シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
今年もいよいよ夏休み。昨日は恒例の宿題免除アイテムの店で会長さんがガッポリ儲け、今日は朝から会長さんの家のリビングで夏休みの計画を相談しています。数日後には柔道部の合宿が始まり、それに合わせてジョミー君とサム君が璃慕恩院へ修行体験ツアーに行くのですけど。
「…なんだか暗いねえ、副住職」
どうしたんだい、と会長さんの問い。えっ、キース君、暗いですか? 普段通りだと思いますけど…。あれっ、でもギクッとしているような?
「………。なんで分かった」
「そりゃあ、付き合い長いしさ…。それに溜息が今ので五回目」
「「「五回目!?」」」
やっぱり誰も気付いてなかったみたいです。だって朝から普通にコーヒー片手に夏休みプランを練ってましたし、お菓子もパクパク食べてましたし…。
「まあ、一般人にまで見抜かれるようじゃ副住職も失格ってね。自分の悩みは胸にしまって檀家さんと接してこその職業だしさ。…で、溜息の理由は何かな?」
吐いてしまえば楽になるよ、と会長さんが促すと、キース君はフウと溜息を。
「…すまん、今ので六回目なのか? 実は親父が」
「卒塔婆を押し付けてきたのかな? 今年もそういうシーズンだもんねえ」
百本単位? と尋ねる会長さんですが、キース君は首を左右に振って。
「卒塔婆書きなら根性で書けば何とかなる。…しかし、俳句は…」
「「「はいく?」」」
えーっと、ハイクってハイキングとかヒッチハイクとか? なんでそんなモノが、と首を傾げる私たちの姿にキース君は「ははは…」と力ない笑い。
「だよな、俺たちの年はともかく、外見だったらそっちだよな…。いや、実年齢で行っても早過ぎかもしれん。親父が言うのは五七五だ」
いわゆる俳句、とキース君の溜息、七回目。
「住職仲間の俳句の会があってな、親父も籍を置いている。お前もそろそろ入会しろ、と先月頃からうるさくて…。お盆が済んだら句会があるから、そこで仲間に紹介すると」
「入会すればいいじゃないか」
俳句もたしなみの一つだよ、と会長さんが返すと、キース君は八回目の溜息と共に。
「入会したら最後、フリータイムが削られるんだ! 親父は住職だけに仕事が多くてフットワークが軽くはないが、俺は基本が学生だろう? だから大いに参加すべし、と背中をバンバン叩かれた」
月例句会に吟行会に…、と指折り数えるキース君。お寺の住職ばかりの会だけに、平日をメインに沢山企画があるそうです。全部に出席するとなったら、それは確かに大変かも…。
キース君を見舞った俳句な危機。毎週、三日ほど有志が集う催しがあって、どれに出席するのも自由。住職をしている会員さんたちは月参りやお葬式などで忙しいですし、そんな人でも月に一回くらいは出られるようにと予定が多め。でも、キース君は学生ですから全て出席可能です。
「そんな会に無理やり突っ込まれてみろ、学校の方がどうなるか…。柔道部の方も休みがちになるし、俺の人生、真っ暗なんだが」
「だったらサボればいいだろう?」
適当に、と言う会長さんにクワッと噛み付くキース君。
「簡単に言うな、簡単に! 銀青様には分からんだろうが、この手の会は下っ端の仕事が多いんだ。上の方の人は予定を組むだけ、手配するのは下っ端だ。新入会員の若手となれば確実にお鉢が回って来る。しかも暇人なら尚更なんだ!」
会が無い日も連絡係やら取りまとめやら…、と溜息はもはや九回目。
「俺の平日は確実に削られ、フリータイムにも遠慮なく連絡が来まくるぞ。でもって合間に俳句を作らにゃならんし、それも他の会員よりも多めに要求されてくるよな」
「そうだろうねえ、集まりの度に披露は必須だ」
吟行会ならその場で一句、と会長さんが楽しそうに。
「行った先の景色や見たものを織り込んで一句捻るのもいいものだよ? 今日のお菓子は抹茶パフェだけど、これでも充分作れるよね」
夏ならではのガラスの器に、よく冷えた器に浮かぶ露に…、と会長さんはスラスラと。
「はい、一句出来た。こんな感じで即興でいけばいいんだよ」
「「「………」」」
何処から出たのか、立派な短冊。筆ペンで書き付けられた俳句は達筆過ぎて読めません。けれどキース君には読み取れたようで、盛大な溜息、十回目。
「…なんで抹茶パフェからコレが出るんだ…。何処から見ても夏の茶会だ」
それも涼しげな、と読み上げられた句にポカンと口を開ける私たち。打ち水をした露地がどうとかって、これが抹茶パフェからの連想ですか! 会長さんって凄すぎなのでは…。
「ふふ、ダテに銀青の名は背負ってないさ。…だけどキースには少々ハードル高いかな?」
「少々どころか高すぎだ! お盆が済んだら海の別荘だが、その後に句会に連れて行かれて俺の自由は無くなるんだ…」
明けても暮れても俳句漬けの日々、と十一回目の溜息が。そっか、キース君と予定を気にせず遊びまくれる日はもうすぐ終わりになるんですねえ…。
アドス和尚が住職として元老寺にドッシリ構えている以上、いつまでもシャングリラ学園特別生として自由なのだと思い込んでいたキース君の未来。それがいきなり断ち切られるとは夢にも思っていませんでした。それも俳句の会のお蔭でバッサリだなんて、フェイントとしか…。
「俺だって降って湧いた災難なんだ…。まさか俳句の会が来るとは…」
そういう趣味は持ってないのに、と嘆きつつ、溜息はついに十二回目です。気の毒ですし、私たちだって今までどおりの毎日を送りたいですけど、アドス和尚には逆らえませんし…。
「いいんだ、お前たちに頼ってどうなるものでもないからな。…これで終わった、俺の人生…」
俳句と共にはいサヨウナラ、と何処かで聞いたようなフレーズが。会長さんがクスクスと…。
「この世をば、どりゃお暇に線香の煙と共に灰さようなら、……ね。辞世の句としては最高傑作に入ると思うんだけどさ、君はサヨナラしたいわけ?」
「誰がしたいか! だがな、親父はこうと決めたら梃子でも動かん」
「そうだろうねえ…。じゃあ、起死回生のチャンスに賭けてみる?」
「…何のことだ?」
手があるのか、と縋るような目のキース君に、会長さんは。
「ぼくを唸らせるような名句を詠むか、別の意味で思い切り感動させるか。どっちかが出来たら手を貸してもいい。…アドス和尚が君を俳句の会に入れないようにね」
「本当か!?」
「こんなことで嘘はつかないよ。…ところで大食いに自信はあるかい?」
「…大食いだと?」
それが俳句とどう関係が、とキース君の頭上に『?』マークが。私たちだって同じですけど、会長さんはニッコリ笑って。
「ざるそばが美味しい季節なんだよ。新そばと言えば秋だけれどさ、この季節にも夏新そばが採れるわけ。風味じゃ秋に負けていないし、そもそも暑い夏にはざるそば!」
それを思い切り食べ放題、と会長さんが指をパチンと鳴らすと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「かみお~ん♪ 今日のお昼は手打ちそばなの! 十割蕎麦だよ」
採れたての蕎麦粉、百パーセント! と運ばれて来ました、お昼御飯はざるそばです。ワサビもその場ですりおろす本格派。とっても期待出来そうですけど、これが俳句とどう繋がると?
「とにかく食べてよ、美味しい内にね。お代わりもどんどん出来るから」
遠慮なくどうぞ、と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に勧められるままに。
「「「いっただっきまーす!!!」」」
とりあえず、まずは食べなくちゃ。腹が減っては戦が出来ぬと言いますもんね!
手打ちざるそばのお昼は最高でした。凝ったお料理やお洒落なパスタもいいですけれど、たまには素材で勝負です。おそばの産地まで行って買って来たんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が自慢するだけあって風味たっぷり、ワサビも新鮮。
「美味しかったー! 何枚食べたっけ?」
数えてなかった、とジョミー君が苦笑するほど男の子たちはお代わり三昧。スウェナちゃんと私も量控えめでお代わりしましたし、新そば、クセになりそうですよ~。
「それはよかった。これならキースも何枚食べても平気かな?」
「「「は?」」」
山と積まれたザルを前にして微笑んでいる会長さん。もしや、さっきの大食いの話は…。
「ざるそばを食べまくって量で感動させるか、名句を詠むか。…それが出来たら、ぼくがキースに手を貸そう。他のみんなは普通に食べればいいからね」
「…待て。俺だけがそばを食べまくるのか?」
「うーん…。そういうわけでもないんだけれど、君以外はペナルティー無しって言うか…。ついでに女子は除外しようかな、誘導係も必要だから」
「「「誘導係?」」」
ざるそばを盛るとか、カウントするとかの係じゃなくて誘導係? いったい何を考えているのでしょうか、会長さんは?
「誘導しないと好き勝手な方に行っちゃうからねえ、アヒルってヤツは」
「「「アヒル?!」」」
ざるそばとアヒルがどう結び付くのか、サッパリ分かりませんでした。しかし、会長さんは指を一本立てて。
「ぶるぅが最近ハマッてるんだよ、アヒルレースに。マザー農場で始まっただろう?」
「あー、この夏の期間限定…」
チラシで見た、とジョミー君。私も折り込みチラシで見ました。アヒルちゃん大好きな「そるじゃぁ・ぶるぅ」が喜びそうなイベントだな、と思っていたら既にお出掛け済みでしたか!
「気が向いた時にヒョイと出掛けて、1レース見て帰ってくるわけ。あれでなかなか奥が深いよ、大穴はおろか本命も当たらないんだな」
「ぼくもブルーも負け続きなの! 一回くらいは勝ちたいなぁ…」
お金は賭けてないんだけれど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。レース会場への入場料で馬券ならぬアヒル券ゲットらしいです。勝てば賞品として新鮮なミルク飲み放題とか、揚げたてコロッケ食べ放題とかだそうですが…。
「あんたならサイオンでレースくらいは弄れるだろう?」
なんで負けが、とキース君が尋ね、私たちもコクコク頷きました。賭けたアヒルを突っ走らせることは無理かもですけど、他のアヒルのコースを妨害する程度なら出来そうです。
「それがね…。相手はマザー農場だろう? 職員は全員、サイオンを持った人ばかりだ。何のはずみでレースに影響を与えてしまうか分からない。そうなった場合、反省会があるんだよ」
それに備えてサイオンの検知装置を仕掛けてある、と会長さん。
「あれはサイオンのパターンを分析できるし、影響したのが誰のサイオンなのか即座に分かる。ぼくもぶるぅも例外じゃない。…アヒルレースに来てズルをしました、というのは不名誉なことだと思わないかい?」
「あんた、一応、ソルジャーだっけな…」
「確かにカッコ悪そうですね…」
シロエ君が苦笑いすると、サム君も。
「引っ掛かったのがぶるぅの方でも、監督不行き届きって言われそうだぜ」
「そういうこと! だから盛大に負けっぱなしで、この夏の間に勝てるかどうか…」
一度は勝って食べ放題、と会長さんが御執心なものはミルクや揚げたてコロッケではなく、単なる万馬券、いえ、万アヒル券というヤツでしょう。夏休みに入れば参加者も増えますし、その分、出やすくなるかもです。でも…。ざるそばとアヒルの関係の答えにはなってませんよ?
「ああ、そこは直接の繋がりは無いよ。…アヒルレースに通ってるからヒョコッと思い付いたってだけのことだしね」
「何を?」
分かんないよ、とジョミー君が直球を投げると、会長さんは。
「ん? ヒントは歌と水鳥かなぁ」
「「「…歌と水鳥?」」」
なんじゃそりゃ、と答えはますます藪の中。歌は俳句で水鳥はアヒルのことでしょうけど、ざるそばの歌ってありましたっけ? 少なくとも私たちがカラオケで歌うような流行りの曲ではなさそうです。んーと、演歌か、それとも民謡…?
「違うね、演歌でも民謡でもない。歌と言ったら三十一文字だよ、かるた大会で毎年、下の句を奪い合うだろう?」
「まさか……和歌か? 俳句を通り越して?」
そっちは俺はまるで詠めない、と白旗を上げるキース君。会長さんを感動させる名句を詠むか、ざるそば大食いで感動させるかが条件です。キース君、大食い決定ですかねえ?
俳句どころか和歌を詠む羽目に陥りそうなキース君はズーン…と落ち込み、それでもグッと両の拳を握り締めると。
「俺も男だ、チャンスを逃すつもりはない。和歌がダメなら大食いで行く!」
「そう焦らずに、話は最後まで聞きたまえ。…確かに和歌とは言ったけれどね」
和歌はアヒルと関係が深い、と会長さんはパチンとウインク。
「アヒルじゃないのは確実だけどさ、アヒルも水鳥の内だから…。水鳥っていう括りでいくとね、和歌との繋がりが生まれるわけ。…曲水の宴って知ってるかい?」
「…アレか、酒の入った盃を小川に浮かべて、自分の前に流れて来るまでの間に和歌を作るというヤツか? 俺はこの目で見た事はないが」
神社のイベントとかでよくあるな、とキース君が答え、私たちの知識もその程度。テレビのニュースなどで目にする程度で、特に興味は無かったのですが。
「それで間違ってはいないんだけど…。盃を直接浮かべるわけじゃないんだよ」
「「「えっ?」」」
違ったんですか、そうだとばかり思ってたのに…?
「盃じゃうまく流れない。それで盃を木の台に乗せて流すというのがお約束。その台のことを羽觴と言ってね、水鳥の形をしているんだな」
「「……ウショウ……」」」
「ウは鳥の羽根で、ショウが盃。漢字で書くとこうなるんだけど」
会長さんがメモに書いてくれた『羽觴』の文字はとても覚えられそうにありませんでした。鳥と盃、鳥と盃……。ひょっとして会長さん、曲水の宴をするつもりだとか?
「ご名答。俳句で追い詰められたキースのために、和歌の代わりに俳句を詠んで曲水の宴! ついでに羽觴は本物のアヒルで」
「「「!!!」」」
それで誘導係が必要だなんて言ってたのですね、分かりました。でも、ざるそばは…?
「アヒルの背中に盃じゃ小さすぎるだろう? アヒルにはザルを背負ってもらう。十割蕎麦を盛り付けたザルを背負ってアヒルが流れを下ってくるんだ」
「じゃ、じゃあ、ぼくたち、俳句を作ってざるそばを…?」
ざるそばはともかく俳句は無理! とジョミー君。けれど会長さんはニッコリと。
「そこはきちんとハンデがつくよ。キース以外は詠めなくっても、ざるそばを食べるだけでいい。これ以上もう食べられない、となったら宴を抜けるのもOKだ。でもね…」
キースはそうはいかない、と会長さんの目が据わっています。ハンデ無しのキース君、どうなっちゃうの…?
ざるそばを背負ったアヒルが泳いでくるらしい曲水の宴。和歌の代わりに俳句を詠めばいいそうですけど、詠めなくっても罰は無し。その例外がキース君で。
「曲水の宴はキースが俳句の会から逃れられるかどうかを賭けたイベントだ。つまり主役はキースになる。主役が敵前逃亡はマズイ。キッチリ俳句を詠まなくちゃ」
制限時間内に、と会長さんの赤い瞳が悪戯っぽく輝いています。
「曲水の宴はルールにもよるけど、歌を詠めなかったら罰盃っていう時もある。それに因んでキースも罰盃! 俳句を詠み損なった場合は、ざるそば追加で」
二枚食べろ、と会長さん。
「そして宴は一回きりではないからね? さっき言ったろ、他の男子は抜けるのもアリ、って。君が名句を見事捻り出すか、でなきゃ感動の大食いエンドか。どっちかになるか、あるいは君が棄権するまでアヒルは何度でも泳いでくるから」
「「「………」」」
凄すぎる、と私たちはゴクリと唾を飲み込み、キース君の顔を凝視しました。こんな恐ろしい宴でもキース君は参加するのでしょうか? それとも諦めて俳句の会に御入会…?
