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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 夏休みまで一ヶ月足らずとなった、とある日の朝。教室で気心の知れた友人たちと他愛ない話をしていたブルーの耳に、少し離れた場所で上がった叫びが届いた。
「えーーーっ!?」
時ならぬ大声に友人たちも一斉にそちらの方を見、其処には数人の男子生徒が群れていて。
「声変わりって、あの先輩が?!」
「嘘だろ、先輩、まだまだ行けそうだったのに!」
「そうなんだけどさ、こないだから喉が調子悪いって言っててさ…」
 ワイワイと騒ぐ群れの中心は合唱部所属の男子だった。
「みんな喉を傷めただけかと思ってたんだよ、そしたらなんか違うらしくて」
「んじゃ、夏休みのコンクールはどうなるんだよ?」
「もうメチャメチャだよ、今から代わりに歌えるヤツっていないしさあ…」
 俺たちの合唱部の期待の星が、と頭を抱える男子生徒を周りの者が気の毒そうに見詰めている。その輪の中には入らないまでも、ブルーの友人たちも「なんだかなあ…」と複雑な顔で。
「どの先輩だろ、合唱部のことは分かんねえけど」
「期待の星って言ってるんだし、よっぽど上手いか声が凄いかだったんだろうなあ」
「コンクール直前はキツイよね…。合唱部、これから大騒ぎかも」
 合唱部はクラブ活動の一つ。十四歳からの四年間を過ごす学校だったが、人類が皆ミュウである今、サイオンが成長速度に影響する者も多かった。ゆえに四年生でも素晴らしいボーイソプラノを保つ生徒もいるから、合唱部の中には少年だけで構成される部門も存在する。
 件の男子生徒は其処の所属で、夏休み中に開催されるコンクールでの優勝を狙っていたようだ。それなのに夏休みまで一ヶ月を切った今頃の時期に、期待の星が声変わりだとは…。
「…あればっかりは分かんねえしな、いつ始まるのか」
「早い人は早いって聞くけどね…」
「とりあえず俺たちはまだまだ先かな。…特にブルーは」
「ぼく?」
 いきなり自分に話を振られて、ブルーはキョトンと目を見開いた。
「…なんで、そこでぼく?」
「小さいからだよ、決まってるだろ」
「そうだ、合唱部に助っ人に行ってやらねえか? お前、歌だって上手いじゃねえかよ」
 仲間たちは賑やかに騒ぎ始めたが、彼らに話を合わせながらもブルーの思考は違う方へと向かいつつあった。
 背丈ばかりを気にするあまりに忘れ果てていた前世での声。ソルジャー・ブルーと呼ばれていた頃、自分の声は今よりもずっと低くて落ち着いていて、まるで別物だったのでは…。



 その日、ブルーは帰宅してからも自分の声が気になって仕方がなかった。
 深く考えれば考えるほどに、前世の自分と今の自分の声の違いを思い知らされる。ソルジャーとして皆を指揮していた頃、ブリッジで、あるいは青の間で、何度も何度も指示を飛ばした。
 長く潜んだアルテメシアを離れて宇宙へと飛び立った時も、その決断を下したのはブルー。あの時、「ワープしよう」とブリッジに指示した声が今の自分のものだったならば、皆は従ってくれただろうか?
(えーっと…)
 ブルーは勉強用の椅子に座って息を大きく吸い込み、精一杯の威厳を保って言ってみた。
「ワープしよう!」
 それから録音していた今の声を再生してみてガックリとする。
「……全然ダメだよ……」
 もう一度、と試してみても結果は同じ。どう聞いたって子供の声で、ソルジャー・ブルーが下す指示とも思えない。それに…。
(…あれは青の間から言ったんだっけ…。それに叫んでもいなかったし…)
 つまりは「ワープしよう!」と勢い込んで叫ぶのではなく、「ワープしよう」。ごくごく普通に話す口調で、けれど重々しく、皆が異論を唱えられない説得力をも声音に乗せていた自分。
 今の自分にはそんな芸当、とても出来ない。
 録音した声が示すとおりに甲高い声で、まるで劇中の台詞よろしく叫ぶのが自分の精一杯。
(……どうしよう……)
 前世の自分とは全く違った子供そのものな自分の声。こんな声でいくらハーレイに「好きだよ」と告げても、実は可笑しいだけかもしれない。「大きくなったらパパと結婚する!」と叫ぶような幼児とレベルはさほど変わらないのかも…。
(…ハーレイが全然相手にしてくれないのも、声のせいかも…)
 キスを強請ろうとしては叱られ、「駄目だ」と頭を小突かれる。それはそうだろう、子供の声で「キスしてもいいよ」と誘ってみたって、ハーレイがその気になるわけがない。
 一向に伸びてくれない背丈の方もさることながら、声も行く手に高く聳える恋のハードルだったのだ。今の今まで気付かなかったが、声変わりだって急がなければ。
(でも……)
 これまた背丈と同じ理屈で、ただ成長を待つしかない。クラスメイト曰く「ブルーは遅そう」。
(…前のぼくって、いつ声変わりしたんだろう?)
 懸命に記憶を遡ってみたが、あの頃の自分は忙し過ぎた。気付けば背丈はすっかり伸びていて、声も低く落ち着いたものになっていて…。
(何の参考にもならないってば!)
 ブルーは心底、悲しくなった。いつになったら自分の声は昔と同じになるのだろうか…?



 その週末。訪ねて来てくれたハーレイとテーブルを挟んで向かい合わせに座ったブルーは、単刀直入に切り出した。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「…ハーレイ、ぼくの声は好き?」
「声?」
 唐突すぎるその質問に、ハーレイは何を訊かれたのか分からなかった。ブルーとは恋人同士なのだから「ぼくのこと好き?」なら自然な流れだ。
 しかし、好きかと問われたのは声。何処をどうすればその問いになるのか意図が全く掴めない。どう答えればブルーが満足するのか、それすらも分からないままに…。
「…お前の声なあ……。俺は好きだが」
「本当に? 前の声よりも?」
「前?」
 今度こそ意味が不明になった。前の声とは何のことか、と暫し考えてハタと思い当たる。
「…前って、前のお前の声か? …ソルジャー・ブルーの?」
「そうだけど…。どっちが好き? 今と、前のと」
「……うーむ……」
 ハーレイは腕組みをして視線を天井に向けた。ブルーと再会して間もない頃なら、迷うことなく「前だ」と答えられただろう。前の生で愛して結ばれたブルーは今のブルーよりもずっと大きく、それは美しくて声も甘くて柔らかだった。
 けれども今のブルーと二ヶ月近くも日を過ごす内に、年相応に愛らしくて無垢なブルーもいいなと思い始めた自分がいる。背伸びして一人前の恋人気取りで纏わりついてくるブルー。子供らしい声で強請られるキスを「駄目だ」と叱ってはいるが、強請る仕草もまた可愛い。
(…前はゆっくり聞いているどころじゃなかったからなあ…)
 その分、今を楽しみたいな、と思う自分が確かに居る。
 前世で今と同じ声をしていた頃のブルーは、とうに十四歳ではなかった。アルタミラの収容所で長い時を過ごし、十四歳の姿を留めてはいても皆を指揮するリーダーだった。
 後にシャングリラとなる船を奪って脱出した後、ブルーは幼さを残した身体で一人戦い、物資を奪いにその身一つで宇宙を駆けては頑張りすぎて倒れたりもして…。
 十四歳の子供の身体に相応しい言葉を喋るよりも前に、小さくても既に戦士だったブルー。皆の命をただ一人背負い、前だけを見詰めて走り続けたブルーの子供らしい声を自分は知らない。
(…そうだ、あいつはいつだって見かけどおりじゃなかった)
 それに比べて目の前のブルーはどうだろう。くるくると変わるその表情も、愛らしい唇から飛び出す言葉も十四歳の子供そのもの。背伸びしてみても子供から決して抜け出せはしない。



「……そうだな…」
 ブルーが心配になるほどの時間を考えた末に、ハーレイはようやく口を開いた。
「俺は今のお前の声が好きだな、もちろん前のお前の声も好きだが」
「それって両方、好きだってこと?」
「ああ。俺はお前の今の声が好きだ。いつまでも聞いていたいとも思う」
 いつかは聞けなくなってしまうが、とハーレイはブルーの赤い瞳を見詰めた。
「俺はな、今の幸せそうなお前が好きなんだ。子供らしい顔で、子供らしい声で、嬉しそうに笑うお前が好きだ。今のお前と同じ姿だった前のお前に、幸せな時があったのかどうか…。お前自身は全く気にしていなかったろうが、今から思えば可哀相でな」
「……可哀相? 前のぼくが?」
「そうだ。お前は俺より年上だったし、それに相応しく生きていたんだと思う。それでも、お前は随分と無理をしていたんだろう。…子供らしく見えたお前の記憶は俺の中には無いからな」
「…だって、子供じゃなかったもの」
 その頃の自分の年がとうに成人に達していたことはブルー自身も覚えている。そんな自分が子供らしく振舞う必要などは無かったのだし、第一、子供だからと甘えられる余裕も皆には無かった。
 けれどハーレイは「いいや」と首を左右に振ると。
「お前が見かけどおりの年じゃないことは、皆、知っていたさ。……だがな、身体は子供だった。いくらサイオンが強いと言っても体力は子供並みだってことを気遣う余裕が誰にも無かった」
 お前に無理をさせ過ぎたんだ、とハーレイは辛そうに顔を歪めた。
「お前が十四歳の姿のままで自分の時間を止めていたのが何故だったのか、今なら分かる。…あの頃は気付きもしなかったんだが、幸せそうな今のお前を見ていれば分かる」
「…なんで? ぼくが子供のままだったのは多分、栄養が不足していたからで…」
「俺だってそう思っていたさ。…しかしだ、あれだけの実験を続けようってヤツらが貴重な唯一のタイプ・ブルーを栄養失調にさせると思うか? 栄養は足りていた筈なんだ」
 足りなかったのは別のものだ、と続ける。
「お前に不足していたものはな、幸せってヤツだ。お前には辛い毎日だけしか無くて、育ったって何一ついいことはない。今を保つのが精一杯で、必死に自分の心を守っていたんだろう」
 育つよりも、ひたすら現状維持。そのために成長しなかったのだ、と言われればそんな気もしてきた。あの頃は毎日が人体実験の繰り返し。何もかもどうでも良かったけれども、いつかは生きて此処を出るのだと何処かで常に願っていた。そのためだけに自分は成長を止めて待ったのか…。



 自分でもまるで気付かなかった、前の生で止めた成長の理由。
 それを恐らくは言い当てただろうハーレイの言葉は、更に続いた。
「俺はな、お前が止めていた時の分まで、お前に幸せに過ごしてほしい。子供らしい声で話して、俺の名前を何度も何度も、その声で呼んで欲しいんだ」
 そして嬉しそうに笑ってくれればいい、と鳶色の瞳が愛しい者を見守るように細められる。
「…俺はお前の今の声が好きだ。幸せそうに笑う今の小さなお前が好きだ。だからそのままでいてくれ、ブルー。声変わりなんてしなくていいから。小さいままでかまわないから」
 それはハーレイの心からの願い。前の生でブルーが失くしてしまった子供としての時の分まで、幸せな時を過ごして欲しい、と。
 何かと言えばブルーに「しっかり食べて大きくなれよ」と決まり文句を言ってはいても、小さなブルーを見ていたい。前の生では痛々しいほどの重荷を背負って駆け抜けていった姿だけが記憶に残る幼い戦士が、年相応に幸せに笑って生きる姿を。



 何度も何度もブルーにそう言い聞かせて、納得させて、指切りをして。
 背丈が百五十センチのままでも、声が幼い子供のままでも、それでいいのだと約束をした。
 ブルーには急ぐ必要はなくて、幸せな今を満喫しながらゆっくり成長してゆくのだと。
 そうして二人頷き合った後、向かい合って紅茶のカップを傾けていたら、ブルーが尋ねた。
「でも、ハーレイ…。ぼくが今の姿のままだと、本物の恋人同士になれるのはいつ?」
 キスを交わすのはブルーの背丈が前世と同じになってから。
 ハーレイが決めて、ブルーが渋々「うん」と言ったのは、二人が再会した日から間もない頃。
 もしもブルーの背が伸びなければ、キス出来る日すらもやっては来ない。キスの先など夢のまた夢、ブルーが夢見る「本物の恋人同士」になれる日とやらは遙かに遠い未来のことだ。
 ブルーにとっては大問題だが、ハーレイにはそれは些細なこと。だから笑って答えてやる。
「ははっ、そうだな、いつになるかな? だが、お前は俺の所に戻って来てくれたんだ。…何十年だって俺は待てるさ、一度はお前を失くしたんだしな」
「……ぼくは小さいままでもかまわないよ?」
「こらっ! 背伸びするなと言ってるだろうが!」
 誰が子供を相手にするか、とブルーの頭をコツンと軽く小突いたものの。



