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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

(ソルジャー・ブルー…)
 ジョミーにキース、とブルーが眺めた新聞広告。学校から帰って、おやつの時間に。
 それぞれの写真もついているけれど、広告に載っているのは本。写真集ではなくて、子供向けに書かれた偉人伝。「こういう立派な人たちでした」という中身。
 子供向けでは定番の本で、そういえば…。
(ぼくも持ってた…)
 確かに読んだ、と覚えている。今よりもずっと小さかった頃に。
 人類側のキースはともかく、ソルジャー・ブルーとジョミーの分は間違いなく読んだ。どちらも買って貰ったから。何処の家でも、一冊くらいは買うものだけれど…。
(…ぼくは名前がソルジャー・ブルー…)
 ソルジャー・ブルーと同じアルビノだから、と両親が「ブルー」と名付けた子供。そのお蔭で、文字が読めるようになったら、プレゼントされたのがソルジャー・ブルーの伝記。子供向けの。
(ブルーの名前は、この人から貰ったんだから、って…)
 読み終わったら、ジョミーの分も買って貰えた。ソルジャー・ブルーの跡を継いだソルジャー、SD体制を倒した英雄。「こっちも読んでおかないと」と。
(だけど、キースのは…)
 どうだったのか覚えていない。買って貰ったのか、そうでないのかも。
 自分で強請った記憶が無いから、恐らく持っていないのだろう。SD体制崩壊の歴史だったら、ジョミーの分で分かるから。…大まかなことは。
(後は学校で教わるし…)
 きっとキースの偉人伝まで強請ってはいない。欲しい本なら、他にも沢山あったのだから。
(キースには、とても悪いんだけど…)
 このシリーズを読んだとしたって、学校の図書室で借りた本だと思う。一回読んだだけで満足、家にも一冊持っていたいと思いもしないで、それっきり。
 父に強請って買って貰うなら、もっとワクワクする本がいい。偉人伝よりも。



 多分、キースのは無いだろう本。ソルジャー・ブルーとジョミーの分だけ。
 けれど家には確実にあるし、この広告とそっくりな本。表紙も、それに大きさとかも。
(あの本、何処に入れたっけ?)
 文字は幼稚園の頃から読めたけれども、よく考えたら、下の学校に入ってから直ぐに読んだ本。両親はきっと、プレゼントする時期も考えてくれていたのだろう。
(幼稚園だと、歴史は習わないもんね?)
 いくら「ブルー」という名前の由来にしたって、幼稚園児には難しいかもしれない。書いてあることの意味や、出来事なんかが。
(学校に上がって、直ぐに貰って…)
 ソルジャー・ブルーのを読んで、お次はジョミー。ちゃんと本棚にあった筈。小さい頃の本も、お気に入りなら、今も本棚にあるけれど。たまに読んだりもするのだけれど…。
(他の本だと…)
 仕舞ってある場所は物置の筈。整理用の箱に入っているのか、あるいは棚か。父の書斎に置いてあることはないだろう。なにしろ子供の本なのだから。
(…ソルジャー・ブルー…)
 俄かに読んでみたくなってきた本。子供向けのソルジャー・ブルーの伝記。この本の中で、前の自分はどう書かれたのか。いったいどういう人だったのか。
(歴史の授業で教わるのとは、ちょっと違うよね?)
 その人物の生涯を描き出すのが伝記だから。…歴史上の出来事だけを切り取って教える、学校の授業とは切り口がまるで違う筈。しかも伝記の方は読み物。
(…前のぼくの伝記…)
 子供向けでも、ちょっぴり読みたい。前の自分がどう描かれたか、知りたい気分。読むのなら、これが丁度良さそう。わざわざ大人向けのを買うより、手軽に読めるだろうから。



 読んでみたいな、と思った伝記。子供向けの偉人伝の定番、ソルジャー・ブルーを描いた一冊。前の自分が生きた人生、それが書かれている筈の本。
(でも、物置…)
 あそこにあるなら、自分では捜せないように思う。棚ならまだしも、箱の中では手も足も出ない場所が物置。整理して箱に入れたのは母で、そういう箱が幾つも置いてあるのだから。
 読みたいけれども、見付け出せそうにない偉人伝。どうしようか、と考え込んでいたら、開いた扉。あの本を片付けただろう母がダイニングに入って来たから、訊いてみた。
「ママ、ぼくの本って、何処にあるの?」
「本?」
 部屋にあるでしょ、と当然のように返った答え。「何か見当たらない本でもあるの?」と。
「ぼくが小さかった頃の本だよ。…部屋に無い分」
 大好きだった本は今も持っているけど、そうじゃない本の置き場所は何処?
「そういう本なら、物置ね」
 ママが仕舞っておいたから、と微笑む母。「一冊も捨てていないわよ」とも。
「やっぱり物置だったんだ…。物置の本、ぼくでも捜せる?」
 棚にあるのは見れば分かるけど、箱に仕舞ってある方の本。…何か目印が書いてあるとか。
「捜すって…。何を捜すの?」
 絵本だったら、纏めて入れてあるけれど…。箱にも「絵本」と書いたんだけど…。
 他の本の箱はどれも「本」だわ、と母が言うから、目印は期待出来そうにない。
「…ソルジャー・ブルーの本…。小さい頃に買ってくれたでしょ?」
 この広告に載ってる本。ちょっと読みたくなっちゃって…。
「ああ、それね」
 買ってあげたわね、「ブルーの名前はこの人からよ」って。読み終わったらジョミーの分も。



 読みたいのなら少し待ってなさいな、と出て行った母は直ぐに戻って来た。「はい」と、頼んだ本を手にして。
「早いね、ママ…」
 凄い、とテーブルに置かれた本を眺めた。広告の写真よりも少し古びている本。けれど、表紙は全く同じ。広告そのまま、ソルジャー・ブルーの偉人伝。
「早い理由は簡単よ。…物置には行っていないから」
「えっ?」
 なんで、とキョトンと見開いた瞳。母は物置だと言ったのに。…小さい頃の本の置き場は。
「この本はママが読んでたの。ブルーが学校に行ってる間に」
 ブルーと同じね、この広告を見付けたから…。
 これを読んでた小さなブルーが、今は本物のソルジャー・ブルー。とても不思議な気分でしょ?
 なんだか読みたくなっちゃったの、ママも。…あれはどういう本だったかしら、って。
 それで捜しに行ったのよ、という母の種明かし。アッと言う間に本が出て来た理由。母は物置で本を見付けて、自分の部屋に置いていたらしい。
「ママ、もう読んだの?」
 それとも夜に読むつもりだったの、ママの部屋に置いてあったんなら…?
「全部読んだわ、子供向けだもの。直ぐに読めるわ、ブルーでもね」
 懐かしいから、ママの部屋に持って行っただけ。読むなら、部屋に持って帰るといいわ。
「ありがとう、ママ!」
 読みたかったんだよ、物置で捜し出せるなら。こんなに早く出て来るだなんて…。
 ママが捜していてくれたなんて。



 捜してくれてありがとう、と自分の部屋に持って帰った本。おやつを食べ終えた後で。
 さて、と勉強机の前に座って、懐かしい本を広げたけれど。子供向けにと大きめの活字、それが並んだページをめくり始めたけれど…。
(えーっと…?)
 生き地獄だったアルタミラ時代は、「大変な苦労」と書かれているだけ。狭い檻のことも、酷い人体実験のことも、まるで触れられてはいない本。子供が怖がるからだろうか?
 アルタミラからの脱出にしても、ほんの一瞬。「宇宙船を奪って逃げました」とだけ、ハンスのことは書かれていなかった。開いたままだった乗降口から、外へと放り出されたハンス。
(…大人向けの本なら、きっと書いてあるよね?)
 脱出の時に死んでしまったハンスの悲劇は、歴史の授業でも教わるから。ミュウの歴史で最初の事故。それまでのミュウは、ただ「殺されていた」だけだったから。
 けれど、書かれていない事故。ハンスの名前。…子供向けの本だものね、と思ったけれど。
(もうハーレイがキャプテンなの?)
 ハーレイが厨房に立っていた頃も、厨房出身のキャプテンだったことも、本には無かった。白い鯨も直ぐに出来上がって、舞台はアルテメシアに移る。長く潜んだ雲海の星へ。
 アルテメシアに着いたら、ミュウの子供たちを何人も救出する日々。やがてジョミーを迎えて、宇宙へ。長かった歳月が本になったら、拍子抜けするほど短くなった。
(フィシスのことも、ほんの少しだけ…)
 ミュウの女神を連れて来ました、と書いてあるだけの本。フィシスの生まれについては抜きで。
 考えてみれば、フィシスの正体はハーレイだけが知っていたこと。あの頃の船では。
 そのハーレイは航宙日誌にも記さなかったし、フィシスの正体は後の時代に明かされただけ。
(ハーレイが本当のことを知っていたのは…)
 どうやら知られていないらしい。子供向けの偉人伝ではもちろん、大人向けの歴史の世界でも。
 前の自分が生きた時代に、そのことは知らせていないから。前の自分は何も残さなかったから。
 それでは誰も知りようがないし、今でも誰も知らないまま。…ハーレイだけに教えた秘密。



 フィシスだけでも秘密が一つ、と考えながら読んでいった本。ソルジャー・ブルーの偉人伝。
 前の自分がどう生きたのかは、この本に書かれている筈だけれど…。
(なんだか一杯、欠けちゃってる…)
 最後のページまで、読み終えた後に思ったこと。メギドを沈めてソルジャー・ブルーは死んだ。自分の命と、ミュウの未来を引き換えにして。「とても立派な最期でした」と結ばれた本。
(…立派なのかもしれないけれど…)
 大切なことが抜け落ちていた。ハーレイとの恋も、そのせいでメギドで泣いていたことも。
 子供向けの本なら、恋は余計なことだろうけれど、大人向けの本にも書かれてはいない。本当の自分が生きた記録は、どう生きてどう死んでいったのかは。
(…ぼくは、本当のことを知っているのに…)
 何も話しはしないまま。ソルジャー・ブルーの生涯については、何一つとして。
 それにハーレイも沈黙を守り続けている。キャプテン・ハーレイの記憶を持っているのに。
 二人揃って、前の自分たちの膨大な記憶を隠したまま。…明かす予定さえもまるで無いまま。
 けれど…。
(…いつかは話さなくっちゃいけない?)
 ハーレイとの恋のことはともかく、歴史の真実。前の自分たちが見て来たこと。生きて、自分で作った歴史。アルタミラからの脱出はもちろん、シャングリラで旅した宇宙のことも。
 どれを取っても、学者たちがとても知りたいこと。キャプテン・ハーレイの航宙日誌だけでは、明らかにならない様々な事実。
 いつかは話すべきなのだろうか、本当のことを知っているなら。記憶を持ったままで今に生まれ変わって、こうして生きているのなら。
 新しい命と身体だけれども、言わば歴史の生き証人。自分も、それにハーレイも。
 学者たちがどんな質問をしても、本当の答えを返せる人間。「こうなのでは?」と仮説を唱える代わりに、真実を答えられる人間。どうしてそういう答えになるのか、その理由までも。



 今の自分の頭の中身。ソルジャー・ブルーとして生きた時代の記憶。歴史だけでなくて、様々な分野の学者たちが知りたいだろう真実。アルタミラも、それにシャングリラのことも。
 それらを話すべきなのだろうか、知りたがっている人々に。今も研究し続けている学者たちに。
(どうなんだろう…?)
 考えてみても、そう簡単には出せない答え。どうすればいいのか、悩むくらいに大きな秘密。
 同じ秘密を抱えた恋人、ハーレイに尋ねてみたいけれども…。
(もうこんな時間…)
 夢中で本を読んでいた間に過ぎてしまった、いつもハーレイが来る時間。仕事帰りに訪ねて来てくれる時は、とうにチャイムが鳴っている。鳴らなかったということは…。
 今日は来てくれないハーレイ。まだ学校に残っているのか、「今日は遅いから」と寄らずに家へ帰ったか。「遅くなったら、お母さんに迷惑かけるだろうが」が口癖だから。
(でも、明日は…)
 土曜日だから、ハーレイは家に来てくれる。午前中から、此処で二人で過ごすために。
 その時に訊いてみればいいや、と机の上の本を眺めた。この本が机に置いてあったら忘れない。
(…ソルジャー・ブルーの本だしね?)
 何をハーレイに訊こうとしたのか、明日になっても忘れはしない。夕食を食べても、ゆっくりとお風呂に入っても。一晩ぐっすり眠ったとしても。
(ちゃんとハーレイに訊かなくちゃ…)
 前の自分の記憶のこと。それを持っていることを明かすか、秘密のままにしておくか。
 「ハーレイはどうすればいいと思う?」と。
 自分だけでは答えが出ないし、それに自分が明かす時には、ハーレイも一緒だろうから。



 ハーレイがいない夕食の後で入ったお風呂。パジャマに着替えて、もう寝るだけの時間。
 窓の外はすっかり夜だけれども、勉強机の上の本を手に取った。ソルジャー・ブルーの偉人伝。気まぐれにめくってみたページ。何ヶ所か開いて少し読んでは、考え込んでしまうこと。
(やっぱり、大切な記憶なの…?)
 今の自分とハーレイが持っている記憶。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、ミュウの歴史を語る上では欠かせない二人。それが自分とハーレイの前世、今も忘れていない生き様。
(いろんなことを忘れちゃってたり、思い出したりするけれど…)
 重要なことは忘れていないし、忘れていたって直ぐに思い出せる。ソルジャーとしての生き方はもちろん、その生涯の中の出来事だって。他の仲間たちがしていたことも。
 今の自分の頭の中身は、大勢の人が知りたいこと。真実を探し求めていること。
 子供向けに書かれた伝記でなくても、謎のままで欠けた部分が多いソルジャー・ブルーの生涯。その空白を埋められるのは、今の自分の記憶だけ。
(ぼくが話せば、沢山の謎が解けるんだから…)
 とても大切で重要な記憶、それを抱えているのが自分。きちんと話して謎を解くべきか、黙っていてもいいものなのか。
 その答えすらも分からない上に、自分自身がどうしたいのかも…。
(分かんないよ…)
 パタンと閉じて、机に戻した本。子供向けのソルジャー・ブルーの伝記。この本を買って貰った時には、自分でも気付いていなかった。本の中身が自分自身の生涯だとは。
 記憶が戻った今になっても、ソルジャー・ブルーは偉大な英雄。宇宙の誰もがそういう認識。
(…今のぼくとは違いすぎるよ…)
 だから余計に分からないよ、とベッドに入っても出せない答え。部屋の灯りを消したって。
 今の自分が持っている記憶、前の自分はソルジャー・ブルーだったこと。
 それを自分は明かしたいのか、隠したいのかも分からない。そんな単純なことさえも。
 自分がどういう気持ちでいるのか、自分の意志はどうなのかも。



 分からないや、と思う間に眠ってしまって、目覚めたらもう土曜日の朝。明るい日射しが部屋に射し込み、勉強机の上にあの本。それを見るなり、思い出したこと。
(ハーレイに訊いてみなくっちゃ…)
 前の自分が誰だったのかを、ソルジャー・ブルーの記憶を明かすか、明かさないままか。
 きっとハーレイなら答えてくれる、と考えたから、恋人が来るなり見せた本。窓辺のテーブルで向かい合わせで座るのだけれど、そのテーブルの上に運んで来て。
「あのね、これ…」
 ママが物置から出してくれたんだよ、と置いたソルジャー・ブルーの本。小さかった頃に買って貰った偉人伝。昨日も読んでいたけれど。
 ハーレイは「ほう…?」と少し古びた本を眺めて、それから視線をこちらに向けた。
「いったい何を持って来たかと思ったら…。なんだ、お前の伝記ってヤツか」
 もっとも、前のお前のだが…。今のお前じゃ、伝記にはまだ早すぎるしな。
 こんなチビでは、とハーレイが目を細めるから。
「ハーレイも読んだ? これと同じ本」
 シリーズで色々あるみたいだけど、ソルジャー・ブルーのことが書いてある本。
「もちろん読んだぞ、ガキの頃にな」
 子供向けの伝記の定番だろうが、とハーレイも読んでいた偉人伝。ソルジャー・ブルーの生涯が書かれた、小さな子供向けの本。
「それじゃ、ハーレイ、大人向けのも読んでみた?」
 歴史好きの大人の人が読む本、沢山出ている筈だから…。そういうソルジャー・ブルーの伝記。
 読んでみたの、と尋ねたけれども、「いや…」と言葉を濁したハーレイ。
「教師だったら、読むべきなのかもしれないが…。俺は歴史の教師じゃないし…」
 特に興味も無かったからなあ、ソルジャー・ブルー個人には。
 わざわざ本まで買って読むほど、惹かれてたわけじゃなかったってな。記憶が戻って来る前は。
 そして記憶が戻っちまったら、本物のお前がいるわけだから…。
 本は読まなくてもかまわんだろうが、それよりもお前の御機嫌を取ってやらないと。



 本の世界よりも現実の方が大切だ、と鳶色の瞳に見詰められた。「そうじゃないのか?」と。
「お前は此処に生きてるんだし、前のお前も一緒だろうが」
 すっかり小さくなっちまったが、お前は俺のブルーだから…。前のお前と同じ魂。
 前のお前の本は要らんな、本物を手に入れちまったら。
「そうなっちゃうの? …前のぼくの伝記、ハーレイも子供向けしか読んでいないんだ…」
 でも、この本も…。大人向けに書かれた伝記の方でも、中身、色々、欠けちゃってるよね。
 ぼくも大人向けの伝記は読んでないけど、想像はつくよ。
 前のぼくの伝記、幾つあっても、本当のことばかりじゃないって。
 後の時代に想像で書かれたことが多くて、穴だらけ。…ソルジャーっていう名前だけでも。
「まあなあ…。今の時代も諸説あるしな」
 名付けた人間の名前にしたって、一つってわけじゃないようだから…。
 まさか投票で決めていたとは、どんな学者も知らんだろう。候補が幾つあったのかも。
 前の俺は航宙日誌に書いていないし、トォニィどころか、ジョミーも知らないままだったから。
 ソルジャーっていうのが何処から来たのか、由来はいったい何だったのかも。
 あの時代に生きた俺たちから見りゃ、お前の伝記は穴ばかりってことになるんだろうが…。
 それがどうかしたか?
 至極当然の結果だと思うが、記録が残っていないんだから。…前の俺も残さなかったしな。
 欠けた伝記でも不思議じゃないぞ、とハーレイは納得している様子。今という時代にも、沢山の穴だらけになったソルジャー・ブルーの伝記にも。
「えっと…。ハーレイが言う通り、当然なのかもしれないけれど…」
 でもね、ぼくは答えを知ってるんだよ。穴だらけの伝記をきちんと直せる答えをね。
 ハーレイもそうでしょ、前のぼくのことを誰よりも知っていたのは前のハーレイだから。
 それでね、思ったんだけど…。



 いつかは話すべきなのだろうか、と投げ掛けた問い。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、自分たち二人の頭の中身。前の生の記憶。
 きっと重要な記憶だろうし、学者たちだって探し続けている筈。遠く遥かな時の彼方で、本当は何があったのか。どういう具合に時が流れて、ミュウの時代に繋がったのか。
「…今のぼくが知っている答え…。きちんと話した方がいいと思う?」
 ぼくが話したら、ハーレイも話さなきゃいけないことになるけれど…。
 前のハーレイが持ってた記憶も、今のハーレイが前はキャプテン・ハーレイだったことも。
 ぼくの記憶が戻った切っ掛け、ハーレイに会ったことなんだから。
「…俺はともかく、お前自身はどうなんだ?」
 お前の気持ちというヤツだな。そいつを抜きにして考えたって、答えは出ないぞ。
 前は怖いとか言ってたが…。前のお前がやらかしたことの、責任がどうとか言ってたっけな。
 お前がソルジャー・ブルーだということになれば、魂は同じなんだから…。
 ソルジャー・ブルーとして下した判断、それが今では間違いだったらどうしよう、と。
 前のお前が良かれと思って選んだ道がだ、結果的には失敗だったってことも有り得るからな。
 歴史の研究が進んでいる分、そう考えるヤツがゼロとは言えない。全てが終わった後の時代は、何とでも言えるわけだから。結果を知っているんだからなあ、解決策も見えてくるってモンだ。
 そういったことを突き付けられても、今のお前じゃ困るしかない。
 ついでに、ソルジャー・ブルーだった頃ほど強くないから、責任はとても背負えそうにない、と言っていたのがお前なんだが…?
 覚えていないか、と逆に訊かれて蘇った記憶。…今のハーレイとそういう話をした、と。
「それ、忘れてた…。前のぼくだった時の責任のこと…」
 ぼくは誰かを話すんだったら、前のぼくのことを重ねられちゃうから…。
 前のぼくがやったことの責任、取らなくちゃ駄目?
 今だと間違いになっちゃってること、謝らなくっちゃいけないだとか…。



 それはホントに困るんだけど、と瞬かせた瞳。
 ソルジャー・ブルーだった頃に下した判断、その誤りを指摘されても、どうしようもない。時の彼方に戻れはしないし、「ごめんなさい」と詫びることしか出来ない。
 前の自分が間違ったせいで、酷い目に遭った仲間たちに。…今はもういない人たちに。
 そうなったならば、チビの自分は泣いてしまうし、前と同じに育っていても泣くのだろう。前の自分ほど強くないから、弱虫になってしまったから。
「…前のぼくの間違い、叱られたら、ぼく、泣いちゃうよ…」
 謝る間も涙がポロポロ零れてしまって、きっと泣き声。言葉だってちゃんと出て来ないかも…。
 責任なんて取れやしないよ、前のぼくが迷惑をかけた仲間は、もういないのに…。
 どうすればいいの、とハーレイを見詰めた。「前のぼくの責任、取らなきゃいけない?」と。
「時効だろうと思うがな? とうの昔に」
 仮に前のお前が失敗してても、その失敗から何年経ったと思ってるんだ。
 死の星だった地球が青く蘇って、俺たちは其処で暮らしてるんだぞ?
 とんでもない時が流れたわけだし、時効だ、時効。…誰もお前を責めやしないさ。
 何か失敗してたとしても、と頼もしい保証をして貰ったから、ホッとした。前の自分だった頃の判断ミスやら、責任は問われないらしい。
「時効なんだ…。誰にも叱られないんだね、ぼく」
 それなら、話した方がいい?
 前のぼくの記憶を持っていること。…前のぼくはソルジャー・ブルーだったこと。
 きっと大勢の人の役に立つよね、ぼくの記憶があったなら。
「どうだかなあ…。喜ばれるのは間違いないとは思うんだが…」
 話しちまったら、お前は今のお前じゃいられなくなるぞ。チビでも、育った後のお前でも。
「…え?」
 どういう意味、と丸くなった目。今の自分ではいられないとは、いったい何のことだろう…?
「そのままの意味だ。誰もがお前に、前のお前を重ねるからな」
 今のお前であるよりも前に、ソルジャー・ブルーになるってことだ。…前のお前に。
 お前自身がどう思っていても、先に立つのはソルジャー・ブルー。
 俺も同じになっちまうんだがな、今の俺よりもキャプテン・ハーレイが注目を浴びて。



