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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv





今年の梅雨は雨が少なく、いわゆる空梅雨っぽい感じです。真面目に登校し続けている私たちは傘が要らない日が多くて嬉しいですけど、農家の人たちは困っているかもしれません。それでもやっぱり雨の日よりかは断然、曇りか晴れの日なわけで。
「今日もいい感じに降らなかったね、帰る時間まで大丈夫かな?」
放課後の中庭でジョミー君が曇り空を仰げば、シロエ君が。
「さっき調べたら明日の予報は曇り時々晴れでしたよ。梅雨前線も下がっていますし、今日は降らないと思います」
「やったぁ! 実はさ、傘を忘れて来ちゃってさ…。降ったら送って貰うしかないなぁ、と思ってたわけ」
「誰にだ?」
俺の家は反対方向だぞ、とキース君が眉を寄せると「俺だろ」とサム君。
「スウェナもおんなじ方向だけどよ、相合傘になっちまうしさ…。消去法で俺しか残らねえよな」
「男同士の相合傘か…。そいつは俺は御免蒙る」
どのみち反対方向だが、とキース君。
「大体、今朝の予報じゃ微妙な所だったんだ。折り畳み傘くらい鞄に入れておけ」
「そりゃそうだけどさ…。ママにも入口に置いといたわよ、と言われたんだけどさ…」
靴を履いたら忘れてしまった、と頭を掻いているジョミー君に、サム君もすっかり呆れ顔。
「そこまで言われて忘れたのかよ…。もしも降っても濡れて帰れよ、でなきゃ買うとか」
「同感だ。それが嫌なら降る前に帰れ」
今すぐ帰れば大丈夫だ、とキース君が校門の方向を示し、スウェナちゃんが。
「そうね、早く帰るのが一番よ。今日はキースたちも早かったのに残念だけど」
「酷いや、なんでぼくだけ!」
降ったらブルーかぶるぅに瞬間移動送って貰う、とジョミー君に帰る気はありません。え、なんでキース君たちが今日は早いのかって? 今日は柔道部がお休みなんです。この間の日曜日に大会があって遠征したため、代休と言うか、お疲れ休み。キース君たちは大会には出ていませんが…。
大会に出ない理由は特別生だからで、試合の代わりに応援のみ。高校一年生を何度も繰り返し続けているわけですし、出場しちゃったら実力が違いすぎるんです。
「キースたちもいるのに帰ったりなんかしないもんね! 今日は絶対、ぶるぅが凄いおやつを作ってそうだし!」
帰るもんか、とジョミー君は先頭に立ってスタスタと。いっそゲリラ豪雨に降られてしまえ、とも思いましたが、そうなっちゃったら一蓮托生でしたっけ。普通に曇りでいいです、はい…。



降る、降らないと揉めながら生徒会室のある校舎に入り、生徒会室の壁の奥に隠された「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと。壁の紋章に触れて入って行けば…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
フワンと漂う甘い香り。テーブルに大きなタルトが乗っかっています。わぁっ、桃がたっぷり豪華に並んでる~!
「今日のおやつは桃のタルトにしてみたよ♪」
シーズンだもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が切り分けてくれて、焼き立てのタルトに舌鼓。うん、美味しい! 帰らないとゴネていたジョミー君も満足そうです。
「ところで、ジョミー」
会長さんの声にハッと顔を上げるジョミー君。
「えっ、なに?」
「凄いおやつがありそうだから帰らないとか言っていたけど…。これは凄いわけ?」
普通に桃のタルトだけれど、と訊かれたジョミー君は暫し悩んで。
「ママはここまで大きいのは作ってくれないからね! 凄いんじゃないかな」
「…なんだ、予知能力に目覚めたってわけじゃなかったのか…」
「「「は?」」」
予知能力って何ですか? 目を丸くする私たちに、会長さんは。
「そのまんまだよ、予知能力さ。ぼくは全く得意じゃないけど、フィシスの占いは凄いよね? あんな感じでジョミーも予知に目覚めたかと…。一応、タイプ・ブルーだし」
「えーっと…。それって、ぼくのことだよね…。このタルト、ホントにスペシャルだとか?」
食べても分からなかったけれども、とジョミー君が尋ね、私たちもコクコクと。素材が変わっていたのでしょうか? それとも焼き方が特別だとか?
「違うね、桃は桃でもタルトじゃないんだ」
「「「へ?」」」
タルトじゃないって、どう見ても桃のタルトですよ? それに「そるじゃぁ・ぶるぅ」も確かに桃のタルトだと…。
「まあ、これだけで分かれば君たちも凄いわけだけど…。ぶるぅ、持ってきて」
「オッケー!!!」
キッチンに駆けてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。凄い粉でも出てくるのかな? それともこだわりのお砂糖だったり…?



間もなく戻って来た「そるじゃぁ・ぶるぅ」は立派な箱を頭の上に掲げていました。いわゆる桐箱というヤツです。桐箱入りのメロンとかサクランボとかは聞きますけれども、さっきの桃ももしかして…? なんか平たい桐箱ですし…。
「かみお~ん♪ 見て、見て!」
凄いんだから、とテーブルに置かれた桐箱の蓋が開けられ、中身はズラリと並んだ桃。綺麗に整列している上に減った形跡はありません。あれっ、だったら桃のタルトは?
「ふふ、タルトの桃は普通なんだよ」
ぶるぅが選んで買ってきたから立派な桃ではあるけどね、と会長さん。
「だけど、この箱の桃は特別なんだ。ジョミーはそれを予知したのかと思ったけれど、ただのまぐれか…。ちょっと残念」
「どうせ、まぐれだし!」
サイオンだってサッパリだし、と拗ねるジョミー君を他所に、キース君が。
「見事な桃だな。…特別と言うからには銀青様へのお届け物か?」
「それもハズレ。これはぼくへのお届け物だよ、マザー農場からソルジャーへのね」
「「「ソルジャー!?」」」
ソルジャーと言えば会長さんの肩書きです。そう呼ばれることを嫌っていたんじゃなかったっけ、と思いましたし、キース君もすかさず突っ込みましたが。
「いいんだよ、この桃は役得だから」
物を貰って悪い気分になるわけがない、と会長さんは上機嫌。
「特別も特別、もうスペシャルに特別ってね。正真正銘、初物なんだよ」
「初物を食べると寿命が延びるというアレか?」
まだ延ばす気か、と溜息をつくキース君ですけど、悪気なんかはありません。あくまで冗談、あくまでジョーク。会長さんにはいつまでも元気でいて欲しい、というのが私たちの共通の思いです。
「そう、それ! やっぱり寿命は延ばさなきゃ! 三百歳を超えたからには四百歳も超えてみたいし、四百まで行ったら五百歳超えを目指したいよね」
「……ついでに生涯現役なんだな?」
「もちろんさ。シャングリラ・ジゴロ・ブルーに定年は無いよ」
目指せ、元気な五百歳! と会長さんの夢は果てしなく…。縁起担ぎに初物を、と言いたいことは分かりました。でも、この桃の何処がスペシャル?
「マザー農場って言っただろう? そこが重要」
有難い桃を拝みたまえ、と桐箱を指差す会長さん。うーん、普通に桃なんですけど…?



しげしげと桐箱入りの桃を見詰める私たち。サイズも形も皮の色までも見事に揃った白桃です。初物と謳うからには今年最初の収穫でしょうが、その段階で数を揃えるのが難しいとか? あれこれと知恵を出し合ったものの、農作物のことは良く分かりません。
「…お手上げだ。この桃の何処が特別なんだ?」
俺には分からん、とキース君が代表で口を開きました。
「農業も果物も管轄外でな…。御本尊様へのお供え物のチェックはするが」
傷んだ果物をお供えしては失礼だから、とキース君。お供えの果物、普段は旬の物を供えてあるそうですけど、本堂で法要を行う時にはグレードアップするらしいです。法事なんかだと檀家さんの懐具合に合わせてメロンになったりすることも。
「このメロンが後で揉めるんだ。親父はメロンが好物でな。…ウカウカしてると食べ頃にササッと下げて来て冷蔵庫で冷やして一人メロンだ」
あれは許せん、とキース君の眉間に皺が。
「俺だって法事を手伝うんだし、おふくろも裏方で忙しいんだぞ? なのに一人でコソコソと…。普段は包丁も持たない親父がメロンを真っ二つに切ってガツガツとな」
スプーンで掬って食っているのを見付けた時の腹立たしさと言ったら…、と拳を震わせているキース君。けれど私たちの感想の方は違いました。
「…お供え物でもバレバレなんですか、法事のランク…」
袈裟でバレるとは聞きましたが、とシロエ君が呟き、スウェナちゃんが。
「なんだかシビアねえ…。うっかり法事も頼めないわね」
「お、おい! それはだな、そこは気にせず日頃からお寺との付き合いをだな…」
必死に菩提寺との御縁を説き始めるキース君。でも、所詮は袈裟とお供え物でバレるんですよね、法事のランク? お布施が少ないとモロバレなんだ…。
「仕方ないだろう、寺も色々と物入りなんだぞ!」
お供え物で赤字を出すわけには、と言われてみればそんな気も。袈裟だって洗濯機で洗える類のモノじゃないですし、必要経費というわけですか…。
「そんなトコだね、副住職ってヤツも大変なんだよ」
アドス和尚に言われて経理も手伝ってるし、と会長さん。なるほど、メロンの値段なんかにも詳しいのかもしれません。それでも目の前の桃は管轄外で…。
「分からないかな、マザー農場からソルジャー宛のお届け物って辺りでさ」
しかも桐箱、と会長さんは箱を示しています。そういえば会長さんの家で使う野菜はマザー農場の名前が入った段ボール箱入りだったような気も…。桐箱って所が大切ですか?



特別な桃のヒントは桐箱。桐箱入りの果物イコール高価な物のイメージですけど、桃は元々高い果物。桐箱入りだってあるでしょう。うーん、やっぱり分かりませんよ…。
「みんな揃ってお手上げかぁ…。この桃は今年初めて実った桃なんだよ。品種改良を重ねて生まれた新しい木から」
「「「えっ?」」」
「新種だってば、それの初物! もう究極の初物だよね」
それをこれだけ揃えてくるのは大変で…、と会長さんは得意げに。
「何本も育てている木の中から最高の実を選んでお届け! ソルジャーだけの特権さ」
「…ソルジャーだと何度も言ってるな? すると、この桃は宇宙用か?」
きっとそうだな、とキース君が訊けば、大きく頷く会長さん。
「流石、キースは察しがいいね。シャングリラ号で美味しい桃を提供するために改良したのさ、桃はクルーに人気だし…。今までのヤツでも充分に美味しい桃が採れるけど、これは実の数も多めなんだな。ついでに糖度もググンとアップ!」
地球で育てれば更に糖度が増している筈、と会長さんはウキウキと。
「せっかくだから君たちと食べようと思ってね。食べる直前に冷やすのが美味しく食べるコツだし、こうサイオンでいい感じにさ」
「かみお~ん♪ 一人一個ずつ食べるんだよね?」
よいしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな右手が人数分の桃を取り出し、テーブルの上へ。そこに会長さんが両手をかざすと青いサイオンの光がふうわりと。
「よし、出来た! ぶるぅ、剥いてよ」
「うんっ!」
涼しげなガラスのお皿に一人分ずつ盛られる桃。食べやすいサイズに切られてフォークつき。
「「「いっただっきまーす!」」」
さあ食べるぞ、と全員がフォークを握った所で。
「ちょっと待った! ジョミーは食べながら笑うんだね」
「「「へ?」」」
なんのこっちゃ、と奇妙な命令を出した会長さんを見れば、澄ました顔で。
「初物を食べると寿命が延びると昔から言うけど、その時に「笑いながら食べる」と言う人もいる。西を向くとか東を向くとか、そこは地域で変わるようだし…。とりあえず前を向いて笑いながら食べたまえ。傘を忘れたくせに食べ物目当てでやって来たんだ、そのくらいはやって貰おうか」
「えーーーっ!!!」
ヒドイ、と叫んだジョミー君の声は私たち全員に無視されました。人生、笑ってなんぼです。他人様の笑う姿を肴に食べる初物、さぞかし寿命が延びるかと~!



「…う、うう……。食べた気がしない…」
笑いながら食べるって無理すぎる、と突っ伏しているジョミー君。喉に詰めたり咳き込んだりと、ジョミー君と初物の桃の相性は最悪だったみたいです。それを見ていた私たちだって笑いが止まらなかったんですけど、桃はとっても美味しかったですよ?
「そりゃあ、みんなは笑う合間に食べてたし! ぼくのは笑いながらだし!」
逆に寿命が縮んだ気がする、とジョミー君はまだゲホゲホと。
「縮んだって? それはいけないねえ…。もう一個、普通に食べるかい?」
もう笑わなくていいからさ、と会長さんが差し出した桃にジョミー君はマッハの速さで飛び付きました。
「食べる!」
「はいはい、分かった。他のみんなは?」
「そうだな…。今度はしっかり味わいたいな」
さっきは笑い過ぎで味わう暇が、とキース君が手を挙げ、私たちも一斉にハイ、ハイと。桃はまだたっぷりと残っています。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が桐箱から数えて出していると。
「ぼくにも一個!」
「「「!!?」」」
誰だ、とバッと振り返った先で優雅に翻る紫のマント。来ちゃいましたよ、ソルジャーが…。
「桃だってねえ? しかも寿命が延びるって?」
これは絶対食べないと、とソファにストンと腰を下ろした会長さんのそっくりさん。
「こないだノルディの家で桃を御馳走になったんだけどさ、そんな話は無かったよ」
「……ノルディの家?」
また行ったのか、と会長さんはあからさまに嫌そうな顔。しかしソルジャーがその程度で怯む筈もなく…。
「そうなんだよね。いつもは外で食事だけれどさ、たまには家もいいでしょう、って! あそこのシェフも腕がいいから美味しかったな、デザートも特別に作ってくれたし」
ピーチメルバのブルー風、とソルジャーが宙に取り出したメニューには本当にその文字がありました。ソルジャー曰く、凝った外観で美味だったそうで。
「でね、その時にノルディが言ったわけ。「桃というチョイスに私の願望が入っているのですけどねえ」って! 初物の桃を使いました、とも言っていたけど寿命の話は…」
聞いてないなぁ、と呟くソルジャー。エロドクターは如何に高価な桃を取り寄せたかを熱く語っていたようですけど、その前に願望とやらが気になります。桃を選んだら何ですって?



