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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 六月初めのある日、登校したブルーは朝のホームルームで今後の人生を左右するであろう大切なプリントを受け取った。他の生徒にとっては何ということもなく、話題にもならない一枚の紙。
 それはプールの授業の開始を控えて保護者が記入する、生徒の健康調査票。
 六月半ばから体育の授業は水泳になるが、プールに入れる状態かどうかを確認するための調査がこのプリントだ。入れない生徒は事情に応じて見学、もしくは教室で自習。
 生まれつき身体の弱いブルーは毎年、これで引っ掛かる。入れないわけでは無かったけれども、実に細かい注意が必要。
 最たるものが「十分ごとに水から上がって五分の休憩」。他にも気温や水温、天候などに応じてプール禁止の指示が出たりするが、一番重要とされているのが休憩だった。
 ブルーは体温の調節が上手く出来ない。体温よりも低い水に入れば当然のように体温が下がり、下がりすぎると体調を崩すことになる。それゆえに水から上がっての休憩が必須。
 世の中便利に出来ているもので、ブルーがプールに入る時には浮遊型の小型ロボットがピタリとくっついて追って来た。十分ごとに審判よろしく「休憩!」とプールサイドへ追い上げ、五分間は水に入らないようキッチリ監視。
 去年までは大して気にしなかったし、追い上げられる前に疲れてしまって休んでいることも多々あったけれど、今年は違った。
 普通の生徒は体育の教師の指示があるまでプールの中に入りっ放しで、それが当たり前。
 ブルーは「プールに入りっ放し」の世界を体験したくなったのだ。



 忘れもしない五月の三日に再会を果たした前世での恋人。
 ソルジャー・ブルーだった自分が愛したキャプテン・ハーレイ。ミュウたちの船、シャングリラの舵を握っていた船長。
 そのハーレイがブルーと同じく青い地球の上に生まれ変わって、ブルーが通う学校に教師として姿を現した。出会った瞬間、ブルーの身体に浮かび上がった前の生での最期の傷痕。聖痕現象と診断された大量出血が切っ掛けとなってブルーとハーレイの前世の記憶が蘇り…。
 以来、週末ごとに逢瀬を重ねて、平日もハーレイの時間が取れれば束の間の逢瀬。
 そんな日々の中で、ブルーは知った。今のハーレイの充実した生を、自分と出会うまでの年月、何を楽しみにしていたのかを。
 運動が好きな今のハーレイ。特に柔道と水泳は賞を取ったり記録を更新したりするほどの腕で、どちらも捨て難いらしい。学校の教師を始めてからも柔道部か水泳部の顧問をやってきたという。現にブルーが通う学校でも柔道部の顧問を務めていた。
 ハーレイが大好きなスポーツの世界。知りたかったし憧れもしたが、身体が弱くて運動も苦手なブルーには些か敷居が高すぎた。柔道なんか出来はしないし、水泳だってろくに泳げはしない。
(でも……)
 プールくらいなら入れるよね、とブルーは考え始めていた。
 泳げなくてもプールに入れば水の世界が近くなる。ハーレイが自由自在に水を掻いて泳ぐ世界に自分も足を踏み入れられる。
 けれど、十分ごとにブルーをプールサイドへと追い上げてしまう小型ロボットが邪魔だった。
 ピタリとブルーの頭上にくっついて進み、「休憩!」とうるさく繰り返すそれ。そんな邪魔者が追って来たのでは水の世界に浸るどころか、興醒めとしか言いようがない。
(…アレさえなければいいんだよ、うん)
 監視されずに思う存分、ハーレイの大好きな水の世界を満喫したい。
 そう考えるブルーの目指す所は監視ロボット抜きでの水泳の授業。その前提として必要なものが今日配られた健康調査票だ。自分の人生を左右する紙を、ブルーは大事に鞄に仕舞った。



 持ち帰った健康調査票。
 母に渡すと、早速かかり付けの医師の診断書を見ながらの記入が始まる。プールに入れる水温や気温、天候などの細かい指示。最たるものが例の休憩なのだが、ブルーは横から注文をつけた。
「ママ。それ、書かないで空けておいてよ」
 言い訳はちゃんと練ってある。
「監視ロボットくっつけてるのって、ぼくくらいだよ。…ぼくだってもう十四歳なのに」
「でも、ブルー。こういうのに年は関係ないのよ」
「関係あるって! ちゃんと自分で時計を見るから! 小さい子供じゃないんだから!」
 監視ロボットつきだと格好悪い、とブルーは唇を尖らせた。
「あんなの誰も連れていないし、ぼくだけだもの!」
「格好悪いって言ったって…。仕方ないでしょ、ブルーは身体が弱いのよ?」
「でも嫌だ!」
 押し問答の末に、母は「そうねえ…」と記入を保留にした。
「パパが帰ったら訊いてみましょう。多分、駄目だと思うけど」
「…でも、嫌だもの…」
 格好が悪い。これだけが決め手。
 母には全く通じない手だが、父なら了承するかもしれない。此処まではブルーの計算通りに事が運んだ。祈るような気持ちで父の帰宅を待ち、健康調査票を突き付ける。
「ねえ、パパ。…監視ロボット、もうくっつけたくないんだけれど…」
「どうしたんだ? アレが無いと誰も時間を計ってくれないぞ。先生だって忙しいんだ」
 そう諭す父に「嫌なんだもの」と訴えた。
「子供みたいでカッコ悪いよ、自分のことなら自分で出来るよ!」
「…うーん、格好悪いと来たか…。確かに気になる年頃かもなあ、身体はうんと小さいけどな?」
「普通だよ!」
「いやいや、充分チビだと思うが、中身はそうじゃないってことだな」
 よし、と父の手がブルーの頭をポンと叩いた。
「それじゃ自分で面倒を見ろ。しかしだ、何かあったら次から監視ロボットつきだぞ」
「うんっ!」
 ブルーは心で「やった!」と快哉を叫び、父が母に「書かないでやろう」と件の部分をブルーに任せる決断を下す。それを受けて母が「挙手した時に適宜休憩させて下さい」と書いた健康調査票を宝物のように持って、翌日、提出。
 これで今年は好きなだけプールに入っていられる。ハーレイが大好きな水の世界に…。



 今の学校で初めての水泳の授業は午後からだった。気がかりだった気温も水温もクリア、絶好のプール日和の青空の下で、ブルーは颯爽とプールサイドに繰り出す。
「あれっ、ブルー、監視ロボットは?」
 前の学校からの友人に訊かれ、ブルーは「いないよ」と得意げに返した。
「ちょっと丈夫になったから…。無しで大丈夫になったから!」
「へえ…! そいつはいいよな、アレ、うるさいしな!」
 ニッと笑って親指を立てた友人は、自由時間にブルーと遊んでいて監視ロボットに邪魔をされた経験多数であった。遊びが最高潮に達していたって「休憩!」とうるさく叫ぶロボット。無視していれば気付いた教師が駆け付け、ブルーを引っ張って連れて行ってしまう。
「アレがいなけりゃ自由ってことだな、今年から?」
「うん!」
 満面の笑みで答えるブルーは御機嫌だった。キラキラと日射しを反射する水も、真っ青に晴れた雲ひとつ無い空も、きっとハーレイが大好きなもの。そして満々と水を湛えたプールも…。
 準備運動を終えて水に入って、最初は自由に過ごせる時間。泳ぐ者やら、水のかけ合いに興じる者やら。ブルーは満足に泳げないから、首だけを出して身体を沈めてみる。浮力で軽くなる身体。
(…わあっ…!)
 前の生で空を飛んでいた時の記憶が蘇ってきた。今は飛ぶなんて出来ないけれども、飛べたならこんな感じだろうか?
(……んーと……)
 こうかな? と身体の力を抜いたら、プカリと仰向けに水面に浮いた。去年までは出来なかった技。前の生での感覚が役に立ったのだろうか。見上げる空も、揺れる身体も気持ちいい。
「ブルー、すげえな! 浮かべるようになったのかよ?」
 泳いで近付いてきた友人に褒められ、気分は上々。これがハーレイの好きな水の世界なんだ、と嬉しくなった。この調子なら下手な泳ぎも上手になっているかもしれない。
(そうだといいな…)
 泳ぎたいな、と期待したのだが、そうは上手くは運ばなかった。浮かべば泳げるというものではなく、それなりの技術が欠かせない。前世の記憶はまるで役立たず、水泳の技量を調べるタイムは悲惨な結果に終わってしまった。でも…。
(…ハーレイは凄く速いんだよね? ホントに凄いや…)
 一番速いタイムを出した生徒でもハーレイには敵わないだろう。その生徒の速さをプールサイドではなく、同じ水の中で体感出来たことが嬉しい。監視ロボットつきであったら何度も休憩時間を挟まれてしまい、タイム計測の間中ずっとプールに居るなんて出来ないわけで。
(良かったあ…)
 長い間プールに入っていられて、とブルーは大感激だった。休憩のことなどすっかり忘れ去り、水の世界に浸ったままで。



 ハーレイが大好きな水の世界は思った以上に気持ちが良くて。以前のブルーが監視ロボットつきだったことを知る友人たちの心配を他所に、うんと泳いで沢山遊んだ。
 もっともブルーの泳ぎは下手くそ、友人たちの指導を受けても全く上達しなかったけれど。失敗して何度も水を飲んだし、かなり疲れてしまったけれども、それでも水の世界は楽しい。
(…ハーレイは上手に泳ぐんだよね…)
 こんな風かな? とイメージどおりに泳ごうとしては失敗ばかり。ゴボッと沈んだり、ゲホゲホ噎せ返る羽目になっても、ハーレイが大好きな水の世界に居るだけで心に幸せが満ちる。
(ハーレイが好きな世界なんだ…)
 前の生で自分が焦がれた地球。今はその地球の上に居るけれど、あの頃に地球を思っていた時のような気持ちでハーレイは水の世界に惹かれるのだろうか…。
 その水の世界に自分が居る。なんて幸せなんだろう。なんて気持ちがいいんだろう…。
(…これがハーレイの大好きな世界…)
 ずっと居たいな、と思ってしまう。けれど授業には終わりがあって、チャイムが鳴って。
 後ろ髪を引かれるような思いでブルーはプールを後にした。水を湛えて光るプールが遠くなる。ハーレイの大好きな水の世界が…。
(でも、またプールの時間があるもんね!)
 監視ロボットに邪魔をされずに過ごした時間は最高だった。次のプールの授業では友人たちから泳ぎのコツを沢山々々教えて貰おう。
 少しでもハーレイに近付きたいから。ハーレイの大好きな世界を味わいたいから…。



(ふふっ、今日はホントに楽しかったな)
 プールを満喫したブルーは大満足の内に終礼を終えて、弾む足取りで学校を出た。ハーレイにも帰り際に廊下で出会って挨拶出来たし、もう嬉しくてたまらない。その気分のまま家の方に向かうバスに乗り込み、空いていた席に座って暫く経って。
(…あれ?)
 ちょっと寒い、とブルーは肩を震わせた。空いていればいつも好んで座る窓際の席。こんな風に寒さを感じたことなど無かったように思うのだけれど…。
(冷房、効きすぎてるのかな?)
 バスの空調は乗客の人数や居場所を計算した上で弾き出される。常に最適な気温になるよう調整されている筈だったが、たまにはこんな日もあるのだろう。
(機械は完璧なんかじゃないしね)
 そのことは誰よりもよく知っている。かつてSD体制が敷かれていた時代、許し難い過ちを犯し続けてミュウを迫害したマザー・システム。あれに比べればバスの空調ミスなど可愛いものだ。
(…でも、もう一枚、シャツがあればいいのに)
 でなければ肩に羽織れるタオルとか。生憎と水泳のために持って来たタオルは濡れてしまって、羽織れば逆に冷えるだけ。
(アルタミラよりはマシなんだけどね…)
 人体実験で放り込まれた絶対零度のガラスケースや、超低温の実験室。あの時の寒さに比べればマシ、と車内の寒さに震えるブルーは知らなかった。
 バスの空調は狂ってなどおらず、快適に保たれていることを。
 自分が寒いと感じる理由は、長時間を過ごしすぎたプールで体温を奪われたせいであることを。



 十分ごとに水から上がって休憩を五分。体温が下がりすぎてしまわないよう、ブルーが守るべきプールでのルール。
 何のために監視ロボットが自分を追っていたのか、ブルーは理解しているつもりで実は出来てはいなかった。自分の身体の弱さを棚に上げ、やりたいことを最優先。その辺りが十四歳の子供たる所以で、結果は実に惨憺たるもの。
 家に帰り付いても震えは止まらず、あまりの寒さに制服のままベッドにもぐり込んだ。上掛けを頭の上まで被って身体を丸めて、懸命にやり過ごそうとするのだけれど。
(……寒い……)
 それに冷たい、とブルーは右手をキュッと握った。
 前の生で最後にハーレイに触れた手。その手に残ったハーレイの温もりを最期まで覚えていたいと願っていたのに、撃たれた傷の痛みの酷さで失くしてしまって悲しくて泣いた。
 ハーレイに会えた喜びの中でいつしか薄れた悲しみの記憶。けれど右手が冷たいと感じた時には思い出さずにいられない。
(…冷たいよ、ハーレイ…。とても冷たい…)
 冷たくて痛い、と凍える右手と胸の奥深くに蟠る深い悲しみとを涙を流して訴えてみても、側に求めるハーレイは居ない。ブルーは冷たいベッドにただ一人、独りぼっちで丸くなるだけ。
 同じ地球の上に、同じ町にハーレイが居るというのに温めてくれる手は何処にも無かった。
(…寒いよ…。ハーレイ、手が冷たいよ…)
 泣きながら眠ってしまったブルーの体温は戻らず、母が様子を見に来たことにも気付かないまま眠り続けて、やがて夕食の時間になって。
「ブルー、晩御飯よ? どうしたの、ブルー!?」
 真っ暗な部屋と、ベッドにもぐって死んだように動かないブルー。慌てて駆け寄った母の悲鳴で目覚めたブルーは「…ママ……」と弱々しい声を返すのが精一杯だった。
 発熱とは違い、その反対。ぐったりとしたブルーの冷え切った身体は平熱どころか下がりすぎていて、母に上掛けを追加された上、熱すぎるほどのホットミルクまで飲まされた。
「…ブルー。プールで休憩を忘れたんでしょう?」
「……ごめんなさい……」
 蚊の鳴くような声で答えたブルーは母に叱られ、翌日の登校も禁止されるという有様。ハーレイに会うために無理をしてでも行きたい学校。それなのに…。
(…ハーレイに会えない……)
 こんなに右手が冷えて冷たくて、凍えるのに。こんな時だからこそ会いたいのに。
(……ハーレイ……)
 冷たいよ、と母に押し込まれたベッドでブルーは右の手を握り、ハーレイの名を何度も繰り返し呼び続けた。温もりを失くしてしまった手が冷たい、と…。



 その夜は悲しい夢ばかりを見ていたような気がする。
 右の手が冷たかったから。前の生の最期に冷たくて泣いた、右の手が凍えてしまっていたから。
 目覚める頃には体温も戻り、身体もずいぶん軽くなっていたが登校は許して貰えなかった。それどころか母は学校に欠席の連絡を入れるついでに健康調査票の訂正を届け出たと言う。
「格好悪いとか、そういう問題じゃないのよ、ブルー。身体が一番大切でしょう!」
 母の怒りはもっともなもので、ブルーは反論する術が無い。父も「そういう約束だったしな」と母の肩を持ち、水泳の授業は次から監視ロボットつき。
 ハーレイが好きな水の世界と無制限に戯れられる機会を奪われ、ブルーの気分はドン底だった。おまけに今日一日はハーレイに会うことも出来ず、家で大人しくしているしかない。
(……あんなに楽しかったのに……)
 プールは本当に楽しかった。いつまでも入っていたいと思った。
 けれど憧れた水の世界はブルーの身体に合わないもの。体温を奪い、悲しい記憶まで呼び起こすほどの非情さすらも帯びた世界で、厳しいもの。
(…でも、ハーレイの大好きな場所なんだ…)
 そのことが酷く辛くて悲しい。
 ハーレイが好きな水の世界が自分には向いていない事実も、自由に入ってゆけないことも。



