シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
夏休みに入って、ブルーがハーレイに会える日は劇的に増えた。平日でも家を訪ねてくれるし、もう嬉しくてたまらない。研修や柔道部の試合などで来られない日があったとしても、ほんの一日だけの我慢で。今日もそういう日だったのだが、ブルーは朝から張り切っていた。
八月初めのよく晴れた空は怖いほどに青く、その向こうの宇宙まで見えそうな気がする。そんな空の下、今日は一人で出掛ける予定。朝食を済ませて時計を見れば丁度いい時間。
支度を整えて家を出ようとしたら、母が「忘れてるわよ」と頭に帽子を被せた。ブルーくらいの年の男子がよく被っているものとは違って、広いつばが頭をぐるっと取り巻く帽子。
「暑くなりそうだから気を付けるのよ。帰りが暑い盛りだったらタクシーに乗って帰りなさい」
暑い中を沢山歩かないよう注意された。ブルーは生まれつき身体が弱くて、無理をすればすぐに倒れてしまう。だから学校に行く時もバス。同じ距離でも自転車や徒歩の生徒が殆どなのに。
「ブルー、ホントに大丈夫? ママが一緒に行かなくていい?」
「うん、平気! 暑くなる前に帰って来るから!」
昼食前には家に帰ると約束をして、ブルーは母に「行ってきます」と手を振った。目指すは町の中心部にある百貨店。今から行けば昼までに充分帰ってこられる。
(…ふふっ)
家から少し先のバス停で目的地行きのバスに乗ったブルーは胸を躍らせていた。
あと三週間と少しで八月二十八日、大好きなハーレイの誕生日が来る。
ハーレイは三十八歳になってしまって、十四歳の自分との年の差が一段と大きく開くけれども。ブルーの年の二倍にプラス十歳、そう思うとちょっぴり寂しいけれど。
(…ハーレイの本当の年はともかく、見かけの年はもう止まってるものね)
再会して直ぐにハーレイは約束してくれた。これ以上の年を取るのはやめて、ブルーが前の生と同じ姿に育つのを待つと。
だから年の差を縮めることは出来なくても、見かけの上での差はこれからは縮まる一方。大きくなればハーレイと一緒に何処へでも行けるし、二人で暮らせるようになる。
(もしハーレイが年を取るのを止めなかったら、どうなったのかな?)
出会った頃にハーレイが話してくれた。もしもブルーに会わなかったら、まだまだ年を取る予定だったと。水泳はともかく、柔道の方は威厳がかなり大切らしい。
(まさかゼルみたいに禿げちゃったりはしないと思うけど…)
それでも金髪に白髪が混じるとか、もう完全に白髪とか。顔に皺だって出来ただろう。
(そうなっちゃう前に会えて良かった!)
前とおんなじハーレイだものね、とブルーの胸が暖かくなる。
自分は小さすぎたけれども、ハーレイは前とそっくり同じ。キャプテンの制服でシャングリラのブリッジに立てば、誰も違いに気付かないだろう。そのシャングリラはもう無いけれど…。
(だけどハーレイはちゃんと居るしね!)
そしてもうすぐ誕生日。その特別な日をお祝いしたくて、ブルーはバスに乗ったのだ。
百貨店の前のバス停で降りて、目的の売り場があるフロアに向かう。ブルーくらいの年頃の子は同じ売り場でも別の品物がお目当てのようで、そちらの方に群れている。しかしブルーが買いたい物は其処には無くて、もっと奥まった静かな所にひっそりと並べられていた。
(わあっ…!)
置いてある場所は記憶にあったが、来るのは何年ぶりだろう。ガラスケースの中に並んだそれに胸が高鳴る。前の生でハーレイが愛用していた羽根ペン。それにそっくりな物もあったし、ペンの軸に繊細な細工を施したものや、目にもカラフルな赤や青や緑の羽根の物など。
(…凄いや…。でもハーレイに似合うのは…)
断然これ! とケースを覗き込み、インク壺や替えのペン先とセットで専用ケースに収められた白い羽根ペンの値札を眺めて愕然とした。ブルーの予算の五倍以上もする値段。
(…た、高すぎるよ…)
他のペンは、と縋るような気持ちでケースの中を隅から隅までガラス越しに確認してみたのに。
(……羽根ペンってこんなに高かったんだ……)
前の生ではハーレイの羽根ペンは人類側から奪った物資に紛れていた品で、輸送用の箱に山ほど詰まっていたから値段なんか考えもしなかった。ハーレイだけしか使わなかったせいで新たに調達することもなくて、使い切る前にハーレイの生は終わったと思う。
(どうしよう…)
一番安い値段のペンでも、ブルーのお小遣いの二ヶ月分。大好きなハーレイへの初めての誕生日プレゼントだから、奮発してお小遣い一ヶ月分はつぎ込むつもりで家を出て来た。なのに一ヶ月分では手も足も出ない、この値段。
(…貯めてあるお金を使えば買えるけど…)
買えないわけではなかったけれども、お小遣い一ヶ月分で買えないからには子供の自分には高価すぎる品だということだ。そんなプレゼントを背伸びして買って、贈ったとして。
受け取るハーレイは本当に喜んでくれるだろうか?
「最近、欲しいような気もするんだ」と言っていたから、売り場に来たこともあるだろう。当然値段も知っているわけで、ブルーが買うには高すぎることも分かる筈。
(……どうしよう……)
でもハーレイにはプレセントしたい。どうせなら最初に「これだ」と思った羽根ペン。思い切り高い値段のペンでも、ハーレイにはそれが一番似合う。
(…………)
他の品物をプレゼントするか、思い切って羽根ペンを買うことにするか。
此処で考えていても買えるだけのお金は持っていないし、今日の所は諦めて帰ることにした。暑くなる前に家に戻らなければ母も心配するだろうから。
航宙日誌の話を聞いた時からブルーの心に刻まれた羽根ペン。その後ハーレイに何度も何度も、「羽根ペン、買った?」と訊いてみたものだ。
しかしハーレイは「使いこなせないような気もするからな」と煮え切らなくて、それでも欲しい気持ちはあるようで。だから誕生日にプレゼントしようと思った。前の生でハーレイが使っていたものと良く似た羽根ペンを買って、机の上に置いて欲しかったから。
(…使えなかったら飾りでいいから、前と同じのをハーレイに持ってほしいのに…)
そして航宙日誌を書いていた頃に思いを馳せて欲しい、とブルーは願う。自分の背丈が今よりも高くて、子供の声ではなかった頃。ハーレイと本物の恋人同士で、毎日キスを交わしていた頃…。
沢山の大切な思い出が詰まった、ハーレイだけしか其処に書かれた文字に宿った思いが読めない航宙日誌。それを綴ったペンそっくりの羽根ペンを贈りたかったのに…。
(……高すぎるなんて……)
買って買えないことはない。けれど十四歳の子供が買うには高価に過ぎるプレゼント。
(…ハーレイにプレゼントしたいのに…)
他の品物なんて思い付かない。来年はまた別の何かを贈るのだろうけれど、今年は羽根ペンしか考えられない。どうしてもハーレイに贈りたかったし、羽根ペンを持って欲しかった。
(…でも……)
高すぎるプレゼントを贈られたハーレイが喜ぶかどうか。「ありがとう」と言ってくれることは絶対に間違いないし、嬉しそうに笑ってくれるとも思う。しかし心の奥の方では「無理をしたな」なんて考えそうだし、却って心配されそうだ。ブルーのお小遣いが減っただろう、と。
(…でも、あげたいよ…)
どうしても羽根ペンが諦められない。あれから毎日考え続けて、ハーレイと会う度にもっと羽根ペンが欲しくなる。大好きなハーレイの机に羽根ペン。その光景まで目に浮かぶようだ。
(…ねえ、ハーレイ…。本当に羽根ペン、あげたいんだけどな…)
今日もハーレイが来てくれていて、最初のお茶はブルーのお気に入りの場所になった大きな木の下の白いテーブルと椅子で。庭の木陰は涼しい風が抜けてゆくけれど、ブルーの心は少し重たい。
プレゼントしたくてたまらない羽根ペンを、どうしたら諦められるんだろう…?
そんなブルーの心の重荷にハーレイが気付かないわけがない。
少し前からたまに見かける、もの言いたげなブルーの瞳。ゆらゆらと揺れる赤い瞳が何を奥底に沈めているのか、何を憂えて波立つのか。思い詰めたような風に見える日もあれば、逆に煌めいている時もあって分からない。
分からないままに時が流れて、赤い瞳はますます深い色を増す。木漏れ日が銀色の髪にチラチラと踊っているのに、ブルーの表情は今も冴えない。
(…流石にそろそろ訊いた方がいいな)
向かい合わせでアイスティーを飲みながら、ハーレイはそう考えた。ブルーが何かに悩んでいるなら、悩みを聞いてやるべきだろう。それは恋人として当然のことで、教師としてもまた同じ。
(ただなあ…。とんでもないコトを言いかねないしな)
自分とキスが出来ない悩みや、それ以上のことを言われても困る。ブルーの望みは「本物の恋人同士」として結ばれることで、その望みには決して応えられない。
(…その手の悩みなら、訊くのは今だな)
二階にあるブルーの部屋とは違って、庭で一番大きな木の下に据えられた白いテーブルと椅子は家の一階に居るブルーの母が見ようと思えば見られる場所。それだけにブルーもキスを強請ったりしないし、ハーレイの膝に座りもしない。
ブルーの悩みが恋に纏わるものであったなら、この場所で聞いてバッサリ切ろう。
決意を固めたハーレイはブルーに向かって問い掛けた。何か悩んでいるんじゃないか、と。
「俺で良かったら何でも聞くぞ? どうした、最近、何処か変だが」
「………。……羽根ペン…」
「はあ?」
ハーレイは口をポカンと大きく開けた。
羽根ペンとは、あの羽根ペンだろうか? 前世の自分が愛用していた羽根付きの…?
「羽根ペンって、なんだ?」
「……もしかしてもう、買っちゃった?」
縋るような視線に「やはりアレか」と確信したものの。どうしてブルーが羽根ペンのことで悩む必要があるのだろう? さっぱり理由が分からないままに、ハーレイはブルーの問いに答えた。
「いや、まだ買ってはいないんだがな…。どうも使える気がしなくってな」
「そうなんだ…。ハーレイにプレゼントしたいのに…。そう思って買いに行ったのに…」
高すぎて買えなかったんだ、とブルーはポロリと涙を零した。貯めてあるお金を使って買ってもハーレイはきっと喜ばないよね、と…。
「……そうだったのか…。羽根ペンなあ……」
確かに子供のお前が買うには高いな、とハーレイは「うーん…」と腕組みをした。
「しかしだ、お前は俺に羽根ペンを贈りたい、と。…そういうことだな?」
「……うん」
ブルーの瞳が悲しげに揺れる。買いたいけれども、買えない羽根ペン。それをハーレイのために贈りたいのに、どうにもこうにもならないのだ…、と。
どうしてブルーが羽根ペンだなどと考えたのか、心当たりはしっかりとあった。前に羽根ペンの話が切っ掛けになって話して聞かせた前世の自分の航宙日誌。あれ以来、ブルーの中で羽根ペンは特別な存在になったのだろう。前の生での自分との恋を綴った思い出の文具として。
それをブルーがくれると言うなら悪くない。おまけに再会して初の誕生日のプレゼントだ。否は無いのだが、ブルーが買うには高すぎる。どうすれば…、と思いを巡らせた末に。
「ブルー、羽根ペンを俺に買ってくれるか? …少しでいいから」
「…少し?」
キョトンとするブルーに説明してやる。
「羽根の毛筋の一本分か二本分なのかそれは知らんが、要は少しだ。お前が出せる分だけでいい。残りの分は俺が自分にプレゼントするさ、丁度いい機会ってことになるしな」
羽根ペンはやっぱり欲しいからな、とハーレイは片目を瞑ってみせた。
「何度か売り場に行ってみたんだが、どうも決心がつかなかった。…使いこなせる自信が無いし、飾りにするのもなんだかなあ…。だが、誕生日のプレゼントだったら話は別だ」
つまり一種の記念品だろ、とブルーに自分の考えを話す。
「…記念品だったら、使いこなせなくて机の飾りになっちまっても立派に言い訳が立つからな? これは誕生日にお前に貰った飾りで、キャプテン・ハーレイ風の置き物なんです、と」
「キャプテン・ハーレイ風なんだ?」
ブルーはプッと吹き出した。確かにそれっぽい演出にはなるが、ハーレイが羽根ペンを机の上に飾ってキャプテン・ハーレイ風なんて…。ハーレイの前世はキャプテン・ハーレイで、ごっこ遊びなんか始めなくても本物のキャプテン・ハーレイなのに…!
ブルーが頭を悩ませていた羽根ペンの問題は解決した。代金の一部をブルーがお小遣いで払い、残りはハーレイが自分で支払う。これでブルーは羽根ペンをハーレイにプレゼント出来るし、買うハーレイは「記念品」という使いこなせなかった時のための大義名分が手に入るわけで。
「…一緒に買いに行きたかったな…」
行きたいなあ、と呟くブルーにハーレイが返す。
「先生と生徒でかまわないなら、俺は同行を許してやるが」
「つまんないってば!」
ハーレイと二人で腕を組んで買いに行けるのだったら大喜びだが、教師と生徒として行くのでは学校で使う文具の買い出しとまるで変わらない。そしてハーレイは間違いなくブルーを生徒として扱う筈だし、ブルーも「ハーレイ先生」と呼ばねばならず…。
脹れっ面になったブルーの前には、ハーレイが貰って来た羽根ペンのカタログがあった。母から丸見えの木の下ではなく、ブルーの部屋のテーブルの上。母が置いていったお茶やお菓子を脇の方に寄せて、二人でカタログを覗き込む。
「ぼくが買いたかったのは、これなんだけど」
カタログを端から端まで眺めた後で、ブルーはあの日に百貨店で見た羽根ペンはこれだ、と確信した。白い羽根がついていて、インク壺と替えのペン先とペン立てがセット。前の生でハーレイが使っていたペンと驚くほどに良く似た羽根ペン。
「やっぱりコレか…。俺も前から見ていたんだよな、買うんだったらコレにするか、と」
「絶対これだよ、これが一番ハーレイに似合うよ」
「そうだな、これをお前に貰うとするか。…お前の見立てなら間違いないさ」
明日にでも買いに行ってこよう、とハーレイはブルーに約束した。
「カタログを貰ってくる時に確認しておいたが、どれも在庫は沢山あるそうだ。売り切れることはまずありません、と言っていたから間違いなく買える」
「忘れないでよ、このペンだからね!」
「俺も前から欲しかったヤツだぞ、忘れるもんか。…忘れちゃいかんのは配達の日だな。誕生日の朝一番で届く便を指定しておかないと」
その日でなければブルーから貰う意味が無い、とハーレイが笑う。朝一番で受け取ったそれを、ブルーの家に持って来て渡して貰うのだ、と。
「お前の手で俺に渡して貰って、それから箱を開けるのさ。それでこそ誕生日プレゼントだ」
「ふふっ、そうだね。…ぼくは少ししかあげられないけど」
羽根ペンの毛筋一本分だか、二本分だか。それがぼくからのプレゼント。
大好きなハーレイの誕生日には、ハーレイに似合う羽根ペンをプレゼント出来るんだ…。
そうしてハーレイは羽根ペンを買った。
「ちゃんと買ったぞ」と言っていたから、誕生日の前の晩、ハーレイが「また明日な」と帰っていった後で綺麗な封筒を出してきて代金を入れた。羽根ペンを買いに出掛けたあの日に決めていた予算と同じだけ。ぼくのお小遣い、一ヶ月分。今のぼくには、これでも大金。
(えーっと…)
お金だけ入れるのは恋人らしくないし、便箋に何か書こうとした。だけど…。
(これって、もしかしてラブレター?)
