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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

「ふむ。まだまだ充分に時間があるな」
 ハーレイが左腕の時計をチラリと眺めた。週末の午後、ブルーの部屋でのティータイムの途中。昼食もブルーの部屋で摂ったが、食後のお茶が無くなる頃合いでお茶とお菓子が運ばれて来る。
 ポットにたっぷり入った紅茶と軽い焼き菓子やクッキーの類。ケーキやタルトといった本格的な菓子は午後の三時を回ってから。ゆえにティータイムと呼ぶべきか否か、微妙な時間。三時までは一時間以上あったが、この時間帯はブルーの母は二階に上がっては来ない。
「ママが来るまでゆっくり出来るね」
 ブルーも部屋の時計で時刻を確認した。ハーレイが訪ねて来てくれる休日、ブルーの母は来客を気遣って「お茶のおかわりは如何ですか」と顔を出す。午前中はもちろん、午後のお茶の時も。
 どのタイミングで部屋に現れるか分からないから、初めの間はブルーもハーレイも階段を上がる母の足音を聞き逃さないよう、聞き耳を立てていたものだ。なにしろブルーはハーレイの膝の上に座ったり、抱き付いていたりと甘え放題。そんな現場を母に見られるわけにはいかない。
 そうこうする内に、ブルーの母が現れない時間帯があると二人は気付いた。
 昼食の後に運ばれて来る、お茶と軽く摘めるクッキーや焼き菓子。それが出されてから午後三時までは、お茶のおかわりは出て来ない。どうやら母の考えでは三時のお茶が大切なもので、其処で供する菓子を食べるのに響かないよう、あえてお茶のおかわりを出さないらしい。
 それと気付いてから「本当に来ない」と確信するまで暫く時間はかかったけれども、間違いなく来ないと分かった時から「食後のお茶の後」のティータイムは二人の憩いのひと時となった。



 今日も二人きりで寛げる時間。三時になるまでブルーの母は決して階段を上がっては来ない。
 もっとも、ブルーもハーレイと再会して直ぐの頃に比べればかなり落ち着いたし、以前のように始終ベッタリとくっついているわけではなく、テーブルを挟んで向かい合って他愛ない話を交わすことだって多いのだけれど。
 そう、今のように。
 ハーレイが目をやっていた腕時計。前の生でもハーレイが好んだアナログの時計で秒針つき。
(…ハーレイ、ああいう時計が好きだったよね)
 ブルーは懐かしく思い出す。
 遠い昔にシャングリラで共に暮らしていた頃、ハーレイの部屋にはレトロなアナログの置時計があった。いつも微かな音を立てながら規則正しく時を刻んでいた時計。秒針つきの置時計。
 キャプテンとしてブリッジに詰めている時、ハーレイが時刻を確認するために覗く時計は秒単位どころのものではなかった。銀河標準時間を示す時計も、アルテメシアの時間を示す時計も、表示単位は秒より更に細かく、正確さを要求されるもの。シャングリラの行く手を左右するもの。
 アルテメシアの雲海に潜んでいた頃はワープなど必要なかったけれども、ワープするなら時間を正しく読まねばならない。一つ間違えればシャングリラは宇宙の藻屑と消える。そうならないよう常日頃から正確な時刻を確認し続け、表示に慣れておかねばならない。
 それがキャプテンが見るべき時計。目まぐるしい速度で変わり続ける表示される数字。
 ブリッジの時計がそうだった反動からか、レトロなものを好んだハーレイの趣味のせいなのか。ハーレイの部屋の時計はアナログ、秒針つきの置時計。もちろんキャプテンの部屋だけに銀河標準時間とアルテメシア標準時間を示す時計もあったけれども、主役はアナログの置時計。
 ハーレイの部屋を訪ねてゆく度、静かに時を刻み続ける置時計が時刻を教えてくれた。正確さを求められる時計の表示とは違った優しい文字盤。置時計が刻む時の流れはゆったりと流れる大河のようで、決して見る人を急かしはしない。
 ゆっくりと時を刻む時計はブルーの心にも穏やかな時間をくれたから。
 いつしかブルーもアナログの時計に惹かれ始めて、青の間のベッドサイドに置いた。秒針が一周するまでの時間はこんなにも長いものだったのか、と飽きずに何度もそれに見入った。



(…でも、無くなってしまったんだよね…)
 ベッドサイドに置いてあったブルーの置時計。
 お気に入りの時計だったというのに、アルテメシアを離れて宇宙に出た後、十五年もの長く深い眠りに就いていた間に、誰かが奥の部屋へと仕舞った。昏睡状態とも言えたブルーの体調管理には不向きな時計だったからなのだろう。
 目覚めた時には味気ない時計、医療スタッフがチェックするための正確な時計。
 置時計は何処へ行ってしまったのかと、あの慌ただしかった時の最中にブルーは捜した。そして奥の部屋で見付けたけれども、元の場所へと運び出したりはしなかった。
 自分に残された時間がいくらも無いことが分かっていたから。
 ゆったりと流れる時間を楽しむ余裕も無ければ、そんな時間が自分には二度と訪れることなく、ひたすらに死へと急ぐだけだと自覚し、覚悟していたから。
 置時計をベッドサイドに置かなかったから、メギドへ飛ぶ前、これが最後だと青の間を見回した時に時計は見ていない。自分が何時に部屋を出たのか、記憶していない以前に全く知らない。
(うーん…)
 青の間を離れた後、立ち寄ったブリッジでも時計を見たりはしなかった。
 自分が何時にシャングリラを出て、それからメギドへと向かったのか。まるで分からない上に、今も知らない。
(でも、ハーレイは知っている筈なんだよね)
 青の間を後にした時間はともかく、シャングリラを出た時間は把握していただろう。そういったことはキャプテンの仕事の範疇だったから、ハーレイに話し掛けてみる。
 自分は全く見なかった時計を、あの日、ハーレイは見ていたのか、と。



「…時計か…」
 何度も見たな、とハーレイは辛そうに顔を歪めた。
「ナスカがどのくらい持ち堪えるのか、次の攻撃はいつ来るのかと時計も他の計器も見ていた」
「そっか…。やっぱりハーレイはキャプテンなんだね」
 ぼくは時間なんて気にしてなかった。
 もう時間なんて関係の無い所へ行くから、どうでも良かったっていうことだろうね。
 死んじゃうんだもの、時間なんか関係なくなっちゃうもの…。
「…お前はそうだったのかもしれん。しかし俺にとっては、そうではなかった」
「えっ? ぼくが何時にどう動いたのか、それ、シャングリラに必要な情報だった?」
 そう尋ねてから、ブルーは「そうか」と思い当たった答えを口にした。
「ワープする時のタイミングなんだ? ぼくがメギドを止められるかどうかは分からないものね」
 自分が失敗してしまったなら、ワープして攻撃を避けねばならない。シャングリラは第二波に耐えられはしない。そのために自分の動きを予測しながら時計を見たのだ、と思ったのに。
「…そうじゃない。シャングリラがどうこうというんじゃなくって、俺のためだな」
「……ハーレイのため?」
 ブルーには意味が掴めなかった。
 あの日に自分が取った行動と、それに関連する時間。
 シャングリラに必要な情報だったと言われれば分かるが、ハーレイのためとは何なのだろう…?



 言われた言葉を理解しかねて、ブルーは首を傾げたのだけれど。
 ハーレイは先刻よりも一層辛そうな表情になって、鳶色の瞳が翳りを帯びた。
 あの日に引き戻されたかのように。ナスカが燃えた日に、ブルーがメギドへ飛び去ったあの日にもう一度戻ってしまったかのように。
 苦しげに何度も溜息をついて、ようやっと紡ぎ出された声は深い悲しみに満ちていた。
「…あの日のことはどうでもいい。あの日に俺が取るべき行動は一つを除いて間違ってはいない」
「一つ?」
「…お前を行かせてしまったことだ。一人きりで行かせてしまったことだ」
 お前を止めるか、お前を追い掛けてメギドへ飛ぶか。
 その選択を俺は誤った。どちらかを選ぶ代わりにお前を一人で行かせてしまった。
 そうしてお前を失ったんだ。…俺が間違った道を選んだせいで。
「ハーレイ、それは間違いじゃないよ。どちらも選ばないのが正しいキャプテンなんだよ」
「…そうかもしれん。…そうなんだろうが、俺は今でも後悔している」
 そんな俺がどうこう言える問題じゃないんだが…。
 あの日、一つだけ知りたかった時間が俺にはあった。
「分かるか、ブルー?」
 …あの日の俺には知りようもなかった時間だったが、その時間を俺は捜し続けた。
 前の俺が死ぬ直前まで捜し続けて、最後まで掴めなかった時間だ。
「何なの、それ? …何の時間?」
 ブルーの問いに、ハーレイは深く大きな溜息をついて。
「…お前の死んだ時間が知りたかった」
 それだけが知りたかったんだ、と絞り出された苦しげな声。
 息を飲んだブルーとテーブルを挟んで向かい合いながら、ハーレイの言葉はなおも続いた。



「俺はどうしても知りたかったんだ。…お前が死んでしまった時間を」
 その日、その時間に祈りたかった。
 お前を失くしてから俺が独りで生きていた間、あの日が巡って来る度に皆で祈った。
 シャングリラ中の皆が祈った、ナスカで死んでいった仲間やお前のために。
 ジョミーがブリッジの中央に立って、皆で黙祷していたものだ。…もちろん、俺もな。
 だが、それだけでは足りなかった。俺はお前のためだけに祈ってやりたかった。
 お前が死んでしまった時間に、何処に居ようと一瞬だけでも祈りたいと思って捜し続けた。
 それなのに分からなかったんだ。
 人類軍の最高機密で、メギドの件だけは掴めなかった。
 アルテメシアを落としても駄目で、ノアを落としても駄目だった。
 グランド・マザーが情報をブロックしてしまっていて、何処からも引き出せはしなかった…。



 最後まで捜し続けていたのだ、とハーレイが呻く。
 死の星だった地球を目にした時にも、今度こそ分かると思ったのだ、と。
 グランド・マザーを倒しさえすれば情報はブロックされなくなる。
 そうしたら分かると、その時間に祈ることが出来る、と。
「…もっとも、それで分かったとしても…。多分、祈るのは一度きりだったろうな」
「なんで?」
「グランド・マザーを倒せたのなら、俺はもうジョミーを支えなくてもいいんだろうが。…お前が俺に残した言葉を守らなくてもいいってことだ」
 だから一度だけ、お前を失くした時間に祈って。
 それからお前を追って行くのさ、先に逝っちまったお前をな…。
「…ハーレイ…」
「どうした? 俺が追い掛けて来たら困るのか、お前?」
「……困らないけど……。困らないけど、でも、ハーレイが…」
 死んでしまう、とブルーは泣きそうな瞳になったのだけれど。
「泣いてどうする、俺が死なない限りは会えないだろうが。…それとも、お前、嬉しくないのか」
「…嬉しいけど…。嬉しいけど、でも……」
 ハーレイが死んでしまうのは辛い。辛くて悲しい。
 そう訴えるブルーに「馬鹿」と応えが返った。
「俺は生きている方が辛かった。お前がジョミーを頼むと言い残したから死ねなかったんだ」
 どれだけ苦しかったか分かるか?
 どんなに寂しくて悲しかったか、生きていることが苦痛だったか、今でも俺は覚えている。
 役目を終えてお前の所に旅立つ日だけを、俺はひたすらに待っていたんだ…。



 お蔭で罰が当たったがな、とハーレイは苦い笑みを浮かべた。
 ブルーのために祈るどころか、その前に死んでしまったと。
 ブロックされていた情報を引き出すことも出来ずに、地球の地の底で死ぬ羽目になったと。
「お前のために祈りたかったのに…。そうする前に俺は死んじまった。俺は一度も、お前のために祈ってやれなかった…」
「…そうだったんだ……」
 ハーレイが最後まで捜していたという時間。
 前の生でブルーがメギドで逝ってしまった時間。
 ソルジャー・ブルーだったブルー自身は全く意識していなかったけれど、ハーレイはその時間を知りたかったという。グランド・マザーがブロックしていた人類軍の最高機密を。
 今の地球にはグランド・マザーはもう在りはしない。SD体制は過去のものとなり、蓄積された情報は機密も含めてデータベースに入っている筈。
 そう、今ならば分かるだろう。だからブルーは口にしてみる。
「今は分かるね、ぼくが死んだ時間」
「知ってどうする、お前は俺の前に居るのに。…祈る意味がもう無いだろう」
「ふふっ、そうだね。調べても意味は無いかもね…」
 それでも少し気になったブルーは「調べてみよう」と思い立った。
 前の自分がいつ死んだのか、何時に死んでしまったのか。
 ハーレイが捜し続けたと聞いたから知りたくなって、勉強机の上の端末を起動しようとして。
「こらっ、調べるつもりか、お前!」
 馬鹿なことをするな、とハーレイの手がブルーの手を掴んで止めた。
「調べたりしたら、また夢を見るぞ。お前の嫌いなメギドの夢を」
「ちょっと調べるだけだってば!」
「その情報にはもれなくメギドが絡んでいると思うがな? 下手をすれば映像があるかもしれん」
「…えっ……」
 ブルーが沈めたメギドの映像。
 それが存在していることをハーレイは身を持って知っている。偶然見付けた写真集の中に入っていたから。『追憶』という名のソルジャー・ブルーの写真集。最後のページが爆発するメギド。
 ブルーはそれを知らなかったけれど、映像と聞いて震え上がった。
 そういったものを目にしたが最後、メギドの悪夢は確実に来る。大慌てで端末の起動を放棄し、元の椅子へと座り直した。



(…あの夢は見たくないものね…)
 何度見ても慣れることのないメギドの悪夢。
 前の生の自分が死んだ時の夢。ソルジャー・ブルーだった頃の自分の最期の瞬間。
 それが何時頃の出来事だったか、前の自分は意識していない。今のブルーも全く知らない。
(うん、前のぼくがいつ死んだのかなんて、ぼくには意味が無いことだしね?)
 ぼくもハーレイも此処に居るんだから、と考えた所でブルーは気付いた。
 前の自分が死んだ時間はデータベースに在るのだろうが、目の前に居るハーレイは…。
「そういえばハーレイは何時に死んだか、記録も残ってないんだね…」
「まあな。俺はお前みたいに華々しく死んでないからな? 地球の地の底でひっそりと…、だ」
 どうなったのかを知っていたのはフィシスくらいで、正確な時間は多分、分からなかったろう。
 ジョミーやキースと一纏めになって「この辺り」という曖昧なモンだ。
 第一、誰もが地球から逃げ出す真っ最中だしな?
 記録する余裕なんかは何処にも無くって、後で通信記録などから割り出した時間なんだろう。
 実に大雑把な時間だからなあ、午後の四時には全て終わっていました、だからな。
「そうだっけね…」
 人類軍の指揮官だったマードック大佐が地球を破壊しようとするメギドに旗艦ごと体当たりして沈めた時間は記録に在る。直後にシャングリラに長老たちによる瞬間移動で戻されたフィシス。
 この二つだけが正確な時間が分かっているもので、ジョミーとキースの死亡時刻も公式な記録は残されていない。マードック大佐よりも先にメギドに立ち向かったトォニィが生きた彼らを見てはいるのだが、その後の消息は謎だとされる。
 ゆえにシャングリラが地球に居た人々の回収を終えた午後四時が全ての終わりの時間。
 午後四時には生存者は誰も居なかった、というのが公式見解であり、誰が何時に生を終えたか、詳しいことは何も分かってはいない。
 全ては午後四時よりも前の出来事。マードック大佐の最期とフィシスの帰還が午後の二時頃。
 その間の何処かがハーレイや長老たち、ジョミーとキースの死亡時刻というだけの記録。



