シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「人が植物に変身するという話は知ってるか?」
ハーレイの古典の授業中。生徒たちの集中力を取り戻すために始まる雑談。居眠りしそうだった生徒もハッと顔を上げる、聞き逃したら損をするから。楽しかったり、ためになったりする中身。
投げ掛けられた問いに「知ってます!」と返った幾つもの声。ブルーも「はいっ!」と勢いよく手を挙げた、「知っています」と。
人が化身した植物の話は幾つもあるから。水仙になった美少年やら、月桂樹になった女性やら。彼らの名前が植物の名前になっている。水仙も、それに月桂樹も。
てっきり、そういう話になるのだと考えたのに。クラスメイトたちもそうだったろうに。
「間違えるなよ、伝説や神話の人物じゃないぞ」
誰でも知ってる実在の有名人なんだが、と続いた言葉。名前を知らなくても存在くらいは、と。
藤原定家。百人一首を選んだ人だ、と。
「嘘…」
信じられない、と教室に広がる波紋。そんな馬鹿な、と。
古典の授業では必ず出て来る百人一首。SD体制が始まるよりも遥かな昔に、日本という島国で選ばれた有名な和歌。昔とはいえ、その時代にはもう歴史が記録されていたのだし、伝説や神話の時代とは違う。藤原定家も実在の人物、その人が植物に化身するなど有り得ない、と。
「いや、本当だ。藤原定家は植物になった」
定家カズラ、と教室の前のボードに書かれた文字。藤原定家はこれになった、と。ただし、命が尽きてから。定家がこの世にいなくなってから。
生きている間に定家カズラに化身したわけではないけれど。
定家の死後に、その恋人の墓を覆ってしまったツタ。それが姿を変えた定家で、そのツタは定家カズラと呼ばれるようになったという。
何度取り除いても、また恋人の墓を覆い尽くした定家カズラ。ツタに化身した藤原定家。
「本当ですか…!」
あちこちで上がる驚きの声。実在の人物が植物になってしまうだなんて、と。
「まあ、昔からあったツタの名前が変わったっていうオチだろうがな」
このツタは定家に違いない、と皆が考えれば、そういう名前になるってもんだ。
多分、本当に定家カズラが生えたんだろうな、恋人の墓の周りにな。なにしろ定家は有名人だ、噂は直ぐに広がっただろう。ツタになっても恋人の側にいようと頑張っているんだからな。
定家カズラって名前になる前は、マサキノカズラだったという説もある。同じ植物の名前がな。
さて、俺の雑談は此処で終わりだ。定家カズラを詳しく知りたいヤツは能の勉強をするといい。能の演目で、定家というのがあるからな。
授業に戻る、とハーレイはボードに書いた「定家カズラ」の文字を消したけれども。
(定家カズラ…)
凄い、とブルーは感心した。
死んだ後まで恋人の墓を覆ったほどの定家の愛。何度取り除いても、また生えたというのが定家カズラで、尽きない愛の結晶だから。ツタになっても愛し続けようと、側にいようと。
自分よりも先に亡くなった恋人、その人の側にいつまでも、と。
定家の想いも凄いけれども、それほどに定家に愛された人。定家よりも先に死んだ恋人。
その人は幸せだっただろうと、なんて幸せな人だろうかと。
(死んじゃった後も、ずうっと一緒…)
定家カズラに覆って貰って、永遠に寄り添い続けただろう恋人同士。
地球が滅びてしまうまで。でなければ、それよりもっと昔に、定家カズラに覆われた墓が風雨で朽ちてしまうまで。
(でも、きっと今も…)
恋人同士に違いない。自分とハーレイがそうであるように、何度も二人で生まれ変わって。
定家カズラが覆っていた墓が消えた後には、地球が滅びてしまった後は。
SD体制の時代にも二人はいたかもしれない、広い宇宙でまた巡り会って。
学校が終わって家に帰っても、忘れられない定家カズラ。遠い昔の愛の物語。
おやつの時間も頭の中から定家カズラが離れない。死んだ後にも寄り添い続けた恋人同士。定家カズラが覆い尽くして、愛し続けた恋人の墓。
二人は何処に行ったのだろうか、今の時代は。SD体制が敷かれていた頃も、巡り会って二人で暮らしただろうか。きっとそうだ、と考えていたら、母がダイニングに入って来たから。
「ママ、定家カズラっていう植物、知ってる?」
ハーレイの授業で聞いたんだけど…。写真は見せて貰ってないんだ、授業と関係無かったから。ツタだっていうのは確かだけれど。
「定家カズラ…。ああ、あれのことね」
ウチには無いけど、たまに育てている家があるわ。花が可愛くて香りもいいから。
手を出してちょうだい、ママの記憶を見せてあげるから。
これよ、と絡めた手から流れ込んで来た母の記憶の定家カズラ。艶やかな葉に、花びらが五枚の白ともクリーム色とも見える花。咲いた時には白なのだろう。時が経てば淡い黄を帯びていって、やがてクリーム色へと変わる。
花から漂う甘い芳香。ジャスミンを思わせる香りの花。
(綺麗…)
想像以上に美しかった定家カズラという名の植物。母に「ありがとう」と御礼を言って。
おやつが済んだら、部屋に戻って…。
(定家カズラ、ホントに綺麗だったよね…)
花は大きくないのだけれども、可憐な白やクリーム色のが幾つも咲いて。いい香りがして。
あんな花に覆って貰っていたなら、きっと幸せだったろう。そうして二人、離れることなく寄り添い合って、ずっと愛されていたのなら。
恋人の墓が朽ちてしまうまで、地球が滅びてしまう時まで、定家カズラが恋人を守って。
そういう愛の形もいいよね、と定家カズラに思いを馳せた。遥かな後まで語り継がれた恋物語。地球が一度は滅びた後まで、定家カズラも育たないほどに死に絶えた地球が蘇るまで。
(カズラって言えば…)
ふと思い出した、風船カズラに纏わる話を。今のハーレイから聞いた話を。
風船カズラの中にはハートのマークがついた種が三つ入っているから、その種を前の自分たちの心臓に見立てるという。ソルジャー・ブルーと、ジョミーと、キースと。SD体制を倒した英雄、その心臓が中に入っていると。
さほど知られてはいないらしくて、今の自分も知らなかった。風船カズラは風船カズラ。風船のように膨らんだ実をつける植物だと思って見ていただけ。
風船カズラにこじつけた話はあったけれども、それを除けば前の自分たちは植物に姿を変えてはいない。定家カズラのようにはいかない、植物の名前はとうの昔に完成されてしまっていたから。
秋に咲く朝顔の品種の一つに「キース・アニアン」の名がつけられていたから、そういう具合に朝顔や薔薇の名前の中には混じっているかもしれないけれど。ソルジャー・ブルーもキャプテン・ハーレイも、探せばあるかもしれないけれど。
定家カズラにはとても及ばない、誰もが「あれだ」と思い浮かべる植物ではない。どんな花かは直ぐに浮かばず、今の自分だって「ソルジャー・ブルー」の名前の花など知らないから。
(それに…)
前の自分の恋は知られていなかった。前のハーレイとの恋は。
誰にも決して知られないよう、隠し続けた秘密の恋。
その上、前のハーレイの墓碑も、自分の墓碑も空っぽだから。其処に葬られてはいないから。
(ハーレイカズラは無理だよね…)
前の自分の墓碑を覆い尽くしてしまうハーレイカズラ。前のハーレイの墓碑から蔓を伸ばして、前の自分の墓碑を覆って。
そうなっていたら、幸せだったろうに。死んだ後まで、ハーレイに墓碑を丸ごと覆って貰って、いつまでも二人、寄り添い合って。
そんなことを考えていたら、来客を知らせるチャイムの音。仕事帰りのハーレイが寄ってくれたから。部屋のテーブルを挟んで二人、向かい合わせに座れたから。
「ねえ、ハーレイ。…定家カズラの人、幸せだよね」
「はあ?」
幸せって…。今日の授業の俺の話か、雑談でやってた定家カズラ。
「そうだよ、あのお話の中の定家の恋人。とても幸せな人だと思って…」
あんなに愛されて、きっと幸せだっただろうな、って。
死んだ後までお墓を恋人に覆って貰って、ずうっと一緒にいられたんだから。
「なるほどな。お前、調べていないのか…」
そのようだな、とハーレイの鳶色の瞳が見詰めるから。
「何を?」
調べるって、何を調べるの?
「定家だが?」
「定家カズラはママに教わったよ?」
綺麗だったよ、ママの記憶で見せて貰った定家カズラ。白い花とかが沢山咲いてて…。とってもいい匂いがしてくる花で。
あんな花がお墓を包んでくれたら、きっと幸せ。それに、いつまでも一緒なんだし。
もう最高の恋人同士だと、素敵な恋の物語だと話したのに。
ハーレイは「定家だぞ?」と繰り返した。「能の定家は調べたのか」と。
「授業でも言った筈だがな? 詳しく知りたければ能の勉強をしておけと」
定家という名の能があるから、そっちも調べておくといい、と。
「その能は別に調べなくっても…」
ハーレイの授業で充分だよ。定家カズラの話は聞いたし、どんな花かももう分かったし…。
能は本物を見たことないから、調べてもきっと何のことだか…。
「俺は見ろとは言わなかったぞ、調べておけと言ったんだ」
能にはきちんと脚本みたいなものがある。それを読んでおけ、という意味だったんだが…。俺の話よりずっと詳しく書かれているしな、定家カズラの物語が。
そいつをちゃんと調べていたなら、幸せだなんて言えなくなるぞ。
「え?」
幸せな恋のお話なんでしょ、死んだ後まで一緒なんだ、って。定家カズラになった定家と、その恋人とのお話でしょ…?
「そうじゃないんだ、幸せな話じゃないってな。むしろ逆だぞ、能の定家は」
定家カズラに絡み付かれた恋人の方が話の主役だ、助けてくれと姿を現すんだ。都にやって来たお坊さんの前に、自分の魂を救ってくれと。
定家カズラに墓を覆われた、恋人の式子内親王。その人は定家の妄執に苦しみ、墓を覆われては成仏することも出来ないから、と僧侶に助けを求めたという。
自分を解放してくれと。墓を覆い尽くす定家カズラから、逃れて成仏したいのだと。
「なんで…?」
どうしてそういうことになっちゃうの、定家カズラから逃げたいだなんて。
せっかく恋人と一緒にいるのに、その恋人から逃げたいって頼みに行くだなんて…。
「さあな、とにかく能の定家はそんな話だ」
お坊さんに頼んで、有難いお経を唱えて貰って。
墓に絡み付いていた定家カズラはすっかり消えちまうってわけだ、内親王の願い通りに。これでようやく自由になれる、と内親王は御礼に舞を舞ってから墓に消えていくのさ。
「それで、どうなるの?」
消えちゃった後の内親王は何処へ行ったの?
「それは分からん。また定家カズラが墓を覆って終わりだからな」
内親王が成仏出来たのかどうか、分からないままで能は終わるんだ。もっと長かった話が其処で途切れてしまったんじゃなくて、最初から続きは存在しない。定家って能が出来た時から。
「ちゃんと捕まえられていたらいいのに…」
定家カズラがまた生えたんなら、内親王を元の通りに。お坊さんがお経を読む前と同じに。
「おいおい、それじゃ内親王がだな…」
可哀相だろうが、成仏出来なくなっちまうんだぞ。定家カズラにまた捕まったら。
「だって、定家の恋人でしょ?」
それでいいじゃない、捕まったままで。ずうっと二人で、離れないままで。
逃げるなんて、とブルーは呟いた。
それじゃ酷いと、死んだ後まで定家カズラが墓を覆うほどに、定家に愛されていたくせに、と。
「ぼくなら絶対、逃げやしないよ」
もしも定家がハーレイだったら。ぼくが内親王だったら。
「おっ? お前、そう言ってくれるのか?」
俺がツタになってお前の墓に絡み付いていても、お前は逃げないと言うんだな。迷惑なツタでも俺の自由にさせてくれる、と。
「迷惑だなんて…。ハーレイがそうやって来てくれたんなら、逃げないよ」
ツタになってまで来てくれるんでしょ、ぼくの所へ。ぼくのお墓へ。
ちょっと苦しくても、窮屈だな、って思ったとしても、ぼくは絶対、逃げないんだから。
「本当か?」
ギュウギュウとツタが締め付けていても、我慢して一緒にいてくれるんだな?
このツタを取って自由にしてくれ、と誰かに頼みに行ったりせずに。
「決まってるじゃない。そこで逃げちゃうようなぼくなら、今、ハーレイと一緒にいないよ」
生まれ変わってまで一緒にいないよ、とっくに何処かへ行っちゃってるよ。
「それもそうだな…」
今まで一緒にいるわけがないな、お前はお前で自由に何処かへ行っちまって。
「そうでしょ?」
前のぼくが死んだら、もう自由だもの。だけど逃げずに一緒にいたから、今だって一緒。二人で地球に生まれ変わって、これからも一緒に行きていこう、って言ってるじゃない。
ぼくなら絶対、ハーレイの側から離れないよ。ツタに絡み付かれて息苦しくても、窮屈でも。
だって、ハーレイが抱き締めていてくれるんだもの。ツタになってまで、ぼくのお墓を。
昔の人はよく分からない、と首を傾げた。どうして逃げてしまうのだろう、と。
定家カズラに化身してまで側にいてくれる恋人、それほど愛してくれる人がいるのに、どうして自由になりたいなどと言うのだろう、と。
「そういったものは煩悩だったんだ。死んだ後まで執着するっていうのはな」
執着する方も、されている方も、そいつのせいで成仏出来ずに苦しむものだと思われていた。
死んだらそういう気持ちは捨ててだ、真っ直ぐにあの世へ行くのが正しい道だったんだな。
「煩悩って…。愛や恋が?」
誰かを好きだと思う気持ちは煩悩だったの、死んだ後にはそれを持ってちゃいけなかったの?
それで内親王は定家カズラを外してくれって頼みに行ったの、お坊さんに…?
「うむ。自分の力じゃどうにもならないから、ってな」
定家カズラを払いのけたくても、定家の想いが強すぎて恋を捨ててはくれない。定家カズラから自由になれない。内親王も定家も、恋に囚われたままで成仏出来ないってことだ。
内親王が生きた時代は、それは悲しいことだった。生きていた時の煩悩ってヤツを捨てられないまま、いつまでも恋人と離れないでいるっていうのはな…。
遠く遥かな昔の日本。定家カズラが生まれた時代。
その時代には、死んだ後には恋した心は捨ててゆくものだったと言われたから。
どんなに恋して愛し合っても、そうした想いが煩悩になって邪魔をするから、命が尽きて旅立つ時には捨てねばならなかったと言うから。
「だったら、前のぼくはとても幸せだったんだ…」
愛も恋も持ったままでいられたから。
前のハーレイを好きな気持ちを、捨てないで持っていられたから。
ちゃんと大切に持って、持ち続けて、またハーレイと会えたんだから…。
「まあ、時代がとっくに違ったしな」
前の俺たちが生きた時代と、定家カズラの話の時代じゃ、全く違っていたからなあ…。
考え方だってまるで違うさ、SD体制があった頃には煩悩も何も無いもんだ。言葉はあっても、それを持ってちゃ駄目だと思いはしなかったろうが。ただの欲望くらいな意味で。
「そうだっけね…。ちょっと深めの欲望だったね、前のぼくたちの頃の煩悩」
今はどうだろ、煩悩の意味は変わっていないと思うけど…。
死んだ後にも持っていたってかまわないよね、好きって気持ち。恋をした人を好きなままでも。
「当然だろうが、愛や恋は今でも大切だろう?」
捨ててしまった方が酷いぞ、今の時代は。
お前がすっかり勘違いしていた定家カズラの話みたいに、恋はしっかり持ち続けんとな。自分の命が終わったからって、もう知らないと忘れちまったら、今の世の中、何と言われるか…。
「そうだよね?」
今の時代も、前のぼくたちが生きてた頃も。
忘れましょう、って言う方が変で、忘れずにいるのが本当の愛で恋なんだよね…?
そういう時代に生きているんだ、っていうことは…。
死んだ後にはツタに変身して、大好きな人を追い掛けて行ってもいいんだよね、と微笑んだ。
「ぼくを追い掛けて来てくれる?」と。
ハーレイカズラに姿を変えて。墓にしっかりと絡み付いて。
「もちろんだ。前の俺でも追っただろうさ」
ツタになって追って行けると言うなら、前のお前の墓に絡んで離さなかったな。
これは邪魔だと取り除かれても、また生えて来て。蔓を伸ばして、お前の墓を覆い尽くして。
「そっか…。前のハーレイでもやってくれるんなら、シャングリラで試してみたかったね」
前のぼくのお墓に、ハーレイカズラ。前のハーレイが地球で死んじゃった後に。
「おい、バレるぞ?」
ハーレイカズラがどんなツタかは知らんが、そんなのを本気でやっちまったら。
そいつは前の俺の墓から生えるんだろうし、お前の墓まで伸びてすっかり覆っていたら…。
俺たちの仲がバレると思うが、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは恋仲だったと。
「大丈夫。誰も定家カズラの話なんかは知らないよ」
だから絶対、分かりっこないよ、なんでハーレイカズラなのか。
前のハーレイのお墓から生えて来たツタが、前のぼくのお墓に絡んでるのは何故なのか。
きっと偶然だと思うだけだよ、いくら剥がしても生えてくるから迷惑だ、って考える程度。
「どうだかなあ…」
俺の墓から生えて、お前の墓まで。これは怪しいと思うヤツがいるんじゃないか?
