…?」
胸元をはだけられた会長さんが問い掛けます。
「い、いや…。そこに、ぶるぅが…」
「ああ。…なんだ、ぶるぅか。続けて、ハーレイ」
「…し、しかし…」
「怖い夢でも見て寝に来たんだろ。…気にしないで。ぼくだけを見てて」
会長さんの腕が教頭先生の背中に回され、大きな身体を自分の上に引き寄せて…。ん?この状況は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が残していった妄想イラストの1つにそっくりです。土鍋に入ろうとしていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がベッドにトコトコ近づいていって、会長さんたちのすぐそばに頬杖をつきました。
「何してるの?」
無邪気な声にビクッと教頭先生の身体が震え、声がした方を窺って。
「ぶるぅ!?」
「…気にしないでって言った筈だよ、ハーレイ。…このまま続けて」
会長さんは顔を引き攣らせている教頭先生を甘えるような声で促します。
「ペットだと思えばいいじゃないか。それともペットの視線があると落ち着かないってタイプかな?…それじゃ気分が盛り上がるように、ぼくが脱がせてあげようか?」
会長さんの白い手が教頭先生の襟元に伸ばされるのを「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコ笑顔で見ていました。意味が全く分かっていない子供ならではの表情です。
「…ハーレイ?…そんな顔してどうしたのさ」
固まったままの教頭先生の眉間の皺を会長さんの指がツーッとなぞって。
「完全に手がお留守だよ。…ここまでぼくを煽っておいて…。ああ、もしかして焦らしてる?もっと…って言わないとダメなのかな。じゃあ、もっと。…もっと続けて…?」
赤い瞳が誘うように揺れ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」をしきりに気にする教頭先生の唇に軽く口付けて。
「…欲しいんだ、ハーレイ…。ぶるぅなんかより、ぼくだけを見てよ」
「……うう……」
教頭先生の額に脂汗が浮かび、会長さんをじっと見つめて…でも「そるじゃぁ・ぶるぅ」を無視することが出来ず、視線を向けると無垢な瞳と目が合って。興味津々で見学している小さな子供がよっぽど脅威だったのでしょう。
「…す、すまない、ブルー…」
絞り出すように言った教頭先生は会長さんから離れようとします。
「どうしたのさ、ハーレイ。…もう一度ぼくに言わせるつもり?…抱いてよ、このまま。もう離さない」
「…………!!」
スルリと回された会長さんの両腕に捕らえられ、引き寄せられかけた教頭先生が声にならない叫びを上げて身体を離し、逃げるようにベッドを降りると、凄い勢いでスロープを下って走っていって…。
「甲斐性なし!…ハーレイの馬鹿、役立たず!」
身体を起こした会長さんが罵る声が木霊する中、教頭先生は後をも見ずに青の間を飛び出して行ったのでした。残されたのはシールドを解かれた私たち7人と「そるじゃぁ・ぶるぅ」、そして土鍋と妄想イラスト。会長さんは余裕の笑みを浮べて銀色の髪をかき上げました。
「…ふふ、本気になってもヘタレだったね、ハーレイったら」
シャツのボタンを留めてゆく会長さんの白い胸には赤い痕が幾つか付けられています。
「もっと沢山からかうつもりで参考資料を用意したのに、アッと言う間に逃げてっちゃった。つまらないったらありゃしない。…ねぇ、ぶるぅ?」
「うん。…ブルー、裸にされなかったね。ぼく、1回しか訊けなかった。何してるの?って」
「シャツを脱がせ終わるまでの間に5回くらいは言ってもらう予定だったよねえ…」
二人の会話に私たちは頭を抱え、キース君が拳を握り締めて。
「あ、あんたっていうヤツは…!俺たちは十八歳未満の団体なんだぞ。よくもとんでもないことを…」
「そう?ぶるぅは何も気にしてないよ。…とんでもない、って言ってる君たちの方が心が穢れてるんだと思うな」
「なんだと?だったら俺も言わせてもらおう。あそこまでされて平気だってことは、あんた、ノルディから逃げる必要なんか無いだろう?…ノルディを見かけることがあったら、あんたの家まで連れてってやる」
「…それは勘弁して欲しいな。ハーレイだから平気なんだよ。ぶるぅがじっと見ている前じゃ何もできっこないんだからさ。これがノルディだと、そうはいかない。…何度も言っているだろう?ぼくはそっちの趣味は無いんだ。ノルディを案内してきたりしたら、君を生贄にしてさっさと逃げるよ」
「!!!」
顔面蒼白になったキース君。会長さんはおかしそうに笑い、サイオンを集めた手でシャツの皺を綺麗に伸ばしてゆきます。
「ハーレイの積年の思いがどれほどのものか試してみたけど、てんでヘタクソだね、何もかも。…自覚が無いのが痛々しい。煽られるどころか白けるだけだよ。口直しをしなきゃ収まらないな」
「「「口直し!?」」」
目を見開いた私たちに向かって、会長さんは軽くウインクしました。
「ぼくの女神に会いに行くだけさ。キスマークも上書きしてもらわなきゃ」
げげっ。キスマークの上書きって…。真っ赤になった私たちでしたが、会長さんは微笑んだだけ。
「そうそう、君たちを部屋へ送らないとね。もう遅いから瞬間移動で」
青い光が私たちを包み、フワッと身体が浮き上がって。
「それじゃ、おやすみ。…いい夢を」
浮遊感が消えると、そこは部屋の前の廊下でした。ギャラリーをさせられた疲労感がドッと押し寄せ、私たちは「おやすみなさい」の挨拶もそこそこに割り当てられた部屋の中へ。シャングリラでの最後の夜はシャワーを浴びるのが精一杯で、スウェナちゃんと話す気力も無いままベッドに倒れて終わりました。
2泊3日の進路相談会を締め括るのは二十光年を一気に飛び越えるワープと、近づいてくる青い地球。大気圏に入ったシャングリラから降りるシャトルに乗り込んだのはブラウ先生と私たち7人組だけでした。会長さんやフィシスさんたちは別の便で戻ってくるのだそうです。青い空に浮かぶシャングリラの周囲を一周してから元の空港に降下し、マイクロバスでシャングリラ学園前へ戻って解散。ブラウ先生が笑顔で手を振って…。
「明日には通知が行くからね。特別生としての就学許可書と、入学式の案内状だ」
入学式の案内状。私たちはシャングリラ学園の校門と建物を眺めて互いに頷き合いました。入学式はもうすぐです。1年前と同じように学校の門をくぐって入学式の会場へ。思えば1年前のあの日から全てが始まったんでしたっけ。会長さんのメッセージを聞いて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行って…私たち7人グループが出来て。
「もうすぐだよね、入学式」
ジョミー君が嬉しそうに言い、キース君が頷いて。
「ああ。俺の大学の入学式は別の日だから、俺も来る。受講相談会に用は無いしな。俺が取る講義は決まってるんだし」
寺を継ぐなら選り好みはしていられないんだ、とキース君は笑いました。きっと難しい講義が沢山待っているのでしょう。でも天才のキース君なら大丈夫。時間が空いたらシャングリラ学園に必ず顔を出すそうです。
「出席日数を問われなくても、俺のプライドが許さないんだ。欠席大王だなんて呼ばれてたまるか」
俺は学年トップでなきゃな、と力説するとシロエ君が。
「ぼくだって負けませんからね。今年こそ、先輩から1本取ってみせます」
「頑張れよ!」
サム君がシロエ君の肩をバンバンと叩き、「負けるんじゃないぜ」とキース君の背中を叩きます。
「おいおい、どっちの味方なんだ?」
キース君の呆れた顔にサム君はニッコリ笑って答えました。
「いいじゃないかよ、どっちだって。…俺たち、みんな友達だろ?」
「そうだね。みんな友達だもんね」
ジョミー君が輝くような笑顔で応じ、私たちは入学式での再会を固く約束してから、それぞれの家に帰ったのでした。シャングリラ学園の特別生として1年生を続けることを家族に報告するために。
そして2度目の入学式の日。また袖を通せるとは思わなかったシャングリラ学園の制服を着て、私たち7人は校門の前に集合しました。新入生たちがパパやママと一緒に次々と門をくぐってゆきます。去年は一人で来たのは私だけでしたけど、今年はジョミー君たちも一人で参加。とりあえず記念写真を撮ろう、とシャッターを押してくれそうな人を捜していると。
「あっ!…みんなどうしたの?」
声をかけてきたのはアルトちゃんとrちゃんでした。そっか、在校生も来ますものね。不思議そうに見ている二人にキース君が。
「すまん。謝恩会までして貰ったんだが、また入学することになったんだ。俺たち全員、1年生だ」
「それって、もしかして特別生?」
「ああ。…みんなに会ったら謝らなきゃな。せっかく送り出してくれたのに」
そうそう、と私たちが声を揃えると、アルトちゃんたちは笑い出しました。
「大丈夫だって!もしかしたらそうじゃないかな、って言われてたもの、みんなの間で」
「うん。どんな制度かは分からないけど、1年で卒業してった人が特別生っていうものになって学校に残ることがあるのは知ってたの。みんなで色々調べたから」
それで入学式に来たんだね、とアルトちゃんたちは頷き、rちゃんが記念写真のシャッターを押してくれました。お礼を言って入学式の会場へ向かおうとすると。
「…あのね。もしかしたら、また同じクラスになるかも」
アルトちゃんたちは「私たちも1年生だし」と恥ずかしそうに笑っています。
「えっ、なんで!?…テストは満点だったのに」
疑問をぶつけるジョミー君。スウェナちゃんと私は肘で突っつき合い、思念波を使ってコッソリと…。
『もしかして会長さんのせい?』
『とうとう学校にバレちゃったとか?』
退学まではいかないまでも留年になってしまったとか…、と秘かにやり取りしている所へアルトちゃんたちが。
「私たちにも分からないの。でも、もう一度1年生なんだって」
「卒業してないし、入学式の案内は来てないんだけど…クラス発表があるから出るようにって言われちゃって」
だから一番後ろで見るつもりだ、と二人は去ってゆきました。グレイブ先生のクラスの生徒が成績が悪くて留年なんて有り得ません。私たちは額を寄せ合い、悩んだ挙句に会長さんのせいだという結論に達しました。そういう理由ならアルトちゃんたちが自ら語るわけがないですし…いかにもありそうな話ですし。
「教頭先生の次はアルトとrか…」
キース君が溜息をつき、私たちもシャングリラ号での事件を思い返して深い溜息。あそこまでやった会長さんなら、アルトちゃんたちに良からぬことをしでかすくらい平気でしょう。夢を見せるだけだと言ってましたが、どこまで信じていいものやら…。
「そろそろ会場に入りませんか?」
マツカ君が腕時計を見て言いました。
「もうすぐ始まる時間ですよ」
会場の外に人影は殆どありません。私たちは急いで講堂に入り、並んで座ったのでした。壇上には先生方の姿が。ゼル先生にブラウ先生に…。シャングリラ号のことは夢だったのかも、と思えてきます。機関長と航海長をしている二人をブリッジで何度も見かけたのに。でも何よりも信じられないのは、やはり教頭先生でした。スーツ姿で入学式の司会をしている人が、シャングリラ号を指揮するキャプテンだなんて。
校歌に続いて校長先生の挨拶が済むと、男の先生が二人掛かりで大きな土鍋を運んできました。蓋が取られて現れたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。学園のマスコットで幸運を招くと紹介されて、御利益に与る三本締め。その後は来賓の挨拶が続き、退屈でウトウトしてきた時。
『目を覚ませ、仲間たち』
響いたのは会長さんの思念波でした。そういえば入学式でメッセージを送って仲間を捜すと聞きましたっけ。私たちが去年この声に導かれて集まったように、今年も誰か来るのでしょうか。仲間が増えても「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ行っていいのか、私たちはお役御免になるのか…。なんだかちょっと不安です。式が終わるとクラス発表。廊下に張られた名簿を見ると…。
「「「えぇぇっ!?」」」
私たちは思わず叫びました。7人ともA組に名前があります。去年はサム君とシロエ君が別だったのに、みんな揃って1年A組。
「ブラック・リストってヤツでしょうか…」
シロエ君が小声で呟き、キース君が。
「まとめて監視しようってか?…上等だ。この分では今年もアイツが来るぜ」
「…来るだろうね…」
ジョミー君が相槌を打ち、私たちは会長さんの顔を思い浮かべて苦笑い。まさか校内で教頭先生を誘惑しようとはしないでしょうが…って、前言撤回。教頭室は無法地帯に近い状態でしたっけ。特別生はなかなか気苦労が多そうです。1年A組の教室に行くと、アルトちゃんとrちゃんがいて。
「本当に同じクラスになっちゃった…」
二人から「よろしくね」と微笑みかけられ、私たちは思わず思念波で会話。
『どうなってんだ、このクラスって?』
『きっとブラック・リストですよ』
『『『そんなぁ~!!!』』』
そこへ教室の扉がガラリと開き、カツカツカツ…と靴音も高く現れたのは新婚のグレイブ先生でした。
「諸君、入学おめでとう。私が担任のグレイブ・マードックだ。グレイブ先生と呼んでくれたまえ」
ひえぇぇ!まさかここまで因縁のクラスになるなんて…。
『やかましい!』
それは初めて聞いたグレイブ先生の思念。
『諸君の担任を押し付けられた私の身にもなってみたまえ。泣きたいのは私の方なのだぞ!』
えっ、と周囲を見回しましたが、思念波の対象は当然私たち7人だけ。
「私の担当は数学だ。挨拶代わりに実力テストをさせて貰おう。これを前から順に後ろへ」
悲鳴が上がり、数学の問題用紙が回ってきました。そういえば去年の入学式でも実力テストをされましたっけ。ど、どうしよう…。会長さんの手助けに慣れてしまって、実力でテストに挑むことなんか忘れてたのに。ああ、アルトちゃんたちみたいに「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形パワーを詰めたストラップがあれば…。でなきゃ「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手形を押しに来てくれるとか!
