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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(超新星…)
 あったっけね、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 超新星、いわゆるスーパー・ノヴァ。寿命を迎えた恒星が最後に起こす爆発。一つの星が起こす大爆発だし、人間が思う「爆発」とは違いすぎるスケール。規模も、衝撃などが広がる範囲も。
 今の時代は予測可能で、出現前に避けることが出来る、超新星が現れる宙域。
 爆発したなら、宇宙船などには危険だから。爆発に巻き込まれることはもちろん、他にも様々な障害が起きる。通信が繋がらなくなってしまうとか、機器に故障が出るだとか。
 そうならないように、避けて飛ぶよう出される指示。影響が出そうな範囲に資源採掘基地などがあれば、撤退させる命令だって。一時退避や、場合によっては基地の放棄も。
(前のぼくたちが生きた頃にも…)
 出現の予測は可能だったけれど、それよりも遥か昔のこと。
 人間が地球しか知らなかった時代、宇宙の仕組みもまるで分かっていなかった頃。太陽は地球の周りを回っていると信じて疑わなかった時代は、予測どころか星の爆発だとも思わなかった。
 ある日いきなり夜空に明るい星が現れるから、新しい星だと思った人間。
 前の自分たちが生きた時代にも残った唯一の神が、ベツレヘムの馬小屋で生まれた時にも…。
(夜空に星が現れた、って…)
 光り輝く星に導かれて、馬小屋で眠る赤ん坊を訪ねて行った者たち。羊飼いやら、遠い国でその星を見付けた三人の博士。
 その時の星も超新星だろうと早い時代から言われていた。他にも超新星の記録は色々、日本でも日記に書き残していた貴族が一人。
 遠い昔は、珍しかったスーパー・ノヴァ。
 滅多に現れることが無いから、現れた時は観測のチャンス。宇宙の仕組みを調べようと挑んだ、宇宙へ目を向け始めた時代の人間たち。
 その時代には、まだ人間は月までしか行っていなかったけれど。
 今はお馴染みの火星でさえも、観測用の機械を載せている船を送り込むのが精一杯。それでも、超新星の仕組みだけはもう知っていた。
 新しく生まれる星ではないと、星が最後に大爆発を起こして輝くのだと。



 超新星が現れる理由を人間たちが掴んだ時代は、銀河系から離れた星を観測していた。超新星が現れたから、と天文台やら、宇宙から飛んでくる粒子を捉えるための施設を総動員して。
 それが今では、超新星の出現を予測する時代。「其処は避けろ」と宇宙船などに予報まで。
(銀河系だけでも…)
 何十年かに一度は現れる超新星。昔の人間が夜空を仰いだ頃には、それは珍しかったのに。
 けれど「増えた」というわけではない。地球が浮かんでいるソル太陽系、其処からは星の爆発が見えなかっただけ。星間物質に邪魔されたりして。
 今の時代は銀河系から離れた宇宙に行く船もあるから、超新星の爆発は生きている間に耳にするニュース。「爆発するから、撤退命令が出ているらしい」といった具合に。
 その上、人間は誰もがミュウだし、寿命が長いものだから…。どんな人でも、一生の間に何度か出会う。運が良ければ、地球から見える超新星に出会える人も。
(超新星、何処かに出そうなの?)
 もしかして地球から見えるのかな、と抱いた夢。自分が住んでいる地域の夜空に、じきに明るい新しい星が出来るとか。
(最初はとても明るくて…)
 それが爆発した瞬間。何光年も離れた所で起こるのだから、地球の夜空に輝くまでには何年も。その星までの距離の分だけ、待たないと見られない超新星。
 突然夜空に生まれた星は、少しずつ輝きを失っていって、やがて見えなくなるけれど。そういう星が出来るのだろうか、近い間に?
(ぼくが生まれる前の爆発なら…)
 超新星のニュースを知るわけがないし、地球で見られるのは何年後なのかも知る筈がない。遠い何処かで爆発した星、それがもうすぐ見えますよ、という記事かと期待したのだけれど。
 ワクワクしながら文字を追い掛けたけれど、残念なことにただの読み物。
 どうして超新星と呼ぶのか、昔はどういう扱いだったか。
 人間が地球しか知らなかった時代に、ついた名前が超新星。「新しい星だ」と思われていた頃、夜空を観察していた何人もの人たちへの思いをこめて。
 遠い昔に、不吉な兆しだと思った人やら、素晴らしいことが起こると感激した人やら。超新星の仕組みを知らなかったから、いきなり生まれた星を見上げて、思いは色々。



 ふうん、と読み終えて戻った二階の自分の部屋。空になったお皿やカップを母に返してから。
 勉強机の前に座って、さっきの記事を思い返した。恒星の爆発で夜空に生まれる星。
 ずいぶん昔から、人間はそれを眺めていた。古い時代の記録に残った、超新星。今は現れる前に予測可能な、スーパー・ノヴァ。
(地球の太陽は…)
 あの記事によると、超新星にはなれないらしい。恒星はどれも太陽だけれど、種類は様々。同じ太陽でも違う大きさ、それに重量。
 地球があるソル太陽系の場合は、大きいようでも恒星としては小さめになる。この地球からは、充分に明るく見えるのに。夏になったら、暑すぎるくらいに眩しいのに。
 それでも恒星の中では小さめ、太陽が寿命を迎えた時には、重量不足で赤色巨星になるという。超新星になる星と同じに膨らんでゆくのだけれども、爆発はしない。
 膨らんだ後は縮み始めて、うんと小さくなっておしまい。もう輝かない星になってしまって。
 とはいえ、その日は遥か先のこと。太陽が生まれてから今までの年数、それと同じほどの歳月が流れ去らない限りは、寿命は来ない。
(まだまだ長持ち…)
 たっぷりとある地球の太陽の寿命。何億年どころか、何十億年。
 まるで想像もつかない年月、太陽は元気に輝き続ける。滅びを迎える日までは遠い。赤色巨星になってしまう日は、まだずっと先。
 太陽がちゃんと空にあるなら、ハーレイと何度でも地球に来られる。この青い地球に。青く輝く澄んだ水の星、太陽が生んだ奇跡の星に。
(ハーレイと一緒に、うんと沢山…)
 生まれ変わって地球にやって来ては、あれもこれも、と大きく膨らませる夢。
 今の自分は前の自分が地球に描いた夢を端から叶えてゆくから、それで満足だろう人生。沢山の夢が地球で叶ったと、とても幸せな人生だったと。
(そうやってハーレイと生きてた間に、また新しい夢…)
 きっと幾つも出来るだろうから、叶える前に寿命が尽きたら、次の人生で夢を叶える。また青い地球に生まれ変わって、ハーレイと出会って、結婚して。



 うんと沢山楽しめるよ、と思った人生。何十億年もある太陽の寿命、その間には次のチャンスも何度でも。前とそっくりに育つ身体と新しい命、それを地球の上で貰って生きて。
 今の自分たちの待ち時間はかなり長かったけれど、同じように待つことになったって。また青い地球に生まれるためには、同じくらい待つよう神様に言われても、大丈夫。
 なんと言っても、太陽の寿命は何十億年もあるんだものね、と考えたけれど。何回だって地球に来られる、と夢を描いていたのだけれど。
(えっと…?)
 その太陽がいつか滅びる時。寿命を迎えて膨らみ始めて、赤色巨星になってしまう時。
 さっき新聞で読んだ記事では、この地球どころか、火星の軌道までが膨らみ続ける太陽の中に、すっかり飲まれるらしいから…。
(太陽に飲まれてしまうより前に、地球に住めなくなっちゃうよ…)
 今でも暑く感じる太陽、それが膨らんで近くなったら。地球にどんどん近付いて来たら。
 何十億年も先だけれども、いずれ滅びてしまう地球。
 太陽が輝きを失うよりも前に、その熱で青い海を失い、陸地も焼かれて砂漠になる。緑の欠片も残らなくなって、やがて太陽に飲み込まれてゆく地球。膨らみ続ける赤色巨星に。
(大変…!)
 無くなっちゃうんだ、と慌てた地球。前の自分が焦がれた星。今の自分が住んでいる星。
 何度でも地球に来たいと思っているのに、何度でも来るつもりなのに。…その青い地球が消えてしまった時には、何処へ行けばいいというのだろう?
 いつか太陽に飲み込まれる地球。その前に人が住めなくなる地球。太陽に全て焼き尽くされて。
 そうなったならば、もはや何処にも無い地球。前の自分が焦がれ続けた青い星。
 ハーレイと二人で生まれ変われる、この青い地球が無くなったなら…。
(ぼくたち、もう生まれ変わることは出来ないの…?)
 生まれ変わる先が無いのだったら、そういうことになるかもしれない。
 今の自分が地球に生まれてくるよりも前に、いただろう何処か。きっとハーレイと片時も離れず二人一緒で、生まれ変われる時を待っていた場所。
 其処で永遠に足止めだろうか、生まれ変われないから出られなくなって。青い地球はもう消えてしまって、受け入れてくれはしないから。



 そうなるのかも、と気付いたこと。何十億年も先だけれども、宇宙から青い地球が消えたら…。
 生まれ変われる場所が無いから、ハーレイと二人で食らう足止め。其処から出られない何処か。
(うんと長いこと、其処にいたから…)
 其処で過ごしていた筈だから、永遠に足止めになったとしたって、大丈夫だと思うのだけれど。天国かどうかは分からなくても、辛く苦しい所ではないと感じるけれど…。
(だけど、地球…)
 前の自分があんなに焦がれた、青い地球が消えてしまったら。
 今の自分も大好きな地球が、この美しい星が無くなったならば、どうすればいというのだろう?
 行きたくても二度と行けない星。もうハーレイと生まれ変われない星。
 そうなったら、とても困るんだけど、と思っていた所へ、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。地球が無くなったら、どうしたらいい?」
 ねえ、どうしたらいいんだと思う、地球が無くなってしまったら…?
「はあ? 地球って…。此処にあるだろ?」
 無くなっちまったのはずっと昔だ、人間が駄目にしちまって。…そいつが宇宙に戻ったから…。
 もう滅びたりはしない筈だが、とハーレイは真っ当な意見を述べた。青い地球を二度と失わないよう、定められている幾つものこと。同じ過ちはもう繰り返すまい、と。
「そうなんだけど…。人間はちゃんと努力してるけど、そうじゃなくって…」
 宇宙の法則は変えられないでしょ、人間がどんなに頑張ってみても。
 新聞で読んだよ、超新星の爆発のこと。
 地球の太陽は超新星にはならないけれども、いつか滅びてしまうんだもの…。
 赤色巨星になってしまって、地球の軌道も飲み込んじゃうよ、と記事の中身を話したら。
「そりゃそうだろうな、太陽だって恒星だから」
 何処の太陽でも寿命ってヤツはあるもんだ。もちろん、地球の太陽だって。
 超新星爆発は引き起こさないが、いずれは寿命が来るってな。人間よりは遥かに長い寿命だが。
 しかし、超新星爆発か…。前の俺だと、気を付けなければいけない代物だったが…。
 今は気にさえせずに済むわけで、次に爆発しそうな星があるのは何処だったっけな?
 まだ何年か先のことだし、注意するよう言われているだけの超新星の卵。



 前に読んだが忘れちまった、とハーレイは至って呑気なもの。超新星の卵が爆発したって、今のハーレイには全く関係無いのだけれども、問題は地球の太陽のこと。
 地球の太陽が寿命を迎えた時には、住める所が無くなるのに。青い地球の上に生まれたくても、地球は何処にも無いのだから。
「超新星の卵どころじゃないよ。ぼくたちの居場所、無くなるよ?」
 無くなっちゃうよ、とハーレイの鳶色の瞳を見詰めた。「居場所が無くなるんだけど」と。
「居場所だって?」
 俺たちのか、とハーレイは怪訝そうな顔。「此処にあるが?」と言わんばかりに。
「さっきも言ったよ、いつかは地球が無くなるんだ、って」
 地球が無くなったら、ぼくたちは何処へ行ったらいいの?
 無くなるまでなら、何度でも来られるだろうけど…。またハーレイと一緒に生まれ変わって。
 だけど、この地球が無くなっちゃったら、もう行ける場所が無いんだよ?
 ぼくたち、出られなくなってしまうの、死んだ後に行く所から…?
 此処に来る前にいた所、と恋人にぶつけてみた疑問。地球にいない時は其処にいるだろうから。
「何を言ってるのかと思ったら…。そんなことを心配してたのか」
 まだ当分は大丈夫そうだが、地球の太陽。…お前も俺も、地球を満喫出来ると思うぞ。
 数え切れないほど生まれて来られそうだ、と心配してさえいないハーレイ。何十億年もあれば、何回ほど地球に来られるのだろう、と。
「でも、いつかは…。いつかは地球は無くなるんだよ?」
「いつのことだと思ってるんだ。そういう所は前のお前と変わらんな。心配性なトコ」
 先へ先へと心配事を抱えなくても、案外、なんとかなるもんだ。お前は心配しすぎるんだな。
 人生ってヤツは、どうとでもなる、とハーレイは本当に気にしていないようだから。
「そうなの? …ホントに、そんなものなの?」
 ぼくは心配でたまらないのに、ハーレイは何とかなるって言うの…?
「そう思うが? …前のお前もミュウの未来を心配してたが、アッと言う間に片付いたろうが」
 ジョミーを迎えて、たった一代で全部解決しちまった。
 前のお前が山ほど抱えて、どうなるのかと心配していた未来は全部。



 あんな展開は誰だって予想もしていなかったぞ、とハーレイが指摘する通り。
 SD体制を終わらせるのも、ミュウと人類が共存できる世界を作るのも、自分の代では無理だと気付いた前の自分は…。
(そんな日が来るのは、何百年先か分かりやしない、って…)
 思っていたのに、ジョミーを見付けた。人類の強さをも秘めたミュウの少年。もしかしたら、と抱いた夢。ジョミーならば自分の夢を叶えてくれるかもしれない、と。
(…ジョミーの代では無理だとしたって、シャングリラは守ってくれるよね、って…)
 そう思って自分の意志を託した後継者。次のソルジャーに指名したジョミー。
 明るい金髪と緑の瞳を持ったジョミーは、前の自分の期待以上のことを成し遂げてくれた。彼の代で地球まで辿り着いた上に、SD体制までをも崩壊させた。
 前の自分は、それを見届けられなかったけれど。…ジョミーも命を失ったけれど。
「あれと同じだ、なんとかなるさ」
 お前がジョミーを見付けたみたいに、きっと心配要らんと思うぞ。今から心配しなくても。
 ずっと未来に、地球が無くなっちまったって。
 もう一度くらいは行けるだろう、と思っていたのに、太陽の寿命が来ちまってもな。
 太陽にすっかり飲み込まれる前に、焼かれて乾いちまうんだろうが…、とハーレイが言う地球。遠い未来に海を失い、灼熱の星になってしまうだろう地球。
 せっかく青く蘇ったのに、地球を守ろうと人間が努力したのに、その甲斐もなく。
 人の力ではどうしようもない、宇宙の摂理に逆らえなくて。
「…なんとかなるって言うけれど…。心配しすぎだって言われても…」
 ホントのことだよ、いつかは地球が消えてしまうのは。
 どんどん膨らむ太陽のせいで、人が住めない星になってから滅びちゃうのは。…真っ赤に焼けた地面も海も、全部太陽に飲み込まれて。
 それは止めようが無いことなんだよ、誰にも止めることなんて無理。
 ぼくもハーレイも、二度と地球には行けないんだから。…どんなに地球に生まれたくても。
 今みたいに地球で暮らしたくても、その地球、何処にも無いんだから…。
 ハーレイもぼくも出られないんだよ、死んだ後に帰って行く所から…。



 其処が何処かは知らないけれど…、と縋るような目で訴えた。前の自分が命尽きた後、魂だけが飛び去った何処か。前のハーレイが来るのを待っていた場所。
 今の自分たちの命が終われば、きっと其処へと帰るのだけれど。…またハーレイと二人で地球に来られるまで、其処で過ごすのだろうけれども。
「…地球が無くなったら、ぼくたち、出られなくなっちゃうよ…?」
 出られなくなっても大丈夫だって言うの、天国みたいな所から…?
 命も身体も持っていなくて、魂だけで住んでいる所から。
 ハーレイと一緒なら寂しくないけど、もう新しい身体も命も貰えないんだよ?
 今みたいに生きているんだったら、色々なことが出来るけど…。地球の空気も吸えるけど…。
 そういうのも全部無くなっちゃうよ、と心配でたまらない未来のこと。地球の太陽が赤色巨星になってゆく時。地球を滅びに巻き込みながら、星の終わりを迎える時。
「全部無くなっちまうってか? そう思うのも無理はないんだが…」
 お前は前から心配性だし、其処に気付いたら、どんどん心配になってゆくのも分かるがな…。
 なあに、今から心配していなくてもだ、神様って方がいらっしゃる。
 お前に聖痕を下さった神様、いらっしゃるのは分かるだろう?
 俺たちをこうして生まれ変わらせて、ちゃんと出会わせて下さったのが神様だ。
 その神様が放っておいたりはなさらないだろうさ、地球って星を。
 人間は地球から生まれたんだし、この地球だって、神様がお創りになった星だと思わんか?
 そいつが滅びてゆくというのに、黙って放っておかれるわけがない、とハーレイは神様の助けを信じているけれど。その神様を疑うわけではないけれど…。
(…いくら神様でも、宇宙の決まりを変えることなんて…)
 出来ないのでは、という気がする。人間ではなくて神だからこそ、それは無理だと。
 かつて人間は地球を壊したけれども、神は青い地球を返してくれた。もう一度、人が地球の上でやり直せるように。地球と共に生きてゆけるようにと。
 けれど、そうなる前は死の星だった地球。人間が好き放題をやった挙句に滅ぼした星。
 人間がその手で滅ぼした地球を、神は救いはしなかった。人間が地球を求めるまで。人間の手で地球を蘇らせようと敷いたSD体制、それを自ら覆すまで。
 神が守るのは宇宙の摂理。人間の都合で変えようとしても、けして変えられはしないもの。



 青い地球を人間に返した神だけれども、その地球が太陽と共に滅びるなら、神は救いはしないと思う。太陽が寿命を迎えるように、地球の滅びも寿命だから。
 火星の軌道まで膨らむらしい赤色巨星に飲まれてゆくのが、宇宙が定めた地球の最期だから。
「…神様が地球を助けてくれるっていうの?」
 地球の太陽が滅びてしまうのに、どうやって地球を助けられるの?
 そんなの無理だよ、神様でも無理。…ううん、神様だから無理だと思う。
 神様は奇跡を起こすけれども、地球の太陽が滅びるのは宇宙の決まりだから…。それを変えたら神様じゃないような気がするよ。
 人間が地球を滅ぼした後に、SD体制を敷いたのと同じ。…ユグドラシルまで造っていたけど、何も変えられなかったじゃない。人間の自分勝手なやり方では。
 神様だって、きっとおんなじ…。どんなに人間がお願いしたって、宇宙の決まりは変えないよ。ハーレイはそう思わない…?
 神様はきっと、地球を助けてくれないよ…、と恋人に向かってぶつけた思い。いくら神様でも、太陽もろとも滅びゆく地球は、黙って見ているだけだろうから。
「俺だってそれは分かっているさ。地球だけが助かる道なんて無いということは」
 地球があるのは、あの太陽のお蔭だからな。…ソル太陽系だったからこそ、地球が生まれた。
 他の恒星には作り出せなかった、奇跡の星が地球なんだ。前のお前が憧れた星。
 太陽無しでは、青い地球は決して生まれて来ないし、存在することも出来やしない。
 だから太陽が滅びる時には、地球も一緒に滅んでゆくのが正しい道だ。太陽から生まれた地球の寿命も、其処で終わるというわけだな。
 だが、今の時代でも見付かっちゃいない、第二の地球。…この地球と双子のような星。
 その頃までにはきっと見付かる、神様が教えて下さる筈だ。それが必要な時になったら。
 俺が言う神様の助けってヤツはそいつだ、とハーレイが挙げた新しい地球。本物の地球が滅びてゆく時、何処かで見付かるだろう星。
 前の自分たちが生きた時代にも、人類はそれを探していた。探して、見付けられないまま。
 ミュウの時代になり、青い地球が宇宙に蘇って来ても、まだ人間は探し続けている。今は純粋な興味だけで。「地球と同じような星はあるのか」と、「奇跡の星を見付けてみたい」と。



 気が遠くなるような長い年月、探し続けても見付からない星。地球に似た星。
 本物の地球が滅びる時には、その星がきっとあるのだろう、とハーレイは笑んだ。
「神様は地球で暮らしている人間を、お見捨てになることはない筈だ。きっと見付かる」
 第二の地球と呼べるような星が、宇宙の何処かで。…人間が頑張って探し続けていれば。
 銀河系の中じゃないかもしれんがなあ…。
 かなり昔から探し続けて、大抵の場所は探し尽くしているようだから。
 それでも何処かにきっとあるさ、とハーレイが見ている遠い未来の第二の地球。滅びゆく地球の代わりのように、何処かで見付かるだろう星。
「地球そっくりの星が見付かるの?」
 それが神様の助けだって言うの、地球の代わりに新しい星…。地球じゃない星。
 ぼくもハーレイも其処に行くことになるの、地球が無くなっちゃった時には?
 地球とは違う星なんだけど…、と少し寂しい。前の自分が焦がれ続けて、今の自分も何処よりも好きだと思う地球。其処を離れて、別の星に行かねばならない時が来るのか、と。
「お前の気持ちは俺にも分かるが…。本物の地球が一番なのは、俺も同じではあるんだが…」
 考えてもみろよ、今の地球だって、実は似たようなモンだってな。第二の地球っていうヤツと。
 地球の座標と、ソル太陽系の惑星無しでだ、昔の人間が今のこの地球を見たならば…。
 これが地球だと気付くと思うか、青い星には違いないがな。
 地球とそっくり同じサイズだというだけの星だぞ、今の俺たちが住んでる地球は。
 大陸も海も、形がすっかり違うんだから。…SD体制が始まった時代にあった地球とは。
 前の俺が見た地球とも違うな、とハーレイが軽く広げた手。「あれは死の星だったがな」と。
 けれど、生き物は何も棲めない星でも、地球の地形はかつてと同じだったという。大陸も海も、人間が地球を離れた時と同じまま。「地球だ」と思わざるを得なかった星。其処に生命の欠片さえ無くても、汚染された海と乾いた砂漠が広がる星でも。
「そういえば、そうかも…」
 昔の人たちが宇宙から今の地球を見たって、同じ星だとは気が付かないよね。
 青くて地球に良く似ているけど、別の星にしか見えないんだっけ…。
 海も大陸も、昔の地球とは違うから。比べてみたって、何処も重ならないんだから。
 昔の人たちに見せてあげたら、「地球にそっくりの星を見付けた」って思うよね、きっと…。



