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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(ふうむ…)
 そろそろか、とハーレイは鏡の向こうの自分を眺めた。
 風呂から上がってパジャマ姿での歯磨き中。傍目には分かりにくいが、髪の切り時。
(…確か、この前に行ったのが…)
 時期的にもそういう頃合いだな、と自分の目には「伸びた」と映る髪を鏡でチェックする。更に歯磨きを終えた後、両手の指を突っ込んでみて切り時であると確信した。多少伸びても問題の無い髪型だったが、ハーレイ自身が落ち着かない。
(…こいつは俺の性分ってヤツか)
 シャングリラに居た頃からそうだったな、と苦笑した。
 外見の年齢を止めていても髪は伸びてゆくから、いつも散髪を得意とするクルーに頼んだ。仲間たちの数が多かっただけに、散髪係と呼んでも支障は無かったと思う。ソルジャー・ブルーの髪もキャプテンだったハーレイの髪もカットしていた男性クルー。
(最後まで世話になったっけなあ…)
 外見は若いミュウだったけれど、礼儀正しくて好感が持てた。
 人類側との会談のために地球に降りる前にもカットして貰って、サッパリした気分で出発したと今でも鮮やかに思い出せる。ブルーが逝ってしまった後は機械的に通っていただけの場所へ、あの日だけは昂揚したとでも言おうか、自分の意志で向かった記憶。
 この会談で全てが終わると、ブルーに託された自分の役目は地球で終わると確信していた。役目さえ終えれば自由になれる。キャプテンの任を辞し、ブルーの許へと行くことが出来る。
 人生の大きな節目だから、と髪を整えて会談に臨むことにした。キャプテンを辞すまでにはまだ何回か髪を切らねばならないだろうが、此処でも切っておくべきだ、と。



(…最後の散髪になるかもしれん、と覚悟だけはしていたんだが…)
 本当に最後になっちまったな、と遠く過ぎ去った日を思い返した。
 人類側がメギドを持ち出して来た時には死を覚悟したが、何基ものメギドは発射直前に停止し、無事に地球へと降りることが出来た。
 荒廃した死の星だったけれども、地球は地球。
 其処での会談に漕ぎ付けたからには、生きてシャングリラに戻れる可能性も半分はあるだろうと思っていたのに、待っていたものは予想だにしなかった最期。
 覚悟していた暗殺ではなく、グランド・マザーの崩壊に巻き込まれての地の底での死。
 それでも、崩れ落ちて来る天井の下で「これで行ける」と心が解き放たれるような気がした。
 メギドで逝ってしまったブルーの所へ旅立てるのだと、この身体はもう要らないのだと。
(…散髪しといて良かったな、とまでは流石に考えなかったがなあ…)
 そこまでの心の余裕は無かった。
 だが結果的に、カットしたばかりのスッキリした髪でブルーの許へと行くことになった。
(あいつは気付いてくれたんだろうか、俺の髪に)
 「凄いね、髪まで切ってきたんだ」と前の俺に言ってくれたんだかなあ…。
 それとも死んじまった後には髪型ってヤツは整ってるのが普通で、俺が散髪に行ったかどうかは全く関係無かっただろうか?
 俺もブルーも死んだ後の記憶が全く無いから、こいつは確認出来ないなあ…。



 つらつらと考え事をしていたハーレイだったが、今の自分の髪が伸びたことは事実。出来るだけ早く切りに行かねば、と頭の中で段取りを付けた。
 行くなら、ブルーの家に寄るのに支障が出ないよう、仕事が遅くなりそうな日に。
 仕事帰りに寄れば夕食を用意してくれるブルーの母。彼女が夕食の支度をするのに充分な時間がある日しかブルーの家には寄らない。
 ブルーの家に行くには些か遅い日であっても、行きつけの理髪店は夜までやっているから、仕事帰りでもフラリと行ける。
 特に予約の要る店ではなく、待たされることも滅多に無いし…。
(よし、明日あたり、帰りに寄るとするか)
 明日は放課後に会議があるから、長引けばブルーの家には行けない。会議が終わった時間次第で決めることにしよう、と頭の中のメモに書き込んだ。



 翌日の会議は予定の時間を少しだけオーバーしての閉会。ブルーの家に寄れないこともなかったけれども、此処は散髪を優先すべきだ、とハーレイは決めた。
 車を運転しての帰り道、家の近くで別の角を曲がって、いつもの店の隣の小さな駐車場へ。車を降りて向かった理髪店は若人向けのお洒落な構えではなくて、落ち着いた雰囲気を醸し出す店。
 柔らかな照明と、木材を多用した内装と。
 理髪店だから店内は明るくはあるが、シャングリラに在ったキャプテンの部屋に似ているのだと記憶が戻った後で気付いた。この町に家を買って貰って移り住んだ時からの行きつけの店。
(前世の記憶ってヤツは、戻る前から影響するのかもしれないなあ…)
 店の佇まいに惹かれて入ったのが最初。それ以来、この店一本槍。
 店主が初老の紳士であることも気に入っていた。理髪店や美容院は見た目が若い者が多い職業。それが好まれる世界だったが、ハーレイは年配の店主が好みだ。
 ハーレイも、ハーレイの両親も、ごく最近まで外見の年齢を止めてはいなかった。ブルーと再会したことを切っ掛けに止めたけれども、そうでなければ更に年齢を重ねるつもりでいた。
 そんなハーレイだから、初老の店主が一目で気に入ったのだけれど。店主の姿は初めてこの店に入った時から変わっていない。実際の年齢は百をとっくに超えているそうで…。



「いらっしゃいませ!」
 自動ではない、重い木製の扉を開けて入ると店主の笑顔。先客は誰も居なかった。
 愛想よく椅子に案内してくれた店主は、背後に立って鏡に映るハーレイに呼び掛ける。
「いつもの通りですか?」
「ええ、いつも通りでお願いします」
「かしこまりました」
 サッとカット用の理髪マントをハーレイの肩に掛けて広げて、髪の伸び具合を調べながら。
「この髪型も長いですねえ…」
 何年くらいになりますかねえ?
 ああ、今日のカットは一センチといった所でしょうかね、少し伸びたという感じですね。
「ずっとこの髪型でお願いしたいと思うのですが…」
「少し前から仰ってますね、恋人でもお出来になったんで?」
「は?」
 思いもよらない問いに、ハーレイは途惑ったのだけれども。
「分かりますとも、もう年齢を止めていらっしゃる。それで髪型も同じとくれば…」
 髪に櫛を入れ、ハサミを取り出す店主に、鏡を見ながら尋ねてみた。
「…分かりますか? この外見では数年くらいは誰も気付かないと思ったんですが…」
「この年ですしね、分かりますよ」
 それと職業柄でしょうか、と店主は答えた。
 客の外見には敏感なのだと、でなければ一人前とは言えないと。
 同じ客でも体重の増減で変わったりするし、それに合わせて仕上げてこその理容師なのだと。



 ハーレイが年齢を止めていることを見破った店主は、恋人が出来たことまでお見通しで。
 敵わないな、と苦笑いするハーレイの髪を手際よく切りながら問い掛けてくる。
「その方もお好きなんですか? この髪型が?」
「ええ、まあ…」
 髪型を変えたら小さなブルーは怒るだろうな、とハーレイは愛らしい恋人を思い浮かべた。
 ブルーにとってはハーレイの髪型は今ので当然、他のなど考えもしないだろう。
 前の生からこれであったし、再会した時もこの髪だったし…。
「キャプテン・ハーレイ風ですねえ」
 タイミングよく言われた言葉にドキリとしたが、元は店主が勧めた髪型だったと思い出す。
 青年という形容詞が似合わなくなって来た頃に「如何ですか?」と訊かれたのだった。
「そうです、キャプテン・ハーレイ風です。どうやら気に入って貰えたようで」
「それは良かった。お勧めした甲斐がありましたよ」
 お客様がこれでモテなかったら責任を感じてしまいますしね。
 きっとお似合いになりますよ、とお勧めしたのは私ですからねえ…。



 店主はハサミを使いながら実に嬉しそうに。
「で、可愛らしい方ですか?」
「え、ええ…」
 可愛らしいことだけは間違いないな、とハーレイは心の中でも頷いた。
 ブルーは整った顔立ちではあるが、美人と呼ぶにはまだ幼い。「可愛らしい」が相応しい。
「まだお若いとか?」
「はい」
 若いどころの騒ぎではない、十四歳にしかならない恋人。
 結婚出来る年齢である十八歳にさえ届いてはいない、小さなブルー。
「では、ご結婚はまだ…」
「かなり先のことになりそうです」
「そうでしょうねえ、お若い方なら色々とやりたいこともおありでしょうし」
 まだまだ遊びたいお年頃でしょうねえ、と店主の目が幼子を見守るかのように細められる。
(そうじゃないんだが…)
 ブルーにはやりたいことなど何も無いんだが、と思いつつも相槌を打っておいた。
 まさか十四歳の子供が結婚を夢見て待ち焦がれているとは、誰一人として思うまい。
 おまけに女性ではなくて少年。
 きっと予想も付かないだろう、と考えたのに。



「出来ればその方の髪も切ってみたいですねえ…」
「は?」
 予想だにしない台詞を聞かされ、ハーレイは口をポカンと開けた。
(な、なんで男だとバレたんだ?)
 思念は漏らしていないと思う。
 ガードの堅さは前の生から自信があったし、防御に優れたタイプ・グリーンでもある。前世ではハーレイの心を読める者と言ったらブルーだけしか居なかったのだが…。
(まさかタイプ・ブルーだったのか!?)
 それで色々と見抜かれたのか、と鏡の中の店主をまじまじと見れば、背後から笑いを含んだ声が聞こえた。
「ご存じなかったんですか? うちには女性もいらっしゃいますよ」
 常連さんも何人かおいでなんですが、お会いになられたことは……無かったですかねえ?
「あ、ああ…。一度も無いですね」
 恐らく時間帯が違うのだろう。女性客を見かけたことは無かった。冷静に考えてみれば、美容院よりも理髪店を好む女性は少なくないと聞くし、この店ならば好まれそうだ。
(なんだ、そういうオチだったのか…)
 恋人が男だとバレたわけでも何でもなかった。
 けれどブルーを自慢してみたい気持ちが湧き上がってくる。
 今は幼いが、いつか美しく気高く育つであろう、前の生からの大切な恋人。
 店主の人柄は分かっているから、男性の恋人を連れて来たとしても歓迎されるに違いないし…。



 暫し思いを巡らせてから、「そうですね…」と口にした。
「嫌がらないようでしたら、連れて来てみます。何年も先のことになりますが…」
「ええ、是非。…ショートカットがお好きな方だといいんですがね」
「はあ?」
 どうしてショートカットだなどと言うのか。
 幸か不幸か、小さなブルーの髪は短く、今後も伸ばさないだろうとは思う。ロングヘアになったブルーなど想像も出来はしないし、前のブルーも出会った時から最後まで同じ髪型で…。
 しかし何故、と鏡の店主を覗き込んでいると。
「いえ、ソルジャー・ブルー風の髪型ですと、二人お並びになればお似合いかな、と」
 とんでもない台詞が店主の口から飛び出した。
 よりにもよってハーレイの恋人をソルジャー・ブルー風の髪型にしてみたいらしい店主。並べば似合うと言われても…。
(な、なんでバレたんだ、俺たちの仲が!)
 前の生での仲はひた隠しに隠して、隠し続けた。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが恋仲だったことは誰も知らない。今に至るまでもバレてはいないし、そういった噂すらも無い。
 酷く驚いたハーレイだけれど、よく考えてみれば店主が知っている筈が無かった。
(…単に並べてみたいだけだな)
 そうに違いない、と納得する。
 前の生での自分たちが並んだ写真は多く残るし、ハーレイはキャプテン・ハーレイに瓜二つ。
 キャプテン・ハーレイ風の髪型を勧めた店主ならではの発想だろう、と結論付けて。



「はあ…。キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーが並ぶ……のですか?」
 それは私が尻に敷かれそうな…。
 ソルジャー・ブルーはキャプテン・ハーレイよりも立場がずっと上なんですから。
「…そうですかねえ?」
 私はそうは思いませんが、と店主は鏡の向こうで首を傾げた。
「深い信頼関係が築かれた、いい二人のように見えますがねえ…」
 互いが互いを立てているような。
 どちらが欠けても絵にならないような、そんな感じがするんですがねえ…。
「そうですか?」
 ハーレイが訊くと「そうですとも」と自信に満ちた答えが返った。
「実は私、密かにファンでしてね」
「ど、どちらの?」
 思わず声が裏返りそうになったハーレイに、店主は鏡の中で片目を瞑ってみせた。
「もちろん、キャプテン・ハーレイですよ」
 航宙日誌も全巻、揃えています。
 いつかは研究者向けの、文字をそのまま再現したのも揃えたいと思っているんですよ。
 ファンなら欲しいじゃないですか。
 キャプテン・ハーレイが羽根ペンで綴ったという筆跡そのままの航宙日誌。



(し、知らなかった…)
 今の今まで知らなかった、とハーレイは店主の知られざる趣味に愕然としたが、店主はそれとは気付かないのか、はたまた趣味を披露する好機と捉えたか。
 ハーレイの髪にハサミを入れつつ、店主は心浮き立つ様子で。
「いやもう、うちの店に初めていらっしゃった時には嬉しかったですねえ…」
 若き日のキャプテン・ハーレイですよ。
 そのまんまの姿形で扉を開けて入ってらっしゃったんですし、あれには本当に驚きましたね。
「…で、では、この髪型を勧めて下さったのは…」
「半分ほどは私の趣味ですね。ああ、もちろんお似合いでらっしゃいますよ?」
 店主の言葉に、ハーレイの記憶が蘇ってくる。
(…そういえば他の髪型も幾つか提案されたな、どれになさいますか、と)
 あれは店主のプロ魂とファン魂との産物だったか、と脳裏に蘇る幾つかの髪型。今の髪型と全く違う印象のものも勧められはした。勧められたが、気が乗らなかった。これだと思った髪型が今の髪型。
 これしかない、と強く感じた理由は今にして思えば前世の記憶ゆえだろう。自分でも気付きさえしない心の奥底に前の生の自分が居たのだろう…。
 不思議なものだ、と鏡の向こうの自分を見詰めるハーレイに店主がにこやかに語る。
「この髪型を選んで頂けて嬉しかったんですよ。しかも今後もこれだと仰る」
「ええ、まあ…。そうなりますね」
「おまけに、この髪型で未来の結婚相手まで見付けて下さったと聞けばもう…」
 理容師冥利に尽きますよ。
 お客様に似合う髪型を仕上げられてこその理容師ですしね。