「ハーレイ、午後の二時頃には生きてたんだよね?」
「そうらしいな。…ただ、その後がなあ…」
 フィシスをシャングリラに送って直ぐに死んだのか、一時間くらいは生きていたのか。
 天井が崩れ落ちてくるまでが長かったような、短かったような…。
 記憶自体が曖昧なのだ、とハーレイはフウと溜息をつく。
「ああいう時には時間の感覚がおかしくなるしな? 時計を見ておけば良かったなあ…」
「だったら、今くらいの時間だったかもね?」
 午後の三時にはまだ早い時間。ブルーの母がお茶とお菓子を持ってくるには早過ぎる時間。
「そうかもなあ…。それを言うなら、お前も今かもしれないな」
 ナスカからワープアウトしたのが午後三時になる少し前だった、というハーレイの話にブルーは「そっか…」と小さく頷く。
「…前のぼくたち、今頃の時間に死んじゃったのかもしれないんだ…。だったら二人でお祈りしておく? ハーレイもぼくも生きてるけれど」
「そうだな。これも何かの縁ってヤツだな、俺たちの新しい命に祈っておくか」
「幸せになれますように、って?」
「そんな所だ。よし、ひとつジョミーを真似るとしよう。黙祷!」
 一分間だぞ、というハーレイの合図で二人は揃って瞼を閉じた。
 テーブルを挟んで向かい合わせで、一分間。
 ハーレイの腕のアナログの時計の秒針が、文字盤の上を六十秒かけて一周するまで。



 二人同時に目を開けた後、お互い、日付こそ遠く隔たっていても似たような時間に前の生の命が尽きたらしい偶然を語り合ってから。
 ブルーは「今度は本当に一緒がいいな」と切り出した。
「今度こそ二人一緒がいいな。二人一緒に幸せに生きて、命が終わる時も二人一緒で」
「其処も一緒にしようと言うのか?」
「うん。ぼくはハーレイと一緒がいい」
 絶対に一緒、と言い張るブルーに、ハーレイは「うーむ…」と腕組みをする。
「どうやって一緒にするべきなのかが悩ましいんだが…。そうそう一緒に死ねるものか?」
 考えたくはないが事故ならともかく…、と口ごもるハーレイだったが、ブルーは「なんで?」と無邪気に微笑んだ。
「簡単だよ、きっと。サイオンできちんと結び合っていれば。心をきちんと結んでおけば」
 心が一緒に結んであったら、心臓もきっと一緒に止まるよ。
 だから絶対に大丈夫。ぼくのサイオンは不器用だから、ハーレイがきちんと結んでおいてよ。



 ハーレイ、ぼくより年上だよね、とブルーは笑みを浮かべて続けた。
「前にハーレイ、「今度は先に逝かせて貰う」って言ってたけど…。ぼく、あの時はビックリして泣いてしまったけれども、今なら平気。ハーレイが先に死ぬのなら一緒に連れてってよ」
 いとも簡単に言ってのけたブルーだけれども、ハーレイにすれば心穏やかではない。
 まだ十四歳にしかならない小さなブルーは、三十八歳のハーレイよりも遙かに年下で幼い存在。一緒に連れて行けと頼まれても、二十年以上もの年の差がある。
「おい、ブルー。…そいつは無茶だぞ、お前の寿命が俺よりもうんと短くなっちまうんだが…」
「かまわないよ」
 そんなの全然気にならないよ、と赤い瞳が煌めいた。
「ハーレイ無しで生きていくより、一緒がいいよ。ぼくも一緒に連れて行ってよ」
 前のぼくがハーレイを独りぼっちで置いてった罰に、今度の命は短めでいいよ…。
「いいのか、それで? …本気にするぞ?」
「本気でいいよ。冗談なんかで言いやしないよ、今度こそ二人一緒がいいよ」
 連れて行って、とブルーは微笑む。
 今度は何時何分なのかは分からないけれど、秒まで一緒で二人がいい。
 同じ日に二人同時がいい。
 ハーレイと一緒に連れて行ってよ、ぼくの寿命が短くなってもかまわないから。
 サイオンが不器用なぼくの代わりに、ぼくたちの心を結んでおいて。
 ねえ、ハーレイ。今度こそ二人一緒がいいよ。何時何分、何秒まで一緒。
「はい、約束。絶対に、一緒」
 ブルーが強引に絡めた小指をハーレイは「ああ」と絡め直した。
 お前がそれでいいと言うなら、一緒に行こう。いつか俺たちが結婚する時に心を結ぼう。
 今度こそ二人で一緒に行こうな、お互いに置いて行かずにな…。
 なあ、ブルー……。




       時計と時間・了


※今度は二人、死ぬ時も一緒。ブルーの真剣なお願いです。ハーレイと絶対に一緒、と。
 それがブルーの心からの願い。この二人ならきっと、そうするのでしょう。幸せに生きて。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv





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 ぼくの大事なシャングリラの写真集。ハーレイとお揃いの写真集。
 勉強机の上に飾ってあるハーレイとの記念写真を収めたフォトフレームが家に来る前は、唯一のお揃いだった写真集。だからとっても思い入れがあるし、写真集そのものもお気に入り。
 載っている写真はすっかり頭に入っているけど、でも今だって新しい発見があったりもする。
 豪華版の写真集だから、印刷も綺麗。ルーペで拡大すれば細かい部分も見えることがあるんだ。
 例えば、公園。
 普通に見てればただ一面の芝生だけれども、十倍のルーペで覗き込んだら懐かしい花たちの姿が見えてくる。クローバーだとか、タンポポだとか。子供たちが摘んで遊んでいた花。ぼくも一緒になって摘んだり、四つ葉のクローバーを探したりもした。
 もっとも、前のぼくは四つ葉のクローバーを一度も見付けられずに終わったんだけど。
 キャプテンだったハーレイまで動員して探してみたって、一つも見付からなかったんだけど…。
 それがシャングリラでのクローバーの思い出。
 なのに今では、ぼくの家でもハーレイの家でも四つ葉のクローバーがちゃんと見付かったんだ。不思議だけれども、本当のこと。
 シャングリラのクローバーは前のぼくとハーレイの悲しい別れを予言していたのかもしれないと思った。ハッピーエンドになりはしないから、四つ葉は見付からなかったんだ、と。
 そのクローバーが写った公園の写真。ちょっぴり悲しくて、でも幸せな気持ちにもなる。ぼくの家にもハーレイの家にも、今は幸運の印の四つ葉のクローバーがあるんだから。ぼくは今度こそ、幸せに生きて行けるんだから…。



 十倍のルーペを使って覗けば色々なものに出会える写真集。
 だけど全部の写真がそういう仕様になってはいなくて、拡大できるのは一部だと分かった。
 公園とか、ブリッジとか、いわゆる公共のスペースと呼ばれる部分に限られるみたい。
 だって、青の間は拡大できなかったから。
 半ば公共のスペースと化していた感があるけど、あそこは一応、ぼくの私室だった。
 どうやら個人の部屋を拡大して眺めることは出来ないらしい。
(元になった写真がそうだったのかもね)
 時の流れが連れ去ってしまったシャングリラ。
 ぼくが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 消えてしまう前に撮られた写真が編まれて写真集になっているわけだけれど、それらを写す時に色々と配慮したかもしれない。
 ジョミーの後を継いだトォニィは、ぼくたちの思い出を残した部屋をそっくりそのまま、まるで持ち主が生きているかのように手を触れないでいてくれた。掃除だけをして残してくれた。
 お蔭で青の間もハーレイが使ったキャプテンの部屋も、記憶にある姿で写真集に在る。
 そうしたプライベートな空間は拡大できないように撮影したかもしれない。もう持ち主がいない部屋でも、其処は持ち主のプライベートな空間だったのだから。



(きっと、そうだよね)
 ぼくは青の間を拡大して眺めてみたいと思うけれども、それは青の間が自分の部屋だから。前のぼくでも、ぼくはぼく。青の間はぼくのための部屋。
 その部屋を写真集を買った何処かの誰かが拡大して見てたら、それはかなり嫌だ。
 部屋の中央にある大きなベッド。ハーレイと過ごした思い出のベッドを拡大されたら、とっても悲しい。詳しく見たいと思う気持ちは分かるけれども、あれはぼくのベッド。
 あのベッド、ぼくがいなくなった後には誰も使っていないから。
 一時期、マットレスとかを全部外して空っぽの枠だけだった時期もあったらしいけれど。
 ぼくが居た頃と同じように青の間に集まって会議などをしていたジョミーや長老たちが「これは寂しい」と思ったらしくて、元通りに寝具が整えられた。
 だけど寝る人はいなかった。ジョミーも昼寝にすら使いはしなかった。
 ナキネズミだけがたまに寝ていたとハーレイに聞いた。



 ハーレイは一人で青の間に行って、ベッドの上のナキネズミと思い出話をしていたらしい。
 其処で寝ていたぼくの話を。
 ハーレイからそれを聞かされた時に、ぼくはビックリしてしまって。
「ハーレイ、それって…。どういう話をしていたの?」
 語れるほどの思い出をナキネズミは持っていたんだろうか?
 そう思ったから尋ねてみたら。
「心配するな。あいつは覗きをしてはいないぞ」
「…覗き?」
「俺たちが一緒に寝ていた所は見ていないようだ。良かったな、おい」
「そうならないように気を付けてたじゃない!」
 当たり前だよ、覗かれないようにしておかなくちゃ。
 そういう時間に入られちゃ困る。
 いくら思念波で会話が出来ても、ナキネズミは所詮、動物だから。
 秘密なんて概念、何処まで分かるか怪しいものだ。
 ぼくとハーレイがベッドで何をしてたか、シャングリラ中で喋りまくられてはたまらない。
 だからナキネズミは徹底排除。
 何処にもいない、と確認するまで恋人同士の時間はお預け。



 そのナキネズミも作ってから何代も代替わりをして、ジョミーに渡したのは何代目だったか…。
 ジョミーは「レイン」と名付けたらしいけど、その前は名無しのナキネズミだった。
 いつかジョミーに、と思っていたから名前を付けずに放っておいた。
 そうしたらジョミーも名前を付けずに放ったらしくて、ナキネズミ曰く、名前は「お前」。
 トォニィが生まれて、父親のユウイが「トォニィ」と名前をプレゼントした時に分かった真実。
 後から生まれたトォニィの方が先に名前を貰ったという凄い話をハーレイに聞いた。
 トォニィの誕生を祝って集まった仲間たちの前で「お前」と名乗ったナキネズミ。そのせいで、ジョミーが名前を付けずに放置していた事実がバレた。
 皆に散々笑われたジョミーが大慌てで付けた名前が「レイン」。
 たまたま雨が降り始めたから、「恵みの雨のレイン」と強引にこじつけたらしい。いい名前ではあるんだけれども、由来を知ったら笑わずにはとてもいられない。



 なりゆきで名前を貰ったレインと、ぼくを失くしたハーレイが青の間でぼくの思い出話。
 ハーレイはナキネズミにぼくが自分の恋人だったと言えはしないし、話せる内容は当たり障りのないものだけだったみたいだけれど…。
 それでもハーレイの話相手がいて良かった。
 フィシスじゃ駄目だと思うから。
 長老たちでも駄目だから。
 ぼくを失くして独りぼっちになったハーレイの、誰にも言えない孤独と悲しみ。
 それが何なのか明かすことの出来ない深い悲しみと孤独から来る寂しさと痛みを、何も訊かずに受け止めてくれるの、ナキネズミくらいしか居なかっただろうと思うから…。
(…でも、ナキネズミは写っていないね)
 写真集の中にはハーレイが彫った木彫りくらいしかナキネズミの名残りは見当たらない。
 トォニィの部屋に置いてある木彫りのナキネズミ。
 ミュウの子供が沢山生まれますように、という願いと祈りを籠めた豊穣のシンボルのウサギだと勘違いされて、宇宙遺産になってしまった実はナキネズミな木彫りのウサギ。
(…ふふっ)
 ぼくもウサギだと信じていたっけ。
 ハーレイの口から「あれはナキネズミだ」と衝撃の事実を聞かされるまでは、ホントのホントにウサギだと信じていたんだよ。
 何処から見たって立派なウサギで、おまけに今では宇宙遺産。
 それなのにホントはナキネズミだなんて、誰が信じてくれるだろう?



 もっと面白いものは無いか、とページをめくって、ハーレイの部屋。
 シャングリラのキャプテンだったハーレイの部屋は、ぼくにとっても懐かしい部屋。どっしりとした木の机が持ち主のレトロな趣味を反映していて、机の上には白い羽根ペン。
(ナキネズミを彫ったナイフって……多分、引き出しの中だよね?)
 机の上には置いていないと思う。
(置いていたって、羽根ペンがこんなに小さく写っているんだものね…)
 ナイフの有無はちょっと分からない。
 十倍のルーペで覗いてみたけど、プライベートな部屋だから拡大出来ない仕様。
(うーん…)
 なんだか残念。
 ハーレイの持ち物が分からないなんて、とても残念。
 残念だけれど、それよりも…。
(うん、この部屋のベッドも、何処かの誰かに拡大されて見られていたなら悲しいしね?)
 ハーレイと何度も一緒に眠ったベッド。ぼくたちが愛を交わしたベッド。
 恋人同士の時間は青の間で過ごすのが普通だったけれど、たまに泊まりに出掛けて行った。
 ハーレイは朝が早かったから、起こして貰って瞬間移動で青の間に帰った。
 そして何食わない顔をしてハーレイがやって来るのを待つんだ。
 朝の報告をするために、ソルジャーの部屋を訪れるキャプテン・ハーレイを。



「ソルジャー、おはようございます」
 その挨拶でぼくが起きると皆が信じていた時代。
 キャプテンの制服をカッチリ着込んだハーレイが、ソルジャーのぼくにする朝の挨拶。
 本当はぼくはとっくの昔に起きてしまっていたんだけどね?
 ハーレイが青の間で過ごした時には、二人で目覚めて「おはよう」のキス。
 ぼくが泊まりに行った時には、ハーレイの部屋で起こして貰って帰って来て…。
 ハーレイが朝の挨拶を済ませた頃合いで朝食係のクルーが来る。ぼくの分と、ソルジャーと共に朝食を摂りながら報告をするハーレイの分と、二人分の朝食を用意するために。
 青の間のキッチンで最後の仕上げがされる朝食。ハーレイの朝食を何にするかは、前の日の間にハーレイが自分で注文していた。ぼくの分は前の日の夜に部屋付きのクルーが注文を取った。
 朝食はホットケーキが一番好きだったかもしれない、前のぼく。
 トーストももちろん好きだったけれど。
 厨房のクルーが焼き上げる色々なパンだって好きだったけれど…。
 ホットケーキはシャングリラで初めて作られた「贅沢な朝食」だったから、ぼくの中では特別な食事。いつか青い地球まで辿り着いたら、地球でも食べてみたかった。
 ミュウと人類とが和解出来たら、青い地球でホットケーキの朝食。
 本物のメープルシロップをたっぷりとかけて、地球の草を食んで育った牛のミルクから作られたバターを添えて。
 そんなささやかな、ミュウの置かれた状況を思えば大それた夢を見ていた、前のぼく。



