シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
それは見慣れ過ぎていたから全く気付かなかったもの。
夏休みのハーレイが来られない日に、母と二人で庭に居たから目がいった。庭で一番大きな木の下に据えられた白いテーブルと椅子。午前中のまだ涼しい時間に母と二人で座っていた。
ブルーのお気に入りの場所。ハーレイと初めてデートをした場所。その時は今のテーブルセットではなく、ハーレイが家から持って来てくれたキャンプ用のテーブルと椅子だった。ブルーの気に入りの場所になったからと父が白いテーブルと椅子を買ってくれて…。
いつもならハーレイが座っている椅子。母に取られたくないから自分が座った。ハーレイからは自分がどんな風に見えているのかと、向かい側に座る母を観察していた。母の背後に見える庭木や生垣、そういったものを背景にした自分はハーレイの目にはどう映るのかと。
もちろん母の仕種も眺める。アイスティーのグラスをストローでかき混ぜる右手。露を浮かべたグラスに添えられた左手。白い左手に「あっ」と思った。その薬指に結婚指輪。
ブルーが物心ついた頃には両親の左手に指輪があった。銀色に光るシンプルな指輪。
あまりにも毎日目にしていたから、其処にあることすら気にも留めずにいたのだけれど。改めて気付くと羨ましい気持ちになってくる。
いつかハーレイと結婚するまで、自分の指には嵌まらない指輪。その日は未だ遠くて見えない。父とお揃いの結婚指輪を嵌めている母は、どんなに幸せなのだろう。母とお揃いの指輪を嵌めて、今日も仕事に出掛けた父も…。
(……いいな……)
羨ましいな、と母の薬指に嵌まった指輪を見ていて、ふと考えた。
前の生で暮らしたシャングリラ。あの船の中に結婚指輪はあっただろうか?
ソルジャー・ブルーだった自分が十五年間もの長い眠りに入る前には確かに無かった。しかし、自分が眠っている間にナスカで生まれた自然出産の子供たち。彼らの両親の薬指には…?
彼らは指輪を嵌めたのだろうか。
前の生での自分とハーレイは結婚指輪を嵌めるどころか、恋人同士であることさえも隠し通して生きたのだけれど。そんな自分たちと同じ船の中に、指輪を嵌めた恋人たちがいたのだろうか…。
今となってはどうしようもない過去だというのに、それが気になる。祝福されて結婚出来た恋人たち。彼らが幸せな仲だと教える指輪はあの船の中にあっただろうか、と。
父と母との指に嵌められた結婚指輪。一度気付くと目に入りやすく、夕食の席でも翌日の朝も、ブルーの瞳には二つの指輪が飛び込んで来た。父と母の左手に当たり前にあるもの。それを自分が嵌められる時は、いつになるのかも分からない指輪…。
そうしてブルーは、訪ねて来てくれたハーレイと自分の部屋で向かい合う。庭の白いテーブルと椅子でお茶にした後、暑くなる前にと引き揚げて来て、母からは見えない場所で二人きり。それを待っていたように切り出した。
「ねえ、ハーレイ。…シャングリラに結婚指輪って、あった?」
「結婚指輪?」
怪訝そうなハーレイに「そのまんまだよ」と自分の左手の薬指を示す。
「この指に嵌める指輪のこと。アルテメシアを出て、ぼくが眠りに入る前には無かったけれど…」
誰も嵌めてはいなかった、とブルーはハーレイを正面から見た。
「無かったから、ぼくは一度も羨ましがらずに済んだんだ。君と恋人同士なことは秘密だったし、誰にも明かせなかったけど…。シャングリラには結婚指輪が無かったから平気だったんだ」
それが無かったから、羨ましいとは思わずに済んだ。
堂々とそれを嵌めていられる恋人たちを羨むことなく生きていられた。
もしもシャングリラに結婚指輪があったとしたら、自分は平静でいられたろうか…?
ブルーの思いにハーレイも気付いたのだろう。「無くて本当に良かったな」と頷いてから。
「…そう言われれば、無いままだったな。トォニィたちが生まれた頃にも」
「ホント?」
「一番最初に自然出産のために結婚したのがカリナとユウイだ。…あの二人が嵌めなかったから、それが普通になったんだろうな。誰も指輪とは言わなかったな…」
ハーレイはキャプテンとして全ての結婚式に立ち会っているが、其処で見たものは誓いの言葉とキスだけだった。今の生ですっかり見慣れてしまった指輪の交換は見ていない。
「俺が思うに、制服のせいではなかったかと…。シャングリラでは女性は手袋だったしな?」
「ああ、そっか…。ぼくと同じで手袋だったね」
シャングリラの女性クルーの制服は長い手袋。男性は手袋無しだったけれど、女性は誰でも手袋だった。あの制服では結婚指輪を作ったとしても…。
「嵌めています、って見せられないんじゃ仕方ないかな、作っても」
うん、とブルーは納得した。幸せの証は二人揃って嵌めるもの。片方の指輪が手袋の下に隠れて見えないのでは、嵌めている意味が無いだろう、と。
そういう理由で結婚指輪は無かったのか、と思うと嬉しくなった。自分たちには許されなかった結婚指輪を誰かが嵌めていたかもしれない、と少し心配だったから。
するとハーレイが問い掛けて来る。
「お前はその点、どうだったんだ? 手袋の下でも嵌めたかったか、結婚指輪?」
「……うん」
嵌めたかった、とブルーは素直に自分の思いを口にした。
「ぼくは手袋に隠れて見せられなくても嵌めたかったよ、結婚指輪。でも、ぼくたちは…」
誰にも言えない、秘密の恋人同士だった。
結婚指輪を作ったとしても、手袋に隠れて誰にも見られない自分だけしか嵌められなかった。
「…ハーレイの指には嵌められなかったもの、ハーレイは手袋をしてなかったし…。嵌めていたら直ぐにバレてしまうし、嵌められないよね。…ぼくだけ嵌めても意味が無いもの…」
嵌めるのであれば、二人揃って。結婚指輪はそういう約束。
自分一人がこっそり嵌めても、ハーレイの指にお揃いの指輪が嵌まっていなければ意味が無い。
「…嵌めている人がいない世界でホントに良かった。…ぼくが長いこと眠っている間に嵌めた人がいなくてホントに良かった…」
良かった、と何度も繰り返すブルーに、ハーレイが「そうだな」と頷き返して。
「お前を嬉しがらせるようだが、俺の命があった間に嵌めたヤツらも無かったな。…もっとも俺は地球で死んだし、その後どうなったのかは知らんがな」
資料を漁れば分かるだろうが、と言われたけれど。
自分たちがいない所で過ぎ去った過去はどうでもよかった。
大切なことは生きていた間に起こった出来事。ブルーの命があった間も、ハーレイが独りきりで生きた時代も、あの白い船に結婚指輪は無かったのだ…。
「…そっか…。ハーレイが生きてる間も無かったんだ…」
ぼくが生きてた間だけじゃなくて、とブルーは安堵の吐息をついた。
「ハーレイが生きてた間に嵌めた人たちがいなくて良かった。もしもいたなら、ハーレイ、きっと辛かったよね?」
ハーレイは独りだったのだから。ブルーがいなくなってしまって、独りぼっちでシャングリラで生きていたのだから。
「そりゃまあ……。そんなものがあったら辛かったろうな」
ハーレイが自分の左手を眺め、それからブルーに視線を向ける。
「なんで俺の指には無いんだ、思い出さえも無いんだろうと…思わずにはいられなかっただろう。もしも俺たちに結婚指輪があったとしたらだ、お前が片方を持って逝っちまった後も、俺の指には片割れが残っていただろうしな」
お前と揃いで作った指輪の片割れが、とハーレイは自分の左手の薬指に触れた。まるでその指に結婚指輪が在ったかのように。
前の生では其処に確かに嵌めていたのだ、と感触を思い出すかのように。
そんな風に「見えない指輪」を其処に探して、ハーレイの指がブルーの左手に移る。小さな手の薬指の付け根をトントンと指先で軽く叩いて微笑みかける。
「この指に俺と揃いの指輪があったら、お前の手も冷たくならなかったかもな…。此処に指輪さえ嵌まっていたなら」
「…冷たくなったのはぼくの右手で、指輪、右手じゃないんだけれど……」
メギドで冷たく凍えた右の手。最後にハーレイに触れた右手に残った温もりを失くし、右の手が冷たいと泣きながら死んだ。独りぼっちになってしまったと、もうハーレイには会えないのだと。
あの時、左手にハーレイとお揃いの結婚指輪が嵌まっていたなら、独りぼっちではないと感じていたかもしれない。まだハーレイとは繋がっていると、結婚指輪があるのだからと。
でも…、とブルーは自分の左手に触れて離れていったハーレイの手を見詰めて零した。
「だけどハーレイと結婚出来ていたなら、あんな風には別れていないね」
ハーレイの腕に触れ、思念を送っただけで別れた。その思念さえも次の世代を託すための言葉。ハーレイへの想いが入り込む余地は何処にも無かった。
もしも自分たちが結婚出来ていたのなら。
揃いの指輪を左手の薬指に嵌めた、誰もが認める恋人同士であったなら…。
「…きっと二人でキスは出来たね、「さよなら」って…」
そしたら、きっとぼくの右手も…。
凍えずに済んで、ハーレイの温もりを身体中で覚えたままで逝けたんだよね……。
「そうだな、何もかもが違っていたかもな…」
俺もお前も、とハーレイがブルーの左手を取った。
「此処に指輪が嵌まっていたなら、俺はお前を失くさなかったかもしれないな…」
「…ハーレイ?」
「お前が「さよなら」とキスをしていたら、俺はお前を行かせてはいない。恋人が死ぬと分かっているのに行かせる馬鹿が何処にいるんだ、全力でお前を止めたな、俺は」
ソルジャーだったから止められなかった、とハーレイは呻く。
ブルーがソルジャーとして振舞ったがゆえに、自分もキャプテンになってしまった、と。
「キャプテンらしく、と思ったばかりに俺は選択を誤ったんだ。キャプテンだったら黙ってお前を行かせるだろうが、恋人はそうじゃないだろう? 俺はそいつに気付かなかった」
大馬鹿者だ、と深い溜息が吐き出される。
「お前を止めるか、追い掛けるか。…そのどちらかが恋人なんだ。そしてお前が結婚指輪を嵌めていたなら、止める方だな。恋人が死ぬと分かって行かせる馬鹿は何処にもいない」
「でも、あの時は…!」
「メギドがどうした、ナスカに残っていた馬鹿どもを強制的に回収したなら飛べていた。ワープは充分間に合ったんだ。お前は第一波を防げただろう?」
そこまでで終わりにするべきだった、とハーレイは悔しげに言葉を紡いだ。
「お前とジョミーとトォニィたちを船に戻して、ナスカの馬鹿どもを回収して…。そうする時間はあったと思う。お前がメギドへ飛ばなかったら、俺はそういう選択をした」
「それは今だから言えることだよ。…あの時は誰にも分からなかったよ」
「そうかもしれん。しかし、俺にもこれだけは言える。お前が俺との結婚指輪を嵌めていたなら、俺以外にも誰かがお前を止めた。…エラかブラウか、あるいはゼルか。お前を止めろと俺を怒鳴りそうなヤツが一人くらいは居た筈なんだ」
この指に嵌めた指輪にはそういう力がある筈だから、とハーレイがブルーの左手に触れる。細い薬指の付け根の辺りに、其処に指輪が在るかのように。
「俺とお前は結婚してると、二人で一つの存在なんだと、此処に嵌めた指輪が教えてくれる。誰が見たって分かるようにな。…その片方が消えてなくなるだなんて、誰も黙って見てはいないさ」
さよならのキスを交わした時点で皆がお前を羽交い締めだ、とハーレイはブルーに語り掛ける。
何をしようとしているのかがゼルやブラウに知れてしまって、シャングリラから一歩も出られはしないと。ハーレイがキャプテンとしてブルーとの別れを承知していても、周りの者たちが許しはしないと。
ブルーはハーレイの伴侶だから。二人で一つの存在なのだと、嵌めた指輪で分かるのだから…。
前の生での運命さえをも変えていたかもしれない指輪。
運命を変えるには至らなくても、メギドで死んでいったブルーを独りにはさせず、後に残されたハーレイの指にもブルーと揃いで作った片割れが嵌まっていたであろう結婚指輪。
それは実際には作られることなく、結婚指輪そのものがシャングリラには存在しないままで前の生は終わってしまったのだけれど。
もしもその指輪が在ったならば、と二人で思いを巡らせる。
ブルーはメギドに行かずに残って、地球まで辿り着けていたかもしれない。その前に命尽きたとしても、ハーレイやシャングリラの皆に看取られ、静かに旅立っていたかもしれない。
そういう穏やかな別れも良かった。
運命は変えられず、メギドが二人を引き裂いたとしても、薬指に互いの存在を思い、死んで、残されていたならば…。
ブルーの右手は冷たく凍えず、ハーレイもまた孤独の内にもブルーを感じていられただろう。
悲しい別れには違いないけれど、それでも幾らかは救われただろう。
けれど指輪は互いの左手の薬指に無く、ブルーは泣きながら死ぬしか無かった。ハーレイは深い孤独と悲しみの内に、残りの生を生きてゆくしか無かった。
そう、指輪さえ薬指に嵌まっていたなら、何もかもがまるで違っていたのに。
ほんの小さな、左手の薬指の付け根をくるりと取り巻くだけが精一杯の細い指輪が在ったなら。
高価な貴金属ではなくてもいいから、二人お揃いの結婚指輪があったなら…。
それを二人で嵌めたかった、と今でさえ思う。
遠い時の彼方に消えてしまって失くした身体に、そういう指輪を嵌めたかった、と。
叶う筈もない夢だったけれど、本当は指輪を作りたかった。
互いが互いのために在るのだと、誰が見ても一目で気付いてくれる結婚指輪。
自分たちは二人で一つの存在なのだと、証してくれる結婚指輪を…。
「ふふっ、とっくの昔に手遅れなのにね…」
でも欲しかった、とブルーは自分の左手を翳して笑った。
「ホントのホントに欲しかったんだよ、結婚指輪。…嵌められないって分かってたから、諦めてたけど。ハーレイと二人で嵌められないから、要らなかったけど…」
二人で嵌めなきゃ意味が無いもの、と言ってはみても、結婚指輪は憧れだった。シャングリラの中で嵌めている恋人たちが居なかったお蔭で耐えられただけ。
もしも誰かが嵌めていたなら、悲しくて泣いていたかもしれない。
ハーレイが前の生を終えるまでシャングリラに無くて良かったと思う。ハーレイに孤独を余計に感じさせずに済んだことだけは良かったと思う。
それでも本当は欲しかった。
ハーレイと自分は二人で一つだと、結ばれた恋人同士なのだと、その証が指に欲しかった。
二人お揃いの結婚指輪。
ハーレイの左手の薬指と、自分の左手の薬指。
全く太さが違う指に嵌まったお揃いの指輪を目にする度に、そうっと指先でそれに触れる度に、どれほどの幸せに包まれることが出来ただろうか。
地球までの道が辛く長くとも、どれほど心が救われたろうか…。
夢だけれど、とブルーは左手を眺めて呟く。
この手に指輪は無かったけれど、と。
「…そうだな、最後まで俺たちの指に結婚指輪は無かったな…」
そしてそのまま終わっちまったな、と言いながらハーレイがブルーの左手を掴む。
「前のお前の手を俺は失くしてしまって、今もこの手に指輪は無いが…」
いずれ此処に、とハーレイの指が捉えたブルーの左手の薬指の付け根に優しく触れた。
「此処に指輪が嵌まる予定だ、お前が大きく育ったならな」
「……うん……」
そうだね、とブルーは自分の小さな左手を見た。
ソルジャー・ブルーだった頃より小さく、幼い左手。その薬指も細いけれども、ハーレイが言うとおり、いつか其処には結婚指輪が嵌まるのだ。
前の生で欲しいと夢見た結婚指輪。
さっき、ハーレイと「もしもあの時、在ったならば」と昔語りをしていた指輪が。
「ブルー、今度は二人で堂々と嵌められるんだぞ、何処ででも…な」
誰に見られても困りはしない、とハーレイの手がブルーの左手を包み込んで撫でる。
「お前は今度こそ俺のものだし、俺だけのものだ。そういう証拠をしっかり嵌めて貰わんとな」
「うん。…ハーレイも嵌めてくれるんだよね?」
「もちろんだ。でなければ意味が無いだろう? お前も何度も言っていたがな」
結婚指輪は二人揃って嵌めるもの。