「…受けて立とう」
後ろは見せん、と言い切ったキース君に誰からともなく拍手がパチパチ。会長さんは満足そうに。
「うん、それでこそ男ってね。ぶるぅ、手打ちそば、打ち放題だよ」
「わーい! アヒルちゃんが背負ってくれるんだね!」
頑張るもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びです。アヒルは会長さんがマザー農場から借りるそうですけど、会場になる小川は何処に…?
「それなんだけどさ…。マツカのお祖父さんの別荘に池と小川があったよね? アルテメシアの北の方の…。貸して貰えると嬉しいんだけど」
「いいですよ。いつにしますか?」
空いている日を調べさせます、とマツカ君が執事さんに連絡を取り、曲水の宴の日が決まりました。柔道部の合宿とジョミー君とサム君の修行体験ツアーが終わった二日後、マツカ君のお祖父さんの別荘で。本物のアヒルとざるそばだなんて、ぶっ飛び過ぎてる気もしますけどね。
こうして男子たちが合宿へ、修行へと旅立った後、スウェナちゃんと私は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお供で夏を満喫。フィシスさんも一緒にプールに行ったり、教頭先生の車でドライブしたり。もちろんマザー農場のアヒルレースにも参加して…。
「うーん、今日もやっぱり負けが込んだか…」
大穴なんか狙うんじゃなかった、と呻く会長さんにフィシスさんが。
「レースの前に言いましたでしょ? 私と同じアヒルに賭ければ間違いありませんわ、って」
「君を信じないわけじゃないけど、大穴は男のロマンなんだよ」
「かみお~ん♪ 大穴、狙わなくっちゃね!」
夏の間には絶対、勝つ! と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」。占いの名手、フィシスさんの助言も聞かないようでは勝てないのでは、と思うのですけど…。
「あんな調子で勝てるのかしら?」
スウェナちゃんも同じ意見のようです。
「そうでしょ、なんだか危なそうよね…」
負け続けで終わりじゃないかしら、と返していると、フィシスさんが。
「私もそれに賛成ですわ。ギャンブルは確実に勝ってこそですの、万馬券よりコツコツ地道に」
今日は揚げたてコロッケに致しましょうか、とフィシスさん。お告げに従って同じアヒル券を選んだスウェナちゃんと私は揚げたてコロッケ食べ放題のコースです。食堂に行ってチケットを見せ、熱々を頬張る私たちの前では、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が串カツを。
「ね、ぶるぅ。食べ放題より色々と食べる方が楽しいよね」
「うんっ! 串カツの次はポテトがいいな♪」
今日も沢山食べるんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌でした。こんな二人に勝利の女神が微笑む日なんて来るのでしょうか? 無理じゃないかな、この夏いっぱい…。
アヒルレースに興じる内に日は過ぎ、精悍な顔になった柔道部三人組とサム君、憔悴しきったジョミー君の御帰還です。歓迎パーティーで一日が潰れ、その翌日が曲水の宴の最終打ち合わせ。明日は瞬間移動でマツカ君のお祖父さんの別荘へ出掛け、其処でアヒルとざるそばと…。
「女子はアヒルの誘導を頼むよ、違う方向へ行こうとしたらコレをね」
目の前にポイと投げるだけ、とアヒルが大好きな穀物、オートムギの袋が示されました。なんとも楽なお役目です。男の子たちは小川の側に座ってアヒルが来るのを待ち、アヒルの背中からざるそばのお皿を取って渡す役目は会長さんが。
「ついでに俳句も採点ってね。キースの短冊が白紙だった時は、ざるそば追加! 他のみんなはペナルティー無し、好きなだけ新そば食べ放題で」
「「「やったぁ!」」」
「くっそぉ、明日は絶対に勝つ!」
何処かで聞いたような台詞をキース君が口にし、大食いだか名句作りだかに燃えてますけれど。
「えーっと…。追加二名でお願いできる?」
「「「!!?」」」
誰だ、と一斉に振り返った先でフワリと翻る紫のマント。会長さんのそっくりさんがスタスタと部屋を横切り、ソファにストンと腰掛けて。
「ぶるぅ、ぼくにもアイスティー」
「オッケー! それとお菓子もだね!」
待っててね、と駆けて行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」がアイスティーとグレープフルーツのシャルロットのお皿を運んで来ました。ソルジャーはウキウキとシャルロットにフォークを入れながら。
「明日のイベント、ぼくとハーレイも来たいんだけど…。ざるそばの量は足りるよね?」
「何を考えているのさ、君は!」
そんなにざるそばが食べたいのか、と会長さんが叫ぶと、ソルジャーは。
「ざるそばじゃなくて、なんだっけ…。俳句だったっけ? それがやりたい」
「「「へ?」」」
なんでまた、と目が点になる私たち。ソルジャーとキャプテン、俳句なぞとは全く縁がなさそうですけど、いつの間にか始めていたのでしょうか?
「五七五で詠めばいいんだろ? 本式のヤツだと長すぎて無理だけど、そっちだったら出来るでしょう、ってノルディに言われてやりたくなった」
「「「………」」」
よりにもよってエロドクター。なんで何処から、エロドクターが湧いたんですか~!
「なんだか面白そうだったしさ…」
アヒルでざるそば、とソルジャーはシャルロットをモグモグと。
「あっちで覗き見してたんだよね。それでどういうイベントなのかが気になって…。ノルディにランチのお誘いをかけて質問してみた」
「…それで?」
冷たい口調の会長さんですが、ソルジャーが怯むわけもなく。
「お勧めですよ、と言ってたよ。なかなかそういうチャンスは無いから、この際、ぜひとも雅な雰囲気を体験なさってきて下さい、と」
「…全然、雅じゃないんだけれど?」
「分かってる。でもさ…。ノルディが言うには、俳句に変更されている分、初心者でも参加しやすいって…。ぼくもハーレイも一応、稽古はしてるんだ」
五七五のね、とまで食い下がられては断れません。下手に断ったらSD体制がどうこうという反論不可能な必殺技が出るのも必至。会長さんは頭を抱え、キース君も額を押さえていますけれども…。
「…仕方ない…。二人追加だね、君とハーレイ」
「ありがとう! ハーレイもきっと喜ぶよ。明日は遅刻しないよう気を付けるから」
今夜は控えめにしておくね、と言うなりソルジャーは消えてしまいました。お皿は空っぽ、アイスティーもしっかり飲み干してしまって氷だけが。
「なんで、あいつらまで来やがるんだ…」
俺の人生が懸かっているのに、とキース君は深い溜息。ことの始まりの最初の溜息からカウントしたら何十回目だか、とっくの昔に数百回を越えて増殖中か。恐らく家でも吐いてるでしょうし、千の大台に乗ってるのかな…?
キース君の苦悩とはまるで無関係に乱入してきたソルジャー夫妻。翌日の朝、会長さんのマンションに行くと私服の二人が先に到着していました。
「おはようございます。初心者ですが、今日はよろしくお願いします」
「ぼくも初心者だし、お手柔らかにお願いするよ。あ、キース以外はペナルティー無しだね」
心配無用か、と手を握り合って二人はイチャイチャ。こんなバカップルに割り込まれた日には、キース君、名句を捻り出すどころじゃないかも…。
「くっそぉ…。シャットアウトだ、あいつらは視界から消してやる!」
集中あるのみ、とキース君が睨み付ける先にアヒルのケージが。マザー農場から借りて来たアヒルが一羽、のんびり座って羽づくろい。
「かみお~ん♪ お蕎麦の用意も出来たし、お出掛けする?」
「そうだね、キースの覚悟も決まったようだ」
出掛けようか、と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにゲストのソルジャーの青いサイオンが重なり合ったかと思うと身体が浮いて…。瞬きする間にマツカ君のお祖父さんの別荘の庭に到着です。執事さんが手配しておいてくれたらしく、小川の脇には緋毛氈を敷いた席が七ヶ所。
「いいねえ、すぐにでも始められそうだ。席順はどうする?」
お好きにどうぞ、と会長さん。
「積極的に詠みたがってる初心者を最初に据えるかい? キースの自信がつきそうだけど」
「え、その初心者って、ぼくたちのこと?」
それは照れるな、とソルジャーがキャプテンを見上げると、キャプテンも。
「そうですねえ…。出来れば目立たない最後の方が…」
「だよね、お前もそう思うよねえ?」
「乱入しといて選ぶ権利があると思うわけ!?」
今日の主役はキースだから、と会長さんが眉を吊り上げ、キース君は。
「…いや、初心者を踏み台にして詠んでいたのでは名句はとても…。俺は何処でも気にしない。場に飲まれるようでは大食いの道しか無いと言うことだ」
「ふうん? いい覚悟だねえ、評価はしよう。それじゃ、ブルーはハーレイと一緒に最後の二ヶ所に行くんだね?」
「うん。ハーレイが川上に座るんだ」
「へえ…。なかなかに度胸があるねえ」
こっちのハーレイとは大違い、と教頭先生のヘタレっぷりと比べて会長さんがクスクスと。バカップルの席は決まりましたし、後は適当に散るようですよ~!
キース君が選んだ席は男子五人のド真ん中。ジョミー君、サム君と流れてきた後に一句を詠んで、次へと流すポジションです。詠んだ俳句は短冊に書き、会長さんに手渡す仕組み。全員が席に着き、ざるそばを背負ったアヒルがスタートして…。
「ダメだったぁ~!」
詠めなかった、とジョミー君があっさりギブアップ。会長さんがアヒルの背中から取ったざるそばを麺つゆにつけてズルズルと。新しいザルを「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッと会長さんに手渡し、アヒルが背負ってサム君の前へ…。あっ、ダメダメ、そっちじゃないってば~!
「ナイス! そんな調子で誘導よろしくお願いするよ」
投げ込んだオートムギを食べるべく、アヒルはクルッと軌道修正。サム君の前でざるそばが取られ、サム君は会長さんに白紙の短冊を。やはり簡単には一句詠めないみたいです。
「さてと、キースはどうなるやら…」
鼻でせせら笑う会長さんの声にも無反応なキース君が短冊に筆を走らせ、アヒルが前に到着しました。ざるそばを渡した会長さんが「追加は無しか…」と舌打ちをして短冊に手を。
「俳句の出来はそこそこかな? まあ、頑張って」
「分かっている。いきなり名句が捻り出せたら苦労はせん」
今の一句はウォーミングアップだ、と嘯いているキース君。次の場所に陣取ったシロエ君も負けじと提出したようです。その次のマツカ君も心得があるらしく、会長さんが笑顔で短冊チェック。アヒルはいよいよ初心者なキャプテンの前に到着ですが…。
「頑張ります!」
「「「は?」」」
何も声に出して気合を入れなくても、とドッと笑いが広がる中で、キャプテンは。
「今日もあしたも、ヌカロクで!」
バシャッ! と水音が響き、会長さんが滑らせた手からざるそばがザルごと小川の中へ。
「あーーーっ、ブルー、落っことしちゃダメーーーっ!」
素早く「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで拾い上げたものの、食べるのはどうかということで交換に。い、今、なんて言いましたっけ、キャプテンは? 短冊を渡された会長さんの顔が引き攣っています。
「え、えーっと…。これは何かな…?」
「俳句ですが?」
五七五にしたつもりなのですがダメでしょうか、とキャプテンは至極、大真面目。俳句ってあんなのでしたっけ? それにヌカロクって何なのでしょうか、未だに分かってないんですけど…。
斜め上な俳句をかましてくれたキャプテンでしたが、悪意はまるで無いようです。会長さんは頭痛を堪えてアヒルの背中にざるそばを乗せ、終点のソルジャーの所にアヒルがスイーッと。
「ありがとう」
ざるそばを渡されたソルジャーは艶やかに微笑むと。
「期待してるよ、思い切り」
「「「へ?」」」
アヒルに? それともざるそばに? 会長さんが短冊を手に取り、顔を顰めて。
「何さ、これ! 俳句じゃないし!」
「違うよ、ちゃんと五七五! それにハーレイの俳句とセットにするならこうだろう!」
ダメなんだったら書き直す、と短冊を奪い返したソルジャーの筆がサラサラと動き…。
「頑張って、シックスナイン、ヌカロクと! …これで文句は無いだろう?」
「き、君は…。君はいったい、どういうつもりで…」
ブルブルと震える会長さんと、「シックスナインって何だっけ?」と顔を見合わせる私たちと。俳句にしても何か変だね、と思念で囁き合っていると、ソルジャーが。
「だってアレだろ、川を挟んで向かい合ってさ、恋の歌を交わすと聞いたけど?」
ノルディが確かにそう言っていた、とソルジャーは自信満々です。曲水の宴ってそんなのでした? 私たち、イマイチ、詳しくなくて…。
「ノルディに何と質問したのさ!?」
会長さんが怒鳴り付け、ソルジャーは。
「えーっと…。名前を思い出せなかったから、キの付く行事で和歌を詠むんだ、って」
「………。それはノルディの勘違いだよ…。そっちは乞巧奠だってば!」
「「「キッコウデン?」」」
「七夕の行事さ。男女に分かれて天の川に見立てた白い布を間に挟んで、明け方まで恋の歌を交換し合うという習わしが…」
よりにもよって勘違いか、と会長さんが嘆いても既に手遅れ。ソルジャーは自分の思い込みを直そうなどとは思っておらず、もちろん帰る気など毛頭なくて…。
「やりましょう、四十八手もヌカロクも」
キャプテンが詠めば、ソルジャーの返歌。
「ヌカロクを超えて励んで、今夜もね」
もう何度目になるのでしょうか、男の子たちが食べ飽きて座を去ったというのにバカップルの歌は止まりません。いい加減、お腹いっぱいになりそうな頃なのに…。
「ダメだね、後ろにあっちのぶるぅがいるんだよ」
「「「ぶるぅ!?」」」
あの大食漢の悪戯小僧か、と私たちが目をむくと、会長さんが溜息交じりに。
「食べ飽きたらよろしくと言ってあったらしいね、あっちの世界にブルーが転送してるんだ。なにしろ底なしの胃袋だけに、どれだけ食べても大丈夫かと」
「そ、それじゃキースの大食いの線は?」
どうなっちゃうの、とジョミー君が心配そうに見詰める先にはアヒルとざるそば。会長さんがヒョイと取り上げ、キース君の前にざるそばを。
「頑張りたまえ。大食いか、一句捻るかだ。…いいね?」
「うう…。分かっている。あいつらには負けん」
歌でも大食いでも絶対に負けん、と歯を食いしばるキース君の努力を嘲笑うように。
「お望みとあらば一生ヌカロクで!」
「ヌカロクはいいね、今夜もヌカロクで!」
「「「………」」」
終わったな、と私たちはキース君に心の底から同情しました。大食い勝負はソルジャー夫妻の後ろに
「ぶるぅ」がいては勝てるわけがなく、胃袋の限界も近い筈。更に俳句とも呼べない迷句が飛び交う中では名句を捻るなど、まず無理で…。
「…………」
会長さんに短冊を差し出すキース君の額に脂汗が。もう無茶するな、と誰もが叫び出したい気持ちでした。でも、ここで止めたらキース君は俳句の会に入会するしか道が無く…。
「…ん? これは……」
会長さんの目が短冊に釘付けになり、キース君に「筆ペンを貸して」と短く一言。そしてサラサラと何やら書き加えています。もしかしてついに失格ですか? キース君の人生、終わりましたか?
