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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

 夏休み真っ只中の八月の初め。ブルーはハーレイが訪ねて来られない日に一人でバスに乗り、町の中心部にある百貨店へ出掛けた。目指すは文房具を売っているフロア。其処でハーレイの誕生日プレゼントを買うつもりだった。
 ハーレイが前の生で愛用していた羽根ペン。予算はうんと奮発してブルーのお小遣い一ヶ月分。
 前世でハーレイが書いた航宙日誌は今や超一級の歴史資料となり、様々な形で出版されている。中でもとびきり高価なものがハーレイの筆跡をそっくりそのまま再現してある研究者向けの書籍。大人でも気軽に買える値段ではないが、データベースでなら同じ内容のものを無料で読めた。
 ハーレイによると、活字になった航宙日誌は「ただの日誌」だが、当時の筆跡を留めたものならそれを書いた時の自分の心境が鮮やかに蘇るらしい。キャプテン・ハーレイであったハーレイだけしか真の意味が読めないタイムカプセルのような航宙日誌。
 羽根ペンでそれを綴っていたから、今の生でも羽根ペンを持って欲しかった。
 ハーレイは「最近、欲しいような気もしてきたんだ」とは言ったけれども、使いこなせる自信が無いから買わないという。ならば自分がプレゼントしようと決心したのに。



(……高すぎるなんて……)
 勇んで買いに行った羽根ペンはブルーが買うには高価すぎた。もちろん貯金を使えば買えるが、そこまで背伸びして贈ったところでハーレイは手放しで喜んではくれないだろう。子供には高価に過ぎる羽根ペン。ブルーのお小遣いが減ったのでは、と心配されるのが目に見えていた。
(でも…。ぼくはハーレイに羽根ペンをあげたいのに…)
 他のプレゼントなど思い付かない。航宙日誌に纏わる話を聞いた時から「特別な」羽根ペン。
 再会してから初めてのハーレイの誕生日だからこそ、前の生での記憶を今なお留める航宙日誌を書いた羽根ペンに似た羽根ペンを探して贈りたかったのに…。
 百貨店には予算分のお金しか持って行かなかったから、諦めて帰宅するしかなかった。そうして家には戻ったものの、どうしても羽根ペンが諦め切れない。
(…他の物なんて思い付かないよ…)
 羽根ペンを買うのだと決めていただけに、買えなかったショックは大きかった。ハーレイは今の生でも日々の出来事を簡単に綴っていると聞いたし、それを思い出深い羽根ペンで書けるようにと考えて決めたプレゼントなのに…。
 潔く諦めて別の物にするか、貯金を使って羽根ペンを買うか。
(羽根ペンがあんなに高いなんて知らなかったもの…)
 ハーレイに羽根ペンを贈りたい気持ちは変わらない。贈りたいのに、子供が買うには高すぎる。
(…羽根ペンを買おうって決めていたのに…)
 どうすればいいのか、ブルー自身にも分からなかった。自分の意志を貫いて買うか、ハーレイの気持ちを考えて子供らしい品物に変更するか。いくら考えても答えは出なくて、次の日が来て…。



「ブルー、おはよう」
 訪ねて来てくれたハーレイをブルーは笑顔で迎えた。庭で一番大きな木の下にあるお気に入りの場所、白いテーブルと椅子でお茶にし、それほど暑くはならなかったから昼食も其処で。
 昼過ぎになると流石に暑さが増してきたため、二階のブルーの部屋へと移った。それまでの間も自分の部屋に移動した後も、元気に振舞っていたブルーだけれど。
 ハーレイと向き合っていると昨日買いそびれた羽根ペンのことが頭を掠める。ハーレイには羽根ペンが良く似合うのに、と思う度に気分が少し落ち込む。
 ブルー自身は上手く隠したつもりだったが、ハーレイにはすっかり見抜かれていた。とはいえ、ハーレイも原因が羽根ペンだとまでは分からない。
(…ブルーに何があったんだか…)
 それとなく探りを入れてみても判然としなかった。あくまで普通に振舞うブルー。
(夏休みの宿題で行き詰まったか? …いや、こいつに限ってそれだけは無いな)
 友人と喧嘩をしそうにもないし、原因が思い当たらない。しかし明らかに落ち込んでいる。
(うーん…。俺にも言わないとなったら、どうしたもんかな)
 無理に訊き出すにはまだ早い、と教師の勘が告げていた。この状態が何日間も続くようならば、それから訊くのが良さそうだ。
(とりあえず今は気分転換をさせてやるのが一番か。…深刻な悩みでなければそれで消えるさ)
 その気分転換をどうするか、とブルーと向かい合わせでテーブルを挟んで考えてみて。
(そうだ、あれがいい)
 ブルーが喜びそうなこと。それを思い付いたハーレイは「お母さんに用があるから」とブルーに言って階下へ下りた。リビングに居たブルーの母に相談ごとを持ち掛ける。「お手数をおかけしてすみません」と頭を下げたが、彼女は「いいえ、お世話になるのはブルーですもの」と二つ返事で引き受けてくれた。



 ハーレイが二階に戻って、ブルーの母がお茶のおかわりを持って来て。二人でゆっくりと過ごす間に夏の長い日も暮れて来た。夕闇が迫って来る頃、夕食の支度が出来たと呼ばれたのだけれど。
「…あれっ、ママ?」
 先に立って階段を下り、ダイニングの扉を開けたブルーは目を丸くした。父も帰っていて食事の用意が整っているのに、父と母の分しか置かれていない。普段、ハーレイとブルーが座る席の前のテーブルはがらんとしていて何ひとつない。
「…ママ、御飯は?」
 何ごとなのかと訝るブルーに、母が明るい笑顔を返した。
「御飯なら外よ」
「外?」
「ハーレイ先生がね、授業の補足を兼ねて外で夕食にしたいので、って仰ったのよ」
「えっ?」
 それホント? とハーレイを見上げれば「本当だ」と大きな手がブルーの頭に置かれた。
「お母さんにお願いしておいたんだ。セッティングは俺も手伝ったんだが…。ちょっと移動させるだけだとはいえ、お母さんに力仕事は向かんしな」
「力仕事?」
「ああ。俺にとっては力仕事とは言えんレベルだが…。まあ来てみろ」
 ハーレイが玄関を出るのに続いて庭に出たブルーは驚いた。木の下が定位置の筈の白いテーブルと椅子が芝生の真ん中に移動させられている。
「…ハーレイがやったの?」
「もちろんだ。もっとも俺は動かしただけで、その後はお母さんに頼んだんだが…」
 テーブルの上に母がたまに灯しているガラスのランプ。ほのかで柔らかい光の中に夕食の用意。
「…あそこで食べるの?」
「そうさ、たまには課外授業もいいだろう?」
 ちゃんとしっかり勉強しろよ、と笑いながらハーレイはブルーを促してテーブルに着いた。



「…よし、丁度いい頃合いだな」
 上を見てみろ、とハーレイの指が頭上を示して。
「ほら、ブルー。あれが夏の大三角形というヤツだ。アルタイルとベガとデネブだな。アルタイルとベガは俺の授業で教えただろう? 七夕の時に」
「…あっ…!」
 そうだった、とブルーは思い出した。それを習った後、家でハーレイと話をした。もし自分たちが一年に一度しか会えない恋人同士だったら…、という話。
「ハーレイ、天の川でも泳いで渡って来てくれるんだっけね」
「お前との間に天の川が出来てしまったならな。…お前を決して泣かせやしないさ、どんな川でも渡ってみせると言っただろう? たとえ向こう岸が見えなくてもな」
「…外で授業って、これのことなの?」
「立派に七夕の補足だろうが。学校で星は見上げていないぞ、昼間だったからな」
 授業なんだぞ、とハーレイは片目を軽く瞑ってみせた。
「そして本当なら、あの辺りに天の川がある筈なんだが…。流石に此処からはちょっと見えんか」
「ハーレイは天の川、見たことあるの?」
「何回もあるぞ。明かりの少ない郊外へ行けば良く見える。海辺なんかも狙い目だな。いつか俺の車でドライブに行くか、天の川を見に」
 そう言われてブルーの心臓がドキリと跳ねた。羽根ペンが買えなかったことなど綺麗に忘れて、ハーレイの話に夢中になる。この家の庭からは見えない天の川。写真でしか知らない天の川を見にハーレイの車でドライブだなんて、どんなに楽しいことだろう。
「天の川が見える所って、遠い?」
「そうでもないぞ。郊外なら少し走れば着くさ。雄大な天の川を見るなら断然、海だが」
「そっか…。じゃあ、ハーレイが泳ぐなら郊外の天の川がいいね。そっちの方が川幅が狭そう」
「川幅と来たか…。確かに少しでも狭い方が泳いで渡るには好都合だな」
 そして此処なら、とハーレイは天の川が見えない頭上を仰いだ。
「天の川は水が無いようだ。俺は泳がなくても渡れるらしい」
「ふふっ、そうだね。それなら走って渡って欲しいな。少しでも早く会いたいもの」
「おいおい、俺だけが走るのか? 水が無いならお前も歩けばいいだろう」
 早く会いたいのなら歩いて来い、とハーレイが笑う。天の川は自分しか泳ぎ渡れそうもないから泳ぐことにするが、水が無いならブルーも頑張って歩くべきだと。



「いい運動になると思うぞ、なんなら少しは走ってみるか?」
「ハーレイが来てよ、泳ぐのよりはずっと楽だよ」
「こらっ、お前は動かないで待つつもりだな? 運動不足になっても知らんぞ」
「ぼくが歩き疲れて倒れちゃったら、ハーレイも困ると思うんだけど…」
 一年に一度しか会えない場面で寝込むわけにはいかないから、と主張するブルーと、運動不足は身体に悪いと言うハーレイと。
 星空の下での特別授業は妙な所で平行線を辿り、やがて二人して笑い合った。天の川があっても無くても、体力勝負になりそうな距離を越えてゆくにはハーレイの方が適任だと。
「…結局、俺が頑張らないといけないんだな」
「うん。ハーレイの方が丈夫だもの」
「そしてお前は俺を待つ間、のんびりと飯を食うつもりだな?」
「御飯の用意が出来ていたらね」
 今みたいに、とブルーは微笑む。
 ランプの明かりに照らされた夕食はいつもよりもずっと特別に見えた。
 冷たいスープとチキンのハーブ焼き。同じものでも明るい部屋で父や母も一緒の夕食だったら、これほど美味しいと思えただろうか?
 ハーレイと二人きりで食べているから特別なのか、星空の下だから特別なのか。
 そんな疑問を口にしてみたら、「両方だろう」とハーレイが穏やかな笑みを浮かべた。
「これもちょっとしたデートってトコだ。お母さんは授業だと信じているがな」



 ハーレイはブルーに教えてやった。落ち着いた雰囲気を演出するために明かりを抑えてある店もあるのだと。店内の照明をわざと暗くし、テーブルに蝋燭やランプを置いて。
「そういうレストランもあるし、今みたいな季節だと庭にテーブルを置いている店もあるんだぞ。一人で行ってもつまらんだけだが、その内に是非行かんとな」
「つまらないのに?」
 美味しいものでもあるのだろうか、とブルーは思った。ハーレイの好物とか、他では見かけない珍味だとか…。つまらなさを補ってなおあまりある料理が出るのだろう、と考えたのに。
「つまらなくないさ、お前と一緒だからな」
「ぼく?」
 キョトンとするブルーに、ハーレイは「そうだ」と大きく頷いた。
「だが、今じゃないぞ? その内に是非、と言っただろう? いつかお前が大きくなったら連れて行ってやるさ。明かりを抑えた店も、庭にテーブルを出してる店もな」
 そして二人で食事をしよう。
 お前が帰りの時間が遅くなるのを気にしないでいい年になったら。
 そう告げるハーレイの瞳は優しかったが、その奥に熱い焔が宿っていた。
「…ハーレイ、それって…」
 口ごもるブルーに、ハーレイは「気が付いたのか?」と目を細めた。
「いわゆる恋人同士で食事ってヤツだ。正真正銘、デートだな。…お前の帰りが遅くなっても心配されない年になったら、そういう店にも連れてってやる。…嫌か?」
「ううん、嫌じゃない。…早くハーレイと一緒に行きたい。だって…」
 今はこんな所でデートだもの、とブルーは呟く。
 いつもの夕食より特別な気がして嬉しいとはいえ、所詮は自分の家の庭。こんなに素敵な未来の話が出たというのに、ハーレイの膝に座ることさえ出来ないし…。
「仕方ないだろう、お前は子供だ。子供には子供向けのデートコースがあるってことだな」
「……そうなんだけど……」
 残念でたまらないといったブルーの様子に、ハーレイは少しおどけてみせた。
「子供向けのデートをしていたつもりだったが、もっとお子様向けがいいのか? なら、この次は庭でままごと遊びにしよう。本物の飯の代わりに木の葉や泥の団子でな」
「それは嫌だよ! 木の葉っぱなんて食べられないし!」
「そうでもないぞ? きちんと料理すりゃ食える葉もある」
 桜餅の葉っぱとかだな、と例を出されてブルーは「もうっ!」と頬を膨らませたが、話題は子供向けのデートコースを切っ掛けに逸らされてしまって出発点には戻らなかった。「これも授業の内だしな」などと澄ました顔のハーレイを睨み付けても、「ちゃんと聞けよ」と授業は続いた。