お揃いの指輪を左手の薬指に嵌めていてこそ、二人で一つの恋人同士。
「…ハーレイと一緒に嵌められるんだ…。ハーレイとお揃いの結婚指輪」
「ああ。サイズはまるで別物になってしまうんだろうが、お前とお揃いの結婚指輪だ」
手を並べれば直ぐに分かる、とハーレイが微笑む。
指輪の大きさがまるで違っても、二人の薬指を並べて見ればお揃いなのだと一目で分かると。
「お前は手袋を嵌めていないし、誰にでも結婚指輪が見えるぞ。そして指輪を嵌めた手の持ち主の美人は俺のものだ、と俺の手の指輪が自慢するんだ」
「うん…。早く嵌めたいな、ハーレイとお揃いの結婚指輪」
この指だよね、とブルーは自分の小さな左手の薬指を右手の指先で摘んでみた。
細っこい指はソルジャー・ブルーだった頃よりも頼りないけれど、結婚指輪を嵌められる頃には今よりも長くてしなやかな指になる。
そしてハーレイに嵌めて貰うのだ、ハーレイとお揃いの結婚指輪を。
いつかハーレイと自分の指とに嵌まるであろう結婚指輪。
どんな指輪が其処に嵌まるのか、想像するだけで心がじんわり温かくなる。
前の生では嵌められなかった結婚指輪。欲しかったけれど、叶わなかった結婚指輪…。
「ふふっ、今度は嵌められるんだ…。結婚指輪」
早く嵌めたい、と繰り返すブルーに、ハーレイが「まだまだ先の話だからな」と釘を刺す。
「お前が大きく育たない内は結婚しないと言っただろうが」
「…そうだけど…。直ぐに大きくなると思うよ、ソルジャー・ブルーと同じくらいに」
育ったら此処に結婚指輪、と左手の薬指を引っ張って見せれば、「忘れてるぞ」と笑われた。
「その前に、まずはプロポーズだろう? いきなり結婚指輪は有り得ん」
「だったら、結婚式もだよ!」
「そうだな、其処で指輪の交換だったな。…シャングリラでは一度も見かけなかったが」
ハーレイがキャプテンとして見て来た式では誓いの言葉とキスがあっただけ。結婚指輪の交換は無かった。シャングリラにそれは無かったから。結婚指輪が無かったから…。
「じゃあ、ぼくたちが第一号かな?」
「そういうことになるんだろうなあ、シャングリラはもう何処にも無いがな」
初代ソルジャーと初代キャプテンが第一号か、というハーレイの言葉に二人揃って笑い合う。
遠い昔に結ばれながらも隠し通した恋人同士。
ソルジャーとキャプテンだった二人が遠い未来に結婚するなど、誰も思っていなかったろうと。
青い地球の上で結婚指輪を交換し合って、嵌めるなど想像しなかったろうと…。
(…ぼくとハーレイとの結婚指輪…)
ブルーはうっとりと夢を見る。
大きくなったらプロポーズされて、それから結婚式をして。
前の生では嵌められなかった結婚指輪を二人して嵌めて、同じ屋根の下で二人で暮らして…。
(ハーレイと結婚出来るんだ…。今度は結婚してもいいんだ、結婚指輪も…)
そうしてハーレイと歩いてゆく。青い地球の上で、幸せな時を紡いでゆく。
沢山、沢山のぼくたちの未来。
ハーレイとお揃いの指輪を左手の薬指に嵌めて、何処までも二人で歩いて行ける。
もう手袋は要らないから。
ハーレイが指輪を嵌めた手を見られても、困りはしない世界だから。
二人お揃いの結婚指輪。
それが祝福される世界に、ぼくたちは生まれて来たのだから……。
薬指の指輪・了
※前のブルーとハーレイの指には無かった結婚指輪。それがあったら強い絆になったのに。
今度は嵌めることが出来ます、お揃いの指輪を左手の薬指に。結婚式を挙げて…。
そして、あの17話から7月28日で8年になります。
今は週1更新のハレブル別館、その日から暫く週2更新にペースを上げますです!
←拍手して下さる方は、こちらv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
今年の春は寒すぎもせず、妙に暑い日も無かったりして過ごしやすい日が続いています。毎年こんな穏やかな気候だといいですよねえ。ゴールデンウィークにはあちこちお出掛け、シャングリラ号で宇宙へも。賑やかだった連休が済むと再び登校なわけですけれども、お目当ては放課後。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日のケーキは柏餅風だよ、と出て来たお皿にビックリ仰天。二つ折りになったビスキュイ生地が柏の葉っぱからはみ出しています。中身はカスタードクリームとイチゴ、黒蜜風味のわらび餅だとか。
「へえ…。この葉っぱって、食べられるの?」
ジョミー君の問いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は即答で。
「無理! 柏餅の葉っぱは食べないでしょ? 飾りだも~ん」
「なぁんだ、飾りかぁ…。桜餅の葉っぱは食べられるのに」
つまんないな、と葉っぱを剥がすジョミー君ですが、キース君が。
「おい。桜餅の葉を食べるのは邪道だぞ? 桜餅を作っている檀家さんに聞いたんだから間違いはない」
「えっ? でもテレビとかでも食べてるし、葉っぱも普通に塩味だよ?」
「塩漬けは桜の葉の保存手段だそうだ。どこぞのグルメ気取りが食べたのが切っ掛けで誤った情報が流れたらしい。剥がして食べろよ、恥をかくぞ」
人は案外見ているものだ、と注意するキース君の横から会長さんも。
「そういうこと! 特にジョミーはお坊さんの修行も待ってるし…。お茶の稽古で出て来た時には葉っぱをきちんと剥がすことだね」
「行かないし!」
修行なんて絶対嫌だ、と始まりました、いつもの攻防戦。これは放置に限ります。私たちは紅茶やコーヒーをお供に柏餅ケーキの葉っぱをめくってフォークでサクッと。うん、美味しい!
「あ、やっぱり美味しい?」
ぼくにも一個、と声が聞こえて会長さんとジョミー君の言い争いがピタリとストップ。会長さんのそっくりさんが立っているではありませんか。
「…き、君は……」
引き攣った顔の会長さんに、ソルジャーは「ん?」と小首を傾げてみせて。
「覗き見してみて良かったよ。変わったお菓子は食べなきゃ損だし!」
「わぁーい、お客様だぁ~!」
ゆっくりしていってね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が柏餅ケーキをお皿に乗せていそいそと。降って湧いたソルジャー、大喜びで柏の葉っぱを剥いていますよ~!
ふんわりビスキュイにカスタードクリームとわらび餅。ちょっと意外な組み合わせのケーキはソルジャーの口にも合ったようです。お菓子好きなソルジャーは当然お代わり、二個目をのんびり食べながら…。
「いいねえ、柏餅の中身を取り替えたんだ?」
「うんっ! お餅もいいけど、ケーキもいいでしょ?」
得意満面の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ジョミーが葉っぱのお話してたし、次は食べられる葉っぱを工夫しようかなぁ…」
「そういうのもいいね。でも取り替えるのはタイムリーだったな」
ちょうど悩んでいた所でさ、とソルジャーがイチゴをポイと口の中へ。
「…これはブルーしか分からないかもしれないけれど…。思念体って入れ替え可能なのかな?」
「「「は?」」」
思念体とは会長さんがたまにやっている『意識だけ身体から抜け出す』状態。姿形はそのままですけど、意識だけですから向こう側が透けて見えたりします。当然、同じタイプ・ブルーのソルジャーにだって可能なわけで。
「あれをさ、入れ替えることが出来るのかどうかで悩んでるんだよ。…君とぼくなら入れ替われそうな気がするけれど」
「…出来るんじゃないかな、基本の身体が同じだしね。でも、入れ替えてどうするのさ?」
まさかこっちの世界に来る気では…、と会長さんは身構えましたが。
「それは無い、無い! ぼくはハーレイと離れたくないし、シャングリラのみんなも大切だ。君がぼくの代わりにシャングリラを守り通せるとは思えない。そんなリスクは冒せないよ」
それくらいなら時々お邪魔する方がいい、とソルジャーはケーキをモグモグと。
「入れ替えの件は、ぼくじゃないんだ。ほら、ミュウは身体が虚弱で欠陥が多いと言っただろう? まるっと健康な身体じゃなくても、入れ替われたら世界が広がる。聞こえない耳が聞こえるようになったら素敵だし、義手の代わりに自前の腕とか」
ほんの少し身体を入れ替えるだけで素敵体験、と言われてみればそうなのかも。ソルジャーもキャプテンも補聴器を使っているそうですし、ソルジャーの世界のヒルマン先生のそっくりさんは片腕が義手だと聞いています。キャプテンとヒルマン先生のそっくりさんを入れ替えるのかな?
「うーん、まあ…。ターゲットを明確に絞ったわけではないんだけれど…」
まだアイデアの段階だから、と語るソルジャーに会長さんが。
「そういうことなら協力しようか? とりあえず君とぼくとの入れ替えだけでも」
「いいのかい!? それが出来たら大いに参考になりそうだ」
力の加減とかが色々と、と瞳を輝かせるソルジャー。思念体のことはサッパリですけど、要するにこれって人助けですよね?
こうして会長さんとソルジャーの協力体制が始まりました。まずは二人の思念体での入れ替わりから。元が瓜二つなだけに問題ないかと思われましたが、何度チャレンジを繰り返してみても弾き出されておしまいで。
「…やっぱりサイオンの波長なのかな?」
そっちも同じだと思うんだけど、と首を捻るソルジャーに、会長さんが腕組みをして。
「同じ筈だけど、君とぼくとは性格が全く別物だしね? その辺は関係するかもしれない。何から何までそっくり同じというわけじゃないし」
「ああ、そうか…。君はハーレイと結婚なんて死んでも御免なんだったっけ」
「当たり前だよ、君の好みは理解不能だよ!」
「だったら、その辺がいけないのかなぁ…」
そうなると入れ替えは難しくなる、とソルジャーは深く悩んでいます。
「同じ身体でも弾かれるんなら、身体も思考パターンも別だとなると無理だよねえ…。いいアイデアだと思ったんだけど、使えないのか…」
「…どうだろう? 入れ替わった先で固定出来たら可能かも…」
弾き出せなくすればいいんだ、との会長さんの意見に、ソルジャーが。
「思念体を固定するだって? そんな技術はぼくの世界にも無いけれど…?」
「まるでアテが無いってわけじゃない。ただ、準備に少し時間がかかる。でも試すだけの価値はあると思うよ、封印の技」
「封印?」
「そう、封印。本来は悪霊とかを封じる方法。それを思念体に応用出来れば別の肉体への固定も可能だ。ぼくと君とを封じるとなると準備の方もそれなりに…。三日ほど待ってくれるかな?」
その間に準備をしておくから、と説明されたソルジャーは素直にコクリと。
「分かった。そういう技はぼくには謎だし、全面的に君に任せるよ。準備が出来たら呼んでくれるんだね?」
「うん。ついでにその間、ぼくにちょっかいを出さないこと! 精神力が必要なんだよ、それと心身の安定とがね」
引っ掻き回されたら何もかもパァだ、と会長さんが脅せば、ソルジャーも理解したようで。
「…パァは困るよ。大人しくしてると約束するから、是非ともよろしくお願いしたいな」
「了解。…成功するよう祈っていたまえ」
上手く行くと決まったわけではないから、と会長さんはしっかりと念を押しました。でないと失敗に終わった時にソルジャーが怖いですもんねえ…。
封印の技を是非よろしく、と頭を下げたソルジャーは柏餅ケーキの残りを「ぶるぅ」へのお土産に貰ってお帰りに。それを見送った私たちは会長さんを取り巻き、口々に。
「会長、あんな約束しちゃって大丈夫ですか?」
「封印とか言ったな、どうするつもりだ?」
人間を封印するなど聞いたこともない、とキース君。
「悪霊封じなら色々とあるし、閉じ込めればそれで終わりだが…。相手は思念体だろう? しかも生きた人間の身体の中に封じるとなると、俺にもサッパリ見当がつかん」
「ああ、それね。…一応、考えてはいるんだよ、うん」
コレ、と会長さんがキース君の左手首を示しました。えーっと、トレードマークの数珠レットが嵌まってますけれど…?
「覚えてないかな、キースがサイオン・バーストした時。この部屋が見事に吹っ飛んだろう?」
「「「あー…」」」
そういう事件もありました。会長さんがキース君のサイオンを活性化させるために仕組んだのですけど、バーストの衝撃で「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋が吹っ飛び、キース君は自宅謹慎で…。
「あの時、キースにサイオン制御リングを嵌めるって話が出たよね? 制御リングのタイプは色々、数珠レット風のも扱ってます、って」
「そういえば…。制御リングを使う気か?」
レベルを上げれば封印になるのか、とキース君が尋ねると、会長さんは首を左右に。
「そういう使い方もあるけどねえ…。それだと入れ替わっても気分が重いよ、制御リングはサイオンを封じてしまうんだから。ぼくが考えているのは応用。数珠レットに封印の技を施す」
「「「えっ?」」」
「封印のための祈祷を数珠レットに込めておくんだよ。入れ替えてすぐに手首に嵌めれば思念体を身体に封印するのも可能かと…。やってみないと分からないけど」
ついでにタイプ・ブルーを封印となると祈祷の方も本格的に、と会長さん。
「息抜きに此処へは顔を出すけど、それ以外はかかりっきりになっちゃうかな。…ぶるぅ、今日から三日間、ぼくの食事は精進料理で」
「かみお~ん♪ お部屋も清めるんだね!」
任せといて、と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんと同じくらいの年数を生きて来ています。銀青様のお世話も長いですから、御祈祷中の会長さんの扱いについても任せて安心、プロ中のプロというわけですね!
御祈祷モードに入った会長さんは翌日からおやつが別扱いになっていました。放課後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと、会長さんだけが飲み物が緑茶。キース君が「俺もたまには…」と緑茶を希望すれば、なんと急須がもう一つ。
「…なんだ、これは?」
俺は出がらしで良かったんだが、とキース君が言うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「ダメダメ、ブルーのお茶はお台所が別だから!」
「「「は?」」」
「大事な御祈祷をしてる時には、お台所も清めるの! 同じ火とかを使っちゃダメなの、穢れちゃうから!」
「そういうこと。…精進潔斎って厳しいものだよ」
ぶるぅのお蔭で助かっている、と会長さん。
「料理も当然、ぶるぅとは別! ぶるぅも精進料理を食べるとしてもね、別に調理をするんだな」
「それって大変じゃないですか!」
シロエ君が声を上げましたが「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコと。
「平気だもん! お料理もお掃除も楽しいしね♪」
ブルーのおやつも特別製、との言葉どおりに会長さんが齧っているお菓子は抹香臭いものでした。小さな巾着形の揚げ菓子ですけど、お線香のような香りがします。デパートの地下で売られていることは知っていますが、一個がケーキよりも高いお値段だけに買って食べてみた経験はなく…。
「これが気になる? まあ、一般受けする味じゃないよね」
なにしろ中身はお香だから、と会長さんがカリッと齧って。
「こし餡に七種類のお香を練り込んでるのさ、それでお線香っぽい匂いがするわけ。ぼくが一時期修行をしていた恵須出井寺のお坊さんが製法を伝えたと言われていてねえ…。作っているお店はたった一軒、作る時には精進潔斎が必須なんだな」
それだけに祈祷中のおやつに最適、と会長さんは怪しげな匂いのお菓子を御機嫌で口にしています。どう見ても私たちのお皿のオレンジのタルトの方が美味しそうですが…?
