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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

「あれっ…。雨になりそう?」
 暗くなってきたよ、とブルーが眺めた窓の外。
 ハーレイと過ごす休日の午後に、俄かに曇り始めた空。さっきまで晴れていた筈なのに。いつの間にやら湧いていた雲が、青かった空を覆い尽くそうとしているのが今。
「そうだな、こいつは降りそうだな」
 ひと雨来るぞ、とハーレイも窓の向こうの空を見ている。「すっかり曇っちまったな」と。
「雨になっちゃうんだ…。酷くなる?」
 酷い雨になったら、ハーレイが帰る時が大変…。今日は車じゃないんだもの。
 傘はパパのを貸してあげられるけれど、バス停に着くまでに濡れちゃいそうだよ。
 酷い雨だと、地面からも跳ねてくるもんね、と心配になった。叩き付けるように降る土砂降りの雨は、地面で跳ねて靴やズボンを濡らすから。
 傘では防げない、地面の上で跳ねる雨粒。シールドを張れば防げるけれども、ハーレイはそれを好まない。今の時代はサイオンを使わないのがマナーで、子供はともかく、大人なら…。
(濡れて大変、って分かっていたって…)
 雨の中では張らないシールド。急な雨で傘を持っていなければ雨宿り。余程でなければ、大雨の中をシールドで走る大人はいない。仕事でとても急いでいるとか、そんな時だけ。
 だから夜まで雨が止まなければ、ハーレイだって困るだろう。何ブロックも離れた家まで、雨の中を歩いて帰るのは無理。路線バスを使って帰るにしたって、バス停までに濡れる靴やズボン。
 せっかくハーレイが来てくれたのに、と見上げる雲。大雨にならなきゃいいけれど、と。
「そう酷い雨にはならんだろう。ザッと降るかもしれないが…」
 いきなり大粒で来そうな雲だが、まあ、その内に止むんじゃないか?
 直ぐに止むとは言えないが…。
 俺が帰るような時間までには、充分に止むと思うがな…?



 こいつは夜まで降り続ける雨じゃないだろう、というのがハーレイの読み。土砂降りの雨でも、多分、長くは降らない雨。早ければ一時間も経たない間に、雲ごと何処かへ去ってゆく。
「そんなトコだと思うんだが…。雲の感じと、流れ方でな」
 よく見ろ、一面の雲に見えても止まっちゃいない。凄い速さで流れてるから。
 こういう雲だと、行っちまうのも早いんだ。
 雨も雲ごと行っちまうから、とハーレイが指した空の雲。確かに雲は流れている。
「ホントだ、凄い速さで流れてる…。空を丸ごと蓋したみたいに見えるのに」
 それじゃ降っても、直ぐ止むんだね。雲と一緒に行っちゃうから。
 良かった、夜まで降る雨じゃなくて。ハーレイの予報は、よく当たるもの。
「俺だって外すこともあるがな、人間だから」
 プロがやってる天気予報でも外れるんだし、仕方ない。未来が見えるわけでもないしな。
 はてさて、どんな雨になるやら…。
 じきに降るぞ、というハーレイの言葉通りに、暫く経ったら、もう真っ暗になった外。日が沈むにはまだ早いのに、まるで夕方になったかのよう。
(…昼間なのに、夜になっちゃった…)
 明るかった空を覚えているから、夜が来たような気がするよね、と思っている間に、大粒の雨が降り出した。庭の木々や屋根に大きな雨粒が一つ、二つと落ちる音がして、それが始まり。
 みるみる内に外は一面の雨で、ザーザーと激しく降り注ぐ音。窓ガラスにも雨の雫が流れる。
「ハーレイの予報、大当たりだね」
 いきなり降ってくるって所も、大粒なのも。ホントに凄い雨だけど…。
 この雨、じきに止むんだっていう方の予報も当たる?
「さてなあ…? そいつは空の気分次第で…」
 こういった雲が次から次へと湧いて来るなら、直ぐには止まん。
 今の雲が他所へ流れて行っても、次の雲が流れて来ちまうから…。雨を降らせるような雲がな。
 其処までは俺も読めやしないし、どうなんだかなあ…。
 天気予報を見て来た感じじゃ、そうはならんと思うんだが。
 おっと、光った…!



 空を切り裂いた稲光。そして雷鳴。
 ゴロゴロと轟いた音が消えたら、「思った通りか…」と空を見ているハーレイ。
「雲の具合からして、来るんじゃないかと思ったが…。やっぱり雷つきだったな」
 派手に鳴ったな、とハーレイは雷まで予想していたらしい。流れて来る雲を見ただけで。
「凄いね、雷が鳴るっていうのも分かるんだ…」
 これって、近い?
 今の雷、もう直ぐ側まで来ているの…?
「来ているだろうな、だから木の下は危ないぞ」
 雨宿りをしに入っちゃいかん、とハーレイが指差す庭にある木たち。葉を茂らせた木たちは雨を防いでくれそうだけれど、こういう雨の時には危険。
 家よりも高くなっている木は、雷を招きやすいから。いわゆる落雷。
「…落ちるんだ…。木の下にいたら、雷が…」
 避雷針が近くにあっても駄目なの、やっぱり落ちる…?
「当然だろうが、雷ってヤツは気まぐれなんだ。…こういう雲と同じでな」
 避雷針みたいに高くなってりゃ、気の向いた場所にドカンと落ちる。選んじゃくれんぞ。
 あっちに避雷針があるから、と避けて行ってはくれないってな。
 ついでに言うなら、お前みたいにシールドも出来ないガキの場合は心配ないが…。
「…何かあるの?」
 雷とシールド、何か関係あったりするわけ…?
 まさか雷を呼びやすいってことはないよね、シールドはそういう性質じゃないし…。
 でも危ないの、と丸くなった目。シールドの何処が落雷の危機を招くのだろう?
「シールドそのものが駄目ってことではないんだが…」
 なまじシールドが上手いガキだと、こんな雨の中で傘が無くても濡れないからな。
 それで安心して、「雨が止んだらまた遊ぼう」というのが危ない。
 家に帰ったり、軒下に入って雨を避ける代わりに、そのまま其処に突っ立ってると…。
 その場所がうんと見晴らしが良くて、周りに何も無いようなトコ。
 野原だの、広いグラウンドや河原だったりするとだな…。



 そいつに向かって真っ直ぐ落ちて来ちまうぞ、とハーレイが軽く広げた手。
 周りに高い木などが無ければ、人間めがけて落ちる雷。其処が一番高いわけだし、たかが子供の背丈くらいでも落ちて来る。雷は高い所に落ちやすいから、ポツンと立つ子は格好の餌食。
 もっとも、雷が落ちた場合は、シールドの方も本能的に強化されるから…。
「衝撃で倒れるとか、飛ばされるとか…。そんな程度ではあるんだが」
 打ち身や軽い擦り傷ってトコだ、ショックの方はデカイがな。
 いきなりドカンと来ちまうわけだし、気絶するのが普通だから…。シールドは消えて、すっかりずぶ濡れな末路なんだが。
「ずぶ濡れでもいいよ、その程度の怪我で済むんなら」
 良かった、もっと大変なのかと思っちゃった。雷が落ちると、木だって裂けたりするんでしょ?
 子供に落ちたら大怪我するとか、死んじゃうだとか…。
 そうならないなら安心だよね、と言ったのだけれど。
「勘違いするなよ、今の時代だから安心なだけだ。子供に雷が落ちた時でも、今だから無事だ」
 みんなサイオンを持ってるお蔭で、雷の危険もグンと減ったというわけだな。
 ずっと昔は、落雷のせいで死んじまう人も多かったんだ。
 前の俺たちが生きてた頃でも、ゼロじゃなかったかもしれないなあ…。
 きちんと対策していなかったら、人類は危なかったろう、とハーレイが言うものだから。
「サイオンが無いと落雷で死んじゃうんなら…。ぼくも危ない?」
 人類と変わらないくらいに不器用なんだよ、ぼくのサイオン。…シールドも無理。
 ぼくに落ちたら、死んじゃうのかな…?
「お前の場合も、本能ってヤツでいけるだろ。命の危機なら、サイオンの方で出て来るさ」
 シールドしよう、と思わなくても、それよりも前に。お前が自覚しなくても。
 なんと言っても最強のタイプ・ブルーなんだし、一度とはいえ瞬間移動もしてるしな。
 あの時は俺もビックリしたが…。目を覚ましたら、お前が俺のベッドの中にいるんだから。
「…あれ、もう一回やりたいんだけど…」
 ハーレイの家まで行ってみたいよ、寝てる間に。そしたら、一緒に朝御飯…。
「勘弁してくれ、俺にとっては大迷惑なサプライズだから」
 チビのお前じゃ、手がかかるだけだ。…ちゃんと育ったお前だったら歓迎だがな。



 来るんじゃないぞ、と釘を刺されてしまった、ハーレイの家への瞬間移動。
 前の自分と同じ背丈に育たない限り、ハーレイの家には行けない決まり。出掛けて行っても中に入れては貰えない。チャイムを押しても、きっと無視されるだけ。
(でなきゃ、「帰れ」って言われちゃうんだよ)
 チビだから仕方ないけどね…、と心の中で溜息をついているのに、ハーレイの方は雨見物。
「おっと、また光った」
 派手に光ったぞ、お前、見てたか…?
「今の、近いね。さっきのより」
 光って直ぐに音がしたもの、さっきは少し間があったよ。稲光を見てから、音がするまでに。
「その通りだな。雷は音で分かりやすいんだが…」
 近いのかどうか、近付いて来ているかどうかも、音が目安になるんだが…。
 それがだ、青空でも落ちることがあるから危ないんだぞ。何の前触れも無いってヤツだ。
「青空なのに雷なの…?」
 どういう仕組み、と質問してみた、青空の時に落雷するケース。やはり、何処かに雷雲が隠れているらしい。人間の目には遠い距離でも、雷にとってはほんの少しで、遠い所から飛んで来る。
 怖いけれども、自然は凄い、と感心していたら尋ねられた。
「お前、雷は怖くないのか?」
 好奇心一杯って顔をしてるが、怖いと思わないのか、雷…?
「平気だよ、なんで?」
 そりゃ、落雷は怖いけど…。シールドも全然自信が無いから、落ちて欲しくはないけれど…。
「今はそうだろうが、ガキの頃だな」
 怖くなかったのか、雷ってヤツ。
 今みたいに急に暗くなってだ、ゴロゴロと鳴り出すわけだから…。
 チビには怖い代物だろうが、雷の仕組みも全く分かっていないんだしな。



 小さかった頃はどうなんだ、とハーレイに訊かれた雷のこと。もちろん怖いものだった。両親にくっついて泣いていたほど、恐ろしかったものが雷。
「小さい頃なら、ぼくだって怖いに決まってるじゃない…!」
 パパやママにくっついて泣いてたくらいで、雷なんか大嫌い。うんと怖くて、苦手だったよ。
 今は平気になったけど…。もう子供とは違うから。
「そうだろうなあ、大抵のガキと犬は雷が駄目なモンだし」
 お前も怖くて当然だってな。俺は怖かった覚えは無いがだ、物心つくまでは駄目だったろう。
 いくら俺でもガキはガキだし、犬と似たようなモンだろうから。
「犬って…?」
 なんで犬なの、どうして犬が出て来るの…?
 雷の話をしているんだよ、と傾げた首。幼い子供の方はともかく、犬というのは何だろう?
「犬か? 犬ってヤツは、あの音が苦手らしいんだ。ガキと同じで」
 雷には音が付き物だしなあ、昼間だろうが、夜に来ようが。…ゴロゴロ鳴るのが雷だろ?
 犬の耳には、不愉快すぎる音らしい。逃げ出したくて、鎖を切っちまうくらい。
 お前も音だろ、苦手だったの。
 今じゃ全く平気なようだが、雷が怖くて泣いてた頃は…?
「えーっと…」
 どうだったのかな、雷だよね…?
 ピカッと光って、ゴロゴロ鳴ってて、うんと怖くて泣きじゃくってて…。
 パパとママの側にいたんだっけ、と手繰ってみた記憶。幼かった自分が嫌った雷。
(…ゴロゴロ鳴るから…)
 早く何処かに行って欲しくて、両親にしがみついていた。雷は大嫌いだったから。
 鳴っている間はピカピカ光るし、もう恐ろしくてたまらない。うっかり顔を上げた途端に、空を切り裂いてゆく稲妻。
(…昼でも光るし、夜だともっと強く光って…)
 あの稲光が怖かった。窓の向こうで走る稲妻、その後で音がやって来る。
 けれど、音より稲妻の方。音はしないで、夜に遠くで光る稲光も怖かったから。夜空を真っ白に染める光も、雲を切り裂くような光も。



 怖かったものは稲光。雷鳴よりも、ずっと怖かった光。
 ゴロゴロと鳴る音が聞こえなくても、夜ならば見える稲光。その光だけで身体が竦んだ。じきにピカピカ光り出すから、雷がやって来るのだから。
「…ぼくの苦手は、雷の音じゃなかったみたい…」
 音も怖いけど、その前に光。雷の音は光の後に鳴り始めるから、光ほどには…。
 多分、怖くはなかったと思う、と話したら。
「はあ? 光って…」
 雷と言えば音だろうが、とハーレイは怪訝そうな顔。「犬も子供も、音が苦手だ」と。
「違うよ、ぼくは稲光だよ」
 音よりもずっと怖かった筈で、音がしなくても怖かったから。…光っただけで。
 夜の雷だと、うんと遠くで鳴っていたって、光だけ見えることがあるでしょ?
 ゴロゴロいう音は聞こえなくても、雲がピカピカ光ってる時。
 …ああいう光も、ぼくは嫌いで怖かったから…。ホントに光が苦手だったんだよ、音よりも。
「稲光だってか、あの音じゃなくて…?」
 お前、何か勘違いってヤツをしてないか?
 フクロウの鳴き声も駄目だったんだろ、小さかった頃は。…この前まで苦手だったくらいに。
 前の俺がヒルマンに頼まれて彫ったフクロウ、アレの話をしてやるまでは。
 フクロウの声でメギドの夢を見ちまったろうが、と指摘されたけれども、それとは別。
「あれはオバケだよ、フクロウの声は。…オバケの声だと思ったんだもの」
 雷はオバケじゃなくて雷。どんなにゴロゴロ音が凄くても、雷はオバケじゃないものね。
 だから鳴っても、光ほど怖くなかったんだよ、と説明したら。
「それは分かったが、雷がオバケじゃないのなら…」
 どうして光が苦手になるんだ、怖がらなくてもいいだろうが。
 音とセットで怖がってたなら話は分かるが、光だけでも怖かったなんて変だぞ、お前。
 それとも雷は光のオバケか、お前にはそう見えていたのか…?
「さあ…?」
 どうだったんだろう、雷、光のオバケなのかな?
 それなら怖くて当然だけれど、光のオバケの怖い絵本があったとか…?



 雷の音より、稲光の方が恐ろしかった幼い自分。すっかり忘れていたけれど。
(なんで光が怖かったわけ…?)
 ハーレイにも変だと言われたけれども、自分でも不思議に思うこと。どうして稲光だったのか。雷を怖がる子供だったら、音が苦手なのが普通だろうに。
(ホントに光のオバケの絵本があったのかな…?)
 空から降ってくる光のオバケ。そういう絵本に出会っていたなら、稲光が苦手でも分かる。光はとても怖いものだし、あれはオバケ、と震える子供。
(だけど、怖い絵本なんかを小さい子供に…)
 読ませるとは、とても思えない。幼稚園にも、きっと置いてはいなかっただろう。子供が怖がる本を置くなど、幼稚園の先生たちがするわけがない。
(下の学校の図書室だったら、怖い絵本もあったけど…)
 それは「怖さ」を楽しめる年の子供たちのためで、幼稚園から上がったばかりの子たちは、ただ怖そうに見ていただけ。「あの棚の本は、表紙を見ただけでもオバケが出そう」と。
(学校に行くようになる前から、雷、怖かったんだし…)
 図書室で読んだ本のせいではない。光のオバケの怖い絵本があったとしても。
 稲光が怖くて泣いていたのは、もっと幼くて小さい頃から。幼稚園の頃にはとうに怖くて、空が光るのが嫌だった。音を連れて来る昼の稲光も、夜に遠くで光っているだけの稲光でも。
(やっぱり光が怖いんだよね…?)
 何故、と更に遡ってみた記憶。ずいぶんおぼろな記憶だけれども、怖かったことは覚えている。稲光がピカピカするのが怖くて、泣き叫んでいた子供時代。
(パパやママにギュッとくっついて…)
 見ないでいようとした稲光。
 あれが光ったら、全部おしまい。何もかも全部消えてしまって、おしまいだから。
 そう思って震えていた自分。稲光で空が光った時には、「全部おしまいになっちゃうよ」と。



 それだ、と思い出したこと。稲光が怖いと思った理由。
「稲光…。あれが光るとおしまいなんだよ、そう思ったから怖くて泣いてた…」
 パパもママも、世界も全部おしまい。全部消えちゃう、って怖くって…。
 だから稲光が怖かったんだよ、音じゃなくって光の方が。
 世界が消えてしまうんだもの、とハーレイに話した、幼かった頃の自分が感じた恐怖。雷の音が聞こえなくても、稲光だけで震えていた自分。
「おいおい、世界が消えちまうって…。そいつは神様のお怒りか?」
 神様がお怒りになった時には、雷が鳴ると言うんだが…。
 この世界が終わっちまう時にも、神様の怒りで雷が轟くとは言うが…。
 お前、そんなの知っていたのか、今よりもずっとチビなのに…?
 幼稚園の先生が聖書の話でもしたか、絵本があったか。そんなトコだと思うんだが…。
「パパとママもそう言ったけど…。「それは神様の本の中だけ」って」
 悪い子じゃないから、神様は世界を消したりしない、って言ってくれたけど…。
 雷が来ても大丈夫、って教えてくれたんだけれど、やっぱり駄目。
 稲光を見たら、怖くて泣いてた。あれが光ると、全部おしまいになっちゃいそうで…。
 ずっと怖かったよ、何も起きないって分かる年になるまで。
 稲光で空が光っていたって、世界はおしまいになったりしない、って。
「なるほどなあ…。稲光が光ると、世界が終わっちまうのか…」
 それで音よりも光の方が怖かった、と。
 雷が苦手な子供は多いもんだが、光が駄目とは、珍しいタイプだったんだな、お前。
 少なくとも俺は一度も聞いたことがないぞ、音よりも稲光が怖いだなんて話は。
「ハーレイも珍しいと思うんだ…」
 ぼくって変かな、自分でも忘れていたけれど…。雷の音より、光の方が怖かったこと。
 でもね、本とかのせいじゃないような気がするよ。
 幼稚園で聞いた話や、読んだ絵本にあったことなら、きっと、あんなに怖くないから。
 パパとママが「それはお話の中だけだから」って言ってくれたら、「そうなんだ」って思うよ、きっと。元が絵本や、先生のお話だったらね。



 怖い気持ちは消えていた筈、と育った自分でも分かること。
 稲光が光ると世界が消えてしまうのだ、と絵本や先生の話で知識を仕入れたのなら、両親が違う話を聞かせてくれたら、それを信じる筈だから。
 「絵本にはこう書いてあったけど、違うんだよ」と。幼稚園の先生に聞いたとしたって、両親が違うと言ってくれたら、小さな子供のことだから…。
(パパとママの話が本当だよ、って…)
 疑いもなく信じることだろう。幼い子供が暮らす世界では、先生よりもずっと大きな存在なのが両親。その両親が「大丈夫」と言ってくれたら、何も怖くはなくなるもの。
 最初の間は無理だとしたって、繰り返す内に。「光ってるけど、パパもママもいてくれるよ」とギュッと抱き付いて、「ここは安全」と。
(だけど稲光、パパやママがいても、怖かったんだし…)
 おまけに世界が消えてしまうと思っていたのが、幼かった自分。稲光を見る度に怖くて怖くて、音よりもずっと恐ろしくて…。
 もしかしたら、と気付いたこと。幼かった頃の自分は、何も覚えていなかったけれど…。
「前のぼくかな、稲光がとても怖かったのって…?」
 記憶は戻っていないままでも、稲光で怖い思いをしたこと、何処かに残っていたのかも…。
「お前、とんでもない嵐の時でも飛んでたろ」
 アルテメシアで、ミュウの子供を助けに飛び出して行った時には。
 船の周りが雷雲だろうが、飛んで行く先が酷い雷雨だろうが。
 第一、そうやって飛んで行っても、世界が終わりはしないじゃないか。助け損なった子供たちもいたが、世界が滅びはしなかった。…シャングリラは無事に飛んでたからな。
 待てよ…?
 アルテメシアじゃなくてだな…、とハーレイは顎に手をやった。
「どうかした?」
 何か思い出したの、前のぼくと稲光のことで…?
「…心当たりというヤツなんだが…」
 今、確証を探してる。本当にそれで合っているのか、違うのか、前の俺の記憶を。



 ハーレイが追っているらしい記憶。アルテメシアでなければ何処の稲光なのか。
(…稲光が空に見えるような星に、行ってはいない筈なんだけど…)
 シャングリラが他の惑星に降りたことなど、数えるほどしか無かった筈。白い鯨に改造する時、どうしても重力が必要だから、と降りた星には…。
(雲なんか無くて、星が見えるだけで…)
 そういう惑星を選んでいた。下手に大気を持った星だと、有毒な雨が降ったりもする。人体や、船を構成する金属には毒になる雨。それは困るし、いっそ大気は無い方がいい。
(大気が無いから、雲だって無くて…)
 稲光が光るわけがないのに、と考えていたら…。
「あれだ、アルタミラだ…!」
 間違いない、とハーレイが口にしたから驚いた。
「え?」
 アルタミラって…。アルタミラだよね、前のぼくたちが逃げ出した星。
「そうだ、あそこで見たんだが…。覚えていないか、あの星で見た稲光」
 光ってたぞ、と言われたけれども、生憎と炎の記憶しかない。アルタミラといえば炎の地獄で、空も炎の色に染まっていたのだから。
「アルタミラの空は、燃えてたよ?」
 メギドで星ごと焼かれたんだし、空まで真っ赤。空は煙と赤い雲だけ。
「それなんだがな…。心当たりと言っただろうが」
 俺もナスカが燃えるまで忘れちまっていた上、そのまま放っておいた記憶だ。…今日までな。
 前のお前を失くしちまって、ナスカごと封印しちまったから。
 ナスカがメギドにやられた時にだ、俺たちは地上をモニターしてた。通信が繋がっていた間は。
 それで見たんだ、ナスカの空に稲光が光っていたのをな。
 メギドの炎は、星を丸ごと滅ぼすついでに、稲光も連れて来るらしい。大気も乱れちまうから。
 たまに光るのを見ている間に、気が付いた。
 俺はアルタミラでも見ていたんだ、と。



