シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
パパに強請って買って貰った写真集。
歴史の彼方に消えたシャングリラの写真を集めた豪華版。ぼくのお小遣いでは買えない値段。
「ほら、ブルー。お前が言ってた写真集だ」
「ありがとう、パパ!」
「…パパにはピンとこない本だが、お前はこの船に居たんだな」
「うんっ!」
これがぼくの部屋、とページをめくって青の間を見せた。パパは「ほほう…」とビックリして。
「この家を丸ごと入れても余りそうだが、自分で掃除してたのか?」
「…ちょっとだけね」
「そうだろうなあ、こいつは掃除も大変そうだ。しかし、お前がソルジャー・ブルーか…」
「今はパパの子だよ」
そう言ったらパパは嬉しそうな顔をして、ぼくの頭をクシャクシャと撫でた。
「うんうん、パパとママの大事な宝物だな。写真集、大切にするんだぞ」
「うん! それでね、此処がブリッジでね…」
ぼくはリビングで写真集を広げて、パパとママとにうんと自慢した。
ぼくが守った白い船。ハーレイが舵を握った船を。
この写真集はハーレイが先に見付けて買ってて、ぼくに教えてくれたんだ。「ちょっと高いが、懐かしい写真が沢山あるぞ」って。
自分の部屋に戻った後も、ぼくは写真集を夢中で眺めた。パパとママも一緒に見ていた時には、ぼくは船内の案内係。天体の間だとか公園だとか、船の設備を主に説明してたから…。
(んーと…。ホントに色々載ってるよね)
ハーレイが航宙日誌を書いていた部屋や、ヒルマンが授業をしていた教室。いろんな写真の隅の隅までを見ると、様々なものが見えてくる。ハーレイの机には羽根ペンが小さく写っているし…。
(あっ、あった!)
ジョミーが決めた次のソルジャー、トォニィの部屋にチョコンと小さな木彫りのウサギ。
トォニィは前の生でぼくが眠っている間に自然出産で生まれた最初の子供で、ハーレイが誕生を祝って彫った木彫りがこのウサギだ。
残念なことに、ソルジャー・ブルーだったぼくは木彫りのウサギを見ていない。
(…確か、お守りなんだよね?)
ウサギは沢山の子供を産むから、ずっと昔は卵と同じで豊穣のシンボル。イースター・エッグとセットでイースター・バニーがあるほどだしね。
そんなウサギをハーレイが彫って、一番最初の自然出産児だったトォニィに贈った。これからも沢山のミュウの子供が生まれますように、っていう願いがこもったウサギのお守り。
シャングリラは流れた時間が何処かへ連れ去ってしまったけれども、ウサギは残った。
今では宇宙遺産になってるハーレイのウサギ。ミュウの歴史に燦然と輝く御大層なウサギ。
本物は地球で一番大きな博物館が所有していて、研究者だってそう簡単には見られない。
一般公開は百年に一度、この前の公開は五十年ほど前のことだからハーレイだって見ていない。
前のぼくが知らないハーレイのウサギ。
彫っている所を見てみたかった。そしてトォニィに贈る所も…。
宇宙遺産になってしまったハーレイのウサギ。
どんな気持ちで何処で彫ったのか、知りたかったからハーレイに訊いた。ぼくの部屋でテーブルを挟んで向かい合いながら。
「ねえ、ハーレイ。…あのウサギって何処で彫ったの?」
「ウサギ?」
ハーレイは変な顔をした。
「ウサギがどうかしたのか、ブルー?」
「ウサギだってば、ハーレイのウサギ! トォニィに彫ってあげた木彫りのウサギ!」
「…あ、ああ……。アレか」
アレな、と返事をしてくれたけれど、なんだか困ったような表情。
「ハーレイ、変だよ? …ウサギの話は嫌だった?」
「い、いや…。その、なんだ……」
ますますおかしい。どうしてだろう、と疑問が膨らむ。ハーレイをつついてみたくなる。
「なんでウサギで困るわけ? 宇宙遺産になっちゃったから恥ずかしいとか?」
「いや、そうじゃなくて…。アレはウサギじゃなくてだな…」
ハーレイは頬っぺたを真っ赤にしながら、言いにくそうにこう言った。
「…ナキネズミのつもりだったんだ。今じゃウサギになっちまったが」
「嘘…。アレって、ウサギじゃなかったんだ…」
何処から見ても立派なウサギ。宇宙遺産のハーレイのウサギ。
なのに本当はナキネズミだなんて、それじゃお守りだっていうのも間違い?
「ウサギのお守りって聞いているけど…。ホントのホントにナキネズミなの?」
「悪かったな、ウサギにしか見えないヤツで!」
あれでも精一杯頑張ったんだ、とハーレイは耳まで真っ赤になった。
「俺がブリッジで彫ってた時からブラウに馬鹿にされたんだ。「どの辺がどうナキネズミだい?」なんて言われて、笑われて…。トォニィに贈る時にも横からウサギだと言ってくれてな」
「ハーレイ、訂正しなかったの?」
「…お前、訂正出来ると思うのか? カリナが「ほら、トォニィ。ウサギさんよ?」とトォニィに触らせてやっているのに「ナキネズミだ」なんて誰が言えるか、場の雰囲気が台無しになる」
「それでそのままになっちゃったんだ…」
ぼくの目は丸くなってたと思う。
宇宙遺産の木彫りのウサギ。それがウサギじゃなかったなんて…。
ナキネズミはウサギにされちゃったけれど、あれを彫った時のハーレイの気持ちは聞けた。
トォニィが幸せになれますように、って思いをこめて彫られたウサギ。
ウサギじゃなくってナキネズミだけど、トォニィの幸せを祈る気持ちは変わらない。
ただ…。
「ミュウの子供が沢山生まれますように、っていうのは無しだったんだね?」
宇宙遺産のウサギとセットの解説。確かめてみたら苦い笑いが返って来た。
「…まるで無かったとは言えんがな…。そうなるといいなと思ってはいたが、ナキネズミだしな? ウサギみたいに沢山子供を産むわけじゃないし、お守りの意味は全く無いな」
「じゃあ、解説とかが全部間違ってるんだ? 宇宙遺産のハーレイのウサギ」
「そうなるな。そもそもウサギじゃないんだからな」
しかし俺には責任は無いぞ、とハーレイは腕組みをして開き直った。
「ウサギだと決めたヤツらが悪い。俺にとってはナキネズミだ」
「だけどウサギは宇宙遺産だよ?」
「勝手にウサギと決め付けるからだ! ナキネズミだったら宇宙遺産じゃなくてオモチャだ」
「…それはそうかも……」
ハーレイが彫ったナキネズミ。ちゃんとナキネズミに見えていたなら、御大層な解説つきで宇宙遺産にされる代わりにオモチャ扱い、歴史の彼方に消えていたと思う。
シャングリラが消えてしまったように。青の間が無くなってしまったように。
でも、ナキネズミは立派に残った。ウサギになって宇宙遺産で、博物館が持っていて…。
ソルジャー・ブルーだったぼくは見られずに死んじゃったけれど、今のぼくなら見に行ける。
博物館の奥の収蔵庫に収められているナキネズミ。ウサギになったナキネズミを。
百年に一度しか見られないウサギ。前の公開から五十年も経っていないし、まだ先だけど。
「ハーレイ。…次に公開される時には見に行かなくっちゃね、ハーレイのウサギ」
「ナキネズミだ!」
俺が言うんだからナキネズミだ、とハーレイは頑として譲らない。
ナキネズミってことにしてもいいけど、宇宙遺産のウサギはウサギだと思うんだけどな…。
木彫りのウサギが公開されて見に行く頃には、ぼくはハーレイと結婚している。
手を繋いで一緒に見に行けるんだ。
そして展示用のケースを覗き込みながら喧嘩なんかもするかもしれない。
「これは絶対にナキネズミだ」「絶対ウサギだ」って、傍から見たら馬鹿みたいなことで。
宇宙遺産の木彫りのウサギ。
ぼくの前世がソルジャー・ブルーで、ハーレイはキャプテン・ハーレイだったと公表したなら、ウサギは直ぐにナキネズミだと訂正出来るだろうけれど。
そんな予定は当分無いから、ウサギはウサギのままなんだ。
ウサギじゃなくってナキネズミなのに。
宇宙遺産のハーレイのウサギ。
本当はアレはナキネズミです、ってコトになったら大変だよね。
ありとあらゆる歴史の本とか美術書だとか。アレを載せてる教科書なんかもあるだろう。それを全部ウサギからナキネズミに書き換えなくちゃいけない上に、意味までまるっと変わってしまう。
ナキネズミはウサギみたいに沢山の子供を産まないし…。イースター・バニーって言葉まであるウサギとは別の生き物なんだし、お守りの意味が無くなってしまう。
木彫り一つで学者も出版社も博物館も、上を下への大騒ぎ。
ハーレイの木彫りの腕前が下手くそなことを放って凄い騒動になっちゃいそうだ。
ウサギにしか見えないナキネズミを彫ったハーレイが悪いと思うけれども、ハーレイは悪いとも思っていない。勘違いした方が悪いとか、決め付けたブラウたちが悪いとか言って笑ってる。
いったい、誰が悪いんだろう?
ハーレイかな? それとも最初にウサギだと言ったブラウかな? 間違えたみんな?
考えてみたけど分からない。
ぼくもウサギだと思ってたんだし、やっぱりハーレイが一番悪い?
ウサギになったナキネズミ。
宇宙遺産になってしまった、博物館に居る木彫りのナキネズミ。
百年に一度の公開だなんていう立派すぎるウサギがナキネズミだと知ってしまうと、この世界は色々と難しそうだ。自分にそういうつもりがなくても、周りが凄い勘違いをする。
ハーレイが彫ったナキネズミがウサギに見えたばかりに宇宙遺産。
こうなってくると、ぼくの前世がソルジャー・ブルーなことは伏せておいて正解だったと思う。
何処かで勝手に勘違いされて、伝説が一人歩きをしていたりしたら恥ずかしいもの。
ハーレイの木彫りが宇宙遺産になったみたいに、ぼくも何かをやったかも…。
ぼくは何にも残してないけど…。
多分、残していないんだけれど。
死んでから今までの歴史の全部に責任を取れるようになるまで、黙っているのがいいのかな?
ハーレイみたいに変な宇宙遺産を残しているとは思わないけれど。
ウサギじゃなくてナキネズミだ、と言い張るハーレイを見ながら考え続けてハッと気付いた。
(いけない、ハーレイとぼくは恋人同士!)
今の生でもまだ明かせないハーレイとの仲。それは教師と生徒だからで、ぼくが十四歳になったばかりの子供だからというのもある。ぼくがソルジャー・ブルーと同じくらいの姿に育って、今の学校を卒業したなら堂々と結婚出来るけれども、前の生では全く違った。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが恋人同士だったなんて誰も知らない。
シャングリラを守るソルジャーだったぼくと、シャングリラの舵を握るキャプテンのハーレイ。ミュウの未来を左右する立場に居たぼくたちが恋人同士だと知れてしまったら、長老たちを集めた会議でさえも円滑に運びはしなかっただろう。
ぼくが意見を出し、ハーレイがそれを承諾する。その逆もあったし、意見が分かれて纏まらないことも何度もあった。ソルジャーとキャプテンとして立っていたから、長老たちもシャングリラのクルーもぼくたちを信じてくれたけれども、恋人同士だとそうはいかない。
意見は一致するのが当然、分かれる時は一種の痴話喧嘩。そう取られても仕方が無い。そういう風に見られたが最後、誰もぼくたちを心の底から信頼してはくれないだろう。
だから恋人同士であることを伏せた。最後の最後まで隠し通したから、ぼくはメギドへ飛び立つ前にハーレイとキスすら交わせなかった。別れの言葉さえ告げられなかった。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイは恋人同士。
これが前世のぼくが抱え込んでいた最大の秘密で、明かせばそれこそ歴史が変わる。
宇宙遺産の正体がナキネズミだったこととは比べようもない大きすぎる秘密。
今のぼくには明かすだけの度胸も覚悟も無い。
だって、ぼくはまだ十四歳の子供。
三百年以上もの歳月を生きたソルジャー・ブルーがやったことまで責任なんか取れないよ…。
今のぼくには背負い切れない前の生。
とりあえず今はソルジャー・ブルーの生まれ変わりだと知っている人はハーレイを入れても四人だけだし、まだ責任は取らなくていい。
でも、ちょっと待って。
ぼくがハーレイと結婚してから「実はソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイです」なんて言おうものなら、前の生でも恋人同士だったんだろうと思われるよね?
前世のぼくたちは恋人同士じゃありません、って主張しても説得力が無い。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの評価が地に落ちるとまでは思わないけれど、影響無しとも思えない。好意的に受け止めて貰えるか、その逆なのか。
ぼくには全く分からない。きっとハーレイにも分かりはしない。決めるのは他の人たちだから。
(…なんだか怖い……)
やっぱり一生、黙っていようか。
ぼくが誰なのか、ハーレイは本当は誰なのかを。
そしたらハーレイが彫ったナキネズミは訂正出来ずにウサギのままで宇宙遺産だ。
そう考えたらなんだか可笑しくなってくる。
同じ前の生で出来た秘密でも、どうしてこうも違うんだろう。
ぼくとハーレイが恋人同士だったことを公表しても、あるいは笑われて終わりかもしれない。
終わり良ければ全て良しだと言ってくれる人だってあるかもしれない。
ぼくもハーレイも、前の生ではやるべきことを全力でやった。
メギドを沈めて死んでいったぼくと、シャングリラを地球まで運んで行ったハーレイと。
自分の責任をちゃんと果たして、ぼくたちは地球に生まれ変わった。
だから文句を言う人は無いかもしれない。
いつか、覚悟が出来たなら…。
きちんと本当のことを言おうか、「ぼくはソルジャー・ブルーでした」と。
ハーレイが彫ったナキネズミのせいで、前の生まで考える羽目に陥ったぼく。
そんなこととも知らないハーレイは、のんびり紅茶を飲んでいたから。お菓子もしっかり食べていたから、少し苛めてやろうと思った。
「ハーレイ、宇宙遺産のウサギだけれど…。やっぱりハーレイが悪いと思うな」
「どうしてそうなる?」
「下手くそなモノを作るからだよ、自分で酷いと思わない? 世界中の人を騙すだなんて」
宇宙遺産のウサギを見るには入場料だって要るんだから。
百年に一度の特別公開は入場料も高いんだから、と指摘してやった。
「宇宙遺産のウサギを見られた、って喜んだ人たちを騙したんだよ、ハーレイは! その人たちに返してあげてよ、入場料を! それと博物館までの交通費!」
遠くから来た人は宿泊料だってかかってる。
うんと沢山お金を払って、時間もかけて博物館まで。ウサギだったら値打ちもあるけど、ウサギじゃなくてナキネズミ。おまけにハーレイの下手くそな木彫りを見せられるんだ。
「酷い目に遭う人が増えないように、木彫りの趣味はもうやめてよね!」
どうせ下手くそなんだから、と言ってやったら「今は木彫りはやってないぞ」だって。
似ているようでも前の生とは何処かが違う、今のぼくたち。
違うんだったら責任は取らなくていいのかな?
