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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(んーと…)
 おやつを食べながら、何気なく広げてみた新聞。
 歴史の舞台探訪だとか、そういった感じで写真が載ってた、前のぼくたちの記念墓地。
 あちこちの星にあると聞くけど、立派だったから、アルテメシアの分かと思った。だけど、下に書いてある注釈を読んだら、アルテメシアじゃなくってノアのヤツ。一番最初の記念墓地。
(あの頃はノアが首都惑星ってコトになってたものね)
 今では一応、ぼくが住んでる地球が中心。
 ただ、蘇った地球の環境を保護しなくては、というわけで首都としての機能は分散してる。前の首都惑星、ノアをメインにあちこちの星に。全部を纏めているのが地球。
 だから前のハーレイが彫った宇宙遺産の木彫りのウサギも地球にあるんだ、正体はウサギなんかじゃなくってナキネズミだけど。
 でも、地球にある行政の中枢機能はいわゆるお役所、それの出張所といった趣き。高層ビルとか凄く大きな建物じゃなくて、緑の豊かな広い敷地に幾つもの建物が散らばっている。
 それできちんと役に立つんだ、通信手段がしっかりしていて、情報がリアルタイムで入るから。
 わざわざ遠くの星まで出掛けなくても、重要な会議なんかも出来るから。
(ノアの頃からそうだったしね?)
 前のぼくたちが生きてた頃よりも技術はずっと進歩してるし、首都としての機能は地球で充分。
 見上げるような高層ビルなんかは建ってなくても、宇宙の中心。



 だけど地球には、前のぼくたちの記念墓地は無い。
 かつての首都惑星だったノアのと、前のぼくたちが隠れ住んでたアルテメシアと。その二ヶ所に大きな記念墓地があって、他の星にも実は幾つもあったりする。
 英雄になってしまった前のぼくたちのお墓に花を供えたりしたがる人が多いから。
 その上、前のぼくたちの身体は回収不能で、お墓には何も入ってないから。
 とどのつまりが墓碑さえ建てれば其処がお墓で、どれでも本物。
 ノアでも、アルテメシアでも、他の星でも、別に何処でも気にしないんだけど。
 ただ、アルテメシアの記念墓地には「シャングリラの森」がくっついている。役目を終えた白い鯨が解体されて時の流れに連れ去られた時、船にあった木を移植したのがシャングリラの森。
 木たちはすっかり代替わりをしてしまったけれども、こんもりと茂ったシャングリラの森。
 そのシャングリラの森があるって言うから、ぼくとしてはアルテメシアにある記念墓地が好み。
 断然、そっちの方がいいな、と思うんだけど…。
 ぼくの好みを言っていいなら、ノアよりもアルテメシアがいいんだけれど。



(ちょっと待って…!)
 好みも何も、ぼくは生きてた。
 ソルジャー・ブルーだったぼくは生まれ変わって、青い地球の上で暮らしていた。
 どっちのお墓に入りたいとか、そういう以前に生きている、ぼく。
 お墓なんかは当分要りそうにないし、生まれて来てから十四年しか経ってない。
(だけど…)
 どっちか一つを選ぶんだったらアルテメシアの方がいいかな。
 シャングリラの森があるのが魅力的だし、それに何処よりも長く過ごした星だったから。
 漆黒の宇宙を最初は小さな、後は何倍も大きな白い鯨になった船で旅して回った末に辿り着いた白い雲海の星。
 シャングリラはずっと雲海に潜んだままだったけれど、前のぼくは地上に下りていた。もちろん自由時間ってわけじゃなくって、ソルジャーの仕事。
 もっとも、フィシスを見付け出した後は、こっそり出掛けて水槽のフィシスに会っていたけど。
 あれはソルジャーとしての仕事ではなくて、ぼくの我儘。ただの我儘。
 そんな思い出までが残った星。今でもちょっぴり懐かしく思う、雲海の星。
 だから、入るお墓を選んでいいなら、ノアよりも絶対、アルテメシアがいいんだけどな…。



 そうしたいな、と思ったけども。
(入ってしまってどうするの!)
 相手は記念墓地に建ってるお墓で、生きているぼくが入っちゃっても何にもならない。
 それどころか、困る。
 お墓なんかに入っちゃったら出歩けないし、おやつも御飯も食べられやしない。
(ぼくはお墓に入りたいわけじゃないんだけれど!)
 生きているのに、と自分の頭を拳でコツンと叩いたんだけど。
 よく考えたら、あれは前のぼくたちのために作られた記念墓地だから。
 入りたいのは多分、ぼくじゃなくって、前のぼくなんだ。
 お墓はあちこちの星にあるけど、空っぽだから。
 何処の星にも、前のぼくの身体を収めた本物のお墓は無いんだから…。



(でも…)
 もしもお墓に入れたとしても、前のぼくの分のお墓の隣にハーレイのお墓は建ってない。
 前のぼくは一番の英雄扱い、記念墓地でも一番奥に墓碑が立ってて、隣には誰もいないんだ。
 いくら立派な墓碑を貰っても、独りぼっちの前のぼく。
 ジョミーとキースのお墓は仲良く隣り合わせで、前のぼくのお墓の前にあるのに。
 そのまた前にはハーレイやゼルや、ブラウたちのお墓が賑やかに並んでいるというのに。
(…やだな、ぼくだけ別扱いって)
 どうせだったら、みんな同列で並べておいて欲しかった。
 もっと欲を言えば、ハーレイのお墓の隣が良かった。前のぼくたちが恋人同士だったことは内緒だけれども、初代ソルジャーと初代のキャプテン。隣り合わせでも不思議じゃないから。
 だけど、そのハーレイのお墓も空っぽ。前のぼくのお墓と同じで空っぽ。
 前のハーレイの身体も無くなってしまったから。
 燃え上がる地球の地の底に飲まれて、影も形も無くなったから。



 お墓の中身が入ってないのは、ハーレイだけじゃなくってヒルマンも、エラも。
 ジョミーとキースもお墓は空っぽ、ハーレイたちと一緒で地球の地の底に消えてしまった。
 記念墓地は何処も綺麗に空っぽ、だからこそ何処に作ってもいい。
 例外は地球で、蘇るまでに長い時間が経ったこともあって、地球には記念墓地が無い。
 空っぽのお墓が並んではいない。
(中身がありそうなお墓って…)
 この地球にあるマードック大佐とパイパー少尉の分くらいだろう。
 二人が乗った人類軍の旗艦は、地球に照準を定めたメギドに体当たりをしてそのまま沈んだ。
 燃え盛る地球へと落ちて行ったメギドは、後に発見されたけれども。
 すっかり風化してたと聞くから、マードック大佐たちの船もきっと残っていなかった筈。
 風化したメギドは危険だからと撤去されてしまい、それが在った場所に今ではお墓。
 マードック大佐とパイパー少尉の墓碑が立ってて、恋人たちが訪れるという。
 二人の絆にあやかりたい恋人同士や、結婚式を挙げたばかりの新婚夫婦。
 森の奥のお墓はちょっと遠いから、森の入口に花輪とかを供えられる場所。
(有名なお墓らしいけど…)
 ハーレイに教えて貰ったけれども、そのお墓だって、中身はきっと空っぽなんだ。
 もしかしたら二人が乗ってた船の欠片が入ってるかもしれないけれど。
 それに乗ってた二人の身体は地球の一部になっちゃっただろう。
 メギドが風化するほどの長い歳月に融けてしまって、地球の土や水になったんだろう。



(あれ…?)
 そういえば、前のハーレイの身体も地球の一部になったんだった。
 前にハーレイとそんな話をした覚えがある。
 すると…、と部屋に戻って考えた。
 おやつを食べ終えて、キッチンに居たママにお皿やカップを渡してから。
(えーっと…)
 勉強机に頬杖をついて、ハーレイとぼくが一緒に写った写真を眺めて考え事。
 今のハーレイは今のぼくと並んで、笑顔で写真に収まってるけど。
 地球の一部になってしまった、前のハーレイ。
 燃え上がる地球に飲み込まれて消えた、キャプテン・ハーレイ。
(もしかしたら…)
 その地球で生まれた、今のハーレイが持ってる身体。
 地球で生まれて地球で育った、今のハーレイの大きな身体。
 前のハーレイとそっくり同じパーツで出来上がっている可能性がある。
 DNAとか、細かい所を言い出したら多分、前のハーレイとは違うだろうけど。
 でも、前のハーレイだった素材をちゃんと使って、今の身体が出来ている可能性だって…。



(…いいな…)
 ちょっぴりハーレイが羨ましくなった。
 前のぼくの身体はメギドと一緒にジルベスター星系で消えてしまって、地球からは遠い。
 隕石に乗って運ばれてくるとか、彗星の核に取り込まれて宇宙を旅してくるとか。
 そんな風にして地球まで辿り着くには、あまりにも遠すぎるジルベスター星系。
 ついでに言うなら、前のぼくが死んでからミュウと人類の戦いが終わるまでには何年かあって、トォニィたちがシャングリラでナスカの跡へと向かった時には、前のぼくはとっくに宇宙の藻屑。
 見付け出そうにも手掛かりがなくて、宇宙ゴミになったメギドの破片が片付けられただけ。
 他の沢山の戦場と同じで、船の航行に支障が出ないよう、後片付けがされただけ。
 前のぼくの身体は宇宙に散らばり、消えてしまった。地球からは遠く離れた場所で。
 どう考えたって地球には来てない、前のぼくを構成していた物質。



 なのに、ハーレイは違うんだ。この地球にちゃんと部品が残って、他の何かに変化して。
 それから長い長い時間を地球の上で色々と循環した後、今のハーレイを作ったかも…。
 前のハーレイとそっくりな身体を、もう一度作り上げたかも…。
(…ぼくの身体は前のと絶対、違うのに…)
 前のぼくの身体は遠いジルベスター星系に散らばったんだし、今のぼくの身体には使えない。
 使いたくても、使いようがない。
 だけどハーレイは、メイド・イン・ハーレイって言うのかな?
 ちょっと間違ってるかもしれないけれども、前のハーレイで出来てる可能性あり。
 でも、ぼくの場合はメイド・イン・ブルーにはなりっこないんだ。
 今のぼくを作るために再利用しようにも、前のぼくのパーツは地球には無いから。
 ほんの小さな、肉眼ではとても捉えられない細胞ですらも、地球まで来てはいないんだから。
(メイド・イン・テラなんだよ、今のぼくは…)
 前のぼくとはまるで無関係な、地球の物質で出来ちゃった、ぼく。
 そっくり同じ姿に育つんだったら、前のぼくのパーツを使いたかったな、って思ったけれど。
 とても残念だったんだけれど…。



(そうだ、ハーレイ!)
 地球で育った、地球生まれのぼく。
 ひょっとしたら、今のぼくの身体は前のハーレイのパーツを貰っているかもしれない。
 地球の一部になってしまった、前のハーレイ。
 巡り巡って、この地球で生まれたぼくの身体の一部を作っているのかも…。
 もしも前のハーレイの一部を貰ったとしたら。
(結婚してなくても、とうの昔に二人で一人?)
 今のぼくの身体に、前のハーレイ。いつでも一緒で、二人で一人。
 そう考えたら、今度は得意。
 今のハーレイの身体に前のぼくは絶対、入ってるわけがないんだけれど。
 ぼくは前のハーレイの一部を身体に取り込んでいるかもしれない。
 ちっぽけなぼくの身体だけれども、何処かが前のハーレイの身体で出来ているかも…!



(手とか、指とか…?)
 直ぐに見える場所が前のハーレイの一部で出来上がってたらいいのにな。
 一目でそれと分かる印がくっついてるとか。
 この部分が前のハーレイなんだな、って見るだけで分かればいいんだけどな…。
「おい」
「えっ?」
 考え事に夢中だった、ぼく。
 いきなり耳に飛び込んで来た「おい」って声にビックリ仰天。耳に馴染んだハーレイの声。
 普段だったら、お客さんだと知らせるチャイムの音だけで窓の所まで駆けてゆくのに、ウッカリしていた今日のぼく。
 鳴ったチャイムに気付くどころか、ハーレイが部屋にやって来るまで気が付かなかった。
 ぼくの目は多分、見事に真ん丸だったんだろう。ハーレイをぼくの部屋まで案内して来たママが「あらあら…」って呆れて笑ってる。
 お茶は置いて行ってくれたけれども。
 ハーレイと夕食を待つまでの間に食べるお菓子も、テーブルに置いてってくれたんだけども。



 大失敗をしてしまった、ぼく。
 窓際のテーブルでいつものように向かい合うなり、案の定、ハーレイに訊かれてしまった。
「いったい何を考えてたんだ?」
 俺が来たのに気付きもしないで、うわの空で何を考えていた?
「…ぼくの身体のこと…」
 そう答えたら、降って来てしまった沈黙ってヤツ。眉間に皺を寄せたハーレイ。
 なんで、って首を傾げた途端に思い当たった。
 ハーレイは勘違いしてるんだ。ぼくがいつも「大きくなりたい」ばっかり言っているから。早く大きくなってキスがしたいと、本物の恋人同士になるんだ、って。
 これはマズイ、と慌てて首を左右に振った。
「ううん、身体のことって言っても、へんてこな意味の中身じゃなくって!」
 違うだってば、うんと真面目に考え事をしてたんだってば…!



 ぼくは頑張って説明した。
 今のハーレイはまるごとハーレイで出来ているかもしれないけれども、ぼくは違うって。
 だから今のぼくの身体の中には、前のハーレイのパーツが入っているかもしれないよ、って。
「いいでしょ、ハーレイ入りなんだよ、ぼく」
 何処がそうかは分かんないけど。
 きっと入っていると思うよ、前のハーレイは地球の一部になったんだから。
「なるほどなあ…。前の俺のパーツで出来てます、ってか」
 此処がそうです、って一発で分かるプレートでも付いてりゃ良かったな。
 改造前のシャングリラにあったプレートみたいに。
 シャングリラの名前に書き換える前は、コンスティテューションって書いてあったプレート。
「うん、心の目でしか見えないプレートが付いてたらいいな」
 あったらいいのに、そんなプレート。
 そしたら幸せになれるんだけどな、ぼくの此処は前のハーレイで出来ているんだよ、って。



「おいおい…」
 その発想は面白いが、ってハーレイの鳶色の瞳が笑ってる。
 ぼくは笑われるようなことを言っただろうか、と「どうかしたの?」って訊いてみたら。鳶色の瞳が悪戯っ子みたいな光を湛えて、笑いを含んだ声が返った。
「今のお前に入ってるパーツ、俺だとは限らないんだぞ」
 プレートで表示させるのはいいが、だ。
 ジョミーとかキースとか、そういうプレート、あったらどうする。
 あいつらも地球の一部なんだぞ、充分あり得ることだろうが。
「ええっ!?」
 それは困る、と本気で思った。
 ハーレイの名前が入ったプレートは欲しいけれども、ジョミーは要らない。
 もちろんキースのだって要らない。
 ぼくはプルプルと首を横に振り、「嫌だ」と叫んだ。
 そんなプレートは要りもしないし、くっついていたら凄く嫌だと。



 大慌てで「要らない」と断った、ぼく。
 ハーレイは「そうだろうな」と可笑しそうな顔。
「ほら見ろ、無くて良かっただろうが、そういうプレート」
 ついちまってたら悲しいだけだぞ、此処はジョミーだの、キースだのと。
「…でも…。ハーレイ限定で表示されるんなら欲しいけど?」
 此処はハーレイ、っていう部分だけを表示できます、って仕組みだったら欲しいんだけどな。
 ハーレイ以外の部分は非表示に出来るプレート。
「だから、必ずしも俺が入っているとは限らない、と」
 赤の他人ってこともあるんだ、そうだろう?
 いくら地球でも狙ったように前の俺のパーツが入るとは限っていないんだからな。
「それはそうかもしれないけれど…」
 でもね、ぼくにはハーレイ入りの可能性ってヤツがあるんだよ。
 だけどハーレイには、前のぼくは絶対入っていないから!
 入りっこないし、混ざりもしないよ。
 ぼくは二人で一人だっていう可能性がゼロってわけじゃないけど、ハーレイはゼロ。
 前のぼくなんかは入っていなくて、二人で一人じゃないんだよ。



 だから、と威張ってみせた、ぼく。
 今のぼくの身体の方がハーレイのよりもずっとお得で、二人で一人かもしれないと。
 ぼくの中には前のハーレイ、結婚する前から一緒に暮らしているのかも、と。
 これは今のハーレイには真似出来ないから、「どんなもんだ」って自慢したのに。
「甘いな」
「…えっ?」
 甘すぎるな、と不敵に笑ったハーレイ。自信たっぷりに笑ったハーレイ。
 どうして「甘い」って言えるんだろう?
 前のぼくの身体はずうっと遠くのジルベスター星系で消えてしまって、地球には無いのに。
 ありっこないのに、なんでハーレイは「甘い」と笑っているんだろう?
 ぼくには全く分からない根拠。
 ハーレイの自信が何処から来るのか、全然サッパリ分からないんだけど…!