(…待てよ? ブルーがこのまま卒業した時はどうなるんだ?)
 ゆっくり大きくなれとは言った。今の姿が好きだとも言った。ついでに固く指切りまでも。
 しかし本当にブルーが育たなかったなら、四年後に卒業を迎える時もブルーは今と変わらない。
 ハーレイが教鞭を執り、ブルーが通う義務教育の最終段階である学校。其処を卒業してゆく生徒は誰でも十八歳か、近日中に十八歳か。
 十八歳は結婚が認められる年。
 卒業式が終わった後の三月の末にブルーは十八歳を迎えるわけで、結婚出来る年齢になって…。
(…見かけが十四歳の子供ってヤツと結婚するのはどうなんだ?)
 それはマズイ、とハーレイの心の中でタラリと冷汗が垂れた。
 身近でそういう事例は無いし、噂すら聞いたこともない。けれど十八歳になったブルーは絶対に結婚したがるだろう。
(……諦めて幼年学校へでも行ってくれればいいんだが……)
 身体が幼いままであるということは、心も今と全く変わらず幼いまま。いくら前世の記憶があるからと言って、いわゆる本当の結婚生活を送るには心身共に無理が有りすぎる。
 ブルーの言う「本物の恋人同士」の関係こそが結婚生活の真の姿なのだし、結婚はちょっと…。
(…しかしだ、ブルーが諦めるとは思えんぞ?)
 何が何でも結婚すると言い張るだろう、とハーレイは天を仰ぎたくなった。
 諦めないブルーもさることながら、ブルーの両親が何と言うやら…。ただでも大事な一人息子のブルーが同性のハーレイと結婚となればパニックだろうし、そのブルーは見た目が十四歳で。
(……やはり普通に育ってくれと言うべきだったか?)
 そうは思うが、小さなブルーも捨て難い。何十年だって見ていられる上に、待てるのだが…。



(結婚するんだ、と言い出した時が実にマズイぞ)
 十四歳の子供にしか見えないブルーと結婚という事態になったら何が起こるか…、とハーレイはブルーの方にチラリと目をやる。するとニッコリと嬉しそうに笑い、首を傾げるものだから。
(…いかん、こいつは結婚どころか俺と深い仲になりたい奴だった…!)
 俺にそういう趣味は無いんだ、と思いたいのに、ブルーが微笑む。
「ハーレイ、さっきからどうしたの? ぼくはきちんと指切りしたよ。…ホントは早く大きくなりたいんだけど、ハーレイはゆっくりがいいんだよね?」
「あ、ああ…。そうだな、うんとゆっくり幸せになれよ」
「うんっ! だけど結婚するのは忘れないでよ、十八歳になったら出来るんだから!」
 ブルーの言葉はハーレイの予想と寸分違わぬものだった。ゆっくり育つと約束しながら、十八歳での結婚を希望。もしもそれまでに前世と同じに育たなかったら、今と見かけが変わらぬブルーが結婚したいと言ってくるわけで…。
(…ほ、本人がいいと言っているなら、それでいいのか?)
 ハーレイの向かい側にチョコンと座って無邪気な笑みを湛えるブルー。その身体はソルジャー・ブルーであった頃より遙かに小さく幼いけれども、桜色の唇も透き通る肌も前世そのままで、その顔立ちもまたいずれ花開く美を匂わせるもの。
(……す、少し小さいが…。いや、かなり小さいが、結婚したならかまわないのか?)
 ブルー自身が望むからには、体格的に多少無理があっても深い仲になっていいのだろうか。そう思いかけて「駄目だ」と自分自身を叱咤する。
(…俺はよくてもブルーの負担が…。こんな小さな身体には無理だ)
 もしも結婚する羽目に陥ったならば我慢あるのみ、とハーレイはテーブルの下で拳を握った。
(ブルーが何と言ってこようが、俺は絶対に手は出さん! 育つまで待つ!)
 どんなにブルーが小さかろうとも、結婚して共に暮らす間に少しずつ育ってゆくだろう。上手く運べば真の結婚生活をしたいがために劇的に育つかもしれないのだから。
 そう決めたものの、「ハーレイ?」と呼び掛けてくる声に心がグラリと揺らぐ。
(……この声は今しか聞けないんだよな?)
 ソルジャー・ブルーよりもずっと高くて愛らしい響きのブルーの声。
 この声が前世で何度も耳にしていたあの声のように、腕の中で震え、喘いだならば。
 あるいは高く、甘く啼いて掠れたならば…、と頭を擡げようとする欲望。
(いや、いかん! …それだけは絶対にやってはいかんぞ、腐っても俺は教師だからな!)
 教え子の前で不埒なことは…、と更に強く、強く拳を握って懸命に耐えているというのに。



「ねえ、ハーレイ?」
 約束だよ、と小さなブルーが右手の小指を差し出して来た。
「ぼくが十八歳になったら、結婚! 別に誕生日じゃなくてもいいから!」
「た、誕生日…?」
「うん! その頃ってハーレイ、忙しいよね? 三月の末だし、新婚旅行に行けそうにないし」
 年度末と年度初めの教師が多忙なことにブルーは気付いていたらしい。しかし…。
「お前、本気で十八歳で結婚する気か?!」
「…んーと…。とりあえず今日はそのつもりだけど、どうしようかな…」
 考え込んでいる様子のブルーに、ハーレイは辛うじて心の平静を取り戻してから。
「今日は、ってことは未定なんだな? 明日になったら気が変わるかも、と」
「明日はどうだか分からないけど、他にやりたいことが出来たら」
「そうか、それなら今、約束をしなくてもな?」
 別にいいだろ、と返したハーレイの右手の小指にブルーの右手の小指がグイと絡んだ。
「ダメーッ! 結婚だけは絶対、約束!」
「お、おい、ブルー! 俺の都合も考えろ、ブルー!」
 強引に絡められた指ごと一方的に押し付けられてしまったブルーと結婚する約束。
 それはブルーの小さな姿と愛らしい声とを伴い、暫くの間、毎夜ハーレイを苛んだけれど。そういう約束を交わしたことすら忘れているのが十四歳の小さなブルー。
 ブルーにとってはハーレイと共に歩む未来は約束せずとも、あって当然。
 ゆえにブルーは今日も夢見る。早くハーレイと結婚したいと……。




          前と違う声・了


 ←ハレブル別館へのお帰りは、こちらv




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 今日はハーレイが来てくれる日。
 朝食を終えたブルーはいつものように部屋を掃除してテーブルを拭いて、椅子もきちんと向かい合わせになるように据えて。抜かりはないかとグルッと見回し、勉強用の机の上を視線でチェックしていて「あっ…!」と小さく声を上げた。
 どうして今日まで全く気付かなかったのだろう。自分の机には無くて当然のものだから?
(でも……)
 あんなに何度も目にしていたのに、と自分の記憶力に少し自信が無くなる。とはいえ、せっかく思い出したからには今度は覚えておかなければ。ハーレイが来たら訊いてみようと思うけれども、会った途端に忘れる方には自信があった。
(ハーレイの顔を見ていられるだけで幸せだものね)
 そのハーレイが部屋を訪ねて来てくれる。テーブルを挟んで向かい合って座って、母が用意してくれるお茶とお菓子が揃ったらお喋りをして。食べる暇も無くハーレイの膝に座って甘えてしまう日もあれば、向かい合わせのままの日もあって…。
(いけない、もう違うことを考えちゃってる!)
 これでは絶対に忘れてしまう。二人きりの時に尋ねたいから、父や母も交えての夕食の席で思い出しても、もう遅い。
(…んーと……)
 忘れないようにするためには…、と考え込んだ末に、ブルーは机の上にペンをコロンと転がしておくことにした。いつもならペンも鉛筆もペン立てにきちんと立ててある。それを片付けずに放置してあれば、いくら自分がウッカリ者でも見た時に思い出すだろう。
 何のためにペンを放ってあるのか、ハーレイに何を訊きたいのかを。



 案の定、ブルーはハーレイの顔を見るなり質問をすっかり忘れてしまった。大好きな声を聞いて膝の上で甘えて、ようやっと自分の椅子に戻った所で勉強机が目に入って。
「あっ、いけない!」
 忘れてた、と叫んだブルーをハーレイが「どうした?」と鳶色の瞳で見詰める。
「お母さんならまだ来ないだろう。それとも、お前がお茶のおかわりを淹れに行くのか?」
 母の来訪を減らしたいブルーは自分でお茶を取りに行こうと考えるのだが、これまた毎回忘れてしまう。だからこそのハーレイの発言であって、それもいいなと思ったものの。
「んーと…。そうじゃなくって…」
 紅茶のポットはまだ温かいし、取り替えに行くには些か早い。何事かと母が訝りそうだ。それに自分が忘れ去っていたのはまるで別のことで、思い出させるための仕掛けは一度きりしか効果無しかもしれないのだし…。
(…忘れちゃったら大変だものね)
 お茶の取り替えなら、この先もチャンスは何度でもある。今日でなくてもかまわない。今は質問を優先しよう、とブルーは向かい側に座るハーレイに赤い瞳を向けた。
「…お茶とは全然関係なくって、訊きたいことがあったんだけど…」
「俺にか? それを訊き忘れたら一大事なのか?」
 怪訝そうなハーレイに「…そうでもないけど…」と曖昧に返し、立ち上がって机の上に転がったペンをペン立てに戻す。それから椅子に座り直して、やおら質問を口にした。
「ねえ、ハーレイ。…今も羽根ペン、使ってる?」
「羽根ペン?」
 ハーレイの目が丸くなった。それは前世のハーレイが愛用していた白い鳥の羽根で出来たペン。あの時代ですらレトロなペンで、ハーレイの他には誰も使っていなかった。もちろんブルーも例外ではなく、ハーレイの部屋でしか羽根ペンを見た覚えは無い。
 羽根ペン自体は人類側から失敬した物資に混じっていたもので、ドカンと一箱はあったと思う。ハーレイ以外に使う者が無いから、とても全部を使い切れはしないと皆で笑い合ったものだ。あのペンたちもシャングリラと一緒に時の彼方に消えたのだろう。
 ハーレイが好きだったレトロな羽根ペン。一度だけ遊びに出掛けたハーレイの家の書斎でそれを目にしたかどうか、覚えが無かった。だからこそ訊いてみたのだけれど。
「使ってるわけがないだろう。持ってもいないな」
 ハーレイの答えは当然と言えば当然すぎるものだった。今のハーレイは柔道と水泳が好きな古典の教師で、キャプテンだったハーレイではない。あの頃よりも更にレトロなアイテムになった羽根ペンなんかを持っている筈もないではないか…。



 やっぱり前世と今の生は違う。
 ブルーが十四歳の子供になってしまっているのと同じで、ハーレイにはハーレイの人生がある。羽根ペンを愛用していた頃のハーレイと今のハーレイとは違うのだ、と悲しい気持ちになるよりも先に。
「使ったことなんか無かったんだがな」
 ハーレイが指先でテーブルをトン、トン、と軽く叩いて言った。
「…最近、欲しいような気もしてきたんだ。おかしなもんだな、俺の趣味ではない筈なんだが」
 その言葉に胸が暖かくなる。ハーレイの中にはやっぱり前世のハーレイがちゃんと居るんだ、と嬉しさと喜びとがこみ上げて来る。ブルーはクスッと笑って答えた。
「おかしくなんかないよ、ハーレイ。…だって、ハーレイの大好きなペンだったもの」
「それはそうだが…。買っちまったとしても使いこなせる自信は無いな」
「平気だってば、すぐ思い出すよ。何回か書けば」
「…そうだといいがな」
 羽根ペンにも申し訳ないし、と指をペンを持つ形にして動かすハーレイを眺めていたら、またも疑問が浮かんで来た。それをそのままぶつけてみる。
「じゃあ、日記は?」
「……日記?」
「ハーレイ、いつも航宙日誌をつけてたよ。今は日記はつけていないの?」
「…ああ、あれな…。確かにあったな、そういうヤツも」
 日記については触れないハーレイに、ブルーは更に言い募った。
「航宙日誌じゃなくって日記だってば! 羽根ペンと同じで日記も無し?」
「……いや、今も書いてはいるんだが…」
 どうにもハーレイは歯切れが悪い。これは絶対に秘密の日記に違いない、という確信がブルーの中に生まれてくる。大きな声では言えない日記。前の生での航宙日誌も「俺の日記だ」と読ませてくれずに隠していたけれど、あれは一応、日誌ではあった。
 日誌はシャングリラの日々の出来事を記すものだし、如何に閲覧不可といえどもハーレイ個人の日記ではない。だが、今のハーレイはキャプテンという公人ではなく、普通の教師。日記に色々なことを綴って仕舞いこんでいるかもしれないわけで…。
(ふふっ)
 訊いてみちゃおう! と、ブルーは赤い瞳を煌めかせた。



