シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.01.17 卒業旅行・第1話
- 2012.01.17 卒業式・第3話
- 2012.01.17 卒業式・第2話
- 2012.01.17 卒業式・第1話
- 2012.01.17 三学期期末試験・第3話
会長さんの家に午前十時。そう約束した私たちはシャングリラ学園の校門前に集合しました。日曜日なので門は閉まっています。部活などで登校する生徒は別の所の通用門から入りますから、誰も通っていかなくて…。卒業したんだ、という実感がやっと浮かんできたような。
「ぼくたち、これからどうなるんだろ?」
ジョミー君が校門の正面に建つ本館をじっと眺めています。
「学校に残ることも出来るよ、なんて言われてたけど…そんな話も無いもんね」
「卒業しても分からねえことばかりだよな」
サム君が相槌を打つと、キース君が。
「大切な話って、それなんじゃないか?わざわざ俺たちを呼び出すんだし」
「「「えぇぇっ!?」」」
会長さんが私たちの今後のことを教えてくれる…?先生方じゃなくて会長さんが…?
「…まさか…。先輩、それは有り得ないですよ。だって生徒会長じゃないですか。…先生じゃなくて」
「シロエ、本当にそう思うのか?あいつがただの生徒会長だ…って」
「そ、そりゃ…二人しかいないタイプ・ブルーだって言ってましたけど…」
「最強の力を持つタイプ・ブルーで、シャングリラ学園創立以来の生徒なんだ。グレイブ先生よりも年上なんだし、恐らくかなりの信用があるんじゃないかと俺は思うな。俺たちの件を学校側から一任されてても不思議じゃない」
大真面目なキース君でしたけれど、会長さんの悪戯やお騒がせに散々付き合ってきた私たちには全然ピンと来ませんでした。学校から信頼されるどころか、ブラックリストに載っていそうです。
「お前、考えすぎだって」
サム君がキース君の背中をバン!と叩きました。
「そりゃあ、サイオンの話くらいは出るだろうけど…俺たちの進路ってヤツはシャングリラ号で決まるんだろ?」
「…それはそうだが…」
「とにかく家に行ってみようぜ。…今日も昼飯、出るんだろうな♪」
私たちはバス停に向かい、バスの中では無難に卒業式や謝恩会の話を交わして、アルテメシア公園近くのバス停で下車。会長さんが住むマンションはすぐそこです。
エレベーターで最上階に着き、玄関のチャイムを押すと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出てきました。
「かみお~ん♪リビングでブルーが待ってるよ。入って、入って!」
お邪魔します、と広いリビングに行くと会長さんが私たちをソファに座らせて…。
「約束の時間ピッタリだね。頼もしいな、仲間として。…ぶるぅ、お茶の用意を頼むよ」
「おっけぇ~」
みんなの好みに応じて紅茶とコーヒー、それにフィナンシェがテーブルの上に並びます。うん、この雰囲気では大切な話と言ってもさほど重大ではないでしょう。会長さんに勧められるままにお茶を飲み、談笑していると。
「…さて、君たちは卒業したってわけだけど。どう?…サイオンは使えるようになったかい?」
「「「えっ!?」」」
私たちはポカンとしてから、慌てて意識を集中しました。えっと、えっと…サイオンってどう使うんだっけ。っていうか、どうすれば心が読めるんだっけ…?と、とにかく会長さんの心を読めばいいのかな?…うーっ、私って才能無いかも…。
「ふふ。…全員、挫折」
会長さんのクスクス笑いが聞こえ、みんなの深い溜息が…。
「いいんだよ、それで。まだ使えなくて当然なんだ。とはいえ、みんなのサイオンはかなりハッキリしてきてる。集中されると押さえ込むのに前よりもずっと力が要るな」
「…まだ俺たちの力を封じ込めているのか?」
キース君が尋ねると、会長さんは即座に頷きました。
「君たちのサイオンは十分に使いこなせるレベルになっているんだけどね…。シャングリラ号に乗り込むまでは封じておくのが決まりなんだ。まぁ、単なる節目ってことだけど…シャングリラ号への乗船は」
「「「節目?」」」
「そう、節目。…通過儀礼と言ってもいいかな。シャングリラ号が無かった頃は卒業式を終えた時点でサイオンが表に出るようにしてた。でも、今はシャングリラ号という船があるから、それに乗り込む方が卒業式よりも遥かに劇的じゃないか。だからシャングリラ号が迎えに来るまで、ぼくは君たちの力を封じる」
会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が淹れた紅茶を一口飲んで。
「…シャングリラ号は普通の人には知られていない宇宙船だ。君たちが乗り込むことは家の人にも言わないで欲しい。もっとも、話したところで信じてもらえる筈も無いから特に問題ないんだけどね…。君たちの正気が疑われちゃうっていうだけで」
宇宙人に攫われて宇宙旅行をしてきました、っていうトンデモ話と同レベルだろ、と会長さんは真顔です。
「シャングリラ号が出来て百年以上経つけど、まだ宇宙人には出会ってないな。普通の人間を乗船させたこともない。なのに宇宙人の船でよその星に行ってきました…って人がいるから面白いよね。そういう人がどう思われてるか、君たちだって知ってるだろう?」
ううっ。確かにそういう体験をしたという人がテレビに出たりしています。変な人だな、とか大嘘つきとか思ってましたが、もしもシャングリラ号のことを普通の人に話したら…私たちも同類認定ですか!
「…しゃべったら変人扱いなんだ…」
ジョミー君が言い、私たちは一気に不安になってしまいました。シャングリラ号が迎えに来ることばかり考えていましたけれど、パパやママに何と言い訳したら…。それとも乗り込むのはほんの半日くらいで、朝に出かけたら夜には家に帰れるのかな?心配していると会長さんが。
「君たちがシャングリラ号に乗り込む期間は、家の人には進路相談会だと通知される。特別に卒業することになってしまった生徒の適性を見極め、フォローするための合宿期間。ごまかす手伝いを学校がやってくれるんだから、自分からボロを出さないように気をつけて」
安心してシャングリラ号に行っておいで、と会長さんはウインクします。
「とても大きな宇宙船だよ。…あとは見てのお楽しみかな」
「…あんたは一緒に来ないのか?」
キース君の問いに、会長さんは「決めていない」と答えました。
「気が向けば行くし、向かなかったら行かないし。…君たちのサイオンを抑える必要がなくなるんだから、家でのんびり昼寝もいいよね」
そっか…会長さんは来てくれるかどうか分からないんですね。私たちだけで大丈夫かな?
「君たちが乗る時、シャングリラ号にはハーレイがキャプテンとして乗船する。船の中で何かあったらハーレイに相談すればいい。キャプテンだから一番偉いし、多少の無理も聞いてくれるよ」
「…じゃあ、キャプテンって呼ぶんですか?」
おずおずと言ったのはマツカ君。
「そうだね…。キャプテンと呼ぶのが正式だけど、君たちは体験乗船扱いだから…いつもどおりでいいんじゃないかな。ブリッジクルーを指揮するハーレイが教頭先生と呼ばれているのは見ものだろうし」
クスクスクス。職場体験みたいで面白いかもね、と会長さんは楽しそうです。
「シャングリラ号が君たちを迎えにやって来るのは、学校が休みになってハーレイの手が空いてからだよ。3月末のことになる。まだ何週間も先のことだし、暇な間に卒業旅行なんかどうだろう?…そっちなら、ぼくも一緒に行きたいな」
卒業旅行!!…シャングリラ号がいつ来るのかを知らなかったので、卒業旅行なんか思いも寄りませんでした。みんなの瞳が輝いています。
「うん、みんな元気な顔になったね。じゃあ、お昼ご飯を食べようか。…ぶるぅが用意してくれてるよ」
知らない間に時計はお昼を過ぎていました。キッチンの方からいい匂いが…。私たちは会長さんに連れられてダイニングへと大移動です。
「かみお~ん♪大事なお話、終わった?」
お誕生日にプレゼントしたアヒルのアップリケつきのエプロンを着けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコ笑顔でお出迎え。テーブルにつくとすぐに金属製のお鍋が運ばれてきました。
「今日はシーフードのブイヤベースだよ!卒業のお祝いに奮発して伊勢海老も入れちゃったんだ」
ご飯はサフランライスだからね、とサラダも一緒に並べられて。一人用のブイヤベースのお鍋の中には縦半分に切った伊勢海老が気前よくドカンと入っています。うわぁ、とっても美味しそう!
「「「いっただっきまーす!!!」」」
豪華ブイヤベースに舌鼓を打ちながら、話題は卒業旅行のことに。
「ずいぶん長いお休みだよね。…うーん、お金があったら外国旅行ができるんだけどな」
アルバイトをしておけばよかった、とジョミー君。
「マツカ、自家用ジェットとか無いのかよ?」
サム君が聞くとマツカ君は「ありますよ」と答えました。
「皆さんが御希望だったら、いつでも用意させますけれど…長距離には向いていませんよ。飛行機をチャーターした方が絶対いいと思います。で、いったい何処へ行くんですか?ホテルや通訳も手配しないと…」
「ピラミッド!」
叫んだのはシロエ君でした。
「ぼく、ピラミッドが見たかったんです。こう、なんかロマンがありませんか?あと、王家の谷とか大神殿とか…」
「私もピラミッド見てみたいわ。砂漠だしラクダもいるのよね?」
乗ってみたかったの、とスウェナちゃん。ピラミッドかぁ…。いいかも…。
「この時期ならそんなに暑くないよ」
会長さんが割り込みました。
「3月はベストシーズンなんだ。場所によっては寒いくらいだけど、別に野宿をするわけじゃないし」
「…まるで見てきたような口ぶりだな」
キース君が突っ込むと会長さんはニコッと笑って。
「見てきたよ?…ピラミッド観光は基本じゃないか。三百年も生徒会長をやってるんだし、春休みは何回あったと思ってるのさ。それにぼくとぶるぅは渡航費用は要らないんだよね。行こうと思えば何処だって自分の力で移動できるし」
言われてみれば、衛星軌道上までチョコレートを詰めた箱を送れるような会長さんです。お金を払って飛行機や船に乗らなくたって、外国くらい簡単に行けてしまうのでしょう。羨ましいな、と思った時。
「…本当に観光旅行なのか?」
キース君が真剣な目で会長さんを見つめました。
「たった今、初めて気が付いたんだが…俺たちみたいな人間がいるのはこの国だけじゃないかもしれない。あんたが他の国へ行くのは、仲間を見つけるためじゃないのか?」
「………さすがだよ、キース…」
会長さんは溜息をつき、「鋭いね」と呟いて。
「そう。最初は確かにそうだった。でも今は違う。…言っただろう?ぼくの力はどんどん強くなっていった、って。二百年以上前から、ぼくは地球上の全ての場所へ思念波のメッセージを送れるようになっているんだ。家から出なくても仲間は探せる。…でもね…誰も応えてくれないんだよ。不思議だね。ぼくたちの仲間はこの国でしか見つからない」
人種が違うせいなのかな、と語る会長さんは少しだけ寂しそうでした。
「いつかは他の国にも仲間が生まれてくるだろうとは思うけど…。それまで生きていられるかな?」
「……よく言うぜ。殺しても死にそうにないくせに」
一瞬、沈黙が落ちかかったのを打ち払ったのはキース君。
「あんた、死ぬ予定なんか無さそうだもんな。いつかは死ぬとか言い続けながら、その実、不老不死だったりして」
「…確かにね…。ぼくがいつかは死ぬだろうと思っている根拠はゼルなんだ。会った時は若かったのに、あんなに見事に老けちゃったから…ぼくの命もいつかは尽きると思ったっていうわけなんだけど。そのゼルはあの姿で二百年以上も生きちゃってるし、だんだん死ねる自信が無くなってきたよ」
「ちょっ、死ねる自信って…」
ジョミー君が吹き出しました。
「何それ!普通は生きる自信って言うんだよねえ、そういう場合」
違いない、と私たちは涙が出るほど笑いました。会長さんなら不老不死でもちっとも不思議じゃありません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」もお腹を抱えて笑っています。いくら卵から生まれたとはいえ、会長さんと同じくらい長い年月を過ごしてきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が笑うんですもの…会長さんの寿命はきっと遥か先まであるのでしょう。
大笑いしながら食事を終えて、お皿を洗って片付けて。リビングに戻ってお茶を飲みながら卒業旅行の相談です。
「じゃあ、ピラミッドでいいのかな?」
ジョミー君がまとめにかかり、お次は旅行日程を…と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が持ってきたカレンダーをみんなで覗き込んだのですが。
「あ、俺はパス」
キース君が突然言いました。
「旅行はみんなで行ってきてくれ」
「「「えぇぇっ!?」」」
私たちはビックリ仰天。そういえばキース君は行き先を決める時にも何も言ってませんでしたっけ。
「キース、金欠?…でも、お小遣いしか要らないよ?」
ジョミー君が尋ねます。お金が無いのはマツカ君以外…いえ、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」もお金は持っていそうですから、それ以外は全員共通で。アルバイトをしている時間も無いのでマツカ君の好意に甘えて交通費と宿泊費、それに食費もまるっとお世話になる予定でした。
「…すみません、キース…。ぼく、出すぎた真似をしちゃいましたか?」
プライドに障ったのかとマツカ君が謝ると。
「いや、全然。本当なら俺も行きたいんだが、野暮用でな。…三週間以上も休みがあるんだし、ここで済ませておくのがいいんだ」
「…ふうん…?」
みんなが首を傾げます。野暮用って、元老寺の用事でしょうか?春のお彼岸っていうのもありますよねえ。
「それってお寺と関係あるわけ?」
「まあな」
ジョミー君の質問にキース君はニッと笑って。
「せっかくだから八十八ヶ所に行ってくる」
「「「八十八ヶ所!?」」」
私たちの素っ頓狂な声が広いリビングに響きました。は、八十八ヶ所って…もしかしなくても『ソレイド八十八ヶ所』のこと!?お遍路さんとかいうヤツですか…?