 日が暮れるまでベッドの中で、あるいは上で膝を抱えて丸くなっていた。
 弱すぎる身体も悲しくて情けなかったし、ハーレイに会えずに終わる一日も辛い。すっかり暗くなってしまった部屋で涙がポロポロと頬を伝った。
(……ハーレイ……)
 自分とハーレイとの間に横たわる距離。現実の距離も、水の世界で隔てられた距離も、今のブルーには遠すぎる。どうすればいいと言うのだろう。どうすれば距離が縮まるのだろう?
 答えが見つかる筈も無かった。
 ブルーは水には長く入っていられないのだし、ハーレイの家は何ブロックも離れた先で。今日が休日なら家を訪ねて来てくれるけれど、平日に来てくれることは少なくて…。
(…ハーレイ……)
 会いたいよ、と昨夜一晩中、凍えていた右の手をキュッと握って呟いた時にチャイムが鳴った。客人の来訪を告げる門扉の脇にあるチャイム。
 もしや、とブルーの心臓が跳ねる。もしかしたらハーレイが来てくれたのかも、と。



 間違っていたら悲しすぎるから、期待はしないようにしていた。それでも胸がドキドキ脈打つ。階段を上がる足音がしないか、扉をノックする音がしないか。
 好きでたまらないハーレイの声が自分の名前を呼びはしないか…。
「……ブルー?」
 軽いノックの音が聞こえて、部屋の扉がカチャリと開いた。そして明かりが点けられる。絶対に聞き間違えはしない声。見間違う筈もない褐色の肌の、大きな身体をした恋人。
「…大丈夫か、ブルー? 明日は学校に来られそうか?」
 ハーレイがベッドの脇に置かれた椅子に腰掛け、穏やかな声で問い掛けた。
「プールで冷えすぎちまったそうだな。また食事をしてないんじゃないかと、スープを作りに来てやったんだが…。どうする、俺のスープにしておくか?」
 前の生でハーレイが作ってくれていた素朴なスープ。何種類もの野菜を細かく刻んで、味付けは基本の調味料だけ。青の間のキッチンでコトコトと煮込まれたそれが大好きだった。
 今の生でもブルーが寝込むとハーレイがたまに作りに来てくれる。ハーレイ曰く「野菜スープのシャングリラ風」。そのスープの味も捨て難かったが、今、欲しいものは…。
「…スープもいいけど……」
 手が冷たい、と差し出した右手をハーレイがギュッと握ってくれた。ハーレイはブルーの右手が凍える理由を知っている。何故冷たいのか、どうして凍えてしまうのかを。
 自分の温もりを移すかのように大きな両手で包み込みながら、時折、擦ったりもして。ブルーの心が温もりに満たされ、その頬が幸せに緩むのを待って、ハーレイはもう一度尋ねてきた。
「もう充分に温かそうだが、明日も休む気か? それとも俺のスープを飲むか?」
「…明日も休むのは嫌だけど…。今日はスープより、ハーレイの手がいい」
 まだ冷たくて凍えそうだから、とブルーは右の手を温めてくれとハーレイに強請る。
「まったく…。そもそも、なんだってプールで無茶をしたんだ」
「……ハーレイの好きな水だったから」
「は?」
「…ハーレイが大好きなプールだったから、同じ世界を感じたかった…」
 失敗をしてしまったけれど。
 そう言ったブルーの言葉にハーレイの手が一瞬、微かに震えて。



「……大馬鹿者が」
 お前は馬鹿だ、と罵ったくせに、ハーレイの腕はブルーを広い胸へと抱き込んだ。
「…本当に馬鹿で無茶だ、お前は。…何も変わっていやしない」
 一人でメギドへ飛んだお前だ、と息が止まるほどに強く抱き締められて。
「…何もかも一人で勝手に決めて、無茶をして…。俺はお前に一緒に生きて欲しいと思うが、俺と全く同じ道を歩けとは決して言わない。俺の道がお前にもピッタリ合うとは限らないんだ」
「……そうみたいだね…。ぼくにプールは無理みたいだけど、それでも嬉しかったんだ」
 …少しだけハーレイの世界が分かった。
 そう話したらハーレイの腕の力がもっと強くなり、息をするのも苦しいほどで。でも…。
「…ハーレイ、ぼくが温めて欲しいのは右手。…それにね…」
 やっぱり野菜スープも欲しいかな。
「それだけ我儘が言えるようなら、もう平気だな」
 出来るまで少し待ってろよ、とハーレイが野菜スープを作りに階下のキッチンへ下りてゆく。
 部屋を出てゆくその背を見ながら、ブルーはそれは幸せそうな笑みを浮かべた。
(…ハーレイ…。無茶をしちゃってごめんね、ハーレイ)
 野菜スープを作りに来てくれてありがとう。
 ぼくの凍えてしまった右手を温めてくれてありがとう…。
 君の大好きな水の世界はぼくの身体には厳しすぎたけど、それでも体験出来て良かった。
 あれが今の君が大好きな世界。ふわりと身体が浮き上がる世界。
 君が大好きな世界だったから、無茶をしてでも見たかった。
 もう学校では次の機会は無さそうだけれど、いつか大きくなったなら…。
 君と一緒に暮らせる時が訪れたならば、もう一度、君と見てみたい。
 無茶だと君は怒るだろうけど、見たいんだ。だって、君の大好きな世界だから……。




        君の好きな世界・了


※お読み下さってありがとうございました!
 ブルー君を追い掛けていた「浮遊型の小型ロボット」のモデル、お気付きでしょうか。
 アニテラでジョミーがサッカーしていた時の審判ロボットですv

 作品世界を壊さないよう、私語は控えておりますが…。
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 夏の初めの土曜日の朝。いつものように部屋の掃除を終えたブルーは、閉じた窓から下を眺めてハーレイが来るのを待っていた。少し前までハーレイが来る日は窓を開け放っていたのだけれど、そうするにはもう暑すぎる季節。生まれつき身体の弱いブルーは暑さにも弱い。
(…ハーレイ、まだかな…)
 今日は朝から良く晴れているし、ハーレイは歩いて来るだろう。眩しい日射しに目を細めながら待っていたブルーの瞳が待ち人を捉える。
(あっ、半袖!)
 その姿に胸がドキリと跳ねた。学校では長袖のワイシャツを着ているハーレイ。今週は今日より暑い日もあったというのにハーレイは長袖、ボタンも襟元までキッチリ留めていた。
 そんなハーレイが半袖姿で、襟元も大きく開いたラフなシャツ。家で過ごすのと同じ服装で来てくれたのだ、と実感できる。ブルーの家を訪ねて来る時、ハーレイはいつも普段着なのだが、より寛いだ姿に思える半袖シャツがなんだか嬉しい。
(…ふふっ)
 早くもっと近くで見たいな、とブルーは窓に張り付いた。門扉の前で待っているハーレイ。母は急いで開けに行ったのに、それでも遅いと感じてしまう。
(半袖かあ…)
 シャングリラでは見なかったよね、と幸せな気分に包まれた。アルタミラの研究所から脱出した直後は半袖シャツだったけれど、研究所を思い出させる半袖の服は皆に不評で、自分の身体に合う服が手に入った者から順に長袖に切り替わっていったと記憶している。
 一番身体が大きかったハーレイは最後の方。それでも一ヶ月もかかりはしなかった。
 いつしか半袖に対する抵抗が無い世代が増えても、シャングリラのクルーは基本は長袖。長老と呼ばれるようになったハーレイやゼルたちはもちろん長袖、プライベートでも長袖で…。
 遠い過去に思いを馳せている内に扉がノックされ、母がハーレイを案内してきた。
「ブルー、おはよう。今日は暑いな」
「うん。ハーレイの半袖を見たら分かるよ」
 母が用意したアイスティーとお菓子を前にして向かい合う。扉が閉まって、足音が階段を下りて消えると二人きりの時間。
 ブルーは半袖姿のハーレイをまじまじと見詰め、袖から覗いた逞しい腕に見惚れたのだけれど。
(…あれ?)
 もしかして、もしかしなくても。
 ハーレイのむき出しの腕を目にすることなど、ソルジャーとしては一度も無かったのでは…。
 ソルジャー・ブルーだった前世で何度も見ているけれど、その時の自分はソルジャーではなく、ハーレイもまたキャプテンではない時しか腕など見せなかったのでは…?



(…そうだったっけ…!)
 ブルーの鼓動が早くなる。
 前の生でハーレイのむき出しの腕を目にしていたのは、青の間か、もしくはハーレイの部屋で。バスローブの袖から覗いた腕とか、肩に羽織った大判のタオルの下からだとか。
 今の半袖から覗いているほどの範囲の肌が見える時と言えば、ベッドで愛し合う時とその前後。それ以外では見ていないのだ、と気付いたブルーは頬がカッと熱くなるのを感じた。
(…ど、どうしよう……!)
 ハーレイに変に思われる、とキュッと目を瞑ったのがまずかった。頬が赤らんだだけならさして気に留めずに流されていたかもしれないけれど、俯き加減で目を閉じた上に頬が赤くては…。
「どうした、ブルー?」
 大きな手が頬に触れてきて、ブルーはますます真っ赤になった。
 前の生ではこうして目を閉じている時に頬に触れられたら、続いてキスが降ってきた。それから逞しい腕にふわりと抱き上げられてベッドに運ばれ、ハーレイがキャプテンの制服を脱いで…。
 筋肉に覆われた褐色の腕。
 二人きりの時間を、恋人同士の時を過ごす時しか見ることが無かったハーレイの腕。
「……ブルー?」
 もうダメだ。ブルーは俯いたままでキュッと閉じていた瞼を開くと、両方の頬に触れている恋人を上目遣いに睨んで小さく叫んだ。
「…ハーレイのバカッ!」
「な、なんだ、いきなり?」
 驚いて手を離したハーレイに「バカッ!」ともう一度叫んでやった。
 自分の気持ちが、ドキドキ脈打つ鼓動の早さが分からないなんて酷すぎる。こういう時はなんて言えばいいんだったっけ?
 鈍感な恋人にぶつける言葉で、「バカ」よりももっとピッタリな言葉があった筈。
(…えーっと、えーっと……)
 懸命に考えるブルーの心も知らずに、またハーレイが「どうしたんだ?」と頬に触れて来た。
 とっくに耳の先まで赤いだろうに、もっと赤くなれと言わんばかりに頬を優しく撫でる手。普段なら甘えて頬を擦り寄せてしまうのだけれど、今日ばかりは違う。
(酷いってば…!)
 こんなに真っ赤になっているのに、この仕打ち。この無神経さ。その瞬間にパッと閃いた。
「デリカシーに欠けているってば!」
 ブルーの愛らしい唇から放たれたそれに、ハーレイは文字通りポカンと口を開けたのだった。



 脹れっ面になったブルーからハーレイが事情を聞き出すまでには、かなりかかった。
 完全に機嫌を損ねたブルーは拗ねてしまって唇を固く引き結んでしまい、そのくせにチラチラと赤い瞳がハーレイを見ては逸らされる。そして不自然に赤い頬。
 何事なのか、と慌てたハーレイはブルーの好きな菓子を自分の分も譲ってやったり、機嫌を取るべく小さな右の手をそっと握ってやったり。
 前の生の最期にハーレイの温もりを失くしたと泣いたらしいブルーは右手を握ってやると喜ぶ。赤ん坊をあやすようなものだな、と思ったことまであったくらいに小さな右手は温もりを求める。その右の手を握り、もう片方の手で何度も何度も撫でてやる内に、ようようブルーは口を開いた。
 そして聞かされた「バカ」の理由は、実にとんでもないもので。
「…つまりだ。…俺は半袖シャツを着ているだけで、デリカシーに欠けているんだな?」
 ハーレイはフウと溜息をついた。
「仕方ないな、次から長袖で来るか。今日の所は勘弁してくれ…って、そいつはダメだな」
 デリカシーに欠けるんだったな、とさっきよりも深い溜息をつくと椅子から立ち上がった。
「…ハーレイ?」
 怪訝そうなブルーにこう答える。
「一度帰って着替えて来るさ。ついでに昼飯も食ってくるから、また後でな」
「えっ……」
 ブルーの表情がみるみる変わった。ブルーの家から何ブロックも離れたハーレイの家。そこまで歩いて往復するだけでも一時間では終わらない。そこへ昼食の時間が加わると、ハーレイの帰りは早くて昼過ぎ、下手をすればもっと後になるかもしれないわけで…。
 縋るような赤い瞳が「行かないで」と揺れているのを承知の上でハーレイは軽く手を振った。
「じゃあな、また来る」
「ダメッ…!」
 行っちゃ嫌だ、とブルーが部屋を出ようとするハーレイの腕に両腕でギュッとしがみ付く。
 離すまいと力をこめて身体ごとピタリとくっついているブルーの頭をハーレイは笑いながら軽くポンポンと叩いてやった。
「…ほら見ろ、克服できたじゃないか。もう半袖でも大丈夫だな?」
「…あっ……!」
 直視出来なかった筈のハーレイの腕に密着している自分に気付いたブルーは真っ赤になったが、もうハーレイに文句は言えない。それに恥ずかしさも何処かへ吹き飛んだ気がするし…。
「……ごめんなさい……」
 八つ当たりしちゃった、とブルーは素直に謝った。最初は嬉しいと思った半袖。それなのに自分一人で勝手に怒って、膨れて、拗ねて。
(……ぼくって子供だ……)
 ごめんなさい、と謝るブルーを、ハーレイは笑って許してくれた。



 こうしてブルーは半袖姿のハーレイにも慣れ、心臓がやたらと脈打つことも無くなった。初めて見た日に感じたとおりの気取らない姿を見られることが嬉しく、心浮き立つ間に夏休みが来て。
 平日でもハーレイが訪ねて来る日々が始まったものの、毎日というわけにはいかない。ハーレイの仕事は教師なのだし、夏休み中でも研修もあれば、顧問を務める柔道部で一日潰れることも。
 しかし部活のある日も基本は午前中のみ、午後になれば学校で昼食を済ませたハーレイが来る。そういう日には朝から首を長くして待つのが常となったある日。
「…ハーレイ、まだかな…」
 ブルーは壁の時計を見上げた。もうすぐ正午で、母と階下で昼食の時間。食べ終えて部屋に戻る頃にはハーレイの部活もとうに終わって、昼食か、あるいはプールで泳いでいるか。
(…ホント、ハーレイ、凄すぎだよね)
 夏休みの初日に教えて貰った柔道部がある日のハーレイ自身のスケジュール。朝から柔道部員と一緒に走って、それから技の指導など。部活が終わればプールに出掛けて軽く泳いでくるという。水泳部の生徒たちに混ざってコースを何往復もするのが「軽く」だなんて信じられないけれど。
 その後はブルーがバスで通う距離を歩いて家までやって来るわけで…。
(…プールで泳いだ後だし涼しい、って言っているけど暑いよね…)
 ブルーにはとても無理な芸当。運動も無理だし、暑い盛りに歩くのも無理。
「ブルー、そろそろお昼にしましょう!」
 母の呼ぶ声に「はーい!」と返事し、ブルーは軽い足取りで階下に向かった。ハーレイも今頃は食事だろうか? 早く来てくれるといいのだけれど…。



 昼食が済んで部屋に戻って、また時計を見る。ハーレイが来る時間まではもう少しあって、多分今頃は食事か、プールか。食べた後に直ぐに泳げるハーレイは凄い。
(…今日もお昼の後だよね、きっと)
 その方が涼しく歩いて来られる、と前にハーレイが言っていた。きっと髪の毛は軽く撫でつけただけで、太陽の光で乾かしながらの道中だろう。
(もうプールから上がったかな?)
 ザバッと水から出て来る姿を思い浮かべた、その瞬間に。
(ダメダメダメ~~~ッ!)
 ブルーは真っ赤になった顔を両手で覆った。
(…は、は、裸……!)
 どうして今まで全く気付かなかったのだろう。ハーレイは昔から水泳が得意だったと聞いていたから、颯爽と泳ぐ姿ばかりを想像していて服装にまで気が回らなかった。
 プールで泳いでいるということは水着姿で、どう考えても最小限の部分しか覆われていない。
 いつだったかハーレイの前で膨れてしまった半袖どころの騒ぎではなくて、殆ど裸。前の生では愛し合う時かその前後にしか見てはいなかったハーレイの身体。
(…………)
 たとえ水着を着けていたって直視出来ない、とブルーは耳の先まで熱くしたのだけれど。
(……でも……)
 その一方で見たい気もする。今の生ではキスすら許してくれないハーレイ。その先となればいつになるやら見当も付かず、本物の恋人同士として結ばれる日は遠そうで…。
(………それまでは見られないんだよね?)
 前の生で強く抱き締めてくれたハーレイの身体。華奢だった前世の自分と違ってガッシリとした筋肉質の褐色の身体を思い出すと胸がドキドキしてくる。
 キスすらダメでも、その先のことはもっとダメでも、気分だけでも…、とブルーは思った。あの懐かしい身体を見てみたい。そうしたらきっと幸せ一杯、希望も膨らむに違いない。いつかは必ずあの身体と…、と夢見るだけでも幸せな気分が訪れる筈で。
「…見に行きたいな……」
 そう呟くともう止まらなかった。ハーレイがプールで泳ぐ姿を、いや、プールから上がった水着姿のハーレイを見たい。夏の暑さは苦手だけれども、見られるのならば外出くらい…!



