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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

「それじゃ、明日な!」
 約束し合ってる、ぼくの友達。明日は土曜日だから、みんなで買い物。いつものお休みの日とは違う待ち合わせ、公園とかじゃなくってバス停。
 みんなは町の一番賑やかな場所へ出掛けてゆくんだ、路線バスに乗って。百貨店だとか本屋さんだとか、色々なお店がある所へ。
 「ブルーも一緒に行かねえか?」って誘われたけど、いつもと同じで断った。「ハーレイ先生が来てくれるから」って。
 そう断ったら、「いいなあ…」って羨ましがられてしまった、「ハーレイ先生かあ…」って。
 ハーレイはみんなに人気があるから、いつだって、こう。みんなと遊びに行けない理由を話すと誰もが「いいな」って。ハーレイを独占出来るなんて、って。



 そんな調子だから、みんなに笑顔で手を振った。「また月曜日に!」って。
 みんなも「おう!」って手を振り返してくれて、クラブに、家にと分かれた行き先。寄り道する子もいたりするから、方向はホントにバラバラなんだ。校門だって一ヶ所じゃないし…。
 ぼくはバス通学だから、正門から外へ出るんだけれど。歩きながら心が弾んでた。明日は土曜日なんだから。みんなは買い物に出掛けるけれど…。
(ハーレイが来てくれるんだものね?)
 朝御飯を食べて、部屋の掃除を済ませて待ってたら鳴るチャイムの音。ハーレイが来たっていう合図。晴れた日だったら歩いて来るし、雨が降ってたら車のハーレイ。
 土曜日と日曜日は、用事が無ければハーレイが家に来てくれる。二人で一緒に夜まで過ごせる、晩御飯だって一緒に食べられる。晩御飯はパパとママもいるダイニングだけど…。
 ハーレイが来られない時は早めに連絡を入れてくれるし、明日はなんにも聞いてないから、もう間違いなく会える筈。ぼくがウッカリ寝込んじゃっても、お見舞いに来てくれたりして。
 絶対に会える筈の土曜日、とても楽しみ、って思ってたのに。
 明日は一日ハーレイと一緒、って胸をときめかせて帰りのバスに乗り込んだのに…。



 家に帰って、制服を脱いで、おやつを食べに下りて行ったダイニング。
 ママが焼いてくれたケーキと熱い紅茶で、大満足の時間なんだけど。ふと思い出した、帰り際にみんながしていた約束。明日はバス停、って決めてた約束。
(買い物かあ…)
 普段とは違う、みんなの休日の過ごし方。いつもだったら、公園とかで集まって近所で遊ぶのが定番だけれど。誰かの家に押し掛けてったり、サッカーなんかをしてみたり。
 お昼御飯やジュースやおやつは買ったりするけど、近くのお店で買えるもの。下の学校の頃から知ってるお店や、今の学校で出来た友達の馴染みのお店で。
 でも、明日の買い物は違うんだ。バスに乗って出掛けて、町の真ん中まで。
 何を買うとも決めてなかった、目的の物があるわけじゃない。これを買うんだ、って誰も決めてなくて、お小遣いを持って出掛けてゆくだけ。いろんなお店を覗いて回って、みんなが思い思いの物を買うんだと思う、お小遣いの範囲で買えそうな何か。
(お昼御飯だって…)
 目に付いたお店に入るんだろう。あっちだ、こっちだ、って相談しながら。
 何を食べるかも気分次第で、おやつだって。町の真ん中だと、お店も沢山あるんだから。
(…友達と買い物…)
 考えてみれば、ぼくは友達と買い物に出掛けたことが無かった。町の真ん中なんかへは。一人で出掛けたことはあるけど、それは用事があるからで…。
(本屋さんとか、ハーレイの羽根ペンを買おうとしてた時とか…)
 きちんと目的の決まった買い物、たったそれだけ。用事が済んだら真っ直ぐ帰るし、一人だから食事もしていない。そうじゃない時は、パパやママが一緒。
 ちょっぴり惜しい気持ちがしてきた、明日の買い物。みんなが出掛けてゆく買い物。



(でも、ハーレイ…)
 明日はハーレイが来てくれるんだし、そっちの方が断然いいよね、と気分を切り替えた。買い物なんかに行くよりずっと、って。
 キッチンのママに空いたお皿やカップを返して、部屋に戻って。勉強机の前に座ったんだけど、またまた浮かんで来た友達の顔。明日は買い物に出掛ける、みんな。
(みんなで買い物…)
 きっと楽しいに違いない。何の目的も決めずに買い物、お小遣いだけを持って出掛けて。色々なお店を覗いて回って、買う物だってバラバラなんだろう。これに決めた、って言った誰かの趣味が悪いと笑い合ったり、そう言いながらも釣られちゃったり。
(趣味が悪い筈のを、みんなで揃って買っちゃったりね)
 だって、遊びに行くんだから。買い物も遊びなんだから。「信じられねえよ」なんて笑う間に、何故だか素敵に思えてくるってことも充分ありそう。「いいかもなあ」って。
 無駄遣いなんかもするかもしれない、お小遣いはたっぷり持って来たから、って。気が付いたら残りがほんの少しで、バス代も危ないくらいだとか。
 そういう話はよく聞くから。
 ぼくの友達がやったわけじゃないけど、他の友達が買い物に出掛けてやらかした愉快な体験談。今の学校の先輩たちの噂だって聞いた、バス代まで使い果たして歩いて帰った話なんかも。



 考えるほどに楽しそうな買い物、友達と出掛ける町の真ん中。
(ハーレイの来ない日に誘われたんなら…)
 行ってみたかった、と思ったけれど。ハーレイに何か予定が入っている日だったら行けたのに、って残念な気持ちになったんだけれど。
(ちょっと待って…!)
 それじゃ、ハーレイに「来て欲しくない」って言ってるみたい。ハーレイに予定が入ってたら、って考えるなんて。ハーレイはわざわざ来てくれるのに。ぼくを訪ねて来てくれるのに。
(ハーレイを裏切ってるみたい…)
 明日はハーレイと会うっていうのに、友達と買い物に行きたいだなんて。ハーレイが来られない日だったら良かったのに、と考えるなんて。
 ハーレイはぼくの一番なのに。誰よりも好きで、好きでたまらないのに、ハーレイと会うよりも友達と買い物をしたかったかも、って思うだなんて。
 これじゃ、あんまり酷いから。どう考えても、酷すぎるから。
(ぼくって、最低…)
 ブルッと首を振って、追っ払った。買い物に行きたがってるぼくを。
 これじゃ駄目だと頭の中から、首をブンブンと横に振って。



 でも、夜になっても、また思い出して。
 行きたくなってしまった買い物、友達と出掛ける楽しそうな買い物。町の真ん中の大きなお店を覗いて回って、端から入って。自分の趣味とは違うものまで、ウッカリ買ってしまったりして。
(ぼくでも、きっと釣られちゃうんだよ)
 みんなと違って元気に走り回ったり出来ないくせして、スポーツ用の帽子を買っちゃうだとか。お揃いだよ、って大喜びで。被って出掛ける場所も無いのに。
 帽子で済んだらまだマシな方で、いつ使うんだか悩みそうな物まで買っちゃいそう。真面目とは言えない柄のノートとか、ふざけたデザインの文房具だとか。
(いっぱい買っちゃって、お小遣いの残りがバス代だけとか…)
 みんながそういう勢いだったら、ぼくだって巻き込まれていそうな感じ。「まだいけるぜ」って肩を叩かれて、「そうだよね!」って財布を開けちゃって。バス代があれば充分だよね、って。
 一度も行ったことのない買い物、友達と一緒に大散財。
 ぼく一人だと絶対やらない無茶な買い物、友達とだから出来る買い物。
 やっぱり行ってみたかった気がする、友達と都合が合ってたら。ハーレイが来ない予定の土曜日だったら、みんなと買い物。
 ハーレイを裏切るみたいだけれども、酷い考えなんだけど。
 それでも、ちょっぴり思ってしまう。みんなと買い物に行きたかったな、って。



 一晩眠って、土曜日の朝になったのに。ハーレイが来てくれる日の朝なのに。
 よく晴れてるから、ハーレイは颯爽と歩いて来る筈で、二人で夜まで過ごせる日なのに…。
(今日は買い物…)
 晴れて、絶好の買い物日和。みんなはバスで出掛けてゆく。傘が要らないから、うんと身軽に。雨に濡れないから、お店からお店へ移動するのも楽々で。
 だけど、ぼくは家でお留守番。みんなと一緒にお店を回りに行けはしなくて、この家で過ごす。ハーレイは訪ねて来てくれるけれど、ぼくの部屋と、庭のテーブルと椅子がせいぜいで…。
(買い物、楽しそうなのに…)
 みんなの待ち合わせ時間は何時だっけ、って溜息をついてしまいそうになる。ぼくはこの家から出られないのに、買い物になんか行けないのに。
「どうしたの、ブルー?」
 具合が悪いの、ってママに訊かれた。朝から元気が無いみたいだけど、って。
「ううん、なんでもないよ」
 ちょっと夜更かししちゃったから…。まだ眠いのかな、そんなつもりはないんだけど。
 大丈夫、部屋の掃除を始めたらシャキッと目が覚めるから!



 ママは「それならいいけど…」って言ってくれたし、パパも「夜更かしは駄目だぞ」って注意をしただけ。ぼくが心で何度もついてた溜息のことはバレなかったけれど。
(買い物に行きたかった、ってこと…)
 ママにまで気付かれちゃった、ぼく。
 ぼんやりしていた頭の中身はともかく、何処か変だ、って。
 こんな調子じゃ、今日は危ない。買い物のことは考えないようにしないと、ハーレイにも変だと思われる。具合が悪いのかと心配されたら、ぼくの良心が痛んじゃう。
 だって、病気になったんじゃなくて、ハーレイを裏切っているんだから。ハーレイと過ごすより買い物がいい、って酷いことを考えているんだから。
 ホントに酷いし、最低なぼく。恋人が訪ねて来てくれるのに。
 だけど頭から消えてくれない、みんなの楽しそうな顔。買い物しながら笑い合う顔。
 朝御飯が終わって、「御馳走様」って部屋に帰っても、掃除をしても。
 門扉の脇のチャイムが鳴って、ハーレイが手を振る姿が見えても。



 とっても危険なぼくの考え、ハーレイと会うよりも友達と買い物、って。
 もちろんハーレイと過ごせる方が嬉しいんだけど、買い物だって面白そうだと思うから。
(ハーレイに気付かれないように…)
 もう絶対に考えちゃ駄目だ、って買い物のことは頭の中から追い払ったのに。
 部屋に来てくれたハーレイとテーブルを挟んで向かい合わせに座って、お茶とお菓子で午前中をゆっくり過ごしていたのに、何かのはずみに目に入った時計。その針が指してる、今の時刻。
 みんなが待ち合わせをしていた時間はとっくに過ぎてて、もうバスは町の真ん中に着いて…。
(今頃、みんなは…)
 きっとお店に入ってる。買い物をしてるか、買い食い中か。何を買おうかと端から覗いて回っているのか、何処かのお店で品定め中か。
(素敵な物とは限らないんだよ)
 変な物とか、可笑しすぎる物とか、そういった物に捕まってしまって、ウッカリ財布をパカッと開けて。みんなで買おうと、揃ってお金を払っているとか…。
(そんな買い物も楽しいよね?)
 家に帰ってから「なんで買っちゃったんだろう」って、自分でも笑っちゃいそうな物。買ってた友達の顔を思い浮かべて、「みんな馬鹿だ」って大笑いしそうな傑作な物。



 考え始めたら、もう止まらない。
 ぼくの頭はお留守になってた、うわの空ですっかり心がお留守。ハーレイと話をしてることさえ忘れちゃってて、生返事。多分、「うん」とか、曖昧に返事してたと思う。
 暫くはそれで済んだんだけれど、とうとう「おい?」って訊かれちゃった。テーブルを軽く指で叩いたハーレイ、ぼくの注意を引くように。
「お前、具合でも悪いのか?」
 なんだか変だぞ、さっきからずっと。
「ううん、なんでもない…!」
 なんでもないよ、って慌てたけれども、もう手遅れで。
 ハーレイは鳶色の瞳でじっと見詰めて、ぼくの心まで覗き込むように。
「そうは全く思えないんだが…。いつものお前らしくもないし」
 俺の話に生返事なんて、どう考えてもおかしいぞ。
 身体は何ともないと言うなら、問題は心の方ってヤツか…?



 悩みがあるなら打ち明けてみろ、ってハーレイは真面目な顔だから。
 本当に心配してくれているって分かる顔だから、これ以上、嘘はつけなくて。知らないふりでは押し通せなくて、仕方ないからボソリと言った。
「…ぼく、ハーレイを裏切ったみたい…」
「はあ?」
 裏切ったって…。なんなんだ、それは?
「ハーレイより買い物を取っちゃったんだよ」
「どういう意味だ?」
 買い物だなんて、いつ買い物に行ったんだ、って怪訝そうなハーレイ。「俺が来た時に買い物で留守をしていたことは無い筈だが」って。
「ううん、本当に買い物に行ったってわけじゃないけれど…」
 頭の中で行ってたんだよ、心だけ出掛けていたんだよ。
 思念体で抜け出すっていうんじゃなくって、ただの想像。今のぼくは思念体にはなれないし…。
 こんな風かな、って想像していただけ。
 お店を回って、変な買い物なんかもしちゃって。



 どうしてそうなっちゃったのか、って心が買い物に出掛けた理由を話したら。
 ハーレイを裏切ってしまった理由も、「ごめん」ってきちんと謝ったら。
「なるほど、友達と買い物に行ってみたかった、と…」
 俺が来る予定が無かったら。来られない日だったら、そっちに行きたかったんだな?
 友達と買い物に出掛けたことが無いから、みんなと一緒にバスに乗って。
「うん…。ハーレイと会う方がいいに決まっているんだけれど…」
 だけど、買い物もしてみたかったな、って心がお留守になっちゃった…。
 ハーレイを二重に裏切っちゃったよ、買い物がいいな、って思ったことと、うわの空とで。
「そいつは別にかまわんが…。お前だって、遊びたい年頃だしな」
 俺の都合で来られない日もあったりするんだ、この次からは連絡してこい。
「何を?」
「お前の都合が悪いんだ、とな」
 俺が時々やっているのと同じ具合に、お前の方から断ってくればいいだろう。
 子供の予定は急に決まったりするもんだしなあ、前の日の夜でも俺は気にせん。明日は駄目だと連絡が来たって、次の日の過ごし方は色々あるさ。道場にも行けるし、ジムだってあるし。



 遠慮しないで断っていいぞ、とハーレイの許可は出たけれど。
 「そうすれば次は買い物に行けるだろ?」とお許しを貰えたんだけれども、ハーレイと会うのを断って買い物に行くなんて…。友達と出掛けてゆくなんて…。
(絶対、行けない…)
 もしも行ったら、今日の逆。買い物の最中に心がお留守で、友達に「どうした?」って訊かれてしまう。「なんか変だぜ」って、「気分が悪いんだったら言えよ?」って。
 だから、買い物は絶対に無理。友達と一緒に行くのは無理。
 変な物とか、可笑しな物とか、そういう物を買いには行けない。大散財でバス代だけしか残ってないとか、悲惨な末路を迎えるのも。
(でも、買い物…)
 ぼくの心を捕まえた買い物、どうしてそれをしてみたいのか、ってことになったら。
 突き詰めてみたら、パパやママ抜きの買い物ってことで、だけど一人の買い物じゃなくて。
 パパやママじゃない誰かが一緒で、それが楽しそうってことだから。
 変な物は別に買わなくてもいいし、大散財でなくてもいいし…。
 要は誰かと一緒に買い物、パパやママとは違う誰かと買い物をしたいだけなんだから…。



(そうだ、ハーレイ…!)
 ハーレイと買い物に行けばいいんだ、って気が付いた。友達じゃなくて、ハーレイと。
 二人でお店を覗いて回って、目的の買い物の他にも色々眺めて。こんなのがあるとか、こういう物も売られているんだと見ているだけでも充分楽しい。
 ハーレイと二人で出掛けるんなら、変な物なんかは買わないけれど。可笑しな物だって買ったりしないし、大散財だってしないけど。
 だって、ハーレイが必要な物を買うだけだから。それのオマケで、ぼく用の物があったら買うというだけだから。
 でも、買い物には出掛けられるし、お腹が空いたら食事だって出来る。歩き疲れたら、ちょっと休憩、って一休みしてジュースとかだって。
 友達との買い物にこだわらなくても、ハーレイと出掛けられればいい。それならハーレイと同じ予定で動けるんだし、ハーレイを断らなくてもいいし…。
 それに決めた、って浮かんだ名案。ハーレイと買い物をしに行こう、って。
 だから…。



「ねえ、ハーレイが連れて行ってよ」
 ハーレイと会う予定を断る代わりに、ハーレイがぼくを連れてってよ。
「何処へだ?」
 お前を何処へ連れて行くんだ、この俺が?
「買い物だよ!」
 何でもいいから、ハーレイと買い物。ハーレイが買い物に行くついでに。
 文房具だとか、柔道で使う物だとか…。そういう物は町の真ん中まで買いに行くでしょ、ぼくも一緒に連れて行ってよ。
 ぼくの買い物はしなくていいから。出掛けたついでに何か見付けたら、買うだけでいいから。
「駄目だな、お前と買い物なんかは」
 文房具だろうが、柔道のだろうが、御免蒙る。どうしてお前を連れて行かねばならんのだ。買い物に行くなら一人で出掛ける、俺はガキではないんだからな。
「なんで?」
 二人一緒だと楽しいと思うよ、ハーレイだって。文房具だったら、どれがいいか意見を訊いたり出来るし、柔道で使う物なら、ぼくに色々と知識を披露できるでしょ?
「それはそうだが…。それこそデートというヤツだろうが」
「え?」
 ただの買い物だよ、デートじゃないよ。お腹が減ったら食事もするかもしれないけれど…。喉が乾いたら、ジュースも飲むかもしれないけれど。
「おいおい、お前の頭の中では、デートと言ったら食事だけなのか?」
 違うだろうが、買い物に行くのもデートの内だぞ?
 俺の持ち物を買うにしたって、お前が一緒にくっついていれば、そいつは立派なデートだが?
 二人で店を見て回ったり、ついでだからと食事してれば、もう充分にデートだがなあ…?