 お互い、インタビューだけではとても済まないだろう、とハーレイはフウと溜息をついた。
 実はこういう人間なのだ、と明かしたならば、最初の間はインタビュー。
 大勢の新聞記者や学者がドッと押し寄せ、質問攻め。「本当ですか?」と、次から次へと。
 前は本当にソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、そういう二人だったのか、と。
 本物かどうか、確認が取れるまでの間は、取材とインタビューの日々。
 けれど、本物だと分かったならば…。
「俺もお前も、ありとあらゆる所に引っ張り出されるぞ」
 派手に取材を受けてた間は、ただ質問に答えるだけで良かったが…。
 本物と決まれば、もっと色々なことを話さなければならないだろうな。前のお前や俺として。
 研究会やら、講演会やら、沢山の場所が俺たちに用意されるんだろうさ。
 ソルジャー・ブルーとしての話や、キャプテン・ハーレイならではの話を期待されて。
 話し終わったら、次は質問が飛んで来る。俺やお前の意見を求めて、「どう思いますか?」と。
 質問して来たヤツの考え、そいつを聞いては答える羽目に陥るってな。
 しかもだ、今の俺やお前の考えじゃなくて、前の俺たちの考え方をしなきゃならんから…。
 そいつは如何にも大変そうだ、とハーレイが軽く広げた両手。「疲れちまうぞ」と大袈裟に。
「講演会って…。ぼくが喋るの?」
 誰かの講演を聞くんじゃなくって、ぼくが講演するってわけ?
 ソルジャー・ブルーだった頃はこういう時代でした、ってマイクの前で…?
 おまけに人が大勢だよね、と気が遠くなってしまいそう。今の学校の講堂でさえも、前に立って話すことになったら、足が竦んでしまうだろうに。
「そうなるだろうな、ソルジャー・ブルーなんだから」
 キャプテン・ハーレイの俺もだろうが、喋らされることは間違いあるまい。
 どういう話を聞けるだろうか、と押し掛けて来ている連中の前で。
 式典だって出なきゃいけなくなるかもなあ…。記念墓地とかでやっているヤツ。



 SD体制崩壊の記念日とかには、出掛けて行ってスピーチだとか、と凄い話が飛び出した。
 前の自分や、ジョミーたちの墓碑がある記念墓地。ノアとアルテメシアのものが有名だけれど、他の星にも記念墓地はある。其処で行われている式典。記念日や、他にも様々な折に。
 宇宙のあちこちから、式典のために集まる人々。其処でスピーチをするとなったら、講演会より多い聴衆。中継だって入るのだろうし、新聞記者たちも押し掛ける筈。
「…式典に出掛けてスピーチって…。其処までしなくちゃ駄目なわけ?」
 なんだか責任重大そうだし、凄く緊張しそうなんだけど…!
 とても声なんか出そうにないけど、それでもスピーチさせられちゃうの…?
 ぼくが、と自分の顔を指差したけれど、ハーレイは「うむ」と重々しく頷いた。
「当然だろうが、ミュウの時代を作った大英雄が現れたんだぞ」
 ソルジャー・ブルーがスピーチしたなら、式典の値打ちがグンと上がると思わんか?
 きっとお前は引っ張りだこだな、キャプテン・ハーレイよりも人気で講演会も山ほどだ。
 でもって、俺とは恋人同士で、結婚してるということになると…。
 どうなると思う、という質問。「俺は、こいつが世間の注目の的だと思うがな?」と。
「そうだ、結婚…。それも訊かれてしまうんだっけ…!」
 ハーレイと結婚しているんだから、前のぼくたちのことも訊かれるよね?
 ソルジャー・ブルーだった頃にも、恋人同士だったんですか、っていう風に…。
「前の俺たちがどうだったのかは、もう確実に訊かれるな」
 恋人同士の二人だったか、前はそうではなかったのか。…今は恋人同士でもな。
 出会いが違えば、関係も変わってくるモンだから…。前は違った可能性だって高いんだ。
 前の俺たちは親友だったが、今度は恋に落ちちまった、という展開。
 それでも別に不思議じゃないが、だ…。そうだと言ったら、みんな納得するんだろうが…。
 お前、そいつにどう答えたい?
「どうって…?」
「前も恋人同士だったと胸を張りたいか、「違う」と答えて隠したいのか」
 答えたい言葉はどっちなんだ、と訊いている。…今のお前の気持ちってヤツを。
「…どっちだろう…?」
 前のぼくたちのことだよね…。それを隠すか、話しちゃうのか…。



 どちらだろう、と考え込んだ。直ぐには答えられないから。
(…前のハーレイと、前のぼくの恋…)
 お互い、恋をしていたけれども、誰にも明かせなかった恋。
 ソルジャーとキャプテン、そういう二人が恋に落ちたと知れてしまったら、白いシャングリラを導くことは出来ないから。…皆がついて来てくれないから。
 だから懸命に隠し続けて、恋はそのまま宇宙に消えた。前の自分の命がメギドで潰えた時に。
 今の時代なら明かしていいのだけれども、前の自分たちが最後まで隠し通した恋。
 誰にも知られず、前のハーレイも航宙日誌に何も記しはしなかった。
 その想いを無駄にしてしまう。
 今、真実を語ったならば、前の自分たちの努力を踏み躙ることになる。最後まで隠して、黙って死んでいったのに。…前のハーレイも、前の自分も。
 そうは思っても、知って欲しいという気もする。
 二人して隠して守った恋。遠く遥かな時の彼方で、最後まで守り続けた恋。
 実はそういう二人だった、と切ない想いを知って貰えたら、どれほど嬉しいことだろう。
 どんな気持ちでメギドへ飛んだか、前のハーレイとの別れが悲しく辛かったか。
 それを平和な今の時代に、大勢の人たちに知って貰えたら…、と。



 前の自分たちの恋を隠し続けたいと考えるのも、話したいのも、どちらも自分。
 答えは自由に決めていいのに、まるで選べない選択肢。二つに一つを選ぶだけなのに、隠すか、話すか、それだけなのに。
 だから、俯き加減で呟いた。答えになっていない答えを。
「……分かんない……」
 分からないんだよ、今のぼくには決められないみたい。どっちを選んだ方がいいのか。
 最後まで隠したままだったんだし、これから先もずっと隠しておきたいのかな、前のぼく…?
 それとも堂々と話して胸を張りたいかな、どっちだと思う?
 ねえ、とハーレイに訊いたのだけれど。
「おいおい、そいつが俺に分かると思うのか?」
 俺もお前と同じ気持ちでいるんだからな。…もしも訊かれたら、どうすればいいか。
 喋っちまったら、前の俺たちの努力を無にするような気がしてなあ…。
 ああやって必死に隠していたのも、俺たちの恋を大切に守るためだったから。
「じゃあ、ハーレイにも分からないの?」
 ぼくに質問していたくせに、ハーレイだって答えられないわけ…?
 なのに訊いたの、と意地悪な恋人を睨み付けたら、「今のトコはな」と深くなった瞳の色。
「今の俺には答えられない。…だからだ、俺が思うには…」
 いつか俺たちが結婚したら、前の俺たちの想いが叶う。
 やっと二人で暮らすことが出来るわけだろう…?



 其処の所を考えてみろ、とハーレイは真摯な瞳で語った。
 まだ婚約さえもしていないけれども、いずれ結婚する二人。結婚出来る時が来たなら。
 その時ようやく成就するのが、前の自分たちが育んだ恋。
 死の星だった地球が蘇るほどの、長い長い時を越えて来て、青い地球の上で。
 結婚の誓いのキスを交わして、今度こそ二人、幸せな時を生きてゆく。互いの想いを、恋を隠すことなく、同じ家に住んで、家族になって。
「いいか、今度は結婚出来るんだ。…俺たちは堂々と家族になれる。誰にも遠慮しないでな」
 その俺たちがだ、どう思うかが鍵になるんだろう。
 平凡な恋人同士として、前のようにひっそり暮らすのがいいか、成就した恋を披露したいか。
 正直、俺にも想像がつかん。…俺たちがどちらになるのかは。
「それなら、その時を待てばいいんだね?」
 前のぼくたちのことを話すか、隠すか、どっちにするのか決めるのは。
 ぼくたちが持ってる記憶のことも、その時までは秘密のままで。
「そうなるな。ただ…」
 話さないような気がするな…。前の俺たちが誰だったのかは。
 やっと二人で生きてゆけるのに、来る日も来る日も、講演会やら式典ではな。
 ゆっくりする暇も無いじゃないか、とハーレイが苦い顔をするから。
「そうかもね…。忙しすぎるのは、ぼくも嫌かも…。それにスピーチも講演会も」
 でも、黙っててもいいのかな?
 ぼくたち、歴史の証人なのに…。ハーレイもぼくも、貴重な記憶を持っているのに。
「もう充分に頑張っただろうが、前のお前が。…ソルジャー・ブルーが」
 今度のお前まで、世界のために頑張らなくても、静かに暮らしていいと思うぞ。
 お前がそれを願うなら。…誰にも邪魔をされないで。
 前の俺たちの時と違って、今のお前は自由なんだ。神様も許して下さるさ。…黙っていたって。
「そうだね…!」
 ぼくは何にも出来ないけれども、前のぼく、頑張ったんだっけ…。
 こんな本まで出して貰っているほどなんだし、今のぼくの分まで頑張ったよね、きっと…!



 黙っていたって大丈夫さ、とハーレイが穏やかに微笑むから。
 前の自分が今の分まで、頑張ってくれたらしいから。
(…ぼくが誰かは内緒のままで、前のぼくたちの時みたいに…)
 今度もハーレイと二人でひっそり生きていこうか、静かに、けれど幸せに。
 まるで目立たない、平凡な恋人同士だけれども、自分たちの恋を大切に。
 互いが互いを想い続けて、しっかりと手を繋ぎ合って。
 前の自分たちが隠し続けた、恋がようやく実るから。
 白いシャングリラで夢に見ていた青い星の上で、二人きりで生きてゆけるのだから…。




             前の生の記憶・了


※ブルーとハーレイが持っている、前の生の記憶。歴史的には、とても貴重な資料や証言。
 それを明かすか、悩んだブルーですけれど…。今の生では、明かさなくても許して貰える筈。
←拍手して下さる方は、こちらからv
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




今年も夏休みがやって来ました。初日に会長さんの家に集まり、予定を決めるのが毎年恒例。柔道部の合宿とジョミー君とサム君の璃慕恩院での修行体験ツアーが済んだら、三日間のお疲れ休みを挟んでマツカ君の山の別荘です。その後はお盆を挟んで海の別荘、そういった所。
予定を決めた翌日から始まった合宿と修行、お留守番組のスウェナちゃんと私は会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」、フィシスさんと夏休みを満喫して…。
「かみお~ん♪ お帰りなさいーっ!」
合宿と修行、お疲れ様! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねている会長さんの家のリビング。一週間もの合宿や修行を終えた男の子たちが帰って来ました。
「うー…。今年も死んだー…」
もう駄目だ、と音を上げているジョミー君。修行の中身は子供向けでも、食事が精進料理というのが酷くこたえるらしいです。
「お前な…。今からそんな調子で、この先、どうする」
住職の資格を取る道場だと精進料理が三週間だぞ、とキース君が睨んでいますけど。
「だから、そっちは行かないってば…。坊主になってもロクなことが無いって知ってるし」
「なんだと!?」
「間違ってないと思うけど? …キース、今日だって卒塔婆書きだよね?」
お盆に向けて、とジョミー君の指摘。
「それはそうだが…。確かに今朝もノルマをこなして出て来たが…」
「ほらね、毎年、お盆の時期には卒塔婆、卒塔婆って言ってるし…。大変そうだし!」
春と秋にはお彼岸もあるし、十月になったらお十夜だって…、とズラズラと挙げたジョミー君。お寺の行事を把握しつつある辺り、既にお坊さんへの道が開けていませんか?
「それは無いって! ぼくは絶対、ならないから!」
「罰当たりめが! 銀青様の直弟子のくせに!」
この野郎、とキース君が怒鳴りましたが、会長さんが。
「まあまあ、今日はそのくらいでね? ジョミーも気が立っているんだよ」
「そだよ、お肉が食べられないのはキツイもん!」
だけど、おやつの時間に焼肉はちょっと…、とキッチンに走った「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お肉なおやつは存在しないと思ったんですけど、暫く待ったら熱々の小籠包がドッサリと。冷たいジャスミンティーも出て来ましたし、お肉抜きだったイライラはこれで解消ですね!



小籠包でお肉を補給したジョミー君に笑顔が戻って、午前中は時ならぬ中華点心パーティー。お昼御飯の焼肉はまた別腹とばかりに色々と食べて盛り上がっていたら。
「こんにちはーっ! こっちは今日も暑そうだねえ!」
フワリと翻った紫のマント。別の世界から押し掛けて来たお客様です。
「…君が来た途端に、一気に暑くなった気がするけれど?」
会長さんの嫌味も気にせず、空いていたソファにストンと座ってしまったソルジャー。ちゃっかり着替えた私服は会長さんの家に置いてあるソルジャーの私物。
「暑いんだったら、クーラーをもっと強くするのがいいと思うよ」
でなきゃサイオンでシールドだね、とソルジャーは素早く取り皿を確保。あれこれと食べて楽しめるように、小皿が積み上げてあったんです。お箸は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が取りに走って、これでソルジャーも仲間入りで。
「うん、美味しい! 暑い季節でも、蒸し立ての餃子とかは美味しいものだね」
「んーとね、中華の国では夏もお料理は熱いものなの! 冷たい食べ物は身体に悪いの!」
本当だよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「だからね、あの国で一番暑い場所だと、夏のお料理はお鍋だから!」
「「「鍋!?」」」
鍋というのはあの鍋ですかね、冬に美味しい土鍋とかでグツグツ煮えてるお鍋…?
「うんっ! 火鍋ってあるでしょ、真ん中で仕切って辛いスープが二種類入っているお鍋!」
「…あの辛いヤツ? 赤い方が辛いように見えるけど、白い方がもっと辛いアレのこと?」
激辛だけど、とジョミー君が確認すると。
「そうだけど…? 火鍋は夏に食べるものなの、本場では!」
熱くて辛い火鍋を食べて汗をダラダラ、それが身体にいいそうですけど…。
「…それはぼくでもキツイかも…。なんだかアルタミラを思い出すよ」
ソルジャーの口から出て来た言葉は人体実験時代を指すもの。火鍋と人体実験は同列ですか?
「他の季節はともかく、夏はね! 身体の限界を試されてるって感じがするよ」
夏に食べるならこの程度、と変わり餃子や焼売なんかをパクパクと。ソルジャーの世界より、こっちの世界が断然暑いと思うんですけど…。いったい何をしに来たのでしょう、中華点心が美味しそうだったっていうだけなのかな?



中華点心パーティーの次は焼肉パーティー。ダイニングへとゾロゾロ移動で、ホットプレートや山盛りのお肉、野菜なんかもドッサリと。さあ始めるぞ、と着席したら…。
「はい、みんな揃ったし、注目、注目ーっ!」
いきなりソルジャーが手を挙げました。揃うも何も、さっきから揃っていましたけれど?
「揃ってたけど、ぼくは途中からの参加だったしね! やっぱり場所を改めないと!」
「「「は?」」」
「食事しながら会議というのも、こっちの世界じゃ多いと聞くし…。これから会議!」
「「「会議?」」」
ソルジャー夫妻や「ぶるぅ」も一緒の海の別荘行きの日程はとうに決まっています。夏休みの間にソルジャー絡みで会議をしなくちゃいけない理由は、何処にも無いと思いますが…?
「会議の議題はぼくじゃないんだよ、ぼくの永遠のテーマというヤツ!」
ゆっくり食べながら話をしよう、とソルジャーは肉を焼き始めつつ。
「…こっちのハーレイとブルーの仲はさ、今も険悪なままだからねえ…」
「失礼な! 至って良好な関係を保ってるってば、ぼくにしてみれば!」
ハーレイが間違っているだけだ、と会長さん。けれどソルジャーは取り合わずに。
「それは良好とは言わないよ。君とハーレイとが立派にカップルになってこそだよ!」
「ぼくには、そっちの趣味は無いから!」
「…そこなんだよねえ、いったい何処が違うんだと思う? …こっちのハーレイ」
「「「へ?」」」
何を訊かれたのか、まるで分かりませんでした。違うって…何が?
「こっちのハーレイと、ぼくのハーレイとの違いだよ! ぼくが思うに、それが鍵だよ!」
ぼくのハーレイにはあって、こっちのハーレイには無い何かがあるに違いない、というのがソルジャーの見解。
「誰が見たって一目瞭然、そういう違いがきっと何処かに…」
「…職業じゃないか?」
本物のキャプテンかどうかの違いが大きいのでは、とキース君が言いましたけれど、教頭先生だってシャングリラ号に乗ったらキャプテンです。シャングリラ号だって動かせますから、本物じゃないとは言い切れない気が…。



焼肉をやりつつ、ああだこうだと挙げられた違い。思い付くままに無責任なのが飛び出す傾向、下着が紅白縞かどうかという説までが出て来ましたが…。
「そうだ、補聴器じゃないですか?」
あれが決定的な違いなんじゃあ…、とシロエ君。
「「「補聴器?」」」
「ええ、補聴器をつけてらっしゃる筈ですよ? 向こうの世界においでの時は」
たまに補聴器のままで呼ばれてることもありますよね、というシロエ君の意見に目から鱗がポロリンと。キャプテン、そういえば補聴器をつけてましたっけ…。
「ああ、補聴器! ぼくも着けたままで来ちゃったけれども、外しちゃったねえ!」
こっちじゃ不自由しないから、と頷くソルジャー。
「ぼくの世界だと、シャングリラの中はミュウしかいなくて思念だらけで、補聴器無しだと困るんだよ。要らないものまで聞こえちゃってね」
だけど、こっちの世界はそういう雑音が少ないから…、とソルジャーは耳を指差して。
「雑音無しなら、ぼくもハーレイも聴力をサイオンで補えるんだよ! 補聴器が無くても!」
そういう意味でも素敵な世界だ、と言うソルジャーにシロエ君が。
「ですから、補聴器が大きな違いというヤツじゃないかと…。教頭先生がシャングリラ号に乗り込む時にも、あの補聴器は無いですよ?」
「してねえなあ…。ブルーは補聴器、着けるのによ」
ソルジャーの服を着ている時は、とサム君が賛成しましたけれど。
「あのねえ…。ぼくのは補聴器ってわけではないから! 単なる記憶装置だから!」
あれで聴力を補ってはいない、と会長さん。
「ブルーから貰ったシャングリラ号の設計図とかとセットものだよ、あれだって!」
「…ぼくの補聴器も記憶装置って面はあるしね」
なかなか便利な道具だけれど…、とソルジャーは顎に手を当てて。
「でも、ハーレイのは純粋に補聴器っていうだけだからさ…。やっぱり違いはそれなのかな?」
「ぼくはそうだと思いますけど…」
ビジュアルなのか、単なるプラスアルファなのかは分かりませんが、とシロエ君。
「決定的な違いを一つ挙げろと言うんだったら、補聴器ですね」
他の説はどれも弱いです、とキッパリと。確かにどれも弱すぎですけど、補聴器なんかが決定打ってことはあるんでしょうか…?



