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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

(んーと…)
 おやつを食べてるテーブルの上に、パパに届いたダイレクトメール。百貨店からの眼鏡の広告。
 パパは眼鏡をかけてないけど、そういったことは関係ないんだ。何処の家でも届くと思う。この百貨店で買い物をしてて、登録している家だったら。
(今でも眼鏡があるんだよね…)
 近眼なんかは眼科に通えば簡単に治る。前のぼくの時代でもそうだったけれど、眼鏡はあった。眼鏡でなくちゃ、と頑固にかけてる人たちがいた。
 前のぼくがメギドで失くしてしまった右目。キースに撃たれて失くした右の目。
 あの目だって、ぼくが死なずに生きていたなら治せていた。細胞を取って、培養して。失くした右目と全く同じな目玉を作って、移植するだけで視力も戻った。
 そこまで進んでいた医療。前のぼくが生きていた頃でさえ、そう。
 あれから長い長い時が流れて、死の星だった地球が蘇って今みたいに人が住める星になった。
 もちろん医療技術も進んで、眼鏡は全く要らない時代。なのに絶滅していない眼鏡。



(シャングリラにだって眼鏡の人はいたんだけどね…)
 眼鏡をかけてた子供だって居た。子供に眼鏡は邪魔そうだけれど、本人は気にしていなかった。子供のためのコンタクトレンズだってあったのに。成長に合わせて作り替えが可能だったのに。
 近眼を治す医療技術もあった。だけど眼鏡の子や、コンタクトレンズ。
 元のままの身体がいいと思ったのか、単なる好みか。
 前のぼくの目は普通に見えていたから、その辺りの気持ちは分からない。今だって同じ。
(…お洒落だと思っていたのかな?)
 かっこいいとか、そういった理由で眼鏡だったのかな、と思わないでもない。コンタクトレンズだった人たちの方は謎だけれども、眼鏡は少し分かる気がする。
 だって、今では眼鏡は完全にファッションだから。
 パパにダイレクトメールが届くくらいに、お洒落なアイテムなんだから。
 眼鏡が今まで絶滅しないで来られた理由は…。



(…マードック大佐の眼鏡だなんてね)
 SD体制が崩壊した時、グランド・マザーが最後に命じた地球の破壊。
 人の手を離れた六基のメギドが地球へと照準を合わせ、それらが発射される直前。地の底深くで息絶えようとしていたジョミーとキースの意を汲んだ者たちが止めに向かった。
 ジョミーはトォニィとナスカの子たちに、キースは直属の精鋭部隊にメギドを止めろと伝えた。
 けれども間に合わなかった一基。壊せずに残ってしまったメギド。
 誰もが「駄目だ」と思ったメギドを、乗った船ごと体当たりして止めた英雄がマードック大佐。彼が眼鏡をかけていたから、眼鏡は残った。
 かっこいい男は眼鏡なのだと、マードック大佐みたいに自分をカッコ良く見せてみたいと。
(マードック大佐は英雄だもんね…)
 ジョミーもキースも英雄だけれど、マードック大佐も地球をメギドから守った英雄。
 英雄の威力は実際凄くて、今じゃ眼鏡は断然、男性。
 眼鏡をかけた女性の英雄がいなかったせいか、眼鏡の愛好者には男性が多い。
 女性の場合はジャーナリストに眼鏡の人が多いかな?
 SD体制崩壊の過程で活躍していた女性ジャーナリストが、いつも眼鏡をかけていたから。
 ジョミーの幼馴染だったスウェナ・ダールトン。
 彼女みたいになりたい人とか、あやかりたい女性に眼鏡派が多い。
 要するに眼鏡は男性も女性もファッションでかけるし、自分をお洒落に見せるアイテム。
 だけど……。



(…前のぼくの補聴器は流行らなかったんだよ)
 今のちっぽけなぼくと違って、ソルジャー・ブルーは英雄だった。
 全ての始まりとされる伝説のタイプ・ブルー・オリジン、初代のソルジャー。
 入学式とかでは「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」って校長先生が言うのが定番。それにお墓も特別扱い、記念墓地の一番奥に単独で据えられた立派な墓碑。ジョミーとキースがその次に並ぶ。
 英雄の中の英雄になってしまった前のぼく。
 そのぼくが着けていた記憶装置を兼ねた補聴器は、トォニィの代まで受け継がれたのに。
 ソルジャーの象徴であるかのように大切に継がれていったというのに、何故か全く見かけない。
 眼鏡をかけた人はけっこういるのに、あの補聴器は一度も見たことがない。
 お洒落じゃないって言いたいんだろうか、ずいぶん失礼な話だと思う。
(…ジョミーとトォニィは着けてくれたのに!)
 二人とも完全な健康体だったから、補聴器としての機能は切っていた筈。記憶装置としての機能だけを使っただろうと思うけれども、ちゃんと着けてた。ソルジャーの衣装の一部みたいに。
 ソルジャー自体が「かっこいい」と思われる存在なんだし、初代は伝説のソルジャー・ブルー。前のぼくやジョミーやトォニィが着けた補聴器はどうして流行っていないんだろう?
 あれを着けた人がいたっていいのに。
 前のぼくと、ジョミーと、それにトォニィ。ヘアスタイルがまるで違った三人なんだし、どんなヘアスタイルでもあれは似合うと思うんだ。
(…それなのに誰も着けてないだなんて、どういうこと!?)
 マードック大佐の眼鏡は大人気なのに、無視された形の前のぼくの補聴器。
 全然お洒落じゃないとばかりに商品化されていない補聴器…。
(…補聴器はハーレイも着けていたけど…)
 前のぼくのとは違ったタイプの補聴器。
 ハーレイが着けてた補聴器は…仕方ないよね、流行らなくっても。
 ぼくはハーレイのことが大好きだけれど、世間一般では「かっこいい」と評価されないだろう。前のハーレイを女性クルーたちがどう評してたか、ぼくは今でも覚えているもの。



 薔薇の花のジャムが似合わないだとか、薔薇の花さえも似合わないとか。
 前のハーレイの外見に対する評価は酷かった。最悪とまでは言わないけれども酷かったよね、と部屋に戻ってから思い出し笑いをしていた所へ来客を知らせるチャイムの音。
(もしかして…!)
 ハーレイかも、と見下ろした窓の向こうに見慣れた人影。門扉を開けに庭へと出てゆくママ。
(ちょうどいいから訊いてみようっと!)
 前のぼくの補聴器が流行らない理由。
 マードック大佐の眼鏡は流行っているのに、前のぼくの補聴器を見かけない理由。
 忘れないようにと心にしっかりメモした。
 でないとハーレイに会った途端に、幸せが溢れて質問を何処かへ持ってっちゃうから。



 ママがハーレイをぼくの部屋まで案内して来て、お茶とお菓子を置いて行って。この後は夕食に呼ばれるまでママは絶対二階に来ないし、二人きりの時間。
 テーブルを挟んで向かい合わせで、ぼくは早速切り出した。
「ねえ、ハーレイ。…なんで眼鏡だけ流行るんだろう?」
「眼鏡?」
 意味が分からないといった顔のハーレイ。ちょっと言葉が足りなかったか、と眼鏡と補聴器とを巡る疑問を説明したら。
「仕方ないだろう、お前の補聴器は服を選ぶんだ」
 ソルジャーの衣装を着けていないと絵にならない、と返った答え。
 マントや上着や、手袋にブーツ。そういったものが揃っていないと駄目だと言われたら、そんな気もする。でも…。
「ハーレイの補聴器は服を選びそうにないけど、流行ってないね」
 ちょっぴり意地悪してみたくなった。前のハーレイの評価の酷さを知っているから。
 薔薇の花のジャムも、薔薇の花さえも似合わないって女性クルーたちが評したハーレイ。自覚はしていたと記憶してるから、苛めてみたら。
「俺のも服を選ぶんだ!」
 何だろう、この自信たっぷりと言うか、開き直った態度と言うか。
「そういうことにしてもいいけど…」
「文句があるのか?」
 お前が何を考えてるのか、俺には筒抜けになってたからな?
 酷い評価がついてたと知ってて、お前は俺に惚れてるわけだ。
 実に悪趣味だな、お前の好み。それを承知で俺の悪口、言ったんだろうな…?



(……ぼくって悪趣味?)
 思いもかけない逆襲に遭って絶句していたら、ハーレイの大きな手にポンポンと頭を叩かれた。
「安心しろ。前のお前はどうだか知らんが、今ならさほど悪趣味でもない」
「…なんで?」
 上がったんだろうか、ハーレイの評価。今のハーレイ、モテるんだろうか?
「柔道部のヤツらに人気があるのは知ってるだろう? 前の教え子たちも同じだ」
 憧れのハーレイ先生だ。
 前の俺と姿形は同じ筈だが、柔道と水泳で幾つもの賞を取っているんだぞ。かっこいいと憧れる生徒は多いし、目標にしているヤツだっている。俺の評価はけっこう高いさ。
「…そうなんだ…」
「ついでにお前は膨れそうだが、学生時代は女性にもうんと人気があったな」
 俺が出る試合や大会を見に来る女性が沢山いたもんだ。
 プロの選手になっていたなら、ファンを続けてくれたんだろうが…。
 俺は教師になっちまったし、彼女たちとの御縁もそこで終わりさ。
 良かったな、おい。
 俺の周りに女性ファンが大勢くっついていなくてな。
(…うーん……)
 自信たっぷりの根拠はこれか、と分かったけれども複雑な気分。
 今のぼくが悪趣味じゃないらしいことは嬉しいけれども、女性にモテてたらしいハーレイ。
(…恋人、いたかな…?)
 考えかかって、慌ててやめた。
 今のハーレイはぼくのものだし、記憶が戻る前のことまで文句を言っても仕方ない。ぼくだってハーレイを忘れてたんだからお互い様だ、と諦めておくことにした。
 そんなことより…。



「…前のぼくの補聴器なんだけど…」
 強引に話を元へと戻す。
「ハーレイは服を選ぶと言うけど、使いようはあると思うんだよ」
 イヤーマフとか、ヘッドホンとか。
 そういうものなら、ソルジャーの衣装がついてなくても使えそうだと思わない?
 だけど一度も見たことがないよ、使っている人も、売っているのも。
「なるほどな…。なら、言ってやろう」
 あれはな、人を選ぶんだ。服じゃなくって、人の方を選ぶ。
「人?」
「そうさ。お前でなければ格好がつかん」
「…そんなことないと思うけど…」
 ジョミーもトォニィも着けてたんだし、誰が着けても同じでしょ?
 格好がつくとか、つかないだとか。
 それはソルジャーの衣装とセットの話で、イヤーマフとかヘッドホンなら普通に使えるよ?
 前のぼくの補聴器と同じ形のヤツなんだな、って思われるだけ。
 着けて歩いてても眼鏡と同じで、「ああいうのが好きな人なんだな」って思って貰えるよ。



「…お前なあ…」
 分かってるのか、とハーレイの指がぼくの額をピンと弾いた。
「あれを最初に着けていたのはお前なんだ。ソルジャー・ブルーの補聴器なんだ」
 そいつは分かるな?
「うん。…だから酷いと思ったんだよ、どうして流行ってくれないんだろう、って」
「酷いも何も…。ソルジャー・ブルーが着けていたってコトを考えてみろ」
 最高の美人が一番最初に着けていたわけで、モデルなんだぞ?
 下手に同じのを着けてみろ。見劣りするなんてどころじゃないんだ、誰が着けたい?
 似合ってないな、と思われるに決まっているモノを。
「でも…。ジョミーも、それにトォニィだって…」
 ちゃんと着けたし、似合ってたよ?
 ぼくは写真でしか知らないけれども、二人とも。
「あの二人だって、かっこいい部類に分類されると思うがな?」
 しかし、お前が一番上だ。
 前のお前の写真集ってヤツが何冊出てると思ってる?
 ジョミーとキースの比じゃないからな。
「…知ってる。ハーレイの写真集が一冊も出てないってことも知ってる」
「こらっ!」
 コツンと頭を小突かれた。
 前の自分は写真集も出ないレベルだけれども、今の自分にはファンだっていると。
 柔道や水泳をやる生徒たちには、憧れのハーレイ先生なのだと。



「…それはともかく、前のお前の補聴器はだな…」
 似合ってないのを着けているな、と思われそうだから誰も着けない。つまり買わない。
 買う人がいないから売らないし、作らないんだな。
 商品っていうのはそうしたものだろ、売れ行きの悪い菓子なんかは直ぐに消えちまうだろ?
「じゃあ、眼鏡は?」
「人を選んだりはしないだろうが。フレーム次第でどうとでもなるし」
 自分に似合う眼鏡を選んで買えばいいんだ、それだけのことだ。
 お前の補聴器はそういうわけにはいかんがな…。
 色やデザインを変えちまったら別物になるし、ただのイヤーマフとかヘッドホンだ。



「……そっか……」
 そういうことか、と納得した。要は誰にでも似合うかどうかが勝負の分かれ目。
 マードック大佐は眼鏡だったから、簡単にアレンジすることが出来た。眼鏡をかけたい人の顔に合わせて、フレームの色も形も沢山。パパに届いたダイレクトメールの写真みたいに。
 前のぼくの補聴器は独特すぎて、そんな風には使えない。使える場面だって限られてしまう。
(…イヤーマフとかヘッドホンを着けたままで仕事は出来ないしね…)
 そういう点でも負けていたのか、とマードック大佐の写真を思い浮かべた。
 愛用品を後世に残した点では、前のぼくよりも遥かに偉大なマードック大佐。まさか自分が遠い未来のファッションリーダーになるとは夢にも思っていなかっただろう。
 眼鏡と言ったら、マードック大佐。かっこいい男の憧れの眼鏡。
 パパに届いた百貨店の広告に載ってた写真も、マードック大佐風の眼鏡を大きく扱っていた。



「ねえ、ハーレイ。…眼鏡って、マードック大佐風のが一番の人気なんだよね?」
 軽い気持ちでそう言ったのに。
「…らしいな、俺には似合わないがな」
「似合わないって…。もしかしてハーレイ、売り場に行った?」
 ねえ、かけてみたの、マードック大佐風の眼鏡のフレーム。
 試しただけじゃなくって、買った?
「…………」
 返事の代わりに返った沈黙。
 これは試しただけじゃないな、とピンと来た。きっとハーレイは買ったんだ。似合わなくても、眼鏡なんかは必要なくても、かっこいい男のためのアイテム。
「ハーレイ、買ったの? マードック大佐風の眼鏡、かけてた?」
 いつ? ねえ、いつ?
 教えてよハーレイ、眼鏡って、いつ?
「……若気の至りというヤツだ。学生時代だ」
 ハーレイは苦い顔をしたけど、ぼくの好奇心は止まらない。
「どんなの? ねえ、どんな眼鏡?」
 見せてよ、眼鏡をかけたハーレイ!
 ハーレイの記憶の中のでいいから見せてよ、ハーレイ!