「で、お相手の方は銀髪でらっしゃいますか?」
「え、ええ…」
 銀髪どころか赤い瞳までセットなんだが、とハーレイは小さなブルーを思い浮かべつつ頷いた。もちろん赤い瞳のことは話さなかったが、店主は銀髪だけで充分に感激したようで。
「それは是非! ソルジャー・ブルー風にカットしてみたいですねえ…」
「お、お任せします…」
 既にソルジャー・ブルーな髪型なんだが、と口にする代わりにグッと飲み込めば。
「ショートカットの方なんですか?」
「そうですね、少し長めのショートカットといった感じでしょうか」
「なら、お似合いになりますよ」
 お任せ下さい、と店主は太鼓判を押した。
「どんなお顔立ちでも似合うように仕上げてみせますよ」
 誰が見てもソルジャー・ブルーだと気付く髪型で、恋人さんのお顔立ちに合わせて。
 素敵ですよ、お二人でお並びになったら。
「……妙なカップルになりませんかね?」
「大丈夫ですよ、町を歩けば誰もが思わず振り返りますよ」
「それはいわゆる仮装では…」
 衣装まで真似ていないだけで、とハーレイが呟くと、「まさか」と店主は微笑んだ。
「お似合いのお二人で、それは素晴らしいカップルだろうと思いますねえ!」
 ああ、もちろん。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイがけしからぬ仲だったとは言いませんがね。
 ですが、絵になる二人なんですよ。
 少なくとも私にはそう見えますねえ、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。



 ハーレイの髪のカットを終えた店主は丁寧にオールバックに整え、理髪マントを外して衣類用のブラシで肩や背中を払ってくれた。
「如何でしょう、いつもの通りですが」
「ありがとうございます、サッパリしました」
「いえ、こちらこそ。ついつい趣味の話などしてしまいまして…」
 キャプテン・ハーレイの話になると止まりませんでね、と店主は笑った。
 妻にも子供にも呆れられるのだと、孫や曾孫も呆れていると。
 そんな店主に支払いを済ませ、扉を開けると「今日はこれで閉店だから」と駐車場まで見送りに来てくれた。運転席に乗り込み、窓ガラスを開けたハーレイに店主が呼び掛ける。
「ありがとうございました、またいらして下さい!」
 いつかは恋人さんも一緒に!
「ええ、何年後かに!」
 きっと連れて来ます、とハーレイは窓から手を振り、愛車を発進させた。
 キャプテン・ハーレイのマントの色と同じ色の車。
 この色も店主は好きだろうな、と車を走らせるハーレイを、店主は車が角を曲がって消えるまで表に立って見送っていた。



(…あの店主、何処まで気付いているんだ?)
 家に着いたハーレイは車をガレージに入れて玄関に回り、扉を開けた。
 今はまだ一人暮らしの家。夜になれば門灯などが自動で灯るが、待っていてくれる人は無い。
 いつかブルーと結婚したなら、ブルーが迎えてくれるのだけれど。
 そのブルーは実はソルジャー・ブルーの生まれ変わりで、前の自分はキャプテン・ハーレイ。
 前の生では秘密の恋人同士で、今度は堂々と結婚しようと互いに決めている。
 そう、前世では秘密の恋人同士だった。
 誰一人として知りはしないし、今も噂すら無いと言うのに、さっき理髪店の店主に二人が並ぶと絵になると言われた。
 だからキャプテン・ハーレイの髪型の自分の隣にソルジャー・ブルーを並べたいと。
(…前の俺たちの仲は、学者でさえ気付いていない筈だが…)
 誰も知らない筈なんだが、と書斎に入って机の上のフォトフレームを手に取った。
 飴色の木製のフォトフレーム。夏休み最後の日にブルーと写した記念写真が其処に在る。
 ハーレイの左腕に小さなブルーが両腕でギュッと抱き付いて、笑顔。
 嬉しくてたまらないという笑顔…。



(なあ、ブルー。…前の俺たちはこんな写真さえ一枚も撮れなかったが…)
 恋人同士だって分かる写真も、寄り添った写真も撮れないままで終わっちまったが…。
 だが、ブルー。
 気付いてくれている人がいるようだぞ?
 俺たちの仲にまで気付いてはいないが、絆には気付いてくれている人が。
(ブルー、気が付いたのは誰だと思う?)
 俺が行ってる理髪店の店主さ、ビックリだろう?
 いつかお前が大きくなったら、あの店にお前を連れて行こう。
 お前の今の行きつけの店と同じくらいに見事に仕上げてくれるさ、ソルジャー・ブルーを。
 結婚した後に遠くの店まで行かなくてもいいしな、あそこにしよう。
 散歩がてら歩いて行ける距離だし、二人で手を繋いで出掛けるのもいいと思わんか?



 キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーは恋人同士。
 前の生では隠し続けたけれども、今度は堂々と結婚する。ハーレイはブルーを伴侶に迎える。
 結婚した自分たちが何度も店に出入りしていたなら、店主は自分たちがどんな表情で互いの顔を見るのか、どう見交わすのかもすっかり覚えることだろう。
 そして気付く日が来るかもしれない。
 前の自分たちが共に写った写真に、同じ表情を、同じ瞳を見付け出す日が来るかもしれない。
 悟られないよう、幾重にも隠した恋人同士の顔なのだけれど。
(…あの店主なら本当に気付くかもなあ…)
 それもいいさ、とハーレイは笑みを浮かべた。
 学者たちでさえも見抜けない秘密を理髪店の店主が知っているというのも悪くない。
 店主は論文を発表する代わりに「自分だけの宝物だ」と大切に隠しておくだろう。
 あの店主ならばそうするだろう、と確信に近い思いがあった。
 まるで推理小説の世界のようだ、と可笑しくなる。
 真相は学者ならぬ理髪店の店主のもの。
 ずうっとあの店でブルーと一緒に世話になろう、と…。




         行きつけの理髪店・了

※今のハーレイの散髪事情。行きつけの店に、キャプテン・ハーレイの熱いファンが…。
 いつか店主は気付くでしょうか、本当のことに。気付いてもきっと、喋りませんね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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 母がおやつに切り分けてくれたバウムクーヘン。流石に母の手作りではなくて、店で買って来たものだけれども、直火焼きと手焼きで評判の品。
 機械ではなく、人間の手で一層ずつ種をかけては焼いてゆく「手がけ」。バウムクーヘンを特徴づける年輪模様は不揃いになるが、その分、余計に本物の切り株らしくなる。自然の中で育つ木は気象条件によって年ごとの年輪の幅が異なるから、不揃いなもの。
(ふふっ、ホントに切り株みたい)
 似ているよね、とブルーは思う。
 美味しいバウムクーヘンだから、少しお行儀が悪いけれども一層ずつフォークで外して食べる。厚さの異なる年輪を一年分ずつ剥がしては口へ。
(…シャングリラには切り株、無かったよね…)
 そこそこ大きな木が伐採された後に残る切り株。人間と自然の協力技で出来る素敵な椅子。
 ソルジャーとしてアルテメシアに何度も降りていた頃、たまに切り株に腰掛けていた。ミュウと判断されそうな子供を救出するタイミングを待つ間などに。
 シャングリラの外に出られるブルーだったから持てた、自然の中で過ごせる時間。人類の社会に潜入していた仲間たちには山の中まで出掛ける余裕は無かっただろう。
 切り株の椅子は気に入っていた。其処に在ったろう木を思い浮かべながら座っていた。
 伐採された木の種類や、在る場所で座り心地が変わる椅子。
 木から生まれる切り株の椅子は、シャングリラの中には無かったのだけれど。



(…でも、期間限定なら在ったんだよね)
 一日どころか、数時間も経たずに消えてしまった切り株の椅子。
 子供たちが腰掛けたり、飛び乗ったり出来た時間はほんの少しだけ。
 シャングリラの中にも木材用の木は存在していた。無かったものは切り株だけ。
 貴重な木は余さず利用されたし、また次の木を植えねばならない。伐採したら切り株もその日の内に掘り起こして、使えそうな部分は取り除かれた。
 切り株が在った場所には土が加えられ、新しい木が植えられた。
 伐採した木は様々な用途に使われた上に、残った部分も引っ張りだこで。
(ハーレイも貰っていたものね)
 あんな端っこを何にするのか、とブルーは不思議に思ったのだが、木で出来た机を愛用していたハーレイならではのユニークな趣味。
 たった一本のナイフで木の塊をせっせと削って、最初に出来たのはスプーンだったか。其処からスタートした木彫り。自分の部屋でも、ブリッジで暇な時にも彫っていた。
 色々な作品があったけれども、独創性だの芸術性だのはハーレイとは縁が無かったらしい。誰が見ても「いいね」と褒められそうなものはスプーンやフォークなどの実用品だけ。
(…ハーレイが彫刻を目指した時って、いつも下手くそだったんだよね)
 その下手くその最たるものが今も宇宙に残ってたっけ、とブルーはプッと吹き出した。
 宇宙遺産になってしまった、キャプテン・ハーレイの木彫りのウサギ。
 「ミュウの子供が沢山生まれますように」との願いがこもったお守りなのだ、と世界中の人間が信じているウサギ。地球で一番大きな博物館の収蔵庫にある木彫りのウサギ。
 実はウサギではなくてナキネズミだとハーレイから聞かされたブルーは驚いたけれど、ウサギは今もウサギのまま。訂正されずにウサギのまま…。



 あれこれと懐かしく思い出していたら、仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。
 夕食の後で、ブルーは自分の部屋のテーブルで向かい合わせでお茶を飲みながら訊いてみる。
「ハーレイ、シャングリラの木って覚えてる?」
「どの木だ?」
「材木にしていた木のことだよ。成長の早いの、植えていたでしょ?」
「ああ、あれな…」
 切る時はお祭り騒ぎだったな、係のクルーに見学の子供に、野次馬までな。
 滅多にない一種の娯楽みたいなものだったしな…。
 ハーレイが懐かしそうに語る通りに、木の伐採は大掛かりなイベントめいたものだった。
 担当のクルーが伐採用の道具を持ち出し、その頭にはヘルメット。危険防止に被るヘルメットはシールドでの代用は不可とされていたし、彼らの姿を目にしただけで皆がどよめく。
「ぼくならサイオンで簡単に切れたし、怪我の心配だって無かったのにね?」
「ヒルマンたちの提案だったろうが、こういった作業は人間らしく、と」
 何もかもをサイオンに頼っていたのでは退化する、というのがヒルマンや長老たちの見解。
 ゆえに伐採にサイオンは一切使わず、落下物から頭部を守るのもシールドならぬヘルメット。
 それだけでも一見の価値があったから、手の空いた者たちが詰め掛けていた。
「ハーレイは現場で指揮だったよね」
「直接の指揮はしていないがな。キャプテンとして監督していただけだ」
 なにしろ一大イベントだからな、とハーレイは笑う。
 船内の多くの者が集まる以上は、無事に終わるまで見届けなくてはならないと。



 見学に訪れた子供たちから、お祭り感覚の野次馬までが集った木の伐採。
 係のクルーも熟練というわけではないから、万一に備えてブルーも側で待機していた。けれども事故は一度も無かったと記憶している。
 何処から切ろうか、どう倒そうかと担当者たちが練り上げたプランに狂いは無かった。
 最初は枝を落とす所から。
 葉をつけたままの枝がドサリと落ちると、歓声を上げて駆け寄ろうとする子供たち。普段は手の届かない高さにある枝が地面に落ちて来たのだし、我先に触ろうとするのだけれど。枝はまだまだ落ちて来るから、安全な所へ移動させるまで子供たちは手を触れられない。
 係が運んで、木が倒れてこない所に積んでゆく枝。
 使えそうな太い枝とは別に積まれた細い枝たちは、子供たちが引っ張って走ったりした。それに細い枝でリースなどの細工物を作りたい女性。「貰っていっていいですか?」と尋ねてから適当なサイズの枝を選んで運んでゆく。
 クライマックスが木を切り倒す時で、誰もが息を詰めて作業を見守っていた。バリバリと大きな音を立てて木が倒れれば大歓声で、係のクルーへの賞賛の声が幾つも飛んだ。
 切り倒された木は手際よくその場で切り揃えられて、切り株も僅かな時間だけ皆の椅子や遊具になった後で掘り起こされた。
 ほんの少しの間だけしかシャングリラには無かった切り株の椅子。
 それが在った場所には新しく土が入れられ、若々しい苗木が代わりに植わった。



「あの木材って、どうしてたっけ?」
 使うまでの間、とブルーが問えば、ハーレイが「倉庫行きだ」と答えを返した。
「生木のままでは使えないしな、狂いが出ないように乾燥だったろ」
 俺の木彫りに使う木も一緒に入れといたもんだ。
 しっかり乾かして使わないとだ、せっかくの作品がひび割れるからな。
「スプーンとかはともかく、他のは割れても良かったんじゃない?」
「いや、駄目だ。それにきちんと仕上げたお蔭で宇宙遺産も残ったんだぞ」
「…ナキネズミね…」
 ウサギだと思い込んでる人たちが可哀相、とブルーは大袈裟な溜息をつく。
 百年に一度の一般公開の時には長い行列が出来て、遠くの星からも見物の人が来るのに、と。
「それに関しては俺に責任は全く無いぞ」
 前にも言ったが、見る目が無いから間違えるんだ。
 作った俺があれはナキネズミだと言っているんだ、ウサギに見えると思うヤツが悪い。
「ぼくにもウサギに見えるんだけど…」
 ずっとウサギだと信じていたよ。
 ハーレイに聞かなきゃ、今でもウサギだと思ってた筈だよ…。



