忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「シャングリラ学園・番外編」の記事一覧

大爆笑だった校外学習が済むと期末試験がもうすぐでした。校内は殺気立った雰囲気でしたが、1年A組は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の御利益パワーを信じているので至って平和。教頭先生人魚に関する話題がまだまだ熱く語られています。そんな中、教室の一番後ろに会長さんの机が増えて。
「おはよう。今日は期末試験の日程が発表になるからね」
みんなのために出てきたんだよ、と笑顔を振りまく会長さんはワッと大勢に取り囲まれてしまいました。
「教頭先生が人魚ショーを企画なさったって本当ですか?」
「ぼくはゼル先生が黒幕だって聞いたんですけど、実際の所はどうなんですか?」
会長さんの担任が教頭先生だとクラスメイトは知っています。質問攻めに遭った会長さんは困ったように微笑んで。
「…詳しいことは知らないんだよ。ぼくも生徒に過ぎないからね、先生方の事情はサッパリで…。ぶるぅの出演はOKしたけど」
「そうなんですか…」
残念です、と肩を落とすクラスメイトたち。やがてグレイブ先生が靴音も高く現れ、来週の月曜日から金曜日までの五日間に亘る期末試験が告げられました。朝のホームルームが終わると、会長さんは姿を消してそれっきり。
「授業に出る気もないらしいな…」
呆れたもんだ、とキース君が空席になった机を眺め、ジョミー君が。
「今日は古典の授業もないしね。…ブルー、教頭先生の授業以外に興味ないから」
「興味と言うより悪戯目当ての出席だがな」
溜息をつくキース君。会長さんが古典の授業に出席した時は爆笑モノの悪戯書きが回されてきたり、わざと倒れて授業を中断してみたり。最悪だったのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が途中で現れ、「アイスクリームを買いに行くから」とクラス中に注文を取って回ったヤツです。板書していた教頭先生が振り向くと全員がアイスを食べていたという…。あれは去年のことでしたが。
「ブルーが来ると教頭先生、確実にババを引かされるもんね。来ない時でも引いてるけどさ」
こないだの校外学習とか…と言いかけたジョミー君に「シッ!」と注意するキース君。
「今度はお前がババを引くぞ? ブルーに口止めされただろうが」
「そうだったっけ…」
危なかった、とジョミー君は周囲を見回しています。幸い、クラスメイトは誰も聞いてはいませんでした。教頭先生の人魚ショーを企画したのが会長さんだというのは秘密。生徒たちは真相を知らされないまま、無責任な噂を流しています。
「あいつ、どこまで腹黒いんだか…。教頭先生の隠し芸だと信じてるヤツも多いじゃないか」
気の毒すぎる、と呟くキース君にシロエ君が。
「会長らしいじゃないですか。教頭先生が笑い物になればなるほど喜ぶ人です。…ぼくたちだって笑い物になりたくなければ黙っているしかないわけで…」
「…緘口令を破ったヤツは一人で男子シンクロだったな。みゆかスウェナが喋った場合はジャンケンで負けた男が代理に立つ、と…」
えげつない脅しをかけられている私たちですが、男子シンクロで思い出すのは会長さんの大嘘です。数学同好会に男子シンクロを指導中だと偽の情報を流しておいて、実の所は教頭先生に人魚泳法を仕込んでいたという…。
「…特訓の中身、教えてもらっていませんよね…」
指を顎に当てるマツカ君。
「解禁日は今日じゃなかったですか? 期末試験の日程が発表になったら…って約束でしたよ」
「そうだわ。話せば長くなるからって…」
スウェナちゃんが相槌を打ち、私たちの心は一気に放課後へ飛んでいました。試験前は部活がお休みになり、柔道部三人組もゆっくり時間が取れるのです。その頃になれば人魚ショーの特訓に纏わる全てを明かす、と会長さんから聞いてましたっけ。なんだかドキドキしてきました。早く授業が終わらないかな…。

終礼が済むと、私たちは影の生徒会室へ一目散。壁をすり抜け、飛び込んで行くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎えです。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
おやつ出来てるよ、と並べられたのは洋梨のコンポートのバニラアイス添え。フルーツたっぷりのクレープなんかもあるんですけど、誰もがソワソワ落ち着きません。会長さんはいつになったら話を始めてくれるんでしょう?
「…なんだ、忘れていなかったんだ?」
手がお留守だよ、と指摘されてスプーンやフォークを慌てて動かす私たち。会長さんはクスクスと笑い、紅茶のカップをコトンと置いて。
「ハーレイ人魚の特訓秘話がよほど気になるみたいだね。…そんなに聞きたい?」
「ああ。大いに気になる所だな」
キース君が口を開きました。
「俺たちにも内緒で企画したなんて、サプライズにも程があるだろう? 俺たちは信用されてないのか、他に事情があったのか…。いくら考えてもサッパリ分からん」
「なるほどね。ジョミーあたりがウッカリ喋ってしまいそうだと思っていたのは事実だけれど…。本当はハーレイの心の問題。君たちが知ったら練習を見たくなるだろう? 大勢が見物していたんでは訓練に集中できないよ」
「そうか? 教頭先生は心身の鍛錬を積んでおられる。見物人ごときで揺らぐようには思えんが…」
「……バレちゃったか」
突っ込まれた会長さんは肩を竦めて。
「確かにハーレイの心は強いよ、集中力に関してはね。だけど人魚ショーをやれって言ったら真っ赤になって、言い訳を並べて逃げようとした。あの格好は恥ずかしいらしい。だから脅してやったんだ。…やらなかったら抱き枕を処分するけどいいのかい、って」
「「「抱き枕!?」」」
「そう。君たちとブルーが作ってくれた抱き枕だよ」
特注品の、とニヤリと笑う会長さん。ソルジャーが会長さんの名前で注文した抱き枕は今もハッキリ覚えていますが、あれって処分してないんですか? とっくの昔に会長さんが消し去ったものと思ってたのに…。
「残念ながら出来ないんだ。処分したら即、ブルーにバレる。そしたら新しいのを注文されて恥の上塗りになるってわけさ、このぼくが。…ぶるぅがサイオンでコーティングまでしてくれちゃったし、もうハーレイの家宝だよね。でも、ハーレイには処分不可能ってバレていないし」
「「「………」」」
「あの枕、ハーレイはとても大事にしてるんだ。だから人魚ショーにも出演せざるを得なかった。…で、特訓を始めてみたら厄介なことになっちゃってさ…。それで内緒にしていたんだよ。その厄介な事情については、ちょっと此処では話せないかな」
えっ、そんなぁ…。今日こそ聞けると思ってたのに…。
「もう少しだけ待ちたまえ。…土曜日に家に泊まりにおいでよ、今度こそ全部教えるからさ。お客様があるとぶるぅも喜ぶ。それに今更、試験勉強は必要ないだろう?」
「えっと…」
そうかもね、とジョミー君。私たちは三度目の1年生ですし、試験の度に会長さんが知識のフォローをしてくれた結果、実力はバッチリ身についています。会長さんの力を借りなくたって、全科目で満点が取れちゃうほどに。会長さんは私たちを見渡し、勝手に決めてしまいました。
「じゃあ、今週の土曜日に。昼御飯を用意して待ってるからね」
「「「はーい…」」」
教頭先生人魚の特訓秘話はもう少しだけ先延ばし。厄介事が気になりますけど、お預けじゃ仕方ないですよね…。

待ちに待った土曜日が訪れ、私たちはお泊まり用の荷物を持って会長さんのマンション前に集合しました。入口のロックを外してもらい、エレベーターに乗って最上階へ。玄関のチャイムを鳴らすと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が扉を開けてくれます。
「かみお~ん♪ ブルーが待ってるよ!」
荷物はいつもの部屋に置いてね、とゲストルームに案内されて、それから向かったダイニング。美味しそうな匂いが漂ってきます。お昼御飯も期待できそう! いそいそと中に入っていくと…。
「「こんにちは」」
そこには会長さんが二人いました。…ということは片方は…。
「やあ。ゆっくり会うのは久しぶりだね」
ニッコリと微笑んだ方がどうやらソルジャーらしいです。おやつ目当てに何度か姿を見せてましたが、特に騒ぎを起こすこともなく平穏な日々が流れていたので最近は気にしていませんでした。でも…「ゆっくり」だなんて言われてしまうと嫌な予感がひしひしと…。
「うーん、そんなに信用ないかな? 今日のぼくはあくまでゲストで、呼んだのはブルーなんだけど?」
「「「え?」」」
会長さんがソルジャーを呼んだ? 押しかけられたわけではなくて…? 私たちの視線を浴びた会長さんは「本当だよ」と苦笑して。
「…厄介な事情っていうのはブルー絡みで、ブルーを抜きに特訓秘話は語れない。でも学校へ呼ぶと危ないだろう? 同じ敷地内にハーレイがいるし…。悪戯防止に日を改めたっていうわけさ。それで納得できたかな?」
コクコクと頷く私たち。教頭先生人魚の特訓にソルジャーが関わっていたとは驚きです。それじゃ、おやつを食べに来てたのは…。
「ウォーミングアップってヤツらしいよ。おやつを食べてから帰ったふりをしてこっちへ移動。ゲストルームで昼寝した後、フィットネスクラブに出勤するわけ。…ブルーもコーチをしてたんだ」
「「「!!!」」」
衝撃の事実に私たちは声も出ませんでした。呆然としている間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がロブスターのパエリアを取り分けてくれます。
「人魚ショーについて語るんだからね。海の幸は必須だろう?」
会長さんはご機嫌でした。厄介事だと言っていたのに、ソルジャーとの間にわだかまりとかは無いのでしょうか? 抱き枕とか、抱き枕とか、抱き枕とか…。
「ブルーが出たのは抱き枕のせいってわけでもないし」
いつも覗き見してるんだから、と笑う会長さんにソルジャーが。
「出たって何さ、オバケみたいに! ぼくは遊びに来てみただけで、覗き見だって気が向いた時しかしてないし!」
「…その割にやたらと詳しいよね…」
「楽しい匂いはすぐ分かるんだ」
どんな匂いだ、と心で突っ込む私たち。どうやらソルジャーは会長さんの動きを察知して空間を越えて来たようです。それっていったいどの時点から…?
「見ていたのはね、ブルーがハーレイを脅しにかかった所から。人魚の格好で大水槽に潜りに行け、って」
つまり最初から筒抜けだったわけですか…。あれ? 大水槽に潜るって…イルカショーに出演するんじゃなくて?
「…潜るだけの予定だったんだよ」
初めはね、と会長さんが口を挟みました。
「ハーレイは素潜りが得意だからさ、せっかく人魚の尻尾を誂えたんだし大水槽で潜ればいいかと…。あそこはダイバーが大水槽に潜ってくるのが売りだろう? 特に仮装はしてなくっても、見ている人との交信とかさ」
言われてみればそういうショーがありました。水槽の中のダイバーが観客の質問に答えてくれたり、魚の写真を撮ってくれたり…。会長さんが素潜りショーを思い付いたのは自然な流れかもしれません。教頭先生人魚の尻尾は泳げる仕様なのですから。
「大水槽で潜らせるには練習しないといけないしね…。フィットネスクラブに深いプールがあったっけ、と思って会員になったんだ。それでハーレイを引っ張って行って、練習してたらブルーが来ちゃった」
「…覗き見だけのつもりだったんだけど…。実際に見たくなっちゃってさ」
本物を、と人差し指を立てるソルジャー。もしかして人魚ショーの真の黒幕はソルジャーだったりする…のでしょうか? まさか…まさか……ね…。

昼食を終えてリビングに移動してから特訓秘話が始まりました。口火を切ったのはソルジャーです。
「ブルーは厳しいだけだったんだよ。…あれじゃ駄目だね」
「あれで十分と判断してた!」
即座に反論する会長さんにソルジャーはウインクしてみせて。
「飴と鞭とを使い分けるのがコツなのさ。鞭を振り回しているだけじゃ伸びない」
「それは君の方のハーレイだろう? こっちにはこっちの事情があって!」
「無理無理、脅すだけでは絶対に無理。笑顔で演技をさせたかったら、やっぱり飴をあげないとね。御褒美は絶対、必要不可欠! 実際うまくいったじゃないか」
え。飴? 御褒美? 教頭先生の人魚ショー、顔で笑って心で泣いての演技だったのか、演技ではなく本物の笑顔だったのか……ずっと疑問に思ってましたが、御褒美つきなら笑顔は本物?
「うーん…。その辺はちょっと複雑なんだけど」
ソルジャーは少し考えてから。
「ハーレイが人魚ショーを楽しんでいたか、という観点で言えば答えはノーだね。でも自然と笑顔が出てきた筈だよ、御褒美のことを考えただけで」
「…その御褒美っていうのは何なんだ?」
おおっ、キース君、よくぞ尋ねてくれました! 会長さんは苦虫を噛み潰したような顔ですけれど、ソルジャーの方は嬉々として。
「ブルーからのキスさ」
「「「えっ!?」」」
私たちの声は完全に裏返っていたと思います。キスって…会長さんが教頭先生に? それが御褒美? ソルジャーは口をパクパクさせる私たちを見ておかしそうに笑いながら。
「そう、本物のブルーのキス。練習の時はぼくが代わりにキスをしててね、水族館でのショーを成功させたらブルー本人がしてくれるって言っといたんだよ」
「…そ、それじゃ……」
べそをかきそうになったのはサム君でした。
「…ブルー、教頭先生と…? ショーは成功したんだもんな…」
公認カップルを名乗って一年以上経っているのに、サム君は会長さんとデートしたこともありません。強いて言うなら会長さんの家で朝の勤行をしてから朝食を食べ、二人一緒に登校するのがデートでしょうか。慎ましい幸せで満足しているサム君だけに、この御褒美は大打撃かも…。
「あ…。ごめん、サムにはショックだったかな?」
ソルジャーは会長さんそっくりの顔でサム君に謝り、ポンポンと肩を優しく叩いて。
「大丈夫だよ、ブルーのキスは餌だから。…ハーレイは信じて頑張ってたけど、ブルーがその気になるとでも? 悪戯でならキスするけども、本気のキスはしやしない。…そうだよね、ブルー?」
「当然だろう! サム、今回は悪戯のキスもしていないから安心して。ショーの御褒美はぼくじゃなくってブルーのキス。ハーレイは涙を飲んだってわけ」
ありゃりゃ。気の毒な教頭先生、また会長さんに騙されましたか…。いえ、この場合はソルジャーかも? 罪作りな御褒美もあったものです。釣られる方が悪いと言えば悪いのでしょうが…。それにしたってソルジャーは何を考えているんだか。飴だの鞭だの御褒美だのと、教頭先生で遊んでますか?
「もちろんさ。だって最高に笑えるじゃないか」
人魚だよ、とソルジャーは棚の上を指差しました。そこには前に会長さんが作った教頭先生人魚の像が飾られています。鈍い金色に光るジルナイト製の。
「あれを作った時の撮影会を覗き見するのは愉快だったよ。似合わないよね、人魚の尻尾。…その格好で泳ぐとなったら見学しなくちゃ損じゃないか。…うっかり溺れさせそうになったけれども」
「「「は?」」」
ソルジャーが見学に来たら教頭先生が溺れかけた…って、どういうこと? まさかソルジャーにプールに突き落とされたとか? 
「…プールの底から見上げていたらハーレイと目が合ったんだ。ガボッと口から泡を噴いてね、息が続かなくなっちゃったらしい」
思い出し笑いをするソルジャーによると、教頭先生は必死に水面を目指したそうです。しかし人魚の尻尾では上手く泳げず、溺れそうになった所でソルジャーが教頭先生を引っ張り上げて…。
「ブルーに思い切り叱られちゃった。黙って来るなんて最悪だ、ってね。…プールの底に座ってるっていうのは非常識かい? ぼくは青の間の水に潜って過ごしてたことも多かったから、何とも思っていなかったけど」
「「「………」」」
どう考えても非常識というものでしょう。シールドを張っていたのでしょうが、人間は普通、水中では呼吸できません。教頭先生が仰天したのも無理はなく…。
「そんな怖い目で見なくても…。ちゃんと人工呼吸はしたし、その縁でキスの御褒美っていう飴も出来たし」
終わり良ければ全て良し、とソルジャーは得意げに微笑んでいます。…飴の由来は分かりました。教頭先生、溺れたお蔭で夢を貰えたみたいです。会長さんのキスを励みに精進できたことでしょう。最終的には裏切られちゃったわけですが…。
「ブルーがノコノコ出てきた以上、特訓のことは秘密にせざるを得なかったんだ」
唇を尖らせる会長さん。
「御褒美のキスだけで済めばいいけど、何をやらかすか分からないだろ? 日頃の行いが行いだから」
「「「………」」」
否定する人はいませんでした。ソルジャーといえばトラブルメーカー。関わり合いになったが最後、巻き添えを食って酷い目に…。教頭先生の特訓を見られなかったのは残念ですが、会長さんの英断に感謝しておくべきなんでしょうね。

ソルジャーの登場で教頭先生の技は飛躍的に向上したのだ、と会長さんは語りました。一日分のノルマをこなせばソルジャーがキスをし、本番のショーを終えた後には会長さんのキスが待っている…と耳元で甘く囁くのです。発奮するのは至極当然。日々頑張って頑張りまくって、大水槽なら十分に潜れるレベルに到達したのは球技大会の頃だったとか。
「後はおさらい程度でいいかな…と、ぼくは思っていたんだけどね」
会長さんが立って行って棚から1冊の本を取り出しました。淡いピンクの表紙のそれは…人魚姫絵本。人魚姫になった教頭先生の愛と冒険の物語です。この本がどうかしたんでしょうか?
「ブルーがぼくの家で昼寝をしてたって言っただろう? おやつを食べてからハーレイの練習が始まるまでの間にね。…ブルーは昼寝に来ていたついでに人魚姫絵本を熟読したんだ」
「とても愉快な本だからねえ。これを見てると素潜りだけではつまらなくなって…。もっと人魚らしく躍動感のある見せ場を作れないかな、とブルーに相談してみたら…イルカショーを提案されたってわけ」
げげっ。それじゃイルカショーは会長さんとソルジャーが二人で練った企画ですか? 会長さんの独断だとばかり思っていたのに…。
「ぼく一人でも思い付いたかもしれないけれど…デビューは来年以降だったろうね。今年は無理だ。素潜りダイバーで満足してたし」
あれでも十分笑えるから、と会長さん。確かに私たちも大満足だった記憶があります。あの後にイルカショーが無かったとしても、印象に残る校外学習になっていたのは確実で…。
「そうなんだ。だけどブルーに言われてしまうと、人間、欲が出てくるものでね。何か使えそうなイベントは…と思った所へぶるぅが顔を出したんだ。今年もイルカと遊びたいなぁ、って」
「「「………」」」
「その時、ぶるぅはシンクロの練習を始めてた。元々はテレビで見たらしくって、やってみたいと言っていたから好きにやらせていたんだけれど…イルカと遊ぶならショーに出させてやらなきゃね。でもシンクロがイルカプールに映えるかどうかを考えてみたらイマイチだった」
イルカと動きがちぐはぐになるし、と会長さんは大真面目でした。
「ほら、シンクロは手足の動きがメインだろう? イルカには手もないし足もないよね。去年みたいにトレーナーの代わりに泳ぐしかないかな、とプールの方を見たらハーレイ人魚が目に入ってさ。…あれで一発閃いた。イルカと一緒にショーをするなら人魚だとね。ハーレイ人魚をイルカプールで披露しよう、と」
「そういうこと」
ソルジャーが大きく頷いています。
「魚…ううん、イルカは魚じゃないんだったかな? とにかく尾びれのある生き物とショーをするなら人魚はとてもお似合いだ。ハーレイがマスターした人魚の泳ぎを素潜りだけで終わらせるのは惜しいじゃないか。ダイナミックな動きが出来るイルカショーなら映えるってものさ」
会長さんとソルジャーは水族館までイルカショーを見に行き、出来ると確信したのだとか。最初は会長さんのサイオンで教頭先生を補助する予定が、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も人魚ショーをやると言い出して…サイオンの方はそっちに丸投げ。同じプールに入るのですから、適役だろうというわけです。
「あのね、ぼくの尻尾ね、お揃いなんだよ♪
ソファに腰掛けていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が足をピョコンと動かしました。両足が見事に揃ってますから人魚レッスンの成果でしょう。ショーで見たのは真珠色の鱗の尻尾でしたし、お揃いというのは教頭先生人魚のショッキングピンクの尻尾と同じメーカー製のヤツって意味かな…?
「ううん、ハーレイとお揃いじゃなくて!」
見てて、と廊下へ駆け出していった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は銀色の尻尾を抱えて戻って来ました。教頭先生人魚の尻尾よりも遥かにサイズが小さく、それに合わせて鱗も小さめ。可愛いでしょ、と自慢してからサイオンでパパッと装着します。
「ぶるぅだと着替えは一瞬なんだ」
会長さんが人魚に変身した「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でて。
「…ハーレイの方もサイオンを使えば一発だけどね、ぼくは手伝いたくないし……変身の過程で情けない思いをして貰うのも楽しみの内だし、あっちは自力で悪戦苦闘。下着は今でもアレのままだよ」
アレとは紫のTバックです。人魚になるには専用下着が必要だから、と会長さんが押しつけたモノ。それを履かないならノーパンしかない、なんて脅迫してましたっけ。そして「そるじゃぁ・ぶるぅ」の方はノーパンなのだと聞いています。で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の銀色の尻尾は一体何とお揃いだと…?
「かみお~ん♪」
雄叫びが響き渡って宙に舞ったのは銀色の人魚。…あれ? ソファにも銀色の人魚が座ってますが…?
「こんにちは~!」
宙返りして降り立った人魚がピョコンと頭を下げました。
「今日は一緒に泳げるんだよね? ぶるぅズ再結成だよね?」
「「「ぶるぅズ!?」」」
二人目の人魚はソルジャーの世界から来た「ぶるぅ」でした。お揃いの尻尾というのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」のを指していたのです。どちらも銀色の人魚の尻尾で、まるで見分けがつきません。
「…ハーレイをしごいている間にね、ぶるぅが暇になっちゃって…。子供の方が断然覚えが早いんだ。ハーレイと一緒に練習してても、どんどん先へ進んでしまう。そしたらブルーが遊び相手を呼んでくれてさ」
「そうなんだ。子供同士で泳いでる内にグループ名までついちゃった。ぶるぅズ…って誰が呼んだんだっけ? ぼくかな? それとも君だった?」
忘れちゃったよ、とソルジャーが言い、会長さんも忘れたようです。銀色の二人の人魚はプールで泳ぐ気満々でした。会長さんもそのつもりで貸切予約を入れていたらしく、私たちは瞬間移動でフィットネスクラブへ行くことに。『ぶるぅズ』の泳ぎはどんなのでしょう? なんだか楽しみになってきたかも~!




PR

フィットネスクラブで恐ろしい話を聞いてしまった私たち。数学同好会が男子シンクロの秘密特訓をしていることをウッカリ喋ってしまったが最後、ジョミー君やキース君たちも学園祭で男子シンクロを披露しなければいけないのです。絶対に口に出さないように頑張り続けて日は過ぎて…。
「諸君、おはよう」
グレイブ先生が不機嫌な顔で登場しました。教室の一番後ろには会長さんの机が増えています。出席を取ったグレイブ先生はプリントを配り、そこには『校外学習のお知らせ』の文字が。
「残念なことに、またまた授業時間が潰れるのだよ。来週、校外学習がある。諸君には楽しいお出かけだろうが、私は残念でたまらない。…まあ、私ごときが学校行事を左右できる筈もないのだがな」
そんなグレイブ先生を他所にクラスメイトはプリントを眺めて喜んでいます。行き先は水族館で一日自由行動ですから、授業より楽しいに決まってますし! 会長さんはプリントを鞄に仕舞い、1時間目が始まる前にさっさと姿を消してしまって終礼にも出てきませんでした。次に会えたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。
「やあ。今日も勉強お疲れ様」
先に食べてるよ、と会長さんが指差したのはヨーグルトケーキ。私たちの分も「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいそいそと用意してくれて…。
「かみお~ん♪ 来週は水族館だよね! ぼくも行くんだ♪」
今年もちゃっかり申し込み済みらしいです。イルカが大好きな「そるじゃぁ・ぶるぅ」は楽しみでたまらない様子。去年はショーに出てましたけど、今年も何かするのかな?
「えっとね、今年は見るだけだって。…でもイルカさんと握手は出来るよね」
頑張って一番に並んでいれば、と張り切る姿はとても可愛く、私たちは今年もイルカショーをメインに見学することになりそうでした。三回目ともなれば水族館もお馴染みですし、珍しい魚が増えたという話も聞いてませんし…。
「今年はキースもみんなと一緒に来られそうだね」
会長さんの言葉にキース君は「ああ」と大きく頷きました。
「おかげさまで法務基礎の方は順調だしな。去年は焦っていたかもしれん。…入学したてで余裕がなくて」
「ふふ、一年経って大学生らしさが身についたかな? 朝のお勤めなんていうのは最低限をこなしていればいいんだよ。君の場合は毎朝家でもやってるわけだし、必要な単位が取れさえすれば問題はない」
「…先輩たちにもそう言われた。適当に手を抜かないと持たないぞ…とな」
だから今年はサボッてみる、とキース君。去年のキース君は大学で行われる朝のお勤めに出席しなければならないから、と水族館には現地集合だったのでした。その御縁でキース君の大学を見学しに行ったのもいい思い出です。あれから一年経ったんですねえ…。
「ところで、キース」
改まった口調の会長さん。
「法務基礎が順調ってことは、この秋は最初の道場入りだね。サイオニック・ドリームは全然ダメだし、このまま行くとショートカットにするしかないか…」
「………」
沈黙が落ち、キース君はポケットからコンパクトミラーを取り出しました。銀色の蓋に四つ葉のクローバーが彫られたそれは会長さんからの贈り物。この鏡に映るキース君の姿はもれなく坊主頭に見える仕掛けになっています。キース君はミラーを開けて覗き込み、パチンと閉めて。
「…まだ夏休みが間にあるしな。努力を惜しむつもりはない。ジョミーと違って俺の場合は切実なんだ」
「えっ、ぼく? ぼくはお坊さんになんかならないし!」
知らないよ、と言うジョミー君はキース君と一緒に坊主頭に見せかける練習をする仲ですけど、進歩は全くありませんでした。キース君の方は少しずつ坊主頭をキープできる時間が増えて5分の壁をようやく越えた所です。秋に控える道場入りにはショートカットが条件なのだと前から聞いてはいましたが…キース君、大丈夫なんでしょうか?
「ジョミーは無視して俺は頑張る。…このヘアスタイルを死守してみせるぞ。でないとブルーに何をされるか…」
「分かってるじゃないか。銀青として考えるんなら無理やり坊主は却下だけども……ただのブルーとなれば話は別でね。嫌がる君を坊主にするのは楽しそうだし、君のお父さんも喜ぶだろうし…」
指で鋏を真似る会長さんは悪戯小僧の顔でした。キース君がサイオニック・ドリームをモノに出来なかった場合は道場入りに合わせてショートカットどころか坊主頭にしてしまうかも…。秋までは長いようですけども、会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにソルジャーや「ぶるぅ」なんかと遊んでいればアッと言う間に日が経ちます。今日だってすぐに帰る時間で…。
「じゃあ、また明日ね」
「かみお~ん♪ また来てね!」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に見送られて影の生徒会室を出る私たち。今日のおやつも大満足の味でした。この部屋を溜まり場にして2年以上になりますけれど、ホントに素敵なお部屋ですよね。

そして校外学習の日。1年A組のバスには当然のように会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が乗り込んで来て、キース君も学校に集合で……水族館に着くと即、自由時間。会長さんはアルトちゃんとrちゃんを呼び止め、ラッピングされた包みを手渡しています。
「なんだ、あれは?」
首を傾げるキース君にシロエ君が。
「ぶるぅのマカロンじゃないでしょうか。去年も渡していましたし」
「…マカロン?」
「思い出のプレゼントだとか何とか言って、会長が持って来たんです。…先輩、去年は後から合流しましたしねえ…。現場は目撃してないでしょう?」
「…思い出のプレゼントだと? どうしてそこでマカロンなんだ」
分からんぞ、とキース君が言った所へ会長さんが戻ってきて。
「そうか、キースは知らないのか…。アルトさんたちへの最初のプレゼントっていうのがね、此処で渡したマカロンなんだ。君たちが普通の1年生だった時のことさ。…思い出の場所で思い出のプレセントを渡すと言うのは基本だろう? 今年はアルトさんたちも特別生になってくれたし、思いをこめてプレゼント」
凝った入れ物を用意してきたらしいのですが、詳しい話は内緒だそうです。アルトちゃんたち、幸せそうな笑顔でしたし、イニシャル入りとかの特注品になってるのかな…?
「だから内緒。君たちとレディーじゃ待遇が違う」
教えないよ、と会長さんは唇の端に笑みを刻んでみせました。
「ぼくの大事なレディーたちには紳士の顔でいなくちゃね。…悪戯好きはもうバレてるし、治そうって気にもならないけどさ。…で? 一番に見るのはイルカショーかな?」
「かみお~ん♪ 先に行ってるね!」
イルカさんと握手するんだもん、と駆け出していく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちもゲートをくぐってイルカショーのスタジアムに行き、去年の大騒動を思い返しながらショーを見て…。会長さんがゼル先生とドルフィン・ウェディングをやらかしたスタジアムでは今年もイルカたちが飛び跳ねています。
「…平和だね…」
ジョミー君が漏らした言葉に私たちは頷き合いました。イルカと握手した「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びでしたし、スタジアムの入口に掲示されたショータイムに貸切の文字はありません。今年の校外学習は平穏無事に終わりそうだ、と向かった先はメインの建物。クリスマス・シーズンにはサンタに扮したダイバーが現れたりする大水槽はジンベエザメが目玉でした。
「あれ? 何か配っているのかな…?」
並んでるよ、とジョミー君が指差した先には行列が。シャングリラ学園の生徒が連なっていますけど…。
「えっと…? 運だめしって書いてありますよ?」
マツカ君に言われて目を凝らすと入口の傍に看板があり、そこから列が始まっていました。でも…運だめしって何でしょう? 私たちの視線はごくごく自然に会長さんの方へ…。
「百聞は一見に如かず。並んでみればいいじゃないか」
せっかくだから、と微笑む会長さんに連れられて最後尾につくと、看板の横に置かれた机に真っ白な亀が沢山置かれています。陶器製らしき小さな亀で、順番が来ると一個選べるようでした。
「亀の甲羅に名前を書いて下さいね」
係の女性の説明によると、亀のお腹に貼られたシールの下にマークがついているのだとか。そのマークに当たり外れがあるそうですけど、今すぐ分かるというわけじゃなくて…。
「大水槽に入れるんですよ。それをダイバーが回収してからシールを剥がす仕組みです。シャングリラ学園の生徒さん限定で先着百名様となっております」
亀は残り少なくなっていましたが、私たちの分は十分に数がありました。話を聞くと無料でしたし、一個ずつ選んで名前を書き入れ、係の人に手渡してから建物の中へ。あんなイベントをしてるってことは大水槽の中にダイバーが出現するのは確実です。当たり外れも気になりますけど、亀の回収も見たいかな…。
「あれって何が当たるのかしら?」
スウェナちゃんの問いにサム君が首を捻って。
「何だろう? ブルーは当然知ってる…んだよな?」
「残念ながら知らないんだ。亀イベントをやるって所までしか…。賞品はゼルに丸投げしたから」
「「「ゼル先生!?」」」
「うん。…もうすぐ分かるさ、なぜゼルなのか」
大水槽の周囲を取り巻く通路をゆっくり下って他の水槽も見学しながら歩いていると、不意にアナウンスが入りました。
「只今からダイバーによるイベントを始めさせて頂きます。大水槽に亀の置物を百個沈めてダイバーが素潜りで回収します。大水槽の深さは十メートルとなっておりまして…」
「素潜りなのか…」
大変そうだな、とキース君が言い、私たちも横に聳える大水槽を見上げました。ごくごく普通のスタイルのダイバーが泳ぎ出てきて亀の置物をばら撒いています。百個の亀があちこちに沈むとダイバーは水槽の外に姿を消して…。
「それでは素潜りダイバーを御紹介させて頂きましょう。…シャングリラ学園教頭、ウィリアム・ハーレイ先生です。どうぞ拍手でお迎え下さい!」
「「「えぇぇっ!?」」」
教頭先生がダイバーですって? それも素潜りダイバーだなんて、いったい何がどうなってるの~?

大水槽が見える場所には人が集まり始めていました。シャングリラ学園の生徒以外に一般客の姿もあります。平日ですから少なめとはいえ、親子連れとかカップルとか…。
「ハーレイは素潜りが得意なんだよ」
会長さんが大水槽を覗き込みながら言いました。
「古式泳法の達人なのは知ってるだろう? 今日は流石に褌ってわけにはいかないけれど、十メートルくらいの深さはハーレイにとっては何でもないんだ。だから安心して見ていたまえ」
「…ゼル先生は何処で関わる? あんたの説明を是非聞きたいが」
キース君の疑問を会長さんはサラッと無視して。
「あ、ほら…出てきたよ、素潜りダイバーが」
「「「!!!」」」
遥か上の水中に現れた教頭先生を目にした瞬間、私たちは声を失いました。逞しい身体の教頭先生が見事な泳ぎで水槽の底を目指して潜ってゆきます。今、私たちの前を通過して下の方へとスイスイと…。
「……お、おい……」
震える指でキース君が水槽を指し、会長さんをひたと見詰めて。
「本当にいいのか、これで!? 止めるヤツは誰もいなかったのか!?」
「言っただろう、ゼルが関わってる…って。ゼルはあれでも長老なんだ。長老が一枚噛んでるってことは止めたい人がいないってことさ」
「「「…………」」」
私たちは茫然と大水槽を眺めました。教頭先生は一度目の潜水で回収した亀を水面に運び、待機していた係員に渡したようです。ジンベエザメや無数の魚の間を縫って再び底へと向かっていますが、滑らかなフォームは素潜り名人どころではなく、どちらかといえば芸当でした。教頭先生には足が無かったのです。代わりに大きな魚の尾が…。ショッキングピンクの人魚の尻尾が……。
「どうだい、素敵な人魚だろう? あの尻尾、水に入ればちゃんと泳げるって言ったよね。…ゼルもさ、最初は反対してたんだけど、恨みを買うと後が怖いねえ…。アルトさんたちの件、まだ根に持っていたらしい。お祭り騒ぎってことでOKが出たんだ、今日のイベント」
「「「お祭り騒ぎ…?」」」
「うん。一般の人がもっとシャングリラ学園に親しみを持ってくれるといいな、っていう意味合いで企画した。学園祭の時の花魁行列みたいなものさ。教頭自らコスプレだもんね。…ほら、あちこちでウケている」
大水槽を覗き込んでいる生徒も一般の人もお腹を抱えて笑っていました。教頭先生は大真面目な顔でせっせと亀を集めていますが、ショッキングピンクの尻尾は隠せません。両手で水を掻き、下半身をくねらせて水槽の中を泳ぐ姿は人魚そのもの。撫で付けた髪が乱れないのはサイオンかな…?
「違うよ、ゼラチンで固めてるんだ。シンクロの選手みたいにね」
「「「シンクロ…?」」」
それは聞き覚えのある単語でした。会長さんったら余程シンクロがお気に入りですか…?
「ふふ、最初からシンクロなんて全然関係なかったのさ。数学同好会と男子シンクロの話も真っ赤な嘘。フィットネスクラブに入会したのはハーレイ人魚を泳がせたかったからなんだよ。水族館でのデビュー目指して特訓してた。あそこには深いプールがあるから」
飛び込み用のね、とウインクしている会長さん。じゃあ、仲間を導いていると聞かされたのは…。
「ハーレイ以外に誰がいると? 特訓はけっこう骨が折れたよ、人魚の尻尾を装着するのが大変で」
あれにはTバックの下着が必須だから、と会長さんは教頭先生との攻防戦を語っています。それにしても人魚の尻尾って、本当に泳げるんですねえ…。
「もちろんさ。でなけりゃ特注しないってば。…素潜りが上手な人でなければそうそう上手くはいかないけども」
訓練はとてもハードなものだったとか。毎日プールで練習させられた教頭先生、ついに貧血でぶっ倒れたのが球技大会のお礼参りだと聞かされてしまい、会長さんをジト目で睨む私たち。でも…。
「いいんだってば。ハーレイはとても幸せだったんだ。ぶるぅは居たけど、ぼくとプールで二人きり。いそいそと練習に通ってきたし、Tバックの件を除けば文句は何も言わなかったし…」
無問題、とニッコリ笑った会長さんの後ろを教頭先生人魚がスーッと泳いでいきました。亀の回収は終わったらしく、アナウンスの後、大水槽の中を一周してから水面へ。割れんばかりの拍手に送られ、ショッキングピンクの尻尾の人魚は元来た陸へと戻ったのでした。

「あんた、つくづく無茶苦茶やるな…」
キース君がそう言ったのは大水槽の建物を後にしてから。私たちは亀の置物入りの紙袋を提げ、昼食を食べにイルカショーのスタジアムの方へ向かっていました。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」のリクエストです。会長さんは先を行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手を振りながら微笑んで…。
「無茶苦茶? 別にそうでもないだろう? ぼくの独断でやったんじゃないし、学校絡みのイベントだよ。…ぼくたちの亀はハズレだったけど、当たりの子たちは大喜びだ」
「「「………」」」
そうでした。教頭先生が回収した亀はシールを剥がされ、建物の出口でテーブルに並んでいたのです。自分の亀を受け取る時に当たりの人には景品が…。亀のお腹に『玉手箱』の文字が一等賞の大当たり。『乙姫』が二等で三等が『浦島』、ハズレは『亀』。私たち七人グループは亀、会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」も亀マークで…。
「ぼくたちが並んだ時には当たりの亀は無かったんだよ」
残念そうな会長さん。タイプ・ブルーだけにシールの下のマークが見えてたみたいです。ゼル先生に丸投げしたといいう景品が豪華な物だっただけに、惜しい気持ちがあるのでしょう。アルトちゃんとrちゃんも亀マークだったらしいのですが、教頭先生が回収してくれた亀というだけではしゃいでいるのを目撃済み。人魚姿で泳ぐのを見てもファン魂は健在でした。
「…アルトさんたちも目が覚めるかと思ったけれどダメだったな…」
そっちも残念、と会長さんは零しています。ゼル先生が教頭先生人魚の披露にGOサインを出した理由はアルトちゃんたちが船長服の教頭先生に見惚れてしまったせいだというのに、二人は何も知らないままで亀を貰って大喜び。会長さんに首ったけなのとは別のベクトルで教頭先生に惚れたのでしょうが、女心って謎ですよねえ…。
「別にハーレイが好きでもいいんだけどさ。…人魚姫を見ても幻滅どころか大喜びだよ? やっぱり自信を失くしそうだ」
「だったらブルーも人魚になれば?」
とんでもないことを口にしたジョミー君はサム君に後ろから首を締められ、イルカプールに突き落とすぞと脅されて…。
「ごめん、サム! ブルーの悪口を言ったわけじゃ…。言わない、二度と言わないってば!」
必死に謝るジョミー君。会長さんはクスクスと笑い、サム君に優しく微笑みかけて。
「ありがとう、サム。…人魚に変身は流石にちょっと…ね。お笑いはハーレイだけで十分。そうそう、シンクロの技も知識としては持ってるけれど演技することは出来ないよ? 男子シンクロの話は全部大嘘」
「ぶるぅは?」
やってたわよね、とスウェナちゃんが尋ねると…。
「ああ、ぶるぅの技は本物だよ。ハーレイの特訓中に退屈だろうと提案したらすぐにマスターしちゃったのさ」
「うん! 全部サイオンで覚えたんだ♪」
楽しいんだよ、と様々な技を指折り数える「そるじゃぁ・ぶるぅ」。イルカプールを見下ろしながらの昼食タイムは賑やかに過ぎていきました。そのまま午後のショーを楽しみ、次は何処を見学しようかとみんなで相談していると…。
「おい。ぶるぅがいないぞ」
キース君の声でスタジアムを見回した私たちの視界に見慣れた姿はありませんでした。イルカプールにも見当たりません。まさか迷子になっちゃったとか…?
「平気だよ。ここで待ってれば戻って来るさ、いざとなったら思念波もあるし」
大丈夫、と会長さんは昼寝モードに入っています。会長さんがそう言う以上、下手に騒ぐだけ無駄なんでしょうか? 何か気になるショーを見つけて行っちゃったのかもしれませんし…。
「…俺たちものんびり待たせて貰うか」
キース君が言い、シロエ君が。
「そうしましょう。サンドイッチも沢山残っていますよ」
大きな保冷バッグの中には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってきてくれたサンドイッチが入っていました。他にも特製の焼き菓子なんかが詰まっています。スタジアムに陣取った私たちが去年のドルフィン・ウェディングの話なんかをしながらのんびり「そるじゃぁ・ぶるぅ」の帰りを待っていると…。
「かみお~ん♪」
「あっ、ぶるぅだ!」
帰ってきたよ、と声がした方を見たジョミー君がポカンと口を開けて固まっています。なになに、何か変なもの見たの?
「かみお~ん♪」
バッシャーン、とイルカプールの水面が弾け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び出しました。空中高く躍り上がって宙返りをして水の中へと消えた姿を、私たちは唖然と見ているだけ。ステージに係員が出てきてイルカショーの音楽が高らかに響き渡ります。えっと…今年はショーに出ないって聞いたのに……イルカと握手するだけだって聞いていたのに、それも大嘘だったんですか~!?

「ん? …イルカショーの時間かい?」
昼寝をしていた会長さんが目をこすりながら起き上がります。赤い瞳が私たちを見渡して…。
「なんだ、全員固まってるんだ? ぶるぅがイルカと遊ぶ機会を見逃す筈がないだろう。今年のショーにぼくは出ないけど、いいステージになると思っているよ」
会長さんの言葉を裏付けるようにステージに立った係員の男性が叫びました。
「ドルフィン・スタジアムへようこそ、皆さん! 只今からのショーには素敵なゲストが出てくれます。…シャングリラ学園から来てくれました、そるじゃぁ・ぶるぅ君です!」
「かみお~ん♪」
イルカと一緒に飛び出してきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そこまでは去年と同じでした。しかし小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」はいつものマントを着けていません。いえ、マントは去年も無かったような…。でもでも、去年はきちんと銀色の服を…。今年も銀色と言えば銀色ですけど、それは銀色の鱗と尻尾。
「…なんでぶるぅが人魚なのさ…」
聞いてないよ、とジョミー君。幼児体型の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は銀色の人魚の尻尾をつけてイルカに混じって泳いでいました。サイオンで補助しているのでしょうか、イルカそっくりに尾びれで水面を進んでみたり、華麗に宙に舞い上がったり。
「シンクロの方が良かったかい? シンクロはイルカショーにはイマイチ映えない技なんだよ。人間としての見せ場はあるけど、イルカとの一体感がない。その点、人魚はバッチリだよね。同じ水棲哺乳類だし」
パチパチパチ…と拍手している会長さん。そりゃあ確かに水棲哺乳類という括りでいったら人魚もイルカも同じですが…って、人魚って実在してましたっけ?
「細かいことは言わぬが花さ。…スタジアムをごらんよ、大ウケじゃないか」
「「「………」」」
観客は大喝采でした。写真を撮っている人もいますし、携帯で仲間を呼ぶ人もいます。トレーナーの合図に合わせてイルカたちと同じ演技をしている小さな人魚は大人気。スタジアムは間もなく満員になり、立ち見の人まで出始めました。そこへ係員の人が声を大きく張り上げて…。
「ここでスペシャル・ゲストをお呼びしましょう! シャングリラ学園から来て下さった教頭のウィリアム・ハーレイ先生です!」
ギョッと息を飲む私たち。教頭先生は何処から登場するのでしょう? 去年のようにステージの袖から粛々と…な筈があるわけなかったですよね…。イルカプールから舞い上がった二匹目の人魚は褐色の肌にショッキングピンクの立派な尻尾。逞しい人魚が加わったことでスタジアムは爆笑の渦に包まれ、あちこちでフラッシュが光りました。
「どうだい? 本物の人魚姫だよ」
絵本じゃなくて、と会長さんが笑っています。人魚姫絵本で散々笑い転げた私たちでも予想だにしないこの光景。ふと気がつくとスタジアムにはゼル先生が来ていました。他にもバスでは見かけなかったブラウ先生やエラ先生が…。いいんでしょうか、こんなことで? シャングリラ学園の恥なのでは…?
「いいんだよ。親しみやすい学園目指してハーレイにはとことん踊ってもらうさ」
クスクスクス…と笑いを洩らす会長さん。
「やたらと長寿な生徒や先生で知られた学園なんだし、もっと垣根を低くしなきゃね。教頭自ら身体を張って笑いを取りに行くんだよ? 笑う門には福来る。とっても素敵な校風じゃないか」
「し、しかし……」
あんまりだぞ、とキース君が反論する声はゼル先生のヤジに消されました。
「いいぞハーレイ、もっとやれい!!!」
頑張らんかい、と囃し立てるゼル先生は心の底から楽しそう。演技している「そるじゃぁ・ぶるぅ」も楽しそうですが、果たして教頭先生は…? ゼラチンで固めた髪を乱さず、笑顔でイルカと跳ねてますけど、心境は…?
「…さあねえ…。シンクロは表情も演技の内だから」
その辺はシンクロが基本なんだ、と会長さんは得意顔です。シンクロも叩き込まれたらしい教頭先生人魚の動きは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで助けているのだそうで…。
「ハーレイの尻尾はTバックを履いてテープで接着してるんだけどね、ぶるぅの方はノーパンなんだ。後で楽屋を見に行くかい? きっとぶるぅも喜ぶよ」
「…教頭先生もいるんだろう?」
その手に乗るか、と悪態をつくキース君。人魚ショーは大歓声の中でフィナーレとなり、アンコールの声が巻き起こりました。シャングリラ学園の生徒も一般の人も手を叩いての大合唱です。
「かみお~ん♪」
高く舞い上がった「そるじゃぁ・ぶるぅ」と教頭先生はピタリと息が合っていました。この日のために積み重ねられた会長さんとの秘密の特訓。一度限りのショータイムなのか、いつか再演されるのか…。シャングリラ号の青の間でなら出来そうだな、とも思いましたけど「それだけはないよ」と会長さんから入った思念。
『やっぱり最低限の品位は保っておかないとね。今日のショーも写真には写らないよう細工してあるんだ、サイオンで。…大水槽でのイベントの方も』
だから流出は有り得ない、と会長さんは微笑んでいます。
『噂になるだけで十分だろう? シャングリラ学園の教頭は愉快な人だ…って。サイオンを持たない普通の人にも身近な学校でありたいと願い続けて三百年だよ? 実際そのようになっているけど、たまには羽目を外したいよね』
ハーレイも、と続ける会長さん。…そうは言っても教頭先生、羽目を外したかったんでしょうか? 外させられたとしか思えませんけど、実際の所はどうだったのか…。楽屋訪問をせずに帰った私たちには答えは謎のままでした。水族館からの帰りのバスは教頭先生の話でもちきりです。タクシーで帰宅したという教頭先生、顔で笑って心で泣いてのショーだったのか、笑顔で福は呼べたのか…。機会があったらきっと聞かせて下さいね~!



会長さんが参加した中間テストで1年A組は学園1位に輝きました。大満足のグレイブ先生ですが、楽は苦の種、苦は楽の種。待っていたのは名物の球技大会です。男女別にドッジボールで戦い、学年1位の他に学園1位も争うこの大会は…学園1位がとんだ曲者。球技大会の開催を告げたグレイブ先生は神経質そうに眼鏡を押し上げ…。
「諸君、学生の本分は勉学だ。むろん私は1位が好きだが、体格差で劣る上の学年と無理に争う必要はない。学年1位で良しとしておく。…その分の体力は翌日からの授業に備えて温存したまえ」
分かったな、と念を押すグレイブ先生の視線は教室の一番後ろに向けられています。今朝、増えたばかりのその机には会長さんが座っていました。机の上には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が腰掛けていたり…。
「ブルー、お前は虚弱体質だ。決して無茶をしてはいかんぞ。…諸君、明日は健康診断がある。体操服を用意して登校するように」
では、と朝のホームルームが終了すると会長さんは早速サボリに行ってしまって二度と帰って来ませんでした。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」もです。でも二人とも翌日の健康診断にはきちんと出てきて「そるじゃぁ・ぶるぅ」は女子と一緒に保健室へ。ヒルマン先生を代理に立てたまりぃ先生にお風呂に入れて貰って上機嫌です。
「かみお~ん♪ せくはら、気持ちいいよね」
保健室の奥の特別室でバスルームから出てきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は全身ホカホカ。相変わらずバスタイムをセクハラだと思ってますけど、まりぃ先生が好き好んでやっている以上はやっぱりセクハラ? 念入りに洗いまくっているようですし、「ぶるぅちゃんのお肌はぷにぷによねぇ」なんて言ってますから怪しいかも…。そして。
「お帰り。やっとぼくの番だね」
会長さんが水色の検査服を着て保健室へと出掛けて行きます。一人だけ体操服でないことといい、まりぃ先生が念入りに時間をかけることといい…会長さんも特別扱い。セクハラではなく会長さんが特別室でまりぃ先生にサービスしているらしいのですが、サイオニック・ドリームなのか更に踏み込んだ大人の時間なのかは分かりません。そんなこんなで球技大会当日が来て…。
「諸君、おはよう」
ジャージ姿で教室に現れたグレイブ先生はもう一度釘を刺しました。
「いいな、学園1位にはならなくていい。学年1位は狙って欲しいが、くれぐれも無理をしないように。…我が学園のドッジボールはハードだからな」
内野が一人もいなくなるまで勝負するのがシャングリラ学園流のドッジボールのルールです。身体への負担が大きいから、とグレイブ先生は私たちを心配してくれているのですけど…。
「ぼくが来たからには大丈夫だよ」
教室の一番後ろで上がった涼やかな声。振り返ったクラスメイトに向かって会長さんが微笑みました。
「確かにぼくは虚弱だけれど、試合の合間に休んでおけば回復する。女子チームにはぶるぅがいるしね、学年1位も学園1位も1年A組が手に入れるのさ」
大歓声の中、グレイブ先生は口をへの字に曲げています。みんなは会長さんを讃えているので気付きませんが、グレイブ先生、握った拳が震えていたり…。球技大会で学園1位を獲得すると副賞としてついてくるのが『お礼参り』。日頃の鬱憤晴らしに先生の中から一人を選んでボールをぶつけ放題という恐ろしい行事なのでした。入学したての1年生は誰一人として知りませんけど…。
「みんな、グレイブ先生のために頑張ろう! 目指せ学園1位の座だよ」
会長さんの言葉にクラス全員が奮い立ち、勝利を誓うとグランド目指して走り出します。グレイブ先生は苦々しい顔で私たち七人グループと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見つめました。
「…お前たち。今年もお礼参りをやらかす気か?」
「決まってるだろう」
答えを返したのは会長さん。
「年に一度のチャンスだからね。…ぼくはハーレイをボコボコにするのが気に入ったんだ」
「………。お礼参りは連帯責任があるのだぞ! 私も一蓮托生なのだ!」
唇を噛むグレイブ先生。『お礼参り』では指名された先生へのお詫びの意味で、ボールをぶつけるクラスの担任もコートに入ると決まっていました。指名された先生と二人きりの内野。そこへボールの集中攻撃。
「…そういう決まりになってるしねえ…。伝統ある由緒正しい行事じゃないか」
会長さんは澄ました顔。
「連帯責任が嫌なら一人で全部かぶってみるかい? 指名されたのが君だった場合、内野は一人ということになる。…それもなかなか面白そうだ」
「……そ、そ……それは……」
「嫌だろう? じゃあ諦めてハーレイと二人でボコられるんだね。二人で分ければ打ち身も減るって」
制限時間があるんだから、とウインクしている会長さん。…気の毒なグレイブ先生は去年と一昨年に続いて今年も巻き添え確定でした。

球技大会が始まると会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大活躍。二人とも運動神経が抜群ですし、サイオンも使っているようですし…気持ちいいくらいに次々アウトを取っていきます。1年A組は学年1位になり、更に2年、3年の1位のクラスと戦って…学園1位。表彰式で初めて『お礼参り』の存在を知ったクラスメイトは仰天しました。
「そうか…。それでグレイブ先生は学園1位にならなくていいと…」
「だけどなんだか面白そうだわ」
「でもさ、誰を指名するかが問題だよな」
あちこちから聞こえる名前の中ではゼル先生が圧倒的多数を誇っていました。頑固な上にキレ易いので積もる恨みがあるのでしょう。しかし…。
「ちょっといいかな?」
割り込んだのは今日の功労者である会長さんです。
「…ゼルにお礼参りをしたいって人が多いけれども、君たちが勝てたのはぶるぅとぼくが頑張った結果だと思わないかい? ぼくはゼルじゃない人を指名したくて1年A組に来たんだよね」
「「「???」」」
「ぼくの担任は実は教頭先生なんだ。ぼくのクラスにはぼく一人だけ。A組とかB組とかの呼び名もないし、球技大会も一人じゃ出場できないし……だから君たちと一緒に出たのさ。これからもテストでぶるぅの御利益が欲しいと言うなら、お礼参りの指名権を譲って欲しいんだけど」
それは究極の脅しでした。指名権を渡さなかったら会長さんは二度と1年A組に来ない、と言うのです。つい先日の中間試験で美味しい思いをしているクラスメイトは真っ青になってアッサリ陥落。指名権を得た会長さんは前に進み出、よく通る声で宣言しました。
「1年A組は全員一致で教頭先生を指名させて頂きます!」
おおっ、とどよめく全校生徒。2年生にも3年生にも会長さんの『お礼参り』に参加した元1年A組の生徒が混じっていますし、そうでない上級生も全員が目撃してたのですから騒ぎ出すのも当然で…。はやし立てる野次馬の群れがコートを取り巻き、教頭先生とグレイブ先生が出てきました。先生側の外野は今年もシド先生が務めるようです。
「1年A組、準備はいいかい?」
司会役のブラウ先生が改めてルールの説明を始めます。
「制限時間は7分間だ。お礼参りとして攻撃するのはアウトにならない頭だけさ。…ま、うっかり他の所に激突したってアウトは取らない決まりだけどね。でもA組の生徒は違うよ? 当たったらアウトで外野に出る。そして外野から攻撃する、と。分かったかい?」
「「「はーい!!!」」」
みんなで元気よく返事をするとホイッスルが鳴り、お礼参りタイムの始まりです。教頭先生もグレイブ先生も必死に逃げ回っているのですけど、ボールは遠慮なくボコボコと…。それに対してA組の方はボールが避けて通るというか、誰もアウトになりません。さては「そるじゃぁ・ぶるぅ」かな?
『かみお~ん♪ ブルーに頼まれたんだ! えっとね、去年も一昨年もアルトさんが当たっちゃったから…』
みんなにシールドしてるんだよ、と思念波で私たちに伝えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は小さな身体でボールを受け止め、凄いスピードで投げ返しています。その一発が教頭先生の顔面めがけて直撃して…。
「「「あぁっ!?」」」
巨体がグラリと揺らいだかと思うと、教頭先生はコートにバタリと倒れていました。ホイッスルが鳴り、まりぃ先生が救護テントから走って来ます。もしかして私たち、やり過ぎちゃった…?
「大丈夫よ、貧血みたいなものね」
鬼の霍乱、と告げるまりぃ先生。お礼参りは中止でしょうか? あと3分ほど残っていますが…。
「ハーレイは退場させるしかないね」
不甲斐ない、とブラウ先生が腕組みをして仁王立ち。
「こないだから金欠だとかでロクな食事をしてないせいだろ、貧血なんて。…お礼参りの途中でダウンだなんてカッコ悪いったらありゃしない。仕方ない、別の誰かを指名しとくれ」
「「「えぇっ!?」」」
いいんですか、と口々に尋ねるクラスメイトにブラウ先生はバチンと片目を瞑ってみせて。
「年に一度の名物だからね、逃げちゃ教師の名がすたる。…誰か候補はいるのかい? いないんだったらグレイブ一人で…」
「「「ゼル先生!!!」」」
会長さんに指名権を召し上げられたクラスメイトの叫びが一気に爆発しました。渋々コートに入ってきたゼル先生の頭めがけてボールが乱れ飛び、大喝采の内に『お礼参り』は無事終了。…うーん、今年の球技大会も白熱していて凄かったような…。

放課後、私たちは揃って「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に出掛けてクレープ・パーティー。イチゴにバナナ、カスタードクリームにオレンジソースとバリエーション豊かに楽しんでいると…。
「あれっ?」
ジョミー君が床に屈み込み、カードのようなものを拾い上げて。
「はい。落としたよ、ブルー」
「ありがとう」
受け取ろうと手を伸ばした会長さんの前でジョミー君の目がカードに釘付けになっていました。
「……ジョミー?」
「えっ? あ、ああ…。ごめん、ちょっとビックリしちゃって…」
意外だった、と言いながらカードを渡すジョミー君。あのカードに何か問題が…? 誰もがジョミー君と会長さんを見比べています。会長さんはクスクスと笑い、胸ポケットに入れようとしていたカードをテーブルの上に置きました。…えぇっ!? これってフィットネスクラブの会員証!?
「…うーん、そんなに似合ってないかな?」
コクコクと頷く私たち。虚弱体質の会長さんがフィットネスクラブへ何をしに? 護身術を習ったことがあるとは聞いてましたし、その技で教頭先生を投げ飛ばしたのも見ましたけれど……また何か習おうと思ってますか? それとも身体を鍛えるとか?
「よく見てよ。これでもVIP会員だから」
「「「………」」」
確かにVIP会員です。スポーツ好きとも思えないのに、なんでまた…。
「そのクラブね…。実はぼくたちの仲間が経営してるんだ。おかげで仲間専用の時間帯と枠がある。申請すれば誰でも入会できるってわけ」
「で、あんたは何を企んでるんだ?」
単刀直入に切り出したのはキース君でした。
「あんたと会ってから3年目だが、フィットネスクラブに通ってるなんて話は聞いていないぞ。会員証を見せびらかすように落としてみたり、裏があるとしか思えないが」
「…裏なんてないさ。入会したのが最近なだけで」
ね、ぶるぅ? と同意を求める会長さん。
「うん! あのね、ぼくも一緒に通ってるんだ。プールで泳ぐの楽しいよ!」
広くて貸切、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔です。
「そうだ、みんなも行ってみる? 仲間だったら会員にならなくっても泳げるし…。ねえ、ブルー?」
「みんなで? それもいいかもしれないね。たまにはそういう場所で泳ぐのも」
レジャー施設のプールに行くのも楽しいけれど、と会長さん。フィットネスクラブのプールって何かが違うんでしょうか? インストラクターがついてくるとか?
「ぼくが行く時間は特に何もないよ、変わったことは…ね。そろそろ暑くなってきてるし、週末にでも泳ぎに行こうか」
どうやら裏は無さそうでした。会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と思う存分泳いでみたくて入会したと言っていますし、仲間の経営する施設ともなればソルジャーである会長さんはVIPの中のVIPですし……普通の施設のプールよりかは色々融通が利くのでしょう。
「フィットネスクラブか…。前から興味はあったんだがな」
キース君の一言が決め手になって私たちもプールに行ってみることに。その時間帯はプールだけでなく、他の施設も優先的に使えるのだとか。
「ジムなんか面白そうだよね」
鍛えようかな、とジョミー君がパンフを眺めています。
「おいおい、会員になる気かよ? 三日坊主がオチだって!」
混ぜっ返したサム君にジョミー君が食ってかかって、更にキース君がからかって…。収拾がつかなくなった所で会長さんがパンパンと手を打ち合わせました。
「最初はプールでいいだろう? ぼくもプールしか行っていないし、他の施設は知らないんだ。興味があるなら折を見て紹介してあげるから」
分かったね、と言われて頷くジョミー君たち。そういうわけで金曜日の授業が終わった後にフィットネスクラブへ出掛けることになりました。どんな所かな、このクラブ? スイミング・スクールもやっているので飛び込み用のプールとかもあるようですけど、楽しく泳げるプールだといいな…。

会長さんがVIP会員になったフィットネスクラブはアルテメシアではメジャーなクラブで、送迎用のマイクロバスが走っているのをよく見かけます。そのバスが金曜日の放課後、シャングリラ学園の校門前にやって来ました。乗客は私たち七人グループと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」。クラブに着くとプールのフロアは本当に私たちだけの貸切で…。
「ほらね、言ってたとおりだろう? ぼくが通う時は貸切なんだ。元々、仲間専用の時間帯だし」
水着に着替えた会長さんがプールに飛び込み、綺麗なフォームで泳ぎ出します。私たちもプールを楽しみ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は浮輪をつけて浮かんでみたり、飛び込み台から深いプールに飛び込んでみたり。
「かみお~ん♪」
宙返りしながらダイブしていく「そるじゃぁ・ぶるぅ」は飛び込みの選手みたいでした。会長さんも気持ちよさそうに泳いでいますし、VIP会員になっただけの価値はありそうです。ソルジャーだけにVIP料金どころか一銭も払ってないのでしょうけど。
「…VIP会員って高いんだろうね…」
ジョミー君も同じことを考えていたようです。私たちはプールサイドで会長さんの泳ぎを眺めていました。
「あいつのことだ、ビタ一文払っていないと思うぞ」
ソルジャーに請求書なんか怖くて出せるか、とキース君。シロエ君もそれに同意しましたが…。
「呼んだかい?」
「「「うわっ!?」」」
いきなり背後に会長さんが出現したからたまりません。男の子たちは大パニック。スウェナちゃんと私は口をパクパク。…多分サイオンを使ったのでしょう、会長さんは髪まですっかり乾いています。
「せっかく来たのにもう泳ぐのをやめたんだ? まあ、ぼくもそろそろ限界だけど」
疲れちゃった、とプールサイドの椅子に座ると「そるじゃぁ・ぶるぅ」がスポーツドリンクを持って走って来ました。こちらはペタペタと濡れた足跡がついているのが可愛かったり…。会長さんは喉を潤し、私たちをぐるりと見渡して。
「君たちが想像しているとおり、会費は払ってないんだよ。…ソルジャーだからっていうのもあるけど、趣味と実益を兼ねているから」
「「「実益?」」」
「うん。…ソルジャーとして仲間をここで導いている。この時間はまだ来てないけどさ」
早すぎるから、と壁の時計を見る会長さん。そういえばまだ夕方です。いつもだったら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で遊んでいる最中といった所でしょうか。…じゃあ、今日もこれからその仲間が…?
「今日は来ないよ、君たちと遊ぶ約束をしているからね。この後はみんなで串カツだろう?」
「そっか…」
来ないんだ、と残念そうに呟くジョミー君。仲間だの導くだのと気になる言葉を口にされては誰もが同じ心境でしょうが…。ええ、私だって残念ですとも!
「…誰が来るのか知りたいかい?」
会長さんの問いに私たちは揃って頷きました。ソルジャーの立場の会長さんが、プールで仲間にどんな指導を…?
「まずパスカル」
え。パスカルって……あの特別生のパスカル先輩?
「それにボナール、それからセルジュとジルベールと…他にも色々」
「…数学同好会の連中じゃないか」
他は知らんが、とキース君が返すと会長さんは唇に笑みを刻んで。
「そうだよ、基本は数学同好会。君たちが知らない名前の方は数学同好会のOBというか、元メンバーだった連中というか…。とにかく全員、特別生の男子ばかりさ。今は特訓の真っ最中でね」
「特訓って…?」
何さ、と首を傾げたジョミー君に会長さんは真面目な顔で。
「…シンクロ」
「「「シンクロ!?」」」
私たちの脳裏を掠めたものはシンクロナイズドスイミング。あちこちの高校で流行りだという男子ばかりのシンクロでしたが、いくらなんでも見当違い。きっとサイオンをシンクロさせて何かしようというのでしょう。プールを使うのにもきっと理由が…。
「言っておくけど、そっちのシンクロじゃないからね」
「「「え?」」」
そっちって、どっち? 混乱しかけた私たちの横から駈け出していったのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「かみお~ん♪」
タタタ…とプールサイドを走り抜けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は勢いよく水に飛び込みました。スイスイ泳いで潜ったかと思うとヌッと片足が突き出して…。
「あれがシンクロ」
会長さんがニッコリ微笑み、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は器用に演技を続けています。ええ、シンクロナイズドスイミングの…。じゃあ、数学同好会のメンバーと元メンバーがプールで特訓してるのは……会長さんが指導しているというシンクロは…。
「シンクロナイズドスイミングさ。…いわゆる男子シンクロってヤツ」
「「「!!!」」」
全員の目が点になっていたと思います。なんでソルジャーがそんな指導を? そもそも数学同好会が何故に男子のシンクロなんかを…?

「…学園祭に向けての布石なんだよ」
脱力しきってへたり込んでいる私たちに会長さんは淡々と説明をし始めました。数学同好会が常に存亡の危機にあること。思い切った会員獲得のために学園祭で男子シンクロを披露し、目立ちたがりの有望な男子生徒や男子目当ての女子を呼び込もうと計画していること…。
「パスカルたちだけでは足りないからね、元メンバーにも召集をかけたらしいんだ。相当えげつない手を使って無理やり集めたみたいだけれど、連中はよく頑張っている。学園祭さえ無事に終われば晴れて自由の身になれるんだし」
「…何故ソルジャーが必要なんだ?」
キース君の冷静な突っ込みに会長さんはクスッと笑って。
「えげつない手の一つっていうのがソルジャーの名前なんだよね。男子シンクロはぼくの発案ってことになってる。会員減少に歯止めをかけたい、との相談を受けて提案した…と。それともう一つ重要なのはシンクロの技かな」
「「「技?」」」
「そう。仲間同士ならサイオンで一瞬の内に技の伝達が可能だけれど、仲間の中に男子シンクロの技を持つ者はいなかった。…だったら地道に練習するか、でなきゃ普通の人間が持つ技を盗み出すしか道は無いけど……普通の人間から技をまるっと頂戴できる能力っていうのはタイプ・ブルーにしか無いものらしくて」
ゆえに自分が指導係になったのだ、と会長さんが眺める先では「そるじゃぁ・ぶるぅ」が一人でシンクロを続けていました。では、あの技も会長さんが…?
「ぶるぅは違うよ。ぶるぅもタイプ・ブルーだからね、ぼくと一緒に技を盗んで面白がってやってるだけ。理屈で言えば男子シンクロはぼくでも可能だ。…ただし身体がついていかない」
虚弱体質だし…と言う会長さんを私たちは不審の眼差しで見詰めていました。本当は演技できるのでは? 笑い物になりたくないので出来ないと言っているだけなのでは…?
「…バレちゃったか。でもね、長時間は無理だと思う。せいぜい1分程度かな、うん。…あれは体力が必要なんだよ。ああ見えてハードなスポーツなんだ」
可能だけども絶対やってみたくない、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の見事なシンクロを見ています。数学同好会のメンバーたちには会長さんがサイオンで技を教えて、プールサイドから思念波で檄を飛ばすのだとか。
「思念波はとても便利だよ。水の中でもよく伝わるし、演技している仲間同士もピタリと呼吸を合わせられる。…学園祭を楽しみにしたまえ、男子シンクロは必見だ」
「「「………」」」
なんだか凄い展開になってるようです。ソルジャーまで担ぎ出しての特訓だなんて、アルトちゃんとrちゃんも練習について来ているのでしょうか? 女子は出番がありませんからマネージャーでもしているのかな?
「アルトさんとrさんには内緒だってさ。まだまだ完成してないからね、呆れて退部でもされたら困るんだそうだ。芸の域まで到達してからカミングアウトをするらしいよ」
アルトちゃんたちにも秘密の内に涙ぐましい特訓を…。数学同好会の人たちを見る目が変わりそうです。でも会長さんは「絶対話しちゃいけないよ」と厳しく告げて、更に意識にブロックをかけてしまったみたい。
「よし。…これで君たちが知っていることは誰にもバレずに隠しておける。後はその口が余計なことを喋らなければ大丈夫だ。もしも喋ったら記憶操作が必要になるから相応の罰を受けてもらうよ」
「「「………罰?」」」
「目には目を…って言うだろう? 君たちの口から秘密がバレたら、君たちにも同じ特訓をする。学園祭では君たちと数学同好会がプールで技を競うんだ。どっちのシンクロが優れているか、観客の反応が楽しみだよね」
「お、おい…!」
ちょっと待て、とキース君が必死の形相で会長さんを遮りました。
「バレるのは誰からかなんて分からないぞ! 女子からバレても男子シンクロをやらされるのか? 俺たちが女子の分の罰を引っ被るのか!?」
「当然じゃないか」
傲然と言い放つ会長さん。い、いいのかな……男子に罪を被せるなんて……。うろたえているスウェナちゃんと私に会長さんは穏やかに微笑みかけて。
「男子たるもの、女子に対してはナイトでなきゃね。…ぼくはいつでもフィシスやアルトさんたちの身代わりになる用意があるよ? それにさ、ドジを踏んだら君たちに累が及ぶって思ってた方がスウェナたちだって慎重になる。…それでも秘密が漏れちゃった時は運命だと思って諦めたまえ」
男らしく、とキース君たちをビシリと指差し、会長さんは更衣室へと消えました。私たちも着替えを済ませ、予定通りに串カツ店へ。男子シンクロの件は誰も口にせず、ひたすら秘密を守り抜こうと決意を新たにしているようです。この状態が学園祭のシーズンまで続くと思うと泣きそうでした。ジョミー君が会員証を拾わなかったら…。フィットネスクラブに行かなかったら…。後悔先に立たずですけど、号泣しても許されますか…?

教頭先生が会長さんの写真がついた抱き枕をゲットしてから日は過ぎて…中間試験がやって来ました。1位がお好きなグレイブ先生のために1年A組が一丸となって目指すは学年1位の座です。私たちはもう慣れっこになってましたけどテストの間は教室の一番後ろに机が増えて…。
「おはよう。テスト中はぼくも1年A組だからよろしくね」
会長さんの挨拶に女子が黄色い悲鳴を上げます。男子は教科書とノート片手に質問三昧。
「俺、一応ヤマはかけたんですけど…外していても大丈夫ですか?」
「この公式がどうしても覚えられなくて…。このままいくと白紙になってしまいそうです。それでもなんとかなりますか?」
全員に満点を約束している会長さん。初めてのみんなが信じられないのも無理はありません。会長さんはニッコリ笑って答えました。
「心配なんか要らないよ。ぶるぅの御利益って言っただろう? テストが始まればすぐに分かるさ、君たちは全員満点だ。あ、ほら…グレイブが来た」
カツカツと軍人のような靴音を響かせてやって来たのはグレイブ先生。出席を取り、眼鏡をツイと押し上げて…試験初日は数学から。グレイブ先生の担当科目だけあって気合の入った難問揃いの筈ですが…。
「やったー! 全部解けたぜ、この俺が!」
「凄いご利益ね…。そるじゃぁ・ぶるぅってホントに効くんだ…」
解答用紙を回収したグレイブ先生が出て行った後、クラスメイトは大感激。涙ぐむ子もいたりして…。こんな調子で三日間の試験が無事に終わって、私たち七人グループは会長さんと一緒に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かいました。
「かみお~ん♪ みんな、お疲れ様! お昼御飯が出来てるよ」
お腹空いたでしょ、とすぐに出てくる石焼ビビンバ。わかめスープもついています。賑やかに食べていると会長さんが。
「みんな、荷物はちゃんと用意してきた? 今から運ぼうと思うんだけど」
そうでした。今日は金曜日なので打ち上げパーティーの後は会長さんの家でお泊まり会という予定。荷物は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が私たちの家から瞬間移動で直接運んでくれるというので持たずに登校したのです。会長さんは一人ずつ荷物の置き場所を尋ね、自分の家のゲストルームへ移動させていたようですが…。
「はい、おしまい。それじゃ軍資金を貰いに行こうか」
教頭室へ、と先頭に立って部屋を出ていく会長さん。私たちは戦々恐々として会長さんに続きました。なにしろ特別生一年目の三学期の試験の後はとんでもないことになりましたから…。教頭先生を打ち上げに誘って、会長さんが仕掛けた野球拳。身ぐるみ剥がれた教頭先生が辿った末路は思い出したくもありません。
「…なんだ、心配してるんだ? 今日はハーレイは誘わないから大丈夫だよ」
用があるのはお金だけ、と本館に入って教頭室の重厚な扉を軽くノックする会長さん。
「失礼します」
扉を開いて入って行くと教頭先生はテストの採点中でした。
「おお、来たか。今日は多めに入れておいたぞ」
教頭先生が取り出した熨斗袋を受け取った会長さんは中身を数えて冷たい口調で。
「足りないよ。今日は鉄板焼きを食べに行くんだ、いい肉が出ているらしいんだよね。ほら、最高と噂の高いラスコー産の。…だからさ、あとこれだけほど貰わないと」
会長さんが出した指の数に教頭先生は青ざめました。
「ちょ、ちょっと待て、それは高すぎるだろう! 私は今は金欠で…」
「ふうん? ああ、麻雀で負けたのか。でも財布には入っているよ、ちょうどそれくらいの額のお金が」
「こ、この金はゼルに返すんだ! 負けが込みすぎて手持ちの金では足りなくて…今日中に返さないと十一の利子が…」
「「「トイチ?」」」
初めて聞いた耳慣れない単語をつい復唱する私たち。会長さんはクスクスおかしそうに笑っています。
「十日で1割の利子ってことさ。ゼルはけっこうがめついからね」
「分かっているなら勘弁してくれ! その金が無いと生活費が……私の食費が…」
「お金なら口座にあるだろう? キャプテンの給料が入った筈だよ、それに比べたらはした金さ」
そう言いながら財布を出すよう脅しをかける会長さん。
「払ってくれないんなら長老たちに言いつけるよ? ぼくに無理やりポーズを取らせて抱き枕用の写真を撮った…って。教え子に対する猥褻行為で謹慎処分は間違いない。…どうしようかな、ゼルに言うのが一番かな?」
「…………」
教頭先生は眉間を押さえ、深くなった皺を指で何度も揉んで…。
「…やむを得ん…。今月は耐乏生活だな」
懐から出した財布は会長さんにお金を渡すと本当に空になりました。嬉々としてお札を数えた会長さんはそれを熨斗袋に突っ込み、クルリと鮮やかに回れ右。
「ありがとう、ハーレイ。それじゃ、またね」
バタンと閉まった扉の向こうで教頭先生が気落ちしているのが分かります。特別生のヒヨコといえども、二年目にもなれば少しはサイオンで感じ取れるのかもしれません。でも、いいのかな…トイチの利子…。
「いいんだってば。ハーレイはぼくに惚れてるんだし、ぼくが使えば有効利用。麻雀の賭け金なんかよりずっと素敵さ」
平気、平気…と会長さん。まあ確かに、いざとなったらキャプテンとしてのお給料だってあるのです。それを使わずに貯金しているのは会長さんとの結婚生活に備えてのこと。そこから少し持ち出してくれば済む話ですし、放っておいてもいいですよね…?

打ち上げパーティーは個室でゴージャスに鉄板焼き。生産者の名前がついたラスコー産のお肉はとても美味しく、舌が肥えている会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も大満足の味でした。たっぷり食べてタクシーで会長さんのマンションに行くと、ゲストルームにちゃんとお泊まり用の荷物があります。お風呂に入ってリラックスして、みんなでリビングに集まって…。
「かみお~ん♪ お待たせ! 梅シロップ寒天だよ」
フルーツたっぷりの器を配ってくれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。梅シロップはマザー農場で採れた無農薬の梅を漬け込んだ秘蔵の品で、セットで梅酒もあるのだそうです。会長さんの前に置かれたグラスがそうかな? 私たちはどう転んでも未成年なので梅シロップのソーダ割りですが…。ジョミー君たちはパジャマ姿で、スウェナちゃんと私はパジャマにガウン。
「結局、いつも借りちゃうのよね」
素敵だから、とスウェナちゃんが言うのはガウンのこと。フィシスさん用のガウンを借りて羽織るのがスウェナちゃんと私のお泊まりスタイル。お姫様のドレスみたいなガウンが沢山置かれているので、ついつい借りてしまうのでした。だって憧れるじゃないですか…繊細なレースやゴージャスな刺繍。
「女の子って好きだよねえ…。そういうのが」
レースびらびら、とジョミー君が笑ってますけど、この気持ちは男の子には理解不能だからいいんです。スウェナちゃんが借りてきたのはミントグリーンのシルクのガウンで襟や袖口にレースがたっぷり。私のもレースをあしらったローズピンクでしたが、キース君がスウェナちゃんをまじまじと見て…。
「おい、その色って…似てないか?」
「えっ? 何に?」
キョトンとしているスウェナちゃん。ここへは制服で来たんですからスウェナちゃんの私服はまだ見ていません。下のパジャマは水色ですし、いったい何に似ていると…? キース君は「いや…」と言葉を濁し、気のせいだろうと付け加えました。
「冷静に考えてみたら別物だしな。…とっくに処分している筈だ」
「「「処分?」」」
穏やかでない響きに首を傾げる私たち。一番に口を開いたのはジョミー君でした。
「処分って何さ? 何が似ていて、なんで似ていたら処分なのさ?」
「い、いや…だから……気のせいだろうと…」
モゴモゴと呟くキース君ですが、あまりにもらしくない歯切れの悪さに誰もが疑問を募らせるだけ。そこへ…。
「キースが似ていると言っているのはコレだろう?」
割って入った会長さんが取り出したのはシルクのパジャマ。スウェナちゃんのガウンとそっくり同じの色合いをしたミントグリーンのそのパジャマには嫌というほど見覚えが…。
「「「!!!」」」
キース君がウッと息を飲み、私たちも目が真ん円です。これって教頭先生にプレゼントされてしまった抱き枕の写真に使ったパジャマと同じなのでは…? 色もデザインもそっくりですし…。
「…アレなんだよね、残念ながら…」
会長さんは大きな溜息をついてパジャマを広げてみせました。
「例の写真と同じヤツだよ、まだ何枚も新品がある。…撮影に使われたヤツは捨てちゃったけど、残りは諦めて着るしかないんだ」
え。キース君の言葉を思い出すまでもなく、会長さんが抱き枕の写真に使われたパジャマを処分しないわけがありません。現にそうしたようですけれど、同じデザインのを残しておいて着るしかないとは一体どうして? もしかして凄く高価でレアもののパジャマだったとか…?
「うーん…。レアものというのが正しいかな。なにしろ二度と手に入らないし…。初売りっていうのはお正月しかないものだろ?」
「「「初売り?」」」
ますますもって訳が分からなくなってきました。初売りで買ったパジャマがどうレアだと? 縁起物だから処分できないとかそういうのですか…?
「………フィシスのラッキーカラーなんだよ」
「「「は?」」」
「だからさ、フィシスの今年のラッキーカラーがミントグリーンだって占いに出て…二人で初売りに行って買って来たんだ、パジャマとネグリジェ。スウェナが着ているガウンもね。…ほら、フィシスはぼくの女神だし……ラッキーカラーが幸運を呼ぶなら手伝いたいと思うじゃないか」
それで自分もミントグリーンのパジャマにした、と会長さん。フィシスさんは運気が上がりそうな日や大切な時はラッキーカラーを身に着けるのが習慣だとか。そういえば今年の親睦ダンスパーティーのワルツで着ていたドレスもミントグリーンでしたっけ…。
「夜は二人で一つになるだろ? お揃いの色のパジャマがいいんだ。フィシスが言うには初売りで買った品物には更にパワーがあるとかで…。事情はどうあれ、捨てちゃうなんて出来ないよ」
「…正直に言えばいいんじゃないのか?」
キース君が腕組みをして真面目な顔で尋ねます。
「フィシスさんもあっちのブルーを知ってるんだし…悪戯されて抱き枕の写真に使われた、と言ってしまえば着ずに済むかもしれないぞ。なんと言っても教頭先生が大事にしている抱き枕だしな」
「…もう言った。話したんだけど通じなかったよ、フィシスはとても純情だから…」
女神だしね、と会長さんは苦笑いして。
「ノルディがぼくを狙っているのを理解できないって前に話さなかったっけ? それと同じでハーレイのこともフィシスは全然分からなくってね…。ぼくを大切にしてくれる人だと信じている。だから抱き枕の絵柄にされたと言ってもニッコリ笑って…よかったわね、って。ぶるぅと同じレベルなんだよ」
「えっ、なあに? ぼく、何かした? そっか、ハーレイにあげたブルーのぬいぐるみだね!」
コーティングしてあげたもんね、と胸を張っている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。…気の毒な会長さんは理解されない悲哀を背負ってミントグリーンのパジャマを着続けるしかないようです。でもフィシスさんのためなら我慢するなんて、やっぱり女神は別格ですねえ…。

それから私たちはトランプをしたりしてワイワイ騒いで、夜が更けても元気一杯。誰もゲストルームに引き上げないまま遊んでいると、休憩していたシロエ君が壁際の棚に目を留めて…。
「あれ? これって…」
視線の先には淡いピンクの背表紙の本がありました。本棚ですから本があるのは当然ですけど、シロエ君、どうかしたのかな? 顔を近づけてまじまじと観察しているようです。何か珍しい本なのでしょうか?
「…えっと……会長?」
「ん? 気になる本でも見つかったかい?」
好きなのを出して読んでもいいよ、と会長さんが答えを返すとシロエ君は「でも…」と口ごもって。
「いいんですか、本当に? この本のタイトル、人魚姫って書いてあるんですけど…」
「なんだ、それか。 読みたいんだったら好きにしたまえ」
「…でも……会長の分はないんだって聞いたような…」
え。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を除いた全員の視線がシロエ君に集まりました。淡いピンクの背表紙の本で、タイトルが人魚姫。そして会長さんの分がない本といえば、もしかしてあの…人魚姫絵本? 連休にシャングリラ号へ遊びに行った時、ゼル先生が口止め料代わりに読ませてくれた爆笑モノの…?
「…ぼくの分の本も出来たんだよ」
不本意ながら、と会長さん。それじゃやっぱりあの本は…? 会長さんは棚の所へ行き、シロエ君が見ていた本を引っ張り出して私たちの方へ戻って来ました。シロエ君も後ろにくっついています。私たちの真ん中にトンと置かれた淡いピンクの装丁の本は記憶の中の…絵本そのもの。
「気持ち悪いから要らないって言ってたのに……なんで?」
ジョミー君の問いに会長さんはフウと吐息をついて。
「…フィシスが欲しがったから増刷したのさ。フィシスが持ってるとなったらペアで持ちたくなるじゃないか。だから自分の分も作った。…フィシスはブラウに見せて貰って羨ましくなったらしいんだ」
「…けっこう悪趣味なんですね…」
意外でした、と言うシロエ君に会長さんは顔をしかめて。
「違うよ、中身の問題じゃない。…長老しか持っていないというのがフィシスが残念がった点。自分は長老たちほど長い年数をぼくと一緒に生きていない、と寂しそうにしていることがあるからね…。本の中身はどうでもいいんだ、フィシスにとっては。長老たちと同じに扱われたい、と願っただけ」
「…それにしたって…」
人魚姫だぜ、とキース君が呆れています。フィシスさんの天然っぷりは先刻も聞かされましたけれども、女神ともなれば心もドーンと広くなるとか…? この絵本を欲しいと思うだなんて…。
「…君たち、フィシスを馬鹿にしてるだろう? でも君たちも他人のことを言えた義理かい? 読みたくてたまらないくせに」
「「「!!!」」」
ギクッ。おずおずと顔を見合わせる私たちの瞳は好奇心を隠し切れていませんでした。ゼル先生に見せて貰った人魚姫絵本は凄かったですし、ここでなら誰に遠慮もせずに笑い転げられるというものですが…。シャングリラ号の機関部で見た時も散々笑いましたけど。
「ほらね、やっぱり読みたがってる。…フィシスにきちんと謝るんなら読ませてあげるよ、その絵本。あ、いきなり謝られてもフィシスも困ってしまうだろうし……とりあえず、ぼくに謝っておきたまえ」
「「「…はーい…」」」
ごめんなさい、と私たちは頭を下げました。天然だろうがズレていようが、フィシスさんは会長さんの女神です。しかも美人で占いも出来て、優しくてとても賢い人で…。
「そのくらいでいいよ、フィシスの素晴らしさを分かっているならそれでいい。はい、どうぞ。…ぼくの特製人魚姫絵本、第二版」
ズイと押し出された絵本を囲んで車座になった私たち。ページをめくる係をジャンケンで決め、正面に陣取ったジョミー君が。
「それじゃ開けるね。ページをめくりたい時は合図して」
淡いピンクの表紙がめくられ、褐色の肌にショッキングピンクの尻尾を持った人魚姫の写真が現れました。海面に突き出た岩に座ってウットリ手鏡を眺めています。髪に貝殻の冠を飾った教頭先生…いえ、人魚姫のロマンティックな恋と冒険が次のページから始まりますよ~!

会長さんの力作の人魚姫絵本は私たちが撮影した写真を元に背景などを合成した上、文章を添えたオリジナル。もちろんストーリーだっていわゆる『人魚姫』とは全く違っているのでした。どんなのかって? えっと、それは…。
「うぷぷぷ…。何回見ても笑えるよな、これ」
サム君が笑いを堪えているのは人魚姫と王子様の出会いのシーン。お城の舞踏会で踊っているのは魚、さかな、サカナ。鯛やヒラメが舞い踊る中、逞しい人魚姫が恋をするのは立派なマグロの王子様です。二百キロを超える本マグロですが、カッコ書きで「刺身にすれば二千人分」と添えてあるのが会長さんのセンス。
「うん、お刺身は余計だよねえ…」
ロマンティックが台無しだよ、と言いつつジョミー君が笑うとキース君が。
「いや、伏線は大事だぞ? 刺身はベストな選択だ」
分かり易いからな、との言葉に誰もが納得。マグロといえばお刺身が身近ですものね。…人魚姫と王子様はデートを重ね、今日は海面に近い明るい海へ。語らっている所に泳いできたのは金色のイワシ。金で出来たイワシではなく、アルビノのイワシなのですが…人魚姫は物珍しさに瞳がキラキラ。そこで王子様は金のイワシを捕まえようと…。
「マグロだものねえ…。咥えるしかないっていうのは分かるんだけど」
悲惨よね、とスウェナちゃん。マグロの一本釣り漁法の中に「まずイワシを釣る」方法があるのだそうで、釣ったイワシを泳がせておいてマグロの餌にするのです。…王子様が人魚姫にプレゼントしたくて咥えたイワシは釣り用の餌で…。
「これ、これ! ここの写真の人たち、今頃クシャミしてるんじゃないの?」
ジョミー君がめくった絵本の中では笑顔のおじさんが二人がかりで王子様を船に引き上げていました。船の周りを泳ぎ回る人魚姫には気付いていません。驚き慌てる人魚姫と大漁を喜ぶ漁師たちとの表情のかけ離れっぷりが最高で…。教頭先生の焦った顔は撮影会では撮ってませんし、会長さんが他の写真を合成して作り上げたのでしょう。
「この辺りまで来ると気の毒としか…。し、しかし…」
笑いが止まらん、とキース君が目尻に涙を滲ませ、誰もが笑い転げています。マグロを釣り上げた漁師が一番にすることは活け締めですが、太くて鋭いキリのような道具を構えた瞬間、おじさんの腕にヒットしたのは大きな尾びれ。王子様の尾びれではなくショッキングピンクの尾びれです。
「…だ、誰なんだろうね、このおじさんたち…」
ジョミー君が笑いながら指差しているのは船の上でダウンしている二人のおじさん。船に躍り込んだ人魚姫は大乱闘の末に王子様を無事に救い出し、いそいそと海に帰るのですけど…逞しい尾びれで殴られまくったおじさんたちの写真は何処から…?
「釣りバカ日誌ってウェブサイトだよ」
会長さんが口にしたのは釣り好きの二人組が運営しているというサイトの名前。マグロの一本釣りにも何度か挑戦していて、成功例ももちろん沢山。ダウンした図は二人揃って日射病に倒れた時のだそうです。
「画像はご自由にお持ち下さいって書いてあったから貰って来たのさ。まさか人魚と格闘したとは夢にも思ってないだろうけど…。あ、のけぞってる写真はイカ釣りのヤツ。墨を吐くだろ、だから色々と笑える写真が多くてさ」
「…イカなのか…。人魚よりかはまだマシだろうな」
キース君が呟き、マツカ君が。
「当然ですよ。人魚を釣ったら殴られますって」
凶器は尻尾だけですけれど、と肩を竦めるマツカ君。教頭先生人魚の写真撮影で撮ったポーズに格闘技のが無かったせいか、人魚姫の武器はショッキングピンクの尾びれでした。…漁師たちを殴り倒した人魚姫に王子様は改めて惚れ直し……ハッピーエンドの結婚式。二百キロのマグロと頬を染めた人魚姫のキスが感動のラストシーンです。
「「「うぷぷぷぷぷ…」」」
堪えていた笑いが一気に噴き出し、私たちは人魚姫絵本を囲んで床をバンバン叩いていました。会長さんったら奥付ページに鉄火巻きの写真を添えているのです。ページの下には鉄火巻きを頬張る教頭先生の写真がしっかりバッチリ載せてあったり…。船長服を着ていますから、クルーの交流会か何かの写真でしょう。
「その写真ね、ハーレイのアルバムから拝借してきてスキャナで取り込んだんだけど…元の写真だと隣にゼルたちが写ってる。長老だったら笑える仕掛けさ、見た瞬間にピンとくるしね」
「「「!!!」」」
どこまで凝った絵本なんだか…。マグロとのキスで終わった愛の物語の奥付ページに鉄火巻き。しかも教頭先生が鉄火巻きを食べる写真とセットだなんて…この人魚姫絵本、本当にハッピーエンドでしょうか? 王子様は鉄火巻きになったのでは…?
「それはない、ない。人魚姫と王子様は末永く幸せに暮らしました…って書いてあるだろ? 鉄火巻きの写真は遊び心さ。それにハーレイ、マグロが好きだし」
「「「えぇっ!?」」」
私たちの頭に浮かんだものは食材としてのマグロではなく魚の方のマグロでした。人魚姫絵本に頭の中まで毒されていたみたいです。教頭先生とマグロがラブラブな図を連想してしまい、再起不能になりかけていたり…。
「違うってば。ハーレイが好きなのは食べる方だよ、鉄火巻きとかお刺身とか…。マグロといえばカルパッチョなんかも美味しいよね」
自分のやらかしたことを棚上げにしてクスクス笑いの会長さん。
「ぶるぅ、明日のお昼は手巻き寿司にしようか、美味しいマグロを買ってきて」
「かみお~ん♪ じゃあ、朝一番に行かないとね!」
もうすぐ市場が開いちゃうよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が壁の時計を見ています。朝の4時から始まる市に間に合うように出掛けるつもりらしいのですが…いつ寝るんでしょう、子供なのに…。
「ぶるぅもタイプ・ブルーだからね、市場には瞬間移動で出掛けるのさ。帰りも同じ。買い物をして帰ってきてから土鍋でぐっすり眠れば十分。…さてと、ぼくも一緒に行こうかな」
買いたいものが沢山あるし、と会長さんは着替えに行ってしまいました。パジャマで市場は無理ですしね。人魚姫絵本で笑い続けた私たちは睡魔に捕らわれかかっています。
「眠くなってきたね…」
「ええ、流石に…」
4時ですもんね、とジョミー君とシロエ君が言葉を交わし、私たちはゲストルームに引き揚げることに。入れ替わりに会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が朝市に向かって出発です。二人がいつの間に帰って来たのかも知らず、ぐっすり眠って目を覚ますと…お昼。手巻き寿司パーティーの始まりでした。
「それじゃ、1学期後半の前途を祝して…」
会長さんが音頭を取って、みんなでウーロン茶のグラスを掲げて…。
「「「かんぱーい!!!」」」
今日は土曜日、明後日からは1学期の授業の後半です。祝した前途にロクでもないことが待っているのか、それとも楽しい毎日なのか。…いいえ、よくよく考えてみれば楽しくないことってありましたっけ? きっとこの先にも素敵でワクワクする出来事が…。会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」もジョミー君たちも、これからの日々もよろしくです~!



教頭先生の家に届いてしまった抱き枕。サイオンで遠くを見ることが出来ない私たちにはサッパリ様子が分かりませんが、教頭先生は荷物を受け取ったみたいです。憮然としている会長さんを横目で見ながらソルジャーが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭にポンと手を置いて。
「みんなに中継してあげてくれるかな? ハーレイが何をしてるか見物しなくちゃ」
「オッケー! えっとね、あの壁を見てて」
小さな手がリビングの一角を示すと、浮かび上がった中継画面。教頭先生が家の玄関を入った所で大きな包みを抱えていました。
「…ブルーから荷物か…。何も話は聞いていないが…」
差出人の名前を確認している教頭先生。送り状を読んでいた視線がピタリと止まって…。
「抱き枕だと!?」
信じられん、と包みと送り状の品物の名前を交互に眺めまくった教頭先生は独自の結論に至ったらしく、包みを運んだ先は寝室ならぬリビングでした。
「これはブルーの悪戯だな。…私がブルーの写真を使った抱き枕を作りたがったのはバレている。期待させておいてガックリさせる魂胆だろう。あいつのことだ、何処かで見ているに違いないが…」
その手に乗るか、と教頭先生はコーヒーを淹れにキッチンへ。お気に入りの豆を挽き、サーバーを温め、のんびり手順を楽しんでいます。香り高い一杯が出来上がるとカップを持ってリビングに戻り、ソファに立てかけてあった抱き枕の包みと向かい合う形で腰掛けて。
「ふむ…。どうしたものかな、この枕を? 男性向けの絵柄の枕を寄越したに決まっているが、コーヒーで心も落ち着いたことだし、残念だが私は驚かん」
あらら。教頭先生、中身を誤解しているようです。ソルジャーも想定外だったらしく、その顔は実に不満そう。
「なんで好意を疑うのさ! 本物のブルーの写真の抱き枕なのに…。ねえ、ぶるぅだってそう思うだろ?」
「いつもの御礼に作ったのにね…。ハーレイ、ブルーが大好きだから」
素直で無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は抱き枕が日頃の御礼に作られた品だとソルジャーに騙されたままでした。教頭先生の会長さんに対する熱い想いも全く理解していないので、抱き枕イコール会長さんのぬいぐるみという感覚です。まあ、私たちだってつい先日まで同じような勘違いをしてましたから…笑える立場ではないのですけど。教頭先生はコーヒーを飲み干し、やおら包みに近付くと…。
「さてと、中身を見てみるか。…この大きさは特注品だな。私の体格に合わせてきたのか? 使い心地だけは良さそうだ。怪しいカバーは捨ててしまって新しいのを作ればいいし」
ベリベリと包装紙を剥がし始める教頭先生にソルジャーは唇を尖らせています。
「新しいカバーを作るだって!? 自分じゃ注文できそうにないから代わりに作ってあげたのに…。なんだ、ヘタレじゃないじゃないか」
つまらない、とソルジャーが零すと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「…ん~と…。カバーってハーレイの手作りカバーのことだと思うよ、トランクスのカバー」
え。トランクスのカバーって…何? 私たちの視線が「そるじゃぁ・ぶるぅ」に集まりました。もしかしなくてもトランクスってアレですか? 青月印の紅白縞…?
「うん。ハーレイはね、ブルーがプレゼントしたトランクスの使い古しを抱き枕のカバーにリフォームしてる…って前に説明しなかったっけ? 忘れちゃった…?」
「「「………」」」
記憶を遡ってみる私たち。そういえば初めてトランクスのお届け物に付き合わされた1年生の夏休み明けにそんな話を聞いた気がします。それっきり二度と思い出しもせず、実物を目にしたこともないので綺麗に忘れていましたが…。
「…トランクスで抱き枕…? それはなんとも悪趣味だねえ…」
自分が履いてたヤツだろう、とソルジャーが顔を顰めます。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキョトンとして。
「だってブルーがあげたヤツだよ? 大事に使うって素敵なことだと思うけど…」
「そうかなあ? まあ、ブルーがくれたって所がハーレイにはポイント高いんだろうね。でも今日のプレゼントはもっと凄いし、もうトランクスのカバーは要らなくなるよ」
念願のブルーの抱き枕、と中継画面に見入るソルジャー。教頭先生は外側の茶色い包装紙と保護用のシートを丁寧に剥がし、お店のロゴ入りのグリーンの紙に貼られた熨斗紙を眺めました。
「御礼、ときたか…。いったい何の御礼やら。…男性向けは要らんのだがな」
よいしょ、と紙を解きにかかった教頭先生はピキンと固まり、たちまち顔が真っ赤になって…。
「…こ、これは…まさか…」
ブルー? と微かに動いた唇の形。包装紙の下から覗いていたのは会長さんの顔写真でした。

それから後の教頭先生は笑えるほどのドキドキっぷりで、壊れ物を扱うように包装紙をそーっと剥がしていって…。途中でウッと短く呻くと鼻にティッシュを詰め込みました。
「いかん、いかん。…うっかり汚しては大変だからな。どんなつもりでくれたにしても、この写真はブルーに間違いない。…もう一人の方より初々しいし…」
私たちはソルジャーの方を見、ソルジャーはフンと鼻を鳴らして。
「失礼なヤツ! ぼくの何処がスレてるって? 恥じらいが無いなんてことはないよね、そうだろう?」
「「「………」」」
同意を求められても私たちの気持ちは真逆。ソルジャーにはいつもとんでもない目に遭わされてますし、初々しさに欠けているのは事実でしょう。会長さんは不機嫌そうにしていましたが、教頭先生は包みを剥がし終わって感無量でした。
「………ブルー………」
ギュウッと抱き締め、頬ずりをして、その質感を堪能して…。
「ああ、まるでブルーがこの腕の中にいるようだ…。もう悪戯でもかまわんな。これを抱いて寝ている間に坊主頭にされるとしても、今夜はこれでいい夢を…」
教頭先生は抱き枕を大切そうに抱えて階段を上がり、寝室のベッドに置きました。会長さんの身長を再現しただけあって枕はかなり大きめですけど、教頭先生のベッドも立派ですから決して狭くはなりません。なんといっても会長さんとの新婚生活を夢見て購入されたベッドです。抱き枕にそっと布団を被せた教頭先生は足取りも軽く廊下の方へ…。
「もういいよ、ぶるぅ。お疲れ様」
ソルジャーの声で中継画面がフッと消え失せ、私たちはリビングで茫然自失。念願の抱き枕を手に入れた教頭先生、どんな夜を過ごすつもりでしょう? そして抱き枕のモデルにされた会長さんは…?
「どうだい、ハーレイの喜ぶ顔を見た感想は? 本当に君が好きなんだねえ…」
あてられちゃうよ、とソルジャーがクスクス笑っています。
「あの枕を抱いて寝られるんなら坊主頭にされても構わないそうだ。だからといってさせないけどね、このぼくが」
ソルジャーは会長さんの右手を掴み、動きを封じてみせました。
「ぼくは君のハーレイに同情したからあの抱き枕を注文した。君の名前で発注したけど、君が文句を言わないように資金もちゃんと用立ててきたし」
ほらね、とソルジャーが宙に取り出したのは紙封筒。中身のお札を何度か数えて会長さんに手渡します。会長さんは反射的に受け取ってからハッと息を飲んで。
「ちょっと待った! このお金っていったい何処から…? まさか…」
「ノルディがぼくにくれたんだよ」
「「「!!!」」」
しれっと言ってのけたソルジャーに私たちは仰け反りましたが、当のソルジャーは涼しい顔で。
「あ、抱き枕のことは言ってないから。…こっちの世界で遊びたいけどお金がなくて、とお願いしただけ。何をするのかなんて無粋なことは訊かれなかったよ、遊び慣れてるせいなのかな? 機会があれば食事でも…と言って気前よくくれた」
だからランチに付き合ったよ、とソルジャーはニッコリ笑っています。会長さんは呆れながらもお金を数えて封筒に戻し、奥に片付けに行きました。抱き枕の代金を支払う羽目に陥るよりは、エロドクターのお金といえども有難く貰うということでしょう。それから私たちはおやつを食べて、夕食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が腕をふるった伊勢海老のポワレに骨付き仔羊のオーブン焼きに…。
「やっぱり地球の食材はいいね」
美味しいよ、とご機嫌で食事を終えたソルジャーの前にはデザートのティラミスのお代わりが。
「みんなも栄養つけた方がいいよ、今夜も覗き見しなくっちゃね。ほら、ハーレイと抱き枕の…さ」
きっと楽しい夜になるから、と教頭先生の家の方角を眺めるソルジャー。えっと…また覗き見をするんですか? 教頭先生と会長さんの写真がついた抱き枕の夜を観察しようと言うんですか…?

お泊まり会の夜は更けて…リビングで寛いでいるとソルジャーが「始まるよ」と囁きました。合図された「そるじゃぁ・ぶるぅ」が壁に映し出したのは教頭先生の家の寝室。お風呂上りらしき教頭先生がパジャマ姿でベッドに近付き、抱き枕に被せてあった布団を剥いで…。
「…ブルー…」
会長さんの写真が見える程度に照明を落とした部屋のベッドの上で、教頭先生は抱き枕を強く抱き締めます。誘うような表情の会長さんの姿に口付け、のしかかって足を絡ませて…。
「ふふ。ちゃんと発情できるじゃないか」
役立たずってわけでもないね、と笑みを浮かべているソルジャー。会長さんはパジャマの上から浴衣を着込んでガードを固めているんですけど、ソルジャーの方はパジャマだけ。それも抱き枕の写真に使ったのと同じミントグリーンのシルクだったり…。気持ち悪くはないんでしょうか?
「まさか。だってハーレイだよ、ぼくのハーレイと寸分違わない身体じゃないか。気持ち悪いなんて思いやしないし、それどころか…熱くなってきたかな」
ゾクゾクする、と言うソルジャーの頬には赤みがさしています。その姿が青い光を放って…。
「「「!!!」」」
抱き枕から会長さんの写真が抜け出し、しなやかな腕を教頭先生の逞しい背中に巻き付けました。
「…ねえ、ハーレイ…」
甘やかな声が教頭先生を呼び、私たちは中継画面の前で硬直状態。ソルジャーの姿は見当たりません。ということは、抱き枕の中から抜け出したのはソルジャーその人。ベッドの下に落ちた抱き枕に写真は印刷されていますし、サイオニック・ドリームだったのでしょう。教頭先生も仰天したらしく、暫し固まっていましたが…。
「……ブルー……?」
恐る恐る問いかけた教頭先生に会長さんのふりをしたソルジャーはコクリと頷いてみせて。
「うん。そう、ぼくだよ、ハーレイ…」
「ブルー…!」
ソルジャーの演技が上手かったのか、薄暗かったせいなのか。教頭先生は写真どおりのパジャマを身に着けたソルジャーをギュッと両腕で抱くと…。
「どうしてお前が…? あんなに嫌がっていた筈のお前が…」
「分からない? 恩返しだよ、いつもお世話になっているから」
「恩返し…?」
何かが変だ、と感じたらしい教頭先生。プレゼントの抱き枕に御礼の熨斗はかかっていても、流石に話が旨すぎます。教頭先生はソルジャーからパッと離れて、髪の毛に手を…。
「…ハーレイ? どうかした…?」
潤んだ瞳のソルジャーに、教頭先生はベッドの上で後ずさりながら。
「い、いや…。お、お前らしくないな、と思って…」
「そうだろうね」
キラリとソルジャーの瞳が輝き、身体を起こすと教頭先生に抱き付いたからたまりません。教頭先生はソルジャーに強く引っ張られてベッドに沈み、ソルジャーはその下敷きに…。
「ブルー! や、やめてくれ、私は坊主頭は…!」
「坊主頭って…まだブルーだと思ってる? 確かにぼくもブルーだけれど、坊主の資格は持ってないから君の頭は剃れないよ」
人違いさ、とソルジャーは教頭先生をしっかり捕まえたままで。
「こんなミスは初めてだよね。…抱き枕でよほど余裕を失くした? あの写真は君のブルーに間違いないし、ぼくが着ているパジャマは写真と同じ。欲情してたら目も曇るかな?」
「な、何故…。何故あなたが…」
「何故来たのかって?」
ソルジャーは慌てふためく教頭先生の首に腕を回して…。
「だから恩返しに来たんだってば。…薬を買ってくれただろう? スッポンが入った高い薬を。あれね、とっても役立ってるんだ。それでお礼にお手伝いをしようと思って…。筆おろしの」
筆おろし? それって何のことでしょう? 私たちは顔を見合わせ、互いに首を捻りました。会長さんの苦い顔つきからしてロクでもない意味の言葉かな? 教頭先生も耳まで真っ赤になってますけど、私たちには分かりません。ソルジャーは更に言葉を続けて。
「…ぼくの身体で筆おろし。恩返しにいいと思わない? 童貞のままじゃブルーは落とせやしないよ、シャングリラ・ジゴロ・ブルーだからね。筆おろしが済んだらぼくを相手に場数を踏んでいけばいい。ノルディみたいなテクニシャンになればブルーも落ちるさ」
キスひとつでね、と熱い吐息を漏らすソルジャー。
「おいでよ、ハーレイ。ブルーだって下手くそな君より上手な方が喜ぶと思う。だから…」
来て、とソルジャーは教頭先生の耳に唇を寄せましたが…。
「…………」
教頭先生はソルジャーの腕を掴んで解き、身体を離して自分のパジャマを整えています。
「なんで? ぼくは君が童貞なのが気の毒だからブルーの代わりに…」
「…あなたのハーレイはどうなります?」
「いいんだってば、あんなヘタレは!」
放っといても問題ないし、とソルジャーが言い募っても教頭先生は応じません。ベッドから降り、抱き枕をそっと抱えると…。
「私にはこれで十分です。ブルーを想っているだけで幸せですから」
「それもぼくがプレゼントしたんだけれど? スクール水着の写真よりもずっと素敵だろう?」
「…そうなのですか? ならば尚更、お礼なんかは頂けません。この抱き枕があれば独り寝くらい…」
ブルーと一緒に寝られますしね、と抱き枕に頬ずりをする教頭先生。会長さんが「おえっ」と呻き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコ顔で。
「よかったね、ブルー! ハーレイ、とっても喜んでるよ。ブルーの大きなぬいぐるみ♪」
「……聞きたくない……」
頭痛がする、と会長さんは頭を抱えています。ソルジャーは教頭先生のベッドの上で膨れっ面。本当に大人の時間を繰り広げる気だったのかどうかは分かりませんが、教頭先生が退けてくれたお蔭でまずはめでたし、めでたし…でしょうか?

「…ところで、ブルー」
抱き枕を寝室の椅子に立てかけた教頭先生はソルジャーの方に向き直りました。
「この枕はあなたからのプレゼントだと伺いましたが、ブルーの…こちらの世界のブルーの名前を騙ったのですか? ここに印刷されているブルーの写真はどうやって…?」
「ブルーからのプレゼントを装うことは騙ったことになる…のかな? 欲しかったんだろう、抱き枕。ブルーには色々と言ってやったんだ。君の一生のお願いくらい、聞いてあげても良かったのに…って。写真はそれの副産物さ」
「…あれをご存じだったのですか…」
恥ずかしそうに視線を落とす教頭先生。ソルジャーはクックッと笑い、「見ていたからね」と軽くウインク。
「福引大会の景品が抱き枕だなんて素敵じゃないか。それも抱き枕はブルー本人。君の他にも希望者が大勢いたようだけど、ブルーの狙いは悪戯で……君を坊主頭にすると脅してみたかっただけ。君そっくりの恋人を持つ身としては悲しくなるよ。しかも君が童貞だなんて聞いてしまうと…」
「…その話は何処で…?」
「えっと…」
ソルジャーは少し考え、それから瞳を私たちの方へと向けて。
「ぶるぅ、みんなをハーレイの家へ!」
「かみお~ん♪」
げげっ。ソルジャーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の青いサイオンがシンクロしたかと思うと、私たちは教頭先生の寝室にドサリと放り出されていました。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒です。仰天している教頭先生にソルジャーが鮮やかに微笑んで…。
「この子たちから聞いたんだ。いや、読み取った…と言うべきかな? それを肯定したのはブルー」
「…………」
教頭先生は言葉を失い、私たちは申し訳ない気持ちで一杯でした。童貞なのは秘密だったに決まっています。それがとっくにバレていたとは情けないでは済まないでしょうし…。一方、会長さんはパジャマの上から着込んだ浴衣の襟元を掻き合わせ、警戒心を隠していません。ソルジャーは会長さんの肩をポンと叩くと…。
「怖がらなくても平気だってば。ハーレイに君を襲うほどの度胸はないよ、抱き枕の相手が精一杯さ。…なんといっても童貞だもんね。ぼくがせっかく来てあげたのに童貞を捨てる勇気もないし。…そうだろ、ハーレイ?」
「………」
「あ、ブルー相手なら話は別かな? でもさ、経験値ゼロじゃいくら一生のお願いでもねえ…。男同士は難しいんだ。ブルーが痛い目に遭わされるのは、ぼくとしても…ちょっと困る」
けっこうブルーを気に入ってるし、とソルジャーは会長さんの頬にそっと触れて。
「ブルーには幸せになって欲しいんだ。君が相手ならなおのこと…ね。だから気が変わったらいつでも言って。君の練習に付き合うよ」
そして何処からか取り出したものは…。
「「「あっ!!!」」」
私たちの声が重なりました。ソルジャーの手のひらに載っていたのは赤い錦のお守り袋。そのお守りには嫌というほど見覚えが…。凝視している私たちの姿にソルジャーはクスッと小さく笑って。
「やっぱり気付いたみたいだね。…ハーレイ、これを知ってるかい?」
「い、いえ…。なんですか、それは?」
ありゃ。教頭先生、知らないんですか? あのお守りは会長さんがポケットに入れて持ち歩いているシャングリラ・ジゴロ・ブルーの必須アイテムだと思うのですが…。会長さんがフウと溜息をつきました。
「知るわけないだろ、ハーレイが。…だって童貞なんだから」
「……ブルー……」
そう何回も言わないでくれ、と嘆く教頭先生の手にソルジャーがお守りを押し付けて。
「そんな君のためのお役立ちグッズさ、このお守りは。…本物は君のブルーが女の子を口説くのに使ってるヤツで、中にぶるぅの手形を押した紙が入っているんだそうだ。そのお守りを窓に吊るすとブルーが忍んでいく仕掛け」
「な…なんですって!?」
「おっと、ブルーにお説教するなら、またの機会にお願いするよ。で、こっちのヤツはぼくがぶるぅに袋だけ分けて貰ったお守りなんだ。形さえあればぼくには十分。…君が練習したくなったら窓に吊るしてみるといい。ぼくが相手をしに来るからさ」
はい、と渡されたお守り袋が教頭先生の手で揺れていました。会長さんは真っ青になり、私たちも血の気が引いて行くのが分かります。…こんなアイテムを出されちゃったら、教頭先生、いつかフラッと吊るすのでは…。抱き枕だけで十分だなんて言ってはいても、心が迷ってしまうのでは…?
「…このお守りで……あなたが……?」
「うん。ぼくのハーレイも大好きだけど、君の相手を優先するよ。ぼくたちは最近マンネリ気味だし、童貞の君を仕込むというのも面白そうだ。それを聞いたらぼくのハーレイも焦って励んでくれるだろうしね」
脱・マンネリ! と拳をグッと握るソルジャー。教頭先生はお守り袋をじっと見つめていましたが…。
「お返しします」
「…え?」
「お返しします、と言ったんです。気遣って下さるのは嬉しいですが、やはり私はブルーを愛していますので…。ブルーが望んでいるならともかく、そうでないのに練習するなど…。ましてブルーそっくりのあなたに相手をお願いするなど、ブルーへの想いを裏切るようで…」
出来ません、と頭を垂れる教頭先生。
「ですからこれはお返しします。…私には必要ありません。どうぞ燃やしてしまって下さい、タイプ・ブルーのサイオンで」
「…いいのかい? 二度目は無いかもしれないよ」
「本当に必要ありませんから」
「…じゃあ…仕方ないね」
ポウッと青い焔が上がってお守りは消えてしまいました。ソルジャーの手には灰も残らず、赤い瞳が教頭先生をじっと見据えて…。
「君にはぼくは要らないらしい。せいぜいブルーと仲良くしたまえ、まずは抱き枕で練習からだね。いいかい、自分だけが気持ち良くなっていたんじゃダメなんだ。ブルーに喜んで貰えなかったら嫌われちゃうから頑張って」
じゃあね、と別れの言葉を短く告げてソルジャーの青いサイオンが迸ります。そこに「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンが重なり、私たちは再び空間を越えて会長さんの家に戻ったのでした。

やがてリビングで始まったのは懺悔大会。教頭先生が童貞なことを知っている、とバレてしまったのをどうするべきか…。柔道部三人組にとっては特に深刻な問題です。
「…困った…」
呟いたのはキース君。
「教頭先生が何であろうが、尊敬する気持ちは変わらない。そもそも前から知っていたしな…。しかし俺たちが知っていると先生にバレてしまったのでは…師弟関係にヒビが入りそうで…」
「そうですよね…。知ってて馬鹿にしてたのか、って思われるかもしれません」
大変ですよ、とシロエ君が言い、マツカ君も暗い顔。そもそも余計な知識を仕入れた上に後生大事に持っていたのが悪いんです。会長さんに記憶を消してもらっていたなら、こんなことにはならなかったのに…。私たちの懺悔と反省を聞いていたソルジャーが「消せば?」と口を挟みました。
「都合の悪い記憶だったら消してしまえばいいんだよ。…だけど消すのは君たちのじゃない。ハーレイの方さ。…ほら、エロドクターの人形の記憶をブルーが消していただろう? あの時みたいに消しちゃえばいい。君たちに童貞だって知られたことをね」
簡単さ、と微笑むソルジャー。けれど会長さんは今夜は動く気分になれないと言い、記憶の操作は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が代理で出かけて行きました。何も知らない子供ですけど、おつかい気分でトコトコと…。
「かみお~ん♪ ちゃんと消したよ、ハーレイの記憶! でも、ドーテーって何のこと? ハーレイ、とっても気にしてたけど」
「小さな子供は知らなくってもいいんだよ」
大人の話、とソルジャーが小さな銀色の頭を撫でてやりながら。
「ところでハーレイはどうしてた? ちゃんとぬいぐるみを持っていたかい?」
「うん! 大事に抱っこして寝ていたよ。あのままじゃ涎で汚れちゃいそうだし、サイオンでコーティングしてあげちゃった」
「「「コーティング?」」」
なんじゃそりゃ、と首を傾げる私たちの横で会長さんがソファにめり込んで呻いています。
「ぶるぅ…。アフターケアまでしなくっても…」
「ううん、ダメだよ、出来ることはきちんとしなくっちゃ! ハーレイ、ブルーが好きなんだから……なのに結婚してあげないんだから、ぬいぐるみは丈夫な方がいいでしょ?」
力説している「そるじゃぁ・ぶるぅ」。コーティングというのはサイオンで表面を覆って傷や汚れがつかないようにガッチリ保護する技術だそうです。会長さんの写真がプリントされた抱き枕は耐久性が飛躍的に増してしまったわけで…。
「ぶるぅ、いいことをしてあげたね。これでハーレイも頑張れる」
脱・童貞は目の前だ、とソルジャーがエールを送っているのも知らずに教頭先生は夢の中。そういえば夢なのに一線を越えられなかった事件なんかもありましたっけ。あれは1年生の秋のこと。収穫祭前の薪拾いで会長さんがベニテングダケを集めて作った幻覚剤。思い通りの夢が見られるというそれを教頭先生に一服盛って…。
「ふうん…。夢でも鼻血で沈没するのか」
ヘタレMAX、とソルジャーがケラケラ笑っています。
「確かに抱き枕だけで十分かもね、君のハーレイ。ぬいぐるみを抱いて寝ているだけで昇天しそうな夢を見てるし…。あ、昇天した」
「「「………」」」
ソルジャーは教頭先生の夢を探っていたようです。夢の中で会長さんを抱き締めていた教頭先生、そのままウットリ寝てしまったとか…。会長さんの膝枕で。
「あの調子じゃこれは使えそうもないね」
そう言ったソルジャーの手に現れたのはジルナイトで出来たソルジャー人形。
「やっぱり扱えるのはぼくのハーレイだけってことか…。君のハーレイを仕込む計画は断られたし、脱・マンネリはこの人形で努力させよう。…ブリッジのハーレイに人形を使って悪戯するのも楽しいけどね」
やっちゃったんだ、と武勇伝を語るソルジャー。
「ハーレイったら落ち着いて歩いてたつもりだろうけど、右手と右足が一緒に出てたよ。で、ブリッジを出るなりトイレにダッシュ」
思い出し笑いをするソルジャーはまたも人形遊び中。キャプテンが気の毒になってきました。この罪作りな人形よりは抱き枕の方がまだマシです。教頭先生が何をやっても会長さんの身は絶対安全。コーティングまでされちゃいましたし、大事に使えば一生モノかも? 教頭先生、童貞の件は喋りませんから、抱き枕だけで満足していて下さいね~!

 

 

 

 

Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]