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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

「クシャン!」
 ブルーの口から、いきなり飛び出したクシャミ。
 それもハーレイと一緒に過ごす土曜日、午前中のお茶の時間に突然に。
「大丈夫か?」
 ハーレイが心配そうな顔をするから、「平気だよ」と笑顔で答えた。
「ちょっとムズムズしちゃっただけ…。ホントに平気」
 もう出ないでしょ、と言ったのに。
「どうなんだか…。昨夜は少し冷えたからなあ、風邪引いてないか?」
 メギドの夢は見なかったようだが、身体を冷やしちまったかもな。知らない間に。
 午後のお茶も此処にするべきだろう。庭じゃなくって。
「えーっ!?」
 そんな、と見開いてしまった瞳。
 いい天気だから、午後は庭のテーブルに行こうと考えていた。庭で一番大きな木の下、真っ白な椅子とテーブルがある。初めてのデートの思い出の場所が。
 其処で過ごそうと思っていたのに、駄目だなんて。
 ハーレイにも「行こうね」とウキウキ話して、とても楽しみにしていたのに。
 けれど「当然だろう」という顔のハーレイ。「今のクシャミを聞いちまうとな」と。
「お前、身体が弱いんだから…。気を付けないと」
 用心に越したことはないんだ、今日は一日、お前の部屋だな。
 庭のテーブルと椅子は逃げやしないし、次の機会でいいじゃないか。



 そうするべきだ、とハーレイは譲らない。庭は駄目だ、と。
 たった一回クシャミが出ただけ、繰り返してはいないのに。それに空には雲一つ無くて、絶好のデート日和なのに。
 庭のテーブルと椅子は特別な場所。デート気分になれる場所。諦めるなんて、とんでもない。
 だから…。
「…ママに注文しておいたのに…。ハーレイの好きなパウンドケーキ…」
 あそこで初めてのデートをした時も、パウンドケーキを食べたでしょ?
 飲み物は冷たいレモネードだったけど、今の季節にはママは作ってくれないから…。
 ケーキだけでも同じにしたくて、昨日からママに頼んでたのに…。
 ちゃんと準備をしたんだよ、と真剣な顔で訴えたけれど。
「パウンドケーキなら、此処でも食える。…そうか、あれを頼んでくれたんだな」
 楽しみだなあ、お前のお母さんのパウンドケーキは絶品だしな?
 お母さんには昼飯の時に言えばいいだろ、午後のお茶は此処に変更だ、と。
 運ぶ先が此処に変わるだけのことだ、何の問題も無いだろうが。
 部屋でお茶だ、とハーレイの意見は変わらなかった。「お母さんには俺が言ってやる」と。
「ママにはまだ言っていないんだよ」
 パウンドケーキは頼んだけれども、何処で食べるかは言っていないから…。
「そうだったのか?」
 俺はてっきり、昨日からかと…。パウンドケーキを頼んだついでに言ったんだろう、と。
「お天気がどうなるか分からないでしょ? 天気予報が外れる日だってあるもんね」
 それに朝はちょっぴり雲があったよ、ぼくが朝御飯を食べてた時は。
 曇ったら駄目だし、お昼御飯の後で頼めばいいよね、って…。
 ママがお皿を下げに来た時に、午後のお茶は庭のテーブルがいいな、って言えばいいから。



 まだ計画を話していない、と説明したら、ハーレイは「なるほど」と頷いたけれど。
「最初から天気次第だったというわけか。お前の計画」
 それなら雨が降ったと思えば、諦めやすいというもんだ。確かに朝は雲もあったし…。
 曇って雨になっちまったら、庭に出るのは無理なんだから。
 やめておくんだな、と窓の向こうを見るハーレイ。「いい天気でないと外は無理だ」と。
「今はとってもいい天気じゃない!」
 天気予報でも一日晴れだし、雨なんか絶対、降らないよ!
 ぼくのクシャミは一回だけでしょ、今日は庭でデートしたいんだってば!
「何と言おうが、駄目なものは駄目だ。俺はクシャミを聞いたんだから」
 クシャミしているお前も見たしな、動かぬ証拠というヤツだろうが。
 庭でお茶など、俺は許さん。お前が風邪を引きたいのならば、話は別になるんだが…。
 風邪を引いたら病院で注射になっちまうぞ、と脅された。
 もちろん学校は欠席になるし、注射をされて薬を貰ってベッドの住人。そっちが好きか、と。
 学校を休む方はともかく、注射と薬。「お前は注射が好きだったのか?」と。
「注射も薬も大嫌いだよ!」
 知っているでしょ、ぼくがどっちも嫌いなこと!
 だから病院は嫌いなんだよ、行ったら注射をされるんだから!
「ほら見ろ、行きたくないんだろうが。病院ってトコに」
 風邪を引いたら病院行きだぞ、お前の場合は。こじらせちまうと厄介だからな、弱いから。
 そうならないよう、予防するのが一番の薬というもんだ。庭に出たりはしないでな。
 しかし、一向に治らんなあ…。お前の注射嫌いというヤツ。
「だって筋金入りだもの…」
 うんと小さい頃からそうだよ、注射は痛くて大嫌い。平気な人が信じられないよ。
「分かっちゃいるが…。今のお前もそうだってことは」
 前のお前の時からだしなあ、そう簡単には治らんだろうな。…その注射嫌い。



 フウとハーレイがついた溜息。「チビはともかく、注射嫌いのソルジャーなんて」と。
「今のお前は、まだチビだから…。苦手な子供もたまにいるしな」
 お前よりもっと大きな子だって、「痛いですか?」と心配そうに訊くヤツがいる。それも男で。
 だから、お前はいいんだが…。問題は前のお前の方だな、あれは酷かった。
 注射が嫌いだったというのを、知ってる仲間は少なかったが…。
 ノルディが注射を始めた頃には、もう医務室が出来ていたからな。専用の部屋が。
 あそこで「嫌だ」と叫んでいたって、お前の悲鳴は外には聞こえん。
 まだソルジャーじゃなくてリーダーだったが、外まで聞こえていないんだから…。
 お前が注射が苦手だってことは、ヒルマンたちしか知らんだろうな。ブラウにエラにゼル、あの四人の他には一人もいない筈だぞ。
 リーダーだった頃の悲鳴を聞かれなくって良かったな。
 お蔭でソルジャーが上げた悲鳴も、誰も知らないままなんだから。
「うー…」
 医務室があって良かったと思うよ、ノルディが注射を打ち始めた時に。
 ぼくの部屋でも打たれたけれども、診察に行っても打たれたから…。「嫌だよ」って言っても、勝手に用意を始めちゃって。…「これですっかり治るから」って。
 いつも「嫌だ」って騒いでたけど、あの悲鳴…。外に聞こえてたら大変だよね…。
 後でソルジャーになった時に、と今の自分でも分かること。
 仲間たちに悲鳴を聞かれていたなら、ソルジャーになっても威厳も何も無かっただろう。エラがどんなに旗を振っても、ヒルマンたちがせっせと祭り上げても。
 立派な制服を作って着せても、所詮は注射を嫌がる子供。身体だけ大きく育っていたって、心は子供と変わっていない、と。
 中の声が漏れない医務室が無ければ、仲間たちにも聞こえる悲鳴。「注射は嫌だ」と大騒ぎで。
 幸い、そうはならずに済んだのだけれど。知っている仲間はゼルたちだけだったけれど。



 医務室のお蔭でバレずに済んでも、慣れることだけは無かった注射。アルタミラでの恐怖が心に深く刻まれ、どうしても消えなかったから。
 人体実験の時に打たれた注射。血を抜く時にも刺された針。そういった日々を生きていたから、注射は怖いものでしかない。いつまで経っても、長い年月が流れ去っても。
「前のぼく…。注射、青の間が出来ても嫌だったしね」
 ノルディが診察に来るようになって、メディカル・ルームには滅多に行かなくなっても。
 それでも嫌なものは嫌だし、何処で打たれても、注射は注射なんだから。
「青の間なあ…。其処は「最後まで」と言うべきだぞ」
 前のお前は、最後まで注射嫌いのままだったんだ。ジョミーが来たって、変わらなかった。
 ジョミーもやっぱり知らなかったが、お前は注射嫌いのままで…。
 そういや、ナスカでは注射、していないのか?
 あそこで目覚めて、キースが逃げるのを止めようとしていただろうが。格納庫で。
 トォニィとセットで、メディカル・ルームに搬送されてた筈なんだが…。
 あの時は注射はどうだったんだ、しないで済んだとは思えないが?
「されたよ、青の間に戻ってからね」
 メディカル・ルームでは応急手当で、それから青の間に戻されて…。
 注射はしないで済むんだな、って安心してたら、ノルディが来ちゃったんだよ…!
 トォニィの手術は無事に済んだから、今度はこっち、って!
「ほほう…。やっぱり最後まで注射だったのか」
 俺がいないのに、よく頑張ったな。最後の注射。…ノルディの例の戦法か?
 お前が逃げ出さないように。
「そうだよ!」
 他に方法なんか無いでしょ、ぼくに注射をしたかったら…!
「確かにな。あれは効くよな、いいアイデアだ」
 ノルディは優れた策士でもあったということだな。注射嫌いのソルジャーの件に関しては。
「笑わないでよ…!」
 ぼくにとっては笑い事じゃなかったんだよ、あれは!
 どんなに注射は嫌だと言っても、あれをやられたら逃げられないから…!



 今でも鮮やかに思い出せること。遠く遥かな時の彼方で、注射を嫌った前の自分。ソルジャーになってもそれは変わらず、注射嫌いは治らなかった。
 ノルディが注射をしようとしたって、ハーレイが側にいないと打たせなかったほど。「嫌だ」と突っぱね、ノルディに「出て行け」と命令したり。
 どう頑張っても、怖くて我慢出来ないから。針が刺さるのが嫌でたまらないから。
 けれど、ハーレイはキャプテンで多忙。ブリッジにいたり、データのチェックをしていたり。
 「来て」と思念を飛ばしてみたって、来られない時も珍しくない。注射の付き添いよりも重要な仕事、それがハーレイを待っていたなら。キャプテンの仕事の真っ最中なら。
 だからと言って、ハーレイがいないのに注射を打つなど耐えられない。絶対に嫌で、腕に針など刺されたくない。いくらソルジャーでも、皆の長という立場でも。
 そんな調子だから、注射を打つべきタイミングを逃してしまうことも多かった。早期治療で治る所を、こじらせて寝込んでしまうだとか。
 シャングリラが白い鯨になったら、余計に増えたそういうケース。船が大きくなり、自給自足で生きる形に変わったから。それに伴って、キャプテンの仕事も多くなったから。
 注射を拒否してこじらせた場合、何日もベッドから離れられない。ノルディが診察にやって来る度、お決まりの台詞はこうだった。
「ソルジャー、これで懲りてらっしゃると思いますから…。次は早めに治療を受けて下さい」
 単に診察を受けるのではなくて、注射です。「打ちましょう」と私が言った時には。
 キャプテンがおいでになれないから、と断ったり、後回しにしたりはせずに。
「それが出来るなら苦労はしないよ」
 ぼくだってね、とノルディに背中を向けていた自分。まるで聞く耳を持たないで。
 病気になったら自分も辛いし、酷い時には、起き上がることさえ出来ないほど。ハーレイが作る野菜のスープも、横になったまま飲んでいたほどに。
 けれども、注射はもっと怖くて恐ろしい。病気で辛い思いをするより、熱や痛みで苦しむより。
 病気の苦痛は、その内に消えるものだから。我慢していれば、いずれ消え失せるから。
 そういう風には消えなかったのが、アルタミラで打たれた注射の苦痛。直接流し込まれた毒物もあれば、実験の前段階として打たれた薬品もあった。気を失うまで続いた苦痛。注射のせいで。
 それがあるから、嫌だった注射。「大丈夫ですよ」と言うハーレイが側にいなければ。
 「これは怖くない注射なんだ」と分かる言葉が貰えなければ。



 平気で注射を打てる仲間たち、彼らが英雄に見えたほど。「なんと心が強いのだろう」と。
 自分にはとても無理だから。彼らのように「早く治したいから、注射を打ちに」と、ノルディの所を訪ねようとも思わないから。
 注射は嫌で、恐ろしいもの。出来れば打たずに済ませたいもの。
 そう考える日々を送っていたら、ある日、ハーレイがやって来た。いつもならブリッジで仕事をしている筈の時間に、青の間まで。
「ソルジャー、視察のお時間です」
 参りましょう、と言われたけれども、まるで覚えの無い予定。視察だなどと。
「視察って…。ぼくは聞いてはいないけれども?」
 誰からも何も聞いていないし、君だって何も話さなかったよ?
 朝食の時に、と指摘した。ソルジャーとキャプテンの朝食の時間、表向きは朝の報告の時間。
 ハーレイとは既に恋人同士だったけれども、一日の予定は朝食の時に聞くことも多い。こういう予定になっております、とハーレイが念を押す形で。
 それを聞いてはいなかった。視察があるなら、行き先や時間の確認をする筈なのに。
「朝にはございませんでした。…今日になってから、急に決まりましたので…」
 ご一緒にお出掛け頂けませんか、こういう視察はソルジャーのお仕事の一つですから。
「そういうことなら、嫌だと言いはしないけど…。緊急事態じゃないだろうね?」
「視察ですから、ごくごく平和なものですよ」
 ご心配には及びません、と穏やかな笑みを浮かべたハーレイ。「参りましょうか」と。
「何処へ行くんだい?」
 ぼくの都合もあるからね、と尋ねた行き先。ハーレイと視察に出掛ける時には、自分の方が先に立って通路を歩くから。キャプテンを従えるという形で。
 行き先によって道順も変わるし、何処へ行くのかと訊いたのだけれど。
「本日はメディカル・ルームの視察になります」
「え…?」
 メディカル・ルームの視察って…。それはまた珍しい話だね?
 誰かのお見舞いに行くと言うなら分かるけれども、そんな所で視察だなんて…。



 新しい医療機器でも出来たのかい、と質問したら、「いいえ」と返って来た返事。ただの視察に行くだけのことで、たまにはメディカル・ルームの方も、と。
(普段の視察ルートじゃないし…)
 頻繁に覗く場所ではないから、こういうこともあるだろう。急に決まった話だとはいえ、前から依頼があったとか。…ハーレイがそれに割ける時間が無かっただけで。
 そうなのだろう、と考えながら、ハーレイと一緒に出掛けて行った。誰に出会うかも分からない通路、恋人同士の会話は無しで。ソルジャーとキャプテンらしい話を交わしながら。
 船の中を結ぶ乗り物、コミューターの中でも、誰もいないのに真面目な顔で。
 そうやって着いたメディカル・ルーム。
 ハーレイが「どうぞ」と、扉の脇の開扉ボタンを押した途端に…。
「痛いの、嫌ーっ!」
 いきなり聞こえて来た悲鳴。幼い子供たちが騒いでいた。ヒルマンが一緒にいるのだけれども、嫌だと叫んで、走ったりもして。
「これは…?」
 いったい何が始まるんだい、と丸くなった目。子供たちは何故、こんな所に集められたのか。
 涙を浮かべて泣いている子も、何人もいるものだから驚いた。何をしようというのだろう、と。
「ようこそ、ソルジャー。是非一度、御覧になって頂きたいと思いまして…」
 予防接種の日ですから、とノルディが答えて、ヒルマンも「そういうことでね…」と頷いた。
「付き添いなのだよ、私はね。子供たちだけだと、収拾がつかないものだから…」
 見ての通りだ、いつも逃げようと大騒ぎでねえ…。目を離すと逃げてしまうのだよ。
 看護師たちが見張っていたって、子供は実にすばしっこいから。
「教授のお蔭で助かっていますよ。…教授の言い付けは、子供たちも守りますからね」
 それでも騒ぎになりますが…。注射の日だというだけで。
 困ったものです、とノルディが漏らした溜息。「けれど、必要なことですから」と。
 白い鯨になったシャングリラは、アルテメシアからこういう子たちを救い出す。ミュウだと判断された子供を、処分される前に。
 彼らを助け出すのを仕事としている潜入班や救出班。所属する者たちは外の世界と接触するし、救い出された子供も船の外からやって来る。
 つまり外界からのウイルスの侵入、それの危険があるのが今。



 虚弱な者が多いミュウだけれども、幼い子供たちは更に身体が弱いもの。病気になったら治りが遅いし、重症化することだって。
 そうならないよう、予防接種をするのだという。定期的に集めて、全員に注射。
(……注射だなんて……)
 聞いただけでも、震え上がってしまった前の自分。ソルジャーだけに顔には出なかったけれど、心の中では逃げ出したいほど。自分が打たれるわけではなくても。
 見るのも嫌だ、と思っているのに、予防接種を見届けるのが視察で、ソルジャーの仕事。逃げて帰れはしないのが自分。
 平静な顔を装って立って、子供たちを眺めているしかなかった。「嫌だ」と騒ぐ子供たちを。
 逃げようとする子は、ヒルマンが「止まりなさい」と呼び止めて叱る。すぐ終わるから、並んで順番を待つように、とも。
 嫌がる子たちは順に並ばされ、一人ずつ注射をされていった。「痛いよ」と泣き叫びながら。
「大丈夫よ、ほら、痛くないでしょ?」
 もう終わったわ、と看護師たちが慰めていた。注射を受ける子供たちを。
 注射の前には「痛くないから」と言い聞かせてやって、真っ最中には「我慢してね」と。
(ぼくも、あんな感じでハーレイに…)
 慰めて貰っているんだから、と見ていた予防接種の光景。
 やっぱり注射は怖いじゃないか、と。
 アルタミラの地獄を知らない子たちも、「嫌だ」と恐れるのが注射。チクリと刺さる針だけで。それが刺さっても、恐ろしいことは何も起こらないのに。
(病気の予防で、治療みたいなものなのに…)
 それでも「怖い」と大騒ぎする子供たち。ヒルマンがいないと脱走する子もいるほどに。
 ならば、注射で酷い目に遭った自分が嫌がるのは至極当然なこと。視察する立場でも怖くなる。あそこで注射を受けているのが自分なら、と。
 順に並んで注射だなんて、考えただけでも恐ろしすぎる。自分の番がやって来るのを、ブルブル震えて待つなんて。一人終わったら、順番が一つ進むだなんて。



 子供たちの予防接種が済んだら、青の間に帰るだけだったけれど。ハーレイはブリッジの方へは行かずに、そのまま後ろについて来たから、チャンスとばかりに苦情を言った。
 ベッドが置かれたスペースまで辿り着いた途端に、クルリと後ろを振り返って。
「…ハーレイ。今の視察のことなんだけれど…。どうしてあんな視察の予定を入れたんだい?」
 ぼくが注射が嫌いなことは、百も承知の筈だけれどね?
 君も、ノルディも、ずっと前から知っている筈だ。注射をどれだけ嫌っているか。
 予防接種の視察だなんて…。ぼくが見るのも嫌がるだろうと、君たちは考えなかったとでも?
 怖くてたまらなかったんだけどね、と睨み付けた。どういった意図であの視察を、と。
 きっとハーレイは詫びるだろうと考えたのに。「私の配慮が足りませんでした」と、謝る筈だと思ったのに…。
 まるで違っていた反応。「そうでしょうとも」と笑みを宿した鳶色の瞳。
「ですから、視察にお連れしました」
 あれは嫌だ、と仰ることは最初から分かっておりますからね。…だからこそです。
「どういうことだい?」
 君の嫌がらせか、それともノルディの方なのか…。ぼくは君たちの恨みを買ったのかい?
 全く覚えが無いんだけれどね、嫌がらせをされるような覚えは何も無いんだけれど…?
「視察だと申し上げました。嫌がらせのために、そんな手の込んだことは致しません」
 復讐でしたら、もっと私的に攻撃させて頂きます。…私も、ノルディも。
 よろしいですか、先ほどの視察は、子供たちの予防接種に立ち会うというのが目的です。他には意図はございません。
 ただ、いつか…。十年もすれば、あの子供たちの中の誰かが、看護師になる日も来そうです。
 それでもお逃げになりますか?
 ノルディが看護師になった子供を連れて来ていても、注射は嫌だと。
 今と同じに「嫌いだから」と、私がお側にいない時には、ノルディを追い出したりもして…?
「…そ、それは……」
 あの子供たちの中から看護師が?
 ノルディが連れて来ると言うのかい、ぼくに注射をする時の助手に…?