 とんでもない出世を遂げてしまったナキネズミの木彫り。
 そうした用途に使われなかった残りの部分はどうなったっけ、とブルーは首を傾げたけれど。
「忘れちまったか? 引き取り手の無い分を使って燻製を作っていただろうが」
「ああ…!」
 言われてみれば、と蘇ってくるブルーの記憶。
 合成の木を燃やしても燻製を作るための香りのいい煙は出なかった。公園などの木を剪定しても十分な量の木材は得られず、木の伐採が燻製作りの唯一の機会。
 木を切ると決まれば、それに合わせて鶏などの肉が揃った。船の中でも空調は完璧に出来ていたから、大量の煙が欠かせない燻製を作っても全く支障は出なかった。
「美味かったんだよなあ、あの燻製が」
 ハムとかも美味かったが、スモークチーズもいい出来だった。
 滅多に食えない分、余計に美味いと思えたなあ…。
「お酒のつまみにピッタリだって言ってたものね?」
 ぼくには少し癖があったよ、嫌いってわけじゃなかったけれど。
 ハーレイみたいに出来るのを楽しみに待てるレベルには届かなかったっけ…。
 だから直ぐには思い出せなかったのかもね、燻製作り。
 あれも作ろう、これも作ろうって食材を揃えている仲間が沢山いたのにね…。



「そういえば…」
 木の伐採や燻製作りの記憶を辿っていたブルーは、ふと気になった。
 切り株の無かったシャングリラだけれど、木だけはあちこちに植わっていた。木材にするための木ばかりではなく、果樹や憩いの場を作る木など。
 ブリッジが見える公園はもとより、居住区にも庭が鏤めてあった。
 あの木たちはどうなってしまったのだろう?
「ハーレイ、シャングリラにあった木たちって、どうなったんだろ?」
 写真集で見たら、ぼくが知ってた頃よりも大きく育った木もあったけど…。
 あったんだけれど、シャングリラと一緒に無くなっちゃった?
 消えちゃったの、と顔を曇らせたブルーだけれど。
「安心しろ。あの木たちなら、宇宙に散ったぞ」
「散ったって…。やっぱり消えた!?」
 悲鳴のような声を上げたブルーに、ハーレイは「おい、落ち着け」と苦笑した。
「俺の言い方が悪かったか…。散ったと言っても、散り方が全く違うんだ」
 文字通り、散っていったのさ。
 シャングリラという船があった記念に貰われて行ったんだ。
 人間が住んでいる、あちこちの星に。
「…そうだったの?」
 知らなかった、とブルーは赤い瞳を丸くした。
 今の今まで考えもしなかった、シャングリラにあった沢山の木たち。
 それらが宇宙のあちこちに散って行ったとは、なんと壮大な話だろうか…。



 ハーレイは写真集を眺めている内に、木たちのその後が気にかかり始めて調べたのだという。
 青の間が跡形も無くなったように、公園の木などもシャングリラと共に消えたのか、と。
 けれど木たちは失われてなどいなかった。
 大切に移植され、あちこちの星に根付いて育っていった。
「シャングリラの解体が決まった頃には、まだ地球が蘇っていなかったからな…」
 地球が今みたいな状態だったら、恐らく地球に植えたんだろうが。
 それが出来ないから、他の星になった。
 引き取りたいって星は沢山あったらしいぞ、抽選になったくらいにな。
 でかい木はアルテメシアの記念公園に移して、シャングリラの森ってのを作ったそうだが…。
「シャングリラの森?」
「記念公園の写真くらいは見たことあるだろ? あそこの、こんもり茂った森さ」
 森は今でも残ってるんだが、すっかり年数が経っちまったからなあ…。
 木だって何代も代替わりをして、もう何代目の木になるんだか。
 だが、シャングリラにあった木の子孫には違いない。
 それと同じで他の木も移植されていったのさ、いろんな星に。
 有名なトコだと、前の俺たちの時代の首都星だったノアとかな。



「良かったあ…」
 消えたわけではなかったのか、とブルーは安堵の吐息をついた。
 青の間は命を持ったものではないから、シャングリラごと消えてもかまわないけれど。木たちは命を持っていたから、生き残っていて欲しかった。
 その木たちが宇宙のあちこちに移され、生き延びたという。
 アルテメシアの記念公園には今も、シャングリラの森があるという…。
「ねえ、ハーレイ。地球には無いの? シャングリラの森」
 今もアルテメシアにシャングリラの森があるんだったら、地球にあっても良さそうなのに。
 代替わりした木でも子孫なんだし、記念に何処かに作ればいいのに…。
 それとも何処かにあったりする?
「作ろうかって話もあったようだが、ジョミーたちの墓が地球に無いのと同じだ」
 すっかり地形が変わっちまった新しい地球には要らないだろう、と作られていない。
 シャングリラの森も、記念公園もな。
「そっか…。ちょっと残念…」
 あるんだったら見たかったな、とブルーは呟く。
 シャングリラの木たちの子孫が枝葉を広げる立派な森を。
 写真でしか知らないアルテメシアの記念公園のように、こんもりと茂った緑たちを。
 けれど地球にはシャングリラの森は無いらしい。
 新しく蘇った青い地球には、遥かな昔の英雄たちの墓碑が無いのと同じで…。



 地球の上には無い、ジョミーたちの墓碑。
 彼らが命を落とした場所には設けられていない、英雄の墓碑。
「…ジョミーたちのお墓があるのって、ノアだったよね?」
 他の場所にもあるみたいだけど。
 アルテメシアにも有名なのがあるみたいだけど…。
「記念公園のヤツのことだな、あそこよりもノアの方が先だそうだぞ」
 SD体制時代の首都星だしなあ、交通網が一番整っていた。
 みんなが墓参りに行きやすい場所だってことでノアに白羽の矢が立ったんだ。
 墓参りをしたいってヤツが多かったらしい、ミュウだけじゃなくて人類の方もな。
 なにしろジョミーとキースの墓が並んでいるんだ、どっちかに花を供えたいよなあ…。
 もっとも、蓋を開けてみたら、墓参りのヤツらは両方に花を置いてたらしいが。
 人類がジョミーに、ミュウがキースに。
 花輪とか、花束とか、そりゃあドッサリと積まれたようだぞ。
 その辺もあって、あちこちに墓が出来たんだろうな。
 わざわざ遠くまで出掛けなくても、英雄に花を供えられるように。
 どうせジョミーたちが死んだ地球には墓が無いんだ、何処に作ってもかまわんだろう?
 その頃の地球は地殻変動の真っ最中で、墓なんか作りようがないんだからな。



「…それで幾つもあるんだ、お墓…」
 ブルーはポカンと口を開けた。
 ジョミーたちの墓碑が複数あることは知っていたけれど、ゆかりの地にあるのだと信じていた。
 まさか墓参に行きやすいように作られていたとは、と驚くばかり。
 それほどの人気を誇ったジョミーたちなのに、最期の地である地球には墓碑が無いという事実が潔い。シャングリラの森も記念公園も無くて、青い地球だけがあるなんて…。
 もしも自分がジョミーやキースの立場だったら、地球に墓は要らないと言うだろうけれど。
 蘇った地球は新しい地球で、古い時代の自分たちの墓など必要無いと言うだろうけれど。
 ジョミーたちの意見を訊きもしないで、作らない決断を下した人たち。
 その人たちには、ジョミーたちの思いが正しく理解出来ていたのだろう。
 どんな思いで地球まで行ったか、どんな思いでグランド・マザーに逆らったのかが。
 そう、新しい時代を築けるのならば、その礎になれればいい。
 礎に墓碑など要りはしないし、新しい時代があればいい。
 ブルー自身もそうだった。
 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも、そうだった。
 自分の命は消えるけれども、ミュウの未来は続いてゆく。
 そのためであれば、命は要らない。
 新しい世代が生きてゆけるなら、それだけでいい…。
(ちょっぴり後悔しちゃったことは仕方ないんだよ)
 ハーレイの温もりを失くしてしまって泣いたけれども、泣きながら死んでしまったけれど。
 前の自分だってヒトなのだから、とブルーは思う。
 人間なのだから、後悔もする。けして完璧などではない、と。



「ジョミーたちのお墓、沢山あっても地球には無いっていうのがいいね」
 とってもジョミーたちらしい。
 調べればきっと、何処にお墓を建てればいいかは分かるだろうにね…。
「まあな。ユグドラシルがあった辺りに作れば間違いないしな」
 だが、ジョミーたちはそれを望んじゃいないさ。
 お前が言う通りにジョミーたちらしいさ、蘇った地球に墓なんか要らない、ってな。
 マードック大佐とパイパー少尉の二人だけだろ、この地球の上に墓があるのは。
 二人が乗った船が体当たりしたメギドが残っていたんじゃ無理もないよな、そのメギドも遥かな昔に撤去されちまったらしいけどな。
 風化が進んで危険になったから解体されたって話だったか…。
 今は墓だけが森の中にひっそり残っているそうだ。
 とはいえ、マードック大佐もパイパー少尉も、あちこちに墓参用の墓碑があるがな。
 あの二人の墓は人気なんだぞ、カップルに。
 結婚式の後でわざわざ花輪を供えに行くカップルも多いと聞いてるんだが、お前、どうする?
「…地球のは森の中なんでしょ?」
「ああ。ついでに、俺たちの住んでる場所からは思い切り遠いな」
 結婚式の後にちょっと、という距離じゃないな。
 行くだけで一泊必要になるが、行きたいと言うなら連れてってやるぞ。
「えーっと…。地球でもカップルに人気の場所なの、そのお墓」
「いや? 結婚式の後に寄るには向いてないしな」
 森の中を一時間ほど歩いて行かないと着かないらしいし、ウェディングドレスで森は歩けん。
 あやかりたいカップルは森の入口で花を供えて記念写真だが、多分、地元のヤツらじゃないか?
「それなら別に行かなくていいよ」
 あやからなくても、ちゃんとハーレイと一緒に地球に生まれて来られたし…。
 それにマードック大佐もパイパー少尉も、ぼくたちが行ったらビックリだろうし。
「違いない」
 想像もしなかったカップルが来た、と腰を抜かすかもしれないぞ。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが結婚の報告に来るんだからな。



 メギドから地球を守った英雄、マードック大佐と、メギドに体当たりした彼の船から退艦せずに運命を共にしたパイパー少尉。
 彼らの墓は結婚式を挙げたカップルに人気だというが、ブルーは遠慮しておくことにした。
 伝説にも等しい英雄の二人に腰を抜かして欲しくはないし、そこまでして彼らにあやからずとも前の生からの恋人が今も側に居てくれるのだから。
「…ハーレイもノアにお墓があるんだよね?」
 アルテメシアの記念公園とかにもあるけど、ノアのが一番最初だよね?
「お前の墓だってノアだろうが」
 ついでに宇宙のあちこちにあるな、俺よりも数は多い筈だぞ。
 ジョミーとキースと、前のお前と。
 他のヤツらの墓は無くてもこの三つだけは、って場所も沢山あるしな。
「ぼくのお墓は名前だけだよ、ノアのだって中は空っぽだもの」
 前のぼくの身体、何処に行ったのかも分からないんだし…。
「おいおい、俺だって同じことだぞ」
 あそこに前の俺の身体は無いからな。
 地球の何処かに埋まっちまって、今では地球の一部だからな。



「ぼくのお墓…。ハーレイのと並んではいないんだよね…」
 ブルーは写真で見たノアの墓地を思い浮かべて肩を落とした。
 アルテメシアの記念公園と同じくらいに美しく整備された記念墓地。其処に前の自分やジョミーたちの墓碑が立つのだけれども、ブルーの墓碑は一番奥。その手前にジョミーとキースが並ぶ。
 全ての始まりとされるソルジャー・ブルーの墓碑と肩を並べられる墓碑は一つも無かった。一番奥に設けられた墓碑に供えられる花は多いけれども、ブルーが欲しいものは花ではなかった。
「仕方ないだろう、お前は別格だしな」
「立派なお墓で一人きりより、みんなと一緒が良かったよ…」
 ジョミーも、それにキースも一緒でいい。
 なんでぼくだけ一人なのかな、ジョミーはキースと並んでいるのに…。
「みんなでいいのか? 本当に?」
「…ホントはハーレイと一緒が良かった…」
 ハーレイのと並べて欲しかったよ。
 ぼくのお墓とハーレイのお墓、並べて作って欲しかったよ。
 マードック大佐とパイパー少尉みたいに恋人同士のお墓にして下さい、っていうのは無理でも、二つ並べてくれたらいいのに…。
「…無茶な注文だが、気持ちは分かる」
 俺もお前と並んだ墓が良かったな。
 死んだ後まで離れ離れだ、こいつは辛い。
 生きてる間に俺たちの仲を秘密にしたんだ、仕方ないんだが…。
 並べてくれって方が無茶だが、並べたかったな。俺とお前の墓くらいはな……。



「んーと…」
 ブルーの脳裏に浮かんだ、ノアやアルテメシアの自分の墓碑。
 ハーレイの墓碑とは引き離されて立つ、独りぼっちのソルジャー・ブルーのための墓碑。
「ぼくはソルジャー・ブルーなんです、って正体を明かせばハーレイのと並べて貰えるかな?」
 前から恋人同士なんです、今度は結婚するんです、って。
「お前、そこまでの度胸があるか?」
 えらいことになるぞ、とハーレイが眉間に深い皺を寄せる。
 取材が押し寄せて揉みくちゃにされる上、ただのブルーではいられなくなると。
 誰もがブルーとソルジャー・ブルーを重ねるだろうし、色々と期待もされそうだと。
「…やっぱりそう?」
 それに歴史も変わりそうだしね、ソルジャー・ブルーに恋人がいたら。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは実は恋人同士でした、って大事件だよね…。