 鏡に映ったハーレイでいいから、とぼくは強請った。
「ホントは写真が見たいんだけど…」
「誰が持ってくるか!」
「じゃあ、記憶」
 ハーレイの記憶をちょっと見せてよ、どんな感じか見たいんだよ。
「自分で見ろっ!」
 俺の心を読めばいいだろ、前のお前の得意技だ。
「無理!」
 ぼくは不器用なんだから!
 ハーレイの心なんか絶対読めないってこと、ハーレイ、ちゃんと知ってるくせに!
 手を出して絡めてくれないと無理で、なんにも見られやしないってこと!



 お願い、とぼくが頼んでいるのに。
 ハーレイは手なんか出すかとばかりに腕組みをしてる。ぼくに記憶を見せてくれない。どういう眼鏡をかけていたのか、どんな姿に見えていたのか教えてくれない。
 眼鏡のハーレイを見てみたいのに。
 前のぼくだって一度も目にしてはいない、眼鏡のハーレイ。眼鏡をかけたハーレイには出会ったこともなければ見たこともないし、どうしても見たくて仕方ないのに…。
(…こうなったら!)
 意地でも見てやる、とぼくは真正面からハーレイと戦うことにした。
「見せてくれる気が全然無いなら、結婚してから眼鏡はどう?」
 二人で眼鏡売り場に行こうよ、あれこれ試して一つ買おうよ。
「…お前、俺に似合うと思っているのか?」
「フレーム次第だって言ったよ、ハーレイ。眼鏡を自分に合わせるんだ、って」
 ハーレイに似合う眼鏡も見付かるよ、きっと。
 普段にかける眼鏡もいいけど、海に行くならサングラスとかも!



 サングラスもいいよね、と思ったぼく。
 ハーレイは海へ泳ぎに行くのが好きだし、日射しの強い砂浜なんかはサングラスをしている人も大勢。サングラスのハーレイも見てみたいな、と勢いで叫んだだけなのに。
「…………」
 またまた返って来た沈黙。眼鏡を買ったの、と尋ねた時のと同じ沈黙。
「……ハーレイ、もしかしてサングラスも…」
「若気の至りだ!」
 世にも珍しい仏頂面。こんなハーレイ、そう簡単には見られない。此処まで来たのに、諦めたら負け。見なきゃ損だ、と戦法を少し変えてみた。
「お願い、ハーレイ。どっちか、見せてよ」
 眼鏡か、サングラスか、どっちか片方。
 見てみたいんだもの、ハーレイが眼鏡をかけている顔。
「……サングラスでいいか?」
「つまり、眼鏡は似合わなかったんだ?」
 サングラスでいいか、って言ってくるってことは、そういうこと。眼鏡は似合わなかったんだ。
 だけど、若気の至りらしいし、似合わなくても買ってかけてたことは確実。
 ますます見たくなって来た。
 サングラスも眼鏡も、どっちも見たい。
 どっちをかけたハーレイの顔も、絶対見たくてたまらないから。



「…いいよ、今はサングラスのハーレイを見せてくれるだけで」
 どうせ将来、バレるんだものね。
「はあ?」
 意味が掴めていないハーレイに、ぼくはニコッと笑ってみせた。
「結婚してからアルバムを調べれば出て来るよ、全部!」
 サングラスのハーレイも、眼鏡のハーレイも、あるだけ全部。
 写真が残っている分は全部、ぼくがゆっくり眺めるんだよ。
「ちょっと待て!」
 俺のアルバムを勝手に掘り返すな!
 若気の至りだの、ガキの頃の惨憺たる失敗の図だの、お前、端から探すつもりか!
「…他にもあるんだ?」
 眼鏡の他にも、若気の至り。それとか、子供の頃の変な写真とか。
「お前にだってあるだろうが!」
「さあ…?」
 あったかな、と記憶を探ったけれども、ぼくは生まれつき身体が弱かったから。
 パパとママは御機嫌なぼくとか、頑張ってるぼくばかり写していた。変な写真は一枚も無いし、若気の至りとやらな写真は十四歳ではまだ撮れない。だからクスッと笑って答えた。
「これから失敗しなければ無いよ?」
 いくらハーレイが探したくっても、見られたくない写真なんか無いよ。
 だから結婚したら探すよ、ハーレイのアルバムのそういう写真を。



 ぼくの返事は、ハーレイには脅威だったんだろう。心配そうな顔で、こう訊いてきた。
「…今、見せておいたら探さないか?」
 ふふっ、成功。やった、と心で快哉を叫ぶ。
「ハーレイが見せてくれる分で満足しておくよ」
 だけど眼鏡も、サングラスもだよ。両方ともちゃんと見せてくれたら、それだけでいいよ。
「…本当だろうな?」
「うん」
 約束するよ、と指切りをした。その手をしっかりと絡め合って…。
「…こいつがサングラスをかけてた俺だ」
 鏡に映った俺じゃなくって、撮った写真の記憶だがな。
「すっごく派手なシャツ…」
 海を背にして立ってるハーレイの上半身。アルタミラで出会った頃みたいに若い。きっと水着の上からなんだろう、赤いハイビスカスの花を散らしたアロハシャツ。
 鳶色の瞳はサングラスに隠れてしまって見えない。褐色の顔に、黒い大きなサングラス。
「サングラスで海辺はこういうもんだ!」
 悪いか、とハーレイはヒョイと記憶を引っ込めた。ぼくの記憶には残ったけれども。
「それじゃ、眼鏡は?」
「……こうだ」
 今度は鏡の中のハーレイ。やっぱり若くて、アルタミラを脱出した頃に見ていた顔と同じ。その顔にぼくの知らない眼鏡。マードック大佐の写真で知られた、かっこいい男の憧れの眼鏡。
「…ホントにマードック大佐風だね」
 まさかハーレイがかけるだなんて…。
 キャプテン・ハーレイが自分と同じ眼鏡をかけちゃうだなんて、マードック大佐が知ったら腰を抜かしてしまうかも…。
「仕方ないだろう、当時の俺には何の記憶も無かったんだ!」
 シャングリラを散々追い回してくれたヤツの眼鏡とも思わなかったし、かっこいいな、と…。
 こういう眼鏡もたまにはいいな、と気に入ってかけていただけだ!
 似合わなくても満足してたし、気に入りの眼鏡だったんだ…!



 ハーレイはぼくが訊いていないのに、自分から白状してくれた。
 目が悪かったわけではないから伊達眼鏡ってヤツで、ただのファッションアイテムだったとか。格好をつけて人差し指の先でツイと眼鏡を押し上げてたとか、眼鏡に纏わるエピソード。
 サングラスの方にも思い出が沢山、光の強さで色の濃さが変わったりもしていたらしい。ただの黒だと思っていたけど、話は聞いてみるものだ。百聞は一見に如かずって言うのの逆さま。
 あれこれと聞いて満足したから、ぼくはハーレイにお礼を言った。
「ありがとう。ハーレイの眼鏡とサングラス、見られて良かった」
 それでね、ハーレイ。結婚したら色々見せてね、他の写真もね。
「お前、見せたら探さないって言わなかったか!?」
「もっと見たくなった」
 ペロリと舌を出した、ぼく。
「嘘つきめが!」
 天井を仰いで唸るハーレイに向かって「ダメ?」と小首を傾げてみる。
「だって、ぼく…。ハーレイのことなら何でも知りたいと思うんだもの」
「うーむ…」
 そう来たか、とハーレイの顔が緩んで笑顔になった。
「よし。思う存分、掘り返していいぞ。俺のアルバム」
「えっ?」
 お許しが出るなんて思ってないからビックリしたのに、ハーレイは笑ってこう言った。
「そいつは最高の殺し文句ってヤツだ、お前に自覚は無いんだろうがな」
 お前がアルバムを掘り返したくなった時には諦めよう。
 俺の全てを知ってくれると言うんならな。
「うんっ!」
 頑張って掘るよ、とぼくは未来に思いを馳せた。
 前のぼくも知らなかった眼鏡のハーレイ。マードック大佐風の眼鏡をかけたハーレイ。
 サングラスをかけたハーレイも見たし、きっと他にも沢山、沢山、ぼくの知らなかったハーレイがいるに違いない。
 アルバムを端から掘って、めくって、ハーレイの全てを知りたいと願う。
 そして全部を知った後には、もっと思い出を増やしていくんだ。ぼくと二人で暮らすハーレイの姿を写した写真を、沢山、沢山、アルバムに貼って……。




         眼鏡・了

※実は大人気になっていたのが、マードック大佐風の眼鏡だったという時代。英雄だけに。
 それをかけていた今のハーレイ、若かった頃に。ブルーでなくても見たいですよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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(思い出した…!)
 あれだ、とブルーは記憶の彼方に沈んでいた花を手繰り寄せた。
 遥かな昔に夢見ていた花。いつか見たいと焦がれていた花。
 どうして忘れていたのだろうか、と思うくらいに前の自分はその美しい花が見たかった。
 地球に咲くという天上の青を。



 今日の学校からの帰り道。家の近くのバス停で降りて、家に着くまでの短い散歩。住宅街だから庭も生垣も沢山あって、花と緑に彩られているブルーのお気に入りの道。
 前世の記憶を取り戻した後は、以前にも増して其処を歩くのが楽しみになった。自然の光と水に育てられ、地面からすくすくと伸びた木や草花。
 見るだけで心が満たされる。地球に来たのだと、地球に居るのだと嬉しくなる。
(あれ?)
 通りかかった家の前庭に紫色の花が咲いていた。去年までは見かけなかった花。新しく仲間入りした花なのだろう、と思ったけれども、名前を知らない。帰ったら母に訊いてみようか、と其処に立ち止まって暫く眺めていると。
 庭の手入れをしに来たのだろう、家の人がやって来て「マツムシソウですよ」と教えてくれた。マツムシという虫が鳴く頃に咲く花なのだと、それで松虫草なのだと。
 顔馴染みのご近所さんだったから、「どうぞ」と一輪切り取って分けてくれた。
 持って帰って母に渡すと「あら、頂いたの?」とガラスの一輪挿しに生けてくれ、ダイニングのテーブルの真ん中に開いた紫の花。
 それを見ながら、おやつのケーキを頬張っていて。



(…何かに似てる…?)
 この花の姿を知っている。そのものか、あるいは似ている花か。
 似ているのだ、と心に引っ掛かってくるマツムシソウ。一輪挿しに凛と咲いた紫。
 なんだったっけ、と記憶を手繰った。
 自分は何処かでマツムシソウを見たのだろうか?
 名前を知らなかったくらいなのだし、初めて見る花だと思ったけれども、今よりもずっと小さな子供時代に目にしていたとか、貰ったとか。
 そうかもしれない、と考えたのに。
(…シャングリラ?)
 前の自分が守っていた船。ハーレイが舵を握っていた船。
 白く優美な船の中には、マツムシソウの花は無かった筈だ。
 けれど「シャングリラだ」と告げて来る記憶。
 この花を見たと、あの白い船で眺めたのだと遠い記憶が心を揺さぶる。
 マツムシソウは無かった筈なのに。公園にも、居住区に鏤められた庭にも無かった筈なのに…。
 何なのだろう、と記憶の糸を手繰り続けて、おやつの時間は終わってしまった。
 とうとう戻っては来なかった記憶。



 それでも気になって仕方ない花。ご近所さんの庭で、テーブルの上の一輪挿しで花びらを広げた紫の花。マツムシが鳴く頃に花が咲くというマツムシソウ。
(…初めて名前を聞いたんだけどね?)
 前の自分もマツムシソウの名は恐らく知らなかっただろう。知っていたなら「あれか」と記憶が反応したと思うから。
 なのに「似ている」と感じたマツムシソウの花。
 何に似ていたのか、名前も知らずにシャングリラの何処かで眺めていたのか。
(…確かに何処かで見たんだけれど…)
 知らない花を見かけていたなら、何という名か訊かなかったとは思えない。それにシャングリラでは新しい動植物を導入する時は、ソルジャーだった前の自分に必ず報告していたのだし…。
(…シャングリラには無かった花だとすると…)
 ライブラリーで、青の間でデータベースや本を気まぐれに見ていた。木や花や草や、動物たち。地球に息づく沢山の生命。いつかこの目で、と眺めては胸を高鳴らせていた。
 マツムシソウもそうした中の一つの植物だっただろうか?
 地球にはあるのだと夢見た花の一つだったろうか、と考えた所で。
(青いケシ…!)
 それだ、とブルーは思い出した。
 遥かな昔に地球の高い峰、ヒマラヤに咲いていたという青いケシ。
 マツムシソウは写真でしか知らないその花に少し似ていたのだ、と。



 青い水の星、母なる地球。
 いつかは其処へ、と夢に描いた。辿り着くのだと、地球へ還るのだと焦がれ続けた。
 今の自分は地球に居るけれど、前の自分には夢の星。座標さえも掴めなかった星。
 それでも行くのだと、白いシャングリラで地球に行くのだと信じて前へと進み続けた。どんなに前が見えない時でも、その先には地球が在るのだと。
 いつの日にか、地球へ。青い水の星へ。
 地球は青い星だというから、青はブルーの夢の色だった。
 ミュウの未来も、自分自身の還り着く場所も、青い真珠と称される青い地球へと繋がる。全ては青い地球へと繋がり、還ってゆくもの。何もかもが還ってゆくべき、青い星、地球。
 青は地球の色、まだ見ぬ夢の星にある色。青は特別な色だった。
 自分の名前が「ブルー」なことさえ、運命のように思えたほどに。
 「地球」と「青」とでデータベースを何度調べていたことか。
 その身に青い色を纏った幸せの鳥に、どれほど焦がれていたことか…。