ハーレイが宇宙遺産のウサギのことを「俺は知らん」と涼しい顔をしてるみたいに、ぼくたちが前の生で恋人同士だった大きな秘密も、放っておいてもかまわないのかな?
そうだといいな、と思いたい。
だって、宇宙遺産になったウサギを彫ったハーレイは知らん顔だもの。
ぼくが苛めても「見る目が無いから騙されるんだ」なんて、平気な顔して言ったんだもの。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「ハーレイのウサギ、見に行きたいな」
五十年後の公開までじっと待つのも楽しいけれども、レプリカだったら置いてるし…。
強請ってみたら、案の定、「お父さんに連れてって貰え」と突き放された。
「引率の先生と生徒でもダメ?」
「ウサギに関しては、断固、断る。…自分を保てる自信が無いしな」
教師として振舞うのを忘れそうだ、とハーレイは博物館にぼくを連れて行くのを断った。
でも、見に行くならハーレイとがいい。
絶対、ハーレイと二人で見たい。
宇宙遺産なんて御大層なことになってしまった下手くそな木彫りのナキネズミ。
(そっか、当分、行けないんだ…)
ぼくの背丈がソルジャー・ブルーと同じになるまで。
本物の恋人同士になれる時まで、ハーレイと一緒に博物館には行けないらしい。
(…でも、それならそれで…)
手を繋いで博物館でデートって、ちょっといいよね。
ミュージアムショップでレプリカのウサギを買って帰って家に置こうよ、ねえ、ハーレイ?
「…分かった。ついでに五十年後だかの特別公開ってヤツも俺と一緒に見に行くんだな?」
「うんっ! 一番乗りで見ようね、ハーレイ」
「馬鹿か、お前。何日前から待つつもりなんだ、アレを見るための行列はだな…」
博物館をぐるっと取り巻くくらいに人が並ぶらしい特別公開。
それなら尚更、見なくっちゃ。
うんと出世して宇宙遺産になってしまった木彫りのナキネズミ。
ハーレイと二人で行列に並んで、展示ケースの前に立ったら覗き込んで喧嘩するんだよ。
「やっぱりウサギだ」「いや、ナキネズミだ」って、周りの人たちに呆れられながら。
だって、どう見てもウサギだもの。ナキネズミに見える方がおかしい。
ハーレイ、それまでに訂正しておく?
「あれは私が彫りました。正真正銘、ナキネズミです」って。
そうするなら、ぼくも付き合うよ。「ぼくはソルジャー・ブルーでした」って。
木彫りのウサギ・了
※宇宙遺産になってしまった木彫りのウサギ。訂正される日は来そうにないですねえ!
次の特別公開の頃にはハーレイ先生は90歳前後、ブルー君も還暦超えです。
全員がミュウな世界では、まだまだ若造。バカップルでも許されるよ、きっと。
毎日更新の「シャングリラ学園生徒会室」にて作者の日常を公開中。
お気軽に覗いてやって下さい、拍手部屋の方もよろしくですv
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
←拍手してやろう、という方がおられましたらv
御礼ショートショートが置いてあります、毎月入れ替えしております!
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
お騒がせだった水泳大会も済んで、シャングリラ学園は秋に向かってまっしぐら…と言いたいところですけど、まだまだ残暑で教室の窓は全開です。そんな中、1年A組に流行るもの。それはスーパーボールというヤツ。
スーパーボウルじゃないですよ? 海の向こうで熱狂的な人気を誇るスポーツイベントは季節違いの2月がシーズン。こちらはスーパーボールですってば…。
「おーい、行ったぞー!!」
「おうっ、任せろ!」
そりゃあっ、と卓球よろしく打ち返される小さなゴムボール。露店のスーパーボールすくいで男子たちが沢山掬ったそうで、朝の教室はスーパーボールが乱舞しています。あちこちへ飛んだり、壁や机で弾んだり。イレギュラーに跳ね返るボールにクラス全体が熱狂中。
「きゃあっ、また来たー!」
「そっちじゃねえってば、ちゃんと飛ばせよ!」
「無理、無理! 急に来るんだもん! キャーッ!」
男子も女子も入り乱れてのスーパーボール天国、誰が呼んだかスーパーボウル。朝のホームルーム前の予鈴が鳴ってもボールが飛び交い、グレイブ先生の靴音と共にピタリと止むのが毎日のお約束……だった筈なのですが。
「諸君、おはよう」
ガラリと教室の扉が開いた時、幾つかのボールがまだ宙に。ヤバイ、と証拠隠滅とばかりにパスする代わりに窓の外へと放り出されて…。
(ん?)
目で追っていたボールの一つが景気良く飛び、向かいの校舎で跳ね返りました。その勢いで隣にあった木の幹にぶつかり、再び校舎の壁にポーンと。あらら、ポンポン跳ね返ってる…。もっと勢いがつかないかな、と見詰めているとスポポポポーン! と弾んで私たちの教室がある校舎の壁へと。
(んんん?)
これは面白い、と眺めていればボールは二つの校舎の間を行ったり来たりで跳ねています。もしかしたら元の窓から戻ってきたりしちゃうかも? あらっ、あららら…。
「サム・ヒューストン!」
「………」
出欠を取っているグレイブ先生ですが、サム君も窓の外のボールを見ていて。
「サム・ヒューストン、欠席か!?」
「い、いえ、いますっ!」
すいません、とサム君が叫んだ瞬間、窓の向こうから飛び込んで来たスーパーボールがスッコーン! とグレイブ先生の眼鏡に当たって見事に吹っ飛ばしたのでした。
「………。諸君、これはどういうことかね?」
眼鏡を拾い上げたグレイブ先生、神経質そうにポケットから取り出したクロスで拭き拭き。怒りゲージがMAXなことは間違いなくて、1年A組、お通夜状態。問題のボールを投げたのが誰かは知りませんけど、心臓が止まりそうになっているに違いありません。
「…これは夜店で人気のスーパーボールというヤツらしいが…。何故これが此処にあるかは問題ではない。そこの特別生、七人組!」
へ? なんで話がそっちへ飛ぶの? キース君たちもキョロキョロしています。
「聞こえなかったか、お前たちだ! アルトとrは関係ない!」
「「「……え……」」」
どうなってるの、と互いに顔を見合わせる内に、グレイブ先生、ついに爆発。
「お前たち、ボールを見ていたな? ということは、ぶるぅの仕業に違いない。そるじゃぁ・ぶるぅの御利益パワーというヤツだ。ふざけるのも大概にしておきたまえ!」
肉声と同時に思念波での本音メッセージも飛んで来ました。
『無意識かどうかは知らんがね。サイオンでボールを操っていたな、お前たち!』
あちゃー…。そんなオチでしたか、さっきの弾むスーパーボール。と、いうことは、私たち…。
「全員、廊下で起立を命じる! 1時間目は私の数学だ。それが終わるまで、お前たち七人、廊下で直立不動。ついでに私語は厳禁だ!」
男子には水の入ったバケツも付ける、とグレイブ先生はカンカンで。朝のホームルームが終わらない内に私たち七人グループは廊下に立たされ、男の子たちは両手に水を満杯にしたバケツを提げる羽目になってしまいました。
『…なんでこういうコトになるわけ?』
晒し者だよ、と思念波で嘆くジョミー君。クラスメイトは気の毒がって来ませんけれども、他のクラスの生徒が授業前に廊下を移動しながら私たち七人を横目でチラチラ見てゆきます。特別生への遠慮も敬意もあったものではなく、噂を聞き付けて見に来る生徒も。
『俺たちの自業自得ってことになるんだろう。…残念ながら』
スーパーボールに気を取られていたことは間違いないし、とキース君が項垂れ、シロエ君も。
『…失敗でしたね。ぼくたちのサイオン、未だにヒヨコレベルですから…』
無意識にボールを操っていたか、と今頃気付いても後の祭りというヤツです。スウェナちゃんと私には視線が痛く、男子五人は両腕も痛く…。とんだスタートを切ってしまいましたよ、早く放課後にならないかなぁ…。
しっかり、がっつり晒し者になった涙の1時間目の授業。自分の授業が無かったらしいゼル先生が来て百面相をやらかして笑わせにかかり、ウッカリ吹き出してしまったばかりに男子のバケツに重石が追加。スウェナちゃんと私は首に『ごめんなさい』と大書した札を下げられました。
『…うう…。これって体罰……』
酷すぎるよ、とジョミー君が思念で呻けば、ゼル先生がニヤニヤと。
『お前たちは特別生じゃでな。普通の生徒と同じ基準を適用せんでも問題ないんじゃ、体罰、大いに結構じゃ! で、こんな顔はどうかと思うんじゃが?』
ほれ、と右手の人差指と中指を鼻の穴に一本ずつ突っ込み、左手で顎を掴んでグイと引き下げるゼル先生。こ、この顔は面白すぎです。でも笑ったら大変ですから、ここは耐えねば!
『…ちと、インパクトが足りんかったか…。やはりポーズも必要かのう?』
これでどうじゃ、とクイクイと腰を左右にくねらせ、『いやぁ~ん、ア・タ・シ!』とオカマっぽい響きの思念波が来たからたまりません。私たちはブハッと吹き出し、もう笑うしかなくなって…。
「まだ懲りないのか、馬鹿者ども!」
ガラリと教室の扉を開けてグレイブ先生がカツカツと。ゼル先生は大真面目な顔で「担任稼業も大変じゃのう」と首を振っています。グレイブ先生、騙されないで! 何もかも全部、ゼル先生が悪いんです~!
「何やら文句を言いたいようだが、心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉がある。諸君はまだまだ我慢が足りない。…追加だな」
重石一丁、と男子のバケツに漬物石の追加。そんなモノ、何処から湧くのかって? シャングリラ学園には立派な調理実習室がありますからねえ、漬物石も沢山あるのです。スウェナちゃんと私が下げた札には『私が馬鹿でした』の文字が書き足され…。
「授業が終わったら刑も終わりだ。しかし、お前たちの刑が追加になる度に授業が中断したからな。幸い、次の時間は教室移動の予定が無い。休み時間まで授業を延長とする」
えーーー!!! それじゃ晒し者の刑も休み時間分の延長ですか! 他のクラスの生徒が来ちゃうし、男子の両腕もヤバイことになると思うんですけど~!
というわけで、朝っぱらから体罰1時間プラス休み時間分。心身共にダメージ大だった私たちは昼休みいっぱい食堂でグチり、午後の授業と終礼が終わるなり「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に直行しました。柔道部三人組も今日の部活はサボリだとか。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ、今日は朝から散々だったねえ?」
見てる分には楽しかったよ、と高みの見物をしていたらしい会長さん。まさかあの時のスーパーボールに細工してたりしないでしょうね? 私たちが一斉に睨み付けると。
「何さ、その目は? 誓って何もしてないよ。君たちもサイオンを上手に使うようになったな、と感慨深く見ていただけで」
「うんっ! グレイブの眼鏡が飛んでいったの、凄かったぁ~♪」
面白かったよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も御機嫌です。
「それとね、ゼルの百面相も最高だったの! また見たいなぁ…」
「すまん、俺たちはもう勘弁だ。個人的に頼んで見てくれ」
両手にバケツで筋肉痛が、とキース君。普段から柔道部で鍛えていても、使う筋肉が別物だったらしいです。今日の男子は両腕プルプル、カップを持つのも辛いそうで。
「…なんでコーヒーをストローで飲まにゃならんのだ…」
だが持てん、とぼやくキース君の手はパウンドケーキを鷲掴み。フォークも持ちたくない気分だとか。それを見越してリンゴのパウンドケーキを用意していた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は流石ですけど。
「くっそぉ…。こんな調子だと、夜も親父に怒鳴られそうだ」
「ああ、お勤めでヘマをするかもねえ…」
所作が色々と変になりそう、と会長さんはまるで他人事。
「それよりスーパーボールだけどさ。あれって応用が効きそうだよ」
「「「は?」」」
「グレイブの眼鏡が吹っ飛んでったろ、ああいう仕掛けで遊べないかなぁ…って」
「二度と御免だ!」
勝手にやれ、とキース君が怒鳴り付け、コクコク頷く私たち。ゼル先生の百面相と同じで、そういう遊びは個人的にお願いしたいです。しかし…。
「誰がグレイブでやると言った?」
もっと笑える人材が、と会長さんはニコニコと。待って下さい、体罰はもう御免です。他の先生でやるにしたって、一人で遊んで下さいってば~!
逃げ腰になる私たちを全く気にせず、会長さんが右手を閃かせると宙に一個のスーパーボールが。
「これをね、ハーレイの家の玄関を入った所にね…」
「「「え?」」」
教頭先生の家ですか? それでどうすると?
「浮かべとくのさ、ドアを開けたら当たる範囲に! 当たった弾みでボールが飛ぶ。それを君たちがやったのと同じ要領で床とか壁とかでバウンドさせてね、最終的にはハーレイの顔面を直撃ってわけ」
これなら体罰も無関係、と会長さん。
「ついでに顔面直撃の直後にメッセージカードを投げ込むんだ。ブルー参上、って」
「あんた、悪戯したいわけだな?」
要するに教頭先生に、とキース君が問えば、会長さんはパチンとウインク。
「もちろんさ。そしてカードにはこう書いておく。「今日はスーパーボールだけれど、ボールのサイズはどんどん大きくなっていく。レシーブするも良し、受け止めるも良し。頑張って、とね」
「れ、レシーブって…」
バレーボール? とジョミー君が尋ね、ニッコリ笑う会長さん。
「そりゃあもう! バスケットボールくらいまでグレードアップしなくちゃね。ハーレイの反射神経に期待だよ。君たちの筋肉痛が治った頃からスタートしようか」
今日のところは作戦会議、とポーンと飛んでゆくスーパーボール。壁で跳ね返って天井に飛び、テーブルに並んだカップやお皿を避けてポンと弾んで、また天井へ。
「ぼくにかかればボールくらいは自由自在だ。ハーレイも最初の顔面直撃は不意打ちだから無理だとしてもね、次の球からはキャッチするとか蹴り返すとか、それなりのパフォーマンスをね…」
トスを上げて思い切りスパイクとか、と会長さんの夢は膨らむ一方。バスケットボールが飛び出す頃には教頭先生の家の玄関脇にゴールネットが仕掛けられたり…?