短冊に加筆している会長さん。私たちが無言でつつき合っていると、会長さんは短冊をキース君の手にスッと返して。
「…君の歌だ。今日、即興で作りました、とアドス和尚に渡したまえ」
「「「………???」」」
「君の歌はぼくの心を打ったよ、だけどまだまだレベルが足りない。銀青として添削しておいた。君とぼくとの共作なんだし、堂々と提出できるだろう。清書して渡せば俳句の会には誘われないさ」
息子の方が上手いだなんてアドス和尚のプライドがね…、とクスクス笑う会長さん。
「君の本気が見たかった。ざるそば大食いで根性を見せたら、ぼくの句を渡そうと思っていたんだけれど…。よく頑張ったね、まさか俳句で突破するとは思わなかったな」
「…俺は負けんと言っただろう…。あいつらにだけは、絶対に…負けん…」
だがもう食えん、とギブアップしたキース君に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が胃薬を渡す中、私たちは万歳三唱でした。頑張りましたよ、キース君。これで俳句とサヨナラですよ~!
「負けません! あなたのために何発も!」
「負けないで、ヌカロク超えで頑張って!」
えーっと…。ざるそばを背負ったアヒルはキース君の前でゴールインだと思ったのですが…。
「あいつら、セルフざるそばかよ?」
サム君が呆れ、シロエ君が。
「そうみたいですね。ざるそばだけは山ほど残っていますもんねえ…」
いつまで続けるつもりでしょう、と溜息が幾つも上がる庭の小川をアヒルがスイスイ下ってゆきます。背中にざるそば、下る先にはバカップル。勘違いを貫きまくった二人のお蔭でキース君の名句が生まれたのですし、放っておくしかないんですけど…。
「えとえと、アヒルちゃん、疲れないかなぁ?」
心配そうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」に、会長さんが。
「疲れたら勝手に岸に上がるよ、アヒルも馬鹿じゃないんだからね。キースだって此処まで頑張ったんだ、アヒルレースにもきっと勝てる日が来るさ」
「かみお~ん♪ 目指せ、大穴だね!」
バカップルも大概ですけど、この二人だってアヒルレースにかける根性は見上げたものかもしれません。そのせいでキース君はざるそば地獄でバカップル地獄になったんですけど、俳句会からの逃亡、おめでとう。アドス和尚に名句を見せて、晴れて自由の身ですよ、万歳!
俳句と新蕎麦・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
シャングリラ学園番外編、今回が年内最後の更新です。1年、早いですね~。
ハレブル別館の始動でご心配をおかけしましたが、無事故で1年、突っ走りました。
来月は 「第3月曜」 更新ですと、今回の更新から1ヵ月以上経ってしまいます。
ですから 「第1月曜」 にオマケ更新をして、月2更新の予定です。
次回は 「第1月曜」 1月5日の更新となります、よろしくお願いいたします。
皆様、どうぞ良いお年を~!
そして、本家ぶるぅこと悪戯っ子な 「そるじゃぁ・ぶるぅ」、今年のクリスマスに
満8歳のお誕生日を迎えます。一足お先にお誕生日記念創作をUPいたしました!
記念創作は 『待降節のリンゴ』 でございます。
TOPページに貼ってある 「ぶるぅ絵」 のバナーからお入り下さいv
←こちらからは直接入れます!
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませ~。
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、12月は暮れのご挨拶のお歳暮で不安な雲行きに…?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
六月初めのある日、登校したブルーは朝のホームルームで今後の人生を左右するであろう大切なプリントを受け取った。他の生徒にとっては何ということもなく、話題にもならない一枚の紙。
それはプールの授業の開始を控えて保護者が記入する、生徒の健康調査票。
六月半ばから体育の授業は水泳になるが、プールに入れる状態かどうかを確認するための調査がこのプリントだ。入れない生徒は事情に応じて見学、もしくは教室で自習。
生まれつき身体の弱いブルーは毎年、これで引っ掛かる。入れないわけでは無かったけれども、実に細かい注意が必要。
最たるものが「十分ごとに水から上がって五分の休憩」。他にも気温や水温、天候などに応じてプール禁止の指示が出たりするが、一番重要とされているのが休憩だった。
ブルーは体温の調節が上手く出来ない。体温よりも低い水に入れば当然のように体温が下がり、下がりすぎると体調を崩すことになる。それゆえに水から上がっての休憩が必須。
世の中便利に出来ているもので、ブルーがプールに入る時には浮遊型の小型ロボットがピタリとくっついて追って来た。十分ごとに審判よろしく「休憩!」とプールサイドへ追い上げ、五分間は水に入らないようキッチリ監視。
去年までは大して気にしなかったし、追い上げられる前に疲れてしまって休んでいることも多々あったけれど、今年は違った。
普通の生徒は体育の教師の指示があるまでプールの中に入りっ放しで、それが当たり前。
ブルーは「プールに入りっ放し」の世界を体験したくなったのだ。
忘れもしない五月の三日に再会を果たした前世での恋人。
ソルジャー・ブルーだった自分が愛したキャプテン・ハーレイ。ミュウたちの船、シャングリラの舵を握っていた船長。
そのハーレイがブルーと同じく青い地球の上に生まれ変わって、ブルーが通う学校に教師として姿を現した。出会った瞬間、ブルーの身体に浮かび上がった前の生での最期の傷痕。聖痕現象と診断された大量出血が切っ掛けとなってブルーとハーレイの前世の記憶が蘇り…。
以来、週末ごとに逢瀬を重ねて、平日もハーレイの時間が取れれば束の間の逢瀬。
そんな日々の中で、ブルーは知った。今のハーレイの充実した生を、自分と出会うまでの年月、何を楽しみにしていたのかを。
運動が好きな今のハーレイ。特に柔道と水泳は賞を取ったり記録を更新したりするほどの腕で、どちらも捨て難いらしい。学校の教師を始めてからも柔道部か水泳部の顧問をやってきたという。現にブルーが通う学校でも柔道部の顧問を務めていた。
ハーレイが大好きなスポーツの世界。知りたかったし憧れもしたが、身体が弱くて運動も苦手なブルーには些か敷居が高すぎた。柔道なんか出来はしないし、水泳だってろくに泳げはしない。
(でも……)
プールくらいなら入れるよね、とブルーは考え始めていた。
泳げなくてもプールに入れば水の世界が近くなる。ハーレイが自由自在に水を掻いて泳ぐ世界に自分も足を踏み入れられる。
けれど、十分ごとにブルーをプールサイドへと追い上げてしまう小型ロボットが邪魔だった。
ピタリとブルーの頭上にくっついて進み、「休憩!」とうるさく繰り返すそれ。そんな邪魔者が追って来たのでは水の世界に浸るどころか、興醒めとしか言いようがない。
(…アレさえなければいいんだよ、うん)
監視されずに思う存分、ハーレイの大好きな水の世界を満喫したい。
そう考えるブルーの目指す所は監視ロボット抜きでの水泳の授業。その前提として必要なものが今日配られた健康調査票だ。自分の人生を左右する紙を、ブルーは大事に鞄に仕舞った。
持ち帰った健康調査票。
母に渡すと、早速かかり付けの医師の診断書を見ながらの記入が始まる。プールに入れる水温や気温、天候などの細かい指示。最たるものが例の休憩なのだが、ブルーは横から注文をつけた。
「ママ。それ、書かないで空けておいてよ」
言い訳はちゃんと練ってある。
「監視ロボットくっつけてるのって、ぼくくらいだよ。…ぼくだってもう十四歳なのに」
「でも、ブルー。こういうのに年は関係ないのよ」
「関係あるって! ちゃんと自分で時計を見るから! 小さい子供じゃないんだから!」
監視ロボットつきだと格好悪い、とブルーは唇を尖らせた。
「あんなの誰も連れていないし、ぼくだけだもの!」
「格好悪いって言ったって…。仕方ないでしょ、ブルーは身体が弱いのよ?」
「でも嫌だ!」
押し問答の末に、母は「そうねえ…」と記入を保留にした。
「パパが帰ったら訊いてみましょう。多分、駄目だと思うけど」
「…でも、嫌だもの…」
格好が悪い。これだけが決め手。
母には全く通じない手だが、父なら了承するかもしれない。此処まではブルーの計算通りに事が運んだ。祈るような気持ちで父の帰宅を待ち、健康調査票を突き付ける。
「ねえ、パパ。…監視ロボット、もうくっつけたくないんだけれど…」
「どうしたんだ? アレが無いと誰も時間を計ってくれないぞ。先生だって忙しいんだ」
そう諭す父に「嫌なんだもの」と訴えた。
「子供みたいでカッコ悪いよ、自分のことなら自分で出来るよ!」
「…うーん、格好悪いと来たか…。確かに気になる年頃かもなあ、身体はうんと小さいけどな?」
「普通だよ!」
「いやいや、充分チビだと思うが、中身はそうじゃないってことだな」
よし、と父の手がブルーの頭をポンと叩いた。
「それじゃ自分で面倒を見ろ。しかしだ、何かあったら次から監視ロボットつきだぞ」
「うんっ!」
ブルーは心で「やった!」と快哉を叫び、父が母に「書かないでやろう」と件の部分をブルーに任せる決断を下す。それを受けて母が「挙手した時に適宜休憩させて下さい」と書いた健康調査票を宝物のように持って、翌日、提出。
これで今年は好きなだけプールに入っていられる。ハーレイが大好きな水の世界に…。
今の学校で初めての水泳の授業は午後からだった。気がかりだった気温も水温もクリア、絶好のプール日和の青空の下で、ブルーは颯爽とプールサイドに繰り出す。
「あれっ、ブルー、監視ロボットは?」
前の学校からの友人に訊かれ、ブルーは「いないよ」と得意げに返した。
「ちょっと丈夫になったから…。無しで大丈夫になったから!」
「へえ…! そいつはいいよな、アレ、うるさいしな!」
ニッと笑って親指を立てた友人は、自由時間にブルーと遊んでいて監視ロボットに邪魔をされた経験多数であった。遊びが最高潮に達していたって「休憩!」とうるさく叫ぶロボット。無視していれば気付いた教師が駆け付け、ブルーを引っ張って連れて行ってしまう。
「アレがいなけりゃ自由ってことだな、今年から?」
「うん!」
満面の笑みで答えるブルーは御機嫌だった。キラキラと日射しを反射する水も、真っ青に晴れた雲ひとつ無い空も、きっとハーレイが大好きなもの。そして満々と水を湛えたプールも…。
準備運動を終えて水に入って、最初は自由に過ごせる時間。泳ぐ者やら、水のかけ合いに興じる者やら。ブルーは満足に泳げないから、首だけを出して身体を沈めてみる。浮力で軽くなる身体。
(…わあっ…!)
前の生で空を飛んでいた時の記憶が蘇ってきた。今は飛ぶなんて出来ないけれども、飛べたならこんな感じだろうか?
(……んーと……)
こうかな? と身体の力を抜いたら、プカリと仰向けに水面に浮いた。去年までは出来なかった技。前の生での感覚が役に立ったのだろうか。見上げる空も、揺れる身体も気持ちいい。
「ブルー、すげえな! 浮かべるようになったのかよ?」
泳いで近付いてきた友人に褒められ、気分は上々。これがハーレイの好きな水の世界なんだ、と嬉しくなった。この調子なら下手な泳ぎも上手になっているかもしれない。
(そうだといいな…)
泳ぎたいな、と期待したのだが、そうは上手くは運ばなかった。浮かべば泳げるというものではなく、それなりの技術が欠かせない。前世の記憶はまるで役立たず、水泳の技量を調べるタイムは悲惨な結果に終わってしまった。でも…。
(…ハーレイは凄く速いんだよね? ホントに凄いや…)
一番速いタイムを出した生徒でもハーレイには敵わないだろう。その生徒の速さをプールサイドではなく、同じ水の中で体感出来たことが嬉しい。監視ロボットつきであったら何度も休憩時間を挟まれてしまい、タイム計測の間中ずっとプールに居るなんて出来ないわけで。
(良かったあ…)
長い間プールに入っていられて、とブルーは大感激だった。休憩のことなどすっかり忘れ去り、水の世界に浸ったままで。
ハーレイが大好きな水の世界は思った以上に気持ちが良くて。以前のブルーが監視ロボットつきだったことを知る友人たちの心配を他所に、うんと泳いで沢山遊んだ。
もっともブルーの泳ぎは下手くそ、友人たちの指導を受けても全く上達しなかったけれど。失敗して何度も水を飲んだし、かなり疲れてしまったけれども、それでも水の世界は楽しい。
(…ハーレイは上手に泳ぐんだよね…)
こんな風かな? とイメージどおりに泳ごうとしては失敗ばかり。ゴボッと沈んだり、ゲホゲホ噎せ返る羽目になっても、ハーレイが大好きな水の世界に居るだけで心に幸せが満ちる。
(ハーレイが好きな世界なんだ…)
前の生で自分が焦がれた地球。今はその地球の上に居るけれど、あの頃に地球を思っていた時のような気持ちでハーレイは水の世界に惹かれるのだろうか…。
その水の世界に自分が居る。なんて幸せなんだろう。なんて気持ちがいいんだろう…。
(…これがハーレイの大好きな世界…)
ずっと居たいな、と思ってしまう。けれど授業には終わりがあって、チャイムが鳴って。
後ろ髪を引かれるような思いでブルーはプールを後にした。水を湛えて光るプールが遠くなる。ハーレイの大好きな水の世界が…。
(でも、またプールの時間があるもんね!)
監視ロボットに邪魔をされずに過ごした時間は最高だった。次のプールの授業では友人たちから泳ぎのコツを沢山々々教えて貰おう。
少しでもハーレイに近付きたいから。ハーレイの大好きな世界を味わいたいから…。
(ふふっ、今日はホントに楽しかったな)
プールを満喫したブルーは大満足の内に終礼を終えて、弾む足取りで学校を出た。ハーレイにも帰り際に廊下で出会って挨拶出来たし、もう嬉しくてたまらない。その気分のまま家の方に向かうバスに乗り込み、空いていた席に座って暫く経って。
(…あれ?)
ちょっと寒い、とブルーは肩を震わせた。空いていればいつも好んで座る窓際の席。こんな風に寒さを感じたことなど無かったように思うのだけれど…。
(冷房、効きすぎてるのかな?)