「平気だってば、ヒルマンもエラもいないんだから」
二人とも地球で死んじゃってるから、調べようって人はきっといないよ。
ハーレイカズラの正体は何か、って植物の種類を調べるくらいで、なんで生えてるのかは気にもしないよ、「また伸びてるから剥がさないと」って剥がすだけだよ。
「それもそうか…」
深くは考えないかもしれんな、やたら活きのいいツタが生えて来たなと思う程度で。
しつこいツタだと、どうすりゃ伸びずにいてくれるのかと調べて対策を練るくらいでな。
キャプテン・ハーレイの墓から生えて、ソルジャー・ブルーの墓をすっかり覆い尽くすツタ。
遠い昔の定家カズラの物語のように、剥がしても剥がしてもツタが覆う墓碑。前のブルーの名が刻まれた墓碑。
とても素敵だ、とブルーはウットリと思い浮かべようとしたのだけれど。
「駄目だな、考えてみたら同じ墓碑じゃないか」
前のお前と俺の名前は同じ墓碑に刻んであった筈だぞ、シャングリラの墓碑公園で。
あんな所でハーレイカズラをやろうものなら、他のヤツらに迷惑がかかる。
俺の名前が刻んである場所まで這い上がる間に、何人かの名前を隠しちまって、そこから先も。前のお前の名前の所に辿り着くまでに、また何人かを隠しちまうぞ。
ハーレイカズラに隠されたヤツから直接苦情が来なかったとしても、墓碑公園の係だったヤツ。そいつの文句が聞こえるようだな、この辺の名前がいつも見えないと。
「うーん…。それはそうかも…」
誰の名前が隠れちゃうのかは分からないけど、苦情は出るかも…。
いつ出掛けたってツタが邪魔して、名前がちっとも読めやしない、って。
「ほら見ろ、ハーレイカズラは無理だ」
前の俺たちの仲がバレなくても、仲間に迷惑をかけるのはいかん。
俺も少しはやってみたいが、他の仲間の名前を隠して読めなくするのは申し訳ないしな、ツタは駄目だな。どんな種類のツタかは知らんが、ハーレイカズラは。
白いシャングリラでは無理だと言われたハーレイカズラ。他の仲間に迷惑だから、と。
けれども、諦め切れなくて。ツタに覆われた前の自分の墓碑を夢見てみたくて。
「じゃあ、記念墓地は?」
あそこだったら、他の仲間の迷惑にはならないと思うけど…。
前のぼくたちのお墓だけしか無いから、ツタのお蔭で名前が見えないとは言われないよ?
「記念墓地って…。どれだけの距離を這って行くんだ、ハーレイカズラは」
前の俺の墓碑から生えてだ、一番奥のお前の墓碑まで伸びて行かんと駄目なわけだが…。
実に迷惑なツタになっちまうじゃないか、どう考えても。
墓参用の通路を塞いじまうか、ジョミーやキースの墓碑を踏み越えて進んで行くか。
でもって、ソルジャー・ブルーの墓碑をすっかり覆っちまうんだぞ、管理係が大迷惑だ。
記念墓地はきちんとしなけりゃならんし、毎日、毎日、ハーレイカズラと大格闘が続くんだぞ?
また生えて来たと、実にしつこいと、剥がして捨てては、また伸びられて。
そんな話が広がったとしたら、何処かの誰かが気付くだろうな。
俺みたいな古典の教師ってヤツが、そのツタは定家カズラと似たようなもので、ハーレイカズラなんじゃないかと。
SD体制を倒した英雄たちの墓碑が並んだ記念墓地。
前のブルーの墓碑が一番奥に佇み、手前にジョミーとキースの墓碑。前のハーレイの墓碑は他の長老たちと一緒に並んでいるから、ブルーの墓碑からは少し距離があって。
其処を毎日、いくら毟っても、ツタがせっせと伸びて行ったら。ソルジャー・ブルーの墓碑まで届いて、すっかり覆い尽くしていたら。
きっと誰かが気付くだろう。何のためにツタが生えてくるのか、前のブルーの墓碑を覆うのか。
「気付かれちゃうほどの愛もいいんじゃないかな、ハーレイカズラ」
いくら毟っても、全部剥がしても、また生えて来てぼくのお墓を覆って。
「冗談は抜きで、いつかバレるぞ。定家カズラの現代版だと」
キャプテン・ハーレイはソルジャー・ブルーと恋をしていたと、だからこうしてツタに変わって墓碑を覆いに伸びてゆくんだと。
あれだけ隠した恋がバレるが、そっちの方はかまわないのか?
シャングリラの墓碑公園で生えてる分にはバレないだろうが、記念墓地だと流石にバレるぞ?
「死んじゃってるからいいんじゃないかな?」
ぼくもハーレイも死んだ後だし、恋人同士だってことがバレても別に…。
困りはしないし、ハーレイとずっと一緒だったら、それだけでいいよ。ハーレイカズラに覆って貰って、いつまでも一緒。
「ふうむ…。生まれ変わるより、そっちがいいか?」
俺がハーレイカズラになってだ、お前の墓を覆い尽くしている方が…?
「それは困るよ!」
生まれ変われるんなら、その方がいいに決まっているでしょ、お墓より!
死んじゃった後も一緒っていうのも嬉しいけれども、二人一緒に生まれ変わる方が絶対いいよ!
ハーレイカズラになったハーレイと寄り添い合うのもいいけれど。
いつまでも二人、墓地で暮らすより、断然、生まれ変わりたいから。青い地球の上に新しい命を貰った、今の方がいいに決まっているから。
「…定家カズラの人もそうだったのかな?」
定家カズラから逃げたがってた内親王も、お墓にいるより生まれ変わりが良かったのかな?
こんなお墓で一緒にいるより、また新しく二人一緒に生まれて来よう、って。
「こらこら、自分の物差しで測るんじゃない」
定家カズラの物語の時代は、お前みたいな考え方とは違うんだ。
死んだ後には、出来れば生まれ変わりは避けたい、そういう風に考えたんだな。生まれ変わって戻って来るより、生まれ変わりの無い世界。其処を誰もが目指していたんだ、そんな時代だ。
「ぼくなら、生まれ変わりが無い世界に行くより、生まれ変わっても一緒がいいけど…」
ハーレイと何度でも、一緒に生まれて来たいけど…。
「現に、そうなっているってな」
まだ一度目だが、俺と一緒だ。生まれ変わって、また会えたしな。
「うん。ちゃんと会えたよ、ハーレイに」
地球に生まれて、前とおんなじハーレイに。
本当に前と全く同じで、誰が見たってキャプテン・ハーレイにしか見えないハーレイに…。
次も一緒に生まれたいな、と頼んでみた。
ハーレイカズラも素敵だけれども、お墓で一緒に暮らすよりかは、この次も一緒、と。
また二人一緒に生まれ変わって、巡り会って。そうして一緒に生きてみたい、と。
「もちろんだ。俺もお前と一緒に生きてゆける方がいいに決まってるだろう」
お前に出会って、また恋をして。手を繋いで二人で一緒に歩いてゆくんだ、人生ってヤツを。
それが駄目ならハーレイカズラだ、お前と離れてしまわんようにな。
迷惑なツタだと、邪魔なヤツだと毟られようが、剥がされようが、何度でも伸びてゆくまでだ。
「絡み付いてくれる?」
ぼくのお墓に。定家カズラがそうだったように。
ハーレイカズラに絡み付かれて、ちょっぴり息が苦しくっても、身体が自由にならなくっても、お坊さんを呼んだりしないから。取って下さい、って頼みに行ったりしないから。
「うむ、いつまでもな」
しっかり絡んで、絡み付いて。俺はお前を離しはしないし、何度剥がされても伸びてゆこう。
お前をすっぽり包み込むために、お前の側にいてやるために。
ハーレイカズラになるしかないなら、そうやってお前を抱き締めてやる。お前の墓ごと、ツタで覆って。どんなツタかは俺にも謎だが、まあ、生えてみれば分かるってな。
ツタになっても離しはしないと、ハーレイは言ってくれたから。
また二人、いつか生まれ変わっても、きっと巡り会って一緒に生きてゆくのだろう。
その時までは多分、生まれて来る前にいた場所で二人、寄り添い合って。
何処にいたのか分からないけれど、青い地球に来る前にいただろう場所、其処へ還って。
「ねえ、ぼくたちが生まれ変わってくる前にいた場所…」
其処だと、ハーレイはハーレイカズラだったのかもね。
前のぼくのお墓に絡むんじゃなくて、ぼくは小さな木か何かで。
ハーレイがそれを包んでくれてて、守られてるから強い風が吹いても折れないんだよ。
いつでもハーレイと二人一緒で、おんなじ所でお日様を浴びて、雨の水も二人一緒に飲んで。
「そうかもなあ…」
ハーレイカズラだったかもしれんな、ちっぽけなお前の木を守るために。
お前が風で折れちまわんよう、俺が絡んで、しっかり支えて。
そうやって一緒だったかもなあ、いつも二人で、離れないでな。
生まれて来る前に二人でいた場所、其処が何処だか知らないけれど。
どんな所だったか、想像すらもつかないけれども、きっとハーレイと一緒にいた。
二人でいつも寄り添い合って。ハーレイと手を繋ぎ合って。
そんな気がする自分たちだから、これからも共にゆきたいから。
定家カズラの物語になった恋人たちのように、別れを望みはしないだろう。
抱き締めるハーレイの腕の強さで、息をするのが苦しくても。身体が自由にならなくても。
この先もずっと、ハーレイと二人。
ハーレイカズラに覆い尽くされても、きっと辛いと思いはしない。
代わりに、きっと幸せが満ちる。
いつまでも二人一緒なのだと、けして離れることなどは無いと…。
定家カズラ・了
※定家カズラの話が生まれた時代と、まるで価値観が違う時代。死んだ後も一緒にいたいもの。
もしもハーレイカズラが出来ていたなら、どうなったでしょう。二人の恋の証でしょうか。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
(あれ…?)
あんなの前からあったっけ、とブルーが覗き込んだ庭。学校の帰り、バス停から家まで歩く道の途中、ふと目に留まった小さなブランコ。生垣の向こうの芝生に、白い支柱の。
高さからして子供用だけれど、見覚えが無い。白い支柱にも、ブランコにも。
(この家に、子供…)
住んでいただろうか、あのブランコで遊びそうな子供。そちらの方も覚えが無い。この家の人は知っているけれど、見掛けたら挨拶するけれど。ご主人と奥さん、二人暮らしだったような…。
子供は確かいなかった筈、と庭のブランコを眺めていたら、勢いよくバタンと開いた玄関の扉。中から幼稚園くらいの男の子が庭に飛び出して来た。その後ろから母親らしい女性と、顔見知りのご主人と。
「こんにちは」と挨拶をしたら、ご主人が紹介してくれた男の子と母親。遠い地域に住んでいる娘と孫だと、一週間ほど滞在すると。
「じゃあ、あのブランコ…」
「遊びに来るって言うんで用意したんだよ、驚いたかい?」
朝はまだ置いていなかったしね、とブランコの方を振り返るご主人。折り畳み式の支柱を広げて簡単に据えられるらしいブランコ。吊るすブランコも楽に取り付けられるという。けれども作りはしっかりしたもの、大人が乗っても大丈夫だという頑丈さ。
せっかくだから乗っていくかい、と言われて迷っていたら。今の学校に入ってからブランコには一度も乗っていないし、少し乗りたい気分もするし…、と考えていたら。
「お兄ちゃん、遊ぼう!」
入って来てよ、と男の子に誘われた。生垣越しに「こっち!」と手を振られて。人懐っこい男の子。ご主人も「遊んでいくといいよ」と門扉を開けてくれたから。
はしゃぐ男の子に手を引っ張られて、白いブランコの所に行った。「交代だよ」と目を輝かせる音の子を先に乗せてやって、加減しながら押してやる。ブランコが上手く揺れるように。
「もっと大きく!」と強請る男の子を「危ないよ」と宥めながら、何度も押して、また押して。
「今度はお兄ちゃんの番!」と譲られて乗せて貰った小さなブランコ。
大丈夫かな、と座って漕ぎ始めてみたら、ご主人が言っていた通りに本格的なブランコ、支柱はそんなに高くないのに。自分の背丈でも立って漕ぐには低すぎるのに。
それでも立派に揺れるブランコ、「もっと高く!」と男の子にせがまれて高く漕いだ。精一杯、ブランコの綱を揺すって、お兄ちゃんの意地で。
座ったままグンと前に漕いだら、青い空へと上がるから。小さなブランコでも空が近付くから。
(飛んで行けそう…)
手を離したら空へと舞い上がれそうな気がする、無理だけれども。
今の自分は空を飛べないから、綱を離したら放り出されて、ほんの少し飛んで落っこちるだけ。空に舞い上がれはしないのだけれど。
男の子と何度も交代で漕いだ小さなブランコ。どのくらい二人で遊んだだろうか、遊び疲れると弱い身体が悲鳴を上げてしまうから。名残惜しいくらいが丁度いいのだ、と男の子と別れて、家に帰った。白いブランコのある庭を後にして。
自分の部屋で着替えを済ませて、ダイニングでおやつを頬張りながら目を遣った庭。ブランコは置かれていない庭。代わりに白い椅子とテーブル、庭で一番大きな木の下に。
(ブランコ…)
ついさっきまで漕いでいたブランコ。男の子と交代で乗ったブランコ。
楽しくはあった、小さくても。立って漕げるだけの高さが無いブランコでも。
あのまま飛んでゆけそうだった青空、揺れて一番高く上がったら、そこで両手を離して空へ。
出来はしないと分かっていたって、ブランコから飛んでゆけそうだった。それほどに近く感じた青空、ブランコで舞い上がった空。
もっと大きなブランコだったら、もっと空高く上がれただろう。立ったままで漕げたら、青空はもっと近かっただろう。両手を離して飛び込めそうなほどに、舞い上がれそうなほどに。
(二人乗りだって…)
大きなブランコだったら出来る。一人は座って、一人は立って。
していた友達を何人も見た。二人で漕ぐ分、ブランコは遥かに高く上がった、空に向かって。
自分は怖くて出来なかったけれど。あんなに高く上がったら落ちる、と怖くて遠慮したけれど。
「お前は座っていればいいぜ」と誘われても。「俺が漕ぐから」と言って貰っても。
乗っておけば良かっただろうか、二人乗りのブランコ。空があんなに気持ちいいのなら。
小さなブランコで舞い上がった空。ブランコから手は離せないけれど、近付けた空。此処で手を離せば飛んでゆけると、舞い上がれそうだと思えた青空。
それが心を離れない。ほんの少しだけ、空へと飛ばせてくれたブランコ。
(庭にブランコ…)
あったらいいな、と眺めた芝生。あそこにブランコ、と。
庭で一番大きな木の下に置かれた、白いテーブルと椅子もいいけれど。同じ白なら、小さくても丈夫なブランコもいい。今日、乗ったような白いブランコ。立って漕げなくても、子供用でも。
ブランコが一つ庭にあればと、そしたら空に近付けるのにと青い芝生を見ていたら。どの辺りにブランコを置くのがいいかと、似合いそうかと考えていたら。
(あったっけ…!)
芝生の上に小さなブランコ。子供の頃には。さっき遊んだ男の子くらいの年の頃には。
色は忘れてしまったけれども、確かに庭で漕いでいた。父や母に背中を押しても貰った、もっと大きく漕げるようにと。
あれが今でもあったなら。何処かに仕舞ってあるのなら…。
(ハーレイと遊べる?)
身体が大きなハーレイは子供用のブランコだと座れないかもしれないけれども、押して貰える。幼かった自分が両親にやって貰ったように。帰り道で遊んだ男の子の背中を押してやったように。
ハーレイと二人で庭でブランコ、空の世界へ舞い上がれるブランコ。
素敵かもしれない、乗れるのは自分一人でも。ハーレイには小さすぎるブランコでも。
(まだあるのかな…)
小さかった自分が遊んだブランコ。色も覚えていないブランコ。
あるのなら乗ってみたいから。庭の芝生に置いてみたいから、通り掛かった母に尋ねた、あれはまだ家にあるのかと。ブランコは物置の中だろうか、と。
「ああ、あれね。好きだったわねえ、あのブランコ」
いつも頑張って漕いでいたわね、パパやママが手伝ってあげられなくても。
「あのブランコ、何処かに残ってる?」
今は畳んであるんだろうけど、物置とかに?