 気の向くままに地球と青とを調べ続けて。
 表示されるデータを眺める日々の中、ヒマラヤの青いケシを見付けた。
 地球で一番高い峰が在るという「神々の峰」とも呼ばれたヒマラヤ山脈。人を寄せ付けない峰に青いケシの花が咲くと記されていた。
 中でも一番高い場所に咲く種類のケシ。四千メートルを超える高所でしか咲かない青いケシ。
 遥かな昔の国、ブータン王国の国花だったとされるその花は、七千メートルもの高さでも咲いていたと其処に書かれてあった。
 七千メートル級の峰に辿り着くことは容易ではなく、普通の人間はまず近付けない。
 天上の青。
 幻の青。
 ヒマラヤの高い峰にしか咲かない青いケシ…。



 まるで地球のような花だ、とブルーは思った。
 未だに瞳に映すことが叶わぬ青い星。
 人を寄せ付けない遥かな高みに花開く青。
 どちらも幻。
 手を伸ばしても届かない青。
 その青をこの目で見たい、と願った。
 青い地球も、地球の高い峰に咲く青い花も。
 今はまだ遠い夢でしかない青い星の上の、幻の青いケシの花が見たい。
 蘇ったという地球があるなら、青いケシも咲いているだろう。
 人を寄せ付けない峰であっても、自分ならば行ける。
 宇宙空間を生身で駆けてゆく自分ならば行ける。七千メートルの峰であっても、軽々と飛べる。
 青いケシが咲く峰の上まで。天上の青が花開く地まで…。



 いつの日か、青い地球に辿り着いたら。
 この青い花を見たいと思う。
 シャングリラを、仲間たちを地球に降ろして自由になったら、青いケシを見に空を飛びたい。
 戦うために飛ぶのではなく、守るために空を飛ぶのでもなく、夢のために飛ぶ。
 自分の夢を、望みを叶えるためにだけ地球の空を飛ぶ。
 どんなにか心地よい旅路だろうか。
 どれほどに心が弾むだろうか。
 白い船から解き放たれて、自由に飛んでゆくというのは。
 望みのままに飛んでゆくのは、どれほどに素敵な旅なのだろうか…。



(…そうだ、ハーレイ)
 白い船の舵を握る恋人。白いシャングリラを地球まで運んでくれる恋人。
 そのハーレイと一緒に行こう。一緒に地球の空を駆けよう。
 ハーレイは空を飛べないけれども、自分が連れて飛べばいい。青い空を、雲を越えて二人で。
 もうソルジャーでもキャプテンでもなく、何にも縛られることなく、二人きりで飛べる。
 恋人同士であることは秘密のままかもしれないけれども、それでも二人で行くことが出来る。
 自分たちのためにだけ時間を使って、力を使って。
 そうして天上の青を見るのだと、まだ見ぬ地球を、青い空に聳え立つ峰を心に描いた。
 遠い昔には神が住むと言われたヒマラヤの峰。
 その神は今はいないけれども、天上の青は其処に咲くであろうと。



(…だけど…)
 ブルーは地球には行けなかった。
 仲間たちの未来を、地球までの道を守り抜こうと、メギドを沈めて宇宙に散った。大切に持っていたいと願ったハーレイの温もりさえも失くして、独りぼっちで逝ってしまった。
 青い地球も、幻の青いケシも見られず、たった一人で。
 どちらの青も幻のままで終わって、ブルーの瞳には映らなかった。
 もしも地球まで行けていたなら、共に飛ぼうと思った恋人。白い船を地球まで運んだ恋人。
 ハーレイは地球まで辿り着いたけれど、青い星は在りはしなかった。
 死に絶えた星が真実の地球で、青い地球も、ヒマラヤの青いケシも幻だった…。



(青いケシ…)
 今は何処かにあるのだろうか、とブルーは前の自分が見たかった花を思い浮かべた。
 マツムシソウに似ている気がしたけれども、それは写真でしか知らないせいかもしれない。この目で見たならまるで違って、「似ていない」と驚くほどかもしれない。
(…青いケシかあ…)
 SD体制崩壊後の地殻変動で地球の地形は大きく変わった。しかし偶然か、それとも神の意志が其処に働いたのか。かつてヒマラヤだった辺りは新たに隆起し、前と同じに高峰となった。今でもヒマラヤと呼ばれる山脈。
 地球の植生は昔の通りに蘇っていて、高山であれば様々な高山植物。
 青いケシもきっとあるのだろう。
 ヒマラヤの峰の何処かに天上の青も咲くのだろう。
 前の自分が焦がれた青。いつか見たいと夢に見た青…。



(見たいんだけどな…)
 青いケシが咲くだろう地球に生まれ変わって生きているのに。
 今度は自分が飛べなかった。とことん不器用なブルーのサイオン。
 七千メートルもの高度を飛べはしないし、青いケシが咲く四千メートルの峰にも辿り着けない。今のブルーは二階の窓まで飛び上がることさえ出来ないのだから。
 おまけに弱すぎる自分の身体。ヒマラヤの峰を登るどころか、遠足の登山も大抵、欠席。家族で出掛けたハイキングだって、山頂までは行っていないと記憶している。
 そんな自分はヒマラヤに行けない。天上の青を見られはしない。
(…地球にいるのに、見られないんだ…)
 本物の青いケシは無理だ、と分かってしまうと調べる気力も湧いてはこない。勉強机の上にある端末で写真を探すとか、分布地域を調べるだとか。
 そういったことすらやりたくはなくて、ベッドの上に座って膝を抱える。
(…青いケシ…)
 ソルジャー・ブルーだった頃から見たかったのに。
 せっかく青い地球に来たのに……。



 ブルーがしょげ返っていた所へ、仕事帰りのハーレイが訪ねて来たから。
 恋人の来訪に喜んだブルーは青いケシを忘れてしまっていたのに、夕食を食べに二人で出掛けたダイニングのテーブルにマツムシソウの花。一輪挿しに飾られた紫の花。
(…青いケシ…)
 見られないんだっけ、と思った途端に途切れた会話。ほんの一瞬だったけれども、恋人の異変にハーレイが気付かない筈が無い。
 夕食が済んで、ブルーの部屋での食後のお茶。ハーレイは「どうした?」とブルーに尋ねた。
 少し変だと、悲しいことでもあったのか、と。
「学校では元気そうだったのに…。何があった?」
「…ハーレイ、さっきマツムシソウは見た?」
 テーブルに飾ってあった花だよ、紫の花。
「あったな、この家の庭じゃ見かけない花だと思っていたが…」
「ぼくが貰って来たんだよ。学校の帰りに、家の近くで」
「ほほう…。それで?」
 その時に何かあったのか?
 貰ったのはいいが、途中で転んで花束を駄目にしちまったとか…。あの一本だけ残ったとかな。
「ううん、貰ったのは一本だけ。でも…」
 あの花を見てたら思い出したんだよ、青いケシの花を。
 前のぼくが見たかった、地球の青いケシ。
「あれか…!」
 前のお前が憧れた花か。
 俺と一緒に見に行くんだと何度も何度も言ってた花か…。



 ハーレイは前のブルーの憧れの花を覚えていた。
 ヒマラヤの高峰に咲く青いケシの花。地球に着いたら二人で見ようと誘われた花を。
「青いケシなあ…。しかしだ、どうして思い出したら元気が無くなるんだ?」
 むしろ逆だろ、その青いケシが咲く地球の上に居るんだろ、お前。
「見たいんだけれど、見られないんだもの…」
 今のぼく、空を飛べないよ。青いケシが咲いてる場所まで行けないんだよ…。
「青いケシなら植物園にあったと思うが? 俺の親父が住んでいる町の」
 いつか連れて行ってやろう、と言われたけれども、それはブルーが見たい花とは違う。植物園の展示室に咲いているなら、天上ではなくて地上の花。幻の青いケシではない。けれど…。
「…やっぱり植物園で我慢するしかないのかな…」
「我慢?」
「…前のぼくが見たかった花はヒマラヤにしか無いんだよ…」
 人が簡単には近付けない場所に咲くっていうから憧れたんだ。
 地球みたいな花だと、青いケシも地球も幻の青だ、って。
 だからヒマラヤで見たいのに…。
 本物の幻の青いケシが咲いているのを見てみたいのに、ぼくは登れないよ、あんな高い山…。
「そうだろうなあ…」
 お前の足ではとても無理だし、運んで貰っても高山病になりかねん。
 今のお前には危険すぎだ。
「そうでしょ? だから見られないんだよ…」
 せっかく来たのに…。
 地球に来たのに、とブルーの瞳から零れた涙。
 自分はそれを見に行けないと、天上の青を見られないのだと…。



 白い頬を伝って零れる涙。
 ハーレイは褐色の指でそれを優しく拭うと、「諦めるにはまだ早いさ」と微笑んだ。
「行って行けないことはない…かもしれん。高山病予防の酸素ボンベは要るだろうがな」
 そういうツアーも無いことはないんだ、お前みたいなヤツがいるから。
 自分の足では登れないくせに、どうしても高山植物が見たいってな。
 ずうっと昔には凄い高さまで高速道路があったりしたから、車で行けたって話もあるが…。
 そんな代物が今は無いのは分かっているよな?
 車で快適なドライブとはいかん。
 ヤクって動物の背中に乗るんだ、そいつに運んで貰うんだ。
「…ヤク?」
「毛の長い牛みたいな動物だな。六千メートルくらいまでなら生息できるっていう頼もしさだぞ」
 お前が乗っても楽々と山を登ってくれるさ、青いケシが見られる高さまで。
 けっこう人気が高いらしいぞ、その手のツアーも。
 いつか二人で参加してみるか?
 俺は歩いて、お前はヤクで。



「そっか、見に行けるツアーがあるんだ…」
 でも、とブルーは呟いた。
「ツアーだったら他にも参加者、いるんだよね?」
 ぼくはハーレイと二人で青いケシを見てみたかったのに…。
 前のぼくは二人きりで見ようと思っていたのに、他の人がいるの?
 ぼくたちが青いケシを見ている隣で記念撮影してたりするの…?
「お前なあ…。ツアーから外れて人のいない所へ行こうってか?」
「……やっぱりダメ?」
「当たり前だろう!」
 ツアーってヤツはな、自由時間以外は集団行動するもんだ。
 そしてヤクに乗って行くようなツアーに自由時間は無いだろうなあ、危ないからな。
 だが……。



 お前の望みか、とハーレイは腕組みをした。
 生まれ変わる前からの望みで、それが叶いそうな場所に二人で生まれて来たわけか、と。
「…前のお前が見たかった花だ。俺と二人きりで見たいと言うんだったら…」
 そういうツアーを組んで貰うか?
 俺と、お前と。参加者は二人だけのツアーだ、他はいわゆる旅行会社の人たちだな。
 青いケシが咲くような高さまで行ったら、咲いている場所を教えて貰って。
 見に行ってる間は待ってて貰えば二人きりだぞ。
 俺がお前の乗ってるヤクを連れてな。
「…そんなの、出来るの?」
「大昔だったら無茶だったさ。だが、今だったら出来るだろう」
 思念波で簡単に連絡がつくし、いざとなったら瞬間移動で安全に移動できるしな。
 登山ツアーを貸し切るようなモンだし、費用はかなり高いだろうが…。
「高いんだ…」
「いいさ、お前の夢なんだからな」
 前のお前の夢だったんだから、何年越しの夢なんだか…。
 それを思えば高いと言ってもたかが知れてる。
 考えてみろよ?
 前の俺がだ、前のお前に借金を申し込んだとしよう。
 借りる金額は……そうだな、今の時代でジュースを一本分って所か。
 そいつを俺が借りたまんまで、前のお前が逝っちまって、だ。
 今のお前に「あの時の金を今までの年数分の利子をつけて返せ」と言われたらどうなるんだ?
「えーっと…。それはもう、ジュースの値段じゃなさそうだよ?」
「うむ。ジュース工場ごと買っても余ると思うぞ、俺が全額返せた場合は」
 絶対に返せっこないんだ、破産だ。
 そのくらいの年数がかかってる夢だ、ツアー代金が高いくらいは問題ないのさ。
 安心しろ、ジュースの借金なら破産な俺だが、ツアーの代金はちゃんと出せるからな。



 金ならきちんと貯めてあるさ、とハーレイは笑う。
 以前からコツコツ貯めてあったし、ダテに年を食っているわけでもないのだから、と。
「それに俺はな、お前に連れてって貰う代わりに連れて行けるのが嬉しいんだ」
 前のお前は俺を連れて飛ぶと言ったよな?
 俺は飛べないから、青いケシを見られる場所まで俺を連れて飛ぶと。
 ところが、だ。
 お前は飛べなくなっちまった。そして俺にはお前をツアーに連れて行けるだけの金がある。
 分かるか、俺がお前を連れて青いケシを見に行くことが出来るんだ。
 お前に連れて行って貰うんじゃなくて、俺が連れて行ける。
 前の俺には不可能だったことが今度は出来る。
 そしてお前は今度は出来ない。
 俺がお前を連れて行けるし、青いケシを見に行く間も守れるってな。
「…守るって?」
「お前がヤクから落っこちないように頑張らないと駄目だろうが」
 二人きりで出掛ける間は全責任が俺にかかってくるしな?
 ヤクが言うことを聞かなかったら、俺がお前を背負わないと…。
 背負ってでも俺が連れてってやるさ、青いケシが咲いてる所までな。



「それにだ、俺が守ると言っただろう?」
 今度こそ俺がお前を守ると。
 まさに命懸けでお前を守れるチャンスだ、今の時代は登山ツアーで命懸けとはいかんがな。
 大昔は本当に命懸けのツアーってヤツだったんだぞ、瞬間移動で救助も出来んし…。
 ウッカリ崖から落ちようものなら真っ逆様でおしまいだった。
 今じゃサイオンで落下は止まるし、落ちてもシールドを張れるしな?
 もっとも、お前みたいに不器用なヤツだと、今でも命が懸かってそうだが…。
「…うん、多分…。ぼく、落っこちたら終わりだと思う」
「うむ。俺としては守り甲斐があるってことだな」
 そうだ、二人きりの間は酸素ボンベなんて無粋な代物は無しで行こうか、その程度のシールドは充分張れる。
 お前をヤクの背中に乗っけて、俺のシールドでお前を包んで。
 青いケシを見に山を登るか、いつか二人で。
「…二人きりの時間、ちょっぴりだけなんだよね?」
「さあな? 行ってみたら案外、のんびり二人でいられるのかもな」
 青いケシ、俺と見に行くか?
 俺のシールドに命を預ける度胸があるなら。
「あるに決まってるよ、ハーレイなら平気」
 ハーレイと二人なら何でも平気。
 何処へ行くのでも平気なんだよ、ハーレイが一緒に居てくれるのなら…。