「えっ? どっちが美味しいかと訊かれても…。ぼくはタルトは食べられないし」
バターや卵は精進じゃない、と緑茶を啜る会長さん。あんなお菓子と精進料理であと二日も御祈祷生活ですか…。
「お菓子だけなら市販しているヤツだから…。明日のおやつに食べてみる?」
良かったらぶるぅに買わせておくよ、との言葉に好奇心から食い付いた私たちは翌日、心の底から後悔しました。なんという不味い精進菓子。食べるお線香としか思えないコレを美味しいと食べ、御祈祷を続ける会長さんを思い切り尊敬いたしますです…。
丸三日間、放課後のティータイム以外は御祈祷三昧だった会長さん。それでも全く窶れもせずに御祈祷を終えて、ソルジャーも招かれた金曜日の放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は期待の空気に満ち満ちていました。
「やっと出来たよ、使えるかどうかは謎だけれども」
こんな感じで、と会長さんが金襴の布で覆われた箱を取り出し、蓋を開けると中に水晶の数珠レットが二つ。会長さんはソルジャーに一個を渡して、もう片方を自分が持って。
「これに封印の祈祷を込めた。…ぼくと思念体で入れ替わったら、すぐに左手首に嵌めてみて。もちろんぼくも同じように嵌める。これでお互いに固定出来たら大成功ってね」
「…そうなんだ? だったら早速、試してみようよ」
おやつもいいけどこっちが肝心、とソルジャーが目を閉じ、会長さんも。間もなく二人の身体から思念体が抜け出し、スーッと相手の身体に入って左手首に数珠レットを嵌め…。
「やったぁ! 今度は弾かれないよ!」
君の身体だ、とソルジャーが会長さんの身体で万歳をすれば、会長さんがソルジャーの身体で安堵の吐息。
「どうやら成功したみたいだね。君とぼくとで入れ替え可能なら、他の人でも充分可能だ。ただ、思念体で抜け出せる力を持っていないと、入れ替える前に補助の力が必要かと」
「そこだよねえ…。思念体で抜け出せるミュウは皆無に近い。手助けしないと無理だと思う」
身体の中から追い出す感じでいいのかな、と悩むソルジャーに、会長さんは。
「良かったら実験してみるかい? そこの面子で」
「「「???」」」
いったい何を、と顔を見合わせた私たちですが。
「君の世界で実験するより、こっちの方が問題がない。適当に誰かを入れ替えてみよう。…固定用のアイテムは二人分しかないから、ぼくたちは元に戻らなきゃ」
「そうか、こんなにいるもんね。練習を兼ねてやらせて貰おう。…その前にこれを外して元の身体に戻っておく、と」
会長さんとソルジャーが数珠レットを外すと同時に思念体が元の身体へと。やはり封印の力が無いと弾かれてしまうみたいです。会長さん、凄いアイテムを完成させたわけなんですねえ…。
「うん、元に戻っても違和感ゼロ! どうやら完璧」
「ありがとう。君のお蔭でいいものが出来た」
次は実地で実験を…、とソルジャーの赤い瞳がキラリ。会長さんも生き生きした顔で。
「さあ、誰と誰とが入れ替わりたい? 御希望があれば応じるよ」
希望者がいれば手を挙げて、と言われてようやく気が付きました。会長さんとソルジャーの次は私たちの内の誰か二人が入れ替えられちゃうわけですか~!
思念体とやらで他の誰かの身体に入って別人体験。それだけ聞けば面白そうですが、問題は入れ替わり体験の時間。会長さんたちのように短時間で元に戻るんだったらいいですけれど、ソルジャーが意図した目的からして一時間やそこらでは済みそうになく。
「あ、分かる? 半日くらいは入れ替わっていなくちゃ別の生活を楽しめないよ」
今から入れ替えるなら最短でも夜まで、とのソルジャーの台詞にサーッと青ざめる私たち。会長さんの家に泊まるにしても夜までとなると厳しいものが…。
「…俺と入れ替えるのは不可能だな」
今日は帰ると言ってきたし、とキース君。
「俺と入れ替わったヤツにはもれなく夜のお勤めがある。サムでも無事には務まらん」
「ふうん? アドス和尚の鉄拳か…」
それもいいかも、と会長さんの視線がジョミー君に。
「何かと文句ばかりの不肖の弟子を強制的にお寺送りにするのも一興だ。何処まで自力で切り抜けられるか、この際、キースと入れ替えてみよう」
「えーーーっ! そんなの無理だよ、殺されるよ!」
ジョミー君が悲鳴を上げれば、キース君も。
「俺もだ! ジョミーがヘマをしでかしてみろ、後で親父にボコボコにされる。その時には俺に戻ってるんだぞ!」
「そこはジョミーの腕次第だろう? 気分が悪い、と寝込んでおくのも一つの手だし」
口の利き方さえ間違えなければ問題なし、と会長さんは決めつけ、キース君に。
「後でボコボコにされたとしてもね、お寺と無縁の生活が待っているんだよ? ジョミーの家なら夜のお勤めどころか夕食がビーフカレーでねえ…。食べたいんだろう、家でカレーライス」
「そ、それは…。確かに魅力的ではあるが……」
カレーなのか、とキース君は一転、お悩みモード。それもその筈、元老寺ではカレーライスは年に数回しか出ないのです。お葬式やお通夜の心配が無い日限定の特別メニュー。
「ちょ、キース! そこで考え込まないでよ!」
ぼくの立場が、とジョミー君が慌てた時には既に遅し。お寺を離れてカレーライスの夕食タイムはキース君の心をガッツリ捕えて魅了しており…。
「いいだろう。ジョミー、俺の代わりに頑張ってこい。ヘマをした時は素直に謝れ」
そうすればその場で罰礼だけだ、と親指を立てるキース君。罰礼って南無阿弥陀仏に合わせて五体投地なスクワット並みの刑と聞きますが、そのくらいならジョミー君でも出来ますよねえ?
入れ替わる対象が決まった所でソルジャーの出番。自発的に入れ替えを決めたキース君はともかく、ジョミー君の方は逃げようとして会長さんのサイオンで取り押さえられた挙句、縛られて床に転がされています。
「えーっと…。キースの協力は得られるとして、ジョミーがねえ…。まあ、強引に追い出すことが出来たら力の加減も掴めるわけだし、頑張ってみよう」
「や、やめてよ! 本当にぼくが殺されるってば~!」
アドス和尚は怖いんだよー! と叫ぶジョミー君とキース君の間でパァン! と青いサイオンが弾け、ソルジャーが目にも止まらぬ速さで。
「よし、嵌めた! …どう?」
君は誰かな、とソルジャーの手が数珠レットを二重に嵌めたキース君の左手を掴んでいます。
「え? ぼく? あっ…。えっ……。うわぁぁぁーっ!!!」
キースになってる、とキース君の声が大絶叫。一方、床に転がったジョミー君の方は。
「俺は…。あそこに俺が立っているということは……」
入れ替わったか、と冷静な口調。左手首には例の水晶の数珠レットが。
「き、キース先輩…。今はジョミー先輩ですか?」
おっかなびっくりといったシロエ君に、ジョミー君になったキース君が「ああ」と答えて。
「そのようだ。この縄を解いて欲しいんだが…」
「分かりました。でも本当に凄いですねえ、キース先輩がジョミー先輩だなんて」
絶対誰にも分かりませんよ、とシロエ君が太鼓判を押すと、サム君が。
「とりあえず、俺って言うのはやめとけよな。ジョミーは『ぼく』だし」
「うん。カレーのためにも頑張らなくちゃね! …と、こんな感じでいいのだろうか」
コロッと変わったキース君の喋りに誰もが喝采。流石は天才、ジョミー君の口真似も完璧です。キース君になってしまったジョミー君はパニックですけど、元に戻ろうにもソルジャーが数珠レットをシールドしたらしく。
「…は、外れない…。外れないよ、これ!」
「悪いね、ジョミー。ぼくの壮大な実験のためにお付き合いよろしくお願いするよ。日付が変わったら外してあげるから、それまでキースを演じていたまえ」
別の人生もきっと楽しいと思う、とソルジャーは入れ替えに成功したことで御満悦。実験対象の二人を除いた面子は今夜は会長さんの家にお泊まりと決まり、ソルジャーも。ジョミー君とキース君、それぞれの家でボロが出ないよう頑張って~!
入れ替えられてしまった二人の下校を見届けた後、私たちは瞬間移動で会長さんの家へ。精進潔斎が終わった会長さんの慰労会を兼ねて焼肉パーティーが始まり、壁にはジョミー君とキース君の現状を映し出す中継画面が。
「キースは上手くやっているよね、実にジョミーらしい」
馴染んでるよ、と会長さん。ジョミー君になったキース君は帰宅するなり自室に直行、のんびりしてからカレーの夕食。ジョミー君の御両親との会話も弾み、大盛りカレーのお代わりまで。しかし、本物のジョミー君は…。
「こらぁ、キース! 気分が悪いとは聞いておったが、御本尊様へのお詫びはどうした!」
寝込む前に御本尊様にお詫びじゃろうが、とアドス和尚がパジャマ姿のキース君の耳をグイグイ引っ張って本堂へ。どうやらイライザさんは誤魔化せたものの、その後に手落ちがあったようです。
「い、いたたたた…! ご、ごめんなさい~っ!」
「ほほう…。お前の口からごめんなさいとは珍しい。いつもは「すまん」と一言じゃがな」
その心がけで御本尊様にもしっかりお詫びを、と本堂に着いたアドス和尚はキース君と化したジョミー君の足を後ろから思い切り蹴飛ばして。
「いいか、罰礼百回じゃ! 気分が悪くても一晩あれば出来るじゃろう! さあ、やれ!」
わしが今から数えるからな、とドッカリ座り込むアドス和尚。パジャマで五体投地を始めるジョミー君は本当に気の毒でしたが、私たちには何も出来ません。
「…ジョミー先輩、やられましたね…」
キース先輩は天国なのに、とシロエ君が呟き、サム君が。
「仕方ねえだろ、実力の差だぜ。キースはジョミーになりきってやがるし、ジョミーだってなぁ…。普段から坊主の修行をしてれば、気分が悪くても本堂でお念仏の御挨拶は要るって気付いた筈だし、自業自得としか言いようがねえぜ」
「サムの言う通りさ、これでもジョミーは懲りないだろうけど」
性根を入れ替える筈も無い、と会長さんが深い溜息。案の定、罰礼百回を食らったジョミー君はキース君の部屋で布団に潜り込んだ後も文句たらたら、不満たらたら。日付が変わると同時に瞬間移動で会長さんの家に呼び寄せられてもグチグチと…。
「もう沢山だよ、キースの家なんて!」
「俺はお前の家が気に入ったんだが…。機会があったら、またやらないか?」
「お断りだってば!」
ジョミー君はソルジャーが二人分の数珠レットを外して元の身体に戻るまで文句三昧、戻った後も四の五のと。会長さんが「うるさい!」と家に送り返しましたが、明日は朝イチで苦情を言いに来そうですねえ…。
翌朝、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が腕を奮った特製オムレツやスープ、パンケーキなどの朝食を食べている間にまずジョミー君が、続いてキース君がやって来て。
「酷いよ! キースったら、ぼくの分のケーキまで食べちゃったんだよ!」
「やかましい! 俺もお前の尻拭いをさせられていたんだぞ! よくも御本尊様へのお詫びを忘れやがったな! 親父に朝からネチネチ言われて、今朝も罰礼を食らって来たんだ!」
百回だぞ、とジョミー君に掴みかからんばかりのキース君。ジョミー君が食らったヤツも百回でしたし、痛み分けではないのでしょうか…。
「いや、違う! こいつがドジさえ踏まなかったら、今朝の罰礼は無かった筈で!」
「ぼくだってキースと入れ替わらなかったら、ケーキを食べられていたんだってば!」
パパのお土産だったのに、と言い返すジョミー君は食べ物の恨みを主張中。これはジョミー君に分があるかも、と思いましたが、会長さんが。
「ケーキはともかく、仏弟子としての自覚がゼロな段階でジョミーはアウトさ。元老寺での住み込み修行を言い渡されたくないんだったら黙るんだね」
「「「………」」」
それはコワイ、と私たちまでが沈黙する中、ソルジャーの声が空気も読まず。
「御馳走様~! ブルーが作った凄いアイテムの使い方も効果も分かったことだし、ぼくはそろそろ失礼するよ。これは貰ってもいいんだよね?」
何回くらい使えるのかな? と数珠レットをクルクルと回すソルジャーに、会長さんは。
「封印の力が尽きたら自然に切れるし、それまでは何度でも使えるよ。入れ替え続ける時間によるけど、百回くらいはいけると思う」
「そうなんだ? それは楽しみ」
「…楽しみ?」
君はひたすらボランティアでは、と会長さんが訊き返し、ソルジャーが「そうだった…」と自分の頬をピシャリと打って。
「入れ替えてあげるだけなんだっけね、キースとジョミーが面白かったから忘れていたよ。…ありがとう、いいものを作ってくれて」
感謝してる、と頭を下げるとソルジャーは姿を消しました。ジョミー君には災難だった入れ替えアイテム、ソルジャーの世界の皆さんのためにお役に立つといいんですけど…。
会長さんの脅しが効いてジョミー君の文句も収まり、窓から入る明るい日差しの中、まったり過ごす週末の午後。お昼のホワイトアスパラガスのクリームパスタも美味しかったですし、なべてこの世はこともなし…。ん? 今、チャイムが鳴りましたか?
「かみお~ん♪ お客様かなぁ?」
誰だろう、と玄関に飛び跳ねて行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」でしたが、凄い勢いで駆け戻って来て…。
「大変! 大変、ノルディが来ちゃったの~!」
「「「えぇっ!?」」」
なんでエロドクターがやって来るのだ、と全員の声が引っくり返って、会長さんが。
「ぶるぅ、戸締りはしたんだろうね!? 家に入れたりしてないだろうね!」
「えとえと、ノルディだったけど、ノルディじゃなかった!」
「「「は?」」」
なんのこっちゃ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に尋ねる前にリビングのドアから覗く人影。
「…すまん、此処しか来るアテが無くて……」
申し訳ない、とリビングに入って来るエロドクターに会長さんの悲鳴が上がり、その前にササッとサム君と柔道部三人組が。
「おい、あんた! 不法侵入で通報するぞ!」
さっさと出て行け、と凄むキース君に、エロドクターが。
「…いや、そのぅ…。なんだ、この身体でも一本背負いは出来ると思うが…」
「「「一本背負い?」」」
それは柔道の技なのでは? エロドクターって、柔道、やってましたっけ? 目を白黒とさせる私たちの中から、キース君が一歩進み出て。
「……もしかして……。教頭先生でいらっしゃいますか?」
へ? エロドクターが教頭先生? キース君、一体どうしちゃったの? けれどエロドクターはホッと肩から力が抜けたようで。
「…良かった、お前には分かって貰えたか…。この姿だが、私はシャングリラ学園教頭、ウィリアム・ハーレイ。…シャングリラ号のキャプテンだ」
「「「教頭先生!?」」」
そんな馬鹿な、と言い返そうとした時、仕立てのいいスーツを着込んだ袖口からキラリと光る数珠レット。…ソルジャーが貰って帰った筈の水晶の数珠レットが何故、エロドクターの左の手首なんかに!?