(そういえば…)
 ハーレイの部屋では一度も朝御飯を食べなかった。
 何度も泊まりに出掛けていたのに、朝食はいつも青の間で食べた。ハーレイと二人一緒に食べていたのに、いつでも青の間。ハーレイの部屋で食べてはいない。
(そうなると…)
 今のぼくが瞬間移動で飛び込んで行ったハーレイの家。
 メギドの夢を見たのが怖くて、今のぼくは死んだソルジャー・ブルーの魂が見ている夢の産物で本当は何処にもいないんじゃないかと思ってしまって、何もかもが消えてしまいそうで。
 ぼくの人生は夢じゃないんだと、本当に生きて地球に居るんだとハーレイに言って欲しいのに、真夜中だったから会うことなんか出来なくて…。
 会いたくて、声が聞きたくて、抱き締めて欲しくて、泣きながら独りぼっちで眠った。そしたら自分でも知らない間に瞬間移動をしてしまっていて、目を覚ましたら朝でハーレイのベッドの上に居たぼく。
 ハーレイは困ったような顔をしていたけれども、パジャマ姿のぼくを車で家まで送ってくれた。朝御飯も作って食べさせてくれた。「オムレツの卵は何個なんだ?」なんて訊きながら。
 あれがハーレイの部屋……ううん、部屋どころじゃなくて、ハーレイの家での初めての朝御飯。部屋なんか軽く飛び越してしまって、ハーレイの家で食べた朝御飯。
 前のぼくですらハーレイの部屋では朝御飯を食べていないというのに、ハーレイの家で朝御飯。ぼくが初めてハーレイのプライベートな空間で食べた朝御飯…。
(そこまで貴重だとは思わなかったよ、あの朝御飯!)
 もっと味わって食べれば良かった。
 ハーレイの家へ行けた幸せで胸が一杯でドキドキしていて、夢みたいな時間だったけど…。
 落ち着いて味わえと言われた所で無理だったろうとは思うけれども、もっと味わうべきだった。
 だって、初めてのハーレイのテリトリー…っていうのかな?
 ハーレイのためにある場所で、初めて食べた朝御飯。
 前のぼくでも未経験だった、ハーレイのための空間で食べる朝御飯……。



 とはいうものの、シャングリラに居た頃はハーレイの部屋で食べたいなどと思ったことは…。
(…あったかな?)
 どうだったかな、と遠く遙かな記憶を探れば、あったような気もする。
 たまにはハーレイの部屋で朝御飯を食べてみたいのだけれど、と考えたことがあったみたいだ。
 考えたくせに、ハーレイの部屋で自分が一緒に朝御飯を食べるというのは変だから、と、いとも簡単に諦めてしまった前のぼく。
 もうちょっと頑張ってみればよかった。
 打ち合わせをするのにキャプテンの部屋の方が都合がいいとか、理由を捻り出すべきだった。
 ハーレイの部屋には何十年どころか百年単位での航宙日誌が揃っていたのだし、それを見ながら相談したいことがあるとか何とか…。



(バカバカ、前のぼくのバカ!)
 そう思ったけど、スペースの関係で無理だと諦めた気がしないでもない。二人分の朝食を並べて置けるテーブルが無いから、と結論付けたような…。
(えーっと、テーブル…)
 写真集の中のハーレイの部屋を眺めてみる。
(…ヒルマンやゼルとお酒を飲んでいたのは、この机だよね?)
 ハーレイが航宙日誌を書いていた机。羽根ペンが乗っかった木製の大きな机。
 机の上は充分広いけれども、お酒ならともかく、朝御飯を食べるには向かないような…。第一、机の構造上の問題もあって、向かい合わせでは座れない。
(お酒だったらグラスを置ける場所さえあればね…)
 隣り合って座って飲んでいようが、机の角を挟んでだろうが、飲むだけだったら何とでもなる。けれど報告だの打ち合わせだのという名目がついた、ソルジャーとキャプテンの朝食は無理。
 あの朝食は向かい合わせで大真面目な話題を語り合う席だと皆が信じていたのだし…。
(うーん…)
 ハーレイが一人でお酒を飲む時に使っていた寝室のテーブル。
 ぼくはお酒に弱かったから、大抵は美味しそうにグラスを傾けるハーレイの姿を見ていただけ。たまに強請って少し飲んでは、酔っ払ったり二日酔いに苦しむ羽目になったり。
 そのテーブルは机よりもずっと小さいから、二人分の朝食は…。
(ちょっと置けないかも…)
 卵料理やサラダなんかもついた朝食。何枚ものお皿はとても置けない。
 だけどトーストと紅茶くらいの簡単な朝食だったら、詰めて並べれば何とかなりそう。
(手早く食べたいからトーストだけで、って言えば用意をしてくれたよね?)
 トーストとか、サンドイッチとか。お皿の数を減らす工夫をすれば充分、其処で食べられた。
 それをしないで無理だと諦めてしまったぼく。
 諦めの良すぎた前のぼく…。



(…一度くらい、ハーレイの部屋で朝御飯をゆっくり食べればよかった…)
 ハーレイと本物の恋人同士だったくせに、ハーレイの部屋で朝御飯を食べたことが無かった前のぼく。いつも青の間で食べていたぼく。
 アルタミラを脱出した後、ずっとハーレイと一緒にシャングリラで暮らしていたくせに。
 恋人同士になったのは青の間が出来てからだけど、長い長い年月を共に暮らして、毎日のように朝御飯を一緒に食べていたくせに…。
(ホントに、なんでハーレイの部屋で食べたいって思わなかったんだろう…)
 食べてみたいと考えたのなら、諦める前に努力してみるべきだった。
 ハーレイに相談を持ち掛けて大きなテーブルを置いて貰うとか、「ソルジャーとの会食」に必要だからと、その日だけ何処かからテーブルを運んで貰うとか…。
(ホントに諦めが良すぎなんだよ、前のぼく…)
 もっと我儘を言えばいいのに、と思ったけれど。
 前のぼくは十四歳の子供でもなければ、我儘を言えば叶えて貰える幸せな世界も知らなかった。成人検査でミュウと判断された後には地獄の人体実験の日々。脱出してからも苦労の連続。
(…やっと落ち着いた時にはソルジャーになってしまっていたっけ…)
 皆を導く立場のソルジャー。
 我儘を言っても多分、許されたんだろうけど。
 唯一の戦えるミュウだったんだし、皆よりも我儘を言える立場に居たんだろうけど…。
 そういったことを良しとしなかった、前のぼく。
 ソルジャーたるもの、我を通すよりも忍耐強く、我慢強くと懸命に己を律したぼく。
 朝御飯くらいで我儘なんかを言いたがる筈が無かったんだ。
 言いたくても言わずに、望むよりも先に諦めることが前のぼくの生き方だったんだ…。
(…だからメギドで死んじゃったんだよ、本当は地球が見たかったのに)
 思い出した、と溜息をつく。
 今のぼくだから我儘なことを考え付いたり、やりたいと願ってしまうだけ。
 ハーレイの部屋での朝御飯なんて、前のぼくなら強く願う前に諦めてしまうだけなんだ…。



(…後悔するのも、きっとぼくだからだ)
 前のぼくはハーレイの部屋で朝御飯を一度も食べられなかったことなんか、きっと後悔しない。そういうものだと諦め切って納得してるし、それでかまわないと思ってる。
 でも、ぼくは違う。
 前のぼくが青の間でしかハーレイと朝御飯を食べていないことを「もったいないよ」と考える。本当に本物の恋人同士で、ハーレイの部屋へ泊まりに行っていたのに、朝御飯を食べずに青の間に帰っていたなんて。
 せっかく恋人の部屋に泊まったのに、朝御飯も食べずに帰っただなんて…。
(それって絶対、もったいないから!)
 今のぼくがハーレイの家で食べた朝御飯が「初めての」ハーレイのテリトリーでの朝御飯。
 そんなことになってしまっただなんて、前のぼくの人生は何だったのかと思ってしまう。
 前のぼくが後悔していなくっても、今のぼくが代わりに後悔している。
 どうしてハーレイの部屋で朝御飯を一緒に食べなかったのか、と。



(バカだよ、ホントに大バカなんだよ…)
 なんで、と前のぼくの諦めが良すぎたことを嘆かずにはとてもいられない。
 ハーレイの部屋での朝御飯くらい、我儘とも言えないレベルなのに。
 皆はソルジャーとキャプテンの会食なのだと信じていたから、我儘どころか「必要でしたら」と喜んでハーレイの部屋での朝食を整えてくれただろうに。
(…そんな大嘘、つけないのが前のぼくなんだけどね…)
 そうしてメギドで死んでしまった。
 焦がれ続けた地球を見ることさえも諦めて、独りぼっちで死んでしまった。
 ハーレイに「さよなら」も言えず、別れのキスも抱擁も無しで、最後にハーレイに触れた右手に残った温もりだけを抱いて逝こうとメギドへと飛んだ。その温もりさえも失くしてしまって、前のぼくは泣きながら死んでしまった。
 温もりを失くした右の手が凍えて冷たくなったと、独りぼっちになってしまったと…。



 我儘も言わず、後悔もせずに死んでしまった前のぼく。
 たった一つだけ後悔したのが、ハーレイの温もりを失くしたこと。
 そんな前のぼくがハーレイの部屋で朝御飯を食べなかったことを後悔するわけないんだけれど。
 分かっているけど、ぼくは代わりに後悔をする。
 前のぼくの分まで後悔していて、諦め切れなくて悔しくて悲しい。
(本当に一度くらい食べれば良かったんだよ、ハーレイの部屋で…)
 後悔先に立たずと言うけど。
 ぼくの場合は取り返しがつく。
 シャングリラはもう何処にも無いから、あのキャプテンの部屋は無いけれど、ハーレイの家なら同じ町にある。ぼくの家から何ブロックも離れた場所でも、ハーレイの家は存在している。
 そのハーレイの家で一度だけ食べた朝御飯。
 ハーレイのテリトリーで食べる初めての朝御飯だと気付かなかったけど、ぼくはハーレイの家で確かに食べた。前のぼくには叶わなかったハーレイのテリトリーでの朝御飯を。
 貴重なチャンスを引っ掴んだ、ぼく。
 幸運すぎる今のぼくだけど、まだハーレイとは結婚どころか本物の恋人同士になってもいない。
 チャンスはこれから山のようにあるし、結婚したならハーレイと一緒に食べるのが普通。
 ハーレイの部屋で朝御飯。
 二人一緒に、毎日、毎朝、ハーレイの部屋で朝御飯。



(うん、これからだよ)
 前のぼくの分もハーレイの部屋で、ハーレイの家でゆっくり食べよう。
 後悔の分を取り返すんだ、と決意した所で、ふと引っ掛かった。
(…ハーレイの家?)
 ハーレイの家というからには、ぼくはあの家にお嫁に行くんだろうか? 一度だけ遊びに行ったハーレイの家。一度だけ瞬間移動で飛び込んでしまった、ハーレイの家。
 それともハーレイがぼくの家に来て、ぼくの家にハーレイの部屋が出来るわけ?
 空いている部屋は幾つかあるけど、その一つがハーレイの部屋になって其処でゆっくり朝御飯?
 ぼくの家にはパパとママもいるのに、ハーレイの部屋で朝御飯…?
 それは何だか恥ずかしすぎる。
 ハーレイの部屋で何をしていたのか、結婚した以上はパパとママには丸分かり。そういうことをしていた部屋で朝御飯をハーレイと一緒に食べるだなんて…。
 朝御飯の後、どんな顔をしてパパとママに会えばいいんだろう?
 どんな顔をしてハーレイと一緒に「おはようございます」と言えばいいんだろう…?
 なんだか困る。とっても困る。恥ずかしいなんて言葉くらいじゃ言い表せない恥ずかしさ。



(…お嫁に行った方がいいんだろうか…)
 パパとママを気にせず、ハーレイの部屋でゆっくりしたければお嫁に行くしかないらしい。
 ぼくの部屋も気に入っているんだけれど…。この家も気に入っているんだけれど…。
(でも、ハーレイの部屋で朝御飯…)
 ぼくがこの部屋に住んで、ハーレイと一緒に夜を過ごして、この部屋でハーレイと朝御飯。
 それじゃハーレイのテリトリーで食べたことにはならない。青の間で朝御飯を食べるのと同じ。
(全然ダメだよ…)
 この部屋で朝御飯だと意味が無い上に、ぼくの家だから、やっぱりパパとママが居る。
 言葉に出来ない恥ずかしさの極み。
(…やっぱり、ぼくがお嫁に行く?)
 ハーレイの家に、お嫁に行く。
 一回だけしか遊びに行っていないハーレイの家。一回だけしか飛び込んでいないハーレイの家。
 あの家へお嫁に行くのかな、ぼくは…?
 ハーレイのテリトリーで朝御飯を食べたかったら、それしかなさそう。
 パパとママとが居ない所で食べたかったら、それしかなさそう。
 だけど、ぼくの部屋も、ぼくが住んでいる家も、とってもお気に入りなのに…。



 どうしようか、と悩み始めたぼくだったけれど。
 前のぼくが生きた長い長い生に比べれば、まだちょっぴりしか生きていない、ぼく。
 たったの十四年しか生きていなくて、背丈だって伸びていないぼく。
 百五十センチしかない背丈が前のぼくと同じ百七十センチにならない限りはキスさえも駄目で、結婚なんて夢のまた夢。
 考えるための時間は山のようにあるし、前のぼくの分まで後悔だって出来る。
 だから、ハーレイの部屋を何処にするかくらい、うんと沢山悩んで検討すればいい。
(ゆっくり決めればいいんだよね、うん)
 パタリ、とシャングリラの写真集を閉じた。
 憧れのハーレイの部屋での朝御飯。
 その部屋が在るのがハーレイの家でも、ぼくの家でも、今度こそゆっくり食べるんだから…。




         朝御飯の場所・了

※前のハーレイの部屋で朝御飯を食べておけば良かった、と今になって後悔するブルー。
 今度は何処で朝御飯を食べることになるのか、それは結婚してからのお楽しみ…?
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 ぼくが寝込んでしまった時には、よくハーレイがスープを作りに来てくれる。凝ったスープとかいうんじゃなくって、ハーレイ曰く「野菜スープのシャングリラ風」。
 前のぼくが好きだった野菜のスープ。ソルジャー・ブルーだったぼくが体調を崩して食欲が全く無くなった時にも、このスープだけは喉を通った。
 初めてハーレイが作ってくれたのが、シャングリラ中で物資が不足していた時代だったから。
 細かく刻んだ野菜を基本の調味料でコトコト煮込んだだけの、素朴なスープが精一杯。だけど、食べさせてくれるハーレイの優しさと心遣いとがとても嬉しくて、何よりも素敵な御馳走だった。どんなに弱ってしまった時でも、このスープだけは「欲しい」と思った。
 ぼくの身体が、舌が覚えてしまったんだろう。
 調理方法に工夫を凝らせるようになっても、昔のままの素朴な味わいが好み。ミネストローネ風とか、色々とハーレイが試してみたけど、それはそれで美味しかったのに最初の味が一番好み。
 そういうわけで、前のぼくのためにハーレイが作る野菜スープは最後まで基本の調味料だけ。
 今のぼくに作ってくれるスープも、全く同じ。ぼくのママは今でこそ慣れて何も言わないけど、最初の頃はハーレイに味付けなんかをあれこれアドバイスしたがったみたい。



 野菜スープのシャングリラ風。
 この間、ぼくが休んだ時にもハーレイが作りに来てくれた。ぼくの部屋まで持って来てくれて、ベッドに座って食べたんだけれど。その時にふと気が付いたんだ。
 何故だか、前より凄く美味しい。
 レシピは変わっていない筈なのに、凄く美味しいと舌が、身体が、心が弾んだ。
 そういえば、前に食べた時にも「とても美味しい」と思った気がする。ぼくにとっては懐かしい味で、心に染み込むスープだったから、そういうものだと深く考えてはいなかったけれど…。
(…野菜と塩くらいしか入ってない筈だよ?)
 隠し味に砂糖を少し入れると聞いた程度で、本当に基本の調味料だけ。煮込んだ野菜ならではの優しい味わいもあるだろうけど、それより他には何も無いスープ。
 ママが作ってくれるポタージュスープやコンソメスープに敵うわけがないのに、どうして「凄く美味しい」と思うんだろう?
 ひょっとしてハーレイ、レシピを変えた?
 ぼくに内緒で、今の地球風の味にこっそりアレンジしちゃったとか…?