「…1年A組って、ここだよね?」
カラリと教室の扉が開いて、女の子たちの黄色い悲鳴が上がりました。銀色の髪に赤い瞳、スラリとした細身の超絶美形の会長さんが微笑みながら立っています。
「遅れちゃった。…ああ、今から実力テストなんだ?ぼくの名はブルー。この学園の生徒会長だけど、今年は1年A組に混ぜて貰おうと思ってね。…グレイブ、ぼくの机が無いからちょっと借りるよ」
教卓の椅子に腰を下ろした会長さん。実力テストがどうなったかは…言うまでもないと思います。
入学初日のホームルームを終えたグレイブ先生が出て行った後、会長さんは質問攻め。みんな会長さんの力は知りませんから、単なる興味や好奇心です。生徒会長が1年生のクラスに混ざろうだなんて、誰が聞いても不思議ですもの。騒ぎが落ち着き、クラスメイトが帰った後で会長さんが。
「それじゃ行こうか、ぶるぅの部屋へ。今日は入学祝いのケーキを焼くって張り切ってたよ」
やったぁ!今日も「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ行けます。お役御免でなくて良かったぁ…。みんなで生徒会室へ行くと、扉の前にアルトちゃんとrちゃんが。
「あ、あの…。入学式の時に声が聞こえたような気がして…」
「生徒会室の前で待ってるように、って…」
「「「えぇぇっ!?」」」」
驚いていると会長さんが生徒会室の扉をカチャリと開いて。
「アルトさんとrさん。…ようこそ、影の生徒会室へ。おいで、ぶるぅの部屋を紹介しよう」
私たちはキョトンとしているアルトちゃんたちを連れ、壁の紋章に触れて奥に入ります。
「かみお~ん♪待ってたよ!今日はお客様が二人だね!」
出迎えてくれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がイチゴをたっぷり使った大きなケーキをテーブルの上に運んできました。アルトちゃんとrちゃん…。お客様って、どういう意味?仲間とはまた違うのかな…?
『アルトさんたちは少し時間がかかりそうなんだ』
会長さんの思念が聞こえましたが、アルトちゃんたちは無反応。
『まりぃ先生と同じで因子を持ってはいるんだけれど…君たちのようにいかなくて。だから留年させてみた。ぶるぅの部屋に自分の力で入れるようにならないと。まりぃ先生もアルトさんたちも、因子が目覚めるまで気長に待つよ。夢でお付き合いしながらね』
クスクスクス。楽しそうに笑う会長さんはシャングリラ・ジゴロ・ブルーの顔でした。
「それじゃ今日はゲストも交えて賑やかにいこう。新しい年度に乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
フレッシュジュースのグラスをカチンと合わせて、楽しい宴の始まりです。謝恩会の日のブラウ先生の言葉がフッと頭を掠めました。「あんたたちは学校が合ってるのかもしれないねぇ」って。楽しみにしているよ、と言ってましたけど、学校に残るのを期待してくれていたのかな?グレイブ先生、ゼル先生…みんな素敵な先生ばかり。ヘタレな教頭先生だって、生徒には優しい先生で…そしてシャングリラ号のキャプテンで。
『みんな、学校に残ってくれてありがとう。新しい特別生を歓迎するよ』
会長さんから届いた思念に私たちは大きく頷きました。シャングリラ学園1年、特別生。私たちの新しい学校生活は、今、始まったばかりです。シャングリラ学園がいつまでも変わりませんように。宇宙船シャングリラ号が箱舟になる日が来ませんように。きっと…きっと、大丈夫。シャングリラ学園、万歳!
※ここまで読んで下さった方、お疲れ様でした!
実は「番外編」へと続くんですよね、このお話は…。キース君が副住職になるまで。
あまつさえ、遥か未来の世界で「完結」したとか、しないとか。
一度は完結したんですけど、何故だか、今も絶賛連載中です。
番外編の目次はこちら→番外編タイトル一覧
思いがけないティータイムを終えるとカップやマドレーヌの籠は綺麗に消え失せてしまいました。厨房へ返したんだ、と会長さんがベッドに腰かけて微笑みます。シャングリラには大きな食堂もあるようでした。ブラウ先生がベッドの横に立ち、私たちは床に座ったままで進路相談会の再開です。最初の発言はブラウ先生。
「さて、あんたたちの今後だけどね。ソルジャーは各自の意思に任せる、と仰せなんだ。…進学するも良し、就職してみるも良し。シャングリラ学園のコネを使えば今からでも十分間に合うよ。もちろん浪人して受験してみたり、自分で就職先を探すのもオッケーだ。…ただ、お薦めの進路ってヤツがあってさ。あんたたち、また1年生をやらないかい?」
「「「は!?」」」
「シャングリラ学園の特別生として1年生にならないか、って言ってるんだよ。そうだね、ソルジャー?」
「うん」
会長さんが頷いて。
「話したことがあるだろう?学校に残ることも可能だ、って。もちろん学費は一切要らない。君たちは年を取らなくなってしまったんだし、急いで社会に出るよりその方がいいとぼくは思う。何年か経って自信がついてから他の道に行きたくなったら、その時にまた考えればいいんだしね。…そうそう、キース。君も在籍しないかい?」
「俺が!?…もう入学式の日も決まっているし、学費だってとっくに納めたんだ」
お坊さんの勉強が出来る大学への進学が決定しているキース君。シャングリラ学園に在籍するのは無理なのでは…?
「いいんだってば。在籍する、と言ってくれれば1年生に籍を置いておく。学校の空き時間とか講義の無い日にフラッと来ればいいんだよ。特別生は出席日数は問われないから。…知らないかな、1年B組の欠席大王。ジルベールって名前の男の子だけど」
「「「あっ!!」」」
私たちは思わず声を上げました。滅多に登校して来ない絶滅危惧種と噂の高い美少年がB組にいると聞いています。会ったことは無いですけれど、確か名前がジルベール…。
「彼は特別生なんだ。同じB組のセルジュって子と同期でね。セルジュは真面目に登校するのに、ジルベールの方は出てこないことで有名で。…そう、二人ともぼくたちの仲間なのさ。特別生はシャングリラ学園に何人もいる。フィシスもリオも特別生だ。だから君たちも特別生になって1年生をやらないか、ってこと」
シャングリラ学園で1年生をもう一度…。そういえば前に会長さんが言ってましたっけ。1年生を百年くらいやってみれば…とかいう怪しいことを。百年やるかどうかはともかく、もう一度という提案は私には魅力的でした。進学も就職もピンときませんし、なによりシャングリラ学園で過ごした1年間はとても素敵なものだったのです。また1年生をやりたいです、と言おうとした時、マツカ君が。
「あの…。学校に残らないか、っていうお話は嬉しいですし、そうしたいです。でも…ぼくの将来って、どうなりますか?父の事業を継いでいかないと会社の人たちが困るでしょうし…。父はお前の人生だから好きにしろ、って言いましたけど」
「…お父さんの仕事を継ぎたい、か…。本当に強くなったね、マツカ」
柔道部に入ったおかげかな、と会長さん。入学したての頃、スタンガンや催涙スプレーを持ち歩いていたマツカ君はいつの間にか責任感の強い人間に成長していました。私と同い年なのに、ちゃんと将来のことを考えて…。
「シャングリラ学園にいても会社経営の勉強と両立するのは可能だよ。…というより、むしろそうした方がいい。君は年を取らない人間だ。普通の人の何倍もの年月を老けないままで社長稼業を続けていこうと思うんだったら、まずノウハウを学びたまえ。校長先生がいい先例だ。三百年以上も校長をやっている話は知られているけど、誰も化け物だなんて言わないだろう?」
「…あ…。そうですね…。会長さんの言うとおりです…」
そこまで考えていませんでした、とマツカ君は素直に言って。
「じゃあ、ぼく、学校に残らせて頂きます。えっと…手続きとかはよく分かりませんけど、お願いします」
「了解。マツカは在籍、と。ブラウ、よろしく頼むよ」
会長さんが宙に書類とペンを取り出し、ブラウ先生に手渡します。
「よーし、進路決定第一号だね。…他のみんなはどうするんだい?」
サラサラと何か記入しながらブラウ先生が尋ねました。えっと、えっと…。よーし、私も思い切って!
「「「残ります!!!」」」
えっ、と見回すとジョミー君、サム君、スウェナちゃんが一斉に手を挙げていたのでした。
「…シロエは?」
会長さんが黙り込んでいるシロエ君に水を向けます。シロエ君には柔道の他に特に目標は無かったような…。
「キース先輩次第です。ぼく、先輩に負けたくないっていう一心でシャングリラ学園に入学したのに、あっさり卒業になってしまって…。おまけに先輩はお坊さんになるって言いますし。これじゃ勝負にならないですよ。もしも先輩が残るというなら残って勝負をつけたいですし、進学するっていうんだったら…どうしようかな?」
「…俺を基準にしやがって…」
フゥ、とキース君が溜息をつきました。
「仕方ないな。トリで進路を決めたかったが、話が進まないのは好かん。…俺も残らせてもらうことにする。何百年も寺を守るとなると、知っておきたいことも沢山あるしな。新しい学校と二足の草鞋でろくに登校しないかもしれんが、また1年生をやることにするさ。…教頭先生の柔道の指導にも未練があるし」
「やったあ!じゃあ、また先輩と技を競えますね」
シロエ君の顔がパッと輝いて。
「ぼくも学校に残ります。…いえ、残らせて下さい!!」
「分かった」
会長さんがニッコリ笑い、ブラウ先生が記入した書類を受け取って確認してからサインをします。
「それじゃ君たち全員、シャングリラ学園の特別生として1年生になることを認めよう。…これで進路相談会はおしまい。後はシャングリラで宇宙の旅を楽しみたまえ」
お腹が空いただろうし食堂へ…、と言われてやっと気がつきました。朝ご飯の後、口にしたのはさっきのマドレーヌと紅茶だけ。みんなのお腹がグーッと鳴って、進路相談会は笑い声と共に無事に終了したのでした。
ソルジャーの衣装を着けた会長さんが私たちを連れて食堂に入っていくと、聞き覚えのある大きな声が。
「ブルー!…みんな、こっち、こっち!!」
公園が見える窓際の席で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手を振っています。まさかシャングリラに来ていただなんて!ブラウ先生はブリッジに行ってしまいましたから、ここにいるのは会長さんと私たち7人グループだけ。食事の時間から外れているので他の人の姿もありません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に呼ばれるままにテーブルに座りましたけど…。えっと、食事ってどうするのかな?