 しっかり決意を固めたブルーはハーレイの来訪を胸を高鳴らせて待ち、自分の部屋で二人きりになって向かい合うなりアイスティーも飲まずに切り出した。
「ねえ、ハーレイ。…次に柔道部がある日って、いつ?」
「……明後日だが?」
 だから明日は朝から来られる、とハーレイは普段どおりにアイスティーを飲んでいるのだが。
「えっとね、明後日、行ってもいい?」
「何処にだ? 用事があるなら別に止めはせんが、俺は来なくてかまわないのか?」
 ブルーの目的が何処にあるのか知らないハーレイの返事は些か的外れだった。しかしブルーは気にするでもなく、ニッコリ微笑む。
「帰りはハーレイと一緒がいいな。ぼくと一緒にバスに乗ってよ」
「は?」
「だ・か・ら! 明後日はぼくも学校に行くから、プールが済んだら帰ろうよ」
「お前、明後日は登校日だったか?」
 一向に噛み合ってこない会話に、ブルーは「もうっ!」と焦れながら。
「そうじゃないってば、ぼくは見学! ハーレイを見に行くんだってば!」
「……柔道部をか? それは構わないが、だったらプールはやめておくかな」
「なんで?」
「帰りが遅くなるだろう? その分、余計に暑くなるしな。昼飯もお前の家で食べるか」
 お母さんの手を煩わせないように何か適当に買って帰るか、というハーレイの意見は至極当然なものなのだけれど、それではブルーの目指す所から大きく外れる。ブルーが見たいのは柔道部ではなくて水着姿のハーレイで…。だから「ダメッ!」と即座に叫んだ。
「お昼は別にどうでもいいけど、プールはダメっ!」
「だから入らないと言っただろうが」
「違うよ、プールは入らなきゃダメ! ぼくはプールを見に行くんだから!」
「………プール?」
 プールはハーレイの担当ではなく、あくまで趣味の範疇である。どうしてブルーが柔道部ならぬプールなんぞを見学したいと希望するのかサッパリ分からず、ハーレイは首を捻るしかなかった。
「なんでプールを見たいんだ? 俺は適当に泳いでるだけで、指導は全くしていないんだが」
「水泳のことはよく分かんないけど、ハーレイ、プールじゃ水着だよね?」
「当然だろうが、プールだぞ?」
「だったら充分! ぼくは水着が見たいんだから!」
 行っていいよね? と強請るブルーの真意が全く掴めないまま、「ああ」と答えそうになった所でハーレイの勘が働いた。もしやブルーがプールにこだわる理由は…!



「おい、ブルー」
 嫌な予感に襲われながらも顔には出さずに、ハーレイは赤い瞳を見詰めた。
「…お前、いつだったか俺に言ったよな? デリカシーに欠けるとか、そういうことを」
「えっ?」
「俺が半袖で初めて来た日だ。…そう言ったお前に同じ台詞を二度も言われたくはないからな…。いいか、俺はプールじゃ水着一丁で、半袖どころの騒ぎじゃないぞ」
 分かっているのか? と顔を覗き込めば、ブルーの頬がみるみる赤く染まって。
「………それでもいいよ」
 そう答えて下を向いてしまったブルーの姿に、ハーレイは己の勘が当たっていたことを知った。ブルーがプールに来たがる目的は、あろうことか水着姿の自分を見るため。それも格好いいとかの憧れの気持ちでは無く、同じ憧れでも至ってけしからぬ発想からで…。
「ブルー、お前な…」
 ハーレイはフウと大きな溜息をついた。
「お前、ロクでもないことを考えてるな? 俺の裸の一歩手前を見たいんだろうが」
「…………」
 沈黙は金とは誰が言ったか、今の場合は全く当てはまらない。ブルーが下手に言い訳するより、その沈黙こそが何を考えていたかの動かぬ証拠だ。
 まったく、年相応に小さくて幼いくせに、何を考え付くのやら…。
 苦笑いしたいハーレイだったが、いくらブルーが子供であっても譲れないものは存在する。水着姿目当ての見学などは言語道断、それはキッパリ断らなければ。
「ブルー。…そういう不純な目的を持って神聖な水泳部の活動場所を覗きに来るな」
 いいな、と念を押せばブルーがキッと視線を上げた。
「誰も絶対、気が付かないって!」
「そりゃそうだろうさ、傍目にはチビが居るだけだしな」
「チビは酷いよ!」
 噛み付いてきたブルーに、ハーレイは「そうか?」と笑ってみせる。
「俺の目には小さなお前が映るが、それでも俺には大きな脅威だ」
「…何が?」
「お前がだよ。…小さくてもお前は俺のブルーだ。そのお前が良からぬ目的を持ってプールの俺を見に来たとなれば、俺はとっても困るんだがな?」
「どうして?」
 見てるだけだよ、と首を傾げるブルーは分かっていない。そんなブルーが愛しいけれども、この愛くるしい赤い瞳でまじまじと水着姿を見詰められたら……。



「……お前なあ……」
 ハーレイは眉間の皺を深くしつつも、唇には笑みを湛えて言った。
「お前がそういう目で見ていると気付いちまったら、俺はプールから出られんだろうが」
「恥ずかしいのはハーレイだけだよ、ちゃんと水着を着てるんだもの」
「だから余計に出られないんだ、どうしてくれる」
「なんで?」
 何故ハーレイがプールから出られないのか、ブルーは不思議でたまらなかった。
 いくら自分が眺めていたって気にせずに出ればいいものを…。ドキドキするのは自分だけだし、ハーレイには関係ない筈だ。いつもどおりにすればいいのに、どうして出られないのだろう? 
 キョトンとしているブルーの額をハーレイの指がチョンとつついた。
「なあ、ブルー。お前、いつも俺になんて言っているんだ? 本物の恋人同士とやらはどうした」
「えっ…???」
 それに気が付いたから、見に行きたいのに。
 そう言わんばかりの顔をしたブルーに向かって、ハーレイは「ん?」と微笑みかけた。
「長い間やらなかったら忘れちまったか? 俺はどうやってそういうことをしてたんだっけな?」
「…そういうことって?」
「お前と本物の恋人同士になる時だ。そういう時には…」
「あっ…!」
 其処まで言われて、ブルーはようやく気が付いた。ハーレイが水着で覆っている部分。その下にあるものがどう変化を遂げ、前の生での自分を愛したのかを…。
 もしも自分が見ていたばかりに、同じ変化が起こったら。
 ハーレイはプールから出られないだろうし、それは確かにマズすぎる。でも、でも、でも…。
「ハーレイのバカッ!」
 ブルーはまたしても耳の先まで真っ赤に染めると、「バカバカバカッ!」を連発した。
 気付かなかった自分も悪いが、前の生での秘めごとについて具体的に説明しなくても…!
 こういう時に叫ぶ台詞は、確か前にも叫んだ言葉で…。
「デリカシーに欠けているってば!」
 桜色の唇から飛び出した叫び。
 かくしてハーレイは二度目の罵声を浴びせられたわけだが、その表情は「してやったり」と言わんばかりのものだった。
 これでブルーはプールには来ない。これから先も思う存分、水を満喫できるのだ。



 あまりと言えばあんまりであり、当然と言われれば当然とも言うべき理由で門前払い。
 プール見学の夢が空しく潰えたブルーは、ハーレイがプールで泳いでいるであろう時間に時計を眺めては小さくも熱い溜息をつく。
 今の生では当分見られそうもないハーレイの褐色の大きな身体。
 それを自分が目にする時には、多分、本物の恋人同士。その日が来るまでは見られそうになく、だからこそ余計に想いが募る。
 前の生で自分を抱き締めてくれた、あの逞しくて大きな身体。
 自分が大きく育った時まで見られないなんて酷いと思うし、お預けだなんて酷すぎる。
(…やっぱり、ちょっとだけ見たいんだけどな…)
 でもハーレイは困るかな、と「デリカシーに欠けた」例の発言を思い出す。
 大好きなハーレイを困らせることはしたくなかったし、諦めるしかないのだけれど。
(……でも見たいよね……)
 この時間には、学校のプールかプールサイドに水着姿のハーレイが居る。
 自分には決して見せてくれない褐色の身体を惜しげなく晒して、夏の日射しの下に居る。
(…見たいんだけどな…)
 でもダメだよね、とブルーは前の生へと思いを馳せる。
 あの褐色の大きな身体が自分を包んで、愛してくれた遠い日のこと。
 幸せに満ちた恋人同士の熱い時間を再び手に出来る日まで、どれだけ待てばいいのだろうか…。



 同じ頃、ハーレイの方も水から上がってプールサイドをぐるりと見渡す。
 見学者用の屋根のある場所にも、柵の向こうにもブルーはいない。
(よしよし、ちゃんと言い付けを守っているな)
 見たい気持ちは分からんでもないが、と心の中で呟きながら着替えのためにロッカー室へと歩くハーレイには実は前科があった。
 まだ夏休みに入る前のこと。自分の授業が無い空き時間にプールの脇を歩いていたら。
「おーい、ブルー!」
 そう叫ぶ男子の声が聞こえた。ブルーという名の生徒はこの学校には一人しかいない。反射的に声がした方を振り向こうとしてハッタと気付いた。
 声がしたのはプールから。ブルーのクラスが水泳の授業中なのだ。
(…水着か!)
 水着のブルーか、とハーレイの鼓動が早くなった。
 今の生では当分先まで拝めそうもないブルーの裸身。水着つきでも拝んでみたい。
(……す、少し小さいが…。いや、かなり小さすぎるんだが…!)
 だが見たい、と透き通るような白い肌への想いが募る一方で。
(いや、いかん! これでは覗きと変わらないぞ…!)
 教え子の水着姿を覗くなんぞは最低なんだ、と自分自身を叱咤したものの。
(しかしだ、俺が体育の教師だったら当たり前のように見るわけだしな?)
 たまたま古典の教師になったが、体育教師の選択肢も無かったわけではなかった。もしも体育の教師として出会っていたなら水着姿は拝み放題、見て当然の職だったわけで…。
(よしっ!)
 葛藤の末に「俺は今だけ体育教師だ」と自分自身に言い訳をして「えいっ!」とばかりに視線を向けたブルーが授業中の魅惑のプール。
 其処にブルーは居なかった。正確に言えば期待通りのブルーが居なかったと言うべきか…。
(…ブ、ブルーは見学だったのか…!)
 見学者用の屋根の下の椅子にチョコンと座った制服のブルー。その赤い瞳が自分を捉える前に、と慌てて走り去った日から、もうどのくらい経ったのか。
「……あの時の罰が当たったかもなあ……」
 夏休みの間中、居もしないブルーの影に脅かされるのだろうか、とハーレイは深い溜息をつく。
 とはいえ、やはりブルーは愛おしい。今日も急いで行ってやらねば、と気持ちを切り替え、服に着替えて暑い日射しの下へ出た。
(待ってろよ、ブルー。もうすぐ行くから)
 道の照り返しもなんのその。恋人の許へと歩くハーレイの足は疲れ知らずで軽かった。




          夏に着る物・了





※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv






春のお彼岸の慰安旅行に続いてお花見、新入生向けのイベントなどなど慌ただしかった時期が終わって今日はのんびり、普通の土曜日。今年のゴールデンウィークはどうしようか、なんて話をしながら会長さんの家のリビングで過ごすことに…。
「何処かお花見でも出掛けるかい?」
お昼も食べたし、と会長さん。
「北の方の桜はこれからだしねえ、瞬間移動でパパッと行くとか」
「えーっと…。それって、お花見だけ?」
屋台とかは、とジョミー君が尋ねると、キース君が。
「お前な…。アルテメシア公園の花見で散々食っただろうが! 花見と言ったら普通に花見だ、屋台なんぞは無い場所も多い」
風情を楽しめ、と言うキース君に、スウェナちゃんも。
「そうよ、人の少ない場所で綺麗な桜を見るのがいいのよ、お弁当も屋台も二の次よ!」
「かみお~ん♪ お出掛けするなら桜餅でも買ってくる?」
お花見だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコと。
「ケーキじゃ気分が出ないでしょ? お花見団子も買った方がいい?」
「そうだねえ…。地元で調達もオツなものだけど」
お菓子が美味しそうな桜の名所は…、と会長さんはサイオンで各地の花を見ているようです。これはとっても期待できそう!
「俺、花見団子が食いてえなあ…」
サム君がボソリと言えば、他のみんなも。
「俺は断然、桜餅だな。だが、御当地銘菓も捨て難い」
「ぼくも御当地銘菓を推します、キース先輩に一票です!」
「屋台だってば!」
「ジョミーは黙っていなさいよ! 私も御当地銘菓が食べたいわ」
ああだ、こうだ、と好みを挙げつつ、会長さんの決定待ち。御当地銘菓か、桜餅か…。
「……お取り込み中を悪いんだけど」
「「「???」」」
あらぬ方から聞こえた声にバッと振り返ると、会長さんのそっくりさんが立っていました。いつものソルジャーの衣装ではなくて私服ですから、お花見に来る気満々ですねえ…。



空間を越えて割り込んで来たお客様。せっかくのお花見が大変なことになりそうです。今はソルジャーだけですけれど、参加受け入れを表明したが最後、キャプテンと「ぶるぅ」が呼び寄せられることは明々白々。バカップルと悪戯っ子の大食漢には散々苦しめられたのに…。
「また来たわけ?」
お花見はとっくの昔に行っただろう、と会長さんが苦い顔。
「今日のは豪華弁当も無いし、ちょっと出掛けてすぐ帰るだけ! 現地でお菓子を食べる程度で、君たちに旨味は無さそうだけど?」
「ああ、そっちの方は別にいいんだよ。どうぞ気にせず行って来て」
ぼくは留守番しているからさ、と意外な台詞が飛び出しました。
「お茶とお菓子さえ置いといてくれれば、一時間でも二時間でも…。どうぞごゆっくり」
「「「………」」」
怪しすぎる、と目と目で見交わす私たち。ソルジャーは人一倍のイベント好きでお祭り好きです。おまけに美味しいお菓子に目が無く、御当地銘菓と聞けば確実に食い付きそうなのに留守番だなんて…。それに桜はソルジャーが一番好きな花だと何度も繰り返し聞かされたのに?
「桜の花はどうするんだい? 見たいんじゃないかと思うけどな」
何故留守番を、と会長さんが訊くと、ソルジャーは。
「見たい気持ちは確かにあるけど、今日は君たちの邪魔はしないよ。…お願いしたいことがあるものだから」
「「「は?」」」
「自力じゃどうにもならなくて…。協力をお願いする立場として、我儘は言っちゃダメだろう? 君たちが戻るまで待たせて貰うよ」
行ってらっしゃい、とソルジャーはソファに腰掛けて右手でバイバイ。…どうするんですか、会長さん? お留守番を頼んでお出掛けですか?
「ちょーっと不安が無いでもないけど、今日を逃したら桜がねえ…。桜葛餅ってお菓子でどうかな、御当地銘菓は? 桜の花入りのピンクの葛餅」
「「「行く!!!」」」
お出掛けしよう、と歓声が上がり、お留守番なソルジャーにはお土産を買ってくることに。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が紅茶のポットやケーキ、焼き菓子などをテーブルに置いて…。
「かみお~ん♪ 行ってくるね~!」
パァァッと迸る青いサイオン。いざお花見に出発です~!