 無理だ、と震えてしまった声。「それだと、ぼくは逃げられない」と。
 メディカル・ルームで泣き叫んでいた子供たち。予防接種は、注射は嫌だと。ヒルマンが睨みを利かせていたって、逃げようとする子がいたほどに。
 あの子供たちが大きくなっても、ソルジャーの自分は今と同じに特別な存在。シャングリラを、ミュウを導く唯一の者で、誰もが敬意を表する相手。
(…今は一緒に遊んでることもあるけれど…。大きくなったら、ソルジャーの意味も…)
 分かってくるのが子供たち。自分たちとは違うのだ、と。他の仲間たちとも全く違う、と。雲の上の人のような存在、そうなるようにとエラたちが仕向けたのがソルジャー。
 そのソルジャーが、注射が嫌いで逃げ回るなどは有り得ない。
 「ハーレイがいないと絶対に嫌だ」と、悲鳴を上げることだって。
 とても特別な存在なのだし、幼い子供と同じことなどする筈が無い。白いシャングリラを束ねるソルジャー、偉大なミュウの長ともなれば。
 成長した子供たちが看護師としてやって来たなら、逃げ場を失うのが自分。ノルディの手には、大嫌いな注射器があったって。「注射します」と宣言されたって。
「…逃げられないじゃないか、あの子たちを連れて来られたら…!」
 ソルジャーは注射が苦手なんだ、と呆れられるか、船中に噂が広がるか…。
 そうなったらエラたちがいくら頑張っても、ぼくの威厳は台無しで…。それを避けたいなら…。
 黙って注射されるしか、と酷い顔色で言ったけれども、ハーレイの方は動じなかった。
「お分かり頂けて何よりです。これはノルディのアイデアでして…」
 子供たちが育って看護師の道を選んでくれたら、ソルジャーに注射をする時の助手に選ぶとか。
 何度も注射を打ち損ねましたからねえ、あなたが逃げてしまわれるので…。
 ですから、助手をつけるそうです。この方法なら、あなたに逃げ場はありませんから。
「ぼくは困るよ…!」
 注射は嫌いだと何度も言ったし、今も逃げ回っているんだけれど…!
 病気で寝込んだ方がマシだよ、無理やり注射をされるよりかは…!



 なんという酷いアイデアなのだ、と嘆いたけれども、それが実行に移される日がやって来た。
 ノルディの希望で、子供たちのための予防接種を何度となく視察させられる内に。
 ある日、体調を崩した自分。軽い眩暈と発熱だけれど、ノルディが診察に来たものだから、横になったままで釘を刺しておいた。「注射はお断りだからね」と。
「ちょっと眩暈がするだけなんだよ、注射は要らない」
 本当は薬も嫌だけれども、そっちは我慢して飲んでおくから。…注射は無しで。
「分かっております」
 キャプテンはお留守のようですからね、と答えたくせに、ノルディが思念で呼び寄せた看護師。何年か前には幼い少女で、注射を嫌がって泣いていた女性。
 見覚えがある、と思う間も無く、彼女はベッドの直ぐ側に来た。
「ソルジャー、注射の前に消毒しますので…」
 腕を出して頂けますでしょうか、と微笑んだ看護師。かつて遊んでやっていた少女。注射嫌いの相手とも知らず、それはにこやかな白衣の天使。
(ハーレイに…)
 来てくれるように連絡してから、なんとか時間稼ぎをしよう、とハーレイの居場所を探るまでもなく、ノルディから飛んで来た思念。看護師の女性には分からないよう、相手を絞って。
 「キャプテンはお忙しいですから」と。
 此処へはお越し頂けませんと、手が空くまでには二時間ほどはかかるでしょう、とも。
(そんな…!)
 嘘だろう、と思念で船の中を探れば、本当に忙しくしていたハーレイ。機関部の者と何かを打ち合わせながら、メインエンジンに近い区画で見ている図面。
 これは駄目だ、と一目で分かった。
 エンジントラブルとは違うけれども、オーバーホールに向けての調整中。どのタイミングで実施するのか、その間の船の航路をどう設定するべきなのかなど。
 二時間で済んだらまだ早い方で、下手をしたなら夜までかかる。休憩や食事の時間は取れても、青の間までは来られない。たかが注射の付き添いには。



 これまでだったら、こういう時でも逃げられた。「注射は嫌だ」とノルディを追い払って。注射するならハーレイと一緒に出直して来いと、絶対に腕は出さないから、と。
 ところが、今の自分の状況。
 ベッドの側には看護師の女性、以前は幼い少女だった彼女。「ソルジャー?」と首を傾げている女性は何も知らない。注射嫌いなソルジャーのことも、ノルディの恐ろしい計画のことも。
 ハーレイを呼んでも、来てくれる可能性はゼロ。
 そして看護師の女性の仕事は、ノルディの注射を手伝うこと。手際よく腕を消毒して。
(…仕方ない…)
 注射は怖くて嫌だなどと此処で言えはしないし、差し出した腕。手袋はしていなかった。具合の悪い日は外しているから、看護師は袖をめくるだけ。肘の上まで。
 「この辺りですね」と消毒をされて、ノルディが鞄から出した注射器。それに薬液も。
 看護師に「後は私が」と言って代わると、しっかりと掴まれてしまった腕。
「やはりソルジャーには、私が注射致しませんと…」
 看護師も注射は打てるのですが、失礼があってはいけませんから。
 下手だからとても痛かっただとか、後からアザになったとか…。
 他の者ならよろしいのですが、ソルジャーの腕では練習させられませんし。
 では、と打たれてしまった注射。
 頼みの綱のハーレイ無しで。「大丈夫ですよ」と安心させてくれる、付き添いは無しで。
(…痛いのは誰でも同じだよ…!)
 ノルディがやっても、看護師でも、と心の中だけで上げていた悲鳴。
 上手でも下手でも変わりはしないと、針が刺さるこれが嫌なんだから、と。
 アルタミラでは、容赦なく針を刺されていたから。研究者たちの注射の腕など、気にしたことは無かったから。
 どんな注射でも、必ず苦痛をもたらすだけ。上手く刺さろうが、下手で何度も刺し直そうが。
 注射針への恐怖は今でも消えないまま。
 病気が治る注射なのだと分かっていたって、腕に刺さる針はアルタミラと同じなのだから。



 首尾よく注射を打ったノルディは、薬を処方して帰って行った。「お大事に」と看護師の女性と共に。「夜には熱も下がりますよ」と。
 夕方までに熱は下がったけれども、注射のお蔭だとは思いたくない。本当に酷い目に遭わされた上に、注射針がとても嫌だったから。
 部屋付きの係が届けた夕食、それを食べてから薬を飲んで、ベッドでウトウトしていたら…。
「ソルジャー、遅くなりました」
 お加減の方は如何ですか、とハーレイがやって来たものだから…。
「遅すぎだよ!」
 具合が悪いと知っていたなら、もっと急いで走って来ればいいだろう!
 お蔭で、ぼくは注射を打たれてしまったじゃないか、と文句をぶつけた。
 「君が来ないから、それは酷い目に遭ったんだ」と。
 ノルディが勝手に注射を打ったと、逃げられないように助手の看護師まで連れて、と。
「遅くなったことはお詫び致しますが…。注射の件なら、前から申し上げておりましたよ」
 子供たちの予防接種の視察に、初めてお連れした時から。
 何度もお供をしておりますから、ソルジャーも覚悟はしておられたかと…。
 今日のような時には、看護師の出番が来るのだと。…違いますか?
 御存知だった筈ですが、と鳶色の瞳は揺らがなかった。ひたと上から見下ろすだけで。
「それは確かに聞いたけれども…!」
 注射の計画は知っていたけど、まさか実行するなんて…!
「計画は実行してこそです。ノルディも喜んでおりました。これからはきちんと注射出来ると」
 私も早く治って頂けるとなれば嬉しいですよ。こじらせたりはなさらないで。
 今までは酷くなられる度に、私が忙しくしていたせいだ、と胸を痛めておりましたから…。
 早めに注射をしておられたら、と何度思ったか分かりません。
 ですが、これからは…。大丈夫ですね、とハーレイの顔に安堵の色。「良かった」と。
「君が自分を責める必要なんかは無いから、前の通りにして欲しいけど…!」
 ノルディが助手付きで注射を打つのは、ぼくには怖いだけなんだから…!
「いえ、駄目です」
 大切なのはソルジャーのお身体ですからね。…充分に自覚なさって下さい、お立場を。
 ソルジャーの代わりになれる者など、この船には誰もいないのですから。



 お分かりですね、と言い聞かせられて、逆らえなかった前の自分。
 注射の付き添いは、ハーレイから看護師に変わってしまった。ハーレイが忙しい時は。どんなに呼んでも、来てくれそうにない時には。
 「大丈夫ですよ」と優しい言葉をくれるハーレイは来なくて、代わりに看護師。シャングリラに来た頃は幼い子だった、今は育った看護師たち。
 彼女たちは何も知らなかったから、ノルディの助手を務めるだけ。注射嫌いのソルジャーの心が叫んでいるとも知らないで。「注射は嫌だ」と、「助けて、ハーレイ!」と。
 ソルジャーの心は遮蔽されていて、思念は漏れはしないから。どんなに悲鳴を上げていたって。
「…あれ、酷かったよ…。ノルディと、前のハーレイと…」
 言い出したのはノルディだけれども、ハーレイが賛成しなかったら出来ない計画じゃない!
 ぼくは嫌だと言っていたのに、あの方法で何度も注射…。
「そうか? 早く治って良かったじゃないか、こじらせる前に」
 いい手だったと俺は思っていたんだが…。ああでもしないと、お前は逃げてしまうから。
 だが、今のお前には使えない手だな。
 正真正銘、本物のチビで、注射は嫌だと泣き叫んだって、誰も変には思わないしなあ…。
「そうだよ、それに注射は今のぼくも嫌いで、苦手なんだよ!」
 注射なんかはされたくもないし、病院も薬も嫌いだってば…!
 前のぼくの記憶が残ってるんだよ、ぼくも分からないような何処かに…!
「そうなんだろうな、その点は大いに同情するが…」
 注射は嫌だと分かっているなら、午後のお茶は部屋にしようじゃないか。
 お前が風邪を引いちまったら、待っているのは注射なんだしな?
 庭のテーブルでお茶にするのは次でいいだろ、今日は大事を取るんだな。クシャミが出たし。
「ハーレイ、酷い…!」
 あれからクシャミは出ていないじゃない、一回しかしていないのに…!
 クシャミ、一回くらいだったら、小さな埃を吸っただけでも出ちゃうのに…!



 意地悪、と頬を膨らませたけれど、ハーレイは「駄目だ」の一点張り。
 庭のテーブルでお茶は駄目だと、「お前に風邪は引かせられないからな」と。
 「ハーレイのケチ!」と怒ったけれども、そのハーレイ。
 今のハーレイも、注射の付き添いはしてくれない。まだ家族ではないのだから。前のハーレイのように忙しくなくても、仕事が入っていない時でも。
 それを思うと、やっぱり注射は避けたい気分。庭のテーブルでお茶にしたくても。
 ハーレイの好きなパウンドケーキで、庭でデートと洒落込みたくても。
(…風邪を引いたら、注射だから…)
 午後のお茶の場所は、この部屋で我慢しておこう。本当は庭に出たいのだけれど。
 懐かしい記憶が戻って来たって、嫌な注射は嫌なまま。今の自分も、注射は嫌いなのだから…。
 注射をする羽目に陥らないよう、この部屋で大人しく過ごすことにしよう。
 ハーレイと二人で過ごせる土曜日、それだけで充分幸せだから。
 風邪さえ引いていなかったならば、明日は二人で庭にも出られるだろうから…。




            注射の方法・了

※今のブルーも注射が嫌いですけど、そうなったのは前の生で繰り返された人体実験のせい。
 注射嫌いだったソルジャー用に、ノルディが考えた助手をつけること。逃げられませんよね。
 パソコンが壊れたため、実際のUPが2月5日になったことをお詫びいたします。
 修理期間中、「シャングリラ学園生徒会室」の方で、経過報告を続けていました。
 予告なしに更新が止まる時があったら、そちらのチェックをお願いします。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




シャングリラ学園、今日も平和に事も無し。新年が明けて一連のドタバタ行事も終わって、ホッと一息、お次はバレンタインデーといった所です。入試なんかもありますけれども、合格グッズの販売員は未だにさせて貰えませんし…。
「やりてえよなあ、グッズ販売…」
サム君がぼやく、放課後の中庭。寒風吹きすさぶ中を「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと移動する途中です。
「無理だよ、ブルーとリオさんが独占状態だし…。それに第一、ぼったくりだし」
あの値段をお客さんに言える勇気は無い、とジョミー君。
「相手は中学生なんだよ? なのにお値段、高すぎだってば!」
「それは言えるな、俺も自分が副住職になったら痛感したぞ」
下手な法事の御布施並みだ、とキース君も。
「クソ寒い中を月参りに行っても、貰える御布施は合格ストラップの値段にもならん」
「…そこまでなわけ?」
月参りよりも高かったわけ、とジョミー君が呆れて、シロエ君が。
「そうですか…。プロのお経よりも高かったんですか、あのストラップ…」
「でも、ある意味、プロの仕事よ、あれは? ぶるぅが手形を押してるんだし」
ちゃんと点数が取れるストラップだし、とスウェナちゃん。
「私は買っていないけど…。効き目はあるでしょ、ぶるぅなんだもの」
「そうですよね…」
今年も入試シーズンが近付いて来たらストラップ作りですね、とマツカ君が言う通り、そのシーズンになったら「そるじゃぁ・ぶるぅ」は忙しくなります。三日間ほどおやつは手抜き、いや作り置き。でもでも、そのシーズンはまだ先ですから…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
授業、お疲れ様! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれた、いつもの溜まり場。暖房が効いたお部屋で熱い紅茶にコーヒー、温かいオレンジスフレなんかも。
「「「いっただっきまーす!」」」
これが最高! とスプーンで掬って熱々をパクリ、冬はやっぱりスフレですよね!



合格グッズの値段の高さに始まり、あっちへこっちへと飛びまくる話題。もはやカオスと化してますけど、この賑やかさが放課後の醍醐味だよね、と思っていたら。
「えっとね、昨日のマジックショー、見てた?」
夜にテレビでやっていたヤツ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「いや、俺は…。その時間には本堂で親父の手伝いを…」
仏具の手入れをさせられていた、とキース君がブツブツ、ジョミー君は。
「ぼくは別のを見てたんだけど…。マジックショーは特に興味もないし…」
「ぼくもです。機械弄りをしていましたね」
作業部屋で、とシロエ君が続いて、サム君もマツカ君も、スウェナちゃんも私も、マジックショーを見てはいませんでした。何かいいこと、あったんでしょうか?
「あのね、とっても凄かったの! 脱出マジック!」
鎖で縛られて手錠もかけられて鉄の箱なの! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「すっごく分厚い鉄の箱の中に入れられてたのに、その人、ちゃんと出て来ちゃったの!」
なんでも「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言うには、その鉄の箱はレールの上に乗せられ、ジリジリと移動してゆく仕掛け。時間内に脱出できなかったら箱は海へとドボンだそうで。
「海に落ちたら大変でしょ? 引き上げてくれる前に溺れちゃうかも…」
「そりゃそうだけどよ…。ああいうヤツって、ほぼ大丈夫だぜ?」
ちゃんと出られるのがお約束だし、とサム君が笑うと、シロエ君が。
「…どうでしょう? たまにニュースになっていませんか、脱出マジック失敗の事故」
「あるな、スタッフが救出しなければ死んでいたという恐ろしいのもな」
あの手のマジックにリスクはつきもの、とキース君が頷いています。
「自分がショーをやらかすからには、多分、覚悟の上なんだろうが…」
「えとえと、覚悟はどうでもいいの! 凄かったから!」
普通の人にもサイオンはちゃんとあるんだね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「「「はあ?」」」
サイオンって…。アレは私たちの仲間だけが持つ特殊能力で、存在も極秘の筈ですが…。一般人なんかが持っているわけないんですけど、何処からサイオン?



謎だ、と思った「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオン発言。シャングリラ学園でさえも「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーの一言で誤魔化してあるのがサイオン、普通の人が持っているならエライことです。けれど、言い出しっぺの「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「だって、サイオンだよ、脱出マジック! 鎖をほどいて、鉄の箱から大脱出!」
どっちもサイオンが無ければ無理だし、とマジックショーを勘違いしているようです。脱出マジックは種も仕掛けもあるもの、その道のプロならサイオンなんかは…。
「俺は要らないと思うんだが…。あの手のマジックにサイオンなんぞは」
何か仕掛けがある筈だ、とキース君が返すと、会長さんが。
「ぼくもそう言っているんだけどねえ…。それこそずっと昔から言ってるんだけど…」
もう何十年言っていることか、と会長さん。
「テレビで脱出マジックを見る度に、ぶるぅが「凄い!」と喜ぶからさ…」
「「「あー…」」」
素直なお子様、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。マジックの種には気付きもしないで、手放しで褒めてしまうのでしょう。
「でもでも、ホントに凄いんだもん! 普通の人でもサイオンだもん!」
ホントに凄いの! と言い張る「そるじゃぁ・ぶるぅ」の姿に、会長さんが苦笑い。
「この段階まで到達するのに、何年かかったことやらねえ…」
昔はショーを見る度に「仲間発見!」と大騒ぎだったらしいです。急いで連絡を取らなければ、と思念波を飛ばしかかったこともあったとか。
「…なるほどな。そうなる気持ちは分からんでもない」
仕掛けがあると思わなければ瞬間移動で片付きそうだ、とキース君が頷くと。
「違うもん! 仕掛けじゃないもん、本物だもん!」
ああいう時だけ瞬間移動で大脱出! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「えーっと、火事場の馬鹿力? 普通の人でも出来るんだってば、頑張れば!」
「…それが出来たら、ぼく、もうちょっと楽なんだけど…」
これでもタイプ・ブルーだから、とジョミー君が割って入りました。
「瞬間移動が出来る素質はある筈なのにさ、隣の部屋にも飛べないし!」
「それなら、ジョミーも脱出マジック、頑張ってみる?」
火事場の馬鹿力でサイオンの力が目覚めるかも! と無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」ですけど。目覚めなかったら事故になりますよ、そっちの方が有り得そうです~!



会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」と全く同じなサイオンを持っているのがタイプ・ブルーで、現時点ではジョミー君も含めて三人だけ。
ところがジョミー君のサイオンときたら、私たちと変わらずヒヨコレベルで思念波を使うのが精一杯といった状態です。坊主頭限定でサイオニック・ドリームを一ヶ月近く使い続けたキース君の方がまだマシなわけで。
「ハッキリ言うがな、ジョミーに脱出マジックなんぞをやらせても無駄だ」
俺たちが救助に向かわされる方だ、とキース君がバッサリと。
「俺でさえもサイオニック・ドリームを使えるようになる前が実に大変で…」
「そうでしたっけね、先輩、派手にサイオン・バースト…」
ぶるぅの部屋が吹っ飛びましたっけ、とシロエ君。
「そういや、あれが切っ掛けだったんだよなあ、ぶるぅの部屋の公開イベント」
今じゃ学園祭の定番だけどよ、とサム君も。
「キースでさえもあの騒ぎだしよ、ジョミーが火事場の馬鹿力ってヤツをやったらよ…」
「成功したらいいんですけど、バーストした時は…」
凄くマズイような、とマツカ君が。
「キースの騒ぎの時に聞いていたような気がします。ジョミーがサイオン・バーストしたら…」
「シャングリラ学園が丸ごと吹っ飛ぶのよねえ?」
マズすぎるわよ、とスウェナちゃん。
「やめときましょうよ、ジョミーに脱出マジックの才能があるとは思えないもの」
「まったくだ。シャングリラ学園が吹っ飛んだとなったら、俺たちもただでは済まないぞ」
下手をしなくても退学だ、とキース君が顔を顰めています。
「この馬鹿のせいで退学は御免蒙りたい」
「馬鹿って、何さ!」
「俺はそのままを言ったまでだが?」
サイオンを上手く扱えないお前が悪い、とピッシャリと。
「瞬間移動も出来ないからこそ、そう言われるんだ。…一般人でも出来るのにな?」
脱出マジック、という指摘に「マジックだから!」とジョミー君。
「ぼくと一緒にしないで欲しいよ、あっちは仕掛けがあるんだからさ!」
出来て当然、と喚いてますけど、瞬間移動は夢ではあります。ヒョイと飛べたら便利でしょうけど、アレって本当にタイプ・ブルーしか出来ないのかな…?