「基本はセルフサービスだよ」
会長さんが教えてくれました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が全員分の水のグラスをお盆に載せてきて配ってくれます。
セルフサービスなら食事を取りに行かないとダメですよね。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に運ばせるのは悪いですし。
「…基本は、って言っただろう?」
立ち上がりかけた私たちを会長さんが引き止めて。
「時間外だし、シャングリラでの初めての食事でもあるし…今回だけは特別なんだ。ほらね」
白い調理服の男の人がワゴンを押してやって来ました。テーブルの上に並べられたのは煮込みハンバーグにスープにサラダに…。
「全部ぶるぅが作ったんだよ。食材もちゃんと持ち込んで。ね、ぶるぅ?」
「うん!…シャングリラの食堂でお料理するの、久しぶりだから楽しかったぁ♪」
お代わりもあるよ、と言われて食べ始めると、いつもどおりとても美味しくて…。でも夕食からは他の乗組員の人たちと同じ日替わり定食になるそうです。それは会長さんの意向でした。
「やろうと思えば別メニューにも出来るんだけどね。せっかく来たんだし、シャングリラの食事を体験するのもいいだろう?味気ないものじゃないから大丈夫」
船の中では自給自足が原則なんだ、と農園などが存在することを聞かされビックリ仰天。家畜なんかも飼育されていて、船自体が1つの小さな世界なのです。
「名前負けしたんじゃ情けないと思って頑張ったんだ。シャングリラの名前どおりの、ぼくたちの理想郷になるように。…前に言ったとおり、今のところ出番は無さそうだけど」
そうでした。シャングリラ号は箱舟として建造されたと聞きましたっけ。でもサイオンに目覚めたわりに、今までと比べて何の変化もないような…。ジョミー君たちに尋ねてみると同じ意見が返ってきました。私たちってサイオンの才能が無いんでしょうか?
「違うよ。それが普通なんだ。思念波もサイオンも日常生活では全く必要が無い。…意識して初めて使える、っていうのが理想かな。君たちはもうそのレベル。今は要らないと自分で判断しているわけさ」
なるほど。じゃあ、普通の人と変わらない生活が出来るんですね。年を取らないということを除けば、あまり問題は無さそうです。シャングリラ号に来るまでは、かなり気がかりだったんですけど。
「あまり心配しないことだね。力は徐々に伸びることもあるし、その時はちゃんとフォローするから。…3人目のタイプ・ブルーがどんな風に成長するのか楽しみだな」
「「「タイプ・ブルー!?」」」
私たちは思わず叫んでいました。3人目のタイプ・ブルーって、いったい誰!?
「…ジョミーだよ」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
ジョミー君も含めた全員が驚愕に目を見開きましたが、会長さんはクスッと笑って。
「ジョミーは間違いなくタイプ・ブルーだ。…でも力がどこまで伸びてゆくのか、その時期がいつかは分からない。もしかしたら百年くらいは今のままかもしれないね」
「…そうなんだ…」
残念、と呟くジョミー君。会長さんみたいに瞬間移動とかを自在にしたかったらしいのですが、こればっかりは仕方ないですよねぇ。
食堂を出た私たちは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に案内されてシャングリラ号の見学に出かけました。展望室からは無数の星が見えます。ここが地球から二十光年も離れているだなんて…。不意にキース君が会長さんに。
「あちこち見て回って思ったんだが、あんたの部屋…。青の間と言ったな?あれはいったい何なんだ。他にああいう部屋は無かった。あんたは一人であそこを使って何をしている?」
「別に何も…。ぼくはあそこに居ればいいんだ。ただそれだけ。…でも、留守にしてても問題はない」
会長さんはキース君の勘の鋭さを褒め、青の間が持つ意味を教えてくれました。
「あの部屋は、ぼくのサイオンを増幅させる。多少消耗していたとしても、あそこにいればシャングリラ全体にシールドをかけるくらいのことは出来るんだ。シャングリラと仲間たちを守るソルジャーに…戦士としてのぼくに必要な部屋が青の間なのさ」
シャングリラと同じで戦士の出番も無いんだけどね、と会長さんはウインクして。
「ぼくの部屋には招待したから、フィシスの部屋に案内しよう。…前に言っただろう?フィシスの部屋はぜひ見てほしい、って」
えっ。その言葉は確かに覚えています。でもフィシスさんのお部屋がシャングリラに?…アルテメシアの会長さんのお家のゲストルームの1つじゃなくて?
「アルテメシアの家にはフィシス専用の部屋なんか無いよ。…ぼくの寝室がちゃんとあるのに、別の部屋を用意してどうするのさ」
「「「!!!」」」
し、寝室…。今、寝室って言いましたか?フィシスさんが会長さんの寝室に…って、それじゃやっぱり会長さんとフィシスさんは…。
「フィシスはぼくの女神なんだ。女神にはそばにいて欲しいものだろ?」
しれっと言った会長さんは呆然とする私たちを展望室から連れ出し、エレベーターや通路を使って別の区画へ。青の間と同じくらいの大きな扉を抜けた先には大理石でしつらえられた立派な部屋がありました。印象的な階段と、プラネタリウムの投影機。相当に広い空間です。そして階段を滑るように下りてきたのは…。
「ようこそ、ソルジャー」
フィシスさんが薄紫のドレス姿で微笑んでいます。ドレスの裾は床に届く丈で、袖の端も床に届きそう。まるで本物の女神様みたい…。みんなも同じことを考えているのが分かりました。これがサイオンの力なのかな?
「…女神みたいに見えるって?」
会長さんがニッコリ笑ってフィシスさんの手を取りました。
「当然じゃないか。ソルジャーの隣に立つのに相応しい服をデザインするよう頼んだ時に、ぼくが注文をつけたんだ。女神らしく見える服にしてくれ…って。ほらね、こうして並ぶと映える衣装だと思わないかい?」
えっと…。要するに、会長さんの衣装と引き立て合うようデザインしたってわけですか。徹底した溺愛ぶりですけれど、この部屋もそういう意図で造られた部屋なんでしょうか?
「ここは最初からあったんだよ。青の間と同じでシャングリラが出来た時からね。…プラネタリウムがあるから天体の間と呼ばれてきた。フィシスに出会って、青の間に負けない部屋をあげたくて…思いついたのが此処だったんだ」
フィシスも気に入ってくれたしね、と会長さんが言うとフィシスさんが頷きます。
「…とても静かで落ち着くのです。…ブルー……いえ、ソルジャーがこの部屋を下さるとおっしゃった時は驚きましたけれど」
今ではシャングリラに来るのが楽しみに思えるほど大好きな場所になりました、とフィシスさん。会長さんもフィシスさんもシャングリラには滅多に来ないらしいのですが、数少ない滞在期間のためだけにこんなお部屋を贈るだなんて凄すぎます。青の間と釣り合うものを…という考えで選ぶあたりが流石というか、なんというか。ドレスのデザインといい、天体の間といい、フィシスさんは会長さんにとって何処までも特別な人なんですね…。
フィシスさんのお部屋でお茶を御馳走になり、それから居住区に連れて行ってもらって、部屋で休憩。会長さんは私たちが迷わないようシャングリラの全体図をサイオンを使って一瞬で教え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒に青の間に帰ってしまいました。2泊3日の進路相談会はまだ1日目ですが、進路が決まるとすることもなくて…。夕食を食堂で食べてしまった後は暇に任せて7人で艦内の散歩です。
「暇だよねえ…」
ジョミー君が言い、誰かの部屋でトランプでも…という話に。でも、トランプなんかありましたっけ?進路相談会にはおよそ不要なアイテムです。案の定、誰もトランプは持っていませんでした。仕方なくジョミー君とサム君の部屋で雑談をしている内に少しずつ眠くなってきて。朝から驚きの連続ばかりで目が冴え返っていましたけれど、シャングリラでの時計が午前0時過ぎともなれば疲れが出てきて瞼も重くなってきます。おやすみなさい、と部屋に戻ってシャワーを浴びて、ベッドに入って朝までグッスリ…。
「うーん、よく寝たぁ…」
起き上がって伸びをしているところへジョミー君たちが起きた気配が届きました。きっとこれもサイオンです。身支度をしてスウェナちゃんと他の部屋のチャイムを鳴らし、みんな揃って食堂へ。朝は定食ではなくバイキングでした。お揃いの制服を着た人たちがあちこちで談笑しています。その人たちがいなくなるまで食堂で粘り、またまた暇に任せて艦内見学。ブリッジを覗いたり、展望室から宇宙を見たり…。そしてお昼の定食を食べ、食堂で粘った後はまた艦内の見学です。
「結局、歩き回ってただけだったよな」
サム君が夜の定食を頬張りながら公園の方を眺めました。
「シャングリラの中で行ける所は全部見たけど、なんか不毛な一日だったぜ。こんなに暇だと分かっていたら、ゲームとか持って来たのになぁ…」
それは私たちも同意見でした。シャングリラの中はすっかり覚えましたが、もっと有意義に時間を使いたかったという気がします。ソルジャーである会長さんは仕方ないとして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」ならちょっとくらい遊びに来てくれたって…。
『ふぅん、そんなに暇だったんだ?』
不意に会長さんの思念が聞こえました。
『シャングリラを知って欲しかったから、あえて何も言わずに覚えるまで見学させたんだけど…。悪かったかな』
そっか、無駄に時間を潰したわけではなかったんですね。それならいいか、と私たちが顔を見合わせて苦笑した時。
『退屈させてしまったようだし、今夜はお詫びにトランプ大会。後で青の間へ遊びにおいで』
お誘いの言葉を断る理由はありません。よーし、今夜は遊べそうですよ!
夕食を終えて部屋でしばらく休憩してから青の間に行くと、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が待っていました。
「かみお~ん♪昼間は放っておいてごめんね。ブルーがそうしろって言ったんだ」
「ごめん、ごめん。…でもシャングリラには馴染めただろう?君たちのための船でもあるし、しっかり見ておいて欲しかったんだ。次に乗れるのはいつか分からないしね」
そう言いながら会長さんがトランプを取り出し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がシャッフルします。まずは定番のババ抜きから。…サイオンに目覚めたとはいえ、会長さんに「サイオンによる覗き見禁止」と厳命されると今までと何も変わりません。ババ抜きの次は大富豪。大貧民とも言いましたっけ。盛り上がる中、キース君が会長さんをまじまじと見て。
「…あんた、なんで生徒会長なんかをやってるんだ?…ソルジャーは俺たちの長なんだろう。教頭先生たちより上の立場にいる筈なのに、教え子だなんて変じゃないか」
「いいんだってば。…ぼくが望んだことだから」
会長さんがスッとカードを出すと、「パス!」という悲鳴が響きます。
「ぼくは確かにソルジャーだ。タイプ・ブルーで、皆を守るだけの力があるから、自然とそういうことになった。でも、長の責任は重いんだよ。ぼくたちの未来も何もかも…一人で背負っていくなんてこと、いくらタイプ・ブルーであっても酷なことだと思わないかい?」
みんなが次々にパスしてしまい、会長さんは新しいカードを1枚出しました。
「だから条件を出したんだ。…もしも普通の人間たちから迫害されるような時が来たなら、ぼくは文字通りソルジャーとして…戦士として皆を全力で守る。その代わり、それまでは長の務めを皆で分担して欲しい、って。ハーレイたちは分かってくれたよ。それどころか自分たちが教師になって、ぼくを生徒にしてくれた。シャングリラ学園が存在する限り、ぼくは生徒として先生たちに守られる側。生徒会長をしてはいるけど、長の立場にはいないんだ」
だからノルディに狙われたりもするんだけどね、と会長さんは笑いました。トランプ大会は延々と続き、ド貧民になってしまった「そるじゃぁ・ぶるぅ」が拗ねちゃったりもしましたが…。
「あ、もうこんな時間なのか」
会長さんが声を上げたのは日付が変わる少し前。夢中になって時間が経つのを忘れていました。明日はシャングリラで地球に戻る日。ちょうどゲームもキリのいい所になっていましたし、そろそろ部屋に帰らなきゃ…。カードを箱に入れ、会長さんに手渡すと。
「ありがとう。トランプ大会、楽しかったよ。…ところで、この後なんだけど。もうすぐお客様が来る。…ぼくはギャラリーが欲しいんだよね」
「「「えぇぇっ!?」」」
ギャラリーって…ギャラリーって、なに!?会長さんがこの単語を口にした場合、ろくなことにはなりません。もしかしてトランプ大会に誘われたのは罠でしたか?