教頭先生とキャプテンの違いは補聴器の有無。改めて言われてみれば頷けるものの、補聴器をしているかどうかで会長さんが惚れたり、惚れなかったりするとは思えない気が…。
「うん、ぼく自身がそう断言出来るね!」
ハーレイのビジュアルがどう変わろうが、ぼくの心は変わらない! と会長さん。
「剃髪して仏の道に入って、二度と俗世に出て来ないのなら、評価もするけど!」
「邪魔者は消えろという意味かい?」
酷すぎないかい、とソルジャーが言っても、「別に?」と会長さんは涼しい顔。
「三百年以上も一方的に惚れられてるとね、ぼくの前から消えてくれた方が評価できるね!」
特に暑苦しい夏なんかは…、とピッシャリと。
「ハーレイの顔を見なくて済むなら、その選択をしてくれたハーレイに感謝だよ!」
「あのねえ…。君は、ぼくが会議を始めた理由が分かってるのかい?」
「ハーレイ同士で何処が違うかっていう話だろ?」
そして答えは出たじゃないか、と会長さんが焼肉をタレに浸けながら。
「要は補聴器、それをハーレイが着けていようが、着けていまいが、ぼくは無関係!」
どっちにしたって惚れやしない、と頬張る焼肉。
「だからハーレイが補聴器を着けて来たって、鼻で笑うね!」
そんなものでモテる気になったのかと馬鹿にするだけ、と次の肉をホットプレートへ。焼けるのを待つ間は野菜とばかりに、タマネギとかを取ってますけど…。
「うーん…。ビジュアル面では補聴器をしたって効果はゼロ、と」
何の進歩も見られないのか、と難しい顔をするソルジャー。
「…使えそうだと思ったんだけどな、補聴器が違いだと言うのなら!」
「無理がありすぎだと俺は思うが?」
補聴器を着ければブルーが惚れると言うんだったら、とうにキャプテンにときめいている、とキース君がキッパリと。
「同じ顔だし、見た目も全く同じだし…。補聴器を着けている時に会ったらイチコロの筈だ」
「それもそうだね…。でもさ、補聴器は使えそうなのに…」
ソルジャーは補聴器に未練たらたら、キース君は呆れたように。
「補聴器は所詮は補聴器だろうが、それ以上の機能は無いんだからな」
聞き耳頭巾じゃあるまいし、と引き合いに出された昔話。そういう話がありましたっけね、被ると動物が喋っている言葉が分かるっていう頭巾でしたっけ…。



私たちにとっては馴染みの昔話が聞き耳頭巾。けれど、別の世界から来たソルジャーには理解不能なものだったらしく。
「なんだい、聞き耳頭巾って?」
それは補聴器の一種なのかい、と斜め上すぎるソルジャーの解釈。まあ、間違ってはいないんですかね、動物の声に関する聴力がアップするという意味では…。
「そうか、あんたは知らんのか…。詳しい話は、ぶるぅに絵本でも借りて読むんだな」
俺たちの国では有名な昔話で…、とキース君。
「そういう名前の頭巾があってな、それを被ると動物が喋る言葉が分かるというわけだ」
「へえ…。布巾を頭に被るのかい?」
なんだか間抜けなビジュアルだねえ…、と赤い瞳を丸くしているソルジャー。頭巾という言葉自体が馴染みが無かったみたいです。キース君は「頭巾だ、頭巾!」と自分の頭に手をやって。
「帽子の一種と言うべきか…。似たような形の被り物なら坊主も被るぞ」
「なるほどね…。ビジュアルは間抜けなわけじゃないんだ」
「当然だろう!」
笑い話じゃないんだからな、とキース君はフウと溜息を。
「動物の言葉が聞こえるようになったお蔭で、最後は御褒美を貰うという話なんだ!」
「御褒美ねえ…。聞こえない筈の言葉が聞こえたお蔭で?」
「そうなるな。動物たちだけが知っている世界の事情が聞こえたお蔭なんだし」
人間の言葉しか分からないのでは知りようもないことが分かったわけだ、とキース君。
「そんな具合に、凄い機能があると言うなら補聴器の出番もあるんだろうが…」
「ただの補聴器では無駄ですよね」
やたらうるさいだけですよ、とシロエ君も。
「ぼくが見付けた違いですけど、違うっていうだけですね。…補聴器に効果はありませんよ」
モテるアイテムとしての効果は…、と言い出しっぺのシロエ君にまで否定されてしまった補聴器の効果。教頭先生が補聴器を着けても、会長さんが惚れる筈なんかが無いんですから。
「うーん…。やっぱり駄目なのかなあ…」
絶対に補聴器だと思うんだけど、とソルジャーはまだブツブツと。
「…イチかバチかで着けさせようかな、この夏休み…」
「労力の無駄だと思うけど?」
それでもいいなら好きにしたまえ、と会長さん。私たちもそう思いますです、補聴器なんかは耳が聞こえる教頭先生には暑苦しいだけのアイテムですよ!



こうして焼肉パーティーは終わり、ソルジャーは帰って行きました。翌日からはキース君がお盆に備えて卒塔婆書きを続け、三日後にはマツカ君の山の別荘へと出発です。爽やかな高原で馬に乗ったり、湖でボート遊びをしたりと大満足の別荘での日々。快適に過ごして戻って来て…。
「くっそお…。アルテメシアはやっぱり暑いな」
昨日までが天国だっただけだな、とキース君の愚痴。例によって会長さんの家のリビングです。
「仕方ないですよ、此処とは気候が違いますから」
あっちは山です、とマツカ君。
「流石に高原の涼しさまでは持って帰れませんしね、諦めるしかないですよ」
「それは分かるんだが…。充分、分かっちゃいるんだが!」
しかし朝から暑すぎなんだ、と呻くキース君は早朝から卒塔婆を書いて来たとか。夜明け前から書いていたのに、既に蒸し暑かったのだそうで。
「…まだ続くかと思うとウンザリするな…。暑さも、それに卒塔婆書きもだ!」
「大変だねえ…。毎日、毎日、お疲れ様」
ぼくの世界には無い行事だけれど、と降って湧いたのがソルジャーです。またしてもおやつ目当てでしょうか、マンゴーのアイスチーズケーキですけれど…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
はい、どうぞ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッと差し出すアイスケーキのお皿。ソルジャーは当然のようにソファに座って、アイスケーキを平らげて…。
「どうかな、これ?」
「「「???」」」
ジャジャーン! と効果音つきでソルジャーが取り出したものは補聴器でした。キャプテンがたまに着けてるヤツです。
「えーっと…。これは補聴器かい?」
君のハーレイの、と会長さんが尋ねると。
「違うよ、こっちのハーレイ用だよ! 中古じゃないから!」
ちゃんと一から作らせたのだ、とソルジャーは胸を張りました。
「この前、シロエが言っていたしね、ぼくのハーレイとこっちのハーレイの違いはコレだと!」
「あのねえ…」
ぼくは補聴器の有無で惚れはしないと結論が出てた筈だけど、と会長さん。ソルジャーも暑さでボケてますかね、こっちの世界は暑いですしね…?



教頭先生がキャプテンと同じ補聴器を着けても、会長さんが惚れる可能性はゼロ。だから無駄だと会長さんがキッパリ言っていたのに、ソルジャーは作って来たようです。ソルジャーが自分で作ったわけではないでしょうけど。
「ああ、それは…。ぼくにはこういう細かい作業は向いてないしね!」
専門の部門で作らせたから、という返事。また時間外に働いて貰って、記憶を消去で、御礼はソルジャーの視察っていう酷いコースですね?
「そのコースは酷くないんだってば、ソルジャー直々の労いの言葉は価値が高いんだよ!」
士気だってグンと高まるんだから、と相変わらずソルジャーの立場を悪用している模様。でも、補聴器は作るだけ無駄なアイテムですから、作らされた人は気の毒としか…。
「それが無駄でもないんだな! この補聴器は特別だから!」
「…記憶装置になってるとか?」
会長さんが訊くと、ソルジャーは。
「もっと素晴らしい補聴器だよ! ハーレイが着ければ分かるって!」
何処にいるかな、と教頭先生の家の方へと視線をやって。
「よし、今はリビングでのんびりしてる、と…。ちょっと呼ぶから!」
「「「え?」」」
呼ぶって教頭先生を…、と思った途端に青いサイオンがパアッと溢れて、リビングに教頭先生が。
「な、なんだ!?」
どうしたのだ、と慌てる教頭先生ですけれど。
「ごめん、用事があったものだから…。君にプレゼントをしたくって」
「プレゼント…ですか?」
ソルジャーに気付いて敬語に切り替えた教頭先生。ソルジャーは補聴器を差し出して。
「これがなんだか分かるかな?」
「…あなたの世界のキャプテン用の補聴器ですね?」
「ピンポーン! このタイプのヤツはハーレイ専用、他の仲間は使っていないってね!」
ちょっと着けてみてくれるかな、とソルジャーは言ったのですけれど。
「…お気持ちは大変有難いのですが…。生憎と私は、耳は達者な方でして…」
補聴器などを着けたら却って聴力が落ちてしまいそうです、と教頭先生は真面目に答えました。言われてみれば、その心配があるような…。イヤホンだとかヘッドホンだと、大音量で聴き続けていたら聴力がアウトでしたっけね…?



教頭先生が装着しても無駄などころか、聴力が低下しそうな補聴器。なんて使えないアイテムなんだ、と誰もが思ったんですけれども、ソルジャーは。
「聴力の方なら、何も心配は要らないってね! 君の聴力に合わせてあるから!」
補聴器で耳が覆われて聞こえにくくなるのを補う程度、と自信満々。
「ぼくの世界の技術者の腕を信用したまえ、そこは完璧!」
「ですが…。どうして私に補聴器なのです?」
そこまでして下さる意味が分かりませんが、と教頭先生の疑問は尤もなもの。
「それなんだけどね…。ぼくのハーレイと君との大きな違いは補聴器の有無だとシロエがね!」
「言いましたけど、補聴器があればモテるとまでは言ってませんよ!」
「モテる…?」
補聴器でですか、とキョトンとしている教頭先生。
「私がこれを着けたくらいで、ブルーが惚れてくれますか…?」
「物は試しと言うからね! 着けたくらいで減りはしないし、試してみてよ」
せっかく作って来たんだから、とソルジャーが促し、教頭先生は会長さんの冷たい視線を気にしてはいても、補聴器の方も捨て難いらしく。
「…では、失礼して…」
試させて頂きます、と右の耳に着けて、左耳にも。顔だけを見たら立派にキャプテンですけど、あの制服の代わりにラフな夏用の半袖シャツにジーンズでは…。
「…どうだろうか?」
これは似合うか、と尋ねられても、正直な所を答えるより他は無いでしょう。
「…失礼だとは百も承知ですが…。今日のような服だと…」
あまり似合っておられないような、とキース君が言えば、シロエ君も。
「そうですね…。背広とかなら、なんとかなるかもしれませんけど…」
「柔道着にも似合いませんね…」
多分、と控えめに述べるマツカ君。私たちも口々に「似合わない」と言って、会長さんが。
「ハッキリ言うけど、もう最悪にセンス悪いから!」
「そうか、そう言ってくれるのか…!」
何故だかパアアッと輝きに満ちた表情になった教頭先生。センス最悪って言われて嬉しい気分になるものでしょうか。それとも会長さんからも「これは駄目だ」と言って貰えて、ソルジャーからの無駄な贈り物を突き返せそうな所がポイントとっても高いんですかね…?



誰の目で見てもお洒落ではない、補聴器を着けた教頭先生。キャプテンの場合は「お洒落じゃない」とは思いませんから、あの制服が大きいのかもしれません。会長さんでなくてもセンス最悪としか言えない姿は、褒めようが全く無いんですけど…。
「まさかブルーが褒めてくれるとは…。着けてみるものだな、補聴器も」
教頭先生の口から出て来た言葉は、まるで逆さになっていました。センス最悪は褒め言葉ではないと思うんですけど、あの補聴器、聞こえにくいんですか…?
「どう聞いたら、そうなるんだい? ぼくは最悪だと言ったんだけどね?」
「有難い…! ここまで褒めて貰えるとは…!」
なんと素晴らしい贈り物だろう、と教頭先生は感激の面持ち。
「いいのでしょうか、これを私が貰っても…? 製作にかかった分の費用はお支払いしますが」
こちらの世界のお金でよろしければ…、とズボンのお尻に手をやってから。
「す、すみません、財布は家でした! また改めてお支払いさせて頂きますので…!」
どうやら財布を持っておいでじゃなかったようです。外出の時はズボンのポケットに突っ込む習慣があるのでしょう。ソルジャーは「いいよ」と手を振って。
「ぼくの世界で作ったヤツだし、そんなに高くもないものだしね。それに、プレゼントだと言っただろう? お金を貰っちゃ、本末転倒!」
プレゼントの意味が無くなっちゃうよ、と気前のいい話。
「その補聴器はタダで持って行ってよ、ぼくのハーレイには使えないしね」
聴力を補助する機能が無いのに等しいから…、と言うソルジャー。
「君専用だよ、モテるためには欠かせないってね!」
「そのようです。…まさか補聴器を着けたくらいで私の世界が変わるとは…!」
今でも信じられない気持ちがします、と教頭先生は大喜びで。
「これは有難く頂戴させて頂きます。…そして、シロエのアイデアでしたか?」
「そうだよ、シロエが気付いたんだよ。ぼくのハーレイと君との違いは補聴器だとね」
シロエにも御礼を言いたまえ、と促された教頭先生はシロエ君の方に向き直って。
「感謝する、シロエ…! この件の御礼に、家に菓子でも送っておこう」
好物はブラウニーで良かっただろうか、と尋ねられたシロエ君は「そうですねえ…」と。
「ブラウニーも好きなんですけど、今の季節はアイスクリームもいいですね」
「分かった、アイスクリームだな?」
何処のアイスが好みだろうか、という質問にシロエ君が調子に乗って高級店のを挙げてますけど、教頭先生、ちゃんと復唱してますねえ…?



シロエ君の注文、べらぼうにお高いお店のアイスクリームの詰め合わせセット。それを買うべく、教頭先生はいそいそと帰ってゆかれました。ソルジャーに瞬間移動で家まで送って貰って、それから車でお出掛けです。「補聴器は外では外すんだよ?」と念を押されて。
「えーっと…。ぼく、儲かったみたいですね?」
あそこのアイスをセットで買って貰えるなんて、と棚から牡丹餅なシロエ君。お使い物で貰うことはあっても、なかなか買っては貰えないとか。それはそうでしょう、高いんですから。
「お前、上手いことやったよなあ…。つか、教頭先生、ちゃんと聞こえてたよな?」
店の名前もアイスの種類も、とサム君が首を捻っています。
「うん、聞こえてたよね…」
聞き間違えてはいなかったよ、とジョミー君も。
「だけど、ブルーが言ってた台詞は、自分に都合よく聞き間違えていたような…」
「俺もそう思う。まるで逆様としか言えない感じで、意味を取り違えてらっしゃったような…」
補聴器のせいで聞こえにくいのなら、シロエの注文も同じ方向へ行く筈なんだが、とキース君。
「アイスクリームは聞こえたとしても、その辺で売ってる安いヤツとかな」
「…そう言われれば…。割引セールのアイスでもいいわけですよね、アイスでさえあれば」
聞き間違えの件を忘れてました、とシロエ君。
「ぼくにお菓子を下さると言うので、ついつい調子に乗りましたけど…。あの補聴器、まさか、会長の言葉だけが聞こえにくい仕様じゃないでしょうね?」
それなら辻褄が合いますが…、というシロエ君の疑問に、ソルジャーが。
「惜しい! いい所まで行っているんだけどねえ、シロエの推理」
「は?」
会長限定というのが合ってますか、とシロエ君が訊き返すと。
「そうなんだよ! あの補聴器は、実は聞き耳頭巾で!」
「「「聞き耳頭巾?」」」
動物の言葉が聞こえるというアレのことですかね、でも、会長さんは動物じゃなくて人間で…。
「この上もなく人間だねえ…! 要は聞き耳頭巾の応用なんだよ!」
サイオンで細工してみましたー! とソルジャーは威張り返りました。
「あの補聴器を着けてる限りは、ブルーの言葉は悉く愛が溢れた言葉に聞こえるんだよ!」
センス最悪と言い放たれれば、センス最高と聞こえたりね、と得意満面のソルジャーですけど。つまり、さっきの教頭先生、会長さんに褒めて貰ったと本気で信じていたんですね…?



キャプテンと教頭先生の大きな違いは補聴器の有無。けれど教頭先生が補聴器を着けた所でモテるわけがない、という話のついでにキース君が持ち出したのが聞き耳頭巾。それを覚えて帰ったソルジャー、補聴器に応用したようです。それこそ自分に都合よく。
「なんていうことをするのさ、君は!」
物凄く迷惑なんだけど、と会長さんが怒鳴ると、ソルジャーは。
「…その台詞。ハーレイが此処で聞いてた場合は、こう聞こえると思うんだよねえ…。なんて素敵なアイデアだろうと、ぼくに向かって御礼の言葉で、とても嬉しいと!」
「なんでそういう方向に!」
「なんでって…。それはやっぱり、ハーレイと仲良くして欲しいからね!」
これを機会に親密な仲を目指して欲しい、とソルジャー、ニコニコ。
「お盆が済んだら、海の別荘行きが待っているしね…。この夏休みで君たちの仲がググンと前進、そうなることが目標なんだよ!」
ぼくの夏休みの目標で課題、とソルジャーの視線がキース君に。
「キースの場合は卒塔婆書きが夏の目標だしねえ、お互い、目標を高く掲げて頑張ろう!」
「縁起でもないことを言わないでくれ!」
卒塔婆書きはもう沢山だ、と頭を抱えるキース君。
「目標を高く掲げたいなどと言える余裕は俺には無いんだ、ノルマだけで正直、精一杯だ!」
今日も帰ったら卒塔婆が俺を待っているんだ、とブルブルと。
「あんたが口走った今の言葉で、数が増えたらどうしてくれる! 言霊は侮れないんだぞ!」
「そう、言霊は侮れないよ! だからこそ聞き耳頭巾が大切!」
こっちのハーレイの耳にはブルーの愛が溢れた言葉しか届かないわけで…、とソルジャーは自信に溢れていました。
「ブルーがどんなに悪く言おうが、ハーレイの心は浮き立つ一方! そして気持ちもグングン上昇してゆくわけだね、ウナギ昇りに!」
「「「ウナギ昇り?」」」
「そう! 自分はこんなに愛されている、とハーレイが自覚するのが大事!」
愛されているという自信があったら、人間は強くなれるものだし、とソルジャーは得意の絶頂で。
「あの補聴器を着けてる限りは、ハーレイは無敵! ブルーとの愛に関しては!」
そういう気持ちの高まりがあれば、愛は後からついてくる! と言ってますけど、聞き間違えをする補聴器を着けた教頭先生の方はともかく、会長さんは正気なんですけどね…?



会長さんが何を言おうが、愛に溢れた言葉に聞こえるらしい聞き耳頭巾な仕組みの補聴器。大人しくしている会長さんではない筈だ、と思いましたけど…。
「…あれ? なんで?」
ぼくのサイオンが届かない、と焦った様子の会長さん。
「ぶるぅ、代わってくれるかな? ハーレイの家から、あの補聴器を…」
「分かった、こっちに運ぶんだね!」
鏡の前に置いてあるね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が引き受けたものの。
「…あれっ、サイオン、どうなっちゃったの? えーっと、んーっと…」
届かないーっ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。補聴器を運べないようです。ソルジャーがクッと喉を鳴らして。
「ぶるぅにも無理だし、キースたちが空き巣に行っても無駄だね!」
あれはぼくからのプレゼント! と勝ち誇った声。
「勝手に奪って処分されたら困るんだよ! 聞き耳頭巾なサイオンの細工を仕掛けたついでに、ハーレイの持ち物としてキッチリ関連づけといたから!」
ハーレイ以外の手で取り外しは出来ない仕組みで、もちろん盗んで処分も出来ない、とソルジャーは補聴器にサイオンを使って良からぬ工夫をした模様。教頭先生が自分の意志でアレを装着して現れた時は、会長さんの言葉は端から甘い言葉に変換されて…。
「その通り! 嫌いだと言おうが、来るなと言おうが、ブルーの言葉は全部ハーレイの耳に都合よく届くってね! 愛してるよとか、こっちへ来てとか!」
「「「うわー…」」」
なんという迷惑なモノを作ってくれたんだ、と誰もが顔面蒼白ですけど、ソルジャーはそうは思っていなくて。
「なんでそういう風になるかな、愛は人生の彩りだよ? 素敵なパートナーと暮らしてなんぼで、愛されてなんぼ!」
この夏休みで仲を深めて、早ければ秋にも結婚式を! とソルジャーの思い込みは激しく、もう止めようがありません。こんな調子で教頭先生の耳にも、会長さんの言葉が変換されて届くのでしょう。補聴器を着ければモテると勘違いなさっているわけですし…。
「…教頭先生、ブルーに会う時は、アレ、着けるよね?」
ジョミー君の声が震えて、スウェナちゃんが。
「着けないわけがないじゃない…。モテるアイテムだと思ってらっしゃるんだもの…」
海の別荘にも持っておいでになるのよ、きっと…、と恐ろしい読み。海の別荘、怖すぎです~!



実に嬉しくない、ソルジャーから教頭先生へのプレゼント。聞き耳頭巾な補聴器を貰った教頭先生はシロエ君の家に高級アイスクリームの詰め合わせセットを送って、その足で花束を買いにお出掛けに。真紅の薔薇が五十本というそれを抱えて、もちろん補聴器持参で…。
「ぼくは受け取らないってば!」
会長さんが突き返しても、「そう照れるな」と。
「高すぎたのでは、と心配してくれる気持ちは分かる。しかし、これも男の甲斐性だからな」
惚れた相手には貢がなければ、と真紅の花束を会長さんに押し付け、「また来る」と。
「来なくていいっ!」
「おお、楽しみにしてくれるのか…! では、明日も花束持参で来よう」
それに菓子もな、という言葉で、会長さんがキッと睨み付けて。
「お菓子だったら、シロエたちの分も! 全員分で、でもって、ぼくが欲しいお菓子は…」
ここぞとばかりにズラズラと並べ立てられたお菓子、全部が超のつく高級品。教頭先生は「お安い御用だが、一日に全部食ったら腹を壊すからな」と片目を瞑って。
「よし、明日から差し入れに来るとしよう。一日に二回、午前と午後にな」
明日はコレとコレを買って来るから、と会長さんに約束、「そるじゃぁ・ぶるぅ」には。
「というわけでな、ぶるぅ、暫くお菓子作りは休みでいいぞ」
たまにはお前ものんびりしろ、と小さな頭を撫で撫で撫で。
「夏休みの間は、私が色々届けてやるから」
「ありがとう! でもでも、ぼくもお菓子は作りたいから…。ハーレイ、お土産に持って帰ってくれるかなあ? 甘くないのを作っておくから!」
「そうなのか? それなら、有難く頂くとしよう。…明日から、お前の手作り菓子だな」
では、と颯爽と立ち去る教頭先生は自信に満ちておられました。会長さんの言葉が誤変換されるというだけで勇気百倍、やる気万倍。この調子でいけば、海の別荘へ出掛ける頃には…。
「…教頭先生、一方的に両想いだと思い込んでしまわれる気がするんですけど…」
そうとしか思えないんですけど、とシロエ君が青ざめ、サム君が。
「それしかねえよな、どう考えても…」
「ほらね、補聴器は最高なんだよ! シロエのアイデアに大感謝だよ!」
秋にはブルーの結婚式だ、と浮かれるソルジャー。この人が旗を振っている限り、あの補聴器は教頭先生に自信を与え続けるのでしょう。海の別荘行きが無事に済む気が、ホントに全くしないんですけど~!