「あ、それいいね! ボールに合わせて細工しようか、サッカー用とかバレー用とか」
見事キメたら拍手喝采、と会長さん。あのぅ……キメた場合は御褒美も出ますか?
「御褒美かい? そんなの必要無いってば! 毎日ぼくと遊べるんだよ、それで充分!」
なにしろ相手はあのハーレイ、と言われてみればそんな気も。教頭先生は会長さんにベタ惚れでらっしゃいますから、毎日遊んで貰えるだけで嬉しくなるかもしれませんねえ…。
1年A組で流行していたスーパーボウルは、私たちの体罰事件の翌日からピタリと鳴りをひそめました。グレイブ先生に見付かったが最後、廊下で処刑と恐ろしい噂が立ったからです。その一方でウキウキとスーパーボールを操っているのが会長さんで。
「ハーレイの家の構造からして、レシーブもトスもスパイクもいける。ネットでゴールというのもいいけど、ゴールネットを揺らした瞬間、花瓶が砕け散るのもいいよね」
ゴールに花瓶を置いておいても普段の調子で叩き込みそうだ、と会長さんは悪魔の微笑み。男の子たちの筋肉痛は順調に癒えて、今日はもう痛まないらしく。
「ふふ、いよいよ今日からボール作戦スタートだよ」
メッセージカードもちゃんと書いた、と会長さんがスーパーボールをポーンと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の壁へ。跳ね返ってポンと床で弾んで天井に飛んで…。いつ見ても鮮やかな飛跡です。
「ハーレイの帰りは下校時間より遅いしねえ…。作戦中はぼくの家で夕食ってことでどうかな? 御馳走するよ」
「「「さんせーい!!!」」」
御馳走と聞いて反対する人がいる筈も無く、私たちは早速家へ連絡を。遅くなっても瞬間移動で家まで送って貰えますから、こんな残業なら大歓迎です。
「それじゃ、こっちの片付けが済んだらぼくの家へね」
「かみお~ん♪ 今日はシーフードカレーを仕込んで来たの!」
海老もホタテもたっぷりだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も嬉しそう。これから当分の間、毎日お客様が来るわけですから、おもてなし大好きだけに腕が鳴るというヤツでしょう。腕が鳴るとくれば教頭先生。スーパーボールの顔面直撃を食らった後にはどんな名プレーが飛び出すか…。
「珍プレーかもしれないよ? バレーボールを足で蹴り飛ばして、サッカーボールをドッジボールよろしく手でキャッチとかね」
その辺は見てのお楽しみ、とワクワクしている会長さん。まずは顔面直撃からです。教頭先生、きっとビックリ仰天でしょうね。
会長さんの家へ瞬間移動し、カレーの夕食。教頭先生の帰宅は七時すぎになり、私たちが「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオン中継画面に見入っている中、愛車をガレージに入れて玄関の鍵をカチャリと開けて。
「ふう…。今日も孤独な食卓か…」
早くブルーを嫁に欲しいものだ、と独り言を呟いて家の中に足を踏み入れた途端。
「なんだ!?」
暗い家の中でポンっ! と音がし、ポンポンポーン…と弾む音が。音は天井へ、壁へ、床へと飛んで、最後に教頭先生の顔面にビシッ! と激突。
「うわっ!!!」
ポン、コロコロコロ…と転がる音で我に返った教頭先生、玄関ホールの明かりを点けました。会長さんのサイオン・カラーと同じ青のスーパーボールが上がってすぐの床で揺れていて、天井からヒラヒラと一枚の紙が。
「……???」
それを手に取った教頭先生の顔がパアッと明るく。
「そうか、ブルーの悪戯だったか…。明日からボールのサイズがグレードアップしていくのだな? ふむ…。暗くても見えるようサイオンで行くか、明かりを点けっぱなしにしておくか…」
自動点灯にするのもいいな、と教頭先生は思案中。会長さんと遊ぶためには電気工事とか電気代とかも気にしないということですか! なんと天晴れな根性なのか、と中継画面を見詰めていると、会長さんが。
「電気工事は今日すぐってわけにはいかないしねえ? これは点けっぱなしコースかな。明日は卓球の球でいくから、ハーレイが帰りつく前にネットを張ろうね」
玄関先の廊下の所に、と会長さんの方も教頭先生に負けず劣らず楽しげな笑顔。あの教頭先生にしてこの会長さん有りなのか、会長さんあっての健気な教頭先生か。いずれにしてもいいコンビでは、と思わないでもないですが…。
「誰だい、名コンビだなんて考えたのは!?」
「「「!!!」」」
すみません、と私以外のみんなもペコリと。…つまり名コンビだということですよね、誰から見ても…。いえ、ごめんなさい、会長さん! ワタクシが悪うございましたぁ~!
卓球の球の次の日は、それよりも一回り大きいゴムボール。お次が軟式テニスボールで…、といった具合にボールは大きくなってゆきます。毎日、玄関ホールの明かりを点けっぱなしにして出掛ける教頭先生、帰宅直後に飛び込んでくるボールを受け止めるのがお楽しみで。
「「「おおっ!」」」
今日は華麗にサッカーボールを蹴り飛ばしました、教頭先生。廊下の奥に張られたゴールネットにバスッと決まってナイスシュート! 会長さんとの遊びの時間が待っているとあって、教頭先生、ゼル先生から「最近、毎日楽しそうじゃの」と言われたりしてらっしゃるそうです。
「ふふ、ハーレイもすっかりボールに馴染んだようだね、明日は花瓶割りをして貰おうか」
目標があれば叩き込む筈、とニヤニヤしている会長さん。その翌日はバレーボールの出番でした。留守宅に瞬間移動で入り込んだ会長さんがネットを張って、少し向こうの廊下の真ん中に水を満たした大きな花瓶を。会長さん曰く、たまに教頭先生が貰う花束用だとか。
「あれでも一応、教頭だしねえ? 節目には大きな花束を貰うこともあるのさ、卒業生一同かとか、そういうヤツを。…それ以外で花束を貰うことなんて、まず無いね」
だから普段は納戸の奥に、と戻って来た会長さんがクスクスと。やがて帰宅した教頭先生、猛スピードで飛んで来たバレーボールをレシーブした上に素早くジャンプし、勢いをつけてスパイクを。ボールはネットの向こうへと飛び、花瓶が見事にガッシャーン! と…。
「「「うわぁ…」」」
やっちゃった、と肩を竦める私たちと時を同じくして、教頭先生の方も愕然と。流れ出す大量の水と、砕けて散らばる花瓶の破片。お片付けはかなり大変そうです。御愁傷様です、教頭先生…。
そうやって遊び続けたボール合戦も今日のバスケットボールでフィナーレの予定。ゴールネットを仕掛けてきた会長さんが鼻歌交じりに。
「ハーレイの顔が見ものだねえ…。シュートを決めたら大変なことになっちゃうものね」
「…あんた、相当悪辣だよな」
アレはないぜ、とキース君。ゴールネットの真下に教頭先生が大切にしている会長さんの写真入りの額が置かれているのです。シュートを決めれば、写真とはいえ会長さんの顔にバスケットボールを叩き付けてしまうというわけで。
「ぼくへの愛はその程度か、と思い切り責めてボール遊びはおしまいだよ、うん」
「「「………」」」
気の毒すぎる、と思いましたが、会長さんが延々とボール遊びを続けるわけがありません。こういうラストが待っていたのか、と中継画面を見守る内に教頭先生の御帰宅です。勢いをつけて飛んで来たバスケットボールを真上にトスしてジャンプ、脇の壁に取り付けられたゴールネットに叩き込み…。
「うわぁぁぁぁ!!!」
すまん、と会長さんの額に平謝りする教頭先生。額の前面はアクリルガラスだったらしく割れも砕けもしなかったものの、中で微笑む会長さんの写真にバスケットボールを叩き付けたことは事実。申し訳ない、と泣きの涙の教頭先生に向かって会長さんが思念波で。
『見ちゃったよ、今の。…何のためらいも無く叩き込んだね、ぼくにボールを』
「ち、違う! まさかお前の写真があるとは…。知らなかったんだ、本当だ!」
信じてくれ、と叫ぶ教頭先生ですけれど。
『さあ、どうだか…。君の反射神経の良さは毎日見せて貰っていたしね? ぼくの写真が置いてあることに気付かないとは思えないな』
「き、気付いた時には手遅れだったんだ、ゴールの下に見えたんだ!」
『見苦しいねえ、君のぼくへの愛の深さはバスケットボールをお見舞い出来る程度ってね。よく分かったから、遊びはおしまい。明日から電気代が安く上がるよ』
「待ってくれ、ブルー!」
このとおりだ、と教頭先生はバスケットボールを拾って天井に叩き付けました。跳ね返って来たボールの真下でキッと上を睨み、バスケットボールがボカン! と顔に。今の一撃は痛そうです。しかしボールをサッと拾うと、また天井へ、そして顔へと。
「ブルー、お前の気が済むまでボールを顔で受け止めよう。百発か? それとも二百発か?」
返事してくれ、とボールを投げては顔にぶつける教頭先生は既に鼻血が出ています。怪我が原因な教頭先生の鼻血はこれが初めてかも…。止めないんですか、会長さん? 止める気、全然無いんですか?
天井と顔面を往復するバスケットボールに身を晒し続けた教頭先生は結局、昏倒。いくら頑丈でも、やはり限界はあるものです。次の日、腫れ上がった顔で学校に現れた教頭先生、会長さんとのボール遊びが打ち切りになったショックも重なり、悄然とした御様子で。
「馬鹿だねえ、あそこまでしなくってもさ」
呆れ果てる、と放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で笑い転げる会長さん。
「御面相がアレだろう? ゼルとブラウにあらぬ噂を立てられていたよ、ぼくの家を電撃訪問してフライパンで殴りまくられた、って」
「「「……フライパン……」」」
「信憑性の高い情報源だしね、ゼルもブラウも。…もうフライパンで決定だと思うよ、事実は名誉の負傷なのにさ」
庇う気は毛頭ないけれど、と会長さんはケラケラと。
「バスケットボールよりも音はいいだろうね、フライパン! クヮーン、グヮーンって響き渡って、読経のお供に丁度いいかも」
機会があったらフライパンをお見舞いしてみるか、と会長さんが指を一本立てた時です。
「響くっていうのはいいかもねえ…」
「「「!!?」」」
会長さんそっくりの声が聞こえて、優雅に翻る紫のマント。空間を越えて現れたソルジャーがソファにストンと腰を下ろすと。
「ぶるぅ、ぼくにも紅茶とケーキ」
「オッケー! 今日はね、かぼちゃプリンのタルトなの!」
ちょっと待ってね、とサッと出てくるタルトと紅茶。ソルジャーは早速タルトを頬張りながら。
「昨日のハーレイは可哀相だったねえ、あんなに必死に謝ってたのに…。二度と遊んであげないんだって?」
「最初からそういう予定なんだよ、顔面バスケットボールが予定外なだけ! それにあの程度の芸、オットセイでもやるからね」
鼻先でこうヒョイヒョイと、と会長さんが返すとソルジャーは。
「オットセイかぁ…。アレも効くよね、これはますますやらないと」
「「「は?」」」
何をやろうと言うのでしょう? そもそもオットセイが何に効くと?
「あ、知らない? たまにノルディにお小遣いを貰って買うんだよ。ぼくのハーレイが疲れが溜まった時なんかに飲ませてあげると、もうビンビンのガンガンで…」
「退場!!!」
さっさと帰れ、と眉を吊り上げる会長さん。そっか、オットセイって精力剤かぁ…。
会長さんが怒ったくらいでは帰らないのがソルジャーです。かぼちゃプリンのタルトをのんびり食べつつ、紅茶も飲んで。
「ホント、ハーレイが気の毒でさ…。なんとか浮上させる手は無いものかな、って昨日から考えていたんだよ。で、フライパンの音でピンときたんだ」
「何に?」
どうせロクでもないことだろう、と冷たい口調の会長さんですが、ソルジャーの方は得意げに。
「凄い名案だと思うけどなぁ…。こっちのハーレイは感謝感激、君は高みの見物ってね」
「どんな名案?」
「ボールがあちこち弾んでたのと、フライパンの響きの合わせ技! こう、刺激を与えると鳴く床なんだよ」
「なんだ、アレか…」
つまらない、と会長さん。
「鴬張りの廊下だろ? なんでハーレイが感激するわけ?」
「「「ウグイスばり?」」」
なんのこっちゃ、と首を捻ると、キース君が。
「知らないのか? マツカは知っていそうだが…。床板に仕掛けがしてあってだな、歩くとキュッキュッと音が鳴る。鴬の鳴き声に似ているから、と鴬張りだ。璃慕恩院にもあるんだぞ」
「へえ…。そんなのがあるのかい? ぼくはそっちは知らなかったな」
初耳だ、と言いつつ、ソルジャーは。
「鴬張りがあるんだったら、ぼくが言うのはブルー張りかな」
「「「ブルー張り???」」」
それこそ謎な言葉です。青い床板を張るんでしょうか? あれ、でも刺激がどうとかって…。
「分からないかな、鴬じゃなくてブルーの声で鳴く床のこと! キュッキュッの代わりにイイ声で…ね」
「ちょ、ちょっと…」
会長さんが青ざめてますが、イイ声って歌でも歌うんですか? 会長さんの声で歌う床?
「そうだね、歌うと言う人もいるね。だけど普通は啼くとかかな? つまりベッドの中でブルーが出す声のことで」
ベッドの中? それって寝言とかイビキなんじゃあ? いくら会長さんの声と言っても、教頭先生が喜びますか?