そう考えたら何を書いたらいいのか分からなくなって、結局、短くこう書いた。「ぼくのお金、ちゃんと使ってよ?」って。どうしてそういう気がしたのかは分からないけれど、ハーレイは使う代わりに封筒ごと仕舞い込みそうだったから。
八月二十八日は朝から綺麗に晴れて、ハーレイの誕生日をお祝いしているようだった。夏休みの終わりが近いけれども、それでも今日は特別な日。あと三日でハーレイと平日も自由に会える夢の時間が終わるのだとしても、やっぱり最高に嬉しくなる日。
ハーレイはこの日に生まれて来た。
ぼくたちが出会った青い地球の上に、三十八年前の夏のこの日に。
朝早くに目が覚めてしまって、いつもより早く朝御飯を食べて部屋を掃除して、窓辺で待った。大好きなハーレイが歩いてくるのを、生垣越しに手を振ってくれる姿を。
「ブルー、おはよう!」
持って来たぞ、と門扉の前でハーレイが紙袋を高く差し上げた。あの中に羽根ペンの箱がある。母が門扉を開けに出て行って、ハーレイが庭に入って来る。もうすぐだ。もうすぐ、もうすぐ…。
階段を上って来る足音が二人分。ハーレイと、案内してくる母と。扉がノックされてガチャリと開いた。
「おはよう、ブルー」
いつもの穏やかな笑顔のハーレイに「おはよう」と挨拶する間も心臓のドキドキが止まらない。母がお茶とお菓子を用意する間もドキドキしていて、何を話したのか記憶に無い。やっとのことで扉が閉まって、階段を下りてゆく足音が消えて…。
「ハーレイ!」
ぼくはハーレイの大きな身体に飛び付くようにして抱き付いた。
「ハーレイ、お誕生日おめでとう!」
「ははっ、予想以上の大歓迎だな。ありがとう、ブルー。俺も三十八歳か…」
お前より二十四歳も上だ、と笑いながらハーレイが椅子の上に置いてあった紙袋を示す。
「ほら、ブルー。約束通りに渡してくれよ。…お前からの誕生日プレゼントをな」
「うんっ!」
ハーレイの胸から離れて紙袋からリボンのかかった箱を取り出した。ぼくが買いに行った時には買えなかった羽根ペンが入った専用ケース。ちゃんと包装紙で包んである。思っていたよりも重いその箱を、ドキドキしながら両手で持って。
「ハーレイ、これ…。これ、ぼくからのプレゼント…」
「くれるのか? 俺はとっくの昔に今年の誕生日プレゼントを貰ったんだが」
「えっ?」
「お前だよ、ブルー。…お前に会えた。それが最高のプレゼントだった」
そう言って箱ごとギュッと強く抱き締められた、ぼく。羽根ペンよりも嬉しかったとハーレイは何度も繰り返したけど、ぼくは羽根ペンをあげたかったんだ。そう言ってくれるハーレイだから。
それからハーレイがリボンをほどいて、包装紙を外してケースを開けた。
出て来た羽根ペンはぼくが欲しかった羽根ペンそのもので、プレゼント出来たことが嬉しい。
「ハーレイ、これ…。ぼくが払う分」
机の引き出しから持って来た封筒を、ハーレイは受け取ってじっと眺めてから。
「ありがとう、ブルー。お前からのプレゼントは確かに貰った」
中も確かめずに仕舞おうとするから、ぼくは念を押した。
「そのお金、ちゃんと財布に入れてよ? でなきゃプレゼントにならないし!」
「分かってるさ。だがな、受け取って直ぐに中を確かめたり、財布に入れるのはマナー違反だ」
家に帰ったらきちんと入れる、とハーレイは約束してくれたけど…。
大丈夫かな? ちょっと不安が残る。
でも、羽根ペンをケースから出して書く真似をするハーレイがあまりにも様になっていたから、そんな気持ちは何処かへ消えた。前世で航宙日誌を書いていた時の姿が重なって見える。堅苦しいキャプテンの制服と違って、何処にでもある半袖シャツ。それなのに羽根ペンが似合ってる。
「…やっぱりハーレイに似合うね、羽根ペン」
「そうか? …俺に似合うかどうかはともかく、確かに懐かしい感じはするな」
嬉しそうに手を動かしてみるハーレイを見ていたら、ぼくの嬉しさも膨らんでゆく。もう幸せで胸がはち切れそうな気がしてくるほど、嬉しくて幸せでたまらない。
ハーレイがこの地球に生まれて来た日。
三十八回目のその誕生日を一緒に祝えて、あげたかった羽根ペンもプレゼント出来た。
なんて幸せなんだろう。なんて嬉しい日なんだろう。
今日がハーレイの生まれて来た日。この地球の上で、ぼくが生まれるのを待つために…。
ぼくたちが出会って最初に迎えた、二人で祝う誕生日。
パパとママが一緒の夕食の席もハーレイの誕生日をお祝いする御馳走で溢れ返って、ハーレイはパパから「私たちからのプレゼントです」と立派な箱入りのお酒を貰っていたけれど。
その箱と羽根ペンが入った箱とを大事そうに持って、「また明日な」とぼくを一人で置き去りにして家に帰ってしまったけれど…。
でも、今日からハーレイの机の上にはぼくがプレゼントした羽根ペンがある。
今日の日記にぼくのことを書いてはくれないだろうけど、読み返したら思い出せる筈。
日記も航宙日誌と同じで、綴った文字から記憶が見えると思うから。
ハーレイが最初に羽根ペンを使って何か書くのはいつだろう?
ぼくなら絶対今日にするけど、ハーレイは慎重で几帳面だから、沢山沢山試し書きをして上手になったと思う頃まで文章なんかは書かないかもね…。
ハーレイの三十八回目の誕生日。
朝からはしゃぎ過ぎたブルーが疲れてベッドにもぐって、ぐっすり眠ってしまった頃。ブルーの家から何ブロックも離れた場所にあるハーレイの家の書斎はまだ煌々と明りが灯っていた。
机の上には、今日、ブルーから箱ごと手渡して貰ったばかりの羽根ペンやペン立てやインク壺。ずっと昔から其処に在ったかのような気がするそれらを、ハーレイは何度も眺め回しては。
「…見た目と使いやすさは別だな、俺の手にはまだ馴染まんな…」
前はどうしてコレが愛用品だったのか、などと呟きながらもハーレイは嬉しそうだった。広げた紙に幾つも、幾つも、繰り返し書かれたブルーの名前。それがハーレイの試し書き。
羽根ペンの先をインクに浸して、さて何を書こうかと考えた時に浮かんだブルーの名前。意味もない線や丸を書くよりも、それが相応しいと思って書いた。
前の生では『ソルジャー』の尊称無しでは数えるほどしか書いたことがないブルーの名前。その名を尊称抜きで書けるのが普通になった今の生。そしてブルーがくれた羽根ペン。ブルーの名前しか思い付かないまま、何度も、何度も書いて、書き続けて。
「…よし。こんなもんかな」
ハーレイはブルーが昼間に「ちゃんと使ってよ?」と渡した羽根ペン代の入った封筒を出して、その裏側に羽根ペンで丁寧に、それは丁寧に初めての文を書き付けた。「ブルーに貰った羽根ペン代」という短いそれを文と呼ぶのか、古典の教師のハーレイにも自信は無かったけれど…。
「これで良し。今日の記念にピッタリだしな」
インクが乾いたら引き出しの奥に大切に仕舞っておこう、とブルーの顔を思い浮かべて微笑む。使って欲しいと念を押されたが、使う馬鹿などいるものか。
長い長い時を経て生まれ変わって出会えたブルー。前の生から愛し続けてやまないブルー。その大切な恋人が新しい生で初めてくれた誕生日プレゼントの羽根ペン代を使うなど、馬鹿だ。決して使わず取っておこう、と心に決めて。
「…さてと、今日の日記も書かないとな」
そちらは慣れたいつものペンで。切り替えるのは羽根ペンが手に馴染んでから、と考える。机の引き出しから日記を取り出し、今日の天気などを淡々と書き込み、その最後に。
「三十八歳の誕生日。自分に羽根ペンをプレゼントした」と、短く綴った。羽根ペン代の一部を払って贈ってくれたブルーの名前は何処にも書かれていなかったけれど、それがハーレイの日記の流儀。自分がこの日の日記を読む時、脳裏には鮮やかに蘇る。
三十八回目の誕生日を迎え、ブルーから羽根ペンを貰ったことが……。
白い羽根ペン・了
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
新しい年が明け、今年も行事が盛りだくさんに。元老寺での年末年始に始まり、初詣やらシャングリラ学園名物の闇鍋などを経て水中かるた大会で一応、一区切りつきました。かるた大会優勝の副賞でゲットしたグレイブ先生と教頭先生による寸劇は素敵なもので…。
「グレイブ先生、今日もなりきってたね」
終礼でもポーズをキメていたよ、とジョミー君が教室のある校舎の方向を眺め、キース君が。
「当分は後遺症が残るんじゃないか? ギターを鳴らせばこう、ジャンッ! と」
「思いっ切り情熱的でしたしねえ…」
凄かったです、とシロエ君。
「教頭先生も残ったままでらっしゃるんでしょうか、後遺症…」
「とっくにバレエになってんでねえの?」
あっちの方が長いもんな、とサム君が言う通り、教頭先生の十八番はクラシックバレエ。今もレッスンに通っておられますけど、その発端は私たちが普通の一年生だった時の寸劇です。それが今回はフラメンコ。例によって会長さんがサイオンで技術を叩き込んだわけで。
「でも女性役の方が大きいってだけでお笑いになるのね、フラメンコ…」
スウェナちゃんが思い出し笑いをすれば、マツカ君が大真面目に。
「衣装のせいもありますよ、きっと。教頭先生にあのドレスは……ちょっと…」
「グレイブ先生はカッコ良かったけどね」
その落差がね、とジョミー君。グレイブ先生は黒い衣装に赤のベルトでビシッと決めてらっしゃいましたが、教頭先生のドレスは真っ赤な地色に黒の水玉という派手さ。フラメンコだけにフリルびらびら、それを翻して華麗にステップ。
「…教頭先生はともかく、グレイブ先生はノッておられるしな…」
「教室に来るなり「オレ!」だもんねえ…」
そしてビシッと決めポーズ、と回想モードなキース君とジョミー君に釣られて、私たちも昨日のフラメンコを熱く語っていると「そるじゃぁ・ぶるぅ」がワゴンを押して来ました。
「かみお~ん♪ 今日はクレープシュゼットだよ! アーモンドのヌガーペースト入りなんだ♪」
「「「えっ?」」」
なんじゃそりゃ、と聞いてビックリ。クレープシュゼットってオレンジなんじゃあ…?
「あのね、フラメンコの国のお菓子はヌガーが多いの! ちゃんと仕上げはオレンジだよ」
クルクルクル…とオレンジの皮を剥き、ジュースを絞ってグランマニエも加えてフランベ。冬に嬉しい温かいお菓子、アーモンドヌガーでちょっと特別。
「うん、美味しい! フラメンコ万歳!!」
たまに変わったお菓子もいいよね、とジョミー君が絶賛、私たちも揃って舌鼓。あれ? だけどなんだかノリが変な……ような……?
不思議な風味のクレープシュゼット。情熱の国に相応しく甘く、グレイブ先生に差し入れしたら「オレ!」と踊り出しそうです。教頭先生も踊るかもよ、と笑い転げていたのですけど。
「………おい」
キース君が会長さんに声を掛けました。
「あんた、さっきからどうしたんだ? 全然、話に入って来ないが」
あっ、違和感の正体はソレでしたか! いつもだったら先頭に立ってワイワイ騒ぐ会長さんが変なのです。黙って紅茶のカップを傾け、黙々とお菓子を頬張るだけで…。
「……返事どころか、まるっと無視か?」
何処か具合でも悪いのか、とキース君が重ねて訊くと、会長さんはハッと顔を上げて。
「…えっ? ごめん、今、何か話しかけてた?」
「………重症だな………」
帰って寝ろ、とマンションの方角を指差すキース君にジョミー君たちも加わりましたが、会長さんは「大丈夫だよ」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に同意を求め…。
「ちょっとね、夜更かししちゃったものだから…。そうだよね、ぶるぅ?」
「んとんと…。先に寝ちゃったからよく知らないけど、ブルー、寝起きが悪かったよ」
「え? 俺は全然気付かなかったぜ?」
朝のお勤めに行ったけど、と驚くサム君。
「いつもどおりにシャキッとしてたし、朝飯も普通に食ってたし…」
「そりゃあ、ぼくも一応、高僧だしね? お勤めとなれば自然と背筋が伸びるものだよ、お弟子さんの前で欠伸をするようなヘマはしないさ」
だけど眠気は残るもの、と会長さん。
「君たちが授業に出ている間に昼寝をすれば良かったんだろうけど…。ついついウッカリ」
「何してたわけ?」
ジョミー君の遠慮ない問いに、返った答えは。
「アニメ観賞」
「「「は?」」」
会長さんってオタクでしたっけ? 夜更かしの果てに寝起き最悪、それでも延々と見続けるほどアニメにハマッてましたっけ…?