 嘘、って思った、ぼくだけれども。
 よく考えたら、ホントにハーレイの言う通り。ハーレイと二人で買い物に出掛けて、目的の物を買った後には食事をしたり、ジュースを飲んだり。
 友達と行くなら遊びだけれども、それを恋人とやっていたら…。
「…デートだね…。ハーレイと買い物して、食事…」
 前に何処かで食事をしたい、って強請ったら「それはデートだ」って言われたけれど…。
 買い物のついでに食事するのも、それと同じでデートになるよね…。
「間違いないだろ?」
 それにだ、さっきも言った通りに、二人で買い物に行くってヤツ。
 そいつは立派にデートなんだぞ、食事に行くのと同じくらいに。
 自分の物を買いに行くから付き合ってくれ、って連れて行くにしても、恋人同士で店に行くのはデートの内に入るんだよなあ、恋人同士だからこそだしな?
 赤の他人と買い物に行きはしないだろうが。自分用の物を買おうって時に。



 買い物に行くのも、立派なデート。そう聞いちゃったら、余計に行きたい。
 友達と一緒に変な物とかを買いに行くより、ハーレイと買い物に行きたくなって。
「いつか、買い物…」
 連れて行ってよ、買い物もデートだって言うなら、いつか。
「いつかはな」
 お前が大きくなってからだな、チビの間は話にならん。まずは大きく育たないとな。
「んーと…。先生と生徒でも、買い物は駄目?」
 ぼくは柔道部の部員じゃないから、柔道の物は駄目かもだけど…。
 文房具とかなら、ハーレイも学校で使う物だし、ぼくが一緒に行くのは駄目…?
「お前、そういうのが楽しいのか?」
 俺が文房具の店に出掛けて、教師用のノートとかを選んで。
 教材用にとこれをこれだけお願いします、と注文する横に制服を着て突っ立ってるのか?
 学校でそれの係なんです、って顔して、真面目に。
 俺の仕事に付き合ったからには、ジュースくらいは御馳走するがな。だが、それだけだぞ?
 用が済んだら、俺はお前とサッサと別れて家に帰ってしまうんだがな?
「…楽しくないね…」
 ハーレイが家まで送ってくれるんだったらいいけれど…。お店でお別れなんだよね?
「当たり前だろうが、なんで家まで送らんといかん」
 教師と生徒で買い物に行くなら、学校の用事の延長だぞ?
 余計な売り場を覗く暇なんぞも無いな、目的の物を買ったら終わりだ。



 俺と一緒に買い物に行くのはお楽しみに取っておけ、って言われちゃった。
 いつか買い物でデートでいいだろ、って。
「買い物でデートって…。何を買いに行くの?」
 変な物じゃないよね、ハーレイはとっくに大人なんだし…。デートに行く頃には、ぼくも大きくなってるわけだし。
 でも、まだ変な物を買いたい年かもしれないけれど…。
「まあなあ…。十八歳だと、まだまだ変な物も買うんだろうなあ…」
 これがハーレイに似合いそうだ、って変なシャツを押し付けられそうな気もしないではない。
 お揃いで着ようっていうわけじゃなくて、単にお前が笑いたいだけで。
 そして如何にもやりそうな気がする、今のお前は前のお前じゃないからな。うんと幸せに育った分だけ、とんでもないことも言い出しそうだ。
 是非着てくれ、と押し付けられたら、俺はもちろん着てやるが…。
 そいつを着込んで町も歩くし、ドライブにだって行ってやるがだ、学校は勘弁してくれよ?
 俺にも教師の威厳ってヤツが必要だしなあ、流石に学校で変なシャツはな…。
「ハーレイ、変なシャツでも着てくれるんだ?」
 ぼくが選んだら、誰が見たって笑うシャツでも。可笑しくて笑い転げるシャツでも。
「それでこそ恋人ってモンだろうが」
 そこで怒って着ないようでは、心が狭くて話にならん。
 しかしだ、もっと真っ当な物も、お前と買いに出掛けないとな。



 あれこれ約束してるだろうが、って。
 結婚したら二人お揃いで持ちたい物とか、家に置きたい物だとか。
 結婚してから買ってもいいけど、結婚前には一杯、買い物。二人一緒に暮らし始めたら、直ぐに色々使えるように。お揃いのお茶椀とか、お箸とか、他にも、もっと。
「それって、とっても忙しそうだね…」
 お茶椀だけでも迷いそうだよ、どれにしようか、あちこちお店を覗いて回って。
 やっと決めたら次はお箸で、もっと他にも一杯買わなきゃいけなくて…。
 買い物でデートをしてると言うより、買い物だけでヘトヘトになってしまいそうだけど…。
「そうならんように、計画を立てておかんとなあ…」
 今日の買い物はこれとこれで、といった具合に、回りやすいように。
 途中で休憩するための店も、食事する店もきちんと予約を入れておくとか…。
 だが、安心しろ。
 必要な物を選びに出掛ける買い物にもいつかは行かなきゃならんが、その前にもちゃんと連れて行ってやるさ。お前が可笑しなシャツを見立ててくれそうなデートに、ゆっくりとな。
 他にも買い物は色々できるぞ、いろんな所で。



 買い物をするためのデートじゃなくって、普通のデート。
 それの途中で見付けたお店で、ちょっとしたものを買ってみるとか。
 ハーレイの車でドライブに出掛けて、通り掛かった場所や行き先でお土産物とか。
「お前の買い物、そういうトコから始めるんだな」
 そうやって買い物をするのに慣れたら、買い物デートだ。二人で街に繰り出そうじゃないか。
 変なシャツを選んでくれるんだったら喜んで着るし、恨みもしないぞ。
 学校に着ては出掛けられんが、お前と一緒に出掛ける時には着てやるからな。お前が笑い転げていようが、周りのヤツらが俺のセンスを疑おうが。
「うん、お小遣い、貯めておくよ!」
 ハーレイと沢山買い物をしなきゃいけないから、財布が空っぽにならないように。
 結婚する前の買い物をする時にお金が足りなくて困らないように、今からきちんと。



 頑張って沢山貯めておくね、って宣言したのに、プッと吹き出しているハーレイ。
 ぼくのお財布、空っぽになると思ってるんだろうか、大散財で。
「笑わなくてもいいじゃない!」
 ハーレイに変なシャツを買っても、ぼくはお金を全部使ったりしないから!
 バス代だけしか残らないような、そんな使い方はしないように気を付けるから!
 だって、買う物、一杯あるし…。
 結婚する時までに買わなきゃいけない物のお金は、残しておかなきゃいけないんだから…!
「お前、その金、全部自分で払うってか?」
 それだと俺の立場が無いぞ?
 俺と一緒にデートに出掛けて、お前が財布を出してるんじゃなあ…。
 変なシャツくらいは買ってくれてもかまわないがだ、その他のヤツは俺が支払う。変なシャツの金だって俺が払ってかまわないなら、俺が自分で買うんだがな?
「でも…。お金、買い物に行ってる友達とかは…」
 全部、自分で払ってるんだよ、今日だって。
 バス代だけしか残らなくなっても、買い物に行くなら自分でお金を払うものでしょ?
「そいつらは遊びに行ったんだろうが。デートじゃなくて」
 遊びとデートじゃ違うってもんだ、デートとなったら俺が払うのが筋だってな。
 変なシャツだけは是非買いたい、と言うんだったら止めはしないが、お前が自分の財布から金を出すのはそういう時くらいで充分なんだ。
 お前は俺よりうんと若いし、自分で稼いだわけでもないだろう?
 俺は自分で稼いでいる上、お前より遥かに年上なんだ。デートの時には俺が払わんとな、食事もそうだし、買い物にしても。



 ドライブに出掛けてパパやママにお土産を買おうって時にも、ハーレイが買ってくれるって。
 ぼくのお財布の出番はいつになるんだろう?
 ハーレイに変なシャツを買ったら、それでおしまいになるんだろうか?
「そうだな、変なシャツの他にとなると…。迷子になった時かもな」
 ドライブにしても、何処かへデートに行った時にしても。
「迷子?」
 えーっと…。それって、ぼくが一人で家まで帰るための交通費?
 ぼくは勝手に帰ったりしないよ、ハーレイを置いて。
「そりゃそうだろうが。俺もお前を見付けてやりはするが、それまでの間だ」
 一人きりでも腹は減るだろ、喉も乾くし。
 そういった時に、自分で何かを食べたり飲んだりする分の金は、お前の財布から出すんだな。
 俺が側にはいないわけだし、自分で払うしかないだろうが。
「それはそうかも…」
 ハーレイがいないなら、ぼくが払うしかないもんね。
 見付けて貰えるまでの間に、お腹が空いたら、パンを買ったり、ジュースを飲んだり。



 もしもデートで迷子になったら、自分の財布から食べる物と飲み物を買うお金。
 ぼくが使うお金はたったそれだけ、後はハーレイに変なシャツを買ってあげる分だけ。それだと少しもお金は減らない、本当にほんの少しだけ。
 食べ物と飲み物の分のお金も、ハーレイに買ってあげた変なシャツのお金も、またパパたちからお小遣いを貰って元に戻っていそうだから。
「…ぼくのお小遣い、減らないよ?」
 減った分だけ、またお小遣いが貯まりそうだし…。ぼくのお小遣い、減らないんだけど…。
「なあに、その内、お父さんたちから貰う生活も終わりだってな」
 嫁に来ちまったら、もうお小遣いは貰えんだろうが。
 お前の面倒は俺が見るんだし、お父さんたちはお役御免だ。
 たまに貰えることはあっても、今と同じようにはいかないってな。



 だからきちんと貯めておけよ、って笑うハーレイ。
 迷子になった時に備えて、って。
「…結婚しても迷子?」
 いつもハーレイと一緒にいるのに、それでも迷子になっちゃうと思う?
 デートならまだ分かるけれども、結婚した後に迷子だなんて…。
「分からんぞ?」
 十八歳で結婚するなんて言ってるんだし、俺に変なシャツを買いそうな年で結婚だろうが。
 まだまだ子供だ、迷子になることも充分有り得る。
 もっとも、結婚した後の、お前の財布。
 何度も迷子になった挙句に空になったら、俺が元通りにきちんと補充をしてやるんだがな。



 財布が空っぽになりはしないから、安心して迷子になってくれ、って片目を瞑られたけど。
 迷子になってお腹が空いたら、美味しいものを沢山食べてもいいらしいけど。
 ハーレイがぼくを見付けてくれるまで、のんびり出来るお店で、いろんなものを。
 ぼくのお財布の中身で色々、食べたり、飲んだり。
 いつかはハーレイと二人で買い物、ぼくのお財布の出番は迷子になった時だけ。
 結婚した後も、迷子の時だけ。
 でも、きっと迷子にはならないと思う、ハーレイと結婚した後は。
 デートの時だと分からないけど、結婚したら。
 だって、ハーレイと手を繋いで歩いてゆくんだから。
 結婚したらずっと一緒で、ハーレイと二人、何処までも歩いてゆくんだから…。




           買い物・了

※友達に買い物に誘われたブルー。けれど休日はハーレイと過ごす予定で、行くのは無理。
 いつかはハーレイと買い物ですけど、それは楽しいデートになりそう。買う物も一杯。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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(おっ…?)
 ハーレイの目に留まったシュークリーム。
 ブルーの家には寄れなかった金曜日の帰り道、いつもの食料品店で。パンと一緒にちょっとしたケーキやシュークリームを置いている場所もあるのだけれども、それとは別の特設売り場。
 店の入口から近い所にショーケースが据えられ、それは色々なシュークリームたちが出番待ち。声を掛ければ専用の箱に詰めて貰える、人気の店のシュークリーム。
 中のクリームの味も様々なら、形の方もバリエーション豊か。小さなものから大きなものまで、白鳥の形に仕上げたものも。焼き色はとても美味しそうだし、中から覗いたクリームだって。
 店の名前もよく耳にする。素材にこだわる評判の店。特設売り場は今週末まであるそうだから。
(ブルーに…)
 小さなブルーへの土産にいいな、と覗き込んだ。
 ブルーの母もシュークリームを焼いたりするから、重なってしまうかもしれないけれど。それに手作りの菓子と比べてしまうようで悪い気もするけれど、これは特別。
(人気の店です、って言えばいいしな?)
 話題作りに持ってゆくなら、きちんと断れば問題無いから。小さなブルーに買ってやろうと決心した。明日の朝に寄って、買ってゆこうと。



 そうと決めたら、試食もしておくべきだから。一番人気だというカスタードと生クリーム入りのシュークリームを買って、パンフレットも貰って帰った。何を買って行くか検討しようと。
 夕食の後で片付けを済ませて、愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー。シュークリームの皿と一緒に書斎に運んで、コーヒー片手に、早速、試食。
(これはなかなか…)
 絶妙な焼き加減のシュー皮、中のカスタードも生クリームも評判どおりに美味なもの。甘いのに少しもくどくない。幾つでも食べられそうな味。コーヒーのお供に、三つも四つも。
(もっと買っても良かったなあ…)
 他の味のものを。チョコレートだとか、イチゴが入ったものだとか。
 こうなってくると、ブルーへの土産に何を買うかも悩ましい。大きさや形で決めればいいか、と単純に考えていたのだけれども、味も考慮に入れなくては。ブルーが喜びそうな味。
 もっとも、ブルーは好き嫌いなど無いのだけれど。弱い身体や年齢からして、如何にも多そうな好き嫌い。それが全く無いのがブルーで、その点に関しては自分も同じ。
 幼い頃から、まるで無かった好き嫌い。前の生で食料事情に悩まされたからか、アルタミラでの餌があまりに酷すぎたのか。多分、そういったことが今も影響しているのだろう。



 好き嫌いの無いブルーだからこそ、何を買おうか迷ってしまう。一番人気のものを選ぶか、他の味のにしてみるか。それとも形や大きさで選ぶか、なんとも決め難いシュークリーム。
(どれにするかな…)
 普通の形のシュークリームもいいし、白鳥の形もブルーが喜びそうではある。可愛らしいと。
 専門店ならではの大きなシュークリームもいい。普通のものなら三個くらいになりそうなのも。中のクリームの味になったら本当に色々、どうしようかとパンフレットを眺めていたら。
 ふと目についた、クロカンブッシュ。小さなシュークリームを円錐形に積み上げたもの。それは本店のみでの販売、注文して作って貰う品。店に行っても並んではいないクロカンブッシュ。
 好みの味と、積み上げるシュークリームの数とを決めてご注文下さい、と書かれてあった。



(ほほう…)
 SD体制が始まるよりも遠い遥かな昔の地球。
 クロカンブッシュは、フランスという国の伝統的なウェディングケーキだったという。結婚式の他にも誕生日や祝い事のためにと作られていた、小さなシュークリームを積み上げたタワー。
 積んだだけでは崩れてしまうから、飴などで固めて高くしてゆく。シュークリームの塔の高さが高いほど幸せがやって来るから、高く積み上げるものだとも。
 円錐形の塔の天辺には、新郎新婦の像を据えたり、飴細工の薔薇やドラジェを飾ったり。
 結婚式では、新郎新婦がクロカンブッシュを小さな木槌で割ってゆく。結婚式に出てくれた人にシュークリームを一つずつ配り、皆に祝福して貰えるように。
 今の時代も、かつてフランスがあった辺りの地域では結婚式用に人気が高いクロカンブッシュ。誕生日などの祝い事にもよく使われる、と書かれたパンフレット。
 伝統のお菓子は如何ですかと、ご注文に応じてお作りします、と。



 小さなシュークリームを積み上げて出来た、円錐形の食べられるタワー。遥かな昔のフランスで生まれたウェディングケーキ。
(クロカンブッシュなあ…)
 食べたことは無いけれど、写真は何度も見たことがあった。そういう菓子だと思っていたから、由来を考えもしなかった。シュークリームで作った塔だと、幾つも積み上げてあるのだと。
 白鳥の形のシュークリームと同じで、シュークリームの形のバリエーション。そうだと今日まで思い込んでいたのに、伝統あるウェディングケーキだったとは。
(菓子の歴史までは、俺の守備範囲じゃないからなあ…)
 気が向いたら調べてみる程度。クロカンブッシュは自分のアンテナに引っ掛からずに来たから、知らずに過ごしていたらしい。由緒あるケーキだったのに。
(俺が出席した結婚式のケーキは、どれも普通のケーキだったしな…)
 何段にも重ねた真っ白なウェディングケーキや、新婦の手作りの大きなケーキや。結婚式の度にウェディングケーキを見て来たけれども、クロカンブッシュは見なかった。
 地味だからだろうか、純白の生クリームで飾ったものやら、細かい細工が美しいシュガーケーキなどとは違って。シュークリームを積んだ塔では、飾り立てるにしても限度があるし…。



 けれどもパンフレットのクロカンブッシュに妙に惹かれる。写真よりも、その由来の方に。
 新郎新婦が木槌で割るとか、参列者に配るものだとか。
 このパンフレットで初めて知った筈なのに。ウェディングケーキだとも思っていなかったのに。
(…何処かで見たのか?)
 結婚式で一度も見ていないからには、映画かドラマ。自分でもすっかり忘れているだけで、その手のもので見たかもしれない。結婚式とパーティーの区別もついていないような子供の頃に。
 そんなものかと思ったけれど。他に心当たりは全く無いから、記憶に残らないほど遠い昔。幼い自分が見たのだろうと、両親と一緒に映画かドラマだと考えたけれど。
(それにしては…)
 心に引っ掛かり過ぎる。ただ掠めてゆくだけの欠片とは違う、ただの記憶の断片とは。
 クロカンブッシュを木槌で割るのも、集まった人々にシュークリームを配るのも。式の参列者に一つずつ。クロカンブッシュを割って外した、小さなシュークリームを一人に一つ。



(味まで思い出せそうな気が…)
 配られたシュークリームの味を。中のクリームや、皮にくっついた塔を固めていた飴の味やら、クロカンブッシュを形作っていた小さなシュークリームの味を。
 自分は出会ったことも無いのに、映画かドラマでチラと目にしただけなのに。
(食い意地が張っているにしたって、程があるぞ)
 子供だった頃の自分の瞳には、クロカンブッシュが魅力的に映ったというのだろうか。あの塔を壊して食べてみたいと、きっとこういう味がするのに違いないと。
(三つ子の魂百まで、と言うにしたってなあ…)
 意味合いは少し違うけれども、子供時代の鮮烈な体験だったら、記憶に残りもするだろう。苦笑するしかないけれど。なんと食い意地の張った子供かと、味まで想像していたのかと。
(おふくろに強請ればよかったのにな?)
 頼めば作って貰えたと思う、子供でも食べ切れそうなサイズのクロカンブッシュを。菓子作りが得意な母のことだから、強請りさえすれば数日の内に。早ければ次の日にでも出来ていそうな母の手作りのクロカンブッシュ。
(…なんで頼まなかったんだ?)
 頼めない理由でもあったのだろうか、父に叱られた直後だったとか。それとも母につまみ食いがバレて、おやつ抜きの刑でも食らっていたというのだろうか?