頭の中が『?』だらけの私たち。鴬張りは分かりましたが、ブルー張りの良さが分かりません。教頭先生が感謝感激って、会長さんのイビキや寝言でも…?
「うーん、とことん分かってないなぁ…。万年十八歳未満お断りだとこんなものかな」
「当たり前だよ!」
この子たちに分かるわけがない、と噛み付く会長さん。
「でも、よく考えたら使えそうだねえ、ブルー張り。…歩く度にぼくの声なんだ?」
「そう、絶品のよがり声! もう踏んだだけでイきそうな感じで」
絶対やってみる価値がある、とソルジャーは強気。なんのことやらサッパリですけど、会長さんも乗り気みたいです。
「ボールを散々受け止めまくった御褒美に、家中の床をブルー張りかぁ…。鼻血で失血死しそうだよ、それ。でなきゃ床を転げ回って大感激かな、右に左に」
「いいだろう? いいと思うよ、ぼくのお勧め! 鳴く床の仕掛けはサイオンでいけると思うんだ。残留思念を応用してさ、君の声を仕込んでおけばいいかと」
「その話、乗った!」
ブルー張りの床でハーレイに薔薇色の日々を再び、とブチ上げている会長さん。そんなにいいかな、ブルー張り…。寝言とイビキのオンパレードが? 私たちが顔を見合わせていると、ソルジャーがクスッと笑みを零して。
「違うね、そういう声じゃない。早い話が、ぼくがハーレイとベッドで過ごす時に出てる声! 君たちには理解不能だろうけど…。具体例で言えば、イイとか、イクとか」
「「「…イク…???」」」
その声の何処がいいというのだ、と謎は増えるばかり。教頭先生の夢と言ったら、会長さんがエプロンを着けて「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」ってヤツですよ? 相当はしょりまくりだと言うか、言葉足らずと言うべきか…。
「分からないなら結果だけを見て楽しみたまえ。ねえ、ブルー?」
「そうだね、ブルー張りを仕掛けた家に踏み込んだハーレイを見学するのが一番かと」
どういう声を仕込もうか、と瞳を悪戯っぽく煌めかせている会長さんに、ソルジャーが。
「その前に君に演技指導かな、その手の声は出せないだろう? 万年十八歳未満とお子様がいるけど、ここは一発、気にせずに! まずは「イイ」から行ってみようか」
始めっ! とパン、と両手を叩くソルジャー。それから延々と始まった時間は妙な音声のオンパレードでした。もっと色っぽく、とか、艶っぽくとか熱い指導が飛んでますけど、これってどういう演技なのかなぁ?
ソルジャーも納得の演技が完成するまでに要した期間は三日間。満足の出来に仕上がったらしい会長さんの声を仕込むべく、ソルジャーと会長さんは教頭先生がお留守の家に二人で忍び込んでせっせと作業を。そして…。
「かみお~ん♪ ハーレイ、帰ってきたみたい!」
中継する? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんが「頼むよ」と声を掛け、サイオンでリビングの壁に映し出された教頭先生のお宅では…。
「……孤独だ……。秋は独り身の侘しさが身にしみるな……」
この間まではブルーが仕掛けたボールが迎えてくれたのに、と背中を丸めて玄関の鍵を開ける教頭先生。バスケットボールを受け止めまくった顔はまだ少し腫れが残っています。
「ゼルとブラウにフライパンだなどと噂を流されたせいで、エラには不潔と言われるし…。ヒルマンは自分の立場をよく弁えろと説教をするし、ほとほと疲れた…」
こんな時にブルーが居てくれれば、と「お帰りなさい」の妄想を繰り広げているらしいのが分かります。大丈夫ですよ、教頭先生! 今日からはブルー張りとやらを施した家が暖かく迎えてくれると会長さんが言っていますし、ソルジャーも自信満々ですし!
「…ふう…。今日もボールは飛んで来なかったか…」
残念だ、と玄関ホールの明かりを点けた教頭先生が靴を脱ぎ、片足を床に乗せた時。
「あっ…!」
「?? …今、ブルーの声が聞こえたような気がしたが…」
気のせいか、と上がり込んだ教頭先生の足元から。
「あんっ!」
鼻にかかったような会長さんの甘い声。教頭先生の身体がビクッと震え、右足を恐る恐る一歩前へと踏み出すと。
「い、イイッ…!」
「…ブルー? なんだ、何の悪戯だ?」
いったい何処に隠れているのだ、と進めば更に会長さんの声が。
「あっ、ああっ、も、もう…」
「…??? どうなっているのだ、何処から声が…」
「や、やめ…! ひあぁぁぁぁっ!」
「ブルー???」
何処だ、と混乱しつつも教頭先生の顔は真っ赤でした。この意味不明な言葉の羅列に何か秘密があるのでしょうけど…。
耳の先まで赤く染めながら、教頭先生は会長さんを探しています。その間にもブルー張りとやらの床は鳴り続け、家の奥へと向かうに従って響く言葉もそれっぽく。
「き、来て…!」
「…何処なんだ、ブルー!?」
返事をしろ、とズンズン奥に進む間も床はアンアン声を上げたり、喘いだり。
「あっ、あんっ…。そ、そこ…」
「此処か!?」
バンッ! と扉を開いた部屋に会長さんはおらず、代わりに床がひときわ高く。
「ひあぁっ! き、来て、ハーレイ…!」
「ブルー、今、行く!」
ダッと駆け出す教頭先生にブルー張りの床は。
「やっ、やあぁぁぁっ! も、もっと……もっと奥まで…」
「???」
もっと奥まで、と指示されたものの、その先が無い教頭先生。現場は御自宅の一番奥の部屋、それ以上奥はありません。
「…シールド……なのか? それにしても…」
この声はどうにも堪らんな、と教頭先生の手が下に下がりかけ、ピタリと止まって。
「いや待て、何処かでブルーが見ていたら…。こんな姿を目にされていたら、この前のボールの二の舞で…」
「ふふ、ちゃんと分かっているんじゃないか」
その程度の理性はまだあったか、と会長さんが呟き、ソルジャーが。
「そりゃね、ブルー張りとは気付いてないし? だけどそろそろキツそうだよ」
ズボンの前が、とソルジャーの指摘。面妖な台詞を喋りまくる床は教頭先生の大事な所を直撃しているらしいです。えーっと、これがブルー張りの効果とやらというヤツですか?
「うん。今に耐え切れなくなって鼻血を噴くかと」
時間の問題、と会長さんが笑い、教頭先生の足がブルー張りの床をズンッ! と踏んで。
「い、イクッ…! ひ、ひあっ…。あぁぁぁぁぁぁっ!!」
ブワッと噴き出す鼻血の滝を私たちの目は確かに見ました。教頭先生は仰向けに倒れ、受け止めた床が艶っぽい声で。
「ああ…。んん……。ハー…レ…イ…。も、もっと……」
もっと愛して、と床が囁いた声は教頭先生には多分、届いていないと思います。それどころか明日の朝までに意識が戻るか、危ういトコだと思うんですけど~!
「やったね、ブルー張り、効果バッチリ!」
「ね、ぼくのお勧めは外れないよ」
これで当分楽しめそうだ、と手を取り合って喜ぶ会長さんとソルジャーと。罪作りなブルー張りの床が発する言葉は謎だらけですが、教頭先生にとってボール遊びよりも刺激的な仕掛けだということだけは分かりました。でも…。
「おい、あの床をどうする気だ?」
仕掛けの解除はしないのか、と問うキース君に、会長さんが。
「せっかく仕掛けたんだしねえ…。演技指導でしごかれまくった大事な声だよ、そう簡単に消したくないな。…ハーレイが出血多量で死にそうだとか貧血だとか、そうなってきたら考えようかと」
「それからでいいと思うよ、ぼくも。もっと仕掛けを増やすというのもいいかもねえ…」
いっそ壁とか扉とかにも、とソルジャーが唆し、会長さんの瞳も輝いています。教頭先生、こんな改造を施された家で明日の朝日を拝めるでしょうか? 家を出る前に再び失神、無断欠勤で厳重注意とか、そういう展開になりそうな気が…。
「別にいいだろ、君たちだって廊下に立ってたんだし」
「そうそう、あれが全ての始まりだったね」
スーパーボールの弾みすぎ、と笑い合っている会長さんとソルジャーに罪の意識は皆無でした。恐るべし、ブルー張りの床。甘い声やら喘ぐ声やら、踏めば踏むほど喋りまくる床が黙る時まで、教頭先生、鼻血を堪えて戦い続けて下さいね~!
建物で遊ぼう・了
※新年あけましておめでとうございます。
シャングリラ学園番外編、本年もよろしくお願い申し上げます。
ブルー張りのモデルの鴬張りは御存知でしょうか、歩くと床がキュッキュと鳴ります。
忍者対策って話ですけど、作者の耳には「軋んでるだけじゃあ?」という音にしか…。
鴬張りの床にするには高度な技術が要るそうですけどね!
このお話はオマケ更新ですので、今月の更新はもう一度あります。
次回は 「第3月曜」 1月19日の更新となります、よろしくお願いいたします。
そしてシャン学を始めて以来6年以上、私語を一切してこなかった作者ですが。
昨年末に心を入れ替えました、6年間もの沈黙を破って喋ってやろうと!
毎日更新のシャングリラ学園生徒会室にて喋っております、バカ全開な気がします。
『大いなる沈黙へ』って映画ありましたね、沈黙の方がマシだったかな…。
作者の日常を覗きたい方はお気軽にお越し下さいませ~v
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、1月は新年早々、煩悩ゲットのイベントとやらに怯え中…?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
ぼくの前世はミュウの長だったソルジャー・ブルー。
でも、知っている人はパパとママと、ぼくを診てくれたハーレイという苗字のお医者さんだけ。
そしてもう一人、お医者さんの従兄弟でぼくの学校の古典の先生、ハーレイもぼくの前世が誰か知っている。そのハーレイが前世でのぼくの恋人なんだ。もちろん今も恋人だけど。
ぼくとハーレイは蘇った青い水の星、地球の上に生まれ変わって再会したんだ。
今、ぼくたちが暮らす地域は遙かな昔に日本という国があった場所。
前の生の頃、SD体制の時代には古い習慣とか伝統なんかは廃れていたように思われてるけど、そんな時代でも神様という概念はあってクリスマスもちゃんと残ってた。
それから長い年月が経って、今、ぼくたちが暮らす地球では、SD体制よりも前の時代の色々な風習を復活させて味わい、楽しんでいる。
例えば、ぼくがハーレイと再会した日の二日後は五月五日で端午の節句。
五月の三日に前世の記憶を取り戻したぼくは、それと同時に血まみれになった。前の生の最期にメギドで撃たれた時の傷痕。お医者さんは聖痕現象と診断したけれど、身体には何の傷も無いのに沢山の血が流れ出したそれ。
あまりに出血が酷かったからと、その週は学校を休むことになった。そのせいで五月五日も家に居たぼくは、ハーレイの授業を聞き損なって…。
次の週にようやく登校出来て、友達に聞いてガッカリしたんだ。端午の節句について習う授業は歴史じゃなくて古典の管轄。ハーレイの授業で柏餅と粽が配られて、みんなで食べたんだって。
柏餅と粽はお店で買えるけど、ハーレイと一緒に食べてみたかった。端午の節句の話を聞いて、柏餅と粽の由来を聞いて。
「先生、桜餅にはどういう由来があるんですか!」なんて質問が飛び出したりして、凄く楽しい時間だったらしい。桜餅には何の由来も無かったけどな、と友達が笑って教えてくれた。
柏餅も粽もハーレイが赴任してくる前から手配されてたお菓子で、ハーレイは古典の授業の一環として食べながら話しただけなんだけど…。授業なんだって分かってるけど、食べたかったな。
だって、大好きなハーレイの授業。ハーレイの声を聞きながら一緒に食べられるだけで、柏餅も粽も特別な味になった筈だと思うから…。
そういう少し変わった授業は当分何も無さそうだな、って思っていたら七夕の話を教わった。
来週が七夕、恋人同士の二つの星が一年に一度、天の川を渡って会う星合いの日だと。
彦星と織姫、アルタイルとベガ。
今では銀河系の中の恒星だって分かってるけど、それを天に住む人だと信じた昔の人たちは幸せだったんだろうなと思う。
その時代、地球は今と同じように、ううん、今よりももっと青くて綺麗だっただろうから。
地球に人が住めない時代が来るなんて誰も思わなかっただろうから。
生活は今よりもずっと不便で厳しい時代だったと思う。でも、地球の上に住んでいられるだけで人間はきっと幸せだったと思うんだ。自分では全く気付いてなくても。
前の生でのぼくとハーレイには地球は無かった。
地球を探して、地球に行きたくてシャングリラで宇宙を彷徨っていた。
そんな記憶があるからだろうか、ぼくは地球に居られればそれで充分かな。友達は将来、何処か他の星で暮らしてみたいとか話してるけど、ぼくは地球しか知らなくてもいい。
遠い昔にシャングリラが潜んだ雲海の星、アルテメシアにも行ってみたいとは思わないし。
アルタイルもベガも、ぼくがシャングリラで長い眠りに就いていた間に地球を探して立ち寄ったらしい。地球が属するソル太陽系の座標が全く掴めなかったから、恒星はもれなく探索の対象で。
だけどアルタイルもベガも、地球を連れてはいなかったんだ。
ハーレイの授業でシャングリラの話が出るわけもなくて、習ったものは七夕に纏わる言葉など。
ぼくたちの年ではもうやらないけど、小さな頃には七夕といえば笹飾りを作って家に飾った。
折り紙の細工や、願い事を書いた短冊を吊るして七夕を待った。七月七日は晴れますように、と天気予報を心配してた。雨が降ると彦星と織姫は会えなくなるって聞いていたから。
七月七日に降る雨のことを何と呼ぶのか、ハーレイの授業で初めて知った。催涙雨だって。天の川の水が増えてしまって会えない二人が泣くからだとか、二人が流す涙だとか。
天の川を渡るための橋も何で出来てるのか知らなかった。カササギという鳥が翼を広げて一列に並んで作る橋。その橋を詠んだ遠い昔の人の歌も出て来た。
一年に一度しか架からない橋。
もしも、ぼくとハーレイが一年に一度しか会えなかったら?