「暇つぶしをさせてあげたんだから拒否権は無いよ。ぶるぅ、シールドを」
「かみお~ん!!」
雄叫びと共に張られるシールド。青の間の天蓋つきベッドのすぐそばで『見えないギャラリー』にされてしまった私たちの悲鳴は誰にも聞こえませんでした。もうすぐ来るというお客様。誰なのか言われなくても分かったような気がします。なんで地球から二十光年も離れた所に来てまでギャラリーをやらなきゃダメなんですか~!
いよいよ進路相談会の日がやって来ました。2泊3日で予備日が1日。合宿所へ行くのだと思い込んでいるパパとママに「行ってきます」と挨拶をして、目指すはシャングリラ学園です。集合時間よりちょっと早めに着いたのですが、ジョミー君もシロエ君も…みんなお泊り用の荷物を持って校門前に揃っていました。ブラウ先生がラフなパンツスーツで立っています。足元にはスポーティーなボストンバッグ。
「よーし、全員揃ったね。今日の引率は私なんだ。グレイブは新婚さんだし、ゼルは大事な用事があるし。担任の先生がいないのはちょっと不安かもしれないけれど、世話係はちゃんと引き受けたから大船に乗った気持ちでいておくれ。…って、行き先は本物の大船か」
あはは、と明るく笑ったブラウ先生に引率されて乗り込んだのはマイクロバス。運転手さんはシャングリラ学園でよく見かけていた男の職員さんでした。バスはアルテメシアの郊外に向かい、山の奥へと入ってゆきます。
「ここから先はシャングリラ学園の土地なんだ」
警備員が立つゲートを通り過ぎる時、ブラウ先生が教えてくれました。
「野外研修とかで使ってることもあるけどね…。本当の使い道はアレさ」
山に囲まれた開けた場所に舗装された区画があります。セスナ機やヘリコプターが止められていて、自家用の空港らしいと分かりました。そして建物も何棟か。こんな所に空港が…。
「表向きは学校所有の小さな空港。でも、ただの空港じゃないんだよ。…あんな飛行機、見たことあるかい?」
滑走路に止まっていたのは見慣れない形の飛行機でした。軍用機のことは全然知りませんけど、ああいう形のもあるのかな…。
「知らねえなあ…。俺、飛行機にはけっこう詳しいんだけど」
サム君が首を捻っています。ジョミー君やキース君も心当りが無いようでした。マイクロバスは滑走路に横付けされて、私たちは荷物を提げてその飛行機の方向へ。もしかして、これは飛行機じゃなくて…。
「宇宙空間でも飛べるシャトルなのさ、これは」
ブラウ先生が小型飛行機くらいのサイズの機体を見上げ、「乗りな」とスロープを先頭に立って上ってゆきます。やっぱりこれでシャングリラ号へ行くみたい。私たちはキョロキョロしながら乗り込みました。えっと…普通に窓や座席があるんですねぇ。通路を挟んで1人掛けのシートが並び、丸い窓から外が見えます。
「荷物は足元に置いといていいよ。それからシートベルトをつけとくれ」
見たところ飛行機とあまり変わらないような機体が滑走を始め、轟音と共に飛び立って…空港はアッという間に遥か彼方へ。かなりの速度らしいですけど、乗り心地は飛行機と変わりません。なので緊張感は全くありませんでした。雲の上へ出て更に高度が上がっていっても空は変わらず青いままでしたし、飛行機に乗って旅をするのと同じ感覚だったのです。そう、その船が現れるまでは。
「…見えてきたよ。あれがあたしたちの船、シャングリラだ」
キラッと光った白い点のようなものが見る間にぐんぐん大きくなって…。
「…宇宙クジラ…」
スウェナちゃんが呟きました。それはまさしく青空に浮かぶ巨大な白鯨。会長さんにスクリーンで何度か見せてもらったシャングリラ号が迫ってきます。
「乗っちまったら外側は見られないから、ちょいと一周していくよ。よく見ておきな」
ブラウ先生に言われるまでもなく、私たちの目はシャングリラ号に釘付けでした。本当にとても大きな船です。こんなサイズの乗り物っていうのは普通に存在するんでしょうか?空母とかは大きいって聞きますけれど…。
「これだけの規模の飛行機や船は無いってことになっている。…シャングリラの存在は普通の人には全く知られてないからね」
私たちがシャングリラ号の大きさについて騒いでいるとブラウ先生が言いました。
「ついでに言えば、ここに浮かんでいるけどさ…。もっと上にある人工衛星から観測してもシャングリラは見えていないんだ。あたしたちが乗ってるコレもレーダーには捕捉されてない。難しい説明は省いとくけど、ステルス・デバイスってヤツのおかげだよ」
シャングリラ学園の校章と同じ赤と金色の紋章がついたシャングリラ号の周りを一周してから、巨大なアーチの下をくぐって滑るように甲板らしき所へ降りてゆきます。その先にあったのは驚くほど広い格納庫。
「さあ、シャングリラに御到着だよ。…荷物を持って見学っていうのも間抜けだし…まずは部屋の方へ案内しようかねえ」
シャングリラ号に降り立った私たちは驚きをとっくに通り越してしまい、すっかりハイになっていました。凄い、凄いと連発しながら移動用の電車みたいなもの…多分電車ではないのでしょうが…に乗り込み、居住区だよ、と言われた場所で電車を降りて。広い通路を歩いていくと扉が幾つも並んでいます。
「はい、あんた達の部屋はこの3つだよ。女の子に1つ、男子に2つ。男子の部屋割りは好きにしな。3人部屋はこっちの部屋さ」
廊下で待っているから荷物を置いたら出ておいで、と言われてスウェナちゃんと入った部屋はホテルと変わりませんでした。ベッドが2つに、テーブルと椅子に…。うーん、本当にここって宇宙船の中?眠ったまんまで連れて来られたら気付かないかもしれません。
「えっと…。私たち、本当に宇宙クジラに来ちゃったのよね?」
「うん。凄いものを一杯見すぎて、何がなんだか分からないけど…」
ビックリすることばかりだよね、とスウェナちゃんと話をしながら荷物を置いて廊下に戻ると、ブラウ先生が。
「どうだい?船の中とは思えないだろ。なんたって、あたしたちの自慢の船だからねえ」
公園だってあるんだよ、と案内された所は確かに公園でした。広い芝生に緑の木々。…でも、その奥の方に浮かんでいるように見える建造物はいったい何…?
「あれがシャングリラのブリッジさ。この船はあそこで指揮している。…おいで、キャプテンがお待ちかねだ」
「「「キャプテン!?」」」
き、キャプテンって…教頭先生のことですよね?そういえば会長さんが言ってましたっけ。シャングリラ号に行ったら教頭先生を頼るように、って。教頭先生、一足先に乗り込んでたんだ…。ブラウ先生に先導されて連れて行かれたブリッジとやらには本当に教頭先生が立っていました。見慣れたスーツ姿ではなく、薄茶色に金の模様をあしらった服。なんだか見覚えのある模様のような気がしますけど、なんだっけ…。でも私たちの目を引いたのは金の肩飾りと、胸元の赤い石が2つくっついた房つきの金色の飾り紐…そして短い緑のマント。ここがシャングリラ号の中でなかったら、仮装だと思ったことでしょう。
「シャングリラへようこそ、諸君。私が船長のウィリアム・ハーレイだ」
いかめしい顔つきでそう名乗ってから、教頭先生はクッと笑っていつもの教頭先生の表情に。
「…ははは、今更格好をつけても始まらんか。ゼル先生もそこにいるぞ」
「「「え?」」」
緊張して気付いていませんでしたが、確かに見慣れた禿げ頭が。スッポリと身体を覆う長いマントを着ています。
「えっ、とは何じゃ、失礼な!ちゃんと挨拶せんかい、行儀の悪い」
「「「す、すみません!」」」
ペコペコと頭を下げる私たちの姿にクスクスと笑う声があちこちから…。見回してみるとブリッジの随所にお揃いの服を着た男女がいました。レーダーや通信を担当する人たちだ、とブラウ先生が説明してくれます。
「ゼルはシャングリラの機関長だよ。ハーレイと一緒で滅多に現場に来ないけどね。そして、あたしは…」
ストン、とブリッジ中央の円形部分に設けられた椅子の1つにパンツスーツで腰かけて。
「これでも航海長なのさ。ホントはゼルと揃いの服があるんだけれど、今日のところはこのままでいいだろ」
ゼル先生が機関長でブラウ先生が航海長!?…ポカンとしている私たちを他所に教頭先生…いえ、キャプテンが舵を握った若い男性に言いました。
「これで全員揃ったな。大気圏内航行装備。上げ舵!」
は?…こ、この船って舵輪で操縦するんですかぁ!?…なんて呆気に取られて眺めていると。
「その辺に適当に座っときな。ま、立ったままでも大して問題ないけどね…性能のいい船だから」
ブラウ先生の言葉に私たちは一箇所に固まり、膝を抱えて座りました。その間に次々と指示が出されて、カウントダウンが始まって…。
「シャングリラ、発進!!」
教頭先生の号令がブリッジに響き、動き出した船は青い大気圏を抜けて真っ暗な宇宙空間へ。円形の巨大スクリーンに映し出された地球がどんどん小さくなっていくのを私たちは声も出せずに見ているだけです。
「じきに月より遠くへ行くよ」
ブラウ先生がスクリーンを指差しました。
「そこまで行ったら一気にワープだ。…あんたたちの進路相談会は二十光年先で始まるのさ」
えっ、ワープ!?…いきなりそこまでやりますか…って、もう教頭先生がゼル先生に「ワープドライブを温めておいてくれ」なんて言ってますし。えっと、えっと…。私たちが座ったまま顔を見合わせている内に再びカウントダウンが始まり、シャングリラ号はワープイン。SF小説でよくあるような衝撃も不快感も無いですけれど、このまま二十光年先へ…?しかもその先で進路相談会って、どれだけスケール大きいんですか~!!
ワープアウトした先は特に何も無い空間でした。2泊3日の間、シャングリラ号は目標を定めずに宇宙を航行するらしいです。ブリッジがすっかり落ち着いたところでブラウ先生が立ち上がりました。
「さてと、シャングリラの性能も堪能してもらったことだし、進路相談会をしようかねぇ。ついておいで」
「「「は、はいっ!」」」
ボーッとスクリーンを眺めていた私たちは教頭先生やブリッジクルーの人たちにお辞儀をしてからブラウ先生を追いかけます。今度は何処へ行くのでしょうか?
「進路相談の前に、まずサイオンを目覚めさせないと。…あんたたち、まだ使えないだろ?」
「「「え?」」」
私たちのサイオンはシャングリラ号に乗り込む時まで封じておく、と会長さんが言っていました。もうシャングリラの中にいるのですし、地球は二十光年の彼方。封印はとっくに解けている筈ですが…。
「えっ、じゃない。…どうだい、使えそうかい、サイオンは?」
「「「…………」」」
ブラウ先生の心を読もうとしても何の手応えもありませんでした。私たちのサイオンは使いこなせるレベルに達している、と会長さんに聞いていたのに、いったい何故?
「ほらね、やっぱり使えないじゃないか。進路相談会をするには、サイオンが目覚めていないと駄目なんだ。あんたたちの封印を解いてもらわなきゃどうにもならない」
「で、でも…」
サイオンを封じた会長さんとは二十光年も離れています。どうやって、と質問すると。
「会場へ行けば解いてくれるさ。…ソルジャーがね」
「「「ソルジャー!?」」」
誰なんですか、ソルジャーって?