 メギドが呼んだ稲光をな…、とハーレイが掴んだ稲光の記憶。アルタミラで見たという稲光。
 けれど、その光を自分は覚えてはいない。空は真っ赤に燃えていただけ。
「稲光って…。いつ?」
 ぼくは少しも覚えていないよ、ハーレイだけが見たんじゃないの…?
 前のぼくがシェルターを壊して直ぐなら、ぼくはポカンと座り込んでただけだったから。
「違うな、あれよりも後のことだ。お前と一緒に走っていた時」
 一人でも多く助け出そう、とシェルターを開けに急いだだろうが。…あの時の空だ。
 雷の音は覚えちゃいないが、こう、空を切り裂いて光ってた。
 それこそ神様が怒ったみたいに、炎の色の空を横切ったり、地上に向けて落ちていったり。
「そうだっけ…!」
 忘れちゃってた、と蘇って来た時の彼方の記憶。前の自分が燃えるアルタミラで目にした光景。
 炎の地獄の中で見たのだった、空を引き裂く稲光を。
(ピカッと光って…)
 其処から空が裂けてゆくように思えた、忌まわしい光。メギドの炎が呼んだ稲妻。
 ハーレイと二人、閉じ込められた仲間たちを救おうとして、走るのに懸命だったけれども…。
(終わりの光だ、って…)
 そう感じていた稲光。あれが光ると、滅びに一歩近付くのだと。
 激しい地震で揺れ動く地面とは、また別のこと。空が裂かれて消える気がして、稲光が空を引き裂く度に、空が無くなってしまうような気がして。
 空が無くなったら、もう呼吸は出来ない。誰も生きてはいられない。
(そうなっちゃう前に…)
 一人でも多く助けなければ、とハーレイと二人で走り続けた。稲光に裂かれる空の下を。
 そうやって開けた、最後のシェルター。「早く」と中の仲間を逃がした。
 彼らと一緒に駆け込んだ船で、ギリギリまで待った生き残り。もう全員が乗った筈だけれども、誰か逃げては来ないかと。…間違った方へ逃げた仲間がいるなら、待たねばと。
 その船からも見ていた終わりの光。
 空を引き裂き、天から地へと落ちる滅びの稲妻。
 神ではなくて人がやったのだけれど、星の終わりを連れて来たのは稲光だった…。



 あれだったのか、と気付いた世界の終わり。幼かった自分が「全部おしまい」と思い込んでいた稲光。それが光れば全て終わると、世界が消えてしまうのだと。
「…稲光が怖かったの、前のぼくの記憶?」
 雷の音は覚えてないけど、きっと聞こえなかったんだろうね。地震が何度も起こっていたから、揺れる音やら崩れる音で。
 稲光だけが記憶に残って、世界の終わりだと思ってて…。
 前のぼくはホントに世界の終わりを見たから、今のぼくも稲光が怖かったのかな…?
「そうなんだろうな、それ以外には何も思い付かないし…」
 前のお前は稲光の怖さを克服してたが、今のお前に出ちまったか。雷の音よりも稲光が苦手な、珍しい子供になっちまって。
 前のお前みたいに育っていなくて、チビだったからかもしれないな。
 生まれてから、ほんの数年しか経っていないチビ。
 世界の終わりをその目で見るには、まだ小さすぎるようなチビなんだしな…?
「なんだか凄いね。記憶は戻っていなかったのに、稲光は覚えていたんだ、ぼく…」
 稲光が光ったら、世界が終わってしまうこと。…全部なくなって消えてしまうこと…。
 それで怖くて泣いてたんなら、他のことも覚えていたかったよ。
 ほんのちょっぴりだけでいいから、ハーレイのことも覚えていてもいいのに…。
 稲光よりも、そっちがいい、と恋人の鳶色の瞳を見詰めた。同じ持つなら、ハーレイの記憶。
「俺だって?」
 記憶が戻っていない時でも、俺を覚えていたかったってか…?
「うん。ハーレイなんだ、って分からなくても、見たら大好きになっちゃうんだよ」
 稲光は嫌いだったけれども、ハーレイなら好きに決まっているもの。
 公園とかでジョギング中のハーレイを見付けて、気に入ってしまって、追い掛けるとか。
 大好きなんだもの、捕まえなくちゃね、ハーレイを。
「追い掛けるって…。お前、倒れちまうぞ、そんな無茶をしたら」
 俺のスピード、幼稚園児が追い掛けられるような速さじゃないぞ。今のお前でも無理そうだが。
「だから呼ぶってば、お兄ちゃん、って」
 頑張って追い掛けて走るけれども、ちゃんと声だって出して呼ぶから。



 そしたら止まってくれるでしょ、と笑みを浮かべた。小さな子供が呼んでいるなら、ハーレイは放って行ったりはしない。いくら知らない子供でも。「何処の子供だ?」と首を捻っても。
「ハーレイ、絶対、行っちゃわないよ。ぼくが追い掛けて走っていたら」
 子供の声でも、「待ってよ」って大きな声で呼んだら。「お兄ちゃん、待って」って。
 ハーレイだったら止まる筈だよ、と自信たっぷりで言ったのに。
「お兄ちゃんなあ…」
 お兄ちゃんか、と複雑そうな顔の恋人。「止まってやるさ」と答える代わりに。
「…どうかしたの?」
 ハーレイ、止まってくれないの?
 ぼくが「お兄ちゃん」って呼んでいたって、聞こえないふりをして行ってしまうの…?
「いや、行っちまいはしないがな…。それよりも前の問題なんだ」
 可愛い声でだ、「お兄ちゃん」と呼ばれる代わりに、「おじちゃん」と呼ばれそうなんだが…。
 お前が幼稚園児の頃なら、俺はまだ二十代なのにな…?
 後半だが、というハーレイの言葉。たとえ後半でも、二十代なら「おじちゃん」は酷だろう。
 けれど、幼稚園児の目から見たなら、きっと「おじちゃん」。「お兄ちゃん」と呼べる相手は、今の学校の生徒くらいまでだろうと思うから…。
「そうかもね。お兄ちゃんじゃなくて、おじちゃんかも…」
 おじちゃんだったら、ハーレイは嫌?
「ショックではあるが、お前、可愛いから許してやる。おじちゃんでもな」
 お兄ちゃんだ、と言い直させるかもしれないが。
「ホント? ハーレイにも、ぼくが分かるわけ?」
 ぼくがハーレイを大好きになって追い掛けるみたいに、ハーレイもぼくに気付いてくれるの?
「お前なんだ、とは分からんだろうが、可愛い子だな、とは思うだろう」
 俺のことを「おじちゃん」呼ばわりされても、「お兄ちゃん」と呼んでくれなくてもな。
「それじゃ、一緒に遊んでくれる?」
「もちろんだ。しかし、出会えていないようだし…」
 出会う運命では無かったんだろうな、同じ町に住んでいたってな…。



 時が来るまで会えない運命だったんだろう、とハーレイは残念そうな顔。
 「おじちゃんでもいいから、チビのお前に会いたかったな」と、公園はよく走るのに、と。
「まったく、どうして駄目だったんだか…。公園、お前もお母さんと行っていたらしいのに」
 すれ違いさえもしなかったなんて、神様も意地悪なことをなさるもんだな。
 ちょっと会わせてくれればいいのに、俺たちが知り合いになれるように。
「いつもそういう話になるよね、もっと早くに出会えていたら、って」
 赤ちゃんのぼくには会ったかもしれない、って聞いたけど…。
 生まれた病院を退院する時、ハーレイが見たっていう赤ちゃん。…ストールにくるまって、春の雪が降る日に退院した子。
「あれも記憶はハッキリしてはいないしなあ…」
 同じ雪の日に退院してった、他の赤ん坊かもしれないからな。
 なにしろ雪が舞っていたんだ、ストールでくるもうと思う母親、多いだろうから。
「それはそうだけど…。赤ちゃんが風邪を引いたら困るし、暖かくしてあげるんだろうけど…」
 ハーレイが見たのが、ぼくだとしたなら、なんでその時は会えたのかな?
 それから後は一度も会えなくなってしまったのに、どうして退院した日だけ…?
「神様のお計らいってことだろ、お前が初めて外に出た日だ」
 生まれた時には病院なんだし、外の世界に出るのはその日が初めてだろうが。
 俺に出会える最初のチャンスで、その瞬間に通り掛かるよう、神様が決めて下さったんだ。俺が走って行く速さやら、どういうコースで走るのかを。
「だから会えたの?」
 神様のお蔭で、ぼくが初めて外に出た日に…?
「お前だったとすれば、だがな」
 まさに運命の出会いというヤツで、お前は外の世界に出た瞬間に俺と出会ったわけだ。
 それっきり二度と会えないままでも、うんと劇的な出会いだぞ。
 病院の外はこんな世界、と出て来た途端に、未来の恋人が前を走ってゆくんだから。



 そういう出会いも洒落てるじゃないか、とハーレイが目をやった窓の外。
 「あの日は雪で、今日は雨で…」と、眺めたガラス窓の向こうは…。
「おっ、止んで来たな、凄い雨だったが」
 雷もそんなに鳴らなかったな、お前の声が聞き取れないほどに酷くはなかったし。
 じきに止むぞ、という言葉通りに止みそうな雨。空もすっかり明るくなって。
「ハーレイの予報、当たったね」
 酷い雨でも、そんなに長くは降らないだろう、って。
 それに雷が鳴ったお蔭で、稲光がとても怖かった謎も解けちゃった。小さかった頃には怖かったことも忘れていたけど、あれって、前のぼくだったんだ…。
 稲光が光ったら、全部おしまいだと思ってたのは。
「お前がアルタミラの稲光を覚えていたとはな…」
 それもすっかり克服した筈の、メギドの炎が呼んだ稲光の怖さってヤツを。
 人間の記憶は分からんものだな、何がヒョッコリ顔を出すやら…。
「他にも何かあるのかな?」
 アルタミラで見てた稲光の他にも、前のぼくの記憶を引き摺ってること。
 ぼくはちっとも気付いてなくても、怖いものとか、好きなものとか。
「俺たちのことだ、きっと山ほどあるんだろう」
 自分じゃ全く知らない間に、前の自分だった頃の記憶を重ねてしまっていること。
 お前も、もちろん俺の方でも。
 まあ、そういうのを探しながら、だ…。



 のんびりと生きていこうじゃないか、とパチンと片目を瞑ったハーレイ。
 これからも時間はたっぷりとあるし、「今日は思わぬ雷見物も出来たしな」と。
「まさかお前が、稲光が怖いチビだったとは…」
 今じゃすっかり平気なようだが、稲光が光ると世界の終わりが来るんだな?
「そう思っていたみたいだけど…。今のぼくは少しも怖くないから」
 またハーレイと二人で見たいな、稲光。…雷の話を聞いたりして。
 犬は雷が嫌いだなんて、ぼくはちっとも知らなかったから。
「お前、今度も克服したんだな。稲光の怖さを」
 全部おしまい、と怖くて泣いてたチビの子供が、今じゃ雷見物か。また見たいとは、恐れ入る。
 稲光が遠くで光るだけでも、お前、駄目だったと聞いたのに…。
「育ったからね、あの頃よりも」
 じきに前のぼくとそっくり同じに育つよ、ちゃんと背が伸びて。
 そしたらハーレイとデートに行けるし、キスだって…。
「其処は急ぐな。急がなくてもいいんだ、お前は」
 稲光が怖い子供のままだと可哀相だから、育ってくれて良かったが…。
 これから先はゆっくり育て、とお決まりの台詞。「子供時代を、うんと楽しめ」と。
(…チビのぼくだって、早く卒業したいのに…)
 稲光が怖い子供を卒業したように、チビの自分も早く卒業したいけど。
 前の自分と同じ背丈に、早く育ちたいと思うけれども、ハーレイの気持ちも分かるから…。
 焦らずにゆっくり大きくなろう。
 神様が背丈を前と同じにしてくれるまでは、子供時代を楽しもう。
 今日の稲光で一つ思い出したように、ハーレイと二人で前の自分たちの思い出を集めながら。
 幾つもの記憶の欠片を拾い集めながら、幸せな日々を過ごしてゆこう。
 青い地球では、稲光が幾つ光ったとしても、世界が終わりはしないのだから…。




           終わりの稲光・了


※幼かった頃のブルーが怖がった雷。けれど、音ではなくて稲光の方が怖かったのです。
 「あれが光ると、全部おしまい」と思わせたのは、アルタミラで見た稲光。不思議ですよね。
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(植木鉢…)
 こんな所に、とブルーが眺めた鉢。学校の帰りに、バス停から家まで歩く途中で。
 いつもの住宅街だけれども、あちこちの庭や花壇をキョロキョロ見ながら帰るのが好き。今日もそうして歩く間に、生垣越しに覗いた庭。
 植木鉢は其処に置かれていた。庭の芝生の上にチョコンと、鮮やかな色の植木鉢。
(子供の名前…)
 如何にも子供が好きそうなデザインの鉢で、名前つき。可愛らしい字で書いてあるけれど、この家に子供はいたろうか?
 どう見ても小さな子供の文字だし、それから鉢。
(この植木鉢…)
 幼稚園とかで貰う植木鉢にそっくり。幼稚園と、下の学校に入って間も無い頃に貰った植木鉢。だから子供の物だと分かる。鉢のデザインも、書かれた名前も持ち主は子供だと教えてくれる。
(子供、いたっけ…?)
 小さな子供を庭で見掛けた覚えは無い。ついでに植木鉢の方も問題。
 何も植わっていない鉢には、土がたっぷり入っていた。幼稚園や学校から鉢を貰って来たなら、何か植わっている筈なのに。花の時期はもう過ぎたとしたって、その後の茎。
 それも枯れたというのだったら、お役御免の植木鉢。綺麗に洗って次のシーズンまでは何処かに仕舞っておくとか、そうでないなら新しく蒔いた種のラベルをつけるとか。
 植木鉢ならそうなるだろうに、どちらでもなくて、中身は土だけ。
 おまけに置かれた場所は芝生で、普通だったら今が盛りの花の鉢などを飾りたい筈で…。



 なんとも謎だ、と気になり始めた植木鉢。
 道から良く見える場所に置くなら、土だけの鉢より何か植わった植木鉢がいいと思うのに。花が咲いたものや、葉っぱが綺麗な植物や。
 小さな子供がいるのだったら、貰ったばかりの鉢を置くかもしれないけれど…。
(…それでも何か植わってるよね?)
 土だけでラベルも無いだなんて、と首を傾げていた所へ、出て来た御主人。家の裏側から、庭の手入れをするために。
「こんにちは!」
 ピョコンと頭を下げて挨拶、「おかえり」と返してくれた御主人。
「ブルー君、どうかしたのかい?」
 庭を見てたね、と尋ねられた。庭仕事の支度をしている時から、きっと気付いていたのだろう。こちら側からは見えないけれども、御主人には見えていた姿。生垣の側に立っているのが。
「えっと、その鉢…」
 植木鉢が気になっちゃって…。覗いたら、其処にあったから…。
「ああ、これだね。子供用だからねえ、そりゃ気になるだろうね」
 うちに子供はいないから。…いったい何処から来たんだろう、と不思議なんだろう?
 この鉢は孫がくれたんだよ、と御主人は嬉しそうな顔。
 少し離れた所に住んでいるという、お孫さん。植木鉢に名前が書いてある子供。お孫さんから、鉢ごと貰ったプレゼント。「おじいちゃんと、おばあちゃんに」と。
 もっとも、今は人間は誰もがミュウの時代なのだし、お年寄りではない「おじいちゃん」。今は買い物に行っているらしい「おばあちゃん」だって、名前だけのこと。
 それでも、お孫さんにとっては、大好きな「おじいちゃん」と「おばあちゃん」。
 だから大事な植木鉢を持って来たらしい。今日の昼間に、「プレゼント」と。



 どおりで知らない筈だよね、と思った可愛い植木鉢。学校に行っている間に届いたのだし、朝は無かったわけだから。…昨日帰って来る時にも。
 お孫さんから貰った鉢なら、芝生に置いておくのも分かる。土しか入っていなくても。花なんか咲いていない鉢でも、心のこもったプレゼント。
(きっと、お孫さんと一緒に…)
 置く場所を選んだんだよね、と温かくなった胸。「此処に置こう」と、芝生に鉢を飾る御主人の姿が目に浮かぶよう。見栄えのする花が咲いた鉢より、お孫さんに貰った鉢が一番。
 そう考えていたら、御主人が指差した植木鉢。
「この鉢だけどね…。幼稚園で花を育てていた鉢を、貰って帰って来たらしいんだよ」
 プレゼント用の花とセットになっているらしくてね…。だからプレゼントに、というわけさ。
「花?」
 何処に、と見詰めた植木鉢の中。土しか入っていない鉢だし、花のラベルもついてはいない。
「ちゃんと植わっているんだよ。この土の中に」
 何の花かは内緒だよ、と可愛い秘密だったから…。実は私も知らなくってね。
 芽を出してからのお楽しみだ、と御主人が眺めている植木鉢。土が入っているだけの鉢。
 「いったい何が咲くんだろうね」と、お孫さんの顔を見ているみたいに目を細めて。
「…何の花かも分からないなんて…。育て方は?」
 どうすればいいの、と丸くなった目。花の正体が謎のままでは、育て方だって分からない。
「芽を出すまでは、たまに水やり。…乾きすぎない程度にね」
 まだ、それだけしか聞いていないね。ほら、この通り、土しか見えないから。
 芽が出て来たなら、育て方の続きを孫が教えてくれるんだ、と御主人は笑顔。
 「いつ芽が出るかも謎だけれどね」と、「早く報告してあげたいね」と。
 お孫さんはきっと秘密の続きを教えられる日を、楽しみに待っている筈だから。どうやって花を咲かせればいいか、大得意で説明したいだろうから。



 これはそういうプレゼントだよ、と聞かされて家に帰って来て。
 ダイニングでおやつを食べる間に、また植木鉢を思い出す。芝生にチョコンと置かれた鉢。今は土しか見えない鉢でも、自慢の花が咲いている鉢を飾って披露するかのように。
(おじさん、楽しそうだったよね…)
 正体不明の花が植わった植木鉢。それを教えてくれる間も、何度も植木鉢を眺めて。
 植木鉢は母も幾つか持っているけれど、謎の植木鉢は一つも無い。鉢に植わった花たちの種は、母が自分で蒔くのだから。「この鉢はこれ」とラベルも添えて。
(ああいうプレゼント、素敵だよね…)
 何が育つのか分からない鉢。幼稚園の先生の粋なアイデア。
 ただ植木鉢を持って帰るより、ああした方がずっといい。「自分で好きな花を植えてね」と鉢を貰うのも嬉しいけれども、そのままプレゼントになる鉢の方が心が弾む。
(パパやママにあげても喜ばれるし…)
 あの御主人のような、おじいちゃんたちに届けに行っても、きっと喜ばれる植木鉢。芽が出たら続きを教えて貰える、土だけに見える素敵な鉢。
(おじさんも、透視したりしないで…)
 透視すれば種か球根かくらいは分かる筈なのに、調べない鉢の土の中。
 お孫さんの心を覗いても答えが出て来るだろうに、それもしないで芽が出るのを待つ。いったい何の花だろうか、と土が乾いたら水やりをして。
 花を育てながら謎解きも出来る、そういう楽しみ。
 いつか土から芽が出て来たって、芽だけでは何か分からない花もあるから余計に面白い。詳しい人に尋ねてみるとか、色々な所で調べてみたなら、芽だけでも分かるだろうけれど…。
(おじさん、それもしないよね?)
 もっと育って正体が分かる時が来るまで、お孫さんから習った通りに世話をするだけ。水やりをしたり、必要だったら肥料も与えてみたりして。



 芽が出るまでは謎が一杯、芽が出てからも謎は解けないかもしれない植木鉢。芽が出て来た、と思いはしたって、正体不明の花の苗。
 なんとも素敵で、ワクワクしそうなプレゼント。貰った方も、プレゼントした子供の方も。
(内緒だよ、って…)
 幼稚園に通っているという、幼い子供が抱えた秘密。あの御主人のお孫さんだって、早く秘密を教えてみたいし、芽が出る日を楽しみに待つのだろう。芽だけでは謎の植物だったら、もっと長く秘密を抱えておける。
(ホントはこの花、っていう答え…)
 教えたいけれど、教えない。おじいちゃんたちも、たまに訊くのだろう。「何の花だい?」と。それでも「内緒」と答えるだろう幼い子供。「花が咲くまで秘密だよ」だとか。
(ぼくもあげれば良かったかも…)
 貰った相手も、自分も楽しいプレゼント。謎が詰まった植木鉢。
 ぼくだって、おじいちゃんとかに…、と思ったけれど。幼稚園で貰った植木鉢なら、確かに家にあったのだけれど。
(植木鉢、届けに行くには遠すぎ…)
 祖父や祖母が住んでいる家は。父方も、それに母方だって、日帰りするには遠すぎる場所。
 そのせいで思い付きさえしなかったろうか、植木鉢をプレゼントするということ。
(秘密の花は植えてなくても…)
 春になったら花が咲くよ、と届けたら喜んで貰えたろうに。咲く花のラベルがついていたって、秘密の鉢ではない鉢だって。孫から貰った植木鉢だし、きっと大切に世話をしてくれた筈。
 けれど自分はそうしなかったから、貰って帰った植木鉢は…。
(ママが花を植えて…)
 せっせと世話して育てていた。「せっかく貰ったんだから」と、幼い自分が「ブルー」と名前を書いた植木鉢で。子供が好きそうなデザインの鉢で、名前も書かれている鉢で。
(あの植木鉢…)
 流石に今は、もう庭に無い。「子供っぽい鉢はもうおしまい」と。
 母のことだから、大切に何処かに仕舞っているかもしれないけれど。一人息子の名前が書かれた植木鉢だし、捨てたりしないで、ちゃんと包んで。