「ブルーが遊ぶには小さくなったから、あげちゃったわよ」
「えーっ!」
小さくなっても、ちゃんと乗れるのに!
立って漕げないっていうだけのことで、座って乗ってもブランコはちゃんと漕げるのに!
乗りたかったのに、と抗議したら母に「えっ?」と変な顔をされたから。
いったい何を言い出すのだろう、と怪訝そうな瞳で見られたから。
慌てて帰り道の話をした。子供用のブランコで小さな子供と遊んで来たと。小さなブランコでも充分乗れたと、楽しかったと。
「あらまあ…。それで懐かしくなっちゃったのね」
家にあったのを思い出したら、家で乗りたくなったってわけね、ブランコに。
「うん…。でも、あげちゃったんなら乗れないね…」
もし残ってたら、出して貰おうと思ったのに。ぼくじゃ無理だから、パパに頼んで。
「ブランコなら、公園で乗って来たら?」
楽しかった気分を忘れない内に、乗りに行ってくるのもいいと思うわよ。そこの公園まで。
「行ってる間にハーレイが来ちゃうよ!」
今日は来ないかもしれないけれど、行ってる間に来たら大変。ブランコどころじゃないってば!
「そうなの? ハーレイ先生には待ってて貰えばいいと思うけど…」
ブルーは公園に行ってますからお待ち下さい、って伝えておいてあげるのに。
それじゃ駄目なのね、待っていたいのね、ブランコに乗りに行くよりも?
ブルーは本当にハーレイ先生が大好きなのねえ、と言われてドキリと跳ねた心臓。「大好き」の中身が違うから。母が思う「好き」とは大違いだから。
「そうじゃなくって! ハーレイを待たせてしまっちゃ悪いよ、遊びに行ってて!」
ブランコなんかで、と激しく打っている鼓動を必死に誤魔化して部屋に戻った。本当の気持ちを母に知られたら大変だから。どういう「好き」かを知られるわけにはいかないから。
大慌てで逃げ帰った部屋だけれども、やっぱり忘れられないブランコ。舞い上がった空。小さなブランコでも空に近付けた、漕いだ分だけ。
勉強机に頬杖をついて、ブランコのことを考える。漕げば空へと上がるブランコを。
(ぼくのブランコ…)
幼かった自分が漕いだブランコ、あれが今でも家にあったらハーレイと一緒に遊べたのに。庭の芝生にブランコを据えて、ハーレイに背中を押して貰って、空高く漕いで。
(公園に行けばあるけれど…)
立ち漕ぎが出来る大きなブランコが。ハーレイでも充分に乗れるブランコが。
とはいえ、ハーレイは連れて行ってはくれないだろう。会う時はいつも、この家ばかり。部屋で話すか、庭にある白いテーブルと椅子か。
他の場所では会っていないし、何処かへ出掛けたことも無い。ただの一度も。
(でも、公園の朝の体操…)
夏休みに一緒に行ってみないかと誘われた記憶。近所の公園へ行くなら付き合ってやるぞ、と。
体操に行くのは断ったけれど、あの時、ハーレイは公園に行こうと言ったのだから。体操をしに出掛けて行こうと、自分を誘ってくれたのだから。
(公園のブランコだったら行ける?)
朝の体操とは違うけれども、ブランコは公園で遊ぶもの。朝の体操をやっているのと同じ公園にあるのがブランコ。大人でも乗れる立派なものが。
もしかしたら連れて行って貰えるだろうか、と期待を膨らませていたら、チャイムの音。窓から覗くと、ハーレイが大きく手を振っていた。門扉の向こうで。
公園にブランコに乗りに出掛けなかったのは正解だった、とハーレイが部屋に来るのを待って。母がお茶とお菓子を置いて行ってくれたテーブルを挟んで向かい合わせで切り出した。
「あのね…。今度の土曜日、ぼくと公園に行ってくれる?」
「はあ?」
公園ってなんだ、何処の公園だ?
「そこの公園。ハーレイも歩いて来る時に通っているでしょ、公園の横を」
あそこに一緒に行って欲しいんだけど…。もちろん、お天気が良ければ、だけど。
ブランコに乗りに行きたいんだよ、と頼んでみた。
公園の朝の体操に誘ってくれていたんだし、公園にあるブランコだってかまわないでしょ、と。
「大きなブランコがあるんだよ。ハーレイみたいに大きな大人でも乗れるブランコ」
二人で一緒に乗りに行こうよ、きっと楽しいよ。
ぼくね、今日、学校の帰りに小さなブランコに乗せて貰って…。小さな男の子と遊んでたんだ。その子の家のブランコで。
漕いだら空に飛んでくみたいで、とっても素敵だったから…。今度の土曜日はあれに乗ろうよ、二人で公園まで行って。
「お前なあ…。デートは断ると言っただろうが」
いくらブランコが楽しかったか知らんが、体操ならともかく、デートはなあ…。
「デート?」
ぼくはブランコって言ってるんだよ、食事に行こうとは言っていないよ。ブランコに乗るだけ、ハーレイと一緒にジュースを買って飲もうとも思っていないんだけど…。
「それはそうかもしれないが…。お前はブランコに乗りに行きたいだけなんだろうが…」
ブランコは一応、定番なんだぞ。デートってヤツの。
「え…?」
なんでブランコが定番になるの、あれは遊びの道具でしょ?
大人の人だって乗っているけど、遊びで乗ってる人ばかりだよ…?
キョトンとしてしまったブルーだけれど。全くピンと来なかったけれど。
ハーレイが言うには、ブランコはデートに使われるもの。人が少ない時間に公園に行けば、恋人たちが乗っているという。二つのブランコに並んで乗ったり、一つのブランコに二人乗りしたり。
公園のブランコはそうしたもの。恋人同士で乗りに行くなら、デート。
「じゃあ、ブランコに乗りに行くのは駄目なの…?」
同じ公園でも体操は良くて、ブランコは駄目…?
「駄目ってことだな、デートになってしまうからな」
俺とお前じゃ、傍目にはそうと分からなくても立派にデートだ。断固、断る。
「酷いよ、ぼくはハーレイとブランコに乗ってみたいのに…!」
空に飛んでいくような気分になれるブランコ、ハーレイと乗ってみたかったのに…!
ハーレイは漕ぐのも上手そうだから、見てるだけでも楽しそうなのに…!
本当に上手いに違いない、という気がしたから。自分が漕ぐよりずっと上手くて、ずっと高くへ漕げるだろうと思ったから。
見ているだけでも楽しそうだ、と食い下がったら。
「そりゃあ上手いに決まってるだろう、お前よりかは遥かにな」
怪我も沢山しちまったんだが、いわゆる武勇伝っていうヤツだ。名誉の負傷だ。
お前が思っているようなブランコの乗り方とは多分、全く違うだろうな。
「違うって…。ブランコはブランコじゃないの?」
乗って漕ぐんでしょ、ぼくの友達はそうだったよ。公園に来ていた他の子たちも。
それともあれかな、漕いでる途中でピョンと飛び降りてしまうヤツ?
ぼくは怖くて出来なかったけど、一番高くまで漕いで上がって、そこから飛ぶとか。
「そいつは普通だ、何処でもガキどもがやってるってな」
お前は怖くて無理だったかもしれんが、幼稚園のガキでもやるヤツはいる。小さなブランコでも元気一杯に飛ぼうってヤツは。
だが、俺がやっていたのは飛ぶ方じゃなくて、ブランコの漕ぎ方そのものだ。立ったり座ったりして漕ぐ代わりにだ、漕いでる途中で逆立ちなんだ。
「逆立ち!?」
ブランコで逆立ちなんかをしたら落ちるよ、座る板から放り出されちゃうよ?
それとも、えーっと…。慣性の法則っていうの、あれで落ちずに乗っていられるの?
「甘いな、そういう逆立ちじゃない。あれは一種の体操の技かもしれないな」
ブランコを吊るしてる鎖があるだろ、でなければロープ。
あれを両手でグッと掴んで、その手を支えに逆立ちするんだ。つまり身体は板から離れる。
思いっ切り漕いでパッと逆立ち、板に戻る時は身体をクルリと回転させて戻るってな。
ハーレイが子供の頃にやっていたらしい、逆立ちでブランコに乗るという技。
逆立ちしたまま靴を飛ばすとか、逆立ちの状態から飛び降りるだとか、ブランコで披露する技は色々、友人たちと競っていたハーレイ。
怪我も沢山したけれど。ブランコから落ちたり、落ちた所へブランコの板が戻って来て頭を直撃したりと、それは散々に。
けれども懲りずに挑み続けて、誰よりも上手く乗れたというから。上の学校へ上がった後にも、公園でブランコを見掛けたら「こう乗るもんだ」と皆の前でやって、拍手喝采だったというから。
「その技、見たい…」
ハーレイ、今でも出来るでしょ、それ?
柔道と水泳で鍛えているから、身体はなまっていないよね?
だから出来そうだよ、そういう乗り方。絶対、出来ると思うんだけど…。
「まあな。昔の仲間と集まったりしたら、あれは今でも出来るのか、って話になるしな」
そうなりゃ、近くに公園があれば披露せんとな?
俺の腕は全く落ちちゃいないと見せてやらんと話にならん。ブランコの技は現役だぞ、と。
「だったら見せてよ、ぼくも見たいよ!」
ハーレイがカッコ良く逆立ちで乗るのを見たいよ、そんな乗り方、見たことないもの…!
「乗り方はともかく、お前と二人で公園だろうが。公園のブランコ」
デートの定番なんだと言った筈だぞ、恋人と公園へブランコに乗りに出掛けるのはな。
白昼堂々、デートが出来るか。
周りにはそうと見えてなくても、お前と俺とは恋人同士で、ブランコとなれば立派にデートだ。
それに…、とハーレイは腕組みをした。
公園へブランコに乗りに出掛けて、逆立ち乗りなどの技を披露していたら。
真っ昼間だけに、自分は公園に来ている子供たちのヒーローになってしまって、そちらの相手で手が塞がってしまうんだが、と。
「いいか、逆立ち乗りなんかは子供にはとても教えられないが…」
危ないから駄目だ、と決してやらんが、そういう技を持ってる大人。子供にしてみりゃヒーローだろうが、凄い人がブランコに乗りに来た、ってな。
俺の今までの経験からして、ワッと囲まれて、「ブランコで遊ぼう」って言われるんだ。二人で乗りたいとか、自分で漕ぐから思い切り背中を押して欲しいとか…。
そうなった以上は、次から次へと俺と一緒に乗せてやったり、背中を押して漕いでやったり。
「もう行かなきゃな」と俺が言うまで、それは見事にガキどもの世話だぞ?
俺の技を見ようと公園に出掛けた俺の仲間たちも巻き込まれてたな、「遊んでくれ」と。
お前もそういうコースになるんだろうなあ、「お兄ちゃんも一緒に遊ぼうよ」ってな。
ブランコに乗りに公園に出掛けたが最後、お前の世話はすっかりお留守になるな、という宣告。公園に来ている子供たちの方が優先だから、と。
「そういうモンだろ、同じ子供なら小さい方を優先しないとな」
お前は制服を着るような年だ、いくらチビでも子供から見たら「お兄ちゃん」だ。
お兄ちゃんらしく、我慢して俺を子供に譲るべきだな、公園ではな。
「そんな…。せっかくハーレイと公園に行くのに、ハーレイを子供に取られちゃうの?」
ぼくはハーレイに放っておかれて、子供の世話を一緒にするしかないの?
「そうなっちまうということだ。ブランコに乗りに出掛けるのなら」
だから駄目だな、健全なデートが出来る時間の公園は。
俺の技を見たいと言っちまったら、今、言った通りのコースになるし…。
そうでなくても、ブランコがデートの定番なんだと知ってる以上は、俺は御免だ。
お前とのデートは庭のテーブルと椅子でいいだろ、公園まで出掛けて行かなくてもな。
二人でブランコに乗りに行くなら日が暮れてから、と言うハーレイ。
遊んでいた子供たちの影がすっかり消えて、公園に明かりが灯ってからだ、と。
「お前と二人で出掛けるんなら、そういう時間になってからだな」
子供たちのヒーローになる心配も無いし、存分に技を披露してやるさ。
なあに、ブランコと鎖がきちんと見えてりゃ、逆立ち乗りは楽々出来るんだ。現に、夜にだってやっているしな、仲間たちに頼まれて技を見せようって時にはな。
「それって、いつ…?」
暗くなってから公園でブランコだなんて、いつになったら連れてってくれるの?
「夜のデートに出掛けられるようになったらな」
お前が育って、お父さんとお母さんに「行って来ます」と言えるようになって。
ついでに門限も明るい間じゃなくなってからだ、夜になってから家に帰っても間に合う時間。
そういう時間まで俺と一緒に出歩けるようになれば、夜のデートも充分出来るし。
「いつのことだか分からないよ!」
ぼくが大きく育つのもそうだし、門限が遅くなる頃だって…!
夜の公園でブランコに乗れるの、いつだか分からないじゃない…!
「なあに、結婚する頃には乗りに行けるさ」
婚約したなら、夜のデートもきっと許して貰える筈だぞ。
俺の車でドライブに出掛けて、お前を家まで送る途中に公園に寄るかな、ブランコに乗りに。
先客のいない場所となったら、そこの公園が案外、狙い目なのかもしれないなあ…。
ハーレイと二人、ブランコに乗りに行くなら夜のデートで日の暮れた公園。逆立ち乗りを見せて欲しくても、ハーレイを独占していたいのなら、やっぱり夜で。
当分はハーレイとブランコに乗りに行けそうもないから、ポツリと呟く。
「もっと小さかった頃に出会いたかったな、ハーレイと…」
ぼくが今よりずっと小さくて、チビだった頃に。
「どういう意味だ?」
俺もお前ともっと早くに出会いたかったと何度も思うが、どうして此処でそれが出てくる?
チビだとデートに行けるまでには、今よりももっと長い時間がかかるわけだが…?
「ハーレイが公園のヒーローになってて、ぼくは遊んで貰うんだよ」
ブランコに一緒に乗って貰って、ハーレイと二人でうんと高く。
飛んで行けそう、って思うくらいに高い所まで漕いで貰って。
ハーレイだったら小さな子供でも、安全に乗せてくれそうだもの。もっと高く、って頼んでも。
「そっちのコースか…」
俺のブランコの腕前を眺めて、凄い人が来たと大感激して。
それから友達になろうってヤツだな、他の子たちよりも多めに遊んで貰ってな。
気持ちは分からないでもないが…。
お前はとっくに育っちまって、同じチビでも俺と公園で遊べるチビではないんだよなあ…。
今更チビには戻れないぞ、と苦笑いされた。育った背丈は縮まないから、と。
いくらチビでも、十四歳にしてはチビというだけ。下の学校の子はもっと小さいし、幼稚園だともっと小さい。今日の帰り道、ブランコで遊んだ男の子くらいの背丈しかない。
そこまで小さくなれはしないし、小さくなったら結婚までの道も遠くなる。背が今よりも縮んだ分だけ、逆に長くなる結婚までの時間。
それでは自分も困るから。ハーレイと公園で遊べたとしても、結婚までの時間が延びてしまえば悲しいどころではないのだから。
ハーレイとブランコに乗りたいのならば、ブランコに逆立ちで乗っている姿を見たいなら…。
「やっぱり結婚してからなの?」
でなきゃ、もうすぐ結婚するんだ、って決まってからの夜のデートとか…。
それまでハーレイと二人でブランコは無理で、ハーレイの技も見られないわけ…?
「そういうことだな、残念ながら」
俺もリクエストされたからには、華麗な技を披露したいのは山々なんだが…。
お前と二人でブランコでデートも悪くないんだが、まだ早すぎだ。
俺と一緒に出掛けられるようになるまで、公園でブランコは待っていてくれ。
ブランコで遊んで楽しい気持ちになったのも分かるし、乗りたい気分も分かるんだがな。
分かるんだが…と窓の外へと目を遣ったハーレイ。
ブランコを高く漕いだ時には空に近付くし、とても気分がいいものだから、と。
「今のお前は空を飛べない分、余計に気持ちがいいんだろうなあ…」
ブランコを漕いで高く上がれば、空に飛び出して行けるようで。
そういうブランコも楽しいんだが、ゆらゆらと揺れるブランコってヤツも楽しいもんだ。
覚えていたなら、作ってやろう。
「…何を?」
何を作るっていうの、ハーレイ?
「お前専用のブランコだ」
結婚したら、庭の木に一つ作ってやろう。庭の木だから、高く漕ぐより揺れる方だな。
青空を目指すブランコもいいが、庭の緑や景色を見ながら乗れるブランコ。そいつを俺が作ってやるから、好きな時に乗って遊ぶといい。木陰のブランコでのんびりとな。
「本物の木にブランコなの?」
それをハーレイが作ってくれるの、庭の木の枝にブランコを?