 今の地球はそういう星だったっけ、と改めて思う蘇った地球。青く輝く水の星。
 SD体制が崩壊した時に引き起こされた、地球全体が燃え上がるほどの地殻変動。激しい地震や火山の噴火で、すっかり変わってしまった地形。大陸も海も、何もかもが。
 そうやって全てが失われた後、青い地球が宇宙に戻って来た。前とは全く違う姿で、前と同じに水の星として。今の地球でも、地表の七割は海に覆われているのだから。
「分かったか? まるで別物になっちまったのが今の地球だな」
 其処でのんびり生きてるんだし、新しい地球に引越す時が来たって、直ぐに慣れるさ。
 本物の地球を懐かしく思い出すことがあったとしたって、悲しい気持ちにはならないだろう。
 今みたいに生まれて来ることが出来て、新しい命を貰えるんなら。
 それにだ、今の地球の姿ってヤツを思えば、これからも地球は変わってゆきそうだよな?
 俺たちが次にやって来る時は、陸地の形が違っているかもしれないぞ。
 丸ごと変わりはしないだろうが、一部くらいなら有り得るよな、というのがハーレイの読み。
 また新しい身体と命を貰えるまでには、長い時間が必要なのかもしれないから。今の自分たちが待っていたのと同じくらいに、待たされることも起こり得るから。
「うーん…。陸地の形が変わっちゃうほど、うんと先のことになっちゃうの?」
 次にハーレイと地球に来るのが、そんなに遠い未来だったら…。
 そしたら、文化も変わっちゃうかな?
 今の間に色々約束したって、それが無くなっちゃっているとか…。
 次も日本の文化がいいよね、って思っていたって、お寿司も天麩羅も、もう無いだとか…。
 旅行に行こうと思っていた場所の文化も変わっちゃったりしてるのかも、と心配な気分。
 前の自分が地球でやりたいと描いた夢は、今の人生で叶いそうなのに。…より素敵になった形で叶う筈なのに、今の自分が夢を見たって、次の人生では叶わないのだろうか…?
「どうなんだかなあ、文化ってヤツは…」
 今の文化はSD体制が始まるよりもずっと昔の、色々な地域の文化を復活させてるわけだし…。
 そういうやり方がいいと思ってやってるわけだし、今の文化を貫きそうな気もするが…。
 時代に合わせて変わりはしたって、基本の部分は変えないままで。
 この地球がいい、と誰もが思っているんだから。文化も、それに生き方もな。



 どんなに時が流れようとも、そうそう変わりはしないだろう、とハーレイは微笑む。次に二人で地球に来る時も、きっと似たような世界だろうと。
「少しばかり地形が変わっていたって、暮らしている人間は同じじゃないか?」
 もちろん顔ぶれは変わる筈だが、それでも同じに今の平和な世界のままで。
 …前の俺たちが生きてた時代みたいな世界に、逆戻りしちまうわけがないからな。
 今の平和と青い地球とを大切に守って、みんなのんびり地球の上で生きているんだろう。他所の星でも、きっと幸せに。…地球が宇宙の中心で。
「変わらないといいな、今の地球…」
 次に来る時も同じだといいな、色々なものが。…いろんな地域も、今の文化も。
 やりたいことが山ほどあるもの、これからだって増えていくんだよ。
 前のぼくたちの夢を叶えてゆくのが一番だけれど、今のぼくたちの夢も一杯出来るだろうから。
 生きてる間に全部叶っても、次もやりたいことが沢山。「また来ようね」っていう約束だとか。
 次に来た時も、思い出の場所に行ったりしてみたいよね、と強請ってみた。これからハーレイと行くだろう場所、其処がお気に入りになったなら。何度も行きたい土地になったら。
「そういうのもいいなあ、今の俺たちは、前の俺たちの憧れの場所を目指すんだが…」
 其処が気に入りになることもあれば、今の俺たちが旅に出掛けて、気に入る場所もあるだろう。
 美味い料理があった場所やら、綺麗な景色に出会った場所やら。
 思い出はきちんと取っておこうな、次に来た時も、忘れずに二人で出掛けて行けるように。
 俺だって今の地球が好きだからなあ、このまま変わらずにいて欲しいトコだな、この星には。
 前の俺が生きてた時代なんかより、断然いいのが今なんだから。
 そしてだ、そう思って今の時代を築いているのが、俺たちミュウって種族なわけで…。
 キースの野郎が最後に認めた進化の必然、それに相応しく進化したよな。
 すっかり丈夫になっちまって…、とハーレイが言うから、「ホントだよね」と頷いた。
 今の自分は前と同じに弱いけれども、今の時代は同じミュウでも健康なのが普通だから。かつて人類がそうだったように、健康な身体を持っているから。
 前の自分たちが生きた時代は、ミュウは「何処かが欠けている」のが殆どのケースだったのに。頑丈だった前のハーレイでさえも、補聴器が必要だったのに…。



 変わったよね、と思うミュウという種族。サイオンを使わないのが社会のマナーだとか、本当に面白い時代。前の自分には、想像すらも出来なかった世界が今の時代。それに青い地球。
「今のぼく、ホントに幸せだよ。ミュウばかりになった世界に来られて」
 おまけに地球だよ、本物の青い地球の上に住んでいるなんて…。
 地球の太陽はまだまだ沢山寿命があるから、ハーレイと何度でも地球に来ようね。
 絶対だよ、と鳶色の瞳を覗き込んだら、「もちろんだ」と頼もしい返事。
「お前と何度も地球に来ないとな、前の俺たちが憧れ続けた星なんだから」
 ミュウはこれからも進化し続けてゆくんだろうし、地球と一緒に生きるんだろうが…。
 お前が心配している頃には、どんな感じになってるやらなあ…。
 あの太陽が滅びようかってほどの遠い未来だ、進化したミュウはどういう姿なんだか…。
 なにしろ、人間ってヤツは元が猿だしな、とハーレイが考え込んでいるから。
「…ミュウが進化して、違う姿になっていったら…。今の人間の先へ進んじゃったら…」
 ぼくたちの姿も変わってしまうの、其処に生まれて来るんだから。
 進化した人間の子供なんだもの、ぼくの姿も変わっちゃう…?
 前のぼくとは違う姿になっちゃうだとか…、と見詰めた自分の細っこい手足。いつか育ったら、前の自分とそっくり同じになる筈だけれど。…今の自分はそうだけれども、未来の自分。
 地球の太陽が滅びる頃には、自分の姿は今とは違っているのだろうか…?
「お前が別の姿にか…。人間が違う姿になっているなら、無いとは言えんが…」
 その方がむしろ自然なんだが、俺の目に映るお前の姿は、ずっとお前のままだろう。
 チビの間は今のお前みたいな姿で、育てばソルジャー・ブルーになって。
 そんな気がするな、俺の目にはそう見えるんだ、と。
 お前が何に生まれて来たって、俺はお前に恋をする、って何度も言っているだろう?
 小鳥だろうが、子猫だろうが、必ず見付けて恋をするとな。
 ミュウがこれから進化していって、違う姿のお前が地球に生まれて来ても…。
 何に生まれてもお前はお前で、人間の姿が変わっちまっても、俺にとってはお前のままだ。
 赤い瞳で銀色の髪で、抜けるように白い肌のアルビノ。
 そんなトコまで変わらんだろうな、俺の目に映るお前はな…。



 お前がどんな姿になっても、お前は変わらずに俺のブルーだ、とハーレイが信じる自分の瞳。
 その瞳の色が、形が姿ごと変わってしまったとしても、ハーレイなら見付けてくれるのだろう。今と全く同じ自分を、何処も変わっていない姿で。…今の姿とそっくり同じに映し出して。
 ハーレイの瞳がそうだと言うなら、自分の方でも同じこと。ハーレイの姿がどう変わったって、瞳に映って見える姿は今のハーレイと何処も違わない。
「ぼくもハーレイはハーレイなんだと思うよ、いつまで経っても」
 人間の姿が変わっちゃっても、ハーレイはハーレイに見えると思う。…ぼくの目にはね。
 他の人が見たら、違う姿でも。今のハーレイとは違っていても。
 それでもハーレイに見える筈だよ、と確信できる自分の瞳。ハーレイと一緒に生まれ変わって、出会い続けるなら、そうなるから。…きっとハーレイの姿が見える筈だから。
「ほらな、お前もそういう気がするだろう?」
 俺とお前は何処までも一緒だ、何度も生まれ変わっても。…人間の姿が変わっちまっても。
 だから、俺たちさえ、お互いをきちんと見ていれば…。手を離さないで一緒にいれば…。
 地球が滅びてしまったとしても、神様が引越しさせて下さるさ。新しい地球へ。
 きっとその頃には見付かってる筈の、誰もが好きになる第二の地球にな。
 お前も俺も其処へ行くんだ、とハーレイが話してくれる地球。いつか太陽が寿命を迎えて、今の地球うが滅びてしまう時。…その時は新しい地球に行ける、と。
「本当に?」
 ちゃんと行けるの、地球が太陽に飲まれて無くなっちゃっても、新しい地球に?
 ぼくたちは其処に引越し出来るの、今の青い地球が消えちゃっても…?
 大丈夫かな、と首を傾げたけれども、ハーレイに覗き込まれた瞳。「お前なあ…」と。
「お前、神様を疑うっていうのか、引越しなんかさせて下さらないと?」
 俺たちがずっと一緒にいたって、もう新しい地球に生まれ変わらせては下さらない、と。
 神様はケチな方ではないと思うがなあ…。「新しい地球には行かせてやらない」と仰るような、心の狭い方ではないと思うんだが…?
「疑ってないよ、ちょっぴり心配になっただけ…」
 本当にほんのちょっぴりだけだよ、ぼくは聖痕を貰っているものね。
 神様のお蔭でハーレイに会えて、今はとっても幸せだから…。



 ハーレイが「行けるさ」と言ってくれるのが、新しい地球。いつか太陽が寿命を迎えた時は。
 地球の軌道も飲み込んでしまって、青い地球が消えてしまった時には。
「…いつかハーレイと一緒に行けるね、新しい地球へ」
 地球が無くなっちゃった時にも、太陽が地球に近付きすぎて、地球に住めなくなった時にも。
 神様の力で引越しなんだね、新しい地球にハーレイと生まれ変われるように。
 ハーレイも来てくれるんだよね、と念を押さずにはいられない。自分一人が新しい地球に引越ししたって、意味が無いから。…ハーレイと二人で行きたいのだから。
「当然だろうが、一緒でなくてどうするんだ」
 俺はお前を離しやしないし、お前の側を離れやしない。…生まれ変わって出会った時にも、二人一緒に生まれ変われるのを待っている時も。
 地球が滅びてしまうどころか、たとえ宇宙が終わってもだな…。
 何処までも俺はお前と一緒にいよう、と約束して貰えたから、いつまでも一緒なのだろう。遠く遥かな未来に地球が滅びても。…太陽に飲まれて消えてしまって、新しい地球に行く時にも。
 けれど、そうなる時までは…。
「ねえ、ハーレイ。地球が無くなっちゃうまでは…」
 太陽の寿命が終わるまでには、何度でも地球に生まれて来ようね。ハーレイと二人で何度でも。
 ぼくは青い地球が前のぼくだった頃から好きだったんだし、今も大好きなんだから。
 約束だよ、と小指を絡めようとしたら、「こら」と弾かれてしまった手。
「ずいぶんと気の早いヤツだな。お前の人生、これからだろうが」
 まずは一度目を満喫しろよ、と小突かれた額。「次の約束まで焦るんじゃない」と。
「分かってるけど、地球でやりたいことが一杯…」
 前のぼくたちの夢もそうだし、今のぼくのも。ハーレイと一緒にやりたいことが。
 ホントに山ほど、と指切りの約束をしておきたいのに、ハーレイは絡めてくれない小指。
「俺も同じだ。だがな…。大きくなるのはゆっくりだぞ?」
 そっちの方も慌てるな、と釘を刺されたから、ゆっくり育とう。子供時代を楽しむために。
 いつかこの地球が消えてしまっても、ハーレイとずっと一緒だから。
 宇宙が無くなっても一緒なのだし、いつまでも何処までも、けして離れはしないのだから…。




            地球の太陽・了


※いつかは滅びる、地球の太陽。その運命は神にも変えることは出来ず、地球も道連れ。
 けれども、地球が無くなった後も、ハーレイとブルーは、きっと離れずに生きてゆくのです。
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(今日はハーレイの授業があったし…)
 幸せだったよね、とブルーが浮かべた笑み。とうに学校から家に帰った後。
 制服を脱いで、おやつも食べて、戻って来た二階の自分の部屋。勉強机の前に座って、学校でのことを思い出す。ハーレイが教える古典の授業。
 あの時間が好きでたまらない。ハーレイの姿を見られる上に、声もたっぷり聞けるから。
(困ってた子もいたけれど…)
 当てられて、答えられなくて。「聞いてたか?」とハーレイに軽く睨まれたりもして。きちんと授業を聞いていたなら、其処で詰まりはしないから。そういう質問だったから。
 その子を叱って座らせた後に、「仕方ないな」とハーレイが始めた雑談の時間。生徒の集中力が切れて来た時に繰り出す必殺技。居眠りしていた生徒も起きるし、人気の雑談。
(雑談、みんなに人気だけれど…)
 自分は普通の授業でもいい。延々と授業が続くだけでも。難しい質問をされるだけでも。
 答えられるだけの自信はあるから、何度でも当てて欲しいくらい。ハーレイの授業なのだから。
(他の先生の授業だったら…)
 当てて欲しいとまでは思わない。成績はいいし、当てられても困りはしないけれども、アピールしたいタイプではない。自分の方から「それ、出来ます!」とサッと手を挙げもしない。
(でも、ハーレイだと…)
 張り切って手を挙げてしまう。難問でなくても、音読係を募集中でも。
 「ぼくは此処だよ」と、「当てて欲しい」と。「ぼくにやらせて」と、「お願いだから」と。
(これって、珍しいタイプ…?)
 お気に入りの先生の授業だから、と張り切る生徒。自分の方を向いて欲しいと頑張る子。
 あまりいないかとも思ったけれども、どの生徒にも「お気に入りの先生」はいる。学校の廊下で会ったりしたら、呼び止めて立ち話をしたい先生。
(授業の時間に、当てて欲しいかは別だけれどね)
 もしも当たったら困るくらいにテストの点数が酷い科目でも、先生は好きという生徒。クラブの顧問の先生だとか、単に人柄が気に入ったとか。
 何度叱られても、好きな先生。授業中に「馬鹿か?」と呆れられても、テストで酷い点数ばかり取った挙句に、放課後などに呼び出しを食らっても。



 いくらでもいる、先生が好きな生徒たち。「また補習だよ」とぼやいていたって、先生を嫌いになったりはしない。「たまには勉強の話もしろよ?」と苦笑されても、廊下なんかで立ち話。
(ぼくがハーレイを好きな気持ちとは違うけど…)
 その生徒たちは、先生に恋はしていないから。
 もっとも、見た目は自分も変わらないけれど。ハーレイに会ったら呼び止めたりして、せっせと話をしている自分。多分、傍目には「ハーレイ先生がお気に入りの生徒」に見えることだろう。
(ぼくの他にも、ハーレイが好きな生徒は沢山…)
 柔道部員以外でも。男子も、それに女子たちも。
 ハーレイの授業を受けた生徒は、全員がハーレイを好きだと言ってもいいくらい。嫌いだという声を一つも聞かない、人気のハーレイ。「来年は担任して欲しい」と夢を見ている生徒も大勢。
 前の学校で急な欠員が出来て、着任するのが少し遅れたから、ハーレイは担任をやっていない。長く教師をしているのだから、着任して直ぐに担任をすることもある筈なのに。
 来年はきっと、何処かのクラスの担任になる。ハーレイのクラスになりたい生徒が何人も。
(ハーレイのクラス…)
 なれるのだったら、来年は其処のクラスがいい。ハーレイが担任になるのなら。
 ハーレイは柔道の腕がプロ級、柔道部の指導が優先されたら、担任をしないこともあるらしい。今までの学校で何度かあったと聞いているから、まだどうなるかは分からないけれど…。
(担任になって、ぼくの学年だったら、ハーレイはぼくのクラスかも…!)
 ハーレイは自分の守り役なのだし、その方が何かと便利だろう。側にいられる時間が増えたら、充分に目を配れるから。朝と帰りのホームルームで、必ず顔を合わせるのが担任の先生。
(聖痕、あれっきり出ていないけど…)
 二度と出ないと思うけれども、両親と病院の先生以外は知らない前の自分のこと。聖痕の理由は外見のせいだと信じているから、学校は今も心配な筈。「ハーレイを側に置かないと」と。
 そんな具合だから、ハーレイが担任するのなら…。
(きっと、ぼくの学年…)
 それにぼくのクラスだよね、という気がする。守り役を自分につけておくために。
 持ち上がりで順に上がってゆくなら、最後までハーレイのクラスだろう。卒業式を迎える時までハーレイのクラス。ずっとハーレイが担任のまま。



 ハーレイが担任をするのだったら、きっとそうなる。柔道部の指導が優先されなかったら。
 卒業式には、ハーレイに向かって御礼の言葉。大勢のクラスメイトと一緒に、花束を渡したりもして。寄せ書きをした色紙なんかも。
(それで卒業して、十八歳になった途端に、ハーレイと結婚しちゃったら…)
 なんだか複雑な気分だけれども、ハーレイならきっと大丈夫。「担任の先生」の顔は卒業、次は恋人で結婚相手。「お嫁さん」にしてくれる人。
 変な噂も、ハーレイだったら立たないと思う。みんな祝福してくれる筈。ハーレイの同僚の先生たちも、自分と一緒に卒業したクラスメイトたちも、学校に残っている生徒たちも。
(聖痕が出ちゃったせいで、守り役になって貰って、仲良くなって…)
 何度も家に通って貰って過ごす間に恋が生まれても、けして変ではないだろう。ただでも人気のハーレイなのだし、人柄に惹かれても不思議ではない。「いい人だよね」と。
 守り役だったハーレイの方でも、まるでペットを可愛がるように世話する間に情が移って、恋に落ちるということだって。
 男同士のカップルだけれど、恋の前には些細なこと。好きなものは好きで、恋は恋。
(前のぼくたちだって、最初はホントに友達同士…)
 燃えるアルタミラで初めて出会って、行動を共にしたけれど。大勢の仲間たちが閉じ込められたシェルター、それを端から開けて回って、逃がしたけれど。
(息がピッタリ合うんだってこと…)
 あの時から気付いて、その後も一緒。ハーレイが厨房担当だった頃も、手伝いながら色々な話をした。試食なんかもさせて貰って、ハーレイの「一番古い友達」。
 ソルジャーになってしまった後にも、誰よりもハーレイを頼りにしていた。キャプテンに推したくらいなのだし、当然のこと。…キャプテンの方が、ソルジャーよりも先に誕生したけれど。
 あまりにも仲良く過ごしていたから、これは恋だと気が付くまでにはかなりかかった。
 シャングリラと名付けた船が白い鯨に改造されても、友達同士でいた二人。
 ようやく恋だと分かった頃には、長い年月が経っていた。初めて出会った、あの日から。燃えるアルタミラで声を、思念を掛け合いながら、懸命に走り続けた日から。
 なんとも遅咲きだった恋。前の自分たちの恋はそうだった。



 気が長すぎる恋だよね、と自分でも思う前の恋。いったい何年かかっただろう、と。互いに特別だった二人で、会った時から一目惚れだと恋が実った後に気付いた。間抜けな話なのだけど。
 とはいえ、今度は最初から恋人同士の二人が出会ったのだから…。
(恋に落ちるのも早いよね?)
 元々、恋人同士だった二人。前の自分たちの記憶が戻れば、ストンと恋に落っこちる。一目惚れとも言うかもしれない。互いが互いを認識したなら、もう一度恋に落ちるだけ。
 前の自分たちの恋の続きを、新しい身体で生きるよう。新しい命で恋の続きをしてゆけるよう。
 だから二人は恋人同士で、十八歳になったら結婚。今度こそ恋を実らせるために。
(パパとママには、説明、大変そうだけど…)
 いつからハーレイに恋をしたのか、どうして結婚したいのか。上の学校に行きもしないで、結婚できる年になった途端に。…普通だったら、まだ遊びたい盛りだろうに。
 それに両親は知っている、前の自分の正体。前世の記憶を持っていること。ハーレイのことも、前のハーレイがキャプテン・ハーレイだったことも。
 そんな二人が結婚なのだし、ソルジャー・ブルーだった頃からの恋だと打ち明けるのか、それは隠しておくことにするか。前の自分たちが恋をしたことは、まるで知られていないから。
(うーん…)
 どうなんだろう、と思う今の自分の恋。
 ただの先生と生徒の恋なら、両親だって驚きはしても「結婚したいほどだったら…」と、きっと納得してくれる。男同士でも、やたら早すぎる結婚でも。
(ちゃんとしっかり考えたのか、って何度も確かめられそうだけど…)
 とりあえず上の学校に行ってみたらどうか、とも言うかもしれない。急がなくても、一年くらい視野を広げに通ってみたら、と。
(もう考えた、って言ったら、許して貰えそうなんだけどね…)
 問題は其処に至るまで。
 前世の記憶を持っているから、そちらの方をどうしたものか。ソルジャー・ブルーだった自分がキャプテン・ハーレイと結婚したいと思う現実。二人を知っている人にとっては青天の霹靂。
 今度は友情が恋になったみたい、と話すことにするか、前から恋をしていたのだと明かすのか。嘘は簡単につけるけれども、恋は初めてだと誤魔化しておけばいいのだけれど…。