 いつか二人で出掛けて行こう、と二人は固く指切りをした。
 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーが焦がれた、天上の青。四千メートルを超える高さでしか咲かない青いケシの花を見に、ハーレイは歩いて、ブルーはヤクの背中に乗って。
 ヤクが言うことを聞かなかったら、ハーレイがブルーを背負って登る。
 青いケシが咲いている場所に着くまで、背負って登る。
「…だが、その前に植物園だな。隣町の」
 こんな花なら見なくていい、と言うかもしれん。
 わざわざヤクに乗っかって出掛けなくても、植物園だけでもう充分、とな。
「そうかもね?」
 植物園でも見られるんだものね、おんなじ花は。
 ぼくがヒマラヤの青いケシにこだわってるだけで、何処で咲いても花の形は同じだものね。
 …でもね、ハーレイ。
 たとえ一生、ヒマラヤの青いケシを見られなくっても、ぼくは悲しくなくなったよ。
 ハーレイに連れてって貰えば見に行けるんだ、って分かったから。
 前のぼくが夢を見ていたとおりに、ハーレイと二人で行けるんだから。
 無茶をしてまでヒマラヤで見たい気持ちが減って来たかな、行けるって話を聞いただけで。



 行った気分になってきたよ、とブルーは幸せそうな笑みを浮かべた。
 二人で行こうと指切りをしたけれど、行き先は隣町にある植物園でいいと。
 ハーレイの両親が住む家がある隣町。
 その町の植物園まで出掛けて青いケシを眺めて、ハーレイの両親の家に寄ろうと。
「…しかしだ、お前、植物園の花は違うとか言っていなかったか?」
「言ったけど…。そういう気持ちは今もあるけど、植物園の花でいいんだよ」
 ハーレイと二人で地球に居るから、とブルーは答えた。
 植物園の青いケシの花が見られればいいと、その花を二人で眺められれば充分なのだと。
 天上の青が咲く青い地球。
 其処に二人で来られた奇跡を上回るものは無いし、天上の青よりもハーレイがいいと。
 ハーレイと二人でいられさえすれば、それ以上の幸せは無いのだから、と……。




         青いケシ・了

※前のブルーが見たいと願った、ヒマラヤの青いケシの花。いつかハーレイと眺めようと。
 叶わなかった夢が今度は叶いそうですけれど…。植物園の青いケシでも充分幸せ。
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(ハーレイが居るのが普通だったんだけどな…)
 今は全然普通じゃないよ。それどころかまるで正反対。
 病院に行くほどじゃなかったけれども、具合が悪くてパパとママに休まされてしまった学校。
 今日で二日目。
 昨日はハーレイも来てくれなかったし、忙しかったんだろうと分かっているけど悲しい気分。
 ぼくが休むと「大丈夫か?」って家に寄ってくれて、野菜スープを作ってくれたりする日だってあるのに。何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだスープ。
(野菜スープのシャングリラ風が食べたかったな…)
 そう思ったって始まらない。ハーレイには仕事があるんだから。
 とはいえ、昨日よりは軽くなっている身体。明日は学校に行けるかも…。
(行けるといいな…)
 ベッドサイドの時計を眺めてビックリした。とっくに授業が始まってる時間。
(こんな時間まで寝ていただなんて、具合が悪いの?)
 でも…、と考えを切り替えてみた。ゆっくり眠って体力回復っていうこともある。
(そうだ、朝御飯だって食べなくちゃ…)
 昨日はロクに食べていないから、体力を戻すなら食事が大切。
 沢山食べるのは無理だけれども、トーストとミルクくらいなら。
 隣町に住んでいるハーレイのお母さんが庭の夏ミカンで作ったマーマレードを塗ってトーストを食べれば、きっと良くなる。お日様の光を閉じ込めた金色。
(早く学校に行きたかったら、栄養をつけておかなくっちゃね)
 よし、とベッドから出て階段を下りて、ダイニングまで行ってみたんだけれど。
 九時をとっくに過ぎていたから、朝御飯のテーブルにはぼく一人だけ。
 パパは会社に行ってしまったし、ママはキッチン。



(独りぼっちだ…)
 ママが「あら、起きたの?」とトーストを焼いてくれて、ミルクも入れてくれたんだけど。まだキッチンに用があるのか、直ぐに姿が消えてしまった。
 独りぼっちの朝御飯。ハーレイのお母さんのマーマレードをたっぷりと塗って頬張っても一人、ミルクのカップを傾けても一人。
(…独りぼっちで朝御飯だなんて…)
 学校を休んでしまった時にはたまにあるのに、どうして今日は寂しいんだろう?
(…なんで?)
 何か理由があったっけ、と考えた所で気が付いた。
 前のぼくなら有り得なかった、独りぼっちで食べる朝食。いつだってハーレイが食卓に居た。
 そう、ハーレイと一緒に食べてた朝食。
 前のぼくには当たり前のことだったのに、今ではすっかり正反対。
 ハーレイのいない朝食が普通で、今日みたいにパパとママまでいなかったりする。
 でも…。



(あれって、いつから?)
 ハーレイと一緒の朝御飯。青の間で毎朝、二人で食べた。朝食係のクルーが奥のキッチンに来て仕上げる朝食。
 何を食べたいかは、前の日に部屋付きの係がぼくに訊いてた。ハーレイの分は、ハーレイが前の日の内に自分で係に伝えていた。
 そうやって準備される朝食。ハーレイと全く同じメニューだったことも、違うこともあった。
 前のぼくも今ほどじゃないけど小食だったし、そんなに沢山は食べられないから、ハーレイのと同じメニューでも量は少なめ。ハーレイが別のメニューを頼んだ時には「凄いな」と見てた。量も凄いけど、朝一番に食べるにはしては重すぎるように思える料理。
(ただのオムレツなら分かるんだけど…。具だくさんだったりするんだよね)
 ソーセージやジャガイモが入ったオムレツ。それをペロリと平らげるハーレイ。そんな凄いのを頼んでいたって、トーストは普段通りの分厚さ。ぼくのよりもずっと分厚いトースト。
 朝から食欲旺盛なハーレイが美味しそうに食べる姿は大好きだったし、馴染みの光景だったんだけれど。
 そういうハーレイをいつから見るようになったっけ?
 いつから二人で朝食を食べるのが普通になったんだっけ…?



(んーと…)
 アルタミラを脱出して間もない頃にはハーレイと二人きりじゃなくって、みんなで食事。食堂に集まって和やかに食べた。ハーレイがキャプテンになって、ぼくがリーダーと目され始めた頃にも食堂で食べるものだった。
 ぼくの具合が悪い時にはハーレイが部屋までトレイに乗っけて持って来てくれて、野菜スープも作ってくれた。そうした時にはハーレイも一緒に食べてたと思う。
 けれどシャングリラの改造が終わって、白い鯨が出来上がって。
 既にソルジャーと呼ばれていたぼくには、青の間という専用の部屋が割り当てられた。文字通り青い明かりが灯った、だだっ広い部屋。
 ぼくのサイオンは水と相性がいいようだから、と大量の水が湛えられていた、一人で暮らすには大きすぎる部屋。ぼくはベッドと最低限の家具があればいいのに、ベッドまでが特別に誂えられた立派すぎるもので、馴染むまでには暫くかかった。
 それでも「住めば都」と言うだけはあって、いつの間にか「ぼくの部屋だな」って思うようにはなったんだけれど。
 問題は、其処が「ぼくのためだけの」部屋であること。
 ぼくの食事を仕上げるためのキッチンまで備わってしまっているから、食事係のクルーが来てはくれても「一緒に食べてくれる人」がいない。
 いつだって一人、朝御飯も昼御飯も、晩御飯も。
 食堂へ行けば皆と一緒に食べられるけれど、ぼくはソルジャー。周りのみんなが気を遣う。凄く緊張してるのが分かる。
 それでは楽しい食事の時間が台無しになるし、ぼくの足は食堂から自然と遠のいていった。



 そうして気付けば、ぼくは青の間で独りきりの食事。
 いくら前のぼくが我慢強くても、やっぱり寂しい。誰かと一緒に食事をしたい。
 これじゃ寂しい、と思ったから。
 一日に一度だけでいいから、一緒に食事を食べてくれる人が欲しいと考えるようになったから。
 何か方法は無いのだろうか、と思案した末に、キャプテンだったハーレイを誘うことにした。
 毎朝、その日のシャングリラで行われる様々なことを報告するために来ていたハーレイ。夜にも結果報告に来ていたけれども、朝の報告はぼくの判断を仰いでいたこともあったから。
 これは使える、と名案が閃いた前のぼく。
 早速、ハーレイに持ち掛けた。
 朝の報告と打ち合わせをするのに丁度いいから、青の間へ朝食を食べに来ないか、と。
 キャプテンの分の食事も用意させておくから、朝食を食べながら話し合おうと。



 あの頃は恋人同士じゃなかったけれども、前のぼくの親友だったハーレイ。
 シャングリラやミュウの未来のことだけじゃなくて、何でも話せたぼくの親友。おまけに誰もが認めるぼくの右腕、キャプテン・ハーレイ。青の間で毎朝会食するには最適な人材。
(…あの時、ハーレイを誘っておいて正解だったよ)
 もしも長老たちを誘っていたなら。
 食堂での食事には及ばないまでも賑やかにやろうと考えたならば、長老たちが勢揃い。
 食事をしながらの会議だったら、長老が全員揃っていたって全然問題ないんだけれど…。
 表向きは会議ってコトでも、毎朝、楽しく食卓を囲んでいたんだろうけど…。
(ハーレイと恋人同士になった後が大変!)
 ぼくとハーレイとの仲はバレなかったとは思うけれども、朝食の席にズラリと顔を揃えた長老。
 ベッドで恋人同士の時間を過ごして眠って、起きたら朝食会なんて。
 それはとっても恥ずかしすぎる。
 いくらシャワーを済ませていたって、いたたまれない気持ちになったと思う。
 さっきまで何をしてたんだっけ、と顔が真っ赤になることだってきっと何度もあっただろう。
 長老たちとの食事会にしなくて正解。
 ハーレイだけを選んで誘って、二人きりの食事で大正解。
 でも…。



(…前のぼく、ちゃんと分かっていたのかな?)
 ハーレイは特別なんだ、っていうことを。
 ぼくの特別で、いつか誰よりも大切な人になるんだってことにぼくは気付いていたんだろうか。
 それとも何か予感があった?
 いつかハーレイは「特別」になると、ぼくの大切な恋人になると。
(…予知能力は大して無かったと思うんだけど…)
 ほんのちょっぴり、虫の知らせとか言われる程度しか前のぼくは感じ取れなかった。
 嫌な予感がすると思っても、具体的に何が起こるというのか理解出来てたわけじゃない。
 キースが捕虜になっていた時さえ、「ぼくの命はもうすぐ尽きる」と予感してはいても、ぼくに死を齎す死神が誰かは分からなかったし、分かっていたならキースを殺していただろう。
 フィシスがキースを庇ったところで無駄なこと。あの時、ぼくはキースを捕えるつもりでいた。単に意識を奪うつもりで放ったサイオン。だからフィシスの力で防げた。前のぼくの殺意を弾けるミュウなどはいない。殺すと決めたら確実に殺す。
(…あそこでキースを殺していたなら、ナスカは燃えずに残ったかも…)
 だけど、その後の未来が変わる。ミュウと人類の和解までには想像もつかない年数がかかって、地球だって蘇らないままでいたかもしれない。
 それを思うと前のぼくの予知能力が低かったことは多分、幸いだったんだろう。
 殆ど役には立たなかったそれ。だからこそ大部分をフィシスに譲った。フィシスはそれを上手く操り、色々と予言をしていたけれども、ぼくが持っていても無用の長物。
 あまりに低すぎた、前のぼくの拙い予知能力。
 だけどハーレイ限定で働いたのかな、って思わないでもない。
 ぼくの「特別」だと、誰よりも大事な恋人なんだ、って。



 前のぼくとハーレイは出会いからして特別だった。
 アルタミラ崩壊の時に同じシェルターに閉じ込められなかったら、きっと全然違ったと思う。
 サイオンの使い方さえ分からないままに、闇雲にぶつけて壊したシェルター。我先に逃げ出して行った仲間たち。
 座り込んでいたぼくを助け起こして、「他にも閉じ込められたヤツらがいると思うぞ」と言ったハーレイ。ぼくだって仲間たちの思念を感じていたから、二人でシェルターを開けて回った。
 あの時、ハーレイがいなかったとしても。
 ぼくは独りでシェルターを幾つも、幾つも開けて回っただろうと思うけれども…。
(…やっぱりハーレイ、手伝ってくれた?)
 幾つ目のシェルターに居たかは分からないけれど、ぼくを手伝ってくれたんだろうか。
 ぼくたちの出会いは同じだったろうか?
 「お前、凄いな。小さいのに」が最初の言葉だったから、同じだった?
 ぼくがハーレイの居るシェルターを開けたら、そう言ってくれた?
 でも、ぼくは返事をする間も惜しんで無言で、次のシェルターへと走って行ったと思う。
 走ってゆくぼくをハーレイはきっと追いかけて……。
 来てくれたよね?
 一緒にシェルターを開けて回ってくれていたよね?
 ハーレイがそういう人間だってことを、ぼくは誰よりもよく知っているから。



 だったらハーレイはやっぱり特別。ぼくの特別。
 出会い方がまるで違っていたって、出会ったら同じ。
 お互い、相手を放っておけない。アルタミラが燃える地獄の中でも、離れ離れではいられない。
 ぼくはハーレイと一緒に走りたかったし、ハーレイはぼくと走りたかった。
 アルタミラを脱出した後も、ぼくは長いことハーレイにくっついて歩いていた。ハーレイがまだキャプテンになっていなかった頃は、後ろにくっついて歩いていた。
 調理の総責任者みたいなことをしていたハーレイの手伝いをしたり、「何が出来るの?」と鍋やフライパンを覗き込んだり。親鳥を追いかける雛鳥みたいに、懐いていたぼく。
 そんな思い出があったハーレイだから、ぼくは食事に誘ったんだろうか。
 独りぼっちじゃ寂しいからって、ハーレイを選んで名指しで決めて。