「あ、違う、違う! オタクがどうこうって言うんじゃなくって、懐かしのアニメってヤツを見始めたら止まらなかっただけ! なにしろ劇場版も沢山」
「「「………」」」
オタクじゃないか、と喉まで出かかった台詞を全員がグッと飲み込みました。伝説の高僧、銀青様にして三百年以上も生き続けている私たちの長のソルジャー・ブルー。長生きしてれば趣味の範囲も広がるだろう、と納得するのが無難そうです…。
会長さんが観賞していたらしい劇場版も多数のアニメ。昨日は寸劇のフラメンコで学校中が盛り上がったのに、どうして急にアニメなんかを……と思ったら。
「コレ、コレ。…突然、思い出しちゃってさ」
フラメンコとは無関係だけど、と再生された短い動画。クラシック風の曲に合わせて巨大ロボットならぬメカっぽいものが二体、飛んだり跳ねたりしながら敵を攻撃してゆきます。えーっと、これって有名なアニメでしたよねえ? 多分…。
「君たちも知っているんじゃないかな、思い切り有名なヤツだから」
「…俺たちの宗教とは真逆だがな。アダムとイブに使徒とくればな…」
そんなヤツまで見ていたのか、と呆れ顔のキース君の横から、シロエ君が。
「ぼくも興味はあったんですけど、なんだか話が難しすぎて…。でも、この回は面白かったです。二つに分身した敵が本領を発揮する前に二体同時に攻撃を、ってコンセプトでしたっけ?」
「そう! 初号機と弐号機でユニゾン攻撃。いつか寸劇をコレの着ぐるみでやるのもいいかな、と思い付いたら、ついつい全部…。いい感じだと思わないかい、寸劇で踊って見せるユニゾン攻撃!」
こんな風に、と再び動画。えーっと……派手にドンパチやってますけど、その辺は会長さんなら「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーと銘打って適当に誤魔化しそうです。元ネタは1分となっていますが、そこも適当にアレンジしちゃって…。
「きっとウケると思うんだよねえ、元ネタを知らなくってもさ。ビジュアルだけで人目を引くし、フラメンコよりも華々しいかと」
「あんた、なんでこんなのを思い出したんだ? 何処でフラメンコと繋がると?」
分からんぞ、とキース君が尋ねれば、会長さんは舌をペロリと出して。
「人型の兵器を意のままに操るって辺りかな。昨日のフラメンコは技を伝えて踊らせてたけど、ハーレイもグレイブも自分の意思で踊ってる。そこをもう少し突っ込めないかな、と…。で、二人揃って見事に動かせたら凄いよね、と考えていたら…」
「こうなった、ってわけですか」
分からないでもないですが、と相槌を打つシロエ君。
「でも、会長…。汎用人型決戦兵器って暴走が売りじゃなかったかと」
「「「…汎用…???」」」
長ったらしい名称を出されても分かりません。会長さんがゆっくり復唱してくれました。
「汎用人型決戦兵器。コレの正式名称なんだよ、シロエの言う通り、意思を持ってて暴走する。これ自体が一種の生命体でね、乗り込んだ人間がシンクロすることで意のままに動かすことが出来るという…」
ハーレイとシンクロする気はないけど面白そうだ、と会長さん。寸劇程度の時間だったら暴走されずに操れるかも、と思い付いちゃったらしいです。フラメンコの次はオタク趣味ですか、そうですか…。
教頭先生とグレイブ先生を意のままに操り、アニメの名シーンを舞台で再現。会長さんのぶっ飛んだ発想には驚きですけど、次の寸劇は一年後です。それまでに忘れるに違いない、という気がするのもまた事実。ボーッとするほど一気に見ていた懐かしアニメでも、きっと…。
「ふうん…。こっちの世界って独特だよねえ…」
まさに異文化、とフワリと翻る紫のマント。
「「「!!!」」」
「こんにちは。…ぼくの分もクレープシュゼット、あるかな?」
「かみお~ん♪ お代わりついでに作れるよ!」
お代わりが欲しい人は手を挙げて、と言われて全員が勢いよく挙手。会長さんも先刻までとは打って変わって素早く反応しましたけれど、右手を挙げた状態で視線はソルジャーに。
「…なんで来たわけ?」
「話が面白そうだったから」
ついでにお菓子にも興味アリ、とソルジャーはソファに腰掛けて。
「汎用人型決戦兵器ねえ…。ぼくの世界はこの世界よりも科学が発達しているけれど、こういうのとか巨大人型ロボットとかに乗り込んで戦った時代は無いよ? 効率的な兵器だったら実用化されていただろうから、お伽話の兵器だよね」
「うーん…。言われてみればそうなのかも…」
よくあるパターンだから馴染んでいた、と応える会長さん。地球が荒廃してしまうような遙かな未来に生きるソルジャーが「存在しない」と言い切るからには、巨大な人型兵器は恐らく実現しないのでしょう。まあ、実用化されるような物騒な世界になっても困るんですけど…。
「それでさ、夢の汎用人型決戦兵器だけどさ。…寸劇とやらで披露するより内輪で楽しくやらないかい? ぼくも協力しちゃうから」
「「「は?」」」
妙な台詞を吐いたソルジャー。そこへ「そるじゃぁ・ぶるぅ」がワゴンを押して現れ、クレープシュゼットの時間です。オレンジを剥いて、照明を落としてしっかりフランベ。熱々がお皿に取り分けられるまで、話はクレープ一色でしたが。
「…うん、美味しい! 昨日のフラメンコも凄かったけれど、ハーレイならもっと…」
楽しく面白くやれるのでは、とフォークを手にして微笑むソルジャー。
「汎用人型決戦兵器にするなら、踊らせるよりも暴れてなんぼ! 暴走が売りの兵器なんだろ、破壊の限りを尽くすとかさ」
「…何処で?」
まさか校舎のガラスを割るとか、と会長さんの顔が引き攣り、キース君が。
「その手の古い歌があると聞いたな、盗んだバイクで走り出すとか」
「何さ、それ?」
知らないよ、とジョミー君が言い、コクコク頷く私たち。キース君は「しまった」という顔をしています。
「…お前たちには古すぎたか…。大学のOB会で人気の曲なんだ。夜の校舎窓ガラス壊して回ったと歌うヤツもあってな、こう、替え歌が色々と」
阿弥陀様は流石に壊さないが、と話すキース君の先輩たちが何を壊す歌を作っていたのかは聞きそびれました。え、何故かって? それはもちろん…。
「いいねえ、壊して回るんだ? それで行こうよ」
絶対ソレ、とソルジャーの瞳が輝いています。
「ハーレイだったら瓦を割るとか出来るだろう? 何枚も重ねたヤツをドカンと」
「…あれは空手で柔道じゃないよ」
出来ないと思う、と会長さんが返すと、ソルジャーは。
「分かってないねえ、そこを操って意のままに! 汎用人型決戦兵器は瓦くらいは割らなきゃね。もちろん怪我をしたら困るし、フォローしながら」
「うーん…。瓦を割るなら寒稽古もセットでつけたいかも…」
フォローつきなら、と会長さん。
「寒稽古? なんだい、それは?」
「今みたいに冬の寒い最中を寒と言ってね、その時期に川に入ったりする武道の修行さ。川にザブザブ入って行ったら楽しいかなぁ、と。本人の意識は消えていないし、さぞパニックになるだろうと」
瓦割りだと自分に自信がつくだけだ、と会長さんも乗り気になってきたらしく。
「君が壊させるのは瓦なんだよね、他には何を?」
「ハーレイの反応次第かなぁ? 夢の新居をブチ壊させたら楽しそうだけど、家を壊すほどのパワーは無いから窓くらい…?」
「家具なら頑張れば壊せると思うな」
それこそ泣きの涙だろうけど、と会長さんの瞳もキラキラ。
「ハーレイの夢の夫婦茶碗は壊しておきたい。自分で叩き割ったんだったら嫌でも諦めがつくだろうしね」
「「「………」」」
夫婦茶碗というのはアレか、と頭を抱える私たち。教頭先生が欲しくてたまらなかった夫婦茶碗を餌に会長さんが遊びまくって、挙句の果てに片方を真っ二つに割ってプレゼントしたことがあるのです。教頭先生は割られた方を修理に出して、今も大切に飾っているわけで。
「じゃあ、コースとしては瓦を割ってから寒稽古かな? 川から瞬間移動で家に送り届けて破壊の限りって感じになりそうだけど」
どうだろう、とソルジャーが挙げたプランに親指を立てる会長さん。OKというサインです。教頭先生を操りまくる日は今週末の土曜日と決まり、本人への相談は一切無しで。つまり土曜日、教頭先生は電撃訪問を受けて、そのまま汎用人型決戦兵器とやらにまっしぐら……ですね?
戦々恐々としている間に早くも土曜日。教頭先生が操られる日がやって来ました。集合場所の会長さんのマンションに朝一番に出掛けてゆくと…。
「寒稽古だって言ったじゃないか!」
「でもさ、せっかく川に入るんだしさ! やらなきゃ損だよ!」
会長さんとソルジャーがリビングで言い争いをしています。教頭先生を川に入れるとは聞いてましたが、何かオプションがつくのでしょうか?
「鯉だよ、鯉!」
地球の川にはいるんだよね、とソルジャーが窓の外に視線を投げて。
「あれからノルディと食事に行ってさ…。こっちのハーレイを川に入らせようと思うんだ、と話していたら「鯉ですか?」と訊かれたわけ。この時期の鯉は美味しいらしいね」
「寒鯉ですね。冬が旬だと聞いています」
臭みが少ないそうですよ、とマツカ君が答えるとソルジャーは至極満足そうに。
「おまけに栄養満点だって? 精がつくんだと教えてもらった。これは絶対、ゲットしなくちゃ! 寒鯉でパワーアップだよ、うん」
「…期待してる所を悪いんだけどね、パワーアップはしないと思う。鯉は産後の女性に効くんだ。滋養強壮、それと母乳の出が良くなるとか」
君のハーレイには効かないよ、と会長さんはピシャリと言ったのですけど。
「滋養強壮なら充分だよ! ぼくは普段から満足してるし、劇的にパワーアップしなくても…。母乳の出が良くなるって言うんだったら、男だって持ちが良くなるとかさ」
少し長持ちでも充分満足、と胸を張るソルジャーが求める持ちの良さとは何でしょう? 会長さんが柳眉を吊り上げてますし、ロクな意味ではなさそうですが…。
「そういう理由でハーレイに鯉を獲らせるわけ? ぼくは手伝わないからね!」
「手伝わなくていいから教えてくれれば…。素手で捕まえるって聞いてきたけど、ノルディは詳しくなかったんだよ! 追いかけて泳いでも無理だよね?」
「……素手で獲るなら鯉抱きだよ……」
ぼくもトライしたことはない、と腰が引けている会長さんに、ソルジャーは。
「それこそ汎用人型決戦兵器の出番じゃないか! 君もチャレンジ出来なかったことをやり遂げるんだよ、素晴らしいとは思わないわけ?」
「…見世物としてはいいかもだけど…。寒鯉なんか獲らせても……」
「ぼくのハーレイが美味しく食べる、って説明したら暴走するかもしれないよ? 君はそっちに期待したまえ、夫婦茶碗を叩き割って夢の新居をメチャクチャに破壊」
「暴走ねえ……」
どうなることやら、と溜息をつきつつ、会長さんは寒鯉獲りを了承せざるを得ませんでした。素手で鯉を捕まえるなんて、いったいどんな漁法でしょう? ちょっと楽しみになってきたかも…。
教頭先生の家へは瞬間移動でお邪魔することに。リビングで食後のコーヒーを楽しんでらっしゃるらしいです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにソルジャーのサイオンが迸り…。
「かみお~ん♪」
「「やあ、こんにちは」」
「!!?」」」
会長さんとソルジャーの声がピタリと重なり、教頭先生の目が点に。そりゃそうでしょう、私たちまでゾロゾロと湧いて出たのですから。
「…な、何か用でも…?」
「うん。ちょっとね、君の身体を借りたくってさ」
恥じらうように口にした会長さんの台詞に、教頭先生は耳まで真っ赤に。
「わ、私の…?」
「そうなんだ。その逞しくて大きな身体を、是非使わせて欲しくって…。かまわないかな?」
「そ、そ、それは……別にかまわないが……」
何をするのだ、と訊き返しながら、教頭先生の視線は会長さんとソルジャーの上を忙しく往復しています。会長さんがチッと舌打ちをして。
「………スケベ」
「何か言ったか?」
「ううん、なんにも。…それでね、使いたいのはブルーも同じで…。ぼくとブルーと、二人で使わせて欲しいんだけど」
「………!!!」
教頭先生の鼻からツーッと赤い筋が垂れ、ソルジャーがティッシュを。
「…す、すみません…」
「どういたしまして。借りる身体は大事にしないと…。あ、3Pではないからね?」
「は? で、では、どういう…」
「3Pのつもりだったんだ…?」
ヘタレのくせに、と会長さんが吐き捨て、空気はたちまち氷点下。外気温より寒いんじゃないか、と私たちの背筋も凍りつく中、青いサイオンがキラリと光って。
「それじゃ借りるね、君の身体。えーっと、道着は何処だっけ…」
鯉獲りをするなら褌も、と会長さん。
「ハーレイ、まずは道着に着替えてよ。それと紅白縞じゃなくって水泳用の褌で! 君が嫌なら着替えを手伝うことになるけど、どうするんだい?」
「……??? よく分からんが、とにかく着替えればいいのだな?」
待っていてくれ、と二階の寝室へ向かう教頭先生。動きに不自由は無いようですけど…。
「「見た目だけはね」」
会長さんとソルジャーの声がハモりました。
「今の所はやらせたいこととハーレイの意思が一致しているから問題ない。でもね…」
「着替えた後はどうなることやら…」
クスクスクス。二対の赤い瞳が悪戯っぽく煌めく様に、私たちは無言で後ずさり。瓦割りはともかく、そこから先は無茶な注文としか言えないのでは…?
間もなく柔道用の道着に着替えた教頭先生が二階から下りて来ました。会長さんとソルジャーは揃って「よし」と頷くと。
「身体を借りて、第一弾! ブルーが瓦を割りたいそうだ」
「…瓦?」
怪訝そうな教頭先生に向かって、ソルジャーが。
「ブルーは無理だと言うんだけどねえ、瓦を何枚も重ねて素手で割るのがあるだろう? あれを一回、見てみたいんだ。君ならきっと出来るよね?」
「あ、あれは柔道とは違いますので…! わ、私に空手の心得は…」
「やっぱりダメかぁ…。だったら身体を借りるしかないね」
ちょっと失礼、とソルジャーが言うなり、教頭先生の足はスタスタと廊下を玄関の方へ。
「な、なんだ!? か、身体が勝手に…!」
「お借りしてるよ、瓦は庭に用意したんだ。華麗な技に期待ってね」
「そ、そんな…!」
無茶な、と叫びつつ教頭先生は扉を開けて冬枯れの庭へと。私たちもコートを羽織った防寒装備で外に出てみると、茶色くなった芝生のド真ん中に積み上げられた瓦の山が。教頭先生はその前に立って構えのポーズを取っておられます。
「む、む、無理だと思うのですが……!」
「平気だってば、ファイトいっぱぁ~つ!!!」
何処ぞのドリンク剤のCMよろしくソルジャーが声を張り上げ、振り下ろされる教頭先生の右手。パァーン! と鋭い音が響いて瓦の山は真っ二つに…。
「「「………」」」
「ほらね、やったら出来ただろう? 男らしくて素敵だったよ」
「…そ、そうでしょうか……」
教頭先生はソルジャーと自分の右手とを交互に見詰め、まんざらでもない様子です。褒めて貰えたのもさることながら、空手家並みの技を発揮した自分にも自信がついたようで。
「身体を借りるとはこういう意味か…。次はブルーの番なのか?」
「察しが良くて助かるよ。場所を移して頑張って」
「ほほう…。何処だ?」
何処の道場でも付き合うぞ、と教頭先生は腕組みをして余裕の笑み。
「すぐに飛ぶから、是非よろしく。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パアァッと溢れるタイプ・ブルーの青いサイオン、三人前。次の瞬間、私たちは無人の河原に立っていました。どうやらド田舎みたいですけど、吹きっ晒しの風が冷たいです~!