 ママなら仕舞っておきそうだよね、と考えながら戻った二階の自分の部屋。
 「ブルー」と名前を書いた植木鉢は、今でも家にありそうな感じ。貰った自分が大きくなって、鉢の出番が無くなっても。…母が何かを植えなくなっても。
(植木鉢…)
 今の自分は貰ったけれど、前の自分は植木鉢など持っていなかった。成人検査を受ける前なら、貰ったのかもしれないけれど。本物の家族はいない時代でも、子供時代はあったから。
(ぼくが忘れてしまっただけで…)
 前の自分も、幼かった頃は植木鉢を持っていたかもしれない。今とは時代が違うのだから、謎の植木鉢は無理だけれども。…プレゼントしようにも、祖父母は何処にもいなかったから。
(子供たちはヒルマンに貰ってたっけ…)
 白いシャングリラにいたミュウの子供たち。幼い子たちは、今の自分が貰ったように可愛い植木鉢を貰った。鉢に自分の名前を書いて、花の命を育てていた。ヒルマンの教育方針で。
 子供でなくても、部屋に植木鉢を置く仲間たちの数は少なくなかった。自分の部屋にも花や緑が欲しい仲間は、植木鉢。沢山の花を育てたいなら、プランターだって。
 白いシャングリラにも植木鉢はあって、子供たちや大人が花を育てていたけれど…。
(ぼくが育てたかった花は、スズラン…)
 ハーレイに贈るためのスズラン。
 五月一日には恋人同士が贈り合っていた、スズランを束ねた小さな花束。そのスズランを摘みに行きたくても、ソルジャーの身ではどうにもならない。
(でも、青の間でスズランの花を育てても…)
 五月一日にスズランの花が消えてしまったら、誰かに贈ったと知られてしまう。部屋付きの係は鉢を見るだろうし、「花が無くなった」と直ぐに気付くから。
 ソルジャーが恋をしていることがバレるスズラン、それを育てるのは無謀なこと。恋の相手も、きっと詮索されるから。そうなったならば、ハーレイとの恋が知れそうだから。



 此処では無理だ、と諦めたスズランの花を育てること。
 植木鉢さえ置いておけたら、スズランを咲かせられるのに。…ソルジャーでなければ、咲かせた花を愛おしい人に贈れるのに。
(だから、花なんて…)
 育てたことさえ無かったっけ、と思った青の間。前の自分が暮らしていた部屋。やたらと大きな部屋だったけれど、あそこに植木鉢は無かった。
 その気になったら、置けるスペースはあったのに。一つどころか、もう幾つでも。
 けれど、無かった植木鉢。育てたい花は無理なのだから、と貰いに行きさえしないままで…。
(…あれ?)
 あったような気がしないでもない。青の間には一つも無かった筈の植木鉢。それも普通の植木鉢とは違って、名前が書かれた植木鉢が。
(…ブルーって…?)
 まさか、と手繰ってみる記憶。遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたこと。
 三百年以上の歳月を生きたソルジャー・ブルー。白い鯨になった船でも長く暮らして、青の間で生きていたけれど。深い海の底を思わせる部屋に、思い出は幾つもあるのだけれど…。
 植木鉢に名前を書いた覚えなどは無いし、植木鉢の記憶もハッキリしない。どういう形の植木鉢だったか、その欠片さえも浮かんで来ないから…。
(夢なのかな…?)
 前の自分が生きていた頃に、青の間のベッドで見た夢だとか。
 子供たちと何度も遊んでいたから、その子供たちになったつもりで。夢の中では、自分も子供の一人になっていたかもしれない。
(植木鉢に花…)
 子供たちが鉢に種を蒔いたり、球根を植えたりしている所もよく見ていた。ヒルマンに植木鉢を貰った子供が、嬉しそうに名前を書く姿も。
(…子供になってる夢を見たなら…)
 前の自分も、夢の中でヒルマンに貰っただろう。自分専用の植木鉢を。
 きっと貰ったら大喜びで名前を書いて、土を入れたら、ワクワクしながら花の種や球根を中へ。他の子供たちと一緒にはしゃいで、「これは、ぼくの」と。



 そのせいかな、と思ったけれど。名前が書かれた植木鉢は夢で、前の自分が夢の中で持っていたものなのだろう、と考えたけれど。
(でも…)
 青の間にあった植木鉢。そういう思いが消えてくれない。
 子供になった夢を見たなら、植木鉢が青の間にあるわけがない。子供たちと遊んだ部屋や公園、そういった場所に置かれただろう植木鉢。ソルジャーが暮らす部屋ではなくて。
(子供なんだし、青の間になんか…)
 来ようとも思わないだろう。楽しい夢を見ていたのならば、なおのこと。
 ソルジャーであることを忘れて、ただのブルーで子供の自分。植木鉢を貰えるような幼い子供になった夢なら、青の間はきっと出て来ない。
(…それなのに、青の間に植木鉢なんて…)
 まさか本物があの部屋にあった筈もないのに、と首を捻っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、植木鉢のことを知ってる?」
「はあ?」
 植木鉢って…、と怪訝そうな顔のハーレイ。「植木鉢と言っても色々あるが」と。
 花が植わった植木鉢から、花を育てるための植木鉢まで、大きさも形も実に様々。どの植木鉢のことを言っているのか、と逆に訊き返されたから…。
「うんと基本の植木鉢だよ、多分、誰でも一番最初に貰いそうなヤツ」
 幼稚園とかで貰って色々植えるでしょ?
 自分の名前を書いて世話して、花が終わったら植木鉢を貰って持って帰るんだよ。
「ああ、あれなあ!」
 確かに人生初の植木鉢だ、あれで出会うっていうのが普通だよな。
 幼稚園児じゃ、いくらなんでもガーデニングの趣味なんか持っちゃいないから…。
 家族に好きな人がいたって、一緒に花を植える代わりにスコップで土を掘るのが子供だ。
 せっかくの花壇を踏んづけちまって、すっかり駄目にしちまうのも。



 そういう子供に花の育て方を教えるんだな、と綻ぶハーレイの顔。「遊びを兼ねた教育だ」と。
「もっとも、それを教えてみたって、そうそう上手くはいかないが…」
 自分が育てる花は大事にしてやっていても、家だと花壇にボールを投げ込んじまうとか。
 子供ってヤツはそういうモンだし、小さい間は難しい。叱られても、分かっちゃいないから。
 あの植木鉢か、お前が言うのは。…俺も朝顔とかを植えたな、幼稚園でも、学校でも。
 お前は何を植えたんだ、という質問。「人生初の植木鉢の花は何だった?」と。
「えっとね、最初は多分、チューリップ…」
 それに朝顔も下の学校で植えてたよ。観察日記を書いていたから。
「定番だよなあ、その辺りはな。…チューリップも朝顔も、強い花だから」
 子供でも充分育てられるし、育てた甲斐がある花も咲く。如何にも花だ、という花がな。
 …それで、その植木鉢がどうしたんだ?
 今の学校じゃ出番が無いぞ、と教師としてのハーレイの指摘。下の学校とは違うわけだし、植木鉢に何かを植えているのは園芸部の生徒くらいだが、と。
「今じゃなくって…。前のぼくだよ、シャングリラが白い鯨になった後のこと」
 シャングリラにもあったよ、植木鉢が。
 小さな子たちがヒルマンに貰って、名前を書いてた植木鉢がね。
「あったな、そういう植木鉢も」
 ヒルマンがきちんと世話させていたが、あの植木鉢が何か問題なのか?
 前のお前の記憶のことか、と鳶色の瞳で覗き込まれた。「植木鉢で何か思い出したか?」と。
「ああいう鉢をね、前のぼくも持っていたような気がするんだけれど…」
 それもね、ただの植木鉢とは違うんだよ。
 子供たちが持ってた鉢と同じで、名前付きの鉢。…前のぼくの名前。
 でも、気のせいかもしれないし…。
 名前を書いた覚えは無いしね、植木鉢には。それに記憶も少しもハッキリして来ないから…。
 前のぼくが見ていた夢だったのかな、小さな子供になったつもりで。
 植木鉢、青の間にあったような気がするんだけれども、夢の記憶と混ざっちゃったとか…。



 青の間に植木鉢は無かったしね、と話したら、ハーレイも頷いた。
「あるわけないよな、あそこには…。そもそも、花なんか育てちゃいないし」
 おまけに、お前の名前が書いてある植木鉢なんて…。
 それこそ有り得ん、「ソルジャー・ブルー」と書かれた植木鉢なんぞは。
 いや、待てよ…?
 植木鉢だな、と顎に手を当てたハーレイ。「俺も見たような気がして来た」と。
「見たって…。ホント?」
 前のハーレイも植木鉢を見たの、青の間で…?
 ぼくが夢で見たヤツじゃなくって、本当に本物の植木鉢を…?
 何処にあったの、と身を乗り出した。ハーレイもそれを見たと言うなら、植木鉢は本当にあった筈。前の自分の夢とは違って、実在していた植木鉢。ならば植木鉢に書かれた名前も…。
(ぼくの名前で、ぼくが書いたわけ…?)
 子供たちと一緒に鉢を貰って、花を育てていたのだろうか。「ぼくもやるよ」と我儘を言って、ヒルマンに鉢を一つ譲って貰っただとか。
「ちょっと待ってくれ、今、整理中だ。植木鉢を見たってトコまでは…」
 ハッキリして来た、植木鉢は確かに青の間にあった。だが、置かれていた理由がだな…。
 なんだってアレがあったんだか…。それに花を見たという覚えも無いし…。
 そうだ、お前が貰ったんだ!
「えっ?」
 貰ったって何なの、誰に植木鉢を貰ったわけ…?
 くれそうな人がいないんだけど…、と探った記憶。前の自分は植木鉢どころか、花さえも貰っていないと思う。恋人だったハーレイからも貰わなかったし、ましてや植木鉢なんて…。
「お前に植木鉢をプレゼントしたのは、子供たちだ」
 いつもソルジャーに遊んで貰って、仲良くしていたモンだから…。
 御礼に植木鉢をプレゼントしたってわけだな、何が咲くかはお楽しみ、と。
「そうだっけ…!」
 貰ったんだっけ、子供たちから…。
 養育部門へ遊びに行ったら、「これ、ソルジャーにプレゼント」って…。



 思い出した、と蘇った記憶。前の自分が子供たちからプレゼントされた植木鉢。
 今日の帰り道に出会った御主人、あの御主人と全く同じに、謎のプレゼントを貰ったのだった。何かの種が植わっているらしい植木鉢。見た目にはただ、土が入っているだけの。
(ホントに、今日のと同じだったよ)
 何が咲くかは秘密だから、と子供たちが煌めかせていた瞳。「ソルジャーにも内緒」と、それは嬉しそうに。時々水をやっていたなら、その内に芽が出て花が咲くから、と。
(ぼくの名前も…)
 ちゃんと「ソルジャー」と書かれていた鉢。子供らしい字で、「ソルジャー」とだけ。
 ソルジャーは前の自分だけしかいなかったのだし、子供たちもそう呼んでいたから。
(プレゼント、とても嬉しくて…)
 子供たちが「秘密」と言ったからには、探りはすまいと自分で決めた。何が咲くのかは気になるけれども、透視することも、子供たちの心を読むこともしてはならないと。
 手に入れた素敵なプレゼント。いつか何かの花を咲かせる植木鉢。
 でも…。
「ハーレイ、前のぼくが貰った植木鉢…。確かに貰ったんだけど…」
 貰った後はどうなっちゃったの、とても嬉しかった筈なのに…。
 覚えていないよ、植木鉢があったことまで忘れていたくらいに。…どうしてかな?
 何か変だよ、とハーレイに訊いた。「どうして覚えていないんだろう?」と。
「忘れちまったか? そうなるのも無理はないんだが…」
 植木鉢はともかく、青の間には問題があったんだ。植木鉢と暮らしてゆくにはな。
「問題って…。なあに?」
「芽が出るまでは良かったんだが…。土の中ってトコは真っ暗だしな」
 ところが、土から出て来た後。芽がヒョッコリと顔を出した後が駄目だった。
 あそこ、灯りが暗かったろうが。
 部屋全体が見渡せないよう、照明を暗く設定していた。あの部屋を広く見せるために。
 そのせいでだな…。
「…思い出したよ、せっかく芽を出してくれたのに…」
 栄養が足りなさすぎたんだっけ…。元気にすくすく育つためには、光が栄養だったのに。



 顔を出して直ぐは良かったけれども、元気が無かった弱々しい芽。伸びてゆくほどに、生命力が減ってゆくかのよう。
 前の自分も、じきに気付いた。青の間の光が暗すぎるのだと。
 白いシャングリラの公園や農場、植物を育てる場所は何処も明るい。太陽を模した人工の照明、それが煌々と照らし出すから。
 けれど、青の間ではそうはいかない。照明は暗くしておくもの。部屋を作る時なら、工事用にと明るい照明もあったけれども…。
(取り外しちゃって、もう無くて…)
 明るくしようにも、そのための設備を持っていないのが青の間だった。奥にあるキッチンやバスルームならば、もっと明るく出来るのだけれど。…他の仲間たちの部屋と同じに。
 それが分かったから、前のハーレイに相談した。勤務を終えて、青の間に来てくれた時に。
「この鉢だけど…。此処だと光が足りなさすぎるよ、どんどん弱って来てしまって…」
 奥のバスルームやキッチンだったら、充分に明るく出来そうだけれど…。
 点けっ放しには出来ないよね、昼の間はずっとだなんて…。この植木鉢のためだけに…?
「それは問題ありませんが…。エネルギーの使用量だけから言えば」
 船のエネルギーには余裕があります、部屋の一つや二つを賄えないようでは話になりません。
 昼間どころか二十四時間、点けっ放しになさっていたって何の支障もございませんが…。
 ただ、バスルームやキッチンで花を育てゆくというのは…。
 可哀相では、というのがハーレイの意見。
 花は人の目を楽しませるために咲くものなのだし、見て貰えない場所で咲かせるなど、と。
 前の自分もそう思ったから、少し考えてこう言った。
「普段はキッチンの方で育てて、たまにこっちへ持って来るのはどうだろう?」
 今みたいな時間に運んで来たなら、君と二人で見てやれるから…。
 夜は植物も眠るらしいし、朝まで此処でも大丈夫だろう。朝食の後で返してやれば。
「そういう方法もありますね。…昼間でも、あなたが御覧になる時は此処へ持って来るとか」
 少しの間くらいでしたら、暗くなっても大丈夫でしょう。
 外の世界で育っていたなら、雨や曇りの日は普段よりもずっと暗いのですから。



 その方法なら上手く育ちそうです、とハーレイも賛成してくれた案。
 昼間はキッチンに鉢を運んで、灯りを点けっ放しにする。農場や公園ほどではなくても、充分に明るく出来るから。青の間よりは、ずっと明るいから。
「じゃあ、その方法でやってみるから、エネルギーの方はよろしく頼むよ」
 この鉢だけのために、キッチンが無駄に明るくなるけれど…。
 ぼくが暮らしているだけだったら、三度の食事の時くらいしか照明は必要無いのにね。
 他で節約しようとしたって、この部屋はもう、これ以上は暗く出来ないし…。
「船のエネルギーなら、問題は無いと申し上げましたが?」
 キッチン程度の広さでしたら、それこそ百ほど点けっ放しでも大丈夫です。それも二十四時間、夜も昼間も関係無く。…ですから、どうぞキッチンの方でお育て下さい。
 明日の朝から早速に…、とキャプテンからの許可も下りたし、キッチンに移してやった鉢。何が咲くのか謎の植木鉢は、キッチンで暮らしてゆくことになった。
 夜は灯りを消してやったり、青の間の方へ運び出したり、昼と夜とを作り出そうと努力した鉢。
 キッチンで光を浴びられるようになった途端に、みるみる元気に育ち始めて…。
「どうやらチューリップのようですね」
 蕾の方はまだですが…。この葉はチューリップの葉ですよ、きっと。
 似たような葉の花があるかもしれませんが…、とハーレイが眺めた植木鉢。夜になったから、とキッチンから青の間へ運んで来ておいたのを、しげしげと。
「君もチューリップだと思うかい?」
 そういう葉だよね。これだけ大きくなったんだから、間違いないと思うんだけれど…。
 蕾がつくまで分からないかな、子供たちは今も答えを教えてくれないし…。
 「花で分かるよ」としか言わないんだよね、本当に秘密のプレゼントらしい。
 チューリップだろうと思うけれども、早く蕾がつかないかな…?



 花が咲くのが楽しみだよね、と何度もハーレイと話す間に、蕾がついた。
 ぐんぐん大きく育つ蕾は、もう間違いなくチューリップ。何色の花が咲くのだろう、とワクワク眺めて、色がつくのを待ち続けた。
 そうしたら、うっすらと見えて来たピンク。緑色だった蕾にピンクが宿ったから…。
(女の子が選んでくれたのかな?)
 ピンク色なら、女の子が選びそうな色。「この色が好き!」と、幾つもの色がある中から。
 それとも誰かが「強そうだから」と選んだ球根、色のことなど考えもせずに。ヒルマンが幾つも並べた中から、「これ!」と掴んで、この植木鉢へ。
(ピンク色だしね…?)
 まさかソルジャーの自分に似合う色でもあるまいし…、と膨らむ想像。わざわざ選んだピンク色なのか、偶然ピンクの花だっただけか。
 ピンク色をした花に至るまでの事情は実に様々、どれが当たりか分からないから、また楽しい。それでもピンク色の花だし、「ピンクだったよ」とハーレイにも見せようとして運び出したら。
(あ…!)
 キッチンから外に出したら翳ってしまったピンク。薄紫の紗を被せたように。
 青の間の灯りでは、あのピンク色は綺麗に見えない。これはこれで綺麗な色だけれども、本来の素敵なピンク色。元気な子供たちの頬っぺたみたいな、あの艶やかなピンク色は…。
(此処だと、見えない…)
 青い灯りに吸われてしまって、まるで夜の国で咲く花のよう。太陽の光が射さない国で。
 この部屋では育てられないどころか、花の色さえ、キッチンかバスルームでしか見られない花。持って生まれた本当の色を、出すことが出来ないチューリップ。
 もうすぐ開く筈なのに。…輝くようなピンク色の花が、誇らかに咲く筈なのに。
(可哀相…)
 此処で咲いても、本当の姿を見て貰えないチューリップ。
 キッチンでは綺麗に咲いていられても、愛でるためにと運び出されたら、たちまち失せてしまう色。美しいことに変わりはなくても、自慢の色が損なわれる花。
 せっかく此処まで育ったのに。…もうすぐ花が咲きそうなのに。



 そんな花はとても可哀相だ、と痛んだ心。同じ咲くなら、本当の姿を見せられる場所で咲かせてやりたい。
 そう思ったから、仕事を終えたハーレイが青の間にやって来た時、植木鉢を見せた。
「ほら、ピンク色の花だったんだよ。…やっと分かった」
 今日の昼間に、色を覗かせたんだけど…。じきにすっかりピンクになるよ。蕾が丸ごと。
「そうですね。あとどのくらいで咲くのでしょう?」
 楽しみですね、と眺めるハーレイは気付いているのか、いないのか。…この花の色に。
「ぼくも楽しみなんだけど…。でもね、此処じゃ綺麗に見えないんだ」
 ピンク色だとは分かるけれども、本当の色はこうじゃない。…キッチンで見ると分かるんだよ。
「此処は照明がこうですから…。青みを帯びてしまいますね…」
「そう。本当の色で咲かせてやるには、キッチンかバスルームでないと駄目なんだ」
 だけど、そんな所で咲かせるなんて…。可哀相だよ、せっかく咲くのに。
 キッチンで育てるのは可哀相だ、と此処へ運んでは、君と眺めてやったのに…。
 肝心の花が駄目になるなんて、と曇らせた顔。本当に可哀相だから。
「では、この花をどうなさりたいと?」
「綺麗な姿で咲ける所へ、此処から移してやりたいよ。…明るい所へ」
 公園でもいいし、農場でもいい。場所は幾らでもあるんだけれど…。
 問題は、これをプレゼントしてくれた子供たち。
 子供たちの心を傷つけないで移せる方法、何か無いかな…?
 此処だと綺麗に咲けないんだから、とにかく花が幸せになれる所へね。
「それは…」
 仰ることはよく分かるのですが…。
 花が可哀相だとお思いになるのも、もっともなことだと思うのですが…。