バスの空調は乗客の人数や居場所を計算した上で弾き出される。常に最適な気温になるよう調整されている筈だったが、たまにはこんな日もあるのだろう。
(機械は完璧なんかじゃないしね)
そのことは誰よりもよく知っている。かつてSD体制が敷かれていた時代、許し難い過ちを犯し続けてミュウを迫害したマザー・システム。あれに比べればバスの空調ミスなど可愛いものだ。
(…でも、もう一枚、シャツがあればいいのに)
でなければ肩に羽織れるタオルとか。生憎と水泳のために持って来たタオルは濡れてしまって、羽織れば逆に冷えるだけ。
(アルタミラよりはマシなんだけどね…)
人体実験で放り込まれた絶対零度のガラスケースや、超低温の実験室。あの時の寒さに比べればマシ、と車内の寒さに震えるブルーは知らなかった。
バスの空調は狂ってなどおらず、快適に保たれていることを。
自分が寒いと感じる理由は、長時間を過ごしすぎたプールで体温を奪われたせいであることを。
十分ごとに水から上がって休憩を五分。体温が下がりすぎてしまわないよう、ブルーが守るべきプールでのルール。
何のために監視ロボットが自分を追っていたのか、ブルーは理解しているつもりで実は出来てはいなかった。自分の身体の弱さを棚に上げ、やりたいことを最優先。その辺りが十四歳の子供たる所以で、結果は実に惨憺たるもの。
家に帰り付いても震えは止まらず、あまりの寒さに制服のままベッドにもぐり込んだ。上掛けを頭の上まで被って身体を丸めて、懸命にやり過ごそうとするのだけれど。
(……寒い……)
それに冷たい、とブルーは右手をキュッと握った。
前の生で最後にハーレイに触れた手。その手に残ったハーレイの温もりを最期まで覚えていたいと願っていたのに、撃たれた傷の痛みの酷さで失くしてしまって悲しくて泣いた。
ハーレイに会えた喜びの中でいつしか薄れた悲しみの記憶。けれど右手が冷たいと感じた時には思い出さずにいられない。
(…冷たいよ、ハーレイ…。とても冷たい…)
冷たくて痛い、と凍える右手と胸の奥深くに蟠る深い悲しみとを涙を流して訴えてみても、側に求めるハーレイは居ない。ブルーは冷たいベッドにただ一人、独りぼっちで丸くなるだけ。
同じ地球の上に、同じ町にハーレイが居るというのに温めてくれる手は何処にも無かった。
(…寒いよ…。ハーレイ、手が冷たいよ…)
泣きながら眠ってしまったブルーの体温は戻らず、母が様子を見に来たことにも気付かないまま眠り続けて、やがて夕食の時間になって。
「ブルー、晩御飯よ? どうしたの、ブルー!?」
真っ暗な部屋と、ベッドにもぐって死んだように動かないブルー。慌てて駆け寄った母の悲鳴で目覚めたブルーは「…ママ……」と弱々しい声を返すのが精一杯だった。
発熱とは違い、その反対。ぐったりとしたブルーの冷え切った身体は平熱どころか下がりすぎていて、母に上掛けを追加された上、熱すぎるほどのホットミルクまで飲まされた。
「…ブルー。プールで休憩を忘れたんでしょう?」
「……ごめんなさい……」
蚊の鳴くような声で答えたブルーは母に叱られ、翌日の登校も禁止されるという有様。ハーレイに会うために無理をしてでも行きたい学校。それなのに…。
(…ハーレイに会えない……)
こんなに右手が冷えて冷たくて、凍えるのに。こんな時だからこそ会いたいのに。
(……ハーレイ……)
冷たいよ、と母に押し込まれたベッドでブルーは右の手を握り、ハーレイの名を何度も繰り返し呼び続けた。温もりを失くしてしまった手が冷たい、と…。
その夜は悲しい夢ばかりを見ていたような気がする。
右の手が冷たかったから。前の生の最期に冷たくて泣いた、右の手が凍えてしまっていたから。
目覚める頃には体温も戻り、身体もずいぶん軽くなっていたが登校は許して貰えなかった。それどころか母は学校に欠席の連絡を入れるついでに健康調査票の訂正を届け出たと言う。
「格好悪いとか、そういう問題じゃないのよ、ブルー。身体が一番大切でしょう!」
母の怒りはもっともなもので、ブルーは反論する術が無い。父も「そういう約束だったしな」と母の肩を持ち、水泳の授業は次から監視ロボットつき。
ハーレイが好きな水の世界と無制限に戯れられる機会を奪われ、ブルーの気分はドン底だった。おまけに今日一日はハーレイに会うことも出来ず、家で大人しくしているしかない。
(……あんなに楽しかったのに……)
プールは本当に楽しかった。いつまでも入っていたいと思った。
けれど憧れた水の世界はブルーの身体に合わないもの。体温を奪い、悲しい記憶まで呼び起こすほどの非情さすらも帯びた世界で、厳しいもの。
(…でも、ハーレイの大好きな場所なんだ…)
そのことが酷く辛くて悲しい。
ハーレイが好きな水の世界が自分には向いていない事実も、自由に入ってゆけないことも。
日が暮れるまでベッドの中で、あるいは上で膝を抱えて丸くなっていた。
弱すぎる身体も悲しくて情けなかったし、ハーレイに会えずに終わる一日も辛い。すっかり暗くなってしまった部屋で涙がポロポロと頬を伝った。
(……ハーレイ……)
自分とハーレイとの間に横たわる距離。現実の距離も、水の世界で隔てられた距離も、今のブルーには遠すぎる。どうすればいいと言うのだろう。どうすれば距離が縮まるのだろう?
答えが見つかる筈も無かった。
ブルーは水には長く入っていられないのだし、ハーレイの家は何ブロックも離れた先で。今日が休日なら家を訪ねて来てくれるけれど、平日に来てくれることは少なくて…。
(…ハーレイ……)
会いたいよ、と昨夜一晩中、凍えていた右の手をキュッと握って呟いた時にチャイムが鳴った。客人の来訪を告げる門扉の脇にあるチャイム。
もしや、とブルーの心臓が跳ねる。もしかしたらハーレイが来てくれたのかも、と。
間違っていたら悲しすぎるから、期待はしないようにしていた。それでも胸がドキドキ脈打つ。階段を上がる足音がしないか、扉をノックする音がしないか。
好きでたまらないハーレイの声が自分の名前を呼びはしないか…。
「……ブルー?」
軽いノックの音が聞こえて、部屋の扉がカチャリと開いた。そして明かりが点けられる。絶対に聞き間違えはしない声。見間違う筈もない褐色の肌の、大きな身体をした恋人。
「…大丈夫か、ブルー? 明日は学校に来られそうか?」
ハーレイがベッドの脇に置かれた椅子に腰掛け、穏やかな声で問い掛けた。
「プールで冷えすぎちまったそうだな。また食事をしてないんじゃないかと、スープを作りに来てやったんだが…。どうする、俺のスープにしておくか?」
前の生でハーレイが作ってくれていた素朴なスープ。何種類もの野菜を細かく刻んで、味付けは基本の調味料だけ。青の間のキッチンでコトコトと煮込まれたそれが大好きだった。
今の生でもブルーが寝込むとハーレイがたまに作りに来てくれる。ハーレイ曰く「野菜スープのシャングリラ風」。そのスープの味も捨て難かったが、今、欲しいものは…。
「…スープもいいけど……」
手が冷たい、と差し出した右手をハーレイがギュッと握ってくれた。ハーレイはブルーの右手が凍える理由を知っている。何故冷たいのか、どうして凍えてしまうのかを。
自分の温もりを移すかのように大きな両手で包み込みながら、時折、擦ったりもして。ブルーの心が温もりに満たされ、その頬が幸せに緩むのを待って、ハーレイはもう一度尋ねてきた。
「もう充分に温かそうだが、明日も休む気か? それとも俺のスープを飲むか?」
「…明日も休むのは嫌だけど…。今日はスープより、ハーレイの手がいい」
まだ冷たくて凍えそうだから、とブルーは右の手を温めてくれとハーレイに強請る。
「まったく…。そもそも、なんだってプールで無茶をしたんだ」
「……ハーレイの好きな水だったから」
「は?」
「…ハーレイが大好きなプールだったから、同じ世界を感じたかった…」
失敗をしてしまったけれど。
そう言ったブルーの言葉にハーレイの手が一瞬、微かに震えて。
「……大馬鹿者が」
お前は馬鹿だ、と罵ったくせに、ハーレイの腕はブルーを広い胸へと抱き込んだ。
「…本当に馬鹿で無茶だ、お前は。…何も変わっていやしない」
一人でメギドへ飛んだお前だ、と息が止まるほどに強く抱き締められて。
「…何もかも一人で勝手に決めて、無茶をして…。俺はお前に一緒に生きて欲しいと思うが、俺と全く同じ道を歩けとは決して言わない。俺の道がお前にもピッタリ合うとは限らないんだ」
「……そうみたいだね…。ぼくにプールは無理みたいだけど、それでも嬉しかったんだ」
…少しだけハーレイの世界が分かった。
そう話したらハーレイの腕の力がもっと強くなり、息をするのも苦しいほどで。でも…。
「…ハーレイ、ぼくが温めて欲しいのは右手。…それにね…」
やっぱり野菜スープも欲しいかな。
「それだけ我儘が言えるようなら、もう平気だな」
出来るまで少し待ってろよ、とハーレイが野菜スープを作りに階下のキッチンへ下りてゆく。
部屋を出てゆくその背を見ながら、ブルーはそれは幸せそうな笑みを浮かべた。
(…ハーレイ…。無茶をしちゃってごめんね、ハーレイ)
野菜スープを作りに来てくれてありがとう。
ぼくの凍えてしまった右手を温めてくれてありがとう…。
君の大好きな水の世界はぼくの身体には厳しすぎたけど、それでも体験出来て良かった。
あれが今の君が大好きな世界。ふわりと身体が浮き上がる世界。
君が大好きな世界だったから、無茶をしてでも見たかった。
もう学校では次の機会は無さそうだけれど、いつか大きくなったなら…。
君と一緒に暮らせる時が訪れたならば、もう一度、君と見てみたい。
無茶だと君は怒るだろうけど、見たいんだ。だって、君の大好きな世界だから……。
君の好きな世界・了
※お読み下さってありがとうございました!
ブルー君を追い掛けていた「浮遊型の小型ロボット」のモデル、お気付きでしょうか。
アニテラでジョミーがサッカーしていた時の審判ロボットですv
作品世界を壊さないよう、私語は控えておりますが…。
コメントとか頂くのは大好きであります、拍手部屋からお気軽にどうぞ。
毎日更新の「シャングリラ学園生徒会室」の方でレスつけさせて頂きます。
お心当たりの方は「拍手レス」をクリックなさって下さいねv
←拍手部屋はこちら。御礼ショートショートが置いてありますv
※毎日更新の阿呆な「シャングリラ学園生徒会室」へは下のバナーから。
拍手部屋からもリンクしてます。
←バカ全開です、ご注意下さい!
夏の初めの土曜日の朝。いつものように部屋の掃除を終えたブルーは、閉じた窓から下を眺めてハーレイが来るのを待っていた。少し前までハーレイが来る日は窓を開け放っていたのだけれど、そうするにはもう暑すぎる季節。生まれつき身体の弱いブルーは暑さにも弱い。
(…ハーレイ、まだかな…)
今日は朝から良く晴れているし、ハーレイは歩いて来るだろう。眩しい日射しに目を細めながら待っていたブルーの瞳が待ち人を捉える。
(あっ、半袖!)
その姿に胸がドキリと跳ねた。学校では長袖のワイシャツを着ているハーレイ。今週は今日より暑い日もあったというのにハーレイは長袖、ボタンも襟元までキッチリ留めていた。
そんなハーレイが半袖姿で、襟元も大きく開いたラフなシャツ。家で過ごすのと同じ服装で来てくれたのだ、と実感できる。ブルーの家を訪ねて来る時、ハーレイはいつも普段着なのだが、より寛いだ姿に思える半袖シャツがなんだか嬉しい。
(…ふふっ)
早くもっと近くで見たいな、とブルーは窓に張り付いた。門扉の前で待っているハーレイ。母は急いで開けに行ったのに、それでも遅いと感じてしまう。
(半袖かあ…)
シャングリラでは見なかったよね、と幸せな気分に包まれた。アルタミラの研究所から脱出した直後は半袖シャツだったけれど、研究所を思い出させる半袖の服は皆に不評で、自分の身体に合う服が手に入った者から順に長袖に切り替わっていったと記憶している。
一番身体が大きかったハーレイは最後の方。それでも一ヶ月もかかりはしなかった。
いつしか半袖に対する抵抗が無い世代が増えても、シャングリラのクルーは基本は長袖。長老と呼ばれるようになったハーレイやゼルたちはもちろん長袖、プライベートでも長袖で…。
遠い過去に思いを馳せている内に扉がノックされ、母がハーレイを案内してきた。
「ブルー、おはよう。今日は暑いな」
「うん。ハーレイの半袖を見たら分かるよ」
母が用意したアイスティーとお菓子を前にして向かい合う。扉が閉まって、足音が階段を下りて消えると二人きりの時間。
ブルーは半袖姿のハーレイをまじまじと見詰め、袖から覗いた逞しい腕に見惚れたのだけれど。
(…あれ?)
もしかして、もしかしなくても。
ハーレイのむき出しの腕を目にすることなど、ソルジャーとしては一度も無かったのでは…。
ソルジャー・ブルーだった前世で何度も見ているけれど、その時の自分はソルジャーではなく、ハーレイもまたキャプテンではない時しか腕など見せなかったのでは…?
(…そうだったっけ…!)
ブルーの鼓動が早くなる。
前の生でハーレイのむき出しの腕を目にしていたのは、青の間か、もしくはハーレイの部屋で。バスローブの袖から覗いた腕とか、肩に羽織った大判のタオルの下からだとか。
今の半袖から覗いているほどの範囲の肌が見える時と言えば、ベッドで愛し合う時とその前後。それ以外では見ていないのだ、と気付いたブルーは頬がカッと熱くなるのを感じた。
(…ど、どうしよう……!)
ハーレイに変に思われる、とキュッと目を瞑ったのがまずかった。頬が赤らんだだけならさして気に留めずに流されていたかもしれないけれど、俯き加減で目を閉じた上に頬が赤くては…。
「どうした、ブルー?」
大きな手が頬に触れてきて、ブルーはますます真っ赤になった。
前の生ではこうして目を閉じている時に頬に触れられたら、続いてキスが降ってきた。それから逞しい腕にふわりと抱き上げられてベッドに運ばれ、ハーレイがキャプテンの制服を脱いで…。
筋肉に覆われた褐色の腕。
二人きりの時間を、恋人同士の時を過ごす時しか見ることが無かったハーレイの腕。
「……ブルー?」
もうダメだ。ブルーは俯いたままでキュッと閉じていた瞼を開くと、両方の頬に触れている恋人を上目遣いに睨んで小さく叫んだ。
「…ハーレイのバカッ!」
「な、なんだ、いきなり?」
驚いて手を離したハーレイに「バカッ!」ともう一度叫んでやった。
自分の気持ちが、ドキドキ脈打つ鼓動の早さが分からないなんて酷すぎる。こういう時はなんて言えばいいんだったっけ?
鈍感な恋人にぶつける言葉で、「バカ」よりももっとピッタリな言葉があった筈。
(…えーっと、えーっと……)
懸命に考えるブルーの心も知らずに、またハーレイが「どうしたんだ?」と頬に触れて来た。
とっくに耳の先まで赤いだろうに、もっと赤くなれと言わんばかりに頬を優しく撫でる手。普段なら甘えて頬を擦り寄せてしまうのだけれど、今日ばかりは違う。
(酷いってば…!)