空は生憎の雪曇り。ちらほらと白いものが舞う中、教頭先生はキョロキョロと。
「す、水泳用の褌にしろと言われたが……。まさか…」
「そのまさかだよ、瓦を一発で割れる武道家だったら寒稽古!」
いざチャレンジ、と会長さんがゆったりと流れる川を指差せば、教頭先生の逞しい二本の足が広い河原をノシノシノシ。
「ま、待ってくれ、ブルー! わ、私には寒稽古とか寒中水泳の趣味は…!」
「寒中水泳とは話が早いね、道着はその辺で脱いで行ってよ」
「なんだって!?」
「褌一丁で行った方がいいって言ってるんだよ、水泳だから!」
着衣泳法はお勧め出来ない、と会長さん。
「寒稽古を兼ねて素潜りするのさ、向こうに淵が見えるだろう? あそこに寒鯉が潜んでる。大きいヤツを見つくろってね、一匹捕まえて欲しいんだ」
「こ、鯉…?」
「寒鯉は精がつくらしい。是非、寒鯉を手に入れて…」
「分かった、鯉だな!?」
会長さんの台詞を最後まで聞かず、教頭先生は道着をパパッと脱ぎ捨てました。褌一丁で川に踏み込み、ザブザブと…。
「………。パニックどころか自発的に入って行っちゃったよ、うん」
人の話を聞かないからだ、と会長さんは可笑しそうに。
「自分が食べると思っているのさ、精をつけて挑んで欲しいとリクエストされたつもりでね。食べるのは同じハーレイでも別人なのに…。おっと、いけない」
『おーい、ブルー!!』
鯉はどうやって捕まえるのだ、と教頭先生の思念波が。ソルジャーも私たちも興味津々で見守っている中、会長さんは。
『そのまま潜って、目標の鯉の近くで両手を広げて』
『…こ、こうか…?』
『後は静かに待つだけでいい。鯉の方から寄って来るから、そしたら優しく抱き締めて浮上』
「「「えぇっ!?」」」
そんな方法で獲れるのか、と驚きましたが、間もなく大きな鯉を抱えた教頭先生が上がって来たから仰天です。寒風に凍える教頭先生を他所に、会長さんは宙に取り出した新聞紙で鯉を包みながら。
「寒鯉は冬眠に近いからねえ、人間の体温に気付くと寄って来るんだってさ。暖を取ろうとすり寄った所をガッツリ捕獲! ついでに水から上げても簡単には死なない生命力が売り」
水槽が無くても平気なのだ、と新聞紙の中にクルクルと。
「はい、ブルー。御注文の寒鯉、一丁上がり!」
「やったね、後はぶるぅに頼んで…」
どう料理して貰おうかなぁ、と嬉しそうなソルジャーに、教頭先生が寒さに震えつつ。
「ひ、ひょっとして、その鯉は…」
「ぼくが頼んだ鯉だけど? ノルディに教えて貰ったんだよ、とっても精がつくんだってね」
ぼくのハーレイと思いっ切り! と燃えるソルジャーと、打ちひしがれている教頭先生と。そう簡単に会長さんが落ちるわけないのに、何度やられたら懲りるんでしょうか…。
褌一丁で項垂れておられる間に、濡れた身体はすっかり冷えてしまったようです。ソルジャーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は一時的に姿を消して鯉を会長さんのマンションに届け、盥に放してきた模様。暫く泳がせ、泥を吐かせてから調理するのが良いらしく…。
「ただいま~! 今日はまだ食べるには早いんだってさ」
「かみお~ん♪ 明後日あたりじゃないかな、どうやって食べるか考えといてね!」
洗いに鯉こく、甘露煮、唐揚げ…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が挙げる料理を全部作っても充分なサイズの特大の寒鯉。キャプテンのパワーは漲りそうですが、教頭先生はクシャミ連発で。
「…は、ハーックション!」
「風邪かい、ハーレイ? 寒稽古なのに本末転倒」
柔道十段の名が泣くよ、と会長さんに馬鹿にされてもクシャミは止まらず、タオル代わりに着込んだ道着が凍りそうな勢いで寒風が…。
「やれやれ、帰って温まる? 冷えた身体には熱いお茶だよね」
ぼくと一緒に夫婦茶碗で、と微笑まれた教頭先生はボンッ! と瞬間湯沸かし器の如く身体も心もホカホカに。サイオンに包まれて自宅のリビングに帰還するなりウキウキと…。
「出掛けている間にリビングも冷えてしまったな。すぐに暖房が効くと思うが…」
その前に身体を温めねばな、と濡れた道着を着替えるのも忘れてキッチンへ。カチャカチャと食器の触れ合う音がし、ケトルがピーッと鳴り出して…。
「待たせてすまん。こんな菓子しか無いのだが…」
甘い物が苦手なもので、とテーブルに置かれた御煎餅が盛られた器。コーヒーやココアが順に配られ、最後に別のお盆で急須が。
「ブルー、お前は夫婦茶碗を希望だったな。とっておきの玉露だ」
今、茶碗を…、と教頭先生は飾り棚から夫婦茶碗を出して来ました。会長さんの前に小ぶりの茶碗。教頭先生用の大ぶりの茶碗は会長さんが真っ二つに割ったものを金継ぎなる伝統技法で修復した品、お茶を注いでも中身が零れはしないそうで。
「お前と一緒に飲める日が来るとは思わなかったな」
「うん。ぼくも堂々と割れる日が来るとは思わなかったよ、どうぞよろしく」
空手の腕に期待している、と会長さんが片目を瞑ると、まさにお茶を注ごうとしていた教頭先生の手が意思に反して急須をテーブルの上にコトリと。
「…ブ、ブルー…? なんの真似だ?」
「空手だけど? 空手に急須は要らないよ。お茶が零れても困るしねえ…」
服に飛び散ったらシミになるし、と会長さんの指がパチンと鳴って、教頭先生の右手が構えのポーズを。金継ぎで直した夫婦茶碗の真上ですけど、これはあえなく真っ二つ…?
瓦の山も一刀両断、空手も可能な教頭先生。会長さんのサイオンに操られ、夫婦茶碗を叩き割るかと思われましたが…。
「くぅっ……」
割ってたまるか、とギリギリギリと奥歯を噛み締め、眉間の皺がググッと深めに。会長さんの方も身体がほんのり青く発光するほど気合を入れているようです。茶碗が割れるか、会長さんがギブアップするか、二つに一つ、と誰もが息を詰める中…。
「うおぉぉぉぉぉーーーっ!!!」
猛獣の雄叫びもかくやとばかりにリビングを揺るがせた教頭先生の腹の底からの叫び声。会長さんのサイオンを振り切り、すっ飛んで行ったその先は。
「「「あーーーっ!!!」」」
ガッシャン、パリーン! と床に砕け散る普段使いの茶碗やお皿。棚や引き出しから次々に取り出し、ガッシャン、ガッシャンぶん投げています。
「せ、先生…!」
落ち着いて下さい、とキース君が腕に飛び付いたものの、あっさりと床に転がされて。
「ど、どうなっているんだ、これは…!」
「…多分、暴走したんじゃないかな…」
汎用人型決戦兵器にありがちな末路、と会長さんが急須の玉露を小ぶりの湯飲みにトポトポと。
「ぼくのサイオンは効かなくなったし、放っておくしかなさそうだ。とりあえず、暴走している間に夫婦茶碗だけは割りそうにないから有効活用。…ちょっと苦いや」
出すぎちゃったかな、と顔を顰める会長さんの横から、ソルジャーが。
「君のサイオンを振り切っただけあって、ぼくでも止められるかどうか…。鯉の御礼に止めてもいいけど、破壊活動は歓迎だっけ?」
「大歓迎だよ、この家、妄想の産物だしね。やってる、やってる」
新婚仕様の夢のカーテンが、と会長さんが楽しそうに笑い、教頭先生はレースのカーテンを両手で掴んでビリビリと。どう考えても正気の沙汰ではなさそうです。あのレース、高いと思うんですけど…。
「え、あれかい? 高いよ、輸入物だしね。ホントはレースのガウンとかをさ、引き裂いてくれると嬉しいんだけど…。夫婦茶碗を割りに来ないのと同じ理屈で、ギリギリ理性があるらしい。頭の中身は真っ白なのにさ」
我に返った後が最高かも、と御煎餅に手を伸ばす会長さんや私たちにも教頭先生は手出ししませんでした。暴力の矛先は家財道具限定、バスルームのボディーソープなども撒き散らしたのに、会長さん用に揃えてあったアメニティグッズには手を付けず…。
「うっわー…。いいのかよ、コレ、止めなくて…」
マジで終わりだぜ、とサム君が額を押さえる二階の廊下。破壊の限りを尽くした教頭先生は二階へ向かい、あちこちの備品を壊しまくった果てに寝室に辿り着きました。そこでもカーテンを派手に引き裂き、椅子を蹴倒し、クローゼットの中身をビリビリと。
「紅白縞まで引き裂いてますよ、いいんですか?」
シロエ君が不安そうに尋ね、会長さんとソルジャーが。
「いいって、いいって。あれでも理性は残ってる」
「ブルーが贈った紅白縞は避けてるようだよ、自前のヤツを血祭りってね」
ぼくは血祭りなら寒鯉だけど、とソルジャーの喉がゴックンと。
「ブルーの家で泳がせてるから、血祭りはまだ先なんだよねえ…。早くハーレイに食べさせたいけど、泥抜きしないとダメって言うし…。ここが我慢のしどころなんだよ、ベッドでじっくり寒鯉パワーを楽しませて貰うためにはね」
「うおぉぉぉーーーっ!!!」
ひときわ大きく教頭先生が吠え、ベッドの上にあった会長さんの抱き枕を壊れ物のように優しく抱えて絨毯の上へ。こんなポーズを何処かで見たような…。
「まるで寒鯉だねえ…」
ソルジャーがのんびりと呟き、会長さんが。
「それを言うなら鯉抱きだってば、あれはそういう漁法だからね」
人肌恋しい鯉を優しく、と教頭先生の背中に向かって。
「どうする、ハーレイ? ブルーはあっちのハーレイとベッドで過ごすらしいけど?」
「うおぉぉぉーっ!!!」
「「「ひぃぃぃっ!!」
殺される、と首を竦めた私たちの前で教頭先生はダブルサイズのベッドを頭上に差し上げ、渾身の力をこめて放り投げ……。ガッシャーン! とガラスの砕ける音と、少し遅れてドスンという音。庭に転がったベッドを追って教頭先生が飛び降りて行って…。
「寒鯉とベッドがトドメだったかな?」
「間違いなくソレだよ、放っておいても問題ないよね?」
一応、自宅の敷地内だし、とソルジャーが割れた窓から見下ろしています。教頭先生はベッドの上でシーツを引き裂き、ビョンビョンと飛び跳ねておられますが…。
「えとえと、ハーレイ、どうしちゃったの?」
なんだか赤ちゃんみたいだよう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。確かに理性を持たない幼児はあんなものかもしれません。キャプテンが寒鯉を食べる頃には元に戻っているんでしょうけど、ご自宅が元に戻るまでには時間もお金もかかりそう。会長さんもソルジャーも、汎用人型決戦兵器は今回限りにして下さいね~!
噂の人型兵器・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
生徒会長が見ていたアニメのモデルは、もちろんエヴァンゲリオンです。
そして来月11月でシャングリラ学園番外編は連載開始から6周年を迎えます。
6周年のお祝いに来月も 「第1月曜」 にオマケ更新をして月2更新にさせて頂きす。
次回は 「第1月曜」 11月3日の更新となります、よろしくお願いいたします。
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、10月はソルジャー夫妻とスッポンタケ狩りにお出掛けだそうで…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
青い地球の上に生まれ変わって再会を果たしたハーレイとブルー。
しかしブルーは十四歳を迎えたばかりの少年であって、ハーレイはブルーの学校の教師。いくら前世の記憶があっても家は別々、立場もあくまで教師と生徒だ。
再会した時にブルーが起こした原因不明の大量出血。聖痕現象と診断されたそれの再発を防ぐという名目の下に頻繁に会えるよう配慮はされたが、二人一緒に過ごせる時間はとても少ない。
毎週末の土曜と日曜、後はハーレイの仕事が早めに終わった時にブルーの家を訪ねる程度。
そういう生活が始まった最初の週末は呆気なく終わり、次の週末まではハーレイの来訪も無し。学校で顔を合わせるだけの日々に、ブルーは毎夜一人で涙を零した。
前の生では毎日会えて、恋人同士の時間を過ごしたハーレイ。そのハーレイに自由に会うことも出来ないだなんて、今の生はなんと寂しいのかと。
けれど時間はきちんと流れて、また週末が巡って来た。土曜日の朝、ブルーは先日までの塞いだ気分もすっかり吹き飛び、いそいそと部屋を掃除して。
ハーレイと二人で向かい合うためのテーブルと椅子の位置を整え、首を長くして来訪を待った。窓から下を見下ろしていれば、颯爽と歩いてくるハーレイ。やがて門扉のチャイムが鳴って、母が出てゆく。ハーレイを案内してきた母は、紅茶と焼き菓子をテーブルに置くと。
「ハーレイ先生、ブルーをよろしくお願いします」
「すみません、こちらこそお世話になります」
挨拶が済んで、母の足音が階段を下りて消えていった。それを待ち兼ねていたブルーは椅子から立ってサッと移動し、ハーレイの膝に腰掛ける。
「またか。…まったく、お前は甘えん坊だな」
「だって…。ハーレイと会える日は殆ど無いもの、学校ではハーレイ先生だもの」
「分かった、分かった。ついでに長い長い間、俺に会えなかったから寂しいわけだな」
「うん…」
だけど会えた、とブルーはハーレイの広い胸に頬を擦り寄せた。
「…メギドに向かって飛んだ時には、もう会えないと思ってた…。いつかハーレイの命が尽きたら会えるかもとは思っていたけど、まさか生きて地球で会えるなんてね…」
「そうだな、まるで奇跡のようだ。俺もお前に会えて嬉しい。もう一度、生きたお前に会えて」
ハーレイはブルーを強く抱き締め、その小さな背を撫でてやる。前の生で死が待つメギドへ飛び去った時は、今よりも大きかったブルーの背中。それを見送るしかなかった辛さが、深い悲しみが小さなブルーの温もりに溶けて癒されてゆく。
十四歳のブルーは小さいけれども、その存在には前の生のブルーと変わらぬ確かさがあって。
「…うん、小さくてもお前はお前だ」
俺のブルーだ、と語りかける声にブルーの心も暖かくなる。
そうだ、自分は帰って来た。誰よりも愛し、求め続けたハーレイの強くて逞しい腕の中に。
ハーレイの胸に甘えていたら、「お茶も飲めよ」と促された。
「お母さんが来た時に置きっ放しはどうかと思うぞ、それに俺だってこれでは飲めない」
「頑張ってみれば? ぼくの頭に零さないように」
「生憎と零さない自信はないな。頭から紅茶を被りたくなきゃ、早く椅子に戻れ」
「……うん…」
もう少しハーレイの膝の上にいたかったけれど、紅茶を飲まずに放っておくのも母に悪いし仕方ない。ブルーは名残惜しげにハーレイから離れ、テーブルを挟んで向かい合った。
すっかり冷めてしまった紅茶をコクリ、コクリ、と飲んでいると。
「お前、三月生まれだったのか。小さいわけだな」
不意にハーレイが口にした言葉がブルーの神経を逆撫でする。
「小さいっていうのは余計だってば!」
それが今のブルーの一番の悩み。十四歳の小さな身体になっているせいで、せっかくハーレイと再会したのにキスすら許して貰えない。とにかく急いで育たなければ、と焦っているのに、キスを禁じたハーレイの口から小さいだなんて聞きたくもない。
そんな心を知ってか知らずか、ハーレイはまたしても笑いながら言った。
「おまけに三月の一番末とは恐れ入った。本当に一番のチビってわけだな、学年一の」
「チビは酷いよ!」
ハーレイの言う通り、ブルーは学年の中で一番小さい。背丈もそうだが、年齢も同じ。遠い昔は春に新年度が始まる学校は四月一日に生まれた者までを「早生まれ」と呼び、前年に生まれた子供たちと同じ学年に組み入れたと聞く。それが今では三月末まで、つまりブルーが一番幼い。
前は大して気にしなかったし、成績だって悪くないから問題無いと考えていた。それがハーレイと再会してから大問題へと発展する。小さいことはマイナスでしかなく、恋の大きな障害で。
(…ハーレイにチビって言われるだなんて…。ホントのことでも酷すぎだってば!)
身体もチビなら年齢も学年一番のチビ。それをわざわざ指摘せずとも…、と恨みがましく恋人を睨み付けていて気が付いた。
背丈はともかく、自分の誕生日。三月末に生まれたことなど、まだハーレイには話していない。
ハーレイは何処で知ったのだろう?
自分は話していないけれども、父か母が知らせていたのだろうか?
