シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
十四歳になったばかりの小さなブルー。
前世の記憶を全て持っているのに、ブルーの心は身体と同じに年相応の子供のもの。
無邪気に微笑み、溢れんばかりの「好き」という想いをぶつけてくる小さなブルーがハーレイは可愛くてたまらなかったが、ブルー自身は一人前にキスを強請ってきたりする。
その度に「駄目だ」と叱りつけては、脹れっ面になったブルーを見る日々。
(…俺も本当は辛いんだがな…)
前世で愛したブルーが直ぐ目の前にいるというのにキスさえ交わせず、それよりも先に進むことなど出来る筈さえ無い辛さ。
ブルーが欲しい。ブルーを抱いて自分一人だけのものにしてしまいたい。
狂おしい欲望と戦いながらも、その一方でブルーが十四歳の子供であることを嬉しくも思う。
前の生では叶わなかった幸せ一杯な子供の時間。
SD体制の頃と違って十四歳から後も両親と共に暮らせる温かな時を、ブルーに存分に味わって欲しかったから…。
最初はハーレイも錯覚していた。
ブルーが通う学校の教室で出会い、赤い瞳から、その身体から大量の鮮血が流れ出したあの日。
前世の記憶を共に取り戻し、病院に搬送されるブルーに付き添って救急車に乗った。
けれどハーレイは学校に戻らねばならず、自らが思い出した前世の記憶や今後について従兄弟の医師と相談しただけで後ろ髪を引かれる思いで職場へ。
愛しいブルーが帰って来たのに、遠い遠い昔の生で死に別れた恋人が戻って来たのに、今の生がハーレイの自由を奪う。ブルーを抱き締め、側に居たいのに仕事がそれを許してくれない。
早く学校が終わらないかと何度も何度も時計を眺めた。転任教師の引き継ぎの仕事も「ブルーの様子を見に行きたいので」と早めに切り上げ、校門を出てブルーの家へと。
初めて訪ねたブルーが両親と暮らす家。
挨拶を済ませて二階にあるブルーの部屋に案内され、ブルーの母が扉を叩く。
「ブルー? ハーレイ先生が来て下さったわよ」
どうぞ、と開けられた扉の向こう側、ベッドにブルーが横たわっていた。ハーレイの記憶に最後に刻まれた姿よりも幼いけれども、銀色の髪も赤い瞳も間違いなく愛したブルーのもので。
「少しの間だけ、二人きりにさせて」と母に告げるブルーの姿に鼓動が高鳴った。
ブルーの母がお茶の用意をしに出て行くのを待って、ブルーの唇が紡いだ言葉。
「……ただいま、ハーレイ。帰って来たよ」
もうそれだけで堪らなかった。ブルーが負った傷を見てしまったから、激しい後悔に襲われる。どうしてブルーを一人でメギドへ行かせたのかと。何度も繰り返し「行かせるのではなかった」と悔やむハーレイに、ブルーが微笑む。
あの時は自分がそう決めた。けれど今度は離れたくない、と。
そう告げるブルーがあまりに健気で、そして儚く弱々しく思えて、たまらずベッドから起こして抱き締めていた。ブルーの腕がハーレイの背中に回され、キュッとしがみ付く。
「…離れない。二度とハーレイと離れたくない」
「ああ。二度とお前を離しはしない」
ほんの僅かの間だけ抱き合い、互いの想いを告げた時には「あのブルーだ」と思っていた。
別れた時そのままのブルーの心が幼い身体に宿ったのだ、と。
しかしブルーの母が紅茶とクッキーを用意して戻り、束の間の抱擁は終わってしまった。
そしてテーブルを挟んで再びブルーと向き合った時に、ハーレイは「違う」と気付かされた。
「…ハーレイ? クッキー、食べないの? 美味しいよ」
ぼくのママが焼いたクッキーなんだ、と勧めるブルーの年相応に幼い顔立ち。
ハーレイの来訪を心から喜び、その嬉しさを隠そうともしない輝くような笑顔。それはかつてのソルジャー・ブルーの笑みとは違った。
顔立ちが幼いからだけではなく、ブルーの中から滲み出す感情が違いすぎる。
ハーレイに向けられる純粋無垢でひたむきなブルーの想いと心。
ただひたすらにハーレイを慕い、側に居たいと願うブルーは姿そのままに小さな子供。
「…ハーレイ? どうかした?」
何処か変だよ、とブルーが首を僅かに傾げた。
「せっかく会えたのに嬉しくないの? …ぼくの身体が小さすぎるから?」
「いや。……そういうわけではないんだが…。確かにお前は小さすぎだな、驚いた」
まるでアルタミラで出会った頃のようだな、と言えばブルーは「そうだね」と素直に頷く。
「でもね、中身は違うから! ちゃんと何もかも思い出したし、昔のままだよ」
「…そうだな、どうやらそうらしいな」
メギドで無茶をしすぎたお前だ、と返すと「もうしないよ」と答えが返った。
「ぼくは何処にも行かないよ。…ずっとハーレイの側に居るから」
「そうしてくれ。生憎と家は別なんだがな」
「…そうだったね…。ハーレイと一緒に居たいのに…。今夜くらいは一緒に過ごしたいのに」
でもママとパパが居るから無理だよね、と俯くブルーが何を求めているのか、ハーレイには視線だけで分かった。前世での仲と全く同じに、恋人同士の絆を確かめ合う時間。ハーレイに抱かれ、失った時を取り戻したいとブルーの赤い瞳が揺れる。
「無理を言うんじゃない。お前、倒れたばかりだろうが」
我儘を言うな、とブルーの髪をクシャリと撫でてハーレイは椅子から立ち上がった。
「…しっかり眠って疲れを取れ。今日はもう、俺は帰るから」
「えっ…。でも、また会いに来てくれるよね?」
「ああ。ちゃんと身体を大事にするんだぞ」
分かったな、とブルーの右手を握ってやれば「うん」と柔らかな頬を擦り付けてくる。
その仕草。ブルーが心からハーレイを愛し、側に居たいと願っているのが伝わってきた。
けれど…。
前の生で愛したブルーは確かに其処に居るのだけれども、前と同じに愛を語らうには心も身体も幼すぎる、とハーレイの勘が告げていた。
(…見た目どおりに子供なブルーか…)
ブルーと別れて自分の家に戻ったハーレイはフウと大きな溜息をつく。
慌ただしかった一日が終わり、もう今頃はブルーもベッドでぐっすり眠っていることだろう。
大量出血を起こしたブルーは今週中は登校禁止で自宅静養。明日も様子を見に出掛けたいと思うけれども、今日ですら引き継ぎを途中で切り上げねばならなかった身だ。次にブルーを訪ねられる日は恐らく週末まで来ない。
(…一日でも早く会いたいんだがな…)
あまりにも突然過ぎた前世での別れ。
十五年ぶりに目覚めたブルーとろくに言葉も交わせない間に時だけが過ぎて、ブルーはメギドに行ってしまった。別れの言葉を残す代わりに「頼んだよ、ハーレイ」と次の世代を託しただけで。
だからこそ余計にブルーを諦めきれずに、悔み続けたまま前の自分の生は終わった。死んだ後はブルーに会えるであろう、と再会の時を待ち続けながら。
それなのに何処でどう間違えたか、あるいは神の采配なのか。病み果てた地球の地の底深くで死を迎えてからの記憶はまるで無く、時を飛び越えたように自分は再生を遂げた地球の上に居た。
最期まで会いたいと願い続けたブルーと共に生まれ変わって、新たな生を謳歌している。
(やっと会えたのに、当分仕事で会えないとはなあ…)
それに、とブルーの姿を思い浮かべた。
側に居たいと、今夜くらいは共に過ごしたいと寂しそうだったブルー。
ブルーが両親の庇護の下で暮らす子供だったから「今夜は駄目だ」と切り抜けてきたが、ブルーがハーレイに望んでいるものは前世と変わらない深い関係。
抱いて欲しい、と赤い瞳が訴えていた。ハーレイと結ばれ、またハーレイのものになりたいとブルーは本気で考えている。けれど、ブルーの幼い身体はそのようには出来ていなかった。その身に宿るブルーの心もまた、そのように出来上がってはいない。
(…身体に合わせて心も子供になってしまったか…)
ブルーの倍以上もの年数を生きてきた大人だからこそ見抜けた真実。
前世の記憶を持ったブルーは以前と全く同じつもりでハーレイを求め、愛されることを望んではいるが、それがどういう行為であるかを本当に分かっているのではない。小さな身体には早過ぎることも、その柔らかくて幼い心には激しすぎる行為であることも…。
「…厄介なことになっちまったな……」
ハーレイは自分のベッドに転がり、暗い天井を見上げて呟いた。
長い時を越えて巡り会えたブルーは愛おしい。今すぐにでも攫って来て家に閉じ込めたいほど、ブルーが欲しくてたまらない。しかしブルーは十四歳の小さな子供で、手は出せないし、出してもいけない。
それなのにブルー自身の望みが他ならぬハーレイによって愛され、前世そのままに結ばれることだとは、運命はなんと皮肉なものなのか…。
どんなにブルーが願い、望もうとも前世のブルーと同じようには扱うまい。
ハーレイがそう決意するまでに時間はさほどかからなかった。今のブルーは年相応の子供でしかなく、その言葉が如何に前世の想いを映したものであろうとも、それは言葉の上だけのこと。幼いブルーは望みをそのままに口にするけれど、本当は何も分かってはいない。
(さて、どうやって止めたもんかな…)
駄目だ、と言えばブルーも強引に食い下がってはこないだろう。ハーレイが積極的に動かない限りはブルーの望む関係になどなれはしないし、幼いブルーに誘う技などある筈もない。けれど釘は刺しておく必要がある。
(…そう何回も強請られたんでは俺が耐えられん)
自制心の強さには自信があったが、会う度に「抱いて欲しい」と口にされてはたまらない。瞳で訴えただけの今日と違って、ブルーならば遠からず確実に言う。幼さゆえの純粋無垢さでハーレイへの想いを告げるためにだけ、その意味すらも深く考えずに。
その場では辛うじて耐えられるだろうが、それから後がどうなるか。子供のブルーは断られればしょげるか、脹れっ面になるかで終わるが、ハーレイの方はそうはいかない。名実ともに成人男性であるハーレイには大人の身体の事情というものがあるわけで…。
「普通に「駄目だ」と言っただけでは懲りずに何度でも言いそうだしな…」
いい手は無いか、とハーレイは考えを巡らせた。小さなブルーを納得させて黙らせるには確たる理由が必要だ。ただ漠然と「駄目だ」と告げてもブルーは決して「うん」とは言わない。そういう頑固さはソルジャー・ブルーだった頃のブルーとさして変わりはない筈で…。
「…そうか!」
ソルジャー・ブルーか、とハーレイの頭に素晴らしい案が閃いた。
小さなブルーの前世であったソルジャー・ブルー。前世で恋人同士の仲になった時、彼の背丈は今のブルーよりもかなり高かった。小さなブルーの身長は聞いてはいないが、目測だけでも二十センチほどは違うだろう。
(…前の時と同じくらいの背になるまでは駄目だと言えば大人しくなるな)
それに限る、とハーレイは唇に笑みを浮かべた。
小さなブルーがその背丈にまで育つ間には、心の方も育ってゆく。心が育てば恥じらいも生まれ、背丈が大きくなったからといって「抱いてくれ」とはとても言えまい。そうやって年相応の心と身体をブルーが得たなら、その時こそは…。
(……それまでの間が多少辛いが、子供らしいブルーは今しか見られないからな…)
奇跡のようにハーレイの前に帰って来てくれた小さなブルー。その成長を文字通り側で見守れる立場になれたのだから、今はその幸運を喜ぼう。ブルーが幸せそうに笑えば、きっと自分も幸せになれるに違いない…。
ハーレイの仕事がようやく一段落して、引き受けたクラブの引き継ぎも済ませた土曜日の午後。
訪ねて行ったブルーの家では予想通りに小さなブルーが待っていた。ハーレイの身体に抱き付いて甘え、あれこれと話を交わした挙句に、その腕がハーレイの首に回されて…。
「駄目だ」
口付けようとしたブルーを制すると「どうして?」と赤い瞳が途惑う。
「お前、自分が何歳か分かっているのか?」
お前にはキスは早過ぎる、と言い聞かせれば「酷いよ、ハーレイ」と恨めしげに訴えられたが。
「酷くない。お前みたいな子供相手にキスをする方がよっぽど酷い」
俺にその手の趣味は無い、とハーレイはブルーを突き放した。
「お前はまだ十四歳にしかならない子供で、身体も立派に子供サイズだ。…そんな子供にキスなど出来るか。そういうことをやらかすヤツはな、ロクでもない大人だけなんだ」
「…でも、ぼくは…!」
「俺の恋人だと言いたいのか? それについては認めてやるが、お前の年と小さな身体が問題だ。俺は子供にキスはしないし、それ以上となれば尚更だ。悔しかったら早く大きくなるんだな」
前のお前と同じくらいに、とハーレイは立ち上がって右手で高さを示した。
「このくらいだ、前のお前の背丈は。…お前、身長は何センチだ?」
「……百五十センチ」
「そうか。だったら残りは二十センチだ、ソルジャー・ブルーの背は百七十センチあった」
そこまで育て、と屈み込んでブルーの銀色の髪をクシャリと撫でる。
「お前がそこまで大きくなったらキスを許してやることにしよう。…いいな?」
「…そ、そんな…! 酷いよ、二十センチもだなんて!」
「しっかり食べればすぐに伸びるさ。…とにかく、それまでは絶対に駄目だ」
分かったな、と念を押されたブルーは脹れっ面になってしまったが、それも小さな子供ゆえ。
ハーレイはクックッと小さく笑っただけで、撤回したりはしなかった。
まだ百五十センチにしかならないというブルーの背丈。それが前世と同じ背丈まで伸びる頃にはブルーの顔から幼さも消えて、あの日ハーレイが失くしたブルーと寸分違わぬ美しい姿を目にすることが出来るだろう。
その時まではキスもお預け、ブルーも不満で一杯だろうが、ハーレイ自身も…。
(…ブルー、俺だって辛いんだぞ?)