「ねえ、ハーレイ。その日記って、ぼくと会った日のことも書いてある?」
 学校じゃなくてぼくの家で、と身を乗り出す。学校で会うのは当たり前だけれど、ブルーの家で会う日は特別。キスさえ許して貰えなくても恋人同士で過ごす時間だ。ハーレイは何処まで書いているのだろう? まさか話の中身まで?
 嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ちで待っていたのに答えはいとも素っ気なかった。
「なんで一々、日記に書くんだ。休日は大抵、会ってるだろう」
「えーっ!?」
 ガッカリしたものの、思い直して尋ねてみた。
「それじゃ、初めて会った日のことは?」
「生徒の付き添いで病院に行った、とは書いておいたが」
「…たったそれだけ?」
 あんまりだ、とブルーは唇を尖らせたのだが、ハーレイは涼しい顔で続ける。
「生憎と、俺の日記は覚え書きでな。毎日の出来事とその日の天気くらいで充分だ」
「ひどい!」
 劇的な再会を遂げた日ですら、日々の出来事と同じ扱い。生徒の付き添いで病院に行った事実に違いはなくても、其処は「前世で恋人だった生徒」と何文字か足して欲しかった。実はそう書いてあったのかも、と確かめてみたら「いや」と一言で片付けられて。
「ホントのホントに何にも無し? ぼくは血だらけだったのに!」
「大怪我だったらそのように書くが、異常なしじゃな」
 どうやらハーレイは本当に何も書かなかったらしい。ブルーの心が不平不満で一杯になる。
「少しくらい書いておいてくれたって…。もしかして、航宙日誌にも何も書かなかったわけ?」
「何って、何をだ?」
「ぼくのこと! ソルジャー・ブルーのことじゃなくって、ぼくのことだよ」
 流石にそれは書いていた筈、とブルーは思った。そうでなければ閲覧不可とは言わないだろう。なんと言ってもブルーはキャプテンよりも上のソルジャーで長だったのだから。しかし…。
「書かなかったな、ソルジャーではないプライベートなお前については」
「あれにも書いていなかったわけ!?」
 今度こそブルーは泣きそうになった。今はともかく、前世での自分はハーレイと身体も心も固く結ばれた恋人同士。それなのに何ひとつ日記に記されていなかったなんて、悲しいどころか虚しい気分になってくる。いったい自分はハーレイにとって何だったのか。
 前の生ですらその扱いなら、キスさえ出来ない今の生では本当に毎日の天気並みだとか…。



 あまりのことに瞳から涙がポロリと零れそうになり、慌てて拳でグイと拭った。そのまま俯いてテーブルをぼうっと眺めていたら、大きな手が頭をクシャリと撫でて穏やかな声が降って来る。
「お前な…。そういうのを書いておいた場合に、後で困るとは思わないのか?」
 好きでたまらないハーレイの声。悔しいけれども心がふわりとほぐれてしまう。でも…。
「なんで?」
 どうして困るの、と顔を上げたブルーの瞳に苦笑しているハーレイが映った。
「いいか、よくよく考えてみろよ? 俺の日誌は超一級の歴史資料で、そっくりそのまま出版されちまっているんだが?」
「あっ…!」
 言われてみればその通りだった。手軽に読める文庫本サイズから原寸大まで。歴史書コーナーの定番品で、図書館はもちろん、大きな書店なら揃えているのが当たり前。紙の本からデータベースと至れり尽くせり、いろんな言語でズラリ出揃い、それこそ宇宙の至る所に…。
 ブルーはたったの十四歳の子供だったから、航宙日誌に用は無かった。手に取ったことすら一度も無いが、もしもあの中に自分とハーレイとのプライベートな出来事が書かれていたのなら…。
(ど、どうしよう…。ハーレイは書いていないって言っているけど、もしかしたら…!)
 ハーレイだって人間なのだし、万が一ということもある。
(…ぼ、ぼ、ぼくとキスをしたとか、ぼくの部屋に泊まっていったとか…!)
 恥ずかしすぎる、と真っ赤になったブルーの頭をハーレイがポンポンと優しく叩いた。
「安心しろ。お前とのことは本当に何も書いてはいない。現に誰も気付いていないだろうが」
「…えっ?」
「ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが本当は恋人同士だったってことさ」
 誰も知らん、とハーレイが微笑む。
「どんなに細かく読み込んだって、何処にも書いてはいないんだからな」
「…そっか…」
 前の生での自分とハーレイの仲は誰も知らない。だから今の両親も当然、知らない。ハーレイと一緒に過ごすためには有難い事実だったけれども、ちょっと寂しい気持ちもした。
 シャングリラの中だけが世界の全てだった遙かな昔。其処でハーレイと育んだ恋はブルーの殆ど唯一と呼べる幸せな記憶で、どんなに未来が見えない時でもハーレイが居たから生きていられた。
 もしもハーレイが居なかったならば、ソルジャーとして毅然と立っていられたかどうか。脆くも心を病んでしまって、道半ばにして倒れ、朽ち果てていたかもしれない。
 その日々が何処にも記されないまま、シャングリラと共に消えてしまっただなんて…。



 残っていないことに安堵する半面、悲しくも思う遠い日々のこと。
 白いシャングリラをブルーが守って、ハーレイが舵を握っていた日々。他の誰にも悟られぬよう隠し通した仲だったけれど、二人抱き合ってキスを交わして、それから、それから…。
 しょんぼりとするブルーの肩にハーレイがそっと手を置いた。
「…どうした。残っていたら困りはするが、無いのも寂しい。…そんな所か?」
「……うん……」
 言い当てられて、ブルーは頷く。その瞳に宿る悲しそうな光にハーレイが「そうか」と柔らかな視線を返して、その目をすうっと細めて言った。
「確かに何も残ってはいない。…しかしな、ブルー。俺にだけはちゃんと分かるんだ」
「……何が?」
 不思議そうな表情を浮かべたブルーに、ハーレイはパチンと片目を瞑った。
「俺の日誌に書いてあることさ。どの日に何があったのか、とかな」



 ハーレイがそれに気が付いたのは、小さなブルーと再会してから間もない頃。
 転任教師としての多忙な日々が一段落して、休日はブルーの家を訪ねて束の間の逢瀬。前の生の記憶を取り戻すまでは思いもよらなかった幸せな日々だが、平日の自分はあくまで教師。ブルーと恋を語れはしないし、頻繁に訪ねるわけにもゆかず…。
 そんな平日のとある夜のこと、ふと思い付いてデータベースにアクセスしてみた。前世の自分が毎日欠かさず記録していた航宙日誌。それを見ればきっとブルーのことも、と考えたのに…。
(…おいおいおい…)
 なんてつまらない日誌なのだ、と我がことながら愕然とした。淡々と日々の出来事を綴った遊び心すらも無い文章。心から愛したブルーのことさえ『ソルジャー』と尊称で記してあるだけ。
(……いくら航宙日誌でもなあ……)
 後々、次の世代の標になれば、と思って綴ったものではあったが、それが彼らの目に触れる時は自分は鬼籍に入っている。恥など関係ない身なのだし、戯れに書いた悪戯書きの一つや二つくらいあっても良かった。ブルーとのことも深い友情と受け止めて貰えそうな範囲で記しておけば…。
(…まったく色気のない日誌だな…)
 スクロールする内に指が滑って、原文をそのまま記録してあるデータベースに入り込んだ。前の生での自分が綴った文字をそっくり写し取ったもの。それを見た瞬間、思わず息を飲んでいた。
 羽根ペンで書かれた文字の微かな滲みに、ペンの運びに、鮮やかに蘇ってくるそれを記していた時の記憶。その時の自分の息遣いまでが聞こえてきそうな、その確かさ。
 夢中になって時の記録を遡った。
 今やソルジャーとなったブルーに募る想いを打ち明けようか、どうしようかと迷っていた頃。
 迷っているのが自分一人ではなかったことに気付いて、秘かに心躍った日のこと。
 そして…。
 初めてのキスも、初めてベッドを共にした時のことも、何もかもが其処に残っていた。
(……ブルー……)
 彼を喪った日に深い悲しみの中で記した日誌を読んでから、ハーレイはデータベースを閉じた。
 何もかもが色を失くしたあの日。自分の生すら呪わしく思い、生きる意味すら失ったあの日。
 逝ってしまったブルーの許へと旅立つ日だけを、それからの自分は待ち続けていた。そうやって前の生は終わって、気付けば自分は地球の上に居て。そしてブルーも、また地球に居た。
 今度の生では、いつが始まりになるのだろう。
 ブルーとの日々はとうに始まっているが、まだ十四歳にしかならないブルーはハーレイの想いを全て受け止めるには幼くて無垢で、小さくて。
 そう、今、目の前で聞き入っている小さなブルーがあの頃のように大きくなったなら……。



 ハーレイの航宙日誌に纏わる話を目を輝かせて聞いたブルーは、もう嬉しくてたまらなかった。他の人間の目には歴史資料としか思えないそれに、前の生での自分とハーレイとの懐かしい日々が全て記してあるという。
「ねえ、ハーレイ。ぼくもハーレイの日誌、読んでみたいな」
「何も書いてないぞ、つまらんことしか」
 強請ってみたら、ハーレイの返事は予想通りで。ブルーはもっと我儘を言ってみたくなる。
「だから、ハーレイの解説付きで! データベースなら、ぼくの端末でも読めるから!」
「…………」
 ハーレイの眉間にグッと皺が寄り、それは珍しい仏頂面。ブルーはいそいそと勉強机に置かれた端末を起動し、「ほら」とハーレイに画面を示した。
「えーっと…。初めてキスをしたのって、この頃かな? そして初めてベッドに誘われた日は…」
「そういう話をするんじゃないっ! お前、幾つだ!」
「十四歳だよ。だけど年齢制限は無いよ、航宙日誌」
「揚げ足を取るな!」
 この馬鹿者、と褐色の手が横から伸びて端末を操作し、消してしまった。素知らぬ顔でテーブルに戻ったハーレイと再び向かい合って座り、ブルーは「うーん…」と小首を傾げる。
「データベースがダメなんだったら、パパに頼んで買って貰おうかな? 本になったヤツを」
「こら! 超一級の歴史資料をオモチャにするな!」
 高いんだぞ、と頭をコツンと小突かれた。
「俺の文字をそのまま写したヤツはな、研究者向けの専門書だから普通の本とは違うんだ。買って貰うなら文庫版の航宙日誌にしておけ、全部揃えても専門書よりはうんと安いぞ」
 研究者向けの航宙日誌は一巻だけでもブルーが普段に読んでいる本の何十倍もするらしい。遠い昔にそれを綴ったハーレイ自身ですら、購入を躊躇するような高価な本で。
(でも、欲しいなあ…)
 読んでみたいな、とブルーは思う。
 父とそう変わらない年のハーレイにだって、そう簡単には買えない値段の航宙日誌。全部の巻を買うとなったら大散財だ、とハーレイは言っているけれど…。



(でもいつか、買って読ませてほしいな)
 大好きな声の解説つきで、ハーレイの褐色の指でページをなぞって。
 そう、ぼくたちが一緒に暮らせるようになったら、あの頃と今とを重ねてみたい。
 ハーレイのことを好きになった頃も、キスをした日も、其処には全部あるというから。
(そんな宝物を一人占めするなんてずるいよ、ハーレイ)
 きっとブルーには内緒なだけで、ハーレイは今も度々データベースにアクセスしては、遠く昔に過ぎ去った日々の思い出を読んでいるのだろう。自分だけが持っている秘密の鍵を使って、誰にも読めない懐かしく暖かい日々の記録を宝箱からそっと取り出して。
(…ぼくだって読んでみたいよ、ハーレイ。君の声でちゃんと聞かせて欲しいよ、君の記憶を)
 シャングリラに居た頃は「俺の日記だ」と読ませて貰えなかった航宙日誌。
 こっそり読もうとは思わなかったし、それは失礼だと思っていた。
 でも今は違う。航宙日誌は超一級の歴史資料で、図書館にもデータベースにも在って…。
(誰だって自由に読んでいいんだし、読めるんだしね)
 いつか絶対、ハーレイが羽根ペンで書いていた文字をそのまま写した航宙日誌を読んでみたい。自分で読んでも日々の出来事しか読み取れないから、もちろんハーレイの解説つきで。
 ソルジャー・ブルーが生きていた頃の日誌はもちろん全部欲しいし、いなくなった後に書かれた日誌も。…其処に自分は居ないけれども、ハーレイの想いはきっと残っている筈だから。
(…うん、やっぱり全巻揃えたいよね、キャプテン・ハーレイの航宙日誌!)
 いつかハーレイと結婚する時には家に揃えておきたいな、とブルーは大きく夢を膨らませた。
 今の生と前の生とを重ねて、比べ合わせて過ごせば幸せはきっと何倍にもなるに違いない。
 欲しくてたまらなくなった航宙日誌は、ハーレイに揃えて欲しいのだけれど。
(…ハーレイが嫌がって買わなかったら、パパとママにお願いすればいいよね)
 結婚のお祝いに欲しいと頼めば、高価な本でも喜んで買ってくれるだろう。そうしよう、と思うブルーは全く気付いていなかった。
 航宙日誌を結婚祝いに買って貰うのなら、ハーレイとの結婚が大前提。
 まずはハーレイと結婚したい、と告げる所から始めなくてはいけない現実に気付かないのが子供たる所以。そんなブルーとハーレイの新居が何処になるのか、其処にキャプテン・ハーレイの手になる超一級の歴史資料な航宙日誌がズラリと全巻並ぶのか否か、それはまだ誰も知らない未来…。




       遠い愛の記録・了

※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
 こちらは只今、第1&第3月曜更新となっておりますが…。
 第5月曜のある月は第5月曜にも更新して月3にしようかな、と考え中です。
 しかし本来、ハレブルは 「別館」 、メインは 「シャングリラ学園番外編」。
 更新回数は増やさない方がいいのだろうか、とアンケートを実施しております。
 拍手部屋にて9月21日までです、ご協力よろしくお願いします。

 第5月曜の更新希望が多かった時は、9月29日から第5月曜更新が始まります。
 9月29日に更新する場合は、予告を出します。
 更新の有無は毎日更新の 『シャングリラ学園生徒会室』 にて御確認下さいv
 ←ハレブル別館へのお帰りは、こちらv