「知らないのか?…ソレイド地方にある八十八の寺を順番に回る巡礼の旅だ。歩くと早くて二十一日、遅ければもっと日数がかかる」
キース君の説明を聞いたジョミー君がヒクッと頬を引き攣らせて…。
「そ、それって…お遍路さんのこと?」
「知ってるじゃないか。…坊主が遍路に行って何が悪い。一度は回っておきたいからな、体力に自信がある内に。最近はバスツアーの遍路も多いが、坊主たる者、やっぱり自分の足で歩かないと」
親父も歩いて回ったんだ、と言うキース君はお遍路に出る気満々でした。3週間もかかる所を一人でテクテク歩こうだなんて凄すぎます。それも卒業旅行を蹴って。
「いいじゃないか、キース。よく決意したね」
会長さんがパチパチと手を叩きました。
「歩き遍路は大変だけど、やり遂げると自分に自信がつくって言うし。…ぼくは虚弱体質だから歩いて回ったことは無いんだ。ぶるぅと二人で瞬間移動で回っただけだよ」
「そうか、あんたも行ったのか…」
「うん。だからキースも頑張って。最近は趣味で歩いている人も多いらしいけど、君は衣で歩くのかい?」
「そのつもりだ。どうせ行くなら坊主らしくして行きたいし」
キース君はお坊さんの格好をしてお遍路に行くつもりらしいです。じゃあ、私たちはキース君とは別行動でピラミッドへ卒業旅行に出発ですね。えっと…何日間くらい行くのかな?
「キース、出発するのはいつだい?」
会長さんはまだキース君に構っています。緋の衣を着られるという高僧だけに、私たちには分からない次元で通じるものがあるのかも…、と放っておいて日程を練っていたんですけど。
「決めた」
突然、会長さんが私たちの輪に入ってきました。えっ、日程は会長さんの意見が優先ですか?
「ピラミッドはまた今度にしよう。せっかくの卒業旅行なんだし、思い出に残る旅がいいじゃないか」
「えっ…?」
なんだか嫌な予感がします。まさか、まさかと思いますけど…。
「卒業旅行の行き先はソレイド八十八ヶ所だ。キースの修行を見届ける旅」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
「と、いうわけで…。マツカ、みんながゆったり乗れるマイクロバスと宿の手配を頼めるかな?あ、キースの宿は要らないよ。修行の旅に豪華ホテルは不要だからね」
「ちょっと待て!!!」
キース君が必死の形相で会長さんの袖を掴みます。
「あんた、いったい何を考えてるんだ!俺の修行を邪魔して楽しいか!?」
「楽しいに決まっているだろう?…煩悩まみれのギャラリーがいても、気にせず黙々と歩き続ける…。それでこそ修行の旅ってものだよ」
会長さんは悪戯っぽい笑みを浮べて私たちの卒業旅行を勝手に決めてしまいました。ソレイド八十八ヶ所だなんて、いったい何処のお年寄りですか…?
「違う、違う。…ぼくたちの旅はキースを見守る旅なんだ。ピラミッドはいつでも行けるけれども、キースの巡礼の旅はそうそう見られるものじゃないしね」
なるほど、面白いかもしれません。それに私たちが歩くわけではないですし。
「畜生、なんでこうなるんだ…」
会長さんのマンションを出てバス停へ向かう途中でキース君はブツブツ言っていました。キース君と私たちが旅に出るのは明後日。キース君以外は先に集合してマイクロバスで元老寺に行き、キース君をピックアップしてソレイドへ向かう予定です。
「いいじゃないかよ。ソレイドまでの交通費が浮くんだからさ」
サム君がキース君の肩を叩いて励ましました。
「それよりも頑張って歩けよな!俺たち、陰ながら応援してるぜ」
「…応援なんか要らないんだが…」
哀愁の二文字を背中に背負ってキース君はガックリと肩を落としています。とんでもない行き先になりましたけど、卒業旅行は嬉しいですよね。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も行くんですから、きっと素敵な道中に…。ソレイド八十八ヶ所の旅、キース君も頑張って~!
卒業式が終わった日の夜、私は寝付けませんでした。一緒に卒業したジョミー君たちのパパやママも揃っての食事はお洒落なレストランを貸切にした賑やかなもので、二次会はパパたちと別れてカラオケや喫茶店をハシゴしながら渡り歩いて、晩御飯も食べてから家に帰ってきたんですけど…。
「どうなるんだろう、明日から…」
卒業したら全て分かるさ、と会長さんから聞いていたのに未だに何も分かりません。1年A組とC組のみんなが企画してくれた謝恩会の日程のおかげで、土曜日まではシャングリラ号が来ないと判明しただけです。土曜日は明後日ですから明日は何をして過ごしましょうか?ジョミー君たちと遊びに行くか、家でゴロゴロしているか…。どうしようかな、と悩んでいる内にいつの間にか寝てしまっていました。目を覚ましたらもうお昼過ぎで。
「うーん…。こんな時間から出かけても仕方ないかな」
結局、家でのんびり過ごすことに。今頃、1年A組のみんなは授業を受けているんですよね。ちょっと不思議な気がします。ジョミー君たちからメールが来たり、スウェナちゃんと電話でおしゃべりしたり…一日はアッと言う間でした。明日はもう一度シャングリラ学園の門をくぐれます。会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」にも会いたいなぁ…。
翌日のお昼前、私たち7人組は制服を着て校門の前に集合しました。卒業したのに制服っていうのは変ですけれど、出迎えてくれるA組とC組のみんなは制服ですし、何より会場が学校ですし!食堂を目指して歩く途中で会ったのはブラウ先生。
「おや、制服を着て来たんだね?偉い、偉い。…私服で来たって良かったのにさ」
真面目で結構、とウインクしながら。
「あんたたちは学校が合ってるのかもしれないねぇ。シャングリラ学園、好きなのかい?」
「「「はい!」」」
「そうか。…じゃ、楽しみにしているよ」
何を?と聞き返す前にブラウ先生は行ってしまいました。もしかして私たち、とんでもない場所に来ちゃったとか?卒業式で着ぐるみを着せたり、コスプレさせたり…と派手にやってくれたのが1年A組とC組です。その人たちが企画してくれた謝恩会。…無事に済まないような気がしてきました。
「楽しみにしてるって言ったよね…」
ジョミー君が不安そうな顔で呟きます。
「ああ、言った。…またゴジラを着せられるんじゃないだろうな?」
「…そうかも…」
キース君の言葉に同意したのはシロエ君。
「ぼくたち、あの格好でみんなと写真を撮ってませんよね。今日、記念撮影が待っているんじゃないでしょうか」
「ええっ!?そ、そういや写真とか撮ってないよな…」
またメーテルになるのかよ、とサム君がガックリ項垂れました。じゃ、じゃあ…私はダースベイダー!?うわぁ、帰りたくなってきたかも…。そこへワッとみんなの声がして。
「いた、いた!遅いぞ、お前たち!」
「どこで道草食ってんだよ。早く、早く!!」
待ってたんだぜ、と取り囲まれて食堂に行くと盛大な拍手が響きます。
「「「卒業おめでとう!!!」」」
歓声を上げるみんなの前にはサンドイッチやオードブルセット、いろんなピザに大皿に盛られた何種類ものスパゲッティなどが並んでいました。ケーキやお菓子も沢山あります。いくら学校の食堂とはいえ、これだけ揃えたら費用はかなり高そうで…。何も考えずに来ましたけれど、こういう時って招待されたらお金が要るんでしたっけ?
「今日のパーティーは生徒会がスポンサーだよ」
聞き慣れた声が聞こえて、奥の方から会長さんが現れました。
「クラスメイトのために謝恩会をやりたいっていう話を聞いて、全面的に協力することになったんだ。そういう時に役に立たなきゃ生徒会の名が廃るだろう?」
生徒会から出席するのは予算の都合で一人だけどね、と笑っていますが本当だとは思えません。真面目なリオさんやフィシスさんを外しておいて、またまたロクでもないことを…。
「ぼくしかいないと不安なんだ?…それじゃ、ぶるぅを呼んでやろう」
会長さんが指をパチンと鳴らすと。
「かみお~ん!!」
クルッと宙返りして「そるじゃぁ・ぶるぅ」が食堂の床に降り立ちました。そして入り口の方からは先生方が入ってきます。どうやら無事に謝恩会を始められそうだ、と思った時。
「最初に記念撮影しなきゃな」
ドキッとする言葉と共に運び込まれるゴジラにガメラにダースベイダー。や、やっぱりそれを着るんですか~!!