サイオンを持っているなら使いたいのが瞬間移動。でも、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がやっているだけで、他の人がやった話は知りません。ソルジャーや「ぶるぅ」は別の世界の人だけに話が別ですし…。
「瞬間移動はタイプ・ブルーでないと無理なんですか?」
シロエ君の質問に、会長さんが。
「そういうことになっているねえ、ぼくとぶるぅしか使えないし」
「違うよ、マジックショーの人がやってるんだから、多分、誰でも!」
頑張ったら使えちゃうんじゃないかな、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「タイプ・ブルーとかグリーンとかは普通の人には無いもん、だからサイオンがあれば誰でも!」
普通の人より上手く出来ちゃう筈だもん! とマジックショーを信じている「そるじゃぁ・ぶるぅ」は根っからお子様、私たちにだって瞬間移動が出来るものだと思っています。
「そうは言われても、無理なものは無理だと思うんだが…」
実際、出来んし、と唸るキース君、ちょっと夢見たことがあるらしいです。
「出来たらいいな、と頑張ってみたが、どうすればいいのかもサッパリ分からん」
「だよねえ? ぼくにも分からないんだよ」
やってみたいとは思うんだけど、とジョミー君が相槌を打った所へ。
「こんにちはーっ!」
ぼくにもスフレ! と飛び込んで来たお客様。例によってソルジャー登場です。
「かみお~ん♪ いらっしゃい! ちょっと待っててねーっ!」
スフレは焼くのに時間がかかるし、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が紅茶をサッと。スフレもオーブンに入れて来たようです。おかわり用にと用意してあったみたいですけど、流石の素早さ。
一方、現れたソルジャーは空いていたソファにストンと座って。
「面白そうな話題だねえ…。瞬間移動だって?」
「そうなの! 昨日のマジックショーが凄かったの!」
こんなのだよ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は思念で伝達した様子。ソルジャーは「ふうん…」と納得、「そう見えないこともないよね、これは」と。
「それで普通の人でも瞬間移動が出来ると言ってるんだね、ぶるぅはね?」
「うんっ! ホントに瞬間移動だもん!」
でなきゃ鉄の箱ごと海にドボンで大変だもん! という主張。マジックショーの人、本当に瞬間移動が出来る人間に技を認められるとは、天晴れな…。



脱出マジックは瞬間移動だと信じ込んでいる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャーは数々の脱出マジックの話を聞かされ、「これだと無理もないよね、うん」と。
「マジックの仕掛けは知らないけどさ…。瞬間移動だと思い込むのが普通かな?」
「仕掛けじゃないもん、本物だもん!」
そう叫んでから「あっ、スフレ!」と飛び出して行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、ホカホカの出来立てを持って戻って来ました。
「はい、オレンジのスフレ! しぼまない内に熱いのを食べてね!」
「ありがとう! ぶるぅのスフレは絶品だしね!」
美味しい! とスプーンで頬張ったソルジャー、スフレをパクパク食べながら。
「瞬間移動の話だけどねえ、タイプ・ブルー以外は無理なのか、ってヤツ」
「ああ、君だったら詳しいのかな?」
ぼくより若いけど、サイオンがあるだけで追われる世界に住んでいるし、と会長さん。
「ぼくたち以上に追い詰められるケースも多いだろうから、レアケースとかもありそうだよね」
「ぶるぅの言ってる火事場の馬鹿力だね?」
タイプ・ブルー以外の人間に瞬間移動は出来るかどうか、とソルジャーが言って、会長さんが「そうなんだけど…。どう?」と。
「やった人間はいるのかな? そのぅ…。言いにくいんだけど…」
「いいって、いいって! アルタミラのことだろ、実験動物だった時代の話!」
あの頃だったら究極の極限状態なんだけど…、とソルジャーは「うーん…」と首を捻って。
「実を言うとさ、このぼくでさえも、アルタミラではやっていないんだよ。瞬間移動は」
「「「ええっ!?」」」
まさか、と驚いた私たちですが、「本当だから!」と返したソルジャー。
「出来ていたなら、それこそ脱出マジックだよ! 他の檻にいる仲間も逃がして大脱出だよ、大人しく実験されていないで!」
船を奪ってトンズラしている、と言われてみればその通り。それじゃ、瞬間移動はいつから出来るようになったと言うんですか?
「えーっと…。ある程度、船が落ち着いてからかな? 心に余裕が出来てからだね」
それまではサイオンの上達なんかはとてもとても…、とソルジャーは両手を広げてお手上げのポーズをしています。火事場の馬鹿力はアルタミラ脱出の時に閉じ込められてた場所をサイオンでブチ壊した程度、瞬間移動は後付けでしたか…。



ソルジャーでさえも最初は出来なかったらしい瞬間移動。そうなってくると、やっぱりタイプ・ブルー以外の人間には無理な技ですか?
「どうなんだろうね? 現時点では、君たちの世界と同じでタイプ・ブルーに限定だけど…」
しかも遅咲きの力だったけど、とソルジャー、苦笑。
「ただねえ、ぶるぅは生まれて直ぐから使えたからねえ、環境の方も大切かもね?」
「「「環境?」」」
「そう、環境! 火事場の馬鹿力を使うにしたって、心の余裕が要るのかもねえ…」
死ぬか生きるかの状況では発動しなかったから、と挙げられたソルジャーのアルタミラ時代。真空だの高温だの、絶対零度だののガラスケースや、有毒ガスやら。「此処から出られさえすれば」という極限状態に置かれていたって、瞬間移動は出来なかったとか。
「今だったら余裕でヒョイと出られるのに、あの頃のぼくは馬鹿だったよねえ…」
素直に実験されていたし、とブツクサと。
「だからね、きっと「此処は安心して暮らせる場所だ」という前提が要るんだよ! 心の余裕!」
そういう安全な場所で非常事態に追い込まれたならば、あるいはタイプ・ブルー以外の人間でも瞬間移動が出来るかも、というのがソルジャーの仮説で。
「ふうん…? ぶるぅはともかく、誰か出来そうだった例でもあると?」
君のシャングリラで、と会長さんが尋ねると。
「一回だけね!」
たったの一回だけなんだけど、とソルジャーは指を一本立てました。
「しかも、それを知ってるのはぼく一人だけ!」
「「「えっ?」」」
なんで、と驚いた私たち。タイプ・ブルーしか出来ない筈の瞬間移動に成功しかけた人がいるのに、どうしてソルジャーしか知らないんですか?
「それはねえ…。深い事情があると言うべきか…」
「機密事項なわけ?」
君のハーレイも知らないとなると、と会長さんは言ったのですけど。
「まさか! 機密事項だったら、こんな所で喋っていないよ」
「でも、君だけしか知らないんだろう?」
「なんて言うかな、プライバシー…? 人間、誰でも知られたくないことはあるよね」
こう色々と…、と頷くソルジャー。瞬間移動が出来そうだったとなれば誇って良さそうですけど、それを知られたくないって、どういうこと…?



ソルジャーのシャングリラで一度だけあったらしい、瞬間移動未遂。やった人間の存在はソルジャーだけしか知らないとなると…。
「もしかして、戦闘要員には不向きだとか?」
そんなタイプだから内緒だろうか、と会長さん。
「瞬間移動が出来るとなったら、君のシャングリラじゃ戦闘班に回されそうだし…。そっち方面の訓練にも実戦とかにも向きそうにない人材なのかい?」
だから本人も黙っているとか、という質問ですけど、ソルジャーは。
「違うね! それに本人には自覚無しだしね、瞬間移動をやりかけたという!」
「…だったら、どうして秘密なのさ?」
その才能を伸ばしてやれば良さそうなのに、と会長さんは首を傾げたのですけれど。
「ズバリ、恥ずかしさの問題かな!」
「「「恥ずかしさ?」」」
ソルジャーの口から出るとは思えない言葉。およそ恥じらいとは縁の無いソルジャー、そのソルジャーが赤の他人の恥ずかしさなどを考えるとも思えませんが…?
「うん、セックスなら楽しく喋りまくるんだけどさ! 恥じらわないで!」
「そういう話は今はいいから!」
瞬間移動の件を喋ってくれたまえ、と会長さん。
「どう恥ずかしいと言うんだい? 君の台詞とも思えないけど…?」
「だってねえ…。知られたいかい、トイレ事情を?」
「「「トイレ?」」」
「そう、トイレ!」
現場はトイレだったのだ、とソルジャーは斜め上な現場を口にしました。トイレって…。どう間違えたらトイレで瞬間移動になると?
「それは簡単な話だけどね? 危機的状況に陥ったわけで…」
「トイレでかい?」
いったい何が起こったのだ、と会長さんも見当がつかないようですけれど。
「いわゆる脱出マジックと同じ状況! なんとかして出ないとマズイという!」
「…どんなトイレなわけ?」
「普通だけど?」
ぼくのシャングリラの普通のトイレ、という返事。どう転がったら、普通のトイレが脱出マジックに繋がりますか…?



タイプ・ブルーしか出来ないと噂の瞬間移動をしかかった人。現場はソルジャーの世界のシャングリラのトイレということですけど、トイレで脱出マジックだなんて、どんな状況?
「至って普通のトイレなんだけどねえ、それも共同トイレじゃなくって個人用の」
ぼくのシャングリラは一人一部屋が基本だから、とソルジャーは威張り返りました。バストイレつきの個室が貰えるのだそうで、多分、私たちがシャングリラ号に乗せて貰う時に使うゲストルームのようなものでしょう。あのトイレ、何か問題ありましたっけ?
「強いて言うなら、思念波シールドが裏目に出たって所かなあ…」
「「「思念波シールド?」」」
「ぼくの世界はホントにあの船が世界の全てだからねえ、プライバシー保護のために個室は覗き見できない仕様! トイレともなれば、もっと強力に!」
入っていることすら分からないレベルで思念波を漏らさないトイレ、とソルジャーの解説。
「そんなトイレに入って鍵をかけたって所までは良かったんだけど…」
「ひょっとして、鍵が壊れたとか?」
会長さんの問いに、ソルジャーは「ピンポーン!」と。
「その通りだよ、壊れちゃったんだよ! 不幸なことに!」
なんでも用足しが済んで出ようとしたら、トイレの鍵が開かなかったとか。共同トイレだったら他の人が来た時に「閉じ込められた」と言えば済みますけど、個人の部屋では…。
「そうなんだよ、誰も来ないってね! 叫ぶだけ無駄!」
防音の方も完璧だから、とソルジャー自慢のシャングリラの設備。それが裏目に出てしまった悲劇、トイレに閉じ込められた男性、誰にも助けて貰えなくて。
「また、運の悪いことにさ…。当番明けで部屋に帰ったトコだったしねえ、不在に気付いて訪ねて来る人も全くいないという状況!」
「「「うわー…」」」
それは嫌だ、と誰もが震え上がりました。トイレに閉じ込め、助けが来るまで何時間かかるか謎な状況。トイレの中だけに、食料も水も無いですし…。
「ね、危機的な状況だろう? もう脱出しか無いという!」
鍵のかかったトイレの個室から脱出マジック! と言われなくても、誰だって出たくなるでしょう。鍵が開かないならまさしく密室、脱出マジックの出番ですってば~!



ソルジャーのシャングリラで起こった、個室のトイレに閉じ込めな事故。水も食料も無し、しかも当番明けで当分は誰も来てくれないという恐ろしさ。誰でも脱出したくなります、もしもマジックが使えるのなら。でも、脱出マジックは種も仕掛けもあるわけで…。
「脱出マジックとは其処が違うね、トイレの個室は! 仕掛けなんかは無いんだから!」
出るなら自力、とソルジャーはニッと。
「ぼくが瞬間移動をするのは、ぼくのシャングリラでは常識だしね? 出るならソレだと!」
「えっ、でも…。タイプ・ブルーしか出来ないんじゃあ…?」
君の世界でもそうだったんじゃないのかい、と会長さんが確かめてますが。
「まあね。だけど、火事場の馬鹿力なんだよ、ぶるぅが言ってる脱出マジックの人みたいに!」
とにかく出たい一心で、とソルジャー、クスクス笑いながら。
「俺は出てやると、此処から出るんだと精神統一! そして!」
「「「…出られたとか?」」」
出てしまったのか、と私たちの声が重なりましたけれど。
「そこで出てたら、タイプ・ブルー以外でも瞬間移動は可能なんだと言い切ってるよ、ぼくは!」
「…駄目だったわけ?」
未遂だったのか、と会長さんが訊くと。
「ぼくが救出しちゃったんだよ、非常事態だと気付いたからね!」
精神統一中の彼の思念をキャッチした、と自分の能力の高さを誇るソルジャー。
「シャングリラ中の誰も気付いていなかったけどね、ぼくだけは!」
「…それで?」
「可哀相だから駆け付けてあげたよ、瞬間移動で!」
でもって個室の鍵をガチャリと開けた、という発言。外側からなら開けられたそうで、ソルジャーが開けたその瞬間に、中にいた男性はまさに瞬間移動の直前だったという話で。
「あと三秒ほど遅れていたら、もう間違いなく出ていたね! 瞬間移動で!」
この道のプロだからこそ分かる、とソルジャーはハッキリ証言しました。
「だから言えるんだよ、タイプ・ブルー以外でも瞬間移動が出来ないことは無いってね!」
ただし極限状態でないと無理そうだけど、と深い溜息。
「あれ以外に例は見たこともないし、報告だって上がってこないし…。でもねえ…」
唯一の例がアレでは可哀相で報告できやしない、と言うソルジャー。おまけに瞬間移動の寸前だった男性に「出来そうだった」との自覚はゼロらしく、ゆえに未だに「出来ない」と言われる瞬間移動。現場がトイレじゃ仕方ないですかね、誇れる場所ではないですしねえ…?



ソルジャーが目撃していたらしい瞬間移動未遂なるもの。「トイレから瞬間移動で脱出未遂は恥ずかしいだろう」と考えたソルジャーのお蔭で報告はされず、今も誰一人知らない話。やりかけていた人もそうだと気付いていなかったのでは、これはもう…。
「…タイプ・ブルー以外には出来ないと思われていても仕方ないだろう?」
瞬間移動、というソルジャーの言葉に頷くしかない私たち。でもでも、出来そうだった人は確かにいたわけですね?
「その点はぼくが生き証人だよ、ちゃんと現場を見たんだから!」
瞬間移動のプロのぼくが、とソルジャーが言い切り、会長さんが。
「ちなみに、タイプは何だったんだい? そのトイレの人のサイオン・タイプ」
参考までに聞きたいんだけど、という質問は多分、会長さんもソルジャーだからでしょう。サイオンを持った仲間たちを纏める最高責任者みたいなものだけに、他の世界で起こったことでも頭に入れておきたい、と…。
「ああ、彼かい? ごくごく平凡、タイプ・グリーンだよ」
ハーレイと同じ、とソルジャーの答え。
「どうせだったらハーレイにやって欲しかったねえ、栄えある瞬間移動未遂、第一号は!」
「…トイレでかい?」
「別にトイレでもかまわないじゃないか、どうせ助けるのはぼくなんだから!」
それに知らない仲でもないし…、とソルジャー、ニコニコ。
「ハーレイがトイレに閉じ込められていたら、もちろん助けて、御礼に一発!」
「…それもトイレで?」
「たまにはトイレも刺激的だよ、まだトイレではヤッてないけど!」
「やらなくていいから!」
そしてその先は言わなくていい、と柳眉を吊り上げた会長さんですが、「待てよ?」と顎に手を当てて…。
「…栄えある第一号がハーレイねえ…?」
「いいと思うんだけどね、残念なことに他人がやってしまったけどね!」
第一号の座を持って行かれた、とソルジャーは悔しそうですけれど。
「うん、分かる。でも、それは君の世界に限定だから…」
「えっ?」
「こっちの世界じゃ、第一号はまだ出ていないんだよ!」
誰も瞬間移動未遂はやっていない、と会長さん。その通りですけど、それが何か…?



私たちの世界では誰もやっていない、タイプ・ブルー以外の瞬間移動や瞬間移動未遂。ソルジャーの世界ではトイレに閉じ込められたタイプ・グリーンの男性が第一号だそうですが…。
「第一号の座、こっちじゃ空席のままだってね! 此処で一発、脱出マジック!」
「「「へ?」」」
なんのこっちゃ、と会長さんの顔をポカンと見詰めたら。
「決まってるだろう、タイプ・グリーンがやったというなら、同じタイプ・グリーンの人間がこっちにも一人!」
それもブルーが第一号の座に着け損なったハーレイが! と拳を握る会長さん。
「極限状態に置かれた場合は出来るというなら、イチかバチか!」
「かみお~ん♪ ハーレイがやってくれるの、脱出マジック?」
見てみたぁ~い! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「えとえと、鎖と手錠で鉄の箱がいいな、海にボチャンは無理かもだけど…!」
「そこまでやったら大袈裟だしねえ、普通に閉じ込めだけでいいかな」
トイレの代わりにトイレ無しで…、と妙な発言。
「「「トイレ無し?」」」
どういう意味だ、と目を見開いた私たちですが、会長さんはニヤニヤとして。
「トイレ無しだよ、文字通りだよ! トイレに行くなら脱出しろと!」
仮設トイレもつけてやらない極限状態! と突き上げる拳。
「鉄の箱に入って貰う前にね、「頑張ってね」と栄養ドリンク! ただし、下剤入り!」
「「「うわー…」」」
嫌すぎる、と誰もが思った下剤入り。それでトイレの無い空間に閉じ込められたら…。
「ほらね、出るしかないってね! 瞬間移動で!」
上手くいったら記念すべき第一号の座に輝けるであろう、と会長さん。
「トイレのためにと脱出したって、脱出には違いないわけで…。トイレから脱出するってわけでもないから、きちんと記録も残せるわけで! 第一号と!」
「…それは分かるけど、第一号になれるっていうだけで入るかい?」
こっちのハーレイが脱出マジック用の箱なんかの中に入るだろうか、というソルジャーの疑問に、会長さんは自信たっぷりに。
「入るね、餌はこのぼくだからね!」
もう喜んで入る筈だ、と言ってますけど、会長さんが餌って、何をすると…?



ソルジャーの世界では第一号の座を名も無い男性が持って行ってしまった、タイプ・ブルー以外の瞬間移動未遂。私たちの世界では例が無いだけに、第一号を教頭先生にやらせようというのが会長さんの案ですけれど。
鉄の箱に入れて脱出マジックもどき、トイレ無しで事前に下剤つき。下剤の件は沈黙を守っておけばいいとしても、教頭先生がチャレンジなさるとは思えません。なのに会長さん曰く、喜んで入るらしい教頭先生、餌は会長さんなのだとかで。
「ぼくが餌だよ、これで釣れなきゃハーレイじゃないね!」
「何をする気さ、君が餌って?」
「それはもちろん! 脱出に見事成功したなら、ぼくと熱くて甘い一夜を!」
「「「ええっ!?」」」
いいんですか、そんな御褒美を出したりして?
「お、おい…! あんた正気か、成功なさるかもしれないんだぞ…!」
キース君が突っ込み、シロエ君も。
「そうですよ、前例はあったと言うんですよ!? 記録に残っていないというだけで!」
「しかもトイレだぜ、その時よりも遥かにトイレが切実な極限状態じゃねえかよ!」
トイレ無しで下剤つきなんだから、とサム君は真っ青。なにしろ会長さんに惚れて今でも公認カップル、教頭先生に盗られてたまるかといった所かと思いますが…。
「別にいいんだよ、成功しても! 熱くて甘い一夜なだけだし!」
会長さんはケロリとした顔、ソルジャーが「うーん…」と。
「信じられない話だけどさ…。君が自分からハーレイと…」
甘い一夜を過ごすだなんて、とソルジャーも首を振ったのですけど。
「えっ、単なるお汁粉パーティーだけど? 他におぜんざいとか、チョコレートフォンデュも!」
「「「チョコレートフォンデュ?」」」
「そうだよ、今が美味しいシーズン! 寒い冬にはお汁粉とかで!」
熱くて甘い夜を過ごそう! と会長さんは勝ち誇った笑み。つまりは本当に甘いんですね、お砂糖とかの甘みたっぷり、それを徹夜で食べまくると…。
「うん、ハーレイにとっては地獄の一夜! 甘い食べ物は苦手だからねえ!」
でも二人なら喜んで食べてくれるであろう、と恐ろしい罠。教頭先生、何か勘違いをして釣られそうですけど、脱出マジックに成功したなら、苦手な甘い食べ物で熱い徹夜パーティーと…。



かくして決まった、教頭先生の脱出マジック。鉄製の箱はシャングリラ号でも使う丈夫なコンテナを転用、外からガシャンと鍵をかければ絶対に開かない仕組みらしいです。それを会長さんのマンションの屋上に設置、教頭先生に入って頂くとかで…。
「そうと決まれば、早速、ハーレイに話をつけないとね!」
もう今夜にでも、と会長さんの鶴の一声、私たちは家へと帰る代わりに会長さんのマンションへ揃って瞬間移動。豪華寄せ鍋の夕食の後で、会長さんが時計を眺めて。
「そろそろいいかな、ハーレイも食後の休憩タイムに入ったからね」
「らしいね、コーヒーを淹れているしね」
ソルジャーも「よし」と。後はお決まりの青いサイオン、教頭先生の家のリビングへと瞬間移動で飛び込んで行って…。
「な、なんだ!?」
仰天しておられる教頭先生に、会長さんが。
「ちょっとね、君に提案があって…。脱出マジックに挑まないかい、鉄の箱から瞬間移動で外へ出られたら大成功な!」
「しゅ、瞬間移動と言われても…。それはタイプ・ブルーにしか出来ないだろう…!」
「現時点ではね。…それがね、ブルーの世界で成功しかけた人がいるらしくって…」
君と同じタイプ・グリーンの男性、と会長さん。
「非公式記録で、ブルーしか知らないらしいんだけど…。個室のトイレに閉じ込められちゃって、其処から出たい一心で!」
「…トイレなのか?」
「らしいよ、閉じ込められてるってコトに気付いて貰えるまでに何時間かかるか謎って状況! 自分で出なけりゃ、そのままトイレの中だからねえ…」
ある意味、一種の極限状態、と会長さんがソルジャーに「ねえ?」と。
「そういうこと! たまたま、ぼくが発見したから救出したけど…。あと三秒ほど遅れていたなら、彼は立派に瞬間移動をしていたね!」
場所がトイレだったから彼の名誉のためにも伏せておいた、とソルジャーは笑顔。
「だからね、君も頑張れば出られると思うんだよ! しかも出られたら豪華な御褒美!」
「…御褒美…ですか?」
何か貰えるというのでしょうか、と怪訝そうな教頭先生に向かって、会長さんが。
「ぼくとの甘い一夜だけど? 冬の夜は何かと冷えるしねえ…」
ぼくと一晩、という甘い一言、教頭先生が脱出マジックを承諾なさったのも無理はないかと…。