瞬間移動で降り立った先は山あいの小さな町でした。その日に作ったお菓子だけが並ぶお店で淡い桃色の桜葛餅を買い、山の方へ歩いて行くと立派な枝垂桜の木が。御当地銘菓があるわけです。
「うっわー、凄いねえ…」
大きすぎ、とジョミー君が見上げ、キース君が。
「おい、これは…。確か有名なヤツじゃないのか? その割に人がいないようだが」
「フライングで咲いたみたいなんだよ、観光バスが来るより先に…さ。この桜だけを見にマイカーで、っていう桜好きの人も他の名所が花盛りではね」
そっちが優先になるだろう、と言われて納得。まさに穴場な桜見物、会長さんのサイオンに感謝しながら満開の桜の下で葛餅を。
「美味しいわね、これ」
「桜餅とか花見団子だけじゃねえんだなぁ…」
気に入った、とサム君も。ソルジャーへのお土産に包んで貰った桜葛餅もきっと喜ばれることでしょう。私たちは普段の年なら観光客がひしめくと聞く枝垂桜をゆっくり楽しみ、たまに訪れる人は地元民だけ。こんなお花見もいいものだ、と誰もが満足。
「ね、思い切って来て良かっただろう? 留守番のブルーが気になるけどさ」
会長さんの言葉に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと、テレビ見てお菓子食べてるよ? 別に心配無いと思うけど…」
「その点はね。問題はブルーのお願いの方」
「「「あー…」」」
忘れてた、と溜息をつく私たち。大好きな桜を切り捨ててまでのお留守番とは、お願いの方もドカンと凄いかもしれません。お土産を買ったことを後悔するような展開にならないといいんですけれど…。
「そればっかりはね、ぼくにも全く分からなくって…。ブルーの心は読めないんだ」
サイオンのレベルはともかく経験値がまるで違いすぎ、と会長さんもお手上げ状態です。
「何を頼む気か知らないけれど、一応、覚悟はしておいて。桜は見られたし、これでチャラになる程度なことを祈るのみ!」
「そうだな、これだけの桜を貸し切れたのはラッキーだったぜ」
帰ったら親父に自慢しよう、とキース君が写真を撮っています。せっかくだから、と私たちも貸し切り桜の証拠写真を何枚も。こんな素敵な桜見物、二度とチャンスは無いかもですしね。



枝垂桜の巨木と桜葛餅を堪能した後、瞬間移動で会長さんの家へ。玄関で靴を脱ぎ、おっかなびっくりソルジャーがお留守番中のリビングに…。
「かみお~ん♪ ただいまぁ~!」
はい、お土産、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が桜葛餅の包みを差し出し、ソルジャーが。
「ありがとう。桜の方はどうだった?」
「んとんと…。とっても綺麗だったよ、ブルーも来れば良かったのに…」
「留守番でいいって言っただろう? あ、これ、食べていいのかな?」
「うんっ! お皿、取って来るね!」
ちょっと待ってて、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言い終える前にソルジャーは桜葛餅を鷲掴み。添えられていた菓子楊枝の袋なぞ見なかったように手づかみで。
「へえ…。美味しいね、これ」
「「「………」」」
「どうかした? あ、この桜の花って塩漬けなんだ」
葛餅の甘さにピッタリだよね、とモグモグモグ。ソルジャーのマナーの悪さは既に周知の事実ですけど、会長さんと同じ顔だけに目にすると衝撃も大きかったり…。ポカンとしている私たちを他所にソルジャーは桜葛餅を食べ終え、最後に指と手のひらをペロリと舐めて。
「御馳走様。…で、お願いをしてもいいかな?」
「……お願いねえ……」
嫌だと言ってもするんだろう、と会長さんが返すと、ソルジャーは大きく頷いて。
「決まってるじゃないか、こうして留守番もしてたんだしね。大丈夫、そんなに難しくは無い…んじゃないかな、君たちだったら」
「何かさせる気?」
「盛り付けを、ちょっと」
「「「盛り付け?」」」
なんのこっちゃ、と首を捻った私たちの前にソルジャーがヒョイと宙から取り出したものは大きなクーラーボックスでした。蓋が開けられ、中を覗き込めば色々なお刺身がギッシリと。ソルジャーは蓋を再びパタンと閉めて。
「これをね、盛り付けて欲しいんだよ。…うんとイヤらしくエッチな感じに」
「「「は?」」」
お刺身の盛り付けをイヤらしく? エッチな感じにって、何ですか、それ?



ソルジャーのお願い事はクーラーボックスにギッチリ詰まったお刺身の盛り付け。それくらいならお安いご用、と言いたい所ですが、注文内容がカッ飛び過ぎです。イヤらしくエッチに盛り付けろなどと言われましても、相手はお刺身というヤツで。
「…盛り付けを頼むと言ったんだよね?」
会長さんが確認すると、ソルジャーは。
「そう! ぼくは根っから不器用だからさ、サイオンでやっても無理なんだよね」
一応チャレンジしてみたのだ、と自分の不器用さを嘆くソルジャー。
「やるだけ無駄って感じだったよ、お刺身はぶるぅが食べたけど。…こういう時には無芸大食も便利かもねえ」
「なんでお刺身?」
「そりゃあ、そういうモノなんだろう? ノルディに教えて貰ったんだよ、こないだデートをした時に! 活け造りを食べてて、そういう話に」
あの活け造りは美味しかった、とソルジャーはひとしきりグルメ自慢を。エロドクター御用達の高級料亭に連れて行って貰ったみたいです。
「それでね、ノルディが言い出したんだ。お刺身の最高の食べ方は女体盛りだそうですが、私が食べるなら女体よりかは断然美形の男性ですね、って」
「「「………???」」」
ニョタイモリって何でしょう? それに美形の男性って? どんな食べ方なんだかサッパリ…。
「あ、もしかして誰も分かってない? なんかね、お皿の代わりに裸の身体に盛るんだってさ、お刺身を」
「「「え?」」」
「つまりこう、服の代わりかな? 食べ終えたらすっかり裸なわけで、後は楽しく」
「退場!!!」
さっさと出て行け、と会長さんがレッドカードを突き付けましたが、ソルジャーは全くひるみもせずに。
「別にいいだろ、お願いなんだし! ぼくはハーレイに最高の地球のお刺身を食べさせたいだけで、その後のことは君たちとは無関係だしね」
盛り付けが上手く出来ない分を手助けして欲しいだけなのだ、とズイと出ました、クーラーボックス。もしかしなくても、これにギッチリ詰まったお刺身をソルジャーに盛り付けるんですか? うんとイヤらしくエッチな感じにって、ソルジャーが裸だからですか…?



期待に満ちた顔のソルジャーと、顔面蒼白の会長さんと。私たちだって目が点です。けれどソルジャーはウキウキと。
「ぼくが自力でやった時はさ、お刺身が綺麗に並ばなくって…。ぶるぅを呼んで「どんな感じ?」と尋ねてみたら、「なんかグチャグチャ」と呆れられちゃった。それで頼みに来たんだよ」
ぶるぅも手先はイマイチで…、と言われて頭痛の私たち。もしも「ぶるぅ」が「そるじゃぁ・ぶるぅ」みたいに器用だったら、こんなことにはならなかった気が…。
「頼むよ、盛り付けるだけでいいんだってば!」
「…衛生面から大却下だよ!」
お刺身が傷む、と会長さんが反撃に出ました。
「お刺身は何度も食べているだろ、アレは鮮度が命だから! 体温で温まったら傷んでしまうし、美味しく食べるには冷たくなくちゃ!」
生温かいお刺身なんて、と会長さんに突き放されたソルジャーですが。
「そこはノルディも分かっていたよ? 「あなたならサイオンで冷やせますから、本当に最高のお刺身でしょうね」と呟いてたし…。男のロマンだと言われちゃうとさ、是非ハーレイに食べさせたいと思っちゃうわけ」
サイオンで冷やす方だけはバッチリだった、と失敗したらしいケースについて語るソルジャー。
「ぶるぅはグチャグチャなお刺身には文句をつけていたけど、味に文句は無かったようだよ。「地球のお刺身は美味しいもんね」と大喜びで食べてたし!」
「……君の身体に乗っけたヤツを?」
「途中まではね。…放っておいたらぼくまで齧られそうな気がして、途中で逃げた」
お刺身をお皿に移してバスルームへ、とソルジャーは肩を竦めています。大食漢の「ぶるぅ」は夢中になったら何でもガツガツ食べまくりですし、ソルジャーだって齧っちゃうかもしれません。逃げたというのは正解でしょうが…。
「齧られてこそだよ、女体盛りはね」
君の場合は男体盛りか、と会長さんが吐き捨てるように。
「お刺身の方がついでなんだよ、その食べ方は! 齧られておけば良かったのに」
「嫌だよ、ぶるぅの歯形なんて! 同じ齧られるならハーレイの方が…」
だから盛り付けをお願いしたい、とソルジャーは譲りませんでした。でも…。裸のソルジャーに盛り付けるなんて…。
「あ、そこは心配要らないから! ぼくだって最低限のマナーは心得ているし、盛り付けて貰う間はちゃんと水着を着ておくよ」
帰ってからサイオンで脱げばいいんだしね、とニッコリ笑っているソルジャー。クーラーボックスをズイと押し出し、帰る気配もありません。私たち、万事休す……ですか……?



うんとイヤらしく、エッチな感じに。ソルジャー御注文のお刺身の盛り付け、結局、会長さんのレッドカードな攻撃が何度炸裂しても断れなくて…。
「…んーと…。ぼくのイメージでは、そこはトリガイ…」
「君の意見は聞いてないっ!」
黙っていろ、と中トロの載ったトレイを持った会長さん。キース君がイカでジョミー君はヒラメを担当、シロエ君は鯛、マツカ君が大トロ、サム君がホタテ。他にも海老やらウニやら、トリガイにタコに…。
「…なんで俺たちまでこんなことに…」
「しょうがねえだろ、ブルーだけだと気の毒じゃねえかよ」
要は盛り付ければいいんだし、とサム君がお箸でヒョイヒョイと。開き直った男子五人はニワカ板前と化していました。ソルジャーの注文どおりにお刺身を並べてゆくのがお仕事で。
「かみお~ん♪ はい、大トロ追加~!」
どんどん出るね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がクーラーボックスの中からお刺身を。ソルジャーがサイオンで細工をしていたらしく、見た目以上に中身が詰まっているのです。男の子たちは自分のトレイが空になる度に次のトレイを素早く渡され、ソルジャーの上に盛り付ける羽目に。
「ふふ、最後の仕上げが肝心ってね。…うんとイヤらしくエッチに、だよ?」
「分かったよ! やればいいんだろう、君のイメージどおりに!」
ぼくがやる、と会長さんがニワカ板前の五人を下がらせ、お刺身をお箸で慎重に。水着の上が大事だというのは分かりますけど、他にもポイントがあるようです。胸の上とか…。
「俺にはサッパリ分からんな」
これを食いたいと言うヤツが、とキース君が腕組みをすれば、ジョミー君も。
「だよねえ、なんか食欲失せるけど…。当分、お刺身、食べたくないなあ」
「…ぼくはお寿司も無理な気がします…」
特上握りが好きなんですが、とシロエ君が深くて長い溜息。その間にも会長さんはバラエティー豊かに盛り付けを仕上げ、ソルジャーが思念体とやらで抜け出して自分の身体を確認して。
「ありがとう。いい感じだよ、イメージぴったり! 後はサイオンで冷却しながらハーレイが来るのを待つばかり…ってね。それじゃ、さよなら」
また来るね、と思念を残してお刺身満載のソルジャーがフッと消え失せました。リビングに漂う脱力感と虚脱感。…とんでもない日になっちゃいましたが、今日の桜は綺麗だったなぁ…。



翌日、ソルジャーは姿を現しませんでした。大量のお刺身がどうなったのかは考えたくもなく、私たちは会長さんの提案で瞬間移動でのお花見、再び。あちこちの桜の名所をハシゴし、御当地グルメを食べまくる内に昨日の騒ぎは遠いものとなり…。
「今日の桜も凄かったよねえ、屋台も行けたし!」
夜桜も最高、とジョミー君。仕上げに訪れた桜の名所はライトアップされていて、アルテメシア公園のような屋台こそ無いものの、あちこちでお花見の宴会が。私たちも豪華お花見弁当を買い込み、会長さんがサイオンでキープしておいた特等席でワイワイと。
「このお弁当も美味しいですよ。会長、ありがとうございます」
予約しといて下さったんですよね、とシロエ君が御礼を言うと、会長さんは。
「御礼ならハーレイに言うべきかもね」
「「「え?」」」
「お花見に行くからお弁当代を出してくれ、って頼んだから」
「あんた、こないだの花見でもたかってたろうが!」
またやったのか、と額を押さえるキース君。
「教頭先生がお気の毒だぞ、慰安旅行の費用も出して下さったのに…。そこへ花見が二回だと? あんた、どこまで厚かましいんだ」
「別にいいじゃないか、ハーレイはそれが生甲斐なんだし」
未来の嫁には貢いでなんぼ、と会長さんは涼しい顔。
「君たちとお花見に行くとなったらドカンと奮発しなくちゃね。財布が空になりそうだ、とは言ってたけれど、心の中ではガッツポーズさ。頼られるだけで嬉しいらしい」
「…あんた、分かってやってるな…」
「それはもちろん」
ブルーがノルディにたかるのと同じ、と嘯いている会長さん。教頭先生、最初の頃は定期試験の打ち上げパーティーの費用だけを負担して下さっていたのに、いつの間にやら会長さんのお財布ポジションにおられます。お気の毒とは思いますけど、私たちにはどうしようもないですし…。
「まあ、いいか…。教頭先生がいいと仰っているならな」
キース君の言葉に、会長さんが。
「そうだよ、ハーレイはぼくにぞっこんなんだし、構って貰える間が花さ」
たとえお財布代わりでも…、と会長さんはパチンとウインク。
「ハーレイの財布の前途を祝して乾杯しようよ、また毟らなきゃいけないしね」
「「「……前途……」」」
まだ毟る気か、と呆れ返りつつ、でも財源は大切で。夜桜と教頭先生の財布にとりあえず乾杯しときますか…。



次の日からは普通に授業で、放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にたむろする日々。今日も部活が終わった柔道部三人組を迎えて焼きそばを食べていたのですが。
「こんにちは。…この間はどうも」
「「「!!!」」」
焼きそばを頬張ったままで無言の悲鳴。紫のマントが優雅に翻り、ソルジャーが空いているソファにストンと腰を。
「今日のおやつは…、と。たまには焼きそばもいいかもね」
「かみお~ん♪ 焼きそばからにする?」
はいどうぞ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお皿に盛り付け、ソルジャーは早速お箸でパクパク。食べ終えると緑茶で喉を潤し、お次はケーキで。
「ふうん、桜クリームのモンブランなんだ?」
「えっとね、おっきい型で焼いたの! 一個ずつのもいいけど、ボリュームたっぷりのタルトもいいでしょ?」
お代わりもあるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌です。
「えとえと、こないだのお刺身はどうだったの?」
子供ならではの無邪気な発言は爆弾そのもの。それを訊くな、と誰もが心で上げた叫びはソルジャーに綺麗に無視されて。
「お刺身かい? そりゃあ喜んで貰えたよ。ハーレイ、予定には無かった特別休暇を取ってくれてさ、いわゆるキャプテン権限で」
「美味しく食べて貰えたんだね!」
「うん。それはもう、お皿のぼくまで舐めるように…ね。ぶるぅも手伝ってくれてありがとう。そこの君たちにも感謝してるよ、またよろしく」
「お断りだよ!!!」
誰がやるか、と会長さんが跳ね付け、男の子たちも首を必死に左右に。スウェナちゃんと私は両手で大きくバツ印ですが、ソルジャーはモンブランを頬張りながら。
「でもねえ…。ぼくは不器用だし、ぶるぅもダメだし、アレをやるにはお願いするしか…。ハーレイも凄く感激してたし、またいつか」
「自分で盛れるように修業したまえ!」
それもサイオンの訓練の内だ、と会長さんが突っぱねてますが、ソルジャーのサイオンが更にパワーアップしたら私たちも無事では済まないような…?