 青の間での朝食に誘われたハーレイは、喜んでやって来てくれた。
 食堂で仲間たちと一緒に食べるのも楽しいけれども、こういう落ち着いた場所もいいって。
 静かすぎるけど、悪くはないって。
「その分、私たちがあれこれと喋ればいいのですしね」
「うん、そうだよね」
 シャングリラのこととか、色々なこと。
 君の目で見るのと、ぼくが見るのとでは同じ出来事でも印象が変わってくるのだろうし。
「はい。一応、持っては来たんですが…。資料などを」
「そうなのかい? 流石はキャプテン、真面目なんだね」
 まさか資料を用意したとは思わなかったし、ぼくは驚いたんだけど。
「ソルジャーとの会議を兼ねた朝食会です、当然のことかと」
 ハーレイが姿勢を正して言うから、「それで、何を?」と訊いてみた。
「どういった資料を持って来たわけ?」
「昨日のシャングリラでの出来事と経過を。昨夜の報告の補足事項なども含まれますが…。朝食の前に報告させて頂きましょうか?」
「要らないよ。ぼくには全部分かっているから」
 嘘じゃないこと、君だって知っているだろう?
 君が毎日ぼくに報告するようなことは、ぼくはとっくに承知だってこと。
 シャングリラ中に張り巡らせてある思念の糸に引っ掛かってくるから分かるんだよ。
 そういう目的で思念を張り巡らせているってわけじゃないけど、副産物だね。
 ぼくの思念は船全体を把握するのに必要なもの。
 そうでなければ守れないんだよ、巨大な白い鯨をね…。



 だから報告の必要は無い、と断って「じゃあ、食べようか」と食事を始めながら。
 ぼくはちょっぴり心を弾ませ、テーブルの向かい側に座ったキャプテンに尋ねてみた。
「…それよりも他のニュースは無いの?」
「ニュースですか?」
 あれば報告いたしますが、とハーレイが大真面目な顔で答えるから。
「そうじゃなくって、意外性のあるニュースだよ」
 ぼくに報告するまでもないような些細な出来事。
 いわゆる日常の延長線上で何か無いかな、って訊いてるんだけど…。
 ぼくが思念で知っていることは、言わば公式なことって言うの?
 個人の行動までを追ってはいないし、失敗談なんかは分からないしね。
「…はあ……」
 それでしたら…、とハーレイは軽く溜息をついて。
「昨日、ブリッジで少々、騒ぎが」
「ブリッジで?」
 どんな、とぼくは好奇心に瞳を輝かせた。
 シャングリラ中に張り巡らせた思念の糸はブリッジにだって幾重にもある。
 だけど騒ぎには気付かなかったし、何事だろうと思ったから。



 ぼくの向かいに座ったハーレイ。ぼくのお皿に乗っかったのよりも大きなオムレツをフォークでつついて、「お恥ずかしいのですが…」と言いにくそうに口を開いた。
「ブラウに肩を叩かれたはずみに落としたんです、大事な鉛筆を」
「鉛筆?」
「…はい。休憩時間に下描きをしていた最中でして…」
 木彫りを始める前に木の塊に描き込む、大まかな下絵。
 それに使う鉛筆が落っこちたという。
 下手くそで知られたハーレイの木彫り。趣味だから誰も止めはしないけど、とっても下手くそ。それなりに手先は器用らしくて、スプーンやフォークといった実用品なら文句なしの出来栄えなんだけど…。欲しがる人だっていたりするけど、それ以外は駄目。
 芸術を目指せば正体不明の物体が出来るし、写実性を追求した時には別物が出来る。どう言えばいいのか、評価するのにこっちが困る。ブラウなんかはズバズバけなしているけれど。
 誰が見たって下手くそなんだし、部屋でコッソリ彫ればいいのに、ブリッジで彫ろうとしていたなんて。下絵を描くための鉛筆まで持って出掛けたなんて、と可笑しくなった。
 でも、この話は此処で終わりじゃないだろう。
 たかが鉛筆を落としたくらいで「騒ぎ」なんかには絶対ならない。何かあるな、と鉛筆の行方を訊きだしてやるべく、ぼくは「鉛筆ねえ…」と相槌を打った。



「災難だったね、落とすだなんて。ブラウに悪気は無かったろうけど…」
 その鉛筆、何処に落ちたんだい?
 落としただけなら拾い上げれば済むことだろう?
「それが…。見事に入ってしまいまして…」
 キャプテンの席の下にコロンと。
 運悪く隙間に落ちたらしくて、とても拾えるような場所では…。
「それで?」
「サイオンで拾おうと思ったのですが…」
「拾えなかったのかい?」
 ハーレイは瞬間移動は出来ないけれども、鉛筆くらいは軽く動かせる。
 何処にあるかを透視で探して、元の隙間からサイオンで引っ張り出せば終わりだと思ったのに。
「なにしろ休憩時間ですから。たちまち人が寄って来まして…」
 ゼルが「シートを外せ」と大袈裟なことを。
 「この際、シートの下の掃除もすれば良かろう」とまで…。
 お蔭で晒し者でした。
 シートを外す係が呼ばれて、あのキャプテンのシートを外して…。
 鉛筆は無事に拾えたのですが、外した後を掃除するからと掃除係も呼ばれたのです。
 シートが元通りの場所に設置されるまで、鉛筆と木の塊とを持って立たされていました、作業の邪魔にならないようにとブリッジの隅に。
 ブリッジ中のクルーが、私の方を見ないようにしながらクスクス笑っているんです。
 肩が小刻みに震えてるんです、ゼルとブラウは遠慮なく笑ってくれました…。



「なるほどねえ…」
 それは確かにニュースな上に騒ぎだよね、と吹き出さざるを得なかった、ぼく。
 シャングリラの中では思いもよらない事件が起こっているらしい。
「そんな騒ぎを起こしたとなると、木彫りは禁止されたのかい?」
 キャプテンのシートを外した上に掃除となったら、作業するクルーも大変だしねえ…。
「いえ。今後も気にせず続けていいと言われました」
 娯楽になるから、と。
 シートを外しに来ていた係も、掃除係も「いつでもどうぞ」と笑っていました。
「…うん、分かる」
 キャプテンがヘマをする現場なんかは、そうそう見られはしないしね?
 少しばかり仕事が増えた所で、また見たいって気持ちになるよね、きっと。
 そういうニュースはぼくも好きだよ、また持って来て。
 うんと新鮮なその手のニュースを。
「此処はそういう席なのですか!?」
 朝食を食べながらの会議ではなく、報告でもなく…。
 シャングリラの中で起こった珍事を披露するための会食だと?
「うん。たった今、決めたよ。君の失敗談がいい」
 ゼルとかヒルマンとかでもいいけど、君のが一番面白そうだ。
「そうそう毎日やりませんよ!」
 他の誰かの話題で勘弁して下さい。
 キャプテンが主役の失敗談が毎日起こるようでは、シャングリラは沈んでしまいますとも。



 仏頂面でそう言ったけれど、約束を守ってくれたハーレイ。
 自分が失敗をやらかした時は教えてくれたし、そうでない日は何か楽しい話題はないかと、色々集めて来てくれた。
 よくもこんなネタがあったものだ、と何度笑ったか分からない。
 厨房で丸焦げになった料理を係が上手に誤魔化して「本日限定」と銘打って出したら美味しいと評判になってしまって、再現すべきか厨房担当のクルー全員が悩んでいるとか。
 ゼルは最高に機嫌がいい時はブリッジまでスキップしながらやって来るという根も葉もない噂が流れて、「いっそ本当にスキップを!」と言い出したゼルをエラが必死に止めているとか。
 厨房の失敗料理はその後、新作として定着しちゃって、ゼルのスキップも実現した。スキップは一回限りだったらしくて、「目撃した人は一年間幸運に恵まれる」と噂に尾鰭がついたみたい。
 ハーレイは幾つも幾つもネタを集めて来てくれた。
 朝食の席でぼくが笑って過ごせるようにと、こんな時くらいは笑って過ごしていて欲しいと。
 お蔭で毎朝、ハーレイが来るのが楽しみだった。
 ぼくを気遣ってくれるハーレイ。
 ソルジャーの務めを朝食の間くらいは忘れてほしいと、楽しく食事をして欲しいと。
 何度そう言われたか分からない。
 その優しさがどれほど嬉しかったか、幾つもの笑い話とセットで温かく胸に残ってる…。



(…やっぱりハーレイを選んで正解だったよ)
 前のぼくが朝御飯を一緒に食べる相手に。
 最初の間は笑い話やネタばかりだった話題だけれども、思い出話とかもするようになって。
 アルタミラから脱出した直後のぼくがハーレイにくっついてたこととか、他にも色々。
 少しずつ少しずつ、変わって行った話題。
 お互いのことを、笑い話の種じゃなくって、こう思うだとか、自分もそうだとか話して、二人で頷き合って、微笑み合って。
 そうやって近付いていったんだろうか、ぼくとハーレイとの間の距離。
 大親友から恋人へと。
 それともアルタミラで初めて出会った時から、とっくに決まっていたんだろうか?
(えーっと…。運命の赤い糸だっけ?)
 ぼくとハーレイの小指に繋がっていたんだろうか、赤い糸が。
 それで閉じ込められたシェルターも同じだったんだろうか、繋がった二人だったから。
 結婚は出来なかったけど。
 前のぼくたちの仲は誰にも秘密で、内緒の恋人同士だったんだけれど…。
(今度は間違いなくあるよね、ちゃんと赤い糸)
 だって結婚するんだから。
 今度はハーレイと結婚して一緒に暮らすんだから。
(…ぼくの赤い糸…)
 ハーレイの小指と繋がってる糸。
 ぼくの小指の付け根に結んであって、ハーレイの小指まで伸びている筈の赤い糸。
 見えないかな、と見詰めてみたけど、全然見えない。
 前のぼくでも見られなかった赤い糸だし、サイオンが不器用なぼくじゃ無理かも…。
 それとも前のぼくの小指には無かったのかな、赤い糸。
 結婚できない二人だったし、強い絆で繋がってはいても無かったかもしれない赤い糸…。



 今度はちゃんと繋がってる筈の赤い糸。
 この辺りかな、と小指の付け根を触っていたらキッチンの方からママの声。
「ブルー、食べ終わったらベッドに戻りなさいよ?」
 でないと明日もお休みになっちゃうわよ?
「うん、ママ!」
 明日も休むなんて嫌だから。
 学校でハーレイに会えないだなんて最悪だから、ぼくはトーストに齧り付く。
 ミルクも頑張って飲んでおかなきゃ、栄養がつくし背だって伸びる。
(…ふふっ、朝御飯…)
 テーブルにはぼくしかいないけれども、寂しい気持ちは無くなった。
 独りぼっちの朝御飯だけど、色々と思い出したから。
 今度のハーレイも会うと色々な話をしてくれるんだし、ぼくを大事にしてくれる。
 やっぱりハーレイを選んで正解、赤い糸で繋がってるからぼくはハーレイを選ぶんだ。
 ハーレイしか選びたくない、ぼく。
 どんなに沢山の人がいたって、ハーレイだけしか選べない、ぼく。
 ぼくはハーレイでなくちゃダメだし、きっと最初からそうだったんだ、って…。




         独りの朝食・了

※前のハーレイと朝食を食べていたブルー。青の間で、いつも二人きりで。
 始めた頃には友達同士で、後には恋人。きっと最初から運命の二人だったのでしょうね。
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「えーっと…」
 あれっ、とブルーは周りを見回した。
 昨夜は早めにお風呂に入って、夜更かしもせずに眠ったと思う。なのに…。
(なんで?)
 目を覚ました自分がベッドに横たわったままでいる場所。
 見覚えのある部屋には違いなかったが、何もかもが見事に違っていた。射し込む光や漂う空気が違うどころか、まるで別物。
 見慣れた天井の代わりに、柔らかな照明が灯る天蓋。
 勉強机やクローゼットの代わりに、ベッドの周りを取り巻くカーテン。
(…此処って、青の間…)
 直ぐにそうだと気付いたけれども、それはおかしい。
 自分は十四歳の小さな子供で、ソルジャー・ブルーではなかった筈。
 しかし…。



「お目覚めですか?」
 耳に馴染んだ声が聞こえて、キャプテンの制服を纏ったハーレイが奥の方からやって来た。まだ状況が飲み込めないブルーのベッドの脇に立ち、笑顔で促す。
「バスルームが空きましたから、シャワーをどうぞ」
(えっ?)
 ハーレイが青の間のバスルームを使い、その後にブルーにシャワーを勧めるということは。
(昨夜はハーレイと一緒に寝たんだ!)
 しかも一緒に寝ただけでではなく、朝一番にシャワーが必要になるような時間を過ごした。恋人同士で熱く抱き合い、愛を交わしたに違いない。
 それでは昨夜の自分はそういう時間をハーレイと、と慌てて身体を眺めたのに。
(………)
 一糸纏わぬ姿どころか、昨夜着て寝たパジャマがブルーを包んでいた。ハーレイと愛を交わした痕跡は皆無、ボタンの一つも外れてはいない。
(こんなトコだけ、元通りなんて!)
 理不尽だよ、と頬を膨らませてから気が付いた。
(…ぼく、子供だ…)
 青の間に居るのに、ソルジャー・ブルーだった頃の部屋に居るのに、手も足もすっかり十四歳の子供のもの。パジャマから覗いた小さな手足。
 なのに…。



「ブルー?」
 ベッドの脇に立つハーレイが困ったような顔で覗き込んで来た。
「じきに朝食の係が来ますよ、早く着替えて頂かないと」
 シャワーを済ませて、ソルジャーの衣装をお召しになって。
 マントもきちんと着けて下さい、でないと係が変だと思うでしょうからね。
(…ソルジャーの服って…)
 ブルーは酷く途惑った。
 青い地球の上に生まれ変わって来たハーレイは、ブルーが「普通の子供」であることを喜ぶ。
 今度の生ではソルジャーではないと、何も背負わなくてもいい子供なのだと。
 そんなハーレイが今の自分にソルジャーの衣装を着せたがるだろうか?
(…もしかして、ハーレイだけどハーレイじゃ…ない……の?)
 今のブルーの優しい恋人。ずっと年上で、先生でもある今のハーレイ。
 自分を見下ろすハーレイはそのハーレイとは違うらしい、と思い至ったけれど。ハーレイの方はブルーがソルジャー・ブルーだと信じ込んでいるようだから…。
「ハーレイ。ぼくはソルジャー・ブルーじゃないよ」
 違うんだよ、と起き上がった。目をパチクリとさせて見上げているのに、ハーレイは笑顔。
「朝から何を仰いますやら…」
 私をからかいたい御気分なのでしょうが、もう朝ですから。
 本当に朝食係が来てしまいますよ、シャワーを浴びて着替えて下さい。
「そうじゃなくって!」
 ブルーは小さな両手を一杯に広げ、腕も大きく広げて見せた。
「見てよ、こんなに小さいってば!」
 ソルジャー・ブルーは小さくないよ。
 ハーレイよりかは小さかったけど、ぼくよりもずっと大きいってば!



「……はあ……」
 言われてみれば、とブルーをしげしげと眺めたハーレイは、ようやく異変に気付いたらしく。
 ベッドの上にチョコンと座ったブルーに、困ったような顔が向けられる。
「…では、あなたは?」
 昔のブルーにそっくりの姿でいらっしゃいますが、あなたは誰です?
「ブルーだけど…」
 ぼくだってブルーなんだけど、と口にしてからブルーが思い出した現実。
 ソルジャー・ブルーの生まれ変わりでタイプ・ブルーでもある自分だけれども、サイオンを扱う力は無いに等しい。ほんの少しだけ浮き上がったり出来るだけ。
 青の間に、シャングリラに来てしまったとはいえ、ソルジャー・ブルーの代わりは務まらない。何の役にも立たないどころか、船に居る他の仲間たちにすら劣るだろう。
 これはマズイ、と考えたから。
「ぼくもブルーだけど、ぼく、思いっ切り不器用なんだよ!」
 サイオンなんか全然使えなくって、タイプ・ブルーのくせに何も出来なくて…!
 ソルジャーなんか務まらないよ、とブルーは叫んだ。
「助けて、ハーレイ…」
 お願い、助けて。
 ぼく、此処じゃ何にも出来ないんだよ…。
 ソルジャー・ブルーと同じようには出来ないし、出来っこないんだよ…。



 頼りになるのはハーレイだけだ、と直感したブルーは懸命に訴えた。
 ソルジャーに次ぐ地位に立つキャプテン・ハーレイ。彼ならば何とかしてくれるだろうと、彼で駄目なら他に頼れる者は誰一人としていないであろうと。
 そのハーレイは難しい顔で腕組みをしていたけれど。眉間に深い皺を刻んでいたのだけれども、ブルーの瞳から零れた涙に表情を和らげ、武骨な指でそっと涙を拭ってやって。
「…困りましたねえ…」
 あなたも大層お困りでしょうが、私も困っているのですよ。
 ソルジャー・ブルーは何処へ行ってしまわれたというのでしょう…。
「…多分、ぼくの中…」
 ぼくの中だよ、とブルーは自分の胸の辺りを指差した。
「…ぼくは生まれ変わり。ソルジャー・ブルーの生まれ変わりがぼくだから」
「生まれ変わりですって?」
 ハーレイはブルーの瞳を覗き込み、首を捻った。
「それはまた…。何故?」
 どうしてあなたが生まれ変わりになったんです?
 ブルーはどうなったのですか…?



 ソルジャー・ブルーを案じているのだと分かる、ハーレイの心配そうな表情。
 生まれ変わるまでの間に何が起こったかを喋ったら駄目だ、とブルーは思ったから。前の自分の身に何が起こるか、話してはならないと思ったから。
 遠い未来から来たのだ、と答えた。
 ずっと遥かな未来から来たと、其処にはハーレイも居るのだと。
「ぼくの先生なんだよ、ハーレイ。…それに……」
 恋人。小さな声で紡いだ言葉に、「良かった」とハーレイが笑みを浮かべた。
「ならば、未来から来た小さなあなたも私のブルーというわけですね」
 分かりました、全力でお守りしますよ。
 あなたは私が守ってみせます。
 とりあえず…。今日は御気分が優れないということにしておきましょう。そうすれば誰も訪ねて来ません。後のことは追い追い考えるとして……。
 朝食は如何なさいますか?
 卵料理の御希望などがあれば私が係に伝えますが。
「えーっと…」
 卵の調理方法などより、ブルーには切実な注文があった。
「ねえ、ハーレイ。普通に喋って欲しいんだけど…」
 よそよそしい敬語なんかじゃなくって、もっと普通に。
 ぼくは「お前」で構わないんだし、ハーレイも「俺」がいいんだけれど…。
「…それは…」
 それは私には難しいかと…、とハーレイは「すみません」と頭を下げた。
 この言葉遣いで慣れてしまったと、急には変えられないのだと。



 やがて朝食係のクルーが訪れ、奥のキッチンでブルーとハーレイの朝食を仕上げて帰った。係が居る間、ブルーはカーテンを引いたベッドの中。
 ハーレイから「ソルジャーは御気分が優れない」と聞かされた係は不審がりもせず、「お食事を召し上がって頂ければいいのですが…」と心配しながら配膳していた。カーテンの向こう、朝食を食べるためのテーブル。其処で朝食を食べていたっけ、とブルーは懐かしく思い出す。
 係のクルーの気配が消えると、ハーレイがカーテンを開けて顔を覗かせた。
「ブルー、朝食の用意が出来ましたよ」
 ですが…。
 お召しになれる服がありませんねえ、そのお身体だと。
「うん…。絶対、大きすぎると思う…」
 それでもパジャマはあんまりだから、とブルーはソルジャーの衣装の上着だけを着た。白と銀の上着は身体のラインにピタリと添うように出来ていたけれど、ブルーには余る。丈も長いし、幅もたっぷりと余っていた。
(…ぼくってホントにチビだったんだ…)
 ハーレイにチビと言われる筈だよ、と此処には居ない恋人の口の悪さを思う。
 何かと言えば「チビ」だの「小さい」だのと繰り返すハーレイ。
 敬語では話さないハーレイ……。



 くすぐったすぎる敬語のハーレイと二人で朝食を食べる間に、ブルーは地球から来たと話した。青い地球から此処に来たのだと、地球の上に住んでいるのだと。
「良かった…。無事にお着きになれたのですね、地球に」
「でも、ぼく、生まれ変わりだよ?」
「それでもです」
 あなたが焦がれておられた地球です。
 その地球にお住まいになっておられる、そう伺ってホッとしましたよ。
 如何ですか、地球は?
 青い地球は素敵な星ですか、ブルー?
「うん。…ハーレイもちゃんと地球に居るしね」
 だからハーレイも行けるんだよ、地球に。
 地球に住んで先生をやってるんだよ、ぼくの先生。
「そして、あなたの恋人なのですね」
 未来が楽しみになってきましたよ。
 今はまだ地球が何処に在るのかも分かりませんが…。
 いつかは青い地球に住めるのだと、あなたの先生にもなれると聞いたら、楽しみです。
 早くその日を迎えたいですね、生まれ変わりであったとしても。



 和やかな朝食の時間が終わって、係が食器を片付けに来て。
 ブルーは再びベッドに隠れたのだけれど、其処から出て来た後になっても去らないハーレイ。
 朝食が済んだらキャプテンはブリッジに出掛けるものだと覚えていたから、ブルーは尋ねた。
「ハーレイ、仕事は?」
 ブリッジに出掛けなくてもいいの?
 いつもだったら、朝御飯の後は直ぐにブリッジに…。
「此処でやりますよ、そういう時だってあったでしょう?」
 青の間には色々と設備が整っていますから。
 此処からでも充分に指示を出せます、私の部屋と同じですよ。
 非常時以外はブリッジに詰めていなくてもいいと、あなたもご存じの筈ですよね?
「うん…。でも、いいの?」
「今はこういう時ですからね」
 此処にお一人では不安でしょう?
 私がお側に居た方がいいと、そうするべきだと思うのですよ。



 そう言ったハーレイはブリッジとの通信回線を開き、青の間から指揮をすると伝えた。
 ブリッジから次々に入る報告。送られてくるデータに目を通し、処理してゆく。シャングリラのキャプテンの仕事ぶりを見ながら、ブルーは「こんな風だった」と遠い記憶と重ねるけれど。
 同じようにしていた前のハーレイを想うと、今のハーレイが恋しくなるから。
 あのハーレイの所へ帰れるだろうか、と不安になるから。
「…ハーレイ、ぼく…。ずっとこのまま?」
 帰れないままで此処に居るしかないの?
 此処で暮らしていくしかないの…?
「いずれは元に戻るのでは、と思いますが…」
 でないと私も困りますし。
 私の大切なソルジャー・ブルーが行方不明のままですからね。
「うん…」
 そうだよね、と頷いた所でブルーはハッタと閃いた。
 此処に居るハーレイはソルジャー・ブルーと恋人同士。出会った時にもバスルームから出て来たばかりの所で、ブルーにシャワーを勧めたくらい。
 ソルジャー・ブルーと愛を交わすことが日常の一部であるハーレイ。
 このハーレイなら、今の自分の恋人のように冷たくあしらうことはないかもしれない。



(…ひょっとして、このハーレイだったら…!)
 自分の夢が叶うかもしれない、とブルーは仕事中のハーレイに近づいて袖を引っ張った。
「どうなさいました?」
 振り返ったハーレイに向かって微笑む。
「キスしてもいいよ?」
 ねえ、と口付けを強請ってみたのに、「いえ、それは…」と言葉を濁された。
「なんで?」
 遠慮なんかはしなくていいよ、と首に腕を回せば「いいえ」と軽く振りほどかれて。
「そういったことは、未来の私が駄目だと止めているのでしょう?」
「えっ…」
 何故、知れたのか。
 見抜かれたのか、と目を丸くするブルーに答えが返った。
「サイオンの扱いは不器用なのだと仰ったのは御自分ですよ?」
 あなたのお考えは私に筒抜けです。
 私ならば、とお思いになっておられたでしょう?
 生憎ですが、私も未来の私と同意見ですね。
 そのお姿に見合った中身の恋人でいて頂かないと。
 背伸びしてキスをして頂くより、子供らしくと思いますよ。



(…このハーレイでもダメなんだ…)
 ブルーはガックリと肩を落とした。
 せっかく青の間に来たというのに、コソコソとベッドに隠れるだけ。ソルジャー・ブルーと恋人同士の時を過ごしているハーレイは自分を恋人扱いしてくれない。
(何もいいこと無いんだけれど…)
 つまらないよ、と思った途端に「そうですか?」と問われたから。
「今のも筒抜け!?」
「いいえ。お顔を見ていれば分かりますよ」
 でも、良かった。
 こんな時でも不平不満を仰れるほどに、平和な所に行かれたのだ、と分かりますから。
(そっか…)
 そうだったよね、とブルーはハーレイの言葉を噛み締めた。
 前の生なら有り得なかった不満。
 ハーレイと二人きりで過ごしていられる、それだけで充分に幸せだった。
 つまらないとは思わなかったし、いいことが無いとも思わなかった。
 平和な日々に慣れてしまって、知らない間にすっかり我儘になってしまっていた。
 もっと、もっとと贅沢を願う、欲張りな自分が出来上がっていた…。



「ねえ、ハーレイ…。ぼくって、我儘?」
 呆れられてしまっただろうか、とブルーは心配したのだけれど。ハーレイは「いいえ」と優しい笑みを返した。
「平和で穏やかな暮らしをなさっていらっしゃるなら、それが普通ですよ、きっと」
 そういったものだと思いますよ。
 残念なことに、私は覚えていませんが…。成人検査よりも前の子供時代は、私だって我儘を沢山言っては周りを困らせていたのでしょうね。
「…そうなのかな?」
「ええ。…そして我儘を仰るあなたも、可愛らしくて大好きですよ」
 そんなあなたをずっと見ていたいとも思うのですが…。
 幸せに育ってこられたあなたが今よりも大きくなられた姿も見たいのですが…。
 いつまでも平和が続いてくれれば、こうして青の間に隠しておいて。
「うん…」
 ブルーにはハーレイの気持ちが良く分かった。
 自分の恋人であるハーレイの気持ちと似ていたから。「ゆっくり育てよ」と、「今度はゆっくり幸せに育てよ」と言い聞かせるハーレイの心と良く似ていたから。でも…。
「でも、ハーレイ…。ぼく……」
 帰りたいよ、パパとママの所に。ハーレイの所に。
 ねえ、どうすれば帰れると思う?
「…分かりません…」
 どうやって時を超えて来られたのかも分かりませんし…。
 私に何かお手伝いが出来ればいいのですが…。



 余裕のある時にデータベースを探してみましょう、とハーレイが提案した時。
 青の間に警報が鳴り響いた。人類側の船の接近を知らせる警報。
 ハーレイは濃い緑色のマントを翻してスロープを駆け下りて行った。走りながらブルーの方へと振り向き、大きな声で叫ぶ。
「ブルー、私はブリッジに…!」
「ぼくは?」
「此処に隠れていて下さい!」
 あなたが出なければならない状況にはさせませんから!
 いいですね、ブルー!