脱出マジックは週末の土曜日、私たちは朝から会長さんのマンションに出掛けてゆきました。屋上でやるイベントなだけに防寒対策はバッチリです。
「かみお~ん♪ もう鉄の箱、準備出来てるの!」
それにハーレイもブルーも来てるよ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎え。教頭先生は少しでも身体を軽くしたいのか、スポーツ用の防寒ウェアを着用、ソルジャーは普通にセーターの上から厚手のコートという私服。
会長さんもソルジャーと似たようなもので、「じゃあ、行こうか」とゾロゾロ、エレベーターで屋上へ行けば…。
「「「うわあ…」」」
ドカンと置かれた鉄製のコンテナ、会長さんとソルジャーが言うには「宇宙空間に放り出しても潰れない」という頑丈さ。けれども換気用の設備は一応あるのだそうで…。
「だから、何時間入っていたって窒息の心配は無いってね! 要は気合で!」
頑張って脱出してみたまえ、と会長さん。教頭先生はコンテナをコンコンと叩いてみて。
「…アレか、シャングリラ号で一番分厚いヤツなのか、これは?」
「そうだけど? でもねえ、同じ瞬間移動で脱出するなら、このくらいの壁を景気よく!」
それでこそ記録にもなるというもので…、と会長さんは笑みを浮かべて「はい」と栄養ドリンクの瓶を差し出しました。
「こういう時にはファイト一発! これを飲んでタフなパワーをつけて!」
「すまんな、朝飯はしっかり食べて来たのだが…。お前の心遣いが実に嬉しいな、うん」
これは頑張って脱出せねば、と教頭先生はドリンクを開けて一気飲み。…あれって下剤入りなんですよね、蓋は閉まってたみたいですけど…。
『ぼくにかかれば、未開封でも下剤くらいは入れられるんだよ! 簡単に!』
会長さんから届いた思念は、教頭先生にだけは届かなかったみたいです。空になったドリンク剤の瓶を「御馳走様」と会長さんに返して、颯爽とコンテナに入ってゆかれて。
「よし、準備はいいぞ。閉めてくれ」
「かみお~ん♪ ハーレイ、頑張ってね~!」
脱出マジック、とっても楽しみ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がワクワク飛び跳ねている中、柔道部三人組がコンテナの扉をガシャンと閉めて、会長さんが鍵をガチャリと。
これでコンテナの中は密室状態、蟻も出られないらしいですけど、教頭先生のサイオンは果たして発動するんでしょうか…?



タイプ・ブルーにしか出来ないと噂の瞬間移動。ソルジャーの世界では非公式ながらタイプ・グリーンの男性が成功しかかったという話、私たちは鉄製のコンテナを見守りました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「成功したら報告しなくちゃいけないしね!」と動画を撮影中です。
「ハーレイ、ちゃんと出られるかなあ? 脱出マジックの人みたいに!」
「さあねえ…。ああいう人たちはプロだからねえ、ハーレイの場合はどうなるか…」
それにそろそろ下剤が効いてくる頃だけど、と会長さん。
「即効性ではピカイチなんだよ、もうグキュルルとお腹が鳴っていそうだけどね?」
「うん、鳴ってる。…軽くパニック状態ってトコ」
ソルジャーはコンテナの中をサイオンで覗き見しているようです。
「出ようという気持ちが変化しつつはあるようだけど…。出ないとヤバイという方向へは向かっているけど、サイオンの集中って意味ではどうだろう?」
「…失敗しそうなコースかい?」
ぼくはどっちでもいいんだけどねえ、と会長さんが笑っています。
「成功したなら公式記録で、ハーレイのお株が上がるわけだけど…。ぼくからの御褒美はアレだしねえ? それに失敗しちゃった時には馬鹿にすればいいっていうだけだしね!」
同じタイプ・グリーンとも思えないと呆れてやるだけだ、と言い終わらない内に…。
『と、トイレ!! トイレに行かねばーーーっ!!!』
もう駄目だあ! と響き渡った教頭先生の思念波、歴史的瞬間を見届けようと乗り出した私たちですけれど。
ドオン!! と爆発音が響いて、マッハの速さで駆け抜けて行った大きな人影。「トイレ!」と声の限りに絶叫しながら。
「…い、今の…」
教頭先生? とジョミー君が目をパチクリとさせて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「…えとえと…。コンテナ、穴が開いちゃったあ~!」
こんなの、脱出マジックじゃない~! と指差す先には穴が開いたコンテナ、極限状態のサイオンで破壊されたようです。



「…こう来たか…。脱出マジックは失敗だね、うん」
せっかく下剤で緊迫感を盛り上げたのに、と会長さんがフウと溜息、ソルジャーが。
「再挑戦はあるのかい?」
「ハーレイ次第ってトコかな、多分、やるだけ無駄だろうけど…」
こういうオチにしかならないと思う、と会長さんはスッパリと。やっぱり瞬間移動はタイプ・ブルーしか出来ないってことになるんでしょうか、この結末では…?
「そうなるねえ…。ブルーの世界でも非公式記録だし、ぼくたちの世界じゃこの有様だし…」
脱出マジックはプロに限るよ、と会長さんが言い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「普通の人でも出来ちゃうのに~! ハーレイがやったら、記録になるのに~!」
やっぱりコンテナが海にドボンなコースでないと本気で脱出できないのかなあ? とガッカリしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」は未だに気付いていないようです。瞬間移動と脱出マジックは全く違うということに。
「…教頭先生でもアレってことはさ、ぼくがやってもさ…」
「似たようなコースだと思うぜ、やめとけよ、ジョミー」
脱出マジックも瞬間移動もプロに任せておくとしようぜ、とサム君の意見。私たちもそう思います。教頭先生、再チャレンジはするだけ無駄です、次も絶対、下剤でトイレなオチですってば~!



          脱出する方法・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 教頭先生が挑むことになった脱出マジック、見事に失敗。破壊して出ればいいんですしね。
 実際は、アニテラのマツカがやっているので、タイプ・グリーンなら出来てしまう可能性も。
 さて、シャングリラ学園番外編、今年で連載終了ですので、残り一年となりましたが…。
 毎日更新の場外編は続きますので、シャングリラ学園生徒会室の方も御贔屓下さい。
 次回は 「第3月曜」 2月21日の更新となります、よろしくです~!
 パソコンが壊れたため、実際のUPが2月5日になったことをお詫びいたします。
 修理期間中、「シャングリラ学園生徒会室」の方で、経過報告を続けていました。
 予告なしに更新が止まる時があったら、そちらのチェックをお願いします。

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、1月は元老寺で迎える元日から。檀家さんの初詣があって…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv








(折れちゃってる…)
学校の帰りにブルーが気付いたもの。バス停から家まで歩く途中で。
ポキリと折れてしまった小枝。道端の生垣の木の枝が一本だけ。折れているから、目に付いた。変な形に曲がっていたから。
(んーと…)
 萎れていないし、折れたばかり、と眺めるけれども、元には戻りそうもない。木の力では。枝は不自然に曲がってしまって、その皮だって少し浮いているから。皮が外れてしまえば、もう駄目。
(子供が悪戯したのかな?)
グイと引っ張ったら、力を入れすぎて折れてしまったとか。遊んでいて何かをぶつけたとか。
 花が咲いているわけでもないから、欲しがるとも思えない小枝。綺麗な花を咲かせているなら、持って帰ろうとする子供だっていそうだけれど。欲しかったのに、折り損なった枝。
 木の枝が丈夫に出来ていたなら、上手く折れないこともあるから。折っても木から外れない枝。皮が強くて、引き千切れなくて。
 けれど、そうではないらしい枝。花も蕾もつけていない小枝。
(可哀相…)
 折れちゃったなんて、と小さな枝を見詰める。
 この枝は今年、伸びたばかりの枝なのに。焦げ茶の幹とは違った緑色の皮。それで今年の枝だと分かる。冬を越したら、皮は焦げ茶に変わるから。
 せっかく今日まで伸びて来たのに、折れてしまって、もうくっつかない。このまま萎れて枯れてゆくだけ。折れた枝には、水も栄養も届かないから。
 この枝は道の方にあるから、家の人だって折れているとは気付かない。庭から見えるのは元気な生垣、何処も折れてはいない側。わざわざ外まで調べに出たりするとは思えない。
 花の手入れをするのだったら別だけれども、毎日毎朝、隅から隅まで点検してはいないだろう。折れているな、と気付いて貰えない小枝。
 すっかり枯れてしまうまで。葉っぱも茶色く枯れてしまって、一目で分かるようになるまで。



 今はまだ、他の枝と区別がつかない小枝。不自然に曲がっているのを除けば。
 けれども、もう水は届かない。栄養だって幹からは来ない。このまま萎れて枯れるしかない。
(そしたら、ゴミになっちゃって…)
 枯葉や咲き終わった花と同じで、家の人に取り除かれるだけ。生垣の見栄えが悪くなるのだし、きちんと手入れをしなくては、と。枯れているのを見付けたら。
 こんな風に折れてしまわなかったら、育って生垣を濃くしたろうに。来年には立派な焦げ茶色の皮、それを誇らしげに纏った枝に変身して。折れる代わりに、適当な長さに剪定されて。
 枝だって、きっとその日を夢見て、今日まで頑張って伸びて来たのに。もっと大きく、と。
(頑張ってたのに、折れちゃって…)
 家の人にも気付かれないままで、枯れてゆくしかない小枝。折れた枝は元に戻らないから。どう頑張っても、元のようにはくっつかないから。
(誰も気付いてくれないままで、枯れちゃうなんて…)
 可哀相だよ、と思った途端に、重なった前の自分たちの姿。人類に忌み嫌われたミュウ。
 人類の社会からは見えない所で、ミュウたちは処分されていた。存在してはならないから。処分するのが正しいやり方だから。
 この枝も折れてしまったからには、枯れるしかなくて、枯れた後にはゴミと同じ扱い。ゴミ箱にポイと放り込まれて、それでおしまい。
 もしかしたら、堆肥に利用されるかもしれないけれど。この家の人が堆肥を作っていれば。
 堆肥になるなら、枝は無駄にはならないけれど…。



 生垣の向こうを覗いてみたって、見付からない堆肥を作る場所。こうして道から見える庭では、堆肥を作りはしないけれども。
(…堆肥にしないなら、ゴミで処分で…)
 それは嫌だ、という気持ち。ミュウたちの姿が重なるから。前の自分が生きた時代は、ミュウに生まれたら、ゴミと同じに扱われたから。
(普通の人たちの目に入らないように、排除しちゃって処分だったよ…)
 この枝だって、そうなっちゃう、と思い始めたら、もう止まらない。この枝はまだ緑色だから。折れたばかりで、葉っぱは生きているのだから。
 まだ萎れてはいない、折れた枝の葉。「生きているよ」と、枝の声が耳に聞こえるよう。
 生きているなら、生きられる限りは生かしてやりたい。このまま枯れて、ゴミになるより。
(持って帰って…)
 コップの水に生けてやったら、もう何日かは生きられる筈。幹からの水はもう届かないけれど、代わりの水を吸えるのだから。
(この枝が自分で頑張る間は…)
 別の場所でも生きられる。生垣からも、元の幹からも、ぐんと離れてしまっても。
 よし、と鞄から取り出したハサミ。今日は学校で使うから、と持って出掛けて行ったから。
 手では上手く折れそうにない枝なのだし、ハサミで切るのがいいだろう。無理に引っ張るより、ハサミでチョキンと。
 幸い、そんなに力を入れずに切り取れた枝。折れた場所から、チョンと上手に。



 大丈夫かな、と手にした小枝。弱っていないといいけれど、と。
(頑張って生きてね…)
 すぐにお水をあげるから、と大切に持って帰った枝。「ぼくと一緒に帰ろう」と。時の彼方で、前の自分がミュウの子供にそうしたように。
 人類に処分されそうになったミュウの子たちを、シャングリラに連れて帰ったように。
 枝と一緒に家に着いたら、一番最初に母の所へ。洗面所で手を洗うより先に。
「ママ、これ…」
 見てよ、と差し出した小枝。キッチンにいた母に。
「あら、どうしたの? その枝、誰かに頂いたの?」
「違うよ、帰りに見付けただけ。途中でポキンと折れちゃってた…」
 放っておいたら枯れてしまうよ、それだと可哀相だから…。まだ生きてるのに…。
 お願い、何かに生けてあげて、と母に頼んだ。「コップの水でいいから」と。母は「見せて」と手に取ったけれど、枝を暫く眺めてから。
「この枝だったら、生きられそうよ」
「え?」
 思わぬ言葉にキョトンとした。生きられるとは、どういう意味だろう?
「大丈夫。強い木なのよ、この枝の木は。…だから挿し木に出来ると思うわ」
 ブルーも挿し木は知っているでしょ、ちゃんと根が出て枝から小さな木に育つのよ。
「ホント?」
 この枝、もう一度生きていけるの?
 折れておしまいになるんじゃなくて…?
「ええ、そうよ。上手く育ったら、うちの生垣に入れてあげてもいいわね」
「生垣って…。ホントのホントに、また生きられるの?」
 元の木よりも、ずっと小さくなるけれど…。この枝のサイズの木になっちゃうけど。
「生きられる筈よ、丈夫な木だから」
 折れて暫く経っているなら、お水が足りなくなってるから…。
 その分を吸わせてあげてから、挿し木にしなくちゃね。ママに任せておきなさいな。
「ありがとう、ママ!」
 持って帰って良かったよ、枝…。また生きられるんだね、枯れちゃわないで…!



 良かった、と母に笑顔で御礼を言った。枝を生かしてくれるのだから。思いがけない方法で。
(挿し木だなんて…)
 まるで思いもしなかった。折れた小枝が、そのまま新しい木に育つだなんて。
 制服を脱いでダイニングにおやつを食べに行ったら、テーブルにあった一輪挿し。持って帰った小枝を挿して、水を吸わせている最中。
 おやつのケーキを頬張りながら、それを眺めては幸せな気分。「生きられたね」と。
 折れたままで放っておかれたならば、枯れてしまってゴミだったのに。葉っぱが萎れて、枯れて縮んで、「みっともない」と取り除かれて。
 なのに、生き延びられそうな小枝。頑張って水を吸いさえしたら。挿し木になって、根を何本も生やしたら。
 ホントに良かった、と小枝に微笑みかけて、戻った二階の自分の部屋。おやつの後で。ケーキも紅茶も、美味しく食べて大満足で。
 勉強机の前に座って、思い浮かべた小枝のこと。母が挿し木にしてくれる枝。
(あんな風に、ミュウも生きられたなら…)
 前の自分が生きた時代に生まれたミュウたち。ミュウだというだけで殺されていった。
 折れてしまって枯れた木の枝を、「みっともない」と取り除くように。ミュウは異分子で、あの時代にはゴミのように処分されておしまい。
 誰も生かしてはくれなかった。折れた小枝をコップに挿したり、挿し木で生かすような風には。
 生かしてくれたら良かったのに、と思うけれども、駄目だった。
 人類はミュウを処分しただけ。ミュウの存在が知られないように、密かに、ゴミ同然に。ゴミが社会を汚さないよう、美しく保ってゆけるよう。
 処分という形を取らないのならば、実験で殺した。やはり同じに、虫けらのように。
 死んでも弔ったりはしないで、ゴミのように捨てていっただけ。ゴミさながらに袋に詰めて。



 アルタミラの檻では、死んだ仲間がどうなったのかも知らずに生きていたけれど。考えることも無かったけれども、脱出してから色々と知った。アルタミラのことも、他の星でのことも。
 白いシャングリラが潜んだアルテメシアでも、ミュウは見付かったら殺されるだけ。SD体制の社会の不純物として。人間扱いされもしないで、処分されただけ。
(酷いよね…)
 何処の星でも、命を奪われていったミュウたち。ミュウに生まれたというだけのことで。
 ただ殺されてゆくだけのミュウを、誰も守ろうとはしなかったろうか?
 今日の自分が、折れた小枝を救ったように。ゴミになろうとしていた命に、新しい木へと生まれ変わる道を開いて助けたように。
(一人くらいは…)
 ミュウの理解者がいたっていいと思うのに。ミュウも人だと、人類と同じ命を持っているのだと考える誰か。助けなければ、と思ってくれる人間。あんな時代でも、一人くらいは、と。
 けれど、出会わなかった理解者。
 ミュウに手を差し伸べてくれた人類。「ミュウも人だ」と、「命の重さは同じ筈だ」と。
 そう考える人類が一人でもいれば、きっと歴史は変わっただろう。
 もっと早くに、赤いナスカが燃えるよりも前に。
 …もしも理解者がいたならば。ミュウを救おうと、誰かが声を上げてくれたら。
 前の自分は、ついに出会いはしなかったけれど。ミュウの理解者など、一人も知らないけれど。
 それとも自分が知らなかっただけで、何処かの星にはいたのだろうか?
 ミュウを救おうとした人類が。…救えないままで、その人の命が終わっただけで。



 どうなのだろう、と考えていたら、聞こえたチャイム。
 仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、早速訊いてみることにした。テーブルを挟んで、向かい合わせで。
「あのね、ハーレイ…。ミュウの理解者って、いたのかな?」
「はあ?」
 理解者も何も…、と鳶色の瞳が丸くなった。「今は誰でもミュウなんだが?」と。
「それは分かっているってば。前のぼくたちが生きてた頃の話だよ」
 あの頃は、ミュウは見付かったら処分されるだけ。…そうでなければ、研究施設に送って実験。
 どっちにしたって、殺されるしか無かったんだけど…。
 あんな時代でも、ミュウを助けようとした人類が誰かいたのかな、って…。
 ミュウだって同じ人間だから、って命を助けようとした人。
「無いな、そういう記録はな」
 前の俺も知らんし、俺だって知らん。…歴史の授業にも出ないだろうが。
「やっぱり、そうなの?」
 そういう人間、何処にもいないままだったの…?
「当然だ。お前だって覚えが無いだろう?」
 前のお前だ、そんな記憶は無い筈だ。人類に命を助けられたという記憶。
「助けられるって…。シャングリラはいつも隠れていたよ」
 アルテメシアだと雲海の中で、それよりも前は人類の船を避けて宇宙を旅してたから…。
 人類に助けて貰うようなことは、最初から起こりもしないんだけど…?
「シャングリラじゃない。…その前のことだ」
 あの船で逃げ出すよりも前だな、アルタミラにあった研究所。
 お前は誰よりも長い時間を檻で過ごしていたんだが…。実験ばかりされていたんだが…。



 誰か助けてくれたのか、と尋ねられた。「子供の姿をしていたんだし、有利そうだが」と。
 育ってしまったハーレイたちより、助けて貰えそうな印象ではある、と言われたけれど。子供の姿のままで成長を止めてしまって、長く過ごしていたのだけれど…。
 人類たちの反応はと言えば、恐れられたか、蔑まれたか。子供の姿をしていても。
 ミュウの力に目覚めた時から、その瞬間から。
「…誰も助けてくれなかったよ、最初から。…いきなり銃で撃たれちゃった」
 ぼくの力が目覚めた途端に、大人が大勢駆け込んで来て。
 何もしてない、って言ったのに…。話も聞こうともしないで撃ったよ、一斉に。
 機械の側についてた看護師さんだって、「殺さないで」って震えてただけ。
 ぼくを化け物だと思ってたんだよ、優しそうな看護師さんだったのに…。
「ほら見ろ、それが全てだってな」
 人類には理解出来ない力を持ってる、もうそれだけでミュウは化け物なんだ。
 化け物を守る必要は無いし、守るよりは退治しなくちゃいかん。…相手は化け物なんだから。
 前の俺だって、誰も優しくしちゃくれなかった。俺も最初は十四歳のガキだったのに。
 いくらデカくてもガキはガキだが、それよりも前に化け物だからな。
「どうしてだろう…。子供でも化け物扱いだなんて…」
 一人くらいは、分かってくれても良さそうなのに…。
 ミュウもおんなじ人間だ、って。…違う力を持っているだけの。
「お前の言いたいことは分かるが…。どうして、そういう考えになった?」
 分かってくれる人間がいれば、なんていう妙な話に。
 いきなりすぎるぞ、何処から思い付いたんだ?
「えっとね…。今日の帰り道に…」
 折れてる枝を見付けたんだよ、まだ若い枝。今年伸び始めたばっかりの。
 その枝、ポキンと折れちゃってて…。