降って湧いた災難ならぬ空間を超えて来たソルジャーは桐箱入りの桃に期待MAX。早く冷やせ、と会長さんにせっつき、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が剥いて器に盛り付けた後はもう夢中。
「うん、美味しい! 宇宙用に開発したんだっけ? ぼくのシャングリラにも欲しいくらいだ」
こっちの植物を持って帰れる環境だったら育てたいな、とパクパクと。
「これで寿命も延びるとなったらお得だよ。そうだ、ハーレイに…」
一切れお裾分けしておこう、とフォークの先から桃が瞬時に消え失せました。空間移動でソルジャーの世界のシャングリラに届けたみたいです。
「ふふ、ハーレイの笑顔もいいねえ…。ブリッジの空気も和むってね」
「「「は?」」」
「え、笑いながら食べるんだよ、って思念を送って口の中に放り込んだのさ。律儀に笑顔でモグモグやったし、ブリッジ中が笑いの渦! キャプテンが執務中に間食なんかをしてるんだから」
甘い果物とは誰も知らない、とソルジャーは楽しげにクスクスと。
「ゼルとブラウにガムを食べたと責められてるよ。もっとバレないモノにしろ、って説教されてる真っ最中。ガムの食べかすが残ってないのも証拠隠滅だと突っ込まれちゃって…。でも、ぼくからの差し入れだろ? それを思うだけで顔が緩むし、緊張感の欠片も無いよね」
あちらのキャプテン、反省の色が無いということで責め立てられているらしいです。それでもソルジャーからの桃の差し入れが嬉しくてたまらず、幸せ一杯、高鳴る鼓動。
「甘い桃の実を食べさせられても幸せ一杯って所が凄いよ。「寿命が延びる初物だってさ」とも伝えといたし、余計かな。あれで大して甘くなければホントに最高だったんだけど…」
ハーレイにはちょっと甘過ぎたかも、とソルジャーは甘い物が苦手なキャプテンの舌を気遣っています。昔は面白がって甘い物を無理やり食べさせたりもしていたくせに、すっかりバカップルになっちゃって…。結婚とはかくも偉大なものか、と感慨深く思っていると。
「ああ、それ、それ! ハーレイに桃を送った時点で忘れてたけど、ノルディの願望!」
その話をしていなかったっけ、とソルジャーがポンと手を叩いて。
「なんで桃をチョイスしてきたら願望なんだ、と思うだろ? だから当然、訊いてみたわけ。そしたらキッチンから生の桃を持って来させてさ…。そう、こんなの」
コレみたいに綺麗な桃だったよ、と桐箱を覗き込むソルジャー。
「で、ノルディが桃をこう指差して」
「触っちゃダメ~ッ!」
パッシーン! と弾ける青いサイオン。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が頬っぺたをプウッと膨らませています。そういえば桃って触ると傷むんでしたっけ…?



桃を触ろうとしたソルジャーに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はおかんむり。
「あのね、食べる時しか触っちゃダメなの! 傷んじゃうから!」
「し、知らなかった…。だってノルディは触っていたし…」
こんな感じで、と手を伸ばしかけたソルジャーから「そるじゃぁ・ぶるぅ」が桐箱を抱えて遠ざけ、触れないように蓋をしようとするのを「ちょっと待って」と会長さん。
「なんだか嫌な予感がするから、この際、きちんと聞いとこう。…ノルディの願望が何だって? この桃で教えて貰おうか。ぼくがサイオンで傷まないようにガードしておく」
ほら、と会長さんがテーブルに一個だけ置いた桃はサイオンで表面がガードされている模様。ソルジャーは「分かった」とスッと右手を出して。
「ノルディは言ったよ、これは何かに似ていませんか、って。生憎とぼくには分からなくってね…。だって、どう見ても桃だろう? 似ているも何も、まるっきり思い付かなくて」
「それで?」
早く、と会長さんが先を促し、ソルジャーの指先が桃に触れ…。
「ノルディがさ、「分かりませんか?」と触ってみせて指でツツーッとね」
この部分を、とソルジャーの白い指がツツーッとなぞった桃の割れ目。私たちは首を傾げましたが、会長さんの頬が見る間に真っ赤に。
「も、もういいっ! もう分かった!」
「本当かい? それでさ、ノルディが言うには、ノルディが本当に食べてみたいのは君らしいよ? ぼくは結婚しちゃったからねえ、前みたいなわけにはいかないし…。でも、気が向いた時に食べさせてくれると嬉しいです、って気持ちをこめてのデザートが桃」
要するに君のお尻だよね、とソルジャーは桃を撫で撫で撫で。そっか、そういう意味だったんだ…。それでデザートにピーチメルバのブルー風か、と私たちは納得、会長さんはズーンと激しく落ち込み中。サイオンに影響しないんでしょうか?
「早い話が、ノルディは一度は突っ込みたいっていうメッセージをデザートに托して寄越したわけだよ、君の柔らかな桃にグッサリ!」
この辺に、とソルジャーが押し込んだ指が初物の桃の割れ目の端にグッサリと。
「「「あーーーっ!!!」」」
「…ご、ごめん……。ガード、緩んでしまってたんだ?」
本当にごめん、と謝りつつもソルジャーは指先を左右にグイグイグイ。
「やっぱり初物は優しく拡げて欲しいよね? そういうテクニックならノルディにお任せ!」
一度食べられてみないかい、と会長さんに微笑みかけたソルジャーですが。
「退場!!!」
その桃を持って今すぐ出て行け、と会長さんが大爆発。今の発言、マズすぎですよね…。



桃を会長さんのお尻に譬えたソルジャー。いえ、元々はエロドクターが始めた譬えのようですけれど、誰が言おうが結果は同じ。よりにもよってエロドクターに「食べたい」と言われ、ソルジャーからは「食べられてみたら」などと言われた会長さんは怒り心頭。
「よくも初物を傷めた上に、気持ち悪いことをベラベラと! 君が食べられてくればいいだろ、ノルディがダメなら君の世界のハーレイに!」
「うーん…。ぼくは食べられて当たり前だし……」
今更どうにも、とソルジャーは退場せずに居座っています。
「それに初物でもないからねえ? もう散々に食べ尽くされたよ、ハーレイにさ」
前も後ろも、と言われましても何のことやら意味不明です。会長さんがレッドカードをぶつけましたし、ヤバイ内容だとは分かるんですけど…。
「退場だってば、君の居場所はもう無いし!」
「そう言わずにさ。なんかこう…。何か無いかな、初物の桃で…」
丸齧りしたら思い付くかな、と自分の指が刺さった桃を皮ごと齧ろうとしたソルジャーですが。
「あっ、そうだ! 究極の初物があったじゃないか!」
初物のダブル、と何か閃いたらしいソルジャー。
「でも、その前に…。桃って温まっても傷むんだよね?」
「…もう傷んでると思うけど…」
思いっ切り、と会長さんが指摘し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大真面目に。
「傷んじゃうよぅ、食べるんだったら早く食べてね? 食べないんだったらシロップ煮にして…」
「あっ、シロップ煮は勿体ない! 美味しい桃だし、ここは生食!」
キィン! と青いサイオンが桃を包んで、一気に冷却。ソルジャーは「はい」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手渡して。
「剥いてよ、ぼくが食べるから」
「うんっ! だけど他のは触らないでね」
桃はとってもデリケートなの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は素直に剥き剥き。親切に切ってソルジャーのお皿に一切れずつ入れ、それをソルジャーがポイポイと口に。ああ、せっかくの初物が…。マザー農場の新種に実った最高の初物が勿体ないことに…。
「え、食べてるんだからいいだろう? すぐに食べたし、味は落ちてないよ」
多分ね、と言いつつフォークで刺しては口の中へと。このソルジャーに本当に味が分かるのかどうか、甚だ疑問ではありますが…。



こうしてソルジャーも二個目の桃を完食。そう、一個目の時はいませんでしたし、二個目です。それを考えれば私たちと同じ数だけ食べたのですから特に問題は無いような…。ただ、桃の扱いが最悪だったというだけで。
「美味しかった―! そうだよ、ぼくも君たちと同じで二個食べただけ!」
だから四の五の言わないで、とソルジャーは桃の果汁が付いていた指先を舌でペロリと。
「でもって、究極の初物だけどさ。初物を食べるのに相応しい人物を思い付いたよ、それだと初物のダブルになるんだ」
「「「???」」」
初物のダブルって何でしょう? 如何にも有難そうですが…。
「分からないかな、こっちのハーレイ! 初めての相手はブルーだけって決めているよね、そのハーレイがブルーを食べれば初物同士でダブルだってば!」
「お断りだよ!」
何故ハーレイに食べられなくてはいけないのだ、と会長さんは拳をブルブルと。
「ノルディも嫌だしハーレイも嫌だ! 大体、食べられたいなんて思ってないから!」
「…それは残念。初物のダブルで凄く寿命が延びそうなのに」
「だったら君が食べればいいだろ!」
ハーレイだけなら好きにしろ、と柳眉を吊り上げる会長さん。
「ぼくは絶対ご免だけどね、初物にこだわりたいならハーレイを食べてもかまわない。ただし許すのは食べる方だよ、食べられる方は許可しない!」
そっちだとぼくのリスクが上がる、と会長さんは厳しい声で。
「君がハーレイに食べられちゃったら、ハーレイは童貞喪失だ。開き直った上に経験値も上げたハーレイなんかに押し倒されるのは最悪すぎる。やるなら君が食べる方!」
「…それって、ぼくに襲えと言ってる?」
「そうだけど? 君のハーレイとそっくり同じのハーレイに突っ込む度胸があるなら、褐色の桃を食べてきたまえ。もちろんハーレイは初物だから!」
げげっ。なんてことを言い出すんですか、会長さん…! 私たちにはイマイチ分かっていませんけれども、ソルジャーに教頭先生を食べてしまえと唆していることは火を見るよりも明らかです。
「褐色の桃ねえ…。そりゃあ絶対、初物だろうね、褐色の桃も。…童貞なんだし」
「あんなのを食べたがる人はいないよ!」
いるわけがない、と怒鳴る会長さんに、ソルジャーはチッチッと指を左右に振って。
「それはどうだか…。蓼食う虫も好き好きだからさ、中にはそういう趣味の人も……ね。ぼくは違うけど、食べて食べられないことはない!」
褐色の桃にいざチャレンジ! とソルジャーは燃え上がってしまいました。初物を食べて寿命を延ばす魂胆なのか、単に食べたいだけなのか。どちらにしても理解不能な世界ですってば~!



マザー農場からのお届け物に端を発した初物騒動。白桃ならぬ褐色の桃、すなわち教頭先生のお尻を食べようと狙い定めてしまったソルジャーを止められる人はいませんでした。そもそも煽ったのが会長さんです、私たち如きでは手も足も…。
「じゃあ、明日の夜に食べに来てみるよ。土曜日だしね」
君たちもおいでよ、とソルジャーは心浮き立つ様子。
「見事食べたら拍手喝采! それにダメでも土曜の夜だし、帰ればぼくのハーレイがいるさ」
「…そっちは食べられる方のくせにさ」
それに初物でもないと思う、と会長さんが突っ込みを入れれば、ソルジャーは。
「うん。初物を食べる方は上手く行けばの話だからねえ、失敗した時は仕方ない。褐色の桃を食べ損なったらハーレイに慰めて貰うんだよ。土曜の夜の基本はヌカロク!」
ハーレイの方もそのつもりだし、とソルジャーは自慢していますけれど、未だにヌカロクは謎の言葉です。ソルジャーが喜ぶ大人の時間の内容なのだ、と漠然と掴んでいるだけで…。
「それじゃ、また明日! 行く時はちゃんと声を掛けるから!」
御馳走様~! とソルジャーが姿を消した直後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「あーーーっ!! 一個、減ってる!」
慌てて覗き込んだ桐箱の中身を数えてみると、一人二個ずつ食べた数より余分に一個、減っていました。初物にこだわっていたソルジャーが持って帰ったに違いありません。褐色の桃だけでは足りないのか、と会長さんが怒っていると。
『かみお~ん♪ 桃、美味しかったぁ~!』
一口でペロリと食べちゃった、と届いた思念は大食漢の「ぶるぅ」のもの。ソルジャー、「ぶるぅ」にも初物を食べさせたかったのか、と少し見直す私たちに「ぶるぅ」は「うんっ!」と元気に思念を送って寄越しました。
『種も飲み込んじゃったんだけど…。えとえと、お腹から桃が生えるってホント?』
『『『は?』』』
『ブルーが笑って言ってたの! 来年はお前のお腹の上で桃が採れるよ、って!』
そしたら食べ放題だよね、と食い気満々の「ぶるぅ」はソルジャーに似たらしいです。お腹から桃が生えて来ちゃったら食べるどころじゃなさそうですけど、あの「ぶるぅ」なら食べるかも…。でもってソルジャー、「ぶるぅ」が飲み込んだ種が排出されたら栽培しようとしていたりして?



そうこうする内に来ました、土曜日。自分の家から拉致されるよりは、と会長さんの家に集まっていた私たちの前に、夕方になってからソルジャーが。
「こんばんは……には少し早いかな? この間は桃、ありがとう。ぶるぅが一口で食べたお蔭で種は一応、手に入れた。あっちの世界のアルテメシアから持ち帰ったってことで検査中だよ」
問題無ければ育てるんだ、とソルジャーは自家製の桃を夢見ています。マザー農場で作った桃がお役に立つなら幸いですけど、褐色の桃は…?
「もちろん、そっちが今日の目的! ぼくのハーレイと仕切り直しになるケースも考えて早めに…ね。こっちのハーレイはちょうどお風呂に入っているし」
もうすぐ食べ頃、とソルジャーは私たちを見回して。
「寝室に隠れててくれるかな? シールドはブルーとぶるぅでいいだろ、モザイク係も」
「かみお~ん♪ みんなでお出掛けだね!」
わぁーい! と飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何が何だか分かってはおらず、会長さんも野次馬根性。私たちは抵抗の声を上げる暇も無く瞬間移動で運ばれてしまい…。
「ふふ、来た、来た。行ってくるね~!」
食べてやる、とソルジャーがシールドから出てゆき、寝室に入って来た教頭先生と鉢合わせ。バスローブ姿の教頭先生、声も出ないほどビックリ仰天でらっしゃいますが。
「こんばんは、ハーレイ。実はね、君にお願いがあって」
「…は、はあ……」
「君のさ、此処に用事があるんだけどね」
バスローブの上からソルジャーの手が教頭先生のお尻をサワサワと。教頭先生、耳まで赤く染めつつ、それでも必死に。
「お、お気持ちは嬉しいのですが…。私は初めての相手はブルーだと決めておりまして…」
「分かってる。だからそっちの初めてじゃなくて、こっちのね」
初物を是非欲しいんだけど、とバスローブの下に手を突っ込まれた教頭先生がギャーッと悲鳴を。
「そ、そっちは…! わ、私にはそっちの趣味は全く…!」
「ぼくは初物を食べたいんだよ。ケチついてないで食べさせてってば、こっちなら別にかまわないだろう?」
将来に向けての勉強にもなるし、と反則技のサイオンでベッドに押し倒されて裸に剥かれた教頭先生に圧し掛かるソルジャー。これは本気でヤバそうです。教頭先生はバタバタと暴れ、ギャーギャー喚いておられましたが…。



「…うーん、ダテに古典の教師をやってはいなかったか…」
ああいうオチとは、と会長さんが自宅のリビングで大きく伸びを。私たちは瞬間移動で戻ったばかりで、ソルジャーだけが足りません。教頭先生の家へ置いてきたのかって? いいえ、とっくに自分の世界にお帰りで…。
「んとんと…。終わり初物だっけ?」
初めて聞いたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。初物狙いのソルジャーに向かって教頭先生が絶叫した言葉が「終わり初物」というヤツでした。曰く、「あなたの世界のハーレイこそ、立派な終わり初物だと思いますが!」。
「…旬を過ぎてから成熟したヤツのことを言うんだったか?」
俺も初耳だが、とキース君が確認すると、会長さんは。
「そうだよ、そう呼んで珍重される。でもってハーレイが叫んだとおり、あっちのハーレイはそれだろうねえ…」
「結婚した時点で旬が終わっています、って必死に叫んでらっしゃいましたね」
確かに結婚はゴールでしょうけど、とシロエ君。
「いいんじゃねえか? それで納得して帰ったんだしよ、あっちの世界に初物を食べに」
終わり初物でも初物だよな、とサム君が言えば、マツカ君が。
「そっちも寿命が延びるんでしょうか?」
「さあね」
そこまでは保証の限りではない、と会長さんが宙に目を凝らして。
「…少なくともこっちのハーレイの寿命は延びたね、終わり初物なあっちのハーレイに助けられたって感じかな? お風呂に入り直してホッと一息、丁寧にお尻を洗っているさ。命拾いした褐色の桃を」
「「「………」」」
ソルジャーが何処まで何をやらかしたのかは、モザイクサービスのお蔭で謎だらけ。ソルジャーがダメにしかかった白桃みたいな事態になったか、はたまた撫でられただけで済んだか、どっちでしょう? どちらにしても災難ですけど…。
「災難だって? あの程度で済んだら幸運だよ、うん」
もっと酷い目に遭っていれば、と会長さんは悔しそう。二度と会長さんの前に出られないほどの恥ずかしい目に遭わされてしまえば良かったのにとか言ってますけど、元凶のソルジャーは終わり初物を召し上がっている頃でしょう。ソルジャー、寿命は伸びそうですか? 末永くお元気で地球を目指して下さいね~!