 フウ、と大きな溜息をつくと、ブルーは「放っておくよ」と微笑んだ。
「前のぼくのお墓は今のままでいいよ、ハーレイと離れ離れでも」
 今度のお墓がハーレイのと並べて作って貰えるんなら、それでいい。
 ちゃんと結婚した恋人同士のお墓になるなら、それだけでいいよ。
「………。気の早いヤツだな、まだ結婚もしない内から墓なのか、おい」
 呆れ顔のハーレイに「うん」と答えて、ブルーの笑みが深くなる。
「今度はお墓に行くまで一緒、っていう意味だよ」
 ずうっとハーレイと一緒なんだよ、今度は一緒。
 離れずにずうっと、ハーレイと一緒。
 ノアのお墓なんかはどうでもいいんだ、あそこにぼくは居ないんだから。
 ぼくはハーレイと一緒に地球に来たもの、と幸せそうに微笑むブルー。
 ハーレイは「そうだな」とブルーの手を取り、キュッと握って笑みを返した。
「今度は何処までも一緒だったな、まずは結婚しなくちゃならんが」
 何処までも一緒に行こうな、ブルー。
 誰が見ても恋人同士だと分かる墓を作って貰えるように。
 その墓が出来た後も、死んじまった後も、今度こそ俺はお前と一緒だ。
 だからお前も勝手に行くなよ?
 前みたいに俺を置いて行くなよ、なあ、ブルー……。




         シャングリラの森・了

※シャングリラにあった木たちを移植したシャングリラの森。そして記念墓地。
 アニテラの最終回に出て来た風化したメギド、あれの跡地が今はカップルの聖地です。
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「ほほう…!」
 こいつは美味いな、と向かい側に座ったハーレイの顔が綻んだ。
「思いっ切り、季節外れなんだけどね?」
「いやいや、この時期、貴重だぞ?」
 専門の店ならともかく、家庭料理じゃ食えないんじゃないか?
「どうなんだろう?」
 ママの自慢の木の芽田楽。
 水切りしたお豆腐を焼いて串に刺して、木の芽味噌を上にたっぷりと塗って。
 木の芽が採れる山椒の木は庭の隅っこにあるんだけれど。
 ぼくの背丈よりも大きな木だから、パパとママとぼくでシーズン中に食べ切れるわけがなくて、もったいないからママが柔らかな木の芽を沢山摘んで冷凍にしておくんだけど。
 山椒の木は雌雄別株。雄花が咲く木は花を摘み取って花山椒。実が出来る方は実が熟す前の青い間に摘んで使ったり、熟した後の実の皮を乾燥させて細かく潰して山椒粉にしたり。
 小さい頃から馴染んでいたから、ぼくにとっては普通の光景。棘がある山椒の木の枝をわざわざ触りに行きはしないけど、ママに頼まれて木の芽を摘みに行くことならある。摘んだばかりの葉を両手でパンッ! と叩いて香りを出させて、煮物とかお吸い物とかに入れるんだ。
 何処の家でもやっていそうな気がしたんだけれど…。



「知らないのか?」
 山椒の木はけっこう難しいんだぞ、とハーレイが季節外れの木の芽味噌を指差す。
「庭さえあれば植えておけるってモンじゃないんだ、山椒はな」
「そうなの?」
 アゲハチョウが好きな山椒の木。来ると卵を産んでゆくから、幼虫やサナギが居たりする。まだ小さかった頃、サナギから蝶が出るのを見たくて通ったけれども、いつも出た後。翅を広げた蝶が枝に静かに止まってるだけで、出て来る所は見られなかった。
 山椒を植えてる家の子供は誰でも観察してるものだと思ってたけど、その山椒の木は庭があれば育つと信じてた。アゲハチョウを見たければ山椒を植えればいいんだ、と。
 だけどハーレイは「そいつは大きな勘違いだぞ」と窓から庭をチラリと眺めて。
「山椒の木は土が合わないと溶けちまうんだ」
「溶けるって…。なに、それ?」
「ん? 文字通り溶けるって意味じゃないがな、親父とおふくろはそう言うなあ…。いつの間にか消えてしまうんだ。ちゃんと手入れをしててもな」
 現に俺の家の庭では溶けちまうらしい。
 親父たちの家には山椒の木があるし、種から小さな木も生えるんだが…。
 そういう実生の木を貰って来て植えてみてもだ、元気がなくなって枯れちまう。何度挑戦しても同じで、仕方ないから、今じゃ鉢植えのままだ。親父の家で詰めて貰った土を入れてな。
「ハーレイの家にもあるんだね、山椒」
「鉢植えだがな。やっぱり春は美味い木の芽を食いたいじゃないか」
「そうだね、タケノコも木の芽和えにしたりするものね」
 タケノコの煮物にも木の芽を添えるし、春は木の芽が美味しいよね。
 花山椒をドッサリ入れてすき焼きもするよ、鶏のすき焼き。



 ハーレイと二人、木の芽を使った春の料理を幾つも挙げた。
 隣町にあるハーレイのお父さんとお母さんの家にも、大きな山椒の木があるんだって。木の芽を摘んで、花山椒も実山椒も。
 ハーレイもぼくと同じような料理を食べて育ったんだと思うと嬉しい。春は木の芽で、今の家の庭では山椒の木が溶けてしまうから、って鉢植えの山椒。
 一度だけ遊びに出掛けた時には鉢植えなんかは見ていなかった。ちょっぴり残念。気付いてたら多分、訊いたのに。「なんで山椒が鉢植えなの?」って。
 ぼくにとっては庭にあるのが当たり前の山椒。
 土が合わないと消えてしまうなんて、思いもしなかった山椒の木…。



 季節外れの木の芽田楽。
 ハーレイは「美味い」と笑顔で食べて、お皿に乗っかった木の芽味噌じゃない田楽も食べて。
「普通の田楽味噌も美味いな、俺はどっちも好きだな、うん」
 何処の豆腐だ? ってハーレイが訊くから。
 あそこ、ってママが買ってる店の名前を答えたら「なるほどな」と頷くハーレイ。
 ぼくたちが住んでいる町は水がいいらしくて、お豆腐を作ってるお店があちこちにある。ママが買う店も家から近くて、うんと近所に住んでいる人は入れ物を持って行けば入れて貰える。
 ハーレイがお豆腐を買いに行くお店も、同じサービスをしているらしい。専用の容器が要らない分だけ、お豆腐の値段が安くなる。もっとも、ハーレイは入れ物を持って出掛けるには少しばかり距離が遠すぎて、駄目なんだって。
「俺の足なら軽い距離だが、豆腐を入れた器を抱えて散歩はなあ…」
「すれ違う人が眺めてそうだね、器の中身」
「うむ。この俺が豆腐入りのボウルだのタッパーだのを抱えて歩いていたら、だ」
「凄く目立つね、似合わないものね」
 女の人とか、子供だったら誰も気にしてないだろうけど…。
 ハーレイの身体だと大きすぎだよ、お豆腐を持って散歩するには。



 お豆腐を自前の容器で持って帰ると、悪目立ちしそうなハーレイだけど。
 そのサービスが受けられないだけで、お豆腐を買いに行くこと自体は珍しくないんだって。
「美味い豆腐が近所で買えるのはいいことだぞ」
 豆腐は何かと役に立つしな。
 酒のつまみにも夏の冷奴は実に美味いし、冬だって昆布と一緒に温めて湯豆腐感覚で食える。
「ぼくもお酒はまだ飲めないけど、お豆腐、好きだよ」
 今日みたいな田楽でもいいし、冷奴も湯豆腐も美味しいよね。
 豆腐ステーキとか豆腐ハンバーグも好き。
 ママが色々作ってくれるよ。



「豆腐ステーキに豆腐ハンバーグと来たか…」
 あれも美味いな、とハーレイが田楽を頬張って。
「シャングリラにもあれば良かったなあ、豆腐。まだ肉が作れなかった頃のシャングリラにな」
「豆は貴重なタンパク源だったものね、あの頃には」
「実際、豆のことを貧乏人の肉って言ってた時代もあるらしいからな?」
 SD体制以前の地球だが、とハーレイはぼくに教えてくれた。
 誰もが肉を食べられるわけじゃなかった時代。人間が飢饉に怯えていた時代。
 肉は豊かな人たちが口にするもので、貧しい人たちは肉の代わりに豆だった、って。保存が利く豆を柔らかく煮たり、スープにしたり。
 そうやってタンパク質を摂っていたのに、食生活が豊かになったら豆はヘルシー食品になった。肉よりも健康的な食べ物。
 似たような話があったっけ、と思い出す。
 前のぼくたちがシャングリラで作った代用品のチョコレート。カカオの木は育てられないから、代わりに育てたキャロブの木。その実でチョコレートやコーヒーなんかを作っていたのに、今ではキャロブはヘルシー食品。健康志向の人たちに人気の代用品のチョコレート…。



 キャロブの木を植えるどころの話じゃなかった、ごくごく初期のシャングリラ。
 自給自足で頑張っていたけど、肉までは手が届かなかった。畑を作るのが精一杯で、家畜の餌は賄えなかった。
 貧乏とはちょっと違うけれども、肉が無かったシャングリラ。
 タンパク質を摂れるものと言ったら、豆の料理ばかり。
 あの頃にお豆腐があったなら…。
「もっと色々と食えたよな。お前が言った豆腐ステーキとか豆腐ハンバーグとかな」
「お豆腐、工夫して作ってみればよかったね…」
 ちょっと視点を変えれば色々食べられたのか、と思ったんだけど。
 肉が無い分、お豆腐でカバーしておけば良かった、と前のぼくの知識不足を嘆いたんだけど。
 ハーレイに「おい」と真顔で訊かれた。
「その豆腐だが、シャングリラに大豆はあったのか?」
「……大豆……」
 言われてみれば大豆は植えていなかった。
 豆は何種類も育てていたけど、シャングリラの畑に大豆は無かった。



「…大豆を植える所からかあ…」
 お豆腐を作るには大豆が必須。
 大豆が無かったシャングリラではお豆腐なんかは作れやしない。
「お豆腐、作れなかったんだ…」
「そのようだ。大豆は畑の肉って呼ばれてたほどの豆なんだがなあ…」
 これもSD体制よりもずっと昔の時代なんだが、とハーレイが残念そうに言うから。
「そうだったの?」
「そんな名前がついてた時代もあったんだ。普通の豆よりタンパク質が多めでな」
 貧乏人の肉どころじゃない、畑の肉だ、って話になった。
 凄い豆だと評判になって、あちこちで育てようとしていたようだぞ、その頃の大豆。
「大豆、そんなに凄かったんだ? なのに…」
 なんで無かったんだろう、前のぼくたちの時代。
 ぼくはシャングリラで育てる豆を人類の農場から盗み出したけど、大豆なんかは見なかったよ?
 作物の苗を扱う場所にも大豆は無かったと思うんだけど…。
「山椒と同じだ、土が合わなくて育たなかったんだろう」
 SD体制よりも前の地球でもそうだった。
 大豆を植えても育たない場所が沢山あったらしいぞ、きっとデリケートな豆なんだ。
 今だって俺たちの住んでいる地域が大豆には一番合うんだそうだぞ。
 一度滅びたり、地殻変動が起こったりして、すっかり変わった地球なのにな?



 もしもシャングリラに大豆があったら。
 お豆腐はきっと作れただろうし、他に大豆で出来るものと言えば…。
「ねえ、ハーレイ。シャングリラで大豆を育てていたなら、お醤油なんかも作れたかな?」
「麹菌を探して来なきゃならんが、作れんことはなかっただろう」
 そして大豆と麹があれば、だ。それと塩とで味噌も出来るな。
「そっか、お味噌も大豆だっけね」
 シャングリラの畑に大豆があっただけで、お豆腐だけじゃなくて、お醤油にお味噌。
 大豆って凄い、と改めて思う。
 それがシャングリラの畑に植わっていたなら…、と夢を見たくなる。
「前のぼくたちが大豆を育てて食べてたとしたら、凄くない?」
 お醤油にお味噌にお豆腐だよ?
 どれも人類の世界に無かったものだし、人類よりも豊かな食文化じゃない?
「いいな、グルメなシャングリラか」
 大豆を植えてりゃ、酒のつまみに枝豆だって食えるしな。あれは大豆の若い豆だからな。
「枝豆も大豆の内なんだ…。うんとグルメなシャングリラだね、ベジタリアンでも」
「うむ。精進料理の世界だな。追求してみる価値はあったかもな」
 肉を作れるようになっても、ベジタリアン向けとそうでないメニューを作ってみるとか。
 そういう発想は無かったなあ…。
「凄くゴージャスだよ、ベジタリアン向けのメニューまであれば」
「やりゃ良かったなあ…」
 大前提として大豆が要るが、だ。
 種になる豆は探せばあった筈だし、土だって改良出来たんだよなあ、俺たちミュウの得意技だ。
 長生きする分、時間はたっぷりあったんだからな。



「お味噌にお醤油だと、和風だけれど…。昆布の出汁はどうするの?」
 シャングリラで昆布は採れないよ、と言ってみたら。
「合成すれば何とかなったろ」
 それにアルテメシアに居た間だったら、天然ものの昆布が手に入ったかもしれないぞ。
 前の俺たちが海藻を食べる文化を知らなかっただけで、あそこの海にも色々と生えていた筈だ。
「うん。多分、昆布もワカメもあったんだろうね」
 前のぼくは海藻だな、と漠然と認識していただけだったけれど。
 大豆を栽培しているシャングリラだったら、きっとデータを調べたと思う。
 お醤油とお味噌を使う料理には昆布の出汁だと気付いたと思う。
 そしたら昆布とは何なのか調べて、基本は合成。余裕のある時はアルテメシアの海で本物を調達して来て、干して昆布を作るんだ。その昆布から天然ものの昆布出汁。
 昆布出汁が出来たら、お味噌汁とか色々作れた。
 前のぼくたちの時代には無かった、和食の文化を再現出来た…。



