シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園の新年恒例行事も終わって、今日からのんびり。しかも金曜、明日から土日とお休みになるという嬉しい日です。放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ直行、みんなでのんびりティータイムで。
「暫くはゆっくり出来そうだよね!」
三学期は何かと忙しいけど、とジョミー君。三学期には入試もありますし、卒業式も。どちらも私たちが忙しくなるイベントです。入試の時には会長さんが合格グッズを販売しますから、そっち絡みで色々と。卒業式には校長先生の像を変身させるお仕事が。
「そうだな、とりあえず入試の前までは暇だろうな」
そこから先は怒涛の日々だが、とキース君が合掌を。
「入試が済んだらバレンタインデーで、その辺りも荒れる時には荒れるからなあ…」
「「「シーッ!!!」」」
言っては駄目だ、と唇に人差し指を当てた私たち。バレンタインデーが荒れる原因、会長さんのことも多いですけど、圧倒的に…。
「そうだった。言霊というのがあるんだったな」
すまん、とキース君は謝りましたが。
「こんにちはーっ!」
「「「!!?」」」
時すでに遅しとは、このことでしょうか。振り返った先に紫のマント、会長さんのそっくりさんが出て来ちゃったではありませんか…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
おやつ食べるよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今日のおやつはホワイトチョコとオレンジのチーズケーキです。オレンジの甘煮にホワイトチョコたっぷり、ソルジャーが断るわけもなく。
「食べる! それと紅茶も!」
「オッケー!」
ソルジャーは空いていたソファに腰掛け、ササッと出されたケーキと紅茶。はてさて、言霊とやらで出て来たものか、それともおやつがお目当てなのか、と見守っていれば。
「えーっと…。工作はシロエが得意だったっけ?」
「「「工作?」」」
「うん。破壊工作とかそんなのじゃなくて、こう、なんて言うか…。造形とか?」
毎年、卒業式には頑張ってるよね、と言い出すソルジャー。校長先生の大きな銅像を変身させている件らしいです。あれは工作と言うよりは…。
「ぼくのは注文制作ですよ?」
会長の案に従って設計図を書いて作ってますが、とシロエ君。
「それに工作じゃなくて、もはや一種の機械の制作ですね。目からビームと花火の打ち上げは基本装備ですし、場合によっては何段階かに変形することもありますから」
「言われてみれば…。だったら、土を捻るのとは違うのかな?」
「「「はあ?」」」
土を捻るって言いましたか? それって、お茶椀とか壺とかを作るって意味?
「そう、それ! こっちの世界じゃ土を捻るって言うんだってね、粘土細工を」
「「「粘土細工…」」」
身も蓋も無い言われよう。もう少しマシな表現方法は無いのでしょうか。土を捻るなどと言ったからには、せめて焼き物とか…。
「だけど、粘土細工で合ってるだろう? 粘土なんだしさ」
「それだと幼稚園児がやってることと変わらないんだよ!」
粘土遊びは基本の内だ、と会長さんが。
「卒園記念に粘土をこねて像を作って置いて行くとか、普通にやるしね」
「なるほど…。幼稚園児でも出来るレベル、と」
「粘土をこねるだけだったらね」
その先は果てしなく深い世界だ、と会長さんは言ってますけど。ソルジャーは何故に工作だの土を捻るだなどと…?
「ああ、それね!」
そういうものだと教わったから、とソルジャーは座り直しました。
「今日はノルディとランチだったんだ。その後に会議が入っていたから、いつもの服に戻っちゃったけどさ」
「君は会議が控えてる時もノルディとランチに行くのかい!?」
「誘われればね!」
実は思念のホットラインが、と初めて聞かされた恐ろしい話。思念のホットラインって…?
「え、それは…。君たちがぼくの世界へ思念を送るのはまず無理だろう?」
「最初からやろうと思いませんが!」
用も無いですし、とシロエ君が一刀両断。ソルジャーは「そうだろうねえ…」と頷いて。
「だけどノルディはそうじゃない。ぼくを誘いたいタイミングもあるし」
美味しい店を見付けた時とか、暇な時とか…、と言われれば、そうかも。
「そんな時にね、ぼくが覗き見をしてればいいけど、していなければ通じないだろう?」
「通じないだろうね」
ノルディの思念もその程度、と会長さん。
「それで、ホットラインがどうしたって?」
「せっかくのお誘いを無駄にしたくはないからねえ…。こう、シャングリラ全体に思念を張り巡らせるのと同じ要領で! ノルディとぼくとの間に一本、思念の糸が!」
「「「ええっ!?」」」
流石の食い意地、ランチやディナーのためにそこまで…。
「いけないかい? その糸を伝って思念が来るわけ、出掛けませんか、と!」
「「「うわー…」」」
恐るべし、思念のホットライン。別の世界との糸電話か、と恐れ入っていれば。
「そんなトコかな。とにかく、今日もお誘いがあって、素敵なお店に行ったんだけれど…」
「其処で素晴らしい食器でも出て来たのかい?」
でなければ床の間に国宝級の焼き物が飾ってあったとか…、と会長さんが尋ねると。
「床の間じゃなくて、玄関だったね。それと入口」
「「「入口?」」」
玄関はともかく、料亭の入口。そんな所に国宝級の焼き物なんかを置くでしょうか? いくら高級料亭が並ぶパルテノンでも酔客はいます。入口じゃ酔っ払いに割られてしまっておしまいってことになりませんか…?
「それはまた…。えらく剛毅なお店だねえ…」
会長さんも同じことを考えたようなのですが、ソルジャーの方は。
「そうかなあ? 何処もけっこう置いているけど?」
「そうなのかい? これでも店には詳しいつもりだったんだけどなあ…」
「見落としてるんじゃないのかい? サイズの方も色々だしね」
「サイズ?」
なんのサイズ、と会長さん。
「その焼き物には何か統一規格でも? 最近始めた企画か何か?」
雛祭りにはちょっと早すぎだけど、と会長さんは首を捻りながら。
「店の自慢の工芸品とかを店先に飾ることはあるしね…。揃いの灯篭を置いてみるとか、そんなイベントも無いことはない。そっち系かな、焼き物の灯篭もあるからね」
「うーん…。中身は多分、空洞だろうけど…」
「灯篭かい?」
「灯篭って明かりが灯るヤツだよね? そういう風にはなっていないよ」
置いてあるだけ、という答え。店の入口にドンと置かれていて、店によっては隣に盛り塩。
「あの盛り塩ってヤツも、何だか分かっちゃいなかったけど…。商売繁盛なんだってね?」
「正確に言うなら、お客さんを呼ぶためのものだよ」
プラス魔除けも兼ねているかな、と会長さんの解説が。遥か昔に中華料理の国で始まったらしい盛り塩なるもの。後宮、いわゆるハーレムに向かう皇帝のために置かれたそうで。
「なにしろ皇帝のハーレムだしねえ、女性の数も半端じゃなくて…。何処へ行こうか、皇帝の方でも悩んじゃうから、羊にお任せっていうことになった」
「「「羊?」」」
「牛って説もあるけどね。とにかく自分が乗ってる車を引く動物にお任せなわけ。それが止まった所に行こう、というわけさ。それで迎える女性の方が編み出したアイデアが盛り塩なんだよ」
動物は塩を舐めたがるもの。野生の鹿などが山の中で塩を含んだ場所に集まるというほどらしくて、盛り塩に惹かれた羊だか牛だかは其処でストップ、女性は見事に皇帝をゲット。
「そういう故事に因んで、盛り塩。それと清めの塩を兼ねてて、魔除けだね」
「ふうん…。そうなると盛り塩も侮れないねえ、由来はハーレムだったのかあ…」
魅力的だ、とソルジャーの瞳が輝いてますが。盛り塩の由来がハーレムと聞いて喜ぶようなソルジャーが目を留めた焼き物とやらは、いったいどういう代物でしょう?
「んーと…。盛り塩がそういう由来だとすると、あの入口の焼き物の方もやっぱり…」
「「「は?」」」
料亭の入口にはけっこう置かれていると聞いた焼き物。中が空洞らしい焼き物、何か由緒がありそうだとか…?
「ノルディが言うには、あれも商売繁盛なんだよ! しかもデカイし!」
「えっ? さっきサイズは色々だ、って…」
君が言った、と会長さんが問い返せば。
「そうだよ、焼き物のサイズは色々。だけど形はほぼ共通でさ、それは素晴らしい特徴が!」
「どんな特徴?」
「デカイんだよ!」
とにかくデカイ、とソルジャーは両手を広げてみせて。
「ノルディの話じゃ八畳敷って言ったかなあ…。それくらいはあると言うらしくって!」
「何が?」
「その焼き物の袋のサイズ!」
それが八畳、と言われても何のことやらサッパリ。顔を見合わせた私たちですが、ソルジャーは。
「分からないかな、見たこと無いとか? こう、店の入口にタヌキの焼き物!」
「「「タヌキ!?」」」
アレか、と誰もが思い出しました。高級料亭に限らなくても、いえ、どちらかと言えばむしろ普通のお店の方が高確率で置いているタヌキ。ユーモラスな顔のタヌキの焼き物、笠を被って徳利を提げて、お通い帳を持ったタヌキの置物…。
「分かってくれた? アレのアソコが凄くデカイね、とノルディに言ったら八畳敷だと!」
その上で宴会が出来るほどだと教えてくれた、と凄い話が。タヌキの置物でデカイ所で、ソルジャーが目を付けそうな部分はアソコ以外にありません。ちょっと言いたくない、下半身。
「そう、それ、それ! 金袋って言うんだってね!」
お金が入る商売繁盛の縁起物で…、とソルジャーの口調が俄然、熱を帯びて。
「タヌキが人を化かす時には巨大な袋を頭に被ると教わったよ? そして宴会を繰り広げる時は、袋をお座敷に仕立ててドンチャン、それが八畳敷ってね!」
そんな特大の袋に見合ったイチモツも持っているであろう、とソルジャーは例のタヌキに惹かれた模様。
「盛り塩の由来がハーレムだったら、あのタヌキだってハーレムだとか?」
きっと素敵な由来だよね、と言ってますけど、あのタヌキっていうのはそうなんですか?
「タヌキは無関係だから!」
ハーレムとはまるで関係ないから、と会長さんが切って捨てました。
「あれはあくまで縁起物! 八畳敷は大きな袋でお金が入るって意味だけだから!」
「…たったそれだけ?」
「そう、それだけ!」
だから商売繁盛のお守りで入口に置かれているのだ、と会長さん。ソルジャーは「うーん…」と残念そうな顔ですけれども、「じゃあ、もう一つの方!」と立ち直って。
「玄関には別のがあったんだよ! あれはどうかな?」
「別の焼き物?」
「うん。そっちはタヌキじゃなくって、猫で。ノルディがそれも商売繁盛なんだ、って」
「「「あー…」」」
招き猫か、と今度は一発で分かりました。ところがソルジャーはそれだけで止まらず。
「どっちの前足を上げているかで招くものが違うと教わったけど? 人を招くか、お金を招くか」
「そう言うけど?」
会長さんが返すと、「やっぱりね!」と嬉しそうに。
「人を招くならアレと同じだろ、盛り塩の理屈! 猫がハーレムで役に立つのかな、こっちに来いって呼び寄せるとか!」
「ハーレムじゃないから!」
「違うのかい?」
「招き猫はあくまでお客さんだよ、でなければ招いて危険を回避させたとか!」
猫に招かれて木の下から出た途端、その木に落雷といった由来もあるのだそうで。その一方で、お世話になった猫の恩返し。自分の置物を作って売って下さい、と夢の中で言われてその通りにすれば飛ぶように売れて儲かったとか。
「そんなわけでね、招き猫の方は良くてせいぜい縁結びだから!」
「縁結びだったら充分じゃないか!」
出会いの後には一発あるのみ、と飛躍してしまったソルジャーの思考。
「縁を結んだら身体もガッチリ結ばないとね! 一発と言わず、五発、六発!」
「「「………」」」
なんでそういうことになるのだ、と言うだけ無駄だと分かってますから、誰も反論しませんでしたが。ソルジャーの方は大いに御機嫌、上機嫌で。
「今日は来てみた甲斐があったよ、大いに収穫!」
もう最高だ、と御満悦。タヌキと招き猫とでどういう収穫…?
「工作はシロエが得意なのかい、と訊いた筈だよ」
最初に訊いた、とソルジャーは私たちをグルリと見回しました。
「ノルディとのランチで閃いたんだ。すっかり見慣れたタヌキと猫の焼き物だけれど、この二つは役に立つんじゃないかと!」
「…どんな風に?」
あまり聞きたくないんだけれど、と会長さんが訊き返すと。
「どっちも人を招くという上、タヌキは八畳敷だからねえ! 猫とタヌキを合体させれば、絶倫パワーを招き寄せるんじゃないかと!」
「「「ええっ!?」」」
斜め上すぎる発想でしたが、ソルジャーはそうは思わないらしく。
「八畳敷だと絶倫だろ? それだけのパワーが詰まっているからデカイんだしね! おまけにそれに見合ったイチモツ、焼き物だと控えめになっているけど、臨戦態勢になったらきっと!」
とてもデカイに違いない、と頭から決め付け。
「でも、タヌキだけでは弱いんだ。商売繁盛に走ってしまうし、其処に招き猫のパワーをプラス! 人を招くならエロい人だって招ける筈だよ!」
ヤリたい気持ちの人を招いてガンガンやるべし、と強烈な理論。
「つまりは合体させたパワーがあればね、ぼくのハーレイのヤリたい気持ちがMAXに! 今でも充分満足だけれど、更にググンとパワーアップで!」
其処へタヌキの八畳敷の御利益がプラスで疲れ知らず、と凄い解釈。
「しかも盛り塩が横に置かれているってケースも多いしねえ…。タヌキの中には長年の内に盛り塩パワーも蓄積されているに違いないと見た!」
ハーレムへようこその盛り塩なのだ、と仕入れたての知識も早速炸裂。
「要はタヌキと招き猫を合わせた焼き物があれば! それを青の間に置いておいたら、夜の生活がグッと豊かに!」
「…君のぶるぅに割られるだけだと思うけど?」
悪戯小僧に、と会長さんの冷静な意見。
「…ぶるぅ?」
「そう、ぶるぅ。そんな焼き物を作って飾れば、割られてしまうか悪戯描きか…。如何にもぶるぅがやりそうだしねえ、作る以前の問題だね」
馬鹿な努力をするだけ無駄だ、と鋭い指摘が。確かに「ぶるぅ」が悪戯しそうな気がします。タヌキだけでもユーモラスなのに、招き猫との合体とくれば悪戯心を刺激されますよ…。
「ぶるぅか…」
それは盲点だった、とソルジャーが呻き、終わったかと思った珍妙な計画。けれど相手は不屈のソルジャー、SD体制とやらで苦労しつつもしぶとく生きている人で。
「うん、その点なら多分、大丈夫! 夫婦円満の神様なんだ、と言っておくから!」
「「「えっ!?」」」
「そう言っておけば、ぶるぅ対策はバッチリってね! ぼくたちの仲が円満でないと困るしね?」
どちらかが「ぶるぅ」のパパでママだし、とソルジャーは負けていませんでした。
「ぼくたちが夫婦喧嘩となったら、ぶるぅにだってトバッチリが行くし…。そうならないための神様だったら、まず悪戯はしないってね!」
「…そ、それじゃあ…」
会長さんの声が震えて、ソルジャーが。
「作って欲しいんだよ、その神様を!」
「「「!!!」」」
ひいぃっ、と叫んだのが誰だったのか。招き猫とタヌキが合体した焼き物、私たちに作れと言うわけですか?
「だってさ、ぼくは手先が不器用だしね? 粘土細工なんかはとてもとても」
それに焼き物にも詳しくないし、とソルジャーは溜息をつきました。
「ぼくのシャングリラじゃ食器とかも作っているけれど…。こっちの世界と焼き方が違うと思うんだ。だからね、パワーのこもった神様を作るならこっちの世界で!」
よろしく、と頭を下げられましても。…そんな焼き物、誰が作るの?