ぼくは前の生の終わりにハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちになってしまったと泣きながら死んだ。もう会えないと、ハーレイには二度と会えないんだと…。
だから一年に一度しか機会が無くても、会えるのならそれで充分嬉しい。
でもやっぱり……一年に一度しか会えないだなんて悲しいとも思う。
きっと、ぼくは欲張りになったんだろう。
この地球の上でまたハーレイに会えて、独りぼっちじゃなくなったから。
ハーレイと二人で地球に居るのに、一年に一度じゃとても足りない。学校で会って、ぼくの家で会って、殆ど毎日会っているけど、それでもまだまだ足りないんだから…。
七夕の授業があった週の土曜日、いつものようにハーレイが訪ねて来てくれて。
「ねえ、ハーレイ。七月七日は晴れるといいね」
そう言ったら「昔は雨になることが多かったんだぞ」って教えてくれた。古典の授業の範囲じゃないけど、昔、この場所に在った日本という国では七月七日は雨の季節の真っ最中で。梅雨という言葉まで存在したほど、雨ばかり続いていたんだって。
「ふうん…。それだと一年に一度会うのも難しそうだね。もしかして毎年、催涙雨だった?」
「さあな? しかしだ、そのまた昔は雨の季節じゃなかったそうだぞ」
「えっ?」
今のこの場所に梅雨が無いのはSD体制崩壊後の地殻変動で地形が変わったせいだと聞くのに、それよりも前に大規模な変動があったんだろうか?
それは全然知らなかったな、と首を傾げたら。
「ブルー、変わったのは地形じゃなくて暦だ。カレンダーだな」
「え? …カレンダー?」
一年が十二ヶ月のカレンダー。SD体制の前も、SD体制の頃も、今の時代もカレンダーは同じ十二ヶ月だと思ってた。地球の公転で決まる筈のそれが変わるだなんて初耳だけど…。
「ずっと昔はカレンダーが別のものだったんだ。今でも売っているだろう? 月のカレンダーを」
「…月齢カレンダーっていうヤツのこと?」
あまり馴染みは無かったけれども、月の満ち欠けを書いたカレンダーなら知っている。
「そうさ、昔はそっちを使っていたんだ。その暦だと七夕の頃には雨の季節は終わった後だ」
「…そうだったんだ…」
なんだか頭がぐるぐるしてきた。
遙か昔のこの地域では、七夕は梅雨で雨ばかり。だけどそのまた前の時代は雨が降らない時期の七夕で、いったいどっちが正しいんだろう?
太陽のカレンダーの方? それとも月のカレンダー?
地球は太陽の周りを一年かけて回ってるんだし、太陽のカレンダーが正しいのかな?
でも、でも、でも。
太陽のカレンダーだと七夕が雨の季節になるなら、月のカレンダーの方がいいな、と思う。
だって、雨の七夕ばかりが続くと彦星と織姫は何年も会えなくなっちゃうから。
彦星はアルタイル、織姫はベガで、神様じゃなくて恒星なんだって分かってるけど…。
でもでも、会えないより会える方がいい。
催涙雨ばかりになってしまいそうなカレンダーより、断然、月のカレンダー。
そう思ったから「月のカレンダーにしてあげたいな」とハーレイに言ったら「そうだな」という答えが返って来た。
もしも、ぼくとハーレイとの間に天の川があって、一年に一度しか会えなかったなら。
その日に雨が降ってしまったら、カササギは橋を架けてくれない。
橋が無くても前のぼくならサイオンの力で飛び越えられたし、会えた筈。
でも、今のぼくは空を飛ぶことも瞬間移動も出来ないんだから、飛び越えられない。
天の川なんかがあったら困る。
一年に一度しか会えない七夕の日が雨になったら、泣いて、泣いて、涙が催涙雨になる。
だけど…。
「ハーレイなら天の川、泳いで渡ってしまえるかもね」
水泳が大好きなぼくの恋人。
学生時代は選手だったほどに泳ぎが上手くて、身体も丈夫なハーレイだったら…。
「お前に会うために泳ぐのか? それなら泳ぐさ、どんなに川幅があったとしてもな」
「…そっか…」
自信あるんだ、と嬉しくなった途端にふと思い出した。
七夕の日に天の川に架かる橋はカササギの橋。沢山の鳥が翼を広げて一列に並んで作る橋。
カササギは小さな鳥だけれども、ハーレイみたいに大きな身体でも大丈夫かな? 重さに負けて潰れないかな、と少し心配になったから。
「…ハーレイは泳いだ方がいいかも…。カササギの橋、ハーレイの体重に耐えられるかな?」
「こら、お前!」
コツン、と頭を小突かれた。
「俺がカササギの橋を踏み抜くってか?」
「踏み抜きそうだよ?」
「お前な…。お前、俺に会いたいのか、会いたくないのか、どっちなんだ」
橋を踏み抜いたら俺はお前に会えないわけだが、とハーレイがぼくを睨んでる。腕組みまでして怖そうな顔をしてみせてるけど、怒っていないって分かってしまう。鳶色の瞳が笑ってるから。
「…ハーレイ、答え、知ってるくせに」
天の川が大雨で溢れていたって、ぼくはハーレイを信じてるから泣かないよ。
きっとハーレイなら泳いでくると思うから。
カササギが橋を架けてくれなくっても、ぼくは泣かない。
泣かずに待っていれば必ず、ハーレイが泳いで来てくれるから…。
「ずいぶんと信用されたもんだな、俺も」
天の川を泳いで渡り切ろうってほどの勢いか、とハーレイは苦笑しているけれど。
「…来てくれないの?」
「いや、泳ぐ。お前が向こう岸に居るなら、どんな川でも俺は泳いで渡ってみせる」
向こう岸が見えないような川でも泳ぎ渡る、と鳶色の瞳の色が深くなった。
「ブルー、お前に会えるんだったら、俺は必ず泳いで行く」
ハーレイが右手を差し出してきて、ぼくの右の手をキュッと握った。
前の生で最後にハーレイに触れた手。ハーレイの温もりを最期まで覚えていたかったのに、銃で撃たれた傷の痛みで温もりを失くしてしまった右の手。
その手を握って、ハーレイはぼくを真正面から真剣な瞳で見詰めた。
「…本当はメギドまで追いたかったんだ。お前を追い掛けて飛びたかった」
「……それはダメだよ、ハーレイはキャプテンだったんだから」
「そう思いたかっただけかもしれん。全てを捨て去る覚悟があったら、あの時、俺は飛べたんだ」
シャングリラもキャプテンの制服も何もかもを…、とハーレイが苦しげな顔になる。
ぼくが飛び去って直ぐに追い掛けていれば、自分もメギドに行けた筈だと。
そうすることが可能な船が格納庫に何機も在ったのだから、と。
「…あの時、俺とお前の間には溢れた天の川があったんだろう。…実際、宇宙があったんだがな。溢れた川を渡る勇気を俺は持ってはいなかった。そしてお前を喪ったんだ」
「違うよ、ハーレイ。…ぼくはジョミーを頼むと言ったよ、君はそのために残ってくれた」
「俺もそうだと思っていた。…しかしな、お前のことを最優先で考えるのなら、俺はお前を追うべきだった。俺がお前を追わなかったから、お前の右手は凍えてしまった」
この手だ、とハーレイはぼくの右手を大きな両手で包み込んだ。
「俺は二度と後悔したくない。天の川を渡らなかった自分の馬鹿さ加減に涙するのはもう沢山だ。…だから俺は渡る。どんなに広い川であろうと、俺はお前の所まで泳ぐ。…いいな?」
「…うん……。ぼくも待ってる。ハーレイが来る、って信じて待ってる」
催涙雨なんか降らせないよ、と言ったけれども。
ぼくの瞳からは大粒の涙がポロリポロリと零れて落ちた。
この涙はぼくの涙だけれども、ぼくはぼくでも前のぼくの涙。
ハーレイと離れて独りぼっちで死んでいったソルジャー・ブルーが天の川のほとりで零した涙。
もうハーレイには会えないのだと、右の手が凍えて冷たいと泣いた。
だけど、向こう岸からハーレイが来る。泳いで渡って来てくれるのだ、と…。
ハーレイとそんな話をしたから、少し切ない気持ちになった。
天の川のほとりに立ち尽くしたまま、ハーレイが泳いでやってくるのを待った前の生のぼく。
本当にハーレイが川を渡って来てくれたから、ぼくたちは地球の上で会えたんだと思う。
だけどそれまでに、ソルジャー・ブルーは一人きりで何度泣いたのだろう。
どのくらいの涙が瞳から零れて雨になったのか、どのくらい一人で待っていたのか…。
前の生でのハーレイの命が尽きたら直ぐに会えたんだろうか?
きっと会えたと思いたい。
そうでなければ悲しすぎる。今年こそ会える、今年こそ…、って泣きながら待っているなんて。
ソルジャー・ブルーがメギドを沈めた後、数年が経ってSD体制は崩壊した。
だから前のぼくが独りぼっちで待った時間は数年だけだと思いたいけれど…。
催涙雨は数年分しか降っていないと思いたいけれど、こればかりはぼくにも分からない。
生まれ変わって来るまでの間は何処に居たのか、それすらも分からないんだから。
翌日の日曜日には七夕も催涙雨もすっかり忘れてしまって普段どおりのぼくだったけれど、その週の半ば、学校からの帰り道で七夕飾りを見かけた。
バス停から家まで歩く途中にある家の玄関先に、ぼくの背丈くらいの笹飾り。きっと小さい子が居る家だろう、色とりどりの紙の飾りや短冊が幾つも結んであった。
それを見たら思い出したんだ。
ハーレイと話した天の川のこと、天の川のほとりで涙を零していた前のぼくのこと。
今のぼくはハーレイと毎日のように会えるけれども、会えなかったなら…。
一年に一度しか会える日が無くて、その日に会えなかったなら。
どれほど悲しくて寂しいだろう、と考えただけで涙が零れてしまいそうだから。
青く晴れた夏の空を見上げて、心の中で願いをかけた。
催涙雨が降りませんように。
どうか今夜は晴れますように、って。
だって、会えないだなんて寂しすぎるし、悲しくて辛い。
ハーレイは天の川でも泳いで渡ると言ってくれたけど、彦星にそれは難しそうだ。
彦星と織姫がカササギの橋を渡って会えるようにとぼくは祈って、七夕の夜は綺麗に晴れた。
そして次の日に気が付いた、ぼく。
七夕の笹に結ぶ短冊。お願い事を書いて吊るしておくのが七夕だった、と。
背が伸びますようにと頼めば良かった。
お願いするのを忘れただなんて、ちょっと間抜けで誰にも言えない。
失敗だった、ぼくの七夕。
でもハーレイには今日も会えたし、いつかは一緒に暮らせるんだから焦らなくても大丈夫。
天の川でも泳いで渡るとハーレイは言ってくれたから。
ぼくたちは二度と離れないから……。
催涙雨・了
※天の川でも泳いで渡ろうというハーレイ先生。川幅、どのくらいあるんでしょうね?
それでもハーレイは泳ぐのでしょう、二度と後悔しないために。
毎日更新の「シャングリラ学園生徒会室」の方でお馬鹿な私語を始めました。
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今年もクリスマスシーズンが近付いて来た。
シャングリラの公園に大きなクリスマスツリーが飾り付けられたら、クリスマスに向けてのカウントダウンだ。公園には他にも小さめのツリー。
「お願いツリー」と名付けられたそれは、欲しいプレゼントのリクエストを書いて吊るすもの。子供が吊るせばサンタクロースが可愛い願いを叶えてくれるし、大人の場合は専門の係がいるのだけれど。係の他にも虎視眈々と狙っている者たちがいたりする。
すなわち、意中の人に向けてのプレゼント。年に一度のビッグイベント、気になる相手が吊るしたカードを密かに回収、そしてクリスマスにプレゼントを贈って射止めるのが人気。
(んーと…)
今年も沢山下がってるよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「お願いツリー」に吊るされたカードをじっと見詰めた。
今年は何を注文しようか、サンタクロースに?
(去年は大きな土鍋を頼んで、ブルーと一緒に土鍋カステラ作ったもんね!)
アルテメシアで人気を博した土鍋カステラ、超特大のを作った思い出は今でも胸に燦然と。大好きなブルーに教えて貰って卵を泡立て、特製のオーブンで焼いて貰って黄金色のふわふわのカステラが出来た。大きな土鍋一杯に。
カステラの寝床にコロンと転がり、食べては眠って、また食べて。
そんなカステラを何度も作った。ブルーも付き合って作ってくれたし、そういう時には二人で食べた。食の細いブルーは「ぶるぅみたいには食べられないよ」と言ったけれども、それでも美味しそうに食べてくれたし、実際、土鍋に溢れた黄金色のカステラは美味だったから。
鍋料理のシーズンが終わり、アルテメシアの街から「土鍋カステラはじめました」と書かれたポスターが消える頃まで何度も何度も、心ゆくまで土鍋カステラを作っては食べて…。
(土鍋カステラ、今年も流行っているんだけれど…)
超特大の土鍋はもう持っているし、作り方だってマスターしたから欲しい時にはいつでも作れる。それに人類が暮らす街へ降りれば、シーズン中なら食べ放題。
(今年は土鍋は要らないよね?)
他に何か、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は考えた。
シャングリラ中を悩ませる悪戯小僧なのだけれども、クリスマスツリーが登場したら悪戯の方は当分、お預け。サンタクロースに「いい子なんです」とアピールしないとプレゼントを届けて貰えないから。それどころか…。
(悪い子供は靴下の中に鞭が入っているって聞いたし…)
大好きなブルーがそう言った。いい子にしないとサンタクロースはプレゼントの代わりに鞭を入れると、悪い子供のお尻を鞭で叩けるようにと。
(今年もいい子にしなくっちゃ!)
そしてプレゼントを貰うんだよ、と期待に胸を膨らませる。「お願いツリー」で注文した品物の他にも毎年沢山貰えるのだから。
(でも、何を注文しようかなあ…)
普段は悪戯とアルテメシアでのグルメ三昧に燃えているだけに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に計画性などはまるで無かった。早い時期から「これが欲しい」と考えたりもしなかった。
それだけに「お願いツリー」が登場して来た今頃になって小さな頭を悩ませるわけで。
(何がいいかなあ…?)