 ミュウの姿と重なったのだ、と木の枝を助けた話をした。
 少しでも長く生きられたなら、と持って帰った小枝の話を。コップの水に生けてやろうと。
「ぼくはそのつもりだったんだけど…。ママに見せたら、生きられるって」
 挿し木が出来る木なんだって。だからね、ママが挿し木にしてくれるんだよ。
 今は一輪挿しの中。お水が足りなくなっていたなら、挿し木したって弱っちゃうから。
「それはいいことをしたなあ、お前」
 枝にとっては命の恩人というヤツだ。折れて死んじまう所を、助けて貰ったんだから。
「ぼくも生きられるとは思わなかったよ、新しい木に育つだなんて」
 ちょっぴり命が延びたらいいな、って思って持って帰って来たのに…。お水だけのつもりで。
 だからね、そんな風にミュウの命だって…。
 助けて貰えなかったかな、って。…誰か一人でも、助けようと思ってくれる人。
「そいつは難しかっただろうな。前の俺たちが生きてた頃だと」
 今の時代とは、考え方そのものが違うんだ。今と同じに考えちゃいかん。
「考え方って…?」
「前の俺たちのようなミュウはともかく、人類の社会が問題だ」
 人類は成人検査をやってたんだし、家族すらも紛い物だった。子供を育てるためだけの。
 目覚めの日が来たら、子供時代の記憶をすっかり消してしまっていたんだぞ?
 機械に都合がいいように。…社会に疑問を抱かないように、従順な人間に仕上げるために。
 そんな世界では、教え込まれたらおしまいだってな。
 人類以外は要らないんだ、と。他の種族は排除すべし、と教えられたら誰もが従う。
 折れた木の枝を助けようと思うヤツはいたって、ミュウとなるとな…。
「木の枝は人類でも助けるの?」
 折れちゃっていたら、ぼくみたいに…?
「そうするヤツもいるだろう。折れているな、と気が付いたなら」
 基本は優しく出来ていたんだぞ、人類だって。
 そうでなければ子供は育てられんし、社会だってギスギスしちまうだろうが。



 人類もペットを可愛がったりしていただろう、と言われればそう。人類以外の命も大切にして、家族同然に面倒を見たりしていたもの。犬やら猫やら、小鳥やらを。
 本当は優しいのが人類ならば、アルタミラで出会った研究者たちも、家に帰れば子供がいたかもしれない。彼らの帰りを待つ子供が。
「アルタミラにいた研究者…。子供、いたかな…」
 家に帰ったら、待ってる子供。研究者が子供を育てていたって、おかしくないよね?
「いたかもしれんぞ、お前が言う通り」
 研究所に所属してるってだけで、そいつはただの職業だから…。
 養父母としての顔も持つつもりならば、出来ないことはなかっただろう。
「それじゃ、前のぼくたちに酷い実験をした後、家に帰って…」
 ただいま、ってドアを開けたわけだね、そういう人は。…子供が待っていたのなら。
「そうなるなあ…。まるで想像出来なかったがな、実験中の姿からは」
 だが、人類の世界の中では、いい父親というヤツなんだろう。
 可愛がっただろうな、自分の子供を。「いい子にしてたか?」と抱き上げたりして。
「…その子がミュウになっちゃったら?」
 とても大事にしていた子供が、ミュウに変わってしまったら…。
 研究者なのは同じだけれども、理解者になっていなかった?
 だって、自分が大事に育てた子供が、ミュウだっていうことになるんだから。
 あの時代だと、成人検査を受けた子供だけが、ミュウに変化していたみたいだけれど…。
 子供は記憶を消されているけど、親の方は子供を覚えているでしょ?
 研究所の檻に自分の子供がいたなら、ミュウもおんなじ人間なんだ、って考えそうだよ?
「…そういうことなら、理解者になっていたかもしれん」
 いや、理解者になったことだろう。化け物じゃないと、親には分かっているんだから。
 しかし、そうなる前にだな…。
 親の方の記憶も、機械が処理してしまっただろう。子供のことを忘れるように。
 顔を見たって、それが誰だか気付かないように。
「そうなのかも…」
 機械ならやるよね、そのくらいのこと…。記憶を処理する機会は幾らでもあるんだものね。



 あの時代ならば、充分、有り得ただろう。
 研究者たちが育てていた子がミュウになったら、親の方の記憶も処理すること。彼らが育てた、大人の社会へ送り出したつもりでいた子供。…その子に関する記憶を消してしまうこと。
 記憶を処理され、忘れてしまえば、もう分からない。
 実験用のガラスケースの向こうに、自分の子供がいたとしても。ついこの間まで、ありったけの愛を注いで、大切に育てていた子供でも。
「ハーレイ、それって酷すぎるよ…」
 本当にあったことだとしたなら、研究者も子供も可哀相…。
 自分の子供に、そうだと知らずに酷い実験をしていたなんて…。
 実験されてた子供の方でも、大好きだったお父さんに殺されちゃうなんて…。
 どちらにも記憶が無かったとしても、ホントに酷すぎ。…お父さんが子供を殺すだなんて。
「確かにな。酷いし、なんとも惨い話だ。…考えただけで」
 もしかしたら、の話だが…。
 そいつの収拾がつかなくなって、アルタミラを滅ぼしちまったかもな。…グランド・マザーは。
「えっ…?」
 それって何なの、どういう意味?
「アルタミラでメギドを使ったことだ。どうして星ごと滅ぼしたのか」
 あそこで大勢のミュウが生まれたのは間違いないが…。凄い数だったことも確かだが…。
 それだけだったら、端から殺していけばいい。ミュウに変化した子供を全部。
 他の星へ送って実験動物にするんだったら、沢山いたって問題は無いと思わないか?
 何も星ごと滅ぼさなくても、方法は他にありそうだ。ミュウを始末するというだけだったら。
 アルタミラの真相は今も分からん。
 だが、今の話から、俺が思い付いたことなんだが…。



 あくまで俺の考えだぞ、とハーレイはきちんと前置きをした。「単なる想像に過ぎないが」と。
「いいか、アルタミラにいた研究者だとか、市長だとか…」
 重要な職に就いていたヤツらが育ててた子供。…きっと大勢いただろう。
 そういう子たちが、次々にミュウになってしまったら…。
 アルタミラという育英都市は、いったい、どうなると思う?
「いくら記憶を処理していっても、追い付かないかも…」
 研究者同士で友達だったりするんだから…。
 他の人たちの子供の顔も知っているから、そういう人の記憶も処理しなくっちゃ…。
 市長とかなら、もっと知り合い、増えるしね…。
「それだけじゃない。その記憶処理を命令する立場の人間だっているんだぞ?」
 上の立場になればなるほど、下のヤツらに命令を出すことになってゆくから…。
 指示を出すのは機械にしたって、現場で作業するのは人間だ。ああしろ、こうしろと。
 大勢のミュウの子供が出たなら、立ち止まるヤツがいるかもしれん。記憶を処理する人間たちのリストを見ていて、「これは、あの子のことじゃないか」と。
 自分が一緒に遊んでやった誰かの子だとか、そんな具合で。
 一度気付けば、そいつは慎重になるだろう。明日は我が身になるかもしれん、と。
 気付いちまったら、ミュウの理解者が現れないとは限らない。「ミュウだって同じ人間だ」と。
 ミュウになった子供と知り合いだった、と考えるヤツら。あの子は普通の子供だった、と。
 疑問ってヤツは、生まれちまえば膨らんでゆく。
 それまで自分が信じてた世界、それが嘘かもしれないとなれば。
 疑問を解こうと考え始めて、何処かおかしいとも気付き始める。今の世界はどうも変だ、と。
 ミュウも本当は人じゃないかと、化け物なんかではない筈だ、と。
 間違いに気付けば、自分が正しいと信じる道へと歩き出すのが人間だから…。
 世界が間違っているというなら、それを正そうと努力したりもするだろう?
 あんな時代でも、自分に力があったなら。…自分の意見を発表する場を持っていたなら。



 そうなっちまったからこそ、焼いちまったかもな、とハーレイがついた大きな溜息。
 アルタミラを星ごと消したんだ、と。
「そうかもしれんと思わんか? あそこで殺されたのは、ミュウだけじゃなかったかもしれん」
 自分の子供がミュウになっちまって、ミュウの理解者になりそうなヤツら。
 大きな発言権ってヤツを持ってて、社会を動かすだけの力がありそうだった人間。
 そういう人類たちも一緒に、グランド・マザーが星ごと焼いてしまったかもな。
 前の俺たちが全く知らなかっただけで、あの騒ぎの中で、殺されちまった人類が何人も。
 研究者か、それとも市長やユニバーサルのお偉方といったトコなのか…。
 今の社会は間違っている、と声を上げようとしていたヤツらが、密かに撃ち殺されてしまって。
 保安部隊じゃ出来ない仕事だ、メンバーズでも送り込んで来たかもしれんな。
「そんな…。それじゃ、殺されたのって…」
 ミュウの子供を持ってしまった、お父さんとか、お母さんたち…。
 お父さんの方が気が付いたんなら、お母さんにも話をするものね…。大事な子供のことだもの。
 ミュウと人間は同じなんだ、って気付いて子供を守りたいなら。
 そういう優しかった人たち、それを殺してしまったわけ?
 星ごとメギドで焼いたんだったら、事故に見せかけることも出来るから…。
「…あくまで俺の想像だがな」
 前の俺でさえ、真相は知らん。
 テラズ・ナンバー・ファイブを倒して引き出したデータに、其処までは入っていなかった。
 どうしてメギドを使用したのか、その理由までは。
 今の時代も同じに分からん、グランド・マザーが持ってたデータは地球ごと燃えちまったから。
 実はそうだったのかもしれないな、と俺が考えているだけのことだ。
 根拠なんかは何処にも無い上、証拠だって何処からも出て来やしないさ。…今となっては。
「そっか…」
 前のハーレイでも知らなかったなら、今の時代に研究したって無駄だよね…。
 学者たちが謎を解こうとしたって、手掛かりは残っていないんだから。



 ハーレイが語った、アルタミラがメギドに焼かれた理由。
 あの星でミュウの理解者たちが生まれて、声を上げようとしていたのかも、という話。
 彼らが大切に育てた子供が、成人検査でミュウになったから。
 ミュウも人類と同じに人だ、と彼らは気付いて、子供たちを守ろうと考えたから。
(…研究所にだって、手を回したかも…)
 自分の子供が実験動物にされないように、と懸命に。研究所のデータを書き換えてでも。
 人類も基本は優しいのだから、自分の子供は守りたい。皆が「化け物だ」と言っていたって。
 SD体制の時代を統治する機械、それが「殺せ」と命令したって。
(…ミュウになった子供の、お父さんとか、お母さん…)
 研究者たちや、市長や、ユニバーサルの実力者たち。彼らがそうなら、守っただろう。化け物にされてしまった子供を。…成人検査に送り出すまで、大切に育てて来た子供たちを。
 機械が、社会が「殺せ」と言うなら、そういう社会を変えればいい。
 「ミュウも人だ」と認めるように。ミュウが殺されない、正しい世界に。
 そういう人々が生きた星なら、グランド・マザーがメギドを使って消したのも分かる。記憶処理では済まないレベルで、社会が変わろうとしているから。
 放っておいたら、他の星にも飛び火するかもしれないから。
(…本当に、みんな殺しちゃったの…?)
 自分の子供を守ろうとしていた、ミュウの理解者になりつつあった養父母たちを。
 ミュウを化け物と断じる世界の誤り、それに気付いて正そうとしていた人々を、星ごと全部。
 社会的地位のある人間なら、簡単に殺せはしないから。下手に消したら、怪しまれるから。
(…メギドを使うよりも前に、殺してしまって…)
 星ごと焼いたら、何の証拠も残らない。「あれは事故だ」と言い訳も出来る。
 彼らを乗せて脱出した船、それが途中で沈んだとか。エンジンの不調で飛び立てないまま、炎に飲まれてしまっただとか。
 そうしていたって、機械なら消せる事件の真相。
 あらゆるデータを書き換えた上に、彼らを殺したメンバーズたちの記憶も消し去って。
 アルタミラで事故死とされた人たち、彼らの存在自体も何処かで丸ごと消してしまって。



 今も分からない、本当のこと。アルタミラでメギドが使われた理由はいったい何だったのか。
 けれど、アルタミラから後の時代に、あんな惨劇は起こっていない。
 ミュウは変わらず生まれ続けていたというのに、ただの一度も。…何処の星でも。
「…ハーレイの説が合ってるのかな…?」
 アルタミラには、ミュウの理解者がいたってこと。…自分の子供を守ろうとした人たちが。
 それなら分かるよ、アルタミラだけがメギドに焼かれてしまった理由。
 ミュウが爆発的に増えたの、アルタミラだけじゃない筈だから…。
 子供を生み出す交配システムは何処も同じで、ミュウの子供は何処でも生まれていた筈だから。
「さあな? さっきも言ったが、俺の想像に過ぎないわけで…」
 それも今の俺だ。前の俺は疑問を持ちさえしなかったからな、アルタミラの件に関しては。
 引き出したデータで色々分かって、それで満足しちまったから…。
 だから実際、どうだったのかは分からんが…。
 ミュウの理解者が生まれていたのか、宇宙の何処にもいなかったのかは掴めんが…。
 そんな時代でも、前の俺たちは生き延びた。
 一人の理解者も現れなくても、誰も助けてくれなくても、だ。
 それでも俺たちは懸命に前を目指して進み続けて、ついに未来を手に入れたってな。
 …前のお前も、ナスカも失くしちまっても。
 やっとの思いで辿り着いた地球が、まるで青くない死の星でも。
 俺の命も終わっちまったが、立派にミュウの時代になった。
 ミュウというだけで殺されちまった時代は、グランド・マザーと一緒に滅びてしまって。



 理解者はいなくても生き延びられた、とハーレイが言うから、「それは違うよ」と訂正した。
「…前のぼくが生きてた間は、そうだったけど…。ミュウの理解者、いなかったけど…」
 最初にキースが分かってくれたよ、ミュウと人類は同じなんだ、って。
 キースはマツカを助けたんだよ、殺すことだって出来たのに…。
 あれが最初で、ナスカの時だって、マードック大佐が残党狩りをしなかった話は有名でしょ?
 ミュウの理解者は増えていったよ、ナスカから後は。
 シャングリラが地球まで辿り着く頃には、いろんな人類がミュウを助けてくれたんだよ?
 あちこちの星でも、ノアや地球でも。
 キースのメッセージを放送してくれたスウェナもそうだし、キースの部下のセルジュたちも。
「…それはそうだが、ミュウの理解者が大勢現れたのは、だ…」
 時代がミュウの味方をしてくれたっていうことだろう?
 前の俺たちは戦いながら前へと進んでただけで、ジョミーは人類と話し合おうとはしなかった。
 それこそ地球に着く直前まで。
 ミュウは恐ろしい存在だ、と怖がられたって仕方ないのに、人類は分かってくれたんだぞ?
 忌み嫌う代わりに、理解する方へと向かってくれた。
 時代が変わる時だったんだ。…機械の時代から、人の時代に。
 ミュウも人類も、同じ人だと気付く時代に。
 それから長い時が流れて、今じゃすっかりミュウの時代だ。宇宙にはもう、ミュウしかいない。
 誰も殺されたりはしないし、今のお前は木の枝だけを助けていればいいってな。
「木の枝って…?」
「帰りに助けてやったんだろ? ミュウの姿が重なっちまって」
 お母さんが挿し木をしてくれる枝。…折れちまって、枯れる筈だった枝の命をお前は助けた。
 木の枝の命を助ける程度でいいんだ、今のお前の頑張りは。
 前のお前がやったみたいに、命まで捨てて、仲間たちの命を守らなくても。
 お前が必死に頑張らなくても、ミュウは誰でも、幸せに生きてゆけるんだから。
「そうかも…」
 ぼくのサイオン、不器用だけれど、木の枝くらいは助けられるね。
 サイオン、使ってないけれど…。
 ハサミでチョキンと切って帰ったら、ママが木の枝、ちゃんと助けてくれたんだけれど…。



 今のぼくだとサイオンも駄目で、ハサミだったよ、と不器用っぷりを披露したけれど。
 「平和な時代になったからだな」と、ハーレイが微笑んでいる通り。
 前の自分は命を捨ててメギドを沈めたけれども、今の自分は木の枝を救えばいいらしい。学校の帰りに見付けた木の枝、ポキリと折れた枝の命を。
 あの枝にミュウの仲間たちの姿を重ねたけれど。
 ふとしたことから、アルタミラの話になったけれども、今はもうミュウは殺されない時代。
 平和な世界で、あの枝のように元気に生きてゆけるから、ハーレイと幸せに歩いてゆこう。
 生まれ変わって来た青い地球の上で、手を繋ぎ合って。
 折れてしまった枝を見付けたら、助けてやって。
 挿し木するのは無理な枝でも、綺麗な水に生けてやる。
 枝の命が少しでも延びて、緑色の葉っぱと元気を保てるように。
 折れたせいで命を断ち切られないで、ゴミにされずに生きてゆけるよう。
 どんな命にも、幸せでいて欲しいから。
 今の平和な世界だからこそ、折れた枝にも、命の輝きを長く保っていて欲しいから…。




           折れた枝と命・了


※アルタミラがメギドで焼かれた理由は、今でも謎。もしかしたら、というハーレイの推理。
 育てた子がミュウになった人類が、社会を変えようと考えたのかも。彼らを消すための惨劇。

 ハレブル別館は、今年、2022年から月に2回の更新になります。
 毎月、第一月曜と第三月曜を予定しております。
 よろしくお願いいたします~。
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(賢いんだ…)
 カラス、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 今が旬の胡桃、それを割ろうとするカラスたち。中の美味しい実を食べたいから。
 けれど、取り出せない中身。固すぎて割れない胡桃の殻。カラスのクチバシでは歯が立たない。足を使っても、割れてくれない。
 そこで頭を使ったカラス。胡桃を殻ごと咥えて飛んで、固い道路に落としてやる。空の上から。道路も同じに固いわけだし、上手い具合に割れる殻。ヒビが入ってパッチンと。
 一度で駄目なら、二度、三度。咥えて空から落とすのだけれど、それでも頑固に割れない殻も。そうなった時には、其処で待つのがカラスたち。もう自分では割ろうとしないで。
 カラスが待っているのは車。人間が運転してやって来る車。
 それに轢かせたら、どんな胡桃もパチンと割れてしまうから。中の実までが砕け散っても、味が変わりはしないから。
 車が走り去った後には、美味しく食べられる胡桃。クチバシでヒョイと拾っては。砕けた欠片を次から次へと、全部すっかり無くなるまで。
(ずっと昔から…)
 そうやって割っていたらしいカラス。自分では割れない胡桃を運んで。
 まずは道路にぶつけてみる。駄目なら車が来るのを待つ。車は確実に胡桃を割ってくれるから。



 地球が滅びてしまう前から、カラスは胡桃を割っていた。道路で、人間が運転する車で。
 やがて胡桃は自然の中では育たなくなって、カラスたちが飛べる空も無くなった。人間は地球を離れて行ったし、胡桃もカラスも他の星へと。
 そして訪れた機械が統治する時代。前の自分たちが生きていた世界。
 SD体制が敷かれた時代のカラスたちには、青い地球も野生の胡桃も無かった。人間と同じに、保護されて生きていたというだけ。滅びないように。
 SD体制の時代が終わって、長い時が流れて蘇った地球。其処に自然が戻って来たら、カラスは胡桃を割り始めた。ずっと昔のカラスたちがやっていたように。
 面白いことに、そっくりそのまま。森から胡桃をせっせと運んで、道路にぶつけて割ってみる。それでも割れてくれない胡桃は、人間の車に轢かせて割る。
(きっと、車が一番なんだよ)
 そうに違いない、と思った固い胡桃の割り方。固い道路と、其処を走る車で割る胡桃。
 他に便利な方法があれば、それで割ろうとするだろうから。昔のカラスとは違うやり方で。
 サイオンを持たないカラスだけれども、何かいい手が見付かれば。今の時代のカラスたちには、とても似合いの方法が。
(車の他には…)
 何かあるかな、と思った固い胡桃を割れるもの。
 カラスは自分で割れないのだから、道具を使うしか無いだろう。けれど道具を持っていないのがカラスたち。車と道路に頼るしかない。道具が無いなら、その二つに。