 目をパチクリとさせているぼくに、ハーレイが投げて来た言葉。「甘いな」の続き。
「お前、食物連鎖を知らんのか?」
「…知ってるけど?」
 知ってるからこそ言ってるんだよ、今のぼくには前のハーレイが入っているかもしれないって。
「なら、訊くが。…前のお前が死んじまってから何年経った?」
「えーっと…」
 何年だろう、と指を折りかけたぼくだけれども。
 もちろん指なんかで数え切れるわけがない、とてつもない年数が流れたんだけど…。
「数えなくてもかまわんさ」
 其処は問題じゃないんだからな、とハーレイは暗算を始めかけていたぼくにストップをかけた。
 そうじゃないんだと、要は流れた年数なのだ、と。
「いいか? とにかく、そう簡単には数えられないほどの時が流れたということだ」
 今のジルベスター星系はすっかり様変わりしている筈だぞ、技術が上がってテラフォーミングが成功した星があるんだが…。
 聞いたことはないか、今のジルベスター星系の話。
「そういえば…」
 あったかな、と思わないでもない。
 前のぼくの悲しすぎた最期を思い出すから、今のぼくはジルベスター星系を避けているけれど。
 一切調べていないけれども、前世の記憶が戻るよりも前にチラッと何処かで目にした覚え。
 ミュウの歴史で大きな意味を持つナスカ。砕けてしまった赤い星、ナスカ。
 遠い昔にナスカが在ったジルベスター星系の中に、人が住んでいる惑星があった。
 ナスカって名前はついてないけど、人間が暮らしている星が。



「おっ、チビのお前でも知ってたか?」
 よしよし、とハーレイの手がぼくの頭をクシャリと撫でた。
 嬉しいけれども、チビ扱い。ちょっぴり複雑な気分のぼくに、ハーレイはパチンとウインクしてみせて。
「その星だがな…。けっこう有名になってるようだぞ、牧草地で」
「牧草地?」
 それって、牛とかが食べる草のこと?
 ぼくはそれしか思い付かないけど、その牧草地?
「うむ。牛を飼うには向いていないが、何故か牧草地には向いていた、ってな」
 牛を飼ってみても、とびきり美味い肉もミルクも出来なかった、って話なんだが…。
 どういう神様の気まぐれなんだか、いい牧草が採れるんだそうだ。
 それでだ、自分たちで牛を飼うのは諦めちまって、牧草を育てる方にした。
 とてつもなく広い畑と言うには変かもしれんが、もう一面の牧草地だな。其処で牧草をドッサリ育てて、あちこちの星に輸出している。牛を飼ってる農場向けに、だ。
「…そうだったの?」
「ああ。この地球からはうんと遠いから、牧草は来てはいないだろうが…。その牧草があちこちの星で牛を育てて、名産の乳製品がこれまた宇宙に散って行ってる」
 其処の星では肥料用に、ってメギドで大穴が開いちまったジルベスター・エイト近辺で小惑星を削っているらしい。
 いいか、ジルベスター・エイトってヤツだ、前のお前は見ている筈だぞ、メギドの近くだ。
 そんな所で肥料の採掘をしては、せっせと牧草地の土に鋤き込んでいる。
 ということは、だ…。
 まだ分からないか、食物連鎖?



「ハーレイ、それって…」
 前のぼくの身体、宇宙に散らばったままじゃないかもしれないの?
 小惑星の土と一緒に牧草地の星に行っちゃった?
「その可能性もあるってことだな、あくまで可能性だがな」
 もしも牧草地の星の一部になっちまっていたら、其処から何処へ行ったものやら…。
 この地球までも来たかもしれんな、何処かの星の名産品のチーズやバターに化けちまってな。
「えーっ!」
 ぼくは心底、驚いた。
 前のぼくの身体は回収不可能、今も宇宙を漂っていると思っていたのに、回収された可能性。
 肥料を採掘しているという小惑星から、牧草地の星に運ばれてしまった可能性。
 そうなっていたら、前のぼくの身体は牧草になって、何処かの星へ。
 牛を沢山飼っている星に運ばれて、牛に食べられて、ミルクやバターやチーズになって…。
(…他の星の名産品です、って書いてある乳製品、けっこうあるよね…)
 もしかしたら食料品店の棚に並んでいるかもしれない、前のぼく。
 チーズやバターに化けてしまって、お客さんに買われていそうな前のぼく。
 すると…。



「ねえ、ハーレイ。もしも、だよ?」
 もしハーレイが前のぼくが化けたチーズとかを食べてしまっていたら…。
「俺の一部は前のお前だということだな」
 だから言ったろう、「甘いな」と。
 食物連鎖の末に俺の中に入りました、って可能性だってあるわけだ。
 どの部分が前のお前なのかは分からんがな。
「ハーレイもプレート、欲しくならない?」
 前のぼくの名前が書いてあるプレート。
 この部分は前のぼくなんです、って一目で見分けが出来るプレート。
「ふむ…。前のお前限定で表示されるなら、なんだか欲しい気もして来たな」
 ソルジャー・ブルーと書いてあるのか、ただのブルーか。
 その辺も含めて見てみたいもんだな、前のお前は此処にあります、と書かれたプレート。
「でしょ?」
 ハーレイだって欲しくなるでしょ、プレート。
 前のぼくが身体の中に入っているかもしれないって思ったら、目印のプレート。
 一目で分かって便利なんだよ、いつも二人で一人なんだよ、っていう目印。



 勢い込んだぼくだけれども、でも…、とハーレイと二人で笑い合った。
 此処はやっぱり、地球なんだから。
 前のハーレイだけじゃなくって、ジョミーもキースも、ゼルたちも地球の一部になったから。
 地球の上に生まれ変わった今のぼくたちの身体は、誰のパーツで出来ているのか全くの謎。
 誰も入っていないかもだし、思いもよらない誰かの身体が中に入っているかもしれない。
 自分の身体を作っているパーツは誰なのか。
 下手にプレートを表示させたら、キースだったり、ジョミーだったり。
 あるいはゼルとか、ヒルマンだとか。
 ぼくとハーレイ、お互いに前の生での恋人のみを表示出来たらいいんだけれど。
 ハーレイならぼくで、ぼくならハーレイ。
 それ以外の時は表示しなくて、恋人の名前のプレートだけが見えるんだったら最高だけど。
 限定表示に出来なかったら、とっても困る。
 困ってしまうから今のままでいいと、プレートは無しのままでいいよね、と。



 もしかすると地球まで辿り着いたかもしれない、前のぼくの身体。
 食料品店の棚に並んで、ハーレイが買って食べたかもしれない、前のぼくを構成していた物質。
 そうしたらハーレイの身体の中には、前のぼく。
 地球生まれのぼくの身体の中には、地球の一部になったハーレイ。
 ハーレイとぼくと、お互いに入っていたらいいのに、前のぼくたちの身体の一部。
(もしも、そんな風に出来た身体だったら…)
 二人で一人の身体だったら嬉しいのにな、と夢が大きく膨らんだ。
 そういう身体を持っているなら、今度は本当に二人一緒で、いつでも一緒。
 おまけに前のぼくたちだって、結婚式を挙げられるんだ。
 前は結婚出来なかったけど、今の新しい身体を使って、前のぼくたちも。



 そうだといいな、とハーレイに言ったら、「そうだな」って笑顔で返してくれた。
 ぼくが好きでたまらない笑顔で、大好きな温かくて優しい笑顔で。
「よし、俺も頑張って乳製品を食うとするかな、前のお前を取り込まないといけないからな」
 お前だけが前の俺と二人で一人じゃ癪に障るし、俺も二人で一人を目指そう。
 とっくの昔に取り込んでるとしても、プレートがついてないからな。
「うんっ! ハーレイも二人で一人がいいよ」
 そうしておいたら、いつでも一緒。
 どんな時でも二人一緒だよ、「前の」って言葉が恋人の前についちゃうけれど。
 だけどお互い、生まれ変わりだから、前でも今でも変わらないよね。
 前の恋人でも今の恋人でも、相手はおんなじなんだもの。
「違いないな」
 今日にでも早速買い出しに行くか、乳製品。
 そろそろバターを買わんとな、と思っていたから、地球産じゃなくて他のにしよう。
 前のお前が入っていそうな確率がグンと高まるからな。



 何処のバターを買うとするかな、って買い物の段取りをしているハーレイ。
 前のぼくが入っているかもしれない、バターを買おうというハーレイ。
(…前のぼく、バターになっちゃったかな?)
 それともチーズ…、と想像していて、気が付いた。
 よく考えたら、ぼくも毎朝ミルクを飲んでる。早く背丈が伸びますように、って。
 あの毎朝のミルクと一緒に、前のぼくを取り込んでいるかもしれない。
 牧草になった前のぼくの身体で育った牛の子供とか、その孫だとか。
 そういう牛のミルクだったら、前のぼくだって入ってる。
 ほんのちょっぴりでも、前のぼく。
 ミルクになって遠い地球まで旅をして来た、前のぼく。



(…ふふっ)
 ミルクになってしまったかもね、と考えたら胸がじんわり温かくなった。
 前のハーレイの身体は地球の一部になっているのに、前のぼくの身体は何処にも無いんだな、と思っていたけど、ジルベスター星系に出来ているという牧草地の星。
 ジルベスター・エイトの近くで肥料を採掘している星。
 前のぼくの身体、牧草地の星になってるといいな、牧草になっているのがいいな。
 そしてバターやチーズとかになって、青い地球まで来てるといいな。
 前のぼくが辿り着けなかった地球。
 乳製品の棚に並んでいてもいいから、前のぼくだって地球に着いてるといいな。
 だって、今のぼくは青い地球の上、うんと幸せに生きているから…。




         前のぼくの身体・了

※ソルジャー・ブルーのお墓は空っぽ。地球には欠片さえも来ていそうにないと思ったら。
 牧草地になった星のお蔭で、来ているのかもしれません。それも素敵なお話かも。
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(今日は予定が狂っちまったな…)
 ハーレイは腕時計を眺めて溜息をついた。
 予定通りに進んでいたなら、今頃はブルーの部屋に居た筈なのだが、仕方ない。自分も寂しいと思うけれども、ブルーはもっと寂しいだろう。
(…寄ってやれなくてごめんな、ブルー)
 約束をしていなかったことが救いと言えた。平日はどうしても仕事があるから、「必ず寄る」と予告出来る日は滅多に無い。
 だからブルーもさほど期待はしていないだろう、と考えながら愛車に乗り込んだ。
 前の生でのマントの色と同じ色をした、忠実な車。それを自宅に向けて走らせ、近くなった所で普段とは別の角を曲がった。
 その先に現れた、レストラン部門を併設している大きなパン屋。駐車場も備えられている。車を其処に滑り込ませて、おもむろに店の扉をくぐった。
 早朝から店を開けているから、いつもだったら仕事に行く前に訪れる店。



(ふむ…)
 今日はこれにするか、と田舎パンを選んでトレイに載せた。どっしりと目の詰まった田舎パンは大きく、食パンよりもズシリと重い。まさに食事パンといった趣き。
 焼いて良し、サンドイッチに使っても良し。この田舎パンはけっこう好みだ。
 店の看板商品でもある食パンと暫し迷った末での選択。此処の食パンは窯がいいと評判が高く、わざわざ車で買いに出掛けて来る人もいるほど。
(だが、今日の気分は田舎パンなんだ)
 ふんわりとした食感よりも、噛み締めたい気分。歯ごたえのある田舎パン。
 料理の得意なハーレイではあるが、流石にパンまでは自分で焼かない。焼こうと思えば焼けないこともなかったけれども、専門の店の窯の味には敵わない。
 ゆえにこうして、行きつけのパン屋が近所に存在するわけで…。



「お願いします」
 田舎パンを載せたトレイをレジに差し出し、包んで貰った。
 レジの向こう側、何段か上って高くなった床の所がレストラン部門の入口になる。カウンターとテーブル席のある其処は、午前中ならば店で買ったパンを持ち込み、食べることが出来た。
 しかし、今の時間はそうではない。ごくごく普通にハンバーグやパスタが供される時間、それとケーキなどの喫茶もあるのだったか。
 パン屋に併設されているほどだから、気取った所は全く無かった。普段着でフラリと入れる店。いつ来ても客が絶えない店。
 とはいえ、特に関心があるわけでもなく、「今日も賑やかだな」と見ていた程度。
 支払いの時に店員が袋に入れていたチラシも、新商品の案内などが載ったものだと頭から決めてかかっていた。いつも入っているチラシ。店員の手描きのイラスト入り。
 ところが、家に帰ってみたら。



(ん…?)
 田舎パンを仕舞おうと覗き込んだ袋に、カラフルなチラシ。
 見慣れた茶色の手作り感が溢れるチラシではなく、綺麗に印刷されたもの。しかも写真入り。
(なんだ?)
 鳴り物入りで発売される新商品でもあるのだろうか、と田舎パンの後に引っ張り出したチラシ。それを広げて、ハーレイは「うーむ…」と低く唸った。



 期間限定、シャングリラ・セットと記された文字と、シャングリラの写真。
 レストラン部門で歴代ソルジャーの食べた食事を味わいませんか、というコンセプト。
 チラシに刷られたソルジャー・ブルーとジョミーとトォニィ、三人のソルジャーのカラー写真。
(こう来たか…)
 今も絶大な人気を誇る三人、こういう企画もありだとは思う。
 あの店はこの町に何店舗かある地域密着型のチェーン店だから、全店でやれば客だって呼べる。
 そうは思うが、シャングリラ・セット。歴代ソルジャーが食べていた食事。
(レシピは残っていない筈だが…!)
 そんな本にはお目に掛かったことがない。データベースでも見たことがない。
 おかしい、とチラシの説明文をよく読んでみれば、根拠はあった。
 前の自分が書いた航宙日誌。
 それとすっかり平和になった後、トォニィが受けたインタビューとやら。