分かってないな、という心の嘆きをハーレイはグッと堪えて飲み込んだ。
小さなブルーは心も身体も健やかに育ってゆかねばならない。優しい両親に慈しまれて、幸せな時と温もりとに包まれながら…。
前世と同じ背丈になるまでキスも駄目だ、と言われたブルー。
その日、ハーレイがブルーの両親も交えての夕食を終えて帰っていった後、ブルーはそうっと足音を忍ばせ、クローゼットの隣に立ってみた。両親ともに階下に居るのだし、足音を気にする必要は何も無いのだけれど…。
「…んーっと…」
ハーレイの背があの辺りかな、と見当をつけて見上げてみる。前世よりも小さくなってしまったブルーがハーレイの顔を仰ごうとすると首が痛いくらい。アルタミラで出会った頃にもそうだったけれど、本当にハーレイは背が高い。
「ぼくの背は、と…」
どのくらいかな、とソルジャー・ブルーだった頃の背丈を思い浮かべてみて「あと少し!」と今の背丈との差に満足してから、その差を指で測ってみたら。
「……あれ?」
願望が入っていたのだろうか。二十センチにはとても満たない。これはキチンと正確に測って、目標を書いておくべきだろう。家庭科の授業で使うメジャーを引っ張り出して、床から百七十センチの高さまで。
(…………)
酷い、とブルーは泣きそうになった。何度測っても一向に変わってくれない、その高さ。小さなブルーの頭の天辺よりもうんと高いソルジャー・ブルーの背丈。けれど…。
「…やっぱり書かなきゃダメだよね…」
残酷な現実でも、それが目標。ブルーは机から鉛筆を持って来ると、もう一度メジャーで測った高さでクローゼットに微かな印を付けた。母に見付かって叱られないよう、小さく、薄く。
「……あそこまでかぁ……」
いつになったら伸びるんだろう、と唇を噛んで、爪先で軽く床を蹴る。
普段は使うことすらないサイオン。それを使って身体を浮かせ、印の位置に頭の天辺を合わせてみると床までが遠い。ふわりと舞い降り、背伸びしてみて、また浮いてみて…。
(……まだまだ伸びそうにないんだけれど……)
あんなに床が遠いだなんて、とブルーは大きな溜息をついた。
しかしハーレイと晴れて本物の恋人同士になりたかったら、背を伸ばすしかないわけで。
(…酷いよ、ハーレイ。ぼくは子供じゃないんだけどな…)
見た目だけだよ、と零してみてもハーレイは側に居なかった。ハーレイがいつも隣に居てくれる生活を目指すためにも育つしかない。まずは育って、それからキスで…。
こうして始まったブルーの努力が実を結ぶまでに、どのくらいの時がかかるのか。
何かといえばクローゼットに付けた印を眺めて溜息を漏らすブルーとは逆に、その原因となったハーレイの方は二つの思いの狭間で揺れる。
早く育ったブルーが欲しいと願いながらも、無邪気な子供でいて欲しいと思う。
美しく気高かったブルーも、十四歳の小さなブルーも、どちらもハーレイの大切なブルー。
かつて愛したソルジャー・ブルーも、今のブルーも、たまらなく愛おしく抱き締めていたい。
小さなブルーが育つまでの間に、何度考えることだろう。
自分が心から愛するブルーは、いったいどちらの姿なのか、と。
答えなどきっと、見付からない。
ブルーがどんな姿であろうと、愛さずにはいられないのだから……。
小さな印・了
※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
あの17話から今日、7月28日で7年です。
7月28日の記念用に作った筈のハレブル別館が今や毎月2回の更新だなんて…。
14歳ブルー君とハーレイ先生にとっては「メギドは遠い過去のこと」。
というわけで、7月28日も普段通りの更新ということになりました。
14歳ブルー君とハーレイ先生、これからもよろしくお願いしますv
過去の記念作品へは、ハレブル別館TOPからどうぞ。
←ハレブル別館へのお帰りは、こちらV
←当サイトのペットと遊びたい方は、こちらからV
※「ウィリアム君のお部屋」というコンテンツです。
そのまんまです、「キャプテン・ハーレイのお世話」をして頂きます。
「外に出す」と「お部屋がほんのりハレブル風味」になるのが売りです。
外に出しても5分経ったら戻って来ます~。
青い地球に生まれ変わって再び出会ったハーレイとブルー。
ハーレイはブルーが通う学校の古典の教師で、ブルーは十四歳になったばかりの少年だった。
年度初めに少し遅れて赴任してきたハーレイに会って、ブルーの前世の記憶が蘇る。同時にハーレイの記憶も戻って、前世で恋人同士であった二人は巡り会うことが出来たのだけれど。
「ハーレイ先生、ブルーをよろしくお願いします」
ブルーの母が紅茶と焼き菓子をテーブルに置いて出て行った。此処はブルーの家の二階で、足音がトントンと階段を下りてゆき…。
「…もういいかな?」
聞き耳を立てていたブルーは母の足音が消えるのを待って立ち上がり、向かいに座るハーレイの椅子に近付いた。がっしりとしたハーレイの首に腕を回せば、ヒョイと膝の上に抱え上げられる。
「ふふっ。…好きだよ、ハーレイ」
すりすりと広い胸に頬を擦り寄せるブルーをハーレイの腕が抱き締めてくれた。前世よりも小さなブルーの身体はすっぽりとハーレイの温もりに包まれ、幸せな気持ちが溢れ出す。
ハーレイの腕の中に戻れて良かった。帰ってこられて本当に良かった…。
(……あったかい……)
瞼を閉じて幸せを噛み締めていると、大きな手が頭を優しく撫でてくる。嬉しい気持ちになると同時に、複雑な気分も感じるそれ。前の生では頭を撫でられることなど滅多に無くて…。
「…ハーレイ。ぼくは子供じゃないってば!」
目を開け、唇を尖らせて見上げれば「どうだかな」と答えが返って来た。
「小さい上に甘えん坊だと思うがな? …前のお前はくっついてばかりじゃなかったぞ」
「今だけだよ! ずっとハーレイと離れていたから、その分だってば!」
ブルーは懸命に言い返す。ハーレイと再び巡り会ってから、まだ充分に逢瀬を重ねてはいない。前世で引き裂かれるように別れて、「さよなら」すらも言えなくて……。最期まで覚えていたいと思ったハーレイの温もりも失くしてしまって、どんなに悲しく寂しかったか。
そのハーレイともう一度出会えて、本当ならずっと一緒に居たい。それなのに二人の家は別々、学校に行けば教師と生徒。二人きりになれるチャンスは少なく、おまけにハーレイはキスすら許してくれない。そんな状態で失くした温もりを取り戻すためには甘えるより他に無いわけで…。
「分かった、分かった。…好きなだけくっついていればいいさ」
「うん…」
ハーレイの鼓動が聞こえてくるのが嬉しい。自分もハーレイもちゃんと生きていて、此処は焦がれてやまなかった地球。ただ、問題が一つだけ。
(…小さすぎたなんて…。本物の恋人同士になれないだなんて……)
ハーレイの大きな身体に包まれるのは幸せだけれど、自分がもっと大きかったならばキスも出来たし、結ばれることだって出来たのだ。なのにキスさえ許して貰えず、ブルーは小さな子供扱い。こればっかりは時が経つのを待つ他は無く、いつになったらちゃんと大きくなれるやら…。
前の生でのソルジャー・ブルーと変わらない姿に成長するまで、本物の恋人同士の仲はお預け。せっかくハーレイと巡り会えても何かが欠けているように思う。
(…やっぱりキスくらい許して欲しいよ…)
唇が触れるだけでいいから、とブルーはハーレイの首に腕を絡めようとしたのだけれど。
「こらっ!」
コツン、と頭を小突かれた。
「キスは駄目だと言っただろう! お前はたったの十四歳だぞ」
「見た目だけだよ!」
「いや、中身もだ。聞き分けがないのは子供の証拠だ」
何度言えば分かる、とハーレイの眉間に皺が寄る。
「…まったく、本当にお前ときたら…。少しは自覚しろ、今の自分というヤツを。…お前は本物の十四歳だ。何と言おうがそれは変わらん」
そう言ってブルーの銀色の髪をクシャリと撫でたハーレイの頬がフッと緩んだ。
「……考えてみれば俺は随分と偉そうな口を叩いてるんだな、ソルジャー・ブルーに」
「えっ?」
「お前と呼ぶのが普通だなんて酷いもんだ。…エラが聞いたら何と言われるか」
前の生でのシャングリラの長老の一人、エラは礼儀にうるさかった。ソルジャーだったブルーの立場は誰よりも上で、ハーレイがその次の地位であっても礼は必ず取らねばならない。
「でも、ハーレイ…。最初の間は「お前」だったよ」
ブルーは遠い記憶を遡る。ソルジャー・ブルーと呼ばれるよりも前、アルタミラを脱出してから間もない頃は…。
「そうだな、最初は「お前」だったな。お前が今と同じくらいに小さかった頃か…」
「うん。…ぼくはハーレイから見れば小さな子供で、ハーレイはうんと大人だったよ」
今よりはずっと若かったけれど、とブルーが微笑むとハーレイが「うーむ…」と短く唸った。
「少しばかり年を取り過ぎたか? お前と違って」
「ううん。…今の姿のハーレイが好きだよ、だって恋人同士になった時には…」
その姿のハーレイだったもの、と口にしかけて慌てて飲み込む。ハーレイと育んだ恋が実って、青の間で初めて結ばれた時。…思い出すとやっぱり少し恥ずかしい。
「…そういえば俺が今の姿になってからだったな、お前も立派なソルジャーだったし」
ハーレイの指がブルーの髪をそうっと梳いて、鳶色の瞳が懐かしそうに細められた。
「ソルジャーとキャプテンだったんだなあ、あの頃は…。お前を「あなた」と呼んでたっけな」
遠い遠い彼方に過ぎ去った過去の生へとブルーは思いを馳せる。
アルタミラで皆で乗り込んだ船がシャングリラへと名を変え、その船体もが形をすっかり変える間にブルーとハーレイも仲間同士からソルジャーとキャプテンに立場を変えた。
いつの間にかハーレイがブルーを呼ぶのも「お前」から「あなた」に変わってしまって、言葉も敬語になってしまった。それが普段の言葉だったし、それで普通だとも思っていた。
でも、今は…。
ハーレイの方がずっと大人で、ずっと大きくて、ブルーが通う学校の教師。
ブルーを呼ぶ言葉も「あなた」ではなくて「お前」になった。
子供扱いは悲しいけれども、言葉遣いは今の方がいい。「あなた」と呼ばれるのも、敬語で話すハーレイも好きだったけれど、普通の言葉で話してくれるハーレイと過ごす今が嬉しい。
前の生でもハーレイは何度もブルーを守ると言ってくれたのに、実際はブルーが守る者だった。シャングリラを守り、ミュウたちを守り、ハーレイもその中に含まれる者だったから。
しかし今度の生では違う。
ブルーは十四歳にしかならない子供で、ハーレイは倍以上もの年を重ねた大人。
平和な地球に生まれたブルーに守らねばならぬ存在は無くて、ハーレイの方がブルーの守り役。
これが幸せでなくて何だろう?
