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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 前世で焦がれ続けた青い水の星、再生を遂げた地球の上に生まれ変わったブルー。
 十四歳になって間もなく、前世での恋人だったハーレイと出会い、当時の記憶を取り戻すまではごくごく普通の少年として生きて来た。
 けれどブルーは生まれながらのアルビノであって、身体も前世と同じで虚弱。運動の類は不得手だったし、体育の授業も見学が多い。学校も何かと休みがちなブルー。
 そんなブルーの足を学校へと向け、繋ぎ止める大切な存在が出来た。
 年度初めに少し遅れて赴任してきた古典の教師。彼こそがブルーの前世での恋人、キャプテン・ハーレイの生まれ変わりで、外見までもそっくりそのまま。
 ブルーとの再会を果たして以来、ハーレイは休日の度にブルーの家を訪ねて来てくれるのだが、それだけで足りるわけがない。学校ではあくまで教師と生徒で「ハーレイ先生」と呼ばねばならず、甘えることすら出来ない日々でも、ブルーはハーレイに会いたかった。
 廊下で会釈し挨拶を交わし、授業がある時は大好きなハーレイの姿を見詰めて好きでたまらない声を聞く。ただそれだけで感じる幸せ。ハーレイと同じ星に生まれて、同じ時間を生きる幸せ。
(…ハーレイ。ぼくは帰って来たから)
 一度は離れて切れてしまったハーレイと共に紡いだ時の糸。
 ミュウの未来を、仲間たちを乗せた白いシャングリラをハーレイに託し、ブルー自身がその糸を切った。離れ難い想いを胸に秘めたまま、ミュウの未来を守るために。
 あの時、後悔は無かったと思う。
 ソルジャーとしてのブルーには後悔は何ひとつ無かったけれども、一人のミュウとしてのブルーの胸には…。
(……覚えてる。ハーレイの温もりを最期まで忘れずにいたかったのに……)
 撃たれた傷の痛みの前に消えてしまった、別れ際に触れた手に残ったハーレイの温もり。それを失くして独り逝くことがどれほどに辛く悲しかったか。ハーレイの顔も姿も覚えているのに、その温もりを失くしてしまったことが…。
 ハーレイと再び巡り会えるとは思いもせずに、ソルジャー・ブルーだったブルーは逝った。
 その悲しみはソルジャー・ブルーの記憶と共に十四歳のブルーの心にも刻まれたから、ハーレイの姿を見られるだけで嬉しかったし、この上もなく幸せな気持ちになれる。たとえその腕に触れられなくても、同じ星の上に、同じ空間にハーレイと生きているのだから…。



 ハーレイの居る場所で幸せな時を過ごしていたくて、ブルーは少し無理をした。
 以前だったら大事を取って休んだであろう不調の前兆。ほんの一日、家で静かにしているだけで良くなった筈の軽い眩暈を「なんでもない」と母に嘘をつき、学校へ。
 運良く、校門を入った所でクラブの朝練を終えたハーレイとバッタリ出会った。
「おはようございます、ハーレイ先生」
 ドキドキと跳ねる鼓動を押さえてペコリと頭を下げれば、「ああ、おはよう」と答えが返る。
 もうそれだけで幸せ一杯、来た甲斐があったというものだ。眩暈は起きぬけに一度起こしただけだし、来て良かったと心から思う。柔道着を着たハーレイを見られる所は学校しかない。
「どうした、ブルー?」
「いえ、なんでもないです!」
 ちょっと見惚れていただけです、などと言えるわけもなく、ブルーは足早に校舎へ向かった。急ぎ過ぎたのか息が切れたが、エレベーターを使わず階段で上る。足を止めたら幸せが胸から溢れ出してしまいそうだったから。
 朝一番にハーレイと出会えた嬉しさを誰彼かまわず、捕まえて喋りそうだったから…。
(幸せだよ、ハーレイ。ハーレイが居るだけでホントに幸せ!)
 頬が緩みそうになるのを懸命に引き締め、自分のクラスの教室へと。早足と階段はブルーの身体に負担を掛けていたのだけれど、鎮まらない鼓動はハーレイに会えた幸せのそれに置き換わる。
(今日はハーレイの授業もあるしね)
 来て良かった! とブルーは心の底から嬉しくなった
 古典の授業は午後からだったが、それまでの時間も待ち遠しい。
 早くハーレイの顔を見たいし、声を聞きたくてたまらない。今の時間は何処で授業をしているだろう? あの大好きな声を聞いている幸せな生徒は誰だろう?
(ハーレイ…。ホントに好きだよ、ハーレイ)
 学校では決して言えない言葉。心の中でしか言えないけれども、それを何度も言える幸せ。
 もう会えないと、これで終わりだと遠い昔に思ったことすら、優しい時間に溶けてゆく。こんな幸せを掴めるだなんて、ハーレイの温もりを失くした時には夢にも思いはしなかった…。
(…ふふっ、ホントに夢みたいだ…)
 キュッと右手を握ってみる。
 メギドで死んだソルジャー・ブルーよりも小さな手。まだ幼さの残るこの手があの頃と同じくらいに大きくなったら、今よりももっと沢山の幸せがブルーの上に降ってくるだろう。
 ハーレイと本物の恋人同士になって結ばれ、手を取り合って生きていけるのだから…。



 午後の授業でハーレイの姿をたっぷりと眺め、ソルジャー・ブルーであった時から耳に馴染んだ声を存分に聞けて、ブルーは本当に幸せだった。
 自分だけに向けられたものでなくとも、ハーレイの瞳と、その声と。
 ほんの少しでも自分一人を見詰めてほしくて、声を独占していたくなって、当ててもらうために何度も手を挙げた。
 前の生でハーレイに最後に触れた右手を、精一杯に「はいっ!」と元気よく。
 ところが上手くは運ばないもので、ブルーの成績はクラスでトップ。当てればスラスラと答えが返るのだから、「生徒が躓きやすい箇所を押さえて今日の授業を進めよう」というハーレイの思惑とは大きくズレる。優秀なブルーは悉く外され、他の生徒ばかりが当たってしまって。
(……今日はダメかも……)
 当てて貰えない日なんだろうな、とブルーも薄々分かってはいた。
 しかし大好きなハーレイが出す問題や質問を無視するなんて出来る筈もない。
(此処にいるよ。ハーレイ、ぼくは此処にいるから!)
 懸命に手を挙げ、結局、一度も当てて貰えなかったのだけれど、それでもブルーは幸せだった。
 ハーレイと同じ時を生きる幸せ、同じ教室に居られる幸せ。
 手を挙げすぎて身体に更なる負担がかかったことにも気付かず、幸せだけを噛み締める。
(ハーレイの授業を聞けて良かった! 学校に来てホントに良かった!)
 休んでいたら会えないもんね、と授業を終えて出てゆくハーレイの背中を見送り、微笑んだ。
 終礼が済んだら、体育館の方に行ってみよう。
 運動部の生徒たちが闊歩する放課後の其処はブルーには場違いな場所であったし、中へ入って見学する勇気は無かったけども…。
(…でも、ハーレイが入って行くのを見られるかも!)
 朝に出会った柔道着のハーレイ。
 滅多に見られない姿だからこそ、一度見てしまうと欲が出る。
 もっと、もっと、と欲張りになってしまったブルーは部活の無い生徒が次々と下校していく中を体育館の側で待ち続けた。
(…ハーレイ、まだかな…。まだ来ないかな?)
 もうちょっとだけ、あと五分だけ、と待てど暮らせどハーレイは来ない。ふと気が付けば終礼を終えてから一時間近くも経っていて。
「いけない、ママが心配しちゃう!」
 慌ててブルーは駆け出した。負担を掛け過ぎた身体へのダメ押しになるとも知らず、ハーレイが今日は部活ではなく会議だったことも知らないままで…。



 欲張りすぎて帰宅が遅くなった上、柔道部に向かうハーレイの姿も見られず終い。
 それでも登校して直ぐにハーレイに会えて、ハーレイの授業も受けられた。もうそれだけで幸せ一杯、早く明日になって学校へ行きたいとブルーは思う。
 学校に行けばハーレイが居るし、たとえ古典の授業が無くても一度くらいは何処かで出会える。運が良ければ、ほんの短い時間だけれども立ち話だって…。
(ハーレイ先生、なんだけれどね…)
 好きだなどとは絶対に言えず、あくまで先生と生徒の関係。
 いくらハーレイがブルーの守り役であると知られてはいても、恋人同士なことは絶対秘密で。
(…でも、会えるだけで幸せだもんね…)
 本当ならば自分がメギドへ飛び立った時が永遠の別れであったハーレイ。
 ハーレイの命が尽きた時に別の世界で巡り会えるかも、とは思ったけれども、まさか前世と同じ姿で地球の上で巡り会えるとは…。
 ハーレイにこの手で触れることが出来て、その姿を見て、声まで聞けて。
 思念体や魂などではなくて、生の温もりを持った身体で会える幸せ。
(幸せだよ、ハーレイ…。ホントに幸せ!)
 この言葉を何度、心の中で、ハーレイの前で、その腕の中で言っただろうか。
 ブルーの身体が幼すぎるせいで結ばれることも出来ずキスすらも叶わない仲だったけれど、いつかはそれも過去のものとなる。
 ハーレイの傍らで伴侶として生きる日を夢に描きながら、ブルーは自分の小さなベッドで幸せな眠りに落ちていった。



 そうして翌朝、今日もハーレイに会いに学校へ行こうと目覚ましの音で目を覚ましたのに。
(……あっ…!)
 昨日よりも酷い眩暈に襲われ、ブルーはベッドに引き戻された。
 身体がだるくて起き上がれない。目覚ましを止めようと伸ばした手にも力が入らず、止めることだけで精一杯。起きて制服に着替えたいのに、身体が言うことを聞いてくれない。でも…。
(…起きて学校に行かなくちゃ…)
 ハーレイに会える大切な場所。
 以前だったらこんな時には起きようともせず、母が心配して部屋に来るまでベッドの中に居たのだけれど、今は学校に行けばハーレイが居る。だから行きたい。起き上がりたい。
(…学校に行って、ハーレイに…)
 どうしても行って会わなくちゃ、とベッドから這い出そうとして落っこちた。絨毯に手を突き、起き上がろうとしていた所へ扉をノックする音が聞こえて。
「ブルー、開けるわよ? …どうしたの、ブルー!」
 母が悲鳴を上げて駆け寄り、出勤前だった父に抱き上げられてベッドに戻る羽目になる。ブルーには以前からありがちなことだけに病院へとまでは言われなかったが、学校へ行ける筈もない。欠席の連絡をしに階下へ降りてゆく母が消えた後、ブルーはポロリと涙を零した。
 今日はハーレイに会いに行けない。
 同じ時間を生きているのに、今日はハーレイの姿を見られない上に声も聞けない。
(…土曜日だったら良かったのに…)
 それならハーレイが来てくれるのに、と悲しい思いで一杯になる。
 昨日はあんなに幸せだったのに、今日はすっかり正反対だ。
(ハーレイ…。会いたいよ、ハーレイ、会いたいのに…)
 昨日休めば良かっただろうか、とも思ったけれども、昨日はとても幸せだった日。休むだなんてとんでもない、と昨日の幸せに思いを馳せる。本当ならば今日だって……。きっと…。



 幸せな筈の日を逃したブルーはベッドの中でしょげていた。
 寝ていたお蔭で身体はずいぶん楽になったが、明日は学校に行けるだろうか? 行けなかったらどうしよう、と気分が落ち込む。頑張って夕食は食べたけれども、明日はどうなるか分からない。
(…どうしよう…。明日もハーレイに会えなかったら…)
 そんなの酷い、と泣きそうな気持ちになっていた時、扉が軽く叩かれた。
「…ブルー?」
 遠慮がちに掛けられた声にブルーの心臓が跳ね上がる。
「……ハーレイ?!」
 なんで、と身体を起こそうとしたブルーを、入ってきたハーレイが「寝てろ」と止めた。
「無理するな。…お前、昨日から無理をしてたんじゃないか?」
「えっ?」
「朝、会った時に妙にはしゃいでいたからな」
「…そんなこと…」
 ない、と口にしかけて不思議に思った。自分はハーレイに挨拶しただけで、それ以上は何もしていない。ハーレイに「どうした?」と尋ねられたから、「なんでもないです」と答えたけれど…。
「声に出さなくても顔で分かるさ」
 ハーレイの手がブルーの前髪をクシャリと撫でた。
「じゃれついてくる子犬みたいな顔をしてたぞ。もう嬉しくてたまらない、という感じの顔だ。お前、普段はそこまで舞い上がってはいないだろうが」
「……ぼく、顔に出てた?」
 ブルーの頬が赤くなる。
 ハーレイの姿を見ているだけで幸せだったし、学校ではいつも幸せ一杯。それを周りに気付かれないよう努力していたのに、昨日は顔に出ていただろうか?
「安心しろ、俺しか気付いていないさ。それよりも、お前…」
 前と同じで弱いんだな、とハーレイの鳶色の瞳が曇った。
「前の身体と全く同じに弱く生まれてしまったんだな…。お前はこんなに小さいのに」
 可哀相に、と大きな手がブルーの額に置かれる。
「俺は頑丈すぎる身体に生まれて来たのに、お前は弱いままなのか…」
 ハーレイが心を痛めていることが手のひらを通して伝わってきた。自分は丈夫な身体に生まれて人生を謳歌しているというのに、ブルーは前と同じなのか、と。
 ブルーだって弱い身体は辛い。現に今日だってそのせいで…。
 けれど……。