 此処を出ないで、という言葉を残してハーレイが走り去った後。
 青の間に独りきりになったブルーは、まだ響いている警報の音に耳を凝らした。生まれ変わった自分だけれども、覚えている。この警報の鳴り方は尋常ではない。接近しつつある船は民間の輸送船や客船ではなく、人類軍の船。警備艇か、あるいは戦闘機か。
 雲海に隠れ、ステルスデバイスに守られたシャングリラは見付からないとは思うけれども。
(…まだ鳴ってる…)
 もしかしたら発見されたかもしれない。照準を合わされているかもしれない。
 サイオンキャノンで対処できるのか、それでは防げないレベルなのか。
 前の自分なら、そんな時には出てゆけた。人類軍の攻撃くらいは何でもなかった。けれども今の自分は違う。何一つとして出来はしないし、ろくに思念も紡げないレベル。
(…でも…)
 守らなくてはいけないのかもしれない。
 此処で自分が守らなかったら、シャングリラの未来は無いのかもしれない。
 シャングリラの未来も、そのずっと先の自分が生まれ変わって生きている地球も。



(…ぼく一人しかいないんだ…)
 戦える者はたった一人だけ。
 ハーレイの未来を守りたいなら。
 消えてしまったソルジャー・ブルーの未来を守りたいのなら。
(…メギドまでなら頑張れる筈だよ)
 前の自分はメギドまで行った。そこまでの未来はきっとある筈。
(だけど…)
 飛ぶことが出来ない、飛べない自分。
 瞬間移動もシールドも出来ず、攻撃力すら無い自分。
 どうやって人類軍の船から白い鯨を守ればいいのか、守り通すことが出来るのか。
 そんな力を持ってはいない。持っていたら青の間に隠れてはいない。
 けれど…。



 未だに止まない警報の音。人類軍の船が視認出来そうな距離にまで近付いている。
 サイオンキャノンでは落とせなかったか、落としても次がやって来るのか。もうハーレイの指揮だけで対処出来る段階は過ぎているだろう。ソルジャーにしか収拾不可能な事態。
 なのにソルジャー・ブルーは居なくて、代わりに自分。
 空も飛べない、攻撃力も無い自分に何が出来るというのだろう?
 でも…。
(だけど、やるしか…!)
 パジャマの上に着ているブカブカの上着。
 引き摺るのが分かっているマント。
 ブーツも手袋も、今のブルーには大きすぎるに決まっているのだけれど。
(でも、ソルジャーはぼくしかいないよ…)
 何とかしてシャングリラを守ってみせる。ハーレイの未来を守ってみせる。
 そしてハーレイと一緒に暮らす。
 遠い未来で、青い地球の上に生まれ変わってハーレイと一緒に…。
(…メギドまでは行ける筈なんだよ…!)
 そこまで頑張って守らなくっちゃ、と、エイッとブカブカの上着を脱いだ。
 大きすぎるサイズのアンダーを掴み、着替えようとパジャマのボタンに手を掛けた所で。



(目覚まし…?)
 ふわりと意識が浮上する感覚。遠ざかってゆく警報の音。
 ソルジャーの服が、白いシャングリラが、青の間が消えたと思う間もなく、開いた瞼。
 天蓋の代わりに見慣れた天井。ベッドを囲んだカーテンの代わりに勉強机やクローゼット。朝の光が射し込むカーテンの隙間。ベッドではなくて窓を覆ったカーテン。
(…ぼくの部屋だ…)
 ぼくの部屋だ、と涙が零れた。
 滲んだ瞳が捉えた勉強机の上にはフォトフレーム。ハーレイと二人で写した記念写真。つい先刻まで居た敬語しか話さないハーレイとは違う、ブルーを「お前」と呼ぶハーレイ。
(…帰って来たんだ…)
 ハーレイの所に帰って来たんだ、と緊張の糸が一気に緩んだブルーは泣いた。
 あれは夢だと、本当に起こったことではないのだと分かってはいても、夢の世界では何もかもが真実だったから。
 戦える者は自分だけだと、メギドに行くまで頑張らねばと覚悟を決めた自分が居たから。
(ぼくの部屋に帰って来たんだよ…)
 パパとママの居る家に、ハーレイと暮らしている町に。
 帰って来たんだ、とブルーは泣き続けた。母が「遅刻するわよ」と扉をノックするまで…。



 母に起こされて、顔を洗って。
 幸い、目が赤くなるほどには泣かなかったらしくて、腫れてもいない。ほんの五分か、長くても十分も泣いてはいなかったのだろう、と鏡の向こうの自分を眺めた。
 あれも悪夢と呼ぶのだろうか、と考えながら制服に着替え、階段を下りてゆけばダイニングから漂うトーストの匂い。其処へ入ると…。
(…スクランブルエッグ…)
 夢の中でハーレイと食べていたっけ、と思い出した卵料理だけれども、決定的に違う光景。
 「早く食べなさいよ?」と微笑む母と、「今日は寝坊か?」と笑っている父。それに…。
(うん、ハーレイのお母さんのマーマレードだ!)
 テーブルに置かれたマーマレードの大きな瓶。父と母もお気に入りの夏ミカンのマーマレードは隣町に住むハーレイの母の手作りだった。庭に大きな夏ミカンの木がある家でハーレイの母が沢山作って、あちこちに配ると聞いている。
 いつかハーレイと結婚するブルーのために、とハーレイの両親が贈ってくれたのが最初。以来、瓶が空になる前にハーレイが新しい瓶を届けてくれる。テーブルの上で輝く金色。
(ちゃんと本物のハーレイが居てくれる世界なんだよ)
 マーマレードがちゃんとあるもの、とブルーは焼き立てのトーストにたっぷりと塗った。
 今日はハーレイの授業は無い日だけれども、不満を言ってはならないと思う。
 学校に行けばハーレイが居るし、夢のハーレイが言っていたように平和な世界に来たのだから。
(…ビックリしたけど、懐かしかったな)
 敬語のハーレイ、と笑みを浮かべたブルーに父が「いい夢を見たのか?」と訊いてくるから。
 ブルーは笑顔で「うん」と答えた。
 とても幸せになれる夢を見たのだと、今は幸せな気持ちで一杯なのだと…。




         青の間の夢・了

※今のブルーが夢に見てしまった、子供の自分の青の間での体験。サイオンも使えない子供。
 怖い思いもしたのですけど、目が覚めてみたら幸せな今。これもいい夢の内でしょう。
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 学校から帰ってみたら、おやつにと買ってあったドーナツ。ママが作ってくれるお菓子も大好きだけれど、たまに買って貰えるドーナツも好き。
(んーと…)
 着替えはとっくに済ませていたから、ダイニングのテーブルに置かれた箱をいそいそと開けた。何が入っているのかな、と覗き込んだら種類は色々。
(どれにしようかな?)
 クリームが入っているのも美味しそうだし、チョコレートがかかったのにも心を惹かれる。
 だけど、一度に沢山は食べられない、ぼく。ドーナツを幾つも食べてしまったら夕食が入らないことは明らか。
(一個だけだよね…)
 その一個をどれにするかで悩むのが恒例だけども、いきなり「これだ!」と閃いた一個。
 ごくごく普通のプレーンなドーナツ、チョコレートもクリームもついていない上に、平凡な形。それでも「これ!」と思ってしまった。
(うん、シャングリラのドーナツなんだよ)
 懐かしいな、と箱から出してお皿に乗っけた。ホットココアも用意して、椅子へと座る。ママはキッチンで何かしているから、一人でゆっくり。思い出に浸るには丁度いい時間。
(そう、この味!)
 ドーナツを齧ったら笑みが零れた。
 前のぼくも同じ味のを食べていたっけと、こんなドーナツだったっけ、と。



 遥かな昔にソルジャー・ブルーだった、ぼく。
 今では伝説の英雄だけれど、その英雄がドーナツだなんて、と誰も信じてくれそうにないけど。でも本当に食べていたんだし、好きでもあった。何の飾りも無いドーナツが。
(そんなことまで歴史に残ってないものね)
 シャングリラの食堂で作っていた食事のメニューやレシピも残ってないんじゃないかな、もしも残ってたら本が出されていそうだもの。シャングリラは最高に有名な宇宙船だし、遊園地に行けばシャングリラの形の遊具が人気。そのシャングリラのレシピ本なら、絶対に売れる。
(レシピのあちこちに「合成のものが無ければ天然のもので構いません」って注意書きが書かれていたって売れるよ)
 ソルジャー・ブルーが、ソルジャー・シンが食べていたものを食べたい人は多いだろう。それが豪華なものでなくても、ある種の憧れ。
(レストランとかの企画で再現したなら、人気が出そう…)
 行列が出来たり、予約で埋まってしまったり。そう考えたら可笑しくなった。
(前のぼくは夢にも思わなかったよ、シャングリラの料理が人気メニューになるかもなんて)
 ぼくが食べてるドーナツだって、「ソルジャー・ブルーのお気に入りだった」って発表されたら飛ぶように売れてゆくかもしれない。
 平凡なプレーンの、「他のドーナツを買ったついでに」買われるであろう素朴なドーナツ。
 ソルジャー・ブルーがシャングリラで食べていた、おやつのドーナツ…。



 リングの形に纏めた生地を揚げただけのドーナツは、白いシャングリラでは子供たちのおやつの定番だった。シンプルだけれど飽きが来ないし、材料だって揃えやすいから。
 それに子供たちの服だって汚れたりしない。ドーナツの欠片が零れて落ちても、手でパンパンと軽くはたけばおしまい。ジャムや溶けたチョコレートみたいに染みにはならない。
 そういった理由でドーナツは定番、子供たちにも人気のお菓子。お行儀よくフォークで切ったりしなくてもガブリと齧れて、手に持ったままで公園にだって出掛けてゆけた。
(…基本は子供たちのための部屋で食べる、って決まりだったけどね)
 前のぼくがドーナツを食べていた場所も、子供たちが集まるための部屋。
 ぼくは最高齢な上にソルジャーだったけれど、保育部や養育部の食堂でよく食べた。子供たちの遊び相手をするのが前のぼくの仕事だったから。
 ソルジャーの力が必要な場面はシャングリラの中では滅多に無くって、前のぼくには仕事が無い日が多すぎた。青の間でのんびりしてては気が咎めるから、あちこち手伝いに出掛けてみたけど。
 機関部に行けば案内係がついてしまって、仕事の邪魔にしかならなかった。農園も同じ。
 掃除でもしようかと考えたけれど、これまた「とんでもありません!」と断られた。ぼく専用の青の間でさえも、「自分でやるよ」と何度言っても掃除係がやって来る始末。
 厨房なんかは行ったら試食係どころか特別メニューが出て来そうだから、此処も論外。
 何か仕事は無いのだろうか、と考えた末に辿り着いた場所が保育部と養育部だった。子供たちはソルジャーが遊び相手でも恐縮したりはしないし、却って喜ぶ。係のクルーは空き時間が出来る。その時間を他の仕事に回せる。
 思わぬ所で見付かった仕事。前のぼくが見付けたピッタリの仕事。
 出掛けて行ったらおやつも出るから、子供たちと一緒に和やかに食べた。其処で何度も出て来たドーナツ。子供たちが好きなだけ食べられるように、と人数分よりも多いドーナツ。



 揚げ立てのドーナツを子供たちと食べて、また遊んで。
 時々、余ったドーナツを包んで貰って持って帰った。「青の間で食べるよ」と笑顔で言って。
 ぼくにドーナツをくれたクルーたちは、ぼくの夜食かおやつだと信じていただろうけど、真相は少し違っていた。前のぼくも食べていたんだけれども、もう一人。
(誰も気付いていなかったよ、うん)
 実はハーレイに御馳走していた。キャプテンの仕事を終えてから青の間を訪ねるハーレイに。
 もちろん、訪ねて来るだけじゃない。ぼくのベッドに泊まってゆく、大切な大切なぼくの恋人。
 そのハーレイに「今日はドーナツを貰って来たよ」と、お皿に乗っけて差し出した。
 ドーナツは大人にも人気のおやつで、食堂に行けば食べられたのに行かなかった前のハーレイ。「私にドーナツは似合いませんから」と、気にして行かなかったから。
 エラもブラウも、それにゼルだって食べに出掛けていたのに、大きな身体には似合わないからと言って、食べないドーナツ。
 決してドーナツを食べないハーレイ。それを知っていたから、青の間でドーナツ。
 揚げ立ての美味しさはもう無かったけど、「ほら」とドーナツを渡していた。



 「似合わないから」と食堂では食べなかったくせに、ハーレイが大好きだったドーナツ。
 「ドーナツがあるよ」と差し出せば顔が綻んでいた。子供みたいな笑顔になった。
 ドーナツは美味しかったから。
 冷めてしまっても優しくて甘い、パンとは違った膨らんだお菓子。
 前のぼくもハーレイも、ドーナツがとても好きだった。他のお菓子とは比べられない、不思議な味わい。ドーナツでなくちゃ、と舌が、心が喜ぶドーナツ。
 幸せな思い出が山ほど詰まっている気がした。
 どうしても思い出せなかったけれど、ぼくにもハーレイにも無理だったけれど。
 アルタミラで機械に奪われた記憶は取り戻せなくて、幸せな思い出は行方不明になったまま。
 それでも幸せの正体の見当はついた。前のぼくたちを育ててくれていた、血が繋がってはいない養父母。優しかっただろう、顔も姿も忘れてしまったパパとママ。
 そのパパやママに買って貰って食べていたとか、一緒にドーナツを齧っていたとか。そういった記憶だったんだろう、とドーナツを食べる度に思った。
 ハーレイと二人、「美味しいね」と冷めたドーナツに齧り付きながら。



 どんな思い出があったんだろうね、とハーレイと語り合ったりもした。
 幸せの味がするドーナツ。舌が、心が喜ぶドーナツ。
「あなたは駄々をこねていそうですね。あのドーナツを買って欲しいと」
 店の前とか、ショーケースを覗き込みながらとか。
 買ってくれるまで動かないよ、と膨れる姿が目に浮かびそうです。
 ハーレイがそんなことを言うから、「そう見えるかい?」と尋ねてみたら。
「ええ。あなたはとても我儘な子供だったという気がしますよ、そういう点では」
 普段は両親の言いつけを守る良い子で、とても大人しい子なのでしょうが。
 我儘も言ったりしないのでしょうが、他の人が聞いたら笑い出しそうなつまらない何か。
 ドーナツが欲しいとか、あのキャンディーが食べたいだとか。
 そんな小さな、ささやかな何か。
 そういったことで駄々をこねては、望みを叶えて嬉しそうだっただろうと思うんですよ。
「…そうなのかな?」
「どうでしょう?」
 こればっかりは分かりませんね、とハーレイは笑っていたんだけれど…。