 それで車に割って貰うんだ、と納得して帰った二階の部屋。母に空になったお皿を返して。
 勉強机の前に座って、考えてみたカラスたちのこと。今も昔も、車に胡桃を割らせるカラス。
 地球が滅びて蘇った後も、同じことをやっているカラスたち。胡桃を割るなら車が一番、と。
(車よりも上手く割れそうなもの…)
 道具を使えないカラスでも、と考えるけれど、思い付かない。固い胡桃の殻を割るなら、道路でなくても良さそうだけれど。…岩にぶつけても割れそうだけれど。
(岩にぶつけて割れなかったら…)
 次の方法が見付からない。辛抱強く咥えて飛んでは、割れるまで岩に落とすだけしか無い方法。二度や三度では済まなくても。十回ぶつけても割れなくても。
 それに比べて便利な道路。一度でパチンと割れたりもするし、駄目でも車を待てばいい。自分で割るのに疲れたら。「もう嫌だよ」と思ったら。
 田舎の道でも、車は走って来るものだから。「疲れちゃった」と翼を休める間に、車のタイヤが割る胡桃。パチンと、ほんの一瞬で。
(ホントに頭がいいよね、カラス…)
 人間の車を道具の代わりにするなんて。自分の力で割れない胡桃は、車に割って貰うだなんて。
 わざわざ道路に運んで来てまで、人間の車を利用する。多分、車がカラスの道具。固い胡桃を、パチンと楽に割るための。
 同じ胡桃を人間が割るには、やっぱり道具が必要になる。車ではなくて、専用の道具。
(胡桃割り人形…)
 そういう道具があるとは聞いているのだけれども、実物は見たことが無い。同じ名前の、有名なバレエも見ていない。
 人間の自分も胡桃割り人形を知らないのだから、カラスが車を思い付いたのは凄い。固い胡桃を割るなら車、と。
 きっと車が、カラスの胡桃割り人形。カラスにとっては、胡桃割り用の道具なのだから。



 人間の形はしていないけどね、と思った車。胡桃割り人形は人形なのだし、人の姿を真似ている筈。その人間は胡桃割り人形で胡桃を割って、カラスの場合は…。
(胡桃割り車…)
 名付けるのならば、そういう名前になるのだろう。
カラスたちが胡桃を割らせる車は。車の色や形なんかは関係無くて、胡桃の殻さえ割れればいい。どんな車でも、立派な胡桃割り車。
(…ハーレイの車でも、カラスが見たら…)
 胡桃割り車になるんだよね、と想像してみたら愉快な気分。ハーレイの車は、胡桃割りのために買った車とは違うのに。ハーレイが乗って、色々な所へ行こうとしている車なのに。
(だけど、やっぱり胡桃割り車…)
 胡桃を割りたいカラスからすれば、ハーレイの車も胡桃割り車。濃い緑色のが走って来た、と。前のハーレイのマントの色の車だから。…カラスは全く知らないけれど。
 いつかハーレイの車で胡桃を割ってみようか、カラスのために。秋になったら二人でドライブ。胡桃を割って欲しいカラスが、「まだかな?」と車を待っている場所へ。
 キャプテン・ハーレイのマントの色をした、胡桃割り車に二人で乗って。ハーレイがハンドルを握って走って、自分は助手席に乗っかって。



 そんなドライブも素敵だよね、と浮かんだ考え。ハーレイの車が胡桃割り車に変身する。道路でカラスが待っていたなら。「これをお願い」と、胡桃を置いていたならば。
(胡桃割り車のドライブ、いいかも…)
 タイヤの下で砕ける胡桃。車はちょっぴり揺れるのだろうか、それとも音がするだけだろうか?
 固い胡桃がパチンと弾ける、カラスが喜ぶ胡桃割り車。「やっと割れた」と。
 胡桃割り車をやってみたいな、と思っていたら、聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、ぼくがハーレイと一緒にドライブに行けるようになったら…」
 大きくなったら、秋には胡桃割り車をお願いしてもいい?
 ハーレイの車でも出来る筈だもの、胡桃割り車。
「はあ? 胡桃割り車って…」
 なんだそりゃ、と丸くなってしまったハーレイの瞳。「そんな車は知らないが?」と。胡桃割り人形の方ならともかく、車というのは初耳だ、と。
「えっとね、胡桃割り車は、ぼくが考えた名前だから…。カラス専用の道具なんだよ」
 カラスは車で、固い胡桃を割るんだって。道路に落としても割れない胡桃は、車に轢かせて。
 それって胡桃割り人形じゃなくて、胡桃割り車だと思うから…。
「あれか、俺も噂は聞いてるな。カラスは知恵が回るんだよなあ…」
 俺の親父も割らされたらしいぞ、釣りの帰りに走っていたら。
「ホント? それなら、其処に行ったら割ってあげられるね」
 胡桃の木があって、カラスがいるってことだもの。其処で出来るよ、胡桃割り車。
「俺の車でやりたいのか? 胡桃割り車というヤツを」
 カラスが道に置いてる胡桃を、タイヤで轢いて。…まさしくカラスの思う壺だな、胡桃割り車。
「だって、楽しいと思わない?」
 ちゃんと道路で待ってるんだよ、カラスは隠れているかもだけど…。胡桃だけ置いて。
「まあ、愉快ではあるかもなあ…」
 お前はそいつを見たいわけだし、割った後には車を停めればカラスが食うのも見られるし…。
 俺の車は胡桃割り車になるってわけだな、カラスのために胡桃を割りました、と。



 胡桃を割るために買った車じゃないんだが、とハーレイは苦笑しているけれど。カラスのためにドライブなのか、とも言うけれど。
「胡桃割り車でいいじゃない。ぼくが行きたいドライブなんだよ、胡桃割り車は」
 カラス、とっても頭がいいよね。ずっと昔から、やり方はおんなじらしいけど…。
 人間が乗ってる車に胡桃を割らせるんだよ?
 ちゃんと道具にしちゃってるんだよ、車をね。胡桃を割るなら車なんだ、って。
 人間は胡桃割り人形を使うけれども、カラスは車。
 胡桃割り人形、ぼくは本物、見たこと一度も無いんだけれど…。
「俺はあるんだが、この地域では使えんぞ。胡桃割り人形というヤツは」
 飾って眺めておくだけだってな、胡桃割り人形を買って来たって。
「使えないって…。どういう意味?」
 胡桃を割るための人形なんでしょ、使えない筈がなさそうだけど…。道具なんだし…。
「それがだ、胡桃の殻の固さが全く違うらしいぞ」
 この地域で採れる胡桃の殻は固いんだそうだ。胡桃割り人形の方が壊れるくらいに、桁違いに。
 胡桃の種類が違うわけだな、地域によって。
 胡桃割り人形を考え出した地域の方だと、胡桃の殻はもっと割れやすい。胡桃割り人形で簡単に割れるが、この地域だと駄目なんだ。…飾り物にしかならないんだな、胡桃割り人形は。
「へえ…!」
 知らなかったよ、そんなこと…。胡桃の固さが違うだなんて。
 人間が胡桃を割るんだったら、車じゃなくって胡桃割り人形だよね、って思ってたのに…。



 カラスが胡桃の殻を割るには、人間の車が通るのを待つ。タイヤで割ってくれるから。
 人間の方は胡桃割り人形を使って割るのだと思っていたのに、この地域では違うらしい。胡桃の殻が固すぎるから、胡桃割り人形は壊れてしまう。他の道具を使うしかない。
「胡桃割り人形、此処だと飾りになっちゃうんだ…。なんだか不思議」
 道具があっても役に立たないなんて…。地球は広いね、胡桃の固さも違っちゃうんだ。何種類も胡桃があるんだろうけど…。
 あれっ、それならシャングリラの胡桃はどっちだろ?
 食べていたよね、白い鯨で。…胡桃の木だって植えていたから、実が出来たら。
 あの胡桃は固い胡桃だったのか、そうじゃない胡桃だったのか、どっち…?
「そういや、あったな。胡桃の木も」
 酒のつまみにも食っていたもんだ、あの胡桃。美味かったんだが、はて、どっちだか…。
 俺も胡桃には詳しくないしな、それにシャングリラでは胡桃だと思っていただけで…。
 いや待て、あれは人形で割れたんだ。…ということは、柔らかい方の胡桃だったんだな。
「えっ、人形って?」
「そのものズバリだ。胡桃割り人形、あったじゃないか」
 ちゃんと本物の胡桃割り人形が。そいつで割ったぞ、シャングリラで採れた胡桃の殻を。
「そうだっけ…?」
 胡桃割り人形なんかを奪って来たかな、前のぼく…?
 何かに紛れて奪っちゃったのを、ハーレイ、倉庫に仕舞っていたとか…?
「俺は確かに関係してたが、お前が奪った胡桃割り人形を管理していたわけじゃない」
 作ったんだ、胡桃割り人形を。胡桃の殻を割るためにな。
「…作ったって…。ハーレイが胡桃割り人形を?」
 ハーレイ、そんなに器用だった?
 木彫りのナキネズミがウサギにされてしまったくらいに、器用じゃないと思うんだけど…。
「言わないでくれ。俺にとっても、其処は情けない思い出なんだ」
 俺の独創性ってヤツは一切抜きでだ、とことん注文通りにだな…。こう作れ、と。
「思い出したよ…!」
 胡桃割り人形、あったっけね…。前のハーレイが作ったんだっけ…!



 ホントにあった、と思い出した胡桃割り人形。前のハーレイが作った木彫りの人形。
 事の起こりは、シャングリラに植えた胡桃の木。白いシャングリラが出来上がった後に、公園や農場に何本も植えていた胡桃。実は食べられるし、長期保存にも向いていたから。
 胡桃の殻は手で割ることが出来たのだけれど、ヒルマンが欲しがったのが胡桃割り人形。それがあったら子供たちが喜ぶだろうし、情操教育にもなりそうだ、と。
 長老たちが集まる会議で話が出た時、前の自分も面白そうだと考えたけれど…。
「欲しいのだがねえ…。しかし、ハーレイの腕ではだね…」
 木彫りはハーレイがやっているだけで…、と言葉を濁したヒルマン。続きはゼルが引き継いだ。
「作れんじゃろうな、どう考えても」
 こういう人形は無理に決まっておるわ、と指差された資料。ヒルマンが持って来た写真。
「あたしも全く同感だね。これはハーレイには作れやしないよ」
 まるで才能が無いんだからさ、とブラウも容赦なかったけれども、「しかしだ…」とヒルマンが挟んだ意見。「才能の方はともかくとして」と。
「こういった物を作らせた時は、ハーレイの腕は話にならないのだがね…」
 スプーンとかなら、実に上手に作るじゃないか。芸術方面の才能が無いというだけだ。
 木彫りの腕がまるで駄目なら、ああいう物も作れないだろう。だからだね…。
 使いようだ、とヒルマンが述べた、前のハーレイの木彫りの腕前。
 胡桃割り人形を作るのだったら、設計図の通りに木を削るだけ。ハーレイの仕事は部品作りで、組み立てなどの作業はゼルでどうだろうか、という提案。
「ほほう…。わしとハーレイとの共作なんじゃな、その胡桃割り人形は?」
「殆どは君に任せることになるだろうがね」
 設計も、それに組み立ても…、とヒルマンとゼルが頷き合う中、ハーレイは仏頂面だった。
「私は削るだけなのか?」
 それだけなのか、と眉間に皺が寄せられたけれど。
「あんた、自分の腕を全く分かっていないとでも?」
 それこそ他人の、あたしにだって分かることなんだけどね?
 あんたが一人でこれを作ったら、人形どころかガラクタが出来るだけだってことは。



 そうじゃないのかい、とブラウが鼻を鳴らしたくらいに、酷かった前のハーレイの腕前。下手の横好きという言葉そのまま、芸術作品には向いていなかった。木を削ることは得意でも。
「…確かに否定は出来ないが…」
 難しいことは認めるが、と胡桃割り人形の写真を見詰めるハーレイを他所に、ヒルマンの方針はとうに決まっていた。「ハーレイは削るだけだよ」と。
「ゼルに設計を任せておくから、君はその通りに木を削りたまえ」
 寸法などをきちんと測って、少しも狂いが出ないようにね。それなら問題無いだろう?
 君の腕でも充分出来るよ、胡桃割り人形の部品が立派に。
「そうじゃ、そうじゃ! わしに任せておくのがいいんじゃ」
 腕によりをかけて、素晴らしい図面を描かんとのう…。他にも資料はあるんじゃろ?
 最高の胡桃割り人形を作ってやるわい、子供たちが楽しんで使えるヤツを。
 任せておけ、と胸を叩いたゼル。子供たちが喜ぶ胡桃割り人形を作り上げるから、と。
 ブラウもエラもそれに賛成、胡桃割り人形はハーレイとゼルとの共作にする。ハーレイの仕事は部品作りで、下請け作業なのだけれども。
 それが一番いいということは、前の自分にも分かっていた。ハーレイの木彫りの腕前だって。
 もう恋人同士になっていただけに、ハーレイには少し可哀相だとは思ったけれども、私情を挟むわけにはいかない。たかが胡桃割り人形のことにしたって。
 此処でハーレイの肩を持ったら、ソルジャー失格。
 子供たちのことより、恋人を優先するようでは。自分の感情を交えた言葉で、長老たちの意見を否定するようでは。
 だから駄目だ、と守った沈黙。「ぼくもその方がいいと思うよ」と、自分の心に嘘をついて。



 こうして決まった、胡桃割り人形を作ること。計画通りにゼルが設計に取り掛かった。どういう人形が喜ばれそうか、資料を色々用意して。子供好きだけに、あれこれ検討して。
 デザインが決まれば、次は設計。ハーレイの腕でも、素晴らしい人形が出来るようにと。
 数日が経って、青の間で暮らす前の自分にも、噂が聞こえて来たものだから…。
「図面を貰ったんだって?」
 例の胡桃割り人形の、とハーレイの部屋を訪ねて行った。シャングリラの中はとうに夜。通路の照明などが暗くなっていて、展望室から外を見たなら、雲海も闇の中だろう。
 ハーレイは机に向かっていたのだけれども、顔を上げて苦い笑みを浮かべた。
「実に屈辱的ですがね。…この通りですよ」
 御覧下さい、と指された設計図。机の上に広げられた図面には、本当に細かすぎる指示。此処はこういう寸法で、だとか、角度はこうだ、と注文が山ほど。
 それほどうるさく書いてあるのに、ハーレイの仕事は木を削るだけ。部品作りの下請け作業。
 出来上がったら部品をゼルに届けて、色を塗ったりするのもゼル。
 完成した時は、遠い昔の兵隊の姿になる人形に。大きな口で胡桃の殻を割る人形に。
「…君は、組み立てもさせて貰えないんだね…」
 出来たパーツには、触るなと書いてあるんだし…。バラバラのままで届けに来い、と。
「そのようです。…全く信用されていません」
 部品によっては、仮に組んでみれば完成度が上がりそうなのですが…。
 微調整ならゼルにも出来るそうでして、手出しするなと釘を刺されてしまいましたよ。
 私はゼルの部下らしいです、とハーレイが嘆くものだから…。
「そんな風にも見えるけど…。実際、そうかもしれないけれど…」
 でも、この部品を作り出すのは君なんだ。木の塊を注文通りに削ってね。
 それは君にしか出来ない作業で、とても大事な仕事だよ。…君の考えでは動けなくても。
「…そうでしょうか?」
 ただの下請けで、ゼルにいいように使われているとしか思えませんが…。
 これだけ細かく注文されたら、能無しと言われた気もしますしね。



 私は本当に削るだけで…、とハーレイは溜息をついたけれども。この先の空しい作業を思って、眉間の皺も普段より深いのだけれど…。
「そんなにガッカリしなくても…。君が一番肝心な部分を担っているんだと思うけれどね?」
 船で言うなら、エンジンという所かな。…これから出来る胡桃割り人形の心臓の部分。
 此処に書いてあるパーツが無いと、胡桃割り人形は作れないんだから。どれが欠けても、人形は完成しやしない。全部のパーツが揃わないとね。
 それを作れるのは君だけなんだよ、ゼルに出来るのは微調整だけだ。肝心のパーツは作れない。
 最初にパーツありきなんだし、君がいないと胡桃割り人形は出来上がらない。
 そう考えたら、下請けだろうが、これは最高に素晴らしい仕事だと思えてこないかい…?
「…そうですね…。どの部品が欠けても、胡桃割り人形は作れませんね」
 出来た部品が欠陥品でも、同じ結果になるでしょう。…ゼルが修正出来なかったら。
 下請けも大切な作業なのですね、少しやる気が出て来ましたよ。
 溜息ばかりをついていないで、狂いの無いパーツを作らないと、と。
「それは良かった。…やる気になってくれたのならね」
 でも、ハーレイ…。頑張ってパーツを作るというのはいいけれど…。
 部品作りに夢中になって、ぼくのことを忘れてしまわないでよ?
「ご心配なく。青の間では作業しませんよ」
 あそこで部品を削っていたなら、木屑が落ちてしまいますから…。
 私が青の間にいたというのがバレます、掃除しに来た係の者に。…あなたとの仲を疑われたら、大変なことになりますし…。作業はこの部屋だけですよ。
「それは分かっているけれど…。だから注意をしているんだよ」
 青の間に来るのが遅くなるとか、来るのを忘れて朝まで作業を続けるだとか…。それは困るよ。
「まるで無いとは言い切れませんね…。細かい作業になりそうですから」
 ご心配なら、あなたがおいでになりますか?
 今のように、私の部屋の方まで。…青の間でお待ちになるのではなくて。
「それも素敵だね。君の部屋に泊まるというのも好きだし…」
 君の作業を見られるのも、とても楽しそうだよ。たとえ下請け作業でもね。



 そんな遣り取りがあったものだから、胡桃割り人形の部品の制作中は、ハーレイの部屋に何度も泊まった。青の間の自分のベッドは放って、瞬間移動で出掛けて行って。
 作業をしているハーレイの姿を熱心に眺めて、差し入れだって。
 ソルジャー用にと夜食を注文しておいて、それが届いたら、青の間からハーレイの部屋に運んで行って。もちろん誰にも見付からないよう、瞬間移動で飛び込んで。
 そうやって夜食を持って行ったら…。
「ほら、ハーレイ。…サンドイッチ」
 今日のは色々作って貰って、卵やハムもあるんだよ。…お腹が空いた、と注文したからね。
 どれから食べたい、やっぱりハムの?
「いえ、お気持ちは嬉しいのですが…。今は作業の真っ最中で…」
 手が汚れたら、木まで汚れてしまいますから。…無垢の木は汚れやすいので…。
「その心配は要らないよ。ぼくが食べさせてあげるから」
 君は横を向いて齧ればいいだろ、食べこぼしで木を汚さないように。…こんな風にね。
 口を開けて、と差し出していたサンドイッチ。卵やハムや、キュウリなどのを。
 ハーレイの好みを訊いては、「はい」と。モグモグと動く口に合わせて、食べやすいように。
(うん、他にも…)
 色々と差し入れしたんだっけ、と蘇った前の自分の記憶。作業中だったハーレイに夜食。
 今のハーレイに「覚えてる?」と尋ねてみたら、「そうだったなあ…」と懐かしそうで。
「ああいうのは当分、出来ないな…」
 お前の手から食べるというヤツ。…どれも美味かったが…。サンドイッチも、グラタンとかも。
「ママが作った料理で良ければ、いつでも食べさせてあげるけど?」
 週末は二人でお昼御飯だもの、ママたちがいないから大丈夫。…この部屋だしね?
 今度の土曜日に食べさせてあげるよ、注文があるならママに頼んでおいてもいいし…。
 ハーレイ、お昼に何を食べたい?
「お前のアイデアは悪くないんだが…。そいつは駄目だな」
 チビのお前に食べさせられたら、馬鹿にされた気分になっちまう。子供扱いされたみたいで。
「えーっ!?」
 ぼくはハーレイの恋人なのに…。チビだけど、ちゃんと恋人なのに…!



 酷い、と頬を膨らませたけれど、胡桃割り人形のことは素敵な思い出。全部のパーツが完成するまで、何度も泊まったハーレイの部屋。木の塊から削り出すのを眺めに、飽きもしないで。
 夜食も何度も運び続けて、最後のパーツが出来上がって…。
「お疲れ様。…これで完成だね、胡桃割り人形のパーツ」
 此処から先はゼルの仕事で、組み立てるのも、色を塗ったりするのもゼルで…。
 君の出番は今日でおしまい。明日からはゼルが作業の続き。
「そうなりますね。明日の夜までには、届けに出掛けますから」
 胡桃割り人形が完成するまで、ゼルの部屋で御覧になりますか?
 この先の作業は、私がやっていたような単調なものとはガラリと変わるのでしょうし…。
 きっと面白いと思いますよ。見学に出掛けてゆかれたなら。
「作業はそうかもしれないけれど…。問題は部屋の住人だよ」
 ゼルの部屋に泊まってもつまらないからね。…夜食を運ぼうとも思わないよ。
 食べさせてあげたい気持ちもしないし、後の作業は見なくてもいいって気分だけれど?
「そう仰ると思いました。…あなたが熱心に通っておられた理由は、見学とは違いましたから」
 私があなたを忘れないようにしておくことと、夜食を食べさせに通うこと。
 どちらも今日で要らなくなった理由です。
 私の作業は終わりましたし、これで青の間に戻れますよ。作業のことを気にしないで。
「そうだね。でも…」
 此処に通うのも楽しかったけどね、ただ泊まるのとは違っていたから。
 君がキャプテンの仕事をしているだけなら、夜食を横から食べさせたりは出来ないし…。
「ええ。…そういう不真面目な態度で仕事をしたくはないですね」
 夜食を食べることはあっても、あなたに食べさせて頂くなどは…。それはあまりに…。
「不謹慎だって?」
 そうなるだろうね、ソルジャーとキャプテンなんだから。
 誰にも秘密の恋人同士で、仕事の時には、お互い、恋は封印だしね…?