カラオケマイクも欲しいけれども、もっとビッグなプレゼントもいい。
何年か前に叶えて貰った、劇場を貸し切ってのリサイタルは最高に楽しかったし…。
何にしようか、と考え込んでいたら、賑やかな歓声が響いて来た。
永遠の子供な「そるじゃぁ・ぶるぅ」と変わらないほどの背丈の子たちや、もっと大きな子供たちの声。キャーキャー、ワイワイとはしゃぎながら公園へ駆け込んで来た子供たちだが。
「今日も貰えたーっ!」
「リンゴ、毎日、貰わなくっちゃーっ!」
クリスマスツリーにはリンゴだよね、と大きなツリーを見上げる子たちの手にはリンゴが乗っかっていた。真っ赤な色のリンゴだけれども、作り物のリンゴ。小さなリンゴ。
(…リンゴ?)
何だろう、と首を傾げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
食べられもしない作り物のリンゴに特に興味は無いと言えば無いが、どうして誰もが小さなリンゴを持っているのか。よくよく見れば、吊るすための紐もくっついているし…。
(クリスマスツリーに飾るのかな?)
きっとそうだ、と思ったのに。
子供たちは公園のクリスマスツリーを囲んで走り回った後、リンゴを手にして駆け去って行った。飾りもしないで、しっかりと持って。
(…なんで?)
クリスマスツリーにはリンゴなのだ、と子供たちは確かに言っていたのに。
公園のツリーにもリンゴのオーナメントが幾つも飾られているのに、どうして飾らずに持ち去ったのか。それに…。
(毎日、貰わなくちゃ、って言った…?)
いったい誰がリンゴを配っているのだろう?
貰えば何か素敵なことでも起こるのだろうか、さっき見た作り物のリンゴは…?
分かんないや、と不思議に思った「そるじゃぁ・ぶるぅ」だったのだけれど。
リンゴの謎が解けるまでには、さほど時間はかからなかった。三日ばかり経った頃のこと。いつものようにアルテメシアの街で食べ歩いて、瞬間移動でシャングリラにヒョイと戻って来たら。
「ヒルマン先生、さようならーっ!」
「リンゴ、ありがとうーっ!」
口々に叫んで、勢いよく通路に飛び出して来た子供たち。例のリンゴを持っている。まだ開いたままの扉の向こうはヒルマンが子供たちに勉強を教える教室、いわば学校。
(…此処でリンゴが貰えるわけ?)
ならば自分も、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は迷わず教室に入って行った。リンゴが何かは分からないけれど、貰えるものなら是非とも欲しい。真っ赤なリンゴはちょっと素敵だし、子供は誰でも貰えるようだし…。
「おや、珍しいお客様だね」
片付けをしていたヒルマンが振り返って笑顔を向けてくれた。
「どうかしたのかな、勉強する気になったのかね?」
「そうじゃなくって…。ぼくにもリンゴ!」
一つちょうだい、と指差した先にリンゴが盛られた籐の籠があった。作り物の赤いリンゴが沢山、籠の中で艶々と輝いている。あんなに沢山あるのだから、と小さな手を開いて差し出したのに。
「…悪いね、あれは御褒美だから…。ぶるぅの分は無いんだよ」
「えーーーっ!」
どうして、と抗議の声を上げたら。
「授業に出た子に、毎日、一個。リンゴはそういう決まりなんだよ」
ぶるぅは授業に出ていないだろう、と断られた。自分の授業に出ていない子には御褒美は無いと、だからリンゴはあげられないよ、と。
(…リンゴ…)
あれが欲しいのに、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は肩を落として教室を出た。
長い通路を自分の部屋まで歩く間も、真っ赤なリンゴが頭の中でクルクル、クルクル、軽やかに幾つも回り続ける。
(授業に出た子に、一日一個…)
ヒルマンが教えてくれたのだけれど、赤いリンゴはクリスマスを控えて気分が浮つき、授業に身が入らない子供たちへの対策らしい。
真面目に授業に出席したなら、一日一個をプレゼント。
アドベントだとか待降節と呼ばれるクリスマスを待つためのシーズン開始と同時に始まり、初日は真っ赤なリンゴとセットで小さなツリーも配ったそうだ。何の飾りもついていなくて、ただのモミの木、本物ではない作り物。
子供たちはモミの木に貰ったリンゴを吊るす。順調にいけば毎日一個ずつ増える勘定。
クリスマス・イブの日、自分のツリーをヒルマンに見せてリンゴの数を数えて貰って、パーティーの前にリンゴの数だけ、お菓子が貰えるという仕組み。
(お菓子、欲しいな…)
どうせクッキーかキャンディーだろうと思うけれども、自分の方がもっと美味しいお菓子を食べてはいるだろうけれど。
貰えないとなると惜しくて悔しい。他の子たちは貰えるのに、と。
(ぼくにもリンゴ…)
頼めばリンゴを貰えるだろうか、リンゴを吊るすためのツリーも?
けれども自分はリンゴが配られるイベントに気付いていなかったのだし、既に出遅れたと言ってもいい。他の子たちより幾つ足りないのか、例のリンゴは…?
(…ツリーを貰って、足りないリンゴも貰える仕組みって無いのかな?)
リンゴは惜しい。本当に惜しい。
部屋に帰り着いて、気分転換にカラオケでも、とマイクを握っても頭にリンゴ。
頭の中でクルクル、クルクル、回り続ける真っ赤なリンゴ。
「やっぱり欲しいーーーっ!」
駄目で元々、あわよくば。
直訴あるのみ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はヒルマンの部屋へと瞬間移動で飛び込んだ。
「リンゴちょうだい!」
挨拶も抜きで叫んでしまった「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
しかしヒルマンは子供相手の日々でそういったことには慣れていたから、「ほほう…」と髭を引っ張っただけで、驚きも叱りもしなかった。明日の授業の準備だろうか、机で書き物をしていた手を止めて「そるじゃぁ・ぶるぅ」の瞳を見詰める。
「リンゴというのは、さっき言ってたリンゴかな? あれが欲しいと言うのかい?」
「そう! 集めたらお菓子が貰えるんでしょ、クリスマス・イブに!」
ぼくにもリンゴとツリーをちょうだい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は頭を下げた。貰い損ねた分のリンゴも貰いたいのだと、クリスマス・イブまでにリンゴを立派に揃えるのだと。
「ふむ…。方法は一応、あるのだがねえ…。貰い損ねた分のリンゴを貰える方法」
「ホント!?」
「ただし、リンゴは授業に出たことの御褒美だから…。授業が終わった後の時間に行う補習に出席したなら、一回に一個。そういう形で貰えはするね」
病気で休む子供もいるものだから、とヒルマンは説明してくれた。
つまりはリンゴを揃えるためには、明日から欠かさず授業に出ること。貰い損ねた分が欲しいのなら、その回数分、補習にも。
「…ぶるぅは勉強、嫌いだろう? リンゴのオマケはただのお菓子だよ」
貰わなくてもいいんじゃないかね、と言われたけれども、欲しいからこそ来たわけで。
「それでもいいから! ぼくにもリンゴ!」
明日から頑張る、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は食い下がった。忘れないよう授業に出掛けて、補習も必要な分だけ受けると。だからリンゴとツリーが欲しいと。
「ふうむ…。そこまで言うなら、頑張ってみなさい」
明日からだよ、とヒルマンは立ち上がって奥の戸棚の中からツリーを取り出して渡してくれた。
何の飾りもついていないツリー、作り物のモミの木のクリスマスツリー。
「いいかね、授業に出たらリンゴが一個。補習が一度で一個だからね」
「はぁーい!」
ツリー、ありがとう! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は踊るような足取りでヒルマンの部屋を後にした。こうしてツリーを手に入れたのだし、残るはリンゴ。明日から一日一個のリンゴ。
「補習もうんと頑張らなくっちゃ!」
そしてリンゴを増やすんだもんね、と跳ねてゆく。真っ赤なリンゴを飾るんだよ、と。
ヒルマンに貰った、ただのモミの木。何の飾りもまだ無いツリー。
それをワクワクと部屋に飾った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、次の日、勇んでヒルマンが授業を行う部屋へと出掛けて行った。普段だったらアルテメシアでショップ調査か食べ歩きをしている時間だけれども、それは夜でも出来るのだし…。
机と椅子とが並んだ教室。一番前の席に陣取っていると、ヒルマンがやって来て褒めてくれた。
「ちゃんと来たね」と、「いい子だね」と。
間もなく始まったヒルマンの授業。ヒルマンは教室をぐるりと見渡し、微笑んで。
「今日は初めて来た子がいるから、クリスマスについて復習しよう。どうしてリンゴを配っているのか、クリスマスツリーにはリンゴの飾りを付けるのかをね」
(ふうん…)
何か理由があったんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胸を高鳴らせた。リンゴのお菓子は美味しいのだから、きっと食べ物の話なのだと思ったのに…。
「クリスマスツリーを飾る習慣は、SD体制が始まるよりもずっと昔に、地球のドイツという国で始まったのだよ。その国ではクリスマスに劇をすることになっていてね…」
劇の中身は「アダムとイブの知識の木」。エデンの園にあったと伝わる知恵の木の実で、リンゴのことだと言われるらしい。劇の舞台にリンゴの木を飾る必要があるが、生憎と冬。クリスマスの頃にはリンゴの葉っぱは落ちてしまって、すっかり枯れ木なものだから。
それでは舞台の上で映えない、と代わりにモミの木が選ばれた。青々とした葉を茂らせているし、赤いリンゴも見栄えがするし…。
「そういうわけだから、クリスマスツリーにはリンゴの飾りが欠かせない。私がリンゴを配っているのも、クリスマスツリーの本来の形を示すためでね…」
ヒルマンの授業は続いていった。クリスマスツリーに飾る星や杖。どれにも由来があると話して、更にはクリスマスそのものを巡る歴史にまで発展しつつあったのだけれど。
(…なんだか全然、分かんないし!)
とっても退屈! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は立ち上がった。
こんな授業を聞いているより、同じクリスマスなら、断然、本物。クリスマスツリーを眺めて、見上げて、周りを走りたいわけで…。
「かみお~ん♪ ツリー、みんなで見に行こうよ!」
公園のツリー、綺麗だよ! とダッと駆け出すと、小さな子たちがついて来た。これは遊ばねば損だから、と先頭を切って駆けてゆく。いざ公園へと、みんなで楽しく遊ぼうと。
あまりにも堂々と抜け出して行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」。後に続いた何人かの子供。
他の子供たちも、我慢して教室に座っているには幼すぎる子が多かったから。
ブリッジが見える公園のクリスマスツリーの周りはアッと言う間に子供の楽園、それは賑やかな騒ぎになってしまって、ヒルマンの授業は見事に潰れた。
途中でハーレイやエラが気付いて、子供たちを教室に追い返したけれど。その子たちはヒルマンに大目玉を食らいはしたのだけれども、なんとかリンゴを貰うことが出来た。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」の悪戯に巻き込まれただけで仕方ないのだと、わざとではないと。
しかし…。
「…ぼくのリンゴは?」
ぼくにくれる分のリンゴは無いの、と右手を出した「そるじゃぁ・ぶるぅ」の分のリンゴは当然、無かった。授業は潰れてしまったのだし、その犯人がリンゴを貰えるわけがない。
ヒルマンは「そるじゃぁ・ぶるぅ」を怖い顔で見下ろし、重々しく、こう宣言した。
「やはり君には無理なようだね、私の授業は。もう明日からは来なくていいから」
補習をしようとも思わないから、と苦い顔つき。
悪戯小僧は学校なんかに来なくてもいいと、好きに遊んでいるのがいいと。
「…それじゃ、リンゴは?」
「あるわけがないね」
もちろんクリスマス・イブのお菓子も無いよ、と冷たく突き放されてしまった。
クリスマスツリーを返せとまでは言われなかったが、何の飾りも無いモミの木につける真っ赤なリンゴはもう永遠に貰えないわけで…。
(どうしよう…)
ぼくのリンゴ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は半泣きで公園に戻って行った。公園に聳えるクリスマスツリーにリンゴは幾つも飾られているが、それはヒルマンの授業で貰える赤いリンゴとはまるで別物、毟って自分のツリーに飾っても何の効果もありはしなくて。
(リンゴが無かったら、ぼくのお菓子も…)
クリスマス・イブには貰える筈だった、子供たちのための特別なお菓子。アルテメシアの街に溢れる絢爛豪華なクリスマス用の菓子とは違って、ごくごく素朴なものだろうけれど。
(ぼくだけ一つも貰えないなんて…)
あんまりだよう、と涙がポロリと零れた所で気が付いた。こんな時のための素敵なアイテム、「お願いツリー」。願い事を書いてツリーに吊るせばサンタクロースが叶えてくれる。
(そうだ、お願いツリーだよ!)
サンタさんに頼めばきっとリンゴが手に入るんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は目を輝かせた。
なんて素敵なアイデアだろう。今年のお願い事はこれに決まりで、手に入らない筈のヒルマンが配る真っ赤なリンゴを、一番沢山貰う子供と同じ数だけサンタクロースが届けてくれる。
(リンゴ、リンゴ…)
それにしよう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「お願いツリー」の側に置かれた専用の用紙を手に取った。ついでにペンも。
(ぼくにリンゴを沢山下さい、っと…!)