夢の盛り付けを二度三度、とロクでもない夢を見ているソルジャー。今日は御礼を言いに来たとか言ってますけど、御礼ついでに次のお願いを兼ねていることは間違いなくて。
「ホントのホントに喜んだんだよ、ハーレイは! 食べ尽くされるかと思うくらいの勢いでさ…。「お刺身はアレに限りますね」って何度も耳元で囁かれてる」
「だったら自分で盛ればいいだろ!」
好みのお刺身を自分流で、と会長さんはソルジャーを撃退するべく奮闘中。
「それがダメならノルディだね。君の頼みなら喜んで手伝ってくれると思うよ、手先も器用だ」
外科医だしね、と会長さんが告げると、ソルジャーは。
「うーん…。流石のぼくもノルディはちょっと…。ウッカリ流されてハーレイを裏切るようなことになっちゃうのはねえ…」
「その危険性は認識してたんだ? しょっちゅうデートをしているくせに」
いっそノルディに食べられてしまえ、と会長さんは毒づきましたが。
「それは困るな、ぼくは結婚してるんだしね。浮気をしたい時ならともかく、それ以外では他の男は…。そんなことより、君の方だよ」
「え?」
「君だよ、君。こないだもハーレイにたかっていたよね、御礼に食べられてあげればいいのに」
「必要ないっ!」
そんなつもりも必要も無い、と会長さんは眉を吊り上げ、ソルジャーが。
「じゃあ、せめてビジュアルだけでもさ! ほら、たまに食堂の前とかに…」
「「「???」」」
「なんて言うのかな、料理の見本? ソックリに作ったヤツがあるだろ、ああいう感じでビジュアル提供! どうせハーレイには食べられないんだ、君の身体に盛ったお刺身」
食べる前に鼻血で倒れておしまい、とソルジャーはニヤニヤしています。
「見た瞬間にアウトかもねえ、鼻血を噴いて即死ってね。一度、挑戦してみたら?」
「そういう趣味は無いってば!!」
なんだって女体盛りなんか、と喚き散らしていた会長さんの声のトーンが急に下がって。
「……待てよ……。ブルーだって水着を着ていたんだし……」
要は裸にならなきゃいいのか、と唇に浮かぶ怪しげな笑み。ソルジャーも我が意を得たり、とニッコリと。
「やる気になった? 水着一枚でかなり違うと思うよ、心理的負担」
「…そうかもねえ…」
水着どころかフルに着てても大丈夫かも、と思案している会長さん。お刺身盛り付け、まさか今度は会長さんに? 水着ならぬウエットスーツでも着るつもりですか、会長さん…?



「食べられないって所がポイント高いかもだよ、君の提案」
使えそうだ、と会長さんがソルジャーに向かって頷き、愕然とする私たち。お刺身の悪夢、再来です。ソルジャーが不器用な以上、会長さんに盛り付けるとなったら誰かが思い切りババを引かされ、イヤらしくエッチな盛り付けとやらを担当する羽目になるのでは…。
「え、盛り付けの担当かい? 別にブルーでも大丈夫な気が」
相手はたかがハーレイだし、と会長さん。
「それにね、いくらブルーが不器用でもさ…。お箸を使えって言うわけじゃないし、素手で扱ってもオッケーかと」
手さえ綺麗に洗っておけば、と会長さんは笑っていますが、お刺身を素手で? まあ、ソルジャーはサイオンで冷やすという究極の技を持ってますから、いいんでしょうか?
「素手でねえ…。でも、ぼくの不器用さは変わらないよ?」
「別に綺麗に盛り付けなくてもいいんだってば」
「ダメダメ、そこは譲れないよ! 盛り付けがアレの命だと思う」
うんとイヤらしくエッチでなくちゃ、と主張するソルジャーに、会長さんは。
「それはあくまで上級者向け! ハーレイみたいに鼻血でダウンな万年童貞のヘタレにはねえ、どんな見た目でも刺激的だよ、たとえ嫌いな食べ物でもさ」
「「「は?」」」
教頭先生、お刺身、お嫌いでしたっけ? それは無かったと思います。手巻き寿司パーティーに何度もいらしてますし、苦手なお刺身も無かったような…。
「誰がお刺身でやると言った? ぼくが着るのはパンケーキ! ついでにホイップクリームなんかもたっぷりかけるといいかもねえ…」
お砂糖たっぷり、甘みたっぷり、と会長さんは悪魔の微笑み。
「どう考えても手も足も出ないよ、ハーレイは。それでも食べようと頑張るだろうし、ダメ押しに一発、ちょっとエッチな気分にね」
「何をするのさ?」
興味をそそられたらしいソルジャーに、会長さんが。
「食べる行為に集中出来るよう、両手を後ろで縛ろうかと…。食べるためには、ぼくの身体に顔を近づけるしかないって仕組み」
「……ナイスすぎるよ、そのアイデア……」
喜んでハーレイの両手を縛らせて貰う、とソルジャーの瞳がキラキラと。会長さんの身体に盛り付けるモノはお刺身ならぬパンケーキ。しかもお砂糖たっぷりだなんて、教頭先生には御礼どころか拷問ですよ…。



こうして会長さんにパンケーキを盛り付けることが決定しました。イベント開催は今度の週末、土曜日の夜。教頭先生宛に会長さんが「日頃お世話になっているから御礼をしたい」と招待状を送り、私たちは土曜日のお昼前に会長さんのマンションへ。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
お昼はシーフードパエリアだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お刺身で始まったアイデアだけにシーフードで景気づけをするべし、というのが会長さんの方針らしく。
「やあ、来たね。ブルーも来てるよ」
「こんにちは。今日のハーレイ、楽しみだねえ…」
ワクワクするよ、と会長さんのそっくりさん。このソルジャーのパートナーであるキャプテンは非常に美味しい思いをしたようですけど、キャプテンそっくりの教頭先生を待っている罠は…。
「パンケーキはぶるぅが大量に材料を仕込んでいるよ。お砂糖多めのレシピでね」
「あんた、鬼だな…」
御礼どころか仇で返すか、とキース君が吐息をついても気にしないのが会長さんで。
「まずはシーフードで景気づけ! それでねえ…。ブルーと相談してたんだけど…」
首筋と手足は出すべきだね、と会長さんはパエリアをスプーンで掬いながら。
「大サービスで鎖骨あたりまでは見せてもいいかな、と思うんだ」
「腕は肩まで見せなきゃダメだよ、足は膝下くらいまでかな」
それ以上は君が嫌だろう、とのソルジャーの指摘に、会長さんは首を縦に。
「どうせハーレイが食べられるような厚みに盛りはしないけど…。頭の中の妄想爆発を考えちゃうとね、見せすぎはぼくが嬉しくない。服はキッチリ着ておかないと」
「「「服?!」」」
「そう。タンクトップと膝丈のパンツは外せないね」
もちろん下着もバッチリと、と片目を瞑る会長さんが目指す方向はソルジャーとは正反対でした。食べて貰うのではなく食べられない方、しかもガードはガッチリです。何も知らない教頭先生、どの段階で鼻血の海に沈むんでしょう?



食事の後は甘い匂いが満ち溢れました。お砂糖たっぷりパンケーキの山が幾つもリビングに運び込まれて、トドメに大きなボウルいっぱいのホイップクリーム。着替えを済ませた会長さんが先日のソルジャーよろしく横たわった上に、男の子たちがパンケーキを。
「そこはもうちょっと下の方かな。鎖骨がギリギリ見えるのがオススメ」
こんな感じで、とソルジャーがキース君の置いたパンケーキをずらし、その間にもジョミー君たちはパンケーキを会長さんに被せています。基本は一ヶ所に三枚分の厚み。教頭先生、どう考えても会長さんの素肌ならぬ服を拝めそうにはありません。
「いいねえ、お刺身ならぬパンケーキかぁ…。仕上げにホイップクリームだよね?」
これは任せて、とソルジャーが会長さんにトッピング。曰く、イヤらしくエッチな感じにしてみたそうです、私たちにはサッパリですが…。
「そそる部分に多めに盛ってみたんだけれど? まずはクリームを舐め取らないとパンケーキに辿り着けないってね」
そそるも何も、パンケーキの上は一面のホイップクリームの海。ソルジャーこだわりのデコレーションとやらは白いクリームの海に紛れて目立つような目立たないような…。どの部分だろう、と私たちが首を捻っているとチャイムの音がピンポーン♪ と。
「かみお~ん♪ ハーレイが来たよ!」
迎えに出た「そるじゃぁ・ぶるぅ」が跳ねるような足取りで戻って来るなり、ウッという声が。
「……ほんばんは……」
会長さんの姿を見るなり鼻血の危機な教頭先生。「こんばんは」も言えないようですが。
「本番は、って訊くのかい? 気が早いねえ…」
まずはパンケーキを味わってから、と横たわった会長さんが艶やかな笑みを。
「君のために焼かせたパンケーキなんだ、本番は完食してからだってば。とはいえ、ぼくを食べたい気持ちは分かるし、二人で最初から楽しもうよ」
「……はのひむ?」
「そう、楽しむ。パンケーキもクリームも、手を使わずに食べるんだ。いいだろ、ぼくをうんと近くで味わえて? ブルー、頼むよ」
「了解。ハーレイ、ちょっと失礼」
手を後ろへ、とソルジャーに素早く両手を縛り上げられた教頭先生。パンケーキを纏った会長さんの甘いベールを口で剥がすべく、床に膝をついて身体を前へと倒してゆかれたのですけれど…。



「…ここまでヘタレとは思わなかったよ…」
早くどけてくれ、と会長さんが苦しそうな声を上げています。教頭先生はパンケーキを何処から食べるべきかと逡巡する内に限界突破で、鼻血を噴いて前のめりにダウン。結果的に会長さんの胸から下を派手に押し潰し、ピクリとも動かないわけで。
「んとんと…。どけるのはいいけど、パンケーキ…」
ハーレイの鼻血でダメになっちゃった、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がションボリと。ソルジャーが纏っていたお刺身がキャプテンに喜ばれた話を素直に受け入れただけに、パンケーキも教頭先生に喜んで貰えると本気で信じていたようです。
「なるほど、ぶるぅをガッカリさせた、と…。これも罪状に加えるべきか…」
パンケーキを無駄にしただけでなく、と押し潰されたままの会長さんが右手の指を折りながら。
「ハーレイの意識が戻った暁にはパンケーキ完食まで監禁だね。ぼくを潰した罪も重いよ」
「監禁なんだ? いいねえ、もちろん縛ったままだね」
今度は奴隷プレイは如何、とソルジャーが嬉しそうに教頭先生の背中を指先でツンツンと。
「首輪をつけてさ、鎖に繋いで、完食するまであれこれと……ね」
「…君に任せると鼻血地獄から抜け出せない気もするんだけれど…」
地獄に落ちるほどの罪は充分犯したか、と会長さんは赤い瞳のそっくりさんな悪魔と結託しちゃったみたいです。まだ会長さんを押し潰している教頭先生、意識が戻ったら完全に地獄。天国だった時間が何処までなのか分かりませんけど、このまま昇天なさった方が…。
「そうかもね。このまま死んだらまさに天国、童貞ながらも腹上死かな?」
「「「…フクジョウ…?」」」
ソルジャーが口にした謎の言葉に首を傾げれば、会長さんが。
「どうでもいいけど早くどけてよ、重いんだってば!」
「瞬間移動で抜け出せるだろう? それともアレかな、嫌よ嫌よも好きの内?」
「違うっ!!!」
パンケーキの山から瞬時に抜け出した会長さんがソルジャーに飛び掛かり、教頭先生は憐れパンケーキと鼻血の海に。ソルジャーが言ったフクジョウなんとかで天国に旅立たれるのか、踏み止まって生き地獄か。読経のプロたちが控えてますから、心おきなく選んで下さい~!




