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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv






シャングリラ学園、本日も平和に事も無し。いえ、異変と言えば異変が一つ。キース君が欠席しているのです。秋のお彼岸でさえ欠席せずに登校したのに、風邪を引いたか何かでしょうか? グレイブ先生は「キース・アニアン、欠席だな」と言っただけでしたから、ちゃんと届けはあったのでしょうが…。
「キース、結局、来なかったね」
遅れて来るかと思ったのに、とジョミー君。それは私も考えてました。どうしても抜けられないお葬式などで六時間目にしか出られなくっても登校するのがキース君です。放課後の部活と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で過ごす時間を合わせれば充分値打ちがあるのだそうで…。
「キースかい? 学校どころじゃないだろうねえ…」
明日は来られるといいけれど、と会長さんが紅茶のカップを傾け、シロエ君が。
「えっ、キース先輩、病気ですか?」
「違うよ、ただのボランティアさ」
欠席届もそう書いた筈、と会長さんはのんびりと。
「ただ、今日中に全部終わるかどうか…。終わったとしても、明日はグッタリお疲れだろうね」
「「「???」」」
「その辺は本人の口から聞きたまえ。それよりさ、これ」
こんなチラシが、と会長さんが地味な茶色のチラシをテーブルの上に。文字とイラストが入ってますけど、色刷りなんかではありません。手作り感漂う黒ペン一色。
「ぶるぅが貰って来たんだよ。スーパーの前で配っていたらしい」
「かみお~ん♪ マルシェをやるんだって!」
「「「マルシェ?」」」
「本来の意味だと市場かな。それっぽく賑やかに手作り世界のグルメ市さ」
デパートの物産展のようにはいかないけれど、との説明どおり、会場からして小規模でした。外国からの観光客が拠点にしているユースホステルの庭が舞台です。でも本場の手作りソーセージとか、本格派カレーのお店とか。これはなかなか面白そうで。
「ねえねえ、みんなで行ってみようよ♪」
キースのお疲れ休みにもピッタリでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。開催は今度の土曜日です。うん、キース君が登校して来たら誘ってみるとしましょうか…。



ボランティアに出掛けたというキース君は次の日も欠席。いったい何のボランティアかと会長さんに尋ねても「本人に訊けば?」の一点張りで、疑問は膨らむ一方で。二日間休んで学校に現れたキース君は早速取り囲まれたのですが…。
「話は放課後にさせてくれ」
俺は現実に戻りたいんだ、と席に着くなり鞄を開けるキース君。教科書をチェックし、ペンケースなどを机に入れて授業の用意をしています。それが終わるとマツカ君とシロエ君に欠席中の部活の確認。話す気は全く無さそうです。
「…どうしたのかな?」
変だよね、とジョミー君が呟けば、サム君が。
「ボランティア先で何かあったんだろうなぁ、まあ、放課後まで待ってみようぜ」
「そうね、訊くだけ時間の無駄よね」
そうしましょ、とスウェナちゃん。それからのキース君は普段通りに振る舞ったものの、ボランティアの話は微塵も出さずに放課後になって、部活に出掛けて。ジョミー君とサム君、スウェナちゃんと私は一足お先に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で待つことに…。
「ダメだよ、キースも口が堅いよ」
ブルーと同じで、というジョミー君の嘆きに、会長さんは。
「口が堅いと言うよりは…。どちらかと言えば忘れたいんだよ、休んでた間の地獄をね」
「「「地獄?」」」
「そう、地獄。本人が来れば堰を切ったようにブチまけてくれると思うけどねえ、二日間の愚痴」
まあ楽しみにしていたまえ、と微笑む会長さんの手には例のチラシが。
「このマルシェ。キースもきっと喜ぶさ。非日常の憂さを晴らすには非日常ってね。ぶるぅの料理じゃ日常だからさ」
「んとんと…。お料理は色々作れるけれど、ぼくじゃ普段とおんなじだよね」
違うのはお料理の見た目だけ、と言いつつ今日も素敵なスイーツが。ちょっと黄色いモンブランだな、と思っていたら、なんとカボチャのモンブラン! 柔道部三人組のためにキノコたっぷりの焼きそばの用意も始まって…。
「かみお~ん♪ 部活、お疲れ様~!」
「ああ、すまん。…ぶるぅの料理も久しぶりだな」
此処の空気も懐かしいぜ、とキース君はソファに腰掛けました。たった二日間お休みしただけで懐かしいとか、朝の「現実に戻りたい」発言だとか…。キース君に何があったのでしょう? 早く焼きそばを食べて落ち着いて、ゆっくり話してくれないかな…。



会長さん曰く、地獄を見て来たらしいキース君。どんな地獄か気になります。焼きそばをお代わりしている柔道部三人組を眺めつつ、待ちくたびれた気持ちでいると、ようやく三人組の前にも紅茶やコーヒー、それにモンブランが。
「美味いな、やっぱりインスタントはダメだ」
キース君がそう言ってコーヒーを啜り、私たちを見回すと。
「…思いっ切り聞きたそうな顔をしてやがるな、どいつもこいつも」
「そりゃ気になるよ! たったの二日休んだだけで、どうしたらそんなになるんだろうって!」
懐かしいなんて普通じゃないし、とジョミー君は遠慮がありません。
「ボランティアだって聞いたんだけどさ、何処に行ってたわけ?」
「お前の嫌がる所だが?」
「…ま、まさか……」
「気付いたようだな、いわゆる寺だ。璃慕恩院の御役目だったら文句も言わんし、何をやらされても忍の一字だが、流石に普通にタダ働きでは…」
酷く疲れた、とキース君はモンブランを大きめに切って口の中へと。甘い物が欲しい心境というヤツでしょう。
「大学の先輩が晋山式をすることになってな」
「「「シンザンシキ?」」」
「住職就任の儀式のことだ。先輩は自坊……自分の家の副住職だが、近所に長年住職のいなかった寺があったらしくて、璃慕恩院から兼務しろとのお達しが」
それで就任式なのだ、とキース君。ところが、長年お寺を守る住職がいなかっただけに、お寺の中は大変なことに。
「境内と建物は檀家さんが維持管理をしてくれていたらしい。だが、本堂の中身の方が…。檀家さんは素人集団だけに、御本尊様の埃を払うのが精一杯で…。仏具の類がすっかり曇って」
それを磨きに行って来たのだ、とキース君は自分の肩をトントンと。
「しかも先輩がうるさい人でな、ピカールを使わせてくれんのだ! ニューテガールなんぞはもっての外だ、と言われてしまってどうにもこうにも」
「「「…ピカール???」」」
名前からして磨くための道具みたいです。ニューなんとかもそうなのかな?
「そうか、お前たちに言っても分からんか…。ピカールは仏具専用の磨き材だが、これで磨くには時間がかかる。ニューテガールも仏具用でな、こっちは浸けておくだけなんだ」
引き上げて専用クロスで拭けばOK、とキース君。しかし件の先輩さんは仏具に敬意の人だったらしく。
「梅酢で拭って重曹で磨け、と言われても…。仏具磨きのプロもそれでやるんだし、ウチもそうだが、あそこまで曇った仏具が山積みとなると…」
二度と勘弁願いたい、とキース君は遠い目をしています。丸二日間も仏具磨きの地獄を過ごしてきたという手は気の毒なほどに荒れていました。会長さんがハンドクリームを差し出し、例のチラシを。インスタントコーヒーと仏具磨きの日々だっただけに、飛び付いたのは無理もありませんです~!



キース君の手荒れも癒えてきた週末、私たちはユースホステル主催のマルシェへお出掛け。秋晴れの行楽日和とあってマルシェは人で賑わっています。
「かみお~ん♪ あれ、食べたい! あっ、そっちも~!」
グルメ大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」は本場の味に大喜びで、私たちもバナナの葉っぱに盛り付けてもらえる本格派カレーやハーブたっぷりソーセージなどに舌鼓。中でも一番目を引いたのは…。
「アレって見るのも楽しいよね」
「うんうん、それに美味いんだよな!」
また食おうぜ、とサム君とジョミー君が先頭に立ってケバブの屋台へと。ドネルケバブと呼ぶらしいソレは屋台の店先で串に刺された肉のタワーがゆっくり回転しながら炙られていました。注文すると大きなナイフでそぎ取ってくれて、野菜と一緒にナンに似たパンに挟んで渡してくれます。
「一つ下さい!」
「俺も一つ!」
ジョミー君たちが注文する後ろに並んで私たちも。一番後ろに会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も並びましたが…。
「あ、キャベツは抜きでお願いしたいな」
「ぼくもトマトとタマネギだけでお願いしまぁーす♪」
会長さんたちの注文に屋台のおじさんは満面の笑顔。ケバブの本場の人っぽいですが、流暢な言葉で「通ですね」と。そっか、キャベツたっぷりは邪道なんだ?
「そうだよ、本場じゃキャベツ無し! ね、ぶるぅ?」
「うん! それに炭火の直火焼きだよ♪」
屋台じゃ炭火焼きは難しいよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。本場でも最近はガスや電気が増えたそうですけど、田舎では今も炭火が基本。肉もタワーみたいな垂直ではなく、羊なんかの丸焼きみたいに横倒しで回転させて焼くとか。
「あれはホントに美味しいよ。…食べたくなってきちゃったな」
「ぼくも食べたい!」
久しぶりに食べに行こうよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんの袖を引っ張っています。あの二人なら瞬間移動で今すぐにだって行けるでしょう。いいなぁ、本場のドネルケバブ…。
「ん? 君たちも食べたいわけ? でもねえ…」
この人数を連れて飛ぶのは流石に無理、と会長さん。
「テイクアウトで我慢したまえ、ちゃんと買ってきてあげるから」
「んーと、んーとね、今は無理だけど…」
向こうは夜の夜中みたい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そういえば時差がありましたっけ。とりあえず昼間はマルシェで色々食べて、本場モノは夜のお楽しみかな?



夕方までをマルシェで過ごすとお腹いっぱい。それでも本場のケバブは別腹とばかりに、私たちは会長さんのマンションにお邪魔しました。リビングで紅茶やコーヒーを淹れてもらって待っている間に会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はパッと姿を消しまして…。
「かみお~ん♪ お待たせ―!!」
「はい、お待ちかねの本場のケバブ! 焼き立てだよ」
どうぞ、と配られた本場モノの味は絶品でした。マルシェのケバブも美味しかったですけど、もっとスパイシーでいい感じ。炭火焼きだとこうも違うか、と味わい深く噛み締めていると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「やっぱり美味しい~! 作りたいなぁ…」
「「「は?」」」
「えっとね、作り方が気になったから、みんなの分を待ってる間に、おじさんの頭の中を覗いてみたの! そしたら凄くビックリしちゃって…」
お肉は塊じゃなかったんだね、と言われましても。…ケバブ屋台で回っていたのは大きな肉の塊でしたよ? 他のみんなも怪訝そうな顔をしています。
「…塊だったよ、昼間に見たヤツ」
ジョミー君がストレートに口にし、キース君も。
「塊でなきゃ切れんだろう? それともアレは一種のハムか?」
「えとえと…。なんかハムより凄いみたい!」
ドカドカ重ねちゃうんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。えっ、重ねるって……串にグルグル巻き付けるとか? バウムクーヘンを焼くように…?
「違うの、ホントに重ねるの!」
「そう。ぶるぅが目を丸くしていたからねえ、ぼくも失礼して覗かせて貰った。秘伝のタレに漬け込んだ薄切り肉をね、串に何層にも刺していくんだよ。座布団を積み重ねるように」
「「「えぇっ!?」」」
ビックリ仰天とはこのことでしょう。塊だとばかり思っていた肉のタワーが何十段だか何百段だかの積み重ねだなんて…。今齧っている本場のケバブもそのようです。でも……お肉を見詰めてみても境目なんかは分かりませんよ?
「肉の境目が分かるようではダメなのさ。切ったらバラバラになっちゃうし…。肉を刺したら次は牛脂で、また肉で牛脂。そんな感じで固めるようだね」
なんと、牛脂が接着剤? そんな舞台裏を聞いてしまうと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作りたがるのも分かります。食欲の秋に手作りケバブ。これはとっても素敵かも…?



ドネルケバブが作りたくなった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は着々と準備を進めました。屋台用の電動で焼ける回転機械は保管するのが面倒だから、と串は手回しする方向で。私たちが交代しながら順番に串を回すのだろうか、と一応覚悟はしていましたが…。
「ふふ、そういった力仕事は最適なのがいるだろう?」
アレを呼ばずにどうするのだ、とニヤリと笑う会長さん。
「ハーレイにグルグル回させるのさ、そしてぶるぅが肉をスライス! これなら誰もが楽しめる。ハーレイだって、ぼくと一緒にケバブを食べる会なんだよって言えば感激するからね」
「「「………」」」
教頭先生、一人で串を回すんですか! でもまあ、それが楽でいいかな…。
「そうそう、楽しくやらなくちゃ! 串も買ったし、今度の土曜日に肉のタワーを作ろうかと…。見学も兼ねて遊びに来るだろ?」
会長さんの提案に私たちは大歓声。そこへ…。
「ケバブの串を追加でよろしく」
「「「!!?」」」
いきなり聞こえた会長さんにそっくりの声。バッと振り返った先で紫のマントがフワリと翻り、ソルジャーが笑顔で立っていました。
「今日は黒イチジクのタルトだって? ぼくにも一つ」
スタスタと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を横切り、ソルジャーはソファに腰を下ろすと。
「ぼくもケバブを作ってみたいな、串を回さずに済むならね」
肉のタワーがいいんだよ、と言ってますけど、マルシェからこっち、ソルジャーは遊びに来ていませんよ? 覗き見しただけでケバブの味が分かるもんか、と思っていれば。
「ケバブかい? わざわざブルーが買いに出掛けたのを見たからねえ…。これは美味しいに違いない、とノルディに頼んで色々と用立てて貰ってさ」
言葉の壁はブルーと同じでサイオンでスパッと解決だ、と嘯くソルジャー。つまりエロドクターに本場の通貨を用意させた上で、買い食いにお出掛けしたわけで。
「食べに行っただけのことはあったよ、美味しかったなぁ…。もちろんハーレイにもお土産に買って、ぶるぅにも山ほど買ってやったよ。ハーレイもケバブが気に入ったらしい」
だから手作りしたいのだ、とソルジャーは膝を乗り出しました。
「作るんだったら是非、混ぜて欲しい。肉作りから参加するからさ」
「…串くらいは買ってあげてもいいけど…。君の肉作りは手伝わないよ?」
自分で肉の面倒を見ろ、と会長さんに言われたソルジャーはコクリと頷いて。
「うん、ちゃんと自分で用意する。土曜日は肉を持参で来るから、漬け込み用のタレだけ教えて貰えるかな? 漬け込んでおかないとダメなんだよね?」
「かみお~ん♪ でないと味が馴染まないしね! えっとね、薄切り肉だから前の日の晩に漬ければ充分なんだけど…。タマネギとニンニクをすりおろしてね、オリーブオイルにヨーグルトに…」
トマトペーストにオレガノ、クミン…と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はズラズラズラ。料理なんかとは無縁のソルジャー、悲鳴を上げて「メモに書いて!」と泣きを入れる羽目に陥ったのは至極当然だと思いますです…。