デカデカと書いて、自分の名前も書き付けて。
「これで良し、っと!」
願い事を書いたカードを吊るして、足取りも軽くホップ、ステップ、それからジャンプ。ウキウキと通路へとスキップしてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」は全く気付いていなかった。
ヒルマンがリンゴの数に応じてお菓子を配る日はクリスマス・イブ。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「リンゴを下さい」と願いを託したサンタクロースがやって来るのは、そのクリスマス・イブの夜が更けた後だということに…。
子供ゆえの迂闊さ、ピントのずれた「お願いツリー」の願い事。
それはたちまちソルジャー・ブルーの知る所となり、ハーレイをはじめブリッジ・クルーも大いに笑った。これではどうにもなりはしないと、願い事など叶いはしないと。
けれども、そこはソルジャー・ブルー。悪戯小僧の「そるじゃぁ・ぶるぅ」を大切に思い、可愛がっている人物だから。
例の願い事を吊るした翌日の朝、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はブルーに思念で呼ばれた。すぐに青の間まで来るように、と。
「かみお~ん♪ なあに?」
何か用事? と瞬間移動で現れた悪戯小僧に、ブルーが炬燵で「これ」と指差す。炬燵の上には定番のミカンがあったけれども、その他に…。
「国語、算数、それからミュウの歴史かな。ヒルマンに借りた教科書だけどね」
これで一緒に勉強しよう、とブルーに微笑み掛けられた。今日から毎日、一時間。希望するなら補習も可能で、勉強をすればこれをあげよう、と宙に取り出された真っ赤なリンゴ。
「あっ、リンゴ!」
「そうだよ、ヒルマンに頼んで分けて貰った。ぶるぅはみんなと一緒の授業は向かないようだし、ぼくが特別に授業をね…」
ソルジャーの授業だからヒルマンのよりも短い時間でリンゴが一個、という提案。真面目にやるなら教えてあげると、一時間でリンゴを一個あげると。
「どうする、ぶるぅ? ぼくと一緒に勉強するかい、クリスマス・イブのお菓子のために?」
リンゴさえあればお菓子は貰えるそうだよ、と聞かされた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は躍り上がって喜んだ。退屈な授業は御免だけれども、大好きなブルーと勉強ならば…。
「ぼく、勉強する!」
そしてリンゴを貰うんだあ! と元気に答えた悪戯小僧。
かくして青の間でソルジャー直々の特別授業が始まり、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は毎日、教科書やドリルを抱えて炬燵での勉強会に励んで。
「えーっと、百かける五は…。ひい、ふう、みい…。六百!」
「ぶるぅ、よくよく考えてごらん? ラーメン一個の値段が百としたなら、五個でいくら?」
「五百だよ! あっ、そっかあ…」
食べ物の計算は得意なんだけど…、と頭を振っている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そんな調子で毎日勉強、来る日も来る日も勉強と補習。真っ赤なリンゴはしっかり揃って…。
クリスマス・イブの日、パーティーの前に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意満面、真っ赤なリンゴを一面に飾ったツリーを抱えてヒルマンが待っている教室に行った。
大勢の子供が自分のツリーを机に置いていたけれど。
「おめでとう、ぶるぅ。一番は君と…」
他に何人かの名前が挙げられ、ヒルマンが大きなバスケットからクッキーを一個ずつ包んで連ねた立派な首飾りを首にかけてくれた。一番沢山リンゴを集めた子だけが貰える、一種の勲章。チョコレートのメダルもくっついている。
その他にリンゴの数に応じてクッキーが貰えて、もちろんこれも一番多くて。
「やったー、クッキー!」
メダルも貰ったあ! と飛び跳ねて喜ぶ「そるじゃぁ・ぶるぅ」に、ヒルマンが「ソルジャーによくよく御礼を言うんだよ」と言ったのだけれど。
そんなことなど聞いていないのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」で、御礼なんかはスッパリ忘れた。
そしてチョコレートのメダルがついたクッキーの首飾りを下げてエヘンと胸を張り、パーティーの御馳走をお腹一杯食べて食べまくって、夜になって。
「今日はサンタさんが来るんだもんね!」
うんと素敵なプレゼントが届く筈なんだよ、とリンゴを飾ったツリーの隣に大きな靴下を吊るし、土鍋の寝床に潜り込んだ。
ヒルマンのお菓子も貰えたことだし、もう最高のクリスマス。明日の朝にはサンタクロースが届けてくれたプレゼントが溢れているだろう。ドキドキワクワク、眠ったのだけれど…。
「ぶるぅは見事に忘れたねえ…」
青の間の炬燵でソルジャー・ブルーがクスクスと笑う。その手の中に、お願いカード。クリスマスのプレゼントに間に合うように、と係が回収しておいたカード。
そのカードには「そるじゃぁ・ぶるぅ」の下手くそな字でこう書き殴ってあった。
「ぼくにリンゴを沢山下さい」。
ブルーの向かいでサンタクロースの衣装や真っ白な髭を着けたハーレイが尋ねる。
「それで、ソルジャー…。今年は本気でリンゴですか?」
「ぶるぅのお願い事だしね? サンタクロースは願いを叶えるものだろう?」
よろしく頼むよ、とブルーが瞬間移動で取り出した木箱。リンゴがギッシリ詰まった木箱。
「去年の土鍋は少々大きすぎたけど…。これくらいなら持てるだろう?」
「もちろんですが…。ぶるぅはこれで怒りませんか? リンゴ箱一杯のリンゴですよ?」
「大丈夫。ちゃんと工夫はしてあるからね」
これをセットで届けておいて、とブルーがハーレイに手渡した冊子。ハーレイはそれを見るなり頬を緩めて、パラパラめくって中を確かめて。
「なるほど、お考えになりましたね」
「ぶるぅのお願い事を叶えてやるなら、素敵に演出したいだろう?」
「心得ました。では、届けに行って参ります」
ハーレイはサンタクロースのシンボルとも言える白い袋に冊子を入れると、リンゴ箱を抱えて大股で青の間を出て行った。白い袋の中にはエラやブラウたち、長老からのプレゼント。ハーレイの分も入っている。今年も色々、盛り沢山。
夜更けのシャングリラの通路をキャプテン扮するサンタクロースが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋へと向かって、寝床になっている土鍋の隣にリンゴ箱などを並べてやって…。
そして、翌朝。
「クリスマスだあーっ!」
ガバッと起き上がった「そるじゃぁ・ぶるぅ」はプレゼントを見付けて歓声を上げた。今年も素敵なものが一杯、嬉しくてたまらないけれど。
「…あれ?」
どれよりも大きく、いいものが入っていそうだと一目で思った箱。木箱だけれども、きっと中には素晴らしいものが、と考えたのに。
「…リンゴ?」
産地直送と書かれたリンゴ箱からは、甘酸っぱい香りが漂っていた。どう考えても中身はリンゴ。木箱一杯のリンゴなんかがどうして…、と首を捻ってから思い当たった。
(お願いツリーのお願い事…!)
ブルーの特別授業で毎日リンゴを貰えていたから、喜びのあまり忘れていた。「リンゴを下さい」とサンタクロースにお願いしたまま、書き換えることをド忘れしていた。
願い事を叶えるのが仕事のサンタクロースは、ちゃんと願いを聞いてくれたわけで…。
(……リンゴ……)
本物のリンゴが木箱にドッサリ、こんなものを貰ってしまっても…、と自分の間抜けさに愕然としたってもう遅い。今年のサンタクロースからのプレゼントは…。
「リンゴだなんてーっ!」
こんなの要らない! と叫んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」の心にフワリとブルーの思念が届いて。
『おやおや、ぶるぅ。サンタクロースのプレゼントは全部見たのかい?』
「見たよ、見たけどリンゴばっかり…!」
『そうかな、箱の下に何かがあるようだけれど?』
「箱の下…?」
えっと、と重たい木箱をサイオンで持ち上げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」の目が丸くなった。
「レシピ集…?」
『サンタクロースが集めてくれたようだよ、リンゴのお菓子のレシピをね』
最新流行のからクラシックなものまで揃っているよ、と大好きなブルーの思念が告げる。本当なのか、と手に取ってめくればその通りで。
「うわあ、見たことのないお菓子がいっぱい…!」
『ぼくから厨房のみんなに頼んであげるよ、ぶるぅが作って欲しいお菓子を全部』
リンゴ箱のリンゴがある間はね、と言われた「そるじゃぁ・ぶるぅ」の気分はドン底から一転、天にも昇る心地で大歓声で…。
ピョンピョンと跳ねて喜んでいたら、ブルーの思念がクスッと笑った。
『ぶるぅ、リンゴのお菓子もいいけど、今日は何の日だったっけ?』
「えっ? えーっと…?」
何だったかな、とリンゴの木箱を見詰めた途端に、シャングリラ中から上がった思念。
『『『ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ!』』』
「えっ? えっ、えっ…?」
忘れてたぁーっ! と叫んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」。クリスマス・イブのリンゴ集めに夢中で誕生日まで忘れ果てていた。それはもう素敵なサプライズ。今日が自分の誕生日なんて。
『ホントに忘れていたのかい? でもね、ケーキはちゃんとあるから』
ブルーがクスクス笑い続ける。今年も大きなケーキがあるよと、みんなが巨大なケーキを公園に運んでくれるからね、と。
「ありがとう、ブルー! ケーキ、ブルーも食べるよね!」
リンゴのお菓子も一緒に食べよう! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は青の間に向かって瞬間移動。
大好きなブルーと誕生日のケーキを食べに行かねば、と。
「行こうよ、ブルー! ぼくの誕生日のケーキを食べに!」
「そうだね、それにリンゴのお菓子も頼まなくちゃね」
サンタクロースのレシピでね、と微笑むブルー。リンゴ箱一杯分のリンゴのためにと、ありとあらゆるレシピを探したソルジャー・ブルー。サンタクロースに扮したハーレイが届けたレシピ集はソルジャー・ブルーのお手製、この世に、宇宙に一冊しかないレシピ本。
「ブルー、リンゴのお菓子は何がいい?」
「何がいいかな、後で一緒にレシピを見ようか。でも、その前に…」
お誕生日おめでとう、と頬っぺたにキスが贈られた。公園からは仲間たちの思念が呼んでいる。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」、本日をもって満八歳。
悪戯小僧で、永遠の子供で、リンゴで失敗もするのだけれど。
ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。八歳のお誕生日おめでとう!
待降節のリンゴ・了
※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、お読み下さってありがとうございました。
悪戯小僧な「そるじゃぁ・ぶるぅ」との出会いは2007年の11月末でしたね。
アニテラが放映された年の暮れです、葵アルト様のクリスマス企画での出会いでした。
期間限定ペットだった「そるじゃぁ・ぶるぅ」に一目惚れ。
せっせと阿呆な創作を特設BBSに投下してました、それが全ての始まりです。
悪戯小僧とのドタバタな日々が初創作でした、あれから早くも7年ですねえ…。
「そるじゃぁ・ぶるぅ」との出会いが無ければ、今のシャン学はありません。
シャン学が無ければ、ハレブル別館も誕生しておりません。
原点は「そるじゃぁ・ぶるぅ」なのです、それも悪戯小僧の方の。
ゆえに年に一回、お誕生日だけは祝ってあげませんとねv
クリスマス企画の中で満1歳を迎えましたから、今年で8歳の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
8歳のお誕生日おめでとう!
※過去のお誕生日創作へは、下のバナーからどうぞですv
お誕生日とは無関係ですが、ブルー生存EDも混じっていたりして…(笑)
←過去のお誕生日創作などなどv
青い地球の上に生まれ変わったブルーとハーレイが再会してから、あと少しすれば三ヶ月。
ハーレイが教師を務め、ブルーが通っている学校もとうに夏休みに入った七月の末。夏休み前はハーレイがブルーの家を訪ねて来る日は土曜と日曜、平日は滅多に来てくれなかった。その来訪が夏休みのお蔭で劇的に増えて、平日でも朝から夜まで一緒に過ごせる日も多い。
研修や柔道部で丸一日が潰れない限り、毎日のように自分の家でハーレイに会える。天気のいい日は庭で一番大きな木の下に据えられたテーブルと椅子でお茶を飲んだり、食事することも。もう嬉しくてたまらない日々だが、ブルーには切実な悩みがあった。
それは全く伸びない背丈。今の学校に入学した春、ブルーの身長は百五十センチちょうど。その後の測定で伸びていることを期待したのに、一ミリも伸びはしなかった。
自分の部屋のクローゼットに鉛筆で微かに引いた線。床から百七十センチの所に付けた印が前の生でのブルーの背丈で、そこまで大きく育たなければハーレイと本物の恋人同士になれないのだ。
ハーレイ曰く、ブルーは「立派な子供」。
子供相手に前世でのような深い関係を持つつもりはなく、キスすらもまだ早いと言われた。額と頬にはキスしてくれるが、そのキスは子供向けのキス。幼い頃から父と母がしてくれるキスと全く変わらず、恋人同士のキスではない。
ブルーがハーレイにして貰いたいキスは唇へのキスで、前の生では唇を重ねるだけと違って更に深くて甘いもの。そういうキスを交わしたいのに、唇すらも重ねられないこの現実。
何度も何度もキスを強請っては「駄目だ」と叱られ、断られてきた。
再会を果たして間もない頃には会う度にキスをしようとして果たせず、酷く寂しい思いをした。流石に三ヶ月近く経った今では「キスは許して貰えないらしい」ともう諦めているのだけれど。
(…でも……)
毎日のように自分の家で会える夏休みが始まったことで、再び欲が出始めた。学校があった頃は平日は教師と生徒だったし、家ならともかく、学校ではベッタリ甘えるわけにはいかない。それが今では平日だって甘え放題、うんと距離が縮まった気がするわけで。
(…それなのにキスも出来ないだなんて…)
せっかく恋人同士で過ごしているのに、キスも無し。これではあんまり寂しすぎる。前の生での深くて甘いキスは無理でも、せめて唇を重ねるくらい…。
(ほんのちょっと、ちょっぴりだけでいいから唇にキス…)
して欲しいな、とブルーは思った。背丈が百七十センチに満たないどころか百五十センチのままでは恋人同士のキスは絶対に無理。それでも大好きなハーレイと唇を重ねてみたい。触れるだけのキスでかまわないから、唇にキスが欲しかった。
ほんの少しだけ、恋人気分。きっと幸せが胸一杯に満ちるだろうに…。
(ハーレイのキス…。ホントに欲しいな…)
そう思うけれど、どうすれば唇へのキスを貰えるだろう?
ハーレイは前に確かにこう言った。「お前へのキスは頬と額だけだと決めている」と。
(…だけど……)
自分が前世と同じ背丈に育つまでは駄目だと告げたハーレイ自身も、心の奥では揺れている筈。現にブルーがハーレイの家に呼んで貰えない理由は「ハーレイの抑えが利かなくなるから」。
つまりハーレイも本当の所はブルーにキスをしたいし、その先のこともしてみたいのだ。我慢に我慢を重ねているだけ、大人らしく振舞っているだけで…。
(……だったら可能性はゼロじゃないよね)
何か方法がある筈だ、とブルーは考えを巡らせ始めた。今までにキスを断られ、叱られた経験は多数。強請っては断られ、キスしようとして叱られ…。
(…ぼくの方からキスしようとするからダメなんだよ、うん)
どうもそういう気がしてきた。
ずっとずっと昔、前の生でハーレイと本物の恋人同士であった頃。キスを交わす時はハーレイがブルーの顎を捉え、あるいは身体ごと組み敷いて熱い唇を重ねてきた。もちろん自分から強請ったこともあったが、キスは圧倒的に「貰うもの」であり、求めずとも与えられるもの。
(ということは……)
ブルーからキスを持ち掛けるよりも、ハーレイがブルーにキスしたくなるようにするのが正しいやり方なのだろう。ブルーはキスを受け取るだけで、主導権はあくまでハーレイに。
(ハーレイがぼくにキスをしたいと思うようにすれば上手くいくかも!)