            盛り付け色々・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 シャングリラ学園番外編は去る11月8日で連載開始から6周年となりました。
 ハレブル別館の始動でご心配かと思いますけど、更新ペースは落ちませんからご安心を。
 シャングリラ学園番外編はまだまだ続いていきますよ!
 10月、11月と月2更新が続きましたが、12月は月イチ更新です。
 来月は 「第3月曜」 12月15日の更新となります、よろしくお願いいたします。 
 毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv

毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、11月はスッポンタケ狩りの収穫物を巡って荒れそうな…?
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv






 ハーレイと再会してから、もうすぐ一ヶ月になるんだけれど。
 週末は必ずハーレイが来てくれて、平日だって時間が取れれば夕食を一緒に食べたりしている。前の生でメギドへ飛んだ時には思いもしなかった、この奇跡。
 あの日、メギドで失くしてしまった最後にハーレイに触れた手に残った温もり。それを失くしたことが悲しくて、もうハーレイには会えないんだと、独りぼっちになってしまったと心の奥深くで泣きながらソルジャー・ブルーだったぼくの命は終わった。
 右の手が冷たくて泣いた遠い日のぼく。凍えた右手が失くした温もりは二度と戻ってこないと、ハーレイから遠く離れた所で独りぼっちで死んでゆくのだと。
 それなのに、ぼくはハーレイに会えた。
 ずっと見たかった青い地球の上で、ハーレイと生きて巡り会えた。
 ぼくは十四歳の子供で、ハーレイは二十三歳も年上の先生だったけれど、ぼくたちは会うことが出来たんだ。これが奇跡で無いと言うなら何だろう?
 そう、奇跡でしか有り得ない。
 だから神様は絶対に居る。ぼくたちの目には映らないだけで、神様は何処かに居る筈なんだ。



 今から思えば、十四歳の誕生日に奇跡は始まっていたんだと思う。
 だって、ハーレイと再会した場所は十四歳になった子供が行く学校。
 それにソルジャー・ブルーだったぼくのサイオンが目覚めた日だって、いつだったのか記憶にも残ってはいない十四歳の誕生日。
 前の生の頃は十四歳の誕生日は誰でも『目覚めの日』だった。成人検査を受けて養父母や育った家と別れて、大人の世界へ歩み出してゆく日。
 成人検査に落っこちたぼくは大人の世界へ出てゆく代わりにミュウになった。
 オリジンと呼ばれて残酷な人体実験ばかりの日々だったけれど、其処からソルジャー・ブルーの記憶が始まる。
 だから十四歳の誕生日はきっと、ぼくにとって特別だったんだ。
 ハーレイに会える日までのカウントダウンがあの日に始まり、ぼくたちは地球で再び出会った。
 最高の奇跡が起こったその日に、ぼくの身体に現れた前の生での最期の傷痕。
 その兆候だった右の瞳からの一番最初の出血の日は…。



 十四歳の誕生日の次の日、四月の一番最初の日にあった今の学校の入学前の説明会。
 ママと二人で出掛けて行った。其処で「はじめまして」と挨拶をした校長先生が言ったんだ。
「ずっと昔は十四歳の誕生日を目覚めの日と呼び、別の人生が始まる日でした。その時代に苦しめられていたミュウを救うために立ち上がってくれたソルジャー・ブルー。命を捨ててミュウの未来を守ってくれた彼のお蔭で、あなたたちは此処に居るのです」
 後はお決まりの「頑張って勉強して下さい」とかだったと思う。
 ジョミーと、ぼくをメギドで撃ったキースも今では英雄だったけれども、こういう挨拶で最初に必ず出て来る名前はソルジャー・ブルー。
 ぼくの名前と同じ「ブルー」と、パパとママがぼくに「ブルー」と名付けた理由の同じ瞳の色と髪。それがちょっぴり誇らしくなって、恥ずかしくも思う学校でよく聞く先生の話。
 前の学校でも何かと言えば「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」とか、ジョミーやキースの名前まで出る長ったらしい挨拶だとか。
 もう充分に聞き飽きていたし、ぼくは行儀よく座っていたけど他の子は欠伸なんかをしていた。
 それから後は学校生活のごく簡単な説明があって、入学式の案内も。全部済んだらママと一緒に家に帰って、貰って来たプリントなんかを読んで…。



 その日の夜になって初めて、右目の奥がツキンと痛んだ。
 校長先生の挨拶で聞いたソルジャー・ブルーという名前。それに反応したんだと思う。
 自分の部屋で本を読んでいた時、急に右目から零れた赤い血。
 怪我したのかと酷く驚いたし、見えなくなるのかと泣きそうになった。右の瞳が傷ついたんだと思ったから。見えなくなっても移植再生手術で治るけれども、そんなのは嫌だ。生まれつき身体がとても弱くて学校も休みがちなぼく。入学する前に手術のために入院だなんて…!
 半ばパニック状態で鏡を覗き込んでみたら、ぼくの瞳に傷は無かった。血だって一筋流れ落ちた後はもう出なかったし、目もちゃんと見える。
 新しい学校を最初から休むなんて嫌だったから、ママたちには黙っていることにした。
 それが最初に血を流した日。
 誕生日の三日ほど前にパパが読んでいた本を覗き込んだらミュウの歴史で、ソルジャー・ブルーの名前も写真もあった。でも、その時は平気だったんだ。
 右目の奥は痛まなかったし、もちろん血だって出なかった。
 だから十四歳の誕生日にぼくの中で何かが変わって、今の奇跡の日に繋がったんだと信じてる。
 生まれ変わったハーレイに会って、ソルジャー・ブルーだった頃の記憶が戻って…。
 特別だった十四歳の誕生日。
 お祝いのケーキを食べていた時には知らなかったけど、あの日が奇跡の始まりなんだ。



 パパとママの見ている前で右の瞳から赤い血が出て、病院に連れて行かれた日。
 四月の二十七日だった。
 ぼくを診てくれた先生が『聖痕』という言葉を教えてくれた。
 そして笑って言ったんだ。先生と同じ名字の従兄弟がキャプテン・ハーレイそっくりだ、って。その人は学校の先生をしていて、もうすぐぼくの学校に来ると。
 もし会った時に右の瞳から血が流れるようなら、ぼくはソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれないと聞いて怖かった。
 だって、ぼくは十四歳になったばかりの子供。伝説の英雄みたいなソルジャー・ブルーと同じだなんて言われても困る。そんなことになったら、どうしたらいいか分からない。
 絶対に違うと思いたかった。ぼくは普通の十四歳の子供で、ソルジャー・ブルーの生まれ変わりなんかじゃないと。
 どうか生まれ変わりじゃありませんように、と神様に毎日お祈りをした。神様はお祈りを聞いてくれたらしくて、それからは歴史の授業でソルジャー・ブルーの名前を聞いても大丈夫だった。
 ぼくの右目から血は流れなかったし、初代のミュウについて習う時間も終わった。
 これでもう、ぼくは大丈夫。ぼくはソルジャー・ブルーじゃなかった。
 血が流れたのは聖痕とかいう不思議な現象かもしれないけど、それはそれ。
 ソルジャー・ブルーの傷痕を写していただけだったら、ぼくはソルジャー・ブルーじゃない。
 違って良かった、とホントに思った。
 ぼくが本当はぼくじゃないなんて怖すぎる。ぼくはぼく。
 ソルジャー・ブルーじゃなくて良かった、と本当にホッとしてたんだ。
 奇跡なんて知らなかったから。生まれ変わることが幸せだなんて、夢にも思わなかったから…。



 そして奇跡の日がやって来た。
 きっと一生忘れはしない、五月三日の月曜日。
 いつもどおりに学校に行って、本を読んでいたら友達が言った。古典の先生が変わる、って。
 普通だったら先生は途中で変わらないけど、その先生は前の学校で欠員が出たから着任するのが遅れたらしい。「宿題出さねえ先生だといいな」って友達が言って、ぼくは笑った。
 情報通の友達と違って、ぼくは何にも知らなかったんだ。その先生が誰なのか、なんて。病院の先生が話してくれた「キャプテン・ハーレイそっくりの従兄弟」が、その人だなんて…。
 授業開始のチャイムが鳴って、教室に入って来た新しい先生。
 教科書に載ってるキャプテン・ハーレイにそっくりな姿を目にした途端に、右目の奥がズキンと痛んだ。今までの痛みとは桁違いな痛み。右の瞳を潰されたような痛さに呻くよりも前に、両方の肩に、左の脇腹に走った激痛。
 撃たれたんだ、と直ぐに分かった。黒い髪の男がぼくを撃った。
 地球の男。ミュウの敵のメンバーズ・エリート、キース・アニアン。
 激しい痛みと、溢れ出す血と。床に倒れてゆくぼくの中で鮮明に蘇ってくる記憶。銃で撃たれた傷の痛みがぼくに全てを思い出させた。ぼくの記憶を取り戻してくれた。
 ぼくはミュウの長、ソルジャー・ブルー。
 倒れたぼくを抱き起こしてくれた逞しい腕は、ぼくが愛したキャプテン・ハーレイのものだと。
 それから後のことは覚えていない。
 酷い痛みと出血のせいで気を失ったぼくは、救急車で病院に搬送された。病院へと走る救急車の中で、ハーレイがぼくの手を握って「大丈夫だからな」「すぐ病院に着くからな」と何度も何度も呼びかけてくれたらしいんだけれど、ぼくは覚えていないんだ。
 覚えているのは、傷の痛みが思い出させてくれたこと。ぼくは誰なのか、誰を愛していたのか。
 病院の先生が『聖痕』と診断を下した何の傷痕も残さなかった傷が、ぼくに奇跡を運んで来た。ハーレイの記憶を戻したのもまた、ぼくが起こした大量出血。
 ぼくたちが再び出会うために現れた奇跡の傷痕。
 本物の聖痕は神様の身体の傷らしいけれど、ぼくの傷だって奇跡なんだから聖痕っていう名前は好きだ。ぼくにとっては大切な傷。痛かったけども、傷のお蔭でハーレイと再会出来たんだから。



 ずっとずっと昔、人間たちの世界に下りた神様が身体に負った傷痕。
 その傷と同じ傷が身体に現れることを、昔の人たちは聖痕と呼んでいたらしい。
 ぼくの身体に現れた傷は神様が負った傷の痕じゃなくて、前の生でぼくが撃たれた傷痕。
 ソルジャー・ブルーだったぼくが撃たれて、痛みの酷さで最期まで覚えていようと思った大切な温もりを失くした傷痕。右手に残ったハーレイの温もりを消してしまった悲しい傷痕。
 その傷痕をぼくの身体に刻み付けたのは誰なんだろう?
 本物の聖痕は、神様が強い信仰を持った人の身体に刻むものだと信じられていた。
 もしもそうなら、ぼくの傷痕も神様が刻んでくれたんだろうか?
 ぼくがハーレイと巡り会えるように、ハーレイがぼくを思い出せるように。
 うん、きっと神様のお蔭だと思う。
 だってぼくたちは地球に生まれたし、離れ離れじゃなくてきちんと出会えた。
 神様が起こしてくれた奇跡なんだもの、大切に生きていかなくちゃ…。
 今度こそ温もりを失くさないように。
 冷たくて泣きながら死んでいったぼくの右手が、二度と凍えてしまわないように。
 神様がくれた奇跡の命を大切に生きて、いつかハーレイと結婚するんだ。
 今はまだキスも出来ないけれども、大きくなったらキスを交わして、それから、それから…。



「ブルー? 何を考えてるんだ?」
 ハーレイの声で我に返った。ずいぶん長い間、考え事をしていたような気がしていたのに、目の前のテーブルに置かれた紅茶のカップからはまだ温かい湯気が上がってる。
 此処はぼくの部屋で、さっきハーレイが訪ねて来てくれて向かい合わせで座ったんだっけ。すぐ側にハーレイが居てくれる嬉しさでボーッとなってしまって、そのまま色々と考えちゃって…。
 だからハーレイにも話してみた。十四歳だから出会えたのかな、って。
 そうしたら…。
「俺が十四歳の時には、そういう目出度いイベントは何ひとつ無かったんだがな」
 ハーレイが「うーん…」と頭を掻いた。
「柔道の大会で優勝したのと、水泳で記録を出した程度だ。俺の学校の記録を一つ更新したな」
 その他には特に何も無かった、とハーレイは笑っているけれど…。それだって充分凄いと思う。柔道の大会で優勝するのも、水泳で学校の新記録を出すのも、どっちもぼくには絶対に無理だ。
 ついでに、ぼくがそういうことをやったらパパもママも大喜びでお祝いしてくれそうだけど…。
 思ったままを口にしてみたら、ハーレイは「はははっ」と大笑いをして。
「そうか、あれも目出度いイベントなのか。俺の家では普通に扱われただけで」
「そうだよ、ぼくの家ならパーティーだよ!」
「なるほど、なるほど。イベントの方でも人を選ぶか、そうだったのか」
 あれが目出度いとは知らなかったな、と可笑しそうに笑い続けるハーレイ。
 どうやらハーレイが十四歳の誕生日を迎えた時には何も無かったみたいだけれど…。
 だけど、ぼくの十四歳の誕生日は特別だったと思う。
 ぼく限定の特別イベントだったんだろうか、ハーレイと再会出来た奇跡は?
 だってハーレイが十四歳の子供だった頃には、ぼくは生まれていなかったんだし…。



 そう考えていて、ふっと気付いた。
 ハーレイが生まれてから、ぼくが生まれるまでの間に二十三年間もある。
 その間、ぼくは何処にいたのかな?
 一人ぼっちで居たんだろうか、と思うけれども、分からない。
 でも、なんでそういう風に感じるのか、どうしてなのか…。一人だった気がしないんだ。
 いつも誰かがぼくの側に居て、ふんわりとした温もりに包まれていたような…。
 メギドで失くした筈の温もりを、ぼくは持っていたような感じがする。
 もしかしたら、ハーレイと一緒に居たんだろうか?
 死の星だった地球が蘇るまでの長い長い時を、ハーレイと過ごしていたんだろうか?
 きっと時間なんか無いような場所にハーレイと二人で居たんだよね、と思いたい。
 思いたいけれど、自信がないや。
 だけど聖痕なんていう凄い奇跡があるなら、そういう場所もあるかもしれない。
 きっとそうだよ、ぼくはハーレイと二十三年間も離れて一人ではいられないから…。
 時間の無い場所で二人過ごして、青い水の星が蘇って。
 其処に前世のハーレイそっくりに育つ器が出来て、ハーレイは生まれ変わって行ったんだ。
 「待ってるからな」って、ぼくに手を振って、ぼくの大好きな笑顔を見せて。
 そして時間が無い場所だったから、ぼくもハーレイが行ってしまった後は独りぼっちで待たずに済んで直ぐに生まれて来たんだと思う。
 この地球の上に、ハーレイを追って。
 二十三年間もの時間さえ、一瞬に変えてしまった神様。
 ぼくとハーレイとをもう一度会わせてくれた神様。ぼくの身体に傷痕を刻んでくれた神様。
 沢山の奇跡が始まった日が、ぼくの十四歳の誕生日。
 身体が弱いぼくが凍えないよう、暖かくなる春を選んで神様が送り出してくれた三月の末の日。
 学年で一番の年下だけれど、奇跡の始まりになった誕生日だから、この日が大好き。
 ぼくが生まれた三月の末。三月の三十一日から始まった奇跡を、ぼくは一生忘れないよ…。




       奇跡の始まり・了




※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv






ハロウィンにはまだ早いですけど、しっかり十月、気分は秋です。衣替えが済んだ直後は暑い日も何日かあったとはいえ、もう長袖にも馴染みました。今日は秋晴れ、空気も爽やか。予鈴が鳴って、間もなく朝のホームルームが始まる時間で…。
「諸君、おはよう」
靴音も高く現れたグレイブ先生、何故か普段よりも厳しい顔つき。それに気付いた何人かがコソコソ小声で話していると。
「そこの馬鹿ども! 遅刻でいいな」
「「「えっ?」」」
「遅刻扱いでいいな、と言ったのだ。出欠を取っている時に雑談するなら返事をする意欲も無いだろう。返事が無い者は存在しない。要するに遅刻だ。反論は認めん」
出席簿に書き込まれる遅刻の証。犠牲者は全部で八名でした。
「これに懲りたら、以後、雑談は慎むことだ。今日の一時間目は数学だ。…雑音の無い授業を期待している」
シーン…と凍りつく教室の空気。グレイブ先生は淡々と朝の連絡事項を告げ、日直当番が今日の委員会活動などについて話してホームルームは終わりましたが…。
「な、なんだったんだよ、アレ…」
グレイブ先生が数学科の準備室へと戻って行った後、1年A組は上を下への大騒ぎ。遅刻マークを書かれた人は元より、そうでないクラスメイトたちもザワザワと。
「雑談で遅刻ってあったっけ?」
「いや、知らない。…待てよ、前にはあったかも…」
どうだった、と訊かれる対象は当然、私たち特別生の七人組とアルトちゃん、rちゃんの九人ですが、生憎とそんな記憶はありません。1年A組で学び始めて長いですけど、たかが雑談、それもヒソヒソ声で遅刻扱いになるなんて…。
「そうか、無いのか…。俺たち、運が悪かったのかも」
「仕方ないよな、書かれちゃったら…。グレイブ先生、何かあったのかな」
あの顔つきがくせものだ、という点についてはクラス全員の意見が見事に一致しました。私たちもグレイブ先生の機嫌の良し悪しは顔つきでほぼ分かります。今日の御機嫌は相当に斜め、仏滅級だと思われますが…。
「ぶ、仏滅って…。それじゃ十三日の金曜日とかは?」
「まだ分からん。ついでに俺はキリスト教とは無縁なんでな」
まあ頑張って静かにしておけ、とキース君が突き放した所でキンコーンと一時間目の五分前を告げる予鈴の音が。私たちの周りに群がっていたクラスメイトたちはバタバタと自分の席へ駆けてゆき、授業の支度を始めました。教科書にノート、筆箱などなど。これで準備はオッケーですよね?