「……ううん。弱いけど、前と同じじゃないよ」
 違うんだよ、とブルーは微笑んだ。
「ねえ、ハーレイ。「ブルー」って呼んで」
「………? 呼ぶだけでいいのか?」
「うん」
 請われたハーレイが「ブルー」と、ブルーの大好きな声でブルーの名を呼ぶ。優しい声が鼓膜を心地よく擽り、ブルーの心を震わせる。
「…もう一度、呼んで」
「ブルー?」
「もっと小さく。もう一度、もっと、もっと小さく…」
 求めのままに繰り返される声は小さく微かになり、ついには囁くような響きとなった。それでもブルーの耳に届く声。前の生の時とまるで変わらない、暖かく穏やかにブルーを呼ぶ声…。
「…ブルー? ブルー…?」
「ほら、ハーレイ。…分からない? …君の声がちゃんと聞こえてるんだよ、ぼくは補聴器をしていないのに。ハーレイも補聴器、していないよね?」
 ハーレイが息を飲むのが分かった。そう、そんな息遣いすらも聞き逃さないブルーの耳。前世と同じ弱い身体に生まれたけれども、これが全く違うこと。
 ブルーはクスッと小さく笑った。
「…普通に聞こえて、普通に話せる。サイオンの助けを借りなくてもいい。こんな「当たり前」のことがとても嬉しいだなんて思わなかった」
 思い出す前は「聞こえない」ことなんて想像したこともなかったけれど、とブルーは続ける。
「前は補聴器が無いとハーレイの声も全部は聞こえてなかったと思う。…だけど今はどんな小さな声でも補聴器もサイオンも無しで聞こえる。…これがハーレイの声なんだ、って幸せになれる」
 それだけで幸せでとても嬉しい、とブルーはハーレイに「呼んで」と強請った。
「もう一度、呼んで。…ぼくの名前」
「…ブルー。…そうだな、俺もお前も今は補聴器無しだったんだな…」
 お互いの声が聞こえるんだな、とハーレイの褐色の手がブルーの両方の耳をそっと包んだ。



 束の間、通い合った優しい時間は恋人同士だからこそ持てるもの。
 ブルーの母がいつものように「お茶は如何?」と部屋を訪ねて来ないこともあって、ゆっくりと時が流れてゆく。
 ハーレイがブルーを見舞う間の短い時間だったのだけれど、それは満ち足りた幸せな時間。
「お前のどんなに小さな声でも聞き落とさない幸せ、か…」
 考えたこともなかったな、とハーレイの手がブルーの額を撫でた。
「俺は頑丈に生まれたせいで気付かなかったが、お前はそれに気付いていたのか…」
「…えーっと…。きちんと考えたのは今が初めてかも…」
 ハーレイの声を聞いているだけで幸せだったし、と無邪気な笑みを浮かべるブルーにハーレイが「そうか」と笑って頷く。
「俺の声だけで幸せというのは確かに顔に出ていたな。…お前がちゃんと大きく育ったら、もっと幸せになれると思うぞ」
「えっ?」
「ベッドの中でもサイオン抜きで本物の声が聞けるんだ。…な? 考えただけでも幸せだろう?」
「……ベッド……?」
 何のことだろう、と自分が横たわるベッドに目をやったブルーの脳裏に前世の記憶が蘇った。
 ハーレイと二人で青の間に置かれた大きなベッドで…。
「…ちょ、ハーレイ…! ベッドの中って…!」
 ベッドでの睦言は全て聞こえていたのだけれども、前世のブルーの聴力からすれば、それは有り得ないことだった。補聴器を外せば囁き声など聞こえないのだし、無意識の内にサイオンで補って聞いていた筈。…その声を全部、サイオン抜きで…!
(…う、嘘……!)
 耳の先まで真っ赤に染めたブルーの鼓膜をハーレイの笑い声が擽った。
「……お前には少し早すぎだがな。しっかり食べて大きくなれよ」
 弱いのも少しは治るだろうさ、と可笑しそうに笑うハーレイの胸をポカポカと叩きたかったが、生憎とブルーはベッドの住人。上掛けを顔の上まで引き上げ、その下で頬を熱くする。
(…バカ、バカ、バカ! …ハーレイの馬鹿!)
 心の中でそう叫んでも、ハーレイの笑い声が耳に心地よい。
 巡り会えたからこそ聞くことが出来る、好きでたまらないハーレイの声。
 明日は学校に行けますように、とブルーは祈る。明日もハーレイの声が聞けますように……。




        聞こえる幸せ・了






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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv






青葉が眩しい五月の初旬。ゴールデンウィークの一部をシャングリラ号で過ごした私たちも今日から再び授業でした。とはいえ、そこは出席義務の無い特別生。授業の中身もすっかり頭に入っていますし、登校してくる真の目的は放課後にあり、というわけで。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日はアーモンドとオレンジのケーキだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎え。しっとりと焼き上げられたケーキはアーモンドの粉に細かく刻んだオレンジピールを加えたもの。食べるとオレンジの香りがふんわりと…。やがて部活を終えた柔道部三人組が加わり、今日は焼きそば。
「うーん、やっぱり此処が最高ってことなのかな?」
焼きそばを頬張りながらのジョミー君の言葉に、何を今更、とキース君が。
「お前は教室の方がいいのか? もれなくグレイブ先生つきの1年A組のあの教室が?」
「そうじゃなくって…。んーと……此処って、ぶるぅの部屋だけどさぁ、ぼくたちの部屋でいいのかなぁ、って…」
ずーっと独占してるよね、と言われてみればその通り。サイオンを持った後輩は何人かいるのに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入り浸っているわけではありません。私たちだけが入学した年から延々と溜まり場にしているのです。
「君たちの部屋でいいだろう?」
ぼくが許しているんだからさ、と会長さん。
「学園祭だって、この部屋を公開するのに君たちに協力して貰ってる。ぶるぅのお部屋って呼ばれてるけど、君たちの部屋でもいいと思うよ」
「そっか…。だったら、此処って秘密基地?」
「「「は?」」」
斜め上な単語に首を捻れば、ジョミー君は。
「秘密基地だよ、小学生の頃に作らなかった? コッソリ集まってゲームをしたりさ」
「ああ、アレか…。親父にバレてエライ目に遭ったな」
やっぱり墓地はマズかったか、と返すキース君に、ゲッとのけぞる私たち。秘密基地の話はよくありましたが、墓地というのは強烈です。字面はなんだか似ていますけど…。



「ぼ、墓地って…。キースの家のヤツだよね?」
裏山のだよね、とジョミー君が確認すると、キース君は「当然だろう」と頷いて。
「秘密基地を作るのにいい場所は無いか、と持ち掛けられてな。あまり人が近付かない所が最高なんだと言われてみろ。王道は山とか林だな。その点では墓地も負けてはいない」
「「「あー…」」」
そりゃそうでしょう、墓地はお参りの人しか来ません。ついでに山や林と違って散歩の人も来ませんし…。それでも墓地に秘密基地とは天晴れな、と思っていたら。
「その辺が子供の強さだな。俺にお念仏を唱えさせてだ、これで幽霊は大丈夫だから基地にしよう、と。でもって一番端の墓石と隣の木とをロープで結んで、それを基礎にして小屋をだな…。植木屋の息子がブルーシートを持ってきたから、そいつを使った。床はもちろん段ボールだ」
水が入らないように廃材で床を底上げして…、と語るキース君たちが作った秘密基地は立派なもの。雨風がしのげて快適な居場所になる筈でしたが。
「出来上がって中でスナック菓子を食って…。また明日、と別れたんだが、次の日の朝に親父に叩き起こされた。そのまま墓地に引きずって行かれて、これはお前が作ったのか、と」
もうその後が大変で…、と遠い目になるキース君。秘密基地は朝一番に墓地の清掃を請け負う業者さんに発見されてアドス和尚に即、通報。ついでに前の日、大勢の子供が墓地に向かうのを宿坊の人が見ていたらしく。
「墓地にみっともない物を作るな、と怒鳴られた上に、墓石を使ったのが最悪で…。持ち主さんにお詫びをしろ、と檀家さんの家まで行かされたんだ。檀家さんは笑って許してくれたが、親父が「もっと叱ってやって下さい」と俺の頭を拳でガツンと」
あれは本当に痛かった、とキース君は頭を擦っています。秘密基地は業者さんに撤去されてしまい、二代目の基地は植木屋さんの植木畑の中に作って、やはり見付かって速攻、撤去で。
「植木畑の方も派手に叱られたぞ。邪魔な枝を勝手に鋸で切ってたからな」
「「「………」」」
その植木って売り物だったんじゃあ、と頭を抱える私たち。キース君の秘密基地ライフは実に激しいものでした。迷惑や実害を及ぼしながらの基地建設って、子供ならではの超絶体験?



なかなかの悪童だったらしい小学生時代のキース君。秘密基地がどうのと言い出したジョミー君は公園の一角を占拠していただけで壊してはおらず、サム君やシロエ君も同様です。マツカ君は秘密基地自体に縁が無かったそうでして…。
「ぼくは友達が無かったですから…。みんな色々やってたんですね、楽しそうです」
「俺は親父に叱られたんだが?」
「それでも懲りずに植木畑でやったんでしょう? 友達がいなくちゃ出来ませんよね」
羨ましいです、とマツカ君。
「今はこの部屋がぼくたちの秘密基地ってことなんでしょうか、みんなで集まっているわけですし」
「うーん…。どうだろう?」
作ったわけではないからね、と会長さんが答えました。
「他の生徒は入ってこないし、先生だって入れない。そういう意味では究極の秘密基地だと言えるんだけど、キースの凄すぎる体験談を聞いてしまった後ではねえ…。自分たちの手で作ってなんぼ、という気がしないでもないんだけれど」
「おい、こんな部屋を作れるのか?」
どう考えても無理だろう、とキース君が冷静な突っ込みを。
「サイオンを使って隠してあるのはまだ分かるんだが、構造自体が謎だしな…。素人に作れるレベルじゃないぞ。それに二つも作ってどうする」
「まあね。ぶるぅの部屋は間に合ってるよね…。でもさ、秘密基地っていいと思わないかい、君は欲しいんじゃないかと思うな。…アドス和尚の目が届かない場所」
「は?」
「いつもブツブツ言ってるじゃないか、朝から晩まで修行の日々だ、って」
大変だよねえ、と会長さんに同情されたキース君は。



「………。副住職になっちまった以上、仕方ないとは思うんだがな…。不意打ちで部屋をガラリと開けるのは、正直、勘弁してほしい。あれは本気で心臓に悪い」
それに立ち聞き、と溜息をつくキース君。
「俺に一人でお勤めをさせる時があってな…。それならそれで親父は庫裏で寝てりゃいいのに、阿弥陀様の後ろの部屋でコッソリ立ち聞きしてやがるんだ。そして後から俺の読経に文句をつける」
まだ学校の方が気が休まる、とキース君が零せば、会長さんは「うん、うん」と。
「だからね、そんな日々を送るしかない君のためにも秘密基地! しかもある意味、堂々と!」
「「「???」」」
いきなり何を、と私たちは首を傾げましたが。
「作っちゃうんだよ、キースのための秘密基地をさ。ついでに、ぶるぅの部屋の別荘バージョン」
「「「別荘バージョン?」」」
「うん。基本的にはキースの基地で、ぼくたちは其処にお邪魔するわけ。基地の建設を請け負うんだから、そのくらいの役得はあってもいいよね?」
「な、なんの話だ?」
サッパリ話が見えないんだが、と目を白黒とさせるキース君に、会長さんはニッコリと。
「君の秘密基地を建ててあげようって言ってるんだよ。季節もいいし、お盆までは元老寺に来る人も少ないし…。宿坊の駐車場の横に確か空き地があったよね? あそこがいいと思うんだけど」
「ちょっと待て! 何処から見てもバレバレじゃないか!」
「堂々と建ってりゃ近付きにくいと思わないかい? 周りに砂利を敷いておけばさ、アドス和尚が来ても足音ですぐに分かるしね」
ここは一発、作ってみよう! と会長さんは大乗り気でした。えーっと、キース君のための秘密基地兼「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の別荘バージョンって、ブルーシートと段ボールで…?



元老寺の土地に秘密基地を作ろうと言う会長さん。普段はキース君が一人で使って、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の別荘としてお邪魔するのだそうですが…。
「おい、あそこでブルーシートはマズイぞ」
工事現場じゃあるまいし、とキース君が止めにかかると、会長さんが。
「誰がブルーシートで作ると言った? それじゃ快適と言えないし! 建てるのは組み立て式のログハウスなんかがいいんじゃないかな、広さの方も必要だから」
全員が入った時に備えて八畳は欲しい、と会長さんは数えています。
「一人半畳として計算するとね、君たちとぼくとぶるぅで九人だから六畳あればいいんだけれど…。ゆとりを持って使うんだったら八畳から! 理想は十畳って所かな」
「そんなデカイのを作る気か?」
「もちろんさ。この部屋はもっと広いんだよ? 別荘バージョンとはいえ、ゆったりしたい」
アドス和尚に相談しないと、と立ち上がりかける会長さんに、キース君が慌てた口調で。
「ま、待て! ログハウスの費用はどうするつもりだ、親父が資金を出すわけがないぞ」
「ああ、その点なら大丈夫! ちゃんと費用のアテはあるから」
ぼくにぞっこんの阿呆が一人、と人差し指を立てる会長さん。
「ハーレイに頼めばいいんだよ。未来の嫁が秘密基地を建設したいと言っているんだ、出さないようじゃ男じゃないさ。…結婚した後でもプライバシーは重要だからね、その時に備えて予行演習と言えばOK!」
「「「………」」」
鬼だ、と思ったのは私だけではないでしょう。ともあれ、費用の面はそれで解決みたいです。そうなると次は建設現場で。
「早速、元老寺に行かなくっちゃね。秘密基地云々っていうのは黙っておいて、アドス和尚を説得しないと」
「…内緒にするわけ?」
なんでまた、とジョミー君が訊くと、会長さんは。
「秘密基地です、とバラしたら意味が無いだろう? 堂々と建てても秘密は秘密さ」
「そっか、キースの基地なんだっけ…。でもって、ぼくたちの秘密基地だね」
面白いことになってきた、とジョミー君はワクワクしています。私たちだってドキドキワクワク。会長さんはアドス和尚をどうやって説得する気でしょうか?
「ふふ、そこは銀青にお任せってね。…それじゃ行こうか、もう夕方だし瞬間移動で元老寺まで」
持ち物を忘れないように、と注意された私たちは鞄をしっかりと。お皿やカップは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパパッと洗ってお片付けして準備完了。
「行くよ、ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パァッと迸る青いサイオン。身体がフワリと浮き上がったかと思うと、もう目の前が元老寺でした。正確に言うと山門も通り抜けて庫裏のすぐ脇。夕方の境内は閑散としており、私たちの出現に腰を抜かすような人も無く…。
「さてと。…アドス和尚は気前よく御馳走してくれるかな?」
この時間だと晩御飯が出るのがお約束だよね、と庫裏の玄関のチャイムをピンポーン♪ と鳴らす会長さん。秘密基地の交渉だけじゃなくって晩御飯まで食べるつもりで押し掛けましたか、そうですか…。