(しかし…)
 ランチタイムから供されるという、ジョミーのセットとトォニィのセット。
 買ったパンを持ち込んでの食事が許されなくなる、レストランが完全にオープンした後。
(この二人か…)
 確かにブルーは食が細かったし、本格的なメニューには向かないだろう。しっかり食べたい客が好むとは思えない。ブルーはモーニングセットの担当。
(で、中身は、と…)
 チラシにはジョミーとトォニィの分が先に書かれていたから、そちらから見ることにした。



 ジョミーのメニューはサンドイッチセット。
 曰く、「ソルジャー・シンが忙しかった時の昼食代わりのサンドイッチを再現しました」。
 昼食代わりにとサンドイッチを食べていたことは本当だったから、文句は言わない。
(しかしだな…)
 レストランではポットに入った紅茶と共に供されるようだが、ジョミーは適当に何か飲んでいただけ。サンドイッチしか食べられない時にポット入りの紅茶なんぞを楽しんではいない。
 肝心のサンドイッチの中身の方も…。
(まあ、まるで間違ってはいないんだろうが…)
 分厚く切られたももハムにサラダ菜、キュウリのピクルス。そこが売りの品。
 どれもシャングリラにあった食材ではあるが、こういう組み合わせでジョミーが食べた、と記述した記憶は自分には無い。
 第一、ジョミーのサンドイッチの好みが何だったのかを聞いてもいない。
(…多分、一回くらいはこういうヤツだって食べただろうさ)
 そういうことにしておこう、と納得しておく。
 生き証人がいない今では言った者勝ち、これがジョミーの好みのサンドイッチらしい。



 トォニィの方は彼が好んだというパスタのセット。
 オリーブオイルと塩、胡椒のみで味付けしたスパゲティにおかわり自由のパンのサービス。更にサラダとリンゴのタルトまでがつく。もちろんポットに入った紅茶も。
(…最後のソルジャーだけに、優雅なもんだな)
 リンゴのタルトもトォニィの好物だと謳われていた。
 サンドイッチだけのジョミーと違って、おかわり自由のパンにデザート。おまけにサラダ。
(こいつは充分、ありそうなんだが…)
 ポット入りの紅茶を楽しんでいても不思議ではないが、生憎と自分はソルジャーに就任した後のトォニィを知らない。自分が死んだ後のことまで分かりはしないし、知るわけがない。
(トォニィはこういう飯だったのか?)
 どうも分からん、と頭を振ったが、インタビュアーが正しく記述したなら、そうなのだろう。



 ではブルーは…、と前の生で愛した人の名前を冠したモーニングセットを見るなり愕然とした。
(何なんだ、これは…!)
 どうかと思う、と顔を顰めたセットの中身。プレートのド真ん中に鎮座した品。
 謳い文句はこうだった。
「これを食べながら、ソルジャー・ブルーに思いを馳せてみてはいかが」。
 思いを馳せたい人を止めはしないが、器の中身。プレートに置かれた器の中身。
 それが売りらしい器の中身は、アルタミラ時代の「餌」だった。
 オーツ麦のシリアルに必要な栄養素を添加しただけの、餌としか呼びようがなかった代物。
 アルタミラから脱出した後、オーツ麦は元々が家畜の餌だったという笑えない話をヒルマンから聞いた。貧しい地域では主食だったが、豊かな土地では馬の餌だと。
 それが後世、ヘルシーな食品としてもてはやされてシリアルに化けた。
 更に時代が後になったら、アルタミラで再び餌に戻った。ミュウを飼っておくための飼料に。



(不味かったんだが…)
 餌だけにとても不味かったんだが、と思うけれども、しかし栄養価は高かった「餌」。それさえ食べさせておけば死にはしない、と毎日檻に突っ込まれた餌。
 なまじ栄養価が高いものだから、モーニングセットの餌は少ない。自分たちが食べていた量より遥かに少なく盛られた餌。器に上品に入れられた餌。
 ついでに「蜂蜜入りの温かいミルクとレーズンを入れてどうぞ」とある。
(そんなものはついていなかったぞ!)
 ミルクさえ無かったアルタミラなのに、前のブルーの名前を冠したモーニングセット。卵二個の目玉焼きとトースト、ポット入りの紅茶までがついてくる品。
(アルタミラでは餌と水だったんだが…!)
 誰がこんなに豪華な朝食を、と文句をつけようにも、これが現実。
 アルタミラどころかソルジャー・ブルーが生きた時代も遥かな昔で、平和な世の中。
(ソルジャー・ブルーの朝食と混ざっちまったと思っておくか…)
 餌だけでは客が呼べないだろうし、こうなるのも止むを得ないだろう。
 目玉焼きもトーストも紅茶も、航宙日誌に確かに書いた。ソルジャー・ブルーと摂った朝食。
(卵の数までは書かなかったしな…)
 ブルーは二個も食べてはいない、と言いたかったが、書かなかった前の自分が悪い。
 朝からしっかり食べたい人のためのセットと思えば卵が二個でも不思議ではない。



(しかし悪趣味な…)
 いくらソルジャー・ブルーが絶大な人気を誇るとはいえ、誰が餌を食べたがるだろう?
 アルタミラに思いを馳せるのだろう、と思いはしたものの、気になったから。
 翌朝、田舎パンの朝食を済ませて出勤前にパン屋に出掛けてみたら、レストラン部門は繁盛していた。昼食用にとパンを買いながらレジで訊いてみると、人気は例のセットだという。
「ソルジャー・ブルーのセットを御注文になる方が殆どですね」
 モーニングの時間帯は大部分のお客様があのセットです、とレジの女性が笑顔で答えた。
(餌なんだが…!)
 あれは俺たちの餌だったんだが、と心で叫んだハーレイの声が届くわけがない。
 女性はテキパキとハーレイが買ったパンを袋に詰め、例のチラシがまた突っ込まれた。



(どうせならブルーに見せてやるか…)
 その日は仕事が早く終わったから、ブルーの家に行って、小さな恋人に見せてやったら。
 意外にも楽しげにチラシを眺めて、興味津々の小さなブルー。
 ジョミーはこれを食べたのだろうか、トォニィはけっこうグルメなのかも、などと。
「おいおい、そいつらは置いといてだな…」
 問題はお前だ、前のお前の名前のセットだ。
 いいか、メインは餌なんだぞ?
 目玉焼きやトーストの方がオマケで、餌を味わって下さいっていうセットだぞ?
 しかもだ、前のお前に「思いを馳せてみてはいかが」と来たもんだ。
 お前、餌を食べながら前のお前を思い浮かべられて嬉しいか?
 これがお前の食ってた味だ、ってウットリするヤツだっているかもしれん。
 現に人気だ、こいつが朝には一番売れてるセットなんだ…!



 あれこれと文句を並べ立ててみたハーレイだけれど。
 小さな恋人は首を傾げて、こう言った。
「別に餌でも悪くはないと思うけど?」
「分かってるのか、前のお前はコレだと宣伝されてて人気なんだぞ、この餌が!」
 ソルジャー・ブルーはアルタミラでコレを食ってましたと、この味を是非、と。
 そんなので回想されてるんだぞ、前のお前が!
「だけど、一生、餌を食べてたっていうわけじゃないし…」
 それに餌だって、案外、こうすると美味しいんじゃない?
 温かいミルクに蜂蜜とレーズンがついてくるなんて。
 ぼくは文句をつける気はないよ、このセット。



 卵二個の目玉焼きは流石に食べ切れないけれど、と可笑しそうに笑っているブルー。
 挙句の果てに言い出したことは、こうだった。
「ねえ、ハーレイ。ぼくは朝から食べに行けないから、ハーレイ、潜入して来てよ」
「はあ?」
「レストランだよ、このモーニングセットを食べに行ってみてよ」
 それが嫌なら、今度の土曜日。
 お昼前までは食べられるんでしょ、ぼくもお店に連れてってよ。
「なんで俺が!」
 第一、お前と外で食事をするのはお断りだと言った筈だが。
 どうしてお前を連れて行かねばならんのだ、俺が。
「ほら、駄目だって言うじゃない」
 ぼくはどんなセットか凄く気になるのに、連れて行く気は無いんでしょ?
 だったら、ハーレイが行くしかないよ。
 一人で出掛けて潜入レポート、楽しみに待っているからね。



 かくしてハーレイは例の餌を食べに行かされる羽目に陥った。
 ブルーの命が下った翌朝、家で朝食を食べる代わりにパン屋の奥にあるレストランへと。
 扉をくぐってレストラン部門へ繋がる段を上がると、サッと出て来たウェイトレス。
「お一人様ですか?」
 カウンターへどうぞ、と案内された。忙しく立ち働く調理人たちが見える席。
 渡されたメニューを一瞥した後、「これを」とソルジャー・ブルーの名前を冠したセットを注文してみれば、お洒落な籐のカトラリーケースに入って出て来たカトラリー。
 ナプキンの上に置かれたナイフにフォークに、スプーンなどなど。
 この辺からして既に間違っている。
(…まあ、シャングリラ・セットだしな?)
 あくまでイメージ、平和な時代に創り出されたソルジャー・ブルーなモーニングセット。
 目玉焼きまでついてくるのだし、ナイフもフォークも必要だろう。
(…しかしだ、肝心の餌ってヤツがだ…)
 明らかに餌を食べるために添えられたスプーンなるもの。
 アルタミラでは最悪スプーンも無かったんだが、と顔を顰めても始まらない。
 そんなセットが売れるわけもなく、文句を言うだけ無駄というもの。



 せっかく食べに来たのだから、とカウンター越しに眺めていればシリアルを器に入れていた。
 今ではお洒落なパッケージになって食料品店に並ぶ、忌々しい餌。
(俺にとっては餌なんだが…)
 分かるまいな、と眉間に皺を寄せている間に、サッと仕上がる卵が二個の目玉焼き。トーストも焼けてプレートに載せられ、餌と一緒にハーレイの前へと運ばれて来た。
 紅茶のポットとカップが到着した後、ウェイトレスが笑顔でプレートを指す。
「お召し上がり方を説明させて頂きます」
 彼女が言うものは例の餌。小さめのココット容器に入ったシリアル。
(召し上がり方も何も無いんだが…!)
 食ってただけだが、と言いたくなる餌。由緒正しい家畜の餌から生まれたシリアル。
 けれども反論出来る筈も無く、ウェイトレスは自分の仕事を微笑みながらこなして去った。
 こちらの蜂蜜入りのミルクをかけてどうぞと、レーズンも混ぜて下さいと。



(…来たぞ…)
 餌だ、とミルクは入れずに、そのままスプーンで口へと運んで。
(…あれだ…)
 あの味だ、と一気に蘇って来たアルタミラの記憶。
 独房と呼ぶにもあまりにお粗末な檻の中で一人、黙々と口に運んでいた餌。
 ボソボソしていて、どうにも不味くて。
 乾いたそれが喉に貼り付く度、水で飲み下した。必要に応じて薬などが混ざったりする、味などついている筈もない水で。
(…此処はアルタミラじゃないんだが…!)
 青い地球に来た上、レストランでモーニングセットを食べているのに、アルタミラの記憶。
 これではとてもたまらない、と蜂蜜入りのミルクを加えた。
 様子を見ながら少しずつ入れようと思っていたことさえすっかり忘れて、全部を一気に。



(不味いんだが…)
 蜂蜜とミルクは何処へ行ったのか、とウェイトレスを捕まえて訊きたい不味さ。
 食感がマシになったと言うだけのことで、餌の不味さは変わらない。
 添えられていたレーズンを全部放り込んでも、まだ不味かった。
(…どう転んだって餌でしかないぞ…)
 レーズンを掬えば、ちゃんとミルクで膨らんだレーズンの味がするのだが。
 肝心の餌の味は変わらず、ミルクも蜂蜜も何の救いにもなってはいない。
(やはり俺には向かんな、これは)
 好き嫌いが無いのが自慢だったが、いわくつきの餌ともなれば多分、別枠なのだろう。
 さて周りは、と見回してみれば「美味しくないけど、ヘルシーだから」とリピーターの声。
 ソルジャー・ブルーの名前も聞こえる。
 彼と同じものを食べられて嬉しいと、期間中にまた食べに来ようと。



 ハーレイにとっては信じられない、周囲の反応。餌を食べたいと願う人々。
 美味しくないと言っているくせに熱心に通うリピーターやら、再訪希望のソルジャー・ブルーのファンと思しき人々やら。
 彼らには素敵な朝食らしいが、ハーレイにはそうは感じられない。
 餌は餌であり、ミルクや蜂蜜が、レーズンがあっても餌でしかない。
(少なくとも俺は二度と食わんぞ…)
 これはたまらん、とトーストと目玉焼きとに逃げた。
 トーストにバターをたっぷり塗って、黄身がトロリと半熟になった目玉焼きを切って頬張って。
 それらと餌とを交互に口へと運んでやって、やっとの思いでプレートの上を空にした。
 プレートが下げられた後で熱い紅茶をゆっくりと飲んで、ようやく人心地ついたといった所か。



 その朝、朝練に出て来た柔道部の生徒たちは普段以上に厳しくハードにしごかれた。
 対外試合でも控えていたかと思うくらいに、明日は大会かと勘違いしそうなほどの勢いで。
 そう、アルタミラの地獄を食生活だけ追体験して来たハーレイによって。
「こらあっ、グズグズしてるんじゃない!」
 もっとキビキビ動かんか! と声を張り上げるハーレイの目には、朝練なんぞはお遊戯だった。
 如何にハードな内容だろうが、走り込みだの、組手だので死ぬわけがない。
 やればまだまだ出来る筈だと、もっと出来ると怒鳴りたくもなるというものだ。



 あまりにも不味かったアルタミラの餌。
 オーツ麦を使ったシリアルが売りの、ソルジャー・ブルーなモーニングセット。
(なんだってアレを食う羽目に…!)
 早々にブルーに文句を言わねば、と今日の仕事を猛スピードで終わらせ、自分を生き地獄へ送り込んでくれた前の生の上司の家へと出掛けてゆけば。
「ハーレイ、もう食べに行って来てくれたんだ?」
 嬉しいな、と小さなブルーはテーブルを挟んだ向こう側で顔を輝かせた。
「で、どうだったの?」
「不味かった!」
 二度と食えるか、とハーレイが顔を歪めているのに。
「えっ、でも…」
 とっても人気のセットなんでしょ、とブルーはあくまで無邪気に微笑む。
 リピーターの人が大勢来ていて、また来たい人もいたんだよね、と。



 理解に苦しむブルーの反応。かつての上司の愛らしい笑顔。
 自分は地獄を見たと言うのに、この反応は何だろう?
 どうにも不満でたまらないから、ハーレイはブルーに「おい」と声を掛けた。
「ブルー、手を出せ」
「なに?」
「俺の記憶を送り込んでやる」
 お前も一緒にアレを食ってみろ、俺の気分が分かるだろう。
 どれだけ不味いか、気持ちだけでもアレを体験してみるんだな。
「えっ、いいの?」
 ホントにいいの?
 ハーレイの記憶が見られるんだね、本物の潜入レポートだね!