「あたしたちの長のことだよ。ソルジャーってのは、ハーレイがキャプテンなのと同じで肩書きみたいなものかねぇ…。意味はそのまんま」
「…戦士ってことか…」
キース君が呟くと、ブラウ先生は「うんうん」と相槌を打って。
「まぁ、実際に戦ったことは一度もないし、ソルジャーって呼んでるだけで誰も本当に戦士だなんて思っちゃいない。ただ、いざとなったら戦えるだけの力を持っているのは確かさ」
ふぅん、と頷く私たち。戦士という名で呼ばれるほどの力があるなら、封印も解いて貰えるでしょう。でも長だっていうことは…キャプテンをやってる教頭先生より偉いんですよね?…だ、大丈夫かな、私たち。サイオンとやらを持った仲間の中では一番の新米のヒヨッコで…しかもサイオンが目覚めてないならヒヨコどころか卵かも。学校だって1年で卒業しちゃいましたから、目上の人に対する礼儀作法もてんで自信がありません。失礼があったらどうしましょう?
「あ、あの…」
シロエ君が口を開きました。
「これからソルジャーにお会いするんですよね?ぼくたち、なんて御挨拶したら…」
「そんなに緊張しなくったって、取って食ったりしやしないよ。いつもどおりにしてればいいんだ」
「…でも…」
「あんたたちのことはソルジャーもちゃんと御承知だから安心しな」
そう言ってブラウ先生は通路をどんどん先へ歩いて行って…大きな扉の前でようやく立ち止まりました。
「この先が青の間。ソルジャーの部屋で、進路相談会の会場さ」
「「「えぇぇっ!?」」」
長だというソルジャーのお部屋が進路相談会の会場だなんてビックリです。ひょっとして私たちの進路はソルジャーの一存で決まるとか…?いかにもありそうな展開だけに、私たちは立ち止まったまま不安そうに視線を交し合っていましたが…。
「こらこら、ぐずぐずしてるんじゃないよ。奥でソルジャーがお待ちかねだ」
ブラウ先生が扉を開くと、中は深海を思わせる神秘的な青い空間でした。青白い光がボウッと灯ったとてつもなく広い大きな部屋。スロープのような通路を上がってゆくブラウ先生に続いていくと、通路の脇が水面であると分かります。青の間には大量の水が湛えられ、スロープの先には天蓋のついたベッドだけがポツンと置かれた円形の場所が見えていました。ベッドに腰かけていた人影がゆっくりと立ち上がって…。
「やあ。やっと会えたね」
紫のマントを纏ったソルジャーと呼ばれる人が近づいてきます。聞き慣れた声に銀色の髪。も、もしかしてソルジャーって…。
「ふふ。そんなに驚いた?…それともソルジャーの正体にガッカリしちゃったのかな」
地球に残った筈の会長さんが微笑みながら立っていました。
「…ま、まさか…。まさか、あんたがソルジャーだなんて…」
キース君の掠れた声は私たち全員の心の叫びでした。
「残念ながら、そうなんだよ。長を引き受けた覚えもないのに、なし崩しにそういうことになっちゃって。…ぼくが君たちの長、ソルジャー・ブルー。シャングリラでのぼくの呼び名だ」
「「「ソルジャー・ブルー!?」」」
その名を聞くなり思い浮かんだのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。何の気なしに呼んでましたけど、あの名前は…。
「そうだよ、ぶるぅの名前と同じ。ソルジャーに祭り上げられちゃって、癪だったから…ぶるぅのこともソルジャーと呼ばせることに決めたのさ。おかげでぼくよりもぶるぅの方がフルネームで呼ばれる機会が多い」
我ながらいいアイデアだった、とクスクス笑う会長さん。この悪戯好きな人が私たちの長のソルジャーだなんて、いくらなんでもあんまりなような…。
騙されているんじゃなかろうか、と私たちは会長さんの姿をまじまじと眺めました。紫のマントに白と銀の上着、黒いアンダーという格好は学園祭の仮装で会長さんが着ていた衣装。上着についた銀の模様は教頭先生のキャプテン服の模様とそっくりで…。どおりで教頭先生の服を見た時、見覚えがある気がしたわけです。それに「そるじゃぁ・ぶるぅ」の服のデザインに瓜二つ。ソルジャーの衣装の縮小版を「そるじゃぁ・ぶるぅ」の普段着にした上、本物を学園祭で着ていたのか…と思うと頭痛がしそうですけど、一つだけ増えているアイテムが…。
「ああ、これ?」
私たちの視線に気付いた会長さんが耳元に手をやりました。両耳を白いヘッドフォンのようなものが覆っています。
「…補聴器だよ。三百年以上も生きている年寄りだから、最近、耳が遠いんだ」
大嘘つき!と心の中で突っ込む私たち。会長さんの耳は余計なことまで聞き取ってきて人の揚げ足を取りまくりです。難聴なわけがありません。
「…バレちゃったか…」
会長さんはクスッと笑い、でもヘッドフォンはつけたまま。
「補聴器っていうのは嘘だけれども、必要なものではあるんだよね。これは一種の記憶装置。ぼくに万一のことがあった時には後継者の手に渡される。…ぼくたちが…ぼくたちの仲間が生きていくために、どういう策を用いればいいか。参考例は多ければ多いほどいいだろう?そのためにぼくの記憶を残す。シャングリラを訪ねる度に、ぼくの記憶を記録してるんだ」
普段は面倒だからやってない、という会長さん。ソルジャーとしてシャングリラに滞在する時に纏めて記録するのだそうです。ろくでもない記憶の数々は無かったことになっているんでしょうね。耳を覆った記憶装置を見ていてハッと気が付きました。もっと単純な形のものを「そるじゃぁ・ぶるぅ」が普段から着けていることに。ファッションなのかと思ってましたが、あれもソルジャーの衣装の真似でしたか…。
「ぶるぅのは記憶装置の機能は無いよ。ただの飾りさ。…ところで、ぼくが本物のソルジャーだってこと、ちゃんと信じてくれたかな?…分かってくれたんなら君たちの進路相談会を始めようかと思うんだけど」
えっと…。会長さんが最強の力を持つタイプ・ブルーだとは聞いています。ソルジャーは戦士の意味だというんですから、最強の会長さんがソルジャーになるのは当然といえば当然かも。もう一人のタイプ・ブルーの「そるじゃぁ・ぶるぅ」はほんの小さな子供ですから、長は務まらないでしょう。じゃあ、会長さんは正真正銘の長でソルジャーというわけで…、と考え込んでいるとブラウ先生が。
「じれったいねぇ、時間がもったいないじゃないか。…予備日まで使うつもりなのかい、ソルジャー?」
「いや。春休みが減るからそれは避けたい」
会長さんは即座に答え、「ねえ?」と同意を求めてきました。
「それじゃ春休みを減らさないために、進路相談会を進めていこう。まずは君たちのサイオンを目覚めさせなくちゃ。解放する、と言った方が正しいかな。うん、これでいい。…使えるようになった筈だよ」
えっ、こんな一瞬でサイオンが?…と思う間もなく。
『君たちは既にコントロールする力を身につけているから、急激な変化は起こらない。心を読むのも、読まれないように遮蔽するのも、呼吸するように無意識の内にやっているのさ』
会長さんの思念が聞こえ、意識がクリアになったような感覚を覚えました。
『せっかくだからサイオンを少し使って貰おうかな。これを持って』
空中にマドレーヌが…お菓子のマドレーヌが7個現れ、私たちの手の中に1個ずつ。
「ぶるぅが焼いたマドレーヌだよ」
思念波から普通の声に切り替えた会長さんは楽しそうです。
「それをね…サイオンで宙に浮べてごらん。持ち上がれ、と思って意識を集中するんだ」
「…持ち上げる…?」
ジョミー君が半信半疑といった様子でマドレーヌをじっと見つめます。キース君は真剣な顔でマドレーヌを睨みつけていました。よーし、私もやってみようっと。意識をマドレーヌに集中して…。うわぁ、美味しそうな焼き色です。このままパクッと齧りたいな、と思考がちょっとズレた瞬間、マドレーヌはフワッと浮き上がって…。
「……!!」
なんともお行儀の悪いことに、私は全く手を使わずにマドレーヌを口にくわえてしまったではありませんか。しっとりとした食感と味が広がりますけど…いいんでしょうか、こんなことで!?あぁぁ、ジョミー君たちはちゃんと空中に浮べてますよ。私ったら、思い切り恥を晒したかも…。慌ててマドレーヌを掴んで口から引き離し、齧った跡が残ったそれを持て余すようにしていると…。
「上出来、上出来」
会長さんがパチパチと拍手して微笑みました。
「みんな上手に出来たじゃないか。それを食べる間、ちょっと休憩。紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
そして会長さんは瞬間移動でマドレーヌが沢山入った籠と飲み物を取り寄せ、私たちとブラウ先生に順番に配ってくれたのでした。ソルジャーが会長さんだと知って驚愕しましたけれど、いかにも威厳のある長っぽい人が現れるよりは気楽でいいですよねえ。ベッドしか無い部屋の床に座って「そるじゃぁ・ぶるぅ」お手製のマドレーヌを頬張っているとホッとします。ここが地球から二十光年も離れた場所にいる宇宙船の中だってこと、うっかり忘れてしまいそうですよ?