 だから胡桃割り人形のパーツ作りは楽しかったよ、と交わしたキス。今夜でおしまい、と。
 次の日、ハーレイは出来上がったパーツをゼルに届けて、続けられた胡桃割り人形作り。今度はゼルが組み立てをして、色を塗って、顔なども描いて。
 作業が終わって完成した時は、会議の席で披露されたのだけれど…。
「凄いね、これは。…ハーレイが作ったとは思えない出来栄えだよ」
 パーツはハーレイが作ったのに、と褒めた前の自分。兵隊の姿の胡桃割り人形は、本当に見事な出来だったから。
 そうしたら…。
「殆どはワシじゃ、わしの仕事じゃ!」
 組み立てて、色も塗ったんじゃし…。顔を描いたのも全部、わしなんじゃから。
 ちゃんとサインも入れてあるんじゃぞ、わしが作ったと、背中にな。
「え…?」
 誇らしげだったゼルの宣言。まさか、と机の上に置かれた胡桃割り人形を調べてみたら、ゼルのサインが入っていた。人形の背中の、よく見える場所に。
「あるじゃろうが、其処にワシのサインが」
 どうじゃ、とゼルが自慢するから、ソルジャーとして訊いてみた。ハーレイの恋人ではなくて、ソルジャー・ブルー。…白いシャングリラで暮らすミュウたちの長として。
「…サインを入れたい気持ちは分かる。仕上げたのは確かに君なんだから」
 でもね…。ハーレイの立場はどうなるんだい?
 パーツを作ったのはハーレイなんだよ、それが無ければ胡桃割り人形は作れなかったわけで…。
 そのハーレイの存在を無視して、君の名前だけを書くというのは…。
 どうかと思う、と苦言を呈したけれど。
「大部分はワシの仕事じゃろうが!」
 わしが設計図を書かなかったら、パーツを作ることだって出来ん。…そうじゃろうが?
 ハーレイはワシの指図で仕事をしておっただけで、ただの下っ端に過ぎんのじゃ!
 そんな輩に、サインを入れる資格があるとは思えんがのう…。
 下っ端のサインは入らんものじゃろ、ただ手伝っただけの能無しのは…?



 ハーレイのサインなんぞは要らん、と言い放ったゼル。会議に出ていたヒルマンたちも、文句を言いはしなかった。ゼルの言葉も、まるで間違いではないのだから。
 そういうわけで、子供たちに人気があった胡桃割り人形はゼルの作品。せっせとパーツを作っていたのは、前のハーレイだったのに。
 立派な人形が出来上がるよう、細心の注意を払ってパーツを幾つも削り出したのに。
「…前のハーレイ、手柄を横取りされちゃったね…」
 胡桃割り人形、ゼルが作ったってことになっちゃった…。ゼルのサインが入ってたから。
「仕方あるまい、相手がゼルでは俺だって勝てん」
 若い頃からの喧嘩友達なんだぞ、勝ち目が無いってことくらい分かる。…あの状況ではな。
 それに屁理屈が上手いのもゼルだ、どう転がっても俺のサインは無理だっただろう。
 実際、ゼルの図面が無ければ、俺はパーツを作れなかったわけなんだしな。
「だけど、ハーレイが作業していた時間の方が長かったのに…」
 幾つも部品を作ってたんだよ、何度も寸法を測ったりして。…角度も合わせて。
 ゼルはパーツを組み立てただけで、色を塗ったりしただけじゃない…!
「いいんだ、お前がいてくれたからな。…俺が作業をしていた時は」
 何度も部屋まで来てくれていたし、俺は一人じゃなかったから。…作業自体は下請けでもな。
「ホント?」
「ああ、最高に幸せだったさ。あの時の俺は」
 お前が側で見ていてくれて、夜食も色々食べさせてくれて。「ほら」と口まで運んでくれてな。
 お蔭で忙しくて手が離せなくても、腹が減って困りはしなかったわけで…。
「…お嫁さんが隣にいたような気分?」
 ぼくが作った夜食じゃないけど、食べさせてあげていたんだから。「はい」って、色々。
「嫁さんか…。そういう発想は無かったんだが…」
 そうだったんだろうな、今から思えば。…お前が嫁さんみたいな気分になっていたんだ。
「今度も食べさせてあげるよ、色々」
 サンドイッチも、おにぎりだって。…ハーレイが食べさせて欲しいんだったら。
「もちろん、頼みたいんだが…。育ってからだぞ?」
 チビのお前じゃ話にならんし、さっきも言ったが、馬鹿にされてる気分だからな。
 一人で飯も食えないのか、と。



 まずはお前が育つことだ、と念を押された。ハーレイに「ほら」と食べさせたって、恋人同士に見える姿に。今の大人と子供ではなくて。
 ただし、ゆっくり育つこと。…急いで大きくならないこと。「分かるな?」とハーレイの鳶色の瞳が見詰めてくるから、「うん」と素直に頷いた。
「分かってる…。子供時代をゆっくり楽しめ、って言うんでしょ?」
 早く大きくなりたいけれども、ハーレイが言いたいことだって、ちゃんと分かるから…。
 それでね、いつか大きくなったら、ハーレイと結婚出来るでしょ?
 胡桃割り人形、今度も作る?
 ぼくたちが住んでる地域の胡桃は、胡桃割り人形では割れない胡桃らしいけど…。
「作って飾りにするってか? ゼルじゃなくて俺のサインを入れて…?」
「そう! ハーレイが作った胡桃割り人形、家に飾れたら素敵じゃない?」
 前のとおんなじ人形でもいいし、違う色とか顔でもいいよね。兵隊さんの顔が違うとか。
「作るって…。設計図が無いぞ、ゼルがいないんだから」
 あちこち探せば、作り方が分かる本があるかもしれないが…。俺には木彫りの趣味が無いんだ。前の俺みたいに器用にパーツを作れやしないし、胡桃割り人形は絶望的だな。
 胡桃割り車で勘弁してくれ、カラスが持って来る胡桃なら幾つでも割ってやるから。
「そうだ、今度はそれがあったね…!」
 一番最初は、それをお願いしてたんだっけ…。ハーレイの車で胡桃を割ること。
 カラスのために胡桃割り車でドライブしようよ、胡桃を割りたいカラスが待っている場所へ。
 もしもカラスが来ていなかったら、待ってる間に、ハーレイにお弁当、食べさせてあげるよ。
 前のぼくがやっていたのと同じに、サンドイッチとかを横から「はい」って。
「いいかもなあ…。お前が食わせてくれるんならな」
 胡桃割り車でドライブするなら、美味い弁当を用意して行こう。
 俺が色々作ってもいいし、途中の店で山ほど買って行くのも楽しいぞ、きっと。
 胡桃割り人形は作ってやれんが、弁当作りは任せてくれ。胡桃割り車の運転もな。



 お前が大きくなったなら、とハーレイは約束してくれたから、いつか二人でドライブに行こう。
 胡桃割り人形を作る代わりに、胡桃割り車を利口なカラスにプレゼントしに。
 カラスが来るのを待っている間は、ハーレイにあれこれ食べさせてあげて。
 ハーレイが作ったお弁当やら、途中で買って来た美味しいものを。
 「もうすぐ来ると思うから…」と、待ち時間が長くなったって。
 胡桃を割りたいカラスが来るまで、うんと時間がかかったとしても。
 前の自分も、胡桃割り人形のパーツが出来上がるまで、ハーレイの世話をしていたから。
 夜食を運んで食べさせていただけでも、二人とも幸せだったから。
 その思い出を語り合いながら待とう、胡桃を咥えたカラスが道路にやって来るまで。
 胡桃割り車の出番が来るまで、ハーレイの車でカラスの胡桃をパチンと割ってやれる時まで…。




             胡桃割り人形・了


※前のハーレイが部品を作った、胡桃割り人形。けれどサインを入れたのは、設計者のゼル。
 そして木彫りの趣味が無いのが、今のハーレイ。今度はカラス用の胡桃割り車でドライブを。

 ハレブル別館、毎週更新は今回が最後になります。
 2022年からは月に2回更新、毎月、第一月曜と第三月曜の予定です。
 よろしくお願いいたします~。
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(同窓会のお知らせ…)
 パパにだ、とブルーが眺めた葉書。学校から帰って、おやつの時間に。
 ダイニングのテーブルに置いてあった葉書。他の郵便物と一緒に。ふと目に留まったから、手を伸ばして取ってみたのだけれど。
 同窓会という言葉に引かれて、読んでみようと興味津々だったのだけれど。
(泊まり付き…)
 なんだか凄い、と見詰めてしまった。何処かに集まるというだけではなかった、同窓会の中身。皆で食事をするのはもちろん、ホテルで一泊するらしい。其処から観光にも出掛けて行って。
(同窓会って言うより、旅行みたい…)
 サマーキャンプとか、そんな感じの。学校の友達と泊まるのだったら、そういうイベント。
 同窓会という言葉で思い付くのとは、まるで違った父の学校の同窓会。チビの自分は、同窓会はまだ無いのだけれども、友達から色々と聞いてはいる。年上の兄弟がいる友達も多いから。
 彼らの話で耳にしていた同窓会は…。
(大人が行くような、レストランとかは高いから…)
 もっと値段が安いお店で開かれている。チビの自分のお小遣いでも、食事が出来るような店。
 上の学校を卒業するような人なら、レストランだと聞いているけれど。父宛の葉書では、泊まり付きということになっているから、もっと高いに違いない。参加費用と旅程は追ってお知らせ。
(空けておいてね、ってことなんだ…)
 同窓会の日程を。費用は出せても、予定が空いていないと参加出来ないから。
 それに泊まり付きだけに、観光の内容を後で詰めたりするのだろう。希望者の多い所にしたり、他に行きたい所は無いかと尋ねたり。行き先次第で費用も変わるし、それは後から。
 とはいえ、子供の自分からすれば豪華な内容。費用は謎でも、高いことだけは確かだから。



 友達に聞いた同窓会だと、お小遣いで行けるような店が会場。父に来た同窓会の葉書は、泊まり付きで食事に観光まで。
(大人はお小遣いが多いからだよね?)
 上の学校を卒業するような年の人だと、同窓会の会場はレストラン。父は遥かに年上なのだし、こういう風になるのだろう。同じ食事でも、ホテルに泊まって観光も、と。
 きっとそうだ、と葉書を見ながら考えていたら、入って来た母。
「あら、見てるの?」
 パパに来た葉書。…まだ先だけれど、パパも喜ぶわ、きっと。懐かしいお友達に会えるから。
 前にあったのは何年前だったかしらね、この学校のは。
「同窓会…。大人のは凄いね、子供のよりもずっと」
 ホントに凄い、と葉書を母の方へと向けたのだけれど、母はキョトンとした表情。
「凄いって、何が?」
 普通の葉書よ、いつかブルーにも葉書が来ると思うけど?
 子供同士の同窓会でも、連絡は葉書の筈だから。これと同じで会場を書いて。
「それは知ってるけど…。友達から色々聞いているから。…凄いって言うのは中身だよ」
 泊まり付きで、それに観光もついているんでしょ、これ?
 同窓会って、子供だったら食事だけなのに…。今の学校の生徒がやるなら、うんと安いお店。
 大人の同窓会は凄いよ、お小遣いが多いと中身も凄くなるんだね。
 ビックリしちゃった、と葉書を指差したら。
「ああ、それはね…。お小遣いとは関係無いのよ」
 大人がやってる同窓会なら、何処でもそんな風になるわね、と教えて貰った。
 父くらいの年になった大人は、仕事や結婚、自分の好みなどで引越しする人が多い。あちこちの地域や、地球を離れて他の星へと。ソル太陽系とは違う星系にだって。
 様々な場所に散っているから、同窓会をやるなら泊まり付き。
 ホテルに一泊している分だけ、長くなるのが同窓会の時間。食事だけで終わりの会よりも。
 開催時間が長くなったら、何処かで都合がつく可能性が上がるもの。一日目はどうしても無理な人でも、二日目なら出られそうだとか。泊まるだけなら、なんとかなるとか。



 お小遣いの額とは関係無い、と母が話してくれたこと。みんなが集まりやすいようにと、泊まり付きになっている同窓会。大人になったら、住む場所が宇宙に散ってゆくから。
「なんだ、そういう仕組みになっていたわけ?」
 大人だから豪華な同窓会、っていうわけじゃなくて。…その方が集まりやすいから。
 色々な場所で暮らしているなら、直ぐには集まれないものね。子供と違って。
「そうよ。ブルーくらいの年の子供なら、同窓会も簡単だけど…」
 遠い所に引越す友達、滅多に無いでしょ。だから食事で充分なのよ。短い時間で集まれるから。
 だけど大人は、うんと離れた星に引越す人も多いし…。
 同窓会は泊まり付きにするのが普通ね、何処の学校でも。そういう年になったなら。
 いつかはブルーも、こんな同窓会に出る日が来るわよ。
「…ぼくも?」
「もちろんよ。今よりもずっと大きくなったら」
 そしたら、こういう葉書が届くわ。同窓会のお知らせの葉書。泊まり付きのね。
 一番最初の同窓会なら、お嫁さんも連れて行かなくちゃ。
「お嫁さん?」
 なんで、と首を傾げたけれども、「そういうものよ」と微笑んだ母。
「此処に書いてあるでしょ、奥さんもどうぞご一緒に、って」
 ママも行ったわ、ずっと前にね。…ブルーが生まれていなかった頃に。
 遠い星とか、離れた地域から来る人だったら、同窓会のついでに家族旅行をする人もいるの。
 子供連れで来る人もいるのよ、子供は子供同士で遊べるようにしてあるから。
 一番最初の同窓会だと、お嫁さんを連れて行く人が殆どかしら。…自慢のお嫁さんだもの。
 だからブルーも、いつかはね。
 ブルーの自慢のお嫁さんを連れて、同窓会に行かないと。
「そうなんだ…」
 お嫁さん、連れて行くものなんだね、大人が出掛ける同窓会は。
 ママも行ったんなら、ぼくが行く時も、お嫁さんを連れて行かなくちゃ…。



 分かったよ、と頷いて、おやつの後で帰った二階の自分の部屋。
 勉強机に頬杖をついて、母から聞いた同窓会のことを考えてみた。大人になった後の同窓会。
 きっと友達は、あちこちに散っているのだろう。他の地域や、他の星などに。仕事や、好みや、様々な事情で散らばってしまった、暮らしている場所。
 離れ離れになった仲間が集まるためには、父に来ていた葉書のような泊まり付きで行く同窓会。奥さんや子供を連れて出掛ける人も。
(ぼくだと、ハーレイを連れて行くわけ?)
 お嫁さんではないけれど。…お嫁さんは自分の方なのだけれど。
 一番最初の同窓会には、ハーレイを連れて。
 せっかくホテルに泊まるのだから、最初だけでなくて、その次だって。同窓会がある度に。
 みんなにハーレイを自慢すると言うより、一緒に泊まって、観光だってしてみたいから。
(ハーレイの同窓会だって…)
 連れて行って欲しいんだけど、と夢を描いていて思い出したこと。前にハーレイと約束をした。同窓会ではないけれど…。
(OB会…!)
 ハーレイが通っていた学校の、柔道部員たちのOB会。彼らも宇宙に散っているだろうけれど、今もこの地域に住んでいる人たちが集まる会。それに自分も行けるのだった。
(豚汁作り…)
 柔道部で頑張る後輩たちにと、ハーレイたちが作る豚汁。学校に集まって、大きな鍋で。自慢の味のを、グツグツと煮て。
 それをハーレイが作りに行く時、連れて行って貰えるという約束。豚汁作りに行けるのならば、泊まり付きの同窓会だって…。
(行けるよね?)
 きっと、と胸を躍らせていたら、聞こえたチャイム。窓に駆け寄って庭の向こうを眺めると…。
 門扉の向こうで手を振るハーレイ。手を振り返しながら、弾んだ心。
(同窓会のこと…)
 訊かなくっちゃ、と。連れて行って貰える筈だものね、と。



 ハーレイが部屋に来るのを待って、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合うなり、もうワクワクと切り出した。同窓会、と胸を弾ませて。
「あのね、同窓会…。連れてってくれる?」
「はあ?」
 何の話だ、と瞬く鳶色の瞳。「同窓会がどうかしたのか?」と。
「えっとね…。同窓会だよ、ハーレイにだって葉書、来るでしょ?」
 こういう葉書、と父に届いた案内のことを説明した。ホテルに泊まっての同窓会。母に教わった知識も一緒に披露して。ホテルに泊まっての同窓会になる理由。
 大人の同窓会がそうなら、ぼくもハーレイと一緒に行ってもいいの、と。
「そういうことか…。そりゃまあ、なあ…?」
 美人の嫁さんは自慢しないと。もちろん一緒に連れて行ってな。
 俺の友達もきっと驚くぞ。凄い美人だし、しかもお前はそれだけじゃないし…。
「男だから?」
 お嫁さんって言っても女の人とは違うから…。やっぱりビックリされるよね。
 ハーレイのお嫁さんが男だなんて、って、みんなビックリ仰天で。
「いいや、そいつは誰も気にしやしないだろう。なんたって、俺の嫁さんなんだ」
 俺が選んだ嫁さんだしなあ、男だろうが、女だろうが、細かいことはいいってな。
 やっとお前も結婚したか、と肩を叩いて祝福だ。「結婚出来ないと思っていたぞ」と言うヤツも出て来たりして。
 男だというのは大したことじゃないんだが…。問題はお前の姿だな。
 俺の嫁さんになってる頃には、何処から見たってソルジャー・ブルーそのものだぞ?
 でもって、俺はキャプテン・ハーレイそっくりなわけで…。
 その俺が連れて来た嫁さんがソルジャー・ブルーに瓜二つとなったら、どうなると思う?
「んーと…。みんな、とってもビックリしそう…」
 男同士のカップルなことより、組み合わせがちょっと凄すぎるから…。
 キャプテン・ハーレイにそっくりなハーレイのお嫁さんが、ソルジャー・ブルーだなんて…。



 本物のソルジャー・ブルーじゃなくても、誰でもビックリ、と思い浮かべた光景。
 ハーレイの学校の同窓会に一緒に出掛けて行ったら、きっと注目の的だろう。ソルジャーの服を着ていなくても。…ごくごく普通の服装でも。
 今のハーレイは、前のハーレイにそっくりだから。それに自分も、前の自分と同じ姿に育つ筈。
 そんな二人がカップルだったら、結婚したとなったなら…。
「ハーレイの友達にもビックリされそうだけれど、それだけじゃなくて…」
 前のぼくたち、みんなに誤解されそうだね。本当は恋人同士だったのかも、って。
 …本物のキャプテン・ハーレイと、ソルジャー・ブルー。
「そっちが本当のことなんだが…。前の俺たちは、恋人同士だったというのが」
 しかし、今の俺たちが正体を明かしていないからには、誤解でしかないな。
 そっくりなカップルが現れたから、というだけで生まれちまった誤解。
 根も葉もない噂話ってヤツだが、さぞかし盛り上がることだろうさ。…その同窓会。
 歴史の真実を発見だとか、まるで根拠の無い話でな。
「ぼくもそう思う…。本当は当たっているんだけれど…」
 何の証拠も残ってないしね、前のぼくたちが恋人同士だったってこと。
 ハーレイは航宙日誌に書いていないし、前のぼくだって何も残していないから…。
 どう考えても、誤解で間違い。…ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは恋人同士、っていう説は。研究者に言ったら、笑われちゃう。
 だけど、話の種にするには面白いから…。
 ハーレイがぼくを連れて行ったら、同窓会の話題、それで決まりだね。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは、本当は恋人同士でした、っていう新説。