       初物が欲しい・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 教頭先生受難の巻ですが、ソルジャーが召し上がった終わり初物はソルジャー受け。
 受けであっても「自分が食べる方」だと認識するのがソルジャーです。
 
 シャングリラ学園シリーズは4月2日に本編の連載開始から7周年を迎えます。
 7周年記念の御挨拶を兼ねまして、4月は月に2回の更新です。
 次回は 「第1月曜」 4月6日の更新となります、よろしくです~!


毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、3月もドクツルタケことイングリッドさんを引き摺り中…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv








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「…ブルーの家に寄るには少し遅いか…」
 仕事を終えて学校の駐車場へと向かう途中でハーレイは腕の時計を眺めた。
 あと一ヶ月ほどで夏至になる季節。日暮れが遅いからまだ明るかったが、ブルーの家では夕食の支度を始めているだろう。ハーレイが行けばブルーの母は必ず夕食を御馳走してくれる。なによりブルーがハーレイと一緒に食べたがるのだ。
(…今から行ったら予定が狂ってしまうだろうしな…)
 途中から一人分を追加することが難しいメニューも多い。自分で料理をするハーレイにはそれが分かるし、ブルーの母に迷惑をかけるわけにはいかなかった。ブルーが強請れば、彼女は一人分の料理を別に作ってでもハーレイを歓待するだろう。
 ブルーの家へ出掛けてゆくには遅すぎる時間。さりとて真っ直ぐ家に帰るには早過ぎた。以前のハーレイなら早く帰っても凝った料理にチャレンジするなど有意義な時間を過ごしたのだが、最近それが苦手になった。
 一人で過ごすには広すぎる家。
 ブルーと劇的な再会を遂げて前世の記憶を取り戻して以来、ふとした折に孤独を感じる。自分の隣に居るべき存在、前世で愛したソルジャー・ブルー。その生まれ変わりのブルーがいない。前の生で常に姿を追い続けていたブルーがいない、と思ってしまう。
 思いはブルーの許へと飛んで、側に居ない温もりを求めてしまう。
 まだ十四歳にしかならないブルーを側に置くことは出来なかったし、不可能なのだと分かってはいても無性にブルーが欲しくなる。前の生で失くしてしまったブルーが欲しい、と。
 前世で心に負った傷は深く、ブルーを喪ってから自分が死を迎えるまでの間に苦しみ続けた辛い記憶がハーレイを今も苛んでいた。
 どうしてブルーの手を離したのか、メギドへ行かせてしまったのかと。
 ブルーは地球に生まれ変わってハーレイの許に戻ったけれども、未だ共には暮らせない。逢瀬を重ねても別れは来るし、縋るような目をするブルーと離れて一人住まいの家に帰るしかない。
 小さなブルーは別れを酷く悲しがったが、ハーレイもそれは同じであった。
 目の前に愛おしいブルーが居るのに、連れて帰ってやれない辛さ。離れ難さがよく分かるだけに身を切られるような思いを隠して優しく微笑む。「ブルー、またな」と。



 ブルーのいない家で早めの夕食を摂るのも何処か寂しい。ブルーと共に暮らしていたなら、早く勤務が終わった時には満ち足りた時間を過ごせるだろうに。
(…どうするかな…)
 車の運転席に乗り込んだ後、シートに背を預けて暫し考えを巡らせた。その辺りを少しドライブするか、ジムに寄って軽く泳いで帰るか。それとも…、と選択肢を幾つも挙げてみていて。
「そうか、今から行くにはピッタリだな」
 前世の記憶を取り戻してから行ってみたいと思っていた場所。ハーレイは車のエンジンをかけ、町の中心部へと走らせた。駐車場に停め、側のビルへと向かう。前の生の記憶を持ったハーレイが初めて足を踏み入れる書店。以前から馴染みの店であったが、今日の目的はまるで違った。



 昔から見慣れた入口をくぐり、以前だったら覗いたであろう棚を横目に店内を歩く。
 真っ直ぐに歴史関連のコーナーを目指し、目的の写真集を手に取る前にぐるりと見渡して眩暈を覚えた。ズラリと並んだ前世の自分の航宙日誌。かなりのスペースを占めているそれは手軽な文庫版から、ハーレイ自身が書いた文字をそのまま写した研究者向けの高価なものまで。
(…改めて見ると頭痛がするな…)
 今や超一級の歴史資料となってしまった航宙日誌。後進の標になればと記しはしたが、こうなるとは思いもしなかった…。
 苦笑しながら目当ての写真集を開き、何枚かの写真を確認してから購入を決める。値は張るが、ブルーも喜びそうなそれ。ミュウたちを乗せた白い楽園、シャングリラを収めた写真集。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 シャングリラは過ぎ去った時の流れが連れ去ってしまい、もはや何処にも残ってはいない。
 けれど写真は豊富に残されていたし、この本もそれを収めた一つだ。ブルーと共に過ごした船の写真が欲しい、と思って直ぐに情報を集め、これが良さそうだと判断していた。それでも買うなら実物を見て、と考えていたから今日が絶好の購入日和。
(…うん、ブルーにもこれを教えてやろう)
 子供のブルーが自分で買うには高すぎるのだが、大人だったら充分に買える。ブルーの前の生が何であったかを知るブルーの両親なら、強請られれば喜んで買うだろう。彼らにとってはブルーは大切な一人息子で、目に入れても痛くないほどの可愛がりようはハーレイもよく知っていた。
(ブルーは見た目も可愛いからな)
 特に今は、と十四歳の小さなブルーを思い浮かべて微笑んだ。
 前の生で愛したソルジャー・ブルーは気高く美しかったが、今のブルーは愛らしい。ハーレイに甘える仕草も、その面立ちも目を細めずにはいられないほどで。
(ブルーか…)
 視線を棚の方へと戻す。写真集を集めて並べた棚にはブルーの名前も沢山あった。



 ソルジャー・ブルーの名前を冠した写真集の群れ。
 ミュウの初代の長、伝説のタイプ・ブルー・オリジンであった事実もさることながら、ブルーは他を圧倒するその美貌ゆえに今も絶大な人気を誇る。ジョミーやキースよりも数多いブルー個人の写真集たち。それだけニーズがあるのだろうし、売れ筋の本でもあるのだろうが…。
(…人気俳優並みだな、これは)
 明らかにビジュアルに重きを置いたと思しき写真集が並んだ中に、ふと目を惹かれた一冊の本。タイトルは『追憶』、その副題がソルジャー・ブルー。
(追憶か…)
 ハーレイはそれを手に取ってみた。
 此処に並ぶような写真集たちを出版できるほどにブルーの写真はあっただろうか?
 ブルーがメギドへと飛び去った後に、ハーレイ自身もブルーの写真を何度も探した。もう永遠に戻ってはこない愛しい者を探し求めて、シャングリラのデータベースをくまなく探った。けれども其処に残されたものは戦闘の記録の映像だったり、ブリッジに立つブルーだったり。
 何処を探してもハーレイの愛したブルーは居なくて、ソルジャー・ブルーの映像ばかりで。今の生で目にした写真の中でも、一個人としてのブルーの表情を見た覚えは無い。
 案の定、ソルジャー・ブルーであったブルーばかりを集めて編まれた写真集。
 しかしブルーは記憶にあるままに気高く凛々しく、また美しく…。
 青の間で昏睡状態に近い状態であった時でさえブルーの美貌は損なわれはせず、儚さも加わって天の御使いのような雰囲気を醸し出していた。
 これほどまでに美しかったか、とハーレイは改めて彼の人を想う。
 次の世代を自分に託して飛び去ってしまった前世の恋人。
 喪ってしまった悲しみの内に自分の生は終わったけれども、遙かな時を経た今になっても一枚の写真が自分の心を固く捕えて離さないほどに、彼の人は美しかったのかと…。



(…買うか)
 アルタミラ時代の写真が無いのが気に入った。
 普通は必ず入っている。もっとも、それはハーレイ自身が遠い少年時代に憧れのヒーローとしてソルジャー・ブルーを見ていた頃の記憶であって、昨今は入っていない写真集の方が主流なのかもしれないが…。とはいえ、ブルーにとっては苦痛でしかなかった時代の写真が無いのはいい。
(これはなかなか…)
 良心的な、と捲っていた手がピタリと止まった。
 最後の章へと移る前に挟まれた一枚のページ。そこに禍々しいメギドの写真。
(…まさか)
 震える指で捲った先に、ハーレイの知らないブルーが居た。
 人類軍の艦船がひしめく中を、青い尾を曳いて宇宙空間を飛翔してゆくブルー。
 ハーレイが初めて目にする写真。
(…これ以上は…)
 此処ではとても見られない。此処でページを繰る勇気は無い。
 けれど自分は見なくてはならない。
 恐らくはブルーの、前世のブルーの生が終わった瞬間までをも捉えたであろう写真たちを。
 ハーレイはその一冊をシャングリラの写真集に重ね、黙ってレジへと差し出した。



 帰宅して、部屋の明かりを点けて。ハーレイは先に夕食を作り、機械的に胃へと流し込んだ。
 明日も学校へ行かねばならない。顧問を務める柔道部の指導もあるし、自分の授業時間もある。身体にダメージを与えないよう、栄養だけはしっかりと摂った。
 それから早いシャワーを浴びてパジャマを着ると書斎へと向かう。もうパジャマ一枚でも冷える季節ではないし、夜更かしをしても大丈夫だろう。
 机に置いてあった袋の中から二冊の本を取り出した。シャングリラの写真を収めたものと、前の生で愛したソルジャー・ブルーの『追憶』という名の写真集と。
 自分の記憶には全く無かったメギドへと飛ぶブルーの写真。その先の写真もきっとある筈だ。
 見なくてはならない。けれど、直ぐに見るだけの勇気が自分には無い。
 気持ちだけでも落ち付けようと、シャングリラの写真集を先に見ることにした。
 大判の写真集のページを捲ってゆけば、思った通りに懐かしいそれ。
 自分が舵を握っていた船。ブルーと共に暮らしていた船。
 其処にブルーは居なかったけれど、青の間を収めた写真に心が少し癒された。
 青の間のベッドで長く伏せっていたブルー。
 最後の力を振り絞るようにメギドへ飛んで行ってしまったけれども、ブルーは前の生で焦がれた地球に生まれ変わって帰って来た。
 十四歳の幼いブルーがこの地球の上で生きている。
 ブルーは帰って来てくれたのだ、と自らに強く言い聞かせてから、ハーレイは表紙に『追憶』と書かれたソルジャー・ブルーの写真集をそっと手に取った。



 書店では最初の一枚だけで挫けてしまった最後の章。
 それはハーレイが思ったとおりに人類軍が撮影していた映像から起こしたブルーの最期。
 青く輝くサイオンの尾を曳き、宇宙空間を駆けてゆくブルー。自らの身を融かしながら長い尾を曳く彗星さながらの、ブルーの命の最後の輝き。
 哀しいほどに澄んだ命の青。地球よりも美しいとまで思ってしまう青を纏ってブルーが飛ぶ。
 漆黒の宇宙空間を飛翔し、メギドに辿り着き、その装甲をサイオンで破った後に消え失せた姿。メギドの内部に入り込んだブルーを捉えた写真は一枚も無い。メギドの中にも監視カメラは幾つも在ったのだろうが、それらが捉えたブルーの姿はメギドと共に宇宙に消えた。だから…。
(この時、ブルーは…)
 爆発の兆しが見えるメギドから離脱してゆく赤い戦艦。人類軍の旗艦、エンデュミオン。
 この時、ブルーはメギドの中で生きていたのか、既に息絶えてしまっていたのか。
 ハーレイの温もりを失くしてしまった、とブルーは言った。
 右の手が冷たくて、独りぼっちになってしまったと。
 小さなブルーの身体を染めた夥しい鮮血と同じ傷を負い、右の瞳まで撃たれた痛みのあまりに、ブルーはメギドで独りきりになった。
 最期まで覚えていたいと願ったハーレイの温もりを失くし、右手が冷たく凍えてしまった。
 ハーレイの温もりさえも失くして、独りぼっちで。
 縋る者さえいない所で、ブルーは泣きながら逝ってしまった。右の手が凍えて冷たいと泣いても誰も来ない場所で、ハーレイも今の今まで見たことも無かった暗い宇宙で…。
(ブルー…。お前は、こんな所で逝ったのか…。独りきりで逝ってしまったのか…)
 人類軍が撮っていた映像に残された、メギドの爆発。
 ハーレイが愛したブルーの身体を巻き込み、忌まわしいメギドは宇宙に沈んだ。
 最後に写った青い閃光。
 たった一人で泣きじゃくりながら、この爆炎の中でブルーは逝った。
 ブルーがいつまで生きていたのかは定かではないが、この瞬間にはもう居なかったのだ…。