「工作はシロエが得意なんだろ? だけど君たち、粘土細工に馴染んでいそうな感じだしねえ…」
幼稚園の頃からやるんだったら、と言われて背筋にタラリ冷汗。この流れだと、もしかして、もしかしなくても…。
「よし、決めた! 神様を作ってくれる人数は多いほど御利益がありそうだしねえ、此処は君たち全員で! もちろん、ブルーも、ぶるぅもだよ!」
みんなで粘土をこねてくれ、と嫌すぎる方へと突っ走る話。
「「「…み、みんなで…?」」」
「そう! 粘土はぼくが調達するから、明日にでも!」
ブルーの家で神様を作ろう、とソルジャーは決めてしまいました。明日の土曜日は会長さんの家に集まり、粘土をこねる所から。しっかりこねたらタヌキと招き猫とを合体させた神様とやらを作るそうですが、私たち、いったいどうしたら…。
一方的に決められてしまった、土曜日の予定。全然嬉しくない予定。しかし逆らったら何が起こるか考えたくもなく、翌日の朝から私たちは会長さんの家を訪ねる羽目に陥りました。バス停で集合した後、重い足を引き摺って出掛けて行って、チャイムを鳴らすと。
「かみお~ん♪ ブルー、もう来ているよ!」
みんなで工作するんだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎え。家事万能でも基本がお子様、幼稚園児なレベルですから粘土細工というだけでワクワクらしく。
「入って、入って!」
「…邪魔するぞ…」
俺はお邪魔したくはないんだが、とキース君が零した言葉は誰の心にもある言葉。それでも靴を脱いで上がるしかなく、案内されてリビングに行けば私服のソルジャーが。
「やあ、おはよう。今日はよろしく頼むよ」
これが粘土で…、とリビングに敷かれたビニールシートの上に塊がドンと。会長さんが頭を振り振り教えてくれた所によると、最上級の粘土だそうで。
「ブルーときたら、タヌキで有名な陶芸の町に朝一番から出掛けて行ってさ、ちゃんと買って来たらしいんだよね…。後は造形するだけ、ってヤツを」
「そうなんだよ! こねて貰おうと思ってたけど、其処で訊いたらこねるのは大変らしくてねえ…。プロでも機械を使うと言うから、後は形を仕上げるだけ、っていうのを買って来たんだよ」
こねる苦労をしなくていい分、頑張ってくれ、という台詞。
「これを焼く方もね、焼いてくれると言っていたから…。情報操作はちゃんとしてあるし、何を焼いても大丈夫! さあ、作ろうか!」
「…な、中を空洞に仕上げるというのが無理じゃないかと思うんですが!」
ぼくたちは素人集団なんです、とシロエ君が叫ぶと、ソルジャーは。
「ああ、そのくらいはサイオンでなんとかなるってね! ぼくは手先は不器用だけれど、サイオンの方ならドンとお任せ!」
出来上がったら中身をクルッとくり抜くだけ、と余裕の微笑み。だったら最初からサイオンで作ればいじゃない、と誰もがすかさず突っ込みましたが。
「ダメダメ、ぼくにはその手の才能も無くってねえ…。こんな風にしたい、と思いはするけど、それを形に出来ないんだな」
ゆえに監督に徹するのだ、とソルジャーは床にドッカリ座って。
「とりあえず、基礎から作って行こうか。招きタヌキ猫」
「「「…招きタヌキ猫…」」」
それはどういう代物なのだ、と訊くだけ無駄というもので。私たちは粘土の塊を相手に戦うこととなりました。タヌキと招き猫とを合わせて、招きタヌキ猫…。
現場監督なソルジャーの注文はなかなかにうるさく、細かいもの。出来上がりサイズは高さ八十センチといった所で、下手に小さく作るよりかは楽なのですけど。
「基本はタヌキで行きたいんだよ。なんと言っても八畳敷だしね!」
「「「はいはいはい…」」」
タヌキですね、と頭の中にある例のタヌキをイメージしつつも大体の基礎を作り上げてみれば。
「うーん…。それだと猫とバランスが取れないか…」
「「「は?」」」
「ちょっと変更、座った形にしてくれる? こう、猫っぽく」
今からかい! と怒鳴りたい気持ちをグッと堪えて、招き猫っぽく座った形に。それはソルジャーのお気に召したのですけど、さて、其処からが大変で。
「形を猫っぽくしちゃったからねえ、顔はタヌキでいいと思うんだ。頭に笠を被せるのを忘れないでよ? でもって、タヌキは下半身がとても大切だから…」
尻尾は猫でも八畳敷はしっかりと、という御注文。上げる方の前足は人を招く右、エロい人をしっかり招けるように。下ろしてある左手に小判を持たせて、右の腰にはお通い帳。
「お通い帳はさ、しっかり通って貰うためだと聞いたんだよ」
粘土を買いに行って来た時に、とソルジャーは知識を披露しました。他にも色々教わったそうですが、自分にとって大事な部分を除いて全て忘れてしまった様子。
「うんうん、いい感じに出来てきたかな。それじゃ大事な八畳敷に取り掛かろうか!」
特大の袋とイチモツをよろしく、と頼まれたものの、そんな部分を作りたい人が居る筈もなくて。
「…キース先輩、どうですか?」
「工作はお前の得意技だろうが!」
「でもですね…。そうだ、ジョミー先輩なんかどうでしょう?」
「どういう根拠でぼくになるのさ!」
醜い押し付け合いが始まりましたが、思わぬ所から救いの神が。
「えとえと…。なんで作るの、やめちゃったの?」
招きタヌキ猫さん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「あとちょっとで出来上がりそうなのに…」
「その部分を作りたくないんですよ!」
シロエ君がズバッと言い切ると、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「えーっ!?」と叫んで。
「かわいそうだよ、出来上がらないなんて!」
ぼく、頑張る! と小さな両手でせっせ、せっせと作っちゃいました、ソルジャー御注文の八畳敷。座布団よろしく自分の袋の上に座った招きタヌキ猫と、そのイチモツを…。
「うん、いいね!」
イメージどおりに仕上がったよね、とソルジャーは招きタヌキ猫を眺め回して。
「後は、盛り塩…」
「「「盛り塩?」」」
「そう! タヌキのパワーに入ってるかもしれないけれども、念には念を!」
盛り塩をするためのスペースも要る、と指差した場所はイチモツの真下あたりの座布団、いえいえ、八畳敷の金袋。
「この辺りにねえ、盛り塩を置けるよう、専用の窪みが欲しいんだな!」
「「「………」」」
誰が触るか、と再び始まる押し付け合い。結局、今度も「そるじゃぁ・ぶるぅ」が粘土を押して窪みを作って、ようやくソルジャー御希望の招きタヌキ猫が完成したかと思ったのですが。
「まだまだ、仕上げが残ってるんだよ!」
「もう出来てるだろ!」
これ以上の何を、と会長さんが怒鳴ると、ソルジャーは。
「お通い帳はそのままでいいけど、小判に書く文字!」
此処に達筆で「絶倫」の二文字が欲しいのだ、と言い出してしまい、今度は会長さんとキース君とが言い争いに。
「君が書いたらいいだろう! 副住職なら書道も必須!」
「それを言うなら、あんたの方だと思うがな! 伝説の高僧は書も得意だろう!」
「ぼくの右手はそういう風には出来ていないよ!」
「俺だってそうだ!」
君だ、あんただ、と坊主同士の舌戦が。お互いの辞書に「譲る」という文字はまるで無いらしく、どちらも一歩も引かぬ構えで睨み合い。どうなるのだろう、と見守っていれば。
「はいはい、そこまで~!」
ソルジャーが割って入りました。
「二人とも腕には覚えがある、と。それじゃ一文字ずつ書いてくれるかな、こう、絶倫と!」
「「い、一文字…」」
会長さんとキース君は顔面蒼白、しかしソルジャー、一歩も譲らず。二人のお坊さんは泣きの涙で粘土用のヘラを握ると。
「…ぼ、ぼくの絶筆って覚悟で一文字…」
「…俺は倫理を重んじてだな…」
書くか、と会長さんが「絶」の字、キース君が「倫」。まるで別々の人が書いたのに、見事にバランスの取れた「絶倫」の二文字、流石はプロのお坊さんかも…。
こうして出来上がった招きタヌキ猫はソルジャーの魂に響いたらしくて、何度もウットリと撫で回してからサイオンで中身を「よいしょ」とくり抜き。
「こんなものかな、厚みの方は、と…」
狂いが出ていないかサイオンで透視しているみたいです。あまりに厚みが違いすぎると焼く時にヒビが入る恐れが、と聞いて来たそうで。
「上手くくり抜けたみたいだね。後は工場で釉薬とかをかけて貰って、と…」
「色は其処でつけてくれるのかい?」
会長さんが尋ね、ソルジャーは「うん」と。
「ノルディに訊いたら、縁結び用の招き猫はピンク色らしいから…。タヌキの町の工場にピンク色はあるかと訊いたら、ちゃんと揃っているらしいから!」
焼き物の町は流石だよね、とソルジャーは実に嬉しそう。
「招き猫だって作ってるらしいし、プロの職人さんがぼくのイメージどおりに塗ってくれるって! この素晴らしい招きタヌキ猫を!」
そして釉薬をかけて窯で焼き上げてくれるのだ、と言いながら両手でペタペタと触りまくってますから、何をしているのかと思ったら。
「乾燥だよ! 乾かさないとね、着色も焼くことも出来ないから! 只今サイオンで乾燥中!」
「そういう細かいことが出来るのに、なんで形を作れないわけ!?」
会長さんが顔を顰めましたが、ソルジャーは「不器用だから」とケロリと一言。
「くり抜くだけとか、乾かすだとか。そういった作業は単純なんだよ、一から何かを作るってわけじゃないからね!」
ぼくには芸術とかの類は無理で…、と語るソルジャー。まあ、いいですけど…。
「というわけでね、招きタヌキ猫、来週までには出来上がるから!」
「「「来週?」」」
「そう! 大切な神様の像だからねえ、じっくりと焼いて貰わないとね!」
これから預けて彩色とかも…、と私たちの力作を抱えたソルジャーは瞬間移動でヒョイと姿を消し、ほんの一瞬で戻って来て。
「はい、サイオンでパパッと伝達、注文通りに着色仕上げ! 後は来週のお楽しみ!」
「「「…お楽しみ?」」」
「決まってるだろ、招きタヌキ猫のお披露目だよ!」
もちろん立ち会ってくれるよね? と有無を言わさぬド迫力。来週の土曜日はピンク色に染まった招きタヌキ猫がお目見えですか、そうですか…。
嫌だと泣こうが、お断りだと喚き散らそうが、逃れられない招きタヌキ猫のお披露目とやら。口にしたくもなく、もう忘れたいと暗黙の了解、お口にチャック。誰も何も言わず、触れないままに一週間が過ぎ、ついに当日。
「…いよいよか…」
「いよいよですね…」
とうとうこの日が来ちゃいました、とシロエ君。先にぼやいていたのがキース君で。
「…俺は朝から嫌な予感がするんだが…」
「えっ、なんで?」
何かあったとか、とジョミー君が。キース君は「まあな」と会長さんが住むマンションへ向かう道中でボソリ。
「朝一番には本堂でお勤めが俺の日課なんだが…。今朝に限って蝋燭の火が」
「「「…火が?」」」
「風も無いのに、フッと消えてな」
「「「そ、それは…」」」
コワイ、と誰もがブルブルと。さながら怪談、とはいえ冬。隙間風だって入るでしょうから、偶然というヤツでしょう。現に今だってピューピュー北風、元老寺の本堂の中だって…。
「俺だってそうだと思いたい。だが、胸騒ぎがするんだ、何故か!」
「い、言わないでよ…」
怖くなるから、とジョミー君が肩を震わせ、マツカ君も「やめておきませんか?」と。
「それこそ言霊の世界ですよ」
「…そうかもしれん。何事も無ければいいんだが…」
南無阿弥陀仏、というお念仏の声に、ウッカリみんなで唱和しちゃいました。寒風吹きすさぶ歩道を歩く高校生の団体様が「南無阿弥陀仏」の大合唱。犬の散歩中のお爺さんが振り返って、足早に私たちの方へと近寄って来て。
「寒行ですか、ご苦労様です」
温かいものでも食べて下さい、とキース君の手にお札を一枚。
「あ、ありがとうございます!」
「いえ、修行、頑張って下さいよ!」
感心、感心…、と立ち去ってゆくお爺さん。何か勘違いされたようですけど、ピンポイントで本職を狙って御布施とは流石。まさに年の功、キース君が深々と頭を垂れて拝んでますから、お爺さんにはいいことがありそうです。でも、私たちは…?
通りすがりのお爺さんの幸福を祈ったまではいいのですけど、問題は私たちの方。元老寺の御本尊様にお供えした蝋燭が消えたと聞くと、嫌な予感しか無いわけで…。
「…いいか、押すぞ?」
キース君が会長さんの家のチャイムを押し、ドアがガチャリと中から開いて。
「かみお~ん♪ 招きタヌキ猫さん、もう来ているよ!」
とっても可愛く出来上がったの! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねています。
「そ、そうか…」
「早く見て、見て!」
ピョンピョン跳ねてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」に案内されたリビングには燦然とピンクの像が置かれていました。招きタヌキ猫。頭に茶色の笠を被って、左手に「絶倫」の二文字が輝く金色の小判。お通い帳をぶら下げ、座布団代わりに赤く塗られた八畳敷の金袋が。
「「「………」」」
出来てしまったのか、と絶句していれば、私服のソルジャーがニコニコと。
「凄いだろう? 後はお性根を入れるだけなんだよ」
「「「…オショウネ?」」」
「うん。こういう神様を作ったんだよ、ってノルディに言ったら、ちゃんとお性根は入れましたか、って訊かれちゃってさ」
お祭りするには「お性根」なるものを入れて貰わないと駄目なんだってね、という話。なんですか、そのお性根とやらは…、ってキース君、顔色が真っ青ですよ?
「キース先輩、どうかしましたか?」
「…ろ、蝋燭……」
「蝋燭?」
何のことだい、とソルジャーが首を傾げて、会長さんも「どうかしたかい?」と。
「い、いや…。何でもない」
「そういう顔には見えないけどねえ? …って、ああ、なるほど…」
分かった、と頷いた方は会長さんで。
「朝のお勤めでそんな事件がねえ…。だったら、君に任せたってね」
「なんだって!?」
「嫌な予感がしてたんだろう? つまりはそういうことなんだよ。君が主役だ、開眼法要」
「「「開眼法要?!」」」
何ですか、それは? お性根とやらと何か関係ありますか…?
「お性根を入れる。それが開眼法要なんだよ」
これをやらないと神様も仏様も効力を発揮しないのだ、と会長さんが言い、ソルジャーが「そうらしいんだよ」と招きタヌキ猫を撫で擦っています。
「それが必要だと言われちゃったし、ブルーに頼んでいたんだけれど…。渋られちゃって」
「そいつを俺にやれと言うのか!」
「予感があったなら、それも御縁というものなんだよ!」
この際、腕前は問わないのだ、とソルジャーは出来たての招きタヌキ猫の頭をポンポンと。
「断りまくってるブルーなんかより、御縁の深そうなキースってね! それでこそ御利益!」
だからよろしく、と差し出された御布施。熨斗袋に入ったソレは作法通りに出されたらしくて、此処へ来る前に犬の散歩中のお爺さんに握らされた御布施も見事にキャッチしていたキース君は条件反射というヤツです。押し頂いて深々と一礼してしまい…。
「…ちょ、ちょっと待て!」
手が勝手に、という言い訳が通るわけがありませんでした。会長さんに「任せた」と肩を叩かれ、ソルジャーからは「どうそよろしく」とお辞儀され…。
「…お、俺がやるのか?」
「出来なくはないだろ、副住職」
作法は一通り習ってるよね、と会長さんが駄目押しを。ついでに元老寺から瞬間移動で法衣が取り寄せられ、必要な仏具も揃ってしまい…。
「…く、くっそお…」
やるしかないのか、とキース君がゲストルームへ着替えに出掛けて、その間にリビングに会長さんが祭壇の用意を。中央に招きタヌキ猫が据えられ、その前に蝋燭にお線香など。キース君の嫌な予感は当たりまくりで、とんでもないモノの開眼法要をさせられる羽目に。
「…仕方ない、やるぞ」
法衣に輪袈裟の略装ではなく、キッチリと袈裟。しかも法衣も墨染ではなく、キース君のお坊さんの位に見合った色付きの立派なもので。
「嬉しいねえ…。これで招きタヌキ猫も立派な神様になるってね!」
感激の面持ちのソルジャーを、キース君がキッと振り向いて。
「間違えるな! 坊主の俺がお性根を入れるからには仏様だ!」
「うんうん、どっちでもいいんだよ、ぼくは」
効きさえすれば、とソルジャーが促し、招きタヌキ猫の開眼法要が厳かに執り行われました。法要が終わるとソルジャーはピンクの招きタヌキ猫をしっかり抱えて自分の世界に帰ってしまい…。
キース君のヤケクソの祈祷が効いたか、招きタヌキ猫の形そのものに凄いパワーがあったのか。八畳敷の金袋な座布団の上に盛り塩をされた像の効き目は抜群らしくて。
「ブルーは熱心に拝んでいるらしいねえ…。アレを」
「そのようだな」
あいつの報告の中身は理解不能なんだが、とキース君。あれ以来、ソルジャーは何かと言えば押し掛けて来てキャプテンの凄さを自慢しています。ヌカロクがどうの、絶倫がどうのと。
「ぶるぅの悪戯も無いようですねえ、夫婦円満の神様だけに」
割られずに済んで本当に良かったじゃないですか、とシロエ君がホットココアを口に運んだ土曜日の午後。会長さんの家のリビングは暖房が効いて、雪模様の外とは別世界です。まさに天国、と思った所へ。
「割れちゃったんだよーっ!」
何の前触れもなく飛び込んで来た人影、紫のマント。ソルジャーが泣きそうな顔で、手には袋が。
「割れたって…。何が?」
会長さんの問いに、ソルジャーは袋を指差して。
「…ま、招きタヌキ猫…。…粉々に割れて、たったこれだけ…」
他の破片は青の間の水槽に落ちて溶けてしまって回収不能、と言われましても。
「…ぶるぅかい?」
会長さんが訊くと、ソルジャー、首をコクコクと縦に。ほらね、どうせ割られるってあれほど言ったのに…。
「違うんだってば、悪戯じゃないんだ! ぶるぅは招きタヌキ猫をパワーアップさせようと思って頑張ったんだよ、八畳敷をもっと広げようと! サイオンで!」
だけど相手は焼き物だから…、と嘆くソルジャーは「ぶるぅ」に像の説明をちゃんとしたのか、しなかったのか。焼き物の像を大きくするなど、いくら「ぶるぅ」がタイプ・ブルーでも絶対に不可能、粉々に割れてしまって当然で…。
「ど、どうしたらいいと思う? もう一度、君たちに頼んで一から…」
「いや、その前にお性根を抜かんと駄目だと思うぞ」
抜いてやろう、とキース君が袋に手を伸ばし、ソルジャーが「駄目!」と。
「抜いたら二度と入れてくれないんだろう!?」
「当たり前だろうが、誰が入れるか!」
「それは困るんだよーっ!」
ぼくの大事な招きタヌキ猫、と絶叫するソルジャーを助けようという人はいませんでした。一度は手に入れた絶倫の神様、招きタヌキ猫。私たち、二度と作る気は無いんですけど、どうします? 一から自分で作りますかね、思い切り不器用らしいですけどね…?
焼き物の効果・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ソルジャーの希望で誕生した焼き物、招きタヌキ猫。八畳敷の話は昔話で有名です。
結局、割れちゃったわけですけれども、効果は抜群だった模様。イワシの頭も信心から…?