キース君が卒塔婆書きと戦う間も、教頭先生の勘違いライフは続きました。毎日、午前と午後に差し入れ、とてつもなく高いお菓子がドッサリ。会長さんには大きな花束。私たちは「何か間違っているんです」と伝えようと努力はしたのですけれど…。
「…これが本当の無駄骨だな…」
俺たちが何を言っても、ブルーの言葉で振り出しに戻る、と溜息をつくキース君。教頭先生は必ず会長さんに「そうなのか?」と確認するものですから、それに対する会長さんの返事が変換されてしまうのです。教頭先生の耳に都合がいいように。
愛の誤解は深まる一方、そうこうする内にキース君とサム君、ジョミー君が棚経に走るお盆到来。お盆が終われば、恐れ続けた恐怖の海の別荘で…。
「かみお~ん♪ やっぱり海はいいよね!」
「今年もぶるぅと遊べるもんね!」
キャイキャイとはしゃぐ「そるじゃぁ・ぶるぅ」と、そっくりさんの「ぶるぅ」。早速繰り出したプライベートビーチでは、ソルジャーとキャプテンがバカップル全開でイチャついています。
「…まただよ、あそこの二人はさ!」
結婚記念日合わせだからって迷惑な、と会長さんが吐き捨てるように言った途端に。
「すまん、あの二人が羨ましかったのだな…。申し訳ない」
気が付かなくて、と頭を深々と下げた教頭先生。
「しかし、物事には順番がだな…。まずはお前と深い仲になって、それから結婚を考えようかと」
「ちょ、ちょっと…! それは順番が逆だと思う…!」
先に結婚だと思う、と会長さんが叫びましたが。
「そうか、お前も賛成なのだな。…だったら、今夜は初めての夜といこうじゃないか」
訪ねて行くから待っていてくれ、と自信に溢れた教頭先生には何を言っても無駄でした。会長さんの拒絶は全て変換され、私たちの助け舟は座礁か沈没する有様。そんなこんなで…。



「…良かったねえ、ブルー! ついに今夜はハーレイと!」
初めての夜を迎えるわけだね、と歓喜のソルジャー。明日はソルジャー夫妻の結婚記念日、夕食は豪華な特別メニューになる筈です。その料理を全て会長さんと教頭先生に譲ると勢い込んでいて。
「結婚記念日は来年もまたあるからね! 今年は君たちを祝わないと!」
カップル成立! と拳を突き上げるソルジャー、キャプテンは放って来たのだそうで。
「こんな大切な夜に、ぼくの都合を優先するっていうのもねえ…」
君のためにも付き添いが必要になるだろうし、と満面の笑顔。
「なにしろ、こっちのハーレイは童貞らしいから…。ブルーの身体を守るためには、経験豊かな先達がサポートすべきなんだよ!」
ちゃんと隠れて指図するから心配無用、と言うソルジャー。
「この子たちと一緒にサイオン中継で見ながら指示を出すからね! ハーレイの意識の下にきちんと、次はどうするべきなのかを!」
「要らないから!」
それよりもアレを外してくれ、という会長さんの悲鳴は綺麗に無視され、教頭先生の補聴器は外されないまま。防水仕様で海にも入れた代物なだけに、まさに無敵の補聴器です。私たちはソルジャーに「君たちはこっち」と連れてゆかれて、会長さんの部屋の隣に押し込まれて…。
「はい、この画面をしっかりと見る! 劇的な瞬間を見届けないとね!」
「俺たちは全員、精神的には未成年だが!」
キース君の抵抗は「いいって、いいって」と取り合って貰えず、モザイクのサービスがあるのかどうかも分かりません。ブルブル震えて縮み上がっていたら…。
「待たせたな、ブルー」
画面の向こうに教頭先生、会長さんが枕を投げ付けましたが、全く動じず。
「恥じらう姿もいいものだ。…さあ、ブルー…」
「ぼくは絶対、嫌だってばーっ!」
会長さんはソルジャーにサイオンを封じられてしまって逃げられません。大暴れしたって、相手が教頭先生なだけに…。ん…?



「「「………」」」
教頭先生は会長さんの身体の上にのしかかったまま、意識を手放しておられました。這い出して来た会長さんのパジャマに鼻血の染みがベッタリ、これはもしかして…。
「…オーバーヒート…ですか?」
「そのようだな…」
補聴器のパワーが凄すぎたようだ、とキース君。会長さんが上げた悲鳴をどういう風に変換したかは謎ですけれども、嫌だと叫べば逆の方向に変換されるわけですし…。
「…しまった、加減を誤ったかも…」
ハーレイには刺激が強すぎたかも、とソルジャーが歯噛みしています。でもでも、刺激が強すぎるも何も、教頭先生は元からヘタレな鼻血体質ですよ…?
「…それもあったっけ…。妄想までは逞しくっても、その先が…」
悉く駄目というのがハーレイだった、とガックリしているソルジャーの背後に会長さんが音もなく忍び寄っていました。サイオンは未だに使えないのか、ハリセンで殴るみたいです。
(((………)))
暴力反対を唱える人は誰もおらず、それはいい音が響き渡って…。
「あの補聴器! 使えないんだから、もう外したまえ!」
「ちょっと待ってよ、今、改良の余地を考えてるから、もう少しだけ!」
「問答無用!!」
食らえ! と炸裂するハリセン。ソルジャーもシールドを忘れているのか、散々に殴られまくっています。今の間に、あの補聴器…。
「ええ、今だったら外せますよね?」
行きましょう! と補聴器騒動の発端になったシロエ君が駆け出し、私たちは補聴器を教頭先生の耳から奪い取りました。ソルジャーはまだハリセンでバンバンやられてますから、今の内。「そるじゃぁ・ぶるぅ」にサイオンを使って壊して貰って、めでたし、めでたしな結末ですよ~!




            補聴器の効果・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 教頭先生とキャプテンの違いは、確かに補聴器。けれど、それだけでは何の意味も無し。
 そこで工夫したソルジャーですけど、とんでもない効果が炸裂。無事に奪えて良かったです。
 次回は 「第3月曜」 8月15日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、7月と言えば夏休み。マツカ君の山の別荘行きが楽しみで…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv









「んー…」
 上手く描けない、とハーレイの向かいでブルーがついた溜息。
 今日は土曜日、ブルーの家を訪ねて来たのだけれど。午前中から二人で過ごしたブルーの部屋。其処で昼食、出て来た料理はオムライス。
 それを食べようとしていた所で、ブルーの手にはケチャップの容器。オムライスにケチャップで描こうとした絵。「ぼくとハーレイは、ウサギのカップルなんだから」と。
 つまりウサギを描きたかったらしい。ブルーも自分もウサギ年の生まれで、ウサギのカップル。
「…それがウサギってか?」
 ウサギの顔の筈だよな、と眺めたブルーのオムライスの上。下手な落書きにしか見えない絵。
「やっぱり変?」
 耳も口も上手くいかないよ、とブルーも残念そう。「これじゃウサギに見えないよね」と。
「ウサギなあ…。描くなら、こうだな」
 まずは顔から耳を生やして、とケチャップで描いてゆくウサギの輪郭。クルンと引いて、二本の耳も。ウサギの顔の形が出来たら、お次は目。つぶらな瞳をケチャップで丸く。
(…でもって、鼻をこう描いて、と…)
 チョンと絞り出してやったケチャップ。鼻が出来たら、ウサギらしい口も。
 そうやって器用に描き上げたウサギ。「俺ならこうだ」と。
「ハーレイ、凄い!」
 ぼくのウサギと全然違うよ、ホントにウサギ。凄く上手いね、ケチャップの絵。
「なあに、ケーキのデコレーションの要領だってな」
 ウサギくらいは簡単だぞ。お前、ケーキ作りは手伝わないのか?
 どうなんだ、と尋ねてみたら、口ごもったブルー。
「…ママが作ってるの、たまに手伝うけど、飾りの方は…」
 やってないんだよ、小さい頃に何度も失敗したから。模様を描くのも、絞るだけのも。
 薔薇の花びらを作る練習とかも、ママと一緒にやったんだけどね…。



 ちっとも上手くいかなかった、とブルーは小さく肩を竦めた。「だから飾りは手伝わない」と。
 ケーキ作りを手伝った時も、デコレーションは母に任せているらしい。今のブルーなら、手先も器用になっただろうに、お任せのまま。それでは上手になるわけがない。
 デコレーションの方はもちろん、ケチャップで絵を描くことも。どちらも要領は同じだから。
「やってないのか、デコレーション…。それなら下手でも仕方ないな」
 こいつも一種の修行だから。…経験ってヤツがものを言うんだ、ケチャップの絵も。
 修行を積まないと上手く描けんぞ、と指差したブルーのオムライス。「そうなっちまう」と。
「分かった、頑張る…!」
 練習するよ、とブルーが握ったケチャップの容器。もう一度絵を描くつもりで。
「おいおい、ケチャップまみれになるぞ。せっかくの美味いオムライスが」
 味だって台無しになるじゃないか、とブルーを止めた。適量だからこそ、美味しいケチャップ。
「でも、練習…」
 練習しないと上手くならない、って言ったの、ハーレイじゃない!
 だから練習したいのに…。ケチャップで上手に絵を描く練習。
「またにしておけ、お母さんにも失礼だろうが」
 食べ始めてから胡椒を振るとか、ケチャップを少し増やすとか…。そういうのならいいんだが。
 自分の好みの味にするのは問題無い。だが、一口も食べない間に入れるというのは失礼だ。
 マナー違反だぞ、「お好みでどうぞ」と勧められても、食べる前なら控えめにだ。
 今からケチャップを増やしちゃいかん。練習は次の機会にだな。
 ケチャップで模様を描ける料理が出た時にしろ、とテーブルに置かせたケチャップの容器。
「うー…」
 ホントに練習したかったのに…。ハーレイだって、修行を積めって言ったのに…。
 今から描いたら、練習、一回出来るんだけどな…。



 駄目だなんて、とガッカリしたブルー。「こんなのじゃ上手くならないよ」と。
 オムライスを頬張り始めた後にも、食べながらチラチラとケチャップの容器を見たりしている。目の端の方で、「あそこにケチャップ…」と未練がましく。
(…また描き始めるんじゃなかろうな?)
 まだケチャップがついていないトコとか、皿とかに、と心配になってくるくらい。ケチャップで絵を描きたいブルーは、まだまだ未練たっぷりだから。…ケチャップ修行に。
 やろうとしたら止めないと、と考えていたら、不意に頭を掠めた記憶。赤いケチャップ。
(ケチャップだと…?)
 遠く遥かな時の彼方から来た記憶。前のブルーと、それにケチャップ。
 まるで繋がりそうもないのに、何故、と首を捻るよりも先に気が付いた。そのままだった、と。
 前のブルーもケチャップで絵を描いていたもの。朝食がオムレツだった時には。
 白いシャングリラでの朝の習慣。青の間で食べた、ソルジャーとキャプテンとしての朝食。係にオムレツを注文したら、ブルーはケチャップで絵を描こうとした。描きたい気分になった朝には。
「…お前、今も昔も変わらんなあ…」
 そう口にすると、キョトンとしたブルー。オムライスを掬ったスプーンを持って。
「変わらないって…。何が?」
 今も昔も、って言うんだったら、前のぼくでしょ?
 いったい何が変わらないの、とブルーはオムライスを頬張った。パクンとそれは美味しそうに。
「オムライスではなかったんだが…。ケチャップで絵を描いていただろ」
 青の間でもよく描いてたもんだが、それよりも前も。…白い鯨になる前の船で。
 食堂でケチャップを使う場面があったら、お前、描こうとしてたんだ。
「ああ…!」
 ホントだ、ケチャップ…。前のぼくもケチャップで描いていたっけ、色々なものに。
 青の間だったら、朝のオムレツだったよね。



 思い出した、と煌めいたブルーの瞳。「前のぼく、あれが好きだったよ」と。
「ケチャップで描くの、気に入ってたけど…。誰が教えてくれたんだっけ?」
 アルタミラの檻で生きてた頃には、ケチャップの絵なんか描けるわけがないし…。
 子供の頃の記憶は失くしちゃったし、覚えていそうにないんだけれど…。描いてたとしても。
 だから誰かに教わった筈、とブルーの記憶はまだ中途半端。曖昧な部分があるらしい。
「お前に教えたのは、前の俺だな。こうして食べると面白いぞ、と」
 まだ厨房にいた頃だから…。ずいぶんと古い話だってな。
 俺もケチャップで絵を描いたという記憶は、まるで残っていなかったんだが…。
 思い付いたんだ、と指で示したケチャップの容器。「前の俺がこいつを見ていた時に」と。
 名前だけは「シャングリラ」と立派だった船。
 其処の厨房で料理をしていた時代に、ふと閃いたのがケチャップの容器の使い方。赤いトマトを煮詰めて作った、ケチャップを絞り出せるから…。
(上手く使えば、絵が描けそうだと思ったんだよな)
 ケーキなどに使うデコレーション。…ケーキは作っていなかったけれど、データベースで料理を色々と調べる間に、そういう知識も仕入れていた。「絞り出したら、絵が描ける」こと。
 それを生かして、ただケチャップを塗るよりは、とブルーの料理の上に書いてやった。ブルーの名前を、赤いケチャップで。
 最初はそれだ、と教えてやったら、ブルーの記憶も戻って来た。「そうだっけね」と。
「ハーレイが書いてくれたんだっけ…。ぼくの名前を」
 嬉しかったんだよ、このお皿の料理はぼくだけの、って気分になって。…誰も取らないけど。
 でもね、名前が書いてあるだけで、特別な気分がするじゃない。
「お前、はしゃいでいたからなあ…。あれで気に入って、次から色々リクエストして…」
 他にも何か描いて欲しい、と俺に注文したもんだ。いわゆるケチャップのデコレーションを。
 文字だけじゃなくて、絵も描いてくれ、と。…その内に自分で描き始めたが。
「楽しそうだし、自分でもやりたくなってくるもの」
 すっかりぼくのお気に入りだよ、ケチャップで何か描くってこと。…字とか、絵だとか。



 前のブルーが描いていたケチャップの絵や、文字やら。上手く描けたら、大喜びで眺めていた。
 ソルジャーの尊称がついた後にも、せっせと描いていたブルー。
 白い鯨になる前の船でも、青の間でも。ケチャップで絵を描ける料理があったら、絵を描こうと思い立ったなら。
 ケチャップはいつも船にあったし、描くのは好きに出来たのだけれど…。
(待てよ…?)
 そのケチャップで、心に引っ掛かったこと。「合成品」と。
(合成品のトマトケチャップなら…)
 白い鯨が完成してから、暫くの間、作っていた。自給自足で生きてゆく船を目指したけれども、栽培が軌道に乗ってくれるまでの期間は、トマトが足りなかったから。
 もちろんトマトは採れたのだけれど、形を残したい料理の方に優先的に回すもの。形が無くても問題無いなら、合成品を使っていた。トマトケチャップや、トマトペーストならば合成品。
(だよなあ…?)
 合成品のトマトと言ったら、あの時期だけだった筈なんだが、と思うのにまだ引っ掛かる。一時しのぎにと作られていた、合成品のトマトケチャップが。
 ほんの短い間だけだった、合成品のトマトケチャップ。白い鯨になった直後の一時期だけ。
 トマトの栽培は至って簡単なもので、充分な量の苗を育てられるようになったら、合成品は姿を消した。本物のトマトが次から次へと実る船では、もう必要が無かったから。
 あったことすら忘れていたほどの、合成品のトマトケチャップ。
 なのにどうして引っ掛かるのか、自分でもまるで分からない。相手はただのトマトケチャップ。
(何故だ…?)
 合成だろうが、本物だろうが、見た目では区別がつかなかった出来。
 それに不味くもなかったわけだし、キャプテンとしては及第点を出せる代物。ずっと合成品しか無かったのなら「駄目だ」と切り捨てるけれど。「ケチャップも作れない船だった」と。
 トマトの栽培に失敗していれば、そういう結末。ケチャップの原料に回せるだけのトマトが無い船、なんとも情けないシャングリラ。自給自足を謳っていたって、合成品が出回る船。
 けれども、そうはならなかったし、何の問題も無かった筈。…トマトケチャップに関しては。



 いったい何処が引っ掛かるんだ、と捻った首。「あれで良かった筈なんだが」と。
 トマトが沢山採れない間は、合成品を使うこと。きちんと会議にかけて決めたし、事前に試食もしていたほど。皆が「不味い」と言い出さないよう、船の改造を始める前から。
(分からんな…)
 まるで謎だ、とオムライスを口に突っ込んでみても分からない。ケチャップの味も、記憶の鍵を運んで来てはくれない。「合成品でも、充分こういう味だったよな」と思う程度で。
「…ハーレイ、どうかした?」
 何か気になることでもあるの、とブルーに訊かれた。「急に黙って、どうしちゃったの?」と。
「すまん、つい…。合成品のトマトが気になってだな…」
 待て、それだ!
 合成のトマトが問題だったんだ、と蘇った記憶。言葉に出したら、遠い記憶の海の底から。
「何の話?」
 合成品のトマトって…、とブルーは怪訝そうな顔。ブルーにとっても、合成品のトマトと言えば一時しのぎの物だろう。ほんの一時期、白い鯨で作られただけの。
 けれど…。
「ナスカだ。あそこで起こっちまった対立…」
 古い世代と、ナスカにこだわった若い世代と。あの対立が激しくなった原因…。
 元はトマトだ、と瞠った目。
 あれから目に見えてこじれ始めた、と思い出した出来事。トマトと、合成品のトマトと。
「トマト…。ナスカでも採れた野菜だよね?」
 前のぼくは食べ損なったんだけど、とブルーの赤い瞳が瞬く。古い世代はナスカの野菜を嫌っていたから、前のブルーにも供されなかった。十五年もの長い眠りから覚めても、当然のように。
「うむ。あの星の最初の収穫だった」
 トマトとキュウリと、タマネギにニンジン。
 それを籠に入れて、「受け取って下さい」とルリが差し出したっけな、ジョミーに。
 ナスカで最初の収穫です、と嬉しそうな顔で。
 ジョミーはトマトに齧り付いてだ、「美味しい! 太陽の味がする」と言ったんだが…。
 同じトマトを、ゼルがだな…。



 齧るなり床に叩き付けた、とブルーに話した。「この話、前にもしたんだが…」と。
「だが、あの時はトマトの話だけでだ…。問題の根はもっと深かったんだ」
 やっと思い出した、今になってな。ゼルが怒って怒鳴った言葉が、実に厄介だったこと。
 ゼルはトマトを叩き付けるなり、こう言ったんだ。「こんな臭い物が食えるか」と。
 合成の方がまだマシだ、とな。
「…それって酷い…」
 みんなが頑張って作ったトマトを捨てちゃうなんて。…味に文句をつけるだなんて。
 それで対立しないわけがないよ、若い世代を頭から否定したんだから。
「ゼルがやったことも酷いんだが…。褒められたことじゃなかったんだが…」
 言葉の方がもっと酷かった。…結果的には、そうなったんだ。
 あれで誤解が生まれちまった、「合成の方がマシだ」と言ったモンだから。
「…どういう意味?」
 誤解って、とブルーはオムライスを頬張りながら尋ねた。「いったい何が誤解されたの?」と。
 ゼルがトマトを投げ捨てただけで充分酷いし、誤解も何も、とブルーは言うのだけれど。
「そのトマトだ。…お前、合成トマトなんかがあると思うか?」
 あったと思うか、と言い換えてもいい。トマトそのものの形をしていた、合成品のトマト。
 そんな代物、あのシャングリラに存在してたか、ほんの一時期だけにしたって…?
「トマトの形の合成品って…。あるわけないでしょ、そんなヘンテコなもの」
 白い鯨に改造した後、トマトが充分採れなくっても、丸ごとの形で合成したりはしなかったよ。
 足りなかった時は、本物のトマトは無しで、合成品のケチャップとかトマトペーストの出番。
 そういうので出来る料理を作っていたでしょ、「トマトは暫く我慢してくれ」って。
 農場でトマトが採れ始めるまでは、トマト風味のお料理で我慢。
 みんな分かってくれていたから、文句を言う人は誰もいなかったよ。
 白い鯨で丸ごとのトマトが出て来た時には、いつも本物。…太陽の味はしなくってもね。



 人工の照明で育てたものでも、トマトはトマト、と答えたブルー。トマトの形の合成品などは、一度も作っていなかった、と。
「そうでしょ、ハーレイ? 本物のトマトは船でも作れたんだから」
 最初の間は量が足りなくて、ケチャップとかを合成したけれど…。丸ごとのトマトは本物だけ。
 合成のトマトなんかは作っていないよ、作ろうって話も出なかったけれど…?
「そうなんだが…。其処の所を誤解したのが若いヤツらだ」
 合成トマトケチャップがあった時代を知らなかったからな、若い連中は。
 シャングリラにもトマトはちゃんとあるのに、「合成の方がマシだ」と言われちまったんだぞ?
 ゼルにしてみれば、合成ケチャップのトマトの方が、という意味なんだが…。
 それを知らないヤツらが聞いたら、どういう意味に取れると思う?
「…言いがかりにしか聞こえないよね?」
 シャングリラのトマトよりも、ずっと酷い味。…合成した方がマシなくらいだ、って。
 合成品のトマトは作ってないけど、こんなトマトより、それを開発した方がマシ、って言われてしまったみたい…。お話にならない味のトマトだ、って。
「そういうこった。…若いヤツらは、その通りの意味に受け取ったんだ」
 お前が言った通りにな。ありもしない合成のトマトの方がマシだ、と罵倒されたと考えた。
 話はたちまち広がっちまって、対立が酷くなる切っ掛けになっちまったんだ。
 俺も事情を把握してはいたが、あえて説明しなかったから…。ゼルの言葉の本当の意味。
「なんで?」
 教えてあげれば良かったのに、とブルーは不思議そうだけれども。
「…自分で歴史を紐解けば良かろう、と考えたんだ」
 合成のトマトで腹を立てたなら、あの船に合成品が溢れていた時代を調べるがいい、と。
 最初からトマトが充分にあったか、他の作物はどうだったのか。
 コーヒーやチョコレートの代用品だったキャロブにしたって、初めの間は船には無かった。
 あれはゼルの一言で来た植物だぞ、「子供たちに合成品のチョコレートを食べさせたくない」と言ってくれたお蔭で。
 トマトの件で「合成の方がマシだ」と言ったのは、そのゼルだ。…白い鯨を作ったのも。
 合成トマトを切っ掛けにして、色々なことを知ってくれればいい、と思ったんだが…。