本鈴が鳴って緊張し切った教室の外の廊下にグレイブ先生の靴音がカツカツカツ。やがてガラリと扉が開いて、噂の当人の御登場です。グレイブ先生は真っ直ぐ教卓に向い、クラス全体を見回すと。
「よろしい、全員出席、と…。では、教科書とノートを片付けたまえ」
「「「え?」」」
「片付けたまえ、と言ったのだ! 今から抜き打ちテストを行う」
「「「えぇぇっ!?」」」
そんな殺生な、とクラス中から上がる悲鳴を無視してグレイブ先生は教科書とノートをカンニング出来ないように鞄に入れさせ、前から順にレポート用紙が配られて。
「問題は今から黒板に書く。制限時間は十五分だ。それが終わったら即、回収。授業時間内に採点を行い、間違えた者は昼休みにグラウンドを駆け足で五周としておく」
「「「ご、五周…」」」
シャングリラ学園自慢のグラウンド。五周ともなれば半端な距離ではありません。死ぬ、という声も上がっていますがグレイブ先生はサラッと無視して黒板にチョークで問題を。げげっ、ただの数式じゃないんですか! よりにもよって証明問題、これはキツイかも…。
『ヤバイんじゃないの?』
ジョミー君の思念波が届きました。
『ぼくたちは普通に解けるけれどさ、他のみんなは…』
『ヤバイだろうな』
下手をすればクラスの殆どがアウト、とキース君も同意しています。
『しかし今からあいつを呼んでも手遅れだぞ』
『会長、今日は登校していないんでしょうか?』
シロエ君の思念に、サム君が。
『俺、今朝も一緒に来たけどなぁ…。朝のお勤めに行って来たから』
『だったら、どうして…』
クラスのピンチに来ないんでしょう、というマツカ君の疑問に対する答えは誰も持ち合わせていませんでした。たまには実力を思い知れ、との考えで放置プレイとか…?
『それは大いに有り得るな…。いつも頼りっぱなしだからな』
こんな日もあるさ、とキース君。思念波を交わしながらも私たちはサラサラと答えを書いていますが、クラスメイトたちの方はサッパリで。
「十五分経過! テストはこれで終了とする。後ろから順番に前へ回すように」
採点時間中は各自で自習、とグレイブ先生。列の後ろから回されてきたレポート用紙は大部分が白紙で、ジョミー君たちが座っている列も同じ状態。グラウンド五周が目の前に迫った1年A組、阿鼻叫喚の地獄になりそうな…。



定期試験は会長さんに全てお任せな1年A組。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーなのだと称して意識の下に正解が送り込まれてくるのですから、それさえ書けば満点です。何もしなくても全科目で満点を取れるとあって、予習復習を舐め切って今日まで暮らした結末は。
「諸君。…私は深く絶望している。なんなのだ、この悲惨さは!」
満点が九人しかいないではないか、とグレイブ先生は赤ペンで教卓をコツコツと。九人ってことは特別生以外は全滅だったということで…。
「辛うじて半分解いた者もいるが、最後まで解いていない以上はそれも間違いに含まれる。いいな、特別生の諸君以外は昼休みにグラウンドを駆け足で五周!」
「「「えーーーっ!!!」」」
「えーっ、ではないっ! 自分の力不足を反省しつつ、今日からの予習復習に生かしたまえ」
「「「そ、そんな……」」」
あちこちで悲鳴が上がる中、私たちは思念でヒソヒソと。
『アレって絶対難しすぎよね、この前、習ったばかりのトコでしょ?』
『ああ。普通に復習していたとしても難しかったかもしれないな』
それにしても…、とキース君。
『グレイブ先生に何があったんだ? 朝の遅刻の扱いといい、かなり機嫌が悪そうだが…。十三日の金曜日並みと言ってもいいようなレベルだぞ』
『だよなあ、おまけに仏滅で三隣亡だぜ』
本当に何があったんだろう、とサム君が思念で呟いた時。
「多分、栗御飯の祟りなんだよ」
『『『え?』』』
いきなりジョミー君の肉声が聞こえ、ギョッと息を飲む私たち。ジョミー君は慌てて口を押さえていますが、グレイブ先生の耳にも入ったようで。
「ジョミー・マーキス・シン! 今、栗御飯と聞こえたが…?」
「それとチキンの竜田揚げです、変わり卵焼きと大学芋も」
ザワワッと教室中がどよめき、言い放ったジョミー君もまた顔面蒼白。グレイブ先生は両手の拳をグッと握り締めてブルブルと…。
「ふざけるのも大概にしておきたまえ! どうやらグラウンドを走りたいようだな、特別に貴様も追加する。いいか、昼休みに五周だぞ!」
そこでキンコーンとチャイムが鳴って、恐怖の一時間目は終了しました。ジョミー君までグラウンド五周になった理由は謎の栗御飯な発言ですけど、アレっていったい何だったの…?



「おい、栗御飯って何だよ、ジョミー」
グレイブ先生が出て行った後、サム君が早速尋ねましたが、ジョミー君は。
「…ぼくにも分からないんだよ…。どうしてなんだろう、口が勝手に」
「竜田揚げもか?」
キース君が念を押し、シロエ君も。
「変わり卵焼きって言いましたよね? それに大学芋」
「う、うん…。おかしいなぁ、ママはそんなの作ってないけど…。昨日の夜はチキンカレーで、朝は普通にソーセージと目玉焼きだった」
「栗御飯が入り込む余地は無さそうだな」
カレーではな、とキース君。
「チキンは確かに竜田揚げと被るが、お前の頭に献立表が入っているとは思えない。俺もチキンとだけ言われて料理が幾つ浮かんでくるか…。そういうのはぶるぅが得意そうだが」
「ぶるぅ……ですか?」
シロエ君が顎に手を当てて。
「もしかしたら、あれは会長の昼御飯かもしれません。ジョミー先輩にグラウンド五周をさせてみたくて口走らせたとか、ありそうですよ」
「ブルーが…? ぼくって恨みを買っていたっけ?」
「何を今更…。何年越しで買っていると思っているんだ」
いつまで経っても仏弟子の自覚ゼロ、とキース君が呆れ果てた口調で首を振っています。
「俺の大学の専修コースに入るどころか、朝のお勤めにも行かないしな。不肖の弟子にも程がある。破門の代わりにグラウンド五周の刑なんだろうさ」
「そうなるわけ? そんな理由で栗御飯だとか言わされたわけ…?」
「祟りだと言っていただろう? 間違いなくあいつの祟りだな」
諦めて五周走ってこい、とキース君はにべもありません。そういう理由なら庇いだてすることも同情すらも特に必要無さそうです。昼休みにはクラスメイトと仲良く走ればいいじゃないか、と私たちは結論付けました。
「酷いや、なんでぼくだけ走らされるのさ!」
「やかましい、走るのは得意だろうが!」
たまにサッカー部の練習に混ざってグラウンド中を走っているよな、とのキース君の指摘にグウの音も出ないジョミー君。ボールを追うのと黙々と走るのとは全く別物という気もしますが、この際、頑張って走りましょうよ~!



こうしてグラウンド五周の刑に処されたジョミー君。私たちがサッサと見捨てて学食に出掛け、先にランチを食べていたことを放課後になってもブツブツと。
「…なんで買っといてくれなかったのさ! ぼくの食券!」
「分からねえだろ、何を食うのか」
そんなの勝手に買えるかよ、と中庭を歩きながらサム君が。
「席は取っといたんだし、それで恩に着てくれなきゃな」
「まったくだ。お前が連絡を寄越したんならともかく、何もしないで買っておけは無い」
お目当ての食券が売り切れていても別のメニューがあるだろう、とキース君。
「でもさ、ハンバーグ定食だったし! アレのある時は必ず買うし!」
「そうかぁ? ラーメン食ってた時もあるだろ」
覚えてるぜ、とサム君が返せば、ジョミー君も負けじとばかりに。
「アレは特別出店だったよ! ゼル先生のコネで来たラーメン屋さんの!」
一日限りのメニューだった、とゴネるジョミー君。そのラーメンは記憶にあります。料理の腕はプロ顔負けのゼル先生が何処かで飲んでいて知り合ったらしい頑固一徹のラーメン屋さん。行列が出来ようとも売り切れ御免で店を閉めると評判なのが来たわけで。
「いいじゃねえかよ、そのラーメンを逃したわけじゃねえんだからよ」
たかがハンバーグ定食くらい、とサム君は冷たく、他のみんなも似たようなもの。そりゃ、グラウンドを五周も走らされてから来た食堂で好物のメニューが売り切れだったらショックでしょうけど…。
「とにかく、お前は自業自得だ。グラウンドに行かなきゃ食えたんだしな」
諦めろ、とキース君が切り捨て、シロエ君が。
「そうですよ。会長の恨みを買ったりするから栗御飯だとか言わされるんです」
ハンバーグ定食も祟りの続きということで、との説に誰もが大賛成。
「うんうん、七代後まで祟ってやる、とか言うもんな」
「そうでしょう? グラウンド五周とハンバーグ定食完売までで二代です」
「それじゃ、あと五代ほどあるのかしら?」
楽しみよね、とスウェナちゃんがクスクスと。
「残りの五つはこの先よ、きっと」
「うえ~…。それは勘弁…」
私たちは生徒会室まで来ていました。目の前の壁にシャングリラ学園の紋章が。それに触れれば放課後の溜まり場、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入れます。ジョミー君がまだ祟られるのか、それとも祟りは打ち止めなのか。会長さん、今、行きますよ~!



「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ、来たね。グラウンド五周、お疲れ様」
どうぞ座って、と会長さんが微笑み、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が焼き立てのお菓子を運んで来ました。一瞬、パイかと思いましたが、スポンジケーキをパイ皮に包んで焼いたもの。ケーキの中には栗とカスタードクリームがサンドされているという凝りようです。
「…これも栗なんだ…」
食べたら思い切りヤバイかも、と腰が引けているジョミー君の姿に、会長さんは。
「祟りかい? そっちの方はもう打ち止めだよ、それに食券はぼくのせいじゃない」
「やっぱりブルーのせいだったんだ? あの栗御飯!」
「だって、君以外にいないだろう? ぼくの恨みを買いそうなのは」
「え?」
どういう意味、とジョミー君が訊き返し、私たちのフォークも止まりました。ジョミー君以外に会長さんの恨みを買っている人がいたなら、グラウンド五周はその人だったとか?
「恨みはどうでも良かったんだよ、グラウンドを五周させたいほど恨んじゃいないさ。ただ、誰に言わせるかが問題で…。グレイブは確実に怒るだろうから、犠牲になっても良さそうな人に」
そういう理由で君を選んだ、とジョミー君を指差す会長さん。
「女の子はまず論外だしねえ…。誰にしようかと考えた結果、日頃から逃げてばかりいる弟子にしたんだ。グラウンド五周の感想は?」
「もう沢山だよ! それより、なんで栗御飯なんて言わせるのさ!」
ぼくの発言怪しすぎ、と頭を抱えるジョミー君。あの時はグレイブ先生が激怒したために誰も追及しませんでしたが、家に帰って冷静になったら大笑いするかもしれません。会長さんの昼御飯だとは思わないでしょうし、ジョミー君の家の夕食メニューだと思われそうで…。
「グレイブがブチ切れる原因が栗御飯だから」
「「「は?」」」
何故に会長さんの昼御飯の中身でグレイブ先生がキレるんですか? キョトンとする私たちの前で会長さんは指を折りながら。
「栗御飯にチキンの竜田揚げ。変わり卵焼きと大学芋と、後は彩りにブロッコリーって所かな。…グレイブが昨夜から段取りしていた今日のお弁当」
「「「お弁当?」」」
ジョミー君が口走らされた献立は会長さんのお昼ではなく、グレイブ先生のお弁当。だけど中身を当てられたからって、何もキレなくてもいいんじゃあ…?



お弁当の中身を言い当てただけでグラウンド五周はちょっと酷過ぎ。グレイブ先生、やり過ぎだろうと思ったのですが。
「ちゃんとジョミーに言わせただろう? 祟りだって」
そこが大切、と会長さん。
「グレイブは朝から機嫌が悪かった。雑談した生徒を遅刻扱い、おまけにグラウンド五周の罰則つきの抜き打ちテスト。…この辺が全部祟りなんだよ、ぼくじゃなくってグレイブのね」
「それと栗御飯がどう繋がるんだ?」
サッパリ分からん、とキース君が返し、私たちも揃ってコクコクと。会長さんはパイ皮包みの栗のケーキを頬張ってから。
「うん、栗が美味しいシーズンだよね。だからグレイブも栗御飯! 今日のお弁当に間に合うように昨夜に剥いて炊飯器に入れて、ちゃんとタイマーをセットして寝た。ところがウッカリ寝過ごした上に、タイマーの午前と午後とを間違えててさ」
「じゃあ、お弁当は…」
どうなったの、とジョミー君が尋ね、会長さんがニッコリと。
「間に合うわけがないだろう? せめて栗御飯が炊けていたなら、佃煮とかお漬物を詰めて誤魔化すことも出来たんだ。なのに御飯は炊けていないし、おかずを作る時間も無い。…というわけで、愛妻弁当、大失敗ってね」
「「「愛妻弁当!?」」」
なんじゃそりゃ、と目をむく私たち。グレイブ先生は愛妻家ですが、愛妻弁当と呼ばれるモノは普通は奥さんが作るんじゃあ? つまりはミシェル先生が…。
「違うね、グレイブたちの夫婦仲の良さは半端じゃない。普段は教職員専用食堂で仲良くランチをしているけれど、月に一度は手作り弁当! ミシェルが作る日とグレイブが作る日、それぞれ一日ずつなんだな」
「「「………」」」
「でもって、今日がグレイブの日。気合を入れて用意したのにズッコケちゃったら、八つ当たりだってしたくなる。それをジョミーがものの見事にズバリと言い当てちゃったわけ。多分、栗御飯の祟りだよ、とね」
あの瞬間のグレイブの顔といったら…、と会長さんは可笑しそうにケタケタ笑っています。
「ね、ぶるぅだって見てただろう? 楽しかったよね」
「かみお~ん♪ 大学芋はミシェル先生の好物なんだよね!」
お弁当が無くってガッカリだったもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。教職員用の食堂に大学芋は無いそうです。グレイブ先生、お昼休みに学校の近くの和菓子屋さんに出掛けて行って、芋羊羹をお詫びに買ったのだとか。実に素晴らしい愛妻家ぶりに、ちょっとホロリとしてしまったり…。



月に一度は愛妻弁当なグレイブ先生。いえ、それを言うなら愛妻弁当の日と愛妻家弁当の日が一日ずつ、と言うべきか…。お弁当持参なのに二人で使っている教職員専用棟にある部屋では食べず、わざわざ食堂に行くのだそうです。
「たまにゼルが評価をつけるらしいよ。この辺にコレを入れるべき、とかね。ミシェルが作った時はベタ褒め、グレイブの時は注文いろいろ」
「じゃあ、今日は?」
どうなったの、とジョミー君も今となっては興味津々。
「ん? 今日はね、そりゃあ手酷い評価がついたさ。グレイブはあれで顔に出るから、お弁当の日だったことが即バレで…。タイマーの件はともかく、寝過ごした方をネチネチ言われて、ブラウまで来て二人がかりで「愛が足りない」とフルボッコ」
お蔭で午後の授業でも抜き打ちテストを食らったクラスが…、と聞かされて私たちは震え上がりました。三年生のクラスらしいですけど、放課後にグラウンドを五周していたみたいです。よくぞ終礼で何も起こらずに済んだものよ、と犠牲になった三年生に心で合掌。
「栗御飯はそこまで祟るのか…」
恐ろしいな、とキース君が呟けば、サム君が。
「祟るのは愛妻弁当だろ? あ、グレイブ先生が作る方なら愛妻家弁当だったっけ?」
「どっちでもいいよ、グラウンド五周はキツかったんだよ~」
愛妻弁当は二度と御免だ、とジョミー君が栗のケーキを口へと放り込んだ時。
「…ぼくは素敵だと思うけどねえ?」
「「「!!?」」」
会長さんそっくりの声が聞こえて、振り向いた先に紫のマント。別の世界からのお客様は部屋を横切り、ソファにストンと腰を下ろすと。
「ぶるぅ、ぼくにもケーキが欲しいな。それと紅茶も」
「かみお~ん♪ ちょっと待っててね!」
お客様だぁ、と大喜びの「そるじゃぁ・ぶるぅ」はすぐにケーキを切り分けて渡し、熱々の紅茶も淹れて来ました。栗御飯の祟りがソルジャーの心にどう響いたのかは分かりませんけど、グラウンド五周の刑を素敵だなんて思ってるわけがないですよねえ?