 しかし…、と考え込んでしまったハーレイ。
 「この鉢を、何処かへ移すというのは…」と。元を辿れば子供たちからのプレゼント。今日まで此処で育てて来たから、大丈夫だと思い込んでいるのが子供たち。
 青の間の照明では駄目だから、とキッチンで育てたことは知らない。青の間では花の色が綺麗に見えないことにも、気付きはしない。
「…今から何処かへ移すとなったら、子供たちはガッカリするでしょう」
 ソルジャーのお気に召さない花だったのか、と勘違いをして。
 チューリップの花がお嫌いだったと考えるのか、ピンク色の花がお嫌いだったと思うのか…。
 いずれにしても、今からですと、そういう結果にしかならないかと…。
「そうだよね…。もっと早くに移していれば…」
 青の間の灯りでは植物を育てられないから、と説明して他所に移せば良かった。
 でも手遅れだよ、此処まで育ててしまったから。
 何か無いかな、上手く引越し出来る方法…。
「あればいいのですが…。何か…」
 子供たちも、あなたも、どちらも傷つかない方法。…それがあれば…。
 何か見付かればいいのですが…、とハーレイは腕組みをして眉間に皺。深く考えている時の癖。
「…駄目かな、君でも思い付かないのかい?」
 船の仲間たちのことも、この船のことも、君はぼくより詳しい筈で…。
 ぼくは漠然と知っているだけで、君のようにデータで知っているわけじゃないからね。
「そう仰られても…。いえ、その船です…!」
 こういう方法は如何でしょう?
 このチューリップを、船の仲間たちに鉢ごとプレゼントなさるのは。
「プレゼント?」
「そうです。ソルジャーが此処までお育てになった、立派な花を贈るのですよ」
 これからが綺麗な時だから、と船の仲間たちが眺めて楽しめるように。
 食堂だったら皆が見ますよ、食事に出掛けてゆく度に。
「いいね、あそこは明るいし…。この花も綺麗に咲ける筈だよ」
 子供たちから貰った花を、今度はぼくが贈るわけだね。…船のみんなに。



 ありがとう、とハーレイに抱き付いて御礼のキスを贈った。
 その方法なら、子供たちの心も傷付かない。プレゼントした花は立派に育って、船の仲間たちの目を楽しませるために食堂に引越しするのだから。
 綺麗な花が咲くと分かったからこそ、船の仲間たちに贈るプレゼントに選ばれたのだから。
(それなら絶対、大丈夫だもんね…?)
 子供たちが贈った謎の植木鉢は、大出世。ソルジャーからのプレゼントとなったら、皆の注目を浴びるもの。たとえチューリップの鉢であろうが、一輪しか咲かない花だろうが。
 そう決まったから、次の日の朝、朝食の後で植木鉢を食堂まで運んで行った。
 キャプテンのハーレイに恭しく持たせて、「ソルジャー」と書かれたチューリップの鉢を。
 迎えに出て来た食堂の者たちに、「青の間で育てた花だから」と譲り渡した植木鉢。映える所に置いて欲しい、とソルジャーとしての笑みを浮かべて。
「あの花、人気だったよね?」
 ぼくは青の間から思念で見ていたけれど…。咲く前から注目されてたよ。
「うむ。咲き終わった後にも、奪い合いでな」
 ソルジャーが育てたチューリップだから、と女性たちが欲しがって大騒ぎだった。
 なにしろ相手はチューリップだしな、きちんと世話すりゃ次の年だって咲くんだから。
 次の年と言えば、そっちも期待されたよなあ…。
 また来年もソルジャーから花のプレゼントが来るかもしれん、と。
「うん…。期待するのはかまわないけど、青の間、花には向いてないから…」
 またキッチンで育てるだなんて、花が可哀相すぎるんだよ。…どんな花でも。
「お前、ヒルマンに上手く断らせたんだよなあ…。次の年の花のプレゼント」
 子供たちは残念がっていたがな、「ソルジャーにプレゼントしちゃ駄目だなんて」と。
「食堂の花が人気だったの、子供たちだって知っていたしね」
 でも、青の間では見られないんだもの。…どう頑張っても、せっかくの花が。
「其処なんだよなあ…。お前がせっせと世話をしたって、最後がなあ…」
 船の仲間へのプレゼントなんじゃ、お前が頑張る意味が無いから。
 園芸係ってわけでもないのに、育てただけで終わっちまって、花を見られずじまいじゃな。



 たった一回きりだったよな、とハーレイが笑う植木鉢。
 青の間にたった一度だけあった、植木鉢という花を育てる道具。
「お前、今度はどうしたい?」
 俺の家なら植木鉢も置けるぞ、何処にだって。…家の中でも、庭でもな。
 育てたいなら、植木鉢を置いてくれてもいいが。
「植木鉢…。今度は確かに置けるだろうけど、子供たちは、もうくれないよ?」
 此処はシャングリラじゃないし…。
 今日のおじさんの家みたいに、お孫さんが持っても来てくれないし…。
「ふうむ…。なら、俺がプレゼントしてやろうか?」
 お前がやってみたいと言うなら、謎の植木鉢のプレゼント。
 今のお前じゃ、どう頑張っても、正体が分かるわけがないからな。
 俺の心を読めやしないし、植木鉢の中を透視するのも無理なんだから。
「いいかも…!」
 植木鉢で何か育てるんなら、ハーレイがくれる謎の植木鉢がいいな。育て方も謎で、名前も謎。
 どんな花が咲くのか、育ててみないと分からないのを育てたいよ…!
 もう青の間じゃないんだけどね、と欲しくなって来たプレゼント。
 何が育つかまるで分からない、ハーレイがくれる謎の植木鉢。
 それを育ててみるのもいい。
 芽が出ただけでも、きっと幸せ。
 立派に育ってハーレイと花を眺める頃には、もっと幸せ一杯だから…。



            謎の植木鉢・了


※ブルーが出会った、何が咲くか謎な植木鉢。前のブルーも、それを育てていたのです。
 子供たちから貰って、青の間で育てた花ですけれど…。青の間の照明には、問題がありすぎ。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




シャングリラ学園に今年も春がやって来ました。入学式にはもちろん参加で、今年もやっぱり1年A組だった私たち。担任は不動のグレイブ先生、どう考えてもブラックリストで札付きなのが分かります。グレイブ先生は入学式の日の実力テストで会長さんと熱いバトルで…。
「今年もこういう季節ですねえ…」
バタバタもそろそろ一段落でしょうか、とシロエ君。今日は土曜日、みんなで会長さんのマンションに遊びに来ています。お花見シーズンは終わりましたから、普通にダラダラ。
「だよなあ、校内見学もクラブ見学も終わったしよ…。新入生歓迎パーティーも」
週明けからは授業が始まるし、とサム君が相槌、シャングリラ学園の年度初めは毎年ドタバタ。いろんな行事がてんこ盛りだけに、授業はなかなか始まりません。
「新入生歓迎パーティーってさあ…。ぼくたちは今年も出てないけどさ」
とっくに資格が無さそうだし、とジョミー君。
「当たり前だろう、俺たちが何回、入学式に出たと思っているんだ!」
厚かましいぞ、とキース君が顔を顰めて。
「裏方に回って当然だ! 一度は卒業した身というのを忘れるなよ?」
「覚えてるけど…。だから今年もエッグハントの手伝いで卵を隠してたけど…」
どうして卵なんだろう、と言われましても。新入生歓迎パーティーの花はエッグハントで、校内のあちこちに隠された卵を新入生が探すイベント。見付けた卵は貰ってオッケー、目玉商品は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が化けた青い卵です。それを見付ければ豪華賞品ゲットな卵。
「どうして卵って…。エッグハントですよ、ジョミー先輩?」
文字通りに卵じゃないですか、とシロエ君が返して、マツカ君が。
「イースターのエッグハントの真似だったように思うんですけど…」
「そうよ、それよ! 宗教は関係ありません、ってリオさんが説明してるじゃないの」
毎年その筈、とスウェナちゃんも。
「イースターにはエッグハントで、卵を探して回るものでしょ?」
「うん、スウェナが言うので間違いないね」
イースターのをパクッたんだよ、と会長さんが証言しました。
「ウチの学校、お祭り騒ぎが大好きだしねえ…。それに、ぶるぅがいるものだから」
卵にドロンと化ける達人、と舞台裏を聞いて納得です。卵から生まれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は卵に化けるのが大得意。使わない手はありませんよね!



会長さんと同じく三百歳を軽く超えている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。でもでも、実年齢はともかく中身は子供で、六歳になる前に卵に戻ってリセットだという不思議な生き方。自分の意志でも卵に変身可能ですから、豪華賞品を預けておくにはピッタリです。
「えっと…。ぼくが言ってるのは、そっちの卵で…」
エッグハントの方なら分かる、とジョミー君の話は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の生き方よろしく、出だしにリセット。
「ぶるぅがいるからエッグハントだっていうのも分かるんだけど…。そのぶるぅだよ」
「「「ぶるぅ?」」」
「うん。…なんで、ぶるぅは卵なわけ?」
人間だよね、とジョミー君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」をまじまじと。
「かみお~ん♪ ぼくはもちろん、人間だよ!」
オバケじゃないもん、と元気な返事で、ジョミー君は更に。
「そうだよねえ…。でもさ、どうして卵から生まれて来ちゃったわけ?」
それに六歳になる前に卵に戻ってまた孵化するし、という質問をされた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は真ん丸な目で。
「…なんでって…。ぼくは卵で…。子供のままでいるのがいいから、卵に戻って…」
「やり直しだよね、それも知ってる。だけど、卵な理由は何?」
「えーっ!? そんな難しいことを訊かれても…」
分かんないよう! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんに助けを求めました。
「ねえねえ、ブルー、ぼくって、どうして卵なの?」
「うーん…。それが分かれば、ぼくだって苦労はしないんだけどね?」
卵の仕組みは未だに謎だし、と会長さんまでが腕組みする有様。
「…本当に卵に戻った時には、いつ孵化するかも読めないわけで…。ぼくにも色々と制約が…」
「あんた、適当に放って遊んでいるだろうが!」
温めているとは聞かないぞ、とキース君の鋭いツッコミが。
「特製クッションに乗せておいたらオッケーだとかで、放って遊び歩きやがって!」
「んとんと…。それは仕方がないと思うの!」
ブルーも色々、忙しいもん! と会長さんの肩を持つ「そるじゃぁ・ぶるぅ」は絵に描いたように立派な良い子。とはいえ、どうして卵から生まれて来るんでしょうねえ…?



卵に戻って孵化してみたり、卵に化けたりするのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」。それを生かして新入生歓迎パーティーのエッグハントまでがあるというのに、どうして卵なのかは謎みたいです。卵から生まれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」本人にも、一緒に暮らしている会長さんにも。
「…分かってないんだ、卵の理由…」
ジョミー君は残念そうで、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は顔を見合わせて。
「…最初から卵だったしねえ?」
「そだよ、気が付いたら卵の中だったよ、ぼく!」
その前のことは分からないもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。遠い昔に火山の噴火で海に沈んだアルタミラという島が二人の出身地ですけど、その島に住んでいた会長さんの枕元にコロンと転がっていたのが二人の出会い。片方は卵なんですけれど。
「ぶるぅの卵があった理由も謎だしねえ…。誰も教えてくれなかったし」
「ぼくも誰にも聞いてないもん…」
ブルーの声が殻の向こうから聞こえてただけ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も言ってますから、本当に理由は謎なのでしょう。何故、卵なのか。
「…謎なのかよ…」
ホントに分かっていなかったのな、とサム君が頭を振った所へ。
「お互い様だよ、ぶるぅの卵は謎だらけだよ!」
「「「!!?」」」
誰だ、と一斉に振り向いた先にフワリと翻った紫のマント。別世界からのお客様です。
「ぶるぅ、ぼくにもケーキと紅茶!」
「オッケー! 今日はイチゴたっぷりミルフィーユだよ!」
はい、どうぞ! とサッと出て来たミルフィーユと紅茶。ソルジャーは早速、ミルフィーユにフォークを入れながら。
「ぶるぅが卵から生まれる理由は、ぼくにも分かってないってば!」
「あのとんでもない悪戯小僧か?」
大食漢の、とキース君が訊くと、「他に誰がいると?」と返したソルジャー。
「ぶるぅの方がもっと謎だよ、卵以前の問題だから!」
そもそも卵ですらもなかった、とソルジャーに言われてみれば…。「ぶるぅ」の場合は、卵になる前に石ころの時期があったんでしたっけ…。



ソルジャーの世界のシャングリラに住む「そるじゃぁ・ぶるぅ」のそっくりさんが「ぶるぅ」。悪戯と大食いが生き甲斐、趣味は大人の時間の覗きだという迷惑な子供。ソルジャーとキャプテンが温めた卵から生まれたのだと聞いてます。でも。その前は…。
「ぶるぅは最初は石だったんだよ? こんなに小さな!」
ソルジャーが示す指先くらいのサイズ。しかも真っ白で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のような青い卵ではなかったとか。クリスマスの後に青の間で拾って、サイオンで探ろうとしたら青い卵に変身、仕方ないので温めたという展開で…。
「あれに比べれば、こっちのぶるぅは普通だよ! 最初から卵なんだから!」
「「「うーん…」」」
そうかもしれない、と妙に説得力があるのがソルジャーの話。石が卵に育つよりかは、最初から卵だった方が遥かに普通で、まだマシなのかもしれません。
「えーっと…。その石ころって、サンタクロースのプレゼントなわけ?」
クリスマスなら、とジョミー君。
「なんでぶるぅを貰えるのかは謎だけど…。サンタクロースしかいないよね?」
「多分ね、不法侵入だけどね!」
ぼくのシャングリラの防御システムは完璧なのに、とソルジャーはフウと溜息を。
「ぼくのサイオンにも引っ掛からずに入り込んだ上に、青の間まで来たというのがね!」
あんなに目立つ姿のくせに、とソルジャーの思考はズレていました。
「真っ赤な服とか、担いだ大きな袋とか…。太っている上にお爺さんだし、逃げ足も遅いと思うんだけど…。このぼくが遅れを取るなんて!」
ソルジャーのメンツが丸潰れだよ、とサンタクロースの侵入を許した自分が情けないとか。
「おまけに、くれたプレゼントがぶるぅなんだよ? あんまりだってば!」
「もっと他のが欲しかったわけ?」
会長さんが尋ねると、「決まってるじゃないか!」とソルジャー、即答。
「悪戯小僧で無芸大食、サイオンだけが無駄に強くて、趣味が覗きって最悪だよ!」
「…それってさあ…。ホントに別のだったら良かった?」
サンタクロースのプレゼント、とジョミー君がソルジャーに。
「同じ卵でも、もっと別のとか」
「「「卵?」」」
ジョミー君の頭は卵から逃れられないのでしょうか、他にどういう卵があると?



「そるじゃぁ・ぶるぅ」も悪戯小僧の「ぶるぅ」も、青い卵から生まれた子供。ジョミー君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が卵から生まれる理由を知りたかったみたいですけど、理由は謎。「ぶるぅ」の方だと更に謎だらけ、ジョミー君の頭の中は卵一色らしいです。
「別の卵って…。どういう意味だい?」
お得用の卵パックだろうか、とソルジャーの言葉も斜め上でした。
「確かに、そういう卵だったら食べてしまえば良かったわけだし…。プレゼントに貰うには丁度いいかもね、美味しいケーキが出来そうだから!」
卵料理は御免だけれど、と言うソルジャーは偏食家。こっちの世界だと「地球の食べ物は何でも美味しい」とグルメ三昧しているくせに、自分の世界では「お菓子があれば充分」な人。食事をするなど面倒だから、と栄養剤を希望、キャプテンが苦労しているようです。
「ケーキを作って貰えるんなら、卵も美味しいのがいいねえ…。お得用のパックよりかは、断然、平飼いの卵だね! …ぼくの世界にあるかどうかは謎だけど!」
「そういう卵じゃなくってさ…。ハーレイの卵だったら、どう?」
「「「ハーレイの卵!?」」」
「うん。…はぁれぃって言うべきなのかもしれないけどね」
ちょっと呼びにくいけど、とジョミー君。
「サンタクロースのプレゼントなんだし、そっちだったらいいのかと思って」
「はぁれぃの卵って…。なんだい、それは?」
ソルジャーがポカンとしていますけれど、ジョミー君は。
「ぶるぅの卵か、はぁれぃの卵か、どっちかだったら、はぁれぃかなあ、と」
孵化したら「ぶるぅ」の代わりに「はぁれぃ」、とジョミー君の発想もぶっ飛んでいます。
「はぁれぃの方が嬉しいかな、って。…結婚するくらいに好きみたいだから」
「…はぁれぃねえ…」
それは考えたことも無かった、と唸るソルジャー。
「つまりアレかい、ぶるぅみたいにミニサイズのハーレイが生まれて来ると?」
「そうだけど…。そっちの方が良かったかな、と」
だって一応、ハーレイだしね、とジョミー君は言ってますけれど。はぁれぃの卵とやらを貰った方が良かったんですかね、ソルジャーは…?



「はぁれぃかあ…。ビジュアル的には悪くないけど…」
ぶるぅみたいにチビのハーレイ、とソルジャーは顎に手を当てて。
「でもねえ…。それもやっぱり悪戯小僧で、凄い大食いなんだろうねえ?」
おまけに覗きが大好きで、と歓迎出来ない様子ですけど。
「それはどうだか分からないよ?」
元ネタが全く別物だから、と会長さんが指摘しました。
「ジョミーがそこまで考えてたかは知らないけれどね、はぁれぃの卵を貰った場合は、ぶるぅとはまるで違った子供が孵化してたかも…」
「何か根拠があるとでも?」
ぶるぅが卵から生まれる理由も分からないくせに、とソルジャーが言うと、会長さんは。
「あくまで、ぼくの推測だけど…。こっちのぶるぅには当てはまらないけど、君のぶるぅを考えてみると、はぁれぃだと別になりそうで…」
「どんな具合に?」
「君のハーレイを強烈にデフォルメしたような感じ!」
ぼくにもイメージ掴めないけど、と会長さん。
「デフォルメだって?」
「そう! 君の世界のぶるぅだけれどね、君を強烈にデフォルメしたって感じでねえ…」
まずは大食い、と会長さんは指を一本立てて。
「君は大食漢ってわけじゃないしね、自分の世界じゃ殆ど食べないって話だけれど…。でも、食べること自体は好きと見た! お菓子限定で!」
「…それは否定はしないけど…。お菓子だったらいくらでも食べるし、三食全部おやつだったら大歓迎だよ、ハーレイが許してくれないけどさ」
ぼくの世界のノルディもうるさく文句を言うし、とソルジャーは不満そうな顔。
「お菓子だけで食べていける世界が夢なんだけどねえ、ぼくの世界なら」
「ほらね、好物なら食べるんだよ、君は! こっちの世界じゃグルメ三昧だし!」
ぶるぅの大食いは君に生き写しで、もっと強烈になったケース、と会長さん。
「お菓子じゃなくてもオッケーなだけで、丸ごと君に似たんだよ! 強烈にデフォルメされちゃってるから、凄い大食いになったんだってば!」
ご意見は? という会長さんの問いに、ソルジャーは反論出来ませんでした。好物だったら好きなだけ食べるという点は間違っていないんですから。



悪戯小僧な「ぶるぅ」の大食いはソルジャーの食生活をデフォルメしたもの。言われてみれば頷ける説で、会長さんは二本目の指をピッと立てると。
「でもって、悪戯! これも君の性格と無関係だとは思えないけどね?」
ぼくたちが日頃、蒙っている色々な迷惑から考えても…、と会長さん。
「君に自覚は全く無くても、ぼくたちからすれば立派なトラブルメーカーなんだよ! ぶるぅには負けるというだけで!」
「…そうなのかい?」
ぼくは迷惑なんだろうか、とソルジャーがグルリと見回しましたが、首を縦に振った人はゼロ。横に振った人もゼロですけれど。
「ご覧よ、誰も否定をしないってトコが証拠だよ! ぶるぅと同じで悪戯小僧!」
その性格をもっと極端にしたら「ぶるぅ」が出来る、と会長さんが立てた三本目の指。
「それから、ぶるぅのおませな所! 胎教だとばかり思っていたけど…」
卵をベッドで温めてた間もお盛んだったようだし、と会長さんはフウと溜息。
「そのせいなんだと思い込んでいたけど、それも違うね! 君のせいだね!」
「…ぼくは覗きはしないけど?」
「君が覗いてどうするのさ! 覗くよりかは覗かれる方が好きなんだろう!」
「…覗かれていても燃えないからねえ、好きってことはないんだけどね?」
覗かれていても平気なだけだ、とソルジャーが答えて、会長さんが。
「そのふてぶてしい性格だよ! ぶるぅはそれを貰ってるんだよ、強烈にデフォルメした形で!」
だから叱られても覗きをやめない、と会長さん。
「ついでに君の恥じらいの無さとか、やたら貪欲な所も絡んでくるものだから…。大人の時間を覗き見するのが大好きな上に、おませなんだよ!」
これだけ揃えば立派な「ぶるぅ」の出来上がり、という会長さんの説に誰からともなく上がった拍手がパチパチ。なるほど、「ぶるぅ」はソルジャーそのもの、小さい代わりに性格が強烈になったんですねえ、デフォルメされて…。



会長さん曰く、悪戯小僧で大食漢で、おませな「ぶるぅ」はソルジャーの性格を丸ごとパクッて、強烈にデフォルメしてある存在。ソルジャーを子供にしたような姿ですから、元ネタはソルジャーらしいです。
「だからね、モノがはぁれぃの卵だった場合は、別物になると思うんだけど!」
元がハーレイなんだから、と会長さん。
「君のハーレイの性格を強烈にデフォルメしたようなのが出来るかと…」
はぁれぃだったらそうなる筈、という推理には頷けるものがあります。キャプテンを小さくしたような姿で生まれて来るのが「はぁれぃ」、性格の方も元ネタをパクッていて当然。
「なるほどねえ…。はぁれぃの卵を貰っていたなら、今頃は別のがいたわけだ?」
姿も中身も…、とソルジャーも理解したようで。
「どんな性格になるんだろうねえ、そのはぁれぃは?」
「…引っ込み思案ってトコじゃないな」
ヘタレを強烈にデフォルメなんだし、と会長さんが言い、キース君も。
「そんなヤツかもしれないな…。自己紹介もマトモに出来ないようなヘタレなんだな?」
「ぼくはそうだと思うけど?」
ヘタレは確実に出るであろう、と会長さん。
「それからクソがつくほど真面目で、とことん丁寧な言葉遣いで!」
「「「あー…」」」
キャプテンの性格をデフォルメするならそうなるな、と思うしかない真面目な「はぁれぃ」。言葉遣いもきっと丁寧、舌足らずながらも頑張って喋る「ですます」口調。
「…ぶるぅとはまるでイメージ違うんだけど?」
本当にそうなるんだろうか、とソルジャーが尋ねて、会長さんが。
「ぼくにもイメージは掴めないと言ったよ、こうじゃないかと思う程度で!」
生まれてみないと分からないよね、と会長さん。
「でもねえ、ぼくの推理が当たっていたなら、はぁれぃは全く別物だよ! ぶるぅとは!」
「…そうなるわけか…。どっちの方がマシなんだろう?」
もう手遅れって気もするけれど、と言うソルジャー。サンタクロースは「ぶるぅ」の卵を寄越したわけで、プレゼントはもう貰っちゃったし、と。多分、返品も交換も無理だよねえ、と。