三週間もの卒業旅行から戻った私たちはキース君の疲れが取れるのを待って、会長さんの家に遊びに出かけました。キース君のお遍路旅を労う会を会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が主催してくれるというのです。お昼前に玄関のチャイムを押すと…。
「かみお~ん♪待ってたよ!」
いつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出迎えてくれ、ダイニングに案内されました。大きなテーブルの上にはお刺身が何種類も盛られたお皿が並び、寿司飯が入ったお櫃や焼き海苔がズラリと置いてあります。会長さんがニッコリ笑って椅子を勧めながら。
「今日は手巻き寿司パーティーなんだ。キースはずっと精進潔斎していたからね、慰労会はパーッと生臭いものがいいかと思って」
「生臭くないもん」
プゥッと頬を膨らませている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ちゃんと魚市場に行って買ってきたんだし、新選だもん!」
「ぶるぅ、生臭いっていうのは匂いじゃなくて魚だからだよ。精進料理は肉も魚も使わないだろう?」
「あ、そっか。…お買い物、ブルーも一緒に行ったんだっけ」
会長さんたちは朝一番に魚や貝を選びに行って、手巻き寿司用に切り分けたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」らしいです。卵焼きやアナゴの蒲焼なんかもちゃんと揃えてありました。私たちはテーブルを囲み、まずは熱い粉茶で乾杯。
「歩き遍路の旅をやり遂げたキース・アニアンの偉業を祝して…乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
会長さんの音頭で叫んだ後は手巻き寿司パーティーの始まりでした。新鮮なネタを好きなだけ取って、カイワレや大葉も添えてクルクルと…。お醤油は「そるじゃぁ・ぶるぅ」こだわりの老舗のもので、山葵もちゃんと摩り下ろしたもの。寿司飯の味も絶品です。
「キース、本当によくやったね」
会長さんが褒めるとキース君は苦笑いして。
「あんたのお接待のおかげかもな。…来る日も来る日も俺が疲れてきた頃を見計らったように出やがって…。負けてたまるか、と踏ん張れたんだ」
「それはよかった。ぼくもお接待をした甲斐があったよ」
お茶に羊羹にお漬物に…、と指を折って数える会長さん。一日一善と称して会長さんが日課にしていたキース君への差し入れときたら、半端なものではありませんでした。わざわざバスで乗り付けて「頑張って」と渡しに行くんですけど、はた迷惑なんてレベルじゃなくて…。
「ウーロン茶の2リットル入りなんかをお接待で渡すか、普通?」
キース君が会長さんを睨んでいます。
「道中、いろんな人からお接待をして貰ったんだが、缶コーヒーとか小さなペットボトルだったぞ」
「そりゃそうだろうね。お遍路さんをもてなすんだから、負担にならないものにしないと」
「あんたのお接待は負担以外の何物でもない代物だったぜ。羊羹を一度に5本とか、タクアン6本とか持たせやがって!」
羊羹やタクアンの重みを思い出したらしく、キース君は拳を握り締めました。しかし会長さんは平然として。
「負担だって?羊羹もタクアンも役立っただろう。…宿に泊まるのに」
「…うっ…。確かに持て余した羊羹とかを宿の人に渡した時は、食事代がタダになったりしたけどな…」
「ほら、ちゃんと君の助けになったじゃないか。それに寒い日は貼るカイロだって届けたよ」
「…徳用サイズの大箱ごとな」
あれだってとても重かったんだ、と遠い目になるキース君。でも無事に八十八ヶ所を歩きとおしたんですし、会長さんの嫌がらせのようなお接待が励みになっていたんだったら結果オーライってことですよね?…そして手巻き寿司がすっかり無くなった頃、会長さんが奥の部屋から風呂敷包みを抱えてきました。
「キースがお遍路に行ってくれたおかげで、ぼくもいいものを手に入れたんだ。八十八ヶ所の御朱印を揃えた軸が8本も」
「なんだって!?」
驚いて叫ぶキース君の前に、風呂敷包みの中から次々に巻いた掛軸が出てきます。それは私たちと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が御朱印を集めて回ったもので。
「表装したら箱書きを頼みに行くんだよ。誰にお願いしようかな…」
会長さんが口にするお寺やお坊さんの名前の羅列を聞いたキース君の顔から血の気が失せていきました。
「あ、あんた…。そんな名僧に箱書きを…。いや、8本も軸を揃えたってことは、もしかして…」
「売るのに決まっているじゃないか。ツテはいっぱいあるんだよね。…マツカ、旅費を全額出してくれたけど、軸が売れたらその分は君に返すから」
おおっ!緋の衣はダテではありませんでした。最初から旅費を稼ぐつもりで掛軸を…。だったらそうだと言ってくれれば、みんな快く承知したのに。でもマツカ君は「そんな心配しないで下さい」と言いました。
「父も母も、とても喜んでいるんです。ぼくに友達が沢山できて卒業旅行に行ってきたなんて、夢みたいだって言ってますから。…お金なんか頂けません」
「そう言ってくれると思った」
会長さんは嬉しそうに微笑み、掛軸を風呂敷に戻します。
「じゃあ、これの儲けはぼくのものだ。ふふ、有意義に使わなくっちゃね。…そうだ、ハーレイから貰い損ねた指輪みたいなのを買おうかな。うん、フィシスにはルビーが似合いそうだし」
あちゃ~。やっぱり最初から不純な動機で掛軸を用意していたみたいです。キース君はガックリと肩を落として深い溜息をついていました。緋の衣を着られる会長さんが有難い掛軸を売り飛ばそうというんですから、お遍路を終えたばかりの修行僧には相当ショックが強いんでしょうね…。
キース君が衝撃から立ち直るのに半時間くらいかかりました。でも、天才肌のキース君は頭の切り替えも早くって。
「高僧というものに一瞬絶望しそうになったが、俺があんたのような坊主にならなきゃいいんだよな。反面教師として大いに参考にさせて貰うぜ」
緋の衣が許される身分になったら俺も名僧になってやる、と固く決意をしたようです。私たちは拍手喝采。キース君の未来を想像しつつ盛り上がっていると、会長さんが。
「…将来についての話題が出てきたところで、ぼくからも話があるんだけれど」
リビングへ移動するように言われ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が緑茶とお煎餅を運んできてくれました。
「ぼくが焼いたんじゃないけど美味しいよ。ブルーのお気に入りだから、よく取り寄せるんだ」
手巻き寿司の後だけに、お煎餅は嬉しいチョイスです。種類も色々で楽しそう。どれを一番に食べようかな…と迷いますよね。ジョミー君は赤っぽいのに齧り付いてから「唐辛子だった!」とお茶をガブ飲み。よ~し、私はザラメ煎餅にしようっと。
「気に入って貰えたようだね、お煎餅」
パクついている私たちを見渡して、会長さんが微笑みました。
「その調子で好きになってくれると嬉しいな。…ぼくたちの大切な船、シャングリラも」
「「「シャングリラ!?」」」
お煎餅を喉に詰めそうになったサム君とスウェナちゃんが咳き込んでいます。
「そう、シャングリラ。もうすぐ君たちを迎えにやって来る宇宙クジラさ」
会長さんは壁際の端末を操作し、窓をスクリーンに変えました。そこには宇宙クジラことシャングリラ号の画像が映っています。
「ここを見て。…ほら、シャングリラ学園の校章と同じ紋章があるだろう?」
船体に見覚えのある模様がついていました。生徒会室から「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入る時に手を触れていた赤と金色の紋章です。
「宇宙クジラがぼくたちの…シャングリラ学園の船だっていう証拠だよ。今は地球に向かって航行中だ。君たちの家に進路相談会の案内状は届いてるよね?」
コクリと頷く私たち。案内状は卒業旅行から帰った次の日に届きました。そこには集合場所と簡単な日程表が記されていて、2泊3日の予定で予備日が1日。進路が順調に決まれば3日、決まらなければ4日かかるという内容の文面です。参加中の家との直接連絡は不可で、急用ができた場合は必ず学校を通すこと…との注意も書かれていましたっけ。相談会の開催場所はシャングリラ学園が所有している合宿用の施設の1つ。
「案内状を読んだのならば、本当の行き先は秘密だと分かっている筈だ。…でも帰ったら家族に何も言わないわけにはいかないし…。指定されていた合宿用の施設、柔道部は使っていないだろう?…だから君たちは合宿所を一度も見たことが無い」
確かに名前しか知らない施設でした。何処にあるのかもよく知りません。
「今から合宿所に関するぼくの記憶を君たちに移す。…アリバイ工作は必要だから」
会長さんがスクリーンを元の窓に戻して、シャングリラ号も消え失せました。
「目を閉じて。そしてぼくに心を委ねて」
フワッと意識に入り込んできたのは合宿所までの道や道中の景色、そして建物の外観と…建物の中の様々な場所。まるで本当にそこにいるような視点で展開していく光景をどのくらい見ていたのでしょうか。
「はい、おしまい。…ぼくが春休みにあそこで過ごした時の記憶を仮想体験してもらった。これを君たちの意識の底に沈めておくから、家の人に何か聞かれた時にはちゃんと合宿所の様子を話せるよ。進路相談会そのものは実際に君たちが経験するし、上手に切り抜けてくれたまえ」
くれぐれもシャングリラ号のことは話さないように、と会長さんは何度も念を押しました。
「ぼくが君たちにしてあげられるのはここまでなんだ。後はシャングリラ号のみんなと、キャプテンであるハーレイの仕事。…ぼくの役目は君たちのサイオンをシャングリラ号に無事に乗り込むまで封じ込めるだけで、その先のことには関与できない。ただの生徒会長だしね」
「…やっぱり一緒には来て下さらないってことですか…?」
マツカ君が尋ねると、会長さんは頷いて。
「ああ。君たちの将来が決まる大切な時に、部外者はいない方がいいだろう?卒業旅行も終わったんだし、そろそろ自立したっていい頃だ。ね、ぶるぅ?」
「うん。…大丈夫、シャングリラ号はぼくも大好きな船なんだ。楽しんできてね♪」
そっか、私たちだけで行くんですね。教頭先生も一緒らしいですけど、今まで会長さんに頼りっぱなしだっただけに不安な気持ちがこみ上げてきます。ジョミー君たちも心配そう。
「…そんな顔をしなくったって、キースの遍路旅よりずっと楽だよ。日数だってグンと少ないし、てくてく歩いていくわけじゃないし。小旅行気分で行っておいで。お土産を買ったりはできないけども」
会長さんは私たちを安心させるようにウインクして。
「シャングリラ号の話はここまで。ところで、明日は何の日か知っている?」
え。明日って何かありましたっけ。シャングリラ号が来るのは三日後です。私たちは顔を見合わせましたが、心当たりはありませんでした。
「そうか、卒業しちゃったからね…。知らなくっても無理ないか。グレイブとミシェルの結婚式の日なんだよ」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
「明日の正午にメギド教会で挙式。1年A組の生徒は全員、教会の表で式が終わるのを待つそうだ。ぼくたちもお祝いに行かないかい?教え子は多いほど嬉しいだろうし。…そうそう、ちゃんと制服を着てね」
グレイブ先生の結婚式…。そういえば春休みに式を挙げると聞いた覚えがありました。お世話になった先生ですし、お祝いに行ってみたいかも…。ジョミー君たちも「行きたい」と言い、シロエ君とサム君も「数学を教わった先生だから」と行く気です。
「じゃあ、決まり。ぼくもぶるぅと一緒に行くよ」
こうして会長さんと私たちはグレイブ先生の結婚式に出かけることになりました。正確には式に出るわけじゃなくて、教会から出てくるところへ祝福をしに行くんですけど、なんだかドキドキしますね。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に今日のパーティーのお礼を言って帰る道中、私たちはシャングリラ号よりも明日の結婚式のことばかりを考え続けていたのでした。
そして翌日、私たちと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はメギド教会の最寄り駅に集合してから教会へ。メギド教会はアルテメシアで一番大きな教会です。聖堂の入口は石段の上。重厚な扉はまだ閉まっていて、広い前庭には1年A組のクラスメイトをはじめ大勢の生徒が制服姿で集まっていました。アルトちゃんとrちゃんも来ています。会長さんは早速二人を口説きに…。どこまでも自分に正直なのは構いませんが、神聖な教会の庭であっても全く慎もうとしない態度は如何なものかと思います。お坊さんには教会の神様なんて関係ないとか言いそうですけど。
「あっ、もう出てくるみたいだよ!」