約束の土曜日、私たちはバス停で待ち合わせてから会長さんのマンションへ。エレベーターで最上階のお部屋に着くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお出迎え。
「かみお~ん♪ お肉の用意、出来てるよ!」
もうすぐあっちのブルーも来るから、と案内されたキッチンの料理用テーブルに大きな串が立っていました。長さ一メートルくらいの銀色に光る太い串。本場モノだという串は二本で、片方がソルジャーのための串です。
「凄いや…。これに順番に刺すんだよね?」
薄切り肉を、とジョミー君が長い串を上から下まで何度も眺め、マツカ君が。
「とっても手間がかかりそうです。ぼくもお手伝いしましょうか?」
「んーとね、ぼくは大丈夫! お料理とかは慣れてるし…。お手伝いなら、あっちのブルーを手伝ってあげればいいんじゃないかな?」
きっと上手に出来ないと思うの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は心配そう。それは私たちも同じでした。自分でやるとか言ってましたが、相手はソルジャー。あまり器用ではなかったような…。
「こんにちは。…なんか手伝ってくれるんだって?」
ありがとう、と空間が揺れてソルジャーが姿を現しました。ケバブ用に漬け込んだ肉が入っているらしい大きな袋を抱えています。
「まだ手伝うとは言っていないぞ」
アテにするな、とキース君が切り返したものの、ソルジャーはまるで聞いてはおらず。
「自分でやるとは言ったんだけどね…。肉を薄切りにする所からしてまるでダメでさ、仕方ないから奥の手を…。ちょっと悪いとは思ったけれど…」
「何をしたのさ?」
会長さんの咎めるような目つきに、ソルジャーが肩を竦めてみせて。
「時間外勤務」
「「「時間外勤務?」」」
なんじゃそりゃ、と私たちの声が引っくり返り、ソルジャーは。
「そのまんまの意味だよ、時間外! ぼくのシャングリラにも厨房専属のクルーたちがいる。その連中に私的なお願い。だけどバレたら始末書くらいじゃ済まないからねえ、何をしたかは忘れて貰った。残業したのも忘れているよ」
「それがソルジャーのすることかい!?」
「仕方ないだろ、君と違って不器用なんだよ! 一応、フォローはしといたし…。ソルジャー自ら視察した上で労いの言葉って喜ばれるんだ。次の日の朝に行っといた」
昨夜は肉の漬け込みをお願いしたから今日の朝も、と言うソルジャーのフォローとやらは軽すぎるような気がします。御苦労様の一言よりも、何か一品つけるとか…。
「ダメダメ、それだと頼みごとをしたのがバレちゃうし! 御礼の言葉と握手で充分」
「「「………」」」
ソルジャーの世界のシャングリラ号をケバブ作りに巻き込もうとは夢にも思っていませんでした。私たちが本場のケバブを食べたがったばかりに、この始末。ホントのホントにごめんなさいです…。



私服に着替えたソルジャーがエプロンを着けて串の前へと。隣の串は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の担当ですけど、なにしろ身体が小さいですからテーブルの上に立っています。
「えとえと、お行儀が悪いんだけど…。こうしないと串に刺せないし…」
「いいって、いいって! 気にすんなよ」
子供だしな、とサム君が豪快に笑い、私たちも拍手で応援。さあ、ケバブ肉作りの始まりです。会長さんが冷蔵庫からタレに漬け込まれた薄切り牛肉と牛脂の山を運んで来て。
「はい、ぶるぅ。ブルーも自力で頑張って欲しいんだけどさ、そもそも根本からして分かっていないみたいだし…」
なんで薄切り肉を買わなかったのだ、と会長さんは冷たい視線。
「肉の分量が分からなかったかもしれないけどねえ、そういう時にはお店で訊けばいいんだよ! このくらいの塊の肉を薄切りで買ったらどのくらいですか、と言えば量ってくれるから!」
「そうなのかい? でもねえ…」
あちこちで買ったものだから、とソルジャーは抱えて来た袋を開けて沢山の袋を取り出しています。薄切り肉と牛脂なのでしょうけど、こんなに小分けにしなくても…。それともアレかな、こだわりの肉が産地別に分けて詰めてあるとか? あちこちで買ったと言ってましたし…。
「うん、まあ…。産地と言うより種類別かな」
ああ、なるほど。ヒレとかロースとか、お肉にも色々ありますもんね。たかがケバブに、この凝りよう。そんなタイプとは知らなかった、と感心していると。
「ケバブを食べたいって言った時にさ、ノルディに教えて貰ったんだけど…。ドネルケバブの肉って牛肉だけじゃあないんだってね? 豚とか羊とか鶏だとか」
それがヒントになったのだ、とソルジャーは幾つもの袋を開けながら。
「ぼくのは究極のケバブなんだよ、思い切り自信アリってね」
まずはどれから刺そうかな、と悩みつつ、まずは一枚、危ない手つきでグッサリと。タレに漬け込まれたせいで豚だか牛だか分かりませんけど、なんとか下まで刺せました。お次は牛脂。ソルジャーがモタモタしている間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は既に何層も重ねています。
「んしょ、んしょ…。こんな感じかなぁ?」
精一杯の体重をかけて押し込み、ペタペタ叩いて形を整え、次のお肉と牛脂をグサリ。手際良く伸びてゆくお肉のタワーと、見るも危なっかしいソルジャーの殆ど高さが伸びないタワーと。とうとうキース君が見かねて声を掛けました。
「おい、良かったら手伝おうか?」
「いいのかい? 助かるよ」
ソルジャーの顔がパアッと輝き、キース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」にエプロンの置き場所を尋ねています。うーん、ダテに仏弟子だの副住職だのはやっていませんでしたか、キース君! 困っている人を助ける役目って、お坊さんの基本ですものね。



助っ人に入ったキース君はソルジャーの肉のタワーをキッチリ押し込み、形をしっかり整えてから「ほれ」と右手を差し出しました。
「次に刺すのはどの肉なんだ? 言ってくれんと手伝えんぞ」
「ええっと…。コレかな、それじゃよろしく」
ソルジャーが渡した薄切り肉をキース君が上手く突き刺し、牛脂を重ねて「次!」と右手を。
「それじゃ、これ」
「よし。…ん? この肉は小さすぎないか?」
「いいんだってば、最終的には塊なんだし! その分、何処かで調整すればね」
「そういうものか? まあ、いいが…」
あんた専用のケバブ肉だしな、と素っ気なく口にしつつも、キース君は小さめの肉と次の牛脂を念入りに叩いて押し付けています。少しでも調整しておこうという心配りが凄かったり…。ソルジャーとキース君の共同作業は順調に進み、隣のタワーとの差も縮まり始めて。
「どんどん渡せよ、あんたは刺すのに向いてないしな」
「感謝するよ。はい、次」
「ああ」
薄切り肉をグサッと刺して押し込もうとしたキース君の手が不意にピキンと固まりました。肉を手にしたまま、震える声で。
「お、おい…。こ、此処に尻尾のようなものが…」
「えっ、尻尾? …ごめん、クルーが取るのを忘れたのかも」
「「「尻尾!!?」」」
どうして薄切り肉に尻尾なんかが、と覗き込んでみれば確かに尻尾。細くて短い尻尾です。牛とか豚の尻尾にしてはサイズが小さすぎる気が…。キース君は尻尾つきの肉をタワーに押し込み、ソルジャーをギロリと睨み付けると。
「…この尻尾、何の肉なんだ? 俺の知識が確かだったら、牛だの豚だのの尻尾ではないな」
「スッポンだよ。さっきの小さい肉も同じさ」
ケロリと答えたソルジャーに誰もが唖然。なんでスッポンがケバブ肉に…?
「え、だって。薄切り肉を固めて塊にするんだろう? バラエティ豊かに仕上げるチャンスさ、いろんな肉をね」
「ちょ、ちょっと…」
会長さんが隣のタワーから移動してきて。
「もしかして薄切り肉を買えなかった原因はソレなのかい? スッポンの薄切り肉なんて売っているのは見たことないしね」
「そうなんだよ! 何処も塊とか丸ごとばかりで、どうにもこうにも」
薄切りにするのも一苦労だった、と愚痴るソルジャー。その作業、ソルジャーじゃなくて向こうの世界のシャングリラ号のクルーたちがやった筈ですが…?
「だから余計に苦労したんだよ、普段に厨房で扱ってるモノと違うしさ…。ぼくも捌き方なんて分かっていないし、もう適当にやれとしか…。それで尻尾の取り残しがね」
申し訳ない、とソルジャーがキース君に謝り、袋の中から次の肉を。
「こっちは尻尾は無いと思うよ、最初から塊で買ったから」
「…何の肉だ?」
「パワーみなぎるオットセイ! でもって、こっちのが馬で、こっちがアザラシ」
「……分かった、もういい……」
説明しなくても大体分かった、とキース君は大きな溜息。スッポンにオットセイ、馬肉とくればソルジャーが何を目指しているのか嫌でも分かるというものです。万年十八歳未満お断りでも、長年ソルジャーに付き合っていれば精の付く食べ物オンパレードだというくらい…。
「悪いね、手伝ってくれているのに嫌な思いをさせちゃって。…尻尾の件は本当にごめん」
「い、いや…。気付いた俺が悪かった。ほれ、次!」
「了解。これはね、龍と名高い蛇の肉でさ」
「……へ、ヘビ………」
ぎゃあぁぁぁぁ!!! とキース君の叫びが響き渡って、それ以降、ソルジャーのタワー作りに新たに加わる人は誰一人としていませんでした。乗りかかった船のキース君だけが泣きの涙で積み重ねた肉、センザンコウなんていう御禁制の品もしっかり混じっていたようです…。



ソルジャーが嬉々として作った精力目当てのケバブ肉のタワーと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」作の牛肉オンリーのケバブ肉タワーは余分な肉をナイフで切り落として形を整え、型崩れしないよう食品用ラップでグルグル巻きに。出来上がったら串から外して冷蔵庫に保管。
「…ブルーの分は持って帰ってくれて助かったよ…」
あんな肉なんか預かりたくない、と呻く会長さん。あれから毎日、ソルジャーのケバブ肉は何かと話題になっています。タワーを作り終えたキース君が洗面所で三十分も手を洗い続けたとか、あれ以来、朝夕の勤行で本堂の『三界万霊』と書かれた位牌の前で五体投地だとか、色々と。
「…あいつのことだ、一つくらいは殺生したかもしれんしな…」
キース君が嘆けば、会長さんも。
「そうだよねえ…。全部お店で買ったと言うけど、活けで買ってたら殺生だしねえ…。君には本当に同情するよ、ダメージが半端なさそうだ」
ヘビ肉だけでも大ダメージ、と会長さんが呟く横でキース君は合掌とお念仏。ヘビ肉を串に刺してゆく作業よりかは、先輩さんに苦労させられた仏具磨きの地獄の方が遙かに極楽らしいです。それに文句を言ったばかりに罰が当たった心境らしく。
「阿弥陀様、申し訳ありません…。荘厳具を磨かせて頂く有難さも忘れ、至らぬ凡夫でございました。どうかお許し下さいませ。…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」
「もうそのくらいにしとけよ、な? キリがねえぜ」
サム君がキース君の肩をポンと叩くと、親指を立てて。
「それより明日はケバブ焼きだろ? あっちのブルーの肉は忘れて楽しまなきゃな」
「そうだったな…。俺が延々と落ち込んでいたんじゃ、せっかくのケバブも味が落ちるか…」
「かみお~ん♪ ハーレイにお手伝い、頼んであるもん! 沢山パンを焼いとくね!」
トマトとタマネギのスライスも、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌です。念願の手作りドネルケバブ。本場のお店からレシピを盗んだヨーグルトソースもバッチリ仕込んで、明日の土曜日を待つばかり。ソルジャーが肉を抱えてやって来ることは分かってますけど、忘れにゃ損、損!



こうして迎えたドネルケバブ焼きの日。会長さんのマンションの屋上に炭火焼き用の竈が二つ並べて据えられ、冷蔵庫から出された肉とソルジャーが持参した肉が串に刺されて竈へと。タワーではなく横倒しにされ、いわゆる丸焼きコースです。
「じゃあ、ハーレイ。君は間に立って串を回す、と」
会長さんの指示で、今日から参加の教頭先生がスタンバイ。右手と左手、それぞれに串を回すための取っ手を握ると、点火と共にグルリグルリと回してゆきます。炭火で炙られた肉は香ばしい匂いを漂わせ始め、ソルジャーの肉も何で出来ているかを考えなければいい焼き色で。
「えとえと…。ブルーのお肉も、もう削ってもいいと思うの!」
頑張ってね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が私たちの分をナイフで削いで、野菜と一緒にパンに挟んで特製ソースをたっぷりと。うん、美味しい! これぞまさしく本場の味です。ソルジャーはと言えば、私たちの方のケバブを頬張っていて。
「おや。あちらの肉は召し上がらないのですか?」
教頭先生が不思議そうに訊くと、ソルジャーは。
「あれはお土産用なんだよ。ぼくのハーレイ、今日は来られないものだから…。焼き上がったヤツをお持ち帰りで食べて貰うしかなくってさ」
「そうでしたか…。それは残念でらっしゃいますね」
焼き立てが最高だと思うのですが、と教頭先生はソルジャー夫妻を気遣いつつも会長さんとのケバブ・パーティーに感動中。なにしろ両手が塞がっているわけですから、たまに会長さんが「はい」と口許にケバブ入りのパンを差し出してくれるという特典が…。
「はい、じゃなくって「あ~ん♪」なんだよ、君はイマイチ配慮が足りない」
ソルジャーの指摘を受けた会長さんは。
「お手、おあずけって言わないだけでもマシだと思って欲しいんだけど? ぼくには「はい」が精一杯だね」
「おあずけねえ…。犬にするのもプレイとしては燃えるよね」
「その先、禁止!」
余計な台詞を喋る暇があったら肉を削れ、とピシャリと叱られ、ソルジャーはナイフ片手にブツブツと。焼き上がった肉を削る作業はさほど下手ではないようです。ソルジャー曰く、「ナイフも剣も似たようなもの」。物騒な気もしますけど…。
「あっ、分かる? 昔ね、海賊たちの拠点にいた時にはさ、サイオンで剣を振り回したり…ね。海賊相手に勝ったんだってば」
だからケバブの肉くらい、と焼けた分から削るソルジャー。精力抜群を目指す特製肉がお皿に山盛り、冷めた分からラップに包んで保冷ケースへと。「そるじゃぁ・ぶるぅ」にパンのお裾分けを頼んでいますし、キャプテンに食べさせてパワーアップということでしょうねえ…。