「返品ねえ…。それに交換…」
手遅れだろうね、と会長さんも。
「ぶるぅが来てから年単位で時間が経っちゃってるから、どっちも無理だと思うけど…」
クーリングオフの期間もとっくに過ぎたであろう、という見解。
「もっとも、ぶるぅは買った品物ではないんだし…。クーリングオフは無さそうだけど」
「クーリングオフかあ…。それも出来なくて、返品も交換もとっくに無理、と」
ぶるぅで諦めるしかないってことか、とソルジャーは深い溜息を。
「…はぁれぃの方が良かったような気がするんだけどねえ…」
「あっ、やっぱり? 選べるんなら、はぁれぃなんだ?」
ジョミー君が訊くと、ソルジャーは「うん」と。
「そっちの方が素敵だよ、うん。悪戯はしないし、大食いでもないし、真面目だし…」
「同じ卵でも、ぶるぅとは月とスッポンですからね」
ぼくたちも「はぁれぃ」の方が良かったです、とシロエ君。
「次の機会がありそうだったら、是非、はぁれぃを貰って下さい!」
「えっ、次って…。まだ増えるのかい?」
ぶるぅだけでも大変なのに、はぁれぃまでが、とソルジャーは赤い瞳を見開いて。
「それは御免だよ、返品か交換なら歓迎だけど!」
「…ぶるぅは捨てると?」
はぁれぃを貰えるんなら捨てるのかい、と会長さんが顔を顰めましたが。
「別にいいじゃないか、同じ貰うなら素敵な卵の方がいいしね!」
サンタクロースが相談に乗ってくれないだろうか、とソルジャーが言い出した酷すぎる考え。いくら「ぶるぅ」に手を焼いていても、今更、返品だの交換だのって…。
「あんた、自分に正直すぎるぞ!」
キース君が怒鳴って、ジョミー君も。
「ぼくが言ったのは、もしも、ってコトで…。ぶるぅが来ちゃった段階で、はぁれぃはもう貰えないとか、そんな感じで…」
「そうですよ! ぶるぅが可哀相じゃないですか!」
間違っても本人にそんな話はしちゃ駄目ですよ、とシロエ君。私たちだってそう思いますです、可哀相すぎますよ、どんなに「ぶるぅ」が悪戯小僧でも子供には違いないんですから。



「ぶるぅ」には絶対に聞かせちゃ駄目だ、とソルジャーに何度も釘を刺しておいた「はぁれぃ」の卵という話。けれども、ネタとしては笑える代物なだけに、ソルジャーが夕食を食べて帰ってゆくまでの間に何度も話題に上りました。「ぶるぅ」の代わりに「はぁれぃ」だったら、と。
そしてケタケタ笑い転げて、それっきり忘れた「はぁれぃ」の卵。翌日の日曜日はソルジャーも来なくて極めて平和で、週が明けても平和な日々で。やがて迎えた土曜日のこと。
「ちょっといいかな!?」
ソルジャーが空間移動で飛び込んで来た会長さんの家のリビング。おやつ目当てでやって来たな、と直ぐに分かるだけに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がベリーのタルトを用意しましたが…。
「あっ、ありがとう! 腹が減っては戦が出来ぬと言うからねえ…!」
これは有難く頂いておいて、とガツガツと食べているソルジャー。何か急ぎの用でもあるのか、凄い速さで食べ終わると。
「これを見てくれるかな、こんなのだけど!」
見た目にはただの石なんだけど、とテーブルに置かれた白い石ころ。指先くらいの大きさです。
「…この石がどうかしたのかい?」
ただの石にしか見えないけれど、と会長さんが訊くと、ソルジャーは。
「そこが問題なんだってば! ただの石にしか見えないってトコが!」
「…石だろう?」
「あるべき所にあったんだったら、確かにただの石なんだけど!」
公園に落ちていたんだったら何も問題無いんだけれど、と謎の台詞が。
「…メイン・エンジンとかワープドライブの辺りかい?」
それは確かに問題かもね、と会長さん。
「ああいう機関に異物は禁物、おまけに石があったとなると…。子供が出入りをしてるわけだし、厳重に注意しておかないと」
色々な意味で危険すぎる、と会長さんもソルジャーだけのことはあります。
「監視カメラはついてるんだろう? 直ちに映像を解析すべきで、持ち込んだ子供を特定出来たら厳しく叱っておくべきだね!」
「…そっちの方がよっぽどマシだよ!」
これはハーレイの部屋で見付かったのだ、とソルジャーは石を指差しました。キャプテンの部屋の床にコロンと転がっていたらしいんですけど、その場所に何か問題が…?



キャプテンの部屋にあったという石。白い小さな石で、何処から見たって普通の石で。
「…君のハーレイの部屋だと何がいけないんだい?」
会長さんの問いに、ソルジャーは。
「ハーレイの部屋で石ってトコだよ、これが青の間なら、ぶるぅなんだよ!」
「「「は?」」」
「ぶるぅだってば、ぶるぅの卵も最初はこういう白い石で!」
サイオンで探ったら青い卵に変わったのだ、とソルジャーの顔に焦りの色が。
「ハーレイの部屋にあったってことは、これは、はぁれぃの卵じゃないかと…!」
「はぁれぃって…。それはいくらなんでも…」
考えすぎじゃないのかい、と会長さん。
「第一、今はクリスマスでもないからね? サンタクロースが来るわけがないし!」
「それはそうだけど、でも、ハーレイは石なんかを部屋に持って行ってはいないと…!」
なのにベッドから転がり落ちた所が問題、と言うソルジャー。床に転がっていたと言いませんでしたか、ベッドから床に落ちたんですか?
「うん、多分…。ベッドに入る前には落ちてはいなかったからね」
ハーレイとベッドで楽しく過ごして、起きたら床に転がっていた、という証言。
「だからベッドから落ちたんじゃないかと…。でも、ハーレイは石なんか部屋に持っては来なかったらしいし、危険すぎるんだよ! はぁれぃの卵の可能性大!」
「…それで?」
ぼくたちに何をどうしろと、と会長さん。
「季節外れのプレゼントを貰ってしまったと言うなら、それは君の世界の問題だろう?」
「そうなんだけど…。ぶるぅだけでもう手一杯だよ!」
この上、はぁれぃまでは要らない、とソルジャーは身勝手すぎました。キャプテンの部屋に「はぁれぃ」が住み着いてしまえば、夫婦の時間にも悪影響が…、などと言うのがソルジャー。
「はぁれぃはクソ真面目だから覗きはしない、と言うだけ無駄だよ、ぼくのハーレイには!」
部屋に余計な住人がいるだけでヘタレには脅威になるのだそうで。
「現にハーレイ、これがはぁれぃの卵だったら、もうハーレイの部屋では嫌だと言ってたし…」
あの部屋で大人の時間を過ごせなくなる、とソルジャーが恐れる「はぁれぃ」の卵。ただの石にしか見えないんですし、考えすぎじゃないですか…?



ソルジャーが一人で大騒ぎしている白い石。「はぁれぃ」の卵だと慌ててますけど、ただの石ころっていう線もありますよ?
「そ、そうなのかな…? ハーレイに覚えが無いってだけで…?」
何かのはずみに紛れ込んだかな、とソルジャーは首を捻っています。リネン類とかを運ぶ台車があるかはどうかは知りませんけど、運搬中に子供が突っ込んだかも…。
「子供ねえ…。まるで無いとは言い切れないねえ、それでそのままハーレイの部屋に?」
「そういうオチかもしれないよ? 上手い具合にくっついてたかも」
ベッドメイキングの係がサイオンを使っていたら、と会長さん。
「大きなベッドを相手にするなら、補助のサイオンは欲しいトコだし…。シーツとかをバッと広げて被せようって時に、石もそのまま運んじゃったとかね」
「そうだね、その可能性もゼロではないか…。ホッとしたけど、念のため…」
確認だけはしておこう、とソルジャーが右手で石を握って、その手がボウッと青い光に包まれています。サイオンで探っているわけですね、ただの石かどうか。
「やっぱり心配になるからね! うん、大丈夫かな、反応しないし」
心配して損をしちゃったよ、とソルジャーが石をテーブルにコトンと置いた途端に。
「「「えっ?」」」
今度は石がボウッと光って、一瞬の内にピンク色の卵に変わっていました。鶏の卵くらいのサイズで、つまりは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が化ける卵と同じ大きさ、ただし色違い。
「…卵になった!?」
ジョミー君が顔を引き攣らせて、キース君が。
「まさか、はぁれぃの卵なのか、これは!?」
「…ぼ、ぼくも信じたくないけれど…。で、でも…!」
ハーレイの部屋にあった以上は「はぁれぃ」の卵なのだろう、とソルジャーは再び大慌て。
「こういうことだよ、はぁれぃの卵なんだよ、これは!」
「持って帰って温めたまえ!」
君の世界の卵なんだし、と会長さんが扉の方を指差しましたが、ソルジャーの方は。
「そうはいかないって言ったじゃないか! ぼくもハーレイも困るんだよ!」
はぁれぃまで育てる余裕はとても…、と話は振り出しに戻っています。要らないだなんて言う方が無茶で、育てるべきだと思うんですけど…?



ソルジャーが持ち込んだ白い石ころ、転じてピンク色をした卵。「ぶるぅ」が生まれるまでの状況と似てはいるものの、発見された場所はキャプテンの部屋。ゆえに「はぁれぃ」の卵であろう、とソルジャーでなくても考えるわけで…。
「はぁれぃの卵なら、君たちできちんと温めるべきだよ!」
育児放棄をしてどうするのだ、と会長さんは眉を吊り上げました。
「こうして卵になったからには、育てる責任は君たちにあるから!」
「でも、ハーレイが反対なんだよ! ぼくもだけど!」
はぁれぃの卵は孵化するまでにも一年かかる、と騒ぐソルジャー。
「その間、ぼくたちのベッドにドンと卵が居座るわけだし、おまけに中身は、はぁれぃだし…!」
「はぁれぃの方で良かったじゃないか、ぼくの推理が当たっていたならクソ真面目だから!」
どんな胎教を食らったとしても真面目な子供になるであろう、と会長さん。
「いつか卵が孵った時には、実にいい子になるかもねえ…。何かと言えば特別休暇に励む君たちに説教をかましてくれるような!」
「せ、説教って…?」
「こんな所で励んでいないで仕事をしたら、と横で注意をしてくれるんだよ!」
それは覗きとは言わないから、と会長さんはピッシャリと。
「大人の時間にうつつを抜かしている弛んだ君たちにお説教! 仕事に行け、と!」
君の方は暇でもハーレイには仕事があるんだから、と会長さん。
「はぁれぃは頼もしい子になってくれるよ、胎教が酷ければ酷いほど!」
「そ、そんな…! ハーレイがますますヘタレるじゃないか!」
ぶるぅの覗きよりも酷い展開、とソルジャーは焦りまくっています。
「覗きだけでも、ハーレイは萎えてしまうのに…! 堂々と出て来てお説教なんて…!」
「いいと思うよ、そういう真面目な子供も君たちには必要だよ!」
君のシャングリラの未来のためにも、「はぁれぃ」は希望の光になるね、と会長さんが挙げる「はぁれぃ」という子供の素晴らしさ。特別休暇と称してサボッてばかりのソルジャー夫妻にお説教をかまし、日頃の夫婦の時間も翌日に備えて早めに切り上げるように監視モードで…。
「はぁれぃは絶対、育てるべきだね! 君のシャングリラで!」
「そういう子供は困るんだってば!」
ぼくの士気にも関わるから、とか言ってますけど、見られていたって平気というのがソルジャーですから、説得力はゼロですねえ…?



私たちは「はぁれぃ」の卵を温めるように、と口々にソルジャーに言ったのですけれど。なにしろ相手は自分勝手で、「ぶるぅ」を返品して「はぁれぃ」と交換出来たらいいのに、と言い放ったような思考の持ち主。旗色が悪い、と考えたらしいソルジャーは逃げて帰ってしまって…。
「…会長、この卵、どうするんですか?」
親がいなくなってしまいましたが、とシロエ君が見ているピンク色の卵。テーブルの上に放っておかれて、それは寂しそうな感じに見えます。
「うーん…。ぶるぅの卵と同じ仕組みなら、温めなくてもいいんだけれど…。あっちのぶるぅは温めないと駄目だったようでもあるからねえ…」
「俺たちで温めるしかねえのかよ?」
このままだと駄目になっちまうよな、とサム君が卵をつつくと、キース君が。
「孵卵器は使えないんだろうか? あれが使えるなら便利なんだが…」
時々、卵の向きを変えてやるだけで良かった筈だ、と挙がった孵卵器。でも…。
「それは駄目だね、あっちのぶるぅの卵は大きく育つんだから」
「「「あー…」」」
そうだったっけ、と思い出しました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の卵の殻は成長しませんけれども、「ぶるぅ」の卵は育ったのだと聞いています。最終的には抱えるほどの大きさに。
「…仕方ない、親が逃げた以上は里親だよね」
でも、ぼくたちも余計な時間は取られたくないし、と会長さんの指がパチンと鳴って。
「な、なんだ!?」
瞬間移動で教頭先生が呼び出されました。家で寛いでらっしゃったのに違いありません。
「悪いね、君に頼みたいことが出来ちゃって…」
子供を育てて欲しいんだけど、と会長さん。
「子供だと?」
「そう。…ブルーが捨てて行っちゃったんだよ、この卵を!」
一年間ほど温めてやると「はぁれぃ」という子供が孵化する筈で…、と会長さんは説明を。
「ミニサイズの君みたいなのが生まれる予定の卵で、温めてくれそうな人が他にいなくて…」
「し、しかし…。私にも仕事というものが…!」
「そこは適当でいいんだよ! 温められる時だけで充分だから!」
多分…、と会長さんは卵を眺めて、それから「駄目かな?」とお願い目線。会長さんに惚れている教頭先生はハートを射抜かれてしまい、卵を引き受けてしまわれました。二つ返事で。



こうして里親が無事に決まった「はぁれぃ」の卵。ソルジャー夫妻よりも真面目に温めたのが良かったらしくて、二週間ほどでグンと大きくなったようです。抱えるくらいに育った卵を私たちも見学に出掛けました。会長さんの家から瞬間移動で。
「うわあ、大きく育ちましたねえ…!」
もうすぐ孵りそうですよ、とシロエ君が卵を撫でると、キース君も卵に触ってみて。
「そうだな、今日にでも孵るかもしれん。…だが、あの馬鹿は一度も来ないし…」
「こっちで育てるしかないのかしら?」
性格は問題無さそうだけど、とスウェナちゃん。
「真面目な子供なら、お留守番だって出来そうだけど…。でも、家が無いわね」
「ぼくの家はぶるぅがいるからねえ…。キース、元老寺で引き取れないかい?」
将来はお坊さんになる見習いってことで、と会長さんが凄い提案を。
「真面目なんだし、お経も早く覚えると思う。月参りの時に連れて行ったら評判もいいよ?」
「…そうかもしれんな、小坊主は人気が高いものだし…。親父に相談してみるか」
大食いも悪戯もしない子供なら大丈夫だろう、とキース君。
「それは良かった。じゃあ、暫くはハーレイの家で預かって貰って、話がついたら元老寺に…」
「その話、待った!」
私が育てることにしよう、と教頭先生が名乗り出ました。ベッドで卵を抱えたままで。
「えーっと…。ハーレイ、情が移ったとか?」
「いや、そのぅ…。お前に頼まれて温めたのだし、気分はお前と私の子供で…」
「ふうん? だったら、そういうことで」
いいんじゃないかな、とニンマリと笑う会長さん。これが狙いで元老寺を持ち出したのに違いありません。「はぁれぃ」を育てることになったら、教頭先生の自由時間は激減しますし…。
「そうだよ、おまけにコブ付きなんだよ! もう結婚の資格は無いね!」
ぼくはコブ付きはお断りで…、という会長さんの言葉に教頭先生は顔面蒼白。けれど今更、育てる話を撤回したら更に軽蔑されることは必定、ピンチとしか言いようがない状況で…。



「あっ、生まれるかな?」
ピシッと卵にヒビが入ったのをジョミー君が見付けて、私たちは固唾を飲んで見守ることに。教頭先生がコブ付きになると噂の「はぁれぃ」、どんな姿をしているのでしょう?
ワクワクと見ている間にピシッ、ピシッとヒビが広がっていって…。
「かみお~ん♪ はじめまして、パパ、ママ!」
「「「ええっ!?」」」
現れた子供は「そるじゃぁ・ぶるぅ」にそっくりの見た目、「はぁれぃ」じゃなかったんですか?
「わあっ、ぶるぅだ!」
ずっと卵に化けていたの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の歓声が。すると、目の前に素っ裸で立っている小さな子供は…。
「「「ぶるぅ!?」」」
「そだよ、ブルーに連絡してくれる? はぁれぃの卵が孵りました、って!」
二週間も放っておかれたんだから! とニヤニヤと笑う「ぶるぅ」は悪戯小僧の顔でした。まさかソルジャー夫妻は「ぶるぅ」の不在に気付かず、「はぁれぃ」の卵だと思い込んだままで…。
「多分ね、ぼくのパパとママだから! はぁれぃと交換したかった、なんて言ってたから!」
「「「うわー…」」」
その瞬間に私たちは悟りました。ソルジャー夫妻が「ぶるぅ」に超ド級の借りを作ったことを。
「…あ、あいつら、これからどうなるんだ…?」
恐ろしくて考えたくもないんだが、とキース君が左手首の数珠レットを繰り、会長さんが。
「だからぶるぅには聞かせちゃ駄目だと言ったのに…。話しちゃったんだ、はぁれぃの卵…」
「うんっ! 何をして貰ったらいいかな、ぼく? 二週間も放っておかれたもんね!」
一緒に悪戯を考えてくれる? という「ぶるぅ」の誘いに、背筋が寒くなりましたけれど。
「…こんなチャンスは二度と無いからな、俺たちに最強の味方が出来たぞ!」
今までの借りを返そうじゃないか、とキース君が拳を握って、会長さんも。
「そうだね、ハーレイ、君も話に入りたまえ! 卵を温めた功労者だから!」
「い、いや、私はだな…」
「遠慮している場合じゃないだろ、何回コケにされたんだい?」
さあ! という会長さんの悪魔の囁き、教頭先生もお仲間です。ソルジャー夫妻に復讐出来るチャンス到来、「ぶるぅ」が味方につきました。二週間も放置されてた間に悪戯も山ほど考えたでしょう。その悪戯、私たちも大いにアイデア出します、ソルジャー夫妻に天誅ですよ~!