(ブルー…!)
 ハーレイの瞳から堪え切れない涙が零れた。
 ブルーを守ると誓ったのに。
 守ってやると誓いを立て続けたのに、ハーレイは何ひとつ出来なかった。
 行こうとするブルーを引き止めることも、飛び立ったブルーを追い掛けることも。
 青い光の尾を曳いて飛ぶブルーの最後の飛翔すらをも、ハーレイは見てはいなかった。
(…ブルー、お前は…。お前は、たった一人で飛んで……)
 一人きりでメギドへと飛んで行ったブルー。
 そしてハーレイの居ない所で、ハーレイが己の命ある間に目にすることすら一度も無かった光景の中でブルーは逝った。
 どうして追わなかったのか。……どうして追えなかったのか。
 生ある間に何度自問し、幾度涙したことだろう。
 喪ったもののその大きさに、別れの言葉すらも交わすことなく逝ってしまったブルーの姿に。



「ブルー…っ!」
 気付けば声を上げて泣いていた。
 前の生の自分が眠れぬ夜にそうしたとおりに、ブルーを失くした悲しみの中で。
 もういない。
 ブルーは何処にもいない。
 自分が追い掛けなかったから。
 その手を掴んで引き止めることも、共に逝くこともしなかったから…。
「ブルー…。ブルー……っ!」
 どうして逝った、と慟哭してもブルーは決して帰ってはこない。
 メギドと共に散ってしまった。暗い宇宙に消えてしまった。
 その瞬間を捉えた写真が残酷な真実を突き付けてくる。
 ブルーはいない。
 二度と帰っては来ないのだ、と。



「ブルー…っ!!」
 泣きながら拳を打ちつけた机。
 そこからドサリと音を立てて床に落ちた本。ハーレイは床に濡れた目をやり、其処に見付けた。
 白く輝く優美な船。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 その船は此処に在るのではなく、買って来た写真集の中。
 シャングリラは流れ去った時が連れ去り、もはや何処にも残ってはいない。
 在りし日を今に伝える写真が編まれて自分の手元に在るだけであって…。
(……そうだ)
 ハーレイはようやく我に返ると、写真集を拾って机の上に置いた。
 白いシャングリラが表紙を飾った大きな本をパラパラと捲り、パタリと閉じた。
 今はもう無い、ブルーが命を捨てて守ったシャングリラ。
 自分は時を越えたのだった。
 信じられないことだけれども、奇跡のように長い長い時を飛び越えて来た。
 ブルーを喪った悲しみの中で嘆き続けた生は終わって、青い地球の上にハーレイは居る。
 同じ地球の上に、この同じ町にブルーが居る。
 このシャングリラの写真集のことを教えてやろうとハーレイが思った、十四歳の小さなブルーが生まれ変わって愛らしい姿で生きているのだ。
 それは夢でも幻でもなく、儚く消えてしまいもしない。
 今度こそ守ると誓ったブルー。
 幼く無垢な十四歳のブルーがハーレイを慕い、「好きだよ」と何度も繰り返して言う。
 前の生で愛したブルーと変わらぬ強さでハーレイを想う小さなブルー。
 違うのはただ、その身体だけ。
 身体に合わせて年相応に幼く無邪気な、その心だけ……。



「ブルー……」
 ハーレイはほうっと吐息をついた。いつの間にか夜が更け、もう少ししたら日付が変わる。
(…ブルー。明日はお前に会いに行こう)
 仕事を早く終わらせてからブルーの家まで出掛けよう、と決心した。
 学校に行けばブルーが欠席していない限り、その愛らしい姿を見られる。「ハーレイ先生!」と自分を呼ぶ声も聞ける。けれど、学校で顔を合わせるだけでは、ブルーが居るという実感が無い。つい先刻まで自分を呪縛していた前世の記憶を拭い去るだけの確かさが無い。
 小さなブルーを強く抱き締め、その温もりを確かめること。
 今のブルーは幼すぎるから口付けすらも叶わないのだが、せめて抱き締めて確かめたい。
 自分が愛したブルーは間違いなく此処に生きていると。
 生まれ変わって地球の上に居て、同じ町に住んでいるのだと…。



 そして次の日、勤務を終えたハーレイはブルーの家へと急いだ。来客用のスペースに車を停めている間にブルーの母が気付いて門扉を開けに来る。ブルーも二階の自分の部屋の窓から見たのか、下りて来て玄関の扉を開けた。
 制服姿ではない小さなブルーが「ハーレイ!」とそれは嬉しそうに微笑んで。
「来てくれたの?」
 晩御飯、食べて行ってくれるよね、と顔を輝かせるブルーに「ああ」と答えた。
「もちろん今日はそのつもりだ。お前に見せたいものもあるしな」
「なあに?」
「いい写真集を見付けたんだ」
 これだ、とシャングリラの写真集を入れた袋を示せば「写真集?」と赤い瞳が丸くなる。
「ああ。ちょっと高いが、懐かしい写真が沢山あるぞ」
「何の写真?」
「シャングリラさ」
 お前の部屋でゆっくり見るか、と袋を渡すと「うんっ!」とブルーは自室の方へと駆け出した。階段をパタパタと上り、「ハーレイ、早く!」と手を振るブルー。
「分かった、分かった。直ぐに行くさ」
 返事を返して、ブルーの母に急な来訪を詫びてから二階へと上る。
 夕食の前に訪れた時でも、ブルーの母はお茶とお菓子とを必ず届けに来るのだけれども、普段のように「おかわりは如何ですか?」と上がっては来ない。夕食の支度が整うまではブルーと二人でゆっくり過ごせる。
(…今日は思い切り甘やかしてやろう)
 ブルーを膝の上に座らせて、二人で写真集を見て。
 懐かしくてたまらない写真に出会ったら、写真集の出番は其処までだ。
 後はブルーを抱き締める。
 奇跡のように生まれ変わって戻って来てくれた愛しい者を。
 あの日、ブルーが冷たいと泣いた右の手を握って温めてやりながら、その温もりを確かめる。
 ブルーは此処に生きていると。
 この青い地球の上に生まれ変わって、今度こそ共に生き、今度こそ守り抜くのだと。
 今度こそブルーを離さない。今度こそブルーを離しはしない。
 飛び去る背中を見送ったりは決してしないと自らに固く誓いを立てる。
 自分の命はブルーのもの。今度こそブルーと共に生き、その手を決して離しはしないと……。




       慟哭の追憶・了


※シャングリラの写真集と一緒にハーレイが買った、ソルジャー・ブルーの写真集。
 辛い思い出が蘇る一冊ですけど、大切に持ち続けることでしょう。

 ハレブル別館の拍手御礼ショートショートの再録場所が出来ました。
 聖痕シリーズの書き下ろしショート置き場を兼ねております、よろしくですv
 拍手頂けると管理人の「やる気」が出ます。気に入って頂けたみたいだな、ってね。
 ←拍手頂けると嬉しい、拍手部屋。御礼ショートショート付きですv

 ←過去のショートと書き下ろしショートは、こちらv







 ハーレイの車。
 学校では教師専用の駐車場に置いてあるから、ブルーにはどれがそうなのか分からなかった。
 実は一度だけハーレイはブルーの家に車でやって来たのだが、それは二人が再会した日。学校で大量出血を起こして救急搬送されたブルーが帰宅した後、勤務を終えたハーレイが夜に訪れた。
 一刻も早くブルーの許へと急ぐハーレイは、夜の町を走って辿り着いた家の来客用のスペースに車を停めてブルーの部屋へ。
 ハーレイの来訪を待ち侘びていたブルーは再会を果たした恋人の腕に抱き締められ、僅かな時を共に過ごして、ハーレイは帰って行ってしまった。
 今の生では一緒に暮らすことも叶わず、一夜の逢瀬さえ叶わない。
 それがあまりにも寂しくて悲しかったから。ハーレイを玄関まで見送りたくても、昼間の大量の出血のせいで母に止められ、ブルーを気遣うハーレイもそれを許さなかった。
 だからブルーは二階の自分の部屋の窓からハーレイの車が去ってゆくのを見ていただけで、頬を伝う涙に濡れた瞳が捉えたものは滲んだ車のライトだけ。門灯や街灯が教えてくれる車体の色など見てはいないし、遠ざかってゆくテールライトに泣き濡れていただけだった。
 その後、週末に再び訪ねて来たハーレイは路線バスだったのか、運動を兼ねて歩いて来たのか。どちらにせよ車に乗ってはおらず、ブルーがハーレイの車を目にするまでには暫くかかった。
 ブルーの家を訪ねる時に雨が降っていれば、ハーレイは車でやって来る。週末ごとに会うようになってから、初めての雨の日。ハーレイはどうやって来るのだろうかと二階の窓から庭と表通りを見下ろして待っていたブルーは、走ってきた一台の車を見るなり思った。
 「ハーレイの車だ」と。
 運転席が見えたわけでもないのに、そうだと確信したブルー。
 車はブルーが見ている前でゆっくりと駐車スペースに入って、其処に停まって。運転席のドアが開くと待ち焦がれた恋人が現れ、雨を遮る傘を広げた。
 これがブルーとハーレイの車との本当の出会いで、如何にもハーレイらしい車だとブルーは胸を高鳴らせたものだ。いつかハーレイの隣に乗りたい。そしてドライブをしてみたい、と。
 残念なことにドライブどころかハーレイの家にすら行けなくなってしまったのだけれど、車には乗せて貰ったことがある。ほんの一度きり、夢のようだった短いドライブ。
 前の生でメギドを破壊した時の悪夢に襲われた夜に、無意識の内にハーレイの家へと瞬間移動をしていたブルー。目を覚ましたらハーレイのベッドの上に居て、朝食を食べさせて貰って、家まで車で送って貰った。
 運のいいことに土曜日だったから、ハーレイはそのままブルーの家で過ごしてくれて。
 朝一番にハーレイからの連絡を受けた両親は酷く恐縮していたけれども、ブルーにとっては幸せ一杯だった素敵な土曜日。ハーレイの車に初めて乗った日。



 それっきりハーレイの車に乗せては貰えず、乗れる機会も来そうにはない。
 ブルーの憧れのハーレイの車。休日に乗って来ることは滅多に無いし、乗って来ても雨が邪魔をして車体の色はくすんでしまう。
 仕事が早めに終わったからと学校帰りに寄ってくれる時は車だったが、これまた夜の暗さに邪魔され、車の色ははっきりしない。
 学校の駐車場に停まっているのを目にしたことは何度もあるのに、「ハーレイの車だ」と考えただけで胸が一杯、その色まではきちんと認識しなかったらしく…。
(あっ!)
 夏休みに入って、カラリと爽やかに晴れた日の朝。
 ハーレイが乗って来た車を窓から眺めて、ブルーの心臓がドキリと跳ねた。
 雨でもないのにハーレイは車。それは特別な時間が始まる合図。車のトランクからキャンプ用のテーブルと椅子が引っ張り出されて、庭で一番大きな木の下に据え付けられる。
 一番最初は六月の日曜日、ハーレイと二人、向かい合って過ごした木漏れ日の中。
 父や母からも見える場所だからハーレイの膝に座ったりすることは出来なかったが、デートだと言われて嬉しくなった。木の下のテーブルと椅子はハーレイとの初めてのデートの場所。夏休みが始まるとハーレイは早速再現してくれ、今日で二度目だ。
(…ふふっ)
 ブルーは車が停まるのを待って階段を駆け下り、「ハーレイ!」と叫んで庭へと飛び出した。
「おはよう、ブルー! 持って来てやったぞ、ちょっと待ってろ!」
 母が開けに行った門の向こうでハーレイが車のトランクを開けている。折り畳み式のテーブルを下ろし、抱えて庭の木の下へ。広げて設置し、安定を確かめ、お次は椅子で。
(…魔法みたいだ…)
 トランクから出て来るテーブルと椅子。二つ目の椅子が庭に置かれたらデートの準備完了、母が運んでくるアイスティーやお菓子でゆっくりと…。
(今日は何かな、ママのお菓子)
 そんなことを考えながら椅子を運び出すハーレイを見ていて、ふと車の色に目を留めた。
 落ち着いた深い緑色の車。
 前の生でハーレイが着けていたマントそのままの色。
 何故その色なのかは考えもせずに「ハーレイの色」だと思ったものだが、こうして夏の光の下で眺めていると、緑色がとても気になってきた。
 ハーレイはいつからこの色の車に乗っているのだろう?
 前の生の記憶など全く無かった筈だというのに、「ハーレイの色」なのは偶然だろうか?



 早速訊いてみなければ、と思ったブルーはテーブルの上にアイスティーと露を浮かべたガラスのポットと、お菓子が揃うのを待ち兼ねたように切り出した。母はもう家に入っている。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイの車、いつからあの色?」
「車?」
「うん。キャプテンのマントと同じ緑だけど、最初からなの?」
「そうだな、最初からあの色だったな」
 今の車じゃなかったんだが、とハーレイは庭の向こうの車の方へと目をやった。
「俺には似合っていないか、アレは?」
「ううん、ハーレイの車だと直ぐに分かった。…初めて見た時」
「俺のマントの色だったからか?」
「……多分」
 ブルーもハーレイの車を改めて見詰める。どうして最初に「ハーレイの車だ」と確信したのか、自分でも分からないけれど。…今にして思えばハーレイが言う通り車体の色のせいだろう。
 遠い昔に馴染んでいた色。大抵はハーレイがブルーを真正面から、あるいは背中から抱き締めていたから、ハーレイの背中を追い掛けた記憶はあまり無い。それでもブリッジでいつも見ていた。その大きな背に後ろから抱き付き、縋りたい衝動をこらえていた。
 ブリッジを出る時もブルーが先に立ち、ハーレイは後ろ。シャングリラの通路に人影が無い時の抱擁は背後からであり、そういう時にはどれほどの幸せに包まれたことか。それが欲しくて何度かハーレイの背中を追った。青の間から背後に瞬間移動し、不意に飛びついてキスを強請った。
 そんな時に目にしたハーレイのマント。ソルジャー・ブルーだった頃のブルーの身体でさえ腕を一杯に伸ばして抱き付いていた広い背中と、目の前を覆い尽くした緑と。
 あの懐かしい緑を忘れはしない。忘れるなんて、出来る筈もない。
 ハーレイの緑。
 キャプテンだったハーレイの背に翻っていたマントの緑…。