(…それはそれで別にいいんだけれど…)
 今の今まで全く知らずに飲んでたわけだし、それで納得していたんだから、かまわないけれど。ぼくのために作りに来てくれるんだし、文句なんかは言わないけれど…。
 ちょっぴり寂しいような気もした。
 前のハーレイが、ぼくのためにしか作らなかったという野菜のスープ。ぼくのためだけの特別なスープ。その味がいつの間にか変わっていたなら、少し寂しい。
(…今のぼく専用の別のスープになっちゃった?)
 前のぼく用とは違った味付けのスペシャルなスープも悪くはないけど、前のぼくのためのスープだって特別な味なんだ。前の生からのハーレイとの絆をそのまま受け継いだスープだから。
(…ハーレイと恋人同士になるよりも前から作ってくれてたスープだものね…)
 まだハーレイが「優しくて頼りになる親友」で、恋人とは思っていなかった頃。心の底では既に恋をしていたんだろうけど、それとは気付いていなかった頃。
 そんな頃から素朴な野菜スープは在った。ぼくとハーレイとの恋の始まりも、初めてのキスも、あのコトコトと煮込まれたスープは憶えているのに違いないんだ。
 そういうスープの味が変わったなら、なんだか寂しい。ぼく専用でも、やっぱり寂しい。
(…ホントの所はどうなんだろう?)
 ハーレイはレシピを変えてしまったのか、それともぼくの勘違いなのか。
(作ってる所を見られれば解決するんだけどね…)
 前のぼくなら、スープを作っているハーレイが見えた。青の間のベッドに横たわったままでも、サイオンを使って見ることが出来た。
 青の間の奥にあった小さなキッチン。其処で褐色の手が何種類もの野菜を器用に細かく刻んで、鍋でコトコト煮込んでいた。塩を入れて味を見て、それから多分、砂糖を少し。
(前のぼくは何度も見ていたのに…)
 サイオンに関しては不器用すぎる、今のぼく。
 近い所ならなんとかなっても、一階にあるキッチンなんて頑張ったって何も見えやしない…。



 覗き見することは不可能なのだ、と分かっているから。
 レシピを変えたか訊くのもいいけど、どうせなら強請ってみようと思った。遙かに遠い記憶しか無い、スープを作っているハーレイの姿。それを目の前で見たいと思った。
 そうすればレシピが変わったのかどうか一目で分かるし、料理をするハーレイも見られるし…。一石二鳥の素敵なアイデア。これは頼んでみないといけない。
 早速、週末に来てくれたハーレイとぼくの部屋で向かい合いながら切り出した。
「ねえ、ハーレイ。この間、作ってくれた野菜のスープだけれど…」
「シャングリラ風か? どうした、この前のは不味かったか?」
「ううん、そうじゃなくて…」
 美味しかったよ、と御礼を言ってから「お願い」とペコリと頭を下げた。
「ハーレイ、一度作る所をぼくに見せてよ。あれを作っている所」
「スープをか?」
 ハーレイはポカンと口を開けた。
「おいおい、お前のお母さんに何て説明すればいいんだ。キッチンを借りて、お前の前でスープを作るって…。そいつは調理実習か?」
 俺は古典の教師なんだが。
 古典の授業に調理実習は含まれていないと思うんだが…。
 昔の行事に関連している菓子なんかを持ち込むことはあるがだ、俺が作って出すわけじゃない。



 なんだってスープを作って見せねばならないのだ、とハーレイに呆れられてしまった。
 一石二鳥になる筈だった、ぼくのアイデアは微塵に砕けた。
 だけど料理をするハーレイの姿を見てみたかったし、諦めずに果敢に挑戦してみた。
「じゃあ、お菓子とか…。古典の授業で出て来るようなお菓子なら、いい?」
「柏餅だの粽だのか?」
「うん、そういうのでかまわないよ」
 柏餅と粽。ぼくとハーレイが再会した二日後、五月五日の古典の授業で出されたお菓子。ぼくは聖痕現象とかいう前の生での最期に撃たれた傷痕からの大量出血のせいで学校を休んでいたから、食べ損ねてしまって悔しかったお菓子。
 ハーレイの居る教室で食べられる筈だった柏餅と粽。
 それがいいや、と喜んだのに。
「お菓子だったら、お母さんに習えばいいだろう。柏餅も粽も季節外れだが、なんとかなるさ」
「ぼくはハーレイが作る所を見たいんだよ!」
 ハーレイは自分の家で料理をしている。一度だけ遊びに出掛けた時には、お昼御飯にシチューを御馳走してくれた。メギドの夢を見たぼくが眠ったままハーレイの家まで瞬間移動をしてしまった時は、朝御飯にオムレツを作ってくれた。
 それから、ぼくが財布を忘れて登校した日に食べさせて貰った豪華弁当。ハーレイのこだわりの煮物や焼き物、炊き込み御飯まで詰まっていた。
 料理が得意な今のハーレイ。
 前のハーレイも料理は得意だったけれど、キャプテンになってからは野菜スープを作る程度で、アルタミラからの脱出直後にやっていたような食料の在庫を睨みながらの料理はしなかった。
 あの時代のハーレイの料理は実に見事で、同じジャガイモでも茹でたり揚げたり、手を加えては皆を飽きさせないようにしていたものだ。その気配りも後にキャプテンに選ばれた理由の一つ。
 今のハーレイは楽しんで料理をしているのだから、前よりも遙かに腕が上がっているだろう。
 野菜スープのシャングリラ風のレシピを変えたかどうかはともかく、ハーレイの料理を見たいと思う。作る料理は何でもいいから、キッチンに立っている姿。



「お願い、ハーレイ。…一度でいいから見てみたいんだよ、ハーレイが料理している所…」
 一度だけでいいよ、と頼んだのに。ハーレイの返事は素っ気なかった。
「前のお前にも見せていないと思うんだが? 俺がキャプテンになるより前はともかく」
「えっ?」
 ハーレイがキャプテンになる前は確かに見ていた。限られた食材で様々な料理を作り出してゆくハーレイを手伝って、ジャガイモの皮を剥いたこともあった。涙をこらえてタマネギも刻んだ。
 それはぼくがハーレイと一緒に厨房に立っていた時代。茹でたりする隣に居た時代。
 でも、キャプテンになって調理担当から外れた後にも野菜スープを作ってくれたし、いつだってそれを眺めていた。野菜を細かく刻んでゆくのも、コトコト煮込んでいる所も。
「ハーレイ、ぼくはちゃんと見てたよ? 野菜スープを作ってる所」
「…そいつはお前が勝手に見ていただけだろう?」
 お前、キッチンには居なかったぞ。
 ベッドで寝込んでいたんじゃないのか、だからこその野菜スープだろうが。
「そうだっけ?」
 そんな筈ないよ、とハーレイの思い違いを正そうと口を開きかけて思い出した。
 ぼくはハーレイの隣で見ていたわけじゃない。サイオンでキッチンを眺めていただけで、ぼくの身体はベッドの上。ハーレイは青の間のキッチンで一人でスープを作っていたっけ…。
「…そうだったみたい…。ぼく、サイオンで見ていただけなんだ…」
「ほら見ろ、俺は嘘なんか言わん」
 俺が料理をしている所を見たいのなら、だ。
 四の五の言わずにサイオンを磨け。
 そうすれば俺が野菜スープを作りに来た時、いくらでも覗き放題だろうが。
「そうなるわけ? ハーレイ、見せてくれないの?」
「俺は古典の教師であって、だ。調理実習は担当外だ」
 どうしても見たいならサイオンを磨いて頑張るんだな、目標は一階のキッチンだ。
 あっちの方だ、と指差されたけど、やっぱり何にも見えなかった。ママがお昼御飯の用意をしている姿も、どんな食材が並んでいて何が出来そうなのかも。
 絶望的に不器用なぼくのサイオン。
 ハーレイがキッチンに立ってくれても、何も見えそうにないぼくのサイオン…。



 心底ガッカリしたんだけれども、出来ないものは仕方ない。
 サイオンを磨けと言われたところで、磨き方だって分からない。もうお手上げになった、ぼく。
 料理をするハーレイの姿は見られそうもないから、切っ掛けになった気になることだけをズバリ訊いておくことにした。これだけは絶対に知りたかったし、訊かなくちゃ…。
「ハーレイ、料理は諦めるから…。一つ教えてよ」
「何をだ?」
「えっとね…。ハーレイ、今の野菜スープって、レシピは変えていないよね?」
「レシピ?」
 ハーレイは怪訝そうな顔をした。
「なんだそれは? いったい、何の話だ」
「野菜スープのシャングリラ風だよ」
 いつものスープ、とぼくはハーレイの鳶色の瞳を見詰めて尋ねた。
「この間も作りに来てくれたよね? その後で気が付いたんだけど…。見た目は前の野菜スープとおんなじなのに、前よりも凄く美味しいんだ。…なんで?」
「前って、その前に作ったヤツか?」
「ううん、前のぼくが飲んでた野菜スープよりもずっと美味しいんだよ」
 ハーレイ、レシピは変えていない、って最初の時に言ったのに…。
 だから変えないだろうと思っていたのに、知らない間に変えちゃった?
 ぼくが気付いていなかっただけで、ずいぶん前から変わっちゃってた…?



「なるほどなあ…。そういうことか」
 それで作る所が気になり始めて、欲張って俺が料理する所を見たくなったな?
 ハーレイの言葉は図星だったから、ぼくはコクリと頷いた。そしたらハーレイは「はははっ」と可笑しそうに笑って、ぼくの頭をクシャクシャと撫でた。
「うんうん、お前は実に可愛い。欲張りな所も可愛くていいな」
 それから嬉しそうに目を細めながら。
「俺はレシピを変えていないぞ、前のお前との約束だしな? あの味がいいと言っただろうが」
「でも…。でも違うんだよ、ホントのホントに変えてない?」
「ああ、変えていない」
 お前に黙って変えはしない、とハーレイはキッパリ断言して。
「それでも味が違うと言うなら、そいつは多分…。地球のせいだな」
「地球?」
 どうして地球のせいなんだろう。
 圧力は料理に関係するけど、シャングリラの気圧は地球と同じに調整してあった筈。座標すらも知らなかった地球だけれども、アルテメシアの気圧は地球のそれと同じ。地獄だったアルタミラの気圧も地球と同じで、それが人間が暮らす惑星の基本。
 ナスカの空気は希薄だったと今のハーレイに聞いたけれども、そのナスカなら与圧しないと味が変わるだろうけど、地球のせいで味が変わるだなんて…。



 変な話だ、と首を傾げて考え込んでいたら、ハーレイは「分からないか?」と窓のガラスを軽く叩いた。窓の外に何かあっただろうか?
「見ろ、本物の地球の太陽だろうが。味を変えたのは地球の光だ、それに水と土だ」
 シャングリラの中とは違うんだ、とハーレイが穏やかな笑みを浮かべる。
「人工の光や本物の風が吹かない畑で育った野菜は、どんなに上手に育てても違う。…俺たちにはそれが普通だったし、それが野菜の味だと思っていたんだが…」
 ナスカの野菜は美味かったんだぞ。
 ゼルはトマトを投げ捨てたりもしたが、本当はとても美味かった。
 本物の地面で育った野菜は、まるっきり味が違うんだ。
「ナスカじゃ空気が薄すぎたからな、露地栽培は出来なかったが…。それでも格段に美味かった。それがどうだ、今じゃ本物の地球の太陽を浴びて育った野菜を使った野菜スープだ」
 美味くないわけがないだろう?
 前のお前が食ってた野菜の何十倍、いや、何百倍も美味い野菜を贅沢に使うんだからな。
「そっか…。美味しいのは地球のせいだったんだ…」
 野菜スープの味を変えたのはレシピじゃなくって、使われた野菜の味だった。
 前のぼくが焦がれた青い地球。前のぼくたちが生きていた頃には何処にも無かった青い地球。
 蘇った地球の水と大地と、降り注ぐ本物の地球の太陽とで育った野菜。
 前のぼくが夢見た、青い地球の野菜。
 ハーレイが言う通り、それが美味しくないわけがない。
 野菜スープのシャングリラ風は野菜も味の決め手なのだし、美味しい野菜なら美味しく出来る。わざわざレシピを変えなくっても、最高の味が出来上がる。
 そうか、地球か、と、ぼくは納得したのだけれど…。



(…地球だけじゃないよ)
 青い地球で育った美味しい野菜。
 地球の大地で地球の水を吸い上げて、太陽の光をふんだんに浴びて育った野菜。
 前のぼくの夢だった地球で採れた野菜は、野菜スープのシャングリラ風の最高の調味料だけど。最高の旨味成分だけれど、それだけじゃない。
 他にもっと、もっと大切な調味料があったと気が付いた。
 野菜でさえも信じられないくらいに美味しく育つことが出来る、青い水の星、地球。
 その地球の上に、前のぼくが焦がれた青い地球の上に、ハーレイと二人。
 人が皆、ミュウとなって争いもSD体制も無くなった平和な宇宙に、ハーレイと二人。
 ハーレイと一緒に生まれ変わって来て、毎日のように地球の上で会える。
 まだ二人一緒には暮らせないけれど、今日みたいに会えて、二人で幸せな時間。
 そんな暮らしが、そんな毎日が野菜スープを美味しくするんだ。
 ハーレイが作ってくれる野菜スープのシャングリラ風を、シャングリラに居た頃よりも、もっと美味しく、ずっと美味しく…。
 そう、この幸せな日々と時間が何にも勝る調味料。
 地球で育った野菜よりももっと大切で素敵な、美味しくするための調味料…。