そういう方向で考えたことは一度も無かった。ひたすらキスを強請るばかりで、ハーレイがどう思っているかは微塵も考慮していなかった。
ハーレイだってきっとキスをしたい気分でいる時もあれば、そうでない時もあるだろう。自分は間違えたのかもしれない。キスして欲しいと強請るタイミングだとか、雰囲気だとかを。
(…そういうものって絶対あるよね…)
今のブルーにはよく分からないけれど、前世でソルジャー・ブルーだった頃は色々とハーレイに気を遣っていた。青の間に来て欲しいと誘う時にも、ハーレイの部屋へ行きたいと強請る時にも。
二十四時間、いつでも遠慮なく逢瀬を重ねていたわけではない。ハーレイの方もそれは同じで、互いに相手を思いやっては、同じベッドで眠りはしても「おやすみのキス」だけの日もあって。
(…でも、おやすみのキスは貰えたんだよ)
あれも唇へのキスだった。唇が触れ合うだけの優しいキス。ああいうキスでいいから欲しい。
でも……。
キスが欲しいと強請っても駄目、「キスしていいよ」と言ってみても駄目。
ハーレイにも「キスをしたい気持ち」はあるというのに、未だにキスをして貰えない。雰囲気がまずいのか、強請るタイミングを間違えているか。
(どうすればキスして貰えるんだろう?)
ハーレイがブルーにキスしたい気持ちになりさえすれば、キスを貰えそうに思うのだけど…。
(…ぼくから頼んでもダメだってことは、ハーレイが自分からそういう気持ちにならないと…)
そんなことってあるのだろうか、とブルーは前の生での膨大な記憶を遡ってみる。
本物の恋人同士の時間を過ごす時のキスは論外、何の参考にもなってはくれない。当然のようにキスを何度も交わしていたし、強請ればいくらでもキスしてくれた。強請るまでもなくキスの雨が降り、唇だけでは済まなかった。
(えーっと…。他に頼まなくてもキスされた時は…)
そちらも星の数ほどあったが、キスを貰ったら恋人同士の時間の始まり。ハーレイの逞しい腕に抱き上げられてベッドに行くのが普通だったし、これまた全く参考にならず…。
(…キスだってして貰えないのに、キスの先までセットだなんて…)
おやすみのキスだけで充分なのに、と思ったけれども、ハーレイと一緒に寝ていない以上、そのキスは貰えそうにない。本当に触れるだけのキスでいいのに…。
(……あっ!)
そういえば触れるだけのキスを何度も貰った。おやすみのキスとは違って、起きる前のキス。
ハーレイと同じベッドで眠って、ハーレイが先に目覚めた時。今と同じ虚弱体質だったブルーはいつもハーレイのキスで起こされていた。「もう朝ですよ」と。「起きられますか?」と。
恋人同士の熱い時間を過ごした翌朝は言うに及ばず、ただ寄り添い合って眠っただけの次の日もハーレイはブルーの身体を気遣う言葉をかけつつ、唇にキスをしてくれた。ブルーがしっかり目を覚ますまで、幾度も幾度も、触れるだけのキスを。
(…そっか、寝ている時ならいいかも!)
もしもブルーが眠っていたなら、ハーレイは思い出すかもしれない。前の生でブルーが目覚めるまでキスを繰り返したことを。まるで小鳥がついばむかのように、優しいキスを降らせたことを。
(うん、キスしたくなるかもしれないよね!)
なにより自分はぐっすり眠っているわけなのだし、キスされたことにも気付かないように見えるだろう。慎重なハーレイだけに声をかけてみて、それで反応が返らなかったら…。
(……ぼくにこっそりキスをするかも!)
その可能性は大いにある、とブルーは自分の素晴らしいアイデアに拍手を送りたくなった。
唇に欲しい触れるだけのキス。ぐっすり眠ったふりをして待てば、優しいキスを貰えるかも…!
名案を思い付いたからには、少しでも早く実行したい。つらつらと考えごとをしていたこの日はハーレイが午後から訪ねて来る日。午前中は柔道部を指導し、昼食の後にプールで軽く泳いでからブルーの家へ。
夏真っ盛りの日射しの下を学校から歩いて来たハーレイは全く疲れの色も無いのだが、ブルーは母が運んで来たアイスティーを半分だけ飲んでわざと欠伸をしてみせた。
「どうした、ブルー? 今日は眠そうだな」
「うん…。昨夜、ちょっと夜更かししちゃって」
欠伸も夜更かしも、もちろん嘘だ。しかしハーレイは疑いもせずに。
「いかんな。いくら夏休みでも生活は規則正しく、だ。それでは丈夫になれないぞ」
「でも…。この本を見てると止まらないんだもの」
「なるほどな。…お前の気持ちは分からんでもない」
ブルーが差し出した本は父に強請って買って貰ったシャングリラの写真集だった。歴史の彼方に消えた白い船だが、ミュウの始まりの船だけあって資料は豊富に残されている。懐かしい青の間、天体の間にブリッジ、公園。そして様々な角度から撮られた船体の背景は宇宙空間や惑星で。
「ね? どの写真だって何時間でも飽きずに見ていられるから…」
「しかし夜更かしは感心せんぞ」
眉間の皺を深くするハーレイの前で、ブルーはもう一度小さな欠伸をした。
「つい、うっかり…。気が付いたら二時になっちゃってたんだ」
「馬鹿! それで欠伸か、疲れたんだろう」
「…そうみたい…。ちょっとだけベッドで寝てきてもいい?」
ダメかな? と上目遣いに見上げれば、ハーレイは「そう言ってる間にさっさと寝ろ」と壁際のベッドを指差した。
「適当なトコで起こしてやる。…今から寝るなら四時頃か?」
「三時半でいいよ、ママがおやつを持ってくるから」
「分かった、分かった。食い意地だけは張ってるんだな、いいことだ」
おやつでもいいから沢山食べろ、と笑うハーレイに「これ」とシャングリラの写真集を渡した。
「ハーレイも同じの持ってるよね? だけどハーレイが暇を潰せそうな本、これしか無いんだ」
「そうか。じゃあ、遠慮なく借りておくとしよう。早く寝てこい」
「…うん。ごめんね、ハーレイ」
そう言ってベッドにもぐり込み、目を閉じる。おやすみのキスは貰えなかったが、作戦は上手くいきそうだ。とにかく寝たふり、眠っているふりをしなければ…。
ぱらり。ハーレイが写真集のページをめくる音が時々聞こえる。ブルーと同じでハーレイもあの写真集に見入っているのだろう。ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握った船を。
ハーレイが見ている写真はどれだろうか、と想像するだけで意識が冴えるから眠ってしまう心配はない。その計算もあって選んだ本だ。
(ブリッジかな? キャプテンの席かな、それとも舵?)
あるいは青の間なのかもしれない。かつて二人で眠ったベッドの写真を見ているかも、と思うと胸の鼓動が早くなる。それでも懸命に寝たふりを続けている内に、ノックの音と母の声がして。
「あら? まあまあ、この子ったら…。申し訳ありません、ハーレイ先生」
「いえ、私ならかまいませんよ。ソルジャー・ブルーは十五年も眠っていましたからね。…あれに比べたら丸一日でも短いものです」
「それもそうかもしれませんわね。でも、お行儀の悪い子ですみません」
起きたら叱ってやって下さい、と母が去ってから五分ほど経った頃だろうか。
「おい、ブルー。三時半だぞ、おやつも来たが?」
軽く肩を叩かれ、「うーん…」と身じろぎだけして丸くなる。
「ブルー? こら、ブルー!」
「…んん……。ハーレ……イ…。もう…ちょっと……」
この台詞には自信があった。前の生で起きたくないと甘える時に何度も口にした言葉。ついでに表情も再現するべく、瞼は閉じたままで唇を微かに開けて柔らかな笑みを。
ハーレイが息を飲んだのが気配で分かった。
「…ブルー……?」
僅かに掠れたハーレイの声。低く、耳元で囁くように。
「……ブルー?」
「……ん……。あと……少し……」
眠い、と告げて「いや、いや」と首を左右にゆっくりと振れば、ハーレイの大きな手が頬を包み込む。そう、この後がブルーが待ちに待った優しい口付け。「起きる時間ですよ」と告げて温かい唇でブルーの唇を覆い、目覚めを促すための口付け。
(やった…!)
釣れた、と歓喜するブルーの唇に口付けは降って来なかった。代わりに頬を両側からギュウッと押されて、多分、とんでもない顔にされたと思う。見た人がたまらず吹き出すほどの。
「ちょ、ハーレイ!」
何するの、と叫んだブルーに答えが返った。
「残念だが、そいつは俺の台詞だ。…よくも騙したな、このハコフグめが」
よりにもよってハコフグだなんて。押し潰された自分の顔を形容するあまりな言葉に、ブルーはグウの音も出なかった。
「うん、実に見事なハコフグだったな」
ハコフグが嫌ならヒョットコでもいい、とハーレイは更に酷いモノを持ち出してきた。どちらにしてもブルーの顔は見られたものではなかったのだろう。
唇にキスを貰うどころか顔をオモチャにされたブルーは拗ねて唇を尖らせたけれど、ハーレイは「いいのか、ますますハコフグになるぞ」と笑いながらブルーの頬を指でつついた。
「膨れるともっと似ると思うが、お前、ハコフグになりたいのか? あれもなかなか可愛いが」
「ハコフグじゃないし!」
プウッと頬っぺたを膨らませてしまい、ますますハーレイの笑いを誘う。
こんな筈ではなかったのに。予定通りならハーレイの優しいキスをせしめて御機嫌で目を覚ます筈だったのに…。恋人を捕まえてハコフグだなんて、どうしてこうなってしまったんだろう?
自己嫌悪に陥りそうなブルーだったが、ハーレイの方は心得たもので。
「ん? …まあ、ハコフグに右の手は無いな」
ほら、と右手をキュッと握られた。
前の生で最後にハーレイに触れた手。生の最期に撃たれた痛みでその温もりを失くし、冷たいと泣いたブルーの右の手。その手を握って貰うと嬉しい。ハーレイの温もりがとても嬉しい…。
癪だけれども、嬉しくなる。ハコフグ呼ばわりもどうでもよくなるくらいに。
「…で、お前は何を企んでたんだ? 夜更かしからしてどうやら嘘のようだが」
「…………」
そこまで喋ってたまるものか、とブルーは黙り込んだのに。
「言えないのなら俺が代わりに言ってやろうか? …お前、俺を釣ろうとしていただろう」
「えっ?」
「図星だな。正直、俺も騙されかけた。いや、前世のお前を思い出したと言うべきか…。だがな、そう簡単には釣られんぞ。お前の心は正直すぎだ。前のお前なら考えられんが」
ハーレイが息を飲んだのを聞いた直後から、ブルーの心は期待に溢れた喜びの思念を振り撒いてしまっていたらしい。ゆえにタヌキ寝入りをしているとバレて、その目的まで見抜かれた次第。
「……バレちゃってたんだ…」
「そういうことだ。どうだ、文句があるか、ハコフグ」
「……ごめんなさい……」
シュンと俯いたブルーの頭をハーレイはポンポンと軽く叩いた。
「俺がお前にキスをしない理由は何度も教えたな? なのに釣ろうとは二十三年ほど早いんだ」
もう少し経てば二十四年か、と自分とブルーとの年の差を挙げてニヤリと笑う。
「俺を釣るには色気と修行がまだまだ足りない。大きく育って出直してこい。…なあ、ハコフグ」
ハコフグは釣るんじゃなくって釣られる方か、と散々笑われ、ブルーの企みは見事に砕けた。
大好きなハーレイの台詞でなければ泣いたかもしれないハコフグ呼ばわりのオマケつきで。
優しいキスを貰う夢は破れて、頬っぺたまで潰されてしまったけれど。
ハコフグにされてしまったけれども、それでもハーレイを大好きな気持ちは変わらない。
「…ねえ、ハーレイ。ハコフグって、本物、見たことあるの?」
図鑑でしか知らない魚の名前を尋ねてみたら。
「あるぞ、それも水族館じゃない。海に行けばな、運が良ければ出会えるんだ」
「ハーレイ、釣ったの?」
「いや、本当に出会ったのさ。俺が潜って泳いでいたらな、バッタリとな」
俺も驚いたが向こうもビックリしたと思うぞ、と懐かしそうな目をするハーレイは海の中で岩の角を曲がった途端にハコフグと対面したらしい。
「今の地球の海はハコフグまで棲んでいるんだな。…俺がシャングリラで辿り着いた頃には青い海すら無かったのにな…。おまけに今の地球だと陸の上にまでハコフグが居るな」
「…それ、ぼくのこと?」
「ああ。俺の大事なハコフグのことさ、銀色の髪で赤い瞳のな」
ゆっくりでいいから大きくなれよ、とハーレイの手がブルーの両の頬を優しく包んだ。
「俺を見事に釣り上げられる美人に育つ日を待ってるからな。…それまではキスはお預けだ」
「…うん……」
「もっとしっかり返事しろ。しっかり食べて大きくなったら、嫌というほどキスしてやるから」
……それまではキスは額と頬だけだ。
いいな、ハコフグ。
酷い呼び名をつけられたけれど、好きでたまらないハーレイの声でそう呼ばれるとハコフグでもいいと思ってしまう十四歳の小さなブルー。
ハコフグ扱いは多分、今日だけ。
しかし欲しくてたまらない唇へのキスは、いつ貰えるのか分からなかった。
けれどいつかは必ず貰える。死の星だった地球の海でさえ、今はハコフグが棲むのだから。
その地球の上に生まれ変わってハーレイと再会を果たしたブルーの夢が叶わない筈が無い……。
貰いたいキス・了
※ブルー君、キスを貰い損ねた挙句にハコフグですが…。チビですからねえ?
今月は第5月曜がございますので、年末にもう一度更新がありますです。
そして、ハレブル別館とは無関係ですけど、作者が書き手になったルーツ。
諸悪の根源だか、原点だかのコメディが毎年クリスマスの公開となっております。
覗いてみたい方は、下のバナーからどうぞv
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