次回は 「第3月曜」 2月18日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、1月は、いつになく楽なお正月に始まり、ツイていたのに…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
「じゃあ、明日、いつものトコでな!」
うん、と声を揃える友人たち。学校の帰り際、明日の待ち合わせについての確認。今日は金曜、明日は学校が休みだから。
行き先は特に決まっていないけれども、集まって何処かで遊びと食事。ジュースなども買ったりするのだろう。それに立ったままで食べられるフライドポテトやポップコーンだって。
約束した後、ワッと散って行った友人たち。部活に、家に、あるいは寄り道コースへと。
明日に備えての待ち合わせ。場所と時間をみんなで決めて。
ブルーは明日は行かないけれど。ハーレイが訪ねて来てくれると決まっているから、友人たちと出掛けることなどしない。自分の家でハーレイを待って、二人で話して、お茶に食事に…。
(そっちの方が幸せ…)
ぼくは断然そっちがいい、と学校を後にして、帰りのバスに乗り込んだ。バス通学の友人は誰もいないから、自分だけ。お気に入りの席が空いているのを見付けて、其処へストンと腰掛ける。
走り出したバス、流れてゆくバスの窓越しの景色。友人たちの明日の待ち合わせ場所は…。
(あっちの方…)
バスの窓からは見えないけれど。大通りから少し入った、学校から近い公園の前。
明日、その時間に出掛けて行ったら、友人たちが集まっているのだろう。制服ではなくて、皆がバラバラの服。好みの服に、通学鞄とは違った鞄を持って。
何処へ行こうかと相談しながら歩き始めて、過ごす休日もいいけれど。楽しいけれども、明日は予定があるから。ハーレイと会える土曜日だから。
友人たちと出掛けるよりも、と高鳴る胸。「明日はハーレイが来てくれるんだよ」と。
もう長いこと、待ち合わせというものをしていない。
何時に此処で、と決めて集まる待ち合わせ。友人たちはいつもしているけれども、一緒に遊びに行かないから。休日はハーレイと自分の家でお喋りに食事、それがブルーの定番だから。
(みんなと遊びに行ってないけど…)
付き合いが悪いとは誰も言わない。一度くらいは出掛けて来いとも言われない。
皆、聖痕があることを知っているから、ハーレイと会うのが大切だと分かってくれている。一度だけ起こした大量出血。学校から救急搬送された聖痕現象。あれを再発させないためには守り役のハーレイと頻繁に会うことが必要なのだ、と。
一緒に遊びに出掛けられなくても、気にしていない友人たち。学校で会えば何処へ行ったのかを話してくれるし、愉快な出来事が起こっていたなら、その報告も。
おまけに羨ましがられたりもする、「いいよな、ハーレイ先生が来てくれるなんて」と。学校で人気の高いハーレイ、柔道部員でなくても憧れの男性教師。大人気のハーレイを独占出来る休日はとても楽しそうだと。
(前の待ち合わせ…)
友人たちと遊びに出掛けた休日。ハーレイが来られないと分かっていた日に、待ち合わせて。
約束の場所に時間通りに行ったら、「おう!」と手を振ってくれた友人たち。「何処に行く?」などと賑やかに騒いで、待ち合わせ場所だった公園で暫く遊んで…。
それが最後の待ち合わせ。友人たちとは遊ばない休日が続いている自分。
(みんなと行くのも楽しいんだけど…)
気の合う友人たちとの休日。遊んで、食事して、おやつやジュース。
待ち合わせもまた、遊びに向けてのカウントダウンで心が弾む。一人、また一人と増える友人、時には時間に酷く遅れた友人が「悪かった!」と何かおごってくれたり。
下の学校の頃から何度もした待ち合わせ。今はすっかり御無沙汰だけれど。
家の近くのバス停に着いて、バスから降りて歩き始めて。
(みんなは、明日はいつもの公園…)
何時だっけ、と友人たちが言っていた時間を思い出し、「うん」と頷く。十時に、公園。
(ハーレイが急に来られなくなっても…)
公園へ行けば友人たちに会える、遅れないよう十時に出掛けてゆけば。明日の朝になって、急に予定が駄目になっても、ハーレイから「今日は行けない」という連絡が来ても。
独りぼっちの日にはならない、友人たちの待ち合わせ場所と時間を知っているから。ハーレイが駄目でも代わりに友達、何処かで遊んで、食事もして。
(…ハーレイと会うのが駄目になるなんて、嫌だけどね)
友人たちと遊びに行くのも、けして悪くはないけれど。ハーレイと会える方がいいから、予定は潰れて欲しくない。「今日は行けない」という連絡なんかは来て欲しくない。
けれど、頼もしい待ち合わせ。友人たちが集まる場所と時間が分かっているということ。
みんなが「明日は此処で」と交わした約束、いきなり自分が混ざってもいい。その時間に公園へ出掛けてゆけば。「ぼくも!」と十時に遅れずに行けば。
そうするよりは、ハーレイと過ごしたいけれど。断然、ハーレイなのだけれども。
ハーレイと二人の土曜日がいい、と考えながら家に帰って、おやつを食べて。
「明日はハーレイと二人でおやつを食べられるんだよ」と弾む足取りで部屋に戻って、勉強机の前に座って。「待ち合わせよりも、ハーレイと家にいるのがいいよ」と思ったけれど。
(そういえば…)
今の今まで全く気付いていなかったこと。待ち合わせはどういうものかということ。
場所と時間を決めて待ち合わせ、友人たちとするものだと頭から思い込んでいて、ハーレイとは結び付けてもいなかったけれど。
よく考えたら、ハーレイとだって出来るのだった、待ち合わせは。今は出来ないというだけで。
ハーレイとは家でしか会えないから。デートに行けない自分だから。
けれど、家の外でもハーレイと会えるようになったなら。二人で出掛けられるようになったら、待ち合わせだって出来るようになる。
この時間に此処、と二人で決めて。其処で待ち合わせて、それからデート。
ハーレイとも出来る待ち合わせ。この時間にと、此処で会おうと。
(…いつ出来るの?)
此処で、と決めて待ち合わせ。友達ではなくて、ハーレイと。
デートに行けるようにならないと、待ち合わせなどは出来ないのだから、ずっと先のこと。
どう考えても何年も先で、今の学校の生徒の間は無理で。
当分の間は出来そうもない待ち合わせ。ハーレイと時間と場所を決めて会うこと、待ち合わせて何処かへ出掛けること。
まだまだ無理、と溜息をついて、ハーレイの顔を思い浮かべて。
(前のぼくは…?)
ハーレイとは本物の恋人同士だったのだから、待ち合わせだって、と遠い記憶を探ったけれど。
白いシャングリラで暮らした頃の記憶を辿ったけれども、まるで無かった待ち合わせの記憶。
考えてみたら、していなかった。ただの一度も、前のハーレイとの待ち合わせは。
強いて言うなら、会議や視察に出掛けるための待ち合わせくらい。ブリッジの入口や、会議室に近い休憩室など、そういった場所で合流してから出掛けていた。
時間と場所とは決めたけれども、ソルジャーとキャプテンとしての待ち合わせ。デートどころか仕事のための待ち合わせだった、行き先はデートなどではなかった。
本物の恋人同士ではあったけれども、誰にも明かせない仲だったから。
恋人同士だと知られてはならず、デートにも行けなかったから。二人、こっそりと展望室などに行くのがせいぜい、待ち合わせなどは出来もしなくて、デートでさえも。
そうなってくると…。
(じゃあ、初デート…!)
前の自分たちがそれらしいデートをしていないのなら、今の自分たちが出掛けるデートが最初のデートで初デート。
(庭のテーブルと椅子もデートだけど…)
ハーレイとの初めてのデートは其処だったけれど、あれは普段と違う所で食事ならぬお茶の時間というだけ、本物のデートとは違うから。家から一歩も出ていないものをデートと呼ぶのは間違いだから。あれは本当のデートではなくて、初デートだとも呼びはしなくて。
初めてのデートは、まだずっと先。自分が大きく育ってから。
ハーレイと二人で何処かへ出掛ける、それが本当の初デート。そして初めての待ち合わせ。
デートに出掛けてゆくための。ハーレイとデートを始める前の。
(初めてのデートで、待ち合わせで…)
行き先が何処かも気になるけれども、待ち合わせ。場所と時間を決めてハーレイと会う。
此処で、と決めておいた場所に、決めておいた時間、その時間に行ったらハーレイに会える。
デートのための服を着込んだハーレイに。きっと笑顔でやって来るに違いないハーレイに。
考えただけでドキドキしてきた、ハーレイとの初めての待ち合わせ。
どんな気持ちになるのだろう?
二人で決めておいた場所。其処へ決めておいた時間に出掛けて、ハーレイを待っている自分。
友人たちとの待ち合わせですら、あれだけ心が弾むのだから。遊びの前のカウントダウンだと、弾んだ気持ちになるのだから。
デートともなれば、きっと心がはち切れそうになるのだろう。早くハーレイが来てくれないかと何度も時計を眺めてみたり、まだ来ないかとキョロキョロ辺りを見回したりして。
そう、きっと首を長くして待って、ハーレイが来たら大きく手を振って。
ひょっとしたら駆け出してゆくかもしれない、ハーレイが歩いて来る方へ向かって。
(うんと早く行って、ハーレイを待って…)
そうして駆け出す、ハーレイの姿が見えたなら。「此処だよ!」と大きく手を振ってから。
けれどハーレイなら、自分よりも早く来ていそうな気がしないでもない。
休日でも早起きしているらしいハーレイ、暗い内からジョギングに行く日もあるようだから。
待ち合わせとなれば、きっと早めに来るだろう。待たせてしまわないように。時間にたっぷりと余裕を持たせて、早い時間に家を出て。
(…ぼく、ハーレイを待たせる方?)
初めてのデートで待ち合わせだから、と張り切って行ったら、待ち合わせ場所にハーレイの姿。自分がやって来るのを見付けて、軽く手を上げて近付いて来る。きっと大股で颯爽と。
(待たせちゃう方…)
そんな気がして来た、初めての待ち合わせはハーレイに先を越されそうだと。
早く着いて待とうと思っていたのに、ハーレイが待っていそうだと。
(待っててくれるのもいいんだけれど…)
嬉しいけれども、自分も待ちたい。ハーレイが待ち合わせ場所にやって来るのを、見慣れた姿が現れるのを。
そうしたいなら、ハーレイよりも早く着いていないと駄目だから。時間通りに着いていたのでは間に合わないから、早めに行く。待ち合わせ場所へ、大急ぎで。
(でも、ハーレイだって…)
自分が早めに現れたならば、次からはもっと早い時間に来て待つだろう。待たせないように。
五分早めに到着したなら、次はハーレイも五分ほど早く。十分だったら、十分早く。
そうやってデートを重ねてゆく度、だんだん早くなってゆくかもしれない待ち合わせ時間。
この時間に、と決めた時間より五分も、十分も、十五分も早く。
お互い、先に着こうとして。恋人が来るのを自分が待とうと、競うように早く行こうとして。
それも楽しい、待ち合わせの時間が決まっていたって早く行くのも。どんどん早くなっていった末に、三十分も前から待つのが普通になってしまったとしても。
(…それでも待ち合わせ時間は決まってるんだよ)
待ち合わせ場所で出会った時間よりも、三十分も後であっても。とっくにデートに出掛けた後に時計が指すのが、その時間でも。
面白いよね、と考えていたら、来客を知らせるチャイムが鳴って。
明日は朝から来てくれる予定のハーレイが今日も、仕事の帰りに寄ってくれたから。これは是非とも話さなければ、とテーブルを挟んで向かい合うなり、ワクワクとして切り出した。
「ねえ、ハーレイ。今度は初デートで待ち合わせだよ」
「はあ?」
何の話だ、初デートはとっくに済ませただろうが。お前の家の庭で。
俺がキャンプ用のテーブルと椅子を持って来たのが初デートだったぞ、あそこの木の下。今でも別のが置いてあるだろ、お前の気に入りの白いテーブルと椅子が。
「あれは違うよ、初デートだけどデートじゃないよ!」
ぼくの家から出ていないんだもの、本物のデートとは違うと思う…。ハーレイと二人で何処かへ行くのがデートなんだよ、本物のデート。
前のぼくたちは展望室くらいしか行ってないから、本物のデートは今度が初めてになるんだよ。それに待ち合わせも初めてでしょ?
デートの前の待ち合わせ。場所と時間を二人で決めて。
前のぼくたちはやっていない、と瞳を輝かせて話したら。
待ち合わせはとても楽しそうだと、先に行って待とうと競争が始まってしまいそうだと、いつか二人で約束するだろう待ち合わせの予想をしてみせたら。
「ふうむ…。確かに俺は、お前を待たせるタイプではないな」
お前よりも先に着いていようと急ぐ方だな、それは間違ってはいないんだが…。
しかし、デートに行くんだろうが。
待ち合わせじゃなくて、俺が迎えに来るんじゃないのか、お前の家まで?
俺の車で、と返った答え。
デートに行くなら車だろうと。何処へ行くにも便利なのだし、遠出も出来ると。
「そうだけど…。迎えに来てくれるのも、車もいいけど、待ち合わせ…」
友達としかやってないけど、ハーレイとしたっていいんでしょ?
前のハーレイともやってないから、今度は待ち合わせをしたいんだよ…!
「待ち合わせって…。そうなってくると、不便だぞ?」
お前が言うような待ち合わせをするなら、俺は車を置いて出て来るか、でなけりゃ駐車場にでも置いておくしかないし…。
お前をサッと車に乗せてだ、直ぐにデートに出発ってわけにはいかないんだが?
「でも、やってみたいよ、待ち合わせ…!」
それにデートは会った時から始まるものでしょ、車が置いてある駐車場まで歩くのもデート。
車が無ければデート出来ないってことも無いから、車無しでのデートもいいし…。
ぼくは文句を言わないよ?
車があったら楽だったのに、って言いやしないし、待ち合わせてデートもしてみたいよ…!
「待ち合わせ、そんなにしてみたいのか…」
まあ、いいがな。
俺としてはお前を車で迎えに来たいわけだが、たまにはそういうデートもいいか…。
場所と時間をきちんと決めておいて、其処でお前に会うというのも。
今の時代ならではの待ち合わせだよな、と微笑むハーレイ。
そういうデートもいいだろう、と。
「えっ?」
今の時代って…。どういうこと?
待ち合わせっていうのはそういうものでしょ、時間と場所とを決めておくもの。
前のぼくたちだって待ち合わせをしたよ、デートのためではなかったけれど…。会議の前とか、視察の時とか、ハーレイと何度も待ち合わせたよ?
「したな、その手の待ち合わせってヤツは。…目的は仕事だったがな」
前の俺たちの時代も待ち合わせはあったが、それよりも前…。
SD体制が始まるよりも前の時代に、ちょっと変わった待ち合わせの形があったんだよなあ…。
遠い遥かな昔の地球。誰もが手軽に持ち歩ける通信機が作られ、普及していた。
その通信機さえあれば、いつでも、何処でも、声や文章を簡単に相手に届けられた時代。
いざとなったら通信機で連絡を取り合えばいいから、いい加減な待ち合わせをしていたという。時間も場所も曖昧に決めて、「このくらいの時間に、この辺りで」と。
「えーっと…。それで会えるの、そんな決め方の待ち合わせで?」
その時代は思念波なんかも無いのに、相手が何処で待っているのか、ちゃんと分かるの?
前のぼくたちなら、「今から行く」って思念を飛ばせば、居場所もきちんと分かったけれど…。
「会えたようだな、その時代のヤツらは。それで会えないなら、方法を変えるだろうからな」
そうは言っても、傍から見たら馬鹿みたいなすれ違いもあったようだが…。
道路を挟んで向かい側に相手がいるというのに、気付かないままで「何処だ?」と通信機で連絡し合っているとか。酷いのになったら、同じ歩道で「何処にいるんだ」と通信機で話をしながら、相手とバッタリ出会う代わりにすれ違って行ってしまうとかな。
「…そうなるだろうね…」
思念波が無くて、ただの通信機っていうだけだったら、ありそうだよね…。
思念波で話をしてるんだったら、すれ違う時や近付いた時に、共鳴するから気付くだろうけど。
今の時代は、そういう通信機は存在しない。人が人らしく過ごすために、と。
思念波も連絡手段としては使わないのが社会の常識、一種のマナー。
だから待ち合わせをするとなったら、場所と時間をきちんと決めることが大切、それが大前提。学校の帰りに友人たちが決めていたように。明日は十時に公園で、と。
友人たちとの待ち合わせも心が弾むけれども、同じ待ち合わせをするのなら…。
「ハーレイを待ってみたいよ、何処かで」
待ち合わせをしてデートしようよ、ハーレイの車は抜きでも、駐車場でもかまわないから。
ぼくはハーレイを待ってみたいんだよ、もうすぐ来るかな、ってドキドキしながら。
「俺はお前を待たせはしないが?」
さっきも言ったが、待たせるよりかは待つタイプでな。早めに出掛けて待ってる方だな、お前が来そうな方を見ながら。
「やっぱり…!」
ぼくと競争になっちゃいそうだ、って言ったでしょ?
ぼくもハーレイを待ちたいんだもの、まだ来ないかな、ってキョロキョロしながら。
ハーレイが来たら、「此処にいるよ」って手を振って走って行きたいんだもの…!
自分もハーレイも、先に着いて相手を待っていたいタイプ。デートの前の待ち合わせの時は。
お互い、相手よりも早く行こうと競争し合って、本当にどんどん時間が早くなりそうだから。
この時間だと決めた時間より、遥かに早く待ち合わせ場所に着きそうだから。
「何度もハーレイと待ち合わせをしたら、一時間前に着いてるようになっちゃうかもね」
待ち合わせは十時、って言ったら九時には着いているとか、九時なら八時に着いてるとか…。
そうなっちゃっても、もっと早くに着いてやろう、って頑張りそうだよ、ぼく。
ハーレイが来るのを待っていたいし、今度こそ、って。
「一時間前が当たり前と来たか。…おまけに更に早く来ようとするんだな、お前」
そういうことなら、待ち合わせの場所。
早く来すぎても安心なように、屋根があって飯も食える所にしておかないとなあ…。
お前はともかく、俺の方は急な通信でも来たら、出るのが遅れちまうってことだってあるし。
もちろん急いで駆け付けはするが、十五分くらいは遅れちまうかもしれないからな。
「んーと…。そういうハーレイ、見られたらとっても嬉しいけれど…」
やっとハーレイより先に着けた、って嬉しいけれども、待ち合わせの場所…。
ハーレイが安心してぼくを待たせておける場所って、早い時間から開いてるお店なの?