「ハーレイ、野菜スープが美味しくなったの、野菜が美味しいからだけじゃないよ」
 分かったんだよ、と大発見をハーレイに笑顔で話した。
 ハーレイと二人で地球に居るから、野菜スープは美味しくなった、と。
 前の生での何倍も何十倍も、ううん、何百も何千倍も。
「絶対、ハーレイと一緒だからだよ。ぼくがとっても幸せだからだよ」
「なるほどな…。今でもそうなら、俺と結婚した暁には更に美味くなるというわけか」
 ハーレイが「そういうことだな?」と訊いてくれたから、「うん」と大きく頷いた。
 大好きなハーレイと結婚したら。
 一緒に暮らせるようになったら、野菜スープのシャングリラ風は今よりももっと美味しくなる。ハーレイが作ってくれる所も、きっと見られるようになる。
 もっとも、せっかくハーレイと暮らしているのに、あまり寝込みたくはないけれど。
 それでも身体の弱いぼくだから、やっぱり寝込んでしまうんだろう。そしてハーレイがスープを作ってくれる。野菜スープのシャングリラ風を、地球の美味しい野菜を使って。



(…そうだ、野菜…!)
 素晴らしいアイデアが閃いたから、ぼくはハーレイに提案した。
「野菜スープを作るんだったら、庭で作った野菜だったらもっと美味しいと思わない?」
 ハーレイと二人で美味しい野菜を育ててみたい。
 もちろん沢山は作れないだろうし、野菜スープを何回か作れば無くなってしまいそうだけど。
「ふむ。…お前用の野菜スープ専用の野菜を育てる畑か」
 いいかもしれんな、とハーレイの唇に楽しげな笑みが浮かんだ。
「農作業は健康にいいんだぞ? お前も丈夫になるかもしれんな、野菜スープが要らんくらいに」
 そうなったら野菜は二人で食うか。
 サラダも美味いが、野菜の料理は実にバラエティー豊かだからな。
 煮て良し、焼いて良し、炒めて良しだ、とハーレイはパチンと片目を瞑った。
「野菜スープが要らなくなったら、美味い料理を食わせてやろう。四季折々の野菜もあるしな」
「えっと…」
 それって、野菜スープが要らなくなることが前提だろうか?
 ぼくが丈夫にならなかったら、ハーレイ御自慢の野菜料理の出番は無いの…?
 ちょっと困る、と縋るような目でハーレイを見たら。
「なんだ、普通に野菜料理も食いたいのか? 野菜のスープだけじゃなくて、か」
「うん…。ハーレイの得意料理を食べてみたいよ」
「よし。なら、頑張って早く大きくなってくれ。結婚したら食わせてやるから」
「うんっ!」
 結婚して一緒に住むようになったら、ハーレイお得意の野菜の料理。
 ぼくとハーレイと二人で育てた庭の野菜で、野菜スープだけじゃなくって野菜の料理…。



(…どんな料理が食べられるのかな?)
 野菜スープが今よりもグンと美味しくなるに違いない、ハーレイと二人で暮らす家。
 その家の庭で採れた野菜でハーレイが料理をしてくれる。前のハーレイより料理の腕が上がったハーレイ。こだわりの豪華弁当だって作れるハーレイ。
(きっと最高に美味しくて、幸せになれる料理なんだよ)
 ハーレイと二人で食べられるのなら、簡単な料理でもきっと美味しい。
 トウモロコシを茹でただけでも、ジャガイモをふかして塩やバターで食べるだけでも。
 凝った料理も素敵だけれども、食材の良さを生かした素朴な料理も美味しいと思う。
 野菜スープのシャングリラ風はそういう料理で、前のぼくのお気に入りだったから。今のぼくも大好きで、レシピが変わったかもしれないと考えただけで寂しくなったくらいだから。
(…レシピが変わってなくて良かった…)
 ハーレイとぼくとを遠い昔から繋いでくれていた絆の料理の、野菜スープのシャングリラ風。
 恋人同士になるよりも前から、ハーレイが作ってくれていたスープ。
 今も変わらないレシピが嬉しい。
 それなのに美味しく変えてしまった、青い地球の恵みと幸せという名の調味料。
 いつかハーレイと暮らす家で味わう時には、もっともっと美味しく感じるだろう。
 寝込んでしまってもきっと幸せ、ハーレイと一緒に居るというだけで最高に幸せな未来のぼく。
 庭にはハーレイと二人で作った家庭菜園があるに違いない。
 何を植えようか、育ててみようか。ねえ、ハーレイのお勧めは、なに……?




         美味しさの秘密・了

※地球で育った野菜の美味しさ。野菜スープのシャングリラ風も美味しくなるのです。
 素朴すぎる野菜スープなだけに、味の違いが分かりやすいのかもしれませんね。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv





今年も夏休みが始まりました。柔道部の合宿と、その期間に合わせたジョミー君とサム君の璃慕恩院での修行体験ツアーも無事に終わって、まずはマツカ君の山の別荘へ。高原の澄んだ空気の中、ハイキングや乗馬なんかをしているのですが。
「…帰ったらまた卒塔婆書きか…」
キース君が夕食の席でボソリと。シェフが腕を奮ったチキンの香草焼きに卒塔婆はまるで似合わない発言です。とはいえ、キース君はシャングリラ学園特別生であると同時に元老寺の副住職。お盆を控えたこの時期、卒塔婆書きは欠かせない仕事なのでした。
「卒塔婆、残っているのかい?」
大変だねえ、と会長さん。
「ノルマを決めてキチンと書いてると聞いていたけど、また増えたとか?」
「ああ、いつものパターンというヤツだ。親父が押し付けてきやがった。お前は遊びに出掛けるんだから親孝行しろとか抜かしやがって!」
よくも、とキース君が唸るパターンももはやお馴染み。卒塔婆書きはハードな作業だけあって、アドス和尚はあの手この手でキース君に自分のノルマを押し付けようとするのです。断ったら最後、雷が落ちるか禁足令が出て外出禁止か。キース君にとってこの時期はまさに地獄と言えるかも…。
「しかも今年は卒塔婆の数が多いんだ! 親父め、最初からそういうつもりで適当にサボッていやがったらしい。俺が合宿に行っている間、一本も書いていないな、あれは」
もう嫌だ、と泣きの涙のキース君。
「家に帰ったら卒塔婆がズラリと待っているんだ…。あれだけの数、いくら俺でもお盆の直前までかかるだろうな。棚経までに一日休みが取れるかどうか…。しかも今年は猛暑なんだ!」
卒塔婆書きでスタミナが尽きたら棚経の途中で倒れてしまう、とキース君は嘆いています。
「おふくろは栄養ドリンクを買っておくとか言ってるんだが、それでもな…。サムかジョミーが資格さえ取ってくれていたなら、少しは手伝って貰えるのに…」
「あー、悪い…。俺もお盆の卒塔婆はまだ書けないしよ」
頑張れよ、とサム君が励まし、ジョミー君も。
「ほら、棚経はフォローするからさ…。どうせ今年も行かされるんだし、倒れた時には救急車くらい呼んであげるよ」
「……シャレになってないぞ……」
本当に救急車の世話になりそうだ、とぼやきつつチキンを頬張るキース君。この様子では山の別荘ライフの間に英気を養って卒塔婆書きに挑んで貰うしかなさそうです。マツカ君も「明日からスタミナがつく料理にしますか?」とか訊いていますし、そっち方面に期待ですよね…。



別荘のシェフはキース君のためにメニューに工夫をこらしてくれました。高原らしく軽やかでお洒落な料理が多かったのが食べ応えのある内容になり、ガーリックなども多めに使用。それでもキース君の帰宅後のノルマが減るわけではなく、明日は帰るという夜になって。
「…なんで寺なんかに生まれたんだ…。世間はお盆休みだというのに、俺の家は!」
どうしてこうなる、と夕食後に集まって遊ぶ広間の畳に突っ伏すキース君。
「ガキの頃から俺の家にはお盆休みなんか無かったんだ! 同級生は田舎に帰ったり家族旅行に行っていたのに、俺の家ときたら棚経だの墓回向だの施餓鬼供養だの…。それでも今よりはマシだった! 今の俺にはお盆と言えば卒塔婆書きに棚経、墓回向…」
それに施餓鬼、と指折り数えて。
「文字通り逆さ吊りの日々がこの先、一生…。俺は一生、逆さ吊りなんだぁーっ!!!」
「「「…逆さ吊り?」」」
それは穏やかじゃありません。卒塔婆書きのノルマを果たせなかったらアドス和尚に逆さ吊りにされてしまうのでしょうか? 御本尊様の前とかで…。それはコワイ、と震え上がった私たちですが、会長さんがクッと笑って。
「おやおや、ジョミーはともかくサムも知らない? 逆さ吊りと言えばお盆のことだよ」
「「「は?」」」
「お盆の正式名称が盂蘭盆会というのは知ってるだろう? これはお釈迦様の国の言葉のウラバンナを漢字で表したもので、ウラバンナの意味が逆さ吊り。逆さ吊りの苦しみに遭っているような人を救う法要ってことなんだな」
その由来は知りませんでした。なるほど、それで逆さ吊り、と…。卒塔婆書き三昧に棚経三昧、猛暑の中の墓回向とくれば気分は逆さ吊りかもです。ですが、キース君が元老寺に生まれた上に副住職となると、頑張ってとしか言える筈も無く。
「キース先輩、逆さ吊りですか…。今年も頑張って下さいね」
シロエ君が励まし、スウェナちゃんも。
「どうせ一生やるんでしょ? その内に慣れてなんとかなるわよ」
「そうだぜ、それに何十年か待っててくれたら俺とジョミーも手伝うからよ」
それまでの間は我慢しろな、とサム君が背中を叩いたのですが。
「…何十年…。俺の悩みはまさにソレなんだ、終わる見込みが無いんだからな!」
次の代に譲るという選択肢が無い、とキース君は拳を握りました。
「年を取らないから跡継ぎの子供も生まれない。俺は一生、親父の下でこき使われて逆さ吊りの苦しみを味わい続けるだけなんだーっ!!」
「「「………」」」
言われてみればそうでした。後継者に譲って楽隠居って道、キース君には無かったですね…。



気の毒だとは思いましたが、こればっかりは救う方法がありません。サム君とジョミー君が助っ人に使えるレベルになるまで待って貰うより道は無し、と私たちは苦悶しているキース君に背を向け、広間の机に用意されていたお菓子や軽食に手を伸ばしました。
「…相当追い詰められてるね、あれは」
重症だよ、と会長さんがポテトチップスを口に放り込み、サム君はサンドイッチをガブリと。
「仕方ねえよな、お寺に生まれちまったんだしよ…。待っててくれれば俺とジョミーが」
「誰もやるなんて言っていないし!」
ぼくは坊主はお断り、とカナッペを口に頬張ったままでジョミー君がモゴモゴ。
「やりたきゃサムが一人で行ってよ、ぼくは絶対行かないからね!」
「…お前なあ…。それこそ一生逃げちゃいられねえぜ、ブルーの弟子だろ?」
人間、諦めが肝心だぜ、とサム君がジョミー君の肩を掴んだ時です。
「これが諦めていられるかぁーっ!」
背中を丸めて落ち込んでいたキース君がガバッと勢いよく身体を起こして。
「俺は諦め続けてきたんだ、それこそガキの頃からな! 寺を継がないと言ってた時でも、おふくろに頼まれて墓回向だけは手伝ってきた。お盆が無かった年は一度も無いんだ、一度くらいは俺はお盆から逃げ出したい!」
「「「えっ?」」」
「しかし今更逃げると言っても、卒塔婆書きは待ってくれんだろう。それは書く! だが棚経だの墓回向だの施餓鬼供養だのが続く期間に俺は休みが欲しいんだ! 世間一般で言うお盆休みが!」
人並みのお盆というヤツが欲しい、と叫ぶキース君は我慢の限界に達してしまったみたいです。副住職がお盆を放棄って、アドス和尚が許さないでしょうに…。
「うーん…。いわゆる病欠かい?」
それなら文句は言えないよね、と会長さんが口を挟みました。
「和尚さんが棚経の途中で熱中症でギブアップというケースを聞いたことがあるよ。どこのお寺も忙しい時期だし、急に代役は見付からない。後日、檀家さんに謝って回ったみたいだね。…そんな感じで仮病を使えば休めるかと」
「病気で寝込めばお盆休みにならんだろう! 親父にブツブツ文句を言われるし、おふくろにも迷惑をかけそうだ。…要するに俺はお盆の期間は元老寺から離れていたいんだ!」
「家出するとか?」
後の始末が大変だけど、と会長さんが尋ねると、キース君はバッと畳に土下座。
「頼む、誰か名案を考えてくれ! 親父に文句を言われずに済んで、お盆をスル―する方法を! このとおりだ!」
頼む、と頭を下げられましても。…アドス和尚は怖いんですから、誰も片棒担ぎませんよ…。



「…合法的にお盆脱出ねえ……」
普通の方法じゃまず無理だろうね、と重々しく告げる会長さん。
「お寺の責任は重いんだ。檀家さんのお布施で食べさせて貰って、住まいに困らないのも檀家さんのお蔭。その代々の檀家さんたちを供養するのがお盆ってヤツで…。そこを疎かにして逃げようだなんて、それこそ坊主失格だけど」
「…分かっている。だが、本当に俺のお盆は一生続くんだ! 三百年以上も生きて来たあんたには大したことではないかもしれんが、俺はまだ悟りの境地に至ってもいない若造なんだ!」
それに、とキース君は続けました。
「俺はウッカリ真面目に副住職になってしまったが、同期のヤツには自由を謳歌しているヤツらも大勢…。ついこの間も「海外の聖地巡りをしています」という暑中見舞いが送られてきて…」
日焼けして楽しそうな笑顔だった、と羨ましそうに遠い目をするキース君。そっか、大学を卒業したら誰でもすぐに副住職とか住職ってわけじゃないんですね。
「…なるほどねえ…。それは少々こたえるかもね」
卒塔婆書きに忙殺されている君にはキツかったかも、と会長さんが相槌を打てば、キース君も。
「そうだろう? 他にも自転車で旅をしているヤツとか、バックパッカーで世界一周だとか…。見聞を広めるためと言われれば文句は言えんが、世間から見ればいい御身分だ」
俺ももう少し遊びたかった、と肩を落とすキース君に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと…。キース、高校生だし、学校あるでしょ? でも夏休みとかもちゃんとあるよね」
「…そこなんだよな…。普段は高校生でいられるという所で油断した。兼業で副住職をやれと言われてOKしたが、猶予を貰えば良かったんだ…」
せめて同期の連中が自坊に腰を据えるまで、とキース君は自分の判断の甘さを呪っています。とはいえ、副住職になってしまった以上はもはや手遅れ。会長さんの言葉通りに責任ある身で、お盆を放棄して逃亡だなんて檀家さんに対する裏切りとしか…。
「…本当に俺が甘かった。甘かったんだが、一度でいい。一度きりでいいから、逆さ吊りから逃げて自由なお盆というのは叶う筈もない夢なんだろうか…」
俺は一生この道なのか、と縋るような目で見回されても、助け舟なんか出せません。キース君を匿えそうな場所をこの国どころか世界のあちこちに持っているであろうマツカ君だって、困惑しきった顔でキース君と目を合わさないようにしてますし…。
「……やっぱり駄目か…。俺は一生、このままなんだな…」
明後日からまた卒塔婆書きか、とキース君が自虐的な笑みを浮かべた時です。
「…方法はまるで無いこともない」
会長さんが口を開きました。もしかして何か手がありますか? シャングリラ号で宇宙の彼方へ高飛びするとか、それなら追手もかかりませんよね!