 馬鹿な選択をしたもんだ、と零した溜息。オムライスの最後の一口をスプーンで頬張って。
「前の俺も、つくづく馬鹿だった。何に期待をしていたんだか…」
 ナスカに夢中の若いヤツらが、シャングリラの過去を振り返るわけがないのにな。
 古い世代に腹を立てていたなら、なおのことだ。
 俺としたことが…、と皿に置いたスプーン。「御馳走様」と。
「それじゃ、みんなは誤解したまま?」
 合成トマトの方がマシだ、ってゼルが悪口を言ったんだ、っていう風に。
 ありもしない合成トマトなんかと比べられた、って酷い悪口だと思い込んだまま…?
 そうだったの、とブルーが見上げてくる。オムライスを口に運びながら。
「恐らく、そうだったんだろう。…トマトの件は違うようだ、と噂が流れはしなかったから」
 そしてゼルたちはナスカの野菜を酷く嫌って、食べることさえ無かったし…。
 余計にこじれる一方だったというわけだな。若い世代と古い世代の対立ってヤツは。
「…ハーレイ、みんなに教えてあげれば良かったね。合成トマトは誤解なんだ、って」
 ゼルだって言葉不足だよ。
 合成のトマトケチャップの方がよっぽどマシだ、って言えば通じた筈なのに…。
 それでもみんなは怒っただろうけど、言い返すことは出来たと思う。失礼な、ってね。
 合成品なんかを作らなくても、これからはナスカで沢山のトマトが実るんだから、って…。
「そうだな、お前が言う通りかもしれないな…」
 合成のトマトというのが何のことなのか、それだけでも皆に通じていたら…。
 きちんと意味を把握していたら、同じ怒りでも別の方へと行っただろう。
 合成品のケチャップよりも美味いケチャップ、そいつをナスカのトマトで作ってみせるとか。
 「いつか作るから、それを食べてから文句を言え」と噛み付くだとか。
 そうすりゃ、こじれはしなかったんだ。…対立したって、ライバル意識の塊ってだけで。
 古い世代をいつか見返してやる、と前向きに努力するだけだから。



 合成品よりも美味いナスカのケチャップが出来たかもな、と思い返さずにはいられない。対立の方向が違っていたなら、結果も違っていたのだろうに。
「あそこにヒルマンがいたならな…」
 こじれずに済んでいたかもしれん。あの時、あいつが一緒だったら。
 あいつだったら…、と思い浮かべた博識な友。皆が「教授」と呼んだくらいに。
「ヒルマン?」
 騒ぎの時にはいなかったの?
 初めての収穫をジョミーに渡そうっていう時なんだし、ヒルマンも一緒にいそうなのに…。
 ハーレイたちの方じゃなくって、ルリたちの方に。…みんなヒルマンの教え子だから。
「カリナに子供が生まれるからなあ、準備で忙しかったんだ」
 とうにナスカでの暮らしがメインで、其処はお前の読み通りだが…。
 生憎、あの場にはいなかった。ノルディと二人で調べ物の最中だったか、育児環境を整える方で走り回っていたんだか…。
 もしもヒルマンがゼルの言葉を聞いていたなら、その場で注意しただろう。ゼルに向かって。
 「その言い回しは誤解される」と、「合成品はケチャップだっただろう」とな。
 それだけで空気が変わったのになあ…。「なんだ、トマトじゃなかったのか」と。
「だけど、エラだっていたんでしょ?」
 エラだってピンと来ていた筈だよ、ヒルマンみたいに。「これはマズイ」って。
「それがだな…。エラは、ヒルマンのように柔軟な考え方は持っていなかった」
 ジョミーが自然出産を提案した時も、真っ先に反対したのがエラだ。それは倫理に反する、と。
 そういう考え方なわけだし、ゼルがトマトを不味いと言ったら、同じ方に考えが行っただろう。
 合成品のトマトケチャップがあった、と納得しちまっておしまいだ。
 「あれよりも美味しくないらしい」と、ゼルの肩を持ってしまったわけだな。
 合成品のケチャップを知らない若い世代が、言葉の意味を誤解するかも、とは考えないで。
「そっか…。そうなっちゃうかもね…」
 エラはけっこう頑固だったし、ヒルマンみたいに子供たちと過ごしたわけでもないし…。
 気が付かないままになっちゃいそうだね、合成品のケチャップとトマトの違いに。



 そんな所から亀裂が大きくなっただなんて、とブルーは悲しげな顔でオムライスの残りを綺麗に食べた。「御馳走様」とスプーンも置いて、ケチャップの容器をチラと眺めて…。
「…合成品のケチャップ、ほんの少しの間だけしか無かったのにね…」
 そのケチャップのせいで、とんでもないことになっちゃった。
 若い仲間は知らなかったから。…トマトは船で沢山採れてて、ケチャップも本物だったから。
 前のぼくが目を覚ましていたなら、みんなの誤解に気が付いたのに…。
「だろうな、お前の所にも俺が報告に行っただろうし…」
 合成トマトの件はきちんと皆に説明したのか、と俺に訊いたんだろうな、前のお前は。
「そう。最初はゼルを呼び出して叱るんだろうけど…」
 トマトを投げ捨てたことだけ叱って、それでおしまいだろうけど。
 ゼルがみんなに言った言葉は知らないんだから、合成トマトなんて思いもしないよ。
 でも、対立が酷くなったなら…。
 ナスカの様子も青の間から思念で探り始めるから、誤解にだって気が付くってば。
 合成のトマトなんだと勘違いをして、みんなが怒り始めたことにね。
 前のぼくなら誤解なんだって分かったけれども、ジョミーじゃ、其処まで無理だったよね…。
「…ジョミーが知らなかったからなあ、合成トマトの正体を」
 船に来た時は、普通のケチャップだったんだから。…トマトペーストも本物だったし、気付けと言う方が無理ってモンだ。
 ずっと昔は本当に合成品のトマトがあって、そいつはケチャップやペーストなんかのトマト味。それで料理を作ってたなんて、ジョミーに分かるわけがない。
 いくらソルジャーを継いだとはいえ、あれはソルジャーとして必要な知識じゃないからな。
「…ジョミー、何だと思っていたんだろう?」
 ゼルがナスカのトマトよりマシだ、って言った合成のトマト。
 ジョミーも一緒に聞いていたんだし、若い仲間たちと同じように誤解したのかな…?
「まず間違いなく、そのコースだな。ゼルの悪口で嫌がらせだと」
 まさか本当に合成トマトが存在したとは、ジョミーは全く知らないんだし…。
 俺も教えはしなかったからな、若いヤツらに種明かしをしてはいかんと思って。
 ジョミーが答えを知っていたんじゃ、誰も勉強しやしない。シャングリラの歴史というヤツを。



 教えておけば良かったんだがな…、と後悔しても、もう戻せない時。ゼルの言葉に端を発した、若い世代の合成トマトへの誤解。
 元を辿れば、白い鯨が完成した後、一時しのぎに作られたトマト味をした合成品。トマトの形もしていないかった物で、ケチャップやトマトペーストのこと。トマト風味になるように、と。
「…俺も本当に馬鹿だったよなあ…」
 合成トマトの正体ってヤツを早めにバラしておいたら、派手にこじれはしなかったのに。
 若いヤツらが過去を勉強しないことにしたって、よく考えれば気付けたのにな。
 失敗だった、と広げた両手。「今頃になってぼやいてみたって、とうに手遅れなんだがな」と。
「ナスカも、ナスカで出来たトマトも、とっくに無いしね…」
 ホントに怖いね、誤解って…。合成トマトは、ケチャップとかのことだったのに。
 ケチャップなんだって分かっていたなら、若い仲間も考え方が違っていたと思うよ。当たり前のように船で食べてたケチャップ、それで苦労した時代も昔はあったんだ、ってね。
「まったくだ。…古い世代の苦労を知ったら、ヤツらも変わっていただろう」
 俺はそいつを狙ったわけだが、結果的には大失敗だ。学ぶどころか、対立が酷くなる一方で。
 挙句にヤツらがナスカに残って、逃げようとしなかったモンだから…。
 そうなったせいで、前のお前を失くしちまう羽目に陥ったのかと思うとな…。
「全部トマトのせいだ、って?」
 ナスカで大勢の仲間が死んじゃったのも、前のぼくがメギドに行ったのも。
「そうなるのかもしれないなあ…。元は一個のトマトだった、と」
 ゼルが齧って、臭いと投げ捨てちまったトマト。
 あれが全ての元凶かもなあ、トマトに罪は無いんだが…。
 ついでに合成トマトの方にも、罪は全く無いってな。あれは大いに役立ったから。
 白い鯨で充分な量のトマトが採れ始めるまで、あれで色々な料理を作れた。合成ケチャップと、合成トマトペーストと。
 あれが無かったら、もっと不満が出ていたろう。トマトベースの料理はけっこう多いんだから。
 しかしだな…。



 合成トマトが一人歩きをしちまった、と眺めたケチャップの容器。
 遠い昔にゼルが言い放った、「合成のトマトの方がマシだ」という言葉。合成のトマトの正体は丸ごとのトマトではなくて、ケチャップやトマトペーストだったのに。
 若い仲間がその正体に気付いてくれたら、全ては変わっていた筈なのに…。
「…俺は合成ケチャップのせいで、前のお前を失くしたのか…?」
 そうでなきゃ、たった一個のトマト。ゼルに合成トマトと言わせた、あのトマトのせいで。
 どちらにも罪は無いんだがな、と零れた溜息。「ゼルもそこまで思っちゃいまい」と。
 あの言葉を口にした時には。「合成のトマトの方がマシだ」と詰った時には、ゼルにも分かっていなかったろう。それがどういう結果を招くか、どんな悲劇を引き寄せるのか。
「いいじゃない、トマトでもケチャップでも」
 原因がどっちだったにしたって、ぼくはハーレイの所に帰って来たよ?
 それにケチャップで絵だって描けるよ、さっきウサギを描いていたでしょ?
 オムライスにね、と微笑むブルーの皿の上には、もうスプーンだけ。ケチャップの絵はすっかり食べてしまって、何処にも残っていないから。
「ウサギの絵なあ…。上手く描けてはいなかったがな」
 あの絵の何処がウサギなんだか、と苦笑するしかない今のブルーの腕前。前のブルーは、上手に色々描いていたのに。…食堂でも、それに青の間でも。
「前のぼくは上手だったんだけど…」
 今よりもずっと上手に描けていたのに、あの腕、何処に行っちゃったのかな…?
「年季が違うというヤツだ。前のお前は、何年ケチャップで絵を描いたんだか…」
 うんと修行を積んでいたしな、お前が敵うわけがない。十四年しか生きていないんだから。
 そういや、ナスカでも描いたか、アレ?
 前のお前が目覚めた後だな、飯は食ってたと聞いてるんだが…。
「えーっと…?」
 ケチャップで絵を描いてたのか、っていうことだよね?
 朝のオムレツとか、ケチャップで絵を描けそうな料理が出て来た時に…?



 どうだったろう、と記憶を手繰り始めたブルーの瞳に滲んだ涙。微かに光った涙の粒は、直ぐに盛り上がって目から零れた。もう留まっていられなくて、頬を伝ってポロリと一粒。
「おい、どうした?」
 いきなり泣いちまうなんて、とブルーの顔を覗き込んだら、また溢れ出した真珠の涙。
「…書いたんだよ…。絵じゃなくて、字を…」
 前のぼく、最後にケチャップで、ハーレイの名前…。
「なんだって!?」
 俺の名前か、と問い返したら、ポロポロと零れ続ける涙。前のブルーが泣いているかのように。
 小さなブルーは溢れる涙を拭おうともせずに、涙交じりの声で続けた。
「メギドに行った日の朝御飯の時に、オムレツに書いていたんだよ…」
 もうハーレイと朝御飯は食べられなかったから…。ハーレイ、忙しかったから。
 こんなに上手に書けたよね、って一人で眺めて、それからオムレツ、食べたんだよ…。
 ハーレイのことが好きだったよ、って…。名前もちゃんと綺麗に書ける、って。
「そうだったのか…」
 すまん、朝飯には行くべきだった。…前のソルジャーでも、きちんと朝の報告に。
 お前と朝飯を食うべきだったな、その時間ならあったんだ。俺だって飯は食うんだから。
「…ジョミーの所に行っていたんじゃないの?」
 キャプテンはソルジャーと朝御飯を食べるものだったでしょ、とブルーは言うのだけれど。
「その習慣はもう無かったんだ。…ナスカの頃には、とっくにな」
 ジョミーがソルジャーになった後にも、続けるべきだという声は多かったんだがな…。
 肝心のジョミーが嫌がっちまって、それっきりだった。
 つまり朝飯を食うためだったら、お前の所に行けたわけだな、堂々と。
 目覚めたばかりの前のソルジャーに、色々なことを報告しに行くんだから。…前と同じに。
 畜生、どうしてそいつを思い付かなかったんだか…。
 お前と二人で過ごせた上に、ケチャップで書いてくれたっていう俺の名前も見られたのにな…。



 俺としたことが、と前の自分の迂闊さがとても悔しいけれど。
 オムレツにケチャップで字を書いていた前のブルーの心を思うと、悲しくてたまらないけれど。
「…ハーレイ、そんな顔をしないで」
 ごめんね、とブルーがグイと拭った涙。「もう泣かないよ」と健気に笑んで。
「泣かないって…。しかし、お前は…」
 前のお前は、朝飯の時まで独りぼっちで…。俺の名前をオムレツに書くくらいしか…。
 せっかく上手に書いてみたって、俺はお前の側にいなくて…。
 俺のせいだ、と詫びたけれども、ブルーは「ううん」と首を横に振った。
「ハーレイのせいなんかじゃないよ。…トマトのせいでもないし、合成トマトの方だって…」
 ぼくが勝手に泣いちゃっただけで、それは前のぼくのことを思い出したから…。
 オムレツにハーレイの名前を書いていたのが、ついさっきみたいな気がしちゃったから…。
 でもね、ぼくなら大丈夫。
 今はハーレイと一緒なんだし、幸せだから。こうして御飯も食べられるから…。
 オムライス、すっかり食べちゃったけど。…お皿、空っぽになっちゃったけれど。
 ぼくは平気、とブルーの涙は止まって笑顔に変わったから。
「そうだな、今度はこれから修行なんだな、ケチャップの絵は」
 今のお前はウサギも描けない有様なんだし、前のお前の腕前までは遠そうだ。
 頑張って腕を上げることだな、前のお前に負けないように。
 コツコツと努力の積み重ねだぞ、とケチャップの容器を指差した。「練習あるのみ」と、日々の努力が大切だから、と。
「努力もいいけど…。またハーレイにコツを教わるよ」
 今のぼくだと、朝御飯の時にハーレイの名前は書けないから…。
 そんなの書いたら、パパやママが変に思うでしょ?
 だから結婚してから修行、とブルーが浮かべた笑み。「今はまだ無理」と。
「ふうむ…。そういうことなら、いつかケーキ作りも一緒にするか?」
 今のお前はデコレーションは下手くそらしいし、俺が一から教えてやるから。
「もちろんだよ!」
 ハーレイと一緒にケーキを作るの、やりたいに決まっているじゃない…!



 でも、その前に毎朝のケチャップからだね、とブルーは幸せそうだから。
 「結婚したら、朝はオムレツにハーレイの名前なんだよ」と、ケチャップで書く気満々だから。
(…うん、今の俺たちには、ケチャップはだな…)
 前と同じに絵を描いたりして楽しめるもの。オムレツやオムライスに、ウサギや文字を。
 赤いケチャップで好きに描けるし、ブルーにコツも教えてやれる。
 「こうだぞ」とケチャップの容器を手にして、手本を描いて。もっと上手になりたいブルーに、ケーキのデコレーションの技も伝授して。
(前のあいつより、ずっと上手になれるだろうなあ…)
 綺麗にケーキを飾れるようになったなら。ケチャップの絵よりも難しい技を、ブルーがマスターしたならば。
 きっとそうなるに決まっているから、合成トマトの悲しい誤解は、もう遠い過去でいいだろう。
 前の自分が失くしたブルーは、ちゃんと帰って来てくれたから。
 今度は地球で育ったトマトのケチャップ、それで二人で好きなように絵を描けるのだから…。




            合成品のトマト・了


※ナスカで採れたトマトにゼルがぶつけた、「合成のトマトの方がマシ」という酷い言葉。
 若い世代との対立を悪化させたそれは、誤解が原因。合成したのはケチャップだったのです。
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「こんにちは!」
 学校の帰り道に、ブルーが出会った人。バス停から家まで歩く途中で。
 顔馴染みの御主人で、家だって近い。でも、その家では犬を飼っていたろうか?
 元気に挨拶したのだけれども、ついつい犬を見てしまう。御主人が握ったリードの先の。
「えっと、この犬…」
 前からいたの、と訊いてみた。飼い始めたなら、母が教えてくれそうだから。子犬がいるとか、通ったら犬が座っていたとか。
「孫のだよ。預かってるんだ、旅行中でね」
 ペットのホテルよりも犬は嬉しいだろう、と笑顔の御主人。好きな時間に散歩に行けるし、顔を知っている人の家でもあるし、と。
 こうして話をしている間も、パタパタと尻尾を振っている犬。とても嬉しそうに。
 犬には詳しくないのだけれど、多分、昔の日本の犬の一種。大きい犬だ、とは思わなかったし、柴犬という種類だろうか。茶色い毛皮で、ピンと立った耳。
「吠えないね」
 ぼくを見たって、と見詰めた犬。散歩中の犬に近付きすぎたら、吠えることだって多いのに。
「人が好きなんだよ、撫でてみるかい?」
 吠えないし、もちろん噛みもしないよ、と御主人が言ってくれたから。
「いいの?」
 身体を屈めて撫でてみた背中。猫とは違った手触りだけれど、温かな身体。命の温もり。それにパタパタ振られる尻尾。ちぎれそうなほどに、右に左に。
 御機嫌なのだ、と分かるのが尻尾。そうやってブンブン振られていたら。
 顔を見たなら喜んでいると分かるけれども、それよりも分かりやすいのが尻尾。振られる尻尾は御機嫌な印、人に出会って振られる時は…。
(大好きの印…)
 その人のことが大好きですよ、と尻尾を振って伝える犬。会えてとっても嬉しいです、と。



 本当に人が好きなのだ、と尻尾のお蔭で分かるから。自分も好かれているようだから、御主人に尋ねることにした。今もパタパタ揺れている尻尾、それが気になってたまらない。
「尻尾、触ってみてもいい?」
 嫌がられるわけじゃなかったら、と眺めた尻尾。きっと大事な尻尾だろうし、触られたら嫌かもしれないから。飼っている人なら大丈夫でも、会ったばかりの自分は駄目とか。
 ちょっぴり心配だったのだけれど、「もちろんだよ」と答えた御主人。
「嫌がる犬もいるらしいけどね、触って貰うと喜ぶから」
 どうぞ、と出して貰えたお許し。いきなり尻尾は失礼かな、と背中から撫でて、尻尾に触れた。そうっと、御機嫌そうな尻尾に。
(ちょっとだけ…)
 引っ張るわけじゃないからね、と触った尻尾。犬は怒りはしなかった。代わりに尻尾がブンブン振られて、手にパタパタと当たったくらい。「もっと、もっと」と。
 それが嬉しくて、暫く夢中で犬と遊んだ。背中を撫でたり、尻尾に触らせて貰ったり。御主人が犬を座らせてくれて、握手をさせて貰ったり。
 いつまでも遊んでいたかったけれど、御主人も犬も散歩の途中。これから出掛ける所らしいし、あまり引き止めても悪いだろう。
(きっと沢山歩きたいよね?)
 道端で止まって遊んでいるより、元気に散歩。公園に行くとか、他にも色々。
 そう思ったから、「ありがとう」と御主人に告げたお別れ。「楽しかった」と頭を下げて。
 さよなら、と手を振った時にも揺れていた尻尾。「また遊んでね」とパタパタと。学校の帰りに会った時には、また遊ぼうと。
 御主人と一緒に歩き出しても、犬の尻尾は揺れたまま。「楽しかったね」と言うように。



 初めて出会った、柴犬らしい茶色の犬。ご近所さんの家に、今だけいる犬。
(可愛かったな…)
 小さい犬じゃなくても可愛いよ、と家に帰っても思い出す。おやつの間も、二階の部屋に戻った後も。なんて気のいい犬だったろうと、あんなに尻尾を振ってくれて、と。
 勉強机の前に座って、楽しかった時間に思いを馳せた。初対面なのに、吠えたりしないで尻尾も触らせてくれた犬。うっかり名前を聞き忘れたほど、アッと言う間に仲良しになれた。
 猫も好きだけれど、犬もいい。
 さっきみたいに、尻尾で自分の気持ちを伝えてくれるから。嬉しい時にはブンブン振って。
(猫の尻尾は、ちょっぴり気取った感じ…)
 犬とは全然違うよね、と考えてしまうのが猫たちの尻尾。しなやかな尻尾を得意そうに立てて、澄まし顔で歩いてゆく猫たち。
 尻尾はピンと立てているもの、犬のようにパタパタ振ったりはしない。猫たちならば。
(怒った時には振っているけど…)
 たまに見掛ける猫同士の喧嘩。道端とか、この家の庭とかで。
 睨み合ったまま姿勢を低くして、右に左に振られる尻尾。不機嫌そうな声で唸りながら。尻尾を地面すれすれに振って、バサリ、バサリと音がするよう。
 …ゆっくりと振るものだから。喧嘩の相手よりも自分が強い、と威嚇するために振る尻尾。
 猫が尻尾を左右に振るのは、そういう時。普段はピンと立てているだけ、驚いた時は…。
(…尻尾、パンパンに膨らんじゃって…)
 まるでブラシのようになる。怒った時にも、同じに膨らむ猫たちの尻尾。フーッと怒って、毛を逆立てて。身体中の毛が逆立ったならば、尻尾の毛だって逆立つから。
(犬でも猫でも、尻尾で分かるよ)
 どういう気持ちか、眺めただけで。御機嫌なのか、不機嫌なのか。
 仲間同士なら分かって当然、人間にだって通じる気持ち。「怒ってます」とか、「楽しいです」とか、尻尾の様子を見るだけで。
 御機嫌でパタパタ振られる尻尾や、ションボリと垂れてしまった尻尾。それを見たなら、ピンとくる気持ち。まるで言葉が通じなくても。