 それにしたって、ほとぼりが冷めれば頼めそうな気がするクロカンブッシュ。この年になっても思い出せるのだし、どうして頼まなかったのだろう。作って欲しいと、母に一言。
 味まで思い出せそうなのに。中のクリームも、皮にくっついた飴の味も…、と思った途端。
(シャングリラか…!)
 知っている筈だ、と鮮やかに蘇って来た記憶。小さなシュークリームの味。
 前の自分が暮らしていた船、あの船にあった、クロカンブッシュが。シュークリームを高く積み上げた塔が、飴で固めて作られた塔が。
 自分はそれを食べたのだった。木槌で割られて、配られた小さなシュークリームを。シュー皮についた飴の味の記憶も、クリームの味も本物の記憶。前の自分が食べたのだから。
(これはブルーに…)
 買わねばなるまい、クロカンブッシュを真似られるような小さなシュークリームを。本物よりは小さいけれども、積み上げて見せられるシュークリームを。
 土産に何を買ってゆくかは、もう決まった。大きなカップに幾つも詰められたシュークリーム。味は色々あるようだけれど、一番人気のもののミニサイズでいいだろう。試食用にと買って帰った生クリームとカスタード入りの、これと同じ中身のシュークリームで。



 翌日、クロカンブッシュの記憶を大切に抱いて、ブルーの家へと歩いて出掛ける途中に、昨日の食料品店へ。シュークリームの特設売り場の前に立ち、ショーケースの中を指差した。
 「一つ下さい」と、小さなシュークリームが詰まったカップを。ブルーと二人で食べるには量も丁度いいサイズ、目的のものも充分に作れるサイズ。シュークリームを積み上げた塔を。
 店のロゴ入りの紙袋に入れて貰ったそれを提げて、生垣に囲まれたブルーの家に着いて。門扉の脇のチャイムを鳴らして、出て来たブルーの母に紙袋を渡した。「買って来ました」と。
 人気の店が来ていたので、と詫びを言うのも忘れなかった。菓子作りが得意なブルーの母には、菓子の手土産は失礼だから。
「それから、出して頂く時なんですが…。取り皿の他に、大きな皿をつけて頂けますか?」
 このシュークリームを積み上げたいので、そのための皿が欲しいんですが。
「あら、クロカンブッシュになさるんですか?」
 よろしかったら作りましょうか、と訊かれたから。
 実はシャングリラの思い出なのだ、と正直に答えた。前の自分とブルーが生きていた船にあった菓子だと、だから自分の手で積みたいと。
 ブルーは忘れているだろうから、目の前で積んで見せたいのだと。
「それもあって、買って来たんです。ご面倒をおかけしますが…」
「いいえ、きっとブルーも喜びますわ」
 お気遣い下さってありがとうございます。大きなお皿、持って行きますわね。



 それから間もなく、二階のブルーの部屋に運ばれて来た紅茶とシュークリーム。テーブルの上にティーポットとカップ、シュークリーム用の取り皿と、それとは別に大きな皿が一つ。
 ブルーの母が「ハーレイ先生のお土産よ」とシュークリーム入りのカップを置いて行ったから。
「買って来てやったぞ、いつもの店で売ってたからな」
 日曜日までの出店なんだ。昨日、試食用にと買ってみたんだが、美味かったぞ。
「ホント? ここのシュークリーム、人気なんだってね!」
 お店の名前を聞いたことがあるよ、ぼくは食べたことが無いんだけれど…。
 ハーレイが食べて美味しかったんなら、もう絶対に美味しいよね!
 でも、なんでお皿が余計にあるの?
 取り皿があれば充分なように思うけど…。先にそっちのお皿に入れるの、カップの中身を?
「そのデカイ皿か? そいつにはちゃんと意味があるのさ、だから頼んだ」
 お前のお母さんには直ぐに通じたが、お前の方はどうだかなあ…。
 まあ、見てろ。この皿はこう使うんだ。



 シュークリーム入りのカップの蓋を開け、中から一つ取り出して皿へ。その隣へと、また一つ。
 幾つか使って小さな円が出来たら、その上へ次のを積んでゆく。二段目が出来たら、三段目を。
 カップの中身は沢山あるから、四段目も五段目も作れそうで。
 バランスが崩れないよう、三段目を均等に積み上げていたら、ブルーが首を傾げて尋ねた。
「それ、なあに?」
 シュークリームを積み上げて行ったら何か出来るの、そうなの、ハーレイ?
「出来るとも。本当はこんな風に積むだけじゃなくて、崩れないように工夫するんだが…」
 飴なんかで固めてやるんだがなあ、知らないか?
 クロカンブッシュって名前の菓子でな、シュークリームで出来た塔なんだが。
「んーと…」
 そういう名前は知らないけれども、言われてみたら見たことあるかも…。
 お菓子屋さんに飾ってあったよ、本物かどうかは分からないけど。シュークリームは砂糖菓子と違って長持ちしないし、作り物だったかもしれないけれど…。
 ちょっと美味しそうって思ったんだっけ、シュークリームの塔だったから。



 見掛けただけで食べたことはない、と答えるから。
 クロカンブッシュという名前の方も初耳だった、と積まれたシュークリームを見ているから。
「本当にそうか? お前、知らないのか、クロカンブッシュを?」
 これから四段目を積むんだが…。食ったことも無ければ、名前も知らん、と。
「うん。だって、お店で見ただけだもの」
 飾ってあったけど、お菓子の名前は無かったし…。買って貰ったわけでもないし。
 ずいぶん高く積んであるよね、ってシュークリームを見ていただけだよ。
「なるほどなあ…。だったら、前のお前はどうだった?」
「えっ?」
 前のって…。前のぼくのこと?
「他に誰がいるんだ、前のお前というヤツが。ソルジャー・ブルーだったお前の他に」
 前のお前は知ってた筈だぞ、クロカンブッシュの名前も、味も。
 シャングリラで作っていただろうが。これよりはデカいシュークリームだったが、普通のよりは小さめのヤツを塔みたいに高く積み上げて。壊れないよう、飴で固めて。
 結婚式と祝い事の時に作った菓子だが、お前、やっぱり忘れていたのか…。
「ああ…!」
 そういえばあったね、クロカンブッシュ。
 だからハーレイ、シュークリームを買って来てくれたんだ?
「そういうことだ。…もっとも、俺も忘れてしまっていたがな」
 土産にシュークリームを買って行くか、と試食用のを買って帰って…。パンフレットを見ながら何を買おうかと考えていたら、クロカンブッシュが載っていてな。
 注文して作って貰うらしいが、そいつが気になって仕方なかった。食った覚えも無いのにな。
 どういうことだ、と不思議だったが、前の俺が食っていたってわけさ。



 白いシャングリラで一番最初に結婚式を挙げた恋人たち。アルタミラからの脱出組で、長い時をかけて育んだ恋。
 シャングリラの改造も無事に終わって、ミュウの楽園が出来たから。自給自足の白い鯨で暮らす限りは、何の心配も無くなったから。
 結婚したい、と言い出した二人。華やかな式は要らないけれども、二人で生きてゆきたいと。
 反対する理由は何も無かったし、白い鯨には二人用の部屋も出来ていたから、其処へ移れば結婚生活が始まるけれど。直ぐにでも結婚出来るのだけれど、祝福したいと誰もが思った。せっかくの結婚なのだから。本当だったら、ウェディングドレスも要るのが結婚式だから。
 けれど、シャングリラではウェディングドレスは作れない。たった一度しか袖を通さない贅沢な衣装は流石に無理で、次のカップルのために残しておいても、サイズが違えば役に立たない。白いドレスは諦めざるを得ず、結婚式は普通の制服で。
 そんな調子だから、出来る範囲で二人の結婚を祝う何かを、と皆が声を上げた。何かしたいと、二人のために特別な何かをして祝福を、と。



 自給自足の船の中では、工夫出来そうなものは食べる物。
 結婚式にはウェディングケーキが登場するから、とケーキを作ろうという話もあったけれども。それが一番良さそうだ、と決まった所で、ヒルマンとエラがクロカンブッシュを持ち出した。遠い昔のフランスのウェディングケーキだったらしい、とデータベースで調べて来て。
「高く積み上げるほど幸せが来ると言うのだよ。クロカンブッシュは」
 船の人数分を積み上げれば高くなるじゃないかね、とヒルマンが言って、エラからも。
「ケーキを作れば、均等に分けるのに困りそうですが…。クロカンブッシュなら簡単です」
 同じ大きさのシュークリームを積むのですから、一人一個ずつ。とても公平だと思います。
 それに、祝福の気持ちも溢れるでしょう。結婚する二人が一つずつ割って配るのですから。
「いいねえ、そいつは楽しそうじゃないか」
 うんと賑やかな結婚式になるよ、とブラウが賛成、ゼルも「そうじゃな」と頷いた。
「皆に一つずつじゃ、割るのも時間がかかりそうじゃぞ。その間は式が続くんじゃからな」
 結婚式にはピッタリじゃわい、と長老たちの意見が揃って、作ると決まったクロカンブッシュ。人数分の小さなシュークリームを積み上げ、飴で固めて作ったタワー。
 結婚式の日に新郎新婦が二人一緒に木槌を手にして、割って配って、皆が二人を祝福した。一つずつ配られたシュークリームを頬張り、二人の未来が幸福なものであるように、と。
 クロカンブッシュの評判は良くて、それからは結婚式の度に作った。結婚式は滅多に無いから、他の祝い事の時にも作られていたクロカンブッシュ。皆で賑やかに祝いたい時に。



「そうだったっけ…」
 これはみんなでお祝いしなくちゃ、ってことになったら作っていたね。
 普通のケーキの時もあったけど、クロカンブッシュは特別だっていう感じがしたものね…。
「俺が作るって話は覚えているか?」
「ハーレイが?」
 クロカンブッシュを作るって言うの、そんな話があったっけ…?
「あったぞ、そいつも是非とも思い出して欲しい所なんだが…」
 前のお前と話していたんだ、クロカンブッシュを作ろうとな。
 いつかシャングリラで地球に辿り着いて、人類がミュウの存在を認めてくれたら。もうあの船の中だけで生きなくてもよくて、ミュウが地上で暮らせる時がやって来たなら。
 その日が来たなら、ソルジャーもキャプテンも要らなくなるから、もう俺たちは必要無い。
 実は恋人同士だったと明かしてもいいし、それを明かせる日が来たら…。
「作るんだっけね、クロカンブッシュ…」
 ぼくとハーレイの結婚式のための、うんと大きなクロカンブッシュを。
「そうだ、俺がまた厨房に戻ってな」
 俺たちのためのクロカンブッシュを作れる頃には、仲間だってぐんと増えてるんだろうが…。
 たとえ何人に増えていようが、俺が一人で作るんだ。シュー皮も、中のクリームも。
 固めるための飴もたっぷり鍋で作って、ついでに飾りの飴細工もな。



 ソルジャーもキャプテンも要らなくなったら、前の自分たちの仲を明かして。
 そうして二人で積もうとしていた、仲間の数と同じだけの小さなシュークリームを。ハーレイが作ったシュークリームを二人で積み上げ、ハーレイが作った飴で固めながら。
 クロカンブッシュは高く積むほど幸せが来るというから、公園の天井にまで届いたとしても。
 空を飛べた前のブルーはともかく、ハーレイは梯子をかけて登って積まねばならない高さでも。
 そんなクロカンブッシュを夢見た、いつか二人で作りたいと。
 地球に着いたら、ずっと恋人同士だったと明かしてもいい日が訪れたなら、と。
 白いシャングリラでクロカンブッシュが配られる度に。
 祝いの小さなシュークリームが一個、青の間やブリッジに届く度に。
 何を祝うためのものであっても、ソルジャーとキャプテンには必ず届けられた祝福のための菓子だったから。
 ほんの内輪の祝い事で作られたクロカンブッシュでも、必ず一個、届いていたから。



「ハーレイとぼくのクロカンブッシュ…。作れなかったね」
 いつか作ろうって言っていたのに、作れないままで終わっちゃったね…。
「お前がいなくなっちまったしな」
 俺が思ってたのとは違う形で逝っちまった。
 お前を見送るつもりだったのに、その後で俺も追い掛けていくつもりだったのに…。
 クロカンブッシュは作れなくても、俺たちは何処までも一緒だってな。



 ブルーの寿命が尽きてしまうと分かった後には、とても辛かったクロカンブッシュ。
 作りましたから、と木槌で割られて、それぞれに一個ずつ届けられる度に。
 小さなシュークリームが配られる度に、悲しみが心に溢れてきた。
 自分たちはこれを配れはしない、と。二人で夢見たクロカンブッシュを作れる日は来ず、割って配れる日も来ないのだと。
「お前の寿命が尽きちまう、って分かっちまったら、もう夢なんかは見られないしな…」
 クロカンブッシュは作れないんだ、って分かっているのに、祝い事があったらシュークリームが届くんだ。あれが辛かったな、見る度に悲しくなっちまったが…。
 それでも祝福の菓子だったからな、悲しんでいないで祝ってやるのがキャプテンだしな?
「うん、ぼくたちには届くんだよ。どうか祝福して下さい、って」
 ぼくはソルジャーだし、ハーレイはキャプテンだったんだし…。
 誰だって祝福して欲しいものね、他の誰よりも前のぼくたちに。
 そうなんだ、って分かっていたから、「おめでとう」ってお祝いしていたけれど…。
 ちゃんと幸せを祈っていたけど、あれはホントに辛かったよね…。



 白いシャングリラの仲間たちは誰も、本当のことを知らなかったから。
 ハーレイもブルーも、クロカンブッシュの小さなシュークリームを貰いたいのではなくて、配る方になりたかったのだ、ということに気付きもしなかったから。
 クロカンブッシュが作られる度に、ハーレイにもブルーにもシュークリームが一つずつ。祝福を願う小さなシュークリームが。
「お前、いつでも残していたよな、俺が行くまで」
 いつも食べずに取っておくんだ、クロカンブッシュのシュークリームが届けられる度に。
「うん…。ハーレイと一緒に食べたかったから」
 でも、ハーレイの分のシュークリームは青の間には届かなかったしね…。当たり前だけど。
 ハーレイの分はブリッジに届くか、お祝いの席で貰って食べるか、どっちかだもの。
「お前の分を二人で食ってたっけな」
 小さいのをナイフで二つに切って。俺が半分、お前が半分。
「ハーレイと一緒にお祝いに出席できない時にはね…」
 出席したくても、身体が言うことを聞かなくなっちゃった後は、いつも半分ずつだったよね。
 だけど、その方が嬉しかったよ、ハーレイと二人きりだから。
 ハーレイと二人でクロカンブッシュのシュークリームを食べられるんだから。
 ぼくたちは配れないんだけれど…。
 配れないままで、クロカンブッシュを作れないままで、ぼくの寿命は尽きちゃうんだけど…。



「作れなかったことは仕方ないんだが…。それは俺にも分かってたんだが…」
 お前の寿命は尽きちまうんだ、って覚悟はしてたというのにな。
 その後のことも決めていたのに、お前だけ先に行きやがって。
 俺をシャングリラに一人残して、追い掛けていくことも出来ないようにしやがって…。
「ごめん…」
 本当にごめん。でも、あの時は仕方なかったんだよ。
 ハーレイまでいなくなってしまったら、シャングリラは地球まで行けやしないから…。
「いいさ、そいつが前のお前の生き方だしな」
 寿命が尽きると泣いていたくせに、俺と離れて死んでしまうと泣きじゃくってたくせに、いざとなったら一人きりで飛んで行っちまったんだ。
 右の手が凍えて冷たかった、と言っていたって、あの時、お前は俺と別れる方を選んだ。
 シャングリラに残れば、俺と一緒に死ねていたかもしれないのにな。
 自分のことより、ミュウの未来を大事にしたのが前のお前だ。
 俺はそいつを恨んじゃいないし、お前を責めようとも思いはしないさ。
 それで、だ…。今度は作るか?
「何を?」
「決まってるだろうが、クロカンブッシュだ」
 前の俺たちが作れなかったクロカンブッシュ。今度は作ってもかまわんだろうが、俺もお前も、ソルジャーでもキャプテンでもないんだからな。