普段は二十光年の彼方を拠点にしているサイオンを持った仲間たちの宇宙船、シャングリラ号。夏休みは大規模な人員交代の時期で地球の近くに来ています。そこへ逃げ込めば絶対安全、アドス和尚も手も足も出ないというわけで。
「シャングリラ号に乗せちゃうわけ?」
いい手だよね、とジョミー君が言い出し、シロエ君も。
「ですよね、期間限定のボランティアとかなら誰も文句は言えませんよ。シャングリラ号の順調な航行に必要となれば駆け付けなくっちゃいけませんしね」
キース先輩なら交代要員に相応しい能力が充分にありそうです、と太鼓判。確かに真面目なキース君なら、ブリッジクルーは流石に無理でも様々な部門で役立ちそうで。
「シャングリラ号かよ、あそこなら安全圏だよな!」
でもってゲスト扱いでのんびり出来るぜ、とサム君が頷きつつ会長さんに。
「キースがシャングリラ号に行くんだったら、俺も一緒に行きてえなあ…。キースが元老寺にいねえってことは俺もジョミーも棚経の手伝いがねえってことだし、暇だしよ」
「あっ、ぼくも! ぼくも乗りたい!」
棚経が無いならシャングリラ号、とジョミー君も挙手。こうなってくると私たちだって便乗しない手はありません。あの船はとても快適ですから、乗り込んで素敵なお盆休みをゲットです。我先に手を挙げ、私も、ぼくも、と頼み込んだまではいいのですけど。
「…誰がシャングリラ号に乗せるって言った? まあ、君たちは歓迎だけどね」
唇に笑みを湛える会長さん。
「「「は?」」」
シャングリラ号じゃないんですか? だったらキース君を何処へ逃がすと?
「合法的に、と言っただろう? 副住職としての責任を放棄しようと言うんだ、なまじのことではアドス和尚が納得しない。檀家さんの方は例え理由が大学の同期と海水浴でも快く許してくれるだろうけど…。まだ若いしね」
それでもアドス和尚は駄目だ、と会長さんは再度繰り返して。
「頑固で融通の全く利かないアドス和尚を納得させて、なおかつキースの副住職の面子を保つ方法は一つ! 元老寺のお盆より格の高い行事を正面からガツンとぶつけるだけだよ」
「「「…正面から?」」」
どんな行事があると言うのだ、と顔を見合わせる私たち。キース君は暫し考えてから。
「…璃慕恩院へ行けと言うのか? 確かに親父からは逃れられるが、それ以上に!」
親父よりも厳しい先輩方が目を光らせている、と逃げ腰になるキース君。けれど会長さんはニッコリと笑い、人差し指を立てて。
「此処に居るだろ、璃慕恩院の老師も頭を下げる伝説の高僧、銀青が……ね」
それでどう? と尋ねる会長さん。えーっと、それってどういう意味?



「早い話がぼくの家でさ、お盆期間の見習いってことで」
表向きは、と会長さんは計画を語り始めました。
「銀青が指導するとなったら、アドス和尚の頭の中では「箔がつく」ってことになるだろう。檀家さんが無いから棚経は無くても、他に色々と学ぶべきことが多そうだ。喜んで送り出してくれるさ、「失礼の無いよう頑張ってこい」と」
そして指導の実態は…、とニヤリと笑う会長さん。
「シャングリラ号で過ごそうなんて話も出てたし、みんな揃って泊まりにおいでよ。お盆はいつも暇にしてるし、たまには帰省で人が溢れて民宿みたいになるお盆気分もいいものさ」
「かみお~ん♪ それって楽しそう! お客様だぁ~!」
いっぺんやってみたかったんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も飛び跳ねています。お盆と言えば帰省ラッシュに里帰り。田舎なんかだと何家族もが帰省してきて民宿並みだと聞きますし…。
「そうか、あんたの家でお盆の見習いか…。それなら親父も文句は言えんな」
「いい理由だろ? ぼくから一筆書いてあげるよ、御子息とサムとジョミーをお預かりして面倒見ます、と」
任せておけ、と会長さんは宙から巻紙と硯箱などを取り出し、早速墨を磨り始めました。それから間もなく見事な筆さばきで書かれた手紙が出来上がり…。
「はい、キース。これを持って帰ってアドス和尚に渡したまえ。迎え火を焚く十三日から御子息をお借りして指導をさせて頂きます、と書いといた。サムとジョミーもセットでね。…お盆の行事を最後まで見せたいのでお返しするのは十七日です、と」
これでお盆の期間中は君は自由だ、と告げられたキース君の嬉しそうな顔といったら! ジョミー君も万歳三唱です。例年、暑さや疲労や膝の痛みと戦ってきた地獄の棚経が今年は無し。代わりに会長さんの家でのんびりとくれば、もう極楽というもので。
「やったあ、今年はブルーの家だあ! 棚経無しだぁーっ!!」
手放しで喜ぶジョミー君の隣で、キース君が頭を深々と。
「…礼を言う。寺に生まれて初めてお盆の無い生活だ。…なんだか夢を見ている気分だ」
「それはどうも。ぼくの名前が役に立つなら嬉しいよ」
その代わり卒塔婆書きは頑張って、という会長さんの激励に表情を引き締めるキース君。
「勿論だ。十三日までにはフリーになるよう、誠心誠意、努力する。その代わり、お盆はよろしく頼む」
「了解。君の人生で多分最初で最後のお盆休みだ、思い切り羽を伸ばすことだね」
有意義なお盆を過ごしたまえ、と微笑む会長さんにキース君はピシリと正座し、もう一度頭を下げました。伝説の高僧、銀青様にしか出来ない究極のお盆脱出方法。私たちもキース君と一緒のお盆休みは最初で最後になりそうですから、悔いのないよう過ごさなくっちゃ!



キース君のお盆脱出という前代未聞の計画を秘めて山の別荘ライフは終わりました。会長さんが書いた手紙が功を奏してジョミー君にもサム君にも棚経を控えての呼び出しはかからず、キース君はせっせと卒塔婆書き。夏休みを満喫している間に十三日が訪れて…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
卒塔婆書きを終えたキース君も交えて面子が揃った私たち七人グループは朝から会長さんが住むマンションへ。最上階に着いて玄関のチャイムを鳴らすと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎えです。
「今日からみんなでお泊まりだよね! ブルーも楽しみに待ってるんだよ♪」
入って、入って! と促されてリビングに行くと、クーラーの効いた部屋で会長さんがソファに座ってティータイム中。
「やあ、来たね。ぶるぅも朝から張り切っているし、何と言ってもキースのためのお盆休みだ。のんびりゆっくり楽しまなくちゃ。…最低限の行事はするけど」
アドス和尚の手前もあるし、と殊勝なことを口にする会長さん。
「とりあえず今日は迎え火かな。ぼくにも一応、供養するべき家族はいるから」
「「「………」」」
アルタミラで亡くなった家族の人か、と私たちは少ししんみり。会長さんの故郷の島、アルタミラは火山の爆発で海に沈んでしまいました。家族を一人残らず亡くした上に、島の人たちも全滅で…。その人たちの供養のために会長さんはお坊さんになったと聞いています。
「あ、そんなつもりで言ったわけじゃあ…。ずっと昔の話だからね」
気にしないで、と会長さんが笑顔になって、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飲み物の注文を取ってくれました。アイスティーにアイスコーヒー、オレンジスカッシュ。お昼までは少しあるから、とレモンの皮をくりぬいた中に詰まったレモンババロアも。
「…これが普通のお盆休みか…」
いいもんだな、とキース君。例年だったら明日の早朝に始まる棚経に向けての準備と、裏山の墓地を訪れる檀家さんのための墓回向とで汗だくになっている頃だそうです。
「喜んで貰えて嬉しいよ。ぼくの名前が役に立ったなら何よりだ」
お盆休みをたっぷり満喫したまえ、と会長さんが応じた時。
「…ぼくも満喫したいんだよね」
「「「???」」」
あらぬ方から声が聞こえてバッと振り返る私たち。紫のマントが優雅に翻り、ソルジャーが姿を現しました。
「今日からお盆休みだってね、ぼくにも是非!」
素敵なお盆休みをよろしく、とパチンとウインクするソルジャー。なんでソルジャーが出て来るんですか? 第一、ソルジャーの住んでる世界にお盆休みなんかがありましたっけ?



例年、夏休みになると必ずやって来るのがソルジャー夫妻。マツカ君の海の別荘で結婚して以来の伝統です。結婚記念日と重ねたいからと日付指定で押し掛けて来ますが、海の別荘行きはまだ先の話。なのにどうしてソルジャーが…? 会長さんもそこは疑問に思ったらしく。
「君の休暇はまだだろう? 海の別荘に来るんだからさ」
「それは勿論。だから今日のは別件で!」
お盆休みが欲しいんだよね、とソルジャーは空いていたソファに腰掛けました。おもてなし大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」がアイスティーとレモンババロアを用意し、ソルジャーは至極満足そう。
「これこれ、これが醍醐味ってね。今日からおもてなし三昧になるんだろう?」
お盆ってそういうものなんだってね、と語るソルジャー。
「キースがお盆休みって連呼してたし、ノルディに訊きに行ったんだ。ぼくの世界には無い行事だし、ライブラリーの古い本を調べてみてもお盆はあってもお盆休みは載っていなくて」
「……そうだろうねえ…」
お盆休みはこの国限定、と会長さんは疲れた口調。
「仏教のある国にお盆はあっても、お盆休みの習慣は無い。君の世界の記録には無くて当然かと」
「そうなんだ? …とにかくノルディに質問したら、「時間があるなら体験なさるといいですよ」って言われたんだよ。明日からいいかな、ぼくとハーレイ」
「「「は?」」」
会長さんだけでなく私たちまでが「は?」と返すしかありませんでした。お盆休みの体験はともかく、何処からキャプテンが湧くのでしょうか?
「かまわないかなって訊いてるんだよ、ぼくたちの休暇は調整したし」
海の別荘の分が近いから休暇をもぎ取るのに苦労した、とソルジャーは大袈裟に両手を広げて。
「ホント、ゼルたちはうるさいったら…。今の時点で特に気になる案件は無いし、人類側との小競り合いもない。休暇が少々増えたくらいで困りはしないと思うんだけどね?」
それに今回はぶるぅを残しておくんだから、と話すソルジャー。
「海の別荘の方はぶるぅもセットで休暇を取るから、不安というのはまだ分かる。お盆休みはぶるぅが残るし、万一の時の初動は問題ないかと…。ぶるぅはパワー全開で三分は保つし、三分あったら態勢も充分整うからね。…というわけで、お盆休みをもぎ取って来たさ」
「…もぎ取った?」
まさか明日から来る気なのでは、という会長さんの問いに、ソルジャーは。
「決まってるだろ、お世話になるよ。気心の知れた実家に帰ってのんびりするのがお盆だってね? ぼくに実家というのは無いけど、此処が実家のようなものだとノルディがね…」
ついでに夫婦でお邪魔するのが本筋だとか…、と一方的に喋りまくったソルジャー、おやつを食べ終えるなり「それじゃ帰省の準備があるから」とお帰りに。その帰省先っていうのが此処なんですか、そうですか…。



よりにもよってソルジャーどころかソルジャー夫妻が押し掛けて来るらしいお盆休み。紫のマントが空間の向こうに消え失せた後も私たちは呆然としていましたが。
「…おい。なんでこういうことになるんだ?」
俺の休みはどうなるんだ、とキース君。
「お盆休みを満喫するとか言ってやがったな、あいつ、いったい何をする気だ?」
「知らないよ、ぼくに訊かれても!」
ぼくも青天の霹靂なんだ、と会長さんがソルジャーが消えた辺りを見詰めて。
「ハーレイも連れて来るとか言っていたっけ…。おまけに帰省のつもりらしいし、上げ膳据え膳を希望と見たね。…いわゆる夫婦で里帰りのパターン」
「ちょ、ちょっと…」
それってぼくたちの立場の方は、とジョミー君が声を上げ、シロエ君も。
「キース先輩のお盆休みは無かったことになっちゃうんですか? 一生に一度のチャンスとやらがフイになる気がするんですけど…」
「……残念ながらそのパターンかな……」
相手が悪すぎ、と額を押さえる会長さん。
「だけどブルーが夫婦で帰省を気取ってるんなら、まるで望みが無いこともない。お盆休みの花は嫁と姑、それに小姑のバトルだという話もある。幸か不幸かブルーたちは未だにぶるぅのママの座を決定してないようだし、そうなってくれば二人とも嫁だ」
「「「嫁?」」」
「そう、嫁。そして此処が実家だと言うならぼくの立場は姑かな? 君たちは小姑として派手にバトルを繰り広げたまえ。気配りが足りないとか、当家の家風にそぐわないとか」
「…そ、それは……」
相当に無理がありすぎないか、とキース君が口ごもりながら。
「家風も何も、あいつは普段から自由に出入りしているぞ? 突っ込みどころを探せと言われても、そう簡単には見付からない気が…」
「普段ならね」
今はお盆だ、と即座に切り返す会長さん。
「お盆の行事から逃亡してきたキースには少々申し訳ないけど、この時期、やる家はやってることだし…。ぼくも長年適当にやってきたんだけれども、今年は真面目にお膳を作ろう」
「「「お膳?」」」
「そう、お膳。御先祖様にお供えする食べ物のお膳を朝昼晩の三食分! これの手伝いを嫁にやらせることにする」
まあ見ていろ、とほくそ笑んでいる会長さんですが、果たして上手く行くのでしょうか?



ソルジャー夫妻の来訪を明日に控えて戦々恐々としつつ、私たちは夕食前に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお仏壇の前にお供えするお膳を用意するのを見学しました。御飯はともかく和え物に煮物などなど本格的です。しかも全てが精進料理。
「えっとね、お料理はきちんと作らなくっちゃいけないけれど…。そのままのサイズだと器からはみ出してしまうでしょ?」
だから材料は小さく切るんだよね、との解説つきで出来上がったお膳はミニサイズ。それでも品数が多いですから作る作業は大変そうです。これを明日からソルジャー夫妻が?
「そういうこと!」
厳しくチェックしていびりまくれ、と会長さん。
「いいかい、どの器に何を盛り付けるかも大切なんだよ。そこも突っ込むポイントだね。おまけに精進料理なんていうモノ、ブルーたちはロクに分かってない筈!」
妙な素材を使おうとしたらネチネチと…、と小姑の心得を叩き込まれて、お膳をお供えしたら迎え火の時間。本物の火を焚くと火災報知機が鳴り出しますから、これは香炉で代用です。会長さんの家族やアルタミラの人たちに手を合わせた後に夕食で。
「夕食の前に確認しとく。明日からはブルーたちが来る。お客様面して後片付けもせず、のんびりまったり過ごしてるようなら小姑攻撃を繰り広げたまえ。気が利かないとか、なってないとか…。ブルーは駄目でもハーレイの方は確実に音を上げるかと」
そして早めにお帰り頂く、との会長さんの作戦はなかなかに使えそうでした。ソルジャーの面の皮の厚さは天下一品、会長さんでも太刀打ち出来ないレベルです。しかしキャプテンは真面目な上に気配りの人。嫌味攻撃を続けていれば早々に帰ってくれるかも…。
「いいね、とにかく粗探し! キースの平穏なお盆休みのためにも努力あるのみ!」
会長さんの檄に「頑張りまーす!」と拳を突き上げる私たち。最初で最後かもしれないキース君の貴重なお盆休みを根性で守ってみせますとも!