「……私にもサッパリ分からんのだ…」
気付いたらノルディになっていたのだ、とエロドクターな教頭先生は悄然と。
「実は昼前に来客があってな。…あっちのブルーがノルディとデートの途中だとか言って立ち寄ったから、コーヒーを一杯御馳走した。ノルディは好かんが、ブルーはもてなしてやりたいし…」
「それで?」
事情聴取をする会長さんに教頭先生が「すまん」と項垂れて。
「話している途中で眠くなってしまって…。目が覚めた時にはこうなっていた」
役に立つ情報は何も無いのだ、と詫びる教頭先生をじっと見詰めていた会長さんは。
「一種の昏睡強盗だね。…盗まれたんだよ、君の身体を」
「は?」
「入れ替えられちゃったのさ、ノルディの身体と。…今頃、君の身体にノルディが入ってブルーとデートをしているかと…」
「「「えぇっ!?」」」
それはとってもヤバイのでは、と私たちは顔面蒼白、会長さんも血の気が失せた顔で。
「…ぼくとしたことが騙された。数珠レットにブルーの残留思念が残ってる。最初っからこれが目的だったわけだよ、入れ替えの。…ノルディとハーレイを入れ替えるのが」
「…な、何故、私を…。それに入れ替えとは?」
「身体を入れ替えるためのアイテムを騙されて作らされたんだ。君の手首の数珠レットがそれ。…そして言い出しっぺはノルディらしいね、君の身体に自分のテクニックがあればパーフェクトだとブルーを口説き落としたようだ」
「「「!!!」」」
百戦錬磨のテクニシャンだと聞くエロドクター。そのテクニックで教頭先生の身体とくれば、ソルジャー的には恐らく非常に美味しいのでしょう。なにしろ教頭先生はキャプテンそっくり、もう最高な大人の時間が約束されたも同然で…。
「そ、それで、ノルディとブルーは!?」
何処へ行ったのだ、と拳を握り締める教頭先生。
「薬を盛られたか何か知らんが、身体を盗まれたのは私の責任だ。とにかく急いで取り返さねば! 手遅れになったら大変なことに…」
「それが出来れば苦労はしないよ。…ヘタレの君が、お取り込み中で真っ最中の部屋に踏み込むことが出来るのかい? おまけにノルディ……いや、君の身体を投げ飛ばせると?」
「…い、いや……。それは……」
無理かもしれんな、とエロドクターな教頭先生の額に浮かぶ汗。この展開は最悪かも…。
教頭先生の身体を手に入れたエロドクターがソルジャーを連れて何処へ行ったのか、誰にも分かりませんでした。なにしろ相手はソルジャーです。会長さんを騙して入れ替えアイテムを作らせたほどの悪人な上に、経験値の高さも半端無し。サイオンで行方を追える筈も無く…。
「…もう思いっ切り手遅れっぽいか……」
ぼくの人生も終わったかも、とガックリと肩を落とす会長さん。外はとっぷり日が暮れてますし、如何にソルジャーがデートを楽しんでいても、そろそろベッドに行きそうな時間。
「かみお~ん♪ 晩御飯、お寿司でも取る?」
御飯な気分じゃなさそうだけど、と心配そうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」。小さな子供だけに事情が全く分かっておらず、おやつや夕食をあれこれ提案してくれましたが、誰も返事をしなかったのです。
「…そうだね、気分は素うどんだけどね…」
流石に素うどんの出前はあんまりか、と会長さんが答えた時。
「お寿司を取るなら特上握りで!!」
時価モノ総動員でお願いしたい、と部屋の空間がユラリと揺れて…。現れた私服のソルジャーは自分よりも遙かに大きい教頭先生の身体を担いでいました。いえ、中身はエロドクターですか…。
「返すよ、これ!」
ドサリと床に放り出された教頭先生の身体に意識は無くて、鼻の下に鼻血を拭き取った跡が。
「本当にもう、使えないったら…! 何処までヘタレが染みついてるのさ!」
最高のムードだったのに、と怒り狂うソルジャーがどの段階までエロドクターと過ごしたのかは謎のまま。確かなことはエロドクターの意志をも強制的にシャットダウンするほど、教頭先生のヘタレな鼻血体質が物凄かったらしいという事実。
「…こんな気分で帰るのも嫌だし、特上握りで口直し! それから帰ってハーレイとヤる!」
「その前にね…」
入れ替えた二人を元に戻せ、と会長さんに睨まれたソルジャーは渋々といった風でエロドクターな外見の教頭先生の手首から数珠レットを外し、続いて教頭先生の身体からも。そこでパァーン! と鋭い音が響いて…。
「「「あーーーっ!!!」」」
数珠レットの紐が切れて玉が飛び散り、教頭先生がムクリと起き上ると。
「…元に……戻った……のか?」
「ちょっと、ブルー! なんで壊すのさ、ぼくのアイテム! まだ使えたのに!」
今日はダメでも二度三度、とソルジャーが喚き立て、会長さんが鋭い一喝。
「君の目的が分かった以上はもう作らないよ、特上握りもノルディの家で取って貰ったら?」
今夜の間に意識が戻るかどうかも分からないけどね、と会長さんは怒りMAX、ソルジャーの方は諦め悪くギャーギャーと。今夜の夕食はどうなるんでしょう? 昏睡強盗は未遂に終わったみたいですから、特上握りでドカンとお祝いしたいですよう、お腹ペコペコです、会長さん~!
入れ替え万歳・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
生徒会長が食べていた抹香臭いお菓子、ちゃんと実在してるんですよ。
「清浄歓喜団」と言います、通販もあります。チャレンジャーな方は是非どうぞです。
7月28日はブルー様の祥月命日ですから、毎年恒例、月2更新になりました。
次回、8月は 「第3月曜」 8月17日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、7月はドクツルタケことイングリッドさんからお中元が…?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
明日はハーレイが来てくれる日。母に「早く寝るのよ」と言われなくとも、ブルーは早めに寝るつもりだった。お風呂に入ったら夜更かしをせずに直ぐにベッドへ行かなければ。
(本の続きは明日にしようっと)
ベッドで読むとついつい夜更かししてしまう。それくらいなら朝早く起きて読んだほうがいいと判断をして、ブルーは本を閉じ、バスルームに行った。
ゆったりと手足を伸ばして浴槽に浸かり、一向に大きくなってくれない身体を眺める。前の生の自分も細かったけれど、今の身体は細いどころか小さすぎだ。
(…あと二十センチ…)
ソルジャー・ブルーだった頃の背丈は百七十センチ。たったの百五十センチしか無いブルーとの差は二十センチで、その差が埋まってくれない限りは大好きなハーレイとキスも出来ない。本物の恋人同士になるなど夢のまた夢、いつになったら初めてのキスが出来るやら…。
(一年で二十センチは無理だよね…)
いくら成長期でもそんなに伸びてはくれないだろう。前世の自分はアルタミラからの脱出直後にぐんぐん伸びたが、あの頃は定期的に測っていなかったから、どのくらいかけて百七十センチまで成長したのか分からない。
(…それに環境も違うものね…)
成人検査を受けた直後の姿で何年くらい成長を止めていたのか。その反動で早く成長したのかもしれない。だとしたら前世のような目覚ましい伸びは期待出来ないし、今の姿が成長期のそれだと考えること自体が間違いなのかも…。
(もっと先にしか育たないかも…)
学校のクラスメイトたちを見ていても、目立って伸びている子はいなかった。母の友人には卒業間近で急に伸びた人もいたというから、十四歳の今が一番伸びる時期とは限らない。
(…うん、きっとそうだよ、来年になったら伸びるとか…)
来年までは長いけれども、このまま伸びないよりはいい。ハーレイは「ゆっくり育てよ」とよく言うのだが、いつまでも小さいままなのは嫌だ。ハーレイと早くキスをしたいし、その先だって。
(早く大きくなりたいよ…)
前と同じに、と溜息をついてバスルームを出た。身体を拭いて、パジャマに袖を通す途中で鏡に目がいく。其処に映った細っこい自分。ソルジャー・ブルーよりもずっと小さく、顔立ちも子供。
(うーん…)
全然ダメだ、とガッカリした。十四歳の「小さな子供」が鏡の中に映っている。ハーレイと恋人同士だった自分は、もっと背が高くて大人びていて…。
見れば見るほど悲しくなってくるから、ブルーは急いで自分の部屋へと引き揚げた。
鏡に映る自分はいなくなったけれど、ベッドに入ろうと腰掛けた所で目に入った手。両方の膝にチョコンと置かれた小さな手の甲。前の生では手袋に覆われていることが多かった手。
(えーっと…)
その手を見ていて、ふと考えた。
(…おんなじなのかな?)
十四歳の自分の身体。前の自分とそっくり同じだと思うけれども、本当に前と同じだろうか?
(ぼくの身体はぼくのだけれど…。これってホントに前とおんなじ?)
SD体制の頃と違って、今の自分は自然出産で生まれた子供。それに生まれた時からアルビノの子供で、其処は前世と大きく違う。前の生では成人検査が引き金になってアルビノに変わり、その前は金髪に青い目だった。
(…もしかして、別の身体なのかも…)
急に心配になってきた。顔は同じだと自分でも思うが、馴染んでいた顔は十四歳の顔ではなくてソルジャー・ブルーだった頃の顔。十四歳の姿で長く過ごしたとはいえ、アルタミラでは鏡に顔を映す余裕などまるで無かったし、脱出した後もそれは同じだ。
(…そっくりなんだと思ってるけど、でも本当は違うとか…?)
同じなのだと思いたい。百七十センチまできちんと育って、あの頃のような姿になれる身体だと信じたいけれど、何処に証拠があるだろう?
(…ハーレイが前とそっくりだから、ぼくもそっくりになるんだろうけど…)
神様がそういう身体を選んでくれたとブルーは思うし、ハーレイも「前の自分とそっくり同じに育つ器が見付かる時まで生まれ変わらずに待ったのだろう」と言うのだが…。
(でも、ハーレイもホントに同じか分からないよね?)
自分の手でさえ前と同じか自信が持てない。顔と違って鏡に映さなくても見える部分で、多分、一番頻繁に目にした身体のパーツ。ところが前の生では殆どの時間が手袋の下で、それを外す時はお風呂か、でなければ…。
(ダメダメダメ~~~っ!!)
顔がカアッと熱くなる。
ハーレイとベッドで過ごす時には手袋をはめていなかった。でも、自分の手はハーレイの背中に回されているか、ハーレイの手と絡み合っているかで、じっくり眺めるどころでは…。
そのハーレイ。
キャプテン・ハーレイそっくりに見えるハーレイは前とそっくり同じだろうか?
熱くなった頬が鎮まるのを待ち、ブルーは前の生の記憶と今の記憶を重ねてみた。
誰よりも大好きでたまらないハーレイ。いつでも側に居たいと思うし、居て欲しいと心から願う恋人。前の生でもそうであったし、今の生でも変わらない。
叶うものなら片時も離れず過ごしたいのに、今も前世もそれが叶わない自分たち。だから僅かな逢瀬でさえもハーレイの姿を心に刻む。会えない時には思い浮かべてハーレイを想う。愛しい姿を忘れはしないし、いつでも心に描くことが出来る。
(…ハーレイ、前とおんなじかな?)
遠い記憶の中のハーレイと、今の記憶にあるハーレイと。
(んーと……)
顔はそっくり同じに思えた。印象的な褐色の肌の色まで前と同じで、眉間の皺の寄り具合まで。もちろん髪や瞳の色は微塵も違わず、ソルジャー・ブルーの記憶そのまま。
(身体だって多分、おんなじだよね?)
キャプテンの制服を着たハーレイと、今のハーレイ。体格が違うようには見えない。服に隠れた部分までは分からないけれど…。
(…ハーレイ、服は脱がないもんね)
考えた途端に気が付いた。今のハーレイは服を着た姿しか知らないけれども、前世では違った。青の間で、あるいはハーレイの部屋で、服の下にある逞しい身体を目にしていた。
(……………)
愛し合う前に、愛し合った後に。部屋で、バスルームで、それを見ていた。自分の細い身体とは正反対のハーレイの身体に見惚れていた。あのガッシリとした大きな身体が好きだったけれど。
(…ぼ、ぼくって、どうして見ていられたわけ!?)
もう恥ずかしくてたまらない。思い出しただけで顔が熱くなるのに、それをウットリと見ていた自分はどれほど度胸があったのだろう?
恥ずかしさを堪えて懸命に記憶を辿ってみた。大きな身体に何か目印は無かったのかと。
ほくろとか、小さなアザだとか。
そういう何かがあったなら、と思うけれども覚えが無い。もしもそういう印があったら、度胸があった前の自分がまじまじと見ない筈が無い。
(…だけど見えない所もあるしね?)
きっと、と心で呟いて遠い記憶が入った箱を閉じる。
(そうだ、ハーレイに訊いてみようっと!)