 これは果たして古典の授業の範疇だろうか、と何度も首を傾げてしまった星空の下の課外授業。
 前の生のハーレイはキャプテンだけに様々な知識を持っていたけれど、今のハーレイも負けてはいなかった。
 「この辺りじゃ星座は本来、二十八個だぞ」と大真面目な顔で言われた時には「嘘!」と叫んでしまったものだが、どうやら本当のことらしい。前の生の頃より遙かに古い時代の地球。そこには二十八宿と呼ばれる別の星座があったのだそうだ。
 そうかと思えば「もうすぐ秋だな」などと言う。八月はまだ始まったばかりなのに、八月七日が秋の始まり。立秋という言葉を教えて貰った。ついでに八月は葉月だとも。
 食べられる葉っぱの話からは「春の七草」と「秋の七草」を教わった。春の七草は食べるもの。秋の七草は見て楽しむもの。どうして両方とも食べられるものにしなかったのだろう? 間違えて食べてしまったらどうするの、と訊いたら「そんな馬鹿はお前くらいだ」と真顔で言われた。
 古典の範囲だか、そうでないのか、ブルーには全く見当もつかないハーレイの授業。そういったことを楽しげに話すハーレイを見ていると幸せな気持ちになってくる。
 前の生のハーレイの膨大な知識はシャングリラのために必要だったからこそ覚えたもの。それが無ければ明日の生さえ危うかったもの。
 けれど今のハーレイが身に付けた知識は古典の世界を深く味わうのに欠かせないもので、それは無くても困らないもの。あれば心が豊かになって生の喜びが増してくるもの。
 沢山の知識を持っている点は同じであっても、内容が違うとこうも変わってくるものなのか、とブルーは本当に嬉しくなった。生き残るための知識ではなく、生を楽しむための知識がハーレイの中にぎっしりと詰まっていることが…。
 これが自分たちの今の生。歯を食いしばって生きる代わりに、自由に羽ばたいてゆける生。
 だからハーレイは柔道と水泳だけでも充分なくせに、古典の教師にまでなった。体育の教師でもやっていけるのに、よほど古典が好きなのだろうか。そう尋ねたら、「まあな」と答えが返った。「遠い昔の地球の姿が見えてくるような気がするじゃないか」と。



 星空の下の課外授業と食事が終わると、ハーレイは「また明日な」と手を振って帰って行った。自分の家まで歩く間にも、きっと色々な楽しいことを見付けるのだろう。「大昔の地球じゃ、夏は怪談だったらしいぞ」などと言っていたから、オバケを探しながらの帰り道かもしれない。
「オバケかあ…」
 出来ればあんまり会いたくないな、とブルーは思った。前世の自分だったらともかく、十四歳の子供の自分はオバケを倒せそうにない。今のハーレイなら投げ飛ばして倒せそうなのだけれど。
(…夜遅くなると出るのかな、オバケ)
 いつかハーレイとデートに出掛けて遅くなったら、家まで送って貰わなければ。素敵なデートをして帰る途中でオバケなんかに会ってしまってはたまらない。でも…。
(そうだ、ハーレイと結婚してたら帰りの道も一人じゃないよね)
 ハーレイと二人で住んでいる家に帰ってゆくなら、遅い時間でも大丈夫。オバケが出ようが一人ではないし、それに時間が遅くなっても…。
(ハーレイと一緒に帰るんだから、うんと時間が遅くなっても誰も心配しないんだっけ)
 心配しそうなハーレイはブルーと帰宅時間が一緒。帰ってゆく家も全く同じ。
(…早くハーレイと結婚したいな)
 そして食事に行くんだよ、とハーレイが話してくれたレストランを思い浮かべる。今日のデートよりもずっと素敵な時間を過ごして、美味しいものを食べて、ハーレイと暮らす家に帰って…。
 家に着いたら強く抱き合ってキスを交わして、それから、それから……。



 その夜、ブルーは幸せな気分に満たされたままで眠りに就いた。
 ハーレイと星空の下で食事を始める前まで心を悩ませていた羽根ペンのこともすっかり忘れて、それは幸せだったのだけれど。
 翌朝、目覚めると昨夜の星空の下での素敵なデートを思い出して再び考え始めた。
 幸せな時間を作り出してくれたハーレイのために羽根ペンが欲しい。
 大好きでたまらないハーレイと再会してから初めてのハーレイの誕生日。
 その特別な日に羽根ペンをプレゼントしたい、とブルーの思いはますます募る。
 ハーレイはブルーの「特別」だから。
 前の生から愛し続けて、再び出会えた恋人だから……。




         星空の下で・了


※ハーレイ先生と、星空の下での課外授業。そういう名前のデートですけど。
 こういう優しい時間を過ごせるのも今の地球ならではです。

 聖痕シリーズの書き下ろしショート、本編絡みのも幾つかあります。
 増えても告知はしていませんから、覗いてやって下さいねv
 ←拍手してやろうという方がおられましたらv
 ←書き下ろしショートは、こちらv






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 十四歳の少年として青い地球の上に生まれ変わって来たブルー。前世で恋人だったキャプテン・ハーレイもまた、同じ地球に生まれ変わって三十七歳の学校教師として生きていた。
 そのハーレイがブルーの通う学校へ年度初めに少し遅れて赴任してきて、二人は再会出来たのだけれど。ハーレイは前の生よりも頑丈な身体を持っていたのに、ブルーは弱いままだった。聴力は普通でも虚弱な身体。体調を崩しやすくて、欠席や早退はよくあることで…。
 ブルーが学校を休んだ時には、ハーレイが様子を見に訪ねて来てくれることが多かった。学校の帰りに見舞いに寄って、ブルーの食欲が無かったりすると野菜のスープを作ってくれる。
 何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ素朴なスープ。ハーレイ曰く、「野菜スープのシャングリラ風」。
 それは前世でハーレイがブルーのために何度も作っていたもの。ブルーにとっては懐かしい味のスープで、匂いが鼻腔を擽っただけで食べたい気持ちになってくるもの。



 今日もブルーは朝から体調が優れず、泣く泣く欠席を余儀なくされた。学校に行けばハーレイに会えて、三時間目には彼が受け持つ古典の授業もあったのに。無理をしてでも行きたかったのに、身体がそれを許さなかった。
 丸一日ハーレイの顔を見られないのかとブルーは悲しく、明日は登校出来ますようにと祈りつつ昼間をベッドで過ごした。けれど夕方になっても下がらない微熱。明日も学校に行けそうもない。
(…明日もハーレイに会えないなんて…)
 泣きそうな気分でベッドの中で丸くなっていたら、ハーレイが野菜スープを作りに来てくれた。熱いスープを冷ましながらスプーンでブルーの口に運んで一匙、また一匙。
 そうやって食べさせて貰い、スープの器が空になったら「頑張ったな」と大きな手で頭を撫でて貰えた。その手に甘えて離れようとしないブルーに「明日も作りに来てやるから」と言い聞かせ、「またな」と手を振ってハーレイが帰って行った後。
 明かりを消した部屋で一人になったブルーは、熱で重く感じる身体をベッドに横たえ、遠い過去へと思いを馳せた。



 ハーレイが作って食べさせてくれた素朴なスープ。野菜スープのシャングリラ風。
 あの懐かしくて優しい味のスープにそんな名前がまだ無かった頃。わざわざ「シャングリラ風」などと名付けるまでもなく、白いシャングリラがブルーの世界の全てだった頃。
 何度となくハーレイがスープを作ってくれていた。今の生のように多種多様なスパイスがあったわけもなく、ブイヨンさえも食堂で必要な分だけが作られていた頃。ブルーが寝込んでいるからといって、そうそう特別なメニューを何食分も用意出来るだけの余裕は無かった。
 ハーレイの野菜スープはそんな中で生まれ、ブルーはその味が大好きになった。シャングリラの食堂のクルーや物資に余裕が生まれてブルーのために病人食を作れる時代になっても、ハーレイが作る素朴なスープがブルーの身体には一番合った。
 スープを作り始めた頃には、まだ結ばれてはいなかったハーレイ。恋人同士でさえなかった筈のハーレイだったが、とうにお互い、惹かれ合い、大切な存在なのだと感じ始めていたのだろう。
 ブルーを気遣うハーレイが作ってくれた味。想いが通じ合うよりもずっと前から、ハーレイとの間を結んで繋いでくれていた味。
 だからこそブルーは何よりも自分の身体に合う味として特別に思い、あのスープが食べたかったのだろう。身体が弱ってしまった時に、その身に宿る魂を充足させてくれる大切な栄養源として。衰弱した身体をその内側から蘇らせるために欠かせない、心を満たす食べ物として…。



 青の間の小さなキッチンを使って、ハーレイが作ってくれた野菜のスープ。キャプテンとしての仕事が忙しい時でも、必ず作りに来てくれた。時間をやりくりしてブルーだけのために。
 ブルーの身体がすっかり弱って眠っている時の方が多くなっても、目覚めればハーレイが野菜を刻む音が聞こえて、優しい味のスープが飲めた。食事を受け付けられない状態の時も、あのスープだけは喉を通った。
 そういった日々さえ間遠になって、とうとう長い眠りに就いて。
 夜毎、ブルーの手を握っては日々の出来事を語り聞かせるハーレイの声だけを遠く近く聞いて、ほんの一瞬の星の瞬きのようにも思えた長い長い眠り。
 その眠りから覚めたと思ったら、其処に穏やかな日々は無かった。
 ブルーは青の間に一人きりで居て、ハーレイの気配も感じない。代わりに青の間の静けささえも掻き乱すほどの不穏に過ぎる何者かの存在と、混乱の渦に陥ったシャングリラと。
 何が起こったのかも分からないままに、よろよろと青の間から外へ出た。満足に動いてくれない身体で長い通路を歩く間に、把握した事態。
 地球の男。
 ミュウに、シャングリラに、不吉な死の影を投げ掛けつつある黒い髪の男。
 弱った身体に鞭打ちながら先回りをして、格納庫で彼を倒そうとした。メンバーズ・エリート、キース・アニアン。
 彼こそが自分に死を運んで来た使者だとも知らず、ミュウの未来のためだけに。



 仕留め損なってしまったキース。
 シャングリラから首尾よく逃れた彼は、メギドを携えて戻って来た。
 彼が戻るまでの時間は慌ただしく過ぎて、仲間たちをナスカから脱出させるために多忙を極めていたハーレイは野菜スープを作る僅かな時間さえも捻り出すことが出来なかった。
「すみません、ブルー。…あなたがお目覚めになったのに…」
 こんな時にこそスープを作って差し上げたいのに、と見舞いに訪れたハーレイを覚えている。
「かまわないよ。…また今度、船が落ち着いたら作って欲しいな」
「ええ、必ず。ナスカを離れて、あの男の追跡を無事に振り切ったら作りに来ます」
「ありがとう。…此処で楽しみに待っているから」
 そう告げながら、心では「ごめん」と謝っていた。予知能力は大して無かったけれども、二度とハーレイの作る野菜スープを味わえないことが分かっていたから。
 自分の目覚めは地球の男を倒すため。…そして自分の命も其処で尽きる、と。
 ブルーの悲しい予感は当たった。
 メギドを携えて戻ったキース。第一波を受ける前からそれを感じ取り、シャングリラを離れた。
 ハーレイに次の世代を託して、最後に彼の腕に触れた右手に残った温もりだけを大切に抱いて、ブルーは死が待つメギドへと飛んだ。
 どんな運命が待っていようとも、ハーレイの温もりがあれば充分だった。自分は決して一人ではないと、ハーレイの温もりと共に在るのだと、死を受け入れるつもりでいた。
 それなのに…。
 キースに撃たれた傷の痛みがハーレイの温もりを消してゆく。弾が身体に食い込む度に温もりは薄れ、右の手が冷たくなってゆく。
 最後に右の瞳を撃たれた激痛。それが完全に消してしまった。ブルーが最期まで共に居たかったハーレイの温もりを、右の手に大切に持ち続けていた優しすぎる温もりの最後の欠片を。
(…ハーレイっ…!)
 失くしてしまった。ハーレイの温もりを失くしてしまった。
 自分は独りきりになってしまった、と青い閃光が溢れるメギドでブルーは泣いた。凍えて冷たくなった右の手。ハーレイの温もりは何処にも無くて、ブルーは独りぼっちになった。
 もう会えないと、ハーレイには二度と会えないのだと泣きじゃくりながら、凍えてしまった右の手が冷たいと泣きじゃくりながら、青い閃光に包まれてブルーは死んだ。
 凍えた右手と自分が流した涙を最後に、前の生の記憶はプツリと途切れる。