小さすぎたせいで本物の恋人同士にはなれないけれども、これで幸せ、今が幸せ。
「…ねえ、ハーレイ…」
ブルーは自分を腕の中に抱くハーレイの顔を見上げた。
「前の話し方も好きだったけれど、今度はずっと…「お前」がいいな」
「ん?」
「普通に「お前」って呼んで話してくれるのがいい。「あなた」みたいに丁寧な言葉じゃなくて」
ぼくが大きく育ってからも、と強請ってみれば「当たり前だろうが」と呆れられた。
「お前、俺よりも幾つ年下なんだ? 綺麗な美人に育ったからって敬語で話す義理なんか無いぞ」
思い上がるな、と指で額をつつかれ、「ふふっ」と擽ったそうに首を竦めると、ハーレイの瞳がすうっと真剣な光を湛えて…。
「…実は、俺もだ」
強い両腕で抱き締められた。
「俺もお前をずっと「お前」と呼び続けていたい。…今と変わらない喋り方でな」
お前が昔と変わらない姿に育った後も、と熱い声が囁く。好きでたまらないハーレイの声が。
「…なあ、ブルー」
優しくて温かな手がブルーの背を撫で、愛おしげに、大切な宝物のように抱き締めた。
「お前が十四歳の小さな子供で、俺はどんなに嬉しかったか…。お前は不満だらけかもしれんが、俺は本当に嬉しかったんだ」
本当だぞ、と腕に力が籠もる。
「今度こそ本当にお前を守れる。俺はお前よりもずっと年上で、お前を守ってやることが出来る。…前はお前を守ると口では言えても、実際は何ひとつ出来なかった。しかし今度は違うんだ」
お前はこんなに小さくて弱い、と膝の上で抱え直された。
「俺の腕の中にすっぽり収まる小さなお前が今のお前で、育ってもソルジャーになる必要はない。お前は俺よりも年下のままで、俺に守られるままでいい。…今度こそ俺がお前を守る」
そのままでいろ、と強い腕がブルーを包み込んで広い胸へと押し付けた。
「ブルー、ゆっくり大きくなれ。…お前が守らなくてはいけないものなど今の世界には何もない。だから急がなくてもいいんだ。年相応の子供でいい」
「……うん……」
いつもだったら逆らいたくなる「年相応」だの「子供でいい」だのという言葉だったが、逆らう気持ちは起こらなかった。ハーレイが何を言っているのか、ブルーにも感じ取れたから。どういう思いで紡がれた言葉か、その優しさが、その暖かさが泣きたくなるほどに嬉しかったから…。
「…ブルー。俺はお前の幸せそうな姿を見ていたいんだ。…前のお前には叶わなかった分まで、幸せに包まれて育って欲しい。普通の子供に生まれたお前の幸せな笑顔を俺に沢山見せてくれ」
「…うん……」
「分かるな、お前は俺の大切な宝物だ。お前がこれから育つ時間も、俺にとっては何にも替え難い宝物になる。…お前の笑顔を見ていられるだけで、俺は誰よりも幸せなんだ」
……俺だけの小さなブルーでいてくれ。
その言葉にブルーはコクリと頷いた。普段なら口にされる度に唇を尖らせ、脹れっ面になってしまう筈の言葉が、今は嬉しくて心地よい。
前の生でもハーレイの「守る」という言葉に嘘偽りは無かったけれども、現実がそれを許さなかった。いくらハーレイが願い、誓いを立ててもブルーを守れはしなかった。
でも、今は違う。
ハーレイはブルーよりもずっと年上で、身体だってずっと大きくて…。
それにブルーが通う学校の教師で、ブルーはハーレイに教えて貰う立場の小さな教え子。
何もかもが「ハーレイがブルーを守れる」ように設えられた世界が今で、ブルーはハーレイに守られて生きる者。それが当たり前で普通な世界にブルーは生まれて来たのだから…。
小さなブルー、とハーレイが呼び掛けてくれることが嬉しいなんて、とブルーは微笑む。
もしも十四歳の子供でなければ今頃はとうにハーレイと結ばれ、共に暮らしていただろう。早く一緒に暮らしたいのに、それを阻むのがこの身体。
十四歳になったばかりの子供で、おまけにハーレイとは教師と生徒。
こんな立場でなかったならば、と何度思ったことだろう。…これから先も幾度となく不平不満を抱いて文句を言ってはハーレイを困らせ、自分でも悔しくなるだろうけれど、今だけは…。
今度はハーレイに守って貰える。
前の生では約束だけに終わった言葉を果たそうとしてくれるハーレイの腕に、その広い胸に。
「……ハーレイ……」
温かなハーレイの胸に抱かれて、ブルーは幸せに酔いながら呟いた。
「…ハーレイが守ってくれるんだったら、ぼくは小さなブルーでもいい。…今だけだったら」
今だけだよ、と繰り返す。
「…早く大きくなりたいもの。…でないとハーレイと本物の恋人同士になれないもの」
「またそれか…」
そればっかりだな、とハーレイは苦い笑みを浮かべた。
「お前は小さな子供なんだし、そういう話は早過ぎるんだと何度も言っているんだが…。だがな、本当を言えば俺だって早くお前が欲しい」
鳶色の瞳の底に一瞬だけ揺らめいた焔にブルーは気付かなかったが、その焔こそがハーレイが心の深い奥底に秘めるブルーへの想い。キャプテン・ハーレイであった頃から愛し続けて、ブルーを一度失くしたからこそ激しく強く燃え盛る焔。
けれどハーレイは苦しいほどの想いを抑えて腕の中の小さなブルーを抱き締める。
無垢で幼く、愛らしいブルー。
前の生ではミュウたちを乗せた船を守るため、同じ姿でも果敢に戦い続けたブルー。細い身体で負っていた重荷を、痛々しいとまでに思ったその生き様を、ブルーには二度と味わわせたくない。
ブルーが幸せに笑う姿を、十四歳の子供らしい姿を側で見守り、ただ微笑んでやりたいと思う。
だからブルーを求めてはいけない。
どんなにブルーが求めようとも、時が来るまではブルーと結ばれるわけにはいかない。
「…ブルー。俺は大きくなったお前を見たいし、お前を早く欲しいとも思う。……だがな、お前は急がなくていい。お前には子供でいられる時間がまだたっぷりとあるんだからな」
急いで大きくならなくていい、とハーレイはブルーの前髪をそっとかき上げた。
「いいか? 前に失くした子供としての時の分まで、その姿で幸せに生きてくれ、ブルー」
「…うん…」
分かるけれど、と返したブルーの額に唇を落とし、柔らかな頬を両手で包む。前の生であれば、そのまま唇に口付けたであろう所を、口付けは再びブルーの額に。
「…ハーレイ…」
唇へのキスを強請ろうとするブルーの仕草に、「駄目だ」とハーレイは首を左右に振った。
「言ったろう、俺だけの小さなブルーでいてくれ、と。お前はゆっくり大きくなるんだ」
いいな、とブルーの唇を人差し指で押さえ、念を押してから苦笑する。
「…こう格好をつけていてもだ、明日には違うことを言っていそうな気もするんだがな。…いや、明日まで持たないかもしれん」
「…なんて?」
ブルーの期待に満ちた瞳に、ハーレイは喉の奥でククッと笑った。
「残念ながら、お前が思っているような甘い台詞じゃないな。…俺の定番の台詞だ、ブルー」
「えっ?」
「しっかり食べて大きくなれよ、と何回も言っているだろう?」
「……それだったの?」
心底ガッカリした様子のブルーの頭をハーレイの大きな手がポンポンと叩く。
「当然だろうが、何を期待してた? ほら、そろそろ自分の椅子に戻れよ」
……お母さんが様子を見に来るぞ。
そう囁かれたブルーは慌ててハーレイの膝から飛び降り、チョコンと自分の椅子に座った。
すっかり冷めてしまった紅茶を急いで飲み干し、焼き菓子を懸命に頬張る姿が可愛らしい。
「…よし。年相応の姿だな、うん」
しっかり食べろよ、と口にしたハーレイにブルーが小さく吹き出した。
「もう言ってる! ハーレイ、明日まで持たないどころか、もう言っちゃってる!」
「………。いや、食べろとしか言ってない。大きくなれとは言わなかったぞ」
渋面を作ってみせるハーレイにブルーはコロコロと笑う。その屈託のない子供らしい笑顔に心を満たされ、ハーレイの顰めっ面は脆くも崩れた。
「…降参だ、ブルー。……どうやら俺の決意は一瞬で崩れてしまったらしいな。…しっかり食べて大きくなれよ。待っているから」
「うんっ!」
無邪気に答えたブルーの皿に自分の分の焼き菓子も乗せてやる。食が細いブルーが喜んで食べる数少ない好物、母が焼く軽い口当たりの菓子。
ゆっくり育って欲しいけれども、その一方で「早く」とも願ってしまう小さな恋人。
ハーレイはブルーを愛しげに眺め、自分の心に固く誓いを立てた。
今度こそ俺がブルーを守る。前は叶わなかった分まで、俺の大切なブルーをこの手で……。
守られる者・了
※いつもハレブル別館にお越し下さってありがとうございます。
あの17話から7月28日で7年になります、早いものです。
昨年までは7月28日のみの更新だったハレブル別館もすっかり様変わり致しました。
まさか転生ネタを始めるとは思ってもいなかったですねえ、自分でも。
とんでもないスロースターターだったのだな、と呆れるしかない新連載開始…。
というわけで、今年の7月28日は14歳ブルー君に登場して頂きます。
7月28日に新しいお話をUPしますので、遊びにいらして下さいねv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
毎年恒例、夏休みの宿題免除のアイテム探し。会長さんは今年もアイテムを確保し、しっかり出店を出しました。ちゃっかり儲けた翌日からは夏休み。この夏は何処へお出掛けしようか、と会長さんのマンションにお邪魔して…。
「海の別荘は決まってるから、前半で勝負したいよね、うん」
会長さんがカレンダーを指差し、私たちも同意見。マツカ君の海の別荘に出掛ける時期は固定されたも同然なのです。ソルジャー夫妻があの別荘で結婚して以来、結婚記念日を含む日程を組むというのがお約束。ゆえに自由に動き回れるのは前半部分というわけで。
「おい、棚経も忘れてくれるなよ?」
サムとジョミーは今年も手伝え、とキース君がお盆の辺りを示すと「うへえ…」と情けなさそうな声が。
「今年もやるわけ?」
勘弁してよ、とジョミー君が泣き付いてみても、キース君は素っ気なく。
「お前も一応、僧籍だろうが。卒塔婆を書けとは言ってないんだ、棚経くらいはこなすんだな」
「でもさぁ…。暑いし、キツイし、膝は痛いし…」
「道場はそんなレベルじゃないぞ? いや、その前にまずは専修コースか…」
さっさと入学してしまえ、と僧侶養成コースをちらつかされたジョミー君は真っ青です。
「ぱ、パス! まだ棚経もこなせてないし!」
「だったらキリキリ修行しろ! 俺は卒塔婆も書くんだからな。…くっそぉ、親父め、今年もドカンと押し付けやがって…」
柔道部の合宿もあるというのに、とキース君はブツブツと。お盆のための卒塔婆書きはキース君にとって夏休みの宿題みたいなものと化していました。お盆までに書き上げないといけない卒塔婆が数百本、いや千本なのかもしれません。
「ふうん…。キースは今年も卒塔婆書き、と。書き上がらなかったら欠席だねえ?」
夏休み前半のお出掛けは、と会長さんが揶揄えば、キース君は憤然と。
「誰が休むか! 卒塔婆はキッチリ予定さえ組めば期日に仕上がるものなんだからな! 親父が余計に押し付けて来ても、徹夜で書けばなんとかなる!」
「そう? だったら今年は何処へ行こうか…。誰か意見のある人は?」
「川下り!」
ジョミー君がサッと手を挙げました。
「こないだ、テレビで見たんだよ。筏下り!」
「「「筏下り!?」」」
なんだソレは、と派手に飛び交う『?』マーク。筏といえば木材を組んで川に流して運搬する手段だったと歴史で習ったことがあります。そんなの、何処かでやってるんですか?
「えーっと…。あれって何処だったっけ…。観光筏下りなんだけど」
ライフジャケットを着けて乗って行くのだ、とジョミー君は説明してくれました。
「でもって筏から落ちないように手すりもついてたりしてたんだけどさ…。筏って作れないのかな? ラフティングとかより面白そうだよ、ボートと違って船端が無いから」
筏の上を水が流れ放題、と言われてみればその通りかも。夏はやっぱり水遊びですし、筏下りも良さそうです。観光筏下りとなったらイマイチですけど、自分で作って下るんだったら…。
「うーん…。確かに面白そうではあるけど…」
どうなのかなぁ、と会長さん。考え込まずにゴーサインを出して下さいよ! 夏休みってヤツは遊んでなんぼ、筏も作ってなんぼじゃないかと…。
「筏下りもいいんだけどねえ…。なかなかにハードル高いよ、アレは」
素人には筏作りからして無理、と会長さんはバッサリです。
「君たちに木の伐採が出来るのかい? 仮に可能だったとしてもさ、そこから筏に加工するまでが大変で…。遊びの筏なら簡単だけれど、川下りとなったら色々と技が必要なんだ」
下手に作ると壊れてバラバラ、と会長さん。
「それに筏で川を下るには年単位で技術を磨かないとね。ジョミーが言ってる筏下りは技術を絶やさないために立ち上げられた観光筏下りだし」
「そうだったの?」
知らなかった、とジョミー君が目を丸くすれば、会長さんは。
「観光目的で復活させるのも難しかったと聞いてるよ。筏を船として登録するとか、航路を決めて届け出るとか…。ぼくたちが勝手に下るとなったらその辺の許可は絶対、下りない」
「なるほどな…」
それは分かる、とキース君。
「諦めろ、ジョミー。筏下りは観光コースに参加でいいだろうが」
「えーっ…。ブルーならなんとかなるんじゃないの?」
「そりゃね…。サイオンで技術を盗むくらいは可能だけどさ、筏下りを目撃されたら場合によっては悲劇だよ? シャングリラ学園に通報されてガッツリお説教を食らうとかね」
身元を特定されたら終わり、と会長さんが肩を竦めると、ジョミー君は。
「それってサイオンで誤魔化せるよね? シールドで姿を消せるんだもの、筏が下っているっていうのを目撃出来ないようにするとか」
「無茶を言わないでくれるかい? 確かにそういうことは可能だ。だけど遊びでそこまでサイオンを使いたくないし、観光筏で我慢したまえ」
お出掛けするならこの辺かな、と会長さんがカレンダーを示した時です。
「…ぼくが代わりに手伝おうか?」
「「「!!?」」」
紫のマントがフワリと翻り、ソルジャーが姿を現しました。
「夏休みの打ち合わせなんだって? ぶるぅ、ぼくの分のおやつもあるかな?」
「かみお~ん♪ ちょっと待っててねー!」
キッチンに駆けてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソルジャーはソファにストンと腰を下ろしてしまい、すぐにアイスティーとメロンムースタルトのお皿が。
「うん、夏はやっぱりメロンだよねえ」
美味しいや、と頬張るソルジャーに、会長さんが。
「で、何しに来たって?」
「ん? ぼくで良ければ手伝おうか、って。ぼくはね、その気になればシャングリラだってシールド出来る。それも一日や二日じゃないよ? 筏ってヤツがどんなサイズかは読み取れちゃったし、誤魔化すくらいはなんでもないさ」
爆睡しててもシールド可能、とソルジャーは唇の端を吊り上げて。
「こっちの世界は本当に水が豊富だよねえ、まさに水の星、地球って感じだ。その地球で川を下れるだなんて面白そうだよ、混ぜてくれるならシールドするよ?」
「えっ、いいの!?」
ジョミー君がソルジャーの案に飛び付き、私たちも食い付いてしまいました。せっかくの筏下りです。観光筏よりも自前の筏で、でもって好きに下ってこそです~!
「…肝心の筏はどうするのさ?」
仏頂面で口を開いた会長さん。盛り上がっていた私たちはアッと息を飲んだのですけど、マツカ君がおずおずと控えめに。
「あのぅ…。筏だったら多分、作って貰えます。観光筏下りの村に父が幾らか出資してますし…。撮影用に使います、とでも言えば何とかなるんじゃないかと」
「いいじゃねえかよ!」
それでいこうぜ、とサム君が歓声を上げ、キース君が。
「そうだな、それなら俺たちが使った後の筏も有効活用して貰えるか…。観光筏にすればいいわけだしな」
「手すり無しのを作って貰おうよ、せっかくだから!」
ジョミー君もガッツポーズです。けれど、会長さんはまだ苦い顔で。
「筏下りをシールドで誤魔化すとしても、何処でやるわけ? 今は夏だし、大抵の川はカヤックとかラフティングとかで大人気だと思うけど?」
「そっかぁ…。何処か無いかな?」
川下りの穴場、とジョミー君が首を捻れば、またマツカ君が。
「…それなら心当たりがあります。ずーっと昔は筏流しをやっていたんだ、って父に聞いた川があるんです。観光資源が無い場所ですから、わざわざ下る人もいないかと…」
登山をする人が川沿いを歩いてゆく程度です、と提案された場所は文字通り山の中でした。集落が点在しているだけの、いわゆるド田舎。それだけにシールドも最低限の力で済みそうで…。
「いいね、その案! 筏も運んで貰えるのかな?」
ソルジャーの瞳が輝き、マツカ君は早速執事さんに電話をしていましたが…。
「大丈夫だそうです。出発地点までトラックで運んで貰って、下りた後も回収してくれます。長い距離を下って行くんだったら宿泊地点にキャンピングカーを回しましょうか、とも言っていました」
民宿も何も無い田舎なので、とマツカ君。キャンピングカーと聞いた男の子たちは俄然やる気で、そうなってくるとソルジャーの方も…。
「キャンピングカーと河原のテントでお泊まりかぁ…。これはハーレイも呼ばなくっちゃね」
「「「!!!」」」
そう来たか、と思った時には後の祭りで、ソルジャーはキャプテンを連れて来ることを前提に日程を仕切り始めました。大迷惑な展開ですけど、もう手遅れというものです。
「ハーレイには是非、筏を操って欲しいんだよね。急流を下って行くんだろう? 男らしく逞しい背中を見せて下ってなんぼ! シャングリラの舵を握る姿よりも遙かにカッコイイんじゃないかと…」
「「「………」」」
その後にはロクでもない光景が待っているに違いありません。お泊まり付きだけにバカップルな時間が炸裂、会長さんのレッドカードと「退場!」の叫びが聞こえるようで。
「そうだ、こっちのハーレイも呼んであげれば?」
「「「は?」」」
唐突なソルジャーの言葉に誰も事情が飲み込めません。教頭先生と筏下りがどう繋がると?