            はぁれぃの卵・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 卵から生まれる「ぶるぅ」たちですけど、「はぁれぃ」の方がいいと言ったソルジャー。
 そして来てしまった「はぁれぃ」の卵、里子に出したのが運の尽き。正体がアレではねえ…。
 このシャングリラ学園番外編、来月で連載開始から14周年。今年で連載終了です。
 更新は残り2回ですけど、最後まで笑って読んで頂けると嬉しいな、と思っています。
 次回は 「第3月曜」 11月21日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、10月はソルジャーがマグロ漁船に乗ると言い出しまして…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv











(すっかり止んで良かったよね)
 通り雨、とブルーが眺める窓の外。学校からの帰りに、いつもの路線バスの中から。
 午後の授業の時間に、いきなり降って来た雨。晴れていた空が急に曇ったかと思うと、突然に。
 最初はパラパラ、それから本降り。叩き付けるように激しく降ったのだけれど…。
 帰る時間までには止んで、今ではすっかり青い空。雨など降ってはいなかったように。
(でも、降った証拠…)
 バスの窓には、ちょっぴり水滴。このバスはきっと、雨の間も何処かを走っていたのだろう。
 雨が降り続けている間だったら、雨粒は窓を流れるけれど。バスが走れば後ろの方へと、ガラス伝いに走るのだけれど…。
 雨の名残の水の雫は、もう動かない。窓に貼り付いて微かに揺れているだけ。
(その内に乾いて消えちゃうんだよ)
 太陽の光と、雨上がりの空気に吸い取られて。「空へお帰り」と連れてゆかれて。
 雫が全部消えてしまったら、バスの窓だって元通り。ちょっぴりの埃がガラスに残って、雨粒の形を教えてくれるかもしれないけれど。
(…ぼくが乗ってる間は無理そう…)
 ほんの少ししか乗らないから、と思う間に着いたバス停。家の近くの。
 バスから降りて歩く途中に、道に見付けた水溜まり。道路は平らなように見えても、沢山の車がへこみを作ってゆくもの。普段は全く分からないけれど、雨が降ったらよく分かる。
(こうやって水が溜まるから…)
 雨が降った証拠、と水溜まりの中を覗き込んだら青い空。
 何の気なしに見たのだけれども、水溜まりの中は舗装されている道路ではなくて…。
(映ってる…)
 地球の空が、と仰いだ遥か頭の上。今は青空、ぽっかりと白い雲が幾つか。
 それがそっくり映っていた。水溜まりが鏡になったみたいに。



 地面にも地球の空があるよ、と気付いたら、とても素敵な気分。
 前の自分が焦がれた地球。青い水の星にいつか行こうと、行きたいと願い続けていた。
 遠く遥かな時の彼方で、地球を夢見たソルジャー・ブルー。けれど、叶わなかった夢。
(…行く前に死んでしまったから…)
 夢の星のままで終わった地球。あの頃の地球は死の星だったと、知りもしないで。青い水の星が何処かにあると信じたままで。
(今はホントに青い地球だよ)
 それに自分は地球まで来た。新しい命と身体を貰って、蘇った青い地球の上に。
 水溜まりの中にも、その地球の空。頭の上にも、地面の上にも、「此処は地球だ」と空がある。青く澄み切って、白い雲まで浮かべた空が。
(水溜まり…)
 もっと無いかな、と嬉しくなった水溜まりの中に映る空。地面に散らばる青空の欠片。
 それが見たくて、もっと見付けたくて、水溜まりを探しながら歩いた道。あそこにもあるよ、と道を渡ったり、「次はあっち」と急いだり。
 生垣に囲まれた家に着いても、探したくなる水溜まり。門扉を開けて入ったけれども…。
(…庭は無理かな?)
 芝生の上には、見付けられない水溜まり。芝生は水はけがいいものだから、窪んでいたって水は溜まらない。直ぐに吸い込まれて消えてしまって。
(うーん…)
 こっちはどうかな、と見に行った庭で一番大きな木の下。
 其処に置かれた白いテーブルと椅子に、雨の名残がくっついていた。庭の景色が主だけれども、よく見れば青い空の欠片も映った水滴。
(殆ど庭の景色なんだけど…)
 よし、と眺めた幾つもの水の雫たち。
 地球の空の欠片が地面の上にも一杯だよ、と。ぼくの家の庭の中にもあるよ、と。



 家に入って、制服を脱いで。ダイニングでおやつを食べる間にも眺めた外。
 ダイニングの大きなガラス窓の向こう、青空と、たまに木の枝などから落ちる水滴。急に降った雨が庭に残した、水の粒がポタリと落ちてゆく。家の軒やら、木の葉先から滴って。
 あの水たちも、やがて庭から消える。太陽の光と風が空へと連れ戻すから。
 そうでなければ地面に吸われて、土の下へと潜り込んで。
(…さっき見た道路の水溜まりも…)
 白いテーブルと椅子についた雫も、その内に消えてゆくのだろう。
 水溜まりや雫が消えていったら、空たちも消える。今は地面に落ちている欠片、水溜まりや雫に映った地球の空たちは。
(…空の欠片が地面に一杯…)
 いずれ空へと帰るのだけれど、なんとも心が弾む光景。
 空を仰げば本物の空で、地面の上には空の欠片たち。それも本物の地球の空。
(…こんな体験、地球でないとね?)
 出来っこないよ、と外を見ながら食べていたおやつ。「ぼくが地球まで来たからだよ」と。
 おやつを食べ終えて部屋に帰っても、窓から外を覗いてみる。
(此処から見たって…)
 空は映っていないんだけど、と濡れた木々の枝を見れば、やっぱり雫。
 もっと近くに寄ってみたなら、あの雫にも空があるのだろう。ポタリと滴り落ちる前にも、下へ向かって落ちる時にも。
 まあるい水の鏡になって、空を映しているだろう雫。
 空から降って来た雨の粒たちは、空の欠片を連れて来る。まるで空からの贈り物のよう。
 「地面の上にも空をどうぞ」と、「好きなだけ眺めて下さいね」と。



 ホントに地球でなきゃ見られない景色、と考える。地球の空からのプレゼント。
 雨が降ったら、地面にも空。水溜まりの中を覗き込んだら、水の雫たちを覗いてみたら。
(…前のぼくだと…)
 前の自分が見ていた雨。白いシャングリラが長く潜んだ雲海の星、アルテメシア。
 あの星にも雨は降ったけれども、其処で水溜まりに空が映っても…。
(アルテメシアの空なんだよ)
 地面に落ちた空の欠片は、アルテメシアの空でしかない。前の自分が焦がれ続けた、青い地球の空とは違ったもの。同じ空でも、天と地ほどに違う空。
 だから、しみじみ覗いてもいない。地面の上に空を見付けても。雨上がりだったアルテメシアに降りても、水溜まりに空が映っていても。
(地球に行っても、こんな風かな、って…)
 思った程度で、感激などはしなかった。
 地面に落ちた空の欠片が幾つあっても。「映ってるな」と気付いた時も。
 アルテメシアでさえ、そういった具合だったから。水溜まりを探して歩きはしないし、あちこち覗き込んだりもしない。「此処にも空があるだろうか」と、水溜まりや水の雫の中を。
 曲がりなりにも雨が降っていたアルテメシア。
 テラフォーミングされた星でも、雨は空から降ってくるもの。
 けれど…。
(シャングリラだと…)
 空の欠片を見付けるどころか、雨さえ降らなかった船。
 いくらシャングリラが巨大な船でも、所詮は閉ざされた小さな世界。空も地面も何も無かった。船の周りに雲はあっても、雲海の中を飛ぶ船でも。



 雨が無かったシャングリラ。踏みしめる地面も持たずに生きていたミュウたち。
 白いシャングリラはそういう船だし、雨が降らないから水溜まりなんて、と思ったけれど。あの船の中に小さな空の欠片たちが、落ちていた筈もないのだけれど…。
(公園…)
 不意に頭を掠めた記憶。シャングリラが誇った広い公園、ブリッジが浮かんでいた公園。
 一面の芝生だったけれども、そうでない場所も幾つかあった。芝生の下の土が見えている場所。散歩道やら、子供が遊ぶための場所やら、土と触れ合うための場所。地面の代わり。
 そういった場所に、たまに水溜まりが出来ていた。
(今日の帰りの道路みたいに…)
 自然に窪んでしまった所。通る仲間や、遊ぶ子供の足に踏まれて低くなった部分。
 水溜まりは其処に姿を現わし、子供たちがはしゃいだりもしていた。歓声を上げて、小さな足で踏んで回っていた水溜まり。
 水溜まりの中で遊んでいたなら、靴が汚れてしまうのに。バシャバシャと踏んで走り回ったら、土を含んだ水が飛び散って、服まで汚れてしまうのに。
(子供たち、遊んでいたんだっけ…)
 公園にあった水溜まりで、と懐かしく蘇って来た光景。それは賑やかに、水溜まりと戯れていた子供たち。広い公園にそれが出来たら、地面を模した土の上に水があったなら。
 そうだった、と思うけれども、その水溜まり。子供たちの足が跳ね上げた水。土が混じっていた筈なのだし、靴も、子供たちの服も台無し。
 せっかく係が洗ったのに。毎日、綺麗な服を着られるよう、心を配っていた係。
 子供たちの靴も、養育部門の者たちがせっせと磨いていた。小さな子供は靴の手入れどころか、下手をすれば裸足で走りかねないほどだから。
(…非効率的…)
 昼間に散水するなんて、と水溜まりのことを考えた。
 あの公園に出来た水溜まりは、散水で出来たものだから。芝生や木たちに水をやろうと、公園に備えられた散水用のシステム。それが撒いた水で水溜まりが出来て、遊んでいたのが子供たち。
 夜の間に済ませておいたら、水溜まりは朝までに消えるのに。
 そうしておいたら、子供たちの服や靴などが、泥で汚れはしないのに。



 非効率的だとしか思えないのが、あの水溜まり。
 子供たちの服を洗う係や、靴を磨いていた仲間たち。彼らの手間を増やした悪者、それが公園の水溜まり。もしも水溜まりが無かったならば、子供たちは其処で遊ばないのに。
(…なんで昼間にやってたわけ?)
 あの水撒きを。
 遊ぶのが好きな小さな子たちは、ヒルマンが止めても聞くわけがない。水溜まりがあったら遊び始めるし、服も、靴だって泥だらけ。
 そうなることが見えているのに、昼間に公園に撒かれた水。窪みに溜まってしまう水。
 しかも、毎日ではなかった昼間の散水。毎日だったら、公園の木々には欠かせないものだと思うけれども、水溜まりが出来ていたのは毎日ではない。夜の間に散水した日もあったのだろう。
(非効率的だって分かっていたから、夜だよね?)
 夜の方が何かと便利な筈だ、と今の自分にも分かること。公園は皆の憩いの場だから、来た時に水を撒かれたならば…。
(公園から逃げるか、東屋に入ってやり過ごすか…)
 そのどちらかしか無かった筈。雨が降らないシャングリラには、雨傘などは無かったから。
 シールドで水を防ぐにしたって、それでは水は防げても…。
(公園に来た意味が無いよね?)
 一息つこう、と来たのだろうに、いきなり上から降り注ぐ水。のんびり過ごそうと選んだ公園、其処で張らねばならないシールド。
(それじゃサイオンの訓練だってば…!)
 シールドが嫌なら公園を出るか、東屋に飛び込んで雨宿りならぬ散水よけ。今日はこれだけ、と撒かれる水が止まるまで。…もう水の粒は落ちて来ない、と分かるまで。
(迷惑すぎるよ…)
 非効率的な上に、うんと迷惑、と考えてしまう昼間の散水。
 子供たちの服や靴は泥にまみれて、大人たちは憩いの場所が台無し。それに憩いの時間だって。



 なんとも解せない、昼間にやっていた散水。公園に出来ていた水溜まり。
 何故、あんなことをしたのだろう、と首を傾げていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、シャングリラの公園…。ブリッジが見えた、一番広い公園だけど…」
 なんで昼間に水撒きしてたの、あそこって?
「はあ? 水撒きって…?」
 なんの話だ、とハーレイは怪訝そうな顔。「あそこの水撒きがどうかしたのか?」と。
「そのままだってば、水撒きをする話だよ。…その時間のこと」
 たまにやってたでしょ、昼間に水撒き。いつもは昼間じゃなかったのに。
 昼間にやるから、あちこちに水溜まりが出来ちゃって…。其処で子供たちが遊んでいたよ。
 水溜まりの中に足を突っ込んだり、踏んづけて走り回ったり。
 子供たちが着ていた服も、靴だって、水溜まりで遊ぶと泥だらけ…。
 そうなっちゃうのに決まっているから、水を撒くのは夜の間にしておけばいいのに…。
 でなきゃ、子供は公園に立ち入り禁止だとか。…水溜まりがちゃんと消えるまで。
 どうしても昼間に撒くんだったら、その方がずっと良さそうだよ。
 公園に来た大人も、いきなり水が撒かれちゃったら困っちゃうでしょ…?
 昼間に撒くのは非効率的だよ、と述べてみた今の自分の意見。それなのに何故、と時の彼方ではキャプテンだった恋人に訊いてみたのだけれど…。
「おいおいおい…。忘れちまったのか?」
 昼間には意味があったんだぞ、とハーレイは目を丸くした。「なんてこった」と。そして続けてこうも言われた。「そもそも、お前が原因なんだが?」と。
「原因って…。ぼくが?」
 前のぼくなの、昼間に公園で水撒きしていた理由って…?
 どうして、と今度はこちらが驚く番。前の自分は、いったい何をしたのだろう?
「本当に忘れちまったのか…。仕方ないヤツだな、お前が自分で言い出したくせに」
 前のお前が言ったんだぞ。雨も降らない船なんて、とな。
「あ…!」
 ホントだ、前のぼくだった…。雨が降らない、って言ったんだっけ…。



 思い出した、と戻って来た記憶。ソルジャー・ブルーと呼ばれていた頃。
 シャングリラは白い鯨に改造されて、アルテメシアの雲海の中を居場所に決めた。人類が住んでいる星だったら、いざという時に頼りにもなる。物資の調達が容易だから。
 消えない雲海と船そのものを隠すステルス・デバイス、それさえあれば安心な船。
 白いシャングリラは名前通りにミュウの楽園、白い鯨の形の箱舟。
 船の中だけが世界の全てだけれども、自給自足で生きてゆけるし、何も不自由はしなかった。
(公園だって、船に幾つも…)
 ブリッジが見える広い公園と、居住区に鏤められた公園。
 どの公園にも人工の風が吹いたものだし、水撒きは何処も夜の間に。昼間に撒くと、仲間たちの憩いの場所が駄目になる。ベンチも何もかも濡れてしまうし、居合わせた仲間も濡れるから。
 そういう風に決めたプログラム。散水は人がいない夜間に、自動で。
 けれども、前の自分がアルテメシアに降り立った時に…。
(水溜まり…)
 雨上がりに降りた、郊外の野原。其処に水溜まりがあった。たまたま土が窪んでいて。
 その水溜まりに映った空に気付いて、覗き込んだ。「こんな所に空がある」と。
 空を映していた水溜まり。まるで自然の鏡のように。
 いつか行きたい地球の空もきっと、こういう風に映るのだろう。雨が降ったら。
(シャングリラには、空なんか無かったから…)
 考えたこともなかった景色。水さえあったら、空が地面に映るだなんて。
 シャングリラには無いのが空。何処も天井が見えるだけ。せいぜい、公園の天窓くらい。船では一番広い公園、その上に窓はあるけれど…。
(…いつも雲の中で、空なんか…)
 見えはしないし、その上、肝心の水溜まり。それさえも船では目にしない。
 どの公園も夜の間に散水するから、朝には消えてしまっている水。その雫さえも残さずに。
(船の外なら、空から雨が降って来て…)
 こういう水溜まりも出来る。自然に出来た窪みに溜まって、空を映している水溜まり。
 シャングリラの中には無い空を。…青く晴れ渡った、雨上がりの空を。



 地球でもきっとこう見えるだろう、と暫く見ていた水の中の空。地面の上に映し出された空。
 テラフォーミングで人が住めるようになった星でも、水溜まりを覗けば空がある。地球の空とは違っていたって、空は空。
 なのに、シャングリラは水溜まりさえも出来ない船。
 空が無いどころか、その空を映す水溜まりの一つも無いのが今のシャングリラ。
(これじゃ駄目だ、って…)
 そう思ったから、招集した会議。キャプテンと、長老の四人を集めて提案した。シャングリラの公園に雨を降らせることは無理だろうか、と。
「本物の雨が無理だというのは分かっている。…だが、似せることは出来るだろう?」
 今の公園の散水システム、あれを改造してやれば。…雨そっくりに水を撒けるような形に。
「出来ないことはないだろうがね…」
 今の設備が無駄になる、とヒルマンが答えた。「それに非効率的でもあるね」と。
 少ない水でも木々に充分に行き渡るよう、出来ているのが今のシステム。それの代わりに、ただザーザーと降らせるだけでは、水だって無駄になるのだから、と。
「でも…。今は水溜まりも無い船なんだよ、シャングリラは」
「水溜まり…?」
 それはいったい、と誰もが不思議そうな顔をしたけれど、「水溜まりだよ」と繰り返した。
「アルテメシアで水溜まりを見たんだ。その中に空が映っていたよ」
 雨上がりの青く晴れた空がね。あれが自然な景色なんだよ、水溜まりも無い船と違って。
「この船に自然は無いんじゃがな?」
 空も無いわい、とゼルが呆れた風に鼻を鳴らしたけれども、諦めずに続けようとした説得。
「自然は無くても、真似られるよ。公園に雨を降らせたら」
「それを言うなら、雨とセットで雪も降らせようって言うのかい?」
 そこまでやるなら賛成だけどね、と笑ったのがブラウ。
 「雪が降ったら楽しいけれども、そんな余裕は無い船だよ」とも。
 いくらこの船が楽園の名前を持っていたって、雪を降らせる余裕までは…、と。



 ブラウにも笑い飛ばされた雨。しかも「雪まで降らせたいのか」と。
 雪は考えてもいなかったけれど、魅力的な言葉ではあった。アルテメシアには雪も降るから。
「…雪…。雨が出来るのなら、雪だって…」
 降らせられそうな気がするよ。人工の雪があると聞くから、冬になったら…。
 雪も降らせてはどうだろう、と更に推し進めた話。シャングリラの公園に雨と雪を、と。
 けして不可能ではなさそうだから。検討する価値はありそうなように思えたから。
 けれど、ヒルマンは賛成してはくれなかった。
「雪を降らせることは可能だ。雨と同じで、システムを作り替えさえすれば」
 ただ、問題がありすぎる。この船は確かに楽園だがね…。
 そうした部分にエネルギーを割くより、もっと有効に利用しないと。船の中が全てなのだから。
「…駄目かな?」
 雪はともかく、雨の方も…?
 公園に降らせられたらいいのに、と言い募っても、ゼルにまで「駄目じゃ!」と否定された。
「余計なエネルギーは回せん、たかが水撒きの話じゃからな」
 第一、システムの改造だけでも手間暇がかかる。今のシステムで充分なんじゃ!
 さっきブラウも余裕が無いと言ったじゃろうが、と水を向けられたブラウは頷いたけれど。
「でもねえ…。ソルジャーの案にも一理あるねえ、雨が降らないのは本当だから」
 そうは言っても、雨を降らせる余裕は無いし…。もちろん雪もね。
 だからさ、昼間に水撒きするっていうのはどうだい?
 今は夜中にやっているのを、昼間に変えれば公園はずぶ濡れになるわけだろう?
 そうすりゃ水溜まりも出来るだろうさ、とブラウが出した代替案。
 雨とはかなり違うけれども、散水すれば木々は濡れるし、きっと水溜まりも出来る筈。今よりは自然に近付くだろう、と。気分だけでも雨が降った後を味わえるのでは、と。
「そうか、その手があったんだ…。昼の間に水を撒いたら、水溜まりも…」
 ブラウの案がいいと思うよ、ぼくは。…この方法でも駄目かい、ヒルマン?
 散水システムを使う時間を変えるだけだし、非効率的でもないと思うんだけどね…?



 その方法でやってみたい、とヒルマンの顔を窺った。
 本物の雨が駄目だと言うなら、せめて水に濡れた公園だけでも、と考えたから。散水システムで水を撒いても、水溜まりは出来るだろうから。
「夜の間に水を撒くのは、みんなの都合を考えてだけのことだろう?」
 濡れた公園より、快適に過ごせる公園の方がいいからね。
 でも、それだけでは駄目なんだ。…雨も降らない船のままでは、やっぱり駄目だよ。
 昼の間に水撒きしたなら、水溜まりが出来て、気分だけでも…。
 雨が降ったように見える筈だ、と畳み掛けたら、ヒルマンの顔に浮かんだ笑み。
「反対する理由は全く無いね。…エネルギーの無駄にならないのなら」
 それに子供たちにも、雨上がりの景色を見せてやれるよ。紛い物だがね。
 所詮は公園の中だけなのだし、水の降らせ方も本物の雨とは違うのだから。
「それでもいいよ。水溜まりも出来ない船よりは」
 雨は無理でも、水溜まりが出来れば充分だ。…その上に空は映らなくても。
 昼の間に水を撒こう、と乗り出した膝。「その方法があったじゃないか」と。
「ですが、ソルジャー…。毎日というのは、私は賛成しかねます」
 今の散水方法は色々と検討した結果なのですから、とエラが口を挟んだ。効率よく水やりをしてやるのならば、仲間たちの都合を考えて夜。昼間の散水はたまにでいい、と。
「それもそうだね…。公園が濡れていたら、困る仲間もいそうだし…」
 月に一回くらいだろうか、今までは全く無かったことを思ったら。
 好評だったら、様子を見ながら徐々に回数を増やしていけば…。
「そんな所じゃろうな、皆も慣れてはおらんから」
 濡れた公園も気に入った、という声が上がってからでいいじゃろ、増やすのは。
 最初は月に一回じゃな、と髭を引っ張ったゼル。
 「皆が慣れたら、自然を真似ればいいじゃろう」と。
「では、散水を昼間に実施してみる、ということでよろしいですか?」
 キャプテンとしても、反対は全くございません、とハーレイが纏めにかかった会議。
 雨を真似るシステムを作る代わりに、昼間に散水。最初は月に一回程度で実施してゆく、と。



 そして行われた昼間の散水。あらかじめ皆に予告した上で、時間通りに水が撒かれた。船で一番大きな公園、ブリッジが端に浮かんでいる公園で。
 雨の降り方とは違ったけれども、木々も芝生もしっとりと水を含んだ散水。枝や葉先から落ちる水滴、土が見える場所には水溜まり。東屋にもベンチにも、散歩道にも降り注いだ水。
 集まっていた船の誰もが、濡れた景色を楽しんだ。「本物の雨が降ったようだ」と。
 ヒルマンが連れて来た子供たちだって、走り回って喜んだ。水溜まりを踏んではしゃぐ他にも、木々から滴る水に当たっては「冷たい!」だの、「頭が濡れちゃった」だのと。
(みんな、とっても大喜びで…)
 最初は月に一度の予定が、早々に二度目をやることになった。二度目をやったら、次は三度目。
 すっかり公園に定着したら、「他の公園でもやって欲しい」という声が出て…。
「昼間の散水、いろんな公園でやったっけね」
 みんなが濡れた景色に慣れたら、それが当たり前になっちゃったから。
 昼間はいつも乾いてるなんてつまらない、ってことで他の公園でも昼間に水撒き。
「うむ。一斉にやらずに、日をずらしてな」
 少しでも多く楽しめる方がいいだろう、と実施する公園を俺が中心になって決めてたんだが…。
 面白いもんだな、人間ってヤツは。
 暫くの間はそれで良かったが、どうせやるならランダムに、っていう声が増えて来てだな…。
 予告も要らん、と言うもんだから、お望み通りにしてやった。
 もう文字通りに予告無しで、とハーレイは懐かしそうな顔。
 月一回で始めた筈の昼間の散水、それは全部の公園が対象になって、ついには全く予告無し。
 散水時間を決めるプログラムもランダムになったものだから、うっかり公園に入っていると…。
「いきなり水撒きが始まっちゃって、びしょ濡れになる仲間、いたっけね」
 シールドで防ぐ暇もなくって、頭から水を被っちゃって。
 其処でシールドすればいいのに、一度濡れたら、もうそれっきり。降って来ちゃった、って。
「いたなあ、そういうヤツらもな」
 子供たちだって、ヒルマンもろとも濡れてたが…。
 「早く入りなさい!」と、ヒルマンが東屋に走り込ませたモンだったが…。