奥の方からパタパタと軽い足音が聞こえ、玄関を開けてイライザさんが。
「ぎ、銀青様…? お電話を頂ければお迎えに上がりましたのに…!」
「こんなに大勢、タクシーに乗れると思うかい? 今日はアドス和尚に話があってさ」
「今はお勤めをしておりますの。お入りになって下さいな。皆さんも、どうぞお座敷へ」
案内された先は立派なお座敷。会長さんが上座に座り、キース君は思い切り末席です。お茶とお茶菓子が出てきましたけど、ワイワイ騒ぐわけにはゆかず…。その内にドスドスと足音が。
「銀青様、大変お待たせしまして申し訳ございません」
廊下に平伏しているアドス和尚に、会長さんはにこやかに。
「ううん、お勤め最優先っていうのは常識だしね。こちらこそ、夕食前にお邪魔しちゃってごめん」
「こ、これは……気が付きませんで失礼を……。おい、イライザ!」
皆さんにお寿司をお取りしろ、とアドス和尚。特上握りとは豪勢な…。会長さんのお供だからこそで、私たちは心で万歳です。お寿司が届くまでの間に会長さんはアドス和尚と世間話や璃慕恩院の話なんかをのんびりと。…えーっと、秘密基地のお話は?
『まだまだ。本題はお寿司を食べながら…だよ』
私たちだけに聞こえる思念波が届き、やがて豪華なお寿司の出前が。アドス和尚は御機嫌で…。
「皆さん、遠慮なくお召し上がりを。日頃、せがれがお世話になっておりますからな」
「ありがとう。で、キースの話なんだけど…」
会長さんが大トロに舌鼓を打ちながら口にした言葉に、アドス和尚が眉を顰めて。
「…せがれが何かしでかしましたか?」
「そうじゃなくって、ぼくから提案。…キースは副住職をやっているけど、学校生活が基本だよね? 檀家さんと触れ合う時間は少ない」
「はあ…。そこはまあ、学生ですからな」
檀家さんも承知して下さっています、とアドス和尚。けれど会長さんはチッチッと指を左右に振って。
「これからのお寺は若い人にも門戸を開くべきなんだよ。お年寄りしか寄らないお寺は古くなりがち! フラッと立ち寄って話が出来たら理想的だと思わないかい?」
「ウチは宿坊もやっておりますから、お若い方が旅の拠点に使われることもありますが…」
「それじゃイマイチ! 気軽に覗けるスポットでないと」
宿坊はお寺の付属物だから敷居が高め、と会長さん。
「もっとこう、敷居の低いヤツを…ね。お茶でも飲みながら話が出来て、美味しいお菓子もあるとなったら最高なんだよ。そのための拠点を作るのはどう? 責任者はキースで」
「せ、せがれにそんな大任を…?」
「大任じゃないよ、若い檀家さんの話相手をするだけだから! もちろんお年寄りでもいい。そういう場所を作るんだったら、ぼくも覗いてみてもいいしね」
場合によっては法話もしよう、と提案されたアドス和尚は「うーむ…」と考え込んでいます。
「せがれが其処に詰めるのですな? わしの目が行き届かない場所となったら、こう、色々と…」
「お父さんとしては心配になるかもしれないねえ…。じゃあさ、本格的に運用する前にお試し期間! とりあえず、ぼくたちだけが立ち寄るってことで、キースの生活がどう変わるかをチェックしてみれば? 問題無ければ檀家さんにも開放したらいいんだよ」
「おお、なるほど…。それは名案かもしれませんなあ」
ひとつチャレンジさせてみますか、とアドス和尚がGOサイン。会長さんはサクサクと場所や建物の案を話して、建設費用は一切不要と太鼓判を。銀青様のポケットマネーだと勘違いしたアドス和尚は「有難いことです」と合掌しています。全額負担の教頭先生、どんな散財になるのやら…。



こうしてトントン拍子に話は纏まり、会長さんが教頭先生から費用を毟って、組み立て式のログハウス風な秘密基地の建設が始まりました。業者さんに建てて貰ったのでは秘密基地とは言えません。やはり自分たちで作ってこそで。
「かみお~ん♪ みんな、お疲れ様ぁ~!」
お弁当だよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瞬間移動でボリュームたっぷりの焼肉弁当のお届けに。炭火焼肉を一面に載せた下には千切りのキャベツ、御飯にもタレがしっかりと。男の子たちのお弁当は大きく、見ているだけのスウェナちゃんと私の分は小さめです。
「えとえと…。今日は窓も入るの?」
だいぶ家らしくなったよね、とログハウスを見上げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちは「秘密基地を作るので休みます」というブッ飛んだ欠席届を学校に出して、毎日、元老寺に通っていました。え、その欠席届ですか? グレイブ先生は「ほどほどにな」と笑っただけでしたよ~!
「グレイブ先生、こんなのとは思っていないよねえ?」
ジョミー君が壁をコンコン叩けば、サム君が。
「穴でも掘ってると思ってんじゃねえか? その辺の土手に」
「その可能性は高そうですね」
少なくとも家とは思っていないでしょう、とシロエ君。
「おまけにコレって総檜でしょう? 基本のログハウスの値段は調べましたけど、あれより相当、高いんじゃあ…」
「御想像にお任せするよ。ハーレイは喜んで払ってくれたけれどね」
クスクスクス…と会長さんが漏らす笑いからして、とんでもない費用がかかっていそうです。整地は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンでやって、組み立ての方も大きな部材はサイオンで。男の子たちは力仕事で出来る部分を頑張って作り、残るは屋根の仕上げと窓と、それに床張り。
「屋根と窓は今日中に仕上げて、床張りが明日って所かな」
それが済んだら電気の配線とかをしなくっちゃ、と会長さん。配線はシロエ君が担当することになっていますし、明後日には秘密基地が完成しそうです。お弁当を食べ終えた私たちは中に入って、仮の床の上を歩きながら天井や壁を眺めてみて。
「凄い秘密基地が出来そうだよね」
でもってキースの隠れ家だよね、とジョミー君が親指を立てれば、キース君が。
「どうだかな…。ブルーが巧い話をやったお蔭で家は出来そうだが、親父のチェックが何処まで入るか…。まあ、檀家さんの立ち寄り処になったとしても、親父と違ってノックくらいはするだろう」
のんびり息抜きが出来る所になるといいな、とキース君は大きく伸びを。
「とりあえず残りを仕上げるか。床が出来たらド真ん中で大の字に寝転がって上を見るんだ」
俺の城だ、とキース君が言った時です。
「…床下収納も希望なんだけど」
「「「は?」」」
なんだソレは、と振り返った先にフワリと翻る紫のマント。もしかしなくても出ましたか? ソルジャーとかいう人が出たようですけど、床下収納って何なんですか~!



「床板をパコンと上に上げてさ、そこから出るのがいいのかなぁ…って」
だから床下収納なのだ、とソルジャーは呆気に取られる私たちを他所にいけしゃあしゃあと。男の子たちが頑張って建てたログハウスの仮設の床を悠然と歩き回っています。
「これって秘密基地なんだろう? それっぽくお邪魔するにはドアを開けるよりも床からかな、と思うんだよね。もちろん青の間直結で!」
「ちょ、ちょっと…」
これはキースの家なんだけど、と会長さんが遮りましたが、ソルジャーが聞くわけがなく。
「総檜っていうのが素敵なんだよ、ホントに香りがいいからねえ…。こないだハーレイと泊まった旅館を思い出すなぁ、部屋付きの露天風呂が総檜のヤツでさ、もう最高で」
「その先、禁止!」
何も喋るな、という会長さんの警告は右から左に抜けたようです。
「いい香りのお風呂でヤるのもいいけど、移り香を纏ってヤるのもいいよ? ハーレイの身体から檜の匂いがするんだよねえ、逞しさがググンと増した気がして…。もちろん硬さも檜並み! ついでに総檜の家と同じで長持ちってね」
「「「……???」」」
檜は丈夫で硬いと聞きます。総檜の家は長持ちするとも聞いていますし、だからこその総檜ログハウスですが……キャプテンと檜の共通点って何でしょう? 硬さに長持ちって筋肉とか? それとも持久力なんでしょうか、全然話が見えませんけど…。
「あ、分からなかった? それならそれで別にいいんだ、ぼくが欲しいのは秘密基地だし」
「「「えぇっ!?」」」
「ノルディの別荘を借りたりするけど、こっちに拠点が無いんだよね。ちょうどいいから混ぜて貰おうかと…。ベッドとかは持参するからさ」
それとも布団を買おうかな、とソルジャーは床を見渡して。
「キースはベッドを置かないようだし、置くにしたってシングルだろうし…。ぼくとハーレイには狭すぎてダメだ。地球に拠点が出来るからには、やっぱり二人で思う存分!」
床下から来てヤリまくるのだ、とソルジャーは熱弁を奮っています。なんとなく分かってきたような…。つまりソルジャーは此処を使って大人の時間をやらかしたいと…。
「なんでそういうことになるのさ!」
そんな目的で建てたのではない、と会長さんが怒鳴り付けても、ソルジャーは我関せずと床のチェック中。
「この辺がいいかな、床下収納! ぼくとハーレイの身体さえ通れば、ベッドや布団は後からどうとでも…。ぶるぅ、そこのメジャーを取ってくれる?」
「かみお~ん♪ どうするの?」
はい、と素直な「そるじゃぁ・ぶるぅ」が渡したメジャーは工事現場用の金属製。ソルジャーはそれをシャッと伸ばして床に当てると、お次は墨を御所望で。
「サイズは書いといたから、此処に床下収納をよろしく。パカッと上に開きさえすれば収納部分は別に大きくなくてもいいからね。ぼくの世界の青の間直結、空いてる時間にお邪魔するよ」
ハーレイと二人でベッドか布団を持って来て、とニッコリ笑ってソルジャーは姿を消しました。よりにもよって床下収納、ソルジャーの世界の青の間直結。…私たちの秘密基地作りはとんでもないことになりそうです。どうしたらいいんですか、会長さん…?



降って湧いた災難ならぬ、空間を越えて出たソルジャー。言いたいことだけ喋って消えたソルジャーが残していった床に四角く引かれた線。
「…おい、作らないとどうなるんだ?」
此処に床下収納とやらを、とキース君が指差せば、ジョミー君が。
「勝手に作るんじゃないのかなぁ? 器用なのかどうか知らないけどさ」
「…多分、不器用だと思いますけど…。でもサイオンを使えますしね」
どうなるやら、とシロエ君が天井を仰ぎ、スウェナちゃんが。
「キャプテンの趣味は木彫りじゃなかった? 日曜大工も出来るかも…」
「「「………」」」
二人がかりで攻めて来られたら、床下収納は意地でも取り付けられそうです。それくらいなら潔く…とも思いましたが、床下収納を作ってしまえばソルジャーの世界の青の間直結になるわけで。
「それって床下収納って呼べるわけ?」
何も収納出来ないよね、とジョミー君。確かに物を入れておいたらソルジャーとキャプテンに踏み潰されるか、壊されるか。いっそニンニクを詰めておけば、という恐ろしい意見も出ましたけれど、ソルジャーを撃退どころか「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の方にニンニクの雨が降りそうで…。
「…諦めて設置するしかないか…」
俺の城になる筈だったのに、とキース君がガックリ項垂れています。そっちの方も問題ですけど、より問題なのがソルジャーの拠点。乗っ取られたが最後、此処をベースに私たちの周りをウロウロしては爆弾発言をかましまくって、更には今まで以上に積極的に大人の時間をやらかそうとして…。
「…床下収納が出来てしまったら、おしまいかもね…」
でも作らないわけにもいかない、と会長さんが嘆く横から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと…。秘密基地、ブルーに取られちゃったの?」
「ん? 取られてないけど、もう取られたのと同じだねえ、っていう話だよ」
困ったことになっちゃった、とぼやく会長さんにも名案は浮かばないようです。このまま組み立て作業を続けて総檜造りのソルジャーの拠点を建てるしかないのか、と誰もが脱力気味ですが…。
「かみお~ん♪ 同じだったらあげちゃったら?」
「「「えっ?」」」
「ブルー、お家が欲しいんでしょ? 秘密基地ならぼくの部屋があるし、これはブルーにプレゼントすれば?」
それなら誰も困らないでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。そりゃあ……乗っ取られるのなら譲った方がマシかもですけど、建っている場所が問題です。元老寺の駐車場の脇にソルジャーの拠点が出来上がった日には、キース君のお城どころか頭痛の種になりそうで…。
「あっ、そうか!」
その手があった、と会長さんがポンと両手を打ちました。
「この際、キースの秘密基地って案を捨ててしまえばいいんだよ。これは単なるログハウス! 出来上がったらブルーに譲って、知らん顔をすればそれでオッケー!」
えっ、でも…。この家、此処に建ってるんですよ? 忘れてませんか、会長さん? それともキース君がソルジャーに押し掛けられて困っていても、知らぬ存ぜぬで逃げる気ですか…?