紅茶をお供に栗のケーキをパクパクと食べているソルジャー。甘いお菓子は大好きとあって二切れも食べ、更にお代わりを要求しながら。
「これがギッシリ詰まってるのもいいかもねえ…」
「「「は?」」」
なんのこっちゃ、と意味不明な発言に首を傾げると、ソルジャーは。
「お弁当だよ、ぼく用の! 大学芋よりはこっちかな、うん」
「えーっと……。それは愛妻弁当のこと?」
素敵だと言っていたっけね、と会長さんが問えば、頷くソルジャー。
「お弁当を作って貰えるなんて素敵じゃないか。それも好物ばかりを詰めてさ、愛してますってアピールだよね? ぼくも作って欲しいんだけど…」
「………誰に?」
「もちろん、ハーレイ! 昼間はブリッジに行ったきりだし、寂しくて…。そんな時にハーレイの手作り弁当があったらいいと思うわけ。好物たっぷりの美味しいヤツが」
「言っとくけれど、栄養バランス第一だから!」
おやつはお弁当に含まれない、と会長さんが眉を吊り上げ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「えとえと…。お菓子を詰めるなら、他にもサンドイッチとか! お肉は無くてもお野菜は要るよ、でないと病気になっちゃうもん!」
「ああ、その点は大丈夫! ぼくの世界は薬の類も発達してるし、必要な栄養はそっちの方で」
「却下!!!」
それじゃ愛妻弁当にならない、とダメ出しをする会長さん。
「いいかい、愛妻弁当ってヤツは相手を想って作るんだ。より健康に過ごせるように、と腕を奮ってなんぼなんだよ。グレイブの場合は美容にも気を遣ってメニューを考えているさ」
「…美容って?」
「そりゃあ、相手がミシェルだから…。女性だからねえ、美肌効果のある食材とか! 栗は美容にいいんだよ。それで栗御飯をチョイスしたんだ、メインは栗御飯だったわけ」
「なるほど、栗御飯が大切だったのか…。そこでコケたら怒るかもねえ…」
ぼくの場合はどうだろう、とソルジャーは少し考え込んで。
「基本、お菓子が入っていれば何でもオッケーなんだけど…。お菓子の代わりに味気ない料理が詰まっていたらキレるかな? 違った、グレイブが怒ってたのは自分が失敗したからだっけ。ぼくがハーレイに作る方だね、そうなると」
料理は得意じゃないんだけれど…、とソルジャーは真剣な表情で考え中。えっと、それ以前の問題として、キャプテンにお弁当はアリなんでしょうか…?



キャプテンに愛妻弁当を作って欲しい、と言っていたのがキャプテン用のお弁当を作る方へと転んだソルジャー。キャプテン用のお弁当で失敗した場合に悲しくなるポイントをあれこれ想像してますけれど…。
「うーん、やっぱり全然思い付かないや。そもそもハーレイの好物が何か知らないし」
「「「へ?」」」
思わず間抜けな声が出ました。好物が何か知らないだなんて、ソルジャーとキャプテン、確か結婚してたんじゃあ…。
「知らなかったらマズイのかい? 夫婦として?」
「そ、そりゃあ…。普通は押さえるポイントだよ、それ」
単なる恋人同士でも、と会長さんは呆れ顔。
「でないとデートに誘った時とか、困るだろう! 何処で食事をすればいいのか、何を頼めば喜ばれるか。相手の好きな食べ物くらいは押さえておくのが基本だってば」
「ハーレイの好きな食べ物ねえ…。強いて言うならぼくなのかな?」
「その先、禁止!」
会長さんがピシャリとイエローカードを突き付けましたが、ソルジャーは。
「えっ、ハーレイはいつも美味しそうに吸ったり舐めたりしてるけど? 噛むのも好きだし、飲むのも好きだね」
「退場!!!」
今すぐ出て行け、と怒鳴り散らしている会長さんとソルジャーの会話は既に異次元でした。万年十八歳未満お断りの私たちには理解できない専門用語がバンバン飛び出し、会長さんは今にもソルジャーを蹴り出しそうな勢いで。
「そこまで言うなら君がお弁当箱に入ればいいだろ、何処で食べるのか知らないけどさ!」
「あ、そうか…。食べる場所が問題なんだっけ…」
やっとグレイブの気持ちが分かったかも、とソルジャーは突然、意気消沈。
「好きな食べ物が分からないなら、ぼくを出せば…と思ったんだけど…。ブリッジでは流石に無理だよねえ…。食堂でも無理だし、用意したって大失敗っていうのはこういうことか…」
栗御飯になった気分がする、と残念そうに零すソルジャー。
「ぼくはどうしたらいいんだろう? ハーレイにお弁当を作って貰った方がいいのか、それとも作るべきなのか…。作る方がハードル高そうだけど」
「君を料理として出さないんなら、お勧めは作る方だけど?」
それが王道、と会長さんがレッドカードをちらつかせながら答えましたが、何故に王道? ソルジャーは料理が苦手な上に、キャプテンの好物すらも把握していない人なんですが…?



愛妻弁当なる言葉に釣られて出てきたソルジャー。最初は自分が作って貰う方向性でいたのが一転、自分が作る方へと。ところがそちらは色々難アリ、どう考えても難しそうなのに会長さん曰く、それが王道。
「いいかい、愛妻弁当ってヤツは君が最初に言っていたとおり、愛してますってアピールなんだ。それと同時に、愛されてますってアピールでもある。グレイブとミシェルがいい例だよね」
「…どういう意味さ?」
「あの二人、お弁当を用意した日も職員食堂に行くんだよ。そこで食べながら周囲の評価を受けるわけ。グレイブはゼルに辛辣なことを言われる時もあるけど、それでも必ず食堂に行く。その理由はねえ、相手のために作りました、ってアピールと、作って貰ったっていうアピール」
見せびらかすのが重要なポイントなのだ、と会長さんは指を一本立てて。
「一人きりの部屋で食べていたって誰も見てくれないし、見せられない。君が作って貰った場合はそのパターン! 青の間で一人で食べるんだろう?」
「そうなるねえ…。そりゃあ、ブリッジとか食堂とかに持って行って食べてもいいけど……そうなると君じゃないけど栄養バランス云々ってことに」
好物満載のお弁当どころか逆パターン、とソルジャーは悔しそうな顔。
「ぼくの世界のゼルも食べ物にうるさいタイプなんだ。お菓子だけしか入っていないお弁当を持っているのがバレたら、籠いっぱいの野菜を持って来そうで」
「かみお~ん♪ ミキサーにかけて青汁なんだね!」
アレって美味しくないんだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。美味しく飲める青汁も作れるらしいですけど、普通に野菜をミックスすればもれなくマズイ青汁だそうで。
「…そう、その…青汁だっけ? 絶対、飲め! と押し付けられるよ。ゼルは薬で栄養を摂るのに反対だから間違いない」
そんな展開は嫌過ぎる、とソルジャーは顔を顰めています。会長さんはここぞとばかりに。
「君が作って貰った場合は一人で食べるんじゃなくてもアウト、と。やっぱり作る方に回るしかないね、でもって存在を周囲にアピール! 君のハーレイが手作りっぽいお弁当を食べていたなら、それはもう愛妻弁当しか無い。ブリッジだろうが、食堂だろうが」
「いいね、それ! 作ったのは誰か、って自然と話題になるわけだ」
ついにハーレイがぼくとの仲を認める時が、とソルジャーの瞳に強い光が。ソルジャーとキャプテンとの仲は二人のシャングリラではバレバレになっているそうですけれど、頑なにそれを認めないのがキャプテンだとも聞いています。
「ハーレイは思い切り抜けてるトコがあるから、誰が作ったお弁当ですか、と訊かれたら素直に答えそうだ。お弁当を作って貰える程に愛されているという自分の立場に気付かずに……ね」
目指せ、ハーレイとの公認の仲! とソルジャーは思い切り燃え上がりました。明日から愛妻弁当だとか叫んでますけど、キャプテンの好物も知らない人に愛妻弁当なんて作れますかねえ…?



それから一週間ほどが経った土曜日のこと。いつものように会長さんの家のリビングでダラダラと過ごしていた私たちの前に、突然の来客が。
「かみお~ん♪ ぶるぅ、久しぶり~!」
「わぁ、ぶるぅだあー! いらっしゃい!」
ゆっくりしていってね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜び。そっくりさんの「ぶるぅ」にお気に入りのアヒルちゃんのクッションを勧め、お茶とお菓子を用意しようとキッチンに走りかけましたが。
「えっとね、ぼくと、もう一人いるの!」
「「「は?」」」
「…すみません、お邪魔いたします…」
私が来たことは御内密に、とキャプテンが現れたではありませんか! えっと、御内密に…って、ソルジャーは? あ、ソルジャーに内緒でこっちに来るために「ぶるぅ」の力を?
「実は、秘密がバレそうでして…。その前にブルーを皆さんに止めて頂きたいと…」
お願いします、とキャプテンは深々と頭を下げました。秘密がバレるって、いったい誰に? それにソルジャーを止めろと言われても、私たちは向こうの世界に手を出すことは出来ないのですが…? 悩んでいる間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が塩煎餅をテーブルに。
「甘い物が苦手な人には御煎餅! 他の人は栗のスコーンでいいよね、お昼前だし」
「あ、そのぅ…。そんなに長い時間は…」
お昼までには戻りませんと、とキャプテンが慌て、横から「ぶるぅ」が。
「ブルー、今日も朝から頑張ってたよ! なんかね、ピンクのハートがどうとかって」
「……ぴ、ピンクのハート……」
それはマズイ、とキャプテンの額にびっしり汗が。
「こ、この通りの有様でございまして…。ブルーが毎日、お弁当を作ってくれるのです…」
「マズイわけ?」
料理の腕は良くなさそうだね、と会長さんが訊くと、キャプテンは。
「いえ、味はそこそこいけるのです。…なんでも、こちらのドクター・ノルディに初心者向けのレシピを色々貰ったとかで、正直、まずくはありません。むしろ美味しいと言った方が…」
「だったら問題ないじゃないか。ブルーの愛妻弁当だろう?」
「それです、愛妻弁当です!」
そこが非常にマズイのです、とキャプテンは大きな身体を竦ませ、おませな「ぶるぅ」が。
「ブルー、愛妻弁当って言っているけど、大人の時間に効く薬とかは入れていないよ? そういう食べ物も入れていないし、いいんじゃないかと思うんだけど…」
おっきなピンクのハートマークくらい、とニコニコニコ。どうやらソルジャー、今日のお弁当にピンクのハートを描いてしまったみたいです。愛妻弁当の王道ですけど、何処がマズイの?



秘密がバレる前にソルジャーを止めてくれ、と依頼に来たキャプテン。そもそも秘密がどうバレるのか、ソルジャーをどう止めるのかすらも私たちには分かりません。会長さんが「ハッキリ言わないと分からないよ」と突っ込むと。
「………。ブルーとの仲がバレそうなのです、お弁当のせいで」
あんなお弁当を渡されましても、とキャプテンの眉間にググッと皺が。
「最初にお弁当を渡されたのは一週間前のことでした。作ってみたから是非ブリッジで食べてくれ、と言われまして…。何か意味でもあるのだろうか、と昼休みに蓋を開けましたら…」
「ハートマークでもついていた?」
会長さんの問いに、キャプテンは首を左右に振って。
「ごくごく普通のお弁当でした。ただし、こちらの世界のスタイルの…。そこに気付かず、添えられたお箸で食べておりましたら、ゼルが横から覗き込みまして…」
料理の腕前が素晴らしいというキャプテンの世界のゼル機関長。お弁当を見るなり「クラシックスタイルだのう」と呟き、自作したのかと質問が。キャプテンは素直に「これはソルジャーが…」と答えてしまい、その日以来、ブリッジクルーの誰もが昼食時間を楽しみにしているそうで。
「ブラウなどは肘で私をつついてニヤニヤしながら「ハーレイ、今日も愛妻弁当だねえ」と言うのです! ソルジャーのお心遣いなのです、と何度言っても聞き入れて貰えず…」
このままでは私たちの仲がバレます、と懸命に訴えているキャプテン。バレるも何も、とっくにバレバレじゃないですか、と言おうものなら卒倒しそうな雰囲気で…。
「ブルーは愛妻弁当呼ばわりを面白がっておりまして…。恐らく、それで今日はピンクのハートマークを…。お願いします、原因はこちらの世界にあるかと思いますので、どうかブルーを!」
「おやおや、ぼくがどうかしたかい?」
「「「!!!」」」
捜したよ、と声がしてフワリと優雅に翻るマント。ソルジャーの手にはランチョンマットに包まれたお弁当箱が。
「ハーレイ、今日のは力作なんだよ。こっちのノルディが愛妻弁当の定番ですって教えてくれてね、御飯の上にピンクのハートを描いたんだ。桜でんぶってヤツを使って」
「…ぴ、ピンク……」
「大丈夫、見た目ほど甘くはないから! 材料は魚らしいしさ」
今日もブリッジの人気者だよ、とキャプテンの首根っこを引っ掴むようにしてソルジャーは消えてしまいました。後を追うように「ぶるぅ」も大量のスコーンを抱えて姿を消して。



「…エスカレートしているみたいですね…」
本当に止めなくていいんでしょうか、とシロエ君が首を捻れば、キース君が。
「どうやってアレを止めるんだ? あっちの世界に行けるのか?」
「そ、それは…。ということは、このまま行ったら本当に秘密がバレバレに…」
マズイですよ、とシロエ君は焦っていますが、会長さんはのんびりと。
「問題ないだろ、ブルーは元々バレバレなんだって言ってるし。…それにね、ブルーの性格からして長期間続くわけがない! そしたら今度はどうなると思う?」
「「「…???」」」
「愛妻弁当がパッタリと消えてなくなるんだよ? こっちの世界なら夫婦喧嘩だとか仲が冷めたとか、離婚寸前とか、他にも色々」
「「「あー……」」」
容易に想像がつきました。ソルジャーがお弁当作りに飽きたら、キャプテンを待っているのは「別れたのか」とか「捨てられた」とかの不名誉な噂の乱舞です。早い話が放っておいてもカップル解消となるわけで…。
「ね? だから問題ないんだよ。それじゃ賭けようか、愛妻弁当がいつまで続くか」
「俺、あと三日!」
「ぼくは一週間で行きます、キース先輩はどうしますか?」
無責任に始まるトトカルチョ。グレイブ先生の八つ当たりに端を発した愛妻弁当を巡る騒ぎはまだ暫くは続きそうです。私は二週間に賭けましたから、ソルジャー、どうかあと二週間ほど、心をこめて愛妻弁当お願いします~!




         お弁当に愛を・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 今回、珍しい人に脚光が当たってましたが、グレイブ先生、愛妻家ですよ?
 そして来たる11月8日でシャングリラ学園番外編は連載開始から6周年です。
 感謝セールとは参りませんが、感謝の気持ちで今月は月2更新にさせて頂きます。
 次回は 「第3月曜」 11月17日の更新となります、よろしくお願いいたします。
 毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv


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 こちらでの場外編、11月はスッポンタケ狩りの悪夢を引き摺っているようで…。
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