あんなに大きかった肉の塊も、みんなでワイワイ食べている間に小さくなっていって、ついにフィナーレ。串の周りに残った肉を削いで落として、もう無くなったパンの代わりに野菜と一緒にお皿に盛ってソースをかけて…。
「ハーレイ、今日はお疲れ様。お蔭でたっぷり食べられたよ」
はいどうぞ、と会長さんがお皿を差し出し、ソルジャーも。
「ぼくからも御礼を言わせて貰うよ、ありがとう。焼いてくれた肉はいいお土産になるし、今日の思い出に何度にも分けて食べなくっちゃね」
はい、あ~ん♪ と特製ソースがかかった肉を目の前にぶら下げられた教頭先生、躊躇ったのは一瞬だけで。
「「「………」」」
パクン、と頬張った教頭先生は、それは幸せそうでした。頭の中では妄想爆発、ソルジャーの姿が会長さんとダブっているに違いありません。
「ふふ、美味しい? それじゃ、あ~ん♪」
「…………(はあと)」
涎の垂れそうな顔で無言の内にもハートマークな教頭先生、緩んだ顔でモグモグと。会長さんは怒り心頭、ソルジャーを教頭先生の前から引っぺがそうとしたのですけど。
『……シッ! これから面白くなるんだからさ』
あ~ん♪ と肉を頬張らせつつ、ソルジャーが思念でクスクスと。
『食べさせてるのは特製肉! ジワジワ効いてくると思うな、じきにズボンがキツくなるかと』
『なんだって!?』
『そうなった時は、今日の御礼にしっかりサービスしようかなぁ…』
ふふふ、と笑ったソルジャーは肉を咥えて「ん…」と教頭先生の顔の前へ。夢見心地の教頭先生はポ~ッとしたまま口で受け取り、モグモグモグ。必然的にソルジャーの唇を引き寄せてしまい、あわや触れるかという寸前で。
「はい、ここまで~♪」
続きは君のベッドでしようか、と耳元で熱く囁かれた教頭先生、一気に鼻血。ソルジャーはサッと身を翻すと。
「あっ、悪いけど、ぼくはヘタレはちょっと…。続きはブルーにお願いしてよね、パワーだけなら充分みなぎる筈だから!」
後は努力でカバーしたまえ、と艶やかなウインクを残し、ソルジャーは特製肉の山を抱えて消え失せました。取り残された教頭先生は耳まで真っ赤で、もじもじと。
「…す、すまん…。ブルー、今のは、そのぅ……」
「分かってるってば、君がどういう目でぼくを見ていて、何をしたいと思ってるかは……ね」
「…で、では……。お、お前さえ良かったらの話なのだが……」
これから私と、と鼻血を堪えての告白が出来た裏には特製肉の凄いパワーがあったのでしょう。しかし会長さんの答えはといえば…。



「ふん、君の貧弱なケバブ肉には特製ソースがピッタリなんだよ」
これをしっかりまぶしたまえ、と頭の上からヨーグルトソースの残りがドボドボと。
「トマトとタマネギを添えておいたら、ブルーが戻って食べに来るかも…。それまでベッドで待つんだね。それじゃ、さよなら」
今日はお手伝いありがとう、と瞬間移動で放り出された教頭先生の行き先は自宅の寝室辺りでしょうか? ソルジャーはキャプテンに特製ケバブを食べさせた上でお楽しみでしょうし、戻って来るわけがありません。えーっと、教頭先生は…?
「いいんだってば、あんなスケベは!」
面白いけれど愛想も尽きる、と会長さんはツンケンと。
「ぼくのジョークを真に受けたらしいよ、本気でソースをまぶすつもりだ」
「えとえと…。ハーレイ、ケバブ肉のお土産、持っていないよ?」
あっちのブルーがあげてたっけ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が首を捻って、私たちは顔を見合わせるばかり。会長さんの言ってたケバブ肉って……もしかしなくてもアレだろうな、と思うんですけど…。
「ケバブ肉っていうの、アレだよねえ?」
ジョミー君の疑問に、キース君が。
「どうだかな…。とにかく俺はドッと疲れた」
仏具磨きに精進するぞ、と誓うキース君の肩を会長さんがトントンと。
「磨きついでにケバブの串も磨いてくれると嬉しいんだけど…。また機会があったら作りたいから、きちんとメンテをしておかないと」
「く、くっそぉ…。えーい、梅酢でもピカールでも、ニューテガールでも持ってきやがれ!」
ヘビもスッポンももう沢山だ、とキース君は沈もうとしている夕陽に向かって絶叫でした。とんでもない肉を焼かされた串の始末は、仏具磨きのプロの腕前で綺麗に拭って欲しいです。ついでにソルジャーの煩悩なんかも綺麗に消えると嬉しいですけど、そっちは無理な相談ですかねえ?




      ケバブの誘惑・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 ケバブの屋台、最近は増えているようですねえ、移動屋台で。
 来月は 「第3月曜」 9月15日の更新になります、よろしくお願いいたします。
 毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
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 上も下もなく、時すらも無い白い空間。
 ただ暖かく、穏やかな光に包まれてブルーは眠る。
 どのくらい、こうしているのだろう。どのくらい、こうしていたのだろう。
 意識すらも心地よく溶けて定まらない眠りの中で、時折、胸がツキンと痛む。



 失くしてしまった。
 …何を?
 もう会えない。
 …誰に?



 それが何なのか思い出せないし、思い出すことすらも億劫に思えてしまうのだけれど…。
 違う、と心に小さな漣が立つ。意識が目覚めそうになる。
(ぼくはもう何も失くしたくない)
 嫌だ、とブルーは目覚めを拒否して胎児のように手足を丸めた。この穏やかな光の中では自分は決して傷つきはしない。何ものもブルーを傷つけはしない。
 かつて何かに傷ついたのか、あるいは傷つけられたのか。それすらも此処ではどうでもいい。
 それなのに胸がツキンと痛む。何故なのか、それを探りたいとも思わないのに。
(…もう何も、誰も失くしたくない…)
 何を失くしたのか、誰を失くしたのか。
 胸がツキンと痛むのは嫌で、ずうっと眠っていたいのに…。
 眠りの中でキュッと握った右の手が冷たい。此処は暖かくて心地よいのに、こんなにも穏やかで暖かい光の中で眠っているのに、胸がツキンと痛む時には右の手だけが冷たくなる。
(……何故?)
 暖かいのに。何もかもが優しくブルーを包み込むのに、どうしてこの手は冷たいのか。
 それを知りたいとは思わない。…知ったならばきっと辛くなる。きっと悲しくて泣いてしまう。
 何も考えずに眠ればいい。眠っていればいつか右手は温かくなるし、心も再び光に溶ける。
 そう、眠ってさえいれば痛みも辛さも、何も感じはしないのだから……。



 自分は何を失くしたのか。誰を失くしてしまったのかも、いつしか眠りと光とに溶けて。
 けれど時々、胸がツキンと微かに痛む。右の手が凍えて冷たくなる。
 ブルーはむずかる幼子のように「嫌、嫌」と首を振り、丸くなってそれをやり過ごす。
 痛いのは嫌。手が冷たいのも、心が痛くなるから嫌。
 忘れたいのに。何もかも忘れていたいのに…。
(……嫌だ)
 また冷たい。手が冷たくて胸が痛い、と丸くなろうとしたブルーの右の手が、ふっ、と柔らかな温もりに包まれた。
 柔らかだけれども、がっしりとした感触と確かな温もり。
「ブルー」
 穏やかな声に名前を呼ばれた。低く優しい響きの声。
(……誰?)
 この声を自分は知っている。そう、ずうっと前から知っていた声……のような気がする。
(…ううん、そうじゃない)
 知っているのではなくて、待ち続けていた。
 ぼくはこの手を、この温もりを、この声が呼ぶのを長い長い間、待っていた。
 此処で独りで眠り続けながら。
 上も下も無く、時すらも無い場所で心を光の中に溶かして、傷つかないように眠りながら……。



「ブルー、やっと会えた。…やっと見つけた」
 くるり。
 光の世界がくるりと回って、穏やかな渦がブルーを包んでふうわりと回る。
 上も下も無い空間がゆっくりと回ってそれを止めた時、ブルーは一人ではなくなっていた。
 側に在る優しい、懐かしい温もり。
 おずおずと閉じていた瞳を開ければ、広い胸の中に抱かれていて。
「……ハーレイ……」
 褐色の肌に鳶色の瞳、逞しく大きな身体を持ったブルーの恋人。
 ブルーをそうっと抱き締めながら、懐かしい声が問い掛ける。
「…ブルー…。何故、こんな所に一人きりで?」
 訝しむ声に問われて思い出した。
 どうして自分が一人きりで此処で眠っていたのか、どうして時々、胸が痛んだのか。
 胸がツキンと痛む時には、どうして右手が冷たくなってしまったのかを。
「……もう何も失くしたくなかったから。温もりを失くしてしまったから」
「…温もりを?」
 怪訝そうな声に小さく頷く。
「……最期まで覚えていたかった…。最後に君に触れた手に残った温もり。あの温もりがあれば、ぼくは一人じゃないと思った。……それなのに、ぼくは失くしてしまった」
 メギドで撃たれた傷の痛みがあまりに酷くて、それに耐えるのが精一杯で。身体に弾が食い込む度に右手に残った温もりは薄れ、最後には何も残らなかった。
 一人きりで死んでゆくのがとても辛くて、悲しくて…。
 そうして暖かな光の世界で眠り続けて、心すらも光に溶かして眠った。
 もう何も自分を傷つけないよう、何ひとつ失くさないように。一人きりでもかまわなかったし、それで充分だと思っていた。
 温もりを失くしてしまったから。これ以上は何も、誰も失くさないでいられるのならば、一人で眠っていたかったから…。
「ブルー……」
 ふわり、と右の手を温かく包み込む温もり。ハーレイの手がブルーの右手を優しく包んだ。
「一人じゃない。もう、あなたは一人きりじゃない」
 側に居るから。いつまでも側を離れないから、と抱き締められてブルーはコクリと頷く。
「…うん…。ぼくはもう、一人きりじゃない…」
 その幸せ。その幸い。もう胸がツキンと痛みはしないし、右の手も冷たくなったりはしない。
 自分は全てを取り戻したから。…失くしたものも、失くした存在も……。



 ブルーが守った白いシャングリラは遠く旅立って行ったという。青くなかった地球を離れて、新しい世代のミュウたちを乗せて。
 地球の地の底で命尽きたジョミーや長老たちもまた、行くべき場所へと旅立った、と。
「…あなたも其処に居ると思った。なのに、あなたは見付からなかった」
 どんなに捜し回ったことか、とハーレイがブルーの背を何度も撫でる。
「もしや何処かに新しく生まれてしまったのでは、と焦っていたのに、あなたときたら…」
「……ごめん。でも、ぼくにはそんな勇気は無いよ」
 だから此処にずっと一人きりで居た、とブルーは言った。
「新しい命を貰ったとしても、君がいなければ意味が無い。…君と一緒にいられないなら、そんな生には何の価値もない。それくらいなら一人で良かった。…そうすれば何も失くしはしないし、君を失くしてしまいもしない」
「本当にそうか? 何を失くしたかも忘れてしまうような世界でも?」
「…忘れていないよ」
 本当だよ、とブルーはキュッと右の手を握る。
「思い出すと辛いと分かっていたから、思い出さないようにしていただけ。……それでも胸は痛くなったし、右手が凍えて冷たくなった。ぼくは忘れていなかったから。誰を失くしたのか、何を失くしたのか、どうしても忘れられなかったから…」
 だから、とハーレイの胸に縋ってブルーは大粒の涙を零した。
「ぼくは何処へも行きたくはないし、君とも二度と離れたくない。ずうっと此処で二人きりでも、君がかまわないのならそうしたい。…誰にも会うことが出来なくても」
「…ブルー……」
 ほうっ、とハーレイが溜息をつく。
 もしかして行ってしまうのだろうか? ハーレイはブルーを此処に残して、皆の後を追って行くのだろうか。
(でも、ぼくは…。ぼくはハーレイを忘れたくない)
 ハーレイが行ってしまうのであれば、また一人きりで眠ればいい。…今度はハーレイの温もりを失くさないよう、大切に抱いて眠ればいい。そうすればハーレイが居なくなっても…。
 そう思って握ろうとした右の手をハーレイが捕え、自らの指を絡ませた。
「…私もあなたを忘れたくない。あなたの望みが同じだと言うなら、何処へも行かない」
 二人でずっと此処に居よう、とハーレイは言った。
「あなたさえいれば、それだけでいい。…他には何ひとつ望みはしない」



 上も下も無く時間すらも無い、白い光に満たされた二人だけの世界。
 其処で他愛ない言葉を交わして、寄り添い合ってブルーはハーレイと過ごす。
 外では時が流れているのだろうけれど、二人きりの世界に時間などは無い。それでも時が経ったことをブルーに教えるものは、ハーレイがブルーを呼ぶ時の言葉。
 いつの間にか「あなた」が「お前」に変わって、ハーレイが自分を指して言う言葉もいつしか「私」から「俺」へと変わった。
 遠い昔にアルタミラで初めて出会った頃のそれと変わらない言葉。それが心地よくて、ずっとこのままでいいと思った。
 上も下も、時間すらも無い白い空間でも、こうして二人きりで居られるのならば。
 けれど少しずつ欲張りになる。
 もっと、もっとハーレイを強く感じてみたい。
 光の中で二人溶け合ったように寄り添い合ったまま、もうどのくらいになるのだろう。
(…もう一度、君を感じてみたい)
 ハーレイの広い胸に身体を擦り寄せる。
(失くしてしまったヒトの身体で、もう一度ヒトとして君に会いたい)
 此処で過ごしてきた緩やかで長い時に比べれば一瞬のような、ほんの短い生であっても君と同じ『時間』を過ごしてみたい。
 遠い日に白いシャングリラでそうであったように、ヒトとしての温もりを分かち合いながら…。
 そしてブルーは口にしてみる。
「もう一度、君と一緒に生まれてみたいな」
「…ブルー?」
「ミュウが人として生きていられる世界で。…もう一度、君と生きられるのなら」
 夢なんだけれど、とブルーは呟く。
「……本当にただの夢なんだけれど、叶うのならば君と一緒に人の身体で」
「そうか…」
 ハーレイの腕がブルーを抱き締め、離すまいと強く力を籠めた。
「…お前の夢なら叶えてやりたい。此処を離れてもう一度、人になりたいのならば」
「うん……。でも、それで終わりになるのは嫌だ」
 ぼくは欲張りで弱虫だから、とブルーはハーレイに縋り付く。
「人として生きる生を終えたら、二人で此処に還ってこよう。また二人きりで長い長い時を一緒に過ごして、また人になって生きてみたくなる日まで…」
「そうだな。…俺もお前と離れたくはない」
 この世界に居よう、とハーレイも頷き返した。此処こそが自分たちのために在る世界だと。