翌朝、キース君は大学に入って以来初めてだという棚経の日の朝寝坊なるものを満喫しました。大学に入学した年からアドス和尚のお供で棚経を始めましたから、この日は遅くとも午前四時起床。それが日の高くなる頃まで寝放題で。
「あ~、よく寝たぜ。…なんだ、もう朝飯を食ってるのか?」
早いんだな、と起きて来たキース君が席に着き、みんなでワイワイ朝御飯。元老寺では棚経の日は精進料理と決まっているため、ジョミー君とサム君にも久しぶりの肉OKな日というわけです。
「今日も思い切り暑そうだよねえ…。棚経、休めて良かったなぁ…」
毎年こんな中を肉も食べられずに棚経だもんね、とジョミー君。ベーコンエッグやソーセージなどをお皿に山盛り、もちろんキース君とサム君も。
「美味いな、禁断の肉だと思うと美味さの方も倍増だ。お盆だなんて夢のようだぜ」
世間にはこんなお盆があるのか、とキース君の感激はひとしおでした。朝食の後はリビングに移動し、ゆったり過ごしていたのですけど。
「…えっ、ブルー? …まさか…」
なんで、と会長さんが窓際の方へ。何ですか、ソルジャーがどうかしましたか? 空間移動で部屋に直接来るかと思えば外へ来たとでも言うのでしょうか?
「なんだ、どうした?」
外か、とキース君が窓の方へ行き、私たちも揃って見下ろせば。
「…あ、あれ…。あそこの車…」
会長さんが指差す先に深いグリーンの高級そうなスポーツタイプの車が停まっていました。やがてドアが開き、助手席側から私服のソルジャーが下りて、運転席から…教頭先生? いえ、雰囲気が違います。あれは私服のキャプテンでは? そのキャプテンがドアに鍵をかけていますけど…?
「…此処まで運転してきたんですか?」
そもそも誰の車ですか、とシロエ君がうろたえ、会長さんが。
「ノルディに借りてきた車らしいね、ブルーの得意そうな思念が零れてる。運転技術もノルディのをコピーしたようだ。ついでに免許証はこっちのハーレイのを元に偽造したらしい」
何故そこまで、と会長さんが読み取れない部分をあれこれ推測している内にチャイムが鳴って。
「こんにちは。お盆休みの間、よろしくね」
「…お世話になります。こちらは皆さんで召し上がって下さい」
お口に合えばよろしいのですが、とキャプテンが差し出すお菓子の箱。なんと手土産つきですか!
「ノルディに教わって来たんだよ。手土産はあった方がいいですねって話だったし」
ノルディお勧めのゼリー詰め合わせ、とソルジャーはニッコリ。この段階ではいびれないかも…。



「そもそも、なんで車で来たわけ? ノルディのだろ、アレ!」
全然理解出来ないんだけど、という会長さんの問いに、ソルジャーは。
「…お盆休みについて調べたんだよ、こっちでね。帰省ラッシュが名物らしいけど、混んだ電車は御免だし…。道路渋滞もちょっと困るな、と思っていたらアルテメシアは逆に空くんだって?」
ノルディに聞いた、と胸を張るソルジャー。
「郊外はともかく中心部とかは空きますよ、と教えて貰って、車を貸しましょうかと言われたんだ。いつもドライブはノルディとだしねえ、ハーレイの運転で帰省したら気分が出ますよ、って」
「そうなのです。御親切に運転技術もブルー経由で私に教えて下さいまして」
この免許証はシャングリラの潜入部門で作らせました、とキャプテンが顔写真入りの免許証を。元の免許証の持ち主の教頭先生、一時的に消えていたことも全く御存知ないそうです。
「…ブルーを乗せて初めての運転ということで、少し緊張しましたが…。慣れればシャングリラの舵を握るより簡単でしたよ」
乗り心地のいい車ですし、とキャプテンが褒める車はエロドクターが何台も所有している中の一台。教頭先生の愛車とは比較にならない高級車で。
「うん、助手席でも快適なんだ。…というわけでさ、お盆休みの間は借りる約束」
ハーレイとドライブに行くんだよ、とソルジャーは夢見心地です。
「これで実家に顔も出したし、これから早速行ってくる。お昼頃には戻って来るから、ぼくとハーレイのお昼をよろしく」
「ちょっと待った!」
その前に、と会長さんが引き止めた理由は当然、お昼の精進料理のお膳作りだったわけですが。
「え、何? …あっ、そうか…。ぼくとハーレイが泊まる部屋だね、ダブルベッドの部屋ってあったっけ? 無ければ広い部屋にベッドを入れておいてよ、ベッドのアテはあるだろう?」
マツカの別荘から瞬間移動で借りるとか…、とソルジャーの喋りは一方通行。
「ついでに荷物も運んでおいて。ぼくとハーレイの分でこれだけ!」
二つしか無いから楽勝だろう、と床に置いてあったボストンバッグを指差すと、ソルジャーはクルリと背中を向けました。
「行こうよ、ハーレイ。まずはノルディのお勧めの喫茶店! フルーツパフェとパンケーキとが美味しくってさ…。お前は甘いものが苦手だけれど、コーヒーも美味しい店だから!」
お前の運転する車で乗り付けられたら最高だよね、とキャプテンと腕を絡め合ってイチャつきながら出て行ってしまったバカップル。えーっと、お膳はどうなるのでしょう? 色々と注文つけられまくりは私たち小姑組のようですが…?



エロドクターの愛車を借りて帰省してきたソルジャー夫妻は歯の立つ相手ではありませんでした。午前中のドライブから戻ったかと思うと昼食もそこそこに午後のドライブ。いっそ渋滞に巻き込まれてしまえ、と誰もが思ったのですけれど。
「…ダメだね、ブルーが最強のカーナビなんだよ。渋滞している筈の所も裏道を縫ってスイスイ走るし、向かう所に敵なしってね」
おまけに下手に文句をつけられない、と歯軋りをする会長さん。
「…お膳作りを押し付けていびる計画、しっかりバレていたらしい。二人して「できる嫁」を演出するべく、夜のお膳作りに備えて下準備中」
「「「えっ?」」」
「ノルディの家にはシェフがいるだろ? ちゃっかり頼んで最高の出来の精進料理を詰め合わせて貰う魂胆らしい。盛り付ける器の解説付きで」
「…それは最強と言わないか?」
いびりようがないぞ、とキース君が呻けば、マツカ君も。
「プロが相手じゃ無理ですね…。素材もキッチリ選ぶでしょうし」
「そうなんだよねえ…。おまけにさ…」
より困るのはこっちの方、と会長さんが深い溜息を。
「いびりまくったら宿泊先を変えるようなんだ。ハンドルの向くまま、気の向くままにラブホテルをハシゴするつもり。…それくらいだったら腹は立つけどダブルベッドを用意するしか…」
「「「………」」」
いびったら最後、エロドクターの高級車でドライブがてらラブホテル巡りと来ましたか! それはマズイ、と誰もが青ざめ、シロエ君が。
「…ナントカに刃物ってよく言いますけど、バカップルに車でしたか…」
「今回限りにしといて欲しいよ、ぼくとしてもね」
キースのお盆休みの筈だったのに何処で方向を間違えたんだか…、と会長さんの嘆き節。
「だけどキースのお盆休みはキッチリ満喫させてあげたい。あの二人、お盆休みにかこつけてドライブ三昧でデートをしたいだけらしいから、いびるのはやめてヨイショしておこう」
そうすれば上げ膳据え膳で迷惑なだけの帰省組、と説明されて、お盆の帰省でイラつくという迎える側の気持ちってヤツが少し分かった気がします。
「くっそぉ…。俺はお盆休みのそんな部分まで求めたわけではないんだが…!」
違うんだが、とキース君が唸った所で勝手知ったるソルジャー夫妻が玄関の扉を開けて御帰還。
「ただいまぁ~! お膳だったっけ、用意してきたよ!」
「ええと、どちらにお供えすればいいのでしょう? 盛り付け方も聞いて来ました」
明日の朝の分もぬかりなく用意しております、とクーラーボックスを抱えて笑顔のキャプテン。キース君の長年の夢で一生に一度かも知れないお盆休みは、小姑気分を味わいながら過ごす期間になりそうです。でも貰えただけマシというもの、キース君、今年はお盆休みを楽しんで~!




         休みたいお盆・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとございます。
 キース君の念願だったお盆休みですけど、ソルジャー夫妻のせいで悲惨なことに。
 美味しい話はそうそう無いのか、キース君に運が無さすぎるのか…。

 でもってシャングリラ学園番外編は、去る11月8日で連載開始から7周年でした。
 まさか7年も続くとは思いもしませんでしたよ、こんな阿呆な連載が…。
 来月は第3月曜更新ですと、今回の更新から1ヶ月以上経ってしまいます。
 よってオマケ更新が入ることになります、12月も月2更新です。
 次回は 「第1月曜」 12月7日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、11月は、巨大スッポンタケをもう一度、とソルジャーが…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv




「ブルー? ママはお買い物に行って来るから」
 学校から帰って来て、制服から家で着る服に着替えて。階段を下りてダイニングに入ったら声を掛けられた。普段ならぼくが学校に行っている間に済ませる買い物。今日はお客さんが来ていて、行けなかったみたい。
「おやつは其処よ。飲み物は自分で好きなのを入れて」
 食べ過ぎちゃ駄目よ、と念を押してママは出掛けて行った。ダイニングで一人でおやつの時間。お客さんに出したケーキの残りなんだろう、マロンクリームたっぷりのモンブラン。
(えーっと…)
 モンブランはお腹が一杯になりやすいから、小さめに切ったらいいのかな?
 いつも食べるケーキがこのくらいだから、モンブランはそれより小さめ…、と切ってお皿の上に乗っけて。お湯を沸かして紅茶も淹れた。ミルク多めでお砂糖も多め。
(モンブランは甘いものね)
 甘いミルクティーは思ったとおりによく合った。美味しく食べて、ミルクティーも飲んで。
(…もうちょっとだけ食べようかな?)
 ほんの一センチか二センチくらい。それなら食べ過ぎにならないと思う。モンブランはとっても美味しかったし、もう少し…。
(ちょっとくらいなら平気だよね?)
 晩御飯さえきちんと食べれば大丈夫。よし、とナイフを取りに行こうとしたら。



(えっ?)
 ゴツン、と変な音がした。コツン、だったかもしれないけれど。
 ダイニングの窓の方から聞こえた。庭が見えるように、ぼくの背丈よりも大きなガラスを嵌めた掃き出し窓が並んでいる辺り。
(…ゴツン?)
 何の音だろう、と見に行って窓から覗いてビックリ。
 窓ガラスにぶつかってしまったらしくて、外のテラスに小鳥がコロンと転がっていた。仰向けに転がって動かない小鳥。白いお腹と小さな足はピクリともしない。
(死んじゃった?)
 ぼくが慌てて窓を開けたら、その音で気が付いたんだろう。小鳥はなんとか起き上がった。
 だけど、まん丸。
 身体中の羽根がプウッと膨れてしまって、ふくら雀みたいにまん丸な小鳥。
(…縮むのかな?)
 多分、驚いて羽根が逆立っているんだとは思うけれども。
 直ぐに縮むと思った小鳥の身体は縮まなくって、まん丸のままで突っ立っている。クルンとした目はちゃんと開いているけれど、動きもしないし、瞬きもしない。
(もしかして打ちどころが悪かったとか…?)
 お医者さんに連れて行くべきだろうか、と眺めていて不意に「あっ」と思った。
(青い鳥だよ)
 白いお腹をしていた鳥の他の部分は瑠璃色の羽根に覆われていた。
 艶々と輝く、目の覚めるような綺麗な青。空の青よりもっと深い青。
 前のぼくが憧れた地球よりもずっと、青い青い羽根を纏った本当に本物の青い鳥…。



 遠い遠い昔、前のぼくがシャングリラで暮らしていた頃。
 シャングリラの中だけがぼくたちの世界だった頃。
 なんとか余裕が出来てきたから、本とかを読める時間が取れるようになった。
 それまでは本を読むと言っても必要な知識を仕入れることが最優先で、娯楽としての読書の時間じゃなかった。それぞれが得意とする分野の本だけを懸命に読み込んだ時代。
 そういう時代がどうにか終わって、気の向くままに色々な本を読めるようになったから。ぼくは普通の本も読んだけど、童話なんかにも手を出した。成人検査とアルタミラでの過酷な人体実験で失くしてしまった昔の記憶が蘇るかも、という気がしたから。
 幼かったぼくが何を読んだのか、どんな本や絵本を好んでいたのか。小さな欠片でも思い出してみたくて、折に触れては絵本や童話を手に取っていた。
 そんな日々の中、出会ったSD体制が始まるよりも前に書かれた物語。小さな兄妹が夢の世界で幸福の象徴の青い鳥を探しに出掛ける話。
 前のぼくが幼い頃にそれを読んだのか、そうでないのかは分からなかったけれど。
 青い鳥に無性に心を惹かれた。
 幸せを運んで来てくれる青い鳥。青い地球の色を宿した鳥。



 シャングリラで青い鳥を飼いたくなった。
 青い地球まで行けるようにと、幸福を運んで来てくれるようにと。
 だけど…。
「そんなものは何の役にも立たんわ」
 まだ若かったゼルにバッサリと切って捨てられた。
「本当に幸福を運んで来るなら使えるだろうが、ただの青い鳥なんか厄介なだけだ」
 …ゼルが言う通り。
 青い鳥は何の役にも立たない。餌を食べるだけで世話が必要なだけ。
 それでも欲しくて、あれこれと調べてみたのだけれど。
(…卵が美味しいとか、そういう青い鳥がいれば良かったんだけどね?)
 役に立つ青い鳥は見付からなかった。
 青い色の鳥が沢山いることは分かったけれども、どれも生活に役立つものじゃなかった。小鳥を飼っても子供たちしか喜ばないだろうし、公園に放すわけにもいかない。
 前のぼくの憧れの青い鳥。幸せを運ぶ、地球と同じ色の羽根をした青い鳥。
 いくらソルジャーでも、我儘を言って青い鳥を飼うことは褒められたことじゃなかったから。
(…諦めるしかなかったんだよね、青い鳥…)
 その代わり、ナキネズミを開発した時に青い毛皮をしたのを選んだ。
 開発途中では白とか茶色の個体もいたんだけれども、毛皮の色で能力に差は生じないとの説明を聞いて青い毛皮の個体を推した。絶対に青がいいと思った。
 だって、幸せの青い鳥と同じ青だから。
 ミュウに幸福を運んで来てくれるようにと、願いをこめて青を選んだ。
 そういうわけで、ミュウが創り出した思念波を操る生き物、ナキネズミは青い毛皮を纏うことになった。幸せの青い鳥の代わりに…。