 難しいよね、と思う恋のこと。先生と生徒の恋で通すか、前の自分たちだった頃からの恋だと、両親にきちんと話すべきなのか。
 先生と生徒の恋なら簡単だったのにね、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「ねえ、ハーレイ。…先生と生徒が結婚したっておかしくないよね?」
 ちゃんと卒業した後だったら、珍しくないと思うんだけど…。先生と結婚する生徒。
 お気に入りの先生だったのが恋に変わって、結婚しちゃう人もいるよね?
 それはちっとも変じゃないでしょ、と投げ掛けた問い。そんなカップルもいる筈だから。
「先生と生徒の結婚か…。お前が言うのは俺たちのことか?」
 いずれそうなる予定だからなあ、おかしくないかと訊いてるんだな?
 先生と生徒の結婚ってヤツ、とハーレイが質問の意味を確認するから頷いた。
「そう。…ぼくとハーレイのことも含めて」
「教師をやってりゃ、特に珍しくもないってトコか。…教え子と結婚するケースはな」
 俺たちの場合は男同士だが、別にかまいはしないだろう。結婚しようと思ったんなら、誰からも文句は出ない筈だぞ。男同士のカップルだってあるんだから。
 俺たちだって結婚したっていいと思うが、どうかしたのか?
 そんな話を持ち出すなんて、何か気になることがあるのか、と逆に問われた。「何故だ?」と。
「…パパとママには、どう言えばいいのか、分かんなくて…」
 ハーレイと結婚したい、ってお願いするのはいいんだけれど…。お願いしなくちゃ駄目だから。
 だけど、いつからハーレイに恋をしたかが問題。
 前のぼくたちのことがあるでしょ、そっちの話をどうすればいいか…。
 あの頃から恋人同士だったことをね、ちゃんと話すか、隠しておくか。何も言わないで。
 先生と生徒の間の恋なら、少しもおかしくないんだから…。
 前のぼくたちのことは黙っておくのがいいのかな、と鳶色の瞳を見詰めた。「どう思う?」と。
「それか…。今の俺たちのことはともかく、前の俺たちの恋の方だな」
 実は俺にも、そいつが難しい所でなあ…。
 正直、答えが出せていなくて、先延ばしにしたまま、今も抱えているってわけで…。



 お蔭で、親父たちにも話せやしない、とハーレイがフウとついた溜息。
 まだハーレイが両親に明かしていないこと。前世の記憶を取り戻したことと、未来の結婚相手の正体。キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーが、いつか結婚するということ。
「お前と結婚するって話は、とっくの昔にしてあるんだが…」
 どうしてお前を選んだのかは、まだ話せないままなんだ。お前が俺を選んでくれた理由もな。
 下手に話せば、前の俺たちの恋のことまで、明かしちまうことになるからなあ…。
 お前と同じで悩んでるんだ、とハーレイも持っていなかった答え。前の自分たちの恋を隠すか、打ち明けるのか。
「そうなんだ…。ハーレイにも出せていないんだ、答え…」
 ハーレイでも無理なら、ぼくがちょっぴり考えたくらいで答えが出るわけないよね。パパたちになんて話せばいいのか、先生と生徒の恋だってことにしておくか。
「すまんな、少しも頼りにならない恋人で。まあ、時間だけはたっぷりあるんだから…」
 ゆっくり考えていけばいいじゃないか、前の俺たちの恋をどうするか。今度も隠すか、前からの恋だと話しちまうか。
 最初は「違う」と言っておいてだ、後で明かすって手もあるし。
 結婚してから二人で色々話し合った末に、「やっぱり話そう」と思ったならな。
 何十年も経ってから打ち明け話をしたって、まさか叱られやしないだろう、という意見にも一理ある。急いで決めてしまわなくても、ゆっくり考えてから出す結論。
「その方法も使えそうだね。二人で一緒に考えるんなら、いいアイデアが浮かびそう」
 パパやママたちがビックリしなくて、「そうだったんだ」って分かってくれる打ち明け方とか。
 その時が来るまで黙っておくなら、今度は先生と生徒の恋だね、ぼくたちの恋。
 先生に恋をしちゃったぼく、と微笑んだ。前の自分たちの恋を隠しておくなら、そうなるから。
「そいつも悪くないと思うぞ、俺は。先生に恋でも、男同士のカップルでも」
 友情から恋になっちまうんなら、前の俺たちも同じだから。最初は友達だったんだしな?
「それはおんなじなんだけど…。ハーレイ、今は先生なんだよね」
 先生と仲良くなってしまって、それから恋人。…前は最初から友達同士だったのに。
 前のハーレイと出会った時には、先生と生徒じゃなかったものね。



 ハーレイは大人で、ぼくが見た目も中身もチビだっただけ、と今の自分たちとの違いを挙げた。前の自分の本当の年はともかくとして、大人と子供の間の友情。
「前のハーレイ、先生じゃなかったんだから…。ぼくは敬語を使っていないよ」
 ハーレイの方がずっと大人でも。…ぼくよりも、うんと大きくてもね。
 今のハーレイだと、学校では「ハーレイ先生」だから、と話したチビの自分の立ち位置。先生と生徒の間柄では、敬語の出番もやって来る。学校で出会った時だけにしても。
「其処が大きな違いだよなあ…。前の俺たちが出会った時と、見た目は変わっていなくても」
 お前にとっては俺は教師で、学校の中で話すとなったら、敬語が欠かせないからな。前の俺たちなら、いくらお前がチビの子供でも、言葉は普通で良かったんだが…。
 そういや、前の俺たちの場合。学校では出会えていないんだよなあ、燃えるアルタミラだから。
 炎の地獄で出会っちまった、とハーレイが浮かべた苦笑い。「一目惚れには似合わないな」と。
「ちっとも似合っていないよね…。地獄で一目惚れなんて」
 お互い、気付いていなかったけど。…あそこで恋をしちゃったことに。
 おまけに、ぼくの方がハーレイよりもずっと年上。とても生徒になれやしないよ、年上だもの。
 生徒だったら年下でしょ、という点も前の自分たちとの違い。今の自分はハーレイよりも年下。
「それなんだがな…。お前が年下だったとしたって、学校ってトコでは会えないぞ」
 出会えない上に、一目惚れをするチャンスも無いな、とハーレイが言うから首を傾げた。
「なんで? 前のぼくの方が年下だった時のことでしょ?」
 学校で会えると思うけど…。ハーレイが先生をしているのなら。今と同じで。
「そうはいかないのが、前の俺たちが生きた時代だ。…ミュウかどうかは抜きにしてだな…」
 俺が教師をしてるとなったら、俺は成人検査をパスしていないと駄目だから。
 ついでにお前も成人検査をパスして来ないといけないな。
 つまり、今より育ったお前になるわけだ。成人検査を通過しているわけだから。
 ほんのちょっぴりだけにしてもな、というのが出会いのための条件。成人検査をパスすること。
「…ぼくもなの?」
 パスする前でも、かまわないように思うんだけど…。
 前のぼくたちが出会った頃みたいな姿で会うなら、成人検査はあまり関係無さそうだけど…。



 パスすることは必須じゃないでしょ、と思った忌まわしい成人検査。ミュウはパス出来ない検査だけれども、今、話している「もしも」はミュウは抜きなのだから。
「ミュウかどうかは関係無いなら、成人検査はどうでもいいよ?」
 どうせ受ければパスするんだから、それよりも前にハーレイに会ってもいいじゃない。
 学校の先生をやってるハーレイにね、と言ったのだけれど、「それは甘いぞ」と返った声。
「いいか、成人検査を受ける前には何処にいたんだ? 前の俺たちが生きた頃には」
 俺たちは記憶をすっかり失くしちまって覚えていないが、アルタミラにあった育英都市だ。成人検査にパスするまでは、育英都市の学校に通うのが義務だったわけで…。
 育英都市だと、教師と生徒の恋というのは有り得んな。…ああいう時代だったんだから。
 どう転んでも恋は出来ん、とハーレイに畳み掛けられた。「育英都市にある学校だぞ?」と。
「育英都市…。あそこの学校、子供のための学校で…」
 大人の社会に旅立つ前の勉強の場所で、純粋で無垢な子供を育てる学校だから…。
 其処で先生に恋をしたって、成人検査を受けた後にはお別れで…。
 それに本気で恋をするなんて、子供には相応しくないって判断されちゃうだろうし…。
 ハーレイに恋をしちゃ駄目なんだよね、と気が付いた。
 あの時代には、恋をするなら教育ステーションに行ってから。大人の社会への入口になる場所、其処に進んでゆかないと無理。子供はあくまで子供らしく、と機械が定めていたのだから。
 それまでは恋に憧れるだけ。大人になったら、素敵な人を見付けて恋をしようと。
 育英都市にあった学校は、そういう子供が通う場所。大好きな先生に恋をしてみた所で…。
(その恋、実らないどころの騒ぎじゃなくって、カウンセリングルーム…)
 アタラクシアでジョミーを見守っていた時、何度も覗いたカウンセリングルーム。呼び出されて叱られるジョミーの姿も、ションボリと出てゆく時の姿も。
 あれと同じで、もしも自分が学校でハーレイに恋をしたなら、きっと食らってしまう呼び出し。自分を担任する教師はもちろん、場合によっては当のハーレイまでが其処に現れて…。
 指導を受けて、諦めさせられることになる。ハーレイに恋をすることを。
 それで駄目なら、記憶の処理もされるのだろう。
 恋など忘れて、子供らしく健全に生きてゆくよう。二度とハーレイに恋をしないよう、恋をする切っ掛けになった出来事や、育んだ想いを全て消されて。



 育英都市の学校で先生に恋をするのは無理だ、と思い知らされた。目覚めの日を迎えて、学校や先生に別れを告げるよりも前に、恋そのものが出来なかった場所。
 其処でハーレイが教えていても。…ハーレイのことを好きになっても、けして実りはしない恋。子供時代を過ごす間は、恋は相応しくないものだから。
「…先生のハーレイに会いたかったら、教育ステーションなんだ…」
 会うだけだったら、育英都市の学校でだって会えるけど…。ハーレイに恋をしたいなら。
 恋が出来る場所で出会うんだったら、成人検査をパスした後…。
 今のぼくより、ちょっぴり育ったくらいかな、と眺める手足。前のハーレイとは、こういう姿で出会ったけれども、あの時代に「ハーレイ先生」に会うなら、教育ステーションなのだろう。
「そうなっちまうな、E-1077かもしれないぞ」
 前の俺とお前が出会う場所。…前の俺は本物を見てはいないがな、E-1077そのものは。
 すぐ近くまでは行ったんだが、というのはシロエの船をキースが落とした時のこと。ジョミーが試みた思念波通信、それを行うための航行の真っ最中。
「E-1077って…。どうしてなの?」
 キースやシロエがいた場所だから、って言うんじゃないよね、時代が全く違うんだもの。
 ぼくが行ってもキースは生まれてさえもいないよ、と思い出すのはフィシスのこと。人類を導く指導者として、機械が無から創った生命。フィシスが最初に作り出されて、遺伝子データを使ってキースが作られた。E-1077に場所を移して、エリート候補生として。
 その実験がまだ始まってもいなかった時代、それが前の自分が成人検査を受けた頃。検査にパスしてE-1077に行っても、大して意味は無さそうだけれど…。
「俺があそこを挙げた理由か? キースの野郎は関係無いぞ」
 もちろんシロエも、サムやスウェナも。
 お前、頭が良かったからなあ、あそこじゃないかと思ったんだが…。成人検査をパスしたなら。
 待てよ、頭の方は良くても、身体が駄目か。弱い身体じゃ、訓練についていけないからな。
 それじゃメンバーズになれやしないし、E-1077は対象外になっちまうのか…。
「そうみたい…」
 他のステーションになると思うよ、前のぼくなら。
 成人検査をパスしていたって、E-1077に行く人間には選ばれないよね。



 あそこは駄目、と肩を竦めたら、浮かんだ他の可能性。教育ステーションなら幾つもあったし、身体の弱い子供用のも、多分、存在したのだろうけれど。
 そういう場所なら、そのステーションに似合いの教師が配属されて教えた筈。同じように身体が弱い教師や、弱い子供を教えるのに向いている教師。
(…今のハーレイは古典の先生だけど…)
 それは今のハーレイが選んだ仕事。柔道や水泳のプロの選手にならずに、教師になろうと決めた職業。けれど、前の自分たちが生きた時代は、自分で仕事を選べなかった。進みたい道も。
 弱い身体ではE-1077に行けないのと同じで、前のハーレイにも機械が割り当てる道。この職業に就くように、と。そんな時代に、ハーレイが教師になったなら…。
(古典の先生なんかじゃなくって、うんとハードな体育とかの…)
 教師の道が待っていそう。それこそE-1077でも通用しそうな、激しい訓練担当の。身体の弱い子供たちが行くステーションには、ハーレイは来ない。きっと配属されたりはしない。
「…前のぼく、ハーレイが教えてくれるような教育ステーションには、行けそうにないよ…」
 ハーレイはE-1077でも教えられそうだから、ぼくみたいな弱い子供が行くような場所にはいないと思う。…もっと丈夫な子供が行く教育ステーションの先生だよ、きっと。
 それに、先生じゃない可能性の方が高いかも…。仕事、自分で選べなかったんだもの。
 機械が勝手に決めてしまって、と話したら、ハーレイも「そうかもなあ…」と軽く手を広げた。
「俺もそういう気がして来た。どうやら教師は無理なようだ、と」
 あの時代だったら、ミュウじゃない俺は、有無を言わさずスポーツ選手にされてたかもな。何の選手になったかは知らんが、プロを養成する教育ステーションに送られちまって。
 でなきゃパイロットといった所か、才能はあったようだから…。
 前の俺が自分じゃ気付いていなかっただけで、キャプテンに向いていたようだしな?
 プロの選手にせよ、パイロットにせよ、そういう道に進んじまったら、引退した後に教師の道があったとしても…。
 まだ充分に若かったとしても、お前が来そうなステーションには…。
「いないでしょ、ハーレイ?」
 ぼくはスポーツのプロも無理だし、パイロットになるのも無理そうだから…。
 どっちも丈夫な身体が要るから、ハーレイが先生になっていたって、会えないんだよ…。



 先生のハーレイがいるステーションには行けないよ、と溜息をついたら、ハーレイも「うむ」と相槌を打った。「どう考えても、それは無理だよな」と。
「今のお前が柔道部員になれないみたいに、向き不向きってのがあるもんだから…」
 SD体制の時代は適性を機械が判断してたし、例外ってヤツは無いだろう。こいつは此処だ、と決めちまったら、そのコースを進ませるだけで。
 前のお前は、成人検査をパスしていたって、教師の俺には出会えないんだな。俺とお前の適性が違い過ぎるから。
 そして俺だって、生徒のお前には出会えないままになっちまう、と。成人検査を通過出来ても、俺たちの道は重なりそうにないからなあ…。
「…それじゃやっぱり、ミュウ同士で出会うしかないの?」
 せっかく恋が出来る教育ステーションに行っても、先生のハーレイがいないなら。
 …ぼくを教えてくれないのなら、アルタミラの地獄で会うしか無かった…?
 先生と生徒は無理だものね、と消えてしまった可能性。前の自分たちの、別の出会い方。
「そうかもしれんな、違う道なら何処かにあったかもしれないが…」
 教師と生徒でなくていいなら、宇宙は広いし、出会えた可能性もある。一目惚れ出来るチャンスだってな。…それこそ何処かへ旅する途中に、宇宙船の席が隣同士になったとか。
 しかし今だと、こうして出会えた。…ちゃんと、お前に。
 前の俺たちは行けずに終わっちまった、教育ステーションって所でな。
 俺は教師で、お前は俺の教え子だろうが、とハーレイは笑みを浮かべるけれども、ステーションではない学校。…教育ステーションという名前でもないし、宇宙に浮かんでもいない学校。
「ステーションじゃなくて、学校だよ?」
 ハーレイと会ったの、学校だってば。…先生と生徒なのは間違いないけど、普通の学校。
 義務教育で行く最後の所で、教育ステーションなんて名前はついていないよ…?
 今の時代は、教育ステーションっていうのも無いでしょ、何処を探しても。
 SD体制が無くなった後は、あのシステムも無くなったから…。
 人類もミュウも、自分で好きな道を選んで、行きたい学校に行くようになってしまったから。
 教育ステーションは廃止されたんだってことを習うよ、歴史の授業で。



 SD体制が崩壊した後、真っ先に廃止されたのが教育ステーション。成人検査を廃止するなら、教育ステーションだけを残しておく意味は何もない。
 同じ水準の教育をしようというなら、宇宙ではなくて何処かの星で。大人も子供も一緒に暮らす社会の中に、学校を作ればいいのだから。ちゃんと家から通えるように。
 自分の家から遠すぎる子なら、寮に入ればいいだけのこと。そして学校が休みの時期には、家に帰って家族と暮らす。…もう目覚めの日が来て、引き離されはしない養父母たちと。
(初めの間は、養父母が本物のパパやママっていう時代になって…)
 自然出産の子供が混じり始めて、じきに本当の家族ばかりになった。血が繋がった両親と子供、そういう家族しかいない世界。成人検査も教育ステーションも、時の彼方に消えてしまって。
 今は人間は全てミュウになったし、地球さえも青く蘇ったほど。そんな時代に教育ステーションなどという言葉自体が無い筈なのに、と首を捻って考えていたら…。
「分からないか? 俺がどうして教育ステーションだと言ったのか」
 お前の学校は教育ステーションじゃないが、あれはとっくに無くなったんだが…。
 あの時代の流れを継いでいるんだ、今の時代の学校も。
 成人検査も教育ステーションも廃止されたが、子供を教える学校は無いと駄目だしな?
 暫くの間は混乱していて、何処の学校も、休校みたいになっていた時期もあったそうだが…。
 じきに新しいのに整え直して、教師をしていた人間も配属し直した。新しく出来た学校に。
 今のお前が通っているのが、元は教育ステーションだったヤツなんだ。其処で教えていた教師を連れて来て、あちこちの星に置かれた学校。…教える中身も、教科書も変えて。
 お前の学校、十四歳で入って、四年間で卒業するだろう?
 在籍期間は教育ステーションってヤツと全く同じだ、気付かなかったか…?
 ステーション時代の名残なんだな、と聞かされた今の学校を卒業するまでの年数。それから入学する時の年も。
「本当だ…!」
 十四歳になったら通うんだものね、目覚めの日も十四歳だっけ…。
 それに教育ステーションで過ごすの、四年間っていう決まりだったよ。
 E-1077でも、何処でも同じ。四年経たなきゃ、どんなに優秀でも卒業は無理…。
 義務教育みたいなものだったんだね、あの時代の教育ステーションって…。



 今の自分が通う学校と、教育ステーションとの共通点。入学の年と在籍年数が同じ。ハーレイに聞くまで、まるで気付いていなかった。そっくりそのまま真似ているのに。
 前の自分には、教育ステーションは関係の無い場所だったから。子供たちを教育ステーションに送り出すための、振り分けを兼ねた成人検査を酷く憎んでいただけだから。
(…教育ステーションまで行ける子供は、みんな人類…)
 ミュウの子供は弾き出されて、その場で処分されてしまうか、研究所に送られて実験動物になる道を歩むか。どちらも人類と機械の都合で、そうならないよう救出したミュウの子供たち。
 前の自分の役目は其処まで、教育ステーションに気を配りはしない。どうせ人類しかいない場所だし、ステーションによっては、ミュウの天敵とも言えるメンバーズを育てていたのだから。
 少しも興味が無かった場所。目を向けさえもしなかった教育ステーション。
「…ハーレイ、なんで知ってるの?」
 ぼくの学校、教育ステーションを元にしてるんだ、って…。
 教えてることは違うけど。あの頃みたいに、色々な仕事のプロを育ててはいないけど…。
 もっと沢山勉強するなら、上の学校に行かないと教えて貰えないから。
「簡単なことだ、教師にとっては常識だってな。学校の仕組みと歴史ってヤツは」
 基礎の基礎だと言ってもいい。…何の科目の教師になるにも、一番最初に教わることだ。
 お前が通っている学校は、元は教育ステーションだった学校なんだな。教える中身と、場所とが変わってしまっただけで。
 つまりだ、今のお前は教育ステーションにいるってことだ。成人検査は全く抜きで。
 お前の学校、宇宙に浮いてはいないがな。…何かの仕事のプロに育ててもくれないが。
 義務教育だし、そんなモンだ、とハーレイは笑う。「SD体制の頃とは時代が違うから」と。
「ぼく、教育ステーションに入れたんだ…」
 前のぼくは門前払いになってしまって、入れて貰えずに終わったけれど…。
 どんなステーションに行ける才能を持っていたのか、それも知らないままだったけど…。
「お互い様だな、俺も教師になれたようだぞ」
 前の俺には門前払いを食らわせてくれた、教育ステーションって所でな。
 何になりたいかを選ばせて貰って、プロのスポーツ選手の道とか、パイロットとかはお断りで。



 俺とお前は教育ステーションで出会ったようだ、とハーレイはパチンと片目を瞑った。
 「教育ステーションってヤツは、今は何処にも無いんだがな」と。
「俺は教師で、お前は生徒。…E-1077とはいかなかったが、教育ステーションなんだ」
 前の俺たちの考え方だと、そういうことになるんだろう。…今の俺たちの出会いはな。
「そう考えると面白いね。前のぼく、教育ステーションには行けなかったけど、今は学校」
 それに、ハーレイまでくっついて来たよ。教育ステーションの先生になって。
 前のぼく、そんなの、夢にも思っていなかったよ。やり直せて教育ステーションなんて。
 其処に行ったら、ハーレイが先生をしてるだなんて…。
 夢よりもずっと凄い未来になっちゃった、と輝かせた顔。「ホントに凄い」と。
「俺も思いやしなかった。…考えたことさえ無かったってな」
 こういう人生も悪くないなあ、俺は教師で、お前は生徒。
 教育ステーションでバッタリ出会っちまって、一目惚れして、今度は結婚出来るだなんて。
 …教師と生徒になっちまったから、結婚します、と宣言するタイミングが難しそうだが…。
 お前のお父さんたちにとっては、俺はあくまで「ハーレイ先生」なんだから。
 その俺がお前と結婚か…、とハーレイが腕組みしているから。
「パパたちに頼むの、ハーレイに任せちゃってもいい?」
 結婚したいと思ってます、って頼む時にはハーレイにお願い出来る…?
 ぼくだとタイミングが掴めないしね、と頼んでみた。ハーレイの方が遥かに年上なのだし、肝も据わっている筈だから。
「そのつもりだが…。場合によっては、お前にも努力して貰わんと」
「努力って?」
「お父さんたちに反対された時だな。絶対に駄目だ、と俺が叩き出されたら、お前の出番だ」
 俺は家にも入れて貰えないし、お前が説得してくれないと…。なんとか入れて貰えるように。
 通信を入れても切られそうだしな、家から叩き出されてしまった時は。