 深い緑色の車に二人して暫し見入っていた後、ハーレイがアイスティーに浮かぶ氷をストローで軽く揺らして音を立てながら。
「この色しかない、と思ったんだよなあ…」
 渋すぎる色だと皆に言われたが、今じゃ年相応になっただろう?
 問われたブルーは「渋すぎるかなあ?」と首を傾げたが、最初に車を買ったのが教師になった年だと聞いて納得した。その頃のハーレイは恐らく、前の生でアルタミラで出会った時よりも若い。深い緑色は褐色の肌には良く似合うけれど、若い青年の色ではない。
 どちらかと言えば明るい色が似合う年齢。黄色なんかでも似合いそうだ、と鮮やかな黄色の車を思い浮かべてみた、その瞬間に。
(…そうだ、白…!)
 ハーレイが運転するなら黄色よりも遙かに相応しい色がある。
 前の生でハーレイが舵を握っていた船。ブルーが守った楽園という名の美しい船。
 そう思ったから尋ねてみた。
「白は考えなかったの? …シャングリラの白」
「…白か? 白もな、勧められたんだがな…。嫌いってわけじゃなかったんだが、何故だかな…」
 惹かれたが気が乗らなかった、とハーレイは答えた。
「どうしてだか俺にも分からなかったが、今なら分かる。…次に買うなら白がいいなと思うんだ。お前を隣に乗せて走るなら、断然白の車がいい。何故だか分かるか?」
「え? …白はシャングリラの色だから?」
「そうだ。シャングリラにはお前が乗っていないとな。…俺が一人で乗っていたって意味がない。お前がいなくなったシャングリラは寂しすぎたんだ。好きな船だったが、好きじゃなかった」
 その記憶が何処かにあったのかもな、と鳶色の瞳がブルーを見詰める。
「俺は何もかも忘れちまってたが、それでも何処か前の好みと似ているもんだ。白い車に惹かれた俺は多分、シャングリラを見ていたんだろう。…だが、俺の隣にお前はいなかった。お前のいないシャングリラが嫌で、俺は緑に決めたんだろうな」
「……ごめん……」
 ぼくがメギドに行っちゃったから、とブルーはキュッと唇を噛んだ。
 前の生の最期に、ハーレイの温もりを失くした右の手が冷たいと独りで泣きながら死んだ。もうハーレイには二度と会えないのだと、泣きながら死んでいったソルジャー・ブルーだった自分。
 けれどハーレイはどうだったろう?
 自分は死んでしまって終わりだったけれど、残されたハーレイはどれほどに辛く苦しかったか。
 生まれ変わってさえ白い車を選べなかったほど、ハーレイの胸は悲しみで一杯だったのか…。



「……ごめん、ハーレイ…。ぼくのせいで……」
 ポロリと涙が零れそうになる。ハーレイと再会してからの日々でも、自分の想いだけで一杯で。右の手が冷たいと訴えはしても、置いて逝ったハーレイの胸の内までは思い至っていなかった。
 記憶を全く失くしていてさえ、白い車を避けたハーレイ。
 惹かれたけれども、気が乗らないと別の色の車を選んだハーレイ。
 そのハーレイが今では白い車に乗りたいと言う。ブルーを乗せるなら白い車だと。
 こんなにも強く自分を想い続けてきてくれたハーレイに、自分は何を返せるのだろう?
 まだ十四歳にしかならない小さな自分が、何を返せると言うのだろう…。
「馬鹿、そんな昔の話で泣くヤツがあるか。…お前は帰って来たんだろ? 俺の所に」
 泣くな、とハーレイが手を伸ばして指先でブルーの涙を拭った。
「お前のお母さんから丸見えなんだぞ、俺が泣かせたかと思われるじゃないか」
「…ごめん。ごめん、ハーレイ、ホントにごめん……」
ブルーの涙は止まらなくなった。ハーレイが優しすぎるから。優しすぎて胸が痛くなるから。
「だから泣くなと…。いいな、お前はいつか俺の運転する車に乗るんだ。乗せてやるから」
 楽しいことだけを考えるんだ、とハーレイはブルーの銀の髪を撫でた。
「そうすれば涙もじきに止まるさ。お前は俺の車で出掛けてゆくんだ、いろんな所へ」
 …分かるか、ブルー?
 俺が動かすというのはシャングリラと何も変わりはしないが、お前は守らなくてもいいんだ。
 ただ乗っかっていればいいのさ、のんびり景色を眺めたりしてな。
「俺の家から帰る時だってそうだっただろう? ん?」
 お前が飛んで来ちまった時さ、とクシャリと前髪を掻き上げられて。
「ドキドキしてたし、のんびりなんかしてられないよ!」
 ハーレイの車。初めて乗せて貰ったハーレイが運転する車。
 胸の鼓動がハーレイの耳に届かないかと心配になった、ブルーの家までの短いドライブ。
 それを思い出して叫んだブルーに、「よし」とハーレイが笑顔を見せた。
「止まったじゃないか、お前の涙。…もう泣くなよ?」
 穏やかに微笑んでハーレイは夢を語り始める。
 いつの日か自分の車にブルーを乗せて、二人でドライブする時のことを。



 いいか、ブルー。
 今度乗る時はドキドキしないで、のんびり俺の隣に乗ってろ。
 そして俺に強請ってくれればいい。
 「あれが食べたい」「此処で止めて」と、好き勝手に言ってくれればいい。
 ……シャングリラはお前の指示で動いたが、お前のために動いていたわけじゃなかった。
 俺が舵を握って動かしていたが、俺のために動いたわけでもなかった。
 だがな、俺の車は違うんだ。
 俺の車はお前と俺とのためだけに動いて、何処へでも走ってくれるんだ。
 俺とお前で行き先を決めて、お前は我儘を言えばいい。
 「もっと遠くへ」でも、「もう帰りたい」でも、何でも自由に言っていいんだ。
 俺はお前の願いどおりに運転をするし、車だって俺の言うことを聞いて走ってくれる。
 ハンドルを切れば曲がってくれるし、何処へだって俺たちを運んでくれる。
 お前と俺とを乗せるためだけに在る、そんな車で走って行くんだ、俺たちは。
 だから今度はそういう白い車が欲しいという気がするな。
 ……俺たちのためだけのシャングリラが。



 次の車は白に決めた、とハーレイはブルーに言ったのだけれど。
 ブルーは今の緑色の車も好きだった。
 キャプテンだった頃のハーレイのマントと同じ色をした、深い緑色のハーレイの車。
 一目で「ハーレイの車だ」と分かって、乗せて欲しいと憧れた車。
「ぼくは今のままの緑でもいいな。…この色の車に初めて乗せて貰ったから。ハーレイのすぐ横でドキドキしながら町を走って、ぼくの家まで乗って来たのがこの色だから」
「…そうか? 俺はシャングリラの白も捨て難いんだがな…」
 お前を乗せるなら断然白だ、とハーレイが先刻と同じ言葉を繰り返す。
「俺たちが乗るなら白だろう? シャングリラといえば白だったしな」
「白もいいけど、ぼくはハーレイのマントの色も好きだよ」
 どっちでもいいな、とブルーはガレージに停まったハーレイの車の方を見た。
 今と変わらない深い緑色も、とてもハーレイらしくて良く似合う。
 ハーレイがかつて惹かれたけれども買わなかったという白も、自分たちには似合うように思う。
 白か、それとも深い緑色か。
 シャングリラの白と、ハーレイのマントの色の緑と。
 どちらも好きで懐かしい色。二人で暮らした白い船の色と、大好きな背中に在った緑と。
 似た色同士なら選べるけれども、こうも違うと選べない。
 ハーレイもまた、同じ思いを抱いたようで。
「白か、緑か…。その時が来たら二人で決めるとするか。こいつもまだまだ現役だろうしな」
「そうだね、ハーレイは車も大事にしてそうだものね」
「おっ、分かるか? 俺としてはだ、こいつに向こう五年くらいは乗る予定なんだ」
 お前が十九歳になる頃までか、とハーレイはにこやかな笑みを浮かべた。
「そうなると俺たちの最初のドライブの時はこいつになるかな」
「うん。ぼくも、もう一度あれに乗りたいよ」
「ははっ、そうか! 少ししか乗っていなかったしな?」
「ほんの少しだよ、ハーレイの家から此処までだよ!」
 路線バスだと遠く感じる、何ブロックも離れたハーレイの家。
 しかし車に乗って走ればアッと言う間に着いてしまって、ブルーが普通の服ではなくてパジャマ姿であったことすら気付いた人はいなかっただろう。
 そんな短いドライブだったけれど、ブルーにとっては夢の時間で。
 きっといつかはハーレイと本当のドライブに出掛けるのだと、ガレージの車を何度も眺めた。
 ハーレイの車。深い緑色で、最初のドライブにも連れて行ってくれる予定のハーレイの車…。



(…早くハーレイの隣に座ってドライブしたいな…)
 最初のドライブは何処にするかな。
 ハーレイはそう言って笑ったものだが、夏休みの終わりに、ブルーには一つの目標が出来た。
 いつかハーレイが運転する車の助手席に乗って、ブルーは隣の町に行く。
 庭に夏ミカンの大きな木がある、隣町のハーレイが育った家。
 ブルーは其処まで出掛けてゆく。
 ハーレイの父と母とが暮らす家まで、自分たちの子が一人増えたと言ってくれた優しい人たちに会いに…。




       ハーレイの車・了


※ハーレイが乗っている緑色の車。ブルーとの最初のドライブはきっとこの車ですね。
 そしていつかは、シャングリラの色をした白い車に二人で乗るのです。
 二人だけのために走るシャングリラで、いろんな所へ…。

 ハレブル別館の拍手御礼ショートショートの再録場所を作りました。
 気まぐれに聖痕シリーズの書き下ろしショートも置きます、よろしくですv
 ←拍手部屋は、こちらv
拍手頂けると再録場所の方の書き下ろしショートが増える…かも?

 ←拍手御礼ショートショート再録場所は、こちらv






※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv





シャングリラ学園、今年も新年度を迎えました。桜が満開だった入学式には会長さんの思念波メッセージが流されましたけれども、新しい仲間は現れず。というわけで「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は今年も貸し切りで行けそうです。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
授業、どうだった? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。校内見学やクラブ見学などが終わって今日から授業がスタートしました。グレイブ先生は相も変わらず絶好調で。
「ぼくたちは別にいいんだけどさあ…」
ねえ? とジョミー君が私たちを見回し、サム君が。
「他のヤツらは御愁傷様としか言えねえなあ…。補習になるヤツ、多そうだぜ」
「しかしだ、試験問題は中学までの範囲だぞ」
自己責任だと思うのだが、とキース君。それも一理はあるんですけど…。
「君から見ればそうかもね。だけど、普通はそうはいかない」
会長さんが紅茶のカップを傾けながら。
「念願の高校に合格したんだ、その段階で気が弛む。おまけに定期試験は全て満点になる1年A組の幸運つきだよ、自主学習なんて言葉と予習復習は綺麗サッパリ抜け落ちてるさ」
たまには実力を思い知るべき、と会長さんはシビアです。
「この一年間、遊んで暮らすクラスメイトの意識の下で知識をフォローするのはぼくだ。たまには楽をさせて欲しいし、出来れば自前で勉強を…ね」
そうして貰えば少し負担が軽くなる、と言われてみればもっともで。
「そっかぁ…。合格した後で吹っ飛んだ分は自分でやれってことなんだ?」
中学校の分だもんね、とジョミー君が溜息をつけば、会長さんは。
「あまり期待はしてないけどねえ…。毎年、吹っ飛んだ分も含めてフォローする羽目になっちゃってるしさ。でもまあ、1年A組で暮らすためには仕方ないかな」
年貢のようなものだと思おう、との言葉にプッと吹き出す私たち。どちらかと言えば年貢はグレイブ先生の方が納めてらっしゃる気がします。会長さんが出現する度に…。
「あっ、君たちもそう思うかい? 今年も沢山納めて欲しいね、お年貢を」
「あんた、鬼だな…。毎度のことだが」
キース君の台詞を会長さんはサラリと右から左へ。
「年貢というのは納めるためにあるんだよ。そしてグレイブよりも有望なのが一人」
「「「は?」」」
会長さんに年貢を納める有望株。グレイブ先生よりも有望だなんて、該当する人は多分、一人しかいないんじゃあ…?



グレイブ先生からの年貢を楽しみにしている会長さん。更に有望視される年貢のアテが誰なのか、ほぼ想像がつきました。つい先日も紅白縞をお届けに出掛けたばかりですけど、新年度早々、何かやらかすつもりでしょうか?
「君たちの顔を見る限りでは、誰か分かっているようだけど…。質問は?」
何でもどうぞ、と水を向けられても「ハイそうですか」と即座に返せるわけもなく。肘でつつき合い、譲り合っている内に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと…。とくちゅうふぃぎゅあ、って言ったかなぁ?」
「「「ふぃぎゅあ?」」」
なんじゃそりゃ、とオウム返しな私たち。会長さんはお皿の上のケーキにデコレーションされたエディブルフラワーをフォークにヒョイと乗っけると。
「こんな感じで花びら一杯、メルヘンたっぷりな阿呆が一人さ」
「「「…メルヘンたっぷり?」」」
ますますもって話が謎です。質問は自由にと言われたものの、何処から突っ込めばいいのやら。会長さんもそこはしっかり承知のようで、淡いピンクの可憐な花をフォークの上で弄びつつ。
「ベッドが花びらなんだよねえ…」
「「「えぇっ!?」」」
なんて無茶な、とあちこちで悲鳴。教頭先生、御乱心ですか? 失礼ながら、あの御面相と立派なお身体に花びらベッドは似合っていないと思うんですけど~!
「違う、違う! ああ、でも、それは使えるねえ…。年貢はソレで行こうかな?」
「何のことだ? …教頭先生の話じゃないのか?」
おおっ、やりました、キース君! よくぞ訊いてくれた、と誰もが喝采。訊かれた方の会長さんは「それで合ってる」と微笑んで。
「花びらベッドはハーレイだけどさ、それに寝てるのはハーレイじゃない。ぶるぅが言ったろ、特注フィギュア! それが毎晩寝てるんだってば」
「…教頭先生にフィギュア集めの御趣味があるとは聞いていないが…」
知らないぞ、と首を傾げるキース君に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコと。
「一個だけなの、特注品なの! 思い切りこだわって注文したの!」
「そういうこと。ただのフィギュアじゃないんだな、これが」
こんなのだけど、と会長さんの指が閃いて、ティーカップの縁にチョコンと腰掛ける小さな小さな会長さんが。マント無しのソルジャーの衣装ですけど、特注フィギュアってコレなんですか~!?