「今日は更衣室が無いから、食堂の人の休憩室を借りるんだ。入れ替えで先に女子から行けよ」
「ちょ、ちょっと…ちょっと待って!」
スウェナちゃんと私の叫びはアッサリ無視され、アルトちゃんとrちゃん、それに何人かの女子に引っ張られるようにして休憩室へ。うわーん、またダースベイダーにされちゃったぁ!…心で大泣きしながら食堂に戻ると拍手喝采。今度はジョミー君たちが休憩室に強制連行されて行きます。
「イヤだ、写真に残るのはイヤだーっ!!」
絶叫しているのはシロエ君。いつもの丁寧な口調は消し飛び、腕を振り回して抵抗するのをC組の男子がズルズルと引きずっていって休憩室の扉の向こうへ…。そういえばシロエ君とサム君の仮装は顔が隠せないんでしたっけ。でもシロエ君は鉄郎なんだし、メーテルのサム君よりかはマシじゃないかと思うんですが。…そうこうする内にゴジラが出てきて、トトロにガメラにメーテルに…最後は大きな帽子を目深にかぶったシロエ君。
「よーし、全員揃ったな?まずはクラスごとに1枚撮ろうぜ」
記念撮影はグレイブ先生を真ん中にして私たちが最前列。後ろに並んだみんなと一緒に写して、次はC組がゼル先生とサム君たちを真ん中にしてパシャリと1枚。それから2つのクラス全員と先生方も入った大きな記念写真を撮ってもらって…。
「それじゃ最後は顔の見えるヤツな。マスクと被り物は取ってくれよ」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
か、顔の見えるヤツって…そんな殺生な!顔が見えないから救われてたのに、この格好で顔だけ出したら悲劇ですよぅ。キース君たちも動きません。と、青い光がパァッと散って、私のマスクやゴジラの着ぐるみの頭の部分がパカッと外れてしまったんです。
「ぶるぅ、上出来」
会長さんがニコッと微笑み、私たちはA組のみんなに押さえ込まれて記念撮影することに…。でも本当に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の仕業でしょうか?記念撮影用スマイルの後で「そるじゃぁ・ぶるぅ」をジト目で睨むと、プルプルと首を振っています。…うーん、やっぱり会長さんが下手人か…。そうだろうとは思いましたが。
笑いと涙の記念撮影は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も加わった1年A組の集合写真で終わりました。会長さんはアルトちゃんとrちゃんの間に立って「両手に花って、このことだよね」と殺し文句を忘れません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は最前列でゴジラのキース君に抱っこしてもらって上機嫌。子供って怪獣が好きですものね。…私たちが制服に着替えて戻ると、そこからは普通のパーティーで。
「なぁなぁ、キース。…坊主になるって本当かよ?」
「知らねぇぞ~。うっかり頭を剃ったら最後、二度と毛が生えてこなかったりして…」
「老けないんだもんな。髪の毛も伸びなくなるかもな~」
男の子たちがキース君を囲んで脅しています。キース君がピザを片手に会長さんを振り返りました。
「…おい…。こいつらの言ってることは本当か?」
「まさか。ぼくもぶるぅも髪は伸びるし、爪だってちゃんと伸びるけど?」
でなきゃケガをしたって治らないじゃないか、とおかしそうに笑う会長さん。
「ほら見ろ!大丈夫だって言われたぞ!!…お前ら、よくも…」
「落ち着け、キース。どうせ髪の毛は要らねぇじゃないか、坊主なんだし」
「そうそう。それとも髪に未練があるとか…」
「うるさーいっっっ!!!」
怒鳴りながらもキース君は笑っています。ジョミー君やサム君たちも、そして私も…いっぱい笑って、食べて、おしゃべりをして。先生方の存在なんてすっかり忘れて騒いでいると…。
「諸君、そろそろ時間なのだが」
グレイブ先生が咳払いをして言いました。
「花束贈呈に食堂は不向きだ。集会室へ移動したまえ」
「「「はーい!!!」」」
あらかじめ決まっていたのでしょう。私たち以外のみんなが答え、食堂の外へ出て行きます。花束贈呈って、なに?
「謝恩会といえば花束だよ」
会長さんがキョトンとしていた私たちに教えてくれました。
「先生方にお礼をするのが本物の謝恩会だろう?…君たちのはちょっと…いや、かなり型破りな謝恩会だから、花束贈呈くらいはしておこうって決めたらしいね」
主催が在校生だなんてメチャクチャじゃないか、と言われてみればその通りかも。じゃあ、私たちが花束を…?
「そうだよ。ちゃんとみんなが用意している。集会室の方へ行こうか」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が歩き出し、私たちは集会室へ。1学年全員が入れる数の座席と舞台を備えた大きな部屋です。そこで私たちは花束を受け取り、舞台にはグレイブ先生とゼル先生が。
「それでは卒業生からの花束贈呈を行います」
さっきキース君をからかっていた男子の一人がよそゆきの声で言い、私たちは立派な花束を抱えて先生の所へ行きました。「ありがとうございました」と挨拶をして花束をグレイブ先生に渡し、下で見ている先生方にもお辞儀して…。割れるような拍手に送られ、私たちが舞台を下りるとクラス代表による閉会の辞です。
「これで1年A組とC組による合同謝恩会を終わります。…先生方、どうもありがとうございました!」
「「「ありがとうございました!!!」」」
みんなと一緒に声を張り上げてお礼を言って、先生方に頭を下げて。ああ、今度こそお別れなんですね…1年A組とシャングリラ学園。と、思ったら…。
「諸君、待ちたまえ」
グレイブ先生が立ち上がりかけていた生徒たちを止めました。
「卒業していくクラスメイトのために、よくこれだけのことをしてくれた。私は諸君を誇りに思う。他の先生方もそうおっしゃっている。そこで、我々から諸君に感謝の気持ちを贈りたい。しばらく席で待っているように」
スルスルと舞台の幕が下りてゆきます。感謝の気持ちって何でしょうね?
「おい、こんなのって聞いてたか?」
「知らないぞ。…ゼル先生とグレイブ先生で何をする気だ?」
みんなが騒ぎ始めました。誰も知らなかったみたいです。サプライズってヤツでしょうけど、ゼル先生とグレイブ先生が二人で出来ることって、まるで見当がつきません。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が期待に満ちた目をしていますから、きっととてつもないことが…。
「ゼルは剣道七段なんだよ」
会長さんが言いました。えっ、ゼル先生が剣道を?…剣道部の顧問をしていることは知っていましたが、有段者だというのは初耳です。
「居合道の方は八段だ。昔は剣道部を指導してたんだけど、あの頑固さが災いしてね…。徹底的にしごくものだから、部員がどんどん減っちゃって。仕方なく退いて顧問になったってわけ」
「へえ…。じゃあ、居合をやってくれるのかな?」
ジョミー君が舞台の方を見ました。
「グレイブ先生が投げたリンゴを空中でズバッと切って見せるとか」
「なるほど。…それなら確かに準備が要るな」
着物でないと刀が映えないし、とキース君。もしかしたらチョンマゲのカツラもかぶってくれるかもしれません。グレイブ先生も着流しとかで出るのでしょうか。時代劇みたいでかっこいいかも…。
「サムライ・ショーをするんだってよ」
「ゼル先生が居合の達人だなんて知らなかったな」
年は取っても腕は確かというわけか、と意外な事実にみんなの期待は盛り上がります。剣舞もあるかもしれないぞ、なんて言っている人もありますし。…やがて舞台の前に進み出たのはブラウ先生。
「みんな、今日は謝恩会を開いてくれてありがとうよ。これからグレイブとゼルからのお礼の催しが始まるけども、協力してくれるハーレイ、そしてグレイブの婚約者のミシェルにも盛大な拍手を!」
歓声が上がり、拍手が鳴り響きました。サムライ・ショーは思った以上に華やかなものになりそうです。ブラウ先生は更に続けて。
「さあ、開幕だ。四羽の白鳥の御登場だよ!!」
「「「えぇぇっ!?」」」
よ、四羽の白鳥って…、と騒然となった私たちの前で舞台の幕が上がりました。そこには確かに…白鳥が4羽。サムライ・ショーじゃなかったんですか!?
『ゼルだって身体能力は高い、と言っただけだよ』
会長さんの思念が届きました。向かって左からゼル先生、パイパー先生、グレイブ先生、教頭先生。真っ白なチュチュとタイツに白いトウシューズ、頭に羽飾りとティアラを着けた4羽の白鳥たちがサッと手を組み、チャイコフスキーの『白鳥の湖』からの有名な『四羽の白鳥の踊り』の曲が流れ始めて…。
「「「わはははははは!!!」」」
それはいつぞやの『白鳥の湖』を遥かに超える見ものでした。本来なら身長の揃った4人で踊るところを身長差のある4人が組んで…しかもパイパー先生以外は全員男なんですから。ゼル先生の禿げた頭の羽飾りとティアラは何でくっつけられているのかな?とても軽やかとは言えない踊りですけど、インパクトだけは十分です。いや、どっちかといえば破壊力かも…。踊りを終えた先生方に拍手をしつつ、私たちの笑いは止まりません。
「「「アンコール!アンコール!!」」」
お辞儀を繰り返す白鳥たちに拍手を送り続けていると、教頭先生だけがスッと後ろに下がりました。そしてトウシューズの爪先で立ち、始めたのは連続回転。まさか三十二回転のグラン・フェッテを再び、ですか…?
「「「おぉぉぉっ!!」」」
教頭先生の連続回転は格段に上達しています。軸足は殆ど動くことなく、足も高く上がって二十、二十一…と見事な技を披露し続け、みんながそれに合わせて手拍子を打ち…三十、三十一、三十二!ピタリと止まってポーズを決めた教頭先生に送られた拍手は半端なものではありませんでした。
「「「ブラボー!!!」」」
口笛と歓声が渦巻く中で舞台の幕が静かに下りて、ブラウ先生が出てきます。
「今日のバレエは1年A組とC組のみんなへの贈り物だ。これからも卒業した仲間との友情を大切にしてやっておくれ。グレイブたちが笑える出し物を選んだ理由はそれなんだからね。一生、この日を忘れないでいて欲しい…って」
「「「はーい!!!」」」
忘れたくても忘れられません、という誰かの声にドッと広がる大爆笑。確かにこれだけのモノを見てしまっては、シャングリラ学園の思い出と共にいつまでも覚えていそうです。泣かせる演出よりも笑える演出。グレイブ先生、考えましたねぇ…。
「諸君、四羽の白鳥は気に入ったかな?」
スーツに着替えたグレイブ先生がゼル先生や教頭先生、パイパー先生と並んで舞台に現れ、笑い転げるみんなを静めて閉会の挨拶をしてくれました。私たちは先生方やA組とC組のみんなに校門の所まで見送ってもらい、お辞儀をしてから手を振って。
「「「さようなら!」」」
ありがとう、と何度も後ろを振り返りながら通いなれた道を最寄の駅へと並んで歩いて行ったのでした。
「ぶるぅのお部屋、行けなかったね…」
ジョミー君はちょっぴり寂しそう。それは私も同じです。もう一度行けるかも、と期待していたのに入り口にすら行けないままで帰って行くしかないなんて。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」には会えましたけど、殆ど話もしていませんし…。後ろ髪を引かれる思いで駅へ向う途中、人通りの無いところを歩いていると青い光に包まれました。
「「「!!???」」」
フワッと浮き上がるような瞬間移動の感覚があり、私たちが立っていたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋の中。
「かみお~ん♪みんな、また会えたね」
「ようこそ、ぶるぅとぼくの秘密の部屋へ」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいつものように呼びかけてくれ、マフィンと紅茶がテーブルの上に。促されるままにソファに座ると、会長さんが「美味しいよ、ぶるぅの特製マフィン」と勧めてくれます。
「君たちに話があるんだけれど、喫茶店とかじゃダメなんだ。…だからね、明日、ぼくたちの家に来てほしくって」
「だったら後でメールをくれれば…」
キース君が言うと会長さんは柔らかな笑みを浮べました。
「ぶるぅの部屋に行きたいな、っていう心の声が昨日からずっと聞こえてた。だから朝からマフィンを焼いて待ってたんだよ。連れて来ようと思っていたのに、送り出されてしまったから…。メールの方が良かったかな?」
いいえ、と答える私たち。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来られた上に、明日は会長さんのマンションへ…?