「せっかくの筏下りだし…。こっちのハーレイ、速い乗り物はダメなんだよねえ? 筏下りもダメじゃないかと思うんだけどな」
「…ダメだろうねえ…」
絶対に無理、と会長さんがフッと微笑んで。
「君たちばかりが楽しむというのも腹が立つ。ぼくもハーレイで遊ぶことにするよ、まず断りはしないだろうし」
ぼくと一緒に川下りとお泊まり、と会長さんは教頭先生にロックオン。筏下りは賑やかなことになりそうです。ソルジャー夫妻と教頭先生までが加わる川下りの旅、果たして何が起こりますやら…。
こうして始まった夏休み。間もなく柔道部三人組は夏合宿に出発しました。その前にマツカ君が筏の手配を済ませてくれて、私たちは完成品の引き渡しを待って乗るだけです。面倒な届け出なんかは会長さんがサイオンで関係者の意識に介入して誤魔化し、下る間はソルジャーにお任せ。
「とりあえず、撮影用だと思わせといたよ」
筏を川に浮かべるだけなら問題ないし、と会長さん。スウェナちゃんと私は会長さんのマンションで「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製冷麺の昼食タイム。ジョミー君とサム君はどうしたのかって? 二人とも柔道部の合宿中は璃慕恩院の夏休み修行体験ツアーに参加するのが恒例ですし…。
「出発地点と回収地点がズレているのも撮影目的なら変じゃないしね。現地での移動は地元の業者が請け負うっていうのもよくあることだし、誰も不思議に思っていないさ」
筏下りを知っているのは執事さんだけ、と会長さんは唇に人差し指を当ててみせて。
「筏下りの技術はバッチリ盗んで来たよ。これをサイオンでコピーさえすれば、ハーレイだって筏を流せる筈なんだけど…。まあ無理だろうね、ぶるぅと同じで」
「ぼくはスピード平気だもん!」
プウッと膨れる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「もっと身体が大きかったら筏くらいは流せるもん! ちっちゃすぎるから無理なんだもん…」
「ごめん、ごめん。ぶるぅはサイオンを使えば出来るんだったね」
「やってもいい?」
楽しそうだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も筏を操るつもりです。スウェナちゃんと私は会長さんが盗んで来たという筏下りの技術とやらを一足お先にコピーして貰ったのですが…。
「…ちょっと無理っぽい?」
「ちょっとどころの騒ぎじゃないわよ、どうするのよ!」
力仕事よ、とスウェナちゃんが言うとおり、それは男の世界でした。後ろの方の筏に乗ってバランスを取るくらいは出来そうですけど、操るなんて夢のまた夢。
「ぼくが盗んだ知識の中にも女性の筏師はいなかったしねえ…。第一号でやってみたいなら補助するけどさ」
「「……遠慮します……」」
乗せて貰うだけで結構です、と私たちは謹んで辞退しました。小さな子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が颯爽と筏を操る姿を見てしまうことはあるかもですけど、私たちには絶対、無理~。
男の子たちが合宿と修行体験ツアーから戻るのを待ち、そこから数日、お疲れ休み。その間にキース君は卒塔婆をガシガシ書き上げたようで、筏下りに出発する朝、誰もが元気一杯で。
「悪いね、マツカ。往復のバスまでお世話になって」
「いえ、筏を手配するついでですから。今夜の宿も手配済みです」
筏下りの場所からは少し離れていますが、とマツカ君。目的地の川まではバスで数時間以上かかるため、朝に出掛けても早くて昼過ぎの到着です。その日の内に下り始めるより一泊してから、と意見が纏まり、今日は現地のホテル泊まりで。
「高原のホテルなんだって?」
楽しみだねえ、とソルジャーがキャプテンと手を握り合っています。それを羨ましそうに眺める教頭先生。会長さんの誘いにホイホイと乗っておいでになりましたけれど、バカップルに加えて筏下りではロクなことにはならないのでは…。
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!!!」
全員で乗り込んだ大型バスは、会長さんのマンションの駐車場を後にして一路筏下りの出来る山奥へと。幾つかのドライブインやサービスエリアを経て、その度にバカップルが御当地グルメを食べさせ合ったり、一個のソフトクリームを二人で舐めたり。
「…俺は頭痛がしてきたぞ」
なんとかしてくれ、とキース君が呻く横ではサム君が。
「あの二人だしなぁ…。今更どうにもならないんでねえの?」
「だよねえ…。それにさ、教頭先生、嬉しそうだし」
また見惚れてるよ、とジョミー君。教頭先生は涎が垂れそうな顔でバカップルの熱々っぷりを見詰めていました。頭の中では会長さんと自分の姿に変換されているのでしょう。そんな道中を経て、ようやく着いた山深い川の河原には…。
「やったぁ!」
手すり無しだぁ! とジョミー君が狂喜し、他の男の子たちも筏を前にワクワクしている様子です。八本の丸太で組まれた立派な筏が全部で八つ。繋ぎ合わせたら三十メートル以上になるらしく…。
「先頭の二つで操るんだよ」
技を知りたい人はこっち、と会長さんが差し出した手に男の子たちが次々とタッチ。ソルジャー夫妻もタッチしましたが、ソルジャーは単なる好奇心で手を出しただけなのだそうで。
「力仕事は昔からハーレイの担当なんだよ、ぼくはのんびり見てるだけ! 筏下りも乗せて貰うだけのつもりで来たけど、こっちのハーレイもそうらしいねえ?」
「…わ、私はスピードが苦手でして…」
転げ落ちないように乗るのが精一杯です、と教頭先生は汗びっしょり。夏の盛りですけど、此処って川風で涼しいですよ? それに標高も高いですし…。
「汗をかくほど暑いのかい? だったら明日に期待したまえ」
川の水は思い切り冷たい筈さ、と会長さん。水辺まで行って手を突っ込んでみて、「うん、やっぱり」と微笑んで。
「春の雪解け水って程じゃないけど、アルテメシアの川とは違うね。この水に足元を洗われながらの筏下りだ、滑ったら一気にドボンだから! それとも筏師の技を習ってバランスを取る?」
どうするんだい、と会長さんが手をひらひらと振り、教頭先生は慌ててその手を取ろうとしましたが…。
「残念でした。一対一で手を触らせるほど甘くないから!」
技のコピーはこれで充分、と会長さんの白い指先が教頭先生の額をピンッ! と弾いておしまい。教頭先生、最初に腰が引けたばかりに手に触れるチャンスも逃しましたか…。
筏師の技をマスターした男の子たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は河原に置かれた筏の上で夕方近くまで遊んでいました。右に曲がるならこう動いて、とか、九十度曲がるにはこうだ、とか。川の流れは一定ではないため、常にぶっつけ本番なのが筏師の世界というヤツです。
「キャンピングカーが待ってる所まで何時間で下っていけるかな?」
ジョミー君が夜のホテルで川下りの地図と睨めっこ。マツカ君が手配してくれたホテルはコテージが売りで、お蔭でバカップルとは夕食を最後に縁が切れ…。
「休みなしで下れば早いと思うよ、水量は充分あるようだしね」
水が少ないと大変だけど、と会長さん。筏が座礁してしまった時は筏をバラして組み直さなくてはならないケースもあるのです。それに比べたら一人や二人転げ落ちたのを回収しながら進んで行く方が余程早いというわけで。
「ハーレイが落ちた場合は拾わなくてもいいと思うよ、自力で泳いで来るだろうから」
「い、いや、そこまでは無理だと思うが…」
「あれっ、泳ぎは得意なんだろ? それともアレかい、激流の中では泳げないとか?」
情けないねえ、と会長さんは深い溜息。
「ぼくが落ちたら助けてくれると思ったんだけどな…。仕方ない、救助はブルーに頼んでおこう。でなきゃぶるぅだ、どっちもサイオンで拾ってくれるさ」
「かみお~ん♪ 簡単、簡単!」
「ありがとう、ぶるぅ。頼もしいねえ、小さくっても男ってね」
大好きだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頬っぺたにチュッとキスする会長さん。教頭先生はガックリ項垂れておられます。スピードもダメなら、会長さんの救助もダメ。筏下りでカッコイイ見せ場はどうやら一つも無さそうですねえ…。
翌朝、コテージから出てきたバカップルは昨日にも増してベタベタの熱々状態でした。ホテルでの朝食は「あ~ん♪」と仲良く食べさせ合いで、何かと言えば熱いキス。筏を置いてある場所まで移動するバスでは…。
「何さ、そんなに冷たい目で見なくても…。ちゃんと昨夜は控えめにしたし!」
「「「は?」」」
「筏下りは体力勝負っぽいからねえ? ハーレイを消耗させちゃダメだし、ぼくも体力をしっかり残しておかないと…。だから二人でゆっくり、じっくり! 一回だけっていうのも燃えるね」
ヌカロクの魅力も捨て難いけど、と胸を張るソルジャーと咳払いするキャプテンと。教頭先生は耳まで真っ赤で、会長さんは怒り心頭。
「退場! よくも朝っぱらからイチャイチャと…」
「お断りだね、ぼくは筏に乗りたいんだよ。それに退場させていいのかい? 君一人だと筏をシールドし続けるのは大変だろうねえ、やりたいんだったら止めないけどさ」
「…うっ……」
痛い所を突かれてしまった会長さん。ソルジャーの方はしてやったりと上機嫌になり、昨夜はシックスナインがどうとか意味不明な話を滔々と。6とか9とか言われましても、分からないものは仕方なく…。教頭先生が鼻血を噴いておられますから、大人の時間のことなのでしょう。
「それでね、今夜はテントらしいし、星空が見えると嬉しいなぁ…って」
独演会状態のソルジャーの台詞に、マツカ君が。
「天窓つきのテントを用意してあるそうですよ。山の中は夜空が綺麗ですから、お好みで天窓を開けて頂ければ…」
「本当かい? やったね、ハーレイ、今夜は星空の下でじっくりと! 筏の上しか無いのかなぁ、って思ってたけど、テントから出ずに済むみたいだし」
「「「???」」」
「あ、分からない? 星空の下でヤりたいなぁ、ってハーレイに話してみたんだよ。筏の上でもいいからさ、って。だけどハーレイは筏の上だと無理らしくって…」
シールドしてても気になるらしい、とソルジャーがチラリと視線を投げれば、キャプテンは大きな身体を縮めています。
「ぼくは見られてても平気なんだけど、ハーレイは見られていると意気消沈! だから筏の上っていうのはダメなんだよねえ、ロマンチックだと思ったのに…」
「そんな目的で筏下りに参加したわけ!?」
サッサと帰れ、と会長さんが激怒し、ソルジャーが「それじゃシールドは?」と切り返し…。筏下りは始める前から既に荒れ模様を呈していました。今夜のテントは天窓つき。星空の下で眠れそうですけど、ソルジャー夫妻が泊まるテントの近くには行かない方が良さそうですね…。
河原に着くと男の子たちが筏をガッチリ繋ぎ合わせて、ソルジャーがサイオンでヒョイと浮かべて川の上へと。いよいよ筏下りです。ライフジャケットを着けて順番に乗り込み、最初の筏師は先頭がジョミー君で会長さんが二番手で補助を。
「…いいかい、落ち着いて漕ぐんだよ? 櫂が流れてもスペアはあるから」
「うん! 好きなだけ乗ってっていいのかな?」
「それはお勧め出来ないねえ…。他のみんなもやりたいだろうし、体力配分の問題もあるし」
適当な所で選手交代、と会長さんが次の漕ぎ手を募集し、キース君が名乗りを上げました。筏師の技は全員が持っているわけですから、次の二番手はその場のノリということで…。
「それじゃ、出発!」
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
筏を岸に結び付けていたロープを会長さんのサイオンがスパッと切り離し、ジョミー君がグイと櫂という名の木の竿を押して、八連の筏は川の中央へと。静かな流れに見えていましたが、なんと、けっこう速いです。えーっと、教頭先生は…。
「ふふ、こっちのハーレイはやっぱりダメかな?」
「そのようですねえ…」
四つ目の筏の上でイチャついているバカップル。視線の先には最後尾の筏でオロオロしている教頭先生が。隣には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が乗っかっています。
「えとえと、ハーレイ、大丈夫? まだ速くなると思うんだけど…」
「わ、分かっている。…バランスを取るのが大切だったな」
転げ落ちないように頑張ろう、と拳を握る教頭先生は筏師の技を持っておいでの筈なのですが…。大丈夫かな、と二つ前の筏のスウェナちゃんと私が心配していたとおり、それから間もなく。
「あーーーっ!!!」
バッシャーン! と派手な水音が響き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の叫び声が。
「大変、ハーレイ、落っこちちゃったぁ~!」
「自力で上がれって言っといて!」
いいトコなんだ、と返す会長さんはジョミー君と二人で急な段差を流れ下っている真っ最中で。
「おい、いいのか!?」
急流だぞ、とキース君が声を上げれば「だから、後で!」と会長さん。前を見てみれば次の段差が迫っていますし、その向こうには岩までが。こんな所で筏を止めることは出来ません。筏師の技でも乗ってゆくのが精一杯で、救助に回る余裕など無く…。
「なんだかピンチみたいだねえ?」
どうしよう? とソルジャーが尋ね、キャプテンが。
「落ちたのがあなたでなくて良かったです。大丈夫ですよ、しっかり支えていますから」
「ありがとう、ハーレイ…」
嬉しいよ、と固く抱き合うバカップル。この激流でもそんな余裕があるというのが凄いです。筏師の技もさることながら、日頃SD体制がどうのと言っているだけのことはあり…。
「ぼくとしては、お前さえいれば充分だけど…。こっちのハーレイが報われないまま昇天したんじゃ、なんだか後味が悪いしねえ?」
一応救助しておこう、とソルジャーのサイオンがキラリと光って、バカップルの足元に教頭先生の身体がドサリと。ライフジャケットを着けておられたとはいえ、激しく咳き込んでおられます。
「…なんだ、助けたのはぶるぅじゃないんだ?」
会長さんがチラッと振り返り、ただそれだけ。筏下りに夢中になっているようです。急流の第一弾を乗り切った後に漕ぎ手交代、会長さんもサム君と交代して後ろにやって来ましたが。
「…邪魔なんだよねえ、落っこちるような筏師ってさ」
こうしておくのが一番だ、とロープを取り出した会長さんは、教頭先生をバカップルの筏に仰向けにギッチリ縛り付け…。
「熱々の二人が見られて丁度いいだろ? ついでにしょっちゅう水を被るし、頭も冷えていい感じだよね」
ぼくは後ろでぶるぅとのんびり、と最後尾へと行ってしまった会長さん。教頭先生は苦手なスピードに絶叫しながら流れ下る羽目になったのでした…。
筏下りは途中で何度か一休み。立ちっぱなしでの川下りですし、休憩タイムは必要です。最後尾の筏に積み込んであったジュースやお菓子、お弁当などを食べつつ休んで、下って、また休んで。午後二時頃にテントが張られた河原に辿り着きました。
「だいたい予定どおりだね、うん」
一人しか転げ落ちなかったし、と会長さんが教頭先生を縛ったロープを解く間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキャンピングカーの内部をチェック。早速、ベリーたっぷりのサマープディングと淹れたての紅茶でティータイムです。河原に据えたテーブルと椅子で、会長さんはゆったりと。
「命拾いをしたよね、ハーレイ? あのまま泳いでついて来るかと思ったのにさ」
「…そ、それは…」
「ブルーに御礼を言ったかい? それどころではなかったのかな?」
「…い、いや……」
しどろもどろの教頭先生の姿に、ソルジャーが。
「ふふふ、ぼくたちが聞く耳持たなかったし……ねえ? 掴まる所も無い筏の上ってスリリングだしさ、抱き合うだけでも身体が熱くなるって感じ! もうキスだけでイッちゃいそうで…。今夜は早めに失礼しようと思ってる。…ねえ、ハーレイ?」
「ええ、星空の下で二人きり…ですね」
早くあなたが欲しいですよ、と熱く囁くキャプテン。そういえば筏だか天窓だかがどうこうと…。テントには開閉式の大きな天窓がついてますから、バカップルは今夜はお籠りでしょう。教頭先生はバカップルをボーッと眺めてますし…。
「やれやれ、そんなに気になるんだったら今夜は混ぜて貰ったら? ブルーはきっと断らないよ」
会長さんの言葉を受けて、ソルジャーが。
「えっ、ハーレイも来るのかい? ぼくは勿論、大歓迎さ。ただ、明日も筏下りが待ってるからねえ、あまり激しいプレイは無理かな…。三人となると歯止めが利かなくなりそうだから、タイマーつきで良かったら」
「「「タイマー?」」」
なんのこっちゃ、と私たちの目がキョトンと見開かれ、ソルジャーはクスクスおかしそうに。
「そう、タイマー。時間を決めてヤるんだったら、少々激しくなったって……ね。盛り上がっていてもアラームが鳴れば一気に萎えて終わりだし!」
ぼくのハーレイも、こっちのハーレイも…、と赤い瞳で上から下まで舐めるように見られたキャプテンと教頭先生、思い切り顔が赤いです。バカップルのテントには近付かないのが吉であろう、と私たちが悟った瞬間でした。
「あれ? どうしたのさ、みんな、変な顔して?」
「君子危うきに近寄らずだよ!」
会長さんがビシッと言ってのけ、ソルジャー夫妻のためのテントは一番端ということに。そのお隣が教頭先生、いわゆる緩衝地帯です。テントが決まるとドッと眠気が。夕食まではお昼寝タイムで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に起こされるまでグッスリで…。
「かみお~ん♪ 御飯の支度、出来たよ~!」
豪華鉄板焼きだもん、と河原のテーブルに大きな鉄板。お肉や魚介類がキャンピングカーから運び出されて、好みでジュウジュウ。締めはスタミナたっぷりガーリックライス。
「良かったねえ、ハーレイ。これでエネルギーはバッチリってね」
「星空も見事ですからねえ…。あ、よろしかったら、是非、いらして下さい。ブルーがお待ちしているそうです」
タイマー付きでよろしければ、と教頭先生に声を掛けたキャプテンは食事が終わると早々にテントに引き揚げてゆきました。教頭先生はまたも鼻血で、会長さんの視線は氷点下。早く寝ないとヤバそうです。明日に備えて、おやすみなさい~!