 やたらと嬉しそうにハーレイと手を絡めたブルーは、何の遠慮も無く送り込まれた地獄の朝食の記憶を全て受け取ってもなお、全く変わらず御機嫌だった。
 自分だったらとてもこんなに食べられはしないと、プレートを空には出来ないだろうと。
 卵二個の目玉焼きだのトーストだったらそれも分かるが、例のあの餌。
 蜂蜜入りのミルクを入れても、レーズンを入れても不味かった餌。
 あれの記憶を味わった筈の小さなブルーは、どうしてこうも機嫌がいいのか。
 分からないから、ハーレイはブルーに訊くしかなかった。
「…何故だ。お前、どうして平気どころか機嫌がいいんだ?」
「えっ、だって…。ハーレイが食べた朝御飯の記憶だよ?」
 ハーレイと一緒に食べた気がするよ、あのレストランで。
 ぼくは出掛けたことはないけど、居心地の良さそうなお店だよね。
 其処でハーレイと一緒に食べたよ、アルタミラの餌。
 アルタミラでは一人で食べていたけど、あれも二人で食べていたなら美味しかったかも…。
「俺はお前を朝食デートに連れてったのか!?」
「気分だけだけどね」
 御馳走様、とブルーはテーブルに置かれた自分の紅茶のカップを手に取った。
 紅茶で喉をコクリと潤し、「うん、紅茶で締めくくりだったよね」と笑みを湛える。
 朝食の最後は紅茶だったと、ハーレイも紅茶を飲んでいたよ、と。



「…お前、強いな…」
 溜息を漏らすハーレイに、ブルーが「そう?」と首を傾げる。
「記憶だからかな、不味さが少し減っているかも…」
 本当にモーニングセットを食べたら、不味いと言うかもしれないよ。
 連れてってくれる?
 不味いのかどうか、食べてみたいから。
「いや、それは…!」
 お前を食事に連れて行くのはまだ早いだろう!
 育ってからだと言った筈だぞ、前のお前と同じ背丈に。
「ほら、そう言って断るんだから。絶対、連れてってくれないんだから…!」
 記憶しか見せてくれないんだから、仕方ないでしょ。
 モーニングセット、美味しかった。
 ぼくの感想はそれに尽きるよ、とっても美味しく食べられた、って。



 もう嬉しくてたまらない、といった様子の小さなブルー。
 ハーレイと一緒に食べた気がする、と朝食デートな気分のブルー。
(…どうしてこういうことになるんだ…)
 俺は思い切り不味い思いをしたんだが、と理不尽な目に遭った気がするハーレイだけれど。
(…二人で食べたら美味しいかも、か…)
 今朝の自分はカウンターで一人、心で文句を呟きながらのモーニングセット。
 不味いと文句を言える相手も、共に語らう相手もいなくて、独りぼっちの朝食の席。
 もしも、あそこにブルーが居たなら。
 カウンター席でも隣にブルーが居たなら、もっと贅沢にテーブル席で向かい合わせなら。
 それでも、あれは不味かったろうか?
 ソルジャー・ブルーの名前を冠したモーニングセットは不味かったろうか…?



(…こいつと二人、か…)
 目の前で「ん?」と赤い瞳を煌めかせて座っているブルー。
 前の生からの愛しい恋人。
 不味いと思ったモーニングセットは、もしかしたら。
 ブルーを連れて行ったつもりで食べれば、隣にブルーが居るようなつもりで食べたなら。
 店で居合わせた人々が喜んで食べていたように、ヘルシーな朝食になるのだろうか?
 不味い餌でも「ヘルシーでいい」と思えるだろうか…?



(…いかん、いかん)
 どう転んでもあれは餌だ、と心の中で繰り返す。
 蜂蜜入りのミルクを入れても不味かった餌で、レーズンを入れても不味かった餌。
 二度と食わんぞ、と思うハーレイだけれど。
 期間限定のイベント中にもう一度、と囁く声も聞こえて来た。
 あれを食べに行こうと、ソルジャー・ブルーのモーニングセットを食べに出掛けようと。
(…餌なんだがなあ…)
 アルタミラの餌。元は家畜の餌だったと聞いた、オーツ麦から作ったシリアル。
 それが今ではヘルシーな食事。ブルーが「御馳走様」と微笑んだ食事。



(…うん、平和な時代になったもんだな)
 いつか、ブルーと結婚したら。
 その時に似たようなイベントが開催されたら、ブルーと一緒に食べに行ってみよう。
 カウンターではなくて、テーブル席。
 向かい合って座って、注文の品が出来て来るまであれこれ話をしながら待って。
 それから二人、スプーンを手にして一緒に朝の食事を食べ始める。
 アルタミラの餌に、不味かった餌に、蜂蜜入りの温かいミルクをかけて…。




         不味かった餌・了

※ハーレイが食べに出掛ける羽目に陥った、歴代ソルジャーの食事の再現イベント。
 今の時代はリピーターまで出る人気なのが「アルタミラ時代の餌」って、平和ですよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








「ほら、土産だ」
 ハーレイが差し出す紙袋。ブルーは目を丸くしてそれを見詰めた。
 今日は平日、普通に学校に出掛けた日。ハーレイの授業は無かったけれども、ハーレイも学校の帰りの筈だ。なのに、お土産。テーブルに「ほら」と置かれた紙袋。
「…ハーレイ、今日は研修だった?」
 知らなかったけど、何処かへ出掛けた?
「いや。こいつはお隣さんから貰ったんだ。俺がお前の守り役だってことを知ってるからな」
 出掛ける時に持ってってくれ、と昨日、届けに来てくれた。
 チビはこういうのが好きだろう、ってな。
「なあに?」
「さてなあ…?」
 お隣さんは何も言わなかったし、俺も透視はしていないんだ。
 お前用に貰った土産だからな。
「そっか…。で、何処のお土産?」
「まあ、出してみろ」
 袋から出せば一目で分かるさ、誰でもな。
「ふうん…?」
 何だろう、とブルーは小さめの紙袋を手元に引き寄せたのだけれども。



「わあ…!」
 中に入っていた箱を見るなり、ブルーは思わず歓声を上げた。
 紙袋の中から出て来たもの。両手の上に乗っかるくらいの大きさの箱。
 それはこの地球で一番大きな博物館のミュージアムショップの包装紙で綺麗に包まれていた。
 広い地球の上で、最大と名高い博物館。
 決して大都市というわけでもないのに、環境が良かったせいなのだろうか、ブルーの住んでいる町にある博物館。広い敷地に沢山の立派な建物、充実の展示と所蔵品。
 学校から見学に行くことも定番だけれど、前世の記憶が戻ってからは一度も行ったことがない。
 そうでなくても一日ではとても回り切れない規模を誇る施設。
 生まれつき身体の弱いブルーは、全部を制覇したことは未だに無かった。



 けれど、憧れの博物館。地球の生き物から宇宙の様々な文化までをも網羅した施設。
 ただでも興味の尽きない場所だったのに、今ではもっと惹き付けられる。
 そう、その大きな博物館には…。
「ハーレイ、此処って、宇宙遺産の木彫りのウサギ…。ううん、ナキネズミだっけ」
 あれがあるんだよね、前のハーレイが彫った。
 普段はレプリカが出てるけれども、本物が収蔵庫の奥に入っているんだよね…?
「そうだが?」
「この箱…。軽いけど、ウサギのレプリカかな?」
「箱のサイズからしてそれは無かろう」
 縦横はともかく、厚みが足りんぞ。四センチほどしか無いだろうが。
 これじゃウサギはとても入らん。
「…ウサギのクッキー?」
「無いとは言えんな、あのウサギはレプリカの展示でも人気だからな」
 なにしろ宇宙遺産ってヤツだ、レプリカでもいいから見たいんだろう。
 本物のアレを見られる機会は、五十年に一度の特別公開だけしか無いんだからな。
「包装紙には何も書いてないね…」
 博物館のシールが貼ってあるだけだよ、マーク入りの。
「開けて見てみればいいだろう」
 その箱はもう、お前のだからな。



 包装紙を破ってしまわないように、そうっと、そうっと剥がしてみて。
 中から出て来た箱の姿に、ブルーの心がドキリと跳ねた。
 其処にシャングリラが刷られていたから。
 箱の表に、青い地球の写真と合成された白い鯨が浮かんでいたから。
「シャングリラだ!」
 白い鯨は青い地球を見られないままに時の彼方に消えたけれども、この手の合成写真は多い。
 本物のシャングリラが辿り着いた死の星の代わりに、青い水の星。
 なんて素敵な箱なんだろう、と見惚れるブルーの向かい側からハーレイの手が伸びて来て。
「ふむ。ということは、だ…」
 箱を手に取り、裏返してみたハーレイの顔が「やはり」と綻ぶ。
「うん、ビスケットだな」
「ビスケットだったら、何かあるの?」
「開けてみりゃ分かる」
 お前のものだろ、開けて見てみろ。そうすりゃ、直ぐに分かるってもんだ。
 よく言うだろうが、百聞は一見に如かずってな。
「うん」
 何だろう、と首を傾げながらもブルーは箱の蓋を留め付けたシールを剥がした。
 ごくごくありふれた、お菓子の箱には付き物の透明な何も刷られていないシールを。



 オルゴールみたいにパカリと一方向に蓋が開く箱。
 白い鯨が刷られたその蓋を開けて、ドキドキしながら覗き込んでみれば、ビスケットが九個。
 個別包装のサイズは同じだけれども、色も形も様々な中身のビスケットが九個。
 縦横に三個ずつ行儀よく並んで、見た目の違いで存在を主張しているビスケットたち。
「綺麗だね。それになんだか可愛い気がする」
 ビスケットが集まって笑ってるみたい。賑やかにワイワイお喋りしてそう。
「言われてみれば、そんな感じもするな。で、そこに栞が入ってるだろう?」
「ビスケットのでしょ?」
「よく見てみろ」
「限定品…?」
 二つ折りの栞の表に「限定品」の文字が躍っていた。博物館のマークと一緒に。
「こいつは此処でしか売ってないんだ、博物館の限定品だな」
 ビスケット自体は、有名な菓子店のものなんだが…。ほら、此処に店のマークが入ってる。
 しかし、この詰め合わせはあの博物館にしか無いって話だ。
「ホント?」
「本当さ。その理由ってヤツも栞に書いてる筈だぞ」
 そいつが売りのビスケットだしな?
 読んだらお前も驚くぞ、きっと。



「えーっと…?」
 箱の中から栞を取り上げ、開いたブルーの目が真ん丸に見開かれた。
「タイプ・ブルー・アソート…?」
 なんなの、これ?
 タイプ・ブルーって、サイオン・タイプのタイプ・ブルーのこと?
「書いてあるだろ、その説明も」
「んーと…」
 読み進めたブルーは「嘘!」と叫んでしまっていた。
 可愛らしいと、賑やかそうだと眺めた九つのビスケット。箱に詰まったビスケット。
 名付けてタイプ・ブルー・アソートなるそれに添えらえた説明。
 ナスカで揃った九人のタイプ・ブルーをイメージしました、という文章。
 前のブルーの名前を筆頭に、ジョミーにトォニィ、ナスカの子たち。
 どれが誰かはお好みでどうぞ、と。



 白いシャングリラが蓋に刷られた箱の中身の、九つの種類が異なるビスケット。
 それを九人のタイプ・ブルーに見立ててくるとは…。
「なんだか凄い…」
 ビックリした、と改めて中身をまじまじと見詰めるブルーに、ハーレイは笑顔。
「博物館の人気商品らしくてな。限定品な上に、一日当たりの販売数が決まっているそうだ」
 だから毎日、昼前には全部売り切れてしまうって噂だぞ。
 お隣さんはいつも早起きだからな、朝一番に出掛けて来たんだろうな。
「ハーレイ、これって食べたことある?」
「無いな、売られているのは記憶が戻る前から知っているが」
「ぼくはあるのも知らなかったよ」
 学校から見学に行った時には、ミュージアムショップは寄らないし…。
 パパやママに連れてって貰った時には見て回るだけで疲れてしまって、ショップよりも御飯とか喫茶室とか…。
 それで帰ってしまっていたから、ミュージアムショップは覗いただけ。
 見て来た展示の本とか写真集を買って貰って、他のコーナーまでは見てないんだよ。



 ブルーが今日まで存在も知らなかったもの。
 九人のタイプ・ブルーが詰まった、イメージされたビスケットの箱。
「…どれがぼくだろ?」
 ビスケットを端から眺めるけれども、「これがそうだ」という決め手に欠ける。
 栞の謳い文句どおりに「お好みでどうぞ」、どれが誰とも判然としない。
 ハーレイに訊いても「さてなあ…」と曖昧な返事が返って来るから。
「うっかり食べたら共食いになる?」
「あやかれるんじゃないか、前のお前に」
 サイオンの扱いが少しくらいはマシになるとか、そんな感じで。
「それだといいけど、メギドは嫌だよ。食べたらメギドの夢を見るとか…」
 ちょっと怖いから、前のぼくのビスケットを詰めるくらいなら。
 ハーレイのも一緒に入れてくれれば良かったのに…。
 どうせだったら、タイプ・ブルーにこだわってないで、シャングリラ・アソート。
「いいのか、それだとゼルやブラウも増えちまうぞ」
 ヒルマンもエラも。
 やたら賑やかな詰め合わせになる上、何が何だか分からないことになりそうだが。
「そっか…」
 ダメかな、シャングリラ・アソートだと。
 いいアイデアだと思うんだけど…。



 ブルーは未練がましく九つのビスケットが詰まった箱を見ながら。
「タイプ・ブルーが九人分かあ…」
 どれが誰だか、ホントに決まっていないのかな?
「らしいぞ、現に作っている菓子店の方じゃ、普通のビスケットとして売ってるからな」
 それぞれに商品名はあるがだ、前のお前やジョミーの名前はついていない。
 アーモンドだとか、チーズだとか。
 うんと平凡な分かりやすい名前で売られているのさ、どのビスケットも。
「なんでだろ?」
「お前とジョミーとトォニィばかりが売れるからだろ」
 他のビスケットも売れるんだろうが、ネーミングだけでこの三種類がバカ売れしそうだ。
「…そうなるわけ?」
「前のお前たちの人気のほどは、お前だって充分に承知してると思うがな?」
 そしてだ、俺の名前のビスケットなんぞは作っても売れん。
 そういう意味でもタイプ・ブルー・アソートってトコがいいんだろうなあ。
 売れそうもない商品なんぞは、開発するだけ無駄だからな。



 自分の名前を冠したビスケットなどは売れもしない、とハーレイは決めてかかるのだけれど。
 ブルーにはそうは思えないから、「そうなのかな?」と首を捻って呟く。
「ハーレイのだって、売れそうだけど…」
「お前、冷静に考えてみろよ?」
 前のお前やジョミーの写真集は沢山あるがだ、俺の写真集は一冊も出ていないんだぞ。
「でも…。ハーレイ入りのシャングリラ・アソートは売れると思うよ、賑やかだもの」
 詰まってるビスケットの数も増えるし、お土産にもとても良さそうだけど…。
「そうかもしれんが、一つ間違えたら罰ゲームみたいにならないか?」
「罰ゲーム?」
「これがゼルだの俺だのと決めて、目隠しをしてみんなで取り合うとかな」
 前のお前とかジョミーが当たれば万々歳だが、ゼルだったりしたらどうするんだ。
 周りが派手に囃し立てるぞ、「引いちまった」と。
「怖いね、それ…」
 ゼルには悪いけど、ハズレだってことはよく分かるよ。
「うむ、闇鍋の親戚だな」
「…闇鍋?」
 何なの、それ。闇鍋って言うから、お出汁が真っ黒?
「そうか、知らんか…」
 いいか、闇鍋というヤツは、だ。
 ずうっと昔の、SD体制よりも前の時代に日本って島国にあった鍋でな…。