「うん。大切な話だからね、ぼくの家でした方がいい。明日の午前十時頃に来てくれるってことで構わないかい?」
私たちが頷くと会長さんは「それじゃ大事な話は明日に」と微笑み、お茶の時間が始まりました。話題はさっきの四羽の白鳥。グレイブ先生たちはカルタ大会の時の『白鳥の湖』と同じ要領でバレエを覚えたらしいです。高齢に見えるゼル先生が踊れた理由は剣道と居合で鍛えた身体があったからこそ。…じゃあ、格段に上達した三十二回転を披露した教頭先生は…?
「ハーレイは真面目で努力家なんだ。やると決めたら何があっても諦めないし、どんな苦労も厭わない。謝恩会でバレエを上演すると決まった時から頑張って練習していたんだよ。…ぼくがプレゼントしたレオタードが役に立ってたみたいだね。トウシューズは履き潰してしまって取り寄せていたのを知ってるけれど」
クスクスクス。こっそりサイオンで覗き見していたらしい会長さんは楽しそう。
「三十二回転、凄かっただろう?あれをこなそうという責任感と忍耐力がハーレイのいい所なんだ。だからシャングリラのキャプテンをしてる。…ただ、その長所が裏目に出ると…何度振られても懲りずに三百年も片想いすることになるんだけどね」
ふふふ、と笑う会長さん。私たちは美味しいマフィンの残りをお土産に貰って「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に別れを告げました。明日は会長さんの家に集合です。大切な話というのが気になりますけど、謝恩会、とても楽しかったな。1年A組のみんな、見送ってくれた先生方…。今日の思い出は一生忘れませんからね~!
繰上げホワイトデーの翌々日は卒業式前日。1年A組のみんなと過ごせるのは今日が最後です。アルトちゃんやrちゃんと会長さんの話ができるのも今日限り。そんな朝、教室に来たグレイブ先生が。
「諸君、明日はA組の生徒が5人も卒業してしまう。諸君からの要望もあったし、今日の私の授業時間は特別にホームルームとしよう。いわばA組一同によるお別れ会だ。大いに楽しんでくれたまえ。ただし、他のクラスの迷惑にならん程度にな」
「「「はーい!」」」
みんなが元気に返事しています。お別れ会をして貰えるなんて夢にも思いませんでした。ジョミー君たちも驚いています。そして4時間目の数学の時間はホームルームに変わりました。グレイブ先生がポケットマネーで買ってくれたというジュースが配られ、さあ、乾杯…という時です。
「ぼくも仲間に入っていいかな?」
教室の扉が開いてやって来たのは会長さん。手にはしっかり私たちと同じグラスを持っていました。グラスは食堂からの借り物ですし、途中で調達してきたのでしょう。
「ブルーか…」
グレイブ先生がニッと笑って「いいだろう」と答えます。
「だが、お前の分の机はどうする?…今日は全員揃っているし、席は1つも空いていないぞ」
「分かってる。だから空けてよ」
「は?」
「グレイブの椅子にぼくが座るんだ。君は授業の時は立ってるんだし、空けてくれればいいじゃないか。…ぼくは虚弱体質だから長時間は立っていられないしね」
さあ立って、とグレイブ先生を椅子から追い立て、会長さんは奪った椅子に腰かけました。いつも教室の一番後ろにいた会長さんが、今日は一番前の席。それも教卓というヤツです。グレイブ先生は仕方なさそうに教卓の横に立つしかありませんでした。会長さんのグラスにジュースが注がれ、今度こそ。
「諸君、卒業していく5人の前途を祝して…乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
隣り合った席の子たちとグラスをカチンと合わせ、その後はおしゃべりに花が咲きます。
「なあ、卒業したら年を取らなくなるんだって?」
「うんうん、生徒会長みたいに、ずーっと今のままだって聞いたぜ」
なんと、みんなは私たちが年を取らないことを知っていました。卒業する生徒の名前が発表された後、図書館で調べたり先生方に尋ねたりして、情報を集めてきたのだそうです。
「グレイブ先生もずーっと昔の卒業アルバムから変わってなくてビックリだったな。校長先生が三百年以上も校長をやってる話は有名だけど、他の先生もそうだったなんてさ」
「でもゼル先生とか、古いアルバムでも年寄りだったし。…もしかして年を取らなくなる時期って、かなり個人差あるんでないの?」
ジョミーだけ先に禿げるとか、キースが一人だけ白髪で髭の爺になるとか…、とワイワイ騒ぐクラスメイトは私たちが特殊な人間になってしまうことを全く気にしていませんでした。なんだか嬉しくなっちゃいます。おまけにお別れ会まで開いてくれて、みんな名残を惜しんでくれて…。1年A組のことは卒業しても一生忘れないでしょう。
誰もが話を聞きたがるので、私たち5人はいつの間にか教室の一番前に会長さんの椅子を囲んで立っていました。ジュースのグラスはとっくに空です。
「ところでさ。…卒業式の服は用意したわけ?」
「「「え?」」」
リーダー格の男の子に聞かれて、私たちは顔を見合わせました。卒業式って制服を着るんじゃないのでしょうか?
「あーあ、やっぱり。制服で出る気だったんだ…」
「制服だと不都合なことがあるのか?」
キース君が問い返します。
「いや、制服でもいいんだけどさ。…お前たちは特別だから卒業証書は壇上で一人ずつ手渡しだろう?3年生は男子と女子の代表だけが壇に上がるんだぜ。でもって毎年、趣向を凝らした仮装で登場するのが伝統らしい」
へえ…。そんな話は初耳でした。卒業した後のことが気になるあまり、卒業式には関心を持ってなかったんです。
「せっかく壇に上がれるっていうのに、制服じゃ面白みに欠けるじゃないか。…先に思いついたのはC組のヤツらだったんだけどな」
えっ、ちょっと待って。3年生の代表さんが仮装で、私たちが制服だと面白みが無いってどういう意味?
「C組からは二人卒業するだろう?それで仮装させようって話になって、衣装を用意したんだってさ。銀河鉄道999の」
「「「は?」」」
「ほら、有名なあのセリフ。私はメーテル、永遠の時の流れを旅する女…って。年を取らないんならピッタリじゃないか。ちょうど二人いるからメーテルと鉄郎になってもらうって言ってたぜ」
とてつもなく嫌な予感がしてきました。サム君とシロエ君が妙な仮装で卒業式に出るってことは…。
「だから俺たちも用意したんだ、衣装を5種類。まりぃ先生にお前たちの服のサイズを教えてもらって、誰がどれを着ることになってもジャストサイズでいけるようにレンタル衣装を確保してある」
さあ、選べ!!という声を合図に運び込まれる5種類の衣装。
「「「えぇぇぇっ!?」」」
みんなが用意してくれていたのは凄まじい服ばかりでした。赤い彗星のシャアにダースベイダー、トトロの着ぐるみ。おまけにゴジラとガメラだなんて…!でもクラスのみんなは涼しい顔。
「どうだ、いいだろう?…素顔が分からないのがポイントだ。壇上では顔を出してもいいし、隠したままでもいいらしいぞ。どれにする?」
全員お揃いっていうのはダメだぜ、と言われましたが、こんなもの着たくありませんよう…。
「スウェナは赤い彗星がいいね」
会長さんがニッコリ笑って言いました。
「どうせ君たちは選べないだろうし、ぼくが全員の分を決めてあげるよ。…A組のみんなもそれでいいかな?」
「「「いいでーす!!」」」
みんなの明るい声が響いて、会長さんは私たちの衣装を次々と勝手に決めてしまいます。もしかして、このためにやって来たんですか…?
『当然じゃないか』
私たちにしか聞こえない思念で会長さんが伝えてきました。
『楽しい衣装選びを見逃すわけがないだろう?…晴れ舞台を楽しみにしているよ』
ひえぇぇ!や、やっぱり明日はこの服ですか!一世一代の卒業式はとんでもないことになりそうです。ジョミー君たちも顔面蒼白。卒業式に来てくれるパパとママが卒倒しちゃわないよう、ちゃんと説明しておかなくちゃ…。
シャングリラ学園での最後の授業の後、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ遊びに行きました。このお部屋とも多分お別れです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は沢山のケーキやお菓子でおもてなしをしてくれ、「また来てね♪」と小さな手を振ってくれましたけど、それはお別れの挨拶の定番で…。
「お別れじゃないよ?…また会えるよ」
泣きそうになった私の顔を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が覗き込みます。
「だって、ぼくたち、仲間だもの。だから絶対、会えるってば」
「…うん…」
会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」とはこれから先も会えるでしょう。でもシャングリラ学園の生徒という立場で私たち7人グループがここに集まるのは今日が最後です。卒業後の進路も分かりませんし、みんなバラバラになっちゃうのかも…。
「おやおや。卒業もしない内から泣くのかい?」
クスクスと会長さんが笑い出しました。
「ぶるぅの部屋は消えやしないよ。卒業しても溜まり場にしていいんだからね」
またおいで、とウインクされましたけど、そんなチャンスがあるのかな?…あるといいな、と祈るような気持ちで私たちは影の生徒会室と呼ばれる部屋に別れを告げたのでした。
卒業式の日は朝から快晴。入学式は一人で来ちゃった私ですけど、今日はパパとママも一緒です。校門の前でジョミー君たちと待ち合わせをして、みんなで集合写真を撮って…パパたちは講堂の保護者席へ。私たちは別行動で講堂の方へ向かいましたが、あの人だかりはなんでしょう?校長先生の銅像がある辺りですよね。
「うーん、今年はこう来たか…」
「毎年、誰がやってんだろうな?」
生徒のみんなが囲んでいたのは校長先生の銅像でした。普段は威厳のある銅像ですけど、この変貌ぶりはいったい何事?派手な紅白縞の服を着せられ、頭にも紅白縞のトンガリ帽子。首から太鼓がぶら下がっていて、銅像の手には太鼓のバチが…。この格好って何処かで見たような…と思ったら。
『ペセトラ名物・くいだおれ太郎』
でかでかと文字が書かれた紙が銅像の台座に貼られていました。『シャングリラ学園・校長像』という銘板を隠す形でベッタリと…。像の周りで写真を撮ったり騒いだりしている生徒たちの話によると、この銅像は卒業式の度に変身しているらしいのです。去年は水戸黄門の像だったとか。
「おい…。この無駄に達筆な文字。見覚えがあると思わないか?」
キース君が小声で言いました。上質の紙に躍る『くいだおれ太郎』という毛筆の文字は確かに凄く見事です。墨の痕も黒々として、いかにも丁寧に書きました…っていう感じ。…ん?墨と筆とで丁寧に…?頭の中にフラッシュバックしたのは、立派な硯で墨を磨っていた会長さん。教頭先生に贈る紅白縞のトランクスを入れる熨斗袋の表書きのためだけに、やたらと手間をかけてましたっけ。
「…まさか、これ…」
ジョミー君が口をパクパクさせ、シロエ君が。
「会長さんの仕業…でしょうか?」
「多分な。この珍妙な服を作ったのはぶるぅだろう」
キース君の言葉に私たちは溜息をつき、くいだおれ人形と化した校長先生の像を見上げました。くいだおれ人形、正式名称『くいだおれ太郎』。ペセトラではちょっと知られたお店の看板人形です。食い倒れだけに「そるじゃぁ・ぶるぅ」がチョイスしたのか、はたまた会長さんの趣味なのか。…どっちにしてもお騒がせです。卒業式に来た父兄の人も見ていくんですし、こんなことしてていいんでしょうか?シャングリラ学園、つくづく懐が深すぎるような…。
校長先生の像をバックに記念写真を撮った私たちは講堂に入りました。1年A組とC組の生徒が待ち構えていて、更衣室に借りているという部屋へ引っ張って行かれて着替えです。この服だけは着たくなかった、と全身で訴えながら7人揃って卒業式の会場へ。私たちの席は3年生代表と並んで一番前の列でした。
「これより卒業式を行います」
教頭先生の渋い声が響き、壇上にはスーツ姿の先生方が。グレイブ先生、ブラウ先生、ゼル先生…。まりぃ先生も今日はカッチリとしたスーツです。校歌斉唱に続いて校長先生や来賓の挨拶があり、いよいよ卒業証書授与。まず3年生の代表二人が呼ばれました。壇上に上がってゆくのはチョンマゲ姿にキンキラキンの羽織袴のお侍と花魁です。花魁は素敵ですけど、キンキラキンの羽織袴って時代劇の悪代官にしか見えません。もっと渋い着物にすればよかったのに、と思いましたが…。
「テーマは、そちも悪よのぅ…だっけ?」
「よいではないか、じゃなかったか?」
3年生がヒソヒソと交わす会話で納得です。計算ずくっていうわけですね。…悪代官と花魁が校長先生から卒業証書を受け取って戻ってくると、今度は私たちの番。司会はもちろん教頭先生。