屋根があって御飯も食べられるのなら。
「うむ。お前が雨の中にポツンと立っているとか、腹を空かせているのは困る」
飯は食わないにしても、温かい飲み物や冷たいジュースや、そんなのを置いてる店がいいな。
入りやすくて、ゆっくりしてても気を遣わなくていい気楽な店。
俺の家の近所のパン屋なんかは理想的なんだが、とハーレイが挙げた店には覚えがあった。
食事も出来るレストラン部門を併設していて、ランチタイムまでは店で買ったパンを持ち込んでレストランで食べられる。レストランにはモーニングセットなども揃っているのに。
その店のレストラン部門でやっていた企画、ソルジャー・ブルーとジョミーとトォニィ、三代のソルジャーが食べた食事を出すというもの。ハーレイがチラシを見せてくれたから、それを食べに行ってみて欲しいと頼んだ。ソルジャー・ブルーのモーニングセットを。
(ハーレイ、不味かったって唸っていたっけ…)
ソルジャー・ブルーが食べたと謳われたモーニングセットには、アルタミラの餌があったから。餌として与えられていたオーツ麦のシリアル、ハーレイはそれの不味さに泣かされたという。
どう転んでも餌は餌だと、美味しいとは少しも思えなかったと。ソルジャー・ブルーにゆかりの食事がアレとは酷いと、いくらヘルシーで一番人気でも俺は御免だと。
モーニングセットには目玉焼きや紅茶もちゃんとセットで、オーツ麦だけではなかったのに。
ハーレイの記憶で見せて貰った中身は、けして悪くはなかったのに。
それを思い出したら、その店もいいなと思ったけれど。
待ち合わせ場所に選んでみたいと惹き付けられたけれども、ハーレイの家の近くだから。自分の家からはかなり遠いし、ハーレイよりも先に着くのは難しそうで。
「…パン屋さん、良さそうなんだけど…。ぼく、ハーレイに負けてばかりになりそうだよ」
いくら急いで入って行っても、ハーレイが先に中にいるんだ。
ハーレイの家からすぐのお店だもの、下手をしたら、コーヒー、おかわりしてそう…。
「お前が来るまでに時間がかかるってトコがフェアではないなあ、確かにな」
俺は家から少し歩けば着いちまうんだが、お前はバスに乗って来て、そこからまた歩いて。
先に着きたいというお前の夢を叶えるためには、不向きだな。
いつか待ち合わせをしようって時に備えて、いい場所を探しておかんといかんなあ…。
俺が車で迎えに来るんじゃ駄目だとお前が言うのなら。
待ち合わせってヤツをしたいのならな。
お前の家まで歩いて来る途中に下見しておくか、とハーレイが腕組みをして頷いたから。
「ぼくも探すよ、待ち合わせ場所!」
家の近くなら、散歩とかにも行ったりするし…。
待ち合わせに良さそうで、朝早くから開いてそうなお店、ぼくも今から探しておくよ。
「その心意気はいいんだが…。お前、まだ店に入る度胸は無いだろうが」
一人で入って、紅茶やジュースを頼む度胸があるのか、お前?
買って出て来るって意味じゃなくって、カウンターだのテーブル席だのにちゃんと座って。
そこまでしないと下見にならんぞ、店の雰囲気が掴めないからな。
俺だったら来る時にヒョイと覗いて、帰り道に入ってコーヒーの一つも頼めば充分なんだが。
「そっか…。ぼくだと、それは無理かも…」
座って注文するのもそうだし、中を覗いてから注文もせずに出るのも無理そう…。
ハーレイみたいには上手くやれないよ、朝は見るだけで、注文しに入るのは夜だなんて。
「ほらな。無理しないで俺に任せておけ」
お前でも気軽に入れそうな店で、お前の家から遠くない店。
俺には少々不利になるがな、その分、頑張って早めに出たなら、お前よりも先に着けるってな。
「待ち合わせ場所を探す所から、ハーレイ任せになっちゃうの?」
二人で相談して決めるんじゃなくて、ハーレイが一人で待ち合わせ場所を決めちゃうの?
「別にいいじゃないか、待ち合わせるのには違いないんだし」
時間はお前と相談するんだ、何時に其処で待ち合わせるか、って所はな。
ちゃんと立派に待ち合わせだろうが、お前と二人で時間を決めれば。
お前の家に車で迎えに来るよりいいだろう、と笑うハーレイ。
何処かで待ち合わせをしようと言うなら、待ち合わせ場所を俺が決めたって、と。
「そうだなあ…。うんと入りにくそうな店にしようか?」
お前が急いでやって来たって、一人じゃ入りにくそうな店。そういう店に決めておいたら、お前より先に入って待てる。お前は俺が入って行くのを見届けてからしか入れないだろうし。
「それは酷いよ…!」
ハーレイ、ぼくが早く着いても待ってられる場所、って言ったじゃない!
そんなお店だと、ぼくはハーレイが来るまで、入れないで外にいるしかないんだよ?
雨が降ってても、お腹が空いても、お店の外で。ハーレイ、それでもかまわないわけ?
「冗談だ。…ちゃんといい店を見付けておくさ」
お前が最初の客になっても、居心地よく座っていられそうな店。
俺が遅刻をしちまったとしても、のんびり、ゆっくり待っていられるような店を、きちんとな。
ハーレイに待ち合わせ場所から探して貰わなくてはいけないけれども、いつかはしてみたい待ち合わせ。此処で何時に、と場所と時間とを決めて、ハーレイと会う。
そうして会ったら、デートの始まり。二人で何処かへ出掛けてゆく。
前の自分たちには出来なかったデートのための待ち合わせ。ソルジャーとキャプテン、そういう立場で待ち合わせは出来ても、恋のためには、デートのためには、ただの一度もしなかった。
けれども、今度は何度でも出来る。恋人同士だということを隠す必要など無いのだから。何処へ行くにも、手を繋いで二人でゆけるのだから。
「ねえ、ハーレイ…。待ち合わせ、沢山、沢山、したいな」
結婚するまでのデートはいつでも待ち合わせがいいな、結婚したらもう出来ないから。
ハーレイと一緒に暮らすようになったら、もう待ち合わせは無くなっちゃうから…。
「おいおい、そんなに焦らなくても…。いいか、お前の夢の待ち合わせってヤツは、だ」
結婚した後にも出来るんだが?
俺と一緒に住むようになっても、待ち合わせのチャンスはいくらでもあるぞ。
「なんで?」
おんなじ家に住んでいるのに、何処で待ち合わせをするっていうの?
家の玄関とか、庭の何処かとか、そういう所で待ち合わせるの?
「そうじゃなくてだ、俺が仕事に行ってる時だな」
仕事帰りの俺と待ち合わせだ、俺の学校から家まで帰る途中の何処かで。
俺は車で出掛けてもいいし、その日は車を置いて行くのもいいかもしれんな。
「ああ…!」
ハーレイの仕事が終わった後に、ぼくと何処かで会うんだね?
家まで帰って来るんじゃなくって、途中のお店とかで、ぼくが待ってて。
それだと、ぼくがハーレイより先に着けそう。大急ぎで飛び出して行かなくっても…!
初めてのデートや、初めての待ち合わせも素敵だけれど。
結婚した後に、仕事帰りのハーレイと待ち合わせて、一緒に食事に出掛けて行ったり、ゆっくり二人で買い物をしたり。夜の街を二人で歩くのもいいし、ハーレイの車でドライブもいい。
きっとそういうデートも楽しい、結婚した後も、平日だから出来る待ち合わせ。
「待ち合わせ、早くしてみたいな…」
初めてのデートも、待ち合わせも。…結婚した後の、ハーレイの仕事帰りの日のも…。
「まずはお前が育たないとな」
でないとデートも出来やしないし、結婚も無理と来たもんだ。
急がなくていいから、前のお前と同じ姿に育つことだな、そしたらデートを申し込むから。
待ち合わせ用の店でも探しながら待つさ、お前が育ってくれるのをな。
いつか自分が育ったら。前の自分と同じ背丈に成長したなら、初めてのデートで待ち合わせ。
ハーレイが探しておいてくれた店で、二人で決めた時間に会って。
そこから始まる、初めてのデート。ハーレイと二人、手を繋ぎ合って。
待ち合わせの時間が競い合うように早くなっても、それも素敵な思い出になって。
結婚した後も、仕事帰りのハーレイと何処かで待ち合わせが出来る、デートに行ける。
そう、今度は待ち合わせをしてもかまわないから。仕事ではなくて、恋のために。
何度したって、かまわない。
場所と時間を決めて待ち合わせて、二人でデート。
ハーレイと二人、幸せな時間を過ごすための始まりが待ち合わせなのだから…。
待ち合わせ・了
※前のハーレイとブルーはしていなかった、待ち合わせ。恋人同士という間柄では。
それが今度は出来るのですけど、まだ先の話。いつかブルーが大きくなったら、何度でも…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(うーむ…)
また親父か、とハーレイがついた大きな溜息。金曜日の夜に。
ブルーの家には寄れなかったから、食料品店で買い物などをして帰宅したけれど。ダイニングに足を踏み入れてみれば、先客の痕跡がありありと。
合鍵を持っている父がやって来て、暫し寛いで帰ったらしい。どう見てもそういう具合の部屋。椅子はきちんと元に戻って、空のカップも皿も無くても、物言わぬ証拠が残されていた。父の字で書かれた置き手紙。「ブルー君に持って行ってやれ」と。
テーブルの上に置かれたヤドリギ、ちょっとした花束になりそうなほどの大きさの枝。何処かで見付けて採って来たとみえて、「珍しいだろう」と誇らしげに書き添えてあった。
今の季節は実もつけているから、地味ではあっても面白くはある。それに珍しいことも間違いはない。花壇や庭では育てられない、普通の植物のようにはいかない。ヤドリギは寄生植物だから。
木の枝に鳥が残した種から芽生えて、その木を糧に育つものだから。
父は恐らく釣りの途中でヤドリギに出会ったのだろう。これだけの大きさの枝ともなれば、低い木ではなくて多分、大木に宿ったヤドリギ。
木登りをしたのか、はたまた釣竿に細工でもして採って来たか。いずれにしても自慢の収穫物。小さなブルーに見せてやってくれ、と。
(親父にしてみりゃ、珍しいだけで…)
他意は無いと思う、これに関しては。ヤドリギの枝をわざわざ届けに来た件は。
立派なものを見付けたから、と得意げな顔が目に浮かぶようだ。「滅多にお目にかかれないぞ」だとか、「花屋に頼んでも取り寄せだな」だとか。
そう、ヤドリギにはそうそう会えない、普通の家の庭はもとより、公園でさえも。種を運ぶ鳥がいなくては駄目で、その種がまず必要で。鳥が実を食べ、中身を落としてくれなくては。
そんな木だから、ヤドリギを見たいと探しに行っても、運任せ。この木にだったら確実にある、といった類のものではないから。端から見上げて探すしかない、丸く茂った独特の姿を。
一つ見付かれば、同じ木の上に二つ、三つとくっついていることもあるけれど。よくもこんなに育ったものだと呆れるほどに、幾つもつけた木もあるのだけれど。
とにかく珍しいのは事実で、花屋でも常に置いてはいない。だからこその父の置き手紙。小さなブルーに届けてやれ、と。
(趣味で果実酒も作るしなあ…)
父がヤドリギに出会えば果実酒、熟した実を使って作り始める。此処に置いてある枝の他にも、ヤドリギを採って帰っただろう。これから作るか、とうに瓶の中に漬かっているのか。滋養強壮にいいらしい果実酒、色はこのヤドリギの実と同じで黄色。味の方もけして悪くはない。
それに種からはトリモチが作れる、黄色く熟した実の中身で。粘り気を帯びた種を細かく砕けば出来るけれども、これが根気の要る作業。砕いただけでは出来ないトリモチ。何度も何度も叩いて潰して、その繰り返し。
父には「噛んで作るのが王道だぞ」と教わったけれど、噛んでも時間は短縮出来ない。口の中が塞がるというだけのことで、けして早くは出来上がらない。
とはいえ、面白かった経験、ヤドリギの種から作るトリモチ。棒の先に粘るトリモチをつけて、鳥が来るのを待ったりした。本当にこれで捕れるだろうか、と。
何の鳥かは忘れたけれども、何度か捕った。家の庭でも、父と出掛けた釣りの途中にも。捕った小鳥は直ぐに逃がした、トリモチで遊んでいただけだから。
珍しい上に果実酒やトリモチも作れるヤドリギ、父がブルーに届けてやりたい気持ちも分かる。ましてこんなに立派な枝なら、なおのこと。
(だがなあ…)
得意の薀蓄、あるいは雑学。ヤドリギについても持っているネタは幾つかあって。
遠い遥かな昔の日本でヤドリギと言えば、長寿と幸福を祈るもの。地面に根を張る木とは違って空で育つ木、冬でも枯れない艶やかな緑。年中緑が絶えない常盤木、ゆえに珍重されたヤドリギ。枝を髪に挿して長寿と幸福を祈り、祝い事の時に飾りもした。
それが自分たちの住む地域の昔の文化で、そちらは別に悪くはない。けれど…。
(この地域じゃあまり見かけないが、だ…)
他の地域でヤドリギとくればとんでもなかった、クリスマスに飾られるヤドリギのリース。その下に立っている女性にはキスをしてもいいのだ、という迷惑な習慣。
キッシング・ボウと呼ばれるヤドリギのリース。キスをしたらヤドリギの実を一つ毟って、実が無くなったらキスもおしまい。
ヤドリギ自体は、その地域でも神聖な木ではあるけれど。遠い昔には黄金の鎌で採ったくらいに大切にされていたのだけれども、いつの間にやらキッシング・ボウ。
そんな調子だから花言葉も酷い、イギリスだったら「私にキスをして下さい」。フランスならば「危険な関係」。
なんとも厄介な植物がヤドリギ、父が「ブルー君に」と寄越したヤドリギ。
しかも、それだけでは済まなかった。今の自分の薀蓄だけでは。
(シャングリラがなあ…)
前の自分が生きていた船、ブルーと暮らした白い船。
シャングリラではクリスマスの飾りにとヤドリギの造花を作っていた。本物のヤドリギは流石に育てられなかったから。アルテメシアへ採りに行くのもあんまりだから。
それでも欲しかったヤドリギのリース、言い出したのは誰だったろう?
ヒルマンやエラが率先してやるとも思えないから、誰かが昔の本などで読んで、そこから船中に広がってしまったという所か。そうなれば調子に乗るのがブラウとゼル。お祭り騒ぎが好きだった二人。始まりは多分、そういった所。シャングリラにもあったヤドリギのリース。
造花を使ってまで作るのだから、目的は無論、キッシング・ボウ。その下に立っている女性にはキスをしてもいいのだと、大人なら誰でも知っていた。
ヤドリギのリースを吊るしていた場所、居住区の入口や公園の入口。
(誰も立ってはいなかったがな?)
前の自分は見掛けなかった、リースの下に立っている女性。
けれども造花のリースについていた実は、いつしか消えてしまっていたから。綺麗に無くなってしまっていたから、前の自分が見ていないだけで、立っていた女性はいたのだろう。女性にキスを贈った者も。
(…俺は避けられていたってか?)
今にして思えばそうかもしれない、ウッカリ立っていてキスをされてはたまらないと。
(薔薇のジャムが全く似合わなかった俺だしな…)
シャングリラの女性たちが作った薔薇のジャム。希望者にクジで配られたけれど、クジを入れた箱は前の自分を素通りしていった。ゼルでさえも「運試しじゃ」と引いていたのに。
(俺だと逃げられていたってことはだ…)
ブルーだったら、女性が何人もリースの下に立っていたかもしれない。あわよくば、と。
白いシャングリラのヤドリギの思い出はクリスマスのリース、ブルーも覚えている筈で。小さなブルーが忘れていたとしても、話してやれば思い出す筈で。
(そういえば、あいつ…)
シャングリラで暮らしていたブルー。前の自分が愛したブルー。
ブリッジでの勤務を終えて青の間に行こうと歩いていた時、リースの下で待ち受けていた。皆が寝静まった居住区の入口、其処に吊るされたリースの真下に立って。
キスしてもいいと、此処でキスを、と。
誰も見ていないから今の内だと、この時間ならば大丈夫だと。
あの日は仕事が遅くなったから、静まり返っていた居住区。普段だったら帰る時でも通ってゆく者が何人もいた。リースの下に立っている女性がいなかっただけで。
(………)
前のブルーは待っていたのだろう、ヤドリギのリースが吊るされた場所が無人になるのを。前の自分が通るタイミングで、其処に人影が無くなる時を。
させられてしまった、ヤドリギのリースの下でのキス。「ほら、取って」と促されてリースから毟り取った実。
あの実は何処へやったのだったか、そこまでは思い出せないけれど。
鮮明に蘇って来た記憶。ヤドリギの下で前のブルーに贈ったキス。強請られるままに。
ヤドリギのキスを思い出したからには、出来れば持って行きたくないのがヤドリギだけれど。
小さなブルーの家には届けず、知らないふりをしたいけれども。
(親父が訊いてくるに決まっているんだ!)
あのヤドリギは喜ばれたかと、未来の息子の反応を。今の所は一人息子の自分が伴侶に迎えると報告してある、小さなブルーの反応を。
もしもヤドリギを持ってゆかずに、適当な嘘をついておいたら…。
(いつか、ブルーと親父が会った時に…)
バレないとも限らない、何かのはずみに。あのヤドリギは届かなかったと、ブルーはヤドリギを貰わなかったと。
そうなるとマズイ、ヤドリギだけに。ヤドリギのリースの下で前のブルーに、キスを贈った思い出があるだけに。
(親父め…)
よくもヤドリギなんぞを、とテーブルの上の枝を睨んでも消えてくれないヤドリギの緑。文字が消えてはくれない父の置き手紙。「ブルー君に持っていってやれ」と。
ヤドリギの枝を持ち込んだ父は、ヤドリギと言えば果実酒かトリモチだとしか思っていないから仕方ないのだけれど。キッシング・ボウの習慣は自分たちの住む地域には無いのだから。
この地域では、せいぜい、クリスマスの飾りくらいに思われているのがヤドリギの枝。リースの下でのキスまで知っている者は恐らくとても少ないだろう。
父が何処かで耳にしたとしても、他の地域の文化なだけに、きっと忘れるに違いない。自分とは全く関係が無いと、覚えておく必要も無さそうだと。
(仕方ないか…)
持って行こうと腹を括った、このヤドリギを。黄色い実が幾つもついた見事な枝を。
明日は小さなブルーの家を訪ねてゆく日だから。それに合わせて、父がヤドリギの枝をブルーに贈ろうと隣町から来たのだから。
翌日の土曜日、晴れた空の下、ヤドリギを持ってブルーの家へと出掛ける途中。
散歩中の人に何度も声を掛けられた、「珍しいですね」と。「朝から採って来られたんですか」とも何度も訊かれた、ヤドリギの枝は下手な花束よりも人目を引くから。
声を掛けて来た人に譲ってしまいたいほどの気持ちだったけれど、そうもいかなくて。
父の好意を無には出来ないから、これはブルーに、とグッと堪えて歩き続けて、生垣に囲まれた
ブルーの家に着いてチャイムを鳴らしたら。
「あら、ヤドリギ…!」
門扉を開けに来たブルーの母がヤドリギの枝に目を留めた。「どうなさいましたの?」と。
「昨日、父が届けに来まして…。ブルー君に、と」
「そうでしたの! ブルーもきっと喜びますわ。ヤドリギだなんて」
クリスマスの飾りには早いですけど、そうそう見掛けませんものね。
笑顔で言われた「クリスマス」という言葉にドキリとしたけれど、キッシング・ボウのことではなかった。クリスマスのリースに使われる植物の一つがヤドリギだと思っているらしい。
(心臓に悪い…)
あの親父め、と心で毒づいておいた、ヤドリギのせいで俺は迷惑してるんだが、と。
二階のブルーの部屋に案内されて。お茶とお菓子が運ばれて来た後、小さなブルーとテーブルを挟んで向かい合わせ。
母の足音が消えると早速、ブルーはヤドリギの枝を指差した。花瓶に生けられ、テーブルの上に置かれた枝を。
「ハーレイ、花束持って来てくれたの?」
「そう見えるか?」
お前の目にはこいつが花束に見えると言うのか、花束にしては地味すぎるんだが?