ジョミー君が聖堂の方を指差しました。両開きの扉がゆっくりと開き、参列者の群れがゾロゾロと出てきて扉の両側や階段に立ちます。中には手に籠を持った人たちも…。おだやかな春の日差しが降り注ぐ中、グレイブ先生とパイパー…いえ、マードックの姓を貰ったミシェル先生が腕を組んで聖堂の石段の上に現れました。白いタキシードのグレイブ先生の隣に立ったミシェル先生はワンショルダーの真っ白なマーメイドドレスに純白のベール。籠を持った人たちがライスシャワーとフラワーシャワーを浴びせ、生徒たちの歓声が響きます。
「「「グレイブせんせーい!!!」」」
「「「おめでとうございまーす!!!」」」
私たちも声を張り上げ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も大はしゃぎ。背丈が小さい「そるじゃぁ・ぶるぅ」はサム君に肩車をしてもらって懸命に拍手していました。そういえば会長さんが水泳大会の時にプールでミシェル先生の婚約指輪を拾ったのが婚約発表のきっかけでしたっけ。とうとうゴールインしたんですねぇ、グレイブ先生とミシェル先生。教会の入口や階段の辺りには教頭先生やゼル先生、まりぃ先生の姿が見えます。シャングリラ学園の先生方は全員おめかしをして式に参列したようでした。お米や花びらが降り注いだ後、ミシェル先生がブーケを高く差し上げて…。
「「「ミシェルせんせーい!!!」」」
女の子たちが一斉に叫び、ミシェル先生が立つ石段の上へ両手を向けました。ピンクの薔薇がメインのブーケが前庭に立つ私たちの方へ投げ上げられ、春の光を浴びて落ちてきます。ブーケを受け取った女性は次の花嫁になれるとか。幸せのおすそ分けを狙うみんながブーケをゲットしようと目の色を変え、スウェナちゃんと私も精一杯に手を伸ばしました。あ、届く…!と思った次の瞬間。
「……ぼく……?」
ブーケがストンと落っこちたのは、スウェナちゃんと私の後ろに立って見物していた会長さんの手の中でした。
「「「えぇぇぇぇっ!?」」」
ありえなーい!という悲鳴が渦巻き、会長さんも困った顔。「あげようか?」と言われましたが、こういうのってどうなんでしょうね?ミシェル先生がおかしそうに笑っています。隣に立つグレイブ先生も。男の子たちが爆笑する中、会長さんはブーケの譲り先を求めて手当たり次第に女の子に声を掛けました。しかし…。
「男の人が受け取っちゃったブーケでも、ちゃんと効き目があるかしら?」
「そりゃ…貰ったら次に花嫁になれるかもしれないけれど、男の人が先に手にしたブーケだし。もしかして、女性からプロポーズしないと結婚に漕ぎ付けられないことになっちゃうとか…」
「えぇぇっ!?そ、そんなの酷い!…プロポーズはして貰うものよ!自分がプロポーズしてどうするのよ~」
会長さんが受け取ってしまったブーケは『自分から告白しないと結婚できなくなる呪いのブーケ』かもしれない、という話がアッと言う間に広がってしまい、みんなは貰ってたまるものかと必死になって断ります。そういうわけでミシェル先生が投げてくれた幸せの贈り物には、結局、貰い手がつかなくて。
「…アルトさんとrさんにまで断られちゃった…」
ピンクの薔薇と白い小さな花を束ねてグリーンをあしらったブーケを手にして、会長さんが戻ってきました。
「ぼくがあげるって言っているのに誰も貰ってくれないんだよ」
「だったら、あんたが嫁に行ったらどうだ」
ニヤリと笑みを浮べるキース君。
「ブーケを貰うと次に結婚できるんだろう?…ほら、あそこで教頭先生が見ているぞ。預けっぱなしの婚約指輪を貰いさえすれば、すぐ花嫁になれるじゃないか」
教会の入口に立った教頭先生がブーケを持った会長さんを見つめています。遠目にも分かるくらいに幸せそうな顔をして…。教頭先生の頭の中では、さっき出席してきたばかりの結婚式の新郎新婦が自分自身と会長さんに置き換えられているのでしょう。
「……お断りだね」
会長さんはプイッと教会に背中を向けると、教頭先生から見えないようにブーケを隠してしまいました。
「よく考えてみたら、ここで誰かにあげなくってもよかったんだ。…持って帰ってフィシスにプレゼントすればいいんだよね。フィシスが次の花嫁になるんだったら、誰も文句は無いだろう?」
フィシスはぼくの女神なんだし、と呟いている会長さん。会長さんが貰ったブーケであっても、フィシスさんなら喜んで受け取ることでしょう。きっとそれが幸せのブーケの一番正しい使い方。呪いのブーケと忌み嫌われるより、絶対いいに決まっています。…シャングリラ・ジゴロ・ブルーに身を固める意思があるかどうかは別として。
ブーケの行き先で揉めている間にグレイブ先生とミシェル先生は階段を下りて前庭を横切り、車が止めてある木陰の方へ。祝福の声に送られ、生徒たちの間からも花びらやお米の粒が降り注いで…。
「おーい、先生たちが出発するぞ!」
「グレイブ先生、ミシェル先生、お幸せに~!!!」
グレイブ先生とミシェル先生は黒いオープンカーに乗り込み、にこやかに手を振りながら教会の敷地を出て行きました。披露宴に招かれている先生方も次々に車で出発します。教頭先生が窓越しに会長さんを名残惜しそうに見ていたことに気が付いたのは多分、私たちだけ。
「素敵な結婚式だったね」
「ブーケトスは失敗だったけどね…」
賑やかにおしゃべりしながら帰ってゆくクラスメイトたちに私たちは声をかけ、また会えたことを喜んで。アルトちゃんやrちゃんともお話をして、会長さんが持っているブーケを眺めて笑い合って。グレイブ先生の結婚式はシャングリラ学園の素敵な思い出を1つ増やしてくれました。グレイブ先生、ミシェル先生と末永くお幸せに!…マードック夫妻の新婚旅行は春休みでは慌しいので、夏休みにのんびりクルージングに行くそうです。
ソレイド八十八ヶ所、お遍路の旅…ではなく『キース君のお遍路を見守る旅』は、会長さんのマンションに近いアルテメシア公園の駐車場から始まりました。マツカ君が用意してくれたのは豪華な小型サロンバス。2人掛けのシートが8つとテーブルを三方から囲める4人掛けのシートが3つあります。冷蔵庫やお湯を沸かせるポットもついてて、テレビにカラオケセットもあって…。小さなシャンデリアもついた内装に感激しながら、運転手さんに荷物を積んでもらって乗り込んで…行き先はまず元老寺です。
「いいよなぁ、このゆったりシート」
サム君が2人掛けシートに1人で座ってグーンと大きく伸びをしました。
「ソレイドに着いたらキースはバスを降りるんだから、全部で8人になるんだろ?毎日楽々2人掛けのシートに1人で座れるって勘定だよな!」
私たち7人組と会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソレイドまでは9人ですけど、その後は1人減るんです。マツカ君の執事さんが手配してくれたバスは人数にバッチリ合っていました。さすがにプロの執事さんは気配りが行き届いていますよねえ。…バスは郊外へと走っていって、山沿いの元老寺の山門前で停車です。あれ?キース君がいない。山門から乗ってくるんだと聞いていましたが…。
「キースなら本堂で待ってるよ」
会長さんが立ち上がり、バスから降りるようにと言いました。
「昨夜、電話を貰ったんだ。キースのお父さんがぼくたちに会いたがってるから、って」
え。キース君のパパが…アドス和尚さんが私たちに?お餞別でもくれるのでしょうか。お菓子だといいな、と思いつつ本堂に入っていくと、荘厳な仏像や飾りの前の畳敷きの場所にキース君とアドス和尚が座っていました。二人とも墨染めの衣です。
「いらっしゃい。この度はせがれの修行の旅を皆さんで見守って下さるそうで…。いやあ、実に有難いことです。こんなに大勢のお友達や、位の高い方に御一緒して頂けるとは、せがれは本当に幸せ者で」
「………………」
満面の笑みのアドス和尚の隣で、キース君は仏頂面でした。アドス和尚は私たちを信じて手放しで喜んでますけど、キース君は知ってますものねぇ…言いだしっぺの緋の衣の人の正体を。
「これ、キース。お前からもきちんとお礼を言わんか!」
「…お世話になります…」
「それだけでは誠意が通じんわい!!」
キース君の背中を押してお辞儀させようとするアドス和尚を会長さんが止めました。
「いいんです。ぼくたちは卒業旅行を兼ねてるんですし」
「おお、そのように聞いております。卒業旅行に八十八ヶ所巡礼の旅とは素晴らしい。…しかも、あなた様は御卒業なさるわけでもないのに、大勢を引率されるとか。さすがに位の高いお方ともなると違いますな。せがれを宜しくお願いします」
アドス和尚はペコペコと会長さんに頭を下げて、脇の机に載せてあった本のようなものを私たち全員に配ってくれました。錦の表紙にタイトルが書かれた白い部分がありますけれど、『納経帳』って、いったい何…?中を開くとページは白紙。正確には白紙の隅っこにお寺の名前らしきものが小さく書いてあるだけです。
「せがれが世話になるお礼です。ほんの気持ちですが、卒業旅行の記念にどうぞ」
ニコニコと笑うアドス和尚。なんですか、この変なタイトルの白紙の本は!?
「お若い方はご存じないでしょうな。それは納経帳と言いまして…まあ、御朱印帳のようなもんです。八十八ヶ所を回られるなら持って行かれた方がよろしい。お寺でお参りをなさったら、納経所という所でそれをお出しなさい。お寺の御朱印を頂けますから、いい記念品になりますよ」
一種のスタンプラリーですな、とアドス和尚は笑いました。
「いや、僧籍の身でスタンプラリーなんぞと罰当たりなことを言ってはいかんのですが、お若い方にはスタンプラリーと申し上げた方が馴染みやすいかと思いましてな。それから、もう1つ…。これをお持ちになりませんと」
渡されたものは白いお札の束でした。お坊さんの絵と『奉納八十八ヶ所霊場巡拝』『同行二人』の文字がモノクロで印刷されています。よく見ると日付と住所氏名を書き込むようになってるみたい…。ただのお札じゃないようです。
みんな、お札の束を手にして怪訝な顔。
「それは納め札と言いましてな」
アドス和尚が解説をしてくれました。
「お寺にお参りなさる時には、その札を1枚ずつ納めるようになっとるのです。専用の箱が置いてありますから、そこへお入れになるといい。お参りに行かれた日付と住所氏名を書くのが正式ですが、なあに、日付なんぞは年月さえ合っておれば日の部分は吉日でかまいません。それから…」
ここが重要ですぞ、とアドス和尚は声を潜めて。
「住所は最後まできちんと書かずに町名までで止めて下さいよ。アルテメシア、とだけお書きになってもよろしい。番地まで書いてしまうと恐ろしいことになるのです」
えっ、恐ろしいことって…何が起こると!?
「お寺には良からぬ輩が訪れることもございましてな。納め札の箱から中身を持ち去り、住所氏名を元に個人情報を入手する。…そうなりますと、皆さんの御宅に墓地や墓石のダイレクトメールが嫌と言うほど届くことに…」
げげっ。それは嫌すぎます。住所はアルテメシアまでで止めておかないと…。っていうか、なんでこんなお札まで持っていかないとダメなんですか~!!
「そうそう、あとはお経の本ですが…偉い方が御一緒ですし、こちらはコピーでよろしいでしょう」
般若心経が書かれた紙を1人1枚ずつ貰ってしまい、なんだか頭痛がしてきました。もしかしなくても八十八のお寺を回るのには般若心経が必須ですか?
「ああ、お経は特にお唱えになる必要は…。まあ、寺によっては唱えてこないと御朱印を押さないとゴネる所もありますのでな、その時はこれが役に立ちます」
ひぇぇぇ!…そんなお寺に出くわした時は会長さんに代表で唱えてもらえばいいですよね?なんといっても本職ですし、言いだしっぺの物好きですし!…そんなこんなで妙なアイテムを入手し、私たちはキース君を連れてマイクロバスに戻ることに。が、庫裏に入ったキース君が出てくると…。
「うわぁ…。マジかよ、その格好…」
サム君が言うのも無理ありません。キース君は托鉢をするお坊さんのように網代笠を頭にかぶり、手には『同行二人』と書かれた白木の杖を持っていました。で、背中には…墨染めの衣にはまるでミスマッチのバックパック。色が黒いのが救いと言えば救いでしょうか。そして首から托鉢用の黒い布袋を提げ、袋には白抜きで『元老寺』の文字。
うーん、キース君の本気は分かりますけど、そんな格好で一緒にバスに乗るんですかぁ?
私たちを乗せたサロンバスは高速道路をひたすら走って、ソレイドへ。途中のサービスエリアで昼ご飯を食べようと食堂に入り、みんな好きなものを注文します。私は軽めにピラフでしたが、ジョミー君たちは豚カツ定食や焼肉定食を頼みました。キース君は早くも精進モードに入っているのか、きつねうどん定食。全員の注文が揃った所で…。
「「「いただきまーす!!!」」」
一斉に食べ始めた横でブツブツブツ…と低い声が。キース君がきつねうどん定食に向かって合掌しています。
「…一滴の水にも天地の恵みを感じ、一粒の米にも万民の労苦を思い…」
はぁ!?ど、どうしたんですか、キース君!?
「ありがたくいただきます」
深々と頭を下げてから、キース君は割り箸を割って食べ始めました。い、今の呪文っていったい何事?