 二人きりで過ごすためだけに在る、上も下も時も無い白い空間。
 ハーレイに寄り添ってその温もりを感じる幸せの中で、ブルーは夢を言の葉に乗せる。
「ぼくは地球がいいな」
 もう一度ヒトとして生まれられるのなら地球がいいな、と遠い日の記憶をうっとりと追う。
「…地球がどうなったのかは分からないけれど、もしも蘇っているのなら…。ぼくが行きたかった青い水の星が在るのだったら、その上に生まれてハーレイと一緒に暮らしてみたい」
「俺は地球にはこだわらないが…」
 しかし、とハーレイがブルーの頬に両の手を添えて赤い瞳をひたと見詰めた。
「…俺はお前の姿を見たい。今とそっくり同じ姿に生まれたお前を見たいと思う」
「ぼくもだよ、ハーレイ」
 それはぼくも同じ、とブルーは鳶色の瞳を見詰め返して、ハーレイの背に自分の両腕を回す。
「…ぼくもハーレイに会いたいよ。「さよなら」も言えずに別れてしまって、見詰めている暇さえ無かったから。…また人として生まれられるなら、好きなだけハーレイを眺めていたいよ…」
「俺もだ。同じ人として巡り会えるなら、この姿をしたお前でないとな。どんな姿でも俺はお前を見付けられるが、今の姿が何よりも好きだ」
 同じ姿に生まれて来てくれ、と願うハーレイに「うん」と頷き返したけれど。
(…そんな時はきっと来やしない)
 来るわけがない、とブルーは桜色の唇を噛んだ。
 長い長い時をずうっと此処で過ごして、いつまでもきっと、このままで…。でも…。
「…ハーレイ…」
「なんだ?」
「……もしも神様が居るんだったら。願いを叶えて欲しいよ、ハーレイ…」
 もう一度、君と生きてみたいな、と夢に思いを馳せるブルーをハーレイは優しく抱き締める。
「お前の夢なら叶うんじゃないか? …俺の夢なら難しそうだが、お前は世界を、ミュウの未来を守ったんだからな」
 いつか叶うかもしれないな、とブルーを大切に腕に抱きながら、ハーレイは心の中で祈った。
 神よ。
 もしもあなたが居るというなら、ブルーの願いを、私の愛しい者の願いを叶えて下さい。
 その身を、命をミュウの未来に捧げて散った、私のブルーの願い事を……。



 そうして恋人たちは寄り添い続ける。
 上も下も、そして時も無く、ただ二人きりの空間の中で。
 穏やかに笑い合い、寄り添い合って眠り、目を覚まし、また二人で眠って、時の流れからも遠く離れた二人だけの世界で夢を語り合って。
「…ねえ、ハーレイ…」
 ブルーは幾度も繰り返してきた夢の続きを歌うように紡いだ。
「もう一度生まれて、地球の上で君に会ったなら。……ぼくは必ず思い出せるよ、君が誰なのか、ぼくは誰なのか」
 ……でなければ会う意味が無いだろう?
 思い出すよ、ぼくは誰で君が誰だったのかを…。
(……でも……)
 どうやって思い出したらいいんだろう、とブルーは自分自身に問い掛ける。
 此処へ来る前に自分が失くしてしまったもの。
 それを失くしたことが悲しくて、何もかも忘れて眠ろうとした。胸の痛みも、右の手に時折感じた冷たさでさえも、忘れたいという願いの元にはなっても思い出す縁にはならなかった。
(…君の温もりさえも失くすようなぼくが、どうしたら思い出せるんだろう?)
 今度は決して忘れるわけにはいかないのに、と考え続けて一つの答えに辿り着いた。
 ハーレイの温もりを失くした理由。それがあるなら、それを逆手に取ればいい。そうすれば…。
「…ハーレイ。ぼくは今度は忘れないよ」
 ぼくは絶対に忘れない、とハーレイの身体に腕を絡めて抱き付いた。
「本当か? …随分と自信がありそうに見えるが、いったいどんな根拠があるんだ?」
 お前は俺を忘れかかっていたじゃないか、と笑うハーレイに「内緒」と囁く。
「でもね、本当にぼくは忘れない。…もしも願いが叶えば、だけど」
 地球の上に生まれられなかったら出番なんか無い方法なんだよ、とブルーは微笑む。
「…確かにな。その時までは内緒なんだな」
「うん。…そういう時が来たら、だけれどね」
 それまでは内緒、とハーレイの温かな胸に身体を押し付け、ブルーは遠い過去を思った。
(……大丈夫。今度は思い出せる)
 きっと、きっと、ぼくは思い出すことが出来る。
 君の温もりを失くしてしまったのが、あの酷かった痛みのせいならば。
 あの時の傷を生まれ変わったぼくの身体に刻むよ、今度は何ひとつ失くさないように……。



 穏やかな白い世界にハーレイと二人、其処には上も下も、時すらも無くて。
 その暖かな光の世界で過ごしながらも、ブルーはその身に傷を刻んだ。
 ハーレイに決して悟られないよう、けして身体には出さぬよう…。
 魂だけで存在する身に「見えぬ傷痕」を刻み付けることはとても難しく、辛く悲しかったメギドでの時を思い返すことも嫌だったけれど、あの時の傷に頼るより他に道は無い。
(…もしもハーレイと、もう一度生まれて地球で会えるなら)
 その願いがもしも叶うのならば、と切ないまでの祈りをブルーは自らの傷痕に託す。
(いつかハーレイと出会った時には、ぼくに教えて。…ハーレイなんだ、と。…ぼくが誰なのか、ハーレイはぼくの何だったのかを、その痛みでぼくに思い出させて)
 いつかそんな日が来るのならば、と刻み付けた傷痕に思いを託して、願い続けて。
「…ハーレイ。…ぼくは必ず思い出すから、いつか一緒に地球に生まれたい」
「お前の願いが叶うといいな。…お前の夢が叶うんだったら、俺はいくらでも祈ってやる」
 神様ってヤツに祈り続けて頼んでやるさ、とハーレイはブルーを強く抱き締めた。
 腕の中のブルーがその身に刻み付けた傷痕に気付きはしなかったけれど、ブルーの願いを叶えてやりたいと心から思い、ただ神に祈る。
 愛しいブルーがいつの日にか地球の上に生まれて、もう一度、人として生きられることを。
 その時は自分も共に生まれて、今度こそブルーを守るのだと。
(神よ。…どうかブルーの願いを叶えて下さい)
(…ねえ、ハーレイ…。今度こそ、ぼくは忘れない。ぼくは必ず思い出すから)



 いつの日か、蘇った青い水の星の上で。
 今と寸分違わぬ姿で、もう一度人として巡り会いたい。
 此処で過ごす長い時に比べれば短いものでも、人の身体で同じ時間を過ごしたい。
 そして寿命が尽きた時には、また二人きりでこの上も下も無く、時も無い白い世界へと…。
 二人して願うようになってから、どのくらいの時が流れたのかは定かではなく、謎だけれども。
 神はハーレイの切なる祈りを、ブルーの願いを聞き届けた。



 時は流れて、十四歳を迎えたブルーの右の瞳の奥がツキンと痛む。
 瞳から零れた鮮血こそが、かつてブルーがその魂に刻んだ傷痕が蘇る証。
 年度初めに少し遅れて赴任してきた古典の教師、ハーレイに出会い、ブルーの身体にメギドでの傷痕が浮かび上がって大量の血が溢れ出す。
(……ハーレイ?!)
(…ブルー?!)
 ブルーは全てを思い出した。
 自分が誰であったのかを。ハーレイは自分の何だったのかを。
 ハーレイもまた記憶を取り戻し、二人の時間が再び流れ始めた。
 上も下も無く時すらも無かった白い空間は遠いものとなり、いつか二人で還る日までは思い出すことも無いだろう。今の二人には重力を持った地球の大地と、時の流れとがあるのだから。
 ブルーがその魂に刻み付けた傷痕を見た人々は『聖痕』と呼んだ。
 それは神の業ではなかったけれども、ブルーの切なく強い願いが刻んだもの。
 愛する者を二度と忘れることがないよう、出会えば思い出せるよう。遠い昔に失くした温もりのように、儚く消えてしまわぬようにと。
 こうして出会った二人の時間がどれほど幸せに満ちたものかは、二人だけにしか分からない…。




     時の無い場所で・了


※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
 実は8月、ハーレイ先生のお誕生日という設定になっております。
 ブルー君は3月31日です、と3月に公表いたしましたが、知られてないかも…。
 此処ではなくて、毎日更新なシャングリラ学園生徒会室の方での発表でしたし。
 それはともかく、ハーレイ先生は8月です。
 ゆえに今月は3回更新の予定であります、ハレブル別館。
 ハーレイ先生のお誕生日が8月の何日なのかは…。
 待て、次号! 次回更新時にお知らせです~。


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 十四歳になったばかりの小さなブルー。
 前世の記憶を全て持っているのに、ブルーの心は身体と同じに年相応の子供のもの。
 無邪気に微笑み、溢れんばかりの「好き」という想いをぶつけてくる小さなブルーがハーレイは可愛くてたまらなかったが、ブルー自身は一人前にキスを強請ってきたりする。
 その度に「駄目だ」と叱りつけては、脹れっ面になったブルーを見る日々。
(…俺も本当は辛いんだがな…)
 前世で愛したブルーが直ぐ目の前にいるというのにキスさえ交わせず、それよりも先に進むことなど出来る筈さえ無い辛さ。
 ブルーが欲しい。ブルーを抱いて自分一人だけのものにしてしまいたい。
 狂おしい欲望と戦いながらも、その一方でブルーが十四歳の子供であることを嬉しくも思う。
 前の生では叶わなかった幸せ一杯な子供の時間。
 SD体制の頃と違って十四歳から後も両親と共に暮らせる温かな時を、ブルーに存分に味わって欲しかったから…。



 最初はハーレイも錯覚していた。
 ブルーが通う学校の教室で出会い、赤い瞳から、その身体から大量の鮮血が流れ出したあの日。
 前世の記憶を共に取り戻し、病院に搬送されるブルーに付き添って救急車に乗った。
 けれどハーレイは学校に戻らねばならず、自らが思い出した前世の記憶や今後について従兄弟の医師と相談しただけで後ろ髪を引かれる思いで職場へ。
 愛しいブルーが帰って来たのに、遠い遠い昔の生で死に別れた恋人が戻って来たのに、今の生がハーレイの自由を奪う。ブルーを抱き締め、側に居たいのに仕事がそれを許してくれない。
 早く学校が終わらないかと何度も何度も時計を眺めた。転任教師の引き継ぎの仕事も「ブルーの様子を見に行きたいので」と早めに切り上げ、校門を出てブルーの家へと。
 初めて訪ねたブルーが両親と暮らす家。
 挨拶を済ませて二階にあるブルーの部屋に案内され、ブルーの母が扉を叩く。
「ブルー? ハーレイ先生が来て下さったわよ」
 どうぞ、と開けられた扉の向こう側、ベッドにブルーが横たわっていた。ハーレイの記憶に最後に刻まれた姿よりも幼いけれども、銀色の髪も赤い瞳も間違いなく愛したブルーのもので。
 「少しの間だけ、二人きりにさせて」と母に告げるブルーの姿に鼓動が高鳴った。
 ブルーの母がお茶の用意をしに出て行くのを待って、ブルーの唇が紡いだ言葉。
「……ただいま、ハーレイ。帰って来たよ」
 もうそれだけで堪らなかった。ブルーが負った傷を見てしまったから、激しい後悔に襲われる。どうしてブルーを一人でメギドへ行かせたのかと。何度も繰り返し「行かせるのではなかった」と悔やむハーレイに、ブルーが微笑む。
 あの時は自分がそう決めた。けれど今度は離れたくない、と。
 そう告げるブルーがあまりに健気で、そして儚く弱々しく思えて、たまらずベッドから起こして抱き締めていた。ブルーの腕がハーレイの背中に回され、キュッとしがみ付く。
「…離れない。二度とハーレイと離れたくない」
「ああ。二度とお前を離しはしない」
 ほんの僅かの間だけ抱き合い、互いの想いを告げた時には「あのブルーだ」と思っていた。
 別れた時そのままのブルーの心が幼い身体に宿ったのだ、と。



 しかしブルーの母が紅茶とクッキーを用意して戻り、束の間の抱擁は終わってしまった。
 そしてテーブルを挟んで再びブルーと向き合った時に、ハーレイは「違う」と気付かされた。
「…ハーレイ? クッキー、食べないの? 美味しいよ」
 ぼくのママが焼いたクッキーなんだ、と勧めるブルーの年相応に幼い顔立ち。
 ハーレイの来訪を心から喜び、その嬉しさを隠そうともしない輝くような笑顔。それはかつてのソルジャー・ブルーの笑みとは違った。
 顔立ちが幼いからだけではなく、ブルーの中から滲み出す感情が違いすぎる。
 ハーレイに向けられる純粋無垢でひたむきなブルーの想いと心。
 ただひたすらにハーレイを慕い、側に居たいと願うブルーは姿そのままに小さな子供。
「…ハーレイ? どうかした?」
 何処か変だよ、とブルーが首を僅かに傾げた。
「せっかく会えたのに嬉しくないの? …ぼくの身体が小さすぎるから?」
「いや。……そういうわけではないんだが…。確かにお前は小さすぎだな、驚いた」
 まるでアルタミラで出会った頃のようだな、と言えばブルーは「そうだね」と素直に頷く。
「でもね、中身は違うから! ちゃんと何もかも思い出したし、昔のままだよ」
「…そうだな、どうやらそうらしいな」
 メギドで無茶をしすぎたお前だ、と返すと「もうしないよ」と答えが返った。
「ぼくは何処にも行かないよ。…ずっとハーレイの側に居るから」
「そうしてくれ。生憎と家は別なんだがな」
「…そうだったね…。ハーレイと一緒に居たいのに…。今夜くらいは一緒に過ごしたいのに」
 でもママとパパが居るから無理だよね、と俯くブルーが何を求めているのか、ハーレイには視線だけで分かった。前世での仲と全く同じに、恋人同士の絆を確かめ合う時間。ハーレイに抱かれ、失った時を取り戻したいとブルーの赤い瞳が揺れる。
「無理を言うんじゃない。お前、倒れたばかりだろうが」
 我儘を言うな、とブルーの髪をクシャリと撫でてハーレイは椅子から立ち上がった。
「…しっかり眠って疲れを取れ。今日はもう、俺は帰るから」
「えっ…。でも、また会いに来てくれるよね?」
「ああ。ちゃんと身体を大事にするんだぞ」
 分かったな、とブルーの右手を握ってやれば「うん」と柔らかな頬を擦り付けてくる。
 その仕草。ブルーが心からハーレイを愛し、側に居たいと願っているのが伝わってきた。
 けれど…。
 前の生で愛したブルーは確かに其処に居るのだけれども、前と同じに愛を語らうには心も身体も幼すぎる、とハーレイの勘が告げていた。