それにだ、この枝は俺からじゃなくて、俺の親父からのプレゼントで…。
昨日、帰ったら置いてあったんだ。「ブルー君に持って行ってやれ」という手紙つきでな。
「えっ、ハーレイのお父さんから?」
ぼくにプレゼントなんだ、この枝。それじゃ珍しい木か何かなんだね、釣りのお土産かな?
えーっと…。花は咲いてないけど…。でも、実がついてる枝が一杯…。
これは何なの、とブルーが眺めているから。
「覚えていないか? 前のお前は知ってた筈だが」
「え?」
「シャングリラにあったぞ、本物じゃなくて造花だったがな」
あの船じゃ本物は育てられなかった、木に寄生する植物なんだが…。
「ああ、ヤドリギ…!」
そうだったっけね、クリスマスになったら造花を作っていたんだっけ。クリスマスのリースにはヤドリギじゃないと、って。
これが本物のヤドリギなんだ、と瞳を輝かせているブルー。それにハーレイのお父さんに貰った素敵なお土産、と。
「黄色い実が沢山ついているけれど、この実は食べてもいいの、ハーレイ?」
シャングリラのヤドリギは造花だったから、実なんか食べられなかったけれど。
「駄目だ、生の実は毒だからな」
少しくらいなら問題は無いが、食わないに越したことはない。この実を食うなら果実酒なんだ。
「お酒…?」
こんな小さな実でもお酒になるんだ、ヤドリギの実。
「親父が趣味で作っているぞ。小さな実だから、そんなに沢山は出来んがな」
この枝を採って来たついでに、自分用にも採って帰って作っていると思うぞ、ヤドリギの酒。
黄色い色の酒だ、この実を溶かしたような色になるってわけだ。ほんのり甘いぞ、チビのお前はまだ飲めないが…。いや、育っても酒は駄目だったっけな、お前の場合は。
「甘いってことは…。この実、甘いの?」
さっき毒だって言っていたけど、ハーレイ、この実を食べたことはある?
「ガキの頃にな。実の中の種を取り出すついでに食ってみた」
甘い実だったぞ、親父に「駄目だ」と言われなかったら、きっと山ほど食ってただろうさ。毒にあたって酷い目に遭ったと思うがな。
「ふうん…? 甘い実なのに毒なんだ?」
「ありがちだろうが、その手のものは。毒が必ずしも苦いとは限らん」
それから、俺が食っていたのは実の中の種のためだからな?
同じ出すなら食ってみようと思ったわけだな、その種だって口に入れんと使えないんだし。
種でトリモチを作るんだ、と実を一つ取って。指先で黄色い果肉を破って、中にある種を見せてやった。粘り気がある種なんだ、と。
「こんな感じで指にくっつく、ヤドリギはこうやって増えていくのさ」
鳥が実を食った後に落としていく種。そいつが木の枝にくっつく仕組みだ、この粘り気で。根が出るまで無事にくっついていられたら、其処にヤドリギが生えるってことだ。
人間様はこいつを使ってトリモチ作りで、種を砕いてやるんだが…。
親父が言うには、王道は「口の中で噛む」ってヤツでな、俺も頑張って噛んでいたもんだ。辛抱強く噛めば粘りが強くなってだ、見事トリモチが完成ってな。
「へえ…!」
トリモチって、それで鳥が捕れるの?
ハーレイ、鳥を捕まえられた?
「まあな。捕まえた鳥はもちろん逃がしてやったぞ」
俺は遊びで捕ってるんだし、直ぐに逃がしてやらんとな?
トリモチは噛んで作ったりもしたが、石とかで種を叩き潰して細かくしたりもしていたな。石を使おうが、口で噛もうが、かかる時間は変わらないわけで、面倒と言えば面倒だなあ…。
トリモチってヤツはモチノキからも作れるぞ。そっちは木の皮を使うんだがな。
モチノキのトリモチの作り方は…、と父の直伝の方法などを披露して、ヤドリギから逸らそうとした話題。小さなブルーがキッシング・ボウを思い出さない方へゆこうと。
そうして子供時代のトリモチ作りや、トリモチで鳥を捕まえた話をしていたら…。
「ハーレイ、これって…。このヤドリギって…」
ブルーがヤドリギの枝をまじまじと見詰めているから、「うん?」と先を促した。余計なことを思い出すんじゃないぞ、と祈りつつも「ヤドリギがどうかしたか?」と。
「こいつが何か気になるというのか、そういえばヤドリギは薬だっけな」
種はトリモチだが、葉っぱや茎は薬草なんだ。確か腰痛に効くんだったか…。
何処の地域かは忘れちまったが、金に困ったらヤドリギを採って薬屋に売りに行ったそうだぞ、けっこうな金になったってことだ。
「そうなんだ…? 造花だと薬はちょっと無理だね、ヤドリギの造花」
シャングリラのヤドリギは造花だったし…。クリスマスにリースを作るための。
「そうだが? 今でもヤドリギはクリスマスのリースに使われてるぞ」
お前のお母さんも「クリスマスには少し早い」と言っていたなあ、こいつを眺めて。
少しどころか、まだまだ先だな、クリスマスはな。
もっと寒くなって雪が降る頃になってくれんと…、とクリスマスからも話を逸らそうとした。
シャングリラにあったクリスマスのリースはキッシング・ボウで、小さなブルーが思い出したら何かとうるさそうだから。
ヤドリギだけでも充分に危険なものだと言うのに、リースとなったら危険は一層高まるから。
なのに…。
「思い出したよ、シャングリラのヤドリギ!」
なんでわざわざ造花を作って、それをリースにしてたんだろう、と思ったけれど…。
他の木とかじゃ駄目だったのかな、って考えてたけど、ヤドリギって所が大切だったんだっけ。
ヤドリギのリースの下でキスだよ、これのリースの下にいる人にはキスをしたっていいんだよ。
キスをしたら実を一つ毟って、実が無くなったらキスはおしまい。
前のぼくもハーレイにキスして貰ったっけね、居住区の入口に立って待ってて。
「おいおいおい…」
なんて話を思い出すんだ、親父はそういうつもりでヤドリギを採って来たんじゃないぞ?
親父にとっては果実酒かトリモチの元になる木で、ただ珍しいっていうだけで…。
お前に届けてやれというのも、デカイのを見付けて嬉しかったからだと思うがな?
親父はキッシング・ボウを知らんし、クリスマスのリースに使うというのも知ってるかどうかは怪しいもんだ。おふくろが家に飾っていたって、クリスマスと結び付いてるかどうか…。
単なるリースだと思ってそうだぞ、クリスマスだからリースを飾ってあるんだな、とな。
このヤドリギはそういう親父からのプレゼントで…、と懸命に逃げた。キッシング・ボウの話は御免蒙ると、もうこれ以上は勘弁だと。
「いいか、親父は何も知らないんだ、お前が言ってるようなことはな」
だからこそ「持って行け」と家まで届けに来たんだ、キスだと知ってりゃ持っては来ない。
俺の顔を見る度に「あんな小さい子に手を出すんじゃないぞ」と言ってる親父だ、こいつに妙な意味があるんだと知っていたらだ、持って来ないで果実酒だな。自分用に全部持って帰って。
「そっか、意味…。あったね、ヤドリギの花言葉で「キスして下さい」っていうヤツが」
何処のだったか忘れたけれども、シャングリラにいた頃に確かに聞いたよ。
「キスして下さい」だからキスしてあげるよ、ハーレイに。
ヤドリギを持って来てくれたんだもの、「キスして下さい」って意味になるよね。
「こら、チビのくせに…!」
キスは駄目だと言ってるだろうが、お前からキスをするのも禁止だ!
ついでに、ヤドリギを持って来たから俺にキスだと言うなら、俺よりも親父の方だろうが。このヤドリギは親父のプレゼントなんだ、お前がキスをするなら親父だ。
「…そうなっちゃうの? ハーレイのお父さんにキス…?」
ハーレイにキスっていうのは駄目なの、ぼく、ヤドリギを貰ったのに…。
ヤドリギの花言葉は「キスして下さい」なのに、ハーレイ、キスして欲しくないわけ…?
「当たり前だ!」
俺からもキスをしないというのに、なんでお前がキス出来るんだ!
チビのお前にキスは禁止だ、前のお前と同じ背丈に育ってから言え、そういう台詞は!
それに親父からのプレゼントだし、とヤドリギの枝から小さな枝を一本、ポキリと折り取った。
「親父は多分、知らんと思うが…。ヤドリギは果実酒でトリモチだろうと思うんだが…」
それでも日本の文化が好きな親父だからなあ、ここは日本風にいこうじゃないか。
キスがどうのと言うんじゃなくてだ、前の俺たちが生きた頃には消されちまってた日本の文化もいいもんだぞ。日本じゃヤドリギは長寿と幸福を祈って、こうして髪に挿すもんだってな。
こうだ、とブルーの銀色の髪に挿してやったヤドリギの小枝。上手く絡めて、落ちないように。
「髪飾りって…。日本風って、たったこれだけ?」
キスとかは無いの、日本には?
日本の文化にそんなのは無いの、髪の毛に飾っておしまいなの…?
「残念ながら、日本の文化には元々、クリスマスなんぞは無かったからな」
クリスマスが無ければヤドリギのリースは必要無いしだ、その下でキスをすることも無い。
ヤドリギとキスは結び付かんということだ。お前の目論見通りにはいかん。
第一、何度も言ってるだろうが、このプレゼントは親父からだ。俺ではなくて親父だ、親父。
せっかく見事なヤドリギなんだし、残りは飾っておくんだな。
髪に一本挿してやったし、もうそれだけで充分だろうが。
「そんな…!」
お父さんからのプレゼントにしたって、届けてくれたの、ハーレイなのに…!
それに本物のヤドリギなんだよ、前のぼくたちにはヤドリギの造花しか無かったのに…。
前のハーレイとキスをしたのも、造花のヤドリギの下だったのに…!
酷い、とブルーは膨れたけれど。
ヤドリギの花言葉は「キスして下さい」で、ヤドリギのリースはキスしてもいいリースの筈だと頑張るけれど。
「前のぼくは造花の下でしかキスを貰っていないよ、このヤドリギは本物だよ?」
やっと本物に会えたんだから、キスのやり直しをしてもいいと思うよ?
リースにしなくても、ヤドリギの側でハーレイとキスして、実を一個取って。
やり直しのキス、此処できちんとして欲しいんだけど…!
「分かってるのか、キスはクリスマス限定だぞ」
花言葉の方はともかくとしてだ、ヤドリギの下でキスをするのはクリスマスだけだ。やり直しも何も、今はクリスマスじゃないんだがな?
「だったら、このヤドリギの枝、クリスマスまで残しておいて…」
リースにしようよ、それからキスのやり直しで…!
「クリスマスまで持つと思うか、この枝が?」
木に生えたままなら枯れないだろうが、もう切り取られているんだぞ。どんなに注意して世話をしたって、クリスマスまでには枯れるだろうな。
「それなら、また採って来て貰うとか…」
ハーレイのお父さんに探して貰って、またヤドリギの枝をプレゼントして貰うんだよ。
「そりゃまあ、ヤドリギを探すんだったら、冬の方が遥かに見付けやすいが…」
木の葉が全部落ちちまうから、ヤドリギがついてりゃ一目で分かる。
ヤドリギは冬でも青々と茂っているんだからな。
「じゃあ、リクエスト!」
探しやすいんなら頼んでいいでしょ、ヤドリギ探し。ぼくはヤドリギが欲しいんだから。
ぼくが気に入って欲しがってる、って伝えておいてよ、お父さんに。
クリスマス前にもう一度ヤドリギを採って来て貰えるように頼んでよ、と強請られたから。
本物のヤドリギでリースを作って、やり直しのキスだとせがまれたから。
「断固、断る」
百歩譲って、親父にヤドリギ探しを頼んでやったとしても、だ。
お前のお母さんに渡して「リースにどうぞ」ということになるな、クリスマスの飾りにピッタリですと。きっと素敵なリースが出来るぞ、そりゃあ綺麗なヤドリギのリースが。
俺が来たら玄関のドアに飾ってあるかもしれないな。玄関の天井に吊るすんじゃなくて、ドアの外側によく見えるように。
そういうリースになって良ければ、親父に頼んでやってもいいが?
ドアにくっついちまったリースじゃ、その下でキスは出来ないからな。
「ハーレイのケチ!」
やり直しのキスをしてくれる気なんか無いんだね?
前のぼくたち、造花のリースしか無かったのに…。
本物のヤドリギがある地球に来たのに、その下でキスはしてくれないんだ…?
プウッと膨れてしまったブルー。頬を膨らませて不満そうなブルー。
ヤドリギの下でキスをやり直したいという気持ちは分かるけれども、今のブルーは子供だから。
十四歳にしかならない子供で、キスどころではないのだから。
「ケチと言われても、膨れられても、譲るわけにはいかんな、これは」
駄目だと言ったら駄目なんだ。今のお前とキスは出来んし、やり直しのキスでもそれは同じだ。
しかし、お前の気持ちも分かる。造花の下より本物のヤドリギの下で、というのはな。
だからだ、いつかお前と結婚したなら、クリスマスにリースを飾ろうじゃないか。親父に頼んで探して貰って、本物のヤドリギで作ったリースを。
お前はそいつの下に立つんだ、そうしてキスのやり直しだ。
「ホント? 本当にやり直してくれるの、キスを?」
今は駄目でも、結婚したら。ハーレイと暮らせるようになったら、やり直しのキス。
「うむ。本物のヤドリギの下に立ってろ、ヤドリギの実がある間はな」
キスをしたら実を一つ毟って、全部無くなったらおしまいだろうが。
リースについてる実の数だけのキスをしてやる、前の俺たちのやり直しのキスを。
前の俺がリースから外した造花の実は何処へやったか、まるで覚えていないんだが…。
多分、お前とのキスがバレたら困ると捨てたんだろうが、今度は捨てなくてもいいからな。
リースから毟った実は酒に漬けておくとするか、ヤドリギの果実酒の作り方を親父に習って。
そうすりゃキスの思い出になるし、実だって美味しく食べられるし…。
お前は酒は駄目かもしれんが、少しだけ舐めるくらいはな…?
「うんっ!」
キスの数だけ、実が漬かっているお酒なんだね。キスしたら実が増えていくんだね、瓶の中の。
やり直しのキスを貰った分だけ、ヤドリギのお酒の実が増えるんだね…。
それまで待つよ、とブルーの機嫌が直ったから。膨れっ面ではなくなったから。
「待つだけの価値は充分にあるぞ、なにしろ本物のヤドリギだからな」
そいつのリースだ、シャングリラの造花のリースとは違う。
お前はキスにこだわっているが、ヤドリギってヤツは本来、幸福を運ぶものだったんだ。
だからクリスマスの飾りにもなった、幸運を呼び込めるようにとな。
ずうっと昔は神聖な木で、黄金の鎌で刈り取ったというくらいの木なんだ、ヤドリギの木は。
それを吊るして幸せを祈っていたのがキスの始まりってわけだ、幸せになれますように、とキスしていたんだ、最初の頃は。
いつの間にやら、意味が変わってしまったが…。本当は幸福を祈るキスだったのさ。
つまりだ、俺たちのやり直しのキス。造花じゃない分、うんと幸せが来るってな。
「そうなんだ…。ただのやり直しのキスじゃないんだ…」
本物のヤドリギが幸せを運んでくれるんだ?