 問答無用というヤツで、とハーレイが恐れる両親の反対。「結婚は駄目だ」と、一人息子を嫁に欲しがる男を家から叩き出すこと。訪ねて来たって家には入れずに、通信も切るという有様。
「…パパたち、其処まで反対するかな?」
 ハーレイを家から叩き出すほど、酷いことをやったりすると思うの…?
「どうだかなあ…?」
 こればっかりは、蓋を開けてみないと分からんし…。俺が本当に叩き出されたら、お前を頼りにするしかない。お父さんたちに会えないことには、話のしようが無いんだから。
 土下座するにしたって、会えないと出来はしないんだぞ、とハーレイは最悪のケースを予想しているけれど。父と母とに放り出されて、結婚の許可が下りないことを恐れているけれど…。
 前にそういう夢を見た。
 ハーレイと結婚したいから、と思い切って父に打ち明ける夢を。
 夢の中の父は少し怖かったけれど、最後は結婚を許してくれたし、現実もきっと…。
「パパとママなら許してくれるよ、ハーレイと結婚するのなら」
 ずっとハーレイと一緒に過ごして、先生と生徒で結婚したくなったんならね。
 ハーレイを叩き出したりなんかはしないよ、きっと話をきちんと聞いてくれるってば。
「そうなってくれればいいんだが…。どうなるんだか…」
 俺の方だと、親父たちはもう知ってるからなあ、お前を嫁に貰うってこと。
 親父たちに反対されなかった分、お前の家で苦労をする羽目になるかもしれないが…。
 お前の努力が必要な立場になっちまっても、俺も全力で努力しよう、とハーレイは結婚のために頑張ってくれるらしいから。
 先生と生徒の恋が実るよう、結婚式を挙げられるように力を尽くしてくれるから…。
 両親もきっと結婚を許してくれるし、それまでは恋を楽しもう。
 キスもデートも出来ないけれども、今はステーション時代だから。
 前の自分は行けなかった場所でハーレイと出会って、今は毎日、幸せな恋をしているから…。




              先生と生徒・了


※今のハーレイとブルーの恋は、先生と生徒の間の恋。今の時代だから、可能なのです。
 SD体制の時代だったら、制約がありすぎて叶わない恋。それが出来る今を楽しまないと…。
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(ふうん…?)
 夢なら持っているけれど、と小さなブルーが眺めた新聞。学校から帰って、おやつの時間に。
 その紙面の中、「夢は大きく持ちましょう」と書いてあるコラム。子供向けにと書かれた記事。夢は大きく持つべきだ、という中身。夢を大きく持てば持つほど、可能性も広がるものだから。
 どんな夢でも、大きく持つもの。小さい夢だと、未来も小さくなってしまうから。
(当然だよね?)
 わざわざ書いて貰わなくても分かってるよ、と思ったけれど。相手は子供向けの記事だし、下の学校に通う生徒が対象だろう。自分の年なら分かって当然、教えて貰うようでは駄目。
(先生だって、よく言ってたから…)
 下の学校に通っていた頃に。今の学校でも、入学式の時に聞いたと思う。「夢は大きく」と。
 自分の夢なら、とうに決まっているけれど。あまり大きくないのだけれど…。
(お嫁さん…)
 結婚できる年になったら、ハーレイのお嫁さんになることが夢。十八歳になったら結婚式。
 お嫁さんだけに、誰でもなれそうな感じだけれども、本当はとても…。
(大きくて、叶えるのが難しすぎた夢なんだよ…)
 それに叶わなかったんだから、と今の自分は知っている。「お嫁さんになる」ことが、どれほど難しい夢だったのか。叶えたくても、困難を伴うものだったのか。
(今のぼくなら、簡単だけれど…)
 十八歳になれば結婚、ハーレイのプロポーズを受けるだけ。結婚式を挙げればいいだけ。
 けれど、そのハーレイと恋をしていた前の自分は、結婚式を挙げるどころか…。
(ハーレイに恋をしてたのも内緒…)
 お互いの立場がそうさせた。白いシャングリラを守るソルジャーと、船を預かるキャプテンと。船の頂点に立っていた二人、恋人同士だと明かせはしない。もしも知れたら、誰一人として…。
(ついて来てなんか、くれないものね…)
 船を私物化しているのだ、と背を向けて。何を言っても、そっぽを向かれて。
 そうなることが分かっていたから、明かせないままで終わった恋。地球まで辿り着いたなら、と夢見た結婚、それも叶わずに死んでいった自分。
 結婚さえも出来なかったのが前の自分で、だから今度の夢は大きい。小さいようでも大きな夢。



 前の自分の夢が叶うから、充分に大きく持っている夢。結婚するというだけの夢でも。
(ハーレイのお嫁さんになれるんだものね?)
 ぼくには大きすぎる夢、と幸せな気分で閉じた新聞。なんて大きな夢なんだろう、と。ついでに言うなら、前の自分の夢だって大きかったから、と考えながら戻った自分の部屋。
(前のぼくの夢、今よりもずっと…)
 大きくて凄かったんだものね、と勉強机の前に座って思い出す。前の自分が描いた夢を。
 遠く遥かな時の彼方で、ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。白いシャングリラで見ていた夢。
(いつか必ず、地球に行こう、って…)
 青い地球にも焦がれたけれども、それは自分の個人的な夢。青く輝く星への憧れ。
 それとは違って、ミュウの未来を手に入れるために、地球に行こうと考えていた。青い地球まで辿り着けたなら、きっと未来を掴める筈。人類に追われない未来。ミュウが殺されない世界を。
 だから地球へ、と目指そうとした青い水の星。
 前のハーレイと恋に落ちた後には、もう一つ夢が加わった。ミュウの未来を手に入れたならば、白いシャングリラの役目も終わる。もう要らなくなるミュウの箱舟。
 シャングリラが役目を終える時には、ソルジャーもキャプテンも必要なくなる筈だから…。
 船の仲間たちに恋を明かして、二人で生きようと思っていた。シャングリラを降りて、何処かで二人。ほんの小さな家でいいから、青い地球の上に住める所を手に入れて。
 ミュウの未来を掴み取ることと、ハーレイと二人で暮らすこと。そのために行きたかった地球。
(どっちも叶わなかったけど…)
 前の自分が持っていた夢は、どちらも叶いはしなかった。
 ミュウの未来も、ハーレイと二人で生きてゆける家も、前の自分は手に入れられずに、地球さえ見ずに宇宙に散った。ハーレイからも遠く離れたメギドで、独りぼっちで。
(本当に全部、夢だったまま…)
 何も叶わなかったんだよ、と思うけれども、繰り返し描き続けた夢。いつか必ず、と。
 前の自分が夢を大きく持っていたから、神様は叶えてくれたのだろう。ずいぶん時間がかかったけれども、それは仕方ない。前の自分が生きた頃には、青い地球が無かったのだから。
 白いシャングリラが辿り着いた地球は、赤茶けた死の星だったのだから。



 前の自分が夢見た通りに、地球で開けたミュウたちの未来。
 地球は燃え上がって、ジョミーも、前のハーレイたちも命を落としたけれども、機械が支配する時代は終わった。SD体制が倒れた後には、もう人類もミュウも無かった。同じ人間なのだから。
(地球は、メチャメチャになっちゃったけど…)
 大規模な地殻変動を起こした地球。ユグドラシルと呼ばれた地球再生機構の建造物さえ、地の底深く沈んだという。海も大陸も全てが壊れて、燃えて崩れていったのだけれど…。
 それが再生への引き金。何も棲めない死の星だった地球は再び蘇った。青い星として。
 気が遠くなるほどの時が流れて、今の時代は人が住んでいる地球。自分は其処に生まれて来た。前とそっくり同じに育つ身体を貰って、ハーレイも先に生まれて来ていた。同じ姿で。
 地球はとっくに手に入れているし、次はハーレイと暮らす未来。今度は結婚できるから。
(そっちも沢山、夢は大きく…)
 持たなくっちゃ、と記事の通りに考える。ハーレイとの未来に描く夢。
 結婚式のことはよく分からないけれど、その前に、まずはプロポーズ。結婚を申し込まれる時。どんなプロポーズになるのだろうか、ハーレイは何をしてくれるだろう?
(ガラスの靴が欲しいよね、って思ったことも…)
 あるのだけれども、他にも夢を見ていそう。こういうプロポーズもいいね、とハーレイに伝えてありそうな夢。すぐには思い出せないだけで。
(だから、プロポーズも夢だよね?)
 きっと素敵なサプライズ。その日が来たなら、きっと感激で胸が一杯。ガラスの靴を貰っても。他の形で結婚を申し込まれても。
 プロポーズされたら、もちろん「嫌」とは言わない自分。両親が結婚を許してくれたら、晴れてハーレイの婚約者。結婚式の用意も始めて。
 婚約したら、忘れないようにシャングリラ・リングを申し込む。白いシャングリラの船体だった金属の一部、それを使って作られる結婚指輪。申し込みのチャンスは一度きりだから…。
(シャングリラ・リング、当たりますように…)
 それが最初の大きな夢。指輪の形に姿を変えた、シャングリラを指に嵌めること。
 前のハーレイと二人で暮らした白い船。懐かしい船が生まれ変わった指輪を、ハーレイと二人で結婚式で交換して。お互いの左手の薬指に嵌めて、そうして交わす誓いのキス。



 ウェディングドレスで結婚するのか、ハーレイの母が着たと聞いている白無垢か。何を着るのか分からないけれど、誓いのキスはあるだろう。結婚指輪の交換だって。
(結婚式が終わったら…)
 もうハーレイのお嫁さん。誰に紹介される時にも、「俺の嫁さんだ」とハーレイが言ってくれる筈。ハーレイの父や母たちだったら、「うちの息子のお嫁さんです」と。
 考えただけで弾む胸。「ハーレイのお嫁さん」になるということ。前の自分が夢に見たこと。
 夢が叶って結婚したら、新婚旅行は地球を見に行く。それもハーレイとの約束。
(ぼくは宇宙に出たことが無いし…)
 まだ見てはいない、青い地球。足の下には地球があるのに、宇宙に浮かぶ地球を知らない。前の自分が焦がれ続けた、銀河の海に浮かぶ真珠を。
 だからハーレイとの新婚旅行は、宇宙から地球を眺める旅。青い真珠のような地球。それが良く見える部屋に泊まって、ハーレイと二人、心ゆくまで地球を見詰めて、キスを交わして…。
 きっと何日も飽きずに過ごし続けるのだろう。月にも火星にも行きはしないで、地球の周りしか飛ばない旅でも。…地球を見るだけで終わる旅でも。
 前の自分の夢の星だし、そういう旅でかまわない。何処の宙港にも降りない旅で。
(そんな旅行でも、疲れちゃったら大変だから…)
 せっかく新婚旅行に行くのに、寝込んでしまったら意味が無い。いくら窓から地球が見えても、ハーレイが側にいてくれても。
(看病して貰って、船のお医者さんに注射されちゃったりもして…)
 きっとハーレイは優しく看病してくれるけれど、問題は船のお医者さん。大嫌いな注射を宇宙の旅で打たれるのは御免蒙りたい。青い地球が見える医務室で注射されるとしたって。
(嫌いなものは嫌いなんだよ!)
 前の自分も嫌った注射。アルタミラでの酷い体験のせいで。
 新婚旅行で注射は嫌だし、寝込んだら旅も台無しになる。地球を見ながらの食事なんかも、全部お流れになってしまって、ベッドで寝ているだけになるから。
 そうならないよう、元気に旅に出掛けられること、それも大切。
 前と同じに弱い身体に生まれたけれども、新婚旅行の間は健康を損ねないこと。それだって夢。



 元気一杯で出掛けなくちゃ、と夢を抱くのが新婚旅行。ハーレイと青い地球を見る旅。宇宙から青い地球を見ようと、何度ハーレイと語ったことか。…白いシャングリラで暮らした頃に。
 その夢が叶う新婚旅行。しかも結婚してから見られる青い地球。前の自分が描いた夢だと、結婚するのは地球に辿り着いてからだったのに。
 夢よりも素敵になった現実。ハーレイのお嫁さんになって、新婚旅行で地球を見に行くなんて。
(旅行の約束、他にも一杯…)
 今のハーレイと交わした約束。前の自分だった頃から夢を見た旅も、新しく出来た旅の予定も。
 好き嫌い探しに出掛けてゆくのは、今の約束。好き嫌いが全く無い二人だから、あちこち回って苦手なものやら好物やらを探す旅。好き嫌いが無いのは、多分、前の生の影響だろうと思うから。
(砂糖カエデの森も見に行かなくちゃね…)
 前の自分が地球で食べたかった、夢の朝食。ホットケーキを食べること。地球の草で育った牛のミルクで作ったバターと、本物のメープルシロップを添えて。
 今のハーレイにそう話したら、砂糖カエデの森を見に行く約束が出来た。雪の季節が終わる頃に始まる、メープルシロップになる樹液の採取。その季節に二人で行ってみようと。
(ヒマラヤの青いケシだって…)
 出来るものなら、高い山に咲く本物を見たい。前の自分が夢見たように、空を飛んでは行けないけれど。今の自分は空を飛べないから、ヤクの背に乗って運んで貰うしかないのだけれど。
 そして、ハーレイと今の地球で結婚するのなら…。
(マードック大佐のお墓にだって…)
 挨拶に行ってみたいと思う。マードック大佐とパイパー少尉の墓碑がある場所へ。
 SD体制が崩壊した時、地球を破壊しようとした六基のメギド。トォニィやキースの部下たちが防ぎに飛び立ったけれど、残ってしまった最後の一基。
(マードック大佐の船が体当たりして…)
 メギドを止めたと今も伝わる。退艦しないで船に残ったパイパー少尉がいたことも。
 青い水の星が蘇った後、風化したメギドが発見された。二人の墓碑は其処にあるという。墓碑は森の奥にあるらしいけれど、その入口まで行く恋人たちが今も大勢。結婚の報告をするために。
 花束や花輪を捧げて祈る恋人たち。マードック大佐たちのように最後まで共に、と。
 知ったからには、挨拶をしたい二人の墓碑。「パパのお花」が咲く季節に。



 今の時代は「パパのお花」と呼ばれている花。淡い桃色の豆の花。
 幼かったトォニィがそう呼んだから、シャングリラ育ちだった豆にその名が付いた。トォニィが種子を残させた豆。「いつか地球へ」と、願いをこめて。
 その種子が根付いたのが「パパのお花」だから、マードック大佐たちに挨拶するなら、花が咲く季節。墓碑がある地域に自生する花で、他の地域にはあえて広げないと聞いたから。
(夢は大きく…)
 うんと沢山持たなくっちゃね、と思う旅行だけでも数え切れない。ハーレイと二人で行く旅行。デートの約束だって山ほど、もう本当に山のよう。
(新婚旅行は地球を見るんだ、って決まってるけど…)
 次の旅行は何処にしようか、それも楽しみでたまらない。結婚してさえいない内から。こうして夢を見る間から。
 前の自分の夢を叶える旅に出るのか、今の自分たちが交わした約束を叶えにゆくか。青い地球を見る新婚旅行から帰ったら直ぐに、もう計画を立てていそう。ハーレイとお茶でも飲みながら。
(今度は何処に出掛けようか、って…)
 旅の計画、きっと最初は近い場所。新婚旅行は、ハーレイが長く休める時期に行くのだろうし、学校が休みになっている間。春休みだとか、夏休み。
 同じ休みの間にまた行けそうな場所にするなら、家からもきっと近い筈。休みが終わってからの旅となったら、もう本当に近い場所。
(週末に行って、一泊二日で帰れる所…)
 そんな感じ、と思う行き先。一泊二日で行ける所も色々あるから、何処にするかで大いに迷ってしまいそう。海に行くのか山に行くのか、旅の目的は何なのか。
(観光するのか、名物を食べに行くのかも…)
 同じ行き先で回る所が変わってくるから、目的選びも大切なこと。充実した旅にするのなら。後から「しまった」と思わないよう、きちんと下調べもしておいて。
(せっかく行ったのに、知らずに帰って来ちゃったよ、っていうのは残念…)
 食べ物にしても、観光名所にしても。
 ハーレイと二人で旅をするなら、夢は大きく、欲張りに。あれもこれもと詰め込んで。御馳走を食べて観光だって、とギュウギュウ詰めになるだろう夢。



 旅行するにも夢は大きく持たなくちゃ、と思ったけれど。夢は山ほど、と思うけれども、旅行に出掛けてゆく前に…。
(新婚旅行の次の旅行に行く前に、デート?)
 結婚したら一緒に暮らすのだから、二度目の旅に出る前にデート。間違いなく、そう。
 同じ家に住む二人なのだし、思い付いたら直ぐにデートに出掛けてゆける。時間さえあれば。
(ハーレイと食事をしに行くとか…?)
 食事くらいなら、新婚旅行から戻った次の日にだって、と膨らむ夢。ハーレイとデート。食事に行くのはハーレイの家の近所の店だっていいし、ドライブに行くというのもいい。
 車で少し走って行ったら、幾らでも選べる食事できる店。「此処がいいな」と思い付きだけで、選んで車を駐車場に停めて。
 家の近所の店に行くなら、ハーレイと歩いてゆくのもいい。手を繋ぎ合って、のんびりと。
(夢は大きく…)
 それに沢山、と思った所で気が付いた。次の旅行やデートの夢を見ていたけれど…。
 ハーレイと結婚して、新婚旅行に出掛けた後。宇宙から青い地球を眺めて、大満足の新婚旅行が終わった後には、ハーレイの家で暮らすことになる。今の自分の家ではなくて。
 旅行が済んだら、帰ってゆく先はハーレイの家。二人で家に帰り着いた時には、一番最初に何をすることになるのだろう…?
(ただいまのキス…?)
 二人一緒に帰ったのだし、「おかえりなさい」ではないけれど。どちらが迎える側でもないのに「ただいま」は変かもしれないけれども、ただいまのキス。
 二人きりの家に帰って来られた、と抱き合ってキスを交わすのだろう。これからはずっと一緒に暮らしてゆけるし、此処が二人の家なのだ、と。
(キスは絶対、しそうだけれど…)
 結婚している二人だったら、ただいまのキスは挨拶代わり。「最初にすること」と考えるには、足りない重み。今の自分なら、キスは大切なのだけど。
(…ハーレイ、キスしてくれないものね…)
 子供にキスは絶対しない、と言われているから憧れのキス。けれど結婚した二人ならば、キスは当たり前のように交わす筈のもので、「最初にすること」には数えられないほどだろうから…。



 キスは違う、と考えた「家に帰ったら最初にすること」。ただいまのキスの後が問題。
 新婚旅行はもう終わったから、ハーレイと一緒に過ごすのだけれど。結婚している恋人同士で、夜はもちろん同じベッドで眠るけれども…。
(いくらなんでも、帰って直ぐにベッドになんか…)
 行かないだろうという気がする。帰って来たのが夜だとしても。宙港に着いた時間によっては、家に着いたら夜更けなのかもしれないけれども、直ぐにシャワーを浴びに行くのも…。
(あんまりだよね?)
 二人で暮らす家に着くなりシャワーだなんて、夢もロマンも無い感じ。どう考えても、ベッドに入る準備だから。「早くベッドに行かなくちゃ」と宣言するようなものだから。
 二人一緒でも狭くないだろう、ベッドには行きたいのだけれど…。
 それとこれとは話が別。家に帰って最初にすることがシャワーだと、恥じらいさえも無さそう。
(ハーレイ、きっと結婚するまで…)
 キスしかしないままなのだろう、と思ってはいる。何故だか、そういう予感がするから。
 婚約した後もキスだけで我慢していたのならば、ベッドに行きたくなりそうだけれど。
(だけど、新婚旅行だったんだし…)
 二人で旅行に出掛けたのなら、とうにベッドに行った筈。青い地球が見えるだろう部屋で。
 大きな窓越しに地球を眺めて、何度もキスを交わした後には、やっと本物の恋人同士。長いこと我慢させられていた分、満ち足りた時を過ごせる筈。
(朝御飯なんかは、抜きでいいから…)
 ハーレイとベッドで抱き合っていたい。今の幸せに酔いしれながら、愛を交わして、甘い睦言を交わし合って。
(旅行とセットの御飯、何度も抜けちゃったって…)
 きっと二人とも気にしない。豪華な料理を食べそびれても、ルームサービスばかりでも。食事をするより、二人一緒にいたいから。前の生からの夢が叶って、ようやく結婚出来たのだから。
 そういう旅行をして来たのならば、家に帰ってまでベッドなんかに急がなくてもいいだろう。
 もっとのんびり、家でゆっくり。
 此処が二人の家なのだから、と前の生から夢に見ていた地球にある家で。



 前の自分たちが夢見た地球。いつか地球まで辿り着いたら、欲しいと思った小さな家。青の間のように広くなくていいから、ほんの小さな家でいいから。
 その夢を叶えてくれるのが今のハーレイの家。この町で教師になろうと決めて、ハーレイの父に買って貰ったらしい家。其処にハーレイと二人で帰ったら…。
(家の中、色々…)
 案内して貰えるのだろうか。一度だけ遊びに行った時にも、案内はして貰ったけれど…。それはあくまでチビの自分用、他の生徒を案内するのと大して変わりはしなかった筈。
 けれど、一緒に暮らすとなったら、必要だろう様々な案内。それこそキッチンの棚の中まで。
 ちゃんと案内して貰わないと、直ぐに困ってしまうだろうから。「あれは何処?」とハーレイに尋ねなくては、日用品さえ見付けられなくて。
(最初にすること、家の案内?)
 そうなのかもね、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来たから、早速ぶつけてみた質問。テーブルを挟んで向かい合わせで。
「あのね、最初は何をすると思う?」
「はあ?」
 最初って何だ、お前が何かしたいのか、とハーレイは目を丸くした。「意味が分からん」と。
「ごめん、色々すっ飛ばしちゃった…。ぼくは長いこと考えてたから」
 おやつの後から考え続けて、そしたら気になり始めちゃって…。
 いつかハーレイと結婚するでしょ、ぼくが十八歳になったら。…結婚できる年になったら。
 その時のことだよ、訊いているのは。…最初は何かな、って思ったから。
 ハーレイと結婚してから、ぼくが一番最初にすること。
 何だと思う、と訊いたら顔を顰めたハーレイ。眉間の皺まで深くして。
「その手の話はお断りだが?」
 お前はチビだし、まだ早すぎる。…何度言ったら分かるんだ?
 キスも駄目だと言ってる筈だな、とハーレイが怖い顔をするから、慌てて首を左右に振った。
「違うってば…!」
 ぼくは真面目に訊いてるんだよ、叱られるような話じゃないんだってば…!
 ホントのホントに違う話で、ただ気になってただけなんだから…!