(…見た目どおりに子供なブルーか…)
 ブルーと別れて自分の家に戻ったハーレイはフウと大きな溜息をつく。
 慌ただしかった一日が終わり、もう今頃はブルーもベッドでぐっすり眠っていることだろう。
 大量出血を起こしたブルーは今週中は登校禁止で自宅静養。明日も様子を見に出掛けたいと思うけれども、今日ですら引き継ぎを途中で切り上げねばならなかった身だ。次にブルーを訪ねられる日は恐らく週末まで来ない。
(…一日でも早く会いたいんだがな…)
 あまりにも突然過ぎた前世での別れ。
 十五年ぶりに目覚めたブルーとろくに言葉も交わせない間に時だけが過ぎて、ブルーはメギドに行ってしまった。別れの言葉を残す代わりに「頼んだよ、ハーレイ」と次の世代を託しただけで。
 だからこそ余計にブルーを諦めきれずに、悔み続けたまま前の自分の生は終わった。死んだ後はブルーに会えるであろう、と再会の時を待ち続けながら。
 それなのに何処でどう間違えたか、あるいは神の采配なのか。病み果てた地球の地の底深くで死を迎えてからの記憶はまるで無く、時を飛び越えたように自分は再生を遂げた地球の上に居た。
 最期まで会いたいと願い続けたブルーと共に生まれ変わって、新たな生を謳歌している。
(やっと会えたのに、当分仕事で会えないとはなあ…)
 それに、とブルーの姿を思い浮かべた。
 側に居たいと、今夜くらいは共に過ごしたいと寂しそうだったブルー。
 ブルーが両親の庇護の下で暮らす子供だったから「今夜は駄目だ」と切り抜けてきたが、ブルーがハーレイに望んでいるものは前世と変わらない深い関係。
 抱いて欲しい、と赤い瞳が訴えていた。ハーレイと結ばれ、またハーレイのものになりたいとブルーは本気で考えている。けれど、ブルーの幼い身体はそのようには出来ていなかった。その身に宿るブルーの心もまた、そのように出来上がってはいない。
(…身体に合わせて心も子供になってしまったか…)
 ブルーの倍以上もの年数を生きてきた大人だからこそ見抜けた真実。
 前世の記憶を持ったブルーは以前と全く同じつもりでハーレイを求め、愛されることを望んではいるが、それがどういう行為であるかを本当に分かっているのではない。小さな身体には早過ぎることも、その柔らかくて幼い心には激しすぎる行為であることも…。
「…厄介なことになっちまったな……」
 ハーレイは自分のベッドに転がり、暗い天井を見上げて呟いた。
 長い時を越えて巡り会えたブルーは愛おしい。今すぐにでも攫って来て家に閉じ込めたいほど、ブルーが欲しくてたまらない。しかしブルーは十四歳の小さな子供で、手は出せないし、出してもいけない。
 それなのにブルー自身の望みが他ならぬハーレイによって愛され、前世そのままに結ばれることだとは、運命はなんと皮肉なものなのか…。



 どんなにブルーが願い、望もうとも前世のブルーと同じようには扱うまい。
 ハーレイがそう決意するまでに時間はさほどかからなかった。今のブルーは年相応の子供でしかなく、その言葉が如何に前世の想いを映したものであろうとも、それは言葉の上だけのこと。幼いブルーは望みをそのままに口にするけれど、本当は何も分かってはいない。
(さて、どうやって止めたもんかな…)
 駄目だ、と言えばブルーも強引に食い下がってはこないだろう。ハーレイが積極的に動かない限りはブルーの望む関係になどなれはしないし、幼いブルーに誘う技などある筈もない。けれど釘は刺しておく必要がある。
(…そう何回も強請られたんでは俺が耐えられん)
 自制心の強さには自信があったが、会う度に「抱いて欲しい」と口にされてはたまらない。瞳で訴えただけの今日と違って、ブルーならば遠からず確実に言う。幼さゆえの純粋無垢さでハーレイへの想いを告げるためにだけ、その意味すらも深く考えずに。
 その場では辛うじて耐えられるだろうが、それから後がどうなるか。子供のブルーは断られればしょげるか、脹れっ面になるかで終わるが、ハーレイの方はそうはいかない。名実ともに成人男性であるハーレイには大人の身体の事情というものがあるわけで…。
「普通に「駄目だ」と言っただけでは懲りずに何度でも言いそうだしな…」
 いい手は無いか、とハーレイは考えを巡らせた。小さなブルーを納得させて黙らせるには確たる理由が必要だ。ただ漠然と「駄目だ」と告げてもブルーは決して「うん」とは言わない。そういう頑固さはソルジャー・ブルーだった頃のブルーとさして変わりはない筈で…。
「…そうか!」
 ソルジャー・ブルーか、とハーレイの頭に素晴らしい案が閃いた。
 小さなブルーの前世であったソルジャー・ブルー。前世で恋人同士の仲になった時、彼の背丈は今のブルーよりもかなり高かった。小さなブルーの身長は聞いてはいないが、目測だけでも二十センチほどは違うだろう。
(…前の時と同じくらいの背になるまでは駄目だと言えば大人しくなるな)
 それに限る、とハーレイは唇に笑みを浮かべた。
 小さなブルーがその背丈にまで育つ間には、心の方も育ってゆく。心が育てば恥じらいも生まれ、背丈が大きくなったからといって「抱いてくれ」とはとても言えまい。そうやって年相応の心と身体をブルーが得たなら、その時こそは…。
(……それまでの間が多少辛いが、子供らしいブルーは今しか見られないからな…)
 奇跡のようにハーレイの前に帰って来てくれた小さなブルー。その成長を文字通り側で見守れる立場になれたのだから、今はその幸運を喜ぼう。ブルーが幸せそうに笑えば、きっと自分も幸せになれるに違いない…。



 ハーレイの仕事がようやく一段落して、引き受けたクラブの引き継ぎも済ませた土曜日の午後。
 訪ねて行ったブルーの家では予想通りに小さなブルーが待っていた。ハーレイの身体に抱き付いて甘え、あれこれと話を交わした挙句に、その腕がハーレイの首に回されて…。
「駄目だ」
 口付けようとしたブルーを制すると「どうして?」と赤い瞳が途惑う。
「お前、自分が何歳か分かっているのか?」
 お前にはキスは早過ぎる、と言い聞かせれば「酷いよ、ハーレイ」と恨めしげに訴えられたが。
「酷くない。お前みたいな子供相手にキスをする方がよっぽど酷い」
 俺にその手の趣味は無い、とハーレイはブルーを突き放した。
「お前はまだ十四歳にしかならない子供で、身体も立派に子供サイズだ。…そんな子供にキスなど出来るか。そういうことをやらかすヤツはな、ロクでもない大人だけなんだ」
「…でも、ぼくは…!」
「俺の恋人だと言いたいのか? それについては認めてやるが、お前の年と小さな身体が問題だ。俺は子供にキスはしないし、それ以上となれば尚更だ。悔しかったら早く大きくなるんだな」
 前のお前と同じくらいに、とハーレイは立ち上がって右手で高さを示した。
「このくらいだ、前のお前の背丈は。…お前、身長は何センチだ?」
「……百五十センチ」
「そうか。だったら残りは二十センチだ、ソルジャー・ブルーの背は百七十センチあった」
 そこまで育て、と屈み込んでブルーの銀色の髪をクシャリと撫でる。
「お前がそこまで大きくなったらキスを許してやることにしよう。…いいな?」
「…そ、そんな…! 酷いよ、二十センチもだなんて!」
「しっかり食べればすぐに伸びるさ。…とにかく、それまでは絶対に駄目だ」
 分かったな、と念を押されたブルーは脹れっ面になってしまったが、それも小さな子供ゆえ。
 ハーレイはクックッと小さく笑っただけで、撤回したりはしなかった。
 まだ百五十センチにしかならないというブルーの背丈。それが前世と同じ背丈まで伸びる頃にはブルーの顔から幼さも消えて、あの日ハーレイが失くしたブルーと寸分違わぬ美しい姿を目にすることが出来るだろう。
 その時まではキスもお預け、ブルーも不満で一杯だろうが、ハーレイ自身も…。
(…ブルー、俺だって辛いんだぞ?)
 分かってないな、という心の嘆きをハーレイはグッと堪えて飲み込んだ。
 小さなブルーは心も身体も健やかに育ってゆかねばならない。優しい両親に慈しまれて、幸せな時と温もりとに包まれながら…。



 前世と同じ背丈になるまでキスも駄目だ、と言われたブルー。
 その日、ハーレイがブルーの両親も交えての夕食を終えて帰っていった後、ブルーはそうっと足音を忍ばせ、クローゼットの隣に立ってみた。両親ともに階下に居るのだし、足音を気にする必要は何も無いのだけれど…。
「…んーっと…」
 ハーレイの背があの辺りかな、と見当をつけて見上げてみる。前世よりも小さくなってしまったブルーがハーレイの顔を仰ごうとすると首が痛いくらい。アルタミラで出会った頃にもそうだったけれど、本当にハーレイは背が高い。
「ぼくの背は、と…」
 どのくらいかな、とソルジャー・ブルーだった頃の背丈を思い浮かべてみて「あと少し!」と今の背丈との差に満足してから、その差を指で測ってみたら。
「……あれ?」
 願望が入っていたのだろうか。二十センチにはとても満たない。これはキチンと正確に測って、目標を書いておくべきだろう。家庭科の授業で使うメジャーを引っ張り出して、床から百七十センチの高さまで。
(…………)
 酷い、とブルーは泣きそうになった。何度測っても一向に変わってくれない、その高さ。小さなブルーの頭の天辺よりもうんと高いソルジャー・ブルーの背丈。けれど…。
「…やっぱり書かなきゃダメだよね…」
 残酷な現実でも、それが目標。ブルーは机から鉛筆を持って来ると、もう一度メジャーで測った高さでクローゼットに微かな印を付けた。母に見付かって叱られないよう、小さく、薄く。
「……あそこまでかぁ……」
 いつになったら伸びるんだろう、と唇を噛んで、爪先で軽く床を蹴る。
 普段は使うことすらないサイオン。それを使って身体を浮かせ、印の位置に頭の天辺を合わせてみると床までが遠い。ふわりと舞い降り、背伸びしてみて、また浮いてみて…。
(……まだまだ伸びそうにないんだけれど……)
 あんなに床が遠いだなんて、とブルーは大きな溜息をついた。
 しかしハーレイと晴れて本物の恋人同士になりたかったら、背を伸ばすしかないわけで。
(…酷いよ、ハーレイ。ぼくは子供じゃないんだけどな…)
 見た目だけだよ、と零してみてもハーレイは側に居なかった。ハーレイがいつも隣に居てくれる生活を目指すためにも育つしかない。まずは育って、それからキスで…。



 こうして始まったブルーの努力が実を結ぶまでに、どのくらいの時がかかるのか。
 何かといえばクローゼットに付けた印を眺めて溜息を漏らすブルーとは逆に、その原因となったハーレイの方は二つの思いの狭間で揺れる。
 早く育ったブルーが欲しいと願いながらも、無邪気な子供でいて欲しいと思う。
 美しく気高かったブルーも、十四歳の小さなブルーも、どちらもハーレイの大切なブルー。
 かつて愛したソルジャー・ブルーも、今のブルーも、たまらなく愛おしく抱き締めていたい。
 小さなブルーが育つまでの間に、何度考えることだろう。
 自分が心から愛するブルーは、いったいどちらの姿なのか、と。
 答えなどきっと、見付からない。
 ブルーがどんな姿であろうと、愛さずにはいられないのだから……。




        小さな印・了



※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
 あの17話から今日、7月28日で7年です。
 7月28日の記念用に作った筈のハレブル別館が今や毎月2回の更新だなんて…。
 14歳ブルー君とハーレイ先生にとっては「メギドは遠い過去のこと」。
 というわけで、7月28日も普段通りの更新ということになりました。
 14歳ブルー君とハーレイ先生、これからもよろしくお願いしますv
 
  過去の記念作品へは、ハレブル別館TOPからどうぞ。
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※「ウィリアム君のお部屋」というコンテンツです。
 
 
 そのまんまです、「キャプテン・ハーレイのお世話」をして頂きます。
 
 
 「外に出す」と「お部屋がほんのりハレブル風味」になるのが売りです。
 
 外に出しても5分経ったら戻って来ます~。





 

 青い地球に生まれ変わって再び出会ったハーレイとブルー。
 ハーレイはブルーが通う学校の古典の教師で、ブルーは十四歳になったばかりの少年だった。
 年度初めに少し遅れて赴任してきたハーレイに会って、ブルーの前世の記憶が蘇る。同時にハーレイの記憶も戻って、前世で恋人同士であった二人は巡り会うことが出来たのだけれど。



「ハーレイ先生、ブルーをよろしくお願いします」
 ブルーの母が紅茶と焼き菓子をテーブルに置いて出て行った。此処はブルーの家の二階で、足音がトントンと階段を下りてゆき…。
「…もういいかな?」
 聞き耳を立てていたブルーは母の足音が消えるのを待って立ち上がり、向かいに座るハーレイの椅子に近付いた。がっしりとしたハーレイの首に腕を回せば、ヒョイと膝の上に抱え上げられる。
「ふふっ。…好きだよ、ハーレイ」
 すりすりと広い胸に頬を擦り寄せるブルーをハーレイの腕が抱き締めてくれた。前世よりも小さなブルーの身体はすっぽりとハーレイの温もりに包まれ、幸せな気持ちが溢れ出す。
 ハーレイの腕の中に戻れて良かった。帰ってこられて本当に良かった…。
(……あったかい……)
 瞼を閉じて幸せを噛み締めていると、大きな手が頭を優しく撫でてくる。嬉しい気持ちになると同時に、複雑な気分も感じるそれ。前の生では頭を撫でられることなど滅多に無くて…。
「…ハーレイ。ぼくは子供じゃないってば!」
 目を開け、唇を尖らせて見上げれば「どうだかな」と答えが返って来た。
「小さい上に甘えん坊だと思うがな? …前のお前はくっついてばかりじゃなかったぞ」
「今だけだよ! ずっとハーレイと離れていたから、その分だってば!」
 ブルーは懸命に言い返す。ハーレイと再び巡り会ってから、まだ充分に逢瀬を重ねてはいない。前世で引き裂かれるように別れて、「さよなら」すらも言えなくて……。最期まで覚えていたいと思ったハーレイの温もりも失くしてしまって、どんなに悲しく寂しかったか。
 そのハーレイともう一度出会えて、本当ならずっと一緒に居たい。それなのに二人の家は別々、学校に行けば教師と生徒。二人きりになれるチャンスは少なく、おまけにハーレイはキスすら許してくれない。そんな状態で失くした温もりを取り戻すためには甘えるより他に無いわけで…。
「分かった、分かった。…好きなだけくっついていればいいさ」
「うん…」
 ハーレイの鼓動が聞こえてくるのが嬉しい。自分もハーレイもちゃんと生きていて、此処は焦がれてやまなかった地球。ただ、問題が一つだけ。
(…小さすぎたなんて…。本物の恋人同士になれないだなんて……)
 ハーレイの大きな身体に包まれるのは幸せだけれど、自分がもっと大きかったならばキスも出来たし、結ばれることだって出来たのだ。なのにキスさえ許して貰えず、ブルーは小さな子供扱い。こればっかりは時が経つのを待つ他は無く、いつになったらちゃんと大きくなれるやら…。



 前の生でのソルジャー・ブルーと変わらない姿に成長するまで、本物の恋人同士の仲はお預け。せっかくハーレイと巡り会えても何かが欠けているように思う。
(…やっぱりキスくらい許して欲しいよ…)
 唇が触れるだけでいいから、とブルーはハーレイの首に腕を絡めようとしたのだけれど。
「こらっ!」
 コツン、と頭を小突かれた。
「キスは駄目だと言っただろう! お前はたったの十四歳だぞ」
「見た目だけだよ!」
「いや、中身もだ。聞き分けがないのは子供の証拠だ」
 何度言えば分かる、とハーレイの眉間に皺が寄る。
「…まったく、本当にお前ときたら…。少しは自覚しろ、今の自分というヤツを。…お前は本物の十四歳だ。何と言おうがそれは変わらん」
そう言ってブルーの銀色の髪をクシャリと撫でたハーレイの頬がフッと緩んだ。
「……考えてみれば俺は随分と偉そうな口を叩いてるんだな、ソルジャー・ブルーに」
「えっ?」
「お前と呼ぶのが普通だなんて酷いもんだ。…エラが聞いたら何と言われるか」
 前の生でのシャングリラの長老の一人、エラは礼儀にうるさかった。ソルジャーだったブルーの立場は誰よりも上で、ハーレイがその次の地位であっても礼は必ず取らねばならない。
「でも、ハーレイ…。最初の間は「お前」だったよ」
 ブルーは遠い記憶を遡る。ソルジャー・ブルーと呼ばれるよりも前、アルタミラを脱出してから間もない頃は…。
「そうだな、最初は「お前」だったな。お前が今と同じくらいに小さかった頃か…」
「うん。…ぼくはハーレイから見れば小さな子供で、ハーレイはうんと大人だったよ」
 今よりはずっと若かったけれど、とブルーが微笑むとハーレイが「うーむ…」と短く唸った。
「少しばかり年を取り過ぎたか? お前と違って」
「ううん。…今の姿のハーレイが好きだよ、だって恋人同士になった時には…」
 その姿のハーレイだったもの、と口にしかけて慌てて飲み込む。ハーレイと育んだ恋が実って、青の間で初めて結ばれた時。…思い出すとやっぱり少し恥ずかしい。
「…そういえば俺が今の姿になってからだったな、お前も立派なソルジャーだったし」
 ハーレイの指がブルーの髪をそうっと梳いて、鳶色の瞳が懐かしそうに細められた。
「ソルジャーとキャプテンだったんだなあ、あの頃は…。お前を「あなた」と呼んでたっけな」



 遠い遠い彼方に過ぎ去った過去の生へとブルーは思いを馳せる。
 アルタミラで皆で乗り込んだ船がシャングリラへと名を変え、その船体もが形をすっかり変える間にブルーとハーレイも仲間同士からソルジャーとキャプテンに立場を変えた。
 いつの間にかハーレイがブルーを呼ぶのも「お前」から「あなた」に変わってしまって、言葉も敬語になってしまった。それが普段の言葉だったし、それで普通だとも思っていた。
 でも、今は…。
 ハーレイの方がずっと大人で、ずっと大きくて、ブルーが通う学校の教師。
 ブルーを呼ぶ言葉も「あなた」ではなくて「お前」になった。
 子供扱いは悲しいけれども、言葉遣いは今の方がいい。「あなた」と呼ばれるのも、敬語で話すハーレイも好きだったけれど、普通の言葉で話してくれるハーレイと過ごす今が嬉しい。
 前の生でもハーレイは何度もブルーを守ると言ってくれたのに、実際はブルーが守る者だった。シャングリラを守り、ミュウたちを守り、ハーレイもその中に含まれる者だったから。
 しかし今度の生では違う。
 ブルーは十四歳にしかならない子供で、ハーレイは倍以上もの年を重ねた大人。
 平和な地球に生まれたブルーに守らねばならぬ存在は無くて、ハーレイの方がブルーの守り役。
 これが幸せでなくて何だろう?
 小さすぎたせいで本物の恋人同士にはなれないけれども、これで幸せ、今が幸せ。
「…ねえ、ハーレイ…」
 ブルーは自分を腕の中に抱くハーレイの顔を見上げた。
「前の話し方も好きだったけれど、今度はずっと…「お前」がいいな」
「ん?」
「普通に「お前」って呼んで話してくれるのがいい。「あなた」みたいに丁寧な言葉じゃなくて」
 ぼくが大きく育ってからも、と強請ってみれば「当たり前だろうが」と呆れられた。
「お前、俺よりも幾つ年下なんだ? 綺麗な美人に育ったからって敬語で話す義理なんか無いぞ」
 思い上がるな、と指で額をつつかれ、「ふふっ」と擽ったそうに首を竦めると、ハーレイの瞳がすうっと真剣な光を湛えて…。
「…実は、俺もだ」
 強い両腕で抱き締められた。
「俺もお前をずっと「お前」と呼び続けていたい。…今と変わらない喋り方でな」
 お前が昔と変わらない姿に育った後も、と熱い声が囁く。好きでたまらないハーレイの声が。



「…なあ、ブルー」
 優しくて温かな手がブルーの背を撫で、愛おしげに、大切な宝物のように抱き締めた。
「お前が十四歳の小さな子供で、俺はどんなに嬉しかったか…。お前は不満だらけかもしれんが、俺は本当に嬉しかったんだ」
 本当だぞ、と腕に力が籠もる。
「今度こそ本当にお前を守れる。俺はお前よりもずっと年上で、お前を守ってやることが出来る。…前はお前を守ると口では言えても、実際は何ひとつ出来なかった。しかし今度は違うんだ」
 お前はこんなに小さくて弱い、と膝の上で抱え直された。
「俺の腕の中にすっぽり収まる小さなお前が今のお前で、育ってもソルジャーになる必要はない。お前は俺よりも年下のままで、俺に守られるままでいい。…今度こそ俺がお前を守る」
 そのままでいろ、と強い腕がブルーを包み込んで広い胸へと押し付けた。
「ブルー、ゆっくり大きくなれ。…お前が守らなくてはいけないものなど今の世界には何もない。だから急がなくてもいいんだ。年相応の子供でいい」
「……うん……」
 いつもだったら逆らいたくなる「年相応」だの「子供でいい」だのという言葉だったが、逆らう気持ちは起こらなかった。ハーレイが何を言っているのか、ブルーにも感じ取れたから。どういう思いで紡がれた言葉か、その優しさが、その暖かさが泣きたくなるほどに嬉しかったから…。
「…ブルー。俺はお前の幸せそうな姿を見ていたいんだ。…前のお前には叶わなかった分まで、幸せに包まれて育って欲しい。普通の子供に生まれたお前の幸せな笑顔を俺に沢山見せてくれ」
「…うん……」
「分かるな、お前は俺の大切な宝物だ。お前がこれから育つ時間も、俺にとっては何にも替え難い宝物になる。…お前の笑顔を見ていられるだけで、俺は誰よりも幸せなんだ」
 ……俺だけの小さなブルーでいてくれ。
 その言葉にブルーはコクリと頷いた。普段なら口にされる度に唇を尖らせ、脹れっ面になってしまう筈の言葉が、今は嬉しくて心地よい。
 前の生でもハーレイの「守る」という言葉に嘘偽りは無かったけれども、現実がそれを許さなかった。いくらハーレイが願い、誓いを立ててもブルーを守れはしなかった。
 でも、今は違う。
 ハーレイはブルーよりもずっと年上で、身体だってずっと大きくて…。
 それにブルーが通う学校の教師で、ブルーはハーレイに教えて貰う立場の小さな教え子。
 何もかもが「ハーレイがブルーを守れる」ように設えられた世界が今で、ブルーはハーレイに守られて生きる者。それが当たり前で普通な世界にブルーは生まれて来たのだから…。



 小さなブルー、とハーレイが呼び掛けてくれることが嬉しいなんて、とブルーは微笑む。
 もしも十四歳の子供でなければ今頃はとうにハーレイと結ばれ、共に暮らしていただろう。早く一緒に暮らしたいのに、それを阻むのがこの身体。
 十四歳になったばかりの子供で、おまけにハーレイとは教師と生徒。
 こんな立場でなかったならば、と何度思ったことだろう。…これから先も幾度となく不平不満を抱いて文句を言ってはハーレイを困らせ、自分でも悔しくなるだろうけれど、今だけは…。
 今度はハーレイに守って貰える。
 前の生では約束だけに終わった言葉を果たそうとしてくれるハーレイの腕に、その広い胸に。
「……ハーレイ……」
 温かなハーレイの胸に抱かれて、ブルーは幸せに酔いながら呟いた。
「…ハーレイが守ってくれるんだったら、ぼくは小さなブルーでもいい。…今だけだったら」
 今だけだよ、と繰り返す。
「…早く大きくなりたいもの。…でないとハーレイと本物の恋人同士になれないもの」
「またそれか…」
 そればっかりだな、とハーレイは苦い笑みを浮かべた。
「お前は小さな子供なんだし、そういう話は早過ぎるんだと何度も言っているんだが…。だがな、本当を言えば俺だって早くお前が欲しい」
 鳶色の瞳の底に一瞬だけ揺らめいた焔にブルーは気付かなかったが、その焔こそがハーレイが心の深い奥底に秘めるブルーへの想い。キャプテン・ハーレイであった頃から愛し続けて、ブルーを一度失くしたからこそ激しく強く燃え盛る焔。
 けれどハーレイは苦しいほどの想いを抑えて腕の中の小さなブルーを抱き締める。
 無垢で幼く、愛らしいブルー。
 前の生ではミュウたちを乗せた船を守るため、同じ姿でも果敢に戦い続けたブルー。細い身体で負っていた重荷を、痛々しいとまでに思ったその生き様を、ブルーには二度と味わわせたくない。
 ブルーが幸せに笑う姿を、十四歳の子供らしい姿を側で見守り、ただ微笑んでやりたいと思う。
 だからブルーを求めてはいけない。
 どんなにブルーが求めようとも、時が来るまではブルーと結ばれるわけにはいかない。
「…ブルー。俺は大きくなったお前を見たいし、お前を早く欲しいとも思う。……だがな、お前は急がなくていい。お前には子供でいられる時間がまだたっぷりとあるんだからな」
 急いで大きくならなくていい、とハーレイはブルーの前髪をそっとかき上げた。
「いいか? 前に失くした子供としての時の分まで、その姿で幸せに生きてくれ、ブルー」
「…うん…」
 分かるけれど、と返したブルーの額に唇を落とし、柔らかな頬を両手で包む。前の生であれば、そのまま唇に口付けたであろう所を、口付けは再びブルーの額に。



「…ハーレイ…」
 唇へのキスを強請ろうとするブルーの仕草に、「駄目だ」とハーレイは首を左右に振った。
「言ったろう、俺だけの小さなブルーでいてくれ、と。お前はゆっくり大きくなるんだ」
 いいな、とブルーの唇を人差し指で押さえ、念を押してから苦笑する。
「…こう格好をつけていてもだ、明日には違うことを言っていそうな気もするんだがな。…いや、明日まで持たないかもしれん」
「…なんて?」
 ブルーの期待に満ちた瞳に、ハーレイは喉の奥でククッと笑った。
「残念ながら、お前が思っているような甘い台詞じゃないな。…俺の定番の台詞だ、ブルー」
「えっ?」
「しっかり食べて大きくなれよ、と何回も言っているだろう?」
「……それだったの?」
 心底ガッカリした様子のブルーの頭をハーレイの大きな手がポンポンと叩く。
「当然だろうが、何を期待してた? ほら、そろそろ自分の椅子に戻れよ」
 ……お母さんが様子を見に来るぞ。
 そう囁かれたブルーは慌ててハーレイの膝から飛び降り、チョコンと自分の椅子に座った。
 すっかり冷めてしまった紅茶を急いで飲み干し、焼き菓子を懸命に頬張る姿が可愛らしい。
「…よし。年相応の姿だな、うん」
 しっかり食べろよ、と口にしたハーレイにブルーが小さく吹き出した。
「もう言ってる! ハーレイ、明日まで持たないどころか、もう言っちゃってる!」
「………。いや、食べろとしか言ってない。大きくなれとは言わなかったぞ」
 渋面を作ってみせるハーレイにブルーはコロコロと笑う。その屈託のない子供らしい笑顔に心を満たされ、ハーレイの顰めっ面は脆くも崩れた。
「…降参だ、ブルー。……どうやら俺の決意は一瞬で崩れてしまったらしいな。…しっかり食べて大きくなれよ。待っているから」
「うんっ!」
 無邪気に答えたブルーの皿に自分の分の焼き菓子も乗せてやる。食が細いブルーが喜んで食べる数少ない好物、母が焼く軽い口当たりの菓子。
 ゆっくり育って欲しいけれども、その一方で「早く」とも願ってしまう小さな恋人。
 ハーレイはブルーを愛しげに眺め、自分の心に固く誓いを立てた。
 今度こそ俺がブルーを守る。前は叶わなかった分まで、俺の大切なブルーをこの手で……。




        守られる者・了


※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
 あの17話から7月28日で7年になります、早いものです。
 昨年までは7月28日のみの更新だったハレブル別館もすっかり様変わり致しました。
 まさか転生ネタを始めるとは思ってもいなかったですねえ、自分でも。
 とんでもないスロースターターだったのだな、と呆れるしかない新連載開始…。

 というわけで、今年の7月28日は14歳ブルー君に登場して頂きます。
 7月28日に新しいお話をUPしますので、遊びにいらして下さいねv





※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv







毎年恒例、夏休みの宿題免除のアイテム探し。会長さんは今年もアイテムを確保し、しっかり出店を出しました。ちゃっかり儲けた翌日からは夏休み。この夏は何処へお出掛けしようか、と会長さんのマンションにお邪魔して…。
「海の別荘は決まってるから、前半で勝負したいよね、うん」
会長さんがカレンダーを指差し、私たちも同意見。マツカ君の海の別荘に出掛ける時期は固定されたも同然なのです。ソルジャー夫妻があの別荘で結婚して以来、結婚記念日を含む日程を組むというのがお約束。ゆえに自由に動き回れるのは前半部分というわけで。
「おい、棚経も忘れてくれるなよ?」
サムとジョミーは今年も手伝え、とキース君がお盆の辺りを示すと「うへえ…」と情けなさそうな声が。
「今年もやるわけ?」
勘弁してよ、とジョミー君が泣き付いてみても、キース君は素っ気なく。
「お前も一応、僧籍だろうが。卒塔婆を書けとは言ってないんだ、棚経くらいはこなすんだな」
「でもさぁ…。暑いし、キツイし、膝は痛いし…」
「道場はそんなレベルじゃないぞ? いや、その前にまずは専修コースか…」
さっさと入学してしまえ、と僧侶養成コースをちらつかされたジョミー君は真っ青です。
「ぱ、パス! まだ棚経もこなせてないし!」
「だったらキリキリ修行しろ! 俺は卒塔婆も書くんだからな。…くっそぉ、親父め、今年もドカンと押し付けやがって…」
柔道部の合宿もあるというのに、とキース君はブツブツと。お盆のための卒塔婆書きはキース君にとって夏休みの宿題みたいなものと化していました。お盆までに書き上げないといけない卒塔婆が数百本、いや千本なのかもしれません。
「ふうん…。キースは今年も卒塔婆書き、と。書き上がらなかったら欠席だねえ?」
夏休み前半のお出掛けは、と会長さんが揶揄えば、キース君は憤然と。
「誰が休むか! 卒塔婆はキッチリ予定さえ組めば期日に仕上がるものなんだからな! 親父が余計に押し付けて来ても、徹夜で書けばなんとかなる!」
「そう? だったら今年は何処へ行こうか…。誰か意見のある人は?」
「川下り!」
ジョミー君がサッと手を挙げました。
「こないだ、テレビで見たんだよ。筏下り!」
「「「筏下り!?」」」
なんだソレは、と派手に飛び交う『?』マーク。筏といえば木材を組んで川に流して運搬する手段だったと歴史で習ったことがあります。そんなの、何処かでやってるんですか?
「えーっと…。あれって何処だったっけ…。観光筏下りなんだけど」
ライフジャケットを着けて乗って行くのだ、とジョミー君は説明してくれました。
「でもって筏から落ちないように手すりもついてたりしてたんだけどさ…。筏って作れないのかな? ラフティングとかより面白そうだよ、ボートと違って船端が無いから」
筏の上を水が流れ放題、と言われてみればその通りかも。夏はやっぱり水遊びですし、筏下りも良さそうです。観光筏下りとなったらイマイチですけど、自分で作って下るんだったら…。
「うーん…。確かに面白そうではあるけど…」
どうなのかなぁ、と会長さん。考え込まずにゴーサインを出して下さいよ! 夏休みってヤツは遊んでなんぼ、筏も作ってなんぼじゃないかと…。



「筏下りもいいんだけどねえ…。なかなかにハードル高いよ、アレは」
素人には筏作りからして無理、と会長さんはバッサリです。
「君たちに木の伐採が出来るのかい? 仮に可能だったとしてもさ、そこから筏に加工するまでが大変で…。遊びの筏なら簡単だけれど、川下りとなったら色々と技が必要なんだ」
下手に作ると壊れてバラバラ、と会長さん。
「それに筏で川を下るには年単位で技術を磨かないとね。ジョミーが言ってる筏下りは技術を絶やさないために立ち上げられた観光筏下りだし」
「そうだったの?」
知らなかった、とジョミー君が目を丸くすれば、会長さんは。
「観光目的で復活させるのも難しかったと聞いてるよ。筏を船として登録するとか、航路を決めて届け出るとか…。ぼくたちが勝手に下るとなったらその辺の許可は絶対、下りない」
「なるほどな…」
それは分かる、とキース君。
「諦めろ、ジョミー。筏下りは観光コースに参加でいいだろうが」
「えーっ…。ブルーならなんとかなるんじゃないの?」
「そりゃね…。サイオンで技術を盗むくらいは可能だけどさ、筏下りを目撃されたら場合によっては悲劇だよ? シャングリラ学園に通報されてガッツリお説教を食らうとかね」
身元を特定されたら終わり、と会長さんが肩を竦めると、ジョミー君は。
「それってサイオンで誤魔化せるよね? シールドで姿を消せるんだもの、筏が下っているっていうのを目撃出来ないようにするとか」
「無茶を言わないでくれるかい? 確かにそういうことは可能だ。だけど遊びでそこまでサイオンを使いたくないし、観光筏で我慢したまえ」
お出掛けするならこの辺かな、と会長さんがカレンダーを示した時です。
「…ぼくが代わりに手伝おうか?」
「「「!!?」」」
紫のマントがフワリと翻り、ソルジャーが姿を現しました。
「夏休みの打ち合わせなんだって? ぶるぅ、ぼくの分のおやつもあるかな?」
「かみお~ん♪ ちょっと待っててねー!」
キッチンに駆けてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャーはソファにストンと腰を下ろしてしまい、すぐにアイスティーとメロンムースタルトのお皿が。
「うん、夏はやっぱりメロンだよねえ」
美味しいや、と頬張るソルジャーに、会長さんが。
「で、何しに来たって?」
「ん? ぼくで良ければ手伝おうか、って。ぼくはね、その気になればシャングリラだってシールド出来る。それも一日や二日じゃないよ? 筏ってヤツがどんなサイズかは読み取れちゃったし、誤魔化すくらいはなんでもないさ」
爆睡しててもシールド可能、とソルジャーは唇の端を吊り上げて。
「こっちの世界は本当に水が豊富だよねえ、まさに水の星、地球って感じだ。その地球で川を下れるだなんて面白そうだよ、混ぜてくれるならシールドするよ?」
「えっ、いいの!?」
ジョミー君がソルジャーの案に飛び付き、私たちも食い付いてしまいました。せっかくの筏下りです。観光筏よりも自前の筏で、でもって好きに下ってこそです~!



「…肝心の筏はどうするのさ?」
仏頂面で口を開いた会長さん。盛り上がっていた私たちはアッと息を飲んだのですけど、マツカ君がおずおずと控えめに。
「あのぅ…。筏だったら多分、作って貰えます。観光筏下りの村に父が幾らか出資してますし…。撮影用に使います、とでも言えば何とかなるんじゃないかと」
「いいじゃねえかよ!」
それでいこうぜ、とサム君が歓声を上げ、キース君が。
「そうだな、それなら俺たちが使った後の筏も有効活用して貰えるか…。観光筏にすればいいわけだしな」
「手すり無しのを作って貰おうよ、せっかくだから!」
ジョミー君もガッツポーズです。けれど、会長さんはまだ苦い顔で。
「筏下りをシールドで誤魔化すとしても、何処でやるわけ? 今は夏だし、大抵の川はカヤックとかラフティングとかで大人気だと思うけど?」
「そっかぁ…。何処か無いかな?」
川下りの穴場、とジョミー君が首を捻れば、またマツカ君が。
「…それなら心当たりがあります。ずーっと昔は筏流しをやっていたんだ、って父に聞いた川があるんです。観光資源が無い場所ですから、わざわざ下る人もいないかと…」
登山をする人が川沿いを歩いてゆく程度です、と提案された場所は文字通り山の中でした。集落が点在しているだけの、いわゆるド田舎。それだけにシールドも最低限の力で済みそうで…。
「いいね、その案! 筏も運んで貰えるのかな?」
ソルジャーの瞳が輝き、マツカ君は早速執事さんに電話をしていましたが…。
「大丈夫だそうです。出発地点までトラックで運んで貰って、下りた後も回収してくれます。長い距離を下って行くんだったら宿泊地点にキャンピングカーを回しましょうか、とも言っていました」
民宿も何も無い田舎なので、とマツカ君。キャンピングカーと聞いた男の子たちは俄然やる気で、そうなってくるとソルジャーの方も…。
「キャンピングカーと河原のテントでお泊まりかぁ…。これはハーレイも呼ばなくっちゃね」
「「「!!!」」」
そう来たか、と思った時には後の祭りで、ソルジャーはキャプテンを連れて来ることを前提に日程を仕切り始めました。大迷惑な展開ですけど、もう手遅れというものです。
「ハーレイには是非、筏を操って欲しいんだよね。急流を下って行くんだろう? 男らしく逞しい背中を見せて下ってなんぼ! シャングリラの舵を握る姿よりも遙かにカッコイイんじゃないかと…」
「「「………」」」
その後にはロクでもない光景が待っているに違いありません。お泊まり付きだけにバカップルな時間が炸裂、会長さんのレッドカードと「退場!」の叫びが聞こえるようで。
「そうだ、こっちのハーレイも呼んであげれば?」
「「「は?」」」
唐突なソルジャーの言葉に誰も事情が飲み込めません。教頭先生と筏下りがどう繋がると?
「せっかくの筏下りだし…。こっちのハーレイ、速い乗り物はダメなんだよねえ? 筏下りもダメじゃないかと思うんだけどな」
「…ダメだろうねえ…」
絶対に無理、と会長さんがフッと微笑んで。
「君たちばかりが楽しむというのも腹が立つ。ぼくもハーレイで遊ぶことにするよ、まず断りはしないだろうし」
ぼくと一緒に川下りとお泊まり、と会長さんは教頭先生にロックオン。筏下りは賑やかなことになりそうです。ソルジャー夫妻と教頭先生までが加わる川下りの旅、果たして何が起こりますやら…。



こうして始まった夏休み。間もなく柔道部三人組は夏合宿に出発しました。その前にマツカ君が筏の手配を済ませてくれて、私たちは完成品の引き渡しを待って乗るだけです。面倒な届け出なんかは会長さんがサイオンで関係者の意識に介入して誤魔化し、下る間はソルジャーにお任せ。
「とりあえず、撮影用だと思わせといたよ」
筏を川に浮かべるだけなら問題ないし、と会長さん。スウェナちゃんと私は会長さんのマンションで「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製冷麺の昼食タイム。ジョミー君とサム君はどうしたのかって? 二人とも柔道部の合宿中は璃慕恩院の夏休み修行体験ツアーに参加するのが恒例ですし…。
「出発地点と回収地点がズレているのも撮影目的なら変じゃないしね。現地での移動は地元の業者が請け負うっていうのもよくあることだし、誰も不思議に思っていないさ」
筏下りを知っているのは執事さんだけ、と会長さんは唇に人差し指を当ててみせて。
「筏下りの技術はバッチリ盗んで来たよ。これをサイオンでコピーさえすれば、ハーレイだって筏を流せる筈なんだけど…。まあ無理だろうね、ぶるぅと同じで」
「ぼくはスピード平気だもん!」
プウッと膨れる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「もっと身体が大きかったら筏くらいは流せるもん! ちっちゃすぎるから無理なんだもん…」
「ごめん、ごめん。ぶるぅはサイオンを使えば出来るんだったね」
「やってもいい?」
楽しそうだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も筏を操るつもりです。スウェナちゃんと私は会長さんが盗んで来たという筏下りの技術とやらを一足お先にコピーして貰ったのですが…。
「…ちょっと無理っぽい?」
「ちょっとどころの騒ぎじゃないわよ、どうするのよ!」
力仕事よ、とスウェナちゃんが言うとおり、それは男の世界でした。後ろの方の筏に乗ってバランスを取るくらいは出来そうですけど、操るなんて夢のまた夢。
「ぼくが盗んだ知識の中にも女性の筏師はいなかったしねえ…。第一号でやってみたいなら補助するけどさ」
「「……遠慮します……」」
乗せて貰うだけで結構です、と私たちは謹んで辞退しました。小さな子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が颯爽と筏を操る姿を見てしまうことはあるかもですけど、私たちには絶対、無理~。



男の子たちが合宿と修行体験ツアーから戻るのを待ち、そこから数日、お疲れ休み。その間にキース君は卒塔婆をガシガシ書き上げたようで、筏下りに出発する朝、誰もが元気一杯で。
「悪いね、マツカ。往復のバスまでお世話になって」
「いえ、筏を手配するついでですから。今夜の宿も手配済みです」
筏下りの場所からは少し離れていますが、とマツカ君。目的地の川まではバスで数時間以上かかるため、朝に出掛けても早くて昼過ぎの到着です。その日の内に下り始めるより一泊してから、と意見が纏まり、今日は現地のホテル泊まりで。
「高原のホテルなんだって?」
楽しみだねえ、とソルジャーがキャプテンと手を握り合っています。それを羨ましそうに眺める教頭先生。会長さんの誘いにホイホイと乗っておいでになりましたけれど、バカップルに加えて筏下りではロクなことにはならないのでは…。
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!!!」
全員で乗り込んだ大型バスは、会長さんのマンションの駐車場を後にして一路筏下りの出来る山奥へと。幾つかのドライブインやサービスエリアを経て、その度にバカップルが御当地グルメを食べさせ合ったり、一個のソフトクリームを二人で舐めたり。
「…俺は頭痛がしてきたぞ」
なんとかしてくれ、とキース君が呻く横ではサム君が。
「あの二人だしなぁ…。今更どうにもならないんでねえの?」
「だよねえ…。それにさ、教頭先生、嬉しそうだし」
また見惚れてるよ、とジョミー君。教頭先生は涎が垂れそうな顔でバカップルの熱々っぷりを見詰めていました。頭の中では会長さんと自分の姿に変換されているのでしょう。そんな道中を経て、ようやく着いた山深い川の河原には…。
「やったぁ!」
手すり無しだぁ! とジョミー君が狂喜し、他の男の子たちも筏を前にワクワクしている様子です。八本の丸太で組まれた立派な筏が全部で八つ。繋ぎ合わせたら三十メートル以上になるらしく…。
「先頭の二つで操るんだよ」
技を知りたい人はこっち、と会長さんが差し出した手に男の子たちが次々とタッチ。ソルジャー夫妻もタッチしましたが、ソルジャーは単なる好奇心で手を出しただけなのだそうで。
「力仕事は昔からハーレイの担当なんだよ、ぼくはのんびり見てるだけ! 筏下りも乗せて貰うだけのつもりで来たけど、こっちのハーレイもそうらしいねえ?」
「…わ、私はスピードが苦手でして…」
転げ落ちないように乗るのが精一杯です、と教頭先生は汗びっしょり。夏の盛りですけど、此処って川風で涼しいですよ? それに標高も高いですし…。
「汗をかくほど暑いのかい? だったら明日に期待したまえ」
川の水は思い切り冷たい筈さ、と会長さん。水辺まで行って手を突っ込んでみて、「うん、やっぱり」と微笑んで。
「春の雪解け水って程じゃないけど、アルテメシアの川とは違うね。この水に足元を洗われながらの筏下りだ、滑ったら一気にドボンだから! それとも筏師の技を習ってバランスを取る?」
どうするんだい、と会長さんが手をひらひらと振り、教頭先生は慌ててその手を取ろうとしましたが…。
「残念でした。一対一で手を触らせるほど甘くないから!」
技のコピーはこれで充分、と会長さんの白い指先が教頭先生の額をピンッ! と弾いておしまい。教頭先生、最初に腰が引けたばかりに手に触れるチャンスも逃しましたか…。



筏師の技をマスターした男の子たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は河原に置かれた筏の上で夕方近くまで遊んでいました。右に曲がるならこう動いて、とか、九十度曲がるにはこうだ、とか。川の流れは一定ではないため、常にぶっつけ本番なのが筏師の世界というヤツです。
「キャンピングカーが待ってる所まで何時間で下っていけるかな?」
ジョミー君が夜のホテルで川下りの地図と睨めっこ。マツカ君が手配してくれたホテルはコテージが売りで、お蔭でバカップルとは夕食を最後に縁が切れ…。
「休みなしで下れば早いと思うよ、水量は充分あるようだしね」
水が少ないと大変だけど、と会長さん。筏が座礁してしまった時は筏をバラして組み直さなくてはならないケースもあるのです。それに比べたら一人や二人転げ落ちたのを回収しながら進んで行く方が余程早いというわけで。
「ハーレイが落ちた場合は拾わなくてもいいと思うよ、自力で泳いで来るだろうから」
「い、いや、そこまでは無理だと思うが…」
「あれっ、泳ぎは得意なんだろ? それともアレかい、激流の中では泳げないとか?」
情けないねえ、と会長さんは深い溜息。
「ぼくが落ちたら助けてくれると思ったんだけどな…。仕方ない、救助はブルーに頼んでおこう。でなきゃぶるぅだ、どっちもサイオンで拾ってくれるさ」
「かみお~ん♪ 簡単、簡単!」
「ありがとう、ぶるぅ。頼もしいねえ、小さくっても男ってね」
大好きだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頬っぺたにチュッとキスする会長さん。教頭先生はガックリ項垂れておられます。スピードもダメなら、会長さんの救助もダメ。筏下りでカッコイイ見せ場はどうやら一つも無さそうですねえ…。