自分たちの身体は本当に前と同じものなのか、ハーレイの意見も聞かなくては。
背丈のことはもう、どうでも良かった。それは純粋なブルーの興味。前の身体と今の身体は同じものなのか、別なのかと。
次の日、訪ねて来たハーレイと自分の部屋でテーブルを挟んで向かい合ったブルーは早速、例の質問をハーレイにぶつけた。
「ねえ、ハーレイ。その身体、前の身体と同じだと思う?」
「身体?」
いきなり訊かれて、ティーカップを傾けていたハーレイの手がピタリと止まる。
「何の話だ?」
「身体だってば! ハーレイ、キャプテン・ハーレイだった頃とそっくりだけど…。その身体って前と同じなのかな、って。…どう思う?」
「そういう意味か…。急に何事かと思ったぞ」
質問は順序立ててしろ、と教師らしい意見を述べてからハーレイはカップをコトリと置いて。
「お前の言う同じ身体というのは遺伝子的にか? それとも見た目か?」
「んーと…。遺伝子的には、どうなんだろう? ハーレイも、ぼくも」
「そいつは恐らく別物だろうな、何処かは同じかもしれないが…」
遺伝子的に全く同じということは無い。それはブルーにも理解出来る。クローンででもない限り不可能だったし、同じだったらそれこそ奇跡だ。奇跡は存在するけれど。…ハーレイとこの地球で再会した今、奇跡はあるのだとブルーは信じているけれど…。
「やっぱり遺伝子レベルじゃ別だよね…。じゃあ、見た目は?」
「…少なくとも俺の手は俺の手だな」
ハーレイは自分の両手を目の前に並べ、じっと見詰めた。
「うん、間違いなく俺の手だ。前の俺の手も、こういう手だった」
「覚えてるんだ?」
凄い、とブルーが感心すると「なんとなく…だがな」と苦笑が返った。
「俺はけっこう自分の手ってヤツを目にするチャンスがあったしな。…シャングリラの舵を握っていた手だ、そう簡単には忘れんさ」
「そうなんだ…。ぼく、自分の手に自信が無いよ。いつも手袋をはめていたもの」
「いや、それはお前の手だと思うが?」
ハーレイがテーブルに乗せられたブルーの両手に目を細める。
「小さいが、そいつはお前の手だ。…俺は絶対に間違えん。俺だけが見ていた手なんだからな」
手袋の下を。
その意味にブルーは赤くなったが、ハーレイの自信に嬉しくもなった。そこまで自分を見ていてくれたハーレイならば、ブルーの身体が前世と同じなのかも答えてくれるに違いない…。
手袋に隠されていた手と同じくらい、自分では記憶があやふやな身体。そんな自分がハーレイの身体は覚えていた。これという目印になるものは無かった、と記憶していた。
なら、ハーレイも覚えている筈。ブルーの身体に目印になる何かがあったか、無かったかを。
「ハーレイ、ぼくの手が前と同じだったら、ぼくの身体もおんなじなのかな?」
ブルーは小首を傾げて尋ねた。
「ぼくはハーレイの身体の目印とかには全然気付いてなかったんだけど…。ほくろとかアザとか、ぼくにはあった?」
「…目印だと?」
「うん。前の身体にはこんなのが、っていう目印。ハーレイには一目で分かる印は無かったと思うけれども、ぼくの身体にはあったのかな、って」
それは本当に純粋な興味。昨夜、前世のハーレイの裸体に頬を染めたことをブルーは忘れ去ってしまっていたし、問われたハーレイにも質問の意図はよく分かる。小さなブルーが良からぬ魂胆で持ち出してきた妙なものではないらしいことが。
だからハーレイは小さく笑って答えてやった。
「…残念ながら、無かったな。お前の身体には小さな傷一つ無かったさ」
研究者どもは見事な仕事をしていたんだな、と鳶色の瞳が少しだけ翳る。
「前のお前に聞いた話じゃ、実験で火傷も凍傷も…。それだけじゃない、切り刻まんばかりの酷い実験もあったと聞くのに、そんな傷痕は一つも無いんだ。あいつら、また実験をするために…」
「うん。治さないと使い物にならないものね」
苦しかったアルタミラでの研究所時代、ブルーは貴重なタイプ・ブルーのサンプルとして丁寧に扱われ、治療をされた。地獄のような苦痛を与えられた後でベッドに運ばれ、癒えるまでは実験も行われない。ブルーの身体が完全でないと、正しい結果が得られないから。
どんな火傷も刻まれた傷も、全て完璧に治療する。それが彼らの方針だったが…。
「なんだか残念…。一つくらい何かあれば良かった…」
溜息をついたブルーに、ハーレイが「いいや」と首を横に振った。
「俺は何ひとつ無かったことに感謝しているぞ」
「なんで? ぼくは目印が欲しかったのに…。ほくろとかアザも無かったわけ?」
「無かったな。本当に綺麗な肌をしてたさ、前のお前は。…そして俺が感謝している理由は二つ。一つはお前に傷が一つも無かったことだ」
もしもあったなら目にする度に苦しかっただろう、とハーレイは言った。
その傷をブルーに残した者が憎くて、引き裂きたい気持ちになっただろうと。
「…お前の身体に傷が無かったから、アルタミラを忘れて過ごすことが出来た。…お前との時間に酔うことが出来た。あの時間だけは思い出さずに済んだんだ。お前を苦しめた遠い過去のことを」
俺が知らなかった時代のことを、とハーレイの顔に苦渋が滲んだ。
「お前は俺の知らない所で酷い目に遭って、それでも人類を憎まなかった。…研究者たちでさえ、マザーの命令に従っただけだと許していた。だが、俺がお前の受けた仕打ちを知っていたなら…。たとえお前が許すと言おうと、決して許せなかったと思う」
もしも傷痕が残っていたら…、とハーレイは呻く。
自分はブルーが受けた仕打ちを片時も忘れず、人類を憎み続けただろうと。
「お前に傷一つ無かったからこそ、人類と手を取り合いたいというお前の意見にも賛成出来た。…しかしお前に傷があったなら、俺はヤツらを許せなかった。そうせずに済んだのが感謝の理由だ」
「…そっか……」
ごめん、とブルーは謝る。ハーレイはブルーを苦しめた者が憎いと言うけれど、そのハーレイも過酷な実験をされていたことを知っているから。それなのに自分が受けた苦痛よりもブルーの身に起こったことばかり案じ、その傷痕が無いことに安堵を覚えていたと言うから…。
「何を謝る? 俺が勝手に思ったことだ。それに苦しんだのはお前の方だ」
「でも…」
「俺は感謝していると言ったんだ。お前に傷が無かったからな」
「じゃあ、もう一つの理由って、何?」
ブルーは赤い瞳でハーレイを見上げた。
自分の身体に何ひとつ目印になるものが無かったことにハーレイが感謝する理由は二つ。一つは今ので分かったけれども、もう一つの理由は何だろう?
「…もう一つか? ほくろにしろ、アザにしろ、もしも何かがあったなら。お前、今、確かめろと言い出すだろうが? 同じ目印が今もあるのか、と」
「うん。だって自分じゃ分からないもの、あるんだったら調べて欲しいよ」
自分では分からない、前の身体に在った目印。
それが小さな傷であっても、ほくろやアザの類だとしても、今の身体にあるのか知りたい。同じ所に同じほくろやアザがあるのか、それとも今は何も無いのか。
その目印があれば嬉しいし、無くてもそれも嬉しいと思う。新しく貰った今の身体は、どちらにしても奇跡だから。前と全く同じであっても、別物の身体であったとしても…。
ハーレイなら知っているかもしれない、と期待してしまった前世の身体にあった目印。どうやら目印は無かったらしいが、それを確かめて欲しかったハーレイは何に感謝をするのだろうか?
「ねえ、ハーレイ。…なんで、ぼくに目印が無かったら感謝するわけ?」
「お前、自分で言っただろうが」
ハーレイが苦い顔をした。
「あるんだったら調べて欲しいと俺に自分で言わなかったか?」
「言ったけど…。それがどうかした?」
「そいつが俺は困るんだ! あったら調べさせられるからな、お前の身体を!」
「そうだけど…」
なんで困るの? と口に出す前にブルーは気付いた。ハーレイが困るブルーの身体にある目印。小さな傷でも、ほくろやアザでも、それが今も在るかどうかを調べるためには…。
「そっか、目印、足なら良かった? あったとしても」
「………。足も困るな、お前が自分で気が付きそうな所以外は困るんだ、俺は!」
普通に見える所ならいいが、お前が脱がないと見えない所の目印は困る。そんな目印が無かったことに感謝している、と告げるハーレイの顔は赤くて。
「ふふっ、ハーレイ、真っ赤になってる!」
「誰が真っ赤だ、そこまでじゃない!」
せいぜい頬が赤い程度だ、とハーレイはブルーの頭を軽く小突いた。
「子供のくせに大人をからかうな!」
「でも、赤いもの! そんなハーレイ、珍しいもの!」
ブルーはクスクスと声を立てて笑う。
前の身体と今の身体が同じかどうかを知りたいと思っただけなのに…。
思いもかけずにハーレイの赤くなった顔が見られて、ちょっと嬉しくて得をした気分。
(こんなハーレイ、ホントに滅多に見られないものね)
いつも落ち着いていて、大人なハーレイ。
キスを強請っても軽くあしらわれてばかりの自分の言葉で、そのハーレイが真っ赤になった。
前の身体と今の身体が同じかどうかを確かめる目印が無かったことが少し残念。
何か目印があったなら…。
(…何処かにあったら良かったな、ほくろ)
アザでもいいな、とブルーはクスクスと笑い続けながら考える。
そういう何かがあったというなら、是非ハーレイに今もあるのか調べて確かめて欲しかった。
(…背中がいいかな、それとも腰とか…?)
ふふっ、と笑いは止まらない。
ブルー自身には見えない部分で、ハーレイには馴染み深い場所。そういう所は沢山ある。前世でハーレイが愛してくれた場所がブルーの身体には沢山、沢山…。
(お尻だったら、調べてって言ったらパニックかもね)
狼狽えるハーレイが目に見えるようだ。
そんな目印を見てはいないと誤魔化して必死に逃げを打つとか、あるいは忘れたと言い出すか。
(…まさかホントは知っているくせに、そういうトコロだから知らんふりとか…?)
一瞬、そうとも考えたけれど、ハーレイに限ってそれは無い。自分の質問に真面目に答えていたハーレイ。こんな結果になってしまうなんて、ブルー自身も思わなかったし…。
(目印、ホントに欲しかったな…)
ハーレイが調べるのに困る所に、とブルーはまだ頬が赤いハーレイの顔をチラリと眺めた。
ねえ、ハーレイ。
前と同じ身体かどうかを教えてくれる目印が無いのもガッカリだけれど、それよりも。
君がこんなに赤くなるなら、ホントに小さなほくろでいいから、一つ目印が欲しかった。
君が調べるのに困る何処かに。
困るから嫌だ、と言いそうな場所に。
目印で困る君の姿を見てみたかったよ、ほんのちょっぴり。
だけど目印は無いらしいから、赤くなった君で我慢する。正直な君が大好きだから。
ぼくを子供扱いしているくせに、赤くなってくれる君が大好きだから……。
身体の目印・了
※傷痕一つ無かった、前のブルーの身体。その代わり、ほくろやアザも無かったようです。
同じ身体かどうかが分かる目印、あったら良かったかもしれませんね。ほくろとか。
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今日は土曜日。ハーレイが訪ねて来てくれて、ブルーは楽しい一日を過ごした。最初はブルーの部屋でのティータイム。紅茶とお菓子で語らった後は昼食、午後もブルーの部屋で紅茶とお菓子。夕食は両親も一緒にダイニングで和やかに食べたのだけれど。
食事が終わって、母が飲み物を用意しようと立ち上がった。
「ハーレイ先生はコーヒーでよろしかったかしら? それとも紅茶になさいますか?」
「今日はコーヒーでお願いします」
ハーレイが答え、父もコーヒーを注文した。ブルーには苦すぎて飲めないコーヒー。でも…。
「ママ! ぼくもコーヒー!」
急にコーヒーが飲みたくなった。ハーレイはいつもブルーに付き合って紅茶だけれども、本当はコーヒーが大好きなことを知っている。前の生でも大好きだったし、今のハーレイもブルーが一度だけ遊びに出掛けた家でコーヒーを飲んでいた。それも大きなマグカップで。
ハーレイが大好きなコーヒーだから、たまには飲んでみたいと思った。ハーレイと一緒の夕食の席で、ハーレイと同じ飲み物を。
「いいでしょ、ママ? ぼくも飲みたい!」
せがむと母は「苦いわよ?」と困ったような顔をした。ハーレイも横から口を出す。
「おいおい、眠れなくなるぞ? それに苦いし」
「パパも苦いと思うがなあ…。どうしても欲しいなら薄めに淹れて貰いなさい。なあ、ママ?」
「やだっ!」
同じでなければ意味が無い。ハーレイの大好きな苦いコーヒー。絶対にハーレイと同じがいい。お子様仕様のコーヒーにされてたまるものか、とブルーは駄々をこねた。
「みんなと同じコーヒーがいい! 薄いのなんて子供用だし! コーヒーは前も飲んでたし!」
前の生でも飲んでいたのだ、とソルジャー・ブルーだった前世を持ち出してみたら、ハーレイが「おい」と止めに入った。
「おいおい、ブルー。お前はソルジャー・ブルーだった頃にもだな…」
「紅茶だったって言うんでしょ? それは好みの問題だから!」
コーヒーがいい、と強請り続けると、ハーレイは仕方なさそうに。
「だったらカップに半分にして貰え。薄められるからな」
「それもやだっ! ぼくは絶対、みんなと同じ!」
ハーレイと同じがいいとはとても言えないから、「みんな」と誤魔化す。それに気付いたらしいハーレイがフウと大きな溜息をついた。
「知らんぞ、俺は。…どうなってもな」
「どうもならないっ! ママ、ぼくもコーヒー飲むんだから!」
母は「しょうがないわねえ…」とキッチンに向かう。ブルーは嬉しくてたまらなかった。食後の飲み物はハーレイと同じ。ハーレイの大好きなコーヒーなのだ。
念願の香り高いコーヒーのカップ。湯気を立てるそれを御機嫌で口にしたブルーだけれど。
「……苦い……」
あまりの苦さに顔を顰めれば、ハーレイが「当たり前だ」と呆れ顔で。
「だから言っただろう、半分にしろ、と。薄められるように」
「うー…。ママ、お砂糖…」
ハーレイや両親と同じ量の砂糖では全く足りない。それを見越した母がコーヒーと一緒に持って来ておいたシュガーポットを渡して貰った。
(…ハーレイと同じじゃなくなっちゃうけど、飲めないよりマシ…)
たっぷりと砂糖を入れたというのに、かき混ぜて飲んでもまだ苦い。ブルー好みの味には程遠い苦さ。もっと、とシュガーポットに手を伸ばしたら「無駄だな」とハーレイの声がした。
「砂糖を入れても苦味は残るぞ。お母さんには申し訳ないが、半分捨てて貰ってミルクをだな…」
「ハーレイ先生の仰るとおりだな。ブルー、カフェオレにして貰いなさい」
父にも言われて折れるしか無かった。半分がミルクのカフェオレとやらになれば飲めるかと期待したのに、ブルーにはまだ苦すぎる。飲んで飲めない味ではないが…。
それでもハーレイの好きなコーヒー。なんとしても飲み干すのだ、と頑張ってみても苦いものは苦い。顔に出さないよう振舞ったものの、少しずつしか飲んでいなければ見抜かれる。ハーレイがブルーをチラと眺めて、母の方へと視線を移す。
「カフェオレでもまだ苦すぎるようですね。…ホイップクリームに砂糖たっぷりで。それを入れてやって頂けますか?」
「そうですわね…。ブルー、カップを寄越しなさい」
こうなれば諦めるしかない。ブルーは殆ど減っていないカフェオレのカップを母に手渡し、間もなく憧れのコーヒーはホイップクリームをこんもりと浮かべた別物になって戻って来た。泣く泣く飲むことにしたカップの中身は、悔しいけれども口に合うもので。
(…これなら美味しい…)
コーヒー風味の甘い飲み物。コクリと飲んで、またコクリと。さっきまでとは全然違う。
「あらあら…」
母がクスッと笑った。
「これならブルーも飲めるのね。流石はキャプテン・ハーレイですわね」
「…こいつには前科があるんです。都合よく忘れているようですが」
シャングリラでも苦労しました、というハーレイの言葉に両親がブルーを見ながら頷いている。こう見えて頑固な子供なのだし、ソルジャーだった頃はさぞかし強情であっただろうと。
ブルーが頼んだコーヒーは食後の時間の格好の話題となり、ハーレイは両親と何度も笑い合った末に「また明日な」と帰って行った。こんな筈ではなかったのに。ハーレイと同じ食後の飲み物を飲んで、幸せに浸る筈だったのに…。
ハーレイと同じコーヒーが飲めなかった残念さゆえか、悲しさゆえか。その夜、ベッドに入ったブルーは寝付けないまま何度も寝返りを打った。部屋は暗いのに眠くならない。いつもなら直ぐに眠りがやって来るのに、何故か意識が冴え返る。
(…やっぱり悔しかったからなのかな?)
コーヒーが飲めない子供扱い。おまけに本当に飲めなかった上、すっかり別物に化けてしまった自分のコーヒー。ハーレイと両親はほんの少しだけクリームを入れて、砂糖だってブルーが紅茶に入れるくらいしか入れなかったというのに、ブルーは砂糖にミルクにホイップクリーム。
そんな目に遭って悔しくならない筈が無い。自分は子供だと思い知らされたようで、ハーレイと同じ物を飲むには幼すぎると言われたようで。
悔しいから腹が立って眠れないのだ、とブルーはパッチリと目を見開いた。暗い天井を見上げ、情けなかったホイップクリームたっぷりのコーヒーを思い浮かべて睨み付ける。憎くて腹立たしい子供の飲み物。自分が前よりも小さいばかりに登場してきた甘い飲み物。
(ハーレイ、ホントに酷いんだから…!)
子供な自分を鼻で笑ってミルクを入れろだの、砂糖たっぷりのホイップクリームだのと言いたい放題、前の生での好みまで暴露してくれた。お蔭で両親に笑いの種を提供してしまい、昔はもっと頑固だったの、強情だのと…。
(……あれ?)
前の生での自分の好み。コーヒーにはミルクをたっぷりと入れて、ホイップクリームにも砂糖をたっぷり。それをこんもりと浮かべたコーヒーを飲んでいたのはいつだったろう?