 キスとかの話は全部抜きで、とハーレイに懸命に説明をした。どうして質問したのかを。
 夢は大きく持ちたいから、と新聞のコラムを読んだお陰で、膨らませてしまった未来の夢。新婚旅行から帰った後には、最初は何をするのだろう、と。
「えっとね…。最初にすること、ハーレイの家の中の案内?」
 そうじゃないかと思ったんだけど、それで合ってる…?
 ねえ、とハーレイの瞳を覗き込んだら、「なんでそうなる?」と返った言葉。
「家の案内って、何処から思い付いたんだ。それが最初にすることだなんて…?」
「それが一番大事かな、って…。ぼく、ハーレイの家の中には詳しくないし…」
 何度も遊びに行ってる柔道部員とかの方が詳しそうだよ。何処に何があるか、棚まで覗いて。
 ぼくは一度しか、家の中、案内して貰ってないし…。
 ハーレイと一緒に帰ってみたって、直ぐに困ってしまいそう。分からないことばっかりで。
 だから案内、と自信を持って答えたのに。
「おいおい、そいつは今だけだろう?」
 確かにお前は、俺の家には全く詳しくないよな、うん。…柔道部のヤツらの方が詳しい。
 あいつら、遠慮なく家探しするから、冷蔵庫の中まで覗いて勝手に中身を飲み食いするし…。
 だがな、お前も俺と結婚するとなったら、嫌というほど来るだろうが。
 一度も来ないで結婚ってことは絶対に無いぞ、考えてみろよ?
 俺の家でデートもするだろうし、と言われてみればそうだった。婚約したなら、ハーレイの家は未来の自分の家になる。今と違って出入りも自由。
「そっか、ハーレイの家でデートもあるよね…」
 ハーレイが作ってくれるお料理とか、お菓子を食べに行くだとか…。
「お前を家に呼びもしないで、結婚ってことは有り得んな。デートでなくても来て貰わんと」
 俺の家に引越して来るんだろうが、俺と一緒に暮らすんだから。
 結婚の準備を進めるためには、お前が俺の家に来ないと始まらない。
 お前の部屋を決めなきゃならんし、荷物だって運び込まないと…。でないとお前、宿無しだぞ?
 この部屋からは出るんだろうが、というハーレイの言葉でやっと気付いた。
 ハーレイの家で暮らしてゆくのだったら、それまでに準備。新婚旅行から帰ったら直ぐに、荷物などを置ける自分用の部屋が要るのだから。



 まるで気付いていなかった、とポカンと開けてしまった口。結婚して同じ家で暮らすためには、先に必要なのが引越し。今のこの部屋から、ハーレイの家へ。
 自分の引越しは新婚旅行の後だけれども、荷物は先に運ばれてゆく。それの置き場や、貰う部屋やら、決めるべきことが幾つもあった。…ハーレイの家まで出掛けて行って。
 何度も出入りしていたならば、家の中のこともすっかり覚えてしまうだろう。新婚旅行から家に帰った途端に、困ってしまわない程度には。
「…最初にすること、家の中の案内じゃなかったんだ…」
 きっとそれだと思っていたのに、違ったなんて…。もう案内は要らないだなんて…。
 ぼくは色々覚えちゃってて、と零した溜息。「ぼくの考え、間違ってたよ」と。
「そのようだな。…あれこれ夢を見てはいたって、チビはチビだということだ」
 まるで必要無い、家の案内が最初だと頭から考えちまうようでは。…チビならではの発想だな。
 そんなお前の質問ってヤツに、あえて真面目に答えてやるとしたなら、だ…。
 新婚旅行から帰った後に、一番最初にすることは何か、それが知りたいわけだよな…?
 俺が思うに、お前、ペタンと座り込んじまって、何もしようとしないんじゃないか?
 最初も何も…、とハーレイが唇に浮かべている笑み。ちょっぴり悪戯小僧の顔で。
「何もしないって…。なんで?」
 どうしてそういうことになるわけ、新婚旅行から一緒に帰って来たんだよ?
 やっとハーレイと二人で暮らせる家に帰って来られたのに…!
 何もしないなんてこと、絶対に無い、と主張したのに、「そうか?」と腕組みをしたハーレイ。
「俺はそうなると思うがなあ…。まず間違いなく、そのコースだと」
 お前が何もしない理由は、エネルギー切れというヤツだ。
 身体中の力が抜けちまうんだな、家に帰ってホッとしたから、緊張の糸が切れたみたいに。
 小さな子供がよくやるだろうが、何処かへ出掛けて、はしゃぎ過ぎた後に眠っちまうとか。
 それと同じだ、お前の場合は眠る代わりに座り込むんだ。
 新婚旅行ではしゃぎ過ぎちまった分がドカンと来るんだな、と指摘されたら反論出来ない。多分そうなるだろうから。
 自分では注意しているつもりでいたって、新婚旅行の間中、はしゃいでいそうだから。
 宙港から宇宙へ飛び立つ前から、もうワクワクが止まらない筈。結婚式の時から、ずっと。



 きっとそうなっちゃうんだよ、と気付いてしまったエネルギー切れ。
 ハーレイと結婚式を挙げて出掛けた新婚旅行で、青い地球だの、二人きりの時間だのと、存分に味わい過ぎて。来る日も来る日もはしゃぎ続けて、体力も気力も、すっかり限界。
 自分では気付いていなくても。…まだまだ元気は充分にあると思っていても。
 ハーレイの家に着いた途端に、プツンと切れるエネルギー。それこそ床にペタンと座って、もう動けないといった具合で。
「…エネルギー切れって…。じゃあ、それが最初にすることなの?」
 ぼくがハーレイの家で最初にすること、エネルギーが切れて座っちゃうこと…?
 床にペタンと座り込んじゃって、「動けないよ」って情けない声を出すしかないの…?
 悔しいけれど、と認めざるを得ない、エネルギー切れで座り込むこと。きっと自分はそうなった末に、ハーレイの顔を見上げることしか出来ないから。
「そうなるだろうと思うんだが? …流石に床では可哀想だし…」
 ちゃんと椅子には座らせてやる。玄関先でへたり込んだら、リビングとかまで抱えて運んで。
 後は紅茶を淹れてやるとか、疲れが取れそうなホットココアとか…。
 そういう飲み物をお前に渡して、時間によっては俺は飯の支度を始めるってトコか。
 帰りは多分、夜なんだろうが、もっと早い時間に到着する便もあるからなあ…。晩飯は家で、と思って帰って来たなら、手早く何か作らんと。
 お前は座って待ってるだけだな、紅茶やココアを淹れるにしても、飯の支度をする方にしても。
 エネルギー切れが治るまでゆっくり座っていろ、とハーレイは微笑む。最初にすること、これで決まったも同じだろうが、と。
「ハーレイが言うの、当たっていると思うんだけど…。エネルギー切れになりそうだけど…」
 それじゃホントに、役に立たないお嫁さんだよ。
 せっかくハーレイと結婚したのに、最初から座っているだけなんて…。
 ぼくだって、ハーレイに何かしてあげたいよ、と言ったのに…。
「何もしなくていいと何度も言ってるだろうが」
 俺の嫁さんになってくれれば、それだけでいいと。…お前は何もしなくても。
 料理も掃除も俺がするから、お前は威張っていればいいんだ。
 俺の所へ嫁に来てやったと、こうして嫁に来てやったんだし、うんと丁重に扱えとな。



 座り込んだまま動けなくても、座っていられるなら充分だ、とハーレイがパチンと瞑った片目。
 「座れるんなら、まだエネルギーが残っているからな」と。
「そういうことだろ、自分の身体を支える力はあるわけだ。椅子には座れるんだから」
 もっと力が無くなっちまえば、お前は倒れてしまうってわけで…。
 新婚旅行から帰ってくるなり倒れて寝込んじまって、早速スープの出番じゃ困る。
 俺が最初に作ってやる料理が、野菜スープのシャングリラ風になっちまったら。
 料理の腕の揮い甲斐さえ無いだろうが、とハーレイが恐れるエネルギー切れの酷いもの。最悪の場合は、倒れることだって起こり得るから。
「それだと、ぼくも困ってしまうよ…!」
 やっとハーレイと暮らせる家に着いたのに…。座り込むどころか、寝込むだなんて…!
 ハーレイに作って貰うお料理、野菜スープが最初だなんて…!
 そんなの嫌だよ、と身体が震え上がりそう。新婚旅行の素敵な思い出、それがすっかり台無しになってしまいそうだから。…寝込んでしまえば、そうなるのだから。
「俺も勘弁願いたいんだが…。寝込むお前も悲しいだろうが、俺も同じに悲しいからな」
 せっかくお前を嫁に貰って、薔薇色の日々が来たっていうのに、野菜スープを煮込むだなんて。
 そいつは勘弁して欲しいからな、お前がはしゃぎ過ぎないように注意はするが…。
 それでもお前は疲れちまって、エネルギー切れを起こすんだろう。軽く済むよう、祈ってくれ。
 防ぐ方法はそのくらいしか無いってわけだが、お前が疲れちまうとなると…。
 そうだな、俺の車が要るかもしれないな。
 俺の車だ、とハーレイは至って真剣な顔。「アレの出番が来るかもしれん」と。
「車って…?」
 ハーレイの車の出番って、何処で?
 まさか病院に連れて行くわけ、ぼくに注射を打って貰いに…!?
 酷い、と上げてしまった悲鳴。ハーレイの家から近い病院の医師は、注射好きだと聞いたから。問答無用でブスリと注射で、「これで治る」というタイプだと前に聞かされたから。
 新婚旅行から帰った途端にエネルギー切れも嫌だけれども、それを治すのに注射だなんて。
 ハーレイの車に押し込まれた上に、病院へ連れて行かれるなんて…!



 酷すぎるよ、と抗議した車の出番。注射を打たれてしまうよりかは、寝込んだ方がマシだから。最初の食事が野菜スープのシャングリラ風でも、注射を打たれるよりはいいから。
 そうしたら…。
「何を勘違いしているんだか…。お前の注射嫌いくらいは、俺だってよく知っている」
 俺の家での最初の思い出、注射に連れて行かれたことになったら、お前に恨まれちまうしな…。
 いきなり車を出しやしないさ、暫くは様子を見てやるから。…病院は無しで治るかどうか。
 だからだ、俺が言っているのは違う車の使い方だ。
 お前、宙港からの帰り道には、とっくに疲れていそうだし…。
 タクシーの中で俺にもたれて寝るのと、俺の車の助手席で寝るのと、どっちがいい?
 好きに選べよ、と訊かれたこと。新婚旅行に出掛けた帰りに、家までの道をどうするか。
「えーっと…?」
 タクシーの中だと、ハーレイの肩にもたれて寝られるけれど…。
 それは嬉しいけど、タクシーだったら、運転手さんが乗っているよね、運転席に。
 バックミラーで見えてしまうかな、ぼくがハーレイにくっついてるの…。わざわざ見たりはしていなくても、何かのはずみに。
 それって、ちょっぴり恥ずかしいかも…。運転手さんは、お仕事だけど…。
 見られちゃった、って後で真っ赤になるより、ハーレイの車の方がいいかも…。
 ハーレイの肩では寝られないけど、寝ちゃっていたって恥ずかしいことは無いものね…。
 そっちの方がいいのかも、と選びたくなったハーレイの車。新婚旅行から帰る時には。
「ほらな、選びたくなっただろうが。俺の車を」
 新婚旅行に出掛ける時もそうするか?
 タクシーに乗って行くんじゃなくって、最初から俺の運転で。
 そうするんなら、車を宙港まで運んで貰うサービスも要らなくなるからな。
「うん、ハーレイと二人がいいよ」
 ハーレイが運転してくれるんなら、ハーレイと二人で行きたいな…。
 せっかく結婚出来たんだものね、前のぼくたちの話もしたいよ。
 運転手さんには聞こえなくても、タクシーの中では、やっぱり話しにくいから…。



 車を出してくれるんだったら、その方がいい、と頼んだ車。ハーレイの車で出掛ける宙港。
「よし。それなら俺の車の出番だ、俺たちだけのシャングリラのな」
 そいつで出掛けて帰って来るなら、家に着いたらガレージに停めて、荷物を降ろして…。
 おっと、その前に、疲れちまってるお前を家に入れてやらんといけないな。
 荷物は後だな、お前の休憩が先だから。
 ペタンと床に座り込む前に、抱き上げて家に運び込んでだ…。
 お疲れ様、と椅子に座らせてやって、何か飲み物を渡してやって…。
 それをお前が飲んでる間に、俺が荷物を降ろして来る、と。…俺のも、お前の荷物も、全部。
 そんなトコだな、とハーレイが立てている段取り。椅子に座っているだけらしい、自分。
「…ハーレイの家で最初にすること、椅子に座ること?」
 床に座り込む方じゃなくても、やっぱり座ることなんだ…?
 ハーレイに椅子に座らせて貰うのが最初、と尋ねた「一番最初にすること」。ハーレイの家で。
「さっきも言ったろ、そうなっちまいそうな気がしているんだが…」
 それじゃ不満か、最初にすること。もっと劇的な何かを期待してるのか…?
 劇的に倒れるのは無しで頼むぞ、とハーレイに念を押されたから。
「ぼくだって嫌だよ、そんなのは…! それにね…」
 不満じゃないよ、うんと幸せだと思う。座ってることしか出来なくっても。
 此処が今日からぼくの家だよ、って胸が一杯になっちゃって。
 ハーレイが荷物を降ろしている間も、幸せ一杯。…椅子に一人で座っててもね。
 きっと幸せ、と弾けた笑顔。最初にすることは椅子に座っているだけにしても、ハーレイと結婚出来るのだから。ずっと一緒に暮らすのだから。
「なら、決まりだな。…新婚旅行に出掛ける時には俺の車で宙港までだ」
 今の所は、そういうことにしておこう。お前もそうしたいらしいから。
 いつかお前と二人で行こうな、宇宙から地球を見る旅に。
 しかしだ、何処でどう変わるかが分からないから面白いんだぞ、夢ってヤツは。
 今のお前の夢の形が、明日も同じとは限らない。
 もっと大きく育った時には、俺の車よりもタクシーがいいと言い出すってこともあるからな。



 まあ、存分に夢を見ておけ、と言われた新婚旅行のこと。家で最初にすることも。
 けれど、夢なら幾らでもあるし、前の自分の一番大きな夢は必ず叶うから…。
「前のぼくの夢、叶うんだよ。…ハーレイと結婚できるから」
 それに叶ってる夢もあるもの、青い地球に生まれて来ちゃったから。
 まだ宇宙からは見ていないけれど、前のぼくが見たかった地球まで来られちゃったよ。
「ふうむ…。前のお前の大きかった夢が、二つとも叶うというわけか」
 それで今度も欲張るわけだな、あれもこれもと。
 俺と新婚旅行はもちろん、他にも山ほど夢を抱えて。
「そう!」
 夢は沢山持たなくっちゃね、でないと何も叶わないから。…未来もちっぽけになっちゃうから。
 今度のぼくも欲張りだよ、と欲張り自慢。夢は本当に山ほどだから。
「いいさ、お前の夢なら全部叶えてやるから」
 どれも端から、と請け合ってくれた、頼もしい恋人。優しいハーレイ。
「…ハーレイの夢は?」
 ハーレイも夢を持っているでしょ、どんな夢なの?
「俺の夢か? そいつはお前と一緒に叶えていくんだ、これからな」
 なにしろ今度は、前の俺の夢も叶うんだから。お前と結婚出来たらな。
 前の俺の一番の夢だった、とハーレイの夢も結婚すること。白いシャングリラで生きた頃から。あの船で地球を夢見た頃から。
「そうだよね…!」
 ハーレイの夢もおんなじだったよね、前のぼくのと。
 いつか地球まで辿り着いたら、きっと結婚出来るんだから、って…。



 同じだったね、と思う前の自分とハーレイの夢。いつか結婚するということ。地球に行くこと。
 夢は大きく持たなければ、と改めて思う。
 前の自分の大きな夢が叶うのだから、今度も沢山、幾つもの夢を。
 前よりはささやかな夢だけれども、持っていればきっと、夢は叶うと知っているから。
 最初の夢は、ハーレイと結婚式を挙げて新婚旅行に行くこと。
 宇宙から青い地球を眺めて、旅を終えたら、ハーレイの家に二人で帰ってゆくこと。
 それから二人で暮らし始めて、幾つもの夢を叶えてゆく。
 前の自分だった時からの夢も、今の自分が持っている夢も。
 ハーレイは全部叶えてくれるし、ハーレイの夢も二人で全部叶えてゆけるから。
 今度は二人で生きてゆけるから、どんな夢でも、青い地球なら何もかも叶う筈なのだから…。




               夢は大きく・了


※夢は大きく持つべきだ、という記事を読んだブルー。前の生での夢なら、大きなもの。
 けれど今度は、前に比べると小さな夢ばかり。それでも夢は幾つも持って、二人で叶えて…。
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(ふふっ、お休み…)
 今日は土曜日、と目覚めたブルー。自分の部屋のベッドの上で。
 休みなんだ、と思った途端に幸せな気分。「ハーレイが来てくれるんだよ」と。仕事が何も無い週末なら、午前中から来てくれるハーレイ。いつの間にか出来た約束事。
 カーテンの隙間から射し込む光で、いい天気だと分かる朝。こういう日には、歩いてやって来るハーレイ。何ブロックも離れた所に家があるのに、楽々と。
(回り道までしちゃうんだから…)
 早すぎる時間に着きそうだったら、遠回りをするのが常らしい。「お母さんに悪いしな?」と。両親は「よろしかったら、朝食も」と言うのだけれども、ハーレイは来てはくれない朝食。
(たまには一緒に食べてくれてもいいのにね?)
 朝御飯も、と考えたって、ハーレイの流儀なら仕方ない。その内に来てくれるのだから、と顔を洗って着替えて朝食。キツネ色のトーストを齧る間も心が弾む。もうすぐ会える筈の恋人。
 食べ終わったら部屋の掃除で、そちらの方も張り切った。いつもハーレイと使うテーブルの上を綺麗に拭いて、椅子の置き場所も整えて。
(これで良し、っと!)
 後はハーレイの到着を待つばかり。この時間なら、とっくに家を出ているだろう。どの辺りまで歩いて来たのか、それとも回り道しているか。
(今日はミーシャの家かもね?)
 自分は見たことが無いのだけれども、真っ白な猫が日向ぼっこをしている家があるらしい。此処まで歩く途中の道に。何通りもあるルートの一つで、ハーレイのお気に入りの場所。
 ハーレイが子供だった頃には、家に本物のミーシャがいたから。ハーレイの母が飼っていた猫。甘えん坊だった白いミーシャの写真を前に見せて貰った。
(ミーシャにそっくりの猫に会えたら、楽しいものね?)
 きっとハーレイは声を掛けてやって、撫でてやったりもするのだろう。何度も顔を合わせる間にすっかりお馴染み、ミーシャの方でも「来ないかな?」と待っていたりして。
 「お休みの日には通る人だ」と、「今日も通ってくれないかな?」などと。



 そう、今日は休みで午前中からハーレイが家に来てくれる。用があるとは聞いていないし、母に通信も来なかったから。「明日は伺えません」という悲しい通信。
(ハーレイに用事が無くて良かった…)
 ホントに良かった、と心から思う。学校の用事や、柔道部の生徒たちとの行事。そういう予定が入った時には、ハーレイは来てはくれないから。
 ハーレイに何も用事が無ければ、週末は此処で一緒に過ごせる。土曜日も、それに日曜だって。明日も予定は入っていない筈だから…。
(二日も一緒!)
 午前中から二人一緒で、夕食の後のお茶が済むまでハーレイと二人。夕食は両親も一緒の席で、食後のお茶も両親つきになることだってあるけれど。
 それでも朝から晩までハーレイと一緒、幸せな日が二日も続く。今日と明日との二日間。二日も続けて休みなのだし、どうせなら泊まって欲しいけれども…。
(ママたちに頼めば、きっと大丈夫だと思うんだけどな…)
 来客用のゲストルームもあるから、両親も歓迎だと思う。ハーレイはすっかり家族の一員、平日だって仕事の帰りに寄ってくれたら一緒に夕食。お客様用の御馳走ではない普段の料理で。
(ハーレイ専用の御飯茶碗とお箸が無いだけ…)
 そんなハーレイが泊まるとなったら、大歓迎だろう父と母。「ごゆっくりどうぞ」と、お風呂も一番に入って貰ったりもして。
 そうは思っても、ハーレイが断るに決まっているから、頼むだけ無駄。「泊まりに来てよ」と。
 誘ってみたって、断られるだけ。「お母さんたちに迷惑かけられないしな?」と、やんわりと。
(でも、今日は夜までゆっくりで…)
 土曜日なのだし、ハーレイが帰る時間も遅め。平日の夜に比べたら。
 明日は日曜、今日と同じで午前中からハーレイと一緒。夕食の後のお茶が済むまで。
 ハーレイが泊まりに来てくれなくても、それで充分。会えて、二人で過ごせるなら。ハーレイに用事が入っていなくて、二日も続けて会えるのならば。
(泊まりに来て、っていうのは無理でも…)
 幸せ一杯の週末になる。今日に続けて、明日もハーレイに会えるのだから。



 土曜と日曜、学校に行かなくてもいい日。時間を好きに使える週末。
(ぼくだって用事、作らないから…)
 友達と遊びに出掛けてゆくより、断然、家で過ごすのがいい。ハーレイが家に来てくれるなら。駄目だと分かっている時だったら、友達と遊びもするけれど。
 そうでない時は、土曜も日曜もハーレイと一緒。午前中から夜になるまで、ずっと。
(週末があって良かったよね)
 ハーレイと二人で過ごせる週末。それにハーレイは学校の先生、その点でもとてもツイている。自分と同じで、週末は休みになるのだから。
(パパの仕事も…)
 週末が休みになっているけれど、違う仕事も色々ある。週末も開いている店などだったら、働く人の休みは違う日。スポーツ選手なんかも同じ。週末も試合が当たり前のようにあるのだから。
(ハーレイがプロの選手になっていなくて良かった…)
 柔道と水泳、どちらもプロの選手になれた筈のハーレイ。プロの選手になっていたなら、今日も試合があったかもしれない。週末に人気のスポーツ観戦、出掛ける友達も多いから。
 もしもハーレイがプロの選手だったら、二人で過ごせはしない週末。ハーレイは試合で、自分は観戦しているだけ。他の地域や他所の星での試合だったら、観戦すらも出来ない始末。
 そうならなくてホントに良かった、と思った所で気が付いた。
(今のハーレイは、土曜と日曜がお休みだけど…)
 教師ではなかった前のハーレイ、キャプテンの休日はいつだったっけ、と。
 前の自分と恋をしていたキャプテン・ハーレイ。きっと休日は二人で過ごしていたのだろうに、思い出せない休日のこと。それが何曜日だったのか。
(土曜と日曜…?)
 休日といえば直ぐに浮かぶのが週末だけれど、そんな筈はなかったと思う。週末以外の曜日だとしても、キャプテンは連休などは取れない。…多分。
(シャングリラは毎日、飛んでたんだし…)
 降りる地面を持たなかった船、前の自分が生きていたのはそういう船。けして休みはしない船。漆黒の宇宙を飛んでいた時も、アルテメシアに着いた後にもシャングリラは停まりはしなかった。
 白い鯨への改造のために惑星に降りても、動き続けていたエンジン。でないと酸素や水の供給、照明などの設備も止まってしまうから。