翌朝、コテージから出てきたバカップルは昨日にも増してベタベタの熱々状態でした。ホテルでの朝食は「あ~ん♪」と仲良く食べさせ合いで、何かと言えば熱いキス。筏を置いてある場所まで移動するバスでは…。
「何さ、そんなに冷たい目で見なくても…。ちゃんと昨夜は控えめにしたし!」
「「「は?」」」
「筏下りは体力勝負っぽいからねえ? ハーレイを消耗させちゃダメだし、ぼくも体力をしっかり残しておかないと…。だから二人でゆっくり、じっくり! 一回だけっていうのも燃えるね」
ヌカロクの魅力も捨て難いけど、と胸を張るソルジャーと咳払いするキャプテンと。教頭先生は耳まで真っ赤で、会長さんは怒り心頭。
「退場! よくも朝っぱらからイチャイチャと…」
「お断りだね、ぼくは筏に乗りたいんだよ。それに退場させていいのかい? 君一人だと筏をシールドし続けるのは大変だろうねえ、やりたいんだったら止めないけどさ」
「…うっ……」
痛い所を突かれてしまった会長さん。ソルジャーの方はしてやったりと上機嫌になり、昨夜はシックスナインがどうとか意味不明な話を滔々と。6とか9とか言われましても、分からないものは仕方なく…。教頭先生が鼻血を噴いておられますから、大人の時間のことなのでしょう。
「それでね、今夜はテントらしいし、星空が見えると嬉しいなぁ…って」
独演会状態のソルジャーの台詞に、マツカ君が。
「天窓つきのテントを用意してあるそうですよ。山の中は夜空が綺麗ですから、お好みで天窓を開けて頂ければ…」
「本当かい? やったね、ハーレイ、今夜は星空の下でじっくりと! 筏の上しか無いのかなぁ、って思ってたけど、テントから出ずに済むみたいだし」
「「「???」」」
「あ、分からない? 星空の下でヤりたいなぁ、ってハーレイに話してみたんだよ。筏の上でもいいからさ、って。だけどハーレイは筏の上だと無理らしくって…」
シールドしてても気になるらしい、とソルジャーがチラリと視線を投げれば、キャプテンは大きな身体を縮めています。
「ぼくは見られてても平気なんだけど、ハーレイは見られていると意気消沈! だから筏の上っていうのはダメなんだよねえ、ロマンチックだと思ったのに…」
「そんな目的で筏下りに参加したわけ!?」
サッサと帰れ、と会長さんが激怒し、ソルジャーが「それじゃシールドは?」と切り返し…。筏下りは始める前から既に荒れ模様を呈していました。今夜のテントは天窓つき。星空の下で眠れそうですけど、ソルジャー夫妻が泊まるテントの近くには行かない方が良さそうですね…。



河原に着くと男の子たちが筏をガッチリ繋ぎ合わせて、ソルジャーがサイオンでヒョイと浮かべて川の上へと。いよいよ筏下りです。ライフジャケットを着けて順番に乗り込み、最初の筏師は先頭がジョミー君で会長さんが二番手で補助を。
「…いいかい、落ち着いて漕ぐんだよ? 櫂が流れてもスペアはあるから」
「うん! 好きなだけ乗ってっていいのかな?」
「それはお勧め出来ないねえ…。他のみんなもやりたいだろうし、体力配分の問題もあるし」
適当な所で選手交代、と会長さんが次の漕ぎ手を募集し、キース君が名乗りを上げました。筏師の技は全員が持っているわけですから、次の二番手はその場のノリということで…。
「それじゃ、出発!」
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
筏を岸に結び付けていたロープを会長さんのサイオンがスパッと切り離し、ジョミー君がグイと櫂という名の木の竿を押して、八連の筏は川の中央へと。静かな流れに見えていましたが、なんと、けっこう速いです。えーっと、教頭先生は…。
「ふふ、こっちのハーレイはやっぱりダメかな?」
「そのようですねえ…」
四つ目の筏の上でイチャついているバカップル。視線の先には最後尾の筏でオロオロしている教頭先生が。隣には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が乗っかっています。
「えとえと、ハーレイ、大丈夫? まだ速くなると思うんだけど…」
「わ、分かっている。…バランスを取るのが大切だったな」
転げ落ちないように頑張ろう、と拳を握る教頭先生は筏師の技を持っておいでの筈なのですが…。大丈夫かな、と二つ前の筏のスウェナちゃんと私が心配していたとおり、それから間もなく。
「あーーーっ!!!」
バッシャーン! と派手な水音が響き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の叫び声が。
「大変、ハーレイ、落っこちちゃったぁ~!」
「自力で上がれって言っといて!」
いいトコなんだ、と返す会長さんはジョミー君と二人で急な段差を流れ下っている真っ最中で。
「おい、いいのか!?」
急流だぞ、とキース君が声を上げれば「だから、後で!」と会長さん。前を見てみれば次の段差が迫っていますし、その向こうには岩までが。こんな所で筏を止めることは出来ません。筏師の技でも乗ってゆくのが精一杯で、救助に回る余裕など無く…。
「なんだかピンチみたいだねえ?」
どうしよう? とソルジャーが尋ね、キャプテンが。
「落ちたのがあなたでなくて良かったです。大丈夫ですよ、しっかり支えていますから」
「ありがとう、ハーレイ…」
嬉しいよ、と固く抱き合うバカップル。この激流でもそんな余裕があるというのが凄いです。筏師の技もさることながら、日頃SD体制がどうのと言っているだけのことはあり…。
「ぼくとしては、お前さえいれば充分だけど…。こっちのハーレイが報われないまま昇天したんじゃ、なんだか後味が悪いしねえ?」
一応救助しておこう、とソルジャーのサイオンがキラリと光って、バカップルの足元に教頭先生の身体がドサリと。ライフジャケットを着けておられたとはいえ、激しく咳き込んでおられます。
「…なんだ、助けたのはぶるぅじゃないんだ?」
会長さんがチラッと振り返り、ただそれだけ。筏下りに夢中になっているようです。急流の第一弾を乗り切った後に漕ぎ手交代、会長さんもサム君と交代して後ろにやって来ましたが。
「…邪魔なんだよねえ、落っこちるような筏師ってさ」
こうしておくのが一番だ、とロープを取り出した会長さんは、教頭先生をバカップルの筏に仰向けにギッチリ縛り付け…。
「熱々の二人が見られて丁度いいだろ? ついでにしょっちゅう水を被るし、頭も冷えていい感じだよね」
ぼくは後ろでぶるぅとのんびり、と最後尾へと行ってしまった会長さん。教頭先生は苦手なスピードに絶叫しながら流れ下る羽目になったのでした…。



筏下りは途中で何度か一休み。立ちっぱなしでの川下りですし、休憩タイムは必要です。最後尾の筏に積み込んであったジュースやお菓子、お弁当などを食べつつ休んで、下って、また休んで。午後二時頃にテントが張られた河原に辿り着きました。
「だいたい予定どおりだね、うん」
一人しか転げ落ちなかったし、と会長さんが教頭先生を縛ったロープを解く間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキャンピングカーの内部をチェック。早速、ベリーたっぷりのサマープディングと淹れたての紅茶でティータイムです。河原に据えたテーブルと椅子で、会長さんはゆったりと。
「命拾いをしたよね、ハーレイ? あのまま泳いでついて来るかと思ったのにさ」
「…そ、それは…」
「ブルーに御礼を言ったかい? それどころではなかったのかな?」
「…い、いや……」
しどろもどろの教頭先生の姿に、ソルジャーが。
「ふふふ、ぼくたちが聞く耳持たなかったし……ねえ? 掴まる所も無い筏の上ってスリリングだしさ、抱き合うだけでも身体が熱くなるって感じ! もうキスだけでイッちゃいそうで…。今夜は早めに失礼しようと思ってる。…ねえ、ハーレイ?」
「ええ、星空の下で二人きり…ですね」
早くあなたが欲しいですよ、と熱く囁くキャプテン。そういえば筏だか天窓だかがどうこうと…。テントには開閉式の大きな天窓がついてますから、バカップルは今夜はお籠りでしょう。教頭先生はバカップルをボーッと眺めてますし…。
「やれやれ、そんなに気になるんだったら今夜は混ぜて貰ったら? ブルーはきっと断らないよ」
会長さんの言葉を受けて、ソルジャーが。
「えっ、ハーレイも来るのかい? ぼくは勿論、大歓迎さ。ただ、明日も筏下りが待ってるからねえ、あまり激しいプレイは無理かな…。三人となると歯止めが利かなくなりそうだから、タイマーつきで良かったら」
「「「タイマー?」」」
なんのこっちゃ、と私たちの目がキョトンと見開かれ、ソルジャーはクスクスおかしそうに。
「そう、タイマー。時間を決めてヤるんだったら、少々激しくなったって……ね。盛り上がっていてもアラームが鳴れば一気に萎えて終わりだし!」
ぼくのハーレイも、こっちのハーレイも…、と赤い瞳で上から下まで舐めるように見られたキャプテンと教頭先生、思い切り顔が赤いです。バカップルのテントには近付かないのが吉であろう、と私たちが悟った瞬間でした。
「あれ? どうしたのさ、みんな、変な顔して?」
「君子危うきに近寄らずだよ!」
会長さんがビシッと言ってのけ、ソルジャー夫妻のためのテントは一番端ということに。そのお隣が教頭先生、いわゆる緩衝地帯です。テントが決まるとドッと眠気が。夕食まではお昼寝タイムで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に起こされるまでグッスリで…。
「かみお~ん♪ 御飯の支度、出来たよ~!」
豪華鉄板焼きだもん、と河原のテーブルに大きな鉄板。お肉や魚介類がキャンピングカーから運び出されて、好みでジュウジュウ。締めはスタミナたっぷりガーリックライス。
「良かったねえ、ハーレイ。これでエネルギーはバッチリってね」
「星空も見事ですからねえ…。あ、よろしかったら、是非、いらして下さい。ブルーがお待ちしているそうです」
タイマー付きでよろしければ、と教頭先生に声を掛けたキャプテンは食事が終わると早々にテントに引き揚げてゆきました。教頭先生はまたも鼻血で、会長さんの視線は氷点下。早く寝ないとヤバそうです。明日に備えて、おやすみなさい~!



筏下り二日目、バカップルは朝から絶好調。キャンピングカーのキッチンで「そるじゃぁ・ぶるぅ」が焼いたパンケーキなどが並んだ河原のテーブル、「あ~ん♪」と二人の食べさせ合いが…。その一方で教頭先生、寝不足気味のようでして。
「かみお~ん♪ ハーレイ、疲れちゃったの?」
「シッ、ぶるぅ! 知られたくない事実ってヤツもあるんだよ」
だから放っておくといい、と会長さん。ま、まさか、昨夜はタイマーつきの時間とやらが…? サーッと青ざめる私たちに気付いた会長さんは大慌てで。
「ち、違う、違うよ、違うんだってば! ハーレイは単に隣のテントが気になって寝られなかったってだけで!」
「そうらしいねえ…」
悪いことをしちゃったかな、と詫びるソルジャー。
「君が来るかと思ってたけど来ないようだし、独り者には耳の毒かとテントをシールドしてたわけ。ごめん、声くらいは聞かせてあげるべきだった」
「…い、いえ、私は、決してそんな…!」
「ダメダメ、身体は正直だってば。寝不足なのがその証拠だよ」
筏から落ちないように注意したまえ、とソルジャーが笑い、会長さんも厳しく注意。教頭先生はソルジャー夫妻と同じ筏に正座の姿勢でガッチリ縛られ、また川下りがスタートです。今日は筏の回収地点まで下って行って、夜は豪華なリゾートホテルにお泊まりの予定。
「温泉だってさ、楽しみだよねえ」
「部屋つき露天風呂もあるそうですね」
イチャイチャ、ベタベタのバカップル。男の子たちは交代で筏の漕ぎ手を務め、急流を次々に乗り越えて行きます。やがてソルジャーがボソッと一言。
「ハーレイ、お前も漕いでみないかい? お前がやったら男らしいと思うんだ。…実は最初からそのつもりでさ…。昨日はこっちのハーレイが転げ落ちちゃって、それどころでは無かったし…」
「わ、私が……ですか?」
「うん。シャングリラの舵を握るより、絶対、似合うと思うんだよね」
やってみてよ、と熱い瞳で見詰められたキャプテン、暫し、考えていましたが。
「…分かりました、やってみましょう。文字通りあなたの命を預かるというわけですね」
振り落とさないよう頑張ります、とジョミー君と漕ぎ手を交代したキャプテンは、キース君を二番手に従えて見事に筏を漕ぎ始めました。体格が一番立派なだけに、誰よりも安定の漕ぎっぷり。それは見事としか言いようがなく…。



「…凄いね、あっちのハーレイは」
会長さんが正座で縛られた教頭先生の隣に、いつの間にやら立っていて。
「ブルーの命を預かるだけあって頑張ってるよ。…ブルーが惚れるのも分かる気がする」
「あっ、君も少しは分かってくれた? 今は筏だけど、シャングリラでも似たような気分になるんだよ。でも見た目では筏の方が断然上だね、男らしさが増すって感じ!」
あの筋肉が堪らないや、とソルジャーは惚れぼれとしています。会長さんは教頭先生の背中を軽く蹴飛ばし、鼻を鳴らして。
「同じハーレイでこうも違うと言うのがねえ…。片や筏を漕いでも凄腕、君は筏からも落ちるヘタレで、どうにもこうにも…。ぼくの命を預かろうとか思わないわけ? 筏師の技は伝授したのに?」
ちょっとは漕ごうと姿勢だけでも示してみたら、と会長さんの嫌味がネチネチと。ソルジャーも横から面白そうに。
「だよね、気持ちは黙っていたんじゃ伝わらない。ぼくのハーレイに二番手で補助をして貰ってさ、ここは一発、男らしさをアピールすべき! キャプテンたる者、どんな難所も乗り切ってなんぼ!」
行って来い、と二人がかりで発破をかけられた教頭先生、ついに決意をしたらしく。
「…分かった。私も男だ、逃げていたのではお前を嫁にも貰えないしな」
「その調子! ドンと構えて乗り切るんだよ、君なら出来るさ」
頑張って、とロープを解かれて送り出された教頭先生はキャプテンと漕ぎ手を交代しました。一漕ぎ、二漕ぎ、次で曲がって…。
「「「わーーーっ!!!」」」
ドーン! と急な段差を滑り落ち、水飛沫が筏を洗い流して………目を開いたら教頭先生の姿が何処にもありません。二番手だったキャプテンが先頭に走り、二番手の位置にジョミー君が駆け込んで。
「きょ、教頭先生は!?」
「分からん、ぶるぅ、後ろはどうだ!?」
早く探せ、とキース君が絶叫しています。次の段差が迫っていますし、このままじゃあ…。ん?
「ふん、馬鹿は死ななきゃ治らない、ってね」
「…こうなると最初から知ってて交代させたわけ?」
で、ハーレイは? とソルジャーが訊けば、会長さんは。
「お花畑に送ってやったさ、今夜の宿のリゾートホテル! ぼくたちが着くまで庭の花壇のド真ん中から移動出来ずにシールドの中。本人はきっと死んだと思って焦るだろうね」
動けない上に花畑だし、と会長さんは高笑い。男の子たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにキャプテンはそうとも知らずに筏の上で大騒ぎです。聞いてしまったスウェナちゃんと私はこれからどうするべきでしょう? お花畑の教頭先生、お迎えが行くまで三途の川でお待ち下さぁ~い!




       波乱な川下り・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 今月はアニテラでのソルジャー・ブルーの祥月命日、7月28日が巡って来ます。
 ハレブル転生ネタを始めましたし、追悼も何もあったものではないのですが…。
 節目ということで、7月は 「第1&第3月曜」 の月2更新に致しました。
 8月は 「第3月曜」 8月18日の更新となります、よろしくお願いいたします。

 7月28日には 『ハレブル別館』 に転生ネタを1話、UPする予定でございます。
 「ここのブルーは青い地球に生まれ変わったんだよね」と思って頂ければ幸いです。
 毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv


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 こちらでの場外編、7月はお中元の季節。とんでもない人からお中元が…?
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