 便利だよね、と思った尻尾。犬や猫たちが持っている尻尾。仲間はもちろん、自分たちの言葉を知らない人間にだって、尻尾が気持ちを伝えてくれる。ブンブン振ったりするだけで。
(とっても便利に出来てるよね…)
 ああいう風に、尻尾で気持ちを伝えられたら素敵なのに。犬や猫たちの尻尾みたいに、自分にも尻尾。今の自分はサイオンがとても不器用になって、思念波もろくに紡げないから…。
(代わりに尻尾…)
 あったらいいな、と考えた尻尾。今の自分についていたなら、きっと尻尾は役に立つ。パタパタ振っていたならば。嬉しそうにブンブン揺れていたなら。
 尻尾があったら、ハーレイも一目で分かってくれる。どんなに好きでたまらないのか、会えたら嬉しくてたまらないのか。
 ハーレイに会ったら、パタパタ振られる自分の尻尾。帰り道に会った犬の尻尾みたいに。
(キスは駄目だ、って叱られたら…)
 どれほどしょげてしまうのかだって、尻尾がハーレイに教えてくれる。
 ついさっきまでパタパタ振られていたのが、ションボリとなって垂れ下がって。心そのままに、萎れた葉っぱみたいになって。
(…ホントに分かりやすいよね?)
 ぼくの気持ち、と思う「尻尾がある」自分。言葉では上手く伝わらなくても、頼もしい尻尾。
 それに尻尾は正直なのだし、嘘をついたりしないもの。心をそのまま映し出す鏡。
 誰だってそれを知っているから、ハーレイにもきっと分かる筈。嬉しい気持ちも、悲しい気分も伝わる尻尾。
 元気にパタパタ振られているのか、寂しそうに垂れてしまっているか。
 見れば気持ちが分かるのが尻尾、思念波では伝えられなくても。…上手く言葉に出来なくても。



 もしも尻尾を持っていたなら、今よりも素敵。そんな気分がしてくる尻尾。
 とことん不器用になったサイオン、それの代わりに尻尾があったら便利なのに、と。
(尻尾、欲しいな…)
 ぼくにも尻尾があればいいのに、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり、問い掛けた。
「あのね、尻尾があったらいいと思わない?」
「はあ?」
 尻尾って何だ、と怪訝そうなハーレイ。「俺に尻尾があるといいのか?」と。
「違うよ、尻尾が欲しいのは、ぼく…。尻尾は尻尾で、本物の尻尾」
 動物って、尻尾を見れば気持ちが分かるでしょ?
 喜んでるとか、ガッカリだとか、怒ってるのとかも、全部、尻尾に出ちゃってる。
 犬とか猫が持ってる尻尾はそういう仕組みで、心の中身が表れるよね?
 気持ちを伝えるためのもの、と説明したら、ハーレイも「そうだな」と頷いた。
「確かに尻尾は分かりやすいが、犬の尻尾が欲しいのか?」
 犬の尻尾は、猫よりも分かりやすいしな。俺のお勧めは犬の尻尾だが…。
「ハーレイもやっぱり、そう思う? 猫より犬の尻尾がいい、って」
 だけど欲しいのは、本物の犬の尻尾じゃなくって、猫の尻尾が欲しいわけでもなくて…。
 ぼくに尻尾があったらいいな、って。
 本当に本物のぼくの尻尾で、ぼくのお尻に生えてる尻尾。ちゃんと毛皮もくっついたヤツ。
 尻尾があったら、思念波の代わりに直ぐに分かるよ。ぼくの気持ちがハーレイにもね。
 ちょっと尻尾の方を見たなら、心の中身が丸ごと尻尾に出てるんだから。
 ハーレイに会えて嬉しい気持ちも、ハーレイが好きでたまらないのも。
 きっと今なら、ちぎれそうなくらいに振ってると思う。…ぼくに尻尾がついていたらね。



 ハーレイが来てくれたから嬉しいんだもの、と言葉で伝えた自分の気持ち。
 尻尾があったら、もうそれだけで伝わるのに。パタパタと振れば、直ぐに分かって貰えるのに。
「…こんな風に言葉にしなくてもいいよ、尻尾があれば」
 ハーレイが尻尾を見てくれるだけで、ぼくの気持ちが分かるんだもの。
 だから欲しいな、と話した尻尾。うんと不器用な思念波の代わりに、ぼくに尻尾、と。
「なるほどなあ…。そういう理由で尻尾が欲しい、と」
 お前の気持ちは分からないでもないんだが…。
 本物の尻尾を持つんだったら、お前の場合はウサギの尻尾になっちまうのか?
 ウサギの尻尾か、と尋ねられたから、キョトンとした。質問の意味が掴めなくて。
「…ウサギ?」
 どうしてウサギの尻尾になるわけ、ハーレイのお勧めの尻尾じゃないよ?
 お勧めは犬の尻尾だって言っていなかった?
 …ぼくにくっつける尻尾の話とは違ったけれど…。分かりやすい尻尾のことだったけれど。
 心の中身を伝えやすいのは犬の尻尾なんでしょ、そうじゃないの?
 猫よりも犬、と「俺のお勧めだ」と言われた尻尾を挙げたのだけれど。
「そいつは尻尾の分かりやすさで、お前の尻尾の話じゃないぞ」
 お前が尻尾を持つんだったら、その方向で考えないとな。…お前に似合いそうな尻尾を。
 それでウサギの尻尾なのかと訊いたんだ。
 俺たちはウサギのカップルだからな、お互い、ウサギ年だから。
 ついでにお前がチビだった頃は、ウサギになりたかったそうだし…。元気に走り回れるウサギ。
 お前がウサギになっていたなら、俺も茶色のウサギになるって話をしてたと思うんだが…?
「そうだっけね! 白いウサギと茶色のウサギ…」
 ぼくたちが一緒に暮らせるように、ハーレイが巣穴を広げてくれるんだっけ。ぼく用の巣穴だと狭すぎるから、もっと広くて立派な巣穴になるように。
 それなら、ぼくが尻尾を貰うんだったら、ウサギの尻尾。
 犬の尻尾よりも、ウサギの尻尾の方がピッタリ。…ぼくの姿は人間だけどね。
 あれ?
 でも、ウサギって…。



 素敵な尻尾が見付かったよ、と思ったウサギの尻尾。自分らしくて、ハーレイもお勧め。
 もしも尻尾をつけて貰えるなら
、断然、ウサギ、と考えたけれど。ウサギに決めた、と真っ白な尻尾を夢見たけれども、その尻尾。フワフワの毛皮のウサギの尻尾。
 ウサギは尻尾をどう動かしているのだろう?
 嬉しかったらパタパタ振るとか、ションボリしたら垂れ下がるとか。ウサギの尻尾は、そういう動きをしていたろうか…?
(…幼稚園の時、ウサギの小屋…)
 お気に入りでいつも覗いていた。ウサギと友達になりたくて。友達になれたら、自分もウサギになれるだろうと考えて。
 熱心に見ていたウサギだけれども、肝心の尻尾のことを知らない。ピョンピョン跳ね回っていたウサギたちは、尻尾で気持ちを伝えて来たりはしなかったから。
(…尻尾よりは、耳…)
 ウサギの気持ちは耳で分かった。ピンと立てたり、神経質にピクピクさせていたりと。
 嬉しい気持ちや悲しい気持ちを伝える時には、ウサギは耳を使ったろうか?
 幼かった自分はそこまで観察しなかったけれど、尻尾の代わりに耳で表現していただとか。
(尻尾も使うかもだけど…)
 人間にまでは通じない。ウサギ同士でしか分からないだろう、尻尾で表すウサギの気持ち。
 これでは駄目だ、と気が付いた。
 いくら自分に似合うとしても、ウサギの尻尾では気持ちが伝わらない。
 誰よりもそれを知って欲しい人に、ハーレイに分かって貰えない。
 ウサギが尻尾をどう動かしたら御機嫌なのか、ハーレイは知らないだろうから。ウサギの尻尾が欲しいと思った、自分だってまるで知らないから。



 言葉を使って伝えなくても、思念波が駄目でも、自分の気持ちが伝わる尻尾。
 欲しい尻尾はそういう尻尾で、ウサギの尻尾では話にならない。気持ちが伝わらないのでは。
「…ハーレイ、ウサギの尻尾は駄目だよ」
 ウサギ年のぼくにはピッタリだけれど、素敵だと思ったんだけど…。
 使えないよ、と小さな溜息。「ウサギの尻尾は、ちっとも役に立たないみたい」と。
「何故だ? お前に似合いそうだと思うんだが…」
 真っ白でフワフワの尻尾だしなあ、犬よりもお前らしいぞ、ずっと。それに可愛いじゃないか。
 ウサギの尻尾は何故駄目なんだ、とハーレイの鳶色の瞳が瞬く。「良く似合うのに」と。
「見た目は駄目じゃないんだけれど…。ウサギの尻尾、ぼくも好きだけど…」
 でもね、ウサギが尻尾をどう動かすのか、ぼくは少しも知らないんだよ。
 幼稚園の時に何度も見てたけれども、嬉しい時の動かし方とか、悲しい時の様子とか…。
 どうなってたのか、ホントに知らない。耳の方なら、尻尾よりかは分かるけど。
 普通の人はきっとそうだよ、ハーレイだって詳しくないでしょ?
 ウサギの尻尾の動かし方、と言ったら「確かにな…」と苦笑したハーレイ。
「俺にもウサギの尻尾は分からん。見るなら耳だな、お前が正しい」
 ウサギの尻尾は可愛らしくても、くっつける意味が無いってことか。お前の気持ちが伝わらない尻尾じゃ、ただの飾りになっちまうしな。
 そうなってくると、犬の尻尾か、猫の尻尾になるんだろうが…。
 お前に似合う尻尾となったら、どれなんだか…。ウサギがいいと思ったのになあ…。
 ウサギの尻尾が駄目ってことはだ、何の尻尾が似合うんだろうな…?



 犬にも猫にも、尻尾の種類は色々あるし…、と考え込んでいるハーレイ。腕組みまでして。
 「俺のお勧めは犬なんだが…」と言っていたくせに、猫の尻尾も挙げてみている。長毛種の猫の尻尾もいいとか、シャム猫の尻尾も捨て難いとか。
「…チビのお前じゃ、シャム猫の尻尾は今一つ似合わないんだが…」
 大きくなったら似合うと思うぞ、ああいう澄ました尻尾もな。とびきりの美人になるんだから。
 フサフサの猫の尻尾も似合いそうだな、犬の尻尾も悪くはないが…。
 猫もなかなか…、とハーレイの考えは「似合うかどうか」の方に傾いてゆくものだから。
「似合う尻尾が一番いいに決まっているけど、ウサギの尻尾は駄目だったでしょ?」
 気持ちが伝わる尻尾でなくちゃ。…ぼくが言葉を使わなくても、思念波がまるで駄目でもね。
 そういう尻尾、あったらホントに便利だろうと思わない?
 ハーレイに会えて嬉しい時には、尻尾も御機嫌。ぼくが不機嫌なら、尻尾も不機嫌。
 気持ちは尻尾が伝えてくれるわけだから…。
 ハーレイがキスを断った時も、尻尾はとても便利だよ?
 ぼくは怒ってプウッと膨れていなくても済むし、ハーレイも「ケチ!」って言われないしね。
「代わりに尻尾が言うんだろうが。…俺に向かって、「ハーレイのケチ!」と」
 言葉かどうかはともかくとして、「ケチ!」と動いている尻尾。
 その上、プウッと膨れてるんだな。お前の膨れっ面の代わりに、それは見事に。
 尻尾が膨らんじまっているのか、そいつは見ないと分からんわけだが…。
 それでも見れば分かるって仕組みなんだな、とハーレイはお手上げのポーズ。両手を軽く広げてみせて、「そりゃたまらんな」と。
 言葉と顔とでケチ呼ばわりか、尻尾に「ケチ!」と言われるのか。どう転んだって、ハーレイはケチと言われる立場で、膨れっ面もされるわけだから。
「尻尾、良さそうだと思うんだけど…」
 不器用なぼくでも、思念波の代わりに尻尾があったら、言葉無しでも伝わるから…。
 尻尾はとても役に立つから、尻尾、ホントに欲しいんだけどな…。



 ぼくの気持ちが伝わる尻尾、と繰り返したら、「ふうむ…」と少し翳ったハーレイの瞳。尻尾の話には似合わない、深い瞳の色。お日様が急に翳ったように。
「お前の気持ちが伝わる尻尾か…。その尻尾は、今のお前より…」
 前のお前に欲しかったな、とハーレイは意外な言葉を口にした。ソルジャー・ブルーだった前の自分には、尻尾なんかは要らないのに。尻尾が無くても困らないのに。
 最強のサイオンを誇っていたのがソルジャー・ブルー。思念波の扱いだって、誰よりも上。
 なのに、どうして尻尾が欲しいと言うのか、まるで分からないものだから…。
「…前のぼくにって…。なんで?」
 前のぼくなら、思念波、ちゃんと使えたんだよ。尻尾は要らなかったんだけど…。
 尻尾がついていなくったって、前のぼく、困りはしなかったよ…?
「お前には必要無かっただろうな、尻尾なんぞは」
 そのくらいは俺にも分かっている。前のお前に尻尾が要らないことは充分、承知してるが…。
 欲しかったのは俺だ、お前に尻尾があったらな、と。
 ソルジャー・ブルーに尻尾があったら、俺の役に立ってくれただろうに、と思うんだ。
「尻尾がハーレイの役に立つって…。どうしてなの?」
 前のぼくの心、そんなに覗いてみたかった?
 心は遮蔽していたけれども、ハーレイの前では緩めていたよ?
 わざわざ尻尾で確かめなくても、前のハーレイはぼくの心を覗き込めたと思うんだけど…。
 滅多に読まれなかったけれどね、と優しかった前のハーレイを想う。余程でなければ、読まれはしなかった心の中身。…隠し事を秘めていた時だって。フィシスを見付けた時のこととか。
 前のハーレイなら心を覗けた筈なのだけれど、どうして尻尾が欲しいのだろう?
 尻尾で何を知りたかったのだろう、と首を捻っていたら…。
「俺が尻尾を欲しがる理由か? 尻尾に気持ちが表れるからだ」
 お前がいくら隠していたって、お前の心が丸分かりだろうが。…尻尾があれば。
 誰が見たって、尻尾なら分かる。お前が何を考えてるのか、どういう気持ちでいるのかが。
 だから、尻尾さえついていればだな…。



 メギドに飛ぼうとしていた時だ、と真っ直ぐに覗き込まれた瞳。前のハーレイとの別れの時。
 白いシャングリラのブリッジに行って、ハーレイにだけ告げていた別れ。触れた腕から、そっと思念を滑り込ませて。「ジョミーを支えてやってくれ」と。
 ハーレイだけに密かに伝えた、前の自分が死に赴くこと。二度とシャングリラに戻らないこと。
 それにブリッジの誰もが気付いた、と今のハーレイに指摘された。
 尻尾は嘘をつけないから。心の中身が、そのまま尻尾に出てしまうから。
「どんなにお前が隠していたって、無駄だってな。…お前に尻尾がくっついていれば」
 顔には出さずに立っていてもだ、尻尾にちゃんと出ているわけだ。…お前の気持ち。
 もうシャングリラには戻れないんだ、と尻尾は知っているんだからな。
 シュンと萎れてしまっているのか、元気が無いか。…どっちにしたって、言葉通りじゃないのは分かる。ナスカの仲間たちの説得、それだけだったら、尻尾はそうはならないからな。
「…そうなのかも…」
 尻尾は心と繋がってるから、ホントに尻尾に出ちゃうかも…。前のぼくの心、隠していても。
「ほら見ろ、否定出来んだろうが」
 そうなっていれば、みんなが気付いてお前を止めたぞ。ジョミーだってな。
 お前に尻尾がありさえすれば、俺はお前を失くさなかった。…みんなが止めてくれるんだから。
 俺が動けなかったとしたって、ブリッジのヤツらが全員でな。
 止められちまえば、振り払ってまでは行けんだろうが。力にしたって、ジョミーがいるし。
 違うのか、うん?
 前のお前に尻尾があったら、お前は行けやしなかった。
 俺にだけコッソリ言葉を残して、一人きりでメギドに行こうとしてもな。



 尻尾は大いに役に立つんだ、というのがハーレイの主張。ソルジャー・ブルーを失わずに済む、とても大切で役立つ尻尾。本当は何をしようというのか、尻尾を見れば分かるから。
「お前の尻尾が、お前の命が消えちまうのを防ぐってな」
 尻尾は嘘をつけないからなあ、お前の心をそっくりそのまま、鏡みたいに映すんだから。
 お蔭で俺たちは前のお前を止められる、とハーレイが語る尻尾の役目。ブリッジの仲間に真実を伝えて、前の自分を止めさせること。「ソルジャー・ブルーを行かせては駄目だ」と。
「…そんな尻尾、マントで隠しておくよ」
 どうせ尻尾はマントの下だし、誰も覗けはしないもの。…ぼくの尻尾がどうなっていても。
 見えない尻尾はどうしようもないでしょ、気付く仲間は一人もいないよ。
 最初から見えていないんだから、と尻尾を隠してくれるマントに感謝したのに…。
「マントに隠れて見えないってか? 其処の所は心配は要らん」
 邪魔なマントは、俺が「失礼します」とめくるまでだ。お前の尻尾が良く見えるように。
 お前からの思念を受け取った後に、掴んでめくっちまってな。
 ブリッジのヤツらにも、ジョミーにも尻尾が見えるように…、とハーレイは笑う。マントの下に隠していたって、捲れば尻尾は出て来るから、と。
「めくるって…。ホントに失礼だと思うけど?」
 ソルジャーのマントを、みんなの前で捲るだなんて。…尻尾を丸見えにしちゃうなんてね。
 エラが怒るよ、と眉を顰めたけれども、「非常時だしな?」とハーレイは澄ました顔。
「失礼だとしても、ソルジャーの命には代えられん」
 お前を失くしちまうよりかは、ソルジャーに無礼を働いた方が遥かにマシだ。そう思わんか?
「そんなことをしたら、恋人同士だってバレちゃうよ?」
 ハーレイがぼくを失くしたくないこと、ブリッジどころか、船のみんなに。シャングリラ中に。
「いや、バレたりはしないってな」
 お前の尻尾を皆に見せるのも、立派にキャプテンの仕事の内だ。マントをめくっちまうのも。
 ソルジャー・ブルーは嘘をついているんだ、と全員に知らせなきゃいけないだろうが。
 前のお前を失くしちまったら、大損害ってヤツなんだから。…それこそ取り返しがつかん。
 お前の思念を受け取っただけじゃ、黙って見送るしか無かったんだがな…。
 他のヤツらはお前の言葉を信じてたんだし、前の俺には証明しようがないんだから。
 これは嘘だと、本当は二度と戻らないんだ、という俺だけが知っていたことを。



 其処の所が変わってくる、とハーレイの顔に溢れる自信。「前のお前に尻尾があれば」と。
 ソルジャー・ブルーをメギドに行かせはしないと、全員で止めてみせるから、と。
「俺の役目は、前のお前にちょいと無礼を働くことで…」
 マントをめくって尻尾を披露だ、嘘をつけない正直なお前の尻尾をな。
 お前がいくら嘘をついても、尻尾は正直者だから…。誰が見たって、嘘だと見破れるんだから。
 これもキャプテンの役目なんだ、とハーレイが言うのも間違いではない。ソルジャー・ブルーを失う道より、失わない道を選ぶのもまた正しいから。
 その道を選んで進んだ結果が、どうなろうとも。…地球に着くのが遅れようとも。
「…尻尾、そういう風に使うの?」
 ぼくの尻尾、と見詰めた恋人。ソルジャー・ブルーの嘘を尻尾で、皆に暴きたかったハーレイ。
 嘘をつけないだろう尻尾を、ブリッジの皆に「こうだ」とマントをめくって見せて。
「前のお前についていたならな」
 俺の役に立つと言っただろうが、前のお前に尻尾がくっついていれば。…欲しかった、ともな。
 しかしだ、今のお前じゃなあ…。尻尾、あっても大して変わりはしないぞ。
 どんな尻尾がついていたって、今のお前の人生ってヤツは変わらんさ。
 まるで同じだ、と笑ったハーレイ。「尻尾があろうが、無かろうが、全く同じだよな」と。
「大違いだと思うけど…」
 尻尾はとても便利なんだし、ぼくの気持ちをハーレイに伝えてくれるから…。
 ホントに尻尾があればいいのに、前のぼくには要らないけれど。前のぼくだと、尻尾があったら大変なことになっちゃうから…。メギドに行けなくなってしまって。
「今のお前も尻尾は要らんと思うがな?」
 お前の心の中身だったら、俺には手に取るように分かるさ。…尻尾が無くても、表情だけで。
 それにだ、心の欠片も幾つも零れているし…。前のお前だった頃と違ってな。



 さっきまでは尻尾で弾んでいたぞ、とハーレイが浮かべた穏やかな笑み。
 「あればいいな」と、心の欠片がキラキラ零れていたが、と。
「今はションボリしているようだが…。前のお前の話になって」
 前の俺を独りぼっちにしちまったことや、メギドなんかを思い出してな。…尻尾のせいで。
 どうだ、俺の読みは間違ってるか?
 お前に尻尾はついちゃいないが、俺にはこう見えているんだが…?
「…間違ってない…」
 ハーレイが言うこと、当たっているよ。…尻尾が欲しくてはしゃいでいたのも、今はションボリしてるのも。…ちょっぴりだけどね、ションボリなのは。
「ほらな、きちんと当てただろうが。…だからお前に尻尾は要らない」
 俺にはいつでも、お前の気持ちが分かっているんだ。尻尾が無くても、お前の気持ちは全部。
 尻尾無しでも、何も問題無いってな。俺には伝わっているんだから。
「でも、キスをしてくれないじゃない!」
 ぼくの気持ちが分かっているなら、ハーレイはキスをくれる筈だよ!
 キスして欲しいの、本当にホントなんだから…。尻尾があったら、ちゃんと見えるんだから!
「そいつも俺には分かっているぞ。お前の心は尻尾無しでも丸見えだしな」
 しかし、それとキスとは話が別だ。分かっていたって、叶えてやれないこともある。
 キスが駄目な理由、嫌というほど何度も説明してやったがな?
 まだ足りないなら、いくらでもお前に聞かせてやるが。
「ハーレイのケチ!」
 分かってるんなら、キスしてくれてもいいじゃない…!
 尻尾が無くても分かるほどなら、ぼくにキスしてくれてもいいのに…!