ログハウスの屋根と窓とはその日に仕上がり、翌日は朝からせっせと床張り。ソルジャーが注文していった床下収納の部分がキッチリ切り抜かれ、収納庫も取り付けられました。キャプテンの身体が通るサイズを指示されただけに、広さは充分。
「これだけあったらイモやタマネギも置き放題なのにな…」
残念だ、と見下ろしているキース君。お城が出来たと思った途端に奪われたのでは残念だろう、と思いますけど、何故にタマネギ?
「…俺の家ではカレーは滅多に出ないんだ、と言わなかったか?」
「あー、そういえば聞いたかも!」
なんでだっけ、と尋ねたジョミー君にキース君は心底、呆れた顔で。
「お前も坊主の端くれだろうが…。いいか、通夜や葬式にカレーの匂いをさせて行くのはNGだ。息の匂いは歯磨きすれば何とかなるがな、身体ごとカレーの匂いはマズイ。風呂に入ればいいだろう、と俺は思うが、親父はうるさい。葬式も通夜も有り得ない、という時しかカレーは出ない」
翌々日が友引の時で平日限定、とキース君はフウと深い溜息。
「…この家が出来たら、レトルトカレーを好きなだけ食おうと思っていたんだ。いずれ檀家さんをお迎えするならキッチンも要るし、そうなってきたら自作もいいな、と…。イモとタマネギはカレーに欠かせん」
それにニンジン、と未練たらたらのキース君が収納庫を閉め、私たちは出来上がった家をグルリと見回しました。ソルジャーに譲ると決まった以上、電気配線もシロエ君が急いで工事し、後は引き渡しを待つだけで…。
「こんにちは」
パカッと閉めたばかりの床下収納庫が開き、中から「よいしょ」とソルジャーが。出たかと思えば床に屈み込み、床下収納に手を突っ込んで…。
「こんにちは。お邪魔いたします」
こんな所から失礼します、とキャプテンがソルジャーに助けられながら這い出して来ました。最初から二人で現れるとは、乗っ取る気持ち満々です。譲ると決めていて良かったかも…。
「ね、ハーレイ? 檜の香りがいいだろう?」
「本当ですね。…しかし、ブルー…。此処は皆さんの秘密基地なのでは…」
「いいんだってば、空いてる時には使わせてくれって頼んだし! それでさ、お前はベッドがいい? それとも布団を買いに行く?」
「…そうですねえ……。せっかくの総檜ですし、床に布団も試したいですね」
私たちを放置で盛り上がり始めるバカップル。会長さんがゴホンと咳払いをして。
「お取り込み中にアレなんだけどさ…。この家、君たちに譲るから!」
「いいのかい?」
ソルジャーの顔が輝きましたが、会長さんはフンと鼻を鳴らすと。
「その代わり、持って帰ること! これはキースの家の敷地に建ってるわけだし、このままじゃ譲るわけにはいかない。君のシャングリラの中に置くも良し、ノルディに頼んで土地を買うも良し」
「…持ち帰りって……。出来るわけ?」
とっても魅力的だけど、と瞳を煌めかせているソルジャー。会長さんはログハウスの構造を淡々と説明し、置き場所さえあれば持って帰っていいと告げ…。



総檜な家が欲しかったソルジャーは、地球に拠点を持つことよりも檜の香りを優先させたみたいです。ジョミー君たちが頑張って建てたログハウスはソルジャーの世界に送られてしまい、バカップルなソルジャー夫妻も御礼だけ言って帰ってしまって。
「…結局、更地しか残らなかったね…」
ぼくたちの秘密基地、とジョミー君が呟き、キース君が。
「じきに夏草が生えるだろうな。…つわものどもが夢の跡とは、このことだろうさ」
ただ春の夜の夢の如し、と時代が異なる名文句を並べつつ、キース君は夢と消えたログハウスの跡地を見詰めています。さようなら、私たちの秘密基地。さようなら、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の別荘バージョン…。
「…その秘密基地の話だけどね…」
堂々と作ろうとしたのが失敗だった、と会長さんが小声でコソコソと。
「カレー作りは無理だろうけど、アドス和尚から逃亡可能で、秘密基地っぽい隠れ家だったら出来るかも…」
「なんだと?」
そんなものを何処に作るんだ、と問い返したキース君に、会長さんは。
「ほら、裏山に椎の大木があるだろう? あれの上にさ」
「ツリーハウスか…。しかし、それこそ親父にバレたら…」
「バレやしないよ、きちんとシールドしとけばね。最初の間はぼくとぶるぅでシールドしてさ、君が慣れてくれば自力でやるとか」
ゲストの力を借りるのもいいね、と視線を向けられた私たち。なんと、今度はツリーハウスですか! 木の上の家って憧れます。そんな素敵な秘密基地なら、苦手なサイオンも修行しますとも!
「じゃあ、決まり! ログハウスが消えた件をアドス和尚に言い訳しなくちゃいけないし…。話すついでに適当に暗示をかけとくよ。椎の木に近付かないように」
「よろしく頼む。…ログハウスは何と言い訳するんだ?」
「ん? 庫裏が古くなって困っているお寺にお譲りした、と言えば終わりさ」
それが一番、と会長さんは胸を張りました。
「君だって知っているだろう? 本堂を修理するのに檀家さんから寄付を募るのは当たり前! だけど庫裏の修理をしますから、と集めに回るのは大変だ。檀家さんの数が少ないお寺だと、雨漏りがしても本堂優先、庫裏は後回しで大変だよね」
「なるほどな…。そういう寺なら渡りに船というヤツか」
たかが十畳のログハウスでも、とキース君は納得しています。お寺の世界は厳しいのだな、と私たちは思い知らされ、その言い訳を聞かされたアドス和尚は合掌して。
「そういう理由でございましたか…。せがれごときに一戸建てなぞ、ログハウスでも分不相応かと密かに思っておりました。他のお寺さんのお役に立つなら、その方が良いかと存じます。…キース、分不相応などと言われんように、これからも修行に励むのじゃぞ」
「は、はいっ!」
深々と頭を下げて、アドス和尚の座るお座敷から回れ右したキース君でしたが。



「…この木の上に作るんだな?」
どんなサイズになるだろう、と椎の巨木を振り仰いでいるキース君。私たちは元老寺の庫裡を後にし、裏山に登って来たのです。遠くからも見える椎の木は太くて立派で、小屋くらい軽く支えられる強度を備えているそうで。
「幹もしっかり詰まっているから、かなりな重さでも大丈夫だよ」
その辺はちゃんと確認した、と会長さんが幹を叩いています。サイオンで透視した結果、隙間は全く無いらしく…。
「かみお~ん♪ おっきいのがいいね、みんなで入れる秘密基地!」
登る時には瞬間移動だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。梯子を置くのもいいかもです。梯子ごとサイオンでシールドしておけばアドス和尚にも気付かれませんし…。
「とにかく寸法を測ってみよう。それからみんなで設計だね」
家の大きさも形とかも、と会長さんが言い、歓声を上げる私たち。ログハウスをソルジャーに取られた時はショックでしたけど、ツリーハウスが出来るんだったら断然、そっちが良さそうです。今度は学校に「ツリーハウスを作りに行くので休みます」と欠席届を出さなくちゃ!
「…いいねえ、檜の香りってヤツもいいけど、木の上なら森林浴の気分なのかな?」
「「「!!?」」」
「今度はツリーハウスを作るんだって?」
床下収納をよろしくね、と現れたソルジャーは檜の香りを纏っていました。まさか、あのログハウスでキャプテンと…? 目が点になった私たちの姿に、ソルジャーはクンと自分の手袋の香りを嗅いでみて。
「あ、バレちゃった? 急いで出てきたものだから…。せっかく貰ったログハウスだしね、まずは布団も無しで床でヤろうかってハーレイと…」
「退場!!!」
さっさと帰れ、と会長さんが怒鳴り付け、ソルジャーが。
「待ってよ、その前にツリーハウス! そっちの方がドキドキしそうだし、木の上でヤるってロマンチックな感じだし…。ぼくのハーレイにも言っておくから、床下収納!」
「却下!!!」
二度と来るな、と怒り心頭の会長さんと、食い下がっているソルジャーと。ツリーハウスは諦めた方がいいのでしょうか? コッソリ作っても床下収納をしっかり作られ、ソルジャー夫妻が登場しそうな気がします。秘密基地のことは夢のまた夢、線香の煙と共にハイさようなら……。




      秘密基地日記・了



※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 今月はアニテラでのソルジャー・ブルーの祥月命日、7月28日が巡って来ます。
 ハレブル転生ネタを始めましたし、追悼も何もあったものではないのですが…。
 節目ということで、7月は 「第1&第3月曜」 の月2更新にさせて頂きます。
 次回は 「第3月曜」 7月21日の更新となります、よろしくお願いいたします。

 7月28日には 『ハレブル別館』 に転生ネタを1話、UPする予定でございます。
 「ここのブルーは青い地球に生まれ変わったんだよね」と思って頂ければ幸いです。
 毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv


毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、7月はお中元の季節。とんでもないお中元が来そうな予感?
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv










 蘇った地球に生まれ変わり、前世で愛したハーレイと再び巡り会ったブルー。
 其処までは嬉しいことだったけれど、残念なことにブルーは十四歳になったばかりの少年だった。おまけにハーレイはブルーが通う学校の古典の教師。色々な計らいのお蔭で休みの日にはハーレイと一緒に過ごせるようにはなっているものの…。
「あっ、いけない!」
 ママだ、とブルーは慌ててハーレイの広い胸から離れた。
 前世で失った時間を取り戻すかのように、ブルーはハーレイの胸に抱かれて過ごすのが好きだ。ハーレイが訪ねて来てくれる休日には必ず強請って抱き締めて貰うが、生憎と今のブルーには両親がいる。特に母の方は客人であるハーレイを何かと気遣い、ブルーの部屋の扉をノックするわけで。
「ブルー? 入るわよ」
 階段を上がって来る足音に気付いて離れていたから、母は何事も無かったかのように向かい合って話すハーレイとブルーにニッコリ微笑む。
「お茶のお代わりを持って来たわ。…ハーレイ先生、今日も夕食を御用意させて頂きますから」
「すみません、お気遣い頂きまして」
「いいえ、ブルーがいつもお世話になっているんですもの。どうぞ御遠慮なく。夕食の支度が出来たら、また声を掛けに来ますわね」
 ごゆっくりどうぞ、とティーセットを新しいものと入れ替え、空になっていたケーキ皿の代わりにクッキーを盛った器を置いて母は部屋から出ていった。扉が閉まって、階段を下りてゆく軽い足音が遠ざかる。それが聞こえなくなるのを待って、ブルーは小さな溜息をついた。
「……またその内に来るんだよね、ママ…」
「ん? そりゃまあ、なあ…。夕食時まで覗きに来ないってことはないだろうな」
 いいお母さんじゃないか、とハーレイが穏やかな笑みを浮かべる。
「お客さんを放っておくわけにはいかんだろう。お前はまだまだ子供だしな」
「見た目だけだよ!」
「そうか? しかしだ、現にお前はお茶の用意も出来ないわけで」
「お茶くらいちゃんと淹れられるよ!」
 ブルーはムキになって反論したが、空になったティーポットやカップ、ケーキ皿などを下げることも忘れてハーレイに甘えていたことは事実。これが気の利いた大人であれば、頃合いを見て熱いお茶のポットと入れ替え、菓子も新たに用意した筈だ。たとえ先の分でお腹一杯であったとしても。
「…お前、いい加減、覚えたらどうだ? ポットもカップも空になったら新しいのが要るだろう」
 さっさと下げて入れ替えてくれば少なくとも一度は母の訪問回数が減る、というハーレイの指摘は正しかった。それでもブルーは毎回忘れる。目の前のハーレイに夢中になってしまうから…。



「…わざと忘れてるわけじゃないんだけれど……」
 シュンと項垂れるブルーの姿に、ハーレイが「じゃあ、年のせいか?」とからかってくる。
「三百にプラス何歳だった? 少なくとも今が十四歳だし、前世の分まで合わせて数えりゃ平均寿命も間近ってトコか。物忘れが酷くなっても仕方がないが、同じ三百歳を超えた年でも前のお前は冴えてたなあ…」
 物忘れなんかしなかったっけな、とハーレイは可笑しそうに笑ってみせた。
「俺が約束の時間に遅れたと何度文句を言われたことか。…絶対に忘れなかったんだよなあ、たまには忘れてくれてもいいのに」
「忘れるわけがないよ、ハーレイと二人きりになれる時間の約束をしたんだもの」
「だったら、今度も覚えておけばいいだろう」
「ママが来る時間は決まってないし! 決まってるんなら覚えるよ!」
 お茶を淹れてから一時間後とか、とブルーは唇を尖らせたけれど、実際の所、覚えていられる自信は無かった。ハーレイの姿を目にしたが最後、他は全くどうでもよくなる。ケーキをすっかり食べてしまおうが、ポットもカップも空であろうが、ハーレイさえいればもう幸せでたまらない。
(…ホントにわざとじゃないんだけどな…)
 今日だってハーレイが部屋を訪れるまでは覚えていた。母が用意した菓子が無くなるか、ポットのお茶が空になったら先手を打って自分で下げて、新しいものを貰ってこよう、と。そうすれば母が扉をノックする前に余裕を持って行動出来るし、母の来訪も一度は減るし…。
「…どうして忘れちゃうんだろう…」
 自己嫌悪に陥りそうなブルーの額をハーレイの指がピンと弾いた。
「それはお前が子供だからさ。…前のお前は大人だったから、今のお前より遙かに年を重ねていたって周りがきちんと見えていたんだ。次に自分が取るべき道を見据えていたと言うべきか…。俺と一緒に過ごす時にも決してシャングリラを忘れなかった」
「……そうなんだけど……」
 そのことはブルーも覚えている。ハーレイと恋人同士の時を過ごして、どんなに我を忘れようとも心の何処かに白く優美なシャングリラが在った。
 守らなくてはならないもの。決して忘れてはならないもの…。
 巨大な船を常に意識し、その隅々まで思念を行き渡らせることに比べればティーポットや菓子の皿など微々たるもの。ソルジャー・ブルーであった頃の自分なら、意識せずとも忘れないもの。
 それなのに毎回、忘れてしまう。自分は馬鹿になったのだろうか?