(……もしかして、ぼく、子供じゃなかった……?)
アルタミラからの脱出直後はコーヒーを楽しむどころではなかった。けれどその頃が前の生での成長期。成人検査を受けた時のままの姿で時を止めていたブルーの背が伸び、幼さが消えて大人になっていった時期。
(…あの頃、コーヒー、あったっけ…?)
無かったこともないのだろうが、ミルクやホイップクリームなどをふんだんに使えた筈が無い。そういったものを嗜好品に回せるようになった頃にはシャングリラの改造も完全に終わっていた。ブルーのために青の間が出来、其処でハーレイとお茶の時間を過ごしていた。
(…うん、ハーレイが紅茶を淹れてくれてた…。熱いですよ、って…)
一緒に紅茶を飲んでいたハーレイ。たまにやたらと時間をかけて自分用にとコーヒーを淹れて、その香りだけは美味しそうに感じる苦い飲み物を楽しんでいた…。
(ひょっとして、ハーレイが言ってたのって…)
前のぼくだ、とブルーの記憶が蘇った。ミルクとホイップクリームたっぷりのお子様仕様の甘いコーヒー。それはソルジャー・ブルーだった自分の好みで、子供の姿では既に無かった。
思い出し始めると次から次へと浮かび上がってくる前の生の記憶。ハーレイが飲んでいるものと同じものが欲しい、と前にも思った。芳しい香りが漂うコーヒー。紅茶よりもずっと濃い色をしたハーレイの大のお気に入り。
「ねえ、ハーレイ。ぼくも欲しいな」。
飲んでみたいな、と強請ってみたら「苦いですよ」と返されたけれど。「あなたの舌には不向きですよ」とも言われたけれども、どうしても飲んでみたかった。せがんで、強請って、頼み込んで淹れて貰ったコーヒー。苦すぎて一口で顔を顰めてしまったコーヒー。
(…ぼくの前科って……)
ハーレイが両親に言った言葉を思い出す。「こいつには前科があるんですよ」という台詞が何を指していたのか、今なら分かる。ソルジャー・ブルーだった自分も全く同じことをしていたのだ。ハーレイが好む飲み物が欲しいと頼んで、そのくせに苦くて飲めなくて…。
(…ハーレイ、あれで大慌てしちゃったんだっけ…)
ハーレイのお気に入りが口に合わなくて悲しかった。ハーレイは美味しそうに飲んでいるのに、飲めない自分。置き去りにされてしまった気がして、寂しくて悲しくて俯いた。決してハーレイのせいではないのに、ハーレイは酷く狼狽えて…。
(最初にミルクを沢山入れてくれて、それでも駄目でお砂糖たっぷりのホイップクリーム…)
そこまでして貰って、ようやく飲めた。ハーレイが好むコーヒーとはまるで別物になった飲み物だけれど、コーヒーの香りは残っていた。
そんな経験をしていたくせに、何度もコーヒーを強請った自分。その度にハーレイは律儀に手をかけて淹れてくれては、ミルクとホイップクリームまで入れる羽目になって…。
(だけど一度も断られたことは無かったよね…)
どうなるか結果が見えているのに、否と言われはしなかった。丁寧に淹れたコーヒーのカップを「どうぞ」と差し出し、ただ穏やかに微笑んでくれた。
(…いつもミルクとホイップクリームたっぷりになっちゃったのに…)
そして眠れなくなっていたのに、と我儘だった自分を思い出す。遅い時間に口にしたコーヒーのせいで目が冴えて眠れず、ハーレイがブリッジから青の間に来た時もまだ起きていて。
(だから言ったでしょう、って叱られたっけ…)
夜にコーヒーを飲むからです、と眉間に皺を寄せはしたけれど、ハーレイは唇に優しい口付けをくれた。眠れないと訴えるブルーを寝かしつけてくれた。
あんなに目が冴えて眠れずにいたのに、ハーレイの腕に抱かれて心地よく眠って、いつの間にか朝になっていて…。
「そっか、コーヒー…」
それで全然眠れないんだ、と今のブルーと前の生の記憶が結び付いた。ハーレイと同じ飲み物が欲しくて頼んだコーヒー。「眠れなくなるぞ」と止めたハーレイはソルジャー・ブルーだった頃のブルーがどうなったのかを恐らく覚えていたのだろう。
(…ど、どうしよう…)
枕元の時計に目をやれば、とっくに日付が変わっている。眠れないままで経った時間が数時間。明日は日曜日で休みだとはいえ、大好きなハーレイが訪ねて来てくれる日。寝不足で過ごしたくはないのに眠れない。眠気は訪れそうもない。
(…どうしたらいいの? どうやったら眠くなって寝られるの?)
ハーレイが得意だった寝かしつけ方。
いつだって魔法のようにブルーを眠りへと導いてくれて、側に寄り添っていてくれた。心地よい眠りをくれたハーレイ。その方法を教えて欲しい。
(ハーレイ、寝られないんだけど…!)
呼び掛けたくても、今のブルーにはハーレイだけに届く思念は紡げない。それにハーレイだって深く眠っていそうな夜中。自業自得で眠れないブルーのためには起きてくれそうもない。
(…何か方法がある筈なんだけど…)
ハーレイだけが知っていた方法なのか、コーヒーを好む者たちの間では有名なのか。目が冴える飲み物だと知っているのだから、対処法も知っているかもしれない。
(……お薬とか?)
それはありそうだ、とブルーは思った。前の生ではドクターが睡眠薬を処方してくれた。戦闘で心身が疲弊していても気が昂って眠れない時、そういう薬を何度も貰った。もちろんキャプテンのハーレイが知らない筈が無い。どんな薬か、いつ飲んだかも報告が行っていただろう。
(…あの薬かな?)
ブルーがコーヒーを飲んだ夜には貰いに出掛けていたかもしれない。眠れないブルーを叱り付けながら優しい口付けをくれたハーレイ。あの時に口移しで薬を飲ませていたのかも…。
「うー……」
薬だとしたら手も足も出ない。今のブルーは睡眠薬など飲んではいないし、両親も同じ。家庭の常備薬ではないから、薬箱などを覗いて探すだけ無駄。
「…眠れないよ……」
寝られないよ、と届く筈もない声でハーレイに向かって訴える。眠りたいのに眠れないと。前と同じで眠れなくなってしまって辛いんだけど、と。
そうこうする内に身体が疲れ果てたか、ようよう眠りが訪れてくれて…。
翌朝、目覚ましの音で目覚めたブルーは普段よりも頭が重かった。体調不良の兆候ならぬ単なる寝不足と分かっているから、目をゴシゴシと擦って起きる。冷たい水で顔を洗って、両親と朝食を食べる頃には眠かった意識もスッキリとした。
二度とコーヒーなど飲んでたまるか、と思うけれども、ハーレイの大好きな香り高いコーヒー。前の生でも今の生でも、ハーレイが好む苦い飲み物。
(…ハーレイと同じの、飲みたいんだけど…)
しかしハーレイが寝かしつけてくれた前世と違って、今はもれなく寝不足の状態に陥りそうだ。いつかハーレイと同じ家で暮らせる時が来るまで、飲まない方がいいのだろうか?
(…そうなのかも…)
それとも寝かせ方の秘訣をハーレイに訊くか。薬だったらどうしようもないが、そうでないなら望みはある。自分で出来る方法だったら、それを習っておけばいい。
(やっぱりコーヒー、飲みたいもの…)
苦くてもハーレイの大好きな飲み物。大好きなハーレイが好む飲み物…。
そんな思いを抱え込みながら部屋を掃除し、ブルーはハーレイの来訪を待った。
チャイムが鳴り、母に案内されて部屋を訪ねて来たブルーの待ち人。母が紅茶とお菓子を置いて出てゆき、その足音が階下に消えると、ハーレイは椅子に腰掛けながら問い掛けた。
「ブルー、昨夜はよく寝られたか?」
堪え切れない笑みを湛えた表情。投げ掛けられた質問といい、全てを承知している顔。ブルーは憮然としてハーレイの向かいの椅子に座ると、八つ当たり気味に答えをぶつけた。
「ハーレイ、ぼくがどうなったか知ってるくせに!」
脹れっ面になったブルーに、ハーレイが「すまん、すまん」と謝りつつも笑う。
「いや、すまん。しかしだ、俺は言った筈だぞ、眠れなくなる、と」
「言ったけど…! ちゃんと言ってたけど、ハーレイ、酷い!」
酷い、とブルーはハーレイを睨む。
「前はハーレイが寝かせてくれていたこと、忘れていたし! 言ってくれなきゃ!」
「今度は寝かせてやれないからな、と俺は言わなきゃ駄目だったのか?」
「そうだよ、酷いよ!」
寝不足になってしまったんだから、と苦情を申し立ててからハーレイへの質問を口にする。前の生ではどうやって自分を寝かせていたのか、と。
「ハーレイ、口移しで薬でも飲ませてた? それとも何か秘訣があるの?」
それを教えて欲しいんだけど、と言った途端にハーレイが盛大に吹き出した。何が可笑しいのか肩を揺すって笑っている。テーブルの上のカップがカタカタと小さく揺れるくらいに。
「ハーレイっ! なんで笑うの、教えてってば!」
「こ、これが笑わずにいられるかって…! いやはや、まったく…」
「だから、どういう方法なの!?」
「お前にはまだまだ分からんさ、うん」
ハーレイが懸命に笑いを飲み込み、パチンと片目を瞑ってみせた。
「ついでに今のお前の場合は、だ…。あの方法では寝かせられんな、子供だからな」
「……子供?」
やはり睡眠薬だったのだろうか、とブルーは考えたのだけれども、それではハーレイが笑うほど可笑しいわけがない。子供には使えない寝かしつけ方だと言われても…。
(…寝かしつけるのって、普通、子供だよね?)
何か変だ、とハーレイがしてくれていた寝かしつけ方を頭の中で追ってゆく。口付けをくれて、抱き締めてくれて。その腕の中に自分を閉じ込めて…。
(…あっ!)
それで終わりではなかった気がする。寝付くまでの間に、ハーレイと二人…。
「…も、もしかして……」
ブルーの頬が真っ赤に染まった。その先は声に出せないけれども、ハーレイが前の生で眠れなくなった自分を寝かしつけていた方法は…。
「思い出したか? お前が大きく育つまではだ、あの方法は使えないわけだ。なにしろお前は消耗しちまって寝ていただけで、そこまで消耗させるには……なあ?」
(……や、やっぱり……)
今はまだ叶わない本物の恋人同士になること。そういう仲になった時しか出来ないハーレイとの甘い過ごし方。二人でベッドで眠る前にする、とても暖かくて幸せな…。
赤くなったまま口をパクパクとさせるブルーに、ハーレイは「分かったか?」と微笑んだ。
「今のお前には、何年早過ぎる手なんだか…。今はコーヒーを飲んだら寝不足になるしかないってことだな、今日みたいにな」
「…うー……」
ハーレイを上目遣いに睨み付けても、こればっかりはどうにもならない。ブルーは本当に小さな子供で、前の生での寝かしつけ方は不可能で…。
「それじゃコーヒー、もう飲めないの?」
ハーレイが大好きな苦いコーヒー。今の生でも前の生でも好きなコーヒー。
「今のところは諦めるしかなかろうが? 寝不足になって懲りたんならな」
コーヒーは当分やめておけ、と頭をポンポンと叩かれた上に。
「そうだ、コーヒー牛乳を買って貰うか? あれなら立派にお子様向けだ。シャングリラにアレは無かったな、うん」
「コーヒー牛乳!?」
「気分だけでもコーヒーだろう? なあ、ブルー?」
子供にはそれが丁度いいのさ、とハーレイは笑い続けるけれど。
ブルーが飲みたいものはコーヒーであって、コーヒー牛乳などではなかった。
大好きなハーレイが好きなコーヒー。ブルーの舌には苦すぎるけれど、ハーレイが大好きな苦い飲み物。ハーレイが好きな飲み物だから飲んでみたいし、同じコーヒーを飲みたいと思う。
(…やっぱり諦められないよ…)
大きくなるまで待つなんて無理、とブルーは目の前の紅茶を見詰めた。
紅茶なら寝不足にならないけれども、これよりも絶対、コーヒーがいい。
眠れなくなってしまったとしても、またコーヒーを飲みたいと思う。
ハーレイが大好きなコーヒーだから。ハーレイのことが好きでたまらないから、苦い飲み物でもコーヒーが欲しい。ハーレイと同じコーヒーを飲んで、ハーレイの側にいたいから…。
憧れのコーヒー・了
※ブルーには苦すぎて飲めないコーヒー。大人の飲み物だったからではなかったのです。
ソルジャー・ブルーだった頃からの苦手、眠れなくなっても幸せだったみたいですけどね。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
厳しかった残暑も落ち着き、今年も秋らしくなってきました。学園祭までは日がありますけど、アルテメシアのあちこちの神社で秋祭りなどが。今日は土曜日、私たち七人組は会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」と幾つものお祭りをハシゴし、夜は会長さんの家にお泊まりです。
「かみお~ん♪ お祭り、楽しかったね!」
お腹いっぱい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も嬉しそう。お料理大好きでプロ顔負けの腕前のくせに、屋台の食べ物も大好きなのが可愛いところ。もちろん私たちも食べまくったわけで。
「よーし、明日も沢山食べるぞ!」
ジョミー君の決意表明に会長さんがクスクスと。
「明日は自前で食べるのかい?」
「えっ? え、えっ?」
どういう意味? と首を傾げるジョミー君に、会長さんは。
「予算のことだよ、君のお財布! とっくの昔にすっからかんじゃなかったかと」
「うー…。おごってもらって感謝してます、明日もよろしくお願いします…」
このとおりです、とペコリと頭を下げるジョミー君。私たちの財布はマツカ君を除いて空っぽに近く、会長さんが飲食代を払ってくれていたのでした。
「分かればいいんだ、分かればね。それに明日はそんなに予算は要らないだろうし」
天気予報は午後から雨、と言われて誰もが大ショック。お祭りは明日が本番の所が多くて、屋台の数も増える筈です。なのに午後から雨なんですか?