 ケチなんだから、とプウッと膨れてやったら、「ふむふむ…」と楽しげなハーレイの顔。
「お前のお得意の膨れっ面だな。それを尻尾でやるとなったら…」
 どんな具合になるやらなあ?
 尻尾もプウッと膨れちまうのか、それとも怒った猫の尻尾みたいにユサユサ揺れるか。
 犬の膨れっ面は知らんが、そういう時の尻尾はどうなっているのやら…。
 もっとも、お前は尻尾でやるより、顔の方がいいと思うがな?
 俺もお前の顔を見ていられるわけだし、尻尾よりかは顔でお願いしたいモンだが。
「え?」
 顔って何なの、なんで尻尾より顔になるわけ?
 ぼくに尻尾がついていたって、膨れるのは顔がいいって言うの…?
 膨れた顔の方が好きなの、と丸くなった目。尻尾で気持ちを表せるのなら、膨れっ面をしなくていいのに。ハーレイだって、いつも「フグだ」と言っている顔を見なくて済むのに。
「お前が膨れないというのは、まあ、有難くはあるんだが…」
 可愛らしい顔のままなわけだし、膨れっ面よりはいいんだが…。問題はお前の尻尾なんだ。
 もしもお前に尻尾があったら、そっちにも気を配らなきゃいかん。
 俺の考えで合っているのか、間違ってるのか、そういったトコ。
 尻尾は嘘をつけないからなあ、念のために確認しておかないと。お前の顔と尻尾と、両方。
「…じゃあ、ハーレイの視線がズレちゃうの?」
 ぼくの顔から尻尾の方に?
 膨れっ面なのか、そうじゃないのか、ハーレイは尻尾を見て確かめるの?
「そうなるだろうな、尻尾があれば」
 お前の心が零れていたって、顔も尻尾も確かめないと…。
 そいつが礼儀というモンだろうが、お前には尻尾があるんだから。嘘をつけない尻尾がな。



 正直者な尻尾がどうなっているか、それをきちんと確かめること。忘れないように、顔と両方。
 顔は笑顔でも、尻尾は膨れてフグのようかもしれないから。…尻尾は嘘をつかないから。
「初めてのキスをしようって時になっても、まずは尻尾の確認かもな」
 俺はともかく、お前の気持ちが大切だから…。
 キスをしたい気分になってるかどうか、顔を見て、次は尻尾を見る、と。
 尻尾の確認を忘れちゃならん、とハーレイは大真面目な顔だから。
「それって、雰囲気が台無しだよ!」
 ぼくの顔から視線を逸らして、尻尾だなんて!
 キス出来るんだ、ってドキドキしながら待っているのに、尻尾を確認するなんて…!
 酷い、とプンスカ怒ってやった。「あんまりだよ」と、「それでもホントに恋人なの?」と。
「そう思うんなら、尻尾は要らないってことだろうが。…今のお前には」
 俺だってお前の顔だけを見てキスをしたいし、尻尾にまで気を配るのは遠慮したいしな。
 もっとも、その迷惑な尻尾ってヤツ。
 前のお前には、ついていた方が良かったな、と思わないでもないんだが…。
 尻尾がついてりゃ、前の俺はお前を失くしていないんだから。
「それはそうかもしれないけれど…。前のハーレイ、喜んだかもしれないけれど…」
 前のぼくだって、尻尾を確認してからのキスは喜ばないよ!
 マントをめくって、みんなに尻尾を見せる方なら、今のぼくなら許すけど…。
 前のハーレイが辛かったことを知っているから、それは許してあげるんだけれど…。
 だけど、キスの前に尻尾を確認してたら怒るよ?
 今のぼくでも、前のぼくでも、それはホントに怒るんだからね…!
「よし。だったら尻尾は要らない、と」
 尻尾があったらそうなっちまうし、尻尾は無いのが一番だ。
 猫のも犬のも、ウサギの尻尾も。…欲しがらなくても、お前には必要無いんだから。



 お前の心はきちんと顔で分かるから、という言葉。
 褒められたのか、サイオンの扱いが不器用なのを馬鹿にされたのか。
 少し複雑な気分だけれども、ソルジャー・ブルーに尻尾があれば、と思ったハーレイ。尻尾さえあればメギドに飛ぶのを止められたのだ、と考えるハーレイの気持ちは分かるから…。
「…今度は嘘はつかないよ」
 前のぼくみたいな嘘は、絶対つかない。
 ハーレイがぼくの尻尾をみんなに見せなくちゃ、って思うようなのは。…マントの下になってる尻尾を、「失礼します」って出さなきゃいけないようなのは。
 もうやらない、と約束しようとしたのだけれど。
「その必要も無いだろ、今は」
 お前が嘘をついたとしたって、その嘘にお前の命は懸かってないからな。
 前のお前の頃と違って、今は平和な時代だから…。命懸けの嘘は無理なんだから。
「そうだっけ…!」
 嘘をついても、ハーレイに叱られるだけでおしまい。
 前のハーレイにやったみたいに、悲しませたりはしないから…。
 ハーレイを置いて行ったりしないし、独りぼっちにさせもしないよ。…いつまでも一緒。
 ぼくに尻尾が欲しかったなんて、もう絶対に言わせないから…!



 サイオンが不器用になってしまって、気持ちを表す尻尾が欲しいと思うくらいの自分だけれど。
 尻尾が欲しいと考えたけれど、不器用な自分に合わせたように、今は世界もすっかり平和。
 だから尻尾を欲しがらなくても、幸せに生きてゆけるだろう。
 猫の尻尾も犬の尻尾も、もちろんウサギの尻尾だって。
 わざわざ尻尾を見て貰わなくても、心の中身はハーレイに筒抜けらしいから。
 さっきもハーレイは心を見事に言い当てたのだし、尻尾は無くてもかまわない。
 尻尾なんかを見てはいないで、顔だけを真っ直ぐ見ていて欲しい。
 青い地球にハーレイと二人で生まれ変わって、一緒に生きてゆくのだから。
 ハーレイの瞳で顔だけを見詰めて貰える世界の方が、ずっと幸せに違いないから…。




             尻尾があれば・了


※ブルーが欲しいと思った尻尾。ハーレイは、前のブルーに尻尾が欲しかったとか。
 確かに尻尾があった場合は、メギドへ飛べなかったかも。そして今は、尻尾は要らない世界。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




今年もお花見の季節がやって来ました。行き先は毎年色々ですけど、何処へ行くかが問題で。露店が立ち並ぶ名所もいいですし、人が少ない穴場も狙い目。桜便りが届き始めたら今年も相談、ええ、桜前線はまだ到達していないんですけど…。春休みですから、会長さんの家に集まって。
「メジャーな穴場って無いのかな?」
有名だけど人が少なめのトコ、とジョミー君。
「たまにはそういう所がいいなあ、すっごい名所だけど人は少ないってヤツ」
「…それはお天気次第だろうねえ…」
天気予報が上手く外れれば…、と会長さんが返しました。
「大雨の筈がカラッと晴れたとか、そういうヤツ。ついでに車や観光バスでしか行けない場所で」
そういう所へ瞬間移動で出掛けて行ったら可能だけれど、という返事。
「だけど、出たトコ勝負だよ? フィシスの占いで何処まで分かるか…」
お花見の吉日は読めても、場所まではちょっと…、と会長さん。
「あらかじめ候補を絞っておいたら、場所ごとに占っては貰えるけれど…」
でも直前まで分からないんじゃなかろうか、ということですから難しそうです。観光案内に載っているような名所の桜で人少なめを狙おうってヤツ。
「そうなるね。豪華なお弁当とかを用意するには、ちょっと難しすぎるかな」
「「「うーん…」」」
やっぱり無理か、と私たちもガックリですけど、キース君が。
「いや、まるで無いというわけではないぞ。俺にも一つ心当たりが…」
「マジかよ、それって何処なんだよ?」
サム君が食い付き、ジョミー君も。
「どこ、どこ? 行ってみたいんだけど!」
「お前もサムもよく知っている場所ではあるな。璃慕恩院の桜はそれは見事で…」
「総本山じゃねえかよ!」
あそこで弁当食えるのかよ、とサム君の突っ込み。キース君や会長さんが属する宗派の総本山が璃慕恩院です。
「…食っている人がいるとは聞かんが、まるで禁止でもないだろう」
場所によっては、ということですけど、桜が一番綺麗に見える所はメインの建物がよく見える場所だということで…。
「あそこで弁当を広げるんなら精進だろうな」
阿弥陀様から丸見えだから、という話。お花見で精進弁当ですか?



お花見はお弁当も楽しみの内。お花見弁当という言葉が存在しているくらいに、必要不可欠な感じです。教頭先生をスポンサーにして豪華弁当を調達する年もあるだけに…。
「嫌だよ、精進弁当なんて!」
おまけに璃慕恩院だなんて、とジョミー君がプリプリと。
「そんな所でお花見しちゃったら、坊主フラグが立ちそうだよ!」
「「「坊主フラグ?」」」
「フラグだってば、来年の春には坊主コースのある大学に入っているとか!」
「いいじゃねえかよ、御仏縁ってことで」
俺と一緒に入学しようぜ、と誘うサム君はお坊さんコースに抵抗は無し。切っ掛けさえあればいつ入学してもいいという覚悟、二年間の寮生活も全く苦にならない人で…。
「冗談じゃないよ、専修コースは二年コースしか無いんだから!」
一年コースはいつ出来るのさ、とジョミー君の文句が始まりました。忙しい人のための一年コースが出来る話は聞いてますけど、現時点ではまだ出来ていません。
「俺は近々だと聞いているが…」
「ぼくもだね。ただ、寮を建てる場所の方がちょっと難アリだしねえ…」
ゴーサインがなかなか出ないようだ、と会長さん。難アリってことは、祟る土地だとか…?
「祟る土地なら、お坊さんの寮にはもってこいだけど…。いつでもお経が流れているから」
「それじゃ、どういう難アリですか?」
シロエ君の質問に、会長さんは。
「…土地に歴史がありすぎちゃって…。建てる前には発掘なんだよ」
「「「あー…」」」
それがあったか、と誰もが納得。いろんな宗派の総本山が存在しているアルテメシアは、歴史だけは無駄にあったりします。下手に掘ったら何が出るやら、場合によってはせっかくの土地が使えなくなるオチもアリ。難航する理由が分かりました。
「つまりアレですね、発掘費用だけがかかって、結局、何も建てられないということも…」
「そうなんだよねえ、これが個人や会社の土地なら、まだマシだけどさ」
発掘費用は璃慕恩院の負担になるから問題なのだ、と会長さんの説明が。宗派のためにと集めた資金を使う発掘、寮の建設。「失敗しました、駄目でした」では信者さんたちに申し訳なさすぎて、未だに踏み切れないんだとか。お寺の世界も大変です…。



話は他所へとズレましたけれど、ジョミー君の言う「坊主フラグ」を立てては駄目だと璃慕恩院でのお花見は却下。そもそも、「人の少ない名所」がいいと言い出したのがジョミー君ですし…。
「璃慕恩院もいいと思うんだがなあ、俺としてはな」
あそこの桜を知っている俺のイチオシなんだが、とまだ言っているキース君。けれど…。
「こんにちはーっ!」
遅くなってごめん、とフワリと翻る紫のマント。すっかり忘れてしまってましたが、お花見の相談にはソルジャーも来る予定でしたっけ…。
「ごめん、もうちょっと早く出ようとしたんだけど、会議が長くなっちゃって…。それで、今年はお寺でお花見だって?」
「そのコースなら却下されたよ、ついさっき」
会長さんが言うと、ソルジャーは「えーっ!」と。
「そうだったんだ…。ちょっと覗き見してない間に、お寺は却下されちゃったわけ?」
楽しそうだと思ったのに、と言ってますけど、ソルジャー、忘れていませんか?
「え、忘れるって…。何を?」
「忘れてないなら、最初から聞いていなかったんだろうね。お寺でお花見なら精進弁当!」
仏様のいらっしゃる場所で肉は無理で、と会長さん。
「肉も魚も抜きのお花見! それでもいいなら、もう一度お寺で検討するけど…」
一人増えた分の意見も尊重しなければ、とソルジャーに譲歩しましたが。
「精進弁当になるだって!? それは却下だよ、ぼくだって!」
ちっとも美味しくなさそうじゃないか、とソルジャーは顔を顰めました。
「ぼくの意見を言っていいなら、むしろその逆! ちょっと季節が早すぎるけど、バーベキューをするのもいいねえ、桜の下で!」
「「「バーベキュー!?」」」
それはお花見からズレていないか、と思いましたが、楽しそうだという気もします。お弁当だの、露店で売ってるタコ焼きだのが桜見物のお供だと思い込んでいましたけれど…。
「バーベキューねえ…。たまに、そういうのもいいかもね」
人の来ない穴場の桜でやるのもいいね、と会長さん。私たちも心を惹かれていますし、今年はそれでいいでしょう。お寺の桜で精進弁当なコースに向かって突っ走るよりは、断然、賑やかにバーベキューですよ!



そういうわけで決まったお花見バーベキューは、無事に開催されました。満開の桜の下で肉や野菜をジュウジュウと焼いて。上等のお肉を買って来て下さった教頭先生はもちろん、ソルジャーにキャプテン、それに「ぶるぅ」と大人数での大宴会が先週のことで…。
「かみお~ん♪ 面白かったね、お花見バーベキュー!」
とっても素敵だったけど…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出迎えてくれた会長さんの家。シャングリラ学園の新学期は既にスタートしています。放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に出掛けていた日々、何故に今頃、お花見の話題?
「んとんと…。精進弁当でもめていたでしょ、お花見の場所を決める前!」
「…それ以前に、ジョミーの坊主修行でもめた気がするが?」
俺の記憶が確かならな、とキース君。
「坊主のフラグがどうだこうだと…。あれさえ無ければ、精進弁当の花見だったかもしれないな」
「それは無いでしょう、誰かさんが却下ですよ」
バーベキューだと言い出した人が、とシロエ君が言い、マツカ君も。
「まず無いでしょうね、精進弁当でお花見コースは」
「それなんだけど…。精進弁当も美味しいよ?」
食わず嫌いは良くないと思うの! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「うんと美味しい精進料理も沢山あるしね、お弁当風にアレンジしたら良さそうだけど…」
「駄目だな、精進料理は所詮は精進料理でしかないからな」
寺で育った俺に言わせれば…、とキース君。
「確かに、モノによっては美味い。しかし、肉や魚の美味さには勝てないものだ」
「そうでもないと思うんだけど…。本場のヤツなら」
「「「本場?」」」
「この国の偉いお坊さんが沢山、修行に行ってた中華の国だよ!」
あそこの精進料理は一味違うの! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は自信満々。
「今日のお昼は、そのお料理! 精進料理で、お肉もお魚も全部抜きだよ!」
「「「精進料理!?」」」
ヒドイ、と上がった悲鳴が幾つか。キース君も「どうして此処に来てまで精進料理…」と呻いてますから、誰の気持ちも同じでしょう。よりにもよって精進料理…。



今日はハズレだ、と思ってしまったお昼御飯。そのせいかどうか、ソルジャーだって現れません。美味しいお菓子に釣られて出て来ることが多いのに…。
「…精進料理は、正直、俺の家だけで沢山なんだがな…」
いつも精進料理というわけではないが、とキース君もぼやいたお昼御飯ですけど、さて、ダイニングに出掛けてみれば。
「「「…中華料理?」」」
大きなテーブルにズラリと並んだ、美味しそうな中華料理の数々。なんだ、嘘だったんですか!
「はい、どんどん食べてね!」
「「「いっただっきまーす!」」」
大喜びで食べ始めた私たち。ソルジャーもちゃっかりやって来ました、「中華だってね?」と。私服に着替えたソルジャーまでが舌鼓を打つ、素晴らしい出来の中華料理。精進料理だなんて、すっかり騙されてしまってましたよ!
「うん、ぼくだって騙されたよ。…こんなオチなら、もっと早くに来ていれば…」
おやつもちゃんと食べられたのに、とソルジャーが残念そうに言った所で。
「嘘じゃないもん、精進だもん!」
本当だもん! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が料理の説明をし始めました。正確に言えば、料理と言うより材料の方。私たちが肉や魚やカニだと思っていたものは…。
「「「全部ニセモノ!?」」」
信じられない、と口に運んで味わってみても、舌触りまでが本物そっくり。でも…。
「…言われてみれば、違うような気もして来ましたね…」
「そうだな、微妙に違う気もするな…」
だが肉なんだ、とキース君が頬張り、ソルジャーも「カニなんだけどねえ…」と。
「こんな精進料理もあるのが、こっちの世界っていうわけなんだ?」
「そうだよ、こんなのも素敵でしょ?」
「確かに美味しいとは思うけど…。でもねえ、ぼくはやっぱり本物がいいねえ…」
本物の肉が一番だよ、と言うソルジャー。
「たまには精進料理もいいけど、本物の肉の方がいいかな」
「俺もだな。…修行となったら精進料理でまっしぐらなのが坊主だし…」
あんたとは気が合いそうだ、とキース君が珍しくソルジャーと意気投合しています。味は同じでも本物がいいと、肉は本物に限るものだと。



とはいえ、美味しく食べた昼食。味に文句はありませんでした。食後の飲み物はジャスミンティーもあれば、好みでウーロン茶やコーヒーだって。それを片手に移ったリビング、ソルジャーがまたまた「肉は本物」と言い出して。
「さっきもキースと話してたけど、紛い物より、断然、本物! だってねえ…」
精進料理はベジタリアン向けの料理みたいなものだろう、と身も蓋もない台詞。
「ベジタリアンって…。あれは本来、お坊さん向けの…」
修行のための料理なんだよ、と会長さん。
「この国ではホントに君たちがそっぽを向きそうな料理になっちゃったけれど、本場はねえ…」
「そだよ、お坊さんたちも、お肉な気分になることもあるし!」
我慢するより、ニセモノのお肉を食べる方が健康的だもん! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。けれどソルジャーは「それじゃ駄目だね」とブツブツと。
「偽物は所詮は偽物なんだよ、それで満足しているようじゃ…。肉はガッツリ食べてこそだよ」
「まったくだ。俺も修行が明けた時には、まずは肉だと思ったからな」
あの修行は実に辛かった、とキース君の思い出話が。住職の資格を取るために璃慕恩院で三週間も修行していた時の体験談。肉抜きの日々で本当に参っていたのだそうで…。
「座禅を組む方の宗派になるとだ、肉抜きの修行が年単位になってくるからな…」
南無阿弥陀仏の方で良かった、と合掌しているキース君。
「もっとも、あっちの坊主にしたって、寺を抜け出して肉を食うのは間違いないが」
「そうでもしないと持たないからねえ、この国ではねえ…」
ぶるぅが作ったような精進料理も無いわけだから、と会長さん。
「黙認だよ、上の人たちも。…自分だって修行時代は抜け出して肉で、その後も肉だし」
「そういうものかい?」
ソルジャーの問いに、会長さんは。
「托鉢の修行に出たお坊さんたちに、すき焼きを御馳走する信者さんもいるしね。偉いお坊さんたちはタクシーで街まで出掛けて行って、焼肉とかを食べるのが普通だからさ」
「なるほど、肉を食べるのはやっぱり大切、と…」
これはハーレイにもしっかり教えておかなければ、と言うソルジャー。もしかしてキャプテン、ベジタリアンってことはないですよね?
「それは無いねえ、バーベキューにも来てただろう?」
肉をガンガン食べてた筈だよ、とソルジャーの答え。それじゃ、お肉を遠慮しがちだとか…?