こんなに真っ赤になっているのに、この仕打ち。この無神経さ。その瞬間にパッと閃いた。
「デリカシーに欠けているってば!」
ブルーの愛らしい唇から放たれたそれに、ハーレイは文字通りポカンと口を開けたのだった。
脹れっ面になったブルーからハーレイが事情を聞き出すまでには、かなりかかった。
完全に機嫌を損ねたブルーは拗ねてしまって唇を固く引き結んでしまい、そのくせにチラチラと赤い瞳がハーレイを見ては逸らされる。そして不自然に赤い頬。
何事なのか、と慌てたハーレイはブルーの好きな菓子を自分の分も譲ってやったり、機嫌を取るべく小さな右の手をそっと握ってやったり。
前の生の最期にハーレイの温もりを失くしたと泣いたらしいブルーは右手を握ってやると喜ぶ。赤ん坊をあやすようなものだな、と思ったことまであったくらいに小さな右手は温もりを求める。その右の手を握り、もう片方の手で何度も何度も撫でてやる内に、ようようブルーは口を開いた。
そして聞かされた「バカ」の理由は、実にとんでもないもので。
「…つまりだ。…俺は半袖シャツを着ているだけで、デリカシーに欠けているんだな?」
ハーレイはフウと溜息をついた。
「仕方ないな、次から長袖で来るか。今日の所は勘弁してくれ…って、そいつはダメだな」
デリカシーに欠けるんだったな、とさっきよりも深い溜息をつくと椅子から立ち上がった。
「…ハーレイ?」
怪訝そうなブルーにこう答える。
「一度帰って着替えて来るさ。ついでに昼飯も食ってくるから、また後でな」
「えっ……」
ブルーの表情がみるみる変わった。ブルーの家から何ブロックも離れたハーレイの家。そこまで歩いて往復するだけでも一時間では終わらない。そこへ昼食の時間が加わると、ハーレイの帰りは早くて昼過ぎ、下手をすればもっと後になるかもしれないわけで…。
縋るような赤い瞳が「行かないで」と揺れているのを承知の上でハーレイは軽く手を振った。
「じゃあな、また来る」
「ダメッ…!」
行っちゃ嫌だ、とブルーが部屋を出ようとするハーレイの腕に両腕でギュッとしがみ付く。
離すまいと力をこめて身体ごとピタリとくっついているブルーの頭をハーレイは笑いながら軽くポンポンと叩いてやった。
「…ほら見ろ、克服できたじゃないか。もう半袖でも大丈夫だな?」
「…あっ……!」
直視出来なかった筈のハーレイの腕に密着している自分に気付いたブルーは真っ赤になったが、もうハーレイに文句は言えない。それに恥ずかしさも何処かへ吹き飛んだ気がするし…。
「……ごめんなさい……」
八つ当たりしちゃった、とブルーは素直に謝った。最初は嬉しいと思った半袖。それなのに自分一人で勝手に怒って、膨れて、拗ねて。
(……ぼくって子供だ……)
ごめんなさい、と謝るブルーを、ハーレイは笑って許してくれた。
こうしてブルーは半袖姿のハーレイにも慣れ、心臓がやたらと脈打つことも無くなった。初めて見た日に感じたとおりの気取らない姿を見られることが嬉しく、心浮き立つ間に夏休みが来て。
平日でもハーレイが訪ねて来る日々が始まったものの、毎日というわけにはいかない。ハーレイの仕事は教師なのだし、夏休み中でも研修もあれば、顧問を務める柔道部で一日潰れることも。
しかし部活のある日も基本は午前中のみ、午後になれば学校で昼食を済ませたハーレイが来る。そういう日には朝から首を長くして待つのが常となったある日。
「…ハーレイ、まだかな…」
ブルーは壁の時計を見上げた。もうすぐ正午で、母と階下で昼食の時間。食べ終えて部屋に戻る頃にはハーレイの部活もとうに終わって、昼食か、あるいはプールで泳いでいるか。
(…ホント、ハーレイ、凄すぎだよね)
夏休みの初日に教えて貰った柔道部がある日のハーレイ自身のスケジュール。朝から柔道部員と一緒に走って、それから技の指導など。部活が終わればプールに出掛けて軽く泳いでくるという。水泳部の生徒たちに混ざってコースを何往復もするのが「軽く」だなんて信じられないけれど。
その後はブルーがバスで通う距離を歩いて家までやって来るわけで…。
(…プールで泳いだ後だし涼しい、って言っているけど暑いよね…)
ブルーにはとても無理な芸当。運動も無理だし、暑い盛りに歩くのも無理。
「ブルー、そろそろお昼にしましょう!」
母の呼ぶ声に「はーい!」と返事し、ブルーは軽い足取りで階下に向かった。ハーレイも今頃は食事だろうか? 早く来てくれるといいのだけれど…。
昼食が済んで部屋に戻って、また時計を見る。ハーレイが来る時間まではもう少しあって、多分今頃は食事か、プールか。食べた後に直ぐに泳げるハーレイは凄い。
(…今日もお昼の後だよね、きっと)
その方が涼しく歩いて来られる、と前にハーレイが言っていた。きっと髪の毛は軽く撫でつけただけで、太陽の光で乾かしながらの道中だろう。
(もうプールから上がったかな?)
ザバッと水から出て来る姿を思い浮かべた、その瞬間に。
(ダメダメダメ~~~ッ!)
ブルーは真っ赤になった顔を両手で覆った。
(…は、は、裸……!)
どうして今まで全く気付かなかったのだろう。ハーレイは昔から水泳が得意だったと聞いていたから、颯爽と泳ぐ姿ばかりを想像していて服装にまで気が回らなかった。
プールで泳いでいるということは水着姿で、どう考えても最小限の部分しか覆われていない。
いつだったかハーレイの前で膨れてしまった半袖どころの騒ぎではなくて、殆ど裸。前の生では愛し合う時かその前後にしか見てはいなかったハーレイの身体。
(…………)
たとえ水着を着けていたって直視出来ない、とブルーは耳の先まで熱くしたのだけれど。
(……でも……)
その一方で見たい気もする。今の生ではキスすら許してくれないハーレイ。その先となればいつになるやら見当も付かず、本物の恋人同士として結ばれる日は遠そうで…。
(………それまでは見られないんだよね?)
前の生で強く抱き締めてくれたハーレイの身体。華奢だった前世の自分と違ってガッシリとした筋肉質の褐色の身体を思い出すと胸がドキドキしてくる。
キスすらダメでも、その先のことはもっとダメでも、気分だけでも…、とブルーは思った。あの懐かしい身体を見てみたい。そうしたらきっと幸せ一杯、希望も膨らむに違いない。いつかは必ずあの身体と…、と夢見るだけでも幸せな気分が訪れる筈で。
「…見に行きたいな……」
そう呟くともう止まらなかった。ハーレイがプールで泳ぐ姿を、いや、プールから上がった水着姿のハーレイを見たい。夏の暑さは苦手だけれども、見られるのならば外出くらい…!
しっかり決意を固めたブルーはハーレイの来訪を胸を高鳴らせて待ち、自分の部屋で二人きりになって向かい合うなりアイスティーも飲まずに切り出した。
「ねえ、ハーレイ。…次に柔道部がある日って、いつ?」
「……明後日だが?」
だから明日は朝から来られる、とハーレイは普段どおりにアイスティーを飲んでいるのだが。
「えっとね、明後日、行ってもいい?」
「何処にだ? 用事があるなら別に止めはせんが、俺は来なくてかまわないのか?」
ブルーの目的が何処にあるのか知らないハーレイの返事は些か的外れだった。しかしブルーは気にするでもなく、ニッコリ微笑む。
「帰りはハーレイと一緒がいいな。ぼくと一緒にバスに乗ってよ」
「は?」
「だ・か・ら! 明後日はぼくも学校に行くから、プールが済んだら帰ろうよ」
「お前、明後日は登校日だったか?」
一向に噛み合ってこない会話に、ブルーは「もうっ!」と焦れながら。
「そうじゃないってば、ぼくは見学! ハーレイを見に行くんだってば!」
「……柔道部をか? それは構わないが、だったらプールはやめておくかな」
「なんで?」
「帰りが遅くなるだろう? その分、余計に暑くなるしな。昼飯もお前の家で食べるか」
お母さんの手を煩わせないように何か適当に買って帰るか、というハーレイの意見は至極当然なものなのだけれど、それではブルーの目指す所から大きく外れる。ブルーが見たいのは柔道部ではなくて水着姿のハーレイで…。だから「ダメッ!」と即座に叫んだ。
「お昼は別にどうでもいいけど、プールはダメっ!」
「だから入らないと言っただろうが」
「違うよ、プールは入らなきゃダメ! ぼくはプールを見に行くんだから!」
「………プール?」
プールはハーレイの担当ではなく、あくまで趣味の範疇である。どうしてブルーが柔道部ならぬプールなんぞを見学したいと希望するのかサッパリ分からず、ハーレイは首を捻るしかなかった。
「なんでプールを見たいんだ? 俺は適当に泳いでるだけで、指導は全くしていないんだが」
「水泳のことはよく分かんないけど、ハーレイ、プールじゃ水着だよね?」
「当然だろうが、プールだぞ?」
「だったら充分! ぼくは水着が見たいんだから!」
行っていいよね? と強請るブルーの真意が全く掴めないまま、「ああ」と答えそうになった所でハーレイの勘が働いた。もしやブルーがプールにこだわる理由は…!
「おい、ブルー」
嫌な予感に襲われながらも顔には出さずに、ハーレイは赤い瞳を見詰めた。
「…お前、いつだったか俺に言ったよな? デリカシーに欠けるとか、そういうことを」
「えっ?」
「俺が半袖で初めて来た日だ。…そう言ったお前に同じ台詞を二度も言われたくはないからな…。いいか、俺はプールじゃ水着一丁で、半袖どころの騒ぎじゃないぞ」
分かっているのか? と顔を覗き込めば、ブルーの頬がみるみる赤く染まって。
「………それでもいいよ」
そう答えて下を向いてしまったブルーの姿に、ハーレイは己の勘が当たっていたことを知った。ブルーがプールに来たがる目的は、あろうことか水着姿の自分を見るため。それも格好いいとかの憧れの気持ちでは無く、同じ憧れでも至ってけしからぬ発想からで…。
「ブルー、お前な…」
ハーレイはフウと大きな溜息をついた。
「お前、ロクでもないことを考えてるな? 俺の裸の一歩手前を見たいんだろうが」
「…………」
沈黙は金とは誰が言ったか、今の場合は全く当てはまらない。ブルーが下手に言い訳するより、その沈黙こそが何を考えていたかの動かぬ証拠だ。
まったく、年相応に小さくて幼いくせに、何を考え付くのやら…。
苦笑いしたいハーレイだったが、いくらブルーが子供であっても譲れないものは存在する。水着姿目当ての見学などは言語道断、それはキッパリ断らなければ。
「ブルー。…そういう不純な目的を持って神聖な水泳部の活動場所を覗きに来るな」
いいな、と念を押せばブルーがキッと視線を上げた。
「誰も絶対、気が付かないって!」
「そりゃそうだろうさ、傍目にはチビが居るだけだしな」
「チビは酷いよ!」
噛み付いてきたブルーに、ハーレイは「そうか?」と笑ってみせる。
「俺の目には小さなお前が映るが、それでも俺には大きな脅威だ」
「…何が?」
「お前がだよ。…小さくてもお前は俺のブルーだ。そのお前が良からぬ目的を持ってプールの俺を見に来たとなれば、俺はとっても困るんだがな?」
「どうして?」
見てるだけだよ、と首を傾げるブルーは分かっていない。そんなブルーが愛しいけれども、この愛くるしい赤い瞳でまじまじと水着姿を見詰められたら……。
「……お前なあ……」
ハーレイは眉間の皺を深くしつつも、唇には笑みを湛えて言った。
「お前がそういう目で見ていると気付いちまったら、俺はプールから出られんだろうが」
「恥ずかしいのはハーレイだけだよ、ちゃんと水着を着てるんだもの」
「だから余計に出られないんだ、どうしてくれる」
「なんで?」
何故ハーレイがプールから出られないのか、ブルーは不思議でたまらなかった。
いくら自分が眺めていたって気にせずに出ればいいものを…。ドキドキするのは自分だけだし、ハーレイには関係ない筈だ。いつもどおりにすればいいのに、どうして出られないのだろう?
キョトンとしているブルーの額をハーレイの指がチョンとつついた。
「なあ、ブルー。お前、いつも俺になんて言っているんだ? 本物の恋人同士とやらはどうした」
「えっ…???」
それに気が付いたから、見に行きたいのに。
そう言わんばかりの顔をしたブルーに向かって、ハーレイは「ん?」と微笑みかけた。
「長い間やらなかったら忘れちまったか? 俺はどうやってそういうことをしてたんだっけな?」
「…そういうことって?」
「お前と本物の恋人同士になる時だ。そういう時には…」
「あっ…!」
其処まで言われて、ブルーはようやく気が付いた。ハーレイが水着で覆っている部分。その下にあるものがどう変化を遂げ、前の生での自分を愛したのかを…。
もしも自分が見ていたばかりに、同じ変化が起こったら。
ハーレイはプールから出られないだろうし、それは確かにマズすぎる。でも、でも、でも…。
「ハーレイのバカッ!」
ブルーはまたしても耳の先まで真っ赤に染めると、「バカバカバカッ!」を連発した。
気付かなかった自分も悪いが、前の生での秘めごとについて具体的に説明しなくても…!
こういう時に叫ぶ台詞は、確か前にも叫んだ言葉で…。
「デリカシーに欠けているってば!」
桜色の唇から飛び出した叫び。
かくしてハーレイは二度目の罵声を浴びせられたわけだが、その表情は「してやったり」と言わんばかりのものだった。
これでブルーはプールには来ない。これから先も思う存分、水を満喫できるのだ。
あまりと言えばあんまりであり、当然と言われれば当然とも言うべき理由で門前払い。
プール見学の夢が空しく潰えたブルーは、ハーレイがプールで泳いでいるであろう時間に時計を眺めては小さくも熱い溜息をつく。
今の生では当分見られそうもないハーレイの褐色の大きな身体。
それを自分が目にする時には、多分、本物の恋人同士。その日が来るまでは見られそうになく、だからこそ余計に想いが募る。
前の生で自分を抱き締めてくれた、あの逞しくて大きな身体。
自分が大きく育った時まで見られないなんて酷いと思うし、お預けだなんて酷すぎる。
(…やっぱり、ちょっとだけ見たいんだけどな…)
でもハーレイは困るかな、と「デリカシーに欠けた」例の発言を思い出す。
大好きなハーレイを困らせることはしたくなかったし、諦めるしかないのだけれど。
(……でも見たいよね……)
この時間には、学校のプールかプールサイドに水着姿のハーレイが居る。
自分には決して見せてくれない褐色の身体を惜しげなく晒して、夏の日射しの下に居る。
(…見たいんだけどな…)
でもダメだよね、とブルーは前の生へと思いを馳せる。
あの褐色の大きな身体が自分を包んで、愛してくれた遠い日のこと。
幸せに満ちた恋人同士の熱い時間を再び手に出来る日まで、どれだけ待てばいいのだろうか…。
同じ頃、ハーレイの方も水から上がってプールサイドをぐるりと見渡す。
見学者用の屋根のある場所にも、柵の向こうにもブルーはいない。
(よしよし、ちゃんと言い付けを守っているな)
見たい気持ちは分からんでもないが、と心の中で呟きながら着替えのためにロッカー室へと歩くハーレイには実は前科があった。
まだ夏休みに入る前のこと。自分の授業が無い空き時間にプールの脇を歩いていたら。
「おーい、ブルー!」
そう叫ぶ男子の声が聞こえた。ブルーという名の生徒はこの学校には一人しかいない。反射的に声がした方を振り向こうとしてハッタと気付いた。
声がしたのはプールから。ブルーのクラスが水泳の授業中なのだ。
(…水着か!)
水着のブルーか、とハーレイの鼓動が早くなった。
今の生では当分先まで拝めそうもないブルーの裸身。水着つきでも拝んでみたい。
(……す、少し小さいが…。いや、かなり小さすぎるんだが…!)
だが見たい、と透き通るような白い肌への想いが募る一方で。
(いや、いかん! これでは覗きと変わらないぞ…!)
教え子の水着姿を覗くなんぞは最低なんだ、と自分自身を叱咤したものの。
(しかしだ、俺が体育の教師だったら当たり前のように見るわけだしな?)
たまたま古典の教師になったが、体育教師の選択肢も無かったわけではなかった。もしも体育の教師として出会っていたなら水着姿は拝み放題、見て当然の職だったわけで…。
(よしっ!)
葛藤の末に「俺は今だけ体育教師だ」と自分自身に言い訳をして「えいっ!」とばかりに視線を向けたブルーが授業中の魅惑のプール。
其処にブルーは居なかった。正確に言えば期待通りのブルーが居なかったと言うべきか…。
(…ブ、ブルーは見学だったのか…!)