 ハーレイは小さなブルーに教えてやった。
 学生時代に仲間たちと遊んだ愉快なゲームを。
 日本の文化と一緒に復活して来た、些か迷惑とも言える鍋のやり方を。
「部屋を真っ暗にしておいてやるか、みんな揃って目隠しをするのが闇鍋ってヤツの大前提だ」
 もちろんサイオンは禁止だぞ?
 使ったりしたらペナルティーだな、一人で二杯食わされるとかな。
 でもって、鍋の具材だが…。
 食えるものなら何でもいいんだ、美味い不味いは関係無しだ。
 そして中には食べられないモノを放り込むヤツまで出たりするんだ、悪戯だな。
 流石に食えないモノが当たった時にはパス出来るんだが、そうでなければ食わなきゃならん。
 何が出ようが食うしかないんだ、そいつが闇鍋の醍醐味なんだ。



「そんな遊びがあるんだね…」
「まあ、俺みたいな運動に夢中のヤツらが楽しんでいたってわけだがな」
 お前みたいに本ばかり読んでるタイプには向かんさ、野蛮すぎるって顔を顰めて終わりだ。
 とんでもない鍋を食ってやがると、あいつら馬鹿じゃないのか、ってな。
「何でもかんでも投げ込んじゃうって…。シャングリラだともったいなくて出来ないね、それ」
 美味しくなるなら面白いけど、不味くなるのが普通なんでしょ?
「うむ。たまに嘘のように美味いのが出来たりするとも聞いてはいたが…」
 俺にそういう経験は無いな、いつも素敵に不味かったもんだ。
 あれはシャングリラじゃとても出来んな、食べ物が粗末になるからな。
 愉快で楽しいゲームではあったが、今の平和な時代ならではだ。



 かつてシャングリラの厨房に立っていた自分としても許可は出来ない、とハーレイは笑う。
 シャングリラの仲間たちが闇鍋をやりたいと言っても許可はしないと、キャプテンの権限を行使してでも止めてみせると。
「しかしだ、今はシャングリラの時代ではないし、闇鍋をやっても何の問題も無いってな」
「好き嫌いが無ければ大丈夫、それ?」
 ハーレイもぼくも好き嫌いっていうのが全然無いでしょ、闇鍋も平気?
「いや、それは闇鍋には当てはまらん」
 好きとか嫌いとか言う以前に、だ。
 有り得ない味っていうのがあるんだ、そいつは俺でも御免蒙る。
 だが、せっかく思い出したんだ。二人で闇鍋、やってみないか?
「たった二人で?」
 いつ闇鍋をしようと言うのだろう?
 鍋と言うだけに冬になったらやろうと言うのか、それとも二人で暮らすようになった後なのか。
 それにしても、たった二人で闇鍋。
 入れる具材が少なすぎて意味が無いのでは、とブルーは思ったのだけど。



「本物の闇鍋をやろうって言うわけじゃないさ、闇鍋ゲームだ」
 このビスケットでやろうじゃないか。
 ゼルなんていう酷いハズレは入っていないし、闇鍋気分のお遊びはどうだ?
 幸い、ビスケットの包装は全部おんなじサイズだからな。
 混ぜちまったら触っただけでは分かりゃしないぞ、どれがどれだか。
「いいね!」
 サイオン抜きってルールなんだよね、それならぼくでも大丈夫だよ。
 ぼくは目隠しして触っただけでは中身が何だか分からないもの。
「よし、やるか」
 箱の仕切りを外してやったら、この箱の中で混ぜられるしな?
 二人で目隠ししてから混ぜてやってだ、一つずつ掴んでみようってな。
「このビスケット…。どれがぼくかな?」
「まずはそいつを決めないとな?」
 前のお前は、この丸くって赤いのはどうだ?
 ラズベリージャムか何かの色だな、前のお前の瞳の色だ。
「だったら、ジョミーはこっちの緑の?」
「そいつもいいなあ、金髪だったからチーズの黄色かとも思ったが…」
 ジョミーの瞳の色にしとくか、多分ピスタチオのビスケットだろう。
 ピスタチオだから、ペスタチオの分のビスケットにすべきなのかもしれないが…。
「そんな子もいたね、ホントにどれが誰だか決まってないんだ…」
 赤だって、ぼくの瞳の色ではあるけど、ジョミーのマントも赤だったものね。
 「お好みでどうぞ」って言われるわけだね、トォニィはどれに決めたらいいんだろう…?



 ああだこうだと案を出し合って、名前が決まった九人分のビスケット。
 どれが誰かをメモに書き付け、ビスケットを区切っている仕切りを箱から外した。
 こうしてしまえば、後は混ぜるだけ。
 個別包装の袋を箱の中で二人でかき混ぜ、元の位置が分からなくなった所で一つずつ選ぶ。
 闇鍋ならぬ、闇ビスケット。
 ブルーはテーブルを挟んで向かいに座ったハーレイに「いい?」と念を押した。
「サイオン無しだよ、ズルは禁止だよ?」
「分かってるとも、闇鍋のルールは守らないとな」
 でないと闇鍋の意味が無いだろ、それではつまらん。
 やるからには真剣勝負ってヤツだ、俺とお前の運試しだな。



 手がぶつかって落としてしまわないよう、ティーカップなどを勉強机に避難させてから。
 ビスケットの箱をテーブルの真ん中に置いて、二人揃ってハンカチでギュッと目隠しをした。
 まずは箱の中身のビスケットを二人でかき混ぜ、まるで分からない状態に。
 しっかりと混ぜて、ブルーはハーレイに訊いてみた。
「もう掴んでも大丈夫かな?」
「ああ、充分に混ざったろうさ」
「それじゃ、一、二の三で一つ掴むんだね?」
 自分のを一個。何が当たるか、恨みっこ無しで。
「いや、其処はカウントダウンだろう」
「えっ?」
「箱にシャングリラが刷ってあるだろ、それを使わないって手は無いぞ」
 シャングリラ、発進! と行こうじゃないか。
「そうだね、カウントダウンがピッタリ!」
 懐かしいよね、とブルーは航海長だったブラウの口調を真似てみた。
 「カウントダウン開始!」と。
 それを合図に、カウントダウン。
 ハーレイと二人、声を合わせて「ファイブ、フォー…」と数えていって。
「シャングリラ、発進!」
 同時に叫んで、互いに手を突っ込んだビスケットの箱だったけれど。



「…コブだって。どんな子だった?」
 ブルーはメモを覗き込み、自分の手の中のビスケットの名前を確認してみた。
 ナスカ上空で出会ったコブなら、ちゃんと記憶にあるけれど。
 その後のコブも歴史の教科書で見てはいるけれど、それだけだから。
 ハーレイのようにコブと一緒に暮らしたわけではないから、どんな子供か尋ねようとして。
「あれっ、ハーレイ、ジョミー持ってる!」
 褐色の手の中、ジョミーと名付けたビスケット。
 ブルーは前の自分とは殆ど無縁のコブのビスケットを持っているのに、ハーレイはジョミー。
 どんなもんだ、と言わんばかりに褐色の手にジョミーのビスケット。
 ずるい、とブルーは叫んだけれども。
「言っておくがだ、俺はサイオンは使ってないしな?」
 闇鍋のルールは守ると言ったぞ、やろうと言い出した俺が破ってどうする。
 こいつが闇鍋の楽しい所だ、何を掴むか分からないってな。
 しかし、お前も運が無いと言うか…。
 これが本物の闇鍋だったら凄いハズレを引いちまうぞ。
 好き嫌いの無いお前の舌でも「とても無理だ」と思うような味の。
「…うん…」
 分かってる。
 ハーレイが言ってたクリームパンの味噌煮込みとか、そういうのでしょ?
 食べられないことはないと思うけど…。
 ちょっぴり甘い味噌バター味だな、って頑張ったら、多分、食べられるけど…。
 でも、ぼくが引いたビスケットの名前…。



 どうしてコブなの、とブルーはガックリと項垂れた。
 コブは決して悪くはない。
 ナスカを守ろうと幼い身体で懸命だった姿は今も鮮やかに思い出せるし、それからだって。
 シャングリラが地球まで辿り着くために、コブも死力を尽くしてくれた一人。
 だからこそタイプ・ブルー・アソートの中の一人で、大切な仲間。
 分かってはいるが、それでもコブ。
 せめてアルテラを引きたかった、と思う。
 コブと同じく馴染みは全く無いのだけれども、アルテラが残したメッセージ。
 トォニィに宛ててボトルに書かれた「あなたの笑顔が好き」という言葉。
 その文字をそのまま写し取ったメッセージカードは今も人気で、恋人宛のカードの定番。
 コブを引くより、そんなアルテラを引き当てたかった。
 もっと贅沢を言っていいなら、ジョミーかトォニィ。
 前の自分と縁が深かった二人の名前のビスケットを引いてみたかったのに…。



 運の悪さを思い知らされた闇鍋ごっこの、闇ビスケット。
 コブの名前のビスケットを手にブルーがしょんぼりと俯いていたら、褐色の手が伸びて来た。
 ブルーの手よりもずっと大きなハーレイの手。その手にジョミーのビスケット。
「ほら、俺のジョミーと換えてやるから、しょげるんじゃない」
 俺はコブとも馴染みがあるしな、お前みたいにハズレってわけじゃないからな。
「ホント?」
「ああ。…もっとも、ヤツらも物騒なことを言ってた時期はあったんだがな」
 みんな殺してシャングリラを乗っ取っちまおうか、なんて恐ろしいことを言ってたなあ…。
 子供ならではの浅はかさってヤツだ、全部筒抜けでした、ってな。
 俺は何とも思わなかったが、他の仲間は怖がってたさ。
 たかが子供の言うことだ、って聞き流せる度胸は普通のミュウには無いからなあ…。
「ハーレイ、昔からタフな神経が自慢だったものね」
「それもあるがだ、前のお前を失くしちまったら、怖いものなんてあると思うか?」
 コブたちに殺されちまったとしても、お前の所へ行くだけだろうが。
 その辺もあったな、俺の度胸が据わってた理由。
「…ごめん…。ぼくがハーレイを置いてっちゃったから…」
「いいさ、そいつは気にするな」
 話の流れで出て来ちまったが、お前が気にする必要は無いさ。
 そんなわけでな、俺はヤツらを怖がらないから、コブたちだって打ち解けてくる。
 ジョミーにはちょっと相談し辛い、っていう小さな悩みを聞いてやったりもしていたもんだ。
 戦いのことしか考えていないように見えたからなあ、あの頃のジョミー。
 お前を失くして抜け殻みたいだった俺でも、ヤツらにしてみりゃキャプテンだしな?



 そういうわけで、とハーレイはコブのビスケットをブルーの手からヒョイと取り上げ、代わりにジョミーのビスケットをそっと持たせてやった。
 これがお前のだと、お前の分だと。
「俺は昔馴染みのコブでいいから、お前はジョミーを食っておけ」
 それに元々、お前が貰ったビスケットだしな?
 ジョミーの名前のビスケットを食って、ジョミーにあやかってうんと元気になるといい。
 ついでに背丈も伸びるといいな。
「ジョミーだったら、百七十五センチ?」
 前のぼくより五センチも高いよ、そこまで伸びる?
「そいつはお前にゃ無理なんだろうが、伸びるのがちょっぴり早くなるかもしれんぞ」
「ありがとう、ハーレイ!」
 早く大きくなってみせるよ、とブルーはジョミーのビスケットを開け、齧り付いた。
 ジョミーにあやかって背を伸ばすのだと、早く大きくなるのだと。
「こらこら、いつも言ってるだろうが、急がなくていいと」
 急ぐんじゃない、とハーレイはコブのビスケットを開けながら微笑む。
 ゆっくり幸せに育てばいいと、何年でも待っていてやるから、と。



「待っててやるから、いつかお前と二人で行こうな、博物館」
 結婚して、二人で手を繋いで。飯を食ったりしながらゆっくり回ろう、疲れないように。
「うん、ハーレイが彫ったナキネズミのレプリカ、見に行かなくちゃね」
 ミュージアムショップでレプリカを買うんだ、ウサギって書いてあるだろうけど。
 早めに出掛けて、このビスケットも買いたいな。
「そうだな、タイプ・ブルー・アソートは買わないとな」
 前の俺たちの船が刷ってある箱だ、シャングリラの箱入りのビスケットだしな。
「でしょ? 絶対買おうね、ナキネズミを見に行く前に買っちゃおうかな」
 売り切れちゃったら悲しいもの、とブルーが言えば、ハーレイも「ああ」と頷いてくれた。
 一番にミュージアムショップに寄ろうと、そして展示を見に出掛けようと。
 青い地球を背景に浮かぶシャングリラが刷られた、ビスケットの箱。
 博物館の限定商品。
 いつか行く頃にはハーレイ入りのも出ているといいな、とブルーは夢見る。
 ハーレイにブラウ、エラやゼルも入った賑やかな中身のビスケット。
 箱に書いてある菓子店に要望を書いて出してみようかと、そういう商品が欲しいんだけど、と。
 タイプ・ブルー・アソートがあるなら、シャングリラ・アソートも作って欲しい。
 大好きなハーレイのビスケットが入った、心が弾む詰め合わせを…。




         博物館のお土産・了

※ブルーが貰った博物館のお土産。タイプ・ブルーなクッキーの詰め合わせセット。
 ハーレイと楽しく食べたのですけど、シャングリラな詰め合わせセットも欲しいようです。
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「今日は、少し範囲から外れるが…」
 たまにはこういう話もいいだろう、とハーレイが教卓の上に置いたもの。
 鮮やかな黄色の実を付けた枝で、葉は艶やかに濃い緑。ミカンにも似た小さな果実。その直径は三センチくらいといった所か。
 家から持参したその枝を前に、ハーレイはぐるりとブルーのクラスを見渡した。
「こいつは何だか知っているか?」
 サッと手を挙げた男子生徒。こういった時には必ず出て来る、クラスのムードメーカーの彼。
「ミカンです!」
 自信満々で答えた、彼だったけれど。「残念だったな」と片目を瞑るハーレイ。
「柑橘類には違いないのだが…。ミカンではなくて橘ってヤツだ」
「橘ですか!?」
 ワッと湧き立つクラスメイトたち。橘なるものは古典の教科書に出て来るけれども、本物の実に出会える機会は少ない。植物園に行けばあるのだろうが。
「遥かな昔には、ときじくのかぐのこのみ、とも言った」
 こう書くのだ、と教室の前のボードに大きく伸びやかな文字。「時じくの香の木の実」と。
「ずうっと昔の、この地域…。日本って島国で信じられていた理想郷があってな」
 常世の国、と呼ばれていた。
 其処に蓬莱山という山がある。その蓬莱山で採れる木の実が「時じくの香の木の実」なんだな。
 不老不死の薬になると言われて、それを探しに出掛けて行った人もいるんだ。
 苦労した末に見付け出して持って帰った木の実が橘だった、という話だ。



 へえ…、と聞き入っているクラスメイトたちと、皆の視線を集める橘の実と枝。
 ハーレイは「右近の橘ってヤツもこれだぞ」などと語って、誰もが興味津々だけれど。
 不老不死の薬だという橘の黄色に夢中だけれども、ブルーの思いは少し違った。
(…時じくの香の木の実…)
 それに、その実が採れる常世の国。
 どちらも初めて耳にした言葉。知らなかった、自分が住んでいる地域の遥かな昔の古い伝説。
 時じくの香の木の実も、常世の国も今日まで知らなかったけれど、理想郷という響き。
 その言葉になら覚えがあった。
(…シャングリラだ…)
 忘れられない、懐かしい言葉。
 前の生でハーレイと共に暮らした白い船。
 あの船の名だ、と思い出す。白い鯨を、ミュウたちの楽園だった船の名前を。