「「「……スゴイ……」」」
実に細かい、と私たちの目はフィギュアに釘付け。会長さんの姿形をそっくり再現してあります。カップの縁に座れるサイズとは思えないほど素晴らしい出来で。
「ね、なかなかの出来だろう? お値段の方も凄かったようだよ、なにしろ特注の一点モノ!」
この衣装にもこだわりが…、と会長さんは自分のフィギュアを摘み上げると。
「私服や制服ではダメだったらしいね、身体のラインが出ないから。こっちだと身体にフィットしてるし、妄想の余地があるみたいだよ」
ついでにポーズもこだわりアリ、とテーブルにコトリと置いてみせて。
「カップの縁に座ってる分には普通なんだけど、こう置くと…。足が少し開いてイイ感じなわけ、君たちには分からない次元でね。そそられるらしいよ、大人の時間な気分ってヤツが」
「…そうなのか?」
まるで分からん、とキース君が答え、私たちも一斉にコクコクと。でもまあ、少しなら分かる気もします。軽く開いた膝の奥には人間で言えば大事な部分があるわけですから、チラリズムとでも申しましょうか…。
「そうそう、それだよ、チラリズム! 誘ってるように見えないこともないらしい」
迷惑千万な話だけれど、と顔を顰める会長さん。
「ハーレイときたら、カップの縁に座らせた時も足の間をガン見してるねえ…。ついでに指先でチョイと触って、耳まで真っ赤になってみたりさ」
殆どビョーキ、と、教頭先生、身も蓋も無い言われようです。
「そして寝かせる時は花びらベッド! 妄想とメルヘンのごった煮なんだよ」
「「「ごった煮?」」」
「そう、ごった煮。妄想の方はハネムーンによくあるフラワーベッド、正しくはフラワーデコレーションベッド! 知っているかな、ベッドの上に花をたっぷり飾ってあるんだけれど」
こんな感じで、と思念波で伝えられたイメージは実に様々。無秩序に花を散らしたものから、整然と並べた幾何学模様までバリエーション豊かな世界です。ふむふむ、これが妄想、と…。
「ハーレイの夢はそういうベッドでハネムーンらしいね、そんな気持ちをたっぷりと込めてフィギュアに花びらを被せるわけ。メルヘンの方は親指姫だよ、あれは花びらのベッドだろ?」
その上に更に妄想が、と会長さんはフィギュアをカップの縁に戻すと。
「親指姫ならぬフィギュアのぼくを愛情こめて世話していれば、ぼくに気持ちが伝わるかも…と思っているわけ。いずれ目出度く花いっぱいのベッドでハネムーン、とね」
そのために花びらも惜しみなく、と嘲っている会長さんによれば、教頭先生は特注フィギュアのために毎日、とてもお高い薔薇を一輪買うそうです。その日の気分で真紅やピンク、べらぼうに高い青薔薇なんかも買うらしいですよ…。



メルヘンと妄想が混ざった世界で会長さんの特注フィギュアを愛でているという教頭先生。親指姫を育てる気分でせっせと世話をし、語り掛け…。
「なにしろ親指姫だからねえ、薔薇の花にも座らせてるよ。メルヘンちっくに夢を見ている時はウットリ、妄想タイムに入る時にはモッコリってね」
「「「…もっこり?」」」
「あ、ごめん。つまりアレだよ、大人の時間の準備段階!」
ここから先は保健体育の授業でどうぞ、と説明されれば分かります。大事な部分が変化しちゃうほど、会長さんのフィギュア相手に興奮なさっておられるようで。
「そうなんだよねえ、流石にフィギュアは押し倒せないからサカる時には抱き枕だけど。…こんなフィギュアを作った男には年貢を納めて貰いたい」
でないと気分が収まらない、と会長さんはブツブツと。
「コレを相手にはサカれないから、抱き枕と違って躊躇なくオーダーしたんだよ! 思い付いたら即、実行で…。ぼくの資料をキャプテン権限であらゆる角度から引き出して…ね」
シャングリラ号のデータベースから、と吐き捨てるように言う会長さん。
「データベースには地球からでもアクセス出来る。マントを外したぼくの映像を山ほどゲットして、ついでに座った姿もね…。そういう画像をドカンと渡せば精巧なフィギュアが作れるってわけ」
そして夜な夜な妄想の世界でお楽しみ、と会長さんの御機嫌は斜め。
「こういうコトをやらかす男をどうしようかと思ってたけど、君たちが考えた花びらベッドで閃いた。目には目をって言うし、花びらベッドには花びらベッド! 親指姫には親指姫だよ」
「「「は?」」」
「一方的に親指姫にされたぼくの気分をハーレイにも味わって貰うのさ。可愛らしくカップの縁に座って、花びらのベッドでお昼寝だよ、うん」
それに決めた、と会長さんは特注フィギュアを指でチョンとつついて。
「お前もお揃いがいいだろう? まずはカップの用意からだね、ドリームワールドのコーヒーカップの予備でも失敬しようかな。アレなら余裕で座れるからさ」
「あんた、本気でやるつもりなのか!?」
コーヒーカップと花びらベッド、とキース君が突っ込むと、会長さんの笑みが深くなり。
「決まってるじゃないか、年貢だよ? 納めて貰ってなんぼなんだよ、とりあえずフィギュアは戻しておこう」
此処が定位置、と瞬間移動で戻した先の映像が思念波で頭の中に。教頭先生が大事にしてらっしゃる夫婦茶碗の縁にチョコンと小さな小さな会長さん。うーん、とってもメルヘンチック…。



教頭先生に年貢がどうこうと恐ろしげな計画を口にした会長さんは早速動き始めました。私たちには「今日も順調」としか言いませんけど、着々と準備を進めている様子です。そして週末、会長さんの家に招かれて出掛けてみると。
「うっわー…。本気で用意したんだ?」
コーヒーカップ、とジョミー君。ドリームワールドで子供に人気の遊具、コーヒーカップの予備と思しき大きなカップがリビングに鎮座しています。
「素敵だろう? これならけっこう頑丈だしねえ、ハーレイが縁に座っても大丈夫! 傾かないように重石も入れたし、後は座って貰うだけさ」
縁にチョコンと可愛らしく、と会長さんはニヤニヤと。でも肝心の教頭先生に招待状は出したのでしょうか? 出したとしたら、どんなのが…。
「招待状? 出すわけないだろ、そんなもの! 親指姫だし」
「「「え?」」」
「親指姫は攫われるものだよ、これから拉致して連行するだけ!」
よし! と会長さんの声が響いて、教頭先生が瞬間移動でリビングに。家で寛いでらっしゃったらしく、ラフな格好をしておられます。
「やあ、ハーレイ。ぼくの家にようこそ」
「…ブ、ブルー!? これはいったい…?」
どうなっているのだ、とキョロキョロしている教頭先生に、会長さんはスッとコーヒーカップを指差して。
「あれに座ってくれるかな? 縁にチョコンと」
「…な、なんだ?」
ギクリと顔色を変える教頭先生、特注フィギュアがバレたとも知らず挙動不審になりながらも。
「そ、それは…。別にかまわないが、アレに座ってどうするのだ?」
「そりゃもう、可愛く座ってるだけでいいんだよ。ぼくたちがそれを愛でるから」
「……愛でる……?」
「うん。カップの縁に座る姿って可愛いじゃないか、こう、親指姫みたいでさ」
でもその服だとイマイチだよね、と会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に合図を送ると。
「かみお~ん♪ はい、ハーレイのキャプテン服!」
コレに着替えて座ってみてね、と唐草模様の風呂敷包みが差し出されました。キャプテンの制服、教頭先生の家のクローゼットに山ほどあるとは聞いていますが、一着ゲット済みでしたか…。



「……なんかイマイチ可愛くないねえ……」
どう思う、と会長さんが尋ね、素直に頷く私たち。巨大カップの縁に腰掛けた教頭先生は全く可愛くありませんでした。シャングリラ号のブリッジでキャプテンシートに座っているのと殆ど変わらないような…。
「だよねえ、これじゃ親指姫どころか普通にキャプテンスタイルだってば…」
何処が違うと言うんだろう、と会長さんはコーヒーカップの縁に座らせた教頭先生をジロジロと。
「ポーズは全く同じなんだよ、キッチリ指定したんだからさ」
「……同じだと?」
何のポーズと同じなのだ、と教頭先生が訊き返し、会長さんが高らかに。
「君の御自慢の特注フィギュア!」
「!!!」
教頭先生の顔色がサーッと青ざめ、カップの縁で硬直中。会長さんは教頭先生の身体をツンツンつつき回して。
「…分からないねえ、君の趣味…。どう転んだらコレに萌えるのか、ぼくにはサッパリ謎なんだけど…。やっぱりアレかな、君が毎晩やっているようにココをつつくのが王道だとか?」
会長さんの指が教頭先生の股間を示してピタリと止まり、教頭先生の鼻からツツーッと鼻血が。
「なるほど、ココが大切、と…。でも触りたくもないからねえ…」
おまけにモッコリしてきちゃったし、と会長さんは冷たい口調。
「こんな所でモッコリしてもね、見た目に醜いだけなんだよ。さっさと萎えてくれないかな?」
「…………」
教頭先生、タラリ脂汗。これは一気に萎えそうです。しかし…。
「待たされるのは趣味じゃないんだ。すぐに萎えないなら隠すしかない。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パァァッと迸る青いサイオン。教頭先生のキャプテン服は一瞬の内にピンクのドレスに変わっていました。フリルひらひら、レースたっぷり。
「このドレス、ぼくが作ったの! お花の国のお姫様だよ♪」
「ふふ、ぶるぅの力作のドレスはどうだい? そこに座るのに疲れてきたら言ってよね。花びらのベッドを用意したんだ、ゆっくり昼寝をしてくれていいよ」
ほらね、と瞬間移動でリビングに出現した大きなベッド。華やかな薔薇や香り高いジャスミン、他にも花がてんこ盛り。教頭先生がお休みになるには似合わなさすぎる気がするんですけど、ピンクのドレスのお姫様にはこのくらいで丁度いいのかな?



会長さんの特注フィギュアを作ったばかりに晒し者となった教頭先生。ピンクのドレスでコーヒーカップの縁に座って所在なさげに項垂れてらっしゃるのですけれど。
「…ふうん…。これが元ネタのヤツなんだ?」
「「「!!?」」」
あらぬ方から声が聞こえてフワリと翻る紫のマント。そこには手乗りの小鳥よろしく会長さんフィギュアを右手に座らせたソルジャーが笑顔で立っていました。
「ぼくの世界から眺めてたけど、手に取ってみると違うものだね。これならハーレイがサカるのも分かる。ついでに頑張って貢いでいたのも」
毎日一輪、高い薔薇! とソルジャーはフィギュアの頭にチュッとキスを。教頭先生の頬が赤らみ、会長さんは柳眉を吊り上げて。
「何しに来たのさ! それ、返してよ!」
「え、ハーレイのヤツだろう? 君に返してどうするのさ」
「処分するんだよ、存在自体が許せないから!」
さっさと寄越せ、と会長さんが伸ばした手からソルジャーがサッと身をかわすと。
「勿体ないじゃないか、よく出来てるのに…。こんなヤツならぼくも欲しいな」
「「「へ?」」」
ソルジャーが会長さんのフィギュアを……ですか? そりゃあ昔は会長さんを食べようとして騒ぎになったこともありましたけど、キャプテンと晴れて結婚してからはそんな話も無かったかと…。なのに今更フィギュアなのか、と思ったら。
「ううん、ブルーのフィギュアは別にどうでもいいんだよ。これと同じのをぼくで作ってハーレイにプレゼントしようかなぁ…って」
なんだ、そういうことですか! だったら問題ないんじゃあ…?
「だろ? だからね、これは暫く貸しといてよね」
ソルジャーの手からフィギュアが消え失せ、別の世界へと送られてしまった模様です。ソルジャー曰く、あちらの世界の優れた技術でポーズを自由に変えられるように作りたいらしく。
「出来上がったらモデルは返すよ。勿体ないような気もするけれど、処分するなら御自由に…。あ、そうだ。ぼくの世界のバージョンアップ版、こっちのハーレイにもあげようか?」
「却下!!」
モデルが君でもお断りだ、と会長さんが叫び、教頭先生がボソボソと。
「…そ、そのぅ…。分けて頂けると嬉しいのですが……」
あらららら。ついウッカリと本音が出ちゃったみたいですけど、会長さんにも聞こえてますよ?



特注フィギュアどころかバージョンアップ版のヤツが欲しい、と漏らしてしまった教頭先生を見詰める会長さんの視線は氷点下でした。それに気付いた教頭先生が取り繕っても後の祭りで。
「違うんだ、ブルー! 私はそういうつもりでは…!」
「そんなつもりでなきゃ言わないだろ、欲しいだなんて! しかもバージョンアップ版!」
よくもぼくの目の前でエロい世界に、と会長さんは怒りMAX。
「大人しく座って花びらベッドで寝てるようなら見逃そうかとも思ってたけど、もうその線は消えたから! 嫁に行くのかスイレンの葉っぱか、二つに一つで選びたまえ!」
「…よ、嫁…?」
私がなのか、と問い返す教頭先生に、フンと鼻を鳴らす会長さん。
「親指姫はお金持ちのモグラに嫁ぐものだと決まってる。幸か不幸かノルディがいるしね、嫁に行くならノルディの所だ」
「「「えぇっ!?」」」
エロドクターにも選ぶ権利があるだろう、と私たちはビックリ仰天ですけど、会長さんは。
「嫁に来たのがハーレイだってバレないように細工をするさ。もちろん花嫁はぼくってことで…。サイオニック・ドリームが通用しないのはぼくを相手にした時だけだし、対ハーレイなら引っ掛かる。ぼくだと思ってそりゃあ念入りに可愛がってくれると思うよ」
「ま、待ってくれ! そ、それは勘弁して欲しいのだが…!」
助けてくれ、と泣きの涙の教頭先生に、会長さんがピシッと指を突き付けて。
「じゃあ、スイレン!」
「…スイレン?」
「スイレンの葉っぱの上に捨てられるんだよ、後は野となれ山となれでさ」
どっちにする? とズイと迫られた教頭先生に選択の余地がある筈もなく…。
「……スイレンでいい…。いや、スイレンだ、是非スイレンの上に捨ててくれ!」
「了解。それじゃ、後悔しないようにね」
行ってらっしゃい、と会長さんが手を振り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「かみお~ん♪ ハーレイ、元気でね~!」
青いサイオンが走ったかと思うと、教頭先生は何処にもいませんでした。残ったものはドリームワールドのコーヒーカップと、飾り立てられたフラワーベッドと。ソルジャーがフラワーベッドを興味津々で眺め、会長さんに。
「これも貰っていいのかな? ぼくのハーレイと楽しめそうだよ」
「…好きにしたら? ハーレイを寝かせたベッドなんかを再利用するつもりは無いから、格安の家具を買ったんだ。ベッドごと持って帰っていいよ」
「ありがとう! それじゃ有難く貰って行くね」
ソルジャーは大喜びで帰ってゆきましたけれど、教頭先生は何処なんでしょうねえ?