 気が付けば両親と戯れる幼い自分。
 歩き始めて間もない頃か、それとも初めて歩いた日なのか。光が溢れる今の家の庭で、父と母が手を差し伸べていた。そちらに向かって懸命に歩く。今よりもずっと小さな足で芝生を踏みしめ、父と母の腕の中を目指して。
 それが一番最初の記憶で、そこから優しい時が始まる。
 父の肩車ではしゃぎながら回った動物園。両親としっかり手を繋いで出掛けた遊園地。浮き輪を引っ張って貰って泳いだ気分になっていた海や、お弁当を広げた郊外の山。
 数え切れない両親との思い出、友人たちと遊んで笑い合った日々。
 沢山沢山の幸せな時間がブルーの上を流れて、そうして再びハーレイと出会う。
 今でこそ自然に繋がってしまった記憶だけれども、ブルーの中には微かに残っていた。後に聖痕現象とされた右の瞳から流れた血。両親に連れて行かれた病院の医師から、ソルジャー・ブルーの生まれ変わりではないかと言われて恐ろしくなった。
 自分が自分でなくなるのでは、と考える度に怖くて震えた数日間。
 ソルジャー・ブルーになど、なりたくなかった。十四歳の自分のままが良かった。
 そう思って震え続けていたのに、そのすぐ後に幸せな日々がやって来た。
 自分は変わらず十四歳の少年のままで、それなのに前世の記憶がきちんとあって、前世で愛した恋人までがついてきた。
 前世の自分がもう会えないと泣きじゃくりながら死んでいった恋人、キャプテン・ハーレイ。
 今の生ではブルーが通う学校の教師で、学校で呼ぶ時はハーレイ先生。
 家に来てくれて二人で過ごす時には、前の生と同じでハーレイ。
 二度と会えないと思った筈のハーレイに、ブルーは再び会うことが出来た。
 遠い日にメギドで失くしてしまった筈の温もりが右の手に戻り、独りぼっちではなくなった。



 前世の自分が死んでしまってから、今の自分が生まれるまでの長い長い時間。
 ハーレイたちがシャングリラで辿り着いた時には死の星だった地球が蘇り、青い水の星となって人が暮らせるようになるほどの時が、気付けば流れ去っていた。
 気が遠くなりそうなくらいに長い時間が通り過ぎてゆく間、自分は何処に居たのだろう?
 前にハーレイが言っていたとおり、時を待っていたのであれば…、とブルーは祈るように思う。
 ブルーにはブルーの、ハーレイにはハーレイの、それぞれの前の生での姿とそっくり同じに育つ器が生まれてくるまで、自分たちは時を待ったのだろう、とハーレイは語った。
 そのとおりなのだと思いたい。ハーレイと二人、待ち続けたのだと信じたい。
 何処に居たのかは分からないけれど、自分たちは共に居たのだと。
 どうかハーレイと離れることなく、長い時を共に越えて来たのであるように…、と。



(…そうでなければ悲しすぎるよ)
 これほどの時が経つまで離れ離れで過ごしたなどとは思いたくない。
 きっと二人で何処かに居たに違いない。生まれ変わる時には不要だからと神がその記憶を消してしまっただけで、共に過ごした幸せな時が必ずあったに違いない、と。
(……でも……)
 ブルーはハーレイの姿を思い浮かべた。
 自分は死んで直ぐに長い長い時を越えたけれども、ハーレイは?
 前の生でブルーよりも長く生きた分、悲しみを抱え続けたであろうハーレイは…?
 ブルーを喪った後のハーレイはどれほどに辛く、悲しい時を生きたのだろう。自惚れるわけではないのだけれど、自分がいなくなった後のハーレイの魂は死んだも同然ではなかったろうか。
 ブルーが次の世代を頼むと告げなかったなら、ハーレイは追って来たかもしれない。
 キャプテンの責務もシャングリラをも捨て、メギドまで追い掛けて来たかもしれない。ブルーを独りで逝かせないために、自分も共に逝くためだけに。
 けれど、ハーレイはそうしなかった。ブルーの遺言がそれを許さなかった。
 恐らくはブルーが遺した言葉を守るためだけに、ハーレイは生きた。ブルーがいなくなった後のシャングリラで、ただ一人、恐ろしいほどの孤独を噛み締めながら。
 ブルーが独りきりになってしまったと泣きじゃくりながら死んでいったように、ハーレイもまた独りきりになった。ブルーのいない船に一人残され、それでも生きてゆくしかなかった。
 孤独の中でブルーの遺言だけを守って生きたハーレイ。
 ただ独りきりで、何年間もの戦いの時間をハーレイは生きて、そうして死んだ。
 時には笑うこともあっただろうけれど、孤独は癒えなかっただろう。
 ハーレイは独りきりだったから。ブルーを失くして独りきりになってしまったから…。



 広いシャングリラに一人残されたハーレイが味わった孤独を思うと、この地球にハーレイが先に生まれて来ていて良かったのだ、と心から思う。
 ブルーよりも先に生まれたがゆえに、前の生で別れた時そのままの姿をしたハーレイに出会えたことも大切だけれど、何よりも…。
 ハーレイもまた自分のように、自らの死で途切れた記憶の後に今の生の記憶が挟まるのならば。
 地球の上に生まれてから前世の記憶を取り戻すまでの時間が間に入るのならば…。
 今の生で過ごした幸せな日々が長ければ長いほど、ハーレイの傷の痛みは薄れるだろう。
 ブルーを喪ってからの辛い時間を、今の生での時間が癒してくれるだろう。
 家族や友人たちと過ごした日々の記憶、好きな柔道や水泳に夢中になって打ち込んだ時間。
 ブルーが生まれて来るよりも遙かに前に生まれたハーレイは、沢山の思い出を持っている筈だ。
(…うん。色々と話してくれたものね)
 再会してから今日までの間に聞いただけでも、充実した今のハーレイの生。
 そのハーレイが時折、特に理由もなくブルーの身体を強く抱き締めていることがある。
 「なんでもないさ」「甘やかしてやっているだけだ。嬉しいだろう?」と言っているけれど…。
 ああした時にハーレイが前の生を思い、失くしてしまったブルーの温もりを求めているのなら、心に刻まれた深い深い傷を癒すためには幸せな記憶が沢山要る。
 自分は間違いなく生きているのだと、この地球の上にブルーと共に生きているのだと、その心に強く訴えかけてくれる今の生での幸せな時が。



(…ぼくでも、今も悲しいんだから…)
 ハーレイの温もりを失くしたと泣いて、右の手が冷たいと泣きながら死んだ前世の自分。
 それを最後に時を越えたのに、今でも夢に見て悲しくて泣いて目が覚める夜がたまにある。
 前の生でハーレイと別れて飛び立ってから、メギドでの死を迎えるまでには数時間しか無かっただろう。もしかしたら一時間も無いのかもしれない。
 その自分でさえ夢を見る。独りぼっちになってしまったと泣いていた自分の夢を見てしまう。
 悲しくて辛く、涙が零れてしまう夢。
 今の生の十四年分もの幸せな時を持っていてさえ、此処にいる自分は幻なのかという恐怖に心を支配されてしまう。あまりの怖さに泣きながら眠り、無意識のうちにハーレイの家まで瞬間移動をしてしまった事件があったくらいに。
 死んだ直後に、独りきりになってしまった直後に時を越えた自分でも、これほどまでに前の生の悲しみに囚われて泣いてしまうのだから。今の生は夢か幻なのかと怯えるのだから…。
 ブルーよりも長い孤独の時を生きたハーレイには、きっと自分よりも沢山の今の生の時間が必要だろう。確かに今を生きているのだと教えてくれる多くの記憶が。幸せに満ちた時の記憶が。
 だから、ハーレイが先に生まれて来ていて良かった。
 自分よりも先に地球に生まれて、沢山の幸せの中で生きていてくれて本当に良かった…。



(…神様はきっと、それも考えていてくれたんだよね)
 ハーレイの方が先に生まれて、前の生で辛い思いをした分も幸せな時間で埋められるように。
 すぐに時を越えた自分よりも長い時を独りきりで生きていた分、それを埋め合わせられるだけの時間を幸せの中で過ごせるように。
 ブルーには十四年分の地球での時間。両親や友人たちと過ごした時間。
 ブルーよりも長く孤独の時間を過ごしたハーレイには三十七年分の地球での時間。ブルーの分の二倍どころか、更に十年近くも多めの時間。
(…そんなに沢山の時間が要るほど、ハーレイは独りぼっちで辛かったんだ…)
 ごめん、とブルーは小さく呟く。
 君を独りぼっちにさせてしまって、シャングリラに残して行ってしまって本当にごめん、と。



 そういったことを考えながら眠りに落ちたブルーだけれど。
 次の朝、目が覚めて新しい日がブルーを迎えてくれると、前の生の記憶に根ざした思いは薄れて朝の光に溶ける。
 ハーレイの辛さに想いを馳せていた時間の記憶も、十四歳の子供の心の弾けるような輝きの前に薄れてしまって何処かに消える。
 そしてブルーは無邪気に待つ。
 今日もハーレイが懐かしい味の野菜のスープを作りに訪ねて来てくれるのを…。




             必要だった時間・了


※ハーレイとブルー、前世の記憶を取り戻す前に過ごした、それぞれの時間。
 悲しみの記憶を補えるだけの幸せを貰ったのでしょう。心の辛さが癒えるように…。

 聖痕シリーズ、今月から毎週月曜更新です。ペース上げます、よろしくです。
 書き下ろしショートも増えております、覗いてやって下さいねv
 ←拍手してやろうという方がおられましたら、こちらからv
 ←書き下ろしショートは、こちらv








※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv





衣替えも終わって食欲の秋。もう少し経てば恒例のマザー農場での収穫祭です。その前に薪拾いなんていう面倒なイベントもありますけれど、収穫祭はやっぱり楽しみ。ジンギスカンの食べ放題などに思いを馳せつつ、今日は会長さんの家でピザパーティーというわけで。
「かみお~ん♪ 沢山あるから好きなだけ食べてね!」
ソースもトッピングも選び放題、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が張り切っています。
「俺はボリュームたっぷりで頼む。どうも疲れが抜けなくてな」
お彼岸以来、とキース君が注文すると会長さんがからかうように。
「お彼岸って…。あれから十日以上経つと思うけど? そろそろ年かな、副住職?」
「やかましい! 今年は大変だったんだ!」
ウッカリ連休になったせいで、とキース君は不満たらたら。
「お中日は祝日だなんて、何処のどいつが決めたんだ! そこへ土日が来やがったから、親父が盛大にやると言い出して…。いつもだったら俺はお中日だけでお役御免なのに」
しかも今年は暑かった、とキース君の不満は滔々と。
「暑さ寒さも彼岸までだと? とことんふざけた話だぜ。今でもセミがいるくらいだしな、墓回向に行っても汗だくだくだ。…俺は本当に疲れ果てたんだ」
なのに朝から境内の掃除、と立て板に水の文句三昧。キース君ったら、今日は遊びに行くというのでアドス和尚にみっちりしごかれたらしいです。それもその筈、元老寺では今頃は法事の真っ最中。出ないで済むだけマシと思え、と本堂の設えもさせられたそうで…。
「なるほどねえ…。まあ、仕方ないよね、副住職だし」
そのくらいのことはやって当然、と流す会長さんにキース君は「それはそうだが…」と力なく。
「しかしだな、俺は基本が高校生だ。法事に出てもだ、見た目は小坊主と変わらんぞ」
「見た目だけはね。でもさ、檀家さんには副住職だとバレてるんだし、アドス和尚と二人で出ればお布施の方もグンと増えるのに」
「…小遣い稼ぎは俺には合わんと言っただろう!」
主義に反する、とテーブルを叩くキース君。
「お布施目当てで法事に出るのは嫌なんだ! 御縁のある方の法事には出るが、それ以外は基本はパスなんだ、パス!」
「はいはい、分かった。お彼岸疲れね…」
お大事に、と会長さんが返した所で「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピザをドカンと運んで来ました。ワゴンの上にお皿が一杯、注文の品が次々と。うわぁ、とってもゴージャスです。とりあえずキース君の文句はここまで、みんな揃って頂きまーっす!