「そうさ、そんなのも楽しそうだろうが」
しっかりした板を切って削って、丈夫なロープで枝に縛って。
芝生に置くようなブランコもいいが、庭の木にブランコというのもいいもんだぞ。
「うん…!」
とっても気分が良さそうだよ、それ。上を見上げたら緑の葉っぱが一杯で。
庭の木にブランコがついてるだなんて、芝生に置いてあるよりも素敵だよ、きっと…!
同じ作るなら、ハーレイも乗れそうなブランコを庭に作ってよ、と頼んでみた。
頑丈な木を選んで、ハーレイも乗れる丈夫なブランコ。そしたら昼間でも乗れるから、と。
「公園まで行かなくっても家で乗れるよ、庭のブランコでデート出来るよ」
ハーレイとぼくが二人で乗っても大丈夫なのを作ってくれたら。
二人並んで座れそうなのを、庭の木の枝につけてくれたら。
「ふうむ…。お前が一人で遊ぶんじゃなくて、デートもするのか。庭のブランコで」
だったら、公園のブランコは要らんな、昼間に行っても俺がヒーローになっちまうだけだしな。
家でのんびりデートってわけだな、ブランコは庭にあるんだからな。
「ううん、家で乗って、公園のもだよ…!」
昼間の公園だとハーレイを子供に取られちゃうから、昼間は家のブランコでデート。
夜になったら公園に行って、公園のブランコでデートするんだよ。二人で乗ったり、ハーレイの技を見せて貰ったり、公園のブランコでしか出来ないデートを。
庭のブランコが丈夫なものでも、ハーレイが逆立ちを披露できるほどの高さの枝に吊るすのは、多分、無理だから。小さな子供ならばともかく、ハーレイの背丈の高さを思えば無理そうだから。
ブランコの鎖をグッと掴んで逆立ちするハーレイを夜の公園で見たい。
「凄い!」と騒ぎ出す子供たちの姿が消えてしまって、静かになった夜の公園で。
もちろん、デートもするけれど。
ハーレイにブランコを漕いで貰って二人で乗ったり、それぞれ別のブランコに乗って、ゆっくり漕ぎながら話をしたり。
庭のブランコでも出来ることやら、公園のブランコでないと出来ないことやら。
どちらにもきっとまるで違った魅力があるから、ブランコは庭と公園と。
庭に作るなら、ハーレイと二人で乗れるブランコ、眺めが良くて丈夫な枝に。
「分かった、分かった。ブランコでデート、家と公園と、両方なんだな」
昼間は庭のブランコに二人で乗って、夜になったら公園に行って。
そんな感じでデートをしたい、と。
結婚するまでは庭のブランコは作ってやれないから、夜の公園だけになるがな。
「約束だよ? ブランコ、覚えていたら庭に作ってね」
公園のブランコでデートしたなら、きっと思い出すと思うけど…。
家にもあったらいいのにな、って思うんだろうし、そしたら思い出すだろうけど…。
ハーレイもちゃんと思い出してよ、庭にブランコを作るってこと。
そしたら昼間でもブランコに乗ってデートが出来るし、庭の木の枝に吊るしたブランコ、きっと素敵に決まっているから…!
いつかはハーレイと二人でブランコ、二人で乗ったり、ハーレイの技を見せて貰ったり。
ブランコで逆立ちするハーレイがヒーローに見えるくらいに幼かった頃には、ハーレイと出会い損ねたけれど。遊んで貰い損なったけれど。
今よりもっと大きくなったらデートが出来る。
前の自分と同じ背丈に育ったら。ハーレイと二人、恋人同士だと明かせるようになったなら。
ブランコはデートの定番らしいから、いつかはハーレイとブランコでデート。
公園でも、庭の木の枝にハーレイが吊るしてくれたブランコでも。
ゆらゆらと揺れる庭のブランコも、公園のブランコも、二人で乗ればきっと楽しい。
小さなブランコでも飛べそうだった空へブランコを漕いでゆくのも、二人並んで座るのも。
ハーレイと二人なのだから。
青い地球の上、幸せな時を二人きりで過ごすのがデートなのだから…。
ブランコ・了
※ブルーが久しぶりに乗ったブランコ。すると、ハーレイともブランコで遊びたい気分に。
なのに当分、お預けなのです。いつかは二人で乗りに行ったり、一緒で暮らす家の庭でも…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
「誰だ?」
何か聞こえたぞ、と教室をグルリと見回すハーレイ。咎めるような目つきで。
ブルーの耳にも確かに聞こえた、有り得ない声が。何だったろう、と思う間も無く。
「ミィー…」
また聞こえて来た、小さな声が。教室の何処かから、人間とは思えない声が。
けれど、そんな声の持ち主が教室にいる筈が無い。現に朝から見てはいないし、誰も噂をしてはいなかったし…。
「ふむ…」
難しい顔で腕組みをして立っていたハーレイが教卓を離れ、机の間を歩いて行って。ザワザワとしている生徒たちには全く構わず、教室の真ん中辺りで立ち止まった。
どうなることかと固唾を飲んで見守るクラスメイトたちと、其処で動かないハーレイと。
(…どうなっちゃうわけ?)
いったい何が始まるのだろう、とブルーも自分の席に座って息を詰めていたら。
「よし、お前。立て」
立って頭の上で手を組め、と言われた男子。ハーレイに机をトンと叩かれて。
(立たせちゃうの!?)
それに両手を組めだなんて、とブルーは驚いたけれど、命じられた男子はもっと驚いただろう。椅子に座ったまま、動けないでいる彼の机をハーレイは促すようにトンと叩いた。「立て」と。
こうなったら、もう何処にも救いの道は無いから。仕方なく立って、命令通りに頭の上で両手を組んだ彼の通学鞄をハーレイが掴んだ。机の横に下げてあったのを。
学校指定の通学鞄。ハーレイはそれを男子の机の上に置くと。
「開けてもいいな?」
「せ、先生…!」
男子は慌てて叫んだけれども、開けられてしまった通学鞄。留め金をパチンと外されて。
大きな褐色の手が鞄に突っ込まれ、中からつまみ出された一匹の子猫。白と黒のブチ。あの声の主はやはり猫だった、それも小さな。ハーレイが片手でヒョイと持てるような。
ハーレイは子猫が苦しがらないよう、大きな左手の上に乗せてやってから。
「これは何だ?」
俺には猫にしか見えないわけだが、これは何だと訊いている。
「ミーちゃんです…」
猫のミーちゃんです、と答えた男子。引き攣った顔で。
「ミーちゃんか…。お前の家の猫か?」
「いいえ、学校へ来る途中で…」
預かりました、と青ざめながらも男子は話した、「下の学校の子たちが困っていたので」と。
通学路で彼が出会ったらしい、迷子の子猫。首輪はつけていないけれども、ハーレイの手の上で丸い目をキョロキョロさせて好奇心一杯の様子は、どう見ても飼い猫。人を怖がっていないから。
自然が戻った地球の上には、好き勝手に生きる野良猫もいる。人に捨てられた猫たちではなく、自由を選んで出て行った猫。決まった所で暮らすよりも、と。
野良猫は滅多に見掛けないけれど、警戒心の強いもの。自尊心も強くて、人に懐かない。親猫がそうだから子猫も同じで、小さくても一人前に「フーッ!」と威嚇したりする。
それをしないでハーレイの手の上に乗っている子猫は、もう間違いなく飼い猫の子で。何処かへ出掛けようとして道に迷ったか、親猫とはぐれてしまったのか。
「どうしてお前が持って来たんだ」
預かるって、お前…。お前にも学校と授業というものがあるわけだが?
「帰りに返すと約束しました、あのまま放っておけないので!」
男子が言うには、周りに大人がいなかったらしい。下の学校の子供たちも通学の途中で、迷子の子猫を家に連れて帰るだけの時間の余裕は無かったという。ついでに、彼も。
そうした事情で預かった子猫、帰りの通学路で子供たちと待ち合わせの約束をしているらしい。ちゃんと届けに来るから、と。
「そういうわけか…。なら、仕方ないな」
「先生?」
「こいつは俺が預かっておく」
鞄の中では可哀相だ、とハーレイは他の男子生徒に空き箱を貰いに行かせた。食堂に行けば丁度いい箱があるだろうから、と。
暫くして男子生徒が抱えて戻った果物の空き箱。ハーレイは子猫を中に入れてやり、教卓の脇の床へと置いた。「此処でいい子にしてるんだぞ」と蓋を少しだけ開けてやって。
それから再び始まった授業、子猫は時々、箱から顔を出したり、また引っ込んだり。
授業が終わると、箱を抱えて去って行ったハーレイ。また放課後に返しに来ると。
休み時間になった教室の中は、蜂の巣をつついたような大騒ぎで。
(ビックリした…)
猫を鞄に入れていた男子にも驚いたけれど、箱に入れて持って行ってしまったハーレイにも。
ハーレイは教科書などを小脇に抱えて、子猫が入った箱を両手で持って出て行った。箱が傾いて子猫が怖がらないよう、きちんとバランスが取れるように。
子猫は箱から顔を出してはいなかったけれど、中に引っ込んでしまっていたけれど。
(ミーちゃん…)
適当につけられていたらしい名前。迷子の子猫の名前は不明。
皆に囲まれてインタビューよろしく質問されている男子によると、「ミーちゃん」という名前は下の学校の子たちがつけたもの。「ミーちゃんをお願い」と託された子猫、迷子の子猫。
(本当の名前はミーシャかもね?)
真っ白な猫ではなかったけれど。白と黒のブチの子だったけれども。
ハーレイがまだ子供だった頃、隣町の家にミーシャがいた。庭に夏ミカンの大きな木がある家で飼われていたミーシャ。ハーレイの母の猫だったミーシャは真っ白な毛皮の甘えん坊で。
ハーレイも情が移ったのだろうか、ミーちゃんに。
毛皮の色は違うけれども、ミーシャと同じで猫だから。可哀相な迷子の子猫だから。
普段、ハーレイのいる所には滅多に行かないけれど。何か用事が出来ない限りは、扉の隙間から覗き込みさえしないけれども、どうにも気になる、ミーちゃんのその後。
例の男子も「どうなったんだろう?」と何度も口にしているから、見に行ってみることにした。昼休みに、食堂でいつものランチ仲間と食事した後で。「ちょっと行ってくる」と仲間と別れて、一人だけ別の方向へ。
(ハーレイ、いるかな…)
教科ごとに分かれた準備室。職員室とはまた別にあって、授業の合間の休み時間や空き時間には教師は其処にいるのが普通。私物なども置ける場所だから。
昼休みならハーレイは此処、と準備室の扉をノックしてみたら。
「入れ」
目当ての人の声が聞こえた、扉越しに。
「は、はいっ…!」
気配だけで自分だと分かるのだろうか、と緊張しながら開けた準備室の扉。その向こうに笑顔のハーレイが居た。「お前のノックは直ぐに分かるぞ」と。
「もっと遠慮なく叩かないとな? あれじゃ聞こえん」
それでだ、お前がわざわざやって来た理由はミーちゃんか?
心配しなくても元気にしてるぞ、あの通りにな。
ハーレイが「ほら」と指差した先。白と黒のブチの、小さな塊が跳ねていた。それは嬉しそうにピョンピョンと。誰が調達して来たのだろう、本物のネコジャラシをオモチャに振って貰って。
「ん、アレか? 倉庫の裏手に生えていたな、って取りに行ってくれてな」
あの先生だ、と教えて貰った男性教師。此処くらいでしか会わないけれども、顔も名前も知っているから、「こんにちは」とペコリと頭を下げた。「ネコジャラシ、ありがとうございます」と。
「いや、生えているのを知っていたからね。子猫と遊んでやるならネコジャラシだよ」
あれが一番、という言葉通りに、子猫は揺れるネコジャラシと遊ぶのに夢中。右に左にと振っているのは別の教師で、他の教師たちも目を細めて子猫を見ているから。
ハーレイが子猫を入れて行った箱には、柔らかそうなタオルが敷かれているから。
(みんな、猫好き…)
ミルクが入ったお皿が床の上にあるし、子猫用らしいキャットフードのお皿も。ミルクは食堂で手に入るとしても、キャットフードが学校の中にあるわけがない。ハーレイが空き時間に出掛けて買ったか、他の誰かが買いに行ったか。
ともかく、子猫は教師たちにとても可愛がられていた、ハーレイ一人だけではなくて。
(これなら安心…)
もう大丈夫、と「失礼しました」と挨拶をして出た準備室。急ぎ足で自分の教室に戻り、子猫を鞄に入れて来た男子に報告しておいた。「ミーちゃん、元気にしていたよ」と。
放課後、ハーレイが教室まで返しに来た子猫。鞄は駄目だ、とペット専用のケージに入れて。 猫がいると聞き付けた他の教科の教師が持って来てくれたという。自分の家まで取りに帰って。
「お前な、鞄はあんまりだぞ」
なんだって、あれに入れたんだ。箱なら分かるが、鞄とはな。
「でも、入れ物が…」
無かったんです、と口ごもる男子。鞄しか持っていませんでした、と。
「お前に頭はついてないのか、学校まで来れば箱くらい何処かで見付かる筈だぞ」
食堂に行って「箱を下さい」と言えば貰えるし、いろんなクラブの部室にだって空き箱はある。そういう箱に入れ替えてやればいいと思うがな?
あんな鞄に突っ込んだままにしやがって…。猫が窒息しちまうだろうが。
それにトイレはどうする気だった、俺があそこで気付かなければ鞄の中で垂れ流しだぞ?
馬鹿め、とハーレイが手渡したケージ。「こいつで連れて帰ってやれ」と。
「返すのは明日でかまわないから」と渡されたケージを提げて、男子生徒は帰って行った。鞄に猫を入れていた件については、お咎め無しで。
白と黒のブチの子猫のミーちゃんを連れて、下の学校の子供たちとの待ち合わせ場所へ。
子猫を返した後、ハーレイは柔道部の指導に行ってしまったから、路線バスに乗って一人で家に帰って。着替えを済ませて、ダイニングでおやつ。
母が焼いてくれたケーキを美味しく食べて、部屋に戻ったら、目に入った鞄。勉強机の脇の床に置いた通学鞄。今日、ハーレイが「開けてもいいな?」と言っていた鞄とそっくりの鞄。
(鞄に猫…)
凄い、と感動してしまった。ミーちゃんが入っていた鞄。
学校ではミーちゃんばかり気になって、鞄がお留守になっていた。鞄も主役だったのに。あれが無ければミーちゃんは学校に来てはいなくて、通学路に置き去りだっただろうに。
(鞄に入れて来ちゃうだなんて…)
ハーレイが「馬鹿め」と言っていたとおり、窒息もトイレも大変なのが鞄だけれど。猫が快適に過ごせる場所ではないのだけれども、それでも入れて来た男子。これに入れよう、と。
迷子になっていた子猫を保護してやるために。下の学校の子たちに代わって引き受けるために。
(…きっと、御飯の時間になったら…)
コッソリと鞄から出してやるつもりだったのだろう。鞄を提げて教室から出て、誰も見ていない所でそっと。子猫でも食べられそうな何かを食堂で買って、「早く食べろよ」と。
ハーレイが鞄の中身に気付かなかったら、きっとそういう結末だった。鞄は子猫を隠して守っていただろう。そんな生き物は何処にもいないと、此処には鞄があるだけだ、と。
鞄に子猫を入れた男子も凄かったけれど、見抜いたハーレイも凄かった。放っておかずに子猫を鞄から外に出してやって、空き箱に入れて。
ハーレイが猫を預かって行ったから、帰り道のためにケージが出て来た。他の教科の教師が用意してくれたケージ、家まで取りに帰ってくれたケージが。鞄とは違ってペット専用、ミーちゃんはきっとのびのびと帰って行っただろう。ケージの中から外を見ながら。
(鞄に、ケージに…)
あの子猫はとっても幸せ者だ、と考えずにはいられない。
通学鞄に守って貰って学校まで来て、帰り道はペット専用のケージ。咄嗟に鞄に入れたのだろう男子と、学校で面倒を見ていたハーレイや教師たち。何人もが迷子の子猫を守った、無事に家まで帰れるようにと。
もう飼い主の所に戻れただろうか、ミーちゃんは。
いなくなったと大慌てだったろうミーちゃんの飼い主、その人と再会出来ただろうか。ケージに入って、あの男子や下の学校の子たちと一緒に通学路で。
(きっと会えたよね?)