 ウェディングケーキはそれにするか、と片目を瞑った。
 土産に買って来たシュークリームを積み上げた塔の、一番上に乗った小さなシュークリーム。
 それをつまみ上げて、そっと戻して、出来上がった塔を指差しながら。
 こんな具合に俺が作ろうかと、シュークリームも前からの約束通りに俺が作って、と。
「何人分のシュークリームになるのか知らんが、シャングリラの頃に比べればなあ?」
 とんでもない数になりはしないし、俺の家のオーブンを使ってコツコツ焼いても間に合うさ。
 クリームだって出来ると思うぞ、俺の家のキッチンで充分にな。
 シャングリラのヤツらの人数分だと、あの船のデカい厨房が無ければとても無理だが。
「クロカンブッシュを作るんだったら、シュークリーム作り、ぼくも手伝う!」
 ママに教わって、ぼくも作るよ。シュー皮を焼いて、クリームを作って…。
 ハーレイと一緒に頑張って作るよ、今のぼくなら作り方をママに習えるんだもの。
 前のぼくだったら、厨房で見てるだけしか出来なかったけど、今のぼくなら手伝えるよ!
「作りたいと言うなら、止めはしないが…」
 お前、シュークリームなんかは作ったことも無いんだろうが。
 そうでなくても料理は調理実習だけだろ、シュークリームはあれでなかなか難しいんだぞ?
 失敗しちまったら目も当てられんし、作るよりも積む方でいいんじゃないのか?
 元々、二人で積み上げる予定だったんだ。
 前の俺たちの頃に決めてたとおりに、俺が作って、二人で積んで。
 無理しなくっても、それでいいと俺は思うがな?
「そうかも…」
 ハーレイの足を引っ張っちゃうより、出来上がったのを二人で積む方がいいのかも…。
 今日のはハーレイが積んでくれたけれど、本物のクロカンブッシュを作る時には、二人で一緒にシュークリームを積んで、飴で固めて。



 小さなブルーへの土産にと買った、シュークリームを積み上げた塔。
 それを二人で崩しながら食べた、上から一個ずつ外していって。
 飴で固めたわけではないから、木槌で割る代わりに指でつまんで。
 「美味しいね」と顔を綻ばせるブルーに、「美味いだろ?」と微笑み掛けながら。
 「結婚式の時には、これに負けないのを作れるように頑張らんとな」と。
 前の自分たちは作れないままで終わったけれども、今度は作れる、クロカンブッシュを。
 結婚式に来てくれる人たちの数が白いシャングリラの仲間たちの数には及ばないから、凄い高さにはならないけれど。ほどほどの高さになるだろうけれど。
 クロカンブッシュを結婚式まで覚えていたなら、ブルーと二人で手作りしよう。
 シュークリームを自分が作って、ブルーと二人でそれを積み上げて。
 やっと配れると、約束してから長い長い時が経ってしまったけれど…、と。
 幸せになろう、ブルーと一緒に。
 青い地球の上で二人、結婚式を挙げて。
 祝福してくれる人たちに一人一つずつ、クロカンブッシュの小さなシュークリームを配って…。




           シュークリーム・了

※シャングリラにあった、クロカンブッシュ。結婚式やお祝い事で配られたシュークリーム。
 前のブルーたちも配る時を夢見て、配れないまま。今では配れるお菓子なのです、結婚式に。
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(かぐや姫…)
 とっても早く育つんだよね、とブルーはコクリと紅茶を飲んだ。学校から帰っておやつの時間。母が焼いておいてくれたケーキと、熱い紅茶とで。
 今日のハーレイの授業で出て来た、かぐや姫の話。竹取物語という正式名称だけだったけれど。遠い遥かな昔にこの地域にあった小さな島国、日本の古典。竹取物語は日本最古の物語だぞ、と。
 それよりも先に書かれた物語は無かったらしい、竹取物語。
 日本の古典を学ぶ上では常識なのだから、忘れてしまっていないだろうな、という確認。
 授業ではそれだけだったのだけれど、ふと思い出した。かぐや姫は早く育つのだった、と。



(どのくらいだっけ…?)
 竹の中から見付かるほどだから、生まれたばかりの赤ん坊よりも小さな子供。きっと手のひらに乗るほどの子供。大きさは忘れてしまったけれど。
 とにかく小さいかぐや姫。なのに見る間にすくすく育って、アッと言う間に大人になる。大勢の求婚者がやって来るほどの大人に、それは美しい姫君に育つ。
 一年もかかっていなかったと思う、かぐや姫が大人になるまでに。ほんの数ヶ月、三ヶ月くらいだったような気もする。
 三ヶ月にしても、一年にしても、竹の中に入っていたような子供が一人前に成長するには短い、信じられないほどに短い時間。
 今の自分は十四年もかかって育って来たのに、まだ子供だから。



 前の自分と同じ背丈を目指しているというのに、手が届かないその背丈。あと二十センチ、今の自分との差はあまりに大きい。
 いったい何年かかることやら、目標の背丈になるまでに。百七十センチに育つまでに。
(かぐや姫みたいに育てたらいいのに…)
 竹から生まれて、みるみる成長したように。一年もかからずに大人の姿に育ったように。
 かぐや姫は日毎に大きくなったというのに、自分ときたら、全く逆で。少しも伸びてはくれない背丈。ハーレイと再会した五月の三日から、一ミリさえも伸びてはいない。
 育ち盛りの筈なのに。子供も草木も育つ季節の夏も過ぎて今は秋なのに。
 きっと育つと思っていたのに、百五十センチから伸びない背丈。伸びずに止まっている背丈。
 このまま育ってくれなかったら、自分の未来はどうなるのだろう?
 百五十センチのままだったら。いつまで経ってもチビだったら。



 まさか一生、子供の姿ということは無いだろうけれど。いずれは育つだろうけれど。
 育ち始める時が問題、いつになったら前の自分と同じ背丈になれるのか。前の自分と同じ背丈にならない限りは、ハーレイはキスも許してくれない。そういう決まり。
 だから育ってくれなかったら…。
(ハーレイと結婚出来ないとか?)
 それが一番の心配事。背が伸びないことを考える時の。
 結婚出来る年になっても今と同じにチビだったら、と。十八歳になっても、前の自分と同じ姿に育たないままでいたならば、と。
 ハーレイに「駄目だ」と断られそうな、十八歳で結婚すること。キスも出来ないチビの姿では、そう言われても仕方ない。十八歳だと主張したって、見た目は子供なのだから。
 でも…。



(かぐや姫だって育つんだしね?)
 竹から生まれて、アッと言う間に大人になったかぐや姫。
 それに比べれば、自分は此処までちゃんと育って来たのだから。ほんの二十センチだけ育ちさえすれば、前と同じになれるのだから。
 ぼくにもきっと望みはあるよ、とケーキの残りを頬張った。残りはたったの二十センチ、と。
 今は全く伸びないけれども、伸び始めたなら早い可能性もある。かぐや姫さながら、それまでの遅さが嘘だったように僅かな期間で成長するとか。
 数ヶ月は無理でも、一年だとか。十八歳を迎える前の一年で大きく伸びるとか。
 夏休みだけで数センチも伸びる子供もいるから、ゼロとは言えない可能性。二十センチを一年で割れば、無理なく伸びられそうだから。



 おやつを食べ終えて、キッチンの母に空いたお皿やカップを返して。
 部屋に戻って、勉強机の前に座って頬杖をついた。さっき考えていた、かぐや姫のこと。
(かぐや姫の絵本…)
 持っていたかな、と記憶を探ったけれども、多分、無い。
 幼稚園にはあったけれども、家には無かった筈だと思う。竹から生まれた小さなお姫様の物語。可愛らしい絵で綴られていた絵本は、どちらかと言えば女の子向けの本だったから。
(…本当は違うみたいだけどね?)
 作者は恐らく男だろう、とハーレイの授業で教わった。今日の授業とは、また別の時に。日本で最初の物語はこれ、と竹取物語の名が挙がった時に。
 元々は漢文で書かれていたという。漢文は男性向けの学問、女性は滅多に習わなかった。漢文を書くには教養が要るし、男性が書いたと考える方が自然なのだと。
 漢文で書かれた物語だから、読者の方も男性だった可能性が高い竹取物語。物語の主役はお姫様でも、男性向けに書かれた物語。
 今は女の子向けの本だけれども、可愛い絵本になっているけれど。



 日本で一番古い物語、それが竹取物語。竹から生まれた小さな姫君がアッという間に育つ物語。
(うんと歴史がある話だから、ぼくだって…)
 凄い速さで育てるかもしれない、かぐや姫のように。一年どころか、数ヶ月で。前の自分と同じ背丈に、ハーレイとキスが出来る背丈に。
 百五十センチまでは育ったのだし、あと少しだから。二十センチ伸びればいいだけだから。
 今はちっとも育たないけれど、残りは二十センチだけなのだから。
(いざとなったら、ギリギリでだって…!)
 十八歳まで通う今の学校、卒業すれば義務教育は終わりで、結婚だって出来る年になる。三月の末に生まれた自分は、十七歳の内に卒業式を迎えるけれど。
 その学校に通う間はずっとチビでも、もう卒業だという間際になって伸び始める可能性もある。急にぐんぐん育ち始めて、卒業する時には前と全く同じ背丈になっているかもしれないし…。



(うん、諦めたら駄目なんだよ!)
 もしも今のまま育たなくても、チビのままで卒業の日が迫って来ても。
 ハーレイに「チビでは駄目だ」と断られたって、婚約しておく価値は充分にある。もし育ったら結婚して、と頼んでおいて、卒業間近のギリギリの所で急成長して滑り込み。
 前の自分と全く同じ背丈に育って、十八歳を迎えたら見事に結婚、ハーレイと暮らす。
(チビのままだったら、それもいいかも…)
 卒業する日が、十八歳の誕生日が近付いて来たら、とにかく婚約、そして成長する方に賭ける。卒業までの残り期間で、誕生日までの数ヶ月で。
 かぐや姫は一年もかからずに育って、一人前の大人になったのだから。
 そこまで無茶は言わないのだから、僅かな期間で二十センチくらい伸びたっていい。ハーレイとキスが出来る背丈に、結婚してもいい背丈に。
 「育つかもしれないから婚約してよ」とハーレイに頼み込んでもいい。上手くいったらチビから大人に急成長して、結婚というゴールに辿り着けるのだから。



 チビのままでも諦めないこと、と考えていて。
 ハーレイが「駄目だ」と苦い顔をしようが、婚約だけでも、と未来を思い描いていて…。
(そうだ、トォニィ…!)
 かぐや姫どころか実例があった、とポンと手を打った。遠い昔の物語ではなくて、本当に育った子供たち。赤い星、ナスカの子供たちの例が。
 前の自分が目撃していた、急成長した子供たち。ナスカで生まれた七人の自然出産児。
 白いシャングリラの格納庫で初めて会った時には、トォニィは三歳にしかならない幼児だった。仮死状態に陥ったトォニィをキースが放り投げたから、慌てて両手で受け止めた記憶。
 救助が来るまで抱いていたトォニィの身体はとても幼く、軽かったのに。
 メギドの炎が赤いナスカを焼き払おうとした時、前の自分が張ったシールド。地獄の劫火を受け止めるべく張り巡らせたそれを、トォニィたちが強化してくれた。突然現れた子供たちが。
 トォニィも、他の六人の子たちも、そのためだけに急成長して。
 サイオンを使えるレベルの身体になるまで成長を遂げて、白いシャングリラから飛んで来た。
 数ヶ月どころか、ほんの一瞬で大きく育って。かぐや姫でも敵わない速さで成長して。
 だから…。



(頑張ったら充分、間に合うんだよ!)
 前の自分と同じ背丈に育つこと。あと二十センチ、背を伸ばすこと。
 数ヶ月もかけて育たなくても、その気になったら一日もかからずに成長できる。前の自分と同じ背丈に、同じ姿に育つことが出来る。
 かぐや姫のような架空の物語ではなくて、実例を自分が見たのだから。前の自分の瞳が捉えて、今も覚えているのだから。
(ほんの一瞬で大きくなれるんだから…)
 数ヶ月もあれば充分、間に合う。背丈を二十センチ伸ばすくらいは、きっと充分に。
(トォニィたちは二十センチどころじゃなかったものね…)
 一瞬で背丈をグンと伸ばして、飛び出して来たナスカの子供たち。彼らはその後も成長し続け、アルテメシアに着いた時にはトォニィは青年の姿になっていた。月日はさほど経っていないのに。子供が大人に成長するほど、時は流れなかったのに。



 前の自分が見ていた実例、一瞬の内に大きく育ったトォニィやナスカの子供たち。赤いナスカが滅ぼされた後も、育ち続けたトォニィたち。
 ならば、自分もきっと成長出来るだろう。あと二十センチの分の背丈を、一瞬でだって。
(一瞬は無理でも、一ヶ月もあれば…)
 数ヶ月もあれば、間に合うと思う。前と同じに育てると思う。実例がちゃんとあるのだから。
(ぼくだって、きっと…!)
 今の背丈から育たなくても、チビのままでも、卒業間際にグンと背丈を伸ばせばいい。チビから大きく育てば間に合う、十八歳になったら結婚すること。ギリギリだろうと、間に合ったなら。
(ちゃんと育ったら、ハーレイも結婚してくれるものね)
 望みが出て来た、と嬉しくなった。
 今は少しも育たないままで、チビだと言われているけれど。本当にチビで子供だけれども、もう心配はしなくてもいい。
 ハーレイがいくらチビだと言っても、結婚までには育つから。前とそっくり同じに育って、チビ呼ばわりはもうさせないのだから。



 チビのままでも、とにかく婚約。卒業式を迎える前に。
 それから急いで大きく育って、十八歳になったら結婚なんだ、と夢を見ていたら来客を知らせるチャイムが鳴って。仕事帰りのハーレイが来たから、胸を高鳴らせて切り出した。
 母がお茶とお菓子を置いて行ってくれたテーブルを挟んで、向かい合わせで。
「あのね、かぐや姫の話なんだけど…」
 今日の授業で言っていたでしょ、日本で最初の物語だから忘れるなよ、って。
「質問か?」
 授業時間中に訊き忘れたのか、と鳶色の瞳が瞬きするから。
「ううん、そうじゃなくて…。ぼくもあんな風に育つからね」
「はあ?」
 育つってなんだ、なんの話だ?
 俺にはサッパリ分からないんだが、お前は何を言いたいんだ…?
「かぐや姫だよ、凄い速さで育ったでしょ?」
 竹から生まれて、大人になるまで一年もかかっていない筈だよ。
 かぐや姫みたいにぼくも育つよ、今はチビでも、チビのまんまで十八歳になっちゃいそうでも。
 急いで育って前のぼくとおんなじ背丈になってみせるよ、ハーレイとキスが出来る背丈に。



 絶対に間に合わせるよ、と自信をもって宣言した。十八歳までには必ず前と同じに育つと。
 かぐや姫と同じくらいの時間をかけて育ってゆくなら充分間に合うし、トォニィたちがナスカでやったようにするなら一瞬でだって、と。
「だからね、チビでも婚約してよ?」
 十八歳になったら結婚出来るし、ぼくが十七歳になったら婚約。卒業までには婚約だよ。
「チビでも婚約って…。お前が育っていない時のことか?」
 今と同じにチビのまんまで、見た目は今と変わらないガキで。
 そういう姿で十七歳になっていたって、婚約しろっていう意味なのか?
「うん。チビでもいいでしょ、婚約くらいは」
「そりゃあ、いざとなったらチビのままでも貰ってやるって話はしたが…」
 チビのお前でも嫁にしてやると言いはしたがだ、それはお前が十八歳になってからだぞ。
 結婚出来る年になってもチビだったならば、仕方ないから貰ってやると…。
 そういう場合は、婚約するのは十八歳になってからだな、それよりも前というのは無しだ。
 何処から見たってチビのお前に、十八歳になったら結婚しようと婚約を申し込むのはなあ…。



 それは流石に気が早すぎる、と腕組みをして渋られたから。
 十八歳になるまで待てと、婚約するのはその後でいいと言われたから。
「それより前でも平気だってば!」
 ぼくはきちんと育つんだから!
 十八歳の誕生日までには、チビのぼくではなくなるんだから!
「間に合わせるってか、急いで育って?」
 前のお前と同じに育って、それで結婚しようと言うのか?
「そうだよ、かぐや姫みたいに育つんだよ!」
 かぐや姫の話は作り話かもしれないけれども、トォニィたちはホントに育ったじゃない!
 あれと同じで育つ筈だよ、残りはたったの二十センチだし!
「ふうむ…。その意気込みは素晴らしいが、だ…」
 お前、サイオン、使えるのか?
 タイプ・ブルーなことは本当らしいが、そのサイオンを生かせてないのがお前だろうが。
「え?」
 育つのにサイオンも何もないでしょ、ぼくは背を伸ばそうとしてるだけだよ?
 本当に必要な時になったら、凄い速さで背が伸びるから。
「おいおい…。かぐや姫はともかく、トォニィたちの方はだな…」
 多分、サイオンが関係していた筈だぞ、決定的な証拠やデータは無かったが…。
 ノルディにも全く分からなかったが、サイオン抜きでは考えられん。
 皆を守ろうという強い気持ちがサイオンと結び付いてだ、大きく育った筈なんだ。
 あいつらが自分で言っていたからな、「大きくならないと守れなかった」と。ただ、サイオンをどういう具合に使ったのかは、最後まで謎のままだったがな…。
 トォニィがソルジャーになった後にも、その辺の記録は残されていない。大きくなりたいと強く願ったと、そのせいで大きく育ったのだと回想していた程度でな。
 自分でも分かっていなかったんだろう、どうやって成長していったのか。人類軍との戦いの中で必死に育って、それだけで精一杯だったんだろうな、きっと。