やり直したキスの数の分だけ、リースについてた実の数だけ。
「それ以上に幸せになれる筈だぞ」
元々は実なんか数えちゃいないだろうが、キッシング・ボウが出来る前には。
ヤドリギのリースがあればいいんだ、そいつを飾っているだけで幸せが来るさ、きっと山ほど。
今は長寿と幸福の髪飾りで我慢しておいてくれ、と髪に挿し直してやったヤドリギ。
銀色の髪に絡めて一枝、ヤドリギの緑。
シャングリラで贈ったキスの証の、ヤドリギの実は失くしたけれど。
前の自分がブルーとの恋を隠し通すために、何処かに捨てたらしいけれども。
今度は隠さなくてもいいから、キスの数だけ毟り取った実を漬けて果実酒も作れるから。
きっといつかは本物のヤドリギのリースを飾ろう、ブルーと二人で暮らす家に。
そうして最初はやり直しのキス、前の自分たちが造花のリースの下で交わしたキスのやり直し。
幾つも幾つもキスを交わして、やり直しのキスが済んだなら。
ヤドリギの実が全部毟り取られて無くなったならば、今度は二人で幸せのキス。
青い地球の上で幸せになろうと、何処までも幸せに生きてゆこうと…。
ヤドリギ・了
※シャングリラでは造花だった、クリスマスのヤドリギ。キッシング・ボウに使われた物。
前のブルーとハーレイにも、その下でのキスの思い出が。今の生でも、いつか本物の下で…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
「人が植物に変身するという話は知ってるか?」
ハーレイの古典の授業中。生徒たちの集中力を取り戻すために始まる雑談。居眠りしそうだった生徒もハッと顔を上げる、聞き逃したら損をするから。楽しかったり、ためになったりする中身。
投げ掛けられた問いに「知ってます!」と返った幾つもの声。ブルーも「はいっ!」と勢いよく手を挙げた、「知っています」と。
人が化身した植物の話は幾つもあるから。水仙になった美少年やら、月桂樹になった女性やら。彼らの名前が植物の名前になっている。水仙も、それに月桂樹も。
てっきり、そういう話になるのだと考えたのに。クラスメイトたちもそうだったろうに。
「間違えるなよ、伝説や神話の人物じゃないぞ」
誰でも知ってる実在の有名人なんだが、と続いた言葉。名前を知らなくても存在くらいは、と。
藤原定家。百人一首を選んだ人だ、と。
「嘘…」
信じられない、と教室に広がる波紋。そんな馬鹿な、と。
古典の授業では必ず出て来る百人一首。SD体制が始まるよりも遥かな昔に、日本という島国で選ばれた有名な和歌。昔とはいえ、その時代にはもう歴史が記録されていたのだし、伝説や神話の時代とは違う。藤原定家も実在の人物、その人が植物に化身するなど有り得ない、と。
「いや、本当だ。藤原定家は植物になった」
定家カズラ、と教室の前のボードに書かれた文字。藤原定家はこれになった、と。ただし、命が尽きてから。定家がこの世にいなくなってから。
生きている間に定家カズラに化身したわけではないけれど。
定家の死後に、その恋人の墓を覆ってしまったツタ。それが姿を変えた定家で、そのツタは定家カズラと呼ばれるようになったという。
何度取り除いても、また恋人の墓を覆い尽くした定家カズラ。ツタに化身した藤原定家。
「本当ですか…!」
あちこちで上がる驚きの声。実在の人物が植物になってしまうだなんて、と。
「まあ、昔からあったツタの名前が変わったっていうオチだろうがな」
このツタは定家に違いない、と皆が考えれば、そういう名前になるってもんだ。
多分、本当に定家カズラが生えたんだろうな、恋人の墓の周りにな。なにしろ定家は有名人だ、噂は直ぐに広がっただろう。ツタになっても恋人の側にいようと頑張っているんだからな。
定家カズラって名前になる前は、マサキノカズラだったという説もある。同じ植物の名前がな。
さて、俺の雑談は此処で終わりだ。定家カズラを詳しく知りたいヤツは能の勉強をするといい。能の演目で、定家というのがあるからな。
授業に戻る、とハーレイはボードに書いた「定家カズラ」の文字を消したけれども。
(定家カズラ…)
凄い、とブルーは感心した。
死んだ後まで恋人の墓を覆ったほどの定家の愛。何度取り除いても、また生えたというのが定家カズラで、尽きない愛の結晶だから。ツタになっても愛し続けようと、側にいようと。
自分よりも先に亡くなった恋人、その人の側にいつまでも、と。
定家の想いも凄いけれども、それほどに定家に愛された人。定家よりも先に死んだ恋人。
その人は幸せだっただろうと、なんて幸せな人だろうかと。
(死んじゃった後も、ずうっと一緒…)
定家カズラに覆って貰って、永遠に寄り添い続けただろう恋人同士。
地球が滅びてしまうまで。でなければ、それよりもっと昔に、定家カズラに覆われた墓が風雨で朽ちてしまうまで。
(でも、きっと今も…)
恋人同士に違いない。自分とハーレイがそうであるように、何度も二人で生まれ変わって。
定家カズラが覆っていた墓が消えた後には、地球が滅びてしまった後は。
SD体制の時代にも二人はいたかもしれない、広い宇宙でまた巡り会って。
学校が終わって家に帰っても、忘れられない定家カズラ。遠い昔の愛の物語。
おやつの時間も頭の中から定家カズラが離れない。死んだ後にも寄り添い続けた恋人同士。定家カズラが覆い尽くして、愛し続けた恋人の墓。
二人は何処に行ったのだろうか、今の時代は。SD体制が敷かれていた頃も、巡り会って二人で暮らしただろうか。きっとそうだ、と考えていたら、母がダイニングに入って来たから。
「ママ、定家カズラっていう植物、知ってる?」
ハーレイの授業で聞いたんだけど…。写真は見せて貰ってないんだ、授業と関係無かったから。ツタだっていうのは確かだけれど。
「定家カズラ…。ああ、あれのことね」
ウチには無いけど、たまに育てている家があるわ。花が可愛くて香りもいいから。
手を出してちょうだい、ママの記憶を見せてあげるから。
これよ、と絡めた手から流れ込んで来た母の記憶の定家カズラ。艶やかな葉に、花びらが五枚の白ともクリーム色とも見える花。咲いた時には白なのだろう。時が経てば淡い黄を帯びていって、やがてクリーム色へと変わる。
花から漂う甘い芳香。ジャスミンを思わせる香りの花。
(綺麗…)
想像以上に美しかった定家カズラという名の植物。母に「ありがとう」と御礼を言って。
おやつが済んだら、部屋に戻って…。
(定家カズラ、ホントに綺麗だったよね…)
花は大きくないのだけれども、可憐な白やクリーム色のが幾つも咲いて。いい香りがして。
あんな花に覆って貰っていたなら、きっと幸せだったろう。そうして二人、離れることなく寄り添い合って、ずっと愛されていたのなら。
恋人の墓が朽ちてしまうまで、地球が滅びてしまう時まで、定家カズラが恋人を守って。
そういう愛の形もいいよね、と定家カズラに思いを馳せた。遥かな後まで語り継がれた恋物語。地球が一度は滅びた後まで、定家カズラも育たないほどに死に絶えた地球が蘇るまで。
(カズラって言えば…)
ふと思い出した、風船カズラに纏わる話を。今のハーレイから聞いた話を。
風船カズラの中にはハートのマークがついた種が三つ入っているから、その種を前の自分たちの心臓に見立てるという。ソルジャー・ブルーと、ジョミーと、キースと。SD体制を倒した英雄、その心臓が中に入っていると。
さほど知られてはいないらしくて、今の自分も知らなかった。風船カズラは風船カズラ。風船のように膨らんだ実をつける植物だと思って見ていただけ。
風船カズラにこじつけた話はあったけれども、それを除けば前の自分たちは植物に姿を変えてはいない。定家カズラのようにはいかない、植物の名前はとうの昔に完成されてしまっていたから。
秋に咲く朝顔の品種の一つに「キース・アニアン」の名がつけられていたから、そういう具合に朝顔や薔薇の名前の中には混じっているかもしれないけれど。ソルジャー・ブルーもキャプテン・ハーレイも、探せばあるかもしれないけれど。
定家カズラにはとても及ばない、誰もが「あれだ」と思い浮かべる植物ではない。どんな花かは直ぐに浮かばず、今の自分だって「ソルジャー・ブルー」の名前の花など知らないから。
(それに…)
前の自分の恋は知られていなかった。前のハーレイとの恋は。
誰にも決して知られないよう、隠し続けた秘密の恋。
その上、前のハーレイの墓碑も、自分の墓碑も空っぽだから。其処に葬られてはいないから。
(ハーレイカズラは無理だよね…)
前の自分の墓碑を覆い尽くしてしまうハーレイカズラ。前のハーレイの墓碑から蔓を伸ばして、前の自分の墓碑を覆って。
そうなっていたら、幸せだったろうに。死んだ後まで、ハーレイに墓碑を丸ごと覆って貰って、いつまでも二人、寄り添い合って。
そんなことを考えていたら、来客を知らせるチャイムの音。仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。部屋のテーブルを挟んで二人、向かい合わせに座れたから。
「ねえ、ハーレイ。…定家カズラの人、幸せだよね」
「はあ?」
幸せって…。今日の授業の俺の話か、雑談でやってた定家カズラ。
「そうだよ、あのお話の中の定家の恋人。とても幸せな人だと思って…」
あんなに愛されて、きっと幸せだっただろうな、って。
死んだ後までお墓を恋人に覆って貰って、ずうっと一緒にいられたんだから。
「なるほどな。お前、調べていないのか…」
そのようだな、とハーレイの鳶色の瞳が見詰めるから。
「何を?」
調べるって、何を調べるの?
「定家だが?」
「定家カズラはママに教わったよ?」
綺麗だったよ、ママの記憶で見せて貰った定家カズラ。白い花とかが沢山咲いてて…。とってもいい匂いがしてくる花で。
あんな花がお墓を包んでくれたら、きっと幸せ。それに、いつまでも一緒なんだし。
もう最高の恋人同士だと、素敵な恋の物語だと話したのに。
ハーレイは「定家だぞ?」と繰り返した。「能の定家は調べたのか」と。
「授業でも言った筈だがな? 詳しく知りたければ能の勉強をしておけと」
定家という名の能があるから、そっちも調べておくといい、と。
「その能は別に調べなくっても…」
ハーレイの授業で充分だよ。定家カズラの話は聞いたし、どんな花かももう分かったし…。
能は本物を見たことないから、調べてもきっと何のことだか…。
「俺は見ろとは言わなかったぞ、調べておけと言ったんだ」
能にはきちんと脚本みたいなものがある。それを読んでおけ、という意味だったんだが…。俺の話よりずっと詳しく書かれているしな、定家カズラの物語が。
そいつをちゃんと調べていたなら、幸せだなんて言えなくなるぞ。
「え?」
幸せな恋のお話なんでしょ、死んだ後まで一緒なんだ、って。定家カズラになった定家と、その恋人とのお話でしょ…?
「そうじゃないんだ、幸せな話じゃないってな。むしろ逆だぞ、能の定家は」
定家カズラに絡み付かれた恋人の方が話の主役だ、助けてくれと姿を現すんだ。都にやって来たお坊さんの前に、自分の魂を救ってくれと。
定家カズラに墓を覆われた、恋人の式子内親王。その人は定家の妄執に苦しみ、墓を覆われては成仏することも出来ないから、と僧侶に助けを求めたという。
自分を解放してくれと。墓を覆い尽くす定家カズラから、逃れて成仏したいのだと。
「なんで…?」
どうしてそういうことになっちゃうの、定家カズラから逃げたいだなんて。
せっかく恋人と一緒にいるのに、その恋人から逃げたいって頼みに行くだなんて…。
「さあな、とにかく能の定家はそんな話だ」
お坊さんに頼んで、有難いお経を唱えて貰って。
墓に絡み付いていた定家カズラはすっかり消えちまうってわけだ、内親王の願い通りに。これでようやく自由になれる、と内親王は御礼に舞を舞ってから墓に消えていくのさ。
「それで、どうなるの?」
消えちゃった後の内親王は何処へ行ったの?
「それは分からん。また定家カズラが墓を覆って終わりだからな」
内親王が成仏出来たのかどうか、分からないままで能は終わるんだ。もっと長かった話が其処で途切れてしまったんじゃなくて、最初から続きは存在しない。定家って能が出来た時から。
「ちゃんと捕まえられていたらいいのに…」
定家カズラがまた生えたんなら、内親王を元の通りに。お坊さんがお経を読む前と同じに。
「おいおい、それじゃ内親王がだな…」
可哀相だろうが、成仏出来なくなっちまうんだぞ。定家カズラにまた捕まったら。
「だって、定家の恋人でしょ?」
それでいいじゃない、捕まったままで。ずうっと二人で、離れないままで。
逃げるなんて、とブルーは呟いた。
それじゃ酷いと、死んだ後まで定家カズラが墓を覆うほどに、定家に愛されていたくせに、と。
「ぼくなら絶対、逃げやしないよ」
もしも定家がハーレイだったら。ぼくが内親王だったら。
「おっ? お前、そう言ってくれるのか?」
俺がツタになってお前の墓に絡み付いていても、お前は逃げないと言うんだな。迷惑なツタでも俺の自由にさせてくれる、と。
「迷惑だなんて…。ハーレイがそうやって来てくれたんなら、逃げないよ」
ツタになってまで来てくれるんでしょ、ぼくの所へ。ぼくのお墓へ。
ちょっと苦しくても、窮屈だな、って思ったとしても、ぼくは絶対、逃げないんだから。
「本当か?」
ギュウギュウとツタが締め付けていても、我慢して一緒にいてくれるんだな?
このツタを取って自由にしてくれ、と誰かに頼みに行ったりせずに。
「決まってるじゃない。そこで逃げちゃうようなぼくなら、今、ハーレイと一緒にいないよ」
生まれ変わってまで一緒にいないよ、とっくに何処かへ行っちゃってるよ。
「それもそうだな…」
今まで一緒にいるわけがないな、お前はお前で自由に何処かへ行っちまって。
「そうでしょ?」
前のぼくが死んだら、もう自由だもの。だけど逃げずに一緒にいたから、今だって一緒。二人で地球に生まれ変わって、これからも一緒に行きていこう、って言ってるじゃない。
ぼくなら絶対、ハーレイの側から離れないよ。ツタに絡み付かれて息苦しくても、窮屈でも。
だって、ハーレイが抱き締めていてくれるんだもの。ツタになってまで、ぼくのお墓を。
昔の人はよく分からない、と首を傾げた。どうして逃げてしまうのだろう、と。
定家カズラに化身してまで側にいてくれる恋人、それほど愛してくれる人がいるのに、どうして自由になりたいなどと言うのだろう、と。
「そういったものは煩悩だったんだ。死んだ後まで執着するっていうのはな」
執着する方も、されている方も、そいつのせいで成仏出来ずに苦しむものだと思われていた。
死んだらそういう気持ちは捨ててだ、真っ直ぐにあの世へ行くのが正しい道だったんだな。
「煩悩って…。愛や恋が?」
誰かを好きだと思う気持ちは煩悩だったの、死んだ後にはそれを持ってちゃいけなかったの?
それで内親王は定家カズラを外してくれって頼みに行ったの、お坊さんに…?
「うむ。自分の力じゃどうにもならないから、ってな」
定家カズラを払いのけたくても、定家の想いが強すぎて恋を捨ててはくれない。定家カズラから自由になれない。内親王も定家も、恋に囚われたままで成仏出来ないってことだ。
内親王が生きた時代は、それは悲しいことだった。生きていた時の煩悩ってヤツを捨てられないまま、いつまでも恋人と離れないでいるっていうのはな…。
遠く遥かな昔の日本。定家カズラが生まれた時代。
その時代には、死んだ後には恋した心は捨ててゆくものだったと言われたから。
どんなに恋して愛し合っても、そうした想いが煩悩になって邪魔をするから、命が尽きて旅立つ時には捨てねばならなかったと言うから。
「だったら、前のぼくはとても幸せだったんだ…」
愛も恋も持ったままでいられたから。
前のハーレイを好きな気持ちを、捨てないで持っていられたから。
ちゃんと大切に持って、持ち続けて、またハーレイと会えたんだから…。
「まあ、時代がとっくに違ったしな」
前の俺たちが生きた時代と、定家カズラの話の時代じゃ、全く違っていたからなあ…。
考え方だってまるで違うさ、SD体制があった頃には煩悩も何も無いもんだ。言葉はあっても、それを持ってちゃ駄目だと思いはしなかったろうが。ただの欲望くらいな意味で。
「そうだっけね…。ちょっと深めの欲望だったね、前のぼくたちの頃の煩悩」
今はどうだろ、煩悩の意味は変わっていないと思うけど…。
死んだ後にも持っていたってかまわないよね、好きって気持ち。恋をした人を好きなままでも。
「当然だろうが、愛や恋は今でも大切だろう?」
捨ててしまった方が酷いぞ、今の時代は。
お前がすっかり勘違いしていた定家カズラの話みたいに、恋はしっかり持ち続けんとな。自分の命が終わったからって、もう知らないと忘れちまったら、今の世の中、何と言われるか…。
「そうだよね?」
今の時代も、前のぼくたちが生きてた頃も。
忘れましょう、って言う方が変で、忘れずにいるのが本当の愛で恋なんだよね…?
そういう時代に生きているんだ、っていうことは…。
死んだ後にはツタに変身して、大好きな人を追い掛けて行ってもいいんだよね、と微笑んだ。
「ぼくを追い掛けて来てくれる?」と。
ハーレイカズラに姿を変えて。墓にしっかりと絡み付いて。
「もちろんだ。前の俺でも追っただろうさ」
ツタになって追って行けると言うなら、前のお前の墓に絡んで離さなかったな。
これは邪魔だと取り除かれても、また生えて来て。蔓を伸ばして、お前の墓を覆い尽くして。
「そっか…。前のハーレイでもやってくれるんなら、シャングリラで試してみたかったね」
前のぼくのお墓に、ハーレイカズラ。前のハーレイが地球で死んじゃった後に。
「おい、バレるぞ?」
ハーレイカズラがどんなツタかは知らんが、そんなのを本気でやっちまったら。
そいつは前の俺の墓から生えるんだろうし、お前の墓まで伸びてすっかり覆っていたら…。
俺たちの仲がバレると思うが、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは恋仲だったと。
「大丈夫。誰も定家カズラの話なんかは知らないよ」
だから絶対、分かりっこないよ、なんでハーレイカズラなのか。
前のハーレイのお墓から生えて来たツタが、前のぼくのお墓に絡んでるのは何故なのか。
きっと偶然だと思うだけだよ、いくら剥がしても生えてくるから迷惑だ、って考える程度。
「どうだかなあ…」
俺の墓から生えて、お前の墓まで。これは怪しいと思うヤツがいるんじゃないか?