 豆だけだった時代に頑張ってみれば良かったかな、と思ったから。
 もっと豆を食べる文化を追求してれば、食料事情が変わってたかな、という気がしたから。
「前のぼく、もうちょっと豆を追求しておくべきだったかな?」
 タンパク源が豆しか無い、って考えるよりも、豆の良さを調べるべきだったかな?
 シャングリラで大豆を育てる方向に行くべきだったかもしれないね、ぼく。
 人類も育てていない大豆で頑張っておくべきだったのかも…。
「うむ。シャングリラに大豆は無かったんだが、豆との縁はしっかりあったな」
「えっ?」
「前のお前は眠っていたから知る筈もないが、ナスカでのことだ」
 あの星に最初に根付いた植物、豆だったんだぞ。
 桃色の花が咲く豆だった。
 トォニィの父親が育てていたなあ、ユウイって名前の若いミュウでな。
 生憎と事故で死んじまったが、トォニィはあの豆の花を「パパのお花」と呼んでたな…。
「そうなんだ…。トォニィのパパかあ…」
 前のぼくが知らない、トォニィの父親。
 最初の自然出産児だったトォニィと血が繋がった実の父親。
 その人がナスカで豆を育てていたなら、大豆も育てられただろうか。
 もしも大豆の種があったなら、ナスカでも大豆が育つようにと工夫をこらしてくれただろうか。大豆に合うよう土を探して、必要とあれば手を加えて。
 ナスカは大豆が育つ星になって、あの赤い星でもお味噌やお醤油を作れただろうか。
 お豆腐を作って、合成でも昆布の出汁を作って。
 独自の食文化を築き上げたミュウが、あの赤い星に居たのだろうか…。



 大豆を食文化の中心に据えて、ナスカでも大豆を栽培して。
 そんな風だったら面白かったかもね、とハーレイに言ったら「それ以上だ」と返事が返った。
「前の俺たちが人類とは違う食文化を築いていたなら、変わったかもなあ、色々とな」
「変わるって…。何が?」
 グルメなシャングリラのことだろうか、と思ったんだけど。
 ベジタリアン向けとそうでないメニューが出来ていたって意味なのかな、と思ったんだけれど。
 ハーレイがぼくに返した答えは、そんなレベルのものじゃなかった。
「分からんか? 捕虜にしたキースに豆腐田楽を食わせるとか、だ」
「ああ…!」
 それって、ミュウの文化を知ってもらうチャンス…。
 食べたことのない変な食事が出て来るんだものね、ビックリするよね?
 お味噌汁とかもちゃんとついてて、お醤油をかけた冷奴とかも。
 不味いんだったら「捕虜向けの餌か」と思うだろうけど、美味しいんだものね。
 ミュウを見る目が変わってたかもね……。



「そういうことだ」
 キースが同じように逃げたとしてもだ、その後が変わっていたかもしれん。
 報告を聞いたグランド・マザーがどう出て来たかは分からんが…。
 ミュウを徹底的に排除するよう出来ていただけに、殲滅しろとは言ったと思うが…。
 それを命じられたキースの判断がまるで違っていたかもしれんぞ。
 最終的にはグランド・マザーに逆らった男だ、ナスカの段階でサッサと見切りを付けてしまった可能性もゼロではないからな。
 なんたってミュウはただの異端分子というわけじゃなくて、独自の食文化を持った種族なんだ。そいつを星ごと滅ぼせだなんて、ちょっと判断に迷うと思わんか?
「…同じ攻撃しに来るにしても、メギドを持って来なかったとか?」
「でなきゃ最初から見逃すとかな」
 あの星には何もいませんでした、とグランド・マザーに言っても無駄だが、キースは頭の切れる男だった。
 俺たちに逃げろと警告してから攻撃してくりゃ被害は防げる。
 そのくらいのことは出来た男だ、メギドを持ち出せたヤツなんだからな。
 そうなれば俺たちはナスカから逃げて、キースの方でもグランド・マザーに逆らう道へと行っただろう。着実に出世して、昇進して。国家主席になった暁には、俺たちを地球へ呼んでたかもな。
 グランド・マザーを倒しに来ないかと、自由な世界を作らないかと。



 ぼくはポカンと口を開けてハーレイの話を聞いていた。
 確かにキースなら有り得た話。
 ぼくをメギドで撃ったキースはグランド・マザーに忠実な地球の男だったけれど、もしも根幹が揺らいでいたなら、どうだったか。
 何が真実かを自分の瞳で見極めるまでは、決して流されない男。キースはそういう人間だった。
 ミュウが自分たちとは違う種族だと、ただの異端ではないと気付けば命令違反もするだろう。
 本当に人類に仇なすものなのかどうか、確かめるまでは動かないだろう。
 其処まで行ったら、キースが辿るであろう道筋は国家主席となった後の彼の道筋と同じ。
 ミュウの存在を認め、グランド・マザーに逆らう方へと進んだ筈。
 彼なら若くても可能だった。
 ナスカに来た頃の若いキースでも、ミュウの、人類の未来を変えることが出来た…。



「そっか…。豆腐田楽が世界を救うんだ?」
 捕虜のキースに食べさせるだけで。
 「これは何だ?」と訊かれて答えるだけでいいんだ、「豆腐田楽です」って。
 お豆腐もお味噌も大豆で作って、こういう料理が出来るんです、って…。
「そうなるな」
 あいつがメギドを持って来なけりゃ、ナスカの悲劇は起こらない。
 前のお前も死なないわけだな、そもそもメギドが出て来ないんだからな?
「…凄すぎる豆腐田楽だけど?」
 前のぼくの代わりに豆腐田楽がメギドを止めるわけ?
 ぼくより凄いよ、止めるだけじゃなくて出て来ないようにしちゃうんだから。
「どうせなら冷奴に湯豆腐なんかも振る舞って、だ。豆腐尽くしのもてなしでどうだ?」
「やってみたかったね、捕虜のキースにお豆腐尽くし」
 熱々の豆腐田楽を出して、冷奴はうんと冷たくして。
 湯豆腐はもしも残っていたなら、本物の昆布でお出汁を取って。
「ああ、本当にやりたかったな。どんな風に歴史が変わっていたか、な」
 キースが豆腐田楽を美味いと思った瞬間から歴史が変わるんだ。
 実に愉快で爽快だったろうなあ、それで歴史が変わっていればな。



 シャングリラとナスカで大豆を育てて、お豆腐を作って、お味噌を作って。
 そのお豆腐とお味噌で作った豆腐田楽を捕虜にしたキースに出したら、歴史が変わる。
 キースが「美味しい」と思ってくれたら、メギドは出て来もしないで止まる。
 なんだか凄い。
 凄すぎるけれど、有り得たかもしれない一つの可能性。
 もしもシャングリラで大豆を育てていたなら、お豆腐とお味噌を作っていたなら。
 お醤油も作って、昆布の出汁を使う食文化を前のぼくたちが立派に築いていたなら…。
 シャングリラの畑にドカンと大豆。
 お豆腐とお味噌とお醤油を作るのに欠かせない大豆。
 本当にそれで歴史を変えていたなら、どうなっただろう?
「…その場合、ぼくたちは歴史に残ったのかな?」
「残ったんじゃないか? ミュウと人類との和解に至るって点では同じだ」
 ただし、お前は。
 メギドを止めた英雄じゃなくて、豆腐で世界を救ったソルジャーってことになるんだろうが。
「じゃあ、ハーレイは?」
「キャプテンだからなあ、大豆畑の最高責任者って所だろうさ」
 教科書に載せて貰える写真がキャプテンの制服じゃなかったかもしれん。
 大豆畑の責任者らしく、作業服を着て農作業中の写真だとかな。



 お豆腐で世界を救ったソルジャー・ブルーと、大豆畑の最高責任者のキャプテン・ハーレイ。
 ハーレイが言う通り、教科書に載せられるキャプテンの写真は作業服での写真かもしれない。
 前のぼくだって、ソルジャーの衣装を纏ってはいても背景が大豆畑とか。
 でなければ、写真の脇に別枠で豆腐田楽の写真がくっついてるとか。
 歴史を変えた豆腐田楽はきっと、伝説のレシピになっただろう。
 調理実習では必ず教わる定番の料理で、お豆腐屋さんは偉大な職業。
 もしかしたらシャングリラからの伝統を受け継ぐお豆腐屋さんがあったかもしれない。気が遠くなるほどの長い歴史を重ねた凄い老舗のお豆腐屋さん。
「…初代の店長がトォニィだったりするのかな? うんと老舗のお豆腐屋さん…」
「いやいや、そこはお前の名前だろ? 最初に豆腐を作ったんだし」
「そうなるわけ? 初代のソルジャーで初代店長なんだ?」
 歴史も変わるけど、ぼくとハーレイの扱いまで全く変わってしまいそうな世界。
 お互いイメージが全然違うね、と二人で笑い合ったけど。
 大豆畑で枝豆の束を抱えて立ってる、作業服のハーレイまで想像して笑い転げたけれど。
 そんな「もしも」を語れる世界に来られて良かった。
 ハーレイと二人で来られて良かった。
 季節外れの木の芽田楽が美味しい世界。
 お豆腐が美味しい、いい水が湧き出すぼくたちの町に。
 大豆を育てる光と水と土とが揃った、蘇った青いこの地球の上に…。




          豆腐の可能性・了

※もしもナスカで大豆を育てて、豆腐を作っていたならば…。それをキースが食べたなら。
 全ては夢のお話ですけど、きっと本当に歴史は変わっていたのでしょうね。
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「トマトか…。お前に食わせてやりたかったな…」
 ハーレイが唐突に呟いた言葉に、ブルーは赤い瞳を丸くした。
「なんで? トマトだったら、今、食べてるよ?」
 ブルーの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせの昼食の時間。スープにサラダに、メイン料理のスタッフドトマト。
 くり抜いたトマトに米と挽肉、刻んだハーブを詰めてオーブンで焼き上げた、ブルーの母の得意料理の一つ。食の細いブルーには一個で、身体の大きいハーレイには三個。
 それを食べている最中なのに、どうしてトマトだなどと言い出すのか。
 怪訝そうな顔のブルーに、ハーレイは「すまん、言葉が足りなかったか」と苦笑した。
「お前はお前でも、前のお前だ。これを見たら思い出してしまってな…」
「前のぼく?」
「ああ。トマトだけじゃなくて、キュウリもナスも…。他にも沢山あったっけなあ…」
「前のぼくだって食べてたよ?」
 シャングリラで作っていたじゃない、とブルーは首を傾げたのだけれど。
「ナスカだ、ナスカ」
 食ってないだろ、とハーレイはブルーの瞳を見詰めた。
「あの星で採れた、いろんな野菜。お前、食わずに逝っちまったしな」
 お前が目覚めた時にはシャングリラ中がゴタゴタしていたからな…。
 野菜どころじゃなかったろ、お前?



 十五年もの長い歳月を眠り続けたソルジャー・ブルー。
 その目覚めは変動の予兆そのもので、ミュウに災いを齎す地球の男からシャングリラを、仲間を守るためのもので。
 ブルーに残された時間は少なく、その時間さえもが混乱の中で過ぎて行ったようなもの。僅かな時間しか無かったブルーと、多忙すぎたキャプテンのハーレイと。
 二人きりで会える時間は無かった。ろくに言葉も交わせなかった。
 それが悔しい、とハーレイは辛そうな顔をする。今でも悲しくて悔しいのだ、と。
「ナスカの野菜を味わうどころか、俺の野菜スープも飲まないままで逝っちまったな、とな…」
 俺の野菜スープも、きっと美味かっただろうと思うんだ。
 いつだったか、お前が地球の野菜スープが美味い、と言ったみたいに。
 レシピを変えてしまったのか、と訊いてたろ?
「そういえば…。美味しいんだよね、今のハーレイの野菜のスープ」
「地球の光と水と土とが育てた野菜だからな。同じ野菜でも美味くなるんだ、不思議なもんだ」
 だからナスカで採れた野菜も美味かった筈だと思わんか?
 前のお前に食わせたかった。
 こんなに美味い野菜が出来たと、野菜スープも美味いんだぞ、と…。



 だが、とハーレイの顔が苦しげに歪む。まるであの日に戻ったかのように。
「…俺はお前に野菜スープを作るどころか、一緒に眠ってさえやれなかった。…愛しているとさえ言えなかったな、せっかくお前が目覚めたというのに…」
「仕方がないよ」
 気にしないで、とブルーは微笑み、「ぼくなら平気」とハーブ風味の米をスプーンで掬った。
「ぼくはソルジャーだったんだから。そして君はシャングリラを預かるキャプテンだった」
 そんな時間は無くて当然、と米を頬張り、健気に振舞うブルーだったけれど。
 本当の所は辛くなかった筈がない。
 今もブルーは覚えている。
 ハーレイとの十五年ぶりの優しい時間すら持てず、いたずらに流れ去った遠い日のことを。
 赤い星に迫った災いの時をただ待つだけしかなかった日々を…。