「続いて、特別生に卒業証書を授与します。1年A組、キース・アニアン」
立ち上がったのはゴジラでした。歩きにくそうに階段を上り、深々とお辞儀をして卒業証書を受け取ります。重い尻尾を引きずりながら降りてくるゴジラと入れ違いに上っていくのはガメラになったジョミー君。会場のあちこちでフラッシュが光り、ウケているのが分かりました。続いてマツカ君のトトロが登壇すると「可愛い~!」と女の子の声が上がったり。
「スウェナ・ダールトン!」
赤い彗星のシャアが颯爽と現れ、凄い拍手が鳴り響きます。わーん、次はとうとう私の番…。ダースベイダーのヘルメットとマスクはとても重くて、うっとおしくて。赤い彗星の方が楽だったよね、と会長さんを恨みながらも卒業証書を受け取りました。仮装の方に気をとられすぎて、一生一度の大事な場面で何の感慨も無かったというのは残念極まりないのですが。
「1年C組、サム・ヒューストン!」
黒い帽子に黒い服、長い金髪カツラの大柄なメーテルが壇に上がると、講堂中が爆笑しました。続いて現れたシロエ君の鉄郎とセットものだと分かった瞬間、笑いは拍手に変わります。脈絡が無かったA組よりもストーリー性があるのがポイントでしょうか。…でも、A組はあれでいいんです。5人組をテーマにされていたなら、特撮ヒーローか女の子向けの美少女戦士をやらされたかもしれませんから。
「以上で卒業証書の授与を終了いたします」
教頭先生が告げ、在校生からの送辞は永遠の3年生の会長さんが読み上げました。悪代官が答辞を読むと3年生の女の子たちがすすり泣く声が聞こえてきます。式を締め括る歌が流れる頃には、しゃくり上げる先輩も大勢いましたが…私は未だに卒業の意味がピンと来なくて、なんだか他人事のよう。この先の進路すら分からないせいか、特殊な人間になってしまうことが心に引っかかっているせいなのか…。
「これをもちまして卒業式をお開きとさせて頂きますが、最後に我が学園のマスコット、そるじゃぁ・ぶるぅが登場します。卒業する諸君の前途を祝して三本締めをいたしましょう」
壇上に土鍋が運ばれてきて、中から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出てきました。そういえば入学式でも三本締めがありましたっけ。校長先生が進み出て…。
「卒業生の皆さん、そるじゃぁ・ぶるぅとの三本締めには赤い手形の御利益があると言われています。皆さんの進む道がパーフェクトなものとなるよう、さあ、御一緒に。ヨーッ…」
「シャシャシャン、 シャシャシャン、 シャシャシャン 、シャン」
「ヨー、 シャシャシャン 、シャシャシャン、 シャシャシャン 、シャン」
「ヨー 、シャシャシャン、 シャシャシャン、 シャシャシャン、 シャン」
壇上の先生方と「そるじゃぁ・ぶるぅ」、そして会場中の人が景気よく両手を打って卒業式は終わりました。さようなら、1年A組のみんな。たった1年しかいられなかったけど、ありがとう…素敵で不思議なシャングリラ学園。
3年生はこの後、ホテルの宴会場に移って謝恩会でした。でも私たちは1年生ですし謝恩会なんかありません。代わりに7人組の全員と付き添いの家族で食事をすることが決まっています。会場はマツカ君のパパが手配してくれているので、制服に着替え終わった私たちが待ち合わせ場所の校門へ行こうと講堂を出ると…。
「ヨッ、かっこよかったぜ、みんな!」
ワッと声がして1年A組のクラスメイトが駆け寄ってきました。サム君とシロエ君はC組の子たちに囲まれています。
「お前たち、謝恩会に出られないだろ?だからさ、みんなで決めたんだ。A組とC組全員で謝恩会を開こうって」
「「「謝恩会!?」」」
思わぬ言葉に私たちは驚きました。謝恩会って卒業生がするものでは…。キース君がみんなにそう言いましたが。
「いいって、いいって!固いことは言いっこなし。今日の衣装と同じで前から計画してたんだしさ」
「先生方も了解済みだよ。今度の土曜日、来てくれるよな?」
「絶対、来てね!待ってるから!!」
我先に叫ぶみんなの中にはアルトちゃんとrちゃんも混ざっています。私たちのために謝恩会をしてくれるなんて、夢にも思っていませんでした。しかもA組とC組の生徒が合同で…。授業に支障が出ないようにと土曜日になったらしいです。出費を抑えるために会場はホテルやレストランではなくシャングリラ学園の食堂だとか。
「いいか、必ず7人揃って来てくれよ!先生方も呼ぶんだから」
「そうそう。旅行とかに出かけるにしても、ちょっと先延ばしに…って、それはマズイか」
キャンセル料を取られるよな、という声で一気に広がる不安そうな顔。
「いや。旅行の計画は誰も無いよな?」
キース君が私たちに尋ね、土曜日が空いていることを確認してから。
「大丈夫だ。せっかく計画してくれたんだし、俺は喜んで参加させてもらう。…みんなはどうだ?」
「「「行く!!!」」」
否と言う筈がありません。もう一度みんなに会えるんですもの。
「やったぁ、決まりだぜ!それじゃ、土曜な。時間とかはまた連絡するよ」
「待ってるね~!!」
賑やかな声に送られ、卒業証書を大事に持って私たちはパパやママの待つ校門へ歩いていきました。先生方の許可が下りているのなら、土曜日にはまだシャングリラ号は来ないのです。謝恩会に来たら会長さんにも会えるでしょうか?「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に寄って遊ぶ時間もあると嬉しいな。…卒業式は終わりましたけど、シャングリラ学園にまた来られるなんて…。土曜日までみんな元気でいてね~!
期末試験は終わりましたが、1年生と2年生は終業式まで平常授業。特例で卒業する私たちも、卒業式までは1年A組でみんなと一緒に授業です。今日は期末試験の結果の発表日。そして私たちが卒業することも発表されると家にお知らせが来ていました。やっぱり緊張してしまいます。
「諸君、おはよう」
グレイブ先生がいつものようにカツカツと靴音をさせて入ってきました。
「先日の期末試験だが、我がA組は学年1位を獲得した。諸君、1年間の全ての試験と競技で1位を取ってくれたことに感謝する。私にとっても実に素晴らしい1年だった。ありがとう」
みんなの歓声が上がります。グレイブ先生は更に続けて。
「そして、重大なお知らせがある。修学旅行を実施した時、この学年には1年で卒業する生徒がいると言ったのを覚えてくれているだろうか?…その生徒の名前が発表された。我がA組から5人、C組から2人が卒業する」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
教室中が大騒ぎの中、私たちの名前が読まれました。ああ、本当に卒業することになるんですね…。
「今、読み上げた生徒たちだが、卒業式までは平常どおり諸君と一緒に授業を受ける。彼らが楽しく過ごせるように、好奇心からの質問などは慎みたまえ」
はーい、と返事するみんなを眺めて、ちょっぴり寂しくなった時です。
「重大発表はもう1つある」
グレイブ先生が眼鏡をツイと押し上げました。
「ホワイトデーだ」
「「「ホワイトデー!?」」」
まるで次元の違う話に、みんなポカンとしています。特例で卒業する生徒がいるのは重大でしょうが、ホワイトデーの何処が重大なんでしょう。それともホワイトデーが違うのかな?バンレンタインデーと対の行事とは別物だとか?
「ホワイトデーと言えば3月14日だ。知らない筈はないと思うが」
グレイブ先生はコホンと咳払い。
「カレンダーに従うならば、卒業式の後にホワイトデーがやって来る。だが、我が校ではそれは許されないのだ。あれだけ盛大にバレンタインデーをやっておきながら、ホワイトデー無しで3年生を卒業させてはバランスが取れん。そこでシャングリラ学園では例年、カレンダーとは別にホワイトデーが設定される」
なんと!ホワイトデーを別の日にするですって!?ザワザワと皆が騒ぎ始めます。
「静粛に!…本年度のホワイトデーは卒業式の三日前だ。女子からチョコレートを貰った男子は必ずお礼をするように。たとえ義理チョコであったとしても、返礼をするという気持ちが大事だ。我が校は礼節を重んじる。…そうそう、友チョコはホワイトデーの対象外だから安心したまえ。なお、今回は罰則は無い。諸君の自主性を尊重しよう」
以上、と言ってグレイブ先生は教室を出てゆきました。繰上げホワイトデーとは驚きです。おかげで私たちの卒業のことは何処かへ吹っ飛んでしまい、賑やかな日常が戻ったのでした。
男の子たちが右往左往し、女の子たちが期待に胸を膨らませる内に、学園指定のホワイトデーがやって来て…。ダントツの数のチョコを貰った会長さんは朝一番から学校中を回っていました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」をお供に連れてチョコレートのお礼を配るのに大忙しです。
「…うちのクラスは最後かしら?」
スウェナちゃんが廊下の方を眺めています。ジョミー君たちからはお菓子や小物を貰いましたが、会長さんはまだ現れません。全校生徒がホワイトデーのプレゼント配達を終えるまで授業の開始時間は遅らせるのだと聞いています。会長さん、どの辺りにいるのでしょうね?アルトちゃんとrちゃんも廊下をしきりに気にしていました。
「…ごめん、ごめん、遅くなっちゃった」
会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒に入ってきたのは普段なら2時間目が終わろうかという頃でした。
「せっかくチョコレートやプレゼントをくれた子たちに、ただお返しを渡すだけ…っていうのは味気ないだろ?やっぱり色々話をしたいし」
そう言いながら会長さんはクラスメイトの女の子たちに小さな包みを渡していきます。みんなと言葉を交わしているので、普段から顔なじみのスウェナちゃんや私は後回しみたい。アルトちゃんとrちゃんも同じです。私たち4人は教室の隅っこに固まり、会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に持たせた袋から取り出した包みを配って回るのを見ていました。
「あ~、なんだかドキドキしちゃう」
rちゃんが祈るように両手を組んでいます。
「あの包み、何が入っているのかしら?きっと全員お揃いよね…」
「rちゃんとアルトちゃんのは特別なんじゃないかと思うわ」
スウェナちゃんが真剣な顔で言いました。
「二人とも普段から色々貰ってるもの。ホワイトデーみたいな特別な時に、みんな纏めて買いました…っていうプレゼントをするのは有り得ないでしょ?」
そうかなぁ、と心配顔のアルトちゃんとrちゃん。その間も会長さんは笑顔でプレゼントを配り続けて、とうとう私たちがいる教室の隅へ。
「お待たせ。自分の席で待っていればいいのに、こんな所に立ってるなんて…。でも、ぼくにとっては好都合かな」
会長さんはクラス中に配っていたのと同じ包みを取り出し、スウェナちゃんと私にくれました。
「はい、バレンタインデーのお返しだよ。中身はハンカチなんだけど…他のみんなに配ったのとは違うんだ。ぶるぅが編んだレースが縁についてるし、君たちの名前も刺繍してある」
特製だよ、と会長さんが言うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が得意そうに。
「あのね、みんなに配ってきたのはデパートで買ったヤツなんだ。みゆとスウェナの分はぼくの手作り♪」
開けてみて?と促されて包みを開くと綺麗なハンカチが出てきました。手編みレースの縁取りにアルファベットで刺繍してある私の名前。これは大事にしなくっちゃ!もったいなくて使えません。アルトちゃんとrちゃんも同じものを貰って大感激です。そこへ「そるじゃぁ・ぶるぅ」が私たちの袖を引っ張って…。
「ぼくもホワイトデーのプレゼント持ってきたんだよ。みんな、ぼくにもチョコレートくれてありがとう。でも、ぼく…いいプレゼント思いつかなくて…ただのクッキーになっちゃった」
はい、と渡されたのはベビーピンクのサテンで出来た袋の形のポーチでした。縛ってある紐を解くといろんな形のクッキーが詰まった袋が入っています。
「袋もぼくが作ったんだ。クッキーだけじゃプレゼントらしくないものね」
なんて可愛い発想でしょう。こういう場合はクッキーの方がオマケでは…。ポーチにはちゃんと『ぶるぅ』と刺繍がしてありますし、クッキーを食べてしまった後は小物を入れたりできそうです。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と会長さんにお礼の言葉を何度も繰り返しました。繰上げホワイトデーの行事はこれでおしまい。会長さんがプレゼントを配り終えたら、間もなく授業開始です…って、まだ何か?