(…シャングリラ…)
 帰宅した後も、頭から離れない言葉。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 理想郷と名付けられていた船と、今日のハーレイの授業で聞いた常世の国と。
 シャングリラと同じ意味合いを持った、常世の国。
 こんな日にハーレイが来てくれたなら…、と勉強机に頬杖をついて考えていたら、来客を告げるチャイムの音。
(ハーレイ!?)
 パッと駆け寄った窓の下の方で、庭を隔てた門扉の向こうで見慣れた人影が手を振っていた。



 ハーレイをブルーの部屋へと案内して来た母がお茶とお菓子を置いて行ってくれて。
 いつもの窓辺のテーブルで二人、向かい合わせに座って直ぐにハーレイの口から出た言葉。
「どうだった、今日の俺の授業は?」
 ブルーは「あっ!」と息を飲む。
「…ハーレイ、もしかして狙ってた?」
 わざわざぼくに訊くってことは、あの授業、ぼくを狙っていたの?
 理想郷だぞ、何かを思い出さないか、って…?
「まあ、そんなトコだ。もっとも、半ば偶然の産物だがな」
 親父から連絡があったんだ。
 橘の実をくれるという人があるから、授業で使うんだったら届けに行くぞ、と。
 せっかくの機会だ、お前の家に寄れそうな日を選んで授業をすることにした。
 だから親父が来たのは昨日さ、俺が帰ったら鍵を開けてちゃっかりリビングに居たな。
 「一足お先にお邪魔してるぞ」って、俺の菓子まで食ってたわけだが…。
 あの親父には敵わないな。
 キッチンもしっかり使われていたって始末だ、「ついでに魚も釣って来たから」と。
「あははっ、ハーレイのお父さんらしいね」
「そうか? まあ、美味かったが…。親父の料理も」
 お前にも食わせてやりたかったが、そういうわけにもいかんしな?
 親父からの土産は橘の実だけで勘弁してくれ。



 ほら、とハーレイは荷物の中から橘の実を一つ取り出した。
「なにしろ授業で使うっていう名目だしな?」
 他の先生たちも使いたいと言うし、持ってったヤツは枝ごと学校のものになっちまったが…。
 こいつは持って行く前にもいでおいたんだ、一つ足りなくても誰も気にせん。
「…ぼくにくれるの?」
「もちろんさ。そのために親父に頼んだんだからな」
 親父はシャングリラのことは何も知らんし、お前のための授業用だとしか思っていないが…。
 お前が興味を持ってくれたら嬉しいな、と笑って渡してくれたんだが…。
「これ、食べられるの?」
 ブルーはテーブルの真ん中に置かれた果実を眺めた。
 ミカンの原種か何かだろうか、と思ってしまうほどの小さな木の実。
 名前こそ「時じくの香の木の実」と立派だけれども、食べられる部分が少なそうな実。
「食えるらしいぞ?」
 俺も食ったことは無いんだが、とハーレイの指が橘の実をチョンとつついた。
 父の友人の家の庭で沢山採れるそうだと、皮や絞り汁で菓子やジャムなどが作れるらしい、と。



「ついでに昔のこの地域では、だ。橘は菓子の神様とも関係が…な」
「お菓子の神様?」
「授業で話した、こいつを探しに蓬莱山を目指した人さ」
 うんと苦労して、これを見付けて。
 帰って来てみたら、探しに行ってくれと頼んだ主人は亡くなってしまった後だった。
 主人と言っても天皇だから、日本って島国の王様だな。
 王様は死んでしまっていたから、その人もショックで泣きながら死んでしまったんだが…。
 橘の実は王様のお墓に半分、もう半分はお妃様に。
 その時代には菓子と言ったら木の実だったからな、橘は珍しい菓子ということになる。
 それを持ち帰った人ってトコから、その人がお菓子の神様になったって話だ。
「ふうん…」
 なんだか可哀相だね、お菓子の神様。
 頑張って不老不死の木の実を探して来たのに、間に合わなかったなんて。
「まあな」
 挙句に自分も死んじまいました、では神様になっても悲しいよな。
 …前のお前も悲しいわけだが…。
 今や英雄だが、前の俺たちとシャングリラを守って独りぼっちで死んじまったし…。



「ぼくは間に合ったからいいんだよ」
 メギドを沈めて、ちゃんと間に合った。みんなを守れた。
 お菓子の神様と違って間に合ったんだからそれでいいんだ、シャングリラを守れたんだから。
 でも、シャングリラの名前…。
 常世の国は候補に入っていなかったよね。
「聞かなかったな」
 それに、桃源郷っていうのも無かったっけな。
「…桃源郷?」
「シャングリラは西洋で生まれた理想郷だが、桃源郷は東洋生まれなのさ」
 遠い昔の地球の、東洋と西洋。
 今、俺たちが住んでる地域は東洋だよな?
 其処じゃ理想郷と言えば桃源郷って考える人が多かったそうだ。
「…前のぼくたち、やっぱり知識が足りなかったかな?」
 常世の国も、桃源郷もスッポリ抜け落ちていただなんて。
「いや、ヒルマンとエラなら探せただろう」
 そのための時間が足りなかっただけだ。データベースを端から端まで漁る時間が。
「そっか…」
 時間不足はそうかもしれない、とブルーは過去へと思いを馳せた。
 前の自分が生きていた頃、まだシャングリラがそういう名前ではなかった頃へと。



 アルタミラから脱出した後、皆の心が落ち着くにつれて話題に上り始めたもの。
 それは船のあちこちに埋められ、取り付けられたプレート。
 コンスティテューションと記された、それ。
 船の名前を示すプレート。ついでに建造年月日なども。
 どういった意味の名前だろうか、と調べた結果、SD体制よりも遥かな昔に同じ名を持つ有名な船があった事実と、コンスティテューションは「憲法」の意味だということが分かったけれど。
 どちらも、どうもしっくり来ない。
 自分たちの船に似合う名前だとは思えない。
 同じ名前ならもっといいのが良かったのにと、もっといい名が良かったのに、と。



 コンスティテューションと書かれたプレートを目にする度に、誰もが考えること。
 どうしてこういう名前なのかと、別の名前が良かったのに、と。
「せっかく俺たちの船になったんだ。名前を変えればいいんじゃないか?」
「そうだな、うんと立派なのがいいな」
 言い出した者が誰だったのかも分からなくなるほど、アッと言う間に広がった話。
 名前を変えてしまえばいいと、自分たちの船らしい名前にしよう、と。
 そういった話が食堂で、通路で、休憩室で交わされ、いつしか壮大なものへと変わった。
 この船をミュウの楽園にするのだと、それに相応しい名前がいい、と。



 けれども、何がいいのだろう?
 どう名付ければいいと言うのだろう?
 成人検査と続く実験とで記憶を奪い去られてはいても、残った記憶というものはある。
 誰の記憶にもある楽園。天国とは少し違った、楽園。
 それが素敵だと思うのだけれど、しかし、「楽園」という名は洒落てはいない。
 意味は最高なのだけれども、船の名前には似合わない。
 もっと何か…、と誰もが思う。
 楽園らしくて、それでいて船の名前に相応しい何か。



 そういった時に頼りにされる者たちは、もう決まっていた。
 元々の知識の量が多かったものか、船で一番の物知りと評判の高いヒルマン。
 それから、几帳面で記憶力にも優れていたエラ。
 この二人と、彼らと仲の良いゼルとブラウといった辺りに、相談事は大抵、持ち込まれるもの。
 もちろん彼らの友人であったハーレイ、それにブルーの耳にも入る。
 休憩室で揃ってお茶を飲みながら、ヒルマンが「ふうむ…」と首を捻って。
「確か、理想郷というのがあったな」
「どういうヤツだい?」
 ブラウの問いに、ヒルマンは「理想だよ」と穏やかな笑みを浮かべた。
「そのままの意味だよ、まさに理想の世界のことだ」
「楽園よりいいんじゃないのかしら?」
 エラが応じたけれども、ゼルが不満そうに。
「だが、洒落てないぞ」
 楽園と大して変わらないような気がするんだが。
 言葉をそのまま付けたって感じだ。
「…それもそうだねえ…」
 もうちょっと他の言葉ってヤツはないのかねえ…、とブラウも頻りと首を捻るから。
 「調べてみよう」とヒルマンがエラに協力を求め、二人はデータベースに詰まった情報を相手に戦いを挑むことが決まった。
 この船に相応しい名前。
 楽園そのもので、それでいて洒落た言葉を探しに。



 戦場に向かった二人が引っ提げて戻った、船の名前の候補たち。
 それは三つで、それぞれに意味と由来とがあった。
 まずはユートピア、理想郷を指す言葉だけれども、とある作家の創作だという。
 次にアルカディア、これは地球でも古い部類の古代ギリシャで語られていた理想郷。
 そしてシャングリラ、同じく理想郷を指すが、これも作家の創作だった。
「どうかね、こんな所なのだが」
 ヒルマンが書いて並べた名前を、ブラウが「ふうん…」と覗き込みながら。
「こりゃまた、どれも派手な意味だねえ…」
 理想郷と来たよ、三つとも。よくも探して来たもんだよ。
「コンスティテューションよりかは呼びやすそうだな」
 ゼルの呟きに、ブラウがフンと鼻で笑った。
「あんなの、誰も呼んじゃいないよ」
 とりあえず「船」で通じるからね。
 船って言ったらコレしか無いんだ、舌を噛みそうな名前なんかで呼びやしないよ。



 ヒルマンとエラが探し出して来た、三つの候補。
 ユートピアにアルカディア、それにシャングリラ。
 飛び抜けて呼びやすいものがあれば簡単に決まっただろうが、生憎どれも似たようなもの。
 一見、決め難く思えたけれども、アルカディアに人気が集まった。
 作家の創作に過ぎないものより、地球に古くから伝わるという理想郷、アルカディア。
 それがいい、という声が高まる中、念のためにとヒルマンたちが調べてみれば。
 古代ギリシャではなく、後の世のギリシャ。
 人が乗り物で空を飛ぶようになった時代のギリシャに、アルカディアと呼ばれた地域があった。
 けれど、田園地帯はともかく、緑が少ない岩だらけの山に囲まれた場所。
 乾燥した気候のせいだったらしく、半ば禿げた岩山は理想郷のイメージに似合わない。
 ちょっと違う、と落ちてゆく人気。
 本物がこれなら、作家の創作の方がマシだろうか、と。



 残った二つの理想郷。
 どちらも架空の、作家が捻り出した名前の理想郷。
 ユートピア、それにシャングリラ。
 この二つに違いはあるのだろうか、とヒルマンとエラは更に調べてみたのだけれど。
 ユートピアは架空の国家の名前で、理想郷なのに管理社会らしい。
 町と田舎の住民を計画的に入れ替えていたりするくらいに。
 おまけに私有財産は持てず、誰もに課された勤労義務。
「管理社会はなんだか嫌だねえ…」
 あたしはちょっと、とブラウが頭を振った。ヒルマンが皆を集めて発表していた食堂で。
「そいつはなんだかSD体制みたいだよ。シャングリラの方はどうなんだい?」
「…シャングリラは場所が限定されるのだがね…」
 地球のチベットと呼ばれる地域。
 其処にあるとされて、「シャンの山の峠」の意味だね、シャングリラは。
 そのシャングリラに住む人々は、皆、長生きで、老いる速度が非常に遅いのだそうだ。
「へえ…! なんだか俺たちみたいだな!」
「おまけに場所が決まっているのか、ユートピアより夢があるよな、あるかもしれない、って」
 シャングリラがいいな、と昂揚する空気。
 管理社会なユートピアよりもシャングリラがいいと、夢があると。
 しかもシャングリラにはミュウを思わせる人々が住むという。
 おまけに地球のこの辺りにある、と匂わせる名前に誰もが心惹かれた。
 「シャンの山の峠」。
 チベットとやらの其処を探し当てれば、シャングリラに辿り着けるのだから。
 いつか行きたい、青い水の星。
 其処に在る筈の理想郷がいいと、此処に在ると示す名前がいい、と。



 シャングリラを希望する者たちが一気に増えた所へ、新たに入って来た情報。
 管理社会だと皆が嫌ったユートピアだが、それは後世、理想郷の代名詞になっていたという。
 元々の創作を読みもしなかった人々の間で、イメージだけが独り歩きをしてしまって。
 忘れ去られた創作の中身。管理社会という実態。
 ユートピアと言えば理想郷だと、その響きだけで多くの人々を惹き付けた名前。
 そういった情報を聞いてしまうと、ユートピアがいいと宗旨替えをする者たちが何人も出た。
 ユートピアならば架空の場所で、名前の由来も「何処にも無い良い場所」という造語。
 チベットの奥地と決まってしまったシャングリラよりも、そちらの方が夢があるのだ、と。



 皆の意見はもはや纏まらず、シャングリラ派が多数とはいえ、ユートピア派も無視できない。
 日が経てば逆転するのかもしれず、あるいはシャングリラに落ち着くのかも…。
 まるでどうなるかが分からない中、ブルーはヒルマンたちが集まった部屋で尋ねられた。
 いつもブルーを何かと気にかけてくれる、褐色の肌のハーレイに。
「ブルー、お前はどうなんだ?」
 シャングリラとユートピア、お前はどっちが好みなんだ?
「どっちでもいいよ」
「だが…。お前の一言で多分、決まるぞ」
「なんで?」
 どうして、とブルーは首を傾げた。
 自分の意見で何故決まるのかと、どうして決まってしまうのかと。
「お前だからさ。…分からないか?」
 俺も含めて、この船のヤツら。
 お前がいなけりゃ、誰も生きていけん。誰一人として生きられないんだ、食えもしないしな。
 だから、お前の一言で決まる。希望があるなら言った方がいいぞ。
「そうだよ、どっちがいいんだい?」
 遠慮しないで言っちまいな、とブラウにも勧められたけれども。
「どっちでも…」
 ぼくはどっちでも構わないよ。
 ユートピアでも、シャングリラでも。
 この船が理想郷になるなら、どんな名前でもいいと思うな…。



 ブルーは本当にどちらでも良いと思っていた。
 理想郷という意味だけで気に入っていたし、船のみんなが呼びたい方を選べばいい、と。
「…ブルーが特に希望しないなら、やはり投票で選ぶかね?」
 期限を設けて、というヒルマンの提案に、ブラウたちも揃って賛成で。
 ユートピアにするか、シャングリラか。
 それとも最初に人気を集めたアルカディアか。
 三つの候補から自由に選ぶ、ということになって、投票用紙が配られた。もちろん無記名、船の名だけを書いて食堂に置かれた箱へと投じる仕組み。
 蓋を開けてみればユートピア派はごくごく少数、圧倒的多数でシャングリラ。



 そうして船の名はシャングリラに決まり、一番最初に行われたこと。
「もうこのプレートは要らないんだよな?」
「この船は今日から、シャングリラだしな!」
 船内に鏤められたコンスティテューションと書かれたプレート。
 プレートは端から紙が貼られて、コンスティテューションの名が隠された。
 代わりに書かれた、手書きの文字の「シャングリラ」。
 半ばお祭り騒ぎの熱狂の中で、全てのプレートに誇らしげな文字で「シャングリラ」の名。
 この船の名前はシャングリラだと、自分たちの理想郷なのだと。
 プレートが正式に書き替えられるまでは、船のあちこちに手書きの文字。
 紙をペタリと貼り付けただけの、それでも皆の思いがこもった「シャングリラ」の名が…。



「お前、あの時、どっちを書いた?」
 どっちだった、とハーレイが橘の実を前にしてブルーに訊く。
 お前はどちらを選んだのか、と。
「…ハーレイは?」
 そう言うハーレイはどっちを書いたの、ユートピアだったか、シャングリラか。
 ぼくも気になるよ、どっちだったの?
 …前のぼくたちの時に訊けば良かったね、今頃じゃなくて。
「その発想は無かったな。投票はあくまで秘密ってな」
 訊けば教えてくれたんだろうが…。
 で、どっちだ?
「…シャングリラ」
 ぼくはシャングリラと書いて入れたよ、食堂の箱に。
「奇遇だな、俺もシャングリラだ」
 どうせだったら、実在するかもしれない場所というのに賭けたかったのさ。
 地球が滅びてチベットどころじゃなくなっただけに、シャングリラだって消えただろうが…。
 それでもそういう場所が在った、と思えば希望が湧きそうじゃないか。
 何処にも存在しないなんていうユートピアより、辿り着く目標になりそうだってな。
「ぼくもおんなじ気持ちだったよ、どちらか一つを選ぶんならね」
 地球に着いたら、ずっと昔には「シャンの山の峠」だった場所が何処かにあるんだ。
 シャングリラは作家の作り話でも、チベットって場所はあったんだから。
 同じ幻なら、実在しそうな方がいい。
 その可能性が高そうな方がいいよね、ってシャングリラを選んで書いたんだよ。



「…お前、どっちでもいいと言っていたくせに」
 ハーレイが深い溜息をつくから、ブルーは微笑む。
「それもホントだよ?」
 みんなが選びたい方で良かった。
 ぼくの意見で決めるんじゃなくて、自由に選んで欲しかったんだよ。
 だって、あの頃のぼくはソルジャーどころか、リーダーですらも無かったしね?
 物資を奪う力があるってだけのチビだよ、そんなぼくが決めてどうするの?
 みんなが乗る船の名前なんだよ、やっぱりみんなで決めなくっちゃね。
「なるほどなあ…。お前もチビなりに考えていた、と」
 そして今だったら選択肢が二つほど増えるようだが。
「桃源郷は似合わないと思うよ、白い鯨には」
「うむ。常世の国もな」
 どっちも合わんな、シャングリラには。
 あの船は桃源郷でも常世の国でもなくてシャングリラだという、そんな気がする。



「シャングリラって名前で良かったんだよね?」
 前のぼくたちが乗っていた船。
 最初はコンスティテューション号だった船…。
「ああ。キャプテンの俺が言うのも何だが、シャングリラ以外に考えられんな」
 だが、俺たちはシャングリラに乗って、シャングリラがある筈の地球を目指して…。
「空振りだったね、前のハーレイ…」
 青い地球は何処にも無かったんだものね。
「お前は辿り着けさえしなかったんだよなあ、あんなに地球を夢見ていたのに…」
 俺たちを守って、メギドなんかへ飛んじまって。
「空振りしちゃってガッカリするより、良かったような気もするけどね」
「本当か?」
「…今だから思うことだろうけど。青い地球は無かったってことを知っているから…」
 あの時のぼくは、地球を見られずに死んでしまうことが悲しかったもの。
 一目でいいから見たかった、ってメギドへ飛ぶ前に思ったもの。
 だから、死の星だった地球でも。
 もしも着けていたら、「此処まで来られた」って泣いて喜んでたかもしれない。
 あれが地球だ、って、青くないけど地球に来たんだ、って…。



 どうだったろう、とブルーは呟く。
 前の自分が死に絶えた地球に辿り着いていたら、喜んだのか、それとも失望したかと。
「さてなあ…?」
 俺にもそいつは分かりかねるが、お前は辿り着けたじゃないか。
 前のお前が焦がれたとおりの、本物の青い地球までな。
 まさに理想郷って感じの地球だぞ、もう人類との戦いだって無いんだからな。
「うん。…だけどシャングリラじゃなくって、常世の国って所なんじゃない?」
「この地域だと、どうやら理想郷はそいつらしいしなあ…」
「でしょ? 時じくの香の木の実もあるしね」
 ほら、ちゃんとテーブルの上に乗っかってる。
 常世の国の蓬莱山に生えてるんでしょ、これが採れる木。



「橘か…」
 ふむ、とハーレイは笑みを深くした。
「晩飯の時にちょっと食ってみるか?」
「どうやって?」
「柚子とかの代わりに使えないこともないだろう」
 親父が言うには、けっこう酸っぱいらしいしな。
 菓子を作るなら砂糖を多めに入れてやらんと駄目なようだぞ、だからだな…。
 料理に少し絞ってやるとか。
「それじゃメニューによるんじゃない?」
 今日の晩御飯、柚子とかレモンが合わないメニューかもしれないよ?
 …それにパパとママも一緒に食べているんじゃ、シャングリラな気分になれないし…。
 食べるんだったら、今、使おうよ。
「どうするつもりだ?」
「この紅茶だよ。レモンティーの代わり」
 おかわりはレモンじゃなくって橘で飲もうよ、いいと思わない?
「なるほどな…!」
 そいつはいいな、とハーレイが頷き、ブルーはテーブルの橘の実を掴むと立ち上がった。
 キッチンで二つに切ってくるから、少しの間だけ待っていて、と。



 階段を駆け下り、母が立つキッチンに飛び込んで行って。
「ママ!」
 橘の実を載せた右手を差し出した。
「この実、二つに切りたいから、ナイフ!」
 時じくの香の木の実なんだよ、ハーレイがぼくにくれたんだ。
 これで紅茶を飲んでみたいから、二つに切りたい!
「あらまあ…。珍しいものを頂いたのね?」
「うんっ!」
「まな板、これから使う所だったから。先に切ってあげるわ」
 母は橘の実を綺麗に二つに切って分けてくれた。
 小さな皿に載せて貰ったそれをブルーは宝物のように大切に持って、部屋へ戻って。



「ハーレイ、これ」
 切って貰って来たよ、橘の実。早く絞って飲んでみようよ、レモンティーの代わりに。
「よし。だったら、紅茶のシャングリラ風と洒落込むか」
「常世の国だよ、此処の地域だと」
「そいつを別の言葉で言ったらシャングリラだろうが、理想郷だぞ」
 チベットだの由来だのにこだわらなきゃな。
「そういえばそうだね、どっちも理想郷なんだものね」
「うむ。だから、こいつを絞って、と…」
 二つに分かれた橘の実を半分ずつ持って、熱い紅茶を満たしたカップに絞ってみて。
 香り高い実の香りが移った指でカップを持ち上げ、口に運んだブルーは素直な感想を述べた。
「酸っぱいかも…」
 レモンを一枚入れるだけより酸っぱいんだけど…!
「だが、これがシャングリラの味ってな」
 時じくの香の木の実だ、理想郷で採れる木の実の味だな。
「ふふっ、そうだね、常世の国でもシャングリラだしね」
 それに地球だよ、とハーレイと二人、酸味が増した紅茶のカップを傾ける。
 自分たちは地球に辿り着いたと、長い長い時を経て、ついに本物のシャングリラに。
 今、自分たちが住んでいる地域では理想郷と言えば常世の国。
 そんな名前のシャングリラに二人一緒に辿り着いたと、蘇った青い地球の上で、と…。




         理想郷の名前・了

※楽園という名を船につけようと思ったミュウたち。候補は幾つかあったのです。
 そして決まったのがシャングリラ。今のブルーたちが暮らす地域だと、常世の国ですね。
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「ブルー、首の所…」
 赤いわよ、とママに指差された。学校から帰って、ママとおやつの真っ最中に。
「えっ?」
 椅子から立って、ダイニングの壁の鏡を覗き込んだら、ちょっぴりプクッと首に赤いもの。
「…刺されたのかな?」
「どうかしら…」
 ママも立ち上がって、近付いて来て。ぼくの首筋を横から覗いてみたんだけれど。
「あら、虫刺されじゃないわね、これは」
 毛穴が詰まってしまったのね、と虫刺されの薬を持ってたママが笑ってる。きっとダイニングに置いてたんだろう、庭仕事をすると刺されることだってよくあるから。
「これじゃ薬が違うわね」
 取ってくるわね、と吹き出物用の薬を取りに出掛けたママは直ぐに戻って来た。
 小さなチューブの塗り薬。
 ぼくは薬を塗られたんだけど…。



(うーん…)
 簡単には引いてくれない、赤み。
 おやつを食べ終わって部屋に戻っても、まだ赤い。壁の鏡を見てみたら赤い。
 顔じゃなくって良かったと思う。鼻の頭にプックリと赤く出来てたら嫌だ。
(だって…)
 そんな時に限ってハーレイが来るに決まっているんだ、「仕事が早く終わったからな」って。
 鼻の頭に赤い吹き出物が出来た顔なんかを見られたら…。
(笑われるんだよ!)
 ハーレイだったら絶対に笑う。容赦なく笑い飛ばしてくれる。
 出来たのが首で本当に良かった、と思ったんだけど。
(あれ…?)
 首筋にプックリ、赤い吹き出物。何かが記憶に引っ掛かる。



(えーっと…)
 なんだったっけ、と鏡に映ったぼくを見るけど、分からない。
(…前のぼく…?)
 そうなのかな、と一瞬、考えたけれど、それだけは無い。
 前のぼくがいつも着ていた服だと、この辺りはきっと隠れてしまうと思うから。
(もっと上の方じゃないと分からないしね?)
 同じ首でも、もっと上。服で隠れてしまわない場所。
 だから違うよ、さっきから引っ掛かってる首の記憶は前のぼくが持ってたヤツじゃない。
(小さい頃に虫に刺されたとか…?)
 家の庭とか、幼稚園とか。
 それでとんでもなく痛かったとか、とても痒かったとか。
(何なのかなあ…?)
 思い出せないから、余計に気になる。
 気分転換したら分かるかな、って空気を入れに窓を開けようとした瞬間に。
(思い出した…!)
 首筋にぷっくり、赤い吹き出物。
 それは一つじゃなかったんだ。



「…吸血鬼?」
 ハーレイの報告に目を丸くした、前のぼく。
 一緒に朝食を食べながらの「朝の報告」っていう方じゃなくって、ブリッジでの勤務が終わった後に青の間に来ての真面目な報告。
 朝の報告は「一日の予定とかを報告している」とシャングリラ中が思い込んでたけど、ホントは嘘でただの朝食。二人で甘い夜を過ごして、朝御飯を仲良く食べていただけ。
 本物の報告は夜にしていた。
 ハーレイと二人、ベッドに行く前にきちんと済ませた。
 恋人同士としてじゃなくって、ちゃんとソルジャーとキャプテンとして。
 ハーレイがその日の出来事をぼくに伝えて、次の日の予定の報告なんかもするんだけれど。
 其処で出て来た、吸血鬼。
 キャプテンの貌で、大真面目な目をしたハーレイの口から。



「なんだい、それは?」
 そうとしか言えなかった、ぼく。
「吸血鬼ですが」
 ソルジャーは御存知ありませんか、と吸血鬼の説明を始めたハーレイ。
 夜の間に血を吸う怪物。人の生き血を啜る化け物。
 やっぱりそれで合っているのか、と自分の知識を頭の中で確認してから。
「それで、その吸血鬼がどうしたって?」
「出るのだそうです」
「何処に?」
「このシャングリラの中にです、ソルジャー」
 嘘だろう、と絶句したぼく。
 なんでそんなものがシャングリラに…。
 吸血鬼なんか、いるわけがない。あれは大昔の作り話で、伝説の怪物なんだから。
「ですが、ソルジャー…」
 子供たちの多くが怯えております、次は自分の番なのだと。
「どういうことだい?」
「それが、最初は…」
 ハーレイは困惑し切った様子で、キャプテンとしての任務を続けた。
 シャングリラに出るという吸血鬼について、ソルジャーであるぼくに報告するために。



 保護したミュウの子供たち。
 ミュウと判断されて殺される前に、前のぼくや専門の救出班が助けて連れて来た子たち。
 年齢に合わせて、保育部や養育部で面倒を見ているんだけれど。
 よちよち歩きの小さな子供から、ヒルマンたちが教える教室に通う大きな子まで。
 そうした子供が増えたシャングリラは、活気溢れるミュウの楽園。
 名前の通りに楽園だったシャングリラの中、元気に駆け回る子供たち。公園も居住区も、子供の声が響いてた。歓声だったり、泣き声だったり、それは賑やかに。
 なのに…。



 ある日、小さな女の子の首筋に赤い傷痕が出来ていた。それも二つも。
 吸血鬼だ、と大騒ぎになった。
 如何にも牙で血を吸われたような具合に、二つ並んで出来た傷痕。赤く存在を主張する傷。
 吸血鬼が出たに違いない、と決めてかかった子供たち。
 ライブラリーにはSD体制よりも前の時代の本も沢山揃ってた。子供向けの伝説の本も沢山。
 楽しい話に、ためになる話。それに怖くて不思議な話も。
 伝説のドラゴンなんかも人気だったけど、子供たちは怖い話も大好きだから。
 怖すぎて夜に眠れなくなっても、ついつい読んじゃう、怖い本。
 そういった中に、吸血鬼ももちろん入ってる。



「ハーレイ、それは…」
 虫刺されとは違うのかい?
「そういう虫がいますか、ソルジャー?」
 シャングリラでは有害な虫は飼っておりません。
 刺す虫と言えばミツバチですが、あれは「悪戯をすると刺されて痛い目に遭う」と自然の脅威を教えるための面もありますから…。
 あえて針のあるものを飼っておりますが、悪戯をした子供くらいしか刺されませんね。
 何もしていない子供の首を二ヶ所も刺すような虫は、シャングリラにはいない筈ですが。
「…ごめん、ぼくは外にも出るものだから…」
 外にはいるしね、そういった虫も。
 マザー・システムは有害な生物を排除している筈だけれども、あれは一種のご愛嬌かな。
 で、その類の虫がいないとなったら、吹き出物じゃないかと思うんだけどね?
 たまたま二つ、綺麗に並んでしまっただけで。
「常識で考えればそうなのですが…」
 時期と場所とが悪すぎました。
 ちょうど吸血鬼の本が流行っていたのと、首筋に二つという所です。
「だけど、一人に出来ただけなら吹き出物だろう?」
「いいえ、ソルジャー。…吸血鬼にやられたと主張している子供は一人だけではないのです」
「えっ…」
 まさか、と驚いたぼくだったけれど。