 長老たちと一緒の公式な見舞い。
 それがハーレイが青の間を訪れた、ただ一度だけの時だった。
 キャプテンとしてブルーの身体を気遣い、ゼルたちと共に状況の報告や今後の方針などを伝えただけの短い訪問。私的な会話は一切無かった。ソルジャーとキャプテン、それぞれの立場での言葉のみを交わしてハーレイは青の間を辞し、自分の持ち場へと戻って行った。
 非常警戒態勢に入ったシャングリラでは、キャプテンは自室を離れられない。ブリッジに居ない時は自室で待機が鉄則だったし、そのように作られた部屋がキャプテンの私室。ブリッジと緊急の連絡が取れて、指示も下せる設備が整った部屋。
 ハーレイは其処から動くことが出来ず、自室に居なければ居場所はブリッジ。
 青の間で静養中のブルーの方でも、医療スタッフや医療機器に見守られていては動けはしない。許可を得られれば短時間の外出は可能だけれども、ハーレイの部屋には出掛けられない。
 今後のことで相談があるから、と嘘をついて訪ねることは出来ても、恋人同士の逢瀬を持ったら何かあった時に全てが知れる。
 長い年月、隠し続けてきたハーレイとの仲が、シャングリラ中に。
 そうなることが分かっていたから、ブルーは会いには行けなかった。ハーレイが来られないのも分かっていたから、流れ去る時をただ見ていただけ。
 残された時間が減ってゆくのを唇を噛んで見ていただけ。
 堪え切れずにフィシスの許を訪ねたけれども、辛さが増しただけだった。
 フィシスを抱き締め、慰めることは出来るのに。
 どうして自分を抱き締めてくれる逞しい腕は何処にも無くて、恋人の声さえ聞けないのかと。
 何故ハーレイとキスさえ交わせず、死に赴かねばならないのかと…。



 遥かな昔を思い出して俯くブルーに、ハーレイが「すまん」と謝った。
「前の俺の配慮ってヤツが足りなかったんだ。スープ作りなら堂々と青の間に行けただろ?」
 キャプテンとしてな。
 前のお前がダウンした時には俺の野菜スープしか飲めないってことは皆、知っていたし。
「そうだけど…。ぼくは普通に食事が出来たし、君にはそんな時間は無かった」
 ブリッジに居なければ、キャプテンの部屋か移動中か。
 そうだったでしょ?
 ぼくにはちゃんと分かっていたよ、とブルーはフォークでトマトをつつく。オーブンで加熱したトマトは皺が寄っていて、それでもトマトの形はそのまま。
 中身を殆ど掬って食べてからトマトを食べるのがブルーの好みで、底に残ったハーブ風味の米とトマトとを混ぜながら口へ。けれど、トマトの中にはまだたっぷりと具が入っている。
 ハーレイの方は一個目のトマトを食べ終え、二個目の蓋を外しながら。
「いや、通信手段さえ確保していれば行けたんだ。スープを作る間くらいは」
 スープを作りに行ってきます、と嘘をつく度胸さえ無かったキャプテンだ、俺は。
 お前が独りぼっちだってことは分かってたのにな…。
「ううん、仕事を大切にしただけ。キャプテンの役目を果たしただけだよ」
 ぼくが本当のソルジャーだったら、野菜スープを作る間に作戦会議ってこともあるけれど…。
 ソルジャーはとうにジョミーだったし、スープ作りの時間は無駄だよ。
 ぼくと会うだけの、ただの恋人同士の時間で何の役にも立ちはしないよ。
 ハーレイはそれに気付いていたから、来なかっただけ。
 青の間でスープを作る代わりに、キャプテンの仕事をしていただけ…。



「それはそうかもしれないが…」
 実際そうでもあったのだろうが、とハーレイはトマトに詰まった米を掬って。
「俺がスープを作りに行けていたなら…。そしたら、お前は美味いスープを飲めたんだ」
 こんな美味しいスープがあるのか、と言ってくれたかもしれないな。
 レシピをこっそり変えたんじゃないかと、今のお前と同じことをな…。
「そうだね。そう言ったかもしれないね…」
 それに、最後に食べる食事がハーレイのスープだったら良かった…。
 ハーレイが作ってくれたスープを美味しく飲んで、それから死ねたら幸せだったよ。
 …それでもやっぱり泣いただろうけど。
 ハーレイの温もりを失くしてしまって泣いただろうけど、スープの分だけ涙が減った。
 きっと、減ってた…。



 本当に減っていたのだろう、とブルーは遠く過ぎ去った日の悲しみを思う。
 もしもハーレイと、僅かであっても私的な会話を交わせていたなら。
 ハーレイが作った野菜スープを、「美味いと言ってくれただろう」と話すナスカの野菜で作ったスープを味わえていたなら、きっと心に温もりがあった。
 右の手が冷たく凍えようとも、思い出は心に残っていた。
 ハーレイの姿と声とは確かに記憶に残っていたのに、温もりを失くしてしまった自分。けれどもスープの美味しさを、ハーレイの優しさを心に刻んでいたなら、きっと心が温かかった。
 その温かさの分、涙は減った。
 独りぼっちなことに変わりはなくても、暖かな思い出に縋れたから。
 束の間、味わった幸せに縋れる分だけ、涙は幾粒か減っただろう。
 もうハーレイには会えないのだと泣きじゃくりながらも、最後に飲ませて貰ったスープの優しい味と温かさとに少しは救われていただろう。
 あれを飲めただけでも幸せだったと、幸せな思い出だけは持って逝けるのだと…。



「お前、本当は何を食ったんだ?」
 最後の食事、とハーレイに問われて、ブルーは「同じだよ?」と遠い記憶を手繰り寄せた。
「あの日のお昼御飯でしょ? ハーレイと同じ」
 いつも通りの時間に届いたし、特に何か言われた覚えも無いし…。
 だから、みんなと同じだよ。
 ハーレイが何処で食べたのかは知らないけれども、普通の食堂の御飯だったよ。
「そうか…。ナスカの野菜ですらなかったんだな、やっぱりな…」
「そうだったの?」
 何も考えていなかったから、とブルーは遠い遠い記憶を探ったけれど。
 迫り来る死に、ハーレイとの別れに囚われていた心は食事の味まで覚えてはいない。ハーレイが美味しかったと語ったナスカの野菜が使われていても、恐らく気付きはしなかったろう。
 けれどハーレイが悲しそうな顔をするから、もう一度重ねて訊いてみる。
「あの食事、シャングリラの野菜だったんだ?」
「…ああ。お前が何も訊かれなかったなら、間違いなくシャングリラの野菜だな」
 ナスカの野菜は好き嫌いが分かれた。
 俺は美味いと思ってたんだが、食いたくないヤツらも中にはいたんだ。
 ナスカなんぞで暮らしているより地球へ行こうと主張するヤツらは食わなかった。
 だから若い連中向けの料理には使っていた筈なんだが、古株向けはな…。
 同じメニューでも素材が違う、というヤツだ。
 お前は古株の中の古株なんだし、試食しますかと訊かれなかったならシャングリラの野菜だ。



 ブルーは驚いて目を見開いた。
 ナスカに居た頃、若い世代との対立があったとは今のハーレイから聞いていたけれど、食事用の野菜までが別にされるほどに激しいものとは思わなかった。
 どおりでナスカに残ろうとした者が多かった筈だ、と今になって気付く。明らかに危険が迫っているのに何故逃げないのかと不思議だったが、彼らにとってはナスカこそが居場所だったのだと。
「…野菜まで別にしてたんだったら、ナスカに残りたがるのも無理はないよね…」
「俺に言わせりゃ、馬鹿だがな。一旦逃げてだ、何事も無ければ戻るっていうのが普通だろ?」
 それが避難というヤツだ。
 安全を確認出来たら戻るって選択も可能ではある。
 いくらあの時点で「二度とナスカには戻らない」と言いはしてもだ、安全ならな。
「うん。安全だったら捨てる必要は無いものね、ナスカ…」
「せっかく開拓したんだしな? だが、若い連中には危機感ってヤツが欠けていたんだ」
 その結果として、あの惨事だ。
 自業自得なヤツらはともかく、俺たちはお前まで失くしちまった。
 もっとも俺たち古い世代も努力不足ではあったと思う。
 俺はともかく、頑固なヤツら。
 ナスカの野菜なんかが食えるものか、と言ってたヤツらの意識を変えておくべきだった。
 そうしたら同じナスカを離れるにしても、一時撤退って形を取れていたかもなあ…。



「ナスカの野菜、そこまで嫌われ者だったんだ?」
 ハーレイが食べたら美味しかったのに、食べようとしない人、多かったんだ?
「まあな。…ゼルが初めてナスカのトマトを食った時には、お前が居なかったくらいだからな」
「…ぼくが死んだ後?」
 ナスカが無くなった後のことか、とブルーは仰天したものの。
 どうしてゼルが食べようという気になったものか、ということの方が気にかかる。
 それを問えば、ハーレイは「怒るなよ?」と苦い笑みを浮かべた。
「お前のお蔭で逃げ延びた後、俺たちは天体の間に集まってジョミーの指示を待っていた。…俺は緊張の糸が切れたっていう感じでな…。お前の名前を呼びながら泣いていたんだが…」
 その時にゼルが食っていたんだ、「こんなに美味かったんじゃのう…。ハロルド」って、死んだ若いヤツの名を呟きながらな。
 俺は一瞬、激しい怒りを覚えたさ。どうしてお前の名を呼ばないのか、と。
 だがな、殴り飛ばしたくなった途端にゼルの心の奥底が見えた。だから殴らずに見守れたんだ。
「…何か理由があったんだね? ぼくの名前を呼ばなかった理由」
「そうだ。だから怒るなと先に言っておいた筈だぞ」
 ゼルはアルタミラで弟を亡くしている分、仲間を亡くした若いヤツらの気持ちも分かった。
 それでお前を呼べなかった。お前の名前は俺たちが呼ぶに決まっているからな。
 若いヤツらのためにナスカで死んだヤツの名前を呼んでだ、あえてお前を呼ばなかった。
 そして初めてのトマトも食うことにしたんだ、厨房から持ってこさせてな。
 死んだヤツらが育てたトマトだ、それを味わって食ってやるのが何よりの供養になるだろうが。



 ゼルの気持ちは分かったけれども、今度はトマトがブルーの心に引っ掛かった。
 母のスタッフドトマトは確かに美味しい。けれど野菜は他にも色々。生で食べるには適しているからゼルはトマトを持ってこさせたのか、それ以外の理由もあったりするのか。
 これは訊かねば、とハーレイの鳶色の瞳を見上げる。
「そこでトマトを選ぶんだ? トマトが一番自慢の味の野菜だったとか、そんな意味もある?」
「自慢の味と言うか、ナスカで最初に実った野菜と言うか…。最初に根付いたものは豆だが、豆はそのままじゃ食えんしな? 生で食える野菜としてはトマトが最初だ」
 それだけに熟練の味だったな、うん。
 ナスカに居た間に劇的に味が向上してたぞ、実に美味かった。
「ぼくもそのトマト、食べたかったよ。野菜が別だって知っていたなら、注文したかも…」
「ゼルとしては供えていたんだと思うぞ、お前にな」
 声に出していたのは若いヤツらの名前だったが、心の中ではちゃんとお前を呼んでいた。
 俺には分かった。ゼルがお前の名前を呼びながら号泣していたのがな。
 …で、食えたか?
 ゼルがお前に供えたナスカのトマト。
「さあ…? どうなんだろう、覚えてないや」
 でも、そのトマトって、生だよね?
「調理済みではなかったな」
「そっか…。じゃあ、味の違いが際立ったかな?」
 食べてみたかったな、ナスカのトマト。
 ちょっと生のトマトを食べたい気分がするけれど…。残念、今日のサラダはトマトじゃないね。
「おいおい、メインがコレだぞ?」
 サラダまでトマトだとやりすぎだ。
 一個しか食わないお前はともかく、俺はトマトが三個分だしな?



 ゼルが前の自分にナスカのトマトを供えてくれていた、とハーレイから聞かされたブルーは遠い記憶を探るけれども、生憎とメギドから後は分からなかった。記憶の糸はプツリと途切れて、今の生へと繋がっている。生まれ変わるまでの間に何処に居たのかも定かではなくて。
「…前のぼくって、食べられたのかな? ゼルのトマト…」
「食ってくれていたなら嬉しいが…」
 嬉しいんだが、とハーレイは複雑な表情になった。
「その一方で俺としては腹立たしくもあるな。俺のスープは飲んで貰えなかったのに、とな」
 お前にナスカの野菜のスープを作ってやりたかったのに。
 美味いのを飲ませてやりたかったのに…。
「だったら、ぼくは食べていないよ、きっと。…ゼルのトマトは」
 ハーレイの気持ち、伝わっていたと思うから。
 どんなにゼルに貰ったトマトが美味しそうでも、食べないよ。
 ハーレイがぼくに飲ませたかったスープを飲んでないのに、ゼルのトマトは食べられないよ。
「そうなのか?」
「うん。ハーレイが悲しがるようなことはしないよ、メギドだけで沢山」
 勝手に飛んでしまって悲しませたから、と口にする小さなブルーをハーレイが軽く睨み付けて。
「充分に悲しかったがな? そのメギドのせいで」
「だからそれ以上はやらないってば」
 ゼルのトマトだけを美味しく食べて、ハーレイを悲しい気持ちにはさせないよ。
 ハーレイのスープを飲んでいないのに、トマトなんかは食べないよ…。



 決して食べないし食べてはいない、とブルーは笑みを浮かべて言った。
 ナスカのトマトは気になるけれども、食べられるものなら食べたかったけれど、ハーレイが作るスープの方が良かったと。
 それを最後に飲みたかったし、それが無いならナスカのトマトも要らないのだと。
「…それにね、今は美味しい地球のトマトが食べられるから」
 ナスカのトマトにはこだわらないよ。
 絶対に地球のトマトの方が美味しいトマトに決まっているもの。
「違いないな」
 その点は両方を食べた俺が保証する、とハーレイが大きく頷いてみせる。
「やっぱり美味さが全然違うぞ、シャングリラのとナスカのトマトの違いよりデカイな」
「そこまで違うの?」
「ああ、違う」
 それだけ地球のトマトは美味い。
 うんと美味いし、いつか俺たちが結婚したら…。
 お前の野菜スープ専用の畑を作ろうか、って言ってただろう?
 その畑のメインはトマトにしとくか?
 ナスカで一番自慢の野菜で、ゼルがお前に供えたトマトだ。記念にどうだ?
「うーん…。記念はいいけど、そうなると野菜スープがトマト風味になってしまわない?」
 ぼくが一番好きな味とはちょっと違うかも。
 ハーレイ、レシピを変えちゃうつもり?
「確かになあ…。トマトベースだと別物だからなあ…」
 塩と野菜の旨味だけっていうのがお前好みの味だしな。
 トマトは入れてもほんのちょっぴり、他の野菜が多めだっけな?