トマトソースにクリームソース、カレーソースと盛りだくさん。トッピングの方もバラエティー豊かで何枚でもお代わり出来そうな感じ。男の子たちは豪快に手づかみ、スウェナちゃんと私にはナイフとフォークが。会長さんもナイフとフォークですけど…。
「おや? シロエはどうかしたのかい?」
気になることでも、と会長さんが訊くとシロエ君は「いえ、ちょっと…」と。
「大したことじゃないんです。気にしないで下さい」
「そう言われても…。さっきから視線が意味ありげだよね」
キースとサムとジョミーばっかり見ているけれど、と会長さん。
「プラスぼくかな、その四人。なんでそういう面子になるわけ? 特に変わったピザは食べていないと思うんだけど…」
選んだ種類は色々だけどね、と言われてみれば、会長さんが指摘した四人のピザには共通点がありませんでした。ソースはともかく、トッピングがまるで別物です。ジョミー君はソーセージたっぷり、キース君はカルビがメインのチョイス。サム君はチキンで会長さんがポテトとコーン。
「それともアレかな、次に食べたいピザの要素が含まれてるとか?」
「ち、違います!」
慌てて否定したシロエ君ですが、普段の言動からは考えられないうろたえぶり。一歳下とは思えないほどの落ち着きぶりがシロエ君の持ち味の一つなのに…? 会長さんも、すかさず其処を。
「らしくないねえ、何を慌てているんだい? なんだか後ろめたそうだねえ?」
「い、いえ、別に……」
そんなことは、と答えたものの、シロエ君の目は妙に落ち着きがありません。これは明らかに何か隠している顔です。会長さんが挙げた四人の共通点って何でしょう? ジョミー君たちも気になるようで。
「えーっと…。ぼくとキースと、サムとブルーって何だろう?」
「ズバリ坊主じゃねえのかよ?」
サム君の指摘にシロエ君はギクリ。坊主で間違いなさそうです。会長さんの瞳が好奇心に輝き、シロエ君の顔をじっと見詰めて。
「…ふうん……。君も仏道修行を希望かな? お盆にお彼岸と続いたからねえ、キースをライバル視している君としては黙っていられない気分だとか?」
一人前の坊主を目指すなら師僧になってあげてもいいよ、と持ちかけられたシロエ君の絶叫がダイニングに響き渡りました。
「お坊さんになる気はないですってば!!!」
ハアハアと肩で息をしてますけれども、お坊さん志願じゃないんだったら何故にお坊さん組ばかり見ていたわけ…?



仏弟子志願を全力で否定したシロエ君。しかし気になる対象がお坊さんな事実は疑いようもなく、ピザパーティーの肴はシロエ君になってしまいました。
「坊主になる気がねえんだったら、なんで俺たちを見てんだよ?」
今日は法衣も着てねえぜ、とサム君が言えばキース君が。
「どうせ顰蹙な発想だろう。俺がお彼岸だの法事だのと話していたから、坊主頭を想像中だな」
「あー…。それはあるかも!」
散々練習してたもんねえ、とジョミー君。坊主頭は住職の資格を取る道場の必須条件です。それを回避したかったキース君がサイオニック・ドリームで誤魔化すために努力していて、ジョミー君もその道連れに。挙句の果てに学園祭で坊主頭が売りの坊主カフェなんかもありましたっけ…。
「きっとそれだよ、でもってブルーの坊主頭を必死に想像してたんじゃないの?」
あれだけは誰も見たことないし、というジョミー君の意見に一斉に頷く私たち。会長さんも修行中には坊主頭に見せかけていたと聞いていますが、その姿は誰も知りません。ん? 誰も…?
「そうだ、ぶるぅは見ていた筈だぞ」
璃慕恩院に一緒に行ったんだしな、とキース君が声を上げました。
「どうだった、ぶるぅ? お前ももちろん覚えてるだろう、ぜひ見せてくれ」
「いいね、サイオンで一瞬で画像を共有ってね!」
この機会に是非、とジョミー君も瞳を輝かせましたが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「えーと、えっとね…。ブルーの方が上手かったんだよ、企業秘密だし」
「「「は?」」」
企業秘密って何ですか? 会長さんの坊主頭が? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」はコックリと。
「うんっ! ぼく、子供だから、何かのはずみにバラしちゃうかもしれないし…。それでね、ぼくにはサイオニック・ドリームをかけなかったの! だから一度も見たことないよ」
「「「えーーーっ!?」」」
そんな馬鹿な、と私たちは必死に問い詰めましたが「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「見たことない」の一点張り。やがて会長さんが可笑しそうに。
「ぶるぅは嘘はつかないよ。ぼくのイメージは守りたいしねえ、身内にバラしたことはない。どうしても知りたかったら当時の知り合いを探すんだね。もれなくあの世に旅立ってるけど」
訊きに行くなら個人情報だけど戒名を…、と言われましても。極楽浄土にお住いの方にインタビューが出来る力の持ち主、私たちの中にはいませんってば…。



「戒名と来たか…。どうにもならんな」
残念だが、とキース君がピザを頬張り、ジョミー君も。
「サムの霊感でも無理そうだよねえ…。あれっ、シロエはどうしたわけ?」
「…い、いえ……」
ホントに何でもないんです、と答える割に俯き加減。そして視線はお坊さん組をチラチラと。
「なるほどね…。ぼくはキーワードは戒名と見たね」
会長さんの言葉にシロエ君の手からピザがお皿に落っこち、語るに落ちるとはまさにこのこと。
「やっぱり戒名だったんだ? もしかしなくても貰ったとか?」
気が早いねえ、と会長さんが呆れ、キース君も。
「お前、いつの間に貰ってきたんだ? どんなのだ、いい戒名か?」
「……そ、それが……。どちらかと言えばその逆で……」
「気に入らんのなら言った方がいいぞ」
死んでからでは手遅れだしな、とキース君。
「今の内ならまだ変えられる。和尚さんにきちんと相談しろ」
「そうだよ、気に入らない戒名を黙って受け入れなくてもねえ…。自分の主張は通すべきだよ」
きちんと意志を貫いてこそ、と会長さんも同意見です。
「戒名は生前の人となりとかを表すものだし、コレは違うと思うんだったらハッキリと! 生きてる間に貰った人間だけの特権だってば。ぼくなんかは最高に気に入ってるしね、銀青の名前」
「…俺は正直、微妙だが…。まあ、意味を考えれば悪くはないな」
休須だけどな、と語るキース君の法名は未来の戒名。須弥山で休むような器になれ、とアドス和尚が心をこめてつけたのですけど、読みが「きゅうす」でお茶を注ぐ急須に通じるからとキース君は長年伏せていました。サム君は作夢、ジョミー君は徐未。シロエ君がお坊さん組を見ていた理由は法名が羨ましかったからですか…。
「変えて貰えよ、早い内によ」
俺たちと違って変更可能、とサム君も。
「お師僧さんは絶対だしなぁ、俺たちは簡単に変えられねえけどよ…。お前は普通に一般人だし、頼めば変えて貰えるぜ」
「サムの言う通りさ。これがいい、って思う戒名があるなら書いていくのも一つの手だよ」
そのまんまOKが出るケースもあるし、と会長さん。戒名の上につく院号ってヤツまで個人の好みで決めたツワモノがいるそうです。その名もズバリ青春院。病気で若くして亡くなった青年らしいんですけど、青春院ってカッコイイかも…。



素晴らしい院号を聞いてしまうと、知りたくなるのがシロエ君が貰った戒名です。いい戒名どころか逆だったなんて、どんな戒名なんでしょう? 男の子たちと会長さんの集中攻撃に、シロエ君はついに白旗を。
「…分かりましたよ。白状しますから、絶対に笑わないで下さいよ?」
「そんな失礼なことはしないよ、君にも和尚さんにも悪いしね」
その辺はちゃんと心得ている、と会長さんが太鼓判を押し、キース君たちも神妙な顔。お坊さん組じゃないマツカ君とスウェナちゃん、そして私はイマイチ自信がありませんけど、それでも真剣に真正面から受け止める覚悟。シロエ君はスウッと息を吸い込んで…。
「……珍爆です」
「「「ち、珍爆…」」」
予想を遙かに上回る斜め上っぷりにオウム返しに復唱した後、ダイニングは爆笑の渦に包まれました。キース君は涙を流さんばかりに笑っていますし、会長さんもお腹を抱えて悶絶中です。
「さ、最高だぜ、それ…!」
どうにも笑いが止まらねえ、とサム君がテーブルをバンバンと叩き、シロエ君は仏頂面で。
「………。笑わないって言いましたよね? 会長だって」
「そ、そりゃあ……」
それがマトモな戒名ならね、と会長さんは必死に笑いを堪えながら。
「それ、本職がつけた戒名じゃないだろう?」
「本物ですよ! 戒名は欲しいけどお金が足りないという方に、って書いてありました!」
「「「は?」」」
シロエ君が戒名を頼んだ先は菩提寺ではなかったというわけですか? チラシを見たとか? どういうわけだ、と顔を見合わせる私たちに、会長さんが。
「あれだね、いわゆる戒名作成フリーサイト! シロエ、使い方をちゃんと読んだかい?」
「読みました! 希望の文字を入れて下さいと書いてありましたし、それもきちんと」
「入力したというわけだ? でもねえ、所詮は無料だしねえ…」
アレはとんでもないヤツが出る、と会長さんが端末を立ち上げ、シロエ君が使ったというフリーサイトを呼び出して。
「いいかい、ここにブルーにちなんで青と入れると…」
これで作成、と会長さんがクリックした後に表示された戒名はそれは壮絶なものでした。
「「「せ、青腐…」」」
あんまりと言うにも程がある、と愕然とする私たち。気に入らない人向けの「再作成」というボタンを押せば「眺青」だとか。青い地球へ行くのだと憧れているソルジャー向きの戒名かな?



お坊さんになる気はまるで無いものの、自分の戒名が気になったらしいシロエ君。好奇心から無料作成サイトを見付けてシロエにちなんで「白」と打ち込み、結果を見れば「珍爆」の名が。肝心の「白」は影も形も無かったそうで、会長さんは笑いを堪えながら。
「そういうケースもあるんだよ、これは。今は続けて青と出たけど…」
ほらね、とクリックで出て来た戒名、「鏡奪」。鏡を奪ってどうするんだ、という気もしますけれども会長さんの自慢は超絶美形なその美貌。世界中の鏡は会長さんのためにあるのかも…。
「えっ、それはないよ! 世界中の鏡はぼくの女神にこそ相応しいってね」
「「「………」」」
始まりましたよ、会長さんの惚気。ひとしきりフィシスさんの美しさについて聞かされた後に、会長さんは真面目な顔で。
「さっきの戒名サイトだけどねえ、本職向けの戒名ソフトだと全く違うよ? そしてそっちは値段も高い。キースなら知っていると思うな」
「あれは邪道だ。元老寺で戒名作成ソフトは使わん」
「そうだろうねえ、亡くなった人の人柄や趣味、生き方なんかをきちんと考えてつけなくちゃ。これは坊主の法名も同じさ、責任をもって命名するんだ。…で、シロエは戒名を希望なのかな?」
「要りません!」
貰ったら最後、坊主一直線ですから! とシロエ君が叫び、ピザパーティーはシロエ君が自分で作った戒名、珍爆を話題に大盛り上がり。機械いじりが大好きなだけに爆発とは無縁じゃないのかも、という見解から「それなりに相応しい」という結論が出たり…。
「酷いですよ、珍爆で決定なんですか!?」
「勝手に作った君が悪いね、人の噂も七十五日さ」
その内に忘れ去られるよ、と会長さん。
「まっとうな手順を踏んで依頼していれば普通の戒名がついたのに…。あ、いけない、忘れるとこだった。まっとうな手順で思い出したよ、大事なことを」
「「「えっ?」」」
今までの流れからして坊主絡みっぽい「大事なこと」。思わず身構えた私たちですが、会長さんはパチンと軽くウインクを。
「坊主絡みじゃないんだな、これが。ぶるぅ、アレを」
「かみお~ん♪ やっと出番だね!」
取って来るね、と駆け出して行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」。アレっていったい何なのでしょう?



間もなく戻って来た「そるじゃぁ・ぶるぅ」はラッピングされた平たい箱を抱えていました。そのサイズといい包装紙といい、なんだか嫌な予感がします。かなり小ぶりではありますけれども、二学期の初日に似たような箱を目にした記憶が…。
「これが何だか分かるかい? 心当たりがある人は手を挙げて!」
会長さんがテーブルに置かれた箱を指差しましたが、挙手する人はいませんでした。代わりに私たちは顔を見合わせ、視線で「ヤバイかも?」と意見交換。えっ、思念波はどうしたって? 会長さんに筒抜けな手段を使うほどバカじゃないですってば…。
「その様子だと、見当はついてるみたいだねえ? だけど残念、いつものヤツじゃないんだな」
新学期恒例の紅白縞のトランクスかと思いましたが、どうやらハズレみたいです。それじゃアレかな、同じ下着売り場で売っていると聞く褌とか?
「下着って所は当たりさ、期待したまえ」
見て驚け! と箱の中身を瞬間移動でパッと取り出す会長さん。広げられたソレはトランクスではなくボクサーブリーフ。紅白縞でもありません。地味なグレーで……って、ええっ!?
「いいだろう? 一時期、話題を呼んだパンツさ。ちゃんと本場からお取り寄せ!」
得意げな会長さんが「ここに注目!」と示すパンツには何本もの点線が入っていました。それと似たような模様を見たことがあります。牛とか豚とかのイラストで…。そう、ロースとかヒレとか、食べられる部分を分けて描いてある解説図。な、なんですか、このパンツは?
「ご覧のとおりの可食部分がモチーフのパンツさ。ついでに切り分ける順番つきだよ」
一番、二番…、と数えながら辿ってゆく会長さんの指。最後に切るように振られた番号は大事な部分を三分割するように書かれていました。な、なんという悪趣味なパンツ…。
「これはね、肉屋のパンツと呼ばれてニュースにもなったパンツなんだな。本場じゃブッチャーズブリーフと言うらしい。広告写真だと生肉の塊と肉切り包丁を持ったマッチョな男が」
「「「………」」」
会長さんが思念で伝えて来た広告写真は、問題のパンツを履いた男性の腰の部分がメインでした。生肉の塊と肉切り包丁もさることながら、履いて見せられると牛だの豚だのの切り分け図解が頭の中にまざまざと…。
「素敵だろ? これをさ、是非ハーレイに履いて欲しくって! 食欲の秋だし」
「あんた、どういう発想なんだ!」
「えっ、コレを履いた男性は恐怖心をかき立てられる、と当時のニュースで話題だったしね」
切り取られる恐怖に怯えるがいい、と大事な所を三分割する部分を会長さんは指でトントンと。
「大事な部分を切られてしまえば妄想も何も…。ぼくとの結婚も夢のまた夢!」
収穫される悪夢にうなされていろ、と勝ち誇っている会長さん。そりゃあ確かに切り取られちゃえば結婚どころじゃありませんけど、あまりにも可哀相すぎませんか…?