飼い主は張り紙もしているだろうし、探し回ってもいるだろう。まさか学校に行ったとは思いもしないで、何処にもいないと色々な場所を。出会った人たちに「見ませんでしたか」と片っ端から訊いて回って。
だから、今頃はもう会えている筈。でなければ、もうすぐ会える筈。
(ミーちゃん、鞄に隠れていて良かったよ)
飼い主がいつ気付いたのかは分からないけれど、いないと探しに出るまでの間。
通学路にポツンと座っていたなら、通り掛かった犬に吠えられて怖い思いをしたかもしれない。家に帰ろうと闇雲に走って、車の事故に遭っていたかもしれない。
子猫はどちらも大丈夫だった、鞄に入れて貰ったから。鞄に入って学校まで来て、犬にも車にも出会わずに済んだ。少し窮屈でも、安全な鞄。立派に子猫を守った鞄。
(この鞄とおんなじ…)
自分の通学鞄をまじまじと眺めて、優れものだと感心した。実に役立つ、と。
(子猫が入って、教科書も入って…)
ノートや筆記用具も入る。折り畳み式の傘も入るし、その気になったらお弁当だって。お弁当は持って行かないけれど。ランチ仲間は食堂派だから、食堂で注文しているけれど。
沢山入る通学鞄。頑丈に出来ていて、雨に濡れても大丈夫。
便利だよね、と思ったけれど。学校に行くにはこれが無くちゃ、とポンと叩いてみたけれど。
(前のぼく…)
ハッと気付いた、前の自分は鞄などは持っていなかった。
通学鞄は持っていなくて当然だけれど、それ以外の鞄も、ただの一度も。
シャングリラの外へ出てゆく時には、自分の身一つ。鞄を持っては行かなかったし、第一、鞄の出番など無い。外の世界へゆくのなら。人類の世界へ出てゆくのなら。
白いシャングリラの中にいた時も、鞄を提げた記憶は無い。何かを鞄に入れた記憶も。
(鞄無し…?)
無かっただろうか、と記憶を探っても見当たらない。鞄の記憶の欠片さえも。
考えてみれば、ハーレイだって。前のハーレイも鞄を手にした姿が思い浮かばない。大きな鞄も小さな鞄も、それを提げているハーレイを目にした記憶が一つも残ってはいない。
前の自分も、前のハーレイも鞄を持ってはいなかった。通学鞄が無いのはともかく、そうでない普通の鞄でさえも。
(なんで…?)
どうして一つも無いのだろう。鞄の記憶も、それを持っていた誰かの記憶も。
前の自分とハーレイ以外の誰かが鞄を持っていたなら、その記憶がきっと引っ掛かる。あそこで鞄を確かに見たと、こういう形の鞄だったと。
けれども、何処にも無い記憶。誰の鞄も覚えてはいない。ゼルもヒルマンも、ブラウもエラも。他の仲間が持っていた鞄も。
(…ノルディが持ってたケースくらい…?)
普段は提げてはいなかったけれど、往診用の専用ケースがあった。青の間で何度も世話になったそれ。聴診器や薬や、大嫌いだった注射が中から出て来た。
その他に鞄は一つも知らない。工具箱などの類はあったけれども、鞄なるものは。
シャングリラでは鞄は要らなかったから。誰も必要としなかったから。
鞄を持って出掛けてゆく場所は無くて、鞄無しでは困るような場所も何処にも無くて。
前の自分も、他の仲間も、鞄が要るとは思わなかった。それが欲しいとも、必要だとも。
そうだったのだ、と思い出した。あの船に鞄は要らなかった、と。
だから持ってはいなかった。前の自分も、前のハーレイも、他の仲間たちも、誰一人として。
唯一の例外だったのがノルディだとはいえ、あの鞄は個人の持ち物ではない。ノルディが使っていたというだけ、中身はノルディの私物ではなくて診察や治療に必要だった物ばかり。ノルディの代わりに医療スタッフが持つこともあった、医師の資格がある者ならば。
つまりはノルディのものではなかった鞄。医師なら誰でも使えた鞄で、個人的な持ち物は入っていなかった。入れる必要すらも無かった、私物は自分の部屋に置いておけばいいのだから。部屋でなくても仕事をしている場所の自分の専用スペース、其処に仕舞っておけばよかった。
それ以外の物は皆の共有だったから。わざわざ自分で持ち歩かずとも、備え付けの物を使いさえすれば間に合った船がシャングリラ。
鞄の出番は全く無かった、白い鯨で暮らした頃は。前の自分が生きていた船は。
(今は鞄無しだと…)
学校に通うことは出来ないし、幼稚園ですら通えない。幼稚園児でも一人に一つずつ、決まった鞄が渡されるもの。中身は本当にほんの少しで、お弁当が鞄の中心だけれど。
今のハーレイも鞄が無ければ仕事に出掛けることは出来ない。授業で使う教科書や資料、それに愛用の文具などを鞄に入れているのだし、お弁当が入っている日も多い。その他にもきっと色々なもの。柔道部で必要な道着やタオルは専用の鞄がまた別にある。
自分が提げている通学鞄に、ハーレイの鞄に、ハーレイの柔道用の鞄に…。
前の自分たちは持っていなかった鞄、それが今では思い付くだけでもハーレイと自分の分だけで三つ。前は一つも無かった鞄が。それを思うと…。
(鞄って…)
今の自由の象徴だろうか、猫も鞄に入るのだから。
シャングリラにペットはいなかったけれど、今では当たり前のように猫に出会える世界。通学の途中で保護したからと子猫を鞄に入れられる世界。
自分の鞄に、子猫をヒョイと。「此処に入っていればいいから」と通学鞄に。
(子猫まで入れられるんだから…)
考えたことも無かったけれども、鞄は自由の証明だろうか?
シャングリラの中だけが世界の全てだった時代と違って、自由な時代だから鞄。通学鞄に子猫を入れてもいいほど自由で、前の自分たちには無かった鞄が持てる時代で…。
なんて素晴らしい時代だろうか、と鞄を見詰めて頷いて。
これが自由の象徴なのかと、自由だから鞄を持っていいのだと考えていたら、チャイムの音。
仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり、自分の発見を披露した。大発見に心を弾ませながら。
「ねえ、鞄って凄いんだよ!」
ホントに凄いよ、鞄はうんと自由なんだよ。ハーレイ、知ってた?
「そのようだな」
猫も隠せるようだしな、とハーレイが苦笑いしているから。
あれは参ったと、まさか子猫を入れて来るとは、と例の男子の話が始まりそうだから。
「そうじゃなくって…!」
持っていなかったよ、鞄なんかは。
今のぼくたちじゃなくって、前のぼくたち。ハーレイも、ぼくも。ゼルも、ブラウも。
誰も鞄を持ってなかったよ、鞄なんかは無かったんだよ。
ノルディが診察用のケースを持っていたけど、あれくらいしか無かったと思う。それに、あれはノルディの持ち物じゃなくて、医療スタッフでお医者さんなら誰でも持てたよ。
だから鞄は無かったんだよ、シャングリラには。
だけど今では鞄を持てるし、うんと自由になったんだよ。猫だって入れていいんだから…!
「そういえば…。前の俺には無かったな、鞄」
言われてみれば持っちゃいなかった。キャプテン専用の鞄なんぞは。
「ね、無かったでしょ?」
前のハーレイも持ってなかったし、前のぼくも持っていなかったんだよ。他のみんなも。
「うーむ…。今の今まで気付かなかったが…」
そういや鞄は無かったっけな、シャングリラには。ノルディの診察用のケースくらいだったか、鞄と言えないこともないのは。
あれくらいだなあ、見た目に鞄と呼べそうなヤツは。同じように提げるものではあっても、工具箱とかは鞄じゃないしな。
「ほらね、一つも無かったんだよ、鞄なんて。シャングリラにはホントにただの一つも」
だけど今だと鞄があるでしょ、ハーレイもぼくも。
それだけ自由になったってことで、自分の鞄に猫を入れてもいいんだよ。
…学校に猫は、ちょっと駄目かもしれないけれど…。叱られちゃっても仕方ないけど…。
でも、入れるのは自分の自由で、自分で好きに決められるんだよ。
白いシャングリラには無かった鞄。
書類などを入れるためのケースはあったけれども、それはケースで鞄ではなくて。個人が自由に使える鞄は何処にも無かった、誰も持ってはいなかった。
ソルジャーもキャプテンも、ゼルやブラウやヒルマンもエラも。
子供も大人も鞄が無かった、それが変だとも思わなかった。鞄が欲しいと思うことすら。
「なるほど、自由になったからこそ鞄だってか」
ついでに猫まで入れる自由も手に入れた、とお前は言いたいわけだ。それは確かに正しいが…。間違っていると言いはしないが、俺が思うに、鞄ってヤツ。
前の俺たちが鞄を使いもしなくて、持とうとも思わなかった理由は他の所にあるんじゃないか?
鞄があっても、そいつに仕舞って持ち歩きたいと思うもの。持ち歩かなくちゃならないもの。
そういったものが無かったんじゃないか、鞄に入れなきゃならないような持ち物が。
自分の部屋だの、持ち場だのに置いておけば充分だったから、鞄は必要無かったんだな。
「…そっか、そうかも…」
いつも持って行かなきゃいけない持ち物、考えてみれば無かったかも…。
子供たちだって勉強道具は教室とかに置いてたんだし、通学鞄は要らなかったよね。ハーレイがブリッジに行く時だって、必要な物はブリッジに揃っていたんだし…。
鞄の出番が無かっただけだね、シャングリラでは。
あの船に鞄はまるで必要無かったんだね…。
鞄は自由の証明なんだと思ったんだけれど…、と項垂れた。
大発見をしたと思っていたのに違ったのか、と。鞄があるのは自由の象徴ではなかったのかと。
「ちょっと残念…。凄い発見だと思ったのに…」
「そうでもないぞ。鞄に入れて持って歩くような持ち物があるのが自由の証拠さ」
入れるものは色々あるからな、と頷くハーレイ。
前の自分からは想像もつかないような仕事の道具に、弁当箱に…、と。
「それに猫も?」
想像がつかないものなら猫だよ、今のぼくだって猫は想像出来なかったよ。
猫を鞄に入れようだなんて、猫が鞄に入るだなんて。
「ああ、猫もだな」
流石に俺は入れはしないが、入れて来たヤツがいたってことはだ、猫を入れてもいいんだろう。鞄の中がどうなっちまってもかまわないなら、猫も入れられる。
今日の馬鹿者は何を考えていたんだか…。あそこで俺が気付かなかったら、昼休みまでに子猫のトイレになってただろうな、あの鞄。隅っこで済ませたか、教科書の上でやっちまったか…。
どっちにしてもだ、あいつの鞄はエライことになったと思うがな…?
子猫も鞄に入れられる時代。トイレにされてもいいのなら。自分が入れると決めたなら。
もっとも、子猫を入れた男子はトイレの危機には気付いていなかったようだけれども。昼休みに餌をやらなければ、と考えた程度で、子猫がトイレに行きたがるだろうことまでは。
鞄に入れるだけの持ち物があって、子猫を入れてもかまわない時代。鞄が身近にある時代。
旅行に行くなら旅行鞄も要るだろう。旅に出掛ける日数に合わせて、着替えの服などをぎっしり詰めて。前の自分たちには出来なかった旅行、行き先を自由に選べる旅行。
近い所へ日帰りの旅に行こうというなら、小さな鞄。必要なだけの荷物を詰めて。何を入れるか迷うかもしれない、ほんの小さな鞄の旅でも。これは入れようか、置いてゆこうかと贅沢な悩み。
持ち物が多くなったから。前の自分たちが生きた頃とは比較にならない量だから。
そうやって持ち物が増えたのと同じで、鞄も増えた。通学鞄や、旅行鞄や。
シャングリラには無かった鞄が沢山、リュックサックも鞄に入るだろうか。提げるのではなくて背負うけれども、リュックサックも鞄だろうか?
遠足などで背負ったリュック。山登りをする人たちも背負ってゆくリュック。
「リュックサックなあ…。あれは一応、あったがな…」
「えっ、いつの間に?」
ぼくは知らないよ、リュックなんて。そんなの、ぼくは見ていないけど…。
「前のお前が生きてた間に出来てはいたんだ、ナスカに入植した後に」
非常持ち出し用って言うのか、ナスカからシャングリラに緊急脱出しなきゃいけないケースってヤツを想定して、だ…。
「これに入るだけの荷物しか駄目だ」と渡してあったな、小さなリュックを。シャトルに沢山の荷物を持って来られちゃ困るし、持ち出す物の量は公平にな。
「それは鞄とは違うんじゃあ…」
ぼくの言ってる鞄とは違うよ、好きなものを好きに詰められないなら。
これも、って猫を詰められないでしょ、そのリュックは。入れられる量はこれだけですよ、って決まった鞄は自由じゃないよ。…そのリュックは鞄の形をしてても、鞄じゃないよ。
「…そうかもしれん」
ただの袋と言うかもしれんな、リュックの形をしていただけの。
思い付きで猫を入れられないようなリュックに、自由は確かに無いからなあ…。お前が言ってる鞄の自由。何でも入れていいんだ、ってヤツは。
白いシャングリラに鞄は一つも無かったけれど。
ナスカの時代に出来たらしいリュックも、中身を自由に選ぶ代わりに、それに入るだけの物しか持てない制限つきのリュックだったのだけれど。
「…今は鞄も沢山あるよね」
デザインも大きさも、ホントに色々。通学鞄とか幼稚園の鞄は決まりがあるけど…。
でも、通学鞄でも猫を入れちゃった人がいるんだし、決まりの無い鞄はもっと自由に使えるね。
「山ほど売られているからなあ…」
鞄の売り場に出掛けて行ったら、どれにしようか直ぐには決められないほどな。
このくらいの大きさの鞄にしよう、と思って行っても迷うんだ。色の違いやデザインなんかで。もう本当に迷っちまって、あれこれと持ってみて、また悩んで。
前の俺が鞄を持っていなかったせいってわけではないなあ、こいつはな。
山のようにあるデザインってヤツが悪いんだ。自由に選べて自由に使える鞄だけにだ、選ぶ時も自由が大きすぎてなあ…。これがいいな、と思った途端に別のに目移りしちまうってな。
お前は鞄を自分で買うには、まだ小さいからそれほど悩みはしないだろうが…。
結婚する頃には悩み始めるぞ、俺と同じで、あれにしようか、これにしようかと。
そうやってお前が悩んで決めた鞄は俺が持とう、と微笑むハーレイ。
結婚したら、お前の荷物は俺が持つから、と。
「持ってくれるの? ぼくの荷物も」
旅行鞄とか、そういうのを?
「そうさ、お前に重たい荷物を持たせるわけにはいかんだろうが」
嫁さんに重い荷物を持たせるなんぞは論外だ。俺がしっかり持って運ばんとな。
「前はそういうのも無かったね」
…前のぼくには、ハーレイに荷物を持って貰った覚えが無いよ。
シャングリラで使ってた荷物とかなら、二人で運びもしたけれど…。ぼくの荷物は。
「お互い、鞄が無かったからな」
俺が持とうにも、お前の鞄は無かったし…。
俺のと一緒に持って行くから、と言おうにも鞄が無いんじゃなあ…。
前は無かった鞄だけれど。今は鞄がある時代。
鞄を自由に選べる時代で、鞄の中身も選べる時代。猫を入れてもいい時代。
だから今度は、結婚したら二人で鞄を持とう。
どれを買おうか色々悩んで、旅に出るなら旅行鞄も。
そしてハーレイに重たい鞄を持って貰って…。
(幸せが一杯…)
重たい鞄の中身はきっと幸せが一杯、山ほどの幸せ。それが詰まった鞄になる。
お弁当や旅先で買ったお土産、他にも色々、入れたいものを入れて。
前の生では無かった幸せ、鞄にあれこれと詰められる幸せ。
それを鞄に一杯に詰めて、ハーレイと二人、何処までも歩く。青い地球の上を、鞄を持って…。
自由な鞄・了
※個人が自由に使える鞄が、無かった船がシャングリラ。無くても困らなかったからです。
けれど今では、幾つもの鞄。何を入れるのも自由な世界で、子猫を入れた人も。幸せな時代。
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シャングリラ学園に秋の始まりを告げるもの。学園祭のお知らせですけど、クラス展示とも催し物とも無関係なのが私たち。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を使ってのサイオニック・ドリームが売りになっている喫茶、『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』があるんですから。
というわけで準備を特に急ぐこともなく、まだまだ当分はのんびり、まったり。今日も土曜日とあって会長さんのマンションに集まっているわけですが…。
「ハムスター釣り!?」
それってヤバイんじゃなかったかよ、とサム君が。
「動物虐待か何か知らねえけど、やっちゃいけねえ屋台だろ?」
「そうなんだけどね…。ゲリラ的に出没するらしいよ」
警察が来たらトンズラなのだ、と会長さん。
「子供には人気の屋台だし…。逃げるリスクを背負うだけの価値はあるらしくって」
「で、それを学園祭でやろうとしたわけ?」
誰が、と尋ねるジョミー君の視線の先にキース君にシロエ君、マツカ君。いわゆる柔道部三人組というヤツです。
「俺も詳しくは知らないが…。確か後輩の知り合いだったか?」
「そうです、二年生の…。名前は伏せておきますけれど」
その二年生の友達ですよ、とシロエ君が情報通ぶりを。
「ハムスターが好きで沢山飼ってるらしいんです。それが増えすぎたらしくって…。この際、同じ悩みを抱える仲間を募って、学園祭でハムスター釣りだと」
「学校に申請したそうですけど、却下されたという話でした」
当然でしょう、とマツカ君は呆れ顔です。
「普通のお祭りでも警察が来るという代物なんです、学園祭でやろうだなんて…」
「学校の中だと治外法権のように考えがちだし、そのノリだろうな」
馬鹿者めが、とキース君も吐き捨てるように。
「大体、ハムスターを自分で飼っているなら、可哀相だとは思わんのか、そいつは」
「その辺は個人の考え方だよ」
普通の釣りとはちょっと違うし、と会長さんが言ってますけれど。ハムスター釣りはまだ見たことがありません。それって、どういう釣りなんですか?