 前のハーレイのカンは当たっていたかもしれない。
 好き嫌いの無いぼくだけれども、買って欲しいとパパやママに強請ることはあるから。
 今では「この頃、ドーナツ、食べていないよ」といった風に遠回しに強請ってみたりするけど、小さい頃にはそうじゃなかった。
 欲しいと思ったら「買って来てよ」と注文してたし、街へ出掛けた時にも強請った。ドーナツを売っているから買ってと、あのドーナツが欲しいのだと。
 ドーナツに限らず、他のものでも「買って」と駄々をこねていた。
 ママが「晩御飯を食べられなくなってしまうわよ?」と困った顔をしたって、欲しいと思ったら足を踏ん張って動こうとしなかったクレープの屋台や、アイスクリーム。
 パパが「お前じゃ食べ切れないぞ?」と止めても「欲しい!」と叫んで買って貰った、目の前で焼き上がるトウモロコシ。
(…トウモロコシは半分も食べられなくって挫折してたんだよ)
 残りはパパに食べて貰って、それでも夕食が入らなかった失敗が何度あっただろう。クレープやアイスクリームも同じで、ドーナツでも何度も失敗をした。
 懲りずに駄々をこねていた、ぼく。小さかった頃の、ぼくの我儘。
(今はあそこまでやってはいないよ)
 シャングリラの写真集をパパに強請ったけれども、「買って」と駄々をこねてはいない。
 パパが「しょうがないな」と呆れ顔をするまで、ソファの前で踏ん張っていたわけじゃない。
 前のぼくには敵わないけれど、今のぼくも我慢を覚えたから。
 駄々をこねずに「お願い」することとかも、ちゃんと覚えた子供だから…。



(…ふふっ、ドーナツ…)
 懐かしい記憶を拾い上げたな、って考えながら美味しく食べた。幸せの味がするドーナツ。前のぼくが大好きだったドーナツ。
 そうしたら、仕事帰りのハーレイがぼくの家に寄ってくれたから。
 夕食の後のお茶をぼくの部屋で飲みながら、ドーナツの話をすることにした。
「ねえ、ハーレイ。前のハーレイのカンって当たっていたね」
「何の話だ?」
 怪訝そうな顔をするハーレイに「おやつ」と答えた。
「今日のおやつ、ドーナツだったんだよ」
「…それで?」
「ずうっと昔にハーレイが言ったよ、ぼくはドーナツで駄々をこねそうだ、って」
 今のぼくじゃなくって、前のぼく。
 ドーナツが欲しいとお店の前とかで駄々をこねる姿が見えるようだ、って。
「思い出したのか? その頃のことを?」
 ハーレイの目が丸くなったから、「ううん」と首を横に振る。
 残念だけれど、前のぼくが生きてた間にも戻らなかった記憶は永遠に戻っては来ないだろう。
「今のぼくだよ、前のぼくの記憶までは無理」
「…ということは…。駄々をこねたのか、お前」
 ドーナツが欲しいと強請って、店の前で足を踏ん張ったのか?
 買ってくれるまで動かないからと、お母さんたちを困らせてたのか?
「うん…。ドーナツだとか、他にも色々…」
 クレープもアイスクリームもママに強請ったし、パパにだって…。
 うんと駄々をこねて買って貰ったけど、食べ切れないとか、後で御飯が入らないとか。
 何度も何度も失敗したのに、懲りないで駄々をこねてたよ。
 前のハーレイが言ったとおりに、ぼく、我儘な子供だったよ…。



「ふむ…」
 前の俺のカンが当たっていたか、とハーレイは腕組みをして頷いたけれど。
「まあ、あれだ。我儘を言えて、駄々を何度もこねられた、っていうことは、だ」
 お父さんたちに可愛がられている証拠だな。
 可愛い一人息子が駄々をこねるから、結果がどうなるか見えていたって許してくれる。
 食べ切れないのも、飯が入らなくなってしまうのも、可愛いから許してくれたのさ。
「うん。…そうでなきゃ、ダメって叱られて終わりになっちゃうものね」
 パパもママも困った顔はしたけど、怒らなかったよ。
 「しょうがないな」とか「仕方ないわね」とか。
 いつだってちゃんと買ってくれたよ、ぼくが欲しかったドーナツやお菓子。
 それでね…。
「ぼく、もしかして、って思ったんだ。前のぼくもそうやっていたんだろうか、って」
 仕方ないわね、って許して貰ってドーナツを食べていたのかな?
 そういう幸せが詰まってたのかな、可愛がって貰ったんだっていう記憶。
「そりゃそうだろう。前のお前も今と同じに可愛がられて育ったんだ」
「…そう思う?」
「当たり前だ。こんな可愛い子供がいればな、可愛がらずにはいられないさ」
 十四歳のお前でもこうだ、もっと小さければ可愛かったに決まってる。
 前のお前の養父母たちは十四歳を迎えるまでのお前しか知らんが、きっと可愛い子だった筈だ。
 自慢の可愛い息子だったさ、血が繋がってはいなくてもな。



「でも…。目と髪の色が全然違うよ?」
 違うよ、とぼくは自分の頭を指差した。
 前のぼくが成人検査を受ける前には、髪の毛の色は金色だった。ジョミーみたいに輝くような金ではなかったけれども、銀色じゃない。何処から見たって金色の髪。
 それに青かった瞳の色。前のぼくの名前は瞳の色から名付けたのかな、と何度も思った。記憶は戻って来なかったけれど、青い瞳だから「ブルー」なのかと。
 今のぼくとは色が違った、前のぼく。
 色がすっかり違っていたって、可愛いと思ってくれたんだろうか?
「目と髪の色か…。確かに印象は変わってくるかもしれんがな…」
 だが、そいつはうんと些細なことだ。
 お前という中身の方が大事で、可愛がられたのは中身の方だ。
 姿も全部ひっくるめて可愛がるのが親ってヤツだし、前のお前の姿も可愛いと思っただろうな。
 こんな可愛い子供はいないと、自分たちの子供が一番なんだと。
 いいか、冷静に考えてみろよ?
 可愛いだなんて言えそうもないガキだった今の俺だが、親父たちは可愛がってくれたんだ。
 見た目なんかは関係ないんだ、そう思わないか?
「そっか…。前のハーレイのお父さんたちも、きっとそうだね」
「そうだったんだろうな、ドーナツも買ってくれたんだろう」
 欲しいんだったら仕方ないな、と前の俺の親父は笑っただろうな。
 おふくろも「仕方ないわね」と笑って買ってくれてただろう。
 …生憎と忘れちまったが…。
 思い出したくても、幸せの味のドーナツだとしか感じられなくなっちまったがな…。



 おふくろも親父もデータだけしか無いんだよな、とハーレイは寂しそうだった。
 アルテメシアを落とした時に、テラズ・ナンバー・ファイブから引き出した膨大なデータ。その中には前のぼくたちの養父母の写真もあった。育った家の記録もあった。
 ぼくも今のハーレイに記憶を見せて貰ったから、前のパパとママの写真は知ってる。でも、写真だけ。動く姿も声も無いから、パパとママだと実感出来ない。
 その点はハーレイもまるで同じで、消された記憶は戻らないから、知らない人の写真を見るのと変わらない。
 前のぼくもハーレイも、パパとママとを奪われた。機械にすっかり消されてしまった。
 残ったものは舌が、身体が忘れなかったドーナツの味の記憶だけ。
 幸せがたっぷり詰まっていたんだと、舌が覚えていた記憶だけ…。



 ちょっぴり悲しくなったけれども、ぼくはぼく。
 今のぼくにはパパとママがいて、ハーレイにもお父さんとお母さんがいる。
 十四歳の誕生日を迎えた後にも別れなくてよくて、おまけに本物のパパとママ。前と違って血が繋がったパパとママとで、我儘だって聞いてくれるから。
 駄々をこねたって許してくれてたパパとママだから、ハーレイにも訊いてみることにした。
「ねえ、ハーレイ。…今のハーレイも、ドーナツ、強請った?」
「ドーナツだけじゃない、お前と同じだ」
 もっとも、クレープだのアイスクリームだのって菓子よりも主に食い物だったが。
 ホットドッグとか、ハンバーガーだとか。
 ハンバーガーは大人でも食い切れないようなサイズのを強請って失敗してたな、俺の場合は。
「…それって、とってもハーレイらしいね…」
「この身体だしな?」
 あれこれ強請って失敗した分も、栄養はキッチリ摂れてたようだ。
 食った分だけ大きく育って、今の俺が此処に居るってわけだ。
 もしかしたら前の俺ってヤツもだ、食い物の方が主だったかもしれないなあ…。
 食い物を目指して突っ走る前の小さかった頃がドーナツとかな。



「ふふっ、そうかもしれないね」
 ハーレイだったらありそうだな、って思ってしまった。
 うんと小さくてヨチヨチ歩きの頃がドーナツで、学校に行くような年になったら食べ物専門。
 それでもドーナツは強請ってたよね、と考える。
 幸せの記憶をたっぷりと中に詰め込むためには、何度も食べなきゃいけないから。
 そのドーナツは今のハーレイにとってはどうなんだろう、と浮かんだ疑問。
 前と同じで好きなんだろうか、それとも普通のおやつだろうか?
 訊いてみなくちゃ、とぶつけてみた。
「ハーレイ、今でもドーナツは好き?」
「もちろんだ。ガキの頃の幸せな記憶ってヤツだな、たまに無性に食いたくなる」
 そして今度は堂々と食える。
 前の俺みたいに、お前が取っておいてくれたドーナツをコッソリ食わなくてもな。
「…なんで?」
「クラブのガキどもの御相伴だ」
 運動すると腹が減るからな。
 学校でドーナツを食うようなことは滅多に無いが、だ。
 他所へ出掛けて行った時にはよく食ってるなあ、その辺の店でドカンと買ってな。
「ああ…!」
「代金が俺の財布から出て行くことも多いんだがなあ、楽しいもんだな」
 堂々とドーナツを食えるってのは。
 前の俺がどうやって食っていたのかを思い出したら、楽しさも更に増すってもんだ。



「…前のハーレイも堂々と食べれば良かったのに…」
 食堂で食べたら揚げ立てなんだよ?
 揚げ立てはやっぱり美味しかったよ、保育部とかにも揚げ立てのドーナツが届いてたもの。
「前のお前の場合と違って、ガキが一緒にくっついていない。無理がありすぎだ」
 俺が保育部だの養育部だのに出掛けていたなら、食えたんだろうが…。
 ドーナツ目当てで出掛けられるか、そいつも相当みっともないぞ。
「大丈夫だったと思うけどなあ、ハーレイが食堂で食べていたって」
 誰も笑ったりしなかったと思うよ、似合わなくても。
 みんなドーナツが好きだったんだから、幸せの味がしたんだよ。
 それを食べたくて来ているんだ、って分かるから誰も笑いはしないよ。
「…そうだったのかもしれないが…」
 そうかもしれんが、俺は前のお前と一緒に二人で食うのが良かった。
 青の間でコッソリとドーナツを食って、幸せの味を噛み締めるのが良かったな…。
「ホント?」
「いたたまれない気持ちで食うより、断然、そっちだ」
 前のお前の笑顔もつくしな、幸せの味のドーナツにはな。
 二人で食うから美味さが増すんだ、幸せの味もググンとな。



「そっか、そういうものなんだ…」
 ハーレイがそれで良かったと言うなら、青の間でコッソリはいいんだけれど。
 こっそりドーナツの方はいいんだけれども、今度はドーナツ、どうするんだろう?
「ねえ、ハーレイ。…今度もドーナツ、ぼくと一緒に食べるんだよね?」
 何処で食べるの?
 買ってきて家でコッソリ食べるの、ぼくと食べる時にはクラブの生徒は一緒じゃないよ?
「ふむ…。いっそ店に出掛けて堂々と食うか?」
 店で食うための席もあるだろ、あそこで食ったら揚げ立てが食える。
 飲み物なんかも買ってのんびりするんだ、腹具合を見ながらドーナツ追加で。
「ふふっ、二人でドーナツでデート?」
「ああ。ついでにテイクアウトもしてな」
 持って帰って家でゆっくり食おうじゃないか。
 青の間で食ってたドーナツの思い出を語り合ってだ、コッソリじゃなくて堂々とな。
 お前の家の庭にある、テーブルと椅子。
 ああいった場所で食べるのもいいし、庭が見える窓際に座るのもいい。
 今度は誰に見られていたって、俺たちは二人一緒に居るのが当たり前の仲になるんだからな。



 いつか一緒にドーナツを食おう、ってハーレイは笑顔で約束をして帰って行った。
 ドーナツを売ってるお店に二人で出掛けて、お店のテーブルで揚げ立てのドーナツ。手を繋いで出掛けて、二人でドーナツ。
 もう入らない、ってくらいに食べたらテイクアウトのドーナツを買う。
 二人で箱を提げて帰って、家でのんびりドーナツを食べる。
 幸せの味がたっぷり詰まったプレーンを沢山、沢山買うのもいい。美味しそうなドーナツを色々選んで詰め合わせて貰って帰るのもいい。
(だけど一番はプレーンだよね、きっと)
 シャングリラで食べていたドーナツ。
 幸せの味だと、思い出せないけど幸せが詰まったドーナツなのだと噛み締めた味。
 あのドーナツがきっと一番、一生忘れられない幸せの味のドーナツだと思う。
(でも…。ハーレイと一緒に食べるようになったら、幸せのドーナツも増えるかな?)
 お店に行った時の幸せ気分を反映するとか、思い出のドーナツが出来るとか。
 初めて二人で出掛ける時に一個しか買わないだなんて有り得ないから、その時の分は全部記念のドーナツになる。初めて買った記念のドーナツ。
(…うん、その時に買って食べた分は思い出のドーナツだよ)
 どれを買おうか迷って、買って。思い出のドーナツがプレーンの他にも幾つか増える。
(きっと他にもまだまだ増えるよ)
 絶対増える、と確信した。
 今度はうんと幸せな気分が増えそうなドーナツ。
 ハーレイが来てくれる時のおやつに、ママはドーナツを買ってはこないから…。
 思い出のドーナツを増やしてゆくのは、結婚した後のお楽しみ。
 それともママに頼んでみようか、一度ドーナツを買ってほしい、と。
 買って貰うなら、プレーンは絶対。
 それが幸せのドーナツの始まりだもの…。




          ドーナツ・了

※前のハーレイとブルーの気に入りのおやつだった、ドーナツ。記憶を失くしてしまっても。
 きっと幸せな思い出があった筈のドーナツ、今度も幸せの味になるのでしょうね。
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