「実はね、本当のプレゼントはこれじゃないんだ」
会長さんがアルトちゃんとrちゃんに声を潜めて囁きました。
「ここで渡したら目立っちゃうから、寮の方に送ってあるんだよ。ぼくの名前じゃまずいと思って、贈り主はフィシスにしてあるけれど」
え?フィシスさんの名前で贈り物…?目立つってことは、かさばるとか?
「君たちに似合いそうなのを選んで買ってみたんだ。…今度会う時に着ててくれると嬉しいな。大丈夫、ちゃんと普通のネグリジェだから」
ひえぇぇ!なんてものをプレゼントするんですか!?アルトちゃんとrちゃんは真っ赤です。他のクラスメイトに聞こえない場所だとはいえ、夜着を贈ったとサラッと言っちゃう会長さんは流石でした。シャングリラ・ジゴロ・ブルーの名前はやはりダテではないんですねぇ…。
「ふふ、ほっぺたが真っ赤だよ。そんな所も可愛くて好きさ。じゃあ、またね」
手を振って出て行く会長さんをアルトちゃんとrちゃんは目をハートにして見送っていました。
繰上げホワイトデーの放課後、私たちは例によって「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集合。キース君たちの部活が終わるまでレモンパイを食べながらおしゃべりです。こんな時間ともお別れの日が近いのかな…とは思いますけど、卒業式の日までの残り二日を楽しまなくちゃ。会長さんもそう言いましたし。
「卒業してからの君たちの進路は決まってないし、気楽にね。…卒業しても、シャングリラ号が迎えに来るまで好きに過ごしていいんだよ」
シャングリラ号がいつ来るのかは知りません。迎えに来たら何処へ行くのか、何があるのかも分かりません。卒業しないと教えて貰えないことなのかも…。やがてキース君たちが来て、レモンパイを一気に食べて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作った熱々のラーメンを啜り始めます。柔道部って本当にお腹が空くんですね。
「食べ終わったら、ぼくに付き合ってくれないかな?」
会長さんが意味ありげな微笑を浮かべ、私たちの心臓がドクンと音を立てました。このパターンには散々振り回されているんですから。
「…どこへ…?」
恐る恐る聞いたのはジョミー君。
「教頭先生の所だよ。…ぶるぅがシールドを張ってくれるから心配いらない」
「あんたの場合、シールドを張られた方が不安なんだが…?」
キース君が突っ込みを入れましたけど、会長さんは気に留めません。
「だって、ホワイトデーのプレゼントを貰いに行くんだよ?バレンタインデーの時も君たちはシールドの中でハーレイには姿を見られてないし、今回シールド無しっていうのはまずいじゃないか。第一、ハーレイに警戒される」
またまたロクでもないことを…と思いましたが、会長さんに逆らえる猛者がいる筈もなく。
「…結局、こうなってしまうのか…」
ボソリと呟くキース君。私たちはシールドの中に入って『見えないギャラリー』になり、会長さんの後ろに続いて教頭室へ行ったのでした。本館の奥の厚い扉を会長さんがノックして…。
「こんにちは、ハーレイ」
スルリと滑り込むのに遅れないよう、私たちが教頭室の中へ入ると扉はバタンと閉まりました。
「来てくれたのか、ブルー」
教頭先生がにこやかに微笑みます。
「バレンタインデーにチョコレートを貰ったからな…。貰いっぱなしでは悪いと思ってプレゼントを取りに来るよう連絡したが、なんといってもお前のことだ。無視されるかと諦め半分だった」
「くれるっていう物は貰うのがぼくの主義なんだ。…どうせなら可愛い女の子から貰いたいとは思うけどね」
クスクスと笑う会長さんに教頭先生が差し出したのはリボンがかかった平たい箱。
「開けてみてくれ。…お前に似合いそうだと思ってな」
「ふぅん?」
会長さんは教頭先生の机の上に箱を下ろすとリボンを解いて包装紙を外し、蓋を取って中身を広げました。それは真っ白なシルクオーガンジーに豪華なレースの縁取りがついた…とても大きなウェディング・ベール。マリアベールというヤツです。3メートルはありそうで幅もたっぷり。…会長さんに似合いそうだとか言ってましたけど、教頭先生、御乱心とか!?
「…これをぼくにどうしろと?」
「かぶって見せてくれると嬉しいんだが…。どうやらお前と結婚するのは無理そうだしな」
せめてベールをかぶった姿だけでも、と教頭先生は言いました。
「制服の上からでいいから、一度だけ頼む。後はフィシスにやってくれ」
「へえ…。珍しく強気なんだね。それともヤケクソ?…ずいぶん高そうなベールだけれど、ぼくはプレゼントを貰いに来たんで、ハーレイにサービスしに来ているわけじゃないんだよ」
「だからプレゼントだと言ったろう。…お前にやるから好きに使えと言っているんだ。ただ、その前に一目だけ…それを着けたお前を見られれば…」
そこまで言って教頭先生は深い吐息を吐き出します。
「バレンタインデーに悪戯とはいえ告白メッセージつきのチョコを貰ったから、私からもその手の悪戯を…と思ってみたが、やはり駄目だな。こういうのは向いてないらしい。…ブルー、それは箱に戻してくれ。欲しければ持って帰ればいいし、要らないのなら改めて別のものを…」
そっか、悪戯だったんですね。御乱心かと焦りましたが、よかった、よかった…って、会長さん!?
「…これでいい?」
フワッとベールが宙に広がり、会長さんの銀色の髪を覆って床まで長く垂れました。冬物の制服の上下を縁取るように流れ落ちるオーガンジーとレースのベールは妖しいほどに美しく、倒錯的で。「制服の上からでいい」という教頭先生の安易な考えが生み出した会長さんのベール姿は、下手なウェディング・ドレスを身に着けるよりも心を揺さぶる艶姿でした。
「…ブルー…」
教頭先生は魂を奪われたように会長さんに見とれています。ベールを纏った会長さんがクスッと小さく笑いました。
「涎が出そうな顔だよ、ハーレイ。よっぽどこれが見たかったんだね」
「ああ。…満足だ。ありがとう、ブルー…」
感慨をこめて答えた教頭先生は本当に幸せそうでした。結婚できないのならウェディング・ベールだけでもかぶせてみたい…って、悪戯にしても思いついたのは普段のヘタレ具合からすれば飛躍的な進歩です。この間のキスで自信がついたとか?ニンニクの素揚げつきでパワーたっぷりでしたしね。
それからしばらく二人の間に会話はなくて、教頭先生は会長さんを頬を緩めて見ていました。頭の中では会長さんと結婚式を挙げる妄想が流れていたかもしれません。私たちもシールドの中で無言のまま。やがて会長さんが口を開いて…。
「ねえ、ハーレイ。もしも…ぼくがハーレイと結婚するとしたら、どうしたい?」
「………?」
「どんな風にしたい?…シンプルなのか、ゴージャスなのか」
会長さんの質問の意味は私たちにもよく分かりません。ウェディング・ドレスのことか、それとも式のことなのか。教頭先生が答えられずに黙っていると、会長さんは言葉を変えて。
「質素なのと贅沢なのと、どっちが好きかと言ってるだ。ハーレイの価値観を聞いているんだよ。…どっち?」
うーん、結婚生活についてかな?価値観だっていうんですし。教頭先生は少し考えてから尋ねました。
「お前と一緒に暮らすとしたら…という質問か?質素倹約を旨として生活するか、贅沢三昧の暮らしをするか…。どちらなのかと聞いているのか?」
「さあね。…自分で考えてみたら?」
小首を傾げる会長さん。豪華なレースに縁取られた美貌の中で、赤い瞳が煌きます。教頭先生は会長さんを見つめ、思いの丈をぶつけるように。
「お前と結婚するというのは私の長年の夢なんだぞ?それが叶うのなら、苦労させるわけがないだろう?…贅沢三昧とはいかないまでも、私の力が及ぶ範囲でのんびり暮らして欲しいと思う。質素倹約しろとは言わん。お前には…幸せでいて欲しいからな」
「そうか。どっちかといえば贅沢なのがいいんだね?」
「贅沢とまではいかないが…。そんなに給料を貰ってないのは知ってるだろう」
教頭先生は苦笑しています。会長さんったら、結婚する気なんかまるで無いくせに、またからかって遊んでますよ。まぁ、教頭先生もまんざらではなさそうな顔をしてますけども。会長さんは悪戯っぽい笑みを浮べて、ベールの端を軽くつまんで。
「質素なのは好みじゃないってことは…。これがいいのかな?」
青い光が会長さんを包み、制服がドレスに変わりました。真珠の刺繍に細かいレース、長いトレーンの清楚で真っ白なウェディング・ドレス。親睦ダンスパーティーの時に目にしたあのドレスです。マリアベールとウェディング・ドレスを纏った会長さんは制服の時よりも遥かに華やかで輝いていて、まるで本物の花嫁のよう。
「ハーレイが見たかったのは…制服じゃなくてこっちだろう」
本当に結婚するんだったらウェディング・ドレスは必須だものね、と会長さんが微笑みます。
「でも、結婚はしてあげない。バレンタインデーの時に言っただろう?…ぼくの気が変わらない限り、ハーレイにチャンスは無いんだよ。だけどベールをプレゼントした度胸に免じて、ウェディング・ドレスを着てあげたんだ。こんな機会はもう無いだろうし、目と魂に焼き付けておけば?」
等身大の写真と違って本物だよ、と会長さんは優雅にクルリと回りました。長いベールとドレスのトレーンが乱れないのはサイオンを使っているのでしょうか?教頭先生の目は会長さんの動きに釘付けです。
「気に入ってくれた?…ちなみに質素なのがいいって答えた場合はね…」
フワリと青い光が広がり、マリアベールが翻って…会長さんの細い身体を覆っていたのは白ぴちアンダー。まりぃ先生の妄想から生まれた、ぴったりフィットの衣装でした。何も着ていないように見えるアンダーウェアと身体を縁取る純白のマリアベールが組み合わさると、どうしようもなくエロティックで。