筏下り二日目、バカップルは朝から絶好調。キャンピングカーのキッチンで「そるじゃぁ・ぶるぅ」が焼いたパンケーキなどが並んだ河原のテーブル、「あ~ん♪」と二人の食べさせ合いが…。その一方で教頭先生、寝不足気味のようでして。
「かみお~ん♪ ハーレイ、疲れちゃったの?」
「シッ、ぶるぅ! 知られたくない事実ってヤツもあるんだよ」
だから放っておくといい、と会長さん。ま、まさか、昨夜はタイマーつきの時間とやらが…? サーッと青ざめる私たちに気付いた会長さんは大慌てで。
「ち、違う、違うよ、違うんだってば! ハーレイは単に隣のテントが気になって寝られなかったってだけで!」
「そうらしいねえ…」
悪いことをしちゃったかな、と詫びるソルジャー。
「君が来るかと思ってたけど来ないようだし、独り者には耳の毒かとテントをシールドしてたわけ。ごめん、声くらいは聞かせてあげるべきだった」
「…い、いえ、私は、決してそんな…!」
「ダメダメ、身体は正直だってば。寝不足なのがその証拠だよ」
筏から落ちないように注意したまえ、とソルジャーが笑い、会長さんも厳しく注意。教頭先生はソルジャー夫妻と同じ筏に正座の姿勢でガッチリ縛られ、また川下りがスタートです。今日は筏の回収地点まで下って行って、夜は豪華なリゾートホテルにお泊まりの予定。
「温泉だってさ、楽しみだよねえ」
「部屋つき露天風呂もあるそうですね」
イチャイチャ、ベタベタのバカップル。男の子たちは交代で筏の漕ぎ手を務め、急流を次々に乗り越えて行きます。やがてソルジャーがボソッと一言。
「ハーレイ、お前も漕いでみないかい? お前がやったら男らしいと思うんだ。…実は最初からそのつもりでさ…。昨日はこっちのハーレイが転げ落ちちゃって、それどころでは無かったし…」
「わ、私が……ですか?」
「うん。シャングリラの舵を握るより、絶対、似合うと思うんだよね」
やってみてよ、と熱い瞳で見詰められたキャプテン、暫し、考えていましたが。
「…分かりました、やってみましょう。文字通りあなたの命を預かるというわけですね」
振り落とさないよう頑張ります、とジョミー君と漕ぎ手を交代したキャプテンは、キース君を二番手に従えて見事に筏を漕ぎ始めました。体格が一番立派なだけに、誰よりも安定の漕ぎっぷり。それは見事としか言いようがなく…。
「…凄いね、あっちのハーレイは」
会長さんが正座で縛られた教頭先生の隣に、いつの間にやら立っていて。
「ブルーの命を預かるだけあって頑張ってるよ。…ブルーが惚れるのも分かる気がする」
「あっ、君も少しは分かってくれた? 今は筏だけど、シャングリラでも似たような気分になるんだよ。でも見た目では筏の方が断然上だね、男らしさが増すって感じ!」
あの筋肉が堪らないや、とソルジャーは惚れぼれとしています。会長さんは教頭先生の背中を軽く蹴飛ばし、鼻を鳴らして。
「同じハーレイでこうも違うと言うのがねえ…。片や筏を漕いでも凄腕、君は筏からも落ちるヘタレで、どうにもこうにも…。ぼくの命を預かろうとか思わないわけ? 筏師の技は伝授したのに?」
ちょっとは漕ごうと姿勢だけでも示してみたら、と会長さんの嫌味がネチネチと。ソルジャーも横から面白そうに。
「だよね、気持ちは黙っていたんじゃ伝わらない。ぼくのハーレイに二番手で補助をして貰ってさ、ここは一発、男らしさをアピールすべき! キャプテンたる者、どんな難所も乗り切ってなんぼ!」
行って来い、と二人がかりで発破をかけられた教頭先生、ついに決意をしたらしく。
「…分かった。私も男だ、逃げていたのではお前を嫁にも貰えないしな」
「その調子! ドンと構えて乗り切るんだよ、君なら出来るさ」
頑張って、とロープを解かれて送り出された教頭先生はキャプテンと漕ぎ手を交代しました。一漕ぎ、二漕ぎ、次で曲がって…。
「「「わーーーっ!!!」」」
ドーン! と急な段差を滑り落ち、水飛沫が筏を洗い流して………目を開いたら教頭先生の姿が何処にもありません。二番手だったキャプテンが先頭に走り、二番手の位置にジョミー君が駆け込んで。
「きょ、教頭先生は!?」
「分からん、ぶるぅ、後ろはどうだ!?」
早く探せ、とキース君が絶叫しています。次の段差が迫っていますし、このままじゃあ…。ん?
「ふん、馬鹿は死ななきゃ治らない、ってね」
「…こうなると最初から知ってて交代させたわけ?」
で、ハーレイは? とソルジャーが訊けば、会長さんは。
「お花畑に送ってやったさ、今夜の宿のリゾートホテル! ぼくたちが着くまで庭の花壇のド真ん中から移動出来ずにシールドの中。本人はきっと死んだと思って焦るだろうね」
動けない上に花畑だし、と会長さんは高笑い。男の子たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにキャプテンはそうとも知らずに筏の上で大騒ぎです。聞いてしまったスウェナちゃんと私はこれからどうするべきでしょう? お花畑の教頭先生、お迎えが行くまで三途の川でお待ち下さぁ~い!
波乱な川下り・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
今月はアニテラでのソルジャー・ブルーの祥月命日、7月28日が巡って来ます。
ハレブル転生ネタを始めましたし、追悼も何もあったものではないのですが…。
節目ということで、7月は 「第1&第3月曜」 の月2更新に致しました。
8月は 「第3月曜」 8月18日の更新となります、よろしくお願いいたします。
7月28日には 『ハレブル別館』 に転生ネタを1話、UPする予定でございます。
「ここのブルーは青い地球に生まれ変わったんだよね」と思って頂ければ幸いです。
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、7月はお中元の季節。とんでもない人からお中元が…?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
前世で焦がれ続けた青い水の星、再生を遂げた地球の上に生まれ変わったブルー。
十四歳になって間もなく、前世での恋人だったハーレイと出会い、当時の記憶を取り戻すまではごくごく普通の少年として生きて来た。
けれどブルーは生まれながらのアルビノであって、身体も前世と同じで虚弱。運動の類は不得手だったし、体育の授業も見学が多い。学校も何かと休みがちなブルー。
そんなブルーの足を学校へと向け、繋ぎ止める大切な存在が出来た。
年度初めに少し遅れて赴任してきた古典の教師。彼こそがブルーの前世での恋人、キャプテン・ハーレイの生まれ変わりで、外見までもそっくりそのまま。
ブルーとの再会を果たして以来、ハーレイは休日の度にブルーの家を訪ねて来てくれるのだが、それだけで足りるわけがない。学校ではあくまで教師と生徒で「ハーレイ先生」と呼ばねばならず、甘えることすら出来ない日々でも、ブルーはハーレイに会いたかった。
廊下で会釈し挨拶を交わし、授業がある時は大好きなハーレイの姿を見詰めて好きでたまらない声を聞く。ただそれだけで感じる幸せ。ハーレイと同じ星に生まれて、同じ時間を生きる幸せ。
(…ハーレイ。ぼくは帰って来たから)
一度は離れて切れてしまったハーレイと共に紡いだ時の糸。
ミュウの未来を、仲間たちを乗せた白いシャングリラをハーレイに託し、ブルー自身がその糸を切った。離れ難い想いを胸に秘めたまま、ミュウの未来を守るために。
あの時、後悔は無かったと思う。
ソルジャーとしてのブルーには後悔は何ひとつ無かったけれども、一人のミュウとしてのブルーの胸には…。
(……覚えてる。ハーレイの温もりを最期まで忘れずにいたかったのに……)
撃たれた傷の痛みの前に消えてしまった、別れ際に触れた手に残ったハーレイの温もり。それを失くして独り逝くことがどれほどに辛く悲しかったか。ハーレイの顔も姿も覚えているのに、その温もりを失くしてしまったことが…。
ハーレイと再び巡り会えるとは思いもせずに、ソルジャー・ブルーだったブルーは逝った。
その悲しみはソルジャー・ブルーの記憶と共に十四歳のブルーの心にも刻まれたから、ハーレイの姿を見られるだけで嬉しかったし、この上もなく幸せな気持ちになれる。たとえその腕に触れられなくても、同じ星の上に、同じ空間にハーレイと生きているのだから…。
ハーレイの居る場所で幸せな時を過ごしていたくて、ブルーは少し無理をした。
以前だったら大事を取って休んだであろう不調の前兆。ほんの一日、家で静かにしているだけで良くなった筈の軽い眩暈を「なんでもない」と母に嘘をつき、学校へ。
運良く、校門を入った所でクラブの朝練を終えたハーレイとバッタリ出会った。
「おはようございます、ハーレイ先生」
ドキドキと跳ねる鼓動を押さえてペコリと頭を下げれば、「ああ、おはよう」と答えが返る。
もうそれだけで幸せ一杯、来た甲斐があったというものだ。眩暈は起きぬけに一度起こしただけだし、来て良かったと心から思う。柔道着を着たハーレイを見られる所は学校しかない。
「どうした、ブルー?」
「いえ、なんでもないです!」
ちょっと見惚れていただけです、などと言えるわけもなく、ブルーは足早に校舎へ向かった。急ぎ過ぎたのか息が切れたが、エレベーターを使わず階段で上る。足を止めたら幸せが胸から溢れ出してしまいそうだったから。
朝一番にハーレイと出会えた嬉しさを誰彼かまわず、捕まえて喋りそうだったから…。
(幸せだよ、ハーレイ。ハーレイが居るだけでホントに幸せ!)
頬が緩みそうになるのを懸命に引き締め、自分のクラスの教室へと。早足と階段はブルーの身体に負担を掛けていたのだけれど、鎮まらない鼓動はハーレイに会えた幸せのそれに置き換わる。
(今日はハーレイの授業もあるしね)
来て良かった! とブルーは心の底から嬉しくなった
古典の授業は午後からだったが、それまでの時間も待ち遠しい。
早くハーレイの顔を見たいし、声を聞きたくてたまらない。今の時間は何処で授業をしているだろう? あの大好きな声を聞いている幸せな生徒は誰だろう?
(ハーレイ…。ホントに好きだよ、ハーレイ)
学校では決して言えない言葉。心の中でしか言えないけれども、それを何度も言える幸せ。
もう会えないと、これで終わりだと遠い昔に思ったことすら、優しい時間に溶けてゆく。こんな幸せを掴めるだなんて、ハーレイの温もりを失くした時には夢にも思いはしなかった…。
(…ふふっ、ホントに夢みたいだ…)
キュッと右手を握ってみる。
メギドで死んだソルジャー・ブルーよりも小さな手。まだ幼さの残るこの手があの頃と同じくらいに大きくなったら、今よりももっと沢山の幸せがブルーの上に降ってくるだろう。
ハーレイと本物の恋人同士になって結ばれ、手を取り合って生きていけるのだから…。
午後の授業でハーレイの姿をたっぷりと眺め、ソルジャー・ブルーであった時から耳に馴染んだ声を存分に聞けて、ブルーは本当に幸せだった。
自分だけに向けられたものでなくとも、ハーレイの瞳と、その声と。
ほんの少しでも自分一人を見詰めてほしくて、声を独占していたくなって、当ててもらうために何度も手を挙げた。
前の生でハーレイに最後に触れた右手を、精一杯に「はいっ!」と元気よく。
ところが上手くは運ばないもので、ブルーの成績はクラスでトップ。当てればスラスラと答えが返るのだから、「生徒が躓きやすい箇所を押さえて今日の授業を進めよう」というハーレイの思惑とは大きくズレる。優秀なブルーは悉く外され、他の生徒ばかりが当たってしまって。
(……今日はダメかも……)
当てて貰えない日なんだろうな、とブルーも薄々分かってはいた。
しかし大好きなハーレイが出す問題や質問を無視するなんて出来る筈もない。
(此処にいるよ。ハーレイ、ぼくは此処にいるから!)