(前のぼくは青いナキネズミが精一杯だったんだけどね?)
 ぼくはテラスでまん丸になったままの青い小鳥を見詰めた。
 流石は地球だ。
 ぼくがおやつを食べてる所へ、青い鳥が降って来るなんて。
(ホントに本物の青い鳥だよ)
 お腹は白いけど、他は全身、見事な瑠璃色。染めたわけじゃなくて、自然の瑠璃色。
 ぼくの所へ飛び込んで来てくれた青い鳥。
 前のぼくの憧れだった幸せの青い鳥。
 ハーレイにも見せてあげたいな、と思うけれども…。
(…もし来てくれても、学校の帰りに寄ってくれる時間は夕方だしね…)
 そんな時間まで飛び立てなかったら小鳥はおしまいだと思う。
 暗い中では目が見えない鳥も多いって聞くし、ねぐらに帰れなくなるとか、迷うとか…。森には小鳥を餌にしているフクロウとかも棲んでいる。見付かってしまったらそれでおしまい。
(早く飛べるようになるといいんだけれど…)
 ぼくのサイオンがもっとマシなら「元気出してね」って言ってあげられるかもしれないのに。
 お医者さんに連れて行くべきかどうか、調べられるかもしれないのに。
 ママにもそういうサイオンは無い。それに、そのママは今、買い物で留守。
(……どうしよう……)
 青い小鳥は嬉しいけれども、死んでしまったらそれどころじゃない。
(家に鍵を掛けて、お医者さんまで連れて行く?)
 だけど、小鳥を診てくれるお医者さん。
 獣医さんに行けば診てくれるだろうけど、ぼくは獣医さんに行ったことがない。
(…人間の病院と同じかな? お願いします、って言えばいいのかな…)
 とにかく連れて行ってみようか、と入れ物を探すことにした。
 ペット専用のケージなんかは家に無いから、普通の箱でもいいんだろうか。
(えーっと、空き箱…)
 何処にあるかな、と立ち上がった途端にチャイムの音。
 お客さんだろうと思ったのに…。



「はーい!」
 返事したぼくは、お客さんが誰か分かって目を見開いた。
「えっ、ハーレイ!?」
 大慌てで玄関の扉を開けて飛び出し、門扉を開けに庭を走って行った。チラリと見たガレージにハーレイの車。生垣の向こう、門扉の脇でハーレイが軽く右手を上げている。
「すまんな、お前しかいなかったのか?」
「うん。ママは買い物」
 門扉を開けて、ハーレイが庭に入って来て。
 玄関まで二人並んで庭を歩きながら、ぼくはハーレイに尋ねてみた。
「なんで早いの? まだ夕方にもなっていないよ」
「今日は特別だ。柔道部がお疲れ休みというヤツなんだ」
 昨日は大会だったからな、と話すハーレイと一緒に玄関から入る。ハーレイは靴を脱いで上がる途中で、先に上がっていたぼくを見上げてニッと笑った。
「お前と一緒に帰って来てもいいくらいだったな、この時間だとな」
「そうだね、学校で待ってれば良かったのかも…」
 待っていればハーレイの車に乗せて貰って家まで帰って来られたかもしれない。
 それはちょっぴり残念だけれど、こんなに早い時間にハーレイが家に来てくれるなんて…。
(もしかして、これが青い鳥の幸せ?)
 ホントに幸せを運んで来たよ、と嬉しくなった。
 でも…。
 その青い鳥は、テラスでまん丸。
 動かないままで、ふくら雀みたいに膨れてまん丸。
 お医者さんに行こうとしてたんだっけ、と思い出した。
(ハーレイが来てくれたことは嬉しいけれども、命懸けで幸せを運ばなくてもいいんだよ…)
 それじゃ、ぼくと同じ。
 ミュウの未来を守るためにメギドを沈めて死んでしまった前のぼくと同じ。
 そこまで頑張らなくてもいい。
 いくら幸せの青い鳥でも、そこまで頑張ってくれなくていい……。



 きっとぼくは悲しそうな顔になったんだろう。ハーレイが「どうした?」と訊いて来た。
「どうしたんだ、ブルー? 急に元気が無くなったぞ?」
「……ぼくの青い鳥……」
「青い鳥?」
 ハーレイは怪訝そうな顔をして問い返したから、ぼくはハーレイの腕をグイと掴んだ。
「こっち! 大変なんだよ、ぼくの青い鳥…!」
 大きな身体をグイグイ引っ張って、ダイニングの窓際へ連れて行った。
 青い小鳥はやっぱり、まん丸。
 膨らんだままでテラスに突っ立っている。そう、魂が抜けてしまったみたいに。
「ハーレイ、これ…」
 指差すと、ハーレイは「オオルリか」と小鳥の名前を口にした。
「なるほど、ガラスにぶつかったのか…。映った景色を本物の景色と間違えたんだな」
「…オオルリって言う鳥なんだ?」
「ああ。綺麗な鳥だが、鳴き声の方も有名なんだぞ? ウグイスにも負けない綺麗な声だ」
 しかし、この状態では鳴くどころではなさそうだな…。
 どれ、とハーレイが窓際に屈み込んで大きな手を差し出しても、青い小鳥は動かない。膨らんだ身体も縮みはしないし、ハーレイの手が真上に来たって動かない。
「うーむ…」
「大丈夫そう?」
「さてな…。俺もこの手のサイオンってヤツは、だ…」
 あまり得意じゃないからな、と言いながらも褐色の手からふわりと淡い緑のサイオン。そうっと青い小鳥をサイオンで包むようにして、直接触らずに暫く探っていたけれど…。
「どうやら驚いているだけのようだ。人間で言えば腰が抜けたといった所か」
 深刻なダメージは受けていない、と聞かされて心の底からホッとした。
 命懸けで幸せを運んで貰ったとしたら、申し訳ないなんてものじゃないから。
 ぼくに幸せをくれたんだったら、青い鳥にも幸せになって欲しいから…。



 ほうっと息をついて膨らんだ小鳥を眺めていたら、ハーレイが訊いた。
「それにしても、お前…。この程度のことも出来なくなっちまったのか? こいつがどんな状態かくらい、前のお前なら一瞬で分かった筈なんだがな?」
「うん…」
 とことん不器用になってしまった、ぼくのサイオン。前のぼくと同じタイプ・ブルーのくせに、何ひとつ満足に出来やしないし、思念だって上手く紡げやしない。だから小鳥を見詰めて呟く。
「小鳥が大丈夫か調べるどころか、青い鳥が来ることも分からなかったよ」
「青い鳥って…。そりゃ青いだろう、オオルリだぞ?」
「そうじゃなくって、青い鳥だよ。幸せの青い鳥、覚えていない?」
「そっちの方の青い鳥か…」
 前のお前だな、とハーレイは懐かしそうな瞳になった。
「お前、飼いたがっていたっけなあ…。シャングリラで」
「うん。思い出したんだよ、この鳥を見たら。…青い鳥だ、って」
 前のぼくが欲しかった青い鳥。
 憧れの地球と同じ青い色をした、幸せを運ぶ青い鳥。
 でも、青い鳥は何の役にも立たなかったから、ナキネズミで我慢するしかなかった。
 青い毛皮のナキネズミを飼って、ミュウの幸せを祈ることしか出来なかった。
 欲しくて欲しくてたまらなかった青い鳥。
 その青い鳥が降って来た。
 今のぼくの前に空からコツンと、あるいはゴツンと、窓のガラスにぶつかって。



 オオルリという名前を持っているらしい青い鳥。
 ウグイスに負けない綺麗な声で鳴くとハーレイに聞いた青い鳥。
 腰を抜かしているだけだったら、お医者さんには連れて行かなくてもいい。それに…。
「ねえ、ハーレイ。この鳥、飼ってもかまわないかな?」
 ぼくの所へ飛び込んで来てくれた青い鳥。
 前のぼくが欲しくて欲しくてたまらなかった青い鳥。おまけに地球の青い鳥。
 飼っていたら幸せを沢山貰えそうだから、飼ってみようと思ったのに。
「そいつは駄目だぞ。自然の鳥は自然のままに…、だ」
 自然の中で生きるのが一番なんだ、とハーレイにピシャリと言われてしまった。
「お前だって籠に閉じ込められたら嫌だろう? 籠じゃなくってシャングリラでも……だ」
 シャングリラの中しか無かった時代より今の方がずっと幸せだろうが。
 違うのか、ブルー?
「…そうだけど…。でも、せっかく青い鳥が家まで来てくれたのに…」
「幸せの青い鳥だと言うなら、なおのこと自由にさせてやらんと駄目だと思うぞ」
 こいつは幸せを配達中の青い鳥なんだ。
 お前の所の用事が済んだら、次の幸せを配りに行くんだ。
「それなのに、お前、まだ幸せをくれって欲張るつもりか? 家に閉じ込めて」
「……そっか……」
 ハーレイの言葉で思い当たった。
 ママが買い物でいない間に、空から降って来た青い鳥。
 青い小鳥が降って来たから、いつもより早く来てくれたハーレイと一緒に幸せな時間。
 ハーレイと二人きりで過ごせる場所は家の中ではぼくの部屋だけで、ダイニングで二人きりでの時間が持てるだなんて一度も考えたことが無かった。一階のダイニングもリビングもパパとママも一緒の食事やお茶の時間に使う場所。ハーレイと二人きりで独占するなんて不可能な場所。
 そのダイニングでハーレイと二人、青い小鳥を見守っている。
(これ以上、欲張っていたら駄目だよね…)
 もっと幸せが欲しいだなんて願ったら神様に叱られそうだ。
 幸せなんて数えるほどしか持っていなかった前のぼくなら大丈夫だけど、今のぼくだと青い鳥を自分で飼いたいだなんて充分、欲張り。
 飛んで来てくれただけで幸せなんだし、空へ返してあげなくちゃ…。



 ふくら雀みたいに膨らんでいた鳥は、少しずつ縮んで普通になって。
 ぼくとハーレイとが見ている間に羽を何回かパタパタさせてから飛び立っていった。テラスから真っ直ぐ青い空へと。瑠璃色の羽根より薄い色をした、まだ充分に明るい空へと…。
「良かったあ…。まだフクロウには見付からないよね」
「そうだな、もう一軒くらい幸せを配達しに行けるんじゃないか?」
 窓ガラスにぶつからなければな。
 お前みたいな欲張りに捕まっちまって、籠に入れられなければいいな。
「酷いよ、ぼくは入れなかったよ!」
「どうだかな? 俺が来なかったら入れたんじゃないか?」
「箱に入れて獣医さんに持ってくだけだよ、大丈夫か診て貰うだけだってば!」
 言い返したものの、もしもハーレイが来なかったなら。
 獣医さんに連れて行って、診察して貰って、飼い方を訊いて。
 もしも鳥籠を扱っていたならその場で籠に入れて貰って、餌も買って帰っていたかもしれない。獣医さんに鳥籠が無かったとしたら、帰り道でペットショップに寄って鳥籠と餌。
(…飼っちゃってたかもね…)
 だって、前のぼくが欲しかった青い鳥。
 ぼくだって見たら欲しくなったし、飼いたくなったことは間違いないから。
 そうして青い鳥を飼っていたなら、家に来たハーレイが鳥籠を見付けて訊いて来るんだ。「その青い鳥はどうしたんだ?」って。
(欲張りめが、って呆れられるね…)
 ぼくが大切に世話をしていても、ハーレイはきっと呆れた顔をしただろう。
 青い鳥が欲しかった前のぼくよりも幸せなくせに、まだ幸せが欲しいのかと。
 幸せを一人占めしようと思って青い鳥を捕まえて飼っているのか、と。
(…呆れられるより、逃がしてあげて多分正解だったんだよね?)
 ハーレイを早い時間に連れて来てくれた青い鳥。
 ハーレイと二人、ダイニングで過ごす幸せをくれた青い鳥…。



 青い鳥が飛んで行った後、ママが帰って来て、ハーレイが早く来ていることにビックリして。
「ブルー、ハーレイ先生にお茶とお菓子をお出しした?」
「えっ?」
 訊かれるまでもなく、テーブルを見れば一目瞭然。
 モンブランは置いてあるけれど、食べた後のお皿はぼくが使った分だけ。紅茶のカップもぼくの分だけで、ハーレイのお皿もカップも無い。
 ママは恐縮してバタバタとお茶の用意を始めて、ぼくとハーレイは二人で二階へ。ダイニングはママも居る普段の空間に戻ってしまった。
 解けてしまった、青い鳥が運んで来てくれた幸せの魔法。
(青い鳥も何処かへ飛んでったしね…)
 だけど、いつもと違う場所でハーレイと二人きりで色々と話せたから。
 青い鳥が欲しかった前のぼくの思い出話も出来ちゃったから。
(…やっぱり幸福の青い鳥だよ)
 間違いないよ、と確信した。
 ぼくの所へ飛び込んで来てくれた青い鳥。
 幸せを運んで来てくれそうだからと、前のぼくが欲しがった青い鳥…。



 窓の外の木の枝を覗いてみたけど、青い小鳥の姿は無かった。
 ぼくに幸せを配り終わって次の家へと飛んで行ったか、明日に備えて眠るために森に帰ったか。
(…もう一度ぼくに幸せってことはないよね、今日の間は…)
 明日はどうかな、と考えていたら、ハーレイに「こらっ」と軽く頭を小突かれた。
「お前、まだ青い鳥がいないか探しているな? 欲張りめが」
「分かっちゃった?」
「俺の方を見ないで庭ばかり見てれば馬鹿でも分かる」
 それで、青い鳥の方がいいのか?
 俺よりもそっちがいいと言うなら今日は早めに帰ることにするが。
「そ、それは無しだよ、せっかく早く来てくれたのに!」
「なら、欲張るな。今日は充分幸せだろうが、お前というヤツは本当に…」
 青い鳥を飼おうとするとか、また来ないかと探しているとか。
 何処まで欲が深いんだか、とハーレイは呆れているんだけれど…。
(えっと、オオルリだったっけ?)
 元気に森へ飛んで行ってね、ぼくの青い鳥。
 今度は窓にぶつかったりせずに、また幸せを運んで来てね。
(そして綺麗な鳴き声も聞けるといいんだけれど…。ハーレイが来てくれている時に)
 ハーレイに欲張るなって言われてるのに、また欲張りになっているぼく。
 自分でも酷いって思うけれども、青い鳥は前のぼくが欲しかった夢の鳥だから…。
(……欲しくなっても仕方ないよね?)
 幸せも、幸せを運んで来てくれる青い小鳥も。
 空から降って来た幸せの鳥。
 青い鳥、またぼくの家に飛んで来てくれるといいんだけれど…。
 ぼくの幸せの青い鳥。鳥籠には絶対閉じ込めないから、いつか鳴き声をぼくに聞かせて。
 ハーレイと二人で聞ける時間に、庭に来て綺麗な声を聞かせて。
 お願い、ぼくの幸せの小鳥。瑠璃色の羽根をした、まん丸だったオオルリ……。




          青い鳥・了

※ブルーに幸せを運んで来てくれた青い鳥。無事に飛んで帰れて良かったですよね。
 前のブルーが飼いたがっていた青い鳥が落ちてくるのも、地球ならではの幸せかも…。
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