教えるよりも前に知られてしまった誕生日。
そういう話題を持ち出さなかった自分が悪いが、なんだか少し悲しい気がする。この地球の上にいつ生まれて来たのか、生まれ変わった生を生き始めたのか。
前の自分の悲しすぎた最期が奇跡に変わった大切な日が今の誕生日。それに相応しく、新しい生への感謝と思いとをたっぷりとこめて、ハーレイにそっと教えたかった。
ぼくはこの日に生まれたんだよ、と。
しかし、今更どうにもならない。ハーレイは知ってしまったのだし…。ブルーは心の中で小さな溜息をつくと、向かい側に座る恋人に尋ねた。
「ハーレイ、ぼくの誕生日を誰に聞いたの?」
父か、それとも母なのか。どちらかだろうと思ったのに。
「ん? 学校のデータベースがあるだろうが」
ハーレイの答えはブルーが予想していた以上に呆気なさすぎるものだった。よりにもよって教師だったら誰でも見られるデータベースとは酷すぎる。
今の自分が生まれて来た日を、生まれ変わって来た奇跡のその日をデータベースで知るなんて。いくらハーレイの仕事が教師で、日常的な作業の一つであってもあんまりだ。誕生日のことは直接尋ねて欲しかった。そしたら心躍らせながら、奇跡の日を教えられたのに…。
「………。調べるよりも前に訊いて欲しかったな」
ポツリと不満を零すブルーに、ハーレイが不思議そうな顔をする。
「なんだ、それは。誕生日にプレゼントを贈って欲しい、と強請る女の子でもあるまいし…って、お前は俺の恋人だったか」
「そうだよ! 酷いよ、勝手に調べただなんて!」
ブルーは八つ当たりじみた感情をハーレイにぶつけ、「すまん」とハーレイが謝った。
「すまない、俺が悪かった。…だがな、言い訳にしか聞こえんだろうが、お前のことを知りたくてやったことなんだ。…今のお前がいつ生まれたのか、知りたくなったら止まらなかった」
教師失格だ、とハーレイは詫びる。生徒の個人情報欲しさにデータベースにアクセスした、と。
「…すまない、ブルー。…もう二度とやらん。それに俺はお前の誕生日だけしか見ていない」
他のデータは何ひとつとして見なかった、と謝り続けるハーレイは嘘をついてはいない。それが分かるから、ブルーはハーレイを責めようなどとは思わなかった。
ハーレイはほんの少し急ぎ過ぎただけ。ブルーに訊きに来るよりも先に、自分だからこそ出来る手段で一刻も早くと急いで知ってしまっただけだ。
寂しい半面、それも嬉しい。仕事上の禁忌を侵してまでも、知りたいと思ってくれたのだから。
ハーレイが謝って、ブルーが咎めずに微笑んで。
誕生日の件が一段落した時、母が来てお茶のセットを入れ替えていった。昼食前だからお菓子の追加は無かったけれども、温かい紅茶が湯気を立てるカップを眺めてハーレイが呟く。
「しかしだ、誕生日がきちんとあるっていうのは嬉しいもんだな」
「…えっ?」
何のことか、とブルーは小さく首を傾げた。誕生日は誰でも持っているもので、ついさっきまで自分の誕生日を巡って危うく喧嘩の危機だったのに…。
するとハーレイが「そうか…」と鳶色の瞳を曇らせた。
「そういえばお前、知らないままで逝っちまったか…。自分が生まれた日がいつだったのか」
「…何の話?」
「前のお前だ。…前のお前は誕生日なんか無かっただろうが」
「あっ…!」
そう言われるまで気に留めたことすら無かった事実。ソルジャー・ブルーであった自分は誕生日など知りもしなかった。成人検査を受けた日までは誕生日は確かに在ったのだろうが、アルタミラでの長く苦しかった日々の中で記憶から零れ落ちてしまい、二度と戻りはしなかった。
けれど、目の前のハーレイの顔。もしかしたらハーレイは知ったのだろうか? 前の自分がいつ生まれたのか、それを知る機会があったのだろうか?
「…ハーレイ…。ハーレイ、ぼくの誕生日を知ってるの? ソルジャー・ブルーの誕生日を」
恐る恐る口にしてみた疑問に、ハーレイは「ああ」と頷いた。
「……アルテメシアを落とした時にな、あそこのデータベースに入っていたんだ」
そしてハーレイは教えてくれた。
前の生でのぼくの宿敵、テラズ・ナンバー・ファイブが後生大事に抱え込んでいたデータの山。其処にはアルタミラでぼくたちが失くしてしまった沢山の記憶が詰め込まれていて、生まれた日のデータもその中に在った。
ソルジャー・ブルーだったぼくの誕生日に、キャプテン・ハーレイの誕生日。
それから顔も思い出せない養父母の名前や写真などもあって、育った家までも分かったらしい。
ハーレイが前の生で見て記憶したそれを、ぼくにも伝えてくれたのだけれど。サイオンを使って映像までをもちゃんと渡してくれたのだけれど、なんだか、なんて言うんだろう…。
まるで実感が湧かなかったし、養父母の名前も姿も育った家すらも、全然ピンとこなかった。
もっと感動の出会いと言うのか、そういうものを期待したのに、他人事のように思えてしまう。どうしてだろう、と考えたけれど、実感を伴っていない記憶だから?
自分が生まれた季節すらも記憶に全く無かったのだから仕方ない。…それにとっくに死んだ後で聞いても、まるっきり意味が無いような…。
そう言ってみたら、生きていた頃にデータを見たハーレイがその時に抱いた感想も全く同じで、ちょっと可笑しかった。
やっぱり失くしてしまった記憶は「忘れる」のとはまるで違うのだろう。忘れたことなら機会があったら思い出せるし、その時に感じた光や匂いも鮮やかに蘇るものなのに…。
ソルジャー・ブルーだったぼくは誕生日さえも失くしてしまって、その日を聞いても特別な日という気がしない。確かにぼくが生まれた日なのに、明日にはすっかり忘れていそうだ。
でも、今のぼくにはちゃんと本物の誕生日があって、生まれた季節も毎年きちんと巡って来る。パパとママが誕生日のケーキや御馳走を用意してくれて、季節までがぼくを祝ってくれる。
冬の間中、寒そうに縮こまっていた草木が一斉に芽吹く春。
あちこちで桜の花が開き始めて、もう少しすれば郊外の野原はレンゲやスミレで一杯になる。
花いっぱいのぼくが生まれた季節。
身体の弱いぼくが寒さで凍えないよう、神様が暖かくなる春を選んで送り出してくれた。ぼくにそう話してくれたのはママで、小さな頃は本気で信じていた。
そして今また、「そうかもしれない」と思ってしまう。
神様はハーレイに会わせてくれたから。ソルジャー・ブルーだった頃のぼくが焦がれた青い星の上で、ぼくはハーレイに会えたのだから……。
そんなことをつらつらと考えた後で、ハタと気付いた。ぼくの今の誕生日もハーレイに知られてしまっているのに、ぼくは今のハーレイの誕生日を知らない。キャプテン・ハーレイの誕生日なら話のついでに聞いたけれども、肝心の今のを聞いてはいない。
だから急いで訊こうと思った。大好きなハーレイの誕生日だもの、絶対に聞いておかないと…。
「ねえ、ハーレイ。…今のハーレイの誕生日はいつ?」
直ぐに答えが返って来ると信じていたのに、ハーレイときたら、ニヤリと笑った。
「当ててみたらどうだ? 出来るモンなら、俺の心を読んでもいいぞ?」
「えっ?」
どうやらハーレイは本気らしくて、笑みを浮かべたままで黙っている。それならそれで、と普段使わないサイオンをハーレイの心に向かって精一杯集中させてみた。
「んーと…。……えーっと……」
思わず声が出てしまうほどに頑張ってみても、表層意識の欠片も見えない。前の生のハーレイの心もそう簡単には読めなかったけれど、今も全然読み取れやしない。もっとも、ぼくは前と違って凄い力を持ってはいないし、サイオンの使い方さえ覚束ないほんの十四歳に過ぎない子供で…。
「どうした、ブルー。もう降参か?」
からかうようにハーレイが腕を伸ばして、ぼくの額を指先で軽く突っつく。
「うー…」
「ほらほら、ガードを少し緩めてやったぞ、少しは読めたか?」
「読めるわけないよ!」
ハーレイが緩めたガードとやらも突き抜けられない今のぼく。鉄壁の要塞みたいに固い心の表面すらも読めはしなくて、降参するしか術が無かった。
これで教えて貰えるだろう、と白旗を掲げたぼくにハーレイは尚も笑顔を崩しもせずに。
「だったらカンで当ててみろ。お前、予知能力は昔から皆無に近かったがな」
「ええっ?!」
「当たるまで気長に付き合ってやるさ。たまにはゲームも楽しいもんだ」
ゲームと言われて思い出した。前の生でハーレイと二人で遊んだゲーム。羽根ペンが好きだったハーレイはゲームもレトロなボードゲームが好みで、チェスとかオセロ。囲碁なんかもした記憶がある。そういう時間は懐かしいけれど、誕生日を当てるゲームだなんて…!
当てられる気が全くしないハーレイの今の誕生日。ヒントも無ければ手がかりも無しで、何処をどうすれば辿り着けるのか分からないままに考えてみる。
神様がぼくに選んでくれた誕生日は暖かい春が訪れる時期。ハーレイにはいつを選んだだろう?
前の生でも丈夫だったハーレイは今もそっくり同じに丈夫で、スポーツなんかも大好きで。柔道や水泳が得意なほどだし、特に季節を選ばなくても何処でも元気に育てたと思う。
(うーん…。ホントに真冬でも平気そうだよね)
だったら季節はアテにならない。でも…。
(似合う季節なら夏だと思うな)
うららかな春と違って、何もかもが眩しく輝く季節。抜けるような青空と、ぽっかり浮かぶ白い雲とが頭上に広がり、影が一番小さくなる夏。
ハーレイには影は似合わない。前の生でも忍び寄って来る不安という名の影をその身一つで払うかのように、いつだって前を向いていた。だからきっと、今のハーレイも…。
「…もしかして、夏?」
思い付きだけで言ってみたそれに、ハーレイが目を丸くした。
「なんで分かった?」
「お日様が似合いそうだから」
ふふっ、と笑って「当たっちゃったね」と言えば「やられたな…」と、ぼくの大好きな笑顔。
ハーレイの笑顔はとても明るい。大きな身体も、大好きでたまらない声も、明るい夏の日射しがよく似合う。そうか、今のハーレイは夏生まれなんだ…。
「ねえ、七月? それとも八月?」
ハーレイは笑って見ているだけ。でもきっと、夏の真っ盛り。そう思ったから。
「じゃあ、八月!」
「ほう…。なかなかにいいカンしてるな、だが、流石に日までは分からんだろう?」
ゲームは此処まで、とハーレイが告げて。
「同じ八月でも初めだったら良かったんだがな、生憎と俺は終わりの方なんだ。夏休みの終わりが見える頃だな、そいつがとても残念だった」
そう語るハーレイの瞳は懐かしそうに昔を振り返る目で。
「お前くらいの年の頃には、もうちょっと八月が延びないもんかと本気で祈ったこともあったな。そうさ、宿題が終わらなかったんだ。…お前にはそれは無さそうだがな」
夏休みの宿題と戦うハーレイ。それは全然想像出来ない。ぼくが知っている一番若いハーレイの姿は青年だったし、体格も今と殆ど同じ。子供のハーレイってどんなのだろう、と考えながらも、追究することは忘れない。ぼくが本当に知りたいことは…。
「それで、いつなの? ハーレイの今の誕生日って」
「八月の二十八日さ。あと三日しか夏休みが無い」
「あははっ、そうだね!」
「そうだろう? 実に悲惨な子供時代だった」
上の学校へ行ったら夏休みがググンと延びたんだがな、とハーレイが笑う。
柔道と水泳、どっちもやりたくて行った学校の夏休みはうんと長かったらしい。そこでハーレイは先生になれる資格を貰って、先生になって。
それから幾つもの学校で教えて、二週間前にぼくの学校に来た。ぼくも今年の春に入学した。
まるで最初から見えない糸で繋がっていたかのように、ぼくたちは出会ったのだけど…。
(…ぼくもいつか上の学校に行くのかな?)
ハーレイは好きな道を進んで今日まで歩いて、ぼくが居る学校へやって来た。
そんな風にぼくも何処かへ歩いて行くのだろうか、と考えてみたけど分からない。
(…ぼくって、何になるのかな? ハーレイみたいに先生とか?)
先生のぼくも、パパみたいに会社に出掛けるぼくも、なんだか想像がつかないけれど…。
だけど、これだけは分かってる。
上の学校へ行っても行かなくっても、どんな未来になったとしても、必ずぼくが歩いて行く道。
そこにはハーレイがぼくと一緒に立ってて、手を繋いで二人、歩いて行くんだ。
三月はぼくの、八月はハーレイの誕生日が来て、ケーキを買って、お祝いをして。
そうやって何処までも、何処までもぼくたちは歩いて行く。
前の生ではぼくが繋いだ手を離したけれども、今度こそ絶対に離れないから……。
大切な誕生日・了
←ハレブル別館へのお帰りは、こちらv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
シャングリラ学園に入学式の季節がやって来ました。会長さんは今年も首尾よく1年A組の仲間入りを果たし、クラブ見学などの行事も終わって授業開始。それから間もない週末、私たち七人グループは会長さんのマンションにお邪魔していました。
「かみお~ん♪ ゆっくりしていってね!」
お昼御飯はお茶尽くしだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お茶尽くしって和食かな、と思ったのですけど、さにあらず。なんとフレンチにお茶だそうで。
「ブルーと何回か食べに行ったの! 美味しいんだよ♪」
楽しみにしててね、と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」に、キース君が。
「…その茶というのは意味があるのか?」
「えっ? お茶は身体にいいんだよ?」
「そうじゃなくて、だ。今度、俺たちが行こうとしている御忌には献茶もあるわけで…」
それに引っ掛けたんじゃないだろうな、とキース君。しかし「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキョトンとするばかりで、私たちだって『?』マーク。献茶って…なに?
「神様や仏様の前でね、お茶を点ててお供えするんだけれど?」
会長さんが教えてくれました。
「もちろん普通の人が点てるんじゃないよ。お茶のお家元がやるものさ。その辺もあって、お坊さんの修行の中には茶道も含まれてくるわけで…。ジョミーもそろそろ覚えたら?」
「嫌だってば! ぼくは絶対やらないからね!」
御忌も行かない、とジョミー君は脹れっ面。御忌は璃慕恩院の年中行事の中でも最大の法要で、宗祖様の法事のようなものだそうです。四月の下旬に一週間に渡って行われ、一般の人も参列可能。本職のお坊さんも全国からやって来る一大イベントなのだとか。
「…いずれはジョミーも行く日が来ると思うんだけどねえ…。専修コースに入学すれば御忌のお手伝いは必須だしさ。今の間から慣れておくとか」
「絶対、嫌だ! ブルーだって長いこと行ってないって言ってたくせに!」
「それは君たちがシャングリラ号に行きたがるから、色々と…。ゴールデンウィーク合わせで行くとなったら事前の準備が大切だしね」
「「「……準備……」」」
ズーン…と落ち込む私たち。ゴールデンウィークをシャングリラ号で過ごすことは素敵経験であると同時に、ドツボな思い出も多々ありました。会長さんが精魂こめて歓迎イベントを催すお蔭で、天国だったり地獄だったり。大抵、最後は私たち全員、もしくは誰かがババを引く結末に…。
「あれっ、どうかした? とにかく今年は君たちと地球で過ごすってことで暇になったし、どうせなら御忌に行こうかなぁ…って」
そうだよね、と訊かれて頷くキース君。璃慕恩院の御忌はお坊さんにとっても晴れ舞台。特にお役がついていなくても、行くだけで御仏縁が深まるらしいです…。
会長さんの正体は伝説の高僧・銀青様。高校生の外見で最高位のお坊さんしか着られないという緋色の法衣を纏えることが自慢の種。その会長さんに「御忌に行くから一緒に来ないか」と声を掛けられたキース君は大喜びで承諾したものの…。
「で、今日の集まりには何の意味があるんだ? 御忌には俺しか行かないようだが」
「そうなんだよねえ、サムを連れてってもジョミーと同じで一般席しか入れないし…。君とぼくなら中まで入れて貰えるけどさ」
坊主の世界は上下に厳しい、と会長さんは残念そう。サム君も熱心に修行を積んではいますが、住職の資格は持っていません。修行中の身では纏える法衣も決まってくるため、一般参加の檀家さんたちと同じ席にしか入れて貰えないらしいのです。
「だけど一人で行くのもアレだし、君を誘ってみたってわけ。アドス和尚はどうだった?」
「都合がついたら行くそうだ。葬式が入ったら終わりだからな」
「確かにね。…じゃあ、アドス和尚も来るかもってことで考えようか」
「…だから何をだ?」
分からんぞ、と怪訝そうなキース君と私たちに向かって、会長さんはニッコリと。
「ぼくの晴れ着を決めるんだよ。ファッションショーって所かな?」
「「「晴れ着?」」」
「そう、晴れ着。御忌に行くのは久しぶりだし、どうせなら華やかに決めたいじゃないか。だけどキースとアドス和尚が一緒となったら一人で浮くのもマズイしねえ…。どんな感じがいいのかなぁ、って」
普通の人の意見も聞きたい、と会長さんが言えば、シロエ君が。
「どれでも同じじゃないですか! 素材は違うかもしれませんけど…」
「ですよね、見た目は同じですよね」
何処から見たって緋色ですよ、とマツカ君が相槌を打ち、私たちも揃って「うん、うん」と。けれど会長さんはチッチッと人差し指を左右に振って。
「それは衣の色だろう? 大切なのは其処じゃない。坊主のファッションで差がつくのはねえ、その上に纏う袈裟なんだよ。お袈裟を見れば法要の格が分かる、と言われるほどでさ」
「「「は?」」」
なんですか、それは? 袈裟なんてどれも同じなのでは、と思いましたが、キース君が深く頷いています。まさか本当に袈裟で変わるの?