 船に休みが無いのだったら、キャプテンの方も二日続けて休むことなど出来そうにない。休みの間も船は休まず動き続けて、刻一刻と状況が変わってゆくのだから。
 宇宙でも、アルテメシアの雲の中でも、事情は同じ。キャプテンの指示が必要な場面の方でも、時を選びはしないから。いつ呼び出しがかかったとしても、走ってゆかねばならないキャプテン。
 前のハーレイはそういう仕事で、取れそうにないと思う連休。それが週末でなくたって。
(それとも、取れた…?)
 ブリッジの仲間が頑張っていたら、キャプテンも休めたかもしれない。急な呼び出しがあったとしたって、基本は休みになる二日間。週末だとか、ブリッジの他の仲間とずらして平日だとか。
 どうだったろう、と考えてみても思い出せないキャプテンの休み。
 その上、前の自分にしても…。
(土曜と日曜、お休みだった?)
 ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。シャングリラで一番偉い立場で、ミュウたちの長。
 そのソルジャーに休みがあったという覚えがない。この曜日、と決まっていた休み。此処は必ず休みだから、と自分でも承知していた休日。週末にしても、平日にしても。
 どうにも思い出せない休日、曜日も、それに連休が取れていたかも分からない。もしかしたら、休みは無かったろうか。前のハーレイが休めなかったように、ソルジャーだって。
(ソルジャーもキャプテンと同じだったかもしれないけれど…)
 それにしたって、休みがまるで無いというのもどうだろう。今の時代は、誰でも持っているのが休日。幼稚園にも休みはあったし、休日は多分、欠かせないもの。どんな仕事でも。
(いくらソルジャーでも、休みが無いってことなんか…)
 あったのかな、と頭を悩ませていたら、ハーレイが訪ねて来てくれた。思った通りに、青い空の下をのんびり歩いて。
 回り道して、ミーシャとも遊んで来たらしい。家の表で日向ぼっこをしていたから。
 ついでに朝にはジョギングまで。早い時間に目が覚めたからと走りに出掛けて、足の向くままに公園などを。まだ土曜日の午前中なのに、休日を満喫しているハーレイ。
 そうとなったら、やはり訊かねばならないだろう。前の自分たちの休日のことを。



 まずは質問、とテーブルを挟んで向かい合わせで問い掛けた。鳶色の瞳の恋人に。
「あのね、ハーレイは今日、お休みだよね?」
 土曜日だから仕事はお休み。何も用事が入ってなければ、ハーレイが好きに使える日でしょ?
「そうでなければ、俺は此処にはいないんだが?」
 お前だって今日は休みだろうが、と当然のように返った答え。「学校は週末は休みだしな」と。
「それなんだけど…。ハーレイに訊いてみたくって…」
 前のハーレイ、お休みはいつ?
「はあ?」
 休みってなんだ、キャプテン・ハーレイだった頃の俺の休みを言っているのか…?
 仕事が休みになる日のことか、と質問の意図は通じたらしい。訊きたいことはそれだから。
「うん、キャプテンのお休みのこと。土曜と日曜じゃなかっただろうと思うんだけど…」
 週末がお休みってことはないよね、と確認してみた。そういう記憶は自分には無い。
「違うだろうな、キャプテンは週末は休みじゃなかった」
「やっぱりそう? それでね、ぼくのお休みも思い出せなくて…」
 ハーレイ、覚えているのかな…。それを訊こうと思ったんだよね、気になったから。
「訊きたいって何だ、お前は何が気になってるんだ?」
 俺で分かるなら教えてやるが、とハーレイは怪訝そうな顔。「休みがどうかしたのか?」と。
「お休みだってば、前のぼくたちの。…今は土曜と日曜がお休みだけど…」
 ぼくもハーレイも、週末が休みになっているけど、前のぼくたちはどうだったかな、って。
 いつだったのかが思い出せなくて、朝から考えていたんだよ。
 前のハーレイのお休みの日と、前のぼくの休み。…今はお休み、誰でもあるでしょ?
 シャングリラでも、きっとあっただろうし…。
 何曜日だったか、ハーレイ、覚えていないかな…?
 覚えてるんなら教えてよ、と頼んでみたのに、ハーレイの方は「おいおいおい…」と呆れ顔。
 「前の俺たちの休みだって?」と。
 「ソルジャー・ブルーと、キャプテン・ハーレイの休みだよな?」と、念まで押して。



 答えを教えてくれる代わりに、「大丈夫か?」と覗き込まれた顔。正気を疑うかのように。
「お前、寝ぼけていないだろうな? 俺が此処に来る少し前まで寝ていただとか…」
 寝ぼけてるんなら、その質問でも俺は全く気にしないがな。
 休みはいつかと尋ねられても、前のお前はソルジャーだったし、俺はキャプテンだったんだが?
 忘れてるわけじゃないだろうな、と出された前の自分の肩書き。ハーレイの分も。
「それがどうかした? 忘れるわけがないと思うけど?」
 ぼくは寝ぼけてなんかいないよ、ちゃんと起きたから気になって訊いているんだってば。
 朝、起きた時に、「今日は土曜日でお休みだよね」って、とても嬉しくなったから…。
 土曜と日曜はハーレイに用事が入らなかったら、絶対に会える日なんだもの。
 幸せだよね、って考えてる内に、シャングリラにいた頃のお休み、気になっちゃって…。
 そのお休みが思い出せないから訊いてるんだよ、と重ねて尋ねた。「お休みはいつ?」と。
「お前なあ…。全く分かっていないようだな、なら訊くが…」
 ノルディの休日、いつだったのかを覚えているか?
 答えてみろ、とハーレイにぶつけられた問い。今の話とは、まるで関係無さそうなのを。
「え? ノルディって…?」
「ノルディと言ったら、ドクター・ノルディだ。病院にも休みはあるだろう?」
 今のお前が世話になってる、近所の病院なんかでも。診察は無しで、閉まっている日が。
「あるけれど…。今日は土曜だから午前中だけで、日曜日は休み」
 後は、木曜日もお休みかも…。急患だったら、先生がいたら診てくれるけど。
 そうだったと思う、と思い浮かべた診察券。裏に休日や診療時間が書いてあるから。
「俺の近所の病院もそんな具合だが…。シャングリラって船はどうだった?」
 ノルディはメディカル・ルームにいたわけなんだが、あそこに休みはあったのか?
 今の俺たちの言葉で言うなら休診日だな、と訊かれた休み。
 白いシャングリラにあったメディカル・ルーム。其処が閉まっていた日はいつだ、と。
「えーっと…?」
 お休みの日だよね、メディカル・ルームの…?
 すっかり閉まって急患だけしか診ない時とか、午後は閉まっていた日とか…?



 思い出そうとしたのだけれども、今の自分が行く病院とはまるで違ったメディカル・ルーム。
 シャングリラの病院と言えば病院、けれど無かった診察券。船の顔ぶれは誰もが承知で、顔さえ見れば誰だか分かる。診察券を持って出掛けなくても、診て貰えたのがメディカル・ルーム。
(診察券があったら、お休みの日が書いてあるけれど…)
 大抵の病院はそういう仕組み。規模の大きな病院だったら、診察券の裏に書かずに分かりやすい場所にプレートがある。玄関の脇や、診察室の前などに。診療科目が沢山あるから。
(眼科は休みでも、内科は診察してるとか…)
 大病院なら珍しくない、診療科によって異なる休み。だからプレート、「此処が休み」と。
 けれどシャングリラの病院の方は、プレートも出されていなかった。自分の記憶にある限りは。
 お蔭で掴めない手掛かり。メディカル・ルームが休みだった日を問われても。
「…いつがお休みだったっけ?」
 覚えていないよ、診察券が無かったから…。お休みの日を書いたプレートも無かったから。
 思い出せなくても仕方ないでしょ、と開き直ったら、ハーレイが浮かべた苦笑い。
「寝ぼけてるんだか、そうじゃないんだか…。まったく、今日のお前ときたら…」
 メディカル・ルームに休みなんかがあるわけないだろ、あそこは年中無休だったろうが。
 病人と怪我人、いつ来るか分からないからな。
 他に病院があるならともかく、シャングリラにはメディカル・ルームしか無かったんだから。
 最初に医務室が出来た頃には、ノルディが一人で寝泊まりしていたぞ、と言われればそう。
 白い鯨になる前の船で、ノルディが医務室を開設した時。
 ノルディは独学で医者になったし、初期のシャングリラでは一人きりの医者。ヒルマンも医者の真似事くらいは出来たけれども、ノルディの腕には及ばなかった。
 そんな船だから、ノルディの助手たちが育つまでの間は、ノルディの住まいは医務室そのもの。
 頼りになる助手たちが立派に育った後にも、ノルディはいつも…。
「…メディカル・ルームにいたんだっけ…。昼間はずっと」
 あそこに住んではいなかったけれど、直ぐ側の部屋で暮らしてたよね。
 誰か病気になった時には、駆け付けないと駄目だから…。助手や看護師に呼ばれたら。
 ノルディのお休み、無かったかも…。
 メディカル・ルームに休みが無いなら、ノルディが休める日だって無いよね…。



 今日は休み、と閉めるわけにはいかなかったのがメディカル・ルーム。その前身の医務室も。
 病院が幾つもあるのだったら、閉めても問題無いけれど。…患者は他の病院に行くし、急ぐなら救急病院もある。年中無休で二十四時間、医師が詰めている救急病院。
 メディカル・ルームはそれと似たようなもので、違いは医師が一人だったこと。ノルディだけが医者で、他は看護師と助手ばかり。つまりノルディには無かった休み。
「ほら見ろ、ノルディですらもそうだったんだ」
 休み無しだぞ、年中無休で。…週末どころか、平日も休みじゃなかったってな。
 シャングリラはそういう船だったんだし、ソルジャーとキャプテンに休みがあると思うのか?
 もっともお前は、白い鯨が出来上がってからは暇そうだったが…。
 物資を奪いに行く必要が無くなったせいで、暇を持て余しては子供たちと遊んでいたんだが…。
 俺はそれまでよりも忙しくなったぞ、船が大きくなった分だけ。
 おまけに自給自足の世界だ、船で全てを賄う以上は、キャプテンの仕事も増えるってな。報告が次々上がってくる上、目を配らないといけない場所もドカンと増えたんだから。
 目の回るような忙しさだった、とハーレイは両手を広げてみせた。
 「キャプテンだって年中無休だ」と、「メディカル・ルームと同じだよな」と。
 やはり無かったキャプテンの休み。前の自分もそうらしいけれど、本当にそうだっただろうか?
「前のぼくたち、お休みの日は無かったんだ…。だけど、ホントにそうだった?」
 シャングリラって、お休みが無い船じゃなかったように思うんだけど…。
 船のみんなが年中無休で、ずっと働いてたわけじゃないような気がするんだけれど…。
「当然だろうが、あの船にだって休みはあった。でないと疲れてしまうからな」
 毎日が同じような船でも、メリハリってヤツは必要だ。
 いつでも全力で走っていたんじゃ、ここぞという時に走れやしない。力を発揮出来ないんだ。
 それに何処かで休憩しないと、走り続けることも出来ない。…すっかり力を使い果たして。
 船の仲間たちがそれじゃ困るし、全力の時と休む時とを作ってやった方がいい。
 あれはヒルマンが言い出したんだったか…。
 シャングリラにも、平日と休日を作るべきだと。白い鯨じゃなかった頃にな。
 お前だって、まだリーダーだった頃の話だぞ。ソルジャーじゃなくて。
 俺も厨房担当だったな、キャプテンになっちゃいなかった。そんな話も無かったんじゃないか?



 船であの話が出て来た時は…、というハーレイの言葉で蘇った記憶。「そうだったっけ」と。
 アルタミラから脱出した後、名前だけがシャングリラだった船。もう人類のものではないから、新しい名前の船にしようと皆で名付けた。
 船の名前を変えるほどだし、各自の持ち場も出来ていた頃。前のハーレイならば厨房、ゼルならブリッジといった具合に。
 持ち場があるなら仕事も当然あるのだけれども、まだ平日も休日も無かった船。予定表が食堂の壁に貼られていただけ。カレンダーの形で、主な予定を書き込むものが。
 そんな日々の中、ある日、夕食後にヒルマンがそれを指差した。
「あのカレンダーを、もっと生かすべきだと思うんだがね。…せっかく貼ってあるのだから」
 予定を書き込むだけではなくて、と言うから、ブラウが首を傾げた。
「生かすって、何のことなのさ?」
 もう充分に生かしているだろ、みんなの予定がビッシリじゃないか。けっこう先の方までね。
「書くスペースのことではなくて…。曜日の方だよ、カレンダーには曜日がつきものだ」
 日曜日を是非、生かしたい。それに土曜日もだね、この二つだ。
 カレンダーというものがあるからにはね、とヒルマンが挙げた日曜と土曜。続きに並んだ曜日というだけ、他には何ということもない。
「日曜に土曜? 何の意味があるというんだ、それに?」
 ただの曜日の呼び名だろうが、と若かったゼルも訝しがった。「あれが何だと?」と。
「休日だよ。…日曜日は本来、休むためにあったものらしい」
 世界を創った神様も日曜は休んだと伝えられている。神様さえも休んだくらいだ、人間も日曜は休まないとね。ずっと昔は、日曜は仕事をしない決まりもあったそうだよ。
 日曜日に働くことは悪いことだったのだ、という話に皆が驚いた。働くことが悪いなんて、と。
「へえ…? いいことのように思うけどねえ…」
 働くことは、とブラウが言ったけれども、ヒルマンは「そうでもないだろう」と返した。
「人類の世界でも、日曜は休みが基本のようだ。…仕事によって変わりはしても」
 この船でも取り入れるべきだと思うよ、日曜日は休むという習慣を。
 ああしてカレンダーもあるから、じきに定着するだろう。
 そうすればこの船も変わると思うね、いい方向へと劇的に。



 きっと変身する筈だ、とヒルマンが提案した休日。カレンダーの通りに休むこと。日曜日には。更に日曜日の前の土曜日、その日も出来れば休むべき。一日は無理なら、午後だけでも。
 そのようにすれば船は変わる、というものだから、ブラウが飛ばした質問。
「どう変わるって言うんだい? 休日ってのを船で作ったら?」
 まさか神様が褒めてくれるわけでもないだろうに、と茶化すのもブラウは忘れなかった。ずっと昔は、日曜日は仕事をしないことが正しかったのだから。
「簡単なことだよ。休みを作れば、その日を励みに頑張れる。どんな仕事でもね」
 もうすぐ休みが貰えるんだから、と思えば辛い仕事でも軽くなるだろう?
 今のこの船では、疲れが溜まって来たら、自分の判断で休む形になっているんだが…。
 そうなる前に、休みの日を決めておけばいい。休む日が初めから決まっていたなら、力の配分も楽になる筈だよ。じきに休みだ、と頑張るのも良し、まだ先だからと無理をしないのも良し、だ。
 いい方法だと思うのだがね、というヒルマンの案に皆が頷いた。
「なるほどなあ…!」
 そいつは俺も賛成だ。同じ仕事なら、自分の力に合わせてやるのが効率的だしな。
 いいじゃないか、とゼルが真っ先に高く挙げた手。他の仲間も賛成する中、決まった休み。
 まだ重要な役職も無かった時代だったし、日曜日は大抵の者が休みになった船。土曜日も殆どの者が休みで、午後だけ休む者たちも。
 日曜日は大切な休日だから、と休むためのシフトも組まれたほど。同じ持ち場でも交代で休み、仕事への英気を養うために。
「しかしだな…。俺がキャプテンになった頃から、風向きがだ…」
 変わっていったぞ、「休める時に休め」という風に。
 ノルディは一人で医者の仕事を頑張っていたし、俺もノルディを見習ったし…。
 休まないのが偉い、といった雰囲気になりかかったんだ、船全体が。
 俺やノルディはともかくとして、休める立場にいた連中まで休まないのはマズイだろうが。
 休み無しだと、ブッ倒れるヤツも出て来るからなあ…。頑張りすぎて、限界を越えて。
 それでは皆が倒れてしまうし、そうなったら船の暮らしにも響いてきちまうから…。
 なんとかして休ませないと駄目だろ、頑張りすぎてる連中を。
 休んでも問題がない仕事のヤツらは、決めた通りに日曜日はキッチリ休むってことで。



 それでだな…、とハーレイの話は続いた。日曜日はきちんと休む習慣、それを取り戻そうとしたシャングリラ。皆が頑張り続けたままだと、いつか倒れる時が来るから。
「お前は物資の調達の都合で、休めない時もあるもんだから…」
 ヒルマンたちが休みを取ったんだ。ヒルマンとゼルとブラウとエラ。あの四人がな。
 まだ長老にはなってなかったが、船じゃリーダー格だったから…。
 日曜は休む、と四人で宣言したってわけだ。緊急の仕事以外は一切受け付けない、と。
 あいつらが完全に休むとなったら、連絡が必須の仕事をやっても意味なんか全く無いだろう?
 お蔭でまた日曜日が復活したんだ、シャングリラにな。
 それからはずっと日曜日があったし、土曜日も半日休むヤツらが多かった、という懐かしい船の思い出話。一度は消えて、また復活した日曜日。それに土曜日も。
「あったね、そういう事件もね…。せっかく作った日曜日が消えてしまったこと」
 本当に消えて無くなる前に、ちゃんと戻って来たけれど…。ヒルマンたちの作戦のお蔭で。
 だけど、前のハーレイと、前のぼくとは…。
 あれから後もお休みは無しで、日曜日も土曜日も無くて…。
 他の曜日も決まった休みは無かったっけ、と蘇った前の自分の記憶。週末は休みだった船でも、休みが無かったソルジャー・ブルー。それにキャプテン・ハーレイだって。
「俺たちだけじゃないぞ、ノルディもだからな。其処の所を忘れてやるなよ」
 その代わり、いつでも休めるという特権も持っていたっけな。日曜だろうが、平日だろうが。
 日頃、仕事を頑張っているから、此処で休ませて欲しい、と言えば休みが取れたんだ。
 もっとも、俺は殆ど使っていなかったが…。
 キャプテンの役目ってヤツを思えば、そうそう休んでいられやしない。
 俺の指示が無いと全く進まないことや、始められさえしない仕事が山のようにあった船だから。白い鯨になった後には、そいつがドカンと増えたってわけで…。
「覚えてるよ、ハーレイが頑張ってたこと」
 仲間たちが色々尋ねるんだものね、ハーレイに。「これをやってもいいでしょうか」って。
 ハーレイがブリッジで仕事してても、別の場所から呼ばれたり…。
 その度に走って行っていたものね、やってた仕事をキリのいい所までやって。
 「直ぐに行くから、ちょっと待ってろ」って、どんな時でも。



 前のハーレイはそうだった、と忙しかったキャプテンの姿を思い出す。まるで無かった、日曜と土曜。殆どの者たちが休んでいたって、仕事をしていた仲間がいたから。週末だって。
 シャングリラが宇宙を、雲の海の中を飛んでいる限り、キャプテンの仕事に終わりは無い。船と一緒に生きるのがキャプテン、船の全てを掴んでいないと話になりはしないから。
「前のハーレイ、決まった休みは無かったけれど…」
 特別に取れる休みも滅多に使ってないけど、前のぼくだって使っていないよ。
 白い鯨になった後には暇だったから、お休みみたいなものだったかもしれないけれど…。
 改造前の船だった頃も、お休みは使っていないんだよ。…ハーレイが頑張っていたんだもの。
 ハーレイをキャプテンにしたのは、前のぼくだったんだし…。
 キャプテンが休んでいないんだったら、ぼくだけ休むのは悪いような気がしてたから…。
 でも、寝込んじゃったら、お休みと一緒…。
 白い鯨じゃなかった船でも、前のぼく、休んじゃってたね、と肩を竦めた。今と同じに弱かった前の自分の身体。弱い身体は、休み無しだと悲鳴を上げてしまうから。
 そうなった時はベッドで休んでいるしかなくて、休暇ではなくても事実上の休み。ソルジャーにしか出来ない仕事は少なかったけれど、休んだことには変わりはない。
 たとえ仕事が無かった日でも。…船の中をウロウロ歩いてみたって、手伝う仕事も見付からないような日曜日や暇な日だったとしても。
「前のお前は休んでたっけな、休むつもりがまるで無くても」
 寝込んじまったら、自動的に休みになっちまうから。…ソルジャーでも、それにリーダーでも。
 前の俺もそういう休みだけだな、ノルディもだが。
 いくら頑丈でも、俺も人間には違いない。…たまにはダウンしちまうこともあるってな。
 ゼルやブラウには「鬼の霍乱」と言われたもんだが、と笑うハーレイ。
 実際、前のハーレイが寝込んでしまったことなど、滅多に無かった。
 寝込むと言うより、大事を取っての早めの休み。
 キャプテンの仕事に判断ミスは許されないから、疲れが溜まった時などに。
「…ハーレイ、寝込んでいないよね…」
 前のぼくみたいに、ホントに動けなくなっちゃうような形では。
 部屋のベッドで寝てたってだけで、ちゃんと自分で食事もしてたし、休みも一日程度だから。



 凄かったよね、と感心してしまう前のハーレイのこと。週末どころか、決まった休みも取りさえしないで働き続けたキャプテン・ハーレイ。
「俺も改めて考えてみると、凄い働きぶりだったんだな…」
 我ながらよく頑張ったもんだ、休みも無しで。…週末は全く無かった上に、他の日にも決まった休みは貰っていなかったわけで…。
 前のお前もそうだったんだな、病気で寝込んだ時くらいしか休みは無しだ。
 とはいえ、お前は、白い鯨じゃ暇だったんだが。
 物資を奪いに出掛けなくても、何もかも船で賄えていたし…。大抵は暇そうだったよな。
 ミュウの子供を助け出す時は、お前の出番だったんだが…。
 あれにしたって、救出班が出来た後には、お前はサポート役だったから。…それと情報収集と。
 毎日が休みみたいなモンだな、とハーレイが言うのは当たっている。白いシャングリラに思念の糸を張っていたって、それの出番も殆ど無かった。船の中は平和だったから。
「…ぼくはのんびり過ごしていたけど、ハーレイは忙しかったじゃない」
 シャングリラを改造しちゃった後には仕事が増えた、ってハーレイも自分で言ってたものね。
 船が大きいと仕事も増えるし、仲間の数も増えていったから…。
 アルテメシアに着いた途端に、ミュウの子供たちが船に来るようになったから。
 最初の間は、キャプテンが子守りもしていたでしょ、と今の自分も覚えていること。養育部門を立ち上げる前は、キャプテン自ら子供たちの相手を務めたりもした。
 他にも仕事があったのに。
 子供たちの相手に時間を割いたら、その分、ハーレイが使える時間が減ってゆくのに。
「まあな、色々やったよなあ…」
 あれも仕事だと思っていたから、子守りもやっていたんだが…。
 子供と言っても、シャングリラに乗って来たってことはだ、立派な乗組員なんだ。
 キャプテンが世話をしないでどうする、知らん顔など出来ないぞ…?
 どんな船でも、キャプテンって仕事は、船に乗ってる全員の面倒を見るモンだからな。
「そうなんだけど…。でも、ハーレイは凄すぎたよ」
 お休みも無しで頑張り続けて、それで倒れもしなかったなんて。
 ちょっと疲れたら早めに休んで、ベッドで一日寝ていた後には、仕事に戻っていたなんて…。



 ホントに凄すぎ、と前のハーレイを手放しで褒めた。休み無しで働いたキャプテン・ハーレイ、疲れた時にも少し休んだらブリッジに戻ったキャプテンを。
「ハーレイのお休み、前はホントに無かったんだね…。船のみんなは休んでたのに」
 シャングリラでも週末はお休み、って決まっていたのに、前のハーレイにはお休みは無し…。
 そんなのでよく頑張れたよね、と考えるほどに偉大なキャプテン・ハーレイ。同じように休みが無かった前の自分は、寝込んで休みを取っていたのに。
「あれを思うと今は天国だな、土曜も日曜もあるってな。…カレンダーの通りに」
 ついでに俺は教師だからなあ、夏休みとかもあると来たもんだ。春と夏と冬に長い休みを貰えるわけだな、他の仕事の連中よりも。
「そうだね、先生も夏休みとかは休みだもんね…」
 今のハーレイ、お休みが無くなったら困る?
 夏休みとかは例外にしても、土曜日と、それに日曜日。…どっちも休みじゃなくなったら。
「当たり前だろう、俺も人間だぞ?」
 休み無しの生活なんぞは考えられんな、前の俺だって休みは取っていたんだから。
 傍目には休み無しに見えても、俺自身もそう思っていても。…きっと何処かで、きちんとな。
 だからだ、今の俺だって休みが消えたら困る。休みは無しで頑張ってくれ、と言われたら。
 そいつは断固、御免蒙る、とハーレイは休みが欲しいらしい。今は休みの週末の日々が。
「…プロのスポーツ選手だったら?」
 今のハーレイ、そういう話も来ていたんでしょ?
 プロの選手は日曜日だって試合をしてるよ、お休みの日が無さそうだけど…。
 試合が無い日も練習だものね、プロはそういうものだ、って…。
 練習しないと身体が駄目になるんでしょ、と尋ねたら「そうなんだが…」とハーレイは笑う。
「そうは言っても、プロのスポーツ選手にしたって、休みはちゃんとあるもんだ」
 体力が落ちてしまわないよう、自主的に練習したりはするがな。
 今の俺がジョギングしているみたいに、身体を保つための運動。休みの日にはその程度だ。
 休み無しの仕事なんかは無いだろうなあ、宇宙の何処を探しても。
 人間、何処かで休まないことには、力を保てやしないから。



 前の俺だって、何処かで休んだ筈なんだ、というのが今のハーレイの話。休み無しで働き続けたキャプテン・ハーレイ、そう見えていた前のハーレイも休んだだろう、と。
「前の俺たちが生きた時代でも、休み無しの仕事なんていうのは…」
 無かっただろうな、人類どもの世界にしても。
 ミュウとの戦いが始まってからの人類軍の連中くらいか、休みが無かった人間と言えば。
 それでも休んでいたとは思うが…。移動の途中の船とかではな。
 なんと言っても、ミュウの方でも休んでいたんだ、あの時だって。
 週末の休みは何処かへ消えてしまっていたがだ、シャングリラにも休みはあったんだぞ。
 ジョミーは見て見ぬふりをしていたっけな、とハーレイが言うものだから。
「…本当に?」
 人類と戦っていた最中でも、シャングリラにお休み、ちゃんとあったの…?
「前に言ったろ、買い物に出掛けたヤツらもいたって話。人類の住む星を落とした時は」
 船のヤツらに、ちゃんと休みは取らせてた。もちろん、トォニィたちにもな。
 土曜や日曜が駄目だった時は、他の曜日に代休だとか…。
 星を落としたら、其処で休みにするだとか。そんな具合で、休みにしたんだ。
 船の連中の休みを確保するのも、キャプテンの大切な仕事だろうが、と微笑むハーレイ。休みが無ければ、人は疲れてしまうから。
「そっか…。お休みって、とても大切なんだね」
 人類軍との戦いの中でも、ハーレイが休みを作ってたなら…。船のみんなを休ませたのなら。
 ハーレイはお休み無しのままでも、船の仲間には、きちんとお休み。
「俺も改めて実感したぞ。…休みってヤツの大切さをな」
 今の俺だと、前の俺の一生分を休んでしまったかもなあ、とうの昔に。…もしかしたら。
 週末は大抵休みなんだし、他の仕事には無い夏休みや春休みまであるんだから。
 ちょいと休みを取り過ぎだろうか、とハーレイは苦笑するけれど。
「いいじゃない、今度は沢山お休み」
 前のハーレイが頑張った分までお休みなんだよ、今のハーレイは。
 これからもお休みは沢山あるでしょ、夏休みも、春休みも、冬休みだって。
 ハーレイ、先生なんだから。



 結婚したら、お休みには旅行に行ったりしようね、と強請ってみた。前の自分たちには、旅行は出来なかったから。船で宇宙を旅しただけで。
「いろんな所に行けると思うよ、ハーレイのお休み、長いんだから」
 夏休みが一番長いけれども、他にもお休み、沢山あるしね。
「もちろんだ。まだまだ沢山休めるからなあ、今の俺はな。キャプテンだった頃と違って」
 お前と二人で、あちこち出掛けて行かないと…、とハーレイがパチンと瞑った片目。
 「今度こそ地球で、前の俺たちの沢山の夢を叶えよう」と。
 前の自分たちが行きたかった場所は山ほどあるから、其処へ二人で出掛けてゆこうと。
 キャプテンだった前のハーレイに休日は無かったけれども、今度は沢山ある休み。
 前のハーレイの分まで楽しんで貰おう、そして自分も楽しもう。今のハーレイが貰える休みを。
 土曜も日曜も、他の休みも。一番長くなる休みの夏休みも。
 今のハーレイは、もうキャプテンではないのだから。
 ただの教師で、土曜と日曜は休みになるのが当たり前の暮らしなのだから…。




             無かった休日・了


※前のブルーとハーレイには、決まった休日が無かったのです。立場上、仕方ないですが。
 けれどシャングリラの仲間たちには、ちゃんと休日がありました。土曜と日曜は、休みの日。
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(うーん…)
 ちょっぴり熱い、と小さなブルーが顰めた顔。学校から帰って、おやつの時間に。
 熱いと感じたものは紅茶で、本当は「ちょっぴり」どころではない。カップからホカホカと立ち昇る湯気は、まだ衰えてはいないから。
(これじゃ飲めない…)
 珍しく喉が渇いているから、ゴクゴク飲みたい気分なのに。水みたいに飲んでしまいたいのに、熱すぎる紅茶。母が淹れてくれたカップの中身は、さっき注がれたばかりだから。
(冷ましながらだと…)
 息を吹きかけて飲んでゆくなら、少しずつ。一口分ずつ時間をかけて。
 それでは乾きが癒えてくれないし、飲み終えて次を飲もうとしたら、また熱い紅茶なのだろう。おかわり用のポットの中身も、同じに熱い筈だから。
 指で触れてみたら、やっぱり熱い陶器のポット。「中身も熱いですよ」と知らせるように。
(蓋を取っても、あんまり効果ないよね?)
 きっとそうだ、と眺めるポット。蓋の部分は小さいのだから、そうそう冷めないポットの中身。まだ熱いカップの中の紅茶をやっとの思いで飲んだ後にも、熱いままだろう母が淹れた紅茶。
(これじゃゴクゴク飲めないよ…)
 冷やさなくちゃ、とキッチンに行くことにした。
 ポットの中身の方はともかく、カップに注がれた紅茶だけでも冷やしたい。今ある一杯、これを一息に飲んでしまえたら、乾きが少し癒えそうだから。
(飲んじゃっても喉が渇いていたら…)
 その時はまた冷やせばいい。おかわり用に注いだ分を。
 カップの紅茶を冷やすくらいは、自分でも出来る簡単なこと。キッチンに行けば氷があるから、それをポチャンと落とすだけ。熱い紅茶に。
 冷凍庫の氷を、母は切らしはしないから。
(お料理で、急いで冷やさなきゃ駄目なものもあるしね?)
 そういった時に困らないよう、夏でなくても氷は沢山。熱い紅茶に幾つか入れたら、飲みやすい温度に冷める筈。「冷たい」と思うくらいにだって。



 よし、と出掛けて行ったキッチン。カップを手にして、それに氷を入れようと。
 キッチンには母がいたのだけれども、気にせずに開けた冷凍庫。「氷は此処」と。そうしたら、音で振り向いた母。
「あら、ブルー? どうしたの、冷凍庫を開けて」
 アイスクリームの季節じゃないわよ、と軽くたしなめられた。冷凍庫の中にはアイスクリームの器も入っているものだから。アップルパイなどに添えたりもするし、そのためのものが。
「アイスじゃなくって、普通の氷…」
 紅茶、熱くて飲めないんだよ。だから氷が欲しくって…。
 入れに来ただけ、と指差したカップ。冷凍庫からの冷気を浴びても、消えない湯気。
「そのくらい、直ぐに冷めるでしょ。夏じゃないんだから」
 今の季節はそれでいいの、と母に言われたけれども、自然に冷めるのを待てないから来た。喉は今でも乾いたままだし、中身を一気に飲みたいのだから。
「…喉が渇いてて、待てないんだもの…」
 少しずつ飲んでも、飲んだ気分がしないから…。いっぺんに飲んでしまわないと。
 だから氷、と強請ったものの、冷凍庫の扉は仕方なく閉めた。中の氷などが溶けないように。
「紅茶だったら、ミルクを入れれば冷えるわよ」
 冷蔵庫の方に入っているでしょ、いつものミルク。そっちを入れておきなさいな。
 カップに少し入れるだけでも違うわよ、という母の意見も分かるのだけれど。冷蔵庫のミルクは冷たいのだから、紅茶も冷えてくれそうだけれど…。
「…今日は普通の紅茶がいいよ」
 ミルクティーじゃなくって、このままがいい、と少し我儘。本当にそのままで飲みたかったし、ミルクティーはまたの機会でいい。
(…ミルクを飲むと背が伸びるって言うけれど…)
 毎朝、「早く大きくなれますように」と祈りをこめて飲んでいるけれど、それとこれとは問題が別。今の気分はミルクティーより、普通の紅茶。
 いくらミルクが背を伸ばすための魔法でも。頼もしい力を持つ飲み物でも、今の所は見られない効果。チビの自分の背は伸びないから、紅茶に少し入れたくらいでは、きっと効かない。
 効くのだったらミルクティーでもいいのだけれども、効果が無いなら普通の紅茶。



 背を伸ばしたい祈りのことは、母は知らない。背丈が伸びて前の自分と同じになったら、恋人にキスして貰えることも。その恋人がハーレイなことも。
(早く大きくなりたいよ、って所までしか…)
 母は全く知らないのだから、「ミルクティーの気分じゃない」と言っても、「仕方ないわね」と困ったような顔をしただけ。「今日はミルクじゃ駄目なのね」と。
「ミルクが嫌なら氷ってことね、分かったわ」
 じゃあ、これだけ、と冷凍庫を開けて、母がポチャンと入れてくれた氷。たったの一個。それも大きくないものを。自分で入れようと開けた時には、幾つも入れたかったのに。
「…これだけなの?」
 一個しか入れてくれないの、とカップの中を覗いたけれども、もう閉められた冷凍庫。氷の数は増えてくれない。カップの中では氷が溶けてゆく所。紅茶の方が熱いから。
「冷たすぎるのは良くないの。…お腹も身体も冷やしちゃうのよ」
 丈夫だったら冷えてもいいけど、ブルーは身体が弱いでしょう?
 だから氷は一個でいいのよ、それ以上は駄目。…そうそう、ポットの紅茶も熱すぎるのね?
 今日のブルーの気分だと、と母が訊くから、ここぞとばかりに頼んでみた。
「そうなんだけど…。氷、入れてもいい?」
 ポットの分の氷もくれるんだったら、持って行って自分で入れるから。
 氷、何かに入れてちょうだい、と指差した食器たちの棚。紅茶のカップは片手で持てるし、もう片方の手で氷を運んでゆけばいいから。適当な器に入れて貰って。
 そのつもりなのに、「駄目よ」と返した母。
「氷を持って行くのは駄目。ポットを此処に持って来て」
 紅茶のポットよ、そのままでね。…熱い紅茶は困るんでしょう?
「ポット…?」
 ママが氷を入れてくれるの、ぼくだと沢山入れすぎちゃうから…?
 これだけ、って渡して貰った氷を、全部ポットに入れそうだから…?
「それもあるけど、紅茶の方が問題なのよ」
 冷めるとお砂糖、溶けにくいでしょ。
 ブルーは甘い紅茶が好きだし、お砂糖を入れずに飲んだりしていないものね。



 ポットごと持って来なさいな、と母が言うから運んで行った。氷を入れて貰ったカップを、元のテーブルに戻してから。…ダイニングにある大きなテーブル。
 それから母にポットを渡して、また戻って来て飲んでみた紅茶。椅子に座って。
(氷、一個しか貰えないなんて…)
 もう溶けちゃった、と溜息を零していたのだけれども、舌に熱くはない感じ。火傷しそうだった熱は取れてしまって、ぬるくなったと思える温度。
(さっきほど熱くないかな、これ)
 冷ましながらでなくても飲めそう、とコクコクと飲んで、乾きが癒えてくれた喉。良かった、とホッと息をついたら、おかわり用もやって来た。母が運んで来てくれたポット。
 それは嬉しいことなのだけれど、ポットがさっきのとは違う。「氷、お願い」とキッチンの母に届けた、熱すぎた紅茶のポットとは。…大きさはともかく、模様も形も。
「ママ、ポットは?」
 持って行ったポットはどうなっちゃったの、このポット、違うポットだよ…?
 冷たい紅茶にしてくれたの、と尋ねてみたら、「少しだけね」と微笑んだ母。
「ほんの少しよ、冷たいっていうほどじゃないわね」
 ポットごと中身を冷やして来たのよ、冷たいお水で。…その前にちゃんとお砂糖も入れて。
 今はアイスティーの季節じゃないでしょ、カップの紅茶にシロップはちょっと…。
 似合わないから、最初から甘くしてみたの。
 ブルーが入れたいお砂糖の量は、ママだって知っているものね。このくらい、って。
 熱い間にお砂糖を溶かして、溶けたらポットごと冷やすんだけど…。
 さっきのポットは熱くなってたから、早く冷えるように入れ替えたのよ。冷たいポットに。
 最初から冷えたポットだったら、冷えてくれるのも早くなるでしょ、と母は説明してくれた。
 「お砂糖を入れなくても甘い筈よ」と、置いて行ってくれたポットの中身は…。
(ホントだ、熱くなくって、甘い…)
 カップに注いで一口飲んだら、直ぐに分かった。
 アイスティーの冷たさとは違った、ぬるめの紅茶。氷を一個落として貰ったカップと、似ている温度。母が「身体にいい」と思う温度がこれなのだろう。
 それに甘さも丁度いいもの、自分の好み。甘すぎもしなくて、甘さが足りないほどでもなくて。



 流石はママ、とゴクゴクと飲んだカップの中身。喉の渇きは消えていたけれど、せっかくだから一息に、と。これでカップに二杯も飲んだし、充分、満足。
 次はケーキ、と母が焼いてくれた美味しいケーキを頬張った。喉が渇いていた間には、ケーキな気分ではなかったから。
 ケーキをフォークで口に運んで、眺める新しいポット。母が入れ替えて来てくれたもの。
(アイスティー、こうやって淹れていたっけ…)
 夏の間に見た光景。
 熱い季節は紅茶もアイスティーだったけれど、淹れた時には当然、熱い。紅茶を美味しく淹れるためには欠かせないのが熱いお湯。いくら夏でも、うだるような暑さが続いていても。
 夏の室温では、熱い紅茶はなかなか冷めない。冷房を入れてある部屋でも。
(だから、ポットごと…)
 母は急いで冷やしていた。茶葉が開きすぎてしまわない間に、冷たい水にポットごと浸けて。
 ポットを浸けた水がぬるくなる前に、捨てては注いだ冷たい水。時には氷も加えたりして。
 きちんと冷えたら、紅茶を移したガラスのポット。とても涼しげに見えるから。
(ガラスのポットでも、紅茶は淹れられるんだけど…)
 フルーツティーを作る時なら、母はガラスのポットを使う。茶葉と、色々なフルーツを入れて。中の果物がよく見えるようにガラスのポット。熱いお湯でも割れないガラス。
 夏に何度も飲んだアイスティーは、そういうポットに入っていた。冷えているから、沢山の露を纏ったガラスのポットに。
 あの時はシロップ入りの小さな器が、ポットに添えられていたけれど…。
(お砂糖を先に入れておく方法、あったんだ…)
 熱い間に溶かしてしまえば、充分に甘くなる紅茶。シロップ無しでも。
 考えてみれば、そう難しくはないのだろう。出来上がりの甘さが分かっているなら、必要な量の砂糖を溶かして冷やすだけ。
(ママ、お砂糖の量、ちゃんと分かってくれているしね?)
 だからこういう作り方だって出来るんだ、と思った紅茶の冷やし方。
 シロップは無しで、初めからつけておく甘み。冷めた紅茶だと砂糖は溶けてくれないのだから、考えてくれた優しい母。自分が勝手にやっていたなら、氷を放り込んだだろうに。



 母のお蔭で美味しく飲めた、甘くしてあったポットの紅茶。ケーキも食べ終えて、戻った二階の自分の部屋。勉強机の前に座って、考えてみた紅茶のこと。
(さっきの紅茶はぬるかったけれど、アイスティーだって…)
 きっと母なら同じように手早く作るのだろう。最初から甘くしてあるものを。シロップ無しでも充分に甘い、自分の舌にピッタリなのを。
(アイスティーがいいな、って急に言っても…)
 淹れて貰えるだろうと思う。自分の身体が弱くなければ、それこそ冬の最中でも。家まで走って帰って来たから暑かった、と注文すれば。「冷たい紅茶がいいんだけれど」と言ったなら。
 弱い身体に毒でさえなければ、アイスティーもホットも注文出来る。その日の気分で。
(もうちょっと丈夫だったらね…)
 今日だってもっと冷たい紅茶、と思ったら不意に掠めた記憶。
 冷たいのがいい、と強請った自分。幼かった頃の記憶ではなくて、遠く遥かな時の彼方で。
(前のぼく…?)
 いったい誰に言ったのだろう、と首を傾げてしまった記憶。誰に強請っていたのだろう、と。
 今日の自分がやっていたように、「冷たいのがいい」と強請ったソルジャー・ブルー。それともチビの頃だったろうか、まだソルジャーではなかった頃の。
 シャングリラにも紅茶はあったけれども、その紅茶。あの船で淹れていた紅茶なら…。
(食堂だったら、アイスかホット…)
 白い鯨になった船なら、好みの方を選べた筈。誰でも、それを注文すれば。
 紅茶も、それにコーヒーだって、アイスかホットか、好きに選んで飲めた食堂。シャングリラで栽培された紅茶は、香り高くはなかったけれど。コーヒーは代用品だったけれど。
(…紅茶は本物のお茶の葉っぱで、コーヒーはキャロブ…)
 今の時代はヘルシー食品になっているキャロブ、イナゴ豆とも呼ばれる豆。元はチョコレートの代用品で、コーヒーやココアも作れるからと栽培していた。合成よりは代用品の方がいい、と。
 贅沢を言いさえしなかったなら、紅茶もコーヒーもあった船。
 アイスクリームまで作っていた船なのだし、食堂には常に氷が沢山。皆が気軽に注文していた、氷が入った冷たい飲み物。
 白い鯨なら、強請る必要など無かっただろう。「冷たいのがいい」と、船の誰かに。
 食堂に出掛けて「アイスで」と言えばいいのだから。強請るのではなくて、注文するだけ。



 前の自分はソルジャーだったけれど、食事は青の間で食べていたけれど。
 食堂に行ったこともあったし、注文したって誰も困りはしない。頼んだ物が出て来るだけ。
(改造前の船だって…)
 飲み物を冷たくするかどうかは、充分に選べたと思う。氷を作って入れる程度ならば、それほど手間はかからないから。
 船での暮らしに馴染んで来たなら、誰でも自由に頼めただろう。食堂に出掛けて、好きな温度の飲み物を。その日の気分で、ホットでも、氷をたっぷりと入れた冷たいアイスでも。
(休憩室にも…)
 飲み物を淹れられる設備はあったし、氷も備えられていた。あの時代ならば、コーヒーは本物のコーヒー豆から出来たコーヒー。紅茶もコーヒーも、全て略奪品だったから。
 前の自分が人類の船から奪った物資で、皆の暮らしを維持していた船。自給自足の白い鯨とは、まるで違っていた生き方。
 それでも自由に頼めた飲み物、アイスもホットも。休憩室で淹れるのだったら、自分たちの手で好きに作れた。熱い紅茶も、氷で冷たくしたものも。
(前のぼくでも、冷たいの…)
 作ろうと思えば作れた筈で、作っていたという覚えもある。青の間でだって。
 青の間で食べた三度の食事は、食堂の者たちが作りに来ていた。小さなキッチンで出来る料理は其処で作って、時間がかかる料理だったらキッチンでは最後の仕上げだけ。
 だから常駐していなかった料理人。食事の時だけ、当番の者がやって来た。
 部屋付きの係も掃除などが済んだら帰ってゆくから、大抵は一人で過ごしていた部屋。
(何か飲みたくなったから、って…)
 わざわざ係を呼びはしないし、自分で淹れていた紅茶。冷たい紅茶が飲みたくなったら、冷凍庫から出した氷を入れた。シロップも多分、あったのだろう。
(前のぼく、ママとは違うから…)
 先に砂糖を加えることなど、思い付きさえしなかった筈。熱い紅茶を氷で冷やして、シロップを入れて、それで満足。「甘くなった」と、「今日は冷たい紅茶の気分」と。
 前の自分でも、好きに選べただろう飲み物。熱いホットか、冷たいアイスか。
 白い鯨になる前の船でも、青の間の住人になった後でも。