「どう?…もしかして、これが一番好みとか?」
まりぃ先生のモデルをした時のように扇情的なポーズを会長さんがやってみせると、教頭先生は慌てた様子でティッシュを取り出し、鼻血を押さえにかかりました。白ぴちアンダーにマリアベールはちょっと刺激が強すぎたかも…。
「ほらね、やっぱり向いてない。慣れない悪戯なんかするからだよ」
青いサイオンの光の中で会長さんは制服姿に戻りました。マリアベールをくるくると畳み、元の箱の中に詰め込んでいます。
「ドレスは親睦ダンスパーティーで貰ったヤツで、さっきの服はまりぃ先生からの無断借用。どっちも見たことあるくせに…ベールもかぶせてみたかったくせに、鼻血を出しちゃうなんて情けないね。ベールがプレゼントだって言い出した時はヘタレが治ったのかと思ったんだけどな」
「……………」
教頭先生はまるで反論できません。その間に会長さんはベールを片付け、箱にきちんとリボンをかけて。
「それじゃ、このベールは貰っていくよ。早速フィシスにかぶらせてみよう。…ぼくよりもずっと似合うだろうし、ホワイトデーのプレゼントを渡すついでにそっとかぶせて…。ふふ、考えただけでドキドキする」
フィシスはぼくの女神だからね、とのろけてみせる会長さん。
「ハーレイもぼくばかり追いかけてないで、女神を探すべきだと思うな。釣書を書いてくれたらツテを当たってお見合いの口を探してあげる。…人には向き不向きってあるものね。ハーレイのヘタレ具合じゃ、ぼくとの結婚は全然向いて無さそうだし…女性の方が絶対いいよ。うん、それがいい」
会長さんは勝手に納得すると、ベールの箱を抱えました。
「ハーレイの結婚式には呼んでくれると嬉しいな。精一杯おめかしをして出席するから、お幸せに」
「…ちょっと待て、ブルー!」
教頭室を出て行こうとする会長さんに必死の声が追い縋ります。
「私は…私はお前だけしか…」
「甲斐性なし」
クルッと振り返った会長さんが投げた言葉は強烈でした。
「三百年以上も振られっぱなしの、寂しい独身人生だろう?…そういうのって甲斐性なしって言うんだよ。ハーレイがなんと言おうと、生徒はみんな思ってるさ。…教頭先生は結婚してくれる相手もいない憐れな中年男だ…ってね」
ズーン…と教頭先生が深く落ち込み、机の上に突っ伏しています。会長さんはクスクスと笑い、廊下に出るとパタンと扉を閉めました。そしてシールドの中の私たちに。
「ハーレイったら、秘かに気にしていたのかな?…一般生徒からの評価ってヤツ。でも、ぼくは本当のことを言っただけだし、悪いのはハーレイの方だろう?」
ねえ?と同意を求められても困ります。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ帰る道中、私たちの頭の中には会長さんが言い放った言葉が繰り返し木霊していました。甲斐性なしに寂しい独身人生、そして憐れな中年男。これが教頭先生の評価だとしたらキツイかも。せめて『独身主義のダンディーなおじさま』とか…って、『おじさま』と言った時点で中年認定しちゃってますね。教頭先生、心からお詫びを申し上げます…。
賑やかだったバレンタインデーが終わると期末試験がもうすぐです。1年A組の教室の一番後ろに机が増えて会長さんがやって来ましたが…。
「ぼくが君たちを助けてあげられるのは今回が最後。2年生ではクラス替えもあるし、ぼくが2年生のクラスに参加するとも限らないし…。次の試験からは自力で頑張ってもらうしかないんだけれど、今回から実力で勝負したいって子がいるんなら手を挙げて」
教室がシンと静まり返りました。会長さんに頼って学年1位を独占してきたA組ですけど、2年生に上がる時にはクラス替えがあるんです。会長さんが来てくれないクラスの生徒になってしまったら、努力しないと満点を取ることはできません。みんな心の底では薄々分かっていたのでしょう。でも、今回はまだ助けて欲しいですよね。手を挙げる人はいませんでした。
「分かった。じゃあ、今度もみんなで満点を取ろう。グレイブ先生の名誉のために」
「「「お願いします!!!」」」
一斉に叫ぶA組一同。2年生になった時のことは進級してから悩めばいい、と全員の顔に書いてあります。その中でアルトちゃんとrちゃんだけがストラップを手にして眺めていました。会長さんがプレゼントした「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形パワーが詰まったストラップ。卒業までの全ての試験を満点にするというアイテムです。アルトちゃんたちは2年生になるわけですけれど、私たちは…。ううん、卒業式はまだ先ですし、今はまだ…。
『それでいい』
会長さんの思念が届きました。
『まだ普通の生徒でいればいいんだよ。何も心配しなくていいから』
ジョミー君たちにも同じメッセージが届いたみたい。キース君、マツカ君、スウェナちゃん。みんな一緒に卒業しようね、と目配せしあって小さな合図。あ、教室の扉が開いてグレイブ先生の登場です。
「諸君、おはよう。期末試験がもう目前だ。我がA組は今度も1位を取ってくれると思っていいかね?」
「「「はい!!!」」」
元気のいい返事にグレイブ先生は満足そう。
「それでこそ私の自慢の生徒たちだ。ブルー、お前には色々な目に遭わされてきたが、1位の件では感謝している。今回も皆をよろしく頼む」
会長さんが頷き、クラスのみんなは大歓声。それから期末試験までの数日間、会長さんは殆どの時間を保健室で過ごしました。まりぃ先生、会長さんと「あ~んなことや、こ~んなこと」に明け暮れていても、妄想イラストをせっせと描いているのでしょうね。そして五日間の期末試験が始まり、アッという間に終わってしまって。
「やったぁ、晴れて自由の身だぜ!!」
男の子たちが歓声を上げ、女の子たちはパチパチと拍手。終礼に現れたグレイブ先生は「あんまり羽目を外さないように」と注意しただけで、いつもよりずっとにこやかでした。
「終わっちゃったね…」
ジョミー君がポツリと呟きます。影の生徒会室こと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集まった私たち7人組は、クラスメイトのみんなのように遊びに飛び出す気になれません。『卒業』という二文字が現実のものとして迫ってきているのですから。
「…俺、実は面接を受けたんだ」
キース君が言い、私たちは息を飲みました。面接って…もしかして、卒業を見越しての就職試験?
「すげえや、キース!俺、先のことなんか考えてなかった…」
サム君が感嘆の声を上げ、シロエ君も。
「やっぱりさすが先輩ですよね。…先輩から1本取ってやる、なんて言ってましたけど…ぼくなんか、まだまだダメみたいです。進路を決めなくちゃいけないだなんて、全然気付きませんでした」
ぼくも、私も…と言い合っていると、割って入ったのは会長さん。
「落ち着いて。みんながウッカリしてたんじゃないよ。進路のことで悩まないよう、ぼくが意識の一部をブロックしてた。君たちは普通の人間とは違う時間を生きるんだから、うかつに就職や進学を決めてしまうと大変だしね。…でもキースにはそれが通用しなかったんだ。よっぽど意思が強いらしい」
そっか、それならいいんです。一瞬、焦ってしまいましたよ。卒業のことばかり考えていて、その先まで頭が回ってなかったんですから。会長さんの口ぶりだと、心配しなくていいみたい。そういえば学校に残ってもいいって聞きましたっけ。
「…キース、就職するんですか?」
マツカ君が尋ねると…。
「いや、俺は進学希望なんだ」
「「「進学!?」」」
私たちはビックリ仰天です。キース君は無遅刻無欠席。いつの間に受験したんでしょう?ひょっとしてシャングリラ学園の入試でお休みだった間のことかな…。
「先輩、入試シーズンはずっと登校してたじゃないですか。うちの学校の入試で休みの時には上の学校の入試なんか無かった筈ですよ。…田舎の三流校の試験日程は知りませんけど、そんな所には行かないでしょう?」
シロエ君が首を傾げます。キース君は「確かにな」と苦笑い。
「…俺は試験は免除なんだ。面接だけで決まる枠がある。面接は土曜だったから休まずに済んだ」
「それって柔道のスポーツ推薦?」
好奇心一杯のジョミー君。なるほど、スポーツ推薦だったら試験免除もアリですよねぇ。
「残念ながら柔道じゃない。…俺は宗門校の推薦入学枠を使ったんだ」
「「「しゅうもんこう!?」」」
初めて耳にする単語でした。宗門校って、いったい何?
「…キースの家と同じ宗派のお寺が経営している学校だよ」
会長さんがクスクスと笑いながら教えてくれました。
「キースは元老寺の跡取りだろう?…宗門校にはお寺の跡継ぎを優先的に入学させてくれる枠があるのさ」
「じゃあ、キース…お前、本気で坊主になるのかよ?」
サム君に聞かれたキース君は「そのつもりだ」と答えました。
「面接といっても形だけだし、じきに入学許可が出る。緋の衣に早く辿り着くには宗門校が早道なんだ」
へえ…。会長さんの緋色の衣がキース君の進路を決めたんですね。キース君は進学するとして、私たちはどうすればいいんでしょう?宇宙クジラと同じ名前の学校からは何の音沙汰もありませんが…。
「進路のことは卒業してからでいいんだよ」
そう言って会長さんがソファから立ち上がりました。
「期末試験も終わったことだし、打ち上げに行こう。ぶるぅ、予約してくれたんだよね?」
「うん!…いつもの焼肉のお店。ちゃんと個室を頼んでおいたよ」
「やったぁ!」
ジョミー君の明るい声が響いて、私たちも気分が上向きに。打ち上げパーティーはいつも楽しいですし、きっと気持ちもスッキリしますよ!