懸命に手を挙げ、結局、一度も当てて貰えなかったのだけれど、それでもブルーは幸せだった。
ハーレイと同じ時を生きる幸せ、同じ教室に居られる幸せ。
手を挙げすぎて身体に更なる負担がかかったことにも気付かず、幸せだけを噛み締める。
(ハーレイの授業を聞けて良かった! 学校に来てホントに良かった!)
休んでいたら会えないもんね、と授業を終えて出てゆくハーレイの背中を見送り、微笑んだ。
終礼が済んだら、体育館の方に行ってみよう。
運動部の生徒たちが闊歩する放課後の其処はブルーには場違いな場所であったし、中へ入って見学する勇気は無かったけども…。
(…でも、ハーレイが入って行くのを見られるかも!)
朝に出会った柔道着のハーレイ。
滅多に見られない姿だからこそ、一度見てしまうと欲が出る。
もっと、もっと、と欲張りになってしまったブルーは部活の無い生徒が次々と下校していく中を体育館の側で待ち続けた。
(…ハーレイ、まだかな…。まだ来ないかな?)
もうちょっとだけ、あと五分だけ、と待てど暮らせどハーレイは来ない。ふと気が付けば終礼を終えてから一時間近くも経っていて。
「いけない、ママが心配しちゃう!」
慌ててブルーは駆け出した。負担を掛け過ぎた身体へのダメ押しになるとも知らず、ハーレイが今日は部活ではなく会議だったことも知らないままで…。
欲張りすぎて帰宅が遅くなった上、柔道部に向かうハーレイの姿も見られず終い。
それでも登校して直ぐにハーレイに会えて、ハーレイの授業も受けられた。もうそれだけで幸せ一杯、早く明日になって学校へ行きたいとブルーは思う。
学校に行けばハーレイが居るし、たとえ古典の授業が無くても一度くらいは何処かで出会える。運が良ければ、ほんの短い時間だけれども立ち話だって…。
(ハーレイ先生、なんだけれどね…)
好きだなどとは絶対に言えず、あくまで先生と生徒の関係。
いくらハーレイがブルーの守り役であると知られてはいても、恋人同士なことは絶対秘密で。
(…でも、会えるだけで幸せだもんね…)
本当ならば自分がメギドへ飛び立った時が永遠の別れであったハーレイ。
ハーレイの命が尽きた時に別の世界で巡り会えるかも、とは思ったけれども、まさか前世と同じ姿で地球の上で巡り会えるとは…。
ハーレイにこの手で触れることが出来て、その姿を見て、声まで聞けて。
思念体や魂などではなくて、生の温もりを持った身体で会える幸せ。
(幸せだよ、ハーレイ…。ホントに幸せ!)
この言葉を何度、心の中で、ハーレイの前で、その腕の中で言っただろうか。
ブルーの身体が幼すぎるせいで結ばれることも出来ずキスすらも叶わない仲だったけれど、いつかはそれも過去のものとなる。
ハーレイの傍らで伴侶として生きる日を夢に描きながら、ブルーは自分の小さなベッドで幸せな眠りに落ちていった。
そうして翌朝、今日もハーレイに会いに学校へ行こうと目覚ましの音で目を覚ましたのに。
(……あっ…!)
昨日よりも酷い眩暈に襲われ、ブルーはベッドに引き戻された。
身体がだるくて起き上がれない。目覚ましを止めようと伸ばした手にも力が入らず、止めることだけで精一杯。起きて制服に着替えたいのに、身体が言うことを聞いてくれない。でも…。
(…起きて学校に行かなくちゃ…)
ハーレイに会える大切な場所。
以前だったらこんな時には起きようともせず、母が心配して部屋に来るまでベッドの中に居たのだけれど、今は学校に行けばハーレイが居る。だから行きたい。起き上がりたい。
(…学校に行って、ハーレイに…)
どうしても行って会わなくちゃ、とベッドから這い出そうとして落っこちた。絨毯に手を突き、起き上がろうとしていた所へ扉をノックする音が聞こえて。
「ブルー、開けるわよ? …どうしたの、ブルー!」
母が悲鳴を上げて駆け寄り、出勤前だった父に抱き上げられてベッドに戻る羽目になる。ブルーには以前からありがちなことだけに病院へとまでは言われなかったが、学校へ行ける筈もない。欠席の連絡をしに階下へ降りてゆく母が消えた後、ブルーはポロリと涙を零した。
今日はハーレイに会いに行けない。
同じ時間を生きているのに、今日はハーレイの姿を見られない上に声も聞けない。
(…土曜日だったら良かったのに…)
それならハーレイが来てくれるのに、と悲しい思いで一杯になる。
昨日はあんなに幸せだったのに、今日はすっかり正反対だ。
(ハーレイ…。会いたいよ、ハーレイ、会いたいのに…)
昨日休めば良かっただろうか、とも思ったけれども、昨日はとても幸せだった日。休むだなんてとんでもない、と昨日の幸せに思いを馳せる。本当ならば今日だって……。きっと…。
幸せな筈の日を逃したブルーはベッドの中でしょげていた。
寝ていたお蔭で身体はずいぶん楽になったが、明日は学校に行けるだろうか? 行けなかったらどうしよう、と気分が落ち込む。頑張って夕食は食べたけれども、明日はどうなるか分からない。
(…どうしよう…。明日もハーレイに会えなかったら…)
そんなの酷い、と泣きそうな気持ちになっていた時、扉が軽く叩かれた。
「…ブルー?」
遠慮がちに掛けられた声にブルーの心臓が跳ね上がる。
「……ハーレイ?!」
なんで、と身体を起こそうとしたブルーを、入ってきたハーレイが「寝てろ」と止めた。
「無理するな。…お前、昨日から無理をしてたんじゃないか?」
「えっ?」
「朝、会った時に妙にはしゃいでいたからな」
「…そんなこと…」
ない、と口にしかけて不思議に思った。自分はハーレイに挨拶しただけで、それ以上は何もしていない。ハーレイに「どうした?」と尋ねられたから、「なんでもないです」と答えたけれど…。
「声に出さなくても顔で分かるさ」
ハーレイの手がブルーの前髪をクシャリと撫でた。
「じゃれついてくる子犬みたいな顔をしてたぞ。もう嬉しくてたまらない、という感じの顔だ。お前、普段はそこまで舞い上がってはいないだろうが」
「……ぼく、顔に出てた?」
ブルーの頬が赤くなる。
ハーレイの姿を見ているだけで幸せだったし、学校ではいつも幸せ一杯。それを周りに気付かれないよう努力していたのに、昨日は顔に出ていただろうか?
「安心しろ、俺しか気付いていないさ。それよりも、お前…」
前と同じで弱いんだな、とハーレイの鳶色の瞳が曇った。
「前の身体と全く同じに弱く生まれてしまったんだな…。お前はこんなに小さいのに」
可哀相に、と大きな手がブルーの額に置かれる。
「俺は頑丈すぎる身体に生まれて来たのに、お前は弱いままなのか…」
ハーレイが心を痛めていることが手のひらを通して伝わってきた。自分は丈夫な身体に生まれて人生を謳歌しているというのに、ブルーは前と同じなのか、と。
ブルーだって弱い身体は辛い。現に今日だってそのせいで…。
けれど……。
「……ううん。弱いけど、前と同じじゃないよ」
違うんだよ、とブルーは微笑んだ。
「ねえ、ハーレイ。「ブルー」って呼んで」
「………? 呼ぶだけでいいのか?」
「うん」
請われたハーレイが「ブルー」と、ブルーの大好きな声でブルーの名を呼ぶ。優しい声が鼓膜を心地よく擽り、ブルーの心を震わせる。
「…もう一度、呼んで」
「ブルー?」
「もっと小さく。もう一度、もっと、もっと小さく…」
求めのままに繰り返される声は小さく微かになり、ついには囁くような響きとなった。それでもブルーの耳に届く声。前の生の時とまるで変わらない、暖かく穏やかにブルーを呼ぶ声…。
「…ブルー? ブルー…?」
「ほら、ハーレイ。…分からない? …君の声がちゃんと聞こえてるんだよ、ぼくは補聴器をしていないのに。ハーレイも補聴器、していないよね?」
ハーレイが息を飲むのが分かった。そう、そんな息遣いすらも聞き逃さないブルーの耳。前世と同じ弱い身体に生まれたけれども、これが全く違うこと。
ブルーはクスッと小さく笑った。
「…普通に聞こえて、普通に話せる。サイオンの助けを借りなくてもいい。こんな「当たり前」のことがとても嬉しいだなんて思わなかった」
思い出す前は「聞こえない」ことなんて想像したこともなかったけれど、とブルーは続ける。
「前は補聴器が無いとハーレイの声も全部は聞こえてなかったと思う。…だけど今はどんな小さな声でも補聴器もサイオンも無しで聞こえる。…これがハーレイの声なんだ、って幸せになれる」
それだけで幸せでとても嬉しい、とブルーはハーレイに「呼んで」と強請った。
「もう一度、呼んで。…ぼくの名前」
「…ブルー。…そうだな、俺もお前も今は補聴器無しだったんだな…」
お互いの声が聞こえるんだな、とハーレイの褐色の手がブルーの両方の耳をそっと包んだ。
束の間、通い合った優しい時間は恋人同士だからこそ持てるもの。
ブルーの母がいつものように「お茶は如何?」と部屋を訪ねて来ないこともあって、ゆっくりと時が流れてゆく。
ハーレイがブルーを見舞う間の短い時間だったのだけれど、それは満ち足りた幸せな時間。
「お前のどんなに小さな声でも聞き落とさない幸せ、か…」
考えたこともなかったな、とハーレイの手がブルーの額を撫でた。
「俺は頑丈に生まれたせいで気付かなかったが、お前はそれに気付いていたのか…」
「…えーっと…。きちんと考えたのは今が初めてかも…」
ハーレイの声を聞いているだけで幸せだったし、と無邪気な笑みを浮かべるブルーにハーレイが「そうか」と笑って頷く。
「俺の声だけで幸せというのは確かに顔に出ていたな。…お前がちゃんと大きく育ったら、もっと幸せになれると思うぞ」
「えっ?」
「ベッドの中でもサイオン抜きで本物の声が聞けるんだ。…な? 考えただけでも幸せだろう?」
「……ベッド……?」
何のことだろう、と自分が横たわるベッドに目をやったブルーの脳裏に前世の記憶が蘇った。
ハーレイと二人で青の間に置かれた大きなベッドで…。
「…ちょ、ハーレイ…! ベッドの中って…!」
ベッドでの睦言は全て聞こえていたのだけれども、前世のブルーの聴力からすれば、それは有り得ないことだった。補聴器を外せば囁き声など聞こえないのだし、無意識の内にサイオンで補って聞いていた筈。…その声を全部、サイオン抜きで…!
(…う、嘘……!)
耳の先まで真っ赤に染めたブルーの鼓膜をハーレイの笑い声が擽った。
「……お前には少し早すぎだがな。しっかり食べて大きくなれよ」
弱いのも少しは治るだろうさ、と可笑しそうに笑うハーレイの胸をポカポカと叩きたかったが、生憎とブルーはベッドの住人。上掛けを顔の上まで引き上げ、その下で頬を熱くする。
(…バカ、バカ、バカ! …ハーレイの馬鹿!)
心の中でそう叫んでも、ハーレイの笑い声が耳に心地よい。
巡り会えたからこそ聞くことが出来る、好きでたまらないハーレイの声。
明日は学校に行けますように、とブルーは祈る。明日もハーレイの声が聞けますように……。
聞こえる幸せ・了
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
青葉が眩しい五月の初旬。ゴールデンウィークの一部をシャングリラ号で過ごした私たちも今日から再び授業でした。とはいえ、そこは出席義務の無い特別生。授業の中身もすっかり頭に入っていますし、登校してくる真の目的は放課後にあり、というわけで。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日はアーモンドとオレンジのケーキだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎え。しっとりと焼き上げられたケーキはアーモンドの粉に細かく刻んだオレンジピールを加えたもの。食べるとオレンジの香りがふんわりと…。やがて部活を終えた柔道部三人組が加わり、今日は焼きそば。
「うーん、やっぱり此処が最高ってことなのかな?」
焼きそばを頬張りながらのジョミー君の言葉に、何を今更、とキース君が。
「お前は教室の方がいいのか? もれなくグレイブ先生つきの1年A組のあの教室が?」
「そうじゃなくって…。んーと……此処って、ぶるぅの部屋だけどさぁ、ぼくたちの部屋でいいのかなぁ、って…」
ずーっと独占してるよね、と言われてみればその通り。サイオンを持った後輩は何人かいるのに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入り浸っているわけではありません。私たちだけが入学した年から延々と溜まり場にしているのです。
「君たちの部屋でいいだろう?」
ぼくが許しているんだからさ、と会長さん。
「学園祭だって、この部屋を公開するのに君たちに協力して貰ってる。ぶるぅのお部屋って呼ばれてるけど、君たちの部屋でもいいと思うよ」
「そっか…。だったら、此処って秘密基地?」
「「「は?」」」
斜め上な単語に首を捻れば、ジョミー君は。
「秘密基地だよ、小学生の頃に作らなかった? コッソリ集まってゲームをしたりさ」
「ああ、アレか…。親父にバレてエライ目に遭ったな」
やっぱり墓地はマズかったか、と返すキース君に、ゲッとのけぞる私たち。秘密基地の話はよくありましたが、墓地というのは強烈です。字面はなんだか似ていますけど…。
「ぼ、墓地って…。キースの家のヤツだよね?」
裏山のだよね、とジョミー君が確認すると、キース君は「当然だろう」と頷いて。
「秘密基地を作るのにいい場所は無いか、と持ち掛けられてな。あまり人が近付かない所が最高なんだと言われてみろ。王道は山とか林だな。その点では墓地も負けてはいない」
「「「あー…」」」
そりゃそうでしょう、墓地はお参りの人しか来ません。ついでに山や林と違って散歩の人も来ませんし…。それでも墓地に秘密基地とは天晴れな、と思っていたら。
「その辺が子供の強さだな。俺にお念仏を唱えさせてだ、これで幽霊は大丈夫だから基地にしよう、と。でもって一番端の墓石と隣の木とをロープで結んで、それを基礎にして小屋をだな…。植木屋の息子がブルーシートを持ってきたから、そいつを使った。床はもちろん段ボールだ」
水が入らないように廃材で床を底上げして…、と語るキース君たちが作った秘密基地は立派なもの。雨風がしのげて快適な居場所になる筈でしたが。
「出来上がって中でスナック菓子を食って…。また明日、と別れたんだが、次の日の朝に親父に叩き起こされた。そのまま墓地に引きずって行かれて、これはお前が作ったのか、と」
もうその後が大変で…、と遠い目になるキース君。秘密基地は朝一番に墓地の清掃を請け負う業者さんに発見されてアドス和尚に即、通報。ついでに前の日、大勢の子供が墓地に向かうのを宿坊の人が見ていたらしく。
「墓地にみっともない物を作るな、と怒鳴られた上に、墓石を使ったのが最悪で…。持ち主さんにお詫びをしろ、と檀家さんの家まで行かされたんだ。檀家さんは笑って許してくれたが、親父が「もっと叱ってやって下さい」と俺の頭を拳でガツンと」
あれは本当に痛かった、とキース君は頭を擦っています。秘密基地は業者さんに撤去されてしまい、二代目の基地は植木屋さんの植木畑の中に作って、やはり見付かって速攻、撤去で。
「植木畑の方も派手に叱られたぞ。邪魔な枝を勝手に鋸で切ってたからな」
「「「………」」」
その植木って売り物だったんじゃあ、と頭を抱える私たち。キース君の秘密基地ライフは実に激しいものでした。迷惑や実害を及ぼしながらの基地建設って、子供ならではの超絶体験?
