シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
シャングリラ学園、本日も平和に事も無し。季節は秋で収穫祭も済み、お次は恒例の学園祭の準備ですけれど。学園祭と言えばサイオニック・ドリームでお馴染みになった喫茶、『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』です。お部屋の準備は業者さんにお任せ、私たちは当日の接客だけで。
「今年も観光地プライスは外せないねえ」
ぼったくらなくちゃ、と会長さん。放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集まった私たちはメニューと値段を検討している真っ最中。
「まあな…。もう名物になっているしな、高く払えば美味しい思いが、と」
変な常識が根付いたものだ、とキース君が嘆いています。
「もっと出すから時間延長は無いんですかと訊かれたぞ、今日も」
「あー…。それは無理だと毎年しつこく言ってるのにねえ…」
周知徹底されないねえ、と会長さんはぼやきますけど、時間延長の要望は毎年必ず出るのでした。その度に「そるじゃぁ・ぶるぅが疲れてしまうからダメ」と却下するのも私たちの仕事の一つです。そう、サイオニック・ドリームは今も「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーで通っているわけで。
「とにかく、時間は徹底統一! そこは絶対、動かせないよ。ぶるぅじゃなくって、ぼくが疲れる」
「ソルジャーのくせに弱いな、あんた。…本当はもっと出来るんじゃないか?」
限界とはとても思えないが、と突っ込むキース君に、会長さんは。
「やれば出来ると、ぼくも思うよ。だけど学園祭はお遊びだしさ。限界に挑む必要は無し! もっと気楽にやらなくちゃ」
それよりも値段、と会長さんの関心はお値段の方。
「安上がりのメニューで観光地価格、今年こそ缶ジュースで勝負したいね」
「それは気の毒すぎますよ…」
ぼくの良心が痛みます、とシロエ君。最初の年にウッカリ観光地価格を口にしたばかりに定着してしまったのがシロエ君の悩み。余計な事さえ言わなければ、と反省しきりな私たちの良心です。
「缶ジュースだけは却下です! あっ、お茶で統一もダメですよ? グラスで提供と各種飲み物は最低ラインなんですからね!」
「分かってるってば…。ペットボトルも却下したよね、その理屈でさ」
うるさいんだから、と会長さんはブツブツと。そう言いつつも外国産の飲み物を取り入れようかとか、考える所はあるようで。
「キッチン担当は君たちなんだし、輸入モノでも責任を持って扱えるよね? 御当地産の飲み物でトリップするのも楽しいよ、うん」
たとえばサボテンジュースとか、と例が挙がるなりテーブルにピンクの飲み物が。
「かみお~ん♪ ブルーに言われて用意したもんね!」
ゼリーとアイスも作ってみたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は鮮やかなルビー色のゼリーが盛られたパフェの器を運んで来ました。早速食べれば、うん、美味しい! ちょっと甘酸っぱくてラズベリーみたいな味わいです。えーっと、サボテンジュースだと何処に行けるの?
「ん? このサボテンさえ生えているならOKだけど?」
いわゆるドラゴンフルーツだしね、と親指を立てる会長さん。こういうチョイスもいいかもです。サボテンジュースの他にも何か…、と熱を帯びてゆく検討会。うん、これでこそ学園祭! みんなで意見を出し合ってこその催し物というヤツですよ~。
喫茶店で出すメニューもトリップの行き先も決まり、チラシなんかの印刷が済めば後は当日を待つばかり。クラス展示をする1年A組のクラスメイトや催しをする有志団体、クラブなんかが大忙しの中、暇になるのが私たち。柔道部三人組も今は現場を離れて指導だけです。
「かみお~ん♪ いらっしゃい! お疲れ様ぁ~!」
焼きそばの特訓、大変だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が柔道部三人組に声を掛けながら飲み物の用意。私たちは一足お先にカボチャムースたっぷりのタルトを頬張り始めていました。キース君たちは柔道部名物の屋台メニューを毎日指導しているわけで。
「くっそぉ、ぶるぅの秘伝の焼きそばレシピを教えてやったばっかりに…」
今年のヤツらは覚えが悪い、とキース君。
「それとアレだな、最初に教えた年の主将も悪かった。門外不出のレシピにするから、と口伝オンリーにしやがって…。お蔭で俺たちは毎年、新入生の焼きそば作りを指導する羽目に…」
「仕方ないですよ、キース先輩。部活が終わった後の一日一回の焼きそば作りで覚えろって方が無理があります、一度じゃ絶対無理ですって!」
最低でも三度は必要ですよ、とシロエ君が力説するとおり、秘伝の焼きそばレシピの命はソースの配合などにあります。一つ間違えれば味は別物、柔道部名物になりません。
「それは分かっているんだが…。部活で疲れたというのも分かるが、もっと熱意を持ってだな…」
「頑張りましょう、キース。あと一歩ですよ」
焼き加減の方は上手くなりましたし、とマツカ君が後輩の腕を褒め、シロエ君も。
「そうです、手際の良さは例年以上じゃないですか? 下ごしらえは文句なしなんですから」
「しかし、味が別物では文句が出るぞ。秘伝と掲げているんだからな」
あれは名物屋台なんだ、とキース君が主張するとおり、柔道部の焼きそば屋台は売り切れ御免の超絶人気。「完売しました」と札を出しても「仕入れはまだか」と並び続ける人がいるので有名です。もちろん仕入れ部隊は出ていますから、後夜祭が始まるギリギリまで売られるという名物焼きそば。
「今年も大勢買う筈なんだ。味が違うというのはマズイ」
「年に一度のお楽しみですしね…」
ぶるぅの味は、とシロエ君も真剣な顔。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作る焼きそばだのタコ焼きだのを毎日のように食べてますけど、一般生徒は食べられる機会が全く無し。学食の特別生向け隠しメニューと同じレベルで憧れの味になっています。
「まあ、根性で指導するしかないな。俺たちの役目はそこまでだしな」
「屋台は全部お任せですしね」
ぼくたちは喫茶がありますし、とシロエ君が指を折りながら焼きそばソースの配合を確認し始めました。
「中濃ソースがこれだけで…。醤油これだけ、オイスターソースに…」
「あーーーっ!!!」
突然の大声は「そるじゃぁ・ぶるぅ」。シロエ君の指がピタリと止まって。
「な、何か間違えていましたか!? 醤油とか?」
「…え? お醤油って?」
何のお話? とキョトンとしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手にはアルテメシアの観光案内パンフレット。大判でページ数多めの読み応えのある代物です。そういえば会長さんが広げていたのを見ましたっけ…。
「ぼく、グルメの記事はまだ見てないよ? お醤油って何?」
「いえ、それは焼きそば屋台の話で…。じゃあ、さっき叫んでいたヤツは?」
何なんです、とシロエ君が訊くと「そるじゃあ・ぶるぅ」は。
「えっとね…。これ、これ! 秋のライトアップ!」
「「「………???」」」
叫ぶほどのライトアップとは、と覗き込んでみれば記事の写真に見覚えが。この山門は…、と確認すると記憶のとおりに璃慕恩院です。へえ…。プロジェクション・マッピングなんかをやらかすんですか、紅葉に合わせて…。
「見に行きたいわけ?」
ジョミー君の直球に首を左右に振る「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ううん、どうせ今年もブルーと一緒に行くんだもん。招待状が届くから」
「え? だったら何も叫ばなくても…」
「今年もライブをやるって書いてあるから、聞いてないよって思っちゃって…」
ここ、ここ、と小さな指が示す箇所には有名歌手のライブの告知が。本堂をステージに見立てて歌うという趣向らしいです。でも…「そるじゃぁ・ぶるぅ」って、この人のファンでしたっけ? そうだったとしても招待状が届くんだったら間違いなくライブに行けるのでは…?
「……うーん……」
バレちゃったか、と苦笑している会長さん。もしかして、転売しちゃったとかですか、招待状を? この歌手、人気ありますしね…。
「酷いや、ブルー! ライブだって!」
書いてあるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんに詰め寄り、キース君が。
「ライブなら俺も知ってるぞ。宗報に載っていたからな。…あんた、チケットを売っ払ったのか?」
「まさか。…そりゃあ、売ったらボロイなんてもんじゃないけど……関係者席のド真ん中だよ、一般人にはキツすぎるってば」
前後左右がもれなく坊主、と会長さん。
「関係者席を知り合いに譲る人もいるけど、受けは良くないみたいだねえ…。坊主だらけの席っていうのは、プラチナチケットの有難味も吹っ飛ぶインパクトらしい」
「それ、ぼくには凄く分かるってば!」
ジョミー君が拳を握り締めて。
「抹香臭いし、ライトで頭が光るだろうし…。坊主だらけって絶対、最悪!」
「お前も一応、僧籍だったと思ったが?」
キース君の冷静な指摘にも耳を貸さないジョミー君。お坊さんの大群の怖さを滔々と語っていますけれども、ライブの話は何処へ行ったの?
「あ、そうだっけ…。チケットを売ったわけじゃないなら、なんでぶるぅに内緒なわけ?」
どうせバレるよ、とジョミー君が言えば、会長さんは。
「…まさか恒例になるとは思わなくってさ…。最初の年にぶるぅが凄く感激しちゃって、こんなステージで歌ってみたいって言い出したから、続くようなら頼んであげるって言っちゃったんだ」
「……なるほどな……」
それは確かに難関だ、とキース君が腕組みをして。
「有名歌手ならギャラを出しても呼びたいだろうが、ぶるぅじゃな…。いくらあんたが銀青様でも、費用は全額負担しますと申し出たって璃慕恩院の許可は下りそうにない」
「そうだろう? ぼくにも銀青としての体面ってヤツが…。本堂を思い切り私物化しました、なんて前例を作っちゃったら示しがつかない」
「だったら妙な口約束をするな!」
「うん、そこは充分に分かってるってば」
だからね…、と言葉を切った会長さんは、キース君の方に向き直ると。
「君が居合わせた場所でバレたのも御仏縁というヤツだろう。…実は、ぶるぅにはこう言ったんだ。璃慕恩院のライブが普通になったら、キースに頼んであげようね、って」
「……は?」
なんで俺だ、と目を丸くするキース君。
「俺はしがない副住職だぞ? 璃慕恩院でのお役目も無いし、これといったコネも無いんだが…?」
「違うよ、これは舞台の問題。同じお寺なら璃慕恩院でなくてもね…。ぶるぅはプロジェクション・マッピングされた舞台で歌って踊りたいだけだし、元老寺の本堂を借して貰えるかな?」
「……な、な、な……」
「君がダメならアドス和尚に頼んでみるよ。ちょっと一晩借りられませんか、って」
簡単だよね、と電話に手を伸ばす会長さんに、キース君が必死の形相で。
「ま、待ってくれ! 親父はあんたに頭が上がらん、電話されたら即オッケーだが…。しかしだな、もう一度きちんと考えてくれ! ぶるぅが本堂で歌って踊って何になる? それはお念仏に結び付くのか?」
「…頭が固いね、人が呼べればいいだろう? 夜の元老寺なんて、除夜の鐘くらいしか大勢の人は来ない筈だよ。ぶるぅの歌と踊りはともかく、プロジェクション・マッピングとなれば近所の人が見物に来る。来た人は一応、お参りするし!」
お参りとくればお念仏、と会長さんは得々と。
「普段だったら人の来ない時期にお念仏だよ、璃慕恩院のライブに比べれば微々たる規模でも立派に宗教イベントだ。お念仏こそが一番大切、と宗祖様も説いておられるよねえ? で、君の返事はどうなのかな? ぶるぅのライブに本堂を…」
「分かった、貸せばいいんだろう! 要は歌って踊るわけだな、親父ともよく相談しておく。だが、親父には、あんたから話を通してくれると有難い」
「それはもちろん。じゃあ、後は日取りと手配だけだね。良かったね、ぶるぅ、出来るってさ」
「わぁーい! ライブだ、ぼくのライブだぁー!!!」
歌って踊って『かみほー♪』だもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜び。今年の秋は賑やかなことになりそうです。元老寺の本堂を舞台にプロジェクション・マッピングだなんて、これは見ごたえありそうな…。
こうして「そるじゃぁ・ぶるぅ」の元老寺ライブが決定しました。アドス和尚は璃慕恩院のライトアップやライブなんかに憧れていたそうで、二つ返事でOKだったらしいです。ライブの開催は学園祭が終わった後になりますけれど、それまでに準備が必要で。
「かみお~ん♪ 璃慕恩院に負けないようなヤツって作れる?」
「投影する範囲の問題ですしね、多分、なんとか」
やってみますよ、とシロエ君がプロジェクション・マッピングに取り組んでいます。プロにお任せという方法もありますし、サイオンを持つ仲間がやってる会社もあるのに、やりたくなってしまったシロエ君。機材だけを借りて自力で投影するつもり。
「璃慕恩院の投影の動画は会長が借りて来てくれましたし、あれを参考にアレンジして…と。曲は本当に『かみほー♪』だけでいいんですか?」
「うん! あれが好きだし、三回歌うの! だから三回分、違う映像が出せるといいなあ…って」
気持ち良く歌って踊れるといいな、と御機嫌の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は振り付けに余念がありません。三通りの踊りを披露するのだと燃えまくっていて、暇さえあればステップを。今日の放課後も宙返りしたりバク転したりと『かみほー♪』を歌いつつ踊っています。
「うん、いいねえ」
パチパチパチ…とあらぬ方から突然、拍手が。ま、まさか…。
「こんにちは。ぶるぅ、ライブをやるんだって?」
「「「!!!」」」
優雅に翻る紫のマント。ソルジャーはスタスタと部屋を横切り、ストンとソファに腰掛けて。
「えーっと…。ぼくのおやつもあるかな?」
「いらっしゃい! ちょっと待ってねー!」
キッチンに走った「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパンプキンプディングに生クリームを添えて運んで来ました。ライブの準備で踊っていても、お菓子や料理に手抜きは無しです。
「はい、どうぞ。沢山あるから、お土産も持って帰ってね♪」
「それなんだけど…。ぶるぅも踊りたいらしいんだ。こないだから覗き見していて、ぼくも一緒に踊りたいなぁ…って言っててさ」
「「「ぶるぅ!?」」」
よりにもよって悪戯小僧の「ぶるぅ」が…ですか? いえ、それ以前に、アドス和尚は「ぶるぅ」に会ったことがありません。勝手に面子を増やそうだなんて、そんなこと…。
「………。ぶるぅがねえ……」
どうするかな、と会長さんは暫く考えていましたが。
「まあ、いいか。賑やかになるし」
「お、おい! 親父はぶるぅを知らないんだぞ、分身しましたとでも言うつもりか!?」
別の世界があるとは言えん、とキース君が噛み付けば。
「そこは何とでもなるんだよねえ、永住しますってわけではないし…。ほら、夏のマツカの別荘なんかは既に顔パスの世界だろう? 似てますね、ってレベルで済むわけ」
「そ、そういえば…。別荘もそうだし、旅行も一緒に行ってるな…」
「そうだろう? そっくりさんが踊っていれば見栄えもするしさ、ここは歓迎ということで」
でも練習は必須だよ、と会長さんがしっかり釘を。元老寺ライブは既に檀家さんに案内状が出されています。失敗しましたでは済みませんから、いくら「ぶるぅ」が悪戯好きでもキッチリ務めて貰わねば…。
「ああ、その点は大丈夫! ぶるぅは踊りたくって仕方ないから、自主練習をしてるんだ。ぶるぅが考えた振り付けを真似して青の間とか公園で踊っているよ」
「本当かい? それじゃ次から連れておいでよ、此処じゃ狭いし場所を借りよう。ほら、前に行ってたフィットネスクラブ。…あそこ、ぼくは今でも会員だからさ」
体操教室をやってるフロアを貸して貰おう、と会長さん。フィットネスクラブといえば、プールを借りていた所です。人魚泳法の練習をするとか言って貸し切るためにVIP会員になった会長さんですけど、未だに会員やってましたか…。
「え、だって。あそこ、仲間がやってるんだし…。ソルジャーともなれば永久VIP会員だよね」
「あったね、そういうフィットネスクラブ!」
懐かしいなぁ、とソルジャーも記憶を遡っているようでしたが。
「…そうだ、ぶるぅズとハーレイズ!」
ポンと手を打ったソルジャーの台詞で鮮やかに蘇った人魚の競演。…人魚泳法って所で記憶にストップがかかっていたのに、外れちゃいました、あっけなく。ぶるぅズが銀色の尻尾の人魚で、ハーレイズの尻尾はショッキングピンク…。
「うん、ライブでぶるぅズ再結成なら、この際、ハーレイズも再結成!」
それが最高、とソルジャーが拳を突き上げて。
「ぼくのハーレイを呼んでくるから、こっちのハーレイを動員してよ。でもって『かみほー♪』で踊らせるんだよ、ぶるぅズのバックダンサーで!」
「「「…………」」」
えらいことになった、と誰もが顔面蒼白でしたが、言い出したら最後、後に引かないのがソルジャーで。元老寺ライブは「そるじゃぁ・ぶるぅ」オンステージからグレードアップしそうです。教頭先生とキャプテンがバックダンサーだなんて、それってインパクト強すぎですって…。
何の因果か、ぶるぅズ&ハーレイズ。ソルジャーのゴリ押しで元老寺の本堂を背景に踊る面子は四人に増えてしまいました。キース君がアドス和尚に恐々お伺いを立てに行ったものの、「賑やかなのは大いによろしい」と呵々大笑で通ったそうで。
「…親父には説明したんだが…。教頭先生も踊るのですが、と」
「アッサリ通ってしまったんだろ、ぶるぅのライブが通るんだからさ」
ストッパーを期待するだけ無駄だ、と会長さんはとっくにお手上げ。ソルジャーが出てきた段階で会長さんの負けは決まっていたのです。教頭先生を動員する件にしたって従うしかなく、週末の今日が初めての練習日。フィットネスクラブの貸し切りフロアに朝イチで集合していると。
「すまん、遅くなった」
教頭先生が体操教室の扉を開けて現れました。
「…ダンスを踊れという話だったな? バレエではなくて」
「そっちは君しか踊れないしね」
シンクロ率が大切なんだ、と会長さん。
「ぶるぅの踊りに合わせて踊る! それが君たちの仕事なんだよ、ぶるぅズがステージの主役なんだし」
「かみお~ん♪ ハーレイ、よろしくね!」
元気一杯に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が挨拶した所でソルジャーと「ぶるぅ」、それにキャプテンが空間移動で御到着です。これで面子は揃いましたが…。
「その服でダンスは無理ですよ」
教頭先生がキャプテンの制服を指差して。
「ブルーに言われて二人分のジャージを持って来ました。ロッカールームはあちらです」
「すみません。有難くお借りさせて頂きます」
肩を並べて出て行った二人が着替えてくるなり音楽スタート。大音量の『かみほー♪』に合わせて「そるじゃぁ・ぶるぅ」が軽やかに踊り、「ぶるぅ」もピッタリ息が合っています。自主練習をしていたと聞くだけあって流石ですけど、このダンスは…。
「わ、私たちがアレを…」
「そっくりに踊れというわけですか…?」
ジャンプはともかく宙返りにバク転、小さな身体のぶるぅズには無理なくこなせる技でも教頭先生たちにとっては大技で。
「む、無理です、私にはとても…!」
キャプテンが尻込みするのをソルジャーが肩をガシッと押さえて。
「お前には無理かもしれないけどねえ、こっちのハーレイは武道のプロだ。そこそこ練習を積めばモノになるんじゃないかと思う。その段階で技をサイオンでコピーして貰えば…。出来るよね、ハーレイ?」
視線を向けられた教頭先生、ウッと息を飲み、ぶるぅズのダンスを見ていましたが。
「…私も男です、やってみましょう。その上で技をコピーするのは構わないのですが、まるで基礎が無いと身体に負担がかかりますので…。基本の運動やストレッチなどは必須ですね」
「だってさ、ハーレイ。お前、日頃から運動不足だしねえ…。この際、柔道なんかも覚えてみたら? あ、こっちのハーレイはダンスの練習で忙しいから、そこの子たちに弟子入りで」
「「「えぇっ!?」」」
話を振られた柔道部三人組、まさに晴天の霹靂です。けれど基礎が無いキャプテンに宙返りだのバク転だのが危険なことは間違い無くて。
「…とりあえず、準備運動から始めてみるか?」
キース君が他の二人に確認を取り、シロエ君が。
「ハーレイズから時間が経ってますしね…。あの時はプールがクッションでしたし、サイオンで宙返りとかの反則行為も出来ましたけど、今回は水じゃないですし…。受け身の練習も要りそうです」
「柔軟体操も要ると思いますよ」
とにかく筋肉を柔らかく、とマツカ君。キャプテンは端の方に連れて行かれて準備運動、ストレッチ。柔軟体操が始まると痛そうな悲鳴が上がりましたが、教頭先生の方はそれどころではなく。
「ぶ、ぶるぅ、本当にここで二回連続でバク転なのか?」
「でないと曲と合わないんだもん!」
「かみお~ん♪ ハーレイ、お疲れ気味なの? あのね、ぼくの方のハーレイは昨夜もね…」
ヌカロクで凄かったんだから、と「ぶるぅ」が説明してくれますけど、ヌカロクって意味不明のままなんですよね…。それって疲れるモノなんでしょうか、だったらキャプテン、災難かも…。
「いたたたたたた! む、無理です、これ以上、曲がりません~!」
「押すんだ、シロエ! マツカは膝をきっちり押さえろ!」
「ひぃぃぃぃ~っ!!!」
もうダメです、と絶叫するキャプテンの柔軟体操は容赦ないレベル。お疲れの身体にはキツそうですけど、ソルジャーは。
「柔軟体操もいいかもねえ…。身体がうんと柔らかくなれば、バリエーションが増えそうだ。これは思わぬ副産物! そこの三人組、もっと激しくしごいてくれていいからね!」
その一方で教頭先生は、会長さんに怒鳴られながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」が踊るダンスをコピー中。ああ、またバク転、失敗です。柔道やバレエとは使う筋肉、違うんでしょうねえ…。
来る日も来る日もフィットネスクラブに通い続けて、ダンスに受け身に体操に。教頭先生がやっとのことで三通りのダンスをモノにした頃、キャプテンの柔軟体操や受け身もそこそこのレベルに到達しました。その間、練習が休みだったのは学園祭の前後だけで。
「や、やっとダンスを覚えましたよ、あなたにお伝え出来そうです」
頑張りました、と教頭先生がキャプテンに右手を差し出し、その手をキャプテンが強く握ってサイオンで技のコピーです。これで二人は見事ぶるぅズのバックダンサーとなったわけですが…。
「「「……うーん……」」」
何かが違う、と踊りまくる四人の『かみほー♪』を見ながら首を捻っている私たち。前列で可愛く飛び跳ねている二人は文句無しなのですけど、後ろの二人がいけません。踊りはキッチリ揃っていますし、何がいけないと言うのでしょう…?
「…目立ち過ぎかな、後ろの二人が」
しかもデカイし、と会長さんが呟けば、ソルジャーが。
「ああ、それ、ぼくも思ってた! だけどハーレイズは外したくないし、バックダンサーも欲しいしねえ…。何かこう……。目立たない方法って無いものかなぁ?」
「後ろに下がるというのは無しだぞ」
本堂の中では踊らせん、とキース君。ぶるぅズ&ハーレイズは元老寺の本堂前のスペースで踊るということに決まっていました。プロジェクション・マッピングもそれを前提としての投影です。教頭先生とキャプテンを後退させるとなったら本堂の方向へ下がるしか無く…。
「親父が本堂の中を許しても、俺が許さん! 妙な前例を作られてしまったら何が起こるか分からんからな」
「…君を論破するのは簡単だけどさ、それじゃイマイチなんだよねえ…。バックダンサーが本堂というのは本末転倒、踊るなら主役が踊るべき!」
つまり、ぶるぅズ! と会長さんは言い切ったものの、ぶるぅズが本堂でバックダンサーのハーレイズが前に出るのも許せないらしく。
「確かにいるのに目立たず控えめ、それが理想のバックダンサー! だけどハーレイのあの身体じゃねえ…。何を着せても目立つだろうし……。ん…?」
これがあったか、とパチンと指を鳴らす会長さん。
「そうだ、衣装が大切なんだよ! 隠れてます、って感じで忍者スタイル、これなら目立っても背景扱い!」
「忍者…? いいね、それ! 黒ずくめだから背景に自然に溶け込むし」
時代劇も大好きなソルジャーが賛成しましたけれど、会長さんはチッチッと指を左右に振って。
「ダメダメ、黒だと消えたも同然! 確かにいますってアピールしないとバックダンサーにならないよ。プロジェクション・マッピングは光で勝負だし、光を捉えて目立つためにも衣装は銀色のスパンコールで!」
「「「スパンコール!?」」」
何処の世界にそんな忍者が、と唖然としたのに、会長さんとソルジャーは乗り気。バックダンサーを従えて踊る「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」も乗り気。あまつさえ、ぶるぅズな二人は金色スパンコールの忍者スタイルで前で踊ると言い出しました。なんだか思い切り派手なのでは…?
そして、ぶるぅズ&ハーレイズの忍者な舞台衣装が出来上がり、シロエ君が頑張ったプロジェクション・マッピングの試験投影も無事に終わって、いよいよ当日。ソルジャーとキャプテン、それに「ぶるぅ」も揃って出掛けて行った元老寺では…。
「皆さん、本日はようこそお越し下さいました」
アドス和尚が、とっぷりと暮れた境内を埋める檀家さんたちにマイクで厳かに。
「元老寺プロジェクション・マッピングを始めます前に、まずは御本尊様にお念仏をお唱えいたしましょう。同称十念~。南無阿弥陀仏」
「「「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」」」
十回唱えるのが基本だと聞くお念仏ですけど、抹香臭いイベントはパス。会長さんとサム君はともかくジョミー君は無視していますし、一般人は無視でいいでしょう。ソルジャーだってまるっと無視です。そもそも此処へ来ている理由は、ぶるぅズ&ハーレイズのライブを見るためで…。
「…南無阿弥陀仏。それでは皆さん、大いにお楽しみになって下さい!」
いざ開幕! と告げるアドス和尚はキャプテンや「ぶるぅ」の正体に全く気付いていませんでした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のステージを盛り上げるために教頭先生と同じく動員された誰かなのだと思っています。ステージ弁当を用意してくれたイライザさんも同様で…。
「「かみお~ん♪」」
金色の忍者な「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」が本堂の正面に登場した瞬間、本堂は巨大なスクリーンに。シロエ君が頑張っていた映像です。後光のように光り輝く線の中心に、ぶるぅズが。光が広がり、銀色の忍者なバックダンサー、ハーレイズが後ろに現れました。
「「「……スゴイ……」」」
練習で見ていた時より遙かに凄い、と私たちまでが大感動。あんなに渋っていたキース君でさえも墨染の衣でステージと映像に見惚れていたり…。歌って踊って『かみほー♪』三昧、四人の忍者が宙返りやらバク転やら。小さなぶるぅズ、金色の衣装が映えまくってますから完全に主役。
「忍者の衣装は正解だったね、君の提案に感謝だよ」
ハーレイズがちゃんとバックダンサー、とソルジャーが感心すれば、会長さんは。
「ぼくの方こそ、感謝かな。ぶるぅのライブを此処まで派手に演出できたのは君のお蔭さ、ホントなら一人で歌って踊っておしまいなだけのステージだったし…」
ありがとう、とソルジャーに頭を下げる会長さん。元老寺ライブは檀家さんの他にも噂を聞き付けた近所の人たちで大入り満員、シロエ君の力作のプロジェクション・マッピングを撮影している人も大勢います。ソルジャーが最初に現れた時はエライことになったと思いましたけど…。
「大成功よね、このライブ」
スウェナちゃんも撮影に燃えていました。元ジャーナリスト志望だっただけに、素敵な記録が撮れそうです。シロエ君も自前のカメラをあちこちに据えて録画していますし、これはダビングして貰わなくっちゃ~!
『かみほー♪』が三回も踊られたライブは大歓声の間に無事に終わって、締めはアドス和尚の先導でまた十回のお念仏。短いながらも素晴らしかった舞台を務め上げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」と教頭先生たちの慰労のために、と庫裏のお座敷にイライザさんが御馳走を準備してくれていて。
「じゃあ、ぶるぅズとハーレイズの健闘を讃えて……。乾杯!」
会長さんの音頭で私たちはジュースのグラスを掲げました。忍者の衣装から私服に着替えた教頭先生とキャプテンはビール、会長さんとソルジャーのグラスにもビール。
「「「かんぱーい!!!」」」
賑やかにグラスが触れ合うお座敷にアドス和尚とイライザさんの姿はありません。キース君は法衣のままですけれど、私たちだけの気楽な宴席ということで…。
「お疲れ様でした、教頭先生」
キース君が教頭先生にビールを注げば、ソルジャーも負けじとキャプテンに。
「どうぞ、ハーレイ。今日でステージも無事に終わったし、後は今後に生かすだけだね」
「「「???」」」
なんのこっちゃ、とビールを注ぐソルジャーに注目の私たち。このステージを今後に生かすって、キャプテン、あちらの世界で「ぶるぅ」と『かみほー♪』を踊るとか…?
「あ、違う、違う! どっちかと言えば、ぶるぅはお邪魔」
「かみお~ん♪ 大人の時間は、ぼくは土鍋の中だもん! ハーレイ、今夜から頑張るんだもん!」
もう疲れても大丈夫だからヌカロクだもんね、と「ぶるぅ」はニコニコ、ソルジャーは。
「そういうこと! 体力もついたし、身体もすっかり柔らかくなったみたいだし…。どのくらいグレードアップしたのか、もう、楽しみで、楽しみで」
「ちょ、ちょっと…。その先、禁止!」
言わないように、と会長さんがストップをかければ、ソルジャーは「そう?」と微笑んで。
「それじゃ話を切り替えて…、と。今日のステージ、お念仏だと何回くらいに相当するわけ?」
「さ、さあ…。大勢の人がお念仏を唱える切っ掛けになったわけだし、どのくらいだろう? 阿弥陀様がどう評価なさるかは分からないけど、とにかく、沢山」
多いことだけは間違いない、という会長さんの答えに、ソルジャーはとても満足そうに。
「それは良かった。…ハーレイ、お念仏を凄く稼げたらしいよ、努力した甲斐があったよね。これで極楽にお世話になる時、いい蓮が貰えるといいんだけれど」
でも阿弥陀様からは遠いのがいいな、とウットリしているソルジャーが何を夢見ているのか、嫌と言うほど分かりました。キャプテンと二人で過ごすための蓮で、確か色にも指定があって…。
「ハーレイの肌の色が映える蓮の色ってどんなだろうねえ、シロエが投影していた中にも蓮は色々あったけど…。ピンクなのかな、それとも白かな? 青の間のイメージで青っていうのもいいかもねえ? どう思う、ブルー?」
高僧としての君の意見を、と訊かれた会長さんがブチ切れるのとキース君の怒声は同時でした。
「余計なことを考える前に、君もお念仏に精進したまえ!」
「貴様ぁ! よくもそういう穢れた気持ちで御本尊様の前でライブなんぞを!」
許さんぞ、と怒鳴り付けるキース君にソルジャーはヒラヒラと右手を振ってみせて。
「ライブはぶるぅとハーレイだってば、そっちは純粋に踊ってただけ! お念仏パワーで理想の蓮をゲットなんだよ、君も祈ってくれるんだろう? ぼくが贈った桜の数珠でね」
だから今夜もハーレイと二人で極楽へ…、と語るソルジャーが言う極楽とは、多分、天国のことでしょう。ヌカロクってそんなにいいんですかねえ、ぬかるみみたいに聞こえますけど…。足を踏み入れたら逃れられない中毒性でもあるのかな? ともあれライブは大成功ですし、ヌカロクに乾杯しときます~!
踊って元老寺・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ぶるぅズ&ハーレイズを覚えてらっしゃった方はおいででしょうか?
人魚ショーなお話は特別生ライフ二年目の 『特訓に燃えろ』 でした。
ご興味のある方は覗いて下さいv → 『特訓に燃えろ』
次回は 「第3月曜」 5月19日の更新となります、よろしくお願いいたします。
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、4月は恒例のお花見なのですが…。またもソルジャー夫妻乱入?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらv
今日は土曜日、ハーレイが訪ねて来てくれる日。
元々ブルーは綺麗好きだし、体調が悪い時を除けば部屋の掃除は自分でする。ましてハーレイが来る休日ともなれば普段以上に丁寧に。
きちんと掃除し、机の上の教科書なども綺麗に揃えて本棚の本も並べ直した。散らかることなど一度も無かった部屋なのだけれど、やっぱり少し緊張するのは前世の記憶のせいかもしれない。
(…青の間よりも綺麗にするなんて無理だしね…)
ミュウの長として長い時間を過ごした青の間。あの頃は私物も少なかったし、何より部屋の広さが違う。天蓋つきのベッドが置かれていたスペースだけでも今の部屋より遙かに広い。
(第一、ベッドが大きかったし!)
この部屋に置いたらどうなるかな、と想像してみて「うーん…」と呟く。
「どう考えても入らないよね、今のベッドが置いてある場所…」
壁際に据えてあるブルーのベッド。子供用ではなかったけれども、いわゆるシングルサイズのそれは前世のベッドと比べてみれば貧相と言うか、小さいと言うか。それの代わりに前世のベッドを持って来たって床のスペースが足りなさすぎる。
(…あのベッドが大きすぎたんだよ、うん)
ぼくの部屋にはこれで充分! と納得して自分だけの小さな城を見回した。
青の間よりもずっと狭い部屋でも、此処には前世で手に入らなかった自由と幸せが溢れている。半ば公のスペースであった青の間とは違う、ブルーのお城。ミュウの未来だのシャングリラの進路だのと心を悩ませる種が持ち込まれることは決して無くて、優しい両親に守られて…。
(それにハーレイも来てくれるしね)
なんて幸せなんだろう、とコロンとベッドの上に転がる。
小さなベッドでもブルーの身体には充分広いし、今より育って大きくなっても取り替え不要。子供用ベッドから買い替える時にそういうサイズのものを父と母とが選んでくれた。だからブルーの周りは広々、寝ていて落ちたこともない。
(あんな大きなベッドでなくても、ぼくにはこれで充分なのにね…)
シャングリラに居た仲間たちはソルジャーであったブルーを神のように崇め、部屋もそのように設えた。それゆえにベッドも立派すぎるサイズで、天蓋つきで…。
(ホント、これだけあったら足りるんだけどな)
コロンと身体を横にしてみて、其処に足りないものに気付いた。
ハーレイがいない。青の間のベッドで目覚めた時には、大抵、隣にハーレイが居て……。
(…ど、どうしよう…。これじゃ全然足りないよ!)
今の今まで充分なのだと思い込んでいたベッドのサイズ。
ブルーが寝るにはピッタリどころかまだまだ余っているのだけれども、ハーレイが隣で寝るとなったら話はまるで別だった。
ずば抜けて身体の大きいハーレイ。前の生でもそうであったし、今の生でも変わらない。そのハーレイとベッドを共にするには、広さがあまりにも足りなさすぎる。
そういう時間を持てるようになるのは何年先だか分からなかったが、その日はいつか必ず来る。
(……ぼくのベッドじゃ無理ってことは……)
ハーレイと本物の恋人同士として結ばれる場所は、ブルーの部屋ではないらしい。
それならば何処になるのだろう?
(…んーと……)
一度だけ遊びに出掛けたハーレイの家。ハーレイの寝室は少し覗いただけだったけれど、大きなハーレイが寝るだけあってベッドはかなりの大きさがあった。
(……もしかして、あそこになるのかな?)
考えると胸がドキドキしてくる。
ハーレイには「大きくなるまで家には来るな」と厳しく言われてしまっているし、次の機会はいつになるかも分からない。
でも、もしかしたら。
次にハーレイの家に招かれた時は、二人並んで横になっても余裕がありそうだった大きなベッドで結ばれることになるのだろうか?
前の生での「初めて」の時は青の間だったが、今度の生ではハーレイの家で…?
(…それしか考えられないよね?)
ぼくのベッドはちょっと狭すぎ、とブルーの頬が赤くなる。
自分が大きく育たない限り恋人同士の関係は無理、と分かっていたから考えないようにしていたけれども、少し未来が見えた気がした。
いつかハーレイの家に招かれたならば、その時が今の生での「初めて」なのだ。
「初めて」とやらに思いを馳せても胸の鼓動が高鳴るだけで、十四歳のブルーの身体は何の変化も来たさない。ベッドでハーレイと何をするのかは前世の記憶で理解していたし、とても気持ちが良かったことさえも覚えているのに、ブルーは何もしようとしない。
これがハーレイの言う「きちんと育った」身体だったら、未来の自分を思い描くだけでは満足しないし、出来る筈もない。小さなブルーには想像もつかない何かをしようとする筈なのだが、その行為すらも知らない辺りがブルーの幼さの証明だった。
其処に気付きもしないブルーは子供ゆえの純真無垢さでもって「初めて」の日を夢見て微笑む。
ハーレイの家でキスを交わして、それから二人でベッドへ行って…。
服はハーレイが脱がせてくれるのだろうか?
なんだか子供みたいだけれども、自分で脱ぐのは前の生でのハーレイは好きではなかったし…。
(…今のハーレイだって、多分、好きじゃないよね)
それに自分で脱ぐというのも「初めて」らしくない気がする。
やはりハーレイに任せておいて、その先のこともハーレイ次第。
すっかり脱いだら、もう一度キス? それともハーレイにキスして貰う? 唇ではない他の場所。思い切り強くキスして貰って、幾つも、幾つも…。
最初のキスは多分、首筋。そこから胸の方へと移って、それから、それから……。
懸命に今の自分と前世での愛の営みとを重ね合わせるブルーだったが、いくら記憶が豊富であっても想いは熱を伴わない。その致命的なズレに気付かないまま、ただウットリとブルーは夢見る。
好きだよ、ハーレイ。
一日でも早く君と結ばれて、本物の恋人になりたいよ…。
身体に変化を来たさないせいで、夢見心地だったブルーの意識は本物の夢に捕まった。
初めの間は前世でのハーレイとの甘い時間の夢であったが、やがて幼く年相応の健全な眠りにすり替わる。ただぐっすりと夢も見ないでベッドの上で眠り続けて…。
「おい、ブルー」
いつまで寝てる、というハーレイの声で目が覚めた。
「えっ、ハーレイ? …いつ来たの?」
寝ぼけ眼で目をゴシゴシと擦るブルーにハーレイが「少し前だ」と苦笑する。
「お母さんが呆れていたぞ。掃除し過ぎて疲れたのか?」
お前そんなに散らかしたのか、と部屋を見回すハーレイに「違うよ!」と抗議の声を上げてベッドから下りたが、テーブルには母が用意していった紅茶と焼き菓子。つまりは母が来ていたことも、ハーレイが訪ねて来たことも知らず、ベッドで気持ち良く寝ていたわけで…。
(あれ?)
ベッドという単語が引っ掛かった。
眠ってしまう前に何か考え事をしていたような…。
確か、掃除を済ませた後にベッドにコロンと転がって……。
(……あっ!)
そうだ、と脳裏に蘇って来た甘く幸せな考え事。
いつかはハーレイの家に出掛けて、寝室にあった大きなベッドで…。
「ねえ、ハーレイ」
ブルーは思い付いたままに考えを素直に口にしようと、笑みを浮かべてハーレイを呼んだ。
「なんだ?」
「…えっとね、ぼくのベッドはハーレイには小さすぎるよね?」
さっきまでブルーが寝ていたベッド。それに目をやり、ハーレイが頷く。
「そうだな、俺には小さすぎるな」
「でしょ? それでね、考えたんだけど……。ハーレイの家に行くしかないな、って」
「何の話だ?」
怪訝そうな顔をしつつも、ハーレイは「お前を俺の家には呼ばんぞ」と重ねて念を押して来た。
「お前が今みたいに小さい間は呼ばないと言ってあるだろう? 何の用事があるのか知らんが、俺の家に来ても入れてはやらん」
「そうじゃなくって…。ぼくが大きくなった時だよ、ソルジャー・ブルーと同じくらいに」
それでね、とブルーは頬を紅潮させた。
「ぼくのベッドは小さすぎるし、ハーレイの家のベッドしか無いと思うんだ。…ハーレイと本物の恋人同士になれる場所って」
「ちょ、お前…!」
ハーレイの顔が真っ赤になって、いつも落ち着いて余裕たっぷりの表情が狼狽のそれへと変わる。
「い、いきなり何を言い出すんだ! ほ、ほ…」
「本物の恋人同士だってば、それにはベッドが要るんでしょ?」
そうだよね? と無邪気に微笑むブルーの顔つきは得意げなもので、色香も艶も微塵も無い。天使の微笑みと言うべきだろうか、無垢そのものなブルーの笑顔がハーレイに平常心を取り戻させた。とんでもないことを話してはいるが、ブルーには何も分かっていない、と。
「…なるほどな…。それで俺の家か」
「うんっ! 今度ハーレイの家に行った時にはそうなるんだよね、本当に本物の恋人同士に」
頑張って早く大きくなるから、と嬉しそうなブルーに、ハーレイは「いや」と重々しく返して腕組みをする。
「…そいつはまだまだ先のことだな、それに物事には順番がある。俺はお前を下心込みで家に呼ぼうとは思っていないし、ベッドの出番はもう少し先だ」
「…下心? それって、何?」
キョトンとするブルーの丸くなった瞳に、ハーレイは「ほらな」と頬を緩めた。
「お前、分かっていないだろう? 下心が何かも分からん子供にベッドの話は早すぎだ」
つまらないことを考える前に沢山食べて大きくなれ、とブルーの皿にハーレイの分の焼き菓子までが乗せられる。こうなれば完全にハーレイのペース。ブルーは大人しく焼き菓子を頬張り、不穏極まりないベッドの話題はそれっきり封じられたのだった。
こうして十四歳のブルーは「初めて」の場所への夢など綺麗に忘れてしまったわけだが、そうはいかないのがハーレイの方。
ブルーの倍以上もの年を重ねた立派な大人で、かつ健康な男性ともなれば身体にも色々と事情があるというものだ。ブルーのように前世の記憶を重ねて夢見て幸せ一杯、心地よく眠れることなど絶対にあろう筈がなく。
「……弱ったな……」
なんだって俺の家だったんだ、とハーレイは深い溜息をつく。
小さなブルーが「本物の恋人同士になれる場所」として名指しよろしく挙げてきた場所が、よりにもよってハーレイのベッド。
まさかブルーと生まれ変わった恋人同士で出会うなどとは思ってはおらず、自分の体格に見合うベッドをと余裕たっぷりのものを買ったつもりが今や寂しい独り寝の床で。
(…この間までは気に入りのベッドだったんだがなあ…)
今は広さが恨めしい、と前の生ならば隣に居た筈の華奢な身体を思い出す。
十四歳のブルーと再会してから、何回、夢に見ただろう。
前世で愛したソルジャー・ブルー。
すらりと細くてしなやかな肢体の、それは美しいミュウたちの長。彼の滑らかな肌と淫らにくねる身体を夢の中で何度抱き締め、組み敷いたことか。
目を覚ます度に今のブルーの幼さを思い、ブルーを欲して猛る身体を懸命に鎮める日々なのに…。
「…俺のベッドを指名しなくてもいいだろう? これからの日々が辛すぎるんだが…」
しかしブルーは忘れているな、と小さな恋人の可愛らしさとその無邪気さとを思い描いた。あんな話題を振っておきながら、ハーレイがブルーの家を辞去する時には「また来てね!」と大きく手を振っていたし、恥じらいの色も無かったし…。
(…まだ子供だから本当に仕方ないんだが…。俺は何年、生き地獄を彷徨う羽目になるんだか)
頼むから二度とベッドの話はしてくれるなよ、と居もしないブルーに切々と願う。
あの話だけは二度と御免だ。
安眠の場を奪うのだけはやめてくれ、と思いながらも身体の熱は鎮まらなくて……。
俺の気に入りのベッドを奪わないでくれ、と願う一方で前世のブルーを思い浮かべては良からぬ行為に耽っていたことが神の怒りに触れたのか。
ブルーの「初めて」発言からさほど日を置かずして、ハーレイは夜の夜中に急襲された。
何かが自分のベッドに居る。
寝ぼけた頭で子供の頃に母が飼っていた猫かと思った生き物は、深く眠ったままのブルーで。
(…ど、どうしてブルーが此処に居るんだ!?)
ブルーの心から溢れ出す思念がハーレイに教える。メギドでの出来事がとても怖い、と。ハーレイに側に居て欲しい、と…。
(……こう来たか……!)
別口で俺のベッドに来たか、と恐慌状態に陥りつつもハーレイは自分と戦った。
懐にスルリともぐり込んで来たブルーをオカズにしてしまわぬよう、間違っても手を出さぬよう。
そして翌朝、目覚めたブルーは案の定、先日の発言を全く覚えておらず…。
(…二度目、三度目は確実にあるな…)
ハーレイが徹夜明けの疲れを隠して作った朝食にブルーが「美味しい!」と舌鼓を打つ。
「ねえ、ハーレイ。…怖い夢を見たら、また来ていいよね?」
「もちろんだ。お前は独りじゃないんだからな」
いつでも来い、と大人の余裕を見せてやりつつ、ハーレイは心の奥底で溜息を幾つもついていた。
ブルーはすっかり忘れているらしいハーレイのベッド。
其処で前世そのままに育ったブルーを組み敷けるのはいつのことだろう?
こうなった以上、ブルーの「初めて」は其処で貰おう、とハーレイは秘かに決意する。
そんなハーレイの心も知らずに、小さなブルーはハーレイの家での朝食を喜び、楽しんでいた。
「来てはいけない」と厳命されていたハーレイの家。
思いがけずも飛んで来られて、おまけに美味しい朝食付き。
(…こんな朝御飯が食べられるなんて…。幸せだよ、ハーレイ、ホントに幸せ!)
それに美味しい、と幸せに酔う小さなブルー。
ハーレイとブルーが本当の意味でベッドを共にする日は、まだまだ先になりそうだった……。
小さなベッド・了
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
シャングリラ学園は今日から楽しい夏休み。今年の夏は何をしようかと相談するため、私たちは会長さんの家にお邪魔していました。大体の予定は既に立っています。柔道部の合宿が終わるのを待ってマツカ君の山の別荘にお出掛けするか、はたまた別の所へ旅行に行くか。
「海の別荘行きはもう確定になっちゃってるしねえ…」
会長さんが苦笑しながらアイスティーを一口飲んで。
「ブルーの結婚記念日と何処かで必ず重なるように、と日付指定までついてるしさ。自由になるのは其処以外! 山の別荘? それとも旅行?」
「んーと…。キースの予定は?」
どうなってるの、とジョミー君。夏休みに一番自由が無いのは副住職なキース君です。お盆を控えて卒塔婆書きやら、他にも色々。
「俺か? 俺はお前と違うからな…。卒塔婆はきちんと計画的に書いている。葬式の二つや三つくらいは乱入したって問題無い。親父の分を押し付けられてもイチ徹くらいで多分、なんとか」
「だったら旅行も大丈夫なわけ?」
「そのつもりで準備しているぞ。親父も俺が遊びに行くのは仕方が無いと思っているしな、高校生活をやっている以上」
だから全く問題ない、とキース君は余裕たっぷりでした。そうなると何処へ行くかは選び放題、好き放題。山の別荘もいいんですけど…。
「南の島でリゾートなんかも良さそうですよ」
シロエ君がパンフレットを広げました。旅行会社の国内旅行のを端から掴んで来たようです。
「水牛が引く車で海を渡るって楽しそうだと思うんですけど」
「かみお~ん♪ それ、行きたい!」
楽しいんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は水牛車の写真に見入っています。
「あのね、これってゆっくり動くんだけど、暴走しちゃったら凄いんだから!」
「「「暴走!?」」」
「うん! 牛さんがビックリしたらガタガタガタって走り出すの! 放り出されそうなくらい揺れて楽しいの!」
絶叫マシーンとは違う楽しさ、と言われましても。それは危険と言うのでは…。
「ぶるぅ、それって怖くねえか?」
サム君の問いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はケロリとして。
「んーと…。お尻がちょびっと痛いだけだよ、だけど泣いてた人もいたかなぁ?」
「「「………」」」
そう言えば「そるじゃぁ・ぶるぅ」も会長さんと同じくタイプ・ブルーです。第一宇宙速度とやらを突破して飛べる能力を持っていましたっけ。暴走水牛車のスピードなんかはスローモーションみたいなもので。
「…す、水牛の車はやめといた方が良さそうですね…」
他のにしましょう、とシロエ君。スキューバダイビングの体験だとか、もっと手軽に海中散歩をしたい人のためのシーウォークとか。南の島は遊べるもので一杯です。
「俺は外国でもかまわないぞ?」
非日常に惹かれるんだ、とキース君が割り込みました。
「南の島でもお盆はついてくるからな…。この際、一切、忘れてパァーッと」
「ふうん? 副住職の台詞とも思えないねえ…」
アドス和尚が聞いたら何と言うやら、と会長さんに皮肉られてもキース君はフンと鼻を鳴らしただけで。
「俺は早々に副住職になっちまったが、同期はまだまだ遊んでいるぞ。自転車で世界中を旅してるヤツもいるんだからな。あれはあれで修行になるらしい。それに檀家さんと世間話をするには旅は格好のネタなんだ」
国外を推すぜ、とキース君はパンフレットを取り出しました。えーっと、B級グルメツアーですか? いろんな国で三泊四日くらいのコースが組まれているみたいですが、こんなのあるんだ…?
南の島か、国外ツアーでB級グルメか。B級グルメツアーの方は、いわゆる豪華なエスニック料理を食べ歩く旅とは違うようです。下町の食堂や屋台がメインで、地元民御用達の現地料理を味わう趣向。間にちょこっと観光もあって。
「かみお~ん♪ これも楽しそう!」
お料理のお勉強も出来ちゃいそう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が釣れました。今日の昼食はトムヤムクンと白身魚のカレー炒めだと聞いていますが、現地で食べればバリエーションも豊富そうです。私たちの胃袋のためにはB級グルメツアーがいいかも?
「ぶるぅのレパートリーが増えそうなのは南の島より国外だよなあ…」
俺もそっち、とサム君が挙手。ジョミー君も手を挙げ、スウェナちゃんも。えーっと、どっちにしましょうか? 南の島も捨て難いですけど…。
「ぼくは南の島に一票」
「「「!!?」」」
いきなり余計な声が聞こえて、バッと振り返った先にはソルジャーが。紫のマントを優雅に翻し、ソファにストンと腰を下ろすと。
「ぶるぅ、ぼくにもアイスティーとケーキ」
「オッケー!」
ちょっと待ってね、とキッチンに走った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が注文の品を運んで来ました。今日のケーキはバニラムースを涼やかなミントグリーンのメロンムースで包んだ一品。真ん中には赤肉メロンムースも入っているという凝りようで。
「うん、美味しい! ホテルのデザートも素敵だけれどね、やっぱりこっちが落ち着くかなぁ…」
大きく伸びをするソルジャー。
「これってマナー違反なんだってね、食事中に身体を伸ばすってヤツ。だからノルディはいつも個室を予約してくれてるんだよ、ぼくが自由に振る舞えるように」
「「「は?」」」
「え? ああ、ノルディね。昨日もちょっとデートをしてきたものだから…。ミュージカルを観に連れてくれてさ、その後でマナーの話題になって。…なんだったっけ、マイ・フェア・レディだったかな?」
「なるほどね…。マナーの話になるわけだ」
うんうん、と頷く会長さん。『マイ・フェア・レディ』と言えば下町の花売り娘にレディ教育を施すお話。エロドクターはソルジャーをレディに仕立て上げたい下心でもあるんでしょうか?
「え、そこの所は諦めてるって言ってたけれど? 「ブルーのようにはいきませんねえ…」って溜息つきつつ、ちょっぴり未練はあるってトコかな」
それで『マイ・フェア・レディ』なんだろ、と笑うソルジャー。
「どう考えても無理だよねえ? ぼくはマナーを仕込まれるどころか実験動物だったんだしさ。アルタミラから脱出した後も、生きるの優先でマナーどころじゃあ…。だけどノルディが残念そうに言ってた話じゃ、持って生まれた立ち居振る舞いだけは優雅らしいねえ?」
「「「あー…」」」
それは分かる、とソルジャーを見詰める私たち。空間を越えて現れる時に翻るマントはなんとも優雅な動きです。歩き方も決してガサツではなく、滑るようなと評してもいいほど。なのに食事の最中に伸びをするとか、気に入ったものは夢中でガツガツ食べまくるとか、こう、残念な部分も多く…。
「その点、ブルーは完璧なのに…ってノルディがブツブツ呟いてたよ。デートの相手が君の方なら、多分、文句は無いんだろうなぁ」
「ぼくが文句をつけるから! なんでノルディとデートなんか!」
御免こうむる、と仏頂面の会長さんに、ソルジャーは。
「えーっと…。君のマナーは何処で身についたんだろう? やっぱり、お寺で修行した時?」
「どうしてお寺が出てくるわけ?」
「ノルディが「高僧ともなれば色々と心得があるでしょうしね」と話してたから」
お茶にお花に…、と記憶を辿るソルジャー。
「でもって、そこまでの心得があれば相手への注文もうるさくなるって…。それこそマイ・フェア・レディの世界で」
「何さ、それ?」
「ん? ハーレイよりかは自分の方に分が有るだろうって言っていたけど? 君に釣り合う結婚相手」
「お断りだし!」
そういう以前の問題だから、と会長さんは眉を吊り上げています。いくらエロドクターが紳士であると主張したって、会長さんが結婚なんかするわけないじゃないですか…。
「お断りねえ…」
もったいない、とソルジャーはケーキを頬張りながら。
「結婚以前の問題だから、って君は言うけど、ハーレイが理想のタイプだったら? 結婚したいと思ったりして」
「思わないっ!」
「さあ、どうだか…」
喋りながらもケーキを口に入れるのですから、これまたマナー違反です。会長さんなら一口サイズにカットして食べて、頬張ったままでは決して話さないような…。そういう細かい部分を除けばソルジャーの仕草は優雅なもので。
「君の理想は高そうだっていうノルディの意見にぼくも賛成。もしかしてハーレイを理想のタイプに教育出来たらロマンスが芽生えたりしないかい? マイ・フェア・レディみたいにさ」
「有り得ないし、それ!」
結婚するなら絶対に女性、と会長さんは顔を顰めて。
「フィシスという女神がいるっていうのに、なんで男と結婚なんか! フィシスはぼくの理想の女神で、もう何もかもが最高で…。……ん……?」
ちょっと待てよ、と言葉を切った会長さん。
「マイ・フェア・レディか……。旅行するよりいいかもしれない」
「「「は?」」」
「夏休みはハーレイも暇にしてるし、マイ・フェア・ハーレイはどうだろう? 旅行の代わりにハーレイを仕込む!」
「いいねえ、やっぱりヌカロクとか?」
相槌を打ったソルジャーに会長さんの鉄拳ならぬサイオンが飛び、パシーン! と派手な音がしました。シールドに跳ね返されたのです。でも、ヌカロクって未だに意味が不明ですよね…。
「危ないじゃないか、いきなり攻撃するなんて!」
「君は余裕で避けられるだろう、今みたいにさ! ハーレイだってタイプ・グリーンだ、サイオン攻撃は通用しない。だから言葉でネチネチと! その程度のことも出来ないのか、といびり倒して遊ぶわけだよ。それがマイ・フェア・ハーレイ計画!」
面白くなるに違いない、と会長さんの赤い瞳が煌めいています。
「ぼくがハーレイの家に一人で行くのは禁止だけれど、ハーレイがぼくの家に来るっていうのは特に禁止はされてない。ハーレイをこの家に住み込ませてさ、理想の男とやらに教育」
「ヌカロクは外せないだろう?」
懲りずに口にしたソルジャーの頭に会長さんの拳がゴツン。直接攻撃は想定していなかったらしいソルジャー、頭を押さえて呻く羽目に。
「いたたたたた…。暴力反対!」
「それなら黙っているんだね。そっち方面の教育を施すつもりは無いんだ、あくまで日頃の生活態度! 高僧としての視点から見た、非の打ちどころのない仏弟子ってヤツさ」
「「「仏弟子!?」」」
なんじゃそりゃ、と私たちは目をむき、キース君が。
「お、おい…! 俺はお盆を忘れたいんだと言った筈だが…」
「君も協力するんだよ! 後輩いびりは道場の華だ。殴る蹴るは指導員の愛だと噂の鉄拳道場、今も存在してるよね。あそこの教師になったつもりで日頃の憂さを晴らしたまえ」
お盆の前には道場も地獄、と会長さんはニヤニヤと。
「毎日の修行だけでも大変な所へ本山のお手伝いが入るからねえ、愛の鞭も自然と多くなる。君もお盆を忘れる勢いでハーレイをビシバシ殴ればいいさ」
「い、いや、俺はそこまでは…!」
「じゃあ、柔道部の合宿で受けた厳しい指導を返すつもりでビシビシと! いいかい、マイ・フェア・ハーレイ計画だ。ぼくの予定に変更は無い。君たち全員、泊まり込みでハーレイを指導するように!」
教育方針はぼくが決める、とブチ上げている会長さん。教頭先生には『理想の花婿養成道場』と銘打った案内を出すのだそうで…。
「ぼくの家に泊まれるというだけでハーレイが釣れるのは間違いない。旅行がオシャカになった恨みはハーレイへの鉄拳に変えるんだね」
「「「て、鉄拳…」」」
そんなの無理です、と言いかけた横からソルジャーが。
「君たちに無理なら、ぼくがやってもいいんだけれど? あ、それだと逆に喜んじゃうかな?」
「ハーレイにマゾっ気は無いと思うけど…。って、君も来るわけ!?」
なんでまた、と会長さんが口をパクパクさせればソルジャーは。
「南の島に一票と言ったよ、旅行に行こうと思ってたんだよ! ハーレイと二人じゃ出られないけど、ぼく一人なら四日くらいは…。それでマイ・フェア・ハーレイ計画は何日からかな?」
予定を空けておかなくちゃ、とソルジャーは既にノリノリでした。この人がミュージカルを観に行かなかったら南の島か外国に旅行だったのに…。エロドクターもお怨み申し上げます、なんでマイ・フェア・レディなんか観にソルジャーを誘ったんですか…!
山の別荘か旅行だという夏休みの予定は見事に砕け散りました。会長さん曰く、マイ・フェア・ハーレイ。理想の花婿養成道場と称して教頭先生をいびり倒す計画です。そんな事とは夢にも知らない教頭先生、大喜びで参加を表明なさったそうで…。
「えーっと…。本気でやるわけ、マイ・フェア・ハーレイ?」
おずおずと尋ねるジョミー君。柔道部の合宿は一昨日で終わり、休養期間を経て今日から養成道場が始まる予定。キース君が行きたかったB級グルメツアーに因んで日程は三泊四日です。
「本気でやらずにどうするんだい?」
もうハーレイを呼んだんだから、と会長さんがニッコリと。
「君も今日から指導員だよ、璃慕恩院での経験を大いに生かしたまえ。柔道部の合宿期間中は君とサムは璃慕恩院で修行体験! 毎年のことだし、もう慣れただろ?」
「そりゃそうだけど…。なんか年々、厳しくなってる気がするけれど…。でも鉄拳は飛ばないよ?」
「子供相手の修行体験だし、鉄拳は無いさ。だけど指導員は怖いだろう? 廊下に立てとか、正座してろとか」
「う、うん…。今年も派手にやられちゃった…」
毎年失敗するんだよね、とジョミー君は肩を落としています。一緒に行くサム君の方は順調に修行を積んでいるのに、それとは真逆のジョミー君。今年もお念仏の声が小さいと怒鳴られ、境内で発声練習の刑を食らったとか。
「その恨みを全部ハーレイにぶつけるんだよ、仏弟子修行に来るわけだしね。本人は花婿養成道場だと信じてるけど、そこは上手に誤魔化すからさ」
「…どうする気さ?」
ソルジャーが疑問をぶつけました。
「花婿と仏弟子じゃ似ても似つかないよ、マイ・フェア・ハーレイにならないけれど?」
「分かってないねえ、ハーレイが来たらすぐに解けるよ、その辺の謎! 君も指導員をやるんだろう? ちゃんとマニュアルをチェックする! 他のみんなも!」
「「「はーい…」」」
会長さんが作ったマニュアルはプリント数枚。教頭先生の行動と会長さんの指導方針を照らし合わせた上で鉄拳だとか報告だとか、実に細かく書かれています。覚えられるわけがない、と思ったのですが、そこはサイオンでの反則技。会長さんに叩き込まれてサラッと頭に入ってしまい。
「歩幅までチェックが入るんですねえ…」
厳しいですね、とシロエ君が肩を竦めれば、キース君が。
「いや、坊主の世界では歩幅は基本だ。茶道もそうだが、美しい所作をしようと思えば必須になる。教頭先生のお身体ではキツイ幅だと思うがな…」
「畳を三歩ですからねえ…。教頭先生なら長い方でも三歩だっていう気がしてきましたよ」
大股で行けば、とシロエ君。畳の狭い方の幅を三歩で歩くというのがマイ・フェア・ハーレイの鉄則でした。長い方なら六歩です。これを叩き込むために廊下に目印が付けられ、私たちが監視する仕組み。畳敷きの和室では会長さんとキース君、マツカ君が監視するそうで。
「大丈夫なのかよ、教頭先生…」
ヤバそうだぜ、とサム君が頭を振り振りマニュアルをチェック。鬼の指導員にはなれそうもないとか言ってますけど、会長さんの愛弟子で公認カップルを名乗るのがサム君。いざとなったら凄かったりして…、と期待しないでもありません。教頭先生、頑張ってクリア出来るといいんですけど…。
それから間もなく、リビングにいた私たちの耳にチャイムの音が聞こえて来ました。教頭先生の御到着です。すかさず玄関へと駆け出した「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声が元気良く…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「すまないな、ぶるぅ。今日から暫く世話になるが…」
ボストンバッグを提げた教頭先生が「そるじゃぁ・ぶるぅ」に案内されてリビングへ。花婿養成道場ですから緊張しておられるのが分かります。
「やあ、ハーレイ。よく来てくれたね」
「い、いや、こちらこそ、よろしく頼む」
深々と一礼なさった教頭先生に、会長さんがソファを勧めて。
「どうぞ、座って。…まずは道場の心構えについて話しておこうと思うんだ」
「う、うむ…。花婿養成道場と聞いたが、そのぅ……」
頬を赤らめる教頭先生。誰の花婿かは一目瞭然、赤くならない方が変でしょう。会長さんはクスクスと笑い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が淹れた紅茶を一口飲むと。
「ハーレイ、君も道場の前に紅茶で一服しておきたまえ。道場が始まった後に自由は無いよ?」
「分かっている。お前に相応しい男を目指すんだったな」
「うん。道場のサブタイトルも見てくれたよね? マイ・フェア・ハーレイ」
「あ、ああ…。本当なのか?」
何やら恥ずかしいのだが、と教頭先生が頬を染めれば、会長さんは艶やかな笑み。
「あれはね、ブルーが観てきたっていうミュージカルから拝借したわけ。君も知ってるよね、マイ・フェア・レディは?」
「もちろんだ。…つまり私ではお前の花婿にはまだ不足だと…」
「そういうこと。君はキャプテンだし、シャングリラ学園の教頭でもある。それなりの地位はあるわけだけど、ぼくのパートナーとしてはどうだろう? ソルジャーや生徒会長としてのぼくなら充分に釣り合っているんだけれども、ぼくにはもう一つの顔がある」
普段は表に出さないけれど、と会長さん。
「…銀青としての顔というのも大切なんだよ、ぼくにはね。その銀青はもはや伝説の域だ。いつか自坊を…自分のお寺を構えるとなったら、君は釣り合うと言えるのかい?」
「……そ、それは……」
ウッと息を飲む教頭先生。なるほど、花婿と仏弟子はこうやって結び付きますか! ソルジャーが小さく吹き出していますが、教頭先生は気付いていません。
「こ、高僧としてのお前とは……釣り合わないかもしれないな……」
「一応、自覚はあるんだね? 坊主の世界は上下関係に厳しいんだよ。お坊さん同士で結婚した場合、生まれたお寺の格が違えば結婚生活に差し障る。花嫁が住職を務めるお寺に格下のお寺から婿入りするとね、法要にも出して貰えなかったりしちゃうわけ」
これは本当のことだから、と会長さんがキース君に確認をすれば、キース君は。
「…そういう事実もあるようです。そして花嫁が住職でしたらまだマシです。住職になる気は無い女性が住職にする婿を探した場合、婿入りした後にいびられるケースも多々あります」
「そ、そうか…。で、では、私がブルーを嫁にするなら…」
「思い切り日蔭の立場になるかと…。だからと言って一切表に出ないわけにもいきません。法要を営む場合は裏方が必須になりますので」
俺の家だと母がそうです、とキース君。
「自分は表だって動かないとしても、法要に出て下さる人に失礼が無いか、色々と気配りが必要です。細やかな心遣いをするには、お寺というものを知っていないと難しいかと思いますが」
「て、寺か…? 私には縁が無いのだが…」
教頭先生の額に汗が噴き出し、会長さんが嫣然と。
「それでマイ・フェア・ハーレイなんだよ。あれに倣って君を厳しく指導しようと思ってる。三泊四日でモノになったら、ぼくの花婿候補の資格有り。ダメな場合は顔を洗って出直して来いってことになるけど、トライしてみる?」
「もちろんだ! 銀青としてのお前と釣り合うためには何が要るのか分からんが…。私も男だ、申し込んでおいて回れ右するような真似はせん!」
「いい覚悟だねえ、大いに結構。それじゃ頑張って貰おうか。三泊四日、形だけでも僧侶の世界を体験しながら身につけてもらう。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
トトトトト…と走って行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が抱えて来た物は法衣一式。白い着物と墨染の紗のセットものです。それと輪袈裟と。
「まずは形から入ることだね、出家しろとは言わないからさ。銀青を嫁に貰った男ともなれば、誰もが出家を期待する。そうなった時に慌てないよう、今から修行を」
「…しゅ、出家…?」
「嫌ならやめていいんだよ? 花婿の資格が無くなるだけだし…。ぼくも銀青の名を名乗る以上、パートナーが在家というのは外聞が……ね。あ、出家は結婚してから、いずれ折を見て」
「わ、分かった、覚悟はしておこう…」
今すぐ出家では無いのだしな、と教頭先生は腹をくくったみたいです。いきなり法衣はビックリでしょうが、ジョミー君だって棚経のお供で着てますしねえ?
形からと言われた教頭先生。並べられた法衣一式を前に腕組みをして…。
「…ブルー、これはどうやって着ればいいのだ? 普通の着物と同じなのか?」
「さあねえ、仮装で着せられたことがあっただろう? 覚えてないかな、とにかく自力で着てみることだね」
指導員はそこに大勢いるから、と指差されたのは私たち。副住職なキース君と僧籍のサム君、ジョミー君の三人は朱扇と呼ばれる骨の部分が朱色に塗られたお坊さん仕様の扇子を右手に持っていました。教頭先生がミスをした時、それでバシッと叩くのです。
「じ、自力でか…。ふうむ……」
とにかく脱ぐか、と教頭先生は着てきたワイシャツを脱ぎ捨てましたが、そこでパシッと朱扇の音が。キース君が床を打った音です。
「教頭先生、お脱ぎになった服はきちんと畳んで頂きます。後で纏めてというのではなく、順番に」
「す、すまん…!」
迂闊だった、と平謝りの教頭先生。会長さんの声がのんびりと…。
「坊主たる者、いかなる時でも他人様の目があると思っていないとねえ…。人に見られて困る姿はしないことだよ、畳んでない服って、みっともないだろ?」
「あ、ああ…。これからは気を付ける」
教頭先生はズボンを脱いでキッチリと畳み、続いて脱いだ夏物のステテコを畳もうとしたのですけれど。パシッと鳴らされたキース君の朱扇。
「…な、なんだ!?」
「畳むようにとは申し上げましたが、パンツ一丁というのは如何なものかと…。先に襦袢を着けて下さい」
TPOが大切です、とキース君。確かに紅白縞だけの姿で人に見られるのと、襦袢姿を見られるのとでは恥ずかしさの度合いが違います。教頭先生はオタオタしながら襦袢を身に着け、ステテコを畳み…。そこで会長さんの声が再び。
「ステテコは履いてても良かったんだよ、多少暑いかもしれないけどね。ステテコを脱いだ以上は腰巻が要るよ、頑張りたまえ」
「こ、腰巻…」
どうするんだ、と一枚布な腰巻を広げた教頭先生にキース君の朱扇が炸裂。
「そんな巻き方では歩けません。法衣もそうですが、動けないと話になりませんので」
此処と此処、と教頭先生の身体をパシパシと朱扇で打つキース君はマイ・フェア・ハーレイのマニュアルを忠実に実行中です。殴る蹴るとは行かないまでも朱扇攻撃は打たれる方には精神的なダメージが大。ジョミー君が小声でボソボソと。
「怖いんだよねえ、朱扇ってさ…。アレをパシッと鳴らされるだけで軽くパニックになったりするんだ、修行体験ツアーのトラウマってヤツ」
「そうなんですか? ジョミー先輩でもパニックだったら教頭先生は…」
初体験だけにショックですよね、とシロエ君。
「かなり萎縮してらっしゃいますけど、キース先輩、容赦ないですし…。あ、またやってる」
パッシーン! と響く朱扇の音。教頭先生が法衣を着け終わるまでの間に朱扇は何度も鋭い音を響かせ、恐ろしいアイテムとしての地位を確立しました。ジョミー君が面白半分に自分の手のひらを朱扇でパシンと一発叩いただけで、教頭先生は直立不動。
「い、今のは何かマズかったか!? 遠慮しないで言ってくれ…!」
「いえ、あのぅ…。ちょっと鳴らしただけなんですけど…」
ごめんなさい、とペコリと頭を下げるジョミー君と、大爆笑の私たちと。もはやパブロフの犬状態の教頭先生、三泊四日のマイ・フェア・ハーレイ、無事に乗り切れるでしょうか…?
こうして始まった会長さんの花婿養成道場の華は歩幅とお掃除タイムでした。畳の幅の狭い方を三歩、長い方なら必ず六歩。歩幅の大きい教頭先生、これがどうにもなりません。
「かみお~ん♪ ここで畳はおしまいだもんね! 歩きすぎ!」
ブルーがやれって言ったんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がハリセンで教頭先生の頭をパァン! 同時に気付いた他の誰かが朱扇でパシンと音を立てたり、ソルジャーが足を引っ掛けたり。足を取られた教頭先生が派手に転べば「静かに歩け」と朱扇と声とで警告が。
「た、畳がこんなに難しいとは…」
泣きの涙の教頭先生、何度やっても歩幅は直らず。しかし会長さんは冷たい声で。
「困ったよねえ、お寺と畳はセットものだし…。これじゃ恥ずかしくて人前に出すなんて出来やしないし、結婚式だって挙げられやしない。言っておくけど仏前式だよ、銀青としての結婚式はね」
畳敷きの本堂で挙げるものだ、とキツイ言葉を投げかけられても直らないのが歩幅です。けれど直さないとマイ・フェア・ハーレイな花婿養成道場の意味が無く、結婚式も挙げられず…。更に地獄なのがお掃除タイムで。
「教頭先生、掃除は本堂も対象ですので、歩幅は守って頂きます」
キース君の朱扇がパシパシ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のハリセンがパコーン! おまけに掃除の練習に協力すると称してソルジャーがスナック菓子の袋をあちこちで広げ、お菓子の欠片がポロポロと。
「あっ、零れた! ハーレイ、こっちも綺麗にしてよね」
「ま、またですか……」
疲れ果てた声の教頭先生を背後からキース君が朱扇でパッシーン!
「また一歩半のオーバーです。お急ぎになるのは分かるのですが、ガサツな動きはNGです」
それでは寺で暮らせません、と鉄拳ならぬ朱扇攻撃。お寺の修行は一に読経で二に掃除だとかで、掃除の時間が道場のスケジュールの大半を占めていたから大変です。教頭先生は朱扇に怯え、歩幅で萎縮し、あと一日という三日目の夜にはヨレヨレで。
「…す、すまん…。今夜は休んでいいだろうか?」
まだ明日が残っているのだから、と英気を養うべく就寝時間を迎えた途端に会長さんに申し出ましたが…。
「ふうん? 今日まで三日もあったんだけどさ、何処か向上してたっけ?」
何一つクリアしていないよね、と会長さんの冷ややかな笑み。
「お寺に必須の掃除もダメなら、歩く姿も人前に出せるものじゃない。明日があるって言っているけど、それで出来ると思ってる? 余裕があり過ぎて涙が出るよ。なんかアレだね、夏休みはまだ一日あるって言ってさ、宿題を全くやらずに全部残してる小学生とか思い出すよね」
「…そ、そんなつもりは…! 明日こそ必ず…!」
「徹夜してでもクリアしようとは思わないんだ? ぼくは徹夜でも付き合うつもりでいたんだけれどさ、練習に」
なのに寝るなんて最低だよね、と呆れられた教頭先生は。
「や、やる! お前が付き合うと言ってくれるなら、私は徹夜で」
「ヤリまくるって?」
「もちろんだ!」
決意を固めた教頭先生、相の手を入れてきたのが誰だったのかも確認せずに勢いよく返事したのが運の尽き。これぞ地獄の一丁目で…。
「…だってさ。ヤリまくるらしいよ、今夜は徹夜で」
凄いよねえ、と目を丸くして感心しているソルジャー。
「徹夜となったら一気にヌカロク、それとも四十八手を全部かな? どっちにしてもハードルの高さは半端じゃないけど、挑もうという心意気だけでも拍手モノだね」
パチパチパチ…とソルジャーは笑顔で拍手喝采。
「だけど、ブルーは花婿養成道場なんて言ってる段階だけに君の相手になりっこないし…。ヤリまくる相手は必然的にぼくだよねえ?」
「「「………」」」
話の趣旨がズレていることに私たちはようやく気が付きました。そして教頭先生も耳まで真っ赤になってしまって、オロオロと。
「…わ、私はそんなつもりでは…! や、やると言うのは練習でして…!」
「だから練習するんだろ? 花婿養成道場なんだし、そっちの稽古も必須だよ、うん」
でないとブルーに怪我をさせるし、とソルジャーは唇に笑みを湛えて。
「ぼくは経験多数だからねえ、相手が下手でも大丈夫! 手取り足取り教えてあげるさ、花婿の大事な心得ってヤツを。まずは何から練習したい? お望みだったらキスからでも…」
初歩の初歩でも奥が深いし、と唇をペロリと舐めるソルジャーに教頭先生の喉がゴクリと。ソルジャーは赤い瞳を悪戯っぽく煌めかせて。
「あ、ぼくを食べたくなってきた? それじゃ花婿養成道場らしく、最後の夜は実地で練習! ぼくを満足させられるレベルに到達してこそ真のマイ・フェア・ハーレイってね。ベッドがいい? それとも和室の方がいいかな、お寺なら畳に布団かなぁ? まずは二人で布団を敷こうか」
そして仲良くお床入り…、とソルジャーが教頭先生の手をギュッと握った途端。
「……お、お床入り……」
ツツーッと教頭先生の鼻から赤い筋が垂れ、大きな身体が仰向けにドッターン! と倒れて、それっきり。養成道場の制服である法衣を着たまま憐れ失神、鼻血の海に轟沈で…。
「ブルー? 君のせいだよ、この結末はね」
どうしてくれる、と会長さんが怒れば、ソルジャーは。
「えっ? 明日の朝までには起きるだろ? レクチャーをし損なっちゃったけれど、君のお望みは歩幅とか見た目だけだしねえ? そっちが残り一日で無理なんだったら特に問題ないと思うな」
でも歩幅よりも夜が問題、と譲らないのがソルジャーで。
「本気でマイ・フェア・ハーレイだったら夜も絶対大切だってば、君の理想に近づくためには避けて通れないトコなんだよ! そっちの方で自信がついたら男の魅力がグッと増すって!」
いつかはそっちも指導しなくちゃ、と燃えるソルジャーと、歩幅を理由に教頭先生を蹴り飛ばしたい会長さんとの言い争いは平行線。えーっと、今回の花婿養成道場とやらは遊びですから失敗したっていいんですよね? どうなんですか、会長さん…?
「失敗しちゃってなんぼなんだよ、今回は! マイ・フェア・ハーレイは最初から冗談、誰も本気じゃないってば!」
「でもさ、本物のマイ・フェア・ハーレイが出来上がるかもしれないよ? 今回はダメでも次回とか! 二回、三回と重ねて行こうよ、このイベントを!」
全面的に協力するから、と叫ぶソルジャーが心の底から夢見るものは会長さんと教頭先生の結婚生活に違いありません。自分の尺度で測っている以上、それが素敵なハッピーエンド。ですが、会長さんにはその結末は…。きっと合わないと思いますから、マイ・フェア・ハーレイは二度と勘弁です~!
相応しき伴侶・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
シャングリラ学園シリーズ、4月2日が本編の連載開始から6周年の記念日でした。
完結後も書き続けて6周年を迎えられました、来て下さる皆様に感謝です。
シャングリラ学園番外編はまだ続きます、しつこく続いてまいります。
6周年記念の御挨拶を兼ねまして、今月は月に2回の更新です。
次回は 「第3月曜」 4月21日の更新となります、よろしくお願いいたします。
ハレブル別館の方で始まりました転生ネタは、全て短編となっております。
14歳の可愛いブルーと、大人で紳士なハーレイ先生のラブラブほのぼのストーリー。
よろしかったらお立ち寄り下さいv
←ハレブル別館は、こちらからv
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませ~。
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、4月は恒例のお花見に出かけようとしておりますが…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
その朝ベッドで目覚めたブルーは、なんとなく身体が重かった。病の兆候というわけではなかったけれども、前世と同じで虚弱体質なブルーにとっては体調不良の前兆である。
(…えっと……)
額に手を当ててみたが、熱くはなかった。念のためにと体温計で測ってみても熱はない。
(…昨日の体育、無理し過ぎたかな?)
クラスメイトたちにとっては大したことはない普通の授業。グラウンドを軽く何周か走って、それからサッカー。
以前のブルーならグラウンドを走る時には周回遅れは当たり前。サッカーだって疲れてくれば挙手して日陰で休んだものだが、最近は少し事情が違う。
年度初めに少し遅れて赴任してきた古典の教師、ハーレイに出会って全ては変わった。
彼に会うまで思い出しもしなかったブルーの前世。其処でブルーはミュウの長であり、ハーレイはミュウたちの船を指揮するキャプテン。
そればかりではなく、ブルーとハーレイは身体も心も固く結ばれた恋人同士で、生まれ変わって出会った瞬間、互いの記憶が蘇ると共に前世での想いも蘇り……。
しかし晴れて恋人同士となってハッピーエンドとはいかなかったのが今の生。
ブルーはハーレイの教え子な上に、十四歳になったばかりの少年だった。ハーレイはキスすら許してはくれず、学校に行けば教師と生徒。休日の度に逢瀬を重ねてはいても、それもブルーの家でのみ。ハーレイが一人で暮らす家にはブルーは招いて貰えなかった。
一度だけ招かれたことはあるのだが、その時のブルーの表情とやらが年相応では無かったとかで、それ以降は呼んで貰えない。なのにハーレイが顧問を務めるクラブの生徒たちは自由に遊びに行けるのだ。羨ましくてたまらないのだけれども、クラブはよりにもよって柔道部で。
(走り込みとかもしているもんね…。ぼくも人並みに運動出来たら、入部くらいは出来るかな?)
柔道は無理でも下っ端の部員くらいならば、と思い詰めたブルーは体育を頑張ってみようとした。普段だったら息が切れ始めた時点で歩く所を無理をして走り、サッカーも。
ボールを追うのが精一杯のくせに、一人前にプレーするべく駆け回った結果が今朝のこれだ。
(…どうしよう……)
今は大丈夫でも、登校してから気分が悪くなるかもしれない。早退は学校というものに行き始めて以来、数え切れないほど経験がある。もちろん欠席することだって。
この春から通い始めた学校でも何度か休んでいたし、早退もした。ハーレイと出会って記憶が蘇った時の救急搬送と様子見の欠席を除外しても、だ。
(休んだ方がいいのかな?)
今日の授業は…、と考え始めてハッと気付いた。二時間目に古典の授業がある。それは平日にハーレイの姿を眺めていられる幸せな時間。「先生」としか呼べないけれども、当てて貰えればドキドキするし、前に出て黒板に書くことになれば手の届く距離にハーレイが居る。それに…。
(質問をしたら、名前を呼んで貰えるしね。呼び捨てじゃなくて「ブルー君」だけど)
貴重な時間を身体が少し重い程度で見逃す手はないというものだろう。
ハーレイの顔と姿を見られて、声もついてくる捨て難い授業。想像しただけで鼓動が早くなるのが分かるし、身体の具合が悪いことなんて前の生では何度もあった。文字通り命の灯が消えそうな時であってもシャングリラから飛び立ってジョミーを追い掛け、メギドで最期を迎えた時も…。
「うん、このくらいは大丈夫!」
ブルーは「えいっ!」と掛け声をかけて起き上がった。
戦いに出掛けるわけではないし、行き先は通い慣れたいつもの学校。ベッドから下りる時に足元が少しふらついたものの、制服を着たらシャキッとしたし…。
朝食を食べて、背が早く伸びるようにと祈りをこめてミルクも飲んで、「行ってきまーす!」と母に手を振って家を出た。二時間目の授業ではハーレイに会える。それを心待ちにしつつ、「学校へ行く途中で会えたらいいな」などと心を躍らせながら。
しかしブルーの朝の予感は当たってしまった。
一時間目の終わり近くから酷い眠気に捕まってしまい、気を緩めると生欠伸が出る。身体が弱っている時によくあることで、放っておけば倒れて寝込む羽目になるという自覚はあるのだけれど。
(……あとちょっと……)
せめてハーレイの授業を終えてから、と欲を出したのがまずかった。体調不良のサインとも言える欠伸を噛み殺し、二時間目の授業開始のベルと共に現れたハーレイの指示で教科書を開き。
「では、次の箇所を。…音読したい者は手を挙げなさい」
ハーレイの声が耳に心地よく響き、ブルーは言葉の意味を考えもせずに手を挙げた。ハーレイが口にする言葉は何でも嬉しい。決まり文句の「沢山食べろ」でも、キスは駄目だと叱られる時も。
ゆえに朦朧としていたブルーは「手を挙げなさい」という部分だけを聞いて手を挙げてしまい、間の悪いことに他に挙手した生徒はおらず。
「よし。ブルー君、其処を音読して」
「はい!」
ハーレイに何か頼まれたのだ、と立ち上がろうとしたブルーの視界がスウッと暗くなり、足元の床がグルンと回って…。
「どうした、ブルー!」
駆け寄って来るハーレイの声さえも遠い。床に倒れた自分を抱え起こすハーレイに「…大丈夫」と弱々しい返事を返すのが精一杯で、気付けば保健係のクラスメイトに付き添われて保健室に居た。
やっぱり無理をするんじゃなかった、と後悔しても既に手遅れ。
もうすぐ報せを受けた母が迎えに駆け付けて来るし、ハーレイも酷く驚いた上に迷惑を被ったことだろう。中断させてしまった授業。せめて数分でありますように、とブルーは涙を滲ませた。
母と一緒にタクシーで帰り、それからは自室のベッドの上。
かかりつけの医師は「疲れすぎですから、三日間ほど安静に」と残酷な診断をしてくれた。
たったの三日間、でも三日間。その間にハーレイの古典の授業がもう一度ある。それに何より、三日の間はキッチリ平日。
ハーレイが平日にブルーの家を訪ねて来ることなど滅多に無いし、来てくれたとしても滞在時間は僅かだけ。ましてブルーが欠席となれば、来てくれる可能性はゼロかもしれない。
(…ぼくのバカ…)
最初から休んでおけば良かった、とブルーは悔し涙に暮れた。
ハーレイに迷惑と余計な心配をかけてしまった上、明日から三日間は学校で姿さえ見られない。
もしも欠席していたならば、どうしているかと家へ見舞いに来てくれたかも…。なのにブルーが学校で倒れた理由は単なる疲労で、医師の診断書も行っている筈だ。
(…疲れすぎだなんて、誰も心配してくれないよ…。寝ているだけで治るんだもの)
いっそ風邪とか、腹痛だとか。
発熱も痛いのも嫌だったけれど、そっちの方がまだマシだった。少なくとも心配して貰えるし、ハーレイだって学校の帰りに見舞いに寄ってくれたかもしれない。
(……ぼくってバカだ……)
身体を鍛えてハーレイに会える機会を増やすどころか、逆効果。柔道部に入って堂々とハーレイの家に出入りする夢は空しく潰えて、三日間もベッドの住人だなんて……。
ともすれば溢れ出しそうになる、弱い身体への恨み言。
けれど、この身体こそがブルーの唯一の財産だった。
前世でのように人類軍の攻撃からシャングリラごとハーレイを守れるわけでなく、ハーレイがキャプテンとして預かる船の行く手を指し示す「導くもの」たるソルジャーでもなく。
今のブルーは両親に守られ、育まれているだけの十四歳の子供。
そんなブルーが自分を大切に想ってくれるハーレイに対して返せるものは、前世とそっくり同じに生まれた顔形とその姿だけ。前の生でハーレイが愛した姿を、些か幼すぎるとはいえ、彼の瞳に映せることだけが「ハーレイにしてあげられること」。
だから、この身体を恨んではいけない。
弱く生まれてしまったけれども、前世のような補聴器も要らず、死の影が差すこともない。
これ以上を望んではいけないのだと、頭では分かっているのだけれど…。
(…でも……。ハーレイに会えるチャンスまで逃がしちゃうなんて、酷すぎるよ…)
神様はなんて残酷なんだろう、と瞳からポロリと涙が零れる。
元はといえばブルー自身が無理をしたのがいけないのだが、それでも八つ当たりじみた感情を抱く辺りが十四歳の子供たる所以。
かつてのソルジャー・ブルーであったら、全てを己の胸に収めて、ただ涙だけを零したろうに。
三日間もハーレイに会えない悲しみに打ちひしがれるブルーは、陽が落ちて部屋が暗くなっても明かりも点けずにベッドにもぐったままだった。
母が夕食を届けに来てくれたけれど、「食べたくない」と小さな声で答える。
「ブルー、少しは食べないと…。お昼も食べなかったでしょう?」
「…ホントに食べたくないんだもの」
ブルーの言葉に嘘は無かった。具合が悪くて食べられないという状態ではないが、気が乗らない。こんな時には無理に食べても消化が悪く、後で気分が悪くなる。そうなることが分かっていたから「食べたくない」と言ったのだけれど。
「…あら? お客様かしら?」
門扉の横のチャイムが鳴らされ、母が階下に下りてゆく。急いでいたのか食事を乗せたトレイも持って行ってしまったし、これ幸いとブルーがベッドにもぐり込んでから暫く経って…。
「ブルー?」
低い声と共に扉が軽く叩かれた。
父とは違う男性の声。それはブルーが聞きたくて堪らなかったハーレイの声そのもので。
「…ブルー、起きているか? 入るぞ」
カチャリと扉が外側から開いて、大きな人影が入って来た。勝手知ったる部屋とばかりに明かりを点けたハーレイが穏やかに微笑んでいる。その手には、さっき母が持っていたトレイがあって…。
「ブルー、食事だ。…お母さんから聞いたぞ、食べたがらない、とな」
「……だって……」
上掛けの下から顔だけ覗かせたブルーの鼻腔を柔らかで優しい香りが擽る。
この匂い。
母が持って来た食事とは違う、懐かしくて心がじんわりする匂い…。
「どうだ、これでも食べたくないか?」
ほら、とベッドサイドのテーブルに置かれたスープ皿の中身を眺めて、不思議だった気持ちが確信に変わった。
何種類もの野菜を細かく刻んで煮込んだスープ。
遠い昔にシャングリラで共に暮らしていた頃、ブルーが体調を崩した時にハーレイが何度も作ってくれた。大きくて武骨な手をしているのに、驚くほど器用に野菜を刻んで、コトコト煮込んで…。
青の間の小さなキッチンでそれを作っていたハーレイの姿が目に浮かぶようだ。
「…ハーレイ、これ…。ひょっとして、家で作って持って来てくれた?」
「いや、お母さんに頼んでキッチンを借りた。見舞いに寄ったら、お前が食べないと言うんでな。…これなら喉を通るだろう? 野菜スープのシャングリラ風だ」
大して美味くはないんだがな、とハーレイが笑う。
「あの頃は何かと物資が不足していたし…。お前のお母さんが作るスープに慣れたお前には不味いかもしれん。だが、お前が馴染んでいた味だ。…食べてくれると嬉しいんだが」
俺も作るのは久しぶりだ、とハーレイはにこやかな笑みを浮かべた。
「…お前にしか作ってやらなかったし、お前がいなくなった後は二度と作りはすまいと思った。…そして本当に作らなかったな、シャングリラに怪我人が溢れていてもだ」
お前専用のスープなんだ、と差し出されたスプーン。ハーレイが掬ってくれたスープをブルーは素直に口に運んだ。
(……ハーレイのスープだ……)
あの時のスープだ、と幾つもの思い出が蘇る。基本の調味料しか使われていない、素朴なスープ。けれど、その味はブルーが今まで口にしてきた何よりも優しく、心安らぐものだった。
ハーレイが「ほら」と掬って口に入れてくれる懐かしい味。
いつもだったら子供扱いだと抗議したかもしれないけれども、逆らう気持ちは起こらなかった。
一匙掬って、もう一匙。
「もう少しだけ、頑張って食べろ」と促される内に、気付けばスープ皿はすっかり空で。
「ほら見ろ、ちゃんと食えたじゃないか」
頑張ったな、と大きな手で頭をクシャクシャと撫でられ、ブルーは擽ったそうに首を竦めた。
「だって、ハーレイが食べろって…。でなきゃ大きくなれないぞ、って」
「その通りだろうが? 一日食わなきゃ、その分、成長が遅れるんだぞ。お前、いつも大きくなりたいと言ってるじゃないか」
「…うん…。でも……」
ハーレイはそれでかまわないの? とブルーは俯く。
「ぼくは小さいし、今日みたいに直ぐに倒れるし…。ハーレイ、お見舞いに来てくれた上にスープまで作ってくれたけど…。ぼくはハーレイに何もしてあげられないし、クラブにだって…」
「クラブ?」
「うん。…ハーレイが顧問の柔道部。あれに入れたらハーレイの家にも遊びに行けるし、もっと一緒に居られるのに…って…」
本当はぼくが一緒に居たいだけなんだけど、と呟いたブルーに、ハーレイは「そうだったのか」と鳶色の瞳を見開いた。
「…お前が倒れて、疲れすぎだと学校に連絡が来た。昨日の体育の授業で相当に無理をしていたようだ、と担当の先生に聞かされてな…。どうしてそんなことをしたのかと思ったら…」
「…ごめんなさい。鍛えたら身体が丈夫になって、クラブに入れると思ったから…」
シュンと項垂れるブルーの頭をハーレイの手がポンポンと軽く、宥めるように優しく叩いた。
「無茶するな。お前はお前で、小さくて華奢な所がいいんだ」
柔道部なんかに入って鍛えたらムキムキだぞ、とハーレイが笑う。
「そんなお前は嬉しくないな。…俺は昔のお前が好きだ。ああいう姿に育つお前が好きなんだよ。だから小さいままでいい。細っこいままのお前でいいんだ」
「小さいままなのは嫌だってば!」
急いで早く大きくなる! と叫ぶブルーに「なら、食べろ」とお決まりの文句が返ってきた。
疲れすぎて自宅静養になった三日の間、毎日ハーレイが家に来て夕食を共にし、しっかり食べるようにブルーを監視するという。それならば。
「…ハーレイ、あのスープ、また作ってよ」
「あれか? …お前のお母さんがやたらと心配していたんだが…。これを入れたら、とか、こういう味付けもありますよ、とな」
俺の料理の腕を疑われていそうなんだが、と苦笑いするハーレイにブルーは「作って」と強請る。
「大きくなれって言うんだったら作ってよ。あれが付いてたら、何でも食べるよ」
「でっかいステーキ肉でもか?」
「…そ、それは……」
無理! とブルーは悲鳴を上げた。
けれど明日からは三日間ほど、懐かしいスープを食べられる。
食材が豊富で平和な今の地球では「そんな味付けで大丈夫なのか」と母が心配してしまうほどに単純すぎる野菜のスープ。
それでもブルーには遠い昔から馴染んだ味で、ハーレイはブルーだけにしか作らないと言う。
そんなスープを食べられるなんて、恋人だけの特権でなくて何だろう?
たまには倒れてみるのもいいな、とブルーはハーレイの大きな身体に両腕でギュッと抱き付いた。
ねえ、ハーレイ。弱い身体は厄介だけれど、ぼくはこのままでいいんだね?
君がこのままでいいと言うなら、もう我儘は言わないよ。
無理はしないし、柔道部だって諦める。
だから、いつまでも側に居て。
いつか本物の恋人同士になれる時まで、君を待たせてしまうけど…。
その日までに何度、君が作ってくれるあの懐かしい野菜スープを飲むんだろう?
早く大きくなりたいよ。ねえ、ハーレイ……?
懐かしい味・了
「…いいなあ…」
羨ましいな、とブルーは自室で溜息をついた。
ハーレイが顧問を務めるクラブに所属する友人から聞いた昨日の出来事。幾つかの学校が集まる試合で好成績を収めた御褒美に、全員がハーレイの奢りで食事をしたという話。食べ放題の店で山ほど食べたそうだが、羨ましいポイントは其処ではない。
食の細いブルーは食べ放題の店に行きたいなどとは思いもしないし、第一、元が取れないと思う。それでは奢ってくれた人にも申し訳ないというものだ。でも…。
「…ハーレイと食事に行きたいなあ…」
行ってみたいな、と考え始めると止まらない。
前世では青の間で何度も食事を一緒に食べたし、ハーレイの部屋でということもあった。今の生でもハーレイが家に訪ねて来てくれると母が食事を作ってくれる。ブルーの部屋で、両親も共にダイニングで…、と昼食や夕食を摂るのだけれど。
「…普段の場所とは違う所で食べたことって無いんだよね…」
一度だけ招かれたハーレイの家での食事はブルーにとっては非日常だったが、ハーレイからすれば馴染んだ自宅。前世でのハーレイの部屋とは広さや家具などが異なるだけだ。
「シャングリラに居た頃は船の中しか場所が無かったし、違う場所も何も無いんだけれど…。今は何処でも自由に行けるし、お店だって選び放題だよね?」
お店もいいけどピクニックとか、とブルーの夢は更に広がる。ハーレイと二人でお弁当を持って出掛けられたら、きっと素敵に違いない。景色の綺麗な郊外だとか、海辺なんかもいいかもしれない。前世で行きたいと焦がれ続けた地球に二人で生まれたのだし…。
「…ハーレイと二人で行きたいなあ…」
海でも山でもお店でもいいな、と思い描くブルーはとうとう決意を固めた。ハーレイが誘ってくれないのなら、自分から提案してみよう。違う所で食事をしたい、と。
ハーレイと二人で違う場所で食事。それはとても素敵な思い付きであったし、ブルーは次の週末に訪ねて来たハーレイにドキドキしながら話してみたのだけれど。
「…俺は賛成出来ないな」
ほんの少しだけ考えた後、ハーレイは「駄目だ」と口にした。
「どうして? 何処かお店に行くだけでいいし、お店が駄目ならピクニックとか…」
ブルーは懸命に言い募ったのに、ハーレイは「駄目なものは駄目だ」と首を横に振る。
「…なんで……。ぼくがまだ小さすぎるから?」
「それもあるな。だが、一番は……。お前、先生と食事に出掛けて楽しいか?」
「えっ?」
何を訊かれたのか分からなかった。キョトンとするブルーに、ハーレイが穏やかな瞳を向ける。
「俺とお前の前世のことを知っている人は数人だけだ。外に出れば大人と子供にしか見えんし、お前は俺の教え子なんだぞ。学校で俺を呼ぶ時と同じで「ハーレイ先生」と言わなきゃな」
「で、でも…! 先生と生徒かどうかなんてこと、誰も気にしていないと思うけど…」
「そうかもしれん。だが、お前は自制できるのか? 俺を先生と呼ばずにいても、きちんと話題を選べるのか? …それも普段とはまるで違う場所で」
出来るのか? と重ねて問われて、ブルーはシュンと項垂れた。
ハーレイと二人で食事に行きたいと考えただけで胸が高鳴っていた自分。本当に二人で出掛けられたならば、間違いなく舞い上がってしまうだろう。ハーレイに甘え、もしかしたら少し我儘も。…傍目にも何処か普通ではない話し方になってしまっている……かもしれない。
「ほら見ろ、自信が無いんだろう? だったら先生と呼ぶしかないし、それでは楽しくないと思うぞ。お前もつまらなく感じるだろうが、その点は俺も同じなんだ」
「…ハーレイも?」
「当然だろう。せっかくのお前との食事なんだぞ、俺だってあれこれ楽しみたい」
……昔の俺たちみたいにな。
そう囁かれて、ブルーの頬が真っ赤に染まった。前の生では食事の合間にハーレイから夜の誘いがあったり、ブルーから控えめに強請ってみたり。そんな話に至らないまでも、心を通わせた者同士での甘い会話は常であったし、手を握り合うくらいは自然な流れで…。
「思い出したか? 俺と一緒に食事に行くには、お前はまだまだ子供ってわけだ」
先生と呼ぶなら連れてやってもいいが、と言われたブルーは反論出来ない。ハーレイ「先生」と食事に行っても、それは確かにつまらないだけだ。
敬語で話して行儀よくなんて、素敵どころか嬉しくもなんともないってば…!
心底ガッカリしたブルーだったが、ふと別の選択肢を思い出す。
店に行くなら周囲を気にして先生と生徒を演じなくてはいけないけれども、ピクニックならば話は別だ。自然の中なら誰も会話を聞きはしないし、思う存分、二人きりの時間を過ごせるだろう。
「ハーレイ、それじゃピクニックは? 海とか山なら誰も居ないよ」
「それも駄目だと言った筈だが?」
ハーレイが苦い笑みを浮かべてブルーの頭をクシャリと撫でた。
「お前、全然、分かっていないな。…そっちの方が俺は困るんだ。店なら周囲の様子が気になる、だから教師として振舞える。…だがな、お前と二人きりになると抑えが利かん」
今よりももっと、とハーレイの手に頬を包まれる。
「何度言えばお前は分かるんだ? お前にキスしたい気持ちを今も必死に堪えてるんだぞ? 此処がお前の家でなかったなら、このままキスしてしまうかもしれん」
「…キスしていいよ、っていつも言ってる」
「馬鹿! そんなことを簡単に言うもんじゃない。そして今なら俺にもそう言える余裕があるが、他の場所だと危ないな。…キスだけで済めばまだいい方で、とんでもないことになりそうだ」
それは困る、とハーレイの唇がブルーの頬に触れた。
「お前へのキスは頬と額だけだ、と決めている。子供向けのキスはそれで充分だ。…その先はお前が育ってから。そう決めた俺を誘惑するな」
「なんでピクニックが誘惑になるの? ハーレイと出掛けたいだけなのに」
唇を尖らせるブルーに、ハーレイは「分からないか?」と優しく笑った。
「俺とお前は一応、恋人同士だろう?」
「一応じゃないよ、恋人だよ!」
「だったら少し考えてみろ。…恋人同士で出掛けることを世間じゃデートと言わないか?」
「あ……!」
ブルーは今度こそ耳の先まで赤く染め上げ、口をパクパクと開けたり閉じたり。
食事に行きたいとか、ピクニックだとか。
今の今まで全く気付いていなかったけれど、ハーレイにデートに連れて行ってと強請っていたとは恥ずかしすぎる。
(…やっぱり、ぼくって子供なのかな? でもでも、シャングリラで過ごしてた頃にはデートなんかは出来なかったし、そんなの分かれって言う方が無理!)
無理、無理、無理~っ! と思うけれども、顔から火が出そうとはこのことだ。ブルーはハーレイの手から逃れて、両手で顔を蔽い隠した。
よりにもよって「デートに行きたい」と強請ってしまった恥ずかしい事実。
デートの中身はハーレイに悉く却下されたが、いつか現実になった時には今日の出来事を思い返して自分でも苦笑するかもしれない。
(…それまでに忘れますように! ハーレイも忘れてくれますように…!)
でないと幸せなデートが出来ない、と情けない気持ちに浸るブルーにハーレイの腕が背後から回されて引き寄せ、自分の胸に抱き締めた。
「何を沈没してるんだ? …俺としては嬉しかったんだがな」
「…えっ?」
ホント? と振り向いたブルーに、ハーレイが「ああ」と大きく頷く。
「お前に「うん」とは言ってやれんが、デートの誘いは嬉しかった。…強請られなくても連れて行ってやるさ、お前が大きくなったらな。海でも山でも、レストランでも」
プロポーズの場所は何処がいい? と鳶色の瞳が笑みを湛えて、ブルーはまたしても真っ赤になった。プロポーズだなんて言われても…。それこそ前世でも経験が無い。
「…え、えっと……。それって、決めなくちゃいけないの?」
「ははは、お前が決めてどうする! さりげなく誘導するのはアリだが、主導権を握っているのは俺だ。俺がお前を貰うんだからな。……何処にするかな…」
俺も初めての経験だしな? とハーレイが片目を瞑ってみせる。
「いいか、ブルー。…お前がこだわった食事もそうだが、今の人生でしか出来ないことが山ほど俺たちを待っているんだ。此処はシャングリラの中じゃない。もちろんアルタミラでもない」
「…うん」
「そしてお前はソルジャーじゃないし、もちろん俺もキャプテンじゃない。自由なんだよ、あらゆることから。…教師と生徒という関係だって、ほんの数年の我慢に過ぎない」
お前が学校を卒業したら…、とハーレイはブルーの赤い瞳を覗き込んだ。
「そうしたら、俺たちはただのブルーとハーレイになる。…お前はメギドに行く前に言ったな、自分はただのブルーだ、と。…だが、あの言葉は嘘だった。お前は最後までソルジャーだった」
「…うん…。そうだったね」
ブルーの胸がツキン、と痛む。ただのブルーだと言っておきながら、ハーレイに別れの言葉も告げずに飛び去った自分。ブルー自身も辛かったけれど、残されたハーレイはどれほどに辛く悲しかったことか。どれほどの涙を流したことか…。
「ブルー、今度こそお前はただのブルーだ。…そして俺だけのブルーになってくれたらいいな、と思っている。プロポーズはいずれ改めて……だがな」
覚えておけ、と自分を抱き寄せる腕にブルーは頬を擦り付けた。温かくて、何処までも優しい腕。この腕の中に居られる自分は、前世よりも何倍も何十倍も幸せな生を生きるのだ…。
ハーレイと二人で食事に行くことは諦めた。ピクニックだって断られた。けれど…。
「……ブルー」
逞しい腕がブルーの身体を壊れ物のように優しく抱き締める。
「お前は普段と違う場所で食事をしたいと言ったが、この部屋でも俺たちには充分なんだ。シャングリラの中では考えられないような場所だぞ、考えてみたことがあるのか、ブルー?」
「…どういうこと?」
分からないよ、と首を傾げたブルーの銀色の髪をハーレイの指がそうっと梳いた。
「…シャングリラではいつ人類の攻撃が来るか、常に警戒していただろう? お前と一緒に過ごしていても、警報を気にしないで済む日は無かった。…この部屋で警報が鳴ることはない。誰も俺たちを攻撃しない。…そんな場所でゆっくり過ごせるだけでも幸せだとは思わないか?」
「………。ホントだ、そうかもしれないね」
「そう思うんなら贅沢を言うな。俺たちは想像も出来なかったほど素晴らしい世界に生まれ変わったし、未来だってある。…今はそれだけで充分だろう? 平和な世界と青い地球だぞ、俺たちには充分に贅沢なんだ。違うか? ブルー」
「……うん……」
ハーレイと二人で生まれ変わった地球。
今はまだ見当もつかないけれども、いつか自分が大きくなったらハーレイと歩む未来が来る。
その時が来るまで、普段と違った場所での食事は我慢しておこう。
大きくなったら二人で何処かへ食事に出掛けて、それだけじゃなくて、沢山、沢山…。
「…ねえ、ハーレイ…。ぼくたち、いつまでも一緒だよね?」
「ああ。お前が大きくなったらな」
だから頑張って沢山食べろ。
耳が痛くなるほどに聞かされた決まり文句が心地よい。
まだ家でしか食事は一緒に食べられないけれど、食べれば少しずつ大きくなれる。
大きくなって、そしていつかは…。
(ダメダメダメ~~~っ!)
それと知らずに「デートに行きたい」と強請ってしまった恥ずかしさだけは忘れたい。
ハーレイも忘れてくれますように、と願うブルーの切実な悩みは、前世でソルジャーとして負っていた重荷に比べれば羽根のように軽いものだった。
十四歳の小さなブルー。
彼がハーレイと共に歩む未来は、幸せに満ちた温かな日々に違いない……。
素敵な思い付き・了