「ああ、それはね…」
釣りは釣りなんだ、と会長さん。
「そうだよね、ぶるぅ?」
「うんっ! ハムスターいっぱいで可愛いの!」
「見たんですか!?」
シロエ君が訊くと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は無邪気な顔で。
「ブルーに頼んで一回やらせて貰ったよ!」
「「「えぇっ!?」」」
御禁制のハムスター釣りなんかを何処で?
「えっとね、何処かの夏祭り! ハムスター釣りって楽しいのかな、ってブルーに訊いたら、連れてってくれたの!」
「「「………」」」
流石、としか言えない会長さんの情報網と行動力。それでハムスター釣りって、どんなの?
「金魚すくいの水の代わりに藁が入っているんだよ。其処にハムスターが放してあってさ、餌をつけた釣り糸で釣り上げるわけ。餌に食い付いたら、パッと素早く!」
「三匹釣ったら、一匹貰えるらしいんだけど…。餌が外れたらおしまいなんだけど…」
「ぶるぅなら簡単に釣れるんだけどね、ハムスターを飼うのは大変だしねえ…」
「ブルーが持って帰れないよ、って言うから三匹目は釣らずに餌だけあげたの!」
ちゃんと食べさせてあげたんだよ、と誇らしげな「そるじゃぁ・ぶるぅ」の証言によると、餌はトウモロコシだったとか。食い付いた所を釣り上げるのが動物虐待なのかな?
「そうなるね。ハムスターは釣り上げられるように出来ていないし、弱っちゃうんだよ」
「あのね、あのね…。ブルーがそう言ったから、ぼく、ハムスターさん、逃がしてあげたの!」
「「「えっ!?」」」
逃がしたって、まさかハムスター入りの水槽だかケースだかを引っくり返したとか?
「違うよ、欲しがってる人が沢山いたの! だからハムスター、全部ブルーが買ったの!」
「「「買った!?」」」
ドケチな会長さんが露天商相手に、ぼったくり価格のハムスターを…全部?
「ぼくだって、一応、高僧だしね? 引き取り手がいる動物を見捨てて弱らせておくのはキツイし、ぶるぅが助けてやりたいんならね」
全部お買い上げ、希望者に配ってしまったと言うから凄いです。伝説の高僧、銀青様の名前はダテではなかったんですね…。
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の最強タッグ。動物虐待と噂の屋台を見物に出掛け、遊んだ上に沢山のハムスターを助け出したとは…。
「あんた、凄いな。見直したぞ」
キース君も感動している様子。
「それに比べて、ハムスター釣りを学園祭でやろうってヤツはただのクズだな」
「どうなんだろう? 好きで飼ってる人なんだしねえ、釣りのルールを変えてやったらハムスターも弱りはしないしね?」
「どういう意味だ?」
「屋台でやってるハムスター釣りは餌のトウモロコシが小さいわけ。それを大きいヤツにしておけば、ハムスターは楽々掴まってられるし、その状態なら釣り上げたって…」
「なるほどな…。元が増えすぎたハムスターの譲渡目的なら、そいつもアリか」
全部釣れたら営業終了でハムスターにも里親が出来るか、とキース君。
「そういうこと! でもねえ、ハムスター釣りは既に印象、最悪だから…。ルールを変えます、と説明したって学校としては却下だよ、うん」
「でもでも、ハムスターさん、可愛いかったよ?」
ちっちゃいのを釣るのが楽しかったよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「金魚すくいとは全然違って、チョコチョコ走って可愛いの!」
「「「うーん…」」」
言われてみれば、それは可愛いかもしれません。金魚すくいの金魚は泳いでるだけで何もしませんけど、ハムスターなら事情は別。餌をモグモグ、そしてチョコマカ走り回ったり、藁にもぐったりするのでしょう。
「…やってみたいかも…」
ちょっとだけ、とジョミー君が言い出し、シロエ君たちも。
「可愛くていいかもしれませんね?」
「次はどの辺に出そうなんだよ、ハムスター釣り」
俺もやりてえ、とサム君も乗り気。スウェナちゃんと私もやりたくなって来たのですが。
「ダメダメ、君たち、ハムスターを飼う気は無いんだろ?」
飼う気があっても全部は無理だし、と会長さん。
「ぼくは御免だよ、ぼったくり屋台のハムスターを丸ごと全部お買い上げはね。マツカが代わりに支払うにしても、二度目をやったら、後が無いから」
「「「は?」」」
後が無いって、どういう意味?
ハムスター釣りの屋台で水槽だかケースだかに入ったハムスターを全部お買い上げ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に頼まれた一度目は会長さんのお財布に大ダメージを与えたでしょうが、私たちが行ってそれをやるなら、マツカ君という頼もしい助っ人が。御曹司だけに軽く払える筈です。
なのに二度目は駄目と言われた上、後が無いなどと言われても…。
「いいかい、二度あることは三度あるんだよ」
会長さんは真面目な顔で。
「二度目もぼくが出掛けて行くだろ? どうせぶるぅがやりたがるんだし」
「そうなるだろうな」
俺たちだけではゲリラ屋台も探せないし、とキース君。
「あんたに頼って探して貰って出掛けるとなれば、ぶるぅも一緒に来たがるだろうし…」
「其処なんだよ。ぶるぅがハムスターを助けたくなって、マツカが全部買ったとする。ぶるぅは君たちも知ってるとおりに優しい子だから、三度目がある!」
またハムスターさんを助けに行くんだと言い始めるに決まっているのだ、という見解は間違ってはいないと思います。その三度目をやってしまったら…。
「そうさ、ぼくはこの先、ハムスター釣りの屋台が出る度、出掛けて全部お買い上げなんだ!」
「「「うわー…」」」
「マツカが代わりに払うにしたって、ハーレイから毟って来るにしたって、ハムスター釣りが出て来たら全部! そしてその内に!」
ぼくは立派なカモになるのだ、と会長さんの苦い顔。
「ああいう世界は情報が流れてゆくのが早い。たとえ警察とイタチごっこの屋台であっても人気はあるんだし、廃れない。其処へ毎回、全部お買い上げの凄いお客が来るとしたら?」
「下手したら増えるかもしれねえなあ…。ハムスター釣り」
サム君が呟き、「そうなるんだよ」と頷く会長さん。
「ぼくの得意技は瞬間移動で、何処で屋台を出していたって出掛けて行ける。動物愛護団体の誰かと勘違いされるのはいいとしてもね、屋台さえ出せばぼくが来て全部言い値で売れるのはね…」
「どう考えても立派なカモだな、あんた」
キース君の言葉で、会長さんが二度目とやらを嫌がった理由が分かりました。確かに後がありません。ハムスター釣りの屋台が現れる所、必ず会長さんの影が見えるというわけで…。
「そっか、ダメかあ、ハムスター釣り…」
ちょっと挑戦したかったけどな、とジョミー君。私たちだって同感です~!
やってみたかったハムスター釣り。金魚と違って、チョコマカ走り回る姿が可愛いハムスター釣り。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」のハートを射抜いたと言うのですから、きっと本当に可愛いのでしょう。
一度体験したかった、と誰もがガッカリしたのですけど。
「ふうん…? やってみたかったんだ、ハムスター釣り…」
だけどカモにはなりたくないし、と会長さんが思案中。何処かで釣らせてくれるのでしょうか? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」には内緒で私たちだけにコッソリ情報をくれるとか…?
「いや、それは…。君たちが釣りに行くんだったら、そのハムスターは見捨てたくないし…」
「マツカが買えばいいんじゃねえかよ」
それで解決、とサム君がズバリ。
「別にブルーが出てこなくっても、ちゃんと始末はつけるからよ」
「でもねえ…。ぼくにとっては心理的に二度目。そして、ぶるぅにも確実にバレる」
でもって三度目、四度目と続いてカモな人生、と会長さんはぼやいていましたが。突然、ポンと手を打って「そうだ!」と明るい声。
「そうだ、ぶるぅを釣ればいいんだ!」
「「「は?」」」
「ぶるぅ釣りだよ、可愛くないかい? うんとミニサイズのぶるぅで、こんなの」
会長さんが広げた手の上に、ハムスターサイズの小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパッと出現。手のひらの上にチョコンと座ってニコニコ笑顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「「「ぶるぅ!?」」」
どうなったのだ、と慌てましたが、「すっごーい…」と普段通りの「そるじゃぁ・ぶるぅ」がミニサイズの自分を覗き込んでいるではありませんか。
「…ぶるぅじゃ……ない……?」
「違うようだな…」
では何なのだ、とキース君がチョンと指でつつこうとしたら。
「「「あれ?」」」
指はミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」の身体を突き抜け、会長さんの手のひらに到達しちゃったみたいです。指を引っ込めたキース君の目は丸くなっていて。
「…あんたの手のひらに触ったんだが…」
「そうだろうねえ、此処には何も無いからね?」
御覧の通り、と会長さんが空いた方の手でパッと払うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のミニサイズは消え失せ、ただの手のひら。それじゃ今のは…?
「サイオニック・ドリームの応用なんだよ、核になるものがあればもっと楽勝」
こういうぶるぅを釣らないかい、と会長さんは微笑みました。
「チョコマカ走らせるトコまではちょっと無理だけど…。小さなぶるぅを釣るだけだったら、表情とか動きはいくらでも、ってね」
「本当ですか!?」
シロエ君が飛び付き、釣られる方の「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「やってみたぁーい! ぼくを釣る遊びでもやりたいよ!」
「俺も興味が出て来たな」
「ぼくだってやってみたいよ、それ!」
キース君にジョミー君、他のみんなも次々と。もちろん私も釣りたいですから、アッと言う間に決まってしまったハムスター釣りならぬ「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣り。会長さんは「よし」とリビングを出て行って…。
「はい、ぶるぅ釣りのために頑張りたまえ」
これで核になる魚を作って、と会長さんが画用紙を持って戻って来ました。
「幼稚園とかのゲームでやるだろ、磁石を使った魚釣り。あれを核にするから」
紙で作った魚に金属製のクリップをつけて、糸に結んだ磁石にくっつけて釣り上げる遊び。それがサイオニック・ドリーム発動の核になるらしいです。
「核が同じだと似たようなものしか出来ないからねえ、個性的な魚があるといいかな」
大物を作るのも良し、変なのも良し、と会長さん。
「クリップがコレで、磁石がコレ。だから挑んでも釣れないサイズも出来てしまうかもしれないけれど…。その方が手ごたえがあっていいだろ?」
「そう来たか…。つまり俺たちの手で核を作れ、と」
こいつで魚を作るんだな、とキース君が納得、会長さんは下書き用の鉛筆や彩色用の色鉛筆にクレヨンなんかも持って来ました。それからハサミも。
「みんな好きなだけ魚を作って、色を塗ってから切り抜いてよね。それにクリップを取り付けたら核の出来上がりなんだ。個性豊かなぶるぅが出来るよ」
「「「はーい!」」」
やってみよう、と私たちは画用紙を受け取り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も貰っています。言い出しっぺの会長さんも鉛筆を握ってサラサラと。よーし、サイオニック・ドリームの核になるらしい、紙で出来た魚。私も作ってみましょうか…。
会長さんが「個性的に」と言った辺りが大きかったか、元々、個性的な面子が揃っていたのか。絵に描いたような普通の魚も小さいものから大きなものまで揃いましたが、それよりも…。
「リュウグウノツカイって、普通、釣れるのかよ?」
深海魚じゃあ、とサム君が訊いた作品はキース君のもの。ヒョロリと長いリュウグウノツカイにクリップがしっかり取り付けてあります。
「サム先輩だって、タコを描いたじゃありませんか」
シロエ君の突っ込みに「タコは釣れるぜ」とサム君の反論。
「魚じゃねえけど、釣ろうと思えば釣れるって! それより何だよ、そのシーラカンス!」
「魚だと思いますけれど?」
「…魚だっけ?」
まあカニよりは魚だよね、と言うジョミー君は何故だかカニに燃えていました。松葉ガニやら毛ガニやら。どれも形がアヤシイですけど、作りたかったものは分かります。
「個性豊かにって言われたら、釣れない魚も作りたくなるわよ」
スウェナちゃんは鯨を作ってしまって、マツカ君は亀を作った様子。私もホタテガイを描いちゃいましたし、みんなのことは言えません。えっ、ホタテガイは魚じゃないだろうって? だけどあの貝、泳ぐんですもの~!
「よし、充分に個性的なのが揃ったってね」
会長さんが満足そうに作品群を眺め、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「ビニールプールはあったっけ? 小さな子供が泳ぐようなヤツ」
「えとえと…。ぼくは持ってないけど、管理人さんの所に無かったかなあ?」
夏になったら貸し出してるから、という返事。そう言えば何度も目にしていました、夏に此処へと遊びに来た時。下の駐車場にビニールプールが置かれて小さな子供たちが遊んでいるのを。
「あったね、そういうビニールプール。じゃあ、借りて来る」
会長さんの姿がフッと消え失せ、暫く経って。
「お待たせ~! シーズンじゃないから仕舞い込んでて、出して貰うのにちょっと時間が」
でも借りて来た、と空気を抜いて折り畳まれたビニールプール。空気を入れるためのポンプもセットで、私たちは交代でプールを膨らませることに。その間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお昼御飯の支度をしてくれるらしいです。
「プール、作っといてねー!」
「「「オッケー!」」」
お昼御飯を食べ終わったら、ビニールプールで「そるじゃぁ・ぶるぅ」を釣るのです。ミニサイズのうんと可愛いのを…!
足踏み式のポンプでせっせと空気を送り込んで膨らませ、子供用のビニールプールが完成。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってくれた秋の味覚のキノコたっぷりのピラフと、仕込んであった秋鮭と野菜のクリームシチューを平らげてから再びリビングへと。
「プールが釣り場になるからね。魚を重ならないように入れて」
会長さんの指示でリュウグウノツカイやシーラカンスが混じった魚の群れがプールの中に。どれもクリップ付き、会長さんが「試しに」と糸に縛った磁石で釣り上げてみて。
「うん、充分にいけるってね。でも、ぶるぅ釣りは難しいよ?」
「どうして?」
理屈は今のと同じでしょ、とジョミー君。けれど会長さんは「どうだかねえ…」という答え。
「今は魚がちゃんと見えてるから、何処にクリップがあるかも分かる。でもね、魚は全部ぶるぅに化けるんだ。クリップが何処か分かるかい?」
「「「あ…」」」
会長さんの手のひらに乗っていたミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」を思い出しました。会長さんの手は透けて見えはせず、小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」が居ただけ。ということは、魚にくっつけてあるクリップも…。
「そう、いくら目で見ても見えないってね!」
大物であればあるほど苦労する、と言われてしまって恨みたくなった、ヒョロリと長いリュウグウノツカイ。他にも色々と恨みたい魚が溢れてますが…。
「覚悟のほどは出来たかな?」
会長さんはクックッと笑いながら割り箸に糸を結んでいます。糸の先には小さな磁石。要は割り箸が釣竿代わりで、これは本物のハムスター釣りも同じだとか。
「はい、一人一本、釣竿をどうぞ」
「かみお~ん♪ ぼく、いっちばーん!」
元気一杯に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が割り箸を受け取り、全員の手に釣竿が行き渡った所で。
「始める前に、ハムスター釣りのお約束! 三匹釣ったら一匹貰える。だけどぶるぅはあげられないから、代わりにおやつのチケットを一枚」
持ち帰り用にも使えるよ、と会長さん。それは大いに美味しい話です。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ったお菓子を家でもおやつに食べられるなんて! 他のみんなも思いは同じという中で。
「おふくろのために頑張ってみるか」
美味い菓子を持って帰って好感度アップだ、とキース君。なるほど、アドス和尚に叱られた時に備えてイライザさんにゴマをすりますか…。
会長さん手作りの割り箸の釣竿、それに景品のおやつチケット。用意は整い、いよいよ「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りの始まりです。会長さんの青いサイオンがキラッと光って…。
「「「わあっ!!!」」」
ビニールプールに溢れていた魚は一匹残らず「そるじゃぁ・ぶるぅ」に変わっていました。ミニサイズながら、どれもこれも「そるじゃぁ・ぶるぅ」そっくり、ニコニコ笑顔でキャイキャイと。
「なんだか賑やかに笑ってますよ?」
声は小さいですけれど、とシロエ君が驚くと、会長さんは。
「そのくらいのことは出来ないとね? ソルジャーの役目はとてもとても」
「「「スゴイ…」」」
動き回りこそしませんけれども、手を振っていたり、はしゃいでいたり。バラエティー豊かな「そるじゃぁ・ぶるぅ」がプールに一杯、釣り放題で。
「よーし、釣るぞーっ!」
ジョミー君が釣り糸を投げ入れ、私たちも我先に続いたものの。
「…えーっと?」
釣れそうで釣れない「そるじゃぁ・ぶるぅ」。クリップを狙えていないのです。
「くっそお、外したーっ!」
逃げられた、とキース君が呻き、シロエ君たちも。
「本当に難しいですよ、これ…!」
「三匹どころか一匹だって無理かもなあ…」
才能ねえかも、と嘆くサム君。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も苦戦しています。
「うわぁーん、ぼくなのに釣れないのーっ!」
ぼくが釣れない、と闇雲に何度も投げ込まれる糸は全て空振り。なんとも手強い「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りですが…。
「三匹でおやつチケットだって?」
「その三匹が釣れないんだ!」
まだ一匹も釣れていない、とキース君が怒鳴り返しましたけど、今のって…?