 その筈なのに、誰に強請っていたのだろうか。「冷たいのがいい」と、あの船で。
 誰に向かって言っていたのか、自分でもちゃんと作れたのに。注文することも出来たのに。
(前のハーレイくらいしか…)
 思い付かない、強請った相手。
 燃えるアルタミラで出会った時から、ハーレイは一番の友達だった。恋人同士になる前から。
 他の仲間には遠慮したって、ハーレイには甘えていた自分。頼み事でも、相談でも。
 ハーレイをキャプテンに推した時でも、ハーレイだから遠慮しなかった。他の誰よりも、自分と息が合うハーレイ。そのハーレイにキャプテンになって欲しかったから…。
(なってくれるといいな、って…)
 頼んでみよう、とハーレイの部屋に行ったほど。
 厨房を居場所にしていたハーレイ、キャプテンとはまるで無縁な持ち場。フライパンを扱うのと船の操舵は違いすぎるのに、「似たようなものだと思うけどね?」とまで言った自分。
 あれがハーレイでなかったならば、そんな無茶はしていないだろう。厨房からブリッジに移ってくれと、とんでもない転身を頼むことなど。
(…ハーレイだから、無理を言えたんだけど…)
 そんな調子で色々なことを頼んだけれども、今、気になるのは冷たい飲み物。前の自分が誰かに強請った、「冷たいのがいい」という言葉。
 たかが冷たい飲み物なのだし、わざわざハーレイに頼まなくても…。
(飲めるよね?)
 冷えた飲み物くらいだったら、食堂で、それに休憩室で。白い鯨になる前の船でも、ハーレイの手を煩わせないで飲めた筈。
 青の間が出来た後の時代も、自分で好きに淹れられた。思い立った時に、氷を入れて。
 そう思うけれど、強請っていた記憶。
 かなり我儘に「冷たいのがいい」と、子供が駄々をこねるみたいに。
 そこまでのことをやっていたなら、相手はハーレイしか有り得ない。いくら親しくても、ゼルやブラウたちを相手に言うとは思えないから。
 けれど、問題はそれを強請った理由。冷たい飲み物は自由に飲めたし、食堂に行けば係が作ってくれたのだから。



 白い鯨でも、改造前の船でも、いつでも飲めた冷たい飲み物。欲しいと思いさえすれば。
 簡単に飲むことが出来たというのに、何故、ハーレイに強請ったのか。
(チビだった頃かな…?)
 今の自分と変わらないチビで、前のハーレイの後ろにくっついていた時代。あの頃ならば、船の仲間たちに遠慮もあったし、食堂の係が忙しくしていたならば…。
(冷たい飲み物、欲しくても…)
 頼みにくくて、ハーレイに強請ったかもしれない。「冷たいのが欲しい」と、食堂へ食事をしに行った時に。自分では少し言い辛いから、代わりに頼んで貰おうと。
(…ありそうな話なんだけど…)
 そう思うけれど、もっと育っていた気もする。「冷たいのがいい」と強請った自分。
 遠い記憶を探る間に、浮かび上がって来たソルジャー・ブルー。しかも青の間、其処で強請っていた記憶。一度ではなくて、何度でも。…きっとハーレイを相手にして。
(なんで青の間で強請るわけ…?)
 青の間だったら、それこそ何時でも飲み放題。食事を作る係が来ていなくても、部屋付きの係がいなくても。…自分で紅茶を淹れさえしたなら、後は氷を放り込むだけ。欲しい分だけ。
 紅茶は自分で淹れていたのだし、氷は係が切らさないようにしていた筈。食事係は必ずチェックしていたし、部屋付きの係も忘れはしない。それも仕事の内なのだから。
(氷が切れちゃうなんてことは、絶対に無いし…)
 思い当たらない、ハーレイに強請っていた理由。
 青の間では自由に飲めた飲み物、強請る必要など何処にも無い。紅茶でなくても、冷蔵庫の中にあった飲み物。欲しい時には飲めるようにと、冷やされていたジュースなど。
(ジュースだったら、注ぐだけだよ?)
 淹れる手間さえ省けるジュース。これにしよう、と冷蔵庫から出してグラスに注ぎ入れるだけ。あれも係が補充したから、切れることなど無かったと思う。
(いっぺんに全部、飲んじゃったって…)
 食事係か部屋付きの係、どちらかが気付いて新しいのを入れるだろう。そうでなくても、減って来たことに気付いたならば、新しいものを追加する。
 飲みたい時に足りなかったら、ソルジャーに対して失礼だから。前の自分が咎めなくても、係の方では平謝りになったろうから。



 飲み物に関しては何の不自由もなく、青の間で暮らしたソルジャー・ブルー。
 冷たい飲み物が欲しくなったら、自分で作るか、冷蔵庫のジュースをグラスに注ぐか。どちらも自分の好み次第で、前のハーレイに強請らなくても、好きなだけ飲んで良かったもの。
(だけど、「冷たいのがいい」って…)
 強請った記憶が確かにあるから、それが不思議でたまらない。「なんだか変だ」と。遠い記憶をいくら探っても、出て来ない答え。冷たい飲み物を強請った理由。
(何か勘違いをしてるとか…?)
 そうなのかも、と思っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「あのね、ハーレイ…。前のぼく、ハーレイに注文してた?」
「はあ? …注文だって?」
 何を注文するというんだ、とハーレイは怪訝そうな顔。「注文と言っても色々あるが」と。
「えっとね、冷たい飲み物なんだけど…」
 前のぼく、ハーレイに注文したかな、冷たい飲み物がいいんだけど、って。
「冷たい飲み物…。それは飲み物の種類じゃなくてだ、温度の方か?」
 紅茶よりもジュースがいいとかじゃなくて、アイスかホットか、そういう意味のことなのか?
 どうなんだ、と問い返されたから、「そう」と答えた。
「それだよ、冷やしてある飲み物。…ぼく、頼んでた?」
「いつの話だ、俺が厨房にいた頃だったら、作ってやっていたと思うが」
 俺は厨房担当なんだし、冷たいのがいいと注文されたら氷だが…。お前のグラスにたっぷりと。
「だよね…。その頃だったら、ぼくも頼んだかもしれないけれど…」
 ハーレイが料理を作ってる時に、厨房を覗きに行ったりしたら。
 でもね、あの頃よりもっと後だよ、青の間なんだよ。…ハーレイに注文したらしいのは。
 厨房だったら分かるんだけど、と話したら、ハーレイが眉間に寄せた皺。ただの癖だし、怒ったわけではないのだけれど。
「青の間だってか? そいつは妙だな…」
 あそこだったら、お前、自分で作れただろうが。冷たい飲み物はいくらでも。
 冷蔵庫にジュースも入ってたんだし、好きな時に飲めた筈なんだがな…?



 なんだって俺に頼むんだ、とハーレイにも分からないらしい。その注文をされた理由が。
「俺に頼むよりも早いと思うぞ、お前が自分で用意した方が」
 ジュースだったら注ぐだけでいいし、冷たい紅茶にしてもだな…。
 湯から沸かして淹れるにしたって、俺を呼び出すより、断然、早い。
 いいか、俺の居場所はブリッジなんだ。「ソルジャーがお呼びだ」と抜けるにしても…。
 青の間まで急いで行ったとしたって、それから紅茶を淹れて冷まして、どれだけかかる?
 お前が自分で淹れるんだったら、俺が青の間に着いた頃には、冷ます段階に入っているぞ?
 間違いなくな、とハーレイも指摘した、冷たい飲み物が出来るまでの時間。ハーレイが来てから作り始めたなら、飲めるまでには余分な時間がかかる筈。ハーレイの到着を待った分だけ。
「ハーレイもそう思うよね? ぼくも変だと思ってて…」
 それで訊いたんだよ、前のハーレイに注文してたのか。冷たい飲み物が欲しい、って。
 やっぱり何かの勘違いかな、ハーレイに頼む理由が何処にも無いもんね…?
 お願い、って強請ってたように思うんだけれど、夢だったのかな…?
 そういう夢を何度も見ていたのかな、と捻った首。「それとも、本当にあったのかな?」と。
「本当も何も…。冷たい飲み物を強請ったってか?」
 有り得んだろうが、青の間だったら飲み放題だぞ、冷たいのも。
 紅茶を冷やす氷は係が切らしやしないし、ジュースも冷えているんだし…。
 元から冷えてるジュースの中にも、氷はいくらでも入れられたんだ。好きなだけな。
 誰もお前を止めやしないし、お前は好きに飲めるってわけで…。
 待て、強請ったと言ってたか…?
 お前は俺に強請ったのか、と瞳を覗き込まれた。「強請ったんだな?」と、念を押すように。
「そんな気がして仕方ないんだけれど…。ちっとも思い出せないんだよ」
 ハーレイは何か思い出したの、前のぼくはホントに強請っていたの…?
 冷たい飲み物が欲しいんだけど、ってハーレイに…?
「…思い出したとも」
 嫌というほど思い出しちまった、前のお前がやらかしたこと。
 冷たい飲み物が欲しくなったら強請って来たんだ、前の俺にな。…あの青の間で。



 実に厄介なソルジャーだった、とハーレイがついた深い溜息。
 厄介だなどと言われるだなんて、前の自分はハーレイに何をしたのだろう…?
「えっと…。前のぼく、何処が厄介だったわけ…?」
 冷たい飲み物を頼んだだけだよ、それだけだったら厄介じゃないと思うけど…。
 ハーレイがブリッジから走って来たなら大変だけれど、そんな無茶な注文、しない筈だよ…?
 仕事の邪魔をするわけないよ、と自信を持って言えること。前の自分の立場はソルジャー、前のハーレイは船を預かるキャプテン。
 恋人同士になった後にも、お互い、きちんと弁えていた。いくらハーレイに甘えたくても、前の自分は呼び付けはしない。…ハーレイが仕事をしているのならば、どんなに寂しい気分でも。
 だから冷たい飲み物くらいで呼ぶわけがない、と考えたのに…。
「厄介も何も、前のお前の我儘ってヤツだ」
 あんな我儘なヤツは知らんな、ソルジャーのくせに。…とてもソルジャーとは思えなかった。
 他のヤツらには見せられやしない、まるで示しがつかないから。
 ソルジャーは皆の手本でないと、と顰められた眉。「あれをやったお前は我儘すぎだ」と。
「我儘って…?」
 冷たい飲み物が欲しかっただけで、なんで我儘になっちゃうの?
 前のぼく、ハーレイが仕事中の時は、邪魔はしてない筈なんだけど…。
 その筈だけど、と揺らぎ始めた自信。ハーレイの邪魔をしたのだろうか、前の自分は…?
「仕事中ではなかったが…。お前に仕事の邪魔をされてはいなかったんだが…」
 厄介な注文には違いなかった、前のお前が冷たい飲み物を強請るのは。
 普段だったら、俺も困りはしないんだが…。紅茶だろうがジュースだろうが、欲しいと言うなら好きなだけ飲ませてやるんだが…。
 覚えていないか、お前が俺に強請っていたのは、ノルディが駄目だと言ってた時だ。
 お前が体調を崩しちまって、色々な制限がかかっていた時。
 食事はもちろん病人食だが、俺のスープしか飲めないわけではなかったな。
 しかし冷たい飲み物は禁止で、「飲まないように」とノルディが釘を刺してたんだが…?



 それでも欲しがったのがお前だ、と見据えられたら思い出した。前の自分と冷たい飲み物。
(…冷たいの、欲しかったんだっけ…)
 あれだ、と蘇って来た記憶。前の自分が熱を出して寝込んでしまった時。
 熱を下げることは大切だけれど、冷えすぎると身体を弱らせるから、冷たい飲み物を飲むことは禁止。熱っぽい喉には心地良さそうな、冷蔵庫や氷でキンと冷やした飲み物は全部。
 けれど、欲しくて強請ったのだった。
 食事係や部屋付きの係には断られるのが分かっているから、大人しくしていた前の自分。冷たい飲み物がいくら欲しくても、彼らが差し出す温かいスープなどを飲んで我慢して。
 そうやって夜まで続けた我慢。「夜になったら、ハーレイが此処に来るんだから」と。
 あの我儘を言った頃には、もうハーレイとは恋人同士。夜はハーレイが青の間に泊まるか、前の自分がキャプテンの部屋に泊まりにゆくか。
 具合が悪くなった時でも、ハーレイは添い寝してくれた。ソルジャーへの報告は手短に終えて、前の自分を気遣いながら。
 だからハーレイがやって来るなり、「欲しい」と駄々をこねた飲み物。ノルディが禁じた冷たい飲み物、それまで我慢していたものを。
「…あれって、ハーレイ、くれないんだよ」
 ぼくが欲しがっても、「いけません」って怖い顔をして。…睨んだりもして。
 ハーレイが来るまで我慢してた、って言ってみたって、「駄目なものは駄目です」って、絶対に飲ませてくれないんだから。
 前のハーレイもケチだったよ、と上目遣いに睨んでやった。今のハーレイはキスをくれないケチだけれども、前のハーレイもケチだったっけ、と。
「今のお前のことはともかく、前のお前の方なら、あれが当然だろうが」
 ノルディが駄目だと言った以上は駄目なんだ。お前の身体に悪いんだから。
 お前がコッソリ飲まないようにと、食事係や部屋付きの係にも徹底させていただろうが。
 上手いことを言って、係を騙して飲みかねないしな、悪知恵の働くソルジャーは。
 俺だって、お前が何を言おうが、その手には乗りやしないんだが…。
 身体に良くない飲み物は駄目で、飲ませるなんぞは論外ってことになるんだが…。



 お前というヤツは知恵をつけやがって…、と肩を竦めているハーレイ。「あれには参った」と。
 参ったと口にしているからには、前の自分は冷たい飲み物を飲ませて貰えたのだろうか?
「…知恵って、なあに?」
 それでハーレイ、飲ませてくれたの、ノルディは禁止していたけれど…?
 ぼくが欲しかった冷たい飲み物、と水を向けたら、「まったく、前のお前ときたら…」と零れた溜息。「あれは反則だと思うがな?」と。
「お前が使ったのは悪知恵ってヤツだ。…もう長くないと言い出すんだ」
 俺が「駄目だ」と苦い顔をしたら、途端に言うのが「もうすぐ死んでしまうのに」だった。
 まだ充分に寿命があった頃から、「死ぬ前に飲ませてくれ」なんだから。
 重病ってわけでもなかったくせに、と今のハーレイも呆れ顔。前のハーレイと全く同じに。
「そうだっけ…。前のぼくのお願い、それだったっけね…」
 よくハーレイを困らせていたよ、「じきに死ぬから、ぼくの最後のお願い」だってね。
 少しでいいから、冷たい飲み物をぼくに飲ませて欲しいんだけど、って。
 それでもハーレイ、くれなかったよ。…ぼくの最後のお願いなのに。
 前のハーレイもやっぱりケチだ、と唇を少し尖らせてやった。芝居とはいえ、前の自分の最後の頼みを無視したハーレイ。冷たい飲み物は貰えなかったし、前のハーレイもケチなのだから。
 どっちのハーレイもケチはおんなじ、と思ったのだけれど…。
「ケチ呼ばわりをされる覚えはないな。…俺は飲ませてやったんだから」
 そうだ、きちんと飲ませたぞ。前のお前の最後の望みだ、それは叶えてやらんとな。
 もっとも、あまり思い出して欲しくはないんだが…。
 お前が調子に乗るだけだしな、とハーレイが妙なことを言うから、キョトンとした。
「え…?」
 最後のお願い、ハーレイは聞いてくれたんだよね?
 ぼくが欲しかった冷たい飲み物、ちゃんと飲ませてくれたんでしょ…?
「其処だ、言いたくないのはな。…確かに飲ませてやったんだが…」
 冷たい飲み物を飲ませたんだが、冷たくなかったというわけだ。
 お前の身体に障らないよう、適温になっていたからな。
 早い話が、俺がお前に飲ませた時には、そこそこ温まっていたもんだから。



 「冷たかったが、冷たくなかった」というのがハーレイの言葉。
 どうやら温まっていたらしい飲み物、それでは欲しがる意味が無い。最後の望みだとまで言って強請っても、冷たい飲み物を貰えないなら。
「なんなの、それ?」
 ぼくが強請っても、ハーレイ、違うのを寄越してたわけ…?
 温かい飲み物を飲ませてたくせに、「ちゃんと飲ませた」って威張っているの…?
 覚えていないと思って酷いんだから、と膨れたけれども、ハーレイはまるで動じない。
「そう思うのはお前の勝手だ、これ以上は言わん」
 とにかく俺はお前に飲ませてやったからな、と結ばれた唇。それ以上のことは聞けないらしい。
(んーと…?)
 頼れるのは自分の記憶だけなのか、と懸命に探ることにした。前の自分の遠い記憶を。
 ハーレイに飲ませて貰えたけれども、
冷たくなかった冷たい飲み物。
 ノルディが指示していった通りに温まっていて、今のハーレイは思い出して欲しくはなくて…。
 どうやって飲ませたのだろう、と思う飲み物。
 冷たい飲み物を欲しがったのだし、温まっていたら、怒りそうなものだと考えたけれど。
 差し出されても素直に飲み込むどころか、突き返しそうだと思ったのだけど…。
(…口移し…!)
 キスだ、と気付いた冷たい飲み物の飲ませ方。前の自分の「最後のお願い」。
 これが最後のお願いだから、と言ってやったら、ハーレイはちゃんと飲ませてくれた。冷蔵庫にあった冷たいジュースや、冷やして冷たくした紅茶を。
 グラスやカップに注ぎ入れたら、ハーレイが自分の口に含んでから、ゆっくりと。
 そうっと唇を合わせて重ねて、キスをする代わりに流し込んで。
(…強請るわけだよ…)
 あんな飲み方をしていたのならば、酷い我儘を言ってまで。
 「ぼくはもうすぐ死んでしまうから、これが最後のお願いだよ」と困らせてまで。
 死にそうな気分はしていないのに、さほど重病でもなかったのに。
 それを口実に強請った飲み物、「冷たいのが欲しい」と。
 温かい飲み物は欲しくないからと、「冷えているのを最後に飲みたい」と。



 そうだったのか、と合点がいった、前の自分が強請ったもの。冷たい飲み物を欲しがった理由。
「思い出したよ、ハーレイが飲ませてくれてたんだよ」
 冷たいのを、ちょっと温めてから。…それなら冷たいままじゃないから。
 ジュースも、それに冷たい紅茶も…、と幸せな気分に包まれた。前の自分がそうだったように。
「分かったか、チビ。前の俺はケチじゃなかったとな」
 俺はきちんと飲ませていたんだ、前のお前の注文通りに。
 「ぼくの最後のお願いだよ」と強請られる度に、ジュースも、冷たい紅茶ってヤツも。
 少しもケチではないだろうが、とハーレイが胸を張るものだから。
「…もう冷たくはなかったけどね?」
 ジュースも紅茶もぬるくなってて、ちっとも冷たくなかったんだけど…。
 ぼくは冷たいのと言ったのに、と苦情を述べたけれども、ハーレイはフンと鼻を鳴らした。
「お前の身体には、あれくらいで丁度だったんだ!」
 言われた通りに飲ませていたなら、お前、具合が悪くなったに決まってるだろう…!
「…そうかもだけど…。今のぼくには?」
 病気の時にね、お願いしたら飲ませてくれるの、前みたいに…?
 冷たい飲み物が駄目な時は、と期待したのに、「まだ早い!」と叱られた。言った途端に。
「お前はチビで子供だろうが、前のお前のようにはいかん!」
「…じゃあ、育ったら飲ませてくれる?」
 ぼくが病気になっちゃった時は。…冷たい飲み物、禁止された時は。
 今のぼくでも前と同じで飲ませてくれるの、と見詰めた恋人。「ケチじゃないんでしょ?」と。
「…駄目とは言わんが…。そうなった時は飲ませてやるが…」
 そうなる前にだ、まずは丈夫になってくれ。
 せっかく新しい身体なんだし、「最後のお願い」なんてことは言えない身体にな。
 よく言うだろうが、「殺しても死にそうにないようなヤツ」と。
 そっちで頼む、とハーレイは半ば本気のようだけれども…。
「無理!」
 知っているでしょ、今のぼくも身体が弱いってこと。
 そんなに丈夫になれやしないよ、前と同じで弱くて死にそうになるんだってば…!



 病気になったら、すぐ死にそうになるんだよ、と返してやった。
 本当は其処まで弱くないけれど、今の自分もきっと育っても弱いまま。前と同じに。
 だから病気になった時には、ハーレイに強請ってみることにしよう。
 「冷たいのがいいよ」と、「ぼくの最後のお願いだから」と、前の自分が何度も言った台詞で。
 今度はハーレイと結婚してずっと一緒だけれども、死ぬ時も二人一緒だけれど。
 前の自分たちは、一度は死んで離れてしまったのだから…。
(ハーレイだって、きっと前より優しい筈だよ)
 それに、本当に寿命の残りが少なかった頃のぼくまで知ってるものね、と浮かべた笑み。
 前のハーレイと同じに優しいだろう今のハーレイ、もっと優しい筈のハーレイ。
 いつか病気になった時には、そのハーレイに冷たい飲み物を飲ませて貰おう。
 きっといつかは、口移し。
 結婚した後に病気になったら、冷たい飲み物は駄目だと言われてしまったら…。




                冷たい飲み物・了


※前のブルーがハーレイに強請った、冷たい飲み物。ノルディに禁止されても我儘な注文。
 ハーレイは、ちゃんと飲ませてくれたのです。口移しで、体温で温めて。強請ったのも当然。
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