 増えているらしい、首に赤い傷痕が二つある子供。
 まるで吸血鬼に噛まれたみたいに、首に並んだ二つの傷痕。
 そういう子供が増えているのだ、とハーレイが真顔で報告するから。
「…どうしてそんなことに…」
 吸血鬼だなんて、君は信じちゃいないだろうね?
「最初に傷痕が出来た子供の友達が酷く怯えていたのだそうです」
 次は自分がやられるかも、と。ベッドが隣同士だから、と。
「なるほどね…」
 子供たちが小さい間は個室じゃなくって、相部屋とでも言うのかな?
 何人かの子供が同じ部屋で寝る。
 集団生活を学ぶという意味でも、大いに役立つ共同生活。
 隣同士で並んだベッドは普段だったら素敵だろうけど、吸血鬼が出たら話は別。
 ハーレイは真面目な顔で続けた。
「吸血鬼が出たと騒がれた次の日の朝、隣のベッドの子供の首にも同じ傷痕が…」
 例の怯えていた子です。その子の首に。
「出来過ぎってヤツじゃないのかい?」
「偶然だろう、と養育部の係やヒルマンたちが納得させたのですが…」
 その次の朝は、同じ部屋に居た別の子供が。
 四人部屋だった全員の首に同じ傷痕が出来たのはその翌朝のことです、ソルジャー。



「それで、現在の状態は?」
「被害は拡大し続けております。被害者は主に女の子ですが…」
 最初の間は面白半分だった男子も、小さな男の子が被害に遭ってからは怯えております。
 次は自分だと、自分の番かもしれないと。
「もちろんノルディには診せたんだろうね?」
「吹き出物だという診断ですが、原因の方が不明です」
 必ず首に二つ並んで。
 しかも吹き出物の薬を塗っても効果は見られず、最初に発症した子も治らないままです。
「…心理的なものなのかな?」
 最初の子は多分、ホントに偶然だったんだろうけど…。
 それから後は恐怖が引き金になって、蕁麻疹が出来るみたいな感じで引き起こされて。
「恐らくは」
 治らないのも、思い込みから来ているのでしょう。
 吸血鬼に目を付けられたのだと、この傷痕は治らないのだと。
 ノルディもそういう見立てですから、いずれ落ち着けば消えるだろうと…。
 とはいえ、放ってもおけないようです。
 子供たちと接する保育部や養育部の若い女性の間にも恐怖感が次第に広がりつつあり…。
「ミュウの悪い癖っていうヤツだね…」
 サイオンを持ち、思念波で会話が出来るミュウ。
 心を共有出来る力は、こういう時には裏目に出る。
 一人が「怖い」と思えば広がる、「怖い」気持ちが広がってしまう。
 枯草に火を放ったみたいに、アッと言う間に燃え広がるんだ、「怖い」気持ちが。



 平和だしね、と溜息をついた、前のぼく。
 アルタミラの地獄は遠い昔になり、今のシャングリラはアルテメシアの雲海の中。
 文字通りミュウの楽園となった白い鯨が、雲の海の中を泳いでいる。
 此処しか知らないミュウの方が増えた。
 アルテメシアの育英都市から救い出されて、この船で大きくなった者たち。
 生き地獄だったアルタミラを体験していない分、精神的には強くない。



 そういえば、と思い当たる節なら一応あった。
 シャングリラの中に張り巡らせてある、ぼくのサイオン。目には見えないサイオンの糸。
 船を守るために、仲間たちのために、見守るために張ったサイオンの糸。
 その糸を通してぼくに伝わる、船の中の様子。
 漠然としたものに過ぎないけれど。ハーレイの報告で「これだったのか」と気付く程度の。
 そうやって感じる、シャングリラの中。
 この間から何かザワついてはいた。子供たちの心がざわめいていた。
 だけど普通の喧嘩か何かなんだ、と放っておいた。ハーレイに訊きもしなかった。
 子供の喧嘩に大人が出るのは良くないから。
 ソルジャーともなれば論外だから。
 だけど…。



(吸血鬼ねえ…)
 本物の吸血鬼に出会ったことはないけど、似たようなのならアルタミラに居た。
 実験と称して、ぼくの血を山ほど抜いてくれたヤツら。
 透明な管を、ぼくの赤い血が流れてゆく。どんどん、どんどん身体の外へと流れてゆく。
 意識が少しずつ遠のいていって、ぼくは「死ぬんだな」って思うんだけれど。
 ふと気が付いたら、ちゃんと生きてる。治療用のベッドの上で目覚める。
 輸血したのか、抜いた血をぼくに戻していたのか。
 そんなこと、ぼくには分からなかったし、意識が無い間に何が起こったのかも分からない。
 何のために血を抜いていたのか、何の実験だったのかも。
(あの時は、確か…)
 吸血鬼が噛むっていう首じゃなくって、腕とか足の血管から抜かれていたけれど。
 成長を止めていた小さなぼくの、細っこい手足に透けて見えていた血管から。
(…首から抜かれたこともあったかな?)
 そういう場合もあった気もする。
 首に刺された管を通って流れてゆく血を見てた気もする。
 吸血鬼に血を吸われた人間は、同じ吸血鬼になってしまうと言うけれど。
 ぼくは白衣の研究者なんかにはなっていないし、あれは吸血鬼じゃなかったわけで。
 血を抜いていただけの、ただの人間。
 ぼくにとっては充分に怖い、吸血鬼よりも遥かに怖くて恐ろしい怪物だったけれども…。



 吸血鬼なんて、いやしない。
 本物が存在するわけがない、と分かっているからハーレイに言った。
「…そもそも吸血鬼なんて、いないだろう?」
 実在するとか、しないとか。
 そんな話は置いておくとしても、このシャングリラには乗せていないよ、そういうものは。
「ですから、外から来るのだと」
 窓をすり抜けて入って来るのだ、と子供たちは怯えておりますが。
「…外からねえ…」
 吸血鬼は蝙蝠の姿に化けて空を飛ぶとは言うのだけれど。
 その蝙蝠が飛んで来た上に、シャングリラの窓から入るだなんて。
 吹き出物の傷痕が派手に伝染するくらいだから、想像力にはキリが無いらしい。
 おまけに今では子供ばかりか、若い女性までが怖がり始めている状態。
 放っておいたらマズそうではある。
 だから…。



 ふふっ、と思い出し笑いをしていた所へ、来客を知らせるチャイムの音。
 前のぼくに吸血鬼の報告をしに来たハーレイじゃなくて、今のハーレイがやって来た。
 ぼくの先生、ぼくの守り役で、ぼくの恋人。
 ママが運んで来たお茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで、向かい合わせに腰掛けて。
 「見て、これ」と首を指差した、ぼく。
 まだ赤いままの、ぷくりと小さな吹き出物。
「吹き出物か?」
 珍しいな、お前が吹き出物なんて。
「これ、もう一つあったら思い出さない?」
「何をだ?」
 怪訝そうなハーレイに「此処」って、吹き出物の横の辺りをつついて見せて。
「…吸血鬼」
「ああ、シャングリラの吸血鬼か…!」
 吹き出物が二つ並んで出来たら吸血鬼な。
 何でもかんでも共有しちまう、子供ならではの事件だったが…。
 楽しかったな、ってハーレイが笑う。
 そう、前のぼくたちは、シャングリラに出る吸血鬼を退治することになったんだ。



 白いシャングリラの窓という窓に、ニンニクを幾つも束ねて吊るした。
 展望室の大きな窓はもちろん、公園やブリッジの上にあるドームみたいな強化ガラスにも。
 それだけの窓に吊るすニンニクは流石に船じゃ賄えないから。
 栽培してたら間に合わないから、久しぶりにぼくが奪いに出掛けた。
 アタラクシアだったか、エネルゲイアの方だったか。
 白い雲海の下の都市に潜入して、野菜を流通させるための建物から箱を山ほど失敬して来た。
 ニンニクをたっぷり詰め込んだ箱。
 蓋を開けただけで強い匂いが辺りに漂う、ニンニクが行儀よく詰まった箱を。
 それに、十字架。
 前のぼくたちの時代にも居た、唯一の神様のシンボルだった十字架。
 これはハーレイが頑張った。
 木彫りの腕を生かしてせっせと作った木の十字架。
 手先の器用なクルーも総動員して、「早く作れ」と激を飛ばしながら。
 その十字架を出来た端から窓に取り付け、子供たちの部屋の扉にも付けた。



「もう大丈夫。これで来ないよ」
 ぼくは公園に集まった子たちの頭を撫でながら、上を見上げた。
 強化ガラスのドームは遥かな上にあるから、吊るしたニンニクも、付けた十字架も、サイオンを使ってよく眺めないと見えないけれど。
 それでもきちんと付けてあるからと、窓という窓は全てこうしたから、と。
「でも、ソルジャー…」
 吸血鬼に血を吸われてしまったら吸血鬼になる、とまだ言ってる。
 自分たちは吸血鬼になってしまうのだと、いつか吸血鬼になるのだと。
「怖いわ、ソルジャー。吸血鬼になったら、どうなっちゃうの?」
「私たち、死んじゃう?」
「ソルジャー、吸血鬼はシャングリラから放り出されちゃう?」
 ねえ、どうすればいいの、ソルジャー。
 吸血鬼にならないで済む方法は一つだけしか無いんでしょ?
 血を吸った吸血鬼を見付けて退治しないと、私たち、死んだら吸血鬼でしょ…?
 怖い、と震えている子供たち。ぼくを見上げている子供たち。
 首に二つの吹き出物を並べて、怯えた色が浮かんだ瞳で。



 吸血鬼が外から来なくなっても、それじゃ駄目だと言う子供たち。
 自分たちは吸血鬼になってしまう、と信じ込んでいる子供たち。
 ニンニクを山ほど吊るしてみたって、十字架を沢山付けておいたって、まだ足りない。
 子供たちの恐怖を拭い去るには足りないんだ、というわけで…。
(仕方ない…)
 前のぼくは子供たちの前で宣言した。
「分かった。じゃあ、ぼくが吸血鬼を退治するから」
 アルテメシアに下りて、吸血鬼の墓を見付けて倒すよ。
 そうすれば吸血鬼は二度と来ないし、君たちも吸血鬼になる心配が無くなるからね。
「退治するって…」
 ソルジャー、ホントに大丈夫?
 吸血鬼なんだよ、相手は普通じゃないんだよ?
 首に傷痕の無い男の子たちまでが、ぼくを心配してくれたけれど。
「大丈夫、ぼくなら心配要らない」
 ソルジャーだからね。
 吸血鬼なんかに負けるようでは、ソルジャーをやってはいられないよ。



 これがホントの嘘八百。
 ハーレイが作った木の杭を持って、ぼくはシャングリラから飛び立った。
 吸血鬼を退治するには、墓を暴いて心臓に木の杭を打ち込むこと。
 トネリコかサンザシの木で作った杭が一番いいと言うから、それの杭だよ、って。
 もちろんそんな木、簡単に用意が出来るわけない。
 ただの木の杭、倉庫にあった木材をハーレイが適当に選んで削っただけ。
 でも、子供たちは気付きやしない。
 ぼくが抱えて持って来たってだけで信頼の眼差し、本物だって信じてる。
 吸血鬼を倒せる最強の杭だと、トネリコかサンザシの木の杭なんだと。
 杭を抱えて「行ってくるよ」って微笑んだ、ぼく。
 いつもは瞬間移動でシャングリラの外へ出るんだけれども、わざわざ船のハッチから出た。
 ちゃんと出てった、って印象付けなきゃいけないから。
 それから船の周りをクルリと飛んで、展望室に並んで見送る子たちに手を振って、下へ。
 雲海の下のアルテメシアへ…。



(吸血鬼退治か…)
 人類だってビックリだろうな、とクスクス笑いながら杭を抱えて都市の上を飛んだ。
 まさかミュウの長が吸血鬼退治に出て来ただなんて、誰も思いやしないだろう。
 ぼくの宿敵の、テラズ・ナンバー・ファイブでさえも。
 でも、吸血鬼は退治しなくちゃならない。
 思い込みで生まれた吸血鬼だって、退治しないとシャングリラが不安と恐怖に包まれるから。
(さて、と…)
 退治した証拠が要るんだよね、と山の中に下りた。
 吸血鬼が眠っていそうな墓地じゃなくって、ただの山の中。ハイキング向けの郊外の山。
 ぼくのお気に入りの隠れ場所がある山で、潜入する時に時間潰しに下りたりもする。
 森の中にぽっかり開けた、小さな空地。木を切り倒した後に生まれた空地。
 其処で木の杭をサイオンで燃やして、灰を持って来たハンカチに包んだ。
 吸血鬼は死ぬと灰になるから、灰になって散ってしまうと言うから。



 それから、ぼくは白いシャングリラへと戻って行った。
 ミュウの長が吸血鬼退治をしていたとも知らないテラズ・ナンバー・ファイブが潜む洞窟の奥は覗きもしないで、青く澄んだ空を飛び、雲海の中へ。
 瞬間移動で公園に飛び込んだぼくを、遊んでいた子供たちがワッと一斉に取り囲んで。
「ソルジャー、やったの!」
 退治して来たの、吸血鬼を!
「うん、もちろん」
 木の杭を持っていないだろう?
 ちゃんと吸血鬼の心臓に打ち込んだからね。
「吸血鬼は?」
「灰になったよ、ほら、これが証拠」
「こわーい!」
 怖い、と子供たちは叫んだけれども、ハンカチに包んだ灰の効果は絶大だった。
 吸血鬼は心臓に杭を打ち込まれると死ぬ。灰になって散り、跡形もなく滅びてしまう。
 そしてシャングリラから吸血鬼は消えた。
 子供たちの首に二つ並んでいた牙の跡も、吹き出物の傷痕も綺麗に消えた。
 窓という窓に取り付けてあった、ニンニクと十字架をドッサリ残して。



「ねえ、ハーレイ」
 あれから暫く、ニンニクの料理が続いたっけね…。
 何かって言えばガーリック風味で、そういう味付けの出来る料理は何でもニンニク。
「どれも美味かったが?」
 ローストチキンも、煮込み料理も。炒め物だってニンニクが入ると味が深くなるしな。
「うん、今だってガーリック風味のお料理、美味しいよね」
「ああ、美味いな。しかしだ、お互い…。いや、なんでもない!」
 不自然に断ち切られた話。
「なあに?」
 何がなんでもないの、と首を傾げたけど、ハーレイの顔が赤いから。
 ひょっとしたら、と、ピンと来た。
 これは訊いてみる価値があるな、って閃いた、ぼく。
 だから、ハーレイの鳶色の瞳をじいっと見上げて、それから不意打ち。



「…お互い、ガーリック味のキスで良かった、って?」
「読んだのか!?」
 お前、読めたのか、不器用なのに!?
 いつの間に読んだ、俺の心を!
「ふふっ、引っ掛かった!」
 無理だよ、ぼくのサイオンは不器用なんだから。
 それにハーレイ、タイプ・グリーンでしょ、防御と同じで遮蔽も凄く強いじゃない。
 読めやしないよ、って、ぼくが笑ったら、ハーレイは真っ赤。
 トマトみたいに真っ赤な顔して、「チビに鎌を掛けられて引っ掛かるとは…」って呻いてる。
 俺としたことが、と、チビにまんまとしてやられた、と。



(大当たりだよね、冴えてるよ、ぼく)
 吸血鬼のことを思い出したお蔭で、今日は素敵な拾い物。
 前のぼくとハーレイが交わしてたキス。
 ガーリック味のキスは生憎、全く覚えていないんだけれど。
 今夜の料理にもしもニンニクが使ってあったら、ちょっぴり嬉しい。
 だって、ハーレイのキスの味。
 ハーレイのキスの味の一つはガーリックだよ、って幸せな気持ちで食べられるから…。




        吸血鬼・了

※シャングリラで起きた吸血鬼騒ぎ。ミュウならではの出来事ですけど、問題は子供たち。
 ソルジャーとキャプテンの吸血鬼退治、そんな事件もあったらしいのがシャングリラ。
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