「そるじゃぁ・ぶるぅ」御用達の高級焼肉店に出かける前に会長さんが向かった先は、お決まりの教頭室でした。重厚な扉をノックして「失礼します」と入っていくと、教頭先生は心得たように机の引き出しから熨斗袋を…。
「ブルー、今度は多めに入れておいたぞ。今年度最後の試験だったし、好きなだけ食べてくるといい」
足りなかったらツケにしてくるように、と気前よく言う教頭先生。ところが会長さんは熨斗袋を受け取ろうとせず、柔らかな笑みを浮べました。
「ありがとう、ハーレイ。…でも、今日はハーレイも一緒にどうかと思って。…よければ…だけど」
もうすぐみんな正式に仲間になるんだから、と会長さんは続けます。
「この子たちがハーレイのことを教頭先生と呼ぶのは、これが最後かもしれないんだよ?キャプテンって呼ぶことになったら自然と距離が開くよね…。そうなる前に、もう一度みんなで遊びたくって。マツカの別荘の時みたいに」
「…そうか…。確かに最後になるかもしれないな…」
教頭先生は「分かった」と頷き、テキパキと仕事を済ませて教頭室に鍵をかけました。それから事務局に行って帰宅すると告げ、私たちとタクシーに分乗して「そるじゃぁ・ぶるぅ」が予約したお店へ。畳敷きの個室で焼肉を食べ始めると雰囲気はすっかり和やかに…。
「そうか、キースは坊主になるのか」
キース君の進路を聞いた教頭先生は意外そうです。
「柔道を極めるのかと思っていたが、そっちの方はどうするんだ。オリンピックを狙っていたんじゃないのか?」
「それはシロエです。俺はオリンピックまでは思っていませんでしたし、この先、年を取らないんだったらオリンピックなんて夢じゃないですか。…ああいう世界は厳しそうです」
言われてみれば、年を取らないスポーツ選手って反則かも。いつまでも体力が落ちないんですし、練習を積めば積むほど上達するのは当然ですもの。けれど教頭先生は…。
「いや、あと数年なら誤魔化せるぞ?その間にオリンピックが開催されるし、出たいのならば指導しよう。教え子が出場するのは嬉しいしな」
「本当ですか!?…あ、でも…俺、別の学校に行くわけですし…」
「その辺の所は何とでもなるぞ?なんといってもシャングリラ学園だからな」
わっはっは、と教頭先生が笑いました。他の学校に行っても部活に来ていいだなんて、太っ腹な学校です。卒業しても生徒のままでいられたり…何でもありだな、なんて思っていると。
「失礼いたします」
女性の店員さんが御銚子とお猪口を持ってきました。えっ、お酒なんか誰が注文を?教頭先生は「今日は飲まない」って最初に言ってましたし、ひょっとして「そるじゃぁ・ぶるぅ」でしょうか。前にチューハイを勝手に注文して飲んで、寝ちゃったことがありましたっけ。
「酒は注文してないぞ。…隣と間違えたんじゃないのか?」
教頭先生が言うと、店員さんが。
「お隣のお部屋の方の御注文です。こちらにおいでのハーレイ先生にお届けしてくれ、とおっしゃいましたが」
「私にか?…なんという人だ?」
「後で御挨拶に伺うから、お気になさらず…とのことでした。お名前もお伝えしなくていい、とおっしゃっています」
「ふむ…」
誰だろう、と首を傾げる教頭先生の前にお銚子とお猪口を置いて店員さんは出て行ってしまいます。「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお銚子を見て残念そうに。
「ぼく、チューハイがよかったなぁ…」
「こら!教師が一緒の時に飲酒するのはやめてくれ。…私の指導力が問われるんだぞ」
警察が来たらどうするんだ、と教頭先生。確かにとんでもないことになりそうです。本当の年が分かれば問題ないのかもしれませんけど、見た目は小さな子供ですもの。教頭先生は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手が届かない所へお銚子を置き、また「誰だろう?」と呟きます。会長さんがお猪口を取って。
「きっとハーレイの知り合いだよ。教師生活、長いもんねえ」
年寄りだし、とクスクス笑ってお銚子に手を伸ばそうとするのを教頭先生が止めました。
「ブルー、お前は飲まなくていい!警察が来たらマズイんだぞ」
「うん、ハーレイの立場がね…って、ケチ!」
教頭先生がお銚子の中身を空になったお皿に流してしまうのを見て会長さんは不満そう。そんなやり取りもありましたけど、焼肉パーティーは順調に進み、美味しいお肉を沢山食べてお腹いっぱい。でもデザートは別腹です。みんなが好みのシャーベットやフルーツなどを頼んで食べ始めた時、個室の扉がスッと開いて…。
「こんばんは」
お銚子を持って入ってきたのは、いつかのドクター・ノルディでした。
「「ノルディ!?」」
教頭先生と会長さんの声が重なり、会長さんは逃げ腰です。ドクターはニヤリと笑って扉を閉めると、丁寧な口調で挨拶しました。
「今日は医者同士で来てたんですがね…。偶然、隣の部屋になりまして。先程お銚子をお届けさせて頂きましたが、うちの方はこれから二次会に行くということなので、御挨拶に上がりました」
「そうなのか。…それは御丁寧に」
早く帰れ、と教頭先生の目が言っています。先日の騒ぎは忘れていない、ということでしょう。会長さんを食べようとしたドクターをかなり恨んでいそうです。ところがドクターは帰るどころか、ズカズカと部屋に入り込んできて会長さんの肩に手を回しました。
「飲みませんか、ブルー?…いけるクチでしょう」
「…君のお酒は飲みたくないね」
プイ、と顔をそむける会長さん。ドクターはチッと舌打ちをして。
「相変わらず気が強いことで。…だが、そこも気に入っているのですよ。隣の部屋にいても、あなたがいるのは分かりました。…そのくらい、あなたに惹かれているというわけですが…無視するのですか?」
嫌そうにしている会長さんを捕まえたままのドクターの手を教頭先生が引き剥がしました。
「いい加減にしないか、ノルディ。…二次会に行くのだろう?」
「行きませんよ。あちらの方は断りました」
せっかくブルーを見つけたんですから、とドクターは不敵に笑っています。会長さんに気付いた理由はお店の人が出入りする時にたまたま前を通りかかって、中の声が聞こえたからなのだとか。
「こんなに大勢で騒いでいても、ブルーの声だけは間違えませんね。…私好みの声なんです。この間は逃げられてしまいましたが、いつか私の思いのままに鳴かせてみたいと思っていますよ」
ひゃああ!な、鳴かせるって…きっとロクでもない意味ですよね?会長さんの顔がサーッと青ざめましたもの。教頭先生が不快そうな声で。
「…ブルーが嫌がっているようだが?ここに居られては迷惑だ」
「おや。いいんですか、そんなことをおっしゃって。…先日ブルーを見逃した時、確かに言った筈ですよ。お楽しみはまた次の機会に…と。今夜はチャンスだと思いましたが」
条件はクリア済みですからね、とドクターの視線は会長さんを舐めるよう。あれってチャラになったんじゃなかったんですか!?会長さんは身体を震わせ、縋るような目で教頭先生を見ています。この面子の中でドクターに対抗できそうなのは教頭先生しかありません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に至っては全く意味が分かっていなくてニコニコしているだけなんです。
「…ハーレイ…」
助けてくれ、とは言えないらしい会長さん。そりゃあ日頃あれだけ悪戯してれば、都合のいいお願いなんかできません。でも教頭先生には会長さんの気持ちが十分通じていたようです。
「ノルディ。…ブルーに手出しは許さん。今夜がチャンスだとか言っていたな。ならば私を酔い潰してみろ」
「なんですって?」
「今夜のブルーの保護者は私だ。もしも私を酔い潰せたら、後のことは好きにしろ。…もっとも、ブルーにはこの子たちもついているから、酒が入ったお前の手から逃げ出すくらいは出来ると思うぞ」
「…いいでしょう。受けて立ちますとも」
ドクターが頷き、教頭先生はお店の人にお銚子をどんどん持って来るよう言いました。私たちはハラハラしながら見ているばかり。会長さんはドクターから一番離れた部屋の隅っこに退避しています。
「だ、大丈夫かな…」
ジョミー君が小声で言うと、キース君が。
「みんな、今の間に家に連絡した方がいいぞ。今夜は遅くなります、って」
「そ、そうだね。…遅くなりそうだよね」
私たちは少し相談してから、会長さんの家に来ているという嘘のメールを家に送っておきました。教頭先生とドクターの飲み比べに付き合って焼肉店にいるなんてこと、正直に書くのはマズイですものね。
「ブルーは貰って帰りますよ。あなたさえ潰れてしまえば、後は思いのままですからね」
ドクターがお銚子を傾けながら会長さんをチラチラ眺めています。
「あなたと違って私は腕に覚えがありますし…。キスだけでブルーを酔わせるくらい簡単です。とろんとなってしまったブルーを私の家に連れて帰って…。ふふふ、今夜は楽しい夜になりそうですよ」
「そうはさせん。…私は酒には自信がある」
教頭先生はそう言っただけで黙々とお酒を飲み続けます。同じペースで飲むドクターはどんどん饒舌になり、伏字でしか書けないようなセリフを連発しまくって会長さんを怯えさせていたかと思うと、突然バタリと倒れ伏して。
「ぐおーーーっっっ!!」
凄いイビキが響きました。天然パーマの頭を「そるじゃぁ・ぶるぅ」がツンツンつつき、髪の毛を引っ張りましたが何の反応もありません。教頭先生はホーッと大きな溜息をつき、赤らんだ顔をおしぼりで拭いました。
「ふぅ…。なんとか勝てたようだな…。誰か、店の人を呼んでくれ」
男の店員さんが二人がかりで寝ているドクターを抱え、教頭先生がタクシーの手配を頼んでいます。ドクターの家へ運ぶようですが、あんな状態で家に入れるでしょうか?外で寝ちゃったら凍死しますし、私たちが心配そうに見送っていると…。
「大丈夫だ。ノルディの家には使用人がいるからな」
あれでも一応金持ちだから、と教頭先生が教えてくれました。
「ブルー、これで今夜は安心だろう?…ノルディには…気をつけるんだぞ…」
フラッと教頭先生の身体が揺れて。
「…ははは…。いかんな、さすがに飲みすぎたようだ…」
少し横にならせてくれ、と畳に仰向けになった教頭先生はすぐにイビキをかき始めます。えっと…もうかなり遅いんですけど、私たち、これからどうしたら…。
「ぼくが起こすよ」
会長さんがスッと教頭先生の上にかがみ込み、ゆっくりと唇を重ねました。
「「「!!!!!」」」
私たちの声にならない悲鳴が響く中、教頭先生の瞼がピクンと震え、会長さんが離れます。
「……ん……うん……」
教頭先生は何回か瞬きをして目を開けました。会長さんがニコッと笑って。
「サイオンを注ぎ込んだんだ。人工呼吸の要領だよ。これで酔いは醒める。…本当は手を触れるだけでいいんだけれど、ハーレイは頑張ってくれたから…お礼のキス。ついでにキスした証拠のオマケ」
「「「オマケ?」」」
それって何!?と思った次の瞬間、起き上がろうとした教頭先生の目が見開かれ、口をモゴモゴ動かしています。どうやら口の中が一杯みたい。
「ふふ、ニンニクの素揚げを丸ごと。…調理場から瞬間移動させてきたのを口移し。どう、ハーレイ?美味しいだろう」
ぼくがキスした証拠だよ、と得意げに言う会長さん。でも酔っ払って爆睡していた教頭先生にキスの記憶があるわけなくて、口の中にニンニクの素揚げがゴロンと入っているだけで。やっと起き上がってニンニクをもぐもぐと頬張りながら、教頭先生は複雑な顔をしていました。本当に会長さんがキスをしたのか、ニンニクを放り込まれただけなのか…分からないんじゃ無理ないですよね。
「せっかくキスしてあげたのに…ぼくを信じてくれないんだ?」
会長さんがクスッと笑って教頭先生の額に手を触れて。
「…はい、これがジョミーの見ていたもの。これがキースで、これが…」
教頭先生の顔がみるみる真っ赤になって、鼻からツーッと赤い筋が。私たちの記憶を注ぎ込まれて、キスシーンをいろんな角度から再現されてしまったのでしょう。おしぼりで鼻を押さえる教頭先生の口の中にはまだニンニクが残っていました。会長さんが「はい、ティッシュ。鼻に詰めないと帰れないよね」とポケットティッシュを手渡します。
「ありがとう、ハーレイ…身体を張って助けてくれて。キスは本当にお礼なんだよ」
意識がある時にしてあげようとは思わないけど、と付け加えてから。
「…ふふ、ニンニクの素揚げ、忘れられない食べ物になった?まさか初めてのキスってことはないよね」
クスクスクス。会長さんは耳まで赤くなった教頭先生にウインクしながら、私たちに声をかけました。
「ごめん、すっかり遅くなっちゃったね。お店を出たら、ぼくとぶるぅで家の前まで瞬間移動で送るから。…とんだ打ち上げパーティーだったな」
ノルディさえ乱入しなければ…と文句を言いつつ、会長さんは楽しそうです。本当に喉元過ぎれば熱さ忘れる、の典型みたい。ドクターを見て青ざめたくせに、そのドクターがいなくなったら教頭先生をいつもどおりにからかって…とうとうキスまでしちゃいましたよ、ニンニク味の!
「じゃあ、帰ろうか。ハーレイ、お会計はよろしく頼むね」
両方の鼻にティッシュを詰めた教頭先生を部屋に残して、私たちはお店の外に出ました。夜空から風花が舞い落ちてきます。その奥へ、と言われて路地に入ると会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瞬間移動でスウェナちゃんを一番に送り、私は二番目。青い光に包まれた…と思ったら家の前でした。まだ午前様にはなっていません。パパ、ママ、遅くなっちゃってごめんなさ~い!