 畑のメインをトマトにするのはやめておくか、とハーレイは三個目のスタッフドトマトを食べるべく蓋を開けにかかる。
 ブルーはと言えば、一個しか無かった自分のトマトの皮と残った米とを混ぜ合わせている最中。普段だったら食べ終えている頃だけれども、話に夢中で手が遅い。
 そんなブルーの手元を見ながら、ハーレイがしみじみと先刻の話題を繰り返した。
「…しかしだ、お前に飲ませたかったな、ナスカの野菜で作ったスープ…」
「ぼくも最後に飲みたかったよ、ハーレイのスープ」
 ハーレイが言うから飲みたくなった、とブルーはクスクスと小さく笑った。
「だけど、とっくに手遅れだもの。前のぼくは死んじゃって、今のぼくになっちゃったしね」
 ハーレイのスープ、今は地球の野菜のスープになったよ。
 ナスカの野菜のは飲み損ねたけど、地球の野菜のスープは一生、作ってくれるんだよね?
「そりゃあ、野菜畑まで作る予定だ、作ってやるが…」
 いくらでも作るが、他の料理にも開眼しろよ?
 最後の晩餐が野菜スープっていうのは悲しいぞ。
 前のお前の頃ならともかく、今じゃ料理も素材も食べ放題で選び放題だ。
 今度は野菜スープだなんて言わずに、もっとゴージャスなのを注文してくれ。



 そういう話題は王道だぞ、とハーレイはブルーに微笑みかけた。
 最後の食事に何を食べたいか、何を食べるかと好物を挙げて楽しむのだと。
 学生時代はそうした話に興じたものだし、今でも同僚とああだこうだと笑い合うのだ、と。
「お前の年では、まだやらないか…。飯よりも菓子が挙がりそうだしな、ガキだしな?」
「ガキは酷いよ!」
 酷い、と抗議しつつも、ブルーは少し考えてみて。
「…ぼくはハーレイと一緒に食べられるんなら何でもいいよ、最後の晩餐」
「ほう、そうか? 何でもいいのか」
 じゃあ、ステーキだ。
 食べ応えのある美味いのを食おうじゃないか。
「いいよ? …ぼく、食べ切れないかもしれないけれど…」
「寿司かもしれんが?」
 ありったけのネタを端から注文して食っていくんだ、楽しいもんだぞ。
 美味い酒があればもっといいな。
 前のお前も今のお前も酒は駄目そうだが、最後の晩餐とくれば付き合え。
 酒は舐めるだけでもいいから、寿司ネタは端から端までな。
 なあに、少し齧って俺に寄越せば制覇出来るさ、お前のちっぽけな胃袋でもな。



 難しそうな注文ばかりが挙がるけれども、ブルーは「うん」と笑顔で応えた。
「お寿司でも寄せ鍋でも、何でもいいよ」
 ハーレイと一緒に食べられるんなら、ぼくには最高の御馳走だから。
 前のぼくは最後の食事を一緒に食べられなかったから……。
 それにスープだって飲めなかった。
 ハーレイが作る野菜のスープ。ナスカの野菜で作ったスープ…。
「ふむ…。俺の料理でも満足か、お前」
「そうだよ? 別にお店で食べなくっても、ハーレイの料理で充分なんだよ」
 だって、ハーレイが作ってくれるだけで美味しいに決まっているんだもの。
 ステーキもお寿司も、ハーレイが食べに行きたいんだったら付き合うけれども、ぼくが食べたい最後の晩餐はハーレイの料理。
 野菜スープでも何でもいいから、ハーレイの料理が食べたいな…。
「俺の料理か…。よし、思い切り腕を奮うか、何百年後になるかは知らないけどな」
 なんたって最後の晩餐だからな、俺たちが何年生きるかによるな。
 それまでに腕を磨いておこう。
 お前も食いたい料理を増やして、野菜スープだなんてケチな注文するんじゃないぞ?
「うん。それを食べたら…。最後の晩餐を一緒に食べたら、約束通り死ぬのも一緒だよ?」
 そしてまた何処かに一緒に生まれてこようね、思い出の味を食べられるようにね。
「ああ。いつまでも、何処までも一緒に行こうな、ブルー」
 今度こそ、何処までも一緒に行こう。
 次に二人で生まれ変わっても、その次も、そのまた次もな…。



 一緒に行こう、と微笑み交わして、約束をして。
 指切りをする二人の前に置かれた皿にはトマトのヘタだけが残っていた。
 ブルーの皿にはヘタが一個で、ハーレイの皿には三個分のヘタ。
 幸せな約束を見届けた四個のトマトは、地球の大地で育ったトマト。
 青く蘇った地球の光と水と土とで育ったトマト。
 ナスカのトマトよりも遥かに美味しいトマトを育てる母なる地球。
 その地球の上に生まれ変わって、恋人たちは幸せな時を生きてゆく。
 今度こそ二人離れることなく、何処までも二人、手をしっかりと繋ぎ合って……。




           赤い星のトマト・了

※ナスカのトマト。…個人的には非常に恨みがあった代物、アニテラ17話のせいで。
 「なんでハロルドだよ! ブルーの名前じゃないんだよ、ゼル!」と。
 ようやっと恨みを晴らせた作品、自分語りをしてしまうほどに。…トマトなんです。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv





 山ブドウのジュース。赤ワインみたいに綺麗な色をしていて、ちょっぴり酸っぱい。
 パパが友達から旅行のお土産に貰って来たから、ハーレイにも。
「ほほう…! 山ブドウか、こいつは美味いな」
「でしょ? 美味しいよね、普通のブドウのジュースも美味しいけれど」
 ハーレイの笑顔までが「美味しいぞ」って言っているようで、とても嬉しい。ハーレイは何でも美味しそうに食べるんだけれど、やっぱり特別な顔があるから。ホントのホントにお気に入りって味に出会った時には、ちゃんとそういう顔になるから。
 たとえば、ぼくのママが焼くパウンドケーキ。ハーレイのお母さんが作るパウンドケーキの味にそっくりらしくて、大好物。パウンドケーキをおやつに出したら、ハーレイの表情はもう最高。
 山ブドウのジュースはパウンドケーキには敵わないけど、素敵な評価を得られたみたい。
(ふふっ)
 出してよかった、とジュースをストローで飲むハーレイを見ていたら。
「山ブドウなあ…。それも天然のか」
「うんっ! 畑のじゃないってパパが言ってた」
 お洒落なラベルなんかは貼ってなかった山ブドウのジュースが詰まった瓶。手作りだって感じが溢れる素朴なラベルに「山ぶどうジュース」の文字と、作った人の名前とかだけ。
 パパの友達は旅行先に親しい友達が住んでて、その人から貰って来たらしい。大きな食料品店に卸すだけの量は作れないから、地元でだけ売られているジュース。自然に生えている山ブドウの実だけで作った、混じりっ気なしの天然もの。
 パパとママとぼくで飲んでみて、美味しかったから。
 ハーレイにも出そうっていうことになった。自然の恵みの山ブドウのジュース。



「ふうむ…。ブドウが自然に育つとはなあ、流石は地球だな」
 感心しているハーレイの言葉で気が付いた。天然ものの山ブドウだから自然のブドウ。
「そういえば、そうだね。…なんだか凄いね」
 シャングリラでは農園で大切に栽培していたブドウ。
 楽園という名の白い鯨に広い畑はあったけれども、手をかけて世話をしてやらなければブドウは実りはしなかった。栗の木みたいに公園や居住区の庭に植えておくだけで沢山の実がなるわけではなかった。
 きちんとブドウ専用の区画を設けて、棚を作ったり枝を剪定してやったり。農園専属のクルーがせっせと世話をし、見事なブドウがたわわに実る。
 今の地球ではブドウ農園に出掛けてブドウ狩りなんかも出来るけれども、シャングリラの農園で実ったブドウは係のクルーが一房ずつ気を付けて収穫していた。子供たちはそれを見学するだけ。ブドウ狩りなんて夢のまた夢、「美味しそう…」って見ていただけ。
 そうやって採れたブドウはフルーツとして食卓に上った。
 房で出されるわけじゃなくって、一人ずつ、お皿に何粒か。それがシャングリラの精一杯。
 ソルジャーだったぼくは「冷やしておけば日持ちしますから」と一房貰ったりしたんだけれど、「少しでいいよ」と遠慮しておいた。ハーレイと二人で食べる分だけあれば良かった。
 だから自分で「このくらいかな」って思う辺りで房をハサミでパチンと切って。
 それを青の間にあるお皿に移して、残りのブドウは運んで来たクルーに「これで充分」と返しておいた。新鮮な間に子供たちにでも分けてあげて、と。
 一房食べるなんて贅沢すぎたシャングリラのブドウ。
 美味しかったけど、ハーレイと二人で食べるにしたって一房は贅沢すぎると思ってたブドウ。



 その貴重なブドウでレーズンとかも作ったけれども、子供たちのためにブドウのジュース。
 合成品じゃない果物のジュースは身体にいいから、ブドウを作っていた主な目的は果汁を絞ってジュースにするため。それと料理やお菓子に役立つレーズン。
 保存が利くジュースやレーズン作りが最優先だから、採れたての新鮮なブドウの実を沢山食べるわけにはいかない。ブドウが実った時にちょっぴり、僅かな量を食べるだけ。
 ブドウのジュースをメインに作る傍ら、大人たちのために、ほんの少しのワインを作った。
 お祝い事なんて無かったけれども、そういう時に飲むために。
 閉ざされた船の中だけの世界に住むぼくたちには誕生日のパーティーすらも無かった。
 ぼくも含めたアルタミラからの脱出組には、誕生日そのものが無かったから。成人検査で記憶を奪われた上に、繰り返された人体実験。過酷な日々を過ごす間に、誕生日なんて忘れてしまった。
 ソルジャーや長老たちに誕生日が無いから、後で加わった仲間たちは遠慮してしまって。
 ちゃんと誕生日を覚えていたって、親しい仲間と個人的に祝い合うだけで誕生日のパーティーは一切無かった。
 子供たちのために養育部門が催す誕生日パーティーはあったけれども、ワインは要らない。
 お酒を飲めない子供たちのパーティーにワインなんかは必要じゃない。
 お祝い事の無かったシャングリラ。
 たまにカップルが成立した時にも結婚披露のパーティーは無くて、内輪でお祝い。船を挙げてのお祝い事の席ではないから、ワインはやっぱり出なかった。



 お祝い事らしいイベントと言えば、クリスマス。
 人類はクリスマスを祝っていたけど、ぼくたちのシャングリラにもクリスマスはあった。一年に一度のクリスマス。成人検査よりも前の記憶が無くても、クリスマスのことは覚えてた。
 一緒に祝った養父母の顔もパーティーの御馳走も忘れたけれども、とても素敵な日だった、と。サンタクロースがやって来ることも、ちゃんと記憶に残っていた。
 だけど、シャングリラのクリスマスは子供たちのための楽しいイベント。
 夜になったらサンタクロースが来てくれる日で、パーティーの主役も子供たち。
 そう、サンタクロースもシャングリラに居た。正体は養育部門のクルーだったけど、あの独特の赤い服を着て、真っ白な髭もくっつけて。プレゼントが詰まった白い袋を担いで、夜更けの通路を歩いてゆくんだ。子供たちが眠る部屋を目指して。
 ずうっと昔は大人しかいなくて、人類から奪った物資でクリスマスを祝ったこともあったけど。
 奪った物資に紛れていた本物のお酒で乾杯して祝っていたんだけれど…。
 子供たちが主役になってから後は、クリスマスはお酒抜きでのパーティー。
 お祝い事には違いないけれど、ミュウの未来を担う子供たちにうんと楽しんで欲しかったから。
 大人たちはパーティーの席ではお酒を一切飲まずに、後で個人的に飲んでいた。
 個人的な酒宴には合成品のお酒で充分、貴重なワインは出さなくていい。
 シャングリラで採れたブドウのワインは、本当のお祝い事の時にしか出さなくていい…。



 クリスマスにも飲まずに取っておいた貴重なワイン。
 他にどんなお祝い事があると言うんだ、って誰もに笑われそうだけど。
 それは今だからそう言えることで、人間がみんなミュウになった平和な時代だからこそ。
 前のぼくたちにはクリスマスよりもずうっと大切なお祝い事の日があったんだ。
 楽園という名の白い鯨で暮らしたぼくたち。
 ぼくが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 そのシャングリラで採れたブドウのワインは、年越しのイベントの時に使った。
 正確な時を刻み続けるブリッジの時計が示す銀河標準時間。二十四時間の一日と三百六十五日の一年が基本の地球の時間を元にした時間。それが一月一日の午前零時になるのをシャングリラ中の仲間たちが待った。それぞれの持ち場で、ブリッジが見える公園などで。
 カウントダウンを待つ間に配られるグラスに一人一杯のワイン。
 シャングリラのブドウの実から作った赤ワイン。
 グラスを手にして待ち受ける仲間たちに新年の到来を告げて、乾杯の音頭を取っていたのが前のぼく。ブリッジの中央に立って、赤ワインを満たしたグラスを高く掲げて。
「シャングリラのみんな、新年おめでとう。新しい年が良き年でありますように。乾杯!」
 乾杯! と唱和する声が返って、船のあちこちでグラスを傾けながら皆が喜び、祈る。
 新しい年を無事に迎えられたと、また一年間生き延びられたと。
 迎えたばかりの新しい年も、生きてゆくことが出来ますように、と。