 アンケート会場へは、こちらからv
御礼ショートショートの下に、アンケートフォームを設置してます。




※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv





夏、真っ盛り。恒例の柔道部の合宿とジョミー君とサム君の璃慕恩院修行体験ツアーも済んで、ホッと一息のお疲れ休みといった所です。会長さんのマンションに集まり、マツカ君の山の別荘行きをいつにしようか相談中で。
「卒塔婆書きの方は順調だからな、俺はいつでもかまわないぞ」
いざとなったら今年は親父に押し付ける、とキース君は今回、なんだか強気。アドス和尚に押し付けるなんて、そんな裏技が可能でしょうか? サム君もそう思ったらしく。
「お前の親父さん、怖いじゃねえかよ。押し付けたりしたら後が大変だぜ?」
「親父には貸しがあるからな。月参りのピンチヒッターで」
「「「ピンチヒッター?」」」
なんですか、それは? 月参りと言えばお葬式と違って日時が決まっている筈ですが…?
「だからこそのピンチヒッターだ。親父のヤツ、仲間とゴルフコンペに行ったのはいいが、日程を勘違いしていやがってな。当日の朝に気が付いたんだ。その日は月参りがフルに入っていたことに」
「「「………」」」
あちゃー…。やっちゃいましたか、ダブルブッキング。以前のアドス和尚だったらゴルフコンペをドタキャンですけど、今はキース君が副住職です。代理で月参りに行って貰えば問題ないというわけで。
「よろしく頼む、と言って来たから「高くつくぜ」と返しておいた。卒塔婆の五十本や百本くらいは丸投げしたって許される」
あっちはゴルフに行ったんだしな、と鼻で笑っているキース君。お坊さん同士のゴルフコンペって全く想像つきませんけど、ゴルフばかりか野球チームもあるそうです。キース君にも入らないかと声が掛かるのを断り続けているらしく。
「…野球自体は面白そうだが、年に何度か試合があるんだ。その打ち上げがパルテノンの高級料亭らしい。舞妓さんを呼んで派手にやるから、と言われても俺にはそういう趣味が…」
「ついていけない世界なわけだね、万年十八歳未満お断りじゃねえ…」
お気の毒さま、と会長さんがクスクスと。
「君はそういう世界よりかは柔道部の合宿で騒いでる方が好きだろう? 今年は鼠花火だったんだって?」
「「「鼠花火?」」」
何故に柔道部で鼠花火が出てくるのでしょう。花火で遊んでいたのかな?
「…ああ、まあ…。俺はやめとけと言ったんだがな…」
「かなり酷い目に遭ったようだねえ、ハーレイにバレてボコボコではねえ…」
度胸試しもほどほどに、と会長さんは楽しげですけど、柔道部の合宿で何をやったの?



鼠花火で度胸試しをやらかしたという柔道部。教頭先生が顧問で指導係なだけに、ボコボコってことは叱られたに違いありません。シロエ君とマツカ君もバツが悪そうで。
「ぼくもやめるように言ったんですけど…」
「合宿の打ち上げでしたから…」
ハイになった後輩たちには無駄でした、とマツカ君たち。打ち上げってことは最終日?
「正確には最終日前夜というヤツだ。最終日は朝稽古をして帰るだけだし、ハードな練習は前の日で終わりになるからな…。夜の食事もちょっと豪華に、食後の遊びもOKで」
他の日は夕食が終わったらミーティングなどで、自由時間は無いらしいです。終了前夜は翌朝の練習に響かない程度に打ち上げをやるのが毎年恒例。今年もみんなで花火をやろうと買い込んであって、ワクワクの花火大会を。
「最初の間は良かったんだ。花火を持って振り回すくらいは普通だし…。そこへ鼠花火を握るヤツが出て来て、いつまで持っていられるかと度胸試しを」
「危ないじゃないの!」
スウェナちゃんが叫びましたが、キース君は。
「危ないと言えば危ない遊びだが、反射神経の問題だしな。ほどほどにしろよ、と注意しておいた。そしたら更にエスカレートして、鼠花火をよける方向で」
「「「よける?」」」
「そのまんまだ。点火した鼠花火は何処に走るか分からない。その上をだな、飛び込み前転とかバク転で飛んで逃げようという遊びになってしまったんだ。これぞ究極の度胸試し、と」
「「「………」」」
流石は男の世界な柔道部。ウッカリ鼠花火に突っ込んでしまったらどうするのだ、と驚いていれば、シロエ君が。
「現に突っ込んじゃってましたよ、何人か…。でもですね、全体重でブチ当たるだけに花火の方が負けるんです。蝋燭の火を指で摘んでバチッと消すのがあるでしょう? あれと同じで当たった途端に消えちゃうんですよ、鼠花火は」
「へえ…。だったら別に危なくないんだ?」
ジョミー君は好奇心を刺激されたみたいです。
「なんだか面白そうだよね、それ。ちょっとチャレンジしてみたいな」
「…叱られるぞ?」
お前もボコボコにされたいのか、とキース君は怖い顔。
「確かに花火に当たると消えるんだがな、どういうはずみで事故が起こるか分からない。柔道部のヤツらもヒートアップしてきた所へ教頭先生が様子を見に来て、凄い剣幕で怒鳴られて…」
道場で正座一時間の上、翌朝の練習メニューが三倍に増やされて誰もがヘトヘトな結末だった、という話。練習の中身が三倍になっても適宜な休憩などを挟んでいるため、体罰とは無縁。誰も文句を言えないままに稽古三昧でボコボコに…。



教頭先生がブチ切れてしまった鼠花火の度胸試しは非常にインパクト大でした。イレギュラーな動きが売りの鼠花火を飛び越えるだけでも難しそうなのに、飛び込み前転にバク転だなんて…。そんな遊びをやらかしていれば、キース君だって舞妓さんと遊ぶより楽しいでしょう。
「まあな…。俺も一度は飛んだわけだし」
「え、まさかキースもやったわけ?」
止めてたんじゃあ、とジョミー君が驚くと、キース君ばかりかシロエ君たちまでが。
「合宿は集団生活ですしね、やっぱりノリが大切ですよ」
「皆さんが楽しくやっている以上、先輩のぼくたちが注意するだけでは悪いです」
「…そういうことだ。そしてガッツリ叱られた」
思い切り連帯責任なのだ、と顔を顰めつつもキース君たちは満足そう。合宿を満喫してきたという達成感が顔に出ています。ちなみに三人とも、鼠花火に突っ込むことなく見事にかわしたそうでして…。
「…俺はバク転で行ったんだがな、運が良かったという所か」
「キース先輩、クソ度胸ですよ。ぼくも負けてはいられませんからやりましたけど…」
「ぼくはバク転は無理でした。普通に飛び込み前転です」
「それだって充分すげえじゃねえかよ!」
俺だと頭から突っ込むかも、とサム君が褒めちぎり、ジョミー君は。
「バク転に前転で鼠花火かぁ…。マツカの別荘でやってみたくない? 山の方なら教頭先生は来ないんだしさ」
「おい、お前な…。突っ込んだら笑い物確定だぞ?」
そしてお前は突っ込みそうだ、とキース君。
「日頃から要領が悪すぎる。何かと言ったらブルーに坊主、坊主と言われまくりだ」
「…そりゃそうだけど…。でも、逃げ足の方にも自信はあるよ?」
未だに坊主にされていないし、とジョミー君は親指を立てましたが。
「甘いね、君はとっくに僧籍だろう?」
僧籍となれば立派な坊主、と割り込んできた会長さん。
「徐未って法名も持ってるわけだし、坊主じゃないとは言わせない。逃げ足の速さは認めてあげてもいいけどね。…で、鼠花火を飛び越えたいわけ?」
「だって面白そうじゃない!」
「同じ花火ならもっとスリリングで、度胸試しも鼠花火の比じゃないヤツがあるけれど?」
それはもう半端ないヤツが、と会長さんはニコニコと。…もしかして今年の山の別荘、度胸試しで決定ですか? それも花火で?



鼠花火を飛び越えるよりもスリリングな度胸試しの花火。会長さんは何を知っているというのでしょう? 私たちは顔を見合わせましたが、てんで見当が付きません。
「知らないかなぁ、手筒花火」
「「「…てづつ?」」」
聞いたこともない花火です。手筒と言うからには打ち上げ式ではなさそうですけど…。
「昔はマイナーだったけどねえ、ホントに地域限定で…。それが今では出張サービスをする会社もある。花火大会に花を添えるってことで」
こんな感じで…、と会長さんが検索してくれた花火会社のホームページ。『手筒花火』の文字があります。それをクリックして動画をクリック。画面に出現したものは…。
「な、何、これ……」
「火を噴いてますよ!」
ジョミー君とシロエ君が同時に声を上げ、画面の中では法被姿のおじさん達が直径二十センチくらいの大きな筒を抱えています。筒の上からオレンジ色の火柱が勢い良く噴き上げ、高さはそれこそメートル単位。火の粉が降り注ぎ、文字通り炎の噴水の下でおじさん達は仁王立ち。
「凄いだろ? これだけでも充分に度胸試しと言えるんだけどね、最後が凄くて」
「「「最後?」」」
何が起こるというのだろう、と見詰めているとバァンッ! と大きな爆発音が。会長さん曰く、手筒花火のフィナーレはコレ。筒の底から景気良く火薬が炸裂するそうで、根性無しだとこの瞬間に筒を手放してしまうとか。
「ここまでやり遂げてなんぼなんだよ、手筒花火は。…ね、ぶるぅ?」
「かみお~ん♪ 見てるだけでもビックリだよね!」
目の前で見ると凄いんだから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんと一緒に何度か見ていて、子供でも出来る缶ジュースサイズのヨーカン手筒とかいう手筒花火を上げに行ったこともあるのだとか。
「…ぶるぅもやったの? 小型のヤツを?」
ジョミー君の問いに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は元気良く。
「うん! おっきいヤツはね、ぼくだと小さすぎて持てないし…。だけど一回やってみたくて、ブルーに頼んで連れてって貰って」
「じゃ、じゃあ、ブルーは……本物のアレを……」
凄すぎる、と腰が引けているジョミー君ですが、会長さんはアッサリと。
「やるわけないだろ、ぼくは儚げな美形が売りなんだ。ああいうヤツには向かないよ。…やってやれないことはないけど、絶対やらない」
ヨーカン手筒もやっていない、とキッパリ告げる会長さん。確かにイメージに合ってませんけど、そういう理由で大却下ですか、そうですか…。



会長さん曰く、手筒花火は柔道部なんかを遙かに超えた男の世界。花火からして自分で手作り、ハンドメイドのマイ手筒。
「花火で度胸試しをするなら手筒くらいはやらないと…。鼠花火を飛び越えるよりも男が上がるのは間違いないね。ただし、思いっ切り違法だけどさ」
「「「は?」」」
「手筒花火を自作するのも、上げるのも、免許とか許可が要るんだよ。そのための講座も存在するけど、そこまでやってちゃ面白くない。やるなら無許可で無免許だね。シャングリラ号だって違法なんだし」
届け出もしていなければ何処にも税金を払っていない、と言われてみればその通り。専用空港は正規の空港らしいのですけど、其処を発着するシャトルなんかは無届けで飛んでいるわけで。
「あれに比べれば手筒花火の無届けくらいは可愛いものだよ。夏休みの記念にやりたかったら技術をサイオンで盗んでくるけど?」
どうするんだい、と訊かれた男の子たちは。
「…面白そうな花火ではある。やってみるかな」
「キース先輩がやるんだったら、ぼくもやります!」
「俺だって! 俺もキースには負けないぜ」
「ぼくもやる! 一人だけ負けてられないし!」
怒涛の勢いで決意表明の四人に続いて、マツカ君がおずおずと。
「…ぼ、ぼくはヨーカン手筒でいいです、あんなのはちょっと無理そうです…」
「なに言ってんだよ、やりゃ出来るって! なあ、キース?」
サム君がマツカ君の背中をバンバンと叩き、キース君が。
「無理強いするのは良くないが…。挑戦するのも心身の鍛練になると思うぞ、どうしても無理だと思った時には勇気ある撤退というヤツだ」
手筒花火は無駄になるが、という言葉を聞いた会長さんの赤い瞳がキラリ。
「もったいないねえ、その手筒…。それ、ハーレイに上げさせようか?」
「「「えっ?」」」
「そうだ、どうせならハーレイも一蓮托生! 手筒花火の会の顧問になって貰ってハーレイの分も作らせるんだよ。ヘタレのベクトルが違うかもだから、見事に実演するかもね」
それが最高、と会長さんがブチ上げ、その場で電話。教頭先生、違法行為をやるというので暫く渋っておられましたが…。
「ふふ、男を上げるチャンスだと言ったら食い付いたし! 後は場所だね、花火作りと上げる場所とをどうするか…。マツカ、使える場所はあるかい?」
「なんとか出来ると思います。帰ったら父と相談して…」
最適な場所を見つけ出しますよ、とマツカ君が答えた時です。
「いいねえ、男が上がるんだって?」
ぼくも混ぜてよ、と優雅に翻る紫のマント。えっと、ソルジャー、まさか手筒花火を上げるんですか? 会長さんは自分のキャラじゃないとか言ってましたが、ソルジャーだったらお似合いかも…?