見学者用の屋根の下の椅子にチョコンと座った制服のブルー。その赤い瞳が自分を捉える前に、と慌てて走り去った日から、もうどのくらい経ったのか。
「……あの時の罰が当たったかもなあ……」
夏休みの間中、居もしないブルーの影に脅かされるのだろうか、とハーレイは深い溜息をつく。
とはいえ、やはりブルーは愛おしい。今日も急いで行ってやらねば、と気持ちを切り替え、服に着替えて暑い日射しの下へ出た。
(待ってろよ、ブルー。もうすぐ行くから)
道の照り返しもなんのその。恋人の許へと歩くハーレイの足は疲れ知らずで軽かった。
夏に着る物・了
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
春のお彼岸の慰安旅行に続いてお花見、新入生向けのイベントなどなど慌ただしかった時期が終わって今日はのんびり、普通の土曜日。今年のゴールデンウィークはどうしようか、なんて話をしながら会長さんの家のリビングで過ごすことに…。
「何処かお花見でも出掛けるかい?」
お昼も食べたし、と会長さん。
「北の方の桜はこれからだしねえ、瞬間移動でパパッと行くとか」
「えーっと…。それって、お花見だけ?」
屋台とかは、とジョミー君が尋ねると、キース君が。
「お前な…。アルテメシア公園の花見で散々食っただろうが! 花見と言ったら普通に花見だ、屋台なんぞは無い場所も多い」
風情を楽しめ、と言うキース君に、スウェナちゃんも。
「そうよ、人の少ない場所で綺麗な桜を見るのがいいのよ、お弁当も屋台も二の次よ!」
「かみお~ん♪ お出掛けするなら桜餅でも買ってくる?」
お花見だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコと。
「ケーキじゃ気分が出ないでしょ? お花見団子も買った方がいい?」
「そうだねえ…。地元で調達もオツなものだけど」
お菓子が美味しそうな桜の名所は…、と会長さんはサイオンで各地の花を見ているようです。これはとっても期待できそう!
「俺、花見団子が食いてえなあ…」
サム君がボソリと言えば、他のみんなも。
「俺は断然、桜餅だな。だが、御当地銘菓も捨て難い」
「ぼくも御当地銘菓を推します、キース先輩に一票です!」
「屋台だってば!」
「ジョミーは黙っていなさいよ! 私も御当地銘菓が食べたいわ」
ああだ、こうだ、と好みを挙げつつ、会長さんの決定待ち。御当地銘菓か、桜餅か…。
「……お取り込み中を悪いんだけど」
「「「???」」」
あらぬ方から聞こえた声にバッと振り返ると、会長さんのそっくりさんが立っていました。いつものソルジャーの衣装ではなくて私服ですから、お花見に来る気満々ですねえ…。
空間を越えて割り込んで来たお客様。せっかくのお花見が大変なことになりそうです。今はソルジャーだけですけれど、参加受け入れを表明したが最後、キャプテンと「ぶるぅ」が呼び寄せられることは明々白々。バカップルと悪戯っ子の大食漢には散々苦しめられたのに…。
「また来たわけ?」
お花見はとっくの昔に行っただろう、と会長さんが苦い顔。
「今日のは豪華弁当も無いし、ちょっと出掛けてすぐ帰るだけ! 現地でお菓子を食べる程度で、君たちに旨味は無さそうだけど?」
「ああ、そっちの方は別にいいんだよ。どうぞ気にせず行って来て」
ぼくは留守番しているからさ、と意外な台詞が飛び出しました。
「お茶とお菓子さえ置いといてくれれば、一時間でも二時間でも…。どうぞごゆっくり」
「「「………」」」
怪しすぎる、と目と目で見交わす私たち。ソルジャーは人一倍のイベント好きでお祭り好きです。おまけに美味しいお菓子に目が無く、御当地銘菓と聞けば確実に食い付きそうなのに留守番だなんて…。それに桜はソルジャーが一番好きな花だと何度も繰り返し聞かされたのに?
「桜の花はどうするんだい? 見たいんじゃないかと思うけどな」
何故留守番を、と会長さんが訊くと、ソルジャーは。
「見たい気持ちは確かにあるけど、今日は君たちの邪魔はしないよ。…お願いしたいことがあるものだから」
「「「は?」」」
「自力じゃどうにもならなくて…。協力をお願いする立場として、我儘は言っちゃダメだろう? 君たちが戻るまで待たせて貰うよ」
行ってらっしゃい、とソルジャーはソファに腰掛けて右手でバイバイ。…どうするんですか、会長さん? お留守番を頼んでお出掛けですか?
「ちょーっと不安が無いでもないけど、今日を逃したら桜がねえ…。桜葛餅ってお菓子でどうかな、御当地銘菓は? 桜の花入りのピンクの葛餅」
「「「行く!!!」」」
お出掛けしよう、と歓声が上がり、お留守番なソルジャーにはお土産を買ってくることに。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が紅茶のポットやケーキ、焼き菓子などをテーブルに置いて…。
「かみお~ん♪ 行ってくるね~!」
パァァッと迸る青いサイオン。いざお花見に出発です~!
瞬間移動で降り立った先は山あいの小さな町でした。その日に作ったお菓子だけが並ぶお店で淡い桃色の桜葛餅を買い、山の方へ歩いて行くと立派な枝垂桜の木が。御当地銘菓があるわけです。
「うっわー、凄いねえ…」
大きすぎ、とジョミー君が見上げ、キース君が。
「おい、これは…。確か有名なヤツじゃないのか? その割に人がいないようだが」
「フライングで咲いたみたいなんだよ、観光バスが来るより先に…さ。この桜だけを見にマイカーで、っていう桜好きの人も他の名所が花盛りではね」
そっちが優先になるだろう、と言われて納得。まさに穴場な桜見物、会長さんのサイオンに感謝しながら満開の桜の下で葛餅を。
「美味しいわね、これ」
「桜餅とか花見団子だけじゃねえんだなぁ…」
気に入った、とサム君も。ソルジャーへのお土産に包んで貰った桜葛餅もきっと喜ばれることでしょう。私たちは普段の年なら観光客がひしめくと聞く枝垂桜をゆっくり楽しみ、たまに訪れる人は地元民だけ。こんなお花見もいいものだ、と誰もが満足。
「ね、思い切って来て良かっただろう? 留守番のブルーが気になるけどさ」
会長さんの言葉に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと、テレビ見てお菓子食べてるよ? 別に心配無いと思うけど…」
「その点はね。問題はブルーのお願いの方」
「「「あー…」」」
忘れてた、と溜息をつく私たち。大好きな桜を切り捨ててまでのお留守番とは、お願いの方もドカンと凄いかもしれません。お土産を買ったことを後悔するような展開にならないといいんですけれど…。
「そればっかりはね、ぼくにも全く分からなくって…。ブルーの心は読めないんだ」
サイオンのレベルはともかく経験値がまるで違いすぎ、と会長さんもお手上げ状態です。
「何を頼む気か知らないけれど、一応、覚悟はしておいて。桜は見られたし、これでチャラになる程度なことを祈るのみ!」
「そうだな、これだけの桜を貸し切れたのはラッキーだったぜ」
帰ったら親父に自慢しよう、とキース君が写真を撮っています。せっかくだから、と私たちも貸し切り桜の証拠写真を何枚も。こんな素敵な桜見物、二度とチャンスは無いかもですしね。
枝垂桜の巨木と桜葛餅を堪能した後、瞬間移動で会長さんの家へ。玄関で靴を脱ぎ、おっかなびっくりソルジャーがお留守番中のリビングに…。
「かみお~ん♪ ただいまぁ~!」
はい、お土産、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が桜葛餅の包みを差し出し、ソルジャーが。
「ありがとう。桜の方はどうだった?」
「んとんと…。とっても綺麗だったよ、ブルーも来れば良かったのに…」
「留守番でいいって言っただろう? あ、これ、食べていいのかな?」
「うんっ! お皿、取って来るね!」
ちょっと待ってて、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言い終える前にソルジャーは桜葛餅を鷲掴み。添えられていた菓子楊枝の袋なぞ見なかったように手づかみで。
「へえ…。美味しいね、これ」
「「「………」」」
「どうかした? あ、この桜の花って塩漬けなんだ」
葛餅の甘さにピッタリだよね、とモグモグモグ。ソルジャーのマナーの悪さは既に周知の事実ですけど、会長さんと同じ顔だけに目にすると衝撃も大きかったり…。ポカンとしている私たちを他所にソルジャーは桜葛餅を食べ終え、最後に指と手のひらをペロリと舐めて。
「御馳走様。…で、お願いをしてもいいかな?」
「……お願いねえ……」
嫌だと言ってもするんだろう、と会長さんが返すと、ソルジャーは大きく頷いて。
「決まってるじゃないか、こうして留守番もしてたんだしね。大丈夫、そんなに難しくは無い…んじゃないかな、君たちだったら」
「何かさせる気?」
「盛り付けを、ちょっと」
「「「盛り付け?」」」
なんのこっちゃ、と首を捻った私たちの前にソルジャーがヒョイと宙から取り出したものは大きなクーラーボックスでした。蓋が開けられ、中を覗き込めば色々なお刺身がギッシリと。ソルジャーは蓋を再びパタンと閉めて。
「これをね、盛り付けて欲しいんだよ。…うんとイヤらしくエッチな感じに」
「「「は?」」」
お刺身の盛り付けをイヤらしく? エッチな感じにって、何ですか、それ?
ソルジャーのお願い事はクーラーボックスにギッチリ詰まったお刺身の盛り付け。それくらいならお安いご用、と言いたい所ですが、注文内容がカッ飛び過ぎです。イヤらしくエッチに盛り付けろなどと言われましても、相手はお刺身というヤツで。
「…盛り付けを頼むと言ったんだよね?」
会長さんが確認すると、ソルジャーは。
「そう! ぼくは根っから不器用だからさ、サイオンでやっても無理なんだよね」
一応チャレンジしてみたのだ、と自分の不器用さを嘆くソルジャー。
「やるだけ無駄って感じだったよ、お刺身はぶるぅが食べたけど。…こういう時には無芸大食も便利かもねえ」
「なんでお刺身?」
「そりゃあ、そういうモノなんだろう? ノルディに教えて貰ったんだよ、こないだデートをした時に! 活け造りを食べてて、そういう話に」
あの活け造りは美味しかった、とソルジャーはひとしきりグルメ自慢を。エロドクター御用達の高級料亭に連れて行って貰ったみたいです。
「それでね、ノルディが言い出したんだ。お刺身の最高の食べ方は女体盛りだそうですが、私が食べるなら女体よりかは断然美形の男性ですね、って」
「「「………???」」」
ニョタイモリって何でしょう? それに美形の男性って? どんな食べ方なんだかサッパリ…。
「あ、もしかして誰も分かってない? なんかね、お皿の代わりに裸の身体に盛るんだってさ、お刺身を」
「「「え?」」」
「つまりこう、服の代わりかな? 食べ終えたらすっかり裸なわけで、後は楽しく」
「退場!!!」
さっさと出て行け、と会長さんがレッドカードを突き付けましたが、ソルジャーは全くひるみもせずに。
「別にいいだろ、お願いなんだし! ぼくはハーレイに最高の地球のお刺身を食べさせたいだけで、その後のことは君たちとは無関係だしね」
盛り付けが上手く出来ない分を手助けして欲しいだけなのだ、とズイと出ました、クーラーボックス。もしかしなくても、これにギッチリ詰まったお刺身をソルジャーに盛り付けるんですか? うんとイヤらしくエッチな感じにって、ソルジャーが裸だからですか…?
期待に満ちた顔のソルジャーと、顔面蒼白の会長さんと。私たちだって目が点です。けれどソルジャーはウキウキと。
「ぼくが自力でやった時はさ、お刺身が綺麗に並ばなくって…。ぶるぅを呼んで「どんな感じ?」と尋ねてみたら、「なんかグチャグチャ」と呆れられちゃった。それで頼みに来たんだよ」
ぶるぅも手先はイマイチで…、と言われて頭痛の私たち。もしも「ぶるぅ」が「そるじゃぁ・ぶるぅ」みたいに器用だったら、こんなことにはならなかった気が…。
「頼むよ、盛り付けるだけでいいんだってば!」
「…衛生面から大却下だよ!」
お刺身が傷む、と会長さんが反撃に出ました。
「お刺身は何度も食べているだろ、アレは鮮度が命だから! 体温で温まったら傷んでしまうし、美味しく食べるには冷たくなくちゃ!」
生温かいお刺身なんて、と会長さんに突き放されたソルジャーですが。
「そこはノルディも分かっていたよ? 「あなたならサイオンで冷やせますから、本当に最高のお刺身でしょうね」と呟いてたし…。男のロマンだと言われちゃうとさ、是非ハーレイに食べさせたいと思っちゃうわけ」
サイオンで冷やす方だけはバッチリだった、と失敗したらしいケースについて語るソルジャー。
「ぶるぅはグチャグチャなお刺身には文句をつけていたけど、味に文句は無かったようだよ。「地球のお刺身は美味しいもんね」と大喜びで食べてたし!」
「……君の身体に乗っけたヤツを?」
「途中まではね。…放っておいたらぼくまで齧られそうな気がして、途中で逃げた」
お刺身をお皿に移してバスルームへ、とソルジャーは肩を竦めています。大食漢の「ぶるぅ」は夢中になったら何でもガツガツ食べまくりですし、ソルジャーだって齧っちゃうかもしれません。逃げたというのは正解でしょうが…。
「齧られてこそだよ、女体盛りはね」
君の場合は男体盛りか、と会長さんが吐き捨てるように。
「お刺身の方がついでなんだよ、その食べ方は! 齧られておけば良かったのに」
「嫌だよ、ぶるぅの歯形なんて! 同じ齧られるならハーレイの方が…」
だから盛り付けをお願いしたい、とソルジャーは譲りませんでした。でも…。裸のソルジャーに盛り付けるなんて…。
「あ、そこは心配要らないから! ぼくだって最低限のマナーは心得ているし、盛り付けて貰う間はちゃんと水着を着ておくよ」
帰ってからサイオンで脱げばいいんだしね、とニッコリ笑っているソルジャー。クーラーボックスをズイと押し出し、帰る気配もありません。私たち、万事休す……ですか……?