「…テストの点数は悪くないって思うんだけどな…」
 言い訳のように呟いてみても、現に今日だって綺麗に忘れた。やっぱり自分は前世よりも馬鹿で覚えが悪くて、たかがティーポットすらも頭の中に留めておけない間抜けだとか…?
 そんなブルーの頭をハーレイがポンポンと優しく叩く。
「お前、頭は悪くないだろ? 運動の方はからっきしだが、他の科目は小さい頃からトップクラスで今の学校へ入った時にも首席だったと聞いているが?」
「…だけど、頭は悪いのかも…。テストでいい点が取れる理由はソルジャー・ブルーの頃の記憶を持っているからで、ぼくが覚えたわけじゃないかも…」
 思い出す前から全部知ってたのかも、とブルーは落ち込みそうだった。お茶を取り替えることも忘れる自分が授業の中身を人並み以上に覚えていられるわけがない。無意識の内に前世で蓄えた知識を引き出し、スラスラと問題を解いていただけで…。
「そうだな、馬鹿かもしれないな」
 ハーレイの言葉に傷つきかけたが、その言葉には続きがあった。
「…さっきお前が忘れる理由を言った筈だが、それも全く分かっていない辺りがなあ…。いいか、お前は子供なんだよ。目先のことしか見えない子供だ。子供ってヤツはそういうモンだ」
「ぼくは子供じゃないってば!」
 馬鹿と言われるのもショックだけれども、子供扱いはもっと堪える。いくら背丈が前の生よりもずっと低くて、生まれてからの年数が今のハーレイの半分にさえもならないとしても、ソルジャー・ブルーだった頃の記憶はあった。自分はハーレイと恋人同士の筈なのに…。
「子供じゃないと言い張る所も立派に子供の証拠だな。ちゃんと立派に育った大人がよく言う台詞を知ってるか? 「まだまだ若輩者でして」と自分は若すぎて経験不足だと謙遜するんだ」
「でも、ぼくは…!」
「ソルジャー・ブルーの生まれ変わりで俺の恋人だと言いたいのか? それは認めるが、子供は子供だ。お前がどんなに背伸びしたって三百歳を超えるどころか俺の年さえ越えられないさ」
 だから、とハーレイの手がブルーの髪をクシャクシャと撫でた。
「お前は周りがきちんと見えない。自分のことだけで精一杯で、そのせいで色々失敗もする。お茶を淹れに行こうと思っていたって忘れちまうのも子供だからだ。心配は要らん」
 当分はお母さんに任せておけ、とハーレイは笑うが、ブルーにしてみれば母の存在は大問題で。
「……でも……。ママが来ちゃうと離れなくっちゃいけないし…」
 さっきみたいに、とブルーは俯いた。
「ぼくはハーレイの側に居たいのに、ママに見付かったら大変だもの…」
 自分たちの前世が何であったかは両親だって知っている。しかし恋人同士だったことは何処にも記録されてはおらず、その上にハーレイもブルーも男。事実を知ったら両親は腰を抜かすだろう。



 今の時代でも男同士のカップルは至って少数派。結婚は出来るし問題は無いが、それでもやはり普通の恋とは言い難い。いつかは両親にもきちんと話してハーレイと共に暮らしたいけれど、其処に至る前に知れて驚かれることは出来れば回避したかった。
 せっかく休日はハーレイと過ごせるようになっているのに、恋仲とバレればどうなるか。下手をすればハーレイは出入り禁止で、ブルーも自室に閉じ込められてしまうとか…。
 ブルーは切々と訴えた。
 自分が育って大きくなるまで、母の目を気にして過ごさなければいけないことが辛くて悲しくてたまらないのだ、と。
「…ハーレイはキスも駄目だって言うし、ママの前ではくっつけないし…。こんな我慢がいつまで続くの? 早く大きくなりたいよ…。なのに大きくなれないんだもの…」
 頑張って沢山食べようとしても食の細いブルーには無理だった。ミルクを飲んでも背丈は伸びてくれず、学年で一番小さいまま。ハーレイと前世のような仲になれる日は一向に訪れそうもない。
「本物の恋人同士になるのも無理で、くっつくのも駄目。本当に悲しすぎるんだけど…」
「子供だから仕方ないだろう、と何度も言った筈なんだがな…。これだから子供というヤツは…」
 手がかかりすぎて扱い辛い、とハーレイの眉間に皺が寄る。
 その顔つきにブルーは首を竦め、「怒らせた」と目を固く瞑ってしまったのだが。
(…えっ?!)
 グイ、といきなり強い力で抱き寄せられた。テーブルを挟んで座っていた筈なのに、ハーレイの腕に囚われる。更にそのまま床へと引き摺るように倒され、慌てて抵抗しようとした。
 本物の恋人同士に早くなりたいと願い続ける毎日だけれど、母がいつ来るかも知れない部屋でだなんて思いもしない。
 ハーレイのことは大好きだったし、いつそうなっても構わないとは思ったけれども、こんな所で押し倒されてそんな関係になるなんて…!
「やだっ…!」
 嫌だ、とブルーは叫んだ。力でハーレイに勝てないことは明らかだったが、逃れようともがく。細い手足をバタつかせて暴れ、逞しい腕を振りほどこうと足掻けばハーレイの力が不意に緩んだ。
「……何もしないと言ってるだろうが」
「…ハーレイ…?」
 涙が滲みかけた瞳にハーレイが映る。その顔は懸命に笑いを堪えている顔。
「お前、襲われると思っただろう? キスもすっ飛ばして誰が襲うか、舐められたもんだ」
 で、この状態ならお気に召すのか、と訊かれてブルーはようやく気が付いた。
 絨毯に正座したハーレイの太ももを枕に自分は床に寝ていて、いわゆる膝枕の状態なのだ、と。



「どうだ、これならお母さんが来たって大丈夫だと俺は思うがな」
 ただの昼寝だ、とハーレイが笑う。
「眠いならベッドで寝たらどうだ、と言っている間に床に転がって寝ちまった、と言えば通るし、お母さんが恐縮するだけだ。…なにしろ俺の足がお前の重みで痺れるからな」
「…そんなに重い?」
 なんとか気持ちが落ち着いてきたブルーが尋ねると「まさか」と直ぐに答えが返った。
「お前の小さな頭くらいで痺れていたんじゃ柔道なんぞは出来ないさ。身体を鍛えることも大事だが、柔道は礼儀作法も大切なんだぞ。正座は基本の中の基本だ、そう簡単に痺れはせん」
 気にしないでゆっくり寝ているといい、とハーレイの指がブルーの前髪を優しく梳いた。
「本当は少し辛いんだがな…。お前が下手に暴れたお蔭で、俺の理性が吹っ飛びかけたぞ。危うく食っちまう所だったが、此処が我慢のしどころってヤツだ」
 好物は最後まで取っておくのが好みなのだ、とハーレイがブルーの顔を見下ろす。
「お前はまだまだ子供だしな? しっかり育って食べ頃になったら美味しく頂くことにしておく。それにクビにもなりたくないし…。お前を食ったら俺は立派な犯罪者だ」
「……告げ口しないよ」
「こら! 子供のくせに背伸びするんじゃない。さっき必死で暴れてたくせに」
 俺はしっかり見ていたんだぞ、とハーレイの鳶色の瞳がブルーを映して穏やかに揺れる。
「お前に「嫌だ」と言われちまったが、いずれ逆の意味で「嫌だ」とお前に言わせるさ。…覚えているだろ、どういう時に「嫌だ」と言ったか」
「…ちょ、ハーレイっ…!」
 ブルーは耳まで真っ赤になった。
 前世で「嫌だ」とハーレイに何度言っただろう?
 それはベッドの中での睦言。本当に嫌で言ったのではなく、その逆の意味で…。
「思い出したか? あれは子供のお前には言えん。…もっと大きく育たないとな」
 しっかり食べて大きくなれよ、と温かな手が額に置かれた。
「…分かったんなら少しだけ眠れ。驚かせてしまって悪かった」
「……ううん…。ぼくこそ、暴れちゃってごめん」
 緊張が一気に緩んだせいか、急な眠気に襲われる。眠るつもりは無かったのだけれど、一つ欠伸をしてしまったら瞼が重くなってきて……。



 そうして眠ってしまったブルーは、母が「熱いお茶を持って来ましょうか?」と扉をノックし、覗きに来たことにも気付かなかった。
「あらあら、この子ったら、ご迷惑を…。駄目でしょう、ブルー!」
 起きなさい、と言いかけた母に、ハーレイが人差し指を自分の唇に当てる。
「いえ、こういうのは慣れていますから。…昔、よく母の猫が膝の上で眠ってましたしね」
「…でも……」
「寝かしておいてあげて下さい。今日は話が弾みましたから、多分、疲れが出たのでしょう」
 なにしろ積もる話は三百年分ほどもありますので、というハーレイの言葉に母はようやく笑顔になった。
「そういえば…。ついつい忘れてしまいますわね、ブルーがソルジャー・ブルーなことを」
「ブルー君のためにはそれでいいんだと思いますよ。今は普通の十四歳の子供ですから」
「…ええ。私たちの大事な一人息子です」
 ブルーをよろしくお願いします、と頭を下げた母が「コーヒーをお持ちしますわね」と部屋を出てゆくのをハーレイは苦笑しながら見送った。
 その大切な一人息子を自分の伴侶に貰い受けたい、と告げたら彼女はどうするだろう?
(…まあいいさ。まだまだ先の話だからな)
 追い追いゆっくり考えればいい、と自分の膝で眠るブルーを見下ろす。
「お前が暴れてくれた時にはドキッとしたがな、お前、もう少し育たないとな」
 嫌だという声に色気が足りない、と呟きながらもハーレイの心は今なお微かに波立っていた。
 此処がブルーの部屋でなかったなら、ブルーを組み敷いていたかもしれない。
 俺もまだまだ修行不足だ、と自分自身を叱咤する。
 自分の膝を枕に眠るブルーは十四歳になったばかりの無垢な子供で、守るべきもの。
 前の生で守れなかった分まで守り慈しみ、いつの日にか…。
(……お前を俺の伴侶に貰える日までは手は出せないな)
 早く大きく育ってくれよ、とハーレイは願う。
 ブルーが「早く大きくなりたい」と願うよりも更に切なる想いをこめて、ただひたすらに……。



            恋する十四歳・了



※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv






シャングリラ学園、本日も平和に事も無し。とはいえ、新年早々、恒例の闇鍋大会に水中かるた大会と立て続けに行事がありましたから、気分はお疲れ休みです。会長さんが合格グッズの販売に燃える入試シーズンまでの間は、のんびりゆったりしたいですよね。それでも登校してくる理由は…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい! 授業、お疲れ様ぁ~!」
ケーキ焼けてるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そう、この放課後の溜まり場がお目当てで真面目に授業に出ているのです。特別生には出席義務なんか無いのですから。
「はい、今日はクッキー&クリームケーキだよ♪」
冬はチョコレートが美味しいよね、と出されたケーキはチョコレートムースとチョコレートコーティングされたクッキークラム入りのクリームが二層になったもの。表面はザッハトルテみたいに滑らかなチョコで艶やかな仕上げ。
「「「いっただっきまぁーす!」」」
紅茶やコーヒー、ホットココアなどをお供にケーキを頬張ると濃厚な味が口いっぱいに。今日のおやつも最高です。やがて部活を終えた柔道部三人組も加わり、部屋はますます賑やかに。
「キース先輩、お父さんは今日は法事でしたか?」
シロエ君の問いに、キース君が苦笑して。
「いや、璃慕恩院に用があってな。ついでに仲間と食事に行くそうだ。…そのせいで俺にお鉢が回って来た」
「ああ、それで…。月参りで遅刻って珍しいですし」
普段は休日担当ですよね、とシロエ君が言う通り、キース君は元老寺の副住職である以前にシャングリラ学園特別生。学校を優先するということで、月参りはアドス和尚が今も続けているのです。とはいえ、たまには今日みたいな展開もあるわけで…。



「本当だったら昼休みには学校に来られたんだが…。行き先でちょっとトラブルが」
「へえ…。トラブルって木魚を割ったのかい?」
それは凄い、と会長さん。
「力任せに叩いたんだろ、たまに割れるから気をつけないと」
「誰が木魚を割ったと言った!」
「違うのかい? それじゃアレだね、バイの先っぽが吹っ飛んだんだ?」
「「「ばい?」」」
何ですか、それは? 首を傾げる私たちに向かって、会長さんは。
「しもくとも言うけど、木魚を叩く棒のことだよ。先っぽが取れちゃうこともあってさ」
それでも動じずに叩き続けるのが坊主の務めらしいです。もちろん音はポクポクではなく、カンカンとかになるようで…。
「それも違うな。その程度なら俺はトラブルと言わん。…親父と一緒に月参りをしていた頃に吹っ飛ばれてな、木魚を担当していただけに焦ったが…」
あの頃はまだ駆け出しで、と懐かしむようなキース君。その後もバイが外れちゃったことはあるそうですけど、焦ったのは最初の時だけで。
「親父が後から怒るんだ。木魚を叩くリズムが乱れていた、とな。しかしだ、親父も経文の同じ所を二回も読んだし、どうこう言えた義理ではない。あれ以来、俺は平常心を心がけている」
「それでもトラブルが起こるわけ?」
何をやったの、とジョミー君は興味津々、サム君も。
「俺もすっごく気になるなぁ…。将来のためにも何があったか教えてくれよ。俺もいずれは坊主だからさ」
「………。役に立つとは限らないぞ?」
それでもいいなら、とキース君の口から出た言葉は。
「……ラグドールだ」
「「「ラグドール?」」」
そんな仏具がありましたっけ? それともアレかな、バイと同じでお坊さんの専門用語とか…?