「じきじさほう、って言うんだよ」
会長さんがカレーライスを食べる手を止め、キース君を見て笑っています。
「食事の作法って書くんだけどね、八十八ヶ所を回るお遍路さんが食事の前に唱える言葉。まだソレイドにも着いてないのに恐れ入ったな」
「ひょっとして、ぼくたちも唱えなくっちゃいけないの?」
憐れな声を上げたのはジョミー君。会長さんは「まさか」と即答しました。
「キースは遍路旅かもしれないけれど、ぼくたちはスタンプラリーだよ。食事の度にあんなの唱えるなんて面倒じゃないか」
これが高僧のセリフでしょうか?…でもスタンプラリーどころか物見遊山気分で出てきた私たちですし、これくらいでちょうどいいのかも。食事の後はバスの中で食べるお菓子を買い込み、目指すはソレイド八十八ヶ所。午後のおやつの時間になる頃、やっと最初のお寺に到着です。
「ここが一番最初のお寺ですか…」
シロエ君が『一番霊場』と書かれた山門を眺めている横でキース君は山門に一礼しています。
「世話になったな、マツカ。おかげでソレイドまで無事に辿り着けた」
バスに乗せてもらったお礼を言って、バックパックを背負ったキース君が境内に入っていきました。ここから先はキース君は徒歩、私たちはバス移動。あんまり距離が開いてしまうと見守る意味が無くなるから、という会長さんの鶴の一声で、お互いにメールで連絡を取り合うことになっています。私たちはキース君から離れすぎない場所に宿泊しながら見物する…というわけですね。
「行っちゃった…」
ジョミー君が墨染めの衣に網代笠のキース君の後姿に呟きました。白木の杖をついて行きましたけど、これから3週間もかかる道のりをキース君は歩きとおせるでしょうか?じっと見送っていると会長さんが。
「スニーカーに履き替えるつもりのようだし、大丈夫だよ」
「「「スニーカー?」」」
お坊さんの衣にスニーカー。バックパック以上のミスマッチでは?
「履き慣れてない草履じゃ無理だ。3週間も歩くんだから」
ふぅん、と私たちは境内の奥を覗き込みます。キース君はまだ戻ってきません。きっと真面目にお経を上げているのでしょう。そうこうする内にキース君が杖をつきながら出てきました。
「なんだ?…お前たち、まだ居たのか」
「ご挨拶だね。心配だから待っててあげたんじゃないか」
会長さんが言うのをサラッと無視して、キース君は門前の空き地に腰を下ろすとバックパックからスニーカーを取り出します。うわぁ、会長さんが言ってたとおり!本当に履き替えるんだ…。
「それじゃ、俺はもう行くぞ。今日中に宿坊のある寺まで辿り着かないと」
キース君は地図を片手に、さっさと行ってしまいました。墨染めの後姿がすっかり見えなくなったのを見届けてから、会長さんがニッコリ笑って。
「ぼくらもスタンプラリーを始めよう。バスに戻って納経帳を持ってこなきゃね」
「納め札は…?」
シロエ君の言葉を聞くまで、納め札のことは忘却の彼方。アドス和尚に貰ったものの、まだ日付も名前も書いていません。今から書かないとダメなんでしょうか?
「白紙でも別にいいと思うよ」
会長さんの言葉を聞いて「よし、白紙だ!」と思ったのですが。
「…でも、あれって裏側にお願い事を書いてもいいんだよね。心願成就とか、無病息災とか」
「お願い事…。縁結びでもいいのかしら?」
スウェナちゃんが尋ねると、会長さんは「女の子のお願い事の定番だね」と微笑んで…。
「特に相手がいないんだったら良縁祈願、誰かいるなら具体的に書くのもいいかな」
「…分かったわ。良縁祈願ね」
そう言ったスウェナちゃんはバスに戻るなり納め札を書き始めました。日付と住所氏名を書いて、サッと裏返してサラサラと何か書き込んでいます。良縁祈願だけではないみたい。お願い事…。これは私も書かなきゃ損かも!ふと気がつくと、みんな真剣に納め札の裏にお願い事を書いているではありませんか。恐るべし、ソレイド八十八ヶ所。来てしまったら最後、お参りせずにはいられないのかもしれません。
納め札を書き終え、納経帳を手にしてバスを降りようとすると、会長さんが「ちょっと待って」と呼び止めました。
自分のボストンバッグを開けて取り出したのは掛軸みたいな巻物です。
「これを持ってって欲しいんだ。1人1本」
「「「え?」」」
訝しむ私たちに巻物を持たせた会長さんが言い出したことは…。
「御朱印を押して貰うための掛軸なんだよ。八十八ヶ所の御朱印を全て集めるのは大変だから値打ちがある。これを表装して、有名なお坊さんに箱書きを…掛軸の箱にお墨付きとかを書いてもらうことなんだけど…その箱書きをつけて貰えば更に高値がつくんだよね」
「…もしかして…売るんですか?」
掛軸を持ったシロエ君の問いに、会長さんは「決まってるじゃないか」と答えます。
「ぼくの知り合いには名の知れた高僧が多いんだ。箱書きくらい菓子折だけで頼めるよ。チャンスはしっかり掴まないと」
「自分で持っていけよ、掛軸くらい。でなきゃ、ぶるぅに持たせるとか」
サム君が口を尖らせると。
「出来るんだったらそうするさ。…でも、1人で何本も持って行くのは反則なんだ。納経帳と掛軸を1つずつでないと、販売目的だと警戒される」
「…売るつもりのくせに…」
ジョミー君がボソリと言いましたけど、会長さんは聞こえないふり。
「掛軸の分の御朱印代はぼくが出すから、今日から八十八ヶ所分の御朱印集めをよろしく頼むよ。はい、ここの分」
御朱印代まで手渡されたら断れません。こうして私たちは高僧にあるまじき行為の片棒を担がされることになったのでした。納経帳と掛軸を抱え、納め札を持ってバスを降りると山門前で記念撮影。それから本堂へ行き、備え付けの箱に納め札を入れ、お経も上げずに納経所と書かれた建物へ。
「お願いします」
会長さんが納経帳と掛軸を差し出し、御朱印代を支払っています。なるほど、こういうものなのか…と納得した私たちも納経帳と掛軸に御朱印を押して貰いました。スタンプラリーの始まりです。バスに戻って次のお寺へ向かう途中で休憩していたキース君を追い越すと…。
「あっ、バナナ食べてる!」
食べ物に目ざとい「そるじゃぁ・ぶるぅ」の大きな声が。キース君はベンチに座ってバナナを食べていましたけれど、途中で買ってきたんでしょうか?キース君、わざわざ買うほどバナナ大好きでしたっけ…?
「お接待か…」
面白い、と会長さんが振り返って後ろを見ています。
「これは使えるかもしれないな。…えっと…冷蔵庫に何かあったっけ?」
キース君の姿が遠ざかる中、会長さんは冷蔵庫を開けてジュースの入ったペットボトルを取り出しました。1リットル入りの大きなヤツです。
「よし。これをキースにプレゼントしよう。…あ、この辺に駐車場ってありそうかな」
運転手さんが「次のお寺はまだ先ですよ」と言いましたけど、会長さんは「構わないから」と道路沿いの駐車場にバスを止めさせてしまいました。キース君が通りかかるまで此処で待つんだと言っています。
「君たちはバスで待っていたまえ。キースが来たら、ぼくが行く」
やがて墨染めの衣に網代笠のキース君が歩いてくると、会長さんはペットボトルを持ってバスから降りて…。路上で顔を合わせたキース君と会長さんは押し問答をしているようです。が、キース君が渋々ペットボトルを受け取り、会長さんに白いお札を手渡しました。そして二人はお辞儀を交わし、キース君は重たいペットボトルを持て余すように再び歩き始めます。いったい何があったんでしょう?
「ふふ、善行を積むっていいことだよね」
バスに戻った会長さんは満足そうに頷きました。
「お遍路さんに施しをするのを、お接待って言うんだよ。お接待のお礼は納め札だ。ほら、ここにキースの名前が」
お礼の札だから願い事は書いてないけど、と見せびらかします。
「さっきのバナナもお接待で貰ったものだったのさ。次のお寺が宿坊だけど、まだかなりあるし…1リットルのペットボトルは重いだろうねぇ。でも、お接待の品物を捨てるなんてこと、高僧を目指すキースには出来っこない。頑張って飲むか、重さに耐えるか…。どっちにしてもキツイと思うよ」
「…あれって炭酸入りでしたよね…」
心配そうな声のマツカ君。そっか、炭酸入りだったんだ…。それじゃ普通のジュースに比べて飲むのに苦労しますよね。会長さんったらそれを承知で重たいペットボトルを無理矢理に…。どおりで押し問答になってたわけです。会長さんはバスを出させて、キース君を追い抜きながら。
「せっかく八十八ヶ所の旅に来たんだし、一日一善を心がけよう。頑張っているキースに1日1回お接待だ」
ひえぇぇ!これから毎日、キース君に余計な荷物を持たせることにしたみたい。こんな高僧に見込まれるなんて、キース君のお遍路の旅は厳しいものになりそうです。
それからの日々は私たちはバスで楽々スタンプラリー、キース君は黙々と歩く修行の旅。マツカ君が執事さんと連絡を取って手配してくれるホテルや旅館に宿泊しながら、道を外れて観光したり食べ歩いたりと私たちは旅を満喫していました。キース君の方は宿坊や安宿に泊まり、時には托鉢なんかもしながら雪や雨の日も一日も休まず、ひたすら次のお寺へと…。
「キースは今日も宿坊なんだね」
温泉が自慢の旅館で豪華な夕食を楽しんでいると、ジョミー君のケータイにキース君からの連絡メールが。今夜の宿にやっと辿り着いたみたいです。会長さんが大量のミカンが詰まった袋をお接待に持っていかなかったら、もっと早い時間に着けたでしょうに。しかも今日の宿だという宿坊はかなり古びたものでした。私たちは一足お先にスタンプ…いえ、御朱印を貰ってきたので知っています。
「あそこ、エアコン無さそうだったぜ」
サム君の指摘に私たちは身震いしました。今日は寒の戻りで雪模様。こんな寒い日に陽が落ちてからエアコン無しの宿坊だなんて、私たちには耐えられません。そんな会話を交わしていると会長さんが。
「それでこそ修行の遍路旅なのさ。君たちも何処かで宿坊に泊まってみるかい?夜と朝に勤行があるから、お寺ライフを楽しめるよ」
結構です!と声を揃えて断り、翌日からもホテルに旅館に…。長旅ですけど、マツカ君の家の執事さんが手配してくれる宿はいつも快適で、クリーニングも気軽に頼めて着替えの心配も要りません。バスはもちろんゆったりシート。スタンプラリーも順調に進み、会長さんに頼まれた掛軸の御朱印も次々に埋まっていきます。お経を上げないと御朱印を押してやらない、と言われたお寺では会長さんが代表で般若心経を。
「明日で八十八ヶ所目に辿り着けそうだね」
会長さんがそう言ったのは出発してから二十一日目の夜でした。来る日も来る日も会長さんから傍迷惑なお接待を貰いながらも、キース君は予定よりも一日だけの遅れでゴールインしようとしています。
「正直、あそこまで頑張るとは思わなかったよ。途中でぼくたちのバスに乗り込んでくるかと期待してたのに」
八十八ヶ所目のお寺でキース君の到着を待ち、みんな揃って最後の御朱印を貰いに行こう、と会長さんは言いました。キース君は今夜はお遍路さん専用の宿に泊まっているとメールを寄越しています。明日は朝早くから歩き始めて、お昼前には最後のお寺に着けそうだ、って。そして翌日、八十八ヶ所目のお寺の駐車場にバスを止めさせ、道路を見ていた私たちの前に墨染めの衣のキース君が杖をつきながら姿を見せたのでした。
「「「キース!!!」」」
ジョミー君たちが駆け寄っていき、ちょっとやつれたキース君を囲んで山門の方にやって来ます。会長さんも今日はお接待をしようとはせず、先頭に立って本堂へ。私たちはキース君が万感の思いを込めて唱える般若心経を聞き、お願い事を書いた最後の納め札もきちんと箱に入れて納経帳の最後のページに御朱印を押して貰いました。もちろん預かっている会長さんの掛軸の方にも御朱印を…。
私たちの卒業旅行はソレイド八十八ヶ所を回るスタンプラリー。最後のお寺でキース君も一緒に記念撮影をして、みんなでバスに乗り込んで…3週間と1日の旅はもうすぐ終わりです。アルテメシアに戻って家に帰ったら、ゆっくり休んでまた会おう、と会長さんが言いました。シャングリラ学園の春休みが始まってシャングリラ号が迎えに来るまで、まだ何日か残っています。卒業旅行の思い出話で盛り上がる余裕はありそうですよ!