お金持ちのモグラならぬエロドクターへの嫁入り話をお断りになった教頭先生。スイレンの葉っぱを選んで何処かへ消えてしまわれましたが、そのスイレンって何ですか? まさか本物ではないのでしょうし…。
「ああ、スイレンの葉っぱかい? ちゃんと特注したんだよ」
浮かぶ素材で、とニッコリ微笑む会長さん。
「ハーレイが乗っても沈まないように作ってあるから大丈夫! プカプカ水に浮かんでいるさ」
「それって何処の池なんです?」
空港の敷地内にあるヤツですか、とシロエ君が質問しました。シャングリラ号に行くための専用空港を含む広大な土地には大小の池が幾つかあります。その中の一つか、あるいはマザー農場の溜池とかか。その辺だろうと思ったのですが…。
「池じゃないねえ、湖だよ」
「「「湖?」」」
「それに思いっ切りの観光名所! もちろんスイレンはシールドしてある」
観光客には発見されない、と会長さんは得意げです。
「発見されてすぐに救助じゃつまらないしねえ…。ハーレイはそんなこととは思ってないから、側を通って行く遊覧船とか漁船なんかに手を振っているよ。誰か助けてくれ、ってね」
「…あの格好で救助されても恥ずかしそうねえ…」
変態みたい、とスウェナちゃんが呟き、揃って笑い出す私たち。恥ずかしいのもさることながら、発見されたのが遊覧船なら一部始終を撮影している乗客とかがいそうです。うっかりネットに投稿されたりしようものなら恥ずかしいなんてレベルではなく…。
「それは確かにシールドの方がマシなようだな」
俺なら発見されない道を選ぶ、とキース君。
「いつかは救助するんだろう? まさか死ぬまで放置じゃあるまい」
「それはもちろん。あれでもシャングリラ学園の教頭な上に、シャングリラ号のキャプテンだしねえ? 湖の上で餓死された日には生徒会長とソルジャーの立場が無いってものでさ」
その辺はきちんと考慮している、との答えにホッと一息。スイレンの葉っぱで漂流中の教頭先生、餓死寸前まで行かなくっても月曜日の授業が始まるまでには救助して貰えることでしょう。それまでは湖の水でも飲みつつ、じっと我慢でいて下されば…。えっ、なんですって?
「ねえ、ブルー。…なんか、時間が来たみたいだけど」
大丈夫かなぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ちょっと、時間が来たって、なに? 何の時間が来たんですか~!



スイレンの葉っぱに揺られて漂流中の教頭先生は観光名所の湖の上。自分の姿がシールドされて見えないとも知らず、遊覧船などに救助を要請中らしいですが。
「時間だって? そういえば…」
そんな時間か、と時計に目をやる会長さん。教頭先生がコーヒーカップの縁に座って親指姫をやってらっしゃる間に私たちは昼食を済ませていました。教頭先生を見物しながらワイワイと食べて、それからソルジャーがやって来て…。いつの間にやら午後三時です。
「時間がどうかしたのかよ?」
日が暮れるには早いよな、とサム君が訊くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと、滝の時間なの! 三時から滝が始まっちゃうの!」
「「「滝?」」」
滝が始まると言われましても、何のことやら意味不明です。滝っていわゆる滝ですよね? 始まるも何も、滝は年中無休なんじゃあ? ダム湖の放水じゃあるまいし…。
「違うんだな、これが」
世間は広い、と会長さんがチッチッと人差し指を左右に振って。
「ハーレイが漂流中の湖は火山活動で出来た堰止湖でねえ、そこから滝が流れ出してる。この滝がまた観光名所! ところがどっこい、水量不足だと滝の迫力が出ないものだから…。そういう時期には時間限定で水を流すのさ、それが今日だと三時からだね」
やってる、やってる…、とサイオンで見ているらしい会長さん。
「今年は水が少ないらしくて一日に三回、一時間ずつ流してるんだ。午前九時と正午と、午後三時。ハーレイが漂流し始めてからは本日初の放水ってことで」
どうなるかな、とワクワクしている会長さんの瞳の輝きっぷりと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の心配そうな顔つきからして、もしかしてスイレンの葉っぱが浮かんでいる場所は…。
「えっ、ハーレイのスイレンの場所? 運が悪けりゃ滝に行くねえ、そういう場所を選んで浮かべておいたし…。下手に暴れなきゃ安全だったけど、遊覧船とか漁船を追っかけて自力で漕いだりしちゃったからさ…」
かなりリスクは上がったかと、と会長さんの指がパチンと鳴って壁に映し出される中継画面。そこでは大きな緑のスイレンの葉っぱに腹ばいになったピンクのドレスの親指姫が懸命に水を掻いていました。なんだか焦っているようです。会長さんが悠然と。
「おやおや、流れに乗っかっちゃったか…。滝の存在にも気付いたようだね、ピンチとなったらサイオンが研ぎ澄まされてくるらしい」
流れの先には川があるってこともあるのに、とクスクス笑う会長さん。確かに川なら湖よりも脱出しやすい雰囲気です。けれど教頭先生が乗った流れの先は滝。教頭先生、大ピンチでは…?



「お、おい…。まさかと思うが、その滝とやらは…」
自殺の名所じゃないだろうな、とキース君が繰り出したトンデモ発言。自殺の名所で滝っていうのがありましたっけ? 三大名所は崖が二つと樹海だったと思うのですが…。
「ふうん? 流石は副住職だね、マイナーな場所も押さえていたとは」
そこで間違いないんだけれど、と会長さんがスッパリ言い切り、私たちの方は目が点で。
「あんた、教頭先生を殺す気か!」
キース君が噛み付き、ジョミー君が。
「じ、自殺の名所って、落ちたら死ぬほど凄いわけ? そんな滝なわけ?」
「そうなるねえ…。なにしろ落差が百メートル近く」
流されて落ちたら確実にアウト、と会長さんは中継画面に見入っています。
「でもさ、最近はあそこで自殺は無いみたいだよ? やっぱり時間限定の滝はウケないのかもね、水がそこそこある時期なんかも夜間は止めたりするものだから…」
「そんな寝言を言ってる場合じゃないだろうが!」
流れが速くなってるぞ、というキース君の指摘どおりにスイレンの葉っぱは加速中。必死の形相で水を掻き続ける教頭先生の努力も空しく滝の方へとグングン流されているわけで。
「平気だってば、殺しやしないよ。ちょーっと死にそうな気分になるだけ」
「かみお~ん♪ ブルーのシールド、完璧だもんね!」
真っ逆さまでも壊れないもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお墨付き。ということは、このまま落っことすんですね? 滝から真っ逆さまなんですね…?
「そりゃもう、そのくらいしなくちゃね。でないとホントに気が済まないんだ、あの特注のフィギュアの御礼! ノルディに一晩可愛がられるか、滝から真っ逆さまかって目に遭わせないと!」
派手にトラウマになるがいい、と会長さんに助ける気持ちは皆無でした。まあ、死ぬわけではなさそうですけど、教頭先生の苦手はスピード。それに加えて落下となれば一生モノのトラウマかもです。特注フィギュアを作ったばかりに、こんな末路になろうとは…。
「ヒントをくれたのは君たちだろう? 親指姫のさ」
実に素敵なアイデアだった、と上機嫌で鼻歌でも歌い出しそうな会長さんと、今や「助けてくれ」と絶叫しながら流される教頭先生と。親指姫ってこういう結末でしたっけ? これじゃ童話のラストというより世界残酷物語では…。
「うん。親指姫ではないよね、これは」
可哀相に、と聞こえた声と優雅に揺れる紫のマントが今日ほど頼もしく見えた日はありませんでした。ソルジャーだったら会長さんを止められそうです。止めて下さい、お願いします! 特注フィギュアは教頭先生の持ち物だったんですから、恩返しに~!



教頭先生を乗せたスイレンの葉っぱは滝に向かって一直線。もうダメだ、と私たちが両手で目を覆った時、部屋の空気がフッと揺らいで。
「あーーーっ!!!」
酷い、と会長さんが中継画面の向こうへと怒鳴り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はポカンと丸い目。そして私たちは見たのです。目もくらむ落差の滝を落っこちてゆくスイレンの葉っぱと、それと一緒に放り出されたピンクのドレスのお姫様を抱えて飛び去ってゆくソルジャーとを。
「と、飛んじゃったぁ…」
ビックリしたぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」もサイオンの力で飛べますけれど、普段は瞬間移動です。それだけにソルジャーが見せた瞬間移動した先で空を飛ぶ技は歴戦の戦士ならではの凄いものとして映ったようで。
「凄い、凄いや、飛んでっちゃったぁ…。もうすぐ帰ってくるのかなぁ?」
おまけにシールドしていたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は感動中。ソルジャーが空を飛んだ姿は一般人に見られないようにシールドされていたみたいです。ソルジャー、特注フィギュアの御礼に華麗に活躍してくれましたよ、これで教頭先生も…。
「ただいま。親指姫を助けて来たよ」
「……あ、ありがとうございました……」
本当に死ぬかと思いました、とリビングに現れた教頭先生が濡れ鼠で土下座しています。瞬間移動で戻って来たソルジャーは教頭先生を抱えてはおらず、隣に立っていただけなのですが。
「………。助けた以上は結婚だよ?」
親指姫のラストはそういうものだ、と会長さんが恨みがましく。
「特注フィギュアも貰った仲だろ、この際、結婚するんだね」
「えぇっ? それは困るな、ぼくはこれでも既婚者なんだし…。重婚はちょっと」
「事実婚って手もあるだろう!」
確か三人でやりたがっていたと思うんだけど、と会長さんは親指姫な教頭先生をソルジャーに押し付けるつもり。えーっと、本当にそれでいいんですか? 教頭先生がソルジャーの世界に行くんでなければ、色々と面倒なことになっちゃうような…?
「そうだよ、その子たちが思っているとおりだよ? ハーレイがぼくで味を占めたら君もヤバイと思うけどねえ、それでも結婚がオススメなわけ?」
そこまで言われたら断れないな、とソルジャーは艶やかな笑みを浮かべて。



「聞いたかい、ハーレイ? ぼくたち、結婚しなくちゃいけないそうだ」
「…で、ですが、私は一生ブルーだけだと決めておりまして…」
助けて頂いたのは有難いですが、と頭を下げるピンクのドレスの教頭先生に、ソルジャーが。
「ぼくもブルーだ。…君がその気になるまで待つから、ここは結婚してみないかい?」
ブルーの許可も出ているんだし、と微笑んだソルジャーの手に例のフィギュアが。
「ぼくのハーレイには暫くコレで我慢して貰って、ぼくは君と……ね。悪い話じゃないと思うな、今日から色々教えてあげるよ」
こっちのブルーと大人の時間を過ごすためのコツとか過ごし方とか、と耳元で熱く囁かれた教頭先生がブワッと鼻血を噴いてしまわれ、会長さんが。
「退場! 結婚の話は無かったことに!!」
「嫌だね、ぼくはその気になったんだ。特注フィギュアを作るセンスはぼくのハーレイには無いからねえ…。この結婚から得るものは多い。だから結婚させて貰うよ」
親指姫のラストに相応しく…、と開き直ってしまったソルジャー、結婚する気満々です。教頭先生も滝から真っ逆さまのピンチからさほど時間が経っていないだけに、まだ冷静ではないらしく。
「こ、これも何かの御縁でしょうか…。不束者ですが、どうぞよろしく…」
「あっ、君もその気になってくれた? それじゃ早速、愛の巣へね」
君の家へお邪魔しようかな、とソルジャーが教頭先生の手を取った所へ。
「ま、待って下さい、ブルー!!!」
転げ込んで来たキャプテン服の人物が一人と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のそっくりさんと。
「け、結婚はぶるぅがするそうです! 親指姫のラストは姫を救ったツバメが王子様の所へ運ぶのですから、名乗りを上げてくれまして! あなたのパートナーは私一人でお願いします!」
「かみお~ん♪ ぼく、ハーレイに頼まれたの! ブルーの代わりに結婚しろって!」
一度結婚してみたかったの、と「ぶるぅ」の瞳がキラキラと。
「ハーレイ、ぼくと結婚しようね、それならいいでしょ?」
「ぶ、ぶるぅ…。そうか、お前もブルーの内だな……」
それもいいか、と教頭先生、アッサリ承諾してしまいました。おませな「ぶるぅ」は大喜びで。
「わーい、親指姫と結婚だぁ! お花の土鍋を特注しなくちゃ、ハーレイ用だよ♪」
「う、うむ…。特注は実にいいものだからな」
幸せになろう、と教頭先生、滝から真っ逆さまのショックで今も盛大に混乱中。えっと、特注はフィギュアです! 土鍋じゃなくってフィギュアなんです、教頭先生、落ち着いて! 会長さんも笑っていないで止めて下さい、絶対、何かが間違ってますぅ~!




        可憐な親指姫・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 教頭先生が落っこちて行った滝にはモデルがあります、日光の華厳の滝がそうです。
 多少脚色してはいますが、いつも流れてはいないのでした…。
 次回、3月は 「第3月曜」 3月16日の更新となります、よろしくです!


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 こちらでの場外編、2月はドクツルタケことイングリッドさん、再登場…!
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 木漏れ日が射す木の下に据えられたテーブルと椅子。一階に居る母の目に入る場所だけに、二階の自分の部屋でするようにハーレイの膝に座ったりは出来ないのだが、ブルーのお気に入りの席。
 ハーレイがキャンプ用のテーブルと椅子とを持って来てくれて、初めて外でデートをした場所。
 夏休みに入ってからも何度か設けられた特別な席は、ブルーの父が白いテーブルと椅子を買ってくれて晴れた日の定番になった。
 七月の末の今日もブルーは其処で大好きなハーレイと二人で午前中のお茶を楽しんでいる。母が焼いた口当たりの軽いケーキと、よく冷えてグラスに露を浮かせたレモネード。
 向かい合わせで座るハーレイを見ているだけで、溢れ出す幸せが止まらない。来月はハーレイの誕生日。まだ一ヶ月近くあるのだけれど、何を贈るかブルーはとっくに決めていた。
(…ふふっ)
 ハーレイが喜んでくれそうなもの。うんと奮発して、ブルーのお小遣い一ヶ月分。
 夏休みでもハーレイは柔道部の指導や研修などで来られない日が時々あった。次にそういう日が訪れたら、町の中心部にある百貨店までプレゼントを買いに出掛ける予定だ。
(きっとハーレイ、ビックリするよね)
 早く贈って驚かせたい。喜ぶ顔を見てみたい。
 再会してから初めてのハーレイの誕生日。ハーレイは三十八歳になる。
 誕生日のお祝いはブルーの家で、と強請って約束を取り付けた。その日は母が御馳走を作って、バースデーケーキも用意して…。今から楽しみでたまらない。
 三月生まれのブルーの誕生日はまだずっと先のことになるから、まずはハーレイの誕生日祝い。
 来年の三月三十一日が来たら、今度はブルーが誕生日を祝ってもらう番。
 ハーレイよりもずっと遅れて生まれて来たから、十五歳にしかなれないけれど…。
 そういうことを考えていて、ブルーはふっと気が付いた。
 この地球に自分が生まれて来た時、ハーレイはとっくに地球の上に居た。八月二十八日が来たら二十四歳も年上になってしまうハーレイ。ブルーよりも先に生まれたハーレイ。
 ブルーが地球に生まれたその日に、ハーレイは何をしていたのだろう?
 とうに大人になっていた筈だけれど、何処に居て何をしていたのだろう…?
 一度知りたいと思い始めると止まらない。その日、ハーレイはどう過ごしたのかを。