キース君の月参りのトラブルの元は木魚ではなく、ラグドールとやら。どんな仏具かと皆で身を乗り出していれば、キース君がプッと吹き出して。
「お前たち、何か勘違いをしているだろう? ラグドールと言えば猫だろうが」
「「「猫?」」」
猫は三味線の皮に最適だと聞きます。それを使った仏具って…なに? ますます気になるラグドールですが、キース君は笑いを堪えながら。
「とことん仏具だと思っているな? 猫の品種だ、ラグドールは。シャム猫みたいな模様なんだが、ペルシャとバーマンの交配だったか…。それだけに長毛種で、おまけにデカイ」
「なんで猫なんかでトラブルなのさ?」
お仏壇に猫の餌は置いてないよね、とジョミー君が首を捻ると、サム君が。
「悪戯じゃねえか? こう、仏壇にアタックされて、線香立てとかがキースの上に」
「「「うわー…」」」
それは最悪、と容易に想像出来ました。お線香の灰だの、花立の花や水だのが法衣に飛び散ってしまったとしたら、月参りはそこでギブアップ。元老寺に戻って着替えをしてから続きをするしかありません。学校に来るのが遅くなるわけだ、と皆で納得しかけていると。
「いや、仏壇にアタックではない。…ある意味、そうとも言えなくはないが」
「「「???」」」
「俺専用の座布団が無かった」
「「「はぁ?」」」
なんとも意味が不明です。お仏壇アタックが無かったんなら、どうしてキース君の座布団が?
「寝ていやがったんだ、座布団の上で! それも仏壇のすぐ前で! 月参りに備えてエアコンの他にヒーターも置いて下さったんだが、そのせいで暖かい場所だったらしい」
素晴らしく大きな猫が俺の座布団の上で爆睡、とキース君は遠い目をしています。
「月参りに行く家は坊主専用の座布団を用意してくれるんだがな…。そこにラグドールが鎮座していて、だ。檀家さんが叱っても薄目を開けるだけで、またウトウトと…。しかも巨体で、檀家さんの手では持ち上がらない。どうぞ遠慮なく蹴って下さいと言われても…。坊主が蹴れるか?」
法衣でなければ蹴ってもいいが、と嘆くキース君と檀家さんとはラグドールをどけようと四苦八苦。しかし時間が無駄に過ぎてゆくばかりで、最終的には。
「「「座布団ごと?」」」
「そうだ。檀家さんと俺とで座布団を持って、ラグドールごと脇の方へだな…。それでも薄目を開けただけだぞ、もうラグドールは御免蒙りたい」
二度と出るな、と疲れた顔のキース君。巨大猫を運搬させられた上、お坊さん専用の座布団を奪われ、普通のお客様用座布団に座ってお勤めしてきたらしいです。ラグドールの御機嫌伺いならぬ移動のお願いに費やした時間は月参り一軒分に匹敵するもので…。
「お蔭で予定が大幅にズレた。猫を仏間に入れないようにして下さい、とも言えんしな…。二度目、三度目があったらマタタビでも用意して行くとするか」
「それだと衣がズタボロかもねえ…」
会長さんが可笑しそうに。
「庫裏から外へ出た途端にさ、猫が寄って来て衣をグイグイ引っ張るとかさ…。しかしアレだね、猫で月参りに手間取るなんていう笑える話もあるんだね。…犬なら扱い易いだろうに」
「そうだな、犬はあそこまでデカくもないしな」
あのラグドールは特大だった、とキース君が両手を広げて猫のサイズを示しています。重さも十キロ近かったかも、という話ですから、そりゃ犬の方がマシですってば~!



キース君の月参りに思いっ切り足止めを食わせた巨大猫。犬ならもっと物分かりが良く、さほど大きくない筈です。せいぜいキャンキャンうるさいだけだ、と語り合っていると、会長さんが。
「甘いね、君たちが想像しているような小型犬だけだと思うのかい? 大型犬の室内飼いだって世間一般には珍しくないよ。レトリバーとかボルゾイとかね」
そんなのが出たらどうするんだ、と会長さんはクスクスと。
「座布団くらいじゃ済まないだろうね、場合によっては飛び掛かられるよ? ぼくが璃慕恩院の老師の所へ遊びに行ったら、そういう話を聞かされたさ」
老師じゃなくて勤めてるだけの人なんだけど、と会長さんは前置きをして。
「小さなお寺じゃ檀家さんの数も少ないからねえ…。璃慕恩院のお手伝いをしてお給料を貰う人もいる。その一人が笑える体験談を持っているから聞かせてやろう、と老師が呼んでくれたわけ。…なんかね、月参りに出掛ける前の晩にさ、電話で「和尚さん、犬は大丈夫ですか」と訊かれたらしい」
「なるほど、猛犬注意だな?」
たまにあるな、とキース君。月参りに行った家で玄関先に繋いだ犬を檀家さんが押さえているケースも多々あるそうです。しかし、会長さんは「違うんだな」と人差し指を左右にチッチッ。
「それなら電話は要らないだろう? 犬を押さえれば済むことだ。でなきゃキッチリ繋いでおくとか…。で、その人は犬が苦手ってわけでもないから「大丈夫です」と答えて出掛けた。その檀家さんの家は農家で、家の周りに田畑がある。月参りは一声掛けてから勝手に入ってやるという決まり」
農作業を中断するのは大変だしね、と会長さん。件のお坊さんは作業中の檀家さんに挨拶をして、玄関を開けたわけですが…。
「途端に中からボルゾイが二頭! 凄い勢いで飛びついてこられて受け止めたものの、二頭同時のアタックだけに転んじゃってさ。その隙に二頭とも逃げ出しちゃって、檀家さんと一緒に大捕物になったそうだよ。…知り合いの犬を預かっていたって話だったね」
「…そ、そうか…。俺も犬には気を付けておこう」
法衣で捕物は大変そうだ、とキース君は同情しきりです。ボルゾイを二頭、受け止める自信はあるそうですけど、逃走劇を防ぐのは無理らしくって。
「やはりアレだな、犬でも猫でも日頃の躾が大切だな」
「「そうだね、ぼくもそう思う」」
えっ? 会長さんの声、ハモりました? それも全く同じ声音って、誰の芸当?
「こんにちは」
「「「!!!」」」
優雅に翻る紫のマント。もしかしなくてもソルジャーです。勝手知ったるなんとやら…でソファに腰掛け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」にケーキと紅茶の注文を。今日の話題は月参りなのに、なんでまた? ケーキが美味しそうに見えたのかな?



キース君のラグドール事件に始まり、法衣でボルゾイ大捕物という月参りネタが只今絶賛炸裂中。そんな所へソルジャーが来ても、話に混ざれそうもありません。要はおやつを食べたいだけだな、とクッキー&クリームケーキを頬張るソルジャーを眺めていると。
「犬は躾が大切なんだよ、そこは大いに賛成だね」
手抜きは犬のためにも良くない、と分かったようなことを話すソルジャー。えーっと、ソルジャー、犬なんか飼ってましたっけ? 会長さんも同じ疑問を抱いたようで。
「犬を飼ったことがあるのかい?」
「うん、もちろん。チョコレート色の大型犬だよ」
「「「………」」」
あらら。自分のお部屋も掃除するのを面倒がる人が犬ですか! さぞかしクルーが苦労しただろう、と思ったのですが…。
「ぼくの犬はね、世話が要らなかったものだから…。その点は非常に優秀だった」
「世話が要らないって…。誰に丸投げしたんだい、それを」
会長さんの鋭い突っ込みに、ソルジャーは紅茶を一口飲むと。
「誰って、犬に決まってるだろう?」
「自分の世話をする犬なんて、ぼくは聞いたこともないけれど?」
餌やトイレはどうするんだ、との指摘は至極もっとも。野良犬なら自力でなんとかしますが、ソルジャーが住むシャングリラ号で野良犬だなんて…。厨房と農場がエライことになっていそうです。なのにソルジャーは平然として。
「それが出来るんだな、出来て当然! ぼくの役目は躾だけってね。…ずいぶん昔の話だけどさ…。今は躾の必要も無いし、そんなプレイも求めてないし」
「「「は?」」」
なんのこっちゃ、と頭上に飛び交う『?』マーク。ソルジャーは嫣然と微笑むと。
「チョコレート色の大型犬で分からないかな、生息場所は主にブリッジ。普段はシートに座ってるけど、たまには舵も握ってるよね」
「ま、まさか……」
会長さんの掠れた声にソルジャーがニッコリ頷いて。



「そう、犬の名前はウィリアム・ハーレイ! ぼくの大事な犬だったわけ。…今じゃ夫婦だし、パートナーとか伴侶でいいかな。犬の躾は良かったねえ…」
あの頃は色々とあったから、とソルジャーは記憶を手繰り寄せています。
「なにしろハーレイは犬なんだから、ぼくの命令には絶対服従! どんなプレイを求められても応じられなきゃ躾不足だ。例を挙げるならヌカロクとかさ」
「「「!!!」」」
ソルジャーがキャプテンに何をしたのか、万年十八歳未満お断りでも薄々見当がつきました。大人の時間な話です。日々、あれこれと刺激を求めるソルジャーのために飼われていたのに違いなく…。
「き、君は…。またしてもロクでもないことを…」
退場!!! と会長さんがレッドカードを突き付けましたが、ソルジャーは。
「えっ、犬の躾の話だろ? 猫じゃないよね、苦労したとか言ってたし…。座布団ごと移動しか手が無い猫より、人に忠実な犬がいい。きちんと躾ければ断然、猫より犬なんだってば!」
だからハーレイを犬にしてみた、とソルジャーの唇に浮かぶ笑み。
「ハーレイの忠誠心ってヤツはダテじゃない。…たまに飼い犬に手を噛まれるって言うのかなぁ? ちょっと激しくヤられすぎちゃったこともあるけど、それも犬を飼う醍醐味だよね。あ、そうだ」
君もどうだい? と、ソルジャーは会長さんに視線を向けました。
「こっちのハーレイも君の命令なら喜んで何でも聞きそうじゃないか。この際、一度、飼ってみたまえ。君の好みで躾が出来るし、いつか結婚する日のためにさ」
楽しげに煌めくソルジャーの瞳。会長さんは「却下!」と即答だろうと思ったのですが。
「…チョコレート色の大型犬ねえ……」
いいかもしれない、と考え込んでいる会長さん。ちょ、ちょっと…。ソルジャーの話をきちんと聞いていましたか? 何か大きな勘違いってヤツをしていませんか、会長さん…?



よりにもよってキャプテンを犬の代わりにしていたソルジャー。具体的に何をやらかしたのかは分かりませんけど、ソルジャー好みの大人の時間を演出するべく躾をしていたみたいです。そのソルジャーに教頭先生を犬にするよう、唆された会長さんは…。
「ハーレイを犬の代わりに飼う、と…。それはハーレイが狂喜しそうだ」
「そうだろう? ハーレイを飼うのは、ぼくのお勧め」
毎日がグンと楽しくなるよ、とソルジャーが煽れば、会長さんも。
「本人が喜んで犬になるなら、躾もビシバシやれるよね。それにハーレイは噛まないし! いや、噛めないと言うべきか…」
「残念だけれど、その点だけはねえ…。童貞一直線だっけ…。でもさ、時と場合によってはガブリとやるかも!」
ガブリとやられて食べられるのも素敵なんだよ、とソルジャーはニコニコしています。私たちにはサッパリですけど、いい思い出があるのでしょう。会長さんはそれをサラリと流して。
「食べられる趣味は無いんだよ。それくらいなら殺処分! まさか本当に殺すわけにもいかないからねえ、保健所送りってことで出入り禁止で丁度いいかと」
「…なんか穏やかじゃないんだけれど…。でも、ハーレイを飼うんだよね?」
ぜひ飼いたまえ、とソルジャーが更にゴリ押しを始め、会長さんの瞳の奥にも妖しい光が揺れていて。
「…よし、決めた! このマンションはペット禁止になっていないし、君のお勧めの大型犬を試しに飼ってみることにする。…チョコレート色がいいんだよね?」
「そうだよ、断然、チョコレート色! 白だとノルディで忠誠心に欠けていそうだ」
「ああ、なるほど…。じゃあ、飼う前にペットの品定めかな?」
それじゃ早速ペットショップへ、と腰を上げかけた会長さんですが。
「…いけない、開店前だった。この時間だと、ハーレイはまだ教頭室だよ。そんな所でペットの話は出来ないし…。夜になったらハーレイの家へ行こうかな? 一人で行くのは禁止だからねえ、そこの君たちの付き添いで」
「ちょっと待て!」
なんで俺まで、というキース君の絶叫に私たちも乗っかったのに、まるで聞かないのが会長さん。ソルジャーは元から野次馬するつもりですし、計画はトントン拍子に纏まってしまい…。
「ぼくの家でみんなで夕食を食べて、それからだね。チョコレート色の大型犬かぁ…。どんな躾をしようかな? 基本は「おすわり」と「おあずけ」だっけ?」
「「「………」」」
好きにしてくれ、と頭痛を覚える私たちを他所に、会長さんとソルジャーはチョコレート色の大型犬の話題で意気投合して盛り上がっています。会長さんが教頭先生に大人の時間な躾をするとは思えませんけど、いったい何をするのやら…。



教頭先生を飼う計画に巻き込まれてしまい、瞬間移動で連れて行かれた先は会長さんのマンションでした。お馴染みのダイニングで「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製のビーフシチューオムライスの夕食に舌鼓を打ち、さて、その後が問題で。
「デザートも食べたし、そろそろいいかな? ハーレイの家まで行きたいんだけど」
「嫌だと言っても聞かんだろうが!」
キース君が声を荒げれば、会長さんは。
「話が早くて助かるよ。ペット選びの先達としてはブルーがいるけど、付き添いとしては全く役に立たないからねえ…。ぶるぅ、準備は?」
「かみお~ん♪ いつでもオッケー!!!」
青いサイオンがパァッと迸り、瞬間移動で教頭先生宅のリビングへ。食後のコーヒーを飲みつつ新聞を読んでいた教頭先生、バサッと新聞を取り落として。
「ブルー!?」
「こんばんは。悪いね、大勢でお邪魔しちゃって」
「い、いや、それは…。それは全くかまわないのだが、生憎、茶菓子が全く無くて…」
コーヒーでいいか、とキッチンに行こうとした教頭先生に、会長さんが。
「お茶もお菓子も期待してないよ。それはペットの範疇外だし」
「…ペット?」
「うん、ペット。…ベッドじゃないから間違えないように」
ちょっと失礼、と教頭先生に歩み寄った会長さんは棒立ちの身体に腕を廻してギュッと力を。傍目には抱き付いているとしか思えない状況に、教頭先生は真っ赤になって硬直中です。
「…んーと…。よし、固太りしてるかな?」
「「「固太り?」」」
どういう意味だ、とオウム返しに声が揃えば、会長さんが振り向いて。
「ペット選びの基本だよ。犬は固太りしてるのがいいんだ」
「…いぬ?」
怪訝そうな教頭先生にかまわず、会長さんは大きな身体の腕や足などを指で押したり、掴んだりして検分すると。
「よしよし、全身、固太りってね。これなら健康な犬だと言える。…ハーレイ、明日は土曜日なんだけど…。ぼくの犬になる覚悟はあるかい?」
「…何のことだ?」
「さっきから何度も言っているだろ、ぼくはペットを探してるんだ。チョコレート色の大型犬が飼いたいなぁ…って思うんだけどさ、君が条件に合致したわけ。だけど嫌なら他のペットを探すしかないってことなのかなぁ?」
「他のペット…?」
話が全く分かっていない教頭先生がそう応えれば、会長さんの赤い瞳が悪戯っぽい光を湛えて。
「チョコレート色の大型犬はね、実はブルーのお勧めなんだよ。飼っていたことがあるらしい。でもさ、ペットに好かれないんじゃ意味ないし…。君がダメなら白い色をした大型犬かな、ノルディって犬種なんだけど」
「そ、それは…! そんなペットは危険だろう!」
「だったら君を飼わせてくれる? 明日、ぼくの家まで来て欲しいんだけど」
「もちろんだ! 私は犬でいいんだな?」
喜んでお前の犬になろう、と教頭先生の頬が染まっています。
「明日だけと言わず、日曜も、その次も……ずっとペットでかまわないのだが」
「本当かい? 嬉しいな。楽しみにしてるよ、ぼくの犬だね」
首輪を用意しておくよ、と極上の笑顔の会長さんと、感無量の教頭先生と。ペットごっこは明日の朝から始まるそうです。今夜は一旦、会長さんの家に引き揚げてから解散ですけど、教頭先生が犬で、おまけに首輪。明日は一体、どうなるんでしょう…?