 賑やかだろう同窓会。いつかハーレイが、一緒に連れて行ってくれたら。
 ホテルに泊まって食事に観光、その間に何度も注目されては大騒ぎ。平和な時代を作った英雄、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
 歴史の授業で必ず教わる、あの二人は恋人同士だったらしい、と無責任すぎる噂話で。ワイワイ騒いで、写真なんかも撮られたりして。
(もっとソルジャー・ブルーらしく、って注文されたりするのかな?)
 今の自分と前の自分は、表情がまるで違うだろうから。同じ姿でも、表情で印象が変わるから。
 ハーレイと二人で並んで立って、注文通りの表情とポーズ。
 服装は全く違っていたって、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイらしく、と注文されて撮られる写真。何枚も何枚も、ポーズを変えて。
(友達に見せて驚かせるんだ、って撮るよね、きっと…)
 同窓会に行って来たお土産と一緒に、披露されそうなハーレイとの写真。
 地球のあちこちや、色々な星に運ばれて。「こんなカップルに会って来た」と。
 研究者も知らない大発見だ、と語られるソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの仲。
 実は恋人同士だったと、証拠が此処に、と出してみせる写真。
 見せられた人は驚くだろうし、「本当なのか」と訊きそうだけれど…。
(冗談だ、って…)
 そう結ばれるだろう、同窓会の土産話。
 ただの他人の空似だと。それでもとても似ているだろうと、会心の出来の写真なのだ、と。



 同窓会が終わった後にも、話題になりそうなハーレイと自分。前の自分たちにそっくりだから。誰が見たって、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイなのだから。
(…中身、本当は本物だしね?)
 誰も知らないだけだもんね、と考えていたら、掠めた思い。
 今の時代は同窓会があるのだけれども、前の自分たちの同窓会が出来たなら、と。
 遠く遥かな時の彼方で、白いシャングリラで共に暮らした仲間たち。ヒルマンやゼルや、エラやブラウや。…それにジョミーも、トォニィたちも。
 もう一度彼らと顔を合わせて、ホテルに泊まって、観光だって。
 それが出来たら、きっと素敵に違いない。今の平和な時代だからこそ、やってみたいこと。
「ねえ、ハーレイ…。同窓会、したいと思わない?」
 出来たらいいね、と言葉にしたら、ハーレイは怪訝そうな顔。
「同窓会なら、勝手に葉書が来ると思うが?」
 俺は幹事をやってないから、次はいつだか知らないが…。任せっ放しで。
 好きなヤツがいるんだ、そういうのがな。ホテルの手配とか、観光プランを立てるのとかが。
「違うよ、今のハーレイじゃなくて…」
 前のぼくたちだよ、同窓会をしたいのは。…前のぼくたちの同窓会。
「なんだそりゃ?」
 サッパリ意味が分からないんだが、前の俺たちっていうのは何だ?
 お前がやりたい同窓会は、どういう同窓会なんだ…?
「…無理だろうけど、夢の同窓会…」
 前のぼくたちが一緒に暮らした、シャングリラの仲間を集めるんだよ。
 ゼルもヒルマンも、ブラウもエラも。…ジョミーも、それにトォニィたちもね。
 葉書を出して、ホテルに泊まって、みんなで観光。
 食事も一緒で泊まるのも一緒、もちろん会場は地球でなくっちゃ。…前のぼくたちが目指してた星で、今はすっかり青いんだもの。前のぼくたちが生きた時代と違って。



 青い地球の上で、皆が集まる同窓会。白いシャングリラはもう無いけれど。
「みんなが生まれ変わって来てたら、出来そうだよね、って…」
 ぼくたちみたいに、ちゃんと記憶を持って。…出会えて、それに連絡も取れて。
 全員に葉書を出せるんだったら、同窓会だって出来るでしょ?
「なるほどなあ…。あいつらを全員、地球に集めて、同窓会をしようってことか」
 そいつはさぞかし愉快だろうな。懐かしいヤツらが勢揃いする、と。
 でもって、俺はお前を連れて出席するわけか…。
 俺の嫁さんになったお前を、あいつらに紹介するために。
「そう!」
 だから今だと、まだ早すぎて駄目だよね。…ぼくがチビだから。
 前と同じに育ってからだよ、同窓会をするんなら。
 ハーレイと結婚して、お嫁さんになってから。…二人一緒に同窓会に出掛けて行って…。
 それでね、とハーレイに話した夢。
 同窓会の席で、「実は…」と打ち明ける、時の彼方での昔話。
 今はこうして恋仲だけれど、本当は前もそうだった、と。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは恋人同士で、最後まで恋をしていたのだと。
 前の自分たちは誰にも言えずに終わったけれども、今ならきっと、笑って許して貰えるだろう。
 ブラウあたりが「そうだったのかい!?」と、目を丸くしていそうだけれど。
 ゼルやヒルマンも、「知らなかった」とポカンとするかもしれないけれど。
 それでも、今なら笑い話。ずっと隠していた恋は。
 前の自分も、それにハーレイも、役目はきちんと果たしたのだし、責められもせずに。
 最後まで隠し続けたことさえ、裏切りだったとは言われないで。



 叱られないと思うんだけど、と傾げた首。「大丈夫だよね?」と。
「…同窓会をするんだったら、みんなに話しておきたいから…。本当のことを」
 今度は結婚しているんだもの、前もホントは恋人同士だったんだ、って。
 きっと叱られないと思うよ、前のぼくたち、自分の仕事は全部きちんとやったんだもの。
「そうだな、叱られはしないだろうな」
 叱る理由が見付からないしな、特にお前は。…メギドを沈めて皆を守ってくれたんだから。
 恋人だった俺と離れて、独りぼっちで死んじまう羽目になったって。
 …しかしだ、俺はお前ほど頑張ったというわけじゃないしな…。
 死んだ時にもヒルマンもゼルも一緒だったし、お前のようにはいきそうにない。
 恋をして幸せだったとバレたら、詫びの印に何かさせられそうではある。
 なんたって相手は、あいつらだからな。
「何かって…?」
 お詫びの印って、ハーレイ、何をさせられちゃうの?
 叱られないけど、「すみませんでした」って何十回も言わせられるとか…?
「子供の同窓会じゃないんだ、もっとみんなが喜ぶことだ」
 みんなに酒をおごらされるとか、そんなトコだな。それもとびきり上等の酒を。
 きっとゼル辺りが音頭を取るんだ、「ハーレイのおごりだ、大いに飲め」と調子に乗って。
 酒を運んでくれる係に言いそうだよなあ、「いいから、樽ごと持って来い」と。
「ありそうだよね…」
 樽ってお酒の入った樽でしょ、ゼルならホントに運ばせそう。
 ハーレイのお財布、きっと大打撃だろうけれど…。
 それでも、みんなが楽しめるんなら、ぼくは文句は言わないよ?
 前のぼくたちが恋人同士だったってことを隠してた罰に、お酒をおごらされるんだから…。
 ごめんなさい、って謝る代わりに、美味しいお酒を御馳走すればいいんだから。
 ハーレイのお財布が空っぽになっても、ぼくなら平気。
 暫くの間は、うんと質素な食事ばかりになっちゃってもね。



 ホントに平気、と思った夢の同窓会。前のハーレイとの恋を明かした結果が、ハーレイの財布に大きな打撃を与えても。同窓会が終わった後には、質素な食事の日々が続いても。
「ぼくは平気だから、ハーレイ、みんなにお酒をおごってあげてね」
 お財布が空になっちゃっても。…御飯、毎日、おにぎりだけになっちゃっても。
「…お前なあ…。本当にそんな食事でいいのか、腹が減っちまうぞ?」
 いくら少ししか食わないと言っても、おにぎりではなあ…。
「平気だってば、みんなが楽しんでくれるんならね」
 それに素敵だよ、もう一度みんなに会えるなら。…御飯がおにぎりだけになっても。
 きっと楽しいから、ホントに平気。だって、みんなに会えるんだよ?
 それに会場は地球だもの。前のぼくたちの夢の星だよ、其処で同窓会っていうだけで素敵。
 そうだ、同窓会…。キースたちも呼べたらいいのにね。
「キースだって!?」
 なんだってあいつを呼ばなきゃならん?
 俺たちだけで楽しくやるのならいいが、キースなんかを呼んでどうする。
 前のお前に何をしたヤツか、お前も覚えている筈だがな…?
「今だからこそだよ、キースを呼ぶのは」
 ジョミーとは話が合う筈だものね、トォニィがちゃんと聞いたんでしょ?
 一緒に戦った仲間だった、っていう話。ジョミーとキースは、最後は友達だったんだよ。
 だからジョミーはキースに会えたら喜ぶし…。
 ハーレイだって、きっと仲良く喧嘩出来るよ、今の時代なら。
 お詫びの印に何かやれ、って言って、キースにお酒をおごらせるとか。
「そう来たか…。詫びの印か」
 俺はゼルたちに酒をしこたま飲まれて、財布が空になりかねないって所だが…。
 その俺はキースにおごらせるんだな、もっといい酒を飲ませろ、と。



 痛快ではあるな、と笑うハーレイ。
 酒をおごらせてやるのもいいが、一発殴ってやるのもいいか、と。
「生まれ変わりでも、キースはキースだ。…見た目は前と同じだってな」
 それに記憶も持ってるわけだし、殴られたって理解出来るだろう。
 どうして俺に殴られたのか、同窓会で痛い目に遭わされたのか。
「それ、酷くない?」
 いくらキースの記憶があっても、殴るだなんて…。同窓会に来てくれたのに…。
 時間を作って、遠い星から来てくれたのかもしれないのに…。
「そうかもしれんが、一発殴れば、それで清算出来るんだぞ?」
 前のあいつが前のお前にやらかしたことを、きちんとな。…殴られてアザが出来ようが。
 俺の嫁さんを殺そうとした罰だ、そのくらいの詫びはして貰わないと。
「ぼく、生きてるけど…?」
 生きてるからハーレイのお嫁さんだし、一緒に同窓会なんだけど…。
 それでもキースを殴るって言うの、ぼくは死んではいないのに…?
「今のお前は確かに生きてる。…だが、前のお前は死んじまった」
 キースのせいでな。あいつがメギドを持ち出さなければ、前のお前は死んではいない。
 ついでに、あいつは前のお前を何発も撃って、そのせいでお前の右手は冷たく凍えちまって…。
 お前、泣きながら死んだんだろうが、メギドで独りぼっちになって。
 …それでも殴るのは駄目だと言うなら、あいつの右目の周りに丸を描くとするか。
「丸って…?」
「墨でデッカイ丸を描いてやるんだ、お前の右目の仕返しに」
 お前が最後に撃たれた右目。その仕返しだ、とキースの顔にクッキリ描いてやる。
 同窓会にはこの顔で出ろ、と。
「酷すぎない?」
 キース、みんなに笑われちゃうよ。…その墨、簡単には消えないんでしょ?
「当然だろうが。同窓会の間は消えない墨で描いてやらんと意味が無い」
 そんな顔でも、殴られるよりはマシだと俺は思うがな?
 記念写真に写ったキースは、どれも目の周りに墨で描いた丸がついていたって。



 そういうキースと二日も過ごせば、俺もあいつを許せるかもな、とハーレイは言った。
 今もキースが憎い原因、それの一つは直接顔を合わせていたのに殴り損ねたことだから、と。
「…前の俺があいつと出会った時には、前のお前を撃ったことを知らなかったから…」
 メギドを持ち出したヤツではあったが、国家主席には違いない。
 人類側の代表なんだし、過去のことは水に流すべきだ、と思って挨拶しちまった。ミュウを代表する一人としてな。
 あの時、俺が知っていたなら…。確実に殴っていただろう。他のヤツらに止められたって。
 それなのに、俺はそうしなかった。…前のお前がどうなったのかを、全く知らなかったから。
 今の俺が全てを知った時には、あいつは姿を消しちまってた。
 歴史の中の人物になってしまって、殴りたくても、キースは何処にもいなかったってな。
 あいつに仕返し出来さえすればだ、許せる日だって来そうなんだが…。
「そっか…。それじゃ、同窓会、しなくちゃね」
 キースも呼んで、うんと賑やかに。…今はキースはいないけれども。
「同窓会って…。何処でやる気だ?」
 夢の話をしていた筈だぞ、実現するのは無理だと思うが…?
「地球でやるのは無理そうだから…。いつか、天国でやりたいな」
 天国だったらみんな揃いそうだよ、と浮かべた笑み。みんなの記憶もちゃんとあるよね、と。
「それはまた…。ずいぶんと気の長い話だな?」
 お前はたったの十四歳だし、同窓会の開催までには、いったい何年かかるんだ?
「三百年は軽くかかると思うよ。でも、やりたいと思わない?」
 それまでにハーレイのキース嫌いが治っていたら、いいけれど…。
 キースに仕返ししたい気持ちが、消えてくれていたらいいんだけれど…。
「治したいのか、俺のキース嫌いを?」
 俺は治したいとも思っていないし、今もあいつを許すつもりは無いんだが…?
「だって、ハーレイの心の傷だよ?」
 ぼくが生きていても、キースを許せないほどの。…それは心の傷でしょ、ハーレイ?
 だから治してあげたいんだよ。その傷が出来てしまったの、ぼくのせいだから…。



 前のぼくが撃たれていなかったなら、と見詰めたハーレイの鳶色の瞳。
 聖痕が今のハーレイに真実を教えてしまった。前の自分がどうなったのか。キースの銃で何発も撃たれて、右の瞳まで砕かれたこと。…痛みのあまりに、ハーレイの温もりを失くしたことも。
 メギドで死んだだけだったならば、ハーレイはキースを今ほど憎みはしなかったろう。キースの生まれ変わりに会っても、殴りたいと思うくらいには。
「…ぼくのせいだよ、ハーレイがキースを大嫌いなのは…。それじゃ辛いよ、ハーレイが」
 いつまで経っても憎んでるなんて、ハーレイの心は痛いまま。…心の傷が開いたまま。
 傷から流れる血も止まらないし、その傷、ちゃんと塞がなくっちゃ。
 ハーレイがキースの名前を聞いても、心が痛み出さないように。
 …だけど、目の周りに丸を描いてやる、って言える程度には傷がマシになったの?
 キースを殴れないんだったら、右目の周りに丸だ、って。
「どうなんだか…。殴るのは酷い、とお前が言うから、別の手段を考えたまでだが…」
 同窓会も愉快ではある、と思ったことは確かだな。
 目の周りに丸を描かれたキースを晒し者にして、記念写真が撮れるなら。
「それなら少しずつ治ってるかもね、ハーレイの傷」
 きちんと治して欲しいよ、それ。…辛いのはハーレイなんだから。
 ぼくはキースを憎んでないのに、ハーレイだけが憎み続けるなんて…。辛い思いをするなんて。
 そんなの駄目だよ、治さなくっちゃ。
 心の傷を綺麗に治して、痛まないようにしなくっちゃ…。



 キースの話も笑って出来るくらいになって、と心の底から願ったこと。
 今のままでは、ハーレイが辛いだけだから。キースを憎み続けたままでは、ハーレイの心の傷が治りはしないから。
 傷からは血が流れ出すのに。…血を流す傷は痛むのに。
「…ホントだよ、ハーレイ? キースが嫌いだと、辛い思いをするのはハーレイなんだから…」
 ぼくはとっくに許しているのに、ハーレイは許せないなんて…。
 キースが嫌いで憎いままだなんて、それはホントに、ハーレイが辛いだけだもの…。
「そう言われても…。こればっかりは、そう簡単にはいかないな」
 俺は自分が許せないんだ、どうして気付かなかったのか、と。
 メギドにはキースがいた筈なんだし、お前に何かしたかもしれん、と考えていれば…。
 そうすりゃ、俺はキースに訊いた。「ブルーをどうした」と問い詰めただろう。
 あいつが「知らん」と答えたとしても、訊いてさえいれば…。
 それもしなかった馬鹿が前の俺でだ、その辺りも複雑に絡んでいるのがキース嫌いの原因だ。
 しかし、お前はキースが好きらしいしな?
 憎んでいないこともそうだし、結婚シリーズの夢もあったよな、お前。
 俺の代わりにキースと結婚式を挙げるって夢を、お前、何度か見てた筈だが…?
「それは無しだよ、夢なんだから!」
 寝てる間に見てしまう夢で、コントロールなんか出来ないんだもの…!
 あれはただの夢で、みんなで夢の同窓会をやるにしたって、ぼくはハーレイのお嫁さんだよ!
 キースのお嫁さんになっても、嬉しくもなんともないんだから…!
「俺だってあいつに譲りはしないぞ、お前をな」
 お前は大事な嫁さんなんだし、頼まれたってキースには譲ってやらん。
 土下座しようが、山ほどの宝を積み上げようが。
「ぼくも譲られたって困るよ…!」
 逃げて帰るよ、ハーレイのお嫁さんなんだから…!
 ハーレイが同窓会で飲んだお酒で酔っ払っちゃって、ぼくをあげるってキースに約束しても…!



 絶対に逃げて帰るからね、と誓ったけれども、出来ない夢の同窓会。
 今の地球には、今の時代には、自分たちしかいないから。他の仲間もキースもいなくて、葉書を出すことも出来ないから。「同窓会をやりましょう」と。
 いつか天国でするのだったら、出来そうだけれど。もう一度、みんなで会えそうだけれど。
「…同窓会、みんなでやりたいな…」
 天国でいいから、みんなで会って。…天国だったら、泊まり付きでなくても大丈夫だね。
 みんなの都合も簡単に合うし、きっと楽しい会になりそう。
「おいおい、天国だなんて気の早いことを言う前に、だ…」
 俺と一緒に同窓会に行かないとな?
 キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーが結婚してる、と俺の友達の度肝を抜きに。
 前の俺たちにも変な噂が立つんだろうが、そいつは根も葉も無い噂だし…。
 それに本当は、噂の方が真実だったというオチだしな?
「行くに決まっているじゃない。…連れてってくれるか訊いたの、ぼくだよ?」
 同窓会にも、OB会にも行くんだよ。ハーレイの友達や、先輩や後輩の人たちに会いに。
 それから、ぼくの同窓会にも来てくれる?
 ママが言ったよ、いつかはぼくにも同窓会のお知らせの葉書が届くんだ、って。
 「お嫁さんと一緒に行くのよ」って、ママは言ってたけれど…。
 ぼくはハーレイのお嫁さんだし、ハーレイと一緒に行くものでしょ?
「もちろん、俺も一緒に行くが…。待てよ、ハーレイ先生が出席しちまうのか?」
 今の学校の同窓会なら、そういうことになっちまうか…。同窓会にハーレイ先生なあ…。
 俺がお前を担任してたら、先生が行っても、少しも変ではないんだが…。
「…ぼくの担任にならなかったら、ハーレイが同窓会に出ていたら、変?」
 ハーレイ、とっても困っちゃう?
 ぼくと一緒に出るのは無理?
「いやまあ…。今だと色々問題もあるが、同窓会なら…」
 お前が学校を卒業したなら、先生も何も無いからな。元はハーレイ先生だとしても、同窓会ではお前の結婚相手ってだけだ。
「なら、決まりだね!」
 ぼくの同窓会に行く時も、ハーレイと一緒。二人で同窓会に行こうね、泊まり付きの。



 約束だよ、と指切りしたから、いつかは二人で同窓会にも出掛けてゆこう。
 ソルジャー・ブルーと、キャプテン・ハーレイなカップルで。
 ハーレイの学校の同窓会にも、チビの自分が卒業した後の同窓会にも。
 きっと何処でも盛り上がるだろう、二人で姿を見せたなら。キャプテン・ハーレイにそっくりなハーレイと、ソルジャー・ブルーにそっくりな自分が結婚したとなったなら。
「お前と二人で同窓会か…。とんだ噂が流れそうだな」
 同窓会に出ていたヤツらが、自分の家に帰ったら。…地球のあちこちや、あちこちの星に。
 俺たちの写真を見せびらかしては、歴史的な発見がどうこうと。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは、実は恋人同士じゃないか、と冗談で。
 とてつもなく良く出来た冗談なだけに、噂に尾ひれがつきそうだよなあ…。
「噂の方が本当なんだし、いいじゃない」
 本当は恋人同士でした、って噂が宇宙に流れても。
 何の根拠もありませんから、って研究者や学者が怒っててもね。



 それはそれで面白いじゃない、と笑ったけれども、誰も信じはしないだろう。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、前の自分たちの恋のこと。
 遠く遥かな時の彼方で、本物の恋人同士だったこと。
 最後まで二人で隠し続けて、そのまま終わってしまった恋だということは。
 いつか昔の仲間たちを集めて同窓会が出来たとしたなら、その時は信じて貰えそうだけれど。
 「実は恋人同士でした」と二人で明かして、みんなが驚く同窓会。
 そういう同窓会もいい。
 今のハーレイのキース嫌いが治るなら。
 皆で笑い合って、昔を語り合えるのならば。
 今はまだ、夢の同窓会を開けはしないのだけれど。…誰も仲間はいないから。それにキースも。
 だから本物の同窓会に出掛けてゆく。
 いつか結婚したならば。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、そういう姿をしたカップルで…。




          夢の同窓会・了


※同窓会を開くなら、泊まりになるのが大人の世界。他の星や地域に住む人が増えるせいで。
 ハーレイとブルーが一緒に出席したなら、無責任な噂が流れそう。歴史の隠された真実発見。
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