「こんにちは。面白そうなことをやってるねえ…」
ぶるぅ釣りだって? とヒョイと覗き込んで来た会長さんのそっくりさん。紫のマントを上手に捌いてビニールプールの脇に座ると、「ぼくにも釣竿!」と会長さんの方へ右手を。
「釣るのかい?」
「おやつチケットは魅力的だしね!」
釣ってみよう、と言ってますけれど。難しいですよ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣り…。
釣れるもんか、と誰もが思った「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りへの闖入者。ところが割り箸の釣竿を握ったソルジャー、たちまち鮮やかに一匹を。
「かみお~ん♪」
可愛らしい声が上がって、ミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーの手元に飛び込みました。途端に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の姿は掻き消え、カニが一匹。
「ぼくの毛ガニだ…」
釣られちゃった、とジョミー君がポカンと眺める間に、また「かみお~ん♪」。今度はマツカ君の亀で、「二匹も!?」と騒いでいたら、またも「かみお~ん♪」。今度は普通に魚でしたが、誰が描いた魚なのかと悩むよりも前に。
「おやつチケット!」
三匹釣った、とソルジャーが手を出し、会長さんが「はい」とチケットを。
「やったね、これで持ち帰り一回分! どんどん釣らなきゃ!」
全部釣ってやる、というソルジャーの台詞はダテではなくて、四苦八苦する私たちや「そるじゃぁ・ぶるぅ」を他所にヒョイヒョイ釣っては「おやつチケット!」。
「うう…。なんであいつだけ釣れるんだ?」
「さ、さあ…。相性ってヤツじゃないですか?」
「うわぁーん、どんどん釣られちゃうようーっ!」
減って行くよう、と泣きの涙の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ビニールプールに溢れ返っていたミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」はぐんぐんと減って、見る間に数えるほどになり…。
「こうなりゃヤケだーっ!」
きっと何処かにクリップが! とキース君が投げ込んだ釣り糸を地引網よろしくズズッと引き摺り、やっと釣り上げた一匹目。その手があったか、と私たちも急いだのですが…。
「ダメダメ、慌てる乞食は貰いが少ないって言うんだろう?」
釣りをするならゆったりのんびり、とソルジャーが糸をヒョイと投げ入れ、「かみお~ん♪」と釣れるミニサイズな「そるじゃぁ・ぶるぅ」たち。
「くっそお、残りは二匹なんだ!」
あと二匹釣ればおやつチケット、と割り箸を握るキース君も、せめて一匹と願う私たちもサッパリ釣れないままにソルジャーだけがヒョイヒョイヒョイ。「かみお~ん♪」の声は其処ばかりです。とうとう最後の一匹までもが。
「「「あーーーっ!!!」」」
釣られたーっ! という叫びも空しく、釣果はソルジャーの手の中に。おやつチケット、全部ソルジャーに取られておしまいでしたよ…。
「…なんでこういうことになるわけ?」
一匹くらいは釣りたかった、とジョミー君がぼやくと、ソルジャーは。
「簡単なことだよ、クリップを狙って釣るだけってね!」
「「「クリップ!?」」」
「そうだよ、魚についてるクリップ。ぶるぅの向こうに見えているだろ?」
「「「えーーーっ!!!」」」
やられた、という気分でした。私たちにも「そるじゃぁ・ぶるぅ」にも全く見えなかったクリップ、ソルジャーの目には見えていたのです。考えてみれば会長さんよりも経験値が高い人でしたっけ。挑むだけ無駄、キース君が一匹釣っただけでもマシだったのか、と…。
「負けた…」
キース君がガックリと項垂れ、私たちも。まあ、本物の屋台のハムスター釣りなら、これくらいの勢いで負けると言うか、釣れないと言うか。仕方ないな、とは思うんですが…。
「釣れなかったなんて…」
気分だけで終わってしまったなんて、とシロエ君が零し、サム君も。
「だよなあ、せっかくプール一杯のぶるぅだったのによ…」
「楽しく釣る筈だったのに…」
トンビにアブラゲ、というジョミー君の言葉に、ソルジャーが。
「目的はおやつチケットよりも釣りだったのかい?」
「そうなんだが?」
よくも俺たちの楽しみを、とキース君。
「あんた一人に釣られちまって、俺たちはロクに釣りを楽しめなかったんだが!」
「そうなんだ…。それは何だか申し訳ないし、良かったらぼくが釣り場を提供しようか?」
「「「は?」」」
「ブルーは今ので疲れただろうし、代わりにぼくが!」
コレを核に使って良ければ、とソルジャーの手元の紙の魚が指差されました。
「それとビニールプールを借りられるんなら、極上の釣りの時間を君たちに!」
「「「本当に!?」」」
会長さんよりも経験値の高いサイオンの使い手がソルジャーです。よりリアリティーのある「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りを楽しませて貰えるに違いない、と飛び付いた私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」だったのですが…。
「…なんだい、これは?」
会長さんの冷たい声と、何と言っていいのか言葉も出ない私たちと。
「何って…。ブルー釣りだけど?」
これも悪くないと思うんだよね、と微笑むソルジャーがビニールプール一杯に作り出して来たサイオニック・ドリームの釣りの対象。それはミニサイズの「そるじゃぁ・ぶるぅ」ではなく、全部ミニサイズのソルジャーでした。多分、ソルジャー。
「何処から見たって君じゃないか!」
「さあねえ、君かもしれないよ? とにかく、ブルーで!」
邪魔なマントは抜きで纏めた、とソルジャーが自慢するとおり、マント抜きでのソルジャーの正装のソルジャーだか、会長さんだかがドッサリ、ミニサイズでプールに溢れています。
「まあ釣ってみてよ、誰でもいいから!」
「「「………」」」
可愛らしい「そるじゃぁ・ぶるぅ」なら釣ってみたいですけど、これはイマイチな感じがヒシヒシと。美形ですから可愛くないとは言い切れないものの、なんだか違うという感じ。
「なんで釣らないわけ? じゃあ、キース!」
さっき一匹釣り上げた腕を見込んで君だ、とソルジャーの指名。キース君は蛇に睨まれたカエル状態、仕方なく釣り糸を垂れたのですが。
「…あんっ!」
「「「え?」」」
一匹……いえ、一人のミニサイズのブルーが身体をくねらせ、「あんっ!」と小さな甘い声。鼻にかかった声でしたけれど、今のは一体…?
「外したんだよ、クリップの場所を。はい、もう一回!」
「…嫌な予感がするんだが…」
キース君の腰が引けているのに、ソルジャーは「釣れ」の一点張り。恐る恐るといった体で下ろされた釣り糸、今度は何処に当たったものやら。
「…やぁっ!」
同じ「やあ」でも柔道とかの掛け声とは百八十度も違った甘すぎる声。ミニサイズのブルーとやらは、もしかして、もしかしなくても…。
「まあ釣ってみてよ、手を貸すからさ!」
此処を狙って、とソルジャーが手を添え、キース君が垂れた釣り糸がクンッ! と。どうやらクリップに当たったようですが、釣り上げられるミニサイズのブルーが発した声は。
「や、やあぁぁっ! い、イクっ…!」
行くって何処へ、と見回す私たちが見たものは怒り狂った会長さん。レッドカードを握ってますから、今の台詞はヤバかったんですね…?
「君はどういうセンスでこれを…!」
さっさと消せ! と会長さんは怒り心頭ですけど、ソルジャーの方は涼しい顔で。
「えっ、楽しいと思うけど? ブルー釣り!」
エロくて雰囲気バッチリなのだ、とソルジャーは威張り返りました。
「三匹釣ったら何にしようか、ぼくからキスをプレゼントとか!」
「要りませんから!」
即答したシロエ君が神様に見えた気がします。その勢いで追い返してくれ、と思ったのに。
「おや、キスだけだと不満かい? だったらストリップもオマケにサービスするけど」
「…そ、それは…」
「あ、感動しちゃった? じゃあ、キスとストリップをセットでサービス!」
頑張って三匹釣り上げてよね、とソルジャーは笑顔でシロエ君の背中をバンバンと。
「キースは残り二匹だよ。さっきのも特別にカウントするから!」
「誰が釣るか!」
「なんで?」
楽しいのに、と全く分かっていないソルジャー。私たちが釣りたかったものはミニサイズの可愛い「そるじゃぁ・ぶるぅ」。キャイキャイ、ワイワイ、賑やかに騒ぐ「そるじゃぁ・ぶるぅ」。けれども今のプールに溢れているものは…。
「「「………」」」
山のようなミニサイズのマント無しソルジャーがウインクをしたり、思わせぶりに顔を伏せたり。どちらかと言えばお色気軍団、たまに「来て」とか小さな声が。
「釣らないのかい?」
何処でも当たればイイ声が、とソルジャーが指でチョンとつつくと「あんっ!」という声。
「ぼくはブルーよりも遥かに高度なサイオニック・ドリームを操れるしね? これだけの数でもイイ声は様々、重なったりはしませんってね!」
そして釣り上げれば絶頂の声が! と得意げなソルジャー。
「ミニサイズのブルーは釣り上げられれば昇天ってことで、イッちゃうんだよ! でもって元の紙の魚に戻るんだけれど…」
「こんな猥褻物な釣堀、要らないから! グダグダ言わずに撤去したまえ!」
誰も絶対、釣りたがらない、と会長さんは柳眉を吊り上げたのですが。
「本当に?」
本当にニーズは無いと思うかい、とソルジャーがズイと乗り出しました。私たちは釣りたくありませんけど、釣りたい人がいるとでも…?
「釣らせてぼったくりで、カモなんだよ」
そういう人に心当たりは無いか、とソルジャーは指を一本立てて。
「ハムスター釣りなら、君がカモになりそうって話だけれど…。ブルー釣りだと君はカモる方! カモがネギをしょってやって来るってね!」
「…カモって、何処から?」
好奇心をそそられたらしい会長さん。ソルジャーの方はニッと笑うと。
「分からないかな、君に惚れてて、この手の声とかを毎晩妄想している誰か!」
「…まさか、ハーレイ?」
「ピンポーン♪」
大当たり! とソルジャーはビニールプールを指差しました。
「こっちの世界のハーレイを呼んで、釣らせるんだよ、有料で!」
「それでカモなのか…」
「そのとおり! 言い値で釣らせて、しかもいい感じに遊べるってね!」
だって釣るための場所なんだし…、とソルジャーの唇が笑みの形に。
「釣りには釣り竿が欠かせなくって、竿と言えば!」
「…竿?」
怪訝そうな顔の会長さんの耳に、ソルジャーがヒソヒソと耳打ちを。
「………と、こんな感じでどうだろう?」
「その話、乗った!」
このブルー釣りでボロ儲けだ、と会長さんは一気に方向転換しちゃいましたが、教頭先生をカモにする所までは分かります。でも…。
「竿って何さ?」
分かんないよ、とジョミー君が首を捻って、キース君が。
「餌じゃないか? 本物のハムスター釣りみたいに」
「ああ、何回か挑んだら磁石が外れてしまうとかですね!」
買い替え必須になるんですね、とシロエ君。
「そうだと思うぞ、ぼったくり価格で新しい竿を売り付けるんだ」
「「「うーん…」」」
その線だな、と腑に落ちたものの、カモにされてしまう教頭先生。私たちでも難しかった釣り、磁石が外れるオマケつきでは難易度ググンとアップですってば…。
そうして結託してしまった会長さんとソルジャーなだけに、間もなく教頭先生が瞬間移動で呼び寄せられて。
「な、何なのだ、これは!?」
ビニールプールを覗いて叫んだ教頭先生に、会長さんが。
「ブルー特製、サイオニック・ドリームのブルー釣りだってさ。三匹釣ったらブルーからのキスとストリップの賞品が出るらしいんだけど…。挑戦してみる?」
料金はちょっとお高くて…、と告げられた値段は強烈なもの。それは屋台の釣りの価格じゃないだろう、と思いましたが、教頭先生は「是非」と財布を取り出したから凄いです。
「これで一回分なのか?」
「うん。思う存分、釣ってくれればいいからね」
あれ? 餌が外れるまで、って言いませんでしたけれど、いいんでしょうか? 外れてから「もう一回やるなら」って凄い値段を毟るのかな?
ともあれ、教頭先生は割り箸の竿を受け取り、ビニールプールの側に座っていそいそと。下ろされた釣り糸は一匹だか一人だかのブルーの身体に当たって…。
「あんっ!」
鼻にかかった声と、くねる身体と。教頭先生、ビクンと腕を硬直させて。
「な、なんだ!?」
「ああ、それね。そういう仕様になってるんだな、何処に当たってもイイ声らしいよ。でもって、見事に釣り上げた時は「イクッ!」と叫んでいたっけねえ…」
そうだよね? と話を振られたキース君は。
「あ、ああ…。俺には正直、何のことだかサッパリ分からなかったんだが…」
「ほらね、こうして証人もいる。キースは一匹釣ったんだ。正体はキースたちが作った紙の魚だけど、釣り上げられるまでの反応だけはブルー並み!」
頑張って三匹釣ってみたまえ、と煽り立てられた教頭先生、懸命に糸を垂らして努力なさっておられるのですが…。
「やぁぁっ!」
「はい、ハズレ。まったく、何処を狙ってるんだか…」
「ホントにねえ…。ぼくをイカせるには、もっと努力が必要だってね」
でなければ竿を特製に、とソルジャーが言って、会長さんが。
「そうそう、特製の竿があったね、もれなくブルーが食い付くという!」
高いんだけどねえ…、とニヤニヤニヤ。竿って、ついにぼったくり価格の竿の出番が?
「特製の竿?」
教頭先生は惹かれたようで、会長さんがにこやかに。
「それはもう! これに食い付かなきゃブルーじゃない、って素晴らしい竿があるんだけれど」
「高いのか?」
「値段も高いし、度胸も必要。使いたいなら、こんなトコかな」
目の玉が飛び出るような値段でしたが、負けていないのが教頭先生。「ちょっと取ってくる」とソルジャーに瞬間移動で送迎して貰って、タンス預金とやらをドッカン、帯封付きの凄い札束。
「オッケー、それじゃ特製の竿の使用を許可しよう。ブルー、手伝ってあげて」
「もちろんさ! ハーレイ、ちょっと失礼するよ」
ソルジャーが教頭先生の前に屈み込んで、いきなり腰のベルトをカチャカチャと。
「な、何を…!?」
「分かってないねえ、ぼくがもれなく食い付く竿だよ? 君のココしか無いだろう!」
男のシンボルの竿で釣るのだ! とファスナーが下ろされ、私の視界にモザイクが。ソルジャーは手にしっかりと糸を握っています。
「これから膨らむことを考えると、緩めに縛っておかなきゃね。余裕を持たせてこんなもので…、って、あれっ、ハーレイ?」
「…す、すびばせん…」
教頭先生の鼻からツツーッと鼻血が。
「大丈夫かい? それでね、この竿で釣るとぼくがもれなく釣れるんだけど…」
「…た、たのしびです…」
「釣れたぼくはね、君の竿にパクリと食い付くんだな、イク前に! これぞサービス!」
「ふ、ふひつく…!?」
食い付く? と言いたかったのでしょう。そんな教頭先生に向かって、ソルジャーが。
「小さいだけにね、口も小さくて御奉仕とまでは…。でも、感触は本物だから!」
小さな口でもしっかりと! と言い終わる前に、ドッターン! と響いた教頭先生が床に倒れた物凄い音。鼻からは鼻血がブワッと噴水、大事な部分はモザイク状態。
「えーっと…。特製の竿代、これで一回分ってことでいいかな?」
「そうだね、正気を取り戻したら二回目の支払いを済ませて挑戦ってコトで」
今日は思わぬ荒稼ぎが…、と会長さんは御満悦でした。ソルジャーも今日は夜までブルー釣りを開催するようですけど、私たちは御免蒙ります。特製竿まで飛び出した今となってはエロしか残っていない釣り。「そるじゃぁ・ぶるぅ」釣りからブルー釣り。
「…最悪だよね?」
「最悪ですね…」
ジョミー君とシロエ君の溜息を他所に、会長さんとソルジャーは札束の山を山分け中。まだまだお札は増えるんでしょうね、教頭先生、早くカモだと気付いて下さい~!