「あまりハッキリ言いたくはないが、まあ、そうだ。…お袈裟ってヤツもピンキリでな。通販で普通に買えるヤツから特注品まで、値段の方も月とスッポンで…。それだけに保管や手入れにも気を遣う。どんな法事にも高級品で出ろと言う方が無理な話だ」
「「「………」」」
お布施の額で使い分けだ、と舞台裏を聞かされ、唖然呆然。それじゃ、同じお寺に法事を頼めば、お坊さんの袈裟で奮発したのかケチったのかが丸分かり? 坊主丸儲けとはよく聞きますけど、そこまでシビアな世界でしたか…。
知りたくなかった法事の密かなランク分け。実にコワイ、と皆でコソコソ囁き合っていると、会長さんが両手をパンと打ち合わせて。
「はい、そこまで! 問題はぼくのファッションなんだよ、まずは基本の部分かな」
ちょっと失礼、とキラリと光る青いサイオン。会長さんの私服はアッという間に緋色の法衣に変わっていました。ただし、衣だけで袈裟は無し。
「コレの上にね、キースに合わせてあげるとしたらコレになるわけ」
こんなヤツ、と出現した袈裟はお馴染みの品。でも、キース君に合わせるっていうのは、どういう意味になるんでしょう?
「ああ、それはね…。キースの僧階……いわゆるお坊さんの位ってヤツはまだ低め。これよりも上の袈裟は着けられないんだ」
「「「へ?」」」
なんとも間抜けな声が出ました。袈裟のランクはお布施だけじゃなく、お坊さんにも関係してるんですか?
「そういうこと。ぼくに相応しい袈裟となったら、この七條になるんだな」
パアァッと青い光が走って、袈裟だけがグンと大きめに。左肩だけではなくて両方の肩、いえ、全身を包むような形をしていて、キンキラキンで。
「もうワンランク下げるんだったら五條もある。それだと、こうで」
今度は右肩までの袈裟ではなくて左肩。それでもサイズは大きいです。そしてやっぱりキンキラキンの眩い代物。
「…どれにするのがいいだろう? 普通か、五條か、七條か」
「「「うーん…」」」
そんな専門的なことを訊かれても、と思いましたが、会長さんが求める答えはフィーリング。キース君やアドス和尚の法衣とかけ離れていても派手に着飾るか、控えめか。
「別に派手でもいいんじゃねえの?」
ブルーなんだし、とサム君が七條袈裟を推し、マツカ君が。
「ぼくもそれでいいと思います。キースとキースのお父さんだって、多分、最高のを着て行くわけでしょう?」
「ああ、まあ…。そうなるだろうな」
御忌だけに、とキース君が応じ、袈裟は七條に決まりました。が、それで終了とはいかなくて。
「七條も色々持ってるんだよ。どの袈裟が一番似合いそうかなぁ?」
季節なんかも考えてよね、とズラリ出てきた七條袈裟のオンパレード。鳳凰の模様だったり、一面にキンキラキンの模様だったり、そんなに出されても分かりませーんっ!
会長さんに似合う七條袈裟はどれなのか。次から次へとファッションショーを繰り広げられて、キンキラキンの輝きに目をやられそうです。フィーリングだと言われましても、意見は一向に纏まらなくて…。
「遠山柄にしとけばどうだ?」
それが一番インパクト大だ、とキース君。指差す袈裟には山の模様が。
「それって地味だと思うわよ?」
こっちの方が、とスウェナちゃんが楽器の模様を挙げ、私たちも山よりはソレだと思ったのに。
「…遠山柄ねえ…。確かに一番、人を選ぶね」
いいかもね、と会長さんは遠山柄とやらを纏ってみて。
「どう? 地味な柄には違いないけど、この模様には約束事があるんだよ。若い人は着ちゃいけないんだ。緋色の衣が七十歳以上でないとダメなのと同じ。うん、ぼくの真価を出すにはいい模様かも」
分かる人なら分かってくれる、と得意げな会長さんの実年齢はとんでもないもの。せっかく御忌に出掛けるのですし、目立ちたいに違いありません。そのくせに関係者席に行くのは嫌で、一部の人に崇められるのが大好きで…。
「よし、決まり! 御忌で着るのはコレにしよう。アドス和尚にも伝えといてよ」
「分かった。あんたの迫力に飲まれないよう、俺たちの方も考えておく」
「三人セットで目立つのがいいね。君も出来ればキンキラキンで!」
「…俺に七條は無理なんだが……」
キンキラキンにも限度があるぞ、と額を押さえつつ、キース君も悪い気分ではないようです。銀青様のお供で御忌ともなれば、同期の人に出会った時に自慢できますし…。
「かみお~ん♪ 決まったんなら、お昼にしようよ!」
「そうだね。みんな、お付き合い感謝するよ」
この袈裟はしっかり風を通しておいて…、と会長さんが元の私服に戻った所へ。
「あっ、脱いだんなら着てみたいな、それ」
「「「!!?」」」
会長さんそっくりの声が聞こえて、フワリと翻る紫のマント。赤い瞳を煌めかせたソルジャーは法衣に興味津々でした。
「君の御自慢のヤツだよねえ? 一回くらい着せてくれてもいいだろう?」
「何度もダメだと言ってるってば!」
どうしても着たいなら修行してから出直してこい、と会長さんは法衣と袈裟とをササッと畳んで「そるじゃぁ・ぶるぅ」に渡して片付けさせると。
「何の修行もしてない君にね、コスプレ感覚で着られたんでは困るんだよ。どうしても着たいと言うんだったら仮装用衣装の専門店で作って貰えば? ノルディのお金で」
「ぼくは本物がいいんだけれど…」
「ダメなものはダメ! じゃ、そういうことで」
さっさと帰れ、と冷たく言われてしまったソルジャー。法衣は諦めたようですけれど、その代わりにとお茶尽くしのフレンチのテーブルにドッカリと。
「えーっと…。お茶って、飲むお茶?」
「うん! 味付けとかに使ってあるの! でね、好みでトッピングするのがこっち♪」
お魚にもお肉にもかけてみてね、と抹茶や刻んだお茶の葉などが。お茶尽くしって、こういう意味でしたか! あっさり上品なコース料理はなかなかに美味で、ソルジャーも満足してお帰りに。会長さんのファッションも決まりましたし、御忌の日、いいお天気になりますように~!
さて、御忌とは縁の無い私たち。会長さんとキース君が参加する日は普通に平日、授業の日です。登校してみればキース君が欠席なだけで、放課後には御忌も終わってますから「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行こうと思っていたのですけれど…。
「キース・アニアン。…欠席だな」
璃慕恩院か、とグレイブ先生が出席簿に書き入れ、残りの出欠を取っている最中に教室の扉がいきなりガラリと。
「ブルーはいるか!?」
「「「??!」」」
飛び込んで来たキース君の姿に教室中の人の目が点に。グレイブ先生も硬直しながら。
「な、なんだ、その格好は、キース・アニアン! 制服はどうした!」
「あっ…。す、すみません、急いで走って来ましたから…。ブルーはいますか?」
「来ていないが?」
「し、失礼しましたぁーっ!」
ピシャリと扉を閉め、駆け去って行ったキース君。萌黄の法衣に刺繍を施した袈裟を纏ってましたが、いったい何が? この時間には璃慕恩院で御忌の法要に出席なのでは…?
「そこの特別生ども、今のは何だ!?」
「「「…し、知りません…」」」
「新手のドッキリか、悪戯かね? …朝から風紀が乱れたようだが」
カツカツカツ…と踵を鳴らし、神経質そうに出席簿の表紙を指先で叩くグレイブ先生。
「もういい、今日の諸君には何も期待せん。この上、ブルーまで来たら1年A組の規律は終わりだ。そうなる前に災いの芽を摘まねばな。…出て行きたまえ」
「「「えっ?」」」
「二度言わせる気か? 特別生に出席義務は無い。今日の授業は出なくてよろしい。いや、出ないことを希望する。お前たち六人、早退だ!」
あちゃー…。停学ならぬ早退だなんて、どうしてこういう展開に? そりゃ、居残ってもキース君の坊主ファッションとか会長さんに絡む質問とかの嵐になって迷惑かかりまくりでしょうけど、早退ですか…。
「さっさと荷物を纏めたまえ! 出る時は後ろの扉から!」
「「「…は、はいっ!」」」
机に入れていた教科書、筆箱、その他もろもろ。現役学生の必須アイテムを鞄に詰め込んだ私たち六人はガックリと肩を落として廊下へと出てゆきました。キース君の姿はありません。これからどうすればいいのでしょう? いつもの溜まり場、開いてるかなぁ…?
早退を命じられ、トボトボと中庭まで歩いた所でブラウ先生に声を掛けられました。一時間目は授業が無いのだそうで、校内ウォーキング中らしいです。
「なんだい、集団サボリかい? さっきはお仲間が凄い格好で走って行ったし…」
「キース先輩に会われたんですか!?」
シロエ君の問いに、ブラウ先生は「ああ、見かけたよ」とウインクして。
「全速力で走る坊主をこの目で見たのは初めてさ。…墨染じゃなかったし、あれは正装だろ? なんで学校にいるんだい?」
「それはこっちが訊きたいですよ! キース先輩のせいで、ぼくたち…」
「ん?」
「ぼくたち、早退になっちゃったんです!」
グレイブ先生に追い出されました、というシロエ君の激白は大ウケでした。ブラウ先生はお腹を抱えて笑い転げて、目尻に涙が滲む勢いでケタケタと。
「ご、ご、御愁傷様だねえ、早退かい…! あんなのが走り回っていたんじゃ無理ないか…」
「キース先輩はどっちの方へ?」
「ああ、ぶるぅの部屋の方だけど? そこから先は知らないよ」
別ルートから走り去ったら目に付かないし、と言われてみればその通り。ともあれ、袈裟を靡かせたキース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かって駆けて行ったことは確実で。
「…ぼくたちも行ってみましょうか?」
「寄ってみるつもりではありましたしね…」
手掛かりがあればいいんですけど、とマツカ君。会長さんが登校しない日は「そるじゃぁ・ぶるぅ」も学校に来ないと聞いています。今日も御忌が終わった後でお部屋に行くのだと言ってましたし、影の生徒会室こと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は閉まっている可能性大。でも…。
「とにかく行くだけ行ってみようよ」
もう教室には戻れないし、とジョミー君が言い、サム君が。
「おう! 閉まってた時は食堂に行こうぜ、この時間でも何か食えるだろ」
隠しメニューがある日だといいな、との台詞に思わずゴクリ。食堂には特別生向けの隠しメニューがあるのです。ゼル特製とエラ秘蔵。ゼル先生の特製お菓子と、エラ先生の秘蔵のお茶の組み合わせが売りで美味なレアもの。
「あんたたち、とことん運が無いねえ…。隠しメニューは昨日だったよ」
残念でした、とブラウ先生に肩を叩かれ、「強く生きな」と励まされ…。運が皆無の早退組に明るい未来は無いかもです。こんなことなら御忌に行っとくべきでした~!
しおしおと生徒会室のある校舎に入り、生徒会室の奥の壁に飾られた紋章の前へ。この紋章はサイオンが無いと見えません。これに触れれば瞬間移動で「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入れる仕組みになっています。ただし、お部屋が開いている時だけ。
「…開いてるのかな?」
恐る恐る触れたジョミー君が壁に吸い込まれて消え、どうやらお部屋は開いている様子。こうなれば話は早いです。私たちは我先に紋章に手を伸ばし、折り重なるように部屋に雪崩れ込み…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ、早退になっちゃったって?」
大変だよねえ、と会長さんがソファで紅茶を飲んでいました。御自慢の緋色の衣ではなく制服姿で、その隣では萌黄の法衣のキース君がギャンギャンと。
「全部あんたのせいだろうが!」
「違うだろ? 君がグレイブのクラスに飛び込まなければ早退はねえ…」
「あんたがいるかと思ったんだ! まるで連絡が付かなかったしな!」
「「「………???」」」
いったい何が起こったのだ、とキョロキョロするだけの私たちに「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソファを勧めてくれ、紅茶やコーヒーが出て来ました。お菓子は手早く作れるホットケーキで、ホイップクリームが添えてあります。
「ごめんね、今日は授業が終わる頃に開ける予定だったし…。お昼御飯はオムライスでいい?」
「素うどんでもいいけど、どうなってるわけ?」
なんでブルーが此処にいるの、とジョミー君。会長さんとキース君は今頃は璃慕恩院で御忌の大法要に出ていた筈です。それが二人とも「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にいるなんて…。
「…えっと、えっとね…。ぼくが失敗しちゃったみたい…」
「「「は?」」」
「あのね、みんなに選んで貰ったブルーのお袈裟がなくなっちゃったの…。ちゃんと毎日風を通して、昨夜は縫い目とかもチェックして…。衣とかと一緒に和室に揃えて置いといたのに、朝になったら消えちゃってたの…」
何処に行ったか分からないの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の瞳から涙がポロリ。
「アレで行くんだって決めていたから、他のお袈裟は用意してなくて…。樟脳の匂いはサイオンで誤魔化して着られるんだけど、ブルーはケチがついたからって…」
「おい、ぶるぅまで泣いてるだろうが!」
全部あんたが悪いんだ、とブチ切れているキース君。つまりアレですか、会長さんは予定していた袈裟が無いから御忌に出るのをやめちゃった……と? そりゃキース君だって走って来ますよ、すっぽかされちゃったんですよねえ…?