 遠い昔にはワインは神様の血だと言われていたというから。
 SD体制が始まるよりも前の時代の暦の始まりの年に生まれた神様、クリスマスに地球の小さな馬小屋で生まれたと伝わる神様の血。
 前のぼくたちの時代にはクリスマスだけで、神様も居たというだけで。神様の身体だとされてた儀式用の小さなパンも無ければ、赤ワインを神様の血になぞらえるための儀式も無かった。
 だけど、前のぼくは赤ワインが神様の血だった時代が確かにあったと知っていたから。失くした記憶の代わりに詰め込んだ知識の一つとして知っていたから、年越しのイベントに赤ワイン。
 神様の血だという赤ワインを飲んで、新しい年の無事を願った。
 ぼくたちの船を、仲間たちを守って下さいと。
 一人でも多くのミュウを救い出すことが出来ますようにと、ミュウの未来が拓けますようにと。



 神様は今じゃ沢山復活しちゃって、お守りなんかも色々あるけど、あの頃は一人。
 前のぼくが生きていた時代は神様はたった一人だけだった。
(…なんでだろう?)
 人間が住む惑星は沢山あったし、神様やお守りも何種類かあっても良かっただろうに。
 神様を一人に絞らなくても、もう少し多くても良かったように思うんだけど…。
 だって、データは残ってた。クリスマスが誕生日の神様の他にも居た何人もの神様たち。聖書の他にも色々な本とかが残っていたのに、それを根拠とする神様たちは居なかった。
(グランド・マザーが統治しやすいようにかな?)
 神様の種類が増えたら、神様を心の拠り所にする人間の種類もそれだけ増える。
 マザー・システムお得意の人間の心を分析したり、場合によっては記憶ごと書き換えて従わせる仕組みを楽に使いたければ、心の種類は少なめがいい。パターンは少ないほど便利。
 そのために神様は一人に絞っておいたのだろうか、と推測してみるけれども。
 一人だけに絞られてしまったとはいえ、神様という概念が無くならなかったことは凄いと思う。
 グランド・マザーにも、マザー・システムにも消し去ることが出来なかった神様。
 人間から神様を取り上げることは、あの非人間的なシステムをもってしても不可能だった。
 だから神様は居るんだと思う。
 クリスマスが誕生日の神様は絶対確実に居るし、復活してきた神様たちも、きっと。
 ぼくがハーレイに出会えるように、と聖痕をぼくにくれた神様。
 聖痕は本来、神様が身体に負った傷痕そっくりなもの。
 SD体制の時代にも生き残っていた、クリスマス生まれの神様が死ぬ時に負った傷痕。
 その神様の血だと言われた赤ワイン。
 赤ワインを飲んで神様にきちんと祈っていたから、神様はぼくに聖痕をくれたのかもね…。



 ハーレイにそんな話をしてみたら、「そうかもな」と頷いてくれて。
「あの頃のワインは貴重だったな、本物は一年に一度だけだしな? しかも一人に一杯だけだ」
「うん。今じゃワインも色々あるよね」
 ぼくは飲めないけど、本物のワイン。赤だけじゃなくて、白とかロゼとか…。
 シャングリラでは赤ワインだって普段は合成だったのに。
「うむ。酒好きの俺としては実に嬉しい」
 前の俺たちの頃も人類はあれこれとワインを楽しんでいたんだろうが…。
 前のお前が奪った物資にも白やらロゼやら紛れてたしな?
 しかしだ、今は地球のワインだ。地球で作られた美味いワインを飲み放題だ。



 いい時代だ、とハーレイは笑顔なんだけど。
 小さなぼくはワインを飲めはしないし、大きくなっても飲めるかどうか…。
「ぼく、地球のワインは楽しめないかもしれないんだけど…」
 前のぼくはお酒に弱かったもの。
 ぼくがお酒を飲める年になっても、ワインなんかは飲めないかも…。
「お前、乾杯で酔っ払えるソルジャーだったしな?」
 グラス一杯の赤ワインでも駄目で、ものの見事に酔っ払えたしな?
「そうだよ、そうなるってことが分かっていたから、いつも口だけつけてたよ」
 ほんの一口しか飲まなかったよ、一口どころか舐める程度で。
 せっかくのワインがもったいないから、残りはグラスごとハーレイに渡して。
「ああ。堂々とお前と間接キスってヤツが出来たんだよなあ、人前でな?」
「そうだったね。年に一度だけの「堂々と」だよね」
 間接キスでも、ハーレイとキス。
 ブリッジとか公園のみんなが見ている所でハーレイとキス…。
「裏事情は誰も知らなかったがな、間接キスをしているんです、という辺りはな」
「うん。キャプテンがソルジャーの飲み残しを飲みます、っていうだけでね」
 ハーレイ、お酒に強かったから。
 無駄にするより飲み残しでも飲むべきだよねえ、貴重な本物のワインだものね?
 飲み残しまで責任を持って飲まなきゃいけないキャプテンはうんと大変だけどね?



 いくらハーレイがお酒に強くて好きであっても、飲み残しを押し付けていたことは事実だから。
 ちょっぴり申し訳ない気分だったのが前のぼくなのに、ハーレイは笑ってこう言った。
「知ってたか? あの飲み残し、けっこう熱い目で見られていたぞ」
「なに、それ?」
 なんで熱い目?
 いったい誰が何の目的で、とぼくはビックリしたんだけれど。
「やはり気付いていなかったのか…。露骨に視線が行っていたがな?」
「そうだったの? ぼくは全然知らないけど、誰?」
 ワインを一口飲んだだけで身体が熱かった、前のぼく。
 みんなの前では酔っ払えないし、平気なふりをしてグラスをハーレイに渡すことだけで精一杯。周りを見ている余裕なんか無くて、威厳を保って立っていただけ。
 誰が飲み残しのワインなんかを見てたんだろう?
 それに熱い目って、どうして熱い目?
「お前に想いを寄せる女性陣ってヤツだ、惚れてるヤツらは多かったろうが」
 あの飲み残しが貰えたら…、って視線が集中していたぞ。
 貰えたらお前と間接キスだし、そりゃまあ、憧れもするだろうなあ。
 その飲み残しを飲んでいた俺は、彼女たちを敵に………まあ、回してはいないがな。
「薔薇のジャムが似合わないハーレイだしね?」
 キャプテン、お仕事ご苦労様です、としか思われてないよ。
 仕事で飲むよりこっちに下さい、くらいにしかね。
「まったくだ。俺が飲んでも絵にならないから助かったんだ」
 まさか本物のカップルで間接キスだとは誰一人として思わんさ。
 シャングリラ中の誰が眺めても、仕事でソルジャーの飲み残しを片付けるキャプテンだ。
 俺たちが恋人同士だったことは最後まで誰も知らないままで終わったしな。



「今もだけどね?」
 恋人同士だって誰も知らないよ、と、ぼくは微笑んだ。
「パパとママ、全然、気付いてないよ。ハーレイがぼくの恋人だってこと」
「…バレたら俺は叩き出されるか? 山ブドウのジュースでもてなされる代わりに」
「うん、多分…」
 ハーレイは叩き出されてしまうし、ぼくは部屋に閉じ込められちゃうよ。
 抜け出してハーレイに会いに行けないようにされてしまいそうだよ、バレちゃったら。
「今も秘密か…。あの頃から進歩してないわけだな、俺たちは」
「そうかも…」
 シャングリラに居た頃も、今も秘密の恋人同士。
 せっかく平和な地球に来たのに…、とガッカリしかけて、ふと思い出した。
 ちょっぴりだけど前より前進してる。
 まるで秘密ってわけじゃなかった、って気が付いたから。
「ううん、ハーレイ。ちょっとだけ前より進歩してるよ」
「どの辺がだ?」
「ハーレイのお父さんとお母さん! ぼくたちがいつか結婚するって知ってるじゃない!」
「なるほどな…」
 俺の親父とおふくろか。
 確かに楽しみに待ってはいるなあ、俺がお前を連れて来る日を。
「ね、そうでしょ? マーマレードだって無くなる前に貰っているもの、大きな瓶を」
「お前のお父さんとお母さんは全く知らないままなんだがな…」
「いつかビックリしちゃうんだろうね…」
 ぼくがハーレイと結婚するってことになったら。
 腰を抜かすかもしれないけれども、絶対、許して貰わなくっちゃね。
「そうだな、俺も土下座してでもお前を下さいと言わんとなあ…」
 でないと幸せになれんしな?
 今度こそ結婚式を挙げてだ、堂々と幸せになろうじゃないか。



 前のぼくとハーレイにとっては夢でしかなかった結婚式。
 今度はパパとママさえ許してくれれば結婚式を挙げて結婚出来る。
 ハーレイと結婚出来るんだけれど、結婚式っていうのは確か…。
「ねえ、ハーレイ。結婚式にはワインで乾杯するんだよね?」
「そこはシャンパンだな、シャングリラでは作っていなかったがな」
「シャンパンなんだ…。シャンパンは作ってなかったね…」
 白ワインもロゼも無かったシャングリラ。
 ブドウの皮と種とを除いて作るような手間のかかるワインは無理だった。本物のブドウで作ったワインは赤ワインだけで、白ワインとロゼはもちろん合成。シャンパンだって合成だった。
 でも合成ならあったんだよね、と思い出していたら。
「知ってるか? 遠い昔は本物のシャンパンは地球でしか作れなかったんだ」
 それも決まった地域でだけだぞ、SD体制よりも前の時代の話だがな。
「今は?」
「何処の星でも作れるんだが、地球の本物のシャンパンを名乗るヤツだってあるんだぞ」
 SD体制よりも前の時代の、フランスって国のシャンパーニュ地方。
 ずうっと昔は其処で作ったヤツだけが本物のシャンパンだった。
 地球が死の星になっちまった後はシャンパンどころじゃないからなあ…。そういった話も消えてしまったが、今は地球と一緒に文化の方だって復活してる。
 俺たちの住んでる地域が元は日本だったっていうのと同じで、フランスだってあるだろう?
 そのフランスのこの辺りです、っていう地域があるのさ、シャンパーニュがな。
 其処で作ったシャンパンが本物のシャンパンらしいぞ、昔ながらの。



 遥かな昔の製造法まで復活させてきてシャンパンを作っているらしい地域。
 本物の地球産の、本物のシャンパン。
「それって、高い?」
「まあな」
 本当に本物のシャンパンだぞ?
 その辺のワインのようにはいかんさ、前の俺たちの赤ワインには及ばないまでも貴重品だ。
「ハーレイは飲んだことがあるの?」
「友達の結婚式でならな」
「結婚式!」
 いいな、と思ったから口にしてみる。
「ぼくたちの結婚式でも出そうよ、本物のシャンパン! お祝い事だし、出してみたいよ」
「お前、乾杯で酔っ払うぞ?」
「ハーレイに回すよ、昔みたいに」
 今度こそ、うんと堂々と。
 だって、結婚したんだもの。堂々と間接キスでいいもの。
「そうだな、口移しで飲んだってかまわないくらいだしな?」
 お前が口に含んだ分まで引き取ってやろうか、酔っ払わないように?
 みんなが見ている前で堂々とキスだ、お前も酔っ払わなくても済むしな。
「ふふっ、いいかも…」
 飲み残しのグラスを渡して間接キスどころか、堂々とキス。
 ぼくが少しだけ口に含んだ乾杯用のシャンパンを飲み下さなくても、ハーレイが全部引き取って持ってってくれる。
 キスして口移しで、あるだけ全部。
 結婚式に来てくれた人たちが見ている前で堂々とキス。
 それがいいな、と思ってしまった。
 今のぼくがお酒に弱くなくても、全部持ってって欲しいよ、ハーレイ…。



 想像してみただけで幸せ一杯、結婚式が楽しみになった。
 シャングリラには無かった本物のシャンパンで乾杯をして、飲み残しは全部ハーレイに。
 ぼくの口の中に入った分まで、口移しでハーレイが貰ってくれる。
 なんて幸せなんだろう。
 どんなに幸せな結婚式になるんだろう…。
 考えただけでたまらないから、ついつい、ハーレイに強請ってしまった。
「ハーレイ…。せっかくだから久しぶりにキス…」
 いいでしょ、と向かい側に座ったハーレイの所へ行って膝の上に座ったのに。逞しい首に両腕を回しておねだりしたのに、「馬鹿っ!」と頭を小突かれた。
「久しぶりも何も、キスは駄目だと言ってるだろうが!」
「……キスな気分なのに……」
「百年早いっ!」
 さっさと下りろ、と膝から追っ払われてしまった。
 そしてハーレイは「お前にはキスもシャンパンも百年早すぎだ」なんて言っている。
 山ブドウのジュースが丁度いいのだと、赤ワインだって飲めやしないと。



(…どうせ子供で、赤ワインだって飲めないよ!)
 前のぼくがハーレイに飲み残しを渡した赤ワインですらも遠すぎる、ぼく。
 ハーレイとキスも間接キスも出来ないぼく。
(まさか百年は待たなくていいと思うんだけど…)
 思いたいけど、相変わらず全然、背が伸びない、ぼく。
 ハーレイと出会った春から変わらないまま、ぼくの背丈は百五十センチ。
 前のぼくの背丈と同じ百七十センチに育たない限り、ハーレイとキスは出来ない約束。
(神様の血の赤ワインだって飲めないんだけど…)
 赤ワインじゃなくって山ブドウのジュースくらいしか飲めないんだけど。
 山ブドウのジュースにも神様がいるなら、お願いしたいよ。
 ぼくの背が早く伸びますように…って。
 そして早くハーレイと結婚式を挙げて、堂々とキスが出来ますように……。




         ブドウとワイン・了

※シャングリラでは貴重品だった、本物のブドウで作ったワイン。出番は年に一度だけ。
 今は本物のワインが色々、結婚式には本物のシャンパンを使える時代です。
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