スタスタと部屋を横切ったソルジャーは空いていたソファにストンと腰掛け、アイスティーとケーキを注文。運ばれてきたライチのムースケーキにソルジャーは御機嫌でフォークを入れながら。
「あっちから覗き見してたんだけどさ、手筒花火って凄い発想だよね。火の粉をかぶって花火を上げて、最後の最後にドカンだろ? まさに究極の度胸試し! 男の中の男ってね」
「だからって君がやらなくても…!」
ぼくと同じ顔でやらないでくれ、と会長さんが泣きを入れると。
「ぼくがやるとは言ってないけど?」
「…じゃあ、誰が?」
「こっちのハーレイがやると聞いたら直接対決させなくちゃ! ぼくのハーレイはヘタレていないし、絶対、勝つに決まってるんだよ」
男同士のタイマン勝負、とソルジャーはニヤリ。妙な所で闘争心を燃やしているようです。
「だけどハーレイは忙しい身で…。ほら、海の別荘行きがあるだろう? あれに備えて根回し中でさ、花火を作りに来る暇が無い。ぼくが代理で作っていいなら参加させたいと思うんだけど」
「…君が代理で花火作りねえ……」
「ダメなのかい? だったらハーレイのスケジュールを組み直して…」
「要するに、やらせないという選択肢は無いわけだね?」
畳みかける会長さんに、ソルジャーは「うん」と頷くと。
「こっちのハーレイが男を上げるチャンスだというのに、ぼくのハーレイが現状維持ではつまらない。一緒に男を上げてこそだよ、ぼくのパートナーなんだから!」
ヘタレに負けるなんて有り得ない、と自信満々で言い放つソルジャー。何が何でもキャプテンの株を上げたいらしく、キャプテンの都合にはお構いなしで。
「スケジュールの調整が必要だとしてもね、ハーレイは頑張ると思うんだ。ぼくのためなら徹夜の二晩や三晩…。ぼくが頼めば明け方近くまで付き合ってくれる日もあることだしさ」
「「「???」」」
「あ、分からなかった? 徹夜に近い勢いでヤリまくるよりかは、普通に徹夜が楽だと思うよ。そしてヤリまくった次の日も疲れた様子は見せずにいられるのがハーレイで…」
本当に最近ヘタレなくなった、とソルジャーの話が更にアヤシイ方向へ行こうとするのを会長さんがピシャリと止めて。
「その先、禁止! 代理の花火作りは認めるからさ、余計な話はお断り!」
「これからがいい所なのに…。昨夜も二人で」
「退場!!!」
花火作りをやりたかったら大人しくしろ、と会長さんは柳眉を吊り上げています。手筒花火の会の顧問は教頭先生、おまけにソルジャーとキャプテンつき。山の別荘へ出掛ける計画、今年はオジャンになりそうですねえ…。



マツカ君の山の別荘へ行く予定だった夏休み前半。キース君には卒塔婆書きという仕事が山積みのお盆を控えた暑い盛りは、手筒花火なる熱いアイテムに費やされることに決定しました。顧問に迎えられた教頭先生の引率で、初日はマツカ君のお父さんが所有する竹藪へ。
「いいか、竹選びが大切らしいぞ。そのぅ…。何だったかな…」
マニュアルが印刷された紙に目を落とす教頭先生の横から、会長さんがチッチッと。
「ダメダメ、ちゃんと頭に入れて来るようにって言っといたのに…。顧問がそれではマズイと思うよ、これは特別にオマケだからね?」
キラリと走る青いサイオン。会長さんがゲットしてきた手筒花火に関するノウハウが伝達されたみたいです。教頭先生はマニュアルをサッと眺めて、竹藪の竹に向き直ると。
「選ぶ竹だが、まず二年物だ。今年生えた竹はこういう青。二年物は少し茶色くなる。この色だな。こういう色で、太さは中に大人の握り拳が入るサイズで…。そして曲がった竹ではダメだ」
真っ直ぐな竹でないと手筒花火が作れないぞ、と選び出された一本の竹。それが理想の竹らしいですが、使える部分は根元から五節分ほどで。
「これ一本で二人分だな。私と、あちらのブルーの分しか作れない。自分の竹は自分で探す!」
「「「はーい!」」」
男の子たちが竹藪に散ってゆき、アレかコレかと品定め。ようやっと全員分を確保出来るまでには長い時間がかかりました。お昼までには帰れるだろうと思っていたのに、切り倒した竹を運搬用のトラックに積んだら昼過ぎです。
「かみお~ん♪ 竹藪に来たんだし、そうめん流し~!」
お昼にはボリューム不足だけどね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が冷たい麺を竹の樋から流してくれて、みんなで昼食。ボリュームが足りない分はドカンと山盛りのちらし寿司が。
「「「いっただっきまーす!!!」」」
「しっかり食っておくんだぞ。午後も作業があるんだからな」
手筒花火への道はまだまだ遠い、と教頭先生。一足お先にトラックで運ばれて行った竹を花火のサイズにカットし、加工しなくちゃいけないそうです。うーん、なかなか大変みたい…。



竹の加工はマツカ君の家の庭でやることになりました。広い芝生にテントが張られて、その下で竹を六十センチほどにカットしてから節抜き作業。
「一番下の節は残しておきなさい。そっちが発射口になる」
「「「え?」」」
竹が丸ごと発射口かと思ってましたが、違うようです。要らない節を抜くのも慎重に。
「うーん、こんな感じでいいのかなぁ?」
「ジョミー、竹は丁寧に扱うようにと言った筈だが?」
下手にぶつけたりしないように、と教頭先生の注意がビシバシ。小さなヒビが入ったりすると点火後に割れる危険があるのだとか。もっとも、そこは違法行為を働こうという会長さん主催の手作り会。サイオンでコーティングという安全確保の裏技アリです。しかし…。
「コーティングは油抜きをしてからなんだよ、まずは油抜き! 頑張るんだね」
今日は暑さが厳しいけどさ、と会長さん。…えーっと、油抜きっていうのは何ですか?
「竹の油と水分を抜いて乾かすわけ。自然乾燥だと間に合わないから、火を使う」
「「「火!?」」」
この暑いのに、と嘆く男の子たちは穴掘りに駆り出され、裏庭の使われていないスペースに大人が一人埋められそうなほどの大きな穴を。その底に一面に炭を並べて点火し、節を抜いた竹を穴の上に並べて干してジュウジュウと…。
「……暑いな……」
「なんか朦朧となってくるよね…」
キース君やジョミー君が汗だくでブツブツこぼせば、教頭先生の厳しい声が。
「今から暑くて手筒をどうする! 本番では火がついた筒を抱えるんだぞ!」
「「「はーい…」」」
でも暑い、と文句たらたらの男の子たちの隣ではソルジャーが涼しい顔をしていました。シールドを張って冷却中に違いありません。スウェナちゃんと私も会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のシールドの中にいるわけですから、高みの見物に限りますよね!



乾かした竹は翌日、中を滑らかにヤスリがけ。それから後は竹の周りに縄をギッチリ巻き付ける作業の開始です。会長さんに見せて貰った動画にあったような太さになるまで幾重にもガッチリ、ギッチリと。驚いたことに縄巻き用の機械なるものが登場で…。
「ふふ、本場のをお借りしてきたよ。使ってない時は無用の長物だしね」
倉庫の奥から無断借用、とウインクしている会長さんが調達した機械のお蔭で作業は劇的にスピードアップ。手作業だったら数日はかかったであろう過程を一日で完了、残るはハイライトの火薬詰めというわけですが。
「いやもう、これをマツカの家の庭でやろうというのが最悪」
火薬詰めの日、会長さんが呟くと、ソルジャーが。
「なんで?」
「火薬だからだよ、人家の近くで扱うモノじゃないんだってば! 手筒花火を作る時もね、これだけは花火工場に行くという決まりになってる。花火工場の敷地を借りて詰めるわけ」
花火工場は人里離れた山奥なんかにあるものだ、と会長さん。万が一、火薬が爆発しても周囲に被害が及ばないよう、そういう立地になっているとか。…ということは、いくら敷地が広いとはいえ、マツカ君の家の庭というのは…。
「そう、違法行為も此処に極まれり…ってね。花火工場よりも安全なんです、と説明しようにもシールドなんかは警察に説明出来ないだろう?」
「「「………」」」
だったら花火工場に行けば、とは誰一人として言えませんでした。内緒で作ろうというのですから当然です。いよいよ違法行為の域に足を踏み入れるのか、と緊張の面持ちでジョミー君たちは縄を巻いた筒を節の方を下に固定して火薬詰め。これにも順番などがあるようで…。
「一番最初は赤土だぞ? 蓋の部分になるからな。火薬は棒でしっかり突き固めるように入れなさい。これだけ入れる度に百回くらいは突かないとダメだ」
「「「ひ、百回…」」」
この暑いのに、とゲンナリしつつも男の子たちは頑張りました。ソルジャーはと言えば、キャプテンの男を上げるためのアイテム作りの大詰めとあって嬉々とした表情でトントントン。隣で作業している教頭先生に負けじと根性で火薬を詰めて、詰めまくって…。
「ハーレイ、こんな感じでいいのかな?」
「そうですね。最後がハネ粉です、爆発用の火薬です。和紙に包んで、こう、真ん中に置いて…。後は新聞紙を詰めて下さい」
なんと、大トリは新聞紙ですか! 固く丸めた新聞紙が幾つもも突っ込まれて火薬詰めは無事に終了。筒の上下を引っくり返して残してあった節の真ん中に穴を開け、点火用の口粉を詰めてから紙で穴を覆って、丸めた新聞紙を置き…。
「この紙を上に被せて蓋をするんです。被せたら紐で強く縛って…。はい、出来上がりですよ」
お疲れ様でした、と教頭先生がソルジャーを労い、男の子たちの手筒花火も完成しました。街のド真ん中で危険な火薬を詰めていたなんて、ちょっと人には言えませんねえ…。



ついに完成した違法アイテム、ハンドメイドの手筒花火。上げるのも違法行為ですから、マツカ君が提供してくれた場所はお父さんが所有している山奥の駐車場でした。観光シーズンしか開かないとあって、花火をやるには最適で。
「湿気も風も無いし、絶好の花火日和だね」
空気も最高、と会長さん。私たちは夕方に会長さんのマンションに集合してから、瞬間移動で駐車場まで。なにしろ危険な手筒花火があるのですから、マイクロバスでの移動はマズイです。腹が減っては戦が出来ぬとばかりにスパイスたっぷりエスニック料理の夕食の方もたっぷり食べて…。
「ブルー、この衣装はどういう趣向なのです?」
キャプテンが自分の衣装を改めて見回し、ソルジャーが。
「手筒花火の制服らしいよ、そういう衣装が正式だそうだ。そうだよね、ブルー?」
「うん。手筒花火は本来、神様に奉納するもので…。お祭りに法被はお約束さ」
みんなそういう格好だろう、と会長さんが示すとおりに男の子たちは全員、法被。この日のためにと会長さんが誂えて来た、襟に『シャングリラ組』の文字が入ったお揃いです。背中には大きく『祭』の一文字。教頭先生も法被姿で、颯爽と前に進み出て。
「ブルー、そろそろ始めるか?」
「そうだね、最初はぶるぅのヨーカン手筒からかな」
「かみお~ん♪ ぼく、いっちば~ん!」
手筒花火作りが羨ましかった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、教頭先生に頼んでヨーカン手筒を作って貰っていたのです。手筒花火を初めて目にするキャプテンのためにも、初心者向けの演技は欠かせませんし…。
「ぶるぅ、点火するぞ?」
「うんっ!」
教頭先生が種火から採った火を入れ、子供法被の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が握った缶ジュースサイズの筒からシューッと噴出するオレンジ色の火花。一メートル以上も噴き上がる火にキャプテンは仰天したようですけど、それは手に持っているからであって。
「あれが手筒花火というものですか…」
「正確にはヨーカン手筒だけどね。お子様向けの小型版かな」
会長さんが解説している間にシューシュー噴いていた花火は終わりました。時間にしてほんの二十秒ほど、大した長さじゃありません。ハネと呼ばれる爆発も無く…。
「今のが小型版ですと、私が上げるというコレはどういうサイズなのです?」
どうも想像がつかないのですが、とキャプテンがソルジャーが作った手筒花火を見下ろし、教頭先生が。
「今から私が始めますので、どうぞご覧になって下さい」
「ああ、二番手でらっしゃいましたか。よろしくお願いいたします」
見学させて頂きます、と深々と頭を下げたキャプテンでしたが…。