「平気だってば、ヒルマンもエラもいないんだから」
二人とも地球で死んじゃってるから、調べようって人はきっといないよ。
ハーレイカズラの正体は何か、って植物の種類を調べるくらいで、なんで生えてるのかは気にもしないよ、「また伸びてるから剥がさないと」って剥がすだけだよ。
「それもそうか…」
深くは考えないかもしれんな、やたら活きのいいツタが生えて来たなと思う程度で。
しつこいツタだと、どうすりゃ伸びずにいてくれるのかと調べて対策を練るくらいでな。
キャプテン・ハーレイの墓から生えて、ソルジャー・ブルーの墓をすっかり覆い尽くすツタ。
遠い昔の定家カズラの物語のように、剥がしても剥がしてもツタが覆う墓碑。前のブルーの名が刻まれた墓碑。
とても素敵だ、とブルーはウットリと思い浮かべようとしたのだけれど。
「駄目だな、考えてみたら同じ墓碑じゃないか」
前のお前と俺の名前は同じ墓碑に刻んであった筈だぞ、シャングリラの墓碑公園で。
あんな所でハーレイカズラをやろうものなら、他のヤツらに迷惑がかかる。
俺の名前が刻んである場所まで這い上がる間に、何人かの名前を隠しちまって、そこから先も。前のお前の名前の所に辿り着くまでに、また何人かを隠しちまうぞ。
ハーレイカズラに隠されたヤツから直接苦情が来なかったとしても、墓碑公園の係だったヤツ。そいつの文句が聞こえるようだな、この辺の名前がいつも見えないと。
「うーん…。それはそうかも…」
誰の名前が隠れちゃうのかは分からないけど、苦情は出るかも…。
いつ出掛けたってツタが邪魔して、名前がちっとも読めやしない、って。
「ほら見ろ、ハーレイカズラは無理だ」
前の俺たちの仲がバレなくても、仲間に迷惑をかけるのはいかん。
俺も少しはやってみたいが、他の仲間の名前を隠して読めなくするのは申し訳ないしな、ツタは駄目だな。どんな種類のツタかは知らんが、ハーレイカズラは。
白いシャングリラでは無理だと言われたハーレイカズラ。他の仲間に迷惑だから、と。
けれども、諦め切れなくて。ツタに覆われた前の自分の墓碑を夢見てみたくて。
「じゃあ、記念墓地は?」
あそこだったら、他の仲間の迷惑にはならないと思うけど…。
前のぼくたちのお墓だけしか無いから、ツタのお蔭で名前が見えないとは言われないよ?
「記念墓地って…。どれだけの距離を這って行くんだ、ハーレイカズラは」
前の俺の墓碑から生えてだ、一番奥のお前の墓碑まで伸びて行かんと駄目なわけだが…。
実に迷惑なツタになっちまうじゃないか、どう考えても。
墓参用の通路を塞いじまうか、ジョミーやキースの墓碑を踏み越えて進んで行くか。
でもって、ソルジャー・ブルーの墓碑をすっかり覆っちまうんだぞ、管理係が大迷惑だ。
記念墓地はきちんとしなけりゃならんし、毎日、毎日、ハーレイカズラと大格闘が続くんだぞ?
また生えて来たと、実にしつこいと、剥がして捨てては、また伸びられて。
そんな話が広がったとしたら、何処かの誰かが気付くだろうな。
俺みたいな古典の教師ってヤツが、そのツタは定家カズラと似たようなもので、ハーレイカズラなんじゃないかと。
SD体制を倒した英雄たちの墓碑が並んだ記念墓地。
前のブルーの墓碑が一番奥に佇み、手前にジョミーとキースの墓碑。前のハーレイの墓碑は他の長老たちと一緒に並んでいるから、ブルーの墓碑からは少し距離があって。
其処を毎日、いくら毟っても、ツタがせっせと伸びて行ったら。ソルジャー・ブルーの墓碑まで届いて、すっかり覆い尽くしていたら。
きっと誰かが気付くだろう。何のためにツタが生えてくるのか、前のブルーの墓碑を覆うのか。
「気付かれちゃうほどの愛もいいんじゃないかな、ハーレイカズラ」
いくら毟っても、全部剥がしても、また生えて来てぼくのお墓を覆って。
「冗談は抜きで、いつかバレるぞ。定家カズラの現代版だと」
キャプテン・ハーレイはソルジャー・ブルーと恋をしていたと、だからこうしてツタに変わって墓碑を覆いに伸びてゆくんだと。
あれだけ隠した恋がバレるが、そっちの方はかまわないのか?
シャングリラの墓碑公園で生えてる分にはバレないだろうが、記念墓地だと流石にバレるぞ?
「死んじゃってるからいいんじゃないかな?」
ぼくもハーレイも死んだ後だし、恋人同士だってことがバレても別に…。
困りはしないし、ハーレイとずっと一緒だったら、それだけでいいよ。ハーレイカズラに覆って貰って、いつまでも一緒。
「ふうむ…。生まれ変わるより、そっちがいいか?」
俺がハーレイカズラになってだ、お前の墓を覆い尽くしている方が…?
「それは困るよ!」
生まれ変われるんなら、その方がいいに決まっているでしょ、お墓より!
死んじゃった後も一緒っていうのも嬉しいけれども、二人一緒に生まれ変わる方が絶対いいよ!
ハーレイカズラになったハーレイと寄り添い合うのもいいけれど。
いつまでも二人、墓地で暮らすより、断然、生まれ変わりたいから。青い地球の上に新しい命を貰った、今の方がいいに決まっているから。
「…定家カズラの人もそうだったのかな?」
定家カズラから逃げたがってた内親王も、お墓にいるより生まれ変わりが良かったのかな?
こんなお墓で一緒にいるより、また新しく二人一緒に生まれて来よう、って。
「こらこら、自分の物差しで測るんじゃない」
定家カズラの物語の時代は、お前みたいな考え方とは違うんだ。
死んだ後には、出来れば生まれ変わりは避けたい、そういう風に考えたんだな。生まれ変わって戻って来るより、生まれ変わりの無い世界。其処を誰もが目指していたんだ、そんな時代だ。
「ぼくなら、生まれ変わりが無い世界に行くより、生まれ変わっても一緒がいいけど…」
ハーレイと何度でも、一緒に生まれて来たいけど…。
「現に、そうなっているってな」
まだ一度目だが、俺と一緒だ。生まれ変わって、また会えたしな。
「うん。ちゃんと会えたよ、ハーレイに」
地球に生まれて、前とおんなじハーレイに。
本当に前と全く同じで、誰が見たってキャプテン・ハーレイにしか見えないハーレイに…。
次も一緒に生まれたいな、と頼んでみた。
ハーレイカズラも素敵だけれども、お墓で一緒に暮らすよりかは、この次も一緒、と。
また二人一緒に生まれ変わって、巡り会って。そうして一緒に生きてみたい、と。
「もちろんだ。俺もお前と一緒に生きてゆける方がいいに決まってるだろう」
お前に出会って、また恋をして。手を繋いで二人で一緒に歩いてゆくんだ、人生ってヤツを。
それが駄目ならハーレイカズラだ、お前と離れてしまわんようにな。
迷惑なツタだと、邪魔なヤツだと毟られようが、剥がされようが、何度でも伸びてゆくまでだ。
「絡み付いてくれる?」
ぼくのお墓に。定家カズラがそうだったように。
ハーレイカズラに絡み付かれて、ちょっぴり息が苦しくっても、身体が自由にならなくっても、お坊さんを呼んだりしないから。取って下さい、って頼みに行ったりしないから。
「うむ、いつまでもな」
しっかり絡んで、絡み付いて。俺はお前を離しはしないし、何度剥がされても伸びてゆこう。
お前をすっぽり包み込むために、お前の側にいてやるために。
ハーレイカズラになるしかないなら、そうやってお前を抱き締めてやる。お前の墓ごと、ツタで覆って。どんなツタかは俺にも謎だが、まあ、生えてみれば分かるってな。
ツタになっても離しはしないと、ハーレイは言ってくれたから。
また二人、いつか生まれ変わっても、きっと巡り会って一緒に生きてゆくのだろう。
その時までは多分、生まれて来る前にいた場所で二人、寄り添い合って。
何処にいたのか分からないけれど、青い地球に来る前にいただろう場所、其処へ還って。
「ねえ、ぼくたちが生まれ変わってくる前にいた場所…」
其処だと、ハーレイはハーレイカズラだったのかもね。
前のぼくのお墓に絡むんじゃなくて、ぼくは小さな木か何かで。
ハーレイがそれを包んでくれてて、守られてるから強い風が吹いても折れないんだよ。
いつでもハーレイと二人一緒で、おんなじ所でお日様を浴びて、雨の水も二人一緒に飲んで。
「そうかもなあ…」
ハーレイカズラだったかもしれんな、ちっぽけなお前の木を守るために。
お前が風で折れちまわんよう、俺が絡んで、しっかり支えて。
そうやって一緒だったかもなあ、いつも二人で、離れないでな。
生まれて来る前に二人でいた場所、其処が何処だか知らないけれど。
どんな所だったか、想像すらもつかないけれども、きっとハーレイと一緒にいた。
二人でいつも寄り添い合って。ハーレイと手を繋ぎ合って。
そんな気がする自分たちだから、これからも共にゆきたいから。
定家カズラの物語になった恋人たちのように、別れを望みはしないだろう。
抱き締めるハーレイの腕の強さで、息をするのが苦しくても。身体が自由にならなくても。
この先もずっと、ハーレイと二人。
ハーレイカズラに覆い尽くされても、きっと辛いと思いはしない。
代わりに、きっと幸せが満ちる。
いつまでも二人一緒なのだと、けして離れることなどは無いと…。
定家カズラ・了
※定家カズラの話が生まれた時代と、まるで価値観が違う時代。死んだ後も一緒にいたいもの。
もしもハーレイカズラが出来ていたなら、どうなったでしょう。二人の恋の証でしょうか。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(あれ…?)
あんなの前からあったっけ、とブルーが覗き込んだ庭。学校の帰り、バス停から家まで歩く道の途中、ふと目に留まった小さなブランコ。生垣の向こうの芝生に、白い支柱の。
高さからして子供用だけれど、見覚えが無い。白い支柱にも、ブランコにも。
(この家に、子供…)
住んでいただろうか、あのブランコで遊びそうな子供。そちらの方も覚えが無い。この家の人は知っているけれど、見掛けたら挨拶するけれど。ご主人と奥さん、二人暮らしだったような…。
子供は確かいなかった筈、と庭のブランコを眺めていたら、勢いよくバタンと開いた玄関の扉。中から幼稚園くらいの男の子が庭に飛び出して来た。その後ろから母親らしい女性と、顔見知りのご主人と。
「こんにちは」と挨拶をしたら、ご主人が紹介してくれた男の子と母親。遠い地域に住んでいる娘と孫だと、一週間ほど滞在すると。
「じゃあ、あのブランコ…」
「遊びに来るって言うんで用意したんだよ、驚いたかい?」
朝はまだ置いていなかったしね、とブランコの方を振り返るご主人。折り畳み式の支柱を広げて簡単に据えられるらしいブランコ。吊るすブランコも楽に取り付けられるという。けれども作りはしっかりしたもの、大人が乗っても大丈夫だという頑丈さ。
せっかくだから乗っていくかい、と言われて迷っていたら。今の学校に入ってからブランコには一度も乗っていないし、少し乗りたい気分もするし…、と考えていたら。
「お兄ちゃん、遊ぼう!」
入って来てよ、と男の子に誘われた。生垣越しに「こっち!」と手を振られて。人懐っこい男の子。ご主人も「遊んでいくといいよ」と門扉を開けてくれたから。
はしゃぐ男の子に手を引っ張られて、白いブランコの所に行った。「交代だよ」と目を輝かせる音の子を先に乗せてやって、加減しながら押してやる。ブランコが上手く揺れるように。
「もっと大きく!」と強請る男の子を「危ないよ」と宥めながら、何度も押して、また押して。
「今度はお兄ちゃんの番!」と譲られて乗せて貰った小さなブランコ。
大丈夫かな、と座って漕ぎ始めてみたら、ご主人が言っていた通りに本格的なブランコ、支柱はそんなに高くないのに。自分の背丈でも立って漕ぐには低すぎるのに。
それでも立派に揺れるブランコ、「もっと高く!」と男の子にせがまれて高く漕いだ。精一杯、ブランコの綱を揺すって、お兄ちゃんの意地で。
座ったままグンと前に漕いだら、青い空へと上がるから。小さなブランコでも空が近付くから。
(飛んで行けそう…)
手を離したら空へと舞い上がれそうな気がする、無理だけれども。
今の自分は空を飛べないから、綱を離したら放り出されて、ほんの少し飛んで落っこちるだけ。空に舞い上がれはしないのだけれど。
男の子と何度も交代で漕いだ小さなブランコ。どのくらい二人で遊んだだろうか、遊び疲れると弱い身体が悲鳴を上げてしまうから。名残惜しいくらいが丁度いいのだ、と男の子と別れて、家に帰った。白いブランコのある庭を後にして。
自分の部屋で着替えを済ませて、ダイニングでおやつを頬張りながら目を遣った庭。ブランコは置かれていない庭。代わりに白い椅子とテーブル、庭で一番大きな木の下に。
(ブランコ…)
ついさっきまで漕いでいたブランコ。男の子と交代で乗ったブランコ。
楽しくはあった、小さくても。立って漕げるだけの高さが無いブランコでも。
あのまま飛んでゆけそうだった青空、揺れて一番高く上がったら、そこで両手を離して空へ。
出来はしないと分かっていたって、ブランコから飛んでゆけそうだった。それほどに近く感じた青空、ブランコで舞い上がった空。
もっと大きなブランコだったら、もっと空高く上がれただろう。立ったままで漕げたら、青空はもっと近かっただろう。両手を離して飛び込めそうなほどに、舞い上がれそうなほどに。
(二人乗りだって…)
大きなブランコだったら出来る。一人は座って、一人は立って。
していた友達を何人も見た。二人で漕ぐ分、ブランコは遥かに高く上がった、空に向かって。
自分は怖くて出来なかったけれど。あんなに高く上がったら落ちる、と怖くて遠慮したけれど。
「お前は座っていればいいぜ」と誘われても。「俺が漕ぐから」と言って貰っても。
乗っておけば良かっただろうか、二人乗りのブランコ。空があんなに気持ちいいのなら。
小さなブランコで舞い上がった空。ブランコから手は離せないけれど、近付けた空。此処で手を離せば飛んでゆけると、舞い上がれそうだと思えた青空。
それが心を離れない。ほんの少しだけ、空へと飛ばせてくれたブランコ。
(庭にブランコ…)
あったらいいな、と眺めた芝生。あそこにブランコ、と。
庭で一番大きな木の下に置かれた、白いテーブルと椅子もいいけれど。同じ白なら、小さくても丈夫なブランコもいい。今日、乗ったような白いブランコ。立って漕げなくても、子供用でも。
ブランコが一つ庭にあればと、そしたら空に近付けるのにと青い芝生を見ていたら。どの辺りにブランコを置くのがいいかと、似合いそうかと考えていたら。
(あったっけ…!)
芝生の上に小さなブランコ。子供の頃には。さっき遊んだ男の子くらいの年の頃には。
色は忘れてしまったけれども、確かに庭で漕いでいた。父や母に背中を押しても貰った、もっと大きく漕げるようにと。
あれが今でもあったなら。何処かに仕舞ってあるのなら…。
(ハーレイと遊べる?)
身体が大きなハーレイは子供用のブランコだと座れないかもしれないけれども、押して貰える。幼かった自分が両親にやって貰ったように。帰り道で遊んだ男の子の背中を押してやったように。
ハーレイと二人で庭でブランコ、空の世界へ舞い上がれるブランコ。
素敵かもしれない、乗れるのは自分一人でも。ハーレイには小さすぎるブランコでも。
(まだあるのかな…)
小さかった自分が遊んだブランコ。色も覚えていないブランコ。
あるのなら乗ってみたいから。庭の芝生に置いてみたいから、通り掛かった母に尋ねた、あれはまだ家にあるのかと。ブランコは物置の中だろうか、と。
「ああ、あれね。好きだったわねえ、あのブランコ」
いつも頑張って漕いでいたわね、パパやママが手伝ってあげられなくても。
「あのブランコ、何処かに残ってる?」
今は畳んであるんだろうけど、物置とかに?
「ブルーが遊ぶには小さくなったから、あげちゃったわよ」
「えーっ!」
小さくなっても、ちゃんと乗れるのに!
立って漕げないっていうだけのことで、座って乗ってもブランコはちゃんと漕げるのに!
乗りたかったのに、と抗議したら母に「えっ?」と変な顔をされたから。
いったい何を言い出すのだろう、と怪訝そうな瞳で見られたから。
慌てて帰り道の話をした。子供用のブランコで小さな子供と遊んで来たと。小さなブランコでも充分乗れたと、楽しかったと。
「あらまあ…。それで懐かしくなっちゃったのね」
家にあったのを思い出したら、家で乗りたくなったってわけね、ブランコに。
「うん…。でも、あげちゃったんなら乗れないね…」
もし残ってたら、出して貰おうと思ったのに。ぼくじゃ無理だから、パパに頼んで。
「ブランコなら、公園で乗って来たら?」
楽しかった気分を忘れない内に、乗りに行ってくるのもいいと思うわよ。そこの公園まで。
「行ってる間にハーレイが来ちゃうよ!」
今日は来ないかもしれないけれど、行ってる間に来たら大変。ブランコどころじゃないってば!
「そうなの? ハーレイ先生には待ってて貰えばいいと思うけど…」
ブルーは公園に行ってますからお待ち下さい、って伝えておいてあげるのに。
それじゃ駄目なのね、待っていたいのね、ブランコに乗りに行くよりも?
ブルーは本当にハーレイ先生が大好きなのねえ、と言われてドキリと跳ねた心臓。「大好き」の中身が違うから。母が思う「好き」とは大違いだから。
「そうじゃなくって! ハーレイを待たせてしまっちゃ悪いよ、遊びに行ってて!」
ブランコなんかで、と激しく打っている鼓動を必死に誤魔化して部屋に戻った。本当の気持ちを母に知られたら大変だから。どういう「好き」かを知られるわけにはいかないから。
大慌てで逃げ帰った部屋だけれども、やっぱり忘れられないブランコ。舞い上がった空。小さなブランコでも空に近付けた、漕いだ分だけ。
勉強机に頬杖をついて、ブランコのことを考える。漕げば空へと上がるブランコを。
(ぼくのブランコ…)
幼かった自分が漕いだブランコ、あれが今でも家にあったらハーレイと一緒に遊べたのに。庭の芝生にブランコを据えて、ハーレイに背中を押して貰って、空高く漕いで。
(公園に行けばあるけれど…)
立ち漕ぎが出来る大きなブランコが。ハーレイでも充分に乗れるブランコが。
とはいえ、ハーレイは連れて行ってはくれないだろう。会う時はいつも、この家ばかり。部屋で話すか、庭にある白いテーブルと椅子か。
他の場所では会っていないし、何処かへ出掛けたことも無い。ただの一度も。
(でも、公園の朝の体操…)
夏休みに一緒に行ってみないかと誘われた記憶。近所の公園へ行くなら付き合ってやるぞ、と。
体操に行くのは断ったけれど、あの時、ハーレイは公園に行こうと言ったのだから。体操をしに出掛けて行こうと、自分を誘ってくれたのだから。
(公園のブランコだったら行ける?)