ソルジャーとキャプテン、それに「ぶるぅ」が住む世界では、シャングリラの中が世界の全てだと聞いています。外から補給船は来なくて、奪わない限りは増えない物資。そんなシャングリラの船長をやっているのがキャプテン、貴重なお肉は他の人に、と遠慮するかもしれません。
ソルジャーや「ぶるぅ」は外の世界で食べ放題でも、シャングリラの人たちには出来ない裏技。キャプテンだって自分の力では出られないだけに、お肉の量を控えているかも。キャプテン稼業も大変なんだな、と思っていたら…。
「え? 肉の量なら、ぼくのシャングリラでは公平なのが大原則だけど?」
体格に合わせて多少の違いがある程度、とソルジャーが説明し始めました。栄養不足に陥らないよう、きちんと計算してあるメニュー。子供用とか、大人用とか。
「だから、ハーレイが食堂に行けば、肉は多めだね。あの体格を維持する必要があるからねえ…」
キャプテンが栄養失調で倒れたのではシャングリラの航行に支障が出るし、という話。それじゃ、どうしてキャプテンにお肉を食べる大切さを今更教えなきゃいけないんですか?
「ああ、それはねえ…! ほら、こっちの世界で昔に言われていただろう? 草食系って」
「「「…草食系?」」
なんだったっけ、と首を捻った私たち。聞いた覚えはあるんですけど…。
「うーん…。君たちの場合は若すぎる上に、万年十八歳未満お断りだから、そうなるかもねえ…」
ぼくでさえ知っている言葉なのに、とソルジャーは呆れているようです。
「いいかい、草食系ってヤツには対になる言葉があるんだよ。肉食系、とね」
「「「肉食系…」」」
それも聞いた、と思ったものの、やっぱりピンと来なくって。みんなで顔を見合わせていたら、ソルジャーが「ホントに興味が無かったんだねえ…」と、しみじみと。
「草食系とか肉食系っていうのはねえ…。個人の好みの問題だね!」
「…ベジタリアンか、そうでないかか?」
キース君が訊くと、「違うね」とソルジャーは指を左右にチッチッと。
「セックスってヤツに積極的なのが肉食系でね、消極的なのが草食系だよ!」
「「「あー…」」」
アレか、と思い出しました。恋人が欲しいとも思わないとか、恋人がいても、ソルジャーみたいに貪欲な方ではない人だとか。そういう人たちを草食系って呼んでた時代がありましたっけね…。



草食系に肉食系。ソルジャーがキャプテンに「食べるのが大切」と教えたい肉は、同じ肉でも動物ではなくてソルジャーの肉。それも肉体、いわゆる身体。
やっと分かった、と思う間もなく、ソルジャーは。
「そんなわけでね、ハーレイには肉食系であって欲しいわけだよ、ガッツリと食べて!」
肉の大切さを説かなければ、と大真面目。
「精進料理なお坊さんでも肉を食べるなら、お坊さんじゃないハーレイは、もっと!
「あのねえ…。もう充分に肉食系だと思うけどねえ、君の世界のハーレイは」
多少ヘタレかは知らないけれど、と会長さん。
「君のパートナーをやってるわけだし、肉食系で間違いないよ。…君は肉食系だろう?」
「もちろんだよ! ライオンにもピラニアにも負けはしないね!」
それくらいの勢いで肉食系だ、とソルジャー、キッパリ。
「毎日のように肉を食べたいし、本当だったら、朝から晩まで食べていたいねえ…!」
ハーレイの仕事柄、なかなか休暇が取れないけれど…、とソルジャーのぼやき。
「だから、特別休暇の時には、ハーレイもぼくも、お互い、ガッツリ!」
肉をどんどん食べるわけだよ、と次の休暇が気になるソルジャーみたいですけど、突然、ハタと気付いたように。
「…そういえばさ…。ぼくのハーレイは肉食だけどさ、こっちのハーレイはどうなわけ?」
「「「は?」」」
「あのハーレイだよ、ブルーに恋して三百年以上のヘタレなハーレイ!」
あれは草食系なんだろうか、という質問に「うーん…」と悩んだ私たち。
「…草食系ということになるのか、教頭先生は?」
肉食系ではないようだから、とキース君が言うと、サム君が。
「そうじゃねえだろ、単に機会が無いってだけだぜ」
でなきゃブルーを追い掛けねえよ、と主張するサム君は会長さんと今も公認カップルです。会長さんの家での朝のお勤めがデート代わりな、爽やか健全なお付き合いですけど。
「ぼくもサム先輩に賛成です。…肉食系だと思いますけど?」
どう考えても、とシロエ君も。
「…そうなるのか?」
「そっちの方だと思うんですけど?」
キース先輩の説が間違ってます、とシロエ君。私もそうだと思いますです、教頭先生は草食系とは違いますってば…。



教頭先生は草食系なのか、肉食系か。ソルジャーの質問にキース君が「草食系だ」と答えたことから、大いにもめた私たち。草食系なのか、そうじゃないのか、もめた挙句に、キース君が。
「…俺が間違っていたかもしれん。肉食系だという気がしてきた」
「ほらな、肉食系だって俺が最初から言ったじゃねえかよ」
やっと認める気になったか、とサム君がフウと溜息を。
「で、間違っていたと認める根拠はなんだよ、今まで頑固に草食系って言ってたくせによ」
「…いや、そもそもの話の原点ってヤツに立ち帰ってだな…。坊主について考えてみた」
「「「坊主?」」」
なんだそれは、と誰もが首を傾げましたが、キース君は。
「精進料理だ、坊主は本来、肉を断つもので…。だから精進料理が生まれたわけで、だ」
「ですよね、ぶるぅが作った本場のヤツは凄かったですよ」
肉まで再現する勢いが、とシロエ君。
「肉は食べられない立場の人でも、やっぱり食べたい欲求は出てくるでしょうしね」
「そこだ、俺が考えを変えた理由は。…本場の精進料理が食べられる坊主は知らんが、この国の場合は精進料理はとことん本気で肉が無いわけで…」
修行中だった時の俺もそうだ、とキース君は職業の辛さを嘆きながら。
「そんな坊主が、肉断ちの修行が明けた時にはどうなると思う?」
「えーっと…。キース、確かハンバーガーが食べたいって言ってたよね?」
でもって本気でハンバーガー、とジョミー君が言う通り。住職の資格を取る道場から帰って来たキース君はハンバーガーの店に行ったのでした。そして大きいのをバクバクと…。
「俺の場合はアレで済んだが、焼肉に繰り出すヤツもいるんだ。大抵はそのコースだな」
自分の胃袋の状態も知らずに突っ込んで行って酷い目に遭う、とキース君。
「肉断ちの期間が長かったんだぞ、いきなり食っても腹を壊すとか、胸やけするとか…。それでも食べたくなるのが坊主だ。どうなってもな」
教頭先生もそのタイプと見た、とキース君は意見を変えた理由を述べ始めました。
「教頭先生は草食系でらっしゃるだろう、と俺が判断したのは、ブルーだけだと仰ってるのと、いつものヘタレぶりからなんだが…」
しかし、とキース君が改めて語る、修行明けのお坊さんの無茶な食べっぷり。
「教頭先生もそのクチなんだ。肉は食べたいが、修行中だといった所か…。肝心の肉が無い状態だからな」
ブルーが全く相手にしない、という結論。肉が無ければ確かに嫌でも肉断ちですねえ…。



教頭先生は肉食系だ、とキース君が断定した理由は説得力がありました。教頭先生は肉が食べたくても食べられない状態でいらっしゃいます。お肉、すなわち会長さん。本当は肉食系だというのに、草食系だと勘違いされるほどの肉断ち生活継続中で…。
「なるほどねえ…。こっちのハーレイは肉食系なのに、草食系の生活を余儀なくされている、と」
肉が無いのでは仕方がないか、と頷くソルジャー。
「それで分かったよ、やたらとブルーに御執心なわけが!」
肉を食べたくて仕方ないんだ、とソルジャーは会長さんの方をチラリと。
「こんなに美味しそうな肉があるのに、まるで食べられないんじゃねえ…。それは辛いよ」
お坊さんですらも精進料理で肉の偽物を作るというのに、と気の毒に思っている様子。
「抜け道も無しで、肉断ち生活が三百年以上も続いてるなんて…。可哀相としか…」
なんて可哀相な日々なんだろう、とブツブツと。
「それでも肉を諦めないって所がねえ…。とてもパワフルだと言えばいいのか、エネルギッシュだと言うべきか。修行中のお坊さんも真っ青だよ、これは」
肉断ちが長い分だけよりパワフルになるのだろうか、と言うソルジャー。
「三百年以上も食べてない分、余計に食べたくなるものなのかな?」
「俺の経験からすれば、そういうことになるんだろうな」
後は周りの坊主仲間や座禅の宗派の坊主の行動からしても、とキース君もすっかり方向転換。
「食えなかった分だけ、より食いたくなる。…肉というのはそういうものだ」
「そうなんだ…。それじゃ、ぼくのハーレイでもそうなるのかな?」
「「「え?」」」
なんのことだ、と思ったのですが、ソルジャーは。
「ぼくのハーレイだよ、肉食系で肉はガッツリ食べたいハーレイ!」
特別休暇の時にはそれはパワフルで…、とウットリと。
「ぼくをガツガツ食べるわけだけど、あのハーレイもさ…。肉断ちをすれば、肉を食べたい気持ちがもっと強くなるって勘定かな?」
「…それはまあ…。推して知るべしと言っていいのか、肉断ちの経験者からしてみれば…」
普通は食べたくなるだろうな、とキース君。
「住職の資格を取りに出掛けた修行道場の時もそうだったが、今でも短期間の肉断ちがある」
お盆の時やお彼岸だな、という解説。
「それの間は、早く終わって肉を食いたい気持ちになるのはお約束だ」
未だにそうだ、と語るキース君、ついこの間の春のお彼岸でも肉断ちだったそうですよ~!



ソルジャー曰く、キャプテンも肉断ちをすれば、肉を食べたい気持ちが強くなる勘定か、という話ですが。キース君の答えは肯定、ただし本物の肉だった場合。ソルジャーは暫し考え込んで。
「肉断ちねえ…。肉断ちが明けた時のハーレイのパワフルさってヤツは是非とも味わいたいけど、その前がねえ…」
肉断ちってことは、ぼくとの関係を断つってわけで、と悩み中。
「ぼくの方でも肉断ちになるし、そこがなんとも困った所で…」
「たまには肉を断ってみたまえ!」
君の場合は貪欲すぎだ、と会長さん。
「ライオンなんだかピラニアなんだか知らないけどねえ、年がら年中、がっついてるし!」
「だって、根っから肉食系だしね!」
セックスの無い人生なんて! とソルジャーはブルッと肩を震わせて。
「そんな人生、とんでもないよ。こっちのハーレイは本当に我慢強いというか…。ん…?」
待てよ、と顎に手を当てるソルジャー。
「…こっちのハーレイも肉食系で、肉断ち中で…。でもって、パワフル…」
「ハーレイは別にパワフルってことはないけれど?」
鼻血体質でヘタレまくり、と会長さんがツンケンと。
「肉断ちだって、仕方ないからやってるだけでさ…。自発的にやってるわけじゃないしね」
何ら評価に値しない、とバッサリで。
「あんなのを我慢強いと言ったら、我慢が泣きながら身を投げるね!」
何処かの崖から、と酷い言いよう。けれど、ソルジャーは「そうだけど…」と曖昧な返事。
「それはそうかもしれないけれどさ、肉食系のハーレイには違いないわけで…」
「だから迷惑するんだよ! このぼくが!」
「分かってるってば、そこの所も。…でもね、あのハーレイは使えるかな、って思ってさ」
「…何に?」
変な使い道じゃないだろうね、と会長さんが尋ねると。
「実験台だよ、実験動物でもいいかもしれない。肉食系だの草食系だのは、本来、動物向けの分類ってヤツらしいしね」
「まあね。…人間の場合は菜食主義者って言い方だとか、ベジタリアンとか…」
肉食です、って言い方はわざわざしないだろうね、と会長さん。あえて言うなら雑食というのが人間という生き物らしいですけど、ソルジャー、教頭先生を実験動物にして何をしたいと?



本来の姿は肉食系なのに、会長さんが全く相手にしていないせいで、草食系だと勘違いまでされてしまった教頭先生。肉は一度も食べられないまま、肉断ち生活が三百年以上。その教頭先生を実験動物に使いたいのがソルジャーで…。
「こっちのハーレイも、根本的にはぼくのハーレイと同じってトコが重要なんだよ」
肉食系という所が大切、と指を一本立てるソルジャー。
「今は絶賛肉断ち中だけど、その肉がもっと食べられなくなったらどうなるかなあ、って…」
「「「へ?」」」
食べられないも何も、教頭先生は元から肉を食べてはいません。これ以上どうやれば肉断ちになると言いたいんだか、まるでサッパリ謎なんですが…。
「分からないかな、ハーレイは一応、肉というものを見ているわけだよ」
食べられないだけで…、と言うソルジャー。
「ブルーの姿は見られるわけだし、話だって出来る。これは完全な肉断ちじゃないね」
修行中のお坊さんは肉さえ見られないんだろう、とキース君に質問が。
「…俺の場合はそうだったな。道場から出ることは出来なかったし、肉は夢にしか出なかった」
托鉢をする方の坊主だったら、托鉢中には肉屋の前も通るだろうが…、ということですけど。
「そっちは別にいいんだよ! 托鉢に行ったら肉が食べられることもあるって聞いたし!」
ぼくが言うのは肉と全く出会えないケース、とソルジャーはニヤリ。
「今のハーレイはブルーという肉に出会えはする。それが全く会えなくなったら、完全な肉断ちになるんだよ! 修行中のキースと同じようにね!」
肉は夢にしか出て来ない日々、とソルジャーの視線が教頭先生の家の方向に。
「そういう生活に追い込んでみたら、肉断ちが明けたら何が起こるか…。それを見てから判断しようと思ってさ」
「何の判断?」
会長さんの問いに、ソルジャーは。
「決まってるじゃないか、ぼくのハーレイにも肉断ちをさせるかどうかだよ!」
実験で素晴らしい結果が得られた時には、ぼくのハーレイでも肉断ちを! とグッと拳を握るソルジャー。
「ちゃんと実験しさえすればね、肉断ちが明けた時を励みに耐えられるから!」
ぼくまで肉断ちな生活に…、と言ってますけど、本気でしょうか。そもそも、実験してまで効果を確認しない限りは肉断ちをしたくないらしいですし、成功するとも思えませんが…?



肉食系なキャプテンが肉断ちをした場合、肉断ちが明けたらパワフルだろうと夢見るソルジャー。けれども、それをするとなったらソルジャーの方も肉断ちな日々。思わしい結果が出ないのだったら肉断ちは嫌だ、と目を付けたのが教頭先生で…。
「こっちのハーレイとブルーが会えないように細工をすればね、肉断ちの効果があるかどうかが分かるよ、きっと!」
ちょっとやってもいいだろうか、という質問に、会長さんが「好きにすれば?」と。
「君の提案は大抵、迷惑なんだけど…。ハーレイ絡みは特にそうだけど、会わずに済むなら、ぼくとしては別に…」
「いいのかい? 肉断ち明けが大変になるかもしれないけれど…」
いきなり押し倒されちゃったりとか…、とソルジャーが確認していますけど、会長さんは。
「どうせヘタレだし、その程度で済むに決まっているしね。…万一の場合は、君が責任を持って対処したまえ、ハーレイをぼくから引き剥がすとか!」
「了解。…今回の実験に関しては、君とハーレイとをくっつけたい件は抜きにしておくよ」
ぼくは自分のセックスライフが大事だからね、とソルジャーは何処までも自分中心。
「ぼくのハーレイと最高のセックスが出来るんだったら、君の方は放置でいいんだよ!」
「はいはい、分かった。あまりアヤシイ言葉は使わないように!」
さっきから乱発しているからね、と会長さんが釘を。
「大人しくするんだったら、ハーレイくらいは好きにしていいよ」
「ありがとう! それじゃ、早速!」
「…どうするんだい?」
「サイオンの壁っていうヤツだよ!」
会えないように細工するだけ、とソルジャーの指がヒラリと動いて、キラッと青いサイオンが。…えっと、今ので終わりですか?
「そうだけど? こっちのブルーとハーレイの間に、見えない壁が出来たわけ!」
自覚が無くても決して会えない仕組みになってる、とソルジャーは得意満面です。
「たとえばブルーが買い物に行って、ハーレイも同じ店に行ったとするだろ? でもねえ、普通だったらバッタリ会うのが会えないんだな!」
棚の向こうですれ違うだとか、行きたい方向が変わるとか…、と得々と話しているソルジャー。店に入らずに回れ右とか、行きたかった店が別物になるとか、それは凄いらしいサイオンの壁。取り払うまでは決して会えないって、本当でしょうか…?



会長さんと教頭先生の間にソルジャーが設けた、サイオンの壁。教頭先生と会長さんは決して出会えず、教頭先生は会長さんの姿も見られない上に声も聞けないそうですが…。
「…あれって、ホントに有効なわけ?」
この一週間、確かに会っていないけど、とジョミー君が首を傾げた次の土曜日。私たちは会長さんの家に遊びに来ていますけれど、その会長さんは教頭先生に会っていないそうで。
「…ぼくにも分からないんだけどねえ、不思議なほどに会わないねえ…」
学校の中も出歩いたのに、と会長さん。
「ブルーが言ってたサイオンの壁は、ぼくにも仕組みが全く謎で…。何処にあるのか分かりもしないし、どう働くかも分からないけど…」
でも会わない、と会長さんは証言しました。教頭先生が授業をしている教室の前で、出て来るのを待ったことまであるそうですが…。
「…ぼくとしたことが、ウッカリ用事を思い出してさ。ちょっと急いでゼルの所に行ってる間に、授業時間が終わったんだよ!」
戻った時にはハーレイはもういなかった、と挙げられた例。もちろん教頭室は何度も訪ねたらしいのですけど、いつ行っても留守で会えないらしく。
「ブルーのサイオンは凄すぎるとしか言いようがないね。あそこまでの技はぼくにも無理だよ」
「なるほどな…。あんたの方では、そうやって会おうとしてみるほどだし、遊びだろうが…」
教頭先生の方は辛いかもな、とキース君。
「偶然だと思ってらっしゃるとはいえ、一週間も会えないとなると…」
「そうみたいだね。昨日の夜に覗き見をしたら、部屋で溜息をついていたよ」
ぼくの写真を見ながらね…、と苦々しい顔。
「どうしてお前に会えないのだろうな、なんて零していたねえ、諦めの悪い!」
「それでこそだよ、肉断ちはね!」
肉には夢でしか会えない毎日、とソルジャーがパッと出現しました。
「今までだったら姿だけでも拝めていた肉がもう無いんだし…。ハーレイの辛さは増す一方だね、サイオンの壁を解くまでは!」
「…いつまでやるわけ?」
その肉断ち、と会長さんが訊くと。
「キースの修行とやらに合わせて三週間! それだけやったら、もう完璧に!」
肉への思いが強まるであろう、という読みですけど、ソルジャーは分かっていないようです。実験が見事に成功したなら、ソルジャーも肉断ち三週間なコースになるわけですが…?



ソルジャーが設置したサイオンの壁とやらは解かれないまま、三週間が経過しました。ゴールデンウィークの間も教頭先生は会長さんに会えずじまいで、溜息は深くなる一方で。ようやくソルジャーが勝手に始めた実験が終わる日がやって来ました。
「…今日らしいですね?」
「そうみたいだねえ、ぼくの快適な生活も今日でおしまいってね」
少し寂しい気持ちもしたかな、と会長さんが呟くリビング。私たちは会長さんの家に集まり、ソルジャーが来るのを待っています。土曜日ですから、学校は休み。
「ふうん…。寂しいと思ってくれたんだ? オモチャが無くって寂しいという意味だろうけど…」
君とハーレイの仲も一歩くらいは前進かな、とソルジャーが空間を超えて現れて。
「さてと…。解いてみようかな、サイオンの壁!」
こんな感じで、と青いサイオンがキラッと光って、どうやら壁は消えたようです。とはいえ、元から会長さんにも分からなかったのがサイオンの壁。消えた所で何が起こるというわけでもなく、私たちはのんびりと…。
「かみお~ん♪ 今の季節はコレだよね!」
ビワが美味しい季節だもん! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が切り分けてくれたビワのタルト。それを食べながら、賑やかにお喋りしていたら…。
「あれっ、お客さんかな?」
ちょっと見てくる! とチャイムの音で駆け出して行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」。直ぐに転がるように戻って来て…。
「えとえと、ハーレイ、来ちゃったのー!」
「「「ええっ!?」」」
なんでまた、と驚いた所へ「邪魔をしてすまん」と教頭先生が頬を染めながら入って来ました。手には真紅の薔薇の花束、あまりの大きさに何本あるのか分かりません。百本かも、と誰もがポカンと眺めるそれを、教頭先生は「ブルーにと持って来たんだが…」と手にしたままで。
「どうしたわけだか、まるで会えずに三週間も経ってしまって…。それでだな…」
思い余って来てしまった、と教頭先生は真っ赤な顔で照れています。
「お前に会えたら、あれも言わねば、これも言わねばと毎日考え続けていたわけで…」
そんな私の熱い想いを歌にしてみた、と教頭先生はいきなり歌い始めました。それは熱烈なラブバラードを。多分、替え歌なんでしょうけど、会長さんの名前を連呼するヤツを。
「「「………」」」
ここまでするか、と呆れ返った私たち。歌うなんて思いもしませんでしたよ…!



朗々とラブバラードを熱唱した後、教頭先生は呆然としている会長さんに真紅の薔薇の花束を押し付けるように渡して、それから「愛している…!」と両腕でギュッと。会長さんが驚き呆れて動けないのをどう受け取ったか、キスまでしようとしたのですけど…。
「おっと、そこまで!」
ぼくがブルーに殺されちゃうから、とソルジャーの青いサイオンが光って教頭先生の姿は消滅しました。瞬間移動で、駐車場にあった車とセットで家に送り返されたみたいです。
「た、助かった…。危なかったよ、ぼくも魂が抜けてたと言うか…」
「だろうね、ラブバラードが凄かったしねえ…」
ぼくは感動しているけれど、とソルジャーは嬉々とした表情で。
「ラブバラードで愛の告白、それに真紅の薔薇の花束! おまけに抱き締めてキスだなんて!」
三週間も肉断ちしたならこうなるのか、と実験の効果を改めて噛み締めているようです。
「これは大いに期待出来るね、ぼくのハーレイだとどうなると思う?」
「さあねえ…。ラブバラードを歌うかどうかは保証しないよ?」
あれはハーレイならではの暴走ぶりかも、と会長さんが念を押しましたけれど。
「うん、分かってる。薔薇の花束も、ぼくのハーレイには無理だしねえ…。シャングリラから自力で出られないんじゃ、ちょっと買いには行けないからね!」
でも、その分は別の所で凄い効果が現れるのに違いない、とソルジャーは肉断ちを決意しました。この週末にキャプテンと二人で楽しんだ後は、キッパリ肉断ち。より効果を高めたいからと、必要最低限しか顔を合わせないよう、サイオンの壁も張るとか言って。
「楽しみだねえ…。ソルジャーとキャプテンじゃ、まるで会わないっていうのは無理だけど…」
三週間後の肉断ちが解けたハーレイのパワーが楽しみだよ、とウキウキ帰ったソルジャーだったのですけれど…。



「だから、肉断ちは辛いと言っただろうが!」
この俺が、とキース君が怒鳴る、放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。ソルジャーは肉断ち三日目にして愚痴を零しに現れ、「まだ二週間と四日もある」とグチグチと。
「…それは分かっているんだけれど…。君も苦労をしたっていうのは…」
だけどぼくには耐えられなくて、と愚痴るソルジャーは肉断ちには向いていませんでした。修行そのものが無理だったと言うか、結局の所…。
「…今日、来ないっていうことはさ…」
愚痴を言いに来ないからには挫折したよね、とジョミー君が指摘する週末。私たちはソルジャーが肉断ちに失敗したに違いない、と笑い合いましたが、「失礼な!」と来ないからには…。
「…うん、間違いなく失敗だね」
一週間分の効果くらいは出てると思ってあげたいけどね、と会長さん。けれど、キャプテンが忙しい時には一週間くらいのお預けだって普通にあるわけで…。
「三週間だからこそ、意味があるんだと俺は思うが」
「ぼくもだよ。…ハーレイのラブバラードの強烈さは忘れられないねえ…」
あのクオリティが欲しいのだったら三週間耐えろ、と会長さん。私たちもそう思います。肉断ちするなら三週間です、ソルジャー、頑張って三週間耐えてみませんか~?




             肉が食べたい・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 肉が食べられない、お坊さんの世界。肉断ちの生活が長くなるほど、食べたくなるとか。
 そこに目を付けたソルジャー、肉断ちを考案したわけですけど。教頭先生、凄すぎですね…。
 次回は 「第3月曜」 7月18日の更新となります、よろしくです~!

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