 しかし、そいつが大人気だった、とハーレイが顔を綻ばせる。「愉快だったな」と。
「俺はブリッジからよく見てたんだが、大人も子供も大はしゃぎだ」
 こういうモンだ、と慣れちまってからも、プログラムはランダムのままだったから…。
 やっぱり慌てて走って行くんだ、いきなり降られた仲間がな。
 正確に言えば、雨じゃないんだから、水を撒かれたわけなんだが…。
「忘れちゃってたよ、あのイベント…」
 子供たちは喜んで遊んでたのにね、水溜まりで。…公園に水が撒かれた時は。
「俺もすっかり忘れていたなあ、お前が話を持ち出すまでは」
 昼間の水撒きで直ぐに思い出したが、それはキャプテンだったからなんだろう。定着するまでに色々考えたりもしたから、そのせいで覚えていたってわけだ。前の俺の記憶の中できちんと。
 とはいえ、アルテメシアを離れた後には、もう無かったしな…。
 ジョミーを迎えた時の騒ぎで、既に無くなっちまっていたが…。爆撃であちこち壊れたから。
 ナスカに着いて本物の雨に感動してたが、その雨を見るまでに十二年だ。
 それだけの間、ずっと宇宙を放浪していて、人類軍に発見されては追われてたしな…。
 昼間にやってた水撒きのことも、水溜まりも忘れちまっていたさ。
 ナスカに着いた時にはとっくに、俺はそのことを忘れてた。
 前のお前が「雨を降らせたい」と言っていたことも、水溜まりを作りたいと言い出したことも。
 雨上がりの虹なら、せっせと追い掛けていたんだがなあ…。
 虹の橋のたもとには、宝物が埋まっていると聞いたからな、と話すハーレイ。その宝物は、深い眠りに就いてしまったソルジャー・ブルーの魂だった、と前にハーレイから聞いている。
「じゃあ、ナスカでは水溜まりの中を覗いていないの?」
 ラベンダー色だったっていうナスカの空が地面にあるのは、見ていないわけ…?
「水溜まりに映っていた空か? そりゃ、気付いてはいたんだろうが…」
 俺の足元にあるわけなんだし、目に入ってはいただろう。
 しかし、感慨深くは見てないな。前のお前が思ったように、「空がある」と感激しちゃいない。
 お前の魂を探しに行くには、水溜まりは余計なものだったんだ。
 虹を追い掛けて歩くんだからな、水溜まりがあったら邪魔だろうが。



 靴は汚れるし、足は滑るし…、というのが前のハーレイが感じたこと。
 赤いナスカで虹がかかる度、ハーレイは虹を追っていた。虹の橋のたもとに辿り着いたら、手に入るという宝物。橋のたもとを掘り起こして。
 宝物を見付けたら、眠り続けるソルジャー・ブルーの魂、それが目覚めてくれるのかも、と。
「俺の目当ては虹だったんだし、消えちまう前に追い掛けないと…」
 結局、一度も辿り着けないままだったがな。…なにしろ、相手は虹なんだから。
 虹を追い掛けて歩く間は、水溜まりは俺の邪魔をするもので…。
 虹の橋まで辿り着けなくて帰る時には、俺はガッカリしてたから…。
 水溜まりをわざわざ覗きはしないし、跨ぐか、避けて通るかだよな。…俺の前にあったら。
 だから知らん、と言われたナスカの水溜まりの空。
 きっとあっただろう、ラベンダー色をした空の欠片たち。雨上がりの赤いナスカの地面に。
「そうだよね…。前のハーレイ、水溜まりどころじゃなかったよね…」
 ぼくがちっとも目覚めないから、虹を追い掛けて宝物探し。…前のぼくの魂。
 そっちに必死になっていたなら、水溜まりの中まで楽しめないよね。水溜まりに映ったナスカの空に見惚れているより、避ける方。…その水溜まりを。
 ごめんね、眠っちゃっていて…。
 ずっとハーレイのことを放りっ放しで、十五年間も眠っちゃっていたなんて…。
「かまわんさ。…お前は生きててくれたんだから」
 眠ったままでも、目覚めなくても、お前が生きていてくれただけで充分だった。
 青の間に行けばお前がいたしな、深く眠っていただけで。
 このまま地球まで行けそうだよな、と夢を見たこともあったんだ。…眠ったままでも。
 もしも地球まで辿り着けたら、どうやってお前を起こしたもんか、って考えたりもな。
 「ほら、着いたぞ」って起こしてやらんと駄目だから。
 俺は幸せな夢を見てたし、それでいい。水溜まりに映る空なんかよりも、幸せな夢。
 お前と一緒に地球に着いたら、という夢をまた見られたからな。



 ところで…、とハーレイに向けられた視線。
 ハーレイの話が話だっただけに、メギドへ飛んでしまったことかと思ったけれど。あんなに虹を追い掛けたのに、無駄骨だったと言われるのかと、内心ギクリとしたのだけれど。
「…お前、どうして水撒きの話になったんだ?」
 シャングリラの昼間の水撒きのこと、とハーレイはまるで違う方へと話を向けた。そういう話になった理由は、今日の午後に降ってた通り雨か、と。
 それもハーレイの優しさだと分かる。前のハーレイの深い悲しみを、あえて口にはしないこと。
 だから自分も、それに応えることにした。ナスカで起こった悲劇は無かったかのように。
「…ううん、降ってた雨じゃなくって、帰り道に見付けた水溜まり」
 バス停から家まで歩く途中で見付けたんだよ、道路にあった水溜まりをね。
 それで覗いたら、水溜まりの中に頭の上の空が映ってて…。
 この空は地球の空だよね、って水溜まりを覗き込んじゃった。地面にも地球の空が一杯。
 水溜まりがあったら空が映るし、小さな水の雫にだって。
 こういう景色は地球だから見られるんだよね、って考えていたら思い出したんだよ。子供たちがよく遊んだりしてた、シャングリラの公園の水溜まりのことを。
 それで水溜まりが出来た原因の方に頭が行っちゃった、とハーレイにきちんと説明したら。
「なるほどな…。地面にも地球の空が一杯だったか、水溜まりに映るもんだから」
 そりゃ良かったなあ、嬉しかっただろう?
 頭の上には地球の空があって、足の下にも地球の空が幾つもあるわけだしな。
「そうだよ、空の欠片が一杯。感動しちゃった」
 水溜まりを端から覗きながら帰って、家の庭でも見ていたよ。…水溜まりは無かったんだけど。
 ぼくの家の庭、芝生だから…。水はけが良すぎて、水溜まりは無し。
 だからね、水の雫を覗いたわけ。
 庭でハーレイと使うテーブルと椅子に、水の雫が幾つもあって…。
 それを覗いたら、庭の景色と一緒に空も映ってた。小さいけど、ちゃんと地球の空がね。



 次はハーレイと一緒に覗きたいな、と持ちかけた。
 水の雫を覗くだけなら、家の庭でも出来るから。雨上がりなら、いつでも出来ることだから。
「いいでしょ、庭に出て覗こうよ」
 雨が止んでから直ぐの時なら、水溜まりだって何処かにありそう。花壇とかに。
 覗いたら地球の空が見えるよ、ハーレイと一緒に見てみたいな。地面に落ちてる空の欠片を。
 この次に雨が降った時に…、と頼んだら。
「水溜まりもいいが、もっとデカいスケールでいこうじゃないか」
 せっかく地球の空が映るのを見るんだからなあ、どうせだったら逆さ富士とか。
 そういうのをな、と言われたけれども、掴めない意味。
「逆さ富士?」
 それって何なの、どんなものなの?
 水溜まりよりも大きいってことは分かるけれども、逆さ富士なんて知らないよ…?
「知らんだろうなあ、今は無いから。…富士山って山は知っているだろ?」
 昔の日本で一番高くて、綺麗だと言われていた山だ。
 その富士山は、今は何処にも無いがだな…。まだ富士山があった頃に、だ…。
 人気だったのが逆さ富士だ、とハーレイが教えてくれたこと。
 富士山の麓にあった湖、其処に逆さに映る富士山。その風景が逆さ富士。
 それが美しかったというから、見に出掛けようという話。富士山はもう無いのだけれども、他の湖や山があるから。湖に映る姿が美しい山は、今の時代もあちこちに。
 そういう湖がハーレイのお勧め。地球の空も景色もそっくりそのまま、映し出す湖面。
「いいね、大きな水溜まりだね」
 水溜まりだなんて名前で呼んだら、湖が怒りそうだけど…。だけど、大きな水溜まり。
 うんと大きな空が映って、地球の景色も映るんだね?
「そういうことだな、同じ水溜まりならデカいのがいい」
 いつか二人で見に行こう。お前が大きくなったら旅行だ、そういう景色が見られる場所へ。
 シャングリラの水溜まりとはスケールが違うぞ、相手は湖なんだから。
 あのシャングリラよりも遥かにデカい湖、地球には幾つもあるんだからな。



 もちろん普通の水溜まりだって二人で見よう、とハーレイは約束してくれた。
 この次に雨が降って来た時、一緒にいる間に止んだなら。晴れて青空が覗いたら。
 まだ水溜まりがありそうな内に庭に出てみて、地面の上の小さな空の欠片を眺める。水溜まりを二人で覗き込んで。
 「地面の上にも地球の空があるね」と、「そうだな」と頷き合ったりして。
 ハーレイと二人で青い地球までやって来たから、それが見られる。地面の上の空の欠片が。
 もっと大きな水溜まりみたいな、湖にだって出掛けてゆける。
 いつか自分が大きくなったら、水溜まりよりを覗くよりもずっと素敵な、空を映し出す湖へ。
(…逆さ富士、今だと、どんな景色になるのかな…?)
 湖に映る景色の方も、それを映し出す湖も。…ハーレイのお勧め、今の時代の逆さ富士。
 ハーレイと二人で暮らし始めたら、地球の大きな湖に映る空を、景色を眺めにゆこう。
 この星は水の星だから。
 地面の上にも、空を映す水がある星だから。
 前の自分が焦がれ続けた、青い地球ならではの水溜まり。
 湖という名のとても大きな水溜まりにだって、地球の空が綺麗に映るのだから…。




              水溜まり・了


※ブルーが気付いた、水溜まりの中に映った空。シャングリラでは見られなかった光景。
 船にあったのは、ただの水溜まりだけ。けれど喜んだ仲間たち。今なら水溜まりどころか湖。
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(あっ…!)
 嘘、とブルーが崩したバランス。学校からの帰り、バス停から家まで歩く途中で。
 不意に、もつれてしまった足。自分で自分の足を引っ掛けたか、それとも歩幅が狂ったものか。止める暇も無くて、気付けば転んでいた道路。それは見事に、ペシャンと、ドサリと。
(転んじゃった…)
 自分の目と同じ高さに道路。向こうの方へと伸びているのが良く分かる。両脇に並ぶ家だって。大慌てで手をついて起き上がったけれど、立ち上がって膝の埃を払ったけれど。
(こんな所で…)
 転ぶなんて、と文字通り顔から火が出そう。多分、真っ赤に染まっている顔。もしかしたら耳の先っぽまで。誰が見たって「何か失敗したんだな」と分かるくらいに。
 余所見しながら歩いたせい。生垣の向こうに見えている庭、何があるのかとキョロキョロして。花壇の花やら、駆け回っているペットたち。そういったものを探していて。
 お蔭で転んで、しかも道路には何も無い。足を引っ掛けそうな段差も、石ころだって。
 道路に何か落ちていたなら、それのせいだと言えるのに。自分のせいでも、知らないふり。
 けれど出来ない、その言い訳。道路には何も無いのだから。
(…転んだの、誰も見ていないよね?)
 少し鼓動が落ち着いて来たら、気になったものは目撃者。何処かの庭で見ていた人とか、窓から偶然、見た人だとか。
(…誰もいない筈…)
 庭にも窓にも見えない人影。サッと引っ込んだりもしなかったから、きっと目撃者はいない。
 転んだ所を見られなくて良かった、と平気なふりで家へと歩き始めたけれど。転ぶ前と同じに、庭や生垣を眺めながらの道なのだけれど。
 いつもより少し速くなる足。
 現場から早く離れたくて。とても恥ずかしい思いをした場所、其処を急いで立ち去りたくて。



 家に帰り着いて、制服を脱いで、おやつを食べにダイニングに行っても、まだ頭から離れない。道路で転んでしまったこと。何も無いのに、ペッシャンと。
(格好悪い…)
 あれじゃ子供、と消えてくれない恥ずかしさ。学校の制服を着ていただけに、なお恥ずかしい。下の学校の子供だったら、制服は着ていないから。制服だけで、今の学校だと分かるから。
(…下の学校なら、まだマシなのに…)
 あそこで同じに転んでいたって、自分よりは子供。誰が見たって、下の学校に通っている子。
 ところが自分は、そうはいかない。制服が「下の学校の子じゃないですよ」と知らせるから。
(転ぶなんて、ホントにカッコ悪すぎ…)
 幸い怪我はしなかったから、母にはなんとかバレずに済んだ。制服のズボンが守ってくれた膝。ついてしまった手も、擦り剥いたりはしなかった。
 転んだはずみに怪我をしていたら、必要になるのが薬箱。コッソリ手当てをしようとしたって、母に見付かって訊かれてしまう。「どうしたの?」と。
(雨の日だったら、まだマシなのに…)
 制服は濡れて汚れるけれども、「滑った」と言い訳出来るから。
 本当は余所見で転んでいたって、雨の日の道路は滑りやすいもの。母はもちろん、誰かが現場を目撃したって、「滑ったんだな」と思ってくれる。
 何も無いのに、転んだなどとは気付かずに。「可哀相に」と同情しても貰える筈。
(でも、誰も見ていなかったんだし…)
 制服も汚れはしなかったのだし、もうバレない。帰り道で転んでいたことは。母にも、ご近所の人たちにも。
 目撃者はゼロで、薬箱のお世話にもならなかったから。



(良かったよね…)
 転んでたのがバレなくて、と戻った二階の自分の部屋。おやつを美味しく食べ終えた後で。
 何も無い所で転ぶだなんて、もう本当に子供のよう。それも自分より遥かに小さい、下の学校にさえ行っていない子。幼稚園児とか、もっと幼い子とか。
(小さい頃ならいいんだけれど…)
 道で見事に転んでいたって、大勢の人が現場を目撃していたとしたって。
 幼かった頃なら、よく転んでは泣いていた。家の庭でも、さっきのような道路でも。母と一緒に遊びに出掛けた公園でだって。
 今よりもずっと小さな身体は、バランスを取るのが下手くそなもの。何かのはずみに、コロンと転がる道路や芝生。そうなったらもう、それだけでビックリするのが子供。
 おまけに痛いし、ただワンワンと泣くしかない。ほんのちょっぴり、膝が赤くなっただけの怪我でも。血が滲むだけで、流れ出してはいなくても。
 転んでしまって、立ち上がれもしないで、その場で「痛いよ」と泣きじゃくっていたら…。
(いろんな人が…)
 小さかった自分を助けてくれた。母の他にも、通り掛かった人たちが。
 「大丈夫?」とキャンディーをくれた人だって。「痛いのが消えるお薬をどうぞ」と。
 擦り剥いてしまった膝や、赤くなった手。怪我をしていた所には…。
(子供絆創膏…)
 可愛い絵が描かれた、子供の目には素敵な絆創膏。それをバッグやポケットから出して、傷口に貼ってくれた人もいた。「ちょっとしみるけど…」と消毒用の布とかで埃を拭ってくれた後で。
 ああいう用意をしていた人たち、自分の子供用でなければ、お孫さん用だったのだろう。小さな子供が転んだ時には、直ぐに必要なものだから。
(ママだって、持っていたんだけど…)
 不思議なことに、知らない誰かが手当てしてくれたら、遥かに良く効くような気がした。魔法をかけて貰えたようで。
 「痛いのが消えるお薬だから」と、貰ったキャンディーだって、そう。
 同じキャンディーを母に貰うより、ずっと素敵で良く効く薬。子供絆創膏の絵だって、頼もしく思えて嬉しかった。まだズキズキと痛んでいても、涙がポロポロ零れていても。



 魔法みたい、と子供心に思ったこと。貰ったキャンディーや、貼って貰った子供絆創膏。
 きっと心が弾んでいたから、効くように思ったのだろう。知らない人たちが「大丈夫?」と心配してくれて、優しく慰めてくれたから。…泣きじゃくっているだけのチビの子供を。
(今のぼくが道で転んでいたって…)
 キャンディーなんかは貰えない。可愛らしい子供絆創膏も。
 今の学校の制服を着ているような大きな子供は、どちらも貰えはしなくって…。
(大丈夫かい、って…)
 生垣越しに顔を出すだろう、現場を見ていたご近所の御主人。
 後はせいぜい、薬箱くらい。「傷の手当てをして行かないと」と家に入れて貰って、擦り剥いた膝や手とかの手当て。傷薬と普通の絆創膏で。
(運が良かったら…)
 おやつも出るかもしれないけれど。「食べて行くかい?」と、奥さんの自慢のケーキとか。
 それもいいよね、と想像を繰り広げていた、転んだ後の自分の姿。キャンディーや子供絆創膏の代わりに、薬箱と、運が良ければおやつ。
 ちょっぴり素敵な光景だけれど、そういう夢を描いてしまうのだから…。
(ぼくって、子供…)
 転んだのが恥ずかしくて逃げ出したけれど、かまって欲しくもあるらしい。
 幼かった頃はそうだったように、もしも誰かが見ていたならば。自分を心配してくれたなら。
(顔は恥ずかしくて真っ赤でも…)
 薬箱を断って帰りはしないで、きっと入ってしまうだろう家。御主人の後ろにくっついて。
 傷薬と普通の絆創膏でも、傷の手当てをして貰えたら、とても嬉しい。その後でおやつを出して貰ったなら、すっかり御機嫌。
(美味しいね、ってニコニコ笑って…)
 自分が転んだことも忘れて、御主人や奥さんと話していそう。ペットを飼っている家だったら、一緒に遊んだりもして。



 そうなりそう、と思った今の自分が転んだ後。もう幼いとは言えないけれども、中身はそっくりそのまま子供。キャンディーがおやつに、子供絆創膏が普通の絆創膏に変わるだけ。期待している掛けられる声、「大丈夫かい?」と。
 転んだことは、とても恥ずかしいのに。幼かった頃の自分みたいに、泣きじゃくったりはしない筈なのに。
(小さい頃から変わってないよ…)
 大きくなったのは身体だけ。中身は幼かった頃と同じで、転んだらかまって欲しがる子供。薬箱から出て来るだろう絆創膏と傷薬。それで満足、おやつがあったら、もっと嬉しい大きな子供。
 こんな調子だから、ハーレイに「チビ」と言われるのだろう。
 キスだって駄目で子供扱い、「前のお前と同じ背丈に育つまでは」とお預けのキス。
 そうなるのも仕方ないのかも、と自分の姿を顧みてみる。今もやっぱり、転んだ時にはかまって欲しい子供らしいから。
(うーん…)
 転んだ現場に居合わせたのがハーレイだったら、どうなるのだろう?
 もしも二人で、あそこを並んで歩いていたら。ハーレイの目の前で、道路に転んでしまったら。
(逃げようだなんて、思わなくって…)
 急いで立ち上がって逃げる代わりに、助け起こして貰えることを期待していそう。
 「大丈夫か?」と差し出される手。とても大きな褐色の手が、こちらに伸ばされることを。その手でしっかり抱え起こして、「怪我してないか?」と訊かれることを。
 ハーレイがそう尋ねてくれたら、自分はきっと…。
(痛くないのに、痛いって騒いで…)
 抱き上げて運んで貰おうとするか、背中に背負って欲しがるか。
 足が痛くて歩けないから、「家まで連れて帰って」と。
 逞しい腕と頑丈な身体を持った恋人、好きでたまらないハーレイに世話をして欲しくて。



 困った顔をするだろうけれど、断ったりはしない筈の恋人。「自分で歩け」と突き放すことは、きっとハーレイはしないから…。
(抱っこか、おんぶで家まで運んで貰って…)
 帰り着いたら、傷の手当てをせがむのだろう。ハーレイが「見せてみろ」と言わなくても。傷の手当てをしなければ、と薬箱を持って来てくれるように、母に頼みに行かなくても。
(ちょっぴり赤くなってるだけでも…)
 擦り剥いてはいなくて打ち身だけでも、「うんと痛い」と騒ぎそうな自分。
 ハーレイに甘えてみたいから。傷薬も絆創膏も要らない傷でも、優しく手当てして欲しいから。
(そんなの、出来っこないんだけどね…)
 二人で外を歩きはしないし、もしも散歩に出掛けたとしても、帰ったら家には母がいる筈。休日だったら父だっているし、二人とも直ぐに気付いてしまう。
(門扉のトコで、ハーレイ、チャイムを鳴らすだろうし…)
 歩けない自分を抱いているとか、背負っているなら、門扉を開けてくれる人が必要。怪我をした自分は開けられないから、母か父。それを呼ぼうと鳴らされるチャイム。
 父と母と、どちらが出て来たにしても、一人息子はハーレイに運ばれて帰宅。抱っこか、背中に背負われているか、足が痛いのは一目瞭然。
 怪我となったら、母が手当てをするだろう。ハーレイに任せておきはしないで。
 その母が「大変!」と薬箱を持って来たならば…。
(叱られちゃうよ…)
 痛いと訴えている足を調べて、「怪我なんかしていないでしょ」と。
 少し擦り剥いていたとしたって、「自分の足で歩ける筈よ」と、ペタリと貼られる絆創膏。
 ちゃんと自分の足で歩けるのに、ハーレイに迷惑をかけたこと。それを叱って、お仕置きに…。
(絆創膏を貼った上から、ポンって…)
 軽く叩くのだろう母。「このくらい、我慢しなさい」と。
 幼い子供だったらともかく、十四歳になっている子供。「甘えん坊って年じゃないわ」と、母に叱られて、ハーレイに謝るように言われる。「我儘を言ってごめんなさい」と。