朝の体操とは違うけれども、ブランコは公園で遊ぶもの。朝の体操をやっているのと同じ公園にあるのがブランコ。大人でも乗れる立派なものが。
もしかしたら連れて行って貰えるだろうか、と期待を膨らませていたら、チャイムの音。窓から覗くと、ハーレイが大きく手を振っていた。門扉の向こうで。
公園にブランコに乗りに出掛けなかったのは正解だった、とハーレイが部屋に来るのを待って。母がお茶とお菓子を置いて行ってくれたテーブルを挟んで向かい合わせで切り出した。
「あのね…。今度の土曜日、ぼくと公園に行ってくれる?」
「はあ?」
公園ってなんだ、何処の公園だ?
「そこの公園。ハーレイも歩いて来る時に通っているでしょ、公園の横を」
あそこに一緒に行って欲しいんだけど…。もちろん、お天気が良ければ、だけど。
ブランコに乗りに行きたいんだよ、と頼んでみた。
公園の朝の体操に誘ってくれていたんだし、公園にあるブランコだってかまわないでしょ、と。
「大きなブランコがあるんだよ。ハーレイみたいに大きな大人でも乗れるブランコ」
二人で一緒に乗りに行こうよ、きっと楽しいよ。
ぼくね、今日、学校の帰りに小さなブランコに乗せて貰って…。小さな男の子と遊んでたんだ。その子の家のブランコで。
漕いだら空に飛んでくみたいで、とっても素敵だったから…。今度の土曜日はあれに乗ろうよ、二人で公園まで行って。
「お前なあ…。デートは断ると言っただろうが」
いくらブランコが楽しかったか知らんが、体操ならともかく、デートはなあ…。
「デート?」
ぼくはブランコって言ってるんだよ、食事に行こうとは言っていないよ。ブランコに乗るだけ、ハーレイと一緒にジュースを買って飲もうとも思っていないんだけど…。
「それはそうかもしれないが…。お前はブランコに乗りに行きたいだけなんだろうが…」
ブランコは一応、定番なんだぞ。デートってヤツの。
「え…?」
なんでブランコが定番になるの、あれは遊びの道具でしょ?
大人の人だって乗っているけど、遊びで乗ってる人ばかりだよ…?
キョトンとしてしまったブルーだけれど。全くピンと来なかったけれど。
ハーレイが言うには、ブランコはデートに使われるもの。人が少ない時間に公園に行けば、恋人たちが乗っているという。二つのブランコに並んで乗ったり、一つのブランコに二人乗りしたり。
公園のブランコはそうしたもの。恋人同士で乗りに行くなら、デート。
「じゃあ、ブランコに乗りに行くのは駄目なの…?」
同じ公園でも体操は良くて、ブランコは駄目…?
「駄目ってことだな、デートになってしまうからな」
俺とお前じゃ、傍目にはそうと分からなくても立派にデートだ。断固、断る。
「酷いよ、ぼくはハーレイとブランコに乗ってみたいのに…!」
空に飛んでいくような気分になれるブランコ、ハーレイと乗ってみたかったのに…!
ハーレイは漕ぐのも上手そうだから、見てるだけでも楽しそうなのに…!
本当に上手いに違いない、という気がしたから。自分が漕ぐよりずっと上手くて、ずっと高くへ漕げるだろうと思ったから。
見ているだけでも楽しそうだ、と食い下がったら。
「そりゃあ上手いに決まってるだろう、お前よりかは遥かにな」
怪我も沢山しちまったんだが、いわゆる武勇伝っていうヤツだ。名誉の負傷だ。
お前が思っているようなブランコの乗り方とは多分、全く違うだろうな。
「違うって…。ブランコはブランコじゃないの?」
乗って漕ぐんでしょ、ぼくの友達はそうだったよ。公園に来ていた他の子たちも。
それともあれかな、漕いでる途中でピョンと飛び降りてしまうヤツ?
ぼくは怖くて出来なかったけど、一番高くまで漕いで上がって、そこから飛ぶとか。
「そいつは普通だ、何処でもガキどもがやってるってな」
お前は怖くて無理だったかもしれんが、幼稚園のガキでもやるヤツはいる。小さなブランコでも元気一杯に飛ぼうってヤツは。
だが、俺がやっていたのは飛ぶ方じゃなくて、ブランコの漕ぎ方そのものだ。立ったり座ったりして漕ぐ代わりにだ、漕いでる途中で逆立ちなんだ。
「逆立ち!?」
ブランコで逆立ちなんかをしたら落ちるよ、座る板から放り出されちゃうよ?
それとも、えーっと…。慣性の法則っていうの、あれで落ちずに乗っていられるの?
「甘いな、そういう逆立ちじゃない。あれは一種の体操の技かもしれないな」
ブランコを吊るしてる鎖があるだろ、でなければロープ。
あれを両手でグッと掴んで、その手を支えに逆立ちするんだ。つまり身体は板から離れる。
思いっ切り漕いでパッと逆立ち、板に戻る時は身体をクルリと回転させて戻るってな。
ハーレイが子供の頃にやっていたらしい、逆立ちでブランコに乗るという技。
逆立ちしたまま靴を飛ばすとか、逆立ちの状態から飛び降りるだとか、ブランコで披露する技は色々、友人たちと競っていたハーレイ。
怪我も沢山したけれど。ブランコから落ちたり、落ちた所へブランコの板が戻って来て頭を直撃したりと、それは散々に。
けれども懲りずに挑み続けて、誰よりも上手く乗れたというから。上の学校へ上がった後にも、公園でブランコを見掛けたら「こう乗るもんだ」と皆の前でやって、拍手喝采だったというから。
「その技、見たい…」
ハーレイ、今でも出来るでしょ、それ?
柔道と水泳で鍛えているから、身体はなまっていないよね?
だから出来そうだよ、そういう乗り方。絶対、出来ると思うんだけど…。
「まあな。昔の仲間と集まったりしたら、あれは今でも出来るのか、って話になるしな」
そうなりゃ、近くに公園があれば披露せんとな?
俺の腕は全く落ちちゃいないと見せてやらんと話にならん。ブランコの技は現役だぞ、と。
「だったら見せてよ、ぼくも見たいよ!」
ハーレイがカッコ良く逆立ちで乗るのを見たいよ、そんな乗り方、見たことないもの…!
「乗り方はともかく、お前と二人で公園だろうが。公園のブランコ」
デートの定番なんだと言った筈だぞ、恋人と公園へブランコに乗りに出掛けるのはな。
白昼堂々、デートが出来るか。
周りにはそうと見えてなくても、お前と俺とは恋人同士で、ブランコとなれば立派にデートだ。
それに…、とハーレイは腕組みをした。
公園へブランコに乗りに出掛けて、逆立ち乗りなどの技を披露していたら。
真っ昼間だけに、自分は公園に来ている子供たちのヒーローになってしまって、そちらの相手で手が塞がってしまうんだが、と。
「いいか、逆立ち乗りなんかは子供にはとても教えられないが…」
危ないから駄目だ、と決してやらんが、そういう技を持ってる大人。子供にしてみりゃヒーローだろうが、凄い人がブランコに乗りに来た、ってな。
俺の今までの経験からして、ワッと囲まれて、「ブランコで遊ぼう」って言われるんだ。二人で乗りたいとか、自分で漕ぐから思い切り背中を押して欲しいとか…。
そうなった以上は、次から次へと俺と一緒に乗せてやったり、背中を押して漕いでやったり。
「もう行かなきゃな」と俺が言うまで、それは見事にガキどもの世話だぞ?
俺の技を見ようと公園に出掛けた俺の仲間たちも巻き込まれてたな、「遊んでくれ」と。
お前もそういうコースになるんだろうなあ、「お兄ちゃんも一緒に遊ぼうよ」ってな。
ブランコに乗りに公園に出掛けたが最後、お前の世話はすっかりお留守になるな、という宣告。公園に来ている子供たちの方が優先だから、と。
「そういうモンだろ、同じ子供なら小さい方を優先しないとな」
お前は制服を着るような年だ、いくらチビでも子供から見たら「お兄ちゃん」だ。
お兄ちゃんらしく、我慢して俺を子供に譲るべきだな、公園ではな。
「そんな…。せっかくハーレイと公園に行くのに、ハーレイを子供に取られちゃうの?」
ぼくはハーレイに放っておかれて、子供の世話を一緒にするしかないの?
「そうなっちまうということだ。ブランコに乗りに出掛けるのなら」
だから駄目だな、健全なデートが出来る時間の公園は。
俺の技を見たいと言っちまったら、今、言った通りのコースになるし…。
そうでなくても、ブランコがデートの定番なんだと知ってる以上は、俺は御免だ。
お前とのデートは庭のテーブルと椅子でいいだろ、公園まで出掛けて行かなくてもな。
二人でブランコに乗りに行くなら日が暮れてから、と言うハーレイ。
遊んでいた子供たちの影がすっかり消えて、公園に明かりが灯ってからだ、と。
「お前と二人で出掛けるんなら、そういう時間になってからだな」
子供たちのヒーローになる心配も無いし、存分に技を披露してやるさ。
なあに、ブランコと鎖がきちんと見えてりゃ、逆立ち乗りは楽々出来るんだ。現に、夜にだってやっているしな、仲間たちに頼まれて技を見せようって時にはな。
「それって、いつ…?」
暗くなってから公園でブランコだなんて、いつになったら連れてってくれるの?
「夜のデートに出掛けられるようになったらな」
お前が育って、お父さんとお母さんに「行って来ます」と言えるようになって。
ついでに門限も明るい間じゃなくなってからだ、夜になってから家に帰っても間に合う時間。
そういう時間まで俺と一緒に出歩けるようになれば、夜のデートも充分出来るし。
「いつのことだか分からないよ!」
ぼくが大きく育つのもそうだし、門限が遅くなる頃だって…!
夜の公園でブランコに乗れるの、いつだか分からないじゃない…!
「なあに、結婚する頃には乗りに行けるさ」
婚約したなら、夜のデートもきっと許して貰える筈だぞ。
俺の車でドライブに出掛けて、お前を家まで送る途中に公園に寄るかな、ブランコに乗りに。
先客のいない場所となったら、そこの公園が案外、狙い目なのかもしれないなあ…。
ハーレイと二人、ブランコに乗りに行くなら夜のデートで日の暮れた公園。逆立ち乗りを見せて欲しくても、ハーレイを独占していたいのなら、やっぱり夜で。
当分はハーレイとブランコに乗りに行けそうもないから、ポツリと呟く。
「もっと小さかった頃に出会いたかったな、ハーレイと…」
ぼくが今よりずっと小さくて、チビだった頃に。
「どういう意味だ?」
俺もお前ともっと早くに出会いたかったと何度も思うが、どうして此処でそれが出てくる?
チビだとデートに行けるまでには、今よりももっと長い時間がかかるわけだが…?
「ハーレイが公園のヒーローになってて、ぼくは遊んで貰うんだよ」
ブランコに一緒に乗って貰って、ハーレイと二人でうんと高く。
飛んで行けそう、って思うくらいに高い所まで漕いで貰って。
ハーレイだったら小さな子供でも、安全に乗せてくれそうだもの。もっと高く、って頼んでも。
「そっちのコースか…」
俺のブランコの腕前を眺めて、凄い人が来たと大感激して。
それから友達になろうってヤツだな、他の子たちよりも多めに遊んで貰ってな。
気持ちは分からないでもないが…。
お前はとっくに育っちまって、同じチビでも俺と公園で遊べるチビではないんだよなあ…。
今更チビには戻れないぞ、と苦笑いされた。育った背丈は縮まないから、と。
いくらチビでも、十四歳にしてはチビというだけ。下の学校の子はもっと小さいし、幼稚園だともっと小さい。今日の帰り道、ブランコで遊んだ男の子くらいの背丈しかない。
そこまで小さくなれはしないし、小さくなったら結婚までの道も遠くなる。背が今よりも縮んだ分だけ、逆に長くなる結婚までの時間。
それでは自分も困るから。ハーレイと公園で遊べたとしても、結婚までの時間が延びてしまえば悲しいどころではないのだから。
ハーレイとブランコに乗りたいのならば、ブランコに逆立ちで乗っている姿を見たいなら…。
「やっぱり結婚してからなの?」
でなきゃ、もうすぐ結婚するんだ、って決まってからの夜のデートとか…。
それまでハーレイと二人でブランコは無理で、ハーレイの技も見られないわけ…?
「そういうことだな、残念ながら」
俺もリクエストされたからには、華麗な技を披露したいのは山々なんだが…。
お前と二人でブランコでデートも悪くないんだが、まだ早すぎだ。
俺と一緒に出掛けられるようになるまで、公園でブランコは待っていてくれ。
ブランコで遊んで楽しい気持ちになったのも分かるし、乗りたい気分も分かるんだがな。
分かるんだが…と窓の外へと目を遣ったハーレイ。
ブランコを高く漕いだ時には空に近付くし、とても気分がいいものだから、と。
「今のお前は空を飛べない分、余計に気持ちがいいんだろうなあ…」
ブランコを漕いで高く上がれば、空に飛び出して行けるようで。
そういうブランコも楽しいんだが、ゆらゆらと揺れるブランコってヤツも楽しいもんだ。
覚えていたなら、作ってやろう。
「…何を?」
何を作るっていうの、ハーレイ?
「お前専用のブランコだ」
結婚したら、庭の木に一つ作ってやろう。庭の木だから、高く漕ぐより揺れる方だな。
青空を目指すブランコもいいが、庭の緑や景色を見ながら乗れるブランコ。そいつを俺が作ってやるから、好きな時に乗って遊ぶといい。木陰のブランコでのんびりとな。
「本物の木にブランコなの?」
それをハーレイが作ってくれるの、庭の木の枝にブランコを?
「そうさ、そんなのも楽しそうだろうが」
しっかりした板を切って削って、丈夫なロープで枝に縛って。
芝生に置くようなブランコもいいが、庭の木にブランコというのもいいもんだぞ。
「うん…!」
とっても気分が良さそうだよ、それ。上を見上げたら緑の葉っぱが一杯で。
庭の木にブランコがついてるだなんて、芝生に置いてあるよりも素敵だよ、きっと…!
同じ作るなら、ハーレイも乗れそうなブランコを庭に作ってよ、と頼んでみた。
頑丈な木を選んで、ハーレイも乗れる丈夫なブランコ。そしたら昼間でも乗れるから、と。
「公園まで行かなくっても家で乗れるよ、庭のブランコでデート出来るよ」
ハーレイとぼくが二人で乗っても大丈夫なのを作ってくれたら。
二人並んで座れそうなのを、庭の木の枝につけてくれたら。
「ふうむ…。お前が一人で遊ぶんじゃなくて、デートもするのか。庭のブランコで」
だったら、公園のブランコは要らんな、昼間に行っても俺がヒーローになっちまうだけだしな。
家でのんびりデートってわけだな、ブランコは庭にあるんだからな。
「ううん、家で乗って、公園のもだよ…!」
昼間の公園だとハーレイを子供に取られちゃうから、昼間は家のブランコでデート。
夜になったら公園に行って、公園のブランコでデートするんだよ。二人で乗ったり、ハーレイの技を見せて貰ったり、公園のブランコでしか出来ないデートを。
庭のブランコが丈夫なものでも、ハーレイが逆立ちを披露できるほどの高さの枝に吊るすのは、多分、無理だから。小さな子供ならばともかく、ハーレイの背丈の高さを思えば無理そうだから。
ブランコの鎖をグッと掴んで逆立ちするハーレイを夜の公園で見たい。
「凄い!」と騒ぎ出す子供たちの姿が消えてしまって、静かになった夜の公園で。
もちろん、デートもするけれど。
ハーレイにブランコを漕いで貰って二人で乗ったり、それぞれ別のブランコに乗って、ゆっくり漕ぎながら話をしたり。
庭のブランコでも出来ることやら、公園のブランコでないと出来ないことやら。
どちらにもきっとまるで違った魅力があるから、ブランコは庭と公園と。
庭に作るなら、ハーレイと二人で乗れるブランコ、眺めが良くて丈夫な枝に。
「分かった、分かった。ブランコでデート、家と公園と、両方なんだな」
昼間は庭のブランコに二人で乗って、夜になったら公園に行って。
そんな感じでデートをしたい、と。
結婚するまでは庭のブランコは作ってやれないから、夜の公園だけになるがな。
「約束だよ? ブランコ、覚えていたら庭に作ってね」
公園のブランコでデートしたなら、きっと思い出すと思うけど…。
家にもあったらいいのにな、って思うんだろうし、そしたら思い出すだろうけど…。
ハーレイもちゃんと思い出してよ、庭にブランコを作るってこと。
そしたら昼間でもブランコに乗ってデートが出来るし、庭の木の枝に吊るしたブランコ、きっと素敵に決まっているから…!
いつかはハーレイと二人でブランコ、二人で乗ったり、ハーレイの技を見せて貰ったり。
ブランコで逆立ちするハーレイがヒーローに見えるくらいに幼かった頃には、ハーレイと出会い損ねたけれど。遊んで貰い損なったけれど。
今よりもっと大きくなったらデートが出来る。
前の自分と同じ背丈に育ったら。ハーレイと二人、恋人同士だと明かせるようになったなら。
ブランコはデートの定番らしいから、いつかはハーレイとブランコでデート。
公園でも、庭の木の枝にハーレイが吊るしてくれたブランコでも。
ゆらゆらと揺れる庭のブランコも、公園のブランコも、二人で乗ればきっと楽しい。
小さなブランコでも飛べそうだった空へブランコを漕いでゆくのも、二人並んで座るのも。
ハーレイと二人なのだから。
青い地球の上、幸せな時を二人きりで過ごすのがデートなのだから…。
ブランコ・了
※ブルーが久しぶりに乗ったブランコ。すると、ハーレイともブランコで遊びたい気分に。
なのに当分、お預けなのです。いつかは二人で乗りに行ったり、一緒で暮らす家の庭でも…。
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