手順を踏んで、という点については戒名の付け方も数字の順番での切り分け方も全く同じ。しかし、会長さんが持ち出した肉屋のパンツは、数字の順番で切り分けていけば流血の大惨事は必至な代物です。あまつさえ大事な部分を三分割して切り取るだなんて…。
「…教頭先生、こんなの、履くかな?」
却下されると思うけど、とジョミー君が言い、キース君が。
「そうだぞ、教頭先生にも選ぶ権利はある筈だ。…まず無理だな」
「履いてくれって言ったら履きそうだけど? ぼくのお願い」
それならハーレイは逆らえない、と会長さんはニヤニヤと。
「でもって壮大な勘違いをね…。数字の順番に食べるんだよ、って言えば誤解をする筈だ。大喜びで履いた所で肉切り包丁を出せば一気に地獄さ。ね、ぶるぅ?」
「かみお~ん♪ 包丁、研いでおいたよ!」
おっきなお肉も一発だもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大きな肉切り包丁を。教頭先生のパニックぶりが頭を掠めて、私たちは心でお念仏を唱えそうになりましたが。
「へえ…。面白そうなパンツだねえ?」
「「「!!?」」」
ユラリと空間が揺れて紫のマントが優雅に翻り。
「こんにちは。ピザパーティーと戒名の後は食欲の秋の出番だってね?」
美味しそうだ、と艶やかな笑みを浮かべるソルジャー。美味しそうも何も、ピザは残っていないんですけど…。ソルジャーのお目当てはデザートですか? たらふくピザを詰め込みましたし、おやつの予定は無しですが?



「いらっしゃい! えとえと…。ピザの生地、もう無いんだけど…」
みんなで全部食べちゃったの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ソーセージとかも無くなっちゃったし…。おやつ兼用で食べていたから、おやつも無いし…」
昨日に焼いたパウンドケーキの残りなら、と小さな頭を悩ませている「そるじゃぁ・ぶるぅ」にソルジャーは。
「いいよ、美味しそうだって言っていたのはピザじゃないから! それにソーセージは特大のヤツがあるようだしねえ?」
「えっ? えぇっ?」
そんなチラシが入ってたっけ、とキョトンとしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」ですが、ソルジャーの方は肉屋のパンツを赤い瞳で眺めながら。
「チラシじゃなくって、もうすぐ此処に入る予定さ。ここの番号」
三つ分だね、とアッと言う間に私服に着替えたソルジャーの白い指先が肉屋のパンツの真ん中を。
「こっちのハーレイに履かせるんだろ? 切り落とすなんて勿体ない。せっかく食欲の秋なんだ。美味しく食べてしかるべきだよ、ソーセージ」
「お、美味しくって……」
絶句している会長さんに、ソルジャーは。
「握って良し、しゃぶって良し、頬張って良し! でも最高に美味しく食べるんだったら…」
「その先、禁止!」
我に返った会長さんの制止も聞かずに言い放たれたソルジャーの台詞。
「やっぱり、お尻が一番だよね!」
そこが最高、と親指を立てるソルジャーの顔面に会長さんが投げたレッドカードが。
「退場!!」
「えっ、なんで? 食べなきゃ損だと思うんだけどなぁ、お尻から」
それが一番美味しいんだよ、とソルジャーが撫で擦っているボクサーブリーフのド真ん中。ソルジャーの言うソーセージとやらが何のことかは私たちにも分かりました。ところが、ここに正真正銘のお子様が一人。
「そっかぁ、サーロイン、美味しいもんね! お尻に一番近いロースだよねえ、お尻は牛刺しにしてもいけるし、ローストビーフに向いてるし♪」
ブルーもお肉に詳しいんだね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は尊敬の眼差しで見ています。
「うーん、ぼくはそれほど詳しくは…。強いて言うならハーレイ限定?」
「そんな種類の牛さんがいるの?」
「そう、褐色でとても美味しいよ。筋肉が発達していてね」
ミルクも沢山出せる品種で、とソルジャーが誇らしげに話す品種の牛は多分一頭しかいないでしょう。あちらの世界のシャングリラ号のブリッジをメインに放牧中の…。



会長さんの悪戯心から取り寄せられた肉屋のパンツ。教頭先生に履かせて脅すつもりが、余計な人が出て来たばかりに話は真逆の方向へ。美味しく食べろと囃すソルジャー、肉切り包丁を持っていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」に滾々と。
「いいかい、ぼくの世界の美味しい牛には敵わないけど、こっちにもハーレイがいるだろう?」
「ハーレイはいるけど牛さんじゃないよ?」
「子供の君には分からないかもしれないけれどね、ブルー限定だと雄牛になれるさ」
そしてブルーが美味しく食べる、とソルジャーは笑顔。
「だけど切り分けたら肝心の牛が台無しで…。肉切り包丁は上手に使わなくっちゃ」
「でも…。ブルーがしっかり研ぎなさいって…」
「そりゃね、上手に使うためには切れ味も大切になってくるから」
使い物にならない肉なら切り落とされても仕方ないから、とニッコリ笑うソルジャー。
「頑張らないと三等分に切っちゃうぞ、と脅すためには必要だよ、うん。…ついでにその役、ぼくがやる方が効果的かもしれないねえ…」
「んとんと…。包丁、持ってくれるの? よく切れるから気を付けてね!」
「「「あーーーっ!!!」」」
イマイチ噛み合っていない会話に気を取られている間に、ソルジャーは首尾よく肉切り包丁を「そるじゃぁ・ぶるぅ」から奪ってしまいました。これは非常に危険です。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が持っていたなら、会長さんのシナリオどおりに脅しておしまいだったんでしょうが…。
「ん? ぼくの顔に何かついてるかい?」
何か言いたいなら御自由に、とギラリと光る肉切り包丁。ただでも怖いソルジャーの手にサイオンどころか刃物とくれば、誰も文句は言えませんでした。会長さんだって顔を引き攣らせていますけれども、怒鳴る度胸は無いらしく。
「…そ、それで…。君はいったい何をしたいわけ?」
震える声で尋ねた会長さんに、ソルジャーは。
「嫌だな、そんなに怯えなくっても…。君が美味しく最高の肉を味わえるように付き添うだけだよ、何も心配いらないってば!」
肉屋のパンツを届けるんだろ、とニコニコ笑っているソルジャー。
「ほら、早く! お届け物なら箱に戻して、グルメツアーに出発だよね!」
もちろん其処の君たちも、とグルリ見渡された私たちに逃げ道がある筈もなく。元通りに箱に納められた肉屋のパンツを会長さんが抱え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の元気な声が。
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
フワリと身体が浮く感覚があって、教頭先生宅のリビングへ。大人数の乱入に驚愕の表情の教頭先生、これからどうなってしまうんでしょう?



「やあ、こんにちは。驚かせてしまって申し訳ない」
ブルーが行きたいと言うものだから、とソルジャーが頭を下げました。
「君にお届け物があるんだってさ、どうしても履いて欲しいパンツらしくて」
「…ぱ、パンツ……? 二学期の分は貰いましたが…」
いつものを五枚、と答えた教頭先生に、ソルジャーはチッチッと指を左右に振って。
「そんなパンツは目じゃないよ! ぼくは一目で感動したね。だからこっちに遊びに来たわけ。そうだよね、ぶるぅ?」
「うんっ! なんかね、ブルーを美味しく食べる…んだったかな? 凄い牛さんになれるパンツなんだよってブルーが言ったの!」
「…ブルーを…?」
どっちのブルーだ、と会長さんとソルジャーをキョロキョロ見比べている教頭先生。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の言葉の中には二人のブルーが混在していたわけですけれども、其処まで見抜けるわけがなく…。
「…お気持ちは有難いですが…。私の相手はブルーだけだと昔から決めておりまして…」
「分かってないねえ、そっちのブルーを美味しく食べられるパンツだってば!」
論より証拠、とソルジャーが会長さんをグイと押し出し、箱ごと前へと。会長さんも既にヤケクソらしく、ラッピングされた箱を差し出して。
「ぼくを美味しく食べるかどうかは君次第だね。とにかく履けば分かるから!」
「なんだって?」
「履いて見せてって言ってるんだよ、その中身!」
早くしてよね、と会長さんにせっつかれても、下着の履き替えを衆人環視の下で行う度胸は教頭先生にはありません。もちろん箱を開けることも出来ずにオロオロと…。会長さんが舌打ちをして、一瞬キラリと光るサイオン。
「「「……!!!」」」
教頭先生の服の上下が消え失せ、逞しい身体にパンツ一丁。お馴染みの紅白縞ではなくてグレーの肉屋のパンツです。うーん、会長さんに見せられたモデルの画像さながら、切り取り用の点線クッキリ、切る順番を書いた数字もハッキリと…。
「…な、何なのだ、このパンツは!?」
自分の下半身を見下ろして驚く教頭先生に、会長さんが冷たい口調で。
「食欲の秋だし、食べる部分と切り取る順番! 履かされた男は焦るらしいねえ、相手を怒らせたら最後、大事な部分が三分割! ぼくも切りたい気分なんだな、妄想まみれの君のヤツをね」
「…そ、そんな……」
まさか切る気か、と後ずさりする教頭先生。そこへギラリとソルジャーが手にした大きな肉切り包丁が出たからたまりません。ギャーッ! と野太い悲鳴が響いて…。



「…おかしいなぁ…。どうしてこういう展開に……」
卒倒しちゃったら雄牛も何も、とブツブツ文句を垂れるソルジャー。
「切られないようにブルーを思い切り満足させて、と励ますつもりだったんだけど」
「先走りすぎだよ、君の発想!」
まあいいけどね、と仰向けに倒れた教頭先生を会長さんがゲシッと蹴飛ばして。
「ぼくは脅しだけで済ませるつもりだったし、卒倒までしたらバカバカしい妄想が少しはマシになるかもしれない。ぼくを怒らせたら切り取られるぞ、とね」
「それだとぼくが出て来た意味は!? 君にハーレイを美味しく食べて欲しかったのに…」
食べ方色々、とぼやくソルジャー、会長さんと教頭先生を何が何でも両想いにさせたい夢を諦め切れないようで。
「…食べられる部分がこんなに沢山あるんだよ? 最高に美味しい部分が三つと、他の部分もそれなりに…。数字の順番にキスを落とせば美味しい部分がもっと美味しく」
「そういう趣味は無いってば!!」
「食わず嫌いはよくないよ。ハーレイの気分をうんと高めて爆発させるのも素敵だよ?」
こんな風にね、とソルジャーは肉切り包丁を捨てて教頭先生の傍らに屈み込み、腰の辺りの「1」と書かれた部位の真ん中にキスを。
「…ん…。布越しだと風味がイマイチかな? こっちの方が向いているかも」
「「「えぇっ!?」」」
カプッと「2」の部位に歯を立てたソルジャー、満足そうに。
「ふふ、ハーレイもピクッと反応したから、甘噛みするのがいいみたいだね。こういう調子で攻めていくのがぼくのお勧め。ブルー、3番の部分で試してごらんよ」
「お断りだよ!」
「そう? だったら代わりに食べてもいいかな、ちょっとドキドキしてきちゃってさ」
ハーレイよりも前にぼくがイきそう、とソルジャーは頬を赤らめています。えーっと、行くって、どちらまで? 教頭先生が正気に返って鼻血を噴いて、救急搬送されるより前に病院へ…?
「そうじゃなくって…。ぼくが爆発しそうかなぁ…って。このシチュエーションは初めてだしねえ、ぼくとしたことがイッちゃいそうだ。あ、爆発って言えばシロエの戒名、それだった?」
「違いますーっ!!!」
ぼくの戒名は珍爆でした、と喚くシロエ君にソルジャーが。
「珍爆ね。…うん、何処が爆発するのかを思うと実にピッタリな感じかも…。その戒名、ぼくのハーレイに貰っていいかな」
でもって今夜からドカンと大爆発、とウットリしているソルジャーの首筋に会長さんがピタリと肉切り包丁を。
「…盛り上がってる所を悪いんだけどね、その先、本気で禁止だから!」
切られたいのか、と思い切り凄んだ所まではいいんですけど…。