遠山柄の袈裟が消えたから、と御忌に行かなかった会長さん。そうとも知らないキース君とアドス和尚は璃慕恩院で待っていたのだそうです。しかし法要の時間が迫って来ても会長さんは現れず、アドス和尚はキース君を残して朋輩と一緒に会場の御堂へ。
「親父は朋輩に誘われたからな、御忌の後は打ち上げに出掛けるんだ。俺には一人で帰るようにと言って行ったが、それ以前にブルーが来ないとなると…。メールも電話もサッパリ駄目だし、思念を飛ばしても返事が無いし」
それで家まで行ってみたのだ、とキース君は会長さんを睨み付けました。
「タクシーを飛ばしてマンションに着いたら、管理人さんが今日はお出掛けになりましたよ、と。どんな服だったか尋ねてみたら、お会いしていないので分かりません、だと!?」
よくもトンズラこきやがって、とキース君は眉を吊り上げています。
「あんた、瞬間移動で出掛けて留守にする時は「行ってきます」と言うだけだしな。御忌に行くのに瞬間移動は有り得ない。さては学校か、と駆け付けてみれば…」
「なんで教室に行ったんだい? ぼくは普通はこっちだろ?」
「普通じゃないから教室なんだ! 何かイベントの匂いでもしたかと!」
それで御忌の方をすっぽかすのならまだ分かる、と拳を握り締めるキース君。
「袈裟が無いから来なかっただと!? あれが無いと格好が付かないなんてことはないだろう! 他にも山ほど持ってるんだし、適当にだな!」
「…君がそれを言うのかい? お袈裟ってヤツは法要に合わせて事前に準備をしておくものだよ、急に引っ張り出すものじゃない。まして七條ともなれば相応に……ね。急いで出して来たんです、と一発で分かる樟脳の匂いはNGだってば」
「匂いはサイオンで誤魔化せる、と、ぶるぅが言ったぞ!」
「ぼくのポリシーに反するんだよ。…どちらかと言えば美学かな」
袈裟と法衣はキッチリ着こなしてこそ、と会長さんが反論すれば、キース君が。
「だったらきちんと管理しろ! ぶるぅ任せにしておくな!」
小さな子供を泣かせやがって、とキース君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を優しく撫でて。
「ぶるぅ、お前は悪くなんかないぞ。袈裟がどうなったのかは知らんが、自分のを管理していなかったブルーが悪い。…ジョミーたちの件については全面的に俺が悪いんだがな」
申し訳ない、と平謝りのキース君に、サム君が「いいって、いいって」と。
「仕方ねえよ、キースも焦ってたんだし…。ブルーに何かあったんだったら大変だけどよ、袈裟が消えたってだけのことなら心配ねえしさ」
「しかし…。お袈裟が消えたくらいで御忌に出ないとは、何処まで外見が大切なんだ…。それともアレか、お袈裟はあんたの羽衣なのか?」
羽衣なら天人の証だが、とキース君がチクリと嫌味を言えば、会長さんは悪びれもせずに。
「そんなトコかな、銀青のシンボルの一つではある。…最初から適当に決めていたなら、そこまでこだわらないんだけどね」
「ふうん…。やっぱり羽衣だったんだ?」
「「「!!?」」」
バッと振り返る私たち。そこには紫のマントを纏ったソルジャーが立っていたのでした。
「…ぼくには絶対貸せないって言うし、試着もさせてくれないし…。もしかして、ってピンと来たんだよねえ、あれがブルーの羽衣なのか、って」
羽根みたいに軽くないようだけど、とソルジャーはソファにストンと腰掛けると。
「ぶるぅ、ぼくにもホットケーキ! それと紅茶で」
「はぁーい!」
ちょっと待ってね、とキッチンに走って行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」はすぐに紅茶を淹れて来ました。ホットケーキも間もなく焼けて、ソルジャーは御満悦ですが。
「羽衣なんて発想、何処から来たのさ! 七條は真逆で重いんだけど!」
刺繍たっぷりでサイズも大きめ、と噛み付く会長さんに、ソルジャーはホットケーキにホイップクリームを塗りながら。
「羽衣かい? 君のファッションショーの次の日だったか、その次だったか…。ノルディとデートをしたんだよ。能っていうんだっけ、なんか舞台を観てから食事で」
「…それが羽衣?」
「うん。ぼくにはサッパリ分からなかったし、ノルディに話を教えて貰った。羽衣ってヤツは天女専用なんだって? それを隠せば空を飛べなくなって人間と結婚するしかないとか」
「大雑把に言えばそうなるかな? バリエーションも色々あるけど、お袈裟と羽衣は別物だから! 坊主と天人は違うから!」
一緒にしないでくれたまえ、とピシャリと言ってから、会長さんはアッと息を飲んで。
「…ま、まさか…。お袈裟は君が盗んだとか…? 軽くないとか言ったよね…?」
「盗んだなんて、人聞きの悪い…。隠しただけだよ、羽衣は隠すものだろう?」
ノルディに聞いた、とソルジャーが胸を張り、キース君が。
「あんた、自分が何をやらかしたか分かっているのか!? 御忌というのは俺たちの宗派の宗祖様の御命日の法要なんだぞ、それに出るためのお袈裟をだな…!」
「代わりは幾つもあるだろう? 君だってそう言ったじゃないか。羽衣認定したのはブルーで、こだわってるのもブルーの勝手だ。御忌ってヤツより羽衣なんだよ」
貸してくれないなら隠すだけ、とソルジャーは嫣然と微笑みました。
「あ、着るなと言われたからには着てないよ? それに羽衣って、天女以外が身に付けたって空は飛べないみたいだし…。ぼくが着たってお経は読めない」
「当然だろう!」
よくも大切なお袈裟を大切な日に、と激怒している会長さん。
「お蔭で御忌には出そびれちゃったし、ジョミーたちは巻き添えを食って早退になるし…。ぶるぅだって責任を感じて泣いちゃったんだし、落とし前はつけさせてくれるんだろうね!?」
高くつくよ、と睨み付けている会長さんの隣では萌黄の法衣のキース君までが怖い顔。此処で修羅場になるのはマズイ、と誰かが言い出し、場所を変えることになりました。瞬間移動で会長さんのマンションへ。…ソルジャー、逃亡しないでしょうね?
お袈裟を盗んだ張本人が逃げ出さないよう、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が両の手首をガッチリ確保。経験値の高さが売りのソルジャーだけに、それでも逃げるかと思われましたが、大人しく連行されまして…。
「かみお~ん♪ 喧嘩の前にお昼御飯を食べなきゃね!」
腹が減っては戦が出来ぬと言うんでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が予告していたオムライスを作ってくれて昼食タイム。キース君は法衣が汚れては大変だから、と割烹着姿でモグモグと。これはこれで平和な時間です。けれど昼食が終わった後は…。
「まず、お袈裟を返して貰おうか。それから落とし前をつけるってことで」
何をして貰うかは君の態度で考える、と会長さんが袈裟の返還を迫れば、ソルジャーが。
「うーん…。隠した場所は分かってるけど、羽衣なら自分で見付けたら? そういうお話なんだろう? 見付からなければ結婚だよねえ、隠した人と」
「ふざけていないで、さっさと返す!」
君と結婚する気は無い、と会長さんは怒っていますが、本音はソルジャーの世界に隠された品物を見付けるだけの能力が無いといった所でしょう。
「どうしても返すつもりが無いなら、弁償ってことでもかまわない。…ただし、七條は高いからね? おまけにぼくのは特注品の一点ものだし、ノルディといえども多少の打撃は蒙るかと」
しばらく食事もデートも無しだ、と会長さん。あのぅ……七條って、そんなに高いの?
「まあな」
キース君が指を三本立てて。
「これくらいは軽くいくだろう。一点ものならもう一本とか、二本とか。一本は百だ」
「「「そ、そんなに…?」」」
恐ろしすぎる、と凍り付いている私たち。いくらエロドクターが大金持ちでも、その値段だと一日分のお小遣いの半分くらいは飛ぶかもです。金銭感覚がズレていたって認識できる程度の損害なわけで…。会長さんはソルジャーに指を突き付けると。
「今の話は聞いていたよね? 返すか、でなきゃ弁償か。どっちの道を選ぶんだい?」
「…どっちだろう?」
選ぶのはぼくじゃないんだよね、と大きく伸びをするソルジャー。
「実はさ、羽衣かもって思ったからさ……」
ゴニョゴニョゴニョ、とソルジャーが小声で呟き、ウッと仰け反る私たち。
「「「隠させた!?」」」
「そうなんだよねえ、ブルーの羽衣を隠して得をする人間は一人!」
捜しに行く? と訊かれた会長さんがテーブルに突っ伏し、私たちの視線は窓の彼方へ。よりにもよって羽衣伝説をパクりましたか、ソルジャーは! おまけに大喜びで隠した人が存在しますか、そうですか…。
会長さんが御忌に着て行こうとファッションショーを催してまで選んだ、遠山柄の七條袈裟。キース君曰く、指が三本分だか五本分だか、あるいはもっとお高いかもな一点モノの特注品は羽衣伝説でピンと来たらしいソルジャーのせいで隠されてしまい。
「……よりにもよって、なんでハーレイ……」
君の世界に隠された方がマシだった、と会長さんが嘆く横では、ソルジャーが。
「え、だって。羽衣を隠した男は運が良ければ天女を嫁に貰えるらしいし…。日頃から君と結婚したいと言ってるハーレイの家に隠すのが王道だろう?」
早く見付けて回収したまえ、とソルジャーはニコニコ笑っています。
「今ならハーレイは学校にいるし、家探ししてでも持って帰れば羽衣回収完了ってね。見付けられなきゃ返してくれと頼みに行って、そのまま嫁になってくるとか」
「却下!」
こうなったら意地でも探し出す、と会長さんは教頭先生の家の方角に目を凝らし、サイオンを集中させたのですけど…。
「どう? 何処にあるのか見付けられた?」
「邪魔をしないでくれたまえ!」
ぼくは忙しいんだから、と突っぱねた会長さんが頑張り続けること一時間、二時間…。そろそろ下校時刻です。教頭先生はまだお仕事がありますけれど、夜になったら御帰宅でしょう。えーっと、羽衣ならぬ遠山柄の七條袈裟は見付かりましたか、会長さん?
「…ダメだ、どうして…。なんで何処にも無いんだろう…」
「ふふ、ぼくがハーレイに隠させたんだよ? 見付けられるようなヘマをするとでも?」
ばっちりシールドのガード付き、とソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってくれた苺ミルクのパウンドケーキを口に運んで。
「もちろんハーレイには袈裟が何処にあるか分かってる。頼めば返してくれるかもだけど、その前に何か注文しろとは言っといた。能だと舞を見せるのが返す条件だったし、ストリップとかね」
「「「ストリップ!?」」」
「結婚するよりマシだろう? まあ、そのまま袈裟を放置するのも一つの選択ってヤツではあるよ。ただし、君が残した羽衣ってことで、どう扱われるかは保証出来ないかも…」
「取り返す!!!」
夜のオカズにされてたまるか、と会長さんは瞬間移動ですっ飛んで行ってしまいました。それきり戻って来る気配は無く、ソルジャーが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に夕食の注文をしています。キース君が萌黄の法衣に襷を掛けて、私たちに。
「…おい。手伝いに行った方がいいと思うぞ、俺たちも」
「そうかもね…。教頭先生が帰って来ちゃったら最悪だよね」
大惨事になる前に助っ人に、とジョミー君が腰を上げかけた所で、つんざくような思念波が。
『…誰か、助けてーーーっ!!!』
「おやおや、天女が捕まったかなぁ?」
今日はハーレイ、残業をしないと言ってたからね、とソルジャーの声がのんびりと。
「寝室で家探ししていた所へ、ハーレイが帰って来たらしい。ベッドに上っていたっていうのも悪かったよねえ、ストリップで済めばいいんだけれど…」
「畜生、あんたに関わってる場合じゃなかったぜ!」
タクシー! とキース君が草履をつっかけて飛び出してゆき、私たちも後ろから転がるように。結局、教頭先生宅に辿り着いた時には、何故かベッドは鼻血の海で。
「「「………???」」」
「なんか勝手に妄想が爆発しちゃったようだよ、ハーレイだけに」
ストリップを頼むのが精一杯なヘタレの憐れな結末、と会長さんがベッドに転がっている教頭先生をゲシッと蹴飛ばし、ギャッと短い悲鳴を上げて。
「…ぼ、ぼくの七條……。シーツの下に……」
鼻血まみれ、と顔面蒼白の会長さん。キース君がシーツを引っぺがし、其処から鼻血が点々と付いた遠山柄の七條袈裟が…。
「…こ、これって、とっても高いんだよね…?」
ジョミー君が声を震わせ、シロエ君が。
『ぶるぅ、聞こえますか!? そこのお客さんを捕まえてて下さい、しっかりと!』
『かみお~ん♪ ブルーはお食事中だよ!』
デザートを食べ終わるまで帰らないって、と無邪気な声が。いい根性をしているようです、今回の騒動の張本人。会長さんと今すぐ戻ってフルボッコの上に弁償コースで! 私たちの早退の分も含めて、落とし前つけさせて頂きます~!
飛べない羽衣・了
※いつもシャングリラ学園番外編を御贔屓下さってありがとうございます。
お坊さんのお袈裟、実は色々あるようですよ?
次回は 「第3月曜」 10月20日の定例更新となります、よろしくお願いいたします。
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、10月はスッポンタケの卒塔婆事情から始まったようですが…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
夏休みまで一ヶ月足らずとなった、とある日の朝。教室で気心の知れた友人たちと他愛ない話をしていたブルーの耳に、少し離れた場所で上がった叫びが届いた。
「えーーーっ!?」
時ならぬ大声に友人たちも一斉にそちらの方を見、其処には数人の男子生徒が群れていて。
「声変わりって、あの先輩が?!」
「嘘だろ、先輩、まだまだ行けそうだったのに!」
「そうなんだけどさ、こないだから喉が調子悪いって言っててさ…」
ワイワイと騒ぐ群れの中心は合唱部所属の男子だった。
「みんな喉を傷めただけかと思ってたんだよ、そしたらなんか違うらしくて」
「んじゃ、夏休みのコンクールはどうなるんだよ?」
「もうメチャメチャだよ、今から代わりに歌えるヤツっていないしさあ…」
俺たちの合唱部の期待の星が、と頭を抱える男子生徒を周りの者が気の毒そうに見詰めている。その輪の中には入らないまでも、ブルーの友人たちも「なんだかなあ…」と複雑な顔で。
「どの先輩だろ、合唱部のことは分かんねえけど」
「期待の星って言ってるんだし、よっぽど上手いか声が凄いかだったんだろうなあ」
「コンクール直前はキツイよね…。合唱部、これから大騒ぎかも」
合唱部はクラブ活動の一つ。十四歳からの四年間を過ごす学校だったが、人類が皆ミュウである今、サイオンが成長速度に影響する者も多かった。ゆえに四年生でも素晴らしいボーイソプラノを保つ生徒もいるから、合唱部の中には少年だけで構成される部門も存在する。
件の男子生徒は其処の所属で、夏休み中に開催されるコンクールでの優勝を狙っていたようだ。それなのに夏休みまで一ヶ月を切った今頃の時期に、期待の星が声変わりだとは…。
「…あればっかりは分かんねえしな、いつ始まるのか」
「早い人は早いって聞くけどね…」
「とりあえず俺たちはまだまだ先かな。…特にブルーは」
「ぼく?」
いきなり自分に話を振られて、ブルーはキョトンと目を見開いた。
「…なんで、そこでぼく?」
「小さいからだよ、決まってるだろ」
「そうだ、合唱部に助っ人に行ってやらねえか? お前、歌だって上手いじゃねえかよ」
仲間たちは賑やかに騒ぎ始めたが、彼らに話を合わせながらもブルーの思考は違う方へと向かいつつあった。
背丈ばかりを気にするあまりに忘れ果てていた前世での声。ソルジャー・ブルーと呼ばれていた頃、自分の声は今よりもずっと低くて落ち着いていて、まるで別物だったのでは…。
その日、ブルーは帰宅してからも自分の声が気になって仕方がなかった。
深く考えれば考えるほどに、前世の自分と今の自分の声の違いを思い知らされる。ソルジャーとして皆を指揮していた頃、ブリッジで、あるいは青の間で、何度も何度も指示を飛ばした。
長く潜んだアルテメシアを離れて宇宙へと飛び立った時も、その決断を下したのはブルー。あの時、「ワープしよう」とブリッジに指示した声が今の自分のものだったならば、皆は従ってくれただろうか?
(えーっと…)
ブルーは勉強用の椅子に座って息を大きく吸い込み、精一杯の威厳を保って言ってみた。
「ワープしよう!」
それから録音していた今の声を再生してみてガックリとする。
「……全然ダメだよ……」
もう一度、と試してみても結果は同じ。どう聞いたって子供の声で、ソルジャー・ブルーが下す指示とも思えない。それに…。
(…あれは青の間から言ったんだっけ…。それに叫んでもいなかったし…)
つまりは「ワープしよう!」と勢い込んで叫ぶのではなく、「ワープしよう」。ごくごく普通に話す口調で、けれど重々しく、皆が異論を唱えられない説得力をも声音に乗せていた自分。
今の自分にはそんな芸当、とても出来ない。
録音した声が示すとおりに甲高い声で、まるで劇中の台詞よろしく叫ぶのが自分の精一杯。
(……どうしよう……)
前世の自分とは全く違った子供そのものな自分の声。こんな声でいくらハーレイに「好きだよ」と告げても、実は可笑しいだけかもしれない。「大きくなったらパパと結婚する!」と叫ぶような幼児とレベルはさほど変わらないのかも…。
(…ハーレイが全然相手にしてくれないのも、声のせいかも…)
キスを強請ろうとしては叱られ、「駄目だ」と頭を小突かれる。それはそうだろう、子供の声で「キスしてもいいよ」と誘ってみたって、ハーレイがその気になるわけがない。
一向に伸びてくれない背丈の方もさることながら、声も行く手に高く聳える恋のハードルだったのだ。今の今まで気付かなかったが、声変わりだって急がなければ。
(でも……)
これまた背丈と同じ理屈で、ただ成長を待つしかない。クラスメイト曰く「ブルーは遅そう」。
(…前のぼくって、いつ声変わりしたんだろう?)
懸命に記憶を遡ってみたが、あの頃の自分は忙し過ぎた。気付けば背丈はすっかり伸びていて、声も低く落ち着いたものになっていて…。
(何の参考にもならないってば!)
ブルーは心底、悲しくなった。いつになったら自分の声は昔と同じになるのだろうか…?
その週末。訪ねて来てくれたハーレイとテーブルを挟んで向かい合わせに座ったブルーは、単刀直入に切り出した。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「…ハーレイ、ぼくの声は好き?」
「声?」
唐突すぎるその質問に、ハーレイは何を訊かれたのか分からなかった。ブルーとは恋人同士なのだから「ぼくのこと好き?」なら自然な流れだ。
しかし、好きかと問われたのは声。何処をどうすればその問いになるのか意図が全く掴めない。どう答えればブルーが満足するのか、それすらも分からないままに…。
「…お前の声なあ……。俺は好きだが」
「本当に? 前の声よりも?」
「前?」
今度こそ意味が不明になった。前の声とは何のことか、と暫し考えてハタと思い当たる。
「…前って、前のお前の声か? …ソルジャー・ブルーの?」
「そうだけど…。どっちが好き? 今と、前のと」
「……うーむ……」
ハーレイは腕組みをして視線を天井に向けた。ブルーと再会して間もない頃なら、迷うことなく「前だ」と答えられただろう。前の生で愛して結ばれたブルーは今のブルーよりもずっと大きく、それは美しくて声も甘くて柔らかだった。
けれども今のブルーと二ヶ月近くも日を過ごす内に、年相応に愛らしくて無垢なブルーもいいなと思い始めた自分がいる。背伸びして一人前の恋人気取りで纏わりついてくるブルー。子供らしい声で強請られるキスを「駄目だ」と叱ってはいるが、強請る仕草もまた可愛い。
(…前はゆっくり聞いているどころじゃなかったからなあ…)
その分、今を楽しみたいな、と思う自分が確かに居る。
前世で今と同じ声をしていた頃のブルーは、とうに十四歳ではなかった。アルタミラの収容所で長い時を過ごし、十四歳の姿を留めてはいても皆を指揮するリーダーだった。
後にシャングリラとなる船を奪って脱出した後、ブルーは幼さを残した身体で一人戦い、物資を奪いにその身一つで宇宙を駆けては頑張りすぎて倒れたりもして…。
十四歳の子供の身体に相応しい言葉を喋るよりも前に、小さくても既に戦士だったブルー。皆の命をただ一人背負い、前だけを見詰めて走り続けたブルーの子供らしい声を自分は知らない。
(…そうだ、あいつはいつだって見かけどおりじゃなかった)
それに比べて目の前のブルーはどうだろう。くるくると変わるその表情も、愛らしい唇から飛び出す言葉も十四歳の子供そのもの。背伸びしてみても子供から決して抜け出せはしない。
「……そうだな…」
ブルーが心配になるほどの時間を考えた末に、ハーレイはようやく口を開いた。
「俺は今のお前の声が好きだな、もちろん前のお前の声も好きだが」
「それって両方、好きだってこと?」
「ああ。俺はお前の今の声が好きだ。いつまでも聞いていたいとも思う」
いつかは聞けなくなってしまうが、とハーレイはブルーの赤い瞳を見詰めた。
「俺はな、今の幸せそうなお前が好きなんだ。子供らしい顔で、子供らしい声で、嬉しそうに笑うお前が好きだ。今のお前と同じ姿だった前のお前に、幸せな時があったのかどうか…。お前自身は全く気にしていなかったろうが、今から思えば可哀相でな」
「……可哀相? 前のぼくが?」
「そうだ。お前は俺より年上だったし、それに相応しく生きていたんだと思う。それでも、お前は随分と無理をしていたんだろう。…子供らしく見えたお前の記憶は俺の中には無いからな」
「…だって、子供じゃなかったもの」
その頃の自分の年がとうに成人に達していたことはブルー自身も覚えている。そんな自分が子供らしく振舞う必要などは無かったのだし、第一、子供だからと甘えられる余裕も皆には無かった。
けれどハーレイは「いいや」と首を左右に振ると。
「お前が見かけどおりの年じゃないことは、皆、知っていたさ。……だがな、身体は子供だった。いくらサイオンが強いと言っても体力は子供並みだってことを気遣う余裕が誰にも無かった」
お前に無理をさせ過ぎたんだ、とハーレイは辛そうに顔を歪めた。
「お前が十四歳の姿のままで自分の時間を止めていたのが何故だったのか、今なら分かる。…あの頃は気付きもしなかったんだが、幸せそうな今のお前を見ていれば分かる」
「…なんで? ぼくが子供のままだったのは多分、栄養が不足していたからで…」
「俺だってそう思っていたさ。…しかしだ、あれだけの実験を続けようってヤツらが貴重な唯一のタイプ・ブルーを栄養失調にさせると思うか? 栄養は足りていた筈なんだ」
足りなかったのは別のものだ、と続ける。
「お前に不足していたものはな、幸せってヤツだ。お前には辛い毎日だけしか無くて、育ったって何一ついいことはない。今を保つのが精一杯で、必死に自分の心を守っていたんだろう」
育つよりも、ひたすら現状維持。そのために成長しなかったのだ、と言われればそんな気もしてきた。あの頃は毎日が人体実験の繰り返し。何もかもどうでも良かったけれども、いつかは生きて此処を出るのだと何処かで常に願っていた。そのためだけに自分は成長を止めて待ったのか…。
自分でもまるで気付かなかった、前の生で止めた成長の理由。
それを恐らくは言い当てただろうハーレイの言葉は、更に続いた。
「俺はな、お前が止めていた時の分まで、お前に幸せに過ごしてほしい。子供らしい声で話して、俺の名前を何度も何度も、その声で呼んで欲しいんだ」
そして嬉しそうに笑ってくれればいい、と鳶色の瞳が愛しい者を見守るように細められる。
「…俺はお前の今の声が好きだ。幸せそうに笑う今の小さなお前が好きだ。だからそのままでいてくれ、ブルー。声変わりなんてしなくていいから。小さいままでかまわないから」
それはハーレイの心からの願い。前の生でブルーが失くしてしまった子供としての時の分まで、幸せな時を過ごして欲しい、と。
何かと言えばブルーに「しっかり食べて大きくなれよ」と決まり文句を言ってはいても、小さなブルーを見ていたい。前の生では痛々しいほどの重荷を背負って駆け抜けていった姿だけが記憶に残る幼い戦士が、年相応に幸せに笑って生きる姿を。
何度も何度もブルーにそう言い聞かせて、納得させて、指切りをして。
背丈が百五十センチのままでも、声が幼い子供のままでも、それでいいのだと約束をした。
ブルーには急ぐ必要はなくて、幸せな今を満喫しながらゆっくり成長してゆくのだと。
そうして二人頷き合った後、向かい合って紅茶のカップを傾けていたら、ブルーが尋ねた。
「でも、ハーレイ…。ぼくが今の姿のままだと、本物の恋人同士になれるのはいつ?」
キスを交わすのはブルーの背丈が前世と同じになってから。
ハーレイが決めて、ブルーが渋々「うん」と言ったのは、二人が再会した日から間もない頃。
もしもブルーの背が伸びなければ、キス出来る日すらもやっては来ない。キスの先など夢のまた夢、ブルーが夢見る「本物の恋人同士」になれる日とやらは遙かに遠い未来のことだ。
ブルーにとっては大問題だが、ハーレイにはそれは些細なこと。だから笑って答えてやる。
「ははっ、そうだな、いつになるかな? だが、お前は俺の所に戻って来てくれたんだ。…何十年だって俺は待てるさ、一度はお前を失くしたんだしな」
「……ぼくは小さいままでもかまわないよ?」
「こらっ! 背伸びするなと言ってるだろうが!」
誰が子供を相手にするか、とブルーの頭をコツンと軽く小突いたものの。
(…待てよ? ブルーがこのまま卒業した時はどうなるんだ?)
ゆっくり大きくなれとは言った。今の姿が好きだとも言った。ついでに固く指切りまでも。
しかし本当にブルーが育たなかったなら、四年後に卒業を迎える時もブルーは今と変わらない。
ハーレイが教鞭を執り、ブルーが通う義務教育の最終段階である学校。其処を卒業してゆく生徒は誰でも十八歳か、近日中に十八歳か。
十八歳は結婚が認められる年。
卒業式が終わった後の三月の末にブルーは十八歳を迎えるわけで、結婚出来る年齢になって…。
(…見かけが十四歳の子供ってヤツと結婚するのはどうなんだ?)
それはマズイ、とハーレイの心の中でタラリと冷汗が垂れた。
身近でそういう事例は無いし、噂すら聞いたこともない。けれど十八歳になったブルーは絶対に結婚したがるだろう。
(……諦めて幼年学校へでも行ってくれればいいんだが……)
身体が幼いままであるということは、心も今と全く変わらず幼いまま。いくら前世の記憶があるからと言って、いわゆる本当の結婚生活を送るには心身共に無理が有りすぎる。
ブルーの言う「本物の恋人同士」の関係こそが結婚生活の真の姿なのだし、結婚はちょっと…。
(…しかしだ、ブルーが諦めるとは思えんぞ?)
何が何でも結婚すると言い張るだろう、とハーレイは天を仰ぎたくなった。
諦めないブルーもさることながら、ブルーの両親が何と言うやら…。ただでも大事な一人息子のブルーが同性のハーレイと結婚となればパニックだろうし、そのブルーは見た目が十四歳で。
(……やはり普通に育ってくれと言うべきだったか?)
そうは思うが、小さなブルーも捨て難い。何十年だって見ていられる上に、待てるのだが…。
(結婚するんだ、と言い出した時が実にマズイぞ)
十四歳の子供にしか見えないブルーと結婚という事態になったら何が起こるか…、とハーレイはブルーの方にチラリと目をやる。するとニッコリと嬉しそうに笑い、首を傾げるものだから。
(…いかん、こいつは結婚どころか俺と深い仲になりたい奴だった…!)
俺にそういう趣味は無いんだ、と思いたいのに、ブルーが微笑む。
「ハーレイ、さっきからどうしたの? ぼくはきちんと指切りしたよ。…ホントは早く大きくなりたいんだけど、ハーレイはゆっくりがいいんだよね?」
「あ、ああ…。そうだな、うんとゆっくり幸せになれよ」
「うんっ! だけど結婚するのは忘れないでよ、十八歳になったら出来るんだから!」
ブルーの言葉はハーレイの予想と寸分違わぬものだった。ゆっくり育つと約束しながら、十八歳での結婚を希望。もしもそれまでに前世と同じに育たなかったら、今と見かけが変わらぬブルーが結婚したいと言ってくるわけで…。
(…ほ、本人がいいと言っているなら、それでいいのか?)
ハーレイの向かい側にチョコンと座って無邪気な笑みを湛えるブルー。その身体はソルジャー・ブルーであった頃より遙かに小さく幼いけれども、桜色の唇も透き通る肌も前世そのままで、その顔立ちもまたいずれ花開く美を匂わせるもの。
(……す、少し小さいが…。いや、かなり小さいが、結婚したならかまわないのか?)
ブルー自身が望むからには、体格的に多少無理があっても深い仲になっていいのだろうか。そう思いかけて「駄目だ」と自分自身を叱咤する。
(…俺はよくてもブルーの負担が…。こんな小さな身体には無理だ)
もしも結婚する羽目に陥ったならば我慢あるのみ、とハーレイはテーブルの下で拳を握った。
(ブルーが何と言ってこようが、俺は絶対に手は出さん! 育つまで待つ!)
どんなにブルーが小さかろうとも、結婚して共に暮らす間に少しずつ育ってゆくだろう。上手く運べば真の結婚生活をしたいがために劇的に育つかもしれないのだから。
そう決めたものの、「ハーレイ?」と呼び掛けてくる声に心がグラリと揺らぐ。
(……この声は今しか聞けないんだよな?)
ソルジャー・ブルーよりもずっと高くて愛らしい響きのブルーの声。
この声が前世で何度も耳にしていたあの声のように、腕の中で震え、喘いだならば。
あるいは高く、甘く啼いて掠れたならば…、と頭を擡げようとする欲望。
(いや、いかん! …それだけは絶対にやってはいかんぞ、腐っても俺は教師だからな!)
教え子の前で不埒なことは…、と更に強く、強く拳を握って懸命に耐えているというのに。
「ねえ、ハーレイ?」
約束だよ、と小さなブルーが右手の小指を差し出して来た。
「ぼくが十八歳になったら、結婚! 別に誕生日じゃなくてもいいから!」
「た、誕生日…?」
「うん! その頃ってハーレイ、忙しいよね? 三月の末だし、新婚旅行に行けそうにないし」
年度末と年度初めの教師が多忙なことにブルーは気付いていたらしい。しかし…。
「お前、本気で十八歳で結婚する気か?!」
「…んーと…。とりあえず今日はそのつもりだけど、どうしようかな…」
考え込んでいる様子のブルーに、ハーレイは辛うじて心の平静を取り戻してから。
「今日は、ってことは未定なんだな? 明日になったら気が変わるかも、と」
「明日はどうだか分からないけど、他にやりたいことが出来たら」
「そうか、それなら今、約束をしなくてもな?」
別にいいだろ、と返したハーレイの右手の小指にブルーの右手の小指がグイと絡んだ。
「ダメーッ! 結婚だけは絶対、約束!」
「お、おい、ブルー! 俺の都合も考えろ、ブルー!」
強引に絡められた指ごと一方的に押し付けられてしまったブルーと結婚する約束。
それはブルーの小さな姿と愛らしい声とを伴い、暫くの間、毎夜ハーレイを苛んだけれど。そういう約束を交わしたことすら忘れているのが十四歳の小さなブルー。
ブルーにとってはハーレイと共に歩む未来は約束せずとも、あって当然。
ゆえにブルーは今日も夢見る。早くハーレイと結婚したいと……。
前と違う声・了
←ハレブル別館へのお帰りは、こちらv