「こればっかりは仕方ないよね、天気図を見てもモロに降りそうだ。さっきフィシスに思念で訊いてみたけど、しっかり降るって言われちゃったよ」
土砂降りらしい、と聞いて気分はガックリ、さっきまでのウキウキ気分も何処へやら。土日はお祭りで遊びまくると決めて来たのに大雨だなんて…。
「そんなにガッカリしなくても…。雨なら雨で遊びようはあるよ」
「えとえと、お家でパーティーする? お好み焼きとか!」
屋台っぽいのも作れるもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お天気ばかりは会長さんでも変えられませんし、ここは諦めてパーティーかなぁ…。
夜遅くまでワイワイ騒いで、それからゲストルームに引き揚げて。グッスリ眠って起き出してみると、お日様が高く昇っていました。もしかしたら雨の予報が外れるかも、と朝食もそこそこに飛び出したのに、お昼過ぎから一天にわかにかき曇り…。
「うっわー、ビショビショ……」
なんでいきなり、と嘆くジョミー君以下、男子は全員ずぶ濡れでした。スウェナちゃんと私は会長さんが素早くシールドしてくれたのでポツポツと濡れた程度です。ついでにゲリラ豪雨の襲来と共に瞬間移動で逃げてきたため、さほど被害は蒙っておらず。
「酷いや、女子だけ濡れてないだなんて!」
差別反対、と叫んだジョミー君に会長さんが窓の外を指差して。
「それじゃ自力で帰ってくるかい、神社から? お望みとあれば今すぐ送ってあげるけど」
「えっ?」
「屋台は沢山並んでるけど、傘を売ってる店は無いねえ…。雨宿りしようにも屋台じゃ無理だし、神社の軒下は満員御礼。それで良ければ行くんだね」
どうするんだい、と問われたジョミー君はグッと詰まって目を白黒と。
「…あ、あそこ、バス停から遠かったんじゃあ…」
「もちろんさ。ついでに近所にコンビニも無いし、バス停の屋根も無いわけだけど」
「……い、いいです、ずぶ濡れで我慢します……」
帰れただけでも充分です、と腰が引けているジョミー君。この状態では他の男子も文句は言えず、シャワーを浴びにゲストルームへ。その間に会長さんが男子の家から瞬間移動で服を取り寄せ、着替えが済んでサッパリした所でお好み焼きパーティーの始まりです。
「かみお~ん♪ 伊勢エビ、入れたい人~!」
「「「伊勢エビ!?」」」
「うんっ! ブルーがね、屋台じゃ出来ない豪華版で、って!」
上等のお肉もマザー農場で貰って来たよ、とお肉のお皿がドッカンと。伊勢エビの他にもホタテにタコにローストビーフなどなど、おまけに香り高い松茸までが。
「「「……スゴイ……」」」
「でしょ? お祭りもいいけど、お好み焼きの超豪華版~♪」
アレもコレも、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手際よく具を入れて焼き上げたお好み焼きは絶品でした。特製ソースもよく合います。ソースの材料もお高いそうで、屋台めぐりが消し飛んだ上にビショ濡れになった男子たちの恨みも何処へやら。これは大雨に感謝かも…。
ガッツリ食べて、会長さんは生ビールまで。お好み焼きパーティーは大いに盛り上がり、デザートにはタピオカココナッツソースのマンゴープリン。大満足の私たちはリビングに移動し、飲み物を手にしてのんびり、まったりしていたのですが。
「……うーん……」
会長さんが顎に手を当て、困ったように。
「秋はやっぱり物入りだねえ……」
「「「は?」」」
「全員分の屋台の飲食代と、さっきの豪華お好み焼きと。…この先も色々とイベントがあるし、赤字街道まっしぐらかなぁ」
大いにヤバイ、と呻く会長さんの隣に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がチョコンと座って。
「ブルー、家計簿、つけてないでしょ? まだまだ黒字だと思うんだけど」
ソルジャーのお給料がこれだけだから…、と流石は家事万能の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。電卓を持ってきてカタカタと叩き、ニコッと笑うと。
「うんっ、全然大丈夫! 赤字になる前に次のお給料が入って来るから、余った分は貯金だよね」
これくらい貯金できると思うの、と出て来た数字はゼロが沢山。ソルジャーのお給料って、想像もつかない額みたいです。会長さんって実はとってもお金持ちでは…? しかし当の会長さんは。
「……これじゃダメだね、いつもの額より少ないじゃないか」
「でもでも、ほんの少しでしょ?」
大丈夫だもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言うとおり、屋台と豪華お好み焼きにかかった費用なんかは「ほんの少し」でしかありません。なのに会長さんはブツブツと。
「ほんの少しでも減るのは事実! 塵も積もれば山となるってね」
何処かでコレを埋め合わせないと…、と真剣に悩む様子に、マツカ君が。
「あのぅ…。ぼくも沢山食べましたから、お好み焼きの分は払いましょうか?」
「それは要らない。友達からお金を毟ろうだなんて、やってはいけないことだしね」
最初から決まっていたならともかく、と会長さんは大真面目。
「マツカには日頃から色々とお世話になってるし…。足りなくなったから払って下さい、と甘えられる立場じゃないんだよ。お金があるからって何でもかんでも貰うのはアウト」
それじゃ賽銭泥棒だ、と会長さん。えーっと、確かにお祭りの屋台巡りで赤字っぽいとか騒いでますけど、マツカ君に出して貰うと何故に賽銭泥棒に?
会長さんが言う賽銭泥棒の定義が掴めず、顔を見合わせる私たち。マツカ君は普通にお金持ちなだけで、神社もお寺も全く関係無さそうですが…。
「分からないかな、君たちには。…じゃあ、キース」
名指しで呼ばれたキース君が「なんだ?」と返すと、会長さんは。
「君なら分かってくれると思う。子供の頃にさ、お賽銭箱からお小遣いを貰ったことは?」
「出来ると思うのか、そんな真似が!」
親父にバレたらブチ殺される、とキース君が叫び、アドス和尚の恐ろしさを知る私たちも揃って「うんうん」と。お賽銭箱からお小遣いを持ち出すなんて、命知らずとしか言えませんってば…。
「そうじゃなくって。…君の家はお寺だからねえ、お賽銭も収入に含まれる。君のお小遣いはお賽銭から出ていたかもだけど、それを直接お賽銭箱から出して渡してくれてたかってこと」
「…それは無いな。俺の同期の連中もそうだが、小遣いを貰う場所はあくまで庫裏だ。小さい頃に檀家さんから本堂や墓地で頂いた金も全部おふくろに渡していたしな」
そこが坊主の厳しいところ、とキース君。生活費はまるっとお布施やお賽銭なわけですけども、ダイレクトに使うわけにはいかないそうです。間にワンクッションが必要で…。
「だからだ、明らかに賽銭箱に入っていたな、と思う小銭でも一度は必ず家の財布に」
「そこなんだよねえ、ぼくが賽銭泥棒って言った意味はさ」
使ってしまって足りないからとマツカに頼るというのは反則、と会長さん。
「マツカがお金を持っているから貰っちゃおう、だと賽銭箱に入ってるから貰っておこうと手を突っ込むのと変わらないわけ。…今回の赤字は自力で埋めなきゃ」
「…押し掛け導師はお断りだぞ」
キース君が釘を刺しました。
「銀青様に来て頂くと高くつくんだ。親父は喜んで出すだろうがな、不純な動機で来られちゃたまらん。遊興費なら他で稼いでくれ」
「分かってるってば。ハーレイから毟るのが一番なんだけど、せっかくだから稼ぎたいなあ…」
「バイト先なら紹介するぞ?」
前から頼まれていたんだよな、とキース君が手帳を取り出して。
「あんたの正体が銀青様とまではバレていないが、とてつもなく偉い坊主らしいと俺の知り合いの間で話題になってる。是非、法要に来て欲しい、とコネをつけたいヤツが多くて」
アルテメシアに近い寺なら此処と此処と…、と読み上げ始めたキース君に、会長さんは。
「そういうのはいいよ、面倒だから。稼ぐならボロい相手がいるしね」
これ以上の儲け話はまず無い、と自信たっぷりに言われましても。会長さんがボロ儲け出来る相手って……誰?
沢山お金を持っているくせに、まだ稼ぎたい会長さん。儲け話があるようですけど、いったい誰がカモられるのやら、まるで見当もつきません。まさかのドクター・ノルディとか?
「ノルディは勘弁願いたいね。…第一、ノルディには使えない手だし」
「「「は?」」」
「何度も言っているだろう? ノルディにはサイオニック・ドリームが通用しない。ただし大人の時間限定」
それ以外なら使えるのに、と唇を尖らせる会長さん。
「百戦錬磨のツワモノだからか知らないけどねえ、そっち方面だけはサイオニック・ドリームが効かないんだよ。それさえ無ければとっくの昔に手が切れていると思うんだけど…」
未だにぼくを狙ってウロウロ、という会長さんのぼやきは本当です。エロドクターことドクター・ノルディは会長さんを食べたくてたまらず、そこに付け込んでデートをしてはお小遣いを稼いでいるのがソルジャーで…。
「だからノルディじゃ稼げない。サイオニック・ドリームを売るつもりだから」
「「「えぇっ!?」」」
「何を驚くことがあるのさ、学園祭でも売ってるだろう? それの大人の時間バージョンをハーレイに売り付けて稼ぐだけ!」
これはボロいよ、と会長さんは指を一本立てました。
「なにしろハーレイはヘタレだからねえ、夢を買ってもモノに出来ない可能性の方が大なんだ。そこへ博打の要素も入れる。当たりが出たら最後まで! ハズレだったらキスまでってことで」
「「「………」」」
「ぼくはその道のプロなんだ。ずーっと昔、ぶるぅと二人きりだった頃にはコレで稼いでいたんだからね? 住み込んでいた宿の主人に売り飛ばされる度にサイオニック・ドリームで切り抜けてチップもゲット!」
言われてみれば、そんな話もありました。会長さんの故郷の島、アルタミラが火山の噴火で海に沈んだ後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と二人で宿に住み込んで働いていたと聞いています。超絶美形の会長さんは宿の主人に「お客さんの相手をしろ」と何度も売られて、その度に…。
「もう長いことやってないけど、腕は鈍っていない筈! ついでにハーレイが旅の仲間に加わった後にもやっていたから、ハーレイにとってもコレは絶対に美味しいんだよ」
一度は買いたい夢の商品! と会長さんはブチ上げました。
「早速、明日から商売しよう。稼がなくちゃいけない理由の発端が屋台だしねえ、ハーレイの家の庭に出店を出すのがいいかな」
雨が降っても大丈夫なようにテントを張ろう、と燃え上がっている会長さん。教頭先生、明日からどうなってしまうんでしょう…?
屋台巡りと豪華お好み焼きパーティーな土日が終わって、月曜日。会長さんの儲け話については考えないようにしていた私たちが放課後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に出掛けてみると。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ。お蔭様で今日は準備バッチリ!」
おやつを食べたら手伝いよろしく、と会長さんが微笑み、洋梨とカラメルのロールケーキが出て来ました。カラメル味のふわふわスポンジが美味しいですけど、このケーキを食べてしまったら…。
「そう、男子はテントの設営ってね。女子は見学していればいいよ」
力仕事は男子にお任せ、と会長さんに言われてズーン…と落ち込む男子たち。教頭先生にサイオニック・ドリームを売り付ける計画は着々と進んでいるようです。
「ハーレイの家は庭だって無駄に広いしね? テントも大きいヤツを借りたよ」
マザー農場でイベントに使うヤツなんだ、と会長さんが自慢するテントは屋根だけでなく壁の部分もあるそうです。入口をピッタリ閉じてしまえば中は真っ暗になるらしく。
「大人の時間なサイオニック・ドリームを売るんだからねえ、真っ暗な方がいいだろう? 蝋燭とランプの明かりだけでさ、こう、好きなカードを選んで貰って」
ちゃんと作った、とテーブルに裏向きに重ねられたカードは、フィシスさんが占いに使うタロットカードみたいに本格的。しっかりと厚みがあって、裏面の模様も綺麗に印刷されていて…。
「会長、そこまでやったんですか?」
凝ってますね、とシロエ君が呆れ、サム君が。
「作るだけでも金がかかっていそうだぜ、それ。…お好み焼きより高くねえか?」
「まあね。だけど元手をケチるのは良くない」
ぼったくるには投資も必要、と会長さんはカードを手に取り、トランプのように切りながら。
「なにしろ特注品なんだ。この模様のカードだと普通はタロットなんだけどねえ、表を返すとこんな感じで」
「「「!!?」」」
シャッと一枚抜き出されたカードの表にはイノシシの絵が描いてありました。イノシシだけではありません。萩と思しき赤い花。…コレって花札とか言いませんか? おまけに右上に「大吉」と書かれた短冊が…。
「いいだろう? 博打とくれば花札だよね? ついでにおみくじ感覚で! 大吉だったら最後までだよ、サイオニック・ドリームの中身がさ」
ちなみに凶だと振られておしまい、と出て来たカードはいわゆる坊主。月も無ければ雁も飛んでおらず、ただススキだけの味気ない札の右上に「凶」という短冊がヒラリと一枚。
「これだけ遊び心があるとさ、ハーレイも燃えると思うんだ。大吉を引いて最後まで! もう最高の夢だってば!」
絶対にコレは商売になる、と自信満々の会長さん。教頭先生が透視出来ないようカードはしっかりガードするそうで、文字通り運が命の博打ですねえ…。
こうして会長さんのトンデモ計画がスタートしました。おやつを食べ終えた私たちは瞬間移動で教頭先生の御自宅の庭へ。同じく瞬間移動で運び込まれた大型テントは派手な紫色をしています。男子が組み立てたソレは八畳サイズ。入口を閉めれば本当に中は真っ暗で…。
「ここにテーブルを置くんだよ」
こう、と会長さんがテーブルを据え、自分用の椅子と教頭先生用の椅子を設置し、テーブルの上に燭台をコトリと。
「これだけじゃ暗いし、後はランプで。そしてお客を待つだけってね」
ハーレイが帰る時間まで少し休憩、と会長さんの家へ瞬間移動し、飲み物とスイートポテトのフィナンシェなんかを食べている内に日が暮れてきて…。
「来た、来た。車をガレージに入れるトコだよ」
テントが思い切り気になるようだ、と会長さんが教頭先生の家の方角を指し示し、私たちはテントへと瞬間移動。会長さんはテーブルを前にして座り、私たちが左右に並んでいると。
「…なんだ、これは?」
不審そうな声と共に教頭先生がテントの入口から覗き込み、ポカンと口を開けました。
「……な、なんの真似だ?」
「御挨拶だねえ、夢を売りに来てあげたのに」
会長さんがテーブルの上に例のカードを揃えて置くと。
「旅をしていた頃を覚えているかい、ぼくとぶるぅと、三人で?」
「あ、ああ…。それが何か?」
懐かしいな、と教頭先生はテントに入って会長さんのすぐ前へ。
「まあ、座ってよ。遠慮しないで」
「………???」
促されるままに椅子に腰掛けた教頭先生に、会長さんは艶やかな笑みを浮かべてみせて。
「あの頃の、ぼくの特技を覚えてる? お金を持っていそうな人を見付けたら、近付いていって一晩一緒に」
「…覚えている。確かサイオニック・ドリームだったな、酷く心配させられたものだ。そのぅ…」
「ぼくが本当に身体を売っていると思い込んでいたらしいしねえ?」
その節は御心配ありがとう、と頭を下げる会長さん。
「それでさ…。実は金欠気味なんだ。君から毟ろうかとも思ったけれど、たまにはサービスしようかと…。ぼくから夢を買わないかい? あのサイオニック・ドリームを?」
とびっきり安くしておくよ、と会長さんが出した料金表はゼロが四つも並んでいました。どう安いのか知りませんけど、昔はもっとボッてたのかな…?
「これでも安くしてあるんだよ」
会長さんは料金表を指差し、一番上の位の数字が「1」であることを強調中。
「あの時代の相場から考えてみると、ここは安くても5になるトコだね。そこを出血大サービス! たったの1だよ、それで素敵な夢が買えるわけ」
ぼくを一晩好きに出来る、と聞かされた教頭先生の喉がゴクリと。
「ただし、ぼくも稼がなくっちゃいけないからね? 博打の要素を取り入れてある。一回分の料金を払うとカードを一回引けるんだ。それ次第で夢の中身が変わるんだけど…」
買ってみる? と尋ねられた教頭先生は懐に手を入れ、財布を引っ張り出しました。そして料金をポンと支払い、会長さんがカードの山をテーブルの上に。
「じゃあ、今からカードを混ぜるから。…混ぜ終わったら引いてみて」
タロットカードよろしくカードを切り混ぜる会長さん。教頭先生がカードを凝視していますが、透視は不可能と聞かされたとおり何も分からないみたいです。カードを混ぜ終わった会長さんはカードをズラリとテーブルに並べ、ニッコリと。
「はい、どれでも一枚、好きなのをどうぞ」
「…分かった。コレにしておこう」
「了解」
教頭先生が指差したカードを会長さんがクルリと裏返し、現れた模様は桜でした。これは見るからに大吉っぽい、と思ったのですけど、右上の短冊は「末吉」で。
「悪いね、これだとキスまでかな。…ここに末吉と書いてあるだろ? 吉だとイイところまでは行けるんだ。最後までなら大吉でないと…。ついでに凶だと振られておしまい」
「…そ、そうか…。だが、キスまでは出来るのだな?」
「夢だけどね」
それでも良ければ、と念を押された教頭先生は「充分だ」と立ち上がりました。
「お前とキスが出来る夢ならラッキーとしか言いようがない。今日の私はツイているようだ」
「欲が無いねえ…。それじゃ、寝る前にコレを食べること! 大丈夫、普通に塩煎餅だし」
甘くはないから、と会長さんが袋入りの塩煎餅を一枚、手渡して。
「ぼくにも眠る都合があるから、君の都合には合わせられない。これがサイオニック・ドリームの引き金になる。いい夢を見られますように」
今日は閉店、という声で蝋燭とランプが消えて、私たちも瞬間移動で会長さんの家へ。今夜はお泊まりの予定ですけど、あの塩煎餅、効くんでしょうか?