翌朝、私たち七人グループは会長さんの家から近いバス停に集合。厳しい冷え込みの中をマンションまで歩き、管理人さんに入口を開けて貰えばフワッと空気が暖かく…。エレベーターで最上階に着くとチャイムを鳴らす前に扉がガチャリと。
「かみお~ん♪ ブルーが待ってるよ! ブルーも来てるの!」
「「「………」」」
あのソルジャーが早起きするとは、それだけで不安倍増です。リビングに案内されてみれば、案の定、そこには諸悪の根源とも言えるソルジャーがちゃっかり座を占めていて。
「やあ、おはよう。見てよ、ブルーが選んだ首輪さ」
「大型犬用のを買ってみたんだ。ハーレイのサイズはデータベースに入ってるしね」
ほら、と会長さんが掲げて見せる首輪の色は赤でした。シャングリラ号のクルーや会長さんのソルジャーの衣装、教頭先生の船長服などに共通のデザイン、赤い石のイメージで選んだそうで。
「本当はねえ、紅白縞の首輪が欲しかったんだけど…。特注しないと無いらしくって、それだと今日に間に合わないんだ」
「赤い首輪もいいと思うよ。ぼくは色々揃えていたけど……キャプテンの服にはコレが映えるね」
保証するよ、とソルジャーが指差す先には教頭先生の船長服がありました。なんでもソルジャーに「赤い首輪をさせるならコレ!」と言われた会長さんが瞬間移動で取り寄せたらしいです。えっ、その服は何処に在ったかって? 教頭先生の家のクローゼットに何着も…。
「ふふ、ハーレイもまさか服まで用意したとは思わないだろうねえ?」
「そりゃそうさ。犬っぽく見えるセーターとかを朝から物色してただろう?」
健気だよねえ、と語るソルジャー。朝早くから二人揃って覗き見していた模様です。教頭先生がどんな服で来るのかと思っていれば、やがてチャイムがピンポーン♪ と。飛び跳ねて行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生を連れて戻って来て…。
「かみお~ん♪ ハーレイが来たよ!」
「すまん、早く来たつもりだったのだが…」
「気にしない、気にしない。ぼくたちが早めに揃っただけさ」
どうぞ入って、と会長さんが促し、教頭先生はコートを脱いでリビングへ。うーん…。犬っぽい服…ですか…? ただの焦茶色のセーターとズボン…。あっ、もしかしてチョコレート色のつもりでしょうか?
「犬だと言うから動きやすい服にしてみたが…。ついでに色はチョコレートだ」
「それは殊勝な心がけだね。だけど先達のブルーの話じゃ、この色の首輪にはキャプテンの服が似合うんだってさ。はい、着替えて」
船長服を差し出す会長さん。受け取った教頭先生が着替えに行こうとすると、途端に会長さんのストップが。
「ちょっと待った! 何処の世界に更衣室に行く犬がいるんだい? 着替えは、此処で」
「し、しかし…」
「セーターとズボンを脱ぐだけだろ? 早くして」
下着まで脱ぐ必要は無し、と会長さんが鋭く命じ、教頭先生は仕方なくセーターをゴソゴソと…。あれっ、この寒いのに肌着は一枚も無しですか?
「ふうん、素肌にセーターねえ…。何を考えていたか大体分かるよ、その分じゃ下も同じだろ?」
「…お、お前の犬だと聞いてだな…」
「スケベな犬は要らないんだよ!」
そっちはブルーの御用達、と会長さんの眉が吊り上がり、教頭先生は着替えを続行。ズボンの下はやはり紅白縞のトランクスが一枚だけでした。船長服の上着を先に着てからズボンを履き替え始めましたし、いささか……いえ、かなり間抜けなお姿を拝むことになってしまいましたよ~!



船長服に着替え、マントも着けた教頭先生。着替えが終わると会長さんが赤い首輪を首元にキッチリ嵌めてみて。
「いいねえ、確かに映えるよ、これ」
「だから何度も言ってただろう? ハーレイの服には赤が一番!」
ね? とソルジャーは自画自賛。会長さんもその件に文句は無いようです。満足そうに教頭先生を頭のてっぺんから足のつま先まで見回すと…。
「さてと、早速、始めようか。…おすわり!」
「あ、ああ…」
教頭先生は手近なソファに腰を下ろそうとしたのですけど、そこでピシッと鋭い音が。
「床!」
そこの床へ、と促す会長さんの手には、いつの間にか鞭がありました。
「愛玩犬ならソファもアリかもしれないけどねえ、大型犬だとソファが埋まるし…。そうでなくても躾の基本はおすわりなんだよ、床に座る!」
「う、うむ…」
「正座じゃないっ!」
ピッシーン! と鞭が床を叩いて、会長さんは厳しい顔で。
「もちろん体育座りでもなく、胡坐をかくのも論外だから! 犬のおすわりっ!」
「「「………」」」
それはスゴイ、と誰もがビックリ。けれど言い出した張本人は鞭を振り振り、教頭先生に犬のポーズでおすわりを仕込み、得意げに。
「チョコレート色の大型犬かぁ…。なかなか絵になる光景だよ、うん。それじゃ、ぼくたちはお茶にするから。ぶるぅ、ハーレイにはミルクをね」
「かみお~ん♪ お皿にたっぷりだね!」
はい、と良い子の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大型犬用と思しき餌入れの器を教頭先生の前の床に置き、紙パックから牛乳をドボドボと…。絶句している教頭先生を他所に、私たちには焼き立てのジンジャーパウンドケーキと飲み物などが。
「「「いっただっきまーす!!!」」」
フォークを手にした私たちとは真逆に、教頭先生にはミルクの入った器だけ。会長さんが紅茶のカップを傾けながら、優しい声音で。
「ハーレイ、おあずけはもういいよ? それともミルクは嫌いだった?」
コーヒーの方が良かったかなぁ、と親切そうなことを言いつつ、テーブルに立てかけた鞭をちらつかせて。
「こぼさないように飲むんだよ? あ、犬は器を持ち上げたりはしないから! 手足を使うってコマンドは無いから、ちゃんと犬らしく飲んでよね」
「…そ、それは無理だと思うのだが…」
絶対に無理だ、と教頭先生が口にした途端、ヒュンと閃く鞭の音。
「無駄吠え禁止! うるさく吠える犬ってヤツは御近所から文句が出るらしいね。…それで困って保健所に持ち込む飼い主もいると聞いたよ、保健所送りを希望なわけ?」
「い、いや、それは…!」
「じゃあ、無駄吠えはしないこと! ミルクが要らないなら残していいけど、食事もそういう食器だからね」
ついでにドッグフードだから、と告げられた時の教頭先生の表情ときたら、憐れでは済まないものでした。会長さんの犬という言葉に何を期待なさったのか知りませんけど、どうやら、とことん犬扱い。お皿でミルクにドッグフードって、犬座りどころの騒ぎでは…。



ミルクとドッグフードの食事は、チョコレート色の大型犬には向いてなかったみたいです。私たちの昼食は床に座って無駄吠え禁止な教頭先生を横目で見ながら、ダイニングの大きなテーブルでワタリガニのトマトクリームパスタ。犬でもパスタは食べられそうな気がするのですが…。
「ダメダメ、今は躾の真っ最中だよ? おやつをあげるには百年早い」
そもそも犬のおやつとは…、と会長さんは指を一本立てて。
「子犬ならともかく、成犬だしね。上手に芸が出来た時とか、そういう時におやつをあげなきゃ」
「芸ってなんだい? ぼくのハーレイなら色々と思い付くんだけれど…」
本物の犬には馴染みが無くて、とソルジャーが尋ねれば、会長さんがパチンとウインク。
「そりゃもう、色々あるんだけどねえ…。やっぱり基本は「取ってこい」かな、投げたボールとかを咥えて戻る!」
「うーん…。同じボールを咥えるんなら、ぼくとしては咥えて欲しいかな…。もちろん、ぼくのを」
「「「???」」」
ソルジャーもキャプテンに「取ってこい」を仕込んでいたのでしょうか? 青の間でボールを投げていたのか、はたまた公園で投げたとか…? あれ? 会長さん…?
「その先、言ったらブチ殺すからね!」
レッドカードが見えないのか、と会長さんが激怒しています。ついでに床に犬のポーズで座ったままの教頭先生が耳まで真っ赤に。…ということは、今のソルジャーの発言は…。
「君たちは何も追究しなくていいんだよ! 食事が済んだらハーレイに芸を教えようかと思ってるから、そっちのやり方を考えたまえ! フリスビー犬に仕込むんだから!」
「「「フリスビー犬!?」」」
「そうさ、投げたらジャンプして口でパクッと受け止めるヤツ!」
犬の芸とくればフリスビーだ、と会長さんが主張する横からソルジャーが。
「口で受け止めるのは基本の中の基本だろう? 飲むかどうかは置いておいてさ」
「「「えぇっ!?」」」
フリスビーなんて、どうやって飲むと? 鹿せんべいサイズなら分からないでもないですけれど、相手はフリスビーですよ? 喉に詰まるとか、そういう以前に口から殆どはみ出してますよ?
「はみ出さないと思うけど? ぼくがハーレイのを、ってことになったら、はみ出しちゃうのが当然だけどね」
意味不明な台詞を紡ぎ続けているソルジャーに、会長さんは。
「死にたいわけ!? フリスビーと言ったらフリスビーなんだよ、君の意見は訊いてないっ!」
余計なことばかり喋るんだったら叩き出す、とか言ってますけど、それについては教頭先生のミルクやドッグフードと同じ。どちらも相手に歯が立たないのが共通点というヤツです。でも、ソルジャーは何の話がしたいんでしょうね、ボールがどうとか、はみ出すとか…?



結局、教頭先生はミルクもドッグフードも食べられないまま、午後の躾の時間が開始。会長さんが鞭を手にして、空いた方の手にはフリスビーが。練習場所はリビングです。
「ハーレイ、ぼくがこれを投げたら口で上手にパクッとね。キャッチ出来たら、おやつはコレ」
美味しいよ、と会長さんが取り出した物は骨の形のガムでした。ペットショップとかで扱っている犬のおやつの定番です。
「噛めば噛むほど味が出るらしいし、頑張って」
「………。この体勢からジャンプをしろと?」
相当に無理があるのだが、と教頭先生が弱気になるのも自然な成り行き。犬は四足歩行ですから、教頭先生も四つん這いなのです。
「無駄吠え禁止と注意したよね? それに四つん這いでない犬なんてさ、はしゃいで後足で立ち上がる時か、でなけりゃ芸の最中だけだよ」
会長さんが鼻を鳴らせば、ソルジャーも。
「抵抗あるのは分かるけどねえ…。でもさ、ぼくが四つん這いになってる時にはハーレイだってそれに近いよ? 後ろからのしかかって貫くわけだし、犬の交尾と似たようなもので」
「退場!!!」
さっさと出て行け、と会長さんは大爆発ですが、ソルジャーが退場する筈も無く…。
「まあまあ、君もキレてばかりじゃお肌に悪いよ? フリスビーだって仕込まなきゃだし、落ち着いてハーレイの躾をしないと」
「誰のせいだと思ってるのさ! あれっ、ハーレイ、どうかした?」
「う、うむ…。実は、そのぅ……」
教頭先生が小さな声でボソボソと囁き、会長さんはニッコリと。
「ああ、トイレ! ぶるぅ、トイレに行きたいそうだ」
「かみお~ん♪ ちょっと待っててね~!」
トコトコと駆け出して行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が頭上に担いで戻った物体。それはどう見ても大型犬用のトイレトレーというヤツでした。中にトイレ用シートが敷かれています。リビングの隅にトレーが置かれて、教頭先生を促す会長さん。
「お待たせ、ハーレイ。あそこに座ってすればいいから」
「す、座る…。わ、私は普通のトイレにだな…!」
「無駄吠え禁止!」
ピシリと床を打つ会長さんの鞭。
「どうしてもトイレに行きたいのなら、犬になるのは諦めるんだね。…選びたまえ。ぼくの犬として勤め上げるか、トイレに走って犬の資格を失うか。簡単なことだよ、二つに一つさ」
「……に、二択……」
脂汗を流す教頭先生に、ソルジャーが艶やかな笑顔を向けて。
「犬の世界は素晴らしいよ? ぼくのハーレイの場合、もう本当に色々と…。犬の真価は夜に問われる。選ぶまでも無いことだよねえ?」
「……し、真価……」
教頭先生はトイレトレーと犬の真価とやらを秤にかけておられましたが、最終的にはリビングから一番近いトイレに突撃してゆかれました。切羽詰まっておられたらしくて、四つん這いのままで猛スピードで…。バタン! とトイレのドアが閉まって、会長さんが。
「はい、失格。…さてと、あの犬、どうするべきかな?」
「また飼えば? 今日は首輪を回収しといて、気が向いた時に」
その時こそ本物の犬の躾が出来るといいね、と期待に満ちた瞳のソルジャーに会長さんが「絶対に無い!」と返しています。えーっと、本物の犬の躾って何でしょう? 教頭先生にリベンジのチャンスがあるのかどうか、躾とは何か。犬の世界は深すぎますけど、いつか答えが知りたいですよね~!