うんとイヤらしく、エッチな感じに。ソルジャー御注文のお刺身の盛り付け、結局、会長さんのレッドカードな攻撃が何度炸裂しても断れなくて…。
「…んーと…。ぼくのイメージでは、そこはトリガイ…」
「君の意見は聞いてないっ!」
黙っていろ、と中トロの載ったトレイを持った会長さん。キース君がイカでジョミー君はヒラメを担当、シロエ君は鯛、マツカ君が大トロ、サム君がホタテ。他にも海老やらウニやら、トリガイにタコに…。
「…なんで俺たちまでこんなことに…」
「しょうがねえだろ、ブルーだけだと気の毒じゃねえかよ」
要は盛り付ければいいんだし、とサム君がお箸でヒョイヒョイと。開き直った男子五人はニワカ板前と化していました。ソルジャーの注文どおりにお刺身を並べてゆくのがお仕事で。
「かみお~ん♪ はい、大トロ追加~!」
どんどん出るね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がクーラーボックスの中からお刺身を。ソルジャーがサイオンで細工をしていたらしく、見た目以上に中身が詰まっているのです。男の子たちは自分のトレイが空になる度に次のトレイを素早く渡され、ソルジャーの上に盛り付ける羽目に。
「ふふ、最後の仕上げが肝心ってね。…うんとイヤらしくエッチに、だよ?」
「分かったよ! やればいいんだろう、君のイメージどおりに!」
ぼくがやる、と会長さんがニワカ板前の五人を下がらせ、お刺身をお箸で慎重に。水着の上が大事だというのは分かりますけど、他にもポイントがあるようです。胸の上とか…。
「俺にはサッパリ分からんな」
これを食いたいと言うヤツが、とキース君が腕組みをすれば、ジョミー君も。
「だよねえ、なんか食欲失せるけど…。当分、お刺身、食べたくないなあ」
「…ぼくはお寿司も無理な気がします…」
特上握りが好きなんですが、とシロエ君が深くて長い溜息。その間にも会長さんはバラエティー豊かに盛り付けを仕上げ、ソルジャーが思念体とやらで抜け出して自分の身体を確認して。
「ありがとう。いい感じだよ、イメージぴったり! 後はサイオンで冷却しながらハーレイが来るのを待つばかり…ってね。それじゃ、さよなら」
また来るね、と思念を残してお刺身満載のソルジャーがフッと消え失せました。リビングに漂う脱力感と虚脱感。…とんでもない日になっちゃいましたが、今日の桜は綺麗だったなぁ…。
翌日、ソルジャーは姿を現しませんでした。大量のお刺身がどうなったのかは考えたくもなく、私たちは会長さんの提案で瞬間移動でのお花見、再び。あちこちの桜の名所をハシゴし、御当地グルメを食べまくる内に昨日の騒ぎは遠いものとなり…。
「今日の桜も凄かったよねえ、屋台も行けたし!」
夜桜も最高、とジョミー君。仕上げに訪れた桜の名所はライトアップされていて、アルテメシア公園のような屋台こそ無いものの、あちこちでお花見の宴会が。私たちも豪華お花見弁当を買い込み、会長さんがサイオンでキープしておいた特等席でワイワイと。
「このお弁当も美味しいですよ。会長、ありがとうございます」
予約しといて下さったんですよね、とシロエ君が御礼を言うと、会長さんは。
「御礼ならハーレイに言うべきかもね」
「「「え?」」」
「お花見に行くからお弁当代を出してくれ、って頼んだから」
「あんた、こないだの花見でもたかってたろうが!」
またやったのか、と額を押さえるキース君。
「教頭先生がお気の毒だぞ、慰安旅行の費用も出して下さったのに…。そこへ花見が二回だと? あんた、どこまで厚かましいんだ」
「別にいいじゃないか、ハーレイはそれが生甲斐なんだし」
未来の嫁には貢いでなんぼ、と会長さんは涼しい顔。
「君たちとお花見に行くとなったらドカンと奮発しなくちゃね。財布が空になりそうだ、とは言ってたけれど、心の中ではガッツポーズさ。頼られるだけで嬉しいらしい」
「…あんた、分かってやってるな…」
「それはもちろん」
ブルーがノルディにたかるのと同じ、と嘯いている会長さん。教頭先生、最初の頃は定期試験の打ち上げパーティーの費用だけを負担して下さっていたのに、いつの間にやら会長さんのお財布ポジションにおられます。お気の毒とは思いますけど、私たちにはどうしようもないですし…。
「まあ、いいか…。教頭先生がいいと仰っているならな」
キース君の言葉に、会長さんが。
「そうだよ、ハーレイはぼくにぞっこんなんだし、構って貰える間が花さ」
たとえお財布代わりでも…、と会長さんはパチンとウインク。
「ハーレイの財布の前途を祝して乾杯しようよ、また毟らなきゃいけないしね」
「「「……前途……」」」
まだ毟る気か、と呆れ返りつつ、でも財源は大切で。夜桜と教頭先生の財布にとりあえず乾杯しときますか…。
次の日からは普通に授業で、放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にたむろする日々。今日も部活が終わった柔道部三人組を迎えて焼きそばを食べていたのですが。
「こんにちは。…この間はどうも」
「「「!!!」」」
焼きそばを頬張ったままで無言の悲鳴。紫のマントが優雅に翻り、ソルジャーが空いているソファにストンと腰を。
「今日のおやつは…、と。たまには焼きそばもいいかもね」
「かみお~ん♪ 焼きそばからにする?」
はいどうぞ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお皿に盛り付け、ソルジャーは早速お箸でパクパク。食べ終えると緑茶で喉を潤し、お次はケーキで。
「ふうん、桜クリームのモンブランなんだ?」
「えっとね、おっきい型で焼いたの! 一個ずつのもいいけど、ボリュームたっぷりのタルトもいいでしょ?」
お代わりもあるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌です。
「えとえと、こないだのお刺身はどうだったの?」
子供ならではの無邪気な発言は爆弾そのもの。それを訊くな、と誰もが心で上げた叫びはソルジャーに綺麗に無視されて。
「お刺身かい? そりゃあ喜んで貰えたよ。ハーレイ、予定には無かった特別休暇を取ってくれてさ、いわゆるキャプテン権限で」
「美味しく食べて貰えたんだね!」
「うん。それはもう、お皿のぼくまで舐めるように…ね。ぶるぅも手伝ってくれてありがとう。そこの君たちにも感謝してるよ、またよろしく」
「お断りだよ!!!」
誰がやるか、と会長さんが跳ね付け、男の子たちも首を必死に左右に。スウェナちゃんと私は両手で大きくバツ印ですが、ソルジャーはモンブランを頬張りながら。
「でもねえ…。ぼくは不器用だし、ぶるぅもダメだし、アレをやるにはお願いするしか…。ハーレイも凄く感激してたし、またいつか」
「自分で盛れるように修業したまえ!」
それもサイオンの訓練の内だ、と会長さんが突っぱねてますが、ソルジャーのサイオンが更にパワーアップしたら私たちも無事では済まないような…?
夢の盛り付けを二度三度、とロクでもない夢を見ているソルジャー。今日は御礼を言いに来たとか言ってますけど、御礼ついでに次のお願いを兼ねていることは間違いなくて。
「ホントのホントに喜んだんだよ、ハーレイは! 食べ尽くされるかと思うくらいの勢いでさ…。「お刺身はアレに限りますね」って何度も耳元で囁かれてる」
「だったら自分で盛ればいいだろ!」
好みのお刺身を自分流で、と会長さんはソルジャーを撃退するべく奮闘中。
「それがダメならノルディだね。君の頼みなら喜んで手伝ってくれると思うよ、手先も器用だ」
外科医だしね、と会長さんが告げると、ソルジャーは。
「うーん…。流石のぼくもノルディはちょっと…。ウッカリ流されてハーレイを裏切るようなことになっちゃうのはねえ…」
「その危険性は認識してたんだ? しょっちゅうデートをしているくせに」
いっそノルディに食べられてしまえ、と会長さんは毒づきましたが。
「それは困るな、ぼくは結婚してるんだしね。浮気をしたい時ならともかく、それ以外では他の男は…。そんなことより、君の方だよ」
「え?」
「君だよ、君。こないだもハーレイにたかっていたよね、御礼に食べられてあげればいいのに」
「必要ないっ!」
そんなつもりも必要も無い、と会長さんは眉を吊り上げ、ソルジャーが。
「じゃあ、せめてビジュアルだけでもさ! ほら、たまに食堂の前とかに…」
「「「???」」」
「なんて言うのかな、料理の見本? ソックリに作ったヤツがあるだろ、ああいう感じでビジュアル提供! どうせハーレイには食べられないんだ、君の身体に盛ったお刺身」
食べる前に鼻血で倒れておしまい、とソルジャーはニヤニヤしています。
「見た瞬間にアウトかもねえ、鼻血を噴いて即死ってね。一度、挑戦してみたら?」
「そういう趣味は無いってば!!」
なんだって女体盛りなんか、と喚き散らしていた会長さんの声のトーンが急に下がって。
「……待てよ……。ブルーだって水着を着ていたんだし……」
要は裸にならなきゃいいのか、と唇に浮かぶ怪しげな笑み。ソルジャーも我が意を得たり、とニッコリと。
「やる気になった? 水着一枚でかなり違うと思うよ、心理的負担」
「…そうかもねえ…」
水着どころかフルに着てても大丈夫かも、と思案している会長さん。お刺身盛り付け、まさか今度は会長さんに? 水着ならぬウエットスーツでも着るつもりですか、会長さん…?
「食べられないって所がポイント高いかもだよ、君の提案」
使えそうだ、と会長さんがソルジャーに向かって頷き、愕然とする私たち。お刺身の悪夢、再来です。ソルジャーが不器用な以上、会長さんに盛り付けるとなったら誰かが思い切りババを引かされ、イヤらしくエッチな盛り付けとやらを担当する羽目になるのでは…。
「え、盛り付けの担当かい? 別にブルーでも大丈夫な気が」
相手はたかがハーレイだし、と会長さん。
「それにね、いくらブルーが不器用でもさ…。お箸を使えって言うわけじゃないし、素手で扱ってもオッケーかと」
手さえ綺麗に洗っておけば、と会長さんは笑っていますが、お刺身を素手で? まあ、ソルジャーはサイオンで冷やすという究極の技を持ってますから、いいんでしょうか?
「素手でねえ…。でも、ぼくの不器用さは変わらないよ?」
「別に綺麗に盛り付けなくてもいいんだってば」
「ダメダメ、そこは譲れないよ! 盛り付けがアレの命だと思う」
うんとイヤらしくエッチでなくちゃ、と主張するソルジャーに、会長さんは。
「それはあくまで上級者向け! ハーレイみたいに鼻血でダウンな万年童貞のヘタレにはねえ、どんな見た目でも刺激的だよ、たとえ嫌いな食べ物でもさ」
「「「は?」」」
教頭先生、お刺身、お嫌いでしたっけ? それは無かったと思います。手巻き寿司パーティーに何度もいらしてますし、苦手なお刺身も無かったような…。
「誰がお刺身でやると言った? ぼくが着るのはパンケーキ! ついでにホイップクリームなんかもたっぷりかけるといいかもねえ…」
お砂糖たっぷり、甘みたっぷり、と会長さんは悪魔の微笑み。
「どう考えても手も足も出ないよ、ハーレイは。それでも食べようと頑張るだろうし、ダメ押しに一発、ちょっとエッチな気分にね」
「何をするのさ?」
興味をそそられたらしいソルジャーに、会長さんが。
「食べる行為に集中出来るよう、両手を後ろで縛ろうかと…。食べるためには、ぼくの身体に顔を近づけるしかないって仕組み」
「……ナイスすぎるよ、そのアイデア……」
喜んでハーレイの両手を縛らせて貰う、とソルジャーの瞳がキラキラと。会長さんの身体に盛り付けるモノはお刺身ならぬパンケーキ。しかもお砂糖たっぷりだなんて、教頭先生には御礼どころか拷問ですよ…。
こうして会長さんにパンケーキを盛り付けることが決定しました。イベント開催は今度の週末、土曜日の夜。教頭先生宛に会長さんが「日頃お世話になっているから御礼をしたい」と招待状を送り、私たちは土曜日のお昼前に会長さんのマンションへ。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
お昼はシーフードパエリアだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お刺身で始まったアイデアだけにシーフードで景気づけをするべし、というのが会長さんの方針らしく。
「やあ、来たね。ブルーも来てるよ」
「こんにちは。今日のハーレイ、楽しみだねえ…」
ワクワクするよ、と会長さんのそっくりさん。このソルジャーのパートナーであるキャプテンは非常に美味しい思いをしたようですけど、キャプテンそっくりの教頭先生を待っている罠は…。
「パンケーキはぶるぅが大量に材料を仕込んでいるよ。お砂糖多めのレシピでね」
「あんた、鬼だな…」
御礼どころか仇で返すか、とキース君が吐息をついても気にしないのが会長さんで。
「まずはシーフードで景気づけ! それでねえ…。ブルーと相談してたんだけど…」
首筋と手足は出すべきだね、と会長さんはパエリアをスプーンで掬いながら。
「大サービスで鎖骨あたりまでは見せてもいいかな、と思うんだ」
「腕は肩まで見せなきゃダメだよ、足は膝下くらいまでかな」
それ以上は君が嫌だろう、とのソルジャーの指摘に、会長さんは首を縦に。
「どうせハーレイが食べられるような厚みに盛りはしないけど…。頭の中の妄想爆発を考えちゃうとね、見せすぎはぼくが嬉しくない。服はキッチリ着ておかないと」
「「「服?!」」」
「そう。タンクトップと膝丈のパンツは外せないね」
もちろん下着もバッチリと、と片目を瞑る会長さんが目指す方向はソルジャーとは正反対でした。食べて貰うのではなく食べられない方、しかもガードはガッチリです。何も知らない教頭先生、どの段階で鼻血の海に沈むんでしょう?
食事の後は甘い匂いが満ち溢れました。お砂糖たっぷりパンケーキの山が幾つもリビングに運び込まれて、トドメに大きなボウルいっぱいのホイップクリーム。着替えを済ませた会長さんが先日のソルジャーよろしく横たわった上に、男の子たちがパンケーキを。
「そこはもうちょっと下の方かな。鎖骨がギリギリ見えるのがオススメ」
こんな感じで、とソルジャーがキース君の置いたパンケーキをずらし、その間にもジョミー君たちはパンケーキを会長さんに被せています。基本は一ヶ所に三枚分の厚み。教頭先生、どう考えても会長さんの素肌ならぬ服を拝めそうにはありません。
「いいねえ、お刺身ならぬパンケーキかぁ…。仕上げにホイップクリームだよね?」
これは任せて、とソルジャーが会長さんにトッピング。曰く、イヤらしくエッチな感じにしてみたそうです、私たちにはサッパリですが…。
「そそる部分に多めに盛ってみたんだけれど? まずはクリームを舐め取らないとパンケーキに辿り着けないってね」
そそるも何も、パンケーキの上は一面のホイップクリームの海。ソルジャーこだわりのデコレーションとやらは白いクリームの海に紛れて目立つような目立たないような…。どの部分だろう、と私たちが首を捻っているとチャイムの音がピンポーン♪ と。
「かみお~ん♪ ハーレイが来たよ!」
迎えに出た「そるじゃぁ・ぶるぅ」が跳ねるような足取りで戻って来るなり、ウッという声が。
「……ほんばんは……」
会長さんの姿を見るなり鼻血の危機な教頭先生。「こんばんは」も言えないようですが。
「本番は、って訊くのかい? 気が早いねえ…」
まずはパンケーキを味わってから、と横たわった会長さんが艶やかな笑みを。
「君のために焼かせたパンケーキなんだ、本番は完食してからだってば。とはいえ、ぼくを食べたい気持ちは分かるし、二人で最初から楽しもうよ」
「……はのひむ?」
「そう、楽しむ。パンケーキもクリームも、手を使わずに食べるんだ。いいだろ、ぼくをうんと近くで味わえて? ブルー、頼むよ」
「了解。ハーレイ、ちょっと失礼」
手を後ろへ、とソルジャーに素早く両手を縛り上げられた教頭先生。パンケーキを纏った会長さんの甘いベールを口で剥がすべく、床に膝をついて身体を前へと倒してゆかれたのですけれど…。
「…ここまでヘタレとは思わなかったよ…」
早くどけてくれ、と会長さんが苦しそうな声を上げています。教頭先生はパンケーキを何処から食べるべきかと逡巡する内に限界突破で、鼻血を噴いて前のめりにダウン。結果的に会長さんの胸から下を派手に押し潰し、ピクリとも動かないわけで。
「んとんと…。どけるのはいいけど、パンケーキ…」
ハーレイの鼻血でダメになっちゃった、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がションボリと。ソルジャーが纏っていたお刺身がキャプテンに喜ばれた話を素直に受け入れただけに、パンケーキも教頭先生に喜んで貰えると本気で信じていたようです。
「なるほど、ぶるぅをガッカリさせた、と…。これも罪状に加えるべきか…」
パンケーキを無駄にしただけでなく、と押し潰されたままの会長さんが右手の指を折りながら。
「ハーレイの意識が戻った暁にはパンケーキ完食まで監禁だね。ぼくを潰した罪も重いよ」
「監禁なんだ? いいねえ、もちろん縛ったままだね」
今度は奴隷プレイは如何、とソルジャーが嬉しそうに教頭先生の背中を指先でツンツンと。
「首輪をつけてさ、鎖に繋いで、完食するまであれこれと……ね」
「…君に任せると鼻血地獄から抜け出せない気もするんだけれど…」
地獄に落ちるほどの罪は充分犯したか、と会長さんは赤い瞳のそっくりさんな悪魔と結託しちゃったみたいです。まだ会長さんを押し潰している教頭先生、意識が戻ったら完全に地獄。天国だった時間が何処までなのか分かりませんけど、このまま昇天なさった方が…。
「そうかもね。このまま死んだらまさに天国、童貞ながらも腹上死かな?」
「「「…フクジョウ…?」」」
ソルジャーが口にした謎の言葉に首を傾げれば、会長さんが。
「どうでもいいけど早くどけてよ、重いんだってば!」
「瞬間移動で抜け出せるだろう? それともアレかな、嫌よ嫌よも好きの内?」
「違うっ!!!」
パンケーキの山から瞬時に抜け出した会長さんがソルジャーに飛び掛かり、教頭先生は憐れパンケーキと鼻血の海に。ソルジャーが言ったフクジョウなんとかで天国に旅立たれるのか、踏み止まって生き地獄か。読経のプロたちが控えてますから、心おきなく選んで下さい~!