夕食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製ビーフストロガノフ。教頭先生が支払っていた料金で充分出来るでしょうけど、ボロ儲けするなら食費の方もケチッた方が良さそうな気が…。キース君たちもそう考えたらしく。
「おい、別にカップ麺でも良かったんだぞ?」
「ですよね、これじゃ儲けがあまり…」
シロエ君の指摘に、会長さんはチッチッと指を左右に振って。
「平気だってば、赤字になっても気にしない! 最初からそういう遊びなんだな、赤字ごっこで」
「「「赤字ごっこ!?」」」
「そう! たまには悩んでみたくなるよね、懐具合で」
「「「…………」」」
愕然とする私たち。やはり「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言っていたとおり、赤字決算ではなかったのです。そうなると教頭先生は…。
「ハーレイかい? 今夜の夢で味を占めたら欲が出るから、カモ一直線!」
「…ふうん? 面白そうなことをやってるじゃないか」
「「「!!?」」」
バッと振り返った先で紫のマントがフワリと揺れて、会長さんのそっくりさんが。
「こんばんは。ハーレイに夢を売るんだってねえ、ちょっと見学してっていいかな?」
見学だけで、と言いつつソルジャーの視線はテーブルの方をチラチラと。
「かみお~ん♪ 御飯、まだだったら食べて行ってね!」
「いいのかい? 嬉しいな、地球の食事は美味しいからさ」
お言葉に甘えて、とソルジャーもちゃっかり食卓に。なんだか面子が増えちゃいましたが、見学だけでは済まないような…。
「あ、そこは心配要らないよ。今夜はハーレイと楽しむ予定で、泊まってく時間は無いんだよね」
ブルーのお手並みを拝見したら急いで退散、とソルジャーは唇を指で撫でながら。
「キスまでの夢でラッキーだなんて、どんなキスかな? ワクワクするよ」
「さあねえ、相手はハーレイだしさ…。呆れるような結末かもね」
生中継でも無問題なレベル、と会長さんはニヤニヤと。そうとも知らない教頭先生、夕食を終えると早速お風呂。そそくさとパジャマに着替えてベッドに腰掛け、塩煎餅をボリボリと。間もなく眠気に襲われたらしく、横になるなり大イビキで…。
「中継開始。よく見ていてよ?」
これがハーレイの夢の中、と会長さんが指を鳴らすと中継画面が壁に現れました。スーツでキメた教頭先生が会長さんと腕を組んで歩いています。いわゆるデートというヤツでしょうか?
「ハーレイ的にはそのつもりらしい。健全過ぎて涙が出るよ」
もっと大胆に始まるかと思った、と会長さん。大胆にって……例えば、どんな?
「ん? そりゃねえ、デートなんか綺麗にすっ飛ばしちゃってホテルの部屋から始まるとかさ。キスまでって言ったら本気でキスが最終目標な夢ってところが泣けるよね」
「…君の方でどうとでも出来るだろう?」
サイオニック・ドリームなんだから、とソルジャーが訊くと、会長さんは。
「このタイプはちょっと違うんだ。相手の願望に合わせるんだよ、でなきゃ話にならないからね。ぼくを買った人に見せてた夢だし、ご注文に応じてなんぼなわけ」
「ああ、なるほど…。そういう使い方もアリだよね、うん」
こっちのハーレイのキスのテクニックはどの程度? と興味津々なソルジャーに、会長さんが吐き捨てるように。
「テクニックも何も無いと思うよ、妄想だけは凄いけど…。ついでにこの夢、ハーレイに都合よく出来ているから、ド下手なキスでも相手の反応は最高かもねえ…」
そして要らない自信がつく、と嘲笑っている会長さん。えーっと、ド下手で最高って?
「万年十八歳未満お断りだと分からないとは思うけど…。巧いキスだとそれだけで…ねえ?」
「そうそう、キスされただけでイッちゃいそうになることがあるよ」
ぼくのハーレイも最近巧くて、とソルジャーが頬をうっすら染めてますから、凄いキスというのがあるようです。それってどういうキスなのかな、とジョミー君たちと顔を見合わせていると。
「来た、来た! シチュエーションだけで笑えるよ、うん」
「いつの間に海辺に来たんだい? まあ、地球の海は綺麗だけどさ…」
浜辺でキスも全然悪くはないんだけれど、とソルジャーが。教頭先生は会長さんと夕暮れの浜辺に並んで座り、二人の顔がゆっくりと重なって…。ん? んん?
「はい、おしまい~」
どうやらぼくはイッちゃったらしい、と会長さんがお腹を抱えて笑っています。今のキスって凄かったんですか? ほんの数秒だけでしたが…?
「たった数秒で昇天ねえ…。そこまでのキスはぼくのハーレイにもまだ無理だけど?」
妙な自信はついただろうね、とソルジャーまでが大爆笑。今夜はキャプテンにキスを頑張らせるらしいです。目指せノルディのテクニック! とか叫んでますから、エロドクターなら数秒で昇天とやらのキスが可能なわけですか…。
次の日も会長さんは教頭先生の家の庭に張られたテントで待ち受け、仕事帰りの教頭先生が入口をくぐっていそいそと。
「聞いてくれ、ブルー! 私もキスが巧くなってな、昨夜の夢ではお前がフニャッと」
「はいはい、そこまで! 周りに大勢いるんだからね」
生徒の視線は気にするように、と注意された教頭先生は肩を落として。
「…す、すまん…。それで、そのぅ……」
「夢を買うって? 昨日の続きを見たいわけだね」
どうぞ、と会長さんがカードを切り混ぜ、テーブルの上にズラズラズラ。それを端から何度も眺めた教頭先生、気合をこめて一枚を選び出したのですが。
「…ボウズに凶。別れ話は確実かと」
残念でした、とススキと凶の短冊のカードを会長さんがヒラヒラと。
「…そ、そうか…。この店は明日も出しているのか?」
それなら明日に、という問いに会長さんは極上の笑みを湛えて。
「当分の間は店を出そうと思ってるけど、ぼくも儲けが欲しいんだよね。…カードは一日一枚だけとキッチリ決まったわけじゃない。一回引くのがあの料金だっていうだけさ」
「なんだって? なら、もう一回金を払えば…」
「引き直せるねえ、凶じゃないかもしれないカードを」
「買った!」
教頭先生は財布を取り出し、本日二度目のお支払い。会長さんがカードを切り直し、ズラリ並べてもう一度。しかし……。
「牡丹に凶。どうする、ハーレイ?」
「引き直す!」
せめて末吉、と頑張りまくった教頭先生は更に五回も支払いを重ねて菖蒲に末吉のカードをなんとか引き当てました。サイオニック・ドリーム用の塩煎餅を受け取り、大喜びで去ってゆかれた教頭先生のその夜の夢は夜景が美しい展望台でのデートとキスで…。
「あーあ…。なんか今夜も君がフニャッと」
笑えるねえ、と見学に来ていたソルジャーがニヤニヤ。
「こんな調子で自信をつけたら君もマズイんじゃないのかい? いずれ実地で試そうとするよ?」
「試されたって平気だってば、テクニックが伴っていないんだしね。どちらかと言えば試したが最後自信喪失、二度と立ち直れないほどのダメージとかさ」
「どうかなぁ? 諦めの悪さは超一流だよ、こっちのハーレイ」
それじゃまたね、とソルジャーはキャプテンのキスのテクニックに磨きをかけるべく退場してしまい、教頭先生は夢の世界で大満足。この夢、先行きが心配ですが……。
「…いい加減、今日は諦めたら?」
末吉のカードを引き当てたんだし、と紅葉に末吉の短冊のカードを会長さんが示しています。
「いや、もう一度だ! 二度も続けて末吉なんだ、次こそ吉か大吉だ!」
引かせてくれ、と教頭先生、本日は八度目のお支払い。会長さんがカードを切り混ぜ、並んだカードを教頭先生がガン見して…。
「これだ!」
「…残念、桐に末吉ってね。これ以上やると凶になるかも…」
「う、うむ…。そうだな、三度目の正直だしな…」
なかなか先へ進めんものだ、と溜息をついてテントから出てゆく教頭先生。庭にテントが設置されてから今日で十日が経ちました。最初の内こそキスの夢の中継を見るべく会長さんの家に泊まり込んでいた私たちも飽き、ソルジャーだけが夜な夜な遊びに来るそうですが…。
「教頭先生、運が無いねえ…」
ぼくでも普通に引けちゃうんだけど、とジョミー君が適当に引いたカードは桜に大吉。
「だよなあ、俺でも吉くらい引ける筈だぜ」
凶かもだけどな、とサム君が引くと松に大吉。キース君が桐に吉を引き、マツカ君は柳に大吉、シロエ君だって梅に吉。そもそも絵柄ごとに大吉と吉と末吉と凶しか無いのですから、確率の問題からしても教頭先生は運が無さ過ぎで…。
「そこなんだよねえ、まさかあそこまでとは思わなかったよ」
何の細工も要らないだなんて、と会長さんがケラケラと。
「ぼくだって儲けが第一だからさ、あまり早くに吉とか大吉は出て欲しくない。引こうとしたら意識に介入してやろう、と思ってるのに見事にハズレを引くんだな、これが」
ここまで来たら是非大吉を引かせたい、と会長さんは妙な方向で燃え上がっています。とは言うものの、誘導して大吉や吉を引かせるコースは有り得ないらしく。
「運試しってことで始めたんだし、ハーレイが引かなきゃ意味が無い。…だけどトコトン運が無いから、引き当てる前に財布が空になりそうだよねえ…」
「そろそろ危ない気がするんだが?」
あんた相当儲けただろう、とキース君が言い、シロエ君が。
「冗談抜きでヤバそうですよ。…最近、お弁当持参で学校に行っておられるんでしょう?」
「うん。どうやら食費が惜しいようだね」
大いに頑張って貢いで欲しい、と会長さんは悪魔の微笑み。教頭先生、食費をケチッてサイオニック・ドリームを買いに来ておられるとは、既にギャンブル依存症では…?
秋も深まり、学園祭が開幕しても教頭先生は末吉より先に進めないまま。懐は大概寂しいことになっている筈ですが、それでも「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋での催し、喫茶『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』を開催中の私たちにケーキを差し入れして下さいました。
「…なんだか申し訳ないですね…」
頂いちゃって、とマツカ君。
「下さると仰ったのだから、有難く頂いておくべきではあるが…」
カードはなんとか出来ないものか、とキース君が天井を仰いでいます。
「このまま行ったら破産なさってしまうかもしれん。ゼル先生とブラウ先生に借金を申し込まれたんだったか?」
「ヒルマンもだよ」
後はエラしか残ってないね、と会長さんの目が教頭室の方角へ。
「エラはけっこう貯めているから、気前よく貸してはくれるだろうけど…。問題は返すアテの方だね、向こう数ヵ月は無給と言ってもいい状態まで来てるしさ」
自力でカードを引けないのなら閉店という手もあるんだけれど、と会長さんは口にしましたが、このコマンドは教頭先生が御自身で封じてしまわれた手段。吉か大吉のカードを引き当てるまで店の営業を続けてくれ、と毎日のように懸命に頼んでおられるのです。
「…学園祭も今日で終わりだし、打ち上げ気分でパァーッと一発、引いてくれれば…」
ぼくもそろそろ疲れて来たんだ、と言い出しっぺの会長さんまでが些か弱気。教頭先生の運の無さと無駄に自信がついたキスの夢とに付き合い続けてストレスが溜まってきたのだそうです。
「もうね、ブルーも呆れて来なくなったし、どうにもこうにも…。大吉が出たら呼んでくれ、って逃げられちゃったよ、あのブルーにもね」
「「「………」」」
それはキツイ、と私たちは会長さんに心の底から同情しました。本当だったら同情すべきは教頭先生の方なのでしょうが、ソルジャーにさえも見放されたと聞いてしまうと気の毒度がググンとアップです。教頭先生、吉か大吉を引けるといいんですけれど…。
学園祭の後夜祭パワーの勢いに乗って大吉を! と心の底から応援していた私たちの祈りが天に通じたか、はたまた最後に借金出来る相手なエラ先生から借りたお金を全力でブチ込んだ教頭先生の執念の賜物か。
「…おめでとう。菊に大吉」
頑張ったよね、と会長さんが菊に盃の柄のカードの右上に書かれた大吉の短冊を示し、教頭先生が男泣きに泣いておられます。
「で、出たか…。ついに出たんだな、これでお前と……」
「間違えないで欲しいね。あくまで夢の中での話なんだからね、最後までお付き合いするのはさ」
はいどうぞ、とサイオニック・ドリーム用の塩煎餅を差し出した会長さんの手を教頭先生がグッと握って引き寄せて。
「そう言うな、ブルー。…巧くなったのだぞ、私のキスも」
私の想いを受け取ってくれ、と教頭先生は強引に会長さんの唇を。
「「「!!!」」」
ヤバイ、と固まる私たち。会長さんも目が点です。ここでフニャッとなってしまったら、会長さんはサイオニック・ドリームどころか本当に食べられてしまうかも…! もうダメだ、と誰もが思った瞬間。
「ハーレイのスケベーーーッ!!!」
ドンッ! と会長さんが教頭先生の身体を突き飛ばし、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「飛ぶんだ、ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パアァッと溢れる青いサイオン。私たちはアッと言う間に会長さんの家のリビングに立っていて、会長さんは怒り心頭。
「よくも勝手な自信だけつけて…! もう夢なんか売ってやらない!」
「あーあ…。だから言ったろ?」
こっちのハーレイの思い込みの強さは超一流、と空間を超えてソルジャーが。
「諦めの悪さも超一流だし、当分はキスを迫られるかと…。半径一メートル以内には近付かないのが君のためだよ。で、大吉の夢はどうなるわけ?」
「塩煎餅を叩き割る! そしたら絶対見られないから!」
「そうか、塩煎餅なんだ? だったら死守だね、ぼくはハーレイの肩を持つ」
借金までして貢いだ男が報われないのはどうかと思う、とキィン! とソルジャーのサイオンが走り、塩煎餅をシールドしちゃったらしいです。叩き割れないように守ってるのはいいんですけど、その状態では教頭先生の歯も立たないんじゃあ?
「…だよね、普通は無理だよねえ…?」
大丈夫かな、とジョミー君も。会長さんとソルジャーは睨み合ったままギャーギャーと喧嘩の真っ最中。塩煎餅が割れるのが先か、教頭先生の歯が欠けるのが先か。それとも大吉な夢の世界が展開するのか、もはや誰にも分かりませんです~!
夢を売ります・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
生徒会長が悪辣な手段で儲けてましたが、いつもありがちなパターンかと…。
固すぎる塩煎餅、教頭先生の歯が無事だったらいいんですけどね?
7月28日はブルー様の祥月命日ってことで、毎年恒例、月2更新。
次回は 「第3月曜」 7月20日の更新となります、よろしくです~!
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こちらでの場外編、7月は果たしてどうなりますやら、お中元かな…?
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