       ペットと躾と・了



※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 来月はアニテラでのソルジャー・ブルーの祥月命日、7月28日が巡って来ます。
 ハレブル転生ネタを始めましたし、追悼も何もあったものではないのですが…。
 節目ということで、7月は 「第1&第3月曜」 の月2更新にさせて頂きます。
 次回は 「第1月曜」 7月7日の更新となります、よろしくお願いいたします。

 7月28日には 『ハレブル別館』 に転生ネタを1話、UPする予定でございます。
 「ここのブルーは青い地球に生まれ変わったんだよね」と思って頂ければ幸いです。
 毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv


※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、6月はソルジャー夫妻とスッポンタケ狩りにお出掛けのようで…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv














「ぼくは猫でもいいんだけどな…」
 ブルーはポツリと呟いた。
 今日は土曜日、本当だったらハーレイと一緒に過ごせる休日。けれどハーレイに仕事がある時はブルーの家のチャイムは鳴らない。今日がその日だと分かってはいても、ついつい窓から表の庭と門扉を眺めてしまう。もしかしたら、と。
 ハーレイが来られないことを知っていたから、朝から全く調子が出ない。休日は普段以上に張り切ってしている掃除も気分が乗らず、ブルーにしては珍しく机の上に読みかけの本が雑然と載っていたりする。
(……ホントに猫なら良かったのにな……)
 前にハーレイが見せてくれた写真の真っ白な猫。昔、ハーレイの母が可愛がっていた猫で、名前はミーシャ。よくハーレイのベッドにもぐり込んで来たというミーシャがブルーは心底羨ましかった。ミーシャはハーレイの膝の上も好きで、甘えん坊で…。
(…ぼくも猫だったらハーレイの家に居られるのに…)
 ミーシャはとても人懐っこい猫で、来客の時も客間に出入りし、おやつを貰っていたと聞く。もしもブルーが猫だったならば、今日はハーレイの家に居て…。
(ハーレイの膝に乗っかっていたら撫でて貰えて、おやつが貰えて…)
 本当に猫になりたかったな、とブルーは窓の外の庭と門扉を寂しさを堪えて見下ろした。
 今日はハーレイの家に同級生たちが大勢遊びに行っている。ハーレイが指導する柔道部の生徒が招かれ、賑やかに食事をしている筈だ。ブルーは両親と食べたのだけれど、これがいつもの土曜日だったら昼食の席にはハーレイが居る。ブルーの部屋で二人で食べることもあるし…。
(…ハーレイの家に居たかったなあ…)
 猫でもいいから、と何処までもミーシャが羨ましい。
 実際にはミーシャはハーレイの猫では無かったのだし、ハーレイは今の家でペットを飼ってはいない。しかし、ブルーが猫だったならハーレイは飼ってくれるだろう。
(…猫に生まれてたらハーレイと一緒に居られたよね?)
 家に来るなと言われもしないし、ベッドの中にもぐり込んでも叱られない。ハーレイの大きな身体に甘え放題、好きな時にピッタリくっついて…。
「……猫になれたらいいのにな……」
 そしてハーレイの家で暮らしたいな、とブルーは小さな溜息をつく。いつもハーレイの側に居られて、可愛がって貰える真っ白な猫。名前もミーシャでかまわない。ハーレイと一緒に暮らせるのならば猫で充分、それで幸せ。
 そう思い込むと止まらない。もしも本当に猫だったなら……。



 次の日、ハーレイは「昨日は来られなくてすまなかったな」と、何の変哲もないクッキーの詰め合わせを手土産にブルーを訪ねて来てくれた。母が淹れた紅茶とセットでテーブルに置かれたクッキーをハーレイが「美味いんだぞ」と言いながら自分も手に取る。
「俺の家の近くに店があるんだ。クソガキどもが遊びに来る時の定番でな」
「…そうなの?」
 意外な言葉にブルーの瞳がまん丸になった。
 確かに美味しいクッキーだけれど、ハーレイが指導しているクラブは柔道部。今までに勤めた他の学校でも柔道か水泳だったと聞いているから、クソガキとやらは運動をやる生徒ばかりだ。ブルーが貰った詰め合わせなぞはアッと言う間に無くなりそうで…。
「ははっ、説明不足だったか。…お前の分が特別なんだ。きちんと詰めてあっただろう? あれが本来の商品なんだが、大食らいのガキどもに食わせる分にはお徳用ってヤツで充分だ」
 割れたり欠けたりしたクッキーばかりを詰めた袋があるのだ、とハーレイは説明してくれた。
「そいつの一番でかいヤツをな、幾つか買っておくんだが…。あいつらにかかれば一時間もせずに食い尽くされて空っぽだ。お前とは似ても似つかんヤツらさ」
「ふうん…」
 ハーレイが手で作ってみせた徳用袋の大きさはブルーの想像を超えていた。何人がハーレイの家に行ったのかは分からないけれど、ブルーだったら食べ尽くすまでに何日かかるか分からない。
「驚いたか? いやもう、本当にあいつらときたら…。俺の懐は寂しくなるし、お前に会いには来られないしで散々だったさ、昨日はな。…お前も寂しかったと思うが…」
 それでクッキーを買って来たのだ、とハーレイは言った。
「俺がどういう菓子や食事を用意してたか、お前が随分気にしていそうな気がしてな。菓子はこいつで食事はピザだ。宅配ピザだが、遠慮なく高いのを注文しまくって食われちまった」
 苦笑するハーレイを見ていると光景が目に浮かぶようだ。自分もその場で見ていたかった、と思ったはずみに昨日の考えが蘇る。もしも自分が猫だったなら……。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「ぼくが猫ならハーレイは飼ってくれたよね?」
「……猫?」
 唐突すぎる問いにハーレイは鳶色の瞳を大きく見開き、何度もパチパチと瞬きをした。



「…それでお前は猫になりたい、と」
 ブルーの懸命な訴えを聞き終えたハーレイの手がブルーの髪をクシャリと撫でる。
「なるほど、手触りは悪くない毛皮だな。ミーシャは真っ白で可愛かったが、銀色の猫もいいかもしれん。…しかしだ、お前、猫は言葉を喋れんぞ?」
「サイオンがあるよ。…ぼくが猫に生まれてハーレイに会ったら、ナキネズミみたいに喋れるよ」
「……ふうむ……」
 喋る猫か、とハーレイの目が細くなった。
「それは考えもしなかった。…そういうお前に出会っていたなら、俺は喜んで飼ったと思うが…。名前もきちんと『ブルー』と付けてやったと思うが、お前、本当に猫でいいのか?」
「ハーレイと一緒に暮らせるんなら猫でいい。…今みたいに離れ離れで暮らさなくてもいいもの」
 ブルーは心の底からそう思った。
 前の生ではソルジャーとキャプテン、恋人同士なことさえも秘密。それでも夜は必ず会えたし、会わずに過ごした日などは無い。
 けれど今では家は別々、学校に行けば教師と生徒で、恋人として会える時間は休日だけ。いつも一緒に過ごせるのならば、本当に猫でもかまわない。ハーレイに飼って貰って沢山甘えて、夜はベッドにもぐり込んで…。
「……お前が猫か…。どんな姿のお前に会っても俺はお前を好きにはなるが……」
 困ったな、とハーレイの眉間の皺が深くなる。
「お前が猫に生まれていたなら、俺はまたお前を失くすことになる」
「なんで? ぼくは何処にも行かないよ」
 ハーレイが帰って来るまで家で待つよ、とブルーは無邪気に微笑んだ。
「仕事の間はちゃんと待ってる。…だけどクラブの生徒を呼んだ時にはハーレイの側に居てもいいよね、膝の上とか」
「…お前に何処かへ行く気が無くても、お前は俺を置いてっちまうさ。猫なんだからな」
 ミーシャは二十年ほどしか家に居なかった、とハーレイは深い溜息をついた。
「それでも長生きした方だ。俺が生まれる前から家に居て、死んじまったのはいつだったかな…。お前も猫に生まれていたなら、二十年ほどしか生きられないんだ」
「えっ……」
 それは考えてもみなかった。猫の寿命は人間よりも遙かに短い。人間が皆ミュウとなった今、外見で年齢は分からないけれど、平均寿命は三百歳を超えている。もしもブルーが猫だったなら…。



「…生まれたての時にハーレイに会って、飼って貰っても二十年なんだ…」
 たったそれだけで寿命が尽きておしまいだなんて、ブルーは思いもしなかった。今の生でハーレイと出会った十四歳の時まで会えないのならば、寿命の残りは六年しかない。
「お前、目先のことに夢中で何も考えていなかったな?」
 ハーレイに指摘されてシュンと俯く。自分が猫に生まれていたなら、どんなに頑張って長生きしたってハーレイを置いて逝かねばならない。それもたったの二十年で。
「……ごめんなさい…。猫になりたいって言うのはやめる」
「是非そうしてくれ。お前を失くすのは二度と御免だ」
 今度は先に逝かせて貰う、というハーレイの台詞にギョッとする。
「ハーレイ…。今、なんて?」
「俺が先だと言ったんだよ。順番からしたらそうなるだろう? 俺の方がかなり年上だしな」
「やだよ、そんなの! 冗談でもそんなの言わないでよ!」
 ブルーはハーレイに殴りかからんばかりの勢いで飛び付き、大きな身体に抱き付いた。
「ハーレイがいなくなるなんて嫌だ! 独りぼっちになるなんて嫌だ!」
 死んじゃ嫌だ、と涙交じりにハーレイの胸をポカポカと叩く。
「離れ離れになってもいいから、死なないで! ぼくも絶対に死なないから!」
 いつかはそういう時が来るのだと分かってはいるが、それはまだずっと遠くて見えない時の彼方で、まだまだ考えたくもない。なまじ前の生の記憶があるから、ブルーは普通の十四歳の子供よりも遙かに「死」という言葉に敏感で激しく反応する。
 それだけは嫌で避けたいもの。出来ることなら世界の中から消し去りたいもの。
「嫌だよ、ハーレイ…。居なくなるなんて言わないでよ…」
 赤い瞳から涙が溢れてブルーの頬を伝い、ポロポロと落ちる。ハーレイは「すまん」と一言謝り、ブルーの涙を武骨な指先で優しく拭った。
「…もう言わん。そしてお前の前からも居なくならない。…それでいいんだな?」
「…うん……。会えなくてもいいから、ずっと生きてて。ぼくも生きるから」
「ああ。…お前を置いては逝かないさ。いや、逝けないと言うべきだな」
 こんな泣き虫を置いて逝けるか、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「心配でとても死ねそうにない。…だからお前も約束してくれ。二度と俺を置いて逝ったりしない、と。俺はお前を失くしたくない」
「……うん。…うん、ハーレイ……」
 だからハーレイも。約束だよ、とブルーは細い指をハーレイの指に絡ませた。
 お互いに置いて逝ったりはしない。いつまでも決して離れはしない、と。



 こうしてブルーは「猫になってハーレイに飼って貰う」夢を見ることをやめた。
 ハーレイの側に居られる生活は素敵だけれども、猫の寿命はあまりに短い。それを思えば今の生での待ち時間など全く大した問題ではなく、四年も経てば義務教育の期間が終わる。そうすれば教師と生徒に分かれてしまった互いの立場は解消されて、恋人同士として付き合える筈。
 それにその頃にはブルーの背丈も前の生でのソルジャー・ブルーと同じくらいに伸びるだろう。悲しくてたまらない子供扱いもされなくなって、本物の恋人同士になって…。
「うん、猫になるよりもそっちの方が断然いいよね」
 もう少しかな、とブルーはクローゼットの隣に立って自分が付けた印を見上げた。
 床から百七十センチの場所に鉛筆で微かに引いた線。それがソルジャー・ブルーの背丈。
「……あと少しだけの我慢だし!」
 たったの二十センチだし、と痩せ我慢をする小さなブルーの背丈は百五十センチしか無かった。
 ソルジャー・ブルーと変わらない背丈にならない限りはハーレイが言うところの「立派な子供」で、キスすら交わすことも出来ずに離れ離れの生活で……。
 それでも猫の短い寿命を使ってハーレイの長い生での一瞬だけを分かち合うより、これから先の長い未来を一緒に過ごす方がいい。ハーレイの家で共に暮らすか、ブルーの家にハーレイが来るか。
(……えーっと……)
 パパとママには何て言おう? とブルーの頬が真っ赤に染まった。
 本物の恋人同士の関係となれば、前の生での記憶からしてもキスどころではない深いもの。
 これからそういうコトを始めるから、と両親の前で宣言できる度胸はブルーには無い。
(………ハーレイに言って貰おうかな?)
 猫のぼくを飼うより簡単だよね、と考えるブルーは「大人」というものを分かっていなかった。
 本物の恋人同士な関係を自由に持てる大人にとっては、その関係は基礎の基礎だと勘違い。小さな自分は恥ずかしくてとても言えないけれども、大人のハーレイは恥ずかしくないに違いないと。
「うん、ハーレイならきっと大丈夫!」
 今だってちゃんと大人だもの、とハーレイの姿を思い浮かべてニッコリ微笑む。
 「その時」が来たら、両親への報告はハーレイに頼んでやって貰おう。
 猫を飼うには餌だの世話だのと手間がかかるけれど、報告は言葉だけで済むから簡単だろう。



「よろしく、ハーレイ」
 声に出してみてブルーは「よし!」と頷いた。
 ハーレイと本物の恋人同士になる宣言はハーレイに任せておくのが一番。
 なんと言っても立派な大人を何年もやっているのだから。
 その宣言が「ブルーを自分の伴侶に欲しい」という申し込みと同じ意味だとブルーが気付くのはいつだろう?
 気付いてもハーレイに任せておくのか、それとも自分で宣言するか。
 「猫になりたい」と本気で考えたような小さなブルーが其処まで辿り着く日は遙かに遠い。
 とりあえず猫になるのはやめたらしいが、ハーレイと共に暮らせる日までの我慢はまだ長い…。




           猫でもいいから・了









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