「な、なんですか、あれは…!」
とんでもない火が、とキャプテンが叫んだ点火の瞬間。手筒花火は地面に横倒しにして火を入れ、そこから起こしてゆく仕組みです。点火と共に噴き出した炎は数メートルの彼方まで…。
「ああ、あれが手筒花火の目玉らしいけど?」
「…め、目玉……」
どうなるのですか、と慌てるキャプテンの目の前で教頭先生が筒を抱え起こして仁王立ちに。片方の足を後ろへと引いたポーズは最後の爆発で火傷しないためらしいです。火柱は思い切り高く上がって、会長さんが言うには地上から十メートルくらい。
「も、燃えてます、ブルー、燃えていますよ!」
パニック状態のキャプテンの肩をソルジャーがポンと軽く叩いて。
「そりゃあ燃えるさ、火薬が詰まってるんだしね。あの火花だけど、法被が多少焦げる程度で火傷は滅多にしないらしいし! 火薬に混ぜる鉄粉がダマになって落ちたら火傷というから、そこは気を付けて混ぜておいたよ」
心配せずに堂々とやれ、とソルジャーは言ってますけど、キャプテンの顔は真っ青です。
「ま、まさかこういう花火だとは…。か、抱える花火だとは聞きましたが…」
「クライマックスは最後だってさ、なんかドカンと」
「…ドカンと?」
何が起こるのですか、とキャプテンが身体を震わせた途端にバァン! と耳をつんざく爆発音がして手筒の底が吹っ飛びました。花火終了、教頭先生は燃え尽きた筒を抱えて、にこやかに。
「如何でしたか? 次、なさいますか?」
「…い、いえ、私は…!」
もう少し見学させて頂きます、と逃げ腰のキャプテンに代わってキース君が進み出、点火したマイ手筒花火を抱えて不敵な笑み。ジョミー君たちが写真や動画を撮影し始め、キャプテンは後ろでオロオロと。
「…ど、どうなっているのですか、ブルー! この花火はあれが普通ですか?」
「普通だってば、キースがやってるヤツもそろそろ…。あ、ほら」
バァン! と底が抜け、驚愕のキャプテン。続いてシロエ君が、ジョミー君が、サム君が…。キャプテンの恐怖は最高潮に達し、そこでマツカ君が。
「…あのぅ……。やっぱり、ぼくには無理みたいです…」
すみません、と謝るマツカ君に、教頭先生が大らかな笑顔で。
「気にするな、マツカ。無理をして火傷や怪我をするより、引き下がるのも男だぞ」
代わりに私が上げておこう、とマツカ君が作った花火を抱えて火の粉を浴びる教頭先生は男の中の男でした。一方、最後に残った手筒花火を上げるべき立場のキャプテンは…。
「む、無理です、ブルー! わ、私にはとても、あんな花火は…!」
「そう言わずにさ! 男の世界な花火なんだよ、こっちのハーレイには負けられないだろ?」
「……し、しかし……!」
そういうレベルの問題では、とキャプテンが絶叫し、バァン! と吹っ飛ぶ手筒の底。残るはキャプテンの手筒だけです。ここで上げずに退散したら、法被が泣くと思うんですけど…。



「…なんだかねえ……」
ぼくは心底ガッカリしたよ、と肩を落としているソルジャーと、「すみません…」と項垂れているキャプテンと。男の中の男を夢見てソルジャーが作った手筒花火は、教頭先生の逞しい腕に抱えられて火柱を噴き上げていました。キャプテンの背中の『祭』の文字が寂しそうです。
「…すみません、ブルー…。あなたの期待を裏切ってしまい…」
「うん…。お前の方がヘタレだったなんて、ぼくにも信じられないよ…」
なんでこういう展開に、と愚痴るソルジャーを他所に、教頭先生は勇壮に火の粉を降らせています。会長さんの前でキャプテンに勝つという快挙を成し遂げ、自信に溢れてヘタレも返上。この勢いなら会長さんにもアタック出来てしまうかも…。間もなくバァン! と底が抜けて。
「見てくれたか、ブルー!?」
やり遂げたぞ、と引き揚げて来る教頭先生に、会長さんが。
「そのようだねえ…。君の男は上がったようだよ、代わりに犠牲者が約一名」
「…犠牲者?」
「あっちの世界のハーレイさ。ブルーもガックリきたみたいだから、離婚の危機かも」
ヘタレに負けたらキツイよねえ、と会長さんは同情しきり。手筒花火の度胸試しは意外な結末を迎えてしまい、キース君たちも困った顔で。
「…もっと事前に学習してきて貰うべきだったな…」
「でもさ、それ、ぼくたちの仕事じゃないし!」
やるべき人が他にいた筈、と非難の視線はソルジャーに。キャプテンが男らしく見えるイベントに違いない、と勝手に思い込んで割り込んだ挙句、落ち込まれても私たちに責任は取れません。教頭先生の男が上がった件についても同様で。
「ブルー、これから祭りの打ち上げだったな? 成功した祝いに一杯やろう」
「そ、そりゃあ……。君は今回の殊勲賞だけど…」
乾杯するなら全員で、と必死に逃げを打つ会長さん。男を上げろと煽っただけに、いつもの調子で突っぱねるわけにもいかないようです。たまにはビールの一杯くらい、お疲れ様と注いであげるしかなさそうですねえ…。



駐車場で手筒花火を上げた後始末はマツカ君のお父さんにお任せとあって、私たちは再び瞬間移動で会長さんのマンションへ。使用済みの手筒花火の筒は、お祭りに使った花火の場合は魔よけなどに人気で高く売れたりするらしいのですけど…。
「ふうん…。だけどハーレイはヘタレちゃったしねえ…」
どちらかと言えば厄を呼びそう、と生ビールをガブ飲みするソルジャー。教頭先生は会長さんに注いで貰ったジョッキを上機嫌で傾け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意していたローストビーフや唐揚げ、タコスなんかをパクパクと。
「ブルー、もう一杯、頼めるか? いやぁ、花火の後の飯は美味いな」
「はいはい、手筒を上げた数だけ入れてあげるってば。…三発分ね」
これで二杯目、と会長さんがビールを注ぐのを横目で見ていたソルジャーですが。
「…聞いたかい、ハーレイ?」
「は?」
何でしょう、と恐る恐る訊き返したキャプテンに、ソルジャーは。
「…三発だってさ。確かに花火は一発、二発と数えるかもねえ……。で、お前は肝心の一発すらも上げられなかったわけなんだけど」
「…も、申し訳ございません…」
「その分、もっと素敵に一発! 男がググンと上がる勢いを込めて、吹っ飛ぶほどの勢いで!」
「…ですが……」
あの花火だけはどうしても、と俯くキャプテンの顔をソルジャーがグイと上げさせて。
「分かってないねえ、一発だってば! ぼくが壊れるほどの凄さで一発やって、と言ってるんだよ、一発どころか二発、三発!」
とりあえず三発はお願いしたい、と思いっ切りのディープキス。えっ、三発って……手筒花火ではなくて、何を三発?
「ふふ、君たちにも分からない? 三発と言えば三発だってば、ハーレイの特製手筒花火が炸裂ってね」
「「「???」」」
なんのこっちゃ、と首を傾げた私たちの後ろで火柱ならぬ教頭先生の鼻血がブワッと噴出。会長さんがテーブルに拳を叩き付けて。
「退場!!!」
「言われなくても退場するよ。ハーレイ、手筒花火は盛大にね!」
あやかりたいから貰って行こう、という声を残してソルジャー夫妻は消えました。ついでに手筒花火の筒もソルジャーが作った一個だけしか残ってなくて。
「と、盗られた―っ!」
ぼくの手筒、とジョミー君が叫び、キース君たちも。いくら魔よけとはいえ、六個も持って行くなんて…。自分のを持って帰ればいいじゃないか、と騒いでいると、会長さんが。
「全部で六個ね…。はいはい、分かった、ヌカロク、ヌカロク」
「「「ヌカロク!!?」」」
どういう意味だ、と問い詰めた結果は徒労に終わってしまいました。教頭先生は更に鼻血ですし、ソルジャー夫妻があやかりたかったヌカロクって何のことでしょう? 手筒花火の筒は記念に欲しかったですよ、リベンジのチャンスがありますように~!




     勝負は花火で・了


※いつもシャングリラ学園番外編を御贔屓下さってありがとうございます。
 手筒花火は実在してます、興味のある方は是非とも検索してみて下さい、勇壮です。
 来月は 「第3月曜」 更新ですと、今回の更新から1ヵ月以上経ってしまいます。
 ですから10月は 「第1月曜」 にオマケ更新をして、月2更新の予定です。
 次回は 「第1月曜」 10月6日の更新となります、よろしくお願いいたします。
 毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv

毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、9月はソルジャーがスッポンタケの戒名を熱く語り始めて…。
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 ブルーの背丈は一向に伸びる気配もないのに、草木はぐんぐん育って、茂って。日射しも肌には痛いほどになって、蝉の鳴く夏がやって来た。間もなく学校も夏休みに入り、終業式の翌日は平日なのにハーレイが訪ねて来てくれて…。
 午前中は柔道部の指導をしてきたとかで、来訪は午後。生まれつき身体が弱いブルーには想像も出来ない世界だったけれど、柔道部員は朝の涼しい内に外を走って、その後は体育館で柔道三昧。
「…凄いね…。ハーレイも一緒に走ってきたの?」
「決まってるだろう! 俺がついていれば気合も入るし、俺も運動は好きだしな」
 部員たちと一緒に走ってきた上、柔道の技の指導まで。学校からブルーの家までの距離も普通に歩いてきたのだと言うし、ハーレイの体力は凄すぎる。
「ハーレイ。もしかして今も体力、余ってる?」
「そうだな、プールがあったら軽く泳ぎたい気分だな。…学校で少し泳いではきたが」
「ええっ!?」
 まさかプールに入ってきたとは思わなかった。それも水泳部の生徒に混じってコースを何往復も泳いだだなんて、少しと呼ぶには多すぎだ。ブルーは水泳の授業は大抵見学、たまに入っても少し泳げば疲れてしまう。コースの端から端まで休み無しなんて絶対に無理だ。
「…ぼくって、ホントに弱過ぎなんだ…」
「しょげるな、頭はいいんだろうが」
 それで充分いいじゃないか、とハーレイの手がブルーの頭をクシャクシャと撫でた。
「俺と一緒に走れとは言わんし、泳いでくれとも言わないさ。お前には似合わないからな」
「でも……」
 ハーレイと一緒に並んで走ってみたかったな、という気もする。水泳の授業も大嫌いだけれど、ハーレイの隣で泳げるのならば悪くない。それが出来ない自分の身体は…。
「…やっぱりハーレイと走ってみたいし、泳いでみたいな」
「馬鹿! それでお前が寝込んだりしたら、俺は思い切り寝覚めが悪いぞ」
 無茶はするな、と言い聞かされる。ハーレイに迷惑はかけられないから、走るのも泳ぐのも我慢あるのみ。出来たらいいな、と夢見るだけで終わりにしておくべきなのだろう。



 ともあれ、今日から夏休み。平日でもハーレイが来てくれる日が多くなる。そう、明日だって。
 会社から帰った父も交えての夕食の席で、ブルーは普段よりずっと気分が良かった。いつもなら夕食の後はお別れ、土曜日だったら翌日も会えるが日曜の時はそうはいかない。次の週末まで食卓にハーレイの姿は無いわけで…。
(ハーレイ、明日も来てくれるものね。日曜じゃないのに)
 考えただけで頬が緩んでしまいそうになる。そんな自分を抑えつけていたら、父が立ち上がって棚からお気に入りのウイスキーのボトルを持って来た。
「ハーレイ先生。休みに入られたことですし、一杯どうです?」
 美味いんですよ、と父が勧めてグラスも並べる。
「ありがとうございます。遠慮なく頂戴させて頂きます」
「どうぞ、どうぞ。いつもブルーがお世話になっていますから」
 グラスに注がれた琥珀色のそれを、ハーレイは氷も入れずに口に含んでみて。
「…いい酒ですねえ、これはこのままで頂かないと」
「ハーレイ先生、いける口ですね。水割りもなかなかに美味いんですよ」
 御遠慮なく、と父は嬉しそうに言い、夕食の後は母がチーズや軽いつまみを用意しての時ならぬ宴会となった。酒が飲めないブルーと母は紅茶とクッキーだったけれども、父たちの話を聞くのも楽しいものだ。
 最初の間は仕事の話も混じっていたのが、いつしかブルーとハーレイが共に持っている前の生の記憶へと移っていって。
「シャングリラでは酒といったら合成でしたよ、仕込むなどは夢のまた夢でしてね」
「…そうでしょうねえ、補給の問題もあったでしょうし」
「いえいえ、その前に嗜好品に手間はかけられませんよ。あれば充分、そんなものです」
 ブルーが好きだった紅茶にしても、とハーレイはグラスを傾けた。
「香りは二の次、三の次でした。その紅茶も酒も、今では地球の水で淹れたり仕込んであったりと最高の贅沢なんですよ。…思い出す前の私は有難さに気付いていませんでしたが」
 実にもったいないことをしてしまいました、とハーレイが笑う。
「酒は色々と飲んできましたし、地酒なんかもあれこれと…。あの頃に記憶が戻っていたなら、格別の美味さだったんでしょうなあ」
「はははっ、そういう楽しみ方もありますか! …お一人で二人分ですねえ」
 父とハーレイとの弾む話に、ブルーは微笑みながら聞き入っていた。前世の話は今までにも何度か出てはいたのだが、今日のハーレイは本当に楽しそうに話す。辛かった筈の頃の話を、懐かしい昔話のように…。