御禁制の釣り・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ハムスター釣りの話が発端になって、みんなで楽しく「ぶるぅ」釣り。素敵な発想。
なのにソルジャーが考案したのは、最悪すぎる釣り。教頭先生、カモにされてますよね。
これが2018年ラストの更新ですけど、「ぶるぅ」お誕生日記念創作もUPしています。
来年も懲りずに続けますので、どうぞよろしく。それでは皆様、良いお年を。
次回は 「第3月曜」 1月21日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、12月は、キース君から賠償金を毟り取ろうとしてまして…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
今年もクリスマスシーズンがやって来た。
アルテメシアの街は華やぎ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の心も弾む。クリスマス・ツリーにイルミネーション、美味しそうな御馳走だって沢山。もちろん、様々なデザートだって。
(あれも、これも美味しそう! 今日は此処で食べて、明日はあっちで!)
一年で一番楽しいんだよ、とシャングリラを飛び出しては、グルメ三昧の日々だけれども。
(…えーっと…?)
ある日、出掛けようとしていた所で、子供たちの声が耳に入った。ヒルマンの授業に急ぐ子たちで、普段なら全く興味は無い。「勉強なんか!」と。
ところが、その日は少し違った。「うんと昔の話だってさ!」と聞こえて来たから。
(……昔って?)
いつのことかな、と耳を傾けると、「人間が地球にいた頃なんだよね!」という言葉。なんでも、その時代の地球についての話らしくて、俄かに興味が湧いて来た。
(ブルーが好きそうな話なのかも…!)
偉大なミュウの長、ソルジャー・ブルー。
彼の知識は膨大なのだし、今日のヒルマンの授業の中身も、きちんと知っているだろう。けれど、子供の自分は知らない。きっと知っておいて損は無いから…。
(お出掛けは後にして、話を聞こうっと!)
それがいいや、と子供たちの後を追い掛けた。教室に入ると、ヒルマンは…。
「おや、珍しいお客様だね。地球の話を聞きたいのかな?」
「うんっ!」
元気よく答えたら、一番前の席を用意してくれた。「此処なら、授業に退屈したって、他の子たちの邪魔をしないで出られるからね」と。
ワクワクする内に授業が始まり、ヒルマンは前のボードに「私有財産」と書いた。
「これは個人の持ち物のことで、今の時代も無いことはない。ただし…」
ミュウと人類では事情が違うね、とヒルマンが浮かべた微笑。
「もっとも、シャングリラにいるミュウに限るのだが…。財産は全く個人の自由だ」
自分で独り占めしておくも良し、誰かに譲り渡すのも良し、という説明。
(…当たり前だよね?)
ぼくだって、そうしてるもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は考えた。いつもブルーがくれるお小遣いは、私有財産と言うのだろう。それを使って食べ歩きをして、ブルーに御土産を買うこともある。そうしたものだと思っていたのに、ヒルマンは「ところが、人類の世界では違うのだよ」と重々しく髭を引っ張った。
「知っての通り、人類の世界はマザー・システムが統治している。ある程度の自由は、もちろん存在しているが…。次の世代には譲れないね」
「「「えっ?」」」
子供たちは、一斉にどよめいた。
このシャングリラでは、財産は受け継がれるのが当たり前。
遥か昔にアルタミラから脱出した者たちの中には、とうに寿命が尽きた者もいる。彼らが遺した多様なものは、今の時代も船のあちこちで生かされてていた。
「ずっと昔に、誰それが造った便利な機械」だの、「この木を植えた人の名前はね…」といった具合に。
だから「次の世代が貰えて当然」と思っているのに、人類の世界は違うらしい。
ヒルマンは一つ咳払いをして、「しっかりと覚えておきたまえ」と言った。
「人類たちは、子供さえも次々に取り替えるのだよ? 次の世代という概念は無いね」
死んだらそれで終わりなのだよ、という結論。財産は全て回収されて、ものによっては再利用。そう出来ないものは処分されてしまって、何一つ、残らないらしい。
そう、暮らしていた家さえも。…お気に入りだった部屋も、丹精込めた庭だって。
(……そうだったんだ……)
なんだか酷いね、と教室を出た「そるじゃぁ・ぶるぅ」は考え込んだ。
残りの授業はどうでもいいから、アルテメシアの街に降りて来たけれど、賑わう街も、結局の所、誰のものでもないらしい。強いて言うなら、機械のもの。
(大きなクリスマス・ツリーを買っても、持ち主の人が死んじゃったら…)
それまでのことで、受け継がれることは無いのだろう。シャングリラならば、欲しい人は大勢いるのだろうに。「私が貰う!」「いや、俺だ!」と喧嘩だって起こるかもしれない。
(…ブルーがいつも、「SD体制は酷いんだよ」って言っているけれど…)
ホントのホントに酷いみたい、と首を振り振り、気分を変えようと店に入った。こういう時には、美味しいものを食べるに限る。
(んーと、んーと…)
どれにしようかな、とメニューを広げて、『地球のクリスマス』と謳ったコースに決めた。クリスマスには少し早いけれども、クリスマスの御馳走をドッサリ揃えた豪華セット。
(ターキーもあるし、他にも色々…)
前菜からしてうんとゴージャス、大満足で食べている内に、ふと閃いた。
(…サンタさんって、地球から来るんだよね? 地球に住んでて…)
それもSD体制が始まるよりも、ずうっと前から…、と赤い衣装のサンタクロースを思い出す。ついて行ったら地球の座標が分かるかも、と今までに何度も挑戦した。
(罠で捕まえたら、ただの酔っぱらいになっちゃったこともあったし…)
トナカイの橇で逃げられたことも、失敗談として記憶に刻まれている。
サンタクロースは、地球の座標を教えてくれない。青い地球に焦れ続けるブルーを、地球まで連れて行ってもくれない。
でも…。
(サンタさんは地球に住んでるんだし、地球の上に家とか土地を持ってるんだよ!)
今の時代でも昔のままで…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は確信した。代替わりしないから「受け継ぐ人がいない」だけのこと。サンタクロースの私有財産は、昔から、ずっと地球にある。
サンタクロースがその気になったら、もしかしたら、譲って貰えるのかも…!
さて、シャングリラのクリスマスシーズンと言えば、公園に飾られる大きなツリーと、それとは別の『お願いツリー』。
お願いツリーは小さめのツリーで、誰もが欲しいプレゼントを書いたカードを吊るして、クリスマスを待つ。お願いしたのが子供の場合は、クリスマスイブの夜にコッソリ配られるプレゼント。大人の場合は、意中の男女のカードを探して、プレゼントする人も多いイベント。
シャングリラに戻った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、早速、お願いカードを書いた。
「ぼくにサンタさんの土地を分けて下さい。ちょっぴりでいいです」と。
(…ホントはブルーにあげて欲しいんだけど、大人にプレゼントはくれないって…)
何度もブルーに聞かされたから、「自分が貰う」ことにした。
貰ってしまえば、後はどうとでもなる。人類とミュウとは私有財産とやらの仕組みが違うし、ヒルマンの話では、遠い昔には「贈与」という仕組みもあったらしい。
(生きてる間に、あげたい人に譲れるんだよ!)
だから、サンタクロースに貰った土地も、そうすればいい。右から左にブルーに譲れば、きっと喜んでくれるだろう。
(地球の座標は分からなくっても、地球にブルーの土地があるなら…)
ブルーの夢は少しだけでも叶うだろうし、いつかその土地を見たいと思えば、生きる気力も湧いてくる筈。
「ぼくは地球まで行けそうにないよ」が口癖だけれど、そんな風には言わなくなって。
「ぶるぅに貰った土地を見るまで、絶対に死ぬわけにはいかないね」と、前向きになって。
(これで完璧!)
もう最高のお願いだもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御満悦だった。
サンタクロースの土地を分けて貰うだけなら、断わられることは無いだろう。地球の座標は教えなくても構わないのだし、「君にあげるよ」と約束をするだけだから。
(お庭の端っこでも、トナカイの小屋の隅っこでも…)
何処でもいいや、と夢は広がる。猫の額ほどの土地にしたって、地球には違いないのだから。
こうしてカードを吊るしたツリー。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はドキドキしながらクリスマスを待っていたのだけれども、ある日、ブルーに呼び出された。いつものように青の間に。
「かみお~ん♪ なあに?」
おやつ、くれるの? と飛び込んで行ったら、勧められた炬燵。向かい合わせでチョコンと座って、お饅頭とお茶は貰えたものの…。
「ぶるぅ、サンタさんへのお願いだけどね…。土地を貰ってどうするんだい?」
ブルーの問いに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はエヘンと胸を張った。
「サンタさんの土地は、地球にあるでしょ? 貰って、ブルーにプレゼントするの!」
「…プレゼント?」
「そう! 大人はプレゼントを貰えないでしょ、ぼくが貰って、それからブルーに!」
ヒルマンは「贈与」って言っていたよ、と大得意で披露した知識。サンタクロースの土地の一部を分けて貰えれば、ブルーも地球の土地が持てる、と。
「そうなのかい…? だけど、ぶるぅ…。ぶるぅのお小遣いでは足りないと思うよ」
このシャングリラを売っても無理かも…、とブルーは困った顔付きになった。
「えっ、お金? なんでお金が沢山要るの?」
貰うんだからプレゼントでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は驚いたのだけれども…。
「ヒルマンの授業では、そこまで話していなかったんだね。ずっとずっと昔、人間が地球で暮らしていた頃にはね…」
土地は売買するものだったんだよ、とブルーは解説してくれた。誰かにタダで譲るにしても、土地の値打ちに見合った額の税金を納めなければならない。今も地球で暮らすサンタクロースの土地については、そのシステムが健在だろう、と。
「だからね、ぶるぅ。サンタクロースの土地を貰うには、税金が必要になるんだよ。地球は人類の聖地なんだし、ぶるぅの手のひらくらいの土地でも、凄い値打ちで…」
税金はシャングリラより高いかもね、とブルーが零した深い溜息。「とても無理だ」と。
かてて加えて、その税金を払えたとしても、更にブルーに譲るとなれば…。
「譲るためにも、また税金が要るの!?」
「…そっちの方は、ぼくが支払うことになるんだけどね…」
それだけ払う羽目になったら、もう間違いなく破産するよ、とブルーの苦悩は深かった。破産したのでは地球に行けないから、お願いカードは取り下げるべき、と。
(……いい考えだと思ったのに……)
今年も失敗、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はションボリと肩を落として、お願いカードを外しに出掛けた。サンタクロースの土地は貰えず、ブルーに譲ることも出来ない。
(お金が山ほど必要だなんて…)
知らなかったよ、とガッカリだけれど、土地が欲しくても貰えないなら、地球を目指すしかないだろう。ブルーが焦がれてやまない星を。
本当に本物の地球を探して、いつかは座標を手に入れて。
ブルーが力尽きてしまわない内に、頑張って、遠い地球までの道を一緒に突き進んで。
(…ということは、今年のお願い事は…)
もうクリスマスまでは日数も無いし、「頭が良くなりますように」と新しいカードに記入した。悪戯をやめるつもりはゼロでも、優秀な頭脳がありさえすれば…。
(ぼくだって、地球の座標くらいは…!)
きっと割り出してみせるもんね、と野望は大きい。
暇さえあったら悪戯ばかりで、グルメ三昧の「船一番のクソガキ」でも。
下手くそなカラオケを披露しまくり、船中に迷惑をかけまくっては、皆に逃げられていても。
(頑張るんだもん…!)
ブルーのために、と誓う心は本物だった。
誰よりも好きなブルーのためなら、年に一度のクリスマスでさえ、「ブルーのための」願い事を書く子供だから。
「サンタさんの土地を分けて下さい」と、本気で願ったほどなのだから…。
そして訪れたクリスマス・イブ。
今年もハーレイがサンタクロースに扮して、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋にプレゼントを届けに行った。長老たちからのプレゼントの他に、ブルーからも…。
「ハーレイ、今年もよろしく頼むよ」
「はい。…これはカラオケマイクですか?」
サイズからして…、とハーレイが首を傾げた包み。クリスマスらしく綺麗にラッピングされている箱は、それらしい形だったから。
「ご名答。でも、ただのカラオケマイクじゃないよ? 首都惑星ノアの限定品だ」
「それはまた…。えらくゴージャスな代物ですね」
悪戯小僧には勿体ないような、とハーレイは包みを眺め回している。けれどブルーはクスッと笑って、「もっとゴージャスな代物かもね」とウインクをした。
「とても稀少な金属を使った部品があって…。今の所は、パルテノンの者しか買えない」
「なんと…! いったい、どうやって、そのようなモノを!?」
「ぼくはこれでもソルジャーだよ? お取り寄せくらいは、ごく簡単なことなんだ」
代金の方も支払っておいたし、帳尻は合う、と微笑んだブルー。「地球の土地にかかる贈与税に比べれば、マイクくらいは安いものだよ」と。
「贈与税ですか…。ぶるぅは今年もやってくれましたね、凄い願い事を…」
「あれには、ぼくも驚いた。地球の土地なら、トナカイの小屋の隅でも欲しいけれどね」
偽の証文でも貰っておいたら、ぶるぅは喜んだだろうに…、とブルーは睫毛を伏せた。
「ならば、そうなさればよろしかったのに…。ゼルあたりが張り切って捏造しますよ」
「いいや、それでは駄目なんだ。ぼくは、ぶるぅを騙したくない」
あれでいいんだ、と大きく頷き、「罪滅ぼしにカラオケマイクなんだよ」とブルーは笑んだ。せっかく考えてくれたアイデアを無にしたからには、せめて気持ち良く歌える時間を、と。
「はあ…。船の仲間たちには災難でしょうね、このマイクは…」
御自慢の逸品ともなれば、さぞかし何度もリサイタルが…、とキャプテン・ハーレイの悩みは尽きない。そうは言っても、ブルーの望みも断われないし…。
「悪いね、ハーレイ。仲間たちには、心からすまなく思っていると伝えてくれたまえ」
「はい、ソルジャー…」
それでは行って参ります、とサンタクロースは出発した。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が眠る部屋へと、大きな白い袋を担いで。
クリスマスの朝、土鍋で目覚めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は歓声を上げた。
今年も贈り物がドッサリ、中でも一番はカラオケマイク。ブルーがくれたとは思わないから、サンタクロースだと頭からすっかり信じ込んで…。
「うわぁ…! 限定品って書いてある! これで歌えば、きっと頭が良くなるんだよ!」
パルテノンってエリート集団らしいもんね、と飛び跳ねる。ミュウの敵には違いないけれど、とても頭のいい人類だけしか入れないことくらいは知っていた。
「頑張って歌って、歌いまくって、うんと賢くならなくっちゃ…!」
そして頑張って地球の座標を見付けるんだよ、と張り切っていたら、届いた思念。
『ぶるぅ、お誕生日おめでとう。今年もお祝いしなくちゃね』
公園でみんなが待っているよ、とソルジャー・ブルーからの優しい言葉。
「わぁーい! あのね、カラオケマイクを貰ったの! 歌ってもいい!?」
『…そ、それは…。みんなに訊いてみないと…』
ブルーの思念は戸惑ったけれど、そこへ大勢の思念が一斉に木霊した。
『ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ! リクエスト曲は、バースデーソング!!』
みんなで歌えば怖くない、というオマケつきだったけれど、それは最高の誕生日プレゼント。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」は貰ったばかりのマイクを手にして駆け出した。公園へと。
瞬間移動をするのも忘れて、懸命に走って、息を切らせて…。
「やあ、ぶるぅ。来たね、バースデーケーキは今年も特大だよ」
ほらね、とブルーが運び込ませた、大勢の仲間たちが御神輿のように担ぐ特大ケーキ。
大勢の仲間たちとケーキの周りを囲んで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は熱唱した。
誰よりも好きなブルーも一緒に、限定品のカラオケマイクで、バースデーソングを。きっといつかは地球の座標を、ブルーのために手に入れようと。
悪戯をやめる気はないけれども、カラオケに励んで優秀な子供にならなくちゃ、と。
ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今年もお誕生日、おめでとう!
そしていつかは、大好きなブルーと、きっと地球まで…。
サンタと財産・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございました。
管理人の創作の原点だった「ぶるぅ」、いなくなってから、もう1年以上。
それでも2007年11月末に出会って以来の、大好きで忘れられないキャラです。
いなくなっても、お誕生日だったクリスマスには「お誕生日記念創作」。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、12歳のお誕生日、おめでとう!
2007年のクリスマスがお誕生日で、満1歳でした。だから今年は12歳ですv
※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)