 母からも見える庭のテーブルで訊くには、特別すぎることだったから。レモネードを飲み終え、ケーキのお皿も空になって二階の自分の部屋に移動した後、ハーレイの膝の上に座って尋ねた。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
 ハーレイがブルーが膝から落っこちないよう、軽く腕を回して支えながら微笑む。
「ハーレイ、二十三歳の時って何をしてたの?」
「何って…。そうだな、教師生活の一年目ってトコか」
 毎日が新鮮で、初めてのことの連続で。慣れない仕事で忙しくても充実していた、とハーレイは懐かしそうに答えた。
「じゃあ、二十三歳の三月は?」
「ん? 新米教師の集大成だな、来たる新年度に向けて不安半分、期待半分だ」
「なんで不安?」
「そりゃ、お前…。そろそろ担任もするかもだしな?」
 教師生活も二年目になればクラス担任をするケースもある。一人前の教師として認められた証といえども、クラス担任の責任は重い。受け持ちのクラスの生徒に目を配り、自分が担当する教科の指導も抜かりなく。どちらも手抜きは許されないし…。
「ハーレイ、二年目から担任だったの?」
「いや、そういう話も出ては来たんだが…。柔道部がいい線を行っていたんでな」
 顧問だったハーレイは腕を見込まれ、そちらに専念することになった。教師生活二年目の段階でクラス担任とクラブ顧問を両立させることは難しい。まして柔道部で大会を目指すとなれば…。
「そっか…。それで、柔道部はどうなったの? 二年目」
「見事、大会に出場したぞ? 皆、いい成績を収めてくれてな、指導した俺も鼻高々だ」
 そのまま柔道の話になってしまいそうだったから、ブルーは慌てて話題を元に戻した。
「じゃあ、ハーレイ。…二年目に入る前の三月の末って、何してた?」
「そうだな…。とにかく不安を吹き飛ばそうと気分転換に泳ぎまくって、走っていたな」
「三月三十一日は?」
「明日から新年度だと気分を切り替えるべく…。待て、お前は何が言いたいんだ?」
 ハーレイはようやく話が自分の教師生活のことではないらしい、と気が付いたようで、瞳の色が深くなる。鳶色の瞳がブルーの瞳を覗き込み、「どうした?」と先を促した。
「妙に日付にこだわるな? そういえば三月の三十一日は…」
「うん。…そこ、ぼくが生まれて来た日なんだ…」
 何か予感は無かったの? とブルーは鳶色の瞳を見上げる。赤い瞳に期待をこめて。



 ブルーとハーレイ。
 今は普通の十四歳の子供と、その学校の教師だけれど。
 二人の前世はミュウの長のソルジャーと、ミュウたちを乗せた船の舵を握るキャプテンだった。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
 三百年近い時を共に生き、愛し、愛された恋人同士の二人は運命に引き裂かれるように別れて、長い時を経た後に蘇った青い地球の上に生まれ変わり、再び出会った。
 ブルーがハーレイを追うように生まれて来てから、再会するまでに十四年もの時が流れた。
 十四歳という年齢が重要な鍵になったのだろう、とブルーは思っているのだけれど…。十四歳を迎えるまではブルーの記憶は蘇ってくれず、再会は叶わなかったのだろうと思うけれども。
 それでも自分が生まれて来た日に、ハーレイは気付いてくれたのではないか。
 予感めいた何かがあったのではないか、と期待してハーレイの顔を見上げたのに。
「…すまん。俺は昔から鈍いからな」
 残念ながら何もなかった、とハーレイは済まなそうに言葉を紡いだ。
「実はな、俺もお前に出会って直ぐに調べてみたんだ。お前の生まれた日を勝手に調べて、お前を怒らせちまったが…。お前が生まれた日に何か無かったかと、その日の日記を読んでみた」
「…でも、何も起こっていなかったんだね?」
「ああ。いつもどおりの日記だったな、本当にすまん。せっかくお前がその日に生まれて来たのになあ…。俺のブルーが生まれて来たのに…」
 天から宝物が降って来る夢でも見られていれば良かったのに、とハーレイが悔しげな顔をする。
「でなきゃアレだな、富士山か鷹かナスの夢だな」
「えっ?」
 意味が掴めないハーレイの台詞に、ブルーの瞳が丸くなった。
「何、それ…」
「ははっ、お前は知らなかったか? 正月に見る初夢に出てくれば最高だという縁起物だぞ」
 富士山は昔の地球に在った美しい形の火山だ、とハーレイは鳶色の瞳を細めた。
「その富士山が一番縁起が良かったらしい。次が鷹だな、鳥の鷹だ。三番目が野菜のナスになる。なんで富士山で鷹でナスなのか、理由は色々あるんだが…。どれも見なかったことは確かだ」
「……そっか……」
 特別な夢すらも見てくれなかったらしいハーレイ。
 ブルーは心底ガッカリしたが、シュンと項垂れたブルーの頭をハーレイの手が優しく撫でた。
「すまんな、ブルー…。鈍い男で本当にすまん。俺も予感が欲しかったんだが」
 本当だぞ、とハーレイはブルーの瞳を見詰めた。
 何よりも大切な宝物のブルーが生まれて来たのに、知らなかった自分が情けないと。



 ブルーがこの地球に生まれて来た日も、ハーレイは普段通りに生きていた。
 翌日から始まる新年度に向けて心身をリフレッシュするべくプールに出掛けて存分に泳ぎ、その後は軽くジョギングをした。
 春の到来を告げる桜がチラホラと咲いていたかもしれない。その辺りは記憶していない。
 今より十四年分ほど若い身体で颯爽と走っていたコースの途中で、ブルーが生まれた病院の脇を掠めていたかもしれない。病院に急ぐブルーの父の車とすれ違っていたかもしれない。
 ブルーが生まれて来たことも知らず、足の向くままに走り続けていただけだけれど。
「本当に鈍い男だったな、俺ってヤツは…。俺の宝物が生まれて来たのに」
 つくづく馬鹿だ、とハーレイは嘆く。
「おまけに十四年間も気付かなかったとは恐れ入る。とっくにこの町に来ていたくせに」
 お前が生まれた日も町を走っていたんだ、と語ってから「待てよ」と暫し、考え込んで。
 少し経った後、ハーレイが口にした言葉は、それまでのものとは正反対だった。
「…ブルー。ひょっとしたら、俺は気付いていたのかもしれん」
「ハーレイ、何か思い出したの?」
「そういうわけではないんだが…。あえて言うなら、この町だな」
「町?」
 怪訝そうな顔をしたブルーに「この町さ」と返す。
「俺は、お前がこの町に生まれるという予感に引かれて来たのかもしれん」
「えっ…。でも、ハーレイには予知能力は…」
「無いさ、昔も今の俺もな。…だが、この町にこだわる理由は何処にも無かった。教師になるなら俺の生まれた町でも良かった。この町で教師になるにしたって、通えん距離でも無かったし…」
 隣町にあるハーレイが育った家までは車で一時間もかかりはしない。充分に通勤圏内だったし、現に通っている人も少なくはない。
「…それなのに、俺はこの町に来ちまったんだ。わざわざ家まで買って貰ってな」
 いつか嫁さんを貰う日のために子供部屋つきの立派な家を、とハーレイはブルーに微笑んだ。
「あの家に嫁さんは来ないだろうと思っていたのに、お前に出会った。…お前を嫁さんと呼べるかどうかはともかくとして、俺は結婚出来るんだ。いつかお前が大きくなったら」
 ……俺はお前に出会うためだけに、この町に来た。
 そういう気持ちがしてこないか?
 なあ、ブルー…。



 ハーレイの褐色の手に頬を包まれ、額に優しく口付けられて。
 ブルーの頬は赤く染まったけれども、それは恥ずかしさではなくて幸せが溢れそうだったから。
 ある意味、自分が生まれた日に特別な夢を見たと告げられるより嬉しかったかもしれない。
 予感があった、と聞かされるよりも遙かに嬉しかったかもしれない。
 この地球に自分が生まれる前から、母の胎内に宿る前からハーレイは待ってくれていた。
 生まれるよりも遙かに前から、この町に住んで待っていてくれた。
 新しい家族を迎える家まで買って貰って、ひたすらに待っていてくれたのだ。
 それが誰なのかを知らなかっただけで、ハーレイはずっと待っていた…。
 ブルーが生まれるずっと前から、教師としてこの町に来た十五年も前の時から、ずっと。



 ハーレイがこの町に住み始めてから、ブルーが生まれるまでに一年以上が経っている。
 そうしてブルーが地球に生まれて、出会うまでの間に十四年。
 十四年間も同じ町に住んで、それぞれの人生を生きて来たのだけれど。
 再会してから三ヶ月にも満たないけれども、もしかしたら…。
「ねえ、ハーレイ。ぼくたち、何処かですれ違っていたかもしれないね」
 十四年間もあったんだから、とブルーが見上げるとハーレイは「まさか」と苦笑した。
「お前みたいに印象的な子供を見たなら、俺は絶対に忘れないが」
「でも…。ぼくは小さい頃、大抵、帽子を被っていたよ? 大きいのを」
 母が日よけにと被らせた帽子。つばが広くて、顔が日陰になる帽子。
「それは分からんかもしれないなあ…」
「でしょ? 髪の毛も目の色も見えなかったら、帽子を被ったただの子供だよ」
「確かにな。すれ違っていても気付かんだろうなあ…」
 そう言ってハーレイは頭を掻いた。
 銀色の髪で赤い瞳のアルビノの子供は珍しいけれど、大きな帽子は珍しくもない。
 小さい頃に何処かで出会っていたかもしれない。
 もっと小さい頃、ハーレイが車の中から見かけたベビーカーにブルーがいたかもしれない。
「…そうだな、会っていたかもしれないなあ…」
「ハーレイ、知らずに手を振ってたかもしれないよ。ジョギングしながら」
「それは大いに有り得るな。俺は手を振ってくれる人には必ず振り返しているからな」
 うんと小さい子供だろうが、赤ん坊だろうが、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「ね、ハーレイ? ぼくは小さすぎて覚えてないけど、本当に手を振っていたかも」
「実にありそうな話だな。子供はけっこう手を振ってくれるぞ」
 今でも走っていると手を振って応援してくれる、と笑うハーレイ。
 そんなハーレイが若かった頃に、ブルーも手を振っていたのかもしれない。
 前の生で心から愛した人とも知らずに、「頑張ってねー!」と無邪気に叫んで。
「うんと小さいお前の声援を受けて走っていたのか、俺は」
「そう考えると幸せな気持ちがしてこない?」
「ああ。…お互い気付かなかったと思っているより、うんと幸せな気分になれるな。…俺はお前に出会うためにこの町に来ていたのか。自分では全く気付かなかったが」
「きっとそうだよ、ぼくの学校にも来てくれたもの」
 何処にも証拠が在りはしないけど、そう思う。
 ハーレイはぼくを待つためにこの町に来て、ぼくに会うために今の学校に来た、と。



「しかしだ。…考えてみると不思議なもんだな」
 ハーレイがブルーを膝の上に抱いたまま、しみじみと言った。
「お前を待つためにこの町に来たんだろうと思うし、それで間違いないとも思う。それなのに俺はソルジャー・ブルーの写真を見ても別に何とも思わなかったぞ、お前と再会するまでは」
「今は?」
「…今か? 今は駄目だな、見ないようにしている」
「なんで?」
 赤い瞳を輝かせるブルーの頭をハーレイの拳がコツンと小突いた。
「お前、知ってて訊いてるだろう! 俺がソルジャー・ブルーの写真を見たらどうなるかを!」
「ふふっ」
 ブルーは小さく肩を竦めてクスッと笑うと。
「ぼくはね、キャプテン・ハーレイが少し怖かったよ。…うんと小さい頃は、だけどね」
 それは嘘ではなくて本当のこと。
 今よりも幼かった頃のブルーは、威厳に満ちたキャプテン・ハーレイの写真が怖かった。学校の先生たちよりも厳しそうだったし、叱られたら泣いてしまうと思った。
 そう話すとハーレイは「お前なあ…」と苦笑いをして。
「それで、その後はどうだったんだ?」
「意外に優しいおじさんかも、って」
「おじさんだと!?」
 ハーレイの声が引っくり返るとまではいかないものの、あまりのことに裏返りそうになる。
「だって、ハーレイ。…ぼくのパパとあまり変わらないよ? おじさんだよね」
「こらっ! それが恋人を捕まえて言うことか!」
 よりにもよって「おじさん」なのか、とハーレイはブルーを捕まえて銀色の頭を拳でグリグリと弄り、ブルーの軽やかな悲鳴が上がった。
「痛い、痛いよ、ハーレイ、痛いってば!」
「うるさい、俺をおじさんと呼んだお前が悪いっ!」
 今度言ったらもう結婚してやらないぞ、と苛めにかかる。おじさんに用は無いだろう、と。



 ハーレイをおじさん呼ばわりした罰を食らったブルー。
 銀色の髪はクシャクシャにされて、グリグリされた頭も痛かったけれど。
 お仕置きが済むとハーレイの大きな手で頭を撫でられ、広い胸に大切そうに抱き締められる。
 「俺のブルーだ」「俺の大切な宝物だ」と。
 温かな手と、逞しくて厚いハーレイの胸。
 前の生と何処も変わっていない。



 ソルジャー・ブルーだったぼくが愛したキャプテン・ハーレイ。
 もう会えないと、二度と会えないのだと凍えた右手の冷たさに泣いて、泣きながら死んでいった遠い日のぼく。
 それなのに、ぼくはハーレイに会えた。
 行きたいと焦がれ続けた青い地球の上で、もう一度ハーレイに会うことが出来た。
 なんて不思議な運命だろう。
 あの遠い日に切れたと思った運命の糸が、ハーレイをこの町に連れて来てくれた。まだ生まれていないぼくを待つために、隣の町から連れて来てくれた…。
 ぼくとハーレイとを繋ぎ続けた運命の糸。神様が結んで、切れないようにしてくれた糸。
 神様はぼくとハーレイが出会えるように色々な準備をしてくれた。
 その最高傑作がぼくの聖痕。
 ハーレイと再会した日に、ぼくの身体を血に染めた傷痕。
 あれっきり、二度と現れはしないし、もう出て来ることも無いのだろうけど…。
 この地球に生まれ変われて良かった。
 ハーレイと二人、地球の上で会えてホントに良かった。
 ぼくは本当に幸せだよ。ねえ、ハーレイ…。




        ぼくが生まれた日・了


※ブルーが地球の上に生まれて来た日。何の予感も無かったというハーレイですが…。
 そこは運命の二人ですから、まるで接点が無かったわけでもなかったかも?
 キーワードは、実は「サクラサク」。
 第79弾、『時の有る場所で』 がソレです、第17弾『時の無い場所で』と対のお話。 
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御礼ショートショート、月に1回、入れ替え中です!

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