 次の日、ハーレイは昨日と同じように午後から来てくれた。柔道部に加えて軽く泳いで、歩いてブルーが待つ家まで。その体力もさることながら…。
「ねえ、ハーレイ。お酒ってホントに美味しいの?」
 ハーレイと自分の部屋のテーブルで向かい合ったブルーは昨日からの疑問をぶつけてみた。父と二人でグラス片手に大いに語り合っていたハーレイ。二人とも酔っていなかったのに、普段よりも滑らかだった口調は恐らくは酒のお蔭であって…。
「酒か? 美味いぞ、昨日お父さんに御馳走になった酒なんかは、もう最高に美味かった」
「……そうなんだ…」
 分かんないや、とブルーは呟く。十四歳の今はもちろん、前の生でもブルーは酒を好んで飲みはしなかった。合成の酒が不味かったというわけではなくて、実のところ、酒に弱かったのだ。
 ハーレイの部屋に行けば酒があったし、美味しそうに飲む姿を目にして「ぼくにも」と強請って飲んでみたことも少なくはない。ところが下手をすれば翌日は頭痛の二日酔いコースで、そこまで酷くはなかった時でも身体は熱いしフラフラするしで…。
「お前は酒は駄目だったしなあ…。それで美味いとも思わなかった、と」
 ハーレイの指摘に「うん」と頷く。
「だけど今度は飲めるようになってみたいんだけど…」
「何故だ? 無理に飲んでも二日酔いだぞ」
「…そうなんだけど…」
 ハーレイと一緒に飲みたいな、とブルーは赤い瞳で見詰めた。
「一緒に走るのは絶対無理だし、泳ぐのだって…。でも、飲むだけなら出来ると思う」
「………。お前、幾つだ? 酒は何歳からだった?」
 呆れたような顔のハーレイに「二十歳……」と法律とやらで決まった年を答える。
「話にならんな。まだ六年も先のことだぞ、お前」
 それにお前には多分無理だ、とハーレイは指でブルーの額をつついた。
「前と同じで身体は弱いし、すぐに倒れてしまうしな? そういうヤツには酒は向かない」
「体質は変わっているかもだし!」
 食い下がるブルーにハーレイが可笑しそうに笑いを堪える。
「そっくり同じに弱いくせして、体質も何もないもんだ。きっとお前は酒にも弱いさ」
「今度は耳は聞こえてるし!」
「生憎だったな、その点は俺も全く同じだ」
 補聴器要らずの耳ってな、とハーレイは自分の耳に手をやった。
「しかし、まあ…。お前がそこまで言うんだったら、二十歳になったら飲んでみろ。酔っ払うのも頭痛がするのも俺じゃなくってお前だからな」
 二日酔いに効く薬くらいは買ってやろう、と笑われた。やっぱり自分は今の生でもアルコールに弱い身体なのかもしれない。けれど……。



 ハーレイと一緒に走るのも無理、泳ぐなんてことも絶対に無理。
 どちらもハーレイの大好きな趣味で楽しそうなのに、自分はそれを分かち合えない。それならば父と酒を酌み交わしていた時のハーレイの笑顔、あれを自分も分かち合いたい。運動はとても無理だけれども、酒ならばきっと…。
「…ハーレイと飲んでみたいんだよ。ハーレイが好きなお酒を、一緒に」
「俺が美味いと言ったからか? しかしだな、お前にとっても美味いかどうかは分からんぞ」
「好きになるよ!」
 頑張って飲んで好きになるよ、とブルーは言った。
「最初はダメでも何度か飲んだら平気になるかもしれないし! そして好きになる!」
「……お前なあ……」
 無理をして飲む馬鹿が何処にいるか、とハーレイがブルーの頭に手を置く。
「それに美味くて飲むならともかく、我慢して飲むのは美味い酒にも失礼だ」
「だけど…! ぼくもハーレイと飲みたいよ!」
 ブルーはムキになって返した。昨日はあんなに楽しそうだったのに、と。
「絶対、ハーレイと飲むんだってば! パパしかハーレイと飲めないなんてずるい!」
「…お前のパパなあ……」
 問題は其処か、とハーレイはさも可笑しそうに笑い始めた。
「なるほど、お前はお父さんが俺と飲んでいたのが羨ましかったわけだ。…将来、お前が頑張って酒を克服するとしてだな…」
「克服するよ! 絶対、飲めるようになる! 美味しいって言う!」
 ブルーが懸命に主張しているのに、ハーレイの笑いは止まるどころか大きくなって。
「ははは、克服するんだな? それはいいとして、酒はだ、二十歳からだ。それは分かるな?」
「分かってるよ!」
「うんうん、お前が十八歳で俺と結婚するなら、俺は当分、お父さんと飲むしかないんだなあ…。お前、二十歳じゃないんだからな」
「えっ……」
 予想もしなかったハーレイの言葉にブルーは目を丸くしたのだけれど。
「そうだな、お父さんしかないな。…よし、結婚したらお前の家に住むことにしよう。飲み友達が出来そうだしな」
 昨日の酒は実に美味かった、とハーレイがパチンと片目を瞑る。昨夜、父とグラスを傾けていたハーレイの顔は傍で見ていても心が暖かくなるようなもので…。



「ずるい、ずるい、ずるいーっ!!」
 それに酷い、とブルーは椅子から立ち上がらんばかりの勢いで抗議した。
「ぼくがいるのにパパとだなんて、そんなのずるいし、酷すぎるよ!」
「仕方ないじゃないか、お前は十八歳なんだから」
 二年間ほど我慢しておけ、とハーレイはいとも涼しげな表情で返す。
「なあに、たったの二年の我慢だ。そうすれば二十歳になる。それまでは俺はお父さんと飲むさ」
「絶対やだっ!」
 ブルーは今度こそガタンと立つと、テーブルにダンッ! と両手をついた。
「ハーレイがそんな意地悪言うなら、飲めないようにしてやるから!」
「…ん? 俺の大事な酒を捨てる気か?」
「そんなのしないよ!」
 いくらブルーが腹を立てても、酒を捨てるような真似は出来ない。自分には飲めない嗜好品でもシャングリラでは貴重だった酒。ましてや合成品ではなくて地球の水で仕込んだ酒ともなれば…。
 けれどハーレイが父と二人で酒を酌み交わし、自分が其処に入れないなど論外だ。
 そんな結末を迎えるだなんて、とんでもない。それを防ぐには手段は一つ。
 ブルーはテーブルについた両手をグッと握ると、ハーレイに向かって宣言した。
「もう決めた! パパと一緒に飲めないように、ハーレイの家に住んでやるからっ!」
「……俺の家にか?」
「そうだよ! 結婚したら絶対、ハーレイの家に住んでやるっ!」
 そしたらパパと飲めないもんね、と言い放ったブルーの顔には「ざまあみろ」と書いてあったのだけれど、ハーレイの方はプッと吹き出し、必死に笑いを堪え始めた。それが何故だか分からないブルーは得意の絶頂から突き落とされた怒りも併せて背後に回ると、広い背中をポカポカと叩く。
「ハーレイ、何が可笑しいわけ!? ねえ!」
「いや、まあ、なあ…? ははは、俺の家にお前が来るんだな?」
「そうだってば!」
 決めたんだからね、とブルーは唇を尖らせた。
「ぼくが二十歳になったら一緒に飲むから、家で飲み友達は無し! パパとはダメっ!」
「分かった、分かった。結婚したら俺の家に住む、と」
「うんっ!」
 勢いよく「うん」と返事してから、ブルーはハタと気が付いた。
 ハーレイと一緒に飲むことだけを考えて突っ走ってしまったけれども、自分は何を言ったのだ?



(……も、もしかして……)
 結婚したらハーレイの家に行くと宣言しなかったか?
 あまつさえ、酒が飲めるようになる二十歳までは二年もかかる十八歳で結婚することを前提に。今の学校を卒業するのが十八歳だし、すぐに結婚出来たらいいなと思ってはいたが…。
(……い、言っちゃった? 十八歳で結婚したいって言っちゃった?)
 おまけにハーレイの家で暮らすと言ってしまったし、どうしたら…。
(ダメダメダメ~~~ッ!)
 耳の先まで真っ赤に染まったブルーは慌てて口を開いて叫んだ。
「い、今のは無し! ぼくは何にも言ってないから!」
「………。そうだったか? 十八歳で俺と結婚するとか、俺の家に来るとか聞こえたが…」
 俺の耳は昔と違って確かなんだが、とハーレイがニヤニヤ笑っている。
「補聴器もしていないしな? お前が十八歳で俺のものになると確かに聞いたが」
「言ってないってば!」
「…ふうん? だったら我慢をするってことだな、十八歳では結婚せずに」
「……そ、それは……」
 絶対無理! とブルーは悲鳴を上げた。
 恥ずかしすぎる宣言は撤回したいが、結婚が延びるのは何よりも困る。ハーレイがいるのに結婚しないで我慢なんて出来るわけがない。それくらいなら多少、恥ずかしくても…。
「やっぱり言った!」
 今のは取り消し、と全身が赤く染まりそうな顔で俯けばハーレイの笑い声が大きく響いた。
「そうか、言ったか。…今日の所は忘れておいてやるよ、お前、脱線しただけだしな」
 ……酔っ払いの寝言だと思っておくさ。
 そう告げたハーレイが囁いた言葉に、ブルーはもうこれ以上は赤くなれないと思ったものだ。
「…寝言はともかく、俺と結婚してくれよ? いつかプロポーズはちゃんとするから」
 ハーレイがそれをどんな顔をして言ったのだろう、とブルーが視線を上げた時には何も無かったかのように穏やかで優しいいつもの笑顔。鳶色の瞳も普段通りで、特別な所は何処にもなくて。
(……今のも一応、プロポーズだよね?)
 縋るような瞳を向けてみたけれど、答えは返ってこなかった。
 夏の午後の日射しに目が眩んで白昼夢を見た、というわけではないと信じたい。
 でもハーレイはあまりにも普通で、だからブルーは首を傾げることになる。



 ハーレイ、本気?
 …それとも、冗談?
 ねえ、ハーレイ…。本当に分からないんだけれど…。



 そしてハーレイも心の奥で苦笑する。
 自分と一緒に酒を飲みたい、と言ってくれるブルーは可愛いけれども、まだまだ子供。
 飲み友達の座を自分の父に取られないよう、結婚したら家に来るなどと言い張られても…。
(ブルー、其処はな…。もう少し色気のある理由と言い回しとを選ばないとな?)
 それから俺の家に来い、とハーレイはブルーに気取られないよう、小さな姿をじっと見詰めた。
 まだ身長が百五十センチしか無いブルー。
 ゆっくりゆっくり幸せに育って、いつか前世と同じ背丈になったなら…。
 いつまでかかるか分からなくても、それを待つ時間も幸せだった。
 遠い昔に失くしてしまった愛するブルーが、自分の許に帰って来たのだから……。




      羨ましいお酒・了


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 ブルーの背丈は百五十センチから全く伸びなかったけれど、この世界の時間は流れてゆく。
 大好きなハーレイと再会した時は春だったのが、夏の先ぶれの爽やかな青葉の季節へと。ブルーたちが暮らす地域には遙か昔は梅雨と呼ばれる長雨があったそうだが、SD体制崩壊後の地殻変動のせいで今は無い。消えてしまった梅雨の代わりに光が眩しい六月がある。
 暑さにはまだ少し早くて、窓を開け放って過ごすのにちょうどいい季節。いつものように訪ねて来てくれたハーレイと一緒の土曜日の午後をブルーは部屋で満喫していたのだけれど、ハーレイが「すまん」と椅子から立ち上がった。
「少しだけ下へ行ってくる。お母さんに用事があってな」
「…ママに?」
 行かなくってもその内に来るよ、とブルーはハーレイを引き止めてみたが、「いや」とハーレイは部屋から出て行ってしまった。閉じた扉の向こうで階段を下りてゆく足音がして…。
「すみません」
 下りて直ぐに母と出会ったのだろう、ハーレイの声が聞こえて来た。
「明日、ちょっとしたものを持って来てもかまいませんか?」
(…ちょっとしたもの?)
 なんだろう?
 聞こえないや、とブルーは階下に聞き耳を立てたが、分からなかった。階段の下からリビングにでも移動したのか、声を落として話しているのか。
(…内緒の話?)
 ブルーが聞いてもかまわないのなら、わざわざ下りては行かないだろう。母が来た時に言えばいいのだし、それをしなかったということは…。
(ぼくに内緒で持って来るもの?)
 ほんの少し首を傾げている間に「すまん、すまん」とハーレイが戻り、それきり忘れてしまったブルーだったが…。



 父と母も交えての夕食が済んで、ハーレイが「また明日な」と手を振って帰っていった後。
 一人きりになってしまった自分の部屋で「あーあ…」とハーレイがいない寂しさに溜息をついたブルーは、ふと思い出した。昼間、階下へと行ったハーレイ。多分、ブルーには内緒の話。
(…何か持って来てくれるんだよね?)
 聞き取れた部分は其処と、「ちょっとしたもの」という言葉。
(ちょっとしたもの…って、何なのかな?)
 何だろう、と思いを巡らせて「あっ!」とブルーの顔が輝く。
「お土産かも!」
 今週、研修で何処かへ出掛けて行ったっけ。ほんの一日だけだったけれど、学校で会えなかったお詫びに何か買ってきてくれたとか?
(うん、そうかも…)
 研修先が何処だったのかでお土産は変わる。お菓子かもしれないし、名産品とか。
(お土産だったら、ハーレイとお揃いの何かだといいな)
 だって恋人同士だもんね、とブルーは夢を膨らませた。お揃いで可愛いマスコットなんかも素敵かも、と考えてからハーレイの好みではなさそうだと気付く。何と言っても大人なのだし…。
(んーと…。お揃いだったら文房具とか?)
 お揃いのペンとか、手帳とか。想像しただけで胸がドキドキしてきた。ハーレイとお揃いの何かを持っているなんて、如何にも恋人同士らしくて嬉しい。学校に持って行ったらお揃いだとバレてハーレイとの仲を勘ぐられそうだし、家でコッソリ大切にして…。
(…でも…)
 違うのかな、という気もした。お土産だったら直接渡せば済む話。わざわざ母に断らなくても、持って来て「ほら」と手渡せばいい。
(ママに言わなきゃいけないってことは…)
 もしかしてハーレイの手作りの何か?
 料理は得意だと聞いているから、ケーキを焼いてくれるとか。それとも手作りのお弁当?
 食べるものなら予め母に言っておく必要があるだろう。お菓子や食事の支度があるし、ハーレイが作ってくるものに合わせて変更するとか、揃えるとか。
「うん、ひょっとしたら食べる物かも!」
 ハーレイの家で御馳走になった料理は美味しかったし、ブルーが学校を休んだ時に作ってくれる野菜スープも懐かしくて好きだ。細かく細かく刻んだ野菜を基本の調味料だけで煮込んだスープ。ハーレイ曰く、「野菜スープのシャングリラ風」。
 他にもハーレイの得意料理が沢山あるに違いない。明日はその一つを食べられるのかも…!