「……もう懲りましたよ、戒名サイト……」
泣きの涙のシロエ君。私たちは会長さんの家のリビングで懸命にシロエ君を慰めていました。ソルジャーときたら、よりにもよってキャプテンの大事な部分に名付けるから、とシロエ君の情けない戒名、珍爆を失敬して行ったのです。強奪したと言うべきか…。
「盗られたんだから、もういいじゃないか。君の戒名は改めて付けてあげるよ」
御希望ならば、と会長さん。
「戒名泥棒なんて初耳だけれど、異文化だから仕方がない。肉屋のパンツも盗まれちゃったし、何処まで手癖が悪いんだか…」
「おまけに悪戯書きして帰ったぞ」
どうするんだ、とキース君が深い溜息をつけば、マツカ君が。
「油性ペンですし、除光液で拭けば落ちると思います。今の間に拭いて来ますか?」
「放置しとくよ、抑止力ってヤツになるだろう。誰が書いたか分からないから、肉屋のパンツより効果的かも…」
ぼくが肉切り包丁持参でぶった切りに行く可能性大、と会長さんは悪魔の微笑み。
「うっかりオカズでサカッた途端にバッサリやられたら大変だしねえ、消えるまで大人しくしてると思う。妄想男には切り取り線だよ、大事な部分を三分割!」
「かみお~ん♪ それで、牛さんはどこ?」
美味しい牛さんをお料理するんだぁ! と肉切り包丁を振り回している「そるじゃぁ・ぶるぅ」は未だに気付いていませんでした。牛といえば教頭先生、切り取る部位と順番はソルジャーが褐色の肌にマジックでじかに書いたのに…。
「ぶるぅ、牛肉はマザー農場で貰ってくるから! 幻の最高級のヤツをたっぷりね」
「ホント!? わぁーい、ステーキパーティーしようね!」
食欲の秋だし沢山食べなきゃ、と御機嫌で跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。教頭先生の肉屋のパンツを奪って帰ったソルジャーの方はキャプテンと大人の時間でしょう。珍爆と名前がついた部分が大活躍だと思うのですけど、具体的なことは分かりません。
「……ぼくの戒名、どうなったでしょう……」
「多分、元気に活躍してるよ。肉屋のパンツとセットでね…」
その件はもう忘れたまえ、と会長さんがシロエ君の肩を叩いています。その一方で、切り取り線と切る順番とを肌に書かれた教頭先生は素っ裸で御自宅で卒倒したまま。早く気付いてお風呂に入って、落書きを落として下さいです。
えっ、会長さん、サイオンで落書きをコーティングした? それは鬼だと思いますけど、取れるまでに何日かかるんでしょう? お気の毒な教頭先生の可食部分に合掌です、はい~。




       手順と順番と・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 戒名作成サイトと肉屋のパンツは実在してます、本当です。
 肉屋のパンツはインパクト大です、現物を見たわけじゃないですけどね(笑)

 シャングリラ学園シリーズは4月2日で本編の連載開始から7周年になりました。
 7周年記念に4月は月に2回の更新です。
 次回は 「第3月曜」 4月20日の更新となります、よろしくです~!

 そしてハレブル別館の更新ペースが上がりますが、シャン学の方は従来通り。
 毎日シャン学があるほどですから、あくまでシャン学がメインです。
 シャン学が止まることはありませんので、どうぞよろしくお願いしますv


毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、4月は恒例のお花見に出掛けるようです、どうなりますやら…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv




 夏休みに入って暫く経った、七月の末の夜のこと。今日も訪ねて来てくれていたハーレイが夕食を済ませて「また明日な」と帰って行った後、ブルーは二階の自分の部屋に戻った。
(…ハーレイ、ぼくが生まれるのを待っててくれたんだよね…)
 昼間、そういう話になった。ハーレイはブルーが母の胎内に宿る前からこの町に住んで、家まで買って貰ってブルーを待っていたのだ、と。「俺はお前に会うためにこの町に来たんだろうな」と聞かされてとても嬉しかった。
 ブルーはベッドの端に腰掛け、幸せに浸っていたのだけれど。
(あっ…!)
 ハーレイがその話をしてくれた時に座っていた椅子。自分の膝に座ったブルーを抱き締めていた時に座っていた椅子。
「そっか…。この椅子はハーレイを待ってたんだね」
 ブルーは自分の部屋に置かれた来客用の椅子を眺めた。
 其処はハーレイの指定席。ブルーの部屋を訪ねて来た時、ハーレイが必ず座っている椅子。



 ベッドを子供用から今のベッドに買い替えた時に、父と母が「これも」と買ってくれた来客用のテーブルと二脚の椅子。
 「友達が遊びに来た時に要るだろう?」と父は言ったが、たまに来てくれる友人たちとは一階のリビングで遊んでいた。ブルーの部屋は決して狭くはないのだけれど、遊び盛りの子供たちが駆け回れるほどに広くはない。
 幼い時でさえそうだったのだし、身体が大きくなってきたなら尚更だろうと思ったブルーは父に「テーブルも椅子も要らないよ」と答えたのだが、「いつか要るさ」と買われてしまった。
 今にして思えば、年頃になったブルーが恋人を家に呼んでくることを考えて買ってくれたのかもしれない。広いリビングで向かい合っても落ち着かないだろうし、客間では些か仰々しいし…。
(…そうだったのかも…)
 多分そうだ、とブルーは思った。「いつか要るさ」と父は言ったのだし、遊び友達ならそんなに遠い先でなくとも部屋に遊びに来る筈だ。今の学校に入ってからは皆、クラブなどで忙しいから、学校でしか遊べないけれど…。
 父と母が選んでくれた友達用だか、恋人用だかの来客用のテーブルと椅子。
 買って貰った当時のブルーには「子供らしくない」と思えたセットだったけれど、今はすっかり部屋に馴染んだ。掃除の度に移動させるには立派に過ぎる重さのテーブル。大きさの割にズシリとしたそれは、ハーレイとのお茶に、食事に活躍している。
 椅子も見かけより遙かに重い。木の枠に籐を張った背もたれは軽やかに見えるのに、ハーレイの広い背中もしなやかに受け止めて揺るがない。
(色がハーレイ向きなんだよね…)
 クッションの効いた厚めの座面。深緑と呼ぶには少し淡い色。若々しい苔の緑だろうか。
 父と母とが決めた色だが、今になって見れば前の生でのハーレイのマントを淡くしたような色。子供部屋にしては渋めの色なのに、ブルーは少しも嫌ではなかった。むしろその色の椅子がいいと思えた。軽やかな青などの椅子も店には沢山揃っていたのに。
 ハーレイのマントを思わせる色の椅子だったから、「これでいいよ」と言ったのだろうか。この色が欲しいと思ったのだろうか。
 そう、ハーレイが前の生の記憶など無かった頃から、マントと同じ色をした車を選んだように。



 座面がハーレイのマントの色に似た色の椅子を買って貰って、テーブルも買って。
 いつか其処に座る人が現れるのを待っていたのだ、という気がする。それと気付いていなかっただけで、ハーレイがこの町に来たのと同じようにブルーもハーレイを待っていた。
 ハーレイは隣町からこの町に来て、ブルーが生まれてくるのを待った。ブルーはハーレイが座る椅子を用意して、ハーレイと再会する日を待った。
 なんと幸せな待ち時間だったのだろう。互いに知らずに待ち続けていた運命の相手。前の生から愛し愛された恋人同士で、悲しすぎた別れを帳消しにしてなお余りある幸福の中で再び出会った。
 前の生で行きたいと焦がれた地球。青く輝く水の星に二人で生まれ変わって、其処ではもう誰もミュウを迫害しはしない。人は全てミュウで、穏やかで平和で温かな世界。それが自分たちが住む地球であって、もう誰もハーレイとブルーの間を引き裂きはしない。
(…うん、ハーレイとぼくが恋人同士だって言っても多分、大丈夫…)
 男同士でも結婚出来るし、両親も許してくれるだろう。最初は驚き、慌てふためくかもしれないけれども、その状態を通り過ぎたら、両親ならきっと許してくれる。
 ブルーが恋人を連れて来た時のために、とテーブルと椅子を買ってくれた両親だから、女の子を家に呼んでくる代わりにブルー自身が「お嫁さん」になると言っても、許してくれるに違いない。
 父は「孫が生まれたら遊んでやりたかったんだがなあ…」と残念がりそうで、母も「可愛い孫が見られないのは寂しいわねえ…」とガッカリしそうだが、それでもきっと許してくれる。
 二人とも、ブルーを本当に大切に思ってくれているから。
 ブルーがソルジャー・ブルーの生まれ変わりだと分かった時に、寂しそうだった両親だから。
 前世の記憶を取り戻したブルーが何処かへ行ってしまうのでは、と心配していたブルーの両親。決して口には出さなかったけれど、ブルーにはちゃんと分かっていた。
 その後、ブルーは何処へも行かずに家で暮らしていて、ハーレイが足繁く訪ねてくるだけ。
 両親はとても安心したことだろう。
 ブルーは前と変わらず自分たちの子で、大切な一人息子なのだと。



「…ホントはハーレイ、恋人なんだけどね?」
 とっくに恋人を家に連れて来ちゃっているんだけどな、とブルーは微笑む。
 両親は全く気付いてはいない。
 ハーレイといえば、前世でブルーの右腕だったキャプテン・ハーレイだとばかり思っている。
 それとブルーの守り役を引き受けてくれた教師の顔と、その二つしか両親は知らない。
 キャプテン・ハーレイで教師なハーレイ。
 どちらも正解で、どちらも間違い。
 本当はソルジャー・ブルーだった頃のブルーの恋人がキャプテン・ハーレイ。右腕だったことは真実だったし、周りもそうだと信じていたから今でも歴史書などにはそう書かれている。それでも前世のブルーにとっては恋人だったし、その想いは今も変わってはいない。
 聖痕現象を起こしたブルーが二度と再発させないように、と守り役に就いてくれたキャプテン・ハーレイそっくりな顔の教師が今のハーレイ。生まれ変わったキャプテン・ハーレイである事実は伏せられていて、ほんの僅かな人しか知らない。ブルーの前世の恋人だとは誰も知らない。
 キャプテン・ハーレイで教師だけれども、本当はブルーと恋人同士。
 まだキスすらも交わしていない仲であっても、前の生からの恋人同士。
 そのハーレイがブルーの部屋を訪ねて来る時に腰掛ける椅子。キャプテン・ハーレイのマントの色を淡くしたような色の座面を持った椅子。
 この椅子はきっと、ハーレイを待っていたのだろう。今よりも幼かったブルーの部屋に置かれた時から、座るべき人を待ち続けた。座面の色を濃くしたような色のマントを纏って前世のブルーを補佐し、愛したハーレイが此処にやって来る日を。



(…ハーレイのための椅子なんだよね…)
 ブルーは頬を緩めてハーレイの指定席の椅子を眺めた。
 ハーレイとの初めてのデートになった庭にあるテーブルと椅子も特別だけれど。最初はハーレイが持って来てくれたキャンプ用のテーブルと椅子だったのを、ブルーのお気に入りの場所になって間もなく父が専用のものを買って据え付けてくれた。
 庭で一番大きな木の下に置かれたテーブルと椅子。木漏れ日が射す白いテーブルと椅子は特別な場所で、ハーレイとの初めてのデートの場所なのだけれど、この部屋の椅子はもっと特別な椅子。
 ハーレイのためにだけ存在する椅子。
 買って貰った頃には、重たい椅子とテーブルは子供らしくないと思って見ていたものだ。もっと軽くてシンプルなもので充分なのに、と考えたことも何度もあった。
 それでも何故か嫌いにはならなかった椅子。
 どうしてそうだったのか、今なら分かる。いつかハーレイを迎えるために在る椅子だったから、子供らしくないと考えはしても「取り替えたい」とは思わなかった。椅子に相応しい人が来るのを待っていたから、重たい椅子でも受け入れた。
 改めて見てみれば、ハーレイのために在るような椅子。
 がっしりとしたハーレイが座っても、ビクともしないしっかりした椅子。
 ハーレイの膝の上にブルーが乗っても、二人分の体重を軽々と受け止めてくれる椅子。
 この椅子で良かった、と本当に思う。もしも子供らしく軽い椅子を選んでいたなら、ハーレイと部屋でお茶を飲んだり食事をするには頼りなかったことだろう。
 重すぎるテーブルもまた同じ。二人分のお茶やお菓子や食事の皿を並べて置いても揺らがない。
 ハーレイと二人きりの時を過ごすために誂えたかのようなテーブルと椅子。
 どちらもハーレイを待っていた。
 ハーレイが腰掛ける日を待っていた椅子はきっと、テーブルよりも一日千秋の思いで待っていたのだろう。其処に座るべき人が来るのを、ハーレイが此処に現れる日を…。



(…ふふっ)
 ハーレイのための椅子だと思うとなんだか嬉しい。
 ブルーが生まれる前からこの町に来て待っていたというハーレイのように、自分も部屋に椅子を用意して待ったのかと思うと、とても嬉しい。
 前世ではハーレイとブルーを引き裂いてしまった運命の糸が、今度は二人を結び付けるべく張り巡らされて導いてくれて、奇跡のように再会出来た。
 出会えただけでも幸せなのに、出会う前から二人して出会いの日に備えていた。そうと知らずに家を買って貰って引っ越して来たり、椅子を買って貰って部屋に置いていたり。
 互いに互いを待って、待ち続けて、ようやく出会えた運命の相手。
 まだキスさえも出来ない仲でも、いつか必ず前世でのように結ばれて共に歩み始める恋人同士。
(…今度は結婚するんだよ)
 前の生ではひた隠しにした仲を明かして、祝福されて結婚する。両親は最初は途惑いはしても、きっと許してくれるだろうから。ブルーを大切に思ってくれる両親だから、今度こそハーレイと共に歩みたい、と望めば許してくれるだろうから…。



(…結婚したい、って言う時までは内緒にしないといけないんだけど…)
 両親が腰を抜かすような事態は避けたかった。ハーレイのことは大好きだけれど、今の父と母もブルーにとっては大事な家族だ。
 ハーレイと再会してから間もない頃には「両親がいなければハーレイと一緒に暮らせたのに」と思ったりもしたが、そう考えたのは一瞬のこと。波立っていた心が落ち着いてくると、自分を思う両親の優しさに包まれ、家族が居る幸せに満たされて嬉しくなった。
 前の生では失われてしまった養父母の記憶。たとえ記憶があったとしても養父母で実の親子ではないし、目覚めの日と呼ばれた十四歳での成人検査を境に別れた後は二度と会えない。
 それに比べて今の両親は血が繋がった本物の家族。母はブルーを産んでくれたし、父と母が結婚していなかったらブルーは生まれて来ていない。おまけに成人検査などは無く、十四歳の誕生日を迎えてからもブルーは両親に庇護される子供。大切に育まれている子供。
 温かな家をくれた父と母とを悲しませたいとは思わなかった。だからハーレイと恋人同士であることは時が来るまで伏せなければ、とブルーは思う。腰を抜かして欲しくはないし、恋人であるとバレたハーレイが出入り禁止にされるのも嫌だ。
(…パパとママはぼくが大事だもんね?)
 ハーレイが可愛い息子をたぶらかしたに違いない、と両親はきっと考えるだろう。前世から恋人同士だったとブルーが泣いて訴えたところで「勘違いだ」と切り捨てられるのが関の山。ブルーが充分に大きく育って、恋や結婚が普通な年にならない限りは恋人同士だとは明かせない。



「……早く大きくなりたいなあ……」
 身体だけが早く大きくなっても、年齢がついてこないことには結婚は無理。それでもハーレイに禁止されているキスは出来るようになる筈だ、とブルーは育つ日を夢見ていた。ハーレイとキスを交わして、それから、それから…。
 本物の恋人同士になれる日はいつなのだろう、と考えながらハーレイのための椅子を見た。その向かい側にある自分の椅子とを交互に眺めては溜息をついて…。
(あれっ?)
 キャプテン・ハーレイのマントの色を淡くしたような色をした座面。ハーレイの椅子と、自分の椅子と。テーブルを挟んで向かい合わせに置かれた椅子。
 よくよく二つを見比べてみれば、ハーレイの椅子の方の座面が少しへこんでいる。見比べないと分からないけれど、二つの椅子の厚みが僅かに違う。同じ椅子を二脚揃えて買ったのに…。
(……んーと……)
 二人分の体重だな、とブルーは直ぐにピンと来た。
 向かい合わせで座っている時も多いけれども、ブルーがハーレイの膝に座って甘えていることも非常に多い。そういう時にはハーレイの椅子はハーレイとブルー、二人分の体重をしっかりと受け止め、ブルーの椅子は軽い空気だけを乗せている。
 二人分の体重と、空気だけと。そんな使われ方の差が積もり積もって出て来たようだ。
(…でも、きっと…。ハーレイの体重のせいだと思うよね、ママ)
 がっしりと頑丈な身体のハーレイ。その体重はブルーの倍か、はたまたもっと重いのか。訊いてみたことは無いのだけれども、重いことだけは間違いない。
 もしも母が椅子の厚みの差に気付いたとしても、二人分の体重だとは思わないだろう。ブルーの倍ほどもあるハーレイが圧縮したと考える方が自然で、当然。
(うん、二人分だなんてバレないって!)
 大丈夫、とブルーは笑みを浮かべた。
 たっぷりと厚みのある座面のクッション。キャプテン・ハーレイのマントを淡くした色。
 ハーレイの椅子のクッションの厚みと、ブルーの椅子のそれとの違いが誰の目にも一目で分かるくらいになった頃には、今は小さな自分の身体も大きく育っているのだろうか。
 ハーレイと結婚出来るくらいに大きく育っているのだろうか…。



(…育っているといいんだけどなあ…)
 いつまでもハーレイの膝の上だと嫌だな、とブルーはクローゼットに視線を向けた。
 母に見付かって叱られないよう、鉛筆で微かに付けた印が其処に在る。
 床から百七十センチの高さに引かれた線は、ソルジャー・ブルーだった頃のブルーの背丈。その高さまで背が伸び、大きくなったらハーレイがキスを許してくれる。その日までは膝の上に乗って甘えるだけしか出来そうもなくて、ハーレイの椅子の厚みは減る一方で。
(…厚みだけ減っても悲しいだけだよ…)
 それに見合った分だけ背を伸ばしたい、とブルーは願う。椅子の厚みが減ったのならば、その分だけ背が伸びるとか…。
(でも……)
 再会してから今日までの間に明らかに減ったクッションの厚み。見比べないと分からないほどの差ではあっても、ミリ単位の差が出来ている。それに比べて背丈ときたら…。
(…一ミリも伸びていないんだよね…)
 今の学校に入った直後の身体測定で、ブルーの背丈は百五十センチ。
 ハーレイと再会してから「早く大きくなりたい」と懸命に食べてミルクも飲んで、大盛りランチまで頼んでみたのに、二度目の身体測定の結果は百五十センチちょうどという始末。一ミリすらも伸びてはいなくて、そのまま夏休みに入ってしまった。
 夏休みに伸びる子も多いと聞いたが、クローゼットに付けた印は一向に近付きそうもない。
(……そりゃあ…。大盛りランチは全然食べられなかったんだけど……)
 ハーレイに手伝って貰ったんだけど、と思い出してブルーは悲しくなった。沢山食べる運動部員たちをターゲットに据えた大盛りランチ。頼んだまでは良かったのだけれど、あまりの量に悲鳴を上げそうになっていた所へハーレイが来て代わりに綺麗に食べてくれた。
(…ハーレイ、あれだけ食べられるんだもの…。大きくて重くて当然だよね)
 そのハーレイと自分の体重を受け止めて少しへこんだハーレイの椅子。
 ハーレイの指定席だと示すへこみは嬉しかったが、ハーレイ自身の体重だけで出来たへこみなら倍ほど嬉しかっただろう。自分の小ささを思い知らせてくれる、二人分の体重で作ったへこみ。



(…その内、ハーレイの分だけになるよ)
 きっとそうだ、とブルーは自分に言い聞かせた。
 百五十センチから伸びなかった背丈が伸び始めたなら、ハーレイの膝に乗るには大きすぎると。
 その考えをハーレイが聞いていたなら、「そうか?」と笑うに違いない。
 「お前、大きくなったら本当に俺の膝には座らないのか?」と。
 前の生でソルジャー・ブルーだったブルーは、ハーレイの膝に座っていたのだが…。その状態でキスを強請っていたりもしたものなのだが、今のブルーはその頃の記憶に思い至っていない。
(ハーレイの椅子はハーレイ専用の椅子なんだものね)
 ずっとハーレイを待っていたんだもの、と少しへこんだ椅子を眺めてブルーは微笑む。
 ハーレイがこの町に来てくれたように、自分の部屋にもこの椅子があって良かった、と。
 大好きなハーレイのためだけに、ずっと前から用意されて来訪を待っていた椅子。
 この椅子がすっかりへこんだ頃には、きっとハーレイと結婚出来る。
 キャプテン・ハーレイのマントの色を少し淡くした色の座面を持った椅子。
 ハーレイのための椅子とテーブルを揃えて自分は待った。
 だからきっといつか、ハーレイと……。




         君のための椅子・了


※ブルーが買って貰った椅子とテーブル。ハーレイのために誂えたような色の椅子。
 本当にハーレイを待っていたのでしょうね、いつか現れる筈の恋人を…。

 聖痕シリーズ、4月から更新ペースが上がります。暫くは毎週月曜更新ですv
 書き下ろしショートも増えてきてます、たまに覗いてみて下さいね。
 そして、3月31日はブルー君のお誕生日。桜、咲きました~!
 ←拍手してやろう、という方がおられましたら、こちらからv

 ←書き下ろしショートは、こちらv

 ←最新の更新情報は、こちらv






 ハーレイは実に美味しそうに食べる。
 大きな身体に見合った胸のすくような食べっぷりもさることながら、食べている時のその表情。ブルーの母が作る料理はもちろん、お菓子の類もそれは嬉しそうな顔で味わって食べる。
 幸せそうなハーレイの顔。前の生でもハーレイは食べることが好きだったろうか、と遠い記憶を遡ってみても、思い当たる節は無いのだけれど。
 今のハーレイは本当に何でも美味しそうに食べているから、見ているブルーまで幸せな気持ちになってくる。中でも特に嬉しそうに見えるのがパウンドケーキを口にする時。
 これが好物だと聞いているから、ハーレイの家を訪ねた時にも焼いて貰って持って出掛けた。
 しかし、前の生のハーレイはパウンドケーキが好きだったろうか?
 そんな記憶はブルーには無い。ハーレイが菓子を好んでいたという記憶も無い。
 シャングリラにも菓子はあったし、紅茶を淹れてのティータイムもハーレイと一緒に楽しんだ。紅茶は香り高くはなくて、菓子の材料も豊富にあったわけではない。それでも心癒されるひと時。栄養を摂るための食事とは違う、魂に栄養を与える時間。
 ハーレイと過ごすティータイムは前の生のブルーが好んだものだが、暖かく優しい時間が流れる其処に美味しそうに食べるハーレイの姿はあっただろうか?
 もちろん不味そうに食べていたわけがないし、笑みを絶やしはしなかったけれど。笑みはブルーだけに向けられたもので、今の表情とはまた違ったもの。
 食事を嬉しそうに味わって食べるハーレイは今の充実した生をそっくりそのまま表しているように思えてくるから、ブルーは好きでたまらなかった。
 美味しいものを沢山食べて頑丈な身体を作って、幸せに生きて来たハーレイ。何を食べていても嬉しそうだけれど、一番幸せそうに見えるパウンドケーキにはどんな思い入れがあるのだろう?
 今日も母が焼いたパウンドケーキを美味しそうに味わっているハーレイ。その表情を見ていたら訊きたくなった。どうしてパウンドケーキが一番なのかを。



「ねえ、ハーレイ。パウンドケーキが一番好き?」
「…パウンドケーキ?」
 唐突な質問にハーレイが怪訝そうな顔をする。
「パウンドケーキがどうかしたのか?」
「お菓子の中では一番好きなの? パウンドケーキ」
「いやまあ…。お前のお母さんが作ってくれる菓子はどれも美味いが、どうしたんだ?」
「ハーレイの顔だよ」
 ブルーはニッコリ笑ってみせた。
「パウンドケーキを食べている時が一番幸せそうなんだ。だから一番好きかと思って」
「なるほどな。…うん、お前のお母さんの菓子の中では一番かもなあ」
「やっぱりパウンドケーキなんだ…」
 当たっていた。ブルーの胸にじんわりと充足感が広がってゆく。ハーレイの一番の好物が何か、それを知ることが出来て嬉しい。
 ブルー自身は口当たりの軽いシフォンケーキの方が好きだが、ハーレイはパウンドケーキが好みだと言う。母に強請って次からはパウンドケーキばかりにしたいくらいだけれども、続きすぎたら飽きがくるかもしれないし…。
「なんでパウンドケーキなの?」
 ブルーの問いにハーレイが「ん?」と口に入れたパウンドケーキを噛み締めながら。
「…おふくろの味とそっくりなんだ。ガキの頃から食っていたのと同じ味なのさ」
 ケーキやクッキー、パイにプディング。様々な菓子を作ってくれたというハーレイの母。ブルーの母が作る菓子たちの中で、ハーレイが家で食べていた味にそっくりなものがパウンドケーキ。
「これを食べると子供の頃に戻ったような気がしてなあ…。景色まで浮かんでくるほどだ」
「景色?」
「俺がこいつを食ってた頃のリビングだとかキッチンとかさ」
 今も大して変わっていないが、と懐かしそうな瞳をするハーレイ。隣町にあるというハーレイが生まれて育った家。ハーレイの幸せな記憶と結び付いた味。
 もっと聞きたい、と願うブルーの気持ちが顔に現れていたのだろう。ハーレイは好物のケーキを口に運びながら、思い出話をしてくれた。



 ハーレイの大好きなパウンドケーキ。
 幼い頃から食べていたという、ハーレイの母が焼くパウンドケーキ。
「おふくろは色々と作ってくれたが、お前のお母さんのパウンドケーキを食った時には驚いたな。おふくろの味を此処で食えるとは思わなかった」
「そんなに似てる?」
「ああ。おふくろがコッソリ持って来たのかと思うくらいに同じ味だな、嬉しいもんだ」
 本当に美味い、とハーレイはブルーが大好きな表情でパウンドケーキをじっくりと味わう。
「…お前はまだ小さいから分からんだろうが、俺くらいの年になってくるとな、ふとしたはずみに食いたくなる味が出来てくるんだ。あれをもう一度食ってみたいとか、そういうのだな」
「その気持ち、ぼくにもちゃんと分かるよ、ハーレイ。…ハーレイの野菜スープの味」
 ブルーが寝込んでしまった時にハーレイがたまに作ってくれる。前の生でブルーのためにと青の間の小さなキッチンで作ってくれた野菜スープと同じ味。何種類もの野菜を細かく細かく刻んで、基本の調味料だけで煮込んだスープ。ハーレイ曰く、「野菜スープのシャングリラ風」。
「アレか…。そうだな、あれと似ているかもな」
「でしょ? 食べたら幸せな気持ちになれるよ、ハーレイのスープ」
「そうか。…お前はチビだが、そういえば普通のチビとはちょっと違ったな」
「チビじゃないってば!」
 抗議するブルーに「いや、チビだ」と答えを返して「チビといえば…」とハーレイは続けた。
「お前、ミーシャを知ってるよな? おふくろが飼ってた真っ白な猫だ」
「うん。写真を見せて貰ったよ」
「おふくろが材料を計る横でな、ミーシャがおねだりしていたもんだ。ミルクをくれって鳴いてるんだな、パウンドケーキにミルクは入れないのにな?」
 ケーキ作りの区別がついていなかったんだろう、とハーレイは笑った。ハーレイの母が粉や卵を用意していると足元でミャーミャー鳴いていたミーシャ。牛乳を使うケーキも沢山あるから、その一つだと思い込んでいたのだろうと。
「そういう時の俺の役目がミルクを出してやることだったさ。でないと踏んづけちまうしな」
「…踏むの?」
「おふくろがパタパタ動き回るんだぞ、その足元でおねだり攻撃だ」
「それは確かに踏んづけちゃうかも…」
 ハーレイの母と猫のミーシャと、ミルクを入れてやる子供時代のハーレイと。温かなキッチンが目に浮かぶようだ。幸せに溢れたハーレイが育った隣町の家。
 其処で焼かれたパウンドケーキ…。



 ハーレイの母が作るケーキと同じなのか、と思うとパウンドケーキが特別なものに思えて来た。しかしハーレイは「特別か?」と言いつつ、名残惜しそうに最後の一口を味わってから。
「なんてこったない、ごくごく単純なレシピだからな? 誰が作っても……と言いたいトコだが、どうやらそうではないらしいぞ」
 俺が焼いても何処かが違う、と聞かされたブルーは驚いた。ハーレイが料理をすることは知っていたのだが、まさか菓子まで手作りだとは…。
「おいおい、いつでも作っているわけじゃないぞ? たまにな、そういったものも作りたくなる。せっかくオーブンまで揃っているんだ、使わないとキッチンが可哀相だろうが」
 嫁さんがいない分、俺が使ってやらないと。
 ハーレイはパチンと片目を瞑った。ブルーの瞳がまん丸になる。
(え? …えっと…。お嫁さんがいないからハーレイが焼いているっていうことは…)
 …ということは、ブルーがハーレイと結婚したなら、パウンドケーキを焼くのだろうか? 母が焼くパウンドケーキがハーレイの母の味と同じ味なら、期待をされているかもしれない。ブルーもハーレイが大好きな味のパウンドケーキを焼けるであろう、と。
(…ど、どうしよう……)
 ブルーはパウンドケーキを上手に焼けるどころか、料理の腕すらも実は危うい。家庭科の授業に調理実習なるものが無ければ包丁も上手く使えなかった可能性が大だ。教えて貰ったことは無難にこなすが、レシピを見ながら作るとなると覚束ない。
(……でも……。ハーレイは期待してるかもだし、パウンドケーキ……)
 母に教わるべきだろうか、と困った顔になったブルーにハーレイは笑ってこう言った。
「ははっ、お前にパウンドケーキを焼いてくれとは言わないさ。…料理の腕も期待してないぞ? お前、ソルジャー・ブルーだった頃には何も作っていなかったしな?」
「…そうなんだけど…。ハーレイは作ってくれていたよね、野菜スープを」
 野菜スープのシャングリラ風。
 青の間のキッチンはブルーのための食事を作る場所であって、ブルーが作る場所ではなかった。今と同じ虚弱体質だったブルーに少しでも栄養のあるものを、と料理の仕上げをするための場所。遠い食堂から運ぶ間に味が落ちぬよう、食事担当のクルーが心を砕いていた場所。
 ハーレイは其処でブルーのためにと野菜のスープを作っていた。キャプテンの任務を終えた後の時間に、あるいは多忙な仕事の合間にブリッジを少しだけ留守にして。
 その頃を思い出すと胸が熱くなる。目頭も熱くなってくる。
 自分たちは今、どれほど幸せなのかと。どれほど幸せで穏やかな世界に生まれたのかと…。



 遠い前の生に思いを馳せるブルーに、ハーレイが「おい、ブルー」と声を掛けてきた。
「昔を懐かしんでいるのは分かるんだがな…。あの頃は菓子は作っていないぞ」
「そうだったっけ?」
 ハーレイなら作っていそうな気がした。
 前の生でもミュウらしからぬ丈夫な身体をしていたハーレイ。アルタミラからの脱出直後は確か調理も担当していた。ブルーは何ひとつ作れなかったけれど、ハーレイは船にあった雑多な食材を使って色々な料理を作ったものだ。
 どんな仕事でも器用にこなせる腕を見込まれ、ハーレイはキャプテンに選ばれた。船がどういう状態にあるか、必要とされる物資は何で、するべき作業はどれなのか。船の状況を把握し、適切な判断を下すためには総合的な知識が欠かせない。料理も、もちろん航宙学も。
 そういう経緯を知っていたから、菓子の類も作っていたかと思ったのに。
「お前な…。菓子が作れるくらいに落ち着いた頃には、俺はとっくにキャプテンだったが?」
「それはそうだけど…。趣味か何かで作ってないの?」
「作っていたなら、食わせない筈がないだろう? まずはそういうプレゼントからだ」
「えっ?」
 キョトンとするブルーに、ハーレイがクックッと可笑しそうに喉を鳴らした。
「お前を釣るためのプレゼントさ。甘いものには目が無かったろう?」
「ちょ、ハーレイ…!」
 ブルーの頬が赤く染まった。
 前の生でまだ結ばれてはいなかった頃に、ハーレイが何度も訪ねて来ていた。ブルーの口に合う菓子が出た日に「俺の分も食べろ」と分けてくれたり、ついでに紅茶を淹れてくれたり。他愛ない話をしながらのほんの僅かな時間だったが、ブルーにとっては心安らぐ幸せな時で…。
 思えばあの頃、自分は既にハーレイに心惹かれていたのだろう。菓子や紅茶に釣られたわけではなかったけれども、あれこれと細やかに気遣ってくれるハーレイがとても好きだった。
「思い出したか? 俺の手作りの菓子だと言ったら、一発で釣れた筈なんだがな?」
「ハーレイっ!」
 ぼくは魚じゃないってば!
 照れ隠しに叫んだブルーの頭をハーレイの大きな手がポンポンと叩いた。
「分かった、分かった。…というわけで、菓子は作っていなかったんだが…。これからは、だ」
「これから?」
 何のことだろう、と首を傾げるブルーに、ハーレイは優しく微笑みかけた。
「さっきの料理とパウンドケーキの話だ、ブルー。…お前は自信がサッパリらしいが、安心しろ。お前の代わりに俺が作ってやるから」



 ハーレイが料理をして、パウンドケーキも焼くと言う。
 それはもちろん、今現在の話などでは無いだろう。いつかブルーと共に暮らせる日が訪れたら、ハーレイが料理をするという意味。
 ブルーは驚きに目を見開いたが、ハーレイは「いいな?」と笑みを浮かべた。
「お前は俺が作った料理を美味しそうに食べてくれればいい。それだけで俺は充分なんだ」
「で、でも…。でも、ハーレイ…」
 結婚してハーレイに貰ってもらう立場がブルーなのに。男同士のカップルの場合もそう言うのかどうか分からないけれど、「お嫁さん」にあたる立場になるのがブルーなのに。
 それなのに料理をしなくていいなどと言われても…、とブルーは酷く途惑ったのだけれども。
「それでいいのさ、俺はお前が居るだけでいい。お前と暮らせるだけでいいんだ」
 それにお前が突然、料理をするなどと言い始めたなら、お前のお母さんが何と思うか…。
 お前はこんなに小さいんだから、一人暮らしに向けての準備なんだとも言えんしな?
 その上、パウンドケーキの焼き方を教わりたいとなったら怪しすぎだ。
 パウンドケーキが好物とくれば俺が真っ先に疑われる、とハーレイが笑う。
「出入り禁止にはなりたくないしな。お前は当分、大人しくしてろ」
 俺がお前を貰いに来るまでは妙な真似をして先走るな、と。



「いいか、ブルー。…お前さえいれば何も要らない」
「でも…。でも、ハーレイの好きなパウンドケーキ…」
 ハーレイの大好きな味なのに、と言い募るブルーの髪をハーレイの手がクシャリと撫でた。
「俺の好きな味か? いいんだ、お前が最高の御馳走だからな」
「えっ?」
「お前だよ、ブルー。大きく育って食べ頃になったら俺と一緒に暮らすんだろう?」
「……食べ頃?」
 訊き返した後でその意味に気付いたブルーは耳まで真っ赤になったけれども、ハーレイの表情はそれは幸せそうだった。
 嬉しそうに食事をする時の顔。大好物のパウンドケーキを美味しそうに食べている時の顔。
 あまりに幸せそうな顔だったから、ブルーは「バカッ!」と叫ぶ代わりに飲み込んだ。
 こういう顔をするハーレイが好きだ。
 大好きなパウンドケーキを食べている時でも、食事をしている時の顔でも。
 たとえ「食べ頃」とやらに育った自分を指しているのであっても、美味しいと顔じゅうで語っているから。見ている方まで幸せな気持ちに巻き込んでしまう、この表情が大好きだから…。



(……ぼく、美味しいといいんだけれど……)
 今はまだ食べ頃になっていないらしい自分の細い手足を眺めて、ブルーは少し心配になった。
 期待させておいて裏切ってしまわなければいいが、と思うけれども…。
 きっとハーレイは、今度の生では幸せそうな顔だけをしてブルーを抱いて愛するのだろう。
 何でも美味しそうに食べる今のハーレイ。
 そのハーレイに相応しく、幸せそうな顔だけをしてブルーを食べにかかるのだろう。
(…うん、きっとそうだ…)
 ブルーがハーレイの好みの味ではなかったとしても、今度の生は前とは違う。
 前の生では二人で過ごす甘い時間の合間に、切なそうな顔をするハーレイを幾度となく見た。
 それは戦いに疲れたブルーを気遣う顔であったり、もう朝なのかと短く呟く時であったり。
 どんなに幸せな時を過ごしても、切ない顔をさせてしまった。
 明日は無いかもしれなかったから。明けた夜が二人の最後の夜かもしれなかったから。
 けれど今度の生では違う。
 たとえブルーが美味しくなくても、ハーレイには明日も明後日もある。
 いつか美味しくなるのだろう、と待てる時間が今のハーレイにはたっぷりとある。
 だからハーレイはガッカリせずに食べてくれるに違いない。
 ブルーの大好きなあの表情で、幸せそうな顔だけをして。
 今のハーレイには切ない顔は要らないのだから。
 「今夜で最後なのかもしれない」。
 そんな悲しい思いを抱いて離れなくてもいいのだから。
 ハーレイと二人、繋いだ手をしっかりと握り合わせて何処までも共に歩んでゆくのだから……。




          パウンドケーキ・了


※ハーレイの母が焼くパウンドケーキと、ブルーの母のパウンドケーキは同じ味。
 ブルーも焼けるといいんですけどね、お母さんと同じ味のを。
 
 聖痕シリーズの書き下ろしショート、少しずつ増えてきております。
 増えても告知はしてませんので、たまに覗いてみて下さいねv
 そうそう、3月31日はブルー君のお誕生日です。桜、咲くかな?
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