 そんな感じ、と思うけれども、出来るわけがない夢のような話。
 ハーレイと並んで外を歩いて、助け起こして貰うこと。今は二人で出掛けはしないし、転ぶことさえ出来ないから。ハーレイの前で道路にペシャンと転ぶことなど、不可能だから。
(ぼくが大きくなってからだと…)
 一緒に歩くことは出来るけれども、転んだら今より恥ずかしい。
 前の自分と同じ背丈に育っているなら、何処から見たって立派な大人。十八歳でも、子供だとは言えない年頃の筈。そんなに大きく育った大人は、まず転ばない。
(…ホントに足でも滑らせないと…)
 転ばないのが一人前の大人で、転んだとしてもサッと立ち上がるもの。転んだ拍子に足を捻って動けないとか、やむを得ない事情が無い限りは。
(でも…)
 ハーレイは助けてくれるだろうか、もしも自分が転んだら。二人並んで歩く途中で、ペシャンと転んでしまったなら。
 「お前、子供か?」と笑いながらでも。「転ぶような物は落ちてないぞ?」と呆れ顔でも、あの大きな手を差し出して。無様に道路に伸びた自分に、「ほら、掴まれ」と。
(ハーレイ、助けてくれるのかな…?)
 どうなのだろう、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。ぼくが転んだら、助けてくれる?」
「はあ?」
 転ぶって…。何処で転ぶと言うんだ、体育の時間のグラウンドか?
 でなきゃ廊下か、校舎の中とか、渡り廊下とか。…そういう所で、転んだお前を助けろと?
 他にも誰かいそうだがな、とハーレイは怪訝そうな顔。「体育の時間なら、先生がいるし…」と首を捻って、「廊下にも友達、誰かいないか?」と。
 「俺が助けに行くよりも前に、そっちを頼るべきだと思うが」という意見。「断然、早い」と。
「学校だったら、そうなんだけど…」
 ぼくもハーレイが助けに来てくれるまで、待っていたりはしないけど…。
 そうじゃなくって、ぼくが転ぶのは…。



 「えっとね…」と、今日の帰りに転んだことを打ち明けた。恥ずかしかったことも話して、幼い頃の思い出も。キャンディーに、子供絆創膏。
「今のぼくなら、薬箱が出て来るんだろうけど…。今日みたいに道で転んでたらね」
 家で手当てをして行きなさい、って家の中に入れて貰えると思う。もしも誰かが見ていたら。
 怪我の手当てが済んだ後には、運が良ければ、おやつも出そう。
 そんなことまで考えちゃうぼくは、まだまだ子供なんだけど…。ハーレイが言う通りに、本当にチビ。まだハーレイと一緒に歩けもしないけど…。
 いつかデートに出掛けた時にね、ぼくが転んでいたらどうする…?
 転んじゃったら助けてくれる、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。「ぼくを助けてくれるの?」と。
「そりゃまあ、なあ…?」
 助けないわけがないだろう。俺の大事な恋人なんだし、もう嫁さんかもしれないな。
 転んだままで放っておきはしないし、俺は大急ぎで助け起こすが…?
「ホント?」
 ハーレイ、ちゃんと助けてくれるの、転んでいたら…?
 「自分で起きろよ」って言ったりしないで、ぼくを助けて立たせてくれるの…?
「もちろんだ。前も助けてやったじゃないか」
 お前が転んじまった時には、きちんとな。お前を放って行ったりはせずに。
「え…?」
 転んだって…。それに助けたって、それ、いつの話…?
 知らないよ、と驚いて目を丸くした。ハーレイの前で転んだことは無い筈だから。倒れたことはあったけれども、転ぶのとはまるで違うから。
「忘れちまったか?」
 覚えてないのか、一番最初に転んでた時は、お前、今と同じでチビだったぞ。
 今のお前とそっくり同じに、痩せっぽちでチビの子供だったが…?
「チビ…?」
 それって、前のぼくのこと…?
 前のぼく、何処かで転んでいたかな、ハーレイと一緒にいた時に…?



 何処だったろう、と考えてみても分からない。チビだったのなら、アルタミラから脱出した頃。
 船の通路で転んでいたのか、前のハーレイがいた厨房の床か。
(…厨房の床なら、いつもピカピカ…)
 食料を扱う場所だから、と毎日、磨き上げられた床。夕食の後の掃除はもちろん、他の時間にも手が空いた時は、誰かがせっせと磨いていた。野菜くずなどで汚れないように、と。
 あそこだったら、滑って転んだこともあるかも、と厨房の床を思い浮かべていたら…。
「お前、アルタミラで転んでいただろうが」
 俺と出会って直ぐの頃だな、最初はポカンと一人で座り込んでたが…。
 あれは転んだとは言わないだろうし、助け起こした内には入らん。俺が立たせてやったがな。
 その後だ、後。
 俺と一緒に走ったろうが、というハーレイの言葉で蘇った記憶。
「あっ…!」
 思い出したよ、前のハーレイと一緒に走ってたんだっけ…。何度も転んじゃったけど。
 他の仲間たちが閉じ込められたシェルター、全部、開けなきゃ駄目だったから。
 でないと、みんな死んじゃうもんね、と手繰った前の自分の記憶。ハーレイと走った炎の地獄。
 メギドの炎で滅びようとしていたアルタミラ。
 空まで真っ赤に染め上げた炎、激しい地震で揺れ動く地面。その上を二人で走っていた。仲間を助け出すために。…幾つものシェルターに閉じ込められて、死を待つだけのミュウの仲間を。
 二人で開けて回ったシェルター。鍵を開けたり、扉が歪んで開かない時には壊したりして。
 そうやってあちこち走る間に、瓦礫に足を取られて転んだ。
(何処へ行っても、瓦礫だらけで…)
 道と呼べそうな場所は殆ど無かった、あの星の上。
 辛うじて道路が残っていたって、地震で入った無数の亀裂。段差だらけで、波打った路面。
 そんな所を走ったのだから、転ばない方がどうかしている。歩幅が大きいハーレイはともかく、チビだった前の自分の方は。
 瓦礫をヒョイと跨げはしなくて、段差も楽に越えては行けない。跨いだつもりでも、引っ掛かる足。越えたつもりでも、越えられなかった段差。



 いったい何度転んだことか、と蘇って来たアルタミラの記憶。炎の海を走っていた時。
 ドサリと地面に投げ出される度、ハーレイが助け起こしてくれた。「大丈夫か?」と、手を差し出して。がっしりとしていた大きな手。
(あの頃のハーレイは、今より若かったんだけど…)
 とうに大人になっていたから、手の大きさは今と変わらない。自分の方も今と同じにチビ。心も身体も成長を止めて、十四歳の頃のままだったから。
(手の大きさ、今と同じなんだよ)
 アルタミラで初めて出会った時の、ハーレイの手も、自分の手も。
 今の自分の小さな右手を、よく温めてくれるハーレイ。前の生の最後にメギドで凍えた、悲しい記憶を秘めた右手を。そっと、温もりを移すために。
 その度に思う、ハーレイの手の温かさと、それに逞しさ。とても頼もしくて、大きな手。
(あれと同じ手だったっけ…)
 前の自分が助けて貰った、ハーレイの手も。
 アルタミラで何度も転んだけれども、その度に自分を起こしてくれた手。瓦礫に覆われた地面の高さが、目の高さと同じになる度に。転んで地面に身体ごと叩き付けられる度に。
 ハーレイはチビだった前の自分を、何度も助け起こしてくれた。手を差し出したり、逞しい腕でグイと抱えて抱き起こしたり。
 助けられる度に、訊かれたこと。まだ走れるかと、痛くないかと。
 燃える地面は、多分、熱かったから。大気までが炎に炙られて燃えて、息をするのも苦しかった筈。他の仲間を助けるのに夢中で、意識してなどいなかったけれど。
 だから、前のハーレイは尋ねてくれたのだろう。前の自分が転んでしまって、助け起こす度に。
 走る力は残っているかと、何処か怪我して痛くはないか、と。
(前のぼく、ハーレイに「大丈夫」って…)
 そう答えては、二人で走り続けた。燃える星の上を、揺れる地面を。
 また転んでも、起こして貰って。
 瓦礫に躓いて放り出されても、段差に足を取られても。
 身体ごと地面に叩き付けられて、目に入るものは瓦礫や波打つ道路だけになってしまっても。



 何度も見えなくなった空。転べば、空は見えないから。忌まわしい炎の色の空さえ。
 行く手の景色も消えてしまって、見えるものは地表を覆う物だけ。瓦礫と、それを舐める炎と、深い亀裂や幾つもの段差。
 たったそれだけ、他には何も見えたりはしない。目の高さが地面と同じになったら、滅びてゆく星の地面に叩き付けられたなら。
(転んじゃったら、本当に地獄…)
 その上を走っている時よりもずっと、無残に見えたアルタミラ。瓦礫と炎と滅びゆく地面、その他には何も無いのだから。空も行く手も、目に入っては来ないのだから。
 なんて酷い、と思った景色。この星はもう終わりなのだと、滅びるのだと思い知らされた地面。
 それが視界を覆い尽くす度に、転んだのだと嫌でも分かった。
 ドサリと地面に突っ伏した自分、見えなくなった目指していた場所。その上にあるだろう空も。
(起きなくちゃ、って…)
 早く立ち上がって行かなければ、と思った、仲間たちが閉じ込められたシェルター。
 こうして自分が転んでいる間も、星は滅びに向かっているから。絶え間ない地震でシェルターが壊れて、仲間たちの命が奪われるから。
 立たなければ、と自分に命じた。「転んでいる暇は無いんだから」と。起きて、立ち上がれと。
 けれど、そうして立ち上がる前に…。
(ぼくが自分で起き上がる前に…)
 ハーレイの手が目の前にあった。前のハーレイの大きな手が。
 自分よりも前を、先を走っていた筈なのに、「ほら」と「掴まれ」と。
 いつの間に気付いて戻って来たのか、必ずあったハーレイの手。
 前の自分が、地面に叩き付けられる度に。転んでしまって、視界が地獄に覆われる度に。
(ハーレイの手に掴まって、引っ張り起こして貰って…)
 またハーレイと走り続けた。
 時には、抱え起こされて。「大丈夫か?」と、「痛くないか」と尋ねて貰って。



 あそこだった、と鮮やかに戻って来た記憶。
 前のハーレイと二人で走って、何度も転んだアルタミラ。炎の地獄で、足を取られて。
「…ハーレイ、起こしてくれていたんだ…」
 ぼくがアルタミラで転んじゃったら、戻って来て。…ぼくよりも前を走ってたのに。
 何度転んでも、いつもハーレイが助け起こしてくれたよ。
 ぼくが自分で立ち上がる前に、ちゃんとハーレイの手があったから…。
「思い出したか?」
 前のお前とは、会った時から、不思議なほどに息が合ったモンだから…。
 お前が転んだら分かるんだよなあ、俺の背中に目玉はついていなかったんだが。
 何か変だぞ、と振り返る度に、お前が転んじまってた。俺の後ろで、地面に叩き付けられて。
 その度に走って戻っていたんだ、とても放っておけないからな。
 いくらサイオンが強いと言っても、お前、身体はチビなんだから。…それに中身も。
 転んだお前を助けていたのは、あれが最初のヤツでだな…。
 お前がデカくなった後にも…。
 やっぱりお前は転んじまっていたんだが、と指摘された。
 もう痩せっぽちのチビではなくて、ソルジャーと呼ばれ始めてからも。キャプテンになっていた前のハーレイを従えての視察の途中で、それは見事に。 
「ソルジャーの威厳も何も、あったもんではなかったってな」と笑うハーレイ。
 転ぶ度にマントの下敷きだったと、「ソルジャーのマント包みだ」と。
 「パイ皮包みなら料理なんだが、マント包みは料理じゃないな」などと、可笑しそうに。
 通路で転んだソルジャーの身体は、頭と足の先っぽ以外は、マントにすっぽり包まれていたと。



 ハーレイ曰く、「ソルジャーのマント包み」なるもの。
 背中に翻っている筈のマントに包まれ、シャングリラの通路に転がるソルジャー。紫のマントが広がる下には、前の自分の身体が入っていたわけで…。
(そうだっけ…!)
 ソルジャーのぼくでも転んだんだよ、と「マント包み」で戻った記憶。
 今のハーレイが言う「ソルジャーのマント包み」となったら、まるで料理のようだけど。何かのパイ皮包みみたいに、前の自分がお皿に載っていそうだけれど。
(…ハーレイ、今も料理が得意だから…)
 そんなのを思い付くんだよね、と思う「ソルジャーのマント包み」。前の自分がシャングリラの通路で転んだ時には、マント包みが出来ていた。頭と足の先っぽ以外は、全部マントの下敷きで。
(ソルジャーのマント包みって…)
 それが通路で出来た理由は今日と同じで、原因は余所見。
 ハーレイと視察に行くと言っても、目的地が遠い時もある。其処に着くまでに通る通路で、ふと目を引いた色々なもの。「あれは何だろう?」といった具合に、逸れていった視線。
 行く手を真っ直ぐ見詰める代わりに、あらぬ方へと向けられた瞳。
 そういった時に、崩したバランス。歩幅が僅かに狂ったはずみや、不意にもつれてしまった足。
(余所見してたら、やっちゃうんだよ…)
 今の自分よりも大きく育った、ソルジャー・ブルーだった自分でも。
 白と銀の上着に紫のマント、そういう洒落た衣装に身体を包んでいても。
(前のぼくなら、転んじゃっても…)
 本当はサイオンで支えられた身体。
 通路に無様に倒れ込む前に、紫のマントの下敷きになって「マント包み」が出来上がる前に。
 それは確かに出来たのだけれど、ハーレイの手が欲しかった。
 「大丈夫ですか?」と差し出される手。
 転んでしまった前の自分を、しっかりと助け起こしてくれる手。
 だから使わなかったサイオン。
 このままだったら、転んでしまうと分かっていても。
 シャングリラの通路と目の高さとが、じきに同じになってしまうと気が付いていても。



 「マント包み、忘れちゃいないだろうな?」と、鳶色の瞳が見据えるから。
 「前のお前の得意技でだ、俺は何度も見ていたんだが…?」とも言われたから。
「…覚えてるってば、マント包み…」
 そういう名前はついてなくって、ぼくが転んでただけなんだけど…。
 マントの下敷きになってしまって、頭と足の先っぽだけしか出てなかったことは本当だけど。
 でも、ソルジャーのマント包みだなんて…。
 前のぼく、お料理みたいじゃない、と唇を少し尖らせた。「それ、酷くない?」と。
「酷いってことなら、どっちなんだか…。俺か、お前か」
 チビのお前の方じゃなくって、マント包みになってた方の、前のお前が問題だってな。
 お前、いつでも転んでマント包みになっては、前の俺に助け起こさせるんだ。
 周りに誰かいた時だったら、絶対、転びはしなかったがな。
 転んじまう前にサイオンでヒョイと支えて、気付かせさえもしなかった。…転びかけたことを。
 しかし、俺しかいない時には、マント包みになっちまう。
 「起こしてくれ」と言わんばかりに、ものの見事に転んじまって。
 酷いというのはアレのことだろ、お前、本当は転ばずにいられたんだから。
 俺の他にも誰かいればな…、と軽く睨んで来るハーレイの瞳。「お前も充分、酷いだろう」と。
「だって、それ…。恥ずかしいじゃない!」
 仲間たちの前で転ぶだなんて、恥ずかしすぎるよ。…前のぼく、子供じゃないんだから。
 今のぼくでも、今日の帰りに転んだ時には、とても恥ずかしかったんだから…!
 ソルジャーだった時に転ぶなんて、と反論した。他の仲間が見ている前では、転べない。
「…俺の前ならいいと言うのか?」
 転んじまおうが、マント包みになっちまおうが。
 今の俺が思い出してみたって、あの格好は無様だとしか思えないんだが…。
 「ソルジャーのマント包み」と呼んだら美味そうなんだが、そいつをプラスして考えたって。
 マントの中身は前のお前で、前の俺には御馳走だったが、それでもなあ…。
 ソルジャーだった方のお前は、俺の御馳走ではないんだから。



 恋人同士だったことさえ秘密だ、とハーレイが眉間に寄せている皺。
 「そのソルジャーがマント包みになっていたって、前の俺は食えやしなかった」と。
「いいか、よくよく考えてみろよ? …前のお前と、俺とのこと」
 俺たちの仲は秘密だったし、ソルジャーのお前の前に立ったら、俺はあくまでキャプテンだ。
 いくらお前に恋していたって、それを顔には出せないってな。
 なのに遠慮なくマント包みになっていたのが、前のお前というわけで…。
 俺に助けろと言っていたんだ、声や思念にもしないでな。…黙ってマント包みになって。
 自分じゃ決して起きないと来た、とハーレイは苦情を言うのだけれど。
「だって、ハーレイが側にいたんだよ?」
 前のハーレイは、ぼくの特別。恋人同士になる前からでも、ずっと特別。
 起こして欲しくもなるじゃない。他の仲間がいないんだったら、転んでしまって。
 ぼくが転んだままでいたなら、ハーレイ、助けてくれるんだから。
 いつも起こしてくれていたでしょ、と微笑んだ。「ソルジャーのぼくが転んだ時も」と。
「特別なあ…。分かっちゃいたがな、そうだってことは」
 前のお前がマント包みになっちまうのは、俺の前だけで、俺に甘えてただけなんだ、と。
 今から思えば、子供みたいな我儘なんだが…。
 俺に助け起こして貰うためだけに、転んじまってマント包みだなんて。
 前のお前は、充分に大人だったんだが…、とハーレイがフウとついた溜息。
 「チビのお前と変わらないな」と、「転んだら助けてくれるのか、と訊くお前とな」と。
「…そっか、前のぼくでもおんなじ…」
 ハーレイに助けて欲しくて転んで、起こしてくれるの、待っていたっけ…。
 前のぼく、マント包みになってた頃には、チビの子供じゃなかったのに。
 ちゃんと育ったソルジャーのぼくで、マントまで着けていたのにね…。
 それでもマント包みなんだ、と今の自分と重ねてみた。前の自分でもその有様なら、今の自分が転んだ後の夢を描くのも仕方ない。薬箱はともかく、おやつを御馳走になれたらいいな、と。
「前のお前も、俺の前ではデカい子供だ。…ソルジャーでもな」
 俺は面倒の見甲斐があったが、他のヤツらには、マント包みは見せられん。
 無様なソルジャーの姿もそうだし、俺に甘えてた姿もな。



 だから今度も安心して転べ、と言って貰えた。「ちゃんと面倒見てやるから」と。
「お前、もうサイオンでは支えられないしな、転びそうになっても」
 不器用すぎて出来やしないだろ、そんな芸当。…今のお前のサイオンでは無理だ。
 つまり、何処ででも転ぶしかないが…。
 転んじまう時には、街でデートの真っ最中でも、お前は転んじまうんだが。
 とはいえ、転んでも、俺がいるんだし…。何も心配要らないってな。
 マントが無いから、マント包みは出来ないんだが…、と今度も助けてくれるらしいハーレイ。
 けれど、街でデートの真っ最中だと、周りを歩いていそうな人たち。
 幼かった頃ならいいのだけれども、前の自分とそっくり同じに育った自分が転ぶとなると…。
「ハーレイ、助け起こしてくれるのは、とても嬉しいんだけど…」
 街でデートの最中だなんて、そんな時には転びたくないよ…!
 きっと周りには人が一杯だし、転んじゃったら恥ずかしいじゃない…!
 今日のぼくでも恥ずかしかった、と言ったのに。目撃者がいなくてホッとしたのが自分なのに。
「なあに、恥ずかしがることは無いってな。もっと真っ赤な顔にしてやるから」
 大勢の人が見ている前でだ、お姫様抱っこで歩いてやる。俺の腕でヒョイと抱き上げて。
 お前、転んだら足が痛くて、とても歩けやしないだろうが。
「抱っこって…。それって、街の真ん中なんでしょ?」
 自分で歩くよ、抱っこなんかをしてくれなくても!
 抱っこはやめて、と慌てたけれども、ハーレイは涼しい顔で続けた。
「転んだ時には助けてくれるか、と言っただろ、お前?」
 助けてやるって言っているんだ、遠慮しないで任せておけ。お前に「歩け」とは言わないから。
「恥ずかしいってば、街の中では…!」
 転ぶよりもずっと恥ずかしいじゃない、抱っこされて歩いているなんて…!
「恋人同士でデートなんだぞ、いいじゃないか。俺もお前を、周りに見せびらかせるしな」
 こんな美人が俺のものだ、と自慢しながら歩くんだ。
 前の俺だと、そいつは出来なかったしな…。
 シャングリラの中でも最高の美人を自慢したくても、ソルジャーとキャプテンだったから。



 お前とデートに出掛けられる日が楽しみだな、とハーレイがパチンと瞑った片目。
 「ソルジャーのマント包みは無理だが、派手に転べよ」と。
 どうやら自分が転んだ時には、抱っこが待っているらしい。ハーレイの逞しい腕で、軽々と抱き上げられて。…二人並んで歩く代わりに、お姫様抱っこでデートの続き。
(なんだか、とっても恥ずかしいけど…)
 そういうデートは、今だからこそ出来ること。前の自分たちには出来なかったこと。
 マント包みになるのがせいぜい、そういう二人だったから…。
 今のハーレイにお姫様抱っこで歩いて貰って、恥ずかしくても、心ではきっと誇らしい。
 耳まで赤くなっていたって、幸せだから。
 ハーレイに大切にして貰えるのが、嬉しくてたまらないだろうから。
(街の真ん中で、派手に転んじゃっても…)
 幸せだろう、未来の自分。前の自分と同じ姿に育った、今よりもずっと大きな自分。
 幼い子供でもないというのに、ハーレイの腕に抱かれて運ばれながら。
 「恥ずかしいから下ろしてよ!」と言っていたって、きっと幸せに違いない。
 もしもハーレイが「そうか?」と素直に下ろしてくれたら、「酷い!」と怒りそうだから。
 せっかくの抱っこが逃げてしまったら、「下ろすなんて!」と怒るだろうから…。




            転んだ時には・了


※転んだ時にはハーレイに助けて欲しい、と思ったブルー。前の生でも同じだったのです。
 本当はサイオンで支えられるのに、ハーレイしかいない時には、ソルジャーのマント包みに。
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