 日曜日の朝、いつもより早く目覚めたブルーはハーレイが来るのを今か、今かと待ち焦がれた。掃除を済ませた部屋の窓から庭の向こうの通りを見下ろす。
 いい天気だから、ハーレイは今日も昨日と同じで歩いて訪ねて来るだろう。背の高いハーレイは生垣越しに二階のブルーに手を振ってくれて、それから門扉のチャイムを鳴らして…。
「…あれ?」
 ハーレイが歩いてくる筈の方から一台の車がやって来た。見覚えのあるハーレイの車。晴れた日には歩くのが「軽い運動に丁度いいんだ」と言っているのに…。
「寝坊して急いで来たのかな?」
 きっとそうだ、とガレージに入ってゆく車を眺める。ハーレイは何を持って来てくれたのか。朝から料理をしていたのなら、そのせいで遅くなったかも…。
(寝坊だなんて言ってごめんね、ハーレイ)
 作るのに時間がかかるものなら、色々な食べ物がギッシリ詰まったお弁当? 手の込んだ料理? ハーレイお手製のそれに胸がときめく。何が出て来るかと窓からガレージを覗いていたのに。
「………???」
 車から降りたハーレイは何も持ってはいなかった。運転席のドアをバタンと閉めて、母が開けた門扉から入ると家の方へと。
(…昨日のアレって、聞き間違いかな?)
 確かに聞いたと思うんだけど、とブルーは期待が裏切られたことにガックリとする。それでも僅かな望みをかけて待っていたのに、部屋を訪ねて来たハーレイはやっぱり何も持ってはいない。
「ブルー、おはよう。…どうかしたのか?」
「ううん、なんでもない」
 勝手に一人で勘違いして、そのせいでガッカリしているだなんてハーレイに言えるわけがない。せっかくハーレイが来てくれたのだし、うんと甘えて話をして…。
 そうしよう、と気分を切り替えたブルーは「あれ?」とハーレイを案内してきた母を見詰めた。
「ママ、お茶とお菓子はどうしたの?」
 普段だったら母はとっくに階段を下りてお茶の用意をしている筈だ。でなければ案内してくる時にトレイを持っていて、手際良くテーブルに並べてゆく。どうしたのだろう、と思ったら。
「用意してあるわ、下にあるわよ」
「…え?」
 今日はいきなり母も交えてのお茶なのだろうか。ハーレイに甘えたかったのに…。こんな筈ではなかったのに、とブルーは先刻の勘違いの分も含めて更にガッカリしたのだけれど。



「すみません、お手数をおかけしまして」
 ハーレイが母に声を掛け、母が「いいえ」と笑顔を返した。そしてブルーに微笑みかける。
「ブルー、ハーレイ先生がね。今日のお茶は外にしましょう、って仰ったのよ」
「…外?」
 言われた意味がサッパリ分からず、ブルーはキョトンと赤い瞳を見開いた。ハーレイが「ん?」と腰を屈めて視線を合わせて。
「ついて来い、外と言ったら外だ」
 行くぞ、と先に立って階段を下りて行ったハーレイは庭に出た。それから「其処で待ってろ」とガレージに入り、車のトランクをバタンと開けると…。
(わあっ…!)
 ブルーの心臓がドキリと跳ねた。
 まるで魔法のようにハーレイが引っ張り出してきた折り畳み式のテーブルと椅子。それは簡素なものだったけれど、庭で一番大きな木の下にしっかり据え付けられて。
「どうだ、木の下にお前の椅子が出来たぞ」
 座ってみろ、と促されて座るとハーレイが向かいに腰掛けた。体格のいいハーレイの体重を軽く受け止める椅子は見かけよりも随分しっかりしているらしい。
「お前、壊れるかと思っていたな? キャンプ用だぞ、こう見えて頑丈に出来ているんだ」
 教え子たちを招いた時に庭で活躍する椅子たちだ、とハーレイは言った。
「バーベキューとか、色々とな。お前も呼んでやりたいんだが…」
 ハーレイの声は其処で途切れて、トレイを持った母がやって来た。
「外だから冷たいレモネードにしたわ。アイスティーの方が良かったかしらね?」
 お菓子はハーレイ先生がお好きなパウンドケーキよ、とテーブルの上に支度を整え、母は家へと戻ってゆく。その姿が家の中に消えてから、ハーレイは先刻の言葉の続きを口にした。
「本当は呼んでやりたいんだがな、どうして駄目かは分かっているな?」
「……うん…」
 残念だけれど、ブルーは呼んで貰えない。クラスメイトたちと一緒だったら行けるのだろうが、それではブルーも「その他大勢」と同じ扱い。かまわないと思って出掛けて行っても、きっと不満が募るのだろうし…。
「お前を家には呼んでやれんし、俺もあれこれ考えてみた。それでこういう結果になった」
 木の下のテーブルと椅子は気に入ったか? とハーレイはパチンと片目を瞑った。
「前に俺に言っていただろう? 違う所で食べてみたい、と」
「あっ…!」
 ブルーの脳裏に自分の言葉が蘇った。何処でもいいから違う所で食事をしたい、と頼み込んだら断られた上に、それはデートの誘いのようだと指摘されてしまい…。



「…ハ、ハーレイ、忘れてなかったの!?」
 耳の先まで真っ赤に染まったブルーの姿にハーレイが喉の奥でクックッと笑う。
「こらこら、大きな声を出すなよ? 此処はお前の部屋と違って庭なんだからな。一階の窓と同じ高さで、お母さんたちから丸見えだ。窓が開いてりゃ大きな声だと丸聞こえだぞ」
「……ハーレイの意地悪……」
 ブルーは上目遣いにハーレイを睨み、小さな声で文句を言った。それとは知らずにデートの誘いをしてしまった事件。ハーレイには忘れていて欲しかったし、自分では綺麗に忘れていたのに…。
「そう怒るな。…あの時、俺は言った筈だぞ、嬉しかったと。この椅子たちの季節が来たんで思い出してな、お前に普段とは違う所で食事をさせてやろうと思った」
 食事じゃなくてティータイムだが、とハーレイがレモネードのグラスを指で軽く弾く。それからテーブルでチラチラと揺れる光たちの欠片をチョンとつついて。
「どうだ? シャングリラでは見られなかった本物の木漏れ日というヤツだ。おまけに地球の太陽なんだぞ、素敵じゃないか」
「……ホントだ…」
 ブルーはグラスに、ケーキの皿に、テーブルの上に零れる光たちが描く模様に目を細めた。木の葉の間から射してくるそれは繊細なレースの細工にも似て、吹いてゆく風に揺られて踊り回って。
「綺麗だね…。こんな風に見たこと、一度も無かった」
「そりゃまあ、なあ…。普通に生きてりゃ、木漏れ日なんかは何処でもあるしな」
 木さえあればな、とハーレイが頭上に広がる枝と重なる葉を仰ぎ、またテーブルに視線を戻す。その鳶色の瞳が何か宝物でも見付けたかのように不意に煌めいて。
「ブルー、これ。此処を見てみろ」
「えっ?」
 トン、トン、とテーブルを叩く指先。ブルーにはただの木漏れ日にしか見えなかったけれど。
「…分からないか? ほら、この光。ちょっとシャングリラに似ているだろう?」
「あっ…!」
 そう言われてみれば、其処に懐かしい白い船の形が揺れていた。
 遙か上空から見たシャングリラ。ブルーが守って、ハーレイが舵を握っていた船。
「…似てるね、ホントに」
「そうだろう? もうシャングリラは何処にも無いがな…」
 時間が連れて行っちまったな、とハーレイが青い空の遙か彼方を見上げる。
「だが、俺たちは此処に居るんだ。お前が行きたかった地球の上にな」
 とりあえず昔を懐かしみながら今は健全なデートをしよう。……お母さんたちの目もあるしな。
 ハーレイの言葉にブルーの顔はまたしても真っ赤になったが、今度は怒る気はしなかった。



 庭で一番大きな木の下で、レモネードとパウンドケーキのティータイム。
 それをデートと呼ぶのか否か、ブルーには今一つ分からなかったし、色っぽい話をしたわけでもなくて昔話をしていただけ。白い船の中しか無かった頃を思えば、今はどれほど幸せなのかと。
 そんな時間を二人で過ごして、ちょっぴり特別な気分になった。
 やっぱりあれもデートと呼ぶのだろうか、とブルーがしみじみ考えるようになった頃に夏休みが始まり、平日でもハーレイに会えるようになって。
 あの日のことなど忘れ去っていたら、カラリと爽やかに晴れた日の朝、またハーレイがテーブルと椅子とを持って来てくれた。其処で母が淹れてくれたアイスティーを飲み、昼食も其処で。
 ブルーの部屋で過ごす時間と違ってハーレイに甘えたり抱き付いたりは出来ないけれど、真夏の強い日射しを遮る木の下で笑い合ったり、互いに微笑み交わしたり。
 そういうデートを何度か重ねて木の下の席がブルーのお気に入りの場所になって間もなく、父がハーレイに申し出た。
「ハーレイ先生。いつも持って来て頂くのも申し訳ないですし、買いますよ」
「いえ、私が好きでしていることですから」
 それに重くもないですよ、とハーレイは笑って言ったものだが、両親は本当に申し訳なく思っていたらしく、数日後には新品のテーブルと椅子が庭の木の下に据え付けられた。



 母が「私も庭でお茶にしたいわ」と白に決めてしまったテーブルと椅子。
 ハーレイにはちょっと似合わないかも、とブルーは秘かに心配したというのに、いざハーレイが其処に座って向かい合ってみれば、なんだか意外に似合っている。
「……不思議…」
「何がだ?」
 怪訝そうに尋ねるハーレイに「白いテーブルと椅子は似合わないかと思っていた」と答えたら。
「…俺にシャングリラは似合わなかったか?」
 白かったぞ、と大真面目な顔で返事が返って、ブルーはストンと納得した。
(…そっか、シャングリラも真っ白だった…)
 どおりでハーレイに似合うわけだ、と白いテーブルと椅子とを眺めて、其処に座る恋人の褐色の姿に遠い昔の記憶を重ねる。今は半袖のシャツを着ているハーレイだけれど、前の生ではカッチリとキャプテンの制服を身に着け、いつも威厳に満ちていて…。
(ぼくたちが暮らした白い船。ハーレイが舵を握っていた船…)
 シャングリラはぼくたちの楽園だった、とブルーの思いは過去へと飛んだ。
 懐かしい船。ハーレイと暮らした楽園という名の真っ白で優美な大きかった船。
(……だけど……)
 この木の下の白いテーブルと椅子も、ぼくたちが二人で過ごす楽園。
 シャングリラよりもずっと小さいけれども、幸せな時だけが満ちた楽園…。



 こうして木の下のテーブルと椅子は、天気のいい日の定番になった。
(ふふ、今日もとってもいい天気だよね。…ハーレイは柔道部で出掛けちゃったけど)
 夏休みも残り僅かとなった平日、ブルーは朝食の後で白い椅子に一人チョコンと座った。
 ハーレイが訪ねて来られない日も、腰掛けて見上げると世界の何もかもが変わって見える。
(…ハーレイ。ぼくはとっても幸せだよ、ハーレイ…)
 君の椅子が此処にあるんだもの、とブルーは向かい側にハーレイが居る日を思い浮かべた。
 今日は一人で座っているけれど、向かい側はハーレイの指定席。
 ハーレイと二人で生まれて来た地球に、自分とハーレイのためのテーブルと椅子があるなんて。
 なんて幸せなんだろう。
 いつまでもハーレイとぼくと二人で、此処に座って居たいけど…。
 そう考えながら幸せな溜息を一つついた時、視界の端がブルーの家を捉えた。
 さっき飲み物を持って来てくれた母がリビングかキッチンに居る筈で、夜になったら父が仕事を終えて帰って来る家。
 ハーレイと二人、この木の下のテーブルと椅子をいつまでも使うということは…。
(…パパとママの居る家で、ハーレイとずっと一緒に暮らすの?)
 いつか本物の恋人同士になった後もずっと、この家で…?
(ダメダメダメ~~~っ!)
 ハーレイとキスを交わして、それから、それから…。
 そういうことをしているんです、なんてパパとママに言えるわけがない。
 でもこのテーブルと椅子もお気に入りだしどうしよう、とブルーは耳まで赤く染まって考える。
 いつかはきっと、ハーレイと一緒。
 だけど木の下のテーブルと椅子も欲しいんだけど、と真剣に悩むブルーは十四歳の小さな子供。
 お気に入りの席と、恋人と共に歩む未来を秤にかけてしまう辺りが、まだまだ幼い。
 そんなブルーが伸ばそうと懸命になっている背丈は今でも百五十センチ、ハーレイと会った春の頃から少しも変わっていなかった……。




        木漏れ日の下で・了


※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
 ハーレイ先生のお誕生日は8月28日という設定。
 お祝いに更新いたしましたが、お誕生日ネタではなかったりして…。
 今年中には必ず書きます、お誕生日の公式発表は暫しお待ちを~。

 ←ハレブル別館へのお帰りは、こちらv




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