なかなかの悪童だったらしい小学生時代のキース君。秘密基地がどうのと言い出したジョミー君は公園の一角を占拠していただけで壊してはおらず、サム君やシロエ君も同様です。マツカ君は秘密基地自体に縁が無かったそうでして…。
「ぼくは友達が無かったですから…。みんな色々やってたんですね、楽しそうです」
「俺は親父に叱られたんだが?」
「それでも懲りずに植木畑でやったんでしょう? 友達がいなくちゃ出来ませんよね」
羨ましいです、とマツカ君。
「今はこの部屋がぼくたちの秘密基地ってことなんでしょうか、みんなで集まっているわけですし」
「うーん…。どうだろう?」
作ったわけではないからね、と会長さんが答えました。
「他の生徒は入ってこないし、先生だって入れない。そういう意味では究極の秘密基地だと言えるんだけど、キースの凄すぎる体験談を聞いてしまった後ではねえ…。自分たちの手で作ってなんぼ、という気がしないでもないんだけれど」
「おい、こんな部屋を作れるのか?」
どう考えても無理だろう、とキース君が冷静な突っ込みを。
「サイオンを使って隠してあるのはまだ分かるんだが、構造自体が謎だしな…。素人に作れるレベルじゃないぞ。それに二つも作ってどうする」
「まあね。ぶるぅの部屋は間に合ってるよね…。でもさ、秘密基地っていいと思わないかい、君は欲しいんじゃないかと思うな。…アドス和尚の目が届かない場所」
「は?」
「いつもブツブツ言ってるじゃないか、朝から晩まで修行の日々だ、って」
大変だよねえ、と会長さんに同情されたキース君は。
「………。副住職になっちまった以上、仕方ないとは思うんだがな…。不意打ちで部屋をガラリと開けるのは、正直、勘弁してほしい。あれは本気で心臓に悪い」
それに立ち聞き、と溜息をつくキース君。
「俺に一人でお勤めをさせる時があってな…。それならそれで親父は庫裏で寝てりゃいいのに、阿弥陀様の後ろの部屋でコッソリ立ち聞きしてやがるんだ。そして後から俺の読経に文句をつける」
まだ学校の方が気が休まる、とキース君が零せば、会長さんは「うん、うん」と。
「だからね、そんな日々を送るしかない君のためにも秘密基地! しかもある意味、堂々と!」
「「「???」」」
いきなり何を、と私たちは首を傾げましたが。
「作っちゃうんだよ、キースのための秘密基地をさ。ついでに、ぶるぅの部屋の別荘バージョン」
「「「別荘バージョン?」」」
「うん。基本的にはキースの基地で、ぼくたちは其処にお邪魔するわけ。基地の建設を請け負うんだから、そのくらいの役得はあってもいいよね?」
「な、なんの話だ?」
サッパリ話が見えないんだが、と目を白黒とさせるキース君に、会長さんはニッコリと。
「君の秘密基地を建ててあげようって言ってるんだよ。季節もいいし、お盆までは元老寺に来る人も少ないし…。宿坊の駐車場の横に確か空き地があったよね? あそこがいいと思うんだけど」
「ちょっと待て! 何処から見てもバレバレじゃないか!」
「堂々と建ってりゃ近付きにくいと思わないかい? 周りに砂利を敷いておけばさ、アドス和尚が来ても足音ですぐに分かるしね」
ここは一発、作ってみよう! と会長さんは大乗り気でした。えーっと、キース君のための秘密基地兼「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の別荘バージョンって、ブルーシートと段ボールで…?
元老寺の土地に秘密基地を作ろうと言う会長さん。普段はキース君が一人で使って、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の別荘としてお邪魔するのだそうですが…。
「おい、あそこでブルーシートはマズイぞ」
工事現場じゃあるまいし、とキース君が止めにかかると、会長さんが。
「誰がブルーシートで作ると言った? それじゃ快適と言えないし! 建てるのは組み立て式のログハウスなんかがいいんじゃないかな、広さの方も必要だから」
全員が入った時に備えて八畳は欲しい、と会長さんは数えています。
「一人半畳として計算するとね、君たちとぼくとぶるぅで九人だから六畳あればいいんだけれど…。ゆとりを持って使うんだったら八畳から! 理想は十畳って所かな」
「そんなデカイのを作る気か?」
「もちろんさ。この部屋はもっと広いんだよ? 別荘バージョンとはいえ、ゆったりしたい」
アドス和尚に相談しないと、と立ち上がりかける会長さんに、キース君が慌てた口調で。
「ま、待て! ログハウスの費用はどうするつもりだ、親父が資金を出すわけがないぞ」
「ああ、その点なら大丈夫! ちゃんと費用のアテはあるから」
ぼくにぞっこんの阿呆が一人、と人差し指を立てる会長さん。
「ハーレイに頼めばいいんだよ。未来の嫁が秘密基地を建設したいと言っているんだ、出さないようじゃ男じゃないさ。…結婚した後でもプライバシーは重要だからね、その時に備えて予行演習と言えばOK!」
「「「………」」」
鬼だ、と思ったのは私だけではないでしょう。ともあれ、費用の面はそれで解決みたいです。そうなると次は建設現場で。
「早速、元老寺に行かなくっちゃね。秘密基地云々っていうのは黙っておいて、アドス和尚を説得しないと」
「…内緒にするわけ?」
なんでまた、とジョミー君が訊くと、会長さんは。
「秘密基地です、とバラしたら意味が無いだろう? 堂々と建てても秘密は秘密さ」
「そっか、キースの基地なんだっけ…。でもって、ぼくたちの秘密基地だね」
面白いことになってきた、とジョミー君はワクワクしています。私たちだってドキドキワクワク。会長さんはアドス和尚をどうやって説得する気でしょうか?
「ふふ、そこは銀青にお任せってね。…それじゃ行こうか、もう夕方だし瞬間移動で元老寺まで」
持ち物を忘れないように、と注意された私たちは鞄をしっかりと。お皿やカップは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパパッと洗ってお片付けして準備完了。
「行くよ、ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パァッと迸る青いサイオン。身体がフワリと浮き上がったかと思うと、もう目の前が元老寺でした。正確に言うと山門も通り抜けて庫裏のすぐ脇。夕方の境内は閑散としており、私たちの出現に腰を抜かすような人も無く…。
「さてと。…アドス和尚は気前よく御馳走してくれるかな?」
この時間だと晩御飯が出るのがお約束だよね、と庫裏の玄関のチャイムをピンポーン♪ と鳴らす会長さん。秘密基地の交渉だけじゃなくって晩御飯まで食べるつもりで押し掛けましたか、そうですか…。
奥の方からパタパタと軽い足音が聞こえ、玄関を開けてイライザさんが。
「ぎ、銀青様…? お電話を頂ければお迎えに上がりましたのに…!」
「こんなに大勢、タクシーに乗れると思うかい? 今日はアドス和尚に話があってさ」
「今はお勤めをしておりますの。お入りになって下さいな。皆さんも、どうぞお座敷へ」
案内された先は立派なお座敷。会長さんが上座に座り、キース君は思い切り末席です。お茶とお茶菓子が出てきましたけど、ワイワイ騒ぐわけにはゆかず…。その内にドスドスと足音が。
「銀青様、大変お待たせしまして申し訳ございません」
廊下に平伏しているアドス和尚に、会長さんはにこやかに。
「ううん、お勤め最優先っていうのは常識だしね。こちらこそ、夕食前にお邪魔しちゃってごめん」
「こ、これは……気が付きませんで失礼を……。おい、イライザ!」
皆さんにお寿司をお取りしろ、とアドス和尚。特上握りとは豪勢な…。会長さんのお供だからこそで、私たちは心で万歳です。お寿司が届くまでの間に会長さんはアドス和尚と世間話や璃慕恩院の話なんかをのんびりと。…えーっと、秘密基地のお話は?
『まだまだ。本題はお寿司を食べながら…だよ』
私たちだけに聞こえる思念波が届き、やがて豪華なお寿司の出前が。アドス和尚は御機嫌で…。
「皆さん、遠慮なくお召し上がりを。日頃、せがれがお世話になっておりますからな」
「ありがとう。で、キースの話なんだけど…」
会長さんが大トロに舌鼓を打ちながら口にした言葉に、アドス和尚が眉を顰めて。
「…せがれが何かしでかしましたか?」
「そうじゃなくって、ぼくから提案。…キースは副住職をやっているけど、学校生活が基本だよね? 檀家さんと触れ合う時間は少ない」
「はあ…。そこはまあ、学生ですからな」
檀家さんも承知して下さっています、とアドス和尚。けれど会長さんはチッチッと指を左右に振って。
「これからのお寺は若い人にも門戸を開くべきなんだよ。お年寄りしか寄らないお寺は古くなりがち! フラッと立ち寄って話が出来たら理想的だと思わないかい?」
「ウチは宿坊もやっておりますから、お若い方が旅の拠点に使われることもありますが…」
「それじゃイマイチ! 気軽に覗けるスポットでないと」
宿坊はお寺の付属物だから敷居が高め、と会長さん。
「もっとこう、敷居の低いヤツを…ね。お茶でも飲みながら話が出来て、美味しいお菓子もあるとなったら最高なんだよ。そのための拠点を作るのはどう? 責任者はキースで」
「せ、せがれにそんな大任を…?」
「大任じゃないよ、若い檀家さんの話相手をするだけだから! もちろんお年寄りでもいい。そういう場所を作るんだったら、ぼくも覗いてみてもいいしね」
場合によっては法話もしよう、と提案されたアドス和尚は「うーむ…」と考え込んでいます。
「せがれが其処に詰めるのですな? わしの目が行き届かない場所となったら、こう、色々と…」
「お父さんとしては心配になるかもしれないねえ…。じゃあさ、本格的に運用する前にお試し期間! とりあえず、ぼくたちだけが立ち寄るってことで、キースの生活がどう変わるかをチェックしてみれば? 問題無ければ檀家さんにも開放したらいいんだよ」
「おお、なるほど…。それは名案かもしれませんなあ」
ひとつチャレンジさせてみますか、とアドス和尚がGOサイン。会長さんはサクサクと場所や建物の案を話して、建設費用は一切不要と太鼓判を。銀青様のポケットマネーだと勘違いしたアドス和尚は「有難いことです」と合掌しています。全額負担の教頭先生、どんな散財になるのやら…。
こうしてトントン拍子に話は纏まり、会長さんが教頭先生から費用を毟って、組み立て式のログハウス風な秘密基地の建設が始まりました。業者さんに建てて貰ったのでは秘密基地とは言えません。やはり自分たちで作ってこそで。
「かみお~ん♪ みんな、お疲れ様ぁ~!」
お弁当だよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瞬間移動でボリュームたっぷりの焼肉弁当のお届けに。炭火焼肉を一面に載せた下には千切りのキャベツ、御飯にもタレがしっかりと。男の子たちのお弁当は大きく、見ているだけのスウェナちゃんと私の分は小さめです。
「えとえと…。今日は窓も入るの?」
だいぶ家らしくなったよね、とログハウスを見上げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちは「秘密基地を作るので休みます」というブッ飛んだ欠席届を学校に出して、毎日、元老寺に通っていました。え、その欠席届ですか? グレイブ先生は「ほどほどにな」と笑っただけでしたよ~!
「グレイブ先生、こんなのとは思っていないよねえ?」
ジョミー君が壁をコンコン叩けば、サム君が。
「穴でも掘ってると思ってんじゃねえか? その辺の土手に」
「その可能性は高そうですね」
少なくとも家とは思っていないでしょう、とシロエ君。
「おまけにコレって総檜でしょう? 基本のログハウスの値段は調べましたけど、あれより相当、高いんじゃあ…」
「御想像にお任せするよ。ハーレイは喜んで払ってくれたけれどね」
クスクスクス…と会長さんが漏らす笑いからして、とんでもない費用がかかっていそうです。整地は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンでやって、組み立ての方も大きな部材はサイオンで。男の子たちは力仕事で出来る部分を頑張って作り、残るは屋根の仕上げと窓と、それに床張り。
「屋根と窓は今日中に仕上げて、床張りが明日って所かな」
それが済んだら電気の配線とかをしなくっちゃ、と会長さん。配線はシロエ君が担当することになっていますし、明後日には秘密基地が完成しそうです。お弁当を食べ終えた私たちは中に入って、仮の床の上を歩きながら天井や壁を眺めてみて。
「凄い秘密基地が出来そうだよね」
でもってキースの隠れ家だよね、とジョミー君が親指を立てれば、キース君が。
「どうだかな…。ブルーが巧い話をやったお蔭で家は出来そうだが、親父のチェックが何処まで入るか…。まあ、檀家さんの立ち寄り処になったとしても、親父と違ってノックくらいはするだろう」
のんびり息抜きが出来る所になるといいな、とキース君は大きく伸びを。
「とりあえず残りを仕上げるか。床が出来たらド真ん中で大の字に寝転がって上を見るんだ」
俺の城だ、とキース君が言った時です。
「…床下収納も希望なんだけど」
「「「は?」」」
なんだソレは、と振り返った先にフワリと翻る紫のマント。もしかしなくても出ましたか? ソルジャーとかいう人が出たようですけど、床下収納って何なんですか~!