 ついでに急成長をした子供の例はあれしか無いが、という話。
 ナスカの子供たちの他には、急激な成長を遂げた例など皆無なのだ、と。
「…嘘…」
 ハーレイが言う通り、サイオンのせいで育ったんだとしても。
 人間はみんなミュウになったよ、トォニィたちの他にも育った人はいたんだと思うけど…。
 誰でもサイオンを持ってるんだし、大きくなりたい、って思えばサイオンに結び付くでしょ?
「いや、本当だ。トォニィたちの他には誰一人いない」
 今ではタイプ・ブルーも珍しくないが、そういう時代になっても一人も出ない。
 前の俺たちが生きてた頃から、今までの間に長い長い時が流れたわけだが…。ただの一人も出て来ないままだ、トォニィたちのように育ったヤツは。
 俺が思うに、種の存続がかかっていたから、奇跡みたいなものだったんだろうな。
 ミュウという種族が生き残るために、神様が起こして下さった奇跡。
「でも、奇跡って…。ぼくがトォニィたちに会った時には…」
 ハーレイが聞いていたのと同じで、自分の力で頑張ったみたいに言ってたよ?
 育たないと守れなかったから、って。大きくならなくちゃいけなかった、って…。
 だから奇跡じゃないと思うけど、トォニィたちが頑張っただけで。
「その後の世界でも、頑張ろうとしたヤツらは後を絶たなかったと思うがな?」
 早く育とうと、大きく育ってやりたいことが幾つもあるんだと、努力したヤツら。
 現に俺だって、そう願ったもんだ。
 柔道にしたって、水泳にしたって、身体が育てば出来ることがググンと増えるんだしな?
 トォニィたちの話は歴史の授業で習うからなあ、あんな具合に育ってみたいと大真面目に思っていたもんだが…。
 同じような夢を見ているヤツらも何人もいたが、誰も成功しちゃいないってな。



 かぐや姫を上回る速さで大きく育った、七人のナスカの子供たち。
 彼らの話は今も伝わるから、彼らのように早く育ちたいと願う者たちも後を絶たない。もちろん中にはタイプ・ブルーも多くいた筈で、条件は同じなのだけど。
 今に至るまで、成功例は一つも無いのだという。ただの一人も成し遂げていない。
 歴史に残ったナスカの子たちの急成長は、あの時だけの奇跡。ミュウが滅びてしまわないよう、神が起こした奇跡の出来事。
「じゃあ、トォニィたちは…」
 ただのタイプ・ブルーっていうだけじゃないの、奇跡の子供たちだったの?
 あれっきり二度と同じような人間が出て来てないなら、トォニィたちは特別だったの…?
「多分な。かぐや姫みたいなものだったのかもな、月の都の人間じゃないが」
 人間の中に生まれては来たが、月から来たような特別な子供。
 月に帰って行きはしなかったが、同じミュウでも、何処かが違っていたんだろうなあ…。



 ナスカが月の都だったかもな、と語るハーレイ。
 トォニィたちが来た月の都はナスカだったかもしれないと。あの時だけしか無かった星だ、と。
「でも、ナスカって…。人類が入植していた星でしょ?」
 ナスカじゃなくって、ジルベスター・セブンっていう名前で。
 人類が捨てて行っちゃった後で、ジョミーたちが見付けて入植して…。
 だからその前からナスカはあったよ、トォニィたちが生まれた頃だけじゃなくて。
「そのナスカだが…。人類が入植していた頃には、子供が育たなかったらしいぞ」
 大人には全く影響は無いが、どうしたわけだか子供が育たん。そんな星ではどうにもならんし、マザー・システムはナスカを捨てたらしいな。
「そうだったの?」
「うむ。俺も最初は知らなかったが…」
 その手の情報はシャングリラのデータベースには無くて、捨てられた植民惑星というだけで。
 ならばいいかと入植を決めて、後から分かったことなんだよなあ…。



 ナスカに降りたジョミーが見付けた、古い小さな天文台。
 側にあった白いプラネット合金の墓碑、其処に彫られていた銘文。
 「誰が私に言えるだろう。私の命が何処まで届くかを」。SD体制が始まるよりも遥かな昔の、リルケの詩から取られたそれ。
 リルケの詩集を好んだ子供のためにと建てられた墓碑、ハーレイも墓碑を見たという。天文台のある家に飾られた、その子と家族の肖像画も。
 養父母に連れられて入植した子は育たなかった。リルケの詩集が好きだった子は。
 他の養父母と共に来た子も、誰一人として。
 子供が育たない原因は掴めず、人類はナスカを去って行った。この星は駄目だと。
 そういった情報を得た頃にはもう、トォニィがカリナの胎内に宿って育ちつつあって。どうやらミュウには影響が無いと、無事に子供が育つようだと、そのまま留まり続けたという。
 本当にこの星が子供の育たない星であるなら、カリナが子供を宿す筈が無いと。



「子供が育たない星だったって…。あのナスカが?」
 なのにトォニィたちが生まれたの、そんな星で?
 人類の子供は育たないのに、ミュウの子供はちゃんと育ったの…?
「奇跡のようにな。…人類とミュウでは違っていたのか、それとも神様が起こした奇跡か…」
 俺は奇跡だと思っている。あの頃は人類とミュウの違いだと考えていたが…。
 今から思えば奇跡なんだろうな、誰もが揃ってタイプ・ブルーで、凄い速さで成長して…。
 神様が下さった奇跡の子供ということなんだろう、ナスカの子たちは。
 本来、子供が育たない筈の星で生まれて来たんだからな。
「…知らなかった…」
 ナスカがそういう星だったなんて、今の今まで知らなかったよ。人類が捨てた星ってことしか。
「あまり知られていないからなあ、トォニィたちが生まれた背景ってヤツは」
 成長した後の活躍ばかりが注目されてて、その前の平凡な子供時代は霞んじまって。
 俺だって、前の俺だった頃の記憶が無ければ知らんままだぞ、ナスカがどういう星だったかは。



 本当だったら、子供が育たなかった筈の赤い星。
 白いシャングリラのデータベースに情報があれば、けして入植していなかった。自然出産で次の世代を育ててゆこうと、ナスカを選んだのだから。
 たとえ人類の子供であろうと、子供が育たないからと廃棄された星に降りたりはしない。子供を産んで育ててゆくには、まるで適さない星なのだから。
 けれど船には情報が無くて、何も知らずに入植したナスカ。星の正体が分かった時には、新しい命が育まれていた。子供が育たない筈の星で。生まれてくる筈も無さそうな星で。



「ナスカはミュウのための星だったんだろうなあ、人類には捨てられた星だったが」
 あの星でトォニィたちが生まれて、そこで歴史が変わって行った。
 自然出産に戻る切っ掛け、トォニィたちが無事に生まれたからこそだしな。
「でも、ナスカ…。砕かれちゃったよ?」
 ミュウの星だったせいで、メギドに焼かれて砕かれちゃった…。
 歴史が変わった星だけれども、ナスカは何処にも残っていないよ。
「あれ以上、あったら駄目だったんだろう。かぐや姫が月に帰ったように」
 奇跡の子供は七人いれば充分だろう、と神様も思っておられたんだろうな、それで足りると。
 もっと長くナスカに留まっていても、子供は生まれなかったかもしれん。
 でなけりゃ、生まれてもトォニィたちみたいな奇跡の子供にならなかったとか、そういった風になっていたんじゃないか?
 あの星は期限付きの奇跡の星だったんだ。…ミュウが未来を築くための。
 トォニィたちが生まれた月の都で、トォニィたちが月に帰らないよう、月が姿を消したってな。
 月の都がなくなっちまえば、かぐや姫は帰れないからなあ…。



 トォニィたちを育てた月の都。七人の奇跡の子たちが生まれた月の都が赤い星、ナスカ。
 赤いナスカはミュウの未来を築くための月で、役目を終えたら月は姿を消したというから。月の都に帰れないよう、月の方が消えていったというから。
「…トォニィたちが月に帰れないように、って消えたにしては…」
 ナスカが消えちゃった時の犠牲者、多すぎない?
 前のぼくはともかく、ナスカで死んじゃった仲間たちの数が多いんだけど…。
 いくら奇跡の星にしたって、月の都ってことにしたって、あんまりじゃない…?
「それを言うなら、かぐや姫の話も酷いもんだが?」
 かぐや姫の絵本や子供向けの本では、それほど酷くは書かれていないが…。
 求婚したヤツらの末路を知っているのか、かぐや姫に無理難題を出されたヤツら。
 一番悲惨な貴公子なんかは、命を落としてしまうんだがな?
 ツバメの子安貝を取りに行かされた中納言はだ、その時に落っこちて腰を傷めて、その傷が元で最後には死んでしまうんだぞ。



 他の貴公子も散々な目に遭う、と聞かされてみれば酷いから。
 絵本などで漠然と知っていた以上に酷い末路で、その上、かぐや姫は何もかもを忘れて月の都に帰って行ってしまうから。
「ナスカって…。月の都って言うより、かぐや姫だったの?」
 ミュウが見付けた、竹の中に入っていたお姫様。
 竹から出て来る宝物の代わりにトォニィたちをくれたけれども、その後はもう知らない、って。
 勝手にしなさい、って月に帰ってしまって、それっきりだとか…。
 ナスカで死んでしまった仲間は、かぐや姫に振り回されちゃった求婚者みたいな立場だとか。
「さあなあ…?」
 あの星がかぐや姫だったのか、月の都か、そいつは分からん。
 だが、トォニィたちをくれた奇跡の星なのは確かだ、ナスカが無ければトォニィたちは生まれて来なかったんだからな。
 トォニィたちがいなけりゃ、前の俺たちやジョミーがどう頑張っても、シャングリラは地球には行けなかっただろう。
 ナスカが月の都だろうが、かぐや姫だろうが、あの星は奇跡の星だったんだ。
 それはともかく…。



 お前の夢見る未来は無いな、と額をピンと弾かれた。
 凄い速さで成長するのは多分無理だぞ、と。
「トォニィたちにしか出来なかったことだ、あれ以来、誰も出来てはいない」
 ミュウの時代がここまで続いても、誰も成功していないんだ。
 トォニィたちだったからこそ起こせた奇跡だ、いくらお前でも真似は出来んな。
 タイプ・ブルーに生まれていようが、元はソルジャー・ブルーだろうが。
 生まれ変わりがせいぜいってトコで、それ以上の奇跡は神様も起こして下さらんだろう。
「うー…」
 ぼくは大きくなりたいのに…!
 ちっとも育たないチビのままだと、ホントのホントに困っちゃうのに…!
 十八歳になっても今と同じでチビのままだったら、ハーレイと結婚出来ないのに…!
「まあ、いいじゃないか」
 そんなに急いで育たなくても、時間はたっぷりあるんだからな?
 トォニィたちは早く育ちはしたがだ、その代わり、子供時代が短かっただろうが、違うのか?
 今のお前よりも遥かに小さいガキの頃から戦い続けて、死んじまった子もいたんだぞ。
 それを思えば、お前はずうっと恵まれてるんだ、育たなくても誰も困らん。
 お前は困ると言うかもしれんが、社会ってヤツには全く影響しないだろうが。
 前のお前と全く違って、守らなければいけない船も仲間も無いんだし…。
 今度はのんびり育てばいいだろ、トォニィたちの真似なんかせずに、子供時代をうんと楽しめ。
 育っちまったら、もう子供には戻れないんだから、チビの間はチビの時間を楽しむことだ。チビだからこそ言える我儘とか、許されるようなことだとか。
 そういったことが山ほどあるんだ、チビの時間もいいもんだぞ。



 チビでもいつかは嫁に貰ってやる、とハーレイは微笑んでくれたから。
 かぐや姫やトォニィたちのように凄い速さで成長するのも、どうやら望みは無さそうだから。
(…チビだった時はチビのままでも…)
 ナスカの思わぬ話も聞けたし、今日の所はこれでいいのだろう。
 子供が育たない筈の星で生まれた、奇跡の子たち。奇跡のように育ったナスカの子たち。
 前の自分がメギドを沈めてミュウの未来を守ったあの日に、あの子たちにも奇跡が起こった。
 今に至るまで例が無いという、信じ難い速さで育った子たち。
 赤いナスカが月の都か、かぐや姫かは分からないけれど、あの星で奇跡が起こったように。
 今の自分が青い地球の上に生まれ変わったこともまた、神が起こした奇跡だから…。



 焦らずに待とう、前の自分と同じ姿に育つ日を。
 自分と同じに生まれ変わって来た、ハーレイと結婚出来る日を。
 いつかは必ず、育つ日が来る。
 ハーレイと二人、手を繋いで何処までも歩いてゆける。
 赤い星ではなくて、青い地球の上で。
 いつまでも二人、手を繋ぎ合って、何処までも続く幸せな道を、互いに微笑み交わしながら…。




            かぐや姫・了

※かぐや姫のように急成長した、ナスカの子たち。そんな例は他には無いままなのです。
 そして子供は育たない筈の、ナスカという星。赤いナスカは、月の都だったかもしれません。
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「じゃあ、明日、いつものトコでな!」
 うん、と声を揃える友人たち。学校の帰り際、明日の待ち合わせについての確認。今日は金曜、明日は学校が休みだから。
 行き先は特に決まっていないけれども、集まって何処かで遊びと食事。ジュースなども買ったりするのだろう。それに立ったままで食べられるフライドポテトやポップコーンだって。
 約束した後、ワッと散って行った友人たち。部活に、家に、あるいは寄り道コースへと。
 明日に備えての待ち合わせ。場所と時間をみんなで決めて。
 ブルーは明日は行かないけれど。ハーレイが訪ねて来てくれると決まっているから、友人たちと出掛けることなどしない。自分の家でハーレイを待って、二人で話して、お茶に食事に…。



(そっちの方が幸せ…)
 ぼくは断然そっちがいい、と学校を後にして、帰りのバスに乗り込んだ。バス通学の友人は誰もいないから、自分だけ。お気に入りの席が空いているのを見付けて、其処へストンと腰掛ける。
 走り出したバス、流れてゆくバスの窓越しの景色。友人たちの明日の待ち合わせ場所は…。
(あっちの方…)
 バスの窓からは見えないけれど。大通りから少し入った、学校から近い公園の前。
 明日、その時間に出掛けて行ったら、友人たちが集まっているのだろう。制服ではなくて、皆がバラバラの服。好みの服に、通学鞄とは違った鞄を持って。
 何処へ行こうかと相談しながら歩き始めて、過ごす休日もいいけれど。楽しいけれども、明日は予定があるから。ハーレイと会える土曜日だから。
 友人たちと出掛けるよりも、と高鳴る胸。「明日はハーレイが来てくれるんだよ」と。



 もう長いこと、待ち合わせというものをしていない。
 何時に此処で、と決めて集まる待ち合わせ。友人たちはいつもしているけれども、一緒に遊びに行かないから。休日はハーレイと自分の家でお喋りに食事、それがブルーの定番だから。
(みんなと遊びに行ってないけど…)
 付き合いが悪いとは誰も言わない。一度くらいは出掛けて来いとも言われない。
 皆、聖痕があることを知っているから、ハーレイと会うのが大切だと分かってくれている。一度だけ起こした大量出血。学校から救急搬送された聖痕現象。あれを再発させないためには守り役のハーレイと頻繁に会うことが必要なのだ、と。
 一緒に遊びに出掛けられなくても、気にしていない友人たち。学校で会えば何処へ行ったのかを話してくれるし、愉快な出来事が起こっていたなら、その報告も。
 おまけに羨ましがられたりもする、「いいよな、ハーレイ先生が来てくれるなんて」と。学校で人気の高いハーレイ、柔道部員でなくても憧れの男性教師。大人気のハーレイを独占出来る休日はとても楽しそうだと。



(前の待ち合わせ…)
 友人たちと遊びに出掛けた休日。ハーレイが来られないと分かっていた日に、待ち合わせて。
 約束の場所に時間通りに行ったら、「おう!」と手を振ってくれた友人たち。「何処に行く?」などと賑やかに騒いで、待ち合わせ場所だった公園で暫く遊んで…。
 それが最後の待ち合わせ。友人たちとは遊ばない休日が続いている自分。
(みんなと行くのも楽しいんだけど…)
 気の合う友人たちとの休日。遊んで、食事して、おやつやジュース。
 待ち合わせもまた、遊びに向けてのカウントダウンで心が弾む。一人、また一人と増える友人、時には時間に酷く遅れた友人が「悪かった!」と何かおごってくれたり。
 下の学校の頃から何度もした待ち合わせ。今はすっかり御無沙汰だけれど。



 家の近くのバス停に着いて、バスから降りて歩き始めて。
(みんなは、明日はいつもの公園…)
 何時だっけ、と友人たちが言っていた時間を思い出し、「うん」と頷く。十時に、公園。
(ハーレイが急に来られなくなっても…)
 公園へ行けば友人たちに会える、遅れないよう十時に出掛けてゆけば。明日の朝になって、急に予定が駄目になっても、ハーレイから「今日は行けない」という連絡が来ても。
 独りぼっちの日にはならない、友人たちの待ち合わせ場所と時間を知っているから。ハーレイが駄目でも代わりに友達、何処かで遊んで、食事もして。
(…ハーレイと会うのが駄目になるなんて、嫌だけどね)
 友人たちと遊びに行くのも、けして悪くはないけれど。ハーレイと会える方がいいから、予定は潰れて欲しくない。「今日は行けない」という連絡なんかは来て欲しくない。
 けれど、頼もしい待ち合わせ。友人たちが集まる場所と時間が分かっているということ。
 みんなが「明日は此処で」と交わした約束、いきなり自分が混ざってもいい。その時間に公園へ出掛けてゆけば。「ぼくも!」と十時に遅れずに行けば。
 そうするよりは、ハーレイと過ごしたいけれど。断然、ハーレイなのだけれども。



 ハーレイと二人の土曜日がいい、と考えながら家に帰って、おやつを食べて。
 「明日はハーレイと二人でおやつを食べられるんだよ」と弾む足取りで部屋に戻って、勉強机の前に座って。「待ち合わせよりも、ハーレイと家にいるのがいいよ」と思ったけれど。
(そういえば…)
 今の今まで全く気付いていなかったこと。待ち合わせはどういうものかということ。
 場所と時間を決めて待ち合わせ、友人たちとするものだと頭から思い込んでいて、ハーレイとは結び付けてもいなかったけれど。
 よく考えたら、ハーレイとだって出来るのだった、待ち合わせは。今は出来ないというだけで。
 ハーレイとは家でしか会えないから。デートに行けない自分だから。
 けれど、家の外でもハーレイと会えるようになったなら。二人で出掛けられるようになったら、待ち合わせだって出来るようになる。
 この時間に此処、と二人で決めて。其処で待ち合わせて、それからデート。
 ハーレイとも出来る待ち合わせ。この時間にと、此処で会おうと。



(…いつ出来るの?)
 此処で、と決めて待ち合わせ。友達ではなくて、ハーレイと。
 デートに行けるようにならないと、待ち合わせなどは出来ないのだから、ずっと先のこと。
 どう考えても何年も先で、今の学校の生徒の間は無理で。
 当分の間は出来そうもない待ち合わせ。ハーレイと時間と場所を決めて会うこと、待ち合わせて何処かへ出掛けること。
 まだまだ無理、と溜息をついて、ハーレイの顔を思い浮かべて。
(前のぼくは…?)
 ハーレイとは本物の恋人同士だったのだから、待ち合わせだって、と遠い記憶を探ったけれど。
 白いシャングリラで暮らした頃の記憶を辿ったけれども、まるで無かった待ち合わせの記憶。
 考えてみたら、していなかった。ただの一度も、前のハーレイとの待ち合わせは。
 強いて言うなら、会議や視察に出掛けるための待ち合わせくらい。ブリッジの入口や、会議室に近い休憩室など、そういった場所で合流してから出掛けていた。
 時間と場所とは決めたけれども、ソルジャーとキャプテンとしての待ち合わせ。デートどころか仕事のための待ち合わせだった、行き先はデートなどではなかった。
 本物の恋人同士ではあったけれども、誰にも明かせない仲だったから。
 恋人同士だと知られてはならず、デートにも行けなかったから。二人、こっそりと展望室などに行くのがせいぜい、待ち合わせなどは出来もしなくて、デートでさえも。
 そうなってくると…。



(じゃあ、初デート…!)
 前の自分たちがそれらしいデートをしていないのなら、今の自分たちが出掛けるデートが最初のデートで初デート。
(庭のテーブルと椅子もデートだけど…)
 ハーレイとの初めてのデートは其処だったけれど、あれは普段と違う所で食事ならぬお茶の時間というだけ、本物のデートとは違うから。家から一歩も出ていないものをデートと呼ぶのは間違いだから。あれは本当のデートではなくて、初デートだとも呼びはしなくて。
 初めてのデートは、まだずっと先。自分が大きく育ってから。
 ハーレイと二人で何処かへ出掛ける、それが本当の初デート。そして初めての待ち合わせ。
 デートに出掛けてゆくための。ハーレイとデートを始める前の。
(初めてのデートで、待ち合わせで…)
 行き先が何処かも気になるけれども、待ち合わせ。場所と時間を決めてハーレイと会う。
 此処で、と決めておいた場所に、決めておいた時間、その時間に行ったらハーレイに会える。
 デートのための服を着込んだハーレイに。きっと笑顔でやって来るに違いないハーレイに。



 考えただけでドキドキしてきた、ハーレイとの初めての待ち合わせ。
 どんな気持ちになるのだろう?
 二人で決めておいた場所。其処へ決めておいた時間に出掛けて、ハーレイを待っている自分。
 友人たちとの待ち合わせですら、あれだけ心が弾むのだから。遊びの前のカウントダウンだと、弾んだ気持ちになるのだから。
 デートともなれば、きっと心がはち切れそうになるのだろう。早くハーレイが来てくれないかと何度も時計を眺めてみたり、まだ来ないかとキョロキョロ辺りを見回したりして。
 そう、きっと首を長くして待って、ハーレイが来たら大きく手を振って。
 ひょっとしたら駆け出してゆくかもしれない、ハーレイが歩いて来る方へ向かって。
(うんと早く行って、ハーレイを待って…)
 そうして駆け出す、ハーレイの姿が見えたなら。「此処だよ!」と大きく手を振ってから。



 けれどハーレイなら、自分よりも早く来ていそうな気がしないでもない。
 休日でも早起きしているらしいハーレイ、暗い内からジョギングに行く日もあるようだから。
 待ち合わせとなれば、きっと早めに来るだろう。待たせてしまわないように。時間にたっぷりと余裕を持たせて、早い時間に家を出て。
(…ぼく、ハーレイを待たせる方?)
 初めてのデートで待ち合わせだから、と張り切って行ったら、待ち合わせ場所にハーレイの姿。自分がやって来るのを見付けて、軽く手を上げて近付いて来る。きっと大股で颯爽と。
(待たせちゃう方…)
 そんな気がして来た、初めての待ち合わせはハーレイに先を越されそうだと。
 早く着いて待とうと思っていたのに、ハーレイが待っていそうだと。
(待っててくれるのもいいんだけれど…)
 嬉しいけれども、自分も待ちたい。ハーレイが待ち合わせ場所にやって来るのを、見慣れた姿が現れるのを。
 そうしたいなら、ハーレイよりも早く着いていないと駄目だから。時間通りに着いていたのでは間に合わないから、早めに行く。待ち合わせ場所へ、大急ぎで。
(でも、ハーレイだって…)
 自分が早めに現れたならば、次からはもっと早い時間に来て待つだろう。待たせないように。
 五分早めに到着したなら、次はハーレイも五分ほど早く。十分だったら、十分早く。



 そうやってデートを重ねてゆく度、だんだん早くなってゆくかもしれない待ち合わせ時間。
 この時間に、と決めた時間より五分も、十分も、十五分も早く。
 お互い、先に着こうとして。恋人が来るのを自分が待とうと、競うように早く行こうとして。
 それも楽しい、待ち合わせの時間が決まっていたって早く行くのも。どんどん早くなっていった末に、三十分も前から待つのが普通になってしまったとしても。
(…それでも待ち合わせ時間は決まってるんだよ)
 待ち合わせ場所で出会った時間よりも、三十分も後であっても。とっくにデートに出掛けた後に時計が指すのが、その時間でも。



 面白いよね、と考えていたら、来客を知らせるチャイムが鳴って。
 明日は朝から来てくれる予定のハーレイが今日も、仕事の帰りに寄ってくれたから。これは是非とも話さなければ、とテーブルを挟んで向かい合うなり、ワクワクとして切り出した。

「ねえ、ハーレイ。今度は初デートで待ち合わせだよ」
「はあ?」
 何の話だ、初デートはとっくに済ませただろうが。お前の家の庭で。
 俺がキャンプ用のテーブルと椅子を持って来たのが初デートだったぞ、あそこの木の下。今でも別のが置いてあるだろ、お前の気に入りの白いテーブルと椅子が。
「あれは違うよ、初デートだけどデートじゃないよ!」
 ぼくの家から出ていないんだもの、本物のデートとは違うと思う…。ハーレイと二人で何処かへ行くのがデートなんだよ、本物のデート。
 前のぼくたちは展望室くらいしか行ってないから、本物のデートは今度が初めてになるんだよ。それに待ち合わせも初めてでしょ?
 デートの前の待ち合わせ。場所と時間を二人で決めて。



 前のぼくたちはやっていない、と瞳を輝かせて話したら。
 待ち合わせはとても楽しそうだと、先に行って待とうと競争が始まってしまいそうだと、いつか二人で約束するだろう待ち合わせの予想をしてみせたら。
「ふうむ…。確かに俺は、お前を待たせるタイプではないな」
 お前よりも先に着いていようと急ぐ方だな、それは間違ってはいないんだが…。
 しかし、デートに行くんだろうが。
 待ち合わせじゃなくて、俺が迎えに来るんじゃないのか、お前の家まで?
 俺の車で、と返った答え。
 デートに行くなら車だろうと。何処へ行くにも便利なのだし、遠出も出来ると。
「そうだけど…。迎えに来てくれるのも、車もいいけど、待ち合わせ…」
 友達としかやってないけど、ハーレイとしたっていいんでしょ?
 前のハーレイともやってないから、今度は待ち合わせをしたいんだよ…!
「待ち合わせって…。そうなってくると、不便だぞ?」
 お前が言うような待ち合わせをするなら、俺は車を置いて出て来るか、でなけりゃ駐車場にでも置いておくしかないし…。
 お前をサッと車に乗せてだ、直ぐにデートに出発ってわけにはいかないんだが?
「でも、やってみたいよ、待ち合わせ…!」
 それにデートは会った時から始まるものでしょ、車が置いてある駐車場まで歩くのもデート。
 車が無ければデート出来ないってことも無いから、車無しでのデートもいいし…。
 ぼくは文句を言わないよ?
 車があったら楽だったのに、って言いやしないし、待ち合わせてデートもしてみたいよ…!
「待ち合わせ、そんなにしてみたいのか…」
 まあ、いいがな。
 俺としてはお前を車で迎えに来たいわけだが、たまにはそういうデートもいいか…。
 場所と時間をきちんと決めておいて、其処でお前に会うというのも。



 今の時代ならではの待ち合わせだよな、と微笑むハーレイ。
 そういうデートもいいだろう、と。
「えっ?」
 今の時代って…。どういうこと?
 待ち合わせっていうのはそういうものでしょ、時間と場所とを決めておくもの。
 前のぼくたちだって待ち合わせをしたよ、デートのためではなかったけれど…。会議の前とか、視察の時とか、ハーレイと何度も待ち合わせたよ?
「したな、その手の待ち合わせってヤツは。…目的は仕事だったがな」
 前の俺たちの時代も待ち合わせはあったが、それよりも前…。
 SD体制が始まるよりも前の時代に、ちょっと変わった待ち合わせの形があったんだよなあ…。



 遠い遥かな昔の地球。誰もが手軽に持ち歩ける通信機が作られ、普及していた。
 その通信機さえあれば、いつでも、何処でも、声や文章を簡単に相手に届けられた時代。
 いざとなったら通信機で連絡を取り合えばいいから、いい加減な待ち合わせをしていたという。時間も場所も曖昧に決めて、「このくらいの時間に、この辺りで」と。
「えーっと…。それで会えるの、そんな決め方の待ち合わせで?」
 その時代は思念波なんかも無いのに、相手が何処で待っているのか、ちゃんと分かるの?
 前のぼくたちなら、「今から行く」って思念を飛ばせば、居場所もきちんと分かったけれど…。
「会えたようだな、その時代のヤツらは。それで会えないなら、方法を変えるだろうからな」
 そうは言っても、傍から見たら馬鹿みたいなすれ違いもあったようだが…。
 道路を挟んで向かい側に相手がいるというのに、気付かないままで「何処だ?」と通信機で連絡し合っているとか。酷いのになったら、同じ歩道で「何処にいるんだ」と通信機で話をしながら、相手とバッタリ出会う代わりにすれ違って行ってしまうとかな。
「…そうなるだろうね…」
 思念波が無くて、ただの通信機っていうだけだったら、ありそうだよね…。
 思念波で話をしてるんだったら、すれ違う時や近付いた時に、共鳴するから気付くだろうけど。



 今の時代は、そういう通信機は存在しない。人が人らしく過ごすために、と。
 思念波も連絡手段としては使わないのが社会の常識、一種のマナー。
 だから待ち合わせをするとなったら、場所と時間をきちんと決めることが大切、それが大前提。学校の帰りに友人たちが決めていたように。明日は十時に公園で、と。
 友人たちとの待ち合わせも心が弾むけれども、同じ待ち合わせをするのなら…。
「ハーレイを待ってみたいよ、何処かで」
 待ち合わせをしてデートしようよ、ハーレイの車は抜きでも、駐車場でもかまわないから。
 ぼくはハーレイを待ってみたいんだよ、もうすぐ来るかな、ってドキドキしながら。
「俺はお前を待たせはしないが?」
 さっきも言ったが、待たせるよりかは待つタイプでな。早めに出掛けて待ってる方だな、お前が来そうな方を見ながら。
「やっぱり…!」
 ぼくと競争になっちゃいそうだ、って言ったでしょ?
 ぼくもハーレイを待ちたいんだもの、まだ来ないかな、ってキョロキョロしながら。
 ハーレイが来たら、「此処にいるよ」って手を振って走って行きたいんだもの…!



 自分もハーレイも、先に着いて相手を待っていたいタイプ。デートの前の待ち合わせの時は。
 お互い、相手よりも早く行こうと競争し合って、本当にどんどん時間が早くなりそうだから。
 この時間だと決めた時間より、遥かに早く待ち合わせ場所に着きそうだから。
「何度もハーレイと待ち合わせをしたら、一時間前に着いてるようになっちゃうかもね」
 待ち合わせは十時、って言ったら九時には着いているとか、九時なら八時に着いてるとか…。
 そうなっちゃっても、もっと早くに着いてやろう、って頑張りそうだよ、ぼく。
 ハーレイが来るのを待っていたいし、今度こそ、って。
「一時間前が当たり前と来たか。…おまけに更に早く来ようとするんだな、お前」
 そういうことなら、待ち合わせの場所。
 早く来すぎても安心なように、屋根があって飯も食える所にしておかないとなあ…。
 お前はともかく、俺の方は急な通信でも来たら、出るのが遅れちまうってことだってあるし。
 もちろん急いで駆け付けはするが、十五分くらいは遅れちまうかもしれないからな。
「んーと…。そういうハーレイ、見られたらとっても嬉しいけれど…」
 やっとハーレイより先に着けた、って嬉しいけれども、待ち合わせの場所…。
 ハーレイが安心してぼくを待たせておける場所って、早い時間から開いてるお店なの?
 屋根があって御飯も食べられるのなら。
「うむ。お前が雨の中にポツンと立っているとか、腹を空かせているのは困る」
 飯は食わないにしても、温かい飲み物や冷たいジュースや、そんなのを置いてる店がいいな。
 入りやすくて、ゆっくりしてても気を遣わなくていい気楽な店。



 俺の家の近所のパン屋なんかは理想的なんだが、とハーレイが挙げた店には覚えがあった。
 食事も出来るレストラン部門を併設していて、ランチタイムまでは店で買ったパンを持ち込んでレストランで食べられる。レストランにはモーニングセットなども揃っているのに。
 その店のレストラン部門でやっていた企画、ソルジャー・ブルーとジョミーとトォニィ、三代のソルジャーが食べた食事を出すというもの。ハーレイがチラシを見せてくれたから、それを食べに行ってみて欲しいと頼んだ。ソルジャー・ブルーのモーニングセットを。
(ハーレイ、不味かったって唸っていたっけ…)
 ソルジャー・ブルーが食べたと謳われたモーニングセットには、アルタミラの餌があったから。餌として与えられていたオーツ麦のシリアル、ハーレイはそれの不味さに泣かされたという。
 どう転んでも餌は餌だと、美味しいとは少しも思えなかったと。ソルジャー・ブルーにゆかりの食事がアレとは酷いと、いくらヘルシーで一番人気でも俺は御免だと。
 モーニングセットには目玉焼きや紅茶もちゃんとセットで、オーツ麦だけではなかったのに。
 ハーレイの記憶で見せて貰った中身は、けして悪くはなかったのに。



 それを思い出したら、その店もいいなと思ったけれど。
 待ち合わせ場所に選んでみたいと惹き付けられたけれども、ハーレイの家の近くだから。自分の家からはかなり遠いし、ハーレイよりも先に着くのは難しそうで。
「…パン屋さん、良さそうなんだけど…。ぼく、ハーレイに負けてばかりになりそうだよ」
 いくら急いで入って行っても、ハーレイが先に中にいるんだ。
 ハーレイの家からすぐのお店だもの、下手をしたら、コーヒー、おかわりしてそう…。
「お前が来るまでに時間がかかるってトコがフェアではないなあ、確かにな」
 俺は家から少し歩けば着いちまうんだが、お前はバスに乗って来て、そこからまた歩いて。
 先に着きたいというお前の夢を叶えるためには、不向きだな。
 いつか待ち合わせをしようって時に備えて、いい場所を探しておかんといかんなあ…。
 俺が車で迎えに来るんじゃ駄目だとお前が言うのなら。
 待ち合わせってヤツをしたいのならな。



 お前の家まで歩いて来る途中に下見しておくか、とハーレイが腕組みをして頷いたから。
「ぼくも探すよ、待ち合わせ場所!」
 家の近くなら、散歩とかにも行ったりするし…。
 待ち合わせに良さそうで、朝早くから開いてそうなお店、ぼくも今から探しておくよ。
「その心意気はいいんだが…。お前、まだ店に入る度胸は無いだろうが」
 一人で入って、紅茶やジュースを頼む度胸があるのか、お前?
 買って出て来るって意味じゃなくって、カウンターだのテーブル席だのにちゃんと座って。
 そこまでしないと下見にならんぞ、店の雰囲気が掴めないからな。
 俺だったら来る時にヒョイと覗いて、帰り道に入ってコーヒーの一つも頼めば充分なんだが。
「そっか…。ぼくだと、それは無理かも…」
 座って注文するのもそうだし、中を覗いてから注文もせずに出るのも無理そう…。
 ハーレイみたいには上手くやれないよ、朝は見るだけで、注文しに入るのは夜だなんて。
「ほらな。無理しないで俺に任せておけ」
 お前でも気軽に入れそうな店で、お前の家から遠くない店。
 俺には少々不利になるがな、その分、頑張って早めに出たなら、お前よりも先に着けるってな。
「待ち合わせ場所を探す所から、ハーレイ任せになっちゃうの?」
 二人で相談して決めるんじゃなくて、ハーレイが一人で待ち合わせ場所を決めちゃうの?
「別にいいじゃないか、待ち合わせるのには違いないんだし」
 時間はお前と相談するんだ、何時に其処で待ち合わせるか、って所はな。
 ちゃんと立派に待ち合わせだろうが、お前と二人で時間を決めれば。



 お前の家に車で迎えに来るよりいいだろう、と笑うハーレイ。
 何処かで待ち合わせをしようと言うなら、待ち合わせ場所を俺が決めたって、と。
「そうだなあ…。うんと入りにくそうな店にしようか?」
 お前が急いでやって来たって、一人じゃ入りにくそうな店。そういう店に決めておいたら、お前より先に入って待てる。お前は俺が入って行くのを見届けてからしか入れないだろうし。
「それは酷いよ…!」
 ハーレイ、ぼくが早く着いても待ってられる場所、って言ったじゃない!
 そんなお店だと、ぼくはハーレイが来るまで、入れないで外にいるしかないんだよ?
 雨が降ってても、お腹が空いても、お店の外で。ハーレイ、それでもかまわないわけ?
「冗談だ。…ちゃんといい店を見付けておくさ」
 お前が最初の客になっても、居心地よく座っていられそうな店。
 俺が遅刻をしちまったとしても、のんびり、ゆっくり待っていられるような店を、きちんとな。



 ハーレイに待ち合わせ場所から探して貰わなくてはいけないけれども、いつかはしてみたい待ち合わせ。此処で何時に、と場所と時間とを決めて、ハーレイと会う。
 そうして会ったら、デートの始まり。二人で何処かへ出掛けてゆく。
 前の自分たちには出来なかったデートのための待ち合わせ。ソルジャーとキャプテン、そういう立場で待ち合わせは出来ても、恋のためには、デートのためには、ただの一度もしなかった。
 けれども、今度は何度でも出来る。恋人同士だということを隠す必要など無いのだから。何処へ行くにも、手を繋いで二人でゆけるのだから。
「ねえ、ハーレイ…。待ち合わせ、沢山、沢山、したいな」
 結婚するまでのデートはいつでも待ち合わせがいいな、結婚したらもう出来ないから。
 ハーレイと一緒に暮らすようになったら、もう待ち合わせは無くなっちゃうから…。
「おいおい、そんなに焦らなくても…。いいか、お前の夢の待ち合わせってヤツは、だ」
 結婚した後にも出来るんだが?
 俺と一緒に住むようになっても、待ち合わせのチャンスはいくらでもあるぞ。
「なんで?」
 おんなじ家に住んでいるのに、何処で待ち合わせをするっていうの?
 家の玄関とか、庭の何処かとか、そういう所で待ち合わせるの?
「そうじゃなくてだ、俺が仕事に行ってる時だな」
 仕事帰りの俺と待ち合わせだ、俺の学校から家まで帰る途中の何処かで。
 俺は車で出掛けてもいいし、その日は車を置いて行くのもいいかもしれんな。
「ああ…!」
 ハーレイの仕事が終わった後に、ぼくと何処かで会うんだね?
 家まで帰って来るんじゃなくって、途中のお店とかで、ぼくが待ってて。
 それだと、ぼくがハーレイより先に着けそう。大急ぎで飛び出して行かなくっても…!



 初めてのデートや、初めての待ち合わせも素敵だけれど。
 結婚した後に、仕事帰りのハーレイと待ち合わせて、一緒に食事に出掛けて行ったり、ゆっくり二人で買い物をしたり。夜の街を二人で歩くのもいいし、ハーレイの車でドライブもいい。
 きっとそういうデートも楽しい、結婚した後も、平日だから出来る待ち合わせ。
「待ち合わせ、早くしてみたいな…」
 初めてのデートも、待ち合わせも。…結婚した後の、ハーレイの仕事帰りの日のも…。
「まずはお前が育たないとな」
 でないとデートも出来やしないし、結婚も無理と来たもんだ。
 急がなくていいから、前のお前と同じ姿に育つことだな、そしたらデートを申し込むから。
 待ち合わせ用の店でも探しながら待つさ、お前が育ってくれるのをな。



 いつか自分が育ったら。前の自分と同じ背丈に成長したなら、初めてのデートで待ち合わせ。
 ハーレイが探しておいてくれた店で、二人で決めた時間に会って。
 そこから始まる、初めてのデート。ハーレイと二人、手を繋ぎ合って。
 待ち合わせの時間が競い合うように早くなっても、それも素敵な思い出になって。
 結婚した後も、仕事帰りのハーレイと何処かで待ち合わせが出来る、デートに行ける。
 そう、今度は待ち合わせをしてもかまわないから。仕事ではなくて、恋のために。
 何度したって、かまわない。
 場所と時間を決めて待ち合わせて、二人でデート。
 ハーレイと二人、幸せな時間を過ごすための始まりが待ち合わせなのだから…。




            待ち合わせ・了

※前のハーレイとブルーはしていなかった、待ち合わせ。恋人同士という間柄では。
 それが今度は出来るのですけど、まだ先の話。いつかブルーが大きくなったら、何度でも…。
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(うーむ…)
 また親父か、とハーレイがついた大きな溜息。金曜日の夜に。
 ブルーの家には寄れなかったから、食料品店で買い物などをして帰宅したけれど。ダイニングに足を踏み入れてみれば、先客の痕跡がありありと。
 合鍵を持っている父がやって来て、暫し寛いで帰ったらしい。どう見てもそういう具合の部屋。椅子はきちんと元に戻って、空のカップも皿も無くても、物言わぬ証拠が残されていた。父の字で書かれた置き手紙。「ブルー君に持って行ってやれ」と。
 テーブルの上に置かれたヤドリギ、ちょっとした花束になりそうなほどの大きさの枝。何処かで見付けて採って来たとみえて、「珍しいだろう」と誇らしげに書き添えてあった。
 今の季節は実もつけているから、地味ではあっても面白くはある。それに珍しいことも間違いはない。花壇や庭では育てられない、普通の植物のようにはいかない。ヤドリギは寄生植物だから。
 木の枝に鳥が残した種から芽生えて、その木を糧に育つものだから。



 父は恐らく釣りの途中でヤドリギに出会ったのだろう。これだけの大きさの枝ともなれば、低い木ではなくて多分、大木に宿ったヤドリギ。
 木登りをしたのか、はたまた釣竿に細工でもして採って来たか。いずれにしても自慢の収穫物。小さなブルーに見せてやってくれ、と。
(親父にしてみりゃ、珍しいだけで…)
 他意は無いと思う、これに関しては。ヤドリギの枝をわざわざ届けに来た件は。
 立派なものを見付けたから、と得意げな顔が目に浮かぶようだ。「滅多にお目にかかれないぞ」だとか、「花屋に頼んでも取り寄せだな」だとか。
 そう、ヤドリギにはそうそう会えない、普通の家の庭はもとより、公園でさえも。種を運ぶ鳥がいなくては駄目で、その種がまず必要で。鳥が実を食べ、中身を落としてくれなくては。
 そんな木だから、ヤドリギを見たいと探しに行っても、運任せ。この木にだったら確実にある、といった類のものではないから。端から見上げて探すしかない、丸く茂った独特の姿を。
 一つ見付かれば、同じ木の上に二つ、三つとくっついていることもあるけれど。よくもこんなに育ったものだと呆れるほどに、幾つもつけた木もあるのだけれど。



 とにかく珍しいのは事実で、花屋でも常に置いてはいない。だからこその父の置き手紙。小さなブルーに届けてやれ、と。
(趣味で果実酒も作るしなあ…)
 父がヤドリギに出会えば果実酒、熟した実を使って作り始める。此処に置いてある枝の他にも、ヤドリギを採って帰っただろう。これから作るか、とうに瓶の中に漬かっているのか。滋養強壮にいいらしい果実酒、色はこのヤドリギの実と同じで黄色。味の方もけして悪くはない。
 それに種からはトリモチが作れる、黄色く熟した実の中身で。粘り気を帯びた種を細かく砕けば出来るけれども、これが根気の要る作業。砕いただけでは出来ないトリモチ。何度も何度も叩いて潰して、その繰り返し。
 父には「噛んで作るのが王道だぞ」と教わったけれど、噛んでも時間は短縮出来ない。口の中が塞がるというだけのことで、けして早くは出来上がらない。
 とはいえ、面白かった経験、ヤドリギの種から作るトリモチ。棒の先に粘るトリモチをつけて、鳥が来るのを待ったりした。本当にこれで捕れるだろうか、と。
 何の鳥かは忘れたけれども、何度か捕った。家の庭でも、父と出掛けた釣りの途中にも。捕った小鳥は直ぐに逃がした、トリモチで遊んでいただけだから。



 珍しい上に果実酒やトリモチも作れるヤドリギ、父がブルーに届けてやりたい気持ちも分かる。ましてこんなに立派な枝なら、なおのこと。
(だがなあ…)
 得意の薀蓄、あるいは雑学。ヤドリギについても持っているネタは幾つかあって。
 遠い遥かな昔の日本でヤドリギと言えば、長寿と幸福を祈るもの。地面に根を張る木とは違って空で育つ木、冬でも枯れない艶やかな緑。年中緑が絶えない常盤木、ゆえに珍重されたヤドリギ。枝を髪に挿して長寿と幸福を祈り、祝い事の時に飾りもした。
 それが自分たちの住む地域の昔の文化で、そちらは別に悪くはない。けれど…。
(この地域じゃあまり見かけないが、だ…)
 他の地域でヤドリギとくればとんでもなかった、クリスマスに飾られるヤドリギのリース。その下に立っている女性にはキスをしてもいいのだ、という迷惑な習慣。
 キッシング・ボウと呼ばれるヤドリギのリース。キスをしたらヤドリギの実を一つ毟って、実が無くなったらキスもおしまい。
 ヤドリギ自体は、その地域でも神聖な木ではあるけれど。遠い昔には黄金の鎌で採ったくらいに大切にされていたのだけれども、いつの間にやらキッシング・ボウ。
 そんな調子だから花言葉も酷い、イギリスだったら「私にキスをして下さい」。フランスならば「危険な関係」。
 なんとも厄介な植物がヤドリギ、父が「ブルー君に」と寄越したヤドリギ。



 しかも、それだけでは済まなかった。今の自分の薀蓄だけでは。
(シャングリラがなあ…)
 前の自分が生きていた船、ブルーと暮らした白い船。
 シャングリラではクリスマスの飾りにとヤドリギの造花を作っていた。本物のヤドリギは流石に育てられなかったから。アルテメシアへ採りに行くのもあんまりだから。
 それでも欲しかったヤドリギのリース、言い出したのは誰だったろう?
 ヒルマンやエラが率先してやるとも思えないから、誰かが昔の本などで読んで、そこから船中に広がってしまったという所か。そうなれば調子に乗るのがブラウとゼル。お祭り騒ぎが好きだった二人。始まりは多分、そういった所。シャングリラにもあったヤドリギのリース。
 造花を使ってまで作るのだから、目的は無論、キッシング・ボウ。その下に立っている女性にはキスをしてもいいのだと、大人なら誰でも知っていた。
 ヤドリギのリースを吊るしていた場所、居住区の入口や公園の入口。
(誰も立ってはいなかったがな?)
 前の自分は見掛けなかった、リースの下に立っている女性。
 けれども造花のリースについていた実は、いつしか消えてしまっていたから。綺麗に無くなってしまっていたから、前の自分が見ていないだけで、立っていた女性はいたのだろう。女性にキスを贈った者も。



(…俺は避けられていたってか?)
 今にして思えばそうかもしれない、ウッカリ立っていてキスをされてはたまらないと。
(薔薇のジャムが全く似合わなかった俺だしな…)
 シャングリラの女性たちが作った薔薇のジャム。希望者にクジで配られたけれど、クジを入れた箱は前の自分を素通りしていった。ゼルでさえも「運試しじゃ」と引いていたのに。
(俺だと逃げられていたってことはだ…)
 ブルーだったら、女性が何人もリースの下に立っていたかもしれない。あわよくば、と。
 白いシャングリラのヤドリギの思い出はクリスマスのリース、ブルーも覚えている筈で。小さなブルーが忘れていたとしても、話してやれば思い出す筈で。



(そういえば、あいつ…)
 シャングリラで暮らしていたブルー。前の自分が愛したブルー。
 ブリッジでの勤務を終えて青の間に行こうと歩いていた時、リースの下で待ち受けていた。皆が寝静まった居住区の入口、其処に吊るされたリースの真下に立って。
 キスしてもいいと、此処でキスを、と。
 誰も見ていないから今の内だと、この時間ならば大丈夫だと。
 あの日は仕事が遅くなったから、静まり返っていた居住区。普段だったら帰る時でも通ってゆく者が何人もいた。リースの下に立っている女性がいなかっただけで。
(………)
 前のブルーは待っていたのだろう、ヤドリギのリースが吊るされた場所が無人になるのを。前の自分が通るタイミングで、其処に人影が無くなる時を。
 させられてしまった、ヤドリギのリースの下でのキス。「ほら、取って」と促されてリースから毟り取った実。
 あの実は何処へやったのだったか、そこまでは思い出せないけれど。
 鮮明に蘇って来た記憶。ヤドリギの下で前のブルーに贈ったキス。強請られるままに。



 ヤドリギのキスを思い出したからには、出来れば持って行きたくないのがヤドリギだけれど。
 小さなブルーの家には届けず、知らないふりをしたいけれども。
(親父が訊いてくるに決まっているんだ!)
 あのヤドリギは喜ばれたかと、未来の息子の反応を。今の所は一人息子の自分が伴侶に迎えると報告してある、小さなブルーの反応を。
 もしもヤドリギを持ってゆかずに、適当な嘘をついておいたら…。
(いつか、ブルーと親父が会った時に…)
 バレないとも限らない、何かのはずみに。あのヤドリギは届かなかったと、ブルーはヤドリギを貰わなかったと。
 そうなるとマズイ、ヤドリギだけに。ヤドリギのリースの下で前のブルーに、キスを贈った思い出があるだけに。



(親父め…)
 よくもヤドリギなんぞを、とテーブルの上の枝を睨んでも消えてくれないヤドリギの緑。文字が消えてはくれない父の置き手紙。「ブルー君に持っていってやれ」と。
 ヤドリギの枝を持ち込んだ父は、ヤドリギと言えば果実酒かトリモチだとしか思っていないから仕方ないのだけれど。キッシング・ボウの習慣は自分たちの住む地域には無いのだから。
 この地域では、せいぜい、クリスマスの飾りくらいに思われているのがヤドリギの枝。リースの下でのキスまで知っている者は恐らくとても少ないだろう。
 父が何処かで耳にしたとしても、他の地域の文化なだけに、きっと忘れるに違いない。自分とは全く関係が無いと、覚えておく必要も無さそうだと。
(仕方ないか…)
 持って行こうと腹を括った、このヤドリギを。黄色い実が幾つもついた見事な枝を。
 明日は小さなブルーの家を訪ねてゆく日だから。それに合わせて、父がヤドリギの枝をブルーに贈ろうと隣町から来たのだから。



 翌日の土曜日、晴れた空の下、ヤドリギを持ってブルーの家へと出掛ける途中。
 散歩中の人に何度も声を掛けられた、「珍しいですね」と。「朝から採って来られたんですか」とも何度も訊かれた、ヤドリギの枝は下手な花束よりも人目を引くから。
 声を掛けて来た人に譲ってしまいたいほどの気持ちだったけれど、そうもいかなくて。
 父の好意を無には出来ないから、これはブルーに、とグッと堪えて歩き続けて、生垣に囲まれた
ブルーの家に着いてチャイムを鳴らしたら。



「あら、ヤドリギ…!」
 門扉を開けに来たブルーの母がヤドリギの枝に目を留めた。「どうなさいましたの?」と。
「昨日、父が届けに来まして…。ブルー君に、と」
「そうでしたの! ブルーもきっと喜びますわ。ヤドリギだなんて」
 クリスマスの飾りには早いですけど、そうそう見掛けませんものね。
 笑顔で言われた「クリスマス」という言葉にドキリとしたけれど、キッシング・ボウのことではなかった。クリスマスのリースに使われる植物の一つがヤドリギだと思っているらしい。
(心臓に悪い…)
 あの親父め、と心で毒づいておいた、ヤドリギのせいで俺は迷惑してるんだが、と。



 二階のブルーの部屋に案内されて。お茶とお菓子が運ばれて来た後、小さなブルーとテーブルを挟んで向かい合わせ。
 母の足音が消えると早速、ブルーはヤドリギの枝を指差した。花瓶に生けられ、テーブルの上に置かれた枝を。
「ハーレイ、花束持って来てくれたの?」
「そう見えるか?」
 お前の目にはこいつが花束に見えると言うのか、花束にしては地味すぎるんだが?
 それにだ、この枝は俺からじゃなくて、俺の親父からのプレゼントで…。
 昨日、帰ったら置いてあったんだ。「ブルー君に持って行ってやれ」という手紙つきでな。
「えっ、ハーレイのお父さんから?」
 ぼくにプレゼントなんだ、この枝。それじゃ珍しい木か何かなんだね、釣りのお土産かな?
 えーっと…。花は咲いてないけど…。でも、実がついてる枝が一杯…。
 これは何なの、とブルーが眺めているから。
「覚えていないか? 前のお前は知ってた筈だが」
「え?」
「シャングリラにあったぞ、本物じゃなくて造花だったがな」
 あの船じゃ本物は育てられなかった、木に寄生する植物なんだが…。
「ああ、ヤドリギ…!」
 そうだったっけね、クリスマスになったら造花を作っていたんだっけ。クリスマスのリースにはヤドリギじゃないと、って。



 これが本物のヤドリギなんだ、と瞳を輝かせているブルー。それにハーレイのお父さんに貰った素敵なお土産、と。
「黄色い実が沢山ついているけれど、この実は食べてもいいの、ハーレイ?」
 シャングリラのヤドリギは造花だったから、実なんか食べられなかったけれど。
「駄目だ、生の実は毒だからな」
 少しくらいなら問題は無いが、食わないに越したことはない。この実を食うなら果実酒なんだ。
「お酒…?」
 こんな小さな実でもお酒になるんだ、ヤドリギの実。
「親父が趣味で作っているぞ。小さな実だから、そんなに沢山は出来んがな」
 この枝を採って来たついでに、自分用にも採って帰って作っていると思うぞ、ヤドリギの酒。
 黄色い色の酒だ、この実を溶かしたような色になるってわけだ。ほんのり甘いぞ、チビのお前はまだ飲めないが…。いや、育っても酒は駄目だったっけな、お前の場合は。
「甘いってことは…。この実、甘いの?」
 さっき毒だって言っていたけど、ハーレイ、この実を食べたことはある?
「ガキの頃にな。実の中の種を取り出すついでに食ってみた」
 甘い実だったぞ、親父に「駄目だ」と言われなかったら、きっと山ほど食ってただろうさ。毒にあたって酷い目に遭ったと思うがな。
「ふうん…? 甘い実なのに毒なんだ?」
「ありがちだろうが、その手のものは。毒が必ずしも苦いとは限らん」
 それから、俺が食っていたのは実の中の種のためだからな?
 同じ出すなら食ってみようと思ったわけだな、その種だって口に入れんと使えないんだし。



 種でトリモチを作るんだ、と実を一つ取って。指先で黄色い果肉を破って、中にある種を見せてやった。粘り気がある種なんだ、と。
「こんな感じで指にくっつく、ヤドリギはこうやって増えていくのさ」
 鳥が実を食った後に落としていく種。そいつが木の枝にくっつく仕組みだ、この粘り気で。根が出るまで無事にくっついていられたら、其処にヤドリギが生えるってことだ。
 人間様はこいつを使ってトリモチ作りで、種を砕いてやるんだが…。
 親父が言うには、王道は「口の中で噛む」ってヤツでな、俺も頑張って噛んでいたもんだ。辛抱強く噛めば粘りが強くなってだ、見事トリモチが完成ってな。
「へえ…!」
 トリモチって、それで鳥が捕れるの?
 ハーレイ、鳥を捕まえられた?
「まあな。捕まえた鳥はもちろん逃がしてやったぞ」
 俺は遊びで捕ってるんだし、直ぐに逃がしてやらんとな?
 トリモチは噛んで作ったりもしたが、石とかで種を叩き潰して細かくしたりもしていたな。石を使おうが、口で噛もうが、かかる時間は変わらないわけで、面倒と言えば面倒だなあ…。
 トリモチってヤツはモチノキからも作れるぞ。そっちは木の皮を使うんだがな。



 モチノキのトリモチの作り方は…、と父の直伝の方法などを披露して、ヤドリギから逸らそうとした話題。小さなブルーがキッシング・ボウを思い出さない方へゆこうと。
 そうして子供時代のトリモチ作りや、トリモチで鳥を捕まえた話をしていたら…。
「ハーレイ、これって…。このヤドリギって…」
 ブルーがヤドリギの枝をまじまじと見詰めているから、「うん?」と先を促した。余計なことを思い出すんじゃないぞ、と祈りつつも「ヤドリギがどうかしたか?」と。
「こいつが何か気になるというのか、そういえばヤドリギは薬だっけな」
 種はトリモチだが、葉っぱや茎は薬草なんだ。確か腰痛に効くんだったか…。
 何処の地域かは忘れちまったが、金に困ったらヤドリギを採って薬屋に売りに行ったそうだぞ、けっこうな金になったってことだ。
「そうなんだ…? 造花だと薬はちょっと無理だね、ヤドリギの造花」
 シャングリラのヤドリギは造花だったし…。クリスマスにリースを作るための。
「そうだが? 今でもヤドリギはクリスマスのリースに使われてるぞ」
 お前のお母さんも「クリスマスには少し早い」と言っていたなあ、こいつを眺めて。
 少しどころか、まだまだ先だな、クリスマスはな。



 もっと寒くなって雪が降る頃になってくれんと…、とクリスマスからも話を逸らそうとした。
 シャングリラにあったクリスマスのリースはキッシング・ボウで、小さなブルーが思い出したら何かとうるさそうだから。
 ヤドリギだけでも充分に危険なものだと言うのに、リースとなったら危険は一層高まるから。
 なのに…。
「思い出したよ、シャングリラのヤドリギ!」
 なんでわざわざ造花を作って、それをリースにしてたんだろう、と思ったけれど…。
 他の木とかじゃ駄目だったのかな、って考えてたけど、ヤドリギって所が大切だったんだっけ。
 ヤドリギのリースの下でキスだよ、これのリースの下にいる人にはキスをしたっていいんだよ。
 キスをしたら実を一つ毟って、実が無くなったらキスはおしまい。
 前のぼくもハーレイにキスして貰ったっけね、居住区の入口に立って待ってて。
「おいおいおい…」
 なんて話を思い出すんだ、親父はそういうつもりでヤドリギを採って来たんじゃないぞ?
 親父にとっては果実酒かトリモチの元になる木で、ただ珍しいっていうだけで…。
 お前に届けてやれというのも、デカイのを見付けて嬉しかったからだと思うがな?
 親父はキッシング・ボウを知らんし、クリスマスのリースに使うというのも知ってるかどうかは怪しいもんだ。おふくろが家に飾っていたって、クリスマスと結び付いてるかどうか…。
 単なるリースだと思ってそうだぞ、クリスマスだからリースを飾ってあるんだな、とな。



 このヤドリギはそういう親父からのプレゼントで…、と懸命に逃げた。キッシング・ボウの話は御免蒙ると、もうこれ以上は勘弁だと。
「いいか、親父は何も知らないんだ、お前が言ってるようなことはな」
 だからこそ「持って行け」と家まで届けに来たんだ、キスだと知ってりゃ持っては来ない。
 俺の顔を見る度に「あんな小さい子に手を出すんじゃないぞ」と言ってる親父だ、こいつに妙な意味があるんだと知っていたらだ、持って来ないで果実酒だな。自分用に全部持って帰って。
「そっか、意味…。あったね、ヤドリギの花言葉で「キスして下さい」っていうヤツが」
 何処のだったか忘れたけれども、シャングリラにいた頃に確かに聞いたよ。
 「キスして下さい」だからキスしてあげるよ、ハーレイに。
 ヤドリギを持って来てくれたんだもの、「キスして下さい」って意味になるよね。
「こら、チビのくせに…!」
 キスは駄目だと言ってるだろうが、お前からキスをするのも禁止だ!
 ついでに、ヤドリギを持って来たから俺にキスだと言うなら、俺よりも親父の方だろうが。このヤドリギは親父のプレゼントなんだ、お前がキスをするなら親父だ。
「…そうなっちゃうの? ハーレイのお父さんにキス…?」
 ハーレイにキスっていうのは駄目なの、ぼく、ヤドリギを貰ったのに…。
 ヤドリギの花言葉は「キスして下さい」なのに、ハーレイ、キスして欲しくないわけ…?
「当たり前だ!」
 俺からもキスをしないというのに、なんでお前がキス出来るんだ!
 チビのお前にキスは禁止だ、前のお前と同じ背丈に育ってから言え、そういう台詞は!



 それに親父からのプレゼントだし、とヤドリギの枝から小さな枝を一本、ポキリと折り取った。
「親父は多分、知らんと思うが…。ヤドリギは果実酒でトリモチだろうと思うんだが…」
 それでも日本の文化が好きな親父だからなあ、ここは日本風にいこうじゃないか。
 キスがどうのと言うんじゃなくてだ、前の俺たちが生きた頃には消されちまってた日本の文化もいいもんだぞ。日本じゃヤドリギは長寿と幸福を祈って、こうして髪に挿すもんだってな。
 こうだ、とブルーの銀色の髪に挿してやったヤドリギの小枝。上手く絡めて、落ちないように。
「髪飾りって…。日本風って、たったこれだけ?」
 キスとかは無いの、日本には?
 日本の文化にそんなのは無いの、髪の毛に飾っておしまいなの…?
「残念ながら、日本の文化には元々、クリスマスなんぞは無かったからな」
 クリスマスが無ければヤドリギのリースは必要無いしだ、その下でキスをすることも無い。
 ヤドリギとキスは結び付かんということだ。お前の目論見通りにはいかん。
 第一、何度も言ってるだろうが、このプレゼントは親父からだ。俺ではなくて親父だ、親父。
 せっかく見事なヤドリギなんだし、残りは飾っておくんだな。
 髪に一本挿してやったし、もうそれだけで充分だろうが。
「そんな…!」
 お父さんからのプレゼントにしたって、届けてくれたの、ハーレイなのに…!
 それに本物のヤドリギなんだよ、前のぼくたちにはヤドリギの造花しか無かったのに…。
 前のハーレイとキスをしたのも、造花のヤドリギの下だったのに…!



 酷い、とブルーは膨れたけれど。
 ヤドリギの花言葉は「キスして下さい」で、ヤドリギのリースはキスしてもいいリースの筈だと頑張るけれど。
「前のぼくは造花の下でしかキスを貰っていないよ、このヤドリギは本物だよ?」
 やっと本物に会えたんだから、キスのやり直しをしてもいいと思うよ?
 リースにしなくても、ヤドリギの側でハーレイとキスして、実を一個取って。
 やり直しのキス、此処できちんとして欲しいんだけど…!
「分かってるのか、キスはクリスマス限定だぞ」
 花言葉の方はともかくとしてだ、ヤドリギの下でキスをするのはクリスマスだけだ。やり直しも何も、今はクリスマスじゃないんだがな?
「だったら、このヤドリギの枝、クリスマスまで残しておいて…」
 リースにしようよ、それからキスのやり直しで…!
「クリスマスまで持つと思うか、この枝が?」
 木に生えたままなら枯れないだろうが、もう切り取られているんだぞ。どんなに注意して世話をしたって、クリスマスまでには枯れるだろうな。
「それなら、また採って来て貰うとか…」
 ハーレイのお父さんに探して貰って、またヤドリギの枝をプレゼントして貰うんだよ。
「そりゃまあ、ヤドリギを探すんだったら、冬の方が遥かに見付けやすいが…」
 木の葉が全部落ちちまうから、ヤドリギがついてりゃ一目で分かる。
 ヤドリギは冬でも青々と茂っているんだからな。
「じゃあ、リクエスト!」
 探しやすいんなら頼んでいいでしょ、ヤドリギ探し。ぼくはヤドリギが欲しいんだから。
 ぼくが気に入って欲しがってる、って伝えておいてよ、お父さんに。



 クリスマス前にもう一度ヤドリギを採って来て貰えるように頼んでよ、と強請られたから。
 本物のヤドリギでリースを作って、やり直しのキスだとせがまれたから。
「断固、断る」
 百歩譲って、親父にヤドリギ探しを頼んでやったとしても、だ。
 お前のお母さんに渡して「リースにどうぞ」ということになるな、クリスマスの飾りにピッタリですと。きっと素敵なリースが出来るぞ、そりゃあ綺麗なヤドリギのリースが。
 俺が来たら玄関のドアに飾ってあるかもしれないな。玄関の天井に吊るすんじゃなくて、ドアの外側によく見えるように。
 そういうリースになって良ければ、親父に頼んでやってもいいが?
 ドアにくっついちまったリースじゃ、その下でキスは出来ないからな。
「ハーレイのケチ!」
 やり直しのキスをしてくれる気なんか無いんだね?
 前のぼくたち、造花のリースしか無かったのに…。
 本物のヤドリギがある地球に来たのに、その下でキスはしてくれないんだ…?



 プウッと膨れてしまったブルー。頬を膨らませて不満そうなブルー。
 ヤドリギの下でキスをやり直したいという気持ちは分かるけれども、今のブルーは子供だから。
 十四歳にしかならない子供で、キスどころではないのだから。
「ケチと言われても、膨れられても、譲るわけにはいかんな、これは」
 駄目だと言ったら駄目なんだ。今のお前とキスは出来んし、やり直しのキスでもそれは同じだ。
 しかし、お前の気持ちも分かる。造花の下より本物のヤドリギの下で、というのはな。
 だからだ、いつかお前と結婚したなら、クリスマスにリースを飾ろうじゃないか。親父に頼んで探して貰って、本物のヤドリギで作ったリースを。
 お前はそいつの下に立つんだ、そうしてキスのやり直しだ。
「ホント? 本当にやり直してくれるの、キスを?」
 今は駄目でも、結婚したら。ハーレイと暮らせるようになったら、やり直しのキス。
「うむ。本物のヤドリギの下に立ってろ、ヤドリギの実がある間はな」
 キスをしたら実を一つ毟って、全部無くなったらおしまいだろうが。
 リースについてる実の数だけのキスをしてやる、前の俺たちのやり直しのキスを。
 前の俺がリースから外した造花の実は何処へやったか、まるで覚えていないんだが…。
 多分、お前とのキスがバレたら困ると捨てたんだろうが、今度は捨てなくてもいいからな。
 リースから毟った実は酒に漬けておくとするか、ヤドリギの果実酒の作り方を親父に習って。
 そうすりゃキスの思い出になるし、実だって美味しく食べられるし…。
 お前は酒は駄目かもしれんが、少しだけ舐めるくらいはな…?
「うんっ!」
 キスの数だけ、実が漬かっているお酒なんだね。キスしたら実が増えていくんだね、瓶の中の。
 やり直しのキスを貰った分だけ、ヤドリギのお酒の実が増えるんだね…。



 それまで待つよ、とブルーの機嫌が直ったから。膨れっ面ではなくなったから。
「待つだけの価値は充分にあるぞ、なにしろ本物のヤドリギだからな」
 そいつのリースだ、シャングリラの造花のリースとは違う。
 お前はキスにこだわっているが、ヤドリギってヤツは本来、幸福を運ぶものだったんだ。
 だからクリスマスの飾りにもなった、幸運を呼び込めるようにとな。
 ずうっと昔は神聖な木で、黄金の鎌で刈り取ったというくらいの木なんだ、ヤドリギの木は。
 それを吊るして幸せを祈っていたのがキスの始まりってわけだ、幸せになれますように、とキスしていたんだ、最初の頃は。
 いつの間にやら、意味が変わってしまったが…。本当は幸福を祈るキスだったのさ。
 つまりだ、俺たちのやり直しのキス。造花じゃない分、うんと幸せが来るってな。
「そうなんだ…。ただのやり直しのキスじゃないんだ…」
 本物のヤドリギが幸せを運んでくれるんだ?
 やり直したキスの数の分だけ、リースについてた実の数だけ。
「それ以上に幸せになれる筈だぞ」
 元々は実なんか数えちゃいないだろうが、キッシング・ボウが出来る前には。
 ヤドリギのリースがあればいいんだ、そいつを飾っているだけで幸せが来るさ、きっと山ほど。



 今は長寿と幸福の髪飾りで我慢しておいてくれ、と髪に挿し直してやったヤドリギ。
 銀色の髪に絡めて一枝、ヤドリギの緑。
 シャングリラで贈ったキスの証の、ヤドリギの実は失くしたけれど。
 前の自分がブルーとの恋を隠し通すために、何処かに捨てたらしいけれども。
 今度は隠さなくてもいいから、キスの数だけ毟り取った実を漬けて果実酒も作れるから。
 きっといつかは本物のヤドリギのリースを飾ろう、ブルーと二人で暮らす家に。
 そうして最初はやり直しのキス、前の自分たちが造花のリースの下で交わしたキスのやり直し。
 幾つも幾つもキスを交わして、やり直しのキスが済んだなら。
 ヤドリギの実が全部毟り取られて無くなったならば、今度は二人で幸せのキス。
 青い地球の上で幸せになろうと、何処までも幸せに生きてゆこうと…。




             ヤドリギ・了

※シャングリラでは造花だった、クリスマスのヤドリギ。キッシング・ボウに使われた物。
 前のブルーとハーレイにも、その下でのキスの思い出が。今の生でも、いつか本物の下で…。
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