盛り付け色々・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
シャングリラ学園番外編は去る11月8日で連載開始から6周年となりました。
ハレブル別館の始動でご心配かと思いますけど、更新ペースは落ちませんからご安心を。
シャングリラ学園番外編はまだまだ続いていきますよ!
10月、11月と月2更新が続きましたが、12月は月イチ更新です。
来月は 「第3月曜」 12月15日の更新となります、よろしくお願いいたします。
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、11月はスッポンタケ狩りの収穫物を巡って荒れそうな…?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
ハーレイと再会してから、もうすぐ一ヶ月になるんだけれど。
週末は必ずハーレイが来てくれて、平日だって時間が取れれば夕食を一緒に食べたりしている。前の生でメギドへ飛んだ時には思いもしなかった、この奇跡。
あの日、メギドで失くしてしまった最後にハーレイに触れた手に残った温もり。それを失くしたことが悲しくて、もうハーレイには会えないんだと、独りぼっちになってしまったと心の奥深くで泣きながらソルジャー・ブルーだったぼくの命は終わった。
右の手が冷たくて泣いた遠い日のぼく。凍えた右手が失くした温もりは二度と戻ってこないと、ハーレイから遠く離れた所で独りぼっちで死んでゆくのだと。
それなのに、ぼくはハーレイに会えた。
ずっと見たかった青い地球の上で、ハーレイと生きて巡り会えた。
ぼくは十四歳の子供で、ハーレイは二十三歳も年上の先生だったけれど、ぼくたちは会うことが出来たんだ。これが奇跡で無いと言うなら何だろう?
そう、奇跡でしか有り得ない。
だから神様は絶対に居る。ぼくたちの目には映らないだけで、神様は何処かに居る筈なんだ。
今から思えば、十四歳の誕生日に奇跡は始まっていたんだと思う。
だって、ハーレイと再会した場所は十四歳になった子供が行く学校。
それにソルジャー・ブルーだったぼくのサイオンが目覚めた日だって、いつだったのか記憶にも残ってはいない十四歳の誕生日。
前の生の頃は十四歳の誕生日は誰でも『目覚めの日』だった。成人検査を受けて養父母や育った家と別れて、大人の世界へ歩み出してゆく日。
成人検査に落っこちたぼくは大人の世界へ出てゆく代わりにミュウになった。
オリジンと呼ばれて残酷な人体実験ばかりの日々だったけれど、其処からソルジャー・ブルーの記憶が始まる。
だから十四歳の誕生日はきっと、ぼくにとって特別だったんだ。
ハーレイに会える日までのカウントダウンがあの日に始まり、ぼくたちは地球で再び出会った。
最高の奇跡が起こったその日に、ぼくの身体に現れた前の生での最期の傷痕。
その兆候だった右の瞳からの一番最初の出血の日は…。
十四歳の誕生日の次の日、四月の一番最初の日にあった今の学校の入学前の説明会。
ママと二人で出掛けて行った。其処で「はじめまして」と挨拶をした校長先生が言ったんだ。
「ずっと昔は十四歳の誕生日を目覚めの日と呼び、別の人生が始まる日でした。その時代に苦しめられていたミュウを救うために立ち上がってくれたソルジャー・ブルー。命を捨ててミュウの未来を守ってくれた彼のお蔭で、あなたたちは此処に居るのです」
後はお決まりの「頑張って勉強して下さい」とかだったと思う。
ジョミーと、ぼくをメギドで撃ったキースも今では英雄だったけれども、こういう挨拶で最初に必ず出て来る名前はソルジャー・ブルー。
ぼくの名前と同じ「ブルー」と、パパとママがぼくに「ブルー」と名付けた理由の同じ瞳の色と髪。それがちょっぴり誇らしくなって、恥ずかしくも思う学校でよく聞く先生の話。
前の学校でも何かと言えば「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」とか、ジョミーやキースの名前まで出る長ったらしい挨拶だとか。
もう充分に聞き飽きていたし、ぼくは行儀よく座っていたけど他の子は欠伸なんかをしていた。
それから後は学校生活のごく簡単な説明があって、入学式の案内も。全部済んだらママと一緒に家に帰って、貰って来たプリントなんかを読んで…。
その日の夜になって初めて、右目の奥がツキンと痛んだ。
校長先生の挨拶で聞いたソルジャー・ブルーという名前。それに反応したんだと思う。
自分の部屋で本を読んでいた時、急に右目から零れた赤い血。
怪我したのかと酷く驚いたし、見えなくなるのかと泣きそうになった。右の瞳が傷ついたんだと思ったから。見えなくなっても移植再生手術で治るけれども、そんなのは嫌だ。生まれつき身体がとても弱くて学校も休みがちなぼく。入学する前に手術のために入院だなんて…!
半ばパニック状態で鏡を覗き込んでみたら、ぼくの瞳に傷は無かった。血だって一筋流れ落ちた後はもう出なかったし、目もちゃんと見える。
新しい学校を最初から休むなんて嫌だったから、ママたちには黙っていることにした。
それが最初に血を流した日。
誕生日の三日ほど前にパパが読んでいた本を覗き込んだらミュウの歴史で、ソルジャー・ブルーの名前も写真もあった。でも、その時は平気だったんだ。
右目の奥は痛まなかったし、もちろん血だって出なかった。
だから十四歳の誕生日にぼくの中で何かが変わって、今の奇跡の日に繋がったんだと信じてる。
生まれ変わったハーレイに会って、ソルジャー・ブルーだった頃の記憶が戻って…。
特別だった十四歳の誕生日。
お祝いのケーキを食べていた時には知らなかったけど、あの日が奇跡の始まりなんだ。
パパとママの見ている前で右の瞳から赤い血が出て、病院に連れて行かれた日。
四月の二十七日だった。
ぼくを診てくれた先生が『聖痕』という言葉を教えてくれた。
そして笑って言ったんだ。先生と同じ名字の従兄弟がキャプテン・ハーレイそっくりだ、って。その人は学校の先生をしていて、もうすぐぼくの学校に来ると。
もし会った時に右の瞳から血が流れるようなら、ぼくはソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれないと聞いて怖かった。
だって、ぼくは十四歳になったばかりの子供。伝説の英雄みたいなソルジャー・ブルーと同じだなんて言われても困る。そんなことになったら、どうしたらいいか分からない。
絶対に違うと思いたかった。ぼくは普通の十四歳の子供で、ソルジャー・ブルーの生まれ変わりなんかじゃないと。
どうか生まれ変わりじゃありませんように、と神様に毎日お祈りをした。神様はお祈りを聞いてくれたらしくて、それからは歴史の授業でソルジャー・ブルーの名前を聞いても大丈夫だった。
ぼくの右目から血は流れなかったし、初代のミュウについて習う時間も終わった。
これでもう、ぼくは大丈夫。ぼくはソルジャー・ブルーじゃなかった。
血が流れたのは聖痕とかいう不思議な現象かもしれないけど、それはそれ。
ソルジャー・ブルーの傷痕を写していただけだったら、ぼくはソルジャー・ブルーじゃない。
違って良かった、とホントに思った。
ぼくが本当はぼくじゃないなんて怖すぎる。ぼくはぼく。
ソルジャー・ブルーじゃなくて良かった、と本当にホッとしてたんだ。
奇跡なんて知らなかったから。生まれ変わることが幸せだなんて、夢にも思わなかったから…。
そして奇跡の日がやって来た。
きっと一生忘れはしない、五月三日の月曜日。
いつもどおりに学校に行って、本を読んでいたら友達が言った。古典の先生が変わる、って。
普通だったら先生は途中で変わらないけど、その先生は前の学校で欠員が出たから着任するのが遅れたらしい。「宿題出さねえ先生だといいな」って友達が言って、ぼくは笑った。
情報通の友達と違って、ぼくは何にも知らなかったんだ。その先生が誰なのか、なんて。病院の先生が話してくれた「キャプテン・ハーレイそっくりの従兄弟」が、その人だなんて…。
授業開始のチャイムが鳴って、教室に入って来た新しい先生。
教科書に載ってるキャプテン・ハーレイにそっくりな姿を目にした途端に、右目の奥がズキンと痛んだ。今までの痛みとは桁違いな痛み。右の瞳を潰されたような痛さに呻くよりも前に、両方の肩に、左の脇腹に走った激痛。
撃たれたんだ、と直ぐに分かった。黒い髪の男がぼくを撃った。
地球の男。ミュウの敵のメンバーズ・エリート、キース・アニアン。
激しい痛みと、溢れ出す血と。床に倒れてゆくぼくの中で鮮明に蘇ってくる記憶。銃で撃たれた傷の痛みがぼくに全てを思い出させた。ぼくの記憶を取り戻してくれた。
ぼくはミュウの長、ソルジャー・ブルー。
倒れたぼくを抱き起こしてくれた逞しい腕は、ぼくが愛したキャプテン・ハーレイのものだと。
それから後のことは覚えていない。
酷い痛みと出血のせいで気を失ったぼくは、救急車で病院に搬送された。病院へと走る救急車の中で、ハーレイがぼくの手を握って「大丈夫だからな」「すぐ病院に着くからな」と何度も何度も呼びかけてくれたらしいんだけれど、ぼくは覚えていないんだ。
覚えているのは、傷の痛みが思い出させてくれたこと。ぼくは誰なのか、誰を愛していたのか。
病院の先生が『聖痕』と診断を下した何の傷痕も残さなかった傷が、ぼくに奇跡を運んで来た。ハーレイの記憶を戻したのもまた、ぼくが起こした大量出血。
ぼくたちが再び出会うために現れた奇跡の傷痕。
本物の聖痕は神様の身体の傷らしいけれど、ぼくの傷だって奇跡なんだから聖痕っていう名前は好きだ。ぼくにとっては大切な傷。痛かったけども、傷のお蔭でハーレイと再会出来たんだから。
ずっとずっと昔、人間たちの世界に下りた神様が身体に負った傷痕。
その傷と同じ傷が身体に現れることを、昔の人たちは聖痕と呼んでいたらしい。
ぼくの身体に現れた傷は神様が負った傷の痕じゃなくて、前の生でぼくが撃たれた傷痕。
ソルジャー・ブルーだったぼくが撃たれて、痛みの酷さで最期まで覚えていようと思った大切な温もりを失くした傷痕。右手に残ったハーレイの温もりを消してしまった悲しい傷痕。
その傷痕をぼくの身体に刻み付けたのは誰なんだろう?
本物の聖痕は、神様が強い信仰を持った人の身体に刻むものだと信じられていた。
もしもそうなら、ぼくの傷痕も神様が刻んでくれたんだろうか?
ぼくがハーレイと巡り会えるように、ハーレイがぼくを思い出せるように。
うん、きっと神様のお蔭だと思う。
だってぼくたちは地球に生まれたし、離れ離れじゃなくてきちんと出会えた。
神様が起こしてくれた奇跡なんだもの、大切に生きていかなくちゃ…。
今度こそ温もりを失くさないように。
冷たくて泣きながら死んでいったぼくの右手が、二度と凍えてしまわないように。
神様がくれた奇跡の命を大切に生きて、いつかハーレイと結婚するんだ。
今はまだキスも出来ないけれども、大きくなったらキスを交わして、それから、それから…。
「ブルー? 何を考えてるんだ?」
ハーレイの声で我に返った。ずいぶん長い間、考え事をしていたような気がしていたのに、目の前のテーブルに置かれた紅茶のカップからはまだ温かい湯気が上がってる。
此処はぼくの部屋で、さっきハーレイが訪ねて来てくれて向かい合わせで座ったんだっけ。すぐ側にハーレイが居てくれる嬉しさでボーッとなってしまって、そのまま色々と考えちゃって…。
だからハーレイにも話してみた。十四歳だから出会えたのかな、って。
そうしたら…。
「俺が十四歳の時には、そういう目出度いイベントは何ひとつ無かったんだがな」
ハーレイが「うーん…」と頭を掻いた。
「柔道の大会で優勝したのと、水泳で記録を出した程度だ。俺の学校の記録を一つ更新したな」
その他には特に何も無かった、とハーレイは笑っているけれど…。それだって充分凄いと思う。柔道の大会で優勝するのも、水泳で学校の新記録を出すのも、どっちもぼくには絶対に無理だ。
ついでに、ぼくがそういうことをやったらパパもママも大喜びでお祝いしてくれそうだけど…。
思ったままを口にしてみたら、ハーレイは「はははっ」と大笑いをして。
「そうか、あれも目出度いイベントなのか。俺の家では普通に扱われただけで」
「そうだよ、ぼくの家ならパーティーだよ!」
「なるほど、なるほど。イベントの方でも人を選ぶか、そうだったのか」
あれが目出度いとは知らなかったな、と可笑しそうに笑い続けるハーレイ。
どうやらハーレイが十四歳の誕生日を迎えた時には何も無かったみたいだけれど…。
だけど、ぼくの十四歳の誕生日は特別だったと思う。
ぼく限定の特別イベントだったんだろうか、ハーレイと再会出来た奇跡は?
だってハーレイが十四歳の子供だった頃には、ぼくは生まれていなかったんだし…。
そう考えていて、ふっと気付いた。
ハーレイが生まれてから、ぼくが生まれるまでの間に二十三年間もある。
その間、ぼくは何処にいたのかな?
一人ぼっちで居たんだろうか、と思うけれども、分からない。
でも、なんでそういう風に感じるのか、どうしてなのか…。一人だった気がしないんだ。
いつも誰かがぼくの側に居て、ふんわりとした温もりに包まれていたような…。
メギドで失くした筈の温もりを、ぼくは持っていたような感じがする。
もしかしたら、ハーレイと一緒に居たんだろうか?
死の星だった地球が蘇るまでの長い長い時を、ハーレイと過ごしていたんだろうか?
きっと時間なんか無いような場所にハーレイと二人で居たんだよね、と思いたい。
思いたいけれど、自信がないや。
だけど聖痕なんていう凄い奇跡があるなら、そういう場所もあるかもしれない。
きっとそうだよ、ぼくはハーレイと二十三年間も離れて一人ではいられないから…。
時間の無い場所で二人過ごして、青い水の星が蘇って。
其処に前世のハーレイそっくりに育つ器が出来て、ハーレイは生まれ変わって行ったんだ。
「待ってるからな」って、ぼくに手を振って、ぼくの大好きな笑顔を見せて。
そして時間が無い場所だったから、ぼくもハーレイが行ってしまった後は独りぼっちで待たずに済んで直ぐに生まれて来たんだと思う。
この地球の上に、ハーレイを追って。
二十三年間もの時間さえ、一瞬に変えてしまった神様。
ぼくとハーレイとをもう一度会わせてくれた神様。ぼくの身体に傷痕を刻んでくれた神様。
沢山の奇跡が始まった日が、ぼくの十四歳の誕生日。
身体が弱いぼくが凍えないよう、暖かくなる春を選んで神様が送り出してくれた三月の末の日。
学年で一番の年下だけれど、奇跡の始まりになった誕生日だから、この日が大好き。
ぼくが生まれた三月の末。三月の三十一日から始まった奇跡を、ぼくは一生忘れないよ…。
奇跡の始まり・了