「床板をパコンと上に上げてさ、そこから出るのがいいのかなぁ…って」
だから床下収納なのだ、とソルジャーは呆気に取られる私たちを他所にいけしゃあしゃあと。男の子たちが頑張って建てたログハウスの仮設の床を悠然と歩き回っています。
「これって秘密基地なんだろう? それっぽくお邪魔するにはドアを開けるよりも床からかな、と思うんだよね。もちろん青の間直結で!」
「ちょ、ちょっと…」
これはキースの家なんだけど、と会長さんが遮りましたが、ソルジャーが聞くわけがなく。
「総檜っていうのが素敵なんだよ、ホントに香りがいいからねえ…。こないだハーレイと泊まった旅館を思い出すなぁ、部屋付きの露天風呂が総檜のヤツでさ、もう最高で」
「その先、禁止!」
何も喋るな、という会長さんの警告は右から左に抜けたようです。
「いい香りのお風呂でヤるのもいいけど、移り香を纏ってヤるのもいいよ? ハーレイの身体から檜の匂いがするんだよねえ、逞しさがググンと増した気がして…。もちろん硬さも檜並み! ついでに総檜の家と同じで長持ちってね」
「「「……???」」」
檜は丈夫で硬いと聞きます。総檜の家は長持ちするとも聞いていますし、だからこその総檜ログハウスですが……キャプテンと檜の共通点って何でしょう? 硬さに長持ちって筋肉とか? それとも持久力なんでしょうか、全然話が見えませんけど…。
「あ、分からなかった? それならそれで別にいいんだ、ぼくが欲しいのは秘密基地だし」
「「「えぇっ!?」」」
「ノルディの別荘を借りたりするけど、こっちに拠点が無いんだよね。ちょうどいいから混ぜて貰おうかと…。ベッドとかは持参するからさ」
それとも布団を買おうかな、とソルジャーは床を見渡して。
「キースはベッドを置かないようだし、置くにしたってシングルだろうし…。ぼくとハーレイには狭すぎてダメだ。地球に拠点が出来るからには、やっぱり二人で思う存分!」
床下から来てヤリまくるのだ、とソルジャーは熱弁を奮っています。なんとなく分かってきたような…。つまりソルジャーは此処を使って大人の時間をやらかしたいと…。
「なんでそういうことになるのさ!」
そんな目的で建てたのではない、と会長さんが怒鳴り付けても、ソルジャーは我関せずと床のチェック中。
「この辺がいいかな、床下収納! ぼくとハーレイの身体さえ通れば、ベッドや布団は後からどうとでも…。ぶるぅ、そこのメジャーを取ってくれる?」
「かみお~ん♪ どうするの?」
はい、と素直な「そるじゃぁ・ぶるぅ」が渡したメジャーは工事現場用の金属製。ソルジャーはそれをシャッと伸ばして床に当てると、お次は墨を御所望で。
「サイズは書いといたから、此処に床下収納をよろしく。パカッと上に開きさえすれば収納部分は別に大きくなくてもいいからね。ぼくの世界の青の間直結、空いてる時間にお邪魔するよ」
ハーレイと二人でベッドか布団を持って来て、とニッコリ笑ってソルジャーは姿を消しました。よりにもよって床下収納、ソルジャーの世界の青の間直結。…私たちの秘密基地作りはとんでもないことになりそうです。どうしたらいいんですか、会長さん…?
降って湧いた災難ならぬ、空間を越えて出たソルジャー。言いたいことだけ喋って消えたソルジャーが残していった床に四角く引かれた線。
「…おい、作らないとどうなるんだ?」
此処に床下収納とやらを、とキース君が指差せば、ジョミー君が。
「勝手に作るんじゃないのかなぁ? 器用なのかどうか知らないけどさ」
「…多分、不器用だと思いますけど…。でもサイオンを使えますしね」
どうなるやら、とシロエ君が天井を仰ぎ、スウェナちゃんが。
「キャプテンの趣味は木彫りじゃなかった? 日曜大工も出来るかも…」
「「「………」」」
二人がかりで攻めて来られたら、床下収納は意地でも取り付けられそうです。それくらいなら潔く…とも思いましたが、床下収納を作ってしまえばソルジャーの世界の青の間直結になるわけで。
「それって床下収納って呼べるわけ?」
何も収納出来ないよね、とジョミー君。確かに物を入れておいたらソルジャーとキャプテンに踏み潰されるか、壊されるか。いっそニンニクを詰めておけば、という恐ろしい意見も出ましたけれど、ソルジャーを撃退どころか「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の方にニンニクの雨が降りそうで…。
「…諦めて設置するしかないか…」
俺の城になる筈だったのに、とキース君がガックリ項垂れています。そっちの方も問題ですけど、より問題なのがソルジャーの拠点。乗っ取られたが最後、此処をベースに私たちの周りをウロウロしては爆弾発言をかましまくって、更には今まで以上に積極的に大人の時間をやらかそうとして…。
「…床下収納が出来てしまったら、おしまいかもね…」
でも作らないわけにもいかない、と会長さんが嘆く横から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと…。秘密基地、ブルーに取られちゃったの?」
「ん? 取られてないけど、もう取られたのと同じだねえ、っていう話だよ」
困ったことになっちゃった、とぼやく会長さんにも名案は浮かばないようです。このまま組み立て作業を続けて総檜造りのソルジャーの拠点を建てるしかないのか、と誰もが脱力気味ですが…。
「かみお~ん♪ 同じだったらあげちゃったら?」
「「「えっ?」」」
「ブルー、お家が欲しいんでしょ? 秘密基地ならぼくの部屋があるし、これはブルーにプレゼントすれば?」
それなら誰も困らないでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。そりゃあ……乗っ取られるのなら譲った方がマシかもですけど、建っている場所が問題です。元老寺の駐車場の脇にソルジャーの拠点が出来上がった日には、キース君のお城どころか頭痛の種になりそうで…。
「あっ、そうか!」
その手があった、と会長さんがポンと両手を打ちました。
「この際、キースの秘密基地って案を捨ててしまえばいいんだよ。これは単なるログハウス! 出来上がったらブルーに譲って、知らん顔をすればそれでオッケー!」
えっ、でも…。この家、此処に建ってるんですよ? 忘れてませんか、会長さん? それともキース君がソルジャーに押し掛けられて困っていても、知らぬ存ぜぬで逃げる気ですか…?
ログハウスの屋根と窓とはその日に仕上がり、翌日は朝からせっせと床張り。ソルジャーが注文していった床下収納の部分がキッチリ切り抜かれ、収納庫も取り付けられました。キャプテンの身体が通るサイズを指示されただけに、広さは充分。
「これだけあったらイモやタマネギも置き放題なのにな…」
残念だ、と見下ろしているキース君。お城が出来たと思った途端に奪われたのでは残念だろう、と思いますけど、何故にタマネギ?
「…俺の家ではカレーは滅多に出ないんだ、と言わなかったか?」
「あー、そういえば聞いたかも!」
なんでだっけ、と尋ねたジョミー君にキース君は心底、呆れた顔で。
「お前も坊主の端くれだろうが…。いいか、通夜や葬式にカレーの匂いをさせて行くのはNGだ。息の匂いは歯磨きすれば何とかなるがな、身体ごとカレーの匂いはマズイ。風呂に入ればいいだろう、と俺は思うが、親父はうるさい。葬式も通夜も有り得ない、という時しかカレーは出ない」
翌々日が友引の時で平日限定、とキース君はフウと深い溜息。
「…この家が出来たら、レトルトカレーを好きなだけ食おうと思っていたんだ。いずれ檀家さんをお迎えするならキッチンも要るし、そうなってきたら自作もいいな、と…。イモとタマネギはカレーに欠かせん」
それにニンジン、と未練たらたらのキース君が収納庫を閉め、私たちは出来上がった家をグルリと見回しました。ソルジャーに譲ると決まった以上、電気配線もシロエ君が急いで工事し、後は引き渡しを待つだけで…。
「こんにちは」
パカッと閉めたばかりの床下収納庫が開き、中から「よいしょ」とソルジャーが。出たかと思えば床に屈み込み、床下収納に手を突っ込んで…。
「こんにちは。お邪魔いたします」
こんな所から失礼します、とキャプテンがソルジャーに助けられながら這い出して来ました。最初から二人で現れるとは、乗っ取る気持ち満々です。譲ると決めていて良かったかも…。
「ね、ハーレイ? 檜の香りがいいだろう?」
「本当ですね。…しかし、ブルー…。此処は皆さんの秘密基地なのでは…」
「いいんだってば、空いてる時には使わせてくれって頼んだし! それでさ、お前はベッドがいい? それとも布団を買いに行く?」
「…そうですねえ……。せっかくの総檜ですし、床に布団も試したいですね」
私たちを放置で盛り上がり始めるバカップル。会長さんがゴホンと咳払いをして。
「お取り込み中にアレなんだけどさ…。この家、君たちに譲るから!」
「いいのかい?」
ソルジャーの顔が輝きましたが、会長さんはフンと鼻を鳴らすと。
「その代わり、持って帰ること! これはキースの家の敷地に建ってるわけだし、このままじゃ譲るわけにはいかない。君のシャングリラの中に置くも良し、ノルディに頼んで土地を買うも良し」
「…持ち帰りって……。出来るわけ?」
とっても魅力的だけど、と瞳を煌めかせているソルジャー。会長さんはログハウスの構造を淡々と説明し、置き場所さえあれば持って帰っていいと告げ…。
総檜な家が欲しかったソルジャーは、地球に拠点を持つことよりも檜の香りを優先させたみたいです。ジョミー君たちが頑張って建てたログハウスはソルジャーの世界に送られてしまい、バカップルなソルジャー夫妻も御礼だけ言って帰ってしまって。
「…結局、更地しか残らなかったね…」
ぼくたちの秘密基地、とジョミー君が呟き、キース君が。
「じきに夏草が生えるだろうな。…つわものどもが夢の跡とは、このことだろうさ」
ただ春の夜の夢の如し、と時代が異なる名文句を並べつつ、キース君は夢と消えたログハウスの跡地を見詰めています。さようなら、私たちの秘密基地。さようなら、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の別荘バージョン…。
「…その秘密基地の話だけどね…」
堂々と作ろうとしたのが失敗だった、と会長さんが小声でコソコソと。
「カレー作りは無理だろうけど、アドス和尚から逃亡可能で、秘密基地っぽい隠れ家だったら出来るかも…」
「なんだと?」
そんなものを何処に作るんだ、と問い返したキース君に、会長さんは。
「ほら、裏山に椎の大木があるだろう? あれの上にさ」
「ツリーハウスか…。しかし、それこそ親父にバレたら…」
「バレやしないよ、きちんとシールドしとけばね。最初の間はぼくとぶるぅでシールドしてさ、君が慣れてくれば自力でやるとか」
ゲストの力を借りるのもいいね、と視線を向けられた私たち。なんと、今度はツリーハウスですか! 木の上の家って憧れます。そんな素敵な秘密基地なら、苦手なサイオンも修行しますとも!
「じゃあ、決まり! ログハウスが消えた件をアドス和尚に言い訳しなくちゃいけないし…。話すついでに適当に暗示をかけとくよ。椎の木に近付かないように」
「よろしく頼む。…ログハウスは何と言い訳するんだ?」
「ん? 庫裏が古くなって困っているお寺にお譲りした、と言えば終わりさ」
それが一番、と会長さんは胸を張りました。
「君だって知っているだろう? 本堂を修理するのに檀家さんから寄付を募るのは当たり前! だけど庫裏の修理をしますから、と集めに回るのは大変だ。檀家さんの数が少ないお寺だと、雨漏りがしても本堂優先、庫裏は後回しで大変だよね」
「なるほどな…。そういう寺なら渡りに船というヤツか」
たかが十畳のログハウスでも、とキース君は納得しています。お寺の世界は厳しいのだな、と私たちは思い知らされ、その言い訳を聞かされたアドス和尚は合掌して。
「そういう理由でございましたか…。せがれごときに一戸建てなぞ、ログハウスでも分不相応かと密かに思っておりました。他のお寺さんのお役に立つなら、その方が良いかと存じます。…キース、分不相応などと言われんように、これからも修行に励むのじゃぞ」
「は、はいっ!」
深々と頭を下げて、アドス和尚の座るお座敷から回れ右したキース君でしたが。
「…この木の上に作るんだな?」
どんなサイズになるだろう、と椎の巨木を振り仰いでいるキース君。私たちは元老寺の庫裡を後にし、裏山に登って来たのです。遠くからも見える椎の木は太くて立派で、小屋くらい軽く支えられる強度を備えているそうで。
「幹もしっかり詰まっているから、かなりな重さでも大丈夫だよ」
その辺はちゃんと確認した、と会長さんが幹を叩いています。サイオンで透視した結果、隙間は全く無いらしく…。
「かみお~ん♪ おっきいのがいいね、みんなで入れる秘密基地!」
登る時には瞬間移動だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。梯子を置くのもいいかもです。梯子ごとサイオンでシールドしておけばアドス和尚にも気付かれませんし…。
「とにかく寸法を測ってみよう。それからみんなで設計だね」
家の大きさも形とかも、と会長さんが言い、歓声を上げる私たち。ログハウスをソルジャーに取られた時はショックでしたけど、ツリーハウスが出来るんだったら断然、そっちが良さそうです。今度は学校に「ツリーハウスを作りに行くので休みます」と欠席届を出さなくちゃ!
「…いいねえ、檜の香りってヤツもいいけど、木の上なら森林浴の気分なのかな?」
「「「!!?」」」
「今度はツリーハウスを作るんだって?」
床下収納をよろしくね、と現れたソルジャーは檜の香りを纏っていました。まさか、あのログハウスでキャプテンと…? 目が点になった私たちの姿に、ソルジャーはクンと自分の手袋の香りを嗅いでみて。
「あ、バレちゃった? 急いで出てきたものだから…。せっかく貰ったログハウスだしね、まずは布団も無しで床でヤろうかってハーレイと…」
「退場!!!」
さっさと帰れ、と会長さんが怒鳴り付け、ソルジャーが。
「待ってよ、その前にツリーハウス! そっちの方がドキドキしそうだし、木の上でヤるってロマンチックな感じだし…。ぼくのハーレイにも言っておくから、床下収納!」
「却下!!!」
二度と来るな、と怒り心頭の会長さんと、食い下がっているソルジャーと。ツリーハウスは諦めた方がいいのでしょうか? コッソリ作っても床下収納をしっかり作られ、ソルジャー夫妻が登場しそうな気がします。秘密基地のことは夢のまた夢、線香の煙と共にハイさようなら……。
秘密基地日記・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
今月はアニテラでのソルジャー・ブルーの祥月命日、7月28日が巡って来ます。
ハレブル転生ネタを始めましたし、追悼も何もあったものではないのですが…。
節目ということで、7月は 「第1&第3月曜」 の月2更新にさせて頂きます。
次回は 「第3月曜」 7月21日の更新となります、よろしくお願いいたします。
7月28日には 『ハレブル別館』 に転生ネタを1話、UPする予定でございます。
「ここのブルーは青い地球に生まれ変わったんだよね」と思って頂ければ幸いです。
毎日更新の場外編、 『シャングリラ学園生徒会室』 にもお気軽にお越し下さいませv
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、7月はお中元の季節。とんでもないお中元が来そうな予感?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv